2018年05月20日

南相馬市に双葉准看護師学校できる (人手不足が深刻でそうなった-他の新施設)


南相馬市に双葉准看護師学校できる

(人手不足が深刻でそうなった-他の新施設)

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この風車はドイツから船で運ばれた

鹿島駅ではドイツ人とあったからそういうことだった

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消防隊殉職者の碑

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防災用の備蓄倉庫
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こじんまりして小さいと見た
中でみんなで食事していた


双葉郡内8町村で運営する公立双葉准看護学院が10日、東京電力福島第1原発事故による休校から6年ぶりに南相馬市原町区の仮設校舎で再開し、26人の学生を迎えた


これだけ医療レベルが高くなっているのに、
一番患者さんに身近な存在が准看護師でいいのでしょうか。

医師に言われたことだけをするのなら、
“医師助手”を養成すればいいではないですか!
私は ずっとそう感じています。

看護師は医師の助手ではなく、医療チームの一員です

正看護師と准看護師の給与の違い

30代とか40代が多い,資格がとりやすいからである。
人手不足を補充するにも好都合なのである。



rさもこの辺では人手不足のためである。,看護師はひっぱりだこであり原発事故で流出した
それで病院では下働きのような人を働かせている
准看護師は看護師の助士であるが人手不足で必要としている
看護師の仕事を減らす必要があるからだ

NHKの縮小ニッポンで舗装していたようにもう日本は働く人が減少している
シルバーセンターではもう生きがい探しどころではない
若い人に求人しても人が来ないからシルバーセンターに来ている
そうして若い人と同様な過酷な労働を強いられて死んでいる人もいる

ただ老自転車はできる限り働きたくない,働かない人が膨大にいる
その人たちはどうしているのか?
毎日パチンコでありあとはパークゴルフである。
そこは老人でにぎわっている,あのように過酷な労働をしているのはまだ一割にも満たないだろう
人間はもう働きたくないのだ
家に来た人も前は介護施設に働いていたが嫌だとやめた
その人は盗んだ方いいとなり実際に盗んだ
もう一人の67歳くらいの人も小さな畑は一生懸命しているが後は何もしたくない
病院通いと金をせびりにくるだけである。
40代の息子は東京に出稼ぎに行って帰ってこない

日本に外国人を呼ぶにも今や日本はそれほど魅力的ではないから来なくなる
ベトナム人も台湾に行っている,言葉をしゃべなくても介護労働している
もう人がいないのだからそういう余裕がないのである。
だから日本のしている日本語を学んでから介護などといっていたら誰も来ない
外国人すらもう日本には来ないのである。

相馬の里という介護施設ができた,介護でなくても元気な老人が住めるものでもあるらしい,そういうものも増えてくる
建物を見たら中で老人がみんなで食事していた
個室はあるにしてもあれだと共同生活だからうまくやれるのかと思う
でも一人暮らしだと家を管理するのがめんどうになる
近くであういうもの直接見たのは参考になった

とにかく原町にもいろいろ新しいものができた
原町は広いからわかりにくい,原子力センターもできた
それはこの地域らしいものである。


posted by 老鶯 at 23:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

南相馬市原町の5月の風景(俳句と写真十枚)


南相馬市原町の5月の風景(俳句と写真十枚)

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萱浜(カイハマ)の方へ

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枯れた林の木がまだ津浪の被害を残していた

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萱浜には特に移民の墓が多い
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公園の大木の影涼しかな

道の駅の公園の木

イオンの側の川の公園

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雉子が鳴いていた

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ほとんど全部クリック拡大しないと鮮明に見えないです



6号線夏野を通り海近し

夏野朝風車の回り沖に船

原町の郊外に赤しケシの花

萱浜に移民の墓や夏あざみ

黄菖蒲や朝の清流に写すかな

清流の岸に黄菖蒲雉子な鳴く

黄菖蒲に朝の流れやツバメ飛ぶ

小学校の運動会や桜草

原町の十字路に咲く薔薇の花

夏の山借景にして広き庭







今日は暑くない,さわやかな5月がもどった,一時急に暑くなり熱中症になったから外に出るのが怖かった,日差しもそれほどでもなくさわやかだった
それで原町まで萱浜の方を回った,夏の花がいたるところに咲いていた
朝から回り気持ち良かった

原町は鹿島などと比べると都会なのだが郊外が広いのである。
それが原町の特徴である。便利な街があり田園地帯も広い
どっちかというと原町が住みやすいだろう
だからもう浪江とか小高とか避難してきた人は帰らないというのもわかる
相当数補償金で家を建てたからである。
だからいくら帰れといってもすぐ近くがこんなに便利で被害もないのだから
こっちに移るとなる,こういうことも復興できないようにしている

昔だったら回りがどこも貧乏なのだから貧乏でがまんするが回りが便利で豊かな暮らしをしていたらそれができないのである。
だから浪江町長が二本松に家を建て飯館村の村長が福島市にマンションを買って暮らしているのである。
その孫は外から通っているのである。そのことが現代を象徴していたのである。
誰も廃墟化して荒廃した街には住みたくなくなったのである。
それがなにかにといっても現実だとなる

原町はイオンの近くの川がいい,あそこにはいつも夏菊が一面に咲く,夏菊が原町の花だと思う,相馬市は神社のある所に咲く藤の花である,飯館村は蛍袋とツリガネニンジンとかがあっていた
鹿島は菖蒲になるのか,何かその市町村にあった花がある
何か不思議なのは原町と相馬市は感覚的に相当違うのである。
原町は明治以降いち早く近代化して平と原町が機関区になり発展した
その歴史の差もある,それが影響して花も映えるとなる
外から来て相馬市と原町の差はわからないだろう

それはどこでもそうである。長くそこに住んでいないと土地のことがわからないのである
ともかく5月は一番さわやかな季節だった,だから最近異常に暑くなるのは気候的に変だった,それで調子を崩した,今日は本当に気持ちいい日だった
これだったら遠くに行けるなと思った,日差しの度合いが違うのである。
日差しが強いと後で熱中症になるようになった
だからそうなると恐怖で自転車でも出れなくなるから辛いとなる

2018年05月19日

森と海に船が行く一枚の写真の謎 (2008年,津浪の前に南相馬私立病院で撮った)


森と海に船が行く一枚の写真の謎

(2008年,津浪の前に南相馬私立病院で撮った)

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この鉄塔は津浪で倒れ壊されたのか?
この辺で鉄塔が倒れ壊されたのを見たからである。
するとこの近くなのか?高台の島商会の手前辺りになるのか?
ただ島商会の駐車場まで津浪が来ていたのである。
あれだけ高いのに来ていたのである。
ただこんなに森になっているのはあの辺しかない


2008年に姉が南相馬私立病院に入院していた、その時撮った写真である。
最上階からか食堂がありそこから撮ったのか?
この写真の謎はかなり海の方にカメラをズームしてとっている
でも不思議なのはあのように森があり海が近く見える
こんなに森があったのか?

その手前に家がある,この森は津浪で消えたのか?
すると家も流されたのか?
ただ海に近い森ではなく離れた所の森なのだろうか?
これを確かめるには南相馬市立病院に行ってみる必要がある

グーグルアースでもこれらしい場所がわからない
鉄塔があるがあれば津浪で壊されたのかもしれない
北原の方なのか?
なぞは住宅地がある,その家は今もあるのか?
この森が津浪で流されたということはないだろう

この辺では一番高い建物が南相馬私立病院である
だから見晴らしがいいから海が見えて船が見えた
原町は海は街からは見えない,鹿島は鹿島駅の高架橋から見える

これは島商会がある高台の森なのだろうか?
森があるとしたらあそこであり高台だからである。
他に森があるところはなかった
ただ津浪の前だからわからないが海に接近して森がある所となるとあそこしかない
ただなぜ前に住宅があるのか?
それが謎なのである。


posted by 老鶯 at 22:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

老人は熱中症に注意 (体力あるうちに登山でも旅でもしないとできなくなる)


老人は熱中症に注意

(体力あるうちに登山でも旅でもしないとできなくなる)

歳をとるにつれて体温調節への反応も遅くなります。暑いのに汗が出るのが遅れるため、体に熱がこもりがちです。汗腺の機能も低下傾向にあり、男性では七〇歳、女性では八〇歳を過ぎるとその傾向がはっきりしてきます。

去年もそうだが熱中症になった,一回小高の方に春に自転車で行ったときなった
これはかなり外で日にあったったからなった,春でも日ざしが強かった

それから熱中症気味になって一番ひどかったのは体がふるえたりした時だった
こんなことにはならなかった,暑さに弱くなった
特に紫外線は体に悪い,今回は浪江で三三度あったから異常に暑かった日ざしが強い
でも家の回りは歩いたが五時ころまで外に出なかった

でも熱中症のようになった,頭がもうろうとして眠気があり寝ていた
食欲もなく自分の場合は胃が悪くなる
もともと胃が弱いからである。夏はずっと食欲がない日が去年もつづいた

とにかく室内にいても熱中症になる,それは老化のせいなのである。
確かに汗をかかないのである。汗びっしょりになれば体の調節ができる
それで暑い国の人は汗を手足に出して調節しているから暑さに強いというのもうなづける暑さに強いからだが作られているのである。
日本は寒暖の差があるからそうはできない

人間は老化してゆく,これはさけられない,ただ暑い時期だけでありあとは平常である。だからなんか暑いとき北海道で過ごしたいとなる
でもまた最近北海道が暑いから困るともなる
ただオホーツク海に面したところだとそうはならないだろう
六月でストーブをたいているとかあったからだ

何か街中は暑くなる,家が隣り合って暑くなる、二階だと特に暑い,隣のトタン屋根が暑くなり二度以上暑くなっているのである。
だから夏は過ごしにくいから嫌になった,北海道は夏は前は気持ちいい所だった
一カ月くらい避暑に行きたいとも思うようになった

今になるともう暑いところには旅できないと思った,だからもっと暑いところに旅すれば良かったとなる,タイには行ってもマレーシアとかインドネシアとかフィリンピンには行かなかったからだ,台湾にも行っていない
結局人間はこうしてどんなに暇があり旅しても遂に旅に行けなくなる日が来る
老人でもまたいろいろあって丈夫な人は丈夫である。
三陸からここまで歩いて旅した六七歳の老人もいたからである。
だから個人差があるから一概には言えない

でもやはり暑いところだとか登山だとかは体力のあるうちに行くべきである。
ヒマラヤも一回しか行っていないのが失敗だった,それは海外旅行をしたのが五〇歳からだったから遅すぎたのである。
これも大失敗だったとなる,人間は若い内時間などいくらでもある
体力もあると思っているがたちまちなくなる
そしてやりたいこともやれずに終わっているのである。

だからやりたいことはきついことは若い内に体力あるうちにやるべきである
その機会を逃したら二度とできないからである。















タグ:熱中症

2018年05月18日

飯館を掘る(天明の飢饉と福島原発(佐藤昌明著を読んで)



飯館を掘る(天明の飢饉と福島原発(佐藤昌明著を読んで)

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宝暦の飢饉の時飯館村の被害が大きかった、明和-安永とつづき天明が最大の被害にあった

相馬藩の飢饉の歴史(宝暦から始まっていた)

相馬市(日立木の薬師堂の宝暦の碑−甲子塔の謎)


1751年宝歴1年
1763年宝歴13年
1764年明和1年
1772年安永1年
1781年天明1年
1788年天明8年戊申

人口が三分の一に減ったのが天明飢饉だった,だから鹿島の秋葉神社に「天明」の碑があるのかもしれない,ここは町内でもやはり農家が多いし農作物の被害が大きかった
神社の隣も農家だし街のはずれだから農家の集落だったともなる

飯館村は標高が高いから夏は涼しくていいが冷害に合いやすい場所だったのである。
それで米を作るより牛を飼うようにしたというのもわかる
なぜ越中とか越後とかから飢饉で空家となった荒廃した相馬藩にそれも江戸時代は自由に移動できないから命懸けで移民してきたのか?
それは江戸時代と今はあまりにも社会が違っている
米所である新潟県は人口が東京より多かった,江戸は百万都市としてあったが新潟県は
166万人いたのである。

@新潟県 165万人
A兵庫県 151万人
B愛知県 143万人
C東京府 135万人

江戸から明治の人口がこうなっていたのである。つまり稲作中心の社会だとこうなっていたのである。
だから越中でもなぜ飢饉で荒廃した相馬藩に移住してきたのか?
それは稲作とは土地中心の社会である。土地がなければ何もできないのである。
そういう社会のベースになっているものを理解しないと時代を理解しないとわからなくなるのだ
それは芸術でもそうだった,時代を反映するからその社会をわからないと芸術もわからないという人がいたからである。
人間は時代の子であり時代を越えて生きられないのである。
その時代も次々に変わってゆくからその時代時代の社会がどうなっていたのかわからなくなるのである。
自分にしても子供時代は炭がエネルギー源であり井戸水を使っていたということ時代をもう感覚的にわからなくなる,そういうことを経験していてもわからなくなる

こういう土地中心の農業中心の社会では土地が一番大事である。土地の価値が高いのである。それで村人が逃散した荒廃した土地に移住しようとしたのはその空いた土地が得られるとういことで命懸けで移住したとなる
またそこで謎なのが今だったら東京とか都会に行った方が食料があると思うだろう
江戸に行った方が食料があるからそっちに移住した方がいいと思う
今なら食がないと東京に行くからである。
これも時代の差である,農業中心の社会では土地があれば生きられるという感覚だったのである。
なぜ満州に日本人は進出したのか?明治大正昭和の人口の増え方は江戸時代の倍になり三倍になりと増え続けたのである。
それで江戸時代からつづいた開墾,開拓はゆきづまっていたのである。

すると農業中心の社会では土地を求めて満州に進出した,広大な土地があるということで移住しようとしたのである。そしてやはりそこでも米を日本人は作ろうとしていたのである。
この満州への移民が戦争のきっかけにもなっていたのである。
それはゲルマン人の移動とか移民は世界史も変えてしまう大きな要因となっているからである。モンゴルでも食料を求めて食料の豊かな中国に侵入するから万里長城を作ったのである。
つまり土地が与えられればとにかく食えるという時代だったのである。
自給自足が基本の社会だからである。
それにしても飯館村の被害が今回の原発事故の被害と似ている面があることも不思議である。

農民が土地を求めた満州に戦争の原因が・・・
http://www.musubu.jp/jijimondai38.html#man

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原発事故の被害状況 天明の飢饉の被害状況


飢饉の被害にあった地域と原発事故の被害とが相似形になっている重なっているのであるこれも何なのだろうとなる,何か人間の歴史にはカルマがある
歴史は繰り返すというときそれも人間個人でもそうだが社会全体でもその土地にカルマがあり繰り返すということもあるのか?
津浪もそうだったのである。400年前の被害を忘れていたがその土地のカルマが40年後に現れたのである。
個々人でも自分のカルマのことを書いたけど必ずカルマは苦しみとなって現れるのである家々にも必ずカルマを背負っていてそれがある時必ず苦しみとなって現れる
これはもう逃れようがないのである。

この時の飢饉で一番困ったのは人口が三分の一まで相馬藩で減ったことなのである。
それを穴埋めすることが最大の問題だったのである。
それで山形県から女買い入れまでしていたのである。

相馬藩は赤子養育仕法で間引き禁止,子供を大事に育てようとした,あるいは五人組制度を強化したのは領民互いに助け合うように説いたものだった,囲米は各村に郷倉をつくって食料を備蓄,飢饉に備えた
相馬藩の復興策は人々の暮らしの視点を大事にした
ハード事業よりソフト事業を優先した

ここで著者が指摘することは原発事故の復興をどうするかの示唆を与えている
例えば飯館村には立派な老人施設とか道の駅も本当に立派である。
学校でも新しく建てた学校は立派である
でもそこに通うのは村外からであり住んでいる人はいないとかなる
村長でも福島市にマンションを買ったとか住んでいない
浪江町でも町長は二本松に家を建てたとか肝心の地元には住んでいない
そんなこと江戸時代ならありえないしイメージもできないのである。
つまり殿様が地元に住まないで外に出ようなどできないからである。

現代ではこうしたハード面では充実している
でもソフト面ではそうではない,五人組など古いというが近隣で助け合うということは苦しいときだからこそそうなる
逆に原発事故では再三しつこく追及してきたがそういうソフト面は何もないとうより
補償金だけをもらいたいとなったのである。
金ですべて解決する,人の絆だとか助け合いなどより金だとなったのである。
だから家族すら老人は残ってもその息子娘所帯は外に出て家を建て別な生活をはじめたのである。
まず江戸時代とかとはあまりにも違った社会なのである。
土地にしがみついて自給自足で生きる社会とはまるで違った社会である。
金さえあればどこでも豊かな生活ができる
江戸時代は金ではない,土地が一番価値あるものだったのである。
その相違があまりにも大きいから復興の比較はできても今の復興にはつながらない

いづれにしろ時代は違っているけど何か似ているのも不思議である。
この時子育てが重んじられたのは子供もいなくなったら藩も維持できないからである。
それで子安神社が建てられたというのもわかる
原発事故でもまさに子安神社が必要になる
放射線の被害から神様守ってくださいとなるからだ

相馬藩は飢饉かから立ち直ったのは人々の助け合いとか越中や越後や加賀からの移民があってできた
それは何か現代でも移民というとき外国の移民を受けいるれか受け入れないかでもめているが共通している,人がいなくなった土地で誰が村を維持していくのかとなるからだ
若い人は流出していて一体誰か復興の主体となるのか?
補償金もらったらみんな村を出てゆき村に残ったものは老人だけだとなる

だから江戸時代が貧乏だからすべて悪いとはらない,豊かになってもかえってその豊かさが復興させなくさせているともなる
金をもらったらもう金のことしかない,補償金で暮らせればいいとしかなくなったのである。
かえって貧しくても村は維持できたが豊かになりすぎて維持できないということもあった金をもらえば貧しい村不便な村に住む必要はない
一億円もらったら村には住まないとなったのである。
実際は一億円の価値の方が現代では高くなっていたという証明なのである。

