2022年09月30日

運がないとあらゆることがうまくいかない (教育でも家族運とか時代運とか金運とかあり才能が発揮できる)


運がないとあらゆることがうまくいかない

(教育でも家族運とか時代運とか金運とかあり才能が発揮できる)

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私たちの社会はとても不平等です、その不平等をもたらす大きな原因の一つが偶然親から配られた遺伝子の組み合わせが生む遺伝的な素質の格差だときいうことです
それからもう一つの原因は偶然の環境です、遺伝でも環境が親ガチャであり、それで9割が説明されてしまいますー

●私の家族が特殊でも私には良く作用した

人間は生まれつきの才能とかあるけど人間が最も作用するのは運である
どういう親から生まれるかというものがあるが遺伝もあるが環境因子の作用も大きいのである、そしてこの運命自体が不可解なのである、謎なのである
私自身の運命自体不可解そのものだった、家族でもそうである
でも自分にとってはこの運命が環境が幸いしたのである
そうでなければ確実にまともに就職もできず浮浪者となり脱落者となり野垂れ死にのようになっていた
実際三流大学を出て就職もできなかったからである

でも私の家族はそのことで責めることもなかったのである
最近引きこもりとかが増えて問題になっている、引きこもりをたもり人というようになった、私自身このこもり人として生きたのである
だからこれは本当に異常なことだったのである、現実に自分自身が異常化したことを気づいたのは私を育てた二人の母親が病気になり介護になって一人悪戦苦闘した時だった
そこで社会とかかわりもう死ぬような苦しみにあった
誰も助けるものがいない兄弟もいないとかでそうなった
それも余りにも恵まれた結果としてそうなったのである

人間はなんらか不可抗力の運が作用しているとこの本で書いている
それを自分の運命から理解できる、その人の遺伝は確かに大きく作用する
遺伝的資質はどうにもならないのである、外交的な人もいるし内向的な人もいるし性格も様々だからである、自分は内向的な性格でありどうしても集団になじめない性格だった
一人っ子でもあり人とうまく協調できないのである
私の母親も内向的地味な性格の人であり似ている、ただもう一人の母親は全く性格が違っていて外交的陽気な性格だったのである
でも奇妙なことはこうして相反する性格の母親に育てられて自分はたいしてなかった才能でも伸ばすことができたのである
60まで自分のおもむくままに生きていたのである、自分の合わないことはせずにすんだのである、こもり人となると異常にしても自分には合っていたのである

●共同体があって教育もありうる

私が一番嫌だったのは学校である、学校になじめなかった、何かどうも腸が過敏になっていて集団の中に異常に緊張するのである、体までおかしくなる
今でもそうである、人間嫌いであり人間がいると緊張するのである
だから私が自然と木とか石とか山でも自然に接している自然を鑑賞するということに向いていた、そこには人間がいないからである
また体力がないということも実の一人の母親に似ていた、体が細くて重いものも持てない母親だったからである、だから遺伝的には実の母親の影響がまねがれないのである
でももう一人の母親は太っていて社交的であり男優りだった
ただそれだけではなく私の家が父親が中学で死んだ時、もう一人の母と言うべき姉がいて家が維持できたのである

必ずしも家族とか家は血縁とかでも成り立たない、家を維持するということはそれが一つの最小の共同体であり家のために生きることが女性にはある
また江戸時代なら御家大事ということがありまず御家のために臣下でも尽くし働いて維持してきたのである、つまり人間には何らか共同体がありそれを維持することが優先されるそれは必ずしも血縁とかではない、一つの共同体として機能する
それが昔の村だったのである、村とは500人くらいで成立っているときそれは一つの家族も同然だったからである、それで子供の名付け親とか村の人がなり村の子供は村の家族の一員として育てられたのである
村というのはとても一家族だけでは維持できないからである

だから教育というときそういう共同体があってこそ成り立つのである、でも明治以降学校になったときそういう共同体から分離したものとして知識だけを学ぶことになったのである、江戸時代なら侍がいたとき侍が模範としてありその侍は学校教育で育ったのではない当時の社会でエリートとしてあり学校があったとしても藩校で育てられる
その土地と密接に結びついて育てられる、村でも土地土地と密接に結びついて育てられていたのである、有機的に結合した共同体があってその中で子供でも自ずと学び体得していった、学校教育はもうそうした共同体から分離して知識だけとの教育となり福沢諭吉は教育は立身出世のためとして学問をしろとなったのである
それは近代化したとき世界中で学校が教育の場となったことは共通しているのである
その前の教育というときヨ−ロッパだったら貴族階級が家庭教師を雇い教育していたのである、学校はないからそうしていた、でも貴族には蔵書があったりして学校に行かなくても学べる環境があった、だからかえって天才でも生まれ育てやすかったのである
その人にあった教育をしたからだともなる

●教育でも田舎と都会の差が大きい

教育というとき田舎と都会で相当に差がでる、ただ教育という時何か人から教えられる
先生がいて教えられるとかなるがそうではない、先生の上に本当の師がいる
それは自然である、自然が基本的に本当の師である
でも大都会になるとこの自然がないのだから自然から学べない、俳句を作るにしても四季を知らなければ作れない、自然を見なければ作れない、季語を知るには年ごとに季語となるものを自然の中で知識ではなく体感する必要がある
すると都会ではしにくいのである、季節感にして余り感じない人工的空間になっているからだ、ただ自然といっても私は別に子供の時に自然というのは感じていない
ただ子供の時は原始的生活だった、洗濯でも裏の堀川でしていた
煮炊きは竈があり炭で暖をとっていたとなる、囲炉裏が街中の生活にもあった
でも自然がどうのこうのとは子供の時感じない、ただ父親が鮎釣りとか鰻釣りしていたし川に小魚がいたからそういうことで自然は感じていたとなる
また畑などがあり田んぼもあり回りから自然を感じることはあった
でも意外と田舎に住んでいても自然を感じない、自然を知らないのである

自然を感じるようになったのは東京の大学をでてから都会暮らしをしてから都会を嫌いになり田舎に帰って自然を感じるようになった、それでつたないものでも俳句とか短歌を作るようになり意図的に自然を感じるように勤めたのである
でも土いじりなどしていないから農業のことはわからない、田舎でも回りが田畑でも農業している人は一割とか少ないのである、今はみんな会社員か工場で働いているのである
それで意外と田舎に住んでも農業のことがわからない人がいるのである
ただどうしても田舎だから自然が無意識的にも感じるようになる
でも自然はこちらから意識的に働きかけないと感じないこともある
俳句を作ることは季語を体得しなければならない、その季語も多様だから意外とこれも自然のある場所で年々積み重ねた体験が必要なのである
それは一年とかで身につかない、相当の年数がかかる、自然を知るには実際は相当な年数がかかる、木が50年で育つように自然の時間は人間の時間とは相当に違ったものだからである、徐々に時間をかけてしか自然を知ることはできないのである

空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった

このキリストの言葉は意外と理解できない、都会ではとても理解できない
鳥をなぜ日々餌を得ているのか?何を食べているのか不思議である
餌があるのか、でも日々貯えることもなく生きているのである
それは単純なことだが人間と比べるとあまりにも違いすぎるからである
人間だったら何も貯えないとしたら不安でしょうがないからである
そのこと当たり前なことでも本当に不思議だとなる
そうして貯えもせず生きていることが不思議なのである
キリストが生れ育ったのはナザレといいう辺鄙な村にすぎなかった

だから自然は身近にあった、でもそこに行ったら何もない、あまりにもありふれた村であり町だったのである、何か特別美しい場所でもなかったのである
ただそういう場所で生きていて自然を観察していてこの言葉が生まれたのである
それが自然が師となり自然が自ずと教育したのであり誰か人に教えられたものでもないのである、だから教育はそもそも人間だけではできない、先生だけではできない
自然が最大の師なのである、それは科学的なものでもそうである
自然からかけ離れたようでももともと自然の観察から生まれたものだからである
ともかく教育といっても学校だけでは先生からでもでも本質的にはできない
キリストがこのことを言っても都会に住んでいる人は何か理解しにくいからである

大都会なら食べ物は食料でもスーパーであれ買うものでありそしてその食料でもどうして作られているのか知らないからである、ただ金で買えるものとしてしか理解できないからである、こうして現代は便利になっても本質的なことを理解できない社会なのである
野菜でも果物でもどうして作られるのかわからないのである
ただ店に並んでいて買うものとしか理解できない、そこに大きな問題が生まれている
本質的なものが理解できないのである、つまり知識と現実の生産とかの場から離れているからであるただ金で買うものとなると金の方が大事になる
でも食料を生産している人がいて食料が得られるということその現場を知らないからそのありがたみも感じないのである、つまり教育といってもそうして知識だけだと記号だけを覚えることになりリアルなものとして現実のものとして理解できないのである

●戦後にはモラルの教育が消失していた

なぜ今教育の問題がうまくいかないのか?それは知識だけの教育であり実地の社会から分離して共同体から分離して知識詰め込みになったからである
教育とはそもそも学校だけではできない、また師だけでも先生だけでもできない
その基盤に共同体があって実地の社会があってできる、現代ではその基盤がなくなったから教育とはただいかに自分のみが得する、楽に生きられるかが問題になる
そして東大を出れば官僚になり上級国民になれるかとなる、それはあくまで得するという立身出世の教育なのである、戦後の教育に道徳教育はない、知識で優れたものが得するという教育しかなかったのである

それはあらゆるものがそうだった、宗教すらカルト教団になり御利益宗教になったのそうである、資本主義社会にはモラルはなくなった
ただ自己の利益をいかに計るかしかないのである、だから教育自体ができない、ただあるのは知識教育でありいかにして受験戦争を勝ち抜いていい地位につき収入をあげ得することだしかなくなったのである
戦前はいい悪いにしろ国家のためにすべてがあった、でもそこには日本的モラルがあったそれは自分だけが利益をあげる得するとかではないものがあった

また戦前と明治とか江戸時代でも特にに江戸時代になると侍が指導者であり侍を模範することがあり侍自身もそう自覚していたのである
だからなぜ明治維新が成功したとなると侍が指導者の立場に立ったからだとなる
江戸時代に育まれた人材がえてそうできたとなる、庶民の革命ではなかったのである
でも大正とか戦前の昭和になると指導者のエリートのモラルが消失した
国民国家となり大衆国家となったとき指導者は国民が大衆が選ぶものでありそれもただ数として選ぶものであり上に立つものに自覚したものはない、やはり利益があがればいい
自己のためのものとして議員でもある、何か公(おおやけ)に尽くすものとしての自覚がないのである、それは選ばれた議員でもない、ただ地位を得て得すればいいとなるとき
自己の利益追求として大衆があるともなるからである

●運の作用が大きい人間

人間の謎は意外と運が作用していることである、だからこの本でそのことを言っているので共感した、そもそもどんな親から生まれるとか決められない、それは運命である、その親から基本的に資質が受け継がれるのである、遺伝があることは確かである
でもそれですべてが決まるかとなると決まらない、環境因子があり家族というのも複雑なのである、いろいろな家族がいてその作用がある、単に実の親がいて子がいるとともならないのである、だから不思議なのは兄弟なのに全く違った人生になる人はいくらでもいるまた兄弟でも性格とか違って同じ運命にはならないのである

◎遺伝、素質

◎環境因子

◎運

ここで意外なのは運なのである、運にもいろいろある、金運とかもあるし人間関係でも人の出合いでも運命的なめぐりあわせがあるとか運が作用している
どういう人と逢うとかでその人への影響が大きいからである
金運とかもある、時代運とかある、団塊の世代は戦争が終わり焼野原から始まったけど
食べる物も満足にない時代から始まったけど高度成長時代がありみんな豊かになった
そしてそれは日本人が優秀だったからとかではなかったのである
その時国際関係でも米ソ冷戦があり日本が共産主義の防波堤としてアメリカに重んじられた、そして朝鮮戦争があり日本が物資の供給国となり経済が復興したのである
その時鉄が不足していて子供の時鉄くず拾いして売って金になったことも覚えている
戦争で鉄が不足したからそれを日本で供給したのである
その後のベトナム戦争でもやはり戦争特需が日本にあり日本は別に戦争で被害がなくても経済的な恩恵があった
だから国家でも運が作用している、時代の運が作用している

私の家が戦後店を駄菓子屋のような店を始めて繁盛したのは別に商才があったとかではない、ただ場所が良かったのである、車がないとき角にあったので場所が良くて繁盛したのである、それも運だったのである、だから何するにも運が作用している
運が悪いといくら能力があるとか優秀だとか言っても成功しないことがある
それで財産のことをfortuneが運となっている、財産でも運があって持てるとなる
だから運が悪い人はこの世でいくらでもいる、不運に若くして死んだとか才能が発揮されずに死んだとかいくらでもいる、戦前は肺病で若い人が大勢死んで国民病ともなっていたからである、それも時代が悪かった、運が悪かったとなる
なぜなら今なら肺病は治るし死ぬ人がいなくなったからである
この肺病は悲惨だったからである、手術で灰の片方を切除した人を知っている
その人は一生身体障碍者のようにして終わった、それも悲惨だったとなる

そもそも人間が才能あったとしても発揮されずに終わった人が多い、それは様々な要因があるが運が作用している、親が悪いとかもある、親ガチャも相当にある
親に恵まれないからそれで一生が犠牲にされたとかある、カルト教団とかの二世問題がそうである、親には子供は従わざるを得ないからどうにもならないとなる
そこで魂まで支配され従属されることになる
私の場合は特別親に恵まれた結果としてたいして才能もないのに発揮できたとかなる
ただ奥手であり遅すぎたとなる、もっと早めに自覚して勉強していれば良かったとはなるでもこれも時代運であり長寿社会になったとき長い目で自らを育てればいいとなる
それも時代運である、肺病でも死ななくなっても良くなったというのもそうである
何か認知症でもアルツハイマーでも効く薬が出るとかでもそうである
時代に恵まれればそういうものも直せるとなるからだ

●運命は不可避的なもの(猫の運命)

不可避という言葉の意味は、「避けられないもの」「回避できないこと」といったような意味の言葉になります。

人間は確かにその人の才能がどうかとか言うけど才能というのは何か開発しないかぎり
発揮できない、天才だと別である、天才は努力しなくても会得するのである
普通の人はそうはならない、自らを知り自らに合ったものを努力して追求しないかぎり
才能も発揮できない、その才能となるのもわずかでも最終的に大きなものとなりうる
だから人間は生まれつきは確かにある、でもそれだけですべてが決まらない
人のめぐり合わせとかも運でありどういう人と出合うとかでも決まる
そして運という時、必ず運がいいとか運が悪いというけど運もめぐるのである
ある人は運がいいとありその運が他の人にめぐってゆく

私が猫を飼っていた、その時別な猫が餌を奪いにきた、でも追い払っていた
それは黒い猫であった、でも飼っていた猫が死んだ時、その黒い猫に餌をやるようになった、でもこの猫は絶対に慣れないのである、黒いからかわいとも言えない
でも自分自身でもなぜこの猫に餌やっているのかわからないとなる
それは飼った猫が死んだからでありその猫に運が恵みがめぐってきたからなのである
人間には何かそうした運が強制的にでも作用している
不可避的なものとして現れたとなる、確かに避けることはできるでも何か飼っていた猫の代わりとなっているのである
誰かの不運が誰かにとってはいい運となる、高度成長時代の日本は朝鮮戦争があり朝鮮人は苦しんだ、でも日本人にとっては幸いしたのである
またベトナム戦争でもそうである、日本人はやはり特需のようになったからである
戦争で死ぬこともなかったのである、このように何らか人間が運の作用が大きいのである
私の父親違いの兄の父親は事故で死んだ、結果として母が再婚して私か生まれた
でも兄は私の家では五年間は一緒に暮らしたが母の実家に引き取られた
そして離婚してその後交通事故で死んだのである
だからそもそも父親が事故で死んだことは不運だったのである
でもその不運があり自分が生まれたということになる
つまり誰かの不幸が誰かの幸いになっていることがある
国家間でも他国の不運が不幸が別な国の幸運とかにもなる
そういうことがどうしてなるのか謎なのである
ただ誰でも一生運がいいとはならない、必ず不運に見舞われ苦しむことになる
そういうことでは人間は平等なのかもしれない




posted by 老鶯 at 17:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育心理学など

2022年09月29日

東洋思想と西洋思想とは何なのか? (宗教はもともと東洋からアジアから生まれた)


東洋思想と西洋思想とは何なのか?

(宗教はもともと東洋からアジアから生まれた)

●西欧化したキリスト教ー宗教は東洋から生まれた

キリスト教でも誤解しているのはそれがヨ−ロッパから入って来たからヨ−ロッパが発祥の地のように思っている
でもアジアというときイスラエルまでアジアなのである
そもそもあらゆるものの淵源はアジアにあり東洋にあった、イスラム圏でもアジアであった、ヨ−ロッパは遅れていたのである、一時はイスラム圏内でヨ−ロッパの女性が奴隷として売買されていた、つまり今はイスラム圏内はヨ−ロッパからすると遅れた国としているがもともとはイスラムの方が優れていてヨ−ロッパは後進国でありイスラムから化学とか代数学とか学んだのである
その前にアジアがありその中心がインドだったのである、そしてインドから仏教が生まれたのである

そして宗教というときその思想はヨ−ロッパと相当に違ったものである
ヨ−ロッパの思想の形成はギリシャとかを基としている、それとローマ帝国であり政治支配が確立した、そしてカトリックがローマ帝国に公認されたとき本来のキリスト教が変質したのである、政治的になったのである
そしてヨ−ロッパとは何かとなるとその思想はキリスト教があったとしても西洋的キリスト教でありアジア的な東洋的なものとしてあったものが変質させられたのである
だからアジアで受け入れられたのはヨ−ロッパ化した西欧化したキリスト教でありそれが世界に伝えられた、特にカトリックがそうである
ただプロテスタントでもやはり西欧的価値観に基づくキリスト教なのである

そのキリスト教が資本主義を産んだというとき修道院から生まれたというときもそうである、なぜ修道院から資本主義が生まれたのか?ウェバーによると修道院だから他者に尽くす愛の集団だからそこで資本蓄積があり消費するためではない、他者への愛としての労働として資本主義が生まれたとしている
ヨ−ロッパ的思想となると必ず実用的なものとしてある、実利を追求するのである
だから瞑想とかは否定されやすい、用なるものを追求する

でももともとキリストの教えは実際は東洋的なものアジア的なものである
だからもともとあったオリジンはアジアであり東洋的なものである
それは仏教とかにもなるし中国だと老子の思想と共通しているのである
なぜなら老子の思想となると「用」なるものを否定する、無用の用というようにヨ−ロッパ的実用の思想とは違っている、ヨ−ロッパではあくまでも用を追求する
それはキリスト教でも同じである、常に慈善でも愛でも布教でも行動して強制的にもなるだから何か何もしないで禅宗のように座禅を組んで一日沈黙業をすることはキリスト教にはない、ヨ−ロッパ的キリスト教になるとそうである

●老子の無用の用の思想とキリストの教え

空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった

この言葉は西洋的な思想ではない、極めて東洋的思想なのである、老子の思想に通じている、またインド人がゼロを発明したように空の思想とも通じている
自然をよくよく観察していると不思議である、それは本当に単純なことなのである

空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。

鳥を見ているとそうである、また自然の生き物でもどうして生きていけるのか不思議になる、まず食料を貯えることはしない、日々の糧を得て生きている、でも人間だったら明日食べるものでも何でも貯える、そうでなければ不安になっているからだ
とても鳥のようには生きられないのである、そして貯えるにしても金でも何十憶の金を貯えても不安は決して消えることがない、なぜなら金でも紙幣となるとそれはいつ紙切れになるかわからないからだ、特に日本では昨今預金封鎖とかなんとか言われて本当に紙切れになる不安がつきまとっいるのである
でもなぜ鳥は明日食糧を得る不安がないのかとなる
自然と人間を対比すると見えて来るものがある、

なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった

人間は絶えず働き紡いでいる、衣服を着るにしてもそうであり絶えず労働している、
自然は働き紡いだりしない、まず衣服など着ないしまとわないからである
自然のままであり衣服はない、でも別にそれで一年中寒い時でも過ごしている
そこで石油がないとか燃料がないとか悩まないし騒ぎもしないのである
天然の衣服を着せられて野にその姿は映えて美しいのである
それは私は人とも接することもなく田舎の自然を見ていた、そこでいつも見えるのは人間ではない、白鷺である、その白鷺を見て不思議なのは決して辺りを乱すことなる静々と歩み餌をあさる、餌は何なのか、確かに餌があり日々得ている
そしてその姿は天然の純白の衣を着せられて美しく田園に映えている

それは実際はいつも見ていて当たり前のことである
でも人間と比べるとそれが当たり前ではない、特殊なことになるのである
人間の悩みは消えることなく不満でも消えることなくその愚痴も消えることがない
それは金持ちでもそうなのである、いくら貯えても食糧が得られるなくなるとか不安になる、それは紙幣は紙きれになることが実際にあったしこれからもありうるからである
ともかく人間から何か不満が消えることはない、ではなぜ自然界でも鳥でもそうした不安がないのだろうかとなる、貯えもしないのに不安がない、それを見ていると不思議なのである

●なぜ自然には美があり文明(大都会)にはないのか

そしてこれだけ労働しているのに人間社会には美がないのである
野の一輪の花ほど人間社会には美がないのである、それを象徴しているのが大都会であるそこに美があるだろうか、その光景はまるでとても自然から見たら異世界であり生き物の住める所とも見えないのである、つまり文明とは美を作り出していない
これだけ労働して日々汗して働いているのに美を作りだしていないのである
すると人間の技とは何なのかとなる、その技(わざ)は業でありわざわいになる
でも自然のままに何も手をつけない自然には本来の天然の美が備わっている
その美があるゆえに人間は醜いものとしても生きていけるとなる
つまり人間がいない方が実際は自然は本来の美の世界がありそこは天国だともなるのである
田舎でそうして自然を見ていると不思議になる、人間がいない方が自然の美は映える
人間は下手に労働して工作するより自然のありのままの方が天然の美が映えるのである

だから田舎がいいとはならない、そこに人間が顔出すと醜いものとなるのである
田舎の人間の方がせこく醜い面があるからだ、何か人間が顔出すと蛇のように見えるのである、だからなぜ人間が神の最高傑作でありキリストだったら神の子とされたのに大多数は醜いのかとなる、それで神は人を隠したというとき人が表に出ないことで自然の美は映えるのである、とういうことは人間は醜悪なものであり自然にとって不必要なのかとなるのも理解できなくなる
だからこそ老子の小国寡民とか無用の用とかの思想が生まれたのである
多すぎる人間が問題なのである、でも老子の生れた2000年前は中国でも一億人くらいであった、それでも人口を多く感じていたのである
人口が多いということはどうしても自然は汚され破壊されてゆく、本当に自然の美が映えていたのは人間がいない世界だったともなるのである
そこには災いも生れないし何か不足を言うものもいないし調和の自然の中にあり美が自ずと映えていたのである

人間は自然の中で一番の邪魔なのものともなっている、人間と自然の調和はありえないのである、職業が業というときやはりカルマであり人間の職業は自然を破壊する
破壊しないと生きていけないのである、農業でも実際は自然破壊である
焼畑農業だと森を燃やして灰として肥料を得るからである
森林の破壊なのである、農業にとって肥料が最大の問題だからである、その肥料を得るために苦労して来たからである、最近は農薬にしているがこれも毒であり害になる
何らかこうして人間の営為は害をもたらすのである
老子が無用の用を言ったとき自然と接していてそれを感じたからである
人間は無用でありえない、必ず用を追求してそれが自然を破壊して汚してゆく
反れか人間の業(カルマ)なのである

●自然と調和しない人間

例えば津波でも縄文人は海側に住んでもそもそも津波の来る場所には住んでいないのである、それは直感的に危険を察知していたからである
そして縄文海進があり津浪が来た所はもともと海であり人は住めなかったのである
でもその海を埋め立てて田んぼにしたりしたから今回の津浪でそこが海になったことに本当に驚いたのである、八沢浦とかもともと海であり入江であったがそこが元の海になったつまり元の海に戻ったのである、そこに自然の大きな作用があった
ではなぜこんな大被害になったかというと自然に調和して住めない人間側にその落ち度があったとなる、でも港でも海に接していないと不便である、魚をとるにしても不便であるだから人間の利便性故に海側に港を作り人が多く住むようになった
それが一網打尽のように津波にのまれたのである
人間は自然と調和するのではなく必ず何らかで利便性でも追及して自然と不調和になっていたのである
だから松原でも根こそぎ津波で流されたことには驚いた
これも松原は稲作していて塩害を防ぐための人工林だったからである、白砂と松原は美しい光景だったけどそれはあくまでも人口の美だったのである
でもそれに気づかなかったのである、もし自然との調和した世界だったら津波の被害はなかったともなる、第一そういう場所に住まないからである

人間はどこまでも利便性を追求してゆく、その利便性が自然を破壊して汚して調和を乱す運命にある、ダムというものがいいものとしてもやはり自然の調和を乱すものにもなる
やはり自然の流れを乱すのである、またダムが崩壊することもありそうすると甚大な被害になる、それは科学技術力で作れたものはみんなそうである
その最たるものが原発だったのである、この辺では事故で人が住めなくなったからであるつまり人が住めないということは最悪なのである
でも人間は利便性を追求してゆくからどうしてもそこに技わいが生まれるのである
人間が何かを成すことは何らか自然に反するものなのである
だからこそ老子は成さずして成るという無為自然を唱えたのである
それは東洋的思想でありヨ−ロッパの実用を追求する思想とは違っている
キリスト教とは西洋的なものではない、東洋的無の思想に通じるものであり宗教は東洋からアジアから生まれたのである、オリエントは基であり発祥なのである

●西洋文明の行き詰まりから東洋思想へ

そして世界的文明を歴史を俯瞰すると西洋文明というのが行き詰まっている
それは進歩の名ものもとに世界を席巻したがその弊害も大きくなりすぎたし限界になったのである
資本主義でも西洋からヨ−ロッパから生まれたものが基になっている、それは何か自然にそうなったように見えるが一つの主義であり原理であり思想でありそれに基づいて社会が変わったのである、それは共産主義がマルクスの思想が社会を変えたのと似ている
自然発生的なものではない、人工的に作られたものであり西洋的実利思想が社会を変えたのである、もちろん人間は利便性実利が欠かせないから文明自体がそういう業を宿命をもっていたことは確かである

でもキリストの思想でも仏教でも中国の道教となった老子の思想でももともとそうした文明否定があった、それは東洋的アジアから生まれたものである
だから世界的西洋文明化してそれが行き詰まった、その弊害が巨大化したのが現代のグロ−バル化世界だともなる
でも社会主義共産主義は西洋が作り出した思想が基になっている、それは東洋的なものではない、東洋的なものはインドから発して中国に伝わりまた日本にも伝わった、仏教とかである

ただ日本でもアジアの一国だから東洋的思想がある、間の思想がそうである
日本人は間を重んじる、間とは無用の空間にも通じる、間を置くというのはそこに無用な空虚な空間を重んじる思想である、時間の間でもそうである、西洋的なものだと一秒刻みで時間が計られて間が消失する、それは人間を機械化することであり効率化することになる、でも人間はすべて効率化すると窮屈となり人間性が奪われる
人間は有用と効率化された世界でそうした無用の用とか空虚な間とかを無くすようにしてきた、それでただすべて利便性と効率化でありそれが必ずしも人間を幸福にしなかったのである

確かに鉄道は不便で利用しなくなった、でも駅で待つ時間が何か人間的なのである
待つということは期待することに通じていた、人の出合いに待つ時間があってそれが
人間的なものとなるから駅は人間的な場になっていた、でもそれが高速のSAとかなると待つ時間がないのである、車でいつもでも次の場所に行けるから効率的なのだけど待つ時間がないからかえって人間的でなくなっている
こういうことはいくらでもある、人間はそもそも歩くことがなくなったから歩くことで得られるものがわからなくもなったのである

