2017年02月22日

抽象画は色の世界を追求している The abstract picture pursues the world of the color

  
抽象画は色の世界を追求している

The abstract picture pursues the world of the color

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one dence leaf

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streams in human brain


抽象画は本当に不思議である。自分自身で作っていても不思議なのである。
これは何のなのだろと思う、それはこれが今までにない芸術だからである。
ほとんど他人の作ったものを変形している、変化させている芸術なんか今までありえなかったのである。

そして抽象画は変化しやすい、固定していない、常に変わるものとしてそもそもあるから大量の作品が連続して生まれる
その種はオリジナルはインターネットに無数にあることで尽きることがないとなる

それから抽象画は絵画の一部だから色に反応する、色というのも抽象画を作っていて不思議だと思った。無数の色があり色の取り合わせがありそれが脳に反応しているのである。色の効果は不思議であり無限である。色もまた神が作ったのである。
黒と白だけの世界だったらもう飽きるし生きているのも嫌だとなるからだ。

色は心の状態としても反映している、青い色だったら瞑想的だとか赤は情熱的だとかそして青にしてもいろいろな青がある、色は多様であり現しきれないくらいあるのだ。
具象画というとき形であるが抽象画となると色に主に反応する
抽象画は形より色が主になる世界である。 


The abstract picture is really mysterious. It is mysterious even if I make it with oneself.
It which thinks that this is one of what is because this is unprecedented art.
The art that I changed that transformed the thing which another person made was almost impossible so far.

And it is if the original does not run out as for the kind that a large quantity of works are born in succession because in the first place there is the abstract picture as the thing which always change which I do not fix which is easy to change because there is innumerable it in the Internet

Then because an abstract picture was a part of the picture, the color in response to a color made an abstract picture and thought that it was mysterious. There are innumerable colors, and there is the combination of the color, and it reacts to brain. It is mysterious, and the effect of the color is infinite. God made the color again.
What I already get tired if it is the world only for black and white, and is valid is because it is if I hate it.

Even if and I do the red in blue if a color is the blue color that I reflect as a state of mind that meditation-like that passionate, colors with various blue are various and cannot show it, and there is it.
It is the time form called the representational painting, but the abstract picture which reacts to a color mainly when it becomes the abstract picture is the world where a color becomes more important than form.   


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三本の老木

三本の老木はそれぞれ何かを語る

北風の吹く長き冬の日を

村に根付いて生きにし老木は語る

ここに生きたる昔を・・・・・


Three aged trees talk about something each

The long winter day when the north wind blows

I root in the village and make vigor and talk about the aged tree

It is ... here in old days as the vigor


これも抽象画である、変化させたからである。
そこから詩が生まれた、絵から詩が生まれることもあるし詩から絵が生まれることもある
それが芸術なのである。芸術は総合的なものとしてある

This is an abstract picture, too; is because changed it.
It that poetry may come out of the painting which poetry was born as from there, and a picture may be born from poetry is art. There is the art that general
posted by 老鶯 at 10:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 抽象画の部(abstract)

2017年02月21日

三本の老木が語ること(詩) (原発事故で故郷を喪失した老人を想い・・・)

  

三本の老木が語ること(詩)


(原発事故で故郷を喪失した老人を想い・・・)



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三本の老木

三本の老木はそれぞれ何かを語る

北風の吹く長き冬の日を

村に根付いて生きにし老木は語る

ここに生きたる昔を・・・・・


Three aged trees talk about something each

The long winter day when the north wind blows

I root in the village and make vigor and talk about the aged tree

It is ... here in old days as the vigor


今回の津波でも原発事故でも故郷が問題になった。故郷は何かなど普通は問わない、故郷を失って故郷を問うことになった。
故郷とは何かというとそれは老人にとってはそこで生きたということでありそこに人生が刻まれた土地だということがある。
故郷というとき農業をしていたときは八割も農民だったときは余計にそうだったのである土地に根ざして生きていたから当然だったとなる

今は農民ではない農民は一割にも満たない漁師でもそうであり山での生業でもそうであるほとんど会社員でありそれを象徴していたのが飯館村で今村を支えているのか菊地製作所だということでもわかる。農家が支えているわけではないのである
昔だったら燃料も炭だから炭焼きがどこでも行われていて山村もそれで生活していたのである。森林資源がありそれがエネルギー源となっていた。
そういう生活をしていれば余計にその土地と一体化していた。
それは万葉集に歌われたような自然との密着した生活であり歌が生まれた
だから故郷にそこに長く生きるものは愛着が自ずと生まれていたのである。

老人は故郷でも長くいた場所を離れにくいというときその土地に根付いた老木のようになっているからである。
そして老人はみんな昔を語る語り部になる、その語ることが老人の仕事にもなっていたのである。そして老人の語ることは次の代の人でも同じ土地で同じように農業をしていれば聞くに値(あたい)するものとしてあった。
つまり聞く価値があるものだったのである。つまり老人は昔を語ることでその土地に生きてゆくことの意味を語り知恵を教えていたのである。
だから老人は何も意味もないものとはならなかった。

それもみんなが会社員になったとき会社をやめれば昔を語るにしても会社のことでありその土地のことではない、それは農民ではないからである。
何か現代はそうして世代の断絶が生まれたのである。老人は役にたたない不用なものとされる、それは生活そのものが変わってしまったからである。
農業だけはやるな継ぐなと子供を殴ったということがあり極端にしてもそういう時代になったとき原発は歓迎されたのである。出稼ぎをしなくてもいいとかなったからである。 
それが裏目に出たというのがこの辺である。

人間が故郷に回帰するというとき鮭とかが生まれ川に帰ってくるのとにているきかもしれない。故郷にはそういう強い本能的アイディンティティをもつのかもしれない。
ただ故郷は生まれた場所ではなく長く住んだ場所なのである。
そこで生きたということを記憶されて語る場所である。
老人は最後に記憶に生きるのである。語り部になるのである。
自分も家族も全部死んだとき家族のことも語るようになる、死んだ人のことを語ることがまた勤めのようにもなるのである。
なぜなら死んだ人のことを語るとき死んだ人もここに生きるという感じになるからであるそれが故郷を失ったとき喪失する、そのことが精神的損害であり金では埋められないものがあった。賠償金は別な問題としてあるのだが老人が帰りたいとういときそこが生きた場所、記憶された場所だったからである。

梯立(はしたての) 倉橋川の 石の橋はも  男盛りに 我が渡してし 石の橋はも 

こういう場所だったのである。男盛りというとき青年時代であり壮年でありその時生きた記憶が生き生きとあり蘇る場所だとなる
ただ現代は広域的に生きているから会社人間だからその土地に密着して生活していないからまた違っている、だから故郷にそれほど愛着しないとういことはある。
なぜ川内村が七割りも帰還したのか?それはもともと老人の比率が四割とか高かったからである。老人は帰りたいとどうしてもなる、チェ ルノブエリでも老人は村に帰り細々として野菜を作り暮らしていた、そして医者もいないけど苦しみ死んでゆくようになる。
でも故郷の村に帰って死ぬというまでになる
それだけ愛着があったということにもなる、故郷が死に場所になっていたともなる
人間は最後はどこで死ぬのか死にたいのかというのも問題になる
老人はだからそんなことを思うとき復興には向いていない
死ぬことを考えていては復興できないからである。
でもそうなるのが老人では自然なことなのである。それが許されないということも原発事故がもたらした非情なことだったのである。




posted by 老鶯 at 22:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

自然から離れた現代人は記憶が消失する (万葉集の石の橋からなど考察)


自然から離れた現代人は記憶が消失する
  

(万葉集の石の橋からなど考察)

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梯立(はしたての) 倉橋川の 石の橋はも  男盛りに 我が渡してし 石の橋はも

旋頭歌(せどうか)は、奈良時代における和歌の一形式。『古事記』『日本書紀』『万葉集』などに作品が見られる。
五七七を2回繰り返した6句からなり、上三句と下三句とで詠み手の立場がことなる歌が多い。頭句(第一句)を再び旋(めぐ)らすことから、旋頭歌と呼ばれる。五七七の片歌を2人で唱和または問答したことから発生したと考えられている[1]。

石の橋とは飛び石のことであった、石の橋というとき奈良時代には作られていない、それはずっとあとのことである。倉橋川でも飛鳥川でも細い川だから飛び石を渡り横切ることができた。この飛び石の一つ一つを渡り歩くことが記憶に残っているのである。
男盛りにというとき若いときである。人間は青春時代が記憶に残りやすい。
ただ石の橋が記憶に残っていたというのは恋愛だとしても自然の中での生活があり記憶に残ったのである。

この歌は調べもよいし石の橋ということで記憶に残る、石というときヨーロッパだとローマ時代の石の建造物が残っている、ギリシャ時代でも石の神殿があり古いものが石柱の一部とかが残っている、石は残るから過去の歴史が記憶として印され残る
それでヨーロッパには歴史の継続が理屈ではなく物からイメージされる社会である。
石に記した文字でもそれは2000年とか残っている、石の恒久性があり残る、木簡とかなると残りにくい、紙でもそうである。記憶はして記録としても残すとなると石である。
エジプトの記録もヒエログリフで石の神殿に記されて残されたからである。

この歌の石の橋はそうした人工的なものではないからまた別である。でも余りに大きな石となると現代のように大きな鉄橋とかなると人間的なものから離れてしまう。
たいがい現代はあらゆるものがヒュ-マンサイズではない、人間はわたるとしても車でも鉄道でもわたるから橋が記憶となりにくい、それは現代生活は何か記憶になりにくいのである、この歌だったらさらさらと流れる水の音も記憶となって蘇る、一つ一つの石をわたるということで記憶されている、自然と密着して生活していれば記憶されるのである。
そうして故郷とは自然と密着した生活の中で自ずと記憶された場所なのである。

現代はあらゆるものが心の奥深くに記憶されない、膨大に記録はされても記憶されない、記憶と記録は違う、人間すら現代は記憶にならない、だから人と人との深い交わりもない人間は砂粒のようになり群衆となり大衆となり消えてゆくだけである。
どこでも人間の存在は希薄になっている、人間は経済的単位にすぎない、一票として数えられるだけだとかすべてそうなっている、カルト宗教団体などは宗教なのに数として数えられるだけである。人間は自然と大地とかとも切り離されるようになったからその存在感も希薄になったのである。東京のような所でどうして人間の存在感をもてるのか?
ただ蟻のように高層ビルの下で日々うごめいている大衆は一人一人の人間なのかと普通に見る、一人一人の顔があるのかとなるともうキリコの絵のようにないのである。
だから常に言っているけど田舎の方が人間の存在感はある、田舎の農家などでも都会の豪邸があったとしても存在感が自然の中である。それは例え貧乏であったとしてもそうである。万葉集ではそうした人間の自然の中で密着した生活から自ずと生れていたのである。だからその感覚が今ではなかなか理解しにくくなった。
風流として自然を見ているのではなく日々の生活の中で自然と密着して生活していたところから生れたものだからである。

高村光太郎の牛の詩を例にすると


牛はのろのろと歩く
牛は野でも山でも道でも川でも
自分の行きたいところへは まっすぐに行く
牛はただでは飛ばない 
ただでは躍らない 
がちりがちりと
牛は砂を掘り土を掘り石をはねとばし 
やっぱり牛はのろのろと歩く
牛は急ぐことをしない 
牛は力いっぱい地面を頼って行く 
自分を載せている自然の力を信じきって行く 
ひと足ひと足牛は自分の力を味わって行く
ふみ出す足は必然だ
うわの空のことではない 
是が非でも出さないではたまらない足を出す牛だ 
出したが最後 牛は後へはかえらない 
そして やっぱり牛はのろのろと歩く

のろのろと歩くということで大地と自然と一体化してゆく、車のように大地をとばしてゆくとなると記憶は消える、どこを通ったかも記憶されないのである。
橋があったとしてもそれはもう橋でもない、道路の延長でしかない。川があることさえ記憶されないだろう。

つまり一歩一歩あると、step by stepでありそこに記憶されるのである。

夕日逐ふ乗合馬車の寒さかな 漱石

乗合馬車だとまだ自然のリズムと調和している、車だったらもう夕日も追いかけられないそれだけ早すぎるのである、だから車を詩にしたり俳句にしたりすることができないのである。
車でもこれも自然と融和するものではない、電車は撮り鉄がいるから自然と融和することがあり自分も写真をとっているから電車はまだ自然的な人間的なところがあり好きになったのである。

牛は辺りの自然と一体化する、大地にふさわしいイデアとして神が創造したともなる
その牛のイデアを見事に詩にしたものがこの牛の詩だった  
神がイデアとして創造したというとき何でも孤立しては創造していない、大地と回りのものと一体のものとして創造している、海には魚であり陸には獣であり空には鳥を作ったのである大地には牛を創造したともなる。
詩とか絵でも芸術は神の創造したイデアを見いだすことである。
そして記憶が最後に人生だともなるとき記憶されないことは生の充実にはつながらない、だから大都会の生活をふりかえると何も残らない、人間すら膨大にいても大衆であり群衆でありそこには個はない、だから砂粒のように消えてゆくだけである

常に古代からエジプトの神像からはじまりギリシャの彫刻でもイースター島のモアイ像とかでも仏像でもやはり人間の像を作られてきたのは人間の存在感を示そうとしたためである。それは偶像崇拝の危険があったけど現代は数であり人間の像など個々の顔でもみんなロボットの顔になっている、機械人間にされているのである。
例えばコンビニとかでも会社でも公務員でも銀行員でも何でもそこに個性としての顔ある人間がいるのか?みんな同じような顔としてしか見ていないだろう
そこにいるのはその人でしかありえないかとかはない、誰がいても同じなのである。

古代とか原始時代になると人間は地域地域で違った顔をしていたというときそれは濃密な自然と密着した生活の中で自ずとそれぞれの顔が作られてきた。
像で考えろといっても現代はその像がないのである。
人間は何か記憶されないというとき生が充実していない、消失されている、消費というとき消すであり費やすということでもそうである。消費生活なのが現代人なのである。
だかちいくら消費しても生の充実感が得られないのである。
時代をさかのぼればのぼるほど像に満ちているのはなぜなのか?
人間としての存在感があるからこそ像が作られた、現代の人間の像はロボット化しているのである。要するに顔はみんな同じである、数字にすぎないとなる
それに耐えられない天才などはアウトサイダー化するのが現代である。
人間でありたいというとき数字にはなりたくないという反発である。数として数えられるだけの人間ではありたくないのである。

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 現代人の顔?

