2019年11月13日

紫式部(平安時代の短歌)


紫式部(平安時代の短歌)

murasakishiki12321.jpg


朝日さし紫式部に黄蝶かな

落ち着くや岩に寄りにつ秋薔薇

the one rock
by the rose
in autumn
I calm down

たまゆらに朝舞いさリぬ冬の蝶


平安の殿にしあれや御柱の太しくありて秋日さしいる

紫の衣や奥に女御かな廊を渡りて秋の夕暮れ

姉と母我が家をともに支えにつ60有余年その重みかな


紫式部という名がもともと小紫とか植物の名前としてあった、それが宮中に仕える女性の名になった
日本は一つの言葉にしても名にしても歴史がある
奈良時代だと万葉集があり平安時代になると宮中文化になった
平安時代は京都中心の文化が華開いた
そこに千年の都が生まれたのである

家というのはやはり人間にとって大事である、大きな家はやはりそれだけ住んでいると重み生まれる、自分の家は昔風の大きな家なのである
姉がいつもこの柱は橲原(じさばら)の木を切って作ったのだよと自慢していた
何か歴史でもそうだがそうして建物でも残っていないと昔が偲べなくなるのである
日本は木だから長持ちしない、石だと3000年前でも残っている
そこに日本が歴史を忘れやすいのである
継続した歴史があるきだがそれが忘れやすいのが問題なのである

天皇家だけは日本ではその歴史を保存したという役割があった
天皇制がどうあるべきかは別にして文化と歴史の保存の役割をになってきたことは確かである
現代に欠けているのはそうした文化なのである
東京に来て日本の文化を感じるものがないのである
ただ即位の礼では不思議に秋柳とか秋の虹とかで日本の文化を感じたのである
それは落ち着いた日本の美が反映していたのである

今年は秋なのか冬なのか季節の感覚がわかりにくい、寒くなったから冬であるが何かまだ秋という感じにもなる、季節感覚がずれてしまった

絵の才能が全くなくても切り取りして合成してゆくと絵になるのも不思議である
本当にartとは技術だったのであく、才能がなくても技術でアートにできるとなる
一羽飛んで消えたのは冬の蝶だったとなる、でも赤とんぼが飛んでいたりまだ秋にも感じる

いづれにしろ日本文化、国風文化の時代になってゆく、明治維新は外国文化を取り入れた奈良時代であり次に高度成長時代は経済の時代だった
でも次は文化の時代になる、平安時代の国風文化になる
だから新たに日本の歴史を見直す作業が必要になる
新しい価値はもう物ではなく文化的なものになる、中国でも爆買いではなく日本に求めるのは文化的なものになっている
ただ日本には歴史でも文化があっても物として建物でも残っていないので外国人でもわかりにくいとなる、城にしても再建されたものであり当時のままに残っているのはほとんどない、それで歴史の重みが伝えられないということがある
何かきれいなのだけど博物館のように見えてしまう
ヨ−ロッパなどでは石の建築物だから当時のままに残っているから歴史の重みを伝えられるのである

2019年11月12日

天皇制の是非ー国も分断されると元にもどらなくなる (戦争負けて日本もドイツのように二つに分断される計画があった)


天皇制の是非ー国も分断されると元にもどらなくなる

(戦争負けて日本もドイツのように二つに分断される計画があった)

ドイツが戦後東西に分断された、それはソビエト連邦とアメリカによって分断された
それかベルリンの壁がとりはらわれて統一しても西と東はやはり依然として差別があり
統一されていないという、そして東の不満分子が移民の待遇より悪いとして政治的に働きかける、西ドイツのエスタブリッシュメントは依然として西側にあり変わらないからである
この東西の分裂、国が分裂することがいかに深刻なものになるかを証明している
それで日本もソビエト連邦とアメリカによって分断統治される計画があった
東は北海道をまずとりソビエト連邦が統治する計画である
西はアメリカが統治してドイツのように分断統治する計画があった

そうなるとドイツのような悲劇になった、ベトナムでもそうだし国が分断されることのく影響は甚大である、それは韓国と北朝鮮でも見ればわかる
一旦分断されとなかなか統一することが困難になる
ドイツのように統一してもその国民の間に亀裂が入ったままであり修復できないようになる

それで日本でも南北朝の争いで天皇が二人になったときその国を分断したことがいかに
国を乱れさせたか、それは本当に地方でもどんな田舎でも南北朝で争っていた歴史の傷跡が残されている、それだけ国が分裂することは影響が大きいのである
明治維新の時もその危機があった、国が二分して争う、そしてそこに外国勢力が入ってくるとさらにその分断は深まり収拾がつかなくなる
会津でもプロイセンと今のドイツ同盟して薩摩長州と戦おうとしていたことでもわかる
そこに外国勢力が入ると分断はさらに深刻化して修復できなくなる

日本には政治的に武力で制圧し統一するというより禅譲ということをする
それは国譲りの神話でもそうである、出雲国は強大だったが大和に国譲りした
それは日本では武力で統一するよりそうして平和的に治めるというのが文化だったのである、それで敵味方塚がある、明治維新の戦いで薩摩長州軍と戦っても福岡県の人の墓があったりする、東北では負けて悲惨でも敵方の侍を葬って墓まで作っているのである
そういう文化は大陸にはない、敵は墓からも暴き出して罰しているのが中国である
そこに融和するということはないのである
徹底して敵を打ちのめして二度と反抗できないようにするのが大陸国家である
それだけ異民族同士が争う時容赦のない争いになる
日本はもともと和をもっけ尊しとすべきというようにそういう徹底した争いはしない国なのである

天皇を考える時にどうしても日本をまとめて統治しえるものは誰なのか?
それは天皇がその役を担ってきた
江戸時代は鎖国300年で対外的に交渉しない時代だから天皇の力も弱いものだった
でもいざ外国が日本に襲ってくると天皇が持ちげられて国のシンボルとなる
民主主義だったら選挙に選ばれたものが大統領が国の王になる
でもあくまでも国民に選ばれたものであり天皇とか違う
なぜなら選挙に敗ればただの人になってしまうからである
天皇は絶対にただの人にはならない存在だったのである

民主主義にすればアメリカでもヨ−ロッパでも天皇のような存在はない、国王がいても国権を施行したりできない存在になった
日本でも同じなのだが何か日本の天皇はまた別である
以前として国権にかかわっているという学者もいるしそう思っている人もいる
ただの飾りとも違う、だから何か危急の時があると明治や戦争のときのように担ぎだされる
天皇に国権を行使する権限はないとして法律で定めていてもそこが明確ではない
戦前は明確に統帥権があったから問題だったのである

ただ天皇がこれからこれだけグロ−バル化した世界で通用するのか?
ヨ−ロッパのような飾りとしての王室ならいいが以前として国権にかかわるものとてしありつづけるのか?
それを国民が支持するのか?また国民が支持するから天皇はあるべきなのか?
なぜなら天皇は民主主義で多数決で決められるものではないからである
大統領は選挙で国民が決めることができるが天皇はできないのである

要するに人間社会には権力と権威がありそれは別物である
天皇は権威であり権力ではない、その権威の由来は何なのか?
それは長い日本の歴史の中で作られて来たものであり簡単には説明できない
ただ宗教となると天皇は現人神(あらひとかみ)となり神格化された経緯がある
天皇が神だとすることは天皇の絶対化なのである、誰も神には逆らうことはできない
だから天皇の命令は絶対でありそれに逆らうものは死刑にもなる、不敬罪として罰せられるのである
また天皇即位に対して大赦があるのも法を越えたものとして絶対的なものとして天皇がある
それは祭政一致でありまた政教分離ではないから問題だともなる
ただ天皇は権威であっ権力ではない、では権力をもっているもの権力を行使できるものは何なのか
軍隊に警察に命令して現実に動かせるものは何なのか?
三権の長も天皇の下にその許可を得てその地位につく、戦前は統帥権があり軍隊に命令することができた

日蓮の王仏冥合論では王とは権力を命令することができる実験をもつものであり裁判もできる
それでオスマン帝国の王は部下を死刑にもできたのである、それは王の一存でできたのである
だから創価は権力をにぎるとどうなるのか?
政教一致となり政治権力を行使できる、それに宗教が一体化するから誰も逆らえなくなる
つまり宗教は絶対なのだから権力をもつ王と宗教が一体化したら絶大なものとなる
もう反対はできない、宗教的権威は絶対なのだからそれに逆らうことはできなくなる
でも政治にもいろいろありそれにいちいち宗教で解決はできない
その矛盾がイスラム教で証明されている

神に逆らうのか
アラーに逆らうのか
仏に逆らうのか

宗教となると反対できなくなる、それで宗教団体の人たちが一団となって罰当たるとか攻撃してくる
それは何か共産主義と同じである、そこでは批判は許されないからである
全体主義であり自由な議論も討論も許されないのである、イデオロギーが絶対にもなるからである
政教分離できないから政治と宗教が一体化しているからそれでヨ−ロッパのように近代化ができなかったのである
つまり民主主義でも法治国家でも資本主義でもそうした体制は政教一致に反するシステムなのである
経済活動でも経営が失敗すれば宗教的にみると罰当たったとかなり成功すれば仏の功徳であり神や仏のおかげだとなる
だから戦争でも天皇が現人神(あらひとかみ)となれば別に戦争は戦争する前から勝つものとして行われたことになる
日本は負けないと決まったものとして戦争を行うから日本民族が絶滅するまで一億玉砕まで戦わなければならなくなる

つまり宗教であり信仰なのだから殉教と同じだとなる
今靖国に祀られている英霊は日本の国に殉じた殉教者だとなる
それはイスラム教の国とにているとなる
戦争では人を殺すことが肯定される、それも国によって推進される、戦争でぱ人を多く殺した人が英雄になるからである
だからそれ自体が矛盾なのである、「人を殺すな」というのが宗教では鉄則なのである
でもイスラム教でもキリスト教でも仏教ですら国と国が戦争になると人を殺すことが積極的に容認される矛盾がある

ではなぜ政教分離に創価だけではなく他の宗教団体でも反対するのか?
それは税金をかけられることで利害が一致しているから反対しているのである、それは神道派でも神社でも仏教でも寺でもそうであるそこで利害が共通しているから争っていてもここでは利害が一致するから税金をかけられないように共同しているのである
つまり人間は利害をはなれて利権を離れて存在し得ないのである
例えば今香港で自由の権利が奪われるとして中国政府に反対して若者が死んでもいる
でも中国と仲良くして金もうけている人たちも多い、すると何を求めてあれだけ過激な行動をしているのか?
それは民主主義の下で育った若者が自由を守りたくて命がけで戦っているとなるのか?
もし利権とか利害を考えればそんな馬鹿なことはしない、中国側に着いた方が無難だとなるからだ
そこでも国は分断されている

常に国家でも自治体でも家族でもなにかあると分断の危機に直面する、そこで苦慮する
小津安二郎の映画『小早川家の秋』で、中村鴈治郎の演じた道楽者のお父さんの葬儀の席で、娘が「たよりないお父ちゃんやと思っていたけれど、小早川の家が何とかもったのも、お父ちゃんのお蔭やったんや」と呟く印象的な場面があります。

天皇制はあったほうがいいのでしょうか?──内田樹

これも一つの面白い見方だとなる、つまり家族でも何の力もないような人でも

たよりないお父ちゃんやと思っていたけれど、小早川の家が何とかもったのも、お父ちゃんのお蔭やったんや

天皇もそういう役割があった、天皇は家族でも国家でもその要となり中をとりもつものとしてあった
ただ国家となると一体国家とは何か国家とはどうあるべきなのか?
それを考えるようになると非常にむずかしいものとなる
ただ人間は必ずなんらか国家に属しないではありえない、無国籍がいいとかいう人がいても外国に出るとなるとそんな人はいないのである、そして誰も無国籍となると守ってくれない、殺されても無国籍だから放置される
外国に出れば国に責任が生まれているからだ、国家に属していない人は誰も守る人がいなくなる
国家とは大きな共同体であり運命共同体であり生死をかけたものとして守らないと生存できなくさえなる
それでまた在日韓国人とか移民でもそういう人たちはただ経済的利益を得るために来ているのであり戦争とかなれば命がかかわると故国に帰るし在日だと日本に内部にいて敵対行為をして日本を不利にするとなるからそれを盛んに言う人がいる

ただ民主主義国家では国民が天皇がいらないとなれば廃止されるのか?
そねれを選挙で決められるのか?
その議論も深刻なものとなり国を二分するから危険なものとなってゆく、ただ天皇はいらないという国民がやはり多数になっていけば自ずと廃止されるようになる、それは天皇が決めるのではなく国民が決めるとなる
ただその国民の危険性はポピュリズムとなり大衆化したナチスのようなファシズムになる、カルト教団がそうである
カルト教団は政教一致だからである、宗教的狂信主義者となってゆく、そういう危険性が創価などにあった
オウムは極端でもやはり同じだった、宗教と一体化して権力を操作しようとしていたからである
だから政教一致は危険なのである、天皇もそういうものとてし権力側に利用された歴史があるからそこが問題なのである
でも大統領制になってもやはり日本でも分断される、その分断されることがやはり国家にとって最大の問題なのである





posted by 老鶯 at 17:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年11月11日

外国人と協力して働かざるを得なくなって苦悩する新大久保 (日本は子供も減る一方で働き手がいなくなる)


外国人と協力して働かざるを得なくなって苦悩する新大久保

(日本は子供も減る一方で働き手がいなくなる)

shijukunation.JPG

genejp11.jpg


東京・新大久保。国内最大規模のコリアンタウンにアジア各国からの移民が急増。住民の40%は外国人だ。2年前、日本、韓国、ネパール、ベトナム出身者が集まり「4か国会議」が発足。言葉も生活習慣も考え方も異なる“隣人”たちは、さまざまな葛藤を乗り越え、共生の糸口を見つけ出すことができるのか。

Love & Freedom 暗い日本の現状
https://www.youtube.com/watch?v=YaKnPrxtlys

これからの日本はどうなるの?
https://www.youtube.com/watch?v=7dIbGzkFONU

ここのyoutubeで常に日本の暗い現状を語っていた、田舎だと東京の事情がわかりにくい
私自身ももう十年以上東京に行っていないから余計にわからなくなった
ただNHKの新大久保で多国籍会議というのを見てそうなのかこの人が言っていることが現実化しているとわかった

そこで一番苦労しているのが外国人と一緒にやっていこうとする50くらいの女性だったのである、その人は仲をとりもつために一人苦労している

そこでは日本人が少数派になっている!

その日本人も60以上で店で働いている

なかなかこうなると60以上では若い外国人に溶け込めないとなる
それよりなぜ60以上でも働かざるを得ない状況がある、自営業だから働くことができるにしてもまず若い人が都会でも減っている
若い働き手が減っている、東京でも高齢化になっているのだ
それで非正規で転々と渡り歩いて仕事していた人がどこでも底辺では建築とか土木とかの現場では外国人が多数をしめて日本人がいない、そこで日本人がコミ二ケーションできない、言葉がわからないのでできない、日本人はのけものにされている
そこでマネジメントするのが仕事になるが言葉が通じないので苦労する
新大久保では50くらいの女性がまさに外国人と日本人をまとめるために苦労しているのを見てもうそこではそれが現実化していたのである

高度成長時代というのは何だったのか?
ふりかえると江戸時代だと元禄時代とにていたのだろう、新田開発が全国的に行われたのである、それで葛尾村のような辺鄙な所にも元禄の碑があった
それは新田開発した検地した記念碑があった
石高も全国的に急成長していたのである、それは高度成長時代とにていたのである
子供とか若い世代が東京にもおしよせ地方でもあふれていたのである
地方の人口もその時多かった、そんなところになぜ大勢の人が住んでいられたの?
なぜなら今からするとそんな人口を村とかで養われていたのとなるからである
戦後は引揚者が開墾に入って住んだ、それで人口が増えたのである
でもそこでは貧しかったのである

団地でも高度成長時代は若い所帯でありにぎわっていた、創価が団地の宗教だったというとき団地に住むということは一つの目標としてあった
そこで地方から出た人たちがコミニュティを作ったのである
その団地に住む人たちが老いていく時代になった、団地に老人がまた取り残されたとなる地方でも子供がわんさと集まり近くの神社で子供の遊ぶ声が木霊していたのである
それが今は一人も遊んでいない、組では一人も子供がいないとかなる
子供は学校くらいでしかみかけないのである

つまり人口で見ると少子高齢化はアンバランスになっている
人口でもトータルでみるとき一本の柱のように見ると本当は土台となる下の若い世代が分厚くなっていれば国として未来があるとなる
老人が少なく若い人が多いということは国の未来にとってはいいとなる
それが老人ばかりふえて子供は減る一方なのである
そして氷河期世代とかロスジェネ世代が柱を支える中心的存在となるべきなのが細い柱となり空白化したことが全体からみると日本の国力の衰退になっのである

日本はこうして世代でも国土全体でもバランスがとれないとトータルには不調和になり
国自体の力を失う、東京一極集中というのもアンバランスになり国力を失う
なぜならヨ−ロッパとかで一千万の都市はない、都市でも人口は分散しているからであるパリだって200百万くらいの人口であり東京は異常に人口が集中している
それで少子高齢化で地方に若い世代が減ったのである

いづれにしろ日本は買い物すらしない、高価な買い物をしているのは外国人旅行者だという、日本人は高価なものは買わないので馬鹿にされている相手にされていないという
旅行に行っても北海道旅行でも外国人ばかりで日本人が少ない
日本人は旅行する余裕もないのかとなる
高度成長時代はスキーとか外で遊ぶことが多かったが今はない
ゴルフをする人も減ったとかともなる

ただ旅行というとき日本のホテルとかは高すぎる、貧乏旅行者だった自分はそれで苦労したのである、日本のホテルは今でも外国と比べても高すぎるのである
ヨ−ロッパの方が安く旅行できるようになっている
宿が安いのがあるからだ、ユースホステルでも老人が利用していたからである
温泉宿は高いから泊まらない、一度だけ自転車で行って辺鄙な宿に泊まったことがある
それは一二回だけだった、日本の旅館は高すぎる
金持ちは3万とかのを用意しているが安くても一万とか高すぎるのである
それに交通費も高いのである、だから日本人が旅行していないというとき当然だと思う
家族で旅行したら10万とか軽くかかってしまうからだ
それで引きこもりになっているというのも当然だとなる
私のようにテントで泊まるような旅を普通はできないからである
旅行は別に金なくてもできる、むしろ金がない方が本当の旅になりやすいのである
歩く旅とか自転車旅行とかがそうである、テントで泊まれば金はかからないのである
ただ時間が必要なだけなのである

いづれにしろ日本の未来が暗いという時また保守的になっているというときそれはトータルで見たときアンバランスになっているからだろう
人口が東京とか都会に集中すぎるとかある
世代でもアンバランスになり国力を弱めているのである
ただこうして全体を構築するとか見るのは本当は国の役割だけどそれができなかった
自由主義資本主義社会では会社の力は増大しても国の力は弱まるからである

日本という国がこれからどうなるのか?
外国人を入れない方がいいという右の意見もある、でも現実として日本人が若い世代から減る一方なのである、生れる子供も減り日本人がいないななるとまでなる
地方でも必ずベトナム人とネパール人がいる、原発の関係でこの辺は目立つのかもしれない、でも裁縫関係で女性は働いていたしスーパーでも外国人の女性が働いていた
結局人手不足で日本が働かないからそうなっている
それは東京だけの現象ではない、日本全体でそうなっている
それで外国人が多数となって日本人が少数派となり新大久保で外国人と一緒に協力してやろうとする女性がマネジメントするのに苦労している
それが日本の将来だというのも実感できた

つまり日本人に子供も減って若い世代が減るということは外国人なしで国すら成り立たなくなる、その外国人すら日本が貧困化すると来なくなる
今はベトナムとかネパールとか来ている
ここはまだ遅れているから来ている、為替差益で来ている
でもベトナムだって他のタイとか東南アジアの国のように豊かになれば来なくなる
ネパールはあれだけ過酷な山だらけの国土だから何か豊かになれないように見える
それで4000メートルの高地に住んでいる人が地元のホンダで働いている
その人は奥さんを日本に呼ぶと言っている
つまり日本でそうして外国人が暮らして永住する、その人たち子供を産む
そうして日本人に同化させるというほか国を維持できなくなるかもしれない
それは外国人が嫌だとか移民はべきではないというのはわかる
でも現実問題としてそれができなくなる、第一出生率が減る一方で日本人がいなくなるというのも怖いのである

ただ日本はこれから経済的には衰退しても文化的には成熟してくる、必ず経済が成長した後に哲学とか思想とか芸術とか文化面で興隆しているからである
自分自身にしても何かふりかえるといい時代に生まれたとなる
ほんのわずかの差で戦争中に生まれて戦場の露と消えていたかもしれないからだ
だからどういうう時代に生きるかも大事である
氷河期世代とかロスジェネ世代はそういう割を食った世代なのである
それは戦争に生まれあわせた世代と通じている
これはどうにもならないのである、ただ正直そうした高度成長時代もとっくに終わり

これからの時代は日本は相当に苦難の時代になる
だからこれからの人は苦しいとなる
銀行にしたってか安定したエリートと思っていたがもう銀行はいらないとかなっている
それはあらゆるもので安定した職業がなくなることである
公務員ですら非正規で成り立っているとか月給が安いのである
公務員すら安定の時代は終わったとなる
だから日本は何らか大きな変革が明治維新とか戦後のような大きな変革をしないかぎり
もう衰退国家となり後進国になる、すでになっているというのも現実なのである

posted by 老鶯 at 10:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2019年11月10日

天皇は維持できるのか? (日本は明治や太平洋戦争のような岐路にたたされる)


天皇は維持できるのか?

