2020年04月10日

桜満開―(南相馬市鹿島区の桜の見所)



桜満開―(南相馬市鹿島区の桜の見所)

sakurakashima222.jpg
クリック拡大-桜平公園

sakurakashima11.jpg
クリック拡大

さくらホールの丘の公園

sakurakashima111.jpg

海望む故郷の丘朝桜          

丘の上桜の映えて遠き山

街中を縦横に飛ぶつばめかな

新しく日をまた生きむ春の雷

始動する仕事仲間や春の雷

春の雷刺激与えぬ春の雷 

若き人仕事に挑む春の雷

老いてなお若返らむや春の雷

灯のともる枝垂桜や奥の家

田舎駅待つ人あれや春の月

人逢いて去りて遠しも朧月


みちのくに桜咲きしも風荒し夕日のさして幽か月いず 

風荒し桜をゆすり一日かな散るを思いぬ盛りみじかく

やさしくもきらめきあいぬ星いくつ満月光り花咲き満ちぬ

今しばし逢いにし人も去りゆけば定かならじも朧月かな




故郷の春の丘

ふるさとの丘にスミレ咲き満つ
桜も今し盛りと咲きよそおいぬ
遠く霞みて鹿狼山が見える
さえづりは森にひびきわたり
花の影にそ我は休らふ
ふるさとの畑に耕す人のあれ
実りと幸をここにもたらせ
遠つ世の古墳のそちこちに真野の里
眠れる黄金の魚はここに見出されて
春の雲は真綿のように浮かび
孫と祖母が畑にありて春の日はあたたか
いたく傷つくふるさとなりしも
新たなる装いはまたあるべし
川は光り流れて芽吹きの樹々
つばめ来たりて喜々と飛び交いり
ふるさとに悲しみ苦しみの日よ
涙はとどまらず我が家族はみな死す
人はそれぞれの悲しみを持つ
花はことしもはや散りぬ
残れる花に月影さして誰か見る
花びらの数片かそけく散りて
死者は遂に語らざなりぬ
歳月はまた流れ新たにふるさとの丘よ
生はここに継がれて回復すべしかな
死者はその日を見ずに死にしも
いつしか時を経て報われるべしかな
神にかく願うべしかも
それぞれの日々の務めを果たして
その祈りは通じ祝福の注がれるべし
人の技に限りあるを知り
神の技に限りなしを知るべし
平和の日は長くここに誠の実りあるべし

今年の桜は最初風が荒く吹き波乱含みだった、何か桜の時期は風が吹いたり荒れ模様になりやすい、桜の特徴は咲いた時すでに散ることを見る、だからこそ

紀友則(33番)『古今集』春下・84

ひさかたの光のどけき春の日に 静心(しづごころ)なく花の散るらむ

花は咲いた時すでに散るのを見る、だからこそ本当に静心なくなのである
咲いた時から心が騒ぐのである、だから風が吹けばすでに散るのかともみる
ここに桜の特徴があり他の花とは違っている

南相馬市で桜の名所というととどこなのか?
意外と桜の名所がわからない、それは有名でなくてもいくらでも桜は咲いている
そして桜が意外と名所でも見れないのは咲いている時期が二週間くらいしかないからである、その間にみれなければその一年は見れないから意外と見れないのである
私は桜前線をたどって桜を見てきた、その時は贅沢な時間だった
みちのくから京都の方の桜を見に行きみちのくに帰る、すると桜は京都の方が西が散ってもみちのくでは咲いている、逆にみちのくはそこで空間が隔てられて季節も違うということになる、その時間差が風土の相違が趣をだしている
みちのくと言ったら昔はもう江戸時代でも芭蕉の時代でも遠い異国だったのである

宮こをば霞とともに立ちしかど秋風ぞふくしら川の関

春に京都を旅立って秋になっていたのだからその距離感覚はもう今ではイメージできないのである

南相馬市だと鹿島区の桜の見所は今は桜平公園であるがさくらホールの丘の散歩道がいいそこを散歩すると遠くの山が見えて見晴らしがいい、桜の下にスミレが咲いているのもいい、ただここからせ海が見えないのである、桜平山公園からは海が見える
ただここが残念なのは桜の木が枯れているのが多くなったことである
でも海が見えるので桜を見るにはいい場所である
あとは川の土手の道に桜が咲いている、これはどこでも咲いている


今年は庭の木を剪定してもらったり家を改装したりしているから忙しかった
それでその家の改装をしてもらっていきるとき突然春の雷が鳴りとどろき驚いた
仕事は二人来てしている、人間は仕事している時華である
これを意外と理解できない、なぜなら今仕事している大工さんでも66才だとするともう少ししか仕事ができなくなるからである 
若い人も一生懸命仕事している、庭作りの仕事をしている
それを見ていると気持ちがいい、人間はやはり自分の仕事をもたないとだめである
何か何もしないニートとかがどこにでもいるがそれでは人間として生きていると見えない異常化する人間になる、自分も仕事はしていないにしろ旅がある意味で仕事だったとなるなぜなら現代では旅人はいないのである、ただ発達した交通機関で移動して旅館で保養しているだけなのである
だからもし西行とか芭蕉とか山頭火のように本当の旅人がいたら貴重だとなる
でも現代は交通機関が発達して旅人になれないのである

昨日は朧月だった、人間は逢っても別れるとその人は朧ろなものとなる
何か定かなものでなくなる、これは別に恋の歌でも何でもない、人間自体が常に逢っては別れる存在なのである、そして最後はみんな「さよならだけ人生だ」となる
先日隣の77歳の女性が死んだことには驚いた、その人は数カ月前に庭とか歩いていたと見たからである、そして私の庭の花を見て話ししたりしたことがあったと記憶する 
別に深い付き合いがあったわけではないが隣だったので驚いたのである

復興という時南相馬市の鹿島区は復興している、昨日は障害者の学校が開校した
110名くらい生徒がいて小学校から高校までの一貫教育である
ちょうと鹿島区が原町市と相馬市の中間にあるから交通の便でできたという
鹿島区はそういう位置にある
今年は家の改装工事と庭の手入れで時間をとられた、遠くの桜は見に行っていない
ただ飯館村だと標高が500メートルくらい高くなるから平地では梅が散っていたが飯館村では盛りであり梅がふんぷんと匂っていたのである
でもあの新しいこじんまりした平屋の家には人が住んでいなかったのである
だからそれが淋しいと感じたのである、やはり人が住まないことには建物だけ立派でも
栄える市町村にはならないと見た

とにかくコロナウィルス騒ぎで今年は波乱含みの春である、でも春は春である
何かわからないがコロナウィルスでは田舎の地方の実家に帰る人が増えている
でも東京から來るなとも言われるから苦しい
でもコロナウィルスでこのように何か変わる、田舎への地方へ人が移動する、東京脱出が今だけではなくこれからも起きる予感がする
時代が世界までコロナウィルスが変えることの驚きなのである
すぐ近くの人が東京のライブハウスで感染したことにも驚いたからである

桜前線の短歌



2020年04月09日

原発避難区域に取り残される老人 (9年ぶりに仕事してもらった小高の大工さん)


原発避難区域に取り残される老人

(9年ぶりに仕事してもらった小高の大工さん)

なぜ9年ぶりに庭作りとか家の修理をしてくれた大工さんが来た
どうして来たのかわからない、なぜなら9年間も来ていないからだ
その時小高区と鹿島区は補償金でもめていてそれが原因だったかもしれない
その人は庭作りのプロであり大工であり壁塗りまでできる
そんなにいろいろなことが一人でできる人はいないと感心していた

ただなぜまた来たのかわからないけど庭の木の剪定とか家の修理をまたしてもらった
何か仕事がないかと来たので頼んだ、今は家を修理できる大工さんはなかなかいない
ハウス会社で何か家を組み立てるだけであり大工の技をもった人はいなくなっている
だから家を修理する時は困るとなる、その人は腕がいい大工でもある
何か体も有段者のようにがっしりしている
ただその人の年齢を知って驚いた

66才です

そうだったのか、10歳くらいは離れていると思ったがそれほど自分の歳と離れていないことに驚いた、老人だったのである、9年前以上に仕事をしてもらったときは50代であり
50歳くらいだと思っていたから意外だった
それで何か仕事するのも辛いともみた
でも後5年は仕事をするつもりですと言った
一応年金とか何か原町区で宿舎の管理をしていて合計すると15万くらいもらっているのかと見た、だから普通にもらっているから金には困らないとも見た
ただそもそも前は金を使う生活していたからたりないとなる

その人は立派な家を建てていたが津波で半分が浸水した、それを直して住んでいるというそれで不思議だったのが私は一人で住んでいるんですという
前は息子が結婚して子供いる、一緒に住んでいたから大家族だったのである
それも津波や原発事故で残されたのがその人一人だった
奥さんもいたが今はいない

息子家族は仙台に行き一緒に妻も行った

仙台市に息子と嫁と子供と妻まで仙台に行って暮らしているという
こういう人を浪江の人でも聞いた、原町の復興団地にやはり一人残されて暮らしている
その人の息子と嫁と子供は東京に行った、その人の妻も東京に行ってしまったのである
だからその老人一人が残された
その息子も嫁も東京に生活を移したので帰ってこないのである
小高であれ浪江であれこういう人が多いのかもしれない

男性の老人だけが取り残されている

そして小高でも浪江でも飯館でも避難は解除されても帰ってこない

何か淋しくはないかと聞くと淋しいという、私も家族を失ってその淋しさを知っているから同情した
いづれにしろ原発避難区域になった所では老人だけが取り残されているのが多いとみる
それは前からそうだったがその後あまり事情がわからなくなっていた
ただその人は金銭的には金に困るという人ではない
でも小高区とかでも一時は補償金をもらったがその後使ってしまい困っている人がいる
金に困っているからまた仕事をするために自分の家に来たのかもしれない
私としてはその人に作ってもらった庭だからまたみてもらったとなる

ただ今回はどういうわけか地元の近くの庭作りをする若い人とと一緒だった
その若い人に指示して仕事をした、塗装などもした
その若い人でも十年くらい庭作りしている人でもその他の仕事を覚えたいために一緒に仕事をしたらしい、何しろいろいろその人はできるからである
ただその若い庭作りの人が言うには今仕事がなくて困っているという
庭作りでも仕事がないのかと思った
私の家のユニットバスを百万で作ってくれた人は仙台市の人たちだった
その人たちも震災ですでに仕事がなくなっていて高速道路がてきてこっちの方まで仕事を探しにきていたのだ
前ら仙台と交流があったがますます交流が増えてきたのである
だからコロナウィルスでは仙台市が増えるとここも影響するから危険だと見ていた

建築とか土木関係とか庭作りでも仕事がないと困る、仕事を探すことが仕事だとも若い庭作りの人が言っていた、何か自営業としてガーデンニングをしているから仕事をもらわないと苦しいと言っていた
こういうことで結構忙しかった、明日で一応終わるがまた庭とか見にくる、仕事をしてやるとか言っていた
でも体はもともとがっしりした人でも66才となるときついと思う
なぜなら高い所で危険な仕事をするからである
家の屋根の上に足場を組んで壁をぬったりするから危険である

だからそんな仕事はもうつづかなくなるともみた
それで近く電気工事をする人は今でも設計だけを頼まれるてしているというのもわかる
体力を使わないからできるのである
体力仕事はもう60以上になると辛くなるとみる
私のような頭の使う仕事なら老人でもできる、かえって評論とかに向いてくるのである
それで金にはならないが毎日プログに文章を書きづつけている、創作もつづけているのである

仙台市には小高の人がアパート経営して成功したとかも本に出ていた、仙台市に移り住んだ人が震災以後多くなった
それは原発事故で避難した人だけではない、宮城県の津波の被害者も仙台市に移っているのだ
その息子は不動産関係の仕事をしていた、成功した人も不動産関係の仕事をしていたのかもしれない
何かもともとこの辺では仙台市に住みたいという人が多かったのである
そこは都会だからである、ただ生活費が高くなる、山元町でも不動産屋をやっている人が亘理の阿武隈川の向こう側は
土地の値段が倍になるというのもわかる、そこは仙台圏になるし仙台の影響力は実は自分の住んでいる場所まで及んでいる
東京は遠いようでも福島県になると東電の福島原発ができたように経済でも影響がある
ここは仙台市と東京の影響が結構ある場所なのである




ここでも仙台市で成功した小高の人のことが書かれている
仕事をしてくれた大工さんは別に遊んでいた人とは違う、ただ何か一時的に金に狂わされたという人が多かったのである
でも今ではそういう金でも使ってなくなり金に困っている人が増えているともなる
それで小高の老人が年金を10万くれと東電に交渉したのである
それだけ高齢化社会だからそうなったのである
とにかく老人だけが原発避難区域に取り残された
だから復興ができるのかとなる、そして南相馬市の場合は原町に小高の人でも浪江の人でも相当数住んでいる、それもまた老人が多いのである
若い人は東京とはか仙台市に流出したのである


posted by 老鶯 at 22:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

abstract painting(Unexplored land)

abstract painting(Unexplored land)


premitivesea111.jpg
Unexplored land

riverbigshima1.jpg

big river

wavinghouse1.jpg
a way in the sea

mountainblue11.jpg

タグ:Unexplored land

2020年04月08日

コロナウィルスで東京から地方へ人の移動がはじまるのか? (原発避難区域は土地が広く空いているので移り住みやすい)


コロナウィルスで東京から地方へ人の移動がはじまるのか?

(原発避難区域は土地が広く空いているので移り住みやすい)


変なんだけど飯館村はもう田畑は利用されていない、そこの住民は住んでいない
ただこじんまりした平屋の新しい家を建てた、それは援助があり建てないと損だとして建てた、でも人は住んでいないのである、だから別荘だとしている
学校がはじまったとしても子供の親は住んでいない、他から通わせているのである
二割くらいは帰って住んでいるとしても広大な土地が利用されていない
するとそこを誰が利用するのかとなる
までい館の案内所も外部から来た人であった
他でも外部から來る人が結構いる、なぜなら肝心のそこに住んでいた住民がいなくなったからである、別荘にきて畑で野菜作りに来ている人がいるという
何かそれも補償金で他に家を建てて別荘にくるというのも贅沢だとはなる
それだけの補償金が入った人が結構いるからだとなる

だからこうして人すら住んでいないとなると外部から來る人はそこが住みやすくなる
なぜなら田舎は人間関係が濃密だから入りにくいからだ
そういう人間関係のわずらわしさもない、そこが無人の地だったら自由に活用してくださいとなる、一種のフロンティアに未開の地に入るようになる
そこには縛られる人間関係はないのである、北海道とにたような状況になる
そこちはアイヌにしても新天地となって移住してきた、その生活は厳しいのもであっても明治維新で侍だった人たちが新天地として移住した
それはアメリカに移住してきたヨ−ロッパの人たちもそうである
それで新天地としてホイットマンの詩が生れたのである

今回のコロナウィルス騒動でも社会を変える世界を変えることの驚きである
第二次世界大戦なみの変化だという人もいる、国際関係も変わる
アメリカは衰退して日米同盟、安保条約も維持できないとも言われる
ヨ−ロッパは明らかに衰退する、EUは維持できない、崩壊する
それでロシアが勢力を伸ばすとしている、その兆候はすでにあった

いづれにしろコロナウィルスが社会を変えるというとき何かその前にそういう兆候があった、それがコロナウィルスで加速されたのである
東京一極集中は限界になっていた、だから首都移転が言われたが実行されなかった
でもコロナウィルスで真剣に考えて実行しなければならなくなるかもしれない
東京から地方に脱出しているのもそうである
何か島根とか鳥取とか岩手県が感染者が出てないので注目されている
島根鳥取は最も過疎地域なのである、だからこれも不思議だとなる

人間社会には何か逆転がある、人生でもそうである、何か不利なことが有利になる
有利なことが不利になる、大都会は東京でも有利なものとして働き人口が集中した
それがコロナウィルスで逆転した、東京は最も不利な状態になっている
そして意外と会社に直接行かなくても通勤しなくてもテレワークも使えるとして
わざわざ満員電車にもまれて行く必要もないと気づいた人たちもいる
つまりもしテレワークでも会社に行かずとも仕事ができるとなると地方でも田舎でも仕事ができるとなる、そうなると東京に住むということにこだわる必要もない
そうしたら地方で田舎に住んで仕事をして暮らせるともなる
そういう人たちIT関係ですでに実践している人たちがいる
つまりテレワークとかITの発達はどこに住んでも不利にならないのである
田舎でも今はそのインフラが普及している、アマゾンでも買い物はできるから不便はないのである
それで一週間に一回は一応東京でも会社に集まるとかする
そういうし働き方がITで可能になる

deseinとはseinを否定した意味である、deは否定である、つまりこれまであるものを否定して新しいものを作ることである
sein22.jpg
すると飯館村のようなまたは原発避難区域などは家も土地も格安でありそこで悠々と住んだ方がいいというふうに考え方が変わるかもしれない、そこで農業をするにしても
収入は別にあるからいいとなる、農業だけでは今は収入にするのは無理だからである
ただ今回のコロナウィルスでは農業も注目される、農業の大事さが東京の人たちにも実感される、なぜなら外国から食料が入らなくなる
外国ではじこくを優先して食料の輸出を制限したからである
こういう事態になることは前々から予想されていたのである
でも東京の人たちは日本の食料が入らなくても外国から輸入すればいいとなっていた
高い食料はいらないとしていたのである
そういうことでも変化する、やはり食料は地産地消が理にあっているのだ

ともかく人間社会の変化でも自然の影響が大きい、原発も津波で崩壊したとかあり
自然の影響で社会自体が変わる、人間だけでは大きな変革はできないのである
人間よりもっと大きな力が自然なのである、それに逆らうことはどんなに科学技術が発達してもできない、むしろその科学技術すら自然の前に破壊される
人間の科学技術が自然を破壊することはないという、自然はもっと大きなものでありごついものだというときそうなのかとも思う
それを武田邦彦氏は盛んに言っている、だから温暖化はないのだという
つまり自然は人間がイメージするよりもっと大きなものであり自然を人間の力では壊せないという、人間は何か科学技術とかを過信してそうなっている
それが錯覚を与えている、人間は依然として自然の前に小さなものだということなのである
posted by 老鶯 at 08:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年04月07日

自由社会は安全に弱い、自由はアナキーにもなる (津浪、原発事故、コロナウィルスの対処)


自由社会は安全に弱い、自由はアナキーにもなる

(津浪、原発事故、コロナウィルスの対処)


自由社会をみんな望んでいる、だからこそ共産主義より資本主義の自由競争社会がいいとなった
でも人間は何でも自由になりえない、人間はそもそも住む場所でも地域でも限定される
その場その場で与えられた場所で生活してきた
それは地域から国から国家からと大きくなってもそうした地理の制約に限定されて生きざるをえなかった、それが宿命だったとなる
人間は住む場所でも制約されているし生きる時間も限られている
その限定された中でアイディンティティを見出して生きてきた
人間には無限の自由はありえない、むしろ制約された限定された中で精神も形成される
だからグロ−バル経済という時、もう限定されていない、制約のない社会なのである

それで皮肉なのはなぜ共産主義国家の中国が破綻する破綻するといってもしないのか?

