2016年08月30日

補償金、義援金で南相馬市の一体感は喪失 (原町の人が義援金も鹿島区に払うなと言うことの傲慢)


補償金、義援金で南相馬市の一体感は喪失


(原町の人が義援金も鹿島区に払うなと言うことの傲慢)



原発により住居を失ったり生活の基本を失ったという賠償事項に関わるものは
義援の対象ではありません、あくまでも人災です
東電の関係者すべてが私財を賭しても賠償すべきものです。
ですから、配分された原発被害者への金額は震災被災者のもので
義援金の横領です東京電力はそのすべての金額を即刻賠償すべきだと思いますね。


原発避難民ばかり待遇が良い思いをさせるつもりだ!
3.11から3年経過しても消費税8%に、見とうしの経たない東日本大震災の被災者に目を向け再出発の大型支援を望む!


原発避難民の南矢野目の仮設住みの浪江町民はパチンコ代欲しさに賠償金増額要求してんだが奴等って馬鹿だな!他の地域が増額要求してねぇ〜の に浪江町だけ増額要求通る訳ねぇ〜だろうって馬鹿丸出しだわ 笑笑笑

別に我慢しろと言ってる訳では無いですが、あそこが支給されたから自分達にも支給しろ!そうゆう思想が蔓延する事が恐いです。
経済的に自立出来なければ自立した復興なんて出来る訳がないと思います!



なんかこの辺は被害者でもいろいろいて混乱した。

津波の被害者

津波の被害者+原発被害者

原発被害者

こんなふうに入りまじっている。その補償金を配分するにしても複雑になったのである。30キロ圏と区切るという政府や東電のやり方で決めたのも混乱する原因だった。
南相馬市ならやはり南相馬市民が一致協力する関係を作ることを優先することも必要だった。それがほとんどできない結果互いにいがみあうようになった。

そして鹿島区は30キロ圏外だから補償金も義援金もやるな!

こういうことを原町区の人たちがネットで言っていたのも腹ただしい
30キロ圏外から鹿島区ははずれているのだからやる必要ない
それで最初仮払い補償金として市の財政から百億円払うというとき鹿島には払うなと言う人がいたのである。それから義援金も払うなという人がいた。

鹿島区は30キロ圏外だから排除しろ

こうなったら鹿島区は南相馬市民なのかとなる、現実になぜ小高の人たちの仮設を鹿島区に建てるんだとかさえなる、土地は無料で貸しているという。
今でもそのことで小高と鹿島はうまくいっていないのである。
ある人は塩崎の女性で隣が補償金をもらい自分はもらっていないと泣いて訴えていた。
だからそもそも30キロということで区切ったことも問題なのである。
それは政府と東電のしたことだけど放射線量だったらたいして変わらないからである。
放射線量だったら別に相馬市でも福島市でも郡山市でも変わらないのである。

30キロ圏内ばかり特権になりそれで東電の補償を手厚くされた。

鹿島区には一切やるな、その分は30キロ圏内のものがもらう

こうなったら南相馬市の一体感は全くなくなるしそうなった
そしていがみあいとなりたがいに協力できないことが実際は深刻だったのである
浪江の工場を経営している人が原町の元の仲間に仕事を斡旋してくれと言ったらお前らはたんまり補償金もらっているのだからは斡旋してくれなかったという。
これも結局あまりにも手厚い補償金をもらったからである。工場を経営していたら何億ともらっているからもらわない人はうらやましいとなる

なんかこの辺は補償金や義援金の配分でも混乱したのである。
自分自身も金をもらえればいいとしか考えなかった。
でも一番苦しんでいるのは津波の被害者である。その津波の被害者には原発の補償金は出ないのである。でも30キロ圏内だと原発の補償金が出るからこれも混乱する原因だった。
義援金は原発被害者ではなく津波の被害者に出すべき

義援金を出した人たちがそういうときそうだったのかもしれない、誰に優先して金を出すべきなのかもまちがっていたかもしれない、ただ混乱していたから冷静に考えられないということがあった。
結局金になると人間は遺産相続のようになりうるさくなる

鹿島区の人見れば原町区の人に対して相当に不満になる。鹿島区は補償金も義援金もやるな、30キロ圏内ではない、その払わない分を原町区のものが全部もらい配分する
こういうのが同じ南相馬市民なのか?すでに原発の補償金は原町区は鹿島区のさんばいはもらっているのである。
何かもっと言い方があってもいいではないか?こうなったらもう南相馬市の一体感はない、協調関係もなくなる、そこで互いが険悪な関係になる、そのことの影響が大きいのである、なぜなら外部ならいいがいつも同じ場所に住んでいるから余計に影響が大きくなるのである。小さな村とか田舎だと犯罪を犯したり、人間関係が悪くなると暮らしにくくなるのである。いくら犯罪を犯したものでも苦しめられたものでもいつも同じ場所にいて顔合わすからである。たがいに同じ場所に住んでいてもあいさつもしないとなると暮らしにくい、だから日本では極力そうしたいざこざが起きないようにまとめていたのである。

いづれにしろ補償金であれ義援金であれ配分があやまった。むしろ小高は避難区域になったから二倍とかでもいいかもしれないがあとは原町も鹿島も同じにした方が良かったかもしれない、義援金は津波の被害者にやるとかすれば良かった。そうしたら公平になっただろう。つまり金でもめることがなかったかもしれない。
そして南相馬市だったら福祉関係は平等にすべきだった。避難区域になった小高ばかりが何でも手厚くされすぎたのである。

ただ鹿島区の人にしても反省はあるべきだった。でも原町区も鹿島区からすると強欲だったなともなる。鹿島区には払う必要ない、その分は自分たちが全部もらうというのも同じ南相馬市民なのかとなる、そんなことで一致協力して復興できるのかとなるともうできない。小高は小高でかってにやれとか原町には協力しないとかまでなる
ともかく前に書いたように必ずしも金で何でも解決するわけではなかった。
かえって金によって人々の心は分断されて復興をむずかしくしたということがあった。
そのことをふりかえりこれからの復興を考えねばならない、市長でもそういう点で指導力を発揮せねばならない、ただ市長は鹿島区に仮払い補償金として百億円を市の財政から出したことは評価できるのである。それは問題があるにしろ南相馬市の一体感を保つために必要だったのである。

この補償金は別に南相馬市だけの問題ではない、福島県全体の問題だったのである。
なぜなら避難した人たちは全国にも散らばり福島県なら仮設に住んでいるからである。
すると回りの人たちにも影響する、仮設の人たちは補償金をもらい贅沢だとか毎日パチンコ屋通いだとか不満が大きいのである。相馬市などは補償金は一人5万くらいしかもらえないから不満が大きいのである。
だからトマト農家に飯館村の人が雇ってもらえなかったというときまたは浪江の工場経営者が同じ仲間に仕事を斡旋してもらえなかったということももらった補償金が大きいからである。そのことでかえって協力できなくなった。
もしそんなに補償金をもらっていないなら協力していたのである。
なにしろ避難区域で工場経営となると軽く億の補償金がもらえたと思うからそうなったのである。

このことではいわきでは地元の人と険悪になり争いまでになった。
次々に双葉であれ大熊であれ避難区域の人たちが家を建てたからである。
この辺でも新しい家が何百軒と建っている、それには外部の避難区域の人たちも建てた
そこには津波の被害者もいるが原発避難者もいる。
地元の人にすればいわきなどでは病院がこむとか福祉関係とかで避難者が優先になり支障をきたしたから不満が大きかった。第一二万人が移住したらパニックにもなる

ここでも同じ問題が起きていたのである。小高区の人たちが避難して何でも優先になったからである。
ただ小高の人はそれに甘えたし当然の権利と化して謙虚さが失われた。
鹿島の人たちは人口が増えて買い物も増えたからみんな喜んでいるんですよと知っている小高の女性が言っていた。
そんな意識しかない人も小高の人にはいたのである。その時自分は苦しんでいたが何の関心もなく、自分たちこそがかわいそうであり援助されるべきだとしていたのである。
また鹿島区であれ原町区であれふりかえればともに反省すべきことがあった。
ともかく補償金や義援金の配分が誤ったことがこういう結果をもたらしたのである。
その責任は誰にあるのか?市政にあるのか、市長にあるのか?
それとも市民にあるのか?、結局民主主義だからみんなにあるともなる
そんな簡単に民主主義では上の者の一言で決められないからである。゛
いづれにしろ何かこの辺では原発事故とかで民主主義が問われたことも確かなのである。





posted by 老鶯 at 09:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2016年08月28日

白木槿(いい思い出を残すように勤めよー人生は短い)


白木槿(いい思い出を残すように勤めよー人生は短い)



しとしとと小雨の降りて白木槿庭に咲きつつ事もなしかも

介護せし部屋に我あり母なおあれや白木槿咲く

思い出のこもれる家や我が一人継ぎてありしも秋雨のふる


ここ十年は本当に苦しかった。でも今は楽であり余裕がある,母を介護した部屋にいて書いている。しとしとと秋の雨が降っている
白い木槿がぬれている、ただそれだけのことだが何か患いがないということに幸せを感じる
そして家族が二人死んだが思い出となるだけである。

でも自分は一番良くしてもらったから介護して良かった、二人とも喜んでくれたし自分でも恩返しできて良かったと今では思っている、つまり苦しかったけど今になるといい思い出になったなと思う。
苦しいこともやがては思い出となり笑い話にすらなるのが人間である。
ただ人間はつくづく良い思い出を作るように生きねばならない
それは子供時代でも少年じだいでも青年時代でもそうである。
結局自分は学校ではいい思い出が作れなかった、集団生活になじめなかった、我がままに育ったこともある。

少年であり青年であれいい思い出をもった人は幸せである。でもこの時代は欲望がふくれあがる時代だからなかなかいい思い出はもていなのが多い
必ず若気の過ちがあり後悔しているのだ。それがあとになると大失敗だったと気づくのである
なんらか罪を犯さない人はいないのである。だから青春時代というのはふりかえると大事だった、あとはなにか変化のない延長だった、自分の場合は家庭環境で隠者になっていたニートみたいなものだろう。ただその頃はニートはいないからアウトサイダーとなる
これも実際はふりかえると危険だったし社会性が欠如するとか問題があった。
そのために介護十年して苦しんだのである。
ニートとか無職とかが今やどこにでもいて普通になったけどこういう人は何かおかしくなり自分のように最後の方になると塗炭の苦しみにあうことは間違いないのだ。

そもそもではいい思い出とはなになのか?例えは何か悪いことしたり良心にはじるようなことをしたらそれがいい思い出になるだろうか?
それはその時はいいにしてもあとで苦い思い出となってしまうだろう。
すると成功して大金持ちになっても人生をふりかえりいい思い出をもつのかとなる
現実はそんなことよりみんな金持ちになりたいのである。
それは良心にはじることをしてもそうなのである。だから人間は悪魔に変身するのが多いのである
自分のところに来た親戚がそうだった。事業に失敗して借金して自分を苦しめたのである悪魔に変身したのである。
もしその人が来て本当に苦しいとき助けていたらいい思い出になっていたのである。
それが正反対となり自分は恨みまたは怒りともなっている
ただ不愉快だけでありその人を思い出すと今でも怒りすらこみあげてくるのである。
また近くの人に犯罪にあったということでもそうである。
その人とも近くで会うから腹ただしくなるのである。

結局人間はいい思い出というのはまれなのかもしれない、不愉快な嫌な思い出の方が多いのが人生である。それだけこの世は愛情ある人は少ないと非情の世だからともなる
一人だけいい人だったなという女性がいた、その人は死んだが墓参りを自分はしている
そういう人はまれだということである。
何か昔もそうだから金の切れ目が縁の切れ目となりやすい、金を得ればあなたは関係ないというのが日常である。
自分は家族は複雑だったけどそれなりにいい思い出となっている
自分にとっては悪いことがあってもいい方が多かったのである。

今は秋雨になって涼しい、今日は一日かたづけしていた。いくらかたづけしてもかたづけきれない、料理から掃除から着るものから本の整理からパソコンの中の整理もなかなかできない、整理が一仕事なのである。余裕がでてきたからなんとかこれから順次整理してゆく゛もう余計なものを捨てるほかない、そしてなるべく身軽にする
家すら何か重荷になってしまう。小さい家ならいいが大きい家は重荷になってしまう。
死ぬときは何にもいらないのである。むしろ金はあってもいい、かさばらないからである遺産として残すのにも家や土地よりはいい、何かあること自体負担になるのである。

タグ:良い思い出

水のイメージ(ベニスは水の都) Image of the water(in Venice the capital of the water)


水のイメージ(ベニスは水の都)

Image of the water(in Venice the capital of the water) 

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Crest of Venice



ベニスはイメージするものか多い、あういう街はあそこにしかない、不思議な魅力があるだから芸術家になると一番惹かれる街になる
まさに水の都であり水に浮かんでいる都である。

何か今回の抽象画もそれをイメージする、それがたけではないが水の抽象画を川の抽象画をテーマにしてきたのでベニスは親近感が

I do not image Venice, and many encountering saying towns are the capitals which it is right the capital of the water, and float in the water where it is in the mysterious attractive town which therefore is attracted most by an artist when it is which there is only there.

