2019年07月21日

平和な時代から動乱の時代へ (緊迫する韓国情勢をまとめる)

平和な時代から動乱の時代へ

(緊迫する韓国情勢をまとめる)

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2019年7月19日の深夜3時頃に、韓国ソウルの鍾路区にある日本大使館が入居するビルに 
78歳男性が車ごとつっこみ大爆発事故を起こした。 

男性が突っ込んだ車からは、ガソリン入っていた容器が2個、液化石油ガス20個、ライターなどが見つかり焼身自殺をはかったと見られる。 
男性は一命を取り留めたが、重傷を負い病院に搬送された


文大統領も娘家族をタイ王国に送り出したのです。タイは暫定軍事政権ですが、韓国よりもはるかに暮らしやすく、国民性は優しく温和。世界各国から多くの観光客が訪れる安心安全な国です。文大統領の権力は永遠に続くものではありませんから、大事な娘家族は韓国にいては危険だと感じ取っている表れです』と指摘する


韓国情勢は緊迫している、でも日本では日本大使館につっこんだ車のことは放送されない何かかなり緊迫してきている
文大統領が危険を感じて家族をタイに避難させたことでもわかる
何か米中の貿易戦争でもイランとアメリカの対立でも危険になる
2020年とか動乱が起きるとか地震とか津波が南海トラフで起きるとか不穏なことを言う人がいた

そもそも日本でも世界で動乱の時代に入ってきた
それは東日本震災の津波の被害から発火点だったのである
そして今度は外交問題で米中対立で貿易戦争になる

日本と韓国の半導体の争いもアメリカが背後にあり中国に半導体を輸出させないとして日本がアメリカの許可のもとにしかけたとなる
なぜなら中国でも韓国経由で半導体を仕入れていたされるからである
それで中国と対立するアメリカが日本を通じて中国に圧力をかける

【北京=時事】中国国営新華社通信によると、韓国サムスン電子が中国陝西省西安市で建設を進めている半導体工場の2期工事の総投資額が、140億ドル(約1兆5400億円)を超える見通しであることが分かった。2期工事は昨年3月に着工し、今年7月に完成、来年1−3月期の量産開始を予定している。

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中国とアメリカの貿易戦争でこれもアメリカに警戒されて日本がフッ化水素の輸出をとめる、すると中国でもスマホとか通信関係に影響する
つまり徴用工だけの問題ではない、中国もからんだアメリカの圧力があってこうなった
日本だけでしたことではない、だから事が重大なのである
日本だけだったら韓国でも対抗できるが裏にアメリカがかかわっていたらできない
現実にアメリカは仲裁もしないて応援していないからだ

アメリカが北朝鮮主導で統一を図ることを望んでいるというのも意外である
韓国は政治が不安定だから北朝鮮の方がいいとされるのも見方としてある
それで韓国は消滅するとかなる、北朝鮮が消滅するのかと思ったから韓国が先に消滅して北朝鮮によって統一される、それは高句麗の再現だと言う

百済が高句麗と戦い負けた、百済には武寧王陵がありそこを訪ねたことがあった
中国の南朝と結び煉瓦作りの王陵を遺した、そこには銀の匙まであり中国の影響で華麗な生活をしていたのである、そこには男性の王は金の棺に王妃は銀の棺に入れられていた
そしてその棺にコウヤマキが使われていた
それは日本製であり日本がでしかとれないものだったのである
そこに興味をもったのは金銅双魚佩が私の住んでいる近くで古墳から発見されたからである、これは東北ではめずらしいものだったのである
それが武寧王ともつながりがありそこを今調べて書こうとしている

韓半島とは古代からこうして政治的文化的につながりが深いのである
渡来人も大量に来ている、百済と日本は一体だったともなる
そういう歴史があり半導体というとわかりにくいにしても技術的にも深いつながりがあるそこでその技術を廻って争いが起きたことも歴史の継続だとなる
ただここに強大なアメリカが加わったことが古代とは根本的に違う
それがさらに複雑なものとしている

ニュースは日々変化していろいろあるが意外とテレビではすべて放送されない
するとこうしてニュースを自分なり編集することがわかりやすくなる
でも暇がないとできない、それでテレビで編集されたものを見る
そして肝心なことが報道されないから偏った見方になるのである
何かニュースでも自分なりに編集するなりして消化する、それが情報社会で求められている、ただそうなると時間がかかるから普通はできないのである
そこにいくら情報が大量に出ていても消化しきれないという問題が生まれている
ただこうして自分なり編集して消化したしときやはり見えてくるものがある

いづれにしろ平和な時代が終わったのかと思う、何かもっと大きな動乱が起こり内外が乱れる、もう経済でも銀行はなくなるとかリストラとか平均収入が300百万以下になるのが普通だとか終身雇用がなくなること自体が大動乱なのである
結局戦後70年とか特別恵まれた平和な時代だったとなる
日本では特にそうであった、高度成長が終わり30年くらい停滞したが平和であった
そうした安定した平和の時代は終わり動乱の時代となる
そのきっかけが東日本大震災の津波と原発事故だったのである
そうして自分自身も大動乱を経験して四苦八苦したのである



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2019年07月20日

人間の才能はないのではなく活かされない (Love & Freedomの底辺労働者もそうである)

人間の才能はないのではなく活かされない

(Love & Freedomの底辺労働者もそうである)

人間の才能とは絵を描くとか文章を書くとか数学が得意だとか体力があるとか話がうまいとかいろいろ多様なのである
しかし何かしら才能ある人はいる、それが発見されないとか活かされないのである
Love & Freedomの底辺労働者を語る40くらいの人がそうである
この人の正体はわからないにしても

●しゃべるのがうまい
●精神障害とか犯罪者心理に通じる
●自らの実体験を語ることで訴える
●ニュースなどの解説に向いている

この人はしゃべるのがうまい、わかりやすく説明している、今日聞いたのでは年をとると比例して男はプライドだけが高くなる
そういう心理を説明されれば誰でも納得する
みんなそうであるからだ、10歳違った人がその年齢で判断して下に見るというのもおかしいと思った、何かその人に功績があればだが何もないとしたら年でその人を判断できないはずである
また結婚して子供を育てたとかでそれも社会的自慢になるとも思えない
価値はあるとしてもそれで人の優劣を決めることはできないだろう
ただ何もない者でも男はプライドをもっている、それが年をとるほどプライドが高くなるそれで年下の上司に仕えることができずやめる人が多いというのがわかる
おばさんにはそれほどないから若い人ととうまくやれるというのもわかる
このプライドはやっかいなものである
それが年をとればとるほど高くなる、だからただ年をとっただけでも偉いと尊敬されるべきだとなる、それはこんなに老人が多くなければ自然とそうなっていたのである
これだけ老人が多ければもう老人は何か特別なものがなければ尊敬されることなどないのである、老人はただ税金を使うだけの無駄なものだから早く死んでくれとなる

でも人間の才能は活かされないことが多い
また人間の才能は自ら発見されることも他者から発見されることもなかなかない
芸術分野で不遇な人が多いのはそのためである
天才を理解できる人は天才しかないというときその天才は一時代に数人だとしたらもう理解されない、いくら才能あっても理解されない、ただ次代に天才が出て理解されるとなる天才でなくても才能は活かされにくいし不思議なのは自らの才能を自ら発見されていない開発されてもいないのである
天才は別にしても何か才能でも自ら開発して発見してゆくことが必須なのである
ただ何もしないで天才になり楽器でもひけるとはならないからだ
それには過酷な練習があって才能が開くからである

この人は相当に才能がある、そもそも私立の学校に入り大学でも大学院まで出て臨床心理学士でもある、すると他の人よりその時点でも優れていたとなる
ただ文科系は実際の社会で役に立たない、それで就職できないとかなり自殺した人までいた、つまりそういう人は学者になれない、大学で就職できないとそうなる
実際の社会では必要としないからである
心理学が実際の社会でどう応用されるのか?それはほとんどないだろう
それで一時臨床心理学士として病院で働いていたがやめて底辺労働者になった
最初に歯車が狂うとそうなりやすいのである
20代でだいたい人間が決まってしまうというのはそのためである

ただ思うにこの人は才能があるのだが活かされないのである
ニュースキャスターとか解説者とかに向いている、説明とかしゃべるのがうまいからである、人間の心理とかにも通じているからいろいろな事件の解説に向いている
でもそういう機会が与えられないだけではないか?

機会が与えられず才能は活かされない

結局こういうことが社会には多い、自分自身もそうだった、今プログで作品を出しているが認められない、認める人がいない、ただ今までは発表する場もなかったが今はプログでしている、何か自分ながらいい作品を書けるようになったと思う
もちろんもう死ぬ時期なのだからその作品も高度なものでないとどうにもならない
何か私は何でも理解することでも遅すぎたのである

とにかくこの人はニュースキャスターとか解説者に向いているし才能がある
ただyoutubeとして金を稼ぐようになればその才能は活かされるともなる
だから外国など行って見聞を広めるとかすべきことはある
留学となると無料のがあるとして年齢制限でできないということは問題でも外国旅行は今なら安くできる、そういう点では恵まれている時代である
そして人間は一生学ぶことは終わらないのである
他の仕事でも精進することは終わらない、何でも腕を磨くことがあり終わらない
そういうことでなくても平凡なことでも仕事をもって何か社会のためになることをすべきだとなる
定年になって無用化されると危険なのである、認知症になりやすくなるからである
そういう場がまた与えられないことも現代の問題なのである

この人は大学に今さら行っても無駄だとか留学もできない、何しても無駄だというがそんなことはないのである
それはただ社会で金にならないから無駄だとしている
そもそも人生で学ぶことはいくらでもある、絶えず学ぶことが人生なのである
だからこの人はただ実用的なこと金になること社会で認められことに腐心している
でも別にその人なりの価値を追及する精進することが人生なのである
それは死ぬまで終わりがないのである
だから40になればなにしても無駄だとはならないのである
それは社会的には金にならないとしても人間の価値は金にならないものでも価値としてあるだからそれぞれの価値をの追求は死ぬまで終わらないのである
それでベーシックインカムがいいとなるのはそれぞれの価値を社会では金にならないとか価値にならないとかなっているがそれでもその人なりの価値を追及できるからこそいいのである
そういう時代にもなりつつある、だから40才なればもう何もないというのはおかしいのである

ただこの人は実際は演技しているといときそうなのか?
その辺はわからない、本当は絶望をこれほど言っても絶望していない
一筋の光明を見出そうとしている、それが人間である
女性にもていなというけど本当はもてているのかもしれない
何かそういう演技して共感を呼んでいるのかわからない
ただ40というのは人生の終わりが見える年なのである
だから人生は本当に過ぎるのが早いなとその年になると思う
でももう引き返せない、もう社会からはずれたものはそのままはずれてゆくほかない
でもその人生でも無益だと価値ないとかない
その人なりの価値を追求したものがありそれは充実した人生であったとなる
ただ他者がその価値を認めないだけだったのであ




posted by 老鶯 at 22:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育心理学など

なぜ選挙に関心を持てないのか? (直接的関係がないと関心がもてない―でも無関心は危険)


なぜ選挙に関心を持てないのか?

(直接的関係がないと関心がもてない―でも無関心は危険)


選挙でもそうだけで現代社会は広域社会でありグロ−バル社会である
そうすると人間の関心は村社会で生きていたような時代とはまるで違ったものになっている、あまりに広いから関心をもつのにもできない
ただ悲惨な事件でも我が身に及ばないならニュースはショーであり娯楽なのである
もしそういうことに関心をもつとしたら何かしなければならないとかなる
だから災害でも少しの金でも寄付すればかかわることができるとはなる
その寄付するにしてもその金がどうなったのかなど皆目わからない
それでその寄付金は寄付金を集める人に流れたとか肝心の被災者に届かなかったとかなっている
金の流れどうなっているのかわからないのである

この図は自分にかかわった人で自分が金をだした人への金の流れである

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困窮者は低年金でとても生活できない、40才くらいの息子がいる
その人は建築土木関係の会社に入っている
非正規とは違うからそれなりに収入はある
でも今南相馬市から青森の施設にあづけた、南相馬市では介護士不足で空き室があっても介護できないからだ、それはここだけの問題ではない、介護士不足は全国で深刻なのである、青森は仕事がない場所だからそういう人を引き受けている
そして40代の息子は独身であり保証人になっているからそこは安いとしてもその他金が請求されている
そして65歳以上の親が息子に金をせずる、前は近くにいたから弁当とか用意していたから食費とかもらっていたから良かった、青森の方に行った結果それがもらえないのであるそれでまたお盆で9日間休みになるとか困ったと言っている
これは非正規とか派遣でもその休みの間に金がもらえないと困るという人達がいた

そして自分がなにもしてもらえいのにその人は何回も食べることすらできないとか電気水道やガスがとめられるとか来る
そしてガス屋なのか張り紙されたとか言う、常に困窮している
それは年金はわずかでありとても生活できないからである
なにか4,5万くらいしか年金をもらっていない人がいる
生活保護がいいというがこれは簡単にもらえないのである
生活保護でも住む場所によって福祉サービスは違っているからもらえるとは限らないのである

このことが選挙と何か関係あるのかとなると関係はある
このことがまさに今の政治の問題としてあるからだ
年金問題、ロスジェネ問題、介護問題とかが深刻だからである
でも私が払った金の流れは見える、どういうふうに金が流れてそれが利用されて活きているか見えるのである
では選挙となると自分の一票がどうなるのかそれがわからない
それは金の流れと同じである

選挙でも争点がいろいろある、どれ優先課題にすべきなのか?
どっちにしろ同じではないか、政治は遠いから選挙に行かないというのもわかる
選挙日々の日常活動から離れていると感じる時、それは広域社会でありグロ−バル社会になるのとにている
あまにりも広い範囲で人を選ぶ、そして日々の関心事と結びつかないし無力感だけがある選挙に行っても何も変わらないとなっている
つまり現代の民主主義は範囲が広すぎるし日々の生活から離れている
議員にしても国政となると日々の生活から離れている、めったに直接会うこともできないだからギリシャのポリスだったら選挙があったとしても一万二万のレベルだったのであり直接民主主義で選んでいたのである
だから国単位になると広く大きくなると関心が薄れてしまうのである
日々の生活で困ることがあるがその生活から離れているから政治は遠いとなる

消費税は上げることは反対

これはわかりやすいからみんなそうである、でもそれだけで選ぶのか?
他にも国際政治問題とかありむずかしくなる
私は無党派だから選挙に行っても何か選ぶのが適当でありわからない
本当は私も選挙に行きたくないのである、どの人を選んでいいのかわからないのである
比例とか全国になると人気投票みたくなるのもわかる
広すぎでその人がどういう人かなどわからないからである

もう選挙を中心として選ぶことが機能しなくなって民主主義の危機だともなっている
ただどこでも日々生活して要望することはある
でもそれは個々で違っている
そして大事なことは関心をもたないことで原発事故のようなもう住んでいた場所に住めなくなるということが生じたから無関心は本当は怖いものなのである
でもあらゆることに関心をもてないのだ、それは関心をもつ範囲が広くなると関心がもてなくなる、それは金の流れでも広域化してグロ−バル化するとわからないのと同じなのである

ある人が関心をもたせることもむずかしい、それで大学生が選挙に行かせるためにボランティアして電話したが苦しいとなる、聞いてくれないとなる
それは自分も駅でボランティアしていたから痛いほどわかる
鉄道にはそもそも関心をみんな持たない、駅はどうでもいいと思っているからだ
別に困らないと思っているからだ
だから関心をもたせることは不可能だとなっている、だから何でも関心をもたせようとすることそれを無視することは危険である

一応話だけでも聞いてやる姿勢が必要である
関心をもたせようと努力する人はやはり何かが社会を良くしようとする善意があってしているからである
ただ何でもすすめるのがいいとはならない、カルト宗教団体などはかえって害になる
でも何でも無関心であることは本当は怖いことになる
それを原発事故でこの辺では痛いほど知った
自分自身全く無関心だったからである

国政選挙の問題はその関心が広すぎることなのである
日常生活から離れている、日々の生活は狭い範囲でしている、だから細部が大事になる
でも国政となるとそうした細部とは関係なくなる
それで一票投じるしもなにもかわらないとなるからだ
現実に駅でも行く先の表示がないとかささいなことでもJRに言ったら表示してくれたとか何か改善されたことがあった
だから何か困ったら言わないと改善できないのである
そしてささいなことでも改善されたら何か主張して言ったことが通ったとなり成果があったともなる
そういうことが政治にはほとんどない、国政選挙になると特にそうである
すでに大勢は決まっているのとかなり無力感だけが残る
若い人が投票しないというとシルバー民主主義となり老人が数で圧倒しているから老人に有利になり無駄だとなるのもそうである
数だけですべてが決められるから不満なのである
だから選挙とか民主主義は行き詰まっている、それで支持政党なしとい政党が生まれたのも時代である、何かここに入れるほかないと自分自身も思ったからである







posted by 老鶯 at 19:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

京アニ放火事件 (NHKが取材に向かっていた時起きた)


 京アニ放火事件

 (NHKが取材に向かっていた時起きた)


・NHKの取材で主要メンバーが集結 
・通常はカード認識式で一般人は入れない 
・今日は打ち合わせのため警備システムを解除 



これ話題になっているけど偶然の一致にしてはできすぎているとなる
用意している者がおおがかりなのである
だからその日に確実に犯行ができることを事前に知っていて用意した
わざわざ関東から来て犯行できることを確信していてその日に来た

まさかNHKがお膳立てしたとはありえないだろう

ということは情報がどこからかもれたとなる

ではどこからもれたのか?誰からもれたのか?

そこを追求することが大事になる


セキュリティの費用を減らしているというのはわかる
コストがかかるしそこに金をかけても利益をうまない
それは原発事故でも津波のことは13メートル級のものが来ると東電では予測していた
その備えができなかったのは金がかかる、コストの問題だったからである
百年に一度とかのことに備えられないというのもわかる
ただ建物も専門家からみて非常に危険なものだった

とにかくこの事件はなになのか?

41歳の独身で前科があり自暴自棄になったのか?