それだけ金の社会になり五人組など古い封建的束縛社会のものだとなっていたが
もう村人の絆もなにもない,金さえあればいいという社会で分解したとなる
それはここだけではない,南相馬市でもそうであり小高と鹿島は分断されたのである。
飯館村でも金をもらって外に出た方がいいという村人と残るべきだという村人に分断されているのである。
そうなったのはすべて高額な補償金のためだったのである。
これはもしかしたら現代の社会と意外とその絆が弱いからもろい,何かあったときこうして簡単に崩壊してゆくのではないか?
確かに広域的グローバル社会でありそれは世界的である。
でも意外とその核となるコミニュティは喪失して何かあったら簡単に分解分離して崩壊するということがこの辺を見れば
具体的なものとして提示されたともなる

現実に原発事故後七年すぎても避難した人は以前として働いていないのである。
パチンコ屋に若い人も多いと聞いたときその人たちは原発避難者なのか?
そういう人達は今も働かないで遊んで暮らしているのかとも思った
老人は多いのがわかるが昼間からパチンコしているのが若い人も多いとなるとそうかもしれない。
そういう人はもう働く気もなくなる,俺たちは被害者だと訴えつづける,韓国や沖縄の人達と同じになる,そういっていれば通る社会でもあるだ
そしてそれは一代でも終わらない,被害者だということは次の代にも受け継がれるして韓国と沖縄と同じになる
そして何かうまくいかなければ原発のせいだ、政府のせいだ,東電のせいだとしていれば言い訳になるから扱いにくいのである。
だからそういう人達とはなるべくつきあいたくない,距離を置くとなってしまう

とにかくかえって江戸時代のような貧乏な社会で飢饉かから立ち直ったが今回の原発事故では豊かな社会なる故に復興できないというのもなぜだろうともなる
そうういことを考えさせられる本だった
金やハードや事業がすべてでないということを言っていたのは共感できる
人々の心のつながりが絆がしきりに言われたがその絆が断ち切られたのである。
絆は外部のものとはあったがそれも一時的なものである。
肝心の復興の主体になる内部のものが分断されて離散してばらばらになったのである。
その原因も時代にあったといえばそうなる,だからこそ時代を越えて人間はありえないともなるのである。
posted by 老鶯 at 16:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

震災後常磐線乗客数が相馬駅原町駅で半分に減る (鹿島駅は378人から318人へ)


震災後常磐線乗客数が相馬駅原町駅で半分に減る

(鹿島駅は378人から318人へ)
     
        相馬駅                    鹿島駅               原町駅

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相馬駅より原町駅が減り方が激しい
やはり原発事故で小高とか浪江からの人の流れが鉄道利用が減ったためだろう
ただ2016年になると多少回復しているから2018年ではもっと回復しているだろう


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山下駅                    新地駅

山下駅の減り方は激しかった,新地駅はそれほどでもない
駅自体が津浪で流されたし山下は仙台の通勤圏だった
その人たちが利用しなくなったのだろう
震災前は山下駅は851人で多かったからである。
ただ2016年では増えているから今後も増えるのだろう

新地駅と山下駅が逆になっていましたので訂正しました(6時31分)



なぜ原町駅と相馬駅で半分にも減ったのか?原町駅はもっと減っている
この理由は何なのだろう。
これは小高とか浪江とか双葉とか大熊とかから仙台方面を利用する人がいなくなったためだろう,それしか考えられない

それが裏付けているのが鹿島駅である。
それほど減っていない,鹿島では相馬とか原町方面へ行く人が多いからである。
ところが今回原発事故で避難区域になったところは原町とか相馬でも来る人が多かった
それが全く途絶えてしまった結果こんなに減ったのである。

一時震災で工事関係者が流入して三倍に増えたと聞いたから増えたかと思っていた
実際は減っていたのである。
常磐線はいわきまで通じない限りこの乗降客の数は増えない
いわきまで通じるのは後2年かかるのである。
これでも大きな痛手だったことがわかる
ただいわきまでは二両の電車とかなり余りのる人は前から少なかった
でもやはりいわきまで通じないことの影響が大きかったのである。

これでわかることは鉄道は途中で途切れると乗降客もへる
常磐線は廃線になるような線ではないがやはりいわきまで通じてこそ乗降客も増える
だから鉄道でも復興していないのである。
ただ只見線とか三陸鉄道と違って意外と早く復旧できたのは新幹線でJRがもうけて400億円出して復興したためである。
只見線とか他の線はも復旧できない,それだけの金を出して継続することができない
それだけ乗降客が減っても廃線ぎりぎりで運営していたからである。

JR東日本は27日、一部区間が不通となっている只見線の復旧費用について、工法などの見直しにより81億円に圧縮できるとする新試算を公表した。直近の試算よりも27億円少ない。復旧費の3分の1をJR側が負担する新提案も明らかにした

これだけの金がかかるから復旧できない,まず二三時間置きとかになると電車はほとんど利用できなくなる,常磐線はまだ一時間置きであり仙台に通じているからこの辺はいいのである。まず簡単に廃止路線にはならないだろう。
名取までの空港への足とも最近はなっているからだ
仙台への通勤列車ともなっているからだ

2018年05月17日

投資信託は証券会社と銀行のために作られた (その仕組みは営業担当も知らなかった)


投資信託は証券会社と銀行のために作られた

(その仕組みは営業担当も知らなかった)

投資信託の仕組みは複雑でわからない,営業担当の人すらわからないで売っていたのである。
もちろん銀行の営業担当などは素人と変わりなかったのである。
ただ自分は知らないからプロでありまかせてくださいというからまかしたのである。
第一株でも投資信託でも素人はいちいちその動向をみて売り買いできない
その時間がないから頼んでいるのである。
病気でも医者にみてもらうのはプロであるから頼むのである。
人間はなんでも知り得ないからそうするほかないのである。
だからお前は投資のことを知らないでまかせたから悪いともならないのである。

毎月分配型配当金の罠

投資信託が何か詐欺的なのは毎月配当金が入るかから利子のように考える
ところが毎月配当金が入っていると喜んでいたら元金から引かれていたのである。
その額も大きいから投資信託は危険な商品でもあった
もちろん株はそういうものだが投資信託はなぜか損しないとか配当金が毎月入ってくるとか何か詐欺的なのである。
それは証券会社や銀行側に勧める方に有利にできたもうけられる商品として作られた
なぜなら確実にまず証券会社で売ったら手数料が入り客が投資信託を売るとまた解約金とかとられる,その間にも手数料がとられている
そのことを営業担当の人すら知らなかったのである。
最後になって銀行側で全部計算してきた
でも4年間して実際は損していないがとしてももうかってもいない
本当は株をもっていればもうかっていたのである。

投資信託が証券会社や銀行になぜすすめられるのか?

まずこのことから知るべきである。それは証券会社と銀行にとって確実に手数料としてもうけられるものだからである。
3パーセントの利益がまず入ってくる,その額は大きくなるとかなりの収入になる
その間にも手数料がとられるし解約するときも手数料がとられるのである。
手数料だらけだというのも本当である。
ではなぜそんな商品が作られたのか?
それは証券会社と銀行が結託してもうけるためにだとなる
もちろん投資信託でもうけている人もいる,でもその数は一割くちいだともされている
だから投資信託も株と同じリスクをともなっているのである。
だから知らない人はやるべきではないとなる

確かに銀行側でももっと説明することも必要である。それで納得して買うことも必要である。でも素人はわからないからプロにまかせるのである。
そうなら銀行側でも

私たちはプロではありません,ただ売買の手続きをするだけです

こういえばだましたことにはならない,プロだからまかせてくださいというのに投資信託の仕組みも何もわからないのである。
だから計算もできないから得した損したかも営業担当の人はわからなかったのである。
つまりこうして素人同然の銀行にまかせたことが失敗だったとなる
そして責任は証券会社でも銀行でも一切とらない,ただ手数料だけはもらいますよという楽な商売なのである。
投資についてプロではない詳しくもない,ただ適当に客の金を回しているだけだったのである。

別に素人でも投資してもいい,それが日経平均をみる株なのである。
だからリーマンショックの前にもっていた株が半分の価格になっていたけど元にもどりそれをずっともっていたら相当な利益になった
その株を売って投資信託に回した結果その利益も得られなくなったのである。

ともかく銀行は今大きな変わり目に来ている,それであこぎなものにも手を出すようになった,前の銀行のイメージとは違う,質の悪い金貸し業にもどったとも言われる
銀行は就職するにももっともめんどうなのはそれだたけ信用を基としているからである。他人の金を扱うから信用が第一だから銀行員というと硬い職業だと今までは思っていたのである。
証券会社員だと前もなにかうさん臭いとかあまり信用されなかったのである。
それが銀行も証券会社化している,つまり投資ファンドとかのようになりつつある
だから銀行に対するイメージを変えねばならない
こういうふうに何でも社会は変わるからそれについていけなくなる
それで老人はそうした株とか投資とかには手を出すなともなる
若いときなら経験してとしてやるのはいいが経験ないものはやるなとなる
社会が変わるとき何かモラルも崩壊してゆく,そういう変わり目の時代だから何が起きるかわからない,あらゆるものが変わりそれについていけないとなる

カナダ国債 USリート Jリート

このように分散投資することは間違っていない,一つが損しても四つの内一つはもうかったりするからである。
自分の場合はUSリートと株はもうかっていたから実際株を投資信託にJリートに回さなければ相当にもうかっていたのである。

投資信託はしてもいいし株もしていい,それは自由である。
でも責任は誰もとってくれない,自分で決めれる人はやってもいいのである。
自分で決められずに証券会社や銀行にまかせきりにする人はやるべきではない
責任は全部客にとらされるからである。
だからこそ客が選び客が売買の決定することができなるやってもいいとなる
その責任は一切客にある

証券会社とか銀行はただ売買の手続きをして手数料をもらうのでありプロとしてまかせられたからとして一切責任はとらない
実際にそうしたまかせられるプロは別にいるし金持ちを相手にしている
でも損したら首になるしそのリスクをとらねばならない
もうけたら確実に何パーセントでも収入になる
損したらそのまかせられたプロも大きな損失をこうむるのである。
そう割り切ってやれるならいいがそうは全くなっていないがのが投資信託なのである。 

posted by 老鶯 at 18:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

Wind and wave and flow


Wind and wave and flow


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日大アメフット部 悪質タックル問題 監督続投なら選手ボイコットも (会社でも同じことが常に起きている)


日大アメフット部 悪質タックル問題 監督続投なら選手ボイコットも

(会社でも同じことが常に起きている)


この事件は社会人でも組織に属している人でも関係した事件である
監督の命令でしたとなれば監督の組織全体の責任である。
ただなぜその命令に従ったのかとなれば

「“反則をやるなら出してやる”と監督から言われた」

何かそこで目立ったことをして監督に認められたいということも選手にあった
このことは軍隊の組織とか会社の組織とかでも常にある

上司から認められたいから反則してもノルマを課せられているからとりにゆく
それは銀行でもあった,証券会社でもあるだろう
今はここは投資信託などを売るためにノルマを課せられている
そのノルマが厳しいからどんなことでもするとなり反則してとってくるともなる
カルト宗教団体ならなぜあんなに会員をとるために必死になっているのか?
これも上からのノルマなのである。会員がどんな人でも人格などどうでもいいのである。数を集めることが至上命令である。
それは上からの命令であり組織に入ればそのことが納得いかないおかしいと思ってもノルマを一票とるために一軒一軒回って歩くのである。

銀行でも今追い詰められている,投資先がないとなり証券会社化している
これも日大でもスポーツでも勝つということが至上命令になり勝つためになんでもしてもいい,反則でもして敵をつぶしてこいと監督が命令したとなる
勝つことが優先すればそうなる,勝つことによって監督の力量が決められるからだ
日大の監督はそうして大学でも認められたからである。
勝たなければ認められないのが現実なのである。

銀行でも支店長であれそこで投資信託でも売らなければ今や収入にならない,それで若い銀行員に投資信託を売らせるのである。
投資信託はまずその仕組みがわかりようがないし手数料が確実に入り銀行にはリスクがないから売り込むのである。売るにも売ってからも解約するときも手数料がとられる
だから投資信託は証券会社や銀行がもうけるために作り出したのだという人もいるのである。

なぜ投資信託をすすめるのか?

手数料が確実にとれる

これてしかないのである。だから別にリーマンショックの前にもっていた株が上がってきたのだからすぐに売る必要はないし分散投資という考え方は間違っていなかった
だからそれを投資信託に回す必要はなかったのである。
でも投資信託は銀行側にとってはもうかるから投資信託に回したのである。

ただこれは銀行員の営業がそうしたのであるが営業の人でもノルマを課せられているからなんとか投資信託を売ろうとしたのである。
それが銀行の方針になっているから銀行側が監督するものが全く関係ないとはならない
日大のアメフトでもやはり反則を犯たのもこの事情とにているところがある
監督に反則してもタックルして敵をつぶせというときそうである。
そうすれば出場させてやると言われた,それは銀行で営業している人やその他の会社でもそういうことはある
営業は上の命令でしているからである。組織に属していればその命令に従わねばならないからである。だからこそこれは日大のアメフト部の組織自体に問題があり責任があり大学まで責任が問われるようになった
そういうことは会社でも常に起きている

ただ会社と違っているのは部員が監督の命令をボイコットしてやめるという宣言をしたことである。それは別にやめたからすぐに職を失ったりしないからである。
職を失うとなると簡単にはそういうことはできない,社員はやめてもいいが会社はブラック会社でも普通に残るからである。

これはだから監督が悪いのかその命令に従った部員が悪いのか?
別に部員でもそれがあからさまなルール違反であり危険な行為だからあえてそれをしていいのかと自問するからだ
でも監督の命令で反則でもいいからそれをすれば出場させてやるとなれば選手はしたともなる
スポーツではルールが絶対なのだがどうしても勝ちたいとなり反則を犯すしエキサイトしても犯すのである。

いづれにしろこの事件は別に大学のスポーツの問題でもない社会全般の問題に適応される例えば監督が軍人だとして人を殺してこいというときそれをするのか?
戦争になるとそれが普通に実行される,でもそんなことはできないとなれば戦争を拒否するほかないがそれをすると国家から犯罪者ともされるのである。
簡単にボイコットはできないから戦争で3百万人も死んだとなる

ただ上からの命令と良心にはじないということでジレンマに陥れることは常に江戸時代の侍の時代劇でもテーマになっている,主命だとなり絶対化するがそれに反抗する部下は殺されるのである。だからこれは人間社会の普遍的なテーマなのである。



部員も部員で違反するような奴らだし早く潰した方が日大の為

部員もクズ 
おまえらは加害者側 
被害者ヅラするな

部員もクズ 
おまえらは加害者側 
被害者ヅラするな

コーチ陣を永久追放しろよ 
何学生に罪着せてんだ

今回の話は二流大学のマイナースポーツでの内輪揉めだけど 
反則は反則の域を越えて若者をカタワにしかねないもの 
それを自分の部下をおいつめて実行させる組織犯罪 
日大のナンバー2である老害が若者二人の将来を潰そうとした事件って考えると 
なんか行く末みてみたくない?

部員に責任がないかといえばある,ルール違反だということがあからさまであり知っているから悪質なのである。
監督の命令がすべてだというのはやはり体育会自体の問題である。
そういう体質だからそうなったとなる,軍隊と同じだからである。
反則しても殺せとなるのが戦争になるからだ
戦争にはルールがないからである。
スポーツも戦争になればそうもなりうる,有力な敵をつぶせとなっていたのである。

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2018年05月16日

人間は必ず歴史でも何かで判断が迫られる (判断にいたる理由を問い-原発も同じだった)


人間は必ず歴史でも何かで判断が迫られる

(判断にいたる理由を問い-原発も同じだった)

科学者が判断するのか
政治家が判断するのか
住民が判断するのか

原発を作る判断をしたのはなぜなのか?その理由は何なのか?
それは読売新聞の社長の   の私的利益追及もあったのと政治の問題として日本がアメリカに支配されたからいわば一時植民地のようになったのだから原発が日本では導入するのがまだ技術的には早かったが作られた
その理由は政治的経済的理由なのである。経済的理由になると一番多い,常に判断は経済理由が多いからである。
原発でも盛り土して高くしたのも削ったのは地下に電源を置いたのはコスト削減のためだった,それが命取りになった

原発はアメリカとの関係で政治家が判断したものでもあった,科学者は湯川秀樹博士などは日本ではまだ原発を作るのは早いと反対していた
それだけまだ日本は原発について技術的に導入できるものではなかった
それでアメリカのお古のマーク1型の原子炉を買わされたのである。
後進国がソビエトのお古の武器で戦争させられているのとにている

では住民はどうかというと住民も原発に賛成した,それは経済的理由で判断した
双葉や大熊地域はその頃出稼ぎ地帯であり貧乏地帯だった
それで積極的に原発を誘致したのである。
だから原発をただおしつけられたというのではない,それだけの利益が得られるから賛成したのである。
漁業者は補償金を事故前も事故後ももらっていた,それで漁業権を東電に売り渡した
それは経済的理由でそうなった
原発はそれだけ経済的効果が大きいからそうなった

人間は常に判断を強いられる存在である。日常的に何かを買うにしても判断を迫られる
買うべきか買わないべきかと判断が迫られる,判断をしないと「あるべきかあらざるべきか」となり躊躇しているうちに判断する機会を逃してしまう
ではどうして人間は判断するのだろうか?
それは必ず理由がある,その動機がある
歴史的にも大きな判断成される,それにも理由があって判断している

太平洋戦争に日本が突入した理由はなになのだろうか?


