2017年05月25日

石を考える (童話的なものとして)


石を考える

(童話的なものとして)

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南相馬市鹿島区橲原(じさばらの立目石


ここに石がある、この石に形があり、色があり、重さがある。
形は幾何学的に見ることである、石は正方形のようなものもあるし三角形のようなものがある。台形のようなものが多い。山は三角形であり立体的に見れば円錐になる
自然を幾何学として見るのが必要になることがある、計測するときはそうなる
山でも高さがあるからだ、石は見る場合、この石は一体ここにいつからあったのだろう。
そんなことがわかるかい、確かにわからない、ではどうしてここにこの石があるのか?
石は土から生れたのか?石は火山の噴火などで飛んでくることがある
この石もそうかもしれない、ただこの辺には大きな石はない
ではどうしてここに大きな石があるのか?
もしかしたら近くに川があるからここが大昔川であり石があったのかもしれない

もともとこの山の村は森だった、人は住んでいなかった、すると森の中にこの石はあったそれを見る人もいなかった、人が来て森を切り払い田畑を作ったときこの石は現れたのである。
そしてここの森を切り払って住んだ人たちは隣の村から来た人たちだった
そしてここに住んでいて別な村になった、それでその村との境にあったから境石と名付けられた、昔はやたら境とつく地名が多いのは村が無数になりそこで村人は共同で暮らしていたから隣の村でも別であり区別する必要があった、村々で所有する山もありそこに他の村の人は入っていけないというしきたりもできた

石一つでも考えるといろいろなことがある、その考えることが学問なのである。
石にもいろいろな質がある、その石の成り立ちはその石の質を調べればわかるだろう。
石にも岩もいろいろな種類があり形成されているからだ

岩石の不思議は砕くと土になる、土の基は岩石であり砂の基も岩石だということである。地球はもともと岩石でなりたちその岩石が砕けて土になり砂になったというのも興味深い土がなければ植物は育たないから動物も地球にはいなかったろう。
岩石にはなにかしらの栄養分がつまっているのだ、水にミネラルがふくまれのは岩石に水がしみこんでその栄養分がまじるからである。
純粋な水は化学の上であるが水にはなんらかの栄養分でも不純物でも混じっているのだ。岩石は地球を作って基本なのだ

石は動かない、何か牛のように動かない、牛は一日どっしりと寝そべって動かないことがある、岩石も牛とにている、どっしりと構えて動かないのである。
何か石によると自分もどっしりした気分になる、心も落ち着く、石は同じ場所にあった
それは千年とか万年単位で同じ場所にあった
代々人が変わっても石は変わらずあった、おじいちゃんのおじいちゃんのそのまたおじいちゅんやおばあちゃんの・・・代からあった
人の命は長く生きても百年だ、石の命は千年とか万年とかとてつもなく長いのである。
人は次々に死んでもこの石だけはそうしてここにあったのだ
百年もすぎたら住んでいた家もなくなったり変わるがこの石は千年も変わらずにここにある、だから岩は千歳(ちとせ)の岩と言われるのだ

我が君は 千代に八千代世に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで

日本の国にもこのように長い歳月つづいたからこの歌が生れた、国が作られるにはそれだけ長い時間が必要なのだ、その長さが国の威厳を作っているのだ。
この歌は日本の大地のそこからから鳴りひびく歌なのである。

posted by 老鶯 at 20:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 童話

「成熟社会」は高齢化社会で実現される (駐車場が通りにないことが致命的になっていた)


「成熟社会」は高齢化社会で実現される


駐車場が通りにないことが致命的になっていた


地方の商店街が人来ない一番の原因が駐車場が無いからだよ。 
店舗解体に助成出して駐車場増やせば少しはマシになる。

シャッター商店街が埋まるとはとても思えないし、駐車場もないから今更客も来ないだろう 
10年位前に田舎の中央通りにちょっとしたショッピングモールが出来たけど、はじめからほとんど客がいない状態だよw 
みんなイオンや郊外のバイパス通りの方に行ってるw

空き店舗潰して駐車場にすればいい

商店街の土地は近代的な店舗にする際には狭すぎるんわ 

ただ、重税果たして売却を推進しようとしても時間がかかるし、必ずしも土地統合に 
結びつくとは限らない 
隣接地を統合して店舗なり住宅なりを建てる場合に特例を設けるなどして土地の 
統合を推進した方が良いはず

シャッター通りは店舗併用住宅がほとんどだろ? 
だから固定資産税が大した事ない 
駐車場なんかにすると固定資産税が跳ね上がる

地方は車社会だから商店街の活性化は無理 
地歩の人間なんか競うように入口近くの駐車スペースを奪い合うからな 
たった数メートルすら歩くのを嫌がる

地方の商店街何かで出店するとしたら 
飲食店以外でどんな業種があるんだろうなぁ 
理髪店位しか思い付かんな



鹿島駅前の駐車場が狭いことを問題にしてきた、駅前は一軒の家具屋が閉じて理髪店が閉じ角の家の庇が破れているけど修繕していない、美観的にも良くない
ただトイレは新しくしてきれいにしている

要するに車社会になった結果としてこういうことが起きてきたのである。
車社会になると今までの通りはただ車が通りすぎる場所にすぎなくなった
まず車が駐車できないからである。車というのは空間占有率が大きいのである。
自転車とかバイクとかなると台数でも車より置けるが車が置けない
それだけの空間を土地を必要とする
すると今までの通りは歩いて買物するようにできている
その大きな相違がシャッター通りにしたのである。
大きな駐車場を作れないということである。

それで郊外にイオンとかできるのも大きな駐車場のスペースが確保できるからである。
原町のイオンの前の駐車場は馬鹿に広いからである。
今回鹿島区のスーパーキクチが新装して開店したけどこれも駐車場が狭いとういことがあり広い駐車場を作ったのである。
だから現代は車社会に適応しないと商売もできないのである。

だから鹿島駅での一番の問題が駐車場が狭いことなのである。他からきて駐車するスペースが狭すぎるのである。農協と決められた場は駐車できないからである。
現代はでも車をもたない人は車社会のことが意外と実感としてわからないのである。
車をどこにとめようかとなるのが車社会なのである。
今までの通りにはそれがないからシャッター通りになる

車社会というのは便利でも旧来もっていたものを破壊した。その影響はあまりにも大きすぎたのである。何か車というとき俳句とか短歌にしにくいのである。
ただ歩くということは今や人間回復になる、歩くことは絵になるけど歩いて旅していた人がいたとしても広重のような浮世絵にはならないのである。
そういう社会が失われたからもう二度とそういう絵は生れないのである。
車がない歩く社会のときは鉄道も活きていた、駅で下りて通りを歩いて買物したりしたからである。
原町の駅でおりて靴屋まで歩いて買った、いいものが置いてあった
ただその歩く距離が結構あったなと思うほど今は歩かない生活なのである。

分散社会になったというとき車社会であれば別に分散していてもいいからである。
車で行けばいいとなるからどこでもいいとなるからである
ただ高齢化社会は昔を回顧するようになるから昔のいい面をとりもどそうとする
その高齢者が多いとき車社会が転換する圧力になる
田舎でも車が運転できなくなるとたちまち社会的弱者に転落する
80でも車を運転している人がいるがそれで乗せてもらっている女性がいる
でも車が運転できないとなるそういうこともできなくなる
その人は社会的弱者となり相手にされないともなるから怖いのである。
もし昔のように歩く生活なら老人でもそうはならない

どうしても夫婦でも夫が車をもたないで運転できないとなると夫の資格も男としての資格までないと感じてしまう社会である。社会的不具者になってしまうのである。
何か機械というのはそもそも人間を人間的なものから離脱させるものである。
ちょっと会話しようとしてもスマホを操作してしない、旅をしたりよその市町村に来たら必ず道がわからなくなり聞くことがある、そこで土地の人とかかわることになる
でも今は土地の人とかかわる必要もないのである。
スマホで地図を見て案内されて車でGPSとかで自動で案内し運転する
そこに人間が介在しなくなっているのである。人間はかえってわずらむほしいものとなる機械化自動化する人間はいらないんだよともなる
すると土地の人とも交わらないとなる、江戸時代は歩く旅だから土地の人ともまじわる、何か人間的にも濃密な旅をしていた、今は高速を突っ走ってゆくし新幹線で一時間だとかなる旅である、すると中間ははぶかれてただ通過するだけになるのだ
目的地にどれだけ早くつくかが問題になるだけだとなる、するとそこに旅情も生れないのである。

高齢化社会は今までの車社会とかに向かない、「成熟社会」を目指すようになる
スロー社会である。もともとそういうものを自分は俳句短歌とかでも詩でも追求してきたのである。
景観というとき確かにそこに暮らしがなければありえない、人間の営みが景観を作っているのは確かである。
菜の花が一面に咲いているというときそれは菜の花をただ鑑賞するためではない
花としてではない菜種油とかとして生活で利用するために作られていたのである。
その生活があってこそ菜の花の景観が作られていたのである。
それは田んぼでも畑でも果樹園でもそうである。生活のためにあり景観が作られてきた
それが津浪や原発事故で破壊されたことでもわかる
荒地と化したことでもわかる、茫々と草が生えて草原化してやがて森になるのが自然だった、そういう風景に変化した不思議をプログで紹介してきた
その草原は確かに草雲雀というように雲雀にはあった風景だった不思議である。

いづれにしろ車社会の転換が望まれている、なぜなら車を減らせばある程度江戸時代にもどるのである。本当に昔にもどりたかったら車が全く通らない世界を再現すればそうなるそうなると歩く他ない、自転車で行くほかなくなるからである。
すると歩く街とか歩いて生活するように社会もなる、自転車で買物できるような街にもなるのである。一部都会でヨーロッパではそうなっている
車社会からの脱却、転換が民意となってそうなったのである。

成熟社会というときそれは確実に高齢化社会に適した社会なのである。
これだけ老人が増えれば老人に適した社会がいいとなるからだ
だから高齢化の負の面が強調されるがプラスの面としては落ち着いたスローな社会の新たな再現がありうる、車を全部なくすというのではなく制限されてそれに代わるものが志向されるとういことである。


posted by 老鶯 at 11:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会問題の部

2017年05月24日

今日の鹿島駅をまとめてカテゴリーに追加


今日の鹿島駅をまとめてカテゴリーに追加


これまで書いた今日の鹿島駅を新しいカテゴリーにまとめた
一月から5月まで書きつづけた
定点観測になった、これは日々変化することだからプログに向いていた
プログとはその日のことを報告することになる
すると日々変わる場で定点観測することに向いているのだ
だから地域地域で放送局になれるのがプログなのである。
それも南相馬市だって広いから鹿島駅を中心にした定点観測になる
他の人はまた別な定点観測の報告する
小高の人がしているが情報量が少ないのである。

駅というのは実際ボランティアしてみたら不思議な所だった
これは駅を利用する一乗客だったらわからないことだった
駅にいると今日も地元の知っている人が話しした、自分の母親のことを知っていた
そしてそのことを聞いてあの人は自分の母親のことを語ってくれたとなり親しみを覚えた
何か故郷とは親とか祖父母とも関係している場なのである。
誰か知っていて語ってくれるとうれしいとなる
誰も知らなくなったら淋しとなる、死者もそうして知る人がいて語ってくれるとここが故郷で母でも父でも生きた場所なんだなとなる
だから避難地域になったところでは墓参りするにしても知己もいなくなったりすると何か淋しいとなる
ただ墓だけが物のように残されているのが淋しいのである。
やはり人間は物だけではない、そこに物語ることがあると死んだ人も生きてくるのである。
だから歴史はHI-STORYなのである。

駅は意外と実際は活気がある場所だった、あそこは駅だけではない、車の駐車場として利用されている
トイレもきれいだし良く車で来る人が利用している
自分の母親を知っている人は孫の迎えるためにきていた、小学生が駅前に集まってくるのである。
だからいろいろな人が来るから活気がある場所なのである。

今日は自分のプログを読んでいた川崎の人が来たのもそうである。
自分はいつもいるわけではない、主に昼間に一時間とかいる
他の時間もいるがいつもいないのである。
その人は会って良かったと言っていた
そういう外部からの人も来て混じり合う場所なのである。

なんかあそこにいるとさびれた町にしても活気があるなと思う
一番人が集まるのは今はどこでもスーパーだけどあそこであまり人と話したりはしない
何か駅の不思議は人を迎えたり送ったり待ったりすることにある
それが人間的な場所を演出しているのである。
駅は駅前は広場になっているのだ、そういう場はなかなかない、そこで町に生きるものの活気を感じたのである。
淋しさをまぎらわすにはいいとなる、そこは何か人間臭い場所だったからである。

今は買物にしても何にしてもほとんど人と話もしないからである。
駅の特徴はまた多様な人が世代でも交わっているのである。
あそこは小学生が集まる、駅前で遊んだりもしている、だから子供から老人から外部の人も来てまじわる場所だったのてある。
そういう場所はなかなかない、確かにスーバーには町の人全員がきている感じにはなる
でもそこで何か多様な人がいるという感覚になれないのである。
大勢人が来ているなと感じるだけである。
おそらく駅は迎えたり見送りしたりするから違っているのだ
それが人間臭い情をかもしだす場にもなっているのだ、別れとか出会いを演出する場だから人間的なのである。
「元気でな」とか「また帰るのを待っているよ」とか親と子の出会いと別れがある
そういう場所は駅にしかない、道の駅ではそんな光景はあまりないだろう。
そういうふうにして人が集まるから違っているのだ




タグ:駅の不思議
posted by 老鶯 at 20:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 今日の鹿島駅(常磐線)

今日の鹿島駅 (川崎市から来たボランティアと駅で会う)


今日の鹿島駅


川崎市から来たボランティアと駅で会う


今日駅で会ったのは地元の人だった、時々自分の家族のことを知っている人とあう。みんな死んだよという、あの人は顔は知っている、近くに住んでいた人である。
だから母親のことも知っている、何か駅はつくづく人が出会う場所である。
それは地元の人だった今はなかなか会う場所がない、すると今あの人はどうしているんだろうとなる、そしたら死んでいたよとかなる
もう誰なのかわからなくなっている人もいる、人も常に変わっているのである。
死ぬ人も増えてくるから余計にそうなる

