2019年09月15日

故郷の秋に思う短歌十首 (ふるさとの我が家に交わる女(ヒト)

  
故郷の秋に思う短歌十首

(ふるさとの我が家に交わる女(ヒト)
                                                    
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ここは公民館である



コスモスに夏菊映えて人集ふ  
                                                          

蝶いくつ舞い入りあそぶ夏菊にコスモスとりどりは朝に映えにき

我が家にうから亡くしてその女(ひと)のなじむもあわれ秋となりにき

ふるさとの我が家になじむその女の近くに住みて満月照らしぬ

その女の何故かかわるふるさとに家族もなしも秋となるかな

病院にありて帰らぬ人のあり家は空家に秋となりしも

近ければ墓にもよりぬ姉死して命日近く秋となるかな

あわただし時はすぎゆくふるさとや家の柱によりし秋かな

ふるさとに家なお残り我一人月の照らして昔偲びぬ

母と姉今はあの世にやすらかに争わざれや秋の夜ふけぬ

人の世に嘆きはやまじいつ果てむ月日はすぎ秋のめぐりぬ

人の世の無情にもまれ傷つきし痛みは消えず秋となるかな

ふるさとに交わる人も争い去りもはやあわじも秋となるかな

人はみな金を求めてあくなきを悲しかりけり秋となるかな


家族が死んでなぜかその女性が自分の家とかかわった
それはただ偶然だった、誰もいないよりいいと思いかかわった
もう四五年くらいになる、この月日が過ぎるのも早い
姉が死んでからは八年とかすぎた
なぜ早く感じたかというといろいろなことがありすぎたからである
何かそうして追われた結果、早く過ぎたのである
その八年間は津波だ原発事故だ、プログで書いてきたようにいろいろなことが災難でもありすぎたのである、
結果的に追われる日々でありそうすると月日が過ぎるのが早いのである
だからここ十年間は倍速で月日が過ぎたのである
そして自分自身もかなり老いたとなってしまったのである

ふるさとが別にいい場所でもない、そこにいい人が住んでいるともならない
ただ家族がいるうちは自分の場合は故郷の人と交わっていなかったのである
そういう特殊な状態で生きていた、なぜなら家族がいてすべて家のことはしてくれたからである、
今は全部自分でやらざるをえない、家事でもそうである
だからまた家事で追われている、家事はきりなくあるからだ

ただようやく秋となってきた、涼しくなってきた、でも今日も外は晴れたが日ざしが強いから夏になっている、
一か月は夏が長引いている感じである

不思議なのは私の友というのではないがその女性の親しい人が男性が病気で三か月入院している、糖尿病である、
それでその人のことを思った
三か月も家が空家になっていることでその人のことを思ったのも不思議である
その人は娘がいても隣の市に住んで一緒に住んでいない、一人で住んでいたからである
だから三か月も空家になっている
その人がいない、空家になっていることでその人を思うというのも不思議である
何か深い関係ではないにしろそう感じるのはやはりわずかでも交流があれば人間はそうなる、その一番の理由が近くに故郷に住んでいるからだともなる

東京とかに住んでいる人はいくら親族でも忘れやすい、心が通わなくなるのである
近いということがやはり心が通うということなのである
故郷とは狭い場所であり本来は心が通う場所になる
原町でも遠いとなり近くがやはり人間が心を通う場所としてある
もちろん実際は心も通わないということも普通にある、必ず嫌な人がいるからである

正直その女性とかは問題がありいろいろ相談されるてこちらも苦しくなる
ただどうしても一人でいると誰かいて欲しいとなるのである
その女性はその男性に頼っている、だから帰ってこないと苦しい、
でも八〇歳とかなり病気なのだから頼りにもできないとなる
そこが老人の問題である、老人は老人に頼れないのである

何か理解できないのは夫婦でも嫁いだ先の墓には入りたくないという女性がほとんどだというのもそれだけ嫁と姑問題があり嫌だからそうなっている
でも長年一つ屋根の下に暮らしてそうなっているのは悲しいとなる
自分の家でもそういうことがあったがやはり最後は争っていても情が通っていたのだなと救われた、
それは六〇年も一緒にいたからそうなったのである
だから人間の交わりは長くないと情が通わないのである
長いといくらもめていてもいつしか憎しみでも愛に変わることがある
なぜなら憎しみの反面は愛だからである、普通は人間は他人は無関心だからである
無関心なことは憎しみより悪いともなってしまうのである
変なのだけど憎むということは愛にも通じてしいる、これも人間の不思議である

とにかく秋となると人間は感傷的になる、だからこんな短歌になったのである

2019年09月14日

日本の農業は成長産業! (兼業農家とかが補助金農業で農業をゆがめている)


日本の農業は成長産業!

(兼業農家とかが補助金農業で農業をゆがめている)   
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日本の農業の生産を支えているのは1000万以上の大規模農家

【誤解】農業人口激減で日本沈没?!新規就農するなら今でしょ 

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全農家対象の農業補助金はおかしい。農協利用の農家は、ほとんど兼業あるいは農地放棄農家、それに自家用栽培農家であり、単なるバラマキに過ぎない上、日本農業の再建にマイナス効果しかないように思う。補助金を配布するならば、低所得の専業農家に配るべきではないですか?

あいつら(農協のこと)は、税金も満足に払っていないのに、補助金を独り占めするのは絶対に許せん。こんな不平等を国が放置する限り、俺は税金を払いたくない。

補助金に頼らない理由は、まず第一に、農業者本来の「つとめ」を忘れてしまう心配があるからです。本来、生産者である私は、私のお客様に頭を下げるものですが、補助金に手を出すと行政に頭を下げることになり、自分の経営を見失うことになりそうです。

農業ビジネス


農業は誤解している、農業は日本の成長産業だった、なぜ銀行で農業に投資するようになったのか?それは農業が日本では唯一成長産業だったからである
なぜ農業がだめだ、だめだと言われていたのか?
それは兼業農家とか副業農家が多いからである
そこに税金を補助金を投入されているから非効率であり無駄なのである
それで民主党の政策は農業を復興させるためには

農家一軒ごとに補助金をだす

農協ではなく農家に一軒ごとに直接補助金を与える

農協が巨大な組織でありそこに補助金が注ぎ込まれ吸い上げられていたからである
でもこれは悪政だった、農業の生産高は兼業農家とか副業農家が背負っているのではない専業農家が生産の大部分をになっている、ただ兼業農家が数が多いから票になるから民主党ではそういう政策を打ち出したのである
何か民主党は経済政策とかでも不況にしたようにわかっていなかった面があった
もちろん自民党にも問題があった、ただ民主党がつづいていたらやはり日本の経済は危機的状態に今頃なっていた、なんとか持ちこたえているのは自民党になったからだともなる
ただどっちにしろ日本の経済は衰退して危機的状態になるのは遅かれ早かれなっていたのである
日本では今まで高度成長時代があり経済がいいときそうした補助金でも福祉とか無駄なことでも金を回すことを余力がまだあった
その金を回す余力がなくなり補助金政策はできなくなる

でも実は農業の場合は補助金政策が農業をだめにしていたのである
まもともに農業を考えて取り組んでいる人専業農家が農家の主役になっていた
でも兼業農家とか副業で農業している人たちは足かせとなる存在だったのである
例えば常に言われている農業の後継ぎがいないというとき68歳が農業している人の平均年齢だとか耕作放棄地のことを取り上げるがそれも違っていた
そういう人たちは兼業農家であり副業農家であり補助金農家だったのである
そこに農業に対する誤解があった、なぜそこだけが強調されているのかというと兼業農家の窮状を言うとき補助金を政府が投入されるからである
また数が多いから一票として計算できるからそうなる

また日本の自給率が低いとかはない、世界で5位の自給率であり狭い国土にしては高いのである、そして日本の農業は優れている、きめこまかい農業であり技術レベルが高いのである、だから輸出産業としてみこめる、果物はそうなっている
農業もグロ−バル化していて外国で日本人が農業している人がいる
そのグローバル化に日本の農業は競争力をもっているという

日本の経済は電機製品が売れて高度成長時代を築いたときは違って輸出するものがない
自動車産業がなんとかグロ−バル化で競争力をもっているとなる
だからこそインパウンドとか観光に力を入れたりして日本全体の経済が落ち込み貧乏化しているのである
そしてこれまで日本の農業の負の面が強調されすぎたのである
日本の農業はもともと五反百姓とか小農が多すぎたから貧乏なのである
また機械化もされていないから能率的ではなかった
機械化されて技術も向上して日本の農業はかえって成長産業となっていたのである
だから銀行で投資先がなく投資しようとしているのはそのためなのである

私が援助している趣味で農業している人はまず金がかかる、今は体が悪いとか暑いとか放っておいたから草ぼうぼうになっている
だからとれたものでキュウリ一本一万にもなるのは嘘ではない
ただそこで農業の話をじかにしてくれるからその情報に金を払っているとなる
まず肥料から種から道具からと農業は設備費と金がかかるものなのである
だから今では小農とか兼業農家では採算がとれないのである
ただそこに補助金が出るので老人が片手間にしているだけなのである

そして耕作放棄地が増えていると騒いでいるけどそれは新規参入者にとってチャンスだとしている、つまり土地が安く手に入るからである
もうそういう土地は無料でも貸しているからである
農業はまず土地が手に入らなければできない、土地が資本だからである
そして労働は機械がする時代である
農業が採算がとれないとか負の面が大きく語られたのは高度成長時代、工業化が進展してそれと比べると農業は時代に合わなくなっていたからである
今はかえって農業が成長産業として見直される時代になっている
ただ兼業農家と副業とか今までの小農では成り立たないだけなのである

私が農業について語る時は農業というそのものが持っている価値とか意味を追求したのである、農業は必ず自然と結びつくからそこが他の職業と違っていたからである
農業は生態系と密接に結びついているから共生の思想が自ずと生まれる
ただこれを経済合理性からビジネスとして見れば違ったものになる
農業を成長産業としてビジネスとして位置づけると違ったものになる
今や農業が有望な日本の成長産業になっている

だから趣味でしている畑と同級生が5人で組になっていしている畑を比べると趣味の小さな畑は肥料から種から道具から金がかかる、十倍をもかかる
でも広い畑でも専業農家がかかわりトラクターとか機械をもっているから草はいつも刈られている、生産する量も多くなる、それは専業農家が主導しているからそうなるのである趣味で畑で野菜を作るとかえって十倍とかの金がかかるのである
でも大規模にやれば農業の収入が少ないということはないし成長産業なのである

でもここでも同じだった、補助金農業になると国に頼り補助金をもらうことが主目的になる、補助金をもらえるから工夫もしない、ただ畑をもつということで補助金目当てになるでも補助金をもらわないで農業をするとなると工夫したりいろいろ自ら励むことになる
それは原発事故でも補償金だけをもらいそれで生活しようとすることとなったと同じである
結局人間は補助金とかが補償金でも必ずいい方面に向かわないのである
その補助金とか補償金でかえって人間は向上心を失う、そしてそこに税金を払うことは国民にとっても損になる、税金の無駄使いとなる、それで税金がたりないとなり消費税が政府であげたりしてまた国民の負担が増えて苦しむのである
そういう悪循環があったがもうそれもできない
なぜなら日本全体の経済か落ちこんできているのだからそんな無駄なことをしていられなくなったからである  

この支援のお金の出所はどこかというと、国や地方自治体です。日本は雇用維持という大義名分のもと、助け合いのシステムになっているため、国や地方自治体が助けているのです。現在、国や地方自治体からなんらかの支援を得ている職場で働いている人は、なんと全就業人口の約50%にも上っているそうです。

ただ農業というのは複雑でありそう簡単に効率的だからとか合理的だからとすすめられないのはそれが自然と密接に結びついているからである
農業は他の産業とそこが根本的に違っているから合理的効率的にすすめることが合わないというこもでてくる
でも現実問題としては効率的農業を目指さないともう成り立たなくなっている
農業は別に68歳平均の人たちがしているのではない、専業農家はそうではない、若い世代もしているし新規参入者も増えてくる成長産業なのである 

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都市型公害農業

大規模農業

中山間農業ライフ型

この中山間農業ライフというのは農業自体に価値と意味を求めるのにふさわしい
農業体験して民泊するとか農業ライフを追及する
この辺でも蔵を改造して観光に利用するとかするために学生が来ていた
他でもそういう観光的なことをしている人はいる
つまり農業と自然は密接に結びついているから農業というのは観光のように景色を見るだけではない、自然をどのように活用するのかと深く結びついたものだからそうなる

それは田舎に住んでいても意外と農家のことがわからない、農業のことがわからない
それで趣味でも畑をしている人に直接その苦労とか面白さを聞いている
それは農業ライフを趣味としてしているとなる
趣味でしていると金がかかるのである、ただ都会の人が農業を食料を得るものとしてだけ見ている、でも農業は自然と深く結びついているからその背景が広く奥深いのである
自然に通じるには本当は景色だけみていてはわからないのである
それでその女性に冬(ふゆ)はかえって作物が育つと聞いた時、冬(ふゆ)であり増えるという意味を理解したのである
つまり日本語の由来そのものが農業を実地にしないとわからないし文化すらわからないのである
要するに文化的にアプローチするのが中山間農業ライフ型である
一方で経済合理性を追求するのが大規模農業なのである
時代で農業も変わってきていてその辺が誤解しているのである

大規模農業で経済合理形を追求するにはかえって原発事故で他より耕作放棄地が増えたこの辺は放射能問題があっても新規参入しやすい場所である
第一小高を見ればわかる、田畑が一面草ぼうぼうとなっているからだ
それだけ広い耕作放棄地を新規参入者が自由に利用されるとなればそこに新しい農業が生まれる可能性がかえってあるとなる、そこで会社経営として農業をはじめた人もいるのもわかる、もう個々人の農家ではどうにもならなくなっているからだ

つまりこの辺で兼業農家とか副業農家とかは一掃して会社経営の大規模農業にならざるをえないともなる、それが強いられている場所である
ただ小農として農業ライフを追求する分野も生じている、農業は実際は文化的なものが基になっている、cultivate-cultureだからである
そういう面でも新しい農業として成長産業だともなる

とにかく外から新規参入するのにはここはチャンスとなる場所なのである
そういうふうにすでに農業の新規参入者が外から入っている
つまり何かこういうふうになると大きな改革がしやすいともなる
一挙に広い土地を自由に使えるということにもなるからだ
そこで農業の復興がありそこを基幹として復興がありうるともなる
ただ農業というのは実際にしてみないとわからないものがある
それが田舎にいてもわからないのである
田舎でも実際は多様化しているからである
農業に従事している人は一割にもみたないとかなっているからである

ともかく農業が成長産業だという時かえって田舎が見直され成長してゆくともなる
時代が変わると必ず価値観が変わるからである
農業がだめだ金にならないという時代は高度成長時代でありその時は会社に入ると金になる時代だったからである
でも日本自体が会社が大企業でもグロ−バル競争で倒産したり終身雇用がなくなっている、銀行でもゆうちょでも農協といった国に関係しているものも国で保証できなくなっている

常に時代が変わるからである、ただ余りにも農業に負のイメージが国からでも植え付けられすぎたのである、それは兼業農家でも数が多いと票になるからである
それで意図的に負のイメージが植え付けられた、それでソフトバンクが農業にビジネスとして参画するとかITを利用するとか現代の時代の変化に適合した農業を提案する人がいたとなる
それでこの辺が第一次産業や農業が放射能汚染されたことが致命的だったのである
それさそ農業を根本的に破壊するものだったからである
農業をするなと親に子供が殴られたりした時代もあった、でも農業はまた見直される、その価値が多様だからである
そして農業の価値は工業のように変わらないのである、普遍的であり不変なのである
それは自然と密接に深く関係しているからその価値は変わらない、かえって農業ライフとか生産物だけてはない農業を通じて自然と触れ合うような農業も生れるとなる

posted by 老鶯 at 15:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2019年09月13日

凍天(しみてん)の木乃幡倒産も原発事故のせいだ (水俣公害、成田闘争と原発事故の相違)


凍天(しみてん)の木乃幡倒産も原発事故のせいだ

(水俣公害、成田闘争と原発事故の相違)

●すべて原発事故のせいにされる

当社は、1965年(昭和40年)創業、84年(昭和59年)インターネット販売、「もち処木乃幡」や「しみてん木乃幡」の店舗名による小売りも手がけ、2006年6月期には年売上高約3億8700万円を計上していた。

 ドーナツのような生地の中に凍餅が入っている主力商品の「凍天(しみてん)」は、全国ネットのテレビ番組で取り上げられるなど知名度を高めていたが、2011年3月の東日本大震災に伴い工場が被災したため外注依存の製造となったうえ、本店工場(福島県南相馬市)が福島第一原発事故による避難区域内であったこともあり風評被害から売り上げが落ち込み、震災以降は業績悪化を余儀なくされていた。

しみてんは高速のSAで売っていた、でもやめたのでどうしたのかと思った
高速のSAは場所がいいから売れるていると思ったからである
でも私がカレーパンを買ったら量が少ないのに高い思った、300円以上したみたいだ
それが特別なカレーパンだとも思えなかった

「政経東北」で事業を拡張したことも失敗の原因だとはしていた
でもその主な原因が原発による風評被害とかにされている
つまりこの辺ではみんなそうなっているのである

原発事故のせいだ、東電のせいだ、国のせいだ

これですべてが終わりである、そして地元にも責任があると言うとバッシングされる
お前は「傷に塩ぬって楽しいか」とか特に原発事故で避難した人たちに言われる
原発事故の被害が大きいしそのことも書いた
今度はすべてが悪いことがあれば原発のせいだとして補償金をどれだけ多くもらうことだけに力をそそぐようになった
それを批判すればお前は同情しないのか、お前は人間なのかとまで言われる
それで「政経東北」とがでも絶対に原発避難者とか被害者のことは批判しないのである
なぜなら読者であり本を買ってもらえるお客さんだからである

今でも原発被害者が何かしているのか?同じようにパチンコとかギャンブルで遊んでいる補償金暮らしなのであり浪江町住民でもさらに月の補償金を十数万上積みしろと要求しているのであるそういう権利があるとても何か納得がいかない  

何かこのしみ天の会社でもこれとにたものがあったともなる
すべて原発事故のせいだとなる、他でも旅館でも会社でもなんでも福島県ではそうなりやすいのである、本当はすべてがそうでなくてもそうしてしまえば経営責任は問われないからである、そしてマスコミも応援するからそうなる
それは原発避難者と津波被害者でも原発避難者側についたものそうである
そのことで原発避難者が思い上がったということはあった
ただそれはタブーとなっていたから言えなかったのである

●水俣病公害闘争、成田闘争との相違

例えば成田空港をめぐる三里塚闘争、水俣病公害があったがこれらは性格が違っている

三里塚空港反対同盟」が結成されたのは「新空港説明会」から僅か3日後の1966年6月28日のことである
1978年5月20日。今から39年前の今日、千葉県成田市に新東京国際空港(現・成田空港)が開港した。

1966年7月に千葉県三里塚に空港建設が閣議決定されてから12年かかっての開港だった。地元住民による反対運動が起こり、死者も出た。当時のようすを写真で振り返る。

なぜ成田空港に反対する強力な反対運動が起きたのか?

それは左翼が学生運動家が入ってきたためだった、左翼全盛時代だったからである
それは水俣公害でも左翼運動家が入ってきた、それで大がかりなものになった
ただこの時は時代が違う、農業というのが工業化するなかで衰退産業化しつつあった
でもこの時は農民が農の大事さを説いていて反抗していたのである

でもこれも原発とくらべると原発の方がその公害でも事故が起きれば今回のように住めなくなるというほど被害が大きくなる
でも原発に反対する激しい運動が起きなかったのはなぜなのだろうか?
その時の農業の環境が違っていたからなのだろうか?

むしろ原発は出稼ぎに行かなくても地元で働けると地元民から歓迎されたのだから反対運動も起きなかったのである
成田の闘争では空港になることで田畑が奪われるということで農民が前面に出て戦ったのである
だからなぜそこまでして戦ったのか?
空港では騒音とか公害があることはわかる、でも原発とかの被害とは違うのである
もちろん騒音で住みたくないというふうにもなる、騒音公害も深刻である
でも田畑をその時維持していても時代が変わりつつあり、金銭に変えた方がいいともなっていた農家もいたかもしれない、ただその時はとにかく農民が全面的に主役となってそこに全学連とかが左翼が加担したのである

その時も「森と里の思想」という本で対談していた知識人がいたがその人たちは農業というものが人間にとって別なものとしてアイディンティティとなるものとして見ていた
それには自分も書いてきたように共感するのである
この時はそうして農業に思入れある人が農民自身が農婦でも全面に立って抵抗していたのである、それが原発事故を起こしたこの辺とは違っている

現実に東北電力で原発ができるというとき小高で工事がはじまるというとき小高の大工さんは景気良くなるよと喜んでいたのである
おそらく農家の人も歓迎していたとなる
なぜなら小高の人から聞いたからである、親に農業は継ぐなと殴られたと
それだけ農業は金にならないと嫌っていたのである
そして20キロ圏内にも入る原町市でも何か反対運動は起こっていなかった
左翼の人たちもいても運動していなかった不思議である
小高には左が多く自民党の代議士になった人が住んでいられない原発事故の後に九州の方に住むようになったとも聞いた
それは定かではないがそれだけ左の人が力をもっていたのになぜ原発反対運動が起きなかったのか?それもわからないのである

ここでも原発事故の被害者と同じようなことが起きていた

私らが裁判に勝ったら、一任派の人たちも千八百万円もらいなすった。それはまだいいのやけど、お金が出たばっかりに、自分もそげんとじゃ(そういう症状だ)≠ニ言う人の出てきたとです。それも、以前は伝染病やとか言うとった人やら、あそこの家は貧乏やから、魚しか食うもんがなくて病気になった≠ニか、陰口叩いとった人に限って我も我もと申請ばするとです。ろくに魚も食べんのに水俣病になった人やら、四十年になった水俣に越してきた人やらが、水俣病や、水俣病や′セうて・・・・。絶対、焼酎飲みすぎてアル中になった人やら、中風やらの人が申請しとるとです

水俣の公害闘争は知らないまに子供に重篤な症状がでてそれが目だったので注目された
ただ当事者が補償金闘争になりだめになったと後で述懐している
原発事故でもそうだった、あとはどれだけ補償金を東電ても政府からでもとるかという闘争になったのである
だから公害になったらみんなだめになると反省していた 

●成田闘争は国民の感情から離れ終わる

ただこの辺で成田闘争とか水俣との相違はもともと原発によって地元の経済が成り立ち
恩恵を受けていたことである
その規模が大きいのである、成田闘争とか水俣との規模が全く違うものであった
いくら水俣病の被害でも百人くらいが実数の被害者だったのである
たしかにはそれは目だったがこの辺は十数万という規模で被害を受けた
そして住めなくなったということが被害だったのである
だから成田でも水俣でも被害はあるにしても規模が違っていたのである
だから死人が出なかったというけど住めなくななったことが最大の被害だったのである

でも何かこれらの公害問題は違ったものだった、原発事故では一時東北に住めなくなるという危機感をもたらしたほどである
でもそれがなぜ成田闘争や水俣公害闘争のようにもならないのだろうか?
第一原発が建つ前にそうならなかった、左翼が力をもっていた小高でもならなかった
その原因は明らかに地元の人たちの危機感の無さとか原発が金になるということでそうなった、その抵抗する動機がなかった
農業していても親が子を農業だけはするなと殴ったように農業自体を卑下してそこに価値を置かなかったのである
成田闘争では農民が前面に立って農業を守ろうとしていたのである

成田闘争では何か農業を守りたい農業をここで継続したいという意志があった
それで農婦までも全面に立って戦っていた、それは必ずしも左翼運動家に強制されたものにもみえないのである
その差がどうして生まれたのか?そこも追求する課題だとはなる 

京成電鉄を筆頭に地元の列車内では反対派が事実上占拠しており、車内では竹槍をかざしながら対立組織に対する「検問」が日常茶飯事に行われていた[9]。地元住民の生活の足である『京成電鉄へのテロ行為』は、もはや空港反対運動の枠を超えた地域の社会基盤そのものへの破壊活動であり、空港周辺部以外の京成線沿線の住民からの反対派への白眼視を招いたのみならず、この頃始まった新左翼そのものの衰退や、当初の目的である開港阻止が叶わなかったことで『成田空港粉砕』を唱え、より先鋭化の傾向を見せる反対派に対して、国民感情は加速度的に乖離していった。

左翼運動家は過激でありそれが国民感情とずれていたのは学生運動でもそうだった
何か青春のエネルギーそこで発散するために暴れていたのかともなる
だからどうしても農民が主体となっていてもこのとき左翼の力が強くそれによって大々的に社会問題化したとなる

1956年(昭和31年)5月1日に熊本県水俣市にて公式発見され、1957年(昭和32年)に発生地の名称から命名された。その後、類似の公害病にも命名されている。

1978年(昭和53年に開港した新東京国際空港(現・成田国際空港)を巡っては1960年代初め頃から候補地等の検討が進められていたが、その建設に当たり、開港を急ぐ政府の強硬姿勢と当時の世相と地域固有の事情が相俟って、空港用地内外の民有地取得問題や騒音問題をめぐって近隣住民らによる激しい反対運動が社会問題化した。

●なぜ原発では反対運動が起こらなかったのか?強力な電事連があったからか?

この闘争は長かった、1960年から始まっていた、ちょうど学生運動とだぶった時代だったのである、だから左翼運動家が問題を大きくした側面もあったのだ
でもなぜ原発に関してはこうした激しい反対運動が起きなかったのか?
左翼でもしなかったのか?

その原因の一つは電事連にあったのかもしれない、この電気連合体は強力なのである
800億円の宣伝費をマスコミに流していたからである
だからその組合は原発に反対はしない、飯の食い上げになるからだ
利権と一体化しているからできないのである
水俣病公害事件とか成田闘争はこうした強力な組合とは関係ない、学生がかかわっただけだったとなる、それでも何か大きな問題として取り上げられたのはなぜなのか?
1960年からはじまったとなるとまだ農業が衰退していない時代だったからなのだろうか、それで農婦でもただ左翼運動家に押されて前面に出て来たともならないのか?
そういう時代の差があってそうなったのか?