2017年02月20日

機械化 、AI化、ロボット化は人間にとっていいものである (真の労働をボランティアで追求する時代に)


機械化 、AI化、ロボット化は人間にとっていいものである


(真の労働をボランティアで追求する時代に)

人間の社会は労働なくしてありえないし日々労働である。だから労働もしなかった自分が労働を考えるのもかえって労働しないから考える
自分の労働の経験は流れ作業とか底辺の肉体労働しか若いときしていない、だから労働を嫌悪してしなくなったのである。それができたのは家族に恵まれてできたのである。
自分は学校にも適応できないし会社勤めもできない性格だったからである。

人間がホモファーベルとうとき道具を使う人間というときやはり人間の労働が苦しいから道具を使って生産性をあげる、楽をするとかあり発達した。それは石器の時代からはじまっていたのである。そして石器から鉄になったとき飛躍的に生産性があがった。
稲荷信仰は実は鋳成神である

大鍛冶(タタラ)の仕事が行なわれた地域には鋳成神(稲荷神)が、小鍛冶(道具鍛冶)の仕事が行なわれた場所には荒神(庚申)が奉られた可能性が高い。稲荷の敷地からヒ(けら)や銑(ずく)のクズが、庚申塚の下から火床(ほと)跡が発見されることも多い。のちに、産鉄地が放棄されて神を奉った聖域だけが残り

稲作は鉄器を使った時飛躍的に生産が増大したのである。そして王という字は斧というのが元になっている、まさに斧をもったものが王となったことでも道具をもつものが支配者になるということである。

そういうことは人間の歴史でつづいてきた、機械化は進んできた。
だからなぜ大井川とかで橋を作らなかったのか、船で渡らなかったのか?とか疑問があるがそれは人足が職を失うからだったというのもそうである。
川を渡す人足は相当数いたからその人たちが職を失うから船で渡さなかったという、
便利なものができればそれで職を失う人は必ずでてきて機械化に反対する人たちがいる
鉄道が車時代になったとき国鉄が衰退して社会党も消滅した
国鉄の組合が社会党を支えていたからである。でもその時は高度成長時代であり民営化しても退職金を多くもらうことができた、民営化に反対するというときこれも道具の移り変わり進歩でそうなったのである。つまり政治まで影響するのが技術の進歩なのである。
原発だってやはりその技術の進歩の結果としてまた事故にもなり政治に影響したのである
機械化するというとき家事に機械化も大きい変化だった、洗濯でも盥(たらい)や洗濯板でごしごしやっていたらその苦労は並大抵のものではない、家事も電化しないときは重労働だったのである、それで戦前でも中流家庭でも二人の女中を雇っていたという
それだけ家事に時間がとられていたのである。女中がそれだけ必要だったのである。
今は家事は自分も全部しているけど楽である。
何か自分は一人で三人分くらいの仕事をしている感じになる。
一人は毎日来ているとしても二三分しか働かない、皿二三枚洗うだけである。
それでも高い金をはらっているのは自分にとって必要だらしょうがないとしてそうなっている
つまり実際はその女性は別にここで働いてもらう必要がないのである。
それは機械化の結果である、でもそうなったらその女性は職を失うのである。
金がもらえなくなるのである。
現代は機械化とかコンピューター化すればますます職を失う人が増えてくる
アメリカで雇用を増やしてくれというときそうしたコンピューター化や機械化した結果としてもそうなっている、なぜなら企業はどこまでも効率化してゆくことが要求されるから金のかかるめんどうな人間を雇いたくないからである。

では機械化コンピューター化が人間にとって悪いことなのとかとなるとそうではない、そもそも機械化できるコンピューター化できる労働は単純労働であり機械化した方がいい労働なのである。流れ作業などがそうである。そういうことを人間はしたくない、だから機械化した方がいいとなる
それはロボットと同じであり実際に今はロボットが代わりにしている。
人間のやるべきことはそうした機械的なことではない何か創造的なことであり人間にしかできないことをやるようになる。
いくら機械化してもそういう仕事は人間に残る、女性の仕事もなくならない、女性は何か慰め役とかして男性にはできないことが適応があるからである。
つまり機械化 、AI化、ロボット化によって人間は本来人間にしかできないものをするようになる。

それはボランティア的なものを追求することになる、ボランティアは自発的にするものでありしたくないからするものではない、俺たちは奴隷なんだよなと社蓄なんだよなとかの労働ではない、労働はそもそもそういうものであってはならない、なぜならその時社会全体が不健康になるからである。
ところがもしみんなが自発的なボランティアのようになっていればみんな楽しく自発的にしているのだから社会が健康なものになるからである。
ある技術者は残業をしていたが守衛とかにやてくださいと言われたがもっと仕事をしたいから自発的にしているというときその人はその技術職だから技術を追求しているからそうなっている、流れ作業のよう梨ごとをしていれば一刻でも早くやめたいからである。
つまりこの世にはそうして機械化した方がいい仕事が多いのである。
だからコンビニでもアマゾンで自動化している店がすでにあるというときそういう仕事すら機械化自動化することは悪いことではない、その店員は別な仕事をより人間的な仕事を求めることになるからだ。

だからベーシックインカムというのも豊かになれば必要だとなる、人間社会では嫌な仕事をしたくなくても強制されるからである。自由社会とは何でも強制されない社会である。ボランティア精神でするのが自発性でもって仕事するのが自由社会である。
それは道徳的な面でもそうである。宗教をカルトのように強制的におしつけるのではない、自発的に求めるならいいのである。
人間はそもそも他者から強制されたり他者の言いなりになることは自分を失うことなのである。それを金のためにそうしている人があまりにも多いからこの世が不健康になっているのである。金によって自分のしたいこと自発性が損なわれるのである。
芸術家にしたってそんな絵を描いても文章かいても売れなければなんにもならないとか出版社でも画商でもなる、もし別に金があればそんなことをしなくてもいいのである。
要するに金のために働いているものは奴隷なのである。
だからこの世の中は奴隷社会になっている。そのことが社会を不健全にしているのであるカルト宗教でも人間の自発性を発揮させない、教育でも学校だと自発的に勉強するということがなくただ暗記だから興味を失うのである。
もし自発的なものとして勉強していれば勉強は楽しいものとなる

だから運送でも車の自動運転でもそうしたものが機械化できればそれは悪いことにはならない、確かにその反動はあり事故もあったりするがそういうただ物を運ぶということでもそこに創造性とか人間的なものがないものは機械化自動化した方がいいとなる
そして機械化自動化コンピューター化できないものが人間的な仕事だとなる
それで意外とそうして機械化自動化がすすむとき介護などの仕事は人間に直接ふれる仕事だから残るというときそういう仕事の給料が上がるかもしれないしそういう仕事に適応できるのは高給取りになるかもしれないのである
仕事の価値は時代によって変わってくるからである。
だから豊かな時代になれば
「あなたのしたいことをしてください、金のために働く必要はありません、会社のために働く必要はありません、
奴隷的仕事はしなくてもいいです、あなたのしたいことをしてください」
となるかもしれない、でもその時退職した人のようにとまどう人もでてくる。
そういう人はやはり奴隷にしてくださいともなることもある、自由といっても自由を本当に価値あるものに活用することもむずかしいからである。

人間が追求しているのは自発性、ボランティア精神なのである。それが民主主義であり自由社会の基本なのである。もちろんそれは理想なのだけどモラルだって自発性がなければいくら強制してもモラルは向上しない、カルト宗教団体などは全くこの自発性が皆無なのである。まさに精神的奴隷にされているのである。
ただ地獄に落ちるとか罰あたるとか怯えているだけの団体でありそれもこの社会を不健全にしているのである。
この世の中をゆがめているもの自発的にボランティアとして生きられないことなのであるいづれにしろ俺はこれが好きでやっているから苦しくなんかない、楽しいんだ、残業など強制されない、仕事をしていたいんだよとなっていれば健全である。
農業だってこれも別に趣味でしている人は楽しいのである。農業は実際はそうして売るためにとか金のためにではなくしていれば自然と密接に結びつくから楽しいものであり生きがいとなる、大工の仕事でも職人でも何でも自発的にしたいということはある
そこには機械的な作業もあるが何か自発的にしたいというものがありそれが創造性につながるのである。

posted by 老鶯 at 10:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会問題の部

2017年02月19日

ボランティアの条件 (ボランティアと仕事の相違)


ボランティアの条件


(ボランティアと仕事の相違)


ボランティアの条件として

●金をとらない
●金を出さない
●楽しい
●強要されない
●感謝も自由

他人の判断や責任のもとで行為するのではなくて、上のような意図のもとに、自分で状況を認識し、何をなすべきかを自分で判断し、あくまでも自分の責任において、いわば何の後盾もなく、行為を開始するのである。

<無償性>  無償性とは、経済的な報酬(金銭、物品、サービスなど)を目的としないということである。ボランティア活動をするときに、精神的な満足や交流の楽しみなどを報酬として目的にすることは、ここにいう無償性をそこなうものではない。

無償の立場から、公益性を探ろうとする点で、際だっている。もちろん、無償の立場だからこそ真の公益性を主張できるのだ

(一)チャリティーのボランティア(他人のための道徳的行為)
(二)自己実現のボランティア  (自分のための文化的行為)
(三)社会参加のボランティア  (社会のための公的な行為)

ボランティアと仕事は違う、仕事は嫌でもしなければならないしそうしないと社会が成り立たない、ここのボランティアの考察は興味深い

自分が無人駅の案内としての偶然のボランティアはこのことだった。
金をとらないし金を出さないしやっていることが楽しい、公益性もある。強要されてもいない、感謝もされるがそれも自由である。

(二)自己実現のボランティア  (自分のための文化的行為)

この文化的行為というのがむずかしい面がある。自分の場合は鉄道が好きであり鉄道会社に世話になっているということで文化的行為になっている
それから介護施設で老人の昔の話を聞いたときもそれは文化的なことであり郷土史にも結びついていたから文化的行為だったのである。
それは苦痛ではない、楽しいものだったのである。

原発事故や津浪ではボランティアが大勢きた、しかしその人たちがこのような無償の行為だったかというとみんながそうではない、例えば宗教団体が結構きていたがそういう人たちは自分たちの団体を宣伝するという目的があった。
それかち芸能人でもそういう人たちもやはり純粋にボランティアするというよりは名前を売るとかの目的があった。
この辺では福島県の詩人が有名になったけどそれは原発を種にして有名になった売名詩人である。名前を売り出すことができたからである。
そういう目的があってボランティアをしているのである。
だから純粋にボランティアしているというのは意外と少ないしボランティアは本当は相当にむずかしいものだと思う

だいたい人間は何か自分に利益がなければなにもしない、日頃近くで困っている人がいてもボランティアしているかというとしていない、ほとんど無関心なのである。
今でもボランティアにきて焚き出しなどをしているというが国から交通費が出ていると日当がでているとも言われる、第一遠くから来るとしたら交通費を自腹でするとなると簡単にはできないはずである。日当は出るとなる
この辺で仮設に議員が来て援助するというと票を得るためであり無償ではしないからそれも政治活動であり自分のためだともなる

このサイトのボランティアの考察で面白いと思ったのは(自分のための文化的行為)である。これが何か自分のしていることなのである。
文化的なことは本当はボランティアに向いているものがある。肉体労働とかなると苦しいからボランティアしにくい、文化的行為というとき鉄道が好きだとか鉄道マニアがいて鉄道にかかわりたいとかなるとそれは文化的行為なのである。
そもそも文学とか芸術とかは文化的行為である。これでもうけようとするのがなじまないのである。それから情報関係でもそういうことがある。
何かを伝えたいというとき別に金がほしいからではなく常に人間が社会生活ではあるからだ。電車が風の影響で毎日遅れているということを伝えることは別に金がほしいからではない、それがみんなに伝える必要があるものだからである。
人間の社会生活にはこうして実は金にならないものでも必要なものがある。
金にならないということで価値が認められない社会は余裕のない社会なのである。

本でも売れないから出版社で出さないとかあり著者は売れるようなものを書けとなるのが普通である。売る売れないで出版するかどうか決まる、それはマスコミでもそうである。視聴率をかせげるものを放送するが本当はボランティアだったら言いたいことをその人の関心をもっていることを赤裸々に言うことがかえって社会を知ることになる

だから余裕のある社会はボランティア精神を発揮できる社会だともなる、貧乏だったらできないからである。ボランティアできる人間はどうしても金銭的に余裕ある人である
時間的にもそうである。
ただボランティアの問題は責任がないということである。ボランティアの駅員でもいつもいるわけでもない、気まぐれだともなる、だからボランティアと仕事は相当に違っているのである。
嫌でも苦労でもしなければならないのが仕事なのである。
仕事は義務でありそれをしなければ社会生活が成り立たない、ボランティアは義務とか責任に欠けている、ただ自分がボランティアの駅員していて気持ちいいなと思ったのである結構ありがとうという人がいることなのである。こんなことで感謝されるのかとなる
別に感謝されなくてもいいがありがとうということは何か役に立っていることなのであるこのボランティアには全く自分は苦痛を感じていない、楽しいのである。
別にこれは他人でも社会でも認められるものでもないしそうされなくてもいいものであるちょっとした親切にすぎないからである。
ただ不思議なのはこういうことが善であるということも感じた

「人に注目されようとして自分の義を人の前で行なうことがないようによく注意しなさい。そうでないと,天におられるあなた方の父のもとであなた方に報いはありません。ゆえに,憐れみの施しをする際,あなたの右の手がしていることを左の手に知らせてはなりません。あなたの憐れみの施しがひそかになされるためです。そうすれば,ひそかに見ておられるあなたの父が報いてくださるでしょう。(マタイ福音書 6章4節)

つまりこういうものに通じるものがある。結局津浪原発事故では様々なことが問題になった。ボランティアもそうである。
この言葉のようにしている人はいない、普通の社会生活でもいない、何か自分に利益があってしているのである。みんな何かしらの報いを得るためにしているのである。
ボランティアでもそうである。人間は無償で何かをすることはしない
ただ文化的行為というのは芸術となるといい俳句が短歌が絵でも作れたなとなるときそれ自体が報いとなっている、仕事にもいい作品を作ればそれが報いとなることがある。
だから収入の多寡に関係なくいいものを作るために精進することはある。
それはボランティア精神なのである。つまり仕事でもボランティア精神がなければ成り立たない、だからボランティアが文化的行為になっているとと自ずとボランティアになっているのである。ただ文化というとき広範囲だから理解しにくいが文化には無償性が大きい出版とか報道とかは無償ではない、常に売れなければならない、視聴率をかせぎ宣伝して企業から金をもらむなければならないとか利益追求があるからかえって真実も伝えられないのである。
だからインターネットともともとボランティア精神から成り立っていた。営利事業はしていなかったのである
ウィキペディアなどがそうである

宗教でも本来は無償性かあって成り立つ、だから金をとるカルト宗教団体はうさん臭いのである。布施というとき自発的なものとして受け取る、強制はできないものとしてあったでもカルト宗教教団では布施でも自由に見えても強制されているのである。
そしてなぜ兆にもなるような巨額な金を集めるのか?
それはそれでもって権力を得て銀行でも従わせるとか政治活動して権力を左右するためにしている、宗教も本当はボランティア精神でしていればこうはならない
金もとならない、強制はしないとかなれば問題ないのである。
つまり人間には社会にはボランティア精神がなくては一方で成り立たない、仕事は義務であってもボランティア精神がなければその仕事もゆがんだものとなる
みんなしたくない仕事をしているから奴隷なんだよな、社蓄なんだよなとなっているのである。それが社会を不健全にしているのである。

posted by 老鶯 at 10:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会問題の部

2017年02月18日

幸福の科学騒動 清水富美加の出家-芸能人を利用するカルト宗教団体


幸福の科学騒動

清水富美加の出家-芸能人を利用するカルト宗教団体


今回の騒動はなになのか?最初に注目したのが清水富美加の親が借金していたことである。

今回の騒動を通して、
大川隆法および教団が何を得ようと期待したのか?
どういう筋書き・思惑で騒動を起そうとしたのか?