政治家の判断
軍人の判断
天皇の判断
経済的判断
マスコミの判断
住民の判断
科学技術的的判断

この時は軍人の判断が優先された,それに天皇の判断もあったから今とは違っている
科学技術的判断とは軍事力になっていた,どれだけの軍事力をもっていたかで戦争の判断になる
また良く言われるのはアメリカに石油がとめられて経済制裁されて戦争に追い込まれたという理由である。それは経済的理由で判断したとなる
では住民はどうか,戦争をはじめるとは関係ないとなるのか?
住民をも熱狂していたというから住民も戦争に賛成していたのである。
そして盛んに朝日新聞は戦争をあおったということもあり戦争の理由になる
そして日本の場合は天皇も関係して宗教も関係して日本は神国だから負けることがないという神がかりにもなった,そのことも戦争をおしすすめたのである。
これだけ十代なのことを判断するにはそれを押し進める理由があったと今では解析する

歴史は何かが起きる,何かが判断されてその結果として歴史が動く
でもただ闇雲に判断されるのか?。そこには必ず理由がある,犯罪でもなぜ起きたのか?
その理由がありその動機をまずみる,それが歴史に学ぶことであり個々の人生に学ぶことである。

失敗したらなぜ失敗したのか?

その理由を問う,そこから人間は学んでゆく,二度と失敗しないのにはどうしたらいいのかとなる
事業に失敗した人は多い,ではなぜ失敗したのか?
その理由は何なのか?それを学び事業起すことが必要になる
人間は判断して失敗することが無数にある
卑近なことでも失敗する,買い物でもそうでありまた結婚とかでもそうである。
結婚の理由としてただ好きになったとかもあるが金持ちだからとか地位があるとかだとかいろいろある,戦国時代ならみんな政略結婚である。
そういう条件をつけて結婚しても離婚が多い,その判断をどうするのかとなる

人間は至るところで判断を迫られている,何かを判断せざるを得ないのである。
あるべきかあらざるべきかとなる,原発もそうだったのである。
ただ原発に関しては深く考えられて作られたのではない,危険があることを深く考えていない,経済的理由と政治的理由とが科学的理由より優先されたのである。
そういうことは常にある,人間は現実に力をもつものが金だからである。
いくら金を否定しても現実に金で動く人がほとんどだからである。
逆に金で動かない人は金に余裕がある人なのである。
そうすると意外と成功するかもしれない
投資でも余裕資金でしいれば意外と失敗しないかもしれない
自分が投資に失敗したのは銀行側が銀行の利益を優先していたからである。
株が上がっていたのに投資信託に回したのは銀行側が手数料でもうかるからであった
もし銀行側に余裕があるなら投資信託をすすめなかったともなるからだ
それは原発をすすめた理由と同じなのである。
原発は金の成る木だったからその経済的効果が大きいから目がくらんだのである。



タグ:判断の理由
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2018年05月15日

原発事故後の避難区域の判断を誰がするのだろうか? (科学者,政治家,住民なのか?)


原発事故後の避難区域の判断を誰がするのだろうか?

(科学者,政治家,住民なのか?)

科学者が判断するのか?
政治家が判断するのか?
住民が判断するのか?

原発事故の解決の複雑さはどこから生じているのか,科学者が科学的合理的判断でできればそれにこしたことがない,数学の数式のようにできればいい
それができなくなった,武田邦彦氏が事故前は一ミリシーベルを厳守を言っていた科学者が事故後は100ミリシーベルトまでいいとか言うようになった
全く科学者が白だったのが赤というようにもなった
それは戦争が終わるとアメリカ一辺倒になったのとにている
第一科学というのは人間社会と違って変わらない真理を追及している
それもころっと変わることがおかしいというのは確かである。

そもそも原発は科学者の意図だけで作られたのではない,政治的意図が強く働いて作られていたのである。
政治的意図が働けば科学者の科学に基づいた判断も無視される
日本には地震があるから原発は向いていないとしても作られたのはなぜか?
それは政治的意図が働いていたのである。
アメリカの要請もあり日本でも核武装のために原発が必要だということもある
プルトニウムを生産しておく必要がある
日本ではすぐに原発があれば核武装できるからである。
それは政治的意図でそうなっている
だから原発は簡単に危険だとしても廃止できないのである。

科学的問題
政治的問題
経済的問題
社会的問題

原発というのは事故でも複雑である。四つくらいに分類できるがさらに複雑である。
経済的問題は常に人間には日常的につきまとっている
原発もその時社長だった人がコスト削減を押し進めて功績があり社長になった
一時土台を高くして削って地下に電源を置いたのはコスト削減のためだったのである。
それが致命傷になり津浪が来て事故になった
経済的問題は常に人間社会では最優先される,世の中金だとなるのが現実である。

原発の複雑さはこれらのことが複合的に関係しているからである。
科学だけでは判断できない,処理できない,政治だけでは処理できない,判断できない
経済的問題としてだけで判断できない,社会的問題としても判断できない
社会的問題というとき自分が追及したのは文系だからそこを重視したとなる
つまり故郷という場に住んできて歴史的アイディンティティを築いてきた
老人は特にその場で生きることが人生だったとなるから離れがたい,それで放射線が危険
でももどりたいとなる一方で若い人は放射線が危険だから帰らないとなる
チェリノブエリの事故の20年後の調査報告を読んだら恐くなる
それは科学的問題なのである。
自分が主張したのはそうあってもでは故郷を閉鎖してチェリノブエリのように人を住めないようにしていいのか?

その問題は政府では東電でも補償金を払いきれないし移住させることもできなということで避難区域を解除して住まわせようとしている
でも現実は若い人は流出してもどってこないのである。
そのことを批判してもどうにもならない既成事実になっているからである。
科学として見ればチェルノブエリを参考にしたら帰れないとなる
年間一ミリシーベルでは帰れないからだ
そして報告では放射線が低くても時間がたつと蓄積され病気とか奇形とか遺伝子に影響されるという報告がある
そういう報告に知るとまた恐怖になるのである。

つまりこの原発事故の問題の複雑さはどう対処していいのか判断つかないのはこの四つの問題が複雑にからんでいるからである。
例えば浪江町から避難した人が復興住宅に住んでいる
そういう人は帰らないという,でも時々は浪江に帰り見に行っている
では帰らないとして避難先で今度は毎日昼間から酒を飲みアル中になっている人もいる
避難先でそういうことをつづけていたら回りから非難される
でも実際は老人が多いから何もしない,ただ補償金がたりないというだけである。
補償金をもらって暮らすということしかもうないのである。
だから復興とは何なのかそれも外から見てわからないのである。

この四つの問題がありどういう判断をするのか?

科学的判断で決着するのか

その場合はチェルノブエリのように閉鎖区域を作りそこには人を住まわせない

政治的判断で決着する

それは避難区域を解除して人をなるべくもどし住まわせる,それを政府ではすすめている
ここには経済的判断もある,そんなに補償金を払い続けることができないからだ

住民によって判断させる

これは帰る人,どっちつかずの人,帰らない人に分かれる
でも住民にしてもどうしていいのか?
科学的判断なら帰れないのである。
でも老人なら最後は故郷で死にたいとなるのが生物としては自然なのである。
何か家というのは単なる箱ではなく思い出が詰まった精神的なものなのである。
だから老人は帰ったのである。
チェリノブエリでも老人は避難区域でも帰って農業していた
でも病気になって取り残された老人が苦しんでいたからここでもそうなる
でも若い人は帰らないのである。世代が分断されたのである。

何かこうして中途半端な状態のままになっている,だからチェリノブエリのように避難区域には住まわせないとしたらすっきりしたともなる
ただ30キロ圏内だと無理である。この辺では南相馬市なら人口の一番多い原町区が入るからである。その移住は日本では不可能だからである。
矛盾しているのは浪江町長でも飯館村の村長でも二本松とか福島市に新しい家を建てている,マンションを買っているとなるとこれまて矛盾しているのである
復興を指導する人がすでに住まないでできるのか?
何かこれも四つの問題で複雑化しているからである。

科学者が判断するのか
政治家が判断するのか
住民が判断するのか

それがわからないのである。科学者は事故後は科学的判断をひるがえしたからである。一ミリシーベルトから100ミリシーベルトまで変わったのである。
政治家が判断するのか?
それも政治家は経済的コストを優先して補償金をこれ以上払いたくないから避難区域を科学的判断を無視して解除したとなる

では住民が判断するのか?

若い人は帰らないと判断した,住民が判断してそうなったのである
要するに科学者が判断するのでもない,政治家が判断するものでもない
誰が判断するのか?
それは住民しかない,いろいろ自分も外部から言ったけどそれは判断の材料にすぎないのである。
だから避難区域の人から批判される,それはそこに住む人が苦しんでいるとしても関係ないから面白がっている,傷に塩ぬって楽しいかとしかならないのである。
ただ現実に避難者が住んでいるからその人たちが昼間から酒飲んだりしたりギャンブルしているパチンコ屋に通っていたら非難されるのも当然なのである。
そのことすら避難者は批判すると怒る
そして俺たちは被害者でありかわいそうな人達でありいつまでも永遠に補償されるべきだとなっているのだ
それを批判する奴は非情な許せない奴だとなる,それをマスコミは応援するから認めるからそうなる

ともかくこの問題の解決がむずかしいのはこうして科学的問題だけではないものとして政治的問題から経済的問題から社会的問題から故郷を失うことはどういうことなのかとそうしたものが複合的になって現れたから複雑であり解決策が打ち出せないのである。
要するに科学的問題でも低放射線量でも時間で蓄積され危険だというチェリノブエリの調査報告がある
その科学的判断を重視すれば住むことはできないと住民は判断する
一方で老人などは別に先が短いからそういう判断は無視して住むことを決断する
若い人は科学的判断を重視して帰らないのである。
政府では補償金をはらいたくないとなり避難した区域を解除して住まわせようとする
自分は外部からコミニュティとか歴史とか重んじると帰って復興して欲しいともなるし
経済的問題でもやはり復興してもらわないと財政的にも困るとなる

こうした思惑が複雑に入り組んで混乱しているのがこの辺なのである。
科学者がこうしろ,政治家がこうしろ,では住民はどうすればいいのか?
結局住民が最終的に判断するのか?
若い人は現実にしている,帰らないと判断した
ただ老人は残った,それは自分が前々から主張していた,コミニュティの維持とか歴史の維持とかその場で築いてきたものを重視する立場からである。

いづれにしろ科学的判断も政治的判断も住民の判断もどれも正しいとはならないだろう
ただそれを選択するのは住民しかない,現実に帰らない人は帰らないのである。
そこですでに住民が判断したのだからそれをくつかえすことはできない
あとは帰るのか帰らないのかわからない人だがそういう人は帰らないだろう
なぜならおそらく10年すぎても20年すぎてもそういう人はそう言っているからである。
そのうちもう年とるから帰れなくなるからだ
するとこの先帰るのは老人であり老人だけで復興できなるのかとなる
外部の人が応援するにしてもそもそも老人しかいないとなると復興できるのかとなる
やはり何か強い住民の意志がないと復興とか無理なのだろう

自然災害で北海道に移住した十津川部落の人達は一致団結して移住したからできた
ここにはそういうことはない,住民自体がばらばらになっているから復興は無理なのかともみる,それはそれとしてではこれからどうするのか?
それは別に内部だけの避難した人達避難区域の問題だけではない
現実に避難した人達がここに住んでいるし南相馬市では小高区は以前として南相馬市であり財政負担があるからだ
一体病院を再開したとしてその負担はどうするのか?
いろいろな負担があるから一層原町とか鹿島とかに住まわせた方がいいという政治的判断もありうるのだ,経済的問題としてそうなるのである。
いつまでも補償金の援助はない,後三年で援助がうちきられるときそういう経済的問題も深刻なものとなるからだ
もう住民は分断され復興の意志もないというときもう見切りをつけるという判断もありうるとなる,そういうところにいつまでもかかわっていることは経済的にもできないし政治的にもできないとなるからだ
そういう判断を強いられる時が否応なく来る,それは後三年が目安となる


posted by 老鶯 at 19:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

葉桜、新緑(写真(映像)の時代)


葉桜、新緑(写真(映像)の時代)

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葉桜や常なる道をまた歩む

新緑の葉群の密にその中に山鳩休み風のそよぎぬ

公園の木蔭に休み新緑に風のそよぎて山鳩を見ゆ


桜の花が咲いているときは華やかなときである。その花も散ってしまいば人との夢のようになり元の葉桜にもぎとったともなる
その葉桜の影なす道を歩むのは地元に住んでいる人である
葉桜を見に来る人はいないからだ
その季節の変化があり遠くに行かなくても何か堅実な生活がつづくともなる
旅をしている時は空間の旅であり時間軸ではない,次々に変わる地点の変化なのである。だから意外と旅だけでは深い精神性は得られないともなる
花の咲くときは一時であり今はなにもない,夢のようであったとなる
でも葉桜の季節は長いのである。それが日常なのである。

今日公園に休んでいたらこの写真がとれた,これもいい写真だった,いい場面がシーンがあったからとれた
この山鳩は長くとまっていた,あそこなら邪魔にはならないしいい場所である
つくづく今は写真の時代である。写真抜きでは報道でもなんでも語れないのである。
それからアニメがこれほどもてはやされるのもそうである。
映像の時代なのである。それはテレビからはじまったがデジカメになりスマホになりインターネットにすぐにその写真が出せる,すると膨大な写真がインターネットに出る
それで写俳という分野も生まれたのである。
俳句でも短歌でも写真があればより訴えるものが生まれるからだ
ただ写真だけでは内面とか精神を深めるものとはならない
そこにどうしても言葉が必要になる

葉桜の俳句でも何の変哲もないがやはり精神的なものとして読む,葉桜という季語自体が華やかに桜が咲く季(とき)があっというまに終わり葉桜になったということで季語となるではこれだけ写真の時代なのだから写真から俳句でも短歌でも
詩でも作れるのではないか?
そう思う写真を見ただけではできない,それはなぜなのか?
やはりその場の雰囲気を写真だけでは表現できないのである。

この写真をとったのは公園であり藤の花の木蔭に自分は休んでいた,そこからこの写真をとった,その場面は立体的であり空間がある,そして風は写真では表現できないのである写真は停止しているからである。ビデオだと確かに風を表現できてもこれも全部は無理である。
ビデオを見てもそれで詩とか俳句短歌でも作れないのである。
やはりその場の雰囲気は写真では表現できないし伝えられないのである。
ただ自分がしている抽象画もインターネット上に無数の写真と映像があるからできたものなのである。これもパソコンやインターネットなどの映像時代になったときできた芸術だともなる

映像の時代というときこれからは教育の分野ですすんでくる,今までは教科書ばかりで習っていたがその習う範囲が広くなる
これからの人達は今までの人より何か創造性を発揮するかもしれない
アニメの南北朝の解説を見てわかりやすかった,あういうのはNHKの教育番組で作っていた,今はこうして民間でも放送する
つまり学ぶ手段が飛躍的に増えたのである。するとこういう時代は暗記一辺倒ではない創造的教育になり天才も生まれやすいとなるかもしれない

言葉というのはやはり映像からするととりつきにくいからだ,ただ映像ですべてが現されるかというとそうはいかない,かえって映像がありすぎて人間の想像力が衰退することもありうる,つまり人間が旅するに歩かなくなったら五感が衰退したのと同じである。
ただ写真にしても近間でも絵になるものがあると思った
ただ今までもあったのだが発見されなかったのである。

タグ:新緑 葉桜 山鳩

2018年05月14日

春の日短歌十首(飯館村の佐須から霊山から山上へ-南朝滅ぶ歴史の道)


春の日短歌十首(飯館村の佐須から霊山から山上へ-南朝滅ぶ歴史の道)

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ここはひびくよう滝ではなかった

もっと下の方だとひびく滝があった,あそこに桜が咲いていた

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これは山上の谷野原の寺の跡なのである。
これがいつの時代のものかわかりにくかった



この山路誰かすみなめ石一つ春の日さして家の隠りぬ

佐須の村住む人なきやあわれかな墓をたずねて春の日暮れぬ

春なれど住む人なきを悲しみぬ佐須の村に来て花は咲けども

ここにある墓もなしかもいづこへと人は去りにき春となりしも

春となり乳神の碑ある家にきて誰か住みなむ佐須村に来ぬ

南朝の栄一時霊山を落ち延ぶ武士や花の吹き散る

山桜はや散りにしをそのあとに滝の轟き夕暮れにけり

野馬追いの旗にし残る南朝の落ち延ぶ武士やその裔を知るかな

寺の跡古き碑ありぬ春の日や心残りて夕べ去りにき

南朝の裔も交じりつ相馬氏の治めし城や時は経にしも


歴史は時代がありその時代の後先が混同するのが一番の問題である。
郷土史研究でもまず村の新旧を知れというときそうである。
この村はこの家は古いのか新しいのかが最初の問題なのである。
なぜなら日本全国で戦後引揚者が山の奥地まで開墾に入ったからである。
そういう村は新しいのである。
そしてそういう村でも江戸時代からつづいている村なのである。

飯館村の佐須というのは佐須(サス)焼き畑のことである。
だからこの焼き畑地名は本当に多い,街の中でも反(ソリ)とつく焼畑地名だったりするからいたるところ焼畑にした,なぜなら今でも農業で一番苦労しているのが肥料だからである。森でも焼き払って灰を肥料にするのが楽だからそうなった
佐須村も江戸時代からあり古いのである。

あそこに乳神の碑が畑にあった,それは明治のものだった,ということは明治時代でも生活は厳しかった,その時牛など飼っていないから牛乳がとれないからである。
戦後自分が生まれ時戦争が終わった時であり牛乳が欲しかったから父親が並んで買ってきたという,その時極端な物不足になっていたのだ
そういう苦労があって自分も育ったというときそれも歴史を知ることなのである。
だから両親とか祖父母から聞く話がまず歴史なのである。

佐須村では人は住んでいるのもみかけるがほとんど住んでいない,一割にも満たない感じかもしれない,ただ全く人が住んでいないのではない,住んでいる
佐須村の中心部で家が多いところには人は住んでいないみたいだ
もともと人が少ないのだから家が多いところに人が住んでいないようでは淋しいとなる
廃村の風景なのである。

