2020年11月28日

未来とは何なのか? (今していることが未来を作っている)


未来とは何なのか?

(今していることが未来を作っている)

willには何かをしたい達成したい作りたいとか強い意志を示している
未来への強い願望がある、だから単なる・・・になるとかの意味はない
日本語だと何かあいまいな言葉なのである
英語だったら必ず主語がありI will make my house とかなる
それは主語があって自分の家を作るということである

willは強い意志として家を建てることを目的としてある、そこに主語もありその主語となる人物が家を建てる目的がありその目的に向かって強い意志を働かせるということである日本語だと何か未来というとき未来は何か・・・だろうとなり未来は何もしなくても人間の意志を働かせなくても棚からぼた餅のように与えられる感覚になる

未来とは何かとなれば今していることが未来なのである、家を建てたいと思えば何かしらそのために資金を集めるとか計画して実行しない限り建たないのである
それをもし自作するとしたら土地を買うとかそこに地盤を作るとかしなければならなくなる、その時家が建つという未来が生れてくるのである
ただ何もしなければ未来は生れないのである

本一冊を読むにしてもそれはその時理解できなくても理解しようとしたその人の意志があり読書もできる、その意志がなければ本でも読まないからである
何か音楽でも楽器を覚えたいとしたらすでに楽器を買い楽器を練習しているだろう
何もしなかったら一つの楽器でも覚えることは不可能である
そこに未来はないとなる、だから今なにをしているのかが未来なのである

奇妙だけど引きこもりでも未来がある、何もしていないようでもその人の好きなことをしていればそれが未来に通じているのである
芸術とかを追及しているとかでもそうである、それは認められないにしろ引きこもりその人が今していることが未来なのである
未来とは今何をしているかなのである
未来があるとか未来がないという時、すでにその人が何かをしていて芸術でも何か萌芽があれば未来があるとなる
現実に私自身は俳句とか短歌を二十代からはじめたとしてもただ五七五とか言葉でも並べていただけなのである、でもそれをつづけいたら未来がありえたのである
今になるとそれなりのものを創作できるようになっているからだ

未来は何か何もしなくてもただ幸運のようにやってこない、今何をしているのかが未来なのである、未来とは今のことなのである
例えば今作られているものはすべて最初からあったわけではない、鉄道にしても道にしても作られたものなのである、建築物でもそうである
それを作ろうとした人がいてできたものでありそれが形となったのである

だから今を無視して未来はありえないのである、時間にしても今があるが過去とか未来の時間はないともなる、それが時間の不思議である
死ぬということは今の時間がなくなることなのである、何かをするということもできなくなるからである

要するに今という時間にしてきたことが積み重ねが知識でも技術でもなんでもその人を作るということである、ある人が楽器をうまくひけるな、絵をうまく描けるなとかいい文章を書くなとかでもそれは一朝一夕にはできない、相当な訓練と積み重ねが必要になる
この人はピアノがうまいなというときそこまでうまく弾けるのはそれだけの積み重ねがあったということである
今の積み重ねによって上達したとなる

例えばこの辺の津浪とか原発事故の復興でももう被害にあった人は十年過ぎても何もしない、ただ他の人が復興してくれるとかの意識になっている
あとは補償金をもっとよこせという運動することであるとかなる
個々に何か復興するということをしていない、土地があってもそこで畑を作り実りをもたらそうとすることもない、ただ荒地になっているだけである
そこに人間の意志(will)が働かないからである、だから未来がないともなる
未来が生まれないのである、未来とは人間の意志が作るものであり誰かが作ってくれるものでもないからである

この辺には未来がない

こういうときその人たちは今何もしない、何かわずかでも努力する試みもしない
もちろんその試みをしている人たちもいる、それは外から来た人たちでもある
そこに未来が生まれるとなる、花栽培しようとかなればそこに未来が生まれているのである
未来は棚からぼた餅のようにやってこない、未来を開くというときもそうである
拓くために力をそそがねばならない、道一つにしてもそれが何もしないでは生まれないのである

だから今何をしいるのか?毎日テレビばかりとか何か無駄なことに時間を費やしていると未来はないとなる、何か勉強するわけでもない、ただ馬鹿騒ぎを見ているだけだともなるからだ、やはり本を読んだ方がいいとなるのである
そして遂にその何かをする今の時間が消失するのが老人なのである
老人は何もできなくなる、ただ今までしたことを時間を費やしたことを表現するとなるだけである
その表現するにしてもただ無駄な時間を過ごしていたら表現することすらないとなる
今の時間に経験をしなかったら将来も老人になっても何も語るものもないとなってしまう時間はたちまち飛んでゆくからである、そして人生に何も残さず死んでゆくともなる

とにかく未来とは漠然としてどこからかやってくるわけでもない、今それぞれか何をしているかが未来なのである、だからこそwillは意志なのである
何かを達成しようとする作る意志なのである、その意志があって未来がありうる

結局時間は限られている、その限られている時間を必ず無駄にしているのが人間なのである、そのことを後悔するのは老人になって痛切にわかる
残された時間がわずかになり後は死ぬだけだとなるからだ、もう何かをする時間はなくなるのである、ただその人がしてきた結果があるだけである
老人に未来がないとはそのことなのである、子供や青年に未来があるというとき何かを今にする時間が豊富にあるということなのである
でもその時間が消失しやすいのである、そして時間は戻ってこない、人生の時間はたちまち切れてしまい死ぬだけだとなってしまうのである

また未来というのは方向でもある、右に行く道があり左に行く道がある
右と左では違った風景が開ける、でもそこで選択しなければならない
それは若い時に起きる、ある会社にとどまるかとどまらないかとか決めるのもそうであるもしその会社にとどまっていればそのまま悪い方向に行くかもしれない
ただ決断して別な道を行けば未来が開けるということもある
それは時間がたってみないと人生をふりかえってみないとわからない
あの時あんな会社やめて良かったとかふりかえるのである

例えば日本航空をハイジャックして北朝鮮に渡った赤軍とかの若者たちはそれからそこで暮らして二十代の子どもいる、
(よど号ハイジャック事件)そして何か北朝鮮のスパイのようなことをしていたのである、それで日本に帰りたいとなったのである、でもそこで方向が間違っても引き返すことができなかったのである、それが人生の怖さだとなる
間違ったからと何回も引き返すこともできないからだ
その人生は北朝鮮に向かった時決定していたのである
若い時に未来を決定したのである、若い時にはこうしてその人の方向が決まるから怖いのである、間違った道を行けばそのまま間違った道を行きもどれなくなるのである
若い時に未来は決定されたともなるのである



2020年11月27日

日本は緊急事態に対処できない国になった (医療崩壊は起きないー医者、看護師は十分にいる)


日本は緊急事態に対処できない国になった

(医療崩壊は起きないー医者、看護師は十分にいる)

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絶対報道できない真実※ 皆さん政府の嘘に気づいていますか?日本の対応はもはや中国以下です

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週間新潮12月3日



テレビを見ていると言われるのが医療崩壊する、もう限界だという医療関係の人たちの声である
でも素人的にみても重症者でも死者でも日本は百人以下とか少ないのである
そんな数もこなせない日本がの医療体制なのかと疑問になる
外国だと重症者でも死者でも十倍とか百倍とかにもなる、日本でそんな医療体制がないのか?
それが本当に素人的にみて思う
武田邦彦氏が指摘していることが本当だと素人でも思う

ではなぜ医療崩壊、医療崩壊と言っているのか?

それは医者でも看護師でもコロナウィルスにかかわりたくない、感染するのが嫌だからとなる
それで医者でも高額な給料を国民が払っているのだからこういうときこそ働くべきだとしている、医者はコロナウィルスで患者が来なくて暇なのだからそれができるのにしない
要するに自衛隊とか消防隊とかは戦争になったら真っ先に戦場に行き火事場に行きそこで命を落としても仕事するのが勤めだとなる
そのために国民が金を払っているのだ、だから国家の緊急事態にこそ命をかけて働いてもらわないと困るとなる
特に医者は高級取りなのだからその務めを果たすべきだとしている

おそらく日本という国はあまりにも平和が戦後70年もつづいたので国家の緊急事態に対処できなくなった、国家自体で困難に当たるという経験をしてこなかったからである
だから国家の緊急事態があっても国民が一体となって緊急事態に対処する、戦うということができなくつなった
だから日本はもう戦争があったりしたり中国が攻めてきたりしたら対処できないのではないか?
それを右の人たちが憂いるのもわかる、日本は国民が一体となるから強いと言われて来たでもそういうことは戦前までであり戦後はただ銘々が個々人が経済活動に集中して豊かになることが国家目標になったのである
それで高度成長時代があった、その時国家のことは考えない、ただ各自の利益であり金だけが価値となったのである、金になればいいしかなくなったのである

医者になる人ももともと金になるから医者になるとか家の跡を継ぐために高額な大学の授業料を親に払ってもらってなるとかそういう私的な利益として医者になる
そこに医者の使命感などない、どこでも第一は金だとなってしまったのである
職業倫理などなくなったのである

戦争のことは常に戦後は否定され続けてきた、だから戦争とは何か不明になった
でも私の姉はシンガポールの今のマレーシアのジョホールバルでで従軍看護婦として4年間必死になって働いた、それこたそ命がけだったのである
そこはまさに野戦病院であり医療道具すらもたりない極限の状態だったのである
チフスとかにもなり苦しんだ、第一傷病兵は看護するのだから並大抵のものではない
それはそこだけではない、戦争の時はどこでももう生きる死ぬかであり日本人が火の玉のようになって一体となり戦っていたのである

戦争を美化したりいいとは思えない、ただ国家の緊急事態になればやはり国家のために犠牲になっても務めるということが強いられる
それぞれの職業でもみんなそういうことが求められる、特に医療関係者は第一線に立たされる、それを否定してとにかく安全第一で身を守ることしかない
ただ給料だけは金だけは得るでは成り立たない
だから医者だけは今でも金だけで恵まれるのではない、特別尊敬もされているのである
あとは学校の先生とかいろいろ職業があっても尊敬などされない、第一議員すら尊敬されない、まず今の世の中で尊敬される人は医者くらいしかいないのである
それだけの地位もあり金も得てさらに尊敬される立場にある人が肝心な緊急事態に働かない、コロナウィルスとはかかわりたくない、伝染されたくないということでいいのか?

ただそういうことは日本社会全般に起きていることであり責めるということもできないのかもしれない、日本にはもう国家というのはなくなった
ただ個々人の私的利益の追求社会になった、別に医者になるのも崇高な目的などない
金になるからだとなっているからだ、だから当然命にかかわるとなるとコロナウィルスにはかかわりたくないとなった
それでただ医療崩壊医療崩壊と言っているだけだとなる
それよりコロナウィルスにかかわりたくないからそう言っているのだともなる
だから個々人は家で各自治療しろとまでなった
医者は肝心なとき安全地帯にいて何もしないということである

日本はもうこうなったら国家を守るとかはできない、なぜなら誰も国家のために死んだりするのが嫌だからである、ただ利益だけを追及するだけの社会だからである
国家があったとしてもそれは各自が個々人で利益を得るものとして国家があり国家のために犠牲になることなど常に否定されてきたからである
だから日本の国家自体物的なもの武器があるとかないだけではない、日本を守る精神が消失しているからもう守れないともなる
私自身は右でもないし左でもない、ただ国家の緊急事態になったら右も左もなくなる
国家総動員令のようなものが必要になりそれて国民が一致して戦うことが強いられる
そういう自覚が国民自体にも政府にもない、だから都市封鎖しろとかではない
それはと必要ないと武田邦彦氏も言っている
そのことではなくなぜ医療崩壊のみが声高に叫ばれるのかというのはおかしいのである
マスコミもこのことばかり医師会の拡声器のようにして放送するだけなのである

要するに日本は緊急事態に対処できない国家になったのである
それは原発事故でもそうだった、最初に頼ったのがアメリカだったのであれ、アメリカ人よ、助けてくれとスピーディの放射線量の結果を送ったのである
そして地元の人には避難指示もしない、どこに逃げるべきかも指示しないから浪江では一番危険な山側の津島に町長の命令で避難したのである

何かコロナウィルスでもこういうことが起きているのではないか?

政府の誤った指示が出されて国民は間違った方向に導かれる、それが医療崩壊、医療崩壊と騒いでいることになるのではないか?
それに追随するのがマスコミである、原発の安全神話に参加したのもマスコミだったからである、地元の新聞でも安全神話の加担者だったからである
それに地元住民も追随したからである
とにかく何か歴史は繰り返すカルマである、戦争のことは否定されつづけたけど同じようなことが国家にも起きてくる、これだけ次々にいろいろな災難が起きているのもそうであるだから戦争でも国家でもすべて否定するのは問題だとなる

国家を維持するために命がけで戦った人たちがいる、それをひべて否定することはできない、現実に今は国家のために犠牲になる人はいない、最前線に立つ医療関係者もいない
そうしたら極端になれば国家滅亡にもなる
だから歴史は常に現代を考える時ふりかえることが必要だった、それは津波でもそうだった、それを忘れる時人間はどう対処していいかもわからなくなる
ただ私益のみが優先されて国家が全体が崩壊するともなる

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従軍看護婦の姉と招集令状の電報


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無人駅でまだ利用の仕方がわからない人(老人)がいた (無人化で弱者は捨てられる)


無人駅でまだ利用の仕方がわからない人(老人)がいた

(無人化で弱者は捨てられる)

久しぶりで駅によった、昼間には弁当など必ず買うので駅に寄っていた
それで無人駅であり聞かれることがあり案内していた
その後いろいろあってしていなかった、仕事も終わったと思っていた

ただ今日老人が電光掲示板を見ていた、そしてノートにその時間を書いていた
時間を知りたかったらである、つまり時刻表がないからわざわざノートに書いていた
別な場所に一日の時刻表の掲示板があったが電光掲示板の方を見ていた
それで案内した、カメラがあれば写せばいいものだった

そして乗車証明書のあることも知らなかった
たいがいもう地元の人だったら知っているはずだからである
だから地元の人の案内は終ったと思っていたのである
それからコロナウィルスがあり話しにくい、外から来た人もなかなか話しにくいことがあり駅によることもなかった

鹿島駅は高校生の見守り役がいるとしても昼間はいないのである
ただ駅の業務をするなという約束で高校生の見守り役をしているのである
なぜそうなったのか、それは駅の業務をするとJRで金を払わざるを得なくなるからだとみている、それで前の自転車屋までにその高校生の見守り役に何も言うなと言ってきたという、それほど何か駅のことにかかわらせたくないのである
見守り役は特別そうしたのであり市の方で金を払ったりするから仕方なくそうしたのである

とにかく全国で無人駅はこれからも増えてゆく、第一東京とか大都会でも無人駅にしているからである
それで盲人の団体が抗議していた、やはり危険になるからそうなる
でも実際車椅子とか盲人のためにわざわざ隣の駅から呼び出されて案内するというのも手間だとは見ていた
嫌でもしょうがなくてしていたのだろう

ともかく鉄道は赤字路線が多く維持できなくなっているのだ
コロナウィルスも相当に影響した、その損害は大きなものだった、何百億の損失とかにもなった、人との行き来が制限されると交通関係は大打撃になったのである
これはバスとか航空会社でもそうである、
最近また感染者が増えたからまた乗客が減ってゆく

航空会社が鉄道と関係ないようでもしている、なぜなら仙台空港が名取にありそれを利用して大坂とかから来ている人が結構いたからである
仙台空港は直接に仙台駅と結びついているからである
このコロナウィルスの交通の影響が大きかった、ウィルスは人から伝染するから人の行き来することが一番のリスクとなったからである
それで江戸時代のような交通が発達しないと見ている時代でもコレラとかの感染はとめられず拡大したからである
だからこれだけ交通が発達した時代はかえってウィルスにとっては広まり安かったとなる便利なものがかえってウィルスには都合いいものだったとなる

だから何かグロ−バル経済とか交流とか交通が発達することがいいものに見えていた
でも物事には必ずいい面と悪い面がでてくる
グロ−バルに人、モノが自由に国境もなく出入りする、それが限界に来たともなる
そのマイナス面が出てきたのである,ウィルスにグロ−バル経済は弱かったということである、だから社会自体の見直しまで要求されるようになったのである

いづれにしろ前からも言っていたが時刻表がない、配られていないことが問題だった
おそらくその人は老人だからネットを見れないこかちそうなっていたのである
無人化すると老人はITに弱いからそうなる
IT弱者の問題が無人化ででてくるのである
ただコストの面でそうした弱者は切り捨てられるのである

人は経験からしか学べない (聖書でもいくら読んでもわからない-農業もわからない・・・)


人は経験からしか学べない

(聖書でもいくら読んでもわからない-農業もわからない・・・)

経験が人間を作るのであって知識とかではない、いくら知識があっても経験しないとわからない、それで失敗したのは海外旅行だった
50歳から海外旅行したので遅かった、それまで外国についての本は読んでいた
でも外国を知るには外国に実際に行ってみることである
百聞は一見にしかず...なのである
例えば日本に来た人が富士山はきれいだよと伝える時いくら伝えられてもわからないのである、写真を見てもわからない、百聞は一見にしかず・・になってしまうのである
だからこれほど海外旅行が盛んになった理由もわかる
いくらテレビで放送されても実感できないからである

経験しないとわからないことがこの世にいくらでもある、結婚していない人にとって結婚とは何かもわからない、子育てしない人でもそうである
そこに経験がないから理解できないのである
職業が違うとその職業が経験しないからわからないのである
医者の人を理解するにしても医者としての経験もないのだから理解しようがないのである患者としてみてもらうだけであり医者の人の気持ちとかその職業がどういうものか理解できないのである
農業でもそうである、農業がどれだけ大変な仕事なのかその仕事をしてみなければわからないのである、ただ農業をしていた人に経験した人に直接聞いたのでその苦労がある程度はわかった、でもこれも実際に農業してみて農業とはどういうものか知る   