このサイトは幸福の科学に詳しい

カルト宗教団体は一体何か目的なのか?それは宗教ではない、宗教の悟りとか救いとは無縁である。会員を増やすことをひたらすら追求する、それは何のためなのか?
その数と金とで権力をもつためである。それは創価がまさにそうであり幸福の科学も同じことを追求してきたのである。だから選挙にも会員を出した。
政治化したのである。政治は公権力を得ることでありそれでもって会員を増やすことに通じるのは創価を見ればわかる。

清水富美加は何かそうしたものに利用される、親もまたその原因になっている。
なぜなら親が事業に失敗したとういことで借金していたとなるとそうである。
事業の失敗の借金は大きいからである。そういう人を知っているから怖いと思った。
自分が病気のときに家族が苦しんでいるときに借金を要求してきた、脅迫してきたのである。

借金する→モラルの崩壊→犯罪

必ずこれが起きてくる、これは推理ドラマの定番なのである。まず犯罪の動機をみる、恨みなどがあるが借金しているかどうかが一番重要なのである。
借金している人はもうモラルが崩壊しているから犯罪に一番結びつきやすいのである。
要するに借金している人は犯罪予備軍であり犯罪者に近いとなるのだ。

江戸時代なら美人だったら借金のカタに遊女に売られた、不細工だと紙漉きとかの重労働をさせられた。それもまた過酷な現実だったのである。
借金をしたらパチンコ屋に働いているとかそのことも同じである。
もう働く場所を選んでいられない、ただ金になればいいとかないからモラルは崩壊しているのである。そういう人が自分が苦しいとき来たから恐怖だった。
自分は殺されるのではないかとも思ったからである。

清水富美加は親が借金していることからおかしくなり迷路に入ってゆきカルトに入り闇の世界にひきこまれたともなる。カルトとは大きな闇の世界である。そのカルトを作り出しているのは人間の闇が深いからである。
事業に失敗して借金したというときそこに深い闇が生れる、借金を返すために闇のカルトにひきこまれる、何か不幸があると障害者などにはカルト教団が創価でも何でもかかわってくる、それらは餌食になりやすいのである。
自分がそういうことを経験したから怖いと思った。
「あなたの不幸は信仰しないと解消しませんよ、会員になれば解決します」とか言われると藁をもつかむような精神状態になっているからひきこまれるのである。
またカルトはそういう人が一番会員になりやすいことを知っていて近づいてくる
その窮状を救うなどという心はない、会員にして勢力拡大をもくやむだけである

宗教というとき比叡山がそこは一つの国家だったのである。近江の琵琶湖の交通で税金をとっていたし職人であれ何であれその配下にあり従わせていたのである。
そこは治外法権であり一つの国家だったのである。だからそこで裁判も成されていた、今のような国家が中世にはなかったのである。
たから信長が比叡山を焼き討ちにしたのはそこが治外法権の国家であり山僧がいて武装もしていたから権力を得るためには戦わざるをえなかったのである。
第一城を建てるにしても職人が必要だがそれを掌握していたのは寺だったからである。
寺は個人が改心して求道して出家するような場所でもなかった。
そこは一つの大きな国家だったとするときそこで経済活動でも金貸しでも何でも世俗的なことをしていた場所だったとなる
そしてそれが不思議に不可侵の神聖な犯さざる場となっていたから税金をかけられないのは今のカルト教団と同じである。神や仏の所有地となっていたのだからそれに税金はかけられないのは今も同じなのである。だからそれを悪用することにもなる
そういう歴史の継続があることが「寺社勢力の中世」伊藤正敏で読んで面白かった。これは相当に考察する価値がある。

いづれにしろカルトとは何か、今の宗教は団体化した宗教はカルトである。本来の宗教とは何の関係もない、そこに悟りとか救いを求めるのは暴力団に入って悟りを求めるのと同じである。
なぜ暴力団員になるのか?それは犯罪者がいてアウトローになるからそういう場所に入る
そういう機能が寺にもあったという、そこは治外法権であり寺には武装した僧兵がいたからである。
戦国時代に侍が城をもったりする前に寺が城郭の役割を果たしていたのである。
僧侶が武士になったという説も興味深いのである。僧侶は軟弱な人たちではない、僧兵のように騎士団のような強者がいたのである。
侍の前進が僧侶、僧兵だったという説も確かにあると思う。
要するに中世でも国家などは存在しない、比叡山のような所が身の安全とか最低の生きる術を与える食料でも与えられる場所だった。

そういう寺がありやはり現代のカルト宗教に通じるものがある。底辺層なら生活保護を与えるとか何かしら権力をもっていて斡旋してやる、それは宗教とは違う、でも現実には現世利益となるから会員として勢力拡大になるのである。
そういう底辺層は何か高度の悟りとか救いなど求めていない、日々の生活に困窮するからそういう場に入り生きようとするのである。
それは共産主義政党でも同じである。そういう底辺層は常に豊かな現代でもいる、その人たちは損な立場にあるからそうなる
ただ宗教が怖いのはそういうふうに困窮しても安易に入るとどうなるのか?
結局地獄に落ちるとか罰当たるとかそういうものも引き受けるのである
結果的にはかえって地獄だと罰しか与えられないのである。その恐怖におびえるだけだとなる、それはエホバなどでも何でもそうである。宗派に関係ない、現代の宗教はみんな
カルトだと思う、宗教とは地獄を与えられることでもないし罰を与えることでもない
神の祝福を与えられることである。それはカルトでは地獄とか罰を引き受けるだけだとなるからたたらぬ神にさわりなしとなるのである。

ただ人間は何かしらの不幸をまねがれない,でもその不幸がすべて悪いものなのか?
そういう不幸も人間には必要なのである。例えば事業に失敗したからといってすべてが悪いとういものでもない、かえって失敗した方がいいかもしれない
なぜなら俺は頭がいいとかいう人が成功したと世間に自慢していてそれも未だにそうしている、それも借金していそうしている、むしろ別に事業に失敗したからといって人間失格になるわけでもない、俺は借金までして成功しているとしてこと自体が異常なのである。何かそういう奢りが神によって砕かれるべきなのである。
原発事故だってそうだろう、頭のいい人たちが自然の驚異の前にその傲慢さが砕かれたのである。自分たちは頭がいい、それは神のようにすらなっていたから神によって砕かれたのである。

いづれにしろカルトは人間の闇が作り出すからこれからも消えない、人間の闇とは上から作り出すわけでもない、人間そのものが闇をいだいているから闇の団体が作り出されるのである。人間個々人の闇があるからそれが集団化して大きな闇となる
ヒットラーが芸術家になりたっかのになれずに劣等感をいだき政治家になった。
オウムの麻原も目が見えないので劣等感をもったし池田大作も大学も出ないので劣等感をもち世界から勲章を集め大学の学位を政治力と権力でとる
またそれに従っている大衆も闇があるからそういう闇なるサタンに従うのである。
結局こうしてこの世がサタンに支配されるのである。

清水富美加はそうして闇の迷路に入ってしまった犠牲者だともなる、現代は複雑だから闇の迷路に入り安いのである。芸能人などもほとんどカルトのプロパガンダとして利用されるし利用されている、芸能人は芸能をやればいいのであって政治とかにかかわるべきではないと思う、民主主義だったら誰でも政治にかかわるとしても芸能人はプロパガンダに利用されるから危険なのである。大衆洗脳のために芸能人がいるのである。

宗教を見る場合は自分は歴史的に比叡山のようにそこが一つの国家となっていたように信仰とは関係ない俗社会の場だとしても何か奈良時代だと鎮護仏教文化があり平安時代でも貴族の仏教でも文化をつくり鎌倉時代など中世でも武士の仏教文化を作っている
江戸時代からは寺は幕府の役所になっただけである、戸籍係のようになっただけである。だから負の部分があっても中世までは仏教はそれなりに活きていた面があったとみる。
禅寺では貧乏人に薪がないからは寺の一部を壊して貧民に与えたとかある、何かそういうのが宗教者だったのかもしれない、
自らそうした私腹を肥やすようなことをしていたらいくらそこが国家でも成り立たないということはあるからだ

仏教というとき文化的な面から見るとわかりやすい、江戸時代以降はふうた仏教文化は生れていないからである。
中世が僧侶の国家であり文化であったが江戸時代はその僧侶が武士となった武士の文化となったからである。
まずカルト宗教団体から文化は生れない、個人的にも芸術家も生れない、それを見てもわかるのである。そこは利権しかない、利益追求しかない場なのである。
あとは地獄に落ちるとか罰あたるとかしか受けられない場所なのである。
現実にあれだけ数が大けれは不幸な人が山ほどいる、なぜそんなに不幸なのかと現象をもっとも重んじるのが宗教だから不思議だとなる

とはいえ不幸は誰にでもある、不幸はまねがれないのである。そもそも病気にならない人がいないからである。自分も家族や自分の病気でさんざんな目にあったことを書いてきたそれは別にカルト教団でも同じである。かえって自分より過酷な不幸におちいっている人は山ほどいるのである。創価に入って子供が若くして死んだとか交通事故にあったとか親も死んで今は家に誰も住んでいないとか無数に不幸がある。
それは他でも普通にあることである。それは自分にもあった。親が認知症になったとかなるが認知症になるのはもうこれから膨大にふえてくる、ではカルト教団に入っていたらまねがれるのかとなったらむしろ不幸はカルト教団の方が多いのである。
統計とればまちがいないてのである。なぜならそういう人たちもともと入っているからそうなるのである。貧すれば鈍するとなっているからである。

要するカルト教団に入る清水富美加のように闇の迷路に入ってゆく、そしてぬけだせなくなる、それも親が悪いともなる、なぜなら親の因果が子に報いである。
親がカルト教団に入っていればそのカルマを受け継ぐことになるからだ。
この辺では原発事故で住めなくなったように親が先祖のためにそうさせられたのである。ただすでに自分などにも責任はあったとふりかえればなる
この世の中はカルマから逃れられない、カルト教団に入ったことは親でも子にその因果が報いとなる、カルマを作り出したのが親である、先祖であるともなる









posted by 老鶯 at 17:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2017年02月17日

風の影響で毎日のように遅れる仙台までの常磐線 (駅は人が交わる人間臭い場所だった)


風の影響で毎日のように遅れる仙台までの常磐線

(駅は人が交わる人間臭い場所だった)


今日は春一番が吹いて風で電車がまた遅れた。最近はともかく風が毎日吹いて電車が遅れる、最初は3分とか4分とかだが50分とかになり運休になる場合もある
今日は特に風が強かったからそうなった。

一時間とか待つとなると急いでいる人、仕事している人は困るだろう。
阿武隈信用金庫の人が何か投資の講演会があると人を待っていた。
その時はまだ遅れていない、その後に遅れたのである。

銀行は銀行法において、株式会社であることが規定されています。株式会社である、ということは、株主に利益を還元しなければ存続できなくなりますので、銀行が最も優先すべき事は利益をあげること、ということになります。

一方信用金庫は、ある地域内の地主や有力者、そして地域住民が会員となり出資し、設立した非営利法人です。そのため、利益よりもその設立理念である「会員の相互扶助にり地域社会の発展」に重きをおいています

信用金庫としんきんと銀行の相違は何なのか、双相信用金庫とかあったが合併して五城信用金庫とかなった。阿武隈信用金庫も今回の津浪や原発事故の被害地域が主な地域になっていた。亘理にもあるが狭い範囲である。阿武隈という地域である。浜通り地域である。信用金庫と株式会社である銀行の相違はより地域に密着したのが信用金庫だとなる
銀行は株式会社だから利益をあげて株主に配当しなければならないが信用金庫は株主より地域に密着して産業を会社を育てるという役割になる
銀行は小さい銀行でも福島県全部に支店をもっているしその資本金の額も大きいのであるそれでも阿武隈信用金庫でも投資信託をしている、これは信用金庫ではしていないと思ったがしていたのである。

投資信託を銀行に頼んだか興味深く聞いた、もっとこの辺の経済のこと震災の影響を聞けば何かわかることがあったと思うがあそこでは長い話はできない、待合室だからである。でもそれなりにいろんな人が出入りしていてちょっとでも話すと面白いと思った。
特に今この辺は外部からくる人が多いからである。
その人は地元の人だった。
郷土史研究などというと歴史だけで好事家のようなものだと思うが実際は故郷全体のことに関与することである
だからそういうことをプログで追求してきた。ただそうなると相当な広範囲な知識が必要になり自分だけでは手に負えない、記者だと雑誌でもそういうことを追求している
福島県には二つの雑誌があるからだ。でも東電については追求できなかった。
なぜなら東電はマスコミならどこでも宣伝費を払っていたからである。
そもそも雑誌などでも一カ月一回福島県で出してそれで生計が成り立つのかとなるからだ
地域というときそれは日々生活している場所だから全国的なニュースとか世界的なニュースより関心がある直接的なものとしてじ
かに影響する場である。

それで原発というのはそういうものとしてあったが地元なのに関心が薄かったのである。それより関心が喚起されなかった。それはやはりた報道の問題があった。
報道の意義は宣伝費を多くもらっているから何も言えないでは地元の人にも役にたたないとなる、新潟日報だけが巻町が原発に反対したとき同調したということで評価されている福島県の報道関係では反対した報道はなかったのである。
それも怖いことだなと今になると思った。第一報道すること自体やはり権力を持たないとできない、新聞社とかテレビ局を見ればわかる、報道するにも会社をもち金がかかる
新聞社などはあれだけの紙を刷って配っているのだから金がかかる
とても報道する内容だけでは成り立たない、だから宣伝費に頼ることになるし聖教新聞でも刷って金を得ることになる、そういう所から入る金は大きいからである