今日もう一人あった人は川崎から来たボランティアの人だった
その人は自分のプログを読んで駅に来ていたのである。
プログを読んでいる人とじかに会うことはほとんどない
ただ最近駅のことを書いてここにいることを知って会いに来たのである。
原町の橋本町の墓地の近くに事務所がある、その橋本町には自分の母親の実家の墓があるだからあそこに入る所だろう。

川崎市というとき小田急線沿線で百合ヶ丘という所に下宿していた、S大学に通っていた
自分は大学でも問題起こしていたからあまり思い出したくないということもある
ただ自分は確かに川崎市にいたのである。
S大学(生田キャンパス)まで電車5分 新百合ヶ丘→これだった
向ヶ丘遊園地は有名である。百合ヶ丘という所の下宿だった、そこは結構田舎だったのである。回りに田んぼとか畑があったからだ、その様子も相当に変わっているだろう。
川崎市というときそういう因縁があったとなる
それにしてもあまりにも昔であり記憶が遠のいてしまった

ボランティアの人は川崎市の人である。年は自分より4,5歳年上だった
でも小高の人よりは若く見えた、その人は引っ越しの手伝いなどしているから力仕事をしている、でも結構その年では楽ではないとも思う
高速を使ってきている、ここまで来るのに費用がかかるといっていた。
自腹だとなると川崎からここまで往復するとなるとそれなりの費用がかかる
年金暮らしだからそんなに使えないというのもわかる

何でも南相馬市で飯館などで切った材木を燃やしているという、それも何なのだろう。
浪江で森林が燃えて放射性物質が拡散すると騒いだ、飯館村の木材は最初は3マイクロシーベルとあった。だから木材でも高いのである。その後は減った
樹皮に放射性物質が付着しているという、だからそういうものを燃やしていいのかという疑問はある、ただそうしたものでも処理しないと困るから燃やすのである。

それにしても74才くらいなると力仕事は結構きついように思う、ただまだそのくらいの年で農作業もしている人がいるからいろいろである。
そういう年でもやはりここまで来てボランティアしているのは熱意があるというか驚くということもある、この前の人は福岡県から来ていた、駅の前のホンダの車販売店に友達がいるということでここまできた、その後は熊本に移動してボランティアしているという
やはり何か役に立ちたいといいう気持ちがあり行っている
その人はフェスブックもしている、だから年はとっても時代の利器を利用している
自分もそうだがこの年だと簡単にできないと思うからだ
自分はたまたまワープロから通信して覚えたのである。それは偶然だったのである。
それは富士通のワープロに通信するものがついていためにできたのである。
自分でしようとしたのではなくそういうワープロを買ったからできた

何かボランティアの時代ということもある、それだけ老人が多く生きがいを求めているのである。ただ費用がかかるとなると結構楽ではない、自分がしているボランティアは簡単だし金がかからないからそういう負担がないからいい、交通費だけでもそれなりにかかるとなるとボランティアも楽ではないとなるからだ
ただ74歳とかなるとそういう人も来ているのかとなる,だから高齢化社会なのである。
ボランティアというときその土地の人とつながりができる、すると移住しやすくなることは確かである。
ただ働いている人が多いからボランティアは暇がなければできない金も必要になる
それで60代から退職した人たちが多くなっている、でもその人たちが移住するとなるとむずかしい
今はボランティアで助ける方でもだんだん助けられる方になるからそうなる
ただこの浜通りでいいのは気候なのである。これだけはすすめられる
暑くもなく寒くもないから老人が住むにはいいのである。

SHIMIZU様?、ボランティアごくろうさまです

これからも相馬地方の情報発信しますのでよろしくお願いします

posted by 老鶯 at 16:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 今日の鹿島駅(常磐線)

よそ者に対する江戸時代と今の感覚 (江戸時代にも習うものがあった)


よそ者に対する江戸時代と今の感覚


(江戸時代にも習うものがあった)

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今日は駅に「浪江」とかいたナンバープレイトを見た、何かめずらしいから「浪江」だけど浪江から来たのと一言聞いただけたである。
その人はそのこと自体不愉快であり怒るように拒否した
地元の人らしい、浪江の人のものを借りたのかどうかわからない、最初から会話を拒否しているからだ、バイクは原町の人げ原付バイクで南相馬とかのナンバープレイトだったような気がする、それで聞いたりしたがその若い人は普通に答えるだけである。
あの若い人は最初はお前はなんで聞くんだということで怒っていた

そういうふうに会話を拒否する人は別に駅でもいる、何か聞かれたくない人はいる
だからプライバシーがあるから一応聞いたとしてもそんなに詮索はしない
嫌だとなればそれ以上は聞かない、でもそこに別に簡単なことでもとっかかりが会話になる、それをしたくない人はいるし現代ではそうしたことを嫌う人が多いかもしれない
そういう自分も旅に出てその土地の人に聞かれても何かも答えないことがある
自分はそもそもコミニケーションができない性格だったのは社会的訓練が欠けていたためである。何か会社で営業のような仕事をしていれば気を使うということがあるだろう。
だからあまり人のことは言えないのである。

与那国島では木陰で休んでいるだけで怪しいと警察に連絡されて職務質問を受けた
その近くの人が通報したのである。それをふりかえると箱根の関所では村々の人が
関所を通らない人を見守りしていた、関所守り村があった
だから関所を通らずに越えることはむずかしいと思った
その土地の人が怪しい人が通ったら番所に通報するからだ
それが江戸時代の感覚なのである。

誰かよそ者、怪しい人が来たらみんなが見ているからすぐにわかる

与那国島は閉鎖された島だからそういう感覚が残っていたのである。
江戸時代の感覚は関所がありその関所を通り別な国に行く感覚になっていたかもしれないパスポートを出して外国に入るという感覚になっていた、関所を出れば外国なのである。今のように自由に旅できる時代ではない、自由に他国に出入りできることもできない時代である。

だから旅すということは容易ではない、気軽に行けるものでもない

 周防なる磐國山を越えむ日は手向けよくせよ荒しその道

峠は、中国地方で垰あるいは乢とも書き、「たお」「とう」「たわ」「たわげ」などと呼ぶ地方があり

峠の語源は「手向け(たむけ)」で、旅行者が安全を祈って道祖神に手向けた場所の意味と言われている。「峠」という文字は日本で作られた国字(和製漢字)である。

なぜ和製漢字となったかというと日本は山が多く峠が多いからである。
峠というのはそこから新たな世界へ入ってゆく場になる
国境になりやすい、そこで手向けするというとき何か江戸時代までは隣の村へ入るのにもよそ者になる、手向けするというとき安全を祈るのだが別な土地に入るということはまた危険にもなる、危険というとき自然だけではない人間が住んでいるから危険になる
よそ者をみんな警戒しているからである。特に江戸時代前まではそうである。

要するに今は明治以降は鉄道で移動するようになったとき関所がなくなり切符一枚で日本全国どこでも行けるようになった、それが日本人という意識をもつようになったというのもわかる、江戸時代だったら日本人という意識がもちにくい、藩が国でありその一員としては意識しても日本人として意識することがむずかしかったからだ

ともかく江戸時代まで他国に行くということは相当に難儀した、関所を通らない人々を監視していた見守り村があったということでもわかる
関所を通り他国に入るときは相当に気遣いがあった、自由がない時代といえばそうである
でも奇妙だけどそうした気遣いまるでなくなったのが現代なのである。どこに行こうがその土地のことを気づかっている人は少ないだろう。
どこにでも行ける泊まるなら金を払えばいいだけだよとなる
それはどこに行っても金を払うものが消費者が王様だとなるのである。
だからよその土地に行って気兼ねなどしない、気遣いがなくなっている
第一旅行してそんなに気づかうとなると行くことさえ嫌になるだろう。
それで東北には旅したくないというとき東北人にはまだそうした自分の土地だとか村だとかいう感覚が残っているからだろうよそ者に冷たいとか打ち解けないとかある
でも「郷に入っては郷に従い」という諺は長い経験から歴史から生れてきた言葉なのである。
長い経験から生れたものには古いというだけではないなにかしら時代が変わっても意味がある
そういうものが無視されると人間社会は成り立たなくなるのである。

何か江戸時代というのがまるで現代からすると自由のない窮屈な世界だと思う
でもそこにも何かそういう時代でも今と比べると何かしら意味があった
現代は全く逆にどこの土地に行こうが気遣いをしない
金を払えばいいんだとしかならないのである。
その金だけ払えば世界中どこでも待遇されるんだとなる

しかし他国に入るときはそれだけではない、その土地の者に世話になることもある
いくら金をやればいいといってもそこの土地には土地の人がいるからである。
そこに感謝の気持ちをもつ必要がでてくる、ただそんな窮屈なことを言っている時代ではないこともわかる、自分自身もそんなことなかったから言えないのだけどいろいろ経験して反省するとそういうこともあったなと思う

だから駅でちょっと案内しただけでありがとうと言われたとき不思議に思ったのである。それは知らない土地に来ればなんらかわからないことがあり尋ねることもでてくるからである。
それはやはり鉄道とか車社会になったとき起きたことである。
峠だろうが何だろうが他国に入るという感覚はなくなる、突っ走って境だろうがなんだろうが突き抜けてゆくだけだとなるからだ。
鉄道でも車で機械はやはりそうした人間的感覚を破壊してしまのである。
機械にはそういうことが常にある、便利なものでもそれが人間社会や人間的なものを根こそぎ無遠慮に破壊してしまうことがある
グローバル社会もそうである。金さえあればその土地の人や文化があってもそんなことは無視する、金だけが力となりあとの人間的なこと歴史的なこと文化的なことなど一切無視されてしまう、金もまた機械とにていたのである。まず機械が気づかうなどありえないからである。

いづれにしろこの辺では小高の人や浪江の人が移り住んだ、するとそこで小高は南相馬市だから補償金でもめた、それもやはり金さえあればいいとなっていたのである。
鹿島の人に別に世話になるのでもない、土地は借りたが買物でも何でも別にそれで土地の人に気づかうということはなかった、かえって買物してやって助けてやっているのよねと小高の女性の人は言っていたのである。そうなっているのが別に小高の人だからというのではなくそういう社会になっていたのである。

その土地の者に気づかうということがなかったのである。それはみんなそういう時代に生きていればそうなる、つまり金だけがあまりにも力をもちすぎてしまったとういことである。もしちょっとした道案内でも小銭をもらっても金をやった方に感謝しろとなるのが現代社会なのである。
なぜ駅で案内してありがとうと言われたのか?それは結局ボランティアであり金をとらないとういことにあった。金を払わないからこそありがとうという言葉になって返ってきたともなる、金が万能になる社会はそうした人と人の関係も気づかうことなどなくなってしまうのである。

多額の補償金をもらってもそれで福島県内でも他でも住んでその土地の人への気遣いがなく、立派な家を建ていい車を買ったとかそういうことをしていて批判されたこともわかるいくら金があるとしてもその土地に前から住んでいる人がいる
その人たちはかえって土地が上がったり病院がこんだり迷惑しているからだ
そういうことは仮設に住んだ小高の人にも言えたのである。
俺たちは避難者なんだから当然だとなってしまったのである。

ただ人間にはいろいろいるからみんながそうではない、最近知り合った小高の人は気があう、だから自分は別に小高の人と付き合わないということでもないのである。
浪江の人もやはりよその土地に来たのだからなんらかそうした気遣いが必要になる
でも同じように現代社会はそういうことがない社会なのである。
だから江戸時代と比べると江戸時代は何でも今から比べると自由がないだとかいろいろ遅れているとなるがそれでもそこにはよその土地に入れば人でも気づかうということがあった、それをマイナスの面にみれば窮屈だとなるが一方ではその土地に長く住む者にとってはやはりそういうふに接してくれば歓迎するともなる
ただそうなると東北はだから嫌なんだ、行きたくないとなるのもわかる
都会だったら別にそんなことが全くない、都会だと誰が来て誰が去ったかもよくわからないからそうなる。田舎ではそれがわかるから問題が起きる


posted by 老鶯 at 14:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本(世界)文化文明論

老人の「救世主症候群」で詐欺にあう (老人の生きがい、社会的役割喪失がそうさせる)


老人の「救世主症候群」で詐欺にあう


老人の生きがい、社会的役割喪失がそうさせる


羽鳥慎一モーニングショーで老人か「救世主症候群」になっていることを放送した
老人が話し相手もなく社会的役割もなく孤立している、そこで相手のために何かをしてやりたいとなりだまされる、そこに会話があり何か頼られているとなり感謝されるから
だまされる、その老人の心理を功名につくのがだます方である。

これも現代老人の問題を象徴している、老人は暇で金ある人もいる、金もなく困窮している人もいるし様々である。一般的には暇であり健康であるが家族でも社会でも用なき人となりただ無駄飯食べているだけの人に見られる
老人はただ若者の負担なんだよなとなり早く死ねとかなる
それで若者を困っているのを見て同情するのが人のいい老人だという
その老人もある程度金に余裕があるからそうなる
金があってもどう使っていいかわからないとも言っている

確かに家族から社会から役割がなくなるとき自分が家族で経験したことはそういう人が認知症になりやすくなるから恐怖なのである。
人間はやはり役割がなくなる家族のなかでも社会のなかでも役割が仕事がなくなるということは無用の人となることである。
無用には無用の意味があるが人間は生きがいが必要なのである。
だから家族の中で90すぎても家事をしていた人はボケないで何でもしてもらっていた家事もしない、退職して社会的役割がなくなった女性はぼけたのである。

認知症の原因はわからないにしてもそうして家族でも役割がなく社会でも役割がなくなると頭も働かないし生きがいもなくなりボケやすくなるのだ
だからこれから認知症が増えてくるかもしれない、すでに何百万人が認知症になるという時代である。それも社会の負担が増大するのである。

そもそも高齢化社会というのはみんな経験していないのである。高齢なにることも未知の世界なのである。
小高の人は75歳くらいなのか話して面白い、何か気があう人である。
体も73歳くらいまでは60代の延長である。60代はまだ青年だとか言っていた
体の面からすると73くらいが限界らしい、その人はやはりふけていて足と首が痛くなっている、自分もだからそろそろ苦しくなってきている、ただ後2、3年は60代の延長であり
60代は今は老人ではないのである。本当の老人は後期高齢者の75歳だなと言っていた。
でも80までは生きることはイメージできる、90までもなんとかできるが100まではできない、確かに100までとなると本当に未知の領域になる、90まででもそうだろう
つまり人間はそうなってみないとわからないからそうなるのである。
高齢化社会はそれぞれがその年齢を生きることが未知の世界なのである。