でも今度は原発だと双葉とか大熊地域は福島県のチベットとか言われた
出稼ぎ地帯であり地元で働きたいという意向が地元に強かったから積極的に誘致された事情がある、だから反対運動は起きなかった
ただ原発では左翼でもこれまでのような強力な反対運動は起きていないのである
それでも巻町と能登では原発を作らせなかった、それは左翼運動家がいて反対したからではない、地元民が協議して作らせなかったのである
だからそれほど強力な運動しなくても原発を作らせないことはできたとなる
全く地元民が無力だとはなっていない、ただ福島原発は日本では第一号原発でありアメリカの要請と政府の意向が強く働いたのでまた事情が違っていた
福島原発と他の原発ではまた事情が違っていたのである
そこに一千万都市の東京都民の圧力もあったのである、新潟県の柏崎原発でもそうである東電の原発でありその電力は東京都民が利用するからである、また原発第一号ということで政府が強く後押ししたからだともなる

posted by 老鶯 at 18:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

原発事故の処理にあたる従業員650人を退避させた (事故処理する人がいなくなっていた、保安院もいなくなっていた!)


原発事故の処理にあたる従業員650人を退避させた

(事故処理する人がいなくなっていた、保安院もいなくなっていた!)




証言によれば、吉田所長は福島第二への退避を指示してはいなかった。約650人の作業員の退避は、「伝達ミス」によって起こった、ということになる。それを、朝日新聞は「命令に違反した」と報じたわけだが、確かにその表現は正確ではないだろう

「事故対応にあたるべき人員までが現場から離れていたことの深刻な意味を、我々は振り返る必要がある」と強調した。

 「もし、(福島第二から)あのまま誰も戻らず、線量も下がらなかったら、東日本は壊滅状態になっていた。チェルノブイリでは、沢山の原発作業員が命を捨てて、鉛を投げ込んだことによって、最終的な破局を免れた。東電はそこまでやる気はなかったし、政府も覚悟はできていなかった。次に事故が起こったときに、そういう労働を命じられるのか、誰がやるのか

浪江町の東電で働いていた人が事故当時電気工事関係者が1000人働いていた
でも事故になり退避させた、それが悪かったと言っていた
そのことはこのことだったのである
あの人は現場にいたからわかっていた

事故対応にあたるべき人員までが現場から離れていたことの深刻な意味を、我々は振り返る必要がある」と強調した

事故に対応する人が650人もいなくなっていた、それは命令させられたのかその人は東電の命令が絶対で逆らえないから退避させられたとなる

事故になり吉田所長とか50人くらいは残った


最も大変な事態が進行しているときに、原発を操作できる唯一の組織である電力会社が収束作業態勢を著しく縮小し、作業にあたる義務のない者が自発的に重要な作業をし、現場に来ることが定められていた役人が来なかった。


外国メディアは残った数十人を「フクシマ・フィフティー」、すなわち福島第一原発に最後まで残った50人の英雄たち、と褒めたたえた。
 しかし、吉田自身も含め69人が福島第一原発にとどまったのは、所員らが所長の命令に反して指示とは別に福島第二原発に行ってしまった結果に過ぎないだった。
 所長が統率をとれず、要員が幹部社員も含めて一気に9割もいなくなった福島第一原発では、対応が難しい課題が次々と噴出した。

 「フクシマ・フィフティーの真相」朝日新聞〈吉田調書)


事故になった時、東電の所員の一番心配したのは原子炉だったという、周りの住民の安全とか命を考えない、住民を避難させることに頭が回らなかった
でも東電の事故に当たるべき所員は避難させることを第一にしていた
残った人はほめられたがそれはたまたまそうなったとここで報告している

チェルノブイリでは、沢山の原発作業員が命を捨てて、鉛を投げ込んだことによって、最終的な破局を免れた。東電はそこまでやる気はなかった


日本はチェルノブイリのことを批判していたけど日本の方が対処が悪かった
例え上からの命令でも命がけで事故を収めようとしていた、実際に20人以上死んだ
その時日本ではいかに避難させて従業員の安全を計るしか考えていなかったのである
保安院はいち早く避難していなくなった、政府の代表がいち早く逃げたともなる

つまり誰も事故を起こした原発を診る人がいなくなった!

混乱していたにしろ日本には英雄などいなかった、政府でも東電でも無責任だったとなる
ではなぜそうなったのか?

そもそもが福島に原発を作ったのはそうした危険を回避するものとして東京から300キロ離れた福島に造ったことにもあった

もしこれは東京に原発を作っていたらどうなるのか?

もう東京の人が危ないとなれば必死にならざるをえない、みんな騒ぐからである
そうしたらみんな作業員を退避させることなどでできない
一千万の東京都民が危険にさらされるとなれば真剣にならざるをえない
国でもそうである、国の機関も東京にあるからだ
そして東電でも福島とか離れた所ではないから直接指示できたのである
そこからして間違っていたのである
ただ東京に原発を作れなかった、みんな反対するからである
そして福島に造らせたのである
そこに東京都民も責任がありずるいともなる
福島に原発を作らせて自分たちの安全を計ったのである

原発がどういうものかどれだけ危険なものかその自覚がなかった
東電の人は専門家だから知っていた
それで浪江の人が津島に避難した時、そこに東電の社員がいて街の方に引き返した方がいいとしてみんな引き返した、津島だと今でも放射線量が高くて帰れない、もっとも高い場所になっていたのである
東電の社員は知っていたが対処しなかっただけである
専門家はやはり専門家である
一番関心したのは10メートル以上の津波が来ると東電では調査報告されていた
でもその対策を東電の幹部はコストがかかるからしなかった
その他電源を地下に置いて津波がきて使えなくしたとか不備があった
危険を考慮せずにわざわざ高台に建てる計画だったのに低くしたことも津波の被害にあった原因だったのである
それだけ原発の危険に備えていなかったのである

ただ東京には作れない、これだけは最初からの至上命令だった!

あとは福島だ、離れているからいいやとかなっていたのである
福島が事故になったら処理すればいいんだとしかならなかったのである
そうしして福島では事故のために住民が住めなくなったのである

これは本当かどうかわからないが前の南相馬市長の桜井氏が原発が爆発した時北海道に逃げたとか噂になった、それは本当かどうかわからない
それをしきりに言う人がいた、それも保安院が真っ先に逃げたというのとにている
ただ南相馬市では原町区は全員に避難命令が出て実際に避難したからだ
その隣の鹿島区でも半分は避難した
その時もうバスには乗れないとか騒いでいた、人数が多いから用意できないとしていた
そういう混乱状態のとき危機か感じる人は感じていた
そして南相馬市立病院の看護婦などもいち早く避難した
患者を置いて避難した、それはやはり危機感を他の人より医療関係者でもったからだとなる 

私は何が起きたわからなかった、だから危機感がなかった、それで20マイクロシーベルの放射線量がでていたとき外を出て歩いていたのである
外に出るなと警告されていたのにそうしていた
だからそれだけ放射能とか原発のことが日ごろから知識としてないからそうなった
津浪だってそもそも危機感がなかったからかえって老人がこの辺は津波は来ないよとして死んだ人が多いのである
つまりどうしても危機感をもって生きること備えることが人間は苦手なのである
今回の千葉県の停電でも一週間くらいの停電には各自備えておけというのもそうである
それは住民の責任だと言っている
要するに何でも政府が自治体でも他でもしてくれないからそう言っているのである
ただ原発だけはどういうものかわからないから備えることもできなかったのである


浪江町で原発の現場で長年働いていた人の発言の検証 
〈その指摘は現場の経験で的を得ていた)






posted by 老鶯 at 10:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2019年09月12日

神秘の洞窟(Mysterious artificial cave)

神秘の洞窟(Mysterious artificial cave)



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Mysterious artificial cave

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dark vally

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a hidden lake

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crest of the earth

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train go into galaxy

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縁(えにし)とは海洋民族が縁を結んだ海岸のこと? (日本の海岸線が日本のアイディンティティを作った場所)


縁(えにし)とは海洋民族が縁を結んだ海岸のこと? 

(日本の海岸線が日本のアイディンティティを作った場所)

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津浪で海となった、その先が太陽の落ちる方向が日下石

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縄文時代を通じて切れ間なく大陸から人が漂着しており、そのいずれもが長い航海を経てたどり着いていることからして、列島に流れ着いた人は総じて航海技術に長けており、それらの技術を生かしてネットワーク形成を担った運輸集団になっていった可能性もあります。
その一つが縄文晩期に北九州に漂着してその後長野から東北に移動した安曇族であり、古墳時代を通じて日本中にネットワークを広げた物部氏です。


日本語の謎は深い、それを解き明かすことは不可能である
ただどういう人たちがその言葉を最初に創りだしたのか?
それは日本に渡って来た人たちがいてそれがもともとあった縄文語と混合した

海岸が西になることはありえない、でも今回の津波でわかったことは日下石(にっけし)という地名がにし(西)なのである
その近くまで津波が来ていたのである
そして津浪で海になった所をみたら日下石(にっけし)の方に輝き沈んでいった
そこから山は見えないのである海から見たとき海岸に太陽が沈むのである
そして日下石に古墳がありそこの近くまで津浪が迫った
その辺まで人が住んでいた

つまり船で来た海洋民族が安曇族などが上陸した海岸は日下石だったのである
それを名付けたのはアイヌなどではない、安曇族とか外来の民族である
なぜならこの辺に綿津見神社と山祇(山津見)神社がどれだけ多いか
特に相馬藩内に異常に多いのである、これは特筆すべきことでありこの辺の特徴なのである

それはなぜなのか?おそらくこの辺は今は海岸線に入江がないけれど奈良時代まで海が深く入っていたからである
その証拠となるのが鹿島区の塩アに船着という地名がありそこに船が来て交易をしていたそれで市庭という地名も残している
その船着のすぐ近くまで津波が来ていたからである
そこに今の東北電力の発電所があり鉄の一大生産基地でありそこから鉄などが運ばれていたのである

船で来て海から見れば海岸が西になるのである、そして東は陽{日}が上る岸になる
それは陸地から見たものであり海岸で見たものではないのである
海岸から見れば海の方から陽が上ることになるからだ
そしたら陽が上る岸とはならない、岸は陸地だからである
それは陸地から見て東として海から見たとき海岸は西だったのである

それで縁とは江西でもある、名古屋の愛西はエニシである、太陽は伊勢湾から昇る
その辺は海が入り込んでいた、だからそこも昔海岸であり西となったかもしれない
ただ方角はどこを中心にして東西南北を決めるか大事になる
その中心が変わると違ったものになるからめんどうなのである
南相馬市自体がそうである、相馬市の南相馬市になったからである
もし小高が中心だったら北相馬になっていた、現実鹿島は北郷となっていたのは小高に前に相馬氏が最初に城を築いたところだったのでそこから北ということ北郷になったからである  
また日本海とかでも瀬戸内海でも方角は変わる、太陽が海の方に落ちてゆくようにも見える
日本海になれば太陽は山から上り海に沈むから逆になる

いづれにしろこの辺で注意すべきは綿津見神社と山津見神社がやたら多いことなのである
それはここに海洋民族の安曇族とかが入植したために多いのである

私の魂は子の風景のもとに安んじて帰ってくるだろう、それはかつてこの島影にたどりついた民族の心象というものがあったからだろう
「海やまのあいだ」にある狭い土地ーそれを海岸線と言ってもいいだろうーにこそ我が民族の「ふるさと」があったのである
海岸線の歴史ー松本健一

日本は古来地理的に海に囲まれているから海岸線が重要だった、そこが生業の拠点ともなった
海老村で二日前に町があったところから坂を上っておりた崖の上に古墳が発見された、それも二も発見されたとなるとそれだけ海老村は人が弥生時代から人がかなり住んでいたからである
そこで魚や貝などをとって暮らしていたのである、また日本では海岸線は奈良時代とかその前になると入江になっているところが多いのである、津とつく地名はつづくからきていて海は陸地にはいりこみ海がつづいている場所だったのである
そこで交易も行われていたのである

だから海岸線は海岸は日本人が縁(えにし)となる場所だったのである、また入江が多いということはそこで魚とか貝をとりやすいのである、生活の場として適地なのである、それで新地の手の長い巨人が貝をとっていたというのはそのためである
松川浦のような入江がありそこで貝がとれたからである、そこが暮らすには適地だったからである
ただ海を海岸線を日本のアイディンティティとすることはなくなった、というよりは海というのはアイディンティティにしにくいのである、海と自己同一化するとしてもできない、海は固定していないからである、それは広大な平原とかともにている
また今回の津波のように恐ろしいものが海なのである

それよりアイディンティティ化しやすいのは固定しているもの山なのである、それに付随する木とか石なのである
だからこそ日本は大和(やまと)山が原点となり故郷となり国になったともなる
ただ最初は神話にもあるように海洋民族が安曇族のように日本の海岸線に上陸して山の方に入植したのである
だから松川浦に山津見という地名があり和田というのも綿津見であり地名化しているし栃窪にも山津見神社があり
その最終地点が飯館村の山津見神社であり綿津見神社なのである

ともかく津波は日本の海岸線が陸地の奥まで入り込んで入江になっていたことを証明した
それはわかっていたことでも驚きだったのである、入江は港でも生活の場にもなりやすいのである
だからみちのくの草原という万葉集の歌は草原(かやはら)は萱ではない、人が出入りして物が入る港だったのである
そういうふうに栄えた場所でありただ萱原が茂っている淋しい場所ではなかったのである
ただ原始の状態だったらその当時はそういう風景はありふれている、むしろ人と物が出入りする港だったとなる
みちのくの真野の草原遠けれどというとき遠いという場所の比喩となっていたのである
草原が茂っている場所ではなかった、ただそれが江戸時代まで石巻の萱原がその地だとされていた
それもまた地名として残されているからそうなった
そして真野の草原にきたとして萱をお土産のようにしてもっていったというのも記されている
それもなぞのなのだが考古学がない時代だからそうなっていたのである

ここには海洋民族の安曇族をはじめとしてツノガノアラシト系の鉄の生産技術をもった渡来人とか集中して来た場所だった
そういう背景があってみちのく真野の草原の万葉集の歌が生まれたのである



夏から秋の変化の短歌十首(海老の浜)


夏から秋の変化の短歌十首(海老の浜)

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クリック拡大(沖に船が見える)

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クリック拡大ー白い花が何なのか、

浜木綿(はまゆう)とにている
でも違っているみたいだ
こういう花をここでは見たことがなかった
津浪の後の変化なのかもしれない、津波で生物でも植物で死んだり再生したりしているからだ

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津浪にも残った松ーその下に松が茂っている


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めずらしい虫、葉は何か、海老浜はマルハシャリンバイの南限の地として有名
つまり南国性の植物が生える場所だとなる



朝の蝉六号線を急ぐかな

夏の日に釣りする人や波しぶき

雷鳴りて後にすずやか月光る


大平洋波打ちしぶき沖に船揚羽のここに舞い去りにけり

珍しき虫の一つや海老の浜八年過ぎし津波の後かな

津波にもなおも残れる松ありて新しく育つ松も頼もし 

津浪より8年過ぎて育つ松繁げるや海老に秋の海見ゆ

鴎群れ大海原の波にゆれ沖に船行く秋の海老浜

ふるさとの小径にここに分かれけりいづくに行かむ秋の日暮れる

水無しの河原に露草あまた咲き今日清らかに水の流れぬ

(南朝語る)

只野氏の南朝語りしきり鳴く蝉の声かな故郷の暮る

南朝を語りし友や秋の蝉ひびきてあわれともに老いゆく

ひぐらしの森の奥よりひびきけり影なす道の行く人もなし

(月)

今日もまた月の窓のぞき我を母の見つつありなむいともは静かに

母もいて姉もありなむ争わず我が家にむつみあうなれ月の光りぬ

別れてもまた会う人や故郷の木陰の道や今日も行きにき

月満ちて明るさ増しておとろえぬ我が老ゆとも智は冴えにけり

山の端に月の傾き光るかな故郷に住み老いゆく我かな 




この三日くらいは天候が次々に変わった、日本の天候は本当に変わりやすい
最初は雨がふって夕べ虹がでた、それから台風がきて昨日は雷が鳴った
その雷もやんだと思ったからまた鳴った、秋の雷となるが昨日は暑かった

この天候の変化の中で海老の浜に行ったりした
そこで古墳が発見されたとか松が意外と高く茂っていたとか変化があった
あそこは風力発電の風車がないからいい、家もなくなったので見晴らしが良くなった
右田の松原はなくなったので鹿島区では海を見る場所としてはあそこが一番いいとなる
つまりビューポイントなのである

雄大な大海原(おおうなばら)に鴎の群れが波にゆれている、何かきもちいい
しかしふりかえると海は怖いものだったなとつくづく思う
その海が見える後ろでは避難して30人が死んだ
そこは高台だから津波の避難所として指定されていたからだ
これも悲劇だった、でもあそこは海を見るにはいい場所として残った

ふるさとで出会うのは同級生の人でありその人は本当に霊山を落ち延びた南朝の末裔の只野氏だったのである、とにかくこの辺は只野氏がやたら多いのである
只野氏一族の町だともなる
ただ南北朝の争いは日本全国にその傷痕を残した、どこでもその争いが伝えられているからだ、それは小さな村でもそうである
それだけこの南北朝の争いは日本の歴史にどれだけ影響したかわかる
天皇が二人になったときどれだけその影響が日本では大きいことを示した歴史だったのである

月は秋の季語である、月がだんだん満ちて明るく輝く、でも今は夏から秋になる時期である、そして夏と秋がある、最近は暑いから余計にそうなっている
何か何度も言っているが不思議なのは今になって知性が冴えている
本でも一か月に10冊とかアマゾンの古本で買っている
だから書評を私はできる、この本が何を言おうとしているから一読してわかるからだ
ただ残念だったのはこんなに本があっても知らなかったし読めなかったのである
本というのは自分の知的関心から買うものだからインタ−ネットのキーワードで関心あることを調べそこで深く知りたいとき本を調べ買う
また誰かの文を読んで紹介されて買うとういことが多くなった
そういう買い方が良かったのである、それが今まではできなかった

そこで田舎ではまず本を買うことができなかったのである
仙台まで行って買うにしてもそこでも本が少なかったのである
すると肝心の本が買えないから知の分野では本当に不利だった
今はインタ−ネットで学者の論文でも読めるから素人でも学者ともなれるとなる
なぜなら文献とか論文とか本を読まない限りプロにはなれないからである

老人は体力は衰えても知性はかえって冴えてくる、人間は死をまじかにすると精神でも相当に鋭敏になってゆく、末期の目で見るようになるからだ
だから老人は知的な世界では充実してくる、私がこれだけてプログで書いていることでもわかる,書くことがいくらでもある、その内容も深く濃いのである

月数(よ)めばいまだ冬なりしかすがに霞たなびく春立ちぬとか  万葉集4492

こういう感覚は万葉時代にもあった、明確に月を数えてもよんでも辺りの景色は冬と思っても春となっているし秋と思っても夏となっているとかある
今は季節が一か月くらいずれている
今日は秋なのかでもまだ日ざしは強い、ただ今日あたりからは秋らしくなってゆくようだ



2019年09月11日

敦賀の原発でも漁業権を売ったことと同じことが起きていた (ワカメが放射能に汚染された方がいい、補償金がもらえるからとなった)


敦賀の原発でも漁業権を売ったことと同じことが起きていた

(ワカメが放射能に汚染された方がいい、補償金がもらえるからとなった)

敦賀の原発が放射能漏れ事故を起こした
それで養殖しているワカメから放射能が検出されて出荷停止になった
すまと原電から補償金が入る、そうなると働かずにお金がもらえる
そこで〈敦賀の漁民たちはこういうことが年に一回くらいあればいいのにとみんな思っていると」言っているのです
(属国民主主義論ー白井 内田樹の対談)

この対談は面白かった、そこにこういうことを内田樹が言っていた
この人は原発避難者を前から批判していたのである
津波被害者と分けて批判していたのである

このことは漁業権を東電に売り渡した漁業組合のことを指摘してきた
ここが何か一番の原発事故を起こしたことの地元の矛盾が現れていたからである
そして最近放射性物質に汚染された汚染水を海に流すということを政府で決めたことに反対している
そうして反対すると補償金が水増しされたりする、海を汚して魚がとれない、売っても売れない、放射性物質に汚染されているのだから売れないからもんと補償金をよこせとなる
それは原発事故前からそうだったのである、船主は特に権利があり東電に漁業権を売り渡した、それで原発御殿を建てていて回りからうらやましがられていたのである
それは海を利権化した暴力団と変わりないと他の人たちも言っているのである
そもそも漁業権は資源保護のために与えられている
東電に漁業権を売った時点で資源保護は保証されなくなっていたのである

だからこの敦賀の原発でも同じことが起きていた
ワカメの養殖が金が入るより事故になって汚染されて補償金を出る方が金になるからそう正直に言っている
そもそも漁業でも金にならないとか跡継ぎがいないとかずっと不満を言っていた
それで原発ができることで実際は金になるということで地元では歓迎されていたのである反対運動もしていないし原町の隣の20キロ圏内に東北電力の原発が工事がはじまるときでも小高の大工さんが景気良くなるよと喜んでいたのである
でも事故になったら今度は原町まで住めなくなった、それも恐ろしいことだと思った

この対談では明治維新になったのも江戸幕府が腐敗してみんないやいやしていたから明治維新になって日本人は変わることができた
その体制そのものに嫌気をさして変わる方がいいとみんな心の中で思っていたからそうなったと言っている、戦争も実はやめたかった、でもしぶしぶ仕方なくしていたから戦争に負けたときかえってそうした不満が解消されたとか解放されたとか言っている
何かそういうことがあったことは確かである

生業を返せーという裁判があったとしても生業とは何なの、生業とは漁業であり農業であり林業である、こういうものはみんな金にならないと不満が大きかった
もう全体の一割くらいしか従事していないのである
そして農業している親に子供が農業だけはやるなと殴られたと言った子供は原発とか建築現場で働いたのである

生業を返せ、補償しろ、金を出せ

となるけど第一生業そのものを嫌いそれに価値を見出していない、金に価値を見出しているだけだったのである
今になってそういうことを主張するのが矛盾なのである
だから外から見ると金が欲しいからそういうことを理由にして訴える、金が欲しいだけだとなる

つまりもし生業そのものに本当に価値があるものとしてこれまであれば批判はしないのである、そういう人はいないのである
そうなると山尾三省のようにパンは贅沢だとかなりパンすら食べられない生活であり
まるで生業に捧げる殉教者のようになる
山尾三省はそうして生業そのものの価値に生きて早死にしたとなる
この辺でそんな人は一人もいないのである、生業を捨てて金をもらい楽して贅沢したいしかなかったのである

でも人間の価値とは何なのか?そうして生業を捨てて補償金をもらっていい車を買いギャンブルに興じる、それは仮設暮らしとか原発避難者がそうなったのである
その時むしろ生業の価値を知るべきだったとなる
生業に従事することこそ人間の価値だったとなる
別に金をもらえばそれも辛いから金だけもらって贅沢してギャンブルしていればいいとなる、でも外部の人からそうしていて顰蹙を買ったのである

つまり人間の価値とは何なのか?

漁業であれ農業であれ林業であれ・・生業に従事していることこそ価値だったのである
ただ補償金をもらって贅沢して消費者になりギャンブルしていることが人間の価値になるのか?
そういうことが問われたのだがそのことを深く考える人はいない
要するに金の社会になれば金さえあればいいんだ、金を持っている人が価値があり何しようが関係ないとなったのである
そのことは上級国民下級国民でも別に金さえあれば上級国民になれると言っている
それが例えば株でももうけようが何しようが金がある者が一挙に上級国民になる社会なのが資本主義の原理だとしている
人間の価値は金だけで計られる、それで年収とかが階級化して目安となる
金意外に何か価値づけるものがない
もともと生業とかは金にならないとなっていた、だから価値がないとなっていたからこういうことが起きているのである

ワカメを作っているより魚をとるより米や野菜を作るより原発から補償金もらった方がいいとなっていたのである
だから原発は莫大な金を生み出すからそうなったのである
事故後でも除染費用が7兆円とかになり飯館村でも一億円もらった方がいいとか言われたしそれなりにもらった人がいた
前の土地が田んぼから住宅地になった農家の人は新しい豪華な家を新築していた
その人も原発事故を喜んでいた一人だともなる
飯館村は山菜をとれるとしても貧乏だったからである
それが外部からみれば素朴ないい村だとなるが内部ではそうではない
やはり今の時代は金がものいうから巨額の補償金が入ることで村は分断されてしまったのである

要するに生業を返せといっても山尾三省のような田舎の本来の生活に価値をもともと否定していたのである、そうなると田舎の殉教者のようになるからである
そんなことができるのはよほどの変人だとなってしまったのである
車もない、パンも食べられない、囲炉裏で生活している、そういう生活が田舎だったのである、その貧乏から脱するために経済成長時代が築かれたのである
そこから原発か積極的に誘致されて事故になり住めなくなったのである

ただ不思議なのは山尾三省のような生活は特別なものではなくみんな田舎ではそういう生活をしていたのである
その時は変人でも奇人でもない、常人であった
それが時代が変わって変人、奇人にされるようになった
テレビ番組ではそうした貧乏の極限を生きる人が変わっているから放送して視聴率をとる
もしそれがみんながそういう生活していた時代にそんなことを放送しても話題にもならない
何にも変わったところがないからである、当たり前のありふれた人だから話題にもならない
だから時代が変わるとこれだけ価値とか物の見方が変わってしまうのである

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千葉県で台風による停電がつづく (災害に弱い便利な文明社会―大都会は壊滅的被害になる)


千葉県で台風による停電がつづく

(災害に弱い便利な文明社会―大都会は壊滅的被害になる)

千葉県で停電三日とかなり水道が出ないとか物が買えないとかクーラーが使えないとか被害か出ている、電気がないとガソリンすら車に入れらないという
つまりあらゆるものが機能させているのが電気になっいるからだ
電気が復旧しないと何もできない状態になる、食べ物すら冷蔵庫も使えず食べることもできなくなる、そういうことは東日本大震災で経験した
でも私の住む場所では電気が使えたし水道も使えた
近くでは電気も水道も使えなくなっていた、千葉県の房総市では街全体が真っ暗になった
文明は便利てのだけど電気水道とかの基本のインフラを破壊されるとその影響が大きい
何もずることもできなくなる、電気が使えないということはガソリンも供給できなくなることでもわかる、電気とはまさに今のライフラインなのである

そして文明社会は災害に弱いのである
なぜなら電気に頼っているから一旦電気が使えなくなるとあらゆるものが使えなくなる
携帯まで使えなくなっている、すると連絡すらできない状態になっている
一見便利なものでも電気が使えないとその便利なものが使えなくなる
真っ暗闇で暑くてもクーラー使えない、食べ物もない、連絡もできないとなる

都会は東京とかなると災害に特に弱くなる、電気が使えなくてったらこうなる
東日本震災で津波の被害地では電気も水もなくなっても裏山から清水をくんで木を切って薪で米を炊いてしのんだということがあった 電気がなくてもそういうことができたのである、都会ではできないのである
その時道路も寸断されたから助けようもなかったのである

そして今の時代あらゆるものを交通とか通信に頼っている
すると電気が使えなくなると使用できなくなる            
つまり文明生活は便利でも一旦こうした災害にあうと弱い
原発事故ではさらに空気から水から土から木から汚染されたから最悪だった
空気も水も飲めなくなる恐怖だったのである
それは今でも継続されているのである
原発は便利でも一旦事故になったりすると最悪になり住めなくなる 

こういうことが東京に大地震が来たらもっとひどい最悪のことが起きる
それももうなかなか復旧できない、その間に死ぬこともある
クーラーが使いないで老人が熱中症で死んだたからである
外からも助けることができない、電気が使えないと今回のようにあらゆるものが使えなくなるからだ
何か備蓄していても米を備蓄していても電気がないから炊くこともできないとなる
冷蔵庫も使えないから食料も得られるなくなる

何か東日本大震災とか神戸大地震とかで考え方が変わった
日本は本当に災害国であり周期的に大地震でも津波でも来る
それにいかに対処するかが日本国土に生きる者に要求されていた課題であった
日本の自然災害がいかに多かったかふりかえるべきである

次の大地震は津波は南海トラフで日本は壊滅的状態になる
それは科学的にも証明されている、そしたらとても東京のような大都会に住んでいられない、恐怖で住んでいられない、高層ビルが倒れるとかイメージしたら恐怖である
それは津波で壊滅した海岸線に良く住んでいたなと今になるとみんな言う
そんな危険なところに住んでいられたなと今になると見る
それと同じことが起きるのである

そうして日本がこれだけ災害が多いというとき災害に備えることが必要なのだがそれが真剣にしていない、日本人は忘れやすいのである
台風一過だとかしかたがないとか自然の猛威をただ通り過ぎるのを待っているだけであるでも今は災いは人間の手で作り出されているのだ
巨大な東京のような大都会がどれだけ危険なのか?
なぜその恐怖におびえて対策をしないのか?