それは国家統制があり強権でもって株式でも操作するからだとしている
共産主義には自由がないとしても利点もある
自由資本主義になるとそれはアナーキーになり統制できない世界になる
それで資本主義では必ずバブルや恐慌が来たりして制御できなくなる
自由主義といっても自由にしていたら経済も破綻する

つまり人間社会は無限の自由などはない、どこかで制約される
自由資本主義の問題はそれがアナーキーになることでありまた逆に自由が行きすぎると制御できなくなるり一党独裁とかになり最も強権な政府ができる
その自由と制約のバランスをとることがむずかしいのである
無国籍人間とかが現代では普通に言われるけどその人の安全は誰も保証しない
保証するのは国があるからこそであり外国に行けばそのことが痛いほどわかる
どこの国にも所属していなかったら外国で殺されても誰も見向きもしない、金も盗られてもそうだし安全は全く保証されない、そうしたらとても外国など旅行できないのである
中国は経済が破綻すると言っても実際は破綻しない
かえってアメリカが破綻すると言われるのは自由資本主義の結果として極端な格差社会になり数パーセントの人たちが富を独り占めする
つまり自由とはそうした異常な富の偏重でもそれは自由競争の結果であり正当だとされてしまうのである

そして津浪、原発事故、コロナウィルスで経験してきたことは「安全」の問題である
この安全がないがしろにされるのがまた自由資本主義社会である
なぜなら資本主義社会では利益にならないものは無視されるからだ
それでワクチン開発は金にならないとして日本では遅れたという時もそうである
製薬会社では薬の開発に莫大な金がかかるから利益にならないとしたらやらないからだ
でも今回のように安全を計るならその資金は国が提供すべきだとなる

それは原発でもそうだった、「安全神話」を権力で作り上げて絶対の安全を計ったようでもそれは権力で作ったものであり安全ではなかった
数十メートルの津波が来ると東電の科学部門で割り出して警告していた
そのとき防潮堤を作らなかったのは安全は金にならないからである
安全はどこでも金にならない、利益第一にする会社ではどうしてしも安全はおろそかになる、そこにやはり国が関与して安全を計る、それが国の務めだとなる
つまり自由資本主義社会でも国が安全を計る役目がある
みんな自由勝手にすることはできない、ただそこで矛盾なのは自由な経済活動が制約されると経済も停滞する
そのバランスがむずかしいのである

ともかく人間は歴史でも何でも自由には生きられなかった、生きる場所も限定されていた関所があり生活する場は限定されていた、その制約された中で生活して精神的アイディンティティを作り生きてきたのである、それが人間の宿命だとなっていた
もちろん外との交流とかは必要である、貿易でも必要である
ただそれがグロ−バルに世界的に拡大しすぎたのである、そして自らよってたつ場が見失われた
どうしても自由を求めるにしても必ず制約されるのが人間である
人間が定着して生きることは制約された中で生きるということである
経済でも何か無限の自由を地球に求めた、国境も民族もないということになり国際資本とか多国籍企業が地球を所有するようになる、そんな障壁は必要ないとして風土と歴史の中で築かれた社会をアイディンティティを壊してしまったのである

それを加速させたのが科学技術だった、それは何か危険なものだった
原子力でも核でも危険なものだった、でもそこにタブーはなくなっていた
科学にも制約はない、自由にやればいいとなり巨大な災いをもたらしたのだ
科学技術だってなんらか制限される必要もあった、科学技術も諸刃の剣なのである
遺伝子組み換えとかも危険なのである
それによって人間そのものが生存が危機にさらされるとしても科学技術は万能を追及するのである、でも絶対に万能にはなりえない、万能なのは全能なのは神しかありえない
人間の知恵で作った文明でもそれも遂には原発事故のようになり甚大な禍根を残して終わる、そこに人間の限界がある

コロナウィルスにしてもウィルスにしても人間がそれに対抗するにもできない
必ず新種のウィルスが10年くらいの間隔で現れる、それでまたワクチンの開発が強いられる、でも新種が生まれるからそれに対応できないのである
こうして人間はいたちごっこのようなことを永遠にしているのかとなる
結局人間の問題は永遠に人間で解決しないともなるのである

posted by 老鶯 at 19:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年04月06日

コロナウィルスで食料危機 (外国から食料が入ってこない)


コロナウィルスで食料危機

(外国から食料が入ってこない)


新型コロナウイルスの感染が世界規模で広がる中、世界の食料貿易に影響が出始めた。
大規模な移動規制や物流混乱の広がりを受け、一部の国が小麦や米などで輸出制限措置を導入した。
穀類の国際相場は上昇基調になっており、緊急時に自国の食料をどう確保するかが問われそうだ。

露が先行 小麦や米 国際相場 上昇基調

 米や小麦、食用油などの基礎的食品の輸出を差し止める動きが出始めたのは3月半ばから。
国連食糧農業機関(FAO)が発行するオンライン穀物情報誌MNR最新号の「食料輸出制限情報」によると、ロシアとセルビアが先行し、下旬になってベトナム、カザフスタンなどが追随した。

 ロイター通信などによると、世界最大の小麦輸出国のロシアは国内供給を優先し、4〜6月の穀物輸出量に制限を設けた。
通常は無制限だが、上限を700万トン(前年同時期の輸出実績は約720万トン)に設定。
既に穀物加工品などは停止し、輸出業者は一層の規制強化を懸念している。



ほらね、こうなるのは目に見えていた。
日本は大豆をほとんど輸入に頼っている。
醤油、豆腐、納豆はほとんど入手困難になる。
小麦も入らなくなったら、もうおしまい。
日本は完全に終わる。
古米、古古米を食うしか無くなる。


使ってなかった農地をいきなり使える訳ないだろ……
そして日本はそんなに農地は多くない

福島産を散々罵倒した東京の連中は少し痛い目見ろ

休耕地をマトモに作物育つようにするには数年かかる
その間売れる物は何も作れないから収入がない
誰がやるの?

こういうのも全部「今のうち」なだけだし、どこかが輸出制限したら他のとこから買うわけで結果高騰する(もう始まってる)

家庭菜園は土の処理がめんどくさくて手が出せないわ
室内でカイワレ大根やってみるかな

ビル壊して農業だね
失業者が多数になるし
国民全員農民になればいい
自給率が一番低い日本が終わるわ
ITも一番遅れてる示唆

安部とあきえに潰された日本
馬鹿みたいな五輪やカジノや
観光に金使って、世界中に日本の金ばら蒔いて国民には渋る金出さない

自分の座を守るため株価つりあげたり、残ったものは借金と食糧難

「心配するような世界的な食糧危機など起こらないから国内農業潰してもヘーキヘーキw」

起きたぞどーすんの?
農業従事者の殆どが65歳以上だ
名うての老人キラー、コロナウイルスが彼らを一掃すれば今年中に飢餓が始まるぞ

穀物以外の農家と漁師は、外国人の労働力に依存してるところが多いから、
コロナで外国人労働者が帰って戻ってこなくなると、生産能力はガタ落ちだろう

食糧難になると真っ先に東京が陥落する
戦後のように闇市もありえる話
白い粉も小麦粉になる

国会議事堂前

ちなみにいつもならレジまで混んでも4〜5人程度なんだけど、今日は10人以上並んでた
これで非常事態宣言とか出たら、買い物客が殺到してスーパーに食料品がなくなるわ
安倍・小池、その辺良く考えて言葉を発しろや

鳥肉や豚肉も無くなると思うよ
鳥や豚や牛の飼料が輸入だからね!
野菜も肥料が輸入だから昔の様に糞尿を撒くしかないよね 

米作も農薬は輸入だからなー
農薬を使わないと害虫にかなりやられて不作になりそう!
後、トラクターや田植え機は軽油やガソリンで動くから石油の輸入が止まれば手作業での米作は大変で量も取れないと思うよ

因って日本人は半分は餓死かな?

地産地消最高 


5chをコロナウィルスのことで読んだ、前からこういうことで私はグロ−バル経済批判していた
東京でも食料が外国から入るからいいとか日本の地方とか農家はいらないとか言っていたからだ
それがあまりにも傲慢なことだった、外国頼りにしていたら今回のように食料が入らなくなる                      

その時東京はどうするのか?

東京ではすでに品物がスーパーが消えてパニックになるとかある
首都閉鎖になったからまず食料確保が最優先される、しかし外国からは入ってこないのである
だからなんかこのコロナウィルスの不思議は今までの社会の在り方を変える作用をしている
観光とか飲食業とか歓楽街とか何かライブハウスとか芸能関係にも被害が大きい
南相馬市で渋谷LOFT HEAVEN(ロフトヘブン)に行った女性が感染した
その女性はすぐ近くだったのである
このライブハウスから感染する人が多い、そこは密閉した狭い空間だからである

それから東京では港区とか上級国民の富裕層が住む地域に感染者が多いとか分析しているその人たちは飲み歩き遊んでいるからだという、そこで濃厚接触しているからだという
そうした大きな歓楽街は都会にある、それで仙台の国分町でも困っている
ただ観光系とかでもバス会社の人が仕事がなくなったとyoutubeで訴えていた
これは同情する、なぜなら観光バスで稼いで路線バスを運営しているというからだ
つまり路線バスだけでは成り立たないからである
でも地元の人にとって日常利用する路線バスは必要なのである

このコロナウィルスによって世界でも社会でも変わる
それはみんな悪いとはならない、そもそもグロ−バル経済というのは一見いいようでも
それが過剰化して本来の人間の生活からかけ離れたものとなっていたからだ
本当は池産地消が本来の人間の生活の基本なのである
ただこれだけ交通が発達したのだからある程度の広域化はやむをえない、それが外国まで広がったことが問題だったのである
だからこういうとき外国から食料は入ってこないとなるから地元で生産して消費するということが見直される

つまり何かあれば外国では食料は輸出しないのである
自国の方が優先するからである、それは当然なのである
でもそういうことを考慮せずにグロ−バル化が極限まで進展していたのである
結局グロ−バル化の行き着く先は中国の大国の世界支配に通じていた
それでアメリカがその利益を独占していたが今度は中国が変わって一帯一路で世界支配を拡大したとなる

グロ−バル化は別に公平な経済の原理で機能しない、そこに信じられない格差を生むのである、アメリカ自体の格差はもう異常である、数パーセントの富裕層が独占する
中国よりひどいということはアメリカはそうしてもう国を運営できなくなる
今回のコロナウィルスでも保険が馬鹿高いから貧困層は医者にみてもらえず死んでゆくとなる、それはコロナウィルスになったからではない、前からそうだったのである
まともに金がかかるから医者に診てもらうこともできなかった
その点日本の保険が平等だから優れていたとはなる

いづれにしろコロナウィルスが社会を世界を変える
それが全部悪い方に作用するともならない、一時的には犠牲者がでる
でも社会の変革をうながす面もある
だから何か農業とか見直されるかもしれない、誰もやりたくないとなっているがもう仕事がない人があぶれたら戦後に引揚者が農業するために不便な土地に入り開墾するようになった、それは仕事がないからである
それは過酷でもそうするほかなかったのである

だからコロナウィルスで仕事を失ったり東京に住むことは危険だとなり命にかかわるとかなれば地方へ田舎へとにかく食料を確保する場所に人が移動することもありうる
すると原発避難区域などは荒地になっているから入り安いとはなる
ただそれは農業するだけとは限らない、現代はどうしても農業だけとはならないからだ
でも地方へ田舎へ人が都会から東京から逆流することもありうる
それをうながしたのがコロナウィルスだったとなるかもしれない
何かこれもカルマだったのかとなる

福島産を散々罵倒した東京の連中は少し痛い目見ろ

福島では原発事故で散々な目にあった、その放射性物質の汚染地域でも食べられなくなったらそこで農業して食料を作り食べざるを得なくなる
それが東京都民のカルマだったとかともなるのか?
とにかく未来は何が起きるのかわからない、一寸先は闇だった
自分の一身上にも次々に対処できない病気、認知症とかで介護になり次は津波原発事故とか災難の連続だったのである
そして今度はコロナウィルス騒動になった

必ず人間社会には70年周期くらいで大きな変化が起きる
明治維新から70年で第二次世界大戦があった
そこで日本人は3百万人死んだのである、そして焼野原から高度成長時代がありこれまでは比較的平和だったのである
それが70年過ぎて大きな変革の時代になった
世界的にももうグロ−バル経済とかは元にもどらないだろう
それは悪いことばかりではない、経済でも正常化することにもなる

ただ本当に未来はどうなるかわからない、思わぬ意外な結果となってゆく
第一今年がコロナウィルスのことを予想した人がいるのかとなるからだ
何か2020年は変わり目で大きな災いが起きることは予想していた
でもそれがコロナウィルスだと予想した人がいたのか?
だから未来は誰も予想できないし予想できないことが起きるのである



国会議事堂前

国花議事堂前で畑にして野菜を作っていたことは驚き
戦後は食料がなくて食料第一になりこうなった
posted by 老鶯 at 10:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年04月05日

飯館村は建物は立派でも人は住んでいない (人が住まない村では復興はない・・・・)


飯館村は建物は立派でも人は住んでいない

(人が住まない村では復興はない・・・・)

iidatenewhouse10.jpg

iitoischool222.jpg

飯樋小学校

momionetree7.jpg

飯樋の公園の丘の樅の木にノスリ


飯館村にはとにかく立派な建物はいくつも作られている、今度はまでい館の裏に子供向きの公園と遊戯館ができた
学校でも立派なものが作られている
でも肝心の人が住んでいないのである、町長自体が住んでいない、その孫とかも飯館村の学校に通っていて地元には住んでいないのである
それでなんか不思議だったのは新しい家が多い、それは一軒屋とか平屋のこじんまりしたものである
そこに人が住んでいると思った、結構帰ってきて住んでいるのかと見た
でも人は住んでいなかったのである、前も家があると人が住んでいると錯覚した

ただそうして新しい家があるが家自体壊されて更地になっているのも見た
それもかなりの数になる、つまり住んでいる人は帰った人は二割くらいである
だから飯樋では街になったいたけど二軒くらいしか住んでいなかった
そこに飯樋小学校がありその建物も立派なのである
でも現実にはそこに生徒がいない、コロナウィルスの関係でいないのか?
おそらく保育所とか幼稚園も併設されているが利用されていない
だから何か無人の街になっていた、しんみりとしていた
人の気配が感じられなかった

そしてその丘に上った時、一本の樅の木が立っていてそこに大きくノスリがとまっていたことにびんくりしたのである
つまり今そこの主人はそのノスリになっていた 
田畑に荒地化するとそこにノネズミが増えて来る、そのネズミを食べるのがノスリなのである、それから猿が群れをなして田畑に出て来る、人間をあまり恐れくなっている
それを見たとき核戦争の後に猿が人間を支配していた「猿の惑星」をイメージした
猿が人間の代わりに主人となっていたのである

この光景の不思議は建物があっても人間が住んでいなければそこは死んでいる
ただ自然は回復して鳥獣でも生き生きして住みつくようになる
でもそうした村でも人間が生活してこそそこに歴史が生れ意味や価値が生まれる
それがなくなったとき死の村や町になる
現実に神社があっても誰もお参りもしなくなる、その石段を猿が上っていたからである
猿がお参りしているのかとなる
住民は新しい別荘に野菜作りとかで畑を時々見に来るとかなるのも不思議である
それなりの補償金をもらったから別荘として利用するとなるのか?

村でも町でも活きたものになるのはやはり人が住むことによってである
いつくら建物が立派でも人間が住まなかったらその建物も活かされない
血が通わない、建物も死んだものとなる
でももしそな立派な建物がなくても人間が住んでいれば活きた村や町になる
それで武田信玄が

人は石垣、人は城・・・

として城を作らなかった、つまり建物を作らなかったのである
建物がなくても人こそが城なのである
だから飯館村から人が住まなくなり帰ってこないということは復興はないとなる
いくら立派な建物があっても復興にはならないということである

そうはいってもあれだけの広い土地をどうするのか?
それを活かす方法があるのか?
それを誰がするのか?外から来ている人もいる
何かこうして肝心の元からいた住民がいなくなる、広い土地をどう利用するのか?
そういうとき外からは入りやすくなる、田舎はもともと外部からの人を拒むからである
そういう拒むものがいない、元から住んでいる住民はいない
ただ広い土地がそこにあり自由に使ってくださいとなる入り安いのである
しがらみもなにもないからである、白紙の状態になっているからだ
だからかなり先になるのが飯館村は外から来た人たちによって復興するかもしれない

なぜならコロナウィルス騒ぎで東京封鎖とか人口密集の大都市が危険なことがわかったからである
だから都会から人が移動してくるかもしれない、そこでまた新しい村が作られるかもしれない、木戸木などは戦後開墾に入って作られた部落である
それも時代によって働く場所がなくあんな辺鄙な場所に住むようになった
そこでどんな暮らしをしていたのかイメージできなくなった
それだけ生活が変化して便利になったからである

まず新しくできた道路の所は森におおわれていて隠された道があり清らかな流れがあったそこは本当に人跡未踏のような神秘的な場所だったのだ
私はいつもそこに行っていた、人とは合わなかった
ただそこにそうした部落があることがわからなかった、二軒くらい家があるなと見ていただけである
今は二軒くらい住んでいる、何かやはり今でも神秘的な場所だった
特に奥の方に隠されて一軒あった家は不思議である
あんな所に人が住んでいたことが不思議なのである
山に閉ざされたまさに秘境だったとなる

あそこにコテッジとか何か作り休む場所があればいいとも思った、そこにも小川が山から流れていてカタクリの花が咲いていた、二つの小川が流れていたのである
だから何かキャンプとかするにはいい場所である
あそこは原発事故前にすでに二軒くらいは廃屋になっていた
あそこで住むとなると今でも不便である、ただ車あれば新しい道ができたからなんとか暮らせるとなる、でもおそらくそこも若い世代は住んでいないだろう
だから飯館村自体若い世代が住んでいないとなるともう廃村になるのか?
牛飼う人もまたはじめたというが少ない、何か仕事が必要である
菊池製作所では働いている、農業は前から跡継ぎがいなとか継続できないものとなっていた、そして放射性物質お汚染で余計にだめなった
花は栽培している、だからそれは復興にはなる、でも人が住んでいないということが致命的なのである

posted by 老鶯 at 20:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

南相馬市のコロナウィルスの感染者の情報混乱 (感染源は東京のライブハウスに行った35歳の女性)


南相馬市のコロナウィルスの感染者の情報混乱

(感染源は東京のライブハウスに行った35歳の女性)

minpoucolo11.jpg

livehouse1111.jpg

somavirus1.jpg

この情報が混乱した、最初の情報が間違っていた

50代の男性が東京のライブハウスに行って感染した

実際は

50代の娘の35歳の女性が東京のライブハウスに行って感染した

そこから家族に二次感染したのである

最初聞いた時、なぜ50代の男性が東京のライブハウスなどに行くのかと疑った
おかしいと思ったが実際に行ったのはその人は父親であり娘が東京に行って感染したのである

そのことを昨日しきりに土地の情報通の女性が言っていたからだ
それは私の家からも街内からでもすぐ近くの家だったからだ
だからそれを伝えた女性のいうことは間違いではなかった
でも何か民友新聞の情報の方を私は信用した
どうしてもなぜ50代の男性が東京のライブハウスに行くことが信じられなかった
これは正確な報道ではなかったのだ
新聞でも間違って不正確な報道でも伝えると思った

近くの人の言う情報の方が正しかった!