あの辺に墓があったりしたがその墓すらなくなった,つまり人が移住すると墓も移住するからである。
佐須村は別である。墓がなくなったのは佐須村へ来る途中の一軒二軒家があったところである。菅野とかあり飯館村の町長もこの村の出なのである。
何か飯館村も原発事故では有名になったとは言える
自分は必ず墓を訪ねているのである。その墓を見て郷土史に興味をもったとなる
墓は資料とは違う,ここに現実に生きた人が眠っているという感覚になるからだ

霊山への道はこの辺では大きな歴史の道である。南朝の城が霊山にあり十年ほどで炎上してその落武者が逃れた道でありその人たちが相馬市と南相馬市の鹿島区の真野に逃れた
この伝説は明確な歴史であり祭りとして残された
鹿島区の只野氏について書いたが只野という姓は本当に鹿島区で多いのである。

何かを自然でも歴史があると違って見える,霊山は歴史の山でもある
だから相馬市の方へ下るとき滝がありとどろく,そこは桜が散ったあとだったのである。何かそれを山桜が散るというとき南朝の滅びを感じる
それは歴史の道になっているからだ
だからやはり最低限をどこでも歴史があるから歴史を知る必要があるのだ
それを知らないとただ自然の中で山桜が散ったとしかならないのである。

ともかく飯館村でも人が住まなくなるとそうした歴史を偲ぶこともできなくなる
佐須村でも人が住まなければそこはどうなるのか?
歴史の道というのではなく廃墟の道,廃村の道となってしまう。
歴史の道というとき何かそこはただの自然ではない,人間の悲哀とかが自然に折り込まれたものとして見るのである。
そういうものは奈良とか京都では歴史があるから常に歴史的に自然でも見ているのである大坂城の桜でもそうである。そこに散る桜はそこで繰り広げられた人間の戦いの跡であり栄華の跡だからこそなんともいえぬものとなる,それが歴史なのである。
東北では桜でも何かそれだけの歴史がないから感じるものがないともなる

歴史を見るときやはり時代が大事である,新旧が大事である。
相馬の城というけどそれは南朝時代の後なのである。
霊山の南朝が滅びたときは今の相馬市には城がなかったのである。
でも南朝が落ち延びてその一族がやがて相馬氏に吸収されて野馬追いに出るようになった只野氏の杉の旗がそうである。他にも南朝が滅びて霊山を落ち延びたとき桑折氏とかもその一族だったのである。それは鹿島区の真野の中館に屋敷を構えたのである

谷野原の寺の跡だったというところには古い碑が集められている
あそこは何か不思議である。江戸時代からあったのだろう
ただ谷野原村というのはない,山上村の一部なのだろう
山上村には山王神社がある,山王の旗が野馬追いに出るがそれが南朝方である。
だから野馬追いの旗では南朝に由来するものは分類できるとなる
一番多いの只野氏の旗なので

春の日に霊山に行く(南朝を偲ぶ- 短歌十首と俳句十句)









中山道の旅初夏十句 (歩く旅は記憶している)


中山道の旅初夏十句

(歩く旅は記憶している)


奈良井宿奥にあわれや藤の花

山吹や中山道に分け入りぬ

武者幟山中行くやひびく川

山吹やしとどにぬれぬ山の道

山吹やしとどにぬれて山伏の碑

初夏や雨に煙りぬ木曽の森

山中に分け入る道や木下闇

岩の渕浦島伝説藤の花

(福島関所)

止められず関所越ゆるや夏燕

妻籠宿ひびき落つ水涼しかな

古りにける妻籠の宿や菖蒲かな

上り行く馬籠の宿や夏の山

確かに旅したのは山吹の咲いているときである。この時は電車の旅だったが途中歩いたりした,その歩いたところが記憶に残る
ただ記憶というのは不思議である。中山道は夏と秋に旅している
それが記憶の中で混乱する,秋に旅したのは自転車だったからである。
記憶たどるたびの不思議は時間的に順序が不明になる
それは例えば江戸時代の年号があってもその年号に何があったか不明であり
年号の順序を間違える,ただ元禄というとき何か目立っている時だからわかるがその他いろいろ年号があってどっちが先なのか後なのかわからなくなる
なにかそれとにていていつ旅したのかその時間の順序がわからなくなる
それは30年とかすぎてみるとわかるのである。

奈良井の宿に泊まったことは覚えている,その部屋の奥に庭があり藤の花が咲いていたことを覚えている,それから奈良井の宿から鳥居峠を上ったとき雨だった
それで深い木曽の杉林が森に煙る景色を覚えている,その時森が深いなと感じた
鳥居峠はさらに奥であり歩いていない
鳥居峠の入り口に山伏の碑があった,山伏の関するものはいろいろ残されている
山伏も旅する人でありその伝説が残されている

電車の旅だからとぎれとぎれに歩いた,最初は山吹が印象に残った
次に妻籠ではここも結構長い道を歩いた,それでその道に菖蒲が咲いていたことを思い出した,その紫の色が心に沁みた,それはなぜか、歩いていたからなのである。
このように歩くことは心に記憶されるのである。
だから旅はまず車だとかバイクだとか自転車ですら記憶に残りにくいのである。
歩くことで記憶に刻まれるのである。
現代の旅は何か電車だとか車だとかバイクだとを利用した旅である
すると記憶に残らないのである。何十年と過ぎたときさらに記憶に残らないのである。
だから旅すらなら歩くべきだと反省する,中山道は歩くにはいい道だからである。
まず東海道などは昔の面影がない,中山道だけは昔の面影が残っているからである。

歩くときはこの辺だと街道を歩くのはいいが六号線を歩いても記憶に残らない
それはどこでもそうである。街道を歩まないと記憶に残らない
何か車の洪水にまぎれ記憶に残らないのである。
現代はまず便利だからその便利な乗り物でも利用すると旅として記憶にも残らないのである。
一区間だけでも昔の旅人のように街道を歩くことである
その効果は意外と大きいのである。旅は計画することと旅を実行しているときとそして意外と後でふりかえる回想することが大事になる
でも記憶するには歩くかしていないと記憶に残らないのである。
芭蕉でもみちのくを歩いて旅したからこそ「奥の細道」ができたのである。

都会とかはほとんど記憶に残らないのはなぜか?
喧騒と雑踏にまぎれて人も景色も記憶に残らないのである。
何か大都会になると蜃気楼のように見えてしまうのである。
それは日々の生活でもそうである。都会の生活はあとでふりかえると記憶に残らないのである。回りの景色でもそうである。
そこに生の充実がありえようがないのである。
でも経済的観点から都会の方が便利でいいとしているのである。
ただ最近若い人が田舎で暮らしたいと移住しているのもわかる
人生を充実させるには田舎であり都会ではないからである。
もちろん田舎にもいろいろな問題がある,嫌なところも多い
ただ何か人生を生きるというとき都会に生きて何が記憶されるのか?
それを思うと都会だと車や雑踏や騒音の中に人生も記憶に残るものがなく消えてしまうともなる

いづれにしろ人間の基本は歩くことにある,武道でも空手でも歩くことを基本にして訓練していた人がいた,歩くことを文明人は奪われたのである。
それは実に脳に相当に影響している,外界を体で感じることができない
人工的空間で五感が衰退したのである。だから文明がいかに発達しても何か失われものは必ずある,ただ時代によって得るものも必ずあるとなるのが人間社会なのである。

俳句というとき一句だけではものたりないから自分は短歌でもそうだか十句十首として連作として作る,すると一句一首ではものたりないものが連作として読むと違ったものになる
奈良井宿辺りでは山吹が目についたが妻籠辺りでは紫の菖蒲が目にしみたとなる
その対象で一連の俳句を鑑賞できるともなる

2018年05月12日

南相馬市観光案内(藤の花がきれいに咲く場所)


南相馬市観光案内(藤の花がきれいに咲く場所)

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原町区のダイユーエイトの近く

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上真野川をさかのぼる

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新しくできたつつじの道

地図はクリック拡大


今は藤の花の時期である。南相馬市で藤の花のきれいな場所というと原町区のダイユーエイトの近くの農家であるここでは白藤も多く咲いているから見物である。

それから今日発見したのが上真野側(水無川)をさかのほった所の善徳橋がある所である。ここは桜も咲き柳もありいい場所である。
古い蔵があり落椿がきれいな場所でもあった

最近作ったのか?つつじの道が作られていた,公園ではないが田んぼの回りに作っていた
あそこは自転車でも通れる

それから前に写真に出した老木のある場所は岡和田の辺りだろう
あれもめずらしいし今は都忘れが咲いているのもあっている

南相馬市でも広いから桜でも藤の花でもその他花を見れる場がある
ただ意外とその場所がわかりにくいのである。
桜でも自分の知らない場所に咲いているとしてわからないのである。

車だと通りすぎるから場所を特定しないとわかりにくくなる
地図で指摘したからそこに行けばわかるだろう

観光というときいろいろあるがやはり春から夏は花がいろいろ咲く,それがどこに咲いているか意外と近くでもわからないのである。

藤の花だとあとは相馬市の城跡の神社は咲いているからわかりやすいがその他はわかりにくいのである。
今回でも近くにいい藤の花を発見したのである。

観光は名所だけをめぐるのではない,その土地土地に見るべきものがある,ただそれは目立たないし案内がないのである。
株でも投資信託でももうけているのは知らないものだというとき世の中はそういうことがある
宣伝されるものが売り込まれるものがいいものとは限らないのである。
かえって知らない隠されたところに見るべきものがある
そういうものは自分の目で発見するほかないのである。

宣伝されるものは一般向きのものであり旅の番組でもテレビ局で大衆受けするもの視聴率をとるものにする
でも実際見るべきものはほかにいろいろとあるのだ
だから最近鉄道番組でもありふれて面白くないと思った
もっと細部に注意して編集すれば面白くなる
でもそうなると視聴率は稼げないのである。
そういう番組はyoutubeとかで作ればいいとなるが手間になる
つまり自分なりのものを作ればそれは自分にとってもあとは少数者でも興味ある人には面白いとなる

BSジャパン 日経プラス10 「強権」政治が世界に広がる理由は (文明はそもそも砂社会化してばらばらになっていた)


BSジャパン 日経プラス10 「強権」政治が世界に広がる理由は

(文明はそもそも砂社会化してばらばらになっていた)

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この社会の分析は面白かった,土社会(地縁、血縁の結びつきが強い)
とか砂社会(固い枠をあてがわないと形にならない)とかの分析である
現代は砂社会であるから強権政治になる
それは文明そのものがそうであり東京砂漠のように砂社会になっていたのである。
人のつながりが薄い社会である。その反面そこに縛られない拘束されない自由があるともなっていた
文明社会は砂社会でありそこからナチスとかが生まれたという分析はされてきた
もうその頃から人間は砂社会の中に生きていたからこそナチスが生まれた
今でもそれはさらに進行しているのである。
民主主義にしても一人一人が砂粒にすぎない社会である。

一票の権利があっても何十万何百万となって権力を得るシステムである。
つまり一票の力は何十万分の一であり何百万の一でしかないのである。
人間はその中で数字としてカウントされる存在にすぎない社会である。
それでカルト教団でも権力をとるために一票をとるために数集めのために一軒一軒回る
今の社会は数がすべてなのである。個人はなんの力もないもたされないのである。

この社会分析で個人は石社会だとか粘土社会だとか言うのは理解できない
石社会となれば石のように結びつく社会である。共同体が石のように組み合わされた社会なのである。粘土社会でも強く結びついて結合した共同体の中に生きている社会である。そういう社会は古代とか原始時代までもどる,なぜなら部族社会は一番人間の結びつきが強かったからである。
現代は石社会,土社会,粘土社会ではそもそもなくなって久しいのである。

だからなぜ原発事故で簡単に町でも村でも離散して崩壊したかとなるとそれはこうした社会に原因ししているとも書いた
田舎でもそうした結びつきがない農村のコミニュティでも崩壊しているのである。
いくら放射線の恐怖があっても町や村ごと廃墟化することがありうるのかとなるからだ
その結びつきは広域化してグローバル化してかえって経済的にも結びつきは希薄になっていた,別に都会と同じように金があれば食料でも何でも入るでないかという世界である。隣人の関係でも希薄なのである。
そういうことで補償金をもらったらこれ幸いと避難した人達は他で暮らしして帰ってこないとなった

それは前からどこでも田舎でもあなたに一億円やります,どこにでも住んでいいですよとなればどうなるのか、早くこんな田舎から出て行きたいと言っていた若者がいたことでもわかる,故郷がどうのこうのというより一億円の価値の方が大きくなっていたのである。だから現実に補償金をそのくらもらったらこれ幸いと故郷を離散したともなる
それを誰もとがめることはできないからである。

ともかく石社会,土社会,粘土社会は人間の結びつきが強い社会である。
それは簡単にばらばらにはならない粘着性の強い社会である。
自分が目指しているのはこの石社会であり土社会であり粘土社会である。
これはただ拘束力か強いから自分でも田舎は嫌だったのであり旅ばかりしていたとなる
そういう矛盾は常に人間にはある。
今人間の関係はすべて金に換算されている砂社会なのである。
だから強権政治でしかもう統制できないというのはわかる
それはナチスのファシズムになりカルト教団のファシズム宗教団体になる
第一何百万人が示威行動すること自体すでにファシズムなのである。
権力を誇示して圧力を数でかけるのが民主主義になった
だから砂社会の行き着く先はかえって強権政治でしか統制できない
それは社会主義でも同じである。文明そのものがそういう砂社会だからである。

かつては石社会,土社会,粘土社会だったのである,自分が自然とアイディンティティ化しようとした社会はまさにそうである。
なぜなら自然はそういうものであり木でも石でも大地に深く根を張り動かないし石でも岩でも動かないからである。密接に大地と結びついて動かないからである。
そういう社会がかつてあったしそれはエジプトでもマヤ文明でもアンコール文明でも石の建築物が多いのは石社会だからである。ヨーロッパでも中世とかなると石社会なのである堅牢な石の聖堂があり宗教的コミニュティがあり地域の結びつきが強いのである。

岩と岩は厳かに見つめ合う
固い約束を交わして不動なり
嘘,偽りのなく
岩と岩は固く結ばれている

自分の詩の一部だがこういうふうに人間は結び合っていたのである。
だから砂社会となった文明の結びつきが薄弱であり簡単に崩壊するばらばらになる危険性がひそんでいる,それが原発避難区域が事故で一挙に崩壊して廃墟化したのともにている要するに文明そのものが砂社会でありそれを結合させることが一番むずかしいのである。無数に分業化してパーツ化されて結びつくことがむずかしいのである。
だから石社会とか土社会,粘土社会に還るべきだとなるがそれはもう不可能である。

簡単に市町村で何か原発事故のようなものがあると崩壊して廃墟化する危険性がひそんでいる,津浪や原発事故で盛んに絆が象徴されたのもそもそも絆が消失している砂社会だったのが津浪原発事故でそれを見直す風潮が生まれたのである。
絆が大事だということは絆が失われていたからこそである。
でももうこれだけの世界が文明化すると不可能になっている,砂社会のなかで人は死んでゆくともなる,数としてカウントされ死ぬことも統計的数字でしかないとなる
共同体のなかでの自然の中での荘厳な死もありえないからである。

タグ:砂社会
posted by 老鶯 at 10:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本(世界)文化文明論

2018年05月11日

原発事故に対しての理系と文系の対処方法 (文系も問題解決には不可欠な場になった)


原発事故に対しての理系と文系の対処方法

(文系も問題解決には不可欠な場になった)

津浪とか原発事故が提起して問題はあまりにも多様だった,主要なものは放射線被害だから理系の科学者がその解決の任にあたるものだった
そもそも原発そのものが理系の優秀な人達が運営していたからである。
現代は科学の時代だというとき理系が支配する社会だともなる

理系の原発事故の対処方法として放射性物質を出したのは理系が運営している原発でありその処理をするのもやはり理系である。
放射性物質は目に見えないからその対処方法を文系は知らない,でも文系でも絶えず放射線量をマイクロシーベルとかで計ることを強いられたのである。
だからこの辺では毎日その数字を見ていたのである。

放射線量とは数字でしか計れないからでる,だから文系でも理系の方法を学んでいたのである。ただ詳しく理解するのは本当にむずかしかった
でもなんか放射線は水でさえぎられるとかセシウムは泥について付着しているとか放射性物質は減らないというのも知った,事故のときと同じように放射線量が計られるからである。
放射性物質が泥についているというとき樋の下は屋根から集められた放射性物質が付着して高かった
放射性物質については限りなく詳しく研究されているが素人には文系に理解できない
そこで自分には原発事故を追及できないものがあった
その対処方法にしても今度は田畑の土をはがしてとりのぞき除染するのも理系の仕事である。そういうふうに理系の仕事が多いのである。

でも一方で文系的なものからも原発では追及された,まず歴史というのが津浪に関係していたからである。
自分は理系の人に原発を運営する人に一番感心したのは津浪が10メートル以上くると東電の理系集団の人が科学的に予測していた
その予測していたことでそれを防ぐ対処をしなかったことで裁判になったのである。
でも津浪が10メートル以上のものが来るということを予測していたことに感心した
ただそのことは大きく伝えられなかったのである。
マスコミでも伝えられなかったのである
もしそのことがだいだい的に放送されていたらそんな津浪が来るのとこの辺の人は驚き恐怖になっていたはずである
だから東電の専門家以外でそのことを知っていた人は少なかったろう

そもそも原発は秘密裏に行われていて隠蔽されているものでありそうした危険情報も表に出なかったのである。
そのことが今になると一番の問題だったのである。
そこにマスコミの責任は果たされなかった,福島民報でも民友でも危険性は指摘しなかった,福島民報は官報と同じであり50パーセントが県の出資で成り立っている
だから国の言いなりであり危険は伝えなかったのである
マスコミは文系でありそもそも科学にうといから役に立たないというときそうだと自分も思う,原発のことなど放射線のことなどでもそれを扱える理系の人がいないのである。
マスコミはほとんど文系だからである。