「救世主症候群」とはボランティアをしたいということにも通じている、何か社会の役にたちたいということである。何か自分が存在している意味を見いだしたいということである。そのことが老人になると強くなってくる、一人暮らしとかなると余計にそうなる
話し相手もなくなるし淋しいとなるからだ
それは自分も家族をみんななくしてから感じている、それで今までは人と話しなかったが話するようになった、家に誰いずガランとした家にいることが淋しいのである。
ただ二世代所帯でいたという82歳の女性は息子がかまってくれないとかで淋しいから携帯のメールに答えて詐欺にあっていたのである。
だから家族と暮らしているからといってそれでたりるとはならないし満たされないものがあった

無人駅のボランティアをして自分で実際にこれは奇妙にいつも思っているのだ
こんなことをしている自分が何なのだという奇妙さである。
盲人が一人が通勤しているのかなにかわからない、その人を導いてやる
遠くから来た人の道案内をしてやる、意外とあそこでわからないのがタクシーの番号なのである。入り口に番号を書いたのが張ってあるのだが気づかないのである。
それで前の自転車屋とお菓子やに行って聞いていた
そしてそこからタクシーに乗った人がいる
自分はそのタクシーの番号を教えるときがある
それから近くの食道も駅からわからない、看板があるが見えないのである。
それを教えたら行きと帰りにありがとうと言われたのである。

意外と駅ではちょっとした案内をするとありがとうと言われる
こんなにちょとしたことでありがとうと言われることを自分は経験していない
人にありがとうと言われたことを経験していないのが自分である。
おそらく消費者は王様だというときいつもありがとうと言われる立場にあったからかもしれない、そんなちょっとしたことでありがとうと言われるのか意外だったのである。
ただ今はスマホでそういう情報を見ている、でもそれだけではたりないことがある
やはりどこでもすべて機械ではすまされないのないのである。
何かかにか用がある、例えば今は田植えでも機械でしている、ところが機械でできない縁(へり)は人間でしているのである。
また中国でコンバインで麦刈りをして出稼ぎ者の仕事がなくなったがコンバインが麦刈りできない平坦な土地でない所は人間がしていたのである。
つまり人間の仕事は必ず中にあり機械だげではできないのである。

ともかく老人はありがとうと言われたことがない、感謝されることに飢えているというのもわかる、そのことは用がないということである。
そこで救世主症候群が生れる、助けてやりたいという感情である。
その感情にだまされてもそれがだまささたとも思っていないというからそれだけ自分が他人に何かしてやったという感覚になってるしそうしたいということである。
だから老人のボランティアが多いけどその人たちは何か助けてほしいという要望よりボランティアをしたいという老人の数が膨大になっているのだ
それがないそれがた見つけられないということでそうなっている
ただあらゆる仕事は誰でもいいということはない、適性が必ずあるからだ
そこがボランティアのむずかしさである、いくらボランティアしたとしても仕事している人にとっては迷惑になる場合だってあるからだ
だから意外とボランティアでもそういう仕事が見つけにくいとなる

つくづく何で道路の側の何か金属片のようなものを探していたボランティアがいた
その人は道路公団を退職した人であり道路のことをいろいろ言うのもそのためだった
そんなことしているのもそのためだった、つまり退職した結果仕事がなくなり
道路公団の仕事をしていたから今はボランティアで道路の掃除のようなことをしていたとなる、人間は人生で今までしてきたことにこだわるからそうなる
道路公団で勤めていたからその延長として道路に関心があり掃除のようなことをしていたのである。

いづれにしろ高齢化社会というとき社会全体でもそうだが高齢になること、90までも生きるということが未知の世界なのである。それが優れた人が90まで生きるというのではない一般の人が普通にそうなってゆくのが高齢化社会なのである。
未知の領域だから社会的にも個々人にも問題が起きる
でも老人になったからといって何か急に変わるわけではない、人生は継続であるから老人の生も今までの継続としてあるから何か急にボランティアしろと言っても簡単には見つからないだろう。

つまり人生設計をすでに老人になる前に準備しておく、それは金銭的な面もあるが精神的な面でもそうである。でもそんな設計をすること自体がむずかしいとなる
結局人間は日々のことに追われているのが現実だからである。
でも90まで生きるとしたら60から人生の成果を出せばいいとなるとあせる必要がなくなる
長い目で長い人生設計ができるということは確かである。60くらいで死ぬとなると何もできずに成果を出せずに死ぬということがある、遊んでいてもあっというまに時間はすぎるからである。
つまり人間の経験が限られていてそれで知見も広がらないし深められないからだ

ただ老人というとき

「90歳になって老後が心配とか、わけの分かんないこと言っている人がこないだテレビに出てた。オイいつまで生きてるつもりだよと思いながら見てました」と麻生大臣が語った。

こういう時代だということである。



posted by 老鶯 at 10:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2017年05月23日

菖蒲(原町の庭二つを見る)


菖蒲(原町の庭二つを見る)

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老鶯や畑耕して夕暮れぬ

新築の家次々にツツジ咲く

石の庭垣根に覗き菖蒲かな

石の蔵木一本に菖蒲かな

夏菊や六号線を原町へ

浪江まで電車の行くや夏の山

喪にあれや濃紫の菖蒲咲く


静かにも藤の花散るそのあとやひそけく我が通りゆくかな

一本の樹の影なして菖蒲咲くこの家変わらずここにありしも

新緑の森にあわどもその中に枯れし樹ゝも交じり立つかな


老鶯が鳴く、その鳴き声に合わせて畑を耕す女性がいる、その時間は自然の中にある。
原町にひさしぶりに行った、駅の方に行っていたし暑くて行けなかった
今日くらいの暑さはそれほど答えないみたいだ

原町も新築の家が次々に建っている、スーパーキクチの隣は新しい住宅街になった
鹿島も新しい住宅街ができた、原町は復興団地も10くらいできたのか?
広いからわかりにくい、今日は川子の森の道を通りパークゴルフ場を回り六号線を下り道の駅に出た
別にな何か見るべきものもないがダイユーエイトの隣の家の庭は良くできている
何か落ち着く庭の作りである。庭というのは一見しただけでは鑑賞できない
時間が必要なのである。それはなぜか?石というのは時間の中で見ないと見れないからだ
樹でもそうである。時間の中で心の中に定着できるのである。
石灯籠も塔になっていてあれも合っている
そして水が流れていないが流れるようにしていたみたいだ、堀のようになっている
この庭を垣根から覗くと菖蒲が咲いているのもうまく作られている
隠されるように咲いているからだ。

庭は家々で違っているのがいい、家はそんなに違うように見えない、ただ家は庭と違って住んでみないとわからないから評価しようがないのである。
庭は見ればわかるということがある。
原町の今回写真に撮った庭は古い家のもともと農家の庭である。
だから石の蔵がある家は古い、そこの庭は広い、藤棚があったがすでにみんな散ったのが残念だった
今年は藤の花を見ないうちに散ってしまった。駅の方にかかわったのと暑い日がつづいたこともある

あの広い庭の蔵のある家でもなんかこの辺では変動が激しいからなくなってしまうのかとさえ思う、あれだけの家に人が住まなくなったりするとそう感じてしまうのである。
普通だったらこの辺でそんなことは考えない、農家は何代もつづきそこにあるからだ。
なくなることなど想像もできないのである。

川子の森は日影になり気持ちいい場所である。近くにあういう場所があるのはいい
遠くになるとそういう場所があっても楽しめないのである。
ただなんかこの辺はそうした自然の場所も変わりやすいのである。
ソーラーパネルとか何か切られて宅地になることが多いのである。
それだけ変化が激しい場所なのである。
だからどこでもダンプが来るから自転車でも怖いとなる、まだ落ち着かない場所なのである。ただそれで人が外から入ってきてきているから活気がでているともなる
それでも相当に減ってきているし仮設のプレバブの宿泊所も壊されているのである。

ともかく今日の夏の日は暑くないから出かけることができた
何か気候が変わっているから困る、5月というといつも自転車で遠くに出かける季節だった、それがなかなか行けなくなった、疲れやすくなっているからだ
今日みたいだったらまだ行けるが遠くに行くの億劫になるのだ
今日は夏らしい夏だった、五月の夏だった、山脈も夏の山であり一応浪江までは通じた
浪江まで電車で行けるということはできる。

近くの知っている人が死んだ、同じ病気だったけど何かで重症になった
でも実際は十年介護していたのである。そうなると自分もそうだが疲れたとなる
その妻も老けてしまったとなる、介護は長いから苦しいのである。
十年となったら一昔になるくらい長いのである。その負担にまいってしまうのである。

菖蒲といったら普通は紫である。黄色の菖蒲は黄菖蒲となるのだろう。
庭は別に自分の庭でなくても鑑賞できるのである。日本の庭は垣根になっているから外から見える、格子のようにさえぎられていてもそこから見えるというのも風情がある。
ただ塀で囲っている所もありそうなると全く見えないからつまらないとなる
吉田兼好風に言えばそうして塀で囲った庭に風流はなくすさまじきものとなる
垣根はやはり日本独特のものである、外から満ちれてもいいという安心感があってできたことだからである。ヨーロッパの庭は塀で囲まれているから全く外から見えないからである。






タグ:菖蒲 夏の庭

抽象画(森の王国-KINGDOM OF FOREST) the imaging IIDATE VILLIGE


抽象画(森の王国-KINGDOM OF FOREST)


the imaging IIDATE VILLIGE


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森の王国というとき飯館村がそうだった、森林が70パーセントあったからだ
そこに森の王国としてイメージされるものがあった
今になると悔しいのはその森が放射能に汚染されたことである。
ソーラーパネルとかもできて景観が悪くなったのである。
飯館村は森につつまれた森の王国だったのである。
そこからイメージされるものがいろいろあった、詩にもした、これからもそこからイメージされるものがある、だから芸術的にはイメージが湧く場所だったのである。


It is that the forest was polluted by radioactivity that a thing imaged as King of the Wood country body there where 70% of forest where a meal building village was so was at time called the Kingdom of the Wood country is regrettable when it is in now that there was.
I had it with solar panel, and a scene worsened.

The meal building village was Kingdom of the Wood state surrounded in the forest.
It was the place where therefore an image sprang out artistically with the thing which was still imaged from there which did it in the poetry that had a thing imaged from there in various ways.

posted by 老鶯 at 09:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 抽象画の部(abstract)

2017年05月22日

ゼネンコンの正社員は除染で3万円 下請け除染員は7000円の不満


 ゼネンコンの正社員は除染で3万円

 下請け除染員は7000円の不満

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除染などの費用 今年度までだけで3兆円以上の試算


2016年分だけでこれだけかかっている、途方もない金である



 よくわからなかったけど山梨の人はの不満はこのことだった
大成建設とかの正社員は除染作業で一日3万もらっているという
それで一カ月75万になっているという
下請けの作業員は7000円だからその差が大きいのである。
その人は7000円しかもらえないから不満を言っていたのだ

なぜそうなるかというとゼネコンで除染の責任をとりたくないから中間業者をへて下請けにまわる、その中には暴力団関係が人を連れてきて働かせて金がそっちにまわってゆく、責任とは除染をしてそのことで住民からクレームが来るとき困るからだという。つまり自分たちの責任ではない、下請け業者の責任にする
政治家が秘書に責任にしたりするの構造が同じである

そして除染は手抜きでありただ草刈っただげで終わっているのもあるという
実際にモニタリングポストの下の土をとっているからそこは低いけど回りはその倍はあるだからモニタリングポストの数字の倍はみないと放射線量の正確なところはわからない
だから飯館の佐須で0・7が計測されていたけどその倍となると1・4だから高いとなる
今は1以上だと何か高いとみるからである。飯館は全般的に高いのである
その飯館で大成建設が除染作業をしていたのを見ている

除染には国から兆の金がでている、その金がどこにいったのか?
それはゼネコンの大成建設とか清水建設とか大手の正社員に主に流れた
その下請けにも流れたが下請けだと7000円だったから安い
何かここに大きな悪が生れていた、この構造は今だけではない、前からあったことであるその原因はゼネンコに金が回りその金が今度は自民党に献金として回ってゆく構造にあったという。自民党員になっていれば献金はいくらでも可能だとか言っていた
そういう構造は前から言われてきた

よく格差社会のことを言うけどここに大きな格差を産むものがあった
大企業と政府とか大きな権力は結託して利益を得る利権構造があった
その下で苦しむものがいる、その人の不満はそこにあった

3万と7千円の差は大きい

その人は事業を失敗して家族を失ったとか苦しんでいることもあった
だから事業については詳しい、人を使うこともしてきたからそういうことを知っている
ただその人はまだ南相馬市にいて仕事を探すという
でも精神的ショックで病んだから仕事でも何でもできるわけではない
しかし何らか仕事を得ないとまずいということはある
山梨に帰れない事情ができているのかもしれないからだ

いづれにしろ兆もの金が自治体に回らずゼネコンとかその中間業者とか暴力団とかにまわって自治体の復興につながらなかった
つまりその人が言うように自治体で除染をすればそんなに金もかからないしその兆もの金を復興資金として使えば良かったとなる
なぜ自治体は市町村は何もしなかったのかとなる
二本松だったかほんの一部で地元で除染を請け負ってしていたところはあった
でもほんとんどは大手のゼネコン経由でしきられて除染したのである。

結局ふりかえるとまず原発を建てるときから自治体というのはその市町村は何の働きかけもなかった、そこに国の大きな権力が働き県と国でも一体化して原発は建てられたのである。
自治体というとき地元密着であり地元のことを優先する、そこに生活するのだからそうなる、ところが大手のゼネコンはここで生活するわけではないから除染にしても楽してごまかし金だけもらおうとする
もし自分が住んでいる場所だったら動機も違ってくる、放射線でも日々影響するとなるとなるべく減らして生活しようとなる
それは東電が建てた原発でも言えたのである。

