2010年01月08日

橲原村冬の短歌十首(村に生きる意義)


村に生く人の絆や冬深む


橲原に隠さる墓地や冬木立


街にのみ我が通いつつ橲原に久しく行かじ冬深まりぬ


橲原に生きにし人のあわれかな粗末な墓や落葉に埋もれぬ

この村に生きつつあわれ名もなきに粗末な墓や冬の日暮れぬ

橲原の入り口にし立目石バス停一つ冬の日暮れぬ

橲原に増えし一二軒家の灯や誰か住むなれ冬の夕暮

橲原は町より遠き車なき我に遠しも年は明けしも

橲原の樵の選ぶ木にあれや柱となりて我が家を支ゆ

鹿島町町誌に残る鹿島村橲原田なれあわれなるかも

鹿島区の奥座敷なれ橲原や水透き通り冬の静けき

橲原に何をし見なむ山の上に蛍袋や草深きかな


最近は電動自転車で原町の方へ毎日のように買物とかに行っていた。やはり今は山の村と街の交流は経済的に少なくなっている。昔なら炭焼きとかあり薪を供給したり密接に生活の中に山村も結ばれていた。もちろん家を作る木材を供給していたから山は資源で豊になっていた人もいたろう。日本に森林鉄道が多かったのもそのためである。それが外材となったとき失われた。40年前はまだ橲原に樵(キコリ)がいて地元では地元の木材を利用してしいたのだろう。自分の家はそうだった。地元の産物を利用しているときは地産地消していれば人間のつながりも強いものとなる。それが今までの村や町の生活であった。橲原や栃窪は鹿島区の奥座敷である。特に橲原渓谷は水が清らかである。ここは奥座敷だから茶室のようなものがあって心安らぐ場所としたい。ただ高速道路がここにもできたから風致は乱されたのが残念である。産業廃棄物の場所になったことも残念である。あれには反対した人もいなかったみたいだ。橲原村はやはり鹿島の奥座敷だからあそこはまずかった。どんなところもどうしても経済が優先されるのだ。地元の人も経済が先になるから自然は無視されるのである。

橲原には何もないのだが橲の字がめずらしくて検索している人が多いことに気づく。どうしてこういう字をあてたのか謎である。橲原というとやはりなぜか墓地が気になる。杉木立のなかにある墓地は自然石の粗末な墓である。ここの墓が行き来して心に残る。今風の墓がある方は普通の墓である注目していない、杉木立の中に隠れるようにしてあるのでいつもその墓地のことが気になっていた。でもその墓地には江戸時代のものはない、明治以降のものである。というのはここは江戸時代から村があってもその後開拓に入った人の墓かもしれない、江戸時代の墓があればそこは古い墓地である。だから墓地を見るときは江戸時代のものがあるかどうかまず見るのである。葛尾村の落合に元禄時代の墓があったのは意外だった。あういう山の奥でも古い地域なのである。

橲原で気になるのは入り口の立目石くらいだろう。そこのすぐ近くに新しい家が増えた。普通新しい家は山村では今はなかなかふえない、それでその家のことが気になる。都会だったら一軒新しい家が建っても気にしないが山村だと気になる。そんなこと気にしてどうなるんだというがやはり田舎では新しく住む人は注目されるだろう。監視さえされるようになるのが田舎である。田舎では特に農山村漁村など職住一体だから強固な一体感があって生活していた。だからよそ者は入りにくい場所だった。でもそういう村での生きる意義は存在感は重かった。貧乏でもそうだった。いや貧しいから余計に互いに支えあって生きていたのだろう。


町との交流では江戸時代の鹿島村の時、橲原田という地名を町誌に残しているのは面白い、鹿島村で田を拓いて住んだというのもその頃鹿島村でも田にすべき土地があった。その土地を求めて移住した人がいた。そうしか考えられない、普通だったら町に移住する人は職人とか商人である。町がたいがいそうして成り立っていた。 それが田を拓くために鹿島村に移住しているのだからいかに土地があれば田にする歴史が長かったことを示している。ともかく田舎では一体人が何しているのか気になる。それは普通の感情であり変わった人は住みにくい、それは良くとれば人がその土地に生きる意義を自然と問うためだろう。山村などでも石一つも何か意味が与えられて存在している。人間となれば余計にそうである。そんなむずかしいことなど誰も考えて生きていないというのもそうだが一方で限界集落など経済的効率的に考えたら必要ない無駄だというとき東京に生きることこそ存在意義が見出せない、人間は巨大な社会の部品と化して流砂のように土地との結びつきも失い、人間は無縁化社会になりやすいのだ。


NHKの無縁化社会というのもつくづく現代はこれは一部のものではない、そういう傾向は全体に広がっているのだ。会社から離れたら職住分離では土地からも社会からも結びつきがたたれる。東京などでは本当に人間の根源的アイディンティティ-存在感が見出せない世界である。経済的価値が肥大化した異様な世界なのである。だから限界集落や過疎問題を経済的合理性からだけ議論していることが何か歪んでいる。そなむずかしいことはどうでもいい、そうした村を支えているのは都会なんだよという都会の主張が一方的なのである。あんたもしょせん部外の人と言えばそうなんだがしかし常に行き来しているのはやはり山村的な所だったのである。



冬木立の村(詩)
http://musubu.sblo.jp/article/34630977.html


橲原(じさばら)のジサはエゴの木の古語
http://musubu.sblo.jp/article/12899121.html