ただこれは噂とかなり私は信用できないとも思った

確かなことは南相馬市の鹿島区内でありすぐ近くでありその感染源となったのは東京のライブハウスに常磐高速を使い車で行った

そしてその女性の家族にうつした、その家族は外から移住してきた
原発避難民であり新しく家を建てた家族の一員である
それで遊びに行っていたとなる
だから予想したことはある程度はあたっていたのである

ともかく新聞でも間違ったフェクニュースを流すときがある、それは裏がとれないということである
だからかえって地元の人が詳しいとなることがある
でもまた地元の人も噂に左右される
また勝手にデマを流す人もいるから情報が混乱するのである

東京のライブハウスに行った南相馬市の50代の男性が感染した!

このことが情報の混乱をまねいた、50代の男性の娘の35歳の女性が東京のライブハウスに常磐高速を利用して東京で感染してその父親と母親と20代の弟に感染させたのであるこれなら納得がいくのである

いづれにしろ感染経路はわかったし二次感染も判明している
そこでおさえれば広がらないということがある
でも外から来て住んだ原発避難者ということで問題になる
金があり暇があり東京まで遊びに行っていたのかとなる
それにしても前も東京のライブハウスが感染源になっていた
結構遠くから集まる、音楽は生の迫力にはかなわない
それで東京まで行ったのである


コロナウィルスの情報が混乱する
放射線についてもそうだった、低放射線はかえって体にいいとかなんとかいろいろなことが言われた
今回もコロナウィルスの正体がわからないからいろいろいう
専門家でも言うことが別れる
だから正しい情報を事実を知ることもむずかしくなる
そしてこういうときはフェクニュースでもどうしても信じてしまう
それは判別できないからである
情報が錯綜するからである、そして誰を信じていいかもわからなくなる
御用学者もいるから何を指標にしていいのかわからなくなる


posted by 老鶯 at 12:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年04月04日

南相馬市のコロナウィルス感染者はすぐ近くの人


南相馬市のコロナウィルス感染者はすぐ近くの人

colonamao33.jpg


colonamap1111.jpg

感染経路不明者が多くなると危険になる

田舎だと感染者が特定するとその交友関係が追求できる

大都会になると群衆とかにまぎれわからなくなる

それで増えてしまうことがある


福島県で新型コロナ感染「9人目」 南相馬30代女性、二次感染か
2020年04月04日 08時00分 

県は3日、新たに南相馬市に住む30代の会社員女性の新型コロナウイルス感染を確認したと発表した。女性は1日に感染が確認された同市に住む50代の無職男性と習い事教室で一緒になり、濃厚接触者に当たるとされていた。女性は軽症で、入院する予定。二次感染の疑いがある。県内の感染者は計9人となった。


50代の人が東京のライブハウスに行って習い事している仲間だった35歳の女性にうつした、その女性はすぐ近くの人だったこと驚いた
前にコンビニの前ロードに乗っている若い女性がいた、その人の住んでいる場所が感染者を出した所である
するとその女性が感染したのかとなる、これが田舎なのである
地域は明らかにしていないが今日聞いたからその場所であるこことは間違いないだろう
そんなに身近なのかと驚いた
それで一時スーパーシシドが閉鎖したという
どうしてもスーパーには行くしコンビニとかにも行く、そこでの感染が怖いというのもわかる
今日スーパーシシドに行ったらマスクしている人が多かった、警戒するようになった

コロナウィルスは交通と密接に関係している、交通の盛んな場所から拡散してゆく
だから東京は日本で一番交通が人の行き来がある場所だからそこから全国に拡散する
東北では仙台市が一番危険であり現実に仙台市から秋田の方に拡散したからだ
浜通りの相馬市とか南相馬市は行き来が頻繁である
特に常磐高速道路ができたとき一層交流が頻繁になった
私のユニットバスを百万で作ったのも仙台の会社だったからである 
50代の男性も常磐高速を利用したのかもしれない、それで母親にもうつした
その50代の人が感染源となり拡散されることが怖いとなる

それと復興したと感じた常磐線全線開通にコロナウィルスが水をさした
東京直通であるからどうしても東京とかかわるから乗りにくいとなる
また東京からも人が来るから困るのである
ただ車社会になるとどうしても常磐高速のように高速道路を利用する人が増える
車だと電車のようには人が乗り合わせないので感染しないが東京に行ったということで感染したのである

会津の明治のコレラの伝染が陸路で会津若松市に集中してそれで交通のあまり交流がない交通がない田島の方に広がった、そして桧枝岐(ひのえまた)は交通が閉ざされた場所だったから被害が全くなかったのである
交通度合いに比例してコロナウィルスの感染者が増えることは間違えないのである
だから南相馬市とか相馬市では仙台からの感染者が一番注意すべきだとなる

やはり東京都知事が注意したように若者が警戒せず出歩き集まりそれが感染を増やす結果となった、
そして一旦感染者になると田舎では針の筵(むしろ)に座らせられたようになる
みんなが注目していじめにもなる、つまり田舎では隠せないからである
東京のように人口でも規模も大きすぎるともう隠してもわからない、だから症状が出たからと病院に行って検査している人もいるがいない人も多い、どれだけの人が東京では感染しているかわからない
あれだけの人口密集地帯なのだからもう感染はとめることができない

もうすでに相当数に広がっている、発表した10倍以上広がっているかもしれない
東京のようなところでは感染者を見出すこと自体むずかしいからだ
ただそれが全国に拡散するから東京だけの問題ではない
それで東京封鎖が言われた、でもこれは不可能だとしている
つまり東京封鎖とか都市の封鎖が言われるのはコロナウィルスがその都市中心に拡散するからである
それは福島県でも会津若松市に集中して拡散したからである
東北だと仙台から一番拡散しやすいのである、そこが交通の要になっているからだ
だから仙台市に行くのが危険だとなってしまう
花見すらできなくなっているのも淋しいとなる

とにかく50代の男性から感染した35歳の女性は発熱症状が出た、でもそういうことは風でもあるから判別しにくい
検査しにくいから福島医大に送られた、それは感染経路が50代の男性が感染したことがわかっていてその径路をたどって習い事仲間として接触していたので医者にみてもらうようになった
つまりウィルスでは感染経路が極めて大事になる、その径路をたどると隔離するとか感染をとめることができる
でもすでに感染経路がわからないのが多くなっているからこれも危険なのである
まず東京はあれだけ人が多いのだから交流があるのだから感染経路などわからなくなっている
するとこれから爆発的に感染者が増えて来るのか心配になる

posted by 老鶯 at 13:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年04月03日

春の日(飯館村が住民の別荘地になった?)


春の日(飯館村が住民の別荘地になった?)

iidatenewhouse10.jpg
新しく建てられた家ュ(別荘)

人は住んでいない、こういう家が多い

ruinedhouse8.jpg
廃屋


iidatepark4.jpg

新しい遊戯館と公園(までい館の裏)



mebukiii1.jpg

木戸木の奥の人が住んでいた隠された家

kidoki3.jpg


yamanochou34.jpg
クリック拡大 enlarge

蝶がこの木にとまっている

kikuzakiichigeee2.jpg
クリック拡大 enlarge
キクザキイチゲと片栗
tutakaramu5.jpg


treerootrock6.jpg


yashiromatu167.jpg
これは綿津見神社だろう

山津見神社と対になっているからだ

momionetree7.jpg

飯樋の丘の公園の樅の木にノスリ




樹々芽吹き流れのひびき不動岩

片栗や流れの清く一部落

松一本社の標春日暮る

(木戸木)

かたくりにキクザキイチゲ蕗の薹飯館村に我が入るかな

奥の山住みにし跡とあわれかな枝垂桜の名残と咲きぬ

森深く友呼ぶ声や鳥のなく春の山陰耳をすましぬ

くいこみて絡まる蔦の離れじやここを住処と死ぬ人のあり

我が町の梅は散りにき飯館の梅は盛りと今匂いけり

丘の上に樅の木一本見上げればノスリとまりて人の住まぬ村

人住まぬ村の淋しも古き碑も捨てられしごと春となりしも

人住まぬ村の淋しも鶯の夕べ啼きしももの悲しかも 


栃窪村から真野川をさかのぼり大倉に行き坂を上って木戸木に行った
そこは十軒くらいあった戦後開拓に入った部落だった
そこに十軒も家があることを知らなかった、三四軒くらいしかないと思っていた
私が関心があったのは草野の方に行く流れが森の中に隠されてあったのだ
今はそこが道路になってない、そこは神秘的な場所だったのである
人は一日一人も通らないということがある、そこの木戸木の部落の人しか通らなかったろう、森の中で暗い道だったからである
なにしろ木戸木はその道ができる前は大倉に行くにしても相当に不便である
それより草野に行くとしても七曲の峠道を行くから本当に不便だった
戦後開墾に入ったのはそういう不便な土地にしか入れなかったからである

そこでの暮らしは本当に原始的な暮らしである
そこが不便なのは田畑にする場所がないことである
平坦な土地がない、ただ燃料は炭だった、戦後一〇年くらいは街でも炭だった
私の家でも街に住んでいても囲炉裏があったからだ
ただまだ私が住んでいたのは街だったがそこはもっと辺鄙でありどんな暮らしをしていたのか想像もできなくなった
山菜くらい食べても生きていけるきかともなるからだ
あの小川で岩魚かとれるとか言っていた人がいたけどこの辺では岩魚はいない、山女はいるが岩魚はいない、だから何を食べていたのかイメージできなくなった

そこでは一〇軒くらいあって二軒くらい住んでいる人がいた
飯館村で今回不思議だったのは家が新しくなっている、その家が平屋で小さいのである
そういう家が多いのとどうしてだろうと思った
補償金が入って新しく家を建てたたのかと見ていた
そこに住んでいると見ていた、でも人は住んでいなかったのだ

それでまでい館で案内している人に聞いた
そしたらそれは別荘だというのだ、人は住んでいないのである
そこに住んでいた人か畑で野菜を作ったりしているという、また帰ってくるために作ったでも人は住んでいないのである、それも奇妙だった
人が住んでいて家が壊され空地になった所もみかける、でも新しい家が建っているからここで生活しているのかと見ていた
ここに住んでいた人は他に移り住んでいる、他で家を建てて住んでいる人もいる
でもここに別荘として家を残して通っている

飯館村は別荘地となっていたのだ!

ともかく飯館村では例えば町長も村に住んでいない、その孫でも立派な学校に他から通っている、町長自体が住んでいない、そして他の場所から川俣とかから通っている
これも何か変だと見た、飯館村ではとにかく建物だけは立派になった
また一つ子供のための遊戯場とか公園がまでい館のじき側にできる
その建物も子供が喜ぶようなデザインの建物である
ただまでい館に寄ってそこで遊んで去ってゆく、肝心の人間が住んでいないのである

そんな村とか町がありうるのか?

それは何か仮の村であり通過するだけの村となってしまう
別に通過するだけならそれでいいとなる、デズニ―ランドのような遊び場で遊んで帰るというだけである
でもそういう村はもう村とは言えない、暮らしがないからだ
ただ一部ならそうしたレジャーランドとかキャンプ場のようなものはあってもいい
でも村全体レジャーランドになったらそれが村なのか?
人間が住んでこそ村でありえる

ともかく人間が住まない村とはな何のだろうとと思った
古い碑とか墓がある、それも何か捨てられた感じになる、住んでいればそれが眼につくから古い碑でも墓でも死んだ人でもその土地に一緒に生きているという感覚になる
人間が住んでいればその村の継続した生がありうるのだ
そういう生の継続が途切れた感じになる
小高だとすでに6割以上とか帰って住んでいるとなると何とか町が成立しているのかとなる、ただ老人が多いから老人の街が継続できるのかという問題がある
そこは姥捨て山になるのではないかという不安がある

今回飯館村に行って感じたことは死んだ村という感じである
例え立派な建物があっても肝心の人間が住んでいないからである
特に草野辺りはなんとか通過する人でも寄る人があるから活きている
でも飯樋とかは一軒か二軒しか住んでいない
そこは前は塩の道の塩を運ぶための相馬藩の役所があり60人も役人が住んでいたのである、それが死の町となっている
その丘の公園に上ったら一本の樅の木があり人の住んでいな町と人のいない学校が見えたそして樅の木の天辺にノスリかとまっていることにびっくりした
何か前もそうだったが人間がいなくなるとこうした野生の生物が生き生きとしてくる
だから荒地となった田畑には猿の軍団が出てくる
猿は人間を恐れなくなっているからだ

飯館村どうしても死んだ村に感じた、やはり人間が住み人間の暮らしがないと死んだものとなる、ただ田畑でも放置されたのは農業を前から継続することが限界にきていた
それはどこでも共通しているが飯館村だと特にそういうことがあったかもしれない
何か産業というものがなくなっていたからである
それで多額の補償金をもらったとき他に家を建てて移りすんだ
そしてまた前らか住んでいた所に別荘として家を残したとなる
それだけの金の余裕があってそうしたともなる
だからこれはなになのだろうとなる、奇妙な感じになったのである

ただ人が住まなければ何か社でも古いもの、昔から伝えられたものでも途絶えて死んでゆく感じがした、村を守るものとして社があったりするからである
その是非はともかく人が住まないとしたら神様も捨てられたとなるのだ
現実に石段を上って猿がお参りしているのかとも見たからである
廃村には廃墟の村ではないにしろ何か奇妙な感覚になる
前も家はあるから人が住んでいると見ていた、その時も人は住んでいなかったのである






posted by 老鶯 at 22:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

2020年04月02日

南相馬市50歳の男性が東京のライブハウスでコロナウィルスに感染 (東京から拡散するのが早いから注意)


南相馬市50歳の男性が東京のライブハウスでコロナウィルスに感染

(東京から拡散するのが早いから注意)

2020年3月14日(土)より常磐線全線が運転再開、特急「ひたち」の仙台〜上野・品川間直通が開始されます。

南相馬市50歳

3月20日に東京都内のライブハウスに行っているようです。

南相馬市で一人コロナウィルスの感染者出た、これを知って身近だなと思った
そして広がるのが早いなとも思った
仙台市から秋田に広がったのもわかる、仙台市からせ広がり安いからだ
それで何かここも不安になった、仙台との交流が頻繁だからである
何か原発事故で双葉ー大熊ー富岡が不通になったとき仙台には行っていて南相馬市とか相馬市とかは不便を感じないのである                  

もし南相馬市から仙台方面が不通になると不便を感じる
それで仙台行きが下りになっていたのが違和感があった
仙台が東北の中心であり上りという感覚になっていた
第一いわき市方面にはここからあまり行かないからである
ただ東京に行くときは特急「ひたち」を利用することになっていた
だからそれにはもう若い時から東京に行くのに乗っていた
その時は上りだと感じていたのである
ただ私はもう十年以上東京には行っていないのである

この感染した人が東京のライブハウスに行っていた、常磐線全線開通したのが3月14日であり3月20日に行っている、だから全線開通した特急「ひたち」を利用して東京に行ったのだと思う
私も特急「ひたち」で東京に行きたいとも思うからである
他でもこのライブハウスに地方から行った人が感染している

東京から感染して拡散される

そして拡散するスピードが早いのである

仙台市から秋田へ拡散したり東京から青森とかに拡散したりするのは新幹線が通っているからだ、山形県から秋田の方にも新幹線が通っている
それは従来のレールを使うにしてもやはり通っていて早いのである
現代はこれだけ交通が発達していると人が高速に移動している
だからたちまち遠くに人が移動して拡散する
それも世界だと飛行機で世界中にたちまちに拡散するのである
つまりコロナウィルスでも直通で遠くまで結ばれて拡散する

とにかく地方だと田舎だと一人で感染者が出ても衝撃である
それで周りで話題になる

誰なんだ、どこに住んでいるんだ、どうして東京まで行ったんだとか
噂でももちきりになる、だから市では名前を出さないのもわかる
もう田舎だといたたまれなくなることは確かだからだ
自分自身も何か隣の人が感染したようにすら思えた
それだこけ東京とか大都市と田舎の感覚は違うのである

だからこそ東京の人が地方に田舎に来ることは拒まれる、東京だと広いから特定できない田舎だとすぐに特定される、南相馬市は6万くらいにしてもそうである

ただ南相馬市のどこに住んでいたのか?     

小高区なのか?原町区なのか?鹿島区なのか?

これによって相当に感じ方も違ってくる、どういう人なのわからないけど「無職」となっていることも気にかかる
なぜならこの辺では原発避難民が今は仮設に住んでいないにしろ復興住宅などでかなりの数が移り住んでいるからだ
だから知らない人たちが二三割移り住んでいる  
そして原発避難民は補償金をかなりもらっていて仕事もしていないのが多いのである
それはもう十年過ぎてもそうなのである、むしろもう働かないで補償金で暮らしていこうとしている人たちも多い、60代くらいになればそうなる
それで年金十万を補償金として東電で国で出すべきだとして要求したからである
だからもしかしたらこの人は原発避難民なのかとも思う

ともかくコロナウィルスが伝染する広がることはこれだけ交通が発達しているのだから早い、でもまだ危機感がたりないことは確かである
何かいろいろ言うから放射線と同じく判断しにくいのである
でも自分の住んでいる場所で感染者が出たことは本当に驚いたしこの辺では危機感をもつようになる
日本全体でまだまだ危機感がたりないことは確かである
たいしたことないとみている、またそんなに怖いものではないとも見ている
でも地方では田舎では大都市で感じるのとは違う

いづれにしろ東京からコロナウィルスは早いスピードで伝染する!

だから東京閉鎖も必要なのかとも思った、それに近い措置も必要である
そこで経済的混乱が生じるからできないというのもわかる

でも一人でも身近に感染者出ると変わる

危機感が出てくる、もしもっと死ぬ人が増えて身近でも死んだりしたら地方だと大都市より敏感でありパニックになりやすいと思った
何か疑心暗鬼になる、田舎の人間関係は濃密だからそうなりやすいのである
それが大都市との違いでありだから感染した人は針の筵(むしろ)に座るようにもなるのである
結局村八分のようにされてしまうのである、それが田舎の怖い所なのである


posted by 老鶯 at 21:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

コロナウィルスに強い国は先進国の小国 (管理しやすくなるから?ーグロ−バル経済はもう管理できない)


コロナウィルスに強い国は先進国の小国

(管理しやすくなるから?ーグロ−バル経済はもう管理できない)

南相馬市でも東京のライブハウスに行った50歳の人が感染


そもそも感染経路追ってる国ってどんくらいあるの?

