2017年07月21日

鰻を売りに天秤棒をかつぎ鹿島区の屋形から川俣まで行った人の話(続) (それは本当だった)


鰻を売りに天秤棒をかつぎ鹿島区の屋形から川俣まで行った人の話(続)

(それは本当だった)




うなぎ街道(山陰中央新聞)


この話しには驚いた。五貫目の鰻を天秤棒で八木沢峠を越えて川俣まで売りに行った話を聞いたという。川俣までとなると八木沢峠を越えること自体大変でありそれも天秤棒だとなるとバランスをとるのがむずかしいから余計に重労働になる。坂をのぼるときバランスをとるのが大変だったというからその話はリアルである。五貫目というとこれはかなりの重さである。

百匹にもなるのか?50匹くらいか、それほどの数でないとこれだけの重さにはならないかもしれない、それだけ売れたら大変な金になったからこそ川俣まで売りに行った。川俣では当時高く売れたということである。今でもそうだけどやはりバナナでも売れるのは金持ちの国である。食料品も金持ちの所に流れてゆく、松川浦でとれた魚も東京の方に高く売っていたのと同じである。地元ではかえって食べられなくなっていたのである。

川俣まで鰻を天秤棒で売りに行ったのは川俣が景気が良く高く売れるからだった。そうでなければわざわざそんな遠くに行かないのである。鰻取りは自分の家で思い出がある。父親が明治生まれであり鰻とりを田んぼの畦道などで良くしていたのである。子供のときついて行った。鰻の住んでいる穴を熟知していたりミミズを餌にして微妙に微調整して穴に入れるのがコツである。鰻をとったときはごちそうだった。家族みんなで鰻を料理したのである。その頃の鰻は天然だからうまかったのである。その鰻を川俣で売りに行ったというのは本当に驚きである。

うなぎ街道の記事を見て屋形で明治に川俣までうなぎを売りに行った話は何か信じられなかった、この記事を読んで信じた、全国的にうなぎは売られていたしうなぎは日本では貴重な食料でありエネルギー源であった
うなぎは栄養価が高いからである。地元でも自分の父親だけではなくみんなうなぎをとっていた。川でもとっていた。それはみんな天然ものだからうまかった
ただうなぎ街道となると相当な距離を運んだ、そのために苦しんだ

まず今の時代どうして天秤棒などでかついで川俣まで行けるのかというのが疑問になる
うなぎは水が必要だから水も運ばねばならない八木沢峠になると今でもそうだけど急峻な長い峠道なのである。そこをまず上るとすると容易ではない、天秤棒などかついで行けるのかとなり疑問だった、ただうなぎが屋形とか海老とかではとれた
結構多くとれたことはわかる、それを売りたいということもわかる
川俣は絹織物で栄えていたから金になり売りに行ったというのもわかる
でも本統治天秤棒をかついで八木沢峠を上れるのかとうことが疑問だった

でもこの記事のように他にもそういうことがあるということで信じるということがある
つまりここだけではなくうなぎを売るということは全国的にあったことなのである。
それもかなり不便な所を長い距離があるところを売っていたのである。
大阪まで売っていて出雲のうなぎは有名だったという、江戸時代とかがわかりにくいのは基本的に歩くほか移動できないことである。
川とか海でも船を利用しても基本的に歩くことなのである。
それが実感として理解できなくなっているからそんなことありうるのかとなる

うなぎは夏にはいいが今は中国産でありこのうなぎは何か不安なのである。
薬を使っているとか何を食わせているかわからないとかある、実際あれだけ安いということは何かあるということになる
ともかく過去はそれは実際にあったのか事実だったのかということがまず第一に知ることそれが歴史を学ぶことなのである。
時代劇だってあんなにばたばた人を切れるのかといったらそれは架空の物語である。
水戸黄門とか吉宗とかがバタバタと人を切るけど第一その人がそんなに位が高いと知ったら家来はいくらなんでも切ろうとするだろうか?
そんな危険なことはしないと思う、恐れいってしまうだろう。
それがフィクションであり事実に裏付けされていないからつまらないとなる
そんなハデなことはなかったのである。

第一水戸黄門は日本を旅行したことないというからあれはみんなフィクションなのである
ともかく昔の話でも伝説でも何でもそこに事実をよむことが大事になる
その事実から歴史をたどる、小説はフィクションである。事実を基にしてもフィクションである、それで司馬遼太郎は小説家であり坂本龍馬を英雄にしたてあげたというフィクションを歴史と信じてしてしまう危険がそこにあった。
いづれにしろ川俣まで屋形から天秤棒かついでうなぎを売りに行ったというのは事実である。するとその物語にも重みが生まれのである。

飯館村までの塩の道は実際に残っていた。それも沢の道であり馬一頭がやっと通れる細い道であり一歩あやまると下の谷底に転落する、そんな危険な道をよく行けたともなるがそれが歴史の道として残っている、それも全国的にありそもそもそうした危険の道が人びとは歩いていたのである。
山があっても道を作ることはできないとなるとそうした自然の道、尾根とか沢道を行ったとなる、そういう道はまだ残っているから実感できるのである。

タグ:うなぎ街道
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2017年07月20日

夏の日の平和な田舎駅の風景 (駅と街道の茶店には共通したものがある)


夏の日の平和な田舎駅の風景

(駅と街道の茶店には共通したものがある)


 電車が新地を発車した、電光掲示板の印が動くからわかる、相馬市に着き日立木駅を発車した、私は待っている
一人老人がおりた、高い階段を上り高架の通路をわたりまた階段を下りてくる
ここは意外と老人にとって難儀である、荷物をもつとさらに負担になる
原町方面に行くのはだからちょっと難儀になる
駅にはまだこうして乗り降りするにも不便なことがある
実際にその階段をおりるとき老人が落ちてケガをしたことがあった
エレベーターがあれば便利である。新地駅は小さいけどエレベーターがついた
クーラーも駅舎についている、でもここは自然の風がそよいでくるからかえっていいという面もある、海が近いから風が気持ちいい、クーラーもいいがそうなると自然を感じなくなる、何か便利なものは機械化すると自然から離れるのである。
現代とはそういうことが多い社会である。自然から涼しさを感じなくなる
アスハルトの道が照り返しで10度くらい高くなっている、だから熱中症になりやすいのである。

駅では人を待つ場所でもある、東京とか出た息子や娘でも帰ってくるとき駅にきて車で迎えるにくる、それは再会の場でもある、駅は出会いの場でもある
そういう舞台として駅がある、待っているということは不思議に心高鳴ることである
久しぶりで再会を喜ぶ、親しい愛する人と会う、逆に別れることもある
駅はそうした出会いと別れの場を演出しているのである。
車だとそういうことはない、車を待つといっても電車を待つという感覚が生まれない
急に車が来て急に去ってゆく、そこに人間的出会いと別れがない
突然人間が切れて離れてゆく分断されるともなる
車にはこうした人間的リズムがないのである。そこにキレル人間が生まれのも当然だとなる

田舎の駅では誰かが乗り下りる人を記憶している感覚になる、そういう舞台が用意されている、駅で待つホームに出て待つ、高架の通路をわたり待つ、待つ時間が記憶する時間になっているのだ。
例えば江戸時代の街道の茶屋とかだと歩いてきた人が休む、そしてまた歩いて去ってゆく後ろ姿があり記憶にとどめる、だから茶屋の人はそういう人を覚えている


碑にある子規の俳句は「かけはしの記」から採られており、この句の前に次の文が書かれている。
・・・・・馬籠峠の麓に来る。馬を尋ねれども居らず。詮方なければ草鞋はき直して下り来る人に里数を聞きながら
上りつめたり。此山を越ゆれば木曽30里の峡中を出づるとなん聞くにしばし越し方のみ見返りてなつかしき心地す。

 所在地 新茶屋  中山道の路傍

「桑の実の 木曽路出づれば 穂麦かな 」子規

草枕むすぶまもなきうたたねのゆめおどろかす野路の夕立 長塚節

子規の歩いた道

自転車で木曽街道を行ったから子規の句は実感している、ここでは穂麦となっているが
自分の場合は稲の実りだった

木曽路出て恵那に稲穂や月に寝る

その頃麦畑が結構多かったから子規の場合は麦になっていたのである。
長塚節の歌も旅ではこういう驚くことがあるからうまい表現である

木曽路といえば「送られつ別れつ果ては木曽の秋 芭蕉」が有名である。
これも歩く旅だからこそ送る人送られる人がそういう時間をもったのである。
そういう時間の流れがないのが現代である。
人間と人間の関係が突然にキレルのである。
つまり情を交わす時間がないのである。それは人間だけではない自然に関しても情を交わすというか見る時間がもてないのである。
今は茶店でも自動販売機とか駅でも無人駅化して人がいなくなる
それも人間的なものを失うのである。人件費を省くために自動化はすすむ
そうなると何かやはり欠けたものになる、


景色が変わるというとき歩く旅だったら桑の実から穂麦に変わる田園風景を感じる
桑の実というときその頃桑畑が非常に多かった、農家ではどこでも蚕を飼っていたからである。今でも兜型の屋根は多くこの辺にもあり全国的にもある、特に山の方では残っているのが多い、するとそういう蚕を飼う家がありそこを出たら麦が実る平野に出たとなる
自分の家の後ろでも麦畑があり蚕畑があったから戦後まもなくは江戸時代のつづきだったのである。

これは駅と関係ないようでも旅の駅となると茶店にもなる、それで駅弁があるいうとき茶店ではその土地の名物が売られていたというのも同じなのである。
原町駅では弁当をホームで売っていたからである。震災前も売っていたみたいだ
駅弁というのはまさに土地の料理を出すものだったからにているのである。

茶屋のあった場所は小豆餅、代金を受け取った場所は銭取(ぜにとり)という地名で呼ばれるようになった、遠州鉄道奥山線には小豆餅駅、銭取駅がある。
(静岡「地理・地名・地図」の謎 意外と知らない静岡県の歴史を読み解く!)

つまりここでは街道の物語が駅名として残っている、駅に継続されて駅名として残っていることでも駅がやはり茶屋の役割も今でももっている、継続されているのである。
家康が茶店で銭を払わなかったので茶店の婆さんがおいかけてもらったから銭取となったとかあるが盗賊がいて銭をとられたからだともいう。
この奥山線は1964年に廃止されたからずいぶん昔にあった線だとなる
小豆餅にも古い謂れがあり名物となるしお土産ともなる

ただ茶屋というとき水商売とも関係している、茶屋町が各地にありそこは水商売であり女性が接待する場所になった、駅にも水商売、風俗関係の若い女性が来ていた、若い女性の警察官と話していた、何かマークされていたのか?女性の警察官も南相馬市管内にいたのである。それは一目でわかる恰好をしていた、この辺では外部からまだ原発事故などできている
だから原町に韓国系のバーができたとか言われる、暴力団関係も入ってきて治安が悪くなるということも地元の人が心配したのである。駅にはいろいろな人が出入りしているのである。昔の街道でもそうである。
監視カメラが三台あり振り込め詐欺の人が逮捕されたということもあった、どこでも今は監視カメラがある
駅とは関所の役割も果たしている、なぜなら街への入り口となっているからである。
今はただ高速とかの方が関所にてりやすい、そこでも出入りは監視カメラでチェックされている

インターネットはこうして旅をつづることができる、自分のした旅と重ね合わせてできるでもそこを一回も旅しないとやはりその場所を理解できないのである。

一人の労務者が駅の長いホームのベンチに寝ていた、その人は80歳の老人だったのである。海からの風がそよぎ日影であり涼しい、それは平和な風景だった、その時合歓の花に風がそよぎ咲きゆれていた


合歓の花風にそよぎてゆれにけり駅に一人の男寝てをり

a peaceful time
a man is sleeping
on the long bench
at the station
the flower of the silk tree blooms
in the breeze


2017年07月19日

時代劇も事実を基にしている (相馬藩の新田村のおみかとは実在したのかなの再考?)