この年になるとそうなりやすいのである、人生をあきらめる人がでてくる

何かアニメにこだわっていたということも40才にしてはおかしいとなる

それは自分自身も社会からはずれておかしな方向に行ったからこの人はすでに犯罪者であり社会からはずれていたのである
犯罪者であれニートであれ社会から一旦はずれると暴走することもありうる

とにかく今回はNHKが取り上げられるのも何なのだろうとなる
NHKを批判して参議員に立候補した人もいた
NHKとは何かと話題になり批判がある
NHKの言うことはそのまま信じやすいのである
とくにテレビ世代の団塊とかになるとそうである
ネットを知らないそうなりやすい

ただ今はあらゆる雑誌でも新聞でもマスコミでも批判の対象になる
今まではうのみにしていたが批判の対象になる
マスコミとかは必ず偏っているのである
その原因が収入を会社の宣伝に頼っているから偏るのである
宣伝費を出す会社の悪口は書けないからである
そしてこれまではテレビでも新聞でも雑誌だって出すに金がかかっていた
今ならyoutubeでテレビ放送でもできるしインタ−ネットでyoutubeでライブ配信もしている、するとテレビの電波放送も必要なくなると見た

NHKがこの事件にかかわっていることはテレビや新聞やマスコミではわからない
また即時性でもインタ−ネットは早い
そんなことがあったのかと驚くことがある
これはインタ−ネットから拡散する

NHKでなんらか説明が強いられるかもしれない

偶然の一致にしてはできすぎている

現代はインタ−ネットで一億総記者になっている、自分もその一人である
だからこれは隠すことができない、NHKの偏向報道を盛んに言う人がいる
これはNHKにとっては苦しいことになると見た



posted by 老鶯 at 07:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年07月19日

何が異常なのか異常でないのか (金に対する態度の相違)


何が異常なのか異常でないのか

(金に対する態度の相違)


私が接した人間は異常である、自分自身も異常だった
でもなぜその人たが異常だったのか結婚して子供もあり普通の人である
女性でその人はなぜあんなに異常になったのか?
その異常性に気づいていない、なぜ気づかないのか?
異常性を認識できないのか?それは正常なものと対象的に見れないからである
例えば四角の石ばかりあれば四角の石しか認識できない
そこに丸い石が一つあればその石は異質なものとなり異常になる
日本人はそうして同質化しやすい、異民族と接した歴史がないから同質化しやすい
以心伝心でわかるとなるのもそうである

私がかかわった人たちは金がなくて困っていた
その人は金には恵まれていたから金で苦しんでいることはない
母親が三人変わったということが異常性をもたらしたのか?
そういうことはあるにしても60近くになってそれを言うのもどうかと思う
ただ長く直接接していないからその間に変質してしまった

金に関する態度は

おばちゃんは金があるんだから金にめんどうみてもらへ

こう言って血相変えて去って行った

もう一人の人は

私が入院している時家が留守になり大金を盗んだ

もう一人の人は事業に失敗して借金していた

金をよこせ、全財産を要求してきた

その額が大きいのである、こうして自分が病気であり介護しているとき責められて家はがたがたになった、ただそこには金を得ることしかなかったのである
相手のことなど全くかまわないのである
だから殺されるとも思った、金がなくて強盗に入り殺す人も普通にいる
わずかの金でもいる、現実に泥棒にも入られた
頑丈なダイヤル式の金庫が開けられていたのも不思議である
そこには金は入っていなかった、その泥棒が家に入ったとき物音がした
だから誰か入っているのかとも思ったがそのままにしていた
もしその人とあって顔を見たりしたら殺されたかもしれない
そういうことが報道されるからだ、金は盗られても殺されるよりはいいとなる
そんな人と争うべきではないと思った
そういう人は何をするかわからないからだ

奇妙だけど最後に来た人はまともなのか?
実際はまともでないにしろ金を要求するにしろこれまで経験した人たちからするとまともなのか?
とにかく一万とか少額を要求する、でもそれに見合った金である
水道が止められたとか電気がとめられたとかなり生活できなくなって助けてくれとなる
そしてその人は頭を畳にすりつけお願いするのである
それも今日食べるものがないからとお願いするのである

これも変なのだけど前の人たちから比べると正常なのかともなる

家にきて大金を盗むとかまた借金して多額の金を要求するのとは違うからだ
第一事業していた人の金の額は百倍も違うのである
そんな金を要求されて払える人がいるのか?
事業者同士で工面し合うことはあっても普通の人はそんな金都合できない
でもその人にとってはそれが普通なのであり正常なのである

もしこの人でも今日食べるものがないとなればわずかだから援助する
でも百万だとなれば簡単に出せるだろうか?
そういう金を普通に要求する、借金しているからそうなる
でももし今日食べるものがないとか電気がとめられて料理できないとなれば援助する
その人はこれまで贅沢をしてきた、そのレベルの生活をするために必要な金なのである
そんな人と付き合っていたらどうなるのか?
何千万とか普通に要求される、そして事業を成功したと見せるのである
そんなことに援助できるだろうか?
これも異常化した人間でありまともに付き合えない人である
ただその人が金がないとういことは周りで気づかないことがある

とにかく金で一身上でもめた、また回りでも原発事故の補償金でもめた
地獄の沙汰も金次第であり金から人間は逃れられない
これからますます日本は貧困化してゆくとき金のことで苦しむ事件も起こる
それはこれまでは日本はぜいたくな暮らしうしていたからそのレベルを落とせないからそうなる
事業した人でもレベルを落とせない、今日食べるものがないから一万貸してくれとかできないのである、プライドもあるからできない
その人はそうしたプライドがないからできるのである

人間はいくら困っていても今日食べるものがないから金を貸してくださいとかなれば一万くらいなら貸す、でも百万貸せとかなるとそれで終わりではないから付き合えないとなるでも事業して高いレベルの生活をしてきた人はそんな一万とかははした金なのである
そしてそんな金で頭を下げることなどしないのである
自分自身も頭を下げることができないのである
金持ちの姉妹が餓死したというときお嬢さんで育ったから他人の家にいってこんなふうにして頼めないのでそうなったのである

そうして頼み金を貸してもらうというのは盗むというよりはましである
何であれ盗むということは犯罪になる
そうして頭を下げて頼み借りることは犯罪ではないからだ
人間の正常と異常がわからないというときこうして人間を対象的に見るとわかりやすいのである、その人間の異常性が浮き彫りにされる
最後にあった人も最初にあったら異常であり付き合えたくない人である
付き合ってもいないだろう

でも異常な人たちとその前に接した時、この人が一番正常だと見えたのは本当に奇妙だとなる、普通はこういう人とは底辺とは付き合うなというのが普通だからである
異常な人と接してもそれが異常とわからないことがある
何か人間でも対象的に見ないとわからないのである
それは善悪でもそうである、善ばかりの世界だったら善を意識しないのである
悪があって対象的に善を意識するのである、だから何でも相対的に世界をみないとわからないとなる 

外交問題でも韓国は異常でも韓国人の方が正常だと思っているから日本を批判してくる
日本人が異常だとなる、何が異常なのか正常なのかの基準がない、ただ対象的に見ると異常だったとなと人間は気づくのである
家族でもいろいろ複雑な事情があって一様ではない、すると家族でも対象的に見ないとわからないのである
正直自分の家族も異常だった、でもその異常の中で自分は家族が死ぬまで暮らしていたのである
だから自分にとっては正常なのである、もうそれだけ長ければそれが家族なのである



古代の遺跡(a ancient ruin)

古代の遺跡(an ancient ruin)


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2019年07月18日

ロスジェネ氷河期世代(40才前後)の苦境 (金がなく結婚もできない、将来に夢も希望もない底辺)


ロスジェネ氷河期世代(40才前後)の苦境

(金がなく結婚もできない、将来に夢も希望もない底辺)

その人は建築関係の会社に勤めている、正社員なのか?派遣とも違う、一つの会社に勤めて現場に派遣される
今は青森に行っている、青森というとこの人の父親が介護のために南相馬市から送られた場所だったのである
その人が嘆いているのは安い施設に入れてもその後にたりない分が要求されることであるでも親だから金を出している
そしてもう一人その母親も困窮している、だから金をせびる
でもその人はそんなに収入がないのである
でも親に金をだしていることで感心するとはなる
自分は介護しても親に働いて金をやったことがないからだ
実際は結婚して子供をもっている兄弟がいるがその人は父親にも母親にもかかわらないのである

この人は40代でありロスジェネとか氷河期世代である
ただこの人は別に建築現場があっているからしている
他のサービス業を嫌っているからである
だから必ずしも不本意にその職業についているわけではないから事情が違う
一方でlove and freedomの「底辺労働者」テーマにして訴えているyoutubeの人は不本意についた職業だから派遣だから不満なのである
貧しくても結婚したいができないとしているからだ
この世代は現代の日本社会のブラックでありそれが社会を歪めている
世代によって運不運が大きいのが人間である
まず戦争中だったら特攻隊で20代で死なねばならなかった
それが嫌でもどうにもならなかったのである

つくづくこのyoutubeに私が関心があるのは人生をふりかえると40才が最後の転機だったことである、自分の人生は参考にはならない
普通の家庭環境では違うし何か特別恵まれていたからである
この人は不幸な家庭環境で育ったからである、でも大学を出ているからインテリなのである、子供の時親に特に母親に承認されない人は一生自信がなく育つというのは本当であるなぜこの世代が問題なのかというと将来60以上になると年金ももらえないとか今のままに貧乏をひきづるからである
そして独身が多いから頼る人がいないで孤独死となる、この人も身寄りがないから同情する、誰も助けてくれないというのは本当である
現代とは情が喪失した社会である、日本人にあった人情などなくなっている
それで金さえあれば未来を開ける、結婚もできると嘆いているのだ

この人がなぜこうした重圧感にあえぐのか?
それは40という年なのである、もう人生は決まったとなり将来がないと見る年代だからである、40というのはその人がもう何でも見える、決まるという年である
その年で結婚していないとか子供もないとかなると会社でも社会でも信用されないとなるこの世からはずれた人ととなる
私が言っているアウトサイダーをあてはめることはできない、それは特殊な才能があり芸術家のことなどをさしているからである
これだけ数が多いということはその人たち普通に暮らしたいのである
結婚して子供をもち貧しくても楽しい我が家をもちたいのである
それができないから絶望的になっている

知っている人も結婚はしたくないというが本音は違っているというのもわかる
結婚したくても金がなくてできないのである
金がないから収入が低いから女性が相手にしないのである
結婚して子供を育てる金銭的余裕がない、経済力がないからである
それだけ日本社会は貧乏になっているとういことである
これはますます深刻になり治安も悪化する

何か今日はアニメ会社で放火があり10人死んだのか大被害が出た

この犯人は41歳だった!

この人も何か40才という年で事件を起こした
何かこの年に問題があったのか?
40歳で人生にキレタのか気になる
まず40才から50歳になったらもう結婚もなにもない、人生終わりだとなる
私の場合は50歳からバックパッカーになっていたから終わっていなかった
そこでやっと見聞を広めることができたのである
だから別に40歳で人生が終わるわけではない
私は60から十年介護してそれからこうして盛んにプログで発表するようになったからだ長寿の時代は鼻開くのは60以降とか70以降にもなる、人生百年となればそうなる
そうはいっても40歳は人生の分かれ目となる
一般社会ではもうその行く先とか評価は決まってしまのである

それで底辺労働者として一生終わり最後は孤独死だとなり夢も希望もないとなる
私の場合は別にそういうことはない、今自分自身の時間は充実している
今まで貯えたものがあり詩などの創作に熱中しているからだ
学問でもそうである、孤独ではあるが最後に実りがあるなとつくづく思う
人によってその時期が違う、早い時期に才能を開花する人も天才もいるからだ
いつづれにしろ40歳前後は社会にとって大きな問題をはらんでいる
これもニートとかと同じように数が多いからそうなるのである
数十人なのかアウトサイダーなどは放っておいても何の問題もない
でも数百万人もいるとなると放っておくわけにはいかないからみんなの問題になるのである

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駅の入り口の自動ドアがしまるので風が入らない (住民が関心がないと何でも改善されない)


駅の入り口の自動ドアがしまるので風が入らない

(住民が関心がないと何でも改善されない)

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この入口のドアが自動化されている、開けると自動的にしまる
それで風が入らない
ただ電気自動ドアではないので簡単にあけたままに誰でもできる
でもJRの許可がないと勝手にはできないのである
おそらくJRに言えばそうしてくれることは確かである
高校生の見守り役にでも言えばJRに言えるからすぐにそうしてくれると思う


今日はむし暑い、それで駅にいたら風が入らないので暑い
入り口を自動ドアにしたからしまっている
開けても閉まるようになっているからだ
これが冬の時はいいが夏になると風が通り抜けないので暑い
改札のところは手動であけてそのままになる
だから風が入ってくるが入り口は入ってこない
風はぬけていかないから暑いのである

ただ入り口を開けておくことは誰でもできる
閉まらないようにできる
ただこれもJRの許可がないとできない
何か言うとまたうるさいとなるし今は見守り役の人がいるからその人が言うべきだとなるただ苦情を言うにしても住民とかは言わない
私が外から来た人にら原町行き仙台行きのホームがわからないから表示するように言ったのである
それがその場にいてそんなことがわからないのかと意外だったが外から来た人には良く聞かれたからそのことを言ったら表示するようになったのである

だから誰かがとにかく言わないと簡単でもできない
高校生の見守り役に言うか、住民が直接JRに言わないとだめである
自分はもう何も言えない、何かうるさがれたり駅長からにらまれているからである
また外から来た人は言えない、そこに住んでいないから言えない
一時的に来る人は言えないのである
不便でもなんでもあきらめるほかない、こんなものだとしてあきらめる
要望するにもいつも使用するわけではないからだ

つくづく何か不便になったり問題があっても住民自体が気づかない時があるし
関心もないなら改善はされない、別に簡単なことでも改善されない
そしてここでも

鉄道は誰の者なのか?

消費者と住民のものである

鉄道というときそれがJRが所有してJRのものだという感覚になる
だから住民でもサービスを受ける側でも乗せてもらっているから何も言えないともなる
でも海は誰の者かということでもと漁師の人が消費者のものだ
そういういって本に出していたことはそうなのかと思った
海は漁業組合のものであり船主のものになっていたからである
だから漁業権があり東電に売って多額の補償金を事故前も事故後ももらっているからだ
これもこの問題と多少にている

鉄道はJRのものだ

消費者のものではない

だから文句は言うな

こうまでなる
でも利用するのは住民であり消費者なのである、その利用する人にも権利がある
でも権利があるとしても利用する人がそれ相応の負担を責任をとっているのかというととっていない、ただ要求するばかりだったらJRでも勝手だとなるからだ
JRでも負担ばかりで損してまでやる義務がないからだ
海は誰の者か、漁業組合と船主のものだ、では権利があるとしてその責任はきれるのか?実際は権利を主張して海を放射性物質げ汚染されたのは漁業権を売った組合や船主にもあった、でもそのことを誰も追求しないのである

何か民主主義は住民が権利があるが責任もある社会である
住民が改善する意志がなければそのままなのである
いくら一人個人がこうしたらいいと主張しても誰も聞かないとしたらそのままなのであるかえってそういんう個人は無関心だったり排除されるのである
それは住民の責任もなるのである

いづれにしろ駅のことは実際はささいなことであり誰も関心がない
だからとやかく言っても無駄だしそのままでいいとなる
ただ駅にかかわったことは一つの経験でありここにも住民自治とか民主主義と関係するものがあったと自覚したのである


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時間に生きる時代 (空間を拡大して生きる何でも増やす時代は終わった)


時間に生きる時代

(空間を拡大して生きる何でも増やす時代は終わった)


時間は謎である、対象的に見る時、時間があれば空間があるとなる
この二つの軸の中で人間は生きている
空間は地球とか宇宙であり空間は物理的にも移動できる
大陸だと全く次元の違った広大な空間がある
果てしない大地が草原が砂漠がある
大陸では空間を生きるというときそれだけの空間があるからだ
空間をどこまでも広げることができる、それで大帝国が生まれる
どこまでも空間を進んでゆくことにより新しい未知の経験ができる
新しいものに触れることができる
だからこそまず大陸を移動する遊牧民が生まれ次に海を移動するようになったという説もわかる
大航海時代が生まれたのはそうしてまず大陸を移動する人たちがいたからである

一方で日本が時間生きるというときそれは島国として閉ざされていたからである
空間が狭いからである、空にしても大陸の空から比べると狭い感覚になる
そういうふうに狭い所で生きていれば時間を生きる
時間の中で意味を求める定着文明になる
空間を拡大することで大陸で国々の興亡があり歴史となった
日本の空間は島国という一つの宇宙であった
それで最果ての感覚が生まれる、どこに行っても海になりそこで世界が尽きるからである
ともかく時間と空間を考察するとき時間を増やしたり時間を貯えたりできないし時間を
拡大することもできない、空間だったら異次元の世界を現実に見ることができる
外国に行けば異次元の世界だからである
時間は例え外国に行っても異次元の時間など経験できないのである
異次元の時間とは過去にもどることだがそれはできないからだ
だから外国に行っても歴史があってもわかりにくいのはそのためである
空間を移動できても時間を移動できないからである

時間の謎は金より時間が大事だということがある
金は増やしたり貯えたり金をもっと得ようとして働いてできる、それが働く動機となる
一億円を得てももっと欲しいとなり安心もない、金があれば安心になるからあればあるほどいいとか使いたくないとかなる

時間は限られている

空間も確かに限られている、地球は限られている空間と認識されるようになった
それまでは地球は未知の無限の空間だったのである
時間は限られているしそれぞれの人の時間はいつか尽きる
時間が尽きたとき死なのである
この世に生きる時間は限られている
そして時間を増やすことはできない、でも時間を無駄にしたとき時間を減らしている
時間を有効に利用した時に時間は活かせることができる
しかし時間の無駄は浪費はなかなか気付かないのである
若い時は時間はいくらでもあると思う、それで退屈で困るとなる
しかし時間はある年になると消失してゆく、時間がなくなってゆくのだ

現代は時間に生きる時代になる、地球の空間の征服は終わったからだ
地球が一つの村になったというのもそうである
メデアの発達によって世界から情報が絶え間なく流れてくるからである
でも実際は空間でも世界は広いからそれを実地に知ることは今でもむずかしい
やはり一生の間で経験できない空間がいくらでもあるからだ

時間に生きるというとき時間を増やすことも貯えることも拡大することもできない
それが空間との大きな相違である
金は増やすことができる、多くの物をもつことができる、でも時間は何かそうした物として得るものとは違う、それでいくら金をもっていても時間の方が大事だったいう時
時間は限られているしその時々でできることをしないとできなくなる
時間を戻すことができないからそうなる
時間は何かをするために与えられている、その時間を失うことが最大の後悔となるのである
時間は何かを成すためにある、そうなるといくら時間があってもたりないのである
一つの作品をしあげるのに何でも時間がかかるからである

空間の時代から時間の時代になるいうとき金を第一として価値あるものから時間が価値あるものへの変換の時代となる
何故なら資本主義だと金をもうけて貯えて投資して増やしてゆくことだからである
時間には増やしたり貯えることができない
時間を節約はできる、時間を貴重なものとして使うことはできる
でも時間は目に見えないし物としてとらえることはできない、でも一番大事なものとして人生の最後に意識されるのである
なぜなら人間は何でも失ってみてその貴重さを知るからである

おそらく地球を空間的に拡大する時代は終わり時間に生きる時代になる
時間に生きるとは何か常に物を増やしたり金をためてまた投資して増やすという資本主義と合わないのである、それで銀行に金をためても投資する先がなくなって銀行が不用になるのは時代なのである
大航海時代から常に投資して富を得て拡大し経済でも常にGDPを増やすことであった
でもそういう経済成長とか拡大の時代は終わった、もう限界になったのである
これ以上経済規模を拡大すると増大すると地球環境の破壊とかなり限界に達したのである
そこで世界も空間を拡大するとか経済規模を増大するとかではない
時間を生きることにシフトするようになる
時間に生きるということは内省する、内面化する、内に向かう時代だともなる
何か増やすことではない、減らすことである
時間を節約して無駄な浪費を減らし内面を充実させることである
だから中世の時代にもどるということが言われるのである
資本主義の金を貯えて資本として増やしてまた投資するということができなくなったのである、その象徴が銀行が用がなくなったことに現れている
投資先がなくなったからである

そして時間に生きる時代となる

物事を深く知り深く感じて多様に見て感じる

そういう世界になる、一定の場所に定着していても物事を事物でも自然でも深く見て感じることができるからである
内面的に充実させることができるのである
それこそ宗教の世界だともなる、そもそもキリスト教はアジアから生まれたし宗教はアジアからオリエントから生まれたものである
西洋化したキリスト教はまた別物だったのである
それでウェバーの言う資本主義がキリスト教から生まれたというときもそうである
神に奉仕するために働き資本を貯えて増やして富を得ることは人を助けることだということがそうである
でも今やそういうことは不可能になったのである、資本主義の思想はもう通用しないのである、だからこそ銀行は不用になったのである

何でも増やす時代の終わり

減らす節約の時代へ

何かもう増やすということに限界が来ている、人口だって世界的に見れば増えすぎた
日本では明治以降4倍になり中国だって4億が三倍になったとかある
工業化時代になり人口が爆発したのである
とすると人口が減るのは自然の摂理かもしれない、もうこれ以上地球に人口を増やして住めないという警告かもしれない、ただ減らす思想というのはなじまない
貧乏になるからだとかあるし日本では少子高齢化で特にそうなる
でも時代が変わったのでありそうせざるええなくなっている
月給も上がらないし経済は30年間成長していないとか世界的にも日本でも増やすことができないのである

するとどうなるのか?
内面に生きるとか内省するとか無用の用に生きるとかになる
それが東洋的アジア的価値観としてもともとあった、老子の思想でもそうである
インドの思想でもそうである、仏教はそういう時間に生きる思想だったのである
思想的にも西から東へと転換する時代になったのである
だから確かに英語がグロ−バル時代で不可欠だというのもわかる
逆に日本語をもっと知るべきだ、自国の文化をもっと知り深める時代だともなる

日本人はこれまで外来のものを明治以降制限なく入れてきた
でもこれからは日本独自のものを文化を作る時代になる
そしたら日本を知らなければできないことである
国風文化の再興にしてもまず日本語でも日本でも知らなければできないのである
それで日本語は世界で独特のものがあり他の言語と違っていると林秀彦が言う時日本語の独自性を知るべきだとなる
言葉は最大の現存する生きている文化だとなるからだ
資本主義の勤勉に働き資本を貯え増やしてまた投資して増大してゆく思想が通用しなくなったのである
むしろ節約して減らす、時間に生きる時代になる
だから何でも拡大して増大してゆくグロ−バリゼーションとか資本主義の思想とは相いれない時代になる、それは限界に来たからである
ITにしても物を増やすことではない、情報を増やすことでありそれは今までの資本主義とも違っているのである
精神的な面での技術革新だともなるからだ



2019年07月17日

野馬追い迫る 〈通りに旗が立つ)


野馬追い迫る  〈通りに旗が立つ)

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白い馬は神の馬となる、これはそうなのか?

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これは南北朝の時霊山から逃れてきた只野氏の旗印である


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これは何なのか?