こういうことは経験かしか詩にもできない、そこには語り尽くせない何かがある
それは経験者しかしらないものがあるからだ
スーパーでただジャガイモを買っていてはそれを生産する人のことなどわからない
だから食料が貴重なものだということもわからない
ただ安いか高いかうまいかうまくないかとかしか見ないからである
つまりそれを作っている人の気持ちは農業だけではない、何でもそうだとなる

それで山尾三省が東京暮らしから屋久島で極貧で農業をした、その経験を詩にしたりしたそこに農業をしている人は普通にいてもその経験が新鮮なものだったのである
何か畑に実りがある、そのことに深く感激して土地と自然と一体化する喜びを詩にした
まさにそれは経験して理解したのである
本当に自然と一体化するアイディンティティ化するには農業を実地にしてみないとわからないといことである、その時人間は自然と深くコミットして自然を理解するのである
その理解は経験から生まれたのであり経験しない限りわからないのである
つまり本当に大地とは何か自然とは何かを体で知ったとなる
ただ実際は相当な過酷なものであり妻は60前に死に本人も62才くらいで死んでいる
パンは贅沢だとなると普通の生活ではないからだ

じゃがいもを掘る
そのじゃがいもは
わたくしの最終の 悲しみと憤りであり
最終の共感と連帯である
祈りである
はだしの足を 土の中に突っ込んで
びろう葉帽子の下で一鍬一鍬 じゃがいもを掘る


経験という時奇妙なのは私がした無人駅のボランティアだった、たまたま無人駅となり人にわからないことを聞かれたから教えていたのである
それで駅長とかJRの人とかかわったのである
そしてわかったことは駅長とかは駅のことを知らない、現場を知らないということであった、そこにいつもいないからわからない
駅でわかったことは上りと下りのことが意外とわからないのである
だからそのことを良く聞かれた、それで跨線橋にその行く先を記すものを示した方がいいとJRの人に駅長に言ったらそういう表示をするものを作ってくれたのである

それが同じように線路をまたいで向かい側の待合室にも上りと下りの表示をしてくれたのである
都会だと必ずそれは何々行きとして表示してあるが田舎駅ではない場合があるのだ
それは久ノ浜で自分自身が下りて上りと下りがわからなくなった
表示するものがなかったからである、つまり意外と上りと下りがわからないのである
それで不安になる、久ノ浜では今でも誰も言わないので表示されていないのである

この現場とその現場にかかわらないことは東電のような巨体企業でも起きている
現場の電気関係者が千人とか働いていていろいろ現場のことを知っていたのである
技術者もいて配管が老朽化して危ないとか指摘して原発は危険だと警告していた
でも現場の人から言わせると何かを上の人に言えなかったという
なぜなら仕事をもらえなくなるからだと言っていた、決めるのは上の人であり現場の人ではないからである
こういうことは他にある、社長だからといって何でも知っているわけではない、かえって現場のことはわからない、駅長だから駅のことをすべて知っているわけではなかったのである、つまり社長でもすべてを経験できないからそうなっているのである

人間を作るのは経験である、例えば聖書でも隅から隅まで読んでもわからない、神学部に入ってもわからない、そして聖書は学問ではない、何か現実に起こったことを神の事績として記した書なのである、つまり経験されたことを記したのである
だから奇跡が多いという時それが現実に起きたことだからである
まず奇跡がなかったら聖書も成り立たない、つまり神が人間のことに関与して奇跡を起こした物語が聖書なのである、そして聖霊がくだらない限り理解不可能である
そのことによって全能の神がいることを理解するからである

こういうことは別に聖書だけではない、優れた作家とか何か指導者とかでもそうである
何か実地に経験したことから書いているから訴えるものがある
第一悲しむとしても本当に血の涙を流すような経験しないと悲しむということがどういうことかわからない
本当はキリストを理解するとしたら十字架で血の涙を流すほかないという厳しさが要求されるともなる
何か人生でも最も重要なことは経験しなければわからない
なぜ戦争のことがわからないものとなったのか?
それは戦争を経験していないからだとなる、戦争という異常なことはいくら聞いても理解できないのである、人を殺したり殺されたりすることが日常になる世界は理解できないのである

ただ正直人間の経験は極わずかである、職業にしても無数にあるとき経験しているのは極わずかである、すると相手のことが理解できないとなる
自分の場合は引きこもりのようになっていたから社会的経験がなく親の介護で塗炭の苦しみにあった、それは今のニートとか引きこもりが親が死んだ時自分と同じようになる
本当に誰も助けない、そて親子共倒れになる地獄になる
それはすでに予想されるものだったのである
ただこれも奇妙なのは引きこもり一つの経験だったということである
なぜなら社会から隔離して人と会わないという生活はまさに隠者の生活であり
禅僧のように寺に引きこもるとにていたのである
それは精神的修養であった、だから何であれ人間は経験なのである
引きこもりだってプラスに働くものがあるから人生のことは何がいいとか決められないのである

ただ結局人間は何かを理解するには経験しない限り理解できない
津浪でもこれも経験しないかぎりわからないものだった、それを経験した時その恐ろしさを知った、原発でも事故など起きないと安全神話を信じていた
それももろくも打ち砕かれて経験から知ったが時遅しとなっていたのである

つまり結局人間は経験からしか学べない、その経験を伝えるものが歴史なのだが津波に関しては何も伝えられなかった、相馬地域では700人溺死としか記されていなかった
その詳細は全く不明である、つまり誰もその経験した人が語り伝えられなかったのである歴史は簡単に言えば経験を人に語り伝えることなのである
何かしら人生で人は経験する、それを語り伝えることなのである
語り伝えるだけでは歴史は消失するから文書で残すということなったのである
津浪に関してその文書すら二行しか残されなかったのである
そうした経験が語られ伝えられていればこなん大被害にはならなかったのである
だからこの辺で起きた原発事故でも語り伝えなければそんなことなかったとまでなる
そして原発は安全だとまでまたなってしまうのである
やはり十年も過ぎると人間は十年一昔であり忘れやすいのである
何か地元でも関心がなくなるのである、今はコロナウィルス一色だから余計にそうなったのである


2020年11月26日

南朝亡ぶー霊山城を逃れる落武者―短歌十首


南朝亡ぶー霊山城を逃れる落武者―短歌十首

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野馬追いにでる南朝の天皇の菊の紋



一時の雄姿にあれや顕家の南朝亡ぶ朝散る桜かな    

霊山の巌黒々と夕暮れや桜のここに散るもあわれかな

霊山の滅びてその裔野馬追に出でて翻る旗印かな

南朝の裔の只野家かたわらに歴史を語り秋の蝉鳴く

古霊山の巌黒々と我が入りて落葉の深く踏みて帰りぬ 

霊山に人の入らぬ所あれ落葉の深く午後の陽さしぬ

南朝の滅びし跡を尋ぬれば何か残らむ草の花かな

風に舞う木の葉のあわれ霊山城逃れ落ちのぶ道をたどりぬ

一時に紅葉陽に映え美しき渓流の音下よりひびきぬ

雪厚く我が踏み上る山頂や学問岩のここに埋もれぬ  


今回は霊山まで行けなかった、大倉から通行止めになっていたからである
でも霊山には何度も行ったので回想して短歌を作った
古霊山というのが奥にある、そこはあまり人が入らない場所である
だから何か神秘的なのである、霊山城は十年で炎上して終わった
でもその前に天台宗の僧侶が多くこもっていたとかその歴史が良くわからない
南朝の城の前に寺があったとなる、それで学問岩とあるのはそこで僧侶が学問していたからだとなる
でもそれだけの人数を養える場所なのかとなるとありえないとなる  

霊山は阿武隈高地北部に位置する玄武岩の溶岩台地。伝えによれば、山寺は貞観年間に慈覚大師円仁が開山したという。天竺の霊鷲山に擬して霊山と名付け、山王の社を勧請した。
霊山は自然の要害をなし、山道と海道を扼する要衝の地。しかも顕家が入った頃、霊山寺には大規模な僧坊が組織されていた。延暦寺の末寺として僧兵も抱えており、顕家はその軍事力を頼みにたのじゃろう。

何か寺というと今の感覚では武力とは関係ないと見ているが僧兵もいてそこは一つの城として自立した自治をしていたのである、だから僧侶が武士になったという説がありそれもここでもあったのかとなる、とにかく要害の地だから城にするには適していたのである
そしてその前に寺があり城とするのにはさらに適していた
何もないところから城を作るのは容易ではないからだ

霊山城が滅びる時逃れてきたのが鹿島区の只野氏だったのである、その人は同級生であった、そして鹿島区には只野姓が五十人くらいいるのである
只野一族の町だともなる、その基は郡山の多田野村から発していたのである
ただ相馬市の方にも落ち延びた、そして野馬追に菊の旗が出るのは南朝の旗なのである
菊は天皇の旗印だからである

この霊山城が炎上して滅びたとき落ち延びたときに敵にわからないように扮装したのが
宝財踊りの起源なのである、それはこの辺では広く伝えられている
北海道に移住した人でも宝財踊りをその土地で伝えていたのである




2020年11月25日

大東銀行の危険 (SBI証券に狙われているーアメリカの覇権は終わり衰退する)


大東銀行の危険

(SBI証券に狙われているーアメリカの覇権は終わり衰退する)

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大東銀行もかなり危険である


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竹中平蔵とかこれらは仲間だとしている

オリ―ブの木


youtubeのオリーブの木という新しい政治団体の説明がわかりやすい、まず金融を理解するのは至難である
福島銀行がSBIに買収された、島根銀行もそうである
零細な地銀はもう経営が成り立たなくなっている、結果的にどうなっているかというと
そうした地銀でも外資のSBI証券に買収されて合併してその持っている金が使われという

それはすでに農林中金でもゆうちょでも危ないCLOとかのジャンク債とかに投資している
その巨額のマネーが消失するとも警告している
それは優良な投資先がなくなった結果としてそういう危険なものに投資する
それは巨額な年金でもそうなのである
それはまた国際金融資本の餌食にされているともしている
国際金融資本とは何か?ロックフェラーとロスチャイルドと言った大財閥だとしている

そして現代の経済の矛盾は労働所得と不労所得があり金融など利子を得る不労所得が倍以上に増大している、つまり金利とか株で稼ぐことが増大している
それで不可解なのはこれほどコロナウィルスとかで経済的に困窮している時なぜ株が上がっているのか?
それは景気がいいからではない、何かここに現代の資本主義の矛盾が現れているのだ
要するに弱肉強食の資本主義でありそれで国際金融資本家が莫大な富を得るとなる

こういうことができるのはアメリカという覇権国家があってできることである
覇権国家というときドルが基軸通貨であり石油でもドルでしか買えない、するとドルの価値が高くなる、ドルが世界中で欲しいとなる、それでエジプトの端でロバに乗った少年がワンド―ラーくれとなるのだ、それはアフリカの果てまでそうなっているのだ
それだけドルは世界で通用しているのである

でも今やアメリカの覇権は怪しくなってきた、大統領選挙でもそうである、アメリカは分断しているのである
第一数パーセントの人がアメリカの富の50パーセントを持っているというのも異常である、そんな国が一体感をもくのかとなるからだ
確かに奴隷はいないにしろ実質的に奴隷にされていると同じだからである

アメリカは何かそうした矛盾があり内部分裂して国が衰退してゆく
それはやはりカルマなのである、これまでは日本がと戦争に勝利したとかアメリカの世紀だったのである、でもアメリカは間違えなく衰退してゆく
それはカルマの法則でもある、アメリカは世界に富をもたらすというより世界からの富を収奪して貯えすぎたともなる、だから本当はそうした金は世界に放出して世界を豊かにするべきものである、そういうこともあったが国際金融資本家とかはそうではなかった
金融を操作して巨額の金を得ていたからである
つまりそれがカルマとなり自らがそのカルマのために崩壊してゆくとなる

みんて金を欲しいというのはわかる、でも金がありすぎるのもカルマとなりそれが個々人でも家族でも国家でも災いをもたらしてゆくのである
たいした金ではないにしろそういうことを自分でも経験したからである
遺産で金が入りそこで大金を奪われたとか災いが生まれた、その金は家族の一人が公務員であり公務員は特権がありそれで金を残していたとなる
家族にとって自分にとってはいいものではあったがそれがみんなのためになったとはならなかった、その金でもみんなのために使うものとしてあったとなる
そのことは天文学的な金を集めた国際金融資本家にも言えるのだ
その規模があまりに大きいからそれが国家を圧迫して災いを生み大きな国家破綻でも起きてくるのである
みんなが苦しんでいる時株価があがりもうけて喜んでいることが人間としてまともな経済なのかとなるからである
経済とは経世済民であ民を救うものだからである
たた私的には株をもっていれば良かったとはなる

ともかく今起きていることは資本主義崩壊前夜として起きているのかもしれない、そして確実にアメリカの覇権国家の役目は終わりアメリカは衰退国家になる
アメリカは世界から富を収奪しすぎたからである、それがカルマとなり衰退してゆく
それがやはりカルマであり逃れることはできない

アメリカの時代は終わりつつある!

これを日本も自覚するべきである、では中国がアメリカに変わる覇権国家になるのか?
それもわからない、共産主義は過去に失敗したものでありその亡霊がまだ生きているとなるからである、それで世界を指導できるとは思えないからである
一応ヨ−ロッパであれそこに世界を主導するものがあった、アメリカでも民主主義とか世界を主導するものがあった、でもそれも消失しつつある
では中国の共産主義がその代りになるのかというとそれは過去に失敗したものでありその犠牲も死者が何千万とか粛清されたとか危険なものだった
だから中国にはついていけないとなる

では次に来るべきものは何なのか?

それはわからない、ただ資本主義は限界にきてアメリカは衰退する、基軸通貨のドルも信用されなくなる、次に代わるものが模索される時代になる
そういうときにコロナウィルスが世界に蔓延したのである
これによっても世界が変わる、グロ−バル経済は後退するしオリンピックは商業主義オリンピックであり平和の祭典などではない、だからこれも中止させられるのは神意だとなる
何か時代が変わる時人間だけの力ではない自然災害とか天変地異が起こり大きな変化が易姓革命が起きる、それに人間は逆らうことはできない、この世は人間の力だけで成り立っていないからである、それは津波で原発事故が起きたように原発をやめろという神の意志が現れたともなるからだ

ともかくアメリカの時代は終わりつつある、これを日本は自覚すべきである
だからアメリカは日本から軍隊でも撤退する、アメリカに日本を守る力がなくなっているからだ、そうなるとき日本はかなり厳しい状態になる
でもアメリカに頼ることはできなくなる、これは止めることはできない
アメリカは分断して衰退してゆく
希望的観測としては中国も分断して国力がそがれるとなると日本にはいいとなる
そういうことが神意として起きるかもしれない、ただ確かなことは資本主義は限界でありアメリカが衰退することは明らかである
そこから金融でも経済でも軍事でもあらゆるものを見なければならないとなる

なぜならSBI証券とか外資に日本の富が奪われるということはアメリカに富を奪われることでもある、それはアメリカが覇権国だからそうできた
でもアメリカが衰退することは経済でも頼るべきではない国となる
だから日本がの富を外資に売り渡すことは危険だとなる
それはただ大損になるだけだとなるからだ、金融でもアメリカに頼らない日本連合が必要だともなる
ただSBI証券とかまた竹中平蔵とかは外資のエージェントでありそれで私腹をこやすものとしてオリーブの木では批判している
そういう事なのかとyoutubeで理解した、説明がわかりやすいので百万以上見ている人がいる、それはマスコミでは一切報道されないのである

posted by 老鶯 at 11:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2020年11月24日

津浪は時間軸で見ない結果被害が大きくなった (人間は時間軸で積み上げるもの歴史が大事)


津浪は時間軸で見ない結果被害が大きくなった

(人間は時間軸で積み上げるもの歴史が大事)


空間軸と時間軸でこの世界は構成されている、時間軸で見ることが人間は苦手である
例えば磯部は津波で村自体が消失するような大被害だった、220人くらい死んだから多かった、他でも村自体が消失するような被害があった

ではなぜそうなったのか?