時代劇も事実を基にしている

相馬藩の新田村のおみかとは実在したのかなの再考?


飯豊耕土にや 箒はいらぬ
新田、おみかの裾で掃く

こんな歌が残っていること自体、新田は相馬藩の城からもさほど遠くなく古い地だった。
柏崎梅川のお釣り場からの帰りにおみかという娘を見せめて城勤めになったという。
こういう話は他でもいろいろあるから何が本当かわからない、ただこんな歌が残っているのだから
おみかとは実在の娘だったのだろうか?でもなんらか相馬の城の殿様と関係していたのか?
新田という地はそれだけ何か相馬藩の城の殿様と親しい村だったともなるのか?
ただこんな浮ついた話しがあるとすると他の村では面白くないだろう。
そんなことで村が厚遇されたりしたら他の村人は働く気がなくなるだろう。
誰か器量のいい娘を殿様にあづけて楽しようとかなる。相馬藩は貧しいからそんな余裕があったのかということにもなる。ただ別に殿様は当時は側女を多くもつことはとがめられていなかった。ただそれも豊かな藩のことである。
おみかがいて飯豊では働かなくてもいいという戯れ歌が残った
おみかの裾で掃くというのはおみかがいてそのおかげで箒もいらない、楽できるとなる
その反面として他の村では年貢が高くとられて不満があったとなる

最近昔のテレビドラマでも見ている、時代劇では悪がわかりやすい、西部劇でもわかりやすいから共通点がある。
その解決方法は銃であり暴力になってしまう、ただ江戸時代は公儀に訴えることができて裁判もあった。悪代官がなんでも勝手にできたわけでもない、座頭市のドラマでは隠密が調べにきていたのである。

でもそのドラマで新田村のおみかと同じようなことをテーマにしていた、庄屋の娘を側室にしようとしていた、それは結婚式の日に強引に奪うという筋書きである
それを土地の農民が年貢をこれ以上とられるとやっていけないとして庄屋の娘を代官にやれとまでなっていた。
すると新田村のおみかの伝説はそういう過去の歴史があって残されたものだろう。
それもここだけの話ではない、この俗謡は全国的なものであり九州から広がったらしいからだ。だからこうしたことは江戸時代に全国的にあったのかもしれない。

 十九世紀の初頭、文化の前の享和の頃、名古屋では、

神戸伝馬町箒はいらぬ
  鯛屋のお仲の裾で掃く

こういうことは誰か一人の女性がいてそれで繁盛する店のことである。村でも一人の美人がいてその娘が殿様にみそめられて側室になったら年貢が高くならず助かり楽をしたとなる  

(現在の宮城県東松島市野蒜)を拠点とした近代的な港湾計画と、運河による交通網の整備を計画した。当時の大久保 

野蒜新町 ほうきはいらぬ 若い女の すそで掃く.

これは明治時代まで全国で受け継がれた俗謡なのである。

これは別に殿様だと町娘でも農民でも気にいった女性がいれば側室にできる権力をもっていた。なぜならその村の農民に年貢を高くされたりしたら困る、一人の美人の女性がいてそれを殿様に与えれば村自体の生活が楽になるからだ
今からすると理不尽であり殿様が批判されるだろう。

でももともと武士の元をたどれば盗賊ともにている、治外法権のような所がありそこでは盗賊が支配する、するとそんなことはドラマではあからさまにしている
盗賊が支配者になるということである、みんな怖いから逆らえないのである。
それで中国で盗賊の首領が皇帝までなったということもわかるのである。
人間を支配するものは暴力と経済的富だったからである。

延宝郡上騒動(郡上藩金森家の財政難)

国家老遠藤杢助は半ば強引に江戸に出府して、常春や後見役に農民の窮状を述べ、増税を強行すれば御家の一大事を招く恐れがあると説いた。対案として家臣の俸禄六分の一を減じて財政を財政を補填すべきて訴えた。

これも年貢をめぐる騒動だった、増税派と反対派がいて騒動になった
増税派は自分たちの取り分が減ると反対した、公務員が月給が減るのだから当然反対するのと同じである。ただその月給というのが当時は米とかその他のものにかけられた税金だった、そうなると農民は増税には反対であり年貢が増えることは反対である。
当時の支配体制は侍階級の維持は年貢があって成り立っていた、それはより具体的である江戸時代は今のように複雑ではないから何でも具体的に悪が見える

年貢というのは具体的だからそこから歴史を知るのにはいい、年貢はより身近なものであり農民が汗水垂らして収穫したものを侍に納めなければならないからである。
今でも税金の関心は高い、なんでこんなにとられるんだと今でなっている
ただ今だと自分たちのためにもなるからやむなく払っているとなる
ただ現代は何でも見えにくい、複雑になりすぎているし国民となると数も多いから予算がどう使われているとかわかりにくいし関心が薄いのである。
江戸時代の藩だったら郡上藩だって二万石とか小藩だからより身近なものとして政治があった。だからその構図がわかりやすいのである。

時代劇も歴史であり歴史を学ぶにはいい、時代劇でも事実を基にしている、ただ面白いとして見ているだけでは勉強にはならない、そこに歴史の事実があるとき真面目なものとして見る、やはり歴史は事実の重みがあり成り立っている
架空のことではない、ドラマでもすべて架空のことだったらつまらないとなる
座頭とかは盲人が江戸時代に人口の8バーセントもいたというとき普通にいたのである。
それも栄養がたりないで盲人になっていた事実がある。
そして座頭転がしとか琵琶転がしとかがあり道から転落する
馬転がしとか牛転がしという地名が残るのもそうである。
目が見えなかったら道から転落しやすいのである。山道はこの辺の塩の道でも飯館村にゆく栃窪から山の道は沢沿いの道であり細いし転落したら怖いと思った。
馬で塩を運んだが一歩あやまると下の谷底に落ちるのである。
そういう道を歩むことは目が見えないとしたら本当に怖いとなる

いづれにしろ事実を裏付けにしないとドラマでもつまらない、しょせん作り事だとなってしまうからだ。そこに事実があるとき人間の真実が見えてきて参考になるのである。
そして歴史というときむずかしいものが多いがドラマだと入り安い、そんなことがどうしてあったのかと疑問をもつ歴史に興味をもつ、学者でなくても興味をもつのである。
相馬藩などもだから年貢から調べると興味深いものとなる

今まで書いたものが膨大である。その書いたものをまた再考して発展させる、それがプログとかインターネットではしやすい、本だと完結したものとして出しているがプログとかインターネットは完結しないものとして提示しているからだ
そして同じテーマでも何度も掘り下げて提示できるのが今までもの本とかとは違うものとなっている



posted by 老鶯 at 10:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸時代

2017年07月18日

夕日に輝く山 (The mountain which glistens with the setting sun)


夕日に輝く山

The mountain which glistens with the setting sun

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コンピュターで作る絵は絵の具で描くのとは違う。それはコンピュターの電気の光として発する色だから今までにない芸術なのである。
コンピュターが生まれてできた芸術である。
電気の光が画面が出るのだからこれを紙に印刷してもその色は出ないのである。
コンピュターとかテレビの画面で見ないとその色は映えないのである。
だからソフトで変形したり電気の色を出している今までにない芸銃になっている
artは技術だからまさにこれが芸術である。
絵を全く描けない自分が絵を作り出していることが不思議なのである。


computer is different from drawing the picture to make with paint. It is the art that is unprecedented because it is a color to give off as electric light of computer
computerが is the art that I am born, and was possible.
Even if electric light prints this on paper because a screen exits, the color does not appear.
The color does not shine when I do not look with a screen of computer or TV.
Therefore this is right art because art where it is to the unprecedented art gun which I transform it by software, and starts an electric color is a technique.
It is mysterious that oneself who cannot draw a picture at all creates pictures.

軽度知的障害者の謎 (知的障害者と人格障害者の相違は何なのか?)


軽度知的障害者の謎

(知的障害者と人格障害者の相違は何なのか?)



その人は筋骨隆々である。その体つき見たらプロレスラーのようでありうらやましくなるそして顔つきでありちょっとつきあってもどこに障害があるかわからないのである。
ただちょっと知り合うくらいだからわからないのかもしれない
役所に出す書類もわかるしゲームなどしているからスマホなどは普通に使っているし詳しいのである
その人の40歳くらいなのかどこに障害があるかわからない
メール配達とかしていて仕事もしているからである

ただ変だなと思ったのは母親が懸命に世話していて苦労かけているがその母親をいたわりの心がない、母親を大事にしろとかいったらニタニタ笑っていた
母親にめんどうかけても何にか迷惑かけているという自覚がない
母親はそういうものだと思っている
だから母親は世話することを嫌がっている

でもこれも考えてみると別に障害者でなくても母親をいたわらない人は普通にいる
ニートとかいるだろう。20代くらいだと母親をいたわる気持ちがもてない
俺はこの世に生まれたくて生まれたわけではないとか言う
自分も20代の頃まで母親をいたわる気持ちがなかったから普通にそういう人は20代ではいる、でも30から40くらいになると母親が苦労していたりするといたわる気持ちがでてくる
ただ貧乏な国では家族思いであり20代で働かせられて外国人だと今でも仕送りしたりするそれは強いられている面もある、自分の母親などはただ親に尽くすことだけであり
紡績工場で働き女中になったりしていた、そして給料でも親に出していた
その頃子供は農家などでも働き手であり親に尽くしてくれるものとしてあった
それは貧乏だからそうなった、だから外国でも貧乏な国は今でもそうである。

親が苦労して育ててくれたりすると後に子供はそれを知るから感謝する、でも金持ちの家では親が苦労して育てるわけではない、家政婦などが料理を作ってくれたりしていたら親は子供を育てるにしても苦労がなくなる
だから意外と金持ちは親に冷たいとなるかもしれない、だから金持ちの親は子供が直接世話したりしない、介護はしない、金がかかる介護施設にあづけるだけだとなる
それもカルマなのかもしれない、子供だって別に苦労して育てたわけではないから子供も親に対して介護でも苦労はしないとなる
だからすべて金持ちがいいともならない、金をもったらもったでカルマがついてまわる
のが人間である。

不思議なのはではいたわる心がない人は何なのか、それが精神の障害なのかとなる
としたらいたわりの心がない人はいくらでもいる、地位がある人でも豊田 真由子でも東大からハーバードを出ても部下をいたわる心が微塵もなかった
でもそういう人は地位ある人とか金持ちには普通にいるだろう。
するとその人は知的障害者となるのか?
だから何が知的障害なのかわからない、ただ人格障害となると普通にこの世にいる
知的障害者と人格障害は違う、人格障害者は別に病気と認定されないし普通の社会人として生活している
でもそういう人格障害者はこの世で多いのである。

親戚といってもつきあいがなかったからわからなかったが明らかに人格障害者になっていた女性がいてかかわりひどいめにあった、あの人に労(いたわ)りの心がないのである。
でも見た目は普通の人であり外からは善人として見られているのである。
なぜその人はそんな人格異常者になったのか?
金には恵まれていたし愛情も注がれていた、ただ母親が三回変わったとかでそれが障害になったとはなる、でも60近くになってそんな過去のことが影響しているのか?

