寒村を月の照らして年暮れぬ
松川(浦)の魚を買いて年の暮
第百五十一段 「或る人の云はく、年五十になるまで上手に至らざらん芸を捨つべきなり・・・・
徒然草
老後に退職してから暇になり俳句、短歌とかやる人がいる。その人は大きな病院の院長にまでなった女性である。短歌をのせた本を出しているがその短歌はうまいとはいえない、でもその他医者としては優れた女医だった。文章からわかる。患者とのコミニケ-ションが大事であると言っているしその文章は百才を生きるにふさわしいものだった。ただ俳句短歌をはじめろとか言うのはどうかと思った。俳句短歌は意外と短いから誰でもできるし作っている人も多い、でもそこに安易なものとして誰でも作れるものとしてへたくそなものでも何か一角のものとして思い上がる要素が俳句短歌にはあるのだ。なかな小説とか他に長くなると書けない誰でも俳句や短歌を作れることに問題があるのだ。だが第二芸術と言われた。実際病気になっても俳句短歌は書ける、小説などとなると長いし苦しいから書けなくなるのだ。俳句短歌は病気になっても短いから作りやすいのである。介護しても自分が作って出していたように俳句短歌は創作できるのだ。でもそこに余りにも安易なものとして誰でもできるものとして発表しすぎる問題がある。この女性は医者としては優れていたしボランティアとして相談にのっていたことはほめられるべきである。それが一番あっていたからである。その人に一番あっていることを老後にはするべきなのである。ある女性はカラオケに精を出している。大会にでて歌っている。歌が好きだからそうなっている。そういうのはいいのである。
姉は保健婦とか看護関係の仕事に向いていた。性格的に陽気で人と接する仕事に向いていたのである。でも退職してから何もしなくなった。趣味で貼り絵とか暇つぶしにやるくらいで何もしない、台所の仕事もしない、怠け者になっていたのだ。自分の向いたことをしない、家事もしない、・・・・そうした怠け者になったことが認知症になったぼけた一因だったことはまちがいない、公務員とか先生にぼける人が多いというのはこういう人たちはあまり創意工夫する仕事をしていない、毎日同じことをしている。みんなあんな楽な仕事で月給が高すぎると言っている。確かに公務員にはそういう所がある。ぼける人は老後に退職してから自分なりの自分にあったことをしないことにある。俳句短歌でもそれか自分にあっていれば今までやってきたものならいいがこれは短くて簡単だからやってみて、そら簡単にできたでしょうとか言って発表する段になると問題である。医者としては一流でもそういうことまで芸事まで一流になれる人はまれなのである。それは農民でも職人でもいえる、そういう人が俳句短歌が簡単に作れるからと言ってワタシもできたよ、どうすばらしいでしょう、ワタシも俳句短歌に名を残す人かもしれないとなるのは傲慢である。でも俳句短歌ではそういう人が多すぎるのだ。それは結局短いから誰でも簡単にできるからこんなもんだよとなってしまうところに原因があるのだ。そしてつまらないものでも臆面もなく公表してしまうのである。だから俳句短歌には膨大なとるにたらないもののオンパレ-ドになりやすいのである。
今年も終わりである。今年も大変な年だった。でもなんとか一区切りかもしれん、姉が死んで四年間は苦労の連続だった。今日は月がでている。寒村を月が照らしているというときそれが単に外部から見ていたら平和な光景である。しかし現実疎寒村に暮らすとなると全く違ったものとなる。それは恐ろしいことすらある。でも田舎でも街中に住むものと在に農村に住むものとはかなりの差がある。農村では介護している人がいたが近所の出入りが多く助け合っているという、でもマチでは都会と同じであり全く無関心であり助け合うということはない、田舎でもそういう差があり相当違っているのだ。一方でそうした農村に住むとなると相当に拘束されることも確かである。でも相互に助け合うということではいいとなる。寒村を月が照らしていると単純なんだけど実際は今は電機なしで暮らせないし現実は違っている。ただまだ閑散とした所だからそういうふうに感じた。これは山の村より漁村のことだった。でも今日買ったカレイは高すぎた。1800円で高いし子が多すぎた。でも買ってくれと言われると買わざるをえなくなっている。年末だからしょうがないと買った。ともかくあとは当分休みである。このプログもずいぶん長くつづけた。これも短い文でもできるから長くつづけられるのだ。