それは磯部とは松川浦の砂州に家が密集したのである、もともとは砂州であった
つまり時間軸で見ればそこは砂州だったのである
おそらく田んぼにする後ろの地域には家が建てられなかった、場所をとるから海岸の砂州に家を密集させた
日本がでは土地が狭いから危険な場所でも家を建てざるをえないのである

そもそも八沢浦でも明治以降に職を失った侍は開拓した場所だった、そこは海だったのである、入江だったのである、だから津波で本当に江戸時代の入江にもどったことに驚嘆した、こんなことがありえるのかという驚きである
比較的家が少ないからごちゃごちゃしたものではなく入江となったのである

ただここでも湊村が40軒ほど海岸線にあった消失した
これも別に漁業するのではないから海岸線に家が集中したのか解せない
海老村が古いからその延長としてそこから移り住んだとなるのか?
たた八沢浦ではそこが一番被害があった、後は被害があっても家が集中した場所はなく
散在していた、だからそれほどに被害がなかったのである

そして大失敗だったのは海老の断崖の上が高いとして津波の避難場所に市で指定していたそこに避難して30名が死んだのである
すぐ近くの百メートルも50メートルでも歩いて逃げれば助かる場所があった
そこを避難場所として指定したのは時間軸でのその土地をのことを見なかったということにあった
第一津波の記憶となるとないに等しいかったからである
津波の記録がこの辺では抜け落ちていたのである
それで津波の後に「生波(いくなみ)で700人溺死という記録が相馬藩政期で発見したのである

つまり時間軸でもの歴史の記録が抜け落ちていたのである、では何か記録できないかというとそうでもない、とにかく戦(いくさ)のことは事細かく記されているからだ
その時の関心は戦国時代であり相馬氏がこの一体を支配することが優先課題だったからである
だから700人溺死としか記されないのは記すのは相馬氏の役人でありそれが戦争の記録より重要ではないということで二行しか記されなかったのである
庶民には記録として残す力もなかったとなる、何か碑を建てるにしても金がかかるからである、それだけの被害があったとき何か記録として残す財力も知力もなかったということである

時間軸でみるというとき地史になると億の年月をみる、それだけ長い年月で地球は変化する、そうなるとその時間軸で見るのはさらに困難になる
でももともとそこがどういう地形なのか知ることから時間軸で見ることになる
それは今回の津浪で海だった所は海に戻ったとういことでもわかる
塩崎の方が低いから船着辺りまで海になった、そこは古代に本当に船が着く場所だったのである、だから地名というのはそれだけ化石のように古いとういことである
それは地史の記録としてあるともなる

ともかく時間軸で見れないという時、不可解なのは磯部の佐藤氏一族が支配していた
でも高潮の被害があり今の相馬の道の駅の鬼越館に移った
そしてその後に大きな慶長津波が起きたのである
ただその記録は何もないからわからない、でもなぜ移ったのかというのが解せない、危険を感じたことはわかる
そもそも磯部とは海岸に接してあるのだから危険を感じたともなる
鬼越館なら津波とは無縁である、でも津波でも近くまでも来ていたのである

そしてもう一つ松川浦にあった諏訪神社である、それも慶長津波の前に今ある所に移動している、そこに津波で流された船がひっかかったとかの伝説がある
そんな奥に船が流されたのか?ただ小泉川があるから津浪は川をまず上ってくるから船でも津波に流されたことはありうる
でもなぜ慶長津浪の前に諏訪神社が移動したのも謎なのである

なぜそうなるかとなる人間は時間軸で起こることを明確に記録しない
そして奇妙なことは江戸時代の年号あるとする、すると時代順にも見れないおかしなことになる
それは明治時代と大正時代と昭和は区別する、でも江戸時代の年号だといろいろあって時間の順序を間違うのである、人間はその時代時代を生きる、明治に生きた人と江戸時代に生きた人はまるで違った環境で生きていたのである
でも時間がすぎるとそういうことすら不確かになる

人間個人でも人間が形成されるのは時間軸である、老人になってもそれまで時間軸で生きた経過がある、そして青春時代がみんなありここで基礎が作られ方向が決まる
だから十代から二十代は人生で一番大事な時だったとふりかえる
そしての時代は永遠に帰ってこないのである

時間軸で作れるたものがわかりにくい、消失しやすい、親でも死んでしまうと何か抽象的存在になる、でも親が作った家があるからその家に住んでいると親が残してくれた家があるとういことで家を通じて親を思い出す、つまり何か歴史で残された物を通じて過去の歴史を時間軸で残したもの自覚するとなる
それで結局古代とかなると縄文時代とかなると文書もなにも残っていないからその人たちが残した物で時代をみる、縄文土器とかかそうである
そこで何かあったのか記録もないのだからそうなる
そういう時代になると時間軸で見ることは至難になるのである

津浪は周期的ち3,400年に一回とか大きな津波がくる、でもその前に時間軸としてその記録がないのである、記録が消失しているのである
その記録が記憶でも失われたことが大被害に通じていたのである
過去の記憶でも記録でも失いやすいのである、津波でも十年すぎると一昔であり何か関心が地元でもなくなる、次々に新たなことが起こり関心がなくなる
常に今に追われているのが人間だからである
そこに人間の弱点があり天災は忘れた頃にやってくるとなる、台風だったら毎年来るから忘れることはない、でも津波となると三百然とか400年になるとそうなってしまうのである     




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磯部の高台の墓地は残った、墓地は高台にあり残るのが多い
佐藤氏の墓が多いのもわかる

諏訪神社御祭神・・・建御名多方神   八重事代主神

奥相志によると、神護景三年(769)信濃の諏訪より宇多郡尾浜村一二ケ所に勧請しましたが、天文七年(1538)四月一九日に黒木に遷座しました。

築城年代は定かではないが永禄6年(1563年)頃に佐藤伊勢好信によって築かれたと云われる。佐藤氏は源義経の家臣佐藤忠信・継信兄弟の後裔を称し、好信ははじめ岩城氏の家臣であったが、後に相馬顕胤・盛胤に仕えて軍奉行を務めた。天文11年(1542年)伊達輝宗との合戦の功により磯部・日下石など宇多郡の内六ヶ村を領しはじめ磯部館(佐藤伊勢館)に居を構えた。しかし、海水による浸食が激しく鬼越館を築いて居を移したという

1611年に慶長津波があった、でも諏訪神社は1538年に黒木に移っている

佐藤氏は1563年に磯部から鬼越館に移っている

70年とか50年とかのあとに慶長津波が来ている、でもなぜ移ったのかその理由がわからない、ただ佐藤氏は高潮のためだと明確に記している
この二つが慶長津波の前に移動している
それで慶長津波の被害はなかった、でも磯部にしろ慶長津波の記録は一切なのである
ただ諏訪神社に津波で船が流されてきたという伝説がある
小泉川を津波がさかのぼるにしてもかなり奥なのである
なぜそうした伝説が生まれたのか謎だとなる
つまりここでも時間軸で記録されるものが少なすぎるから不明になる
それで歴史がわからなくなるのである

posted by 老鶯 at 20:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波水害関係

冬薔薇(時間軸と空間軸で鑑賞する(2)ーみちのくの風土)


冬薔薇(時間軸と空間軸で鑑賞する(2)ーみちのくの風土)

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朝でも背景暗くしないと花びらの赤がでない
でも朝の感じではないのが困る
ただ朝まで残っていた、今日は北風吹いて寒いから散るのかとなる



目覚めればなお一片の冬の薔薇残りける北風吹きし今日の朝かな

時間軸の変化でみるとこうして一輪の薔薇でもすぐに散る訳ではない、それは人間でも似ている、なんでも徐々に変化してゆくからである
時間軸で言えばなぜ芭蕉が「五月雨の降り残してや光堂」とか「夏草や兵どもが夢のあと」とか時間軸で見れたのかとなる

1126 堂塔完成
1694 元禄7年 芭蕉死す

芭蕉が訪ねた時500年も過ぎていたのである、するとそういう感懐をいだくこともむずかしくなる、ただまだ時間軸で見るものがあったとなる
空間軸で見るのは空間は残っているから見ることができる、空間を移動すれば依然としてその空間は同じように残っているからだ
ただ時間軸で見ることは時間がたつにつれてむずかしくなる 

この薔薇にしても毎日見ていればこうして変化があり時間軸で鑑賞できる
空間軸だと旅人が来て旅人が去るという空間の移動なのである
だから空間軸と時間軸で見ることは相当に違う、なぜ歴史はわかりにくいかというと空間軸は今なら世界中移動できる、でもそこで時間軸であるものを見ることができないのである、芭蕉が時間軸でこの句を残すことができたのはやはり日本という空間で時間軸にも生きていたからだとなる
ただ日本人でも城があったしてもそれがすでに150年とかすぎるとこれも時間軸で見るのがむずかしくなる
ただ一応相馬市は六万石の城下町だから時間軸で残された雰囲気が残っている
それで「落葉して相馬の人と語るかな」という句でも生まれる
またお堀に冬の鴨がいるときそれが人間にも見える、忠実に仕える人間にも見えたのである、それは何か時間軸で残されたものがありそれが歴史なのである

ももづたふ 磐余の 池に 鳴く鴨を 今日(けふ)のみ見てや 雲隠(がく)りなむ
(大津皇子)

ももづたふ(百伝ふ)とはももは百年のことだとする、それが磐余の池の枕詞となっている、まさにここに時間軸としての池であり単なる池とも違っていたのである
その時間軸の中にいる鴨である、何か百年でも伝えられるべきものとして磐余の池でありそこに鴨がいるということである、時間軸の中に歌われたものなのである

何か作品を鑑賞する時空間軸と時間軸があり時間軸になると重みが生れて来る
例えばみちのくにしてもそこにみちのくという空間があるのだがまた時間軸でも形成された歴史がある、つまりどこでも空間軸と時間軸で風土は形成されているのである

みちのくの遠山望む冬霞

何かこれでも確かに空間軸で作られている、でもみちのくというときそこに時間軸で形成された風土があり歴史がある、そのみちのくの歴史と風土からこの句を鑑賞する
つまりみちのく・・・というときすでに枕詞であり独特の風土と歴史を示している
だからこれがわからないと鑑賞できない、それで外国の人が金色堂をたずねてもみちのくを理解できない、それが日本人が外国に行ってもその歴史を時間軸で形成されたものを理解できないと同じなのである
                
赤々と夕日は没りぬ大阪城花の盛りの終えて散りなむ

それは大阪城の花盛りに夕日が赤々と沈んでゆくのを見た時、そこに時間軸で見た歴史を感じたのである、その時盛りの花が散っていた、その光景がなんともいえぬ歴史を感じたのである、そこに沈む夕日は歴史を偲ばせたとなる
大坂は秀吉に栄えた、でもそれは一時の夢だったともなる
ただ大阪が栄えのは秀吉だけではない、それだけの時間があって栄えたとなる

いづれにしろ時間軸で感じるものがあればそれは深く鑑賞できる、それがなかなかできない、それが問題なのである

2020年11月23日

冬薔薇(時間軸と空間軸でみるー鑑賞する俳句)


冬薔薇(時間軸と空間軸でみるー鑑賞する俳句)

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今日一日の変化



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冬薔薇花びら二片残るを見る

冬薔薇花びら一片夜に見る

冬薔薇花びら一片月光る



身近だと人間は時間軸で見ている、この冬薔薇は花びらが二片残り散ってゆく
回りでも葉っぱが徐々に枯れてゆく、色が変わってゆく、昨日はあたたかったが今日は
北風が吹いて寒くなった  
そして夜見たら残った二片の花びらが一片になっていた
それを写真にとった
おりしも丁度三日月がでていた、こういうふうにリアルタイムで報告できるのがインタ−ネットなのである、また写生にもなる、刻々の変化を写生して報告しているのである
だからそれに合わせて見るには日々プログを見るのがいいとなる
でもそこまで見ている人はいない、見るにしても時間がとられるからである

人間は時間軸と空間軸で見る、でもA地点からB地点へ移動しても時間軸で見れないのである
それは短い時間でもそうである、この庭を見ても刻々変化しているからだ
時間軸で見れないことは浅薄になる
時間軸で形成されたものが見えない、理解できないのである
ヨ−ロッパとかは2000年の歴史があってもその遺跡が残っていても理解するのがむずかしいのである

時間軸で形成された街があってもそれを理解しにくいのである
相馬市は六万石の相馬藩の城跡があってもそこが外から来た人が城下町として意識しにくい、城自体も残っていないからだ
ただ地元になると何か相馬市は違うなといつも思うのである
そこがやはり城下町だったということを意識するものがあるということである
何か時間軸で形成されたものが雰囲気としても残されている
でもそれを外から来た人が感じるのはむずかい
それは海外旅行してわかる、ヨ−ロッパは古い歴史があるとしても時間軸で形成されたものを理解するのがむずかしいからである
そもそもどうして2000年もの時間軸で形成されたものを理解てきるのかとなる

京都も千年の歴史があるから日本人だとその時間軸で形成されたものを感じる
それもは人によるがやはり雰囲気として残っているからだ
でも東京には江戸百万都市を感じられないのはなぜだろうとなる
皇居がしったとしてもあそこに江戸時代を感じないのである
それは結局高層ビルとかビルに埋め尽くされた結果、昔を偲ぶものが消失したからだとなる、ただ現代だけがそこにあるのである

いづれにしろ時間軸と空間軸で形成されるの世界観である
だから原発事故で避難して故郷を失った人たちがいる、そこで失ったのは空間もあるが
時間軸で形成されたものである、そこは江戸時代から人が住んでいたからである
そこでも代々時間軸で形成されたものがありそれが失われたのである
ただ時間軸で形成されたものは理解しにくいのである
ただ失ったものが何であったかそれを考えるとそれが金では買えない貴重なものだったともなる、それは意識されにくいからである

ともかく庭の冬薔薇は二片残して散る、でも散ったあとでもここに咲いていたな意識する余韻を残すのである、それが時間軸で見ていることなのである

旅人の平泉去る秋の蝉

これは自作だけどここでは空間軸と時間軸を現した句なのである
空間的に平泉を去る、その時時間軸としては夏から秋になっていた
つまり旅は空間軸で行われるがまたここでは季節の移り変わりも感じていたのである
何か自分の句を自分で鑑賞したとなる、この鑑賞とか評論することも相当に理解力がないとできない、そういうことがインタ−ネットでは欠けている
深く読んだりしない、表面的なもので終わっているのである 

まず創作しなくても評論できる人は芸術家と同じだともなる
なぜなら芸術そのものが鑑賞することがむずかしいからである
また小説などにしてもそれを理解することがむずかしいからそうなる
ただ年になると鑑賞力がついてくるから評論家に向いてくるのである
自分自身の俳句を評論しているのも奇妙だけどそうなる
第一こういうふうに鑑賞している人はいないともみるからだ

そもそも芸術となると鑑賞すること自体むずかしいのである、でも本当の芸術は芭蕉の
奥の細道のようにそれが400年とかの時間を過ぎてもそれが古くならない
深みをましているというのが真の芸術だとなる

2020年11月22日

冬の日に磯部ー松川浦ー相馬の城下町回る


冬の日に磯部ー松川浦ー相馬の城下町回る

(写真十枚ー俳句、短歌連作)

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クリック拡大-八沢浦
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かすかに山頂に雪が見える

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これは磯部の墓地にあった墓

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ボラが跳ねる

相馬の城下町

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クリック拡大-高い空に白鳥が飛んでいた

白鳥は夕暮れになると群れて飛ぶ



浜通り冬タンポポや望む海

松川浦小春日和や釣りの人

残菊や誰が眠るや墓一つ

とある村墓も根付く冬薊

金華山遠くに望み冬の暮

かなたかな泉が岳も見ゆ冬霞

みちのくの遠くの山や冬霞

城下町忠義に仕ゆ冬の松

城下町六万石や柿に松

城下町お堀に数羽冬の鴨

落葉して相馬の人我が語る

冬の夜の三本松や雲に月

繊細に枯木の枝伸び月光る


三県にまたがり蔵王大なりき相馬しよりも冬の日望む

安政の墓や磯部の古りにしを村は津波に流され消えぬ

ボラ跳ねて松川浦に船あまた小春日和や人多く来る

冬の樹の堀に映して枝々の交差し伸びて城下町暮る

白鳥の夕空高く飛びにけり月光り星いくつか煌めく
                                              

今日は朝が寒かったが昼になりあたたかくなった、それで磯部を回り松川浦を回り相馬市の城下町を巡った
あたたかいから冬タンポポが咲いて海を望む、これが浜通りであり会津とかとはかなり違った風土なのである、あたたかいということである

蔵王は八沢浦から結構大きく見える、今日も見えた、磯部からも見える
実際は冠雪しているのだがそれが今年はまだはっきりしない

みちのくをふたわけざまに聳そびえたまふ蔵王ざわうの山の雲の中に立つ 斎藤茂吉

この歌は山形県と宮城県と福島県からは見える、あとは見えないのだからあっていない
また松川浦の高いところから金華山が見えた、遠くが霞んでいたが金華山は形が三角になっているから判別しやすいのである
さらに遠くに泉が岳も見える、1100メートルになると遠くから見えるのである
400メートルの鹿狼山でもいつも遠くから見えるからだ
ただ山でも常に注意して見ていないと見えないのである
今回は冬霞になっていて見えにくいが私は心の眼で見たとなる
薄い雲がかかって冬霞になっていた、でも冬霞は春まじかにふさわしい季語らしい
でも今日はまさに小春日和だから冬霞になったのである
霞というともともと春であり冬にはふさわしくないがあたたかい冬でも霞になる
季語はいろいろあって解釈がむずかしいのである
                                                        
磯部では高台の墓地によって、ここには安政時代の僧侶の墓があったからここも古いのである、寺島という姓は石巻から移住してきた人の姓である
あとは佐藤氏が多いのは佐藤氏が磯部氏を支配していたからである
相馬氏が支配する前は相馬市辺りを支配していたのである
何か高潮の被害があり今の相馬の道の駅の鬼越館に移ったのである
そのあとに慶長津波が来たのである、だから予兆を感じて移ったとかとなる
いづれにしろ磯部は古いのである、でも津波で村は根こそぎ流されたとなる
ただ高台の家だけが残ったのである

松川浦ではバイクが百台くらい終結していた、何かバイク仲間の会合があったらしい
それでどこもレストランとかは満員だった、並んでいた
新しくできた市場も行列して並んでいた、いろいろ復興はしてきた
ボラが群れなして泳いでいた、そして跳ねた、前は広い海で魚が跳ねるのを見た
その時、生命の躍動感を感じた、広い海原でトビウオが跳ねるのは躍動している

松川浦から相馬市街に入る、相馬の城跡の紅葉が美しかった、ちょうど冬紅葉になっていた、写真を撮った所は一番いい場所だった
城跡の石垣も見えるからである、相馬の城跡は石垣があまり残っていないから貴重だとなる