キノコのようにも見える、何かわからないのが本当に多い

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立葵咲きて野馬追い近しかな

立葵馬に向かいて咲きにけり 

野馬追いの出番を待つや白き馬

野馬追いの旗立つ通りはなやぎぬ

ノウゼンや通りに旗立ちにぎわいぬ

ノウゼンや千騎の旗のなびきけり


赤に白畑に咲きぬ百合の花馬を放ちぬ牧もありしも

御行列古式ゆかしくつつづくかな青田に映えし旗のなびきて



鹿島地区

原町(雲雀が原―神旗争奪戦)


野馬追いの旗が通りに立った、野馬追いの見方として旗印が多くて地元の人でもこれが何を意味しているのか未だにわからないのだ
何か調べようもないのである、なぜこれほど数が多いのだろうか?
そしてなぜこの旗印がわからないのかというと行列を見れるのは短い時間である
一時間とかである、するとすぐに通り過ぎるからゆっくり見れないから写真にもうまくとれないのである
地元の人でもこの行列を見れるのは一年に一回なのである
すると地元の人でもその旗をじっくり検討することができないのである
野馬追いは旗祭りなのだけどその旗が何を意味しているのかわからないのである
私も調べてもほんの一部しかわからないのである

野馬追いの旗は昔から侍の家に伝わったもの

新しく作ることはできない

歴史の保存で新しいものは作れない

野馬追い祭りの特徴は歴史の保存であり歴史に忠実な再現なのである
だから勝手に新しい旗を作って侍の家でないものが出れないのである
そこで地元の人にすると盛り上がらないとなる
勝手に参加できないからである
でも去年は黒いイスラム系の人が野馬追いに出ていた
何か結婚して出たのかもしれない、普通はよそ者は出れない
青森のネブタ祭りは飛び入りで誰でもハネトになれる
それで街中が熱気に満ちるのである

とにかくこの辺では馬を飼っている、牧がある、でも一年に一回の野馬追い祭りのために飼っている、すると金がかかるのである
でも馬のいる風景がここにはある
馬というのは競走馬を飼育しているとかそういう場でしか見れないのである
それで競走馬で皐月賞をとった馬を見に来た人がいた
その人はよほど馬に興味がありしげしげと見ていた

競走馬でも競争に出れないまた引退した馬は殺処分される、それでかわいそうだと生かしている、ただ賞をとった馬は大事にされるが他はされない
馬というのは機械ではないから競走馬でも情が移ってゆくからそうなる
馬と牛とか動物と直接接していると情が移る
それで飯館村で10頭の馬の名前を覚えたいた人がいた
名前を呼んで世話していた、でも肉牛として売られてゆくのである
馬とか牛に直接接していた時代はこうして情がはぐくまれた

クルマのことは書いてきたけど人間の情を断絶せる、キレルのがクルマなのである
そこでクルマ社会が人間社会にどれだけ影響したかそれを重大なものとして考えないのである、便利だから何でもいいものではない、その影響が大きいのである
テレビでドラマ作りしていた脚本家がテレビをあれほど批判しているのはそのためである人格まで変貌させる、クルマでも人格が変貌する
必ず「馬鹿野郎」と叫び交通事故が毎日のようにあるからぴりぴりしているからそうなる
子供の時から馬とか牛に接していた時代は情緒豊かな大人になった
今クルマに乗って育った子供はどうなるのか?
それが現代を見ればわかる、まともな人間に育たないとまでなるから怖いのである

野馬追いが迫りこの時季に咲くのが藪甘草にノウゼンカヅラである
この花が野馬追いににあっっている
これは数多く咲くからである、一日一輪咲いて散りまた咲き覆うからである
そして真夏に野馬追いがあるから熱気で満たされるからこの花があっている

今日はちょっと晴れて暑くなった、それで原町まで行ったけど汗をかいた
それからぐったり疲れた、頭が暑くなった
どうしても最近熱中症の症状がでてくる、それで夏は外に出ることが怖くなったのである
夏の盛りに野馬追いがあるからこれを見ることが危険になる
でも野馬追いは夏の祭りである、夏の雲が湧きあがるとき一番あっている
それで写真をとりたいとなる、でも地元の人でもすぐに行列がすぎさるからいい写真がとれないのである


posted by 老鶯 at 18:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 野馬追い関係

2019年07月16日

魚は人間の手では作れないー 原発で苦しむ漁民」の立場からの本を読んだ感想


「魚は人間の手では作れないー
  
 原発で苦しむ漁民」の立場からの本を読んだ感想

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川辺茂著

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この著者は羽咋であり結局原発が近くに建った
ただ珠洲の方は反対して建てられなかった
北陸沿岸には原発が多い
ともかく反対した人がいたことが貴重だった

1993年7月30日 - (1号機)営業運転開始


この本の著者が優れているのはフクシマ原発事故が起きる前に能登に原発が建つとなり
それを漁業を生業としている立場で反対していたことである

海は誰のものか?

それは消費者のものだ

消費者を第一に考えるべきだ

それで新鮮な産直で売る運動をした

私自身も漁業者を原発事故以後批判してきた、それは船主などが特に漁業権を売り原発御殿が建ったとか回りからうらやましがられていた事実を知ったからである

何か今になると松川浦の人がプログで漁業が苦しいということをしきりに訴えて報告していた、今になるとみんなそのときは漁業は苦しいんだな、魚もいつもとれるとは限らないし売るにも大変だなとか同情していた
おそらく地元ですらそうなの田からそのプログを見た人は余計にそう思ったかもしれないこの著者は魚は鮮度が大事だから産直をするようになったと言っている
漁業者の特権は二三日すぎた魚は食べないとか言っていた
新鮮なものを食べるのが習慣となっている
農家でも自分の家でとれるものは新鮮なものを食べているのである

生ものは新鮮なものがいいのである、キュウリでもスーパーで売っているものは固いのである、それは日にちが過ぎると固くなるという、水分も蒸発してそうなるのかもしれないそれで近くの畑でとれたキュウリは柔らかいからうまかった
ただそのキュウリは一本一万もするものだったのである
なぜなら肥料とか種代とか道具でも援助していたからである
それだけ実際に農業して野菜をとることは今は金がかかるのである
普通ならその人は金に困窮しているのだからしない、ただ援助されたからしているとなる
このことは漁業にもあてはまる、金にならないと嘆いていたからである
ただ漁業については私は詳しくないし知らないから発言して何か間違ったことを言っているかもしれない、漁業者と直接接していないからである

ただこの辺では石鰈というのがとれてそれは大晦日に食べる贅沢なものだった
前は石鰈は普通は食べていない、その魚は新鮮なので身がしまってうまいのである
そしてその魚を烏アとかから売りにきて私の家では食べていたのである
それから今度は小高の女性が松川浦でとれた魚を行商して売っていた
車で回っていたのである、その時も高かったが買っていた
魚に関してはそれが一番の思い出だとなる
その石鰈をみしらず柿を送ってもらった代わりに会津の友人に送ったとき相手の人が喜んでいたこともわかる、会津ではまず新鮮な魚は食べられないからである
石鰈の方が相当に価値があったからだ

とにかくこの辺ではこんなに海が消費者のものだとか考えた人などいない
消費者など存在しか海は俺たちのものだとしかないのである
だからこそ原発事故が起きてから補償金をもらうために家の前の海に権利があるとして東電に主張したりしていた、それは小高では私道がありそれも権利があるとして補償金を主張していた
ありとあるゆることに補償金をもらうために権利を主張していたのである
まずこの辺ではこんなに海のことを考えて原発に反対した人はいない
それでそういうこを主張すれば孤立したとなる、それも福島の原発事故前だから感心したのである
年齢でも大正13年生まれであり1924年生まれであり95歳になっているのだ

漁業は生命に直結する産業であり、工業などより優先する

これからの漁業をは沿岸漁業が中心となる

海は生きものであり、環境さえ大切にすれば無限の生産力がある

海は人類への天与の資産であり、売ったりしてはならない

獲る魚は消費者のものであるとの認識にたたなねばならない

何かこれは私自身が主張してきたことでもあった、これは農業関係者にもあてはまる
そのことを書いてきた、ただ自分は自ら米をとるわけでもない野菜を作るわけでもない魚をとるわけでもないから主張としてリアリティがなくなることがある

ただこの著者を言っているように漁業権を東電に売らなければ原発は建てられなかった

このことは非常に重要であった、それとはまるで正反対に海は自分たちのものだから売ろうと何しようと勝手だとこの辺ではなっていた、それだけの権利が与えられていることはそれだけの責任もあったとなる
権利を主張するのはいい、でもそれとともに責任が課せられていたのである
原発を作るのはいい、でも事故があったら責任がとれるのか、国までつぶれてしまうともなっていたのである
そんな責任のことは思わずにただただ金を欲しいとなっていたのである
だから誰も回りの人などその漁業権を売ることに疑問すらなかったのである
それよりもしこの辺で漁業組合であれ漁業者にであれ漁業権を売るなとか言ったら大反発があり身の危険にもなっていたろう
だからマスコミであれ地元の人であれ漁業権がどうだのとか一言も言っていない
ただ漁業権で補償金をもらい船主が原発御殿を建てたことを周りの人はうらやましく見ていたのである、ただそのことは口には出さない、今になってそういうことを言うようになったのである

親戚の浪江の人でも原発の下請けになっていたから「原発は絶対安全だ」と言っていた
それで原発は少しでも危険だとか言っただけでも村八分になり住むことさえできなくなることもありえた、それほど原発が金になるから利権化していたからそうなったのである
人間社会利権化するともう善悪もなにもない、利権を手放さていからである
だからこの辺では原発が危険だということすら口にも出していない、疑問をさしはさんだ人もいないのである

そして小高に東北電力の原発の工事がすでに始まる寸前だったのである
その小高に東北電力の原発が建つことすら知らない人がいたのである
私の町からもう20キロ内に入るから事故が起きたら住めなくなっていたのである
それほど原発に無警戒だったのがこの辺だった、権力でマスコミとも一体になっているから危険だということを一言でも言えない状態だった
それで小高の大工さんが景気良くなるよと言っていたからである
そして何かこの辺の人は強欲だとも感じる、ここだけではないにしろもう金のことしかない、それは漁業とか農業が工業から比べるともう金にならないとして捨てられていたからである、跡継ぎもいないとかなっていたからである

だからこの著者のようにフクシマの原発事故前にこれだけ原発に自ら漁業する立場で海のことを大事に思っていた人はあまりにも希少だったとなる
それだけ原発は日本では安全だという安全神話にこりかたまっていた、権力でそうさせられていたしみんながそう思っていたから反対する人もいないし口にすら出さない状態だったし危険だと言えば村八分になり住めない状態になっていたことは確かである
だからこの著者のように原発に反対したはゼロだったとなる
むしろ積極的に原発を誘致して原発で金になるとして熱狂していたともなる

だからこの著者がここまで原発に自ら漁業者の立場で反対していたことに感心した
能登というと過疎地域になる、能登線とかも廃止になった
私もそこにも電車で行っていたからである、それだけやはり生活的には厳しい場所になっていたからそこで原発騒ぎが起きてくる
それは福島県の双葉大熊でも相馬市とか前の原町市とかから離れている場所だからそうなったのとにている

この著者はまた養殖漁業に造る漁業にも反対している、それも海を汚すとか自然なものでないから自然に反するものになると反対していた
これも自ら漁業しているからリアルに訴えるものがある
沿岸漁業がいいというときも資源保護のためにそう主張したのである
だからこの辺は何かあまりにも強欲になり原発事故前もそうであり事故後もただただ補償金が欲しいとしてもめて分断されたのである
矛盾しているのは船主などは事故後はさらに補償金が増加した
すべてではないにしろ船主は特権があるからそうなった、だから豪邸を建てたの知っているからである、例えば原発の汚染水で問題になったが漁業組合が交渉すればまた補償金を積み増しされるのである

汚染水を出すな

補償金をもっと出せ

これも矛盾している、もともとこの著者のように海を大事にして消費者を大事にしていうならいい、それも全くない、ただ金取りだけになったのがこの辺の漁業者だともなる
つまり海は俺たち漁業者のものでありそれを東電に売ろうが俺たちのものだから当然だとなる、補償金をもらうのも当然だとなる
そこからしておかしかったのだがではこの辺の人はそういうことにも気づかなかったのである、海に無関心になっていたし農業でもそうである
金にならないから跡継ぎもいないしやめるとなっていたしこれは全国でそうである
耕作放棄地が膨大なのである、農業でも金にならないとしてそうっなっていたのである
そういうことが原発事故にもつながっていた

なぜなら漁業でも農業でも消費者は無関心だったということがある
人間は自らに利害で関係しないと無関心なのである
それで私が無人駅でボランティアしても第一駅は地元の人でも無関心である
乗り方すらわからなくなった人がいる、それだけクルマ社会だからそうなったのである
それで何か注意を喚起しても全く無関心なのである
それで自分は邪魔者扱いされたとだけである
つまり利権になるとか金になるとかならないかぎり人間はたいがい無関心なのである
それでも鉄道が廃止されるとかなるとようやく騒ぐとかなる、その時鉄道のことを考えるようになるからだ、町がますます衰退するとかなるからである
とにかく原発に関心があるというとき金になるからだったのである
その危険性を問うよりまず金になることしか頭になかったのである

だからこんなふうに漁業を考え自ら仕事していた人がいたことは貴重だったとなる
この辺ではそんな人がゼロだったからである、一人くらいてもいいと思うが一人もいなかったともなる
マスコミでも漁業権を東電に売ることはおかしいとかも言わない
何か組合に反対されるから怖くて言えないとなる、そういうことが今の世の中には多い
だからテレビではタブー語が増えて何も言えなくなるのである

この著者はキリスト教徒でありその信仰の面からも発言している
私もそういう面からも発言してきたから共感する
とにかく原発事故以後に東京に原発を作るべきだとか本を出した人が見直された
それも今になると至極当然のことだったかその時はSF小説のように見ていたのである
マスコミでもまともにとりあげてはいないからである
ここでマスコミの責任もある、マスコミはとにかく何か重要な問題でもそれをつっこんで批判したりしない、いろいろな団体とか組合であれ苦情がくるから何も言えなくなるのである、そこで真実は明らかにされず今回のような大事故になったのである
だからマスコミは何のためにあるのか?それも問題になったのである

東電で13メートルの津波が来るとその部門の人が警告していた

でもこれも報道もはされない、したとしても隅の方にあり知っている人もいなかったのである
これを知っていればみんな津波に警戒していたはずだからである
東南海トラフではしょっちゅう警戒することをマスコミでも報道するから警戒しているからである、原発があるところはもっと警戒すべきだったからである
それは東電でも知っていたのである、ただ津波の対策はしなかった
金がかかるからしなかった、そして地元でも眼中に金しかなく危険情報など関係なかったのである、完全に権力によって作られた安全神話をそのままに信じていた

それも問題だったのである、まずこの著者のように考えていた人はいない
一人もいない、ただ金のことしか眼中になかったのがこの辺の人たちだったのである
だから今になって東電を批判したりしても政府を批判しても国民は原発乞食だとしか見ない、どれだけ金が欲しいんだとしか見ないのである
だから他の人と協力して原発反対するにしてもできない
他の人は金目当てではない、原発そのものに反対しても地元の人は金が欲しいから運動すると見られるからである、そうではないとしてもそう見られてしまうのである

結果的にはこの著者の住む近くに滋賀原発が建った、珠洲の方は反対して建てられなかった
でもこうして一人でも反対した人がいたことは貴重である
この人は漁業組合長でもあった、だから責任ある立場だったが原発は作られた
でも反対して作らせなかったのが新潟県の巻町と能登半島の珠洲があった
だからいくら権力があっても住民が反対すれば原発は作れないのである
この二つの例は貴重である、それだけ原発は住民でも反対することがむずかしいものだからである
この辺ではそういう人がいなかったからである


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天才は作れるのか?(教育、環境、時代が人間を作る)


天才は作れるのか?(教育、環境、時代が人間を作る)

天才とは何かがまず問題になる、科学者でも芸術家でも歴史に名を遺すような人が天才だとなる
天才とは凡人とは違い天才に生まれついた人で決まっているということになる
その説はショーペンハウエルが言っている
知性は母親から受け継ぐものだという説である
それがなぜ母親なのか?すると母親によって決まるのか?
母親の資質がDNAによってその人の知性も決まるのか?
それも確かにある、男性の場合その人の母親の資質がかなり影響している

ただ天才という時、努力しなくても天才であり何か成しうる人だともなる
そういう人を知っているが本当に普通の人よりエネルギーがありすでに小学校でも見分けられるほど優れている、それは知性だけではない、性格的にも大人びて早熟でありとか
何か普通の人とは根本的に違っている
だからその人は努力することを認めていない
そういう人はゴッホとかゴーギャンとか詩人にもいる
英雄にしても生まれつきそういう資質があって時代に適応したときなる
高杉晋作とかがそうである、もし明治維新という大動乱の時に生れなかったらただの暴れん坊で終わっていたのである

そもそも天才は作れるのかとなると資質論からすれば生まれつきでありできないとなる
私が問題にするのは天才が作れるのかとかのことではない
天才とは定義すれば何かの創造者である、それは科学の分野でも政治の分野でも芸術の分野でもあらゆる分野で新しいものを創造した人である   

すると天才は作れるかどうかという問題よりいかに創造的になりうるのか?

ここに焦点をあてるべきなのである

子供の時は遊びは何か創造的なものとしてある、何かいろいろ工夫したりする
つたなくてもそうである、それが学校とかに行くと暗記中心になる
とにかく暗記することであり計算でも考えるのではなくただ暗記することなのである
九九でも掛け算の意味を追求することはないのである
算数でも図形を使い具体的に割り算とか掛け算でも教えることができる
そして教えることが教育でもそれも創造的なものとして教えることができる
だから先生が創造的でないと学ぶ人はただまねるだけになり自ら考えることができないのである
つまり自ら考えることがあらゆることで教科でも必要なのである
それは社会に出てからでもそうであるあらゆる問題があり自ら考えることが根本にありそうしないとただ他者の言うままになるのである

単純な例として

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I go to を教える時、このように図形化して行く先を入れ替える、するとわかりやすくなる、ABCDの代わりに他の単語を入れればいいからである、これを実際に教育道具を作り矢印が回るようにすればいいとなる
そこで子供ならゲームのように興味を覚えることがある
つまり教えること自体が創造的なことが必要なのである、そのこと自体が学校にないから創造的な人間が生まれないのである
教え方にも無限のバラエティがある、創造的に教えることがある
天才は生まれつきだとしても創造的な自ら考えて工夫することを目指すべきなのだが学校教育に全くないのである
日本人は同質的になりやすいから日本人から独創的な人が生まれにくいのである
カルト教団に入ったりした全く創造性と自主性を奪われる、過去にキリスト教であれ仏教であれ芸術が生まれという時
今とのカルト教団とは別物だったからである

そして環境が人を作るというとき家の中に全く本も置いていないような家だと刺激を受けにくい、私の家には一冊の本も置いてなかった、だから家でなにか学問になるものや芸術になるものに興味を覚えなかった、見ていたのは漫画だったのである
でもそれはそれでその時代があり炭とか囲炉裏がある生活は貴重な経験だったのである
いづれにしろ人間は家庭環境を基本にして人を作る、何々心理学を学んだ人は親からの承認されないものは歪んでしまうというのもわかる、家庭環境が悪いと致命的になる、ヨ−ロッパだと家庭で天才が作り出されてきた
家庭が学びの場としてありそこで貴族の家から天才が育てられたからである

第一留学した者と留学しない者の差は大きい、外国生活したものとしない者の差は歴然としている
私の場合は50歳以降に海外旅行したから遅かったのである
今の時代に海外旅行しない者はもう何も発言もできないのである
たいだい知識人となっている人は海外体験した人である
天才いかんにかかわらず留学できた人としない人ではその人いかにかかわらず大きな差が生じている
それは資質の問題以前のものであり最低条件として留学は必須になるのが時代だからである

そしてまた時代が大きく影響する、戦争の時代だったら天才も戦場であえなく死んで才能が発揮できなかったのである
英雄も英雄に成ろうとしてもなりえない、三島由紀夫は英雄になろうとして自ら演出したが成りえなかった
そこに無理に英雄になろうとしたあがきがあった、つまり英雄は時代が作るのであり時代が悪ければなれないのである
だから三島由紀夫は英雄ではないし評価できないのである
明治維新に英雄がでたのは時代が作ったからである、戦国時代でもそうである
ただ新たな時代を切り開くのが天才であり英雄でもある、それは科学技術的な面でもそうだし様々な分野でそうである
明治をみればわかる、あらゆる分野でみんな創業者になっているからである
今のような成熟した社会にはありえないからである、できあがった社会だからである
何もない社会では一から作り出さなければならないから創造性が要求されて創業者になる