東京の電気を供給するなら東京に原発を建てればいい、そしたら真剣に自分たちが危険にさらされるから管理することになる
それが東京から離れてフクシマに作ったのは自分たちの安全を計るためだったのである。東電の社員でも地元に住んでいれば意識が変わっていた
一部はそうだった、だから浪江の津島に放射線のことを知らずに逃げた
その時東電の社員もいて街の方に引き返した方がいいとしてそれに従い住民も引き返したのである。それはその人がここに地元に住んでいたからそうなったのである。
自分も被害者になったからそうなった,そして東電では東京本社から事故のとき指令を出していたのである。ここにも意思疎通がうまくいかなことがあった
それで吉田所長が独自の判断をして失敗したということもとりざたされた

結局自分たちが安全ならばいいということでフクシマに原発が作られたことがそもそも事故にもつながった、離れているから自分たちには被害がないという前提で建てられていたからである。
一方で地元というとそうした国と東電という大きな権力の圧力のもとで自治体でもなんら抵抗するものがなかった
肝心の自治体が自分たちの住んでいる住民を守らない、また住んでいる人たちも自分たちの住んでいる土地を守る意識がなかったのである。
事故後もそうである。ゼネンコの大手に除染をまかせる、そこで手抜きがされるのは外から来た人はそこに住まないから金をもらって適当にやりごまかしして楽したいとなるからだ、地元に住んでいる人とは違った意識になるからそうなる
今回のことで国と県と自治体の関係が問われた、それより自治体が市町村が何ら国とか県のなすままであった、復興するにしてもそうである。
自治体というときそこの住民も自治体の一員だったがその人たちもやはりよそ事のようにして原発が建てられたし事故後も自治体は有効に国からの金を活かせなかった

例えば補償金でも実は兆もの除染費用があるなら自治体主導すれば復興にまわせるし補償金にも回せたのである。南相馬市だったら鹿島区は百億円を支給した
それ以上の金はまわせた、そうなれば小高と鹿島区の対立もなかったともなる
これはいい悪いでないにしろ例えばでありそういうこともできる金が実はあったが活かせなかったのである。
それは自治体でもその住民でももっと一体となり働きかける力がなかったともなる

地元というときそこに住んで生活して死ぬ場所でもある、その土地と一体化してある場でありそれは今の世代だけではない代々受け継がれたものとしてある土地である
そこが汚染されて住めなくなるとかそういうことは地元の人にとっては耐えられないたことでてある。
でも地元の人にしてもそういう強いここが掛け替えのない土地だという意識もなっかのである。そういう危機感もなかった
自分たちで自分たちの住む場所を守らないとしたら誰が守るのか?
もしそういう意識がないとしたら自治体の住民なのかともなる
そんな人は住民としての資格があるのかとまでなる
そういう人は別に一億もらってどこにでも去ってゆくとなる
実際にそうなった面もあった、金の社会であり移動が自由であるときどこでもそうなりやすいのである。
ただそういう人は本当にここに住む自治体の一員としての資格があったのかとまでなる

話は変わるがベトナムではなぜアメリカに抵抗できたのか?アメリカが征服できなかったのか?
それはベトコンがその土地に愛着がありアメリカが外国人が侵略して支配されることに根強い抵抗があった、だから穴を堀り地下にもぐり抵抗したという。
南国だから芋がすぐに成長するから食料になったという。
そのパトリシズム(愛郷心)が根強くあったからあれだけの抵抗がありアメリカは敗北したのである。
それだけの愛郷心があったということ、そういう愛郷心がその土地土地に住む人にあったただ現代では便利なものを求めてそうした愛郷心が希薄化してきたことも事実である。
だからこそ不便になったらこれだけ荒廃したら流出してゆく、不便な所には住みたくないとなって流出したのである。
ともかくこの辺ではいろいろなものが問われた場所になったのである。

あの人の不満は大きいからその捌け口がどこになるのか?それが今度は共産党とかの支持につながる
共産党もまた幹部は贅沢しているし実際は同じ構造があるが刷毛口がないからそうなりやすい
こういう構造はアメリカでもある、大企業が刑務所に入っている人を安い労働力して使っていたのである。
これもブラックジョークとなるが一体悪い奴らは誰なのか?
ゼネコンの正社員なのか大企業なのかとなる
その大企業と結託した政府なのかともなる
正社員と非正規の格差問題でも同じである。
こういうことは歴史上常にあったことである。支配するものと支配されるものがいて支配されるものは悲しむ者となる
この世のとはそういうところであり何か変わらない、正直者は馬鹿を見るということでもある
ただ自分でもそうした得をしている方なのかもしれない、そういう人はやはりいつまでも得をするかとなるとならない
そういうカルマをもったからそのカルマを受ける時がくる
自分が苦しんだのはそのカルマが家族でも積み重なっていかからかもしれないからだ。
そういう社会がいつまでもつづくとは思えないのである。











posted by 老鶯 at 16:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

原発事故の避難区域の復興を担うものは誰か? (外からの人でも誰でもいいとはならない)


原発事故の避難区域の復興を担うものは誰か?


外からの人でも誰でもいいとはならない


●若い人

●技術を持っている人経験者

●何かを指導できる人(年配でも可)


「南相馬で復興を支えるエンジニアを求めている」。ITに詳しい市内の若者を紹介された。

地元の人間だけになったら、きっと原発の話とお金の話ばかりしていると思う。地元の人間だけでは、芋こじが開かれた場にならない。それでは続かないです。色んな人が来て、色んな人と会える。色んな人と話ができる。

ここで地元の人というとき南相馬市とか相馬市も入る、もっと広範囲になるかもしれないつまり福島市だってそうだし郡山市だって入る、するとそこで補償金のことで争うことになる、特に南相馬市は鹿島と小高が対立状態になった
だからかえって外からの人に期待されるのもわかる、何も土地のしがらみがないからいいとなる

でも移住するにしてもみんなが誰でもいいわけではない、ただ年寄りは若い人ならその土地にとっていいのである。先があるし時間をかける時間がある
年よりは時間がないので先がないので新しいことをはじめるのが苦手になるからである。山梨の人は事業に失敗した、その話は参考になる、人の使い方などを知っている
人がいいので人に裏切られらて失敗したのかもしれない。
だから十年その人も老けてしまったのである。あんまり人は苦労すると年とるのである。自分も若いときそうだった、若いとき苦労したので急激にふけたのである。
そんなもの苦労ではないと言えばそうだが自分にとって苦労だったのである。
その後30歳以後故郷に帰り楽したから体が弱くてもここまで生きたとなる
やはり人間はあまりにもきつい生活だと早めに死ぬようになる
パンも食べられないような生活でははやめに死ぬのはやむをえない

小高は今は外から来ている人が増えたという、小高は前よりは増えているだろう。
こういうときは人手を求めているから他からでも受け入れやすいのである。
だから小高では外からの人が来て元気がでてきているのもそうである。
でも誰でもいいわけではない、何か技術でももっている人がいいのである。
若い人は何ももってなくても若さがあるから受け入れられる、
山梨の人は急激にふけてもう何もしたくないとなっている
人を使うということが嫌になっている、それほどひどい目にあったともなる
人間不信になり病気にもなっているからだ
こうなるとこういう人は何か悪いが受け入れるにしても受け入れる側もその人に何かしてもらうのではなくしてやるという感覚になるから受け入れがたくなる

ただ内輪では帰る人と帰らない人がもめているし南相馬市内でも補償金でもめている
必ず鹿島の人に会うとその話になるのである。
だからかえって外の人の方がいいとなるのがわかるのである。
この辺では外部から入る人が今もそれなりにいる、駅にいるとそういう人たちが出入りしているからわかるのである。外部の人たちがまだ活気を与えているともなる
小池にコモドインとんうホテルができてランチも食べられるようになったのもそのためである。家も何百軒と建って都会化したのである。
駅というのは地元の人たちだけが出入りするのだとつまらない、外部の人が出入りしてくると活気がでてくる、その中には外人もいたからだ

避難区域になった所の復興は外部からの力が必要である。でもそれが誰でもいいとはならない、若い人は技術がなくても経験がなくても受け入れられる、体力はあるしその先が長いからである。
50以上になるとやはり技術をもっているとか何か経験があり人を指導できるとかの人でないと無理だろう。
だから変なのは東京辺りの介護が必要な老人を受け入れろとなるとそもそもこの辺では病院でも看護師がたりないし介護士もたりないのだからそういう人を受け入れるのは金をもらってもできない,人手不足がこの辺では深刻なのである。
そして老人が他より65歳以上が30パーセントとか多いのである。

そして今度は復興住宅に移って来た人も老人が多くその子供は流出して老人だけ取り残された人も多い、都会の老人を田舎で引き受けても例え金があっても活性化はしないのである、金でなんでもできるというわけでもないのだ
復興にしても実際は金が有効に使われずに兆の金さえ無駄だったかもしれないからだ
山梨の人は確かに経営者として経験しているがもう人を使う仕事はしたくないという
では何をするのか?農業するなどと言っても全く農業のことを知らない、だから簡単に考えている、となるとこういう人を受け入れても負担になるだけかもしれない
だから誰でもいいから受け入れるということはできない、ただ若い人は何もなくても受け入れやすいのである。それも40代とまりだろう。

結局これだけ老人が多いということそれが復興の障害となる
老人はこの先どうするかというとき補償金とかの方を先に考える、何か復興するというより楽したいとなる、だから小高の老人は国民年金ではたりないからもっと年金として補償していほしいと訴えたことでもわかる、老人は苦労したくないからそうなる。
農業を会社経営にしたとしても60以上が多い
するとどうしてもそこに若い血を導入する必要があるのだ
これはここだけの問題ではない、ここでは何でも極端なものとして現象化したのである。
ただ数万円の収入を得るために四苦八苦しているとかなると楽ではない、その分を農業していれば野菜とか米をもらいたりすればいい、でもそれも今はむずかしい
第一野菜をもらえばいいというがもらえるほど作るのか容易ではないのだ
今野菜が高くなっているからもらえればいいがその野菜を趣味で作っているだけでも労力が金さえかかる、そして何にももらえないのである。人にくれるほどとれていないのである。
現代は現金収入がないとどこでも生活が苦しくなる、飯館村などでは震災前は自給自足的な生活をしていたがみんな出て行ってしまったという、そういう人はまた愛着がなかったのかとか批判される、苦しいときこそ何か助けになることをすべきだと地元の人は思ったからだろう。

それは地元の人でもそうである。なぜ故郷を捨てて出たのか?外に出た人と残った人で争う、それで飯館村では外に出た人と残った人で草刈りをしたというのもそのためである。この辺では様々な対立が生れたのである。
第一飯館村では補償金をもらって外に出た方がいいという人と残る組が二つに別れて争いになったことでもわかる、その争いが深刻なのである。
蕨平の人は40軒あったが残るのは一軒であり牛を飼うことであれ農業が田んぼの管理でもできなくなっている、それで小高辺りでもあきらめるという人がでてくる
もともと後継者がいなくなっていたから余計にあきらめる人か多くなる
共同性が失われたからその共同性を具体的に意識されたのである。
個々の家というものは常に意識されるけど共同しているということは意識されないのである。
でも現実にコミニュティとかこのうよに破壊されると強く意識されるのである。
特に農家の場合は一軒一軒の家では成り立たないのが農業だったから余計にそうなったのである。

ただこういうときは外からの人も入りやすい、助けを求めているのだから外からの人は若いなら歓迎される、普通だとなかなか入りにくい、その外からの人が逆に指導的立場にもなりやすいのである。
なぜなら地元の人は老人が多く、出る人と残る人で分断されたり補償金とかでもめたりと一致していない、外からの人はかえってそうしたしがらみとかもないし新しいことをしやすいのである。何かこういう場所だからこそ生きがいを見つけやすいともなる
町や村をリードする立場にだって成りやすいとなる
地元の人が困り求めるているからそうなる、普通だったらそうはならないからだ。




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2017年05月21日

文明で抽象化された人間 (文明は数えることからはじまった)


文明で抽象化された人間


(文明は数えることからはじまった)


文明は何かというときこれせ定義もできない、ただ文明の起こりが数の計算から起きてきた。穀物でもエジフトでも計るときその時数を計算するもの必要になった。
それで書記が重用されて高い地位についた、それは官僚でもあった
数の計算は物でも数としてみるとき人間も必然的に物として数として見るようになる
つまり人間一人は一個という数に抽象化されるのである。
人間一人といってもそこにはいろいろな属性があり一人一人違ったものである。
顔も体つきも生い立ちもいろいろ違っていて個性がある。
しかしその個性は無視されるのでてある。
政治的にも数が権力だとなるとき数を集めることが権力をもつことになる
それで一票として人間は数えられる、どんな人でも一票には変わりないのである。
それ自体は平等になるがただ数だけがもの言う世界になる

だからシュヘングラーが数から数学的思考からはじまり文明の崩壊を説いたのも納得できる、文明は現代文明だけではない、そのはじまりから数と密接に結びついていたのであるそれが高度な数学になったが最初はただ数えるということからはじまっていた
数えることが文明のはじまりだったのてある。
人間一人でも様々なことを現している、でも経済的人口的単位になれば一つとしか数えられないのである。政治的単位でも一票としか数えられない、それ以外にその人を示すものはないのである。

そして経済というときグローバル化経済になるとますます世界が常に数として計算される金融の世界になるとただ毎日株価が上がった下がったというけどそれも数として現される数字が変動する、それが経済だとなる、そこに何か文明が最初から数を数えることから始まったように抽象化した世界である。
それは放射線量を計る時も同じである。全く数値としてしか放射線量は計れないからである。目に見えないものであり数値だけでしかわからないからである。
現代の経済も具体的に目に見えるものとしてやりとりされないからである。
ただ数値だけを追っていることが多いのである。
銀行員とかはそうである。毎日具体的な物を扱っているより数値を追っている
だから抽象的なものとなる、そもそも貨幣とかもこの数えることから生まれたのかもしれない、貨幣はやはり物を人間を数としてみる、そういう道具として便利だから生まれた
貨幣はだから抽象的なものへの転化なのである。それは数としてはじまった文明と同じである。