ただ文系でも原発に関してはいろいろ追及するものがあった,それは避難区域化したことなどで起きた,それを自分はこれまでプログで追及してきた
郷土史の面からまたは哲学的な問題としても追及してきた
自分の一番の大きな疑問はなぜこんなに簡単に町とか村が解体して廃墟化したことの驚きだった
浪江町だと二万人とか人口があった,それが一挙に廃墟の町となった驚きである。
それは確かに放射線というのが怖いとういことをすりこまれた,遺伝子が破壊されて奇形が生まれとかも怖いことであり限りなく恐怖が与えられたからしかたがないという面はあった

でも自分はなにか放射線だけではない,現代社会の問題もあったのではないかと追及した現代社会は絆のことを津浪や原発事故後盛んいに言われたがそんな絆が田舎でも希薄化していたのではないか?
何よりも便利な生活をしたい,金があればいいという社会になっていた,それは田舎でも同じである。
だから漁業者は東電に漁業権を売り渡して補償金で事故前も裕福な暮らしをしていたのである。農業はただめんどうで苦しいだけで金にならないからやりたくない,後継ぐ者もいないとかなっていた,農業の価値は田舎でも全生産の一割にもみたなくなっていたのである。林業も外材で山をもっていても金にならないとなっていた
そういう社会は農業とか漁業でも林業でも軽んじるのである。
ところが田舎で生きるということはそうした第一次産業の上に成り立っている
それは自然の中に生態系の中に生活しているのが田舎である。
それが都会と東京などとの大きな相違なのである。田畑は生態系の中に組み入れられた第二の自然だからである。
東京とかなるともう生態系というのはないのである。
ただ放射性物質で東京の水源のダムも汚染されたとき生態系を意識したとなる
東京でも生態系から無縁では生活できないのである。大気も生態系の中に入るからである

津浪でもそうだが原発事故となると余計に事故後でも文系として対処する問題があった
その問題は多様になっていたのだ,だから蛙が鳴いた時何か復興したと自分が書いた
それは生態系の復活であり蛙も共に生きていた仲間だったと意識したのである。
それは鷺がもどったときも感じた,生態系から考察すると理解になるが文系的に文学的に表現したのである。
そして故郷とは何か?その根源的な問題を避難区域になった所で否応なく普通の人でも考えてしまう,廃墟化した町とは何なのだろう,一体故郷とは何なのか,故郷は当たり前にあるものだと思っていたからである。
だから故郷について考える,故郷を哲学的に考えるようになった
こんなこともありえないことだった,ただ自分は故郷は生態系とかからアイディンティティ化して詩などを書いてきた,ただそれは故郷に住んでいる人にも関心ないものとなる
経済的利益としての故郷は考えるが自然を森や木や岩や石を精神的象徴として考えることは故郷の人でもあまりないからである。
ただそうしたものは自明のものとしてあった,自明のものとしてあるから意識されていなかったのである。

自分は未だにそのことは考えているしなぜ故郷でもこんな簡単に捨てられるものだったのか?もちろん放射線の影響があるからこそだからしかたないとはなる
でもそれだけでも納得いかないのである。
この辺では江戸時代の前から人が住み続けている,歴史もある,そういう場所が簡単に捨てられて廃墟化したということが納得いかないのである。
故郷とはそんなものだったのか?便利な生活が金があればどこでもできるということで故郷の価値は消失したのか?何かそういうことが納得いかなくていろいろ追及して書いてきたのである。

自分が住んでいる場所は30キロからはずれているから避難区域にはならなかった
だから本当にこういうことを感じるのは考えるのは避難区域になった人達でありその人たちが今どういう気持ちでいるのかとなる
故郷から離れた人でもそうである。結局今は金があればどこに住んでもいい,ならば便利な所に住む,そういう社会であり故郷の価値は消失したともなるとも見る
ただそこに以前として深く考えさせられものがある
それは極めて文系的なものなのである。それは科学とは理系の思考とは違うのである。
何かそこに理系と文系の問題が具体的に現れた場だとも思った
だから理系が主にしても文系的な問題の追及もこの辺では重要なものとして現れた

それで理系と文系のことを考える場として原発事故周辺は適していると思った
なぜなら具体的問題としてありその対処方法は理系的なものが主としても文系的なものとしても追及せざるを得ないからである。



posted by 老鶯 at 23:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

藤の花,菖蒲,つつじの季節


藤の花,菖蒲,つつじの季節

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セディティになお人多し夕燕

蛙鳴く前田や農家もどりなむ

舞入りて二色のつつじ揚羽かな

つつじ咲き駅に出入りや通りかな


朝の海夏の光りのきらめきつ漁船一掃すぎてゆくかな

水張りし田に映れる藤の花農家の古く夕暮るるかな

雨しとと菖蒲のぬれてこの道や今日も通いて買い物に行く


この季節は夏までは自然も天候も変化しやすい,桜が散ってすぐに夏になり藤の花となり菖蒲となりつつじの季節である。
一度にいろいろ咲くから追いついていけない

原町の金沢の坂を上る所にある農家は悠々としていい,あそこにたくさんの藤の花が咲いて倉があり落ち着く,田舎の風景の中心は以前として農家ということがある
風景から見ればそうであるが仕事からみればそうではない
それで前田という地名のあるところは古い草分けの農家が最初に入ってきたところである前田から開墾されて一つの村が形成されたということがある
この辺では原発事故で避難区域になったところでは前田に田植えが行われて蛙が鳴いたとき復興したとなる,そのことは書いてきた
蛙も実は村の一員のようになっていたのである。

今日朝に街中を行ってみたのは二色のつつじである。白と赤である。
そこに揚羽蝶が舞い入っていた
揚羽にその二色のつつじが映えていた
自然はこのように調和するのである。
ただ人間だとつつじを女性のように見るが争いが常にあるからだめなのである。

ともかく常磐高速のSAのセディティは一日人が絶えない,おそらく楢葉の方にはPAがあるがあそこが一番大きいからそうなっているのだろう
食事もできるとか大きいのである。
花でもやはり人が行き来しないと映えないことがある,赤いつつじだとやはり駅に今咲いているがもっと人の出入りがあれば映えるとなる

自分は今や遠くに行かない,近間を回っているだけである
仙台にすら一年行っていない,それでも近くでも結構見るものがあるなと思った
街の通りに菖蒲が咲いている,すると昨日は雨にぬれて咲いていた
そして自分は毎日買い物である。ただありふれた日常であるがその中に紫の菖蒲が咲いていることはあっている
何かその街にいつくというかなじむという感じになる
つまり何か特別なことではなくても日常の中に詩があるともなる,美があるともなる
それは自分が毎日買い物しているから紫の菖蒲が映えるともなる



商売の基本は変わらなかった (三方よしとは「売り手よし、買い手よし、世間よし」)


商売の基本は変わらなかった

(三方よしとは「売り手よし、買い手よし、世間よし」)


中国の大富豪の劉智健(リュウ チーチェン)という人物が出てきて、こんな言葉を言っています。

「ビジネスの成否を分けるのは、長期の視野をどれだけ持てるかだ」

石田梅岩は、真の商人をこのように定義しています。

実の商人は、先も立ち、我も立つことを思うなり

まず、「実の商人」というのは、真の商人という意味です。

そして、「先も立ち」というのは、まず最初に、お客さんのことを第一に考え、行動することで、お客さんの信用、信頼を得られ、そして、その結果として、「我も立つ」、つまり、自分のビジネスが上手く回るという状態を作ることができる人こそが、真の商人なんだという意味です


自分の場合は銀行でこれを感じた,銀行となるとまた商売でも違うが金融商品の種類が多いのである。とても個人的に選べるものでもない
すると選んでくれる人が客のためにしてくれるのが商売だとなる
でも投資信託がそういうものではない,客のためにそもそも仕組まれたものでもない
証券会社と銀行のために仕組まれたと見る方が適切である。
その仕組みがあまりにも複雑でわからないからである。
つまり証券会社や銀行はその仕組みを知っているが客は知り得ようがないのである。
この知識の格差があまりにも大きいから客にとっては不利な商品なのである。

証券会社や銀行がそうしてもうけやすいものだから投資信託を売り込むのである。
投資信託も種類が多いからその中にもうけられるものがあることもいえる
でも証券会社と銀行の勧めるのは客にとってわかりやすいものである
オリンピックだからJリートがいいとかロボット産業やAIはみんな投資して上がっているとかその内容がわかりやすいものなのである。
でも実際にもうかる投資信託は目立たないし知られないものだという
これもまたなぜそうなっているのか?
そこに金融商品の複雑さがあり素人にはわからないものなのである

そのことを一番自分が経験したことで実証していたのはリーマンショックの前にもっていた株が元にもどったときそれをそのままにしていればかなりのもうけになった
でも銀行の営業の人は投資信託に回したのである。
それは客のためではない,銀行がもうけるのには投資信託がいいからである。
それと営業者にはノルマが課せられているからである。
客のことは考えない,考える余裕もないのである。
ノルマが課せられていると頭の中が投資信託を売るとういことしかなくなるのである。

金融商品というのは物を売買するのとは違うがやはり三方良しという近江商人のやり方が商売の基本として今も通じている
だから社会がこれだたけ変わっても基本的なもので変わらないものがあると思った
もちろん自分は商売について何か語れるものではない
あくまでも客として言っているだけである。

でも商売を考えると飲食業があるとする,これなどはまずごまかせない,料理はごまかせない,値段どおりなのである。
高ければ材料もいいものを使っているし安ければそれなりのものである
これは料理をだす方にしても食べる方にしても納得できるものしかだせない
安いのにいいものを期待するのは無理である。
第一材料費を安い料理にはだせないからである。
サシミ定食を見たら千円くらい材料費がかかっていた,それは日頃買い物しているから察しがついた,すると1700円だったがそんなものだろとなる
ただ自分はメニューを見ないで本当は1000円だ思って注文したのである。
自分は千円以上のものはほとんど食べていないからである。

三方良しというとき客にとっていいものは社会にとっても世間にとってもいいものとなるもちろん売る方でもそのために感謝されるともなる
銀行とか今まではそういうものがあったから地域に必要なものとして地方では銀行員はエリートととして扱われていたのである。
何か社会のためにいい,役割をもっていなければどんな会社でも存続できなくなるのが普通だろう,そういう会社は普通は淘汰される
だから銀行は今社会にとって必要ない,役割がなくなる危機にたたされている
自分たちだけの利益を計る,投資信託などをうりつけるのはそういうことになる

「ビジネスの成否を分けるのは、長期の視野をどれだけ持てるかだ」

これもそうだろう,今もうかればいいとなれば投資信託を売りつける,でも長期的にはどうかとなるとみんなもそれがどういう商品が気がつく,そしてなぜこんなものを売りつけたのだと銀行不信にもなる,信頼されなくなる
銀行は信頼が第一でもっていたからである。
石田梅岩は商人道を説いた,そういうモラルは職人道でも農民道でも江戸時代からあった農民道は二宮尊徳が説いたのである。
そういう日本独自のモラルがあって社会が成り立っていたのである。

それが明治維新になって西洋の思想が入ってきたとき混乱した
新しい資本主義がありそこにもモラルがあったとしても江戸時代からあったものにも習うもの継続するものがあったが見捨てられたということはある
明治維新後は日本古来からあったものを日本人は遅れたものとして見捨てたのである。
あまりにも西欧文明一辺倒になってしまったのである。
それが今になると日本の歴史を見直し古来からある日本の良さを見直すことが求められる時代となった
つまり外来の文化が入ったあとに日本では必ず国風文化にもどるからである
そういう時代の分かれ目として現代はある
それは商売だけではない、いろんな分野に影響しているのである。
医療の分野でも東洋的な医療を見直すとか西欧一辺倒の文化から古来からあったものを見直し取り入れるようになる
現代はそういう時代の節目であるがそこでやはりまた葛藤が生まれるのである。

江戸時代にあったものそれがみな遅れているものとして省みなくなった
そこに現代の日本の問題がある,別に西欧に習わなくても商人道でもあったのである。
それは西欧的な資本主義とはまた違うものなのである。
そのモラルは実はわかりやすいのである。法律となるとわかりにくくなるがそのモラルはわかりやすいのである。
法律も本当は基本的に人間の基本的なモラルを基にしている
嘘をつかないとか約束は守るとか人間として基本的なものを守ることである
それを法律でもなんでもあまりにも複雑にした結果,かえってモラルは荒廃したのであるその複雑故に投資信託でもかえって売る方が有利になりだましやすいともなるからだ

商人道であれ農民道であれそれは別に特定の職業のものだけではない,それは別に一般的に通じるものである。モラルはそういうものである。
ただ長期的視野をもてというとき江戸時代は有利だった
社会の大半は農民であり農民は自然とかかわり自然の中でモラルが培われたからである。その延長に商人もありえたからである。
農民はモラルを形成しやすいが商人となると暴利もあるからむずかしくなる
株ともにている,時代劇では悪徳商人はいるが農民に悪い者はいないとなるからだ
その商人にだまされるのが農民だというシナリオになっているからである。
長期的視野というとき林業でも木が育つには50年とかかかるとするとどうしても一代だけではない,長期的視野で仕事をしなければならない
そうした自然のリズムと合わせるから自ずと長期的視野をもつことになる
今はグローバル社会でもあり変わりすぎるから目前の利益にとらわれすぎるのである。
それがかえって社会のためにならないし客のためにもならないし結局会社のためにもならずとなり三方良しではなく三方悪しとなりやすいのである。



posted by 老鶯 at 08:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2018年05月10日

銀行,証券会社はブラック会社 (社員はノルマの奴隷-インターネットから引用)


銀行,証券会社はブラック会社

(社員はノルマの奴隷-インターネットから引用)

「おい。お前、今月数字できてないだろ。お前の給料分以上の働きはしろよ。それとも俺に何か恨みでもあるのか? 今、ここで言え。『今週中に必ず100万円の数字をつくります』と……」

ノルマのためなら、顧客なんてどうでもよい

ニュースサイトで読む: http://biz-journal.jp/2012/08/post_485_3.html
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「投信を購入する人は、たいてい人気が高くてすでに値上がりしているファンドを買いたがるため、基準価格がピークに近いときに買ってしまう人がとても多い。ところが、一般的にはピークの期間はそう長くは続かず、それを過ぎるとマーケットが調整局面入りして基準価格も値下がりしていく。人気の高い投信を買って儲かったという人は意外に少ないんです」(前出・神戸氏)


正直、オススメのファンドは派手な宣伝もなく、資金もそれほどたくさん集まっていません。金融商品では保険などでもそうですが、良い商品は概して日の当たらない場所にあるものです。

投資信託はあなたから手数料を吸収するのとは別に、もう一つの役割があるのです。

何だと思います?

それは自社の投資部門で赤字になった証券をあなたの買った投資信託の中にこっそり混ぜて運用して、顧客に損失を被って貰う為にあるのです。

つまり証券会社が上手く儲ける為のシステムでしかないのですよ。

ちなみに証券会社内の隠語で投資信託は「ゴミ箱」と言われています。


投資信託を買おうと思われている人は、「素人の選択眼で株や債券を買うよりは、多少のコストを支払ってでもプロの運用に任せるほうが、リターンは少なくても確実なような気がする」って人が多いのではないかと思います。

しかし、まず大きな間違いなのは、投資信託を運用している人は、プロと言うか殆どの人がただのサラリーマンって感じです。

投資信託(ファンド)って聞くと、「ちゃんとした会社の、ちゃんとした金融商品」みたいな印象を受けるかもしれませんが、調べれば調べるほど「証券会社や銀行がいかに上手く手数料を稼げるか考えた商品」って感じですね。


こういうことだったの?それは自分が経験したから理解できた,もし経験しなければまた理解しにくいことがあるだろう
何か楽天的に考えるのが人間だからである。
人間はつくづく経験でしか本当に理解しないのである。
投資は海千山千のものである
ところがなぜ失敗したのか?

銀行員が来たということである

自分は銀行は地銀などは硬い職業だというものと思っていた
その銀行員が直接来たからまかせたのである。
でもマイナス金利とかで銀行が窮地にたたされて証券売買も自由になったとき銀行は変質していたのだ
それを知るのも遅かったとなる

結局自分の経験で一番わかりやすかったのは

なぜリーマンショク前に買っていた株を投資信託に回したのか?