この世にこうした人格障害者は相当に多いだろう。でも別にそういう人が知的障害者でもないのでありかえって世の中で高い地位についている
そして社長とかなっている人はサイコパスが多いのだとかいわれる
非情な人間でしか社長とか政治家とか何か上に立てないとかも言われる
ブラック会社の社長とかなればそうである
つまり部下にいちいち同情していたら会社も運営できないということがあるからだろう。軍隊になるとまずサイコパスのような人が向いている
非情でなければ戦争などできないからだ

会社の経営者になって失敗した人もやはり人格障害者になったのか、もともとそういう人格だったのか?若い人はいい人だったと近くの人は言っている
会社経営に失敗して借金をかかえて変わってしまったのか?
借金すると人間は悪魔に変貌する、借金のためには犯罪を犯すことが普通にある
だから推理ドラマでは借金していないか調べる、借金していると動機があると見るのである。
こういう借金した人も労りの心などなくなる、ただ相手が弱みがあるとき借金のチャンスとなる、そうなると断りにくいからである。
だから借金した人は悪魔になりやすいのである。人のことなどかまっていられないからである。
そういうことを自分は自分の病気とか親の介護で経験した

いづれにしろ知的障害と人格障害は何が違うのかともなる
労りの心がない、人に同情する心がない、そういう人は知的障害なのか人格障害なのかとなる、あまりに苦労した人は人に同情しなくなる
さんざん苦しい目に合わされているから相手が苦しむといい気味だとなる
狭い市営住宅に住んでいた人は仮設に住んだ人がいたとき狭い所に住んでみればわかるんだと同情しなかった、そういう人もまた多いのである。
それも苦労しすぎて人格障害になったのかともなる

人格障害は恵まれすぎても金持ちでもなるし貧乏でも苦労しすぎた人もなるのである。
あまりに世の中で苦労した人は世の中に人に社会に恨みをもつ、そういう人の不満の捌け口がカルト教団とか左翼系の団体でありそれが票に結びつくのである。
だから「悲しむ者は幸いである」というキリストの言葉は本当に不思議だとなる
悲しむ者、虐(しい)げられたものがそう思わないからである。
みんな恨みとなっているからである。そこまで悟る人は世の中で極わずかである。
だからそうした恨みがカルト教団とか左翼系の団体の票田になっているのだ

ともかく人格障害というのは軽いものと見なせない、例えばヒットラーが画家になりたかっというときなれないから政治家になり自分を誇示しようとした
オウムの麻原も盲人であり劣等感をもっていた、その劣等感からカルト教団の教祖になり社会に恨みをはらそうとする、何かそういうことがカルト教団の教祖には多い
池田大作も大学出にこだわり強い劣等感をもっていた
それで世界から大学の博士号を金で買ったのである。

そしてなぜそういう人を神仏のように崇めているのか?それをいい大人が苦労した人たちがそんな人を崇めているのか?
そんな人を偉いと思うのか?そういうことは常識的にわかることではないか?
そんな人を崇めていること自体何かあわれだとなる
ただそういう場しか与えられないからそうなっているのかともなる
明らかにそういう上に立つ人も人格障害者だともなる
するとその団体に入っている人もみな人格者障害者なのかともなる
だってその人格障害者を模範にしているから当然そうなるのである。

人間は人格形成が大事だというとき教育からしてそんなことを教える人はいない、ただ知的なことだけを教える、モラルなどは教えない、それは受験にも役たたない、社会を生きるにもモラルはかえって邪魔になる、人格だってそういうものにこだわれば高い地位にはつけない、政治家になった人が人格をゆがめることを知っていて大衆にこびることをしている、一票のためには何でもするという、頭をもさげるのもただ票のためであり人びとを思う心からではない、そうしなければ票もとれないからである。
それで豊田由美子議員が金になる人とならない人を分けていたとかなる
要するに選挙は数だから一人一人のことだなと考えられないのである。
どれだけ数を集めるかであり一人一人のことなどどうでもいい、まとまった数を得ることが優先されるのである。

権力者がマキャベリズムに陥るのもわかる、現代だってトランプ大統領でも人格的にはどうをなのかとなると疑問である。プーチンでもそうである。人格がどうのこうのとはか政治家には関係ない世界だろう。政治家も非情にならなければ勤まらないことがあるからだ戦争を命令することは非情でなければできない、人を殺すをことを命令するからだ
そこで人を殺すことは罪だなと言っていられない、政治の世界では非情さが要求されている。トランプ大統領が「国防長官に『狂犬』マティスを指名する」と発表した。
まさに全員殺せとか非情だからこの地位につける

いづれにしろ宗教とかなると本当は人格形成を最大の眼目にしているのが普通である。
でもカルト宗教団体はその教祖がいびつなように歪(いびつ)になっている
それを習う人も当然歪(いびつ)になる、宗教と人格を考えると宗教から見ただけでその人の人格などわからないのである。それは偶像崇拝の一種なのかもしれない。
キリスト教徒がいるイスラム教徒がいる仏教徒がいる、いろいろ宗教があり世界にいる
でもその人たちの人格がどうかとなるとどんな宗教でも人格から見る人はいないのである人格がどんな宗教を信じていもゆがんでいる人は多いのである。
それはどんな宗教でもそうである。キリスト教徒だから人格が高潔だとかならない、イスラム教でもそうである。そこには無数にゆがんだ人格の人がいるのである。
宗教はそういう悪い人格を是正するはずだがそうはなっていない
だから宗教戦争とかあり宗教はなんなのだとなってしまう、世の中に災いをもたらすものが宗教だとなり嫌悪をする人が多いのも当然だとなる
















2017年07月17日

認知症の人の聞き書きは郷土史の発見に通じている


認知症の人の聞き書きは郷土史の発見に通じている


 高齢者に、その人生を語っていただき、その方の歴史として編集する「聞き書き」は、第三者がそれを行うことにより、高齢者が自分の人生を客観的に振り返ることができ、やり残した事を思いだす、生きがいを見出す、など、精神活動に効果があると考えられています。実際に、認知症で引きこもりがちであった高齢者が、「聞き書き」によって元気を取り戻し、自立に近づいた例も経験されています。



認知症というのは不可解な病気である。90歳くらいの女性が何もする気がないのだが草取り、草むしりをしたいという、その人は草むしりをずっとしてきたからである。
だから草むしりをしたいという、それで草むしりを介護の職員がさせた
その時車椅子から離れて草むしりをした、そしたらそのおばあちゃんは元気になった
ある女性はベッドで田植えのしぐさをしていたという、その人も農家の出だからそういうことをしていた

草むしりは農家では日常的な仕事である。草は絶えず生えてくる、草にもいろいろあり根を深く張るものもあるしいろいろなのである。
ともかく草むしりは農家の毎日の仕事なのである。
そういうことを長年してきたからまたしたいとなる、その草むしりは役に立つことである掃除ともにている

認知症でも過去にしたことは忘れない、姉は機械の操作がボタンを押すことすらできなくなった。テレビのリモコンも操作できない、すると洗濯していたのだが手でごしごし洗っていたのである。洗濯機がそばにあっても使えなくなっていたが手で洗っていた経験があり何か役に立ちたいとして洗濯を手で洗っていたのである。

老人ホームなどは確かに前に近くでデイサービスとかに行って話を聞いた、その聞いたことをプログに書いたりした、ただ内容を深くつっこむことができなかった
それは一回しか聞けなかったからである。何回も聞けばその人の経験したことがストリーとして理解できる
その人は老人ホームにいた人ではないが小高の80歳になる人の話は面白かった
原発でも働いていたのでその話を聞いたり全国を建築関係で回っていた
その人は話上手だった、男にしては何か話がうまいのである。
その人とは何回も土手の所で話した
今は小高に帰っている

話を聞いて興味を覚える人とあまり覚えない人がいる、ただそうして介護民俗学の本を出した人は介護に実際たずさわっていたからできたのである。
老人ホームの内部の人になったからできたのである。なかなか人の話を聞くことはむずかしい、語りたくないこともあるし聞く相手にもよるからだ

それと話を合わせるにはその土地のことに詳しくないとできないことがある。
どこに住んでいてそこがどういう場所かわからないと話を合わせられないのである。
自分は駅で遠くから来た人とちょっとでも話するとき出身地がわかると全国を隈なく旅しているから見当がつき話をあわすことがある程度はできる

話を聞くにしても聞く方でもまたその人を理解する力が必要になる
地元の人だと地理的なことや外に知っているから合わせやすいということはある
普通は地元の人から聞いたりすることもむずかしい、それができたのは原発事故とかで避難してきたりしてその話を聞きやすかったのである。
老人ホームなども話を聞き安い場所である、それも何回も聞けるからそこで働いていた人は本まで出したとなる

認知症の介護は身体介護は体力が必要なので若い人が向いている、でも認知症となると精神的介護の比重も大きい、認知症は生まれつきの知的障害者とは違う
長い年月を生きてきた足跡がありそれはその人の一生であり歴史である。
その歴史は郷土史でもありまた大きくは国の歴史ともかかわっている
姉は従軍看護婦としてシンガポールに4年間いたことは国の歴史に深くかかわってそうなった、戦争を経験した人はみんなそうである。そういう人はまだ生きている
でももう90以上であり戦争自体にかかわった人、戦地に行った人は相当に少なくなっているだろう。

でもそういう人の経験は貴重であり歴史の生き証人ともなる
姉は死ぬ間際まで戦争のことを語っていた、それだけ戦争というのが人生の中で最大の印象に残ることであり忘れることができなかったのである。
若い時のことは別に平和な時でも一番印象に残る
30歳くらいすぎると何か特別印象に残るということも希薄化する
人間は30歳まで経験したことが後の人生を作っているともなる

だから若い時苦労しないといくら東大出ても、ハーバード大学ででても豊田真由子議員のようになる、ただ一般的にそういう女性は優秀だと思うのが当然だと思う
ただ人格形成で下積みとかないと人間はまともになるないことがありうる
自分は苦労がなく大学など出てうぬぼれていたが就職もできず底辺で働いたりしてうめぼれることもなくなった、その後は隠者として老人になるまで故郷にいたのである
だから超エリートの家族に生まれても人格形成がうまくいかないことがあるから人間は本当に環境が影響するとしてもその環境に恵まれても恵まれすぎてだめになるものもいる、であういう女性は例外的なものだろう。
そういう異常な女性がいたからやはり恵まれたからといって金持ちの家に生まれても男でも女でも人格形成がうまくいくとは限らないのである。

いづれにしろ確かに認知症の介護というとき身体的側面だけではない、そうした老人の人生をふりかえることを共にする、聞き書きは有効である。
ただこれはかなり聞く方にもそれだけの聞く能力が必要になってくる
自分は原発事故とかで小高の人が仮設に住んだりして多少は話を聞いた
でも話す相手にもよる、小高の人と鹿島の人はうまくいかないこともありしずらかったことはある。
だから一人だけは話がうまいから聞くことができたとなる

郷土史はおじいちゃんやおばあちゃんの話を聞くことからはじまるということを書いた
それは家のことには誰でも関心があるからだ、それが身近だからそこから郷土史に興味をもつ、だから古い旧家に生まれた人は有利である。
そこには実際に蔵などに資料が物でも書類でも残っている場合がある、江戸時代のものも残っている、まず江戸時代のものが残っていたとしたら相当に貴重なものとなるからだ。そこから郷土に関心をもつことになる、自分はだから常に墓を見てあるったのはそれが過去に生きていたものの証として残されていたものだからである。

老人ホームで認知症の人で若い時のこと過去のことは覚えているからその話には意外なものがあり郷土史の発見に通じるものがある、ただその作業となるとやはり老人ホームに勤めていたらしやすい、外から入って聞くのはむずかしくなるからだ。
何か老人の介護など特に認知症の介護などしたくない、馬鹿を相手にしたくないということが若い人にある、でも郷土史ということから入ると認知症の人にも興味を覚えるのである。 


驚きの介護民俗学 (シリーズ ケアをひらく) (単行本)

六車 由実 (著)
これは読んでないけどこういう本があるのも驚きである、ともかく本の量は膨大である。
今や読みきれないのである。だから一部分を抜粋して読む、それだと読むことかできる
全文を読むとなると本は長いからできなくなるのだ。


ちょっとした親切はしやすい (でもタイミングが大事)


ちょっとした親切はしやすい

(でもタイミングが大事)