つまり西洋的な合理性と効率の極限の追求はかえって人間を不幸にするのである
現代とはそういう西洋的なものの思想とか文明が限界に来たのである
それを経済面ば方を見ているが資本主義とかグロ−バル化経済とかでも限界に来ている
それが西洋文明に由来するのものであり東洋的な思想への回帰復古が求められているともなる、ただそれがインドにあるとか中国にあるとか日本にあるとかなればない
世界が西洋化したのだからないのである、そして何が東洋的なのかアジア的なのかわからなくなっているのた

でも西洋的なものが限界に来ている、だから何でもヨ−ロッパに追従する時代は終わっている、アメリカに追従することも不幸になるだけである
だからといってインドとか中国が東洋的なものがあり新しい文明が生まれるのかとなればないのである、東洋的なものアジア的なものが何かを見出して再構築することなのであるだからといって宗教と言っても今はカルト教団であり大衆宗教でありそれは全体主義とナチスにもなる、それを証明したのが近代文明であり何千万人が機械のようにロボットのように使われて死んだのである、まさに文明ゆえの大量殺戮だったのである
それを象徴していたのが原爆でありまたこの辺の原発事故だったのである

●自然との合一の思想としての東洋思想

何かむずかしいことではなく、単純なものに真理がある、宗教の教理とか哲学でもむずかしくなる、特に仏教はむずかくなるので敬遠する
でもキリストが説いたことは余りにも単純なものであり学者とかではなく学のない庶民でも理解できるものだったのである
その単純なものを追求するものとして自然がある、自然を良くみていると不思議になる
例えば石があるとする木があるとする、それらは何を意味しているのか
経済的には石材になるとかまた木材になるとかなる

でもその精神的意味がある、石や木は黙している、そして最も不思議なのことは人間に比べて不思議なことは石や木は害を及ぼさないことである
そんなこと不思議なのかとなるが人間を見ればわかる、絶えず他者を害すために存在している、例え暴力をふるわなくても口で悪口とか呪いの言葉すらはいている
でも石や木には口は堅く閉ざされていてそういう精神を害する悪口など言わないのであるそんなこと当たり前じゃないかとなったとしても人間は余りにも常に害になる存在なのである、存在自体がそうなのである
無用の用というとき人間は無用ではありえない、無用でいたとしても常に害になる存在なのである
石や木は害を及ぼさない、その口は閉ざされて互いに争うこともない、平和なのである
その平和も持続的であり木は大地に根付き不動なのである

人間の害悪は凄まじいものである、その最たるものが戦争であり何千万人も近代になると死んだことである、つまりもともと人間はこの世になければそんな悲惨な戦争などなかった、確かに動物と動物は食い合いをしている、でもそれである種が滅びるということはない、自然の摂理にかなって食い合いしている、動物でももし食料を貯えようとすると大量に食べ物となる動物を殺すかもしれない、でも日々の餌を得るだけだからそういうことは起こらない、人間では常に貯えることをしているからそこでかえって貯えるために争うともなる、人間は何らかで争いがさけられないのである
だからこそ石と木が争わないという時奇跡的に見えるのである
石と木に接する時平和を感じるのである

●自然と対比でみる西洋と東洋思想ー文明の融合よりどららも滅びる

自然を観察する時、動物で草食動物と肉食動物がいる、でも草食動物は肉食ではない、草を食べているから平和に見える、それでもなぜ牙があるのか、それは他の動物を襲うものではない、身を守るものとして牙がある、敵を威嚇するものとして牙がある
それを見ると国を防衛するのには一応牙が軍備が必要なのかともなる
でも人間の場合は防衛するにしても牙が必要でも過剰になるのである
そして防衛だけではない攻撃することにもなる
老子の思想の成さずして成るとは植物的思想なのである、どうも西洋的思想はアングロサクソン的思想であり狩猟的思想であり攻撃文化思想なのである

つまり肉食的動物的思想である、それで絶えず大陸ではヨ−ロッパでは戦争が絶えなかったのである
インドでは仏教だと肉食をさける、動物でも保護する、平和的民族に見える
中国は三国志の世界であり弱肉強食の世界でヨ−ロッパと共通している

とにかく宗教はアジアを東洋を起源としている、そこに草木まで成仏するとか草食的植物的思想がある、それは平和的民族ともなる
日本でも牛馬羊がいなかったとか草食的植物的民族文化がある
ただ一方で日本人は侍がいて戦闘的動物的だということにもなる
国でも民族でもいろいろな見方がある、でも目指すべきは東洋的思想の文明でありまた植物的な文明の世界観が平和を作る、東西融合文明とかなる
それを成すのが日本だと明治維新に言われた、和魂洋才である
日本の地理がそうだからである、東西融合を果たす地理にあるからだ

科学技術的物質的なものが中国でも飽和状態になってきた、経済発展はこれ以上望めないとかなっている、でも文化的なものはこれから興隆するのかもしれない
東洋的アジア的物価の復興日本だと国風文化の復興があるかもしれない
物質的なものから精神的なものへの移行が起きる、内面的哲学的宗教的時代になる
でもカルト教団は一切そうしたものと関係ない、世俗社会より世俗的な所であり精神世界など関係ないあくことなく物質的欲望をかなえるために祈っているだけなのである
そんなところから何か東洋的文化だかと国風文化だとか一切起らない
ただ一票得るための政治団体であり利権団体であり御利益だけを目指す団体なのである
そこは一切東洋とか西洋とか関係ない、あくことなく欲望を追求する団体なのである
だからこそ宗教ではないから税金をかけろとかなる、制限しろというのもそうである
正直文明といってももう新しい文明は起こらない、どっちにしろ文明は滅びるともなる
第二次世界大戦で何千万人死んだとかなるのも文明の災禍だったのである
文明故の戦争でもあったからである

●高齢化社会はアート哲学文化の時代になる

これからの時代は世界的にも中国でも高齢化する、するとどうしても今までのように若者社会ではない、ぎらぎらした欲望を充たそうとする社会ではない、確かに日本は貧困化して食べるのが精一杯だということもある
でも高度成長時代のようにな物欲一辺倒の時代ではない
例えば老人になるとその語ることで老人を評価する、ただ物を持っていると金を持っているとかで評価しないことがある、もちろんそれだけで評価する人もいる
でも老人と語る時その人がどういう人生を歩んできたのかその経験談によって語ることによって評価する、その人なり人生を語る人は価値あるとなる
それは必ずしも金があるとか地位があったとかではない、まずカルト教団で一生終わった人は何も語ることがない、その人なりの人生を語ることがない
すべて団体組織の一員としてロボットとして終わったら何を語るかをあらかじめわかる
俺はナチス党員だったと言っても誰も今は評価しないと同じである

そして物欲一辺倒の世界から精神的豊かさを求める社会になる
中国人でも最初は物欲であり爆買いだったが今は違う、日本の文化的なものを求める
逆に中国では日本の物より菓子とかでも中国にもともとあったものを買うようになっている、中国でももともとあった国のもの文化を見直しているともなる
物欲がある程度充たされるとどこの国でもそうなる
全体的には成熟社会でありスロー社会であり内面的になり精神性を求めるのである
だから逆に文化面では興隆するともなる、つまり中味の菓子の味もあるが包装とかデザインとかが重んじられるようになる、がつがつ食べて腹を満たすだけではない、茶の湯とかなると喉が渇いたから飲むというのではない一つのアートに文化となったのと同じであるそういう文化の時代であり思想を深化したりアートの時代になる
インタ−ネットもそうしたアートとか文化の交流の面があるからだ
世界の映像がアートが見られるということでそうなる、その評価も世界で刷るとなるからだ、そういうことは映画とかだと莫大な金をかけてしてきたが別に無料で個々人でもする時代になっている、インタ−ネットは世界の展覧会場にもなっているからである

例えば鉄道が衰退しているが観光としては必要だとなる、新幹線のようにA-Bと早く着くことではない、各駅停車で途中を楽しむことがいいとなる
スローでいいとなる、もちろん早いこともビジネスとかでは必要である
でも一方で途中を楽しむことも必要でありそのために鉄道も必要だとなる
そこに鉄道の効用もあるとなる、車だけでは味わいなものが味わいるとなるからだ
車だと風とか光りでも感じない、見える景色も違っている、すると旅でも車より自転車の方がいいとなる、でも自転車の旅する人はまれである、老人になればさらにまれである
変わり者となっている、でも今自転車が見直されていることも確かである
また歩くことがなくなったから歩く旅をするとそれが新鮮な経験になり江戸時代に還ったような気分になるのである

だから福島中央道とかできたがそこはただ福島市まで早く到達するだけでありつまらないとなる、でも逆に前の道路は車も通らなくなり自転車で行くのにはいいとなった
まるでサイクリング道路となったのである
それでその道路沿いの店とか食堂とか客が来ないというとき逆にそこをサイクリングとかに利用して休むとかなるといいとなる
要するに時代は常に変わる、何が幸いするかわからないのである
だからこそ未来は常に予想外になっているのである







2022年09月28日

安倍前首相の国葬の是非―祭政一致が政治でもあった (死者は誰でも美化されるそして生者によって利用される)


安倍前首相の国葬の是非―祭政一致が政治でもあった

(死者は誰でも美化されるそして生者によって利用される)

●死者は美化される

いづれにしろ死者は美化され安いのは過去が美化されやすいのと似ているのである
何かもう過去は人を害することはない、過去の人は人を害を与えないからいい人が多かったとかなるのである、親でも実際生きている時は嫌な面があった
でも死んでみるとそうした嫌な面は消失する
ただ何か今残され生きている人はやさしく見ているだけだとなる
それは何も生者に対して要求しないからである、また何かを与えてくれとも要求しないのである、するとそういう存在はあるとしたら美化されやすい、観音様のようだとかなる
これも不思議なの現象なのである

つまり死者と生者の関係には利害関係はなくなる、何らか人間は利害関係で生きている

過去は美化されのはなぜか?
 (死者は美化されるのはなぜか―利害関係がなくなるのから)


死そのものを社会的に美化したのは明治以降ですよ。
いつからという明確なものではないけれど、美化することによって死にに行く事に抵抗力をなくしているんでしょうね。つまり明治以降軍の力が強くなってからです。

株価も円高も市場が安倍総理と政策を歓迎したのです。

死んだ人のことを悪く言うとバチが当たるような恐怖感がみんなの心の片隅にあるから正直に言えなくなってしまいます。
それと、死んだ人のことを悪く言うと、人から悪い人間だと思われるからです。
結局みんなうそつきってことです。

そもそも安倍じいじが壺を日本に呼んできたのは
団塊が学生運動して国家転覆しかけたからだよ

そもそも安倍前首相が国葬にするほどの人物だったのか?国葬に値する人物だったのか
首相で国葬になったのは吉田首相だけである、すると吉田首相と同等の功績があったのかそのことでも議論すらない、権力者の一方的判断で強行された、民主主義だと常に議論があり是非が問われるがそれもなかった
結局死者は生者によって恣意的に利用される、死者を祭りあげて今生きている人が有利にする、権威を高めるとなる、そういうことはソ連時代の書記でも神のように死ぬと神のように祀られていた、つまり死は無神論者でもその前に厳粛ならざるをえないのである
だから死者は神にもなりやすいのである、生前がどうであれ死ぬと神になるというのは
原始時代からあった、死者は神になりやすいのである
日本でも先祖崇拝となるとき先祖が神となるのもそうである

ともかく自民党の権威を高めるために国葬にしたともなる、祭りは祀るからきているからである、死者を祀ることは祭りになったのである、神聖政治であり政教一致である
政治とは祀ることであり政りごとのことだからである
つまり政治も何かしら権威が必要でありただ権力とか武力とか数だけでは権威は得られない、権力だけでは権威が得られない、だから祭政一致になっていたのである
宗教が政治にかかわってきたのである

●祭政一致ー政(まつ)りごとが政治だった

天皇は国の祭司であり死者を祀ることが仕事にもなる、だから戦没者慰霊蔡が毎年あり天皇が司祭となり死者を供養して祀ることが仕事なのである
国のために死んだのだから国家的行事としてつづいている、それを日本人は否定できないのである、でも韓国とか中国にとってその死者は犯罪人としているのである
アメリカでもそうだったのである、戦争犯罪人をどうして英霊として祀るのかを問題にしている、ただ死者に対して責めないというのが日本の文化でもある
だから戊辰戦争でも官軍の戦死者でも戦士塚として碑を建てて供養している、敵味方塚として供養している、そういう文化があるのは日本だけだとなる
なぜなら大陸だと中国だと民族抗争で熾烈であり民族自体を殲滅するジェノサイドがあるからだ、墓まで暴きたして罰する、日本人はみんな日本人でありそうした熾烈な民族抗争は経験していないのである

ともかく皮肉にも阿部前首相が凶弾に倒れた原因も統一教会とか宗教とかかわりそのために殺された、政治が宗教とかかわりそのとばっちり受けて殺された
宗教と政治がからんでそれが原因となり殺された、カルト教団にだまされて人生を破壊された人がいてその恨みで殺された、ただ政治家は危険な職業である
常にテロに合いやすい、それは様々な人達がいて利害関係がありまた宗教でも安易に票になるとかで野合する、それが危険なのだけどともかく票が喉から手が出るほど欲しいとなり野合する、創価と一体化した自民党自体が野合政権である
そこに危険性がすでにありそのために殺されたともなる
でも政治家は何らか現政権に不満やら恨みを持つ人がいるからテロを受けやすい
でも統一教会がそんなに力があったのかということが理解しにくい
創価ならわかるが10万くらいの信者で自民党を動かすような力をもったのかという疑問である

いづれにしろ宗教と政治は不可分なものとして歴史的にあった、第一邪馬台国のヒメ子かが鬼道で治めたというとき宗教で治めていたとなるからだ
国を治めるにしてもそうした権威が必要であり力だけでは治められないからそうなる
カトリックがローマ帝国にキリスト教が国教化したとき政治化して力を持つようになったその弊害が大きかったので政教分離がフランス革命で起きたとなる
宗教による弊害が大きくなりすぎたのである、そもそも宗教が権力と結びつくと歪められる、なぜなら宗教は個々の心を見ることであり一つの勢力化した権力化した組織団体とは相反するのである、でも社会では心の問題より社会としてはどれだけ勢力があるかで判断する

そして日々会員を増やすことに奔走する、創価ならすべてが選挙に勝つために運動している、統一教会と似ているのである、何か映像みたらみんな集まり気勢をあげて戦う姿がテレビで映されていた、それは何で一致しているのか、日本の政治権力とかかわり日本の政治に影響して金を収奪して国まで収奪しようとする
つまり創価でも目的は日本権力の収奪でありそのために選挙運動がすべての活動として信仰となる、そこで利するのは幹部とか利権にあづかるものである
御利益を得ることが最大の目的である、あとは罪だとか罪障だとか一切問わない、欲望の否定もない、題目をあげてむしろ欲望を強くもって欲望をかなえろしかない
そしてともかく人数を集めてこの世で社会で力を持つことである
そういう団体と一体化して政権を担う自民党も危険である、それはナチスのようなファシズム化の危険がある
でもそうなったのは自民党の票田が農民とか地方から消失して支持基盤が弱くなったためである、一定数の票をが確保しにくくなったためである、そこでカルト教団であれとにかく当選するには票が欲しいとしてそうなったのである

●宗教が権力を持つことの危険

政治はこの世のことである、宗教はこの世となるべくかかわらないで来世で神の国に生きることを目的としているからである、この世にあるかぎりこの世のことにかかわらざるをえなけどなるべくかかわらない、だから運動とかならない、集団化組織して社会を変えようとはしないのである、カルト教団は政治団体でありこの世の権力を得るために日々運動している、統一教会だっから韓国がかかわり政治化して日本とかかわり日本から金を巻き上げて収奪していた、それに組していのが自民党だったということが山上のテロで暴かれた、その首謀者が安倍前首相だったのである、そういうことで自民党が攻められたので
それを隠すために安倍前首相を国葬にして覆い隠そうとしたともなる
死んだ人は罰せられないとなる、でも中国では死んだ人も墓から暴きだして罰している
それだけ激しい憎悪の争そいが中国にあったからだとなる
日本では死者に鞭うつなという文化がある、一旦死んだらその人がどんな人であれ批判はしない、美化されるのである、神となるのである

そもそもなぜ国会での議論もなく自公政権で国葬にできたのかとなる、民主主義的手続きもないのである、権力の怖さはこうして勝手に国民に強制できることである
戦争の時は突然赤紙がきて地獄の戦場に連れて行かれた、それが今ロシアで行われて反対している、権力とは強制できる力を持つことである、だから警察とか軍隊とかと結びついている、警察と軍隊を動かすことができるのが権力だからである
国葬というのもそういう国家的動員をして国民の一体感を高める、でも今回の国葬には反対する人達が多かった、だから国民総意ではないのである
むしろ阿部前首相の悪行が隠されて統一教会問題を自民党は隠して終わりにしたいとしている、そういう政治的意図がある国葬だったのである
阿部前首相がどういう功績があったのかも良く国民にはわからない、むしろ悪行が死とともに隠されてしまった、でもなぜ安倍前首相が死んだ結果オリンピックの賄賂で逮捕された人がいたり司法で悪が暴かれたのか、それは安倍前首相が死んだからだとしている
すると司法でも首相がトップの権力者で逆らえなかったとなる
それだけの権力を持っていたとなる

政治家の側にありては宗教は政治問題として扱われ宗教家の側にありては政治勢力を占めるにいたってその成功が確かめられるのである(内村鑑三)

いづれにしろ政治は宗教を利用して宗教は政治を利用して権力を強固にする
この世の権力は権勢を得ることが政治の目的であり宗教もまた政治にかかわり権力を得たいとなり政治にかかわる、このことが危険なのである
政治と宗教が一体化すれば宗教は批判を許さないから何かあると宗教をもちだして罰当たるとか地獄に落ちるとか脅迫する、それが権力をもったら現実に警察とか軍隊を動員して刑務所に入れることもできる、イスラム世界では宗教と政治が一体だから反対勢力は容認しない、宗教裁判があり法律ではなく罰を与えられる、宗教がこの世の権力を持つとどうなるのか、それを証明したのかカトリックである、この世と姦淫したのがカトリック団体だとしている,ローマ帝国の宗教になったときそうなった
そもそも宗教はいくら強制しても改悛したり信仰に目覚めるとかないだろう
あくまでもそれは自主的な行為であり強制できない、宗教は強制できない、強制する力をもっていない、この世の権力は強制する

宗教自体が権力を持つことが危険なのである、だから宗祖はキリストであれシャカであれ寝る所もなく住んでいたのは岩窟でありそこで悟りを開いたとなる
一人は浮浪者であり一人は乞食だったのである、それが宗教者にふさわしいとなる
なぜなら宮殿に住んでいたり大金持ちだったり栄誉栄華の暮らしをしていたら信仰すれば俺たち庶民でもあのような暮らしができるとなりそうした組織集団に入る
それがカルト教団なのである、世俗的な欲望を達成するものとしてカルト教団がある
だから容易に政治化する、すでに政治団体であり利益団体である、だから税金をとれというのがわかる、営利御利益団体でしかないからである
別に資本主義社会だったら利益を得ることを批判できない、でも宗教化かかわるから問題になる、宗教がかかわるとそもそも宗教でもないのに税金なしで御利益追求ができるとなるからだ

そこに宗教で偽装しているのである、だからこの偽善はいつか矛盾して災いをもたらす
要するにこの世とは人間とは余りにもこうした偽装とか偽善とか偽りが多すぎるのであるそして信教の自由を盾にして批判を許さない、でも実際は本来の宗教でもないのである
規制するという時、組織化団体化した宗教であり個々人の信教の自由ではないのである
組織化集団化自体が権力化することである、キリストが二三人いるところに私がいるというときもう百人でもいたら多いとなる、それがカルト教団になると多すぎるし数を増やして権力を得ようとする、なぜなら十人でも会員が店に買い物に行けば権力化する
会員が十人買うということでも権力化する、店ではそういう組織団体を批判できなくなる民主主義社会では数が力なのである、赤信号みんなでわたれば怖くないが民主主義でもあるのだ、それが極端になると全体主義になりナチスになるのである

●この世は偽善と無駄が多すぎる

自然をみるとそういうことが全くないのである、その美は純真であり偽りは全くない
花を見ても山を見ても動物を見てもそうである、鳥でもそうである
その相違が余りにも大きすぎるのである、その対比でみると人間社会とは何なのだろう
人間とはそもそも何なのだろうとなる、なぜこんなに差があるのか?
何かこの世で仕事するにしてもその職業でも人をだますとかが多いのである
まず金融関係がそうである、銀行など堅い職業だと思っていたが全然今は違う、むずかしい手の込んだ詐欺なのかとも思った、投資信託であれ簡単に理解できないからである
人間の職業は業(カルマ)になっている、何らか必ず職業にはカルマがある
そもそも軍隊とか警察とか医者とかもともとない方がいいのである
なぜなら軍隊が兵士がいないことは平和なのであり警察がいないということは犯罪がないことであり医者がいなければ病気がないということである

そういうものは神の国にはないからである、そこに膨大な力を尽くすことは甚大な無駄だとなる、それで高齢化社会になるとその医療費のために国がつぶれるまでになっているのだ、宗教家なども実際は無用のものなかのかもしれない、極々一部を除いて害になっている、それが膨大なカルト教団なのである、それは実際は害悪でしかないのである
老子の無用の用というとき空地などは都会ではかえって無用の空間でも必要なのであるそこで休息の空間である、びっしりと用で埋め尽くされた建物のなかに空地があることは
むしろ無用でもない必要なのである
でも人間は無用といっても害になる物が多い、人間そのものが害になる人が多すぎるのであく、無用の人にはなれない、必ず害悪をもたらすのが人間である
人間は本当は無用でありえない、そういう人がいたら貴重である
なんらか害を及ぼすのが人間なのである、政治でもそうである、プーチンとかいて戦争を起こして大害悪を作り出し貴重な若い命が無駄死にさせられる
人間は膨大な人間は無益に消尽される、無用ならいいが必ず害悪となるのが人間なのである、自然にはこうした無益なこと無駄なことをしない、自然では何も無駄なことはないのである、人間から無用に見えても無用ではないのである

宗教の専門家などいらないのである、個々人で学べるものであり教会にも寺にもましてやカルト教団などに行かなくても宗教は個々人で学べるし神を知ることができる
かえってそうした仲介者は危険である、金儲けのためとか他者を支配しようとするからである
それは宗教家だけではない、師も危険である、もちろん師にもいろいろあるから全部は否定できない、でも師も偶像崇拝になってしまうのである
だから師というのも危険なのである、師を神のように偶像化して崇める、それはカルト教団ではそうなっている、そしてまるでそのロボットのようになる
師と同一化するロボット集団化する、カルト教団はみんなそうである、全くロボットであハイルヒットラーとたいして変わらないのである、そこに個性は認められないのである
同じ色であり様々な色は認められないのである、メカニカルに一斉に動くロボット集団なのである、それが現代文明の病弊となってナチスが生まれたのである
現代文明は画一化大量生産であり地域性の文化とかを無視する、日本語でも英語にすればいいとか日本文化そのものも否定する、確かに英語は世界の共通語のようになっいるから必要である、でも日本語まで否定することはないのである
むしろ方言とかが見直さらる、方言は国の訛りであり文化でもありそこに温かみがあるからだ、標準語には温かみがないのである、数字のようになってしまうからである












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2022年09月27日

ロシア人の生死をかけた深刻な選択 (他の国でも同じことが起きるし起きてきた)


ロシア人の生死をかけた深刻な選択

(他の国でも同じことが起きるし起きてきた)

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ロシアで今何が起きているのか、それは生死をかけた選択である
ウクライナと戦うとなると死ぬことが普通にある、戦争は生死をかけた戦いだからであるすると何かそこに意義がないとやれない、それでロシアではウクライナとの戦争に消極的であり士気が低いとされる、ウクライナは自国防衛で士気が高い
それでロシアは混乱している

さらに百万人をも徴兵しプーチンが戦わるとしたら死ぬ確立も高くなる
すると死にたくない、何で死ぬまでして戦争するのか、そういう疑問が生まれる
それも深刻なのである、生死の選択にもなるからだ
祖国防衛戦でもない、わずかの土地を奪うために戦うとなるとそこに意義が見いだせないだから戦いたくないとして脱出する人たちも増えている

でも逆にそれを受けいれない、国内でプーチンに反対して戦いとなる
それもやはり生死をかけたものとなる、反対運動があるがつかまり戦場に強制的に送りこまれる、どちらにしてもその選択は命がかかっているから深刻だとみる
そもそもロシアでもそうだが国とは誰の者なのかということである
平和に住んでいる時意識しない、でも平和な時でも日本だって上級国民のために働かせられているとかある,国のためという時上級国民のために働かせられる、犠牲にされる
上級国民の奴隷だとも常に言う、つまり国家は誰のためにあるのかということである

ロシアとか中国とか巨大国家はもともと一将功成りて万骨枯るとなりやすい
ロシアはプーチンがそうでありプーチンのために犠牲になり死ぬのかとなる
だからロシア国内ではプーチンに反対する勢力もあってプーチンを倒せとなる
でもそれもロシアとかは独裁であり強固な権力がありおさえる、命令する、反対すると殺されるとなりそこで反対して殺されり国を脱出した方がいいと考える人達もいる
大陸だと陸続きだからそういうこともしやすい、でも断る国もいる

それはロシアだけではない戦争となれば死ぬのは嫌だとなるのは当然なのである
ただ大陸国家だと常に激しい民族抗争があり戦争がつづいてきた、だからジェノサイドも起きてきた、聖書でも神の命で民族を根絶やしにするジェノサイドが認められていた
それでけ民族抗争が激しいからそうなった
日本だと島国でありそうした激しい民族を抗争を経験していない、最初は百余国が争うとかあっても日本は島国であり異なった民族でもみんな一つの民族に融合したのである
だから戊辰戦争でも東北では官軍でも敵味方塚として戦死した人達を手厚く葬っているのである、それは中国ではありえないと言っている
中国だと死んでもその墓を暴いて罰しているのである
それでだけ民族間の抗争が激しいのである、日本人はそういう厳しさを知らないのであるただ明治維新後グローバル化して世界の民族抗争に巻き込まれたのである

いづれにしろ人間は死にたくない、でも死ぬとしたらその意義を求める、わずかの領土を得るために死にたくない、戦争自体にそもそも意味があるのかとなる
今回の戦争でもウクライナでも莫大な損失だった、人命から土地から建物からインフラからその損失は巨大なものであり双方ともただ消耗したというだけになる
何か奇妙なのはロシア人の優秀な人達がエリートが国を脱出する
でも戦争という時、本当はそういうエリート達は支配階級の貴族だったら率先して戦った

『貴族が義務を負う(noblesse oblige)』のならば、王族は(それに比して)より多くの義務を負わねばならない。」と書いたのが最初である[4]。

最近では、主に富裕層、有名人、権力者、高学歴者が「社会の模範となるように振る舞うべきだ」という社会的責任に関して用いられる。

ノーブレスオブレージがありそれは戦士でもあり国のために率先して戦う人達だった
日本がだったら侍だった、そして戦争とはもともとそういう支配者同士の戦いだったのである、国民全員が戦った訳ではないのである
そうなったのは世界第一次大戦とか第二次大戦からである、国民同士が全員兵士となり戦うようになったのである
日本だと西南戦争で侍集団と国民軍が戦い国民軍が戦い侍はいなくなったのである
そして国民全員が兵士にされ戦うことになった
だからこそその犠牲も信じられないものとなった、日本だと三百万人が死んだとかなる
他でもロシアでも一千万人死んだとか信じられない犠牲者を出したのである

