我が払う金の重みや年の暮
給金を我が払いて年の暮
近く住む手伝いの女や大晦日
留まりし石の重さや大晦日
小窓より寒鳥三四羽見えて去る
墓地近く死者を思いて年暮れぬ
街中の通りに面し我が見ゆる行く人誰や冬の夕暮
平穏に今年も終わらず風唸り家をゆすりて荒れにけるかも
自分は二十代で働いていたけどアルバイトであり本格的に働いたことがない、一年もつづけて同じ所で働いた経験がない、流れ作業とかしかしていないから働くこと自体嫌悪してきて遂に幸運にも働くことがなかった。もし働くことに生きがいを見出すことがあれば働いていたのである。でも実際に働いている人で現代で働くことに生きがいを見出している人がいるだろうか?働くこと自体ただ賃金を稼ぐものとなっているから働くことを忌避する人が多くなったのが現代なのである。単に怠け者とかそんな贅沢いえるのかとか批判されるがどうしても仕事に生きがいを見出すことは現代ではむずかしいのだ。それにしても自分が人を雇い給金を払っているというのは奇妙である。一人お手伝いさんを雇うだけでいろいろ考えることがあった。今回は一カ月何時間とか毎日きていたから余計にずいぶん働いてくれたなと考える。それでこれだけの給金なのかとも考える。給金を払う方が金の重み、価値を考えた。一カ月間となると結構長かったからである。それも毎日だったから余計にそう思った。これだけ働いてたかがこれだけの給金なのかとも払う方が考えたのも奇妙である。働くこと金をもらうことはそれだけの積み重ねがあってもらいるものである。一方遺産を一気に苦労せず遺産を何億とかもらったり土地を相続して働かず暮らしている人もいる。その金は大きすぎる。毎日せっせっと働いてたいした金が入らない人もいる。その差が大きすぎるのだ。自分にしても小金が遺産として入ってきたからにているところはあった。だから労働の価値がわからない、やっと一カ月働いてこれだけかと給金を払う方が思うのも奇妙なことである。金の価値は株で一時に何億ともうける人もいる。そういう金とこうして一カ月せっせっと働いて入る金は同じ金でも余りにも違っているのだ。だから金とは何なのだろうかと常にその不公平さに疑問をもつのである。
街中で通りを見ても人は歩いていない!車が通りすぎるだけで人は歩いていない、だから人のことを思わない、人は見えない、車だけが通りすぎて行く、誰が行くのかもわからない、車社会は今では当たり前ではやはり非人間的なものがある。街の通りは閑散として人も通らない、もちろん駐車場がないから今は不便すぎて買物などしない、みんな車で大きなス-パ-に隣の市でも行ってしまう。大熊町のス-パ-の広告が南相馬市で入ってくる。車だとくると思いだすのだろう。おそらく昔の街道だったら江戸時代だったら誰が旅人で誰が歩いているのか家の中から見ていてもわかった。よそ者かなどすぐわかった。街の通りで買物していたとき近所のものがしていたのだからやはり誰が歩いて誰が買物に来るかわかっていた。今は小さな町では近所もわからない、車で遠くに買物するからである。だから山村だけではない小さな町もさびれる。車が通りをすぎてゆくだけなのである。
でも介護とかなると遠くより本当により近くが助けとなる。認知症の介護では特にそれを感じた。見守る人が近くにいると助かるのである。隣の市の親戚に電話をしてもすぐに来れないから車があってもすぐこれるようでもすぐ近くでないと対処できない、それですぐ隣の人は情ある人で認知症になったことを知っていて話をあわせてくれた。ほかは全く交際がなくなったがその人だけは最後までつきあってくれたのである。それもすぐ近くだからそうできたのである。やはり近くにいること長くいることそれは人間の生活で大きな意味をもっているのではないか?石でも樹でもそこに長くあることにより意味を帯びてくる、仕事するにしてもそこに長く勤めていることで意味を帯びてくる、重みがでてくる。価値がましてくる。それで長く勤めていただけでも月給があがったのは自然の理にかなっていたのかもしれない、派遣などという雇用形態はやはり自然ではない、理不尽な人間を部品のように使い捨てるものである。現代文明は複雑だからそうなったのだがやはり常に車時代が非人間的なものにさせるように機械にはそういうことが常にあったのである。
最後になって北風がふきつけて家をゆすった。一年も平穏に終わることはない、そう考えると三十年間平穏だったということは奇跡的なことだった。その反動として四年間は全く平穏が失われたのである。ともかく来年もまたプログがかきづづけますのでよろしくお願いします・・・