2014年01月31日

冬の朝(津浪の跡の風景(続))


冬の朝(津浪の跡の風景(続))


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風花や朝に椿の赤きかな
浜通り風花舞いて日のさしぬ
寒木に病院見えて通うかな

津浪跡凍れる沼や今しばし溶けゆく春を待つべかりけり
海よりし朝日昇りて新年に雪の蔵王を我が町より見ゆ
主なき家の跡にし残る木の今日も淋しく寒き朝かな
寒々と野菜に霜や夜の明けぬ地元に根付く農家の女かな
御堂一つ津浪の跡に残るかな冬の夕暮北右田村
飯館の方を望めば雪ふるや久しく行かずいかになるらむ
広き家に冬の日さして久しくも分厚き本の起きて読むかな

北風の唸れる家にこもりつつ我が歳もふり古き本読む

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津浪の跡を題材にしてきたのは現実がそうなってしまったのだからそうならざるをえない、お前はここで津浪で死んだ人がいるのに不謹慎がというときそれも一理あるがただ現実は現実は現実なのである。
ただ津浪の跡は人家も消えて荒野になったのだから一層荒寥としたものとなった。
ただ何度見ても不思議なのは残された庭の樹なのである。
これはいくら見てもなんともいえぬものなのだ。

それは何か自然の木でも人間化した樹だから人間に見えるのである。
人間がさりがたく離れがたく残っているという感じになるのだ。
だからこういう風景は以前として日常的でないから何なのだろうといつまでもなっている
残された木は人間が名残惜しく残っている象徴なのである。


北右田村の御堂が一つ残っているがあれにも今までは注目しなかったが津浪にも残ったということで注目した。
でも住民はもう住まないだろう。
ただ消えた村の徴しとて残されている。記念として残されている。
あそこには津浪で残ったコンクリートの家をボランティアが住居としている。
風景が何か北海道的になってしまったのである。

今日は飯館の方は雪である。そして浜通りは風花が舞う、冬の浜通りではいつもの風景である。
飯館村に一年くらい行っていないな、なかなか行きにくくなった。
やはり店がないと行きづらいということもある。
これから飯館村はどうなってゆくのか、ただ出入りは自由だから家は管理しているから
そんなにネズミに食い荒らされるということはないのか?
何か街からはずれるとこの辺でもネズミが増えているのだ。
だてからノスリが7羽は住み着いている。常時それだけの餌のネズミがいる。
カヤネズミという小さいものらしい。


本というのは広い家にまるで家具のように置くということがある。そして何度も手にとり一部を読むというのがいい、
本に冬の日がさしているときあっている。
こういう感覚はパソコンにはない、そこにはただメカがあるだけである。
だから紙の本が廃れることはない、ただ前にも書いたように流通はしなくなる。
本を書店に流通させることはやがてなくなるかもしれない、本自体は消えないのである。
電子本でも自分好みの本に装丁することなどがはやるかもしれない、それは一つの美術品になる。
図書館に一冊一冊本を飾っていたけどまるで美術館に見えたからである。


何か書き物するには今ではインターネットも必需品だがどうしてもまだ書斎が必要であり思索する空間も必要である。
だから長い廊下などもいい、修道院に中庭があるがあのような空間が瞑想に向いているのである。
外界の騒音が入らない空間が必要なのである。
だからといって世間と交わらないのもよくない、そのかねあいがむずかしいのである。
世間のことを知らないと交わらないと自分のように孤立無援で苦しい目にあうからだ。

ともかく津浪原発の後遺症は相当に長くつづくだろう。もう歴史であり百年とか忘れられないものとなってしまった。
だから自分の書いたプログもその歴史の一つとなる。
こんなときこんな自然災害や文明災害にあうことなどまれだからでてある。
ここだけではない、宮城県、岩手県もありその辺の変化がどうなったか実地に見ていないのでわからない。
そこには膨大な物語も生まれ語り部も生れたのである。


2014年01月30日

母がつまづいて動けなくなりまた入院 (認知症になって白痴化して仏様のようになるというのもありうるのか)


母がつまづいて動けなくなりまた入院

(認知症になって白痴化して仏様のようになるというのもありうるのか)

トイレまで一人で押し車でで行っていたが何らかの調子でつまづいて足をいためて動けなくなった。トイレに一人で行けなくなった時点で本人も介護する人も一段と苦しくなる。トイレに自分で行っていること食事を自分でできることは寝ていても自立できるのである。そこから自立できなくなるから苦しくなるのだ。
老人にとって一番怖いのが転倒でありつまづいたりすることである。
その衝撃が大きいのである。弱っているからそこで寝たきりになる度合いが強いからだ。オシメに変化することも大きな変化でありそれは自立できない状態への変化なのである。ただトイレに行くとポータブルトイレに座るがそこから立てないので夜でも呼ばれるので一人では苦しいと救急車を呼んだ。

近くのかかりつけの病院に入れたので助かった。最初診療してもらうき思ったが介護タクシーが一万だというのには驚いた。介護タクシーがそんなに高くなったのは原町からと

相馬市から来るとするとその時点で普通のタクシーでも原町でも四〇〇〇円近くとか相馬市だと五〇〇〇円だった。だからそのために鹿島区ではこんなに高くなっていたのである。一割払うだけでいいとかではない、この金額がまるごとかかるのである。
だから鹿島区に南相馬市で介護タクシーをおくべきだというのもわかる。


病院は意外とすいていた。空室が多いからすんなりと入れた。双葉の方からも若い医者が入ってきて意外と医者が多いと思ったがそうだった。原発事故で双葉の病院や浪江の病院が閉鎖したからそこから医者が南相馬市の方に移ってきていたからだ。
一時は混乱していたが満員だったが落ち着いたので今はかえって空いているので助かった。ただ病院には長くいられないのが弱点である。長くても三か月であり診断では一カ月くらいだとするとすぐにだされてまた介護である。

ただ母の不思議は認知症になって耳もほとんど聞こえず話が通じないのだが全く通じないというのではない、大きい声で話したり何度も話すと感でわかるときがある。
口を読むなどという人がいたが要するに何か今までのつちかった感が働いているからわかるということもある。
だから全くわからないということではない。

母は性格的に素直でひかえめでおとなしい性格である。何か人に逆らうようなことはしない、従順である。それは自分の性格ともにていた。自分もまず人を指導するような上に立つより何か人に命令されている方である。
そういう性格だからあれだけ金にこだわっていたの「金のことはわかんねえ」と言って笑っている。大金を盗まれたと言ってもそのことが何なのかわからないのである。

一方で認知症でも最後まで金にこだわって盗んだと猜疑心が強くなる人もいる。自分の家族の一人はそうだった。つまり認知症の症状は多様であり一つの療法などないのである。人間の生い立ちや環境や性格は違っているからだ。

