人間は環境の影響が大きいー他者の家族の理解の困難
【不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。トルストイ】
不幸の原因
●家族の影響
●時代の影響
●その人の資質(遺伝)
何かその人を見ていると不幸だなと感じた。50才くらいで結婚しない、ただこの世代は本当に結婚しない人が多い
その理由はこの世代は氷河期世代で恵まなかった。それもありこの世代の人は本当に不運だった
でも時代の影響はまねがれない、戦争で死んだ若い人も多数いたからである。団塊の世代は辛うじて戦争後に生まれて助かったとなる。つまりわずかに生まれた時代の差でそうなったのである。戦争中は20代で特攻隊で死んだ人がいる
それも悲惨だったのである。だからどういう時代に生まれるかで人生もかなり決められてしまう
その人を見ているとつくづく不幸だなと見る。その家族と付き合う中で分かったのである
その母親は団塊の世代であり同世代である。その母親は子供は厳しくしつけた方がいいとしてその考え方が変わらないのである
老人が頑固だという時考え方が変えられないのである。それで確かに学校で体罰が普通に行われていた
廊下にたたされたりもした。それは団塊の世代でも同じだったのである。その時は学校でも家庭でも子供は厳しくしつけるべきだとなっていたのである。だから今でもその考えは変わらないのである
でもその息子は親が介護になっても優しくしない、それで母親が嘆いている。この家族の不幸は発達障害の子供を持ったことである。それでそ長男に母親がかかりきりになってしまった。弟はないがしろにされたということがある
その人は建築土木現場で働き今は介護施設で働いているのも奇妙である。なぜなら親を介護しているからである
ただ介護といってもまともにしていないから母親が文句を言うのである
とにかくその不幸は家族の影響と時代の影響があり不幸なのである。その人の資質はわからない。でも不幸だと見る
それはその人がどうのこうのではない、環境が悪くて不幸だとなる
私の母親も幼児期は警察署長の家に生まれたから恵まれていたのである。でも事業に手を出して失敗して母も病気になりそこに後妻の人が入って来てその女性が異常なほど気が強く母親はいじめられたのである
子供の時弁当を残したら実の母親ではないから食べられないのかとその弁当を捨てられたのである
その後も紡績工場で働いたが一汁一菜でありそれで十年くらい働いていたのである。働きずめだったのである
そいうこともあり花など興味なく何か趣味もない、ただ働く働かされたのである。ともかくその時代は貧乏であり子供は家の家計のたしになるものとしてあった。今でも貧乏な国はそういうことがある。子供は働き手なのである
私自身も子供の時は店の配達で働いていたのである
つまり時代の影響でありまた家族に影響でそうなった。これらは運命的でありどうにもならないとなる
時代の影響家族の影響は逃れがたくある。その人は時代が氷河期世代であり家族環境も悪い、資質はわからないにしてもいくら資質が良くても才能があってもそんな環境では伸ばせないと見た。
だからどんな家族に生まれ育つかが相当に影響する。カルト教団の家に育った人は全く洗脳されてまるでナチスのようにもなり
紅衛兵にもなっていた。他が全く見えないのである。純粋培養されてそうなった。だから家族の影響はあまりにも影響が大きい
確かにその人の資質はある。でもその人の育つ環境をみるといかに生まれ育った環境の方が大きな影響があったとみる
人間は環境の影響の方が人間形成にしても大きいのかと見る。人間は環境が悪いと打ちのめされる。
いくら資質が良くてもそうである。だから教育でもそもそも環境の影響が大きいとなる
どういう家に育つかでその人も作られてゆく。ただ本当に他者の家族のことでもわからにものだと思った
それを理解するには結構長い時間も必要になる。そして他者の家族でもまた個人的なものでも理解するようになる
ともかくその人を作るのは生まれつきより環境の影響が大きいと見る。特にどんな家族に生まれるかが大きな影響を受ける
ただ家族でもわかりにくいのである。ヨーロッパで貴族から天才が生まれたというけどそれは家庭内で教育があり家庭教師がいて才能を伸ばしたとなる。でも労働者階級からは天才は生まれなかったとなる。
とにかく人間の幸不幸はなぜ生まれるのかこれも謎である。私の父親違いの兄は私の家では良くしなかった。その原因は東京で実の父親が工場の事故で死んだことにあった。そして今度は兄も交通事故で40才で死んだのである。そのことで私は恵まれたから心痛めている。
ただなぜこうして不幸な人がいるのか?それはいくらでもいるだろう。ただどうしてそうなっているのかわからないことがある
例え悪い環境に生まれても育っても立派な人がいる。その人はやはり本当に優れた人だとなる。悪い環境なら別に特別な人に成らなくてもそれだけで立派だともなる。人間はどうしても環境が悪いと歪められるからである
そうして悪い環境でもまともに育てば立派だとなる。
人間はその人を見るときなかなかわかりにくい、私自身の家族もまた他から見たらわかりにくいからである
だからこそ
幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。トルストイ
それぞれに不幸であるというときその不幸も様々であり違っているのである。それが簡単にわからないのである。
まず障害者を持った家族は何らかで不幸になる。その負担が大きいからである。それだけではない不幸になる原因はいろいろある。貧困はわかりやすいがそれだけではないろいろな不幸がある。それが他から見て分かりにくいのである
だから本当は家族を理解することが大事になる。でも理解すること自体簡単にできないのである
,正常なコミュニケーションのなさ家族では,各成員が担う役割に柔軟性がなく,
特定の人物に偏った役割や責任が課せられており,以下のような適切さを欠いた様々な役割が存在していることが述べられている。
これなのか、その一人の人に負担がかかるということは確かである。もし障害者を兄弟にもたなければ負担は分担できたからである。それで一人に負担がかかってしまったのである。そこに不幸があったとなる。
また家系因縁もある。先祖がかかわることもある
先祖代々呪ってやる」というセリフがあるように、強力な怨念は先祖のみならず家系全体へ影響を及ぼす
これは間違いなくある。親戚で私に最後に『ひどい娘だわ』と恨みの言葉を残し直ぐに死んだ人がいる
その娘は本当にひどい人だったのである、だからその怨念が必ず影響する
それで介護でも恨みを残し死ぬとやはり後で怨念となり影響するから困るのである
私の場合は感謝して死んでくれたから死後でも供養できる。遺影は笑っている。恨んではいないからである
これは軽く見ているが恐ろしいことかもしれない。
とにかく不幸という時様々であり理解すること自体簡単ではないのである。貧困だけなら金で解決できるかもしれないが様々な人間関係の中で不幸がありまた幸福があるのは人間なのである。ただ正直そこまで他者が家族に入ることは嫌になる
何か家族の泥沼に引き込まれる。私の家族も一人が認知症になりもう一人も介護になり自分自身も病気で入院二回したとか泥沼になった。その時かえってそうした時今度は金を盗られたとか他者から責められてさらに苦しめられたのが現実だったのである。つまりそういう泥沼に引き込まれるからかかわりたくないというのも現実なのである
カルト教団では確かに相手にするにしても一票を得るとか不幸な人を助けるふりして自分の利益を計るとなる
まともに付き合えば自分に跳ね返ってくる。泥沼に引きずり込まれる恐怖がある。
いずれにしろ問題をかかえない人も家族もいないのかもしれない。ただわかりにくいのである。だから何もできなくても理解することが必要になるがそれもまた簡単にはできないのである。