なんか昨日の専門家会議の会見だどほぼ無いみたいね
欧州も米国もやってない

シンガポールは国土の狭さと独裁国家故の徹底管理が吉と出たよな


シンガポールとか香港とかは台湾はコロナウィルスにうまく対処している
それができるのは一応医療体制が整っているし先進国だからなのか
それはやはり小国になると人も管理しやすい、それと台湾だと水際作戦ができる
空港でも検査を徹底して管理できる
第一感染経路を追えるということは小さな国でしかできないだろう
まず中国とかアメリカとなるともう国自体大きいからできないのである
日本はなんとかできるという範囲にある
つまり国が余りにも大きいと何でも管理できなくなる

だから何か今回のコロナウィルスの不思議を追及ししてきたけど国境とか江戸時代なら
関所が見直されたことである
そんなものグロ−バル経済で無くせとなっていた、それでグロ−バル経済とは国家とか民族とかも障害になるからなくせ、ただグローバルの多国籍企業が活動しやすいようにしろとなっていた
それがコロナウィルス反作用が起きている、その反作用が現実化している

アメリカ人が新型コロナウイルスを持ち込むとの不安がメキシコで強まり、国境近くの住民たちが検問所を封鎖する事態となっている。

これまでメキシコから命がけでアメリカに越境していたのにこんなこと言うのも驚きだともなる
大陸というのは人間の流入をとめられないのである、だからこそここでも国境の壁を作っている
だから万里の長城も大陸国家だと必然的に生まれた
ヨ−ロッパも大陸国家で陸を通じてつながっている、するとヒトの流れでも遮断できない
またEUでも国境をなくしたからあのように広がったともなる
つまりコロナウィルスではEUは裏目にでたとなる
とにかく大陸だと民族移動も起こりやすい、陸続きだから止められるのないのである
日本は海が障壁となって民族移動をとめた、モンゴルの攻勢も海によってとめられたのである

それからヨ−ロッパとかアメリカでも田舎に避難する人たちが出ている
でも田舎に来るな、コロナウィルスをうつすなと拒否している
日本でも「東京から出るな」コロナウィルスをうつすなと地方では言っている
なにしろ東京から大都会からコロナウィルスは拡散しやすいからである
武漢が閉鎖されたのはそのためである
福島県でも福島市で感染した人も東京から移動した人だとなる
青森などもそうである、だから東京から拡散するから東京閉鎖が言われる

今回のコロナウィルスでは何か今までしたことが問われる
ヒト、モノが世界的にグロ−バルに自由に行き来する、そのことが全面的にいいことだとしてそうなった
それがなぜかその反作用なのか反動がコロナウィルスで起きている
私自身はグロ−バル経済に批判の立場で評論してきた
それは経済面だけではない、人間の心、魂、精神面から批判していた
世界的に自由にヒト、モノか流通することはいいことだというのは一見肯定される
否定はされない、だからますます推進させればいいとなっていた

でも心とか魂と精神面からすると何かそんなグローバルにアイディンティティとか心が通じ合うとか精神が形成されないのである
人間の精神が心が通じ合う範囲は限られているし限られている中で培うのが人間だったからである
だから江戸時代の藩単位などが経済単位でもありそこでその土地に根ざした土着化したものとして精神も形成された

グロ−バル経済の一番の問題はすべてが金で紙幣で換算される世界になったことである
金の力が余りにも強くなりその金を例えば日本の金がゆうちょでも農林中金でも地銀でも日本の年金の金まで何かあやしいCLOにつぎ込まれて奪われるとしている
国際金融資本に日本の貴重な金が奪われる
それは結局グローバル経済化した結果としてそうなったのである
だから投資などにしても世界市場がギャンブル化して国際金融資本家に吸い上げられているとかなたる、つまりそこが胴元になっている巨大なグロ−バルな詐欺だとしている
そこに公平な市場の原理など働かないのである
それができるのはグロ−バル経済というのはそういう仕組みでありシステムがありもう人間がモラルをもって操作することがすでにてきないからである

日本語の「経済」は英語の"economy"の訳語であるが、この語は古典ギリシャ語の οικονομッα(家政術)に由来する[3]。οικοツ は家を意味し、νομοツ は規則・管理を意味する[3]。従って、economyの本来の意味は家庭のやりくりにおける財の扱い方である
                
「経国済民」もしくは「経世済民」の略。 「経国済民」「経世済民」は、国(世)を治め民を救済することを意味し、現代でいう「政治」の意味に近い語である。

こういう経済を全く越脱している、規制管理もてきないのがグロ−バル経済である
民主主義でも一、二万の直接民主主義がギリシャのポリスで始まった
そこはあくまでも人と人が顔を見て通じ合う直接民主主義だったのである
今の規模はもう一千万倍とかなっているからもうそこに民主主義といっても機能しなくなる、すると何をもって規制するのか、それもできない

結局グロ−バル化とは経済的無政府主義でありアナーキーだとなる

ここからしてもう限界だったのである、何か人間の操作する範囲をはるかに逸脱したものでありもう制御不可能なものになっていたのである
だからそこで濡れ手で粟を巨万の富をえる国際金融資本家とかが生まれた
その格差は天文学的になっていたのである、そんな世界が成り立つこと自体そういう人たちは悪魔的だとなっていたのである 

いづれにしろ自分自身が追求してきたことは「相馬郷土史研究」とか「相馬郷土学」とかは地域に根ざしたアイディンティティを求めた
一地域に国に土着して一つの世界観を形成するアイディンティティを求めたのである
それは精神的な面もあるがそのベースに経済がある
ただこの地域でもグロ−バル化はまねがれない、そして原発事故でその肝心のアイディンティティの基となる土や水や森林でも空気まで放射性物質に汚染されて住めなくなった
避難区域がある
これも自分自身が求めたアイディンティティが根本から破壊された
それは科学技術工業社会から起きたことである
つまり科学技術がすべて否定できないにしろ何か行き過ぎがあった
グロ−バル経済というのもすべて否定はできないにしろ行き過ぎがあった
それがコロナウィルスで止められ是正されるのかとなり不思議になったのである
だからコロナウィルスが一時的には犠牲があってもすべて悪いものとして必ずしも作用しないのかと不思議になったのである


posted by 老鶯 at 14:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

abstract river


abstract river

coldriver111.jpg

cold river

riverbig2.jpg

spring river

silvermontain123.jpg

threepeaks11114.jpg

three peaks




これは著作権違反と指摘されるかもしれない、ただオリジナルの変形でもやはり創作という面がある
この山のオリジナルは平凡な三つの山しか描いていないからだ
変形した結果としてかえって何か山を強調するものとっなたのである

It may be pointed out that this is a copyright violation, but the original version is still a creation
Because the original of this mountain only draws three ordinary mountains
Instead, it emphasized something as a result of the deformation.

2020年04月01日

理解しにくい人物ーその顔の不思議 (youtubeとかに出た人物評の試み)


理解しにくい人物ーその顔の不思議

(youtubeとかに出た人物評の試み)

suzukikk11.jpg

SakuraSoTV

kajimmmmmm111.jpg


threemen.jpg

そもそも人間は他者を本当に理解しにくい、それは別に有名人でなくても普通の人でも理解しにくいのである
まず住んでいる地域から育った環境から職業の相違も大きい、その人の個性から世代からと様々な条件が違って理解しにくくなる
一人の人物を知るということは本当にむずかしくなる
そして理系と文系となると何か人種が違うのか互いに必ず理解しにくくなる
武田邦彦氏は理系と文系の知識と経験を備えているから文系の面からだと理解しても理系の面からとなると理解しにくいのである
特に私は文系だから理系が理解しにくく評論できないのである
でも理系的思考というのがありそれを知ることはできる

今日sakurasoTV(桜チャンネル)鈴木傾城氏が出演していた、その顔は出ていたが体まで出るとなにかもともと異色だったけど体も大きくて貫禄があると見た
ただプログでずっと読んでいたがその顔との差があった
プログだと何か若い人のなかと錯覚する、本だとたいがい認められた人として読む
でもインタ−ネットになると何か浅薄な人でも自由に発言できるから軽く見られる

でも今回のさくらTVに出演していた人で本当に異色な顔貌をしていた
あの人はなんなのだろうと私などには理解できない、アジアのは売春宿を回りその実態を知らせる、それ自体なんなのか理解しにくい
でもその言っていることは魅了されることがあるから読者が多いとなる
要するに底辺層に接していてその底辺層から上からの目線で学者として見ているのではない、他の人は学者だったのである
その顔を見ても学者なのである、私なんかも何か学者的なのである
でも鈴木傾城氏は違っていた、右翼の武闘派の親玉のようにも見えた
体も何か大きく見えた、そもそも武闘派の主張をしていたからである
なかなか右寄りでも学者はいるとしても本当の武闘派はいない
プログだけの発言して死んだ都築詠一氏は武闘派だった
その顔を見ることは私はなかったがその人なりが文章に現れていた
その人は顔を見なくても文体からイメージできたのも謎である
まさに文は人なりとなっていた

この世には強烈な天才的な個性をもった人間はいる、まれだがいる
ただ危険なのはそういう風貌とか体つきとかから人間を判断すると危険なのである
何か自分は体でも貧弱でありあらゆる能力が劣っているからそういう人にあうと崇拝してしまうのである
それで前の師を偶像化した、偶像崇拝になった、これが危険だった

キリスト教を知るには聖書を知るには神とは何かを知ることで一番大事なことは偶像を崇拝しないことだからである
必ず人間は眼に見えるものを偶像を崇拝するようにできているからだ
だからあらゆるものが動物でも石でも星でもなんでも神となる
でも本当の神は決して目に見えないし見ることも絶対にできないのである

もし見えたらどうなるのか?

必ず卑しめられる、それはなんだこれが神なのかとなり卑しめられた
キリストが神の子だといていって肉体を備えて現れたときに卑しめられることはまねがれなかったのである                                        
神は妬む(ねたむ)神なのである

神は存在する、でも偶像を崇拝する者にねたむ、そんなもの神じゃない、私こそ神だとして現れる、神より上に立つものを許すことはないのである
だから妬むというとき神は人間の持つ心があるということになる
なぜなら普通神ともなればそうした感情は下等なものでありそんなこと気にしないとなるからだ

でもどうしてユダヤ人は神を認識したのか?

それは偶像を崇拝していてそれで神の怒りをかって真実の神を知らしめられたことは確かである、その神は見えない神なのである

とにかく人間の顔は不思議である、youtubeでは顔出すから文章より顔をまず見てしまうのである、こんな顔しているのかとまず顔を見てしまうのである
それはテレビでもそうである、顔が大事になる
それでラジオ全盛の時は声だけで放送していた、でもテレビ時代になると顔が大事になり人気があった人もなくなって番組からおろされた
テレビではアナウンサーでも顔が大事であり美人でないと受けないともなったのである
テレビだと文章ではない、まず顔を見てしまうからである
顔から判断するということがあるからだ
本だったら顔は関係ない、書いた内容で判断している

それで加治将一氏のyoutubeを見てしきりフラットフラットな関係と言っている
アメリカ暮らしが長いからアメリカ的人間が作られたともなる
まず外国暮らしをしてきた人と日本だけでしか暮らしていな人の差が大きいのである
外国暮らし人は比較で日本が見える、それはささいなことでも実生活から日本との比較ができるようになっているからである
ただ本を読んでとかテレビを見ていたとかではない、肌で知っていることの差なのである私は外国で暮らしたことがないからどうしても外国がわからないから視野が狭いのである

いづれにしろこの人の顔を見ると本当に気さくでありアメリカ人的だなと見る
あまりアメリカ人は上下関係を作らない、それはホイットマンの詩を読めばわかる
平民を主人公として詩にしている、そういうことはヨ−ロッパとか中国では起こりにくいのだ、まさにフラットな人間関係なのである、大統領さえフラットなものとしてあった
みんな大きな大陸でフラットな関係として詩にしている
例えば中国とかアメリカの基となっているヨ−ロッパでも歴史が古いから王様がいて貴族がいて上下関係がある、ヨ−ロッパはフラットではないのである
日本が歴史が古いからフラットではない、天皇中心にしたヒエラルキーを構成してきたと批判しているのもわかる、ただ日本の風土に関してそんなのがないというのはありえない
そしたら季語があり俳句短歌があることも否定されるからだ

とにかくこの人のことも理解しにくい、そもそもアメリカで不動産関係で仕事してアンテークのコインに投資していることも理解できない、そんなに一千万するコインがあるのかと理解できない、だから何か人間を理解することは難しいのだ
同じ日本人でもそうして生い立ちとか仕事ととか違うし理解しにくくなる
でもその人の顔を見たら何か気さくであり本当にフラットな感じなのである
それは誰でも気さくに声をかける上下関係もないアメリカ人になっているからかともみるアメリカに15年も暮らしていれば当然アメリカ人気質になっている
そういう点は好感がもてるのである
この人の顔から何か特別なものを感じないのである、その辺にいる気さくなアメリカ人となっている

それで人間自体が顔まで移民でも代々住んでいるとその民族と同化して同じような顔になるということを何かの本で読んだ
確かに日本人そのものがもう戦後はアメリカ化したからアメリカ人になっているのかもしれない、純粋の日本人はまれだろう
戦前だと天皇を神として戦争したのだから純粋の日本人は多く存在したろう
戦後はまるっきり変わった、アメリカに支配されたし日本人自体がアメリカ人になったのである、それはアメリカに暮らさなくてもそうである
なぜなら戦後はアメリカに同化するように生活自体がそうなったからである
そこで日本人の良さも失われた、日本人気質も失われた
顔とは確かに親の遺伝子から受け継がれたものが基である

日本人の気骨も失われたのである、明治には武士道がまだ活きていた
それで内村鑑三のような武士道キリスト信者が生まれた
日本は戦後そうした素地が喪失したのである
つまり日本人は骨なしになったのである、だから日本人は外貌でもアジア人ではないアメリカ人になっていたのである
アメリカでもいい面と悪い面がある、日本人でもいい面と悪い面がある
ただ日本人を形成する骨格となるものがない、骨なし日本人になったのである
だから日本人は実際はアメリカ人になったのである
その生活形態も考え方でも何でもアメリカにならったのである
それでアメリカ人の悪い所も習ったのである
金だけを唯一の価値としたのもアメリカ人にならったからである
戦前は金だけではない日本人的価値が義理人情でもあったと言われるからだ
戦前は何かまだ日本人的なものが残っていたのである
それが戦後は全く日本人的なもはのを捨ててアメリカ一辺倒になったのである
だから日本人が顔までアメリカ人になったと見るのである

顔は人生の中で作られるのである、双生児でも環境が違うと顔まで違ったものとなっていた、つまり人間がいかに環境の影響が大きいかである
公務員が同じような個性のない顔しているとか会社員でも社畜とか自ら言っている人たちはロボットのような顔になっているかもしれない
例えば夫婦でも顔かにてくる、似た者同士になるとかもそうである
私があった夫婦は奇形的な顔の夫婦になったから異常だった
子供の時あっただけだからその嫁となった女性の変わりように驚いたのである
もう人間からはずれたものになっていたのである

心理学者の内藤誼人先生によると、顔が似てくるのではなく、同じ「表情」をすることが増えるからだそうです。
つまり一緒に暮らしていれば、「笑い」「悲しみ」「怒り」など、同じ感情を抱くことで同じ表情をすることが多くなります

ダンテの地獄編では何かそうして顔が変形している人が良くでてくる
まさに顔にその人の心が現れてそれが奇怪な異様なものとなっていたのである 
顔に責任をもてというとき顔にその人の刻印が押されるからだともなる
この顔は天国行でありこの顔は地獄だと印されているとして選別されるとなると怖いことだと見た

こういうことなのだろう、その奇怪な夫婦はなぜそうなったのか? 
その夫は公務員だった、それは相互作用がありともに奇怪な夫婦として長年の暮らしで作られてきたとなる

だから人間の顔は偽れないということがある、言葉では偽れても顔は偽れないとなるから怖いともなる
とにかくyoutubeは顔が全面に出てくるから顔からまず判断されてしまうのがテキスト中心のプログと違っている
そして一番不思議なのは自分自身の顔がわからない、見えないことである
いくら鏡でもみても自分の顔がどういう顔なのだかわからない、それが心が見ないとにている
それで鏡に映る姿を古代人が最もおそれたことがわかる
それはその人の姿を心も写すものとして恐れた、実際に自分の心でもありのままに写されたから怖い
やましいものをもたない人はこの世に一人もいない
その実相が鏡にあからさまに写されたら恐怖だとなるからだ
あまりの醜さを見て死ぬということもありうるかもしれないからだ

また人間は何か何でも対照的に見ないと見えない、小さな石があったとしても比べるものがなければ小さい石として理解できない
大きな石があって小さな石だと認識できる
だから醜いということも認識できないのである、自分自身の顔がどんなに醜くなっているかも認識できない
だからこそみんな平気で顔を出して生きているのである
その本当の姿を認識できたらショックになる、そんな顔にどうししな成ったのかとなるからだ
もう子供の時と接した顔とは人間とはまるで違ったものとなっていた
その変容には驚くばかりである、もう人間とも思えなくなっていたのである
でもその人自身は自分のことを全く認識できていないのである






2020年03月31日

みちのくに桜咲く(動乱の時代へ)


みちのくに桜咲く(動乱の時代へ)


波ひびく太平洋や朝雲雀  

沈丁花匂い一人活かす家


太平洋一望にして春の朝雪の覆いし蔵王を見ゆかな

三分ほど花の咲きにきみちのくに風は冷たく身に吹きにけり

昨日ある人も還らぬ人となる世の移りのことに早しも  

ふるさとに苦しくも生き老いし女春となりしも幸のあたいぬ

世にたてば嵐の起きてうたるるや神の意の成り我は死になむ  

小さなる者にしあれど大いなるものに殉じて大となりなむ

天地鳴動
人心一新
世界動乱
壮士起立


桜は三分咲きになった、でも東風が冷たいのである、今になると何か寒いのである
桜前線もこれから北に向かって北上してゆく、
ここが三分咲きだとするといわき市では満開になったところもあるだろう
仙台は同時期になるだろう
この桜前線は日本独特のものである、日本は意外と狭いようでも北海道から沖縄と
北国から南国まである、距離的には長いのである
そしてここから蔵王が見える、ということは山形県が親しいとなる
なぜなら福島県でも阿武隈山脈また高原にさえぎられて福島市の方は全く見えない
吾妻山も見えないからである、霊山まで行かないと見えないのである
だから福島県は地理的一体感を感じないのである
蔵王が見えるからすると山形県を思うことになる、海岸線は海を通じてつながっていたことは津浪で実感した

何か確かにその女性は苦労したのだけどでは同情するのはいいがそれで幸を与えるということはなかなかできない、ただ損するだけだとなる
だから愛をもてというときそれがむずかしいからキリスト教でもやめた人がいた
とても実行できないからである、それぞれの暮らしがあり例えば家族がありそこには金は使っても他人に金を無償で与えられるのか、それはなかなかできないからだ

ただ宗教というとき我を消すことである、人間は結局我(が)に生きる、我欲を消すことができないのである
神とは我を消したところに現れる、人間はただ自分の意を成そうとしている、意を通そうとしている
それで神にとってはその我が邪魔になりかえって神の意が成せない、つまり人間は自分の我を通そうとするだけなのである
宗教団体とはまさに集団で我を通す団体にすぎないのである
巨大な我(が)の塊りとなっているのでありそこに無心の人など一人もいない
だからこそあれだけの人が集まったのである、我が集積して社会に我を通そうとしているだけなのである

仏の意も神の意もない、ただ人間の我欲が集まり巨大化しただけのものである
団体となると他でもみんな利権になっていることでもわかる
原発利権もあったし漁業利権もあったし医師会の利権もあるし労働組合利権もあるし宗教団体も宗教に名をかりた利権団体なのである、それは京都辺りの寺でもそうだしもともと寺自体が侍が支配する前は現実に城がありそこは集団で我欲を通す支配する場だったのである
ともかく今何か社会が変革すのるとき大きく変わる時なことは確かである
それはこの辺で津波や原発事故がありそこから大きな変化がはじまりコロナウィルスもその続きだったのかとなる、これは局所的ではない、世界的になっているからだ
世界自体が変わってしまう、だからこれは何なのだろうとなる
何かこういうとき社会が大きく変わるからそれに応じて人物も出てくるとなる
そういう人が若い世代から出るということがある
明治維新の志士がそうだった、規制のものを打ち破るのはやはり若い力が必要だからである

とにかく70年間隔で大きく時代が変わる、明治維新から70年で戦後の焼野原から70年になるからだ、動乱の時代になったのである
ただ何かを成そうとするとき若いと自分の我を通すことになりなかなかは無心になれない我が意を成そうとするのであり大きく神の意を成そうとならない
つまり自分が成すことではなく大事は神が成すとならねばならない
何か大事はとてもいくら天才的優秀な人でも成せないのである
そういう人も独立不羈の人でも天才でも巨大な我になっていた
三島由紀夫なども実際は自分のエゴであり我になっていた
国に殉じるなどではなく自分一個の我を通すためになっていた
つまり何か自分で英雄とかになるにしてもなれないのである
それは時代が成さしめるのでありいくらそうなろうとしても成れないのである
いづれにしろ津波でもそうだし何か天地鳴動して世の中も動乱の時代に入ってきていることは確かである

2020年03月30日

原発事故と比較したコロナウィルスの対策 (過剰自粛が社会を破壊するー京都大学の研究)


原発事故と比較したコロナウィルスの対策

(過剰自粛が社会を破壊するー京都大学の研究)

overcontrol1.jpg

overcontrol33344.jpg

overcontrol333.jpg

99%の日本人が知らない自粛要請の罠0政府が決して言わないもう1つのリスクとは?