結局天才は何かというとき、絶えず自ら考え工夫して創意がありそこに遊びの精神があり問題意識をもち臨機応変に物事に対処する
ただ言われるままに従うものではないとなる、何か時代が変わる時、そうした天才的なものが要求される
銀行が不用になるというときもそうである、時代が変わる時、ではどうしたら銀行が生き残れるのか?
そこに新しい創意が工夫が必要になる、でもそれは簡単にできないのである
ただ時代が変わる時否応なしに変わることが要求される、それができないと銀行はいらないとなってしまうのである
でも今までは銀行に入れば安泰だ、大企業に入れば終身雇用で安泰だとなっていたのである
それがグロ−バルの競争でそうなくなったとき取り残されてしまう
ただこうした体質は簡単には変えられないのである、欧米の強みは絶えず新しいものを生み出す環境がありそれで天才も生れていたからである、ヨ−ロッパになぜ天才があれほど生まれたのか?それは環境の相違だったのである

天才への階段

これは簡潔に表にしている、これはまさに努力して積み重ねることをすすめているから普通の人が天才となる道程を示している
posted by 老鶯 at 09:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育心理学など

2019年07月15日

ダリヤと揚羽の写真一枚


 ダリヤと揚羽の写真一枚  

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また一羽喜々と舞い入る揚羽かなダリヤ花の赤く映えにき

喜々として舞いて去りにき揚羽かなまた明日も花に遊ばむ


 写真はシャッターチャンスを逃すととれない、動いているのはむずかしい
 撮り方もある、どういう角度からとるかとかむずかしい
 毎日見ている所は撮り方を工夫して何度もとれるからいいものをとれることがある
 またいい場所を発見することでもむずかしい

 今日は偶然揚羽が飛んできたときとれたのである
 ただ小さいカメラでとった写真がとりこめなくなった
 何か機械が調子が悪くなると困る
 パソコンは別に悪くはない、カメラに問題がある

 ともかく梅雨で憂鬱になった、嫌になったともなる、でも今日は近くまで出かけた
 気分転換に出かけたが梅雨で気分が晴れない、重苦しいのである



2019年07月14日

大井川線から井川線の無人駅(秘境駅)のNHKの番組 (閑蔵駅で店を出している井川とついた野菜が地味豊か)

                                                      
大井川線から井川線の無人駅(秘境駅)のNHKの番組

(閑蔵駅で店を出している井川とついた野菜が地味豊か)

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温泉宿と駅を一人でこなしている

末続駅おりてあわれや菖蒲咲きわずかの畑耕す人をり

山間の駅におりたち数軒の家や郭公の鳴く声のみひびく

日立木駅畑耕す女見えて他に人なし春になりしも

春の日や我がおりたちて駅舎にそ待つ人あれや長くもありぬ 

  

井川線はダム建設の資材運搬用に敷設された専用鉄道

1935年(昭和10年)大井川電力の専用鉄道として千頭0大井川発電所(奥泉付近・現在は廃止)間で運行を開始。762mmの軽便鉄道規格。翌1936年(昭和11年)狭軌(1,067mm)に改軌。1954年(昭和29年)中部電力の専用鉄道として大井川ダム0堂平(井川から分岐する貨物線の終点・現在休止中)間運行開始。1959年(昭和34年)中部電力専用鉄道を大井川鉄道が引き継ぎ大井川鐵道井川線として旅客営業を開始。1990年(平成2年)アプトいちしろ0接岨峡温泉が新線に変更、アプトいちしろ0長島ダム間がアプト式で電化。

千頭0井川間25.5km、起終点を含む14駅があります。トンネル61箇所、橋梁55箇所。全線の3分の1がトンネルと橋梁です。

筆者は、2014年9月6日に井川線を訪れましたが、その4日前に閑蔵駅南600mで崩土が発生し接岨峡温泉0井川間が不通になってしまいました。2017年3月にこの区間が復旧して、ようやく2018年4月2日に再訪しています。

NHKの放送で見たこの井川線は面白い、番組としてもうまく作っている
温泉があり宿がありそこが駅になっていて昔の古い駅のままであり切符を売っている
昔はあんなふうだったなと見る

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それから土本駅は土本という姓の家が3軒ほどあって駅の名になった
それは常磐線の末続駅がそうである
そこの墓地をみたら8割は新妻姓だったのである、新妻一族の村だった
でもその数は多い、土本は三軒とかなると少ない

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それから閑蔵駅ではばあちゃんが特産のニンニクの井川大蒜とかを作っていてそれを店で作り売っている
こんな山奥になると米がとれないから稗を作り饅頭にしていた
蒜とはニンニクであり仙石線に野蒜駅があったからここでも食料としていた
何かそれもここでは滋養があり体にいいと見た、山奥では米がとれない飢饉のとき山には食べ物があり助かったということはこうした稗とか食べていたからなのか、それて江戸では江戸煩いといって脚気になり死んだ人がいる
それは稗などを食べないでビタミンB1で死んだのである
だから山にはかえって滋養があるものが食べ物がある、山芋とかそうである、山には山の幸がある 
つまり山には様々な種類のものがとれていたからそういう偏って食でかえって病気にならなかったともなる
ただ今は山の暮らしがわからなくなった、何か過疎地で貧しいということしか頭に浮かばなくなったのである  

それ以外ではここ井川で育て続けられている在来種の野菜が多くあります、井川ニラやおらんどと言うジャガイモ、からし菜、2段葱、小さなニンニク井川大蒜、特にこの大蒜はニンニクらしさがしっかり香り、火を入れると口に美味しさの広がる特長があります、他にも韮は味が濃く生で食べても辛味の強さよりも甘味を多く感じました。
このような在来種多くは代々この土地で育てて来た野菜で、地域の伝統行事や食文化と密接な関係があります。


 五月の節句には、ホモロコシの粉で柏餅を作ります。柏餅といっても、標高の高い井川では、この時期カシワの葉がまだ小さいために、ホオの葉が使われます。
そのほかホモロコシの団子を、季節の野菜とともに味噌仕立ての汁で煮る汁煮団子もよく食べられていました。
   
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    在来作物

 ここに井川産のものがこれだけあることはここが貴重な場所だったことがわかる、閉ざされていてかえって種が保存されたという、雑種にならなかったということなのか?山には山の幸があった 
ただ井川線で肥料も運んでいたというからどうしても肥料は不足になることがわかる


静岡県川根本町の地名

かんぞう

閑蔵

くわのみ

桑之実

こざるごう

小猿郷

やまいぬだん

山犬段

そばつぶやま

蕎麦粒山


この閑蔵(カンゾウ)は萱草なのか?当て字なのか、でもなぜ閑(ひま)な蔵にしたのか、何もない蔵なのか?
今は花を見ているけど昔は食料と薬としてみていた、花ばかり見ていたら生活できないからである
桑の実とかあるのもわかる、これは自生していてうまいのである、山犬とは狼のことである
蕎麦粒山とはまさにここで蕎麦を作っていた

いづれにしろ小海線でも山深く無人駅がありその前に数軒の家がありそこが駅のなかと思った
そういう駅がかえって記憶に残る、人で混雑した駅は忘れやすいのである
私はこうして電車の旅も長いから記憶の旅をつづけている
そことで問題になるのはいかに記憶されているかなのである
記憶していればまた記憶がよみがえり何かしら書いたり詩にできる、でも忘れるとできないのである
金谷から大井川線で千頭まで行ったことがある
そこから井川線があることは知らなかった、それはさらに奥だったのである

今回のNHKの番組は構成が良かった、やはり作り方で番組も相当違ったものになる、鉄道番組は多いが何か見慣れて飽きたともなるからだ
私は全国の鉄道にほとんど乗っている、それでこの番組で日高線のことを写していた、途中海の波で浸食されて鉄路が破壊された
それで復興できなくなっている、もう沿線の自治体で何億もかかるから無理だとしている
あそこはそうなるかもしれない、ただ様似は高山植物の宝庫だから貴重である、そこが終点だった

日高線終点なれやアポイ岳東菊(あづま)みて霧のかかれる

この山は必ず霧がかかる、小高い山でも高山植物の種類が多いから貴重である、ともかく私は本当に日本だったらたいがい行っている実際にその場を踏んでいることが貴重だった、だいたいその場所をイメージできるからである
そして記憶の旅をするときインタ−ネットが役に立つ、その場所が必ず写真入りで出ている
すると思い出すからである、この思い出すことが大事になっている、記憶から呼び出すことが仕事のようになっている
家族の介護でそういうことすらできなかった、なぜなら暇なく追われていたからである
今は介護もしていないのでこうして思い出す作業をして書いているのである

とにかく駅でも鉄道でも思い入れがある、だからこそ私の町の無人駅でボランティアなどを偶然にして駅や鉄道にかかわったことは貴重な体験だった
人間は思いというものが大事である、無人駅ではロボットでは情がない、人間は何事思いというものが生まれる
その思い大切なのである、なぜなら今になるともう人とは二度と会わないとかまた旅に行った場所にも二度行けないとかなった
特に外国に行くのはもうできないと思った、何か疲れてだめなのである、気力もないのである
だからこうして思い出す旅をしてその記憶をよみがえらせて書いているのである


山本太郎が参院選に擁立した創価学会員、公明党と学会を批判 (創価は分裂するのか?)


山本太郎が参院選に擁立した創価学会員、公明党と学会を批判

(創価は分裂するのか?)


「創価学会員の票を切り崩すしかありませんね。学会員の中には、今の公明党や創価学会に不満を持っている方が多くいると思います。そういう方たちを説得したい。学会員には原点に戻って欲しいですね」

 と語る野原氏



山口代表と創価学会員の野原氏が同じ選挙区で戦う

これも前代未聞だとなる、創価はこうして分裂して力を失ってゆく
ではなぜそうなるのか?池田大作会長が病気になって生きているのか死んでいるのかわからない状態で分裂してゆくのか?

政教一致だから政治での対立が宗教での対立にまでなり分裂

創価は完全に政教一致なのである

一票入れたら成仏する

入れない人は福運がなくなる→地獄行き

現実に選挙は信仰を示す最大の戦いである、選挙のためにあるのが創価である
そして選挙の時は拠点に集まり池田大作先生のためにと御本尊にく祈りフレンド票をとりにゆくのである
それは常時そうなのである、すべて選挙のためにある
選挙に勝つことが日々の活動なのである

選挙の勝利は仏法の勝利

だから政治で分裂することはありえないのである、政治の政策でも分かれれば組織全体が分裂する宿命にある
なぜなら政治と宗教が完全に一体化しているからである
政治が俗世のことが聖なる宗教と一致しているからそうなる
分離ししていれば政治で分裂しても関係ないとなる

宗教と政治が一致すると日本の戦争でも祭政一致になればどうなるのか?
それは戦争でも証明された、宗教は神は絶対だから日本に味方するから勝つとなる
その他のいろいろな条件が不利でも神が味方しているから負けることはないとなる
そのことで300百万人が死んだのである
これはまた違ったものとしても基本的に国家も実際は俗世的なものだが国家の神聖化は歴史で起きてきたのである、神聖ローマ帝国などと呼ぶのもそうである
政教一致の歴史が普通だったのである
それがフランス革命でカトリックの呪縛から離脱した、カトリックも強力な政教一致体制たからである、そういう歴史が長いから宗教に対して反発も強いものとなった

政治で対立→宗教で対立→分裂

こうなりやすいのである

ヨ−ロッパでは

宗教で対立→カトリックとプロテスタントに分裂

ヨ−ロッパでもカトリックとプロテスタンとは宗教で対立するから政治的にも対立して
アイルランドはカトリックでありイングランドはプロテスタントで差別されたのでテロになったのである

宗教対立→政治対立

政治対立→宗教対立

こうなる歴史がある

ただもともと創価は政治色が強い、日々の活動が選挙のためだというときそうである
政治権力を得るための闘争なのである、なぜなら御利益を福運を得るというとき政権をとりそこで御利益を配分することができるからである
創価も時代の産物だったのだろう、東京とか大阪で増えたというときそれは都会型宗教だった、戦後戦争に負けた精神の空白状態をうめるとか団地の宗教というように何かそこで新たな共同体を求めたのである

いづれにしろ完全な政教一致となると日本の戦争のように政治でも批判できなくなる
必ずあれだけの集団でそうして政治でも宗教でも批判すれば罰あたると祈りもするからである、宗教はそもそも批判を許さないものだからである
ただ政治になるとどうしても批判がありこうして政策が違うこともある
ただそれが完全な政教一致だから政治で分裂することは宗教でも分裂してゆく
政治で敵になることは宗教でも敵になってしまうのである

この政教分離問題は人間の歴史では実際はエジプトでもイスラムでもどこでも政教一致だった
政教分離の方が歴史としては浅いし新しい思想だったのである
ただ宗教も必ず俗化する、創価は前から数を集める一票を集めることを最大の目的としているから今回のように政治で分裂するとその本体の宗教団体も分裂しやすいのである
こうしたことが分裂のきっかけになり勢力は衰えてゆく
だから今度は自民が公明と一体なのだからその影響が国政にかかわってくるのである
自民が公明と組んだことで今度は自民が大きな影響を受ける
安定した票田を失うからである
自民党は弱体化して政権がゆらぎ国政も変わる、だからもともと宗教団体と一体化するべきではなかった
一時的には楽に票が得られるとしても政教一致の火種をかかえていたのだから慎重であるべきだったのである

posted by 老鶯 at 13:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年07月13日

近江粟田郡の鉄生産地と陸奥行方郡真野郷の密接なつながり (直接鉄生産の工人が行き来していた)


近江粟田郡の鉄生産地と陸奥行方郡真野郷の密接なつながり

(直接鉄生産の工人が行き来していた)

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宇多郡行方郡と近江の鉄生産 

●鉄生産の技術習得のために近江の粟田郡まで直接陸奥行方郡などから人が行く

東北系土器の出土地点

滋賀県栗東市は、律令期の近江国栗太郡にあたり、かねてから武井・金沢製鉄遺跡群の技術
体系の故地とされる官営製鉄所=瀬田丘陵生産遺跡群を抱えたところ

高野・ 岩畑遺跡と下鉤東遺跡の位置は、この官営製鉄所の北東5〜7kmの範囲に広がる官衙関連遺  東北系土器の出土地点 − 45 − 跡群内にあり(図 14)、周囲には、8世紀中葉の鉄生産に関与した宇多郡官人の火葬墓に影響 を与えた終末期古墳(菅原 2010 a)が、分布している)。 また雨森智美氏によると、
高野・岩畑遺跡は、古墳時代から継続する伝統的な技術者集団の 居住域であり、中核となる高野神社の摂社(八重釜・敏釜神社)は、鉄生産に伴う神とも関連 付けられ(図 15)、8 世紀前半には瀬田丘陵生産遺跡群に人材を提供したという(雨森 2007)(註 10)。当然、その関係は、7世紀後半に遡る可能性を十分に有している。 こうした複数の状況証拠から、

3点の東北系土器は、宇多・行方郡から近江へ技術習得に派 遣された工人が、現地に残した痕跡とみるのが最も合理的な解釈と考えられる

古墳時代には、地方から畿内への上番という形(帰郷・帰郷指導型)が一般的に存在しそれが技術伝播の契機になった」のに対し、「律令期になると、基本的に伝達者が東国に来て教習活動(「玉突き」型、巡回・指導型)を行った」として、工人の動きが逆向きに変化したことを明快に述べた

周囲には、8世紀中葉の鉄生産に関与した宇多郡官人の火葬墓に影響を与えた終末期古墳(菅原 2010 a)が、分布してい
鹿島町真野寺内 20 号墳(図2−8)出土の金銅製双魚佩(図 17)は、6世紀前半に比定され、同年代の類例の分布が、いずれも近江出自の継体王朝と関係が深い墳に集中している(穴沢味光)

●金銅双魚佩の伝播径路

真野氏は近江国滋賀郡郡真野郷(滋賀郡堅田町真野)に本貫があった
継体政権と近江の豪族との関係については先に述べたが同じ滋賀郡内に和邇氏と密接な関係のある漢人渡来人氏族が集住しており、真野20号ににた正方形プランの横穴式石室が盛行した、真野20号の主体のモデルになった横穴式石室は、案外こんなルートで東北の一角に伝播したのではないだろうか

おそらく六朝の製品の(魚袋)と考えられる双魚佩の一つが武寧王陵の出土鏡と同はんの獣帯鏡に誘着していた、これらの双魚佩も獣帯鏡と同じように、南朝から百済を経て継体朝の日本に伝来し、継体朝の関係の深い豪族に分与されたのではないだろうか

この古墳は6世紀中ごろであると思う


金銅双魚佩出土例


(滋賀県野洲郡三上山古墳出土例)

この金銅双魚佩が付着していた唐草文薄肉刻七獣帯鏡が韓国公州の百済武寧王陵出土の鏡と群馬県観音山古墳出土の鏡と同型である
この獣帯鏡は中国の漢代の鏡を六朝時代に踏み返したもので、百済を経て日本にもたらされたものであると樋口隆康氏せ言う

やはり六朝時代のの踏み返し鋳造と思われる銅梁獣帯鏡の日本が出土の三面の同型品のうち二面は継体天皇陵と考えられ大阪府高槻市郡家の今城塚からあまり遠からぬ茨木阿部野土室石塚と豊中市桜塚古墳群から出土しているのでこの種の鏡は継体王朝と密接な関係が推定される

千葉県長須賀古墳出土例

長須賀古墳の所在する上総望田(陀)郡の国造は馬来田国造であるが記紀によると継体には馬来田皇女があり馬来田国造家の女が乳母になっていたためと思われる

日本後記延暦一六年(797年)陸奥行方郡人に大伴行方蓮の賜姓の記事があることから継体推戴運動の強力な担い手であった、大伴と真野の関係が十分に考えられる

六朝の製品(魚袋)と考えられる双魚佩の一つが武寧王陵の出土鏡と同はんの獣帯鏡に付着していたことはこれらの双魚佩も獣帯鏡と同じように、南朝から百済をへて継体朝の日本に伝来し直接間接に継体朝に関係の深い豪族の間に分与されたとか推定される
  
(金銅双魚佩考―真野古墳出土例にして―穴沢味光)
   
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 古墳時代における琵琶湖およびその周辺地域(細川修平)

粟田郡は古墳が多く琵琶湖の交通の要所になっていた、そこから大阪とか奈良に通じている交通の要所だったのである

●真野の草原(かやはら)の歌は日本の古代の歴史があり生まれた

古墳時代はかえって鉄生産の本拠地との交流があった、近江粟田郡が本拠地でありここの行方郡と宇多郡でも地元の人が直接鉄の技術を習いにおもむいたとなる
ここでは人の行き来が近江粟田郡と直接あった
地元の人もそこで鉄生産の技術を習っていたとなる
それでお土産としてなのか東北形土器が発見されている、つまり近江粟田郡にもたらされたとなる
ただ直接人が行き来したことは陸奥の真野の草原(かやはら)を伝えられたとなる
でも律令時代になると巡回型の技術の伝播になる
中央から直接技術者が巡回して鉄生産を伝えた
この意味するところは何か?中央の指導が強まったということである
中央の大和王権がかかわってきたとなる
それで真野古墳群の前方後円墳に金銅双魚佩が発見されたのである
それはいつの時代なのか?継体天皇の時代だとなる

直接行き来したのは時代が古いということは地元の工人が直接技術を習わないと習得できないということがあったかもしれなんい、今でも技能実習という名目でベトナム人であれ外国人が来ているからである
日本で技能を身に着けて本国に帰り伝える、それでネパールなのかそこには受け入れる工場がないとういことで日本人が工場を建てるようになったとかある
つまりそんな遠くとも技術を通じての交流が生じたとなる
ただ当時は近江と陸奥は相当に離れているのでどのようにして直接そこまで行ったのか?その疑問はあるにしても人が直接行き来していたことは重要である
それで陸奥の真野の草原は知られたということになるからだ
だから草原(かやはら)とは地名なのである、草原は鉄が生産される生産拠点であり萱原が茂っているなどと関係ないのである
鉄がとれる場所として真野の草原が近江に知られて中央の奈良の都に知られたのである

日本後記延暦一六年(797年)陸奥行方郡人に大伴行方蓮の賜姓の記事があることから継体推戴運動の強力な担い手であった、
大伴と真野の関係が十分に考えられる

大伴氏の一族がかかわり和邇氏の中の真野氏がかかわってここに真野という名を遺したのである、それで笠女朗は大伴家持を慕い歌に残したのである

みちのくの真野の草原(かやはら)遠ければ面影にして見ゆとういものを 笠女郎

大伴家持を慕った歌だが草原(かやはら)とはこうした背景がある場所であり何もない
草原(萱原)が茂っている場所ではなかったのである
つまりここに住んでいる人も近江に直接行きこの場所を伝えてそれが奈良の都に知られて笠女郎が大伴家持を慕い歌にしたのである、大伴家持が現実に陸奥に来たとして考証している学者もいる
実際は交流は人が直接行き来していたとなるとリアルになる、直接人の交わりから陸奥の真野の草原が奈良に知られて全国に知られたとなる