でもそうなると報道は会社の悪でも真実は追求できないのである。結果的に地元の人でも今回の原発事故のように大惨事となるまで追求できない
日本は報道の役割は権力側につきすぎる、権力にこびるだけなのである。そういうシステムになっている、たから原発の安全神話が通っていたのである。
そもそも報道とはなにかとなる、そんなことを考えたのはプログを書くようになってからである。前はホームページを書くようになってからである
それまで一個人が報道することはできなかったからである。
まずインターネットは発信することが楽だし金が全くかからないことでみんなしている
そしてリアルタイムであるから報道局を個人でさえもつことができる

そして感じたことは今はyoutubeで個人でも放送しているのである。
そのyoutubeを見て思ったのはテレビに出るときは何人かが対話形式で話しする、そこは一人の個人の発言の場所ではない、何人かがコメンテーターとして発言している
そしてそれはテレビ局の意向にそって発言を許されているという感じになる
そこで一番力をもっているのは司会者なのである。
司会者が意見を言うのは本当はあってはならないことだが司会者が常に意見を言うからもう客観的報道は不可能になる、司会者の言い分を意見を言う場所でありコメンテーターが飾りとして呼ばれているようになっている
だからyoutubeで個人で発言しているのを見てこれは今までとは違うなと見える
有名なテレビに出る人が個人で発言しているのである。
そうなると十分にその個人の言いたいことが言えるし深いことも言えるのである。

鉄道の駅は意外と人が交わりあう場所であり生の情報を得る場所であることにきづいた。もともと鉄道が全盛期のときはそういう場所だったのである。人間臭い場所だったのである。
それで奇妙だけど阿武隈信用金庫の人はまるっきりビジネスマンであり標準語を話す、それは今では当たり前になっているが駅というのは地方にある駅ならなまりがでてくるのが普通だけど今は子供まで標準語の世界になった、その時何か地域的なものが失われているのである。なまりには何かあたたかみを感じる、標準語はまるで英語のように感じるのである。英語は世界の標準語にもなっているからである。

ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく 石川啄木

なまりが聞こえるような所が鉄道の駅だったのである。今は地方でも子供まできれいな標準語を話すのである。ビジネスマンになったらもう標準語しかない。
そこに何かあたたかみがなくなるのである。
そして奇妙だけど新地とか山下駅が新しくなり都会風になったときひなびた田舎の駅という感じではなくなった、それそれとして新鮮なのだが古い駅舎では昔ながらの人間臭いものを感じる、いづれにしろ自分は毎日駅に行って様子を見て案内したりしている
ボランティアの駅員になっている、何か自分には鉄道には旅が長いから思い入れがあるから鉄道にかかわりたいともなる

今日は春一番が吹き春時雨にもなった。日本の気候はつくづく変わりやすい、なんかいつも電車が風で遅れるとそれも結構長くなったり運休したりもする
すると川止めのような感覚になる、川止めだと一日も二日も待たねばならなかったからである。やはり人間は自然の影響からまねがれないということも未だにあるのだとしる
これだけ便利な社会になってもそうなのである。風の影響を受けないようには技術的にはできるがそれもまた工事が大変になる、技術が進歩してもやはり自然の影響をまねがれない、原発事故だって津浪という自然災害をまねがれなかったのである。
人間は科学技術がどれほど発展しても以前として自然の影響を受けるしその災害からもまねがれないものだと思った。


奥の細道をだとる(秋の短歌十首)


奥の細道をだとる(秋の短歌十首)

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       山寺に対面石や朝の菊


八溝山奥に分け入り紅葉見ゆ清き流に散りて流れる

日光の華やかさを見て関所跡卯の花かざしみちのくに入る

草の花たどりて細道やみちのくに入る関所跡かな

白河の関所の跡や虫の音をここに聞きつつみちのくに入る

あわれかなしのぶもちずりこの辺り木槿の咲きて村もありなむ

平泉金色堂や秋のくれみちのくに住みまた来るかな

平泉見て帰るかなみちのくに秋の夕映え美しきかな

山寺や流れのひびき菊に石朝日のさしして清しかりけり

山寺や磐にひびける流れかな秋の夕日のさして暮れにき

山寺に清流ひびき秋の星きらめきにけり御堂見上げぬ

湯殿の碑みちのくに多しあわれかな晩菊の碑によりそい咲きぬ

最上川船着場に虫の音やここに待ちにし人のありしも

最上川旅行く人や一時を船着場かな虫の音を聞く




地理感覚がどうして養われるのか?地理がむずかしいのはその大きさを認識することができないことにある。確かに今なら車でどこまでも行けるということはある。
それで地理がわかったかというとわからない、車で行く感覚と電車で行く感覚は違う。
車だとゆっくり景色が見れないので記憶に残らないということがある。
ある地点に行くには便利でもその途中の感覚がぬけてしまう。
地理は一回くらいその地を踏んでもわからない、東北だと何回も行っているしなんとか実感としてわかる、それでも日本は山が多いからわかりにくいのである。

芭蕉の「奥の細道」は東北の空間認識と歴史的認識が合体して古典になった。それがなぜできたのか?それはやはりみちのくを歩いて旅したからである。
時代というのはもどることができない、しかし空間は今も変わらないものがある。
山がなくなったり海がなくなったりしないからである。
奥の細道をたどると自分は自転車で八溝山を分け入りぬけてきて白河に来た。
そして白河の関所のあった所が暗い森の道がありみちのくに入るという感覚が残っている白河市になると何もない都会化している、中通りは都会化しているから奥の細道をたどる旅がしにくい、それでもそれなりにまだその感覚が残っている所はある

しのぶもちずり石は市街から離れている所にあるから芭蕉の句も生きている。飯坂辺りも奥になり山間になるから奥の細道の感じが残っている
ただ飯坂から仙台までは何か奥の細道を感じるものがともしい、感覚的に変化を感じるのは宮城県から山形県に入る所である。
面白山のトンネルをぬけると山寺になりそこが山形県になるからだ。そこは国境のトンネルをぬけると雪国だったとなる、春でも雪が残っているからである。
宮城県と山形県の境界は明確であり山を越えたときトンネルをぬけたとき感覚的に風土も違ったものとなる
福島県と宮城県の境界はそうしたものを感じない、浜通りだったら海岸線を行くのだから全く別な国に来たとは感じないのである。平野だったら地理的に区切るものがないから別な国に来たとは感じないのである。

芭蕉の不思議はみちのくのことを風土的にも歴史的にも感じていたことである。歴史と一体となったみちのくを感じていたのである。
それは平泉でも三代の栄華ということで名文を書いたのでもわかる。
それから「語られぬ 湯殿に濡らす 袂(たもと)かな」とあるとき東北には湯殿の碑が多いしそれが古いのである。湯殿には湯治に東北の民が行っていたからである。
この句はそうした農民の苦労を語っている、いろいろ苦労があるが語りきれないとかなる湯殿の碑を見るとき何か古いからそこに東北の農民の苦労がにじんでいるという感じにもなる、だからこういう句を作ったことが不思議だとなる
普通旅しているとその土地のことを深く知り得ないからである。

山形県というとき最上川であり日本海に夕日が沈むのが印象的になる。最上川には途中に何もない所にも船着場があった、その方が情緒があった。山形県は太平洋側とは感覚的に違っている、宮城県と岩手県の境も明確ではない、むしろ地理的には今回の津波でわかったように福島県と宮城県と岩手県の海岸線は一体の地域だったのである。
岩手県でも区界(くざかい)となると雪が厚く積もり盛岡とは分断しているのだ。
むしろ海での交流があった。宮古から鉄の素材が浪江の請戸まで運ばれていたからであるそれが葛尾村に運ばれて製鉄されていたのである。そして葛尾大臣という人がいて栄えた跡が残っている

芭蕉が旅したときまだ東北がどういう所か知られていない、でもみちのくを一回の旅でこれほど共感しえたことが不思議だとなる
ただいかに芭蕉とはいえみちのくを旅してもそれは線の旅だった。とても全体の空間を認識はできない、それは何度も旅してようやく認識される、東北から茨城県とか関東になるとすでに地理がわからなくなる、空間をアイディンティティ化できなくなるのである。
東北でも空間をアイディンティティ化することはむずかしい。
福島県と宮城県と山形県がなんとかできるとなるがこれでも広いからむずかしい。
いづれにしろ自分はこうして旅した行程を記憶の中でたどっているのである。
電車でもしたがやはり自転車で行ったことが記憶として残っているのである。
ただ今になると自転車は無理になったのである。

旅というときやはり距離感がなくてったことが旅がなくなったことの一番大きな要因である。やっと歩いて坂を峠を越えて来たなとかいう感覚が達成感がなくなったのである。
芭蕉が平泉に到達したとき「五月雨やふりのこしてや光堂」と句を作ったのはやはりはるばるここまできて金色堂が残っていたなという感懐があった。
そのはるばる来たという距離があってこの句ができたのである。
新幹線で二時間ではこの句はできないし味わうこともできないのである。

だから自分は柴田の千本桜を自転車で見に行ったときみんな散っていた。そしてはるばるまた自転車で帰った、その道のりは遠かった。そのことが忘れられないのである。
せっかくこんな遠くまで苦労して来たのに桜は散ってしまった、見ることができなかったそしてまた遠い道のりを帰らねばならなかったとなったからである。
でもそこにも何か深い感懐をいだくものがあったのである。
それはそれだけの距離がそうさせた、今はその距離感覚が喪失したから深い感懐も抱くことができなくなったのである。

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2017年02月16日

みちのくの枯野の風景 (常磐線のいわき市から仙台まで)


みちのくの枯野の風景


(常磐線のいわき市から仙台まで)

いわき市辺りあ出ると車窓には枯野が広がる。大野、広野とかの地名がありこの辺はもともと広々とした野原だった。相馬藩の殿様がこの辺を余の森とした所である
今の双葉とか大熊とかは磐城藩との境で争いがあった。
余の森とは相馬藩の領地だという宣言である。「小良が浜」おらがはまというのも俺の浜だということで領有の宣言である。何か土地争いは常に古代からもあった
この辺は森におおわれていて明治に入って開墾された地域である。
ただ江戸時代でも人は住んでいたので野馬追いに出る古い家がある
浪江町は相馬藩に組み入れられたがあとからである。相馬藩の最初の城は小高にあり小高、原町、北郷(鹿島)相馬市が中心だった、そこに飯館村も入ってきた。

原町は神旗争奪戦が行われる雲雀が原がある、もともとここには家はなく広大な野原であり土手が囲んでいて馬が放牧されていた。原町とはまさに原っぱしかなかったのである。原町から深野とか大原も野であり原が広がっていた。最初はみんな原や野が広がっていたのだ。だから日本では野とか原とつく地名が多いのである。
森は杜でありそこは別な領域であり鎮守の森として杜として残された。

この枯野がつづくの亘理までである。ここまでは家が少なく刈田が枯野が広がっている。それは陸奥らしい風景である。この枯野の風景も阿武隈川をわたると岩沼になりここは大きな煙突があり煙をいつももうもうとだしている工業地帯になる。引き込み線もあるからしだからいつも貨物列車が駅にとまっている、そして冬芒が心に残る


岩沼の次は館腰(たてこし)の駅だが館腰神社があり館腰の碑が相馬にもある。相馬藩内には伊達藩にあった神の碑が多いのである。小牛田の碑とかもそうであてる。山神の碑は小牛田に由来している。お参りしたためにそうなった。
なぜ磯部には寄木神社がある。

「寄木神社の由来
  合祀稲荷神社 寄木神社
平氏没落後志摩国磯部に身を隠した落武者辰
之丞一行は間もなく陸奥国石巻に下り寺島氏
を称して世を忍ぶ辰之丞を船頭として漁師とな
つたが 海面を混濁する北上川の氾濫に度々漁撈
を妨げられ 遂に適地を求めて宇多郡大竹荘磯部
の里に移つたと伝えられる

永享の末頃寺島家は元の漁師に復し神官は絶
えたが後 佐藤好信が相馬氏に仕えて磯部城に拠
り祈願所として開山した海蔵寺が別当を勤めた
と伝えられる 天正十三年(一五八五)の建立を伝え
られた

海蔵寺は浜吉田にありそこに慶長津浪の縁起が記されていた、言い伝えがあった。この寄木神社は慶長津浪(1611)年の前のことである
このように伊達藩とのつながりが相馬藩には多いのである。それは地理的に接しているからそうなった。

伊達と相馬の境の桜 花は相馬に 実は伊達に

という民謡が残された。これは駒ヶ峰が境となり残されとか山の方の玉野なのか不明である。ただ駒ヶ峰とか新地には中世の城があったり境になっていた。

今回の津浪では宮城県から岩手県に被害がありそこが一つの地理として結ばれた地域だったことを知らしめられたのである。今回の津浪は東北の海岸線を一つとして見なければわからないのである。

新地から山下までの駅は高くなり金華山とか牡鹿半島が見えるようになった。
そして相馬藩内に金華山の碑がある。これは丸森にもあった。金華山参りが行われていたでもそれは明治になってから盛んになったから新しいのである。
古いのは湯殿の碑なのである。これは東北の農民が湯治に行った場所だからである。

海というのは常磐線でも仙台まで意識しにくくかった。なぜなら海が見えたのは常磐線からだと新地でありわずかに見えただけだったからである。
それで浜吉田の駅まで津浪がきていたことに驚いたのである。それは小高でもそうである小高は駅を越えたのではなく街に下水道から津浪があふれたのである。

現代の交通は鉄道と車となったとき海の視点が欠けるようになった。それは全国的にそうである。日本は海に囲まれているのだから海の視点があってもいいはずなのだがそれが喪失した。
でも新地駅でも山下駅でも海が広々と見えたとき金華山でも牡鹿半島でも身近に感じたのである。あれだけ見えれば海をわたっても迷うことなく行ける、目標がはっきり見えるからである。
それで古代にも石巻まで相馬の海からわたったという人もいる
なぜ石巻に萱原という地名がありそこが万葉集の真野の草原とされていたのである。
それが定説とされていた。石巻には真野公という木簡も発見されているからだ。
だから南相馬市の鹿島区の真野郷は発掘がありこっちが有力になったのである。
ただどうしても実感としてあれだけ牡鹿半島や金華山が見えるということで地理的一体感がましたのである。
やはり海が見えるのと見えないのでは全く違った感覚になる

ともかく陸奥は枯野の風景でありそれがふさわしいとなる
上野を電車で出るとやがて30分くらいなのかビルもなくなり太陽が地平に沈んでゆく
そしてそこからみちのくの枯野が広がってゆく、その時電車の音が高鳴りひびき故郷に向かうということになる。
ただもう常磐線で十年以上東京には行っていない、介護で行けなかった。東京にはすでに10年以上行っていない、何か本当に歳月がすぎるのは早い、十年介護で一昔となってしまった。その間に津浪や原発事後がありあわただしくすぎてしまったのである。