母のようだとずっと介護でめいわくかけても楽だなということは自分でも他人でもあるだろう。わめきらさしたり迷惑かけないということがあるからだ。
認知症になって仏様のようになったとか言われる人もいる。
金にこだわらないことにこにこ笑っていることは馬鹿なのだけど何かそういう感じもする。白痴に神的なものがあったなどという小説もあったりするからそういう面が出ているのも不思議である。
金に異常にこだわっているのは欲望が金にあることを知っている。だから認知症になっても欲望が強い人は以前として銀行のことが何かわからないにしても金の大事さを知っていてそこにまだ深い欲望があるから盗ったともなるのだ。


母の場合は自分でためた大金を盗まれても怒っていない、笑っている。
母は金にはシビアだった。やはり金、金、金と言っていたのに不思議である。
認知症になっても金のことを忘れない人はいる。だからもの盗られ妄想が激しくなるのだ。
馬鹿になったからだというのもそうだが認知症になってもかえって
もの盗られ妄想は金の欲望がありこだわるからそれで暴力とかになったりする人もいるから
その相違は大きいとなる。認知症にはその人の性格がでてくる。
感情の起伏の激しい人は認知症になると悪化しやすい。おとなしい人はおとなしいぼけ方になるようだ。


2月4日が99歳の誕生日で市から一万の商品券がもらえる。
それは病院でもらえることになってしまった。


午年もまた波瀾なのか、株は波瀾含みの乱高下している。自分も何か一月からそれなりに波瀾はあった。何かやはり走っているのだ。
ただ今の自分の健康状態は普通であり良くなっているから負担でものりきれるという自身がある。身体障害者だったときその負担が何倍にもなっていたのだ。
自分自身が病気で介護することは楽じゃない、何倍もの負担がのしかかるのである。
人間の最大の負担は病気である。老いというのも機能が衰えるから一種の病気であり
自分自身が負担になるから辛いのである。

ともかく今年も午年で駆けめぐるようにして一年が過ぎるかもしれない、そんな予感もする。

posted by 老鶯 at 22:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2014年01月29日

南相馬市鹿島区の右田浜から雪の蔵王連峰がはっきり見えた (津浪の後に原始の風景に戻った右田浜)


南相馬市鹿島区の右田浜から雪の蔵王連峰がはっきり見えた

(津浪の後に原始の風景に戻った右田浜)

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蔵王連邦がはっきりと見える

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何を見ゆ一本松や冬の暮

海見えて枯野暮るるや一本松
津浪跡残る木の根や冬の海
離れざる木の根露に冬深む


新年や津浪の後によする波かなたにましろし蔵王望みぬ

北風の吹いて砂浜に風紋の生まれ変わりし右田浜かも

御堂一つ津浪の跡に残るかな冬の夕暮北右田村

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この松の方が松らしい

全部クリックして見て下さい


右田浜の川口から見た景色は見物だった。一番の見物が雪の蔵王連峰がはっきりと大きく見えたことの驚きである。八沢浦から見えていたが右田浜からあんなに大きく蔵王連峰が見えるのは驚きだった。今までも見えていたのかというとこの年で見えたことがない、
それは家や松原に遮られていたからなのだろう。何もなくなった結果、蔵王が小さくではなく連なった連峰が見えていたのである。
そもそもあんなに身近に大きく蔵王が見えること自体ありえないと思っていた。
蔵王は意外とみじかに福島県でも見えるものなのである。

確かに奇跡の一本松とか鹿島区に残っているのも不思議である。あの松は高い松である。今までは別な残った松に注目していた。
別な残った松の方が枝振りも良く松らしいからだ。その残った松もよくも残ったという凄まじさを感じた。
この一本松にはあまり感じない、ただ高い松だというだけである。
でもこれもやがて枯れるのだろうか、どうしても海岸線の松は枯れてゆくのではないか?
今のうちだけ見れるものなかもしれない。
いつまでも残っていれば明らかに名勝になる。

実際この写真を見ればわかるようにここは明らかに景色が変わり景色的には名勝になった。
原始の状態に戻った驚きである。原始の状態はこんな風景だったのである。
ただ松原とか防波堤とか家でさえぎられて見通しがきかなくなっていた。
それがとりはらわれた結果、蔵王連峰がくっきりと見えたのである。

これでわかったことは何か松原でもさえぎられていたから見晴らしがよくなく見えないものがあった。
海ももちろん松原げさえぎられて浜通りでも見えなかった。
もともと海は遠くからも見えていたのである。


このことから江戸でも富士山がくっきり見えたことがわかった。
浮世絵でははっきりと見えて絵の中心になっていることでもわかる。あのように本当に見えたのである。
高層ビルなどないのだから見通しがよく富士山が浮世絵のように本当に身近に見えたのである。
浮世絵は絵だけど当時の写真でもあったのだ。


ともかく津浪がもたらした驚きは生々しい跡はい以前として残っている。
右田の浜は石ゴロゴロだった。今はその石が流され一つもない、そして砂浜に北風が吹いて風紋ができている。
北風で生じた風紋であることはその方向を見ればまちがいない。
冬はこの辺は毎日くらい北風が吹くからである。
ともかく原始状態に戻った自然を見るというのもなかなかできないだろう。
だから津浪の驚異は驚くべきものだったのである。
確かに右田浜でもとこでも死んだ人がいたがこうした原始状態戻った景色は名勝になる。
新たな名勝が津浪によって生まれとも言える。


posted by 老鶯 at 23:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

2014年01月28日

全線復旧した三陸鉄道に乗りたいと案内してくれと頼まれた (その人も相馬で津浪の被害にあった)


全線復旧した三陸鉄道に乗りたいと案内してくれと頼まれた

(その人も相馬で津浪の被害にあった)

最近知り合った人に三陸に行きたいからインターネットで調べてくれと言われた。その人は友達と二人で行く、一人は75歳で車での旅はしたが電車の旅はほとんどしていない、だけど三陸を旅したいという、三陸は津浪被害で鉄道が破損して途絶えた区間ができた。
でも全線開通したという、それが4月でありだから行きたいとなった。
またNHKのドラマでも有名になったこともあり行きたいとなった。
一人も60代の女性だけどテレビの鉄道番組を見るのが好きだという、その女性は働きつめであり貧乏でもあり電車の旅をしていない、団塊の世代は会社勤めでも結構遊んでいるし旅行しているのだ。自分は例外にしてもだからどこどこに行ったとかいうとだいたい日本なら全国行っているのでわかる。

三陸の鉄道が全線開通したというとき、早く開通したと驚いた。常磐線は六年後とかいつになるかわからないからだ。なぜそんなに早く開通できたのたろうかとも思う。
映像を見た限りあんなひどい状態から良く全線開通できたものだと思う。
鉄道のトンネルを被災者が歩いているのを見たときは驚いた。その訳は鉄道は歩くのには便利だったのかもしれない、三陸はトンネルが多いし隣への道が途絶えれば鉄道の方が便利だとなって歩いていたのかもしれない。
テレビで見ただけでは被害状況はわからない。