Because some this abstract picture featured the theme of the abstract picture of the river in an abstract picture of the water reflecting the image of it, in Venice, there is a sense of closenes

posted by 老鶯 at 16:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 抽象画の部(abstract)

過度な原発避難者への援助がかえって不和をもたらし復興させなくした (内村鑑三の指摘の再考)


過度な原発避難者への援助がかえって不和をもたらし復興させなくした


(内村鑑三の指摘の再考)

原発事故で荒廃した地域と同じことが江戸時代に起きていた
(内村鑑三ー代表的日本人ー二宮尊徳の教えと一致)

(すなわち)かつて耕作された土地が放棄されることほど、我々を落胆させるものはないのである。
 もし原始林のたくましい成長力がなければ、放棄された耕地が荒れ果てていくのを防ぐことはお先真っ暗な絶望となるであろう。
と言うのも誰も踏み込んだことのない土地の開墾を進んでやろうとする者が十人いたとして、見捨てられた土地の復興に身を奉げようとする者はただの一人もいないからである。

十九世紀の初め、日本農業は非常に嘆かわしい状態にあった。
 二百年もの長い間続いた平和は、あらゆる階級の人々の間に贅沢と浪費とをもたらした。
 多くの地方でその土地からの収入が三分の二に落ち込んでしまった。
 アザミや茨がかつて生産力のあった田畑に入り込んで来た。そして耕作のためにわずかに残った土地は、その田畑に課せられたすべての税金を賄わなければならなかったのである。

 村また村は徹底的に荒れ廃れてしまった。
 正直に働くことはいよいよ重荷になり、人々は不正直な生き方をするようになった。
 すなわち、彼らはこれまではやさしい大地から気前のいい贈り物を見つけようとして来たのに、それをやめてしまった。そして互いにいかさまをしたり、騙し合うことによって、その哀れな生活を支えるのに必要なわずかなものを得ようと探し求めたのである。
 彼らの禍の原因のすべては、道徳的なものであった。そして「自然」は、その卑しい子供たちに報いることを拒み、あらゆる悲惨な出来事をその土地に降りかからせたのである。

 しかし今では荒れ果てた「自然」が彼らの田畑に侵入し、<狸と狐とはその棲み処を人々と共にする>までになって、人口は以前の三分の一を数えるに過ぎず、貧困に陥った農民から取り立てることができるのは高々二千俵にすぎなかった。

 そして貧困と共に道徳的退廃が進んだ。かつて繁栄した村々は今では博打たちの巣窟となった。

「金銭を与えるとか、あるいは税金を免除するとかは、彼らの困窮を助ける方法ではない 実際のところ、彼らの救済の秘訣のひとつはまったく金銭的な援助を取りやめることにある。
 そのような援助はただ貪欲と怠惰を生じさせ、人々の間に不和を引き起こす源である。



前に書いたけどこの辺の情況がこれにぴったりなのである。
小高の人が仮設でも避難者はすることがなくパチンコ屋通いでありギャンブルであり東京とかに遊びに行っていた人もいる
その時何回も書いているように自分は苦しんでいたのである。
そんなこと誰もかまわない、親戚の人は借金でパチンコ屋に勤めていた
これも腹ただしいかったが弱みがあり何も言うことができなかった
何かそうした矛盾が自分の所に現れたのである

第一かわいそうだ、かわいそうだとボランティアがきて援助していたが肝心の地元の人は遊んでいたのである。だからボランティアに来た人も怒り地元の人と喧嘩になったというのもわかる、そして少しでも批判すると怒っていたのである。
俺たちは住む故郷も失ったのだ当然だという意識になった
常に援助されるべきでありギャンブルしようが何しようがいいのだ
そうしたのは原発事故を起こした人たちに東電や政府に責任があるのだとなっていたからである。そのことについて外部でもなかなかいいずらくなったのである。

「金銭を与えるとか、あるいは税金を免除するとかは、彼らの困窮を助ける方法ではない 実際のところ、彼らの救済の秘訣のひとつはまったく金銭的な援助を取りやめることにある。

 そのような援助はただ貪欲と怠惰を生じさせ、人々の間に不和を引き起こす源である。
これは厳しい言葉だけど事情が違うにしろこの辺の状態にあてはまる
ただ補償金やたかり屋になったのである。もっと金をくれしかないのである。
それをとがれば俺たちをこんなふうにしたのは俺たちではない、政府であり東電だ俺たちは被害者であり援助されて当然だとなる 

誰も踏み込んだことのない土地の開墾を進んでやろうとする者が十人いたとして、見捨てられた土地の復興に身を奉げようとする者はただの一人もいないからである。


これも歴史をたどると常に日本でも開墾、開拓の歴史である。浪江の津島でもあそこも開墾する一団が入ってきてその人たちの結束は今でも強いという。
赤生木(あこうぎ)などでも開墾に入った人たちがいて乳牛を飼うのに北海道まで行き苦労した。それでもなんとかしようと努力したのである。また努力せざるを得なかったのである。そういうふうにその時代は強いられていた。
北海道の開拓に入った侍でも苦労を強いられた、機械もないのに原野を開くのは並大抵ではない、それで失敗した人も多い、力尽きた人も多いのである。それは過酷だったのである。

そして貧困と共に道徳的退廃が進んだ。かつて繁栄した村々は今では博打たちの巣窟となった。

本当に避難区域に入るとやる気なくなるというのはわかる。だからこそもう若い人は帰らないのである、ただ人間は時代の影響から逃れられない、今の時代と昔を比較しても時代が違うから同じには考えられないのである。
当時はみんな貧乏でありそういう生活を強いられていたからである。
今はみんな豊かな生活をしている、貧乏と言われる人でも食べているものは贅沢なのである。
すると今の生活水準を落としたくないというのがわかる、そのためには金がいるとなりもっと補償金をくれを金をくれとなる、そして当時と違うのはその時は戦後まもなく焼け野原になっても若い人が多かったのである。
団塊の世代でもともかく子供が多かったから活気があったのである。

今は少子高齢化でありそれも致命的になっている、現実に避難区域に帰るのは老人が多いすると老人だけで何ができるのかとなる、最後はうば捨て山になってしまうだろう。
若い人でも現代ならそんなところで生きるより他で便利な豊かな生活をしたいとなるからだ。当時にしてみればなぜそんな過酷な開墾開拓をしなければならなかったのか?
それは農業中心の社会でありそこで生きる他なかったからである。
みんな貧乏であり今のようにどこに行っても貧乏な生活を強いられていたのである。
その差も大きいのである
人間は普通は”水は低きに流れ、人は易きに流れる”になる、あえて苦労しようとはしない,ただ強いられて苦労する、時代に強いられて苦労するのである。人間は本質的には楽を求め快楽を求めている、あえて苦労を求める人はまれである。
そして現代は楽と快楽を執拗に求めそれが得られた時代だから苦労しろと強制してもできない
誰も介護などしたくない、ただ強いられてする他なく自分にしてもしたのである。その中で苦しいけど意義を見いだしたということはあった。
苦労してそれがすべてただ苦労に終わるとはならない、その苦労の中に何らかの意義を見いだすことがある
仕事にしても嫌だなと思っていてもしているうちに生きがいを見いだすこともある。
なかなかそういうことはしてみないとわからないのである。 

つくづく人間は昔には時代をさかのぼり生きることはできない、大家族制にもどればいいとか言うけどそれもできない、するとしても形が変わったものになるのである。
だからこの辺の情況はかえって昔より復興することが困難だともなる
故郷は捨てられてしまう、他で補償金をもらって新しく始めた方がいいとなってしまう。現実にそうなっている、帰りたいのは老人だけだとなる。
その老人にしたって若い人が帰ってくるというが逆に若い人の所に最後は行くようになるそれはここだけではない、田舎でも都会に子供がいればそうなっているのである
それで家の跡を継ぐ人がいないとか墓を守る人がいないとか問題になっている。
少子高齢化という問題が深刻なのである。

でもこの辺で避難者に金銭を与えることではないとなればもしそんなことをしたら大騒ぎになり暴動にもなるだろう。
ただ補償金を与えすぎたことにより堕落したということは言えるのである。
避難した人たちは俺たちは金があるんだとかえって威張っていた人もいる、全部ではないにそういう人もいたのである。するとここだけではない、地元の人たちからするとあの人たちは何なのだとなる
避難した地域でも困っている人はいる、あの人たちは補償金もらって毎日遊んでいる、俺たちは働いているのになぜ働かないのだとなる、それは相馬市の人もしきりに言っていたしあまり表面化しないがそういう鬱憤が内にこもっているのである。
なぜならマスコミでは常にかわいそうな人たちとして取り上げてそうした地元の複雑な事情に考慮しないからである。
だから避難者も何かそういうことを言われると傷口に塩ぬって楽しいかとか怒り批判するそういう被害者の特権者になってしまい地元の人とうまくいかなくなっているのである。事情はわかるにしてもやはり補償金を特別もらったのは避難区域だけでありあとはほとんどもらっていないからである。そのことを考慮しないとここだけではない回りとうまくいかないのである。

結局帰るのが老人だけとなると国民年金しかもらっていないからもっと補償金をくれ、生涯補償してくれと訴えるようになる、老人だったらもう余計に何もする気がなくなるからである。お前ら自分たちでなんとかしろと言っても自立精神が失われている
誰かがなんとかしろとなっていることが問題なのである。またそれが当然だという被害者意識にこりかたまっているから何か復興がむずかしいのである。
本当に様々なことで復興がむずかし、放射能問題もやっかいである。
若い人にしても放射能汚染で子供に影響あるからといえば帰らない口実になる
それにとやかく親は言えないのである。何かこうしてますます荒廃してゆき復興がむずかしいとなる。

そのような援助はただ貪欲と怠惰を生じさせ、人々の間に不和を引き起こす源である。

まさにこれがこの辺の状態なのである。過度な援助によって不和が生まれ一致協力できなくなった。たがいに金のことで不和になったのである。
でもそもそも援助しなかったらどうなったのか?今の時代だと政府であれ東電であれ恨み手がつけられなくなった、だからこれもできないことではあった。
でも何か援助が必要でも援助の仕方が間違っていたことは言えるのである。

posted by 老鶯 at 10:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2016年08月27日

鹿島区の大東建託のアバートには「いわき」ナンバーが多い 浪江や双葉や大熊などの人が移り住んでいる


鹿島区の大東建託のアバートには「いわき」ナンバーが多い


浪江や双葉や大熊などの人が移り住んでいる


大東建託のアパートが南相馬市の鹿島区で10棟以上建った、こんなに入る人がいるのだろうか?入っている人たちはどういう人なのだろうか?
それが不思議だったが今日車のナンバーを見たら半分は「いわき」のナンバーだった
いわきということは浪江から双葉から大熊とかは「いわき」ナンバーなのである。
するとなるほど浪江や双葉や大熊とか原発事故の避難区域から移住してきた人たちだということになる
そういう人たちが入っているから見込めるから10棟以上も建ったとなる、すでに十分に入っている。
東京から来た人がアパートを探しているかどこも一杯なんですよと聞いていた。
大東建託のアバートの車は横浜とか千葉とか遠い地域のもある
何かそういう会社関連の人が入っている

ともかく復興住宅を建てているがそれは地元の大工も参加しているが全国からきている
東京の人は小池のホテルに泊まって仕事している。
サッシは群馬県で作っているという、そこには群馬県の車のナンバーがあった。
佐賀県とかからも来ているのでそんな遠くから来ているのが不思議である。
なぜならそこは除染関係ではないからだ。
除染関係では沖縄の人がいたが沖縄からも多いですよと言っていたから別である。
この辺は今全国から仕事で来ている人が多いのである。