自分が駅でしていることはちょっとした親切である。道案内したり無人駅だから乗車証明のとり方とか教えるのはそうである。
それから中学生が仙台の方から試験に来てちょうど昼間に腹が減っていた、その時近くのお菓子やで柏餅をくれた、そういう時は腹が減っているのだからタイミングが良かった
例えば砂漠のような所で水がないとき水がある場所があったら救われたとなる
乾いた土に雨がしみこむような感覚になる

今回は冷しタオルというのがアマゾンで売っていた、今暑い時期だから買ってみた
これが意外といい、ただ汗をふくだけではない、水にひたすと冷えたままになっている
だからそれでふくと汗をとるだけではない、ひんやりとして気持ちいいのである。
それを太っていて汗かきの女性にくれた、千円くらいだかやれた
その人は畑で仕事するのですごく汗をかくからだ
これは今の時期にいいものだった、相手も喜ぶものである。

こうしたちょっとした親切はしやすいのである。負担も少ないからだ
でも一方でなぜ人は病気になったり介護状態になったり借金とかしているとか重いものをもった人に近づきたくない、それはなぜなのか?。
自分も重い負担を強いられるからである。
例えは駅で盲人を電車にのせるのはちょっとした親切であり楽である
でも障害者の世話をするとなると特に重度となると負担が重いからしたくない
それで大量殺人までになった、その負担を負うことが重すぎるからそうなる

外にも金持ちでも貧乏人とつきあうことは負担を負うことになる
常に金がないという状態の人は相手に負担をかける、お前は金があるのだから金をよこせということを言わないまでもその人がいるだけで要求しているのである。
実際そういうことを経験しているからお手伝いさんとか家政婦とか家で働いてももらうことは負担になる
だから普通は金持ちは貧乏人とはつきあわない、アメリカとは極端であり富裕層と貧乏人は一緒に住まない、住む場所が分かれている、そしてその富裕層が住む所は門があり警護していて入れない、アメリカのような広い所だとそういう棲み分けができているという。つまり貧乏にとは極力接しないのである。そういう社会なのである。
日本では狭いし富裕層でも貧乏人でも混在して住んでいる
田舎だとまず徹底して平等を追及してくるから特別な富裕層は住めない
田舎だとそういう人は目立つからである。

良く親切にしなさい、愛をもちなさいというけどそれを実践すると簡単にはできない
ただちょっとした親切はしやすいのである。
それでもその機会はそんなにないのである。タイミングが大事なのである。
冷しタオルは今の時期に最適の贈り物だった、贈り物でもその人にあったものその時期にあったものだと喜ばれる
物でもこのタオルを発明した会社がありそしてその物を活かす人がいて物も活きる
物に愛が加わってその冷しタオルが活きたとなる
これはスーバーなどではただ買うだけでありそういうことを感じない
また通販という便利なインターネットが生まれてできこことでもある
その人はパソコンなどしていない年寄りだからである。

ともかくちょっとした親切はしやすい、負担も少ないからしやすい、ただ問題はそうした機会があまりない、タイミング良くできないことである。
一方で病人の世話とか介護とかなるとこれはちょっとした親切ではとてもできない
負担が大きいから誰でも敬遠するのである。そういう家にはみんな近づかなくなる
それは重い負担を背負っていからその負担を強いられることを嫌があるからである。
借金している人もにも近づきたくない、その借金はやはり大きな重荷を背負っているからそういう人とつきあうことはその借金を背負わされるからである。
ただ借金している人はわからないから知らないで近づく人は相当いる
病人とか老人の介護とかなると見てわかるから近づかないが借金の場合は隠しているからわからない、それが実際は怖いことなのである。
なぜなら借金の標的にいつされるかもしれない、その機会をねらってもいるからだ
そして何かの機会に借金を要求してくる、それは断りづらいときだといいわけである。
そういう経験をしたから借金ある人は危険なのである。

つくづく人間はこうしてちょっと親切くらいですむならいい、後腐れもないし負担もないそれが福祉でも病人とか老人介護とか障害者の世話とかその他でも負担が重すぎるから誰もしたくないのである。
医者とか看護師は給料が高いし地位も高いからいい、介護士とかなると給料も安いし負担ばかり多いから人が集まらないとういのもわかる
福祉でも認知症の話し相手くらいならしていいが下の世話となるとしたくない
そういう仕事は誰もしたくない、家族だったらしかたなくしているし動機もある
でも他人だったらそうした動機もないからだ
いくら愛だとか言ってもそれだけではもうすまされない、負担が大きいからもう耐えられないとなる、そして相手を殺したりまでするようになる
その人が愛がないとか責めることもできないことである。
それだけ負担が大きすぎるからそうなっているのだ。

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タグ:親切心
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2017年07月16日

鉄道の明治の時刻表の考察 (そのスピードで時間の感覚が鉄道で変わる)


鉄道の明治の時刻表の考察

(そのスピードで時間の感覚が鉄道で変わる)

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人力車で引っ張るもの
乗合場所が橋をわたる
帆掛け舟が上ってくる
筏流しがいる
昔の宿場が残り茶屋がある
岸はコンクリートの岸壁になっていない
自然のままである。

railwaymeiji122.jpg

富士山を背景に六郷川橋梁を渡る車両を下流側から描いたもの。手前を横切るのは六郷渡船で多摩川を上り下りする筏や船舶との間で
河川交通事故などのトラブルもあったという。左側の町並みが川崎宿で、新田屋・萬年屋会津屋など旅籠の屋号が書き込まれている。

鉄橋が先にできて汽車が通る、でも川は渡し舟だった、鉄橋が先に作られていた


日本最初の鉄道時刻表の中で、発着時刻に「○字×分」のように「字」を使用していたのはこのためです。


品川〜川崎間には新しい駅「大森」が追加されている。この駅は鉄道開業の4年後、1876(明治9)年に開業した。この翌年、1877(明治10)年に、エドワード・S・モースが新橋行の列車の窓から、崖の途中に貝殻の地層らしき様子を見つける。これが後の大発見、大森貝塚である。大森駅を発車した直後、列車の速度が遅かったから見つけられたかも!?

もはや速すぎて途中駅での奉迎ができなくなりました。新幹線が行幸を大きく変えたと言えます。さらに東京近郊の場合、車を使うようになります。

不定時法の下では、鉄道はまず運行できない。鉄道開通にあたり工部省鉄道寮では、「芝増上寺の大鐘を愛宕山に移して、定時法で鐘を鳴らしてはどうか」などと提案している。



なぜ大森駅ができて大森貝塚が発見された、それはスピードが遅かったからゆっくり見ていたからだとなる、これも面白いと思う。
急行と普通車でもスピードが違うから外の景色も印象に残りにくい
そして新幹線になると天皇の行幸もできなくなった、一瞬にして過ぎ去るとなると天皇の顔を拝める時間もないとなるからだ
時間の感覚は社会を変える、時間は時代によって作られ技術によって作られているのだ。時間は文明の産物である。マヤ文明があれほど時間に執着したのもそのためである。

空間感覚でも時間感覚でも時代により文明により違うのである。
電車の旅は駅がポイントになり駅の名前だけ覚えたりしている、外の風景が思い出せないのである。黒松内とかは函館から札幌の間にあり黒松が多いからその地名が生まれた
そして黒松内のペットボトルを買ったときその黒松内の駅に一時とまったことを思い出してその水を飲んでいるのも不思議である。
電車の旅は駅名しか記憶されないことが多い、その電車の旅から地名に興味をもったとなる、地名というのは駅名だけではない何か呪術のようにその土地の地霊のごとく働いていることがあるのだ、それは単なるその地の目印ではない、その土地自体を象徴するものとしてある、ただ方角地名が多いがそういうものにはない、南相馬市などがそうである。
相馬市の南だとしか意識しないからである。

いづれにしろ駅でも待っている時間があるとそこに人間的な時間が生まれる
鹿島駅とか浜通りの駅は夏でも海からの東風がそよぐから涼しいとういことはある
今は合歓の花が咲いていた
そこで昼寝したりゆっくりと休んで電車を待つのが人間的なのである。

涼しさや海より風や駅に待つ

合歓花そよふく風にゆれにつつ駅に電車を待つ人ありぬ

とある駅木蔭に休み電車待つ北海道の夏旅の思い出

そんなことがあったなとか電車の旅が長いから記憶に残ってる
ただ電車の旅だった早いから何か心に残りにくいのである。外の景色でも印象に残らないのである。
新幹線だと余計にそうなる、それで不思議だったのは仙台から盛岡に行ったとき
岩手山がすぐ近くにあると錯覚したとであり青森の弘前から津軽鉄道で終点の中里に行ったときも近くに感じたのである。これも空間が狭くなった不思議なの感覚である
ただ途中が省かれてしまうから途中は見ていないとなる

まず江戸時代から明治時代の変化は今より大きかった、今良く三〇年前のドラマとかみるが今とさほど変わらない、テレビが見ると小さく旧式だなというくらいなのである。
車も古い型だなと見るくらいなのである。変化がほとんど感じられないのである。
江戸時代から明治時代を経験した人は本当に驚きだったとなる
その変化についていけないもなっていたろう。だから学校に反対したり鉄道にも馬車の人たちが反対したのもわかる

時ということを時刻表で表現できずに字を使ってたというのも発見である
何時というとき字になっていたのだから感覚的には当て字としては変である。
それは万葉集でも漢字にしたとき日本語の大和言葉の意味が失われたとかある
明治には三〇〇〇くらいの造語が漢字で作られた
だからこの変化も大きかったのである。

ともかく鉄道にはすでに百年以上の歴史がありそれをふりかえること時代は歴史である。自分も鉄道の旅が長いから興味がある、鉄道に技術系とかで興味がある人もいるしいろいろである。鉄道はそれだけ文化ともなっていたのである。
だから鉄道が廃止されることは足がなくなったというだけではない
文化も喪失したという感覚になるかもしれない、それだけの影響をもったものなのであるだから鉄道は簡単に廃止していいのかという議論にもなる
鉄道を探求することは様々なことがあるからきりがないとなる


移民の是非、少子高齢化、人手不足、AI化 (労働環境の変化)


移民の是非、少子高齢化、人手不足、AI化

(労働環境の変化)


これが同時平行的に起きている、人手不足が深刻化して会社が倒産するとか起業もできないとか起きている、人が集まらない、八〇歳の老人は横浜からここに来ていた
そんな人まで雇わなければ人がいない、ベトナム人からネバール人からスリランカ人からと中国人もいるが増えてきた
阿部政権は移民を支持している、経団連も支持している
安価な労働力として移民がいいとしている
ところが移民がなぜこれほど問題になるのか?
移民が日本に来て働いてどう思うか?

