2009年12月25日

相馬市成田の竹内氏の姓の由来

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丸森
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相馬市成田の竹内氏の姓の由来



「竹の内」は「館(たて)の内」がなまった地名として、城館跡に時々見かけられるものである

武(竹)城について
http://homepage3.nifty.com/azusa/saitama/okegawasi.htm

樋ノ口はあるところは竹の内は呼ばれていた。竹の内という地名は全国にある。竹を植えて要害にしたという説がある。この宇多川沿いには大竹があり近くに篠竹があるから竹の多い地域だった。竹に由来することは確かであり竹が舘(たて)になるのか?竹で囲んだ館のあったところとなる。丸森にも竹の内という地名があるから竹の内は一般的にあるある地名である。そこに館があるとなると人がそれなりに中世に要害の地にして住んでいた。そしてそこから遠くない成田の斜面の墓地に竹内氏の墓がある。ここは明らかに竹内一族の墓所となっていることがわかる。下の江戸時代の墓のある所にも竹内氏の墓があり江戸時代からつづいて竹内氏がある。
弘化5年(嘉永元年・1848)である。一月早々、勘定組頭の竹内清太郎氏と面談した池田家老から「二宮氏の仕法が民間に益あることは一通りではない。自分も是非これを聞きたい。代官出府の節は自分からもよく話し合おう。なお富田には自分も面会したい。何時にても罷り越されるよう」という竹内氏の言葉を聞かされた。(日記・書簡2)

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相馬藩政期

他に標葉郷軍者の武内殿・・・・とあるとき武内は竹内が変化したものである。竹内の姓は竹の内がありその地名をとって竹内とした。鹿島区の塩崎の大岩は地名としてあり越中から移ってきてもその大岩を姓としたのかもしれない、その土地の名を名乗ることがよくある。相馬氏は移住しても相馬という地名をこの地につけていないのだ。中村・・・となのる人はいた。中村は村の名だからそうなった。黒木というのも地名として先にありその地名を姓とする武家がいたのである。いづれにしろ竹内の姓の起こりは竹の内にあることは間違いない、竹内氏が移住して地名となったのではない、前から竹の内という地名がありその土地の名を姓としたのである。

相馬市の高松から小野を回る(俳句短歌-写真)



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寒烏墓守なれや山の墓地


冬日さし古碑の並びて羽山かな

枯蔦や根渡神社の暮るるかな

樅の木に松向かい立つ高松の墓所を尋ねて冬深まりぬ

森閑と落葉に埋もる高松の墓地をたずぬは我が一人かな

分け入りし小野の細道冬深む枯木二本の影なし暮れぬ

冬のくれ小野の細道分けのぼり拓けし里を我が見ゆるかも

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小野町を山から展望する

日立木から相馬市の高松の墓地によった。八坂神社とあり江戸時代の念仏の碑があった。八坂神社は珍しいほうだろう。ここは古い墓地なのかよくわからない、江戸時代の墓が一つくらいあったようだが古い墓地ではないようだ。新しく作られた墓地なのかもしれない、この墓地は外から見えないからわかりにくい、隠された秘密の墓地なのである。その中に樅の木と松の木がありいかにも古そうなのだがそうでもない、むしろここから下りたところの墓地の方が古かった。
ここでは烏だけが鳴いていて墓守をしていた。そんな場所としてふさわしいのだ。

この墓地をあとにして相馬市の城の後ろの西山から南小野の山道を回った。
小野晴雪 分けのぼる小野の細道風さえて雪に晴れたるあけぼのの空
冬のくれ小野の細道分けのぼり開けし里を我が見ゆるかも
小野という領域は広い、小野町もあり地形的には山の傾斜地になっているからあっている。野とはまさに山の傾斜地でありそこから広がる平野なのである。こういう地形は日本には多いから野とつく地名も多い。途中の羽山神社がありここの碑も相当古い、天明(1781-1789)とたしかにあった。不思議なのは近くに丸森になるが天明山がある。この碑とも関係しているのかこの辺は修験道の山となっている。羽黒山もあるからだ。相馬の城の近くに小野がありこの山は丸森につづいている。山深い丸森へとつづく道である。ここからも丸森の方へ行ける山道があった。電動自転車なら行けるだろう。これは坂道に強いから坂の多い日本では相当役に立つ、山道も悪路も上るから凄い、こうして山道を行けるとさらに地理に詳しくなるからいい、相馬の城の背後にこれだけの山がある。相馬の城はこの山際に作られたのである。そして昔の道は小野を通っていた。相馬から東は田町方面は湿地帯だったからである。やはり実地に歩いてみると地形がわかりその土地がどのように発展していったかわかるのだ。
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