次は継体天皇と武寧王陵についてー金銅双魚佩の径路は中国まで通じていた

2019年07月12日

 実力ある人のみ生き残る時代 (銀行員でも弁護士でも医者でも頼める優秀な人がいない・・)


  実力ある人のみ生き残る時代

(銀行員でも弁護士でも医者でも頼める優秀な人がいない・・)

何か頼むにしてもその頼む相手が問題になる、それか人間社会で日常的に起きてくる
大工でも修理を頼んだが直っていなかったが金ばかりとられた
一方で仙台から来たユニットバスを請け負った会社は百万で作ってくれた
それはいいものだったから得だった、ほとんど損した
小高の庭作りしてくれた大工さんは優秀だったから良かった

地銀に投資を頼んだがそれも損しただけだった、第一銀行自体証券会社でないから素人並みである、そんなところに頼んでももうけられはずがなかったのである
ただ適当に客のことなど考えないで投資しただけである
投資したら損しようが地銀では関係ない、地銀には手数料が確実に入るからだ
地銀は一切リスクはとらない、では本当にそうなのかとなるとそうでもない
銀行は信用を失ったしその後に影響してくる
銀行はそんなものだったのかとなり銀行にまかせたら金とられるだけだと警戒するようになる、これが高度成長時代だったら銀行も楽だったのである
銀行に貯金してもらえば利子がつきますよとなりみんなあずけたし銀行は地域では信頼された安定した職場だったのである

でももし銀行員の営業の人でも優秀だったら別である
証券のことを知っていれば儲けさせる確率が大きくなるからだ
でもそういう人は銀行にはいないのである
そうしたらもうけることなどできないのである
つまり証券に株式に通じている人はいないのである
そういう人に頼むことはできない
ただ金持ちはフィナンシャルプランナーとかを個別に雇い投資をまかせる
でもそのフィナンシャルプランナーにリスクがある
損したらもうけがないとかなる、もうけたら一割でも二割でもそのもうけたなから収入となる、だからそれは相当に投資にたけた人でないとできないのである
まず地銀クラスには一人もいない、そういう仕事が地銀の仕事ではないからである

地銀の仕事はyoutubeで今日見たようなことである

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これまで金融庁で中小企業をつぶれないように援助していた、でも限界に来た
そして地銀自体が収益が悪く倒産するということで援助しないとなった
これももう追い詰められているから大目に見ることができなくなったのである

このように中小企業が大倒産の時代になる、その数も多いのに驚く、こんな数の中小企業が倒産してゆくことは確かに地銀にとっても衝撃が大きく地銀自体が倒産してゆく時代だと言っている
それだけ今の地銀は厳しい経営状態にあり先がなくなっているのだ
そういうふうに追い詰められた個人でも団体でも会社でもかかわることは危険になる
もう生き残るために善悪もなにもなくなるからだ
銀行でもゆうちょでもブラック化してゆく、投資信託でも無理やり売りつける
そもそも素人の知識しかないのに売りつける、ゆうちょでも簡保でも不正をしていたというのがそうである
ノルマを果たすために行員に無理やり保険でも老人に売りつけていたのである
老人もゆうちょをもともと信用していたからである

今の経済は社会は身近なところ崩れてゆく、その時モラルもなにもなくなる
事業失敗した人がそうだった、追い詰められているからとても人のことなど考えていられないのだ、そういう人が自分が病気で介護の時来たから最悪だったとなる
銀行もまた同じだった、追い詰められて余裕がないから客のことなど全く考えられなくなっている
オレオレ詐欺のようになってしまう、堅い職業の銀行までがそうなっいることはやはり日本の経済は危機的状況にある、地域の経済でもそうである

交通事故でわからないから弁護士を頼んだ、でも最初に相談料として100万要求された何か事件を解決したわけでもない、裁判になったわけでもない、ただ相談料としてそれだけ要求されたのである
それは仙台の弁護士だったのである、それを頼んだのは親戚だったがこの人も全くあてにならない人だったのである
つまり頼んだ人があてにならない→その人が頼んだ弁護士もあてにならい、金を不法にとったともなる
こうして頼む先があてにならない、信用できないとかなると必ず損するのである

中小企業の大倒産時代にそれを引き受けてうまく倒産するというか事業を維持させることは相当に熟練した弁護士でないとできない、その計画を明確に提言できる人だという
そういう弁護士はまれだという、それだけその事業を倒産させるにもノウハウがあるが
それをできる弁護士は本当にまれだとなる
つまり弁護士の資格をもっていようが医者の資格をもっていようが本当にできる人はまれなのである
第一資格といってもそれは実際の社会で通用するわけではないのである
資格はとれても実際の社会で通用しないことが多いからどういう経験を積んだか履歴を会社でみるというのもわかる

いづれにしろ今や日本経済は厳しい状態に突入している
会社でも優秀でなくても年功序列で終身雇用で一旦会社に入れば安泰の時代は終わった
もう大企業でも不要な存在は容赦なく切り捨てられる、そうしなければ生き残れないのである、ただこういうときは本当に才能があり実力がある人はいい時代になる
高給で大企業でも若い人を待遇する、でも不用な45歳以上はリストラさせられる
会社にも余裕がなくなったのである
ただ銀行員でもフィナンシャルプランナーとかで個人的でもなれる人は生き残れるがそういう人はまれである、それだけのプロとなるとまれだとなるからだ
だから本当に実力社会になったら極少数の人しか生き残れない
特別優秀な人たちと多数の普通の人たちに分かれる、格差社会になる
そういう変わり目に時代は突入しているから厳しい時代になる
会社に入れば安泰だという時代は終わったのである
大卒だからだと学歴もあてにならなくなる、大学で評価されるのは理系の一流とかに準じる大学だけである、その他は文系だと評価されにくい、大学出ても実力社会では通用しない、学歴は通用しなくなる

こういう時代をどう生きるのか?
教育も見直される、暗記とか受験とかそうした勉強しても実力社会になると通用しない
資格をもっていてもそれでその人が優秀だともならない
医者でも弁護士ても選ばれる時代になるとそうなる
要するにでは選ばれる優秀な人になるのにはどうするのかということである
教育でも今までのやりかたでは通用しない、やはり何か創造力を鍛えるとか暗記ばかりではない、独自性を発揮させるものを追求することだとなる
既定路線にのって安泰な時代は終ったからである


posted by 老鶯 at 23:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

遊ぶとは神聖なことであり神の意にかなうこと? (利害得失から離れた世界が聖なるもの)


遊ぶとは神聖なことであり神の意にかなうこと?

(利害得失から離れた世界が聖なるもの)

チンパンジーは干ブドウがほしくて勉強しているのではないことを示している。干ブドウにつられて勉強しているのならば、やさしい問題が続いて出される場合が一番いいわけでキーボードを押しては干ブドウをどんどん手に入れることができるはずである。やはり、問題を解く楽しさが、チンパンジーを勉強に向かわせているということなのだ。』
 【河合雅雄著「子どもと自然」岩波新書より】


類人猿は描くことで「作品をつくる」という結果を求めているのではなく、「絵を描く過程」がおもしろく、遊びの延長で描いているのだと齋藤先生は言う。これは、お絵かき帳などに自由に線や点を描く人間の幼い子どもと同じだ。


何かチンパージ―に学習させるのにバナナとかを与えたらかえって学習しなくなった
チンパージ―学習するのはまたゲームをするのはそれ自体が面白いからである
ところがバナナとか与えるとバナナを得るためとなりそこに気をとられて学習もゲームでも遊びもやる気がなくなったという


人間の学習でも動機づけが大事になる、動物でも遊びがありそれは餌をえるためではないただ純粋に遊ぶことが楽しいとか興味があるからだ
じゃれるのでもそうである、でも動物に曲芸とかしこむ、サーカス団とかでそうする
それは強制されてしているのではない、人間は金のために猿を使う、猿にとっては苦痛なのである
遊びそのものもを楽しみ追求するのが動物でもそうであり人間もそうである

人間の特質としてこの遊びが大きな要素にある、ところが子供の頃から純粋に遊ぶということがなく学習がおしつけられるのである
それは大人の功利的なものがあり押し付けられる
大人が親がいい学校に入りいい会社に入りとか自分の子供を自慢したいとか大人の功利的都合で子供を操作するのである
それは動物に芸を覚えさせて見世物とするのとにているのである

「遊ぶ」という語は、「古事記」に天若日子の葬儀の時
「日八日夜八日をもちて遊びき」とあるように
死者の魂を呼びもどすための歌舞をすることである
( 谷川健一)

あそぶとあそばされるとかは死者と関係していた、人が死ぬと遊ぶ存在になる
あそぶとはこの世から遊離して神ともなる
遊離の遊もそういうことになる
遊ぶとはこの世の利害にとらわれない自由な存在になる
死者はこの世の利害とかしがらみとか様々なものから解き放たれて自由になる
あそばされる存在になる、それが遊ぶの意味だった
神はこの世の利害得失から遊離した純粋に遊ばされる存在なのである

この世は常に人間の利害得失のなかにありそこで悩み苦しむ、その利害得失から解き放されることがないのである、それで遊ぶとういことはそういう利害得失から解き放たれることである、死者はこの世の利害得失とは関係なくなる、あそばされる存在になる
だから死者と遊ぶということは死者とこの世の利害得失かは離れてともに遊ぶことだとなる
ただ遊部が葬送を司る集団だというのもわかりにくい、なぜなら遊ぶというとき陽気なものに感じるからである、葬送となると陰気なものになるから矛盾している
言葉は長い間に意外なものに変化していることを示している

ただ遊ぶというときそこは利害得失がない純粋な遊びの空間となるとき聖なるものとなる人間は宗教的に考察してもエデンの園ではただ遊んでいたのである
そこは聖なる空間であり利害得失がない、純粋に遊ぶ空間なのである
子供が利害得失を考慮しないで遊ぶように純粋に遊ぶ場でありその時そこは聖なる場所になる
この世は遊星だというときもそうである、遊ぶ星なのだが異常な勤労の星になっている
それを神は良しとしない、勤労は常に歴史的に奨励された、それはやはり勤労がなければ生きていけないので強いられていたからである、だからすべて勤労がいいとはならない、別に原始人でも祭りがあれほど多いということでもかえって遊ぶ時間が多かったのである、だから必ずしも働くことを人間は好んでいるとはならない
資本主義は時は金なりというときそうした働くことが神に奉仕することだということでそうなった
でも逆に遊ぶということが神聖なことだったというもある
この勤労が宗教までになったのは西洋的価値観なのである、キリスト教を西洋的な価値観で変えたということもある

野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。

しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。


働きもしない、紡ぎもしないとある、キリストが働くことを奨励することを言ってはいない、むしろ否定しているのである
人が働くことは呪われたことでもあった、人間は労働を罰として与えられたとしているからだ
そうししたら労働がない世界がパラダイスだとなる、あったとしてもそれが遊びとなればパラダイスなのである
でも人間社会にパラダイスには永遠にこない、何か矛盾してきて地獄化してゆくのである

この世はあまりにも利害得失で汚されたのである、インタ−ネットでも前は無料の遊ぶ空間的なものがあったが今は世間と同じである
アフィリエトで宣伝でいくらもうけたとか一億円のブロガーがいるとかyoutubeがいるとか話題になり、利益を追求する場になった
その時インタ−ネットでは何ら世間と変わりない場所になったのである
何か芸術でも学問でも遊ぶということがありそれが利害が関係してくるとそこなわれるのである
遊ぶことと金銭は離れるべきだけど密接に結び付く、すると金をもうけることが第一になり本来の遊びはなくなるのである

それでチンパージ―でも学習でも遊びとして夢中になっていたのがバナナをもらうとその方に気をとられて学習でも遊びとして興味をもっていたが興味を失ったとなる
現代社会はその矛盾が大きくなった、あらゆる場所に利害得失が入ってきている
だからベーシックインカムとかはそうして利害得失の入りこめないものとして純粋に遊びを追及するものとして機能するとすればそれは理想となる
結局自分自身の人生は旅に費やしたというとき一生が遊びだったのである
それが無駄がとなればそうでもない、むしろ高度成長時代に企業戦士と働き詰めの人たちが神から祝福されない人たちだったともなる

老人になって趣味もないとか遊べない人間になっていることでもわかる
老人が用がないというとき遊べないからそうなる
とにかく人間は利害得失の世界から離れられない、金から離れられない、金でしか人間と関係できない、遊ぶことができない存在になった
そもそも資本主義に遊ぶとかのは入りこむ余地はない
それで資本主義自体がもう投資先もなくなり行き詰まっているのである
何か最近おかしいのはベーシックインカムとかAIで人間は仕事がなくなるとかいいみんなアーティストになるとかいうのも不思議である
蟻よりキリギリスになれと奨励しているのである

働きづけの人間が評価されないというのも不思議である
働くということは至上命令でありそれからはずれた人は罪人にもなる
あいつは働いていないとか無職だとなると犯罪人と同じにみられるのである
私は20代をのぞいて働いていない、私の人生は遊びだったとなる
でもそれが無益な人生だったのか?
一方で働き詰めで会社人間として働いた人は今でも社畜だとか言っている
不本意に奴隷にされているということなのである
これからの社会が利害得失から離れた社会になるとは悪いことではない
資本主義がゆきづまったのも悪いことではない、新しい価値観が生まれることは悪いことではない、社会はそれで進歩しているともなる

2019年07月11日

a train go through many abstract paintings


a train go through many abstract paintings

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summer river


かんぽ生命の不正契約問題 (被害者が郵便局員の押し売りの実態を語る)


かんぽ生命の不正契約問題 

(被害者が郵便局員の押し売りの実態を語る)

「私の姑も信頼していた郵便局員に騙され、一時は月に30万円以上もの保険料を、かんぽ生命に支払っていたことがありました。きっとほかにも被害者が大勢いるに違いないとは思っていたのですが、これほどの数とは……、ニュースを知って驚いています」と語るのは、東京都在住の40代主婦・A子さん。

その返戻金で、また新しい契約を結ばせることを繰り返していました。姑は保険の内容について十分な説明を受けていませんでしたが、『郵便局のXさんが“いい保険ですよ”と、おっしゃっているから』と信じ切っていました


これも地銀の投資信託とにていた

まず地銀を銀行を信用していた

高齢者がねらわれた

仕組みがわかりにくいから契約した


私の場合もこれとにた経験をした、まず利子がつかないからと投資信託を進められた
その人は証券会社で働いていた経験があるということで現場を知っているのかと思った
勧誘の手口は

銀行ではもう利子がつかない

では銀行は何でもうけるのか→投資信託がいい

なぜなら投資信託は絶対に銀行が損しない商品だからである
そして地銀などは株とか投資信託でも全くの素人と同じだったのである
まず売れば手数料が確実に入る、投資信託で客が損しようが全然関係ない
銀行は絶対に損しない商品でありリスクをとる必要がないのである
だから売ってはまた買わせたりする、転売するとその時点で手数料が入る

そして最初カナダが石油がとれるからとか国債を買った、後はアメリカの投資信託を買った、それから今度は為替差益で失敗したから日本のリートを買った
こうして売ったり買ったりしているとその都度手数料が入る
あとで定期的に手数料が入るのが投資信託なのである

つまり今は銀行にあづけたらこうして利子がとられる!

かんぽの保険でもそうである、なぜ高齢者がねらわれるのか?
それはこれまでの郵便局とか地銀でも信頼関係を結んできたからである
必ず今でもそうだが一軒一軒回って対面的に信頼を築いてきた
そういう時代は必ず利子がついていた時代だったのである

だから高齢者そうした時代の感覚をひきづっている
郵便局と銀行は信頼できるという感覚である
それは高度成長時代に築かれた感覚なのである
その高度成長時代が終わると郵便局でも地銀でも経営が苦しくなった
もうけることができなくなった

そして高齢者にはまだ金をもっている人が多い

金融資産は60代以上の人に集中している

ではこの人たちをターゲットにして金をとろう

こういうふうに時代が変わってしまったのである
銀行とかに金があっても投資先がないのである、もう資本主義自体がそこでゆぎづまっているのである
資本主義というのは常に投資先がありそこで投資してもうけて株主に分配する仕組みである、その構造自体が機能しなくなったのである
ではどうして収益を上げるのかとなるともう詐欺的商法しかないとなる
つまりオレオレ詐欺のような商売になってしまったのである
これはもう資本主義とかの根幹が崩壊してきているのだ

それはグロ−バル資本主義でもそうである、世界でもそういうことが起きている
経済は成長の限界にきたのである、もう投資して利益だすことができないのである
そういう社会になった時人々そういうことが理解されていないのである
私自身もそうである、まだもうけが得られると思っていたのである
確かに一部の優秀な人は専門家は株とか投資信託でももうけている
それはもう例外的な存在であり大方の人は関係ない世界だったのである
それで金融商品をもっている高齢者はカモにされるだけだとなる

ここ十年で自分が経験したこともそうだった、金に窮した人たちが襲って大きな被害を受けたからである

それで

ブルータスお前もか

地銀もお前もか

郵便局もお前もか

郵便局もそこに加えられたのである、誰も信用できない社会となっている、それだけ会社でも安定してもうけることができない社会になっている

社会は世間は時々刻々変わっている、その変わり方のスピードが速いのである
「無常迅速」なのである、すると老人はそうした変化についていけないのである
つまり郵便局とか地銀はこれまで地域で信頼を築いてきていた
だからまず郵便局とか地銀となると地域の人たちは特に年寄りになると親しみがあり信用してきた、そういう身近なところで信頼関係が崩壊してきている
そういう身近なところで大きな変化があるということは社会自体がこれから大きく変わってくる、大企業の終身雇用すらもなくなりこうした地域の一番信頼ところでも信用がなくなり地銀などは消えてゆくとされる

ただ高齢者は時代の恩恵を受けてきた、銀行にあづけて利子が7パーセントある時代があったからだ、それで資産を築いた人が多いのである
だからこそ地銀であれ郵便局であれ信用されてきたのである
それだけ恵まれた時代だった、今の時代の人は恵まれない
低成長と日本の貧困化社会の中で生きるほかなくなっている
そういうなかで淘汰されるものが増えてくる
それで若い世代は厳しい時代になる、その影響を老人も受けるようになったのである


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2019年07月10日

中国の脅威は世界史の逆行なのか―文明の衝突なのか? 〈古代中華帝国の再興に従えない世界)

中国の脅威は世界史の逆行なのかー文明の衝突なのか?