(日本は明治や太平洋戦争のような岐路にたたされる)

国民国家というものは、「歴史の法則」などによって、必然的に生まれてきたものではないんですね。
 北アメリカと西ヨーロッパに続けざまに起こった二つの革命によって、偶然に生まれた政治形態です。それが、世界中に広まったのは、国民国家の方が戦争に強い、という理由があって、国民国家にならなければ、生き残れなかっただけのことです。
 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=27808
 
 江戸時代には誰も日本国民と意識しない、領民でありその藩の藩主に殿様が君主だった
不思議なのは地方では天皇をどう意識していたのか?
天皇がどういう存在だったのか?ほとんど意識していなかったのではないか?
ただ無数の社が神社があるからそこでは祈り祭りが行われていた
でもそこから天皇を意識することはなかったろう

天皇を意識するようになったのは明治以降なのである
地方の神社でも国家神道化して天皇を意識させられたのである
江戸時代は寺の方が幕府の御用商人とか御用学者とか優遇されていた
寺は人別長とかあり戸籍係であり役所と同じだったのである
公務員的性格があった
その寺が明治維新で廃仏毀釈となり神社が優遇されるようになった
つまり神社側が江戸時代は不遇だからうらみをもっていてそうなったとかある
つまり宗教というのも利害で動いているのである
カルト宗教団体でもほとんど御利益宗教である
何か利益があるからとそうして団体に入り利益や利権を得ようとする
それは仏教側でも神社側でも同じだったのであ

明治以降は天皇が異常なほどに権威となり権力ももつようになったからである
天皇の神道が国家神道になったのである
これは民主主義とか人権主義とか近代国家となるものとは違ったものとして日本国家が成立したのである
それはヨ−ロッパなどの外国と対抗するために日本独自のものがあり天皇がそこで国をまとめてヨ−ロッパの列強に対抗しようとしたのである
つまり明治維新から太平洋戦争は日本の歴史として連続したものだった
だから太平洋戦争は明治維新を知らないとわからない、太平洋戦争の原因は明治維新にあったからである
欧米列強の植民地化の抵抗として明治維新もあったからである

だから国民国家というのは日本でも天皇を君主としても同じだった
なぜなら国民国家にならなければ対外的に対抗できないからである
日本には侍がいたのだから別に幕府だけでも外国と欧米列強と対抗できたのではないか?それだけではできないから国民国家になることが強いられたのである
それで西南戦争で侍の存在を継続を主張して戦ったのが明治政府が編成した国民軍だったのである
その時薩摩長州と戦って負けて辛酸をなめた会津の侍も国民軍として参加していたのである、そしてその国民軍として編成された侍でない人たちが侍集団に勝ったのが西南戦争だったのである 

侍だけではとてももう対外的にも対抗できないし日本国内でも平民が集結した国民軍が侍集団に勝った、その時日本は軍隊でも国民国家になったのであ
国家とか国民とかはそうして対外的に一致団結して戦うために生まれたのである
それはヨ−ロッパとかでも同じだったのである
東南アジアがヨ−ロッパの列強によって植民地化されたのは日本のように一致団結して国民国家として対抗できなかったからである
それは中国でも同じである、中国は共産党が指導して国民国家にして中華人民共和国が生まれたのである

明治以降の天皇は対外的にヨ−ロッパ列強と対抗するために日本独自のものとして復活したのである
天皇は日本国民を統合する力として強力に働きそれは太平洋戦争まで継続してアメリカに負けてその日本国民の天皇の霊力というか神聖性は崩壊したのである
現人神(あらひとかみ)信仰は戦争に負けて神通力を失ったのである
そして政治は政教分離になったが依然として日本では天皇は残ったのである

戦後は天皇の神聖性は失われた、天皇と平民とは同等だという感覚にもなっている
平成天皇が膝間ついて国民をねぎらっている姿がそうである
もう誰かが特別神聖で偉いとか世界的にもなくなったのである
どこでも王室でも皇室でも特別な存在と見ていない、国の飾りのようなものになっている今回天皇になった令和の天皇でもそうである
どうしてあの人が天皇なの?そう感じる、何か特別なものをそこに尊敬すべき敬うべきものを本当に感じているのだろうか?
ただ天皇家に生まれただけでどこが偉いのだろうかとなる?

明治維新からは権力で天皇の権威は押し付けられていたのである
日本の歴史が中心となる皇国史観になるのも世界でぱ特殊なのである
だからグロ−バル化したとは何か違和感を感じるのである
その統治形態は日本独自のものだから維持すべきだということもわかる
その危険性はやはり宗教がかかわっているからかもしれない、宗教という権威がかかわると政教一致となりそれが危険になる

創価だと教義自体が王仏冥合であり仏教と政治が一体化する、完全に政教一致であり
それで何かというと政治でも経済でも罰あたるとか地獄に落ちるとか言うのである
それは脅しにもなる、それが権力をもつとどうなるのか?
それが戦前のように天皇を現人神(あらひとかみ)御真影として拝礼してそれに逆らうものは特高がきて刑務所に送られるのである
宗教と権力が一体化するとそうなるから政教分離が生まれたのである

でも日本では国家を統合するものとして天皇が存在し続けた
そこには意味があった、対外的にヨ−ロッパ列強と戦うためには国が一つとならねばできない、内戦していたらそこにかならずつけ入れられて国力がそがれて植民地化される
分断されて支配されることになる、そのことが最大の恐怖なのである

つまり例えばアメリカ軍が撤退すると強大な中国が侵入してくる
ロシアも侵入してくる、そして日本が分断されることが一番怖いのである
その分断されたのが韓国でありシリアとかの惨状なのである
そうして弱体化した国は世界の草刈場になり国自体がシリアのようにめちゃくちゃになりそうなると国民自体がもう悲惨なことになる
そういう恐怖がまた実際に迫っている
それがこれからの最大の恐怖である、それを若い世代は真剣に考えねばならない
日本はだから統合して外国に対抗できる力を持つべきだとなる
そうしないと日本が韓国化してシリア化することが恐怖なのである

天皇は日本の歴史ではそういう政治的中心として役割があった
だから天皇が二人になった南北朝では本当に地方の田舎のすみずみまでその傷痕を残して語られている、それだけ内戦化することは国自体を疲弊させるのである
そもそも私の住んでいる地区ももともと南朝であり国府だった霊山城が燃えて落ち延びて来た子孫が住んで作られた町だったのである
だから天皇が日本にいなくなったらそうした内戦状態になり終始がつかなくなり国自体が滅びて外国の支配下に入る
ただその外国と対抗することで極端化したのが天皇制があったためだと反面なっていたのである

要するに天皇という問題だけではない、日本がこれからアメリカ軍が撤退して日本だけで独立維持して中国とかロシアとに対抗できるのか?
そのことがこれからの最大の問題になる、それは明治の時から富国強兵になったのはヨ−ロッパ列強と対抗するためだったからである
もし国内で分断したら日本は植民地化されて外国に支配されていたのである
そういう歴史がカルマとして再び日本はそういう立場にたたされる
日本の国は中国やアメリカのような大国でもない、また韓国とか他の東南アジアのように小国でもないのである、そこに日本が中国に対抗できる、ロシアにも対抗できる
戦争の時はアメリカにも対抗できるとなったのである
それは身の程知らずになった原因でもある

でもどうしたらアメリカ軍が撤退したらどうするのか?
それは今や遠いことではない、何年後かもしれないのである
そういう変化の時代に来ている、ただ日本国の実情はそういう対外的な厳しさに対抗できない、何か国全体が衰退しているというか経済力だけではない、軍事力だけではない
何かモラル的にもその強固さを失っている
明治維新の成功は何だったのか?
それも世界の不思議だとなる、それはその中核に日本の侍がいたからだともなる
明治維新を成したのは庶民ではない、侍だったからである
侍というのが志士となりまた明治政府でも敗れた側も侍でありその人たちが新しい日本国家を作ったのである
ただ国民国家となったとき日本はすでに侍はいなくなっていた
明治だと内村鑑三とか侍出身であり武士道とキリスト教の一致があった
何かそうして日本的なものとしてキリスト教も受け入れられてきたのである

いづれにしろ天皇制は維持できるのか?
それはむずかしくなっている、でもそれでは大統領制で日本は治められるのか?
それもかなり混乱してくる、
結局キケルゴールの言うように近代とはあらゆるものが水平化するから同列化するから
これまでの王様でも天皇でもそうしたものによる統治はむずかしくなる
要するになぜあの人が天皇で偉いのとなる
あの人はただの人間にすぎないとなるからである、つまり人間の平等化の力は凄まじいものがあるからだ、そしてそれが悪い方になるとポピュリズムとなりファシズムともなったのが近代国家だったのである
そういう矛盾が現れてナチスでも現れたのが20世紀だったのである
国民国家がかえって熾烈な戦争となり何千万とか死んだのである   
国民国家もまた悪い面としても働いたのである

ただアメリカ軍が撤退するというのは極めて厳しい現実であり日本はそれにをと対処するかは強いられる、決断を迫られる、そういう大きな変化の時代に直面している
それと天皇が維持できるのかできないのかもリンクしているのである
これからの日本は相当厳しい選択とかが迫られる、大きな時代の変革か迫られる
そのために津波とか洪水とか天変地異が起きているのである




posted by 老鶯 at 21:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

相馬市へ秋から冬の俳句短歌 (相馬市の城下町には柳が似合う)


相馬市へ秋から冬の俳句短歌

(相馬市の城下町には柳が似合う)

yamahatuno1.jpg

( 山上)

yamahiyoshi2.jpg

yamahiyoshi3.jpg
  
秋日さし山上に一服碑も古りぬ

山岸の社の石段秋の蝶

社一つ古き碑並び秋薊

柿なりて山岸に見ゆ塩手山

社一つ山岸に古り柿なりぬ

山里に変わらぬものや松に柿

とおすみのここに死になむ社かな

山上に紙漉き沢や冬に入る  

(黒木)

北風や館跡ここと地に記す                         

柿なりて新地の道や昼の月

風荒し初野に朝散る木の葉かな

(相馬城下町)

秋薊相馬六万石の城の址

相馬市の鉄路の脇に秋柳

田町にそ夕月光り冬柳 

田町にそ長々しだれ冬柳 

(初野ー山上) 

風荒く初野の奥や家のありまれに来たりて木の葉吹き散る

山上の稲は刈られぬ我が休み塩手山見ゆ親しき山かな
   
山上の巌を打ちて出水の流れひびきぬて橋は壊れぬ

今里の社に草むし埋もる碑や秋の日さして我がたずねけり

朝日さし街道の松の影さしてあざみ点々城跡に来ぬ

銀杏の木古りて根付きぬ冬の日や杉の木もここに齢を重ぬ

北風のうなり吹きつけ黒木城その跡ここに恨み残しぬ

出水の後に満月こうこうと知らず輝くうらめしきかな  

suwaki1.jpg
諏訪神社

tamachiyanagi4_FotoSketcher.jpg

yanagimoon3.jpg

yanagirail5_FotoSketcher.jpg

グーグルマップのストリートビュ-でこの柳が見えた

yanagisoma6.jpg



      
山上では山岸という所に日吉神社があった、日吉神社は相馬藩に多い
それは南北朝にさかのぼり霊山城が燃え落ちたとき落ち延びた落武者の末裔がもたらした神である
その基は南相馬市の鹿島区の日吉神社にある
山上には紙漉き沢があるからここでは紙漉きが行われていた
紙漉きは水がきれいな所で行われていた
それも冬なのである、だから仕事としては厳しかったのである
石神地域でも紙漉きが行われていた、それは越中などからの移民が伝えた紙漉きだった
なぜなら越前には越前和紙という有名な和紙の産地があるからだ

初野というとき相馬の城跡の後ろの山から広い地域になる、さらに山の方に広がっている地域である
初野とは初めて開けた土地という意味である
だから後から開墾されて人が住んだとなる
ここで地名が合っている、地名と地勢とかが合っているとそこがなじみやすいのである
初野から山を越えて丸森まで行く道があるけどそこは七曲の坂が続く道なのである
とにかく初野という地名が自ら行って回ったことでその地理を会得したとなる
まずこの地理を知ることは近くでもむずかしいのである

相馬市の諏訪神社の銀杏の木と杉の木は貫禄がある、樹齢も百年以上とかなっているだろう
この神社は松川浦から500年前頃遷宮したとありそれだけ古いとなる

 (黒木城跡)

kurokicasle4.jpg

kurokisetumei5.jpg



 この地域は伊達領と近い。当然のことながら、戦国最盛期になると、相馬氏と伊達氏との勢力争いが激化することとなる。お互いに周辺の小勢力を併合していけば、最後は激突せざるをえない。伊達氏領に近い位置にある黒木城は、対伊達の要塞として順次整備されていったことだろう。現在見られる、堅固な二重堀といった構造は、そうした時代を背景に組み上げられていったものだと思う。 

黒木城は伊達との境目辺りにある、新地との境目辺りである
新地は相馬なのか伊達なのかまぎらわしいのである、実際は伊達氏の領域だったのである黒木氏はそういう狭間にあった城だった
この城はなかなか良く作られた城であるとここで説明している 

(相馬城下町)

いつも不思議に思うのは相馬市である、それは原町と比べるとわかる
相馬市は小さいにしろ城下町だったからそうした雰囲気があるのかしんみりとする街なのである
原町の歴史は浜街道の宿場町であったのは鉄道の駅から相当離れている
でも原町機関区になり明治以降発展した街である
だから街の作りがそもそも違うのである
相馬市は城下町のままであり城跡を中心に作られたままである
駅前通りがあっても駅前通りが新しく作られたのとは違っている

それでなぜか、柳が合っている街に感じる、長々と柳がしだれている、それで洪水にはなったが鉄道の脇に柳があった
そこを鉄道を通っているのをきづきにくい場所だった
でもこの鉄道と柳がまたあうのである、鉄道には何か不思議に街と一体化するものがある
風景と一体化するのが鉄道なのである、車にはそういうことがないから嫌いなのである
鉄道の歴史そのものが古くそれも影響している、だから柳が相馬市の城下町にあい鉄道にも調和してある
相馬市は城下町らしく何か近代的ではない、古びたものを感じる
おそらく高いビルなどがないものも影響している、公共の建物を入母屋式の古いものにしているのも城下町の風情を造りだしている
だから何か柳が合う街なのである、田町の柳は大きいから見ものである
ただ新しい街並みは何かそぐわないともなる、古くて何か道も車の通らないような昔風だと情緒的には良かった
新しくしたのはいいが昔の田町を偲ぶとはならない、ただあの大きな柳だけは昔風なのである
つまり相馬市は柳がにあう街であり藤の花が似合う街だとなる 

ともかく洪水とか台風も二回来て俳句とか短歌をプログに書けなかった、こういうときみんな困っているから俳句短歌などは出しにくい、それで津波の時はしかられたということがある
ただ一つは記録として残すということがある、それは後世のためにその時どういう状況だったかを記録するのである
それが郷土史となる、今回は津浪とは違っていてそれで台風の被害でプログに出していないのをアップした
丸森に行った時は北風が吹いて楽ではなかった、でもヤマハの電動自転車は馬力があり走り安いから風の中でも行けたとなる
この自転車は機動力がある、道が悪い所でも行けるので何か取材するのにはいいと思った










2019年11月09日

テレビの一場面の映像のインパクトが強烈なのが問題 (全体から見ることはテレビにはない)


テレビの一場面の映像のインパクトが強烈なのが問題

(全体から見ることはテレビにはない)

liemedia1.jpg




television111.jpg

丸森町で一部分にこの映像のように被害が大きい場所があった

でもここはどこなのか?

その一部から全体を判断はできない

丸森町の街内がこんなふうになったとは思えないのである
要するにテレビだと一部分でも全体がそういう被害だと見てしまう
それが大きな問題なのである
イラクの油まみれの海鳥一羽が全体が汚染されたように世界の人が受け取ったのである
その一羽は一羽だけが故意に油がぬられ写されていたからだ
つまりテレビで注意すべきは一画面から全体を判断すべきではない
でもその一場面が強烈な印象を与えることが問題なのである
それがテレビの特徴だったのである

テレビを見る時はこのことに注意すべきである
常に一部分しか写していないしそこの全体を知ることはその場を踏まない限り不可能なのである
でもその一場面の映像が異常なほど印象ずけられる
一軒の被害を見てこれはひどいな、その町全部がこんな状態だと見てしまう
丸森町の被害は一か月すぎたにしろ平常に見えたからである
ある一部分の被害が大きかったが街内はそれほどでもなかった
でも丸森町の全体が一軒の被害を見ただけで判断されるのである
そこにテレビの特徴がある

人間でも何人かいても必ず一人だけがクローズアップされる
だからこそアナウンサーがいつもその顔が一番露出するから中心になっている
でも本当はアナウンサーは脇役のはずなのである
でも主役になっている、一番顔が映るから有名になっているのはアナウンサーなのである
こうなるとテレビを見ることは必ずそうしてある一部分が特別印象ずけられるメデアだとなる
それは人間でもあらゆる映像でもそうである、回りの全体の状況がわからない
ただ一場面だけが特別故意に強調されてクローズアップされてそれで判断が誤るのである
そしてテレピでは平凡なありふれた映像を嫌う、それは視聴者にインパクトを与えない
なんだ当たり前じゃないかとなり見ないとなる
一目をひくには普通にないことが注目するからである

私は阿武隈川の川岸の鴨を写したようにそういう平和な風景は写しても人目をひかないのである
だから何かテレビというメデアはリアルなものではなく、一見現場を写しているようで
常に一部分しか写せない、それも強烈にインパクトあるものしか写せない
視聴者が見る時間を限られているから平凡な風景は写さないのである

確かに一部分が被害がありそれは嘘ではない、でも全体からみたらそうではなかった
その一部分でも全体を判断することで誤解が生まれるのである

例えば本だと長いから一部分だけを読んで判断できない、全文を読んで判断する
本全体が切り離せないものともなっている
文脈があり全体がつながっている、でもテレビはそういうことはない

一部分でもその映像が全体だと思いこまされる!

それは意図してそうなるのでもない、テレビといいう小さな箱の中の映像がそうさせるのである、それがテレビの特徴なのである
だからそういう特徴を見ていないと判断を誤る
それは何かあらゆることでテレビの特徴はそうなっている
そこで全体を知ることは不可能なのである  

そして「ウソ」で植えつけられたイメージは、その後も残り続ける。
 つまり、「ウソ」を捏造する側にとっては、あとでバレても一向にかまわない。ウソがバレても、効果は半永久的に保たれるからだそれこそが重要なのだ。フセインは永遠に狂気の独裁者として歴史に名を連ねる。そして、アメリカの行為も半永久的に正当化される   

 メディアのウソを見抜け(1)

ともかく物事はいろんな角度から見る必要がある、また様々な問題でもいろんな角度から見ないと真実はわからない
ところが次々に無限に起きて来る事件を追うことは不可能である
ただ一つだったらそれを深めて真実を追求できる、でも無数の事件の真相を知ることが不可能である
そこで誤った判断になる、嘘を嘘だと見抜けないし恐ろしいのは嘘でもフィクニュースでも頭に一旦すりこまれるとそれが消えないというのも心理的にそうなるから本当に危険である

映像を疑い

それは真実ではない

こうまでなってしまう、なぜなら映像は全体からきりとったほんの一部分だからである、それから判断することは間違うということである
でも次か次に起きる事件でもニュースの真意を知りえようがないからただクローズアップされた一部分の写真や動画で判断してしまうのである

一場面の映像によって印象付けられる操作される

これが情報社会の危険である、そのために戦争にもなるし非常に危険なことにもなるから怖いのである
インタ−ネットだとこうして多角的に検討できるのがメリットである
でも時間がない人が多いのだからそんなに多角的に見れないからテレビの一場面の映像で頭にすりこまれて判断する
それを回避することはむずかしくなる
丸森町のことでも私は実際に行って見て報告した、それは間違えない、町全体はそれほどの被害ではなかった
一部分私が見ていない場所で被害があったことは確かである、でもそれは全体ではないのである

【武田邦彦】『テレビと新聞から真実を知る方法』報道の嘘を大暴露!!