鹿島区の三里地域は高級住宅街になっている、その敷地が軽く百坪以上であり広い、農家の感覚である。全部ではないにしろ土地だけで今は相当な値段である。
家も大きいから相当な値段だろうなと見ている、とにかく何百軒という新しい家が建ったその家はみんな違っているから興味深く毎日見ているからどんな人が住んでいるのか気になるのである。
船主が建てた家が多いというとき何軒か同じタイプでありそれは間違いなくそうだろう。そして・・・丸とかいてあるものを軽トラに荷物を積んでいるのを見た
それは間違いなく船主の家の者である。
漁業関係者が津波で流された人が多いし漁業関係者がいて船主も多いから確かにそうだなとみる、磯部から来た人もいるということは他からの船主が集まっている
その人たちは原発前も後も補償金で金の心配はないからである。
それで回りの人たちは不満を言っているのもわかる、それは原発事故前から特別羽振りがいいから原発御殿とか言われてうらやましがっていたのである。
何かそれには反発を感じるのである

この辺ではそうした補償金でもめた。南相馬市では小高が避難区域になったけど鹿島区は補償金が30キロ圏外で少なかった。それで小高の人に反発してうまくいかなかった
なぜか小高の人は原発避難者でも常にボランティアなどがきてかわいそうだと応援されてきたのである。
ところが自分のことを書いてきたけど誰も自分が病気だ介護だというとき応援してくれる人もいなかった。かえって苦しめられたことを書いてきた。
小高の人たちはそんなに苦しいというものでもなかってのである。
自分の方が苦しかったから助けてもらえたい方だった、現実に別に仮設に入っても狭いのは嫌だが何かそれほど困るというものでもないし補償金もらって金がたまって喜んでいた人たちがいたのである。
だから自分は一身上のことで小高の人だけではない鹿島区にいた人にも大金を失う犯罪にあったとか原町区の親戚には借金の要求で病気のとき苦しめられたとか恨みに思うようになったのである。それは自分の一身上の特殊事情にしろかわいそうなのは自分の方だったと今では思っている、しかし誰も同情しないし責められるだけだったのである。
そういうことがあって何か小高の人たちにも回りの人たちにもいい感情をもてなくなったのである。

たいがい苦しめられた人は誰も助けてくれないとかなると今度苦しい状態にある人を見るとざまあみろとなるのが普通である。
市営住宅の狭い所に住んでいた人は狭い所に住んでみればわかるんだよと突き放すように言う。その人は小高の人とつきあってなんか金があるんだよと威張っていて嫌になりつきあわなくなった。ただその人の特殊な立場も影響している
別に小高の人にいろいろいるからである。そういう人と自分は話して別に悪い感情はもたなかった。その人は特別貧乏だから小高の人に不満だったのである。
ただはっきりいって小高の人たちも何か自重するものがあっても良かったと今では思う。原発事故の避難者はそんなに苦しいかとなると津波の被害者とか比べるとまた違っている家族が死んだり家が流されたりするのとは違っている
それより補償金をたんまりもらった人もいる、もう一億円くらいもらった人も中にはいるかもしれない、そうなるとまたもらわない人は不満になるのである。

小高の人たちはもうかわいそうだ、かわいそうだと言われ援助されるのが当然だという意識になった。だから自分が小高の人たちを責めたとき傷口に塩をぬって楽しいかという人もいた、何か少しでも小高の人を批判すると俺たちは被害者なのだ、故郷にも住めなくなったのだということで主張する、被害者の特権意識をもつようになった。
でも現実に自分の一身上でも苦しんでいる人はどこでもいるのである。
そういう人たちは普通はそんなに同情されない放置されるだけだとなる
だからなにかそこにしっくりいかないものを感じたのである。
こういう内部事情は外からわかりにくいのである。

ただ鹿島区は別に人口も減らないし外から移り住む人たちで増えたし新しいスーパーができたり医者も増えたりと悪いことはあまりなかった、だからとやかく言うということないとなるがふりかえるとやはり小高の人たちとは反発してしこりが残った
そういうことで南相馬市民として一体感をもてくなしたというのも現実だったのである。

タグ:大東建託
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2016年08月26日

民主主義には言論や報道の自由が不可欠 (でも権力との癒着で成されていない)


民主主義には言論や報道の自由が不可欠


(でも権力との癒着で成されていない)


民主主義の基本として言論の自由とか報道の自由とかがある。でも実際はあるようでない第一報道するのにしても今までならマスコミに頼らざるをえない、そのマスコミでも自由な報道があるかといったらない、それができないのはマスコミは企業のスボンサーとか組織の金で運営しているからできない、組織というときカルト宗教団体が必ずかかわっている、週刊誌でもそうである。そこに宣伝されていれば宣伝費をもらっているからである。創価などは福島民報などでも聖教新聞をすっている、毎日新聞でもそうである。
そうなると巨大な組織に従うし逆らえない、だからマスコミに何か真実を暴くことなど期待できないのである。
そしてどうししても視聴率第一になるから視聴率で企業も金を出すから大衆路線になり芸能人路線になる。大衆向きの低俗化路線になる。
何か硬いものは人物でも拒否される、もちろん文化の育成などもない、大衆向きになれば視聴率第一になればどうしてもパンとサーカスになる。

言論の自由とか報道の自由というとき日本であるようでない、報道というときどうしても官僚であれ警察であれ情報を仕入れるにはそういう権力の組織とかかわる

本来、官公庁など公の機関が発表する内容を特定の会社だけが聞く権利はないにもかかわらず、会見にフリーの記者が入ることを拒否され、排除されてしまうのだ

記者クラブが仲良しクラブになり権力と癒着して権力の悪を暴くことはしなくなる。
ただ権力側の情報を権力側にとって都合のいい情報だけを報道するようになる
御用報道、御用学者とかになってゆく

情報が権力によって操作されるというときそれは社会に必ずあった。権力には権力で対抗する意外ない、権力をもっていれば情報も手に入れられる
地元で川で放射能や水質検査をしているが何をしているのか、どういうことなのかとか地元に住んでいて聞いてみてもあなたは誰ですかとなり答えないのである。ここの住民で心配だから聞いているのですと言っても聞かないのである。
このフリーの記者でも記者クラブに入っていないと追い出されたのである。
言論の自由などと言っても一個人は権力がないから相手にされないのである。

宮崎 新聞社は販売と広告で成り立っている。道新広告局に関するスキャンダルは、広告という命綱に手をかけられたようなものだ。道新の広告収入のうち、約1割の数十億円は怪しげな金だとも聞いている。年単位で契約している広告代理店からの金の流れが不透明だという話もある。

大谷 新聞社の販売局と広告局は伏魔殿だ。押し紙などで販売経費は不透明だし、広告においてもキックバックなどがある。ちゃんと身ぎれいにしておかないと、権力追及は難しい。警察は家宅捜索ができる。家宅捜索の令状なんて、今の裁判所は簡単に出す。日本シリーズの入場券をとるよりも簡単だ。

マスコミは権力を正すものではない、権力と癒着して甘い汁を吸う側になるのがマスコミである。ただそれはマスコミだけではない、みんなそうである。
権力はあまりにも大きな魅力でありそれゆえに人は権力を欲して権力側にとりこまれる
普通は人間は権力あるものに従う、つまり権力によって情報も操作されている
権力側につけばいろいろ利益を得るし便宜を計ってもらえる、だから官僚が警察でも天下り先に東電になっていた。
政治家でも官僚でも検察でも権力をもっている、権力をもっているから東電でも待遇する政治家に官僚に便宜を図ってもらえるから天下り先として待遇する
東京都知事の選挙で敗れた増田は東電の幹部だったのである。
東電があれほど大きな会社だと思わなかったし知らなかった。
これほどの賠償ができるということにも驚いた。国が半分しているにしろ東電が国なみの大きな会社だったのである。そこから莫大な金が生れるし引き出されるとなる
だから原発でもマスコミは追求しない、事故が起きたとき朝日新聞社の幹部までが中国に招待されていたのである。マスコミと阿部首相でも絶えず会食している、その報告がインターネットにのっている
阿部首相のことをあまりマスコミで批判しないのはそのためなのである。

民主主義は言論の自由とか報道の自由がないと成り立たない、情報開示するというのもそうである。そうでないと東京都のように一人の闇のドンが牛耳るとなる
東京都の税金はここでオリンピックであれ勝手に使われる、その悪を暴くのがマスコミだったが週刊誌が意外のマスコミは新聞でもテレビでも暴かなかったのである。
権力と権力は癒着して結びつきそこで互いに甘い汁を吸い税金を納める東京都民は怒り小池氏が当選したのである。
時代劇だと悪徳商人と役人が癒着して結びつく構図はわかりやすいがとにかく現代社会は複雑でありそうした悪はわかりにくいのである。

第一人間は一番利権とか利益には弱い、どんな人でも金には弱いのである。だから権力と癒着しないで独立して放送することは最高にむずかしい、テレビとか新聞とか雑誌とか本でも金がかかるから独立してやることはむずかしい。
インターネットはそれができるとしてもでは何か真実を追求できるかとなるとできない
それは放射能が気になるから県とか環境省の人に聞いてもあなたは誰ですかとなり教えないのである。それを聞き出す方法もないのである。

権力と権力は癒着して結びつくのは利益を得やすいからである。だから真実を追求するにはそうした権力にとりこまれないようにしなければならない、でも実際情報得るにしても権力がないと得られないから情報を得られないからできないとなる
こうして権力の分散のために三権分立ができたり独占禁止法ができたりした。
それは権力が一極集中すると独裁になってしまうからである。
巨大な権力は危険なものである。東電であれあれだけ巨大な会社だからこそ情報を操作できたのである。政府も一体となり癒着したからできた。
でもそれは民主主義には反したものでありその結果として原発事故の惨事が起きた。
情報が権力によって隠蔽され操作されるときそれはそのままではすまず戦争や大事故になってゆくことが怖いのである。

権力は悪魔的なところがあり人は悪魔に仕える、弁護士がいろいろなもめ事にかかわるがどうしても金になる方を選ぶ、金持ちが側に権力ある側につくと得するからそうなる
弁護士が何かブラックだというときそうした遺産相続とか大きな金にかかわるからであるそこで金のために悪魔に魂を売り渡す、自分も身内の交通事故で死んだとき賠償金でもめた。そして弁護士はほとんど何もしないのに百万を得たのである。
実際に働いたのは保険会社の人だったのである。何かわからなくて弁護士を頼んだのだが裁判にもなににもらない、何もしないのに百万を得た、そんなことが仲裁では起きてくるだから労せずして何かそうしたもめごとの時は金が入ってきたりする、それは弁護士でなくてもそういうことがある。なにか金ある家でもめたりすると誰かに漁夫の利のように金が入ったりするのである、それは自分が病気になり介護になり家がもめててんてこまいしたときそうだった。その混乱した中で大金はとられたりなくなった。
暴力団がそうしたもめ事にかかわり示談金とかで金を得るのとにている、会社でも何かもめごとがあったり弱みをもつとつけいられて金をとられるのである。

おそらく議員でも何か税金で莫大な金を使うからそこから巨利を得ることになる、権力をもっていると何かとうまみがあるとなる、だからこそ官僚は犯罪者であるとか言う人もいる。政治家とか官僚とか弁護士でも利権に利益にかかわるからそうなりやすい。
人間は金のためには血眼になるし犯罪も起きる、権力の魔力から逃れられないのである。だからカルト宗教団体でも創価でも共産主義でも中国のように幹部になれば巨利を得る、そういう立場になりたいと運動しているだけなのである。
そこに宗教とイデオロギーでカムフラージしているだけだとなる
本性は権力を得て上にたち支配したいということでは共通しているのである。
誰も権力の魔力から脱することはできない、要するに人の上に立ちたいものは仕える者になりなさいというけどキリストが言ったとしても現実の世の中は今もみんな人の上に立って支配して甘い汁を吸いたいとなっているからこの世に天国など実現しない
それはいくら宗教を装ってもイデオロギーで装ってもそうした人間の本性は変えられないのである。