ただ自分は三陸でも岩手県も宮城県の海岸線も全部電車に乗っている。全国ほとんど乗って私鉄の線くらいしか残っていないのだ。けれどもここ七年間は介護などでしていない。ただ一回岩手の釜石まで行った記憶がある。その時釜石駅まで津浪が来た報道されて驚いた。釜石の海を見ていないからだ。あんなところまで津浪が来たのかというのかどこでも驚きだった。


三陸に旅行したいという75歳の人も津浪の被害にあった。3キロとか離れていたけど津浪の被害にあった。床上浸水だった。自分が見た限りでは床下でたいしたことがないと思っていた。津浪は洪水とは違う、圧力をともなった波が押し寄せてくるから50センチでも怖いのである。遠くでも怖いものなのである。その人はその時近くの女性に助けられたのでその女性と三陸に行きたいというので自分に調べてくれと言われた。
それで調べたら津浪を語る旅行も盛岡からも三陸沿線からも出ている。
全線開通して旅しても津浪の被害状況を見るためのものものになる。
でもその二人は津浪の被害者でもあるから話しがあうということにもなる。


その75歳の男性は津浪の浸水で一時相馬市に避難して一年間くらいアパートで暮らして最近ようやく荷物を家に運んだという。それから仙台の方にまで避難したという。
縁故の人がおおくててきた。仙台では一時物が不足して物を買うために並んでいたという。仙台でどうしてなのか?津浪の直接の被害はないし東京からの道路も断たれたわけではなかった。ただ名取の仙台空港や仙台港には倉庫が一杯あり船が入ってきていた。
そうしたところて物流が途絶えたのだろうか?その辺の事情がわからないが仙台まで津浪の被害が影響していたことは意外だった。確かに長町辺りも仮設住宅が建っていた。


仙台に避難者が集中しているということはあるだろう。相馬辺りでも原発避難者でも仙台に避難してそこに住み着くという人も出ているという。仙台は東北では一番の都会だから住みたい人がいた。でも住居費でも何でも高くなるから苦しい面はある。
この辺は相馬まで仙台と常磐線でつながっていた。通勤していた人もいた。だから常磐線を通じて関係が深い。福島市より関係が深かった。現実に鉄道が途絶えたときバスは出ていてもなんか行きたくなくなったのである。介護で行きにくいこともあるがやはり電車は便利なのである。


ともかく自分は考えて見ればた旅ばかりしていたのだから旅の案内に向いているとは言える。インターネットでも案内しやすくなっている。旅行ガイドというのが自分に実際の職業としたら向いているかもしれないと思った。ただ自分で自由に旅行はしたいがガイドなとしたくないということはある。でもどういう見どころがあるかは教えられる。
盛岡だったら城跡と中津川と北上川と岩手山は見ていけとかなる。それは観光案内にでていてもそれより深く説明できる。文学的にもできる。でも文学的なことはあまり普通の人は関心がない、でも関心がなくても庶民的な案内もできる。旅行ガイドというのもまたプロフェシャナルにありえるそれでも旅は自分なりの発見をするのが旅だというとき人まかせでは自分なりの旅はできないのである。


大船渡辺りを電車が通ったとき朝日が昇っていたことを記憶する。それは冬でありきれいだった。でもあの大船渡の被害も大きかった。家族五人くらいか死んで一人残された人が自殺したという報道があったときその被害がどのくらいのものなのか何も解説しなくてもわかった。津浪とは一家全滅になるような恐ろしいものだったのである。
いづれにしろ三陸の旅は津浪の被害の跡をたずねることになるから今までの観光旅行とは違ったものになる。そういうことを事前に心得ていないと地元の人に拒絶されるかもしれない、まだそういう観光のらヴな浮かれたものにはなっていないのである。

posted by 老鶯 at 23:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

世相を反映する事件 (高齢化社会による犯罪が増える)



世相を反映する事件

(高齢化社会による犯罪が増える)
●空家増える問題


東京都杉並区の住宅で頭蓋骨のない男性の白骨遺体が見つかったと、警視庁高井戸署が23日、発表した。
遺体はこの家に以前住んでいた男性とみられ、同署は、事件に巻き込まれた可能性もあるとみて調べている。

高井戸署によると、この家は数年前から空き家になっており、男性の妹の依頼で解体される予定だった。
1日午後3時半ごろ、建物内に入った作業員が2階のベランダで頭のない白骨遺体を見つけ、同署に通報した。

司法解剖の結果、遺体は60歳以上の男性とみられ、死後数年以上が経過していた。
死因は不明だが、遺体に意図的に切断された形跡はなかった。

男性は1997年1月から行方不明になっており、妹が捜索願を出していた。
男性は生きていれば80代だといい、同署はDNA鑑定を行うなどして身元の確認を急ぐ。

http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2305F_T20C14A1CC1000/


●高齢者が犯罪にあう


27日、東京・江東区の住宅で98歳の女性が首を絞められて殺害されているのが見つかった事件で、遺体の状況などから女性は今月25日の昼前後に殺害された可能性が高いことが分かり、警視庁はこの時間帯を中心に不審な人物が目撃されていないかどうかなど捜査を進めています。


 8日午前9時10分ごろ、南足柄市和田河原のたばこ店経営の女性(98)方から、「母親の首を絞めて殺した」と110番通報があった。駆け付けた松田署員が、女性が室内で死亡しているのを発見した。
 松田署は、通報した次女でたばこ店手伝いの容疑者(70)を殺人の疑いで逮捕。同署の調べに対し、同容疑者は「母の介護に疲れた。タオルで首を絞めた」などと供述、容疑を認めている。

 同署によると、死亡した女性は容疑者と2人暮らし。発見時、容疑者は自らの首や左手首を刃物で切っていた。室内からは容疑者が書いたとみられるメモが見つかり、「生きるのがつらかった」などと書かれていた。同署は9日に司法解剖し、死因などを調べる
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1303090003/


●家に入って来る人は一番危険


青森県八戸市小中野・江陽地区で不審火が相次ぎ、同市小中野、家政婦中田雪子容疑者(51)が現住建造物等放火の疑いで逮捕された事件に関連し、中田容疑者が家政婦として出入りしていた
住宅が昨年11月に全焼していたことが、捜査関係者への取材で分かった。
県警は慎重に関連を調べる方針。
(2014年1月26日11時30分読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20140126-OYT1T00278.htm


これまでも書いてきたけどこれからは高齢化社会でありその関連の問題が起きやすい世相である。事件は明らかに時代を反映している。高齢者自体の65歳以上とかの犯罪率も10倍くらいになっている。高齢者に関連して犯罪が起きやすいということもある。
もう一つは格差社会になり貧富の差が大きくなると明らかに治安が悪くなる。
現在はそういう状態にある。

空家で死んだ人は80歳、98歳で殺害された女性、介護で疲れ98歳の親が70歳の子供に殺される。家政婦として勤めていた女性が勤め先の家に放火したというのも一見高齢化と関係ないように見えてあったようだ。家政婦を雇うということは今では介護関係が多いかもしれないからだ。
ただ事件というのは実際は複雑であり個々の事情がありわかりにくいのである。