銀行員は今や貨幣を扱っているのではない、数字を扱っている、金にしても帳簿に記された数字でありグローバル化経済では数字としてふりとりされている
今や貨幣ではない数字化されたものとして経済があり金は数字であり数字が減ったり増えたりしているだけでありあくとき数字がゼロになっとき貯金もゼロになっているのである貨幣だったら紙切れでもこれが一万だとかなる、それよりそれが黄金だったらもっと具体的になるからその黄金をもっていて触っていたりしたら金持ちだという感覚になる
数字だとそういう感覚がなくなる、触ることもできないし重さも大きさもないからであるだから石の貨幣とかあったがそれは富の象徴だというとき具体的に重いし大きいから力あるものとして富の象徴となったのである。

例えば石というのを自分はテーマにして詩を書いてきた、石でもよくよく見るとみんな形も大きさも重さも違っていて個性がある。でも一個二個と数えればその個性は省かれるのである。ただ一個の石となる、それでも石の大きさがどうだとか重さがどうだとかは計れるるし分類できる、それは数学的概念として処理できる
でもその石の個性がどうだとかなるとそれは文系的なものになるのだろう。
その石の大きさとか重さとかを計るのは数学だからである。石は正方形とか立方体にはなっていない、そこに個性が生まれる、でも数学的にするには正方形と立方体にするのがわかりやすくなる、計算しやすくなるからだ。

結局現代文明の問題は別に今に始まったことではない、すでにその萌芽が文明のはじまりとともにあったのが現代になって極端な形で現れたとなる
ナチスがなぜ生まれたかとなると人間は数でしかないという感覚になっていた
人間は人間と見ていない、数として抽象化されたものしとて見ていたのである。
それはカルト教団とか宗教団体でも同じである。ただ数を増やすことしかない、それが一票に通じているし権力になるからだ。創価などはその典型的なものである。一人一人がどんな人間など関係ないのである。
改悛とか何か宗教的なものとは一切関係ない、ただ数だけを追求しているのである。
それが極端になるとナチスのようなものとなる恐怖である。

それでなぜホランニーのような人間の経済学が生まれたかというのもわかる、そこでは具体的な物と物の物々交換の世界を良しとしているからだ。数の世界ではない、例えば黄金と塩が等価で交換されたというときそれは具体的な物と物の交換であり数として貨幣としての交換ではないのである。物と物の交換になると具体的だがそこに貨幣が介在すると抽象的になり数になってくるのである。
だから人間の経済学というのも現代文明のアンチテーゼとして生まれたものである。
現代の学問でも思想でもなんでも人間を回復しようとすればそうなってくる

不思議なのと認知症になると数字というのが抽象的概念が理解できなくなる、金のことが貨幣のことが理解できなくなる、だから銀行から金もおろせなくなるのである。
漢字なども書けなくなるのは漢字も文字も実際は抽象化されたものだからである。
太陽とか石とか文字で現してもそれは抽象的なものである。
認知症になるとそうした抽象的なものを理解することができなくなる
だから人間は外界を抽象化することができる、文字にしたり数字にしたりできるということが文明を生んだともなる、それが現代のようになると数値のみになり抽象化して現実の世界が何なのかわからなくなる
文字はまだ多様なものを現している、でも数字はそうした多様なものを抽象化して数としてしか計算しないのである。

ともかく現代は世界を数として把握することが多い、常に統計的に人間をみる、それか経済的観点とか政治的観点からするとわかりやい、人口がその国の経済力となる、日本だと人口一万あればそれだけの消費をするからそれくらいの規模の町としてみる
でも一万となると限界がありとても現代的便利な暮らしはできないとみる
普通だと十万都市をイメージする、そきくらいなら現代の便利な生活が可能だとみる
経済とは数字として常に見ているのである。
原発事故の避難区域になったところでも一万あった人口が二割しか帰らないとなると町は成立しないとみる、それは経済的観点からはそうである。
でも別に昔なら大正時代なら6000千万の人口だから成り立っていたとなる

要するに人間社会を数からしか見れない、政治でも経済でもそうである。
人間一人一人が求めるものが違うこともあるがそんなことは関係ない、すべて数として社会を見ているとなる、数が集まればそれが力なんだとなるのである。
少子高齢化でもそうである。数の観点からしかみていない、でも少子化になっても日本の人口が減ってもそれが本当に悪いものかどうかはわからない
なぜなら例えばヨーロッパの都市でも5万になれば大都市である。

ではなぜそういう人口が少ないのにギリシャでもそうだが文化が文明が生まれたのかとなる、それは人口に比例して文化が生まれるとは限らない、5万となると現代ではどこでもざらにあるがそこに文化が華開くということではないからだ
人口が少なくてもその質が問題になる、現代は量だけはあるのだが質が劣っているのである。いくら人口を増やしても質が劣ればいいとはいえないのである。
だから量より質の時代に転換すべきだとなる、高度成長時代は量の時代だったがこれから質の時代なのである。
カルト教団のように毎日量だけを数だけを増やすことに奔走していてそれが何か社会的に意味があるのかとなればただ権力となるだけで文化的な成果は何もない
精神的なものを追求するのが宗教だけどその精神的なものと一切関係ないのである。
でも数を集めると社会ではそこに注目する、政治家も票になると利用することを考えるのである。
一票としてしか数えられない政治もそうである。そこに人間の回復はないのである。
ただ現代文明はただ数からしか見ないのである。
posted by 老鶯 at 09:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本(世界)文化文明論

2017年05月20日

(都忘れ)街中の空家の不思議 (空家でもまだ人が住んでいることを偲べる)


(都忘れ)街中の空家の不思議


空家でもまだ人が住んでいることを偲べる

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木漏れ日に蟻の歩める暑さかな

一畝をうない終わるや暑さかな

車輪梅の垣根や路次の家暮れぬ



鉄線の空家に咲くや路次裏の今日もこの道行きにけるかな

玄関に一本の松残りつつ都忘れの名残に咲きぬ

玄関に一本の松ここにしも暮らしのありし路地裏の暮る

車輪梅の垣根を作りここに住む人のなしかも花は咲けども

雨戸しめそのままなれや空家かな昔住みにし人をしのびぬ

路地裏の道に明るし夏の花咲きしもここを行く人のまれ

夕暮れや空家の庭に紫と白の菖蒲の咲くやいつまた来なむ

いくつかの石の並びつ淋しかな空家の庭や今日も通りぬ

庭の石位置は変わらずここに住む主を待ちぬ久しかりけり



この空家の不思議は何か?古い小さい家だけど狭い庭だけど良く作られている、ジャングルのように木とか葉でおおわれている、そこに花が咲いている、鉄線の花だった
垣根は車輪梅で作っている、車輪梅はこの辺では南限の地に咲くとして海老浜で有名だった、この辺では車輪梅は良くみかけるのである。

玄関に一本の松がありそこを出入りしていたのである。客も迎えたのである。
この空家の不思議は庭が良く作られている、狭いけど庭が丹念に作られている
花もうまくあしらい咲いている,樹々の葉がまるでジャングルのようにおおっている
これは狭い庭だからかえってできたことである。

この家には誰が住んだのか?ここにも生活があったのである。
ただ近くの人はこの同じ町内に新しく家を建てて移ったのだという。
でもこの空家は本当に空家らしい空家なのである。

もう一つの空家は家は古くなっていない空家には全然見えない、実際にその家は時々持ち主が帰ってきてみているのである。
そこに紫と白の菖蒲が咲いている、それをみているのは自分である。

毎日こうして街内を行ったり来たりしている、すると空家でもここには誰が住んだのだろうかと思うようになる、やはり人間は住んでいればどんな場所でも一体化するのである。空家でもやはり人が住まなくても以前としてそこに人が住んだとしてその家と庭からまた人を思ったりするのである。

つまり空家になっても更地にならない限りなにかしら人の住んだとものとして跡をとどめている。だから取り壊されない限り幽霊屋敷のようになっても家があれば以前としてそこに住んだ人を思うのである。

そしてもう一軒の空家は一〇年とか二〇年とか空家になっていたかもしれない、でもやはり時々帰ってきている、それもなぜだろうとなる。
そこには淋しく石が昔のままに置かれて家族が帰るのを待っているのである。
石も人間化しているのである。だからその石は自然にある石とは違うのである。

空家というとき避難区域になったところは空家だらけである。
そして空家が全国で八〇〇万軒になっているとか異常な事態でもある
だからどこでも空家が目立つ、避難区域はそもそも空家の街となってしまったからである。
空家でもいろいろあるがこの空家は庭がいいしここに住んだ人が風流人とかでもなくても何か庭を自然を愛した人かもしれない、花を愛した人かもしれないとなる
この家も壊されればここに住んだという記憶が失われるのである。

避難区域で空家だらけだけどその空家は前に住んでいた人を待っているのである
家もそうだが庭もそうである。時々帰ってくる人があれば完全な空家ではないのである。ただ人が帰るのを待っている一時的に空にした家だとなる

ともかく狭いところでも日常的に行き来していると一体化してゆく
だから年取ってからはあちらこちら旅するというよりこうして一定の場所にいて観察した方がいい、遠くでも一週間とか住んでいるのがいい、するとその土地のこともわかってくるのである。

女性が畑を耕していた、夕方でも今日は暑い、そういう姿をみていると食べ物でも貴重だと思うのである。苦労して作っているんだなと見るからである。
でも機械で自動的に野菜でも何でもとれたらありがたみがなくなってくるのである。
誰も機械には感謝しないからである。
ともかく今日は暑くて外に出れなかった、何か暑さに弱くなっている
疲れやすくなっている、だから今日は一回しか外に出なかった



なぜ原発事故は三〇キロ圏内で区切られたのか? (科学的、経済的、政治的理由があった)


なぜ原発事故は三〇キロ圏内で区切られたのか?


科学的、経済的、政治的理由があった



●科学的理由

●経済的理由

●政治的理由


今回の原発事故ではこの三つが関係していた、だから科学的なものを原子力とか核を知らないとなかなか追求できないものだった、その壁が大きいから素人は立ち入れることができなくなった、お前は原子力のことがわかるのかとなれば自分は科学に弱いからお手上げになる。
それで専門家集団に牛耳られたでしまったのである。

例えば科学的理由というとき原発自体がそもそもが科学者の集まりで作られたから科学的理由を追求する集団だった、だから本当はそうして合理的科学的に原発を建設するべきだった、ところがそこに経済的理由とか政治的理由があってできなかった
経済的圧力と政治的圧力があり科学的合理的にすることができなかった

もともと高い所に原発を建てたのにそれをわざわざ削って低くして電源の近いところに建てたのは経済的理由である。それだと安上がりになるからである。
会社だったらそうして利潤追求だからなるべく安く仕上げようとするからだ。
そこで安全よりはコストをおさえる方にした、それで清水社長はコストカッターとしてのしあがったというときもそうである。
コストをかけないで作り運営して利潤をあげるのが会社だからである。

そして経済的理由というときなぜ三〇キロ圏内で区切って避難させて補償金を支払ったのか?それは科学的理由があってそうしたのではない、経済的理由だったのである。
なぜなら福島市や郡山市の方が浜通りの海岸沿いより放射線量が高い、すると科学的には放射線量が高い所に補償金を支払わなければならない、それが福島市とか郡山市とかなると人口が多いからできないから三〇キロ圏内で区切って支払うことに政府で決めたからそうなった。
それは科学的理由で決められたのではなかった。経済的理由だったのである。

何かこの三つはあらゆることにからんでくる。北朝鮮のミサイルにしてもそこには科学的なものと経済的なものと政治的なものがからんでいる
原発も政治的理由としてはアメリカが大きな力をもっていて影響した、日本に原発を最初に売ったのもそうである、それは古い型のものであり危険だった、アメリカにしてみればそれでもうける経済的理由があったとなる
それから政治的理由としてはアメリカの核戦略がありそれはフランスとかとも協力して成されるものだから日本はその一翼をになわされたともなる
そういう世界政治とも関係して原発は日本に作られたのである。

ともかくもし科学的理由だけを追求して原発でも建てられれば問題なかった
何かそこに原発は経済的理由と政治的理由があり作られた、それによってゆがめられたともなる
科学は悪いものではない、技術が悪いものではない、ただ核兵器とかなると悪く利用されるのである。
科学は純粋に科学ではありえない、そこに経済的理由、政治的が介入してゆがめられるのである。科学者に戦争の意図がないとしてもそれが政治によって戦争に利用される
経済的理由で軍需企業が戦争をしかけるとかともなる、それは経済的理由なのである。
薬などにしても世界的会社が病気がなくなったら困るからガンを直さないんだとかとも言われる、病気がなくなる、病気がへる、ガンがなくなるとしたら薬会社はつぶれるからだ薬はルネサンスの起きたフィレンツのメディチ家が医者や薬の販売で財を築いたというときもともとそれがもうかるものだったからである。薬を売ることは今でもそうだが利益が大きいからである。薬九層倍とはそのことである。

認知症になったから家族をみてもらったが脳の写真をレントゲンでとっても実際は何もわからないものだった
第一脳の写真を詳細にとれるのは福島県には二台くらいしかない、それより脳の写真映像をみてもわからないのが今の認知症の治療の現実なのである。それで三万かかったとすると保険がきいているから五倍くらいの収入が病院に入っている
それは何ら効果のないものでもそうなっていたのてある、医療には膨大な無駄金が使われている
保険から支払われることはまた自分だけではない、国民全員がそうした無駄な金を医療では使われているのである。

何かわからないにてもガンとは実際直せるんだという人がいる、また癌を尿から簡単に発見する技術も開発されたとかある、そういうふうに癌が簡単に見つけられ金もかからないとしたら医療関係者はもうからなくなるから経済的に苦しくなるし会社も倒産しかねないのである。
科学的に病気を治すことを追求するの科学者の役目である、一方で経済的理由でそうなると困るということが起きる、すると癌は直らない方がいいとまでなる
ただ癌を直るとしても馬鹿高い薬の値段にする、そこで科学的に純粋に何でも追求できないのである。そこに経済的理由や政治的理由でできなくなる

科学的合理的に追求すれば三〇キロ圏内で区切る必要がなかった、避難させることもなかった、そのためにこの辺では混乱させられたからである。
それは科学的理由ではない、経済的政治的理由だったのである。
それでこの辺は小高が避難させられて荒廃させられたし補償金で南相馬市は分断されたのである。それは政治的科学的理由のためだったのである。
それはとりかえしのつかないことになったのである。
もう小高は元のように回復できなくなったからである。
そうさせたのは政治的理由と経済的理由であり科学的理由ではなかったのである。