正直外からでも東京が大災害にあったら助けることはできない、自滅してゆくだけになるそれが悪いのは回りでもない、事前に備えないなかったからだ自己責任になる
津浪でもなぜあんなに危険な海岸線に住んでいたのは自己責任だとも言う人がいたからである 

東京だけではなく都市でも田舎でも電気に頼っているから災害に弱い
でも地方だとなんとか水を裏山からでも飲めるとか木を切って燃料にするとかできる
都会ではそれができない、すると自滅する他なくなるのだ

だから津波であれだけ死んだとき、なぜそんな海岸線に住んでいたのか?
そんな危険な場所に住んでいる人が悪いと地元でも言う人がいたのである
それで東京でもそんな危険な場所になぜ住んでいたのか?
そんな所に住んでいた人が悪いとなってしまうのである
それで死んでしょうがなかったともなる
そういう場所に住む人が悪かったのだとなる

そして災害にあった時だけ助けてくれというのは虫のいい話だとなる
またそういうとき金は役に立たない、いくらでも金を出すと言われてもできない
現実に電気を復旧するにも時間がかかる、そういう時は金の問題ではない
丁度救急車を呼ぶのとにている、命にかかわるからだ
その時金のことを言っていられないのである

日本人は東日本大震災で気づいたことは常にどこでも自然災害があり備えていなければならない国だったのである
それでおたがいさまとかあるのは災害のとき助け合わないと生きていけないからそういう言葉が残されたとなる
日ごろは今は金さえあればとなる、金の力が大きなものとなる
でも災害の時は困った時は金だけでは解決しなくなる
そこで日ごろから協力関係がないと災害の時も助け合うことができないとなる
災害の時だけ助けてくれと言ってもできない、それは災害だけではない、日ごろの生活で病気だとかいろいろ困った時助けてくれないとなる
それは虫のいい話だとなるからだ

だからグロ−バル化した時代は日本はどこも危険だとして外国に脱出するのがいいと実行している人もいるしそうしようとしている人もいるのがわかる
第一東京とかなると故郷意識もない、どこでも便利に過ごせるなら安全なら住んだ方がいいとなる、そういうことは地方でも起きている
だからこそ原発避難区域では若い人は流出してゴーストタウンになったのである
東京とかでも一部巨大なゴーストとタウン化するかもしれない
もう危険だから住まないとなる

そして東京に住むのは危険だとわかっていたことだから覚悟して住め 

外から助けることはできない、金で解決はしない

その時金の力はなくなる、物がなくなったりするから戦後で農家に食料を交換するために高価な着物とかも売ることになる、つまり一挙に弱者化するのである
この世では強者が一挙に弱者化することがある
いくら金もっていてもそうである、金は万能ではないからである
本当はだから金を貯えていても大きな災害には役立たない
むしろ米を備蓄しているとか物があることが大事になる
それでこの辺では古米を配られたとき助かったのである

東日本震災で経験したことは大きなカタストロフィー、全面的崩壊現象だった
それは文明の崩壊のようになったから恐怖だった
原発にたより空気も水も土も放射性物質に汚染されたら住めなくなるからだ
東日本が住めなくなるという恐怖だったのである
東京のような大都会は人口が密集しているからそこでカタストロフィー起きる
地方だと田舎だとそういう大きい崩壊は起きない、分散しているから一部が破壊されてもまだ分散していれば生き残る
でも都会は集中的に住んでいるから壊滅的被害になる、それは神戸地震で証明された
ただ原発事故は地方でも田舎でも全面的崩壊に直面した
空気も水も汚染されたからである、土も汚染され森も汚染されて住めなくなったからである、それだけ原発は怖いものだったのである
それでもそうした危機意識がなかったのである

災害に強いか弱いかというとき原発事故でないかぎり地震でも津波でも接続社会として維持してきた
三陸とか漁業でも成り立っていた
明治の津波でも一万人死んでも漁師は海岸沿いに住んで魚をとっていた
船をだして魚をとって生活を維持していたのである
つまり津波だったら別に魚がいなくてるわけでもないし食料がなければ生きていけないからそうなった、つまり住民が大量に死んでもやはりまた魚をとれることで人口が回復したのである、自然に依存して生活していれば確かに被害も大きいのだが貧乏でもなんとか生きることはできて持続社会になっていたのである

東京とか巨大都市になるとそうした接続社会とならない、維持できない、一挙に大崩壊がきて再生できないしゴーストタウン化する、外国から食料でも入り助けてくれるというが外国は本当にそういう時助けてくれるのか?
その時日本の円は暴落するから物を食料でも買うこともできなくなる
緊急の際は外国は役に立たない、運ぶのが容易でないからである
今回の停電でも電気が使えなくなっただけで外部との交通もたたれ連絡すらできない状態になったからである
グロ−バル化経済とかは意外と災害とかには機能しなくなる 

外国だから別に助け合うということで成り立っているわけではないからだ
それで韓国では日本が災害にあったとき喜んでいた
今でも放射能に汚染された魚とか食料のことで攻めて来る
そんな国と付き合えるのか?
むしろ災害に会い日本が弱体化したとき攻めてくるのが外国なのである
だからグロ−バル経済というのは一面大きな危険がひそんでいる
それは別に助け合いの経済でも何でもないからである
それより資本主義の非情な弱肉強食の経済なのである
それは外国だけではない日本国内にもありうる 

田舎と都会の問題にもある、日ごろ助け合わないものが災害とか緊急事態に助けない
それは親族でもそうである、離れて暮らしていると何か緊急事態になり困っても助けられない、その人は自分にも問題があるにしろ金の関係でしかない
祖母でも死んだとき財産をもらえとしか思っていなかった
それはそういう事情があるにしろ遠くになるとそうなりやすい、何かあったからとすぐに駆けつけることもできないからである
それぞれの生活があったからである
その人は介護関係で働いていたが自分の家が介護で四苦八苦しているとき何もしない
他人の介護の仕事で精一杯だったのである
だから遠くの親戚より近くの他人となったのである
つまり災害には緊急事態には近くでないと役立たないのである

posted by 老鶯 at 10:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2019年09月10日

福島県の文化財課の人が海老の高台を調査して古墳を二つ発見!


福島県の文化財課の人が海老の高台を調査して古墳を二つ発見! 

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沖に船が行く

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津浪のあとに残された松がまだある

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松が密生してかなり高く伸びていた

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ここは避難所に指定されたが30人ほど死んだ

うしろの森に逃げて助かった人がいた



海老に行ったら福島県の文化財課の人が調査していて古墳を二つ発見したという
そこは高台であり津波の避難地域として指定されていた場所である
でもそこに逃げた結果30人くらいが死んだ場所なのである
高台であり避難場所に指定されていたからである
これも大失敗だった、なぜならちょっと歩くだけで津波の被害をまねがれたからである
別に海老の通りの道をまっすぐ山の方にちょっと歩けば助かったからである

ただ海老村は高い場所であり昔から弥生時代から人が住んでいた
その住居跡も津波で人が住まなくなり発見されたからである
ただなぜそれより高い崖の上に古墳があったのか?
そんなところまで人が住んでいたというのが意外だった
確かに屋形から海老の山沿いに古墳がある、だからその延長として古墳があっても不思議ではない

それにしても高台の崖の上となるとそんなところに人が住んでいたのが意外だった
おそらく海老村には相当に人が昔から住んでいた場所なのである
それは高台であり海老の家が密集したところは港でもあり魚もとっていた
右田村は江戸時代から人が住み始めた地域だからである
その江戸時代からあったといわれる松原は津波で全部なくなったのが残念だった

海老村が古いというきと海老はエヒでありまた恵比寿(エビス)からも来ている
蝦夷(エゾ、エミシ)のことだからである
そういう名がつくほどにここは集中的に人が住んでいたのである
それで外来の人がここに来たとき衝突があったとなる
それはかなりの人々がここに住んでいたから衝突した場だからとなる
それで海老(エヒ、エビス)の名がついたのである、蝦夷が集中して住んでいる場所だったのである
だからこそあの高台に崖の上に古墳が二つも発見されたとなる
そういう歴史的背景があって発見されたのである
だから確かに意外だがそういうこともありえたともなる

ただ海側に古墳があるといそこに人が住んでいたのは貝と魚とかとれるからである
食料になるものがとれるからこそ海側に住んだとなる
それで日下石にも古墳があった、それは今回の津波が迫って来た場所だったのである
ただそこまでは津波は来なかったがそれなりに近くに津波が迫ってきていたのである
ただ慶長津波とかの何か証拠となる痕跡が発見されていない
それが一番の問題なのである
貞観津波のことは相馬市のボーリング調査で発見されている
松川浦のかなり奥まで津波で運ばれた砂が発見されたからである
慶長津波ではそうして何か証拠となるものが発見されないのである
だからどうしても謎になり証明できないということである

ただ海老の家が密集した地点から坂を上った崖の上に古墳が発見されたということは
あの辺一体に相当数の人が住んでいたのである、それは弥生時代からそうであり古墳がそれを示している
第一古墳が二もあるとしたら一つではないのだから倍の人数が住んでいたと推測できるからである

南相馬市の鹿島区は古墳の町!

寺内から小池にも古墳が本当に多い、それで金銅双魚佩が寺内の前方後円墳から発見されたことで有名になった、今回も海老村の高台から発見されたことは意外だった
海老千軒とか言った人がいたけどそれも嘘ともいえない、それだけの人が昔から住んでいたからそう伝えられたのかもしれない、ただ・・・千軒というきは各地にある
でもなんらかで津波とかでも消えてしまったとなることはありうる
それこは今回の大津波で実感したのである

海老村にはマルハシャリンバイがまた自生していた、それから松も繁茂していた
津波から8年半とか過ぎているからそうなるが松は成長が早いと思った
あそこの高台は南相馬市では景色のいい場所である
一時は八沢浦の方が入江になったときは本当に驚いた
今日も沖に船が見えて釣りする人がいた
あそこは悲劇の場所たけど眺めのいい場所なのには変わりがない
ただあそこを何に利用するのかわからない、ゲートボール場にするにも人が住んでいないそれをどうするかはわからないが整地していた


南相馬市の財政の不安(震災復興の援助が10年で切られる) (震災以後に県支出金が5パーセントから50パーセントになっていた)


南相馬市の財政の不安(震災復興の援助が10年で切られる)

(震災以後に県支出金が5パーセントから50パーセントになっていた)

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南相馬市の予算(震災前と震災後の比較)

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市税が34パーセントであり震災後は5パーセント

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県支出金が5パーセントから47パーセントに

 この支援のお金の出所はどこかというと、国や地方自治体です。日本は雇用維持という大義名分のもと、助け合いのシステムになっているため、国や地方自治体が助けているのです。現在、国や地方自治体からなんらかの支援を得ている職場で働いている人は、なんと全就業人口の約50%にも上っているそうです。

インターネホットでこの記事に注目した
日本はなぜ会社中心になるのか?それは今回台風でも電車がとまるといっても出勤していた、まさに社畜だとことを証明した
その原因をここの記事で書いている
地方自治体だけではない会社でも国に依存てしいる、国から会社に金が回ってきて成り立っているという、それは地方でも同じである
地方自治体でもそうだし農協とか地銀とかでもそうである、そこには国からの資金が回っていて成り立っていたのである

国の依存体質がありそこで今までは会社が安定していた、特に大企業となるとそうであるこの辺で除染の事業でも請け負ったのは大手のゼネコンでありそこに7兆円の資金がつぎ込まれたのだからその収入は大き大きかったのである
そしてゼネコンでは自民党への献金が多くなったという、政権党になればそうした利権を得ることになる、利権構造ができあがっているからその利権構造の中にゼネコンでも大企業でも入るから会社に社員は依存していれば安泰だと分析している
それが今国全体が経済的に衰退してゆくときそうした今までの構造が維持できなくなったと書いている 

南相馬市で今みんな心配しているのが10年後は復興支援の金が国から出なくなることである
継続して金を国から出されない
まず県に金は入ってこなくなる、地方自治体の金は国から県経由で入ってきている

予算の約半分が国から入る復興資金である
それで南相馬市の震災前の平成22年の予算と震災以後の予算を比べるとこれも一目瞭然である

県の支出金が5パーセントから50パーセントにもなっている

つまりそれは国からの資金なのである、10倍になっている
だからもしこの県支出金が減らされると相当な南相馬市の財政の負担になりそれが福祉とかにも影響してくる
それは私だけが言っているのではない、みんな心配しているのである
これまでは苦しくても復興資金が国から入ってきたから市の財政状態は良かったのである
それが打ち切られるとき南相馬市は危機的状態になるのかと心配するのである

南相馬市の市が税金をとってまかなっていたのは35パーセントであったが震災以後は5パーセントになったのである
それだけ国からの援助資金に頼るようになっからである
しかしあと一年くらいでその復興資金が入らなくなると相当に苦しくなるのがこの数字からも明瞭である
それは南相馬市全体に福祉関係でも影響する、なぜならこの辺は他より若い世代が流出して経済活動が衰退したからである
そして小高のように老人ばかりが取り残されてシルバータウンのようになったりしている
それを維持することが大変になる、金もかかるからだ
つまり復興そのものの資金が入らなくなる、補償金をもらったとしてもそれだけで経済をまかなうことはできなくなる
個々人でも補償金でもいづれは底をつく、だからこそ霞が関の官僚は津波被害地の三陸にはジジババしかいないと金をつぎ込んでも無駄だと言ったのであくる、これには批判があってもこの辺でも老人が若い世代が流出して取り残されているから同じなのである
介護ても働き手がいないから青森に送られているのである
立派な施設があっても働く人がいない、飯館村でも立派な学校でも施設を作ってもそこに通う生徒がいない、子供は村外から通っているし親が住んでいないのである

ともかく日本の会社でも実際は国への依存体質があり金が回ってきて成り立っていから会社に依存して社畜に甘んじていたのである
そういうことでも成り立っていた社会だったのである、それが日本全体の経済が衰退する時成りたたなくなってきたのである
だから地方で安定していた公務員とか農協と地銀とか他でも国からの支えがなくなた窮地にたたされる未来がある
自治体が破産するということを言う人がいるのもわかる
それは国への依存によって成り立っていたからである

インタ−ネットで調べた表では依存と自立を分けていたのでわかりやすかった
今やこうした情報はインタ−ネットで得られる、すると弱小ではあるが何か市民に知らせたり追求できる
一個人でもできるのである、今まではマスメデアを通じてしかできなかったのである
今は南相馬市であれ相馬市であれ他の都市でも市町村でもこうして個々人でも問題点を指摘して市政に参加するべきだとなる
もうマスメデアにまかせる時代は終わった、ただそうなるとやはり相当な知識が必要になるのである
それは一個人では無理になる、でも情報化社会とは政治も変えるということはありうる
まず情報自体得るのもむずかしかったしもうそれを追及するとなるとマスメデアしかなかったからである
もしこうして追求することをしていれば原発でも誰か一個人でも地元で危険を指摘して報告していたかもしれない
民主主義には報道の役割が大きいのである、それができなかったがある程度は個人でも今はできる
それは民主主義を発展させる強力なツールともなる

posted by 老鶯 at 12:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2019年09月09日

平家伝説殺人事件ー故郷とは何かを問う (人の話を直接聞くのと本とかで読んだり間接的に知ることの相違)


平家伝説殺人事件ー故郷とは何かを問う

(人の話を直接聞くのと本とかで読んだり間接的に知ることの相違)

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昨日の平家殺人事件のテレビドラマで故郷を離れた人がその恋人に延々と故郷のことを聞かされた、その人は訳あって故郷を捨てて帰らなくなった
平家落人の里でありそこで旧弊な村で閉ざされた環境にあり14歳とかで東京に憧れて出て来た、それは無理にしろそういう人がいることは確かである
何か故郷というのは閉ざされた世界でありそこから脱出したいという願望が大人になると芽生える、その人はよほど故郷を嫌っていたが後で故郷の思いが強くなり金を寄付したいとまでなった、その金は悪さをした保険金の金だったのである
ただそれほど故郷を嫌った人が逆に故郷を異常に思うようになった
そういうことが普通にある

啄木がそうだった、啄木は故郷を追われたという恨みがあった、それで故郷を脱出した
でも最後死ぬときに故郷への思いが異常につのったのである
啄木の不思議はなぜあのように若いのに自然への感性が豊かで表現できたのかとなる
何か小説家タイプだったように思える、小説も書いていた
小説というとどうしても普通の人でも興味をもつゴシップとかスキャンダルとか下世話なものにもなる、啄木の謎はなぜ芸者とか遊んでいても自然を歌っていたという不思議である
自然にふれるには心がやはり清くないとできないのである
天才であったから凡人には理解できないことがある
ただあれほどの故郷への思慕が起きたというのも簡単に移動できない時代だったからかもしれない、新幹線で二時間くらいで帰れない

1908年(明治41年)5月 1等・2等・食堂車・寝台車を連結した上野 - 青森間東北本線経由急行201・202列車を新設。

201列車:上野7時25分→浦和8時→宇都宮10時5分→福島14時50分→仙台17時15分→盛岡21時54分→青森翌3時40分

1886年(明治19年)2月20日 - 1912年(明治45年)

啄木の生きた時代である、上野から盛岡まで15時間くらいかかっている、一日かかりである、朝に出て盛岡で夜中になっている、盛岡からでも東京につくのは夜中なのである
この距離感が今とは全然違っている、その心に影響するものも相当に違っている
その汽車の様子も人々もみんな違っている、それをイメージすることはむずかしくなる
東京には簡単には行けない、一旦行ったら帰れないという感覚になっていた
今でも仙台までは近い、距離的には相当に近い感覚である
東京はやはり新幹線で早いとしても遠くなる

そういう距離感覚が時代が違うと感覚的に違ったものになる、その感覚はその時代を生きたものしかわからないのである
芭蕉でも奥の細道は世界の果てに行くような感覚だったからである
その遠さの感覚が「五月雨のふりのこしてや光堂」になった
つまりこの句はその当時の距離感覚を体験しないと鑑賞できないのである
みちのくの果てに残されていた唯一の形見の金色堂でありそれがふりしきる五月雨に朽ちもしないで残っていたということなのである
江戸から平泉の距離感覚は今とは違っていた、そして二度と平泉には来ることが芭蕉はできなかった、そして奥の細道を旅して近江でまもなく死んだとなる
今なら東京から平泉には新幹線で何度でも行ける、今の時代一期一会の出会いはなくなったのである、連絡する気ならいつでもできるからである
啄木の望郷の短歌はこうした明治という時代が生んだものなのである
遂に帰ることのない故郷だからこそ泣けとごとくになったのである

ただこの推理小説でも故郷の思いが平家落人の里の思いがその人にあった
その人は狭い故郷のシキタリとかいろいろ嫌っていたが都会に出でそういうものも必要だったのだと回顧するようになったのである
結局故郷に住んでいて嫌なものが消えていいものだけが見えるようになったのである

私自身も故郷ではないが直接語り聞かされることとただ文書を本を読むとかのと語られることが違っていると思った
その経験は南相馬市立病院に一か月入院していたことで起きたのである
その時同じ病室に大原の人がいた、そして大原のことを直接何度も聞かされた
窓から大原の方がいつも見えた、そうして閉ざされた空間で暇だったし大原のことを延々と聞かされた、すると不思議なのは何かそこの場所に引き込まれるようになった
別に大原はそれほど親しい場所というものでもないが閉ざされた空間で大原のことを直接語り聞かされることでそこに自分がいるような感覚になったのである
だから何か人間に影響するのはそうした病院でもその場所であり位置である
大原の方を病院から望まれたからである

平家落人伝説殺人のドラマでもその恋人に故郷をのことを延々と語りきかされた結果、その女性がその恋人が殺されてその故郷をたずねる、そしてその故郷で殺されて死んだのである、これも何か故郷にあれほど帰りたいと言っていた恋人の代わりに死んだとなる
何かこれはそういうこともありうると経験から思った
また私は姉が千回も従軍看護婦としてシンガポールの向かい側のジョホールバルの赤十字病院での苦難を語った、それで何か自分もそこに引き込まれる、そこを訪ねてみたいと思った、ただタイのバンコクに行って行こうとしたが行けなかった、今になると海外旅行する気力もないとなってしまった

ただここで私が言いたいのは語ることと文章とかで読むのと何か違ってる
それは語るでも場の作用がある、病院という閉鎖されたところで語られたことが違っていたのである、どうしてもそのことに集中するようになったからである
その閉ざされた空間から出れずに延々と大原のことを語り聞かされていたからである
それもそこは知っているし病院の窓からいつも見えたからである

病室に大原語り死ににけるその思い深く我に残さる

大原に跡継ぎなしも淋しかな留守に気遣う猫一匹あわれ

その家は今は空家になっている、その家を継ぐ人はいないし農地も継がれない
そういうのが全国的に多い、空家も膨大になる、その大原の人はまもなく死んだ
墓は太原にある、最後に自分に大原のことを語って死んだのである

何か語ることと文章を読むとかとは違っている、語ることは感情がこもるからだともなる文章を読んでもそこに感情が出てこない、泣いたということを書いてあっても泣くとういことはしない、ただ映像だとか泣いているのを見るとこちらも悲しくなったりドラマでも涙を流す人はいるのである、そこでは感情移入しているからそうなる
文章だと感情移入しないから泣いたりしないとなるし怒ったりもしない何か冷静になっている

柳田国男が全国を旅行して実地にその場に立って土地のヒトと直接話を聞いて民俗学を起こした、それは直接語られること話されることから何か独特のものとして文章に書くことになった、だからあのように語れる人は書ける人はいないのである
それは本を読んで書いているのではない、その場に立ってその場で直接口から語られる言葉を口碑として重んじたことによってそうなったのである


故郷とは何かとなると一概には言えない、ただ故郷は記憶が一番集積したところだということは間違いない、その場とか家族でもいてアイディンティティ化したところだから説明できないものとして故郷がある、何か場のもっている磁力みたいなものがある
旅をしてもそこに一時いるだけだからその場の磁場を感じなくなるのである
つまり場の力とは磁石のように強く吸いつけるものがある場だとなる
それは家族でも死んだりしてもその死んだ場所にいるという感覚がつづく
それは具体的に残った家に以前としている感覚とにている
故郷にはやはり先祖がいて死者も依然としているんだという感覚になりそれがお盆とかいろいろな行事に祭りになったともなる 

ただアイディンティティ化するといとき故郷でも自然と一体化することは時間がかかる、老人になるまでかかるとなる
自然の中で木や石のようになることは時間がかかる、深くその土地に根を張ることは時間がかる
だから若い時だけ故郷にいたとしてもそこで故郷と一体化したアイディンティティ化したとはならないのである
啄木はそうして故郷に根付いたものとはならなかったのである

ただ故郷は遠きにありて思うものというとき故郷を離れたときその存在が強烈にクローズアップされる、磁石の力を感じる、故郷に吸いつけられるのである
だから故郷から離れられない老人の気持ちがわかる、原発避難者が東京の高層ビルに住んでも心の安らぎがないのである、ただ現代は故郷喪失の時代である
みんな都会人になり移動することが容易でありどこにでも移住することもできる 
そこで故郷の思いも薄れて若い世代は故郷を出て行ったともなる
大規模に故郷を喪失者が生まれた場所だともなる


山口連続殺人事件は“平家落人伝説の地”で起こった!