突然事件が起きるのではない、その事件の起きる過程が必ずあり事件となって表沙汰になるのはその過程の解明が必要なのである。

なぜ自分がこれらの事件に興味を持ったかというと何かこうしたことが自分も当事者となっていたということである。他人事ではない現実に犯罪の被害にもあい衝撃を受けた。
自分が体験したことがやはり同じように社会に起きているということで身近なのである。
空家の数も膨大になるからそこは犯罪の温床になるというのもそうである。少子高齢化であり家の跡継ぐ人がいないくなってくるのだ。それは墓の跡継ぎでも田舎でも問題になっている。限界集落ではもう跡継ぎがいないので消滅してゆくから深刻である。
ただ津浪や原発事故周辺では南相馬市だけでも4600軒も全壊したというから空家を探し土地ももとめている人が多いから家の価値があがった。だから前は売れないと思っていたが売れるとなるので事情が違っている。


98才の一人暮らしの女性は不動産などをもっていてまだ元気で歩いていたというから驚く、ただそういう人がこれからは増えてくる。だから金をもっているからねらわれたのである。これから百歳の人でも元気で生きる人が増えてくる時代だという。自分の母親も寝ているけど99歳になり市から祝い金がもらえるのである。だから百歳まで生きるのは時間の問題だとなる。百歳は今も驚きだがこれが普通になる社会がすでに近づいているのである

それだ介護殺人も今までも普通に起きていたしこれからも頻繁に起きるようになる。介護してみればわかるけど認知症になったりしたら最悪であり常に殺意が生じてくる悲惨なものなのである。三食いちいち食べさせたりオムツとりかえたりしていたらとてもじゃないが嫌になる。楽な介護でも負担が大きいのである。だからといって今は施設にあづけられるような状態にない、家でめんどうみるのには大家族でないから人手不足なになる。

それで放火された家も介護させるために家政婦を雇ったのかもしれない、家政婦は金になるということもある。ヘルパーだと一時間くらいでありそれほど金にならない。
でも自分が経験したように家に来る人ほど危険な人はいないのだ。

家で働いてもらう人ほど危険なことはない、財産さえ全部もっていかれるとか殺されるとかまでなる。ここで何があったかわからないが家が全焼したからやはり怖い犯罪である。近くでも何軒も放火していた。この女性は貧乏であり苦労していて家でも問題をかかえていてストレスがたまっていた。家政婦とかになる人は金に困っている人が多いし問題をかかえている人が多いのだ。だからまた問題を起こしやすいのである。

家政婦にきてみたら自分の家と必ず比較するからそれで不満が余計に募るということもある。ともかく人を雇うことほど現代でめんどうなことはない、なぜならみんな平等だということを教えられて育っているから誰も不遇な状態に耐えられないのだ。
そういう理不尽が家政婦になったらその勤め先の家に向けられるから怖いのである。
自分も家を焼かれるとにたような犯罪を経験しているから言うのである。

この女性はもう誰にも相談をするものがいないでどうにもならなくなり社会に対して牙を向き爆発した。格差社会はそういう人が増えてくる。
つまり平等な社会のはずなのに平等でないということが不満を募らせてがまんできなくなり爆発するのである。
もちろん不遇なのはその人自身の問題があっても今はその自己責任を自らには向けないのである。

それはやっぱり家族や社会や時代の問題が反映して犯罪が起きているのだ。明治とか戦前でも今より不遇でも耐える人が多かった。今は耐えることができない、なぜならどうしても民主主義でも人は平等であるべきだと教えられて育っているからだ。
例え自己責任でも努力しなくても平等であるべきだとなるからだ。
戦前の人は不平等でも耐えている人が多かったのである。
多くが貧乏であり一部が金持ちだからそうなった。
貧乏人同士がなぐさめあっていたということもあった。
今は社会にむかってすぐにその理不尽や不平等を行動で示すから犯罪が増える。

ただ金持ちと貧乏人でもその人と関係によって折り合いがつくことがある。
前に金持ちと貧乏人は協力できないとも言ったが全部がそうではない。
全般的にはそうである。

つまり金持ちでも雇う方でもそういう問題をかかえた人が来たら相談にのったり何か金銭面だけではない、
援助があったり何か親身になるとかあれば折り合いがつくかもしれない、ただこれはここの事情があり簡単にはいかない。
ただそういう折り合いがつきうまくいっている例もあるということである。
それでもそういう場に勤める人自身の問題が大きいのである。

雇われる人も雇う人もこの関係もむずかしい。
どっちにしろ不満があり毒物混入事件でもそういうことが反映されている。
雇用関係も何かそこには人間と人間の情などもなくなっているのもあり時代を反映しているのだ。

現代は人を雇うことが一番むずかしい時代になっているのかもしれない。
あからさまな奴隷というのではなく機構的に奴隷が作り出されているということもある。そして誰が得しているのかそれも見えない社会のなのである。
東電の幹部が罰せられないというのも社会の上層部支配階級を形成していてそういう人たちは仲間だから罰せないということもある。検察と東電も天下り先としてつながっていたからである。ただそういう社会の理不尽は常にあったのである。

現代は誰が支配者で搾取者で誰が奴隷にされているのか見えない社会のなのである。

それでも犯罪を犯すのは社会のせいにはできないということもまた正論である。
そもそもいい社会など歴史上なかったからでてある。常に不平等であり理不尽なものがない社会などなかった。この世はそもそもそういうところだったのである。
ブラック会社のことを言うけどこの世の中がブラック社会なのである。
宗教にしてもカルト宗教団体などはブラックそのものであり愛と慈悲とかは何の関係もない、不満分子を集めて権力集団を作り甘い汁をすう上層部支配階級に上ることを目的としている。

結局人間の社会から金持ちと貧乏人とか階層とかはなくせないのだろう。平等を目指した共産主義も新たな階層を作っただけだったのも皮肉である。そもそもそういう不満分子も上層階級支配階級になったら今度は逆に搾取する側になるだけだったのである。

posted by 老鶯 at 11:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2014年01月26日

朔風(野良猫の話) (捨てられた猫は人間に恨みをもっている、ペットは子供と同じでありカルマをもつから注意)


朔風(野良猫の話)

(捨てられた猫は人間に恨みをもっている、ペットは子供と同じでありカルマをもつから注意)

北風の唸り野良猫餌求む
野良猫に今日も餌やる冬の暮
朔風や捨て猫の恨み消えぬかな


猫の年齢や性格などによりますが、まったくなつかないことはないと思います。

とにかく家に来たらゴハンをあげることですね。
但し必要以上に近づかないことと目を合わせないことです。
猫にとって目を合わすことは威嚇になります。
「別にあなたなんか気にしてませんよ」ぐらいの態度の方が猫は安心します。

同じ場所でエサをあげるのがいいですね。
毎日食べに来るようになてからでも触るのは控えたほうが良いです。
食べに来たら話しかけるといいですよ。

ある程度の距離をとってじっと見ててあげて下さい(猫が安心します)
名前をつけて呼んであげるとすぐ傍まで来てくれるのに2〜3ヶ月はかかるでしょう。
そうなったら少しずつエサの置き場所を変えて家の近くにすると良いと思います。
無理に触ると怖がってこなくなる事もありますので触るのは最後まで我慢して下さいね。とにかく声を沢山かけて警戒心を解くことから初めて下さい。

