2009年12月30日

月明かり(年暮れむ)

 

月満ちて来年に期す年暮れむ

冬の夜や村々めぐり月明かり

一本の松の枯れつつ街道になお残りて年の暮れなむ

 

今日は満月がでている。年の終わりに満月が出るというのもめずらしいかもしれない、月の満ち欠けも人間の体や心に影響する。月は太陽と違い満ち欠けするから月の方が影響しやすい、暦も月だからである。今年もいろいろあり大変な年だった。でもなんとか終えた。どうも家族に認知症をかかえてから邪気のようなものが自分の家族をおおい自分にもおおっていた。実際に御祓いでもしてもらいたいというのが実感だった。でもなんとか一応そうした凶運は脱したみたいだ。まだ懸念するものはあっても最悪の凶運は脱したみたいだ。この凶運はどうすることもできない、ただ嵐を過ぎ去るのを耐えるほかない、どうあがいてもうまくいかなかった。次々に悪いことが起こってくる。その時ただ回りは悪意に満ちたものに感じてしまった。凶運になったらみんなそうなる。認知症とはなんだったのか未だにわけわからない、なんとも不思議な病気だった。これを理解することはまだ時間がかかる。

月明かりの冬の夜である。こういうときビルの明かりで昼間のように明るい都会より田舎は美しくなっている。山村ならよけいにそうだろう。月が村々を照らしだしている。それは絵のように美しい。村々や山村はそのように貴重なものである。大都会は自然と離れているからどうしたって美は消える、いくら人工的に美を作っても美にはならない、美を作り出しているのは自然だからである。その自然がないのだから美は作り出せないのである。ただそこに住んでいる人間はどうかとなるとこれは都会と同じだろう。それはどこでも同じである。ただ自然が豊富ならそうした人間の醜さが覆い隠されるのである。罪はつつむであり罪も隠されるのである。人間の業を隠せ・・・人間を隠せというときこれは日本だけではない、共通して人間が自然の中で醜いものとしてあるそうなったのである。

原町に電動自転車でこの頃買物で毎日行っていた。刃物を研ぐ必要があったり家事もいろいろある。今は一部手伝ってもらっているが今年は遂に石巻まで松島から行っただけで一回も泊まる旅をしていない、4年間の間一回だけ一泊の旅をしたようだが旅ができない、やはり同じ景色だけみていると単調になる。この辺は高い山がないからひきしまらないのだ。会津辺りだと高い山があるから気持ちもひきしまるのである。この辺は景色としては平凡である。やはり高い山を仰ぐと気持ちも高鳴るのである。蔵王が見えるがこれも遠くて高くは見えない、もっと真近で見えないと感動を覚えないのである。来年はどういう年になるのか?やっぱり介護中心になるのか?やはり来年は電動自転車で遠くに行ってみたい、これは長距離用であり人力だけのとはかなり違ったものとなる。坂を楽に上れるから長距離でも今までとは違い疲れないとなるとどんどん坂を上っていろんな所に行きたいとなる。坂をすいすい上るのが気持ちいいことを実感したからだ。