科学的理由というか真理というかそういうものを人類は一方で追求してきた
それは政治的なものと経済的なものと関係はない、地球が太陽の回りを回る地動説は
科学的真理である。それを主張したらカトリック教団からガリレオは批判されて否定された、その時天動説が宗教から定説とされていたからである。
それでそれは神の信仰に反するものだとまでされたのである。
その時宗教というのは政治でもあり権力をもっているから否定されたのである。
宗教的理由というのも歴史的には大きな力をもっていたのである。
宗教というのも何かというとき、それも一つの真理である、不変的真理である。
それは心の内面の問題であり神の実在を信じるものであり政治的なものと経済的なものとは違ったものである。

でも宗教でも政治的理由とか経済的理由がかかわってくる、まずこの二つの圧力が大きいからこれから脱することはできない、それで幸福の科学とかあってもそれはなになのか?
政治的経済的な圧力から離れることはできない,カルト宗教団体はすべて政治的経済的なものと一体化するからカルトなのである。それを如実に示しているのか創価である。
政治経済と完全に一体化しているからである。
日本の戦争にしても天皇教となり宗教と一体化した、でもそれは政治的圧力でそうなったともなる、だから政治、経済、科学、宗教・・・これらは離れられない一体のものとしてこの世にはある。
結果的に今回のように政治経済的圧力がありゆがめらた結果となり甚大な被害を受けたのである。戦争だって現代では宗教と政治と経済と科学が一体となって起されるものである実際に歴史的そうして戦争があった。戦争するにしても勝ちを神仏に祈っているからである。宗教と戦争は一体化していたのである。十字軍もイスラムがその時先進国だから富を奪うためであったとされる、宗教的理由の背後に経済的理由があったとなる
そういうことは人間の歴史をふりかえればいくらでもあるとなる














posted by 老鶯 at 07:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2017年05月19日

今日の鹿島駅 (原町の人と石巻の娘のところに行く人の話)


今日の鹿島駅


(原町の人と石巻の娘 のところに行く人の話)

三〇キロ圏内で区切ったのは補償金をその他に払いたくない政府の都合だった

今日は結構人の出入りがあった、ちょうど電車が来た時、小池の人が来た、電車は走り出していた、電車は走ったら止まらない、その後は一時間後になった
例の盲目の人が来て案内した、飯館村の蕨平の人も親戚の人が死んで来ていた
その石巻の娘の所に行く女性は石巻に嫁にやった人だった
石巻の娘は困っているので良く行くという,その人も電車のことがわからなくなっている人だった、時間をまちがえて遅れた
娘の夫は一番被害のあた日和山の前の工場で働いたとういう、何でも自転車で逃げて助かったとか言っていた、あの時車だったら渋滞してかえって危険だったとなる
日和山の前は家が本当に多いから被害が大きくなった

そして新しく建てた家が被害にあったという、何かこの新しく家を建てたのに津浪の被害にあったということは良く聞く
他人の家でもあそこでは新しい家を建てたのに被害にあったという
知っている小高の人もそうだった、塚原の人で新しく建てた家であり借金があった
それが津浪で被害にあい帰らないという、ただ小高の人はまだ補償金がもらえたから救われているともなる
海老の人が意気消沈していたのは原発補償金をもらったとしても少ない、宮城県などでも石巻などでも一億円とかもらったのは
極一部の人だろう、ただ何らかの補償が国から出た、一軒五〇〇万円は支給されたみたいだ
津浪の土地は海老でも国で買い上げたが安いと海老の人は言っていた。

それと川がありその川をさかのぼったら被害が大きくなったという
あの川は大きいから確かに津浪だと川をまずさかのぼるから被害になる
この辺でも真野川でも自分のすぐ近くまで川から津浪がおしよせて上ってきていたのである。その時みんな騒いでいたがあとかたづつに追われてわからなかった
物が落ちて散乱していたからだ
石巻は一番被害が大きく死者も多く一年前とか行ったが店も閉まっているのが多いし流出した人口も多いから復興するのも容易ではない
ともかくつくづく津浪の被害は広範囲なのである。何かしら東北では影響を受けているとなる

次に来たの原町の人だった、一人は若く中通りに住んでいるという、小高でも鹿島でも様子を見にきた、その人は津浪や原発事故の時は原町に住んでいた

「小池などは放射線量が高いから補償金高くもらってもいいはずだ」
「でもさ、国で三〇キロ圏で区切ったのはなぜかわかるか」
「理由があるの」
「福島市でも郡山で放射線量はこの辺より高いんだよ、放射線量を基準にしたら福島市や郡山市にも払わなければならなくなる、するととても払いきれなくなる」
「確かにそうだな、三〇キロで区切る必要などなかった、距離と関係なく風の流れて放射線量は影響された、小高でも浪江ですら海側は低いんだよ、相馬市だってこの辺と変わりないよ」
「小池とか山側が放射線量が高い、でもそういうことで補償金払っていたら郡山市とか福島市るで国では払うことになる」
「そういうことだったのか」

そういう理由で30キロ圏で区切ってその内は補償するとうことに決めたのか?
何がしかの科学的根拠もあると思ったがないとすると小高はそもそも避難区域にする必要などなかった、ただ国の政策で三〇キロ圏内にしたとなる
小高が避難区域にされたのは科学的根拠もなにもない、ただ政府の都合で補償金を福島市とか郡山市に払いたくないからそうしたのかとなる
確かに三〇キロで区切ればと政府にとってそれがわかりやすいからであり都合がいいからだとなる、それは住民とはなんら関係なかったことなのである。

南相馬市内でも良く放射線量のことをいう、小池の人も高いというし実際に田んぼを作らないのが多い。放射線量たと南相馬市内でも山側は大原とかは高いから避難区域になって仮設に住んだ人たちがいる
そういう人たちは補償金も高くもらっていた

「俺が住んでいる所は放射線量が高いんだよ、だからもらって当然だよ」
「そうなるとさ、福島市や郡山市はこの辺の海側より高いんだぜ、そうなると国では払いきれなくなる、だから三〇キロ圏内を基準にして払ったんだよ」
「それもそうだな、海側だと0.3以下だから放射線量を基準にしたらもらえない地域だよ
そうしたらまた不満がそこに起きる」
「もしさ、そこに住んでいる家で放射線量を正確に計って補償金を支払っていたらどうなるのか、それで公平になるのか」
「これもならんだろう」
「なぜならこの辺では真野ダムがあったらその水を飲んでもいるし利用するからその影響があるからだ、自分もペットボトルの水を未だに利用しているからな」
「やはり補償金はそうしたスポットスポットの点で放射線量を計ってそれで補償することになじまないんだよ、大地でも川でも山でも空でもみんなつながっているから放射線の影響を受けるからな」

飯館村は高いから例外として後は払わないことにしたというのもわかりやすい
原町でいくらもらったかと聞いても答えない、何かそれがわからないのである。
避難した人はもらったというけど鹿島でも半分は避難したからである。
ただ明らかに三〇キロで区切ったのだからその圏内は確実に補償金を高くもらったのである。
それから二本松とか福島市で耳にしたことではやはり避難した仮設の人がぜいたくして補償金で遊んでいることに不満な人がいるという、やはりそのことはここでも同じだからあった


こうして直接話してみると何か情報はいろいろありわかってくるものがある。
原町の人とあんまり補償金のことは話しない、ただ合併したけど原町中心に予算が組まれて使われたということは確かである。
合併してももともと原町が人口が鹿島と小高を合わせたより多かったのだから当然そうなる、原町が予算を一人じめするということにもなったのである。
そのことは前から言われていた、鹿島では原町に金をくれてやったんだとかとられたんだとか言う人がいた、実際そうだったのである。
だから飯館村は合併しなくて村独自で交渉したから今回は得したとなるのだ

ともかく駅にはいろいろな人が実際交わる場だった、あの人は車で来たが駅に立ち寄って様子を見に来たのである。小高の駅も見に来たがトイレが良くないとかいっていた
鹿島の駅にいると良くトイレを車で来た人も使っている、トイレのために立ち寄っているのである。、鹿島にはそういう場がないからかもしれない、駅はこうして電車を利用する人だけが来る場所でもないのである。
だから駐車場が狭いから広くすれば活性化されることは確かなのである。




●小池の母親が津浪の被害にあった嫁いだ娘のいる石巻に行く

●原町の人が鹿島を見に来る

●中国人が三人駅より帰る


これもニュースである。中国人が三人駅から帰ったのはこの辺では外国人労働者がいる
ベトナム人がいたしネパール人もいた、中国人はやはり一番多いだろう
ただ今は中国人よりベトナムやネパール人が統計では増えている
駅は全国的であり国際的であり地元でもある
これは震災以後にこうなった、だから仙台を行き来する人が三倍増えたのである。

中国人でもやはりありがとうとか言葉を覚えて切符代わりの証明書のことを教えるとそういう、それが印象を良くする、やはりこうして言葉を覚えることは効果がある
ありがという、この言葉外国で一言覚えるだけでかなり効果がある
自分はそういう点だめだった、ただこの中国人は旅行者ではない、日本人に混じって長い間働いた結果覚えたのである。
なにか英語ではない、外国語となると一言でも覚えるのが容易ではない
特に中国語は発音がわからないのでしゃべっているのが皆目わからない
それで漢字を書いたり英語でコミニケーションを計るのである。
英語だと単語を一言でも知っているからいいのである。






















posted by 老鶯 at 15:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 今日の鹿島駅(常磐線)

シャガの花(鹿島区でも通りは発展しない) (街作りのテーマ)


シャガの花(鹿島区でも通りは発展しない)

(街作りのテーマ)

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この通りを歩いている人はほとんどいない

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こっちの薬屋は今は行っていない,近くのツルハに行っているからだ


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ここは新しくできたアパートである。

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草原の夕べ明るし夏雲雀


新しき家やはやも草伸びてシャガの花咲くこの通りかな

木陰の道を我が行き来しシャガの花新しき家に咲きて暮れにき

夕日さしシャガの花咲き庭に石新住宅街や街の変わりぬ

色濃くも菖蒲の咲きし通りかな人行くまれに我が今日も行く


なんか前からそうだったけど街でもその回りでも自転車で回っている、まず駅に行きそこで案内したりする、鹿島にボート工場があったの?東京から本社から来る人を迎えに来ていた。他の会社でも駅に迎える来る
それからキクチスーパとシシドスーパーとツルハをドラッグストアを回る

外食は今度は小池のコモドインにしている、距離的に原町になると遠いがあそこは町内だからいい、そしてそこは町から離れているので気分転換になる
外食がうまいものを食べるということもあるが気分転換の効果もある
だから本当はながめのいい郊外とかがいいのである。
街内だとそれがない、それでも仙台辺りは並木があり緑がある
でも最近はまた仙台にも行かない
なんか遠くに行く気力がなくなった

深野のユッサもいいが距離的に遠い、自転車だと遠くなる、最近疲れやすくなるから行きたくなくなる、鹿島で暮らして問題なのは外食する場が限られていることである。
仮設ではもう一軒しかないがメニューが限られている
それでコモドインは日替わりがあるからいい、駅にいると食事したいという人がいて
駅前の鈴木食堂による人がいる、あれを考えると昔は駅前は人の出入りが多かったから駅前で商売になることが多かったろう。
ただ仙台を往来する人が三倍に増えたということはいいことである。

鹿島は前に街作りとして新しい通りを作った
川沿いだがあそこは通りとしては新しいし気持ちいい場である。
木蓮が咲いたり通りに花を咲かせている、川が近くだし自然景観もいい、駅前から昔の旧道は自然景観は良くないからだ

ただその新しい通りがほとんど活かさていない、店がほとんどない、それはどこでも同じである。だから歩いている人はめったにいない、ただ車が通りすぎるだけである。
だから何か淋しいという感じがする、でも通りを花で飾っているのである。
スーパーとかにないものは通りには自然が活きていたり通りを歩く楽しみとかある
それがあれば楽しいとなる、前は喫茶店があったみたいだがやめた

結局街というのはある程度の人口がないと何をしてもうまくいかないだろう。
人口一万では発展しない、少なくても二万あればそれなりの街になるかもしれない。
ただ鹿島区は新しい住宅街ができた、だから人口は減っていないが高齢化もあり活気があるとはいえない、これはどこでも同じだがやはり一万の人口の限界現象がある
だから新しい通りを作っても活かせないのである。

ただ鹿島区は何か都会化したと感じるのは新しい家が増えたためである。
その家の数が多いからである。小池辺りでも増えたしあの辺は田んぼだったが住宅地になった。そこにコモドインなどの復興関係のホテルなどができたから都会化した

基本的に街が死んでいる通りが死んでいるというときそれはシャッター通りになっているというとき車社会になったからでありそれをあからさまに批判している本がでていた
「成熟社会」とかの本である。
今思潮として高齢化した結果、昔のような近隣関係とかコミニュティとかの回復を言う人が増えてきた、それを破壊した一番の原因が車社会になったことだからである。
ただ車をもたないとか車社会を批判すること、それが社会の歪みをもたらしたことはあまり言わない、それは原発に反対できないのと同じだった
車社会に反対するというとき車をなくせということではない、何らか制限が必要だということである。

だから交通にしてもバスとか何かそれに変わるものが必要である。駅にいるとそこからの足がないからだ、だから車で迎えに来る人が多い。
都会でかえって車なしで生活できる、鉄道網がありかえって効率的になる
田舎は広いから車なしでは住めない、ただ街内に住んでいればなんとか住める

人間が住みやすい場所は必ずしも田舎ではない、田舎的ものと都会的なものが調和した場所なのである。田園といってもそこに都会的なものがある場所である。
だから鹿島に欠けているのは外食するレストランなどがないことで一人暮らしは困る

いづれにしろ奇妙なのはシャガの花となると何か山の中の人気のない所に咲くものだと見ていた、そういう感じの花である。それが新しい通りというか住宅街に咲いている
そしてすでに草が伸びてそこに咲いている
このことが何かこの辺の変化を現している、都会的なものと田舎的な幽邃なものがあるとなる、あまりにも都会化した場所にはシャガの花はにあわないからだ