しかし、一度大きく人間にひどいことされた猫は、特に性別に関しての記憶が鮮明らしく、
男にひどいことをされたら男になつくことは一生無いですし、逆もそうみたいです。
そしたらもう諦めるしかないかもしれません。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1014625680


ただ、このまま飼っていて、いずれ病気をしたとき、介護が必要になったとき、どうしてやったらいいのかわからないのです。きっとまたわからないところに隠れてしまうだ ろうと思うし、なにも手当てしてやれないだろうし、外なら短命になるかもしれないけれど、

私に背中を見せた状態で餌を食べている猫は、
私に対して完全に信頼をして警戒を解いている態度です。
私の正面に向かって餌を食べている猫は、
まだ私に対する警戒心を持っている猫です。
何度も何度も直接手から餌を与え続けて猫が私に安心感を持つまで続けます、
その間は猫の体に触れない方が、猫は早く懐いてきます。

http://blog.livedoor.jp/spvv986998/archives/10011189.html


野良猫が毎日来るから餌をやるようになった。この猫はもともと野良猫ではない、捨てられた猫である。普通はあんなに甘えるようにないてよってこない、人間が飼っていたから人間がまた餌をくれたからまたもらえると思っている。
でもこの捨てられた猫は相当な恨みを人間にもっている。
近づくと牙をむきだすように襲いかかるように口をあけて威嚇する。
それが写真の化け猫のように見えるのである。
化け猫とは本当にいるのだと思った。

人間に一度飼われて捨てられた猫は人間を信用しなくなる
ただ餌が欲しいからよってくるだけである。
餌をとるにしても用心深く近づいてさっと餌をとって逃げてしまう。

よほど人間にひどい目にあったから虐待されたからあんなふうになつかなくなった。

動物は人間より正直である。
そうした仕打ちを忘れない、それが行動に顔にまざまざと現れている
その怒りを恨みを隠さない、人間は隠しているから深い恨みをもっていてもわからない場合が多い。だからこそ人間は危険なのである。
心の中で何を思っているかわからないからだ。
動物は自然は正直である。
人間は表はやさしそうな顔しても怖い人もいるし外見だけみてはなかなかわからない場合が多いからだ。そこに人間の恐ろしさがかえってあるのだ。


猫というのは実際にこんなふうに餌をやって近づいたのははじめてである。
犬は一回子供の時飼ってもらった。何年かたってもその犬は自分を覚えていて喜んでいた。
犬は飼い主をなかなか忘れないのだ。猫は飼い主を忘れやすいだろう。
ただ猫の性格はわかりにくいし謎めいているのだ。
だから猫にこんなにじかに接してみて不思議な動物だなと思った。
自分の性格はどちらかというと猫に通じるものがある。
あんまり人とべたべたしないし控えめな内向性の性格だからである。

猫は何か知的にも見える。でも実際は犬より知能がかなり劣っているとかの報告もある。猫は相当に謎めいた動物なのだ。

ただ言えることは犬でも猫でも実際はかなり人間に近いから人間同様に扱うように注意しなければならないかもしれない、だから結構飼うとういことはやっかいである。子供をもつようにやっかいである。だから野良猫には餌をやるなという人もいる。
野良猫が子供をうむとまた野良猫が増えるからである。
猫に関してはインターネットで情報が広く深くででいる。
それだげペットを飼っている人が多いからである。
犬とか猫を通じて友達になっている人もいることがわかる。
鹿島区にもペット好きが集まる軽い食事を出すログハウスができている。


とにかく捨てられた猫は深い恨みをもっている。なつかなくなり人間に極度の警戒心をもち化け猫のような顔をして餌をとりにくる。餌だけは欲しいからともかくやってくる。
でもあの猫は人になつかないように思える。それだけ捨てられ恨みが大きいのである。
それは人間と同じだったのである。人間だって子供捨てれば同じ恨みをもちつづけるからだ。そして歪んだ性格にもなりやすいのだ。
そして気をつけねばならないことは犬や猫を捨てるとやはり人間の子供捨てたようなカルマをもつかもしれない、それも怖いことである。つまり犬や猫を捨てた飼い主はやはりまた本人も生まれ変わり親から捨てられるというカルマを受け継ぐかもしれないという恐怖である。この世に生きることは何らかのカルマを必ずもつのである。

化け猫などは今までは笑っていたが実際は怖い話しなのである。それがリアルに感じたのは捨て猫と接してからである。怖い顔で自分に餌だけをとりにくるからである。
原発事故で置き去りにされたペットを必死に回収しようとしたり助けようとする人たちがいた。今もそういう活動をしている人たちがいる。
原発事故のときそうした置き去りにされた猫を見た。餌もとれず弱っていた。
死んだペットもあの時かなりいた。それも恨みとなっているのだ。
原発事故周辺はいろんなカルマをかかえてしまったのである。


津浪の跡に残れた庭の樹でも何か人間化した樹に見えた。自然の樹とは違うのである。
ましてや犬猫でもそれは人間化していて人間なのである。
だから捨てると恨みをもちその恨みが捨てた本人にかえってゆくから怖いのである。
だから犬猫を飼う人はそれなりの覚悟まで必要となる。
だから簡単に飼えないともなる。子供をもつように責任をもたされるからである。
だから自分はルーズだからペットは飼えないと思っていた。
ただたまたま野良猫がきたので餌をやるようになったのである。

今日はまた北風が吹きはじめた、三寒四温の季節だからそうなる。まだまだ寒さはつづくだろう。


近づくとこういう顔を必ずするから怖い
http://plaza.rakuten.co.jp/shizutaku/diary/200904080001/

2014年01月25日

南相馬市の復興の最大問題は住宅問題だった (南相馬市の全壊数が4682軒もあった!)


南相馬市の復興の最大問題は住宅問題だった

(南相馬市の全壊数が4682軒もあった!)

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ここの区画は30軒である。
二階建てが十軒ある
二階建ては結構広い感じがする
子供がいる家族用になるのか
あとは一人用二人用になる

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これが自分の墓の前に建った
三階建てでも高いから圧迫される
何かこの辺は都会化しているんだよ
街の中心にこれだけのものが建つとそうなる
団地より一軒家の方がいいだろう
今はただ一軒家相当ぜいたくになってしまった

これだって50個くらいだからな

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津浪原発事故から3年たとうとしているけど結局三年間も混乱状態はつづいていた。その混乱状態の中で冷静に見られないものが多々あった。何が全体的に起きているのか問題なのかわからないことがあった。今になると最大の復興の問題は住宅問題だった。
仮設も三年目であり5年目で仮設を出て復興住宅などに移る予定になる。

この辺で最初から土地がないか土地がないかと避難者から必ずたずねられる。みんな土地を求めている。新しい家を建てるための土地を求めている。そのことか避難者の一番の関心事である。仮設はあくまでも仮の住まいだからそこに定住はできない、家が建てられれば家族とともに住めるからまず家を欲しいとなり土地を求めている。
家の前に土地がないのである。
だからなんか六号線の鹿島区から金沢に入る所の狭い場所を整地していたからあんな所に家が建つのかと思った。もっとましな土地があると思うがないからそうなる。
金沢地区も津浪の被害で相当数家を失っているからだ。


自分が今になって驚いたことがあった。


南相馬市の全壊数が4682軒もあった!


