2010年01月29日

高度成長時代こそニ-ト、フリ-タ-、派遣が望まれた(労働なき富は増大した)


高度成長時代こそニ-ト、フリ-タ-、派遣が望まれた(労働なき富は増大した)


●高度成長時代は企業戦士一色の時代

鳩山首相のガンジ-の「労働なき富」を引用したことで批判されているけど現代の状況は奇妙である。なぜ不況なのにニ-ト、フリ-タ-、生活保護者がこんなに多いのか、その人たちはなぜ食うに困らないのか?生活保護制度がなかったとき飢え死にした人もかなりいた。老人でそういう人がいた。子供がいたがめんどうみなかったのである。生活保護がないから乞食していた人も多かった。時代をさかのぼり現代と比べるとなぜこうなっているのか不思議である。高度成長時代にはみんな馬車馬のように働いた。電機洗濯機がテレビが車がマイホ-ムが欲しいと必死で働いた。高度成長時代は熱病に働いた時代である。大学出て全共闘とか学生運動した団塊の世代は卒業するとみんな猛烈な企業戦士となったのである。過剰なほど労働一色の社会だった。労働すればするほど収入も増えたし望むものも得られた時代だった。その時、ニ-ト、フリ-タ-とか言われる若者はほとんどいない、いたのはいたとして極わずかだから話題にもならない、常に話題になっていたのはエコノミックアニマルとして世界にも批判された企業戦士だったのである。その頃を今の状況と比べると不思議なのである。実は高度成長の時こそもっとニ-ト、フリ-タ-とかがいても良かったのである。なぜみんな企業戦士になってしまったのか解せないのである。あの時と比べると確かに豊になったが逆に不況とか日本経済が衰退期に入ったとかまるで違った状況になっている。その時なぜニ-トとかフリ-タ-が増えているのか?これは正社員になれない派遣とかも同じである。高度成長時代は派遣もいない、終身雇用であり必ず月給が上がっていたのである。だからこそロ-ンでマイホ-ムを買ったのである。今のような日本経済が衰退するとか失業の深刻さとか低賃金とかこうした経済状態の悪化しているときこそ後進国のように食うためにはどんな仕事でもする。戦前とかはそうであった。仕事など選んでいられないはずなのだがそういうこともしていない、仕事をしないでもそれなり生活している不思議である。

●高度成長時代こそニ-ト、フリ-タ-、派遣が望まれた

 

今ふりかえると高度成長の時期こそニ-トとかフリ-タ-、派遣でも自由に働いて遊ぶことに重点を置いた人がいることがふさわしかったのである。確かに金の卵とか人手不足でありそういうことを許されない状態にあった。でも逆に企業戦士一辺倒の社会はファシズム的異常な世界ではなかったか?ファシズムは一つの価値観に染まった社会である。別な価値観を許容する余裕がない社会である。それだけ高度成長するときはかえって今より先の見通しもあったしもっと自由に生きたいとか望む若者がいても良かったのである。ヒッピ-などがいたり農業に従事した若者がいたがそれは企業戦士のアンチテ-ゼとしての意義があった。みんなが企業戦士、企業の価値観一色に染まることは異様なことだったのである。今になって高等遊民になるとかニ-トとかフリ-タ-とか労働を否定する価値観をもつ、またそういうふうに生きようとする若者が多いのが不思議なのである。なぜなら今のような時代こそ逆でありみんな企業戦士となった高度成長時代のように日本では外国に負けないように働くことを志向せねばならないからである。高度成長時代はあえて働くななどと言う必要もない、みんな必死になり働いた。だから働きすぎるなと言う時代だったがそんなことを受け入れられる時代ではない、猛烈に働いたのである。 今の時代、働きたくても働けない、遂に働くことをやめたとかやむをえず働かないことを選んでいる。みんな働いているとき、もう少し働かずのんびりしようやなどと言うことはできない、働くことがすべての価値であった。その通りに道路も舗装されていないから次々に仕事があった。その仕事は必要なものであった。今では過剰な道路となり公共事業となりその労働自体の価値が問われている。どうしても社会的逆転現象が今見られる。高度成長の時期こそ企業価値一辺倒であるよりその価値を否定する一部の人がもっといて良かったのである。でも現実はそういう人はほとんどいなかった。数百人はいたとかなるがそれは現代と比べれば全く数にはならない、無きに等しいものだったのである。