第二次世界大戦以後大きな戦争がなかった、でもウクライナであのような大きな戦争がまた起きたことは意外だった、それはロシアが西側に攻められた防衛戦とは違う、ウクライナはソビエト連邦から離脱して独立国になったからである
だから今回の戦争では国論が統一しない、プーチンという独裁者に不満が多い
そして奇妙なのはロシアから国民が脱出する
それが極端になるとプーチンとそれに従うわずかの国民が残り戦うとなる
「プーチン、お前が最前線で戦い、もうお前に従う者はいない、お前一人で戦い」
こうまでなる、そしてロシアという国自体が消失する
だから国家とは国とは誰のためにあるのか、一人の独裁者のためにあるわけではない
スリランカでも国を牛耳っていた大統領一家が外国に追われて逃亡した
国を私物化していたからである、プーチンも国を私物化しているともなる
そして誰も従うものがいなくなったら国は消失する

いくら独裁者でも国は一人では維持できない、また強権的にも維持できない、何らか国を愛して守る自主的な人達がいなかったら国は守れないし消失する
だからロシアは今はそうして国が分解して消失してゆくのかとなる
ただ見方としてはロシアは西側にアメリカに対抗するものであり有利に展開している
報道は西側よりでありアメリカ寄りであり現実の戦況がわからないとも言う
でも大方の見方としてロシアがプーチン独裁であり積極的に戦う意志がないと見る
そもそもロシア国民が大量に脱出するということは戦う意志が本当はない
ただ日本でもグロ−バル化してひろゆきのように日本は駄目になるから脱出しろと戦争する前から叫んでいる、そういう人達も増えているのである
すると日本にも戦争となったらそういう脱出する人たちも増える
でも日本人は外国に住める人はわずかである、島国であり日本は日本国内一億総玉砕となる心情にある、つまり大陸のように簡単に逃れられないからである

いづれにしろ人間が生死をかけた選択を迫られるとき深刻である、その時何のために死ぬのかと平和の時と違って深刻に考える、行動でも迫られる、そういうことでウクライナ戦争はやはり自国の問題でもある、それは他の国でも同じなのである
中国でも台湾が欲しいからといって戦争にふみきれば犠牲者がでる
そうなるとき死んでまで台湾が欲しいのかとなる、それなら支配者がまず率先して戦場に行き戦いとなる、犠牲になれとなる、国民はみんな台湾を中国にすべきと思っているとは限らないからである

ともかく戦争は勝にしろ負けるにしろ余りにも犠牲が多すぎるのである、それで得るものもたいしたことがない、わずかの領土であり台湾にしてもそうである
ウクライナにしても争っている領土はわずかである、そのための犠牲が余りにも大きすぎるのである、とても見合わないのである、損得で考えれば戦争は損しか双方にない
でもなぜ戦争がなくならないのか、人間は愚かなことをカルマとして繰り返すのかとなるそれも人間の業(カルマ)であり逃れられないのかとなる
そしてこれだけグロ−バル化すると最終戦争のハルマゲドンになる、核戦争の恐怖になるこうして人類は滅びゆくほかないのかとなる
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2022年09月26日

ようやく秋になった(秋の蝉、虫の声、里の秋)


ようやく秋になった(秋の蝉、虫の声、里の秋)

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これは松島で見た根っこだけど太い



 秋の蝉ひびきともしき牛越城

 地に根付き太き根っ子や里の秋

 里の秋畦道出合う烏かな


 一匹の虫鳴く声の幽かかな我が家に静か昼に聞き入る

 岩一つ玄関にすえ秋なれや余生なおもここに生きなむ

 岩一つ重しもここに一代に家を築きぬ秋の日暮れぬ

 我が家に昔を語る人のあれ桔梗の咲きて我は聴きにき


 今日も実際は暑かった、陽射しがまだ強いのである、昨日もそうだった、だから体調を壊した、でも夕方になったら涼しくなった、夕陽が山に没るのでも秋だった
 もう夏は終わりだろう
 牛越城は相馬藩の城でも五年で終わった、短い期間だった、相馬氏に移るまでの一時期の城だった

 ここで毎日逢うのは烏である、人はいても人とは逢わない、変なのは田舎でも人が今何しているのかわわからないのだ
 ただ一軒の家のことはそこに介護とまでゆかなくても話し相手をしている老女がいて
その話を聞くし一回だけ行ったことがありその庭が石造りの池があり立派なのである
玄関にも大きな岩がある、でもその人は糖尿病であり苦しい
介護する人が毎日のように来ているみたいだ
でも病院にいるよりは自分が苦労して一代で作った家にいるのが精神的にもいいとなる
家だ人間としての威厳を保てるからいいとなる
病院だと病人でしかなくなるからだ

我が家で故郷の昔を語った、小高の人と同級生だった、人間は最後は老人になったら何を語るかである、もしその人なりの人生を生きたら聞くに値する
それは別に地位があるとか金があるとかとかではない、その人の人生はいろいろであり
そういうもので価値があるとは限らないだ
まずカルト教団とか組織団体だけに生きた人の話を聞いても価値を見出せない
それはその組織や団体にいる人にとっては語られるけど外部の人にとっては関心もないのである
ただ何でも人は経験することが違っているから何かしら聞くに値することはある

今年は秋は遅くなった、10月になればやはり本格的な秋になる
そしてまもなく今年も終わりに向かってゆく、何か後期高齢者になったからこんな年まで生きたのかとなる、でも実際は人間は依然としていくら生きていても何かその年どうりではないみたいだ、それで加治兄とか呼ばれている人は不思議である
youtubeに出ているが本当に自分と同じ年なのに若いのもである、もう40代にしか見えない、本人は30代とか言っている、頭が白髪にもなっていないのである
40になると白髪がでてくる、禿げて来る、それもないのである
その人は年齢のことは言うな、年齢で差別するなと言っている
つまり老人は必ずしも年齢通りになっていないのだ

近くの老人は女性だけど私より10歳以上若いのに白髪で真っ白であり杖ついているのである、もう80才のようになっているのである
どうしても人間は見た感じで判断する
私は確かに体が弱っているけどまだ結構体は動くし頭も回転している、私は20代で老成していたから自分を見た人は若い時と20代と同じだと言っている
自分はおそらく20代では意外と苦労して消耗したためだろう
その後は家で引きこもりになり最近引きこもりを籠り人と改めることになった
その隠り人だったのが自分だったのである

 老人は今は平均的には実年齢より10歳引いた年齢は適正年齢である
70歳だったら60歳なのである、ただそれ以上に若い人がいる
だから現代は年齢では計れないのである

2022年09月24日

木の成長と人間の成長 (長い目で見れない人間の弱点ー時間の貴重さがわからない)


木の成長と人間の成長

(長い目で見れない人間の弱点ー時間の貴重さがわからない)

●成功をあせるな

成長の早い杉やヒノキは木材としての質が悪く、商品価値が劣ります。
成長が早いと年輪が粗くなり、強度が弱く、折れやすく、乾燥によって曲がりやすくなるためです。
成長が遅いと年輪が密になり強度が増します。年輪の色の濃い部分は1年のうちの気温の低い秋冬の時期にゆっくり肥大した所です。
ですから、山に生えている木も南側斜面より北側斜面の樹の方が成長が遅く、価値が高いようです。
幹の太さが同じなら樹齢が古いほど良いようですよ。
まあ、苗木を植えたときくらいには肥料をやるのかも知れませんがね。
木材として伐採するのは早くても50、60年はかかります。


人間も同じである、とても人間のような複雑なものは即製できない、動物だったらもう教えられることもなく生まれてすぐに環境に適応するようにできている
でも人間は環境に適応するのにも時間がかかる、だから人間を作り育てることは最高にむずかしい、いくら素質があり才能があってもそれを育み伸ばすのには時間がかかる
確かに肥料をやることも大事である、でも基本的に木を育てるのは時間である
もう育つのには成熟するには50年とかかかるからだ
それはかえってやせ地の方が時間をかけて育つからいいというのは余りに肥料がやりすぎて早め育つといい木にはならない、つまり年輪が詰まっているのは一年一年じっくり育ったからだとなる年輪の幅があるのはいい木にはならない、しっかりとした丈夫な木にならない、年輪の間隔が狭いのがいいのである

人生も終わりになるとこのことを痛切に感じる、何かも身につかずただ時間が過ぎてしまったとなるからだ、一年一年充実して生きていなかった
もしその人なりに充実した時間を生きていればやがて立派な木として育つ
でもそこに必ず時間の無駄があり何かあてもなくぶらぶらしているとかいろいろなことに気をとられているうちに時間がなくなっているのだ
先が長いと思っているけど実際は時間はあっという間にすぎる
時間はなくなってみないと自覚できない、金は小金でもいつも意識して使っている
百円でも損した得したとかなっている、でも不思議なのは百万とかもうけた損したとか
かえって意識できないことがある、人間は大きなものを意識できないのである
なぜなら日ごろの生活が基本にしているからである
日頃の生活は100円得したと損したとかなる、毎日の食費とかが金を使う感覚になっているからだ
私は遺産が入ったとしても大金を使ったことがないから使えないのである
日常感覚からはみだした金は感覚的に理解できないのである
でも庭作りとかで大きな金を使った、それでも百万単位とかである

若い時の問題はとにかく一挙に脚光をあびたい、有名になりたいとかあせることである
実際は何にも認められるものがなくてもそうなる
成功をあせることである、それが失敗の元なのである
それはやはり木のように育つ感覚をとても持てないからである
何かすぐに成功して脚光を浴びたいとなる
それは事業を起こした人にも共通している、何かもう始めたりたちまち成功して大富豪にでもなる感覚になっている、まず地道に仕事をするよりギャンブルの感覚になる
私の祖父にあたる人は警察署長だった、でも機織り工場の事業を起こして倒産した
それもおそらく警察署長だから成功すると事業を起こす前に思っていた
でもその事業についてはずぶの素人にすぎなかったのである
だから一家離散にもなりその子の私の母親は苦しんだのである
事業でも簡単に成功はしない、ギャンブルのように一挙に大金が入ることなどないのである、何かそこには地道にやることが必要になる、でも人間は一挙に脚光をあびて成功者になりたいのである、それが20代とか若くてもそうなのである
ただ天才とかいるからそれは別である、どうしても啄木のような人間を普通の人は理解できないからである

●すぐに見返りを求めるな

人間の問題で何かすぐに何をしてもすぐに見返りを求める、私はあなたにこれだけ尽くしたのだから今その尽くした分をすぐくれとかなる、返してくれるとなる
ここに苦しんでいる人がいる困った人がいる、その時人間は無償ではしない、後で返してもらえばいいですよとかならない、今返してくれとなる
それより困って苦しんでいる人を見てこれはチャンスだと借金した人が今金をくれるなら助けてやるとか脅迫することにもなる、助ける方も今困っているのだから金をくれとなるだから借金している人は人を助けることはできないと思った
推理ドラマでは必ず借金して犯罪になっているからだ
借金はそれだけすでに自分自身に負担がかかっているのだから他人の負担をもう負えないのである

つまり今苦しんで困っている人がいたらとにかく助ける、今は見返りを求めない、そうしなければ助けることはできない、だから救急車はそうしている、金がなくても何がなくてもともかく来てくれる、そうしなければ人は死ぬこともあるからだ
でも普通はそうはならない、今借金して苦しんでいるから今助けるから金をくれ、そうしたら助けてやるとかなる、そういう人はそもそも人を助けることなどできなかったのである、それで自分は苦しめられたのである
助ける時あとでそれもかなりの年数がたってからその見返りがあるともなる
私は介護で自分の病気でも何か余裕がないから他人のことなど考慮することもできなかったからだ、でも余裕ができればあの時は助けられたなと援助することにもなる
それなりに金銭の余裕ができて助けることもできる
でも結局人間はみんな性急なのである

そしてせいては事を仕損じる

人間の弱点は長い時間でみれないことである、ただ毎日今に追われているだけなのであるだから国家百年の計とかなるとできない、中国だとやはりあれだけの歴史があるから長い目で見て国家造りをしている、日本人がそもそも性急な民族になっている
それで一年で首相も次々に交代するとかなる、これもやはり問題である、そうなると長い目で見て国家を運営できないからである

行き当たりばったり」の意味は「成り行きに任せること」
「行き当たりばったり」の意味とは「その場の成り行きに任せることや、その様子」です基本的には深く考えなかったり準備を怠ったりする悪いニュアンスを持ちます

人間は例えば長く下積みとかすることも耐えられない、すぐにでも上に立ちたい、偉くなりたいとかなる、下積みで苦労することに耐えられないのである
でも確かなことは人間はすぐに成功することはない、また長い目で見れば今の世だけで成功することではない、その人の評価は死んでからこそある
また長い歴史の中で評価に耐えればその人は歴史に生きつづける
でも一時代だけで脚光をあびてもはかなく消える、どれだけの人が脚光を一時あびても消えたのかその数も多すぎる、浮き名をたてて消えてゆく
芸術にしてもそうである、後世まで残り鑑賞されつづけるものは少ない、いくらその時代で脚光をあびても忘れ去れるのが普通である
そして後世に残る物はわずかである、後はみな消えてゆく

●若きときに神を知れーさすれば余裕が生まれる

ともかく人間が成長するには時間がかかる、ただ人間は成長しつづける、70越えても肉体は衰えても精神的には成長しつづける、人間は木と同じなのである
時間をかさねて大木となる、大木は一日して成っていない、ローマも一日にしては成らずである、普通の人でも積み重ねで何ものかになる
何か自分の場合、何でも理解することが遅かった、それは学ぶことで失敗したからだろう効率的に学べなかった、学校で暗記することと試験勉強しかなかったからだ
でもかえって学校を出てから自分の興味あることを発見して伸ばしてきた
これも家族に恵まれた結果であり家族には死んでも感謝している
もし家族に恵まれなかったら自分は浮浪者とかなり野垂れ死にだったかもしれない
だから家族の影響は人間にとって余りにも大きいとなる
いくら才能があっても家族に恵まれないでつぶれてゆく人などいくらでもいるからだ
また時代運が悪くてもそうなる、有為な有能な青年が戦争でどれだけ死んだかとなるからだ、戦争は人材を消耗させるのである

ただ人間にとって大事なことは若い時に神を知れということである
神を若い時に知ればその後はあせることもなくなる、もう神との約束があり来世は神の国に行くことがすでに決められるからである、すると何もあせることもない、例え失敗してもこの世での失敗であり栄枯盛衰は世の習いである、でも確実に来世で活躍できるとなればこの世で認められなくてもいいとまでなる
実際はこの世とは来世の準備のためにありこの世で何かを完成することなどできないからである、いくら才能があってもそうである
この世では様々な障害あり認められないからである、でも神に認められているからこの世で認められなくてもいいともなるからである
つまり神に認められることは余裕ができるのである、不遇でも耐えられるともなる
それがなければ不満は尽きないとなる、それはいくらこの世で成功してもそうなのであるこの世とは一時のことであり一時の夢であり永続しないからである
永続は神の国しかないからである、実際あの人と十年前逢ったな・・・でも永遠に逢わないとなる、あの人50年前に一緒にいたけどあの人は本当に存在したのかとまでなる
それで人の出合いは何なのたろうとなる、それは瞬間的なものでもあった
あとは人間は永遠に逢わないのである、これもふりかえると不思議になる

確かなことは人間で貴重なのは時間でありその時間がたちまち消失してゆく
そして時間は二度と戻ってこない、例えあっても永遠に逢わない、そもそも人間が逢うとは何なのかこれもわからない、ただすれ違った人が逢ったとはいえないだろう
でも結局人間の出合いもただすれ違っただけなのかともふりかえるとなる
人の出合いもそれだけはかないのである、大衆化した現代なら大勢の人が一体になったようでなっていない、あとはばらばらになり一体感もない虚しいものとなっているだけである、それはあらゆる団体組織に言える、宗教団体でも同じである
烏合離散するだけなのである、そこに真の出合いなど全くないのである

ただ権力が欲しい、金が欲しいとか欲を充たしたいだけに集まる、そしてたちまち離散して後には誰もいないとなる、特に現代ではそうである、大衆化群衆化しているからだ
何か後々まで残るものがないのである、みんな一時的なもので騒いでは烏合離散するだけなのである、人間はやはり死んでもその関係がつづくものが本当のものである
私の場合は家族がそうである、死んでも語りかけ供養して関係がつづいているからだ
そういう深い長い関係は現代社会ではもう消失したのである
ただ無数の人間が烏合離散しているだけである、そして後には何も残らない虚しいものとなっているのである
別れても死んでも心が通い合えば互いに別れたことにもならない、心は通じあっているとなるからだ
人間の信頼関係も長い時間でしか築けない、それで10年間ある家で手伝いさんでも勤めた人は信用できるとなる、信頼するにも人間は時間がかかるのである

木の成長と人間

木は一年一年年輪を刻む
じんくりじっくり雨風に耐えて
その幅は狭いといい木になる
一挙に木は育たない
一年一年じっくりと育つ
大地に山に根付いて育つ
養分を一気にとって成長しない
やせた土地でも徐々に養分をとり育つ
その歳月は長い
でもやがて大木に育つ
そして大木は森に大地に倒れる
重々しく倒れ森に大地に還る
木は十分生きた、そして命を全うした
次の代の木もそうして育つ
自然の命は即製できない
そのリズムは悠長であり気長である
人間は騒がしく烏合離散して
後に何も残さない
かく長くも生きた木を後に人は思うべきかな
長き平和の日を生きよ
山のようにゆったりと木のように長く
神より与えられし命を育め


2022年09月23日

秋の松島ー俳句短歌−写真 (半年ぶりに行った松島)


秋の松島ー俳句短歌−写真

(松島は浄土、修行の場)


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松島は海と牡丹が似合うのか、海とともに栄えた場所となる

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(観瀾亭)

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五大堂

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瑞巌寺

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走り行く電車に映える秋桜

山鳩飛ぶ実り広がる仙台へ

(瑞巌寺)

禅寺の門や松島初秋か

金地にそ紅白の牡丹大広間

殿の座に金地に梅や匂うかな

中庭に石の配置や秋に入る

(観瀾亭)

秋涼し観瀾亭に茶一服

太き根の露に見ゆや秋に入る

(五大堂)

波静か五大堂古る秋鴎

秋涼し松に囲まれ五大堂

波静か洞の仏や秋に入る

瞑目す石仏いくつ秋に入る

地に根付き太き根っ子や里の秋


(瑞巌寺)

青苔に秋の日さして石仏の瑞巌寺にそ古りにけるかな

一匹の虫の音聴くや石仏の瑞巌寺にそ古りにけるかな

門の外海の碧くも島見えて秋の日あわれ歩む人かな

(五大堂)

銀色に水面きらめき五大堂松古り囲み秋の日暮れぬ

常盤木の松の緑に五大堂秋の日さして島々暮れぬ

(観瀾亭)

秋の日や石に根を張る木の太し茶一服飲む観瀾亭かな

・・・・・・・

石仏の重なりここに祈りかな秋の日さして跡そあわれ

松の影濁らぬ海に映しつつ石の仏に秋の日さしぬ

雲晴れて島々見えるうれしかな秋の鴎も一羽飛びくる

松島の緑うるわし島の間の波に浮きゆる鴨の群れかな

名も知れぬ小島一つ松島の奥にそあれや秋の日

老夫婦たずねてあわれ松島に秋の日さしてはや暮れにけり

松島に芭蕉泊まると千金の値にあれや秋の日暮れぬ

久々に仙台に来て花を買う五色の花や我が家に映えぬ

みちのくに住みて長しも点々と秋の灯ともり電車に帰りぬ



久々に晴れたので松島に行ってきた、ちょうど松島に来て晴れた、天気予報は午後から晴れるとあったが曇っていたのでどうなるか心配だった
天気予報はあたっていた、午後から3時ころから晴れてきたからだ
松島だったらいつでも行ける日帰りコースである
これも他から見たら贅沢だとなる、ところが名所でもあまりに近くにあるとその感覚がなくなる、いつも見れるし当たり前だとかなる
松島は遠くでは常に憧れの地だった、だから芭蕉も期待して来た、でも俳句が作れなかった、その理由はわからない、場所の泊まったという宿がレストランになっていた
その三階からのながめが良かった

松島はもともと修行の場だった、修行者が僧がここに集まったのである
瑞巌寺とか寺がありその領域は広かった、他にはひなびた漁村であり漁師くらいしか住んでいなかった、でもそういう場所でも相当数の修行者が僧が集まった
それで不思議なのはどうしてそういう人達は洞にこもり修行できたのか?
必ず食べなければならない、誰かがその食事を用意しなければならない、
9年坐禅を続けたとされている達磨大師でも食事を運び人がいたのである
その食事を一人のために運ぶことも容易ではない、ここが何か見逃されている
近くの霊山でも山で修行した人達が相当数いた、でもそんなに多い僧が山の上でどうして食を得たのか?やはりあの山は岩山でありそこで食べるものがない、とすると山に誰かが食料をもっていかねばならない、それも大変な労力になる

ただ山を修行の場としてきたのが天台宗でありそれが寺の起りである
比叡山でも山に寺があり修行する場としてあったからだ、それを民間では山伏とかなり受け継いだのである、山形県の山寺でもそうである、山を聖なる場として修行したのであるだから今の都会化した完全に俗より俗化したカルト宗教団体などはまずそういうふうに
心を山で浄めるとかの志向が全くないのである
完全に政治化経済化した俗なる世界にひたり俗世界よりぎらぎらした欲望を追求しているだからこそ数もあれだけ集まる、欲をおさえよとか心を浄めるなどない
ただ煩悩即菩提であり煩悩があればあるほど救われるとまでなっている
だからそこにもう宗教が求めたものはなにもないのである

山には仙人が住んでいたとか老子が始祖の道教がもともとあってそれが仏教と混合して
修験道が生まれた、ただなぜ仏教が興隆したのかとなると山伏でも民間で山からおりて様々な人間の悩み苦しみに対して何らかの効用があり頼むものとなった
だから薬草を山でとり薬を処方したり病気には祈っていたとなる
つまりなぜ仏教が栄えたとなれば病気を直すために祈ったことによる
会津で8世紀にすでに仏教伽藍があったとか僧侶が相当数来たのは病気が治ることで祈ることからそうなったのである

ではなぜ松島が修行の場となったのか?、それもやはり山が聖なる場所であるように松島は風光明媚な浄土に見えたのである、ここで心を浄めるということで修行者が集まったのである、まず今のように大都会に人が集まりそこで生まれる宗教はたいがいカルトになる異様なものとなるのはやはり清浄な自然から遊離してしまったからそうなる
おそらく松島は海に面していて魚介類がとれるから貝とか他に魚でも食べたのかもしれない、海でとれるものがありそれを食べた、魚を食べないといっても魚もとれるのだから食べたかもしれない、どうしても今になると何を食べていたのだろうと疑問になるからだ
そもそも一般人でも食べることができなくなり乞食になったりした、そして乞食では布施されないとしてにわか僧にもなった、それは四国の遍路になったホームレスもそうだった乞食なのだが僧だとして経文を唱えて金をもらうになった、その人は全く宗教とは関係ないが食べるためにそうなったにわか僧でありペテン僧だとなる
それは昔もあったのである、ただ昔は食べることが切実だからそれを必ずしもとがめることはできないともなる、つまり乞食と僧の見分けがつかないのである
今でも僧は働く人からすると修行もしないし楽だとみられる、ただお経を唱えていればいいとなるからだ

鎌倉時代に東北にも天台宗から分かれた禅宗でも広まった、特に瑞巌寺は禅宗であり伊達政宗が禅宗だから重んじられた、武者の間とかもあり僧だけの寺ではなかった
伊達政宗の寺ともなっていたのである、禅宗と武士は相性が良かった、一方で真宗と日蓮宗は民衆化した宗教として普及した
豪華絢爛な安土桃山文化を象徴するのが黄金の襖の障壁画である
観瀾亭の障壁画模造品である、本物は瑞巌寺にある、秀吉が黄金の茶室を作ったように
黄金の時代にもなる、瑞巌寺の障壁画も見事である

東北だとやはり歴史的にも文化的にも仙台が中心になる、そこまで日帰りできることは
恵まれているともなる、福島市とかには歴史とか文化を感じないのである
二本松の城には感じる、景色もいい、東北だと私の住んでいる浜通りでも波が荒く打ちつける、荒寥としたものともなる
でも松島は入江であり島々があり穏やかなのである、こういう光景は東北にはあまりないのである、だからこそ修行する場としてはいいとなる

 松島で古人となる歟(か)年の暮

 松島で死ぬ人もあり冬籠(ふゆごもり)

 「風流行脚の途次、松島で死の本懐をとげる人もある。そんなうらやましい人のことを心に思いながら、自分はぐうたらと火燵行脚の冬ごもりを極め込んでいる」とある
 
 http://yahantei.blogspot.com/2006/06/blog-post_28.html
 
松島で死ぬ人もありというときここで修行して死んだ僧たちのことを思っていた
古人となるかもやはり死ぬことである、松島は風光明媚でありそこは死ぬにふさわしいともなる、浄土でもあり死に場所としてふさわしいとなる
江戸時代だったら松島でも一回としか来れないから余計にそうなる
いつでも行けるとなると何かえりがたみがなくなる
私はここ十年以上旅していない、今になると東京でも京都でも奈良でも大阪でも遠いとなる、別に行けるのだが何か行けないのである
家を留守にすることもあり行けることは行けても行けないのである
これだけ旅行したのだからもう悔いはないとなる
近間だけでもいいともなる、近くだと四季に行けるから別に遠くに行かなくても深化できる、松島でも春から夏でも冬でも行っていた、ただ秋には行っていなかったのである


古代における山林修行の資糧ー乞食ー蘇軾
http://renbutsuken.org/wp/wp-content/uploads/2011/04/Kobayashi3.pdf




2022年09月22日

抽象画の紋様の変化 Variation in the pattern of abstract paintings


抽象画の紋様の変化

Variation in the pattern of abstract paintings


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abstract flower pattern
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Cherry blossom

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bamboo
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2022年09月21日

医療費が国を破産させる? (でも簡単に医療費は減らせない矛盾)


医療費が国を破産させる?