こんなに多いのかと今になって驚いた。相馬市では1000だからである。えか、それにしても多いなと驚いた。死者数よりこの全壊した数に今になって驚いた。
つまりこの数はどれくらいのものか?本当にこんな数が全壊したのかということか実感できない。
この数から推測すればいかに新しい住宅が必要かわかる。確かに鹿島区でも新しい家が相当数建った。50軒なのか百軒なのかわからないか新築ラッシュになった。それでもこの全壊した数から見ればほんのわずかだということなのである。
新築できた人は財力もある幸運な人たちだったけど一部にすぎないのである。

災害復興住宅が立ち始めたけど40軒くらいのがすでに形になりできあがっている。そこでも一区画30軒くらいだろう。一区画の土地を確保するだけでも容易ではない、
900もの区画した土地が南相馬市で必要だと聞いた時嘘だと思った。
そんな区画した土地が作れるのかとなる。

考えてみると900×40にしても3600だからそれでもたりないとなる。900の土地区画でもたりないだけの人が入る新住宅が必要となっているのだ。
この復興住宅ができないと仮設から出れない、復興にはならないのである。
この圧力は大きい、ものすごい重圧となってきている。
そんなに土地でも家でも建てられるのかとなる数である。

だから土地が欲しい土地が欲しいとなり空家でも土地ごと欲しいという人が多いということがわかる。それにしてももう空屋にしても借り上げ住宅にしても限度がある。

それに加え原発避難者も小高などに帰らずに原町区や鹿島区に家を建てることを求めるとなるととてもまかなえきれない数である。
さらに双葉町であれ浪江町も受け入れるとするとさらに膨大なものとなってしまうのである。
南相馬市だけでも精一杯でありたりないのに受け入れられるのかということが現実問題としてあるのだ。
安い市営の住宅があるけどあれなども仮設が閉鎖になったら需要がまして満室になる。
復興住宅で全部まかなえきれなのである。


ただ土地がないということではない、田畑が原発事故の放射能で荒地化している。でも田畑は農家関係ではなかなか売れないようになっているとか農業が再開できないのは土地を新しく整理するためだとか言われている。もともと田畑は特に田んぼはなかなか売れないようになんていた。だから今でも田となっていた土地が広大でもそれは売れないし宅地に転化できないのである。

田畑は田舎ではなくなったら田舎でなくなる。でもこれだけの住宅が必要だとなるとまた別な発想が必要になっていないか?減反とかの政策があったけどもう田畑を今までのように守ろうとするのではなく宅地に転用する。何かそうした特区的政策が必要になっているのではないか?それだけの土地と新築の家が早めに必要だからである。
そうしなければ復興はありえないのである。

シルバータウン特区というのもそうだったが何かこの辺では今までの規制概念ではもう復興はできない、思い切ったことをしなければもう復興ができない、それは特区構想になる。そういうことが強いられた場所になってしまっているのだ。
もう思い切って自分ももとのままがいいのだが極端にしろ農地の半分を別な用途に使うとかの変革が要請されているのではないか?
農業自体が存亡の危機にも面している。


いづれにしろ3年目でも何ら未来は見えてこない、その最大の問題が新しい住宅を確保できないことなのだ。津浪で4632軒が全壊してさらに小高区が一万人以上避難者になり仮説に住んでその人たちも新しい土地と家を求めるとなるとそれに応じるには個々人ではもはや無理である。何か特区を設定して思いきった施策が要求されている。
それが新市長にできるのだろうか?何かそういうことができないということで批判されつづけられたが再選した。対抗馬も魅力がないからそうなった。

結局三年目でも何ら復興は端緒についたばかりである。
その最大問題が新しい家が建てられないということにあったのだ。


posted by 老鶯 at 22:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

郷土史はまず個々の老人の話を聞くことが基本 (老いたトラック運転手の詩)


郷土史はまず個々の老人の話を聞くことが基本

(老いたトラック運転手の詩)


グングンガンガンズンズンダーダー
荷物を一杯にしてトラックを飛ばす
相馬から福島から東京へ
またやってきたぜ
花のお江戸の東京に
その名も知られた築地市場だ
東京の台所で何でも集まる
ここは靖国通りだ自衛隊の本部もある
まだ帰るのには時間がある
酒飲んでまた一日暇つぶした
さあ、明日は 福島へまた帰るぜ
六号線とは東京じゃ言わないよ
水戸街道って言うだよな
俺は稼いでいるんだ
家族のためにな
グングンガンガンズンズンダーダー
トラックを飛ばす
ハンドルさばきもいい
俺は事故は起こさなかったんだ
家族も俺に感謝しなくちゃだめだ
俺はトラックで今まで稼いできたんだ
今は年金暮らしでなんだか嫌われる
でも俺がトラックで稼いでいたことを忘れるな
・・・・・
トラック運転手はこうして話すと元気になる
今は体がげ天気でも家族に嫌われる
無用のものとして煙たがられる
孫も大きくなり年金をもらう時のみ
ニコニコじぃとかよってくるんだよな
なんか自分もボケてしまったらしい
でもトラックを乗っていた
昔を語る時元気になるんだ
グングンガンガンズンズンダーダー
トラックは飛ばす
東京の築地市場に向かって・・・


郷土史というときまずおばあさんやおじいちゃんの話を聞くことからはじまるというとき意外と身近なのである。もちろん歴史的なむずかしいものもある。
でも基本は昔話にあったのだ。いろいろそれぞれに生きたことが60過ぎると昔話になってゆく。それが膨大な民話になっていた。時代が変わってもやはり人間の営みは変わらない、昔を振り返るのか老人だからである。


ただ様相はかなり変わっているが例え現代的生活でもそれかいつか昔のことになってしまうのが人間の運命である。すでにトラック運転手などめずらしくなくてもそれを経験して老いた人は昔のことになっているのだ。荷馬車のように運搬する馬自体が消えてしまったら本当に昔になるがトラックは今も現代生活の物流の要だから違っている。
でもその仕事を終えた人には昔のことになっている。


いづれにしろ老人なんかつまらない、無用だとなるが何か効用があるのかとなると昔を語ることに今も同じだった。老人は昔を誰でも語ることが勤めなのである。そんな話し聞きたくないというのもわかるがその話はその人の一生がつまっているのだ。
例え何回同じことを言ってもそうなのである。家族が認知症認知症になって千回も戦争のことを聞かされた時は異常だった。認知症
でも昔のことを語ると元気になるのはその時自分が生きていたことが語ることによってよみがえるからである。