それはここに書いてあるように銀行側の利益を優先しているからである。
証券会社や銀行員は今やノルマの奴隷なのである。
証券会社はもともとそういうことがあったが銀行員も今やそうしたブラック会社になっていたのである。
銀行員のイメージは堅実で地域でも有力な就職先であり銀行に就職したとなると信頼されるものだったのである。
それが社会が変わり銀行は投資先もなくもうけることもできないから証券会社化したのである。
現実に証券会社の人が銀行で仕事しているのである。
証券会社と一体化しているのが今の銀行なのである。

この世にはブラック会社も多い,それが銀行にもなっていたのである。
銀行は意外と文系でも就職しやすい場である。
でも銀行が体育系なのかというのも驚きである。
銀行は知的なエリートが入る会社だと思っていたからである。
営業に来た人は押しが強いから体育系の人である

でもそういう人が営業に向いているとも限らないと思った
そういう人は強引であり相手のことを知り聞いたりしないからである。
たから自分がこれまでもっていた株をなぜ売るのかと疑問に思って聞こうとしたが一方的に投資信託に回したのである。
そのことを一番自分でも悔いている
確かにその時の情勢があるからいちがいには批判できない
でも分散投資をするなら株であり国債であり投資信託にするとなる
なにも投資信託にすべて回す必要はなかったのである。

そのことを言っていたのでそうしたのである。
それも結局銀行側の一方的にもうけるものとして投資信託が設定されていたのである。
投資信託の仕組みは素人には理解できない,理解できないということはだましやすいことである。法律でも普通理解できないからまた弁護士にとってだましやすいということにもなる

株だと単純なのである。日経平均を見て下がった時に買い上がった時に売ればいいだけなのである。
株が上がってきたから普通だとチャートを見て上昇する株はすぐに売らないのである。
その判断はむずかしいにしろ素人でも判断できるのである。
まず投資信託は絶対に仕組みでも理解できないようになっている

それは証券会社が銀行がだますものとして作られた商品だ

そうまで言えるかもしれない,そういう商品だったということである。

posted by 老鶯 at 23:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

無人化した駅の問題 (市役所の人,JRの下請,地区の人・・が来る)


無人化した駅の問題

(市役所の人,JRの下請,地区の人・・が来る)


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つばめの巣のことでアサガオの人が文句言う

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自転車置き場の拡張工事のための調査

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JRの下請の人がホームの長さを計る



障害者のアサガオで毎日トイレ掃除している,そのトイレは市で作り運営している
だから市で金をだして掃除させている
駅舎内でホームの掃除はJRに頼んだ業者と商工会の観光部の婦人がしている
それはJRが頼んで金を払っている

今日は自転車置き場を広げる工事のために市の人が来ていた
それからJRの下請の人がホームの長さを計っていた

市で運営するトイレは燕の巣で汚れた,それを掃除するのを嫌がっていた
掃除しにくいからである。
去年は駅舎の中に燕の巣を作られてそれをJRの人が掃除していた
燕は何度もいい場所を見つけると巣を作ろうとする
それでネットをと張ったりして防いだ
トイレでも何回も燕は巣を作るため入ってくるのである。

とにかく駅にはこうして業者の出入りがある
今は駐車場の隅に電気関係なのかJRの鉄道運行のための小さい施設をつくっている
要するに駅はこれだけ手がかかっているのである。
それはJRだけではない,市でも商工会でも地区の人もかかわっている

駅は無人化したがそれでもこれだけの人がかかわっている
そして無人化することは何か管理するものがいなくなるからそこが無法地帯にもなる
なぜなら自由にホームにも出入りできるからである。
JRの人が除草していたがホームに入って何しているのか聞いたらここに入るなと言った
これもまた無人化しているから勝手に出入り自由になっているからそうなる

つまり施設でも人がいない施設は誰が管理するのか守るのかということもある
空家が増えているがそこを所有している人はいても出入り自由になり犯罪者の住処にもなるし何かそこで問題が起きることもある
それは管理する人がいないからである。
原発事故の避難地域ではそうなった,街に人がいなくなり無法地帯になったのである。

だから無人化することは経費の節約だがそこに問題がある
確かにJRで人を置かなくても管理はしている,でも無人化していることは勝手にされるということもある、駅に何かを勝手に置くなというが人がいないからそうなる
それが駅にとって地域にとっていいことでもそうである。
だから無人化した駅はJRだけでは管理できないのだから勝手にされてもしかたがないということもある
確かにJRで権利があるのだが一部なくなるということもある

要するにもうJRだけは管理できないから市でも地区でも管理してくれとなっているのだ
だからJRだけが何か権利があるのではない,市とか地区とかも権利があるともなる
無人化するとはこうして権利を失うことにもなる
人がいないということはそういうことである。
それは原発事故の避難区域で人がいなくなったことともにているのである。
タグ:駅の運営

四年間の投資成績 (銀行にまかせきりの人は投資はするな)


四年間の投資成績

(銀行にまかせきりの人は投資はするな)


銀行員が勧める金融商品の9割がダメな理由

この通りだった,銀行員は

四年間もすでに投資していた,その成績は損していないが実際は手数料がとられているので損しているかもしれない,銀行は信用できないということもある
ただ損はしなかったのは確かだろう
でも四年間かなりの額を投資したのだからそれもカナダの国債,USリートとあとでJリートを買った,その成績表はトータルでは確かに損していないがもうけてもいないと思う
とんとんで終わったとなる

一番の失敗はリーマンショック以来の株をもっていた,今日それがいくらになったか見たら五〇万とか増えている,もしこれをもっていたらどうなるのか?
その時点の株は確か16000円くらいだったのだ
それが今でも23000円とかなるとそこから7000円もあがっている
リーマンショクで半分になりそれが回復して7000円もあがったのである。
16000円の時に投資信託に回してそれが損したのである。

それをしたのは営業の独断だった,営業の人は別に銀行の上司に聞いて決めているのではない,営業の人が直接独断で決めていたのである。
なぜならそうすれば投資信託に回せばノルマを果たせるし成績を上げることができるからだ,もし銀行の上司が決めていたならまた別である。
つまり投資の出来不出来は実は営業の人にかかっていたのである。
もし営業の人が優秀だったら客をもうけさせることもできた
ただ銀行側としてはノルマを果たせることを第一にする
投資信託を銀行ではすすめたいのである。それは何か手数料が入る,配当があっても定期的に手数料がはいるとか銀行側にとっていいものなのである。
だからこそ営業の人も銀行の利益を考えるなら投資信託に回したのである。

銀行等は投資信託を販売することによって利益を得ています。そのため購入者が儲かる投信よりも銀行側が儲かる手数料の高い商品や上司から販促に力を入れるように言われた商品が勧められやすいわけです。

投資信託が危険だ、詐欺だと言われる3つの理由

もし金持ちに個人的に雇われた人ならそうはしない

なぜなら自分も損する,首になる

クライアントに客に頼まれて投資をまかせられるけどもし損させたら首になるからリスクを負うから自分のようにはならない,株が上がってきていたらそのまま様子を見ているだろう,別な投資信託に回すようになことはしない
自分もその時は自分の判断をするべきだった
それは素人でもこれだけ上がっているのだから売る必要もないと思っていたのである。

だから銀行に頼むにしても自分で判断できるものをやるべきである。
株は自分で判断できるのである。日経平均を見ていればいいのである。
安く買って高くなったとき売ればいいだけだからである
それは自分で判断すればいい,それで失敗しても責任は客にある
でももし銀行の営業でも金持ちに頼まれた投資家でも失敗すればリスクを負うから簡単には決められない,真剣になるのである。

つまり銀行側に営業者に判断をまかせてはならない,そしたら判断をまかせる
でもその判断の責任は銀行でも営業者でもとらない
銀行はそもそも株でも投資信託でも責任は一切とらない
責任をとらされるのは客なのである。
「もうけさせますからまかせてください」と言っても失敗したら一切責任はとらないのである。
もし自分で素人なりわかって判断するならそれで失敗しても責任は客がとる
そういう商品ならしてもいいとなる,別に銀行側に責任はないとなるからだ

いづれにしろ投資をふりかえって損はしないにしろ失敗だったと思う
まずこれだけ投資をしてももうけたとは言えないからだ
むしろ株をそのままに放置していたらかえって大きな利益があった
そのことが一番悔いているのである。
だから自分はもう株とか投資信託はやる気がなくなった
まず銀行とか証券会社を通して投資しているのでは普通はもうからないものなのだろう
証券会社が銀行の意向が働いているからである。
証券会社や銀行の利益が優先するからである。
そのことによって判断も誤るのである。

商売も損して得をとれというとき投資にもあっているかもしれない
銀行でももうけようとしたら客にもうけさせる,銀行側だけがもうけて客に損させる
そういう商売は一時はいいにしても長くはつづかない
そして今銀行は追い詰められているからかかわると危険だとも思う
余裕がないと客に対しても余裕がない,銀行側が営業者がノルマを果たしたいと余裕がないから客のことなど考えられなくなるからだ

借金している人が自分が苦しい時にきてひどいめにあった
そういう人はとても人を助ける余裕などないのである。
今地銀はそういう立場にある,銀行は今は窮地にたたされている
こういうのとかかわると危険になる
投資は別に詐欺でもない,素人でももうけはだせる,ただそれはなかなか知り得ようがないから失敗するのである。
投資信託は特に仕組みが複雑でわかりえようがないから失敗する
そして失敗しても誰も責任はとらないのである。
だから自分でわかり判断できるものはして自分の責任でもしょうがないとするべきであるそうして割り切ってやるのならいいが後で文句を言うようになるならやるなとなる

タグ:投資の失敗
posted by 老鶯 at 16:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

地形の変形 (これも新しい芸術か?)


地形の変形

(これも新しい芸術か?)

Deformation of the landform

(Is this also a new art?)

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depth of the sea

相馬市に住む陶芸家によって作られた皿

Feeling like the bottom of the ocean

Plates made by ceramists living in Soma City, Fukushima Prefecture


これも何か一つの芸術的なものとなるのか?
無数の写真がありそれをパソコンのソフトで変形するとなる
ただこれもあまりににていると著作権違反になるかもしれない
ただ何か地形がダイナミックに変化している
だからそもそもこうして私がオリジナルなものを変形していること自体が
今までありえないことだったのである。
それはパソコンが生まれソフトを操作してできたものたからそうなる
ただ著作権違反になるかもしれない
でも単なるコピーではなく創作にもなっているのも確かである。

Is this also something artistic?
There are countless pictures and it will become deformed by the software of the personal computer
However if it is too much it may be a copyright violation
Just something terrain is changing dynamically
That is why I am deforming the original one
It was impossible until now.
That is because it was created by PCs born and operated software

It may just be a copyright violation, I do not know because it has not been pointed out
It is certain that there is a creation that is not a completely copied work.

2018年05月09日

人生百年を生きるヒント (クリスマスローズ博士のようになるのがいい)


人生百年を生きるヒント

(クリスマスローズ博士のようになるのがいい)


人生百年となると経済的にも備えられない,年金でも国民年金ではもともとたりないからそれだけの用意している人は相当に恵まれている
人生百年となると会社一筋に生きることがすべてではなくなる
会社を退職するとたちまち役割もなくなり社会的にも無用化される
でも会社に勤めてまた趣味をもつということも時間的にむずかしい
ただ会社勤めで得るものはある,それも経験なのである。
人間は何事経験なのである。

この辺で有名な裁縫会社で働いている人がいたが機械の操作がありそれがうまくできなかったという,裁縫の仕事は自分はわからないがそういう体験を勤めれば誰でもする
それで同じものを大量生産する時代が終わり個々人のオーダーメイドとなる
その時AI化するが裁縫する技術をもっている人は失業しないという
裁縫には人間の手が必要だとなる

人間は何か経験を積まない人はいないのである。それはどこかで役にたつ
ただ人間はあらゆる経験ができないのである。
自分は株の投資の経験がないから失敗した,これも経験していればそうはならなかった
銀行の営業の人がプロだと思ったが銀行自体が素人なんら変わりなかったのである。
それも時代が急速に変わり失敗したのである。

自分は会社勤めしていないし会社で働いた経験もない,だからそこで社会性がなく親の介護で苦しんだりした,人間はあらゆることが自分の経験を基にして判断しているのであるそれは本を読んだりしてもわからないことが多いのである
まず外国で生活した人としない人の差が大きいことでもわかる
旅行したくらいでは外国のことがわからないからである。
それも経験の差として現れるのである。

では退職したとき今度はどうそうした経験が活かされるのか?
活かされない場合どうなるのか?それが人生百年では問われる
そのヒントは何か一つのものテーマにして追及すること探求ことがある
常磐高速のセディティで「私はクリスマスローズをやっているんです」というとき
クリスマスローズにはいろいろ種類があったり原種をもっていたり花を咲かせる苦労があるそのことを語る時,その人はクリスマスローズ博士なんだなとも思った
クリスマスローズの専門家であり博士なのである。

それは野草とか花に興味ある仲間がいれば一目置かれるのである。
つまり一芸に秀でることである。それが人生百年では求められているのだ
ただ天才とかになることはできない,自分も凡才であり天才は例外でありまねできないのである。
でも何か普通の人でもあることに詳しくなれるし一芸に秀でることはできる
素人的専門家とかである,それは地域とか郷土史とかの分野でもそうである。
地域といっても広いから何か一つをテーマにして探求すれば詳しくなれるのである。
何かそういう探求するものがテーマとしてもつといいとなる

ただそういことでも定年なる前から少しでもしていれば延長としてできるのである
自分がパソコンのソフトで抽象画ができたのは偶然だったのである。
全く絵を描く才能がないのに絵を描いているというのも不思議である。
第二次作品でも創作している感じになるし外国の人がアメリカの人が十数名定期的に見ている,だから単なる模造品ではなく創作品として認められているともなる

人間はすべて生まれつきの才能でもないことがこのことでもわかる
才能とは開発しないかぎりないともいえる
開発するということが人間にとっては大事なのである。
それは本当は勉強でもそうである。何か暗記ではないもの,開発してゆく創意工夫して学ぶことが大事になる,そうすれば勉強に興味をもつ
自分にはそういうことが全くなかったから勉強に興味がもてなかった
ただ大学でも卒業して旅ばかりして地名とかに興味をもって歴史に興味をもつようになったとかなる
要するに地名でも興味をもてばそこからいろいろ他のことにも興味をもつのである。

ともかく暇な老人が本当に増えているしこれもふえつづける,何かうろうろしている人が増える,図書館で暇つぶししている老人もいる
パークゴルフ場では暇な老人で盛況である。
それだけ暇な老人が問題になもなっているのだ
その人たちが社会で有益なことができない,無用化しているのである。

苔に興味をもって朽木にあしらうことに工夫している人もいる
それは金にならないにしてもそれもその人だけにできることであり創意工夫しているから一目置かれる,陶芸の方は本当の専門家だから簡単にはできないが何か素人でもできるものがある
この社会でも自然でも多様だからこそ何かテーマにして専門家になれるのである。
ただそれを退職してからはじめるとなるとかなりのハンディキャップになるのである。
それが大きな人生百年の問題なのである。
ただスクールが暇が語源なときまさに退職後にまたスクールに学ぶ時代が来たともなる
それは今までのスクールではありえない,何か創意工夫を学ぶスクールになる

郷土史じも自分の家のことには興味があるからその歴史をたどりそこから郷土史に興味をもつとういことがある
苔に興味かある人は塚部(かのべ)に住んでていそのことをしきり言っていた
相馬と伊達の境の地域でありそこから郷土史を見ることができる
でもそこに住んでいないとわからないのである。
地理的なことが近くでもわかりにくいからだ
いづれにしろその住んでいる地域の専門家にはなれるとなる
そこに一番の強みがあるからだ,そこに住んでいる人がやはり一番地理でもわかるからである
だからそこに住んでいる人から話を聞けば郷土史の発掘になるのである。
人間は灯台下暮らしであり身近なことが意外とわからないのである。
身近なことに興味をもたないのである。だから人間は常に自ら開発しないかぎり発見もできないのである。
そういうことで人生百年は様々なことが発見されるそれぞれが一つのことについてテーマで博士になることが望まれるともなる

タグ:人生百年

2018年05月08日

キジとタンポポ(矛盾している自然と人間の生活)


キジとタンポポ(矛盾している自然と人間の生活)

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タンポポの雉子に満ち咲き映えにけり

たんぽぽや復興団地にあまたかな

老木に都忘れのあわれかな


タンポポが一面に咲きキジがいる,キジはこのタンポポに飾られている,自然とキジは調和して美しいとなる
でもこのキジは畑を荒らすやっかいなものなのである。
そのことで小さな畑で野菜を作る女性が常にそのことを言う,キジに食われるのである。キジは大きいから畑のものを食べるにしても雀のようなものとは違う
これは畑を作るものにとって害鳥になるのだ
それでネットを張って防ごうとするがその人には金がないからまた金を出してくれとなる何かそういうことが畑でつづいている,種が高いとか肥料が買うのに大変だとか延々とそうなる,まずそれで収穫するのはほんのわずかなのである。
買った方がそんな金がかからないからいいとなる
ただ荒地にしておくのは良くないからしているが金がかかるのである。

もしこの畑で野菜を作っている人とかかわらなかったらこうは見ていない,ただ自然は美しいな調和しているなと見ているだけだったのである。
今まではそういう人とつきあっていないからそうだった,ただ自然の美だけを見ていたのである。
これもまた矛盾であった,これまで述べたように野菜作り花作りはにているのである
肥料とか水はけとか植え替えだとか美しい花を見るにはそうして苦労しないと見れない
それは野菜と同じなのである。
ただ自然に放っておいては見れないのである。

つくづく人間は矛盾している,こういう矛盾はいくらでもある、自分も矛盾している
花の美だけを見ているが花を育てるにはやはり野菜を作るように土とか肥料でも虫にもやられるから薬を使うとかなる
美しい花だけを見るというだけにはいかないのである。

ただキジをタンポポの原の中で見たときは本当に調和していた,キジはタンポポに飾られていた,その時人間にはないもの自然の中でタンポポに飾られていた
その美は人間が作り出した美とは違う,自然が作り出したものである。
それは最も美しいものである。人間は何かこうした美が作り出せない
人間が作ったものでこうした美は生まれないのである。

本当に着飾った女性が美しいのか?そこにこのように自然の美が生まれるのとは違う
第一その衣装を作るのには手間もかかり労苦から産み出される
でも自然のものはそういう衣装がなくてもキジでもキジ自体が美しいのである。
別に着物を着なくてもそれ自体が飾られている
何の労苦もなく飾られている

生命は糧(かて)にまさり、體は衣に勝るならずや。 
空の鳥を見よ、播かず、刈らず、倉に收めず、然るに汝らの天の父は、これを養ひたまふ。
汝らは之よりも遙(はるか)に優るる者ならずや。 
汝らの中たれか思ひ煩ひて身の長(たけ)一尺を加へ得んや。

野の百合は如何にして育つかを思へ、勞せず、紡がざるなり。 
されど我なんぢらに告ぐ、榮華を極めたるソロモンだに、その服裝この花の一つにも及(し)かざりき。

聖書だとキリストはこう言っている,キジを見ればわかる,キジの体は衣がなくても美しいのであり飾られている

野の百合は如何にして育つかを思へ、勞せず、紡がざるなり。

労せずして紡ぐとは働かないで自然のものは美しいのである。
人間はなぜこれほど労して働いているのに美しいものを作り出せないのか?
それは自然を見ていれば言えるのである。

ただここでも矛盾しているのである。人間は畑で働いて実りを作り出す,そこにキジが来て食い荒らす,キジはその時人間にとって害鳥になるのである。

だからキジは人間がとらえて前は銃で打って殺していた,食料にしていた
食料として人間の役にたてとなるのである。
人間から見ると動物はそういうものにもなる、ただもし人間がいなければキジはそういうことはない,自然の中で調和して生きていたとなる
別に人間が作った畑が無くても自然界には餌となるものがあるからだ
こうした矛盾は人間が自然の中でいきはじめたときからあったのである。