偉い人が嘘をつくというとき武田氏はその偉い人であり偉い人と直接知っている
普通庶民はそういう人と直接知り得ないのである
直接話を聞くことも問うこともできない
テレビとかメデアを通してしか知り得ないのである

元禄時代の新田開発された場所は水害を受けやすい (全国的元禄時代は新田開発で豊かになった―相馬藩でも同じ)


元禄時代の新田開発された場所は水害を受けやすい

(全国的元禄時代は新田開発で豊かになった―相馬藩でも同じ)

somagenroku111.jpg

元禄時代が石高のピークだった、その後は下降するだけだったのである

「松尾芭蕉」「近松門左衛門」「井原西鶴」といった文人、あるいは「俵屋宗達」「尾形光琳」「尾形乾山」といった美術家など、江戸時代の日本文化の水準を作った人々が活躍した「元禄」(1688-1707)という時代を考えてみましょう。

いま宅地になっていても、30年、50年前は河原の田んぼで、300年前には水のど真ん中だったエリアが、我が国には莫大な面積、存在しているまぎれもない事実を直視する必要があるでしょう

江戸時代はグラフで示されたように元禄から宝永の時、最盛期だった。相馬藩でもそうだった。新田の開発でうるおっていたのである。元禄は江戸でも一番華やかな時代であり今のバブルの消費時代だったという。それは都会ではそうなったが田舎てはそうではなかった。宝永時代も新田の開拓が進んで豊かになった時代である。だから鹿島町の御子神社の隣の墓地にあれだけ大きい宝永時代の碑があったのだろうか?あれだけ大きい碑はなかないからである。元禄時代はまた芭蕉が活躍した時代で文化が花開いた時代だったのであるそれで葛尾(かつろう)村の落合に元禄の碑があった。明暦とも書いてあり明暦は検地がはじまった年である。でもあんな山の中にあるのか不思議だった。あのうよな山の中も元禄時代は開拓が進み山の中でも繁栄するものがあったのかもしれない。
古い碑を研究すれば見えてくるものがある。新地にある文禄の碑はやはり朝鮮への伊達政宗の出兵が関係していた。文禄とだけ記してあるのはないからである。


いつも碑をみて時代を見る、相馬藩内ではまず元禄とある碑はめずらしいのだ
それで不思議なのは相馬市の新田に元禄の碑があった
なぜそこにあるのか?そこは松川浦に近く津波の被害があった
そこにあった碑も水にかぶったのである
新田とあるごとく相馬藩で開拓した土地だった
それからなぜ葛尾村の落合とか平地ではない、山の中に谷間に元禄の碑があったのか?
おそらくそこも元禄時代に田んぼにした土地だった
明暦ともあり検地の記念碑だった
つまり元禄時代は地方でも新田開発が盛んに行われた時だったのである
だからそれは中央とか一部ではない、全国的に新田開発が行われた時期だったのである
だから元禄時代は江戸時代で特別な時代だった
相馬藩でも急激に石高が増加しているのである

その時いたるところまだ湿地帯とか沼とかが多い、それが地名として残っている
そういう場所に現代まで家が密集して建てられるようになったのである
それが日本の国土の特徴なのである
だから元禄時代が地方では関係ないように見えてもそうではなかった
新田がそれだけ増えたことで豊かになっていたのである

そしてそういう場所は水害にあいやすいのである
相馬市の北飯淵が堤防が決壊して被害が大きかったのもそうである
淵となっているからそういう場所であった、日本はいくらでもそうしたもともとは水がある場所が無数にある、そういう場所は水害になりやすいのである

相馬市の新田の寺田に元禄の碑

「相馬中村石屋根ばかり、瓦(変わら)ないのでドント人が好く・・」こんな戯れ歌が残っていること相馬藩の城があった中村は何か本当に田舎の城であり貧しい城下町だったのである。

飯豊耕土にや 箒はいらぬ
新田、おみかの裾で掃く

相馬の殿様が釣り来て見染めた新田のおみかを側女にしたという浮いた話なども元禄時代で相馬藩が豊かになったからかもしれない、石屋根ばかりの家から瓦の家も増えてきた時代かもしれない、元禄時代はまれにみる好景気の時代だったのである
それは全国的にそうだった、それは新田開発の結果だったのである
それは高度成長時代とにている、ただ高度成長時代はまだ文化が華開いていないがこれからその成果が出るということもある、その財が相当に蓄えられたからである
ただ硬度成長時代が終わり後は知っていのように日本経済は低迷して貧困化している
だから衰退国家になりそうした景気のいいことはないとなったのである

いづれにしろ津波でもそうだったが海だったところが本当に海になった
例えば南相馬市の塩アに船着という地名がある
そこまで海であって本当に船が来ていたからその地名が化石のように残っていた
また八沢浦は明治に開拓されてできた土地だった、そこも元の入江にもどったときほど
驚いたことはない、そういうことが日本全国で今回の台風でも起きていたのである
千曲川でもそうだった、新幹線の車両が濡れた地点はもともと湿地帯であり川岸はもともと河川敷のような所だったからである
そういう場所は日本に多い、だから水害が多いのである

インタ−ネットではこうして記事でも連結して読む
すると高いが深まるのである、だから今までは記事がでたとしても何も書けないがその批評が無数に生まれるとなる
知識が膨大に広がり深まるのである

posted by 老鶯 at 11:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸時代

2019年11月08日

テレビは映像で錯覚させる (丸森の被害は少なかったー阿武隈川は決壊しなかった)


テレビは映像で錯覚させる

(丸森の被害は少なかったー阿武隈川は決壊しなかった)
breakingpoint1.jpg
この映像を見たとき被害が大きいなと見た

確かにここが堤防が決壊した場所だからこれは本当だった

でもそれほどの高さに水は来ていない

この映像からそう見えるの  である

阿武隈川の橋を渡った向かい側の舘矢間とかは被害が少なかった

ただ映像でその辺も被害があるように見えたのである

阿武隈川は決壊しなければそこもそんなに被害にはならなかった


breakingpoint2.jpg

breakingpoint3.jpg
この支流が決壊したのでこのへん一帯か一番被害が大きかった

でも阿武隈川の堤防は決壊していない

支流の水があふれて被害になった


wideriver1.jpg

wideriver4.jpg

wideriver2.jpg
阿武隈川の河川敷は広い

こうしてここから広くなっているからここをあふれることがなかった

堤防が決壊しなかったから被害が少なかった


wideriver3.jpg

この高さは怖い、その水の量を見たら恐怖だったろう


金山地区の被害
kanayamariver11.jpg

kanayama2.jpg
雉尾川の金山地区のここが一番長く堤防が壊れていた

kanayama3.jpg
ここは老人ホーム



テレビで見たとき全体が広範囲に水浸しになっていた
でも今日行って実際に見たら第一川に近い斎離屋敷の通りは浸水してもわずかだった
だから観光案内所は開いていて普通に観光できる
何かテレピで見て被害が大きく見えたからただ見に行くことに気がひけた
でもそういうことはなかった平常に近い
ただそれは一か月くらいすぎたから片付けもほぼ終わったからかもしれない
ボランティアの人はまだ来ていた
トラックが多く通るから気をつけろというがそれも少なかった
この辺ではトラックが増えて危険だったがそういうこともなかった
おそらく意外と早く片付いてのである

今回の被害は丸森の支流は結構大きいからそれがいくつか氾濫して水をかぶった
でもそれもそれほどのものとは見えなかった
まず床上浸水した家屋は少ないように見えた、死んだ人は土砂崩れである
それはなぜかというと阿武隈川は決壊しなかったからである
でもその水の量は多いから水が堤防に押し寄せたから怖かったことは確かである
上流の川幅が狭い所ではかなりあふれた被害があったようだ

それでも川幅が広くなるところで堤防が決壊していないのでその水は町の方にあふれなかったのである
私は堤防が決壊してあふれたのだと見た、テレビではそういうふうに見えたのである
つくづくテレビは錯覚させる
丸森町の役所が水浸しになったのは阿武隈川は決壊してなったのではない
支流の堤防が決壊して水があふれて水浸しになったのである
それは支流が合流する地点で堤防が決壊したからである
丸森町の支流は大きいからそれがあふれた結果あのように水浸しになったのである

ともかくテレビは現実ではないというとき本当にそうだと思った
これは大災害だなと見た、だからただ写真をとるだけに行くのが気がひけたのである
前は津波のことでしかられたことがあったから気がひけた
でも丸森町の被害は津波からすれば千分の一万分の一とかになる
津浪の被害には比べようがない、家も壊れていないし床上浸水でもそれほど多くはないみたいだ
ただ片づけはほぼ終了しているから一か月過ぎているからわからない
ただ一か月くらいでほぼ片付け終わり終息しているということでもその被害はさほどではなかったと思う

ただこうして大したことかないとなるとボランティアも集まらないと寄付金も集まらないとかなるかもしれない、私も寄付しようとしたがたいしたことないなと思ってそれほどそういう気分になれなくなった
何か打ちのめされたようになっているのかと思ったからである
まず津波と原発の被害と比べると比べることもできない
その差が大きかった
とにかくテレビは錯覚させる、また何か被害があるとそこの場の事情がわからなくなる
それでテレビとか報道に頼らざるを得ない
でもそこに報道の危険があった、非常に誤解しやすいのである

小さいことが大きく見えたり本当は重大な大きいことが無視されたり小さく報道されたりする、それはテレビ局で報道側がそうさせるのである
するとそうして見せられたもので判断するから錯覚して誤解するのである
でも現実のそうした場に実際に踏み入れることはできないからテレビ局の報道が力をもつのである

だから何か災害でも事件があったらその場に行くことが大事になる
何かが起きることは場所と密接に結びついている
だからtake place(起きる)とは場所が問題になるのである
でもその場所をテレビだけからは知ることができないから誤解が必ず生まれる
世界で起きる外国で起きる事件はさらに理解できない
そこに誤解が生まれる、これは大問題なのである
そうしてテレビに写されたもので判断するほかないからである
それでイラクの海鳥が油まみれになった映像で世界中がイラクに対して怒ったということでアメリカが有利になった
でもそれは海鳥一羽だけでありそれは油をぬられていたのである
でもその一羽の海鳥をテレビに写されただけで世界中がその映像でイラクに怒ったのである

ともかく丸森は近いからまだ現実を確かめることができた
遠くなるともう確かめることもできない、だからテレビとかの映像で写真で判断する他ないのである
だからテレビでも写真でも本物とは違う、それはあくまでも一部分だからである
でも必ずそれで錯覚して誤解して見るのである
でもその現場に行くことができないのだから確かめようがないからどうにもならないのである

今回の私の失敗はてっきり阿武隈川の堤防が決壊したと思ったこと

このことがすでにテレビの映像を見たとき思いこんでいたのである
阿武隈川の他では堤防が決壊した所があったから丸森も堤防が決壊したのだと思い込んでいたのである
そういうふうに思い込みと何かあり誤解生まれる
だから真実を知るということは容易ではないのである

水ひきて阿武隈川のその岸辺鴨の憩いて我が見て帰る

それほどの被害でなくて何かほっとしたとなる

posted by 老鶯 at 21:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年11月07日

白鳥来て冬に入る(台風で風車がとまった風景)


白鳥来て冬に入る(台風で風車がとまった風景)

windstop111.jpg

zaoautumn111.jpg

蔵王が見える



スーパーに人集まるやカンナかな

晩菊に日さしてここに古木かな

冬薊ここに残りて風吹かる

久しくも風車とまりて刈田かな

夕べ鳴き白鳥来るや光る月


夕べ見ゆ蔵王やともにみちのくに暮らしつつも冬に入るかな

台風の後に荒れたる河原かな風に木の葉の吹きちらされぬ


風力発電の風車が台風以来止まっている、電源装置が水にひたり作動しなくなったためである、これも想定外の結果だった
もっと高い場所に設置しないからそうなった
それは原発の電源が地下に設置して水にぬれて使い物にならなくなったとにている

こうして必ず想定外のことが起きて失敗する
風力発電でもソーラーパネルでもこうして電源が使いなくなると電気も止まる
つまり緊急時には使いないのである
もともとその元となる電力会社の電気が使いないとソーラーパネルでも風力発電も使えないのである、だからこれも本当はあてにできないことがある

なんか今は刈り入れも終わり刈田になって風車が止まっているのも奇妙だけど合っていたただ風景が変わりすぎたのである、風車もこの辺では景色となった

スーパーの近くにいつもカンナが咲いているからあそこはいつも人が一番集まるから似合っている、これは夏の花である

晩菊と古木はあっている、ただ晩秋なのだけどそういう感じがしない、何か季節感が狂ってきたのである                        

右田浜の高くなった堤防から蔵王が見える
津浪の以後に松原とかなくなり新しい堤防は相当に高いから見える
今までは松原があり高い堤防もなかったから見えなかったのである

蔵王は山形県と福島県と宮城県で見える、だからこの三県で何か共有する心が生まれる
ただ福島県でも相馬地域と海岸線伝いに見える
蔵王が見える範囲が一つの共有するものが生まれる
この辺では高い山が見えないからものたりないのである

とにかく今日白鳥が来たということはようやく冬に入ったとなる
朝は相当に寒かった、今年ももう終わりに近づく、今年も災害の年だった

首里城炎上消失 (変転極まりないこの世―末世の詩)


首里城炎上消失

(変転極まりないこの世―末世の詩)

一瞬にして首里城は炎上して消失した
その宝物もなすすべくもなく消える
そのようなことがかつてある
城が燃える、そして主君は切腹して果てる
大阪城が燃える、無念に淀君は死ぬ
紅蓮の炎の中に死ぬ
津浪にのまれて一瞬にして街が村が消失する
その恐怖も生々しい
それは未だに悪夢である
ある時赤紙が来て戦地に若き女性が送られる
それは地獄に送られたのだ
従軍看護婦として地獄を生きる
戦後紙幣は紙切れになった
事故で死んだ夫の残した金が紙切れになった
でもわずかに買った土地が財産になった
このように急激に運命が襲ってくる
変転極まりない人生を経験する
津浪や台風が容赦なく襲い飲み込む
常に突然に襲い無と化してしまう
この世の財宝はかくして火に燃えて消失し
水にのまれて消える
アトランティス文明も大海に沈む
この世に永遠の都はない
つかのまの繁栄であり火に燃えて消え水にのまれる
それがこの世の変わらぬ習い
あなたの命は明日はないかもしれぬ
すでに青春は遠の昔となり白髪の老人となる
残る命を数えているだけになる
そのように激しい変遷にさらされている無情の世
台風で古木も倒れその後に荒れた河原の土手の道
風が吹き荒れ木の葉が吹き散る
もうまもなく冬だ
脳梗塞で一命をとりとめた同級生が脇にいる 
津浪で家も村もなくなった人がいる
私の家族もみんな死んだ
ただ悄然として一人故郷に残る
旅に病んで夢は枯野をかけめぐる
そのように人に安住はない
死がすぐにあなたをこの世から引き離す
あなた自身が火葬にされて骨となり灰となる
常に世は無常の世界
人もまた無情である、昨日の友は今日の敵
信頼に値する友はない
野獣のように金のために襲ってくる
他者は金を得るためのものでしかない
財産があれば肉親でも財産を狙う
金のために原発でもいい
そして故郷に住めなくなった
ただそこは荒地となり草ぼうぼう
人は復興もなにもない、老人だけが残されて悄然としている
親を残して子の世代は去った
戦争の業火、300百万人が死ぬ
原爆の生き地獄、その苛烈な現実にうちのめされる
この世は火宅の世、変わらぬ地獄なのだ
この世のどこにも安住の地はない
安住の地は天にしかない
この世は滅びの世であり永遠はない
束の間の夢であり悪夢でありすべて無常のなかにある
首里城を作る職人の労苦も一瞬にして消える
未だ津波の恐怖が覚めやらないのに次々に変化する世
墓場の中にしか安住はないのか?
人の縁も簡単に切れる
人は頼りにならない、ただ己のことしかない
結局ただ風に散る木の葉のように人は翻弄されるだけ
後は死があるのみ

なぜこんなに津波から原発事故以後災難の時代になったのだろうか?
それは歴史をふりえれば世の中は常にそういう無常の世だたのである
常に時代は変化している、そうして翻弄されてきたのが人間だったのである
それは家族でもそうである、それぞれが運命に翻弄されていた
姉は赤紙がきてすぐに従軍看護婦としてシンガポールに送られて4年地獄を経験した
つまりそれは突然なのである

そういうことが自然災害でもあり津浪でも原発事故でも起きた
母は東京に女中に出て夫が工場で事故死した
そこで運命が180度変わってしまったのである
人間は運命を決めるのではない、運命は自然であれ大きな制御できないものによって決められ翻弄されているだけなのである
津浪でも台風の洪水でもそうだった、いくら堤防を作っても自然の力を制御できないのである

首里城が炎上して一日で消えるというのもそうである
そういうことは別に戦国時代でなくても戦争で焼野原になったときそうなのである
この世にあるもので永遠のものはない、だから人間は火と水で滅びるというときまさにそうだった
津浪ほどそれを知らしめたものはない、それは人知を越えた余りにも空恐ろしいものだったからである
この世にはそうした予想もつかない恐ろしいことが起きることを知った
黙示録の世界が来る、まず津波とか原発事故ではそういうことを感じた
原発事故でも原爆と同じように住めなくなるのだからもう住んでいられなくなるのだから同じなのである、それは自然ではない人間によって作り出されたもので滅びるとういことである
その前で人は悄然として茫然としているだけだとなる
そしてこの辺では復興などない、ただ補償金を求めて騒ぐだけであり後は何もない
若い世代は脱出していない老人だけが取り残されたのである

何か世の終わりであり末世であり災難が連続して起きる
今度は経済が壊滅的な状態になるかも知れない、紙幣が終戦と同時に紙切れなったようにそうなるかもしれない、アメリカは裕福に見えてもその日の食べ物も得られない人は相当数いるという、そして大金持ちは助けないという
そういう社会が安定するわけがない、何か不満が爆発して社会が乱れる
自然災害だけではない、そうした社会の乱れ人間のモラルの崩壊が起きてきて
そこに大きな自然災害が連続して襲ってくくる
そういう末世なのである、だから東京オリンピックなどもうできない
停止すべきである、そんなものに浮かれているときではない
東京が壊滅するような災害が起きるかもしれないからだ
そういう危機に備えるべきだとなる、台風の被害に予算を回すべきだとなる


posted by 老鶯 at 14:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

An unknown mysterious space8(abstract painting)

An unknown mysterious space8(abstract  painting)

unknownplane11.jpg
クリック拡大-enlarge

未だ人の踏み入れない土地がある
そこは神秘的であり太陽の光がさして
まばゆい黄金に輝いている
そこにまだ神が住んでいるかもしれない
人の踏み入ることない聖なる地
世のことはここに聞こえない
山々が連なり閉ざされている   

There is still land that people can not step on
It ’s mysterious and the sunlight
Shining golden
God may still live there
A sacred place where people cannot step into
I can't hear the world here
The mountains are closed

desertrail2.jpg


a train go in the desert

seatunnel3.jpg

undergroundblu4.jpg

caslejapanese5.jpg
Japanese castle




なぜこれほど抽象画ができるのか?
それはオリジナルな映像がインタ−ネットとかでも雑誌でもいくらでもでているからである
それをソフトで操作すると機械的に生産される
アレンジするとできる、ではこれが著作権違反なのか?
それはオリジナルなものとまるで違ったものになっているからわからないのである
ただ良くみればオリジナルな絵と比べればこれは違反だとする人もいるかもしれない
二次的製作にしろやはり新しい創作の分野となったと思う
それは映像の時代だからこういう芸術も生れたとなる

Why can we make such an abstract picture?
That's because the original video appears on the Internet, magazines, etc.
When it is operated with software, it is mechanically produced
Can it be arranged? Is this a copyright violation?
I do n’t know because it ’s different from the original.
If you look closely, some people may think this is a violation compared to the original picture.
I think that it was a new field of creation even if it was a secondary production.
Because it is the age of images, this kind of art was born

2019年11月06日

ネットの人物の動向 (個人を語るメデア、マス(大衆)を相手にするマスメデア)