みちのくは以前として芭蕉の「奥の細道」の雰囲気が残っている地域である。
でも芭蕉が歩いた中通りとかは都会化しているから感じられない、浜通りはいわきから枯野となる、大野とか広野とかになりそこが原発事故で人が住まなくなり本当に枯野となり原初の状態に戻ったとなるのも驚きである、家が街が草茫々の中に埋もれてしまったのである。
だからこれは風流として見ることもできない、そもそも風流があるのは貧乏ではかえって風流はない、もう生活に追われるだけであり自然を風流として見ることができないのである。そもそもそんな風流より原発が建てられたのは出稼ぎしないように地元で働く場をもつために誘致したのである。原発は高給になるから働いたのである。
原発の経済効果は本当に大きかったのである。それがみんな裏目に出て悲惨な結果になったのである。

風流ならば

みちのくに枯野に何か昼の月

こんなことにもなる、そういうふうに自分もあったのはやはり経済的にとか恵まれていたからである。それで介護で十年苦しんだのもそのためである。
今のこの辺はこんなのんびりな状態にはない、未だに復興は先である。
津浪の被害地でも広範囲でありこれが復興するのはまだまだ時間がかかるのである
その被害があまりにも広範囲だったからこうなったのである。

2017年02月15日

本は何なのだろう (骨董品となり芸術品となっていた)


本は何なのだろう

(骨董品となり芸術品となっていた)

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絵に透かした紙を重ねている

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昭和18年に発行とあり53円は当時では相当に高かった

昭和20年の1円(100銭)は400円前後の価値
今の値段で6万くらいなのか?これは作るのにも金がかかっているからそうなるだろう。これを買った人は金持ちだったとなる
ただ戦争にも入っているとなるとその影響もあるから値段的には比べられない
それにしてもこんな厚い本を出したということ、その手間と労力と考えると
本は骨董品として価値があるとなる



仙台の古本屋で買った本はでかくて重かった
それが封印されていて中が見れなかった、中味は万葉集に絵をそいたものである。

「これ中味見たいんですが」
「いいですよ」
「悪いな、買うわけでもないのに、これは本の骨董品のようです」

ぱらぱらとめくり見た、絵があるので万葉集を学ぶのにいいのかとも思った
その絵はそれほどのものでもないようだった、ただこの本の不思議なのはでかくて重くて封印されている、それがかえって中が重要なものに見えたのである。
千部限定ともある。
大亦観風という人の作品である。この人はそれなりに知られていた、アマゾンで調べたら本もでていた、同じ本で2000円のようだ
古本屋の人に言った

「通販では中味が見れないですから、通販だけでは買物はできない」
「私の店でも通販に出していますよ」
「そうですか」
「売れたので通販のは削除しました」

まずこういう本があり中味がどういうものなのかわからないし名前も知らなかった。
となるとこれは何なのだろうととなる
かえって封印されていて見れないから見たくなるのが人間の心理なのである。
見られないということはかえって見たいとなる。
あからさまに見える、こんなものいつでも見れるとなると価値が低くなる
第一こんなでかい重い本があることに驚きがあった。
これは戦前に作ったものでずいぶん金がかかったろうなと思った。
こんな凝った作り方をしているからである。
これは明きらかに本の骨董品になっている
その内容よりも本が芸術品になっているのだ。

この本は出してから70年以上過ぎている、紙は変色している、この人の絵はたいしたことがないと思ったが最近見直されて展覧会もしている
70年も過ぎるともう本自体がほころびて紙も変色してくるし本の形もた保てなくなる
本でも50年でぼろぼろになってしまう。
でもネットなどよりは本に記しておけば残るということはあるだろう。
ネットだと一瞬にして膨大な記録が消える、そのことが怖いのである。
ネットでは何か書いても軽い感じになり消えやすいとなる

ただ最近ネットで簡単に本は作れる、それをしていないが自分のプログで書いたものウエブで本にしたいと思っている、ネットで詩集を十冊作った人がいる、その内容は陳腐なものである、でもそれだけのことがすでに簡単にできる時代になった
本を作るのは簡単であるがそれを書店に置くことはできない
書店に置くことは今でも出版社とか取り次ぎとか普通は置くことができないのである。
本はすでに一個の芸術品として作るともなる、ただその内容だけのものもあるが装丁とか一冊の本はすでに広く流通するより何かこのように一個の芸術品であり古くなると骨董品のようになる

何か自分は本が好きだった、そして本を読むより本の蒐集家のようにもなっていたのである。それで家が傾くほど本があった、それは全集ものがあったためである。
百科事典などでも重くなっていたのである。本はそれだけ家に集めることはやっかいなものなのである。でも人間が本を読める量は限られている、だから積んどくになりただ蒐集家のようになって中味を読んでいなともなる
アマゾンだったら今回のことでもわかるようにどんなものでも手に入る古本でもそうである。
この人のことが知らなかったので中味がわからないので買わなかっただけである。
アマゾンで買ったら2000円だった、でも中味がわからないのだから買いようがないのである。本でも立ち読みできないと中味がわからないものがある。
それが通販の問題なのである。通販がすべていいものではない、バッグとか着るものでもサイズがあわないとか重かったとか失敗が結構あるからだ。
だから高いものは買うのは冒険になる、メーカー品なら電気製品でも無難ではあるが恐くなる、ただ田舎だと自分は一万の町だから車もないから電気製品だったら小さいものはいいとして運ぶことができないから通販がいいとなる
そして通販の方が安いという思い込みができているからリアル店では買わなくなったということもある。

買物は人とのやりとりもあるし今電気製品でも操作がめんどうなのが増えた、すると老人にはその操作ができないという人が出てくる、操作ができなくて使えないという問題が出てきている。パソコンのソフトはもう使いこなすすことができずに無駄になる
まずフワトショップとか機能が多すぎて使いこなせない、習わない限りできないとなっている、一万で買ったとしても二万三万出してもいいから使い方を知りたいとなるのであるそれを教える所は田舎にはないし他でもないだろう。

買物だと市場がありそこでは買物するだけではない、人がその時集まるから嫁さがしとか何か別な用も生れ娯楽として楽しむ所でもあった。
それは金だけではと計れない人間的な場所だったのである。
それが通販にはない、物は何でも手に入っても人間のやりとりがない、関係もないのである。古本屋に行けば多少人間的なやりとりがある
でも今になると本の数が新刊でも古本でも圧倒的にたりない、アマゾンなら天文学的数字の本がありないものがない、ただこうして知らない本は中味もわからないし買いようがなっかたとなる

本は別に電子本でもなれれば読める、キンドルももっている、これだと関心があるものをすぐよめる、ネットで検索しているように読める、だから田舎でも情報に差がなくなったのである。
仙台に行ったら書店がまたなくなったとかある、古本屋の人も売れないと言っていた。
これはやはりどうにもなちない、量がそろえられないからだ。書店はやがて消失するのかもしれない、現実にそうなってきている、余りにも田舎だったら本が少なすぎるのである本は立ち読みが楽しいということがある。立ち読みで知識を得るとういこともある。
とても全部は買いないのだからそうなる
値段だと4000円がリアル書店でありアマゾンだと2000円とかなるから高いとなる
でもそれなりに人間のやりとりがあって面白いともなる
実際に品物を見るということがやはり買物のベースにある、それが通販ではないからどうしても買物でも無味乾燥になる、通販ではどうしても探すことがめんどうであり情報でもそうでありそこが問題になる、キーワードだけでは探し得ないものがかなりあるからだ。



タグ:古本屋

森を流れる川 (river in the forest)



森を流れる川 (river in the forest)

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a road in the forest

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deeo river

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I can easily make the abstract picture that this seen
in some river pulls several lines which are an abstract picture-like picture and it is soft and only processed this, and it was in this way

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抽象画はこれは何なのだろうと見る、川なのだろうか、山なのだろうか、海なのだろうかとか具象画をイメージする、抽象画でも具象画から離れてありえない
これは森だな、そこを川が流れているとして作る方でも作っているのである
森にしよとして作っている
偶然にそうなるものでもそうなのである。
だから森をイメージして見ないと抽象画も鑑賞できない場合がある
もちろんいろいろな見方があるがやはり具象画から離れてありえないのが抽象画である。

This impossible makes forest which even to make saying that a river drifts to forest , there makes with the abstract picture which images a representational painting whether it is a mountain whether the abstract picture is a river considering that this will be what that it is the sea apart from a representational painting and is

Even a thing so accidentally is so.
Therefore when it does not look in the image of a forest, the abstract picture has the of course various viewpoints that it may not appreciate, but it is an abstract picture that after all is impossible apart from a representational painting.
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posted by 老鶯 at 08:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 抽象画の部(abstract)

2017年02月14日

春の日(倒木はなお生きて森に還る)


春の日(倒木はなお生きて森に還る)


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駅前の自転車屋かな一軒のみ病とてもなお働きにけり

長々と貨物列車の過ぎ行きぬ病院の窓に枯野広がる

鉄道に貨物列車のみかけぬは原発事故に途絶えしを知る

津浪にも残る社の一つあり形見にあれや冬のくれかな

北風になお吹き鳴るも倒れし木に春の日さしぬ我が見て通る


駅前の自転車屋がありあそこは自転車を使うのでなじみである。
貨物列車を見たのは病院に家族が入院している時だった
長々と貨物列車がゆくときそれが病院に寝ている人とか介護している人とかがいて
何か重荷になる、その重荷というとき重荷を運んでいるように見えたのである。
その時貨物列車のようにみんな重荷となる病人とか介護される老人が運ばれれば楽だなとも不謹慎だが思ったのである
短歌とかでも短いから一つの歌でもどういう場所にいて心境で詠んでいるのかを知ると深く理解できるのである。

今日見たのは道の脇に倒れている木だった、まだ北風が唸り吹いていたがそれほどでもない、春の日がすでにさしている、その倒れた木にもその春の日がさしていた
人間は木でもそれも生き物だから人間のように見ているのである。
すでに自分も家族はみんな死んだけど介護して供養するとき、家族は死んだけど供養しているとなる、その倒木に死んだ家族をイメージする

そして倒木でもそれはやがてまた森に還元される、森の栄養となるのである。
そういうふうに連環した命として植物もある、動物でもそのように昔だったら見ていた
それは人間もまた同じように自然の命としてそのように見ていたのである。
何か倒木にもやさしいあたたかな春の日がさしている、それは死んだとしてもまだ倒木として生きている感じになるからだ。
人間の悲惨は骨となって何も残らないことである。その極端な生と死の断絶がショックであり受け入れられないのである。
倒木は死んだとしてもまだ生きている、それがやがて森の肥料ともなり循環する命を生きているということでその死は無駄ではないと感じる
その死は自然では孤立した死ではないのである。

こういうふうに見るのは田舎ではできる、あるところに長く住んでいると見れる、でも都会では見れない、森というものがない、死というのが何かそうした自然の中の死ではない一つの機械の部品が消えるという感じにもなる、無機質的な死ともなる
人間も自然の中の命の一つだということを自覚できないのである。
そういうことが科学万能社会を作ったともなる
原発のように毒がはき毒を残す、一万年もプルトニウムの毒が消えない、放射線をだしつづけるというのがそうである。それは自然の命のサイクルにはならない
もし炭を燃料にしていたりしたらこんなことにはならない、自然の循環、サイクルの中で生きていることになっていたのである。

では昔に帰れといっても江戸時代にもどれといってもむずかしい、でも人間も自然の命の一つでありそれに逆らうものが科学技術にありそれが原発事故になり致命的な結果になった、そういうことを田舎に住んでいる人は余計に感じるのである。
都会ではそもそも自然と切り離されているから感じない
でも都会でも自然なしでは食料も入らないのだから生きていけない
だから東京でも大都会で食糧不足になり自然とのつながりを田舎とのつながりを具体的に自覚される時がくる、それは地震とかの災害でも必ずくる


タグ:倒木

2017年02月13日

権力の大小に比例してプロパガンダは効果を発する 政治も科学も報道も宗教も権力のプロパガンダと化す


権力の大小に比例してプロパガンダは効果を発する

政治も科学も報道も宗教も権力のプロパガンダと化す

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●原発の安全神話もプロパガンダによって作られた

注目度の高さは、目に触れる回数や反復数によって影響される。
注目度の高さは、呼び起こされた感情の強さに比例する。

ナチス党が政権を握ると、指導者であるアドルフ・ヒトラーは特にプロパガンダを重視し、ゲッベルスを大臣とする国民啓蒙・宣伝省を設置した。宣伝省は放送、出版、絵画、彫刻、映画、歌、オリンピックといったあらゆるものをプロパガンダに用い、ナチス党によるドイツとその勢力圏における独裁体制を維持し続けることに貢献した。
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プロパガンダとはその主張することや正義とか科学的真理とか公正さとかを追求しているのではない、事実すら追求していない、それは原発だったら原発を通すために権力がプロパガンダをする、原発を作るための目的がありプロパガンダする、そしてそのプロパガンダが効果を発するのは権力の大きさに比例して効果を発するのである。

原発はまさに最初読売新聞の正力松太郎がアメリカの意向を受けて推進したのである
正力松太郎から原発の安全神話のプロパガンダが開始されたのである。
その背後にアメリカがありその手先となったのが正力松太郎だった。
だからプロパガンダとは大きな権力が背後にありなされるのである。
日本はなかなか原爆を落とされた国であり抵抗があったが新聞社の力で安全神話が作られていった。
マスコミはただ事実を報道するだけではない、何かの目的があり意向があり主張があり権力のプロパガンダとして報道している

だから原発でも同じである。それが安全かどうかではない、科学の問題ではない、背後にアメリカの意向がありそのプロパガンダとして正力松太郎が利用されたともなるし逆に自分の利益のために利用したともなる
ともかく日本はアメリカに戦争に負けたのだからアメリカには逆らえないのである。
今でもそうであり日本はアメリカの一つの州になった方がいいという人がいるからだ。
だから戦争に負けて占領されたのだから日本はアメリカに全面的に従わねばならない立場になっていたのである。

原発のプロパガンダが権力の大きさに比例して効果を発するというときそれは権力をもっているものが一つの目的をもってプロパガンダするからそうなる
原発を作るためには戦争のようにあらゆるものがプロパガンダとして動員されたのである読売新聞社からそのプロパガンダがはじまったように全マスコミも加担したのである。
朝日新聞社すら東電にマスコミを中国に招待したとき事故が起きたことでわかる

プロパガンダが全マスコミで行われるときその効果は絶大なものとなる
そして学者も科学的なものよりそのプロパガンダをする一員として御用学者として利用されるのである。安全でなくても安全と学者が爆発したときも言っていたしメルトダウンしないということも言っていたからである。
東電でも電事連合という組合でも莫大な三百億円とかが宣伝のためにマスコミに支払われていたのである。
いったいこれだけの強力なプロパガンダに抗することができるのか?
だからこそ「安全神話」となった、神話はこうして権力によって作られていたのである。そのプロパガンダに抗することはできないものだったのである。

確かに原発が危険だと警告した人がいて本も出していた、でもそれは片隅に冗談のように置かれていた、その本ですら左翼系の団体から出されていたのである。
それであいつは左翼系だから信用できないともされていたのである。
「東京に原発を作れ」というときそれがSF小説のように自分などは関心がないから見ていたのである。
ともかくこれほど強力が国と一体化したプロパガンダに抗することは不可能に近いものだったのである。
だから権力が何かをするとき目的があるとき権力に比例してプロパガンダが効果を発揮する、政府の権力と東電とが一体となったときその権力は巨大であり三〇〇億円の宣伝費はマスコミに湯水のように使われたのである。

●プロパガンダする目的は何なのか?