いづれにしろ民主主義は一つの理想としてある。理想の追求である。その一つに報道は重要である。知らされなければ何もわからないからである
原発でも何か小さな事故があっても常に隠蔽されてきた、権力をもっているから隠蔽できる、政府と一体になり東電はそれができた、それが大事故につながったのである。
何かプログというものを10年くらいしてみるとこれも報道なのだと自分で思った。
マスコミは視聴者がけたはずれに多い、インターネットは非常に少ないにしてもやはり報道機関なのである。
だから報道するというとき知らせるというときそこに命までかかることにもなる
なぜなら不正を知り知らせることは権力者にとって都合が悪ければその人は殺されたりするかもしれない、権力をもつものは組織ならそれができる、実際権力は恐ろしいものである。時代劇でも役人が悪にかかわり口封じるするがそこに権力をもつものの恐ろしさがある。それは今でも同じなのである。検察でも警察でもそういうことはしているからである権力をもっていれば暴かれないからである。
だから社会というのはそうした悪の誘惑が多いのは権力をもつ立場にある人だとなる

そして人間社会がブラックだというとき権力の魔力にひかれているのが多数だからである
不思議なのは底辺で生きているものはそうした権力と無縁である。日々汗して働きかつかつの暮らしで生きている、不満も常にあるけど権力をもっているもののような悪に染まることはない、だから天国では卑い者は高くされるというのはそのためである。
高い地位に就いていたものは権力をもっている者は何かしら悪にかかわりやすい
でもいつもそうした権力のないものは給料が安いとかなんとか不満なのである。
誰でももっと金を得たいとなっている、カルト宗教団体もそのために毎日祈っているのである。そのためにあれだけの数がいるのである。
本当に宗教をシャカのように実践を強いられたりしたら数人しかとても耐えられないからである。本当の宗教を実践できる人間は数人しかいないとなるのだ。

ともかく報道の自由は実際はない、権力と癒着した報道であり大本営発表しかマスコミにはない、あとはパンとサーカスであり大衆操作のために芸能人が利用されるだけだとなるただそういうことしているとそのことで大きな災いが起きてくる。
戦争に導かれても報道されないとか原発でも中で何が起きているか危険があっても報道されないとかいろいろなことで必ず大衆にもその災いを受けるのである。


タグ:報道の自由

2016年08月25日

水の驚異(wonder of water)-a poem


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水の驚異(wonder of water)-a poem


水はどこにでもある
水に特別注意しない
しかし水のすべてを知ることはできない
水は千変万化である
水は岩のように山のように
一定していない、変化の象徴
ある時は確かに水は鏡のように
流れもせずにとどまる
静穏にしてものの影を写す
でも水はとどまらない
常に流動的である
流れだして激しく岩を打ち轟く
滝ともなり落ち山々に轟きわたる
それは恐ろしいほどの力である
さらに恐ろしいのは海の水である
この果てしない海の水は
人間の表現の力を越えている
海の力は驚異である
津波の力にはただ畏怖するのみ
街をのみこむその凶暴さ
その力にはただ敬服するのみ
それは宇宙の知らざる力
海を表現しきることはできない
海は吠え猛り狂う
その恐ろしさに人はおびえるだけ
海こそ野生の最大の力である
水の恐ろしさは世を滅ぼすこともできること
ノアの洪水がそうであり津波もそれとにていた
人間の力はまだそれと比べると小さい
人間は平地を制服しても海は制服できない
海をコントロールはとてもできない
津波のように荒々しい力に打ち砕かれる
その深い海溝はまだ知られていない
海はまだ神秘に閉ざされている
太古のシーラカンスが生きていたように
水は決して留まらない
流動してやまず脈打っている
故に水をとらえることはできない
水を作り出したのは神である
水に神を見て山に神を見て地球に神を見る
創造主の恐るべき畏怖すべきものを見る
ただその力に敬服するのみてある



There is the water anywhere
I am not careful about water in particular
However, the water which cannot know all of water is ever-changing
The water is no motion like a rock like a mountain
Symbol of the change that does not maintain the same
The water is surely  like a mirror once
I make it calm and represent the shadow of the things
But the water does not remain
Always changeable
The water of this endless sea where it is water of the seas
that is more terrible where it which it is with the waterfall
which I begin to flow and hit the rock intensely,
and roars, and I roar, and lasts for the omission mountains is power as it is terrible
I surpass power of the human expression
The power of the sea is wonder
It is the brutality to merely fear it for the power of the tsunami, and to swallow a town
I merely admire the power
The power that the space does not know it
The sea which cannot finish expressing the sea barks and rages
The person is only frightened by the terror, and the sea is the wild biggest power
A flood of extinction  Noah is so in the life, and, as for the terror of the water,
the sea where the deep trench which is smashed by power violent at all
like the tsunami which it is not possible for as for the control in the uniform sea
which it is not possible for in the sea even if a uniform does level ground
as for the human being who is still smaller than it as for the human power
that was is not still known to for it as for the tsunami either does not still remain at all
in a mystery for the water as snowbound ancient coelacanth lived
I beat without  stopping
It is God to have created the water which cannot catch late  water
Watch the terrible thing which should fear of the Creator
who  watch God on the mountain, and watches God on the earth;
only for the power of admiring it is watch

水に興味をもったのは抽象画で流れの連作を作った時である。実際の水を見てもこんなふうには見ていなかった。抽象画を作ってみてこんなに流れの変化がありうることに驚いた実際の自らこんなにイメージできないが抽象画からかえってイメージしたというのも不思議である。

これがやはり芸術の効用である。芸術家が自然を表現するときみんな個性で違ったように表現する、自然の見方はパターン化しないし一様ではない、そこに芸術の意味がある。
こんなふうにも見えるんだと芸術家から教えられるのである。
最近は写真がそれを教えてくれる、今や写真なしで芸術家は語れないだろう。
自分は絵を全く描けないが抽象画で具象画にないものを表現した。
ただこれはどこまで芸術のオリジナルがあるかわからないが自分自身が不思議なの経験だったのである。

自分が水の恐ろしさを知ったのは津波である。これほど恐ろしいものはなかった。
それは水の恐ろしさだった、海の恐ろしさだった。
未だに海は神秘であり恐ろしい力を秘めている、この世界の驚異は宇宙であれ地球であれ巨大な計り知れないエネルギーを噴出させていることなのである。
それを人間が実感しえない、あまりにも巨大であり強烈であり深いから実感できない
特に海は本当に恐ろしいものだということを津波で知ったしこれまでもそうだった。

It is time when it made the repeated cultivation of the flow with an abstract picture that I was interested in water. I did not look to see real water in this way either. I cannot image oneself of a fact surprised at making an abstract picture, and the change of the flow being possible so much so much, but what I rather imaged from an abstract picture is mysterious.

After all this is an effect of the art; is art The viewpoint of nature to express when a person of art expresses nature as having been different with all personality does not patternize it, and is not same; there of the art have a meaning.
It is told that I see it in this way by an artist.
The artist may not talk without now and the photograph which a photograph can teach it recently.
Oneself could not draw a picture at all, but expressed the thing which a representational painting did not have in an abstract picture.
This did not know where was an original of the art to, but oneself was only mysterious experience.

It is a tsunami that oneself knew the terror of the water. There was not such the terrible thing.
It was terror of the seas which was terror of the water.
It is to let the immeasurable energy that the wonder of this world hiding the power that it is a mystery, and is terrible in is space, and the sea is still the earth, and is huge begin to blow.
I knew that it was really terrible by a tsunami, and the sea where the rest that a human being could not realize could not realize it because it was huge and was strong and was deep in particular was so until now.

タグ:水の驚異
posted by 老鶯 at 21:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 抽象画の部(abstract)

二十年以上知らずに利用しなっかた原町のモスバーガー (知らないことが致命的になり死にもつながるから怖い ー原発事故もそうだった)


二十年以上知らずに利用しなっかた原町のモスバーガー


(知らないことが致命的になり死にもつながるから怖い

ー原発事故もそうだった)

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天井が高いのも気持ちがいい

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内部はこんな感じで喫茶店風でありくつろぎやすい

これは原町の内装ではないがにている



原町の六号線沿いの店に行っていつも困っていたのが喫茶店がないことだった。
それは実はあったのだ。ドライブスルーのモスバガーだった
そこはいつも通っていたが車の人がドライブスルーで使うものだとばかり思っていた。
別に車でなくても中で食事できるようになっていて中は喫茶店だった。
バニラシェクが250円だから安く利用できる
ここをなぜ中で食事できて休めないと見ていたかという中が見えなかったからである。
ただちょっと注意していれば見えたのである。
そこは車しか通れないと思ってたのが大失敗だった
これは20年前からもそれ以上前からもあったのである。
設立開設は1989年6月だった、20年以上そこにあるのに利用しなかっのである。 
これが相馬市にあるならわかったかもしれない、マクドナルドはある。
そこは何か喫茶店風になっていない、ただハンバーガーを食べるだけなのである。

原町のモスバーガーは中が喫茶店風になっていてしゃれた空間となっている
その雰囲気が違っていたのである。家とか店は内装が意外と大事である。
その内装が雰囲気を作り出している。家は外見だけを見てもわからない、内部空間がどうなっているかは入ってみないとわからないし住んでみないとわからない。
だから古い家のことを紹介する番組があってもその空間がどういうものかわからないのである。内装によって雰囲気ががらりと変わる、気持ちまで変わる
だから店の客の入りまで左右するのが内装である。
店の内部がどういう空間なのか?ただ食事するだけの空間や作りや椅子の配置になっている所が多い、喫茶店風になると内装や空間や椅子やテーブルの配置が意外と大事である。ただ現代は喫茶店はめっきり減った。個人的に経営することもむずかしい。
チェーン店が主になった、ただマグドナルドでもチェーン店はただ食べるだけでくつろぐ空間になっていない、だからここは意外だった。ここを見逃していたことは大損だった
自分はハンパーグが嫌いであり海外旅行ではこればかり食べて嫌になった。
レストランが利用しにくいからである。だからマクドナルドにはほとんど入っていないからここにも入らなかったがここは喫茶店として利用できたのである。

地元に住んでいてもここがわからなかったのは致命的だった。
原町にはしょっちゅう行っているから余計に大失敗だった
人間が生活するにはまず本当は近くのことを十分に知らないとそのことでも致命的になる世界とか全国のニュースに注目しているがまず身近な所を知らないとそれが日々生活する所なので致命的になる
近くでも知らないことがどれほどあるのか歴史を研究してもすぐ近くの神社に天明の碑があったことも最近まで知らなかった。天明というと飢饉があったときだから何らかこの辺も影響を受けていた。
まず現代なら知っているが過去になると身近なところでも知らないことが多すぎるのである。百年住んでも知らないことが結構あるとなるのだ。

知らないということが致命的になるというときあらゆることがそうなのである。
買い物でも今は料理することは買い物をすることである。買ってほとんどまかなうからである。でもこの買い物もめんどうなのである。種類が多いからである。
だから家事をするとき料理することではない、何を買うかということが最初の大きな問題なのである。料理は簡単でいいが何を買うかの方が問題になっているのだ。
まず家事をするようになってからいろいろ知らないことがあり苦労した。
今でも苦労している。家事の範囲は広いのである。料理とかもあるが掃除もあり洗濯もあり整理整頓もあり家事に通じることが年期がいるのである。
だから老人が一人住んでゴミ屋敷になるのがわかる、家事の様々な負担でかたづけられくなってそうなってしまう。整理整頓することが相当頭も使うし簡単にできないのである。
何か買い物でも自転車でもそうである。種類が多いから何がいいのかわからないのである自転車は実際乗ってみないとわからないのである。それでロードを試しに乗ってみたいと8キロのを買ったがそれがタイヤでも細すぎて不安定で使いなかった。
段差などあったら危険で乗れなかったのである。これも実物を見ないことや自転車屋で説明してくれなかったからである。
一方原町の自転車屋は自分は実際に自転車に乗ってみていいものを勧めている、これは間違いなくいいか買いなさいといわれ買った、それは電動自転車だからロードとは違うから買いやすいとはなっていた。
ロードというものが自分にはわからなかったのである。自分は自転車に乗ってもロードがわからないということは致命的でもあった。自転車の醍醐味はロードにあったからである今は買い物が本当にむずかしいのである。


知らないというとき病気でもそうである。病気はめんどうである。まず素人判断するとなると危険である、自分はそれで死ぬところだった。なかなか介護とかで病院に行けずインターネットで調べていて安易に考えていた、でもぎりぎりになり医者に行ったときは即入院になった。そうしないと死ぬところだったのである。
だから病気は自分で判断するのは危険である。まず医者に行きそれから自分で調べるのが順序なのである。病院や医者も今はいろいろ批判されるからすべて頼っていいとはならないからである。でも自己判断するとまた危険なのである。
自分でインターネットとか調べて漢方薬とか民間治療で死に至ったひともいる、自分で調べていて迷路に陥っていたというのだ。そういうことが病気にはある。
病気は知らないとか判断を誤ると死ぬから怖いのである。