「京都大学レジリエンス実践ユニット」が「医療崩壊」を回避しつつ、新型コロナウイルスによる「死亡者数」「重症者数」
の抑制を重視すると同時に、その対策による「自殺者増」を含めた社会的経済的
被害も踏まえた上で、長期的な国民的被害の最小化を目指すための対策動画です。
                                      

ここでこれまでのコロナウィルスの症例をみて合理的に判断している
それで自粛をどうするかを説明している

まず症例からみたとき

高齢者(60以上)基礎疾患者が重症化している

60以下は重症化せず軽症で終わる

すると対策として高齢者の集合することや家庭内で濃厚接触を避ける

高齢者は家族でも社会でも隔離する

60以下は特にさらに50以下で基礎疾患がないものは普通に社会活動を維持

過剰な自粛を都市封鎖などしたら社会活動が停止してかえって倒産が増えて社会麻痺するそして自殺者が増える
だから60以下特にさらに50以下の社会活動を極端に停止することは危険である
なぜならそれで都市機能とか首都機能が麻痺するからである
そこでかえって自殺者が出て被害が拡大する

これを原発事故の場合と比べると

過剰な自粛、都市封鎖⇒避難命令⇒ゴーストタウン化⇒復興不可能

この辺は原発事故でそういう過程を経過した、原発が爆発した時恐怖して30キロ内を避難させた
それは政府の強制命令だった、でもそれはあくまでも30キロ内でありそれは補償などは政府で責任をもったのである

もし過剰な自粛とか都市封鎖したら政府で補償する責任をもて!

こう言っているのもわかる、でも東京などは規模が大きすぎるからそれができるのかとなる、原発事故の時は局所的だったから補償でもできた
その補償でももめた、30キロで区切られてその中と外では差が大きくなった
南相馬市でも30キロからはずれると三分の一になりさらに相馬市だとなけなしの金しかもらっていない、補償されたのは30キロないだけである
その補償は本当に手厚かったのである
医療費はもう十年になるのに無料であり高速も無料である
しかし同じ南相馬市なのに鹿島区は医療費無料は打ち切られたのである
この差は本当に大きな差別だったのである

だから補償するにも限度があり政府では公平にはできない

必ず不満なものがでてきて恨みとなる

また本当は避難させるべきだったのは浪江でも実は山側であり海側は0.5マイクロシーベルトとか低くかったのである、だから山側の津島に知らずに避難したが東電社員の人がいて
街の方に避難した方がいいと誘導された、それが正しかったのである
ただ政府ではなんら指示を出さなかったのである

政府の指示決定は重大な結果をもたらす、避難命令を出した結果としてこの辺は大混乱になり自治体は復興できない、ゴーストタウンになり若い世代は帰らなくなり復興できなくなった
今回のコロナウィルスとの相違は放射線は若い世代に遺伝子でも次世代までも被害があるということで若い人たちは故郷を出て帰らなくなった
今回は老人が被害にあう、老人が死ぬのである
放射線は老人は被害がないから関係なかったのである

だから若い世代の活動をとめるべきではないという症例からの分析で指示したことは理解できる
つまりこの辺でもそうだったが確かに放射線の被害も恐怖だった
またコロナウィルスの被害も未知でありどう影響するかわからない
でも社会活動を止めることの方が甚大な影響がある
ゴーストタウン化することが恐怖なのである
だからこの研究報告でそのことを指摘して過剰な自粛よりそれによる被害の方が大きくなるというのは理解できる

だから老人こそが引きこもるべきであり60以下とか50以下は普通に活動すべきだということは妥当な結論なのである
そして学校を休校にしたのは過剰自粛だったという指摘もわかる
子供は感染しても重症化しない、要するに軽い風邪とかで若い世代は終る

とにかくこういうときただ得体のしれない不安のみが増大する

それを合理的科学的に判断したというのは参考になる
つまりパニックになることがかえって怖いのである
もし都市封鎖などしたら食料の奪いあいとかになると殺人までになるから怖い
無政府状態のようになるのも怖いのである

過剰自粛や都市封鎖は慎重すべきだとなる

社会の混乱やパニック状態にすることがかえって被害を拡大する

だからこの報告で老人がひきこもる、家族内でも濃厚接触しないということが
最も合理的なコロナウィルスの対処方法だと見た
なぜなら重症化するのは老人であり死ぬのもそうである
ここに注目して対策する
原発事故では逆であった、若い世代に次世代にも被害が及ぶからその対策も違ったものとなった、結局若い世代は流出して自治体はゴーストタウンになり回復しなくなったのである

ともかく政府の判断とその実行は甚大な影響を及ぼす、それを間違えると多大な犠牲者が出る、でも政府ではそうした犠牲者にすべて補償はできないのである
その判断を誤ると今回は全国的だから政権も転覆することは間違えないのである

この報告は評価できる、テレビは何か不安をあおることが多い
映像でもそうである、スーパーの棚が空になった映像を写すだけでみんな恐怖になり買占めに走るのである
こうして冷静な見方を提供すべきだがテレビは何かエキセントリックに報告して不安をあおるのである
だから今はyoutubeの方を見た方がいいとも思った
ただそこにもいろいろな見方があるので迷うのである
私の場合は原発事故で経験したことがありその対象で判断している
やはり原発事故の対処というのは本当にあとあとまで尾をひく
その判断で実行で取り返しのつかないものとなったからだ
posted by 老鶯 at 18:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

コロナウィルスによるとキリスト教カルト教団やイタリアの牧師の死について (集団礼拝は神の意にかなわない)


コロナウィルスによるとキリスト教カルト教団やイタリアの牧師の死について

(集団礼拝は神の意にかなわない)


韓国、新型コロナ集団感染の新興宗教「新天地イエス教会」とは?

イタリア北部で、危篤に陥った新型コロナウイルス感染者らの臨終の際、祝福を与えた司祭少なくとも28人が3月19日までに、ウイルス感染により死亡した。亡くなった司祭の半数以上は80歳を超えている。一方、最も若年の司祭は54歳だった。カトリック系の「CNA通信」などが同日伝えた。


 防護服などは着ません。司祭の正規のガウンで、顔は出したまま、素手で患者の額に触れ、頬に触れ、死に行く人の罪を除き、祝福する・・・。

 宗教者ですから、当然、そのようにします。

 そもそも聖職者自身が高齢者であることが少なくありません。そして、末期の人や死亡直後の遺体に、敬意をもって接することで濃厚接触者となり、かなりの高確率でウイルスに感染してしまう。

 イタリアで神父を感染させる「終油の秘跡」
 

韓国のキリストのカルト教団の教祖がコロナウィルスで集団感染させたことで土下座して謝っていた、その映像を見ると信者が集団で結婚式したり統一教会ともにている
カルト教団の特徴は何か、とにかく数を会員を集めることが最大の目的なのである
信者を集めることではない、どんな人でもいい数を集めることである
創価がその最たるものであり数を集めて一票に結びつける、そして権力を得ることしかない
それはこの韓国のキリスト教カルト団体でも同じである
それは厳格に言えばキリスト教会ですら集団礼拝すると数として多いとまでなる

なぜそれほどまでにして宗教は会員を増やすことを第一とするのか?

数は権力だし数を増やせば会員から金をとれる、そしし教祖としてあがめられる
つまり数でもって社会に誇示するのが目的であり社会はその数にひれふす、民主主義社会では特にそうなる、すべてが数であり一票が政治権力を得ることだから当然そうなる
するとその数がいることで自民党も宗教団体と結託するのである
創価であれ統一教会であれ票として見るのである  

二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイ18:18020)

キリストはこう言っている、それも全く宗教では全くありえないのである

たった二三人なのか? 

そんな数で何の力を得られるのか?

こうなるだげでありそんな団体に社会では見向きもしないのである、政治的経済的にはなんの効果もないからである
だから真実の信者は社会から知られないし全く無視されるのである
イスラム教でも必ず集団礼拝である、それでメッカにおしかけた群衆で将棋倒しのようになり多くの死者が出たりする、これも旧態依然として変わらないからイスラム圏は世界から遅れをとったのである
宗教と政治の分離、政教分離ができていないのである

宗教と政治、宗教と経済、宗教と科学とかは常に問題にされてきた
今回のコロナウィルスでもそうである、イタリアはカトリックであり牧師が50人とか死んでいる、その牧師が宗教儀礼で濃厚接触して伝染させたとしている
だからここでも宗教と科学の問題が再燃したのである
コロナウィルスを恐れずにバチカンが患者に接することを強要したのである
それで犠牲になっても神の意にかなうとした、殉教だともした
でも実際は伝染を広めたのである

宗教と科学の問題はこれだけ科学が発達しても消えないのはそもそも人間がいくら科学が発達してもこの世の事のすべてに通じることができないからである
それで原発事故になって放射線で苦しめられたりコロナウィルスも不明でありどう対処していいとかわからないからである
そうなると宗教に依然として頼るとういことがある
何か解決しない問題が依然として人間にある、すると神に頼るのはいいとしても神をある意味で商売にして会員を獲得する教団に入るのである
つまり教団を通じて神仏に頼る、そのことが問題なのである
それでカトリックを牧師を拒否したプロテスタントが生まれたのである
直接に神への信仰を個々人で結びつくものとしてプロテスタントがルターの宗教改革で生まれた、でもカトリックの勢力はその後も世界に継続されたのである

とにかくコロナウィルスが社会にもたらした影響が大きい、社会自体を世界を変えるということで大きいから不思議なのである
それは今はマイナスの方が大きいがプラスとなってゆく面もあるから不思議なのである
つまり社会全般に世界をも変える力があることが不思議なのである
そんなこと普通は人間だけではできないからである

つまり信仰はそれぞれ隔離して神に個々人で祈れ!

こう強いられたのである、家族ですら濃厚接触するから老人は隔離して暮らせともなったからである、家族で祈るより個々人で隔離して祈れとまでなった
これも何なのだろうとなる
とにかくコロナウィルスがもたらしたものはこの隔離することである
それで平安貴族が御簾を介して謁見する、直接接しないのはただ身分を分けるというのではなくウィルスに感染しないための知恵から生まれたというのもそうである
伝染病はそれだけ怖いものとしてすでに認識されていたからだともなる   

集団化密集化が拒否される!

これがコロナウィルスに対処する方法なのである、だから集団礼拝はそれは実は社会に対して威圧するためのものであった、数で社会を威圧して権力を誇示するためのものであった、いわば宗教ファシズムなのである
社会は一人二人は相手にしない、数を集めて抗議すれば相手にするからである
政治家でも一人の一票なと何の関心もないからである
そういうふうに集団化密集化がコロナウィルスで拒否されることになった
第一大都会が東京の密集化こそがコロナウィルスの最大の問題である
東京から日本全国に拡散するから都市封鎖になる、だから東京遷都が再び言われるのもわかる、超過密都市は限界になっていたけど遷都はできなかった
また集団化というとき会社も集団化したものである、それも個々人に分離してテレワークがすすめられるなど通信の発達でできるようにもなる
何かそれがスムーズに変換できなくてもそういう時代の変革をコロナウィルスがうながしていることが不思議なのである

いづれにしろコロナウィルスがもたらしたことは悪いことばかりではない、様々なことで社会に世界を変えることの不思議なのである
まず東日本震災と原発事故を区切りにこの辺ではまるで変ってしまった
その前と後で時代が区切られるようになった
このコロナウィルスでも時代が区切られる、コロナウィルス前とその後では時代が変わってしまうのかとなる
これも天変地異の一種でありそれが局所的ではない、世界に及び世界を変えてしまうというこが不思議なのである


posted by 老鶯 at 10:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年03月29日

コロナウィルスが変える世界と社会 (それがすべて悪いものとはならない不思議)


コロナウィルスが変える世界と社会

(それがすべて悪いものとはならない不思議)


今回のコロナウィルスはその影響を見る時、それが必ずしも全部が悪い方向に向くとも見えないのだ
確かに小売りの人が窮状を訴えていたし死活問題ということもわかる
その小売りの卸業の人がその商売にしている商品をみせた
その中に中国産の食料が多かった
これが輸入できないと困る、日本産もあるが高くなるから困ると言っていた
外国産に頼るのは価格の問題が大きい
外国産が何でも資材でも安ければ外材でも日本よりはいいとなり日本に本来あったものが活かせないのである
それで農業でも地方が衰退した原因になった
グロ−バル化が実は地方の衰退の大きな原因となっていた

2020年03月29日07時50分


これもどういう事情が正確にわからない、でも若者が東京封鎖があるとなれば実家に帰るすると若者が田舎に地方に帰って活気づくともなる
これも何か東京一極集中超過密都市から脱却する方向に向かうとなる
実家に帰るという時、戦前までは農業中心の社会であり東京でも何かあれば田舎に帰っていた
そこで一応食べることだけはできたとかある、実家があり農業していて養われたともなる
そういう避難場所としても田舎は実家があり機能していたとなる
それで実家を守る長男が大事にされたのである

何か不思議なのはこうしてコロナウィルスが世界に社会にもたらす影響が必ずしも悪いとみれないのである
それは天からの作用でそうなったのかとまで思う

グロ−バル化経済の拡大⇒自然破壊、地方経済の破壊、国々の風土文化の破壊・・・・

東京一極集中の崩壊⇒地方へ若者が帰る⇒地方の活性化

こういうことになっていた、それが回復するかもしれないという不思議である
もちろん東京封鎖とかで困窮する人たちの援助は必要である
ただ社会全体を見直す契機ともなっているのがコロナウィルスなのである
こういうときどうしてもお前は被害者になっていないからそんなことが言えるのだと批判される、困窮する人にはそんなことを言っていられない、今収入がないなら死ぬほかないという人がいる

でも何か東京一極集中が日本全体を歪めてしまった
それが原発事故が起きた大きな原因でもあった、東京という超過密都市を維持するために莫大な電気が必要でありそれで安全を図るために東電が福島に原発を作ったからである
それはまた東京一極集中の経済のために地方は公共事業とかを高度成長の時はもたらして均衡を計った
それで双葉とか大熊は浜通りでは働く場所がないから出稼ぎに行っていた
それで地元で働きたいとなり原発を積極的に誘致したのである
それは東京一極集中の弊害が地方に影響してそうなったのである
東京一極集中と地方のアンバランスな経済がそうしたのである
そして結果的には肝心の働いて故郷に住んでいたいという願望すら失われた
故郷に放射線被害で住めなくなったからである

そしてコロナウィルスで起きていることは何なのか?

そういうグロ−バル経済の歪を東京一極集中の歪を是正しようとするものとして作用していることも不思議なのである
例えば通信が発達するとリモートワークとかテレワークとかが推進される
そのインフラは田舎でももうすでに整っているからやり安いのである
情報の差はなくなっている、いろいろな多面的な情報に接することができるようになった
まず何度も言っているが私の住んでいる町は一万くらいでありまともな本がない
まずこうした田舎では本がないから勉強自体できなかった
隣に4,5万の都市があってもたいして変わらなかったのである
古本も仙台に行かないと買えない、そうなるとまず研究自体できない
古本で東京の水道橋とか神田の古本屋街でしか買えないかったのである
つまりまともに地方では本を買えなかった、読めなかったとなる
そのハンディキャップが大きかった、それで「冠婚葬祭」とかの本が百万部もベストセラーとして売れた、そういうベストセラーが売れるから地方のしょぼい書店でも経営できた今は私の住んでいる町には書店はないし書店は消えてゆく
それは本の数が極端に少ない、アマゾンからしたら百万分の一くらしか置いてないとまでなっている、それだけ本の数が多かったのである 


そういうふうに知的な面でも情報の面でも格差が大きかったのである
今なら教育でも無料でyoutubeとかで学べるのである
youtubeの説明の方が学校の先生より優秀だしAIの方が優秀な面がある
そういうことで地方でも教育格差がなくなりつつある
物流でも宅配があるからアマゾンでもボタン一つで何でも手に入る時代である
そうしたら別に仙台でも東京まで行く必要がないともなる
確かに手にとって商品をみるということと通信で買うだけなのは問題が起きる
でも前からすると田舎と都会の東京の差がなくなっている

ただ東京に若者が集まるのは仕事があるからであり田舎で地方では仕事がないことが致命的になっているのだ
だから地方で仕事を作る必要がある
そういうときコロナウィルスの影響で東京封鎖など起きてこれなら田舎の実家に帰るのが安全だとかなり田舎で地方で暮らすことを志向するようになる
それは悪いことではないのである
そこで見直されるのは農業になる、つまりグロ−バル経済で食料でも輸入していたから日本産が高いから売れないとなっていたからである
もし外国産が入らなければ高くはなっても日本産を買わざるを得ないのである
すると地方の経済は活性化するようになる

そういう社会の変化をうながしているのがコロナウィルスだということで不思議になる
それは世界全体でそうなのである、グロ−バル経済の矛盾が大きくなっていたからであるもう限界になっていたからである、そこでコロナウィルスがその歯止となり世界を社会を変えるとまでなるとすると不思議だとなる
コロナウィルスは悪いことだけではない、異常化した世界を社会を元の正規の状態に戻すものだとまでなる
それが理論上ではなく現実にそうなるようなことが起きていることである
それだけの力をとても人間がいくらしようとしてもアメリカでも世界となるとできないからだ、それでコロナウィルスとは何なのか?
天が地球を正常の状態に戻すために送り出したのかとまでなる

天変地異というのは何なのか?それは津波でもそうだったが何か天の作用が自然の作用でありそれに逆らえない、それはむごすぎるということがあった
多くの死者が犠牲者が出た、だからその時天まで憎んだ人がいた心境は理解できる
愛する家族を奪われたからである
常に歴史上天変地異はあった、それは自然の作用である

それによって社会も世界も変わるということがあった
これまでの政治が転覆する、易姓革命として中国ではとらえていた
それで腐敗した政権が交代できて新しい時代が生まれた
絶対的権力は絶対に腐敗するというとき権力を長く維持しすぎると必ず腐敗する
中国では賄賂が横行して腐敗するのが常だったからである
それで度々ウィルスが蔓延して腐敗した政権が交代して刷新されたとなる
つまり天変地異とウィルスが社会を世界を変える役割があった
そんな大きな力をもう人間社会だけではできないからである
何かコロナウィルスにはそういうものを感じるから不思議なのである



posted by 老鶯 at 17:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

コロナウィルスは東北では仙台が一番危険 (仙台で感染して秋田で確認)

       
コロナウィルスは東北では仙台が一番危険

(仙台で感染して秋田で確認)