相馬市の謎は何かいつ来てもしんみりするのである、原町も市街があるのだがまるで違った雰囲気なのである、それがいつ来ても不思議だとなる
城下町の雰囲気を残しているともなる、高いビルなどが建つと雰囲気がなくなることは確かである
ただ城下町といっても城もないし石垣にしてもわずかだし何か歴史を偲べるともならないでもやはり城下町でありその雰囲気が残っている
お堀に鴨が数羽いる、するとそれがまるで忠臣のようにも見えるから不思議である
それが歴史というものなのだろう
何か相馬の人と語る、落葉している城跡で語る、するとそれが歴史を語ることにもなるのである、そういう雰囲気があるからそうなる
何か語る時そうした雰囲気がある場所で語るとはずむ、それはその雰囲気がそうさせるのである

それから冬の樹が堀に夕べ映っていた、それを見て中村草田男の「冬の水一枝の影も欺かず 中村草田男 」を思い出した、ただこの堀の水は濁っているからそうともならない
ただ水に移る冬の樹はそういう感じになる

日は短い、5時で真っ暗になった、月が雲に光っていた、木の枝に月が光る
写真に撮ろうとしたが失敗した、だいたい夜の写真は相当にむずかしい
これはプロ級でないとうまくいかない、いつも失敗している、カメラでもレンズでも夜の写真用でないとうまくとれないのである

ともかく相馬市の道の駅の近くの五本松があった所を帰る、でもその松は三本しか残っていない、だから三本松になったのである、でも三本松でも何かその松に親しみを感じるのである







寒雲、冬薔薇(御田母神の社)


寒雲、冬薔薇(御田母神の社)

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寒雲の流れずとどまる街の上

寒雲や老婆一人街を行く

寒雲や耕作放棄地に小屋一つ  

家に籠る女性一人や冬薔薇

落葉してゲートボールや山の村 


北風に松一本や紅葉映え御田母の社残りけるかな

冬の薔薇一輪あわれ今しばし我が庭に咲き見取り散りなむ


昨日はそれほどでもなかったが今日は朝から寒いし北風も吹いている
冬らしいとなる、ダイユーエイトの前に御田母神の碑がある
そこに松一本がある、隣の店の紅葉に映える
御田母神とは三春に由来するらしい、そこから移住した人が祭ったともなる

「田母神」姓は福島県に縁のある姓である。福島県郡山市田村町にある山村地帯に田母神地区がある。同地は坂上田村麻呂の母の出身地といわれている。また、福島県内には同じ地名が他にいくつかある。意味は、「田を守護する神」から来た地名で、田村麻呂の子孫が散らばってその神を祭ったことに由来するといわれている。

郡山市立田母神小学校

田母神俊雄 - 航空自衛隊第29代航空幕僚長

田母神は間違いなく三春から発して郡山に移る、だからそこから移住してきた人があそこに祀ったのである
今は田はなくなったけど社は残っているのである
姓にしても自衛隊の幕僚長は有名だったけどそれはまさに郡山の田母神(たもがみ)村から由来しているとなる、姓の基は村だからである

都会にも社があるけどその周りは市街化して元の状態が失われた、田畑もなくなってビルなどが建つともともとあったものがイメージできなくなる、東京とかになるとそうである
寒雲が街の上にとどまる、耕作放棄地に寒雲がとどまる、何か現代社会の風景である
街はさびれているし耕作放棄地も現代を象徴しているからだ

冬薔薇が一輪咲いて散らむとしている、この薔薇の色はいい色である、赤でもないが明るい色である
また60以上で一人暮らしの女性も多いのである、それが現代を象徴している
俳句とか短歌でも現代の社会を反映する、それが逃れることができない
江戸時代だったら江戸時代の社会を反映する、時代を反映する
その時代のことか時間がすぎるとわかりくくなるのである
現実に高度成長時代が過去の物語になったことでもわかる  
その雰囲気は今とは相当に違っていて活気があったとなるがその時代の雰囲気も何か不確かなものになる、私の場合は会社員でないからその時の景気の良さとかはわからない
でも東京で土地が馬鹿高くなったのは覚えている、土地バブルになったのである
金余りになり土地に余った金が投資されてそうなったのである
でもそれは田舎では関係ないことだったのである

2020年11月21日

耕作放棄地の増大ー三人の老人がやめる (高齢化社会、介護社会、病人社会)


耕作放棄地の増大ー三人の老人がやめる

(高齢化社会、介護社会、病人社会)

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この時はカンナもさいて野菜もわずかとれていた
その時花も活きていたのである

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いかにも荒れ果てものとなった

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知っている女性がしていた畑も遂に耕作放棄地になった
まず隣の畑が娘の車できて這って畑を手入れしていた80以上の人が遂にできなくなり
耕作放棄地になった
次に前の畑は結構広いがその人も腎臓を悪くして透析になっていた
顔が黒くなると死ぬんだよと言っていた、その女性はひどくその人を嫌っていた
田舎だと畑にも隣がありいろいろと付き合いがめんどうなのである
そして隣の畑の影響がある、耕作放棄地になると種とかいろいろ飛んでくる
雑草をとなりから生えてくるとか影響がある

ともかく本当に高齢化社会とは介護社会であり病人社会なのである
同級生でも脳出血になったとかそのために足が悪くなったとかひどい人は口もきけなくなったとかある、ただ脳出血でも軽くすむと普通に生活している
その畑ができなくなったのはその女性が70くらいになりいつも腰が痛いとかなりできなくなった
またその知人も糖尿病で何回も長く二カ月以上とか入院している
何か手術したとかで長引いている、手術となると糖尿病はめんどうになる
他に一軒ある自転車屋の人も60歳以上で病気である、でも仕事は普通にしているから不思議である

自分自身も自転車で大倉の方に行っただけで体中が痛くなったのである
筋肉が弱ってきたためだと思う
こうしてとにかく高齢化社会はなんらか病気になり病人社会でもある
介護社会というとき息子が親を青森の施設に入れている、でもそこでも何か必ず金が要求される、もう一人の母親もその息子に金をもらわないと暮らせない
つまり2025年問題がすでに現実化しているのである
40代とかの人が丁度団塊の世代とかの子どもになるからである

そして超ソロ社会というのもそうである、一人暮らしの人が多いのである
一千万人いるとか多い、だから孤独死も増える、何か社会自体が異常化している
このように病人が多いと病気の治療にかかる金がまた大きいのである
60以降はなんらかで病気になりやすいのである、自分自身もそうだった
それで薬とか医者の費用がかかる、それが馬鹿にならないのである

これはまさに高齢化社会の縮図だった、畑をやろうとしたのは良かったができなかった
70以上とかなると何かしようとしてもできない、いろいろ機械を買っても使いこなせないとかなる、畑をしようとしても体がついていけないのである
農業は体を使う仕事だから体が資本だから高齢者はつづけることができずまさに放棄するのである、それをまさに身近に知った

高齢化社会はただ高齢になるのではない、みんな病気になる確率が高いのである
だから2025年問題は団塊の世代が介護状態になりその子供の負担となるのである
こういう社会が維持できるのか?こんなに高齢者が増えてそれも健康ならいい、何らか病気になりまとせに活動できなくなる
そして介護になったらその子供に負担がかかる
その子供がちょうど氷河期世代とかなり独身が多いしまた収入も少ないのである
引きこもりとかも多い、すると地獄の様な社会になるかもしれない
それを自分自身が経験した、二人の親の介護でもう家族崩壊になり死ぬような思いをしたからである

日本の経済でも弱体化するのは少子高齢化である、耕作放棄地でも若いならやることができる、しかし年になれば体がついていけないのである
つまり一人は透析となりつづけることができなかった、隣は80以上になり這ってしていたができなくなりもう一人は体が悪くなりやめた
そしてそこは耕作放棄地となったのである

こういうことは全国的にあり耕作放棄地が増大する、特にこの辺は原発事故以後田畑でもやめる人が増大した、結果的に耕作放棄地が増えた、避難区域になったところはほとんど回復していない、草ぼうぼうなのである、そこに放射性物質の土を貯蔵する場所となったでも避難区域でない所は10年過ぎて最近土は運ばれて元にもどりつつある
でも避難区域になったところは回復していないのである
膨大な土地が耕作放棄地となり放置されているだけなのである
少子高齢化社会の現実が具体的にこの耕作放棄地に現れている

でも一方で国際的に活躍していた銀行マンが農業を実際に5年くらいしていたとかある
それは銀行業というのに嫌気をさしたことと紙幣がもう価値がなくなる、金に価値がなくなることを実感したからである
食糧飢饉になることも予想して農業をはじめた、銀行員が自ら田んぼで働くということもしている、農業に投資するためである
それだけの耕作放棄地があるのだからそれを活用させるべきだとなる

しかし農地でも勝手にできない、それぞれの所有者がいて許可をとるとか簡単にできないそれも耕作放棄地が増えている理由である
土地をもっていれば宅地化したりできるとか売るために耕作放棄地でももっている
するとそこを農地として貸すとか売ることが簡単にできない
だから何かこれは自治体とか国で国策として強制的に解決する方法を見出すべきだともなる、日本の国土の利用は国の問題であり個々人にまかせていらないともなるからだ

ともかく農業をすることは容易ではない、だから農家でありそれを受け継ぐのが楽だとなる、なぜなら土地という資本を受け継ぎそのノウハウを受け継ぐことができるからであるこの辺では梨栽培が盛んだがいい梨を作るのに十年かかったという
つまりそれは野菜でもそうして時間がかかるのである
だから特産品というときその土地にあったものを時間をかけて作ってきたからそうなったそれは江戸時代からもつづいてそうできたのである
土地はみんなその土地土地によって地味を違っているしまた肥料などを工夫するとかノウハウが意外と大きなものとして農業があるからだ
だから農業は簡単にできないのである     

ただ一方で都会の人でも紙幣とかが紙切れになるとか不安になっている
貯金しても預金封鎖があるとか紙切れになるとか盛んに言う
だから農業が注目される、食料はつねに価値あるものとなるからだ
他に現物をもっている人が強いというのもそうである、また何かを生産している人も強いただ金をもっている人は弱いのである、インフレなれば紙幣は本当に紙切れになる
いくら紙幣を積んでも紙切れにすぎないともなる
その時現物をもっている生産している人が強いとなるからそうなる
そうはいっても農業は簡単にできない、まず農業法人とかに会社員のようにして入る他ないと思う、とても一人でするのは無理がある
農家の後継ぎならそれができるが素人になるとできないからだ
農業も体力も必要だし汚い仕事にもなる、蛇とかアブとかブヨとか動物とかに荒らされるまた盗まれるのも普通にある、その話を菊だけでんざりしたからである

人間は目の前の利益しか見えない (津波を警告しても誰も聞かなかった)


人間は目の前の利益しか見えない

(津波を警告しても誰も聞かなかった)

仙台市の海側の若林区なのか郊外の住宅地化した所があった
そこを津波が来るとして学者が警告した、すると不動産屋とかから抗議があった
地価が下がるからそんなこと言うなと抗議されたのである
これも人間は自分の自分たちの利益しか見てないから起きる
学者の人は預言者のようになると言っていた
それは津波は400年前に起きたとしても忘れられていたからである
だから津波が来るというと誰も信じないとなり危機感もないのである
ただ損になるからそんなこと言うなとなるだけだったのである
つまり人間が一番敏感なのは目の前の利益なのである
そのために他でも毎日働いているからだ

原発にしても目の前の利益しか見ない、利益になればいいとかしかない
安全がどうのこうのより目の前の利益が優先される
そこに目の色を変える、その利益を得ることに反対すれば村八分にされる
原発でもやはり利益優先であり東電の社長はコストカッターとしてのし上がったというのもそうである、だから科学者が十数メートルの津波が来ると警告したのにその備えもしなかった、それはコストが金がかかるからである
でも今になって防波堤を作っていたのである

このように安全は金にならない、それが致命的結果ともなる
それは危機感の欠如からそうなる、たいしことないよ、そんな津波など来ないとか原発でも事故など起こらないとか危機感がないのである
現実は現場の人が技術者が配管が危ない、老朽化しているとか事故前もすでに警告していても幹部は見過ごしている、取り合わないのである
「安全神話」は徹底的に安全に配慮した結果できたのではない
様々な危険な要素があったとしてもそれをごまかすために権力で操作されただけなのである、それは政治家と官僚とか検察とか海上保安庁とか官僚とマスコミでも一体となりそれも自分たちの利益を優先して作られたのである
東電は有力な天下り先になっていたからである

だからここでも自分たちの利益優先としてありそれが大事故につながった
そして誰一人として責任はとらないのである
それは戦争と同じだった、でも必ず誰かが責任をとらされる
戦争では三百万人の国民が死ぬという責任をとらされたのである
原発事故では故郷に住めなくなるという責任をとらされたのである 

人間は目先の利益しか見ない、見えないとなる、原発事故後でも補償金をどれだけもらうかしかない、市町村をどう復興するかより個々の利益しか見ない、だから一早く若い世代は故郷を脱出して補償金で他で暮らすようになり生活が別になり老人だけが取り残されたのである、家族でもばらばらになったのである
市町村全体をどうしようとかとか考えない、目先の個々人の利益しか見ないのである
それで目先の利益となれば補償金をいかにとるかしかなくなる
それで原町区では補償金をもっとよこせとなり訴訟になっても鹿島区は30キロ圏外だから除外されているのである

人間は全体を見ることができない、今はあまりにも複雑であり誰も全体を見れる人はいないのである、社長でも見れない、それは一部分しか知らないのである
吉田所長が復水器のことを知らなかったというのもそうである、それは最も肝心なことであっても知らなかったのである、資材関係が専門だとかなり知らないとなる
無数の専門に分化しているからその全部を知る人などいないのである
ただコストには敏感だからいかにコストを減らすかには熱心になるのである

そもそも人間は大きな巨大なものは認識できないのである
何かインドの哲学者が海岸に来た大きな船のことを知らなかったという、認識できなかった、小さな舟は常に見ているから認識できた、でも大きな船となると見たこともないからそれが幻のように見えたのだろう、見慣れていれば別だがその小さな漁港ではそんな大きなものを見たことがないから認識できなかったとなる
人間は自然でも宇宙でもあまりにも巨大だから認識できない、鳥でも大鵬のような巨大なものもは認識できないのである 
そこに人間の限界がある、日々の目先の利益にとらわれて生活している
だから大きなことに対処できないとなる

自然災害でもそうだが何か大きなことになると戦争とかなると理解できなくなる
国にしてもアメリカがどれだけ大きな国だったか理解できない、それで中国の野郎自大国のように漢の鉄器に対して青銅器で戦い敗れたのである
何か大きなことは理解しにくいのである、人間は俯瞰することが不得意である
常に空から下を見ているわけではない、狭い範囲で生活しているからである
それで大きなことに対応できないとなる

つまり目先の利益は常に見ているが大きなものは無視されるのである
でもそれが致命的結果になったのである、個々の利益は見えても全体の利益は無視されやすいのである、その調和を計ることが難しいのである
明治になってから山でも海でも私権が認められて山でも無数に土地が個々人に分割されて所有されて山を共同で利用することができなくなった
それが今でも問題になる、誰の所有の土地かわからないとして利用できないのである
入会権があり村の人が共同で利用していた時とは違うからである
それで家の前の海は自分のものであり補償しろとまでなったのである
海まで分割して私的所有とされる、それは異常だとなるが目先の利益を求めるからそうなる

いづれにしろ危機感を感じないという時、それが日ごろ生活している狭い範囲のものではなく自然という大きなものであり外国でも大きなものだからそれが理解できないからそうなる、アメリカでも中国でも日本の様な島国からするとどれだけ大きいか認識できない
その差が大きすぎるのである、砂漠とか平原とか大河が日本にないからそれを理解するのがむずかしい、その風土から感覚が全く違ったものとなるのである
人間は大きなものを理解できない、だから大きな自然から来る災害でも弱いし他国が攻めてくるということにも危機感を感じないとなる
中国という大きな国を理解することがむずかしいからそうてるのである



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2020年11月20日

国家存亡の危機 (国家を今まで考える必要もなかった)


国家存亡の危機

(国家を今まで考える必要もなかった)


戦前は日本国民が国家のことばかり考えて行動していた、何事も国家のためだった
国家こそ最も重要なものであり国家があって家族があり個々人もあった
だから戦前は四六時中国家のことを考えていた
経済でも絹織物の生産はアメリカに輸出して外貨を稼ぐものとしてあった
それで軍事力を強化していたとなる
国家が最優先課題であり他は二の次三の次になっていた
そんな社会は全体主義であり間違っていたということを今では言う

でも逆に戦後はアメリカに負けてから日本から国家がなくなったのである
国家というのは常に否定されるものとしてあった
戦争を悪いものだ、戦争をした人は犯罪者であり罰せられるべきだ
世界から日本は謝罪しろとなって日本の外交もそうなった
日本は悪いことしたから謝れとなり賠償金を取られることになった
でも日本はそういうことに対して逆らうことはなくなったのである
日本は戦後に焼野原になりアメリカに支配されたとき国家自体消失していたのである

だから左になると9条で国家を守れとなった、それが可能だったのは米ソの冷戦で日本はアメリカに守られていたからである
だから高度成長時代があり平和な時代が70年もつづいたのである
平和の時代を享受できた時代だとなる
それは時代の幸運でありでもそれももう続かない
70年過ぎた結果、国家存亡の危機に直面する
それは明治維新の時も国家存亡の危機だった、太平洋戦争も国家存亡の戦争をアメリカとして負けて焼野原になったが幸運にも高度成長時代があり70年の平和がつづいたのである