原発を作るために「安全神話」のプロパガンダをする、それは政府が主導して東電とも一体となるから巨大だから効果も絶大となっていた。
それと同じように政府だけではない、権力をもつものはプロパガンダを日常的にしている政治運動でもプロパガンダなのである。
創価というとき宗教団体と見ているが実際は政治利権団体でありその目的は権力奪取にある、そのためにおおがかりなプロパガンダをする、地方の新聞社に聖教新聞を刷らせて批判させないし様々な工作を組織的にする、それは権力によって批判を抑え、大衆にプロパガンダして大衆を従わせるためである。
それはナチスでも日本が戦争したときでも何か目的がありプロパガンダする
芸能人でも大衆を操作するためにプロパガンダの一員として利用する。
最近佐藤優は創価のプロパガンダとして利用されている、利用するともなる

池田大作か生きているのか生きていないのかわからないが礼賛しているからである。
創価の目的は何なのか?宗教の布教なのか?
目的は権力奪取でありそのためには手段を選ばない、プロパガンダとして芸能人を利用するしそううい部門として民音がある、そこに金がつぎこまれているからだ。
カルト宗教団体とは何なのか?これも民衆の救済などとは何の関係もないものである。
巨大な権力を持ちその権力で社会を動かそうとする団体組織なのである。
宗教が目的ならそのために権力など使う必要がないからである。
シャカでもキリストでも権力などなにもない、住んでいる家もない、そんな人がどうして指導者になったのかとなる、権力など何の関係もなかったのである。
日蓮だって一人で茅屋に住んでいたからである

権力をもちたいというときそれは別な目的があってそうするのである。
創価は勝共連合に勝つために共産主義を普及させるのを防ぐためために組織されたとかも言われる、一方で共産系は左は必ず中国とか前はソビエト連邦のプロパガンダとして日本の役割があったとなる、つまりこの世はこうしたプロパガンダの戦いなのである。
事実だとか科学の真理だとか宗教だとかもそのプロパガンダのために利用されるだけだとなる、そのプロパガンダも権力の大きさ比例して実効力があるとなる
だから本当になぜプロパガンダ力でははとてもヒラリー陣営に勝てないのに弱小なのにトランプが大統領までなったのか?
それは政治でもやはりアメリカの現実をヒラリー派は知らせていなかったのである。
そうした現実をいくらプロパガンダが強力でも否定できなかった
インターネットができてマスコミのプロパガンダ力が低下した現れだったともなる

一番プロパガンダを必要とするのは戦争するときだから最も強力なプロパガンダをする
なぜならその時大量の人が死ぬからである。
死ぬかもしれないというとき人間は簡単にいくらプロパガンダされても従うとはならないからである。
だからその時最も強力なプロパガンダが行われる、アメリカが真珠湾を契機に真珠湾を忘れるなということで戦争を開始したことでもわかる、それも強力なプロパガンダとなったのである。それも陰謀論だとしくまれていて日本がはめられたとも言われるのもそのためである。

●強力なプロパガンダによって地獄にひきこまれる大衆

報道というのは常にそうした権力のプロパガンダがありなされているのである。
それはNHKでも公平のように見えてもプロパガンダを行っている
NHKは在日の力が強いとかで中国韓国よりになるとかあり右のプロパガンダではない左のプロパガンダを行う団体だとなる
そもそも左にしても慰安婦問題とか南京虐殺を言うけとそれももう事実など関係ない中国政府とか韓国政府のプロパガンダとして見るべきである
事実も科学も政治的プロパガンダになれば関係ないのである。自国にとって有利なようにプロパガンダしてゆく、それは権力に比例して効果を発揮するのである。

だから報道というとき特にマスコミになると何かの目的がありプロパガンダを行っているとみるべきである。その背後に巨大な権力がある。
なぜテレビで芸能人が政治とか芸能意外のことであれこれ発言させるのか?
要するに大衆操作のために芸能人が利用されるのである。
大衆とはまさに「パンとサーカス」を与えねばならないものだからである。
サーカスを見せるのが芸能人なのである。だから司会者が芸者だと言われたこともある。司会者もテレビだと強力なプロパガンダとされるのに一番適しているからである。
何でももしテレビを百万人常時見ているとなるとそれだけで力をもつのである。

それで宣伝でも絶大な効果があったとなる、宣伝によって買うということはかなりあるからだ。
でも今は消費でも通販になるとレビューを見て買う,するとその消費者の実際に使った人の言葉を信用するようになる、消費者とは報道でもマスコミのように一方的ではない、報道を消化するにもどういうふうに消化することが問題になる
マスコミではあんなことを言っているけど実際は違うんだよなと常に反論しているのが今度はインターネットだからである。今までだったらマスコミに反論することはできない、ただ一方的に消費されることをマスコミはできたのである。
要するに人間が物でも道具でも消費した人の意見が大事なのである。
そして経験した人の話が大事なのである。
自分は創価で運動していたからその経験を書いているのである。
実際に経験した人は物や道具でも買って使った人はその真実をしない人よりは実感しているから違っているのである。
社会は複雑でありとても自分の一人の経験だけでは理解できないものだからである。

要するに報道というときそれは何かの目的がありプロパガンダされていると見ることが必要である。物を売るにしてもその内容よりその物を売るためのプロパガンダとなることがあるからだ。
ただ物とか道具とかレストランでも料理とかはいくら宣伝してもプロパガンダしても一時的に効果があっても食べてみてどうかとなると偽ることができないから効果がなくなる
電気製品でもどうしてもメーカー品は高くても壊れないと信用がある。
台湾製のパソコンを買ってすぐに壊れたのもそのためである。
こういうものは偽ることができないのである。

これは芸術とかでもそうである。マスコミに宣伝されて有名になっても内容がなければすぐに廃れる、名前だけが売り出されても作品に内容がないといづれは廃れる
たいがい自分は小説とかはわからないが俳句とか短歌だとか詩なら評価できる
その評価の基準はどこまで自然と深くアイディンティティ化しているかで見分ける
啄木などはそうして不思議なのはあの若さで自然に精通していたということが不思議なことだったのである。自然と一体化するには自分のようにやっと死が近い老人になってからだともなるからだ。
芸術などでも学者でもやはり政治とは違いプロパガンダは通用しないのである。
その作品でも論文でも確実にいつかはその価値が正しく評価されるからである。
それが古典となったのは時間の中でその価値が変わらない、優れたものとして時間に左右されない価値をもっているからである。



阿武隈川と蔵王(春の短歌十首)



阿武隈川と蔵王(春の短歌十首)


春の日に阿武隈川の広々と海に注ぐや蔵王を仰ぐ

雪厚く仁王のごとく蔵王かな噴煙吐きて怒りともならむ

荒々し蔵王にふぶき積もる雪磐(いわほ)も埋もれ樹氷映えにき

雪厚く蔵王光りぬ春の日に丸森町に坂越え来たる

阿武隈川蛇行し流るたぎりつつ吾妻嶺も仰ぎ桜咲くかな

阿武隈の川面に夕日光るかな春の日あわれ丸森暮れぬ

梁川の城跡古きあわれかな丸森越えて春にしのびぬ

桃桜阿武隈川の岸に咲き流れたぎちて吾妻嶺仰ぎ桜咲くかな

国境玉野に古き碑の並び春の日さして旧き道行く

我が町ゆ蔵王は見ゆるみちのくの重しとあれななお雪おおふ

春の日にさそわれ遠く行きにけむ道は分かれていづこに行かむ


旅だと遠くゆくことが旅だと思っている、でも近くでも旅なのである。
その旅は自由でないとできない、また車とか鉄道の旅となると違ったものとなる
本来は旅は道を行く、道は未知なのである。
だから歩くのが最もいいのだが次に自転車だといいとなる

自分は本当にそういう旅をしてきた。ふらりと出て行って道をたどり旅していた。
この道は分かれてどこに行くのだろうと誘われるように旅をする
その道は尽きずあったのである。阿武隈高原にはそういう道がある。
丸森を越えて梁川に出る、梁川に古い中世以来の城跡がある。ただそこには古い庭があったというだけでほとんど何も残っていないが歴史がある。
あそこは福島県と宮城県など伊達藩と相馬藩とか会津藩でも米沢でも代々の城主となっていた。そういうせめぎあう所に城があった
玉野でも森林資源で伊達藩と米沢藩と相馬藩が三つ巴で争っていたことでもわかる
そういう位置に梁川があった、それはやはり地理を知らねばわからない
それも自転車だと峠でも越えてゆく下ってゆくとかでその地理が記憶されるのである。

この辺には高い山がない、阿武隈山脈は高原であり山というものでもない、ただ蔵王は自分の町からも見える、だから蔵王は意外と身近なのである。
福島県の吾妻山は相馬からは見えないからだ。
阿武隈川とか蔵王は景観を作っている、阿武隈川でも船運があったから暮らしも川とともにあったとなるがもう一つその実感がない、それは最上川のようにはなっていなかったからである。ただ福島市辺りから米が運ばれて荒浜から江戸に船で運ばれたことは確かなのである。そこで丸森が港としてあったとなる

玉野は伊達と相馬の境である

伊達と相馬の境の桜 花は相馬に 実は伊達に

この玉野というのはもともとの地名ではない、笹町とかなっていた。もともとの地名を新しくすると歴史が喪失することがある。美里などが多いがこれもただ地名の歴史的由来はなくつけられているのである。

ともかく自分は春の日に阿武隈高原などこうして自由にさまよっていた。
それができたのも家族に恵まれたからである。今になるとみんな死んだから何か自由にまたなったとしても帰っても待っている人もいないから安心しして旅できない
誰もいない家でもその家が何か不安になるのである。火事になるのではないかとか盗難とか現実にあったし不安になる
つまり自由とは実際は誰かが自由にしてくれるから自由なのである。
その誰かが人がいなければ全部自分でやるから自由がなくなる、家事も全部自分でやる他ないし自由がなくなるのである。

蔵王は春になっても分厚く雪が残っている、それがやはり蔵王がいかに大きな山であり長く雪に閉ざされた山なのかを示しているのである。


旅をふりかえり詠む桜の短歌 (白石千本桜-阿武隈川の桜-梁川-丸森)

相馬藩玉野村の境界争いはなぜ起こった?

2017年02月12日

一つの地点から360度の視界を得るのはむずかしい (山下駅から山形、宮城、福島の三県を見る)


一つの地点から360度の視界を得るのはむずかしい

(山下駅から山形、宮城、福島の三県を見る)

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旅と保養は違う、現代の旅は保養なのである。旅館でうまいものを食べて温泉に入りゆったりしたいとかなる、旅とはそうしたものではなく延々と江戸時代のように道を歩きたどってゆく旅である。
現代はそうした旅人となることはむずかしい、車であり電車であれバスでもある場所にゆく、到達することが目的になっている
それは実際は旅ではない、その途中がぬけているからである。
それでも途中下車の旅というとき旅らしくなるのはそこに土地土地の何かを感じるからである。景色でも何か違ってくる、江戸時代だと土地土地で食べ物でも言葉でも何でも違ったものを感じたのである。
現代は便利だけどなんでも一様化しているから旅も平凡なものになりやすいのである。
ただいくら現代でも旅に出れば景色も変わるから新鮮なのである。

旅は道が未知であるとき江戸時代なら交通が発達していないから未知の世界にゆくことになっていた。隣の村さえ未知の領域になっていた。
今はどこにでもいつでも行けるとなるとそうした未知への期待が消失した
でも逆に何度でも行けるからその中で体験を深めることはできる
岩沼駅などは何もない平凡な工業地帯であり観光するものはなにもない
でも線路が二つに分かれて貨物列車がいつも止まっている
そこでそれも冬景色となり情緒があるとなる、それも岩沼駅の特質を知っていればそうなる

長々と貨物列車の過ぎ行きぬ病院の窓に枯野広がる

やはり亘理駅でもあの城は新しく作られた観光用でも立派であり見応えがある。
つまり何か目玉商品がないと外からの人を引きつけられないのが普通である。
鉄道の旅だったら城が駅から見えることは観光しやすい
福山駅などは実際に昔の城が駅につながっている、それは昔からあった城なのである。
城はやはり観光の目玉になる、目安になりやすい、わかりやすいからだ
外から来た人にはその土地の歴史などを理解するのがむずかしいのである。
なぜなら鉄道だと駅が玄関口になりそこからその街をイメージするからである。
ただ福山城というのは海に近く荷が海から運ばれていた。
そのことが鉄道の旅ではわからなかった、鉄道の旅はそうした盲点もある。
線路というのは固定していて変わらない、その視野も限られているからだ。
海からの視点が欠けていたことはその地理も歴史もわからないということだったのである仙台藩の船も入っていたとか記録にも残っていたみたいだ。
なぜこんな遠くまで仙台から船が来ていたのか、それは良く調べないとわからない

現代の旅は線の旅である、鉄道も線であり面を知ることはできない、面の旅はどこでもその地点から円をえがけば三六〇度の視点から見れば複雑であり広いのである。
線として横切ればそうした円の視点は得られないのである。


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山下駅


冬の朝泉が岳見ゆ山下駅

山下駅からは泉が岳が見えた、あの山は結構高いから見える、蔵王は山の陰になっているから蔵王ではない、山下駅になるとさらに宮城県の中に入った感覚になる
ただこうして360度の視点と視界が得られるのはもう百回とか日常的に行き来しているからである。
そして自分の住んでいる鹿島まで蔵王は見えるからである。蔵王というき二つの蔵王町がある山形県と宮城県側にもある、みちのくを二わけざまにという茂吉の短歌は山形県と宮城県だとあてはまる、福島県も見えるからかかわっている、でも秋田とか岩手県は関係ないのである。
宮城県と山形県の境界は面白山にさえぎられているから明確である。
あのトンネルをぬけると山形県であり雪が春でも残っている
宮城県と福島県の境はわかりにくい、相馬と宮城県の伊達とは地理的なものではなく歴史的境界になっている、でも文化的には伊達藩との交流が深い、小牛田とか山神系統でも
館腰という駅があるが館腰という碑もあったり金華山の碑もあったり交流が深く江戸時代の碑が残っているのでわかる。