ネットの人物の動向

(個人を語るメデア、マス(大衆)を相手にするマスメデア)

darknessdd1.JPG

ここは毎日読んでいた、他で毎日読むプログとかない、検索で当たったものは読む
それはただ辞書を引くように読んで利用しているだけだとなる
何かインタ−ネットのメデアは個人に徹したメデアである
マスコミはテレビでも新聞でも大衆を相手にしている、マスメデアである
そこで脚光を一番浴びているのはアナウンサーなのである
だからその出演者より常にアナウンサーに注目されているのである
まずどれだけ視聴率をあげるかを最重要課題としているから大衆にマスに語りかける手法をとる、そうなるとテレビでわかるように芸能人を採用して面白おかしくする番組作りになる、つまりマスコミは大衆と同レベルになるのである
もし放送する相手は知的レベルが高かったらそうはならないからである
その内容ではなく視聴率でその価値は決められる、宣伝するにも視聴率で決まるからである

ところがインタ−ネットは個人を基本にしたメデアなのである
個人はテレビ局をもったともなる、youtubeだとそうである
個人になると常に個人を主体にして訴える、だから何度も個人の体験であれ関心のあることを延々と語ることになる
テレビではそういうメデアではない、アナウンサーが主役のメデアなのである
だからアナウンサーの動向が気になる、目立つのである
出演者は脇役になっているのである

インタ−ネットだと放送するのは個人であり徹底して個人が主役になる
だから個人の経験とか関心を語り発言しつづけるのである
本でも何回も同じことか書きにくいけどネットだと延々と語り続けられるのである
その底辺に流れているテーマを語りつづけられる
それで私の姉はシンガポールに4年間従軍看護婦として苦しんだのでそのことを認知症になっても千回も語りつづけて死ぬ直前までも語っていたのである
それだけその印象が強烈だから忘れることができなかったのである
人間もある年になるとそうして自分自身の体験を語るのである
この人の経験は海外で底辺の女性と売春婦とかを渡り歩いていたとか特殊である
でも何かそうした底辺層への同情がある、これも自分には理解できないのである
でも一貫した主張があり読んでいたのである

それが手術することで中止になった、右よりで硬派なのに病気になったのかとなる
年齢はわからないにしろ50くらいなのか何か病気になる人が多い
都築詠一氏も69歳で病気になり死んだのはショックだった
それなりの年であるからありえることだったがそんな病気だと思わなかったのである
60以上になるとみんななんらか病気になる人が多い、自分もそうだった

●武田邦彦のyoutube

この人は一番有名だろう、この人の経験は自分のうよな三流大学の文系出て底辺でアルバイトしていた者とは全然違う
日本の一流の会社で働き日本の指導層のことを知っているからだ
直接接していいるから知っている、それでそういうことは底辺層には知りにくいから参考になる
何か今回の洪水で国土交通省の人と直接話した時、そんな上の人と接することができないと思っていたからいい経験をした
ちょっと話しただけだけどそれでも話できただけで身近になった
増子議員でも直接接したことで身近になったということがある
それで選挙の時、どぶ板選挙といって地元をまわり地元の人と直接あって票を得るという意味がわかる、それで南相馬市長選挙のとき前桜井市長は一軒一軒回って歩いたというのもそうであった、直接会うということはそれだけ票に結びつくということである
それは同等のものとして会えるということにも通じていたのである
武田邦彦氏は話するのがうまい、話術にたけていると見ていた

ただ理系で歴史に興味をもっている人は少ないだろう、でもあれだけ造詣が深いということはめずらしいと思った、その知見が広いのはグローバルに科学者として活躍したことにもよっていた、何か日本でも語る時外国のことを知らないと語れないのである
それで直接外国人と仕事で接しているから言うこと違っているのである
アメリカのことでも批判している、正義をふりかざしても実際その裏ではあくどいというのがアングロサクソン系の人たちだというのもわかる
そのことはアメリカに留学した内村鑑三もアメリカは拝金主義でありそれに習ってはいけないとして日本の良さを主張していたのとにている
外国と対比して日本の良さを見直すことも必要なのである

●キミアキ先生の起業酔話

workingpoor11.JPG

ここで面白いと思ったのはこの人は長崎の佐世保出身であり棚田のある所で育った
そこの棚田は上るだけで大変だと苦労だというときそうなのかと思った
棚田は美しいというけど実際はそこを上り下りしして作業するのが苦労なのである
そういうふうに経験しない人は見ないのである
その他この人は駅でバイトして酔っ払いの吐いたものとか便までかたづけることをしていた、そういうことが嫌で何とかビジネスで成功しようと努めたとなる
その背景にそういうことがあったのかとなる
それも個人の経験でありそういう経験したことが訴えるのである
机上の空論では訴えないからである

自分自身も冷凍室で働いた時がありあれは本当に危険な仕事である
必ず体を壊すことは間違えない、若い時はこうして底辺で働いていたからそのことがわかる、そしてなぜこうして底辺で働かねばならなかったのか?
それは大学出ても三流文系であり資格もなにもなかったからである
その時勉強することの大事さを知ったが遅かったとなる
そして対には30年間引きこもりとなり隠者として生活したのが自分だった
そうできたのは親に恵まれたからである、でも社会性が欠如して介護となり七転八倒して苦しんだのである

今ニートとか子供部屋おじさんとかいる、そういう人と接しやすいのが自分である
でもそれがいかに過酷なことになるのか?その未来が見えていないのである
人間はつくづく未来を知ることができない、だからのんびりしているのである
津浪でもあんな恐ろしいものが来るとしたら絶対に海岸には住んでいないからである
その未来が人間には見えないのである

インタ−ネットはマスコミとかマスメデアとは全然違ったメデアである
どうしてもその個人を基にして語る、個人の経験を基にして語る
だから若い人はまだ経験がたりないから語るものも浅薄になる
だからむしろ老人に向いている面もあるのだ、ただ操作がめんどうだということで利用していないだけなので名知る
いづれにしろ人間は必ず最後にはその人生は一冊の小説になっている
それぞれが一つのストリーを必ずもつようになり語ることになる
それがありありと見えるようになるからである
その時々の行動が何であったのか見えやすくなる、それぞれの人生が完結して見えやすくなる

ただyoutubeで20歳くらいの人が月30万稼いだとか紹介されているが問題でもある
若い時簡単に収入を得たりするとなんだこんな簡単に金がとれるのとか成功するのかとなり傲慢になる、若い時成功することは危険なのである
若い時はむしろその傲慢さが打ち砕かれることがいいのである
だから別に底辺でもそこで謙虚になるからいいとなる
ただ正直底辺のまま終わることは辛い、それが氷河期世代とかロスジェネ世代の問題なのである

ともかくメデアによって例えば本で書くことと、電子本で書くことは書き方が違ってくるということがある、youtubeとテキストだけのプログではまた違ってくる
それはメデアが違ってくるからである、メデアとは媒介するだけのものだけどその媒介するものが違ってくると表現も違ったものになるのである
それはそれを表現する方でも受け取る方でも違ってくる
何かワープロが生まれたときから表現方法が違ってきた
ワープロだとキーボードを打ちながら思考している、万年筆とか筆記具で原稿とかに書くのとは違ってきていた
それで私の場合はオワシスのワープロで親指シフトを使ったからスムーズに文章を書けるようになった、これがないとなかなかワープロにもパソコンになじめなかったのである
どうしてもテキストとか文章がやはり中心になるからキーボードでスムーズにそれが打てないとなじめないのである
そこが入口となってつまづくのである

とにかくネットだといくらでも書き続けられる、いくらでも無制限に表現できる
それが今までは違ったメデアである、だから膨大な記録がネットに貯えられるのである
図書館の不便なのはそれを調べるだけで手間なのである
南相馬市にもいい図書館はあっても介護になり家事が忙しく一二回しか行っていない
そこでは手間だからできないのである
ネットで検索して必要なものを古本だと安いからその都度買って参考にしている
そういう点でも便利なのである、こんなに本があったということに驚くのである
これまでは仙台まで行かないと専門的な本はない、仙台でも限られていたから知的探求には田舎は相当不利だったのである、これだけ本が簡単に手に入ることは田舎でも遅れることはない時代である、それは相当に恵まれたことなのである


2019年11月05日

テレビも新聞も消えてゆく? (狭い地域と個々人のメデアがインタ−ネット)


テレビも新聞も消えてゆく?

(狭い地域と個々人のメデアがインタ−ネット)

massmedia111.jpg

テレビと比べるメデアはなかった、独占だった

テレビを通じて世界を知るほかなかった

確かに本とか別に世界を知るものとなっていた、でもニュースとかなるとその時々起こっていることを放送するのはテレビが独占していた
ニュースは毎日見るからその解説なども診るし映像はインパクトがあるから見る
ただ映像はそれだけインパクトがあるからそれによって洗脳されてしまうのである
テレビで放送しているのは真実ではないというときそうである
一部分をきりとった映像なのである

イラク戦争で油まみれの海鳥を写していたけどそこには広い空間があったがそれは写されなかった、そこは別に油に汚染されたわけではなかった
その一羽の海鳥をクローズアップして映し出した結果世界に放送された結果が効果抜群でありそれでイラクはひどい国だと世界に放送された印象付けられたのである
なにかテレビは瞬間的に強力に印象づけられそれが頭に残るのである

それで宣伝でも番組の途中に入れると効果的になる、その映像が頭脳に残る

サブリミナル効果

とかになる
それだけ映像のメッセージは強力なのである
そのあまりにも強力なるが故に洗脳されてしまうのである

活字だとそういうことはない、活字を読むということは活字から映像をイメージする行為になる、すると相当な想像力がないと活字は読めないのである
それで活字で対話する時でもそうなる、もし映像だったら女性の顔が出てきたらその顔からまず判断するからだ、活字だったらそういうことはないのである
だから映像のインパクトは強烈なのである
それでイスラム社会ではテレビを拒否したというときそれは映像が偶像化されるからである
目に見えるものの印象は強烈であり頭にすりこまれる、するとそれが偶像化するのである神は目に見えないものであり偶像を拒否することが信仰の鉄則になっていたからである

テレビは事実ではないというとき事実であっても事実の一断片を映像で見ているのであるそれはどこが重要だとかどこを強調するかはテレビ局で決めている
それで議員の討論会でも一人だけを長く写すなという取り決めがあるのもわかる
つまりテレビ局によって編集されるからそれで誤ったものとなる
必ずテレビ局の意向が番組には入っているからだ
そうしたらそれを見ている人はテレビ局の意向によって左右されることになるからだ
それが意外と巧妙に作られているから見ている人にはわからないのである

それでこの辺で原発避難者が相馬市のトマト農家に飯館村の人を雇ってくれと言ったら断られたということを放送した
それを一瞬見た人はなぜ苦しんでいる人を断るのだとみる
でもそのトマト農家では津波の被害者の方を優先して雇ったのである
なぜならその人たちは補償金をもらっていないからである
別に飯館村の人を原発避難者を差別したわけでもなんでもないのである
公平に判断していたのである
でもNHKのその番組を見ていた人はなんで飯館村の人を困っている人を雇わないのだと見る        

その時メデアはたいがい原発避難者側について放送していたのである
でも仮設に入った人たちは原発避難者と津波被害者が隣り合わせていた人がいて互いに口もきかなかったと言っていた、一方は多額の補償金をもらっていたからである
でもそういうことを言わせなくしたのはNHKとかメデアである

それだけテレビの影響が大きいからそうなった
原発避難者は津波被害者とは別である、そこでは家族は死んでいないし家も壊れていないただ放射能被害ということでありそれはそれなりの被害でも津波の被害者の方が深刻だったのである
こうして原発避難者様となり非難することはできなくなった
現実はその補償金の暗黒があった、多額の金が入りギャンブルとなりパチンコ屋通いでありフィリンピンの女性に貢ぎ仙台にバーを開かせて金がなくなったという人も現実にいたのである

そんな人のことをマスメデアではとりあげないのである
それは地元だからそういうことが耳に入ったしそれは親しい人から聞いたから間違いないのである、そういう情報は地元でしか聞けないことがある
何でもメデアはとりあげない、自分たちの意向に沿ったものを取り上げるだけなのである
インタ−ネットで情報社会が変化したという時、インタ−ネットだとプログでもyoutubeでも何でも個々人がベースとしてその人の住んでいる狭い地域がベースになる
そういう狭い地域だと毎日暮らしているのだからマスメデアで報道しない細部を報道するようになる、それを自分は毎日している
今回の台風の洪水でもそうである、今回の洪水の問題は小河川があふれて被害が大きかったことだったのである 

それを報告したがこんな小さな川で被害にあったということが意外だったのである
それは日ごろ見ていてもとても洪水になるような川ではなかった
するとこういう小さな川も危険だったと再認識したのである
つまりマスコミは大きな川でありそうした小河川のことは報道しないのである
でもそれぞれ人はそうした狭い地域に住んでいる
そこに一番関心がある、そこが生活のベースになっていてアイディンティティの場所にもなる、だから心とはこころはここの場所のことだったのである

大衆的アイディンティティは集団や個人の経験から発展したというよりも、世論を誘導する者によって与えられ、できあいのアイディンティティを人々に与え、商業広告を代表とするマスメデアを通じて広められる
それは最も表層的な場所のアイディンティティであり感情移入的内側性の余地を全く残さず場所との一体化の基礎を破壊することによって実存的内面性をむしばむ
マスメデアはその受けてが直接に経験できない場所に単純化され選択されたアイディンティティを都合よく与えて偽りの場所の偽りの世界を作り上げようとする
(場所の現象学ーエドワード・レルフ)

最も表層的な場所のアイディンティティであり感情移入的内側性の余地を全く残さず場所との一体化の基礎を破壊することによって実存的内面性をむしばむ

地元だとどうしてもその場所への感情移入があるがマスメデアにはない、そこに住んでいないからである、そこに住んでいないということで原発事故でも東京の幹部が離れていてその場所について愛着もなにもないからそんな危険なものでも建てたのである

現代は世界のことを日々報道される、映像もきりなく隙なく写されて映像の洪水をあびている、しかしそれで世界の理解が深まったとかというとそうでもないのである
映像といってもあくまでも一部分をきりとったものだからである
その全体を体験することができないからである
ただ映像の時代だということは否定できない、それで自分自身が不思議に思うのはいくらでもある映像写真を加工して抽象画にしていることである
これもこれだけの映像が良質な映像が写真が出ているからそれをソフトで加工するような芸術が生まれたとなる、だから映像の力は言葉より強いメッセージになることは否定できない、それでそこに危険が生れる

いづれにしろマスメデアはテレビでも新聞でも消失の危機になる
地域のテレビ局でも新聞でもやはりマスコミなのである
福島県でも市町村があるとしてそれぞれその土地でも歴史でも別なものだからである
それを報道することは不可能だからである
おそらく私は歴史的には相馬藩内に住んでいても相馬市に住んでいると原町区に住んでいるとは違ったものになる
やはりそれぞれの村でも町でも市でもそこに住んでいる人がその場を知っていてそこがアイディンティティの場所になる
福島県全体がなりえないのである、国(くに)、里、村とかあるとき国だと会津とかは万葉集の時代から国(クニ)会津の国をさ遠み・・・として意識されていた
そして日本の不思議は里なのである、故郷というとき古里であり里なのである
故郷とは狭いアイディンティティの場所なのである

いづれにしろそもそも人間が理解しえないのは多様な場所に住んでいるからである
その場所はテレビに一場面写されても理解することはできないからである
だから世界中のことを映像で報道されても理解しえないのである

これからyoutubeとかとテレビ局が平行化する、それもテレビ局にとってはショックである、youtubeと同列に見られるからである
youtubeだと数人しか見ていないものもある
テレビ局だったち一千万とかの単位になる、youtubeと同列かするということはそういう恐怖になる、何千人単位とか万単位の放送になる恐怖である
とにかくテレビ局は芸能人の馬鹿番組でも多数に観られることで政治でも左右してきたのである、その構図が壊れる、テレビはただ写す箱になる
そこではかつてのようにテレビだけにかじりつく社会ではなくなっている
何か知りたいというときスマホでありパソコンでありインタ−ネットだとなる

ただテレビ局の優位はNHKなどだと優れた番組がコンテンツが作れる能力がある
そのコンテンツを売ることだとなる、貯えたコンテンツでも映像でも莫大だからである
それを売ることでしばらくせ成り立つとなる
これからコンテンツの勝負である、誰でも放送てきるとなればそうなる
今まではテレビ局でないと莫大な費用がかかるから放送できなかったからである






2019年11月04日

なぜ氷河期,ロスジェネ世代が生まれたのか? (国家百年の計がもてない、ただ時々刹那に生きているのが現代)


なぜ氷河期,ロスジェネ世代が生まれたのか?

(国家百年の計がもてない、ただ時々刹那に生きているのが現代)

tree100plan1.jpg


なぜ氷河期世代とかロスジェネ世代とか不遇な世代が生まれたのか?
これはなぜ大企業でもその世代を採用しなかったのか?
それは不景気とかコストの関係もあった、個々の企業にしてみればその時その時の経済の状態で判断する
それが自由主義社会であり資本主義社会だから自由競争社会だから企業でもっと採用しろとは言えなかった

ただそこに資本主義社会自由主義社会の欠点があったともなる
つまりその時々の情勢によってしか動かない、景気が良ければ採用するし景気が悪ければ採用しない、というよりは採用できないとなる
それは企業側の一方的判断なのである
企業というのはいくらでもある、個々の企業の判断なのである
利益が出なければ人も採用しないし給料を安くするほかないのである

資本主義の弱点は国家百年の計とかをもてないのである
企業の寿命はせいぜい20年とか30年だとかなる、技術革新が速いと十年ももたないとなればとても長期的計画をもてない、だから人を採用したくないときはしないのである
その時々に対応しているだけなのである

でも今なぜ人手不足なのか?それは一時期に人を採用しなかった、人を育てることもできなかった、結果として氷河期世代とかロスジェネ世代が生まれた
その人数も多かったから問題になった
そして今頃になって氷河期世代とかロスジェネ世代を国で応援するといってももう手遅れでありこの世代が放置されて割を食ったとなる
これだけ人手不足の時代でも正規として採用できないとなる
それは時代と言えば時代だから仕方がないとされる

つまり少子高齢化とか氷河期世代とかロスジェネ世代の問題は資本主義の欠点として現れたのかもしれない、それより現代の問題は何でも長期的展望をもって計画できないし全体を国でもみることができない
資本主義とか自由主義はその時々の熾烈な競争でありグロ−バルに争いそれに負けれは会社自体が存続できなくなるからそうなる
グロ−バル経済になると国内だけを見ているわけにはいかない
それで国家というものが弱体化して多国籍企業が国を越えたものとして力をもつことになる

でもグロ−バル経済とか資本主義とか自由主義の欠点は社会を長期的視野で展望で見れないことである
第一次産業主体になると自然を相手だから長期的にみる
第一森林でも木が育つには50年かかるとなるとすでにそのことで長期的に見ない限り維持できない、それは一代でも維持できない、だから農家では三代つづかないと仲間に入れてもらえないとういうときそうなる
その土地に根づくには農業だったら三代くらいかかるということである

もし氷河期世代とかロスジェネ世代でも国家がこれではまずいと考えて手を打てば違っていたかもしれない、
でも今国家にはそうした力をもっていない、自由主義社会だとそうなる、では共産主義国家だったら強制的にそうした不遇の世代を救うことができたのかとなるとそうもならない共産主義国家は資本主義のように古い体質の企業が残りそれが足かせとなったまま変えられないという弱点がありこれも逆にかえって全体が窮乏するとなる
現実そうなって崩壊したのである

ただ長期的展望の上に政治も経済も計画できないというときそこに問題が起きる
人間はそもそも空間軸と時間軸で何でもあるとして時間軸で長期的に観ることができないし全体として空間を俯瞰的に見ることができないのである
それで津波に関してはこの辺で400年前に700人溺死とあった記録も忘れていた
まず400年という間隔で見ることはできなくなっている
会社でもせいぜい十年くらいの先しか今ならさらに一年先すら見ないとなる
政治でも一寸先は闇だとなるのもそうである

そして現代の欲望資本主義は何か非常に短絡的になっている
目先の金だけを追っている、すぐに大金を得たいという心境にみんななっている
まずこつこつ働くということが馬鹿らしいという心境にみんななっている
だからそうして一攫千金を狙うようになる、株とかでもそうだし極端になると盗めばいいとなる、そういう心境にみんななっているのだ
長期的展望の中で生きることがないのである
刹那的快楽主義にも陥っている、それが道徳的には退廃することになる
目先の利益であり金が得られるとういことしか頭にないのである
その金になることに飛びつき消費して終わりだとなる
刹那的快楽主義となり堅実な生活が失われている

国家の政策にしても長期的、百年安心年金とか言うのもその時々の付け焼刃的なものであり適当に言っているだけなのである
国家の仕事としては防災とかなるどうしても国家百年の計なのである
本当に今は国家百年の計とかがない、国家はめまぐるしく変わる社会に適応できない
ただ国家のすべきは防災のように国家百年の計を成しうることにある
国家は千数百年とか日本だとつづいている、するとそれだけの長さがあり国が作られているのだからそういう長期的な展望をもつべきなのが国家だとなる
だから私企業の視点と国家の視点は分けるべきだとなる

