優しさや介護の助け冬の鳩
老人の介護に追わる師走かな
夕暮れむ五本松に落葉かな
認知症の介護からまた帯状湿疹から介護になった。前にも書いたけど介護とか病気になると俳句とか短歌ができやすい、正岡子規のことをNHKで放送していたのでそのことを書いた。
「優しさや介護の助け冬の鳩」この句は何なのだろうと自分自身が作って不思議だった。作った本人が不思議なのだから他の人は何のことかわからないとなるのが多いだろう。鳩のように素直であれというとき鳩は平和の象徴である。冬の日に介護で助けられている。朝に鳩が群れて飛んでいる。そこに深い意味を感じた。鳩は平和の使者なのである。
旧約聖書の《創世記》8章には、ノアの洪水について書かれていますが、
この中にノアが放った鳩がオリーブの若葉を持ちかえり、
これによって洪水が終わったことを知る話があります。
人を罰する洪水が終わったとき、平和がこの世に再びもたらされたとき、鳩がオリ-ブの若葉をもちかえった。だから平和の象徴となった。老人の介護など無駄だというのも一理あるが弱いものをいたわることは人間の優しさを愛をひきだすものでもある。俳句とか文学はこうして背景を深く読まないと理解できないのである。明日死ぬかもしれない人が作った俳句とのんべんだらりと過ごしている人が作った俳句の重みは余りにも大きいのである。病気とか介護は俳句でも短歌でも特別な深い意味を与える。
姉が認知症になってから母も年だったし介護は継続していた。そのなかで今まで経験しないことを多々経験した。自分はこれまで金のことでありほとんど世間とかかわらずにすごしてきた。
金を借りたことも貸したこともない、若いときの一時期を除いて金で困ったこともない、それが金でいすいろいろもめごとを経験した。いかに人間が今金に左右される存在か身にしみてわかった。今回は安く病院に行く方法があり助かった。これは半分ボランティアだった。手伝いさんに助けてもらってもその金はたいしたことではない、でも親戚とかには金ではひどいめにあった。額が半端じゃない、でも要求されても断れない、ただより高いものがこの世にないことを実感した。金で割り切ってやってくれる方が助かる。へたにただで助けてもらったりしたらあとで何十倍もの金額を要求されるしへたに親戚でも何でも頼めないことがわかったのである。困ったときに人に簡単に助けを頼めない、今の時代は金で割り切って頼めることは頼んだ方がよかった。ただ金だけではどうにもならないことがあった。今度は金で頼めたからそうなると気楽だった。
老人の介護というとき必ず良くみていると街の通りを路地でも老人をかかえて歩いている人をよくみかける。これだけ弱った老人がいる老人社会、介護社会になっているのだ。家に一人寝込んだらまた大変なことになる。ただ今度は金で外部から助けてもらえるからいい、家事を負担してもらうとかなり楽だし一人だけやっているのと違うから心強いとなる。まあ、年だからいつ動けなくなり衰弱して死ぬのかわからない、そうなってもおかしくない年だからである。師走は自分だけではない親の介護に追われる人が全国いかに多いか、そういう時代なのである。