いづれにしろ現代の旅は点と線の旅であり面の旅はなかなかできないし地理を理解することは一番むずかしい。日本は山が多いので余計にわかりにくくなる。
峠を越えると異界になってしまうのである。
旅というのはやはり距離感覚も大事である。
自分が柴田の千本桜を見に行った時自転車だったから遠かった、そしてやっとついたときあの千本桜はみんな散っていたのである。そこに深い感懐がありまた自転車で去って行った
せっかく自転車でやっときたのにみんな桜は散ってしまったということが心に残る
それは距離感覚から生れた感懐なのである。もし車をもっていたらこうはならないし現代は距離感覚が希薄になるから旅もまた軽いものになる、かえって印象に残らないのである

はるばると千本桜を見むときて散りにしあとや虚しく帰る

平泉まで新幹線で二時間だとなったらとても芭蕉のような深い感懐をいだくことはできない、平泉についたな、なんだ金色堂かこんなものかつまんねえなとかなってしまう。
それは距離が短く途中がはぶかれてしまっているからそうなるのである。
だから不便なときは不便なときのように得るものがあった。それはその時代でしか感じられないものだったのである。だから芭蕉の「奥の細道」は古典になったのである。
江戸時代まで距離感覚がまるで違ったものだったからである。






タグ:山下駅

2017年02月11日

晩冬に仙台まで途中下車の旅


晩冬に仙台まで途中下車の旅(俳句十首)

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キクチスーパー山下駅にできたので便利 

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亘理駅

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仙台駅

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仙台の駅が変わっていた

これも変わったものである。

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満月が出ていた
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雲ににじみ光っていたが雪がちらついた

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一本の冬樹や社に古碑並ぶ

みちのくや途中下車して冬の雲

金華山駅より見えて冬の暮

冬の空城郭映えぬ亘理駅

城郭のかつてはあらむ寒椿

亘理駅枯木五本や風鳴りぬ

亘理駅一羽飛びゆく冬鴎

岩沼駅貨物列車に冬芒

線別る福島の方冬の暮

仙台に冬満月や新幹線


満月の雲ににじみて光るかな仙台あわれ雪しぐれかな

仙台に古本買いて帰るかな枯木並木に灯のともるかな


新地辺りからはいつも金華山とかが見えるようになった。この辺には金華山の碑がある。それは明治時代頃のものでありその頃お参りが参盛んになった。古いものではないのである。むしろ湯殿とかは古いのである。

山下駅におりた、キクチスーパーが駅にできていた。広いスーパーである。あれだと駅前に人を集められる、そこで休む場所があったので弁当を食べた。
駅前にスーパーがあると便利である。駅をおりてすぐ買い物できるし車がなくてもできるからだ。
鹿島駅で老人が車がないのでバスを走らせてほしいと言っていた。
高齢化社会は足が問題になる、それで路面電車が復活したりしている。車も運転すると老人は事故を起こしやすいからである。
前は原町の前にスーパーがあったが今はない、図書館があるがあれもいいものかどうかわからない。やはり買い物する店が必要なのだ。
自分も自転車でゆくと何か最近腰が痛くなるのである。だから自分にとっても足になるものが必要になる。

仙台は便利になったから時々また気軽に行けるのがいい、次は亘理駅によった。
残念だったのはあの城の中は見れなかった、休館だったのである。
あの城はあそこに案たわけではないけど立派であり見応えがある。
中通には城はあるが浜通りにはないからだ。
亘理駅で冬の鴎が一羽飛んでいるのを見たことがある、それであそこも海が近いと思った現実に津波の被害がやはり大きかったからである。
浜吉田というのも浜がついていたから海が近かった、しかし海が見えないので近いと思わなかった、だから浜吉田の駅まで津波が来ていたのには驚いたのである。

亘理駅で五本の枯木が風に鳴っているというとき写生なのである。写生だと何か単純だけど力強い句、簡潔なた句になるのである。

岩沼駅はいつも貨物列車がとまっている、あそこは工場地帯だから引き込み線もあるからだ。原発事故以降は双葉、大熊は通らないので貨物列車とスーパーヒタチなどの急行は通らない、だからそれも不思議である。
自分は介護で家族が鹿島の厚生病院に入院していたとき窓から貨物列車を見ていたのである。その貨物列車がなんとも病院にふさわしいものだった。
重い荷物を運ぶとき病人もそういう感じになるからだ。
何か電車には常に人間的なものを感じるのである。

仙台ではまた古本屋によって本を買った。やはり通販だけでは買い物は面白くないしわからないことがある。本でも中味が見れないからである。
そして仙台だと変わったものが研究した本でもある。
今日は万葉集の絵があるのを買った、それは見れないようになっていた。
でも書店の人にみせてもらい買った、四〇〇〇円だった、これは骨董品だと思った。
相当に紙まで古くなっていたのである。

仙台駅に冬の満月が出ていた。それが曇って雪がちらついた、それはちょっとふっただけのものであり雪しぐれだった。冬の終わり頃に雪しぐれがある。
これは情緒的に日本的な微妙な感覚をかもしだすものだった。
日本の季節は微妙に変化するのである。だから季語が無数にあるのだ。
実際自分は雪時雨は経験していないからである。

帰りは山下駅で十数分下りの電車をまった、強風のため必ず遅れるのである。
駒ヶ峰と山下駅までは高架橋になり風の影響を受けやすくなったのである。
だから風がこの頃必ず吹くから遅れているのである。
これも困ったものだと思って帰ってきた。

2017年02月10日

ボランティアがまだ来ていた ボランティアとは何なのか自分もして考えた


ボランティアがまだ来ていた


ボランティアとは何なのか自分もして考えた


今日も駅に行ったら新潟からボランティアの人が来ていた。
「新潟に避難した人が言っていたけど新潟の人は親切で待遇が良かった」
そう何度も言う女性の人がいた。それで新潟の人と交流がつづいたりした
その人は前に来ていた、またもう一回くらい来るらしい
東京とか秋田とか他の人とも合流してボランティアに来ていた
焚き出しなのかなになのか仮設に来てしていた
でももう仮設に住んでいる人もめっきりへったからまだボランティアが来ているのかと思った。

この辺では相当にボランティアの人たちがきた、津浪の時も来た。津浪の被害があった家で泥をかきだしていた、そこに京都ナンバーなどがあり全国から来ていた。
それはありがたいことだった、津浪の被害は大きいから助かったのである。
原発避難者の仮設にも全国から来ていた、焚き出しなのか来ていた。
そういう人がまだ来ていたのかとなる
そういう時期は過ぎたと思っていたからである。

ただこのボランティアも本当にその被害地に有効に働いているかどうかはわからない
その善意はありがたいのだがそれが有効になくかどうかはまた違っている
津浪の被害の家で泥をかきだしていた人たちなどは有効でありありがたいとなっていた。では原発避難者となるとボランティアでも必ずしも有効なのかどうかとなるとわからないお前はいちいちそんなことまでケチつけるのかとまた批判されるが人間の世界は善意がそのまま通るとは限らないということである。
善意があってもそれが現実の場で有効になるかどうかわからない
それが世界の援助でも問題になる、その物資でも金でも上前がはねられて肝心の困っている人にゆきわたらないということが問題になる

ボランティアで何か役たちたいという善意はありがたいのだがそれが現場で有効に働くかどうかは別問題である。
ただ援助を受けられる人にとっては全面的にいいものなのである。
地元だと補償金でもめているからそんなことはボランティアには関係ない、親切にしてくれてありがとうとなるだけだからである。
自分でも補償金のことを言うと嫌がられるがボランティアはそんなことを言わないから全面的にいいものとして受け入れられるのである。
そしてなんだ地元の人は補償金のことを何かとうるさいだけで何もしてくれない、冷たいなとなっている
でも一面ボランティアがそうして避難民にまだ援助していることはかえって自立精神をそこなっているということもあるのだ。
それでなぜ地元の人はかえって冷たい補償金のことしか言わないとなっているということも複雑なのである。
外からの人はわかりにくいけどそういうことがNHKの放送でもあったことを指摘した。
この辺は津浪の被害者だとか補償金問題とか複雑になっているからだ。

だからまだボランティアがきていたのか?もう地元の人で復興しなければならないのにとも思う。いつまでもそうしてボランティアを頼っているのかともなる
地元の人は何か自立精神がなくなり他者頼みになり補償金をもらいたい、もっともらいたいだけになっているのも現実なのである。
自分はともかくごくろさまとして新潟のボランティアを駅で見送った。

奇妙だけど自分が駅員のボランティアになっていたのだ。実はこのボランティアは自分が望まれてしていたわけでもない、駅員がいないなくり自分が電車が好きであり鉄道マニアでもあり鉄道に世話になったということで鹿島駅が無人駅になったのでしていたのであるまだ案内しないとわからないことがありそれで案内していた。
それをしていてボランティアは意外と仕事としてやりがいがあり楽しいと思った。
自分は全国でも世界でも旅しているからたいがいの人と話を合わせられる

その新潟の人が新潟でも風が日本海から吹くと言っていた。それで糸魚川の火事が大火事になってしまった。ここでは冬は北風だが日本海から冬は風が吹くのは浪が荒れていることでわかる
自分は糸魚川でも長野県の松本から塩の道をたどり行ったことがある。糸魚川は長い塩の道の終点になっていたのである。ただ日本海となると太平洋と違うから風のことなどがわかりにくいのである。
でも新潟の人かとなると地理的にわかるから話ができる、それは日本全国でもそうである
人間の仕事はみんな奴隷なんだよとか社蓄なんだよとか言うのが多い、仕事したくてしていないのである。ボランティアは志願して仕事している、その仕事がしたくてしているのである。だから意外と生きがいになるのである。
でもそれが金をもらうとその金のために働かせられることになる
金もらっているんだから金を払っているんだからとその金にしばられる
それも当然でありそこに責任も生れるからである。ボランティアは生きがいになるといってもいい加減であり責任はもたないことが多い、そこにボランティアの問題がある。
だからボランティアだからはいってみんな有効に働くとは限らないのである。

でも新潟であれ東京であれ遠くからきてボランティアして何か有効に働かない喜ばれないとしたら実際は生きがいにもならないとなる、それだけの労力を費やしているからである
自分の臨時駅員にしても一日いるわけではない、一日一回くらいたちより案内する程度である。
でもこの前はタクシーに先約がありひどく急いでいた人を六号線に案内した。
あれはそれなりに役立ったなと思った。まだ他から仕事などで来る人があり案内が必要になっているのである。自分は何か案内することが楽しいのである。
何か苦労だということも全く感じない、普通の仕事だとそうはいかない、何かしら苦しいけど仕事をせざるを得ないしそうしていと社会は成り立たないのである。

農業している知人の女性もそもそも苦労を言うけど農業を好きだからしているだけであるかえって金もかかるとれるものは人に分けるものさえ作れないのである
それはだからいくら苦労だといっても生きがいであり楽しみでしているのである。
退職した人などはそうした生きがいが今必要になっているのである。
このプログでもそうである。これもボランティアであり生きがいだとなる
仕事でもあまりにも苦労だったらつづかない、だから仕事は何なのだろうと「経済、社会の部」で追求してきたのである

要するに人間の仕事はこうして生きがいとなり楽しいときその人にあった仕事をしているのかもしれない、ただ現実は仕事となるとみんなそんな楽しいとはならない、厳しいし責任もある、命懸けにすらなる、甘いものではない、でも退職した人とかのボランティアはそうした金とかから関係なく生きがいを楽しみで仕事するのがいいとなる
そういうものが高齢化社会で求められているのである。
また余裕ある社会になるとそうして仕事がボランティアになる可能性がある
自分のしたいことをする、それがひいては社会の役にもたつという仕事である。
ただボランティアはきつい仕事は無理である。だから津浪の被害の泥をかきだすなどは相当にきつい仕事だったのである。
ともかくまだボランティアが来ているがボランティアの時期は終わったと思う
これからそういうボランティアではなく原発避難地域に住み着くとかそういう人が望まれているのである。人が住まないで困っているからである。



posted by 老鶯 at 14:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2017年02月09日

戦争とは何であったのか? (レールモントフの詩より考察ー続編)


戦争とは何であったのか?

(レールモントフの詩より考察ー続編)

情熱とは観念の最初に発達したものにほかならない
それは心の青春のものだ、だから生涯それに興奮を感じようなどと思うものは愚者である多くの静かなる河は轟々たる滝ではじまるが海に注ぐまでとびはね、あわだちつづける河は一つもない、しかもこの平静さはしばしば隠れているが偉大な力のしるしなので、感情も思想も豊かに深くなれば過激な衝動は許されない
(レールモントフー「現代の英雄」)

この小説はレールモントフに興味をもったのでアマゾンで即座に古本で注文した。こういうふうに興味をあるものすぐ手に入り読めるのが便利なのである。
まず今までだったらこういう本は簡単に手に入られないからである。

こういうふうに二七歳で死んだのに透徹した心をもっていたということはやはり天才なのだろう。啄木とにている。啄木も二七歳で死んだからである。
ただこの人は病気ではない急激に決闘で殺されたのである。
だから病的な思想家でも詩人でもなかったのである。


当座の成り行きで速やかに過ぎ
彼はついに甘美な時にめぐりあわず
遠征軍のみじめな天幕の中で
病に倒れ、己が身とともに
天翔る まだ熟さぬ
漠然たる霊感や 裏切られた期待や
勇ましい無念の思いを墓へ運び去った

若いときはありあまる情熱とか欲望がわきあがる、そして行動に闇雲にかりたてられる
要するにその行動に深い思想はない、ただ行動したいというだけである。
その行動に意味が深い意味など問わないのである
それが自分たちの世代だったら全学連とかゲバ学生の革命ごっこであり自分はカルト教団での行動だったとなる、それは何の思想もないただ行動したいというだけだったのである理想に向かって猪突猛進する、その理想は何かもない、ただ理想という幻想に向かって行動していただけなのである。

戦争というときはまた違っていた、それは国家から強いられたものであり若者は何かやはり深い思想をもって行動したわけではない、それは国家自体も今ではその戦争の理由を言うがそれも一理あっても植民地解放のための戦争ということを目的にしたかどうかわからない、結果的にそうなったということはいえる。
ただ白人優越主義が強固にあり人種差別があったから日本人のみが欧米に対抗してシンガポールを陥落させてアメリカ人まで捕虜にしていたのは快挙だったとなる
そんなことありえないことだったからである。すべて欧米の植民地化して白人優位としてアジアは支配されていたからである。

「我々にとって異人種(非白人種)が真の敵ではない。真の敵はアメリカ連邦政府であり、ワンワールド主義者だ。ここがKKKと違うところだ。私の運動の目指すものは『アメリカの分離』であり、異なった人種がそれぞれ侵しあわないように棲み分けることだ。」
「ナチスがドイツの政権を握ったのは、彼らが一部の過激な政治集団だったからではない。ドイツでは、昔からドイツ民族(アーリア人)を最高のものとする『ドイツ主義』という考え方が支配的だった。一方、ナチスの思想もミュンヘンの財閥を中心とするドイツ保守勢力の考え方である『ドイツ主義』とその根本を共有していた。ナチスは決してドイツの一部の過激集団ではなかったのである。彼らはドイツそのものだったのである。