〈古代中華帝国の再興に従えない世界)


脆弱な内面があると同時に、中国は世界規模の大国になろうとした過去がありません。植民地を持とうとしたこともなければ、他国を支配しようとしたこともない。そしてまた、普遍的な文化を持とうとしたことすらないわけです。普遍的な大国にならずして、世界の超大国になることはできません。

中国に「世界の超大国」になる資質はない
"米中大衝突"が世界に与える悪影響

中国共産党がスローガンに掲げる「中華民族の偉大な復興」である。中国は偉大な過去の栄光を取り戻そうとしている。過去の栄光とは、東アジアに君臨して世界の超大国であった19世紀以前の中国である。中国共産党によれば、19世紀以降、帝国主義者たちは中国に対して侵略戦争を行い、広大な中国の領土を略奪した。習近平・中国国家主席が唱える「中国の夢」とは、偉大な中国を取り戻すことである。

アメリカが、中国と「文明の衝突」か「新冷戦」か「貿易戦争」、あるいは「戦略的競争」を進めている時代において、日本はあらためてアメリカに日米同盟の価値をアピールする機会を得ようとしている。


中国が脅威になる、テレビでも今日中国が太平洋のハワイまで拡大する戦略にあることを知りオーストリアとかが警戒しはじめて具体的に抵抗してきた
それは日本の太平洋戦争とにている
中国とアメリカで太平洋を二分する戦力を具体的にしている
南大平洋諸島に金をつぎこんで勢力下に置くことをしている

中国の台頭は何を意味しているのか?
これを考察する時人類の歴史をふりかえりそれが何を意味しているのかを問うことが必ず必要なのである
つまりこれは世界史の問題だからである
それで参考にしたのが「現代が受けている挑戦ートインビー」という本を参考にする
ここで語られているのは国家主義の歴史である
それは最古の文明の発祥地から楔形文字を発明した中東地域から始まっていた
ただここは複雑でめんどうなのでエジプト文明を見れば具体的にわかる
これも国家主義である、地方の神がありやがて一つの神に統一される
エジプトにも日本のように八百万の神があり地域地域は分裂して統一されていない
それがやがて一つの神にファラオに統一されてゆく
それはエジプト国家の形成になる

そうして一つの文明が大国家が帝国が形成されるときそこには必ず科学技術とかがかかわり神格化される、そこに理系的な技術者がいて神官となる
それはインカとかマヤ文明でも同じだったのである、例えばなぜヨ−ロッパの石の大聖堂を作った石工のギルドがフリーメーソンとかの結社となり世界の指導者がその信者だという時もそうである、そこは秘密結社となっている
それは神官であり力をもったのである、エジプトの神々の像であれピラミッドを作るのには相当な技術力が必要になっていたからである
つまり大国家を形成するには科学技術が不可欠なのである
それは現代でも引き継がれている、この辺で原発を作り従事した人たちはエリートであり神官だったのである、科学技術者は聖職者になったというときもともと治世に科学技術は不可欠だったのである、今でも医者だけは神のように尊敬されているから同じなのである

宗教というとき文明でも巨大な事業を灌漑とか神の像とか巨大建造物を神殿とかを作る技術が生まれたとき権威をもつようになった
そしてそこでは王は神格化される、ファラオとなるのである
それは現代でもその歴史は継続されているのである
エジプト王国がありペルシャ王国がありローマ帝国がありイスラムのオスマン帝国があり中華帝国がありと継続されているのである
アジアだと仏教もそういう働きをしてきた、それは華厳教などの政治思想がありそれが中国でも採用されたからである
日本だと大和王権が日本を統一するために奈良のルシャナ大仏が創建されたのである
その前に巨大な古墳もやはりその地域地域の統一するシンボルだったのである
つまり国家を形成するにはそうした巨大な建造物が不可欠なのである

だから人間はそういう歴史を継続してきて今日に至っている
中国でも同じである、最初は始皇帝が世界国家を形成した、西域で異民族を吸収して世界国家となったのが中国である、その時の大軍団が地下に埋もれていた兵馬俑なのである
それはエジプトともにているのである
地下まで大宮殿を作りその権力は壮大なものだったからである
そして王は神格化される、エジプトでも王が神格化される、偶像化される
国家を支配する者が神となるのである、人間はなんらか人格化したもの、人間を神とするとわかりやすいからである、無機質的なものを神にしにくいのである 

ただローマでは皇帝も神格化されるが統治としてローマ法を法の下の平等を一応追求したのである、それが西欧文明の骨格ともなっているから中国の国家主義とは異なるのである
一見今をみれば過去とは全く違ったものであるように見えて人間は世界史的にも同じことを繰り返している、「歴史は繰り返す」とかカルマだとなる
個々人でもカルマをくりかえし国家的にも世界史的にもそうである
国家主義がナショナリズムがなぜこれほど強力なものとしてありつづけるのか?
例えば共産主義でも結果的にはナショナリズムとなりその幹部はソビエト連邦時代に幹部は神格化されたのである
まるで死んだときファラオのようになって葬られたのである
そして中国でも同じである、共産主義があっても国家主義となりナショナリズムとなり
頂点にたつ共産党の指導者が神格化される、毛沢東はすでになっている

それは日本国内でも起きている、創価は仏教をイデオロギーにしているがナショナリズムにもなる、日蓮を見ればわかる、強烈な国粋主義者、ナショナリストだからである
それで日蓮主義が太平洋戦争の時イデオロギーとして訴えた人がいたのでもわかる
日蓮主義はそうなりやすいのである
そして池田大作が教祖が神格化される、それは政治化したときそうなる
エジプトでもそうだったが政教一致化してくる、ローマ帝国でもキリスト教と政教一致化してカトリックが権力をもったのとにている

共産主義は「万国の労働者よ、団結せよ」というときそれは国家を越えるものとして主張されたイデオロギーである、でも実際はナショナリズムとなり政治化して指導者が神格化して偶像化するのである、政治とは科学技術は人間の力を基にしている
科学技術でありまたは人間の数であり経済力であり物量であり軍事力になる
それらの総力が国家主義となり世界国家を目指すのである
中国でも科学技術力がアメリカをぬくとかなるとそうである、通信技術がそうである
ファウィがそうである、アメリカが世界の支配者になったのはそもそも科学技術力だったからである、世界国家になるには科学技術力が不可欠なのである
エジプトでもピラミッドのような巨大建造物を作り技術がありローマ帝国でも水道や道を作る公共技術を張りめぐらす技術力をもったからである

文明という時西欧文明が世界の普遍性スタンダードとして世界史が展開してきた
でも今度は中国が世界をリードする時どういう普遍性が中国にあるのか?
ただそこには有無を言わせない強大な古代と同じ中華帝国が世界を強圧的に支配する
それは西洋文明への歴史が世界史となっていたのを一挙に時代が古代に逆戻りする現象だともなる
文明とはcivilizationである、civilとは市民のことなのである
その市民というものが日本でもなかったし中国にもない、そしたら文明もない
ただ古代の中華帝国の再興であり世界史は古代に戻るのか?
エジプトのファラオ時代にもどるのか?何かそういうことを感じしてしまうのである
中華帝国の柵方体制になるのかとなる、それは歴史の逆行になる

要するに世界国家といい文明といいただ力だけで科学技術であれ経済力であれ軍事力であれそうした力だけで世界国家になれるのか?
中国に周辺国が反発するのはそのためである、西洋文明というときヨ−ロッパの長い歴史から形成されたものでありその西欧文明の挑戦をアジアで最初に受けたのが日本だったのである、それを受け入れるために苦闘したのが日本だった
結果的には世界大戦となり敗北して終わったのである
その時中国はヨ−ロッパやアメリカの植民地化していたのである
日本だけが西欧文明の挑戦を受けて独立を守ったがアメリカに戦争で敗れたのである

中国は最近急に経済力技術力軍事力が強大化した国である、文明という時それはcivilizationであり、civilとは市民のことなのである、パスポートにシテズンとか所属する市の名を書くことはヨ−ロッパ文明のアイディンティティだからである
ヨ−ロッパでは市長のは権威は日本だったら殿様と同じなのである、市の鍵をもっていて市を治める者の権威は強い
そういう市民社会が形成された歴史がありcivilizationがあった
だから西欧文明が世界化したユニバーサル化したとなる、では中国ではどうなるのか?
言論の自由もない、人権もない、ただ古代の始皇帝のような圧制がある、そういうことで周辺国家が従うのかとなる

そして日本はつくづく東西文明の橋渡し役としてあったというとき何か今そうなっている
米中の仲介役の立場になる、でも日本は確かに西欧文明を受け入れたとしても実際は科学技術とかは受け入れたけど西欧文明の真髄たるものを受け入れていなかったのである、西欧文明がキリスト教文明だというときそうである
科学技術だけが文明ではないのである、それは中国でも同じである、科学技術はいち早く受け入れたけど文明はそれだけではない
共産主義のイデオロギーでありそれはすでに通用しないことが証明されたからである
では資本主義がいいのかとなるとそれも行き詰まっている
だから新しい文明を創造しなければならないとなる、それがどこがするのか?それが実は日本だという人もいる
つまり東西文明の融合の使命を負っているのが日本だ内村鑑三は言っていたのである
でもアジアとは何なのか?アジアの文明とは何なのか?
それも明確化されていないのである

アジアでは自らの欲望から自由になることを望む一方で、西洋では欲望を実現するための自由を手に入れることきを望んだのである(ジャックアタリ)

仏教でもそうだが欲望を内面の修行で抑制して自由になる、西洋では欲望を外に向かって求めてアジアに進出したのである
そこに東西の文明の相違があったともなる、だから宗教というのもはもともとアジアから発した
イスラエルもアジアなのである、ヨ−ロッパは地中海を越えた地域だからである
だから最終的にはアジアに回帰するオリエントに回帰する、それが中国の台頭でまず科学技術経済力で欧米を凌駕してゆく
その後にアジアの真の文明の興隆となるのか?
中国が受け入れたのは共産主義のイデオロギーである、それが失敗したことはソ連で証明された
するとそうして古代国家へもどることは世界史の退歩であり逆行だともなる

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中国の地下宮殿の跡

2019年07月09日

今を反映している一田舎の生活状態 (年金不足、介護、高齢化、外国人労働者 地銀の危機)


今を反映している一田舎の生活状態

(年金不足、介護、高齢化、外国人労働者 地銀の危機)

一人の困窮者がいる、その人の息子は40くらいで建築関係で働いている
独身である、非正規というのではなく会社に勤めているとはなる
その息子の父親は介護状態になり南相馬市では介護士不足で世話できず青森に送られた
その後も安いとしても金がかかり嘆いている
その母親はもともと困窮していた、だから余裕がない
そして腰が悪いとか体も悪く70近くになっている、でもどうして相馬市まで普通の自転車で行けたのか不思議である                   

草取りするとかがむので腰をいためることはある
その女性が畑をもっているがその前の人は腎臓悪くして死んだ
隣の畑は家の人に車で乗せられて這って畑仕事していたができなくなって荒地になった
隣と前は荒地になった、この辺は震災以後原発事故にもな耕作放棄地が増えた
多少は回復しても田畑を維持することをあきらめた人が多い、高齢化もある

何か不思議なのはネパールの女性が三人ほど福装で働いている
その人が良く土手の道を通る、ネパールの男性の人がホンダで修理工として働いていた
それげ日本に長いから奥さんを呼ぶと言っていた、4000メートル級の所に住んでいるから驚く
他にベトナムとかから来ている、仮設の食堂していた人は中国人の女性と結婚して店を切り盛りしていた
この辺は外国人が多いという時、まだ震災以後原発関係の仕事がある
それでベトナム人が知らずに除染関係の仕事をさせられて問題になった
中国人に連れられたきたベトナム人を駅でみかけた
中国人がそうした外国人労働者の手引きをしている

困窮している老いた女性がパンクした、そのパンク代が払えない、それで金をせびりにくる、今はつけで物は買えない、その人は昔のようにその日暮らしである
最底辺なのである、老人で年金をもらえずそういう人が増えている
その自転車屋にしても病気であり60越えていたから年だった
技術的には若い人が今に適応しているからいいという
でもどこでも年寄りが多くなっているのだ、そしてその人も跡継ぎがいない
娘はいても東京とかにいる、そういう人がまた田舎では多い、もう一人の人もそうだった跡継ぎは中小企業でもいなくなり農業でも漁業でもいなくなり続けられないとなっていた相当な中小企業が日本からなくなりGDPを引き下げるという

そうして同級生でも二人が脳卒中になった、一人は足が悪くなった
その人は一人暮らしである、弟が一週間に一回来ている
一人暮らしの人も増えている、自分自身がそうであり不安になる
団塊の世代は75以上になると病気になり介護する人が増大する、しかし世話する人手がたりない、いい施設があっても人手がないから青森に送られる

地銀がきたが地銀がすすめた投資信託はもうけることはできない、かえってリーマンショックのとき半分に減った株を元にもどして上がる時投資信託に銀行員が回して損した
銀行員はもう地域で用なくなってくる
投資先がないからそうして銀行では絶対損しない投資信託をすすめるのである
これは手数料が確実に入るおいしい商売なのである
また転売するとまた手数料が入ったり売ったり買ったりするとそこで額が大きいと手数料が入るのである、銀行はもうかつての銀行ではない、銀行員は大手もやめている
それは資本主義がゆきづまって終わりに来ている象徴でもあるのかとみる
大手のメガバンクの銀行員が仲間からやめる相談を多くの人から受けているという
銀行はもうその用がなくなりつつある
そうなると銀行自体が害になってくる、なんとかもうけを出そうとしてあこぎなこともしてくるから害になるのである
大企業でもリストラされる時代になっているからもう安心して終身雇用などなくなるのである

ともかくこの状態は現代の日本の状態を象徴して自分にも起きていることなのである
日本は閉塞感が強くなり外国に働きに出る人も増えているという
そして経済的には江戸時代にもどってくるのかもしれない
服のお直し屋さんがはやっているという、新しい服を買うのではなく直して使う
その技術も高いので直しても使えるという
それはリサイクルとか江戸時代にもどることである
そういう経済感覚が時代を変えてゆく、ミニマム生活とかもそうである
大量生産大量消費の時代は終わる

この情報をyoutubeで得たということが自体が情報環境でも変わったことなのである
もうテレビでも新聞でも雑誌でも情報の主流となる時代は終わったのである
youtubeでは個々人の経験を語っているからである
こうして自分自身が自分の状況を語っているのもそうである
そこに今の社会が如実に反映されている

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posted by 老鶯 at 08:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2019年07月08日

姓と名の由来(世界と日本の相違)


姓と名の由来(世界と日本の相違)


「姓(名字)」を表す英語はいくつかあります。

last name
surname
family name
maiden name:結婚する前の女性の「旧姓」のこと

私はパトリック・ハーランという名前ですが、ハーランというのは、「川の渡り」。だから、ぼくは「パトリック・オブ・ザ・渡り」なんです。ハーラン(川の渡り)に住んでいるパトリックということです

姓名というとき姓と名は相当に違うものである

姓というとき

血統

地域(村)

欧米では血統を重んじるから姓は地域とは関係ない、ジンギスハーンとなればその子孫ということで姓がつづく、日本でも姓は氏姓(屍ーかばね)でありそれは姓(かばね)は死者のことであり父親から姓を受け継ぐ一族に属するとなる

アラブ人に代表されるイスラム教徒は姓を持たず、「名+父の名+祖父の名…」のように父祖代々の名を繋げて名とします。 

スラブ民族の名前の多くは「名+ミドルネーム+姓」で構成され、ミドルネームは通常、父称です。ロシア語では、名をイーミャ(Имя;Imya)、父称をオーチェストヴァ(Отчество;Otchestvo)、姓をファミーリヤ(Фамилия;Familiya)と呼びます

欧米であれイスラムとなると姓はこのように血統である、父方の姓と母方の姓がまじることもある

姓は血統とするとき原始社会になればトーテムである、犬族とか猿族とかいろいろあり
眷属となる、そのトーテムに属するものとしてアイディンティティがあり属することになる
姓にはそういう帰属関係とか所属関係を示している
例えば現代なら会社名が先に名乗られる、大企業の場合は特にそうである
東芝だとか三菱とか日立とか名乗ればそれで一目を置かれる
つまり姓はもともと官位とも関係していたり特別なものとして上から地位あるものから授けられるものとしてあった、

秀吉の正式名は藤原朝臣(あそん)秀吉です関白になるには藤原氏でなくてはいけません

苗字帯刀でも殿様から姓が農民に与えられて武士の格に引き上げられる
だから姓は名前とは性格が違っている

ただでは中国の姓が先に姓が来るのはなぜなのか?

それは中国では家族がそこから派生した一族が強固の紐帯をもっている、今でも政府を信じないときそうである、一族意識が強いのである、するとその一族を現すものとして姓がありそれで団結する

つまり姓が先に来るとか名前があとにくるとかではなく姓と名は別なのである
姓が後ろにきても姓は姓である、名前とは違った性格のものである
だから名前を先にする、ファーストネームとしてもそれは名前である
後にしても名前である、その後先ではなく姓と名前は区別すべきである
ただ名前はその人個人の個性だとなる、姓はその人個人ではない、血統とか一族とかで繋がるものである
だから欧米だと中東でもイスラム系統だと同じ姓になりやすい、名前は違っても姓は少ない、それは宗教も関係してそうなっている
同じ宗教であり同じ宗派として姓を区別する、それは所属する団体がありそれを示しているのである
それで日本だったら現代なら会社名が姓になっても不思議ではないのである

日本ではなぜこんなに姓が多様で多いのかとなるともともと無数の村が姓の基だったからである、つまりわたしはどこどこの村の出身ですということが姓だったのである
だから日本の姓は必ず地名としてある、…村としてある
でも欧米とか中東ではそうした村から発しているのではない、中国でもそうである
だからそれほど姓は多くない、日本は地縁社会であり血統社会ではないのである
村を共同体としてアイディンティティとしていたのである
そして日本国時代が同一民族として血統を同じくしている
民族同士が熾烈に欧米のように戦った歴史がないのである、日本の姓は無数にあるとしても同じ日本人であり姓は日本なのである
欧米とか中東は多様な民族の熾烈な争いであり血統が違う、だから姓は日本とならないし地域名とはならないのである 

パトリック・ハーランという名前ですが、ハーランというのは、「川の渡り」。だから、ぼくは「パトリック・オブ・ザ・渡り」なんです。ハーラン(川の渡り)に住んでいるパトリックということです。

先に血統の姓がきて土地の名がくる、日本だと先に地名が来て後に姓が来るとなる
ハーラン(川の渡り)が姓となる、渡部とかは渡るから来ているからだ、何か輸送する人たちの姓だった

日本がこうして地縁社会であるとき地縁から脱っすることが困難になる
無数の村があってそれらを統一するには強力な指導者が必要になる
今でも無数の姓があるのはそうして地域の村が依然として日本には残っているともなる
でも村社会が希薄になるとき会社名がアイディンティティになり実質姓ともなる
何か姓を名乗っても聞いても現代ではぴんとこない、別に姓を名乗ってもその姓に所属するとは見えない、過去にあったというだけである
姓は形骸化しているのである、それはそういう社会が喪失したからだとなる
家の重みもなくなって核家族とかなったりすればむしろどこの会社に属しているかの方がアイディンティティとなるからだ 

姓では不思議なのはこの辺では岩松氏が鎌倉から移り相馬藩地域の最初の支配者になったところが鎌倉から従ってきた家臣に子供まで皆殺しにされたのである
そのことは今でも伝えられる、それで相馬藩領内に岩松という姓はないのである
それが歴史を語っているのである、ただ現代では外から入る人が多いから姓から何か歴史をたどることがむずかしいのである
なぜ相馬藩内に荒姓が多いのかそれを尋ねる人がいる
それはツノガノアラシトととうい製鉄関係の技術をもたらし渡来人に由来がある
ツノガノアラシトのアラが荒になったとなる
それは韓国の伽耶国から来た人たちでありその一族の系統だとなる

李氏朝鮮とは李氏一族の朝鮮であり相馬氏一族の相馬市とにているのである

1392年に高麗の武将李成桂太祖(女真族ともいわれる[1])が恭譲王を廃して、自ら高麗王に即位したことで成立した。李成桂は翌1393年中国から権知朝鮮国事(朝鮮王代理、実質的な朝鮮王の意味)に封ぜられた。朝鮮という国号は李成桂が明の皇帝朱元璋から下賜されたものであり、明から正式に朝鮮国王として冊封を受けたのは太宗の治世の1401年であった

李という姓があり一族がありそれに属したものがあり国とまでなっている
だから朝鮮は中国なのかともなってしまうのである

そして日本の天皇には姓がない!