だから老人の話しを聞くことは誰でも面白いものをもっている。なぜなら人間の経験は限られているからである。一人の人間の経験することは本当に極めて限られている。だからこの世には例え60年生きようが百年生きようがわからないことが山ほど残る。
現代は仕事も多様化しているしわからないことが多すぎるのである。


ただ老人の話を聞く時,ある程度相槌をうつ理解力がないとできない、だからトラック運転手はトラック運転手同士が話しがあうということがある。それは経験を共有しているからである。農家の人は農家の人とあうとなる。そういう経験していれば当然話しがかみあうし聞いても同じ経験してきたよと話をあわせることができるからだ。
自分の場合は日本中たいがい旅行しているからその場所のことがでてきたら話をあわすことができる。あそこはどういうところだったとかある程度は想像つくのだ。
東京にも住んでいたから場所がわかるからそうなる。でも築地市場には行ったことがないのである。前は秋葉原にもあったらしい。

ただでは経験したことがない人が聞いて話か面白くないのかというとそうではない、かえってトラック運転手など経験したことがない人はその経験話を聞くと新鮮なのである。

自分は車の運転もできないしあまりトラックとか車は好きではない、ても現代は広域物流社会だからトラックはその要になっている。すると現代を語るにはトラックなしで語ることはできないだろう。前は物流の中心は鉄道だった。すると鉄道を語ることことになっていたのだ。

ともかく話を聞くにしても直接に面と向かって聞くと何か不思議なのは自分もトラック運転手になったようになることである。それが不思議なのである。それが直接聞く語りの不思議である。いつの時代に老人の効用はそれなりにあった。それは経済的効果ではなく精神的効果である。

昔を語ることによって老人も生き生きとして聞く方もその話しから何かを得るのである。これは認知症の療法にも言われている。ただ千回同じことをきかされたらさすがにうんざりするのである。これは聞く方も大事である。80歳の老人の話しは60代くらいが聞くのに向いている。ある程度話をあわせることがてきるからである。

posted by 老鶯 at 14:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 明治維新-明治以降

2014年01月24日

遊興老人(金と暇があっても有効な消費ができない老人・・)


遊興老人(金と暇があっても有効な消費ができない老人・・)


あまされる老人、貧乏老人 犯罪老人、精神を病む老人・・・
http://musubu2.sblo.jp/article/85043583.html


●70歳の遊興老人


パチンコに熱中するお年寄りが急増している。独り暮らしの寂しさを
まぎらわせるためだったり、 定年後の毎日の退屈しのぎだったり。
3年前の規制強化でギャンブル性の高いスロット機が 禁止され、客離
れが深刻になっている業界も、高齢層からの集客に「生き残り」への
期待を寄せる。借金を重ねて大金を浪費する依存症も目立ち始めてお
り、新たな 社会問題になろうとしている


原発事故周辺で仮設で避難生活している人がパチンコで毎日遊んでいるということが問題になった。今日聞いた人は70歳の人だった。あの人とは前に一度話ししたような気がする。その時は20代かと思っていた。小柄であり良く見なかったから勘違いして見ていた。
その人はパチンコはしていない、ただギャンブル老人である。競馬に詳しく一カ月無難なところで20万円を稼いでいるという。相当に競馬歴が長いからそんなことができるのだろう。その競馬でも東京の方まで行ってしている。そのついでに伊豆の伊藤辺りの温泉に行って遊んでいる。あそこは桜が一面に咲いてきれいなんだよなとか盛んに言っていた。

他にも遠くに出かけて楽しんでいる。女遊びもしている。小柄だからそんなことまでしているのかと思う。今の70歳は個人差があってもそういう方面もまだ残っている人もかなりいる。この老人は遊興老人なのである。「俺は金をもらってもためたりしない、今がいいければいい、楽しむのがいい、金は残さない、あとは生活保護になるよ」とか言っていた。ただ補償金にしてもそれほどもらっているわけではない、ただ仮設では暇をもてあますから遠くへ遊びに出歩いている。そして70才では働く気がしないしそれだけの力もない人も多いだろう。ただ昔の老人の感覚と今の老人はかなり違っている。70歳でも男女とも若いということがあるのだ。これは個人差があるからいちがいに言えなくても平均するとそうなる。


老人は金をもっているのに使わないから消費しないから景気が良くならないんだと盛んに若者から言われる。するとこの老人は消費に貢献している人なのだろうかともなる。
金はためずに残さずに今が楽しければいいんだというからである。消費に問題があってもそうなる。ただ使った後は生活保護というのも問題である。ただこの辺は原発事故で住めなくなった所があるから生活保護は受け入れやすい、事情が事情だけにそうなりやすい、だから生活保護が南相馬市などでは相当に増えると思う。これもこの辺の大きな問題になってくる。ただこの老人の問題は別に原発事故とかだけの問題ではない、もともとこういう老人になるようになっていたのである。ギャンブルはすでにベテランだしそういう延長として仮設で暮らすようになり拍車がかかったのである。


●老人は金と暇があっても簡単に有効な消費はできない


人間は金があってもでは一体に何か使うかとなると結構むずかしいのである。その消費でも大金を使う家を建てるとかではないものに使うとすると意外とむずかしい。高級車を買うという人もいるだろうがその他に何か老人が消費するということはむずかしいものがある。趣味でもそれほど金をかけるのはない、20万のデジタルカメラを買う人は買う、でもそこまでしなくてもカメラは今は楽しめる。性能が安くても良くなっているからそうなる。昔だったら何十万のものが何万円になってしまっているのだ。だから趣味でもそれほど消費できないということがある。


消費するにしてもただギャンブルだな女だとか金をばらまくことは江戸時代にもあった。花街で大金を使う旦那様がいた。それもまたこの世である。いいわ類は別として金があればそういう使い方で消費するのも人間の世である。それで潤う人たちもいた。
それも経済効果があったとか言う人たちもいる。
消費という漢字が良くないのである。消は消すであり費やすだから何も残らない無駄なことが消費になる。浪費という観念が消費の漢字には多いのである。
でも本を買うことはむずかしい学問や研究の本を買うことは消費と言えるのか?
それは明らかに投資なのである。若者だったら明らかに本を買うことは投資である。勉強するための投資だから消費とは言えない、一見遊びと思えるものでも投資になる。
旅をすることは投資である。ただギャンブル旅行や女遊び旅行はまた別である。

旅することは意外とむずかしい。旅人になることは現代ではほとんどなれない。旅人は日々旅している人であり芭蕉のようになると人生そのものが旅だとなってしまった。
そういう生涯を送る人はまた旅に生きたとなり人生を消費したとは言えない。