国家のすべきことは何か?
それは防災だと国民の安全を計ることでありわかりやすい、これはどうしても長期的視野を展望をもって国家百年の計がないとできないからだ
氷河期世代でもロスジェネ世代の不遇もそれが少子化にもなっていた
その世代がベビーブームを生むというのも期待外れだった
その世代は一人が生活するのに精一杯で結婚できなかったからである
それも国の方で長期的に見ていればこれは将来大きな問題になると見ていればこうはならなかった、でも資本主義自由競争社会ではどうにもならない問題だったとなる
個々の企業は競争であり無駄なコストはかけたくないからである
無駄なコストをかけて長期的に政策を実行できるのは国家しかないのである

とにかく人間は人生百年時代というけどこれも長期になると見れない
そもそも人間は未来を自分の未来を見れない
まず若い時は年取ることをイメージできないのである
それでたいがい若い人は60くらい生きればいいやとかしか考えないのである
それくらいしか生きないと考えている
また老人になることがどういうことなのかイメージできないのである
それは老人になることはあまりにも遠い先だと見ているからである
まるず老人にならないようにも見ているのである
ところが青春はあっというまに過ぎ去る、そして老人になっている
玉手箱を開くと白髪の老人になっているのだ
40ですでにおっさんだとかなっている
その速さに驚くのである

人間の弱点は時間軸になると長期的に見れない、長期的展望をもって生きられない
ただその時々に懸命に対応して生きているだけだとなる
そしてみんな意外な結果として人生をふりかえり後悔して終わっているのである
個々人ならいいが全体社会になると国家百年の計をもたないと国家そのものが崩壊してゆくともなる、少子高齢化というのがそうである
国家自体がもう維持できなくなるとも言われるからだ
ただ国家が関与しにくいから手をこまねいてそうなってしまうのである
氷河期世代のでもロスジェネ問題でもそうだったのである

ただ教育とかに国家百年の計というとき何か自由が束縛される、そもそも学校が果たして国家百年の計でそのままでいいのか?
そういう疑問がある、今の学校はもう行き詰まっている、IT化がすべてではないにしろもう学校という旧弊なままの組織化は
国家百年の計にふさわしくないともなる
そこでモラルとかなんとういうと国家の強制だと見られるのもそうである
教育というときこれは教育するから伸びるのではない、かえって教育過剰になっているから才能が伸ばせないのである
自分のように会社に行かず30年間自由なことを追及できればその人の才能は伸ばせるのである
モラルでも教育しようとするとカルト教団のように強制された集団化されてかえって自由な精神は失われて奴隷化されるのである
つまり上の人の支配者のいいなりにするのが教育だともなるからこれも注意が必要なのである
posted by 老鶯 at 15:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

馬を飼う、鮭上る、千鳥(水無川の朝)


馬を飼う、鮭上る、千鳥(水無川の朝)

kakiumasoma11.jpg

nowaterriversake1.jpg

本流がまだ濁っているから水無川の方に鮭が上ってきた

sakeup111.jpg

chidorii111.jpg
これは千鳥である

treewater1.jpg

こんな木がどこから流れてきたのだろう、これを流す力には驚く




馬を飼う昔郷士や柿なりぬ

我が里を耕す女(ひと)や朝の菊

出水に変わる流れを鮭上る

清流に卵を産みて鮭の死す

出水や流木一本跡残す


秋の朝千鳥来たりてすみやかにとびさり消えぬ跡もなしかも


野馬追いがあるからこの辺では馬を飼っている家がそちこちにある、それがこの辺の特徴でもある、郷士というとき農業して侍だった家である
野馬追にはそういう人たちが出る、もともと農家だった家から出る
相馬市内とか原町市内とか街内からはほとんど出ないのである
城勤めではなく郷士に受け継がれてきたのが野馬追いなのである

なぜ鮭が水無川に上ってきたのか?
それはまだ台風でふった雨が流れて濁っていたからである
卵を産むとき鮭は清い川で水を求めてそこで子を産む
それで水無川は清い川だから上ってきたのである

それにしてもあのような大木がどうして流れて来たのか?
とてもあの川からこんなものが流れて来るとは思いもよらなかった
自然の力には驚く、そこは水無川でありいつも水がほとんど流れていないからである

出水(いでみず)は秋の季語であり台風のために出る水である
でも温暖化で10月末頃これほどの台風が来る
それで季節的になにかおかしいとなる
そして今年は虫の声が聞こえないのである
これも異変である、川原の草むらには虫が鳴いていた
でも川原の草叢が台風の出水で流出した、それで虫の声が聞こえないから
季節感がなくなるのが淋しいとなる

我が里に・・・というときこの里(さと)というのは日本独特の言葉だと思う
村(むら)は群れるからきているからだ
それは比との集団である、でも里の不思議はそういう村とも違うのである
国は英語でもcountryでありこの意味は田舎という意味もある
村はvilligeであり一応対応する言葉がある、でも里にはないのである、里山というのもそうである、だから里とは日本独特の生活空間の意味になる
自然と融合した空間なのである、ふるさととは里のことなのである

そこに田畑があり耕す人がいて菊が映える、そこに暮らしがあり花でも映えるのである
だから暮らしがなかったら里とはならない
それが原発事故で一時失われたし今でも避難区域では里が回復していないのである
田畑は草ぼうぼうになっているからだ、ただこの辺では荒地が多い
それは日本全体でもそうである、つまり日本の故郷(ふるさと)が里が消失しているのである、日本の原郷のようなものが失われてしまっているのである

カメラに映っていたのはチドリである、チドリの好む場所は草地ではない
砂地とか砂利とか石だらけの所である、すると今回の台風の出水で流れが変わって砂地と砂利と石ごろごろの河原になったからこういう場所を好み来たともなる
チドリはなかなか見れない鳥である、というのは海でも砂浜自体消えているからである
でもこれは河原にも来るとあるがなかなかみれない、ただ時々田んぼとかに飛んできているかもしれない、でも鳥はとらえにくい、すぐ飛び去ってしまうからである

小型チドリ類が繁殖できる場所は、ただの空き地だったり河原の中州だったり砂浜だったり、人間にとっては何の利用価値もない空き地で、他の動植物もあまり多くはない環境です。川が氾濫を繰りかえす中で中州や広い河原ができ、そして河口部には砂州ができます。そういう場所に、まず最初に移り住んでくるのがチドリの仲間たちです。
https://www.bioweather.net/column/ikimono/manyo/m0609_2.htm

こういう習性がある、写真にとらえられたことはラッキーだったとなる

2019年11月03日

南相馬市でサイクリング大会 (常磐高速のSAでは国土交通省の人と会い話する)


南相馬市でサイクリング大会

(常磐高速のSAでは国土交通省の人と会い話する)

●スポットを巡り、得点を競うサイクリングイベント!
 〜ツール・ド・ニッポン2019〜ライドハンターズ in 南相馬

cyclingminamisoma11.jpg
鹿島駅により去って行く

charidaminamisoma1.jpg
SAにより去る別なグループ

kokudokotuude1.jpg
国土交通省の車

kitanoiririver123.jpg
ここを地図で印をつけていた


 
今日鹿島区で三人が駅がどこだと聞かれた
それで案内した、何か南相馬市でサイクリング大会があった
それはインタ−ネットに出ていた
背番号していたからである

駅がスポットになっていた、聞いたら原町区の人で三人がロードに乗っていた
一人は若い女性であり一人はニュージランドの青年だった
一人は白髪の老人だった、何か前にも原町に住んでいる人でロードにのっていたのには驚いた、63歳とかであり大倉で坂があるから良くロードで乗れると思った

常磐高速のSAでも背番号したサイクリングする人が三人見かけた、やはりSAがスポットとなっていたから寄った
とにかく原町ではロードに乗っている人が多い、老人も乗っている

そこで国土交通省の人にであった、78人集まっていた
地図を広げていた、北の入りという川に印をつけていた
ここは地元でもわからない、そもそも小さな川の名前とか知らないのである
栃窪をいくら通っていてもそこに川があったのか認識していないのも不思議である
そういえば川があったなとみる

いづれにしろ地理は地元に住んでいてもわからないことがある
だから今日来ていたのと岐阜県とか三重県とか遠いしわからていと思う
すると道案内とか地元の地理に詳しい人が必要だともなる
国土交通省の職員だからプロだから地図を見ればわかるとしても地理だけは簡単にわからない、地理はそこに住んでいると体で覚えるものだからである

今回小河川が氾濫したのは一度に大量の雨が集中したからだと言う
こんなに小河川が氾濫するのは意外だったからである

それから水無川原に人がいた、何か珍しい石がないか探す人がいた
それから鮭が上ってきていた、普通ここには鮭は上らない、水無川であり流れない時があるからだ、高い堰がありここは上れないからである
何か真野川の下流で鮭をとる簗が流されて上ってきているとか言っていた
もっと橋の上にも鮭は上りそこで死ぬのをいつも見ている

そして環境省の人が数人やはり真野川の水質調査をしている、その人たちはここに住んで定期的に調査している、真野川は水が大量に出たので放射性物質が泥として流れてきたのを調べているのかもしれない

とにかく国土交通省というのは興味がある、なぜなら私は旅してきたから地理とか地形に興味があるからだ、日本の国土に興味がある、ただ理系ではないからとてもそうしした場にかかわることはできない、でも地元の利がありやはり専門でなくても遠くからくればわからないから地理は教えることがあるとなる
地理だけは本当に地元ですらわからないものでありまして遠くから来たら余計にわからないのである

それでその水無川の橋で出会ったのは同級生のT君だった
同じ自転車に乗っている、私の勧めた自転車がしきりにいいというとき自分自身もこの
ヤマのYPJ-XCには感心している、だから遠出をしたくなる
これはただスタンドがないので不便だというのは同感だった
これはマウテンバイクになっているから若者向きだと最初思っていた
でも実際はこれは軽く走れるから老人向きだったのである
T君は一回手術している自転車でも遠くには行けない、でもこれは乗り安いというとき運動にはいいのである

なんか体が弱ってくるのが嫌だというのもわかる、その先どれくらい自転車でも運動できるのかとなる、ただ現代は元気な老人は元気なのである
まず老人は同じ年でも病気になったらその差が大きくなる
老後というとき金も大事だけど健康に活動できるかできないかでその差が大きいのである


sakeup11.jpg
水無川

mizunashiriver11.jpg

この上は上れない


2019年11月02日

相馬市の音楽祭は災害で中止 (とちおとめが南相馬市の道の駅で演奏)


相馬市の音楽祭は災害で中止

(とちおとめが南相馬市道の駅で演奏)

秋風にバイオリンの音のもの悲しとちおとめ歌う声の流れぬ
秋風にもの悲しかなクラシックその余韻の心に残りぬ

tochiotomee1.jpg



バンド名「とちおとめ」
栃木県を中心に北関東一円で活動。
震災以降は原発被災地の浪江町、南相馬の仮設住宅を
まわりながらミニコンサートで活動中。
最近ではデイケアサービス、道の駅、公園イベント等で演奏。
フォークソングや昭和の歌、演歌を原点とする男女のデュオ
https://www.youtube.com/watch?v=RD6GJE0mzUM

写真とれなかったけどとちおとめはyoutubeで聞ける、youtube見ていた人は知っているとなる
インタ−ネットのサイトでぱ男性だけど女性と男性で歌っていた
前でCDを売っていた、演歌系統である。



秋風が吹いている、今日も何かまだ秋の日ざしではなかった
音楽でも野外だと自然の中にひびくことになる、室内だと秋風は吹いてこないからだ
だから野外の演奏は何か楽しいとなる、また生演奏は違っている
それで音楽は生演奏を聴けというのもわかる、そこに本当の音楽の醍醐味がある
ただ地方だと生演奏は聞きにくいのが問題である
今日はバイオリンの音色が何か物悲しくひびき良かった

やはり何でも自然の中で音楽を調和するとなる、それは小鳥でも自然の中で歌っているからである
私は音楽はなかなか鑑賞できないが音楽から森とか山とか川とかなにかせせらぎの音とかそうした自然をイメージする
そうなるとまさに自然の中で野外で演奏すると音楽でも一段と心にひびくものとなる
宮沢賢治の童話に自然と調和した音楽をテーマにしたものがあった
そういうものは都会で生まれにくいのである
とちおとめの音楽は何か物悲しいひびきがあった、秋にふさわしい歌だったともなる

ともかく相馬市で音楽祭が中止になったというとき災害で自粛することになる
こんなとき音楽祭かボランティアしてくれとなる、ボランティアが不足しているからだ
でもこの辺はもうこんなに連続して災害が起きると疲れたとなってしまう
他の人でも東日本大震災でボランティアをしてまたかとなり嫌になり来ないとなる
丸森に行くにしてももうそれを見ただけで疲れる
ただどうしてこんな被害になったのかを知ることは後のために必要だし報告することに意味はある
でもそこではくつろぐということはできない、ただ寄付くらいはできるが後は何もできないからだ

そして東日本大震災では未だに原発避難区域になったところは被害者でありお前たちはただ面白半分に来たのかとなる
でもその内部の人間がどうなっているかというとフィリンピンの女性に貢ぎ補償金を使ってなくなったとか毎日パチンコでありギャンブルしていたのである
だからこれも暗黒なのである
そういう人間がどこがかわいそうなのか?未だにそういう心情なのである
今度は相馬市でもいいから丸森でも小高の人でもボランティアに行けばいいと思う
いつまでも助けられるべきだとはならない、もちろん自治体では前から倉敷の吉備だとか他にも応援に行っていたから今回真っ先に吉備の人が相馬市に応援に来たのである

俳句や短歌や詩を作っていたが何か発表するのがためらわれた
相馬市はまあまあだけど丸森は被害が大きく暗澹としてしまう、ただ相馬市でも全体が被害があり北飯淵では床上なのだからそれなりに被害があった
ただ家自体が壊れた家は一軒もないから丸森と比べるとそれほどでもないと感じる

とにかくなぜこれほど災害がつづくのかそのためにうちのめされるとなる
どうしても暗くなってしまう、リスボンの地震では地震そのものの影響もあるがそれが精神的に打撃になり冒険する気風もなくなりポルトガルが衰退したのである
それだけ自然災害は人々の心まで変えてしまったのである
災害でも私の家が洪水で家が流されるようになってから30年ほど過ぎて第二の水害になった、それも床上浸水である、でもそれから30年以上災害はなかったのである
つまり30年くらい間隔があけばこんな気持ちにはならないだろう
こうして連続して大きな災害になると打ちのめされてしまうとなる
そしてリスボン地震のように人々の心を変えてしまうことの影響が大きいのである

天変地異がなぜつづけて起きるのか? (悪を暴き出す面はあった、地球を浄化するためなのか?)


天変地異がなぜつづけて起きるのか?

(悪を暴き出す面はあった、地球を浄化するためなのか?)


日本の「異常な長雨」は人類存亡に関わる「氷河期の予兆」か
http://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/171108/lif17110811140005-n3.html

 人心は荒廃し、天変地異激しく、政状は混乱の極に達している世相に対して、提言した。
 世皆、正に背き、人悉く悪に帰す。故に善神は国を捨てて相去り 聖人は所を辞して還らず。是を以って魔来り、鬼来って災起り難来る( 立正安国論)


 
温暖化にしろ寒冷化にしろ地球自体が気候変動期に入っていることは間違えない
科学の時代だから科学的にこうしたことを説明できるとなるが科学者自体が明確に説明できないことに人間の限界がある
温暖化を言う科学者もいれば氷河期に入る前の予兆だという科学者もいる
科学者も万能ではないから気候がどうなるか解明できないのである

でもこれほど天変地異が起きるのはなぜなのか?

そこに宗教だと人心の荒廃のためだとなる、今回の津波でも原発事故でも追及して来たけど津波が人間の悪を明らかにした、洗い出したということがある
「安全神話」を作ったのは今の支配層だったからである
政治家、官僚、科学者、マスコミ、・・・・全部がそうだった、地元の人たちも金を得るとして積極的に誘致したのだからやはり共犯者だった
しかしそういうものは見えなかったのである
つまり人悉く悪に帰す状態になっていたのである

例えば船主とかが多額の補償金をもらっていたことも地元でも知らなかったのである
そういうことも暴き出されたのである
悪というものは見えない隠されているだから闇の支配者がいて世界を支配しているというのもわかるのである
金融なども複雑なグロ−バル経済になって見えない、悪は見えないのである
だからこそその見えないことをいいことに数パーセントの人達に世界の富が収奪されているとか言われるのもそのためである

科学というのも公正なものではない、御用学者がいて都合のいいように原発を擁護していたからである、もし科学者は科学に忠実であればいいがそうはならない
科学者でも科学は普通はわからないから原子力のことなどわからないからいくらでも庶民をだますことができるからである、その危険を隠すことができるからである

人間にも天使にも偽善を見破ることはできない、
つまりこの偽善こそ神のみを除く誰にも見えず、神の黙認によって天と地を横行闊歩する唯一の悪だからだーミルトン(失楽園)

この世の偽善はわからない、見えない、それは金融関係で株とかで他の証券とかでもそうなる、それは複雑すぎて見えなくなっているのだ
そこに巨大な悪が隠されている、銀行自体がそういう悪の手先だと言う人もいる
資本主義社会では銀行が金をにぎり支配するからそうなる
もちろん社会主義では独裁政権となり中国のように金を握るのである
中国のような共産主義はかえって悪が露骨に見える、だから庶民も反発していづれ革命が起きて支配層は殺されるとまでなる
資本主義はそうして富を不正に独占する者が見えないのである

だから天変地異とは何か人間の悪を暴き出すものがあった、それは原発事故のことで延々と書いてきた、今度はまた飯館村が原発で無惨な姿になり次にそのとなりの丸森町が洪水で大被害になった、それはなぜなのだろうとなる
別にこの辺は原発とも関係していなかったからである

確かなことは天変地異は人間の力を越えたものとして現れる、いくらこれだけ科学技術が進んでもそれに抗しきれないのである、そこに政治の不備があったり備えきれないからまた犠牲者が出る、それが最近は連続して起きているから何なのだろうとなる
もうこの辺では嫌になる勘弁してくれとまでなる
災害に疲れたのである、丸森はいいところだなと春に行ってそのことを書いた
それがあんな大被害になったことにショックだった

もうボランティアも集まらないというとき東日本大震災を経験してその時ボランティアは来たが、またなのとなれば疲れてしまう
自分自身でも何かもいいがけんにしてくれ、疲れたとなる
こうして災害が起きる平和の営みができなくなる
こんなとき俳句とか短歌を作っていられるのか?
ボランティアになり泥をかぎだせとかなるからだ、それは津波の時もそうだった、ただその時は自分自身が自分の病気と介護で苦しんでいたから自分の苦しみげ精一杯でありそうした余裕がなかったのである

いづれにしろ天変地異は人間の見えない悪を暴き出すことは確かである
それは小川に砂が見えなかったがその小川から砂がでてきて田んぼを砂地にしたこととにている、日ごろ見えないものが天変地異で現れてくるのである
防災の不備も現れるし政治の不満も起きて来る

なぜオリンピックなど金を使っているのだ

もっと防災の方に力を入れろとかなる、マラソンを北海道にするとかどうかなどもうオリンピックは返上しろとなる
こういうときはどうしてもスポーツでも芸能でも芸術関係に力を入れるより今苦しい人たちを助けるべきだとなるからだ
それは必ずしもいいことではない面はある
なぜならこんなとき俳句とか短歌とかのんびり作っていられなとかなるのは異常なのである、それは正常な人間の営みができなくなっていることなのである
飢饉と同じでありもう文化的な生活ができない、ただ食べるために生きて入るだけだとなってしまうのである

ともかく正直これだけ連続して大被害になると疲れる、だから丸森でも行って楽しもうとか自然を鑑賞しようとか思っていたができない、その被害が大きすぎた、津波とにていたからだ、これも連続して起きたからこそそうなった
第一あれだけの津波や原発事故の被害がありまたそれと劣らぬ大被害があることは何なのだろうとなる、それもすぐ近くで連続して起きているのである
だからこの辺は呪われている地なのかとまで思うようになる

世が乱れたとき天変地異が起きる、江戸時代が比較的平穏だったのは戦争とかもない
かえって開国して明治以降に日露戦争があり太平洋戦争があり莫大な死者を出した
つまりグロ−バル化は経済的にいいようでその反面世界戦争にも向かう危険なものなのである、かえって軋轢が強くなり国同士が争うようになる
それが世界的になり世界戦争となる

いづれにしろこの辺は災害で疲弊した、東日本震災から津波と原発事故から8年以上すぎてやや平穏をとりもどどしてきたなと思っていたらまた大きな災害となったからだ
ただ相馬市でもそれほどではないように見える、丸森の被害が大きかったのである
それは飯館村の隣でありそれが何故なのだろうとなる
そこは私が詩にもしたように秘境の場だったからである
それが無惨なものになったことがショックになったのである