それはなぜなのか?つまり姓とは何か一族に所属することである、李氏朝鮮がまさにそうである
天皇に姓があれば特定の氏族に所属することになる、そうなればある一族が日本の支配者だとなる
でも姓がなければどこの氏にも所属しないから日本の王だとなる
ただ姓がない王様は世界にはないだろう、必ずヨ−ロッパでも誰かが大きな一族が支配者となる
だから姓がないということありえないのだ

いづれにしろ何でも言葉でも常にその背景となるものが実質が失われると言葉も廃れる、戦前の言葉が国体とか天皇でも一体化していた言葉は失われた、通じないのである、それはその実体となるものが失われたからである
でも人間社会でも人間そのものの本質は変わりない、それで(無常)という言葉は今でも活きている、人間が老いて死ぬのも無常であり人間社会がこの辺でも津波だとか原発事故で急激に変化したように(無常)を身に染みて感じたのである
だから無常の世界は変わらないから言葉も活きつづけている
でも死語となる言葉が多いという時社会が変わってそれが通用しなくなってしまうからである

確かに会社名が現代にふさわしいとしても会社自体が盛衰があり現代はそれが激しい
銀行すらなくなるというときもそうである、そうすると会社名にしてもそれは永続しないともなる、それは何か無数の姓がその実体を失ったと同じになる
原発に屋号があり屋号は会社名だった、私の家は元は酒屋であり屋号があった、屋号は山村でもある
私の家は酒屋の暖簾分けした屋号だった、大きな会社から支社とも言える
そして姓より屋号でその家の人が呼ばれるのは生活の実態が屋号の方にあったからである
姓には生活の実態は消失しているのが多かったからである
とにかく権力とか権威とかも常に変わる、徳川といえば日本を支配するものとして300百年あったが今ではない、徳川というと何か珍しいともなるのも不思議である

とにかく名前は個人そのものである、だからファーストネームで話すときは姓のことが眼中にない、その個人を相手にしているとなる
でも姓を語ればそれは長い歴史を背景にしているとなる、それは必ず外国でも日本でも歴史なのである
姓は受け継がれるからである、ただ名前にしても相馬氏だと胤(たね)という字を必ず入れているから受け継がれている 
そして相馬氏というとき相馬氏一族によってし支配された国だとなる
それは明らかに歴史なのである

ただ日本だと最近は外国性とか名前とか混血したりしてでてきた
でもヨ−ロッパとかと違って単一民族であり姓が多いとしてもやはり日本人だとなる
なぜスリランカでフェルルナンドとい人がいるのか、そのフェルナンドはポルトガル人の王様の姓なのである、それは大航海時代にポルトガル人が一部支配してその姓となった
そういうことは外国では多い、人種が入り混じっているからである
だからフェルナンドの姓は多いのである、フェルナンドの王様の臣下ともなる

ポルトガル語よりもイタリア語のほうがスペイン語に近く、スペイン語ネイティブでなくても理解できやすいと思います
関西弁の人と秋田弁の人が会社の会議の話し合いや討論などはできますが、スペイン語とポルトガル語では無理です。
似てるとは言え、やはり違う言語です
メキシカンの友人とポルトガル人の友人がいますが、彼らはお互いが放す時には英語を使っています 


ポルトガル語はスペイン語やイタリア語などと同様、ローマのあったラティウム地方(Latium)で話されていたラテン語に由来する言語です。

ラテン語は、ご存知の通りローマ帝国の領土拡張に伴い、欧州全域に普及しました。現在のポルトガルとスペインがあるイベリア半島にラテン語が到達したのは、紀元前3〜2世紀のことでした

文法的には、ポルトガル語は古ラテン語を基礎としています。この点で、より新しいラテン語を基礎としたイタリアやガリア(現在のフランスとスペインのある地域)とは異なるのです。


ポルトガル語よりもイタリア語のほうがスペイン語に近く....とあるのはそのためである
ポルトガルはそれだけ古い土地だともなる、ラテン語の古語を基にしている、それは不思議に沖縄と青森に日本の古語が残っているのと似ている、辺境に古いものが残る

津軽弁に「てぎ」→「面倒」の意→「大儀」(漢語の転)

   沖縄の方言

ラテン語の古語がポルトガルに残っているということはこれとにている、何かヨ−ロッパの歴史でも日本の歴史と共通性があるとわかりやすくなるのである、ただ今はどこでもブラジルでも英語で話ししている、コミ二ケーションしているというときやはり底辺労働者でも英語を学べというときそういう人たちが英語を話しているからだとなる
ともかく名前一つからも地名一つからも歴史をたどると興味深いとなる
ただ外国で日本の姓を名乗っている人はいない!
それだけ日本は国際的に孤立していたとなる、国際性がそもそもない歴史だったのである









2019年07月07日

日本の高齢化、世界の高齢化で戦争ができない (中国も韓国も高齢化になっている)


日本の高齢化、世界の高齢化で戦争ができない

(中国も韓国も高齢化になっている)

この高齢化は20歳代の隊員が大幅に減ったことが主因である。さりとて、わが国は社会全体で少子化である。若年層は産業界にとっても労働力として貴重であり、自衛隊員だけ若年層を増やすわけにもいかない


平均年齢は31.8歳から35.9歳に上がった。現在士の充足率は73.7%で、頭でっかちの年齢・階級構成になっているのだ。
このままいけば、前線兵士が少ないのに指揮官は多いといういびつな構造がさらに強まりそうだ


高齢化いうとき日本だけではない、中国の高齢化がより深刻になる、数が多いからだ
自衛隊の高齢化もある、若い人が入隊しない、日本も戦争の終わりころは戦地に送る兵隊がいなくなり40才くらいの人まで招集されたのである
それで相馬市の40歳の人が戦地で戦った
そこで子供がかわいそうだとして恵んだとかいうのはその人も子供をもつ親だったからである
一方で18歳くらいの人が志願兵にもなった、そこで人を殺すことを強いられたがそのことは言わなかった

戦争はどうしても過酷すぎるから若い人でしかとても勤まらない、最も体力が充実しているのは20代までである、30過ぎる相当に体力が失われる
戦争をできるのは20代までの人口が多いというときできる
日本ではこうみると戦争などできなくなっている
40でおっさんとか言われ体力がなくなって力仕事がきついという人がいるからだ
それは中国でも同じなのである

指揮官が多くて兵士が少ない

これも歪になる、若い兵士が多い方が戦争にはいいのである、それは日本の会社でも起きている
若い世代の社員が少なく役職をもった人たちが多いのである、その人たちは給料が高いからかえって負担になっている
JRでも50代以上が多いとかそれはどこでもそうなっている
それで若い外国人労働者が会社に入ってきたとき活気でてきたなとなるのはそのためである
これは世界的高齢化であり日本の高齢化が一番早いのである

今の時代はもう戦争はできなくなっているように思う
ただなぜ第二次世界大戦ということが起きたのか?
それは世界的なものとして発生した
その発端はドイツだった、ナチスが興隆してヨ−ロッパが争うようになりイギリスとドイツが争いそこにアメリカが加担してきた
そしてドイツを見て日本が同盟を結んでアメリカと戦った
その時ドイツは大きく見えたのである、アメリカが大きく見えなかったともなる
その時の時代感覚は今からではわからないからである
ドイツをみて同盟してアメリカと戦って失敗したとされる

白人が確かにアフリカ人を奴隷にした、アジアを植民地にした、南アフリカに強盗団のようなスペイン人が侵略してマヤとかインカはあっけなく滅びた
その前にアメリカのインディアンが白人に掃討されて多数が死んだ
つまり白人の世界への膨張がこうした悲劇を生んだ
その欧米の世界進出にアジアで抵抗したのは日本だったとはなる

ではこれから同じようにカルマとして世界大戦が起きるのか?
米中で戦争が起きるのか?
これは冷戦となって引き分けとなる、それがソビエトとアメリカの冷戦で証明された
ただ小国はベトナムのように犠牲になった
イラクでもそうである、その後中国が台頭してきたときまた冷戦になる
でも戦争にはならない、戦争ができない状態に世界はなっている?
ソビエトでも核兵器で対抗した、もし本当に核の戦争になったら共倒れであり人類滅亡にもなる
すると戦争は互いに威嚇しあう動物でも縄張り争いで威嚇しあう、でもそれが死ぬまでの争いには発展しない、できないのである

ともかく第二次世界大戦のような大規模な戦争は起こしにくい、明らかに第三次世界大戦になったら人類滅亡だということはわかっているからである
すると相互に牽制するようになる、直接の衝突はできるだけ避けるようになる
そこでなんとかバランスが保たれる
ただ大国の回りは中国の周辺国のチベットとかウィグル族とかは併合される
だから日本はそうした小国にならない、もちろん大国にはなれないがそれなりの規模の国として侵略されない国にになる必要があるとは言える

奇妙だけど高齢化が国際関係に影響してくる?
そういうことを考えなかった、でも一番これから高齢化になるのは中国なのである
そうなると戦争でもしにくくなる、高齢化が戦争の歯止になるのも奇妙だとなる
それはクルマ社会でも高齢化になると運転できないとかなり別な交通を望む人が増えてきてクルマが減退する社会になる

血の気の多い若い世代が多ければどうしても戦争でもイスラム国に参加するような日本人までいたようになる
高齢化した社会は国は戦争はしにくいのである
アメリカが日本から撤退しても中国が攻めてくるのか?脅威となるのか?
それが疑問になる、韓国でも日本より高齢化している
高齢化社会になると無茶なことはしにくいのである
高齢化が戦争のブレーキになるというのも奇妙だけどそれだけ高齢化というのは世界的な問題になっている
要するに人類はペストとか細菌で大量に死んだ、そこで人口が調節された
戦争でも死んで人口が調節されたということもある
でもそれがなくなるときと人口が増えるとまた様々な問題が生まれる

高齢化社会というとき深夜に外国人労働者が働いている現場で老人が働いているという
長生きするから先が心配で働いているという
そういう姿を若い外国人が見てどう思うのか?かわいそうだとなる
そういう若い人が激減している日本で戦争だって起こせるのか?
戦争になったら若い人が激減して働く人がいなくなるのである
それは原発事故の避難地域に起きている
若い世代が流出して働く人がいない、介護士もいないから青森に送られている
農業するにも復興するにも若い世代が流出したら復興もできないのである

少子高齢化は中国でも韓国でも日本でも深刻になってくるし日本ではすでになっている
老人大国で戦争はできない、世界でも高齢化するとき戦争できるだろうか?
何か戦争の時代は終わったのではないか?小規模の戦争はあっても第二次世界大戦のようなことが起きるだろうか?
むしろ人類は老人ばかりふえてエネルギーがなくな衰退してゆく
その結果として人口もこれからまだ増えるにしても減ってゆく
人口が産業革命で一世紀の間に爆発的に増えたからである
これは異常であり反動がありこれから人口が減らなければ地球が悲鳴をあげる
ただ人口が増えるという時高齢化で老人が増えるのである
高齢化というということはそれだけ様々に世界的にも影響するのである
人類は縄文時代なら30歳が寿命だったとか若くして死んでいた
それが世界的に寿命が延びることは今まで人類が経験していないことなのである

それで建築現場で働いてる40歳代の人が青森の施設に入れた親がいた、施設に入れたから終わりではなくその他にかかる費用があり困っているという
それに母親は70近くであり腰が悪いとかなんとか体がまともではない
それが介護になったらどうなるのか?
金もないし誰が世話するのか?生活保護も受けられない状態にある
高齢化で介護が大きな問題となる、もう老人は捨てられるかもしれない
それだけの人も金もないからである
団塊の世代が75歳以上になったとき危機がくる
もう世話できないと捨てられる、そんなときとても戦争はできない
ただナチスは戦争するために障害者を始末した
もし戦争になったら老人は邪魔だとかなり始末されるかもしれない
だから中国でも韓国でも高齢化であり戦争できるのかとなる

posted by 老鶯 at 14:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 福祉医療−老人問題

2019年07月06日

半導体で韓国との対立激化の深層 (韓国にリーズンがあるのか?)


半導体で韓国との対立激化の深層

(韓国にリーズンがあるのか?)

韓国となぜ日本をこれほどせめてくるのか?国際法的には戦争のことは解決したとされるそういうこととは関係なく執拗に謝罪を要求して日本から賠償金を得ようとしている
何を目的でそうしているのか?金なのかとなる
日本は攻めやすいから攻めてくる、日本に謝罪させることで頭を下げさせて優越感にひたるためなのか?
戦争という力の争いの前にリーズンの言葉の争いがあると林秀彦を外国経験から言う
日本にはリーズンがない、リーズンを理屈を言う人が嫌われる

智(ち)に働けば角が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈(きゅうくつ)

これが日本人である、何か対立をさける、狭い村とかの中で何千年とたきいして争いもなく暮らしてきた、世界史では民族と民族が争い根絶やしにされるか、奴隷にされる熾烈な歴史である、そこで言葉も武器でありリーズンにこだわる
物を買うのでもリーゾナブルだとして納得する、ただなぜ安いのか高いのかと問いつめないのである、外国人旅行者は白人は無駄な金を払わない、リーゾナブルでないと払わないのである

そして日本人はなぜなのか、リーズンを追求しない民族だ林秀彦は言う
question→quest→requestになる、questは追求するという意味である
欧米人はquestionからquest(追及する)ということが非常に強い民族である
だからこそ科学が進歩した、そこでは常になぜなのか?という問いがあり科学が進歩するからだ
日本人にはこのなぜなのかという問いがない、考えない民族だとしている
それは原発事故でもこれだけの大被害があったのになぜこんな大事故になったのか?
なぜなのかということを追求しない、私は追求してきた
ただ科学的なことがわからないから追求しにくかった

なぜ戦争になったのか?

なぜ敗北に至ったのか?

誰に責任があるのか?

なぜ原発事故は起きたのか?

誰に責任があるのか?

そういうことが原発でも明確にされていないのである、そして誰も戦争と同じように責任をとらないのである、なぜならなぜそうなったのかそれを追及しないからである
事の成り行きだともなる、自然に起こった、自然の災害だったとかなり誰も責任をとらないのである、それは人間の責任ではなく自然の責任だとしたら人間に責任はないとなるからだ、ただ原発事故は確実に人間の責任があった、でもそれも追求されないのである
結局戦争と同じくみんなに責任がありみんなに責任がないとなってしまっている
それはリーズンを追及しない民族だからと林秀彦は言っている

だから韓国がなぜ日本にそれほど請求するのか、謝罪を要求しつづけるのか
そこにリーゾナブルなものがあるのか?
ただ自分自身もそうしたリーゾナブルを追求できない、勉強していなからだ
でも韓国でも日本でもリーゾナブルを無視するようになり力の衝突になるとき危険になるまだリーズンでの争いなら死者は出ないからである
リーズンで解決しないとなると戦争になる、力のみが正義となってしまうからである

たいがいいくら戦争でも時効になっているともなる、戦争のことを言うときりがなくなるそれは日本自体も戦争の被害者にもなっているからだ、原爆がそうである
戦争はみんな被害者になる、日本が加害者というだけではない朝鮮戦争ではアメリカが加害者だとなる、でも韓国は中国とかアメリカには何も言わない、怖くて言えないのである日本だと弱体化したから言えるのである

韓国との関係で複雑なの在日である、この人たちは日本に属しているのか、日本人なのか韓国人なのか?それが明確でない、ただ日本の支配層に食い込んでいるからやっかいである、NHKでもマスコミでも在日の勢力があり支配されていると言われる
在日とは韓国の代弁者であり韓国なのか?でも韓国に還るのが筋だとしても韓国では在日を受け入れていないのである
だから在日とは何なのか戦後70年で明確化して清算が迫られているともなる

そして日本の危機はやはりまた朝鮮半島から起きてくるともなる
そこはアジアの火薬庫になっているからだ
中国がアメリカと対等となりその力もアメリカを上回るとどうなるのか?
中国は韓国と一体化して日本に迫ってくる
その時どうなるのか?モンゴルが攻めてきたとき同じような状態になる
その時アメリカもう弱体化して撤退している
その時日本はどうするのか?そういう危機が迫っている
日本は地政学的に孤立しやすいからである、海に囲まれて守られていた同時にそれが逆に孤立しやすい文明と文化を作ってきたからである
アメリカは離れすぎているから頼りにならない、また離れすぎていて相互の交流がなく戦争になった

中国と韓国はつかず離れずの距離でありむずかしい関係にあった
とにかくアメリカが日本から撤退する時どうなるのか?
北朝鮮と韓国はその時統一する、なぜなら中国がかかわりそうなる
アメリカが日本から撤退すれば必然的にそうなる
そして日本は孤立して共同する国もないのである
今度は中国の属国ともなる、つまり朝鮮半島の関係は必ず中国が背後にあって中国との関係ともなる
それは古代からそうだったのである、百済の興亡がそうだった
韓国は古代から統一されていない、分離した国だった、それは大陸につづいているからそれで統一が保てないのである、大陸から異民族が押し寄せて蹂躙されるからである

いづれにしろ韓国がやっかいなのは中国であれロシアであれアメリカでもかかわってきた大国の対立の場になっていたことである
朝鮮半島はそうした大国の圧力の中で引き裂かれた国になった
それが日本でも小国化すると大国によって中国とかロシアによって分断されることもありうる、戦争に負けたとき日本国土が分断される危機があったからである

だから国際政治で日本の危機がまた迫っているのかもしれない、日本には戦後平和を享受してそういう危機感は喪失した、日本人の一体感すらなくなった
ただあくことなく利を求める民族になった、猛烈な企業戦士となったのもそのためであるそれが戦争に負けたものとしてアメリカに対抗するものとしてそうなった
日本の国威高揚するものは経済でありそれしかなくなったのである
そうなった民族が戦前のように全国民一体となれるのか?
天皇でも戦後の天皇は平和の象徴でもあった

そして何か話題なる時、平成天皇なら美智子妃との恋愛とか結婚だったのである
テニスの天皇だったのである、天皇から日本の威厳など何も感じなくなったのである
それは戦争に負けた結果としてそうなったのである
でも天皇は日本の国の歴史と威厳をもつものでありそういう私的な身分ではない、公のものである、ただそもそも戦後は日本の公(おおやけ)は喪失した
ただ利を得ることしかない、官僚でも政治団体でも会社でもカルト宗教団体でもすべて利を求めて画策しているだけなのである

はたしてそういう国が独立して日本の威厳を示せるのか?
国民も金と享楽しか求めていない、惰弱の民となったのである
そんな国民がとても戦争に耐えられないだろう、戦う意志もなくなっている
だから「日本は奴隷になった」と林秀彦が痛烈に日本をこきおろしたのである

ただ今回は日本も具体的に抵抗の意志を韓国に示した、これは結構大きな決断だった
実際会社の経営にも影響するし国民にも影響するかもしれない
日本の尊厳を保つために韓国に日本の意志を示したから今までにないとを決断したとなる日本は戦後70年過ぎてようやく独立国家として再び立つときが来たとなる
でもそういう覚悟が惰弱化して日本国民にあるかとなるとない
今回の決断はそういう惰弱な日本から独立国家としての威厳を保つ方向に舵をとったともなる、でも国民にはそういう意志は覚悟はまだないのである 
だから一気に日本が他国に蹂躙されてしまうかもしれない、その発端になるのが朝鮮半島なのである


posted by 老鶯 at 19:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

日本人の精神は日本語に継続されていた (戦前にあった日本の美徳がすべて否定されたことの問題)


日本人の精神は日本語に継続されていた

(戦前にあった日本の美徳がすべて否定されことの問題)

お得意さんというときそれは今でもあるし京都だと一元さんはお断りとかある
お得意さんという言葉がなくなる時そういう社会もなくなっている
私の家では店をしていたからお得意さんとかあって良く子供の時配達させられた
その頃御用聞きとかは江戸時代からあった、親しく長く出入りしている商人とかでも職人でもそうである
そういうことは狭い範囲で生活しているときそうなった
いつもなじみの人である、何かそういうことが基本にあった
それは交通が発達しないから狭い範囲が生活していたからである
向こう三軒両隣とかもそうである、日本では世間というとき何なのか?
それは村とか狭い範囲なのである、それでそういう所で生活する基本は争わないことなのである、争いがあるといつも同じ場所に生活するから困るのである

自分も隣の市の人と争って縁を切った、でも実際はその近くに用があって行っている
すると会ったら嫌だなとなるが一応離れているからまだいいとなる
それが村のような所だったら喧嘩してもいつも会っているのだから困るとなる
日本人の人間関係はこうして狭い場所で作られてきた
それは国自体がそうだった、日本人は異民族に攻められ征服されたことがないのである
海に囲まれているから縄文時代から日本は日本人同士で大きな争いを経験せず何千年も生きてきたとなる
それで勝海舟と西郷隆盛が会見したとき「日本人同士だからわかる」となり江戸は無血開城されたのである、日本人ならわかる、通じるということは日本人は民族の争いがなかったことである、大陸では様々な民族同士の興亡がありそれはヨ−ロッパでも中国でも同じである、そこで負ければ奴隷にされたのである
日本語はそういう場で作られてきたから外国語とは異質だとされる
それで林秀彦の日本語論は外国で長く暮らしていたから説得力がある

とにかく戦前にあった日本の言葉が今になると理解できない、消えている
それは国家と一体となり結びついたものだから理解しにくくなる
戦争中に使われた言葉がそうである、戦争後はそうした戦争自体が否定されたからその言葉も死語となったのである、その言葉には日本人が長年伝えたものがあったということを林秀彦は経験から指摘している
でも彼がその日本語を体験したのは小学生の時でありそれでもそれだけその言葉が精神と一体化していたのである、だから戦前で子供の時育ったとしても戦後に育ったものとは大きな差がある、断絶がある
つまりなぜ戦前の言葉が理解できないのか?
そういう日本社会が喪失して消えたからだとなる

そして天皇自体が日本国を背負っていた時代の喪失であった
天皇は日本の国体を背負う象徴だったのである
戦後はしきりに平和とかばかり強調されて天皇の位置づけが戦前でまるで違ったものになったからである

「教育勅語」

 朕惟(ちんこおも)フニ、我カ皇祖皇宗(こうそこうそう)國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠(こうえん)ニ徳(とく)ヲ樹(た)ツルコト深厚(しんこう)ナリ。 
 我カ臣民、克(よ)ク忠ニ克ク孝ニ、億兆心を一(いち)ニシテ世々(よよ)厥(そ)ノ美ヲ濟(な)セルハ此(こ)レ我カ國體(こくたい)ノ精華(せいか)ニシテ教育の淵源(えんげん)亦(また)實(じつ)ニ此(ここ)ニ存ス。

 Know ye,Our subjects:Our imperial Anecestors have founded Our Empire on a basisbroad and everlasting have deeply and firmly implanted virture

日本の歴史を背負い国体というとき日本の自然と一体化しての美と徳の顕現を示すものとして格調高く宣べられた
こういう言葉が天皇から出たという時、それは日本の歴史を受け継ぐ象徴として天皇があったからだとなる

ただここに英語でもその格調高さは表現されているが天皇というのは戦後否定されてきたのである
国体というときこれも今では死語になっているが日本の自然のことなのである
日本の徳と自然が合致したものとしてこの荘重な言葉が述べられたのである

