寒雲を飯館の方を覆うかな
門なす枯木二本や冬の暮
60すぐ男女二人や冬薔薇
俳句とかでもその背景をよむ力がないと鑑賞できない、それ以上に常に言っているのが地理なのである。地理はわかりやすいようで本当にわかりにくい、福島県がどういう地理なのか地形なのか即座にわかる人は少ない、ハマ、ナカ、アイヅと別れている。気候も違っている。会津は日本海側はいつも雪になっているが浜通りはほとんど雪は降らない、中通りは会津よりは降らないにしても降る、ここでもわずかに雪が降ったらしい、昨夜から今日は本当に寒い、凍えるように寒い、阿武隈山脈のかなたの飯館の方から寒雲がどんよりと広がっておおっている。飯館は阿武隈の地でありここでは度々寒さのために飢饉がありその供養塔が立っている。この句だってこの辺の地理がわからないと鑑賞できないのである。何事地理は大きく作用しているのだ。
60すぎると男女の関係は恋愛関係とか若いときの関係とは相当違っている。うわついたものや激しい性欲とかの関係とも違う。そういう盛んな人もいるが女性でもすでに孫をもっている人も多い、おばあちゃんであり女性の見方も変わってくる。若いときは容姿が第一になるが年取ると容姿はさほど問題ではない、60年で生きて培われたものやその人の性格やら容姿ではないものが魅力を作るようになる。何か落ち着いた関係になる。恋愛も結婚も関係なかった自分だけど女性は必要であり女性的なものが必要なのである。それは若い女性のもたらす魅力ではない、大人となった落ち着いたものとして安らぎを与えるものである。
枯木(柿の木)二本が門のように立っている写真をとった。ぴったりと門のようになっているから面白い。