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誰が上る冬の羽山や昼の月
羽山なる山の寂けさ冬深む
冬山の静謐にして小野の里
冬枯れの小野の里かなはつに見ゆ
冬枯れや城より遠き初野かな
相馬の城の後ろの小野の羽山は趣きあるところだった。あそこからさらに丸森へと修験道の山がつづいている。羽山は小高い山であり里山だから身近な山である。ただその山が日本では特別なものとして崇拝された。奈良の三輪山は山自体が御神体であり崇拝されている。羽山信仰は農耕と結びついた信仰である。稲作は山から流れる水から成り立つこともあった。先祖が山に帰る、山に棲むというのもそのためである。山を神聖なものとするのはそれなりの日本人的感性からきている。ヤマトはヤマの国だからである。山の静寂は冬になると一層深まる。山は清浄の領域でありそれが修験道と結びついた。六根清浄と唱えるのもそのためである。
大和(やまと)には 群山(むらやま)あれど とりよろふ 天(あま)の香久山(かぐやま) 登り立ち 国見(くにみ)をすれば 国原(くにはら)は 煙(けぶり)立つ立つ 海原(うなはら)は 鴎(かまめ)立つ立つ うまし国そ 蜻蛉島(あきづしま) 大和の国は
国とは大きな国のことではない、小さな領域がクニだった。小野はそれにふさわしい。山から見たときまさに小野の里が拓けて見えたのである。日本では国見とは高い所に上って見ることである。国見山と南相馬市にもあるがあそこは相当に高い、見える範囲も広すぎるともなる。でも海原も見えるのだからこの歌と共通している。飛鳥では海は見えないのだがここでは海も見えるのだ。さらに初野がありこれは果てる、ハツ野という意味だとか確かに城の後ろが小野でありさらに城から遠い、当時としてはかなり遠い感覚になる。この辺の感覚は小野の山に上ってみないとわからないものだった。ここは本当にはじめて見た景色だったのである。だから新鮮だった、こんな景色が開けたのかという感覚である。60すぎても近くを知らないということがある。世界中を旅しても一番近くを知らないということがある。山でも近くに知らない山があった。小野から丸森につづく山ははじめて見たのである。日本ではいかに山の領域が広いかを近くで再認識したのである。