2009年12月01日

南相馬市鹿島区江垂の一石坂 (いちごくさか)のこと


南相馬市鹿島区江垂の一石坂 (いちごくさか)のこと

●一石坂 (いちごくさか)の由来

住古女あり年20ばかり、木履を納め米一石を頭上に捧げこの坂を上りし故一石坂と名づく
陸前浜街道の鹿島区江垂の日吉神社まで上る坂は急である。あんな急な坂を上り相馬藩の武士が野馬追いの時も上ったのかと思う。馬にしても疲れてしまうだろう。よく駒止峠とういのがあるが例えば檜枝岐に田島の針生から行く七曲りの坂道をバスで行ったことがあった。ここも延々と坂がつづく大変な難所であったがトンネルができた。日本には延々と坂がつづく峠が多い、八木沢峠もそうである。だから自転車では歩くことになるから容易ではない、馬にしても駒を止める峠だというのは納得する、馬も延々と坂を上ることが嫌になる、もう上りたくないとなるのは人間と同じだった。

昔の道は最短距離で通じるように道ができています。ですから、どんな急傾斜の地形でも直線の道だったりします。それは徒歩ではそのほうがよいからで、道によっては、人はともかく馬は無理という道もあります。例えば、先の熊谷通りの道がそうで、ちょうど神社の参道に男坂と女坂があるように、徒歩は釜伏峠越え、荷駄馬は荒川沿いの道というように分かれます。
http://blogs.yahoo.co.jp/futamision0801/2210374.html


発見された近道
http://musubu2.sblo.jp/article/28422250.html

つまり歩くならこんな急な坂道でも上ることができるから直線的に行くことができる。でも馬だったらきついのである。徒歩で行く道と歩いて行く道が別れていたというのも納得する。

木履を納め米一石を頭上に捧げこの坂を上りし故一石坂と名づく

木履とは下駄なことなのか?納めたとはどこに納めたのか?下駄を運び米も運んだのだろうか?

日本酒の一般的な容量が一升(一八〇〇ml)。江戸初期に升の大きさを統一し、広さ四寸九分平方、深さ二寸七分の升に入る分量を一升とした。その十分の一が一合、一〇倍が一斗、さらに一〇斗を一石という。

一石は頭のせるとしたらその重さは大変なものである。ここに誇張はあるにしろこの急な坂を毎日のように上る力持ちの女性がいてこの名がついたのである。よくあんな重いものをのせて上れるものだとみんなが見ていたのである。女性だったから余計に目立ったのである。

比べ石 尺石 力石・・これは日本全国にある。力比べが行われていた。そもそもこうした石を持ち上げて一人前と大人と認められていた。江戸時代の生活は人力が基本であり機械がないから人間の力が頼りなのである。庭師が百キロ以上あるような石を人力で立てた時はびっくりした。あんな力をある人をまざまざと見たからだ。そういう力持ちは江戸時代なら注目されたのだ。
今はNHKで放映した麦の刈り取りで鎌一つで出稼ぎに集団がいたが一方でコンバインならその人力の麦刈りより一人の作業量より百倍にも千倍にもるから比べようがないのだ。石を動かすにしても機械を使いばそんな力を今は必要ないから力ない人でもやれることはやれるが庭師とか大工とか建築関係は以前として力が必要である。

●津川の城の伝説(阿賀野川)

麒麟山の上に津川城があり、城の石垣がけわしく、狐も通れないというので 狐戻し城といわれていました。昔、津川城の殿様が病気になり、医者がいろいろ手当をしましたが、なかなか よくなりません。そこで、山の麓の温泉の湯を汲んで湯治をすることになり、 温泉の湯を運ぶ役を、美しい小姓の蔦丸(つたまる)に命じました。
蔦丸は毎日、山も麓から、山の上のお城まで、せっせとお湯をはこびました。 殿様は湯治のおかげで、病気がだんだんよくなりました。
ある日のことです。蔦丸はお湯を汲みに来るお鶴という娘に会いました。
お鶴 も母の病気を治すために毎日、お湯を汲んでいたのです。
二人は仲良くなり恋仲になりました。そのため蔦丸の帰りがおくれがちとなり 人々のうわさになりました。これを知った重臣たちは怒って蔦丸を頂上近くの 石牢に閉じこめてしまいました。