(でも簡単に医療費は減らせない矛盾)



内視鏡検査機器やこれを使った治療機器、超音波診断装置、CTスキャン装置、MRI装置、PET装置などが医療で普通に使われるようになっていることに気付かれるでしょう。これらの新しい装置や機器は精密機器で大変に高価なものが少なくないのです。

病床数が多い、在院日数が長い
薬剤価格が高い、薬剤使用量が多い
医療材料価格が高い
検査が多い
受診回数が多い
https://www.ringe.jp/civic/medical/

厚生労働省は11月9日、2019年度の国民医療費の概況を発表した。国民医療費は44兆3895億円と前年度比9946億円(2.3%)増加、人口1人当たりの国民医療費も35万1800円と同8600円(2.5%)増加した

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暴利をむさぼるたとえ。薬の売値は原価よりはるかに高く、
儲けが大きいこと。薬は売値が非常に高く、原価の九倍もするという意から。


俺は十年前から高血圧治療の為に毎月通院しているが7月〜9月までの
暑い期間は血圧が上がらない事に気が付いたから、その間は通院と投薬を
止めても良いか医者に尋ねたら拒否された。俺のような患者は全国に大勢
いると思うが、医者がこう言う了見だから医療費が下がる訳が無い

一旦医者にかかったら患者は何も言えない、医者に従いとなる、それで無駄な治療があるとは言え自分の判断で病気を判断するのも危険なのである
私自身がなかなか病院に行く時間的余裕がなく勝手に判断して死ぬところだった
なぜなら腎不全になるところだった、そしてすぐに入院して一命をとりとめたのである
だから素人判断することは危険である
そこに病気の問題があり簡単に医者に自分の病気で勝手に判断できないのである
ただこの人は自分の病状をみてそう言ったからその判断が間違っているとは言えない
でも素人判断するのは危険なこともある

でも正直ここで言っているように無駄な治療も多すぎるし投薬も多すぎる
結果的にほとんど効かないとか副作用でかえって悪くなったりする
そもそもワクチンの効き目もわからない、ワクチンの金も膨大なものだった
でもこれが本当に効いたのかとなるとそれも科学的にもわかっていないのである
つまり病気にはそもそもこうして効くかどうかわからないものが実際は多いのである
でも素人判断は危険だし医者に命令されれば従う他ないのである

そこで問題になっているのはその金が国を破産させるほどの巨額な金となっていることである、これは国民全体にのしかかる問題であり国家的問題にもなっている

ある女性は目まいしたからと医者に行きMRI検査しろとなりした
でもそのMRI検査は実際は高価なのである、それも保険で負担するから安くなっているが
その検査の効用はあるのかとなるとほとんどない場合もある
認知症になった家族をMRIで見せたがそもそもそれは何の効用もない
認知症のことなどMRIではわからないからだ
ではなぜあえて検査したのかとなると金のためだったとなる
この検査はかなり金になるからである、だからその機械自体高いから医者では実際はわからないのに検査しろとなるのである
それも保険から出るからそうなる、もし十万するとなれば簡単には頼まない
そもそも検査してもわからないものもあるし相当に高いものでないと診れない
そうして脳の検査を本当にできるものは福島県には二台しかないとしている
となると普通の病院ではとても脳を精密に診れないとなる
でも何か検査しろと医者に命令されると断れないのである

ただ自分の場合は検査してすぐに医者に行かねば死ぬところだったのである
だから病気は緊急を要することがあり医者に逆らうことはできないとなる
自己判断では死ぬことがあるからだ、でも今問題なのは余りにも過剰診療が多いことなのである
そこに膨大な金がつぎこまれて国家破産にまでなる、その無駄を簡単に減らすことはできない、医者の権限が大きいからである、また現実に素人判断も危険になるからだ
ただ医が算術となっていることも確かである
外国ではあまり老人には手厚い医療はしないというときそうである
ただ最近は延命治療はしなくなっているという、どこで生きることをあきらめるほかないとなっている、ただその判断もむずかしいのである

この医療の無駄でもなくすことは簡単ではない、それは病気に人間は弱いからである
その弱さに医者がつけこむということもある、それで金を払わせられる
でもそうでない場合もあり何か無駄なのかなど判断できない、人間社会にはとにかく無駄が多すぎるのである、その無駄が膨大なものとなる
人間の無駄といえば軍事費でも無駄だといえばそうなる、兵士などいらないと言えばそうなる、つまり軍人とか警察とか医者とかは本来ない方がいいものなのである
軍人がいなければ戦争もないし警察がいなければ犯罪もないし医者がいなければ病気もないとなる

逆に軍人がいるから戦争が起り警察がいるから犯罪が起り医者がいるから病気もある
そういう逆説成立つ、天国には軍人とか警察とか医者すらいないからである
軍人とか警察とか医者とかは社会で権力を持つ職業である
逆らえない人達でもある、その人達は命令する権力を持っている
ただ軍人は自衛隊だと今は目立たない、むしろ自衛隊とかは表に余りでない、でも一旦戦争なったら主役になるのである、だから戦争の時は軍人が一番威張っていた
今でも墓には軍人の階級が一等兵だったとか記されているのは軍人がその時は価値あるものだったからである、威張ることができるものだったからである
でも今はそういう墓を見て軍人の位を見てその人がい偉いとか見ないのである

高齢化社会の問題は医療費の問題にもなる、その金を負担するのは現役で働いている人とかにもなる、ただ保険でも介護費用でも老人は年金からでも払っているのである
若い人だけが払っているわけでもないのである
でもその額が多すぎるから負担になる、社会が介護とか病気のためにあるのかとまでなる地方の仕事で眼につくのは確かに介護であり病院であり医者だとなる
60以上になると医者通い病院通いになっている人が多いからである
糖尿病は何か医療費の負担が多いことは確かである、金のかかる病気である
近くの人はそのために払う金が多い、それで親しい手伝ってくれる人に金を払えないとなっている、糖尿病は相当にやっかいな病気なのである


2022年09月20日

昭和33年の新聞記事(3) (ラジオからテレビへの過渡期だったー女中も募集されていた)


昭和33年の新聞記事(3)

(ラジオからテレビへの過渡期だったー女中も募集されていた)

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68500円は当時では相当に高い
女中の手取りが8000円とか5000円とかなっている
そしたらいかに高いかわかる
でも私の家は中学頃にテレビを買っていたのである
父親が病気になり買ったのである

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昭和33年は何か高度成長が始まる時だった、なぜならテレビが出たからである
そのテレビの前に人がわんさと集まった、その頃テレビはみんなない、だからテレビがある所に人が集まった、その熱気はすごかったのである

ただその時代の面白いのはラジオが依然として使われていた
テレビが出る前はラジオが主役だった、ラジオだと声だけでりその声に耳を澄ます
何か恐怖小説がありその犯人の足音がラジオから聞いた時怖かった
そしてラジオというメデアは音だけであり姿が見えない
それでラジオで人気だったアナウンサーがテレビがでた時用なしになったのである
なぜそうなったかというと姿とか顔が写ると見映えが悪いと拒否される
なぜなら映像だとまず姿とか顔を見るからである
youtubeでも顔が問題になる、顔をまずみる、その人の発言することの前に顔を見る
こんな顔なのかと拒否する人もいるだろう
プログでも文章だけだったら顔が見えないししゃべることが下手でもいいとなる
でもyoutubeはしゃべゃ方を相当に影響している、声でも姿でも顔でも影響しているのである

ただyoutubeはわかりやすい、図で説明もできるしいろいろテレビのように映像を出せるからである、この写真とか図を出せることはプログでもできるのである
だから誰でもできるプログで写真と図でも動画でも一部出せるとなるとその表現力は意外と大きいのである
それでこんなものでも表現力があるなと感心するのである
これは誰でも簡単にできるものだからである
そうなると一人一人がメデアを持ったともなる、だから私は膨大なものを書いている
それはいくらでも書けるし誰も止めるものもいない、自分なり自由に書けるのである
発言できるのである、youtubeでもそうである

テレビ局と同等にもなることでテレビは衰退したのである
今までは動画となるとテレビからしか知り得ようがなかったからである
今や個々人は新聞社に出版社に雑誌社にもなれる、それがプログのようなものでもできるこの変化は大きいものである
ただyoutubeでもプログでも見られること読まれることは至難である
結局大衆受けするものは視聴率を稼ぐのはテレビと同じだった
でも別に金もかからないのだから少数者でも成り立つのである
テレビは金がかかる少数者では成り立たなくなる、宣伝費も入らなくなっている

昭和33年の新聞記事ではマスコミのことを書いているが膨大な本や雑誌が出されていた活字メデアが全盛期に入りつつあった、そしてまだ戦前からのメデアであるラジオが結構聞いていた、天皇陛下の玉音放送がラジオで成されたようにラジオが戦前のメデアであり映像に触れることはまれだった、ラジオでも大きな力を持っていた
ラジオだと手作りした人もいたようである、それほどむずかいものではないからできたらしい、昭和33年は古いものもがまだ残り新しいものが出て来る時期だった

それで不思議なのは職業の募集欄に女中と結構ある
まだ女中を東京で募集していたのか、戦前は女中が多かった、火事が電化されていないのだから頼んでいた、普通の家でも女中を二人雇っていたとかある
それだけ家事が負担だったからである、別に金持ちでなくても雇っていたのである
今なら大金持ちしか手伝いさんは雇いない、専用だと雇いない
家政婦も募集していたがこれも女中が家政婦になる変わり目だったのか?
女中に興味があるのは私の母親は大正生まれで東京に女中で働いていたからである
それは戦前のことである、でも集団就職とかあり東京に女中ではないにしろ手伝いとして働いた中卒の人がいる、だから依然として女中は東京で必要なものとしてあった
だからこの昭和33年はこうした古いものと新しいものがまじりあった社会だったともなる

親の介護でもめる兄弟ーそして一人っ子の介護 (介護は死んで終わりにならない-恨まれて死んでゆくことの怖さ)


親の介護でもめる兄弟ーそして一人っ子の介護

(介護は死んで終わりにならない-恨まれて死んでゆくことの怖さ)


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一人っ子という時点であきらめがつくし、覚悟は決められるし、意見を求められることも求めることもなし、、、兄弟いる人はもうこの際一人っ子と思ってしまえばどうでしょう。いくら言っても何もやらない人はやってくれませんし、、、。介護のヘルプを頼むのも身内よりも他人(介護サービス)に頼む方がずっと気が楽ということが多いです。

脳梗塞で倒れた母。きょうだいが分担して母を支えたいけど、次女は母に兄と姉と比較され「お前はダメだ」といわれ続けてきたため、「私は手伝いたくない!」と介護を断固拒否。

介護から逃げる他の兄弟に親が金を使うからムカツク。

介護から逃げた他の兄弟が、下宿までさせてもらって、大学院まで行かせてもらったから、ムカツク。

介護から逃げた他の兄弟が、家を買うとき、大金をもらっていたから、ムカツク。

人間はとにかく必ずいい面と悪い面がある、一人ッ子は親になんでもしてもらえるからいいとかなるしでも兄弟がいないと人間関係がうまく築けないとか介護でも一人になって困るとかなる、でもここでも兄弟が協力してやることはなかなかない

その原因が

脳梗塞で倒れた母。きょうだいが分担して母を支えたいけど、次女は母に兄と姉と比較され「お前はダメだ」といわれ続けてきたため、「私は手伝いたくない!」と介護を断固拒否。

兄弟でも良くされた人とされない人がいてそれが後々まで尾を引いている
その確執が意外と大きいのである、また遺産分配でも必ず兄弟でもめる
だから一人ッ子も問題だが兄弟がいても人間にはもめごとがある

その人は一人ッ子の娘がいるが親ともめて親にもう来るなと言ったという
糖尿病でその治療にも金がかかる一人で暮らしている、でも今家事でも一人でしている
確かに娘は隣の市にいて一週間に一回くらい来ているようだ
でも金は娘が管理している、それで毎日親しい女性が行っていてその女性も金に困っているので金を工面してやりたいができないという
その娘は一人ッ子でありなんでも与えられたとかかわいがられたという
一人娘だったら余計にそうなっていたかもしれない
でも介護になったら親を嫌がり金を出すのも嫌がっている
そして世話する女性への配慮もないのである

一人っ子だと何でも親に良くされたのだからそうならないはずだがこの場合はそうではない、私の場合は親二人を必死になって介護した、それは特別良くされたからである
それは60才までもそうである、だから必死になって力足らずでも介護した
自分が病気になっても必死になって一人悪戦苦闘したのである
それは特別良くされたことによる、今でも二人の親のことは供養しつづけている
親のことが忘れられないのである
ということは親が死んでも自分の心の中に生き続けているとなる
それは特殊な事情でそうなったのである

介護で90パーセント以上も介護で兄弟でも親子でも仲が悪くなる、それは介護をしたくないからである、それが相当な負担になる、金銭的にもなる
その一人っ子の娘はケチなのである、親のために金を払いたくないのである
だから世話している女性がいたとしてもかえって必要ないともしている
何か財産をとられるのではないかと警戒しているみたいだ
こうなるといくら一人っ子でも親が来るなともなる、これは娘が悪いとなる
でも介護ではなにかしらもめる、その負担が負いたくないからそうなる
だから兄弟でも一人ッ子になった気分で介護しろというのもそうなのかと意外である

ともかく介護時代でもある、だからこれからますます介護でいろいろな問題が起きる
それで事件が起きるのも日常的になる、負担になり自殺者まででる
つまり介護はもう家族だけでは担いないものにもなる
でも逆に今だと核家族化して家族だけでは介護が負担しきれないことにもなっている
それで家族遺棄社会にもなる、親が子供に捨てられるとなる
でも捨てられるにしても誰かがめんどうみなければならないということにもなる
二カ月間も死んだのがわからなかった人がいたがそういう人は死んだ時迷惑をかけても
介護などしてもらわないで死んだから迷惑はかけていないからいいのかとまでなる
そもそも誰も介護してくれる人がいないからである

介護の問題で大きいのは意外と介護は死後まで継続されていることである
死んだら介護の負担は終わる、でも実際終わっていないのである
なぜならその後に供養の問題があり死者と向き合うことになるからだ
それで非情化した娘は育ての親を見捨てた
その人は「ひどい娘だわ」と自分に言い残して死んだ、病気になってすぐに死んだからいい、その娘は介護などできないからである
でもそうして死んだ親を供養できるのか?とてもできないと思う
別に死んだら墓参りとか供養などしなくてもいい、誰もとがめられない、でも何か良心がとがめられるかもしれない、誰も見ていないとしても死者が見ているからまともに墓参りとか供養ができないとなる
ただその娘は三人親が変わった、でもその人には親はいなかったとなる
父親は別として母親はいなかったとなる
ただそういうことはどうなるかというと必ずカルマとなって苦しみとなって現れる
つまり今度はまた子に捨てられるともなる、それはわからないにしてもカルマの法則がありそうなる

なんらか人間は必ずカルマを背負っている、その総決算が60以後に起きる
例えば若い時の不品業とかも若気の至りでもそれが悔いるものとなりカルマとなり苦しみとなって現れる、そしてカルマをもたいない人は一人もいないと思う
別に金持ちの家でも恵まれた家でも何らかカルマを持つのである
つまり恵まれたことがカルマともなるのである
兄弟でもお前は親に一番良くされたのだからお前が親の介護をしろとされるのそうである兄弟でもそうして親に持つ感情は違っているからである

結局人間は必ずいい面と悪い面がでてくる、一人っ子はいいと見られても介護で他より苦しむ、では兄弟がいればいいかなとなるとそれも必ずもめる、だからすべていいとはならない、自分の場合は本当に死ぬほどの苦しみを介護でしたからである
それもそれだけ良くされたから自分はその苦しみを甘受できた、気持として介護することは苦しくてもできたとなる、そういう気持ちがあったからである
でもみんなそんなふうにならないのである、だからもめるのである

でも介護の問題のむずかしいのは介護終わった後も終わらない!

これが意外と深刻なのかもしれない、別にもう介護もふる必要もないし迷惑もかけいなのだからいいじゃないかとなるがそうでもない
死者を供養するということがその後にある、その死者とまともに向き合えるかである
「あなたは私に冷たくしましたね、それを私は覚えていますよ」とかなると供養もできないとなる、良心がとがめられるとなる
死者は必ずしも完全にいなくなったわけでもない、死者は冷徹に生者を見ているのであるだから死者の前には偽ることができないのである
それで介護で苦しんでも早く死んでくれとなるのが普通だが死んでしまうとみんなもっと良くしてやればよかったと反省している
それはなぜなのか?死者とはもう二度と逢えなくなるからである、だから後悔するのである、今度は何かしてやりたくてもできなくなるからである、死んだ人には供物をささげるくらいしかなくるならからである、死者はもう答えないからである
でもは死者というのは依然として生者の中に生き続けている

もちろん全く忘却される人もいる、それは生前のことが関係している
生前死者とどういう関係にあったとか、愛されたのかとそれ以外にも様々な家庭の事情があり死者との関係があり他者からわかりにくい、でも死者は生者の中に生き続ける
もしそうして生きつづけるなら死者は死んでいないのである
でもそうなるかどうかは生前の死者との関係によるのである
死んだからとして急に死者を思ったりしないのである、生前から互いに愛し合うとかあればやはり死者は生者の中に生き続けるのである
ただそれぞれの家族は複雑であり他者からわかりにくいのである
それで簡単に家族のことを批判はできないとはなる


威厳ある死者

死者は石のように硬い
雨風に打たれて死者は耐えた
死者は苦しくも生き抜いた
死者は堅く口を閉ざす
その前に生者は偽ることができない
死者は冷徹に生者を見つめている
生者は常に卑しめられる
しかし死者は今威厳あるもの
それは宝石のように硬い
その前に偽ることはできない
死者は生者に金を求めない
何も求めない
死者はもう餓えることはない
ただ真の心を求めている
死者と向き合うことは
自らを正さねばできない
死者に偽ることはできない
その前に人は厳粛であらばならない
死者はすべて消えるにはあらじ
依然としてその生を継続している

2022年09月19日

昭和33年の新聞記事(2) (貯金が奨励されていた、−映画館のこと)


昭和33年の新聞記事(2)

(貯金が奨励されていた、−映画館のこと)

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福島市の相互銀行で十月二十日から一か月間を貯蓄増強運動期間として映画会などを行っているが農村での効果がない、全国規模の銀行の福島支店でも農協の進出には手がでない東邦銀行でも貯蓄宣伝映画会に一千人近い観客がおしかけた

高度成長前は農民が主役であり農民から銀行に貯金させるために銀行が映画会をもよおして宣伝していた
この映画会というのは何かというと映画自体がめずらいしものだったのである
映画というのは簡単に見れないものだったのである


中学、高校時代、映画が好きで、映画評論家になりたかった。
だから、中2〜高2の4年間は年間200本以上の映画(洋画)を観た。
いい映画もつまらないものを知って初めて、良さが解るという理屈で、手当たり次第
お金が出来れば、映画館に行った。
そのころ、1年で公開された洋画は250本くらいだったから、成人向き以外は
殆ど観た年もあった。

小遣いがたくさんもらえる訳も無いので、親から昼食代(パン代)を貰い
お昼を抜いて、お金を作った。
親の財布から千円札を拝借したこともあった。(金沢市の映画館)

満員で扉を開けたまま伸びをしながら見た覚えがある。あれだけ大きな劇場がいっぱいになった映画は「ポセイドン・アドベンチャー」でした。(東京の映画館)

映写スタッフの主な業務は、映画の上映作業でした。
人の身長ほどある映写機に、丁寧にフィルムをかけていき、定刻に上映を開始します。
映画のフィルムはとても一人では持てないくらい大きく、軽トラの荷台にやっと置けるくらいの大きさで、映画一本分となっています。

金沢市では映画館が多かった、でも原町区の朝日座とか鹿島にも駅前に映画館があった、そしてニュースは必ず普通のドラマが始まる前に放送された
そのフィルムは鉄道で運ばれたのである、その時蒸気機関車だったのである
鉄道で運ばれるということはリアルタイムではない、何日遅れて放送されていたとなる
無線の時代ではない情報でも何か物として運ばれていたのである

要するに映画とか映像でも動画となるとなかなか見れないものだったのである
貸本屋から漫画を借りて読んでいた、人間はやはり映像を求める、だからデジタルカメラ時代になった、まず動画となると見ること自体が簡単にできない時代だった
動く絵を見ることは驚きだったのである
だからこそ金がない時代なんとか工面して映画を見たいとなっていたのである

そのフィルムを運ぶのに蒸気機関車だとどれくらい時間がかかったのか?
上野からでも相当に時間がかかった、一日かかりだったかもしれない、その頃情報は新聞が担っていたのである、だから古い新聞は今になると価値があると見た
つまり歴史の記録として価値があるものと見た、その頃一体どうなっているのかわからなくなっているからだ、ただ今だとインタ−ネットからでも昔を語る人がいるから当時のことがわかる場合がある

ともかく貯金が奨励されていたということは日本の経済が高度成長時代に向かう時代でありいくら資金があっても足りない時代だったのである
資本主義は資金が必要である、それで私の家で戦後店を始めた時その開業資金がなくて困った、それも数万だったのである
それでその数万でも銀行は貸してくれず知人に頼んだ話を何回も聞かされた
銀行は借りたい人が多い時必要であり価値あるものであった、今価値がなくなったのは借りたい人が減ったからである
その店といっても簡単なものでありただ商品を並べたようなものだったのである
でも物がない時代だから物を置けば売れたのである
昭和33年代はまだ農業中心の経済だった、だから農民から貯金を集めようとしていたのである

何か個々人でも記憶は時間がたつにつれてあいまいな希薄なものになってゆく
だから個々人の記憶だけではないみんな記憶を集約することが必要になる
ある人はその当時こういう経験していたとか私はこういう経験したとかを語る
すると当時の時代的な全体像が浮かんでくる、イメージできるようになるのである
映画館一つにししてもいろいろだからである
ただ映画館に対する熱気は今と違っていた、立ち見して見ていた、それもかなり疲れる
でも映画を見たいとういことでそうなっていたのである

人間は情報を得たい何かを知りたいということは変わらない、それでテレビ時代となったのは何かテレビに動画が写るだけで驚きだったのである、映画でもそうだが次はこうしてテレビ時代になった、このテレビに対する熱気も異常だった
みんなテレビに釘づけになったのである、それは昭和33年頃テレビが出てきたのである
でもどうしても高校までオリッピックの時蒸気機関車がこの辺を走っていたことが不思議なのである、そんなころまで蒸気機関車だったのかということが不思議なのである
蒸気機関車だったら上野までどれだけ時間がかかったのかとなる
東京とか上野は遠い所だったのである、そして考えられないのは原町紡績の中に引き込み線があり鉄道で生糸を運んでいた、それを横浜まで運びアメリカに輸出したとなる

それは戦前だが蒸気機関車だったということが何か自分の場あい思い出せないのである
というのは高校までは蒸気機関車に乗ったけど蒸気機関車で遠くに旅したことがないからだったともなる、その後鉄道マニアのようになったのは鉄道で自由に旅した結果だとなる
人間は本当に一時代が過ぎると時代のことがわからなくなる、その雰囲気もわからなくなる、今なら貯金など奨励しない、貯金しても利子もつかないとかもう貯金してくれるなとまで銀行ではなっている、貯金しただけでもう今度は逆に財産税として税金をとられるとまでなる、それが時代の変化なのである
だから農協でも銀行でも昔とは感覚的に相当に違っている、農協、銀行、公務員は安定した就職先だったからである、地方だとエリートとなっていたからである
今は銀行員は投資信託とか株とか売る証券会社にもなったのかとなる
銀行に金はあっても投資先がないとなり金余りとなっている
そういう時代の雰囲気はなかなかわかりにくい、でも高度成長時代は日本では相当に恵まれた時代だったのである




2022年09月18日

昭和33年の新聞を読む (字が小さい、記憶をたどるのには有効で貴重)


昭和33年の新聞を読む

(字が小さい、記憶をたどるのには有効で貴重)

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昭和33年11月4日 福島毎日−写真を出すと著作違反になるーそれで暗くした
ここで囲炉裏を囲んで話し合っている
字は拡大してもこのくらい小さい、眼が悪くなるくらい小さいのである


昭和7年の新聞が出てきてびっくり。
87年前の新聞です。

内容は兎に角もフォントに注目。
現在の新聞のフォントよりも小さなフォントにも「仮名」が打ってあったり。
重要度によってフォントサイズを変更したり、当時は多分、鉛の活字だったと思われますがよくぞ紙面を構成しているなあ、と感嘆します。
https://blog.goo.ne.jp/n-ksgw/e/20c869c0d384975fe5dbef488cb9a290


古い新聞をもらった、昭和33年だから戦後13年後である
まず目についたのが余りにも字が小さくて読めないことである
こんなに小さいのかと驚いた、虫眼鏡がないと読めないくらいである
最近は老人が新聞を読むとかなり若い人は読まない、それで字を大きくしたのである
なぜこんなに小さく字なのか?おそらく紙面を充たすには字を小さくする必要があった
それと新聞を読む人は若い人が多いから小さくても読めたともみる
今ならこんな小さな字だったら読む気もなくなる
老人は今でも携帯を持っているが字を大きくできる携帯に代えたとかある
この字の大小は思った以上人間の脳に影響する
私がスマホとかしなかったのは小さい画面で字を読むと疲れるからである
パソコンは画面が大きいから俯瞰できる、スマホは画面が小さいからそれを見るのも疲れるのである、この差が意外と大きい、でも若い人は新しいものになれやすい
老人はなれにくい、それで老人は技術的に遅れのである

この記事で農家のことを書いている、「ふき変えに資金がかさむうえ火災で燃えやすい、かやぶきをトタンかカワラに直すこと
一袋生二百円もする化成肥料を使わないで単肥を自分で配合して土地にあった肥料をやることなど工夫する

農会の集まりで酒を一切ぬきにしてありあわせの菜のつけもので渋茶をすすりながらよもやま話しをする

そんなことを書いている、このころテレビが出始めた頃である、私の家でも囲炉裏であり炭を使っていた、この写真でも囲炉裏を囲んで話し合っている
戦後の経済は農家が六割でありまだ農民中心だった、ここで興味深いのは茅葺の家がまだありそれをトタンとか瓦にしようとして貯金していた
カヤ葺きの燃えやすいということも書いてある

私の家はトタンの家であった、それでいつもそのトタンから雨漏りして洗面器を置いたことを覚えている、その時トタンの家も多かった、家自体が粗末なものだったのである
むしろ農家の茅葺の家の方がどっしりとして貫禄があったともなる
何度も言っているが戦後13年くらいは戦前とか江戸時代のつづきの暮らしだったのである、それが急速にテレビが出たとか辺りからかなり変化したのである
でも不思議なのは原町の高校に通った時蒸気機関車であったことが信じられないとなる
なぜならその高校の時東京オリッピックが行われたからである
つまりその時まだ蒸気機関車の時代だったということである
だからこそその時はインフラを整えるとかオリッピックは必要だったから熱狂したのである

私の家で店をしたとき野菜とかは近くの農家から買って売っていた、今のように全国から入ることはなかった
狭い範囲の生活だったのである、それは車がなかったから歩く範囲で日常の生活をしていたからである
それはでただ自分の家は角にあったので繁盛したのである、今になると車もない老人とかは自転車で買い物するので近くに店がないということを常に訴えている、本当に近くの店は消失した、シャッター通りにもなったからである
それを市でも一応問題としてみている、街の活性化をどうするかでそれを問題とはしている
ともかく戦後十数年は農業中心の世界でありそれが急速に高度成長時代になり変化したのである
第一遠くから物などあまり来ない、近くでまかなうほかなかったからである

ともかく人間は忘れ安い、50年前とか60年前になるとその時何があったかわからなくなる、するとその過去をどうして思い出すのかとなる
その方法はいろいろあるが映像として残っているのは少ない、やはり文章として残っているのが多い、すると新聞が思い出すにはいいのかともみた
古い新聞の記事を検索できるが金がかかる
また引用でもめんどうになる、だからここで提供できない、著作権違反になる
それは新聞社でも警告している

ともたく人間の記憶はあいまいになる、するとやはりその時々に何があったのかを知るには記録をみる、新聞はやはり今になると有効である
もしかしたら新聞は今は読まないけどこうして記録したものが活用されるとなる
そこに新聞の価値があるのかとなる、また雑誌でも記録したものとして貴重になる
ただ問題は簡単に調べることができない、有料になると意外と高いのである
新聞は意外とこうして記録したことで価値がある、今の新聞は読まれなくなっても過去の新聞は歴史の記録として価値があるとなる

今はプログでも庶民が名もない人がプログとか書くと記録としてあとあと貴重になるかもしれない、ただインタ−ネットとかは消えやすいから問題なのである
でも印刷したものでも50年くらいするとぼろぼろになることがある
紙にしても保存には限界がある、でも電子化すると劣化しないのである
ただ電子空間でどうして保存するかとなるとむずかしい面があるのだ
ただインタ−ネットは庶民でもメデアをもったことであり何か記録として残すことができる、大きなメデアでなくても残すことができる、それで過去をふりかえることもできる
現実に老人でもプログだと簡単である、すると過去にあったことを書くとそういうことを経験していたなと共感する人がでてくる
また若い人にとってもそういう時代があったのかとなる

つまり過去というのは本当に記憶から消えてゆく、50年も過ぎてみるともうたとえ親しくあった人ても本当にその人と逢ったのかとまでなる、それくらい忘れるのである
一つ屋根の下に子供の時5年間暮らしていた人がそんな人いなかったと言っていたのには驚いた、その人は普通の人ではないからまた別だがそんなふうになってしまう、人間は忘れやすいのである
だからどうして記憶をたどるのかとなると自分だけの記憶だけではなく新聞とか何かに記録されたものを手掛かりにすることである
それは何千年前のものを発掘するのと似ている、そこで発掘されたものから何とか過去を呼び起こすのである、そういう作業が必要になる
一体その時何があったのかあいまいとなってしまうからである
そして個々人で経験したことも違っているからである、まず囲炉裏があったとか蒸気機関車だったとか今になると信じられない、それが生々しく浮かんでこないのである