知らないというとき怖いのは津波でもそうだった。この辺では津波は来ないということが信念にまでなっていて逃げなかった。
でも八沢浦が海だった時、柚木(ゆぬき)にてんとう念仏という伝説が残っていた。
念仏を唱えて津波が引くのを祈ったところだという、その高台に逃げて助かったという伝説である。それは仙台平野で念仏橋とか念仏田とかありそれは津波と関係していた。
だからここでも念仏を津波のときに唱えたというのはつながりがある。
それは明らかに貞観津波ではなく慶長津波の時代の伝説である。
そうした歴史的なことも知らないとそれが命にかかわるということになった
何でも知らないことは命にかかわる,津波でこれだけの人間が死んだのは津波を知らないからだった。津波が来ないと老人は逃げないで死んだのである。

別にモスバーガーが喫茶店風になっていて知らないということでそれほど損失はない
でも自分にとってはかなりの損失だった。
人間は知らないことでそれが死につながっていることが多いのである。
知らないことでいろいろ苦しむことも多い
地元で暮らしていてもそうした歴史的なことでなくても知らないことがありそれで損したりまた困ることが多いのである。
自分の場合は車がないということでそうなった面がある。今は車を利用しないということは車社会の時、車について知らないことは困ることになる
身内が交通事故で死んだとき自賠責とか任意とか保険のことを知らないので苦労した。
車に乗らないから車のことを知らないですまされないのである。
でもこれはどうにもならなかった。一人だけ自動車のことを知っている人がいて聞いて知ったのである。

最近良く親が死んで葬式も出せずにほうっていたとかの事件が多い、それは50代でも親の葬式を出せないとそうなった、でもその子は無職だったりしていると実際は市町村に相談すれば処理してくれる、金も出してくれる、ただその交渉ができないのである。
最低辺で生きている人はまず市町村の役所に文句を言い、公務員を使っているのである。そしてなんとかして助けてくれと他人でもたのみこむのである。
それも執拗に頼むからついついその願いを聞いてしまう。
そのくらいの交渉力のねばりがあったら金がなくてもなんとかできるのである。
そしてそもそも葬式が出せないというとき死体でも処理できること知らないのである。
確かにめんどうではあるが葬儀会社に頼めば30万以下でみんなやってくれるのである。
自分は30万以下でしたしあと一人手伝ってもらったからその人にお礼した。
自分は一人だから本当に介護やら葬儀やら家事では苦労した。自分の病気のことでも苦労した。何か一人ではできないことが多い、だから日頃から親しい人がいて聞いたりまず知ることが大事なのである。
そういうふうに今は社会性が欠けた人が自分もそうだが増えてくる
芸術家なども浮世離れしているとひどいめにあうことは確かである。
それが60代以降とかなると自分もプログで書いてきたが悲惨な結果になる
社会常識として知らないことが致命的になるのである。

ただ人間はあらゆることはしりえない、ほんの一部しか社会でも自然でもしりえようがないのである。今は世界に起きていることを知れと言ってもこれも複雑であり理解することがむずかしい、それより身近なことを知らないことが致命的になるのである。
原発事故だって放射能だってそうである。そんなものわかりえよがないと言ってもそれが知らないことが致命的になった。これだけの大被害になったからである。
新潟の巻町では原発を建てさせなかった、それは放射能のことがわからないにしても学者呼んだりして町民が勉強して町民の合意で原発を建てさせなかったのである。
だから放射能がむずかしいからといって知らないですまされないことだった。
つまり知りえよがないとしても知らないと致命的になり死につながるから知らないですまされないのである。
戦争でもアメリカのことを知っている人は日本人ではまれだった、だから日本国を過大にして見ていたのである。それも敵を知り、己を知れば、百戦危うからず。
敵を知らない限り戦いようがないのである。敵というときこの世には様々なものがある
ウィルスも病気の敵であり相手を敵を知らないからこそ戦いようがないのである。

ソクラテスが汝自身を知れとか人間は知っているようで知らないというときまさにそうである。別にむずかしいことでなくても知らないからこそ災いに巻き込まれ死ぬことにもなるから怖いのである。人間は無知が死につながっているから怖いのである。
知らないではすまされないから知ることに勤めなければならないとなる
知らないことが死に直結しているから怖いのである。
知るというとき体でも自分のことが知らない、この夏暑くて食欲がなく胃も悪くなったからたいしたものを食べていないからかなり体重が五、六キロ減ったと思ったら五、六キロ増えていたのである。これは体重を計らないのが失敗だった、何かただ感じで体重が減ったとしていた。でも実際に体重計で計ったら増えていた
だからなんとなくとか感じで判断するのも危険である。
体重を計ることは科学的に知ることでもあった。放射能でもやはり放射線量を計って判断している、だから数値に従うとういことは科学的なのである。
ただその数値が即影響しないから軽く見るとなる。体重の場合は具体性があるからこれ以上太ってはまずいという危機意識を自分はもったのである。
知らないからどうにもならないではなくやはり危機意識をもつことが人間は大事なのである。そうしないと即に死につながるから怖い、それが津波でも原発事故でも起きたし過去でも歴史的にもそうして知らないことで大被害になっているのである。
ここは原発から30キロ離れていて自分は原発に無関心だったのである。その無関心、知らないことが今回のような大事故になり大被害になった、津波でもそうだったのである。
つまり人間はしらないことから大事故や大惨事や災いにまきこまれるのである。









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2016年08月24日

地方の神社に必ずある忠魂碑の疑問 (靖国神社と深くかかわっているー国家とは何なのか?)


地方の神社に必ずある忠魂碑の疑問


(靖国神社と深くかかわっているー国家とは何なのか?)


国民は、国家が国民として認めた者をいう。国民であるかないかは、国家権力が決めた法定義によって定まる。
国民は、国家権力によって国家権力が必要と認めた権利と義務を与えられる。
たとえ、国内居住する者でも国家権力によって国民として認知されていない者は、国民として扱われない。異邦人である。当然、国民としての権利も義務も保障されていない。


江戸時代は諸侯の領地ごとに、独自の法律・通貨(と言い切っていいかは疑問だが)・軍隊を所有していました。
外国人は諸侯を「KING」と呼んでいました。これは、諸侯がその地域で王権を確立していると、判断されていたからです。
同じく「EMPEROR」と呼ばれた将軍は、大名領には警察権を及ばすことはなく、各地の自主性は最大限尊重されたのです。

国家とか国民というのは明治以降近代化して生れた概念である。だから国家国民というけどそれは新しい概念だから理解しにくいものである。
封建時代は君主制であり君主に忠誠を誓う体制でありそれぞれの藩が国家と言えた。
それぞれの藩が税金でも法律でも自ら施行して独立していたからである。
その時は侍が支配層でありその下に農民がいて商人がいて職人がいて庶民がいた。
実質藩を維持していたのは侍であり侍は君主に忠誠を誓っていたのである。

それが明治時代になったとき国家とか国民という概念が生れた。どうして国民が日本国民として意識するようになったのか?
それは西南戦争の時だった。西郷隆盛が侍階級を維持しようとして政府軍と戦った
旧勢力を侍を維持しようとしたから廃藩置県に反対だったのである。
その時会津では薩摩長州軍に敗れて悲惨な結果となった。ところがその敗れた会津の兵士が西南戦争で政府軍に入り活躍したのである。相手はもともと侍だから戦争には強い
国民軍は素人だからかなわないところがあった。その中にかつて会津藩に属した侍がいて参戦したから強い味方となった。その時会津藩士でもなく政府軍国民軍になっていたのである。国民軍も素人の集団だったがだんだん国民軍としてこの時意識するようになったのである。そして侍にはかなわないと思っていたが国民軍でも戦えるという自信をこの戦いでもつようになったのである。この時日本国民として意識するようになったのである。
明治になってもその戸籍には士族と平民は分けられていたけど実質は国民となり国民兵となって日本国を守るものとなっていった。
それは明治維新の長州とかでも奇兵隊で侍でないものが農民でも商人でも兵隊として参加していたことから始まっていた。
戦国時代でも強固な主従関係が生れたのも戦争があったからである。
そこでは生死をともにするのだから身分の差があっても命懸けなのだから主従が一体となった。

日本国民として意識するようになったのも戦争でありその他ではなかなか日本国民として意識しにくいだろう。運命共同体だというときはやはり戦争の時一番意識する
それは日本だけではない他国でもそうである。平和なときでも中国でも韓国でも日本を責めるのはそれで国民としての意識が共同性が一体感が助長されからである。
それはヨーロッパでも封建時代があり騎士がいて城が多いから日本とにている
君主との主従関係が基本にありそれがその土地土地の領地を守り一つの国として維持していたのである。
それは国といっても現代の国民国家とは全く違ったものであり明治以降のヨーロッパでも近代化したあとの国家はルソーの契約国家のように違ったものなのである。
侍が主従の関係が基本にあるというとき日本でも天皇が君主であり主従関係を結び国民は天皇の臣民であり赤子であるとされた。それは侍の江戸時代の価値観を受け継いでいたのである。だから兵隊は太平洋戦争でも侍という感覚ももっていた。

ともかく国家が契約関係だとか国民という観念とういうか概念はなかなかなじめないからもともとあったものをあてはめるし引き継がれるのが人間社会なのである。
日本国民という意識は太平洋戦争で絶頂になり敗戦でその国民意識は否定されて日本国民という意識はなく日本人はアメリカに国防をゆだね経済人になった。
ただひたすら利益をもとめるだけのエコノミックアニマルと世界に高度成長時代に言われた。天皇を無理やり近代国家にもってきたのもそうである。
天皇との主従関係として国家を維持しようとしたのである。
だか明治以降の日本の歴史は何であったのかとなる。それは太平洋戦争が何であったのかとともなり継続された歴史をふりかえることが要求されている

それで靖国神社に祭られている戦死者はをと処遇していいかわからないのである。
日本国民として扱えば日本国家として祭る、一方で靖国神社は私的な宗教団体だというというのも矛盾がある。戦死者は英霊として祭るというときそれは天皇との臣従関係として天皇に忠誠を誓うものとして祀られる、なぜなら明治維新を成した人たちが祀られたのが靖国神社である。西郷隆盛とかの反乱した藩士とか会津藩士とか祀られていないのである。
でもそういう時代が終わり国民の時代になったときでは戦争で死んだ人たちは国家に忠誠を誓い死んだのである。それはまた天皇との臣従関係で忠誠を誓い死んだのだから英霊とされる、それで戦没者の家族は天皇に靖国神社を参拝してもらいたいとなっている
なぜなら臣下が天皇のために国家のために死んだのだから参拝するのが当然だとなる
でも近代国家とか国民になるとそういう宗教的なものはもちこまない、アメリカだったらアメリカのために死んだ人はアーリントン墓地とか国で葬っているが別に日本の英霊とか神として祀ることはないのである。
日本だから明治以降近代的に国民国家になったのだが国家とか国民というものを前近代の封建制からの習慣をひきづっているのである。
だから戦死者をどう対処していいかわからない、英霊とかなるのもそれは天皇と関係してそうなっている。それは国と宗教が一体化しているからである。

「国内には10万世帯を超える軍人遺家族が出現した。日露開戦による国家意識の高まりと遺族の急増によって、戦争中から戦後にかけて、全国各地で戦没者のための記念施設の建設がにわかにさかんとなった。戦没者を郷土の誇りとする宣伝が行きわたり、靖国神社への合祀に呼応して、民間の有志によって招魂社がつくられ、神社、寺院の境内や公園、学校等に招魂碑、忠魂碑、弔魂碑、忠死者碑等の記念碑がぞくぞくと建てられていった。」
−「慰霊と招魂」村上重良 岩波新書−