一夜にして5人の命が奪われた山口連続殺人・放火事件から間もなく1か月。逮捕された保見光成容疑者(63)は周囲との軋轢があったことをほのめかしながらも、いまだ多くを語っていない

他にもこういうことが限界集落のような所であった、そういう場所は逃げ場がない
追い詰められるとこうした悲惨な事件になるものも田舎なのである

無益な老人、無益なニートは数が多いから問題 (社会の負担となり圧迫するから問題)


無益な老人、無益なニートは数が多いから問題

(社会の負担となり圧迫するから問題)

無益な老人

その老人は何もしない
何もすることがない
体も悪いらしい
でもまだ体は普通に動いている
まだ70歳だ
何もすることがないのでパチンコ通い
病院にも通う
高齢化社会でただ病院に通うことだけの人が増える
そこで病人として認められて存在感をもつ
そして国の負担になる
その人は本一冊も読まない人
何か勉強もしない人
知的に存在感もない
毎日パチンコで勝った負けたと終わるのか
やるべきことがこの世に無数にある
でも何もしない、何もさせられない
そうしてただ飯くらいとだけになる
後は病人という特権になる
そういう老人を誰も良く見ない
そういう老人ばかり増える時
若い世代は老人に憎悪を抱く
その怖さを知るべきである
そういう老人は耕作放棄地となる
そこを耕すべきなのだが耕されない
無益に草ぼうぼうになっているだけ
社会をも荒廃させている


老人でも別に少数だったら何もしなくてもとがめたりしない
それはニートとか40くらいまででもいる、その人たちは無益な人たちとしてとがめられる、それは老人より厳しいものとなる
一応老人は体が弱っているからとか見られるからである
でもまだ若いとは何もしない無益な人であることは許されない
そして最大の問題は数が多いということなのである
ニートとか百万とかまた老人はさらに人数が多いから問題なのである

別に無職の人はいた、その人たちはアウトサイダーとかになり極わずかである
百万人に1人くらいになるとそういう人は社会にとって害でも無益でもないのである
そんな人いてもいなくても気づかないからだ
別に社会の圧力にもならない、むしろそういう人たちは何か社会の規範からはずれて独創的な人になるからいた方が良かったのである
それが高度成長時代の団塊の世代だった
みんな猛烈な企業戦士になっていた、そこから外れる人はほとんどいなかったからだ

今の問題は数が多いということで起きているのである
ロスジェネとかの数も多い、一千万単位でいる、するとそれが社会の圧力となる
老後になると生活保護になるとか国で心配する、負担が国民全体にかかるからだ
別にアウトサイダーなど数十人単位ならそんなこと社会問題にならないのである
そんな人いたのか、どうでもいいとなっているからだ

つまり膨大に増えた活用されない耕作放棄地が今のニートとかの問題なのである
こういう人は例えば農業するにも地主から土地を借りて農業するにしても信用されないという、それは農業をするという何か強い動機がないし明確な計画もない
ただ農業したいでは信用できない、また放棄されてしまう恐れがある
それは職につくにしろ信用されないから就職できないとなる
これが別に極わずかだったら全国で百人単位とかなれば関係ないのである
耕作放棄地でもこんなに増えなければ問題にならない
空家でもそうでありあまりもに増えすぎたから問題なのである

社会的に無益でも無用でも社会の求める価値とは別な価値を求める人はいる
それも価値なのである、でもそれが可能なのは極わずかなのである
そうなると無益な人とか無職の人とかは数が多いから社会問題化する
ともかく何らか農業でもいいから肥(こ)やしにでもなれとなるのだ
無用の用というとき障害者は戦争に行かなくてすんだとか反戦的思想とか政治的思想がありそういう思想が生まれた経緯があるからだ

この辺では原発事故で他より耕作放棄地が増えすぎたのである
だからそれをなんとかしなければならないとなるがここだけではない他でもできない
高齢化社会でできないのである
それでニートでもやればいいとなるがニートには農業すらできない、農地を借りるにしても信用がないからである
つまり新規に農業できる人はその人がそういう資質をもっているからできるとなる

そうして現代でニートであれ老人であれ人口の三分の一とかなる社会は異常である
それはもう国の衰退であり国力が減退して他国に攻められても戦いないとないとまでなるもうそういう国自体維持できるのかとまでなる
私が主張した無職のことは今のニートとかのかかえている問題とは違う
そこが混同されやすいのである、今のニートは数か多すぎる、そのことが社会の圧力となり社会を停滞させて衰退させるから問題なのである 
これだけ数が多いとやがて強制労働とかになるかもしれない、徴兵制とかにもなる
兵隊にされて国家の肥(こ)やしになれとまでなる
それが笑いごとではないのはそれだけ人数が多すぎるからなのである

新規就農に向けて農地を借りるときの交渉術

こういう人だったら農業できるとなるのかもしれない、農業だって誰でもできるわけではないのである




2019年09月08日

涼風ー月光る(木陰の道に故郷の畑を語る)


涼風ー月光る(木陰の道に故郷の畑を語る)


涼風や故郷に語る畑かな  

老年や山に傾き月光る

猫歩む路地裏の道月光る

月光る嵐の前の静けさに


いつも来ぬ木陰の道に故郷の畑を語りまた逢わんかな   


今日も私と同じ自転車でいつも走っている同級生にあった
その人が意外だったのはその土手の木陰のつづく道のすぐ近くで畑で野菜を作っていたことである
前から書いているように知っている女性が一人で小さな畑で野菜作りしている
そのすぐ裏側の土地だった
それは意外と広いのである、そこは5人で組んでやっているという
三人は原町の人だった、やはり同級生で専業農家の人がいてその人がトラクターとか道具をもっているので草刈機もあり草を刈ってくれる

今の農業はまず必ず機械がないとできないようになっている
すると道具がないと農業はできない、それで畑をうなってもらったりすると金がかかるのである、その知っている女性はそうして一人でしているから金がかかる
その負担を自分が払うようになるので困るのである
その広い畑で野菜を作っている同級生は五人で組になってやっている
一人3000円とか払って共同でしている
それでその同級生は一か月に一回しか畑で仕事はしないという

でも家の近くに畑がありそこでブルーベリーとか他に何か作っている
ブルーベリーはジュースにしているという、そこは家の裏側だからそこは良く行っているでも広い畑の方は一か月一回しか行かないというのも楽だと思った
なぜなら小さい畑をししている知人の女性はもう草むしりやキジに食われたとか道具が盗まれたとかなにかかにか問題があり騒いでいるからである
その割にはほとんど収穫がない、キュウリはとれた、それは売っているのは固いが柔らかくてうまかった
ともかく何のためにその人に金を出しているのか?
それはただ農業というものをどういうものか知るためだけだとなる
その苦労を聞いていると農業がいかに大変なものか実感としてわかるからである
田舎に住んでいても実際は農業のことはわからない

ただ不思議なのは原発事故以後田畑が荒地になり草ぼうぼうになって蛙が消えたということを三人くらいに語ったが反応しない、蛙の鳴き声を聞いて復興を感じたと私はそこで復興を感じた、なぜなら蛙が田んぼに住むようになると鷺も餌があり来る
鷺も一時消えたからである、そして鷺も戻ってきたのである
50羽くらい竹藪とかに巣を作ったからである
つまり田畑でもそれは自然の一部でありだからこそ蛙がいなくなることは自然が消失したと同じだったのである、鷺がいなくなることもそうである

いづれにしろ田舎に住んで農業のことをわからないことは基本的なところ、ベースとなるものを知らないということなのである
でも農業している人でも不思議なのは蛙がいなくなったということに注目していない
もともとあまり関心がなかったからかもしれない
何か赤とんぼが減ったり今は鮎も一匹もいなくなったり自然が消失していた
鮎は原発事故以後全く川に見ないのが淋しい、今までは小粒でも鮎がいたのである
ただこの鮎がいないということはここだけではない、全国的に鮎がいなくなっている
ただ鮎が川をきれいにして鮎が泳ぐようになったとか多摩川とかで写していた
でもなぜ鮎が全国的に減少したり全くいなくなっているのだろうか?
これも自然のなんらかの変化なのである、そういうことが人間に影響する場合がある
なぜなら人間も自然の一部だからそうなるのである

いづれにしろその同級生は話して面白いと思った、農業している知人の女性も畑のことを話するので興味をもった
その人はまた花も栽培している、ノボタンが好きなんですと言って語った
ノボタンは大きな花である、だからボタンとついた、それを確かにカンボジアの道で見た南国性の花である、ある人はクリスマスローズのことをしきり語った
原種も育てているとか言った、その人はクリスマスローズに詳しい人なのである
クリスマスローズ博士なのである、まず花でも育てるのがめんどうなのである
その知識も経験しないとわからないからである
ただその人はなぜそういうことができたかというと前に経験があったと言っていたからできたとなる

老人の趣味となると園芸とか畑での野菜作りとかが向いている
ただ畑となると結構労働がきつくなるから老人にとって辛くなる
知人の女性は腰が痛いとかいつも言っているからである
ともかくこの辺でも全国でも耕作放棄地が増えすぎたのである
後継いでやる人がいないのである
原発事故以後この辺は余計に荒地が増えた、無料で土地は借りられてもやる人がいないのである
それはわずかの畑でも草むしりでも労力がかかるからそうなる
でも荒地になっていると草ぼうぼうであり嫌になる、心まで荒れたようになる
それは原発避難区域の小高であれ浪江であれ飯館村であれ草ぼうぼうで荒れ果てているからである

そこを復興しないと復興できたと思えないのである
たとえ他で工場が店が復興しても復興したと私は思えないのである
だから田舎は田畑でも自然の一部であり田畑が死ぬと自然も死ぬとなる
もともと原始の自然だったらそのままでもいいが一旦人間が手を入れた土地は原野化すると荒れ果てた感じになるのである
だからこの荒地をなんとかしてもらいたいとなる、でも市とかでもそうした荒地を援助するということをしているのか?
NPOでも荒地を無くしてほしいとなる、ただその人が言うには五人は仲間としてうまくやっているからできると言っていた
つまり何か共同ですることが人間は本当に難しいからそうなる
でも農業は一人ではできないと思った、もともと村の共同作業があり農業が成り立っていたからである  

故郷という時一番愛着あるのは農業している人かもしれない、だから生業を返せと裁判を起こした
商業とか工業となるとその土地と密接に結びつかない、商業でも昔の店なら地元密着である
でも今の時代になるともう地元密着の店はなくなりシャ―ター通りになったからである
つまり今はその土地に根ざした生業とかがなくなり農業でも漁業でも林業でも衰退したから故郷に愛着がなくなり原発避難区域では
若い世代は帰らず出て行ったと書いたのである

晩方は涼しくなるから秋である、今日は台風の風が吹いて涼しかった
昼間は日ざしも暑かった、晩方に散歩したり自転車で走るのは気持ちいいのである  
今日は半月が傾き山の方に光っている、それで今その畑を見に行った
明日はこの辺は台風になる、本当に嵐の前の静けさである 
日本は天候がこうして静かに月が光っていても変わるのである
めまぐるしち変わるのである、そして災害も天災も多い国だったのである

とにかく自分が何か人と話すようになったのは家族がみんな死んでからである
話す相手もなくなったためである、それで一日誰かと話する
駅でもそのために行っていた、家だとがらんとして誰もいないからである
それが一人暮らしの問題だった、話し相手とか心配する人もいなくなることだった
外で話すると何か気持ちいいのである、話がはずむのである
それはそこに自然があり木陰とか涼しい風とか受けて気持ちいいからである
田舎はそういうところがいいのである、人ごみで話したりしたくないのである
車の騒音とかビルの谷間で話したりしても何か嫌なのである

幸せな老人よ、この土地はこれから君のものだ
それも広さも君に十分だ、たとえむきだしの石と
泥だらけの藺草の生えた沼が、牧場を一面に覆っていても
幸せな老人よ、君はこの慣れ親しんだ川や
聖なる泉の間に、涼しい木陰を求めるだろう
............ 
(農耕詩、牧歌ーウェルギリウス)

老人の幸せはここにある、でも農業は老人になると辛いのである
ただ自分のように花だけを見ていると楽なのである
だから自分は実地に耕作などしていない、草むしりもしていない
それをしていたらもう思索したり詩を書いたり観想することができなくなる
第一家事だけで相当な労力になっているからできないのである


老人は記憶に生きる(記憶の宮殿)


老人は記憶に生きる(記憶の宮殿)

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頭脳の中でこの宮殿の中を自在に歩き回り、その小部屋の一つ一つを訪問するだけで過去のどんな記憶も呼び起こすことができるばかりでなく、過去の記憶の中で生きることさえもできるのです。その描写はとても荘厳で、こんな記憶力をもっていたらどんなに良いだろうとあこがれをかき立てるものでした。

老人は記憶に生きる、自分自身が今やそうである、老人の強みは人生で経験したことを見聞したことを本を読んだ知識などを記憶したことを活かせることである
こうして文章を延々と書けるのもそうである
つまり人生は老人になっていろいろなことを深く理解できるようになる
だからつくづく評論に向くようになる、評論とはただ他者のもの読むだけではない
その人なりの見解を他者のものを通じて示すことなのである
だからその人独自のものが評論を通じて示すことができる
でもそれだけ深く読み自分なりの独自の見解を示すことはかなり高度なものになるから若い人に無理なのである
それで自分自身が本を大量に買っていたけど読んでいなかったのである
文の重要な所に線をひいていても実際はその中身を理解していなかったのである
でも買った本はアマゾンもないから高いものだったのである
それで今読み直して評論文を書く

ここで大事なのが記憶なのである、人生は最後につくづく記憶になってしまう
それで私の姉がシンガポールの向かい側のジョホールバルの赤十字病院で4年間従軍看護婦として働いたことを認知症になっても語りつづけた
それは死ぬ直前まで語っていたのである、それだけその経験が忘れられないものだったのである
ただこれも他者に語る時何かもう一つ語り伝えられていなかった、千回も聞かされても同じことを語るから嫌になっていた
姉には文学的才能がなかったこととその記憶していることを明確に伝えることができなかったのである、例えば文章とかでも伝えることができないから聞く方にしても何かわからないものとなっていた

戦傷者を看護したのだからそれがいかに悲惨だったかそれも良く語られていない
ただ窓から自殺する人がいたとかと聞くとおそらく余りにも苦しいからそういうことになった、かなりの日本兵は自殺したのである
そうして敗戦の後にジャングルに逃げて食料がなくなりその時最も苦しい状態に追い込まれた、そのことはフィッリンピンでもありNHKのテレビで見た
タイプライターをしていた若い女性が戦地に送られて看護婦ではなかったが看護をさせられた、そして敗戦になりジャングルに逃げて悲惨なことになったのである
何か語るにしても語ることがうまいとか文章で書くのがうまいということがあり語る人によって違ってくる、姉は語ることはうまい、しゃべることはうまいが文章では伝えられなかった、やはり文章で伝えられると違っていたとなる
そういう記録が三陸会の雑誌として残されてはいる
大量に実際の戦争の記録は残されているのである、それでそうした記録があり番組が作られている

最後に人生は記憶になる、また記録とか記憶は違っている、例えば記録していてもその記録したことを忘れている、私は相当な詩を書いている、プログでもその詩を書いた
でも忘れているのである、ええ、こんな詩を書いていたのかと改めて読んでいるのが不思議なのである、それだけ数が多くなると自分の書いたものを他でも俳句でも短歌でも文章でも忘れているのである

人間は忘れる、だから何でも記録しておけ

こうなる、記録しておけばそれをまたよみがえらせることができる、何も記録していないともう蘇らせることはできない、おそらく姉の場合日記とかメモをしていればその時のことを思い出してより詳しく語り伝えられたかもしれないのである
ただ正直そういう戦争の悲惨なことはあまり語りにくいことがあったことは確かである
18歳の志願兵はどうも人を殺すことを命じられて殺したらしいが言わなかった
何か人間には思い出してたくないことがある、だからそれは語られないのである
姉の場合は従軍看護婦であり別に人を殺めたりしない、戦地でも殺し合いなどしていなかった、だから語ったのである

ともかく老人は記憶に生きる、でもその記憶をどう活かすかとなるとむずかしい
それで記憶の宮殿を作るということは面白い発想である、それはインタ−ネットに出ていたのである
インタ−ネット自体が一つの巨大な記憶の宮殿なのである  
様々な人生の経験がそこで語られているからである
老後を豊かに生きることは記憶の宮殿に生きることでもある

記憶の宮殿というとき家自体がそうなのである、家には死んだ人でも記憶された具体的な場所なのである、そのことを書いてきたのは死んだら記憶にしかその人はいなくなるからである
でも不思議なのは死んだ人の面影が家に浮かぶことがある
何かこちらをじっと見ているという感じになるのも不思議である
つまり私の場合家族と子供の時から60年とかいればその歳月が長いからそうして死んでもまだ家にいるという感覚になるのだろう
そして自分は特別家族に良くされたから愛されたから余計に家族のことが忘れられないのである                                          

老人の生は新しく何かをする経験することではもうない、経験したことを積み重ねたことを表現することである、でも表現するにしても記憶されていないとできないのである
これが最大の問題だった、それで記憶の宮殿をもっていないと表現できない
記憶の宮殿があってその宮殿の様々な部屋から記憶を呼び出して表現するようになるからだ
記憶の宮殿というとき旅したことでもその住んでいる場所でも故郷でも記憶の場なのである、故郷とは一番記憶された場所のことである
なぜなら子供の時から住んでいて熟知しているからである
そして記憶は旅しても一旦そこから離れてその場を踏まないと記憶が消えてゆくのである私は京都でも四回くらい行ったが今になるともう何十年も行っていないから記憶が消えている、それも記憶が人生の中で何か急激な変化とか苦難とかに見舞われる
するとそのことに身も心も奪われて過去を忘れてゆく、人生では次々に変化に見舞われるから過去が忘れられてゆく、津波とか原発事故とか介護とか自分自身の病気とか災難でもうここ十年追われて月日がたち過去の記憶も消失したとまでなる
それだけの激しい変化が過去のことを余計に記憶されたものを消失させたともなる

なぜ故郷が故郷なのか?

それは故郷とは最も記憶された場所だからである、常にその場を行き来しているから記憶から消えない、記憶が積み重ねられる、また新たにされる
でも旅したところの記憶はそさを新たにしないと消えてゆく、でもまたその場を踏めば記憶が甦るのである、北海道など十回も行ったからまた行けば記憶が甦る
でも今になるとなかなか行けない、それは外国とかなると余計にそうである
記憶から消えやすいのである、それは日本とはまた大きく変わっているからそうなりやすいのである
それだけ記憶とは大事なものだったのである、人生はだから最後に記憶になる
記憶したものが人生だとなるのである

いづれにしろ老人は記憶の宮殿を各自持つべきである
また構築すべきだとなる、そうすると豊かな老後がありうる、それには別に金はかからない、具体的な建物ではなく心の中に記憶の宮殿をもつことだからである
ただ家とかは具体的な記憶となったものであり家はだからそこに死者も依然として記憶の中に生きる場となる

記憶の宮殿

記憶の宮殿は黄金に輝いている
様々な記憶の部屋があり日々めぐる
その時記憶は再び蘇えり
その時生きていたことが甦る
それがとてもなつかしく思う
そして記憶は無数にあり
時に記憶の迷宮に入ってゆく
それだけすでに記憶は不可解なものともなる
ただそうして記憶したものは宝である
記憶の宮殿には宝が詰まっている
そして黄金に輝ている 
あなたの豊かな人生が記憶の宮殿を形成していた
ただそこにも暗い部屋もある
それは入りたくない記憶の部屋である
でも全体的には黄金に輝いている

記憶というとき思い出したくない記憶がある、青春時代は自分にとってはいいものはあまりなかった、何か悪いことをしたりした思い出は実際は消えないのである
青春の問題は何かそういうことがまた多い、必ず若気のいたりがある
それが実は記憶を暗くするのである、他に何か自分には学校とかは嫌だったしいい思い出がない、だから学校とかのことを思い出したくないのである
だからこそいい思い出を作ることが大事なのである
高校野球とか甲子園とかに出れるだけでそれは最高の思い出となっている
私は学校とかにいい思い出がないから思い出したくないのである
そして性の快感とかも実際は記憶になる、そうした快感は脳に記録されているのでは肉体ではない、快感の記憶は脳に記憶されている、それでその快感を再び味わいたいとなる
その快感を記憶しているのは脳だからそうなるのである

いづれにしろ思い出とか記憶とか最後にいかに大事かわかる、そのこと自体が人生だったとなるからである、要するに人間は二度と人生を経験できなくなるからそうなる
今では旅もしていないし何かする気力もなくなっているからだ

かりそめに通りすぎて
十分に愛さなかった かずかずの場所への郷愁よ
それらの場所へ 遠方から 何と私は与えたいことか
しわすれていた身振りを つぐないの行いをもう一度ー今度は独りでーあの旅を
静かにやり直したい
あの泉のところにもっと永くとどまっていたい
あの樹にさわりたい あのベンチを愛撫したい
(リルケ) 

何に時間を費やしたかが人生である (旅の時間も今行けなくなると貴重だった)

これも書いたの忘れている、そしてプログ内検索で呼び出した、自分で書いたものでも忘れている、それでプログとかで書いたものは一つの記憶の宮殿となっている
その記憶の小部屋からかいた記録を呼びたして記憶を蘇らすのである
甦るとなるとまさに生の更新なのである、常に記憶はまた更新されるて新たにもなる
それは歴史でも絶えず過去が固定しないでいろいろと解釈されるのと似ているのだ

60年、70年来もうこの世にはいない人々の姿と人々の顔が渡したの心に生きつづけ、私たちのものとなり、私たちの相手をし、生きた眼で私たちを見つめるのである
いつのまになくなってしまった、あるいはすっかり変わってしまった家や、庭や、町を
私たちは昔のままに完全な姿で見る
そして私たちが何十年前に旅の途上でみたはるかな山やまや海岸を、私たちは鮮やかに
色彩豊かに私たちの記憶の絵本の中に発見する
見ること観察すること瞑想することがしだいに習慣となり訓練となって気付かなうちに
観察者の気分と態度が私たちの行動全体に浸透してくる
(老齢について―ヘルマンヘッセ)

ただ旅したところは時間がたつと消えやすい、おぼろになり思い出せなくなる
つまり記憶するには絶えず記憶されるようにしていないと人間は忘れるのである
つくづく人間ほど忘れやすいものはない、だから歴史になると記録が大事になる
津波でもこの辺で400年前に700人溺死と記されていた史書があった
でも誰もそれに注目していなかったのである
結局記録していてもその記録すら忘れられていたのである
それは個々人でもそうである、私でも相当に詩とか書いて記録しているけど自分の書いたものを忘れているからだ、それでそうした書いたものをもう一度読むと何か新鮮なのである、こんなことを書いていたのかと改めて感心しているのも不思議なのである
それだけ人間は刻々時間がたち回りも変化忘れ安いのが人間の弱点だったのである

2019年09月07日

蝉の声に月 (故郷をめぐるー死者は家からなお離れず見ている)


蝉の声に月

(故郷をめぐるー死者は家からなお離れず見ている)


夏の星若人遠く行きにけり

朝蝉の鳴くやカンナの畑に映ゆ

故郷をそちこち回り蝉の鳴く

蝉の声昔神社に子供かな

夕べなお蝉鳴き昔の神社かな

夜に鳴く蝉の音聴くや謙虚かな



我が部屋を覗(のぞ)く月なれここにとどまり暮らしけるかな

我が家に久しく住みぬ思い出や月ののぞきて住みつづけるかも

我が家族時に面影浮かぶかな月ののぞきて跡継ぎ住みぬ


蝉という時夏の季語だけど今は9月でも夏である、一か月くらい季節がずれた
今日も暑かった、日ざしが強いと外に出れない、でもは今は夕方になると涼しくはなっている、でも秋なんだけど夏という感じになるのがこの頃である
ただ今宵は窓に今半月がでているから秋の月になる

何か昨日は中学校の校庭で野球していたので聞いた、その人は先生だった
それから駅であった人は岩手県立の大学生だったらしい
災害防災科となるとそこしかないからだ、それて自説を電車の待ち時間に語った
一時間待ち時間があったからだ、この待ち時間が何か話すのに有効なのである
それで意外といろんな人がいることを報告した
つまりあちこち近くを回っている、知人の畑もいつも回って通っているのである

近くにある神社では子供の時遊んだ、今は誰も遊んでいない、これも淋しいと思った
蝉が鳴いているがあの頃はどこでもわんさと子供が人だかりになっていた
それは全国的にそうだったのである、団塊の世代はとにかく子供が多い、人口爆発の時代だったのである
今は子供が遊んでいるのもぱらぱらとしてたまに見るだけである

とにかくちょっとでも話してみると何か通じ合うことがある
先生など話しないが一クラスが30人だというとき少なくなったと思う
それでも多いから減らしたいとしている
20人に位になるともうマンツ―マンの教育でもできるとなる

何か高校野球のU18で韓国に日本が負けた、野球部がある高校が日本だと3000以上あり韓国は70しかないというのは驚きである
それでも韓国に負けたし韓国は何度も優秀している、それだけの人材が出ている
とすると数とは関係なく優秀な人を育てている排出しているということができる
つまりこれから数ではない、少数精鋭主義になる、スポーツの分野でもそういうことが
可能だとなると知能分野では学術とか芸術とか知識分野では少数精鋭主義が適している
ヨ−ロッパでなぜ天才が多いのかというとそういう天才を醸成するものが10万以下の小都市が多くそこで育まれたとしている

いづれにしろ相馬藩内だけもこうして報道することは結構大変である
それはわからないことが多いからである、それで駅で聞いてみたりちょっと戸外であった人に聞いたりして見聞を広めているのである
まさに見聞である、実際に見て直接人から聞くことである
柳田国男はそうして人から聞き出すというか実地に現場に行って何か実感したものから民俗学を起こしたのである、それで口碑を重んじた
書類ではない文字ではない言い伝えられたものを重んじたのである
それはいくら本を読んでもわからないことがこの世に多いからである  

いづれにしろ本当に仙台にも今年は一回行ったのか行っていない
近間を回るだけであり自分の部屋にいる、でも老後は家が大事になる
安住するものとしての家が大事になる、貸家とかになると落ち着かないということがあるかもしれない、この家は家族と40年以上とかいっしょにいた
だから思い出がありただの家とは違っている、記憶の家なのである

それで不思議なのは時々死んだ人が自分をのぞいているように思う時がある
幽霊のようにその面影が窓に浮かんだりする、やはり死者は家から離れられずまだいるのかとなる
それだけ長く住んでいれば死者も家から簡単には消えないとなる
だから老人にとって家は重みがある場所なのである、思い出と記憶の場所なのである
後に残されたものもそうして思い出があり受け継いでいるのである
自分の場合は特別家族への思いが深くなったのはその歳月が長かったからなのである


U18 日本の敗戦の原因 (そこにもやはりゲームでも戦争とかの敗因と通じるものがあった)


U18 日本の敗戦の原因

(そこにもやはりゲームでも戦争とかの敗因と通じるものがあった)



U18の日本の敗戦の原因は何だったのか?