●高度成長時代は「労働なき富」が増大した
この時代は「労働なき富」を必然的に生み出した時代でもあった。土地があがり何もしないのに株も上がり貯金の利子も高いから別に鳩山首相は特別にしてもそうした成り金はかなりいて「労働なき富」の恩恵にあづかった人は多いのである。なぜ鳩山首相だけが責められるのか?自民の議員にもそういう人が多いのである。「労働なき富」を全部否定的にすることはできない、自分も若いとき底辺の労働で這いずり回ったしそこに労働の意義を認めることはできないからその後労働はしていない、流れ作業とかでありそれは天職とかとはあまりにもほど遠い、機械的作業であり何ら生きがいもない仕事である。だから豊かになった時代、仕事がないのに失業中なのに仕事を選んでいるというのは当然であり豊かだからこそそれができるのである。誰しも生きがいある仕事をまずしたいのである。出版社に勤める人は売れる本を作れと迫られてできずにやめたとか本当に生きがいある仕事を選ぶことなど至難なのである。だからこそ労働しない、自分の時間をもつことこそ現代では文明社会では一番自分を生きることになっているのだ。しかし現在のような不況になると日本自体が沈没、衰退となるとそうはいかない、「労働なき富」労働しない人は批判される。高度成長時代時代と違って豊になれない、いくら働いても豊になれない、すると「労働なき富」の所有者は批判される、金をもっている老人も貧乏な若者から批判される。逆にニ-トとかフリ-タ-や派遣もなぜ働かないのだ、えりごのみしている時かと批判されるのである。
どうしても高度成長時代の方が今のニ-トとかフリ-タ-がもっといても良かったがほとんどいなかった。それがふりかえると今と逆であり今の時代こそ高度成長時代的働く人が必要とされている。何故なら世界から取り残されてしまう日本になってしまってきたからである。こういう時代は「労働なき富」で生活する人とか格差には敏感になり労働しない人は目の敵にされる。 でも過剰な労働から過剰な無駄な公共事業があったからそれは労働がありすぎた無駄があった。「労働なき富」より労働過剰の無駄があったのである。そして今求められる労働は高度な知的労働である。誰でもできる機械的労働は中国や世界に移った。すると残されたのは機械的労働ではない、高度な知的労働となってしまう。その労働は相当勉強しないとなれないからその要求も高まっているからますます怠けてはいられない厳しい時代になっている。すると底辺労働者や機械的労働者は中国などに追放されるというグロ-バル化した競争社会の適者生存になる。つまり働かざる者、労働なき富を得るものなどは批判される。許容する余裕がグロ-バル化の適者生存社会ではなくなってしまうのである。派遣は外国の低賃金に派遣されてしまうようになる。そこしか働く場所がなくなってしまう厳しさがグロ-バル化の適者生存なのである。そういう矛盾を時代をふりかえると感じてしまうのである。
posted by 天華 at 21:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

春の短歌十首(病院に一年寝たきりの老人)


蝋梅の家の中より庭に見ゆ家に死なめや石も落ち着き

春になり花二つほど買いにけり新しき庭部屋より見ゆる

手水鉢に月の写れる春なれや誰かたずぬる人もありなむ

病院になお生きにつつあれかな春になるとも立つこともならじ

病院に一年寝つつ春なるも何か思わむ何か見るべし

病院に一年寝つつ春なるも隣は誰そ手編みする女

病院に一年寝つつ春なるも看護師忙し思うべきかな

癒されず遂には死なむ人なれや春になりしも報わざれなむ

白鳥の餌を待ちつつ鳴きにけりその声ひびき冬も長しも

この川に長くもあれな鴨の群れなお飛びたたず冬の長しも


 

療養型病院に一年も寝たきりでいる老人、その女性を思ったらずいぶん長い。姉の場合は8ケ月くらいだからこれも結構長かった。見ている方も長く感じるし本人はもっと長く感じている。一年も世話する看護師とか介護士とかも大変であり長いなと感じる。それ以上に十年とか寝たきりの人が現在ではいる。それで今日陪審員が加わって福島県での介護殺人の判決がでる。介護が長すぎることが死ぬまでの時間が長すぎることが現代の介護の問題なのである。あわれだというときそれが延々と終わりなくつづくように見えるとき耐えられなくなる。あわれという感覚が喪失してしまうのだ。今自分があわれだと言っているのは自分が苦労して介護しているわけでないからである。下の世話を毎日していたら嫌になる。家族も病院に入っていると楽なのだ。実際に家族は何もしていない、何の苦労もしていない、かえって金を自由にできたらしく金を使っているから腹ただしくなる。一番苦労しているのは病院で世話している人なのである。そしてそのための費用が大変なのである。一人30万とか介護保険から払われているがそれもいづれまかなえきれなくなる。介護はこれからますます大変になる。数もふえるし病院にも入りきれない、あんなふうに一年以上も世話してもらえるのか?そういうこともできなくなるときどうなるのか?在宅で世話するのは理想だけどその犠牲になる家族は耐えられるのか?それで介護殺人がこれからも数が増えてくる。

 

人生最後のときはみな病院で迎える。それも長いのだ。自宅だったら庭があればそこで花を見たりもできる。病院ではそれがない、でも最後の場所は病院なのである。そこで死ぬまでの時間過ごすのである。それも長くなる。一年も寝たきりの気分はどうなのだろうかと思ったときずっしりと重いものを感じた。それは本人もそうだが回りの人も世話する人もそうなのである。その人は家族でないにしろ世話になった人だけどその姿はやはり現代の介護問題を象徴していたのである。

河原に群れている白鳥と鴨を毎日見ている。白鳥は夕方になるとしきりに鳴く、餌をもってくる人を待って鳴いている。白鳥が飛び立つのはまだまだである。冬もつくづく長い、春は名のみの時期でもある。旅行に行かないと家にばかりいると時間がたつのが遅い。鴨の群れにしても長くいる、

百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ 大津皇子

この鴨も長く磐余の池に群れていたことがわかった。古代の時間は今よりずっと長い、そして同じ場所にいる時間が長いのである。その鴨が今日のみ見てやと死んでいったのが大津皇子だったのである。実際は今日のみ見てやと別れる時間が長いのである。大津皇子の場合は若いからそうではなかった。無理やりに引き離されてしまったのである。