また家族がみんな死んだ結果、その家族のことも死んだ時点で忘れてゆく
60年間とか一緒にいても忘れる、あいまいなものとなってゆく、でも死者は残されたもののなかに記憶として生きつづける、必ずしも何もなくなるということはない
その親にもよるが何か死んでもその人の記憶を反芻している感じになる
つまり過去を思い出すことが老人の役割でもある
だから認知症になると過去のことはありありと覚えている、特に若い時のことは覚えている、それで戦争のことを千回を聞かされたのでうんざりはしたのである

でもそれはやはり後世に伝える記憶であり記録であり貴重なものだったとなる
人間最後は記憶だけになる、記憶を生きることになるからだ
でもその記憶も忘れるので何から思い出す方法が必要だとなる
あの時代はこんなことがあってこんな状態だったのかと思い出すのである
そういう作業が郷土史とかでも必要になる
老人は過去に経験したこさと記憶したことを生きることになるからである

2022年09月17日

只野氏が語る家の歴史 (安積氏と平景政に連なる歴史ー安積は安曇(あづみ)なのか)


只野氏が語る家の歴史

(安積氏と平景政に連なる歴史ー安積は安曇(あづみ)なのか)

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福島県宮城県岩手県など只野氏が多い、東北地方に多い
ただ広島県とかに広がっているのはわかりにくい

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閏正月11日、聖武天皇の鹵簿(ろぼ)は恭仁京から難波へ向かった。天皇の皇子、県犬養広刀自(あがたいぬかいひろとじ)夫人を母とする安積(あさか)親王も扈従(こじゅう)したが、河内の桜井頓宮(現、東大阪市六万字)で脚の病のため恭仁京へ引き返した。翌々日、薨去する

祖父:文武天皇(母方の祖父は県犬養唐
父:聖武天皇
母:県犬養広刀自

安積親王という名に気がついてからこの作品に取り組んでみて、はじめて安積親王と葛城王との関係を知りました。葛城王は、のちに橘諸兄と名を変えますから、同一人物です。その上、安積という地名と郡山に伝わる采女伝説のなかの葛城王(橘諸兄)が、安積親王と深く関連する事実に驚かされました。

 郡山で葛城王と言えば、『安積山 影さへ見ゆる 山の井の 浅き心を 我が思はなくに』
 
 https://plaza.rakuten.co.jp/qiriya/diary/?ctgy=30
 
 天平十六年(744)、春二月に、安積皇子の死去に際して大伴家持が詠んだ歌(03/0475 )には、現在安積親王墓がある和束山を「和豆香山」としています。

さらに、古今集仮名序に、難波津の歌とともに「歌の父母のようにして、手習いする人の最初に習うもの」という安積山の歌では、「安積山」の原文が「安積香山」になっています。

木簡の両面が古今和歌集の序文の2首とまさに同じセット。
紀貫之は『古今和歌集』仮名序(延喜5年(905))で、
「・・・この二歌(ふたうた)は、歌の父母(ちちはは)のやうにてぞ手習ふ人の初めにもしける。」と、
初心者が最初に習う一対の歌として紹介している。
2首をセットにしたのは貫之の独創とも思われていたものが、
実はその150年前からセットとして認識されていたことになるという。
難波津の歌はいわば公の歌。
宮廷の歌会に出席した人物が、この歌が書かれた木簡を持ち帰り、
裏に安積香山の歌を書き加えたのでは」と推測し、
「難波津の歌」と「安積香山の歌」がセットであると認識していた人が、少なくとも一人はいたことになる。
2首を手本とする考え方はその150年前から、いや、それ以前からずっと存在していて、
「子供の頃に手習いで書いたなぁ」ということで、持ち帰った木簡の裏に書いたのではないか。
とのこと。

出土した歌木簡の復元ー滋賀県甲賀市の紫香楽宮(しがらきのみや)跡とされる宮町遺跡(8世紀中ごろ)から、
万葉集と古今和歌集に収められている2つの和歌が記された木簡が見つか
 木簡の片面に書かれてあった上記の「安積山・・・」の万葉集の歌を万葉仮名に復元すると、
赤字部分が今回出土した部分。

阿    佐    可    夜    麻    加    氣    佐    閇    美    由    流    夜    真    乃    井    能    安    佐    伎    己    々    呂    乎    和    可    於    母    波    奈    久    尓
あ    さ    か    や    ま    か    げ    さ    へ    み    ゆ    る    や    ま    の    ゐ    の    あ    さ    き    こ    こ    ろ    を    わ    が    お    も    は    な    く    に

反対側の面

奈    迩    波    ツ    尓    佐    久    夜    己    能    波    奈    布    由    己    母    理    伊    麻    波    々    流    倍    等    佐    久    夜    己    乃    波    奈
な    に    は    つ    に    さ    く    や    こ    の    は    な    ふ    ゆ    ご    も    り    い    ま    は    は    る    べ    と    さ    く    や    こ    の    は    な
http://www1.kcn.ne.jp/~uehiro08/contents/kana/105.htm

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桓武平氏の鎌倉氏、清和源氏の和賀氏などに見られる。

# 只の(普通の)野原という意味。また「只」には「一面の」とか「まっすぐな」という意味もあり、どこまでも野原が続いているさまを表す。

# 只野(ただの): 「普通(ただ)の野」。多田野や但野に転じた。

# 宮城県:177位、福島県:439位、岩手県:647位、北海道:814位など。

# 陸奥国安積郡只野村(福島県郡山市)をルーツとし、桓武平氏の鎌倉氏の支流。

鎌倉時代末期に下総国相馬郡から陸奥国行方郡へ移っていった相馬一族。南北朝時代は北朝=足利氏に属して南朝の北畠氏と合戦している。室町時代は行方郡内の領主として勢力をもち、奥州の群雄の一家に成長した。室町後期には伊達氏と交戦して互角の戦いを見せる

諸国に景政の後裔のだんだんに現れてきたことである
その中にめぼしきものは上州白井の長尾氏、これは系図にも景政景政の後と書いて熱心に御霊を祀っていた、信州南安曇の温(ゆたか)村にはその一派が居住し,後に越後に移って謙信を出したのである
奥州二本松領の多田野村に於いても御霊を祀ったのも長尾氏である、只野油井などの苗字に分かれて今も地方に栄えている
子孫五流ありという説なども彼らから出たのである
長州藩の名家香川氏もまた景政の後といい、その郷里安曇の沼田郡八木村く景政社があった

柳田国男全集5巻

師常の子孫は代々相馬氏を名乗り、相馬御厨を中心に発展していくこととなる。師常の子六郎常家は「矢木」を称し

鎌倉景政(景正とも)は桓武平氏の一族。相模南部の鎌倉郡一帯を治めていました。源頼朝から遡ること3代、武神と崇められる源義家に仕え、鎌倉武士の鑑とされる程勇敢な武士でした。鎌倉権五郎景政は鎌倉氏を最も興隆させた勇士として知られ、現在も鎌倉氏坂ノ下の御霊神社に祀られています

 16歳の頃、源義家の陣営に連なって後三年の役(1083年 - 1087年)に従軍した景政が、片目を射られながらも奮闘した逸話が「奥州後三年記」に残されている
 
只野氏は安積から出たというとき安積は郡山で古代に関係して古い、それで万葉集の歌にも残された、采女が饗応した歌が残っている
でも地名に安積山の安積は何なのか?これがわかりにくい、国造りのあしゃくから出ているという言うがそれもピンと来ない、それは地名を漢字にしたのは当て字だからである
そのために漢字からイメージするようになったから誤解が生まれた
安積を安曇ともしている人もいる、すると安曇族の後裔として安積氏があったのか
安積親王がいるということは安曇氏系統の人が安積親王になったのかとなる
私は南相馬市に特に原町区異常に綿津見神社が多いことを指摘した
山津見神社は松川浦の和田が綿津見でありそこに接して山津見という地名があり
松川浦から霊山の方に上ってゆき坂をおりると犬飼という地名のバス停がある
この犬飼は安曇氏の後裔なのである、あとは八木氏がそうである

祖父:文武天皇(母方の祖父は県犬養唐)
父:聖武天皇
母:県犬養広刀自

安積親王祖父に当たる文武天皇がをり母方の祖父は県犬養唐となっている
この名前が不思議なのである、犬養は犬飼でありこれは安曇氏の後裔なのである
また唐となっているときこれは中国の唐なのか朝鮮半島の唐なのか、普通は早い時期になると朝鮮半島が唐になっていた、加羅、とか韓なのである
鹿島区の唐神という地名はそうである、これは韓なのである、中国の唐ではないのであるただ只野という姓が安積から出たという時、安積は多田野村より古いからである
南北朝時代に多田野(只野)村があったとして万葉集に歌われたのは古代であり古いのである、それで安積から只野氏が出たというときそこが古いからだとなる

安積というのは安積親王時代から存在したのだから古い、奈良時代にさかのぼるからである、その安積の由来が安曇(あづみ)となれば安曇は海人族で有名であり古事記にもでてくる日本の国家形成で下支えした氏族なのである
そして地名をさかのぼると古代になるのが多い、だから安積山とか采女という地名は奈良時代になさかのぼるのである
ただ福島県の南相馬市の鹿島区だと浮田国造があったがその時はすでに浮田という地名があり国造(クニノミヤッコ)が中央から奈良から派遣されていたとなる
真野という地名も移動地名であるから安積も移動地名なのかとなる
真野の草原(かやはら)の歌がありまた安積の歌も有名である
なぜなら紫香楽宮で木簡として発見されたからである

安積山 影さへ見ゆる 山の井の 浅き心を 我が思はなくに

安積を浅きにかけたのか、葛城王を橘諸兄を饗応するのに采女が歌ったとされる
私の心は浅い心であなたを思っていませんよとかこの歌は歌を作りなれた人の作である
これは簡単には作れない歌である、つまり采女としても教養がある女性である
まず花魁(おいらん)とかでも教養があり歌を作ったとすればそれとも似ている
とてもこんなしゃれた歌を作れるとなると相当に教養を積んだ女性だとなるからだ
そういう女性が地元にいたということでもないかもしれない、これは何か儀礼的な歌としてもてはやされていた、だから手習いの歌として学んでいたのである

只野氏というのが多田野村から出たことは確かである、それで霊山で南北朝の争そいがあり落ち延びてきた、その中心人物が鹿島区の只野氏である
ただこの只野氏にも二つの系統があるという、相馬氏系統にも只野氏があるという
これもわかりにくくなる、平景政ー鎌倉景政にも系譜をたどるとたどりつく


諸国に景政の後裔のだんだんに現れてきたことである
その中にめぼしきものは上州白井の長尾氏、これは系図にも景政景政の後と書いて熱心に御霊を祀っていた、信州南安曇の温(ゆたか)村にはその一派が居住し,後に越後に移って謙信を出したのである
奥州二本松領の多田野村に於いても御霊を祀ったのも長尾氏である、只野油井などの苗字に分かれて今も地方に栄えている
子孫五流ありという説なども彼らから出たのである
長州藩の名家香川氏もまた景政の後といい、その郷里安曇の沼田郡八木村く景政社があった

柳田国男全集5巻)


ここに信州南北朝安曇のとありまた安曇の沼田郡八木村に景政神社がある
八木とは安曇氏の後継の八木氏なのである、飯館村には八木沢峠を越える、これも八木氏が地名化したのである、だからこれらの一連の引用からなぜか安曇族関係が色濃く出ているのが不思議だとなる、安曇氏は安曇だけではないその後裔の八木氏とか犬飼(犬養)を注目しないといけない、その氏族が地名化しているからである

同級生の只野氏が言うには南北朝争いがあり相馬氏が北朝側についたので隠れるようにして暮らしていたという、それは伝えられた話しだが南朝側だとすると相馬氏が北朝についたからそうなるのは当然だとなる
でも野馬追いの旗には菊の御紋を旗印としているのが出ているそれは菊池氏だとなる
菊池という姓は菊の御紋から生まれたのかともなる
その旗印は二騎ほど野馬追で鹿島から出陣したのを見ている
また鹿島街内でもその旗印を野馬追いに立つのを見ている

何でも只野氏の戸籍をたどると天保までたどれるという、天保というと江戸時代でも明治まで人は生きている、天保生まれて明治維新で活躍した人はいる、だから天保生れというとき明治も生きた人達だとなる
私の父親は葛尾村生れであり戸籍をたどると江戸時代までたどれる、でも姓はなく名前だけしか書かれていなかった
そして只野氏の墓は街中の陽山寺にありその墓に確かに安永と記されているという
安政だと鹿島神社のとなりの墓地に仏教関係の石碑がある
安永は天明の前だから古い、墓だとなかなかそれだけ古いものはない、墓ではなく碑としてはある

そして士族とは戸籍になっていないという、相馬氏に仕えて侍になったら士族になっている、只野氏は中心的家でも相馬氏に仕えないから平民となっていたのか?
南北朝の争いで肩身の狭い思いをしたということは本当だろう
北朝が相馬氏になっていたからである、でもこれも複雑であり相馬氏でも南朝に味方した人もいたとか南北朝の争そいは日本全国に村々にも及び伝説が残されている
それが南北朝でも完全に分かれて争ったというものでもなく入り交じり複雑だったのである、ただこの南北朝の争そいの傷痕はあとあとまで尾を引いたのである
それで明治天皇は南朝だったということを言うのもそのためである
今の天皇は南朝系統だったとなるのである

いづれにしろ直接人から歴史を語られ聞くと歴史も生々しいものになる
何かそして推理小説だと祖先の祟りだとかなることもある、それも問題だか生々しくなると怨念を残して死んだ人もいるからそうなるのである
ともかく二年ぶりとかで会った、病気になったと思ったがそうでもなかった
郷土史となると一軒一軒の家の歴史が基本になる
それで郷土史で大事なのは古い家をまず知ること新旧を知ることが大事になる
なぜなら古いと思っても新しい場合がある、例えば元の栃窪村の上萱(うえがや)は古いとみる、でも明治時代からだから古いともなるが江戸時代のものではない
江戸時代からつづいている家だと古いし墓でも江戸時代のものがあれば古いと見るのである、でも不便な場所に部落があってもそこが戦後の引揚者の部落だったりする
飯館村の木戸木など山に塞がれた不便な場所だがそこは新しいのである

グロ−バリゼーションの終わり (経済も国内回帰―文化も国風文化の再興にー柿の詩)


 グロ−バリゼーションの終わり

 (経済も国内回帰―文化も国風文化の再興にー柿の詩)

 グロ−バリゼーションの崩壊ー文藝春秋(中野剛志)

 今インフレにより、激しく破裂するのではなく、着実に萎み始めているのである。そして、萎んだ後は、長期停滞、膨張しない経済、膨張しない時代が始まるのである。

 この「膨張しない時代」においては、日本経済と日本社会の安定性、効率性という強みが発揮されることになるのである。
 円安が進んでいてもついに「日本が独り勝ちする時代」がやってきた
 

  グロ−バリゼーションが始まったのは明治維新からまたは大英帝国が七つの海を支配した時だろう、そこで世界共通貨幣が基軸通過がボンドになったのである
次にアメリカが覇権国になりドルが基軸通貨となった
明治維新で日本が鎖国から開国してグロ−バリゼーションの中に組み入れられた
グロ−バリゼーションとはまた世界で対立が激化して世界戦争になった時代だったのである、その負の面も大きかった、何千万人の人間が戦争で死んだからである
世界大戦の時代がグロ−バリゼーションの時代だったのである
日本の太平洋戦争も日本が悪だとしているがそれはそういうグロ−バリゼーションの中で起きたことである、世界の覇権争いに巻き込まれたのである
大英帝国は日本の太平洋戦争で敗れて終わった、アジアから追放された
それは快挙だったのである、最初にアジアの覇権国になろうとしたのが日本だったのである、それは失敗に終わった,アメリカが台頭してきて次の覇権国になったからである

グロ−バリゼーションといっても覇権国があって成り立つ、無制限なものではない、統制する覇権国がありグロ−バリゼーションが成立する
無政府的グロ−バリゼーションはありえないのである
ヒト、モノ、情報でも金でも自由に流通するということではないのである
そこに自ずと限界があり人間はその定められた地理や風土や生態系に依存して生きる
それを越えられないのである、だから国境も必要だと認識した
コロナウィルスなどでやはり国境がないと境界がないとウィルスも自由に入ってくる
関所も必要でありそこで人の流れを止めるということも必要だとなる

グロ−バリゼーションは頂点に達して負の面が大きく認識されるようになったのである
経済面でもそうだが精神的にもそうなる、経済的には内需型になり文化的には国風文化の復興になる、日本は奈良時代は中国の唐から学び奈良時代に遣唐使を派遣して国造りをした、漢字なども取り入れた、でも平安時代になると国風文化になった
そして鎌倉時代になるとやはり中国から禅宗などを取り入れた、でも東(あづま)に政権を樹立して東が支配するようになった、そして戦国時代になり安土桃山文化になった
これはキリスト教などが入り国際化したグロ−バル化した
外国の文物でも技術でも文化でも積極的に取り入れた、その一つが信長が鉄砲を輸入したことである、その技術を取り入れたことである、それが戦争を変えた
そこで絢爛な安土桃山文化が生まれた

次に江戸時代の鎖国になった、国風文化になった、その300年で日本文化が歴史が培われた、ここは世界から遅れたものとして見られていたが実際は内需型であり日本国内で
経済を回す社会である、自給自足の社会が形成されたのである
この時世界から孤立していたとしても戦争のない平和な三〇〇年がつづいたのである
この三〇〇年があまり評価されていない、でも明治維新が成立したのはやはりこの三〇〇年に培ったものがあり成功したとなる
明治維新になぜ綺羅星のごとく偉人が生れたかでもわかる
それは侍がいたからである、明治維新は庶民の力ではない、真のエリートの侍がいたからできたのである、つまり侍が人材となり新しい日本を導いたとなる
侍とは武だけの人ではない全人格として全人間として優れた人達だったのである
それはその後の人間が劣った人達になったということでもわかる
侍はいなくなったのである
ただ世界的にも戦争していたのは貴族であり戦士として選ばれた人達だった
その後は国民となり大衆化したのが現代である、つまりエリートというのは世界的に消失したのである
戦争とはもう数であり機械の戦争となったのである、そこで何千万人もの人間が無惨に物のように殺戮されたのである、国民と国民、大衆戦争だったのである

そして太平洋戦争後から七五年は経済のグロ−バリゼーションの時代だった
それはアメリカ覇権のドル基軸通貨となったグロ−バリゼーションだった
でもこれも終わりになりつつある、中国の台頭とかで終わりになりつつある
アメリカの覇権は終わる、日本はどうなるのかとなるとアメリカが覇権国でなくなるとアメリカは守ってくれない、そこに台湾有事が大問題になるのである
アメリカは武器を与えても直接戦争にかかわらないというときウクライナを見ればわかるアメリカはもう直接兵士を派遣したり戦争にかかわらないとしている
トランプ大統領がアメリカファーストを言っているからである、国内第一になる
外国にかかわらない政策になってきたからである

そして日本もまた国内回帰になる、経済でも国内で極力回す、エネルギーでも石油でもガスでも何かあると輸入できないからである、ただ原子力発電を再稼働するのは問題であるあまりにもリスクが大きすぎるのである、一旦事故になったらこの辺のように住めなくなるからである、ただ国内自己完結する経済になる、だから鎖国時代にもなる
結局人口が縮小して日本が縮んでゆくのはこういう時代だからそうなった
日本がの人口は江戸時代で3000万人とかでありせいぜい6000万くらいの人口が適正規模なのかもしれない、そこで国内需要とまかなうとなるかもしれない
ただそうなると小国になるから中国に支配されることの恐怖になる

でもどうしても日本はもうかつての高度成長とかないし縮小をまねがれないのである
そのことはは文化にも影響する、思想的にも国内回帰であり国風文化の再興になる
世界的にも中世に戻るというときでもそうである
文化的なこと内面的なこと思想の深化とか学術的なこと芸術的なことそうした時代になるだから今なぜオリッピックでもするのかとかなぜインフラでもリニアなど必要なのか問われる、そんなもの本当に必要なのかどうか問われる
高度成長時代には道がないのだから道を作ることに疑問などなかった
でも鉄道でも整備されているし新幹線もあるしそれにリニアなど必要なのかとなる
何があらゆることで意義が問われる、哲学の時代になもなっているのである

いづれにしろ社会は内向きになる、コロナウィルスなどで在宅で家で仕事するリモート会議などしてするのもそうである、働き方も変わった、何か巣籠りというときそれも内向きになり外向きのグロ−バリゼーション時代の終わりを示唆している
世界でもそれぞれの国で国内経済中心となり国内で文化を育てる時代にもなる
自然はやはりそれぞれの地理があり風土がありその中で人間は育つ、それを無視して人間はありえない、自然をグロ−バル化などできないのである、それを多国籍企業がする自然破壊になる、生態系が破壊される、そこでウィルスがたちまち世界に感染するのである
そこに時間差もなくなったのが現代なのである
人間はそれぞれの地理と風土で育つのが自然である、食糧でもやはりその地理と風土の中で育つ、それを食べるのが体にもいいのである、そもそも体はその土地でとれたもので食べるのがいいのである、日本食はだから長寿食になったのである
牛肉とか外国のものをいろいろ食べることはいいことではない、またそれもできなくなる円安になりもう外国のものは高くなり買えなくなるからだ
すると日本にあるものでまかなうほかないとなる
日本がにあるものでもそれなりに豊かな食生活が今ならできる、別に葡萄でもとれているし前よりはいろいろなものがとれているからである
ハウス栽培で南国産のものも作れるとかなる、ともかく外国から輸入することは高くなるしむずかしくなる、そういう時代になったのだからそれに適応した生活をしなけぱればならないとなる


柿の詩

ここに柿なりぬ
今年も違わず柿なりぬ
その柿を食せよ
我が母は貧しく育ち
柿が好物なり
干し柿も好物なり
今あまたの果物あれども
昔はなしも貧しき
柿は日本の産物
それぞれの土地に実りあり
その実りを尊ぶべき
外に求めて欲は限りなしも
今年もここに柿はなれるも
その柿に感謝して
ここに住める良しとすべし

柿はkAKIとして外国に通じる、柿は日本の産物なのである、私の母は大正生れだから貧乏に育った、原町紡績で働いてその食事は一汁一菜である、沢庵とか味噌汁とかで良く働けたと思う、それでもそれが当時では現金収入になったから良かったと言っていた
その他は女中だったからである、女性の働く場がなかったのである
イギリスでも貴族に女性は下働きしていたから同じだったのである
ともかくいろいろな果物を食べれる時代が終わったのかもしれない、なぜなら円安で外国産は買えなくなっている
でも山形産のメロンが五〇〇円だった、それが大きなものであり得した感じになる
私は果物が好きであるから高いと買えないことは辛い、でも別に日本で果物はそれなりにとれている、でも昔は柿くらいしか後はミカンかくらいしか食べてないのである
リンゴも東北だと青森でとれるから食べていたのか果物はあまり食べていないだろう
ただ私は柿はあまり食べていない、母が好きだったので供養として買ってあげている

柿は、16世紀頃に南蛮貿易で日本と交易のあったポルトガル人によってヨーロッパに渡り、のちにアメリカ大陸に広まっていったという。またポルトガル領だったブラジルにも同様にして伝わったようだ。そのときに用いられたのは日本の品種である。そのため、前述したように世界でも「KAKI」とよばれるようになった。

日本における柿の歴史は古く、縄文時代や弥生時代の遺跡から柿の種の化石が発掘されています。奈良時代には日本の各所に柿が流通していたとされ、当時は祭祀に使われたり、冬場の大事な糖分補給源として食されていたとのこと。しかし当時流通していたのは、渋柿。人々は渋柿を熟柿や干柿にして食していました。

ポルトガルから鉄砲が入って逆に柿が輸出されていたのである
果物があまりないから柿は糖分をとるのに貴重だった
でも柿は今高い、干し柿でも高い、伊達市が特産物となっている
だから今は簡単に柿も食べられないとなる、今貧困化しているから果物には手が出ないという人もいる、でも一応日本産のものは輸入しないからまかなえるとはなる
外国産よりなんでも日本産のもの国内でまかなうようになるから貴重だとなる


柿の話ー俳句エッセイ

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2022年09月16日

文系大学はいらない (職人なった方がましだーyoutubeで学んだ方がいい)


文系大学はいらない

(職人なった方がましだーyoutubeで学んだ方がいい)

アホ大なんかで数年潰してプライドだけ高くしちゃうより、高卒で頭柔らかいうちに技能を身につけるのもアリだと思う。
AIがなんちゃらとか言うけど、結局人が面倒見てやらないといけないんだし他にも人の手でしか回していけない仕事はたくさんある。
まだまだ職人は必要なんだよ。
アホ大入るくらいなら高卒で手に職つけたほうが賢いよね、みたいな風潮にすれば不必要な私大は潰せる

これはわかる、優秀な大工さんは15歳から大工修行していた
昔は18歳になると教えることはできないと職人になることは親方でも断ったという
つまり人間は何でも早い時期からスキルでも身につけないとできなくなる
それだけ時間が貴重なのである、時間はあっというまに過ぎてゆく、飛んでゆくのであるそして職業が人間を作るとういことがある、それでホイットマンは平民を職人をあらゆる働く人々を讃美していたのである
その大工さんも体でも仕事の中で作られていたのかとなる、もともと体の造りまで違っていたのかともみる、天性の職人なのかともみる

本当に文系大学よりほんの一部をのぞいて職人の方がましだとなる
理系だったら直接職業と結びつきやすいからである
文系はどんな職業と結びつくのか見えないからである
神学学んで牧師になるとかそんなのも変なのである、聖書でもそれをいくら読んでも実際はわからないからだ、経験しなければわからないからだ
だからプロテタントには牧師はいない、平民が直接神に結びつくのである
法学部とかると裁判官とか弁護士とか職業が見える、でも他はあいまいなのである

私は大学で何も身につかなかった、日東駒専だったからである
そもそも私は高校でもどうしてもなじめなかった、だから積極的に自ら勉強する気がなかった
それでかえって大学は勉強を強要されないので良かったのである
一日教室に閉じ込められることに耐えられなかった、また体でもそういう場所になじめないものだった、我がままといえばそうだが学校で勉強を強制されたから嫌だった
その後も会社とか団体生活でもなじめない、でも一時体育会に入った、それは体が弱っかたから強くしたいとういことで入った、それで何か積極的な姿勢が生まれたから良かったとなる、どうしても陰の性格だから積極性欠けていたからである
だからそういう点で大学に入ってすべては無駄とはなっていない

でも職業のスキルとか他に学問とかでもほとんど学ぶことがなかった
カルト教団に入ったがそこも教育などなかった、奴隷養成の場であり何の教育もない場所である、ただ正直今や大学でもそうだがカルト教団が増えたのはもう侍のようなエリート養成の場所がなくなった、教える場がなくなったのである
知識を教えるものがあっても全体的人格を陶冶する場は消失したのである
そして現代は必ず複雑な迷路に迷い込む、そこから抜け出せなくなる、そしてカルト教団のような所に迷い込む、それだけまともに学ぶがなくなった結果である