この話はリアリティを感じる。狐の嫁入りとかを売り物にしているがそれは観光のために作られたここにはない伝説である。でもこれは城が山の上にあり実際に毎日湯を運んでいたのである。これも一石坂ではないが大変な労働だった。当時城は館は高台にありそれで必要なものを下から運ばざるを得なかった。日吉神社のある所も相当な要害の地であり高台なのである。
要するに昔は車もないのだから歩くほかない、だからそうした山や要害の城に物を運ぶことを仕事にしていた人がいたのである。これは湯をくむことをさぼったためにお咎めを受けたのだから当時の下々の生活が厳しいことを示している。歴史は伝説でもその土地の地形から生まれてくるのである。

殿様の病直さむと日々

険しき山道上り城に運ぶ

何故の咎めや残る恨みぞ

若者なれば恋ありて悪しきや

その山道は会津の奥の奥

雪に埋もれし津川かな


郷土史発見-ホ-ムペ-ジ
http://www.musubu.jp/jijikyodoshi.htm

posted by 天華 at 23:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸時代

枯菊(六号線のレストラン)


枯菊や落ち着く近くのレストラン

池の鴨内装落ち着くレストラン

レストランここに二年ほど枯芒


鹿島区から原町区へ六号線のホテル兼レストランには何回か入った。500円のランチが安いからだ。あのレストランはまだ新しい、二年くらいしかたっていない、老人になると何か落ち着いたものがいい、派手なものは合わない、性格にもよるが一般的にはそうである。枯れた菊でも落ち着いてサ-ビスを受けられるのがいい、高齢化社会に適したものはそうしたものでありそれが全部悪いものではない、若者向きばかりでは落ち着かないし街の雰囲気も騒々しいだけになる。高齢化向きにすることは街全体が落ち着いたものとなるのだ。スロ-社会にもなる。 レストランには滅多に入らないし食事もしない、食事では贅沢しない、そもそも贅沢はできない、家ではどうしてもずっと食事を自分で用意している方だから自分では贅沢な食事ができない、また帯状湿疹でヘルペスで母が寝たきりなので困った。痛い痛いとしぼりだすように言っている。本当に痛い病気らしい、これも相当悪質な病気である。90にもなっているからこれからどうなるのか?

お手伝いさんが来てくれるので本当に助かる。痴呆ではないのでお手伝いさんとまだ話すことができるのでいい、姉の場合は認知症になり知らない人とは話すこともできないし受け付けないからその時は年金で金があったがヘルパ-を雇うこともできなかった。今度は外からの援助を金でできるから救いがあった。金があっても認知症だけは手伝ってもらうことすらできない、全くやっかいな病気だった。ただ家でこうした病人をかかえると陰気になり自由も拘束されてしまうのだ。これは一カ月くら痛むしそれ以後も痛むとかこれまた本人にとっても家族にとってもやっかいな病気である。60以後は病気やら何やら悩まされることばかりになってまた年の暮になった。

今日は電動自転車でビデオレコダ-を買った。このビデオレコ-ダ-の恐怖はハ-ドディスクに記憶したものが一瞬にして消えたことである。パソコンでは経験していたがビデオレコ-ダ-で同じことが起こるとは思わなかった。ディスクに記憶したものはパソコンでも消えにくいがハ-ドディスクは劣化すると突然壊れ消えることが怖い、今や1TBとか遠くできても一瞬にしてハ-ドディスクは消えるからその膨大な量を記憶しても消えては何もならない、その対策はディスクに記憶するしかないのだから大容量のは買わなかった。電動自転車は荷物にも強い、重さを感じない、風にも強いらしい、半分バイクだからそうなっている。これは日常生活にも相当役に立つ優れものである。



ビデオレコ-ダ-買ったのは今度できた山田電機だった。ケ-ズ電機は相当な打撃になる。ところがレストランとかは競争相手ができても競合できる。一つのレストランだと同じメニュ-でありあきる。
別な料理を食べたいとなるから同じレストランに行きつづけることがない、高くてもそうである。一カ所だけのレストランに通いつづけることはほとんどないから競合できるのだ。でも電器は同じ品物であったら安い方を買うだけであり競合できない、安い方に客は流れてしまうのである。