●人選(守備のいい選手を選ばなかった)

●相手のチームのことがわからず対処できなかった

●金属バットから木製のバットの切り替えができなかった

●合成チームであり団結できなかった

●アウィで韓国料理とかが合わず元気が出なかった

●監督の采配はまずかった、64歳で年齢的に合わなかった

●佐々木投手のアクシデントがひびいた

・・・・・・・・・・・・・・・・

私は何か高校野球かずっと見ていたからサッカーよりわかるから今回も見た
野球は見ていて面白い、それは野球というのも自分はしたことがなくても理解できるからである、プロ野球はずっと見なくなったが高校野球は面白いとして見ている
それで今回も国際試合ということで見ていた
それなりに面白かった
ただ国際試合の特有の問題が生じたり日本の敗戦は複合的原因で負けた
何かこうしたゲームでも複合的原因であり一つの原因ではない

相手のチームのことがわからず対処できなかった

これも韓国戦で失敗した、投手が誰かわからずに勝手に日本の方で決めてはずれて失敗した、対策できなかった、つまり敵を知り己を知れば百戦危うからずであった
これは日本軍でもそうだった、太平洋戦争ではアメリカがどういう国かわからずに戦争に突入したからである、アメリカのこと良く調べもしないで真珠湾で戦争に突入した
結果的に大敗北になった、情報戦で負けていたのである、暗号でもアメリカに見抜かれていた

人選では守備の乱れが大きかった、その守備の乱れで韓国戦では敗れたし台湾戦でも守備の乱れがあった、そもそももともと守る場所が違っていた選手が多かったからエラーになった、それから寄せ集め選手だから連携がうまくとれてかったのである
これももともと一つのチームでやるのとは違っていたのである
何か守備がチグハグだったのである

また金属バッドから木製のバッドの切り替えがうまくできていなかった
これも大きな敗因だった、他のチームはみんな木製バッド慣れていたからである
つまりバッドは道具であり武器だった
その武器が違っていて武器がうまく使えなくて敗れたとなる
それは日本でも飛行機とか戦艦とかをうまく使えないで敗れたのとにている
武器を道具をどするかでという問題があって敗れた
ただこれは前からわかっていたことなのである
ただそうした準備不足があることがわかっていても解決しなかった

それから監督も下手だった、采配がまずかった、人選自体がまずかったという人もいる
韓国戦ではハイブレークで采配が下手で失敗して負けた
投手を選ぶのでも失敗した
それから肝心の佐々木投手が宝の持ち腐れとして終わった
それは太平洋戦争で戦艦大和とかが何の役にもたたず海の藻屑と消えたのとにている
戦いには必ず思わぬアクシデントがつきものなのである
そこには運不運もあった、審判の判定にも疑問があった
そして韓国の料理が口に合わず選手が不満でありやせたというのも影響した
アウィでそうなったのである、それも準備不足だとして批判する人がいる
アウィの戦いは厳しくなるということである

こういうことは何か戦争とかでも戦いでは必ずある、だからゲームでも予測つかないことがありそれが勝敗を決める、第一天候も相当に影響したからである
どしゃぶりの雨にも何度もあった、台湾戦は途中で試合が中断して負けたからだ
天候で負けたともなるからだ

何かこうしてスポーツでも勝敗を決めるのは複合的様々な要素がからんでいる
野球はこうして理解できるから面白い、それはずっと野球を見て来たからである
サッカーはもう理解できないのである
ただゴールしたときだけわかる競技だからつまらない
野球には何か人間臭いかけひきがいろいろありその勝敗は複合的なのである
特に高校野球とかなるとそうである、エラーがあるのもそうである
戦争だって何か原発事故だってエラーなのである
そのエラーが致命的になったのである
今回の勝敗もエラーで決まったとなる
つまり攻撃は目立つが守りも防御も大事なのだけど自衛隊とかはあまり重要に見られない守りは目立たないのである、ミサイルでも打つとなると目立つが守りは目立たないのである、だから守っているだけの自衛隊は目立たないのである

ともかく日本は野球は強いと見ていた、第一韓国で70校くらいしか野球のチームをもっていないのに日本だと3000校だとかその差が大きいのに韓国に敗れ台湾に敗れたのはなぜなのか?
そこに批判が集中している、日本はもともと弱いとなっている
それは数の問題ではなく、精鋭が育てば別に強くなるという証明でもある
いくら数がいても優秀な人が育たない限り強くならないのである
だから少子化でも精鋭主義で優秀な人を育てれば世界のグロ−バル競争にでも勝つということがありうる、それは数の勝負ではない質の勝負になるからである
中国でも数が日本より十倍以上でも日本でも少数精鋭主義で対抗できるかもしれない
知能とかの争いになると対抗できるかもしれないのである
今回のU18から見えるものはこのようにあったから面白いと見た
ただ日本はもう決勝に出れないからもう見たくないともなったのである

結局運不運も勝負の内、運不運も人生

こんなふうになる、審判の問題もあったがこれもまた勝負のうちであったともなる
この世に公正な審判がない、人間が判定するからである
人間の判定自体必ず過ちがある、むしろ機械にしてもらった方が正確だとなるが最後に決めるのは人間なのである
動画の映像で判断してもそうだった、つまり野球というゲームでもそこに人間社会を見ているのである
実際にオーストラリアにも日本が負けたのだから日本自体の実力がなかったと見られるようになった
これだけ野球が盛んなのに情けないとなる
posted by 老鶯 at 17:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

高度成長時代は平均的人間を大量生産する画一教育 (次の時代は自己啓発による創造的人間を作る自己教育)


高度成長時代は平均的人間を大量生産する画一教育

(次の時代は自己啓発による創造的人間を作る自己教育)

●田舎の小園の学び(詩)

畑に実りがある
畑に働く人がいる
二十日大根、四〇日大根
実りには時間がかかる
時節により種を植え
それぞれの花は咲き開きぬ
蓮の花のづぼみは大きくふくらみ
その花の赤味帯びて開くを待ちぬ
揚羽が優雅に舞い来たり
畑にカンナが映える
朝いつもの木陰に休み蝉が鳴く
この小園にも学び尽くせぬものがある
大事なことは急がぬこと
悠長な自然のリズムに合わせること
実りを早めることはできない
人の力に限りがあり
自然により自ずと育まれるものを知るべし
あなたの学ぶべきことは
教えられるべきことは限りなくある
あなたは学校という枠に閉じ込められてはいけない
その建物の中で学ぶ自由な空気は消失する
先生のみが教師ではない
近くに回りに学ぶべき人がいる
農民に学ぶがよい、教えられるが良い
大工に教えられるが良い
漁師に教えられるがよい
・・・・・・・・・
その周りの自然に教えられるがよい
あなたの学ぶきことは都会にあるのではない
田舎でもその周りにいくらでもある
ただ気づいていない、自ら見出していないだけ
あなたの学ぶきは教えられるべきは
現実の自然であり社会である
学校とはそのほんの一部であり閉ざされている
学ぶ場が限定されて記号のみを教える場となる
あなたの学ぶ世界は広い
故にせかせることではない
また点数で判断することではない
学ぶ時間と環境こそがその人を育てる

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●高度成長時代は大量に平均的人間を送り出すことが教育

教育を語る時むずかしくなる、教育はあまりにも教育されることに問題があったからである、教育過剰が問題だった、私たち戦後団塊の世代が受けた教育は人数が多いから教室がないとか何か高度成長時代の平均的人間を育てるものだったのだろう
大量に労働力を必要とした時代だったのである、それもあくまでも平均的な大量生産を担うベルトコンベアーで働く従順なロボットの養成だったのだろう
それがわかったのは日本人は高度成長時代を日本人が特別優れていたからとなってジャパンアズナンバーワンとして得意になっていた
でも日本人は高度成長を築いたのは日本人が何か優れていたからではなかったのである
確かに日本人には優れた資質とか文化を育む土壌はあった
でも高度成長時代というのは日本人が特別優れていたから成し遂げたということではなかった
なぜなら今や中国でも日本と同じように10数年で同じようになったからである
その時中国は後進国だった、でもみるみるまに日本を追い抜くようになったからである
ということは大量生産というのは電機製品でもどこの国でも作れるものだったのである
今は中国の方がITでは進んでいて日本は後進国になり貧乏国になったというのもそうである
戦後の教育はこうして大量生産時代に適した平均的人間を作ることであった

平均的人間を作ることで日本は適合した

日本人は同質になりやすい、でもまた共同一致することでは団結することは得意なのである、そういう平均的人間を大量に作ることで向いていたのである
でも何か独創的なものを作る、機械でも人間でも作るのには向いていなかったのである
現実にIT分野になると全く遅れてしまったからである
それはアメリカ主導になっていたからである、アメリカとかヨ−ロッパはもともと発明の国であり天才が科学分野でも学問や芸術分野でも排出してきたのである

なぜヨ−ロッパでこれほど天才が生まれたのか?

これも大きなテーマなのである、日本はものまねであり中国もコピー文化である
それでアメリカから批判されて対立するようになった
日本とか中国で独自に発明したものがないからそうなったのである
発明されたものを改良することは改善することは日本は得意でも発明することは不得意なのである、日本が高度成長時代を築いたことは日本人が特別優秀だったからではない
平均的人間を大量に生産することでは日本は適合した結果だったとなる
教育でも何か独創的な人間を育てることではないあくまでも平均的人間を大量に生産して物でも大量に同じものを作ることで高度成長時代になったのである
今になれば別に韓国でも中国でも同じものを作れるようになったから売れないとなったのである

何か日本人は特別優秀だということ科学技術でも優秀だという奢りが原発事故を生んだ
原発事故など日本では起きない、ロシアでチェルノブエリでも事故をが起きたときもそう言っていたのである
他にもスマトラで大津波が起きて10万人とか死んだ時でも日本では津波を警戒しているあんなふうにならないとか言っていたのである
それが東日本大震災で二万人近くが津波で死んだ、地震と津波の国で警戒していなかったのである
確かに日本人には日本人に優秀なものがある、でも何か本当に科学分野で技術分野で優秀だったのかというとそうではなかったのである
その奢りが原発事故で打ち砕かれたのである

●少数精鋭主義の創造的教育へ

いづれにしろ自分自身が教育というのに興味がある、教育は教え方でありその教え方が創造的でありうるからだ
ただまるでロボットのように教えるのではない、様々な教え方がありそれが創造的なものだからである
それはあらゆる分野でそうなのである
ただ学校だけが教育の場ではない、学校の先生のみが教師ではない
教育は明治以来国家教育になっていた、強力な国家の指導のもとに学校が作られて教育があった、戦後はそういう国家の縛りがなくなったようでも依然として学校という枠に教育は限定されてきたのである
団塊の世代は一教室でも50人とかいたし教室がたりなくなっていたのである

そういう時代には大量生産の平均的人間の生産に適していたのである
何か自分の様な三流大学になると講堂に三千人とかいて講義を聴くというのも驚いた
それで学生は講義がつまらないから学生運動に走ったという事情があった
マスプロ大学として話題になったからである
新宿で石を投げると学生にあたるとか大学は大衆化したのである
エリートでもなんでもない大衆化したのである
でも高度成長時代であり大学生は企業にみんな就職できたのである
それだけの受け皿が高度成長時代で生まれていたからである
こうした平均的大量生産の教育からこれからは変わる、すでに変わっている
中学校では一クラスは30人でありその先生は30人では多いといって少なくしようとしている、団塊の世代は一クラス50人だったからその相違がすでにある
少数精鋭主義になりそうなると今までの教育とは違ってきているのである
大学の先生が今の学生の方が優秀だという時すでに優秀な人は独創的な人が出ているのかもしれない、それは30人以下の学級と50人規模の学級で教えられるものが違ってくるのからである

いづれにしろ高度成長時代を築いたのは日本人が優秀だからではなかったのである
それはどこの国でもできるものだったが早くそれを成したということに過ぎなかったのである、今になれば韓国でも中国でも日本より先んじて最先端の物造りをしていることでもわかる、またIT技術では後れをとっていることでもわかる
本当に明治維新から70年過ぎてまた戦後70年過ぎて時代が変わる
それは教育にも及んでくる、もしかしたら学校というものがなくなるかもしれない

例えば学校でなんでもやるのは向いていない、スポーツだったら野球クラブでもサッカークラブでもやるのがいいとかなる
学校自体も今までの感覚とは違ったものになってゆく、そういうことはオランダとかアメリカで始めている
教育というとき人間は結局自己教育なのである
その人の自主性にまかせた方が伸びる、何かに興味を持つことがありそこから学問でも自ずからするようになる
それは自分自身がそうだった、就職もしないでただ旅ばかりしていたというのもそうである、そこで地名に地理に興味をもったりして学問するようになったからである
自分には特殊な家庭の事情でそういうことが可能だったからである
それ以後自分は自己教育をしていたのである 

ただ自己教育でも節制が必要である、どうしても人間の弱点は楽な方に傾く、怠惰になる、これが避けられないのである
そのために時間を無駄にするし精神も損なわれるのが多い、自由といってもそのために悪い方の自由に悪とか快楽の自由の方に向かい時間を浪費するのである、だから自由な時間をいかに過ごすかもむずかしいのである
社会での会社員でもそこで経験することはやはり貴重な体験なのである
それができない引きこもりとかニートとかは後で問題が起きる、事件を起こしたりする、小人閑居して不善を成すとなる
それを自分自身が経験しているしそれは今度は老人になって高齢化社会で起きているのである
長生きするからそうなる、老人になったからと快楽をやめたりできないのである
それだけ快楽を追求するのが人間だと思った、快楽は強力なのである、人間は苦しみとかを求めない、あくことなく快楽を求めているのである、それは老人になっても個人差があるにしても変わりないのである

●教育は自発的自己教育が基本

じっと思いをこらすことや、心の安らぎをえることや、知識を豊富にすることによって
確かさをゆっくり成熟させること、といったことはすべての本性に逆らって努力したところでどうにもなるものではない
そこに達するためには自然と文化がしっかりと結び合うような環境の助けによって深められ、その気になるのを待つだけで十分なのである
(何のための教師‐ジョルジュ・ギュスドルフ)

この本はいい本である、人間は教育できるものではない、自発的にならないかぎり人間は学ばない、それは小学校の段階からただ暗記するのではない、算数でもあくまで暗記するものではない、考える一教材として教えるべきなのである
ただ結局あまりにも多くなった知識のためにつめこむだけになってしまったのである
要するに時間がない、じっくり学ぶ時間がないのである
また時間が与えられないのである、音楽を知るためには一つの楽器を与えてそれを覚える時間と環境を与えることなのである
何か教えるということでないのである、何か教えることは強制的になりその人に合わないことを押し付けることになる、それがこれまでの教育だったのである

ただ正直教育は知識が増えすぎてもう一人の教師では手に負えないのである
英語だと高校だと英文法専門の先生がいたりと何か部分化してつまらないとなる
郷土史となると実はこれはトータルな分野だった
そのことで私はプログで追求してきたからである、ただ科学的知識に弱いから原発事故について追求できなかったとなる
まず近くの畑にしてもそこに尽きせず学ぶものがある、教えられるものがある
でも農業を実地にしていない人は近くに田畑を見ていてもわからないのである
だから田舎に住んでいても今は農業を実地にしている人は少ないからわからないのであるそのこと自体が大きな問題であり知るべきなのだがそれもしないのである
自分自身でも最近趣味で農業している人に教えられたからである
この年まで田舎に住んでいて農業のことがわからなかったのである

だからいかにこの世のことは知らないことが身近でも多いか知るべきなのである
この世は死ぬまで学びの場なのである、それだけ社会が複雑であり自然でもわからないことが多いからである
だから教育という問題は学校だけの問題ではない、生涯学習として継続的にある
学校を出てからこそ本当に現実問題として事業するなら命をかけるようにまでなる
事業に失敗すると自殺する人が多いからである
そういうふうに真剣に学び実践する場が社会なのである
ただ自分の場合は特殊な事情で60までもモラトリアムとして遊学したようになっていたのである

そこに達するためには自然と文化がしっかりと結び合うような環境の助けによって深められ、
その気になるのを待つだけで十分なのである

こういうふうにして田舎で生きてきたのが自分だったのである 
ただ田舎に生きていても農業を実地にしていないからわからなかったのである
そこに知識として肝心なものが欠けていたとなる
そういうふうに人間は身近な世界でも近くでもわからないのである
その結果として原発事故が起きたともなる、もっと近くに関心をもっていたらこうならなかったからである
その危険性を誰も教えなかったということにもあったのだ
だからその住んでいる場所自体人間は知らないことが多いのである
つまり学んでいない、また教えられもいないのである、教育されていないのである
学校は社会のほんの一部の閉ざされた機関にすぎないのである
その学ぶべき場所は自然であり社会そのものなのである

何のための教師―教育学の教育学のために (1972年)   古書, 1972(アマゾン)

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2019年09月06日

世界史でも空間軸と時間軸の考察である (時間軸の思考がむずかしいからそこで問題が起きる)


世界史でも空間軸と時間軸の考察である

(時間軸の思考がむずかしいからそこで問題が起きる)

この世界を知るというとき基本は空間軸と時間軸である
津波というのもそうだった
空間軸というのは津波はその土地の地形と密接に関係していた
前にさえぎる小高い山があるだけで津波の勢いがそがれた
でも前に何もないともろに津波を受けて大被害になった
その圧力がものすごかったからである
つまり空間軸として地形として地理としてその土地のことを知らなければ津波に対処できない
今回の津波ではそれで高台を作るようになったのである

一方で津波は周期的に起きている、その時間軸の考察ができていない、時間軸の考察が人間にはなかなかできないのが弱点なのである
空間軸だったら何億年前と同じ世界が現実に今もあるから把握しやすいのである
大地とか山とか海はなくならないからである
でも時間軸だと村でも街でも消えてしまうことすらある
津波の被害では・・・千軒とかあり千軒の家が消失して何も残さないということがあったそして時間軸となる何か残されるのは祖父母の代くらいまでである
それはじかに聞いたりするから何か多少は実感になる
でも現実は戦争というのはいくら聞かされてもなかなか理解できない
それは日常生活とはかけ離れたことであるから理解できないのである
人を殺すことが日常化した世界はとても理解できないからである

そして津波でも400年前にこの辺に700人溺死として相馬藩政史に二行だけ記録されていたけど誰も注目せずに忘れられていた
今回の津波でそれが発見されたのである
だから専門家ですらそうした400年前のことになると見逃して忘れられる
時間軸での歴史の理解が難しいのはそのためなのである
人間は今の世界が現実であり過去になるとイメージの世界になりそこに必ず誤解が生じるもしタイムマシンで江戸時代とかに行ったら歴史で習ったこととは全然違っていたということなどいくらでもでてくるのである
それだけ時間軸で起きた歴史は理解しにくいのである
外国旅行しても今の世界に目を奪われて過去を歴史を知ることはむずかしい
ただヨ−ロッパとかだとローマでも石造りの建物などが残っているからその物から過去をリアルにたどるということがある
一つの建物の一片でも残っていれば違う、第一ローマと言えば2000年前ともなるからだ、そんな昔のものは日本では残っていない、古墳くらいである
だからヨ−ロッパは歴史をたどりやすく歴史を重みあるものとして受け継がれる
それでもこれだけ現代都市化すると過去を知ることがむずかしくなる

人間の歴史自体が空間軸と時間軸からできている、大陸だと余計に広いから空間の拡大がありローマ帝国をはじめモンゴル帝国とか空間の拡大がある
大航海時代も空間の拡大だった、アメリカはあれだけ広いから西部へと空間の拡大だったアメリカとかヨ−ロッパがなぜか知らないが西へ拡大するというときそのためにアジアへ向かったという人がいる
西部開拓からアジアへ向かって日本と衝突して戦争になったとなる
それはホイットマンの詩にもある
とにかく大陸は空間の拡大が歴史である、ただ古代になるとエジプトなどは時間軸の世界の文明だともなる、三千年も続けばそうなる
ピラミッドは空間の拡大ではなく空間に定着する時間軸の産物だとなる
建築は定着する時間軸の産物である、だから2000年前の建築でも残っている
石造りだから石の文明だから残っているとなる
そこに歴史的継続の思考が常に醸成されるのである
日本では木の文明だから木は残らないから歴史的思考がしにくいのである
だからこそ常に新しいものを受け入れるのだが歴史的に継続するものを見失う
日本の古来の文化とか伝統でも失いやすいのである


移住 ゲーテ

北も 西も 南も 砕け
王座は裂け 国々はふるえる
移り住もう、 清らかな東方で
族長の国の空気を吸おう

その純朴 その正義の地で
わたしは 人類の
原始のふかみに分け入ろう

Break to the north, west, south
The throne rips and the countries tremble
Move and live in a clean east
Breathe the air of the patriot country

In the land of justice
I'm humanity
Let's break into the primordial flock

・・・・・・・・

この詩のようにまさに空間の拡大なのである、大陸はこうして幾多の帝国の興亡があったそれは世界的な空間の拡大としての歴史なのである
大陸は空間に生きる、日本は逆に時間軸に生きるというとき日本は海に囲まれた閉ざされた山国という特殊な環境で歴史が形成されたからである
日本自体が一つの宇宙となり外に空間を生きるにも拡大するにもできない
日本では最西端とか最南端とか最北端とかが人気があるのはまさに海で囲まれているからそうなる、もし大陸のような陸続きだったら最西端とかに行くとなるとヨ−ロッパだったらポルトガルのロカ岬とかになってしまうのである
そして中国からヨ−ロッパまでは陸続きだということである
隔離されてはいない、陸続きなのである

その間に草原とか砂漠があってしも陸続きであり交通路になりやすいからシルクロードとかまた砂漠の民は移動しているから必然的に商業の民となった、イスラム商人となった
それは中国も農業国家でも商人国家だというときイスラムとか草原とか砂漠とかあっても陸続きであるから砂漠でも交通の道となる
そこには絶えず交流が生まれている、日本のように江戸時代の鎖国のように閉ざすことができない国である
中国でいくら万里長城を作っても異民族の侵入を防ぐことはできない
それで中国の歴史は異民族の侵略がありその国の王が変わる、モンゴルが支配したり満州族が支配したりするとなる
日本が萬世一系の天皇があるというときそれは日本が大陸のように海に囲まれているから異民族に進攻されなかったからなのである

君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで

これは時間軸の思考なのである

いづれにしろ人間は空間と時間軸に生きる、でも時間軸から思考することはむずかしい
歴史でもローマ帝国の拡大は空間の拡大時期でありキリスト教の中世は時間軸に生きていたとなる、内にとじこもる内省の時代だったとなる
そして現代はもう空間の拡大は終焉した、資本主義もグロ−バル経済で空間の拡大だったがそれも一段落してこれ以上フロンティアとして開拓する地域がなくなってきた、それで宇宙が空間拡大の場所となる、ここも限界がある
インドとかアフリカが最後のフロンティアになるとしてもそれも大航海時代とは違ったものになるだろう
そして空間的拡大としての投資が終焉するとき中世のような修道院に閉じこもる内省の時代になる、若い時は空間の拡大に生きる

夏の星若人遠くへ行きにけり

one summer star
a young man
go away in the distance

このように若者はとにかく空間の拡大に生きる、自分自身も60歳まで空間の拡大に旅に生きたのである、その憧れが強いものだから50でバックパッカーになり外国を旅行したのである
しかし遂に親の介護とかで十年過ごしてもう年になり遠くに行くの億劫になった
今は仙台すら今年だって一回行ったのかとなる
近間を回っているだけである、つまり中世的内省の時間を生きるようになったのである
老人はどうしてもそうなり安いのである、内省化して内面化する
そこに深い洞察が生まれる、それでつくづく批評家に向いてくる

いろいろな経験から批評家になる、本でもさっと一読するとその内容がもう直観的にわかる、そして自分の文脈で取り入れることができる
ただ読むだけではない、その内容は自分なり新たな創造として展開できるのである
これもだから不思議だと思う、本はただ買うだけで積んでいるだけだった
でも今は違うこうして新たな自分の読みで創造化できるのである
他者のものを引用するにしても創造的引用でありそれはただコピーしているものとは違うのである、つまりあらゆるものを深く読めるということなのである
それは新たな創造でもある、他者のものを何か自分なり新たな角度から創造しているのである、それは抽象画でもそうだった
他者の創作物を絵や写真をソフトで変えてもオリジナルものとは別物だったのである
だからそれも二次製作にしてもやはり創造であることは間違いないのである

2019年09月05日

abstract mountain (Demon Mountain)

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demon mountain

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2019年09月04日

「大災害時代」に突入している、地方の死はこの大災害 〈大事故)によって加速される―広域化社会の復興を考える


「大災害時代」に突入している、地方の死はこの大災害

〈大事故)によって加速される―広域化社会の復興を考える


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確かに原発事故周辺地域では実際に町や村の死が現実化したのである
南相馬市だと小高区との影響が大きいから営農再開でも45パーセントとか低いのであるでも原町市と鹿島区は山側をのぞいて営農が再開されている
でも小高区の面積が広いのでまだ45パーセントとかなる
南相馬市では小高が負担になっている
それは残されたのが老人が多いからである、まるでシルバータウンのようになっている