それは自分たちの貧乏をさらに意識する、なぜ日本人は豊かな生活をしているんだと実際に実感する、日本に来て贅沢な生活をしている人を知る
それで不満がかえって大きくなる、もし戦後十年のように電気製品も何もないバナナすら食べれない時代だったらみんなが貧乏だから貧乏を意識できないのである。
貧乏とか才能とか美貌とかは比較するとき顕著に意識させられるのである。
体力でもそうである。

花でも赤い花があり青い花があり黄色の花がありそれはかえってそれぞれの個性が一緒になるとき映える、自然の場合はそれで調和している
人間の場合は比較することでかえってそのみじめさや才能のなさや体力のなさでも意識されて不満になるのである。

貧乏というとき移民問題でもお手伝いさんとかが家政婦とかが一番意識する
皿二三枚洗ってもらうのにどれほど雇うほうでは大変なのか?
それは他人でも親戚でもそうだった、人のためにちょっとのことでもする人はいない
まずたいしたことをしなくても金が欲しいしかないのである。
それで泥棒だったり借金に首が回らない人は大金をまず要求してくる

つくづくそのお手伝いさんは今は四〇くらいの息子のためには食事も用意して世話をしてくれる、自分に対しては皿二三枚しか洗わないのに要求が多いのである。
金を絶えず要求してくる、前借りだとかなんだとか要求してくる
だから今になるとつくづく家族のありがたみがわかった、自分のために食事は三食用意してくれたし家事もしてくれた、他人になると金の要求しかないのである。

これを移民問題と共通な問題としてあることを知った、移民とは人間でありロボットのように使うことができない、食欲も性欲も様々な欲も日本人に住んでいる人と同じようにある、すると同じ家にお手伝いさんのように入るのとにているのである。
人間だから家族がいて仕送りするとかいろいろ困ることがあり相談するとか要求もする
問題も起すし犯罪も起す、それは相手がロボットではない人間だからである。

だからいくら安価な労働力として入れてもコストがかえってかかってくる、福祉だってかかる、移民はさらに文化が違うからヨーロッパでもそうなように問題を起こしやすいのである。それまた人間のやっかいなところである。
むしろローマのように戦争に勝って奴隷のように使えればいいとなる
でも結局相手が人間だからそれもできなくなった、人間である限り平等を追及するし要求する、やがてスパルタクスのような奴隷の反乱が起きた

家事手伝いの奴隷は多少は人間的な扱いを期待することができたし、場合によってはお金や財産を手にすることもできた。この財産はペクリウムと呼ばれ、法的には主人によって所有が認められた私有財産のことであった。つまり早い話が、奴隷は自分の好きなようにお金を使用できたということだ。

この指摘は面白い、家事手伝いの人がなぜこうなったのか?それは相手が人間でありいくら奴隷でも家の中で働けば情が移り家族の一員のようになる
相手が人間だからいくら奴隷として雇っても雇う方も人間であり雇われる方も人間だから人間として扱うようになる
だからある有名な俳優がお若い女性の手伝いさんを家族のようにかわいがっていた
でも子供が生まれてから子供に愛情が移りお手伝いさんに冷たくするようになったとかでお手伝いさんがその子供を殺す事件も起きているのである。
まさに家族の一員になっていたのである。

ローマにとって一番の悩みは、奴隷が取れなくなったらどうしようということでした。
なぜかというと、蛮族の抵抗も強くなったことで、奴隷を得ることは難しくなり、次第に海外領土を獲得することが難しくなりはじめたのです

奴隷が繁栄の基になっていることには限界がくる、人間は奴隷にして扱うとういことはできなくなる、それがやがてその国すら危うくして滅亡させる、ローマでは自国民が戦うことなく外国人の傭兵に頼りやがて滅んでゆく
この奴隷問題はヨーロッパに歴史的にあり黒人を奴隷としてアメリカで使うことによりそれが後の災いとなったのである。
スラブ民族とかがあるがそさはslaveであり奴隷のことだった、奴隷民族として見られていたのである。
アメリカの移民問題もメキシコからの大量の移民でもやがてアメリカがヒスパニック系なしではありえなくなり白人はもう人口的にも半分以下になり支配層も変わらざるをえなくなる

移民の是非を考えるとき移民も人間であり安価な労働力として奴隷のように使えないことである。相手は働くロボットではないからである。
結局こういう歴史があるとき移民に頼るときそれは国を滅ぼす結果にもなる
ただ世界史を見れば人間の歴史は強壮な民族が勝ち残り弱い民族は国は滅んでゆくから
移民に頼るときすでにその国は衰退しているのかともなる
ヨーロッパでもイスラム系にとって変わられるとかアメリカでもヒスパニック系に変わるとかなる、中国でも漢民族がなお中核として生き残っているが多国籍国家である。
だから遊牧民とかが絶えず侵入してモンゴルのようにジンギスハーンのような大帝国が生まれるのである。
日本ではそういう外国人の侵入が海に囲まれてないから民族として国としてこれまで維持されてきたのである。それが強みでもあり弱みにもなる

いづれにしろ人手不足が深刻になるときそれがいい面と悪い面に働く、どうしても国力は衰退する、でも会社では人手確保のために働く側にたたざるをえなくなる、働きやすい環境を作り人を呼び込む、働く方も会社に選ばれるのではなく働く方が選ぶのである。
そうなると労働の質が重視される、ただ賃金だけではない、生きがいを追及するということにもなる、これは今までにない労働の価値が生まれてくる
それはいいことなのである。労働の質を高める、今までは物でも大量生産であればいいがこれからは物の質を高めるようになっているのと同じである。

そして少子高齢化とかでも労働力が不足するときAI化が促進されることになる
家事でも戦前は中流階級でも二人も女中を雇っていたとかあった
それだけ家事のしめる仕事の割合が大きかった、洗濯するのにも洗濯板でごしごし洗っていたのだからその手間は並大抵のものではない、ご飯を炊くのにも竈(かまど)でしていたこれは薪をくべて煙もでるから汚れるし手間である。
家事の労働力が時間的に大きく他のことができないとなる
今は家事が電化したのと外が買ってまかなうので一人暮らしは困らないのである。
自分は全部家事一人でしている、お手伝いさんは皿二三枚洗って終わりである
後はなんにもしないのである。だからその人はお手伝いさんとはいえないのである。
時間にして五分もかからないからである。
そしてあとは全部自分でしている、でも時間があるから知的な創造的なことも追及できるのである。

要するにAI化やロボット化は時代の要請で不可欠なのである。移民だと問題が起きるし
人を雇うことは会社にとってコストがかかりすぎる、すると自動化、AI化、ロボット化は不可欠なのである。ロボットは人間のように文句を不満を言わないからである。
人間はともかくきりなく不満があり欲がある、ロボットの文句を言わずやってくれることはない、必ず不満があり要求だけが大きくなるのが人間なのである。
それは移民でも同じなのだ、色が違っていても人間だからである。

だから今や自動化、AI化は不可欠である。そうすれば移民を入れなくてもすむ、そして
人間が雇われなくなり失業するということも確かに過渡的には起きてくる
でもそれが人間の歴史だった、技術革新はとめることができない
そして人間の働き方も変わるのである。労働の質を求めるようになる
ロボットのような仕事はしなくてもいいとなる、すると人間的なものがロボットにはAI化してもできないより人間的なものが追及できる社会になる

芸術などはAI化してもできないから高い評価を得るようになる、何か他に医者でもAI化すると人間とのコミニーケーションにたけたものや情がある医者とか看護師でも介護師でも要求されて給料も高くなったりするかもしれない、価値観が変わるのである。
人間の歴史では常に価値観は変わってきた
そうなると教育すら変わらざるをえない、今までのような教育の仕方では人間の創造性が発揮されないからである。
人間はより創造的に感性をみがくとか庶民レベルでも情がある人選ばれる、価値ある人となるときそれはいいことなのである。
posted by 老鶯 at 10:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会問題の部

2017年07月15日

市役所の人が防犯のために駅に来る


市役所の人が防犯のために駅に来る

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今日の夏の雲 雷鳴が一回くらい鳴った
でも雨がふらないのはなぜか?
何かこの辺は雨がふらない、干ばつ気味なのか?
水不足が心配される

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クリック拡大-合歓の花が川に咲いている




合歓の花かぜにそよゆれ駅に待つ

鹿狼山遠くに夏の日電車来る


昨日は電気系統のJRの下請け関係の人が二人来ていた、それから市役所で防犯ということでアンケートをとっていた、無人化しても鹿島駅に三つの防犯カメラがある
無人化した駅が落書きで荒らされたとういことがある
でも鹿島駅は人の出入りが結構多いからそういうことはありえない
高校生などが夏休みに入ることなどで市から防犯のために来ていた

駅は鉄道は自治体もかかわらないと維持できないと言われる
まず駅舎関係でも古くなりトタン屋根を新しくする、トイレも新装してきれいになり掃除を障害者施設に頼んでいる、それも金がかかる
でも鹿島には道の駅がないから車の人たちも利用している
駅には街の中心と思い車の人もくる
街の広場的機能がある

ともかく駅は駅として鉄道として電車を利用するだけではない機能がある
だから自治体でかかわらないと維持できないともいわれる
予算的にもそうである。いろいろ手間と金がかかるからJRでは無人駅化をすすめている
人件費を節約したいからである。
無人駅化しても困らないということもあるが何か街がさびれた感じにもなる
無人駅化に反対しているのは盲人団体である
一人盲人が電車にのる、その人を助けてのせたが電車は止まる時間が短いし危険である。それで実際に東京とかで盲人が死んでいる、東京のような大都会だと盲人は暮らしにくいだろう。あれだけの電車が来るなかでは危険がますからだ

今日は写真をとった、合歓の花は終わっていたのが残念、今年は合歓の花を見ないで散った、鉄道のような動く物体をとることはむずかしい
位置をきめてシャッターチャンスを逃さないことが大事だからである。
地元だとそういう場所を選べるが他にゆくとなかなか選べない
だから写真というのも地元だといい写真がとれる
いろんな角度から見れるしいつも見ているからだ。

タグ:駅に来る人

原発事故で離ればなれになり故郷に帰る人を待つ詩 (わたしは故郷で待っている)



原発事故で離ればなれになり故郷に帰る人を待つ詩


(わたしは故郷で待っている)

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わたしは待っている
あなたの帰るのを待っている
木の根のように
わたしはその土地に根付き
あなたを辛抱強く待っている
帰って来いよ
あなたのふるさとに
あなたを待つ人がいる
死者もあなたを待っている
ふるさとは荒れ果てていいの
あなたのふるさとはどこなの
わたしはふるさとに根付いて
一本の樹のように
あなたを待っている
帰ってこいよ
あなたはここに育った
あなたはここにはぐくまれた
愛する人がここにいた
深い愛がここにはあった
わたしはここに根付いている一本の樹
その根元に藪甘草が五六輪咲く
わたしはここに待っている
あなたが帰ってくる日を
辛抱強く待っている
わたしはここの土地を離れない
わたしはここでこの土地に朽ちてゆく
それでもわたしはあなたを待っている
辛抱強く待っている
わたしはここに生きてきた
ここを離れてわたしの生きる場はない
人はある場所に深く根付く
そこを終の住処と根付く
人も石や樹と同じだから
そこに人は安心立命する
あなたの思い出はここにあり
ここにまた生は受け継がれ
また新たに織りなされてゆく
わたしは待っているいつまでも・・・

なぜこの詩ができたのか?それは結局自分は常に故郷が嫌なことがあり出て旅していた
それも待つ人がいた家族がいたからできたことを知った
なぜなら家族はみんな死んで誰もいない、今になると旅に出ても待つ人がいないのであるそのことは本当に悲しいことだった
旅に出ても故郷に帰ってきても待つ人がいないのである。
そうなると故郷すらないのかもしれない、故郷は基本的に家族がいて家族の愛のある場としてあった、子供のときから家族の愛に育まれてあった
ただそうして家族に恵まれない人もいた、すべての人が家族に恵まれてはいない
自分は恵まれていた、だからその家族を失ったとき本当に悲しい
待つ人がいない、毎日それで駅にゆく
すると娘を待つ母親とか妻を待つ夫とか待つ人がいる
するとうらやましいとなる、自分は誰を待っているのか?
来ない人を死んだ人を待っているともなる

この待つというのは女性的である。女性は常に待っている存在だった、息子でも娘でも外に出しても故郷で待っている存在だった、愛をもって迎えるのが家族である。
それがこの辺では原発避難区域では家族はばらばらになってしまった
それは悲劇だった、なぜそうなったのか?
それはすべて原発事故だけのせいではないことも自分は考察して書いてきた
原発事故だけでそんなに簡単に家族とか故郷とか捨てられるものなのか疑問だからであるもちろん放射能が怖いとかなれば理由になる、でもそれだけでこんなに家族がばらばらになり故郷も簡単に捨てられるものなのか?それが疑問なのである。
故郷がすべていいとかではない、でも故郷自体が捨てられるものなのかという疑問である故郷とは何かとなればこれもわからない、ただ家族の愛あるホームがあった場所である。そういうものが簡単に捨てられるのか?それが疑問なのである。

