冬の俳句十句(日立木→相馬市→成田の墓地を回る)


六号線離れて橋や冬の雲
旧道や冬菜に古碑のあわれかな
橋古りて相馬の川や冬の鯉
塩地蔵街中にあり冬の暮
窯元に田町通りや冬柳
六万石城下の辻や冬柳
冬深む木の根露に古墓かな
江戸時代墓の数基や冬の暮
隠されし墓所の古りにき冬の雲
名を記す干し柿買いぬ道の駅
江戸時代夫婦の墓のあわれかな我が目を通し冬の日暮れぬ


相馬市成田の墓地
今日は相馬の道の駅から日立木を通り相馬市に行った。その帰りに中野から成田への坂を上るとそこに墓地があった。この墓地は江戸時代の墓がいくつかあったからかなり古い。天保時代のものがあった。墓所でも江戸時代の墓があればそこは古いのだ。川子の墓は江戸時代の墓はなかった。ここは江戸時代からつづいている墓だった。詳しくは明日また書いてみよう。というのはこの成田の墓地から坂を上りきったところにさらに隠れるように坂道がありそこを上っていったら山に隠されたように墓地があった。この墓地はそれなりに広く墓の数も多かったから意外だった。ここにも江戸時代の墓があるのか明日調べてみよう。この坂を上れたのは電動自転車だったからである。これはかなり急な坂でも上れる、だから今までこんな急な坂は敬遠ししていたから坂の所はまだかなり行ってないところがあり今回の発見につながった。
相馬市というといつも書いていることだが原町とは雰囲気がかなり違ってくる。今日はそれほど寒くはないから寒雲とはならない、このくらいなら自転車でも寒いとはならないし行ける。冬の雲がにあっている城下町だった。城下町といっても堀があるくらいだから情緒があるとはいえない、でもやはり雰囲気が原町とは全く違っているのだ。それは原町は無線塔に象徴されるようにいち早く近代化した街として明治に発展したからである。相馬市は城下町として古いままに残されたのだ。だから街の道などはそれほど変化していない、相馬市に来ると沈んだような気分になるのが不思議なのだ。それがいいのかもしれない、それで今日は冬の雲にあっていたのである。