そして意外と老人でも南相馬市内に原町区とかまたは相馬市とかに住んでいる
若い人は仙台方面に移住しているが老人は南相馬市とか相馬市とか新地でも住んでいるのである
また浪江の人たちも復興住宅が作られた、原町は四階建ての団地が10くらいも作られた感じになる

だから今この辺がどういう状態になっているかというと小高は確かに3割とか帰ったとなるが老人がほとんどである、浪江は一割とかであり双葉大熊はまだ避難解除されていないのである、その人たちも補償金をもらったから原町とか鹿島でも相馬市でも新地でも立派な家を建てているということがある
それをとやかく言うのではなく現実だということである
その現実からこれからどうするのかと考えざるを得ないのである 

ここで取り上げたサイトで警告していることは地球が大災害時代に入ってその影響が地方に深刻であり地方の死が加速されるということである
それは原発事故周辺とか津波被害地域でそれが起きている、それは将来の予測ではなく現実化した問題でありその対応をどうするか深刻な問題となっているのだ
必ずしも政府が計画した街作りは成功していない、宅地を高台に作っても肝心の人が住まないのである
それは飯館村でも立派な学校とか施設とか作っても肝心の人が住んでいない、小学校でも立派だけど生徒は村に住んでいない、村外から通っているし第一村長も住んでいない
村長の孫も村外から通っているのである
そういう村が成り立つのうという問題がそもそもある

そして広域化した社会ということでこの辺は仙台に人口が集中している
山形の人口が減って仙台が増えている、山形県人が仙台に移動しているともなる
それは津波の被害や原発被害で加速して増えたのである
小高の人が仙台に二〇〇坪の土地を買いアパート経営している
仙台は不動産価格が阿武隈川を越えると二倍になると言っていた
岩沼とか名取とかになると高くなる、そこは仙台圏内だからである
名取に小高の若い人は移住して立派な家を建てた、そこで父親の部屋も作ったからそこに住んでくれという言われたがその人は小高に住んでいる

何かこうして浜通りはいわき市に浪江とか双葉とか大熊とかから2万人近く移住した
それから仙台方面へと広域的に人が移住したのである
そして小高の田んぼは草ぼうぼうであり営農は開始されていないのである
それを見たときもう小高でも浪江でももちろん双葉とか大熊なら余計にそこに住めるのか住みたいことがわかるにしてももう若い人たちは帰ってこないし、老人だけがまるでシルバータウンのようにして住めるのか?
それが疑問になった、前は復興ししてもらいたいと書いたがそれも時がたつにつれてこうした現実があるときもう捨てるほかないのかとも見た
それはかえって南相馬市だとそういう小高区のような地域をかかえると負担になるからであるそこに予算をつぎ込んでどうなるんだ、町は復興できないとも見るからである
今や復興を願っても現実問題としてそこを捨てた方がかえって楽になる
社会が広域化しているから仙台方面と移住したのである
すると復興というのは一地域ではなく広域的に考えざるをえなくなる

農業を復興してもらいたいと自分自身は思っていた、そういう願いがあった
でも現実は農業は維持できない、前から農業をになっているのは六〇以上の老人だったからである、それが余計にこういう状態になって担いなくなったのである
だからそういう場所に労力と金をつぎこむことが無駄なのではないか?
それより現実に南相馬市だったら原町、鹿島に人も移住している
すると原町と鹿島中心の市を作っていくとなる、それが現実的だともなる
小高は捨てた方がいいともなる、それは負担になるし介護でも福祉でもそうである
原町と鹿島区にそうして老人を集中させると効率的になるからだ
それはコンパクトシティにもなる

何か仮設の効用として女性などはいつも近くで会えるし話しできると喜んでいた人もいたのである、もちろん狭いから嫌だったという人もいた
ただ一時的に隣り合う長屋のような住まいになりそこでコミニュティが形成されたのである、だから仮設が悪いというだけではないいい面もあった
ただそのいい面は指摘されなかった、なぜなら被害者だということでそのことばかりを全面に出して援助を乞うようになったからである
原発被害者に援助が必要でも過剰になっていたのである

結局復興をどうするかとなると今の時代に適応したものとならざるをえない
つまり広域化した社会では復興でも広域的に考えざるをえない
だからこそ仙台方面へと移住したということは広域社会だからそうなった
そして復興とは被害にあった一部ではなく仙台方面とか広域的に考えざるを得ないのである、もともとここは仙台圏に近いから交流も多かった
それで仙台方面に移住した人が多いのである
何か市町村の枠を越えた連携が必要であり広域的復興の施策が必要になる
それはすでに現実がそうなったいるからそう考えるようになったのである
常磐高速ができたことでもそうである、ユニットバスを百万で作ったのも仙台の会社だった、もう地元だけでは生きられない社会である
それに自分自身が抵抗があってもそういう社会が現実なのである
それを否定していは生きていけない社会になっているからどうにもならないのである

大災害時代は広域化社会では一小地域が維持できなくなる、それは今の生活が昔のような村の自給自足生活とはあまりにかけ離れているからそうなったのである
インフラの整備でも過疎地域だと八〇倍かかるととんでもない金がかかるのである
だからこそコンパクトシティとか人を集中させて効率的生活をするとなる
それはこの辺ではすでに現実である、原町でも鹿島でも相馬市でも新地でも移住しているからである
そしたら小高を復興しようとすることがいいものなのか?
そうなってもらいたいと外からでも思っても現実がどうにもならない
すでにこういう時代は切り捨てざるを得なくなるのかもしれない
これから南相馬市は来年とかで十年とかなれば国から復興費用の援助がなくなる
その時苦しくなるというから余計にそうなる、負担になるのを減らすことが必要になるからだ

ただ自分がそういうことを言えるのかとなると問題なことを自分も承知しているのである市政というものに通暁していないからである
ただ現実を見るとすでに人はもう広域的に住んでいるから広域的に復興を考えざるを得なくなっていると見たのである
小高でも浪江でも復興してもらいたい、でも現実問題としてそれが不可能になっているとも見る、そこに費やす労力でも予算でも無駄とならないか?
それで霞が関の官僚が三陸などの津波被害地域にじじばばばかりの地域に予算を費やしても無駄だと言って顰蹙をかったのである
それも現実がそうだからあえてそうい言ったともなる
でも大規模な高台の土地の造成してもそこに人が住まなかった、そしたらその労力も無駄だったともなる、除染でもそうである、莫大な金が使われたがそれはゼネコンとか官僚の利権化しただけだとかきもなる
なぜならゼネコンから自民党への献金が増えたというからである
そういことのためにゼネコンに除染をまかせたのかともなる

広域化しているという時、南相馬市とか浪江とか双葉とか大熊でも広域的に政策を考え共有しなければ復興できない、それぞれの自治体単位ではどうにも処理できなくなっているすでに広域的に住民が移住しているのだからその対応も広域的にならざるをえないのである、そして現実に浪江でも小高へ帰らないと決めている人が多いからである
老人は小高に帰らないと原町とか鹿島とか相馬市とか新地でも住み仙台圏へと人が移住しているからである
そして少子高齢化や人手不足時代になり地方のまた小地域が維持できなくなっている
それが大災害自体に原発事故の人災でもそうなっているからそういうことかと読んだのである



posted by 老鶯 at 20:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

破壊された村の共同体、アイディンティティ (消える御先祖様、維持できない墓―無縁化する社会)


破壊された村の共同体、アイディンティティ

(消える御先祖様、維持できない墓―無縁化する社会)

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柳田国男ー先祖の話

日本人のアイディンティティは村で作られた、それで村の地名が姓になっているのかほとんどである、姓をたどればどこかの村に突き当たりそこが姓の発祥地なのである
相馬地方で大原の隣に大谷(おおがい)村がある
そこは土地が狭い、山があり耕作する土地が狭い、そこでなぜ栃窪村に大谷の姓があり一族を形成している、何か古い村だと都会のように外からの人が交わらない時その村を形成した一家がありその姓が分家したりして増える
例えば常磐線の末続駅をおりると墓地があり新妻の姓が八割くらい新妻の姓だったのである、ここでは明らかに新妻一族の村だとなる
他に葛尾村は松本の姓が三分の一でありこれは信州の方から今の長野県から移動してきた侍の子孫だとなる
そういうふうに辺鄙な村だと同じ姓の人がいることはわかりやすい。
井川線のローカル線の秘境駅に土本という姓の駅がある
そこにその姓となる家が三軒ほどあるからそうなった 

南相馬市に多い只野、但野という姓もそうである、これは本当に多いのである
その只野という中心となって人が同級生だった
それは南北朝時代に霊山での争いで落ち延びた侍の子孫だったのである
その基は郡山の多田野村にあった、これも落武者の系統に入る姓だった
何か落武者伝説が各地にある、葛尾村の松本姓ももともと信州の長野県の侍が落ち延びてきたともなる 

姓は血縁から生まれた、姓(かばね)のことだからである、屍(かばね)に由来しているからである、でも日本では村を中心にして社会が形成された
社(やしろ)を中心にして社会が形成された、社会とは社(やしろ)に会すからきているそれが会社ともなったのである、会社も一つの村という感覚にもなっていた
高度成長時代終身雇用制度が生まれたのはそのためだったとのかともなる
そもそも村での農業社会に定年はない、死ぬまで村に所属して死後は先祖になる
そういう長い継続のなかでアイディンティティが築かれてきた
だからこそ社会があり会社になったともなる
第一社会はソサイアティという訳語であるけどこれは仲間という意味である
この仲間がどういう意味なのかわからない、ただ血縁とか地縁とかとも違う意味があるのだろう、ヨ−ロッパでは社会の形成は広範囲なものがあり小さい村を越えて形成されているからである

日本でも最初は血縁で結ばれていた、第一天皇でも萬世一系とか今日までつづいていることでもわかる、2000年とかその血縁が変わらず続いているのは日本だけだとなる
外国ではたいがい姓は血縁であり父方の姓になる、中国でも韓国でも一つの姓で結合する李氏朝鮮とかあったのも李一族が支配するとなっていたのである
だから日本がなぜ村を中心にして共同化したアイディンティティ化したのか特殊だったとなる
そこに日本文化の特殊性が形成されたことを基本的に知らないと日本は理解できないのである、確かなことは血縁もあったのだが村という土地で共同して働き助け合いしているうちにその村で一つの共同体が形成されて一つの御先祖様になった
だから私は先祖になるということを言ったのは重みがある
その村の御先祖様になる、今ならそんなことを言うとだいそれたことになるからそれだげ時代が変わってしまったのである
つまり御先祖様になる基盤となる村が消失してしまったからである
今農業を継いでいる平均年齢は68歳だというから驚く、もう跡継ぎがいないのである

それで大原村では前田というところに草分けの農家らしいが病院で知り合ったがもともと息子が市街に出て働いていて一緒に住んでいなかったのである
それで猫のことを心配していたのである、猫と一緒に住んでいたからである
その人が死んで今は空家になっている、その墓は大原にある、何か墓に刀自とか記されているから古い家の感覚がそこにあったのかとなる
つまりこの人も御先祖様になるということに昔だらなっていた
でも今は墓はあるにしろ息子は市街に住んでいるからやがて大原とは疎遠になる
農業を受け継ぎそこで暮らすならそこに御先祖様がいることになる
それで春になると田植えの時期に御先祖様が山から下りて来るというのは農業がその土地で継続されてこそありえたのである
その基盤が失った時御先祖様は存在しえなくなったのである
だから墓を維持できないとかいろんな問題が生まれてきている
それがあまりにも戦前からでも戦後でも社会の変化が激しいからその拠り所とするものがアイディンティティが失われたからそうなったのである

要するに〈先祖になる)という場もなくなったのは農業社会から工業社会とかに移行した結果なのである、そこで共同の場は会社に移行したのである
でもそこでは御先祖様とかになることはありえない、会社を退職すれば会社の縁は切れるそれは死後もつづくようなアイディンティティの場にはなりえない
そもそも会社自体がグロ−バル化競争の中で消滅している、大企業でもそうなる
でも村の歴史は日本では長いのである、何代もつづいてきたのである
千年くらいつづいてときた村もある 

そこで日本人のアイディンティティが築かれて来たのである、だからこそそこに日本人の精神が築かれたのだからそれを失うということはアイディンティティの喪失になり実際は精神的拠り所になるものがあらゆることで失うことになるから深刻になる
それで先祖になるというときその言葉に重みがあるのはやはり死というものが共同体の中で位置づけられた重みがあったからである
それは靖国で会おうといって戦士した英霊にも言える
その人たちも日本の先祖になりたくてそう言ったのかもしれないからだ
それがなされないとき亡霊として日本を彷徨うとなるからである
それで村に帰ってきた兵士が亡霊となりそれがトンネルから出てきたのだか追い返えされた黒沢明の映画(トンネル)が何かリアルだったのである

いづれにしろ死という問題が今うまく対処できないのはこうした社会の急激な変化によってである、死というのも個人的な死と社会的に意味付けられる死があるからだ
個人的な死は世界共通であり世界宗教の問題である
でもまた共同体の中での死がありそれはまた別な問題としてある
それで同じ墓に入るために墓友達を作っているのも現代的である
でもこれも老人になってから作るからとても村のような深い強い継続的なアイディンティティは作りえないのである、ただ一時的なものとして処理される
つまり今の時代は長い時間で継続される、時間軸で生きることができないのである
そのアイディンティティとなる場が村がなくなったからだともなる
だからなぜ原発事故で簡単に町でも村でも解体したのか?
放射能汚染で住めないということもあったがそれだけではない、そもそもそうした町であれ村でれグロ−バル化広域化社会の中に貨幣経済のなかに巻き込まれてあった
どんな辺鄙な地域でも今はそうなのである
第一石油を使っていればそれは中東と関係してグロ−バル化しているからである

そうして商業というとき奇妙なのは神社が市場になりそこを村から無縁化した場所として提供されたのである
つまり村から無縁化されないかぎり自由な商売はよそものは村に入れなかったのである
今でも村となると都会の人が入りにくい、よそものとして見られるとか嫌がれるとういことでそういう継続がある
しかし資本主義となるとそうして無縁化して貨幣経済にすることで成り立つ
それがグロ−バル経済として現代文明を作ったのである
だからそこで無縁化社会になり孤独死とかが増えるのもそうした社会の変化の中でそうなったのである

それは世界的にグロ−バル化した社会でありそこで実際は様々な問題が矛盾が生まれたのである、人間が商品化する貨幣経済がすべてになり商品化するとかマルクスの思想とかがもてはやされたのである、人間とは経済的な一単位ではないからである
人間はとにかく経済的に何でも割り切れる存在ではないから様々な問題がそこに噴出している、墓の問題でもそういう矛盾となって現れる、それは全体の一部の問題にすぎないのである、他にも様々な問題が生まれたのである、原発事故もそういう社会の変化の中で起きたことなのである、そうして俟ち村も解体されていったというのもその原発事故前にもそうした日本人のアイディンティティとなるべきも基盤が失われていたためだともなる
それが原発事故で一挙に加速してそうなったのだともなるからだ

かつて日本人の間には一人一人の人間の個別性よりも、ある家やある土地に生まれ、一定期間の人生を生きて死んでゆく者は一つの大きな命のプールのようなものの中からある時間帯だけこの世に生まれ来て死ぬとまたその命のプ―ルに帰るとでも比喩される時代があった{波平恵美子)

これを政経東北8月号の「なぜ福島は分断するのか」に引用されていた
これこそまさに村というアイディンティティの場があり死後も継続していることを示している
ただこれはここでは極端なものにとして起きたが社会全般に起きていたことなのである



2019年09月03日

駅でみる老人と若い世代 (老人は知らないで困ることがあり頼るから謙虚)


駅でみる老人と若い世代

(老人は知らないで困ることがあり頼るから謙虚)

駅で依然として無人駅で乗車証明書をとることがわからない人がいる
今はあまり案内していないが依然として老人は地元に住んでいてもわからない
昨日は三人くらいわからなかった
その人も鉄道を利用していないので電車の乗り方がわからなくなっていたのである
車ばかり利用していると電車の乗り方すらわからなくなる
それはよほど電車を人生の中で利用していなかったということである
それは逆にどれだけ車社会になっていたかを証明している

何か無人駅でも老人は困ることがあり教えることがある
普通はみんな自動で改札するからである
それで何か教えようとすると怒る人もいる、余計なことをするなと若い人はそうなる
でも老人は違う、何か話ができる、駅で待っていてもちょっとでも話することができる
昨日は「鹿島は原町よりいい」と老人が言った
その女性はちょっとでも教えられたり話できたからである
原町駅だと大きいからそういうことがないからである
つまり小さい駅とかまたここが無人駅だからそうなった
なぜ鹿島がいいとか言ったとき、小さい街だからかえっていいということがある
小さいことは人が交わり安い人情的になる

そして何より駅には待つ時間がある、この待つということが人間的時間をもたらしているだからそごで10分でも待つ時間があれば何か話したりできるのである
かえって待つという無駄な時間が人間的時間をもたらしている
ただ現代は人と人が機械化してスマホとかで交わらない、駅でも年配の人でもスマホを見ている、その人自体が携帯をもっていたし直接人に頼らない時代である
第一無人駅になっいていることが機械化して人間を省いていることなのである
ただ最近は朝と二時半から高校生の見守り役がいる
ただ駅や鉄道の案内とか無駄なことにはかかわらない、待っている人と話したりはしないJRでは駅の業務を頼むと金がかかるから頼まないのである
高校生の見守り役は市でNPOに頼んでさせている、金は市から払われている

人間は何かできるとか〈俺は助けてもらわなくてもできるからいい)というとき傲慢になっている、それは自分自身がそうだった
介護も十年とかしてさんざん苦しめられた、自分も病気になった
その時弱者になった、するとなんとか助けてもらいたいとなるがそれもなかった
それも自分のカルマだった、ただ駅でわかったことは老人は弱者でありわからないことがあり教えてもらいたいという気持ちがある
またいろいろ人生を経験して謙虚な人が多い、だから話ができる
でも若い人は何も教えてもらいたくない、うざいんだよ、駅には人などいらないんだよとかなっている、つまり傲慢なのである
若い人は弱者の気持ち、老人の気持ちがわからないのである

その原町から来た女性も喜んでいたのはばばあと言われて無視されるだけだと言っていた若い女性なら勝手に近寄り教える人がいるがばばあにはいないということなのである
結局若いということだけがいいとはならない、若い人には弱者の気持ちとかわからない
老人はみんな弱者化する、でもその老人の気持ちがわからない
すると実際は介護とかには向いていないとなる
ただ介護となると体力仕事にもなるからしているだけだとなる

何か自分は本当に駅にいるのはわずかな時間である
30分もいない、でもそこから見える社会があるものだと思った
自分は社会性が欠けていた、だからこういう所で社会であり社会がいかなるものか見えてくる、やはり家に引きこもっていただけでは社会はわからないのである
それは本を読んでも社会でも何でも何か実感が大事だからわからないのである

2019年09月02日

刹那的な楽しみに生きる現代人、道徳性の後退 (忍耐力がなくなり長期的視野がもてない)


刹那的な楽しみに生きる現代人、道徳性の後退 

(忍耐力がなくなり長期的視野がもてない)



何か現代人は刹那的になっている、刹那的快楽を求める、地道に働くということになじめない、長期的視野がもてない、その場限りであり宝くじのように大金を得たいというのが共通である
そうなるのはなぜなのか?
それは社会的環境が関係している、社会はもう金、金、金・・である
金さえあればいい、金があれば何でも満たされるという感覚になっている
金さえあればスーパーに行ってなんでも買えるし遊んで暮らせるではないかとなる
そして地道に働いても今は非正規とかが多く簡単に金にならないのだ
現実にこの辺で原発避難者が仮設に住んでも地元の人に世話になるという感覚がゼロだった、むしろ私たちここで消費して助けているのよねということしかなかった
それは消費者が王様だということでそうなった
金さえあればその人がどこでも王様になるのである
それで小高の人が仙台で200坪の土地を買い家を建てアパートまで経営している
それは何億の金が補償金として入ったからだと思う
原発事故で被害者というよりその補償金で成功者になったという現実である

例えば高度成長時代は貯金をすれば10年後には利子で倍になるというとき十年間ためて貯金しようという感覚になる
でも利子もつかないとかなると貯金することに励むということもしなくなる
10年間の長さに耐えられない、石にも三年とかにも耐えられない
忍耐力が欠如しているのである、そういう教えが通じなくなっているのである
それに比べれば私の親などは大正生まれであり本当に忍耐強いのである
貧乏で育ったから贅沢しなくても文句を言わないのである、それは大正生まれとかなるとみんなそうなのである、そういう環境で育ったからである
辛抱強い、だから文句を言わないことに感心する、辛いことがあっても文句を言わないのである
そこが今の人と社会と根本的に違っていたのである 

そもそもなぜ現代は何かせかされるとか忙しいとか刹那的になるのか?
それは多分に今の社会環境と関係しているのだ
まずともかく(待つ)ということを嫌う、待つということが時間の無駄に感じる
ところが駅だと必ず待つ時間がありその時間が無駄ではなく何か人間的時間なのである
電車を待つという時間が人間的なのである
だから私は鉄道が好きなのである
クルマには何か待つ時間がない、いつでもクルマに乗ってキレルように去ってゆくだけである、そこからキレル人間が必然的に生まれてくる
クルマが便利でいいとしても人格まで変えてしまうことが怖いことだったのである

戦前とかまで社会の環境が違っていた、そこでは何か今とは違うものが精神的にも育まれていたのである
例えば戦前でも戦後10年でも馬とか牛とか普通にいた、すると牛がいるとすると牛に忍耐の象徴であり牛がともに生活することで忍耐を学ぶとなる
それはおそらく牛とともに生活することで性急にならないとかあった

「のんきな父さん」とか言われたのもその時代はのんきなものが時間がゆったりとまだ流れていたのである  

何かわからないのだけど世界中から物が入ってきてスーパーにある
でもその物は何か魔法のようにそこにある、とても人が苦労して作り出した感覚がないのである、それは農家でもないしどうしてその野菜でも果物でも作り出されるのか?
それが実感としてわからない、わかるのは金を出せば何でも買えるということである
だから現代生活で常に意識されるのは金なのである
もし農家で米とか野菜を作って入れは金を意識する前に作物をいかにしてとれるかということを意識する
米だったら浜に田植えして秋に収穫する、その間に何か作業がありようやく秋に実りがあるとなる、そこにはやはり時間がかならずかかっているのである

20日大根でも40日大根でもそれだけの時間がかかる、種を植えてすぐに育つことはない
でも買うとういことは常にできあがったものを買っているのだからいつもそこに完成品が育ったものがあるという感覚になる
すると自分で育てる待つ時間もないのである、問題なのは金があればいい、金があれば食料でもなんでもすぐに手に入るとなる
それはまた世界中からなんでも食料が入ってくることによる
地域だけに頼っていたらこんな感覚にはならない、住んでいる場所でとれなくても他からいくらでも入ってくるとなると住んでいる場所に頼るということもなくなる

問題なのは常に金があることなのである
例えば昔は郷倉とかあって飢饉のために米とか貯えていた
でも今はその必要がない、常に外から入ってくるからである
そうすると何が大事なのか金だとなるのである
米など貯える必要がないとなるのである
だから地域に依存していないから地方に田舎に住んでもいても別に地域に頼ることがないのである
ただ津波や原発でこの辺で何もなくなったとき二週間くらい困った
その時古米をこの辺では配ったのである、その時助かったとなるから古米を貯えていたことはやはり郷蔵の役目があったのである
その一番の要因が

外から食料が入らなくなった

この辺では一時二週間以上食料が入らなくなったからである
これでわかるように現代の生活感覚が刹那的快楽とか刹那的に向くのはいつでも食料でもなんでも入ってくるという感覚でありそこで金さえあればいいとなる
それも忍耐して稼いで貯金するというまどろっこしいことをしたくないのである
貯金して利子が高くつくようだと高度成長時代のようにみんな貯金しようとする
でも今は貯金したら銀行から利子をとられる、投資信託とか買わされたりゆうちょで必要のない保険を買わされたりしてごまかされる
そういうことでこつこつ稼いで資本をためる、金をためるということがなじまない時代なのである

そこで起きてくることは何か?ともかく時間をかけてこつこつ貯めるのは無駄だとなる
一攫千金を狙う、FXとか投資がいいとなる、こつこつためてもたまらないからである
また稼げない時代だからである、それでそうした一気に稼げるばの一攫千金を夢見るのである
そして時間のサイクルが早いのである
例えばローマ帝国であれスペイン帝国であれイギリス帝国であれそれなりに長い時間をかけて作られてきた、でもエジプト文明三千年はさらに長い時間で作られてきたのである
そして徐々に衰退したのである、その時間の感覚が長いのである
でも今だと日本の経済成長が30年くらいで終わりとか中国でも二十年くらい成長して終わりだとかなる
世界的に交通が発達してそうなったのである、その成長の速度が速くまた衰退するのも早いのである、だから中国が10数年で宇宙に行ったり新幹線まで走らせていることが信じられないのである
それだけ時間の感覚が早くなっている、そこで刹那的になるのはとめられないのである
長い時間の感覚で社会でも人生でも見れないのである
だから欲しいものはすぐに手に入れるようとする、待つ時間がないのである

道徳にしてもそこで育まれことがないのは時間がないからである
「ローマは一日して成らず」という時間の感覚が喪失しているのである
現代は一日にして成ることを求めているのである
そこに道徳的退廃が生じる、刹那的快楽主義になる、これは一人の力ではどうにもならない
つまり時間というのも文明的時間がありそれがますます加速されて異常化しているのである、文明人はたえず時間に追われている、待つ時間も消失しているのである
無駄な時間も持つことともできない、時間を極限まで無駄なく使うとかなる
生産現場ではそうなる、何か時間すら脅迫的に支配される

そして刹那的なものを求める、時間をかけるものが否定される
そういうところで道徳の退廃が生まれて社会自体がもう維持できなくなる
何か人間は忍耐力がなくなり争いにもなる
それでなぜ産業革命がグロ−バルにはじまったとき戦争となり莫大な死者を出したのか?それも現代の文明と関係していた、刹那的なものを求めて戦争で解決しようとする
そこに忍耐する待つ時間がないのである
だから戦争も文明の結果だということを指摘するのもそういう社会環境が人間を作っているからだともなる
文明が罪を悪を作り出して増幅させるということもある、それが世界的に起きていることは世界が同じように文明化しているからである 
インドの一部をのぞいて馬と牛を使わなくなったりしているからである
そういうことでは共通しているからである

