2010年01月02日

新年に会津のことなど想う


新年にお手伝いさん勤むかな石に葉牡丹風唸るかも


舘岩の曲家に住み雪埋もる冬の長きをまた雪のふる

おやみなくしんしんと雪ふりにけり会津の奥の暮らし思いぬ

会津にも従軍看護婦の友ありし魚送るも姉は死ににき




お手伝いさんが家に来ること家のなかに人が入り家のことにかかわることは他の仕事とはかなり違っている。その家と深くかかわる。単に掃除したり料理したりとかそれだけではないものが生じてくる。家全体、家族とかその家の先祖とかもかかわってくる。現実自ら花を買ってきて大晦日にはその花を供えてくれた。家族の一員のようになってくる。でもこれは変わったことではなく昔ならみんな勤め先は大きな家だった。大地主の家で働くにしろ商家に働くにしろそこは一つの大きな家だったのである。工業だって家内工業であり大きな家に勤めることであった。農家でも・・・・・屋とかあるのはそこが今の会社みたいな存在であった。大きな家だからこそ使用人も一緒に墓に埋められたりしている。大きな商家でもそうなっていた。そもそも人間の歴史は家族から家から出発している。だからどこの国でも最初の国は家が拡大して発展したものなのである。国は家から起こった。日本では国家であり天皇家が最も古い家となって継続したとなるとその家に仕えているのが日本国家となっているのだ。大きな会社組織とかでも明治になってもやはりそうした江戸時代の家が継続されていたのである。武家社会でも家が中心となった社会である。武家に仕えていた女中や足軽とかみんな家に仕えていた、家に働く人々だったのである。それは極めて人間的な世界だったのである。そこは疑似家族となる、大きな家族としての集団形成だったのである。



会津と浜通りとなると相当気候が違っている。だから同じ福島県でも別な世界のようになっている。浜通りは文字通り海に面している。雪はめったにふらないし積もらない、会津では冬はしんしんとたえまなく雪がふってつもる。テレビで舘岩村の曲家の民宿を写していたがあそこには夏に行ったことがある。山の陰の奥深い所である。会津は夏だけ行ってはわからない、冬の雪深い時行かないとなかなか理解できないだろう。冬が長い、雪に埋もれてどんな暮らしをしていたのか、あの大きな曲家で一日泊まって見れば実感できる。そして車もないときの生活がどんなだったのかも想像するといかに雪に埋もれた生活が大変なものかわかる。その時茅葺きの職人が出稼ぎにでた。会津は茅葺きの家作りが盛んだった。何故なら昭和村の方に行ったら山一面が萱が繁っていた。萱が豊富である。もちろんその頃茅葺きの家が主だったからどこでも萱が必要であり萱場山とか萱とつく地名が多くなることは必然だった。あの雪深い時、越後でもそうだが江戸に出稼ぎに行くということがわかる。毎日のように雪降る中で暮らすことは閉塞感をもたらすし経済的にも苦しい。だからその雪の間に雪のない地域に出稼ぎにゆくことが習慣になることは自然なのである。相馬地方にも茅葺き屋根作りの職人が来ていたのである。ともかく浜通りでは確かに雪がふったがつもらない、すぐきえてしまう。雪を積ということが雪に埋もれる暮らしを実感できないのだ。これは雪国に住まない人はみんなそうである。天候でも毎日のように曇り雪がしんしんとふる世界が人間の心にどう影響するのか?それもなかなか推し量れないのである。


会津というと姉は従軍看護婦であり鳥取とかにも戦友がいて手紙のやりとりをしていた。でも認知症になってから年賀も書けず音信不通になった。会津には松川浦でとれた石鰈などを送り喜ばれていた。あういう魚はなかなか向こうでは食べられないだろう。姉は最後までシンガポ-ルで従軍看護婦をしていた四年間を忘れることができず死ぬ直前まで話していたのである。認知症になってもそのことは忘れなかった。85以上になると互いの消息もわからなくなっている。でも戦争の残した傷痕はまだまだ生々しいのである。テレビとかで見てもそうである。失明した人がいたりその人の姿を見たとき戦争は残酷だなとつくづく思ったりする。盲目の障害者まで戦場に駆り出されていたことには驚いた。傷痍軍人も戦争後まもなくは街に出ていた。戦争の現実はまだ本当のことは語られていない、余りにも残酷だから語られないということもある。ともかく身内が死んで何年かはなかなか死者のことは忘れられない、いろいろとひきずるのだ。


ただ戦争のことにしても戦争を経験した人が死ねばその人が語ったことを伝えることとなるからまた違ったものとなる。戦争のことを経験しないで聞いただけの人は冷静に判断するということもかえってあるのだ。戦争に参加した人はやはり自分たちがした戦争を否定することは簡単にはできない、冷静に見ることはできない、事の真実はあとからなるほどなと明瞭になることがある。それが歴史となる。今の時点のことが後世でどう評価するかは本当にわからないのだ。マスコミの判断に追従したことが全く批判されることもある。今の時点の事を評価することは本当にむずかしい。あとで評価することはいろいろなことを冷静に見て総合的に判断するからわかりやすいのである。それは別に歴史的な大きなことでなくても身近な家族とかでも死んでみると自分の親はこんな人だったのかと回想してわかる。生きている時はあんなにしかられて嫌だったけど今になるとその意味がわかったとかあとになってからわかることが多いのである。だからともかく平凡人でも死んでからその人についてわかることが多いのである。