この詩は女性の心情にも通じている、これは簡単な歌にもソングにもできるかもしれない自分は一本の樹でもみると石でもそうだがそれが人間化したものとして書いてきた
それは単なる樹ではない、人間化した樹であり石なのである。
だから人の住まない原発事故の避難区域の樹を見たときなんとも不思議であり
その樹がいかにも淋しく人が帰ってくるの待っているように見えたのである。
森の中の樹々にはそういうことは感じない、いつも人が通る田舎の道端の古い樹とか一本の樹とかにそういうことを感じる、それが人間に見えるからだ
それは自然の森の中の樹とは違う、庭の樹とか石になっていたのだ
長い歴史のある村だとそういうふうに人間化したものとして自然もなっている
だから石とかにも名前がついているし伝説も残っている

故郷というときそこが生まれた場所でもない、長く住んでいるそこは故郷になる
それは人間も生物だから樹や石のようになってゆくからである。
そこに根付くものが生まれる、そしてそこが終の住処になりその土地に果ててゆく
その土地の土になるという感覚になる、それは人間も生物の一種だからそういう感覚は自然なことなのである。

ともかく小高でも帰ったの二三〇〇人いる、結構多いとなるのか?
でもその半分は六五歳以上でありさらに六〇以上となるさらに多くなる
そういう人口構成で町が成り立つのかとという疑問がある。
でもどうしても老人は故郷に帰りたいというのが心情なのである。
そして故郷で死にたいとなる、土に還る、山に還る、森に還るとなるのが生物の本能であり自然なのことなのである。
ただそのためには若い人も帰ってこないとだめなのである。

この詩は別に原発避難民というのではなく自分がそういう立場になったから書いた
でもその心情は原発避難民と共通していることに気づいたのである。
posted by 老鶯 at 09:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2017年07月14日

立葵 (俳句は単純な写生で深い意味をもつーデジタルカメラが不可欠の時代)

立葵

(俳句は単純な写生で深い意味をもつーデジタルカメラが不可欠の時代)

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燕が飛んでいたがうまくとらえられなかった

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この木はあまりいい木ではないがこれも写生である。
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夕方の夏の雲


全部クリック拡大しないと見栄えがしない


のうぜんの玄関に散り蟻歩む

また一つのうぜん散りぬ玄関に

五六輪藪甘草や木の根元

立葵その明るさや燕飛ぶ

立葵高くも伸び咲きつばめ飛ぶ

明るくも笑い微笑む立葵 


立葵風にそよ揺れあまた咲く夏の雲湧く朝に映えにき

野馬追いの頃にのうぜん咲きぬあまたかな一輪散りてまた散りにけり


夏らしい雲が湧いていた、今日は紫外線計測器で昼間が8とるなと厳重警戒になる
日ざしが強い、熱中症になったから無理はできない
でも毎日二回くらい買物で出なければならない
それと運動と気晴らしのために外にでる
食事はほとんど買ってすませている、家事からなにもかも一人でやる時間がない


俳句はつくづく写生である、単純な写生でも深い意味をもつ、短いから写生に徹しないと芸術になりにくい、いろんな説明もできないからだ
のうぜんの花が散ったところに蟻が歩んでいる、それがまさに写生なのである。

五六輪藪甘草が木の根元に咲いている、それも写生である
それは詩を作るようにイメージで作っていないありのままだからである。
ありのままだけどそこに深い意味が見いだされているのである。鑑賞する人はその意味を見いだすことが必要である。
俳句はともかくシンプルがベストである。短歌となると表現の幅が広がるからまた違っている

野馬追いの頃になるとのうぜんが咲き始めるからにあっている、藪甘草も咲く、だからこの辺では野馬追いが迫ってくる時に咲く花だと意識する、それは土地柄だとなる
そういう土地柄があるのが文化だともなる

いづれにしろ現代はなんであれ写真の時代である、写真なくして情報もありえない
デジタルカメラの威力が大きい、写真にとると見えないものが見えてくる
それが発見なのである。ただ肉眼でしか見えないものもある。
写真でしか見えないものもある、立葵とのうぜんの花がそうだった
微細なものはデジタルカメラが映し出す、人間の目には見えないのである。

俳句はだからデジタルカメラなしではありえない
写生もデジタルカメラと融合してありえる時代である。
その写真もインターネットだと出しやすい、他のメデアは出しにくいのである。
雑誌でもこんなに写真をのせられないからである。
夏は近くでも被写体となるものが増える、だからカメラを絶えず持ち歩いている必要がある。

ともかく今日も暑かった、クーラーの部屋に一日いるほかない、今前のホームページとかプログの記録の整理があり仕事がある。これも骨がおれる
プログは記録しにくい、なんとかまとめて整理する、それが膨大だから結構な仕事になるホームページを二〇〇〇年にはじめたからすでにプログも十年であり一七年間も書き続けている、だからふりかえりまとめる必要がある




インターネットの情報社会の混乱 (プログも勝手に削除されたりしていいのか?)



インターネットの情報社会の混乱


(プログも勝手に削除されたりしていいのか?)


プログという形式そのものが情報発信することでは今までありえなかったことである。
毎日発信できる、日記形式でできる
それは日々のその人の生きた記録となる、自分のプログはもともと一句一首として日々のことを発信することだった、それは季節によって変わるからプログに向いていた
そして10年間してきた
プログをはじめてすぐに姉が認知症になり今度は認知症のことを書き始めた
これは結構読まれていた、やはり認知症のことをがわからないからそうなった
やはり自ら介護した人でないと認知症はわかりくいからだ

その次に自分が今度は母の介護とか自分の病気とかなり事件もあり一身上のことを書いてきた、これも今までにありえないことだった、一身上のことを公にすることなど今まではできない、どこのメデアでもそんなことを受け付けない、テレビでは芸能人なら視聴率をとれるから放送している
でも芸能人でも今は個人でプログをみんな書いている、国会議員でもほとんど公の人でもプログを書いているのだ、プログは簡単にできるからだ
そして今までは2チャンネルのように必ず受け答えがあるものとしてパソコン通信があった、それは匿名であり言いたい放題であった
相手のことなどかまわない、年齢も社会的地位もなにも関係ない、相手が男か女かもわからない、相手が中学生だったなどということもあった
要するに文章だけが出てくる世界でありそれは実際は現実社会にはない異様なものだったのである。

だからプログでおめえはなんとかとコメントしたとき違和感を感じた
それはパソコン通信とか2チャンネルならそういうことは普通だったのである。
プログとなるともう違っている、二三行かいてケチつける暴言をはくようなことは受け入れられない、プログでコメントするときはやはり現実社会と同じになる
自分の素性をある程度プログで明確にして主張でもそうである。
そうでないともう対話は成りたたなくなった
それでどうしてもプログは一方的に発信するのが多くなっているのだ。

プログになるとこれはその人となりが必ずわかる、どういう主張をもっているのかもわかる、その素性もわかる場合がある、プログは何か一貫して主張することに向いている
だから何度も同じようなことを追加して書くのに向いている
これは一冊の本とも違う発信の仕方である。
それは書く方にとってもメリットがあり読む方にとってもメリットがある
書く方では前に書いたことをまた追加したり再考察して書く
するとまた違った見方が生まれる
そしていくら書いても制限がないからできる

インターネットという場も実は法も整備されていない混乱したカオスである
そもそも一記事だけを読むということはメデアの世界では今までない
一冊の本としてか雑誌でもそれなりの長い文として主張させている
短い一記事だけを読むということはありえない世界だった
キーワードで読むからそうなっているのがインターネットの情報社会である。

ただそこに様々な問題が生まれている、プログでも運営する側に勝手に削除されたりすると困る、注意するのはいいが削除されると困る
アスカとかがプログで自分の言い分を言ったら削除されて困った
そこには自分の作曲されたものがあったからだ
でも記録していたので再現されたという
だから問題があっても削除することはよほどのことでないとあってはならないことであるそしてインターネットの恐怖はパソコンの恐怖は一瞬にして記録したものが消える
そしたらこれまで苦労して書いたものが水の泡となる
それも重要なものがあり後世に残るものもある、芸術作品もあるからだ

ただインターネットでは無数にあるからこんなもの消してもどうってことないとなる傾向がある、でも今ではまともな人が相当に書いているからこういう対処の仕方は許されなくなっている
削除するときはよほど慎重にしなければならない
さくらのプログでは一回料金を払わないで全部消される所だった
その時自分は病院に入院していてメールとか見ていなかった
自分はメールとかコメントをこまめに見ていない、ただ自分の言いたいことプログに書いている、対話はほとんどしていないのである。

今はホームページに書いたものやプログに書いたものを整理している
つくづくそこで感じたことはその大半を忘れているということである。
自分の書いたもの忘れている、こんなことを書いていたのかとかこんな俳句や短歌を作っていたのか詩を作っていたのかとあらためて感心しているのも不思議である。
人間はともかく忘れる、だからプログでも何でも記録していないと思い出すこともできなくなる、人間はこれだけ忘れるのだから記録するだけでも必須なのである。
そうでなければ過去すら忘れてたどることもできなくなる
そういう点でプログは読まれなくても記録するだけで後で役に立つ
ただ自分の場合膨大なものになっているからそれをたどり読むことも苦労になっている

ともかく今回一つのパソコンから書き込めなくなったのはショックだった
それはさくらの方で操作したのではない
パソコン自体の不具合から外部からの操作なのかもしれない、それはわからない。
でも書き込みだけができないということが不可解なのである。
さくらのプログはホームページでもプログでも全く不干渉である
何を書いても自己責任でしろとなっていて干渉していない
プログランキングなどもしていないし宣伝もない
ただプログとしてはマイナーなのでアクセス数が上がらないということはある
でも10年間してアクセスは10万ページビューにはなっている

インターネット上で読まれことは至難である、ただアクセス数となると一カ月百万ページビューのサイトでも自分にはつまらない、かえって大衆受けしないとテレビと同じく視聴率はアクセスはとてもとれない、高級なものになると余計にそうなる
俳句とか短歌とか詩になるとそもそも読む人が少ない
だからどこでもアクセス数は少ないのである。

2017年07月13日

姉の死はいいものではなかった(死ぬ前の形相の恐怖) 10年間書いたプログをふりかえる


姉の死はいいものではなかった(死ぬ前の形相の恐怖)

10年間書いたプログをふりかえる


@ 集まった自分の身内に対しても、険しく猛々しい目つきで睨む。
A 手で空をつかんで、もがき苦しむ。
B 筋道の通った思考を失う。
C 恐怖のあまり、涙を流して泣き叫ぶ。
D 大小便が垂れ流しとなる。
E 苦しみのあまり、目を固く閉じてしまう。
F 苦しみのあまり、手で顔面を覆って悶絶する。
G 異常な食欲が出て、狂ったように飲み食らう。
H 身体や口から腐敗臭が漂い出る。
I 恐怖のあまり、手足を震わせて怖れおののく。
J 鼻筋が曲がって、凄まじい形相となる。
K 白目を剥きだしてしまう。
L 目が血走って真っ赤に変色する。
M 顔面を伏せて、苦しみ、うめく。
N 苦しみのあまり、身体を屈めて悶絶する。
(守護国界主陀羅尼経)

そもそも認知症になるとB筋道の通った思考を失う、ただ認知症でも時々正気になる、姉は意識不明になったときこのような状態になったとしても自分では意識がなくなりわからなくなっていた
とても正直なところいい死に方ではなかった
でも意識不明になる前は普通のように見えたし正気にももどった、普通に陽気な性格だから笑っていたという、それも不思議なことだった
ただ意識不明になった一月はこんな状態だった
でも本人は意識がないのだから苦しいというのがわからなかったかもしれない