でもそれも終わった、70年毎に大きな変革が起きる、明治維新から七〇年で太平洋戦争でアメリカに負け焼野原になった
そして立ち直ったがまた七〇年過ぎて大変革の時代になる
そのために津波と原発事故とかコロナウィルスとかの災難にも襲われる
それは時代が変わる時、そうした自然災害も起きて来るとなる
つまり動乱の時代になる

そして国家というのをこれまでは意識したり考えたりする必要もなかったのである
それはあまりにも国家を意識した戦前とは大違いだったのである
国家は常に否定するものとしてあったし国家は悪いものだということがすりこまれたのである
ただそれは国際情勢で幸運がもたらしたものだったのである
今や国家存亡の危機になれば嫌でも国家を意識せざるをえない時代になったのである
でもその変化はまた大きい、それで今まで通りのままに流される
第一そもそも国家というのが日本人が意識しなくなったときどうして意識させられるのかとなる、左からは国家否定がある、国家自体を意識することもできなくなっていたのである

それも現実に中国が攻めてくるということが迫っている、インドの国境では二〇人もインド人が死んでいるのである、だから尖閣でも実際は海警が中国人の軍隊が武装して来る
そういう危機的状態になっているときアメリカが守ってくれるともならない
日本人が池を血を流してこそアメリカもその背後から助けることができる
アメリカが先頭に立って血を流すことはしないのである

私自身は国家をそれほど意識しない状態がいいと思う、私自身追及してきたのは国家ではなく風土と一体化した(クニ)である、これまではアメリカの庇護の下にまた中国が台頭する前だったからそれができたのである
中国の脅威はもう身近に迫っている、中国の厄介なのはアメリカと違って隣であり中国人が日本に住むことである、それが現代では可能になっている
大量の移民政策で中国人が日本に住むことができる、それが今までとは違っている
それがやっかいなものとなる、アメリカ人は日本に住むのは極少数だから日本社会を支配するまではならなかったのである
でも中国人は違う、日本に住んで日本人を直接支配するようになる
中国の要人が主要な地位を得て日本人を支配するのである

結局日本人はあまりににも七〇年間平和になれて危機感が消失したのである
それは津波でも原発事故でもそうだったのである
津浪はこの辺がは来ないとして逃げないで老人が死んだ、原発事故も「安全神話」を作り事故が起きないと権力で作った、それが一挙に崩壊したのである  
何か日本人は危機があることを忘れていたのである
つまり危機感がないことが大惨事になったのである
それだけ平和だったのが日本であった

でもその時代が終わった、国難になり動乱の時代となる、コロナウィルスもそうである
動乱の時代になると様々な災難に襲われる
そして日本人は日本人のモラルが戦後消失した、金しか経済しか関心がなくなったのである
国家は常に否定されモラルも消失していた
原発事故でもモラルが消失していたからだともなる、技術的問題があるにしても「安全神話」を作り危険をごまかしていた、見せないようにしていたのである
つまりモラルが消失していたことが大事故につながったともなるのだ

そしてこの辺の原発事故の復興でもモラルが消失してできないということもある
家族がばらばらになり老人が取り残されて妻がいないから女性をひきこみ退廃している
何かモラルが崩壊して復興もありえない、何か一眼となって復興しようというものがないのである、あるのは補償金をもらうことで団結することだけなのである
でもまたその補償金は南相馬市なら三〇キロ内と外では大きな差がありそこでもめて一体化しないのである
だから原町区と鹿島区では一緒になり東電に訴訟したりできないのである

いづれにしろ日本は様々な点で内部的にも危機である、モラルも消失して愛国心などない金を愛すことはあっても第一国家とは何か意識できないからである、意識させなくされていたからである、だからそうして心の問題としてモラルの問題として日本は危機になる
その方が大きな問題ともなる、日本人が一つになり戦う意識もないのである
だから日本が滅んでいないのが不思議だと右翼の人が言うのもわかる
心がないからすでに日本人は滅亡しているともなる

ただ本当に中国が攻めてきて危機に瀕した時、救国の英雄が現れるかもしれない
それがまた日本だともなる、自分の場合は年だから無理である
動乱の前に死んだ方が楽だとなる、ても確実に動乱の時代が来る
様々な災難はその前兆なのである、日本は心から立て直す必要に迫られている
日蓮が正法を法華経を信じよとしたのは国の問題も心の問題として起きるからそう言ったのである、ただカルト教団はこれも御利益とか金しかない、愛国心など一切ない
自分たちが得にすることしかしない、国のために犠牲になるような人は一人もいないのである  

そもそも愛国心ということ自体が死語になっていないか?
戦後は自己愛しかなくなっていたのである、それは国が平和だからありえたのである
でも国家存亡の危機になると自己愛だけではもう国家を維持できないのである
だから日本が滅んでいないのが不思議だともなるのである
ローマ帝国が滅んだのも贅沢にふけり軟弱となりモラルが消失したからである
そこに蛮族が侵略してきたのである
日本も同じなのである、モラルが消失したときそこに蛮族ではなにしろ中国とかが攻めてくるということである 

とにかく人間の弱点は常に危機感をもてない、確かに一時的にはもつ、でもすぐ忘れる
戦争で3百万人死んだとしてもそれもあいまいとなり忘れてゆく
津浪の被害でも十年過ぎると地元でも関心がなくなる、常に事件があり関心が移ってゆくからである、だから人間が常時危機感を持つとは不可能だともなる
コロナウィルスでもなれて大したことかないとなるのもそうである
それはあらゆることでそうなのである、常時危機感をもって生きることはできない
ただそれでも危機は確実にくる、容赦なく襲ってくるともなる
そのことは津波でも原発事故でも証明されたのである 

darkness11.jpg

鈴木傾城

武闘派の意見だけど結局日本人は戦争に負けて自立心とか日本精神とか消失した、日本人としてモラルも消失した、軍事力とか経済力もあるが精神の面でもう滅んでいるのかとも見えるのだろう、それが危機なのだけど日本人は自覚していない
だから中国にでも簡単に侵略されて滅びて亡国の民になるともなる

日本がはこれだけ自然災害のあるクニなのに津波でも危機感がなかった、原発事故でも「安全神話」を作り日本の技術は優秀だから事故はないとして安全を怠った
それは戦争にもいえる、アメリカに頼るだけでありそのアメリカも撤退する
すると巨大化した中国とどうして対峙できるのか?
それは軍事力とか経済力だけではない、心の問題として危機感をもっていないのである
それでエレミヤが北から攻めてくるとして警告していたが民は無視して聞かれなかった
その危機感がないことが最大の問題だったのである
それは余りにも平和に慣れ過ぎてしまったためである、戦後の七〇年間は特別恵まれた時代だったのである、それも終わり激動の動乱の時代へと突入する
その時本当にあっけなく日本は滅んでしまうかもしれない恐怖になる、現状を見ればそうなる、危機感がないからである

posted by 老鶯 at 14:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年11月19日

abstract painting-iced man

                          
 abstract painting-iced man

 (世界からのアクセスが増えた-Increased access from the world

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Budda mountain


頂き(いただき)はいただくなのである

いただきますとなる、それは何を意味しているのか?

天から食べ物をいただくということなのか?

日本語は謎である



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iced man into frozend rock 

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hidden waterfall

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 all enlarge
世界からのアクセスが増えた

セーシェル、パナマ、ベルーナ、スイス、スエデーン、ルーマニア、ボーランド ロシア
ドイツ、カナダ、台湾、香港、韓国、フランス、イギリス eu、アメリカ、ルクセンブルグ

抽象画の部のアクセスが増えた、国名も増えた、セーシェル、パナマ、ベルーナとかルーマニアは変わっている、そんな国があったのかとなる
ただインドからのアクセスがない、ということはインタ−ネットがまだそんなに普及していないからか?
中国も大きいのにアクセスが少ない、おそらく抽象画の分野の興味が少ないのか?
インタ−ネットの検索にのれば世界からアクセスが来る
抽象画でも画像検索に出ればアクセスがある

アメリカは前からアクセスがあった、ただ一時多かったが急激に減ってわずかだった
ただ今度はいろいろなこれまで来なかった州の人が来ているのだ
今までは単発的にアクセスがあったが継続してアクセスしていることは興味をもって見ているとなる

インタ−ネットは世界的な表現の場だというとき音楽とか絵の分野ではそうなっている
他の詩とかなるとむずかしいから翻訳できないからアクセスがない
でもグーグルの翻訳が進歩したからそれで読んでいるのかもしれない
原発関係でマサセッツ大学からアクセスがあった、でもグーグルの翻訳でも日本語を読むことはむずかしい、でもインタ−ネットは世界的なものであることがこれでわかる

だから音楽部門だと何百万のアクセスが世界からある、それは音楽は言葉と関係なくわかるからそうなる 
ただ私の抽象画は全く絵が絵が描けないのにソフト操作でしている
つまり全く絵の才能がなくても創作できているのが特徴である
つまりれはAIか作った作品だともなる

Increased access from the world

Seychelles, Panama, Belluna, Switzerland, Suedeen, Romania, Borland Russia
Germany, Canada, Taiwan, Hong Kong, South Korea, France, United Kingdom eu, USA, Luxembourg

Access to the abstract painting department has increased, country names have increased, Seychelles, Panama, Belluna and Romania have changed, I wonder if there was such a country
But is it because the internet is not so widespread yet because there is no access from India?
China is also big but has little access, maybe there is little interest in the field of abstract painting?
Access comes from all over the world if you search the internet
Even abstract paintings can be accessed by searching for images.

The United States has been accessed for a long time, it was only temporarily high, but it decreased sharply and was slight.
But this time, there are people from various states that have never come.
Until now, there was one-off access, but it is interesting to see that it is being accessed continuously.

When the internet is a place of global expression, it is so in the fields of music and painting.
There is no access because it is difficult to translate other poems
But maybe I'm reading it because Google's translation has improved
It was accessed from Massachusetts University because of the nuclear power plant, but it is difficult to read Japanese even with Google translation, but this shows that the Internet is global.

So in the music sector, there are millions of accesses from all over the world, because music can be understood regardless of words.
However, my abstract painting is done by software operation even though I can't draw at all.
In other words, the feature is that you can create even if you have no talent for painting.
Wife This is also a work made by AI

大倉から真野川渓谷の紅葉


大倉から真野川渓谷の紅葉  

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大倉の碑
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これに気づかなかった、葉山祭りと有名だったら葉山という地名があった


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momijiookura1.jpg
クリック拡大



冬の日にここに動かず鎮まる石

冬日さし大倉に並ぶ古き碑 

大倉に古き碑並び落葉かな


一時に紅葉陽に映え美しき渓流の音下よりひびきぬ

山に入り冬の蝶あわれ一つ飛ぶまもなく消えむさらに分け入る山

大倉に三匹ほどの虫の音を耳をすまして聞きて帰りぬ


大倉への坂を上る所にこの大きな石が隠れるようにしてある
この石は貫禄がある、だからいつも注目して見ている
でも他から来た人だと隠されるようにしてあるからわかりにくいのである
その隠されているところがいいとなる

大倉から霊山の方に行こうとしたが去年の水害で交通止めになり行けなかった
普通は自転車だと行けるが奥の方がさらに崩壊が激しく行けなかった
でも紅葉はきれいだった、写真を撮った所は車では入れない所がある
この工事は長くつづくから当分は通れないのが残念である

大倉の消防署とかあるとこにこの碑が並んでいた、寛政とか慶応とあり江戸時代のものである、大倉の歴史は古い、葉山祭りなどがあり古い、葉山橋とかあった
でも今はどれくらいの人が住んでいるのか、ただ新しい牛舎が作られていたからまた牛を飼うことを始めている、だから人は住んでいる
でも減ったことは確かだろう

とにかく霊山まで行けなかったことは残念である、紅葉の盛りであり歴史の道となっているのがこの辺だからである

2020年11月18日

橲原渓谷と真野川上流 (大倉から佐須ー霊山の道は通行止め)

橲原渓谷と真野川上流

(大倉から佐須ー霊山の道は通行止め)

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橲原(じさばら)渓谷

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大倉から佐須-霊山の道

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この二つの道は自転車でも通れなかった
ここは通れても奥は通れなかった



この二つの道は当分通行止めほ工事している所もあるがまだしてない所もあり
長引く、工事が難工事になっている、崖崩れであり高いからである

この辺は今は紅葉であり景色のいい場所なので残念


posted by 老鶯 at 19:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年11月17日

アクセスされた外国の謎 (少数でも中味のある、将来も読まれるものを発表してゆく)


アクセスされた外国の謎

(少数でも中味のある、将来も読まれるものを発表してゆく)                 


OrgName:        Massachusetts Institute of Technology
OrgId:          MIT-2
Address:        Room W92-167
Address:        77 Massachusetts Avenue
City:           Cambridge
StateProv:      MA
PostalCode:     02139-4307
Country:        US   → (アメリカ合衆国)

全米屈指のエリート名門校の1つとされ、ノーベル賞受賞者を多数(2014年までの間に1年以上在籍しMITが公式発表したノーベル賞受賞者は81名で、この数はハーバード大学の公式発表受賞者48名を上回る[11])輩出している。最も古く権威ある世界大学評価機関の英国Quacquarelli Symonds(QS)による世界大学ランキングでは、2012年以来2019年まで、ハーバード大学及びケンブリッジ大学を抑えて8年連続で世界第一位である。 

ケンブリッジ市にマサチュウセッツ工科大学がある、そこからアクセスがあった、おそらく原発関係だろう
でもここは相当に優秀な大学である、ノーベル賞受賞者は81名というのには驚く
一時外国からも原発で注目されたようだ
ただ私は文系なのだから研究に役立つような知見が得られるのだろうか?
ただこういう大学からアクセスがあることはやはり私のプログがテーマとしていたからだろう
でも前からすると最近ページビューは半分に減った、ただ訪問者は300以上とかなんとか維持している

そしてなぜか世界中からアクセスが増えた、世界からのアクセスは必ず忍者の分析で出る
日本はもれるのが多い、ただedとあると教育関係のアクセスが多い
つまりアクセスが減っても良質な人の何か目的がある人のアクセスがあるとなる
その世界からのアクセスはここ何日かつづいている、それは原発関係ではない
抽象画関係しか考えられない、抽象画が認められて世界からのアクセスが増えた、その国も多様なのである
パナマとかウクライナとか今日はルクセンブルグとかからもアクセスがあった
それは一回限りではないことが特徴である、だから何か抽象画が注目されたのだと思う
抽象画とか絵画とか写真は言葉がわからなくてもわかるからだ

ここでわかったのはインタ−ネットは世界的な表現の場だということである、それは前からわかっていたがこんなにアクセスがあることで注目されていることを認識したからである

ただ正直アクセス数が相当数減った、半分以下とかなった、訪問者はそれほど減っていないにしてもこれだけ減った
その原因はこれまで津波とか原発関係でずっと増えていた、震災から十年過ぎて関心が薄れたのである
あとは俳句とか短歌だと関心があるのは少数者である、詩などでもそうである
こういうのはアクセスが増えない、ニュースとかは増えるがそれも新聞のようにテレビのようにならないのでアクセスが少ない
だからどうしてもアクセスが減ったのである、ただアクセス数は関係なく中味のある、代々読まれるようなものを出してゆく
たいがいyoutubeでもプログも一過性になるのは価値がないのである
その時その場限りになってしまうからだ、そういうものが膨大に多いのである
ニュース解説でそこに歴史的に考察して普遍性がある解説が必要なのである、それは相当に経験とか学識とかがないとできない
それができているのは五六人しかいない、それは自分が毎日アクセスしている、ただ他にいるがそれは自分はアクセスしていないのある

でも何か百万とかまでアクセスがあるのはそれは芸能人のようなつまらないものなのである
だからアクセス数からだけでyoutubeでもプログでも判断することはできない

正直特別関心がある人とか何か俳句とか短歌でも詩でも創作しているとか宗教なら求道心があるとかそういう人たちを対象にして発信する、ただ数だけを集めるのではない、中味がある、その場限りのものではないものを追及する
youtubeなどでもそれはその場限りで消えてゆくものが多いだろう、何か何度も読まれ代々読まれるものを目指す
そうなると少人数になる、そういう人たちを集めて内輪で研鑽すするというのも考える  
これからどうするかは来年のことになる、何とか詩集は出したいと思っている、これにしてもなかなか一般的には理解されない
でも膨大なものになったのでまとめたいとは思っている


消費と節約ー緊縮財政の失敗 (金は天下の回りもの)


消費と節約ー緊縮財政の失敗

(金は天下の回りもの)


お金を貯蓄に回すのではなく、買い物でお金を使うことは、お金が滞ることなく回ることになりますので、みんなにお金が回りますから、社会経済全体にとっていいことですよ。
経済を理解することは本当にむずかしい、例えば消費という言葉が翻訳が良くなかった
消費には消すということで悪いイメージとして使われた
それは江戸時代は物不足で節約、倹約の時代がつづいたから消費ということが悪いものとしてイメージされてこういう漢字を当てたのか?