でもふりかえればただ貴重な時間を無駄にしたとなる

だからこそ職人の技を身に着けた方がましだったとなる、文系だと語学に熟達すれば仕事がある、ある人はドイツ人の技術者を火力発電所に案内していた
それは英語でしていた、つまり英語を流暢に話すことできれば仕事があるともなる
語学を身につけることは仕事になる、文系だとそこが専門職にもなる
でも大学では何か英語を習おうとしたができなかった
でも今はあらゆることで学ぶ環境ができたのである
youtubeの講義は解かりやすいと見ている、本だと文章を読むので疲れる
でも動画で図解で説明されるとわかりやすいのである
これは明らかに下手な大学の先生に教えられるより勉強になる
もう大学は知識教養を身につける場ではない、第一千人とか講堂に詰め込んで授業するより自宅でyoutubeでも何でも学んだ方がいいとなる
それはもう田舎でも可能なのである、どんな本でも手に入る、古本だったら自分の書庫もできる、どうしても一定の専門の本は揃えないと勉強はできないからだ

英語の勉強で失敗したのは

聞く能力を身につけることだった

それでテレビの英語放送でただ聞く練習を大学出てからしていた
それが意外と効果的だったのである、英語の音に慣れることが大事だったのである
つまり勉強の方法も大事だったのである、今なら無料でyoutubeで英語でも学べる
だから大学に行っても文系なら無駄だとも思った
ただ大学には大学の役目がある、何かそこで友達を作ったりとか人生を語るとかある
モラトリアムとの期間として与えられているとなる
でも正直そこに学ぶものがない、なぜ学生運動があったのかというともう大学はエリート養成の場所でもなくなっていた、つまり大衆化したのである
団塊の世代でもそこはエリートとして扱われない、無数の大衆の群衆の一人になっていたのである、文系ならまず授業すらまともに受けられない、教授とかなると何も教えない
時折顔みせるだけだとなる、だから大学は何する場なのだろうとなる

ただ4年間が遊びの場としてあり公認されているともなる
それも人生で意味がないとはなるが何かもったいなと思った
ともかく時間だけは容赦なく無情に過ぎてゆくのである
ただこうして大学が遊びの場になっているときそのまま遊びが人生になったという人がいるのもわかる、ギャンブルに興じてそのまま変な方向に行ってしまったというのもわかる私のようにカルト宗教にはまったとかにもなる
つまり大学の謎は教育する場所ではなかったのである
何か教育という機能が失われていたのだと思う
それより藩校とかが人格教育とが文武両道を教えていたからそこから明治維新でも人材がでてきていたとなる

なぜなら明治維新は民衆の革命ではなく侍が起こして成立していたからである
侍というのは江戸時代300年で培われて育てられた人達だったのである
真のエリートだったのである
でも明治にはその侍がいたが明治後期からはいなくなった
そして太平洋戦争になった、その戦争は国民化大衆戦争になった
それは外国でも同じである、ヒットラーのナチスがその最たるものだった
大衆ファシズムの時代になったのである
それまでは貴族がいて貴族が戦士であり戦争のプロでもあった、侍と似ていたのである
その貴族には城を館もっていて召使が大勢いたのと同じである
洗濯するものから食事を用意するものから婦人の身支度をするものとか分かれていたのである、まるで殿様だったのが貴族なのである
その貴族に使えていた人達もやがて別な職業につくようになった
侍と似ていることはその人達もエリートでありそこから国民を指導する人達が生まれたとなる、その階級制が今でもつづいているというのがヨ−ロッパだとしている
そこでは子供に家庭教師がついていた、そのためにやはり個性を伸ばすことができて天才が生まれたともなる
学校のようにな一律の教育ではないからである

いづれにしろ江戸時代には藩校がありエリートとして侍があった
明治になり学校化してエリート養成はなくなり教育でも大衆化した
現代ではもう教育する場所がないのである、そういう場が失ったのである
そうなるとどうなるのか?自ずと自分で自学しないと学べないとなる

そもそも強い学ぶ意志があればそういう環境がなくても道は開けるともなる
ただ受身的ではな何も身につかないのである
ともかく文系の大学はいらないとかそもそもなくなるともみる
youtubeとかででも無料で学べる時代になっているからである
大学の講義よりわかりやすいのである、これは本よりもわかりやすいのである
文系なら独学できる環境が整ったということである

教育はもう読み書きソロバンとかの時代ではない、思考脳、感性脳、遊戯脳、創造脳とかを育てることである、とても暗記脳とかでは何の役にもたたない、それはコンピュターが代わりにするからである
これも意外と天才でないかぎり訓練なのである
私自身は学問に興味がなかった、でも大学を出てから経験したり旅することによって地名に興味をもったりいろいろ興味をもってそれを育てていたのである
それは私は特別家族に恵まれていてそういうことをしていたのである
それは外から見れば遊んでいたとしかならない、でも今その成果を出しているのである







posted by 老鶯 at 10:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育心理学など

2022年09月15日

新田川で鮎釣りしている人がいた (でも真野川ではいないー鮎が上って来ない―原発事故のその後)


新田川で鮎釣りしている人がいた

(でも真野川ではいないー鮎が上って来ない―原発事故のその後)

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真野川では事故直後、国の放射性物質の基準濃度を超える1キロあたり2100〜3300ベクレルのアユやウグイ、ヤマメが見つかった。出荷制限と釣り自粛の呼びかけが続き、遠方からも訪れていた釣り客の姿は、今はみられない。同漁協理事で釣具店を営む森幸春さん(60)は11年近くにおよぶ出荷制限について、「『生きている間はもう釣りはできねえか』と言う人もいる」と明かす
https://www.asahi.com/articles/ASQ3651YGQ2HUGTB00L.html

冷水病が日本の河川に蔓延して以後は、これが極端に低下しており、場合によっては10%を切る事例も報告されているすべての河川でそのように悪いわけではないものの、平均的にみると40%程度まで落ちているのではないだろうか。つまり、生残率はかつての半分近くにまで低下しているのである。

この傾向は規模の大きい川ほど顕著である。つまり、容器の大きさからいうと1000匹必要な釣り場に実際は100匹しか放流されていないというようなことが普通に起きているのである。
https://hito-ayu.net/opinion_04.html


サケと違うのは母川回帰をしません。 その時に一番条件の良い川を選らで遡上を始めるそうです。

ヒトが作るダム、堰、コンクリート護岸、生活排水、工業廃水が、
アユの生活環境を脅かしていることは皆さんご存知の通り です。
この30年間、全国的に天然アユの遡上数は激減しています。
http://to-ayukebari.life.coocan.jp/ayu_seitai/ayu_seitai.html





全般的には海産魚の放射性セシウム濃度は順調に下がり、2017年に一部の出荷制限魚種を除くすべての魚介類に試験操業対象種が拡大され、漁業の再開に向けた取り組みも進められています。現在では郡山市内のスーパーなどでも、「常磐もの」として福島県産のカレイなどが並べられているのを見かけることもあります。一方で、淡水魚の放射性セシウム濃度は海水魚よりも高い値が続いており、比較的汚染の低い福島県中通りを流れる阿武隈川であっても、基準値を超えるヤマメ・イワナが2018年にも何検体か報告されています。淡水魚の放射性セシウム濃度は、流域内でも地域間、個体間で非常にばらつきが大きく、「安定的に100Bq/kgを下回る」と判断することが難しいことが、出荷制限や採捕自粛の解除が遅れる一つの原因になっています。このように、海水魚に比べ、淡水魚では放射性セシウムによる汚染の問題は今でも収束していません。今後、淡水魚の放射性セシウム濃度はどのように減少し、いつになれば心配なく食べられるようになるのでし
https://www.nies.go.jp/kanko/news/38/38-2/38-2-04.html


今日新田川で鮎釣りしている人がいた、鮎がとれるのかと聞いてみて
そしたら結構大きな鮎もとれたという、鮎は稚魚を放流しているが放流していないくてもとれたという、県庁の方で聞いて見たら毎年稚魚は放流しているという
私は毎日真野川を見ているけど鮎が跳ねたのを今年は見ていない、去年なのかその前なのかさらにその前の年なのか鮎の稚魚を放流したのを現実に見ている
県庁に聞いたら毎年放流しているという、となるとなぜ真野川だけに鮎が上ってこないのか?

この辺は県庁の方でも調べていない、ただ毎年鮎の稚魚を放流している普通だったら川を上ってくる、それが来ないとなると何なのだろうとなる
何が原因なのか?それがわからない、新田川は浅い川である、でも水が勢いよく流れていた、新田川には上にダムがない、真野川には飯館村の大倉に大きなダムがある
それで水質が違ってくるかもしれない、真野川でここに住んで放射線を計る人がいた
それはかなり長く川の放射線を計る仕事をしていた人がいた、専門家がいたのである

川の魚は一時食べるなと警告された、相当に放射性物質に汚染されているからとしてそうなった、海の魚より汚染が強かった、それは海は広いから拡散されるからである
川は狭いので拡散されないことが原因だった、狭い場所に滞留するということもあった
特に依然として真野ダムの泥には放射性物質が付着している
真野ダムの水は飲料水としても利用している、本当の除染は真野ダムの底の泥とりはらわなければならない、でもそれはできない、ただ溜池は除染した
でもそれも全部はできない、なぜなら回りの森からでも放射性物質は流れ出してたまるからである、つまり完全に放射性物質を取り除くことは不可能なのである

川で釣りする人とみると何か復興したのかともみる、でも真野川では見ない、それで淋しいとなる、もともと川には魚は見ない、子供の時カジカとかとっていたが今は子供も見かけない、そもそも地域でも子供が見かけない、子供が見かけるのは幼稚園としかないのである

ともかく鮎というとき私の父親は鮎釣りが好きでありその時結構大きな鮎をとっていいオカズになっていた、また田んぼの畔で鰻釣りもしていた
その鰻もうまかったのである、それを料理するのに家族みんなで大騒ぎだったことを覚えている、今は鰻もとれない、農薬で汚染されているとかなる
小川もなくなりメダカともいない、田んぼを流れる小川もなくなった、みんなコンクリートの堀になったからである
田んぼが回復して蛙が一斉に星空に向かって蛙の合唱になったとき復興を感じた
自然が復興したことを感じた、川でも鮎釣りする人でもいれば復興したとなる
ただ真野川では上流で蜆とる人は増えた、もともと真野川ではシジミはとれていたのである、それもいいシジミがとれていたのである
ただ貝類にも放射性物質はあるとされているからどうなるのか?

11年過ぎてもういいのだろうか、前の日常がもどるのはいいことである
とにかくこの辺の変化は余りにも大きかったのである
磯部でも海老村でも烏崎村でも根こそぎ津波で消失したことはショックだった
その傷痕はまだ消えない、ただ11年も過ぎると忘れて関心もなくなることはありえる
外部ではそうなっている、次々に新しいことが起きるので忘れられる

でも裁判では東電に賠償を言い渡された、

経営幹部が任務を怠ったことによる東電の損害として、廃炉について約1兆6150億円、被災者に対する損害賠償費用について計7兆834億円の支払い、除染・中間貯蔵対策費用計4兆6226億円を認定した。
https://www.bbc.com/japanese/62159103

これは当然だった、これもコストにこだわり失敗した、津波を科学者が警告していたのに対策をとらなかった、権力で安全神話を作ることには熱心であった
でも肝心の安全対策は金がかかるからしなかったのである
その代わりにその金は安全神話を強固にするため福島県の報道機関でも朝日新聞でも毎日でも読売でも創価系の潮にも回った、すべて宣伝費として安全神話を強固にする方になったのである
電事連でも800億円の金が注がれたのである、安全神話のために湯水のように金が注がれ
肝心の津浪であれ安全対策のためには金を使いたくないとなっていたのである
これは報道関係にも責任があったのである、金をもらえばいいとなって安全神話に加担したものとなったからである

10メートル以上の津浪が来る!

みんなこれを知ったら警戒していて逃げて助かった人達もいた
あらかじめ知っていれば警戒するからである、それは科学的根拠のあるものだったからである、それを東電の幹部でも無視したのである、だから当然責任をとれとなる
財産没収でもいいとなる、それだけの責任ある人達だったのである


posted by 老鶯 at 17:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2022年09月14日

なぜ医療費が増えるのか、病院、医者に頼りすぎる (生活保護は上客になる理由ー病院経営が苦しいから)


なぜ医療費が増えるのか、病院、医者に頼りすぎる

(生活保護は上客になる理由ー病院経営が苦しいから)

生活保護の総支給費は10年前の2004年度には2.5兆円だったのと比べると、10年間で1兆円以上も増えています。

内訳は2011年の例で見ると、医療費が全体の47%(1兆6000億円)

立行政法人福祉医療機構の調査「平成28年度 病院の経営状況について」によると、平成28年では一般病院の41.2%が赤字経営であることが報告されました。同データは平成24年に28.1%、平成25年に35.3%、平成26年に40.7%、平成27年に39.6%と推移しており、全体的に年々増加しています。

赤字経営!?今だからこそ病院経営の見直しを始めよう

この数字を見れば明確である、生活保護でも医療費の額が大きいのである
それは無料だから気軽に医者にかかる、まるで医者が友達のようにもなっている
それは生活保護者だけではない、普通の人でも病院が老人のサロン化しているとかある
老人の話の話題は病気になることが多いからである
何かしら病気を持っていてそれを通じて話しが合うのである
日本がは国民保険があるので気軽に医者でも病院でも行けるということでもそうなる
アメリカなら国民保険がないので民間だから病院に簡単に行けない、保険に入っていない人は診てもらえないのである

その女性は確かに生活保護であっても国民年金が四万とかもらっているから生活保護とも言えない、その金で暮らしていきなさいとなっているのである
でも医療費は無料となるとしているがならない、必ず足りない金を要求される
それが一万とか二万とか高いのである
だから本当はそんなに医者にかかれない、目まいが治るとか医者に薬を飲めとして
二万を要求されたとか言う、他でも脳の機械での検査では2万要求されたとかなる
その金は生活保護でも市では払わないのである
だからすべてが医療費無料だとかならないし何か生活保護でもとても10万などもらえない人がいる、その人は国民年金に加えて5000円しかもらっていない
医療費でも必ず数万の金を要求される
そして医者にそういわれると断ることもできない、でも金がないのだからと言って断ればいいのである、それでも医者に言われると直したいとなり金を工面する
その金を自分に要求されるのも困るのである
この前も埼玉の方まで行って特別の検査をして治療したとかなる
それは医者に紹介されて行ったとなる

「先生私は金がありませんので治療費を払いないのでできません」

こういっても医者はすすめる、これは医者の方で金が欲しいということも確実にある
なぜなら今の治療は高価な機械が必要でありそれを供えていないと患者でも来ない
するとその高価な機械代の元とるだけで多額の金が必要になる、するとどうにかしてその機械を使う患者が欲しいとなる
現実に近くの病院で認知症になった家族を連れて行って脳の写真を撮ったが実際は認知症は診れない、福島県だと郡山市とか大きな病院二台しか精密に見れる機械はない
でもあえて何もわからないのに機械で写真をとったのかというと金になるからである
医療にはこうして金が無駄にかかりとられることがある

それは病院でも経営の面から見れば苦しいからそうなっているのである
相当に無駄な治療があることは確かである、そもそも薬でも治療でも医者に診てもらったからみんな良くなるとは限らないのである
でも人間は病気に一番弱いから医者に頼り機械に頼りあらゆるものに頼る
宗教でもカルトでも頼る、それは病院もない江戸時代からそうたった
現代では科学技術に神のように頼る、お医者様となり神のようにもなる
今でも一番尊敬されているのは医者だからである
森喜朗元首相が一千万とかの癌の薬をオプジープを使用して寿命が延びたとされる
それだけ高価なものでも病気になれば服用するのである

病院の経営が4割で赤字経営だというときやはり設備費とかにかかるし医者の給料代とかも高いからかかる、おそらく医療というのは金をかければいくらでもかかるものなのかもしれない、治療でも切りがないからである
でも本当にその治療で治るのかはわからない、特に老人の病気は治らないのが多い
するといくら金をか治療しても無駄な金を使うともなる
そのことが医療費が増大してもう国を圧迫している、そしてその保険料を払う世代が若い世代だから不満がつのるとなり老人は早く死んでくれとなっているのだ

ともかくこの世は無駄がどこでもある、もしかしたら膨大な無駄に費やされるのが人間社会かもしれない、なぜカルト教団に一千万とか寄付するのかそこに何百億もの金が集まるのかともなる、それも無駄だとなる、無駄を言えばきりがなくなる
最大の無駄は戦争だとなる、何百万人も死ぬ、それも無駄なのか徒労だったのかともなるからだ
医療の問題は必ずしも治療しても高価な機械でも薬を使っても治らないことがある
それで糖尿病の人は病院に半年入院してかえって悪化した
でも家に帰って療養したら良くなったのである
家の方が回復力を持つものがあったとなる、それは肉体だけではない精神的なものが影響していたからである

だから病院経営でも在宅医療とかコミニュケーション重視とか介護との連携とかで病院経営を立て直したことでもわかる、高齢化社会の医療は今までも医療とは違ってくる
介護の人が増えるし需要が高まるからそうなる
つまり肉体の治療も必要なのだが精神的なもの心が大事になる
それに対応することが肉体の治療と同時に必要になっている
高齢化社会の医療はやはり今までのただ肉体を診ているだけではな成り立たない
心も診る必要がある、でもそれを医者にみんなできるかとなるとなかなかできない
だから礼文島の医者のように少ない人口の村とかではその土地のことでも人でもわかるからコミニュケーションを取り安い、全体の中に医者も医療もあるとなる
医療と福祉は不可分なものとしてある
それでスリランカでは誰か病気になったらみんな集まり治ることを祈る
そういう社会だと高価な機械とかなくても何か福祉がありそれが補完するともなる
医療の問題は体だけにはとどまらない、何でも実際は全体と関係しているのである

高齢化社会の問題はこれから深刻化する、知っている人は一人娘に金をあずけて自分で
自分の金を自由に使えない、それでもめた、その娘は一人娘であり良くされたのけど
親のことを思わない、それで怒って来なくてもいいと言ったという
こうして親子の間でももめる、親子でも近くにいても挨拶しない人もいる
それぞれ家庭の事情が違うからそうなる、なかなか他の家族のことが理解しにくいからである
もう子供でもあてにならない時代でもある、それで家族遺棄社会にもなる
それは非情になったというより介護の負担が金銭的にも精神的にも肉体的にもも大きいからそうなる、それを担える余裕がなくなった、貧困化でもそうである
だからこれから介護とかで悲惨な事件が日常化する、孤独死も日常化する
老人が多すぎて病人社会にもなるからだ、まず百才まで生きるとしてもほとんど病気になり健康には生きられないからである
高齢化社会はどうしてもプラスにはならない、一部ではなったとしても全体的にはなりにくいのである

2022年09月13日

全体的俯瞰的思考ができない現代文明社会 (部分化してアトム化した文明ー医療でも教育でも仕事でもなんでも)


全体的俯瞰的思考ができない現代文明社会

(部分化してアトム化した文明ー医療でも教育でも仕事でもなんでも)

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病気になるといろいろな科があり専門の医者がいる、ところが江戸時代とかなると専門の医者はいない、何でも見ていたのが医者である、様々な体の部分の専門家ではない、全部を見ていたのが医者でありさらに医は仁術というとき相手の心まで見ていた
生活状態まで見ていた、それは江戸時代とかなると専門家とかは限られているからかえって全体的に考える、村という小さな社会が社に中心にしてあった
でもそこでも困ったことが常にある、病気が一番困ったことなことは同じである
だから村の中心には必ず薬師堂があった、病気が治ることを祈るのである
でも地蔵でも腰が悪いと祈る地蔵とか目が悪いとか祈る地蔵とか今の病院の科のようになっていた、だからどうしてもこうして専門家してゆくのが人間社会てある

その人は常に金がない、頭がふらふらして目まいしてこまるとなり隣の市に脳をみる機械があるからそこでみてもらいと言われた、でも金が必要になるがない、そんなこと医者に言って金もめんどうまで見ないのである
でも江戸時代だったらその人が困っていたら後で金をはらってもいいとか安くするとかあったろう、それはその人全体を見ているからである
医は仁術にもなっていたからである、医者にみてもらう金がないというときそれを相談するのは役所の福祉に相談するとなる
不思議なのはスリランカなのか村の一人が病気になるとみんなで集まり病気が治ることを祈っていた、それは迷信的にもなるがそれにも効果があると見た
みんな治ってもらいたいというときそういう気が全体に働くからである
ただそれは医者もいないし病院もないからそうなったのである

でも今はそんなことはない、個々に人は分裂して金が唯一の頼りになっている
金がなければ医者にもかかれないし診てもらえないとなる、地獄の沙汰も金次第となる
森喜朗元首相が癌になりオプージプという薬を一千万とかかけて服用して寿命が延びたとか報道があった、そんな大金を払って普通は飲まない、でも金がある人はそこまでする
それで東京五輪で賄賂をもらっていたのかともなる
金で病気でも直すことができるが金がないものはできないともなる
ただ日本は国民保険があり公平である、アメリカは本当に医療費が馬鹿高いからその差がはっきりと現れる、医療費が高くて医者に貧乏人はかかれないのである、結果的に早く死ぬとなっている、日本はその点いいのだがもうこれだけ老人が増えて病人が増えるとそんなに医療費に回す金もなくなる、特に日本は貧困化しているから余計にそうなる

どうも医者というのは医は仁術というとき人間を患者を機械のように見れないだろう
機械の部品が悪くなったからその部品を交換するように患者を見れない
でも実際は人間の体でも部分化して見ている、専門家とはそうである、人間の体全体を診る人はいない、でも老人になると体だけで診るのではない、心まで診る必要がでてくる
それは老人はいづれまもなく死ぬということが避けられないからである
だから糖尿病で半年も入院した人が栄養がたりなくなりかえって病気が悪化したのであるでも家に帰ったら回復したのである、つまり医者でも病院でも体だけを診ている
その心を診ていない、そして老人になるとなかなか病気でも治らないから、心の問題が割合で大きくなる、だから延命治療はいらないとか自宅で死にたいとなる
それはもう体を看るだけではない、心の方が大事になるからである
家というのは何か安心する場所であり威厳を持てる場所でもある
その人は20代で一人倍以上働いて稼いだ金で立派な庭を作り家も建てたからである
それが自慢になりそれが人生の証しだまでなる
病院に入院したらその人はただ病気の人となるだけでありその人の人生とは関係ない無機質な病院に隔離されるだけなのである

人間というのはやはり体だけでを診てもわからない、心の問題があり老人になると特にそうなる、近いうちに死ぬのだから体より心の問題の方が重要になる
そしたら延命治療して廃人のように生きるより家で威厳をもって死んだ方が幸福だとなるどうして死ぬのかが重要になる
でも医者はそこまでは診ないのである
ただ礼文島の医者のことをNHKで放送したけど2000人とかの人口となるとその一人一人を知っている、何をしているのかどういう人なのかまでわかる
すると医者は体だけを診ているだけではない、その人間を全体を診るとなる
ただむずかしい病気になると稚内の病院と連絡して診てもらうようにしている
小さな島だったらその人の体だけではない、その生活や人なりを知っていて治療するとなる
礼文島は花の島であり花に癒されて死にたいとなる、稚内の病院とかで死にたくないとなるかもしれない、それは小さい島だともう全体につながりが明確に見えているからそうなる

とにかく現代は医療でもそうであるが何にしろ全体が見えない、部分化してアトム化している、一万の田舎町でもそうなのである、ただ大工さんを見たらその人は大工もできるし庭作りもできる、壁塗りまでできていた、それはその人の特別の才能からできたとなるがやはり田舎だと何でも屋になる、そういうことが強いられるからである
百姓とは百の仕事をできる人だとなる、それだけ農家でも多様な仕事があるからそうなった、また時代がさかのぼればのぼるほど人間は全体を生きていたのである
なんでも屋にならざるをえなかったのである、第一ケガするとしてそれでその傷に効く薬草などを知らなければならない、医者がいないのだから普通の人でも知って治療するほかないとなっていた、そういうことは農家とかでも薬草とかを知って備えていたとなる

村に鍛冶屋があるとする、するとその鍛冶屋は農民一人一人にあう農具を注文に合わせて作っていた、それは村で生きるとなるとそうして農民一人一人の要望に応えるためにそうなった、今のように規格品を買うことにはならない、道具でも職人でも様々なものが必要になるからである、その鍛冶屋にしても村全体の中で生きていたのである
ただ個々人に道具を売るというだけではない村全体のために働いていたとなる
現代はその全体のコミニュティが喪失したのである
田植えでも稲刈りでも人力だったら村全体でする、それで早乙女が田植えする、みんなでする、それが祭りになっていたのである、つまり祭りとは村全体でするものだからであるそれはみんなで協力しないとできないからそうなっていたのである
祭りがなくなるというときそうした共同性がコミニュティが喪失したことを示しているのである、今や農民が戦後まもなくでも6割とか戦前とかだと8割りの社会ではないからである

御民我れ 生ける験あり 天地の 栄ゆる時にあへらく思へば  犬養岡麻呂

こういうことで自然と人間が一体化していた、天地(あめつち)が栄えることが生活の基本である、でも今は科学技術とかがで栄えることであり天地とかは言わない
でも持続可能社会でそういうことが再び言われるようになった
天地がなければ人間の栄は基本的にないからである、天皇とはその栄を祈るものであり日本の祭司だったのである、だから皇居で田植えしたり蚕を飼っているのである
でも工業科学技術社会になればそれも現実と離れたものとなってしまった
日本がの高度成長は科学技術力で栄えたとなるからである

いづれにしろ人間は全体を見ないし見れないのである、無数に部分化してアトム化して分裂しているのである、原発でも吉田所長は復水器のことがわからなかったのである
それは肝心なものでもわからなかった、私は資材の専門家だからわからなかったと言っていた、原発でも余りにも複雑だから全部知っている人はいなかった
その前に原発が地域社会で生態系でどのように作用するかなど考えなかった
もし事故になったら生態系が汚染されて空気すら吸えなくなる恐怖になったからである
つまりこれも全体を生態系でも考えない全体を見れないということから起きたともなる
科学技術は巨大化して生態系すらも破壊してしまうのが現代である
気候変動も起きるとか全体に影響するのである
ただ人間は全体を見るのは苦手である、ただ一部分を見ているだけである
そこに人間の弱点があり今のような複雑怪奇な文明の全体を知る人などいないのである
それを総合する人もいない、それは神しかありえないだろう
文系理系とかあってもそれを総合的に見れる人などいないのである
そこに結局原発事故のように破滅的なことが起きて来る、そして文明は滅亡するともなるバベルの塔のように崩壊する運命になる

2022年09月12日

失われた歴史(鹿島区栃窪の上萱―写真) (なぜ過去が理解できなくなったのかー歩く感覚の世界がわからなくなった)


失われた歴史(鹿島区栃窪の上萱―写真)

(なぜ過去が理解できなくなったのかー歩く感覚の世界がわからなくなった)

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良くみると大根ほしているみたいだ
白いものが二つぶら下がっている
大根を干して沢庵にしたのか、飯館村だと凍み大根が有名になっていた

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この写真は上萱に人が住んでいたときの写真である、相当に古い、茅葺の家がここに残っていたからだ、ここに五六軒家があった
ここは元の原町市ではなく鹿島区の橲原村の領域である
もともと栃窪から塩の道として通じていた、それで塩を運んで休んだ地点の助の観音がここからそれほど遠くなくある
ただ塩の道は江戸時代のものである、この上萱の歴史は江戸時代からあったのか、明治時代にはすでにあった

ではなぜこんろ不便な地域に人は住んだのか?

それなりに暮らしが成り立っていたからだとなる、畑などもあった
というのは大原地域から発展したのだが八木沢峠に向かい細い道がある
そこの脇の森に隠れるように田があった、そこが遠田という地名になっている
なぜ遠田なのか?それは大原の草分けとなったのが前田地域である
前田と名がつくのはたいだいそこがその土地の草分けとなった家だからである
その前が前田となったのである、そこが村の中心なのである
そして私が南相馬市の病院で同じ部屋の人である斎藤氏がその草分けの家だった
でもその人は死んだ、実際は息子は街で暮らしていて一人で住んでいたのである
そうして死んだ結果そこは空家になっているのである
その人の墓が杉木立の中に隠れるようにあった
その墓を見たら刀自と名前の後についている、これはめずらいしと思った刀自は古代からある女性のことだからである
そこは確かにそうして古風なものを残していた古い家だったとなる
ただ大原より深野が古い、館とつく地名が二つもあるからである、これは中世のものであり相馬氏がこの地に入り支配する前からあったからだ

そしてなぜそうした不便な所に田を作ったのか?