アーリア人が優秀で世界を支配すべきだという優生思想がもともとありその系譜に根強い白人至上主義がある。そのために日本人の学者とか日本人女性も殺されている。
トランプ大統領のような人がでてくるのもやはりそうした白人至上主義がアメリカにあるからだ。
だから白人至上主義からすると日本人に白人が捕虜になることは耐えられないことだったのである。だから戦場の橋のモデルの
泰緬鉄道でもイギリス人が優秀で橋を造れるのはイギリス人のみであり人種差別が以前として捕虜になってもあった
こうして根強い白人至上主義は外国に深くかかわればそれをありありと感じるから世界を回っていた理系の学者だった武田邦彦氏がそれを強く説いていることは理屈ではなしに感情的なものにもなるのだ。なんで白人がそんなに優秀で他の人種は劣等なのかとなると誰も納得できないからである。
日本には原爆を落としてもいいがドイツは同じ白人だから落とさなかったというのもそうである。その白人至上主義に唯一抵抗したのが日本でありそのための戦争だったというのも一理あるのである。
ただ日本人がそういう思想をもって戦ったかというとそれはわからない、ただ強いられたのであり若者が多くそれで特攻隊とかでも二〇歳で死ぬことはとても思想的に納得いかないものとして短歌などに残された。

いづれにしろ若いときは行動が先である、ありあまる情熱があるのだが成熟しない、レールモントフは天才だからそういうものを感じとっていた。
当座のなりゆきでとかで強いられて戦場に赤紙一枚で送られた、その時この戦争は何かと問うことすらできなかった。そんな時間もなかったのである。

彼はついに甘美な時にめぐりあわず
遠征軍のみじめな天幕の中で
病に倒れ、己が身とともに
天翔る まだ熟さぬ

甘美な時とは平和の時に培われる、それも普通は天才でないと長い時間がかかる
自分はようやくこれだけ生きて死に近くなり悟るように人間は成熟するのに時間がかかるのである。
自分は三〇年くらい甘美な時を過ごしたのである。これも平和な時代だからといって普通はありえないことである。今だったらみんな俺たちは奴隷なんだよとか社蓄なんだよとか働かせられるだけだとかなっているかららだ。
自ら働いてその労働に意味を見いだして働いている人はわずかなのである。
資本主義社会では結局金がどうのこうのといっても金があるものが自由でも何でも得る
金があれば別に働かなくてもいいし自分のしたいことをしていいとなるからだ。
金の奴隷になる必要がないからだ。

ただそのことが自分のカルマとなり十年間の介護とか自分の病気とか社会性のないことで辛酸をなめたのである。もし社会で苦労していればこうはならなかったのである。
でもそうなると甘美な時はなく強いられた労働に費やされていたことは確かである。
それはそれで全部が悪いとはならない、結局人間は生きる時間が短いからどんな人生でも満足な人生などないのである。たちまち時間は何するにしてもしないにしても消失して煙のように消えてゆくだけだとなる

レールモントフも決闘で死ぬなど馬鹿けだことだともなる、戦争で死ぬもやりきれないとなる、そうでなくても事故で死ぬ人もいるしこの世は危険に満ちているからである。
戦争は最大の災いである。そんなものを作り出してそれで死ぬというのは耐えられないとなる、戦争がなくても人生そのものが戦争だともなる、その上に最大の災いの戦争があったらそんな人生に耐えられないとなる、平和な時代でも人生そのものが戦争なのである。ただレールモントフでも短命で終わった人は人生を凝縮して生きたともなる
二〇代で六〇代を生きたともなる、それは啄木でも同じである。
でも二〇代では深い思想はもつことはできない、芸術も完成はしない、それでもふりかえると甘美なときとはあまりにも自分でも長いと思ったが短かったとなる
甘美な時間は誰でも実際は青春があるのだからもつがそれもあまりにも短い夢のような時間だったとなる、それもただ煙と消えてゆくだけだったとなるのが人生である。



2017年02月08日

自殺の怖さ(後世に重いカルマを残す)



自殺の怖さ(後世に重いカルマを残す)


自殺することがなぜいけないのか?別に自分で自分を始末するのだからいいんじゃないかともなる、ここでは宗教的問題としてでなく自殺が怖いのはその子供とか後世に残す影響が大きいからである。
身内で自殺者を出すということはその家系に重いカルマを残しているのである。
その家系に家族に暗いものを残しそれがカルマとなる。
だから自殺した家から自殺者がまた出るとかなる

最初は彼の母親であった。彼女はホテルで38口径のピストルで自殺した。彼の兄弟の一人は散弾銃で地下室で自殺した。彼のもう一人の兄弟は下宿で服毒自殺した。彼の一人の姉妹は寝室で自殺した。そして3年前には父が銃口を自分に向けて自殺した。アレン・ボイド・ジュニアにはボイド家の暗い歴史が付きまとっている。

20世紀にアーミッシュ部落で起きた自殺の半分(僅か26人)が2つの家族とその親戚で起きていたのを発見している。その内の73%が4つの家族に集中していた。アーミッシュの部落は小さいから、4つの家族の人数は部落全体の16%を占める。

人間はどんな人であれその一生で残すものがある。それがいい見本ともなり悪い見本ともなる、そして教訓を残すから庶民の間でも諺が生れた、その諺(ことわざ)が廃れないのは人間は同じ業(カルマ)を繰り返すからである。
「金の切れ目が縁の切れ目」だとかこれをどれほど経験しているか?
人間の関係なんてみんなそんなものかということを嫌というほど経験しているし変わらないから諺も普遍的不変の真理なのである。

百歳の間のことを書いたが自分の母親も実際は自殺の危険があった。それは腰が曲がるとき苦しみ自殺未遂になった。それは自分にとって恐怖だった
自殺したいということは自分だってあったし誰にでもある、でもなんとかしないですんだとなるのが人間の実情なのだろう。

自殺の怖さは何か?。それが本人が自殺することだけではない,その後の回りへの影響が大きいからである。自分が死ねばそれでかたづくというものではない、だから自殺した家系とかあり家族は苦しむのである。
そのカルマが暗雲のように後世の子供たちに影響するから怖いのである。

例えは自分の母親が百歳を生きたことで「百歳の間」ということで書いた。
親が百歳を生きることはどういうことなのか?
自分も百歳を生きるのか、生きられるのかとなるのだ
これは理屈ではなくそういう目標を親から与えられたともなるのだ。
別に長生きすることはすべて悪いことではない、ただ負担になるから嫌われるだけである介護の負担も大きいからである。

自分も家族二人を看取ってその後また考えることがある。
人間は死んだからといってすべてが終わるわけではないということである。
必ずいい悪いにしろ後世に残すものがありその影響が大きいのである。
人間の生は一代だけで終わるものではないのである。
子供に後世にも責任を課せられているのが人間である。
何も一代だけで今の代だけよければいいとかならないのである。

そして人間は死んでみるとそのあともその人のことを考える
その人が残すものがいい悪いにしても必ずあり死んだからすべて終わるわけではない
もし自分の母親が自殺していたらものすごく後味悪いものとなり自分に影響した。
また自分が介護しないで恨まれたりしてもそうである。
そこに介護は苦しいのだけどむずかいしものがあった。
そうして子供を恨んで死んでいった親を知っているからである。
それは必ずその子供に悪い影響を残すことはまちがいないのである。

百歳を母が生きたということはやはり後世への子供へ長寿の目標を与えたことなのである自殺したりしたらそれと全く反対のものとなりただ親は呪われて自分も呪われたともなるからその相違が大き過ぎるのである。
単純に今は母が百歳生きたな自分も生きるのかなとか思うのも不思議である。
それは理屈ではない、何かそういう感覚になるのだ。

もちろん超高齢化社会になるとき様々な問題がある、そんなに長生きされても困るということも現実にある。ただ自殺のことを問題にするときそれが後世に子供にさらに孫にも残す影響が大きすぎるのである。
今自分が母を介護した「百歳の間」に安らかにいれるのも母が自殺しなかったからであり自分もそれなりに介護したからである。
母は問題もあったが祝福を与えて死んだともなる、姉は姉なりに自分は尽くしたから最後に正気にもどって死んだから救われたとなり自分は苦しかったけど今になると良かったなとなり心が安らかなのである。

ともかく人間はどんな人でもカルマを残し教訓を残す、本当に母は自殺しなくて良かったとか思ったり認知症でも苦しんだが最後は姉も正気にもどってわかってくれたとかなり自分自身が救われたとかなる
認知症の問題もこれも介護してみると本当に複雑であり簡単に何もわからなくなったとは言えない病気だったのである。これは明らかに病気である、でも認知症の人が正気にもどるということがある、それは二人を介護して自分は経験したのである。
だから認知症という病気は本当に不思議なものでありわけわからないものなのである。

人間はどんな人でも何かをその一生で残す、それがいい面と悪い面があり後世に影響するカルマの怖さはこの辺での放射能被害がありプルトニウムが二万年消えないというカルマを残したことでもわかる。それだけ恐ろしいものが人間が作り出したカルマなのである。そのカルマにこの辺では苦しまねばならなくなったのである。
それは人類的カルマですらあったのである。

ただ先祖霊がどうのこうのとかかかわるものは金もうけだから危険である。徐霊などもカルトであり危険である。今の宗教はほとんど金儲けしかない、利権しかない、カルト教団だからである。そういうところに入るとまた後世に子供に悪影響残すのである。
結局地獄に落ちるとかなんとか恐怖だけ残される、与えられるだけなのがカルト教団である。それでもそんなに入る人がいるというとき宗教に対して安易なためだろう。
何か多少でも援助してくれる、相談にのってくれるとか軽い気持ちで入るから後で怖いことになる。触らぬ神にたたりなしである。軽く触った結果祟りだけをもらうのがカルト教団なのである。

ともかく自分はこの十年介護とかいろいろなことで苦しんできた。
でも今は何か心が安らかになっている、介護した甲斐があったともなる
自分の苦労が報われたという感覚にもなる
それは自分が特別に良くされたのでありそのことで恩を返そうとしていたこともある
子供でも兄弟でも親に良くされなかったら介護でもしない、お前が親にかわねいがられたから介護しろとなっているのを聞くからである。
金持ちの親だと子供はみんな施設に入れる、子供は何もしないのである。
それが幸福ともいえいないのである。だから人間の幸不幸は最後までわからないのである最後の最後に不幸に死んでゆく人もいるからだ。
そして死んですべてが終わるわけでもない、延々とやはり死んでもやはり残された人に末代にも影響しているのが人間なのである。


  家と死者

 窓の外に蝋梅が咲いている
 母は百歳生きた
 今介護した部屋に自分がいる
 「百歳の間」となづけている
 母は窓からこの部屋を見て
 笑っているように見える
 姉もこの家に育って良かったと思っている
 それで自分も心安らかである
 この家になお死者は生きているかもしれない
 この家に嫁いで来て良かったとか
 この家で暮らして良かったとか
 それで我が家には死者がなお住みたいと思う
 我が家には死者が見守り祝福があるかもしれない
 ただどんな家族でもそこに影の部分がある
 自分の家族にもある
 それがまた人間の業(カルマ)であり
 そのカルマは消えることなく
 どこでもつづいているのが現実である
 でも何か自分は恩を返したとかなり
 心安らかになっている



蝋梅(百歳の間)

タグ:自殺
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2017年02月07日

蝋梅(百歳の間(続)


蝋梅(百歳の間(続)

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蝋梅に風花舞いてそのあとに日さし静けし百歳の間

風花の駅に舞いにし待つ人の今日はなしかも我が帰り来る


百歳の間

我が母の百歳生きぬ
我が介護せしその間や
今年も蝋梅咲きぬ
今我ここにありしも
石一つ庭にありぬ
我が母の嫁ぎて七十年
ただ働きてつとめぬ
母はか弱く地味なる女なり
大正生まれにしてただ働きぬ
我、今百歳の間にありて
この家を一人継ぎぬ
我なおも家族をしのびつつあれ
百歳の間にあり長く生きてあれ
つつがなくも長くも生きてあれ
そして供養するが勤めなるかな

母は自分の家に嫁いでもいいとは言えなかった。この家の事情でそうなった。
ただ働くだけだったのである。だから何か欠けていた。
働くことがいいということはあってもそれが度が過ぎると人間は異常になり狂気にもなる花にも何にも興味もなくただ働く人間は蟻になっていたのである。
蟻の一生だったともなる

ともかくそれぞれの家族には何かしら問題があったり事情があったり何かある
それぞれの家には家風があったり代々つづく家では歴史があり伝えられる
ただなかなか他人の家の事情はわかりにくいのである。
まず自分の家は複雑で他者にはわかりにくい

でも何か家には物語が生れる、代々つづく家だと余計になにかしら物語が生れる
家の価値は単に建物というだけではない、そこに何か家族の物語が生れるのである
「百歳の間」というときまさにそうである。
百歳生きる時代の象徴としてそういう物語がここだけではない生れているのである。
ただ母がこの部屋にいたのは介護している五年間くらいだったのである。
それでもそれが記念として残されたのある。

何かしらぞこの家でも物語がありそこにその家の価値がある。
だから家というのは単に建物だけではない、だから簡単に壊して何もないものとはできない、そこに原発避難民の問題があった。
家は単に建物ではない、家族の物語がある場所でありそこから離れることはそうして作られてきたアイディンティティを喪失することなのである。
町にしても村でも一軒一軒の家がそうした物語をもっているから価値があるとなる
だからこそ老人は故郷に自分の家に帰りたいとなるのである。
逆にその家になにかしら悪いことがあると呪われているとか嫌がられる、価値が低くなる
自殺したり何か嫌なことがある家は価値も低くなり人も住まないというのは当然なのである
家は単なる建物ではない、何かを物だけではなく心を受け継いでるからそうなるのだ

今日の駅には夕方にあわててタクシーに乗りたいという人がおりた。
よほど急いでいた、大きなバックをもって歩いてゆくという
タクシーには先約があって乗れずに待つと時間がかかるからと六号線の方に歩いた
自分も案内した、その間もタブレットで連絡していた
途中で迎えにゆくという連絡あったので自分も帰ってきた
こうして鹿島駅で何かしら用事があり役に立つことがあるもんだとなる
ボランティアの駅員として用事があるのもいい
何も役に立たないとした行ってもつまらないとなるからだ。

今日も風が吹いて風花が舞っていた、この辺は雪はほとんどふらないけど風花は舞う
そして山の向こうの飯館は雪雲に覆われているのがこの辺の冬の景色なのである。

蝋梅の間、百歳の間
タグ:蝋梅 百歳