あの老木は不思議である。本当に生きている?あれでも生きているのかとなる
そこに都忘れが咲いているというのもあっている
まさにそれは自分を象徴している,京都に都に行った日は遠くなり忘れたともなるからだ


2018年05月07日

金とカルマ (金は責任でありカルマとなる)

金とカルマ

(金は責任でありカルマとなる)

金にまつわる話は一番多い,それだけ金無しでは生きていけない時代だからである
金の怖いのはなんでも金が入ればいい,得ればいいとなっていることである。
その金がどうして得られたのか?そこでカルマになっているのだ
これも奇妙なんだけどある人が三百万円で墓を頼むといって死んだ
それを頼まれた人は責任が生じていたのである。
自分も関係していたが金はもらっていない,でも金で頼まれた人は墓を守っていかねばならない,それも結構めんどうなのである。
別に墓を捨ててもいいがそれも何か後味悪くなるだろう

その原因は金をもらって責任が生じていたためなのである。
もし自分と折半していれば責任は半分になっていたから楽だとなっていたかしれない
ただその人は子供がいるからその子供が墓を守るということで三〇〇百万円もらった
でももう孫の世代になると祖父母に直接あったり知らないとなりいづれ墓も捨てられるかもしれない
だからそもそも三〇〇百万円で墓は維持できない
それより金で墓は維持できないものなのだろう。何か家系の継続がないと維持できない
そして今代々つづく家は減っているから余計にできないのである。
ただ金はこのうよに常に責任が付属してカルマとなっているのである。

金はみんななんでもいいからもらえばいいと多くもらえばいいと思っているのだ
だから別に不正しても盗んでも得ようとする,盗むにしても金持ちから金を盗んでいいのだという泥棒にも三部の理が働いているから罪の意識などもないとなる
でも何かもらってはいけない金というのがあり怖いものが金にはなる
ある人が不孝で死んで入ってきた金を権利もないのにもらうことは一見いいようでも後でカルマとなり災いとなる
弁護士に不孝があり相談してそれだけで百万も要求されて払った
でも別に払う必要もなかったのである。
そんな法律がそもそもないし相談しただけでそんな金をとるとしたらその弁護士は悪徳弁護士だったとなる,その金は何か悪いものとしてその弁護士に将来左右するかもしれないすでに何十年も過ぎたから実際にしているかもしれないのだ

ともかくみんな金になればいい,金になることならなんでもいいとなる
それだけ金が必要な時代だからそれを否定できない,実はそういうふうに金がなくてもいいやというのはある程度金を持っている人なのである。
余裕があるから金があるからなくてもいいやとなっているのである。
そうでないと金に余裕ない人はどんな由来の金でもほしがるのである。

この辺でも原発の補償金でもめたけどこれもみんなただ高くもらえばいいとしか考えない絶対にこれでいいなど満足しない,もっと欲しいもらって当然の権利だなって要求する
でもその権利があるにしてもそれを要求できるのは避難者になった人達だけであり他の人はほとんどもらえなかったのである。
原発がある市町村は前々から何かと補償があり財政的にも潤っていた
お前らは前から優遇されていた金をもらっていたとなる
実はそれは責任でありカルマとなっていたのである。
そういうことを金をもらっているときは考えなかったのである。
その金は責任がありカルマとなり今それが現れているのである。
だから外部からはあいつらは原発あるときも金になり原発事故後も金になる勝ち組なんだと見られているのである。

金というときみんな金持ちはいいとおもっている,誰も金が欲しい,金があればと常に思っている,ではその金には責任がありカルマとなる
貧乏だけがカルマではない,金持ちに責任がありカルマがある
なぜなら中国のようにまわりが飢えて死んでいるとき贅沢していた福王は殺されて鍋でにられて食べられたからである。
その金をまわりの納得いくように使えないそうなる
巨額な金をもっていてもそれをためておくだけならその金は奪われる,強盗などが入ってきて奪われ殺されることも普通にある
だから金をもつときそれを有効に使い活かされないものは巨額の金をもつ責任が果たせないのだからもつべきではないとなる,ただ小金もちとかは別である。

金にはなんらかの責任が必ず生じている,そこで陶器を市で売っていた人は言う
金もらうと文句が来るから嫌だとでも文句が言われてこそそれを参考にしていいものを作ればいいとも言っていた
ボランティアだったら金をもらわないから責任もないのである。
だから適当であり時間を守らなくても休んでもいいとなると誰もそういう人に責任ある仕事はまかせられないのである。
ただ補助的な仕事をやらせるとなるだけである。でも金をもらえれば少額でも責任が生まれるのである。金を払う方から何かと注文と文句を言われる
でもボランティアだったらそんな文句も何も言われないのである。
その辺の兼ね合いがむずかしいのである。

金は金でありどんな経過を経て得ても金は金だという人もいる
でももしその金が不正で得たものや盗難された金だとか事故などで死んだ人の金を勝手に使ったりしたら何か災いが生まれる,現実に生まれている
金にはそうした責任とかカルマがある,どんな金も金だとはならないのである。
ただそれがわからないこともある,でも結果として何か金を不正にためて強盗か入って殺されたという金持ちもいるかもしれない
それはただの偶然ではなくそういうカルマを背負っていたがそれを自覚できないで金をもっていためかもしれない,そういうことはありうる
そこに金の怖さがある、金には責任とカルマがつきまとっているのだ

金は金だ,悪い金も良い金もない,同じ金だという思想は間違っている
ただ何か現代の資本主義は金の流れは明確ではない,誰かが操作して莫大な金が吸い上げられている,それが株式市場だとなるのはあまりにも規模が大きいからそうなっいる
それは何か悪魔的なのである。
数パーセントの人に金が流れているとかなるともうこうした金融資本主義は成り立たなくなる,その金は悪魔的となり自ずから崩壊してゆくとなる

金を人間がもっているモラルも通用しなくなりただ悪魔的に金が世界を支配する
そこで陰謀論が生まれてくる,誰かが金を操作して世界の金を吸いあげている
それがユダヤ人だとかイルミナティだとか陰謀論になる
そういうことを言われること自体もう資本主義は限界にきているとなる
やはりモラルが通用しなくなると誰も信用しなくなるからだ
だから今度はそのシステム自体が崩壊することになる
それはいかさま博打とにているのだ、サイコロの目に細工して不正にギャンブルでもうけているとなり誰ももうそのギャンブルに賭けたりしなくなるのである。
タグ:金とカルマ
posted by 老鶯 at 19:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2018年05月06日

常磐高速のセディティに市がたつ (苔の展示の店がまた出た-市は人の出会いを演出する)


常磐高速のセディティに市がたつ

(苔の展示の店がまた出た-市は人の出会いを演出する)

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苔の店と陶器の店

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隣の陶器の店で売っていたもの

海の底のような感じでいい,日常的に使うのはどうか?飾ってゆくのにはいいかも


高速のサービスエリアは連休でにくぎわっていた,店がいくつか出ていた
カレーとナンを売っているのはインド人である。
これはこの辺では売っていない,福島市と仙台市ではナンを出しているレストランで食べたことがあった
だからこの辺ではナンは食べられない,炭火で焼くナンである
他にたこ焼き屋とかも店を出していた,その店の人は知っているおくさんは中国のハルピンから来た人である。これでちょっと国際的になっていることがわかる

山の頂上をイメージしたものを枯木と苔で作った創作品を出していた,この人とは前にあいやはり苔に枯木をあしらったものを買った
今回の出したのはもっといいものである。山の頂上の感じを出した逸品である
その他「やましゃく」とかもだしていた,ヤマサトと聞こえたが山芍薬のことである。

「こんなもの山に咲いているですか」
「咲いていますよ」
「この辺では見ないでしょう」
「これは山形でとってきたものです」
「こいうものは山に入ってもめったに見れないでしょう」
「これは高いですよ,5000円くらい軽くしますよ」
「これは山で見ることはめったにないでしょう」

このヤマシャクヤクははじめて知った
ヤマシャクヤクは山に咲く芍薬でありヤマアジサイとなると山に咲くアジサイとなる
ヤマジサというのもありヤマのジサの木のことであるらしい。橲原(じさばら)という村の名前もある、ヤマシャクはこれはめったに見れない,これは四日くらい咲いて散るとなれば余計に見れない,神秘的な花だとなる

それからこの野草などを売る店の主人は植物に詳しい,前も道の駅で枯木に苔をあしらったものを買ったことがある,今回の作品は前より山の頂上の感じを出しているので傑作である。ただまだ苔が成長していないので残念である,これから成長するという
その人は苔に関心がある,苔にもいろいろ種類があるという,苔は三種類からは知っているけど実際苔の種類は多いのである。

コケ(蘚苔類)の種類は、世界で約二万種ほどありますが、そのうちの1/10、約1800種のコケが日本国内に生育しております。こんな小さな島国に、1800種ものコケ!
日本は、自然豊かなコケ大国なのです。

苔(コケ)は、意外に寒さには強いようです。
しかし、乾燥した冷たい風にさらされると
茶色っぽっく変色して枯れたようになります。
でも枯れてしまったわけではありません。
春になればまた緑色に回復します。
気温の下がる冬、屋外の苔は休眠します。
あたたかい室内に置いた苔は
休眠せず成長を続けます。
冬でも苔の緑を楽しむには
あたたかい室内に置くことです。

苔も不思議である。その人は地球の最初の植物は苔だったという,苔は冬にも強いというとき北欧ではトナカイは雪に埋まっても苔をほじくりだして食べていたテレビを見たことがある,苔がその時貴重な食料となって冬を生き延びていたのである。
苔があるからトナカイも冬を生き延びることができていたのである。
冬は乾いて乾燥して死んだように色もあせるが死んではいない,休眠しているだけでありまた緑の色にもどる,イワヒバも死んだように色が変わりまるまるが死んでいないのである。そうして休眠することができるからこそ冬を生き延びることができるのとなる
植物も冬眠するのかとなる

南方 熊楠(みなかた くまぐす)

生物学(特に菌類学)
民俗学
研究機関大英博物館
主な業績粘菌の研究

この人は外国まで言って苔を研究していたのである。熊野の森は深いから研究には適地だった

 タブノキ(クスノキ科)の朽ち木から採集した粘菌の一種が新種と認められた。熊楠が発見した10種の新種粘菌のうち最初のもの

ただこの辺の植物は生きるのに結構過酷だという,冬は風が吹くし乾燥しているし浜通りは意外と季節的に厳しいと言っていた,なぜそういうかというとその人は植物を苔でも他の花とかでも育てているからそう言っているのである。
かえって雪国は雪が温度が一定して保温してくれるから植物にはいいと言っていたのも意外だった
その人は朽木に興味がありそれに苔をあしらうのに苦労していたのである。

その名も「雪の下大根」は、甘くみずみずしく、食感はまるで梨のよう!!

越冬野菜にとっての最適な条件は、温度が常に0℃にであること、そして、適度な水分が保たれることです。0℃という条件だけでは野菜がパサパサになってしまいますが、雪の下に埋めることで雪がほどよく解けて水分が保たれるので、みずみずしさが増すのです。

雪国を見ると雪に埋もれて何もないようでもこうして恵みを与えるのもつくづく自然だと思った,恵みはどんなところでもある,かえって浜通りが気候的に厳しいというのは意外だったのである。
その人はとにかく苔を成長させたり植物をいかに成長させるか取り扱うかに苦労しているからである,それは野菜を作るとかとにているのである。
その人は山から何か植物を花でも採集するのだがそれもかなり苦労している、うまつやらないと植物がそこなわれるからである。

そして面白い話として虫に食われて茎がだめにして花もだめになるが山の自然の植物はその虫に一部食われても根が他にも伸びてまたそこから茎が伸びて花を咲かせるとか言っていた,植物でも野菜でも虫も大敵なのである。だから薬を使うのである。

一人の客が来た,その人はまた私はクリスマスローズをやっているんですとクリスマスローズの原種をもっているという,それの花は小さいという,花を大きくしたのは品種改良したからである。チューリップの原産はトルコにありその花は小さいのである
でもオランダで品種改良して大きくして種類も増やしたのである。
その人はクリスマスローズを専門にしているから店を出した人もその話を聞いて感心していたのである。
とにかく植物の話になるときりがないのである。肥料がどうだとなるとその人はクリスマスローズいかに扱うかを知っている,しそれを試行錯誤している,つまり花一つにとってもその扱い方が変わるからそうした話はきりがないのでありあらゆるものを成長させることを知っている人はありえないのである。
それだけ広い分野になる,農業とにているのである。
自分は花の美しさを主に見ているがそれを育てるとなるとその知識も膨大でありそれも試してみないとわからないから詳しくなることは至難だとなる
そこで売っている人もあらゆくことには通じていないけど苔とか山の植物を扱っているからその苦労を語るのである。

要するにクリスマスローズに詳しい人はは南相馬市内に住んでいる人である。
その人は互いに親しくなりたいようだったが売る方の人はちょっと変わっているから警戒していて家まで来るのは困るとと断っていた
その人は相馬市の人であった,その人は歴史好きでもあり住んでいる場所のことをしきりに語っていた,姓は伊達である,伊達と相馬の境に住んでいるという,だからそういう歴史に興味をもっている,新地は伊達領だったからである。
海に近いから何か港があったのではないかとも言っていた,塚部という所に住んでいる
それでしきりにそのことを言うからおそらく田んぼの前は塚がありその塚があったから塚部(かつのべ)となったと自分は推測して言った,ただその土地についてはわからない
地名の方が先にあるからそうだと思った,何かその辺で争いがあり墓があって塚となっていたのかともその人は言ったからだ,でも塚というときもしかしたら古墳があるところとなると相当に古いとなるのである。地名は相当に古いからである

その人は歴史にも興味があるといっていた,それでいろいろ話もした,相馬市は実際良くわからないことがある,それは次に書いてみよう。
郷土史というとき実は範囲が広いのである。土地の気候とかどういう植物が生えているとかもそうである。だから今回浜通りが植物の野菜などの生育には雪が降らないのに厳しいというのが意外だったのである。
その地域にはこうしてその土地土地の風土がありそれを基本的に体感しないとその土地のことはわからないのである。
だからそういうことは農家の人が詳しいとなる,ただ花栽培となると野菜作りともにているのである。肥料とか水はけとか植え替えとかなんとかきりなくその扱う方法があるからである。

隣は前も陶器を売っていた,ただここの場所代一日でも7000円とられるという
それで二人で払っているという,7000円は高いとしきりに言う,自分もそう思った
なぜなら半日くらいそこにいたが食べ物と違い売れないからである。
その人は趣味でやっているからいいのかもしれないが場所代も稼げないとなるからであるその場所代は県の方に払われるらしい,というのは道路は県で管理しているからである。セディティは本当に人の出入りが多い,それで警備員が十人もいるのである。
車の誘導などをしているからだ

ただ出店とかは今はあまり見かけない,なんでも日頃売っているからそうなる
昔だったら市場は日を決めて月に何回かしかない,それで二日市とか四日市とか五日市七日市八日市一〇日市廿日市とか地名化しているのである。
今回はその市が小規模だが復活したとなる,その時ここはただ物を売り買いするだけでなく情報をやりとりする場にもなる
それでしきりにクリスマスローズに詳しい人がその人と親しくなりたくなっていたのである。同じ趣味で親しくなりたくなっていたのである。
遊牧民とかなるとまず離れて暮らしているからめったに会わない,すると市がたつとき会うからそこでいろいろな生の情報に接するのである。
だから嫁探しに来るという人もいたのである。

つまり市とはただ物を売る場ではないのである。人間的な場なのである。
そういう機能もあったのだが現代はただ物を売る場でしかなくなって市が消えてたのである
市が立つということは祭りだったのである。祭りの日に出店が並ぶからである。
今回はその市がたった頃のことが復元したとはなる
とにかくあそこだけが人が集まる都会なのである。あれだけの人の出入りがある所はこの辺でないのである。それも遠くから来る人が多いからである。
連休では特にそうだった,ただ別に遠くに来たからといって自分は話はしないしできない駅と違ってここではできない,だからどういう人が来ているのかわからないのである。
ただ野草を売っている人がいてそういう植物に詳しい人が互いに情報交換するということがあった,それが市のもつ機能だったのであり人間の出会いの場を提供していたのである

ともかく連休も終わった,みんなどんな思い出を作ったのか?
自分は今は遠く行かない,近くでも究めるものがあり意外と人間は灯台もと暗しであり知らないことがある,見逃されているのである。
どんな人が住んでいるかも知らないのである。郷土史となるとやはりそこに住んでいる人も対象になる、あの人はあまり話しないが今回はずんぶん話した
家のことも話したのである。だから次にそれを書いてみよう
ただ歴史に興味があるとしても基本的なことは知らない,それが学者と違う
でもあの人から家でも歴史がたどれるのである。
なぜなら伊達という姓自体がそれを物語っていたからである。

最後に苔というとき自分は金閣寺で苔に落ちていた真っ赤な椿を見た
それを今になって思い出した,それはすでに三〇年もすぎているかもしれない
なぜそれだけを思い出したのか,やはりそれが鮮烈だったからかもしれない
それで俳句を作った

椿散る苔に赤しや金閣寺

何かこれが京都らしいとなる,苔寺などもあるのが京都の庭だからである。
つまり椿の赤さと苔の緑と金閣寺の金色が映えているのだ
その対象が鮮烈なものとなっているからだ
苔寺に散る椿の写真がインターネットにある

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夏の季語として苔の花もある,微小な花である

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霊山の苔清水



霊山の岩黒々と苔清水

苔清水修行の僧の霊山に

苔清水というと夏の季語だが自分が行ったのは春だった,でもあの清水はまさに苔清水だったのである。霊山は南朝の城がある前に天台宗の修行の僧が住んでいたのである。
ともかく歴史的に生物学的に地質学的に美的に文学的に宗教的にとか郷土史の範囲は広いのである。
だからとても一人では郷土史は研究できないしそれだけの能力も自分にはない