雲雀というとき草雲雀とかあり草原ににあっていた、田んぼより草原ににあうのが雲雀だったのてある。この辺は海側がまだ草原なのである。
この風景も前から不思議だった、草原とういモンゴルになるからだ
モンゴルの風景が一部ここに再現されている不思議である。
ただあとはソーラーパネルになっている、でもあそこだとソーラーパネルはそれほど目立たない、飯館村は森の国でありその山に森を削ってソーラーパネルにすると目立つのである。景観が破壊されるのである。

ともかく津浪や原発事故以降景観までこんなに変わることの驚きである。
それで新しい経験をしているということもある
今日あたりも快晴だけど暑いし日ざしが強いと最近疲れる、紫外線は体に良くない
そういう点で老いを感じる、おそらくなぜ昔を回復しようとする思潮が出てきたかというと高齢化社会は歩く生活とか近接社会とかそうした昔のスロー社会とかに向いているからである。若いときは高度成長とか大都会が向いている、高齢化社会にはそうしたかえって活気あるものと見えたものがあわなくなっているからである
ただやはり人間的活気も必要でありそれが通りにないからもったないと感じるのである。

2017年05月18日

資本主義の精神とは何か 資本主義の倫理は崩壊したから資本主義は終わる


資本主義の精神とは何か


資本主義の倫理は崩壊したから資本主義は終わる


自分の職業もまた神が選んでくれたものに違いない。これを天職または召命という。この考え方はプロテスタンティズム以前にはなかった。自分の仕事が天職であるならば怠けているわけにはいかない。働いて働きまくることが神様のみ心にそう方法。もともとキリスト教には労働こそが救済の手段であるという思想がある。働かざるもの食うべからずというのはキリスト教修道院の戒律だ。こんな思想は仏教にはない。仏教では働かなくても食ってよいし、それどころかインド仏教では経済活動を禁止し、お布施で暮らしていた。


今は社会主義国でも資本主義のなかに組み込まれ生きている、でも資本主義というとき何なのか?それがわかりにくいのだ。
だから何かを理解するのには何かと対比することである、比較することである。
人間はそもそも美と醜があるとき醜があるから美を理解する、善と悪でも悪があるから善を理解する、何かをうまいというとき味でもまずいものばかり食べていたら何がうまいかもわからない、歴史でも今を知るには昔にさかのぼり日本だったら江戸時代をみる
すると現代というのがどこが変わったのかそして昔あったもの失ったことをしる。

例えば車社会になるとこれがどれほど社会を変えててまったか驚くほどである。
なぜなら駅前はすたれシャッター通りなり人間は個々に車に閉じた生活をするようになった、車の影響は実は単に道具が変わった便利になっただけとかならない
人間の精神のありかたまで変えてしまったのである。
なぜこんな人間ばかりなのだと嘆くとき車社会になった人がその社会に適合してそうなったともなる、だから道具の影響は人間の精神まで変えるからただ便利だからいいとして
応用すると社会そのもの人間の精神そのもののまで変えてしまうのである。

メデアでも新聞からラジオからテレビからインターネットと変わる時、変化した、それは社会そのものまで変える、それはマスコミが世論を作ってきたと言われるようにである。世論も操作できるのだからどれだけたマスコミが力をもったかわかる
でもインターネットが出てきて今度はまた変わってくる
インターネットの不思議は個人がクローズアップされるメデアである。
対話的メデアである,マスコミのように一方通行ではない、基本的にman to manのメデアである。それはもともと個々人がメデアとなったときまた個々人が反応しやすいからそうなる
パソコン通信は必ずレスポンスが必要であるものとしてはじまったことでもわかる

資本主義でもそれがどうしてキリスト教から生れたのかとなると理解しにくい、確かにイスラム教や仏教からは生れていない、労働の倫理でもある。
そもそも宗教と資本主義が関係あるのかとなる
今の資本主義がどうしてキリスト教と関係あるのかとなる、隣人愛などと何の関係もない、自分の欲だけを限りなく追求するだけである。そこにはまず禁欲などないからだ。
禁欲があったら消費もないのである。欲望を無限に拡大して消費することがすすめられているのだ、そこにかつての素朴な倫理は皆無である。

結局逆に働かないで勤労しないで株でもうけたいとなる、一攫千金を得たいとなる
働かないで食べていきたということを今の資本主義から人々は目指すようになった
なぜなら今や金融の操作で働かないで莫大な富を得る、数パーセントの大金持ちが世界から富を吸い上げているとなる、それがなぜ隣人愛だとなる
それはまるで違った資本主義であり宗教とはもう何の関係もないのである。
もし修道院で働く人たちを見ていたらそれがキリスト教に由来して隣人愛の労働だと他者も理解したのである。労働が尊いと理解したのである。

株を金融を操作している一握りのものが世界の富を集めているといのうは悪魔的なのである。つまり資本主義はもうサタンによって操作されていてそこで陰にユダヤ人がいるとかロスチャイルドがなんとか陰謀論になってしまう世界である。
もう資本主義の精神とかモラル崩壊しているのである。
 現実に投資のことをボジティブな姿勢として見たが株式市場では素人は勝てないようになっている
数パーセンのものが株式市場で勝つように仕組みとしてなっているからギャンブルにしても勝てない
なんか銀行に手数料をとられ素人はプロに金を吸い上げられ得するのは数パーセントの大金持ちだとなってしまうのが
現代の株式市場なのである。


では社会主義がどうかとなると、社会主義の精神は何なのだとなる、これも資本主義を否定するものとしてマルクスが産み出したものである。
それが現実化したのがかつてのソビエト連邦とかであり北朝鮮であり中国もそうだった
でも社会主義というのは平等の精神なのか、ぬきでたものはいらない、みんなどんぐりの背比べでいいともなる
何かに新しいものに投資もしない、平等であればいいとなり福祉を充実させることだとなる、そして社会主義国で一番成りたい職業は官僚だとなる、役人だとなる
そこに一番富が集まるからその富の分配にあづかるのが役人だからである。
それで中国ではそうなった、そこにも大きな格差を産む社会になった
でも中国は資本主義も取り入れているからいろいろな試みが投資が行われている

資本主義がもう限界だというとき資本主義は常に投資して新たな富を作り出して分配する平等より差があってもいい、ただその差は何かに投資して新たな富を作りだすからこそ容認されていたのである。
その新たな富を産み出せなくなったとき資本主義が金融資本主義とかなりただギャンブル資本主義となり数パーセントのものに世界の金が富が吸収されるだけとなる
その時、こんな社会なら働くの馬鹿らしいとなり勤労や勤勉の精神がなくなったのであるそこにモラルの荒廃が生れたのである。つまり逆に資本主義が生れた宗教の勤勉を基にしてたモラルが失われたとき資本主義は成立しなくなった
なぜなら働くことが馬鹿らしい、誰のために働いているのだ、株で金融でもうけている人のために俺たちは働いている奴隷なのだとなってしまったからである。
今や富は極少数のものにサタンに吸い上げられているだけだとなる。
そこで常に陰謀論となっているのである。

そして機械化がすすむと人間は労働しなくてもいい、労働しなくても生きられるようになる、ベーシックインカムになる、まさに機械も人間が労働しないために推進される
自分の労働経験は流れ作業しかない、だからもう若いときから労働などしたくなくなったロボットとしての労働でしかなかった、その後労働を嫌いアウトサイダーになった
これも学校も嫌だったし集団組織になじめないということからそうなったこともある。
たまたまそういう境遇に恵まれたからできた、でも自分は学問とか芸術は好きなのであるだからその方面では勤勉に勉強して開発してきたのである。

いづれにしろ資本主義の精神は失われた、そのモラルは失われ荒廃している。
そういう面でも資本主義が崩壊してゆく、もう成り立たないのだ。
世界中で働きたくないということになる、こんな格差社会で働くの馬鹿らしいとなるからだ、悪魔的な世界の数パーセントに富が独占される、その他の人たちみんなその数パーセンの人たちの奴隷だなっていたらそうなる
もう働く動機がもちえない、働くとしても隣人愛のためとかではない、世界の富を独占する数パーセントのものために働く奴隷だとなっているからだ

事業をして失敗した人はそもそも何の理念もない、動機もない、ただ資格をもっていたから金持ち相手にもうけてやろう、そしてもともと自分は優秀だから社長になろうというくらいで事業を起こした、ここに何か社会のためになるとかの動機もなにもない、俺は優秀なんだ、だから社長になれるんだとしかないのである。
そして失敗したら今度は弱者を責めて借金を強要する、ここに隣人愛など微塵もないのである。ただ自分は頭がいいのだから優秀な人間としてみともらいたいから事業したとなるせめてみんなに上手い料理を食べさせて幸せな気分なってもらいたいとかあればいいがそうういものもない、金持ちは金をもっているからそいつらを相手にすれば金になるだろうしかないのである。
こういう人はそもそも何のために働くの生きるのかもわからないだろう。

ただ以前として働くことには意義がある、それが医者とか看護師とか介護士などがそうである。それは相手が弱者だから愛も必要としているからである。
そうした愛を必要としていると直接接するからわかりやすいのである。
ただ現実は医者でも看護師でも弱者を相手にして優位にたつ商売だとも反面なっている
ただその労働は隣人愛に本当は一番通じやすいものとなっているのは確かである。
何か商品を作る売るにしてもそれが人助けになってもそれに感謝する人はいない
金を払えばいいじゃないかだけである。

だから駅で道案内して行きと帰りに二回もありがとうと言われたのは意外だった
ありがとうというときそれは隣人愛に通じていたとも大げさになるが言える
ただそこに金が介在すると当然でありむしろ金払っているのになんとかだとクレームがくるのである。
ともかく今や労働の倫理はモラルは崩壊している、もうだから働くより人に使われるより働かない方がいいとなる
働くのは金だけが動機でありそしてもう働くより金ある所から人から盗めばいいとなる
そういう気持ちになっていることがもう労働のモラルは崩壊しているのである。
勤勉に働く必要などない、もうけた奴は悪い奴だから盗まれても当然なのだ
巨万の富をたくわえたものは俺たちの労働を盗んだものだと思っているしそれも事実だからである。巨万の富だけではない金持ちに対してはみんなそう思っているからである。
そういう意識が蔓延している、現実に自分はそれで大金を失った。
だから今は人間に働かせるより機械に働かせる方がいいともなる
人間はもう働きたくないからだ、そして家事は実際機械や買ったものでまにあせられる
人間は働く必要がないのである


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投資とは攻めかー貯金は守り (経験しないと投資の世界もわからない)


投資とは攻めかー貯金は守り


経験しないと投資の世界もわからない


自分がしたのは株ではないし銀行経由の投資信託だから株の世界はわからない
本当はしたくなかった、ただ貯金は利子がつかないのでやむをえずすすめられした
今でも本当はしたくない、何か今は減る方の心配が大きいのである。
だから増えるより減らないようにしてくれとなる
実際に減ったことがありかなり損したからである。

でもそもそも投資というのは何なのか?投資と貯金は相当に違っている
投資とはそもそも株でも何でもその前に人間は何かに投資して生きている
例えば教育も投資だし何か物を買って利用するのも投資なのである。
ただそれがすぐ見返りとして金として返ってこないものもある

でも人間は何か投資して生きる、教育は将来の投資なのである。
それに見返りなくても投資して教育はある。
金を使うことは投資なのである。本が高いとなるがこれも投資である。
自分は何か本を読んでも理解できないことが多かった
ただ本を買っただけで本をためただけで何か読んだ感覚になり知性も伸ばせたという感覚になっていた。でも本は買っても内容を理解しない限り買った価値も得られないのであるだからいくら金があっても投資しても理解できなければ何もならないのだ

でも不思議なのはそのただ買って集めた本が今になって活きてきているというのも奇妙なのである。
自分がプログで文章を書くようになって今まで買った本を読み直して引用しているからである。本というのはそもそも今自分がしているように自分の文脈にとりいれたとき活きるのである。ただ一方的に読ませられても活きてこないのである。
こういうことは情報にもある、一方的にテレビでも情報でも見たり聞いたりしてもそれが自分のものとして理解しないとただ洗脳されるだけだとなる
だかち本を読むにしても情報を取り入れるにしても批評的に読めれば見れば効果的なる

まず投資というときそれはどこでも起きている、だって何をするにも投資ということがある。例えば農業に投資が関係ないようでも種を買って肥料を買って作物を育てるのも投資なのである。それが実りになるからどうかわからないからだ
それは投資してみて実際に試してみなければわからないのである。
何でも成功は約束されていないのである。農業にも天候の異変とか様々なリスクがあるからだ
だから何でもリスクを逃れられないのである。

でも何もしなかったら何か実りがあるのかとなったらないのである。
金だって使うとき使わないと腐れてゆく、宝の持ち腐れとなる
資本主義が株式会社が最初にオランダの東インド会社から起こったというとき
航海するために金を出しあってリスクを引き受けた、なぜなら船は遭難することがあるからだ、もし遭難したら収入はゼロになるし投資した金もゼロになるリスクがあるからだ
でも成功すればその見返りは大きいのである。株は今でもそういうことで変わりないものだと思った
もちろん今の株とか金融はシステム的にギャンブルであり欺瞞だというのもわかる
ただ投資というのが根本的に何なのかということを投資して考えたのである。

投資というときあらゆることに投資があるからだ、何かを発明するとか研究するとか新しいものを作り出すとあらゆることが投資なのである。
だから投資をやめたら人間社会は活動を停止してしまうことになる
金でも銀行に貯金していてもタンス預金していてもそれが安全とはならない
金の値段は貯金しようがタンス預金しようが変動しているからである。
人間はこの世を生きることはリスクをまねがれないということである。
そのリスクは今回のような津浪だとか原発事故とかでもそうである。
必ず事故はつきものでありリスクが人間社会にはある

人間がでもリスクを回避して安全を計ることばかりしていたら進歩もなかったろう。
常に投資してきてそれがリスクがあってもしてきたから進歩したとなる
大航海時代というときこれもアジアの白人の侵略だったということもあるが
新大陸を目指して航海したことは大きなリスクだった、だから投資というときヨーロッパから生れた攻めの態度だったとなる
農民は守りであり貿易とか外に冒険するのとは違う、ただ農業には農業のスピリットがありそれはまた別である。
投資のスピリットとフロンティア精神でもあり攻めの姿勢なのである。