秋田県由利本荘市に住む外国籍の男女2人が、新型コロナウイルスに感染していることが確認されました。2人は仲間とともに今月、仙台市に滞在していたということで、県は詳しい行動などを調べています。

秋田県によりますと、感染が確認されたのは由利本荘市に住むいずれも外国籍の20代の女性と30代の男性の2人です。

仙台は半分くらい感染済だよ
年明け頃から電車のなかはげふげふ
咳してるやつが大勢いた

このウィルスはとにかく交通と深く関係している
人の行き来があるところと比例して伝染が広がる
それで前から仙台が危険だなと見ていた、そして仙台でまず感染者が報告されたのもわかる
東北では仙台は交通の要であり東京であれ人が遠くから集中する場所なのである

それでコレラの伝染では日本海から阿賀野川の交通がありまた内陸部だと白河からの街道などがあり会津若松が交通の要となっていたからそこから逆に田島の方に伝染した
交通の盛んな所から確実に伝染が広がるのである

私の知っている人二人も目の手術のために仙台に行った、その人と接したから不安になった、福島県の浜通りは仙台と交通でも密接な関係がある
だから仙台からコロナウィルスが東北全体にも広がってゆくのが不安なのである
常磐線でも全線開通した、スーパーヒタチも走るようになって復興したと感じた
でも東京と直接通じるとなるとそこに人の行き来が生れて危険になる
これも困ったとなる、電車の中は密閉しているから伝染しやすいのである

それで感染者のいない鳥取と島根が人気になっているというのもわかる
そういうかえって辺鄙な場所、隔絶された場所がウィルスから守られるのである
例えば福島県だと桧枝岐(ひのえまた)がそうである
そこは本当に平家落人の里として有名であり交通がない場所だった
そんな奥地でも昔は自給自足していたのだ
そこでは米が食べられないから蕎麦が主食となる、ヤモリの燻製とかも食べていた
だからそんな辺鄙な場所で良く生きられたと思う
そういう秘境が昔は相当数あった、交流がない場所が多かったのである
今になるとそこは尾瀬の観光の玄関口になっているからまるで違ったものになった

いづれにしろ東北は仙台から拡散してゆくことは間違えない、その仙台に近いし交通が頻繁だからこの辺も怖いとなる
すでに仙台は相当数感染しているともされる、そして増えると都市封鎖になるのか?
何かウィルスは交通遮断する他が手がないのである
コレラは江戸時代でも広まった、コロリと言われた、だから江戸時代なら交通が今とは比べようがない、今の交通なら百倍以上もの人が鉄道でも車でも行き来している
するとたちまち伝染するのである、それは飛行機でも外国から入ってくる
だから防ぎようがないのである

仙台には行かないことである、私自身は去年も一回しか行っていない、私はもともとひきこもりだから引きこもりは得意なのである
今は通信が発達しているから情報でも不便は感じないのである
世界全体が引きこもり化しているのも不思議である、グロ−バル化社会は人の行き来が過剰にありすぎた、だからこうして時代が変わるのかとも思う
インパウンドでも過剰であり観光公害が生まれたからコロナウィルスがすべて悪い方に作用するともならない、何か現代社会自体見直して未来社会の在り方も問うとなる
まず超過密都市はもう生物として生きる環境ではない、そもの改革もうながされる
時代が変わることをうながすともなるから不思議になる

そこで農業社会だと先を考えて生活していた、今は工業社会であり長い時間で先を考えられない、今という時間しか眼中になるなる、株が上がった下がったとか今だけにエネルギーが集中される、でも農業とか林業とかなると先が長い、すぐに作物は実らないからだ
木にしても50年とか成長するにかかる、するとその時間感覚が違うから人の心に影響する、一代ではとても維持できないからである
すると未来の世代のことを自ずと考慮するようになる、今の時代は今さえ良ければいいとか刹那的になる、未来を見据えることができないのである
そして時間もそうなら金がすべてになったとき金になればいいとしかない
そこでこの辺では原発事故で自治体に一挙に人がいなくなりゴーストタウンになった驚きがある

それは田舎でもすでに農業社会ではない、それは持続型の農村社会ではなくなっていた
だからその土地に執着することもないから簡単に分解して故郷でも捨てたとなったのかとも見た、放射線の被害もあるがそんな簡単に町村でもゴーストタウンになって崩壊することが信じられなかったのである
そして今東京が封鎖されるとか世界でも大都市でも封鎖される
そして一時的にゴーストタウンのようにもなっている不思議がある
いづれにしろこのコロナウィルスの不思議は世界的にでも人間の在り方を問うものとなっている、社会を世界を変えるということがありそれに驚くのである
世界まで変えることは人間の力では不可能だからである

福島県会津へのコレラの流行 (伝染病は交通と密接に結びついていた)

posted by 老鶯 at 08:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年03月28日

呪われている東京とオリンピック? (コロナウィルスと福島原発事故の関連性)


呪われている東京とオリンピック?

(コロナウィルスと福島原発事故の関連性)

このコロナウィルスは何なのか本当に不思議である、それが世界でも日本でも作用した結果が不思議なのである
いろいろいうけどこれもカルマ論があてはるのかともみる

福島原発事故ではこの辺はさんざんな目にあった、故郷も住めなくなり荒廃した
その原因が東電が東京は危険だからは福島に原発を作ったことである
そのことからして大きな身勝手があった、そして強固な「安全神話」を作り有無を言わせなかった
でも原発事故では東京自体は大きな損害は出さなかった
福島ではこの辺ではずたずたにされたのである
それで東京は関係ないとしていて今度はオリッピックを招致して復興五輪など馬鹿げたことを福島におしつける
この辺は復興などしていない、原発周辺はまだゴーストタウンになっている

だからこれも腹正しかったのである、でも地元のマスコミはテレビでは五輪の聖火リレーが
福島の復興のシンボルになるとか言っているのである
それにマスコミは批判もしない、地元の報道関係もしないのである
正直地元でも何か本当に地元を思っている人たちがいないのである
ただ金になればいいというだけである、それは事故前もそうだったし事故後も補償金をどれだけ多く長くもらえばいいしか関心がないのである
愛郷心などもないのである、金しか関心がないのである
だからこそ原発でも何でも金になるものならいいとして住めなくなったということがあるだから必ずしも東京か全部悪いとはならない

でも東京は呪われているというときオリッピックも呪われているというときそれはカルマなのかとも思う
つまり福島原発事故の呪いが東京にコロナウィルスを通してふりかかる、オリッピックにもそうである、オリッピックは最初からもめていた、だからコロナウィルスの前からいろいろうまくいかないものがあった、それがコロナウィルスで頓挫したとなる

東京が封鎖がありえるというとき東京もゴーストタウンになるのか?

武漢のようになるのか?

それは福島の町村がゴーストタウンになった⇒東京もゴーストタウンに⇒世界の都市がゴーストタウンにとかなる
つまり福島原発がカルマとなり世界に波及しているのかともなる

東京遷都が再びもちだされるのもそうである、一時は福島もその候補にあがっていたのである、東京はそもそも超過密都市であり限界がきていたからである
世界でも一千万とかの大都市は過密都市はコロナウィルスとかに弱い、それは本来生物が住む限度をはるかに越えている非人間的な環境である
そして生物は人間でももともと生態系をベースにして生きるようにできている
日本がでも江戸時代ならそうして地方中心の経済でなりたっていた
世界的にみても日本は日本の風土の中で長い時間をかけて風土に適応した生活をしてきたそれで体まで穀物中心の食料であり腸が長くなったとかある
また白人などは狩猟民とか遊牧民であり肉中心の食だから肉を消化する酵素が出るというのもそうである
そういう生態系をベースにして人間の生活は作られてきた

ウィルスというのももともと風土病だったのである、その土地土地から生まれていた病気である、でも世界的に人間が交流した結果として世界中に広がった
もしその土地土地に風土に適応して生活していれば交流がなければ広がらなかったのである、コレラがインド産とか何かその土地土地から生まれている、今回のコロナウィルスは中国産で武漢ウィルスとかなる
つまりコロナウィルスでもそうだがそれぞれの風土から生まれた病気であり交流しなければその土地から拡散はしなかったのである
だからそれぞれの生態系に準じて生活していれば世界には広まらなかったのである

いづれにしろコロナウィルスが提起した問題はいろいろある

●超過密大都市と地方のアンバランス

●過度なグロ−バル経済化

●高齢化社会

東京のような過密都市はウィルスに弱かった、それは超過密都市になっているからだ
たちまち蔓延してパニックになり東京封鎖になりそれがゴーストタウン化する恐怖になるそれも福島原発の呪いなのか?またカルマなのかとまでなる
何かカルマというのは必ず人間個々人にもあり社会全体にもある
福島の復興とオリンピックなど何の関係もないからである
それはコロナウィルスでとめられたというのはやはりカルマだったのかとなる

それは東京中心の思考である

原発も東京中心の思考で東京では危険だとして福島に作ったからである
だからこそ今コロナウィルスで呪われているのか、カルマが東京に回ってきているのかとまでなる
現実に東京遷都が再び言われているからだ、何か古代でも飛鳥とか藤原京とか平城京とか遷都を日本ではくりかえしてきた、小さなくに京とかでもそうである
その原因は必ずその土地が汚れるとかありそれは公害ではないにしろ人心が腐敗する
それでその腐敗を一掃するために別な土地に遷都したのである
何か縁起をかついだということもある
そういうことができたのは古代には遷都すべき土地がまだありその規模でも小さいからできたのである
東京とかなるともう遷都するとなるとその規模が大きすぎて簡単にできなくなったのである

5年で遷都4回、聖武天皇、唐まねる?聖武天皇の遷都図
 「続日本記」によると、聖武天皇は740年に平城京を離れ、恭仁宮の建設をはじめる。
 742年には紫香楽宮の造営も始めたので、国家財政を圧迫し、743年末に恭仁宮建設を止めた。翌年、焼失後に再建中だった難波宮を都と宣言。ところが、天皇はその直前に紫香楽宮へ移っており、745年正月、紫香楽宮が都となった。だが、山火事や地震が相次ぎ、4ヶ月後には平城京へ戻った。



そもそも巨大な文明都市は何か生態系と分離してそれ自体が自壊するようになる
不自然なものでありとてもありえないように巨大化している
そこからしてもう持続できないようになっている
だからそれは世界の文明都市にも言えることである

他に高齢化社会というのがコロナウィルスにより衝撃を受けた、老人がコロナウィルスに弱い、実際死んでいるのは高齢者なのである
若い世代はほとんど影響がない、老人キラーウィルスなのである
それは人類に高齢者が増えすぎたからだとなる、そこで自然の淘汰が起きたのかとなる
つまり高齢化社会は不自然であり人類にとって好ましくなとなり淘汰が起きたのかとなるただ長寿そのものは個々人を見れば悪いものではない
ただ全体的にみたときあまりにも老人が増えすぎたのである
それが人類という種の維持にとって好ましくないから減らす、それがコロナウィルスとして作用したのかとまでなる
だからこのコロナウィルスは本当に不思議なのである








posted by 老鶯 at 10:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年03月27日

コロナウィルスの情報公開しない怖さ (原発や津波で警戒しなくなっていた)


コロナウィルスの情報公開しない怖さ

(原発や津波で警戒しなくなっていた)

コロナウィルスでもなぜ日本が感染者が少ないのか?
それは検査しないかだとか重大なことを隠蔽しているとか言われる
この隠すこと情報を公開しないことが怖いことに通じていた

原発事故では「安全神話」が強固に作られていたから隠蔽は完璧だった
第一何かを知らせるマスコミ自体が巨大な原発マネーの利権を得るものだったから
原発はブラックボックスになっていた
そして情報を公開しないということは必ず国民に被害が及ぶ

東電では科学者が10数メートルの津波が来るということを科学的に割り出していた

それで東電に警告していたのである

このことは地元にマスコミにもその報道がゆきわたらない
何か報道でも注目させないと関心をもたない

10数メートルの津波が来る!

これを大々的に報道していたら驚いたろう
それより10数メートルの津波とはどういうものか?
それを知ることも知らせることも大事だった

現実に南相馬市の鹿島区の海老浜では海に面した高台が避難所として指定されていた
そこでそこに避難して30名くらい死んだ
崖があり高いから津浪が来ないと思ったのである

それよりそこは市で指定された避難所だった!

南相馬市の方でも行政でもなぜそこを避難所としたのか?

もし南相馬市の行政で東電が報告した10数メートルの津波が来るということがわかっていたらそこを避難所にするだろうか?

ただ津波自体がこの辺では来ないものとして関心もなかった
海老村などは10メートルくらい歩いても走ってでも逃げれば津波の来ない所に避難できたのである
だからわざわざ一番危険な避難所に指定された場所に逃げて死んだのである

それはなぜなのか?

情報が公開されない、隠蔽される

まず十数メートルの津波が来るとしたら行政の方でそうした試算をした科学者に聞けば良かった

ここを津波の避難所に指定するのですが安全でしょうか?

ここは危ないです、十数メートルとなれば危ないです

他の場所にしたらいいでしょう

こんなふうになった、そしたらいくらでも周りに避難する場所があった
そこは10メートルくらいの距離でもある
それはその高台から森に逃げた人が助かったからである

これも正しい情報が公開されず市の行政でも科学者に聞くこともなく決めたからだともなる、つまり専門家の科学者に聞いていなかったからだともなる

コロナウィルスでもそうである、これは未知なものだから対処がむずかしいことはわかるでもまず日本では検査数が圧倒的に外国と比べて少ないのである
そこからして正しい情報を知ることができない、それで数字を見るとたいしたことがないと判断する
どう判断していいのかわからないのである
あまりに警戒しすぎるのも良くない、普通に生活していた方がいいのだということもわかる
でもそれは正しい情報が公開されて判断できる
外国では検査しているから数が多い、それで被害の実態を把握できる
日本では情報公開されていないから判断しようがないのである

緊急事態で政府で東京都を封鎖する

それをするとしても情報を公開されないと急にされると困惑してしまうのである
日本は外国と比べて検査の数が圧倒的に少ない、だから安心できない
ドイツではあれだけ感染して死者数が少ない
だから日本でも感染者が増えても死者数はそれほど増えないかもしれない
でも情報を公開しないということが後で大被害になる
それは原発事故でこの辺では経験してきたのである
                                              
政府の問題は不都合な情報を出さない、不利になる情報を出さない、国民では知ることができない、結果的に国民が被害を受けて責任をとらされた

人間は知らなければ判断できない

もし正しい情報が公開されて検討されていれば政府の責任でもない、その責任は国民にもある、でも正しい情報が公開されなければその責任は政府にある
原発の場合は地元住民にも知らされない、国民に知らされない
それはアメリカとかの圧力とか権力によって知らされない
そもそも原発自体が危険なものであり隠そうとする、常に隠そうとするからまた隠さなければできないから最後は大惨事の事故となった

この情報を知る、知らされるということが報道の役目である

でもマスコミには莫大な広告費が電事連とかから流れていた、それで原発に不利な情報は知らされなかったのである
今回のコロナウィルスでもそういうことがある

政府では検査させない⇒実態がわからない⇒国民は判断できない

民主主義は確かに情報が公開されるて全員で検討して決めるとういうことがある
しかしそれがない、それは中国の共産党政権と同じなのである
科学者は正確な情報が数字が出ないので判断できないとしているからだ
中国の方が一応数字は出していると評価しているからだ
なぜなら日本の感染者数はすでに百倍にもなっているということを言う人がいるからだ
それは検査した数は少なすぎるからである

なぜ検査しないのか?

それはいろいろいなことをいうが医師会の圧力だという人はマスコミではいない
なぜなら医師会と薬剤関係は相当な権力があり宣伝費ももらっているからできないのである、そうして何か国民は正確な情報を知って判断できない
それが感染が拡散して遂にはもうイタリアのように医療崩壊が起きて手遅れだとなる

何でも理解することはむずかしい、でもまず情報が公開されて国民が検討しなければ判断もできないのである
ただ緊急の時は即断しないとまにあわないのである
あれやこれやと言っているうちに津波にのみこまれたり原発事故で手がつけられなくなったりコロナウィルスで感染者が増えて医療崩壊が起きて手が付けられなくなる
ただコロナウィルスの場合は急に未知なものとして世界中に広がった
だから事前の情報はない、原発にはすでにあったが情報は公開されなかった
そのことで大惨事になりとりかえしがつかなくなったのである  

     ebihamatunami11.jpg                                                                           


平成の大合併で自治体の耐災力が脆弱に

posted by 老鶯 at 13:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

津浪で流された右田のキャンプ場の松林の写真


津浪で流された右田のキャンプ場の松林の写真


松林夕日のさして冬の草ここに長くも松のありしも

matubaramigita1122.jpg


migitahouse11.jpg

これも季節がわからないのだ
でも蔵が二つあり松が一本あり記録されていた
ここを通っていつも右田の松原に行っていたからだ

白壁に松影写す冬の家

migitamatu.jpg


十数年前の私のホームページを見ていたらこの写真がでてきた
そこは右田の松原の河口にある松林だった
そこはキャンプ場になっていて河口がありいい場所だった
それはすべてなくなった、川は残っているけどその他はすべてなくなった

するとこの写真は貴重だと思った、他にも貴重な写真が残っていた
なぜ貴重なのかというときもう右田の松原は見れなくなったからである
だからもっと写真が他の人でもとっていれば貴重になる
ただその時やっとデジタルカメラが出て来た時でありそんなに写真をとっていないだろう普通のカメラだと現像とかあり写真が気軽にとれなかったからだ

何か冬の草として俳句も残していた
それを短歌に変えた
俳句も季語がありその時々の記録なのである
もし写真だけみてもこれが冬だということがわからないことがあるからだ
だから本当は記録がふりかえるとつくづく大事だったなと思う
旅に行っても何十年も過ぎる忘れるから思い出せなくなるからだ
写真をみると思い出すからである

現代はとにかく写真で記録する時代である
ただ写真だけでもたりない、やはり文字でも記録しておくと後から回想できる
この辺は余りにも変わりすぎたのである
その変化が信じられないものだった
でもこうしてその時々のことを書いていると記録しているとそれが後で役にたつことがある
それは私が死んでもこうしてプログでもホームページでも記録として残ると当時のことがわかるということがある
ただ写真だけからはわかりにくいことがある

でも明治維新の西郷とか名だたる人が写した写真は貴重である
それはイメージとは全然違っている、西郷隆盛でもいかつい怖い顔である
鬼気迫る顔をみんなしていた
だからみんなその時命がけで生きていたからあのような顔になった
だから過去はイメージしてしいるものと違うのである

ともかく津波から原発事故から9年過ぎた、そうなるとだんだん忘れられてゆく
まず右田の松原を全く知らない人がすでに子供でも多数になる
だからこんな松原あったのかとイメージしようもなくなったのである
松を植えても成長したとしても前の松原とは全く違ったものになるからである

このインタ−ネット通信の怖いのは一瞬にして記録でも消えることである
そういうことを経験しているから怖い、だからバックアップが必要なのだがこれもめんどうなのである
でもさくらのレンタルサーバーでは一回だけプログが消えたがあとはない
他でぱ消えたと報告されている、さくらのレンタルサーバーではバックアップしていたから回復した
つまりバックアップがインタ−ネット利用するには不可欠なのである
ここが不備だと本当に危険になる
さくらのサーバーは北海道に記録する建物がありそれで安全なのかと思う
とにかく記録が残っていたのでそれをプログに今回出した
posted by 老鶯 at 10:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