消費というとき前は生協から伊達の醤油とか買ったことがあった、生協はやめたのでヤクルトでも売っているので買った
別に醤油など安いものでもいいとも思った、でもこれはいいものだから買うとなる
するとそれを生産している伊達市とか生産地に金が回る、売れるということで励みになるまた売る方でもヤクルトでももうけになる、つまり消費することで金が回るということである
もし節約して贅沢しなくてもいいとかなると金が回っていかないのである

金は天下の回りもの

こういうとき節約ではなく消費して金を回すということかもしれない、また金は一か所にとどまること個人でも貯めることは良くないものとしてこの諺が生まれたのかもしれない第一天下というとき日本全国から世界をイメージする、世界に金が回ることで世界が栄えるともなるからだ

消費することは何か非生産的イメージがまとわりついている
それで日本人が貯蓄好きというのは江戸時代からの継続としてすりこまれてそうなった
人間は意外とそうした習慣は歴史で作られたともなる
だから江戸時代が今と関係ないということはない、お上に従順だというのも江戸時代の継続として日本人の国民性を作ってきたからである
現代にも江戸時代の影響があり国民性を作ってきたとなる、それはいい面にも悪い面としても継続されている
消費が悪くて節約、倹約がいいというのは江戸時代に培われたてものだからである

そして徳川幕府が明治維新で倒幕派によって変わられたのは経済政策の失敗だった
そういう理論も成り立つのは政治と経済は密接に結びついているからである
つまり緊縮財政による節約、倹約の精神により経済が停滞してそれが幕府が行き詰まった原因とされる見方がある、経済というものが何かわからないからそうなったとなる
でも庶民の中では「金は天下の回りもの」という諺が生れていたのだから必ずしも節約、倹約をいいものとしてはいないともみれる
お上による節約、倹約が奨励されていたのであり庶民はそう思っていなかった
お上により贅沢が禁止されていた、いい着物を着るなとかいろいろ贅沢が禁止されたことがあったからだ、そこで贅沢は良くないものだ、消費は悪いものだとということが日本人に刷り込まれたともなる

消費というとき実際は生産と結びついている、パソコンを買うということはこれは使いこなすことが苦労である、でもこれによって知的生産が飛躍的に増大したのである
インタ−ネットができてから情報は膨大に流通するようになった
知識の量は江戸時代の一億倍とかにもなったかもしれない、情報洪水の中に日々いる時代である
パソコンを買うことでもカメラを買うことでも消費ではない、知的なものでも情報でも芸術としても生産することである、生産するために消費するのである
ギャンブルなどは消費になるが他は何かかえって消費は生活を向上するためにある

節約、倹約するのはやむをえずそうしている、もうぎりぎりの生活をしている人は節約も倹約もない、食べるものすら減らしている、電気を使わない人もいる
そういうのは節約でも倹約でもない、貧困を強いられてそうなっているだけである
余裕があれば人は消費する、生活向上のために消費するのである

資本主義社会では貯蓄というものをいいものとみていない、必ず投資することで経済が回るようになっている、第一銀行に貯金していても必ず銀行でも投資しているのである
なぜ高度成長時代に7パーセントとかの高い利子がついたのか?
それは金を貸す投資する会社がいて利益を出して利子を払っていてくれたからである
その時銀行はただ金を集めるだけで良かったのである
いくらでも借りて利子を払ってくれる会社があったからだとなる

でも今何が起きているのか?金あまり状態である、金があっても銀行だと貸す会社がないとかなり金をもうけられない、その余った金はどこに行っているのか?
株式に回ってコロナウィルスでが大量の失業者が出るとか餓死者が出るとか言う反面
株だけは上がっているのはなぜだろうとなるからだ
みんな苦しんでいる時になぜ株だけが上がり株を持っている人だけが得しているのかとなるからだ、それは何か不条理になる
経世済民が経済だとすると全く反しているのが現実なのである
ここにも資本主義社会が行き詰まっていることが現れている
つまり資本主義社会では投資先がなくなるとどこかでバブルが起きる
オランダでぱチューリップバブルが起きたり日本だと土地バブルが起きたり絵画バブルが起きたりする、余った金が投資先がなくなりバブルが起きる、今は株のバブルが起きているのかとなる、会社が景気が良くて株が上がっているのではないからだ
そしてこのバブルはすべていつか崩壊する、泡のように消えるとなる

経済は江戸時代は米中心の社会であり石高制であり米が貨幣にもなっていた
それが社会に適合できず封建制の徳川幕府が崩壊した
明治からは輸出産業として生糸が絹織物が輸出産業となりアメリカなどに売れた
それで経済が回り富を蓄積して戦争の武器などを作り太平洋戦争になった
次にアメリカに敗れて今度は電器産業が興隆して輸出産業になり高度成長時代になった
ジャパンアズナンバーワンの時代になった
それもバブル崩壊で終わり失われた30年になって日本は衰退した
辛うじて自動車産業が輸出産業となり日本の経済を支えているとはなる

日本はITに遅れて次の時代のイノベーションができなかったのである
物つくりはしてもこのITは別なのだった、情報社会についていけなかったのである
つまり経済成長するには節約でも倹約でもない新しい時代の産業を作ることだったのである、それに後れをとったから日本は停滞して衰退したとなる
今は物作りだけではない、情報化社会に日本が遅れたためだとなる
結局消費が悪いとかではなく節約、倹約しろというのは江戸時代からすりこまれた思想である、そういうものが歴史的に作られていて心の態度をマインドを作る
それは簡単に変えられないものだということである
ただ庶民から出た諺には何か普遍の真理がある
「金は天下の回りもの」ということがそうである、金は貯めるのではなく回さないと豊かになれないということである 

高齢化社会の問題は老人が金をもっていても使えないことなのである
何か新しいもの、機械を買ったが使いこなせないのである
また老人用の商品がないというのも消費できないことになる
スマホなども字が小さくて使いにくいとか何か老人は新しいものを使いこなせないのである、パソコンは長年しているから使いるがスマホはまた別なのである
だから老人が金をもっていても消費しないから金が回らないということがある
それで日本でも経済が停滞するとなる、高度成長時代は生産も増大したが消費も旺盛だったのである、だから高度成長経済になったのである
電機製品が欲しい、車が欲しい、家が欲しい、うまいものが食べたいと消費も旺盛だったのである、その団塊の世代などが老人になると消費できないとなったのである
また老人自体が貧困化していることもある、高齢化社会では何か経済も停滞してしまうのである

ただ意外だったのはヤマハのYPJ-XCは老人向きだったのである
最初マウテンバイクで若者向きと見ていた
でも乗ってみると平地でも走るのが楽なのである、それで病気になった人が運動に買ったそれだけ楽なのである、だからこういうものは高いにしても金がある老人なら買うとなる他の物は何か使いこなせなくなっている、それが高齢化社会の問題なのである

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 ヤマハ-YPJ-XC

これは老人向きだった

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2020年11月16日

危機感がもてない人間 (津波も原発もコロナも戦争も危機感をもてない)


危機感がもてない人間

(津波も原発もコロナも戦争も危機感をもてない)

まず津波に危機感をもっていなかった、この辺では津波が来ないという確信になっていて老人は逃げなかった、400年前に津波で700人溺死と記されていたがそれこも忘れられていて津波の以後に発見されたのである
ただ宮城県側では津波の危機意識があった

女川原子力発電所の建設にあたって、記録が残っているものだけでなく、
文献調査や聞き取り調査、考古学的調査、堆積学的調査によって、過去においてどの程度の規模の津波が三陸沿岸を襲ったかを調べた。

それによると、日本海溝で発生した大規模津波としては貞観津波(869 年、マグニチュード 8.6)、慶長津波(1611 年、マグニチュード 8.1)、明治三陸津波(1896 年、マグニチュード 8.5)、昭和三陸津波(1933 年、マグニチュード 8.1)などがあることが分かった。

明治三陸津波(1896 年、マグニチュード 8.5)、昭和三陸津波(1933 年、マグニチュード 8.1)などがあることが分かった。

近くで大きな津波が明治とかにもありそれで危機意識をもっていた、その相違は大きい
そして女川原発は東北電力が作ったのだから地元であり地元に通じていた
東電は遠くであり幹部でも安全を最初から計っていた、それで危機意識が薄れていたのである

そもそも人間は危機意識をもてない、津波のような空恐ろしいことが起きるという危機意識がもてない、もし危機意識をもったらあんな海岸線に住むことはできないからだ
村ごと根こそぎ津波に流されたからだ
もしそのことを頭にイメージでもできたらとても住めないのである
でもなぜかそんな危機意識も持たず平気で住んでいた
ここには津波が来ないとして老人は津波が来ても逃げもしなかったのである

人間は何かこういう大きな危機をもてない、日々の生活で交通事故になるとか何か事故が起きるとかはもつにしても津波などの巨大な災害をイメージできない、ただ三陸では明治にも一万人死ぬとか津浪で経験しているから危機意識をもった
でも相馬地域では危機意識を持てなかった

でも実際原発の煙突がすぐ目の前に建っていたら怖いこということがある
でもそれでも危機意識は希薄だったのである
「安全神話」が作られて安全だと思っていたのである
これだけ危険なものが目の前にあっても危機意識がもてない
それが人間の弱点になる、危機意識がもてないからのんびりしている

それは個人的にもそうだった、自分のことを延々と書いてきたが自分の家が介護とか自分自身の病気とかで崩壊寸前にてり死ぬほど苦しみを味わった
でもそのことは危機意識があれば予想できたことでもある
でも楽でありその楽に安住していた結果全部一人で負担を背負うようになったのである
それは予測できたことだが何もしなかったとためだとなる

とにかく危機意識がないということはコロナウィルスでもそうである
なんだたいしたことがないじゃないかとなり人が普通に外出して騒いでいるとなる
人間は人がバタバタ死ぬようにならない限り危機意識がもてない
若い世代になると症状が出ないとかなり警戒もしないとかなる
つまり人がバタバタ死ぬようにならないと危機意識がもてないのである
放射線の被害でもそれが十年後なのか二十年後なのか三十年後とかなるともう危機意識がもてない、人が放射線でばたばた死ぬようになると危機意識をもつ
それが人間の弱点なのである

危機意識というとき別に大災害でなくても人間が死ぬということを知っている
そしたら若い時から求道すべきだとなる、人間はなぜ死ぬのか?
死なない命が永遠の命があることを知るべきだとなる
でも危機意識が薄いから若い時は飲めや歌いやでたちまち貴重な時間が過ぎて求道する
時が消失する
他のことでも常に人間はチャンスを逃している

もちろんそうして危機意識を持てないから平然として生きていけるのだともなる
そんな恐怖を日々感じて生きていたら生きた心地もしなくなるからだ
とにかく人間は大きなことに危機意識をもたない、戦争があったのは70年前であり3百万人も死んでいる、それも忘れて日本が攻められるとか戦争になる危機意識はない
原発の「安全神話」とかにて事故は起きないとか戦争はないとかなるからだ

将来的に目に見える危機はある、2025年問題の介護が増える危機である
そういうことはすでに起きている、40過ぎた独身の人は親を施設に入れても備品などにかかり苦しいのに金を送っている、もう一人の母親も金が無くせびるとかある
つまり団塊の世代の子供の世代が親の介護になるのが2025年なのである
それはすでにはじまっている、その人たちは金もないのに親の負担を強いられるとなる
そして氷河期世代とかの老後は本当に地獄が見えている
また引きこもりなども親が死ぬと地獄になる、それは自分自身が地獄の苦しみを味わったからわかる、でもその用意は全然されていない
でもある時必ず親は死に援助は受けられなくなるのである

ただ人間は本当に危機意識を持てない、そして突然に不幸が容赦なく襲ってくるのだ
病気でも突然やってきて動けなくなったりする
そういう人がこの年になれば普通に近くにいるからだ
いづれにしろ人間の造りだすものがいかに安全でないか、でたらめなのか原発事故で知った、すでに技術者が配管が老朽化して危険だと指摘していたが東電ではとりあわなかった東電自体が危機意識をもっていなかったのである
十数メートルの津浪が来るという専門家の警告にもとりあわなかった
これも危機意識がなかったからである

だからコロナウィルスでもそうである、もう前のように危機意識がない、なれたとかあるたいしたことないじゃないかとなり人が普通に出ている
それも人がバタバタと死なない限りそうなる、それが人間なのである
そこにまた人間の危険性がある、コロナウィルスは未知のものだから対処がむずかしい
経済活動も継続せねばならないというのもわかる
ただ人間というのは危機意識を持たないことがとりかえしのつかないことになる
それは個人的にもそうだし大局的なものでもそうである
「中国何んか攻めてこない、アメリカが守ってくれる」とかなり危機意識がもてない
でもその潮目が変わってきたのである、アメリカはバイデンが大統領になり日本を捨てるというのもそうである
国防でも危機意識がもてないのである、だから核武装しろとかではなく危機意識がもたないことが怖いのである

そして人間の失敗は個人的にも国でも奢りになるとき失敗する
相手のこと敵のことがわからない、それで青銅器主体の野郎自大国が鉄器をもった漢に滅ぼされたのである、それは日本がアメリカに戦争で負けたのとにている
アメリカなどたいしたことがないとかなり大敗北になってしまった
アメリカのことをほとんど知らなかったからである

では具体的にどうすればいいのか?それもあるがまず危機意識をもつことが肝心なのである、もし危機意識を持てば備えることができる
女川原発では身近に明治にも一万人死んだとかの津波の被害があったから危機意識がもてたのである、その他はそういう危機意識をもてなかったのである
相馬地域では津波は来ないという確信にもなっていたからである

ともかく危機は現実になる、それがどういうふうにしてくるかわからないが現実になる
それは個々人でもそうである、それを自分は経験した
その時地獄の苦しみを味わうのである、今でも苦しみに自分はうなされているからだ
ただ人間は危機が目の前にあっても自覚できないのである
だからこそ生きていられるともなる、でも危機意識をもたないことがやがて致命的になることは確かである

だからコロナウィルスにどう対処するのか、それはわからない、ただの風邪だという専門家もいるしそんなに恐れるものではないというのもわかる
ただコロナウィルスでもそうだがバタバタ人が死なない限り危機意識を持てないのであるだから今やなれてウィルスを恐れない、それは被害が大きくくならない限り危機意識をもてない、津波や原発事故はまさにそうだった

これだけの空恐ろしい被害がでて危機意識をもつようになる、そうでなければ危機意識をもてないなのである、それも時間がたつとだんだん忘れられる
すでに津浪でも原発事故でも十年一昔になり記憶が希薄化してゆく
この忘れるということも人間の弱点である、3百万人も死んだのにその戦争の記憶すら希薄化しているのである、風化しているのである
ここにまた人間の危機があるとなる、危機意識がもてなくなるのである
それがまた大惨事につながることになる
つまり歴史は繰り返すであり、またカルマは業でありその業はくりかえされのである
それが人間の宿命なのでる,ウィルスも歴史上何度も襲ってきて大被害を与えていたからである
それも人間のカルマだったとなからだ

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冬の樹の写真 (写真で発見する変わる見方)


冬の樹の写真

(写真で発見する変わる見方)

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芒が見えるから秋である、まだ枯芒にはなっていない
この風景も普通は見逃している
たまたま写真とって発見したのである

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冬薔薇

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紫式部

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二本の木の重くも冬日没る

誰が棲む灯ともりあわれ芒かな


この冬の樹の写真は広角で撮ったが自分ながら感動した、そこは毎日通っている場所である、だから特別な場所ではない、でも何か写真にこるようになってから写真を撮ってみて発見があった、カメラから見るものが撮るものが違って見えるのである

ただ写真は構図をとるとかいつも見ている場所でとないとうまくいかないと思った
何かいつも見慣れた場所だといろいろな角度から試しに撮ってみたり構図を変えたりできる
でもこれが遠くになるとそれがしにくいのである、その場所になじまないとできないと思った、この写真は毎日通っているから角度を変えたりして撮ることができたからである
そして広角で撮ったことが成功だった、写真はレンズに左右されるのである
私は別にレンズは二つしかもっていない、それも安いものである
レンズがCAMERAり高いのには驚いた、ええ、こんなに高いのと驚くのである
ただレンズによって移り方も違ってくるのも確かである

とにかく写真はいろんな角度から枚数をとるこはて上達する、でも遠くに行くとそれができない、場所を点々と変わるからである
人間は自然と一体化するというときそれは身近な自然になる
それはいつも見ているしそうしてなじんでいる内に一体化してゆく、アイディンティティ化してゆくのである

この辺の自然でものたりないのは高い山がないことである、阿武隈山脈があるとしてもこれは阿武隈高原であり山というものでもない、高い山がないので風景が引き締まらないのである
写真をとるには自転車ではきつい、車だと機材をもちこみ定点観測できる
それで富士山をとるために車に半年も泊まり込んで撮っていたというのもわかる
それくらい自然は刻々変化するから定点観測しないといい写真が撮れないのである

ただ写真が万能ではない、やはり本当に実感するにはその場を歩いてみることが必要である、写真だけでは実感でないものを知る
ここは毎日通っているからこの写真に我ながら感動したとなるからである

この桜の木は一部が枯れた、何か枯れやすいとか維持するのが苦労らしい、近くの人が手入れしているからだ、でもあそこの桜の樹は太いから見応えがある
樹齢何年かわからないがそれなりに長いだろう、他にも桜の木が土手に植えられても育つのに時間がかかるのである

2020年11月15日

冬の日(コーヒーとお茶の相違は文化の相違) (紫式部のフラワーアレンジメント)


冬の日(コーヒーとお茶の相違は文化の相違)

(紫式部のフラワーアレンジメント)


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冬薔薇

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冬薔薇一輪静か石に向く

我が庭に山茶花咲きて冬の陽の静かに移り籠りけるかな 

文化という時、それは食生活でも色椅子多方面にわたる、ただ腹を満たすのが文化ではない、今はあまりにもいろいろなものを食べるし飲む
料理でも人間はただ腹を満たすだけではない、本当の料理は見映えがいいとかいろいろある、そして日本料理と外国の料理は自ずと違っている