それで依然として日本の自然は今もある

(そ)ノ美ヲ濟(な)セルハ此(こ)レ我カ國體(こくたい)ノ精華(せいか)ニシテ教育の淵源(えんげん)亦(また)實(じつ)ニ此(ここ)ニ存ス

天皇がなくても日本の自然はありその精華はあり実もある、富士山は今も美麗に聳えて日本の象徴としてある 

これは私が詩にしてきた木とか石とか岩のことでもある、つまり天皇というのは否定されたが日本の自然は残りそこに美と徳がありうる、石とは忍耐とかを示して木でも人間の徳と一致させる、日本語の真直(まなお)だとかなる

 The tree has being everlasting have deeply and firmly implanted virture deeply and firmly implanted virture

ただ天皇は否定されたのが戦後である、そして戦後に日本自体が歴史的に継続された国体の美と徳を失った、当然のその言葉も失ったのである
なぜなら戦後民主主義が導入されたとき一番頻繁に利用されたのが権利である、その権利とはもともと英語ではright(正義)であったが権利とは利を求める権である、権は権力なのである、日本人はrightをもとめているのではない、利をえるための権力を求めているだけなのである、権利は最初は権理と訳されていた、となるとリーズンがあるからこっちの方が訳として良かったのかとも思う

民主主義とはまさに日本国民全員がただひたすら利を求めることに変わったのである、他者を蹴落としても利を求める
それは政治でも社会全体でもそうである、教育でもそうである、戦後の教育は受験戦争であり他者を蹴落としても利をえるためにいい会社に入るとか官僚になって地位を得て楽な暮らしをするとしかないのである
そこに同胞という感覚すらなくなったのである、それはそういう言葉がなくなったことでもわかる
友垣とかあってもそういう言葉がひびかないのは社会自体にそういうものがなくなったからである
つまり民主主義は民利主義として訳した方が現実にあっているのである

だから戦後70年経てそうした日本の歴史とか失われた精神を回復することである、民主主義とかは日本に根付かなかった、そして戦前のことは戦争がありすべて否定的なものとして教育されたし国もなった
でも結果として日本から日本人がもっていた徳も美も喪失したのである
戦前を戦争があったとしても日本の歴史を継続したものがありそこにいいものがあった、それで教育勅語でもアメリカでは評価している、つまり民主主義というときそれはヨ−ロッパとかアメリカの価値観でありそれをすべて日本にあてはめることはできずに荒廃したのである
だから国風文化というとき江戸時代であり明治以降は違うとなるが戦前は国風文化として日本がありそれで日本語を歴史として継承されていたのである、だから戦前を戦争のためにすべて否定することは日本が日本でなくなることでありそれで日本語について日本人自身がたずねてその日本人のアイディンティティを再生するべきだとなる

いづれにしろお得意さんがなるなるということはそういう社会がなくなったということである
コンビニに十年間買いに行ってもお得意さんには決してならないしスーパーでも毎日通ってもお得意さんにはならない
多数の中の一人であり客としても認識されない、それでコンビニで100円のパンを間違ってポケットに入れて犯罪者にされた
そこでは決してお得意さんにはならないからである
コンビニに来るのはクルマで遠い所からよる人が多い、地元とはあまり関係ないからである
交通が発達した結果としてクルマ社会になりコンビニが生まれた、それはそういう社会になったときお得意さんときう言葉も消えたのである、ある言葉が社会で通用しなくなる時その実態となるものが社会から喪失したからである
だから戦争から戦争前にあった日本語が通じくなくなったのである



2019年07月05日

人生で一番後悔すること (タイミングが人生を決めるー時間は飛んでたちまち消える)


人生で一番後悔すること

(タイミングが人生を決めるー時間は飛んでたちまち消える)


人生で一番後悔することは何か?
それは卑近なことでも必ずタイミングを逃していることである
例えば婚活というのでいろいろプログで指導する女性がいる
でも本当に結婚とかどうして決まるのだろうか?
いろいろ双方に要望があるし完全な人などいない
そこで選択することは困難を極める

では何によって決まるのか?

それはタイミングだ

第一まず結婚しようとするとき最も大事なのは双方のタイミングなのである
それで婚期を逃すことが結婚するタイミングを逃すことが最大の問題なのである
それは自分自身のことでもあった

誰かを選ぶより会うタイミングである

何か結婚した夫婦を見ていると不釣り合いなものを見る
なぜこんな男が美人であり頭がいい女性と結婚しているのか?
その逆も普通にある

それはその二人があったタイミングにある

ある女性は近くに住んでいる男性が親が死んだことでかかわり結婚した
その家に一人になったからそこに通っているうちに結婚した
それも好き嫌いとかではなくそういう時に出会ったことで結婚になった
その人がどういう人かはあまり関係なかったかもしれない

第一人間の時間は限られている

その時を逃したら遂に何もできなくなる
老人なってもできると思ってもできない
なぜなら何か自分でも旅行しようとしてバッグを買ったり用意した
それから語学を勉強しようともした、でもできない、時間もないし頭もまわらない
語学を身につける時間が過ぎてしまったということなのだ

それはあらゆることに言える、恋愛であれ結婚であれ勉強であれそして最大に重要な求道すらそうだった
宗教とか信仰は老人になってやればいいとかないのである
若い時に求道しないものはもうできないのである
つくづくTime fly(flies)というけど本当にそうである、時間は飛んで消失してしまうのである

人間に与えられた時間が限られている→成すことも限られている

だから男女の出会いでも一番大事なのはタイミングなのである
相手がどうのこうのという前にそのタイミングが婚期を逃したらもう結婚もできないのである、特に婚期を逃すことを親が恐れるのは女性は劣化するのが早いからである

人間には結婚でもそんなに相手を吟味して選んでいる時間がないのである
その内に婚期を逃す、ただそれで離婚も多いのである
つまりじっくり選ぶ時間が人間に与えられていないからである

そして老人になり・・・しておけば良かったとなってみんな終わっているのである

何かをすべき時間がなくなってしまうのである
例え老人でも今は長生きだとしても第一頭が回らなくなる
それで老人はこれまで積み重ねた経験を活かすのである
遂には認知症になると昔のことを千回を語りつづけることになる
それが生きた証だったからである
もう何かを経験するタイミングは時間は失われたのである

だから本当に時間がタイミングだ人間を決める、人間の時間は限られている
たちまち飛んで消えるのである、そして二度と青春でも時間は戻ってこないのである
これが人間にとって一番厳粛なことだったと思う
人生は二度はないことである、時間などいくらでもある、またやり直せばいいとはならない、もうやり直すことは不可能である、ただ後は死があるだけである
だから人間の一生はほぼ30までで決まる
それで最初に20代でも就職とかでつまづき非正規とニートになると一生そうなってしまう、またカルトなどの宗教団体からぬけないと一生ぬけられないとかなる
30までに人生の方向が決まるのである
そしてやり直す時間はない、戻ってこないのである 


1 あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、 
2 また日や光や、月や星の暗くならない前に、雨の後にまた雲が帰らないうちに、そのようにせよ。(聖書ーコレへトの言葉)

この「なんの楽しみもない」というときそれは働きづめの人生を言っているのか?
老人になって何もするものがないという、そういう人の人生は何だったのか自問自答している人もいる
会社という場から離れたとき生きがいも喪失する
例えば村とかで村全体で生きていれば死ぬまでその一員でありそこがアイディンティティを築く場だからそこから離脱して死ぬことはないのである
死んでも今度は先祖となり春の田植えの時は山からおりてくるというふうに継続した生がある
そういう連続性が今の社会にはない、そこで老人は用ないものとされている、それは金があっても用ないものとされる

とにかく人間は老人になると馬鹿でも見えてくるものがある、人生とはこんなものだったのかと悟らせられるからである
永遠に時間は帰ってこない、何かを成すべき時間は失われたのである、そして死があるだけだとなる

2019年07月04日

なぜニーチェに魅了されるのか? (社会と別な世界をイメージしてそこに自らの理想の世界を作り上げたから))

なぜニーチェに魅了されるのか?

(社会と別な世界をイメージしてそこに自らの理想の世界を作り上げたから)

なぜニーチェに魅了されるのか?
この理由は深く現代の文明と関係している
現代文明とは混沌(カオス)である、東京でもそれは何なのか?
もう怪物でありその全体を知るものはない、原発でも複雑すぎて所長すら肝心なことを知らなかったし社長だからといって会社のすべてを熟知することは不可能なのである
人間もそこでは無数の部品になる、膨大なパーツの集合体が社会である
そこで仕事するとなるとただほんの一部品となるだけなのである
それでもそのことに意味があり価値があるとしてもどうしても何かの職につくこと自体一つの部品化するのである
人間はしょせんそんなものでしかない、要するに社会は複雑巨大化して一個人など摩天楼を見上げている大衆の一人にすぎないとなる

それで人間を大きくするときどうするのか?
現実社会にはありえない、何かの職につくときどんな職でも一部品と化す社会である
それで自ら巨大化するときどうするのか?
現実社会ではもうありえない、人間は無数の大衆の一人としてまぎれる
それは名もない個性もない群衆なのである
そこに個人が大きくなれるものはなにもない、それより政治なら数であり経済も数である文明社会は数が支配する、宗教でも数である、どれだけの数を集めるかでそれが巨大化して何ものかとして認識される
創価で700百万票とったとかなるとみんな注目して恐れる
それも前に書いたように幽霊会員が何百万人もいるのだ
ただ一応会員になっているが何にも活動もしていない、だから一票を入れないものさえあるからそういう人たちを回って一票いれてくれと頼み回るのが幹部の仕事だとなる
つまりこれと同じようなものである
膨大な大衆、幽霊会員の集合体が現代の文明社会である
民主主義自体が数であり数がすべてなのである
人間が実体のない幽霊と化しているのである

だからニーチェとかアウトサイダーはそういう文明社会から離脱する、それがヘンリーミラーとか上野霄里(しょうりしょうり)とかなる
ニーチェはその最たるものである、そしてなぜニーチェに魅了されるのか?
それは文明社会から離脱して別な一つの世界を作りあげてそこに自らを超人として配置したことにあった
なぜなら現代文明社会ではそうした統一体はありえない、無数の部品の集合体でありその全体をみれる人などいないからである

だから自らを巨大化して主人とするときそうした別な現実には存在しない一つの理想の世界を作りあげてそこで主人になるほかないのである
それはあくまでもイメージされた一つの世界で主人になることである
するとその中で超人であれ巨人としてふるまうことができる
何よりそこで不思議に言葉が活きてくるのである
第一文明社会ではもう商業語とか騒音語なのかロボット語なのか言葉がロゴスが通じなくなっているからだ、言葉が通じないということは事物と物と結びつかないことなのである
そういうことをピカートが「沈黙の世界」で書いた
そうして言葉がもう通じなくなったという時、ナチスが生まれたと分析している
ただヒットラーと叫ぶことでドイツが一体化した、それも仮りの異常な一体化でありファシズムとなったのである

東京辺りでももう実際の事物を言葉で表わせないのである
巨大なビルの谷間で人は存在する事物と遊離して乖離している
そこに本来の人間はありえようがないのである
つまり人間存在の危機なのである
相馬郷土史研究というときそれは一つの統一体として全体を見ようとする試みなのである
有機的につながる一つの統一体として見る、そこに個々も活きてくる
でもここでももう有機的つながりは失われている
それだけ地方でも田舎でも職業でもなんでも複雑化している、グロ−バル化もしている
だから昔の村のような帰属意識がなくなり原発事故が原因にしろ街自体が雲霧消散したともなる

そういうことからイメージの世界で一つの世界を作り上げた、そこにツアストラが王者としてふるまうことができる
言葉もそこならひびく、通じるとなる
現実に自分自身も自然と岩であれ石であれ木であれ山とかでも一体化してアイディンティティ化することを田舎で試みてきたのである
田舎ならまだ都会と違って自然の事物でも言葉と結びつくからである
まだ沈黙の世界があるから言葉も活きてくるとなる

岩の神殿
          
岩と岩
向き合いて
暗黙の裡に
契りを交わす
その信は
長く深く堅く
動かざるかな
夢疑うこと勿れ
木と木よ
岩と岩よ
隙もなく稠密に
堅固に積み重ねられて
神殿は形成されぬ
その神の意になる
荘厳な神殿は不壊なり
神が建てしゆえに・・
不埒なものは入れず
そこに花は咲き
まことの実は稔る

この私の詩のように事物と事物は結びつき言葉もそこで活きてくる、ロゴスとなる
常に自然にあれば岩とか木とかが事物として全面に出てくる
ビルとか車の洪水とかではない、自然の事物が顕現して言葉として表現できるのである
でも都会ではそれができない、事物と言葉は分離して乖離して言葉は死んだとなる
つまりニーチェがなぜ魅了されるのかというとき超人とかいろいろあっても根本的には文明社会は別な世界を作り上げたからである
それはダンテの地獄とか天国でもそうである
そういう文明社会とは別な世界をイメージで作り上げてそこで思想とか詩を展開したのである
何か自分の場合、石とか岩とか木とかが心にイメージされる、そういう自然の神殿の中にありアイディンティティ化しているのである

だからニーチェは超人ということに魅せられるとかそれで犯罪が起きるとか言われた
それはそのニーチェが作り出したのはあくまでも仮想の世界でのことであり現実に適応できるものではないのだ
一方批判したキリスト教はあくまでも社会に現実には反映して適応したものである
弱者の思想だとして批判したとしても2000年の歴史で現実を作ってきたのである
ただ現代文明社会が混沌化して迷路化してどこにアイディンティティを求めていいかもわからない、そこに明確に一つの別な世界を作り上げて超人を説くとそれがひびきやすいのである
その手法で魅了されるとなる、自分自身も実はそういう別な世界をイメージしてそこに安らぐとかなる、現実の文明社会を否定して拒否してそういう自分自身の理想の世界に天国を作る、そもそも天国と言っても現実の自然から人間が作り上げるほかないのである
ただ神との約束が厳粛にありそれは神の国へと導くものである
ただ神の国がいかなるものかはあくまでもイメージしたものであり見ることはできないのである、ただビジョンとして見える時確かにそれは天国でありえるとなる

正直ニーチェとかアウトサイダーを語ること至難になる、私自身はそこに岩とか木でも詩的なものとしてイメージした自然と一体化したアイディンティティ化したものがあるので魅了されるとなる、このニーチェにふれて危険なのは偶像化することである
自らが神としたのだから偶像なのである
偶像は自ら倒れざるを得ないのである、ただそれでも超越的なものを目指して自ら倒れた巨大な偶像だったとなる、現実社会を離脱して仮想の世界を作り上げてそこで偶像化して倒れたのである、それは自ら演出して自ら倒れたとなる

何か現代では現実と想像の世界が区別がつかくなるのである
三島由紀夫でもそれが自らの演出だったが社会の現実となったときそのギャップにとまどったのである
テレビでマスコミでも有名になったからその人はそうしたブラウン管とかの中の架空の存在にも見えたのである、だからテレビとかメデアというのは何か現実が仮想化するし仮想が現実するのである
テレビの有名なアナウンサーの現物を見たときも不思議な感覚になった
まずそもそもテレビに像が映ることも不思議でありそのこと自体現実なのか?
仮想なのか?そういう問いがうまれる、原始的な部落でテレビを見れば本当に不思議なものとなるからだ
そういう矛盾が生まれたのが現代文明のメデア環境である
それでやらせとか常態化してもそれが現実なのか架空の物のなのか見分けることができないのである
だから三島由紀夫の死とは何だったのか何か不可解なもの、ドラマだったのか現実だったのか今でも明確にできないのである

大分前の映画の「ネットワーク」でもそうである
あらゆるものがショーでありニュースもショーである
それは見世物として視聴率を稼ぐものとしてある
だから予言者役にアナウンサーがなった、それでヒットした
でもそれはあくまでもショーである、そして最後はテレビの中で殺された
それもショーであり視聴率を上げるためになんでもする
そして何がなのか現実なのか架空のかわからなくなる
テレビでもやらせがあるのはテレビという媒体がそうさせる
視聴率を稼ぐためにより過激なものをショーとして提供するからだ
テレビを見ている人はより刺激的なショーを期待しているからそうなる
だから本を読むのでも何か目的をもってみる、それがインタ−ネットだとキーワードを入れて目的のものを捜すということ知識の世界が広がる
それはショー見たいからではないからそうなるのである

インタ−ネットの問題はニーチェでも浅薄な批評にあふれる、言いたいことが言えるからそうなる
沈黙して語れとニーチェが言っているがもう成熟しなくてもネットだと語れる
そこでそうした浅薄なものが検索で無数にててくることで時間の無駄になっていることも問題なのである
そこに良質なものがあればそうはならない、何が価値あるのか判別できずインタ−ネットにあふれてしまっている
ただ学術論文などはそれなりのレベルを保つから参考になる
まずニーチェを語れる人自体が本当に極わずかだと思う
それだけ含蓄ある一つの世界を創出したからだともなる


2019年07月03日

夏の日(田舎の魅力は小径にある(詩)


夏の日(田舎の魅力は小径にある(詩)

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伸びて咲く遠くの山や立葵

我が家の庭に四十雀飛び入りてめずらしきかな心はずみぬ

故郷の小径に真昼の日のさして行く人なしも蝶のとまれる

夏日さし道しるべあり道の辻日立木まで三里半かな

歩くなれ道は遠しも昔なり道標ここに夏の日さしぬ 

ふるさとの小径を行けばひそけくも菖蒲の咲きて一日暮れにき

トオスミの息をひそめて羽の透き草むら深く眠りけるかな   

 

故郷の小径

ふるさとの小径を今日も一人も通らなかった
夏の真昼の日がさして斑の蝶が一羽とまっていた
その小径をぬけて田んぼが広がり
蛙が盛んに鳴きひびいた
道の辻に大正時代の道標があった
村と村は昔は遠かった
今は車で遠くへ遠くへと向かう
心も遠くへと常に向かっている
ふるさとの小径は今日も一人も通らなかった
夏の真昼に影なして小鳥が歌っていた
ひそやかに菖蒲が数本咲いていた
田舎の真昼は静まり返っている
ああ 騒ぎなき日のもどりぬ
草むらに気づかれずにトオスミがとまっている
ふるさとの小径は今日も一人も通らなかった
紫の文目がひっそりと咲いている
ここに車の音はひびかない
昔から人のみが通う道
小鳥が森にのどかに歌っている
乱されるものがなくその美声のひびく
里の家の土蔵は古り
夏の柳はしだれる
今日水無河原の水は流れて
竹に風はそよぎゆれて日は暮れぬ


田舎の魅力というときいろいろあるが小径が意外と魅力がある
いつも通る小径がそうである、あそこは隠されていて一日人が通らない、クルマも通らない
その道は自分一人が通っている道にもなる
そういう道が田舎にある、でもわからないのである
原町とか相馬市になるとそういう道はわからなくなる
そういう道はまずクルマを使っていたらわからない

でも昔は人が通った道であり村と村をつないだ道である
そもそも昔は歩くほかないから歩いた道だからである
だから道標があったが日立木に三里半とか書いてある
いろいろな方向が書いてある、やはり距離としての目安が必要だったのかとなる
今は距離など関係ない、車で一飛びとなるからである
こういう小径とかを行くのはマウテンバイクがいい、舗装されていないからである
今度の電動のマウテンバイクは自分にあった自転車だった
ロードは高いのを買ったけど全く使いなくて損した
ロードは若い人向きである、また老人でも乗っているが若い時から乗っていて慣れているからできる
普通はロードは老人に向いていない

とにかくあそこの小径は自然がある、今日はトンボが盛んにむれとんでいた
なぜあそこにそんなにトンボが群れてとんでいたのか?
荒地化したところでそうなったのか?でもその辺は田んぼは回復している
ほんの一部が荒地になっているだけである

なしょうぶ(花菖蒲) 

葉が菖蒲に似ていて花を咲かせるから。

あやめ(菖蒲) 

剣状の細い葉が縦に並んでいる様子が文目(あやめ)模様。花基部の網目模様からの説もあり。

かきつばた(杜若) 

かきつばたの色(青紫)を染み出させ布などに書き付けた、つまり衣の染料に使われたことから「書付花」と呼ばれていたのがなまったもの。

菖蒲は花が大きい葉も大きい、菖蒲(あやめ)花も小さく文目ともあてる、乾燥地に咲く、今日私が見たのは文目である
野生のものだからである、でもあそこの池は枯れたのか?ちいさい溜池だった
すぐ近くに大きな溜池があるからあそはなになのか?

あそこには小さな丘があり眺めがいい場がある、樅の木が立っている、でもそこに上る道は草に埋もれていた
だからあそこの道は誰も通らないのである
そういう道を通り静かな田舎で過ごす、そういうことは震災前からつづいていた
でも介護とか自分の病気とか津波とか原発事故でこの辺は騒々しくなったのである
それで前のような静かな日がもどってきたのかとなり安らいだのである