平らけき道失へる世の中を揺り改めむ天地(あめつち)の業(わざ)  望東尼

まさに揺り改めむというとき天変地異はそういう働きをする、とすると大きく改める時代を変える時だとなる
とても人間だけの力でぱ変えられない、原発だって津波がなかったらそのままでありそして壊滅的になって日本が亡んでいたかもしれない、その警告として原発事故があった、神からの戒めとしてあったともみれる
東京だってもう遷都などできないとなっているが大きな天変地異とか地震とか来れば決断できる
そうしなければもう生きていけないとまでなるからだ
人間そこまで追い詰められなければ思い切ったことはできないからである






posted by 老鶯 at 10:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年11月01日

砂とつく地名の考察 (相馬市の北飯淵はもともと宇多川の淵だったから被害が大きかった)


砂とつく地名の考察

(相馬市の北飯淵はもともと宇多川の淵だったから被害が大きかった)


sandname11.jpg

oshimadasuna1.jpg

小山田の上ー小川が氾濫して砂畑になっていた



谷川氏に具体的に危険な地名と、その理由を明かしてもらおう。
「例えば、江東区には北砂、南砂という町がありますが、白砂青松(海岸の美しい景観の形容)というくらいで、地名に『砂』とつくのは海辺に近い軟弱な低地であることを示します。

 また、江東区の『大島』や『越中島』などの“島地名”も低い地域を指します。

 岩石から削られた砂は、純粋に鉱物から構成されています。そこにバクテリア、地衣類、コケ類などが定住します。次に死んだ生物の分解によって、有機物と腐植物がたまってきます。その後、水や空気などの働きによって、鉱物質と有機物の複雑な混合物ができます。これが土壌、つまり土なのです
 https://kids.gakken.co.jp/kagaku/kagaku110/science0298/
 
地球はもともと岩石から作られていた、その岩石は噴火などによって地中から溶岩となって噴出されてきた、その岩が砕けて砂になりその砂にいろいろな有機物が交じり土となった

今回の洪水では小河川がほとんど氾濫した、普通はそうした小河川には砂が見えないのである、だからその小河川があふれて砂がでてきた
どうしてここに砂があったのかとなる、砂はどこにでもある
土と見えても砂がある、なぜなら岩石が砕かれて砂になり次に生物の基になるものが交じり有機物となり土となったからである、土の基は砂であり岩だったのである

地名になるとまず砂とつく地名はいたるところにある、砂田とかなればもともと砂があった所である、河岸地帯だったらそこに必ず砂地になっている
地球には膨大な砂がある、砂畑もあり砂がいかに多いかはもともと土の基は砂であり砂がどこでもでてくる、海岸地帯だけではないのである

相馬市と小高に砂子田はゆなこだと呼んでいる

ゆな →いのー。砂。砂利。岩手県下閉伊那。[考]南島八重山で、砂をイノー、石垣島で州をユーニという。千葉県武郡で、浜の砂をイナゴ、島根県松江で、砂浜をイナハマという。それらとの関係。熊本で火山灰をヨナというのとも関係あるか。 →よな。
http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2016/03/post-0235.html

ゆなーよなーよねーえなーは何か一つのものから派生した同類の言葉である

与那国島とか恵那とか米子(よなご)とか共通の地名としてある、これも何か不思議である、砂(すな)の別名なのだろうか?古い日本語では砂をゆなとかよねとかよなとか呼んでいたのか?それだけ第一砂はどこにでもあり当然それにまつわる地名は多いとなるからである、与那国(よなくに)島が砂の島だというのはわかる
でも恵那(えな)となると山国なのである、でも山国にも砂はある、川があれば砂があるしどこにでも砂はあるから砂に由来して地名もあるとなる

そして今回の相馬市の宇多川の堤防決壊で一番被害が大きかったのは北飯淵である
そこはもともと淵とあり宇多川の淵である、そこは宇多川でも細い流れから急に広々とした河川敷になっている
あの辺一帯はもともと広い川の扇状地のようになっていた
川の一部だったのである、そういう地帯が日本には多い
だから地名が原初の状態から名付けられていて飯淵となるともともと川の淵であり危険だったとなる、そういう地名は日本はいくらでもある

地理を見る時土地の高低がわかりにくい、地図を見ても土地の高低はわからない
鹿島区だと海老は高いから津浪には安全だと思っていたが被害が大きく村は消失した
右田はさらに低い場所であり烏崎から大内と小島田は低い土地である
それでソーラーパネルのあり烏崎から大内の所は水がたまり使えくなった
そんなに水が流れてたまったのかというのが不思議だったけどそこは低い土地だから水がたまったのである、広い沼のようにもなったからだ

烏崎から大内から小島田から塩崎はもともと海であり低い土地だった、それは津波で証明された、塩崎の船着はもともと本当に入江となって船着場だったからである
小島田はそうした入江に島となっていたような土地だったのである

とにかく日本は土地がないから平坦な土地が少ないから海の方へと土地を埋め立てて田んぼにしたりして住むようになった、だから危険地帯が多い
江戸とは江の入口という意味だという、もともと入江だった所に住むようになった
当然そこは入江だったのだから低い土地であり土浦とか浦和でももともと浦だった
そういう場所は津波とか洪水になると危険な場所だったのである
日本には他にも山崩れとか危険な地帯が多すぎるから常に自然災害になり苦しんできた国だったのである
posted by 老鶯 at 09:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年10月31日

abstract mountains(抽象画の山)

abstract mountains(抽象画の山)

mmmmone111.jpg

mmmmsss1.jpg

mountainabbbb2.jpg

mountainabbbb3.jpg

sannkakummm4.jpg

rockvallyyy5.jpg

mountainruin116.jpg

a ruin

2019年10月30日

なぜ大きな自然災害がつづけて起きるのか? (福島県は呪われているのか?)


 なぜ大きな自然災害がつづけて起きるのか?

 (福島県は呪われているのか?)

自らが訳出した哲学者ヴォルテールの、リスボン大震災に捧げた詩を付している。
 
 如何なる罪を、如何なる過ちを犯したというのか、
 母親に抱かれたまま潰されて血に塗れた子供たちは。
 今はないリスボンの悪徳は、
 享楽に耽っているロンドンより、
 パリよりも大きいというのか。
 リスボンは亡び、 パリでは踊っている。
 
リスボンの大地震ではもう海外に進出する気概すらなくなりポルトガルは衰退したのである、それほどの打撃だったのである
だからなぜリスボンだけにそんな大災害が起きたのか?
そういう疑問が起きるのはわかる

なぜ福島県にこんなに災害がつづけて起きるのか?

まず巨大津波が襲い原発事故になった、そしたら原発事故で住めなくなった双葉、大熊、などの人たちが大量にいわき市に移住していわき市にもともと住んだ人たちともめた
なぜなら原発避難者は多額の補償金をもらったから家を建てることができた
でももともと住んだ人たちはかえって土地の値段が上がったりして家が欲しくても建てることができない、それで不満になりもめた

そししてまたなぜなのだうか?いわき市も今度は台風被害で苦しんでいる
それからノロウィルスがでてまた恐怖になる
いわき市には双葉や大熊や浪江でも原発避難者が相当数移住している
そこにまた台風の被害があった、津波の被害者もいた
これは何なのだろうとなる

相馬市とか南相馬市とかさらに石巻とかまで太平洋岸では津波の被害で2万人近く死んだというのは8年前くらいである、そして今度は台風の水害でこの辺は苦しんでいる
相馬市となると松川浦とか海岸が大被害になった記憶はまだ生々しい
次に今度は相馬市内とか宇多川と小泉川が決壊して床上浸水になったところが結構ある
これも何なのだろうとなる

そして山を越えた丸森の被害が津波の被害とにていたのである
角田までの河岸が浸水した、また山崩れで死んだ人もいる
そして丸森町の隣が原発事故で被害が大きかった村だった
そこは田んぼの表面の土が削られて放射性物質のフレコンバッグが積まれた無惨な村になっている
私は飯館村とか丸森町は特別風光明媚な土地として見ていた
それがあんなに無惨な姿になるのは何なのだろうとなる

何か相馬総合病院の病室に一緒だったのは松川浦で津波の被害にあった人と新地で家まで失った津波の被害者とそれから丸森町の金山に住んでいる人だったのである
その人たちがみんな津波や今回の台風の被害者になった

なぜこんなに災害がつづくのか?

原発事故の原因は津波とか地震と関係していても人災ともみる
10数メートルの津波が来ると東電の頼んだ学者が警告していたのに無視してその備えもしないので電源が喪失して爆発してメルトダウンになった
原発に関しては技術的な側面もあるがモラル的な側面もあったし何か人間側に原因が求められる、だからこそその不備が訴えられる

そもそも原発は神に敵対するものでありそれが呪いとなった

それはゼウスから火を盗んで過酷な罰を与えられたプロメテウスだった
それとにてやはり人間に与えられた神の罰なのか?
何かそういうものを感じてしまう、そのためにこの辺一帯は呪われた場所になったのか?丸森町は飯館村の隣でありなぜそこがまたあんなにひどい被害を受けたのかも不可解だとなる
飯館村と丸森町は原発とは関係ないのである、だからそれも不可解だとなる
福島県の中通りは阿武隈川に沿った市町村の被害が大きかった
それは原発事故のときも放射性物質が意外と風にのって飛散して汚染された場所だったのである

ただ不思議なのは福島県は広いから会津地方は今回はそれほど影響はなかった
それも不思議だともなってしまう
だからなぜリスボンが壊滅的被害なのにパリは踊っていると恨むようになったのである
ただ日本はこうして定期的に自然災害に見舞われる国である
だから歴史的にもそうでありカルマだとなる、でもなぜ飯館村とか丸森町とかまで悲惨なことになったのか?
そこで何か悪いことをしたのか?そういうことは別にないのである

そしてなぜ自分の一身上の禍を書いてきたけどそれもなぜだったのか?
それは自分自身のカルマの清算として過酷なことを強いられたとはなる
でもまた回りでもこうして次々に災難に見舞われるのか?

この辺はソドム、ゴムラになったのか?

つまり災いの地であり神に滅ぼされるから神の民は逃げるほかなかった
現実に一瞬にして滅ぼされたからである
何かそうしてこの辺には深刻なものを感じてしまうのである
リスボン大地震では国家自体がその後衰退した、海外に進出する気概さえ失われた
それだけリスボン地震は人々の心をくじいてしまったのである

今はないリスボンの悪徳は、
享楽に耽っているロンドンより、
パリよりも大きいというのか。
リスボンは亡び、 パリでは踊っている。
 
 まさに飯館村とか丸森はそういうことはない、享楽にふけるような金持ちはいない
都会とは違うからである、ではそういう場所になぜこうして自然災害がふりかかってきたのか?それは津波でも問うてきた
ただ津波の場合は原発と関係して複雑なものとなる
原発をもたらしたのは政府とか東電だけではない地元の人たち積極的にかかわった共犯者のようにもなっていたからである
原発から大きな利得を得ていたからである、それはモラル的には責められるべきものだったと今ではなる

その後もモラル的にこの辺は荒廃してしまったのである
補償金を得ることしか頭になくなった、そして補償金で争い飯館村でも分裂したし南相馬市でもそうである、そこには暗黒が生まれた
暴力団が東電から何億という金を補償金として不正にもらっていたとか腐敗があった
それは高浜町でもあり原発はモラルの腐敗を生むのである
その原因は巨額な金がそこに動くからである、飯館村などで何億円もらったとかなると完全に日常感覚から離れて狂ってしまったのである
までいな村などとはまるで違った世界になってしまったのである

例えば南相馬市では小高と鹿島区は補償金のことでもめて分裂した
でも小高の人は原発避難者が何をしていたか?
その補償金で毎日ギャンブルでありフィリンピン女性に仙台をで店を出させて補償金をなくしたとか嘆いているという人がいた
何か多額の補償金で身を持ち崩した人がそれなりにいたのである
それで小高の人を非難するとお前は傷に塩ぬって楽しいかとかなる
なぜ鹿島の人は苦しい時同情もしないのかとなったのである

でもこの辺は津波原発事故以後にかわいそうな人たちとなり同情されるべき補償されるべきだとなったのである
それは被害者意識でこりかたまり韓国とか沖縄と同じくなっていたのである
何かあれば原発のせいだとなって終わりなのである
凍み天が倒産したとしてもそれも原発のせいだとしているがあれは誰でも作れるものだと女の人が言っていた、何か特別なものではなかったのである

結局水俣病でもそうだったように補償金だけをもらうために病気を偽装していたりとありそれで補償金でだめなにったとその当人が言っているからここも同じだったのである
そうしたことは必ず子孫にも影響する、何かあったら東電が悪いとかなる
そして補償金をもっともらう、被害者としてありつづけることだとなる
そういんう心性がこの辺のエトス(共有する心情)となってしまったのである

ただそれがあるにしても丸森町があんなに悲惨な状態になることは何なのだろうとなる
それも不可解なのである、

飯館村とか丸森町が何か悪いことをしたのか?

享楽に耽っているロンドンより、
パリよりも大きいというのか。
 
これと同じなのである、むしろ東京に災いが来るのが理にあっている
東京の問題が地方にもちこまれたからである
原発は東京に作るべきなのは安全を計り福島にもってきて犠牲にしたからである
だから次の大災害は東京に来る、ただ台風の被害は最小限にとどまった
でも次はもう逃れられない大災害が来る
その前兆として福島とか宮城県の大災害だったのである

享楽に耽っている東京より、
福島県(宮城県)が大きいというのか。

どうしてもなぜこんなに自然災害に周辺が苦しめられるのか?
そのことは自分自身の一身上でも苦しめられてきた、そして回りも苦しめられるようになった、そのことは何なのだろうとなる
何か大きなカルマがめぐってきて災いになった、それはここだけではない次の大きな災難の前兆にすぎないのか?
そういうものを感じてしまうほど災害が連続しているのである
それは日本という国自体が大きく変わらざるをえない、予告でありサインなのかもしれない、時代が大きく変わる時にこうした天変地異が起きる
そういう大きな変革の時代に日本がでも突入して世界も変わるということがある
そして資本主義の矛盾が頂点に達して大きな変動が世界的に起きる
そういう予兆をとうしても感じてしまうのである


災害の民俗的イメージ―「記憶」から「記録」へ、そして「表現」へ―櫻 井 龍 彦
http://r-dmuch.jp/jp/results/disaster/dl_files/3go/3_1.pdf


posted by 老鶯 at 22:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

阿武隈川の歴史(江戸時代から度々氾濫の記録)


阿武隈川の歴史(江戸時代から度々氾濫の記録)

abfurukawamap11122.jpg

abhakosaki111.JPG

信達平野の歴史をなぞると際限ないが、伏黒、二の袋、木幡の三村を、西根郷から東根郷に移すほどの大氾濫のあった天文9(1540)の大洪水、信夫山の南側を流れていた
松川の流路を変えた寛永14年(1637)の洪水
福島城の三の丸まで冠水した享保8年(1723)の洪水・・・・
明治になっても数年の一度は洪水があった

洪水になると洪水は河道からあふれて氾濫原を作る
水は河原の外に出ると流速は急速に弱まり水の運搬力も衰え運んでいた土砂をそこに沈積させる
すると川沿いに海鼠餅のような棒状の微高地ができる
古くはこの上に集落が発生した

福島市鳥谷野、腰浜(腰浜廃寺や郡衙があった)
伊達市の前川原、原島、箱崎(石田時成の築いた箱崎大舘は自然堤防の上にあり川跡湖の舘堀として利用していた)
阿武隈川沿いに延々とつづく集落はこの自然堤防の上に生まれたのである
その周りは湿地帯でありそこが耕地として利用された

阿武隈川の風景 高橋貞夫


阿武隈川は大きな川だからこそその流域も広くなる、堤防がないときは自然堤防ができてその上に大館のような館ができた、その周りの川の湿地帯が田圃とかになった、それは海岸が前は湿地帯でありそこを埋め立てて田んぼにしたのとにている
そして阿武隈川に古川とあるときそれは阿武隈川の一部であり流路が変わりそこに昔の古川が残った
それで川原とつく地名がその周辺に残っている、でもそれが広いので驚くのである
それは阿武隈川は大きいからそうなる

つまり地理を見る時必ず原初の状態から見なければならないのである
その地の利によって歴史が形成されてゆくからである、だから土砂が積まれてその上に舘が作られたということもなかなかこの辺ではイメージできない、なぜなら浜通りには大きな川がないからである
川を知るという時、上流から下流から全部知ることは容易ではない、阿武隈川となると大きいから余計にそうなる

なぜ今回こんなに阿武隈川で被害があったのか?
それは今だけではないここは川のカルマがあった場所だったからだとなる
カルマとはその地形が造りだしてそれがカルマとなり繰り返して現れることである
人間だと必ず苦しみとなって現れるのがカルマである
だから阿武隈川は何回も氾濫してきたのだからそれは特別なこと一回限りのこどではなかったのである

阿武隈川のように大きいとその影響が大きい、その流域も広いのである、それで阿武隈川に古川が残っているがそれは阿武隈川の一部だった、それがいまにも残っていてその流域に川原とつく地名が残っている
歴史はその川から作れていた、そこに土砂が流れて積まれて微高地になり館が作られて人が住んだとなる
そしてその周りが湿地帯であり埋め立てて田んぼにしたりしたのである
川で洪水があってもそこは生活にいい場所となっていたのである



阿武隈川水系の流域及び河川の概要(国土交通省ー河川局)
https://www.mlit.go.jp/river/shinngikai_blog/shaseishin/kasenbunkakai/
shouiinkai/kihonhoushin/031128/pdf/e4-1.pdf

abmaplong1.jpg

abukumaflowww1.JPG
  舘矢間とは丸森町である、ここの流量が多いのは下流域になり阿武隈川の水が集まるからである
  丸森町に阿武隈川の水量が集まり角田まで広く浸水した
  他にも土砂が裏山から流れて来たとかあった

  この地図で注目すべきは福島市と伊達市と丸森町と角田市の流域の土地が低くなっていることである
  でも福島市に被害がないのはなぜか?岩沼市と同じように河川改修して堤防を強化したためか?
  何か理由はある



阿武隈川は、上流域の白河盆地を過ぎた付近から北向きに流れを変え台風の進路と同じ方向となるため、台風の北上と流出量の増加が重なり、狭窄部による影響と相まって洪水の発生しやすい地形となっていることから過去たびたび甚大な洪水被害を受けてきた。阿武隈川の洪水に関する最古の記録は「カンジュウシの洪水」と言い伝えられてきた平安時代(寛治かんじ4年)の洪水がある。狭窄部においては、古くは天和てんな二年(1682年)から水害の記録が残っている。


各平野部内では変流・乱流を極め、洪水のたびに流路が変わるような状態で、河道の屈曲が甚だしい。特に郡山地区や福島地区の氾濫原は、再々度にわたる大氾濫で形成されている。福島北部から梁川にかけての氾濫原は、広いところで 6km に達する幅を持ち、その中には無数の旧川跡をたどることができる。

この論文は読み応えがある、詳しく阿武隈川を分析している、ただ今回は岩沼では被害がない、岩沼でぱ過去に二回くらい堤防が決壊して浸水している、今回はなぜ被害がなかったのか?おそらく河川改修と堤防の強化が行われた結果なのかとなる
岩沼の堤防は大きいし高いからそうなのかと思った、そこを歩いたことがあるからだ
堤防が貧弱だと決壊しやすいのである、相馬市の宇多川の堤防が決壊したのは明治に改修されたとあってもその後なかったのかもしれない、道を作ったとかあるが堤防そのものは改修していないのかもしれない、それで決壊したとなる

とにかく阿武隈川は長く広いのである、だから流域も広い、6キロもあるとすると広い、だから一旦洪水になったら今回のように広い範囲が被害になる、川を流れる水の量も膨大だからである
学問の基本が地理だという時、その地理を風土をどう理解するのかむずかしいものとなる
阿武隈川が中通りで台風の通り道になりやすいというとき今回二つの台風がそうだったのである
中通りの阿武隈川にそって上ってきて被害になったのである、そういうふうに台風の進路も規則的になる場合がある
それで被害が大きくなったのである

この論文で注目したのが地図を見たら土地の高低がマークしていて福島市ー伊達市ー角田と土地が低くなっていた
そして丸森町でも角田市と同じく低い土地になっている
するとこの辺が水がたまりやすい、水があふれると低地に集まり安いのである
それで湖のうよになってしまうのである、だから福島盆地が湖だったというとき阿武隈川が氾濫して湖のようになったからだとなる
縄文人は川の周辺に住んでいない、山の方の高い場所に住んでいた
これだけ阿武隈川が氾濫するとなると住めなかったとなる、津波でも縄文人が住んだ場所は津波の来ない場所だった
ただ大きな川になるとその辺が良くわからなくなる