忠魂碑というのはまさに忠義だとか臣従関係のものである。それは天皇に臣従するということである。天皇が君主だからそうなる。今になるとなぜ神社にこれほど忠魂碑があるのか?それに違和感を感じる、第一その忠魂碑に戦争中のように意義を認める人がいるのか?何かただ過去のものが以前としてあるということでそれに特別な感情を抱いている人がいるだろうか?何か否定的な感情を抱いている人も多いだろう。
そう教育されたからでもあるがこの碑が大事な碑なのだとか教えられてもいないのである第一君が代すら歌わない時代であり教師が左翼系が多いからまたそうなる
自分が碑として注目するのは江戸時代の庶民のものである。日本人は太平洋戦争に負けてその戦争を否定的にとらえている、あの戦争を肯定的になる人は少ないだろう。
だからなぜそもそも一地方の神社にどこでも忠魂碑があるのか?
地方の神社は国家と関係ないということでも議論になった。地方の神社を国家と関係させるようになったのは太平洋戦争からである。これもやはり今になると神社とは何なのかわからないものになっているからだ。
ともかくあまりにも犠牲者が多すぎたからなぜこんなに死なねばならなかったのかということである。そもそもそんなに死ぬ戦争が正しかったのかとなるからだ。
そもそも未だに太平洋戦争が何のために行われたのか日本人自身が総括していない、そこに靖国神社が問題になる。
どういう経過で戦争に突入したのかもわかりにくいのである。

神道と国家神道は違うという、地域の神社が国家と結びつくことはなかった、東照権現は家康を神として祭っているから国家と結びついているものだろう。
他の地域の神社は豊作を祈るとか病気が直るとか国家とは結びついていない
忠魂碑は靖国神社の分化したものともいえる、天皇の臣下として死んだものを記念しているからである。ではその忠魂碑に地元の人でも祭りしたりしない、何か忘れられているのである。でもどういうわけか忠魂碑はどこの神社でもある。それは戦前に建てられたものが継続してあるということである。それは未だに戦争で死んだ人の墓に軍隊の位が刻まれている、それは当時は名誉の戦死だからそうなっている、それを統括したのが靖国神社なのである。戦争で死んだ人は慰霊すべきなことは確かである。

要するに太平洋戦争が何であったのか?それを日本人は歴史的に総括していないから起きている、全面的にあの戦争を意義あるものとして肯定している人たちも右翼には多い
その右傾化が政治家でも増えている、欧米の植民地化に対する抵抗戦争だったとか白人優位を人種差別に抵抗する戦争だったというのもそうである。それも一理ある,日本だけが植民地化されないという特殊性があったからである。アジアでは他は植民地化されたのに日本だけは明治維新でも植民地化されなかったことが特筆すべきだからである。
でもそれはアジア侵略を正当化できものなのかどうかは疑問である。
靖国神社問題はこうして太平洋戦争が何であったのか歴史的に日本人が総括していないから起きている、もし意義あるものなら靖国神社が重要なものとなってゆく、それと並んで地方の神社にある忠魂碑も重要なものとなってゆく

明治維新以降の国家とか国民に天皇をもってきて臣従関係にしたこと自体無理があった。近代国家は江戸時代とは違ったものになったからである。
そういう矛盾を太平洋戦争まで日本はひきづっていたのである。
国民とか国家とはヨーロッパでも近代化して生れたものでありそれまでは日本の封建時代であり国家とか国民という意識はないのである。
だからどうして国家が生れ国民が生れたのか問題になるのである。
なぜ天皇が靖国神社にお参りしないのか?それは近代の明治維新の国家は天皇の臣民としても実際は違ったものになっている。無理やり天皇の臣民にしたからである。
臣下が天皇のために死んだなら当然お参りするのは義務である。それができないということ自体が国家とか国民が天皇の臣下としてありえないものとなっていたから起きているのである。

いづれにしろ国家とか国民はここ二百年くらいに生れた概念である。むしろフランス革命の「自由,平等、博愛」の思想は宗教の束縛や国家を国民を越えるものとして生れた。
それはいかなる国家に属していても人間としての平等の権利をもつとしたからである。
人間を宗教でも人種でも差別しないという人類的理想主義なのである。
ただそれが結果的に実行されたグローバル化で移民問題が発生しテロとなり軋轢が生れ国家主義が民族主義に逆戻りしているのが現在である。
人間は国家共同体が一番強固でありこれからぬけられないのである。
ただ人類的理想を追求すれば共通なものがあり憲法のようにすることもできる
それが国連の役割だけど国連も国家の前には無力なのである。

例えば国連で世界の紛争など解決できない、世界は中国だったら中華帝国を目指している、今はアメリカ帝国に属しているが日本もその中華帝国に属するものとして扱われる、
そもそも統一した世界帝国は人類にできていないからである。
国家国民さえグローバル化してやがて消滅してゆくかもしれない、世界国家ができればそうなる。日本の戦争は日本の天皇国家としての延長としてアジアへの進出だった。
国家というものをぬけだしていないからこそ失敗したともいえる。

それには確かに意義があった、でも日本国家というものからぬけだせないからこそ失敗したのである。ただ国家国民というものからぬけだしている国はない、ただそれもこれだけグローバル化していれば国家国民というものから人類は抜け出す方向へ合意してゆくかもしれない、実際はそうしなければ人類は戦争をやめることができないのである。
国家でも共通の利益を計れば共同できる、経済的には商業ではそういうことをしてきている。ただEUでもそういう理想があってしてもなぜうまくいかないのか?
そこに国家とか国民とか民族とか人間が形成してきた歴史的なものも関係してできない
ただ中国でもアメリカでも多様な人種とか民族が共生するとなる理念国家になる。
中国でもマルキシズムとか共産主義になり理念国家として世界的運動として一時あったが国家という枠からはぬけだせないのである。世界はむしろナショナリズムに回帰しているのである。
タグ:国家論
posted by 老鶯 at 10:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 明治維新-明治以降

2016年08月23日

抽象画(無限の流れの変容)

抽象画(無限の流れの変容)

  • Abstract picture (transformation of an infinite flow)

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power of sea

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タグ:無限の流れ
posted by 老鶯 at 17:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 抽象画の部(abstract)

朝の蝉(家事は自分でできるが女性は必要)


朝の蝉(家事は自分でできるが女性は必要)

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この農家の前は稲穂が実り前にもどった
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元は養蚕の家でありそのまま住んで直した

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この猫は大人しい性格である。なんか自分とにている
石に座るのもマッチしている



朝の蝉近くの女の今日も来る

養蚕の兜作りや木槿かな



実りそむ稲穂に芙蓉農家一軒元にもどりぬ

黒揚羽一羽とまりぬそのあとに木陰の石に猫の休みぬ

出水の流れの早し燕飛び雨に打たれて我も行くかな

台風の雨に打たれて風たたく我が家を一人継ぎて守りぬ


今は家事は一人でもできる、機械がやるし料理でも買いばでとる、野菜をとることには注意している、たいした料理もしていない、別にそれでも栄養はたりている
その証拠がこの暑いのに食欲なく胃が悪くしていたのに太っていたことである。
自分は相当にやせたと思っていたからである。
何か今は栄養をジュース類でもなんでもどこかでとっているのである。
家事は昔のように女中など雇う必要がない、みんな機械がしてくれるからである。
だから一人暮らしでも困らないのである。それで結婚しなくてもいいという若者も多くなる原因の一つである。

結婚するとなにかとめんどうになるし負担が増えるからである。まず結婚したら芸術活動とか知的作業と学問とかなんかそういうものを追求するのはむずかしくなる
それだけそこに時間がかかるからである。家族に妻に子供に気を使っていたら時間がとられできない、結局何度も言うが人生は時間の配分で決まる
何に時間を使ったが人生なのである。最後になればそれが馬鹿でもわかる
なんで馬鹿なことに時間を費やしたのかとなる、それを痛切に感じるのは老人になり時間がなくなるとわかるのだ。
若いときは時間がいくらでもあると思っていたのである。時間をつぶすのに苦労していたのである。その時間がたちまち過ぎてしまう。そして時間はもうないのである。
今や砂時計の砂がおちて残りわずかだということを日々意識する、砂が落ちてなくなったとき死なのである。

お前は旅ばかりして遊んでいただけではないかと外から見る人がいるだろう。
でもふりかえると自分は旅することは仕事だった。旅は自然でも歴史的なものでも見ることに集中しないとあとは何も残らない、つまり相当な集中力が必要なのである。
自転車旅行になるとこれも体力がいるし苦労だった
旅するだけでも人生はたちまち過ぎる、この旅だって会社勤めならできない
それで退職してからその鬱憤を晴らすために鹿児島から青森まで歩いて旅したとか
自転車で50日間も旅したとかそれもテントがないからホテル泊まりでそうした退職者もいる。旅する時間がないから自由になりそういう人が60代以降に増えてくるのである。

人間の時間は限られている、恋愛するにも結婚するにも家族をもつだけでそれだけで時間がとられてしまう。そうなると他の活動は本当に制限されてしまうのである。
何か芸術であれ学問であれ何であれ趣味さえ追求できないのである。
だから芸術家の80パーセントが独身だったというのがわかる、家族をもったら集中できないからである。

ともかく家事に費やされる時間ははぶかれた、でも家事をする女性の仕事がなくなったかというとなくならない、女性は必要なのである。

「愛妻を亡くした71歳は語っています。さらに「女の声を聞きたい、女と話したい。男友達はしょせん『友情』どまり。女の細やかな『情愛』に触れたかなあ。自分の気持ちをオナゴと分かち合いたい。…」

一人になればこういうことなのである。それを痛切に感じるのである。
夫婦で妻が死んだ結果、80くらいの夫が取り残されてその不満から祭りがうるさいと火炎瓶を投げて怪我させた、そういうことに男はなる。

だから自分も家事をしてもらうというより毎日女性が来るだけで慰めになるから金を払うとなる、家事は自分でできるからである。
ただ一人はいろいろと困ることがある。だからその苦労を書いてきた。
家を維持することが容易ではないのである。台風の雨に打たれ風に吹かれ家を維持する
この家も50年近くになるから歴史を刻んだ、介護の十年もこの家とともにあった。
病院や施設も利用したがやはり家が中心だったのである。
このように家はそれぞれの歴史を刻んでいるのである。
そこに家の重みがある、そもそも家であれ家族であれ地域であれ社会であれ一代では築けない、代々苦労して築かれたものなのである。そういうのが故郷でありそれが失われることは原発避難区域でも一から始めることになるから辛いとなる。
結局老人になれば過去を語り自分はここでこう生きてきた苦労したということを次の代に語りそれが受け継がれることがいいのである。
それがたたれると存在意義すらなくなる、東京辺りに避難した小高の人が施設で死んで小高に帰れずに死んだとかあり孫が墓参りしていた。
これは悲しいことだったとなる、補償金もらってもその穴埋めはできないことは確かである。



タグ:一人暮らし

2016年08月22日

推理ドラマで写された昔の仙石線の陸前大塚駅 (春の日の思い出の短歌十首)


推理ドラマで写された昔の仙石線の陸前大塚駅


(春の日の思い出の短歌十首)


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堤防で島が見えにくくなった

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この辺の家は津波で流されないだろう

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消えた東名駅



奥松島湾の水面の穏やかに春の光にきらめきにけり

島一つ車窓に見えて奥松島春の日静か乗り合わす人

奥松島植田に湾や島一つなごみけるかな電車の行きぬ

我が一人陸前大塚おりたちて島一つ見え桐の花咲く

島一つ車窓に見えて落ち着きぬ奥松島や通う人かな

東名駅今はなしかも春の日に望みし海と遠き山かな

春の日の野蒜駅や松原をぬけ海広し鴎飛ぶかな

野蒜浜波音ひびく砂浜を歩めば貝あり心地良しかな

鳴瀬川電車わたりぬ春の日に海にそそぐや鴎飛び来る

奥松島海沿い走りひびく音心になおもひびきけるかな


仙石線の旅情は奥松島にある。湾になっていて島々が穏やかにある。
特に真ん中にある一つの比較的大きな島がポイントになる。
それが陸前大塚を通るとき車窓から見える
海沿いの低い所を行くから海が余計にまじかに見える
なかなか鉄道でも海をまじうかに見る所は少ない、ここの海は穏やかであり
湖のようにも見えるから春の光がまばゆく水面にはねかえる
そしてここから仙台に通う人が多い線である。

今日見た推理ドラマではここが舞台になっていたので興味深かった
最近昔の推理ドラマを見ていると昔の光景がでてくるのでなつかしい
すでに30年前とかの映像なのである。
その時の俳優は若いし死んだ人もいるから不思議だとなる
この年になると何か回顧すること記憶をたどることが仕事になる

それにしてもあまりにも変わってしまった。陸前大塚駅が残っているが次の東名駅はなくなり高い山陰になってしまった。あの辺の家はねこそぎ津波にやられた。
だからあんな高台に駅を作りその前にまた新しい街を作る
でも山陰で海が見えないから嫌だなと思った。

