2010年01月10日

陸奥凍雲の空(訓読風短詩)

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陸奥凍雲の空


長々と凍雲棚引く陸奥の空

今日も寄る真野川の岸辺に

群れにし鴨や静かなる日々

鴎数羽飛びきてうかがいしも

奈良の都は遠く遥けき船は来じ

古の辺境の地冬の眠りの深し

北風鳴りて老母待つ旧家に帰る

訓読風短詩
http://www.sam.hi-ho.ne.jp/goyou/kanngetu.html

ここは四行詩になっている。その中味はあまり感じるものがない、ただ漢詩は韻を踏むから簡単にできない、相当な訓練が必要である。漢詩を作る素養があれば詩の世界はさらに広がる。
自然は毎日同じように見えるけど冬でも長々と今日は凍雲が棚引いていた。雲の様子でも雲は天才であるというごとく表情が毎日違っているのだ。だからデジカメは毎日持って歩いた方がいい。なぜならその雲の様子でも一日限りで終わる場合がある。あとは見れないのだ。明日はまた違った雲になっているのだ。同じ場所に住んでいれば同じ景色だから写真にとることもないとなるが雲は違っている。毎日違った雲がでているのだ。今日出た雲は長々といかにも凍雲らしく棚引いていたのである。真野川の橋をいつも渡っている。そこには鴨がいつも群れている。白鳥も最近来ている。やはり鴨は冬の季語なのだろう。みちのくの冬もいい、南国だと冬がないから変化がなくなる。冬は心静まる、茶の湯に向いた季節なのだ。みちのくは風土的に茶の湯があっているのだ。

寂しさのたへたる人のまたもあれな庵ならべん冬の山里 西行
この歌に一番あっているのがみちのくなのかもしれない、でも日本海側には住むべきではない、冬は雪に閉ざされてしまう、福島県でも会津もそうである。気候的には福島県の浜通りとか宮城県がふさわしい。退職者が住むとしたらやはり気候が一番問題である。ただ庵をならべる人が誰になるのか?それにふさわしい人は誰なのか?そういう人を隣に庵をならべるとは限らない、それはどこに住んでも同じなのである。ともかく大都会は冬でも眠らない、冬は大地も眠る、英気を養うために眠る、それが自然のリズムなのだ。冬でも眠らないから疲れる、鬱病になる。文明には停滞した時間、眠る時間ないのである。神経がすりへってしまうのも当然である。冬は眠り休む時間なのである。