いづれにしろこれだけ大きな川となると河川改修でも堤防を作るのに国家百年の計とかなる
日本はこうして自然災害の戦いを強いられた国だったのである、それは津波でその怖さを知らしめられた
また今回の台風でもそうだったのである、私の家は街で一番低い土地にあり堀からあふれて玄関から中が水浸しになった
水がここに集まるのである、川で行く川の水は絶えずして本の水にあらずである
川の流れも変わり古川とあるのはその名残りである、川も日本の国土が変化しやすい象徴としてあった
日本の風土のカルマとしてあったことを今回の台風は知らしめたのである

abukumarbankkk1.jpg










posted by 老鶯 at 15:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年10月29日

相馬女学校のこと(時代によって変わる教育)


相馬女学校のこと(時代によって変わる教育)

例えば,「良妻賢母」主義を実用知たらしめる「裁縫」は高等女学校では必須の学科目であり,また,伝統的には近世以来の女性の徳目の一つである「婦功」(あるいは「婦工」)の意味が込められていたはずであった
娘を高等女学校へ進学させるような社会層─ 例えばその中核を占めた士族層 ─ にあっては家事や裁縫,料理などの実用知を修めていくことへの動機付けがあまりなかったのではないか。

多くの女学生の放課後,家庭生活での教養や嗜みは,琴曲や点茶などの「遊芸」であったり,英語や数学の「学問」であったりした事実がこれを裏付けている。つまり,彼らは幼少期から家庭で培われた躾によって形成された「実践意識」の水準で,「良妻賢母」主義に異議申し立てをしていたのである。
http://www.seiryo-u.ac.jp/u/education/gakkai/h_ronsyu_pdf/12_2/04_inoue.pdf

私がなぎなたを始めたのは女学校に通っている頃でした。当時、学校の正課、体育の授業の一つになぎなたがあって、面白くてね。先生も東京で勉強をなさった方が教えてくださっていたので、楽しく取り組んでいました

1903年(明治36年)4月 - 中村高等小学校校長の太田宗雄とその他有志により、「四行塾」が開設される。
女子への裁縫教育を目的とした私塾で、修業年限を1年とする。
1905年(明治38年)5月 - 中村町に移管され、「中村町立相馬女学校」に改称。
1907年(明治40年)5月1日 - 相馬郡に移管され、「相馬郡立相馬女子技芸学校」に改 称。修業年限を2年とする。
以後5月1日を創立記念日とする。
1911年(明治44年)3月 - 「福島県相馬実科女学校」(相馬郡立)に改称。修業年限 を4年とする。
1920年(大正9年)4月 -「福島県相馬高等女学校」


裁縫教育を目的とした私塾ということは習いものくらいのものだった、それも一年だからである、次に技芸学校となっているのもそうである
その後はも実科女学校だから実用主義である、それでも明治から始まり大正までさかのぼるというのは古いと思った

水害の状況を調べるために宇多川を下っていったら相馬東高校があった、ここは相馬女学校が基になっていた、これは相馬藩内では一番古い学校なのである
そこでクラブ活動になぎなたがあるとそこの用務員にあって聞いた
そんなものがまだあるのかと思った、弓術なら良くみかけるけどなぎなたはあまりももう聞かないだろう
明治となると江戸時代の継続がまだあった、だから第一明治維新で侍がいなくなったとき教師になる侍が多かったことでもわかる
なぜなら士族はすでに家庭で独自の教育をしていたからである
するとどうしても士族の教育が学校にも持ち込まれるのが自然である
つまり人間は全く新しいことはできない、必ず前の時代の継続なのである
だからこそ天皇制によって復古によって明治維新が成されたのである

たただ論文で裁縫のことを語り相馬女学校も裁縫教育から始まったとしている
その後も実用主義である、でもなぜ士族の子はそういうことになじまないというとき
何かそういうことは家でしてくれる使用人がいたからなのかとなる
裁縫を第一とするものに反発するものが芽生えていたとなる
それは女子が今までのただ結婚するということを目的とした花嫁修業とかに反発する新しい女性の芽生えだったのかもしれない
とにかく相馬女学校を出たとなるとそれだけ女性として格が高いものになっていた
女性としてのエリートだったのである、というのはまず女学校には入れない、金がかかるから入れない、それで私の姉は女学校に入りたかったと悔しがっていたのである
なぜなら頭が良かったし体力とか他の優れていたからである
だから学校は一番だったしマラソンでも一番になっていたかとなっていた
その後看護師の免許も東京でとった、それもなかなかできないことだったのである

そして飯館村の大倉に行ったら私は相馬女学校でたのよというばあちゃんがいた
つまり相馬女学校出たということは特別でありだからそれを自慢したかったのだろう
どうして大倉から相馬女学校に入ることができたのか、これもおそらく山では木材が売れて金になった時代だったからだとなる
その人は親戚の家から鹿島から相馬の女学校に通ったという
明治以降になると学校ができても必ずしもみんな入れない時代であった
字が書けない女性がいていつも人に頼んでいた、それで気がひけていたという人を知っている、ある人は子守りして学校に行けず小説読んで字を覚えたという大正生まれの人もいる、学校にまともに行けない人が結構いたのである

それは今の発展途上国をみればわかる、ネパールとかでは第一書くものボールペンすらないからボールペンをくれとなる
今でも裸足で歩いている人がいる国でありそういう国もまだ世界にはある
そういう時代が学校というのが貴重なものであり知識を得る唯一の手段だったのである
だから学校が重要な意味をもっていたのである
でもその後学校も社会の変遷とともに姿を変えた、あらゆるものが時代の変化にともない変わる、もうすでに団塊の世代から学校に対して不満が大きくなっていた
学生運動でも実際は大学の不満から生まれた面があった
マンモス大学となりまともな授業がないのが私立だったからである
1000人とか一つの講堂で授業するのだから学問に興味を失ったのである
そして文系となると本当に大学は遊びの場でしかなかった
毎日麻雀しているものとか授業に出ないことが自慢だったのだから変だったのである

つまり大学というのは高校とまるで違ったものであり独学する場所だったのである
何か知りたいことを独学する場所だったのである
そうなれば別に大学に行かなくてもいいともなる
ただ当時はそういう環境が整っていなかったのである
まだまだ教育環境は貧弱だったからである

それがインタ−ネット時代になると本当に独学できる、こうして学者の論文を読めるしいくらでも本が安くアマゾンで買える、すると非常に見識が幅広いものなる
それはAIのビッグデーターの思考方法と同じである
膨大な知識を集めてそれを編集するようなことをしているとそれは新たな創造物になるのである、自分はそれをしているのである
集合知ということがそうである
だから今の時代はインタ−ネットをしないと相当に遅れる、学校というのも知識の面ではもう時代遅れなる、youtubeでは優秀な先生が実際に教えているからである
すると学校で教えられるよりも理解が早くなるのである

教育も変わり目にきている、第一学校とか先生の役割も低くなる
なぜなら知識が自由化して膨大化しているからである、学校という閉じられた空間で学ぶだけの時代が確実に終わったからである
すでに学校は前時代の遺物のようになってしまうもしれない、そこにいろいろな問題が生まれてもう持続できなくなる
結局何でもその時代の反映としてあり学校も教育も同じなのである
でも相馬東高校が400人いてクラスが35名とかなると違ってくる、それは中学校でも同じである、一クラス30名だといっていた、団塊の世代だと50名くらいいたからである、少子高齢化時代は少数精兵主義にならざるうえないのである
教育でもそうである、世界に伍してゆくにはそうならざるをえない
そうして教育自体も変革を迫られているのである

私は学校とか集団になじめなかった、結局人間は自己開発しないかぎり何か身につかない何か求めるものがないかぎり何かを強制しても身につかないのである
信仰にしても求めよさらば与えられんとうなると求めないもの絶対に信仰が何であるのかその精華を得ることはできない、そもそも求めていないからである
学問でも何か強く求めるもの問うもの学びたいものがあれば雑学でも得ることがある
それで自分の場合は全国を旅行して地名に興味をもち地理に興味をもったとなる
だから学校を出てからの方が勉強するようになったとなる

どうしても学校では真剣な課題をもつことができないが社会に出る否応にも真剣な課題に直面するからだ
それには命がかかってくる、知らないと大損したり命まで失うから学ばないで得られくななる、でも学校だというそういう真剣に学ぶということがないのである
そうして時間の無駄になる、ただ人間は何でも経験である
例え間違ったとしても経験することの方が知識より先になる
学問はそうした社会での様々な問題に直面してから本物になる
それは津浪とか原発事故とか今回の洪水の問題でもそうなのである
どうしてそうなったのかとかその問題を解決するにはどうしたらいいのかとかそれは命にかかわるものとして解答を出すことを要求されているからである

posted by 老鶯 at 09:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育心理学など

2019年10月28日

相馬市の洪水被害ー増子議員来る(2) (小泉川など小河川がすべて氾濫―宇多川は一部決壊)



相馬市の洪水被害ー増子議員来る(2)

(小泉川など小河川がすべて氾濫―宇多川は一部決壊)



相馬市の道の駅から日立木の入口の川から相馬市街へ行く道の川の氾濫

roadstation1.jpg
これは台風21号の被害である

seven111.jpg

nittakiriver2.jpg
これも台風21号の被害

somasmallriver3.jpg


小泉川の氾濫

koizumi5.jpg
これも台風21号の被害

kokudokoyudd66.jpg

koizumiriverside555.jpg

koizumiriver55.jpg




宇多川堤防の決壊(台風19号の被害)

udagawaaaa4.jpg
udateboubbbb6.jpg

かなり大きく決壊した

waterover666.jpg
水につかった所

rivermeiji7.jpg

明治時代に河川改修した宇多川の記念碑

udariverhi8.jpg

これは昭和45年に道を直したとある

堤防を改修したのとは違うのだろう

でも明治に土手を作ったとか改修したとかなると古いもである

その頃から堤防は作り改修していたのである


somakolzumirrrrr7777.jpg

宇多川が決壊して小泉川があふれて両方から水が来たから被害が大きくなった
津浪の時その水の流れ方が一方的ではない、水は複雑な流れ方をするのである
だから小河川が意外と危険だと今回は知ったのである
堤防も低いからどうしてもあふれやすいのである

台風21号でも水があふれたらしい、でも両方から水があふれたというのは台風21号の時である

somakoizumiwada1.jpg

下流の和田地区で小泉川が氾濫した

それは台風21号であり台風号の方が被害が大きくなった
水位高くなったところがある
台風19号と21号の二重に被害があった人もいた
そして小泉川の氾濫では21号の方の被害が大きかった
宇多川は21号では氾濫していない

koizumiudar2.jpg


相馬市の道の駅によったがその隣のセブンエレブンからさらに六号線の道路へと水があふれた
その水が日下石川の水だった、ええ、あんな小さな水がこんなにあふれたのと驚いた
次に日立木に家並みに入る所にも小さな川がある、そこもあふれた

次に相馬市の鉄道を横ぎる手前の小川でもあふれた、床上まで浸水した所もあった
あんなところで床上浸水になったという驚きである

そして小泉川はこの三つより大きいのである、でもたいした川でなかったと思ったが
この川は前の三つより大きいからかなり被害があった
今回の洪水の特徴は小河川の氾濫にあった
宇多川が決壊して小泉川があふれたから両方から水が来たのである
結果的に広範囲に浸水した

一番被害の大きかった北飯淵も両方から水があふれて被害になった
相馬東高校があるがそこも床上浸水になったのである
宇多川は一部決壊したことでその水が北飯淵に流れたからそこが床上浸水になった所が多い、駅の方に水が流れたという時、どういうことになったのか?

とにかく決壊した部分から大量の水が流れたのである
小泉川の岸辺で増子議員とあった、国土交通省の人と話していた、その人たちは姫路から来ていたのである
なんでも激甚災害にするとか言っていた、金は出すとか言っていた
議員にはあったことがないから意外だった、そこに菓子屋の船橋屋がいた
後援会長しているとかで案内していた

そして堤防のことで国土交通省の人と話したが宇多川の決壊した堤防は明治に河川改修したとかの碑があったと古いから決壊したのかと聞いたらそうではないという
明治でも粘土とか使いかえって頑丈にしていたという
そういうものかとも思った、現代の方が格段に技術が進んでいると思ったが明治でも頑丈な堤防を作っていたことに驚く
信玄堤は今でも通用しているからそういうこともあっても不思議ではない

つまり昔作ったものがすべて現代より劣っているともならない
第一エジプトのピラミッドは非常に優れた建築物であり現代では作れないことでもわかるどうして計算して作ったのか解明できないのである
だから技術が後退するということもあるのかもしれない
日本建築でも法隆寺とかは優れたものだからである

今日は宇多川の北飯淵とかは行ったことがなかった
その辺をはじめて見てその土地を知ることになる
ただ相馬東高校があそこに建てたの河岸であり広い土地があったからである
あれは長野市の新幹線車両基地も市街から離れた元は湿地帯のような所に作ったのと同じである
広い土地がないからあそこに作ったのである、相馬東高校は相馬女子高校が基になっている
その校舎は市街にある

何かこうして津波の時もそうだが洪水とかあるとその土地の知らないことを知ることになる、郷土史として理解を深めることになる
ただ被害にあっているのだから物見遊山では嫌がられる
ただ津波の被害とは違ってそれほどにも見えないから今回は気楽にともならないが書けるもう丸森町は津浪と同じでありそこには当分行けない
ただどういう状態かどうしてそうなったのか知りたいとはなるが当分は無理である
とにかく今回の洪水は小河川が意外と怖い曲者だと知った
そうした小河川は土手がないからあふれやすいのである
それが盲点となって被害になったのである

posted by 老鶯 at 18:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年10月27日

悪い病気でも死なない人の謎 (社会的役割があることの大事ー何もしないと認知症になる)


悪い病気でも死なない人の謎

(社会的役割があることの大事ー何もしないと認知症になる)


医療が進歩しているから今やいろんな病気でも簡単には死なないのだろう
その人は病気と聞いてから5年以上それより長く普通に働いている
そして街に自転車屋が一軒しかないからもしそこがなくなると不便になる
それで古くなった自転車を無料でひきとってもらった
それは高価だったが使えなくてなんにもならなかった自転車だった

ただそれなりに商売できるからつづけいるのだろう
あまりに収入が低くかったらできない
その人は話ができる、ただ自転車の技術屋ではないのである
良く職人気質とかいうときただ物つくり一筋に励んでそれを売るということでは商売では愛想が悪いという人がいる
そこが一人で経営していることのむずかしさである
大工さんでも本当に話がうまいというか商売に向いている人がいた
その人は自ら注文をとる一人親方だったのである
そういう人はいるにしてもみんながそうはならない
自転車屋はただ自転車だけを見ていては商売にならない、客との交渉とかあるからだ

その店は時々休むにしてもなぜそんなに長くつづくのか?
それはその仕事をすることに役割がある、その仕事をする人がいなと困る
町に一つしかないとそれは貴重になる
隣市に行くと不便なにるからだ、するとそういう気持ちがその仕事をしている人に反映するのかもしれない、それで病気でも仕事が続けられるとなっているのか?
休む時は点滴しているというから結構病状はいいとはいえないのである

ここは謎ではあるが認知症の場合は確実にあてはまる
認知症も謎だけどどうしてなるのか?それを前にも書いたけど役割喪失であり仕事がなくなることなのである
一人は家事を94歳までしていた、働き詰めだったし趣味もなにもない
でも94歳まで家事の仕事をしていたのである
一人は役所を定年退職してなにもしなくなった、家事すらしない、用意されるからしない結果的に認知症になった

仕事がない、役割がないは認知症になる確率が高い

これは原因はわからないにしてもその確率が高くなる
仕事がない、役割がないということは人間にとって相当に深刻なのである
何もしなくてもいいのだから楽でいいのではないかとなるがそうではない
それは人間にとって深刻な問題を引き起こすのである
それがボケになり認知症になることに通じていたからである

たから嫁にばあちゃんは何もしなくていいですよ、テレビでも見ていてくださいと言われる老人がぼけるというのがそうである
つまり家でも家事をすることがないからである、でももし料理が上手なら料理を嫁に教えたりしていたらそういうことはない、でもそれはみんなができることではない
何故か家事をしてみると料理でもこまかいのである、いろいろ種類をそろえねばならないから手間だなとりほとんど買っているだけである
人間はいろいろなことを一人ではできないのである

だから人生百年時代の大きな問題は金もある、これも深刻だけど会社を退職したりするとそこで役割を失う、仕事を失うことが深刻なのである
そして会社を退職すると「ばあちゃんはテレビでも見ていてくださ」と男でもされるのである、ボランティアにしてもそれを受け入れる場所はない、地域でもない
すると仕事がない役割がない、生きがいがないとなることが深刻なのである
高齢化社会はそういう人が社会にあふれる時代だともなる
高齢者の役割は何か?病気になり病院に行くことであり介護されるだけだとなる

しかしそれは社会的費用が膨大にかかる、労力もかかるのである
認知症患者が800万人になるというとき空恐ろしいものとなる
社会を認知症の患者が徘徊して彷徨うとなると悪夢だとなる
人生百年時代になると会社人生だけではなんライフワークとかをもつ必要がある
雑学でもいい何か専門をもち認められるように努力することが必要になる
そうしないと会社を退職した時点で仕事もなく、役割もなく、生きがいもないとなり
認知症になりやすいから怖いのである

働くということはWORKすることであり機能することである、社会的にもその人が機能する
役割をもち社会に機能することである、そこに生きがいが生まれる
ただ社会に機能しなくてもアウトサイダーのように別個の価値を追求することもあり売るただこれはかなりむずかしい、だから簡単なことでも何か社会に機能する仕事が必要なのである
女性ならやはり家事を続けるとかでもいい、家の中でも機能する、役割を喪失させると認知症になる危険が高まる
それは今度は周りに迷惑をかけるから家族も崩壊するようになるから家族の人も認知症にならないように注意しないといけない
何か役割を与えるようにしないと危険になる

とにかく人生百年時代は人類でも経験していないことである
だからそこに様々な問題が起きて来る、経済的問題も深刻だけど社会から無用化されて
家でも無用化されて何の役割も生きがいもないとなりボケになり認知症になる
それも高齢化社会の大きな深刻な問題なのである

自分の場合は性格的に内面的な仕事に向いている、外面的な人と接する仕事には向いていない、それで社会と適合できずに社会からはずれた生活をしてきたのである
でも社会的生活も有益である、無駄ではない
結局人間が経験するのはわずかだからである、するとなんでも経験したことが貴重になる個人では限られたことしか経験できないからである
でも仕事は積み重ねである、知識でもそうである、だから退職してから何かはじめようとすると困難になる
ただ人生百年となるとそこからでも自らにあったものを仕事とか役割をもたなければならない時代になった、そうしないと認知症になるリスクが高くなるからである

もしかしたらその人が社会に役割があり家族でも役割があるとき死なないのかもしれない役割も仕事もなくなった時その人は認知症になったり病気になったりして社会的家族的死になる、その時その人はもうすでに社会から忘れられたものとなっていたのである
その人がいるかもとうかもわからない、社会から消えるのである
社会的死になっていた、そして後は大迷惑かけるだけの存在になってしまったのである
そういう認知症が800百万にになるのが高齢化社会でもあるとしたら空恐ろしいとならないか?医療費ももう限界にきている、介護も人がいない、貧乏社会になり介護費用も払えない、その負担が今のロスジェネ世代なのである
その人たちは金銭的にも余裕がないからだ
そういう悪夢の時代が現実化するのがもうすぐだという恐怖になる

ただいい面としてはそれだけ長く生きると何かをライフワークを追求するのには有利になる、急ぐ必要がないからである、成果を出すのは七十以上てもいいとかなるからだ
その後でも精進つづけられるからである、何か本当に学問とか芸術とかでも知識の分野は一代でも追求しきれないものがあるからだ
それだけ知識の分野は広いからである、それでそういう分野では才能を発揮できる人が増えてくる、インタ−ネットなどでも独学でもできる環境が整ってきたからである
それで自分自身もこんなにプログで書いているのである
文章だと書ける、しゃべるとなると私は苦手だからできない、それでこんなに書いているのである


2019年10月26日

新田川の越水、また一部決壊の場所 (支流が交わる場所の危険)


新田川の越水、また一部決壊の場所

(支流が交わる場所の危険)

overflow1.jpg


nidagawaaa2.jpg
クリック拡大

nishidono44.jpg
台風19号で西殿に水があふれる

mizunashikawa66.jpg
nidagawaabank4.jpg

ogawahashi3.jpg
小川橋より水無川を見る



小島田から六号線の塩崎方面

oshimada5.jpg

oshimada66.jpg
小さな川でも水があふれる 鹿島区で低い場だから水集まり安い


西殿で新田川と水無川が交わる場所の所の堤防が連続して三か所くらい越水して土手が削られていた
あそこが今回一番危険だった、この写真は台風19号のものであり台風21号とは違っている
でもこの水無川の上流が高の倉ダムでありそれが昨日は放流したのである
それで避難指示がでた、高の倉ダムは小さなダムでありあふれやすい

相馬市の宇多川の上流の松が房ダムも小さいから満水になりやすい
そういうダムは大雨になると放流するからそれで被害にあったところがある
ダムは必ずしも治水にいいともならないのである

今回わかったことは西殿の水無川と新田川の交わるところが危険でありその土手を頑丈にする必要が迫られた、ここの土手は相当に頑丈にしないと危険である
何か今回は小さな細い川でも支流でも危険なことがわかった
小川町とあり小川橋とある水無川でも土手すれすれに水が流れた
あれもあふれたら家が密集している街内になるから危険だった

ただ真野川は今回はそれほど増水していないのに避難指示になったのは過剰防衛になった避難を警告するにしても広い範囲だと対処できない
今回は新田川と水無川が危険だった
だから高の倉ダムを放流するというとき周辺では避難すべきだとなったが真野川は避難指示を出すような状態ではなかったのである

いづれにしろダムだけで洪水は防げない、かえって大雨ですぐ満水になり放流するとなるとかえって危険にもなる
日本はつくづく水害の国だった、津波でもそうだし洪水もそうだし海に囲まれているし
水が山から急流となって土砂を運んだり山崩れが必ずある風土であり地形だったのである

posted by 老鶯 at 20:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

常磐線は午前中は山下ー原ノ町間運休ー東北線も一部運休 (線路工事のユニオンの列車来る)



常磐線は午前中は山下ー原ノ町間運休ー東北線も一部運休

(線路工事のユニオンの列車来る)


jiobnlinestop.jpg



trainunion111.JPG

大型保線機械による線路整備工事乗り心地の良い線路状態にするために、
夜間に終電から始発までの限られた時間で、大型保線機械により、線路の不陸をミリ単位で修繕しています。

jrunion3333.jpg

uniontrain44.jpg

jruniontrain2.jpg


山下ー原ノ町間は運休、他にも東北線でも運休とか遅れとかある
そして引き込み線に来ていたのは線路工事用のユニオン建設の列車である
こればなかなか見れないだろう

何か常磐線が来年双葉とか大熊とか富岡とかが不通になっているのが開通するので
その工事のために来ているのだろう
まずこういうものはなかなか来ないからである
それでまだある引き込み線が使える、必要だったとなる

駅前の花壇は美しくしてある、これはなかなかいい
ただ案内板のところは荒れている
花壇の手入れも手間になるのである
とにかく台風が去った、一騒ぎだった
最近は駅の方で何かすることがない、ときどき外から来た人と話していたがそれもしていない、でも何か変化があるとき報告する

stationrose11.jpg

2019年10月25日

南相馬市真野川流域に避難指示! (自分の家に水が流れ込んできた-真野川はまだ安全)




南相馬市真野川流域に避難指示!