文明には遅らせるとか待つとか減らす思想がない、つまりそのことはもう止めることができず暴走もすることになる
何か現代に必要なのは遅らせるとか減らすとかの思想が必要になっている
そんなことしたら経済が停滞するとか反対がありできないとなるのがそれが資本主義が投資先がなくなりもうそうした思想が時代にマッチしたものになる、だからそんな思想は批判するより現実がそうなんているのだからむしろ現実的思想だともなるのだ
もう文明はいろいろなものが限界になってきている、原発事故でも何か科学技術の限界現象だったのである
経済成長とか無限の科学技術の発展とかも限界が見えてくる、その時こうしてもともと東洋思想だったものが現実社会に適応するものとなる、だから文明が西洋から東洋へシフトするというとき思想の面でも東洋的思想が現実にマッチしたものとなる
資本主義思想はもう現実社会にマッチしなくなったからである

忍耐力がない長期的視野がもていないというとき、現代社会が日本でも高度成長時代は団塊の世代でも若い人が多かった、すると社会は若い人中心の社会だった
すると何でも若者向きになる、でも今度はその団塊の世代が老人になると社会が変わる
少子高齢化社会であり老人向きの社会になる、そのマイナス面も大きいのだがプラスの面もある
老人は70年くらい生きるとそこで一時代を生きたという感覚をもつ、それがどういう人生でもそうである、一時代を生きたという経験が若い世代とは違う、そこで物の見方も違ってくる、その一時代の過去をふりかえり未来を見るということができる
それより団塊の世代の上野の世代は戦争を小学生の時代でも経験した人は違っている
戦争の見方が戦後の戦争を知らない人たちの見方と違っている
その差は戦争の時代を小学生でも生きたということなのである

その経験の差が大きいのである、そういう経験はどうしてもいくら本を読んでも聞かされても実感できないのである、だから戦後は左翼関係者の戦争を否定することばかりが戦前の戦争の実体だとなったのである、それは戦争を経験していないからそうなったのである戦争の現実は経験していないからただ頭で理論的に悪いとばかり言うだけなのである
戦争が悪いことはわかる、でも日本の戦争もその時代の状況で生まれたからその時代を知るべきだとなる、でも実感として知り得ないから一方的に頭で判断する
そういうことは別に戦争でなくても戦前の生活でも江戸時代とかなるともわからないので必ず誤解しているのである、現在から時代を見るからそうなる

ともかく一時代の区切りは70年だということはあたっている
なぜなら明治時代から70年して太平洋戦争になり戦後の高度成長時代から70年して今がある、つまり70年過ぎると時代が大きく変わる、大きく変わらないと遅れとり衰退するということである
そして人生百年という時それがいい面と悪い面があるにしろいい面としては長期的な展望で生きれるとういことでもある
自分の場合特殊でも60までは遊びだった、旅行ばかりして60になりその後介護十年とかなりそのとき一時代が過ぎたのである、そして人生も終わりだとなる
何かふりかえると人生かこんなに簡単にあっけなくあっというまに終わるとは思っていなかった
無常迅速だったことは変わりなかったのである
でも70年生きたということはなんでもあれ誰でも一時代を生きたのである
ただ今の80以上90歳とかなると二つの時代を生きたとなる






posted by 老鶯 at 09:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2019年09月01日

時代の変化の中で二度捨てられた故郷の田舎の価値 (時代によって変わる価値―若い人は今は田舎志向になっている)


時代の変化の中で二度捨てられた故郷の田舎の価値

(時代によって変わる価値―若い人は今は田舎志向になっている)

時代によって変わる価値という時常に人間は長い歴史で経験してきた
明治以降は特に価値が変わった、江戸時代の価値観がまるで変ってしまった
侍がなくなったということが一番変わったことでもあったし藩がなくなったことでもそうである、殿様もいなくなった
その変化はあまりにも大きいものだった、だからそういうときその時代についていけない人たちがでてくる、変化が激しいのでついていけない
今までの価値観の中で生きようとする
そういうことは歴史の中で常に起きてくる
特に現代は科学技術社会でありその進歩が急だったからめまぐるしく変わりついていけなくなる

交通でも明治以降は鉄道中心であり車社会になるのは高度成長時代からである
その時国鉄時代であり社会党が大きな力をもっていたのは国鉄をバックにしていたからである、そういう時代も国鉄が民営化して車社会になった時変わった
国鉄は消えて輸送は車中心になったからである
その時代は鉄道中心に街作りでも行われていた
鉄道の価値が高いものだったのである、それで原町のように駅前通りが全国で作られ街作りの中心として駅があった
今は鉄道が衰退して高速となりその高速のSAは新しい街作りとはならない
街とは結びつかないのである、一時期に車をとめて休むだけだからである

通信でもまだ電話でも普及していない、手紙とかハガキであったりした
その通信の分野でも急速に変わった、インタ−ネット時代になるとこれは個々人が発信できるので新聞とかテレビが報道をメデアを独占する時代は終わった
携帯電話からスマホ時代になっても変わった
こういう技術の変化が激しかったのが20世紀だった
そういう技術の変化でも価値観が変わる

価値観というのは例えば文学でも万葉集というのが日本の古代という時代から生まれたものである、そこに日本の原始性が残っていて今になるとそれが理解しにくいのはそのためである、平安時代になると古今集となると万葉集とは別ものになっていたからである
つまり時代の産物として文学もありその時代を知らなければ社会でも知らなければ文学も理解できない、それが時代が変わると非常にむずかしくなるのである
なぜ芭蕉の奥の細道ができたか?これも江戸時代初期の元禄時代と関係していた
その時代の産物として生まれた価値を作りだしたのである
だからこれは今では作れないものであり価値が減退することもないのである
一流の古典となると価値が減退しないのである、代々読み継がれるのである
そういうものが古典となる、今の時代でも無数のものが残されても時代に代々受け継がれるものはまれなのである
万葉集の価値が減退しないのは日本という風土がありその原始性を歌っているからだとなる

ともかく人間はその時代時代の価値観に生きている
明治から太平洋戦争までは日本は貧乏だったけど農民が80パーセントだったとか農民中心の社会だった、そういう中で価値が作られていたのである
農業社会の価値観に生きて入たからこれは江戸時代の継続でもあった
なぜなら燃料は山の木材を燃やして作る炭だったからである
街中の家にもみんな囲炉裏があったからである
そういう生活で価値は作られてきた、その時何が大事なものかとなると江戸時代のようにその土地でとれるものが特に米が大事なものになっていた
第一パンは戦前はほとんど贅沢な菓子であり食べていないからだ
子供の時ようやくコッペパンなどが出てきて食べ始めたのである
それは子供の給食にもでてその味を覚えている

囲炉裏があるときその囲炉裏中心に生活があった、特に農家ではあった
そこで薪をくべて煮炊きしていた、そのことに価値を見出していたのが山尾三省である
この人は何げない田舎の生活に価値を見出して極貧の中に60くらいで死んだのである
その田舎の価値とは戦前とか戦後10年くらいまでみんの普通の生活だったのである
今になると自分の家のすぐ裏の堀で洗濯していた、これも今になると信じられない
洗濯機などなかったからである
でもそういう不便な生活でもその時代に作られた価値観がありそれを山尾三省は求めたのである
回顧的価値観とはなってしまうがその時代はそういう生活であり別に特別なものではないからそこに価値あると認めていたとはならない
一時代が終わった時その時代を回顧してその時代の価値を見るとなるのが人間だからである

その後高度成長時代になりこうした江戸時代から継続した生活は失われた
故郷でも田舎でも急速に変わったのである
それで小高に住んでいた人が父親に農業だけはやるな継ぐなとして殴られたというとき
それも極端にしろみんなそういう時代になった
農業とか漁業でも林業でも金にならないという時代になり捨てられた
原発事故になる前から第一次産業は金にならないとして捨てられていたのである
だから漁師は漁業権を東電に売り渡したし農業に従事する者は一割にも満たないものとなった、その時明らかに漁業とか農業とか林業でもか江戸時代から継続してもっていた価値が喪失したのである

なぜなら炭焼きは山村からなくなり石油とか電気にエネルギーが変わったからである
その前に常磐炭田とかあったがこれも終わり炭や石炭の時代は終わった
その時第一次産業は価値ないものとして原発事故の前でも捨てられていたのである
そして原発事故になった、その時この一回捨てられた漁業とか農業とか林業が一番打撃が大きかった
海でも水でも土でも木材でも森でも空気まで放射性物質で汚染されたからである
それか致命的であり住めなくなったのである
人間はその土地に住むということは生態系に依存している
水でも土でも空気まで汚染されたら住めなくなるのである

でもすでに第一次産業はすでに捨てられていた、跡継ぎもいないとか捨てられていたのである、そこに原発事故になり二度捨てられたことになる
それから原発事故の補償金でも故郷の田舎の価値は捨てられた
一億円補償金もらったら故郷のことや田舎のことより自分のこと家族のことが大事だとなりその多額の補償金をもらって故郷を捨てたたのである
その時故郷に残されたのは老人だったのである
老人は故郷に愛着があり残ったが若い世代は金の方が大事であり今の時代の価値観に生きるから広域化社会で金があればどこにでも住みたい所に住めるとなり故郷を捨てたのである

でも故郷には先祖の墓があったり故郷に受け継ぐべき価値あるものがあった
でもそれは目に見えない実利として見えないものがある
景観とか先祖とのつながりとかは目に見えない、だからそれは実は切れやすいものだったのである、金の力が大きくなるとそういうものは目に見えないし実利にならないから無視されるのである、何か故郷には目に見えない実利とならない価値があった
でもそういうものは無視されて捨てられたのである
おそらく老人が故郷に残ったのは思い出がありそこで暮らし歳月があり簡単に捨てられないから残った、それは実利にはならない、金にならないのである
でもその価値が実は大きなものだった、金に変えられない金で作りだせない価値でもあった、第一思い出はもう老人には作れないからである
その思い出はその土地と故郷と一体化してあった、だから故郷に残ったとなる

いづれにしろ故郷は二度捨てられたのである、原発事故前にも故郷の価値は捨てられていたのである、そして多額の補償金が入った時も故郷は捨てられた、そこにあった価値は無視されて捨てられたのである
複雑な事情にしろ親戚でもあった人は親の墓を自分が作ったが墓参り来ないで縁は切れたそれだけの縁だったとういこともあるが何か簡単に親の縁もキレると思った
その人は金がないから十万欲しいと電車賃を送ったが親の墓参りに来なかった
親に苦しめられたにしろ子供の時かわいがられたのだから親を思う心があると思った
実際は全然なかったのである、ただ電車賃十万が欲しいから墓参りに来ると言ったのである、そして墓参りには来ずに縁は切れた

このように十万でも死んだにしろ親の縁でも先祖の縁でもキレルものだと思った
先祖を供養するとか墓参りしても金にはならないから来なかったのである
その人は金が欲しいからであり親を思う心がなかったのである  
親とか先祖を思うとしても金の方が大事になる、それもたった十万で死んだにしても縁は切れたとなる、それはかないこの世の縁だだといえばそれまでだが何かここでも同じようなことが起きたのである
ただキレル縁は不思議にあっけなくキレル、親子の縁だって切れにくくてもキレる
何かこの世の縁はみんな切れるのかとなる
それとは違っても同じようなことがここで起きたのである
金の切れ目が縁の切れ目になりやすいことが変わりなかった

故郷でも田舎でもそうして目に見えないものとして価値あるものがあったがそれは捨てられたのである、多額の補償金の方が一億円の方が価値あるものとなっていたのである
もちろん放射能汚染とかあり帰れないといえばそれまでだが何かそれだけではないものがあった、それと強力な理由とはなったがやはり金の方が価値あるとなった時代だったのである、またグロ−バル化広域化社会の中で価値観が変わったからそうなったともなる
いくらグロ−バル化と広域化社会を批判したとしてもそういう中で生きざるを得ない
その時代の価値観で生きざるを得ないから金の価値が大きくなり故郷は捨てられたとなるただ逆に山尾三省のように東京暮らしの都会人は強烈に田舎生活の価値観を求めて移住して農業して死んだのである、でも田舎の人はそういう価値観をとっくに捨てていたのである
むしろ田舎の人は都会人の価値観に生きていた
いい車が欲しい、いい家が欲しい、うまいものを食べて贅沢したいときりがなかったのである、そのためなら何でもする、東電に漁業権でも売り渡す、農業などしても金にならない価値がないとした
そういう時代の価値の変化の中で原発事故が起きたのである

ただこの価値観は変わる、かえって今度は別な形で田舎が地方が見直される時が来ているのかもしれない、若い人は田舎志向になっている、都会に出ても働いても非正規であり金にならないとか田舎に帰っているという、田舎に星を見にきたという若い人もそうである都会にないもの自然でも田舎に求める時代になっている
そのように田舎は地方は見捨てられたのだがまた価値観が変わってくる
別な形で田舎が地方が見直される時代になる、その兆候が若い人に現れている
すると今後その若い人は60年とか生きる、するとまた時代が変わり価値観が変わるのである
だから貧乏であれ一時代に作られた価値観は貴重なものであり実際は廃れることがない価値がある、それで万葉集は時代が変わっても不滅であり古典になるものも不滅なのであるたから金になる者だけを求めるがどういう価値を求めて生きるかが人間は大事になる
どういう価値を追求するのかが問題になる
でも金になることが必ずしも求める価値とは一致しない葛藤がある
でも今の若い人は金にならなくても自ら求める価値を追求しているという時、時代が変わっているのである、その若い人達の価値観が次の時代を作るからである   

価値が変わってもその時代時代の価値は不変である

価値が変わるとしてもその時代時代に作られた価値は残るし不変である、だから必ずまた時代が変わっても見直されるのである
万葉集の価値が時代が変わっても変わらないように不変の価値をもちつづけいるように変わらないのである
活字でも電子文字になっても別にその内容までも変わらない、内容がなければ価値がないのである
俳句でも短歌でも紙に書いたから価値があるとか電子文字では価値がないとかならないのである
問題は内容にあるからだ、その辺が錯覚しているのである

鹿島駅の引き込み線に(Plasser & Theurer)とまる (徒歩旅行者を案内)


鹿島駅の引き込み線に(Plasser & Theurer)とまる

(徒歩旅行者を案内)


pressertrain1.jpg
ここに新しい駐車場ができ


pressertrain22.jpg

プラッサー&トイラー (Plasser & Theurer) は、オーストリアの線路工事用重機メーカー。本社をウィーン、工場をリンツに置き、欧州周辺の鉄道をはじめ、ロシア、アフリカ、中南米、アジア、そして日本にも輸出している世界規模のマルチプルタイタンパーメーカーである。

1953年にオーストリアで設立。欧州では同業他社としてスペノ社とマティサ社(共にスイス)があるが、世界の鉄道の大半ではプラッサー&トイラー社の製品が採用されている。

日本では1971年、プラッサーグループの日本法人として日本プラッサー株式会社(豊島区駒込)を設立。旧国鉄(現・JR)、日本の私鉄をはじめ公共公団との関わりも深い。

2010年現在、製品は世界104か国へ輸出されており、15,000台以上が稼働している。全世界の従業員3,000人のうち1,500人がオーストリア勤務である。

引き込み線にこの車両がとまっていた、何なのかと見て調べた
これはオーストリア製であり線路工事用の車両である
なぜ外国製を使用しているのか?日本で作れないのか?
日本でその技術がないのか?日本が鉄道の先進国のはずである
ただこれは確かにオーストリア製であることは間違いない

これが引き込み線にとまっていたことは本当にめずらしい
引き込み線は昔は荷物をおろすために使われていた
自転車屋が駅前にあったのは鉄道で運んでいた時代があったがらだとしている

例えば繩屋という屋号の家が近くにある、それは梱包するのに縄が使われていたからだ
つまり荷物を出すにも縄で梱包するからだった
ともかく引き込み線は無用のものと思っていたがこうして使われていた
まだ残っている駅が多いが使用されることがあると思った

今はあまり駅で案内しないが毎日買い物の帰りに駅は通る
駅で案内はしなかったが昨日はコンビニにいたら徒歩旅行者とあった
その人は星を見たいとして〈手の沢)に行くと4時ころ栃窪の方面に向かった
でも栃窪には手の沢がない、瀬の沢があり間違いかもしれない
子供の頃、ここにきたから行くのだという

私は遠いと行ったが行きたいというので4時ころ栃窪まで行く道を案内した
真野川沿いにでてここをこの真野川を上って行けば栃窪に出ると行った
また真野ダムがありそこは高いから星空を見るにはいいと言って案内した
それにしても若いということは体力がありバックパッカーのように荷物を背負って
4時になってもそんなに遠くに行けるからうらやましい
自分は旅行しても徒歩旅行というのはししていないのである
だから自分は意外と本当の旅行を経験していないとなる
徒歩旅行はかなりきついと思うからだ
栃窪に行くにしても食料が必要でその若者はコンビニに寄ったのである

別に六号線では徒歩旅行者とは年配の人でもあう、徒歩旅行者には話しかけやすい
なぜなら歩いているからだ、自転車だとやはり走っているからとまらない限り話しにくいとなる
徒歩旅行者だと接触しやすいのである、クルマだと全く接触できない、話しかけたりもできないのである
ともかく駅でなくても案内することはあると思った、時々こういう人を見つけて案内している

不思議なのは都会の人は田舎に憧れているのだ、田舎の人は若い時は都会に憧れる
でも今はどっちかというと田舎に自然志向が強いともなっている
それで非正規の派遣の非正規底辺労働者がyoutubeで若い人が田舎に実家に東京から帰っていると言っている、金にならないから田舎に帰っているという
ということは地方に若い人が帰っている、東京から若い人が離れているともなる
時代はむしろ田舎志向になっている

山尾三省はあれほど田舎に憧れて田舎で最低限の生活をして死んだのも逆説である
それほど東京で生まれ育ったから田舎に憧れて田舎で生活して死んだのである
つまり田舎に住んでいる人より強烈に田舎志向が強かったし田舎人より田舎を求めていたというのも逆説である
ただ六号線を行く人は山の方には行かない、六号線をたどって歩いている
それだと便利だからである、でも山の方が景色がいいし魅力がある
でも遠くに行くとなるとどうしても便利だから六号線を行くのである

夏の星若人遠く行きにけり

2019年08月31日

「震災バブルの怪物たち」を読んで 補償金で原発避難区域はモラルが崩壊した


「震災バブルの怪物たち」を読んで

補償金で原発避難区域はモラルが崩壊した

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この本は今までプログで自分が書いてきたとダブル、8割が自分自身が言ってきたことだった
ただ場所がいわき市ということでそこに2万人近くの人が避難して家を建てたことが違っていた、それで地元の人と軋轢がひどくなり嫌がらせとか事件になった
補償金の額が多すぎた結果としてもらえる人ともらえない人の差が大きすぎたのである
いわき市の津波の被害者は何ももらえない、でも原発避難者は特に双葉とか大熊地域は一億円とか普通にもらっている
浪江町でも財産がある人はもらっている、仮設住宅とかに入ってもいわき市と近くに住んでもその差が大きするぎのでうまくいかなかった
それは南相馬市だと原町区までは30キロ圏内でそれなりにもらった
小高は避難区域になったのだから多くもらった
それで仮設住宅に隣り合わせになったが付き合わなかったと小高の人が言っていたのも当然である
今でも補償金の後遺症があり復興と言っても南相馬市では協力しにくいのである

いわき市の人たちの間では一部の原発避難者の生活を見て「レクサス、焼き肉、スシ、ソープ」揶揄されたこともある
高級車に乗ってうまいものを食い、女を抱くという意味である

この本に書いてあるがそういう小高の人を知っている、もちろん全部ではない、今日聞いた話でもそうである

小高の人だから金をもっているとおもったがもうない

フィリピン女につぎこんで仙台に店を出させたかということでなくなったというから頭に来る、ほかでもそういう人が小高にもいたのである
そして腹ただしかったのは仮設には毎日のようにボランティアが来て援助していた
だからかわいそうな被害者として来ているから補償金もらうことも援助されることも当然でありなぜ鹿島の人は不満なのだと協力できなくなったのである

そしてNHKでもマスコミも原発避難者側について放送した
NHKでは相馬市のトマト農家が飯館村の人を雇わずに津波被害者を雇ったということで暗にこの農家を批判していた
冷たい農家だと批判していた、でも実際はそれは極人間として当然のことだったのである飯館村の人は被害者であることはまちがいない、でも現実に飯館村の補償金も他より多い一億とかもらったとなれば人間どうなるのか?
何かここに外からも誤解があり内部でも補償金で分断されたのである
それがいわき市だと極端なものとして現れたからそれにじかに接した不動産の仕事をしている人が報告したのである
ただこういうことは私がプログで報告してきたことであった

そして小高の若い人が自分のことを「傷口に塩ぬって楽しいか」と攻撃してきた
この小高の人はおそらく補償金をもらい何もしていない、補償金暮らしになっていたのだろう
この本でもあまりにも多額の補償金をもらい若者も働かなくなってあそびほうけていると報告しているからだ
他からはニートは得したなとかとも言われた

何が荒廃したのか?補償金はもらえる、かわいそうだと全国から思われて援助される
そうなると原発避難者様という意識になり何かそれに文句言うとお前は同情もしないのか?それで人間なのかとまで言われる、それを後押ししたのがNHKとかマスコミとかボランティアは悪くないにしろそういうことに加担したとなる

この辺で複雑なのは原発避難者と津波被害者は根本的に違っていた
その差があまりに大きすぎたのである、でも同一に扱われた
現実は隣の仮設では一億円もらっていても津波被害者ほぼゼロだったとなる
そうしたらもう隣同士口をきかないとなるのは当然である
そしてそうして原発避難者は周りの人に気配りをしない、なぜなら俺たち被害者であり原発避難者様とされたからである
それを批判すればNHKをはじめとしてマスコミで許さない、NHKでマスコミでこう言っているのになぜお前は原発避難者様を批判するのだとなっていたのである
だからマスコミの力が今までは強すぎた結果としてこういう問題がここでも起きた
報道するとなるマスコミになるからである
ただインタ−ネットができて別な見方もあるのだと知った人はいる
ただ仮説を去るにあたって周りに餅を配ったというとき何かしら配慮があった、そういうものを最後に感じたとなる

そして今になって遊び女につぎこんで金がなくなった助けてくれとかなればふざけんなよとなる、そんな奴らとつきあえるのか?
そして復興のことを考えても無駄だともなる、その人は一部にしてもそういう人こそ糾弾すべきなのに私のように復興を考える人はなんで原発避難者を批判するのだとなる
だからこの辺は原発事故前から補償金がもらえていた
特に双葉とか大熊地域はそうである、飯館村などは違っていた
でもその後の補償金で経済感覚が狂ってしまってモラルが崩壊したのである
もう頭には補償金のことしかなくなったのである
何か地域を元に復興しようとかなくなった、もちろん放射能汚染とかあるがその前に心が復興するということがなくなったのである
また協力するという絆も消失したのである 

そこに元から住んでいる人はもう金しかないのである、金の亡者となり補償金をいくら東電からふんだくるしかない、それを見ている若者でも補償金でも遊び暮らしていればいいとしかならなくなる
そして何か相手を批判することには被害者だとしてたけてくる
それは沖縄と韓国と一面共通しているのである、常に被害者だということで賠償を要求してくるからである
そして現実はその金で遊び何にも復興のことなど考えないししないのである
補償金で仙台で大きな家を建ててアパートの経営までした人がいたしそういう外に出て復興した人がまた多いのである
つまり故郷のことより家族が復興すればいいのである
それは場所を選ばない、それだけ今は広域社会であり金さえあれば優遇される社会だからである
だからこの辺でも外部から入った人たちが本当に多い、その人たちは立派な家を建てた
それはいわき市と規模が違っていても同じだった

こうしてそもそも復興とは何なのか?
それすらわからなくなった、復興とは補償金をもらい各自自由に移動しても生活することだとなる、あとはさらに東電であれ補償金を積み増しさせるかとかである
浪江町でも一か月35万を東電に要求した、それは実際は20万くらいになればいいとしている、一人一か月20万であり5人家族だと百万になる
この辺では小高の人が家族か多いので一か月150万になっていた人も現実にいたのである、だから億の金をもらった人は普通にいるのである

とにかく鹿島の貧乏人は本当に避難区域に住んでいたらと思っているだろう
その人は明日食うものもないからである、避難区域になったらそこに住むことなど関係ないのである、それで普通の生活ができるとなったからである
別に避難区域に住む必要はない、南相馬市内でも相馬市でも仙台でも住めるとなるからである、老人でも別に南相馬市だったらどこに住んでいいからである 

結局補償金で復興も協力もなくなった、絆もなくなったというとき水俣病でも補償金でだめになったという、ここでも補償金闘争になりだめになった
ここも同じだったのである、モラルは多額な補償金で崩壊したし協力して復興することもなくなったのである
その一番の荒廃が補償金を外国人の女にとかシニアとかがつぎこんで遊んでいたということである、そういう所に最大の暗黒が現れたのである
その人にとって故郷は何だったのか?そんなことなんの関係もないのである
金さえもらえればどこに住んでもかまわない、補償金もらって遊べるから良かったとしかなかったのである
それで一方で外部から来て復興に尽くす人がいるのだからそういう人は外に出るべきである、そんな人いたって何もならないからである、かえって邪魔になるだけなのである
真面目に復興に尽くしている人にとってはまた外部からでもそんな人に援助する気になるだろうか?