2020年03月26日

梅散る-春の森(常磐高速鹿島のSAの裏の森を行く)


梅散る-春の森(常磐高速鹿島のSAの裏の森を行く)

forestsa22.jpg

sumiyalikoya1.jpg
炭焼き小屋

foresttree1111.jpg

falltree1.jpg

今しばし梅の匂いや我がよりぬ明日はありとも知らぬ身なれば 

この森に若木育ちぬ真直かなさえづりの声ひびきわたりぬ

蔦からみ倒木さえぐ森の道一つの命ここに埋もれぬ   


常磐高速のSAの裏の森を行った、自転車で行ける道だった
若木が育ってていた、何の木なのか?
杉ではない、でも真っすぐに伸びていたので気持ちがいい

そして倒木が道をさえぎる、去年の台風の被害は意外と大きかった
だから森でも川でも今でも荒れているのだ
この倒木はいかにも森の中の大きな死を感じる
森の中の多くの木としてあったときは感じない
でもこうして森の中に倒れているとその存在を感じる
その木に蔦がからまり倒れていた
それは人間をイメージする、木にからまる蔦は人なのである

こうして木が倒れてもこの木は森に還る、森の栄養となり循環する
落葉もそうである、ただこの辺では放射性物質も循環して消えないから問題だったのである
小山田の森は結構深いのである、日本は田舎だったら近くに深い森がある
でもそれが利用されていない、炭焼き小屋があったから昔はここで炭焼きしていたのである、ここにはそれだけ豊富な木があったからである

梅は匂い散った、隣の女性が死んだのには驚いた、常に死に接すると人は簡単に死ぬものだと思う、そこにいたのだけどいなくなっている
そうして永遠にいなくなっているのだ、逢うことも永遠にないというのが不思議なのである
だんだん本当に60以上になると確実に死に向かっている
何か死刑台に向かっている感覚になるのだ
この気持ちは若い時は40くらいでも結構生きると思っているから感じないのである
50過ぎるともう人生も晩秋を迎えたと感じる
そして私の場合は50から世界旅行していたのである
今になると遠くに行きたくない、人ごみに行きたくない疲れるのである
だからじっとして閉じこもっているのがいいとなる
それはコロナウィルスで外に出るなというとき自分には苦痛にならないのである




abstract painting-hidden swamp abstract painting-hidden swamp


abstract painting-hidden swamp-swamp spirit(poem)

mynuma123.jpg

myfishss1.jpg


人の知らない神秘の沼で
魚がひっそりと話している
何を話しているのだろう
苔がはえそこにまだ見ぬ花が咲く

In a mysterious swamp unknown to people
Fish talking quietly in secret
What are you talking about
The moss grows and there are flowers I haven't seen yet


sunsetcave1.jpg

underroagsun21.jpg

eveningriver11.jpg

wavesss1.jpg
enlarge



沼の精霊

私はひそかな森の奥の沼に沈む
石のように沈み姿を隠しぬ
そこで音もたてない
私を見る者は誰もいない
私は沼の精霊のように沼に沈む
誰か歩むや落葉を踏む音
それは獣かもしれぬ
そこに人はめったに入ることはない
鴨の群れが争うことなく
辺りと調和して乱れない
調和は完璧であり
そこに一つの無駄もなく
創り主はそこにももう何も加えない
そこに悪い思念は生れない
鴨は静かに波紋を広げる
そこはかとなく水を乱すものではない
夕暮れ墨絵のように森の影を写す
幽かに繊い月がでて水面に映る
人の世に平安の場はない
安住の場はどこにもない
そこは聖域であり隠された場
私はその古い沼に身を隠す
私を知る者は神のみかもしれぬ     

Swamp Spirit

I sink into a swamp behind a secret forest
I don't hide the sinking like a stone
There is no sound
No one sees me
I sink into the swamp like a swamp spirit
The sound of someone walking or stepping on fallen leaves
It may be a beast
People rarely enter there
The duck herd does not fight
Not disturbed in harmony with the area
Harmony is perfect
Without any waste there
The creator adds nothing to it
No bad thoughts can be born there
Duck spreads ripples quietly
There is nothing that disturbs the water
Taking the shadow of the forest like sumi-e at sunset
A faintly delicate moon appears on the surface of the water
There is no place for peace in the human world
There is no place for safe living
It is a sanctuary and a hidden place
I hide in that old swamp
Only God may know me

グーグルの翻訳には感心する、詩まで訳せる、これは人間より優秀なのである
日本人が一番苦手なのは英作文だからである
それが基本的に八割くらい正確なのである
ただ詩となると韻を踏んだりと高度になるからできないにしても基本的なことは訳せているのだ


タグ:fish SWAMP

2020年03月25日

英観光地、ゴーストタウンに イタリアに次ぐ医療崩壊の危機 (リンク-クリック) (原発事故でもゴーストタウンになったー放射線被害とにてるコロナウィルス)



(原発事故でもゴーストタウンになったー放射線被害とにてるコロナウィルス)

koikecolona2.jpg
このコロナウィルス騒動は原発事故の放射線被害と共通性がある
ただこれが広範囲で世界中の問題になっていることである
だから津波被害でも原発事故でも東北という局所で起きたことである
すると全国対応ではなく局所対応になった
それでなんとか全国的には東京とかまで波及しなかった

放射線の被害の度合いが危険の度合いが専門家でもわからなかった

コロナウィルスでもその危険は専門家でも明確ではない

すると住民でも判断できない


住民はただ右往左往するだけである、それで浪江では山の方が安全だと思い津島に逃げたそこは街から相当に遠い奥だったのである
でも東電の社員がいて海の方へ街の方へ逃げる方が安全だとして住民は従って街の方ふ逃げた、この時明らかに東電の社員は専門家であり知っていたから指示できたのである
その専門家の指示に従い安全な方に逃げたのである

今回も危険を言う人がいるしそれほどでもないとか明確に言わない
今回は武田邦彦氏はこれはインフレインザと同じだから普通に生活している方がいいとしている
それは日銭で商売している人のことを恵まれた月給取りは知らないから仕事をしないで引きこもっているのがいいのだと言える
でもそうしたらもう生活ができない、飲食店などは日々の稼ぎでなんとか経営しているからだと同情している
つまり不思議なのは今回はコロナウィルスはたいしたことがない
騒ぎすぎる、それよりたいして被害ものないのにかえって自粛して仕事を停止させる被害の方が大きいとしている

だからこれもわかりにくい、なぜなら武田邦彦氏は一ミリシーベルトの放射線量を越えてはならないとしつこく主張していたからである
この一ミリシーベルトは相当に厳しいものでありそうなると原発事故周辺の広範囲に住めなくなる、30キロはなれてもそうである
でも今回は逆である、コロナウィルスはインフレインザと比べても危険ではないから普通に生活していた方がいいとしている

原発事故の経験からすると自治体をゴーストタウンにした方が被害を拡大した

避難させた結果として自治体は崩壊して元に戻らなくなった
ただ避難させたから国でその分は補償された、でも30キロから離れた住民はほとんど補償されなかった、南相馬市でも鹿島区は少なかった、30キロ内は三倍の補償があった
でも手厚く補償されたのは30キロ内でありその中でも住民が避難した地区は補償が手厚かった
でも結果的には自治体は元にもどらなくなった、若い世代は別な土地に移りそこで生活するようになったからである
それで帰ってきたのは老人がほとんどである、つまり若い世代がいないから自治体を維持できなくなったのである
その大きな要因に放射線というのが若い人に特に子供に母親だったら遺伝子に放射線被害があり奇形児が生まれるとか言われると相当に恐れたからである
今回は逆に老人がコロナウィルスで死に若い世代とか子供はそうはならないから逆になっている

ともかく専門家でも科学者でもその言うことにこういう時は注目する、でも危険を言う人とそうでない人がいて素人は判断しにくくなる
それで混乱する、そうして今度は政府のいうまました結果自治体は崩壊してゴーストタウンになって回復しなくなったのである

ただ原子力は核の技術は危険なものでけあることが前々から科学者は知っていた
でもそれを隠して政治の力で原発は福島に作られたのである
だから科学者とか専門家は原発の危険性を知っていても政治の力で歪められたとなる

コロナウィルスの場合は突然生まれて未知なものとして世界中をパニックにさせた
これも放射線とにているがコロナウィルスは科学者も専門家も不明なものとして対処を迫られたことが違っている
だから的確な指示を出せないのである

でも原発事故の場合は科学者でも専門家でも的確な指示を出せた!

なぜなら放射性物質の影響は風に影響されることを専門家は知っていたからだ
でも実際は最初に報告したのはアメリカであり日本の政府ではなかったのである
だからこの責任は政府とか東電にあった
事故が起きたことは想定しない、する必要がなかったからだ
強固な「安全神話」作っていたから事故があったことの場合を想定しない、だから事故が起きた場合の訓練も対策もしなかったからだ
そもそも「安全神話」作ったのは危険だというと作れないからである
でも安全神話を言うなら東京に作るのが筋だったのである
それだけ安全を言うならコスト面でも東京が最適だったからである

いづれにしろもしかしたら今回のコロナウィルスはやはりカルマが関係しているのかもしれない、東京都知事が東京都民に自粛を要請するとか重大な危険の局面にあると訴えたのもそうである
それで世界でも外出禁止令のような厳しい対策がとられている
〈東京封鎖)もささやかれる、そういう重大な局面にオーバーシュートになる危険を言われる
それが外国でもゴーストタウンになる、それはこの辺で避難区域が一時的にではない
ゴーストタウンとなり回復しなくなったと同じである
これもカルマが関係しているという時、原発事故でもこの辺がゴーストタウンになったことが放送されたからである
東京がゴーストタウンになる危機だともなるからだ

だから原発事故では放射線被害のために自治体を崩壊させるより
その被害はわからないのだから自治体を維持すること崩壊させないことを第一とする
そういう選択もありえたのである

だから今回も経済活動を停止するとそのために生活すらできなくなり店でも会社でも倒産することの方が被害が拡大する、それはコロナウィルスの感染より甚大な影響が出る
それは原発事故で証明されているのである

コロナウィルスを恐れ過ぎて委縮して生活自体が崩壊してゴーストタウンになる

放射線を恐れ過ぎて自治体が崩壊してゴーストタウンになった                

私自身は放射線を恐れ過ぎた結果として自治体も崩壊したのだからこっちの方が被害が大きかったから経済生活を停止すること委縮する方が危険だとなる
ただ二週間くらいはやはり様子をみて警戒して自粛する、外出でも禁止するとなる
その間の生活は収入は政府が東京都が補償する
つまり経済活動を止めるとしてもそれだけの補償が必要になる
そうしないと自殺者が出たりかえってもう生活できなくなりパニックになり食料の奪い合いとかなるとかなるとその方がかえって怖いのである
原発事故は局所的だったから全体でカバーできた、今回は世界中になっているからカバーできないのである





posted by 老鶯 at 22:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

9年ぶり常磐線全線開通 (スーパーヒタチも走る)


9年ぶり常磐線全線開通

(スーパーヒタチも走る)

superhitachi3333.jpg


superhitachi2222.jpg

superhitachinew1.jpg

superhitachimebuki.jpg

これは仙台行きである



走り来るスーパーヒタチ芽吹きかな

9年ぶりスーパーヒタチに春日さし命の通う鉄路なるかな

9年ぶりにスーパーヒタチが走る、車体も格好いい、全面がいい、前のとは違っている
このスーパーヒタチには良く乗った
それにしても長かった、一時はスーパーヒタチは走らなくなると言った
それでてっきり走らなくなるのかと思った

でもこうして走っているのを見ていると気持ちがいい
何か鉄道には思い出あり鉄道が好きなのである
だから駅で案内したりしたのは鉄道が好きだったからである
だから無人駅になって案内した経験は貴重だった
あんなことができたのは無人駅になったからできたのである
何か仕事でもみんな簡単にできない、させてくれないのである
だからいろいろ仕事があって経験してみたいことがあってもできない
やはり仕事も与えられるものであり勝手にできないということがある

いづれにしろ本当にスーパーヒタチが走り命が通う線路となったと感じた
何か大げさにも思えるが鉄道はそれだけ歴史が長いからそうなっているのだ
実際に鉄道は明治から百数十年も人を乗せてきたからである
それが車とは違ったものなのである
鉄道を通じて人生の別れとか出会いを演出してきたからである
人間の情が鉄道にはしみこんでいるとまでなる

これで東京に行きたいとなるが今は行けない
ただすでに東京にも十数年行っていないのである
高速バスで行こうとしたがこれも疲れる、何か人ごみに行くのも疲れる
それで仙台に去年は一回行ったくらいであり今年も行っていない
コロナウィルス騒動もあり行きにくいとなる
このスーパーヒタチには乗る、いわき市辺りまで花見に行くとかなる
でもコロナウィルスというのが嫌なのである
東京から来る人がいるし電車の中は密閉しているから喚起が悪い

とにかく常磐線が全線開通したことは祝すべきでことである
これこそ復興である、五輪の聖火リレーなど何の復興にもならないものだったのである
だから中止してもいい、復興の効果など何もないからである

2020年03月24日

電子本と紙の本を読む相違 (人間が記憶する仕組みはどうなっているのか?)


 電子本と紙の本を読む相違

(人間が記憶する仕組みはどうなっているのか?)


このことを書いている本があった、「デジタルで読む  紙の本で読む脳 」という本である、これは高いから読んでいない、私は結構アマゾンで電子本を読んでいる
スマホとかだと画面が狭いから読みにくい、目も疲れるからアマゾンのキンドルを買ったが利用しなくなった、スマホも字が小さいから疲れるから使っていない
でもパソコン画面上で読む電子本は読みやすい、目も疲れない
そしてアンダーラインを簡単につけられるのでいい、電子本だとネットのすぐれた点は検索機能である、これは本にないから大きな利点である

でも本を読むのと電子本を読むのとは何か違っている
その相違が明確ではなかった、どこが違うのか明確に指摘できないのである
確かにこの本を読んだらわかるところがあるに違えない
人間の不思議として記憶するということなのである

人間はどうして記憶するのだろうか?

そのメカニズムがわかりにくい、だから電子本で読むのと紙の本で読む相違がここにでるということでこの本が書かれた
私自身は知識は本から読んで蓄積してきた、ただどういうわけかワープロでパソコン通信時代から文字だけのやりとりをしてきた経験がある
それは私が悪筆であり字がへただから何とか読みやすい字にしようとしてワープロになった、それで偶然オワシスの親指シフトが打鍵しやすいとなり継続できるようになった

なぜならこれがないとまずパソコンでもやはりテキストが主役でありローマ字で日本語に転換するのはかなり時間的に遅れるからスムーズに利用できない、それで継続できないということがあった
なにしろ文章はスムーズに考えると同時に活字にしないと嫌になるからだ
私自身がこれだけパソコンで文章が書けるのはオワシスの親指シフトを使っているからだこれは別にソフトでも「やまぶき」が無料で使える
またオワシスキーボードも3000円くらいで買える
だからこれに慣れれば文章にするのが楽になる

ともかく電子本と紙の本の相違は何なのか、これはかなり人間にとって奥深い問題であるどこが違うのか、それは人間の記憶のメカニズムと深く関係しているからだ
まず紙の本を読むというとき本という一冊で一つの著者の世界を作る
その本は一ページ一ページをめくって読むこともあるが一冊を通読することもある
また途中からも読むこともある、いろいろな読み方がある
私は一冊の本を通読して要点をつかむ、それでもう一時間くらいで内容に通達する

そういうふうにできるようになったのは理解力が深まったからである
紙の本と電子本の根本的相違は一ページ一ページめくって読むのが電子本であり何か飛ばして読みにくいのである、デジタルの世界はそうして一ページ一ページ順序良く読んでゆくことにある
でも紙の本の世界は初めから最後を読んだり途中を読んだりして一冊を連環して読むことにあると思った
一冊の本はデジタル的にではなく連関したものとして記憶するのである

readingbrain1.jpgreadbook2.jpg


memorymwca1.jpg

何か電子本でも紙の本でも内容は変わらないから同じだとなる
でも人間の脳はデジタル的なものがあるがまた何かそうした順序に逆らい通暁するとか通読するとか全体を読むとかある
人間は記憶する時、一部分を記憶するのではない、辺りの全体を記憶するのが人間の脳である、一本の木だけではない、それが丘の上にあったとか森の中にあったとか川の側にあったとかそこに付随するものと同時に記憶されるのである
つまり人間が記憶する時、一つの部品として見ていない、全体の中の一つとして記憶するだから木だけを抽出して記憶しないのである
そこにコンピュターのデジタル思考と違ったものがある
コンピュターは部分の積み重ねとして見る、でも人間はまず全体を見て把握して部分をみる、それが紙の本を読むときもほんの全体を読む、そして部分を読むのである

だから本を読むときあらかじめその内容に自らの知が親しくなっているとき、共感ししているとき理解しやすいのである
この人の書いていることはおよそ理解している、部分的には理解しなくても全体は総体的には理解している、その時また記憶しやすいのである

とにかく人間は老人になれば記憶することが人生だとなる、記憶されたことが人生だとまでなる、それで認知症は今話していたことも忘れる、でも若い時代のことは忘れないので何度も話する、それで戦争のことを千回を聞かされてうんざりしたのである
でもそれがその人の人生だったからあきることなく語ったのである
そのことが一番記憶に残っていた、後は忘れてしまったとなるからだ

電子本でもインタ−ネットでも読むとき何か記憶に残りにくい、それはなぜなのか?
それはやはり電子本を読むのと紙の本を読む違いとなる
でもインタ−ネットでも記事のニュース解説でも私は引用して評論している
そういうことがまたしやすい、ただ記事でも読むだけではない自分なりの見解を述べる
そういうことがネットの利点である
そうすると思考が深められるのである、だから紙の本がみんなだめになったともいえないまた電子本を読んでもだめだともならない、両方の利点を活かすことが必要になる

ただ知的な仕事するにはまず私設図書館のようなもの必要でありそれだけ広い家に住むと頭も働きやすいのである、なぜなら不思議なのは今は下の部屋で仕事しているが二階も広いしそこでまた本を読んだりすると気分が変わりアイデアが湧いたりする
つまり場所を変えると気分が変わる、それで知的な仕事もすすむのである

グローバル経済とコロナウィルス (国々の文化を破壊したら生きる意味もなくなる)


グローバル経済とコロナウィルス

(国々の文化を破壊したら生きる意味もなくなる)

 グロ−バル経済とか資本主義がなぜコロナウィルスでブレーキがかかったのか?
その矛盾がまさにグローバルに大きくなった
そこでそれを一旦ブレーキをかけて新たな世界を構築させる
天からの神からの作用だったのかともなるから不思議なのである

グロ−バル化のことを私が批判する時、それが国々の文化を破壊するからである
そこで注目するのは経済的な側面だけであり文化的側面は追求されないからだ
人間は経済的側面だけに生きるのではない、パンだけに生きるものではない
会津のことで書いたけど人間はその国に土地にまず生きる
その国の自然と風土の中で生きる、その国というとき会津は万葉集時代から国だった
東北では会津が国だったが他は国とはなかったのである
つまり国とは相当に広い範囲なのである
だから会津は明治までも大きな国であり藩であり最後は薩摩長州軍と戦ったのである