だから今日花を咲かせるのに植物を扱うのにいかにその実践的知識が必要なのか
一つの花を究めるだけでも大変なのである。すると花の種類も多いからそれにあった扱いが必要となるときそれだけの知識を得ることは不可能だとなる
そのことでもいかに郷土史の範囲が狭いようで広いことがわかるのである。

歴史は必ず教訓を残す (反逆者 北京占領 〜李自成の乱からドルゴンへ〜|中国王朝 英雄たちの伝説)


歴史は必ず教訓を残す

(反逆者 北京占領 〜李自成の乱からドルゴンへ〜|中国王朝 英雄たちの伝説)


明・清の時代3 清の中国侵入


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万里長城は満州族などから侵入を防ぐものだった
モンゴルだけではない,モンゴルと満州族は騎馬民族系統である。
遊牧民だった,だから中国は今の中国では歴史的になかったのである。
明の時代は秀吉を明へ侵攻しようとして朝鮮出兵したのである。
それも明の滅亡に通じていたというのも日本もかかわっていた歴史なのである


中国の歴史は三国志以来同じようなことをつづけている,それは国のカルマだとなる
人民が多いこと国が広大なこと異民族が混じり合うことなどで同じことを繰り返しているのである。
興味深かったのは王が贅を尽くして作った地下宮殿が発見されたことである。
中国の王は始皇帝でもそうだが地下まで来世でも栄華を究めようとしていたのである。
中国では強欲な者はその限りを尽くす,酒地肉林にもなる,そのスケールもまた大きいのである。西安の兵馬様の発見もそうだった

日本の天皇と比べると全然違ったものなのである。日本の天皇はそんな贅沢をしていないからである。日本の支配者は武士社会になってもそんなに贅沢はしていないのである。
それだけの財力を蓄積できない国だったともなる
江戸時代でも侍と庶民の暮らしでも食べ物にそれほど差がないのである。
それはヨーロッパの貴族も贅沢で階級を作っていたからその差ははっきりしている

李自成は黄土高原のヤオトンで生まれ育った貧農の出だった,その住んだ跡が発見されたというが土砂崩れでなくなったという,黄土高原で暮らすこと自体容易でない
それに税を高くされた,飢饉になってもそうである。
飢饉になって木の皮を食べて土まで食べた,土を食べて死んでも食べたという
そのことがパールバックの「大地」に書かれていたがそれは事実を基にしていたのであるそしてそういう人達が必ず流民化するのが中国である。
その数が多いからやがてそういう人達は反乱を起こして時の支配者に歯向かうようになる現代でも一時都会へ出稼ぎ者が流民化していた,鉄道の車両に家畜のように詰め込まれて都会へ大量に移動したのである。
とにかく人口が多いからそうして大量に人間が移動する,そのことが引き金になり反乱にもなる

官僚を厚遇して土地を買って大地主になった福王という大邸宅に住んでいた者がこの李自成の反乱軍に殺された,そして肉にされて鍋でにられて食べられたのである。
中国には人肉の習慣があったのである。中国では大陸では異民族間の闘争は激しくなり残酷になる,みな殺しにもする,日本ではそこまではしない,戦国時代にあったとしても敵味方塚とかを作り戦争が終わった跡はあまり恨んだりしないのである。
中国では敵は墓を掘り出しても刑罰を与える徹底したものなのである。
中国では争いは容赦のない過酷なものになる

李自成の失敗は何だったのか?
「均田免賦」とか徹底した平等を目指した,それは共産主義思想ににている
それが北京の紫禁城を占拠して王になったときその統治に失敗したのか?
それがあまりにも徹底していたためである。

李自成は「追賍助餉」というスローガンの対象を有力な官僚や軍人にも広げ、大量の金銀の提供を命じました。ところが、これに多くの有力者が反発。李自成は応じない人々を処罰。呉三桂の父親も含まれていました。このことが呉三桂が寝返る原因の一つとなったのです。

呉三桂の恨みをかって失敗したとなる,つまり徹底した平等を目指すときそれを簡単にはできない,失敗する,カンボジアの徹底した共産主義も失敗した
一見理想主義でありいいように見えても失敗した
その原因は何なのか?
そもそも人間の歴史を見ればわかる,なぜ人間には金持ちと貧乏人がいてなくならないのか?
この理由は何なのか?
それは何か不正をしているために富をもつものと貧乏になるのか?
そういう一面はあるし福王などは極端だからそうなったことは確かである。
でもすべての富者がそうなのか?それは不正のために富者になったのか?

それだけではない,例えは浪江で畑を作り平に今のいわきに野菜を売って財を成した人は篤農家であり農業技術に優れていたから三人もの娘を大学に出すことができた
そうして富者になったのはその人が優れた人であり努力したからだとなる
同じ農業をしていても全くだめな人もいて失敗している
それは事業でもそうである。失敗する人と成功する人の差がある
別に不正していみんなもうけているわけではないのである。
不正して富者になっているとは限らないのである。
もしそういう人達を否定したら徹底に何をしようと平等にしたらかえって不平等になるのである。
それでソビエト連邦は崩壊したのである。カンボジアでも共産主義は徹底して二百万人が死んだとか大失敗に終わり疲弊したのである。

このポル・ポト政権による強制労働、飢餓、大虐殺による死者は200万人以上とも言われています。1970年代の総人口が約700万人と言われているので、約3割がそれにあたります。そして、ポル・ポト政権崩壊後の国民の85%が14歳以下でした。それだけ大人が殺されたということです。

ここでは悲劇の象徴として骸骨が積み上げられている記念館のキリングフィールドがある
これも徹底した平等を目指すとかえって危険なことになる
今まで積み上げてきたものをみんな否定してしまうからである。

人間は不平等になると飢饉とか苦しくなれば反乱を起すようになる,そして盗賊が王になったというのも中国にはある,盗賊が王になるということはその心情が理解できる
なんであいつは金持ちなのにこっちは貧乏なのだ,金持ちから金を盗んでもかまわない,それは悪いことではない,泥棒にも三部の理があるとなる
そういう人間の気持ちは変わらない,だからそれが大規模になると盗賊が王になっても不思議ではないのである。中国ではその格差が大きいからそうなりやすいのである。
権力をもつとものすごき富が集中して酒地肉林になり豪華な地下宮殿に墓に膨大な人民の税が使われるのである

それが現代の共産主義でも継続されているのである。兆の金が官僚が手にする,共産主義なのに平等をめざしているのにとんでもない格差社会になっているのだ
だからまた反乱が起きてくるとかなるし興味深いのは満州族の住んでいる瀋陽軍区が北朝鮮と一体であり北京に向かい反乱するという観測である
なぜ北朝鮮とか朝鮮がこれまで中国に統一されず生き残っているのか?
それは満州族と一体でありそれでつぶせないということもあるとなる
なぜなら満州族の金という国を起こしてその属国になっていたからである。
つまり歴史的継続からみると満州と朝鮮は一体なのである。
だから北朝鮮の核兵器の標的は北京にも向いているのである
満州族は文字がなくモンゴルの文字を採用していたのである。

いづれにしろ歴史は必ず教訓を残す,人間の個々人でも必ず教訓を残す,だから歴史に学べというとき人間はやはり同じようなカルマを繰り返すものだからである。
国にもカルマがあり個々人にも家族にもカルマがあるからである。
中国ではワイロの国だという時も今でもそうだからである。
ワイロによって外国の企業から官僚に金が入る、するとそこには資本主義の公平さがなくなるのである。それはやがて国がまた格差社会となり反乱が起きるということである。
中国はその歴史,カルマの繰り返しだったとなる



posted by 老鶯 at 09:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本(世界)文化文明論

2018年05月05日

特別列車が止まる (セディティは連休で最高のにぎわい)


 特別列車が止まる

(セディティは連休で最高のにぎわい)

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 団体用の特別列車が止まった,ただ二両だった
記念に写真をとった, これも連休で出たのである。

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それにしても今日も夕暮れに常磐高速のサービスエリアは連休最後になるし天気もいいから本当に混んでいた
あそこだけはにぎわい都会並になっている,あんなに人が出入りしているのが不思議になる,そういう光景はこの辺で見ないからである。
たこ焼きを売っている人を知っているけどあれだけ人が来れば売れる
人の流れがあるからだ,それは人の流れというより車の流れなのである。
車時代だから車の流れが人の流れを作っている

警備員が十人もいることに驚く,それだけ人の流れがある
駅と比べるとあまりにも違いすぎるのである。
百倍とか千倍も人の流れが違うようにも思える,現代は車を離れてありえていことをここで実感する,あれだけ人の出入りがあれば商売になる
でも難点はまずサービスエリアから鹿島の街の方へ来る車はほとんど見かけないのであるつまりここで休息して去って行く人が多いのである。
だから街とは関係なくここだけが休息所としてにぎわっているだけだとなる
ここにくるとここだけが都会なのである。 

時間は何かをなし遂げるためにある? (時間は年齢と反比例して貴重になる)


時間は何かをなし遂げるためにある?

(時間は年齢と反比例して貴重になる)


自分の銭(カネ)を分けてやりたがる者は見当たらないが、
生活(時間)となると誰も彼もが、なんと多くの人々に分け与えていることか。
財産(カネ)を守ることは吝嗇(けち)であっても、
時間を投げ捨てる段になると、貪欲であることが唯一の美徳である場合なのに、
たちまちにして、最大の浪費家と変わる。

セネカ

人間にとって時間とは何か?それは謎である。人間は時間と空間の中に生きていることは確かである。
人間はそれぞれの地域で生きる,その地域の空間はみんな違っているのである。
例えば海側に住む人間と山側に住む人間の空間は違っているのである。
福島県だとハマ、ナカ、アイヅになる
この空間は相当に違っている,なぜならハマは浜通りは冬はほとんど雪がふらない
でも会津は冬は雪に閉ざされてしまうからである。この差は大きいのである。
そこに培われる感覚は相当に違ったものになる
海は人間を解放的にするが山は閉ざされた感覚になるからである。
そういう空間感覚のアイディンティティは地球が広いからどこでもある

そしてその空間でもその空間をアイディンティティ化することは時間がかかるのである。まずその土地のことを深く知るには絶えず耕すことが必要になる
それは現実の生活で農業などするとその土地を耕すことが必要になる
その土地のまさに土や気候のことを知らないと農業にならないのである。
それはもう一代だけではできない,だから農家だと三代ではじめて農家となり仲間となるというときそれだけその土地のことを知るのがむずかしいからである。
農業は工業とは違うからそうなっている

これを何か芸術にしてもそうである。だからこそcultureはcultivateになる
その土地を深く耕していかないといいものはできない,そのためには時間がかかる
その土地を知るには例えば老木のようにならないとわからないことがある
それだけ時間がかかるのである。
相馬地域でも狭いにしろ複雑な地形なのでありそこに魅力がある
自分はそうしてその地形から詩とか書いてきた
だから自分が一番興味をもっているのは地形なのである。地理なのである。
それは世界まで自由に旅したことによっても地理に一番興味をもっているのである。

では不思議なのは時間というのは別に地理のようにそれぞれの特徴があるわけではない
数学的には世界中一時間は一時間の長さなのである。
でも時代的に時間の感覚は相当に違っている,現代文明の時間は一秒単位で時計に刻まれる時間なのである。だから心臓に悪く感じる,何か時間に切迫されるのである。
現代に生きていればそういう時間感覚から誰も逃れられないのである。
その時間感覚から逃れるのにはタイムマシンで江戸時代とかにもどるほかないのである。その時時間の区分はおおざっぱであり時間の感覚はまるで違ったものとなるからだ

時間とは何なのか?人間の時間とは何なのか?それはいろいろある
人間はまず時間によってしか何かを理解したり深く物事を考えることができないのである何かを深く知るには時間が必要になる,そもそも人生そのものが時間によって理解が深まるからだ,若い人はどうしても経験がないから浅薄な考えしかない,深い思想をもてないのである。爆発的行動力があっても深い思想によって行動することはできないのである。ただ若者は若者の成すべきことがあり時間が与えられているのである。

時間というのはただ過ぎてゆく時間としてとらえると何の意味もないだろう
時間とは何かを理解する会得する何かを成すために与えられているのである。
そして時間は限られているのである。
そして若いときの時間があり壮年の時間があり老年の時間がある
それはその時々に成す時間が与えられている,そして若いときすべきことをしないともう二度とできない,激しい運動とかきついことはもう年になるとできないのである。
老人になって何かを新しく学ぶこともできないのである。

時間とは何なのか?それは何かを理解して何かを成すべきものとして与えられている
その時間はそれぞさ限られている,例えば語学を習得する時間,楽器を習得する時間,
旅をして見聞を広める時間,登山して自然を体得する時間,思想を深める読書する時間,芸術を鑑賞する時間,農業を習得する時間,・・・・このように何かを会得して理解して習得する時間として与えられている
その中には時間は浪費される,人間にはいろいろな欲望がありさまたげられ時間は浪費されるのが常である。その時若いときもっと勉強していればなとみんな後悔しているのである。
そしてこれだけ本でも情報がある時代にはもうそうしたくだらないものに時間を費やしていると貴重な時間を失うのである。
次から次へと人は自分を売り込む時代である。くだらない小説など読んでいたらそれだけで何も残らない
しかし商業主義社会ではそうしたくだらないもの金のためにうりこむ,出版社でもそうである。
そういうものにみんな貴重な時間が奪い取られているのである。
それで老人になり後悔するが時すでに遅しとなるのである。
この世にはそうしてくだらないものが多すぎるからそれに紛れ貴重な時間を失うのである。

人間は時間によってしか理解できないものだと老人になるとつくづく思った
それは自然でも人間でもそうである。自然のものは気長であり悠長である
木が育つにも50年とかかかる,するともうその木の成長を見るのは一代ではできないのである。そういうふうに自然とともに生活していたときは人間は江戸時代あたりは時間の感覚が違っていたのである。
だから自分が石とか木をテーマにするときそうである。その土地のことでも長く住んでいないとわからないのである。時間によってしか会得できないのである。
人間は普通凡人ならまず年取らない限り賢明な聡明な人間になれない,
自分はもともと凡人だったから特にそうだった,何か聡明になれない,賢くなれなかったでもやはり年になれば物事でも人間でも理解が深まる
それを我ながら最近は自覚しているのも不思議である。
凡人でも老人になると賢者のようになるというとき何かあきらめとかついてそうなる
欲望にふりまわされていたがそれがなくなると自ずと聡明になるということもある

ただ老人でも時間を無駄にした人は何も身についていないのである。
何かをするために会得するために時間があるというとき楽器でも会得するに相当な時間が必要なのである。語学でもそうである。そうして有益なことに時間を使っていないとたちまち時間は飛んでゆき,「少年老いやすく学なりがたし」となっているのである。

時間はまた年齢に反比例して貴重になる,子供のとき時間が無限に長く感じられる,そこでは死ぬということは考えないのである。
若いときも退屈をもてあますのである。ただ何かを好きになり夢中になればそういうことはない,要するに何をしても何をしなくても時間はすぎてゆくのである。
人生はだから何に時間を費やしたかで決まる,ゲームに没頭した人はゲームが意味あるないにしろゲーム人生だったしギャンブルに費やしたものはギャンブル人生だったとなるのである。
そして遂に最後の時間がくる,その時一番時間が貴重になる
ぞうだろう,これが最後の一時間だとなればもうその時間は何十億円より貴重なものになる,いくら金があっても金はその時無用となり,何の役にも立たない
なぜなら死ねば時間がなくなるからである。その時時間の貴重さが一番現れるのである。

時間は二十代までは長く感じられるしこの時の時間が人間の基礎を作るから大事であった特に求道というとき最も命が盛んなときしかできない,老人になってからはできない
個々にも相当な誤算があることがわかる
求道などいつでもできると思っているができない,一番生命が盛んなときしかできないのである。だから若き時神を覚えろとなる,なぜなら若いときに人生の基礎を作るからである。若いとき曲がった方向に行くと一生曲がった方向に行くことになるかもしれない
それは簡単に是正できないから怖いのである
若いときは過ちをを必ず犯すけどそれも是正できない,それで後で後悔してもどうにもならない怖さがある,つまりその時そんなことたいしたことではないとみんな思っているし自分も思っていた,でもそれが後で後悔しても時間がもどらないから怖いことになるのである。その罪は払拭できない,刑罰になるならないではない心に刻まれるから怖いのである。
まずカルト教団などに入っていてそのまま人生送ったら人生を棒にふることになる
ただそういう人はありふれている

人生を棒にふる

そういう人であふれているのも現実である。その時はわからないのである。
人生をふりかえりわかるのである。でもその時はもう手遅れであり遅いのである
そこに人生の厳粛さがある,一回失敗したからまたやればいいとはならないのである。
それよりできないのてある。老人になって後悔してももう一度やり直すことができないのである。ここが人間の最大の盲点だったのである。
だから青春時代に30前までに人間の基礎ができて固まってその延長が人生だともなってしまう,自分の場合はそうだった,30代以降は遊びだったのである。
これも問題であり失敗だったともなる,何か社会性が欠如して60歳で親の介護になり四苦八苦したことを書いてきたが社会性かないためにそうなったのである。
ただ人間はどんな人でもあらゆることに通じることはできない,何か欠けているのである社会経験でも多様でありとても一人ではいろいろなことは経験できないからである。

ともかく若いときは時間の貴重さがわからないのである。時間など無限になると思ってしまうのである。ただ高齢化は長生きだからそれで何かを成すには理解を深めるにはいい時代なのである。それだけ時間が伸びることは人生百年ともなれば二回も人生があるとういことにもなるし何か才能がなくても積み重ねればそれなりの専門性を身につけうるし一角の人物になりうる時代でもある
第一50歳で何か成功する,文学の分野で成功するとかしなくてもいい,もう70からでもいいともなる,その時成熟したものが創作しうるのである。
老人になると人間はやはり賢明になり聡明に凡人でもなるからである。