ただスポーツでも攻めと守りがあり守らねばならないときは守る、それは忍耐に通じている、一方的に攻めということはない、攻めるために守ることも大事になる
男は攻めであり女は守りだもなる、でも経済に関しては守りというのはないのかもしれない、貯金していても高度成長時代のように利子が7パーセンとつけば貯金として守っていれば良かったのである。その時銀行でもいくらでも投資先がありもうけられたからそれだけの利子がついた、今は投資先がないから利子がつかない、それで投資信託とかにならざるをえない時世である。

ただ人間は守りだけになると結果的に守ることさえできず失うだけだともなる
守るとはスポーツなら攻められたら守りぬくが守ったら攻めに転ずるために守るのである結局サッカーのようにシュートをはずれても打つ、そのうち回数が増えればゴールになる確率が増える、シュートは投資である、でもはずれることがある
でもシュートしなければゴールになることもないのである。
そして守っていただけではゴールを得られないからどこかで攻めなければならない
投資は攻めであり人間には不可欠なものとしてある
ただそれが金融とかなるとその攻めが何なのか投資とは何なのか理解することはむずかしい、ただ人間は生きることは投資が欠かせないことは確かである。




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夏の日(abstract pictures-summer come)


夏の日(abstract pictures-summer come)

summmerrrr12345.bmp
summer mountains

treeeeee1234newww122.jpg
sunshine in the forest-ENLARGE-クリック拡大

waterdpthhh1.jpg
column in the water
wavenight12.jpg


about sunshine in the forest

抽象画でも具象画と切り離せない、森の太陽という題にしたけどこの抽象画をまず森となみないと鑑賞できないのである。
森をイメージしないと何なのかわからなくなる、これは森だと見るとき抽象画でも理解できるのである。

The abstract painting was made a title as the sun in the forest which can't be separated from a representational painting, but when there are no forests and regulars first, this abstract painting can't be appreciated.
When thinking this which doesn't know any more what it's is a forest, even an abstract painting can understand that a forest isn't imagined.

posted by 老鶯 at 06:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 抽象画の部(abstract)

2017年05月17日

海は誰のものか? 船主や漁業権者の不満が原発事故で大きい


海は誰のものか?


船主や漁業権者の不満が原発事故で大きい



 特定の人(漁業協同組合関係者)だけが、漁業権の免許権者である都道府県知事から免許されることによって、一定範囲の漁業を独占排他的に営みその利益を享受することができる、


実際には、漁業権の譲渡は、例外的な移転を除いて禁止され(同法26条1項)、貸付は不能(同法30条)であり、抵当権の設定、使用方法に至るまで、漁業法は多くの制限を科しており、民法上の物権とみなしていると考えられる点は殆どない。

漁業権とは魚などを捕ったり養殖する権利のことで、海を占有する権利ではありません。ダイバーは当然、漁をしている場所で潜ったりしませんから何か捕らないかぎり、漁業者が「ここで潜るな」などと言うのはすじ違いなのです。


フクイチ事故でとん挫した上関原発計画であるが、何が何でも祝島漁民の漁業権を奪うつもりのようです。

10月11日、祝島漁協有志で山口県漁連に申し入れを行い、これ以上祝島漁民が漁業権を売らないという意思を尊重し、妨害しないことを求めました

地理的に限定することはきわめて困難かつ時間的に限定することが不可能であるという、
原子力発電所の特徴を考慮すれば、
そうした広範な人びとからの強い反応は当然だと私たちは考えますが、

祝島支店の32名 (過半数)の正組合員および8名の準組合員は今年3月、
この漁業補償金を受け取らないという意思を、改めて貴組合に申し入れております。

今この辺では補償金でもめている、原発事故で避難解除になったからだいたい支払いが終わっている、でもこの辺では船主とか漁業関係者への不満が根強い、それはもうみんな知っている、海岸に住んでいた人も別に船主でもない、漁業にたずさわらない人は多かったそういう人たちは何ら補償がないのである。
それで海老の人が家も流されて生活が苦しくなったからその不満を言う
しかし海岸に住んでいないものはわからなかったのである。
自分もわからなかった、ただ海岸に住んでいる人は漁業関係者が金があるのを知っていて原発事故前からその不満かあったが公には言っていないのである。

それで原発御殿が建ったとかは本当だった、ある人は船主の家に招待されて金の襖があったという、それは東京の職人を呼んで作ったものだったという、その御殿も津浪で流された、それは請戸の港の家だったという。
このことは例えば駅に東京などから帰省してくる人たちも家族から話を聞いて知っていたのである。もうこの辺ではみんな知っているしその不満がぶつぶつと溶岩のようになっている、だから一面そういう不満が爆発したら怖いとなる
いくらそれだけ補償金をもらっても漁業関係者も安穏としては住んでいられないともなる
そもそも漁業権とは何かとなると明確ではないのである。例えば一定水域での漁業にたずさわる権利というものがある。それは広い領域の漁業権ではない、そういうのは代々受け継がれた権利ともなる

貸付は不能(同法30条)であり、抵当権の設定、使用方法に至るまで、漁業法は多くの制限を科しており、民法上の物権とみなしていると考えられる点は殆どない。

これはそもそも漁業権があるのは認めていても漁業権を売り渡すことはできないとうことになる、ではなぜ東電に漁業権を売り渡したのか?
東電の原発のある場所の水域は東電のものであり他の人は立ち入れなくなったのである。その海を所有していたのは漁業組合だからそれができたのかとなる

不思議なのは今山口県の上関原発建設にあたり

原子力発電所の特徴を考慮すれば、
そうした広範な人びとからの強い反応は当然だと私たちは考えますが、

ここでは漁業者だけではなくその土地の広範囲な人々の協力を得て原発を建てさせないようにしている
ところがこの辺では原発を建てるとき漁業権者がその権利を独占して補償金をもらっていた、事故後も多額の補償金をもらっている、それでみんな立派な家を真っ先に建てたのである。一番手厚いの漁業権者にされたからである。

そもそも海は誰のものかというとき漁業権者のものなのか?市町村のものなのか?
県のものなのかとなる、ここでは意外と県が許可権をもっていて法的な権利をもっている原発を建てるときもその土地の所有者と県の許可で建てられたということになると
県の力が強いからそうなった。
その私的に土地を所有したり海を所有したり山を所有したりということが明治以降にありその弊害がいろいろ現れて原発にも及んだのである。

自然は海でも大地でも山でも川でも一つにつながっているからそもそも一区画を自分のものだという私的所有になじまないのである。
入会権から山を私的所有になると無数に山が分割されてその一部を誰かに売ることができる、するとそこがソーラーパネルにされて自然破壊が起こった場合、山全体に影響が出て村全体にも影響がある、土砂災害が起きるかもしれない、そして有害物質となりそれも影響してくる、自然とはもともと私的所有になじまないから国有になっていた。
そういうことは農業するものにとってわかっていたから田んぼは勝手に売れないものとして今でもある。

海は誰のものかというとき漁業権者はあくまでも市町村とか国からその権利を漁業資源保護のためにとか委託されたものである。
なぜならその許可は県とか国が出しているからである。
それよりそこに住む自治体のものであり漁業権者だけのものではない
その海を自分たちだけの権利にして東電に売り渡すようなことがそもそもできたのかとなる、それは法的にも検討されればおかしなものとなる

あなたたちはそこで漁業する権利を与えます
魚をとりすぎたりしないように保護もしてください
魚でも汚染されないようにしてください

それは言えるにしてもそれがどうして東電に売り渡して補償金を得ることができたのかとなる、漁業の保護とは何の関係もないからである。
むしろ海が汚染されて魚がとれないとか売れないとなるから拒否する
それならわかるが補償金をもらうために漁業権を売り渡すことはできない
第一東電の原発が建っている海岸を立ち入り禁止にしても汚染されたら事故でわかったように海全体に汚染水が流れて拡散されるからである。
それは福島県だけの問題ではない、日本全体のひいては世界の問題までに発展する
だから県だけの許可でもそんなことができたのかとなる

自然の権利となるとそれらは切り離されずつながっているからその権利の主体は広範囲になる、だから一区画を所有しているからそれを売って原発を建てさせて県が許可するなどあってはならないことだった
それも過剰な私的所有の権利を与えたために起きたことである。
俺の海の前まで権利があるとか補償金のために言う人もいた、小高では誰のものかわからない私道まで権利が主張されたりもした
これは人間の欲が限りなくなるから歯止めがきかなくなり自然を我が物にしようとする

猪苗代湖の岸辺の砂浜に自転車で入ったらここは入ってはいけないと言われた、所有者がいてバンガローのようなものを建てていたからである。
猪苗代湖の岸辺も私的に所有されているのか?そこで独占して利益を得ている
それは誰のものなのかとなる、そんなことして利益を得ているとしたらなぜそうできるのかとなる、プライベートビーチとんかのもそうである。
ホテルなどが所有したらそこに立ち入ることもできなくなるのである。
そういう場所が結構ある、すると自然を平等に楽しめないとなるのである。
そうしたかったら金を払いとなるのである。

そもそも土地を売買する投機の対象にした資本主義自体が誤っていたと言う人もいる
土地は全体とつながっているから区画して売ることになじまないのである。
海でも山でも川でもなんでもそうである、それを所有するということになじまない
ただ相馬藩内で小良が浜(おらがはま)という小さな港が双葉にあったりしたのはここはおらの浜だという意識はやはり江戸時代からあったとはなる

今回だけは漁業権者だけが手厚い補償金をもらう権利はない、それは市町村の住民にも権利がある、その海の権利はあくまでも魚をとるための権利であり海を売り渡す権利などないしそもそも法律的にも売るものとして物権とかにならないとあるからである
だから法律的にも違反していたから法的なものとしても裁判になるものでもある
ただこれだけ回りに不満があるとなると漁業権者でも船主でも苦しいとなる
回りがこれだけ不満であることは感じるから苦しいとなる

posted by 老鶯 at 17:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

海老の津波の被害者とあう (意気消沈して不満を言っていた)


海老の津波の被害者とあう


意気消沈して不満を言っていた


海老で一人元の神社の所に座っている人がいた。
それは個人用の神社だったという、その人が住んでいたのは海老の通りの突き当たりの角だった、車輪梅の案内がある所だった、広い庭があった。
海老の人は死んだ人は少なかった、死んだ人が多かったのは湊の方だった、あそこの人たちが崖の高台に逃げたからだ。あそこは運動場になっていて網で囲まれていたのも災いしたらしい、湊からあの高台は相当な高さを感じる、とすると八沢浦は低いのである。
右田も川があるから低いと言っていた、確かに川は低い所に流れるから低い場所である。
海老では区長が電気の仕事をしていてスピーカーで逃げろといって助かった人が多かったという、海老だとすぐにければ確実に助かった、後ろの墓地でも10メートルくらい逃げれば助かる場所であり高い所だったからである。だからあそこは被害がないと思っていた。八沢浦の湊とか右田は低いから被害があったと思った。

その人は何か意気消沈した感じである。盛んに補償金のことを言って不満だった
何か鹿島区の人は補償金に相当に不満である。
それを自分が言ったがそれは自分だけではない、みんなその不満を必ず言うからである。特に津波の被害者は相当に苦しいことが表情からわかる
家も流されて家族も死んだ人がいるからだ
生活が苦しくなっていることもある、海老の人で家を建てた人を知っているがローンで苦しいと言っていた。

そして船主や漁業関係者のことをうらやましがっている、このことは今になるとみんな知っているし言っている、自分だけが言っていることでもないのである。
何か自分がフログに書いて小高の人に責められたけどそれは自分だけではないということを知るべきである。
まず船主とか漁業関係者への不満は実際は前からあったのだ。その補償金が大きいから回りの不満も大きくなる。
なぜなら津波の被害者はまた小高の原発避難者と違って補償が少ないからである。
すると小高の避難者もうらやむことになる、その小高の原発の避難者を見て相当に不満だったことは確かである。同じ仮設に住んでもその差が大きいからである。
なぜあんなに優遇されているのだとなるからだ。

何か船主とか漁業関係者がこれほど責められているということはいくら金をもらっても地元では住みにくくなっている、相馬総合病院で請戸の人が特等室に入っていて家を建てると言っていたけどそれでも回りから反発を受ける、相馬市の人は別に放射線量など変わらないのだけど何ももらっていないからである。
だから遊んでいないで働いてほしいとしきりに言っていた。

いづれにしこの辺は複雑である。小高の人に補償金のことを言うと怒る、避難させられたから当然だと思っているからだ。なぜ苦しいのに責めるのかとなる。
一方で津波被害者もいてその不満が大きいのである。それでいわき市でももめたのである南相馬市の場合は何らか対策があってもいいはずだった。合併しても何の効果もなかったともなる、一体感が失われたからである。

鹿島区では小高への人の不満が大きいのである。ただそれを言うと自分のように責められる、そこに根深い対立が生まれたのである。これは小高の人も自重しなければならないのだが何かそういうことを考慮しないのである。
だからお前は傷口に塩ぬって楽しいかとか責めてくる、こういうことは自分だけに起きていることではない、小高の人と接した人が断られたとか何かぶしつけな人が多かったとかなる、いろいろな人がいるから一概には言えない
自分は南相馬市とかの全体を考慮して言っていたのである。
でももう小高と鹿島の亀裂は深いので修復しにくくなっているのだ。
それは最初からの市でも住民でも話し合いもなくただただ補償金をもらえるだけもらえばいいとなっていた、住民自治がなかったのである。
それは原発が建てるときも住民自治がなかったし原発はタブーの場であり住民がかかわれないものとしてあったことも問題だった。

津波の被害であれ原発事故事故の被害であれ6年すぎてもその傷痕は深い、これは廃炉に30年とかかかるというときそれだけの時間があってもこの辺はこの傷を回復できないほどの災害だったのである。
ただ田んぼが増えたし前よりは回復したと感じる、海側はまだ原野化している所が広い
山側でも田んぼになっている所は少ない、でも平地は田んぼが増えて蛙の鳴き声が騒がしくもどったとなる。
タグ:海老の人
posted by 老鶯 at 07:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係