要するに補償金でモラルが崩壊して復興できなくなった

これは水俣病で補償金でだめなになったと同じだったのである
だからつくづく人間とはわからないものだと思った

例えは浪江町の津島とかでは戦後開墾に入った人たちがいて苦労した、この辺では特にそういう人たちの割合が多い、でもそうして苦労したから結束が強いというのもわかる
その時何もない貧乏な時だったからである
でも今回のように多額の金が入ったときみんなそれで良かったのか?
協力したのかとなるとかえって反目しいがみあいまた多額の補償金でかえって故郷を出てその補償金で200坪の家を仙台に建ててアパート経営までしたというやり手の人もいたのである
その人にとっても故郷の復興など関係ないのである

つまりこの人だけではないそういう人の方が多かったのである
だから復興はもう不可能だとなる、逆に浪江でも小高でも飯館村だって自分は賛成できないが放置する他ないとまでなる、それで飯館村では一億円以上もらって外に住むべきだという人と菅野村長は残るべきだ住むべきだと二つに分かれて争うことになった
村長が村に住むべきだとしているのはそこで村長の職を維持して金にするためだともなるからだ
現実にはもう故郷を放棄してそれぞれが補償金でどこでもいいから自立した方がいいとなる、自分自身はむしろ昔のように飯館村に人が住んでもらいたい

でも現実は補償金のためにできなくなっいる
多額の補償金でそういう気持ちにさせたのであり補償金でだめになったという水俣病被害と同じになったのである 
つくづく金は恐ろしい、そうういことを自分の家で起きたので延々と書いてきた
もう借金している人から金のない人から盗まれるだけならいい殺される目にあったからである
最近の事件で塗装会社の経営者が従業員を養子にして保険金をかけて殺された
その社長も私的なものに女とかに金をつぎ込んでいたとかが動機だった
原発避難者でも思わぬ金が入って金銭感覚が狂った、レクサスとか一番この辺では売れた、いわき市では特にそれが目立った
これとは違っても金に狂った異様な世界がこの辺でも現実化したのである  

いづれにしろ何かモラルが喪失してこの辺は荒廃した、金の恐ろしさがこの辺ではまざまざと悪いものとして現実化した
もちろん補償金は必要である、ただ額が多すぎたしいくらでもまた要求するという欲が生まれた
それは株とかと同じである、自分自身が株とか投資信託が人間の欲を刺激するのである
結果的には地銀にすすめられて損した、何かそれで株とか投資信託も怖いなと経験で知った
この辺でも補償金でも交渉すればもっともらえるとかなる、欲を刺激されるのである
そしてもう復興とか地道なことはしたくなくなる、働きたくなくなる
後はギャンブルたと女で遊んでいればいいとなった、全部ではないにしろそういう暗黒が生まれた
それは一部だとしてもそういう人を知ったら復興に協力するのも馬鹿らしいとなってしまうのである  


1次産業と工場が支えだったのが、漁業は壊滅、農業は落ち目、工場の雇用は細々。貧しくても助け合ってきた村はなくなった。水俣病のせいで村が潰れたわけじゃない。補償金で潰れたんです。

 命や健康は返らない。補償金を取るしかない。でも今度はカネで村が破滅する。公害は起こしたらおしまいということです。 
 これが人間の性(さが)なのだと思います。

 埋め立てなどで漁業権を売り渡して多額の補償金をもらった漁民でも同じことが起きたようです

こういうことがここでも起きたのである、だから人間のことは地域に関係なく時代に関係なく同じようなことが起きるのである
漁業権については何度も私のプログで書いてきたことだったからである 


posted by 老鶯 at 12:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2019年08月30日

地方の自然破壊は高度成長時代から始まっていた (飯館村の自然破壊の歴史から未来を見る―真野ダムができる前の大倉の映像)


地方の自然破壊は高度成長時代から始まっていた

(飯館村の自然破壊の歴史から未来を見る―真野ダムができる前の大倉の映像)


大倉村はダムができる前は本当に秘境だった、真野川の上流にあり家が固まってあった
それがダムに沈んだとき家が高台のみになり失われた
葉山祭りという古い祭りも失われた、ダムというのも自然を破壊して村を破壊していた
ただダムとなるとこれに反対する人はあまりいなかった
やはり効用があるからそうなった、それで大倉ダムがダムの底に沈んだときこの時多額の補償金が出たのだ、それで立派な家を街の方に建てた人が結構いて話題になったのであるそれで山でぱダムができれば金になるということで期待する人が全国でいたのである

それはもう50年前とかであり日本がという国は高度成長時代になり大規模な自然破壊が始まっていたのである、その最初がダムだったのである
これによってなんらか川の流れなども自然の状態ではなくなった
ただダムについては危険視する人は騒ぐ人はいなかった
ただダムも自然破壊だったことは確かである

そして気づいていないかもしれないが飯館村の木戸木から新しい道ができたけど七曲りの坂ではない道ができたけどあそこに道がないときは細い流れがあり森につつまれていた
そこは人が入らない神秘的な道だった、歩いていたのは10軒くらいあった開拓部落の人たちだけだった、その流れは長く清流であり森につつまれていた
一つの秘境だったのである
自分はそこに良く行っていたのである
でもそれもなくなったのが残念だった、でもそのことで誰も騒がない、むしろ道路を作ることが進められた、車社会だからそうなったのである
七曲りの道は車だと危険にもなるからだ
新しくできた道でも本当に必要だったかどうかわからない、なぜならそこを通る車はまれだからである

要するにここだけではない戦後は自然破壊が全国的に大規模に行われたのである
道路を作ることも地方では公共事業として進めれた、だからダムでも道路でも過剰に作られた、農道まで舗装されたとかまた水路でもコンクリートの水路になり自然の小川もなくなりメダカとかどじょうだとか生息できなくなったのである

文明が発達するということは必然的に自然が確実に破壊される、それは止めようがないのである、ただエジプト文明とかなるとこれは古いとするが自然と調和する文明だったのである、そこでは動物が崇拝された、アニミズム信仰ともなるがそれだけ動物が崇拝されることは自然と調和していたということなのである
そういう文明がピラミッドを作る大規模公共事業を成したということも不思議である
現代のような技術力があった、でも自然と調和した文明だったのである
普通だったら科学技術はどうしても自然を破壊する
それも科学技術の力が大きくなると大規模な破壊が生じる
人間の技術の力が弱小な時は自然破壊は大規模にはできないからだ 

現代は科学技術の力によって自然は地球が大規模に破壊された時代だとなる
アマゾンが大火事になって消失するとか問題になる
それも原因は何なのかわからないにしても何か大規模に自然が消失してゆく
それが現代文明社会の最大の特徴でありそういうことが起きたのかとなる
そして地球が大規模に汚染されてゆく
原発がまさにそういうものだった、この辺のように人が住めなくなるのだ

要するにやがて地球に人が住めなくなる

このことを暗示したのが今回の原発事故だったともなる、空気であれ水と土でも汚染された住めなくなる、そういうことが地球規模で起きてくる
中国などは広いにしてもそういうことが大規模に起きている
原発の数も多いし増やしているからだ、そういうことでいつかこの辺のように大規模な汚染が生まれて人が住めなくなる
文明によって人は地球に住めなくなる、これを暗示している
そして人間の文明そのものが滅亡してゆく、自滅してゆく
それは人間自身の技が発達して災い(わざわい)となり自滅自壊してゆく

それはあくまでも人間側の問題であり神の知恵で創造したものとは違うからである
生態系は神が創ったものだが科学技術は人間の知恵と技で作り出したものだからである
それによってまた人間が滅びるのもカルマだとなり自滅自壊がすでに定められていたとなる
それで火を盗んだプロメテウスが神から厳しい罰を与えられたことでそのことはすでに神話で暗示されていた、それが20世紀になり科学技術の発達で現実化してきたのである
何か現代はグロ−バル経済でも資本主義システムでも限界にきている
それは結局強欲資本主義でありあくなき人間の欲望を是認するものだからである
それで今の若いものは欲がない、欲をもてというのも変なのである
断捨離とかミニマム経済とかになるのはやはり時代なのである
拡大成長一辺倒の経済は地球規模で限界に来たからそうなっているのだ

ともかく一地域を見ても本当に自然破壊の歴史だったことをふりかえる
今度は飯館村に風力発電ができるという、これもまた自然破壊だったのである
ソーラーパネルも草野にしきつめられたが今度は肝心の森につつまれた飯館村が風力発電でその本来の自然が破壊される
一見ソーラーパネルとか風力発電は自然を利用した自然を破壊しないものとして作られたしかし実際は違っている、やはり何かしら人間の作り出す技は自然を破壊するように宿命づけられている
確実に風力発電でも森を破壊する、人口の風を起こすことでそうなる、また景観も乱す
つまりソーラーパネルでも風力発電も自然のエネルギーを奪う行為でありそれはプロメテウスが火を盗んだのと同じなのである
風力発電でも自然の風ではない、自然の風を奪う行為だからそこに必ず自然破壊が生じて森が破壊される
それで科学者の武田邦彦氏がそのことを指摘している

そして未来とは何なんだったのか?それは山尾三省とかが言うには未来とは新しい科学技術のことである
今でもそうである、AIとか自動運転が世界を変えるとか核融合のエネルギーができるとか寿命はまだまだ長くなるとか科学技術が未来なのである
でもそれが未来だとして本当に人間の未来なのか?

科学技術への過信は危険

むしろ生態系の維持とか接続可能社会とかが最近話題になるのもそのためである
私は極端にしろこうして自然が破壊されることに耐えられない
もうそういう社会には生きたくないともなる、クルマ社会でもいいものとは必ずしも言えない、だから自転車にのっているともなる
車も自然を破壊するものなのである、クルマ社会だからこそ飯館村の神秘的な小川が喪失したのである、ただそれに注目した人は一人もいない、飯館村の人でもいない
自分一人だったとなる、つまり別に飯館村に住んでいるからとして自分のように自然を見ている人はいない、そういうふうに強いられたからそういう生活をしていたのである
それで多額の補償金が入った結果として飯館村を出ていく人が多いことでもわかる
金の力がそれだけ強くなったからそうなるのである
実際外から見ていれば自然がありそういう村がいいと言えるのはそこで暮らしていないからである
でも未来は何なのか?未来に残すべきは何なのか?

未来に残すべきは自然だった!

これから生きる未来に生きる子供たちに残すべきは何だったったのか?
それは自然だったのである、その自然が破壊されたとき暗黒になる
もう人も住めなくなったのである
住むべき自然が残されなかったのである
その責任は今の世代にあり文明自体を作った人たちにもあった
ただそれはここだけではなく世界全体グロ−バルに起きたことなのである
ただ未来とは確実にすべて科学技術こそ未来を作るということで一致していることは世界で共通しているのである
でもそれがここではそうではないことを現実に示したのである
放射能の被害は何代もつづき人は住めなくなった、これこそ最悪だったのである
貧乏でも住めるならいい、住めないということは最悪だったのである

自分たちの世代はもう消えてゆく、でもではこれから生きる子供たちとか世代はどうなるのか?それをう考える時自然が破壊されて残されていないとなるとそこに幸福がありうるのか?まず次の世代まで考えて生きている人はほとんどいない
今が良ければいいとしかない、そのことによって次の世代が苦しむ
カルマとなって次の世代にのしかかる、そもそも幸福とは何かというときそのこと自体の価値観の過ちがこういう結果を生んだともなる
限りない欲望の拡大しかないのである、もう金のためなら何でもする
自然破壊もそのためにはやむをえないとなるとか無関心となる

そもそも人間は景観を見て感動するより飯の種にならなかったらそういうものは美はいらないとなっているからだ、それが人間の醜悪さとしてある
だからこそ東京のような怪物都市とかニュヨークでもそこに美がなくても生きていられるのである、その人間こそが異常なのである
そういう異常性に気づいていないのである、ただ経済だけを見ている
美を価値として見ていないのである
だから東京に住んでいた山尾三省があれほど田舎に執着してまるで田舎に命を捧げるほどになったのは逆説だったとなる 

第一田舎の人こそ東京の人と変わりないしむしろ東京の人より価値観では同じであり強いともなる、いい家が欲しい、いい食べ物を食べたい、いい車が欲しいとかもうきりないのである、借金してもそうしているのが現実なのである
田舎があって自然があってその価値観に生きている人はいないのである
だからこそ原発は積極的に誘致されたのである、原発は金の成る木だったからである
だからなんらかそうした都会の価値観とか文明の価値観を否定しないかぎりそもそもまた同じことが起きて住めなくなる、その価値観を変えなければならないのだがそれがもう簡単にはできない、それがみんな望むことでありそれを一人が反対してもどうにもならない

その一つがクルマ社会が変えられないのはみんなが車がなくては暮らしていけないと思っているからだ、だからわずかでも減らすこともできないのである
そして自転車を邪魔扱いしている、そういうこと自体いかにもう変えることが不可能かわかる
自然などどうでもいい、美などどうでもいい、それより便利さでありあくなき欲望の充足である、山なんかはげ山になってもいいとか森がなくなってもいいとかそれより電気だとか贅沢な暮らしだとなる、そういう価値観を変えられないのだから根本的には変えることはできず同じことが起きる、その未来も同じだとなる
そこに最終的に人類文明の崩壊が起きるという暗いものになる
それより人間の文明が神によって滅ぼされるともなる未来が見えてくるのである  

ただではどうするのか、炭焼きの時代にもどるのか?森が活用されなくなったとき木材が外材となり利用されなくなったとき森が無用のものとなり人の手がは入れらずに荒廃した、つまり炭焼きでも入会の共同の山でも森でも利用していたとき自然も活きていたのである、いくら景観をどうのこうのといっても現実の実利として自然と結びつかないと自然も維持できないのである
だからどうしても自然保護だけとなえているときれいごとだけになり結局自然は維持できなくなる
でも本当にこの辺は原発事故でどういう生活があるべきなのか?山尾三省は極端にしてもそれほどまでに自然との合一した生活を修行者として自然への殉教者のように実践して早めに死んだといことは何だったのだろうと問うのである

実際は全く田舎であれ地方であれむしろ都会人より欲望は深く都会人志向であった
だからこそ原発は積極的にむしろ地域で豊かになるために奪い合うようにして誘致していたのである
この辺では反対した人は一人もいない、それがこの辺の特徴だったと思う
そして残すべき自然は破壊された、未来に生きるものは放射性物質と遺伝子の恐怖に延々とおびえるというより住めなくなったのである、子供たちでも飯館村には住んでいない、将来も住まないのである
それは飯館村の責任でもない、原発によって自然は奪われて住むことができなくなったのである   



真野ダムができる前の大倉村の真野川の映像

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大倉がダムになる前のビデオ映像が残っていた
ただこれも30年前であり画質が相当に悪い、でも真野川が大倉を流れていた
急流ともなって岩を打ち流れていた、その真野川にそって家が結構あった、一部落を形成していた
ダムに沈んだとき高台の方の家は今に残っている
これは貴重な映像である、他にも30年前のビデオの映像が残っているのでそれを記録してプログに出す予定である




posted by 老鶯 at 16:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

2019年08月29日

今日午後から虹が出る(約束の虹に実り)


今日午後から虹が出る(約束の虹に実り)

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約束の地に実りや虹かかる

「あなたたちならびにあなたたちと共にいるすべての生き物と、 代々とこしえにわたしが立てる契約のしるしはこれである。 13すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。 これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。 14わたしが地の上に雲を湧き起こらせ、雲の中に虹が現れると、 15わたしは、わたしとあなたたちならびにすべての生き物、すべての肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。 水が洪水となって、肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない。 16雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべての肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める。」  17神はノアに言われた。
 「これが、わたしと地上のすべての肉なるものとの間に立てた契約のしるしである。」(創世記9章12節‐17節)

約束ではなく契約の虹だった、契約というのが日本だとなじめない、約束と訳すとなじめる
そこに言葉の問題がある


今日午後から虹が出た、大きな虹ではない、半分くらいの虹だった
でもはっきりとした虹だった、この頃あまり虹は出ていなかったからめずらしかった
それを見たのはいつも行っている畑の道だった 
虹は夏の季語だけど今日は暑いから夏だともなる、秋の虹だったら秋の虹としなければならないからだ、まだ残暑であり夏だとなる

そこにはいろいろな問題がありそれを語れどきりがない、実りがあるとしても余りにも
様々な問題がありすぎたのである
ただキュウリだけは太いのがとれた、それは柔らかく売っているのよりうまいのである
でもそのキュウリは売れない、もらう人さえいないのである

ただ自分はそこで畑で野菜を作る人の話を聞くことで金を払っているとなる
農業をじかにしるために金を払っている
何かそれが情報社会なのかもしれない、農業を知ることはなかなか田舎でも直接かかわらないものはわからないからである
田舎だと確かに農業は田畑があり身近だけど実際に農業している人としない人の差はこれも大きいのである
そして今では農家でも農業しているわけではない、たいがい農地を貸しているだけだとなる、だから農家の人でも会社員であり農業をしていないのである

虹は聖書では約束を示している、契約の虹なのである
その天国には本当の実りがある、ただこの世ではその実りは本当の実りとならない
ともかくそこで野菜を作る人の苦労を考えると嫌になるからだ
田舎の嫌な面が延々と出てくるのである

つまり畑でもそれは孤立してはできない、隣がありその隣もまたうるさいのである
だからいつも隣の畑の人が嫌だと言って最近死んだが喜んでいたのである
そして近くに団地がありその四階からいつも見て何やかやいう人がいると嫌がるのである田舎では見ていないようでも誰かが見ていて監視しているのである

田舎の問題はこうして人なのである、この人にうんざりしているのである
それは自分だけではない、みんなそうなのである
そうはいっても田舎で人と関わらないでぱ生きていけないのである
私は家族がいたとき田舎に住んでも人と関わらずに生きていたのである
それも不思議だったとなる、家族がみんな死んだ結果田舎の人とかかわって生きざるを得なくなったのである
そこで田舎の人のまた今の人間の金しか求めない醜悪さに直接触れるようになったのである

ともかく自分の生活は普通ではありえない生活だった、そこで変な方向にも行って失敗したのである、こんなふうになったのもいいにしろ悪いにしろ家族がそうさせたともなる
ともかくどんなにしてもこの世に本当の実りは実現しない
この辺が津波や原発事故でがたがたになって混乱したようにもう原発事故で放射能汚染で住めなくなったように本当に地獄化したのである
結局この世は災いの地だったのである、この世が天国になることは絶対にない
この世は滅ぶべき場所であることは間違いない
ただ約束の虹があるよう本当の実りはこの世にはなく天国にある
神の備えし天国にある、それが希望なのであ

人間何のために働くのか? (金を払う方でもなぜ金を払うのかと考える)


人間何のために働くのか?

(金を払う方でもなぜ金を払うのかと考える)

youtubeのlove and freedomの40くらいの人がなぜ自分が働いているのかわからないという
ただ毎日とにかく食べるために働いている
それも日銭稼ぎでありただ日々生きているだけだとなりなぜ生きているのかもわからないとなる
もし家族があったら家族のために働くとなりそこに生きがいもできるから結婚したいとなる
働く理由はまず最低限の衣食住の確保のために働くことが強いられている
でももし最低限の衣食住が保証されていたら働かなくなる人が多くなることは確かであるなぜなら労働自体に今生きがいを見出している人はいないからだ
文明社会は複雑化して無数のパーツになっている 

だからどういうふうに関連して働くことに意義が見出されるのかとなるとわからなくなるみんな巨大な文明社会の部品に過ぎないのである
それはどんな優秀な人でもそうなる、
何か発明でも科学者でも昔のようにニュートンとか天才が出ないというときもそねうなのだろう、何か一人ではもう複雑化した科学でもそこで傑出したものとはなりえなくなったノーベル賞でも何か昔の天才のように傑出したものではないという
確かにそれは地道な基礎研究であり何か世界観まで変えるような発明はないと科学に弱くても見る

働くという時、それは例えば雇う人がいる、働かせる上司がいる、幹部がいて資本家がいる、金を出す方がいてもらう方がいる
給料を出す方でもなぜこの人に金を出すのか?そういうふうに考える
それ相応に見合ったものが得られから給料を払うのである
それで別に効率化するには人間でなくてもいい、AI化したロボットがいいとなり無人化した店になり鉄道だと無人駅が増えてくる
それは雇う人が給料を払いたくないからコストでそうなっているのである

ところが別に人を雇う方でもその働く意義とか理由を与えない、ただ雇われる人は金が欲しいだけだとしか考えない、だから雇う方も金のことしか考えない
働く理由とか意義などは考えないのである
そもそも何か理由とか意義とか意味を考えるのは人間だけである
一体地球が何で存在しているのか?宇宙が何で存在しているのか?
そんなことを問うのは人間だけである
動物なら毎日今日の食べ物しか頭にない、植物でもなぜ自分があるのかなど考えない
木がなぜここに立っているのかなど考えないのである
つまり人間が自然でもその存在意義を考え価値を与えているのである
人間こそが宇宙であれ地球であれ自然の木であれ石であれ花であれ意味を与えるのであるすでに名前をつけること自体なにかしらの意味を与えている

なぜ現代は働くことに意味を感じないのか?ただ金の量だけで計られるのか?
そして金を使う方に重点があり金を使うことが生きがいになるのか?
それで原発避難者が補償金をもらってかえって仮設に住んでいたのに威張っていたのである、「私たちはここで消費して助けているのよね」と言っていた
これが現代人なのである、金のある者が王様であり金をもって消費する方が王様になっている、としたら働く方に価値がないとなってしまうのである
こう言った人が変わった人でもなんでもない、そういう社会に住んでいるからそう言ったしそれが常態化しているからそう言ったに過ぎないのである
つまりいくら労働しても感謝されるということは医者くらいでありほとんどないのである医者だけは命にかかわるから過剰にその労働が評価されて感謝されているのである

今私が金を払う立場にある、別に働いていもらっているからではない

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親(介護されるひと)−息子(施設に一部金を払う)−母親(私か金を払う)

青森の施設に入れても他にいろいろな介護に使うものがあり金を払っている
息子は建築現場で働いている、親は自力で生活できない、年でもある
でもなぜ私がこの人たちに金を払わねばならないのか?
でも払っているから母親のために息子のためにその親のために払うとなるとなぜその人たちに払う必要があるのか意味が価値があるのか?
それを問うことにもなる、それは金は誰しも無償で払いたくないからそうなる
なぜ金を払わねばならないのか?逆になぜ働かねばならいのかということもあるが何もしてもらわないのになぜこの人たちに金を払う意味と価値があるのかとなる

家族だったら自分の場合は特別良くしてもらったのだから介護することも当然であり意味と価値があった、今になると介護して世話して良かったとつくづく思った
恩返しができたとなり何か良心的に救われたのである
もし何もしなかったら後悔していた、なぜならそれだけ自分の場合は60まで世話してくれたからである、その特殊な事情で少しでも恩返したことで死んでから死者と話したり通じることができる、もしそれがなかったら死者とも通じ合えなくなることがあったと思うあなたは何もしてくれなかったとなると良心がいたむからである

でも赤の他人の介護のためになぜ金を払うのか、直接払っていなくても払っているとなるそれは福祉で世話になるとかでもそういうことが起きている
直接払っていなくても間接的に税金を払っているからである
その人に払う価値があるのかとなることはぬきに強制的に介護保険とかで払っているのである、でもその介護される人が介護される価値と意味があるのかとなるとわからないのである、そういうことは問わないが私的に間接的でも金を払うとなるとその価値とか意味を問うことになる

いづれにしろ何で働くのかということもあるが何で金を払うのかということも必ずある
何かしら価値と意味を見出すから金を払っている
みんな簡単に金を払わないからである、特に情報関係では日本人は金を払わない
情報は無料だと思っているからだ、でも情報提供する方でも苦労があり手間がある
するとなんらかその情報に対して金がは払われるべきだともなる
たたインタ−ネットだとプログだと発信するにしても手間がかかってもほとんど無料だということでしているのである

人間はパンのために生きるにあらずというとき何か必ずその意味と価値とかを追求しているのである、現代では働く意味も価値を見出せないという時資本主義とかの危機となる
モラルの崩壊でありそこで資本主義も崩壊してゆく
なぜなら資本主義がキリスト教の奉仕するということで修道院から始まったというウェーバーの説がある、その時は消費することではない働くこと自体に意味と価値を宗教的なものとして追求していたからである
それがなくなったときすでに資本主義のモラルが崩壊して金融資本主義とかギャンブル資本主義のようになりもう意味も価値もない、強欲資本主義となりモラルもなにもなくなるただ金を得て消費だけすればいい、消費する者が王様だとなってしまう

それでこの辺では何かそういうことで露骨なもの極端なものとして現象化したのである
いわき市では二万人が避難して多額の補償金をもらい飲み屋で札びらを切ったとか家を次々に建てた、この辺でも新しい街が二つくらいできたように次々に家が建ったのである
それも立派な家も多いのである
それで地元の人と軋轢が生まれたこともわかる
つまり消費者が王様であり金をもっているものが上になる、周りの事情など関係ないとなる、金が横暴に力をふるったからそうなったのである
第一家は地元の大工さんなど関係ないからである
ハウス会社が二週間くらいで組み立てるだけの家だからである
地元だ自分の家でも三か月以上建てるのにかかっていたが今は即席に建てられるし地元の大工とは関係ない、外から来た人が即席に建てるからである

そして社会がグロ−バル化して広域化すると金の力がますます強くなる
広域社会でありどこにでも金があれば住める、もし金がなければ慣れ親しんだ所でも住めない、だから避難区域に若い世代は帰らないのである
一億円やるからどこに住んでもいいよとなればみんな故郷でも出ていくのが現代である
そしてどこでも金がある人が威張ることができる、消費者は王様ごとなるからである
そういうことでこの辺では人々の絆は切れた
和合できなくなった、まだ補償金をいくらもらったとかでもめていてその後遺症がありうまくいかないのである
外との絆があってもいづれもう今はない、すると残されたのは昔から住んだ人たちでありその人たちで絆を作っていかねばならないとしてもできない
後遺症があり簡単にできないのである 

そして新しく入ってきて住んでいる人たちが金をもっているから威張っているということが依然として起きているのである
そういうことはグロ−バル化広域化社会で起きたことなのである
それで復興を考えるには広域化して考えねばならないという時そうなる
現実は今や原発事故で避難した人たちが仙台辺りまで広域化して住んでいるからである
残された老人にしても南相馬市とか相馬市とかに新地でも住んでいて若い世代は仙台の方に住んでいるからである
それで老人はかえって避難区域に住まわせるより原町とかに集めた方がいいともなる
分散すると世話しにくいからである
コンパクトシティ化するということである、広域化社会だからかえって人を集中させて維持させるとなる





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