この項目で10くらいあてはまっている、とても成仏の相ではない

ある人は死ぬとき恐ろしい形相で

スシもってこい

こういったという、これも餓鬼の状態になった、何か死ぬとき以上に食欲とか性欲でもでてくることがある、最後の欲がその体の奥から噴出するのである。
つまり人間の欲というのはそれだけ強いものである。食と性の欲は死ぬまでもあるとなるこれは個人差が大きいが一般的にみんなそうなっているのだ
欲を断つことは一番むずかしいのである。

ともかく姉は悶絶して目が赤くなったりこれと同じ状態だった、でも意識不明なのだから苦しいとしても自分で意識していたかどうかわからないのである。
そして一カ月で死んだからである。
姉は業が深かったのか?普通の人間であり家には貢献した人だった
自分には一番良くしてくれたのである。

ただ確率的に一般的にこういう状態で死ぬ人が多いはずである。死とはこの世との欲とか一切のものを断ち切ることだから容易なことではないのだ
肉体が消失すること骨と灰となること自体がそうである。
だから生から死への変化は最も人間にとって恐怖なのである。
だからこういう変化があっても不思議ではないし一般的に死者を見ていればこうなっているだろう。

母の場合は2時間くらい留守にしているとき死んでいた、どういうふうに死んだかもわからないが第一2時間前は普通だったのだからそんなに苦しむこともなかったろう
もともとおとなしい性格であり穏やかに死んだとなる
姉は気性はものすごく激しいからその死に方も普通ではなかったともなる
母はいつも眠るように死にたいということを言っていた
それだけはかなえられたとなる、百歳まで生きた人は老衰で死ぬのであり枯れるように死んでゆく、その他の人はやはりこうした状態で死ぬのが多いだろう。
医者や看護師は死を見ているから確率的にもこういう状態で死ぬのが多いだろう
これはカルト宗教団体に入ってもいても同じである。
むしろこういう死に方の方が多い、祈っても無駄である。
そもそも根本的に誤った信仰であり根本的に欲は断ち切れないからである。
要するに宗教は人に恐怖を与えるものとしてある
その恐怖が故にカルト宗教団体から離脱できないのである。
宗教に呪縛されてしまうのである。それは幹部でも同じだからである。

母は別に信仰もなにもないし性格がおとなしいからそれが極端になると異常にもなる、
その人の性格は老いると極端化する、それが死のときも継続している
母の死に顔は安らかであった、でも姉の死に顔死んだときは安らかである
死んだときはやはり人間から肉の欲望が消えるから安らかになるのではないか?
死ぬ前の一カ月とかが苦しいのである、肉体が生きていれば苦しむからである。

いづれにしろ前に書いたものをまた再検討して考察を深めるのがいい
ただプログは記録しにくい、だからプログはもう一度再検討してまとめる必要がある。
ともかくインターネットは記録が消えることが最大の恐怖であり
今回のように書き込みが一つのバソコンでできなくなるとかそういう外部からの操作もされるから怖い、安心がないのである。

臨終の相にこだわる疑問

統計では70パーセントが安らかだったという、それは死後のことであ死ぬ前には苦しんでいるのではないか?
死ねば肉の欲が消えるから安らかなのである。死人は何か欲望することがないからだ
死人はだから害がないのである。
死ぬまでが問題でありその時は一般的に誰しもこのような状態になるのが多いのではないか?
肉体が消失して骨と灰になるとことはあまりにも変化が大きい
だからこそこれだけ苦しみやっと死んで安らかになる

posted by 老鶯 at 22:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

一つのパソコンからさくらのフログに書き込めなくなった謎 (記録したものが消される恐怖)


一つのパソコンからさくらのフログに書き込めなくなった謎

(記録したものが消される恐怖)

パソコンを三台使っている、中古二台と新しいwin10である、でも中古のソニーのハソコンからさくらのフログに書き込めなくなった、記事一覧の記録したものも出てこない
ただインターネット上では記事は普通に出ている
他の機能は正常である。

記事一覧が見れないのと書き込みができない!

他のパソコン二台は正常である。さくらのレンタルサーバーが問題ではない
するとパソコン自体の問題でそうなったのか?
こんなことがあるのか?
ウィルスなのか、外部から操作されたのか?
第一書き込みだけができない、一覧が表示できないのはなぜなのか?

その原因は不可解である、後の二台のハソコンは正常だからである。
やはりパソコンは三台くらい必要である。
それからプログはさくらのフログでも保証していない
何かあってもとりあわない、責任をもっていない
だからフログは複数持たないと安全ではないとなる

さくらのレンタルサーバーの問題ではないから聞いても無駄である。
ただなぜそうなったのか?
もしパソコン自体の不具合だとするとパソコンも危険だとなる

とにかくインターネットでもパソコンでもプログでも何か安心がない
一瞬に消えることも経験している
だから保存して書類として本に記録するのが一番安全だとなる
今そういう作業をしている




事業の経営の成功と失敗 (戦争や原発も国家事業としての経営に失敗した)


 事業の経営の成功と失敗


 (戦争や原発も国家事業としての経営に失敗した)


何のために新規事業へ取り組むのか。それによって社会がどう良くなるのか。といった事業理念・ミッションをメンバーへ繰り返し語りかける

なぜなの人はそんな事業を起こしたのか?それもよくわからない、ただ技術者であり資格をもっていて自分はできるという自信をもっていた
だから独立してもやれると思っていた。
しかし会社で技術者として働くのと自ら会社を経営する事業を起すとなると全然違った世界になる、ただその人は頭がいいとされ頭が良かったから成功すると思ったのである。

事業というとき経営というときマネジメントというときそれは国家レベルでもそうだし技術を究めるのとはかなり違う世界である。
国家とか今なら企業でもグローバルに展開するから世界的に影響するものとなる
だから事業理念とかミッションとかが問題になる
その事業はもう国家を越えてさえ影響するものとなるからだ

それが戦争とか原発経営でも起きていたのである。
事業理念とかミッションとかが原発にもあった、それは電気を供給することそれは現代の社会に不可欠だからである。これに反対するものはいないのである。
ではなぜ戦争でも原発でも失敗して多大な犠牲を産む結果となったのか?

戦争とか国民が3百万人も死ぬとかになると一番大事なのは事業理念であり、ミッションになる、死ぬための動機が最大の眼目になる、企業だと利益優先だけどでも死ぬとなると動機がそれ以上に大事になる、だから戦争になると必ず神頼みとか宗教がかかわってくる国家が一つの神聖なものとなるとき国家のために死ぬことは英霊となり国の守り神とされる、そして天皇が国の神となり天皇のために死ぬことは英霊とされるとなり納得する
死んだら靖国で会おうというときそういう動機づけがあって死ぬことができた
ただ企業なら利益を上げればいいというだけでは死ぬまでの動機をもつことができない

そういうことはカルト宗教団体でも起きている、それもすでに会社を運営すると同じである。ただ違うのは宗教を利用するとき日本の戦争と同じく選挙でも信心のための戦いになり一票をとることは成仏することだとまでなる
それは間違っていても動機づけになっているのがカルト宗教団体である。
選挙で票を得る方にすると好都合だとなる
でもそんなことで戦争でも英霊になるとか成仏するとかを保証はできないものである。
それでもイスラム国などでもカルトととなりアラーのために自爆してそれで天国に行けると信じる、それがカルト宗教でもある
そんなこと誰も保証できない、神すら保証しなくてもそう信じる者があれば動機になる

原発はやはり国家的経営の一環として事業が起されていたのである。
原発は核武装に備えるために国家防衛の見地からも必要として作られた
またアメリカの戦略としても押しつけられたという面があった
アメリカとは同盟国だから当然だとなる、もう一つはアメリカが古い型のマーク1を売って利益をあげるということもあった
武器でも明治維新のときでも古い型のものが売られるのである。
ロシア製のものなどが出回るのもそのためである。
原発はとても一企業ではいかに大きくても運営できない代物だったのである。

そして原発が戦争のときのように神がかりにまでなっていた
「安全神話」が国家と東電とか官僚とかマスコミと一体となり作られたからである。
戦争のときも天皇は神であり日本は神国であり負けないというときやはり神話が作られて300百万人が犠牲になった
神話とか宗教は利益を越えたものとして人間の動機を作る、日本は神国だから負けない、原発なら事故も起きないとなる
創価なら選挙で常勝する、それは仏を信じる宗教だからそうなる
それは政教一致としてそうなっているのである。
他でも宗教がかかわればそうしたカルトとなり動機づけとなり国民がその犠牲になる

結局日本は戦争に負けて天皇は人間宣言した、そして政教分離になったのである。
でも現実は政教分離にならない、宗教が背後で票を操作して権力を動かしているのである自民党の阿部政権の背後には統一教会がいるとかなんとか常にある
つまり権力+宗教となるとき危険な状態になる
原発でも権力によって国家権力によって安全神話が作られていたのである。
国家権力というときそもそも国家自体が危険なものとしてある
国家は権力をもっているから国家でありえる、国家で軍隊をもたないものはない、軍隊は最大の権力であり警察機構もそうである。検察でも国家権力である。
それらを支配することによって国家は運営されている

法律は個々のものとしては公正を追及しているか国家レベルのことになると通用しない
時の国家権力に従うのである。自民党ならその政治体制に従う、そして東電の幹部の責任は検察でも問わないことになる
そもそも国家の犯罪は誰が裁くのかとなったら実際は誰もできないのである。
それは神しかありえない、アメリカだって犯罪国家だからである。ロシアでも中国でもそうである。アメリカが裁けないのは巨大な権力をもっているからである
国家自体が犯罪を犯したとしても裁きようがないからだ

シオンは公平をもってあがなわれ、そのうちの悔い改める者は、正義をもってあがなわれる-イザヤ

つまり国家レベルになると神しか公平に裁けない のである。

いづれにしろ事業を起す、経営することは国家運営とも通じている、それは一個人の問題でなくなる、なぜなら失敗したら親戚とか回りにを巻き添えにするからだ
戦争でも3百万人が死に原発でも一人も死んでいないとか言うが故郷に住めなくなるというのは最大の被害だったのである。水も飲めないとかもう最悪は空気すら吸いなくなったからである。土も汚染されて食料さええられなくなる、さらには遺伝子がやられて子孫すら残せなくなる、ということはこの地域では人は住めなくなるということである。
それだげの甚大な被害が原発ではあった
だから戦争並の被害がある、失敗したらそうなったのである

何のために新規事業へ取り組むのか。それによって社会がどう良くなるのか。といった事業理念・ミッションをメンバーへ繰り返し語りかける

だから事業はこのことが大事になる、動機づけである。原発などは失敗したことのことを考えたら簡単にできないものだった、戦争も同じである。
それは国を滅ぼすものにもなる、つまり戦争でも原発でもやるのはいい
でも国民がその事業理念とかミッションに納得すればである。
一私益として事業をするのではない、国民の納得の元にする
それは何でもそうである。政党でもそうである。
俺は政治家になるのは金になるからだ、地位が得られるからだとが動機になる
そういうミッションがないものが政治家になり権力を得るとどうなるのか?
ただ自分の利益のために国家権力を利用し私腹をこやすだけになってしまうのである。

原発だったら電気がたりない、電気がなくなれば文明は維持できないということが動機になる、また核武装の備えとして国家防衛として必要である。
ではそれで国民を納得させられるのか?こんな甚大な被害にあっても納得させられるのかとなる、そうした納得の作業が民主主義なのだろう。

でも結局権力によって一方的に押しつけられる、それが歴史でもある
原発の問題は一企業の問題ではない国家権力がかかわっていた
だからこそ戦争のときのように「安全神話」は作られたのである
いくら大企業ではそういうことはできないだろう。
戦争のときのように国家権力がかかわったからできたことなのである。
国家権力がかかわっているらか誰も罰することもできない
国家の犯罪は誰も罰することができないのである。





posted by 老鶯 at 11:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2017年07月12日

発見した真野川河口の津浪の前の写真一枚


発見した真野川河口の津浪の前の写真一枚

manogawaphoto1.jpg
これは夏だろう



これは前のホームページを記録して保存しなおす作業の中で出てきた
関係ない所にあったのだがこれは真野川である。
間違って他の旅の写真に出ていた

ここに松がありコンクリートの岸辺がありここを良く歩いていたからだ
波がよせているのはめずらしいかもれない

しかしこの松原とかコンクリートの岸も全く消失した
河口はまだ昔のように残っている
対岸にも松があるがその松も消えた、ともかく松はみんな消えた

右田の一本の松も枯れているからまもなく消える
松は一本もなくなったのである。

だからこの写真は貴重になった、他にもまだ残っているかもしれない
右田の松原は太かったしいい松原だったのである。
タグ:真野川河口
posted by 老鶯 at 14:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

今日10時56分に宮城県で震度3の地震 頻発する地震は次の大地震の予兆


今日10時56分に宮城県で震度3の地震


頻発する地震は次の大地震の予兆



相馬地域も一瞬ゆれた、でも気づかれないほど、震度1にもなっていないだろう。

ともかく地震が頻発している、この地震の起こる頻度が多すぎる

だからこれらの地震が大地震の前兆なのかとなる

弱い地震でも頻発するのは絶えず地下で地殻変動が起きているからなのか?