文化という時、cultureはcultivate(耕す)である、その土地を耕すという時、食料をその土地から作り出すということが基本にある
もしそうして食料でも外部から輸入していたら文化を作りだすことができるのか?
ワインもその土地が作りだしたものである
それはもともとパンと合うものなのである、日本の料理とは合わない
ワイン自体が種類が多くその土地の名がついたものもある
その土地の土と光とか風土が違うから違った葡萄が生れ種々のワインが生まれる
何か川とか湖の側だと光が反射したりして美味な葡萄ができるとかなるといかにその土地土地の風土が作りだすものなのかわかる
日本でもその土地の名の付いた野菜がいろいろありそれはその土地から作り出されたものである

グロ−バルというとき一面何かそうした土地土地の風土とは関係なくなる
グロ−バルというとき一様化であり何か数学のように共通化する
でも人間社会は数学では統計とか数字だけではわかりえようがないのだ
そんなふうに一様化したら土地土地の味わいもなくなり文化もなくなってただ定型化した個性もない社会になりつまらないとなる
それは日本語でも英語にした方がいいというときもそうである
日本人から日本語を取り去ったら日本人でなくなる
なぜなら日本語だけは密接に日本人を根源的に作っているものだからと言う人がいたから日本語は外国語とは違った特別な言語だとなる
その起源は不明なのである、つまりほんの一部が大陸起源だったり海洋系のオーストロネシアと共通だとか言ってもその謎は全く解けていない
つまり日本語は混成語にしても縄文時代から早い時期に日本人の共通言語となっていた
それはもう他の言語が入ってきても共通性が見いだせないくらい独自の言葉として成立していたのである

グロ−バル化というとき日本語を英語とすべきだとかエスペラントが必要だとかなる
どうしてもグロ−バル化すれば共通語が必要になるからだ
だから現代では英語が共通語化している、そして感心するのはグーグルの英語翻訳であるある程度文章でも8割くらい正確に翻訳しているのである
そこでインタ−ネットでは世界共通の言語として英語がまた言語の壁が取り払われるということも起きている
でも依然として国々の言葉がありそれは文化の基なのだから世界が一つの言語にすれば
文化を失うことになる、その時自国のアイディンティティを失う
それは相当に深刻なことになる、人間は経済人間ではない、経済的単位ではないからだ
統計的数字とも違うからである
グロ−バル経済と日本国内の広域経済でも人間はただ量として数として計算されるだけになる、政治でもそうである、一票は十万分の一の数でしかない

宗教でもただ数が問題にされるだけである、会員数でそのすべてが図られる
そこに生きる意味などない、数として計算されて処理されるだけなのである
そういう文明社会に反発する者としてアウトサイダーが生れたのも必然だとなる
そしてイスラム教の集団礼拝とか韓国のカルトキリスト教団がコロナウィルスの伝染を拡散してしまった、クラスター伝染の源となった
宗教は本来はそんな大衆的集団的なものではない、そこでは常に数のみが誇張される
それは権力を追及している、数は権力である、一人だと何の力もない、それが十人でも集まれば力となる、注目する、宗教が外部に対して数で認めさせる
それがまた民主主義で権力を得る方法となっている

グローバルというときグロ−バルとローカルを合わせたグロ−カルという言葉が生まれたグローバルな言語が英語でも必要である、でもローカルなナショナルなもの歴史と文化に作られた世界を否定したら人間の生きる意味すらなくなくなる
人間はただの一記号のようになる、現実にすでになっている 

グロ−バル化でサプライチェーンを担う中国から部品などが入らず電動自転車まで品不足になったという、春には自転車が売れるから困るとなる
つまり何でも中国に頼りすぎるとこういうときどうにもならなくなる
グロ−バル化というときやはり自国の需要中心にして自国の生産消費を守るべきだとなる世界が第二次世界大戦のようなナショナリズムで分裂していた時代に戻るとういけどそうともならない、時代の逆行になるというがそうともならないだろう
むしろ各国が独自の文化を再発見してそれぞれの国の文化を追及するということにもなるそれをうなかすものとしてコロナウィルスが作用したともなる

グロ−バルというとき宗教でも仏教でも中国に入ると禅宗が生まれたようにより実践的なものとして用になるものとして追求される
韓国に入ると美的なものとして追求される、日本がでも優美なものとして美的なものとして追及される、仏像でも塔でも違ったものとして作られる
その理解も違ったものとなる、解釈もその国によって違ったものになる
それはキリスト教でも同じである、イスラム教でもそうである
宗教はユニバーサルなものグロ−バルなもの普遍的なものとしてある
でもその国々の風土歴史によってまた違ったものになったのである
そうであってこそ人間はそれぞれの価値を作りだしてまた価値を持つのである
経済とはただみんな同じものを型にはまったものを大量生産することではない
人間がみんなロボットのようになり同じ言葉を話する、そのとき文化を失うのである
ただ共通なものは英語でもインタ−ネットの言語でも追及される
つまりグロ−バルでありローカルであってこそ世界に価値がある

だからコロナウィルスが何かそうした一様化としてのグロ−バルではなく各国独自の文化をはぐくむ契機となるのかもしれない、人間は国境でも関所でも必要なのは人間を精神的な面から見ると制約された場所でないとアイディンティティが作れないことである
グロ−バル化といってもそれはただ物流が自由ということであり物と精神は別物なのである
自動車の部品でも中国に頼りすぎると今回のように作れなくなる
電動自転車車でも中国に部品を頼っていて入らなくなる
日本の中で作る体制があればそういうことはなかったのである
自動車はABCDEFG...とか無数の部品をから成り立つとしてそれらを組み立てて車を作るということができる、でも文化とかにはそういうことはできない

その風土とか歴史と密接に結びついて一つの文明でも日本文明でも作られているからである、それを無数の部品があり解体したり組み立てたりできないのである
グロ−バル経済にはそうした無理があった、それは国々の文化を破壊することにもなっただからコロナウィルスはそういう社会をとめる働きをした
確かに一時的には犠牲がともなうが次の新しい社会への変革への契機ともなる
だからコロナウィルスは天の作用なのかともなり不思議なのである

ともかく今回のコロナウィルスは社会全体に世界全体に影響するから世界を社会全体を変える作用があることに驚くのである
これだけの影響力を世界に与えることはアメリカですらできない、特にエンタテーナメントとか観光業とかが打撃を受けた
でもそれは本来の社会の脇役であり主流ではないから芸能人が政府に援助を要請したがそれを河原乞食など今は必要ないとか言われる
普通だったらそういう人たちはに大金稼いだとか言われる
社会全体に何か価値の選別が起きている、だから社会全体で価値観が変わるとういことにもなっているのである

valuerwww1.jpg


この本はコロナウィルスで今社会が変わることを予見していた
ローマ帝国は物財を量の富を追及した
グローバル化してローマにあらゆる富を集中させた
しかし中世になるとそういう過度な物財の追求はしなくなった
人々の価値観が変わったのである
そこで修道院にこもり瞑想するとか物財の追求する価値ではない
精神的価値が追求されたのである
その状態が今とにている、そういう時代の兆候が見えていたのだかコロナウィルスによってそれが早められたともなる
posted by 老鶯 at 09:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年03月23日

コロナウィルスで国境や関所が見直される (歴史的に生じたものには何か意味があった)


コロナウィルスで国境や関所が見直される

(歴史的に生じたものには何か意味があった)


江戸時代まで関所があったが無駄としてなくなった、だから明治から鉄道がはりめぐらされた交通の要となったとき切符一枚で日本全国に行けるようになったときそれを経験した人は特別な経験をした
また電車でも全然見知らぬ人が乗り合わせる光景もなじみのないものであった
人間は知らない人とあまり交わらないの生活をしていた
関所があることは見知らぬ人を入ることを拒んでいたのである
だから商業となると不便になる
第一江戸時代は物流も人の交流も少ない、自分の住んでいる村からほとんど出れずに一生終わった人が相当数いたことは確かである
そういう狭い範囲で濃密な人間関係の中で暮らしていた

それが明治から急激に変わった、関所はなくなったからである
その変化も大きかった、別に関所がなくても他の村に入るだけでも何か簡単にできない
別な領域に異界に入るという感覚になっていた
それで隣村に来た麦つきの仕事をしていた若い男性が大蛇とされた伝説がこの辺で残っている、今になると外国人が突然隣に入って来たりするから驚くのである
それは本当に突然の異界からの侵入なのである

関所というとき今回のコロナウィルスで中国の村で村の入り口を閉ざした、青龍刀をもって村に入るなと仁王立ちになっていた映像が放送された
それは今でも村の入り口に巨人の藁人形を置いている日本の村にも通じている
それは疱瘡などの伝染病を入るのを恐れていたともなる
伝染病は恐ろしいものでありうそういう記憶が村に伝えられて残る
相馬市の玉野村は伊達藩と相馬藩の境目でありそこに若木神社がありこれは疱瘡を防ぐ神なのである
伊達藩から入る人たちが伝染病をもたらさないように祀った神である
江戸時代には関所があり他藩のものはそこで区別されていた

人間の社会を歴史をふりかえるとこれほど人間は自由に行き来して交わる社会はなかったそれがグロ−バルにそうなったのが20世紀だったのである
モノでもヒトでもこれだけ自由に流通して交流することはなかったのである
そのことがすべて人間社会にとっていいものように思えた
でも何かそこに人間社会にとっていいものとして全部は働かないものとして見るようになった
だから関所とか国境とかはマイナスのものとしてしか見ていなかった
しかし関所とか国境とかは人間が生きる歴史の過程で必然的に生まれたものでありそこに意味があった、つまり歴史的に生まれたものは何か意味があったのである
現代文明社会はそうした過去の歴史を全否定して成り立つように見る
でも関所にも効用があり見直すということがコロナウィルスで生まれた            

そしてなぜ空港でヨ−ロッパから帰ってきた人がコロナウィルスと判定されたのか?

それはそこが関所となり確実に検査するからそれだけコロナウィルスの陽性だと発見されたためである、日本国内ももう関所などないのだから鉄道でも車で行き来するのだから
調べようがないからいつのまにかに蔓延するとなる
だからこうして便利すぎる交通の発達した社会がコロナウィルスに弱いということがあった

それでヨ−ロッパがなぜあんなにスペインまでたちまち広がったのか?

それはヨ−ロッパはEUになり国境がないと同然になったからである
そこでいちいち入国審査もしない、国内と同じように行き来するようになったからである貨幣でも両替する必要がなくなった、私がヨ−ロッパに行った時はいちいち国が変わるごとに両替することがめんどうだったのである、ただめこで国境を意識されたのである
外国だと言葉が変わるから今でも否が応でも国が変わることを意識させられる
でも国境がない世界というのはこれも人間社会にとって問題が起きることをコロナウィルスで意識させられた

つまりこのコロナウィルスの不思議はグロ−バル化経済とかを停止させるとか現代社会を見直すものとして作用していることの不思議なのである
オリッピックなども中止させるときもそうである
もともと私はオリッピックなど必要ないものとして見ていた
商業資本主義で利権にあづかるものはいいがそうでないものは何でするのかわからなくなっていた
東北の復興などと関係ないからである、未だにゴーストタウンがありそこを聖火リレーしてどうなるのか?全然復興などしていないからである
復興五輪などありえないからだ、もっと東北の復興の方に力をそそげとなるからだ

どういうわけかさくらTVのような右側がコロナウィルス活気づいているのも不思議である、右側がナショナルなものを追及する、反中国のためでもある
私自身のスタンスは日本文化を重んじる再興を願うからどっちかというと右側になる
だからグロ−バル化には反対であった
まず経済でもナショナルなもの国を基本にして作るべきでありまた地方だったら地方の経済を基本にするべきだと思うからである
だからグロ−バル化というのは日本の地方でも破壊したということがあった
米すら外国から輸入するようになったら日本そのものがなくなっていくという恐怖があった、現実に中国から食料を野菜でも輸入していたしそれが東京で入らなくなった

その時東京ではどうするのか?

日本国内の生産に頼るほかないのである、だから日本の農家はいらない、外国からいくらでも食料が入ってくるということはどれだけ危険なのかコロナウィルスで実感したとなるだろう
外国人労働者もコロナウィルスで来ないというとき奴隷のように使っていたのだから農家はそんな人に頼らず自力でやれとか言うのもわかる
また芸能関係者が政府の援助を要請したことについて批判している
芸能者は河原乞食でありこんなときにそんなものは必要ないというのも芸能関係者にはショックだとなる

つまりコロナウィルスでは何か社会にとって必要なものなのか、大事なのかも問われる

病院は感染するから行かないというとき病院経営が苦しくなり倒産するとかいう
それは今まで医者にかかりすぎる人が多すぎた、かえっていらない患者が減って国の負担が医療費の負担が減っていいものだとかもいう
それも変なのだが日本人は医者にかかりすぎて薬を飲みすぎるのである

そしてコロナウィルスは高血圧と喫煙している人が重症化しやすい

これも高血圧の薬を飲むとその副作用で重症化しやすいということがわかった
これも武田邦彦氏が盛んに高血圧の薬は危険だ副作用があると言っていたからそうなのかとも思った
とにかくまた老人がこのコロナウィルスにかかり死に安いのも不思議なのである
それはイタリアでも増えすぎた老人を減らすためにコロナウィルスが生まれたのかとまでなる
これだけ社会に影響すること自体、社会を変えてしまうとういこと自体不思議なのであるそれが一時的には犠牲者もでるが社会全体にとってそれも世界的にみても悪いことばかりではないというのが不思議なのである
posted by 老鶯 at 09:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2020年03月22日

J-REIT暴落 (その前に売って助かったーゆうちょでも地銀でも信用できなくなった)


J-REIT暴落

(その前に売って助かったーゆうちょでも地銀でも信用できなくなった)

J-REITを一月に売って助かった、暴落したからだ
これは別に私が予想して売ったのではない
そもそも地銀の営業の人を信用できなくなってやめたのである

このJ-REITはアメリカのUS-REITをやめて為替で損しないものとして地銀がすすめて買った、私は地銀にまかせた、第一株でも金融のことがわからないからだ
それで一応地銀でもプロですからまかしてくださいというからまかせた

営業の人は分散投資をするのがいいとして

カナダの国債に投資⇒石油産出国⇒石油の値段下がる⇒損

US-REIT⇒一時円安で上がり売りもうける

日本の株⇒リーマンショックの時から元にもどったとき⇒売る⇒J-REITに回す

ここで一番失敗したのはリーマンショックの時に半分に下がった株を元にもどったところで営業の人がJ-REITに回したことである

最初から分散投資が安全

こういうっていたのになぜそうしたのか?

地銀がもうけるためにまた営業がノルマを果たすためにそうしたのである

なぜなら分散投資を言うなら株は売るべきではなかった

私はその時いい感じはしていなかった、でも私は投資に時間をさくことができないのでまかせたのである
そうなると地銀でもなんでもまかせることしかできない人は投資は株でも何でもやるべきではないともなる
てもどうしても地方だと田舎だと地銀とかゆうちょとか農協でも身近であり信頼していたのである

それがゆうちょでも民営化して詐欺のようにして保険を売りつけて問題になった
なぜそうなったのか?
金があっても高度成長時代のように投資先がないのである
何かゆうちょに親が保険をかけていた、それは20年前くらいなのかその保険金も利子がついて高くなって受け取ったのである
何か自分は金銭面でも親に良くされていて困ることがなかった

ともかく金融を理解することがほとんど不可能である、プロでさえその全容など知る人はいない、第一ゆうちょとか地銀とか農林中金とかは素人でありたいして自分が知ることと変わりなかったのである
それはこれまでそうした金融にかかわることがなかったからである
それが投資先がなくなりその巨大なゆうちょであれ農林中金であれ地銀の金がアメリカの金融関係の会社にねらわれていかがわしい投資先に金を投資している
CLOとかがそうである、その金が何兆円とか莫大なのである

なぜゆうちょを民営化したのか?小泉前首相がそれを売りにしたのか?

これも今になるとアメリカの金融資本会社に銀行や保険や証券会社に日本人が貯金した金を売るためだった!

つまり日本の金がアメリカに奪われるということだったのである 
それを推進したのが外資の顧問などをしている竹中平蔵だとか言っている

現代のグロ−バル金融資本主義は巨大でありその巨大なものを理解することが不可能である、そこに巨額の金が奪われてもそれも犯罪にもならないのである
何か巨大なものは複雑なものは犯罪にはならない、戦争とかなれば他国の富を奪っても犯罪にならない、かえって正義とだとかなるのである
10億円とか百億円盗んだ人は英雄になる、一人殺したら犯罪だが千人殺せば英雄になるのと同じである

そうしてグロ−バル経済の中で巨額の金がギャンブルのように株式市場で操作されてそこで莫大な富を得ているのが国際金融資本家だとされている
それがコロナウィルスでブレーキがかかった
だからこのコロナウィルスは何なのか不思議なのである、これだけの力をもつということが不思議なのである、これだけの力を一国でも中国でもアメリカでももてないからだ
とてもグロ−バル経済を止めることなどできないからだ
それはこうしたグロ−バル経済の欲望資本主義の暴走を止めるためだったのかともなる
もうグロ−バル経済でも資本主義でも限界に来ていたからである
巨額の金の投資先がなくなりゆきづまっていたからである

何か資本主義というのは日本人の体質に合わない、農耕民族に合わない、農耕民族に日本人にあっていたのは貯金なのである、貯蓄なのである
米を作ればそれを貯えるということで安心する
でも資本主義というのは何かそういう文化と根本的に違っているのである
農耕民族は定着文明でありなるべく争わないようにする
でも狩猟民族だと獲物をとって移動する、だからそこで争いになっても自分の主張を通すそしてまた別な地域に移動するから争うことを恐れないというのもそうかもしれない

狩猟民族は獲物を捕る、それをがつがつと食べる、そして獲物がそこになくなったら移動する、それだけ大陸は広いから移動する場所があるからそういうことができる
遊牧民もそれとにたものである
農耕民は基本的に一定の土地で作物を育て貯えることが基本である
だから資本主義に合わない、理解できないのかもしれない、アメリカ人は貯金はしない、投資している、貯金することは資本主義ではそもそも合わないのである
高度成長時代は貯金してもその金の投資先があったから利子がついていたから良かったのである、今はいくら貯金があってもその金を投資してもうける先がないのである
貯金自体は富を生み出さないのである
それで資本主義が行き詰まったとなる

いづれにしろ地銀でもゆうちょでも金融でも他人の金に責任はもたない、やはり責任をとらされるのは金を出す本人である
だから知らない人はやるべきではないとなる
でももう貯金しているだけではその貯金すら目減りしてもう預金封鎖だとかなんとか貯金自体を維持できなくなる
つまり貯金というのは資本主義では常に利子がつき増えない限り意味がなく消失してしまう危険がある
それにしてもリスクはさけられない、誰がコロナウィルスのことを予想していたか?
これをみても予想ができないのである、どういうリスクがあるから予想できないのである
コロナウィルスで世界がグロ−バル経済もブレーキがかかり世界自体が変わってしまうからである
そして世界恐慌がやってくるというからまさに恐怖だとなる

とにかく老人にはまた投資は向いていない、なぜなら投資は長期的にみないとわからないからである
それでリーマンショックに半分になった株が元にもどりさらに上がりつづけていた、その時売れば相当にもうかったのである
老人は先が短いから投資に向いていない、後は死ぬだけだとなってしまうからだ
それから老人になってからはその人の残すべきものに集中すべきである
私の場合は文学的創作とかに集中したいから頭も手も回らない、家事を全部しているからそれだけで時間をとられるのである
とてもあらゆることに頭もまわらないし時間もさけないのである




posted by 老鶯 at 08:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題