(自分の家に水が流れ込んできた-真野川はまだ安全)

somakeikoku111.JPG


南相馬市でも広い、川もいくつもある、せめて新田川とか真野川とか大きな川の状態を知らせるべき
地点で地点で避難するかどかは違ってくる
夜は避難しにくいから大きな範囲で避難指示を出されると困る
新田川は決壊箇所があるから真野川より危険なことは確かである

南相馬市の高の倉ダムが放流開始 流域の周辺自治体からの情報に注意

takakuradamu1.jpg
クリック拡大

新田川に高の倉ダムから水無川へ流れる

その水が西殿の越水した新田川の堤防の所に流れる
これは危険かもしれない
まだ修復されていないからだ
決壊した堤防もあったからだ

福島 南相馬の新田川が氾濫危険水位に

福島県と福島地方気象台によりますと、南相馬市を流れる新田川は、午後8時ごろ、洪水のおそれがある「氾濫危険水位」に達しました。

県と気象台は南相馬市の流域では、堤防が決壊して氾濫したり、浸水するおそれがあるとして、午後8時20分に「氾濫危険情報」を出して適切な防災行動をとるよう呼びかけています。





floodhouse11.jpg

消防車が真野川流域に避難指示がでたと回っている
自分の家の玄関から水が入り込んできて床下浸水になった
ここは街で一番低いから水が集まる

ただ真野川が水嵩がましたとは思えない
消防車もその危険は言っていない
ただ暗いから水は見にくいと思った

水につかって歩いた、水が堀からかあふれて自分の家に流れ込んでいる
ただ雨は小降りになっている
だから真野川は決壊とか越水しない限り床上浸水にはならない

でもなぜここで避難指示を出したのか?

避難勧告ならわかるが指示となれば強制的に避難しなければなくなる
ただ消防車では二階に避難して安全を計ってくださいとは言っている
前は近くの土手が越水して床上浸水になった、だか真野川が越水したりしなければ
床上浸水にはならない、だから台風19号で決壊した所は危険になっている

雨は小降りになっているから床下浸水で終わるだろう
真野川は越水していないしこの辺では崩れてもいないから安心はしている
ただ夜は様子がわからないから危険だと思った
避難する途中で危険な目にあう、だから夜は簡単に避難できないのである

玄関から入った水はひいた

一時的なものだった、台風19でも水は入ってきた
でも今回と同じだった

ここは被害はないだろう

22時51分アップ


posted by 老鶯 at 22:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

自然は人間の力で制御できない (行く川の流れを止めることはできない、自然は常に変化している)


自然は人間の力で制御できない

(行く川の流れを止めることはできない、自然は常に変化している)

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり
(方丈記ー鴎長明)

日本の風土はこれだったのである、本の水にあらずというとき水ほど千変万化なものがないのである
だから水は制御できないものだったのである

戦後の河川事業は、自然としての河川の自由を奪い過ぎた、河川は本来ときには手足を伸ばしして氾濫したいという強い意志を持っている、放水路は洪水を無理やりに一つの河道におしこめず、洪水のエネルギーを分散させることによって川の自由を保証しているのである
遊水地も同じく河道に閉じ込める不自由から洪水の一部ただ一時的にゆっくり遊べる自由を河川に与えているのである(川と国土の危機ー高橋治)

人間が作る文明というのは常に自然に逆らうものだった、自然を利用するにしろ人工化する、津波でもそうだったけどもともと人間が住むべきでない所に家が密集しすぎたのである、伊勢湾台風で5000人死んだのも名古屋が都市化が拡大化して被害になった
今回の千曲川の氾濫でもそうだった、長野市でも千曲川沿いに家が密集したのである
そこは湿地帯とかになっていた所である
そこがリンゴの果樹園になったとき本来は千曲川の流域でありそういうものはなかった
リンゴを作ることで人が住むようになった

自然に対処する時、人間は自然を制御しようとする、川なら川の道を作りあふれないように土手を作る、そして土手を頑丈にすればいいとかまた水の流れをせき止めるダムを作ればいいとなる
ところがそれで水は制御できない、水は本当に津波をみればわかるように空恐ろしいものだったのである、そのエネルギーは想像を越えたものとして襲ってきたのである
人間は文明が発達すると自然を征服できる、制御できるという思想になる
それが結局これほど文明が発達してもできなかった
こんかいの洪水でもろくも崩れさったのである

そして治水というとき堤防とかダムに注目するが水の勢いは制御できない、とめられないという視点から水を治めるということに力を注がないのである
信玄堤そういうことではない、水の力を弱める自然に逆らわない手段をとって今でも効果がありつづけていることでもわかる
水は堤防とかダムだけでは治めきれない、自然の力がありそれを治めようとしてできない水は本当に自由なのである、どんな隙間にも入ってゆくし変幻自在なのである
だからそれを人工的に制御する思想が間違っているとなる

川でも海でもそうだったようにそれは自然であるからとても人間の力でぱ制御できないものとして対策するのがいいとなる
いくら水に対抗してもどこかに穴がありそこから自由な水は流れ込み制御できない
自然の力と大きさに負けしまうのである
何か常に人為的な人工的なものを嘲笑うかのように必ず破られて被害にあうのである

まず水を川を制御するにはとても堤防とかダムだけに頼ってはできない、ダムでも制限を越えると放流せねばならずかえってそうして被害になった
ダムだけに頼るのは危険である、ダムは万能ではないのである
そもそも脱ダムの思想が悪いわけではなかった
川をせき止めることは自然なことではない、自然に逆らうことだからである
そこになんらか自然に影響して人間に影響してくるのである

文明はもともと自然に逆らうことである、そこからして様々な問題が生まれて来た
その延長として核があり原発があった
人為的に核を操作することも自然に逆らうことであり科学者自体そんなことすべきでなかったと反省している、それはだいそれたことだったのである
それでとりかえしのつかないことになったのである
だから遺伝子操作などもどうなるかわからない危険が潜んでいるのだ
もし人間は神のように万能ならできるがそうでないから危険なのである
人間は万能でないから必ず必ず人工的なものでも事故が起きる、もし万能なら核を操作してもいいがそうでないから破滅的な事故になったのである

今回の洪水でも川だけみていてもわからない、山を見たり様々な視点が必要になるが人間は全体を見れないから常に過ちを犯すのである
専門家がいたして一部しか見れない、かえって専門家が危険なのは一部だけにこだわるからである、俯瞰して全体を見れる人はいないのである
長野市の新幹線の車両基地で車両が使えなくなって大損害を出したのもそうである
なぜ事前に地元の人とかもっと科学者とかに意見を聞かなかったのか?
それは原発の立地問題でも同じだったのである
ただ科学者が無能かというとそうではない、優秀だった、十数メートルの津波が来るから危険だと警告していたからである

車両基地はハザードマップで危険地帯であり洪水の危険がある地帯だったことでもそうである、しかしそれをJRの幹部は考慮しなかっただけなのである
ただそこがそうでも事前に避難させることは簡単だったのである
相馬市の松川浦ではあれだけの被害があったのに船にはほとんど被害がなかった
なぜなら津波が来たら沖に船を出せと言われていたからである
それはどこでも港では衆知していたのである

ただ本当に自然は人間の盲点をついてくると思った、自然に人間は完全に対処などできないのである、自然は全体であり人間を越えたものだからである
そこに人間側のいろいろな問題があり対処できないのである
そこには科学的技術だけではない、理系だけではない、人間側の経済問題とかコストとか金がかかわり歪められるのである、だから社会問題として災害があるというのもわかる
理系と文系とか越えたものとして自然災害があり対処しなければならなくなっていたのである

自然は常に変化して本の水ではない、本の川でもない、本の海でもない、本の山でもない変化しないよう見えても常に生き物だから活動して変化しているのである
百年単位でもそうだし千年単位万年単位で億年単位で人間は変わるのである
人間はいくら百年生きていてもじかに経験することは短いのである
そして何か30年くらいすぎる忘れるのである
30年前くらいにに私の家で床上浸水があった、その30年前以上でもその時は私の家は街で一番低い所にあり家が流されるほどの被害があった
でもそういうことが忘れてしまう、だから災害は忘れたころにやってくるというのが名言になっているのである

とにかく日本人の思想というか感覚はこうして絶えまなく自然災害があり被害があることから起きてきたのだなとつくづく思った、これほど自然災害にいためつけられる国はポかにないと思った、家が常に流されたり土砂崩れで壊されたり地震で壊されたり津波で流されてなくなる国だったのである
それで一番恐怖だったのは津波だったのである、一軒の家ではない、村自体が消失してしまったからである、だから空恐ろしいものだった
その後も洪水でこんなに被害があった、福島県は呪われているのかとも思う
ただ不思議なのは会津の方に被害がないのである
中通りと浜通りは津波と原発と洪水の三重苦になっている、これもどうしてなのだろうとなる、何かカルマがなるのか?ただの自然現象なのか?
何かそれだけではないものを感じてしまう、それはあまりに自然災害でも人間側に責任があるのかとも見るからである

水の流れは絶えずしていというとき水は流動してとまらないものである、一時的ダムに貯めたとしてもそこにいつまでも収まっていいない、必ず水は自由をもとめてあふれ出してくるのである、溜池でもあふれて被害があったからである
水をためることはこれも自然ではない、自然に逆らう行為だからである
つまり水は自由に流れさせて治めるのがいいというのもそのためである
実際に溜池を巨大化したのかダムだからである
ただ被害となれば溜池の方が少ないのである、水の量が少ないからである
ダムは大きいからいいようでも限界を越えて放流する時、被害があったように危険になるだから水の流れをそもそもとめることができないのである
そして水は本の水ではないのである、川も本の川ではない、自然は長い年月で見れば常に変化しているのである、自然自体が変化の故に今の姿がありまた変わるものとしてある
結局この世に固定しているものはない、動かない山でも岩でも変化する
地震があり津浪があり岩でも流されるし山でも噴火して形を変えるし変わらないものがないとなる、それが日本では極端なものとして現れる風土だったのである

chikumahoyasu1.jpg



ここがわかりやすい、反論があるにしても実際に知事をしていたから語られるのである
何かこの人は小説家だから科学技術とか土木事業とかにかかわる
知事とかまた市長とか町長でも全体を見る人なのである
だから専門家とも違う、全体を見て指揮する人なのである、だからそういう地位につくことは責任もあるし
何かビジョンをもつとかにもなる、だから知事とか市町村長でも具体的に地域に実行力がある
だからここでも全体を見る作業のである、それが知事の仕事だったのである
それでこれだけ説明できるのである、ここに反論があってもやはりこうして独自で十分に言いたいことが言えるのがインタ−ネットだからいいのである、理解がマスコミに出るときより深まるのである

posted by 老鶯 at 21:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年10月24日

天皇即位の礼の俳句と短歌(天皇は日本の文化を受け継ぐ)


天皇即位の礼の俳句と短歌(天皇は日本の文化を受け継ぐ)

palacewayjp.jpg


天皇の二重橋行く秋柳

秋粛と天皇行きぬ二重橋

令和の世我が年重ね秋柳

秋柳即位の礼の儀式かな

次の代即位の礼や金木犀

次の代即位の礼や秋の虹

松の間に豊の灯りや実りかな

初冠雪富士の嶺仰ぎ即位の礼


松の間に豊の灯りの節会かな大和心のここにはぐくむ

豊の秋天皇迎ふ外国の人そまねきて令和はじまる



古い柳の木が二重橋に映えている写真
https://00m.in/p6UO1


柳の時を越えて 皇居二重橋の柳の風景
https://tegami.club/16982


皇極紀元年十一月の条に「天皇新嘗御(きこしめ)す」、応神記に「天皇豊明(とよあかり)聞し看しし日に」、大嘗祭祝詞に「皇御孫命の大嘗聞食(きこしめさ)む為故に」、続日本紀巻三十の称徳天皇の宣命に「今日は新嘗の猶良比(なほらひ)の豊の明(あかり)聞こしめす日に在り」など多くの用例があります
天皇の御所とかでもこうして古い謂れがあって名付けられていた

応神天皇というと


応神天皇元年1月1日 - 同41年2月15日

時代
古墳時代
摂政
神功皇后
先代
仲哀天皇
神功皇后(摂政であり、女帝説もある)
次代
仁徳天皇

『日本書紀』によれば母后摂政(神功皇后)が崩御した翌年に即位。即位2年3月、仲姫命を立后。子に大鷦鷯尊(仁徳天皇)らがいる。また皇后の姉の高城入姫命との間には大山守皇子らを得た。『日本書紀』によると即位3年10月に「蝦夷をもって厩坂道作らしむ」即位5年8月に「諸国に令して、海人及び山守を定む」、即位7年9月に「高麗人・百済人・任那人・新羅人、並(ならび)に来朝(まうけ)り。時に武内宿禰に命して、即位11年10月に「剣池・軽池(かるのいけ)・鹿垣池(ししかきのいけ)・厩坂池(うまやさかのいけ)を作る」とある。剣池は奈良県橿原市石川町の石川池という
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%9C%E7%A5%9E%E5%A4%A9%E7%9A%87

ともかく応神天皇の代までさかのぼる歴史が豊の灯りでもある
皇室はこうして日本の歴史を保存してきたとも言える
何か応神天皇とか神郷皇后とか仁徳天皇になるとあの巨大な古墳がある
そういう時代にさかのぼる、皇室の意義がそうした歴史と文化の継続を保つことにあったそういう歴史を偲ぶことにある、ただそうした日本の歴史とか文化が継続しにくくなっている

例えば御所があるとして二重橋があるとしてそこは徳川幕府の江戸城があったところである、その城の後に天皇が住むようになった、もともと大きな堀があってそこを渡る橋が
明治以降二重橋となった
そしてテレビで即位の礼を見ていてそれが日本文化のきらびやかな絵巻物に見えたのである
おりしも雨がやんで秋の虹がかかったというのも吉兆だったし日本的だった
そして二重橋の前に柳があった、そこを天皇(すめらぎ)が通る
皇后様も通る、何か日本的な美がそこはかとなく醸し出された儀式だった

東京にはあまりにも煩雑になり高層ビルとかで情緒とか美が消失してしまった
だから行きたくないのである、ただ煉瓦の東京駅から皇居までは何か歴史を感じるのである、でも何か江戸時代が三百年あったとしてその歴史が偲べないのが残念なのである
なんといってもやはり天皇の歴史は京都とともにあったからである
何かやはり歴史というとき百年二百年でも短いとなるのだろうか?
まだあそこに皇居があり天皇が日本の国の象徴としてあることがなじまない
でも江戸城を復活しにくいのは天皇の皇居になってしまったからである

なぜ百万都市の江戸が偲べないのか?それは明治になったときあまりにも変わりすぎた結果である、大名屋敷でもなんでも江戸にあったものが破壊されたからである
それが残念だったのである、ただ江戸城跡の皇居にだけその跡が残ったのだか天皇の住まいとなったとき何かそぐわないとも感じるのである
天皇はもともと京都に住んでいた方がにあっている
なぜなら権力の象徴ではなく日本の文化を体現するものとしてありつづけたからである

だから言葉というのはその背景となるものが失う時活きてこない、皇居には具体的に日本の文化を受け継ぐものが残されていて豊の灯りという言葉応神天皇からあったということに驚くのである
令和とは国風文化の時代になる、だから大和魂は明治以降西欧列強に対抗するために富国強兵になったのである、そして太平洋戦争でそれも尽きた
その後は大和魂ではなく本居宣長のいうように大和心の涵養の時代になるのである
ただテレビだけではその雰囲気は感じられない、ただそれでもあの二重橋とか皇居内の
要人を接待する間は日本文化の伝統を受け継いだものだったのである
つまり日本人はそうした日本の文化を大事にすべきである、それが皇居に受け継がれていたのである

ただ昭和天皇は和歌がうまかったが後の人はそうでもないしそこが残念なのである
やはり短歌とか俳句は日本の伝統であることもこうして俳句にしたとき感じた
その季節にふさわしいものとして日本の風土の変化があり養われてきたものだからである本当に秋柳があり秋の虹がありそして富士山が初冠雪になっていたのである
そういう季節と密接にかかわり演出されたので天皇は日本の文化の象徴だと見たのである

即位5年8月に「諸国に令して、海人及び山守を定む」、即位7年9月に「高麗人・百済人・任那人・新羅人、並(ならび)に来朝(まうけ)り。時に武内宿禰に命して、即位11年10月に「剣池・軽池(かるのいけ)・鹿垣池(ししかきのいけ)・厩坂池(うまやさかのいけ)を作る」とある。剣池は奈良県橿原市石川町の石川池という

海人とは綿津見神社系統の安曇族とかのことである、それと対比して山守というとき、山彦である
この時すでに日本は国際的だったのである、なぜか任那人というのもいた、それは伽耶の国に任那が日本府があったとされるからだ、それから剣の池があった
その剣の池に行ったことがある、そこがそれだけ古いし日本書紀にも記されている

剣の池我がはるけくも訪ねきて奈良の都の秋深まりぬ

あの時は名古屋から伊勢から自転車で奈良まで行った、それも遠い日になった
西でも奈良とか京都には三回くらい行った
ただ不思議なのは南相馬市の鹿島区の真野に万葉集の歌が残っている
真野の草原の歌である、これについては延々と書いてきた
そして現実に鉄作りで有名でありその工人が現実に近江の粟田郡に行き来して鉄作りを習得していた、その時代にそんな遠くまで行ったのかとなる

今なら飛行機で大阪まで行き一時間くらいで仙台空港から行ける
新幹線でも遠いから今は仕事の人はみんな仙台空港を利用している
でもそれはつまらないともなる、私は船で名古屋まで行きそれから奈良まで自転車で行ったのである、そういう旅は思い出に残るのである
何度も言うが後で思い出に記憶に残らない旅は時間の無駄だったともなる
旅したことにもならなかったとなるからもったいなかった後で後悔するのである