東北の太平洋岸と中央構造線にそって頻発している

今情報は気象庁のサイトで見た、テレビではなかった

これだけ地震が多いということをあまり経験していない


地震が起きる間隔が短すぎる!


慶長時代もこうして地震が連続した

大きな地殻変動が東日本大震災で起こり継続している

ただそこで綿密な計測はなかっため予兆できなかった

やはり大地震の前兆なのか?


小さな揺れでもそれが頻発するときは危険になる

東日本大震災でも震源地は小さな地震が頻発していた

それが見逃されていたのだ

これだけ地震が頻発することは警戒しなければならない

ただどこで大地震が起きるかわからない

でも近々か起きるかもしれない

巨大なエネルギーを放出する時が来ている

その後にまたおさまる

今はそういう時期なのだろう


地球的スケールで、地質活動が活発化しているのか?

 地質活動が活発化することがあっても、それは現象としては百年、二百年の単位の内に活発化が顕在してくるものであって、普通の人間生活の中では通常捉えられないものである。それが人間の皮膚感覚で明確に捉えられるような、数日の内に活発化してくるというのは、常識を遥かに超えている

 東北は今、余震も頻発し非常に困難な状況だが、今後、非常に長期間にわたって同規模の地震が発生することはない。余震が収まれば、安定した時期に入るので、安心して通常の経済活動が行える状態になる。

東北地方はあれだけの地震が起きたのだから大きな地震や津浪は起きないとしている
それでかえって安心することがある

一番危険なのは三浦半島辺りだとしている、中央構造線と東北き太平洋岸沿いに地震が頻発しているからだ、南海トラフも危険だとしている
つまりこの次の大地震は南海トラフとか東京近辺が危険だとしている
何かそれが規則的に起きているから当たるのかとも思う

今回はこんなに地震が頻発することは素人でも予測される、それほど地震が多すぎるからだ。  

posted by 老鶯 at 11:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

2017年07月11日

最近の地震頻発には法則性がある (大地震の予兆としての地震なのか?)


最近の地震頻発には法則性がある


(大地震の予兆としての地震なのか?)

earthquake1122.jpg

最近一カ月の地震発生の分布


ここの図がわかりやすい。

南海トラフより、先に、相模トラフ、北海道東方、あと鹿児島あたりだと思います。
2016/11/19



全国的に地震が頻発している、今日鹿児島で起きた、最近の地震は日本列島全体で起きている、九州から長野県への中央構造線と北海道から太平洋プレートにそって起きている
一昨日は福島県の沖、相馬の海が震源地で震度5弱とか起きた

確かなことは中央構造線と太平洋プレートに沿って起きていて関連があるのか?
それは東日本大震災の影響で中央構造線を刺激して熊本で大地震があり今度は今日鹿児島で震度5強があった、長野県での震度5強はやはり中央構造線沿いである。

日本列島は北海道から九州まで地殻変動が影響する、沖縄まで連続している


(最近一カ月の地震)

2017年07月11日12 : 26鹿児島湾1マグニチュード2.310km
2017年07月11日11 : 56鹿児島湾5強マグニチュード5.210km
2017年07月11日07 : 57長野県南部1マグニチュード2.410km
2017年07月10日17 : 04岩手県沖1マグニチュード3.350km
2017年07月10日02 : 02大隅半島東方沖2マグニチュード3.560km
2017年07月09日06 : 22長野県南部2マグニチュード2.510km
2017年07月09日03 : 36福島県沖2マグニチュード4.120km
2017年07月09日02 : 42択捉島南東沖1マグニチュード4.390km
2017年07月08日23 : 45トカラ列島近海

(中央構造線沿い)

2017年07月11日12 : 26鹿児島湾1マグニチュード2.310km
2017年07月11日11 : 56鹿児島湾5強マグニチュード5.210km
2017年07月11日07 : 57長野県南部1マグニチュード2.410km
2017年07月10日02 : 02大隅半島東方沖2マグニチュード3.560km
2017年07月09日06 : 22長野県南部2マグニチュード2.510km
2017年07月08日23 : 45トカラ列島近海

(太平洋プレート沿い)

2017年07月10日17 : 04岩手県沖1マグニチュード3.350km
2017年07月09日03 : 36福島県沖2マグニチュード4.120km
2017年07月09日02 : 42択捉島南東沖1マグニチュード4.390km

何かこれらの一連の地震は素人にもわかりやすい、法則性があるのか?
地震の予知はできないとなっている、プロでもわからない
でも最近頻発する地震は何か法則性があるのか?
それは次の大地震の予兆なのか?

東北の太平洋岸にも大きな余震が来る可能性がある、それは頻発する地震が予兆なのか?
そして暑いということも地震が起こり安くしている
3・11の東北の地震の前の年の時も異常に暑かったのである。
関東大震災の前も異常な暑さがあった、するとその暑さが近くに影響することはありうる大地があたためられて動きやすくなるのか?

ともかく地震は予知できないとしても最近の地震の頻発はやはり大地震の前兆として起きているのかもしれない、地震が多すぎるしそれが素人でもわかりやすい分布があり
その予測する所に起きているからである。

posted by 老鶯 at 14:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

震災原発事故の反省 (外部との絆は生まれ内部では断絶した)


震災原発事故の反省

(外部との絆は生まれ内部では断絶した)


津浪原発事故では外部からの力が大きかった、そこに絆が生まれた、原発でも避難した人たちは新潟などでは特に親切にされたとかある、ボランティアも来たり外部の人との接触があり日本という国を意識した
日本はつくづく災害列島であり天皇の役目がこうした災害を鎮める被災者を慰める役目としてあった。その災害を通じて日本人としての絆や連帯感が生まれた
ただ江戸時代辺りだと交通が発達していないのだから藩が違えば協力しえようがない
相馬藩では飯館村が飢饉になったとき藩全体で援助している
そういう歴史があり藩内だと助け合うということはあった
藩が違うと敵対関係にもなるから助け合わないのである。

交通が発達したとき関所がなくなったとき自由に日本を行き来できるようになってもそれで日本人という意識が生まれたのかとなると疑問である。
日本人として意識するようになったのは明治維新のとき西南戦争で政府軍が武士と戦ったとき国民軍となり国民意識を庶民がもつようになったという。
平民が戦って旧来の支配層の武士に勝ったからである。
その時日本国民としての軍隊が生まれたのである。それまで藩の軍であったからだ

つまり日本でもただそこに住んでいても必ずしも連帯が生まれる訳ではない
戦争は否定されるが戦争によって日本人としての意識が生まれた
それは古代では朝鮮半島をめぐっての争いがありその時日本人としての意識が生まれる
何かそうした絆とか連帯が生まれるのは戦争であれ災害であれ一致協力するときである。家族でも夫婦でも困難を共にするとき連帯が生まれる、家族でもそういう経過を経て本当の家族となる、いくら血縁でも夫婦でも親子でも家族とはなるとは限らないのである。

村でも何か連帯する、村として成立するには共同の歴史があり村が成り立つ
浪江の津島辺りは街から遠く離れているけど共同で戦後入植して切り開いたから連帯感が強いというときそうである、それは苦難をともにして連帯が生まれたのである。
連帯とか絆はそうして苦労を共にしたとかなるとき生まれる
戦国時代とかなると生きるか死ぬかの戦いでありそうなる臣従関係が強いものとなる
会社でもそうした利益だけを得るというとき強い連帯が生まれない
連帯は何かあってその過程で作られるものである。
それが歴史であり日本人としての連帯が生まれてくる

この辺の問題は外部との連帯は絆は生まれた、でも内部では絆とか連帯が生まれなかったむしろ原発事故では補償金などでもめてかえって分断されたのである。
そして内部のものはパチンコとかギャンブルで遊び外部の人が働いて復興していったのである。実際に建築土木関係は外部の力でできた、もちろんもう内部だげでは復興はできなかった。でもその時地元で復興して協力して連帯することはなかった
ただ補償金でもめて分断したのである。
苦しいときだったが協力するということもなく連帯もつちかわれなかった
ただ避難民は仮設などでそれなりに連帯感をもったことは確かである。
でもその回りのものとは連帯感をもつことはなかった

自分の一身上でも自分の病気や介護で苦しんでいたとき何の助けもなかった。だから一身上でも連帯は生まれなかった、これは自業自得だといえばそうである。
ただこの時助けられていたらやはり一身上でも連帯が生まれた
仮設の人たちには外部から常に来て援助があったがその回りには無関心だった
そしてギャンブルに興じているだけであり腹正しかった
内部の連帯というとき避難民化した人たちの内部でも補償金でもめたり故郷に残る人と残らない人の分断が生まれた
そこでは困難に一致協力するという絆や連帯がそこなわれていたのである。
その内部でも連帯は生まれなかったともなる

ただ小高の人でも外部からの人が来てその人たちは話するのが面白いというとき外部とはうまくいっていたのである。そうした矛盾は今も継続しているのである。
ともかく南相馬市として合併したがそこで津浪原発事故が起きてもしその困難に一致協力するなら市民としての連帯とか絆が生まれた、それがないから南相馬市の歴史は築かれなかったとなる、負の歴史として記されたともなる
南相馬市とか市町村の連帯でもそれは歴史的に作られるものだった
何もなくて市民としての連帯は生まれないのである。
それは家族でも困難なときに協力しなければ家族でないと同じなのである。
プラス面とマイナス面はあるゆることに生じる、マイナスと思えることもやりようによってプラスになる、困難でも一致協力して乗り越えれば強い絆が連帯感が生まれる
それはプラスとして作用する、それが内部でなかったことが反省されるのである。

内部の分断は実際は相当深刻である、順序としては内部で協力して連帯して外部の援助を受ける、そうでなければ外部の援助も有効にならないだろう。
内部で分断すれば敵にだって勝てない、だから内部の分断は戦略的に最大の効果を発する右寄りの人がしきりに左は中国韓国のスバイであり分断工作をしている
マスコミがその最大の日本分断の手先だというのもそうである。
マスコミには在日や中国のスパイが入り日本の分断工作をしている
確かにマスコミは一方的に報道が多いのである。
そして日本が分断されるとき危険なのは内戦状態になり国が滅びかねないということである。
いづれにしろこの辺でもそうした分断されてしこりが残った
それが南相馬市全体に波及する、するといくら外部からの援助があっても内部で協力関係が築かれなければ復興はできない、そもそもそこに住んでいる人が争っているのでは内部の援助には限界があるからそうなる

posted by 老鶯 at 08:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連