不便な所に住んだのか?

それは当時は生きるためには農業するつ他なかった、すると土地が一番農業にとっては大事なのなる、土地があればそこでなんとか畑で野菜を作りわずかに平な所でも稲作をして米を食べる、それから桑畑を作り養蚕するとなっていた
他に山仕事があり木材とか炭焼きの仕事があった、特に炭焼きは現金収入になり山で暮らしていけたとなる

「遠野というのは、中心地から遠いところ、という意味で倭人(わじん)がつけたのではないかと思います」と自説を述べた。
 日本地名研究所の谷川健一所長(89)は、村崎説を支持した上で、平安時代に編まれた日本の正史の一つ「日本後紀」に「遠閉伊(とおのへい)」が登場することに注目。閉伊の拠点であった宮古地方から遠いところという意味で、「後年、そこから閉伊が抜け落ちた」とみている。

なぜ遠野市となったのか?遠野となれば磐城に遠野がありいわき市街からかなり離れた場所である、ある土地の中心部から離れた所が遠野となる
でも遠野市はなぜそうなったのか?おそらくもともと遠野とは中心部から離れた場所だったがそこに住む人が多くなって地名化したのか?
原町市があるとして原町とは原っぱだったのである、野馬追が行われた雲雀が原があり
広い原っぱであり街などなかった、鉄道が開通して原町駅が機関区になり駅前通りができて今の街になった、でももともと原町村がありそこからは野馬追いに一騎しかでていない小村だった、江戸時代までは農業社会だから農家中心であり街中心ではなかった
そうして原っぱでも今のような街に発展することがある
とすると遠野というのも遠い野としてあったがそこに人が移り住んで広がったのかとなるいわき市の遠野は確かに中心部から遠い野にあたる
でも遠閉伊(ととのへい)からきたとすると遠野はそういう地理ではない、地理的にはこちらの説が合っている

なぜ過去がわかりにくくなるのか、それは今から過去を見るからわかりずらなくなる
例えば一番大事なことは当時は車がないということである
道を歩いて遠くに行っていたのである、この相違が大きいのである、歩く感覚で見なければ過去でも歴史は理解できないのである
現代とは近くが遠くなり遠くが近くなった時代なのである、外国でもニュースが絶え間なく入ってくる、かえって近くのことが見逃される時代である
ウクライナがどうだこうだとかウクライナが隣村のように情報社会ではグロ−バル化では身近になる、江戸時代ではそういうことはない、歩いて見て回る近くが生活の基本であるだから村社会でありみんな何をしているかすべてわかっている社会である
今は田舎でも何をしているのか何を仕事としているのかわからないのである
トラック運転手なども多い、とするとその人は東京とか遠くと関係している、中古の車を外国に売っている会社がある、それは外国の方が親しいのである
そういうことは田舎でも常にあり近くのことがわからないのである

とにかく大原からなぜ奥地へ人が住むようになったのか、それは農業社会だと土地が必要だからである、それでこの辺で人口の三分の一が天明の飢饉て消失したとき富山県とか石川県とか越中とかから移民が入ってきたのは土地が無料で与えられたからである
欠け地が広がりその土地を無料で与えられるということて農民が危険を犯して藩をでてこの地で荒地を開墾して住んだのである
またなぜ寒い満州に日本人が移民したのかとなるとそれは広大な土地が手に入るということで農民が移住したのである、それは農民社会では土地が一番大事だからである

ただこの辺で最初に移住してきたのは海人族の安曇族の後裔である、それが八木氏であり犬飼氏とかである、何故なら大原にも綿津見神社があったし本当に綿津見神社と山津見神社が多いからである、その人達は先進の技術を持った人達であり焼畑もできた
それで飯館村の山津見神社のある所が佐須であるがこれは焼畑地名なのである
そして八木沢峠があるがこの八木沢とは八木氏のことなのである、人名が地名化したのである
道としては今の車の道ではない一段高い所に細い道があった
なぜならそこに六地蔵が隠されるように残されていたからである
車社会になったとき昔の道は埋もれて隠されて見えなくなったのである

すると過去はわからなくなる、八木沢峠でもあそこを歩いて上ったらどれだけ大変な苦労になるかわかる、つまり飯館村には簡単に行けないのである
江戸時代でも明治以降でも車がないのだから歩くとなると容易ではない
何か天秤棒で鹿島区の屋形の人が鰻を売りに行ったということを聞いた
天秤棒というとき江戸時代の話になる、それを川俣で売ったというのも驚きである
そこまで天秤棒をかついで八木沢峠を上ること自体どれほど大変なのかとなる
そういんう苦労が車社会になったとき全くわからなくなったのである
六地蔵があったとしてこれは境にあることが多くそこで無事を祈ったともなる

私の姉は保健婦をしていて上萱に行った、そこは鹿島区の栃窪村内であり鹿島町に入っていたからである
そこで幻燈をもって説明していたとか言っていた、これはランプの光りで映していた
それから電気になった、でも上萱に電気が通っていたのかとなる
何か草鞋などを作っていたという、草鞋を買ってくれとなっていた、そういうとき買ってもらわないと困るからあえて買ってやったということもあった
戦後まもなくは街内でも電灯一つくらいしかなく山の方では電気が通るのが遅れた
葛尾村などでも相当に遅れて電気が通った
ネパールとかの山の暮らしをみるとそういう昔を偲ぶことができる、同じような生活をしていたからである

いづれにしろ何か歴史が消失してゆく、上萱で昔を語るものがなくなった、粗末な墓もあったが住民がいなくなりなくなった、もう何も語るものがないとなる
ただこの写真は貴重なものとなる

茅葺師に聞く〜 屋根だけにとどまらない 茅葺の魅力とその可能性とは
https://bit.ly/3RDkMUH

こういうことがあり茅葺のいい点があった、上萱とはこの萱のことであり萱がつくち地名が多い、会津の山間地域は一面萱が茂っていた、何か相馬地域にも会津から茅葺師が来たというとき茅葺の家が多いからそういう技術を持っていた人達が来たのかとなる
結局時代が余りにも変わりすぎて過去にあったものが理解できなくなったのである
でもそこにも何か学ぶものがあったのだがもう茅葺の家自体作れる人もいなくなったともなる





posted by 老鶯 at 10:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 明治維新-明治以降

2022年09月11日

ハマニガナ、夏菊、秋の蝉 名月(晩夏、初秋の故郷)


ハマニガナ、夏菊、秋の蝉 名月(晩夏、初秋の故郷)

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ハマニガナ
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しじみとる場所が上流になった
今日は日曜日で人が多かった

bigrock3.JPG
空家の大岩
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この車に夏菊が映えるとき確かに美があった

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写真で見たらこれが写っていた、肉眼ではわからなかった



雨しとと慣れにし道に秋の蝶

夏菊の白い車に映えにけり

ハマニガナ砂地に根はるも家はなし

尼蛙我部屋のぞき月の出る

名月のしばし映えしも雲隠れ


しじみとる人の増えしも真野川や土手草深く月見草咲く

朝静か街中にひびく秋の蝉その一匹の声に聞き入る

大きなる岩一つ残し空家かなその重みにそ秋は来にけり


朝曇っていた、雲に陽射しがさえぎられていても暑くなっている
昨日も陽射しが強かった、だから庭の剪定してもらっても暑いと思った
確かに秋になっているが今年は何か陽射しが強い、陽射しをあびると疲れる
そして私が恐れているのは熱中症なのである
だから陽射しが強い時は外には出ないようになった

今日は右田浜の方に行ったが釣りする人はいた、でも砂浜でも狭いし後見えるのは風車である、あまりにも変わりすぎたのである、家もなくなったし淋しい
ただそこにハマニガナが咲いていた、これは砂地でも根をはる、砂に栄養があるのかとなる、それも不思議である

真野川には日曜日でしじみとる人が増えた、結構しじみがとれるようになったのかもしれない、震災前は自分も良くしじみをとっていた、津浪以降はしじみとる人はなかった
でも三年前くらいからとる人が増えたようだ
真野川のしじみはいいしじみだった、大きな蜆もとれたのである
ここで良くなったのは土手にサイクリング道路ができたことである
これが意外といい、前は舗装されていなかった、舗装した結果自転車で走り安くなったのである
景色自体が人工的にも変わるし自然の影響でも変わる、常に変化してゆくのである
ただ山は変わらない、海は前から変わりやすかったのである

中秋の名月は昨日なのか確かに満月が見えた、その前は一時現れ雲に隠れた
街は静かであり秋の蝉の声が一匹ひびき聞き入る、一万くらいの町だと自然が色濃く反映するからいいのである、ただ足りないものがありそれで不便なのである
人間は住む場所に相当に影響される

空家に一つの大きな岩が残された、あの岩は貫禄がある、一応人が住まなくても地震があり手入れしていた、とにかく空家が多いしこれからも増える
一応大きな岩が残って依然として重くその家に残っている、つまりすぐにはそうして人がいなくなっても消えるわけではない、その岩は重く依然として残ってこの家を語っているともなる
家がなくなった跡地に一本の松が残った時もそうだった、その松が最後にその家があったことを示していたのである

近くの家の庭に白い車がありそこに夏菊が映えている、私は車は好きではないけど
これは美的なものがあると見た、俳句とは写生だというときありのままを写す写真と相性がいいのである、ここにむずかしく作るものはなくただそのありのままを写真のようにとるのが写生俳句なのである


2022年09月09日

福島県の歴史と地理 (福島県の境界の歴史-境界から見る歴史) (戦国時代から白河の関は境界だった―地理は境界から見る)


福島県の歴史と地理

(福島県の境界の歴史-境界から見る歴史)

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歴史人から地図を抜粋したが著作権の問題があるのか
引用として許可されるのか、こういうことはネットが普及して普通の人でも利用することがある
それはインタ−ネットは誰でも参加できるメデアだからである
それは共同作業にもっながるのである


戦国時代を見ても明らかに白河の関が変わらず境界になっていた、伊達政宗が会津を支配していても次に秀吉の仕置きで伊達正宗の会津が蒲生氏郷の所領になってもその境界は変わっていない、そして相馬藩とか岩城藩は変わっていない
その原因は阿武隈山脈がありさえぎられていたことである、地理的障害になっていた
それで玉野村には伊達と会津の境の桜がある

伊達と相馬の境の桜 花は相馬に 実は伊達に

こういう言い伝えがある、そして玉野村では丸森の木材をめぐって熾烈な資源争いがあった、伊達藩と米沢藩と相馬藩で木材資源の奪い合いがあった
それが藩の支配地図を見るとわかりやすい、米沢藩は新潟であり一時は勢力が拡大した
でも不思議なのは伊達との境が新地にあり新地は伊達藩の領地だった
だからその墓地を見ると相馬藩にはない姓がある、伊達藩は相馬藩と隣り合わせであり
そこで争いもあったが戦国時代が終わると協力もしたのである
でもなぜ新地となると平坦な地であり強力な伊達藩が一気に攻めて支配しなかったかである
それはやはり相馬藩が野馬追いがあるように相馬氏騎馬軍団が強力であり攻め入れることができなかったのかとなる

勢力争いとしては会津を支配した蒲生氏郷が意外と相馬藩と境を接していたのである
白河の小峰城の石垣に十字架が彫られていると地元の人に聞いた
氏郷は洗礼を受けてキリスト教徒になっていたからである
そして白河から三春から相馬の境まで一時領地があった、それは伊達政宗が欧州仕置きで秀吉によって叱責されて奪われた、蒲生氏郷に会津は与えられたからである

ここで境界を見る時、みちのくというき白河の関が古代からありそこが変わらず境界になっていた、ここの境界は福島県の今の境界としてつづいている
ここからみちのくに入る場所として継続していたのである
それはどうしてそうだったのか、地理的境界だったからか?確かに茨城県となると平坦な土地になっている、それで白河に入ると山がさえぎっていたとなる

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山頂は福島県東白川郡棚倉町と茨城県久慈郡大子町との境にあり、栃木県との境界から東へ1km未満の距離にある。八溝山地の主峰で北麓には久慈川の源流がある

八溝山は一部一キロくらい福島県に入っている、この山は結構深い、なぜかここを通って
白河の関跡に出た、その地理がわかりにくかった
もともとは久慈川の源流が八溝山になって久慈川をさかのぼって棚倉がありここの方が古い場所である、ヤマトタケルの伝説が残っていて水戸街道にも通じている
ここで蝦夷と戦った記録があるからだ、その時なぜか津軽の蝦夷まで応援して大和軍と戦っている、地理から見れば那須の原がありそこから白河の関所に入る、その平野は茨城県になるのである、那須の原だからである、ただ上野の領域にもなる

とにかくこの地理を知るのが意外とむずかしい、地図を見ただけでもわからない、私は
八溝山を自転車でぬけて白河の関跡に出てきたのである、そういう場所は古代なら通れない、久慈川の川をさかのぼる、川は道にもなっていたからである
森が覆っていたら道がないのだから古代では通れない、でも不思議なのは八溝山は奥深い森におおわれていて暗かった、だから閉ざされた感覚になった
そこから抜け出したいともなった、その山をぬけて白河の関跡に出てきたのである
でも大田原とから行けば平坦な地を行くことになる、芭蕉は日光からこの道をたどり白河の関所跡に出たのである

でも旅する時何かこうして山を越え森を抜け川をたどりとかしてゆくと本当に旅したことになる、その行程が何とも言えぬ不思議な感覚になる
もし古代とかだったら余計にそうである、深い森をぬけると開けた地があるとか未知との遭遇がある、そもそも古代となると旅することは命がけの冒険にもなっていたのである
山を越えて深い森をぬけて川をたどりその向こうに何があるかわからない世界がある
今のように何かすべてわかったような世界ではないのである
現代はもう旅する前かは行く先でも何でも情報があふれてわかっている、未知な世界がなくなったのである、道は未知だったのである
地理を知るということは鉄道の旅でもわからない、一番わかるのは歩く旅になる
なぜなら戦前でも江戸時代でも歩いて旅していたからである、するとその当時の人の心を知るには歩く旅をしなければわからないのである、私は自転車で旅したから歩く旅には通じていても歩く旅はしていないのである

深々と小暗き森を抜け出でて白河の関や秋になるかな

草の花道の辺に咲きあわれかな関所の跡やみちのくに入る

いづれにしろ伊達政宗であれ蒲生氏郷であれその物語に人間を見る
蒲生氏郷も伊達政宗も歌がうまかったのである、詩人でもあった
何か昔の武将は武だけではない、文にもたけていた、今の政治家にそういう人はいない
とういうことは現代人はかえって人間的にも劣化したのかともなる
侍というのはそれを育てる環境がありエリートととして育てる環境があり優れた人が育ったとなる、明治維新でも依然として侍がエリートとして指導者となり国造りしていたのである、それが明治の後半とか大正時代から戦争になるころは侍は存在しなくなった
国民は存在しても指導者になる侍はいなくなった、それは全世界的に言える
国民国家であり大衆社会となったのである、そこで人間を教育する環境は喪失した
ただ学校などで一様化規格化された人間を生み出すだけである
知識には優れていても人格的教育などないのである

侍とは武だけではない全人間として人格的に優れていたと人達だともなる
だから江戸時代までは侍を模範にしていたのである
現代は教育するというとき膨大な知識を教えられる、その知識の量が多すぎるのである
江戸時代なら限られているからその分人格教育とかが主になる
現代ではかえって教育となるともうAIとかが教えるとなる、知識の量が多すぎるからそうなった、ただそこではモラルとか人格教育はない、そしてなぜカルト宗教がこれほど増えたのか、それはもう教育する場がない、侍のようなエリート育む場もない
大学などでもそうである、大衆化して教育自体がなくなっていたのである
だから学生運動とかカルトにはまる人もでてくる、そこには教育する場所でもないのである、かえって藩校などが全人格的な教育をしていたとなる

氏郷の会津転封は、伊達政宗を牽制する意味と、秀吉が氏郷を都から遠ざけようとしたためだと思われます。氏郷の夢と激しい野心は、秀吉の側から見れば、ひどく危険だったのです。
 会津黒川城を居城としてからわずか五年後、氏郷は京都にて病死します。

 文禄の役の時、氏郷も兵を率いて、会津を出発、京都を経て、秀吉が朝鮮出兵の本営を置いた肥前名護屋(佐賀県鎮西町)に参じました。その道中の歌があります。

世の中にわれは何をか那須の原なすわざもなく年やへぬべき
 (我は何をなすためにこの世に生まれたのか。那須を通過しつつふと思われる。不本意なままに時間だけが過ぎて行っていいものか)

思ひきや人のゆくへぞ定めなき我がふるさとをよそに見むとは
(思いもよらなかった。人間の運命は不可解なものだ。生まれ故郷を旅しながら、無縁な場所のようにただ通り過ぎてゆくだけとは)

蒲生氏郷は朝鮮出兵のために九州の名古屋城に行ったがそこで病気になり京都で死んだ
40才だった、でも優れた人だったのである

かぎりあれば 吹ねど花は 散るものを 心みじかの 春の山風

ただ会津を治めたとしてもその期間は短かった、40才で死んだとなればそうなる
その息子も20代で次々に死んで受け継ぐことができなかった
一代で終わった不運の人だともなる、病気で早死にすることはその当時相当にあった
それにしてもこうして福島県の会津を治めたのでありその領地が実は相馬藩の境まであったというのも相馬とは無縁でもない、どうしても会津というと地理的に一体感を感じないのである、でも福島県としてすでに古代からその境界はみちのくに入る境界であり歴史的境界ともなっていて福島県というのが必ずしも歴史で作られた地理を無視しているわけではない、地歴を無視して福島県になったのではない、古代の歴史からさかのぼることができる、また伊達藩とか最上藩とか米沢藩との境もありそれもわかりにくい、境というとき実際にその場に立って実感することが必要なのである
それで宮城県と山形県の境はわかりやい、面白山でさえぎられトンネルを抜けると山寺になり山形県になるからである、トンネルをぬけると雪国だったともなる
山形県は春でも山が残雪で雪におおわれていたからである
そこが気候の境目にもなっていたからである

ともかく歴史を知るには地理を知らねばならない、時間軸になると歴だが空間となると地理になる、その両方をしらなければ歴史もわかほらない、でも地理となるとこれは福島県ずら広いからわかりにくいのである
どうしても会津は山国であり氏郷が治めていた時でも42万だったから広いのである
そこを自転車で旅しても本当に地理がわからなかったのである
福島県の地理はハマ、ナカ、アイヅがあり気候も違っている
だから二本松城に立ったときそこが福島県の中心をにも思えた
なぜなら二本松県となる構想もあったし磐城県となることも会津県ともなることがあったからだ
ただやはり地理があり歴史があり福島県になったのである、それは地理と歴史を基してそうなった
そこに多少無理してもやはり福島県は地歴として古代から形成されていたともなる
まず浜通りは中通りでも高い山があり会津ださらに山国であり広いのである
会津が一番歴史が古く唯一三角縁神獣鏡が東北で発見されている
会津が福島県では一番古い地域であり国があったとなる

会津嶺の国をさ遠み逢はなはば偲ひにせもと紐結ばさね

この歌のようにすでに最初に国として意識されていた地域なのである
もう一つ南相馬市の鹿島区の万葉の歌も境界を示した歌だった

陸奥(みちのく)の真野(まの)の草原(かやはら)遠けども面影(おもかげ)にして見ゆといふものを

笠女郎(かさのいらつめ)

この歌も境界の歌だった、それは地理的歴史的境界として真野の草原があった
浜通りから海沿いを大和の勢力が進出するには地理的に良かった
そして真野の草原の地点はこれまで考察したように気候的にも地層的にもシャリンバイが南限の地として鹿島区の海老が自生する地域であり温暖だからそこまで奄美大島から種が流れ着いて自生したともなる、しだ神社もありそれは南国産の樹なのである
みちのくの境界として白河の関があるとしてむしろ真野の草原が最初の境界ともなっていたのである、境界として意識されていたのである、つまり境界とは自然の境界があり歴史としての境界がある、新地などはさえぎる山などないのだから歴史的境界なのである
でも古くなればなるほど地理的境界が自然的境界にもなっていた
外国は川が長大で大きいからライン河がローマ帝国が侵入できない境界となっていた
ゲルマン人がそこに住んでいたのである
そしてウクライナの戦争でも川が依然として戦争で防衛線になっていたのである
だから橋を壊して渡れないようにするとなかなか川を渡れずに攻め入ることができないとなっていた、現代の戦争でも地理が依然として影響していたのである
現代でも戦争でもやはり地理が地勢が影響していた、これはなかなか克服できないものだったのである




政教一致の危険 (安倍前首相暗殺も宗教と安易にかかわっため起きた事件)


政教一致の危険

(安倍前首相暗殺も宗教と安易にかかわっため起きた事件)

山上の安倍首相の暗殺は私憤と公憤の問題になる、一面から見ると身の不遇を嘆く私憤に見える、でもまたそれが統一教会のカルトの被害者でありそれと政府が結託していたということで公憤に見える、私憤が公憤となったと見るのが妥当だろう
私情からの犯罪はある、特に男女間では常にある、でもそれは公憤にはならない5.15事件とかは政治テロであり公憤であった、もちろん底辺で苦しむからそ政治への不満となりテロとなった、私憤があり公憤にもなった
そして複雑なのは宗教がからんでいてそれが政治ともかかわっていたことである

だから政教分離ともかかわっていた、政治は宗教とかかわると危険になることを政治家は意識していなかった、なぜ政治と宗教がかかわると危険なのか?
カルト教団では世俗的なことに宗教をもちだすからである
何かというと罰当たるとか地獄に落ちるとか脅しそれでやめさせないようにする
でも逆に今度は世俗にそれを持ちだして言うとかえって創価の場合など地獄に落ちろとか罰当たるとか攻撃される、そこで統一教会に安倍首相が率先してかかわり政治的に票を得るために利用した、また統一教会でも利用したとなる

ここで問題なのは何なのか?

政治と宗教の一体化による危険である

宗教となると政治と違って絶対的になる、反論は許されない、でも政治となるといろいろな問題があり議論して決めたりする、宗教となると議論はできない、もし反対したりすると罰当たる地獄に落ちるとかなり反対が許されなくなる
だから戦争でも宗教がかかわると聖戦となり神が天皇が味方するのだから必ず勝つとなるそれでもう日本だったら一億総玉砕にもなるところだったのである
宗教には妥協がないからそうなる、政治とは賛成反対があり双方の言い分を一応聞いて判断する、そこで妥協するとなる、でも宗教だと絶対だから反対は仏敵となり許されないのである、だからこそ政教分離が生まれた
なぜならカトリックが政治と一体化して政治的に支配されたからである
その反発がありプロテスタントが生まれた、政教分離も生れたからである

そして政治と一体化した宗教は実はサタンが支配することになる、それはカトリックの歴史で証明している、政治と一体化して世と姦淫したサタンが支配するのである
聖俗が分離せずに一体化する、そして獣の印を押される、つまりそれがカルト教団なのである、宗教と政治が一体化するからである、それが統一教会であり創価でも他の団体でも同じなのである、つまり宗教が世俗化して政治化することは現実の社会を政治権力でも乗っ取りこの世の王となることである
そこでカトリックのように宗教が政治を支配するのである

日蓮の国立戒壇などでもそうである、それが政治的に実行されれば社会は宗教によって完全に支配される、何か逆らうものがあれば仏敵となり地獄に落ちる罰当たるとなり支配する、つまりそれはサタンに支配されることなのである
要するにカルト教団は異常にこの世の欲に執着している、この世の王になることに執着している、この世に天国を作るとしているがそれは実は自分たちが支配者になりこの世の王となり支配することであり地獄を作ることにもなる
心が清い者は神を見るだろうなど関係ない、この世で実質的に御利益を得て権力を得て
この世の王となり人民を支配することなのである、だからサタンなのである

ともかく私憤と公憤というとき今回の山上の安倍前首相の暗殺は宗教と政治がからんで複雑になった、それは宗教が政治にからむとそうなるのである
だから政治家は票になるからは政治にかかわることはつつしむべきであり危険なので悪
その火の粉が飛んできたのが今回の事件だったのである
一見統一教会に援助されるのは票になるからいいことである、そうしか見ないが宗教とかかわると危険だということを警告したのである
だからこそ政教分離が必要でありそれが軽視されていたのである

だから創価などは非常に危険な団体である、完全に政教一致だからである、そういう団体と自民党が一体化することはまた同じようなことが起きる、宗教の問題が政治に反映してまた逆に世俗的な政治の問題が宗教に反映して複雑になり事件が起きる
聖俗があり聖俗分離が必要にもなる、カルト教団になると聖俗もない、完全に聖なるものが俗化したものである、だから世俗的なものに支配される、すべて御利益であり金でありこの世の権力を得ることが第一になり目的化したのである
創価となればそれしかない、毎日選挙運動であり権力をとるために祈っているだけであるカルト教団はオウムでもそうだし幸福の科学でもそうだし統一教会でもこの世の権力を得て人民を支配することなのである、そのために宗教がある
宗教とは世俗を支配する道具にもなるからサタンなのである

でもなぜそれがなくならないのか?