例えば新田川ユッサで庭に石がある、そこに冬の陽がさしている
その時確かにコーヒーを飲んでもいい、でも何かそこで抹茶を飲むと心落ち着くとなる
つまりコーヒーとお茶では相当に違ったモノなのである
だから日本ではお茶が芸術となり文化となったのである 
新田川ユッサには茶室が似合う、ただ庭が貧弱なのである 
茶室を作ればそこで一杯茶を飲んで心安らぐとはなる

あそこがいいのは大原の方に行く道に意外と蛍袋とか竜胆も咲いていたのである
だから散策するにはいい道なのである、でも田畑がまだ荒れていることが問題なのであるまた空家化しているのも暮らしが感じなくなり嫌だとなる
ただこれはこの辺だけではない、山村は過疎化して農業を受け継ぐ人がいなくなっているのだ

 stone to stone
   face to face
 man to man
 sunny light in winter
 in closed tea room

抹茶の渋さとかとコーヒーの味そのものが違っているのだ、お茶を飲むとき日本人になり心落ち着くとなる、それが文化なのである
だからコーヒーとパンはあっている、御飯とコーヒーが合わない
それは日本が米とお茶を飲む歴史が長いからである
外国ではパンの歴史が長い

今から8000年6000年ほど前、古代メソポタミアでは、小麦粉を水でこね、焼いただけのものを食べていました。これがパンの原形とされています

米の歴史も長いがパンの歴史も長いのである、そのバンと合うものとして葡萄酒が作られたりした、パンに合うものと合わないものがある
食べ物は文化の基本になる、人間はただ腹を満たせばいいとはならないからである
そこに様々な工夫があって料理が生れたのである

今日は寒い、昨日はあたたかかった、温度の変化が大きい
この山茶花は秋に咲く、冬に咲くのが普通であるが秋に咲く、ただ今年は秋が冬になった感じになるから冬に咲いたとはなる

写真で紫式部をうまく撮ろうとしたがアレンジがうまくいったとはならないかもしれない
フラワーアレンジメントもむずかしいのである、ただ写真だと紅葉の色がこんなにも違ってとれる、写真はやはり絵画とにていてカメラとかレンズで相当に違ってくる
季節の感じを出すには秋は秋らしいもの、冬は冬らしいものを入れる
今なら枯葉を映すことで冬を感じる、薔薇一輪だけ映しても冬薔薇と見られないからだ

いづれにしろ写俳ー写生俳句はデジカメになって新しい芸術分野を作ったのである

2020年11月14日

原発事故の避難区域に誰でもいいから人が住むべき (人が住むことによって荒廃からまねがれる)


原発事故の避難区域に誰でもいいから人が住むべき

(人が住むことによって荒廃からまねがれる)

集落全体が「山に呑まれて」、道路も藪で覆われて、獣や蛇が出るので、怖くてとても墓参りになどゆけないということでした。人間が住んでいると、それだけで自然の繁殖力はかなり抑制されるのですが、ひとたび無人になると自然が堰を切ったように文明の痕跡を覆い尽くしてしまう。

日本にはいま100万人の「引きこもり」がいるそうです。その人たちに過疎の里山に来てもらって、そこの無住の家に「引きこもって」もらう。里山だと「そこにいるだけで」、里山を自然の繁殖力に呑み込まれることから守ることができる。

これを感じるのは原発避難区域になった所である、特に飯館村とか浪江町とか双葉町とか大熊とかが人の住まない地域になった
そこがどうなったのか?空家だらけでありゴーストタウンや村になった
人が住まなくなるとみるみる自然に逆に浸食されて草に覆われて竹でも下から生えてくるとか自然に呑み込まれるとんいうのは本当である

だから飯館村とかに住んだ科学者なのかまずとにかく人を住まわせるべきだというのは本当だと前々から私も言ってきたのである
人が住まないことはあれほどに荒廃させてしまうのである
だからともかく何であれそこに人が住むことがそうした自然の浸食荒廃を食い止めるというのは私も思う
そのことをずっと書いてきたからである

放射線の被害があるからそれも強く言えないが、荒廃を防ぐにはとにかく引きこもりでもいいそこに人が住むことが肝心だというのは賛成である
ただ住むとしてもでは町や村を離れた人がそうした何もなくなった場所に住むことはもう簡単にできない、10年も過ぎれば生活が別になってしまったからである
子供でもすでに十年過ぎれは他の土地になじんでいるからである

ただここで言っていることはとにかく歩哨としてでも誰でもいいからそういう場所に人が住むことに意義がある、それは西部開拓で一人でも人が住んでいてそれが荒廃を防いだというのもそうである
つまりそういう場所に一人住むことはどれだけ意義があることになるかである
もしそういう場所に住めば一人でもその一人にその土地の歴史とかを担うことになってしまうのである、死者もそこにいるからである、墓地もあり墓参りもしないと先祖も見捨てられたとなり幽鬼のようにさまようことになる
神社などもお参りしないとそれが死んだものとなり呪いともなるかもしれない、墓も同じなのである

一旦人が住んだ場所ともともと自然だけの場所とは違う、一旦人が住むとそこに人が住まなくなると何か一段と淋しくなり荒廃して幽鬼が彷徨っているようになる
つまり何か浮かばれないものがゴーストタウンをビィレッジを彷徨っているとなる
だからともかく一人でもいいからそういう場所に住むとその人がそうした荒廃を防ぐともなる、それだけの意義が与えられとなる、だから新しいフロンティアだというのもわかる

例えば何か自分自身は親に恵まれていた、それでみんな家族が死んでも家が残っている
その家には依然として家族がいる感じにもなる
つまり家があることの幸福を感じた、そして親に感謝するのである
そして家というのは単なる箱ではない、ものではない、ものだとしてもそのモノがモノが憑くというモノになっている、それぞれの家には歴史がありその土地を語っていたとなるだから一旦人が住まなくなると廃屋になるとそこには何か物の怪がいて幽霊が棲んでいる感じになるのである、それだけその家に執着するものがありそうなっているともなる
廃屋でもそう感じる、もし家が壊されたりするとそういうことは感じないのである
ただの更地となってしまうからである

アメリカの西部のような信じられない広大な世界ではそこに一軒の家でもあればほっとする、それが原発事故の避難区域と似ていると言えば似ている
そこになお人が住んでいることだけで救いを感じるのである  


家の歴史

家は北風を防ぎ広い廊下に
冬の陽がさしてあたたかい
我が家は地元の木材で作られた
50年前にもなり古くなった
でも十分に住める
この家は親が与えてくれたもの
親はいつもこの家を自慢していた
それぞれの家には歴史がある
そこに営まれた人生がある
家というのはただ人の住む箱ではない
思い出がつまっていて
そこに苦労があり楽しみがあった
家は冬になると重みを増す
まるでその土地に根付いた木のように
北風が吹いてその土地にさらに根付く
また代々つづく家には重みがある  
人間はとても一代では富は築けない
代々重ねたものがありそれが家の重みとなる
冬には家が大事である
寒さと北風を防ぐから
そしてヨ−ロッパなら暖炉であたたまる
そして回想にふける
家は冬に重みをます
その家とともに人間も重みを増す
何か受け継がれるものがある
そして先祖もその家にいる
それが古い家なら特にそうなる
死者もまた以前として家に棲んでいる
それだけ家は人間と一体となっている 


このように家にはそれぞれ歴史があり何かその土地を語る
私の家はなぜ早く建てたかというとこの町で一番低い場所にあり伊勢湾台風の時か、
もう屋根の下まで水につかってひどいめにあった、その後も川が氾濫して床上浸水になった、それで二階を建ててそこに水害の時逃げるということで家を早めに建てたのである
つまりそれぞれの家には何かこうして歴史がある
これも自分の家の歴史であり町の歴史でもある、一軒一軒の家が市町村の歴史なのである郷土史なのである、だから古い家は学者の調査対象にもなるのである
そういう家の歴史が失わせたのが原発事故だったともなる
ただ津浪でも根こそぎ村が失われたのだからそこで歴史が消失したとなる
それは自然の作用だったが原発事故は人為的なものでありその被害の方がここで大きかったのである

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大原の廃屋

これは原発事故で廃屋になったのではない、その前から廃屋だったのである
この家は本当に幽霊屋敷である、ここから幽霊が本当に出て来る感じであり不気味なのである
依然して家族がいなくても幽霊が棲みついている感じになる





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2020年11月13日

冬の日に大原を回る (暮らしと生業がないと村も活きない)


冬の日に大原を回る

(暮らしと生業がないと村も活きない)

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新田川ユッサの庭

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冬の蝶
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ユッサから大原の道


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空家の斎藤家が見える
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大原の幽霊屋敷

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この柿の木は古い

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寒雲や老婆一人の通り行く

冬日さし石の二つやお茶を飲む

木の葉散る大原の道墓地を見ゆ

残菊や大原の里の小径暮る

大原や老木の柿今もなる

大原に数羽飛びけり冬の蝶 

大原や薊に蝶のとまりけり

竜胆の隠され咲きて山の村           

大原と大谷村や冬の暮  

太原に空家残りて冬の草

冬の日にのろのろ歩む亀ととも

大群の烏終結冬日没る


前田から遠田とありぬ冬の日や大原のくらし空家残りぬ

冬の日や杉の木立に隠されて大原の人ここに眠りぬ

大原に生きて死すかなその人のなおここにあらむ冬の日暮れぬ 


橲原から山の中の新しい道を行き大原を回った、新田川のユッサで休んで回ってきた
この辺では橲原村とか大原村は街から離れていて山の村となる
ただ原発事故以後田畑はまた回復していない、荒地のままである
ただ最近放射性物質の貯蔵した土が運ばれて元にもどりつつはある

でも何か山の村という感覚にともしなくなっいる、それは原発事故があったからだけではない、そもそも山村とかはグロ−バル経済とかも影響して木材は利用されないとか農業は金にならないとか様々な時代の影響で衰退して過疎化した

ただではもともと山の村とかさびれたところだったかとなるとそうではない
山には木材があり炭焼きなどをしていたときはにぎわっていたのだ
その証拠が今の人口の倍くらいどこでも生活していたのである
特に戦後は引揚者が職がなく辺鄙な場所に開墾に入ってきた
鹿島区だと寺内にその開墾者が入った人の碑がある
街から近いのにそんなところに開墾する場所があったのかとなる
自分は子供の時そこに知っている人がいて店をしていたとき卵を買いに行ったからそこに引揚者が開墾に入ったことを知っている、それは相当に貧しかったのである

大原村の中心は前田というある場所である、前田とある場所は早くから開かれた場所である、それと対比しして遠田となると遠い田であり前田から遠い場所なのである
地名として残っているから明確である
つまり日本人は田を作り米を食べることでどんな所でも田にしたのである 
大原遠田という地名がありかなり奥である

とにかく大原では南相馬市の病院に入院していたとき斎藤氏と同室でありそれでその窓からいつも大原の方をながめていたのである
その人もまもなく死んだ、そして杉木立の中に隠されるように墓地がありそこに眠っている

そしてその住んだ家は空家になっている、入院していたとき猫のことを心配していた
すでにその時から一人で住んでいたのである、息子は街の方に住んでいるからである
それで何か後継ぐことで息子に言い残すことがあったらしい
一軒の家はなぜか壊されないで幽霊屋敷のようになって残っている
その風呂は煉瓦の風呂でありそういう風呂を作ったということはそれなりに金があったともなる
なぜなら戦後の風呂は私の家では鉄砲風呂であり父親が手作りでその風呂屋を作ったのである、だから煉瓦の風呂となれば贅沢だとなる
いづれにしろあそこの幽霊屋敷は壊さないのはなぜかとなる、本当にあそこからは幽霊が出てくる感じなのである

なぜ原発事故と関係なく山村は衰退して過疎化したのか?
何か大原であれ橲原であれ栃窪村であれそれは飯館村とは違って街が近い、だから今になると街が山の方へ拡散して山の村として自立してはいないのである
街の延長のようになっている、特に石神村などは市街化した村なのである


ともかく日本の山村が過疎化しているというとき時代の変化でそうなった
村でも昔はそれなりに繁栄して自立した面もあったのである
暮らしといっても農業は主とならずみんな会社員となる
木材も外材になり利用されないとかなにかと活気がないのである
何か山村が空洞化する、原発事故以後は特にそうなった

でも不思議なのはどこの山村でも今の人口の倍以上ありその人口を養うものがあった
それが時代の変化のなかで村が空洞化してしまったのである
ただ街の延長として存在するようになっている、だから村の魅力が消失する
村の残影だけがそこにあるような感覚になるのある
昔は村は生活の場所であり生業の場所であり人間がそこで生き死ぬ場所だったのである
もちろん外との交流があったにしろ基本的に村は自立していたとなる

ただ今でも地形的には橲原村と大原村は奥座敷なのである
それで深野のユッサはいい場所にある
今日はその庭の石二つを見て休んだ、そこで飲むお茶は落ち着くとなる
ただ正直あそこは景観的にも庭も貧弱だとはなる
もっと大きな庭とか森を感じるものがあるといいとなる
ただ何か小鳥が飛んできたからそれなりに自然がある場所なのである

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イオンに行く所の家で飼っているリクガメは大きい、ゆっくりと歩いている
60才とかいうのも驚く、もっと長生きするらしい、すると飼っている方が早く死ぬということがある、亀は万年というのは本当だった

烏の大群が電線にとまっていた、何羽いるのか百羽はいる、なぜこんなに集まったのか?原町は広いから烏も多いとなる

ともかく今日は風もなくあたたかくて良かった、自転車は風に弱いし寒さも弱いからである
だから冬とい感じもなかった

2020年11月12日

余裕のない人は他者を省りみない (自分のことしか頭になくなる―日本は貧困化しているから)


余裕のない人は他者を省りみない

(自分のことしか頭になくなる―日本は貧困化しているから)

その女性はガスの風呂を使っている、それでずっと私自身がユニットバスの水を一旦だしてからまた入れ替えてガスでたいていた
それてユニットバスの水がその度にいれかえるので水道料が高くなったのである
それをなんとかしようとしてその女性に聞いたが良く話を聞かない
それで二年以上かそれ以上水道料を高くしていたのである
ただ私は風呂には春から秋でも一週間に一回くらいしか入らないからそんなに水道料はかかっていなかったのである、だからそんなものかと見逃していたのである
そしてオイタキ機能を使っていたのだがこれはお湯が出るとばかり思っていたのである
これはお湯が水とともに出るわけではなく水をあたためる機能だった
それに気づかなかったのである、これは長くは使わないからである

そのことを見回りにきたイワタニの人に聞いた、そしたらオイタキで使用した水を温めることができると知ったのである、それを知らずに使っていたのが大失敗だった
ただ一週間に一回くらいだったから水道料金にはそれほど影響しなかったからそのままにしていた
でも今年は早く寒くなったとか何か年で冷えやすくなったとか風呂に入る回数が倍以上にもそれ以上にもなった、それでいちいち水を全部出して新しく風呂をわかすことが金がかかると思って困っていたのである
とにかく今日見回りの人が来て聞いて助かった,風呂を利用する頻度が多くなるからだ

いづれにしろ人間は余裕がない人は相談相手にもならない、第一その人は毎月電気ガス水道料金を払えないからそのことで常に頭一杯になっている、自分のことで頭一杯になっている、そういう人は他人の話など良く聞かないのである
そして機関銃のように困ったことを訴えるのが日常なのである
でも相手が困っていてもその話を良く聞かない、聞いている余裕がないのである
自分のことで毎日精一杯だからである

こういうことは自分が介護している時や病気のときでもそうだった、相手はその苦しいとか困ったことが見えない、第一その人も事業に失敗してただ頭の中が金だけになっていただから相手が苦しんでいても自分のことで一杯であり余裕がないから他者の困っていることは関係ないとなる
なんか家族が病気になったり自分が病気になったりしてから自分の身に起きている
日本が貧乏になるときこうして余裕がない人が増えて来る、金に追われる人が増えて来る
そしてどうなっていくのか?