野蒜駅も駅をおりるとすぐに松原がありそこをぬけると広々と海が広がり砂浜がある。
あそこもいい場所だった。松原は根こそぎ流され今は山のような堤防を作り昔の面影はなにもない、駅も高台であり全く前の光景とは違う。あの辺は仙台の憩いの場所だった。
野蒜から鳴瀬川にでると川が海にそそぐ、瀬が鳴るというのは川の名としてあっている。外から見れば松島だけが注目しているが奥松島の方が何か情緒がある
松島は観光だが奥松島になると日々の生活の場としてもあり違ってる
仙台に仕事で通う人が多いからそうなる

自分は最初は鉄道の旅でありだから何か鉄道に愛着がある。鉄道マニアになると電車の音にも魅力を感じる、何か電車の音を聞くと記憶がよみがえりその場所を走っている気分になるのだ。車だと音にまで愛着を覚えるとはならない。
人間は生きるということはこうして最後は記憶となる、そこでそこを走っていた電車の音までなつかしいとなる、そこを通り生きた記憶がよみがえるからである。
だから昔のテレビドラマは特に推理ドラマは映像的に貴重になっているのだ。

奥松島から鳴瀬川、浜市、牛綱村(春から夏の短歌十首)






2016年08月21日

葛尾村から三春から田村市(都路村)へー秋の短歌 (地理は地図を見てもわからない)


葛尾村から三春から田村市(都路村)へー秋の短歌


(地理は地図を見てもわからない)

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葛尾村あわれ遠くも古き碑の並びて語る秋の夕暮

三春へと葛尾村より我が行くやその道遠く秋の日暮れぬ

この辺りいづれや遠く山の道月見草咲き夕暮れ迫る

三春への道のり遠し道の辺の花もあわれや旅人去りぬ

葛尾村我が父の暮らしはいかに丁稚奉公に新山に出る

葛尾村三春浪江も遠しかな生活もあわれ秋の日暮れぬ

高瀬川上りて遠く落合や秋深まりぬ葛尾村かな

双葉より都路遠し坂のぼり我が着きにしも何かありなむ

五万石三春の城跡我が立てば四方の山々かなた相馬かな

葛尾村古き屋ありぬ養蚕に暮らしをたつや代々の墓

行司滝相馬と三春の境かなその謂れ知り秋深まりぬ

山中に様々な碑の古りにけり昔の暮らし秋の日暮れぬ

隣村都路村やその名にそ華やぐも古道とあり秋深まりぬ

船引と昔の町の名の消えぬ田村市となる知らざりしかな

船引に一夜泊まれる電車行く音のひびきし秋の夕暮

飯館村芒なびきて誰か住むその土地広く知られざるかな




地図見ると実際の感覚とは違う、葛尾村は何か広い感じがしたのである。でも実際はかなり狭い領域だった。飯館村はもともと広い感じだった。
川俣村も意外と狭い、でも人口が多いのは絹織物の里として栄えたからである。
福島市から電車まで通っていた。
双葉とか大熊も土地としては狭い、でも町として維持できたのは原発があったからである浪江町は土地が山奥の津島まで伸びているから変則的なのである。
津島は開墾に入った地域であり戦後のことである、だからあそこで中国人の嫁が都会に出たいと鉈で夫を襲ったということがあった。今は避難してどうなったのか不思議だとなる海側は何か狭い感じである。南相馬市は広いのは原町市がもともと入っていたからであるここに雲雀が原がありもともと広い土地だったのである。
田村市は船引町まで合併していたのである。船引は鉄道も通っていて大きな街がある。
だからそこも合併したので4万くらいになっている
都路村には双葉から自転車で行ったが坂がありようやく越えてつく
ただ都路村は葛尾村の隣である。境を成しているのは高瀬川なのである。
行司滝というのはその境の謂れが伝えている
ただここには行ったことがない、かなり川でも奥になるのだろう。

葛尾村というとき広いと思っていた。父親の出身地は葛尾村の小出屋であり
あそこも相当不便な所であり場所としては広い場所がないので窮屈なのである。
その実家のような家は今はない、そこにも一つの物語となってしまった。
あそこはでも三春までバスが通っていたから浪江の街中に行くより三春の方が近かった
江戸時代でも三春が近かったので葛尾大尽と呼ばれた製鉄で財を成した人が三春藩の殿様を呼んだとか言うのはそのためだろう。
要するに葛尾村が狭いというとき平地も少ない、平地があれば田にしていたが他は山の暮らしであり馬を飼っていたり炭焼きしたり木材とかを売り生活していた。
相馬野馬追いでの騎馬武者の草鞋を作っていたというのもそのためである。

この草鞋作りは金を稼ぐには良かった、栃窪村の上萱(うえがや)でも草鞋作りしていたのである。靴がない時代は草鞋だから草鞋は一日くらいでも履き替えるから売れるとなる、その草鞋は必要なくても義理で生活の足しにと買っていた人もいる
福島市の草鞋祭りもそういうものに由来している。
上萱も意外と古い、明治時代から家があったとか古いのである。茅葺きの家が何軒が残っていたとき何回も行っている、つまり大原村から八木沢へは辺鄙な不便な場所だけど開墾して入植した人がいた。バラ坂とは何なのだろうと思ったらそこが原発事故で家が避難して茨の原になっていた。バラ坂とは茨(いばら)のことだったのである。
それからたいがい古い農家は戦前まで養蚕しているからそれは兜作りであり二階が独特の形をしている、通気孔をもうけていたりとわかる。山の中でも養蚕していればそれなりに暮らしが成り立ったということはある。

ともかくこの辺が原発事故の被害にあり避難区域になった。
この辺は何回も自転車で行った所だがそれでも地理はわかりにくい
実際の感覚とは相当に違うのである。だから地図見ただけでは地理はわからない
遠さの感覚とか地形とか広さの感覚でも実感しにくいのである。
相馬藩は大熊とか葛尾村までありつくづく狭いようで六万石でも広いのである。
だからわからない領域がまだある、行司滝などまだ行っていないのである。

行 司 ヶ 滝

このプログの説明だと都路村の古道村まで相馬藩であり境争いがあった。三春藩の侍が切腹までしていたのである。境になっている所は必ず何か争いがありそうした歴史が残されている、ここのプログは面白いようだ。

ともかく人間の暮らしというときこうした山の村でもそこに暮らしている重みが違う。
こういうところにも人が代々暮らしているということが感慨深いのである。
確かに不便なのだけど都会だったら一軒一軒の暮らしの重みがないのである。
つまり今になると良くこんな山の中で暮らして来たなと思うのである。
だから東京などの家とかと比べると一軒の家の重みは百倍もあるだろう
それで浪江の赤生木にはもう人が住まないと一軒一軒の家を記録に残そうとしているのである。ただあそこは開墾に入った人が多いようである。

自分にとってこういう村が失われることが今になると大損失である。そんな限界集落のようなものは金がかかるからいらないと都会の人が言う時、それはあまりにも偏った見方なのである。人間の暮らしが本来どういうものなのか都会の人は経済的なもの、効率として見ないからである。ただそれも一理ある、なぜならもともとそういう村は自給自足であり都会の人に頼っていなかったからである。そこに誇りがあった。
今は原発でわかるように便利な生活のためにインフラでも何でも税金でまかなっているからそうなる。
結局もし田舎だけで都会の人に頼らずに暮らしていたらもっと生活の重みがあったともなる、もちろんそうなると貧乏で嫌だとなっていて街に出てきた人もいるし自分の父親のように酒屋に丁稚奉公に出された人もいるからそこで暮らすことは厳しいのである。
ただ貧しい,厳しい生活ということがその生活にさらに重みを加えていたともなる
田舎でも街中より離れた農家などには生活の重みを感じるけど街中だと感じない
家が密集していると一軒一軒の家の重みかなくなる、まして都会となると余計にそうなる農家だとそこが旧家だったりする城のようにさえ見えるからである。

いづれにしろ地理の感覚は地図を見てもわからない、実地に歩いてみないとわからないのである。だから葛尾村が狭い領域だということが意外だったのである。葛尾村には古い碑がある。落合には明歴と元禄の碑があったことを紹介したが明暦となると相馬藩内では本当に少ないのである。
また秋になったら涼しいからロードで行ってみたい、ロードだと倍速になるからだ。
葛尾村も避難解除にはなっているがあそこは辺鄙だからもどるとなると他より苦しいとなる。
この辺が都会の人には感じないがそういう代々の生活が奪われたとかその被害は深刻だったのである。そういうふうには都会の人は見ない、この際限界集落は消えた方がいいとかみる、それは経済的効率だけから見るからである。

生活の重みとか人間の暮らしが本来どういうものかとか見ればその見方は違ってくるのである。ただそういうことはそこに住んでいる人も感じないということもある
かえって補償金もらって都会で便利な生活したいとなる、そういうふうに田舎でも暮らしていたら当然この際補償金で都会で暮らそうと若い人は特になってしまったのである。
要するにその人の生きる価値観の問題がある、でもそんなことより普通は便利な生活がしたいとなるのである。自分でもどうしても小さい町でも街中でしか暮らせないのが現実なのである。車がないから近くにスーパーがないと暮らせないからである。
自分はまだ一万くらいの町でも我慢できる、それでも贅沢は今でもできるのである。
通販とかインターネットが発達したから補えるということである。
それもまた矛盾であり便利だからこそ田舎に暮らせるともなる
とにかく原発事故ではいろいろなことが問われたのである。むずかしく言えば実存的問題というか哲学的問題としても問われたのである。

高瀬川から葛尾村まで春の短歌二十首

葛尾(かつろう)村から三春へ(秋の暮)
(残された一つの物語)








タグ:葛尾村

過酷な人生は何のために 苦しめば相手の苦しみに同情する


過酷な人生は何のために


苦しめば相手の苦しみに同情する


人は誰しも母から生まれとき母の苦しみを通じて生れる
苦しみを通してすでにこの世に生れている
その後も親の生活の苦しみがあり子は育つ
戦争で苦しみ生き残りそして自分が育てられた
若いときすでに母は糸取りで十年働き苦労してた。
戦前はみんな貧乏であり苦しみ生きていた。
食べるものも粗末であった。沢庵と味噌汁が主でありあとは梅干しである。
そんなもので労働に耐えていた。
人の一生は結局苦しみなのだ。それから逃れることはできない

人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし 家康

子供の頃から苦労していたからこうなった。人間に苦労は尽きることはないのだ
なぜなら人間は苦の存在だというとき病気にならない人がいないからである。
死もまねがれないから死なない限り苦から逃れることができない
苦というとき貧乏も苦だが病気は誰にでもなる、金持ちでも病人になったらただ苦があるだけなのである。
億万長者でも寝たきりになったりしたらその金も何の力もない、ただ歩けたらどれだけ幸せだろうとなるだけである。

ただ人間は人の苦はわからないのである。貧乏を経験していない人は貧乏がどういうものかわからない、実際今の時代の貧乏は戦後まもなくとか戦前の貧乏から比べると貧乏とも言えない、時々貧乏を話題にするけどそれはみんな貧乏を知らないから珍しいものとして貧乏を話題にする、だから何か極端であり実際で学生の貧乏を話題にしたのがやらせだったのであ。実際はぜいたくしていたのである。
現代の貧乏は何かそういうことが多いからそのままに話題にしても特にマスコミで話題にしても信じられないとなる
今では生活保護者でも食べ物だけはぜいたくしている、自分よりぜいたくしている、サシミを生きのいい店で買っている、スーパーでは買わないのである。
自分の父親は明治生れで貧乏のままに終わった、最後の方で豊かになったが病気になりサシミを食えるようになったが食いたくないと言って死んだ
病気になったらどんなうまいものでも食欲がないのだから食べたくないとなる

自分は介護のとき病気でありその病気のとき借金だとなんだと犯罪にあったり苦しめられたの辛かった。でも病気でもやはり責められたり苦しめられたりすることがある

「病」としては、大別して「瘡(かさ=梅毒)」と「労咳(肺結核)」でしたが、働きが良かった(客を大勢取った)遊女は、その妓楼の別宅で養生させてもらえましたが、大部分の遊女は、微熱があろうと、喀血をしながらも、多くの客を取らされました。
そして、いよいよ「ダメだな」となると、妓楼内の日当たりも良くない、薄暗い納戸のようなところへ閉じ込められ、食事もほとんど与えられずに遊女の「死」を待つだけでした。
遊女が死ぬと、腰巻一枚の丸裸にして、菰(こも)に包んで銭200文を付けて「投げ込み寺」へ。
寺では、「総墓」と呼ばれる大きな穴に投げ込み、簡単なお経を読んで供養を済ませました。
従って、小石川養生所などはもとより、医者にかかることさえできませんでした。

