寒椿最期を全うする命かな
溜め池の凍り忘れられる馬頭の碑
枯芒隣の街へ行き来かな
蝋梅や還暦過ぎし男女かな
我が庭に蝋梅の蕾かそけきや母なお生きて家のつづきぬ
今日も見る街道の松枯れにしを朽ちゆく命あわれなるかな
最近イオンができたので近道として植松の方を回る。あそこに広い溜め池があり馬頭観音の小さな碑があった。これは普通気づかない、馬頭観音の碑は多いのは当時の交通は馬車であり馬が主役だった。今の車が馬だったのである。だからこんなに多いのだ。これも大正時代であり江戸時代の馬頭観音はまれだろう。明治から大正、昭和、昭和からまもなくも馬車が交通の主役だったのである。小さいとき馬車の後ろにのって遊んだ記憶がある。馬車屋も必ずあった。この道は鹿島から一石坂(いちごくさか)を上る道は坂が多すぎる、その坂もかなりきついから今まではこの道はさけていた。電動自転車になり坂を上りやすいのでこっちの道を頻繁に行くようになった。あそこもなかなか見慣れた風景でも風情ある場所だったかもしれない、意外と人間は近くの魅力に気づかない、かなたは山は飯館の方は雪がふぶいていた。
冬の風情もしんみりとしていいものだと思った。それにしても五本松に残っている一本の枯れそうな松をまた見た。あれを見ているともう一年も療養病棟にいる近くの知り合いの老人を思う、一人は胃ろうでもまだ生きている。なかなか死なない、人間は今なかなか簡単に死ねない時代である。93才になってもまたなんとか生き延びている。こんなに人は長生きするものかと不思議である。嵐で倒れる樹もあるが樹も簡単には倒れない、これもいいのか悪いのかわからない、経済的には相当な負担だから社会的に見ると高齢化社会はいいものではない、今年は寒いから寒椿の赤さが映える。寒椿のようにやはり最期を全うしたいとなるがこれがむずかしい時代である。人間の最期は認知症になったり無惨になっている。潔いものもない、見事に死ぬということはまれだろう。認知症になったら早めに死ぬのが救いである。姉も二年半ほどで死んだからそんなに禍とは今では思えない、南田洋子さんも二年半くらいで死んだから良かったのである。介護は長引くから今悲惨なのである。三年くらいならなんとか我慢できるからだ。
庭の蝋梅が蕾となって咲きだした。この寒いときに咲くのが蝋梅である。それを還暦すぎた男女が見ている。蝋梅は確かに長寿の花なのである。庭にリホ-ムしたのは良かった。ここに蝋梅もあっている。老後の生活に庭は必需品である。老後は狭い範囲が生活圏になる。するとどうしても身近に接するものが大事になるのだ。ただこの庭は余りにも狭すぎる。庭を造り楽しむまでになっていない、でも一応庭は庭である。老後は高齢化社会はスロ-社会だとすると茶の湯があっている。茶室に一回も入ったことないし茶をたしなんだこともないが茶の湯のことがわかるのである。日本人ならやはり別に茶の湯をたしなまなくても俳句とか短歌とか庭に親しんでいればわかる世界である。これからは江戸時代の隠居文化とか高齢化社会の文化になる。狭い範囲で濃密な時間を過ごす、やたら移動する時代でなくなってくる。郷土史研究が盛んになるのも必然だった。身近なものの価値を見出す時代になったのである。