それはいかにサタンが強力なものかということでもある

そのサタンと戦えるものはなにか?それはまたキリスト教でも仏教でもサタンに乗っ取られたことでもわかる、それはどうしてなのかとなると余りにも人間の欲望がこの世に執着して切り離すことができないからである、そこにサタンがつけいり支配するのである
老人になっても性の欲望が消えないとか人によるが欲に支配されるのである
だからこの世は欲で滅びるとされたのである
つまり獣の印をサタンに押されるのである、その人達は地獄に行くのである
それによって聖別される、カルト教団員は獣の印を押された人達なのである
要するに人間の欲が消失すれば自ずとこの世でも天国になるのである
子供ならそこに天国的なものを見ることができるのと似ている、でも大人になれば欲にふりまわされ欲にまみれ堕落してゆくのが普通だからである
そして兄弟でも遺産争いになり殺し合いまでなっているのも普通である

それは欲があってそうなる、なぜ創価であれカルト教団であれ根強くあり数を増やすのかといえば欲を否定しないからである、かえって教祖自体が欲望が強くこの世を支配したいとなっている、王とされたいとしている、だからカルト教団の教祖はサタンでもあるのだサタンを崇拝するということは人間で現世の欲をかなえてやるとしているからついてゆくのである、そこにだまされる人がいたとしても幹部などはみんなそうである
自分の欲望を実現するために運動するのである、他者を助ける気持などない
普通だったら金にそんなに執着しないからである、信者から金をとることなどないのである

だから何か宗教家というのは胡散臭い、社会にとって害になり無用なものに見える
かえって下々と汗して働いている人の方がまともであり上に見えるのである
宗教だけで糊口を得ている人は胡散臭いとなる
それで四国遍路でホームレスになった人がにわか僧侶となって御経を上げて金をもらうとなったのもそうである、もう追い詰められてそうなったのである
すると乞食でもない、俺は偉い僧なのだとなる、それと宗教にかかわるものは似ているのである、金を得る欲望を達成するための方便として宗教を利用するのである
宗教にかかわる者はカルトだけではないみんな何かいかかわしいは見れる
何かお経でも唱えていれば生活できるとなれば楽だともなるからだ
一方で働く人は汗して危険でも仕事しているからである、その方が立派だともなる

いづれにしろ政治と宗教の問題はそれが一体化すると危険だということである
そのために今回の事件が起きた、だから政治家もいくら票を得たいとしても深入りすることは危険である、自制が必要であり創価公明と連立政権を自民党を組むことは危険である何かしら今回のような事件が起きるかもしれない、でも票が喉から手をでるほど欲しいとなりそうなっているのである、だから民主主義とういのもそうしたカルト教団に支配されたりナチスのファシズムになりやいから問題なのである
数さええれば権力を得ることが危険なのである、結局それがナチスとなりファシズムとなったからである



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2022年09月08日

白百合、秋雨、竜胆(秋がようやく来たー空家の白百合)


白百合、秋雨、竜胆(秋がようやく来たー空家の白百合)

whitelily1111.jpg

雨しとと慣れにし道に秋の蝶

尼蛙我部屋のぞき月の出る


白百合の空家に咲きて我のみや見つつめでるや花も喜ぶ

白百合のそちこち咲きて人も見じ辺り静けく雨しととふる

白百合に竜胆さして我が一人部屋にし見つつ心静まる


白百合が空家の跡とかに多く咲いた、それを手折り花瓶にさした
隣が空家になりそこの庭に五六輪白百合が咲いた、不思議なのは人がいない所で咲く花は活きていない、花も何かに向かって咲いている
人に向かっても咲くし石に向かっても咲く、何か咲く相手が物でも必要だとなる

静けさや岩に沁み入る蝉の声 芭蕉

これもやはり蝉の声が岩にしみいる、岩や木があってそれに向かってひびくのである
岩はその蝉の声を吸収するのである
だから空家でもそこに奇妙だけど自分がその庭に入ってその花を見ているときその花を活きているとなる、ともかく空家が多いのである
何か今年はそちこちに白百合が咲いた
種が飛んだのかもしれない、白百合だと清楚とかになる
清純だとかなる、写真を撮らなかったのでこれは合成した写真である
私のしていることは抽象画でも合成である、パソコンのソフトげ変化させているだけである、それも創造ともなる、著作権違反にもなる場合があるが微妙である
もう原画とは違っているからである

白百合は散った、雨がしととふっている、黄色の秋の蝶がいつも行く道によこぎり飛んだ人はなるべく顔を出さない方がいいともなる
そこに醜いものが現れるからである
田舎だと人が住んでいるかどうかわからない感じになる、でも必ず誰か見ているのである誰も見ていないようで見ている、監視されているのである
何か人がでてくると蛇が出て来る感じにもなる、人は隠されていた方がいいともなる
人からどうしても何か醜いものがありその話にしても嫌なことが必ずある
私はだから本当は花だけでも見ていれば幸せだともなく

そして窓に尼蛙がでてきて今度はいつも来る猫が顔だした、餌をやっているからである
そんなものはいいとなる、蛇が出て来たら嫌だとなる
ともかく夏はいろいろ花が咲くからいい、でも夏も終わりである
今日は相当に温度が低くなった、明かに秋であり秋雨である
これからはそんなに暑くならないだろう、でも関東以西は暑い、暑さも苦手だから東京とか大阪方面には住みたくないとなる
この浜通りだけは気候的にはいいのである、暑からず寒からずとなっているからだ
体を考えるならとても会津とか北海道とかには老人は住めないと思う
気候の影響も大きい、同じ福島県でも福島市は夏は蒸し風呂になるから住みたくない
特に最近暑くなっているから耐えられないとなる




正しく向き合うもの

朝日に向かいひまわりが多数咲く
白百合が五六輪石に向かって咲く
天に向き純白のこぶしが咲く
花は花に向かって咲く
あなたは何に向かって咲くのか
あなたは神に向かって咲けるか
そうなるには心が清くなければならない
心を正さなければならない
そうでなければ神と向き合いない
あなたは眼をそむける
心がやましいことをしるから
山と山は向き合う
石と石は向き合う
正しき姿と心で向き合う
不純なものがなければ
人は神に向き合える
それがなければあなたを目をそむける
あなたはまともに見れない
あなたの心は神に見られている
偽ることはできない
あなたはアダムのように神から隠れる
それは罪を犯してやましいものとなったから


Things that face the right way

Numerous sunflowers bloom facing the morning sun
White lilies bloom toward the 56-ring stone
Pure white fists bloom facing the sky
Flowers bloom toward flowers
What do you bloom toward?
Can you bloom toward God?
To be so, your heart must be pure
Your heart must be righteous
Otherwise, you will not face God
You turn away
Because your heart knows what is wrong
Mountains face mountains
Stone and stone face each other
Face each other with righteousness and heart
Without impurity
Man can face God
Without that which turns you away
You cannot see properly
Your heart is seen by God
You cannot fake it
You hide from God like Adam
Because you have sinned and become a reproach

Translated with www.DeepL.com/Translator (free version)


2022年09月07日

この世の中は何故なのかが問われる (様々な問題でも何故そうするのか問われる―国葬でもオリッピックでも事業でも)


この世の中は何故なのかが問われる

(様々な問題でも何故そうするのか問われる―国葬でもオリッピックでも事業でも)

自然であれ社会であれ個々の人間であれ何か起きることで問題になるのが何故なのかということである
結果があり因果関係を求める、だから因果応報がありカルマだとなる
なぜそれぞれの家に問題が起きるのか?
それもその家の持っている因果がカルマが関係しているとなる
それで統一教会では先祖が悪いことしたから今あなたが苦しんでいるというのは説得力がある、でもそれで金をとるということは相手の弱みにつけこんでそうしている
実際はカルマはそれぞれか苦しまなければ解決しないのである
金を貢いでも実際とカルマは解消しないのである

人間の問題は常に何故なのかということで問題になる
それが自然現象なら科学となり原因と結果を求める、それは明快でありわかりやすいとなる、では人間に起きることで社会現象とかまた経済のことでもわかりにくいのである
明確な因果関係がわからない、この何故を探求するのが学問になる
例えばある人が事業を起こす、結果として失敗して多額の借金に苦しむ
ではなぜ事業に失敗したのかとなるとわかりにくいのである

その人はなぜ事業に失敗したのか?

それは社会のせいだともしている、自分の責任ではないとしている、でもそうはいっても必ず責任をとらされるのである、それで借金で苦しむ、その人には確かに技術者でありだから技術に通じているから成功するとして事業を起こした
でも経営となると違ったものになり失敗した、また家族でも経営者になると巻き込む
その家族自体が妻でもうまく協力できなかったとかともなる
経営には向いていないともなる
その人はまず人のために何かをするという感覚はない、自分は技術的には優秀だから自ずと成功すると思って事業を起こしたのである
でも経営するとなると様々な要素が関係して来る、その社長の人間性とかまで関係してくる、でも理系だとそんな人間性などを見ない、つまり技術的に優れていれば成功すると見ていたのである

だから会社でトイレ掃除していた人が社長だったとかある、それで新入生がその人を馬鹿にしていた、でも社長だったということで驚いたのである
そんなこと社長がやるべきではないということを言う技術者もいた
でも技術者なら技術をみがけばいいとなる、それは雇われていてそうなる
でも経営するとなると違ったものになる、そこの理解がなかったとなる
社長は社長として威張っているだけではできない、会社全体を見て社員を見てその上に立ち会社を経営する、会社を経営することは今度は社会全体と関係してくるし多くの人々とも関係してくる、だから経営となると一部の専門的技術者と違ったものになる
理系だと一部の専門的技術者に通じていればいいとなる
でも病院を経営するとかなると優秀な専門的医者が必要でも病院を経営することは病院全体をみてまた社会にもかかわる仕事になる

だから社長がトイレ掃除するときそうして下々のことで目配りしていて全体を見て経営することになる、トイレ掃除する人もやはり社員だからである
私の母親の実家の父は警察署長で退職して事業を起こしたが失敗した、そもそもこの人も警察署長だから成功するとして事業を起こした、実際は能力はなかったのである、母が言うには威張っているだけだったという
これもやはり事業するノウハウも何もないのに警察署長したから事業が成功すると思ったのである
その後事業に失敗して一家離散になったし不和の家になったのである、それが自分に影響して苦しんだともなる
こっちの方が専門知識もなにもないのに事業を起こしたのだからひどいとなる、その結果の責任が負わされたとなる

その人は他人のために箱一つもちたくない人だったともみる、なぜなら私が病気になってその人は助けに来たとしても箱一つ持つのを嫌がっていた
またその家族でも相当に嫌がっていた、だから入院して手術する時もその家族は来たにしろ見守ることさえ嫌がっていた、、そもそも何も私のためにしたくなかったのである
親が世話したことがあってもその子供は関係ないとなっていたからである
だから金が欲しいというだけだったのである、借金をかかえていたから余計にそうなっていたのである
そうなったのも自分のカルマにしろその人は他人のために何か尽くすという気持ちはなかった、自分が技術的には優秀だから社長としてみんなから偉い優秀だと見られることで事業を起こしたのである、その動機がそうだったのである

ではなぜ事業に失敗したのか?

その理由は一つではないにしろそうしてその人はもともと他者に尽くす気持がなかった
簡単なことでも他人のためにしたくない、もちろん無償ではしたくない、その気持ちが行動に現れる、ただ技術的には専門的技術では優れているから成功すると思って事業を起こしたのである
その人はささいなことでも他者のために何かをしてやりたいということはなかった
人間は大きなことよりそうしたささいな小さなことにその人が現れる
もし妻がいたとしても夫に尽くしたくない、でもしかたがないから一緒にいるとなるといつか破綻する、それで意外と熟年離婚が多いのである
嫌でも一緒にいる、でもいつ本心が必ず現れる

いつか必ず本心が現れる、行為となって現れる

これが怖いとなる、積もり積もったものがいつか行動として現れる
人間は表面上は善人面しても実際は悪人でありその本性が必ず現れる
つくづくなぜこんなに人間の職業でも悪が多いのか、まさに職業とは業(カルマ)であるなぜこれほど職業が何か嘘ついたりごまかすものとなっているのか
第一宗教が一番偽りが多い、それは宗教の目指すものが余りに高いものだからそうなる
誰もキリストやシャカのようになれない、その目指すものが高すぎるのである
結果的に宗教と言っても今度は自分たちの欲のために利用するとなる
それがカルトなのである、宗教そのものが方便でありそれで自分たちの欲望を実現しようとする
ほとんどの集団化した組織化した宗教は本来の宗教ではない、ただそれぞさの私利私欲を実現するために団体化して権力化したものである

だからこの世とは何なのか

これ自体がわからなくなる、親鸞が言うようにみんな悪人だとか、義人一人もなしとかなる、職業でも業でありカルマであり悪いことをするものとして職業もあるとなる
銀行員でも投資信託とか売りつけて人をだますとか証券会社とかもなにかうさん臭いとかまともに見えるものでもそこはまともでなくなっている
マスコミも平気で嘘つくとかあらゆる職業が何かそこに倫理にそむいているとなる
政治家とかなると自ら言っているように選挙の時はとにかく頭を下げる、後は知らない、自分の利益を追求するだけだと自ら言っている
別にどの宗教など関係ない票をもらえればいいとういだけである
いちいち選別していたら票にならないからである、それがまた民主主義の弊害でもある
もう人物がどうか人格がどうかなど関係ない、数が集めた人が勝ちだけだとなっているからである、そして選挙はすでに組織団体の票で決まっている、一票など何の力にもなれないなのである、すると相手にするのはカルト教団でもなんでもいい多数の票をもらえることに働きかけるとなる、その相手がカルトでもどうでもいいとなまでなってしまうのである

ともかくこの世の中では何故が常に問われる、安倍首相の国葬でもそうである、なぜ国葬にする必要があるのか?それが問われる、そこで必ず議論すれば賛成と反対論がある
でも何故する必要があるのか明確化しないと国民をも納得しない
今回は国民が納得しないから問題なのである
ただ何故を求めるとあらゆることでその何故がわからないのである
戦争でも三百万人も死んだのになぜ戦争したのかも今になってもわからないのである
科学だと何故を追求すると明確に数学のように答えが出やすい、でも社会現象となると
明確な答えがでないのである

なぜ日本が戦争したのか?

これも明確な答えがないのである、これだけ大きな問題でも答えがない、すると三百万人も死んだ人達は報われないとなる、ただ靖国神社に祀られて英霊とされる
国のために尽くした人達だとされる、それで慰めているが果たしてそうだったのか?
それで死者は報われているのか満足なのかとなる
それは結局何故それだけの戦争をしたのか明確な理由がわからないからである
安倍首相の国葬問題でもそうである、なぜ国葬にするのかその理由が明確ではないし
国民がみんな納得しているわけではない、でも権力者は実際に権力を行使することができる、つまり何故するのかとあっても権力者は何かを決めてそれを成す、そして後で何故そんなことしたのかと問われるのである
人間が権力を持つことは何故かとかを真剣に考えないでも実行できる力を持つことなのである、人間は何故かより権力をもって実行したいとなる
カルト宗教団体でも権力追求になるのはそのためである

つまりこの何故かと問うのが学問であり学者とかになる、哲学者にもなる、自分はこのタイプである
でもその人たちは権力を持っていないから何か実行することはできないのである
だから政治家と哲学者は学者は違ったものである
実業家であり政治家が学者を嫌うのは理屈ばかりこねていて実際には何もできないとしているからである、でも何かを実行するとして必ず何故そんなことしたのだと問われるのである,オリッピックでもそうである、今になると金にまみれたものであり逮捕者もでている、そんなオリッピックをすべきだったのかと問われる
それは私でも前らオリッピックにはもう意味がないと反対していた、他でも反対する人達がいた、でもそういう人達を無視して実行された
結果的には一部の利権者のためにしていたとなって追求される
行動の前に何故そういう行動に出たのか、行動した後にまたなぜそんなことをしたのかと問われるのである
でも現実社会では何故かより行動をすることが先になる

なぜならこうして考えることが先になると
ハムレットのように

あるべきかあらざるべきか

と逡巡して行動できなくなるからである、優柔不断になってしまうのである
でも何故かを無視すると必ず後で何でそんなことしたのかと必ず問われるのである




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2022年09月06日

年金が月5万未満が四人に1人 (生活保護も平均7万とかもう国では支給できず捨てられる老人)


年金が月5万未満が四人に1人

(生活保護も平均7万とかもう国では支給できず捨てられる老人)

年金受給額、4人に1人は月5万円未満の衝撃。「自助努力」で生きていけない高齢者を見殺しにする社会がやってくる=鈴木傾城

これは相当に深刻である、現実に国民年金が4,5万の人が結構いる
それで生活保護になって援助されるのは医療費であるがこれも2,3割事故負担なのである、生活費は5000円くらいしかもらえない、なぜそうなっているのか?
一応年金が4,5万もらっているからもらえないのである
ただ生活補助として医療費が援助されているだけなのである
これは自治体の財政状態によって違うにしろこれからの老人は年金では生活できない
だから70以上でも働いている人は結構いるとなる、働かざるをえないともなっている
元気な人はいいが体が弱くなった人は働けない、どこかしら体が痛んでいるからである
そして貯金もまたない人が多い、確かに四分の一は年金が4,5万であり毎日の食糧に事欠いている、食べることもできないのである
それで援助してくれとなる、でも国ではもう援助できないのである
国自体の財政が苦しいから援助できないのである

だからそういう人はどうなるののか?

息子娘に頼るにも頼れない、生活が苦しいかである、その女性は74才で娘と孫と一緒に暮らしているが生活が苦しいからと草むしりとかの仕事を大工さんの補助としてしている仕事としては毎日ではない、その人は草花にプロのように詳しい
だから庭作りと庭の草むしりとかに向いている、もともと農家で仕事した人は野菜作りでもしているから花にも詳しいのである、花も肥料とかかが関係してくるからである
ある人はスーパーで三時間働いているとかいるし藤倉ゴムのゴルフ用品を作る工場で三日とか働いている人もいる、まず60代になっても70代になっても働かざるえなくなっているのだ、でも体が弱って働けない人もいる

だからもうそういう人は誰にも頼る人がいず見捨てられるともなる、国でもめんどうみきれない、それだけの国には財力もなくなったし日本の経済が相当に落ち込んでいるからそうなった、私の母親は60になり三万の年金を国から無料でもらっていた
5年待つと5万もらいたとか悔しがっていた、それは全く積み立てていなくてももらったのである、その時に国には余裕があったからできたのである
今はもうできない、するとそういう人達はどうなるのか、年金5万で暮らしている人のことを語っていたがとても無理である、なぜなら電気ガス水道携帯料金でたちまちなくなってしまうからだ

その人は果物は高くて買えないとか10円でも20円でも安いものを探して買っている
味噌とか醤油でも高いと感じるのは相当に苦しいとなる
ただ果物は日本では特別高いというのはわかる、外国で半分以下とか安いのである
日本の果物は理由があって外国より相当に高いのである
私はオレンジを買っていたがやめてジュースにした、果物は本当に高いと思う
バナナくらいが安いのである、ただリンゴは健康のために食べているがこれも高い
私は食費を一か月六万かかっている、それを一万とかにしている人も多い
それは考えられないのである、まず果物などは買わないだろう、外食もしないとなる
食費は最低でも3万くらいかかるだろう、そうでないとまともな栄養がとれないだろう
だから医者に栄養をとれと言われてもその人できないのである

つくづく感じたのは老後は年金がいかに大事なものかを知った、なぜなら年金は死ぬまでもらえるし保証される、貯金はあってもある時ゼロになるかもしれない、預金封鎖も騒がれたりするからである、でも年金はもらいのである、そうなると安心だとなる
本当にこうしてもう誰からも援助がなく生活できなくなる老人が増えて捨てられる時代になる、生活保護に頼れといってもできない、7万が平均だとしてあげてくれと騒いでも国では支給できないのである、その人達は子供にも頼れないのである

何かそういう人とと付き合っていると援助する方でもぜいたくができなくなる
毎日そういうことを聞かされると果物を食べているのも悪い感じになる
なんでお前は贅沢できるのかともなるからだ
だから貧乏人と金持ちは付き合わないともなる、贅沢ができくなるからである
生活レベルさえ落とさなければなくなるからである、そしてそういう金持ちも常に今度は金をねらわれるし財産でもねらわれるから危険になる
それは極端な格差社会では外国では金持ちは鉄条網で囲い私兵までやとって守らなければなくなる、そして国は分断されて衰退するのである

日本は今衰退国家になっている、だから国で老人をめんどうみることはむずかてくなっている、でもこれだけ老人が多いのだから医療費の負担も増大してゆく、でもそれすらできなくなる、そして弱った老人は死んでくれともなる
団塊の世代は高度成長時代は労働力として必要だったが老人になれば必要ないとなる
特に弱者は金がないとか体が弱ったら必要ないともなる
それは余りにも数が多すぎるからそうなったのである、無慈悲だとかではない、数が多すぎてめんどうみきれなくなったのである
でも人間はどうしても老人になっても生きたいとなる、その人何か生活が苦しいから死にたいとか言っていたが最近生きたいと言っている、やはり死にたいという人は自殺しないというのは本当だろう、人間はどうしても生きれる限り生きたいとなるのが人情である
社会がどうあれそうなるのが生物の本能だからどうしようもないということである
ただ長寿が悪いことではない、自己実現するにはいい社会である

長い時間がありそれで自分のしたいこと才能をはぐくむことがてきるからである
まず学問であれ芸術であれこれは究めるには長い時間が必要なのである
それでこれまでは「少年老い易く学成り難し」となっていたのである
あっというまに白髪となり人間は老いて死んでいたからである
そういう点で自己の才能開発とか自己実現には高齢化は悪いことではない
ただ高齢化社会とはあまりにも数が多すぎることなのである、それが全体的に社会の負担になっているのである、デジタル化できないというときもそうである

不思議に近くのスーパーで支払いを機械で自動化したけど依然としてレジに並んでいる人が多いなとみる、若い人でも多いのである、覚えれば簡単だけどしていないのである
この理由もわからないけどやはりめんどうでしないのか?
ともかく老人は新しいことをしにくいのである、だからこれだけ老人が多いということは社会が停滞するということになる
親の遺産を受け継ぐにしても60代でありそうなると新しいことをするにもできなかったとなる、そういうことは会社とかあらゆる分野で起きている
老人が権力を持っていて若い世代が経験できず成長できないのである
もちろん若いということはすべていいことではない、どうしても経験が欠けるからである識見にしても老人の方が上である、でも全体的に見れば老人がこれだけ多いということは停滞するということである

確かに未だにハンコを使っているのは日本くらいになるのか、日本は最先端の国だと見ていたが今になるともはや先進国ではない
いち早く西欧化したけど今や技術しにても中国でも韓国にもぬかれている、なぜ高度成長があったというと実は日本の実力ではなく幸運だったのかとなる、その技術にしても日本人は凄いとなっていたが実際はもともと物まねであり日本人の独創でなったものではなかったとなる、日本人独自の発明ではなかったとなる
物真似ということはやがて他の国も真似て作れるものだったとなる

でから家電製品は中国でも韓国でも安く同じ物を作れて売れなくなったのである
日本は何か新しいもの作るには不向きであり物まね国家だったとなる
それが高度成長があり日本は凄いとなりそれが実際は物まねに優れていただけだとなったのである
ただ日本の良さはインパウンドの観光だけだとかなる、日本には他にない自然の美があり日本文化が売りとなる
その他資源もないので魅力がないとなる、それでも日本の文化があるから観光が売りともなる
だから日本語を捨てて英語にするというのはありえない、そうしたら日本文化そのものの消失であり日本はあらそるものが外国と同じになり観光さえ魅力がないともるかもしれないからだ
言葉が文化の基本だとするときそれがなくなったらあらゆるものが日本がから失われ日本は日本ではなくなる
もちろん英語は必要だとしても日本語を捨てろというのは暴論になる
これが経済がこれほど落ち込まなければそういうことなかったのである、文化よりもパンの方が大事、花より団子になる
まともに食べられないとしたら文化とか芸術どころではななくなるからである



2022年09月05日

冬の松島十句(冬の日、冬鴎、冬深む、冬の暮)


冬の松島十句(冬の日、冬鴎、冬深む、冬の暮)

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尾形光琳の松島だけどイメージだけで描いた
こんなに松島が波が荒れることはないだろう
外海だとあるとしてもこういう光景は見れない、でも島が抽象画のようになっている
それで抽象画をパソコンで作っているから鑑賞できたとなる

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冬の海障壁画古り古木かな

冬の日や古木根を張る観瀾亭

観瀾亭古木根を張り冬深む

金箔の障壁画古り冬の海

桃山を偲ぶや松島冬鴎

冬の日や観瀾亭に抹茶飲む

松島や波に浮きゆれ鴨百羽

五大堂松島に古り冬の海

松島や曲げ松により冬の暮

冬の日に松島たずね蜑(あま)の船

松島に碑の古りうもれ冬の暮

冬日さし仏苔生す瑞巌寺

冬の海鐘鳴り暮れぬ瑞巌寺

雄島にそ洞に仏や冬深む

忍辱の衣の仏冬深む



中秋賞月於松島

今宵待月倚吟
滄海茫茫一氣濃
思見C光佳興荐
道人緩打五更鐘

訓読
中秋 月を松島に賞す

今宵 月を待ちて に倚れば
滄海 茫茫として一氣 濃やかなり
清光 佳興の荐を思ひ見て
道人 緩やかに打つ 五更の鐘


今宵、杖を手に月が出るのを待っているが
大海原はぼんやりとかすんで、一面に広がる霧が濃くたちこめている
清らかな月光のもとでの趣深い宴を思ってくれてのことか
寺の僧は夜明けの鐘をいつもよりゆっくりと打ってくれている

鐘の音が重々しくひびきわたる、この鐘の音がいいのである、鐘の音は大地にでも海にも山にひびきわたる、何か重々しいのである、それがヨ−ロッパとかの鐘の音とは違う
騒がしくないし重々しいのである、君が代の歌でも他の国家とは違って重々しい
重厚な調べになっている、日本だけが独特なのである
中国が何千の歴史があっても国家となると共産主義国家であり現代的になり歴史を感じさせないのである、国家は近代になって生まれたから新しいのである
でももともとあった王国とかは歴史があり違っている、でもそういう国家は日本の他に感じないのである

観瀾亭は大坂の秀吉の茶室を移転したものであり当時の桃山時代の金箔の障壁画が残っている、これはみちのくで作ったものではないとなる
安土桃山時代は華やかな文化が開いた時代である、秀吉だと黄金の茶室が有名であり
黄金好みであった、だから障壁画も黄金なのである

「風流行脚の途次、松島で死の本懐をとげる人もある。そんなうらやましい人のことを心に思いながら、自分はぐうたらと火燵行脚の冬ごもりを極め込んでいる」とある

 松島で古人となる歟(か)年の暮

 松島で死ぬ人もあり冬籠(ふゆごもり)
 
 http://yahantei.blogspot.com/2006/06/blog-post_28.html
 
松島は霊地でもあった、だからそこで死にたいともなった修行の場でもあり確かそこで修行していたし霊場にもなっていたのである、古い碑もある
ただ現在は観光となっていてそういう感覚がなくなった
修行の場がどこでも観光化したのである、そのために汚されたともなるのである
人間はどういう場所で死にたいかとなるとやはり風光明媚な場所で死にたいとなる
大都会の騒音のゴミゴミした所では死にたくないとなる
それが人間として当然だとなる、でもごみごみした都会だとかえって汚れた人でもいいとなる、清浄な場所にいられないということもある
ネオン街のぎらぎらした欲望の世界がいいともなる

いづれにしろ観瀾亭に入る前に門があり古い松がある、古木がある
そして前に海を見る、その海は穏やかな海である、絵のような荒波の海ではないのである不思議なのは私が松島に行ってプログに書いたのは2011年1月になっていた
ということは3月に津波が来たのだから津波から二カ月前だったのである
でも松島は意外と被害が少なかった、なぜなら津波は島が防波堤のようになりさえぎり
海水でも徐々に高くなったという、だから家が壊れたとかなかったのである
恐ろしいの海岸沿いの港がある家であった
家が津波で持ち上げられて上に上がったとか聞いた、それは空恐ろしい光景だったのである
津浪は前に何かさえぎるものがあると波の勢いがそがれてあんな恐ろしいものとはならないのである、別に徐々に海水があがるとしたら被害があっても死ぬとういことはない
それで松島は被害がさほどなく回復したのである

ともかく松島でも修行の場であり京都の寺でも寺は修行の場であり観光の場ではなかった今はただ物見遊山でありするとそこにあったものが何なのかもわからなくなる
何かそこは学ぶ修行する場だったのである、それを知ることも必要だとなる
ただ昔は常に忘れられてそれがどういう場所であるかもわからなくなる
松島でも雄島というときそういう昔が残っている場だとなる

最近松島海岸駅が新たに生まれて観光の施設が作られた、写真でみるといい場所である
だからそこに行ってみたいとなった、でも昔の松島も忘れずに知る、歴史を知ることは大事である

ともかく秋らしくなった、今外を見たら月が夕べでていた、虫も鳴いている
やはり秋らしくなってきたのである、今年は暑かった、ぐったりして夏バテになった
でもようやく秋となる、頭も冴えてくるとはなる

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仲秋の我が居所や窓に月

今は仲秋なのか、この期間は長い、でも秋の草花でも咲いている、女郎花でもはぎても咲きはじめたからやはり仲秋になっているのだろう、初秋もあるが季節的には仲秋となる
でも暑かったから初秋の感覚にもなる、ただ初秋がなく仲秋となったともなる
我が居所というときこれがないと落ち着かない、家族はいなくなったにしろ家が残り我が居所になっている、my based place とかなる、基地が必要なのである
特に老人になったら家が大事になる、遠くに行くのがなかなかできなくなる
もう十年以上遠くへ旅に行っていない、近間を回っているだけである
でも松島くらいなら行けるとなる、ただ松島で朝日が昇るのとか月を見たことがない
やはり日帰りとなるとなかなか見れない、確かに月見にはいい、観瀾亭は月見の場として利用されたからである、それで正宗の中秋賞月於松島・・が作られたとなる


雪の松島-俳句短歌-政宗のこと
http://musubu.sblo.jp/article/35083956.html

松島-多賀城の春の俳句短歌と写真
http://musubu2.sblo.jp/article/54410159.html