遊女も借金のカタにとられてこんなに悲惨に死んだのかとなる、借金というのは江戸時代でも過酷であり江戸時代の暗黒面をここにみる。
今だったら自分でも病気ということが免罪符になる、生活保護も軽いものでも精神が病んだとでも受けられるし、身体の障害者でも特別かえって保護されて同情される
それが特権までなっている。それが現代の恵まれている点である。
自分も常に介護とか病気で思ったことが自分は病気なのになぜこんなに責められるのかということだった
それでこれは自分より悲惨だったなと同情した。結局苦しむことはそうした過去の人でも苦しんだ人に同情することになる、苦しむことで他者にを同情するということはある。

ある女性と話したら貧乏な人がいるんですよと話したらそんな話したくない、そんな人はいないよと言っていた、その人は貧乏な人と接しないから自分が貧乏を経験しないからそう言っているのだ。自分も前はそうだった。自分が苦しんだ結果そういう人の苦しみがわかり同情するようになった。
人間の苦しみはその人が苦しんでみないかぎりわからないのである。
なぜそういう遊女に同情がなかったのか?
当時はやはりみんなが貧乏であり同情しても借金も払えないからそうなった。
まだ逆にそういう過酷な非情な目にあいつづけると人間は非情になる
全く同情しない人間にもなる、心が歪んでしまうい冷酷になる
だから人間あまりにも過酷なことには苦しみには耐えられないのである。


ともかく喀血しながら客をとるというのは悲惨である。それも同情されないのである。
自分もこれよりは楽だったとなるが同情されないということでは同じだった。
だからどうしても比べるのもどうかと思うが津波ではない原発避難者は確かに部屋は狭いけど楽だなと見えるのである。
江戸時代と現代は比べようがないにしろこんな悲惨なことが借金のためにあった
だいたい今の借金している人は何か病気のためとかは少ないだろう
見栄をはる、贅沢をする、ギャンブルするそれがやめられなくて借金する人も多い
そして自分が苦しいとき借金で責めてくる、そんな人が何なのだとなる
原発避難者もギャンブルとパチンコ屋通いになったのそうである。
現代の苦しみは個々に事情があってもそれほどの苦しみとは言えない場合が多いのである
江戸時代は病気になってもまともに医者にかかれる人は少ない、そして医療も発達していないからまともな医療は受けられないから病気になったら死んでゆくのが多いとなる
一方逆に現代は医療過剰で胃ろうまでして胃に穴あけてまで栄養をやり活かしている
このことも実際は地獄的な苦痛なのである。苦しみを与えるために生かしているということにもなっている、これもまた成す術もなく苦しんで死んだ者が多い江戸時代と比べると奇妙だとなる。同じように苦しみを与えていることは間違いないからである。
現代の医療が作り出した苦しみなのである。

いづれにしろ他人の苦しみがわるというとき自分も苦しんでみないとわからない、貧乏な人の苦労をわかるのには自らも貧乏にならないとわからない
現代では本当の貧乏がないから装う貧乏になっているのである。
現代人はそれだけ贅沢なことが当たり前でありそれになれているからちょっとした不便でも貧乏でも耐えられないとなる、貧乏といっても昔からすると相当に贅沢しているからである。

自分はなぜ病気なのに責められたのか、その弱さにつけこまれたのか、そのことが憤りになっている、でも江戸時代の遊女はどんな気持ちで死んでいったのだろうか?
病気でも同情されない、ただ借金を払うために物ののように使われて死んでゆく
江戸時代は義理人情の世界というけどここに一番の暗黒があった。
ここには人情がなかったのかとなる、ただそれぞれの事情がありその当時だと白いご飯が食べられるといい着物が着られるとか当時の価値観ではあった。何かしらそうした地獄でもその当時にしたら人間的なものがあり救いはあったとなる
今は贅沢するために借金してそれで同情しろというのは無理である。ただ現代ではそういう人が多いのである。
これとにたことは現代でも貧乏な国で起きている
目をおおうようなことをdarkness duaのプログで話題にしている、だから昔あったことは今もやはりあることはある。ただその事情は違っている

「なぜこんなに苦しんで死ぬだけなのか」

その不条理に泣いて死んでいった。その人生の過酷さは何であったのかとなる。そこになんらかの慰めがあったのかとなる、その恨みは相当に深いと思うからだ。




タグ:過酷な人生

2016年08月20日

秀岳館にも一人も熊本県出身はいなかった (高校野球の意義はスポーツは何のために?)


秀岳館にも一人も熊本県出身はいなかった


(高校野球の意義はスポーツは何のために?)


今の高校野球は地元代表ではない、秀岳館は熊本代表ではない、大阪から根こそぎひきぬいてチームを作った。地元とは全然関係ないチームなのである。

センバツ「秀岳館だけには優勝させるな」という雰囲気あった

東北の私立でも八戸光星とか青森山田とかは東北出身は一人もいないのである。
福島県の聖光学院は地元が二人くらいいるから違っているといってもそれが福島県の代表なのかとなる。
高校野球は地元の人が応援する、地元意識が強いことで成り立っていた。それで盛り上がっていた。
つまり福島県のチームが勝てば原発事故や震災の復興になるとか熊本だったら地震の被害からの復興になるとかなる

でも秀岳館は実際は地元出身ではない、第二の大阪代表だと言われる
地元の代表だったら地元の励ましになるが地元出身の生徒がいないということが変わってしまったのである。
福島県だったら聖光学院を応援するがでもあまり強く応援する気持ちにもなれない
なにかしらけた感じになるのである。
そもそも高校野球自体がこういうふうに地元出身の生徒が出て応援するとういものでもなくなっている、だから全国高校野球というのがどういう趣旨で行われているのか?
その趣旨に反したものである。野球好きな生徒がどこの県でも私立高校に入りそこで甲子園に出るために練習する、その地元とは別に関係ないのである。

今日秀岳館に勝った北海高校は二人くらい大阪出身だがほとんど北海道出身だった。
秀岳館はピッチャーが5人くらいいるのも強みである。北海高校はエース一人でがんばり勝った、秀岳館には勝ってもらいたくないという高校野球にかかわる人が言うのもわかる前に磐城高校が甲子園で決勝まで進出したときはほとんど磐城出身の高校生だった、もともとみんなそうだったが高校野球は甲子園に出たいという特別優れた生徒が全国から集まりチームを編成するのである。
別にスポーツはスボーツが好きな人がどこの県であれ世界であれば国であれ競うとなれば国にこだわることはない、現実に国がないからたまたたま近くにあった国とかから国籍をもらいオリンピックにでたとか国意識が希薄になっているのである。
スボーツはもともと身体能力だけを競うものでありあまり国籍とか県とか関係ないのである。

そして日本が400メートルリレーで銀メダルとったというとき100メートルの決勝に出た人がいないのに勝った、他は9秒台で決勝に出た人が多い、それでも日本が勝ったというとき世界で話題になった、それがなぜなのか?
それはバトンタッチのうまさである。そこを日本チームは相当に訓練していた。
そのバトンタッチが何か日本人的器用さが発揮されたのかもしれない
そのバトンタッチで差がついて勝敗にも影響するということが面白かった。
ただ速さだけではないバトンタッチが勝敗を分けるというときただ身体能力で競争していれば負けるがバトンタッチの技で勝つというのが面白かったのである。
ただ身体能力だけで勝負がつくとなると決まった人しか勝てないのである。
そこには一つの要素でしか勝てない、身体能力の強い人しか勝てないから勝つ人がたいがい黒人になっているのである。それはDNAでもともと優れているからいつも黒人が勝つとなる、それは国と関係なく陸上は黒人が強いのである。

何かすべて身体能力が強いものが勝つとなると面白くない、そうなら最初から競争しても勝敗がわかっているのだから無駄だとなる
柔道にしても小さい者が大きい者を投げたりすることができるものとして人気があった。また日本の武道は精神的要素が多い、精神の修行という要素が多い、だから日本ではスボーツでも道を究めるとなる、柔道、剣道とか道なのである。
ギリシャではじまったオリンピックの競技には何かそうしたものは精神的なものは欠けている、ただボリス同士が戦争ばかりしていたから休戦の意味でオリンピックが始まったというのに意義があった。それで平和の祭典になったのである。

柔道などにはそうした精神的なものがあり文化がある、ただ身体能力を競うものではないものがある。でも一般的にスポーツには文化的なものを感じない、スポーツという言葉が気晴らしだということでもそうである、ただスボーツで優れているということは身体能力で優れいてることは人間的に優れているということはある
特に昔だったらそういう身体能力で人間の優劣は決まる、機械がない時代だからそうなった。
ただ人間の身体能力の不思議は栄養豊かだからといって必ずしも備わるとは限らない
なぜ江戸時代の人とが粗食でも重労働にできたのか身体能力が高かったのか不思議である走るにしても人力車を引っ張るとか飛脚でもマラソンランナーのように走る能力がありそれは相当な重労働であり粗食でやれたのかとなる、でも実際は粗食である。
おにぎりとか沢庵とか味噌汁くらいがおかずで働いていたことの不思議である。

身体能力を考えると栄養をとらないから弱いともならない、今でもネパールなどでは素足で荷を背負い山を下り下りしている、その人たちは粗食なのである。あの高い山では栄養はとれないからである。
粗食というときローマ人も実際は普通の兵士は粗食だった、貴族化したとき贅沢になった日本兵は粗食であったがやはりそれでも戦争をする体力があった。
現代は栄養過多でありそれで身体能力が高まったというとそうはなっていない、とても昔のように歩いて旅するなどできない、今も車に乗っているとかデスクワークだから昔の人より体力がないのである。
つまり贅沢になれると人間は虚弱化して国自体も衰退してゆくという逆説がある。ローマがゲルマン人に滅ぼされたのもそのためである。
原発避難民なども贅沢であり文明人自体が贅沢になれているからあえてもう困難なこと、不便なことは嫌だとなり震災の災害地は復興できないともなっているのである。

なんか自分は今年の暑さでバテた、それで食欲もなく食べていないから相当にやせたと思ったら逆に太っていたのである。それがなぜかわからないがアイスを食べると太るとかジュースで太るとかなるとそういうものに相当な栄養があり太った
夏やせが普通なのだが夏に太る人が多いというときアイスでもジュース類でも相当に栄養があるためである。
そして糖尿病になる人が現代人に多いのは栄養の取りすぎの結果なのである。
なにか暑いと喉か乾き甘いものをとりすぎるのである。甘いものをとりすぎるとかえって疲れるというのもわかる、かえって水の方がいいとなる
自分はやせ型だから太るわけないのである。それが太ったということは甘いものをとりすぎたということなのか?それだけ今はいろいろなものを食べすぎるということなのだ
そしてかえって栄養をとりすぎて虚弱になっているというのも逆説である。
文明人はみんな共通して虚弱になっている、栄養とりすぎて虚弱になっているというのも逆説である。粗食で生活していたときがかえって身体能力があったというのも逆説なのである。

なぜ現代がスボーツの時代になっているかというとともかく文明人の生活が運動しないためである。だから運動することを求めてしないとできないからである。
別にスボーツジムに行かなくても日頃の生活が身体能力が必要ならそんなことをする必要ないのである。米俵でもかつぎあけるとか荷を運ぶにも日頃肉体労働していればそんなことをする必要はないからである。
オリンピックに出る人は超人的能力の持ち主であり普通の人とは関係ない世界である。
それは遊びと気晴らしの世界なのである。そんなものに金をかけるのは企業の宣伝とか国威高揚とかがありそれが世界で生活している人々とは直接的に何の関係もないのである。そういう気晴らしのスボーツに何兆円もかけること自体時代錯誤になっている
高校野球も勝つことだけが問題になり高校生野球のプロ集団同士の戦いとなり地元とか県の代表でもなくなっているのである。
だから福島県でも心から応援するという気になれない、ただ試合には勝たねばならないから勝つということに重点を置けば結果的には地元だけでは勝てないから全国から優秀な選手を抜擢して強いチームを作る他ない、でもそれは高校野球の趣旨には反しているから
秀岳館は負けてほしいとなったのである。



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posted by 老鶯 at 16:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層