犯罪者が増えてゆく、犯罪者とはもともと悪い人とは限らない、人間は追い詰められると犯罪者になるのである、明日食べるものがないときわずかの金でも襲い殺すこともある
それが生物だとなる、餓えたら襲ってくるのである
日本が貧困化することの恐怖はそこにある、ともかくみんな余裕がないとなるときそうなる

統計ではかえって富裕な人が金銭的にも余裕がある人達の地域で助け合うというのもそうである、貧困者が集まる所では犯罪が増える、助け合うこともできない
みんな余裕がないからだ、だからわずかの金でも奪うということもある、物でも奪う
貧困者同士は助けあえないのである、電気水道ガス代払えないからとして金をくれと言ってもないからである

でもそういう人と付き合うことは犯罪の予防にはなる、それでも全く他人のことを思いやる余裕もないというとき一方的になり肝心の自分は何もしてくれないとなる
何もしなくてもいいがちょっとした助言でもしてもらえない、ただしてもらったことはある、でも相手のことを良く聞く余裕がないから親身になって聞いてくれないのである
だからかえっていいことがなく損が多いともなる

なんか生活保護は最低限を保証して犯罪を予防するものだとか言われる
それもそうだと思う、もうぎりぎりに追い詰められれば人間に善悪はない、食べるために襲ってくるとなるからだ
ただ日本自体が貧乏になる時そういう余裕がない人であふれる、その時どうなるのか?
いくら余裕がある人がいてもそういう人が多くなると安穏としてはいられなくなるのだ
極端の格差社会になると犯罪が増える、金持ちも誘拐されたりする
それが一番怖いから生活保護の制度がある
しかし今生活保護は本当に厳しいし簡単にもらえないしもう門前払いになる
もらっても医療費は無料とかだけになるが実際は医療費も無料ではない、二割三割負担されているのである

とにかく家族がいたときは自分はめぐまれていた、家族の介護とかなって本当に苦しくなった、それを自分を気遣ってくれる人もいなくなりこちらが気づかい世話する立場になったからである
そして家を維持するときいろいろなことがある、今回のことはその一部なのである
他でも何か自分は世事にうとくわからないことがあり失敗しているからだ
だから引きこもりとかニートとか大量にいるけど両親とか死んだら地獄になる
その例が自分自身だったのである

ともかく現代の問題として機械の操作ができなくなることがある、特に老人は機械の操作が苦手になる、だから新しく買った機械が使えなくて失敗した
ただ今までしていことはパソコンでもできる、でもスマホとなると私自身でもしにくいからしないのである、他にも機械をうまく操作できないことがある
これが現代の老人の大きなハンディキャップとなっているのだ
現代はある面では老人が高齢化社会でも生きにくい社会である
老人向きの商品も売っていないとかいうのもそうである

ただ不思議だったのはヤマハのYPJ-XCは老人向きだった、最初マウテンバイクだと見ていたが全然違っていた、普通の道路が走り安いのである、第一27・5のタイヤとなると大きい、するとマウテンバイクとしては使いにくいのである
それで一回り小さいさらに改良したマウテンバイクが発売された、これは60万もしているこれならどんな悪路でも平気だとはなる、何かプロ用だともなる
現代の問題は老人にとっていろいろな機械が操作しにくいということがある
かえって若い人に教えてもらうとなり老人が何か役立たないとされるのである

ただ老人には経験したものがありそれは活きる、私は全国を旅したからそのことで今日も国造りのことで小国の地名のことなど書いたからである
こういうことは経験しないと書けないのである、その場に行かないと書けないことなのである、だから依然として老人は経験したことで何か教えることがある
だからプログでもyoutubeでも老人が発言している、その内容は若者より心にひびくものとなる、アメリカに十五年仕事していたとかいう経験はなかなかできない
私自身は外国生活していないからそこに差が生まれたのである


とにかく自分で思いこんでいるより直接きいてみることである
これは命にかかわる、医者行かないで聞かなかったの手遅れにり死ぬところだった
つまり良く聞かないこは死ぬこともある
たた聞く相手が問題なのである、ここではそなつくたガス屋に聞くべきだった
ただユニットバスを作った会社とガス屋違っていの問題だった
でもとにかく聞かない失敗したのである

国(くに)とは何なのか? (古代から国造(くにのみやっこ)から考察)


国(くに)とは何なのか?

(古代から国造(くにのみやっこ)から考察)


くに‐の‐みやつこ【国▽造】 の解説
《国の御奴 (みやつこ) の意》大化の改新以前における世襲制の地方官。地方の豪族で、朝廷から任命されてその地方を統治した。大化の改新以後は廃止されたが、多くは郡司となってその国の神事もつかさどった。くにつこ。こくぞう。

東の毛野(けぬ)、西の筑紫・豊・肥の君姓国造などさまざまであり、一律に行われた編成ではないことが分かる。

国造はそれぞれの国造の祖神たる神祇の祭祀を司り、部民や屯倉の管理なども行った。国造族の子女を舎人や釆女として朝廷に出仕させており、紀国造や上毛野国造などのように外交に従事したりもした。また、筑紫の国造(筑紫国造)のように北九州を勢力下に入れ朝廷に反抗する者や、闘鶏国造のように解体された国造も存在する。


国(くに)を考察するときそこが最小の国からの行政単位としてあった
だから国造(くにのみやっこ)が中央から派遣された
ただもともとそこに何らか国が形成されていないとそれもできない、その地域に国が形成されていて国造が中央から派遣された、第一荒野のような所だったら派遣しようがないだろう

浜通りでは石城(いわき)、染羽(しめは)、浮田が国造りが置かれた地域である
染羽(しめは)は浪江辺りであり浮田は南相馬市の鹿島区である
だから古代になるとこの三つの地域はすでに一つの国が形成されていたとなる
そこに何らか国となる人口があり人々がそれなりに住んでいたとなる
一番古い国があったとなる 、これは毛野系統なのである

ただクニというとき県(あがた)がありムラがありマチがありミヤコがある、クニというのがどれくらいの範囲なのか明確ではない、国造りのクニは狭い範囲なのである、浮田などになるとそこは相当に狭い、一つの村くらいなのである
だからクニという今の感覚では狭すぎるとなる

会津嶺の国をさ遠み逢わなはば偲びにせもと紐結ばさね

万葉集にのっている国では会津が一番古いとなる、でも会津というとき広いのである
それだけの広い所が国として意識されていたとなる
だから国造(くにのみやっこ)が置かれた国とも違って大きいとなる

そもそも国意識がどうして生まれたのか?

それは何か風土と密接に関係している、どちらかとうと四方山に囲まれた地域が国として意識されやすい、だから会津が国として古代から意識されていた
そして日本は地形的に山が多く山に囲まれている、そこに小国(おぐに)という地名が多い、阿武隈山中にも小国がありそういう場所なのである
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山超えて小国とあれや春の日やバスにおりたち一時ありぬ

福島市に行くのだがここでバスで降りた記憶があるからだ
それから小国町もありそこは遠かった、さらに青森県の黒石市から温湯(ぬるゆ)温泉へ雪が積もっている時バスで行った、トンネルをぬけるとそこにも小国とあった
こんな奥に小国があるのかと不思議だった、そこは十和田湖に近い場所でもあった
つまりこのように日本に小国という地名が多くそこを一つの国として意識していたのである、だからもともと国はそうして小さい隔絶した山に囲まれた辺鄙な所だった
そこで自給自足して暮らしていたとなる
それにしてもそこまで行くのはバスしかないのだから難儀する、車があれば別だがバスは不便だからである

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クニというとき村とも違う、村は群れるからきているから人の匂いがする
クニは区切られたとか一つの区切られた地域であり自然をイメージする
でも国というときその範囲が拡大して来た、すでに会津嶺の国でもそうである
だから日本全体が国となったのもそうである、でももともと国造りが派遣された場所でありそこは何か狭い場所なのである
今の意識とは相当に違ったものと感じる   

柳田は〈ヲグニ〉の特徴として「生活品は塩さえも土地に産することがあり、武陵桃源の隠れ里のごとく、彼らが自得自讃の根拠あることを感ぜしめる」と記しました

日本は山が多いからそういう隔絶した場所にも住んだ、だからそこで小国という意識が生まれた、そこで自給自足して生活していたからである
飯館村などがそういう地理にあり海側からすると峠を越えるのが容易ではない、地理的に隔絶されている、そこは貧しい地域だったともなる、ただ森が多いから炭焼きなどで豊かになった人もいる、木材が豊富だからそれで伊達との争いもあった

いづれろにしろ私は国にこだわるのはその土地と一体化してアイディンティティ化するのが国だからである、ただ故郷ととなると古い里なのだから狭すぎるのである
国というときもっと大きな自然がありそこでアイディンティティ化する場なのである
だからこそ日本国となるのもそれだけクニが広い範囲として国土として意識されたからそうなった、ただ行政的単位ではない、クニとはだから福島県だったら会津とは一体化できない、浜通りと会津とは全く違った風土と地域だからである
だからそれを国として意識することは無理なのである、ただ一応福島県内にあるから親密感はあるとはなる、でも地理的には相馬地域なら宮城県と仙台方面と一体感が海を通じてあったのだ、それは津波で意識された、だから宮城県の津浪の歴史を地理的一体のものとしてもっと郷土史で探求していればよかったとなる

ただ一時私はスマトラ津波の時相馬市に松川浦から津波が来て奥まで砂がボーリングで発見されたとありそのことを書いた、それは貞観津浪のものであった
慶長津波のことは何ら記録されていなかったのである、相馬藩政史に二行700人生波(いくなみ)で溺死としるされていただけなのである
それも津波の以後に発見されたのである、だからここは津浪の記録の空白地帯になっていたのである                              

ともかく地理と歴史は不可分に結びついている、だから地歴なのである
それで日本国内なら隈なく私は旅行しているから地理はわかるのである

abstract river and forest


abstract river and forest


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morning forest

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autumn leaves

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2020年11月11日

晩菊、冬薊、芒(冬の写真三枚)


晩菊、冬薊、芒(冬の写真三枚)

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晩菊やふるさとの小径飾り暮る

晩菊のここに落ち着き咲きて暮る

残菊のあまたや暮れむ田舎かな

十数輪ここに暮れむや冬薊

夕日さし芒なびくや電車行く



写真とるようになってから何でもないものをカメラを通してみる、すると見えないものが見える、またカメラで肉眼では見えないものを見ようとしたりする
だから意外とカメラの効用は大きい、今まではただ撮り記録するだけだった
今は一シーンでもより効果的に美的に画家のように残そうとする

その一つの例が冬薊の写真である、最初薊だけを撮っていた、でもそれだと季節がいつかわからない、それで枯れた葉を映し背景に枯野があり冬の没する陽がさして明るくなっていた、これで季節がわかるともなる

もともと自分は正岡子規の写生俳句から俳句をはじめたし短歌もアララギ派とか写生を基本にしてはじめた
だから写俳という分野が生まれたことは新しい芸術の分野が生まれたのである
それはデジタル化されたカメラが生まれた時生まれた
なぜならいちいち現像していたらとても表現できないからである

デジタル化するとインタ−ネットとつながり即座に発表もできるからだ
インスタグラムなどでもそうであるし他のSNSでもそうである、ただ自分はしていないいちいち答えるのがめんどうになるからだ
毎日こうしてプログに出すだけで時間が撮られるからできない
家事を全部していると何かかにか仕事がありできない

何か晩菊とか残菊というとき淋しい感じになるが実際は多く咲いているとそういう感じでもない、ただ晩菊とあれば淋しいという感じになる
やはり年取ると晩菊であり残菊をイメージする、何かここに落ち着きたいとなる
でも経済的に毎月電気水道ガスを払えない貧乏になると落ち着けないともなる
それが田舎の問題でもある、ある程度の資産があり貯金でもあり余裕がないと田舎でも落ち着いて暮らせないのである

どうしていい写真を撮るかというとき今回芒の写真をとった、これは鉄道のレールの近くでありこれを電車と一緒にとるといいと見た
だから次はそれを試してみよう、写真はある場所を選び構図を選らびとる
だから旅して移動していると写真はとりにくいと思った
地元なら構図を何度も同じ場所に行くから設定できるからいいのである
写真をとることは結構な労働なのを知った


2020年11月10日

資本主義社会で商品化されて切り売りされる人間 (全人間を生きるにはアウトサイダーになるほかない)


資本主義社会で商品化されて切り売りされる人間

(全人間を生きるにはアウトサイダーになるほかない)

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材料として人間は商品化され切り売りされる

このサイトは引用もできないのか?人間が派遣されるのではなく、人材が派遣されるという、資本主義社会の冷酷な現実をこの人はいつも書いている
確かに人材というとき材は材木であり木のことなのである、木は一つの生命体であり
森の中で生きている時は全体として森の命として存在していたのである
でも一本の木が切られて材料となるとき森の全体の命から切り離された材料になったのである、商品となったのである
それで森に生活していたソーローはその森の木をただ商品として見ている商人に怒ったのである、ソーローは森の住人であり森全体の中で生きていたからである

資本主義の矛盾を冷酷さはマルクスが人間の商品化を人間疎外として指摘していた
だからめずらしいことではない、人間はみんな商品にされているのが資本主義だとなる
だからそれは社会全般でそうなっている、婚活とかも人間を商品化しているという感覚になる
商品として価値あるものが男女とも選ぶ市場を形成しているからである
それは遊郭の遊女でも商品として並べられて選ばれて金で買われていたのと同じである
一見婚活は現代的合理的なものとして見られるがやはり資本主義的現代社会の一端として現れたものである
そこでなかなかうまく選ぶことができないというのはどうしても男女とも商品化するとき商品価値が高いものを選ぼうとする、すると互いに望みが大きくなり選ぶことがむずかしくなる、そして選ばれる最高の商品はみんなが欲しい商品なのだから簡単に手に入らない競争も激化して手に入らない、でもいつまでも相応の人がいいとはならず高望みして決まらないとなる、つまり人間が商品として陳列させていることなのである
婚活を主催する人は昔なら仲人なのだがその商品をすすめる商売人となっているのだ

何かこのことに興味をもったのは私は森を詩で追求して来た
木の詩も書いてきた、それでその見方が面白いと思ったのである
このサイトではもともとユニークな見方をしていたのである
なぜ現代社会ではこうして人間が商品として能力にしても一部が切り売りされるのか?
それは資本主義社会だからというのでもない、現代文明がたどりついた結果なのである
文明そのものが非人間的なものである

人間が派遣するのではない、人材を派遣する

このことがまさに非人間的なことなのである、人間というとき森のように全体のことであり人材とはその森から切り離された木という材料にすることである
その時森という全体の命から切り離されたものとなり生命としては死んだものともなる
第一森全体を派遣したりできない、森は全体でありそれは一つの命として存在しているからである

また人間を派遣するいうとき、人間とは全体のことである、部分のことではない、なぜなら人間一人は様々な要素があるからだ、家族の一員であれば妻であったり母であったり
家族の中の一人として機能している存在である
その家族という全体から抽出して一部の能力を人材として採用するのが会社なのである
そもそも社会の仕事は人間的なものを切り離してある一部分の能力だけを見て採用する
人間全体を見る人はいない、そんなことしたら会社が成り立たない
ただ高度成長期はそういうことがあった、家族全体の福祉とかを担っていたのである
だから運動会とか社員旅行とか様々なことで家族のようにもなっていたのである
それは会社が高度成長で終身雇用ができてそうなっていたのである
人を雇うとその人の頼みとか聞いているときりなくなるのである
何で困ったとか助けてくれとか病気だから休ませてくれとかな本当に切りなくなる
でも資本主義社会では冷酷である、もう働けないからやめてくれと首にされるだけなのである、そして代わりはいくらでもいる、いないなら外国から連れて安く働かせればいいとなる

とにかく人間は資本主義社会だけではない、社会主義社会でもどんな社会でもこのようなことが起きている、奴隷がいたこともそうである、現代社会はあからさまな奴隷ではないにしろ商品化されて奴隷化されているのである
だから社畜だとか自ら言っていることでもわかる、それがわかっているからそう言っている
では資本主義社会の人間商品化から脱するにはどうすればいいのか?
それは皮肉にも株でもなんでもいい、一億円くらい稼いでこの社会から離脱してアウトサイダーになることだともなる 

なぜ引きこもりとかがこれだけ多くなるかと言えば人間の商品化とか奴隷化が嫌だからともなる、親でも援助してくれれば働かなくてもいいとなるからだ
それは問題あるにしろ商品化とか人材派遣とかそういうことからまねがれない
そうならないためには金があればできるとなるからだ
親に援助されていてもそれができればその方がいいとなる
そうなったのが自分自身だったのである、20代では底辺労働者だったけど30以降は働かず旅ばかりしていたし会社にこきつかわれこともなかった
その間は人材とされることもなく自然とアイディンティティ化する詩を書いてきたとなる森全体を生きようとしてきたのが自分だったとなる

ただこういうことはすでに2000年前から指摘されていたのである
老子とか荘子の思想がそうである      


「樗と呼ばれる大木があって、その太い根元は節くれ立って墨縄の当てようがなく、
小枝はかがまって定規にかからない。
道ばたに立っているのだが、通りかかる大工は振り向きもしない」というのです。

要するに無用の木なのです。

『荘子』では、「そんな木は無用なるが故に、用材として伐採されることがない。だから大木になる


人材にするも人材になりえない、材料になりえない人間を無用の木に例えたのである
無用の木こそ本来の木の命を生きるものであった、木という全体を生きるものだった
でもそれを人間社会から見ると無用になるのである
そうなるためには引きこもりになりアウトサイダーになるのである
そして最もあるものには値段がつけられないしまた無料なのである
景観は最も素晴らしいものでも金で計れないしそれに直接金を払う人はいない
景観のいい場所のホテルとか旅館とか温泉はその景観によって価値がでる
でもそもそも景観自体は無料なのである、最も価値があるものがこの世では実は無料なのである、富士山が見えるからといって富士山に金を払う必要はないのである

いづれにしろこの世に適合すること自体働くこと自体、人間の人材化であり部品化であるそれはどんなに優秀な人でもそうである、医者にしても人間の体を全部知る人はいない
体の一部分の専門家であり全部のことはわからないのである
これだけ複雑な文明で人間はみんな機械の部品のようになっているのである
だから職業につくこと自体部品化をまねがれない、人間存在の卑小化なのである
働くかないものは生きる価値がないとかされるが全人間的価値を志向すると社会の一員となることは社会の部品化なのである
宗教でも会員一人となるとき認められるが一人だと誰も認めないのである
それで天才的人間はアウトサイダー化したのである

一般的には天才でなくても老後は会社人間を離脱して全人間として生きるべきだともなるいろいろなしがらみを脱して大自然に融合する、それが可能になる
老後も働くというのは問題である、経済的な問題がなければそれが可能になるのである
社会のためにとかボランティアするにしても利益なしでするべきでありただそこに生きがいを見出すのである、ただボランティアには様々な問題があり簡単にはできないのであるだから荘子の無用の木になれとなる、社会の用なきところに自然の大いなる用があるとなるからだ、社会の用とは人材として一部を切り取られた用だからである
全人間としての用は社会には決して与えられない、それだけ複雑でありもう社会というのは怪物であり全体は知ることは不可能だからである