自分でもふりかえっても旅することは登山でもそれは修験者が六根清浄と山に上ったようにこの世の欲から脱して山の空気に触れることなのだ。それは今でも同じである。
山に登るにしても旅行するにしてもいろんな雑念が色欲でもでてくる。
旅で出会って恋愛して結婚したなどという人は旅はしていない、そんな余裕が自分の経験ではない、旅することは次々に変わる景色を見るのにも集中しないといけないからそういう余裕がないのである。そうしてまで集中して旅しても大方は忘れてしまうのである。
旅では自然を感じて記憶に留めるにはその場で集中力を保たねばならないのだ。だから団体旅行は話ししたりして気が散るから覚えていることが少なくなるのだ。
旅で見た景色など忘れているのである。


現代では旅でも登山でもそういうものが全部消費で無駄だとは言えない時代である。
だから山を占領している中高年などは健全な方だろう。そういう場所も老人の場になっているしパチンコ屋にも白髪の老人が多いとか白髪のライダーも見かけるのも時代である。自転車になるときついからまれである。
前にも何度も書いたけど人生は何であれ何に時間を費やしたかで決まる。消費でも何に時間を費やしたかでありすべてが無駄だとはならない、むしろ現代では労働がすべて価値あるものとはならない、無駄な労働も膨大にあるのだ。そこでこき使われる若者も多いから不満になる。ブラックな会社で働かせられるから若者の怒りが生れる。

例えばエステなんかで働く意義がどこにあるのだろうかと自分には疑問である。
その労働だって楽ではない、それはただ金持ちの贅沢に使われているだけではないかという疑問がある。もちろん金持ちだけではないにしろそんなことに時間を費やさせられることがいくら金をもらっても貴重な時間を浪費しているのではないかと思う。
そういうことを批判したのがソーローであり森で一人生活した。
そういう時間を別なものに自然の美にふれるためにも使われるべきだということもあるからだ。世の中金になる金にならないですべてが判断できない、特に現代では無駄な労働が膨大にあるからそうなる。おそらく何らか金に強いられてしいる労働は本来の労働ではないと思う。

不思議なことは老人になると本当に働くことの意義が問われている。ある程度の金と時間の余裕ができると金に強いられて働かせられることがなくなるからだ。それで何か有効なことをしようとするとき消費しようとするときとまどうのである。
金と時間もできた、では有効に社会のために消費しようかと思っても簡単にできないのである。
なぜなら人間は若い時から誰でもなんらか精進してきたのもがありその延長でそれぞれの価値を求めて消費するからである。

その人も買うものにしても本一冊にしても価値を認めるから買うのである。花なんか価値がないという人は花屋などに行かない、茶の湯をやるにしても茶碗などに価値を認めない人はやらない、茶碗の価値を認めるにはそれなりの感性が必要なのである。消費するにもやたら何でも買えばいいとはならないのである。読書にしてもそれまでの積み重ねがあって理解力が生れてまた本を買っているのである。

バソコンなど老人はやらないのはめんどうだからである。老人になると面倒なことがやりたくなくなる。
特になんかバソコンにはそうしためんどうな設定などがありそれがめんどうになるのである。老人になると何かするにも億劫になるのである。特に細かいことが意外と疲れるから嫌になる。だから書類作成とか事務関係などが苦手になる。


●消費も過去の人生の延長でしている


老人が消費したいものは何かなどキーワードでくるがそれは老人がどういうものか理解しないとできないだろう。仮設住宅に住む遊興老人は問題があってもあとの余生はやりたいことはやり楽しむだけ楽しみ金は残さないという考えである。もうあとがないのだからやりたいことをやる、楽しむだけ楽しむ、そのあとのことは考えないというのも老人の考え方の特徴である。先がないということでそういうふうになる人も多いから犯罪でも犯してもやりたいことをやるとなり問題になる。それも老人には先がないということがもう死ぬんだということがあるからである。この気持が若い人にはわからないのである。

老人になるとき消費はその人のこれまでの人生で培った価値観が反映してくるからいくら金と時間があっても簡単にできない、ギャンブルや女遊びをするというのはその人はもともとそういう人生たったのである。それ以外の価値観がないのだからその延長としてそうなっているだけなのである。その人に学問だ芸術だとか言ってもわからない、それでも桜がきれいに咲いているんだよなと言う時、何か全然美を感じないということでもない、でもそれもついでに桜が咲いているから見ているだけかもしれない、目的はギャンブルでありギャンブル人生だったともなる。

そして老人のそうした話を聞いていると人間ってつくづく結局酔生夢死だと感じてしまう。精神を病んだトラック運転手でもそうだった。今やただ夢の中で過去を話す時、トラックが走っている。その過去を話す時生きていたことがよみがえってくる。
その人の人生はトラック人生でありトラックに乗っていたときに生きていたのである。
だから認知症になってもそうした過去のことを話すと生き生きしてくるのである。

小さな畑を耕している女性のことを書いたがあの女性も農家の生まれでありあの小さな畑を耕している手入れしているのは人生の延長としてしているのだろう。何かあの小さな畑に思い入れがある。農家の人にはそういうことがある。農家の人にとっては畑であれ田んぼであれそれが例え野菜でも買うことかできても金があっても自分で作ったものを食べたいということがある。田畑をもち食料を自ら得るということに価値観をもっていることがある。だからそういう時間はすべて苦労とはいえないかもしれない、ただあまりにも強いられた労働となると何でも苦痛になるのだ。

消費だって強いられては消費できないのである。だから変な話だが有効に老人が消費できないなら未来の若い人に消費させるべきだ投資させるべきだとなる。老人は有効に消費できない、だから若い人に金を回すべきだというのはわかるのである。有効な消費が簡単にできないからそうなる。

自分も自転車が好きだったけど実際は40以後からはじめたから詳しくない。
十分に自転車を楽しんだとはいえない。まずロードを知らなかったしそれは50代の後半で一台買ったけどほとんど乗っていない、他にもいい自転車を買ったけど乗らなかった。
そのうち体力がなくなり電動自転車にしか今は乗っていないのである。
つまり時間切れになり自転車もいろいろのりこなしてしいないのである。
自転車のりこなす消費するといってもこれも体力も消耗するしエネルギーがかなり必要である。車で旅行するのとは違っている。40以後はすでに自転車旅行は変人にもるなるからだ。人間の生きる時間は限られているから何でもこうなりやすいのである。
つまり人生は何に時間を使うか消費するかで決まるのである。
そして結局何にするにしても十分に消費できずに終わっているのである。

老人が何がほしいかという時個々人でも違っている。なぜなら多様な人生を反映しているからである。これがいいなどというものはなくなっていくだろう。若いときならいい車だとなっていたかもしれないがそういうふうに一つには決められないだろう。
自分にしても介護老人であり肝心な家事も手伝ってもらう人もいない、金があっても肝心なものに消費できないということがある。
だから金持ちでもなんでもない、介護老人であり下男であり金が多少あっても何ら有効に消費できないのである。

posted by 老鶯 at 23:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

像ではなく言葉で考えていてはまともな文書(詩)が書けない (万葉集の時代は自然と一体化していた言葉-「心に青雲」の解読)


像ではなく言葉で考えていてはまともな文書(詩)が書けない

(万葉集の時代は自然と一体化していた言葉-「心に青雲」の解読)

像ではなく、言葉で考えるのはダメである。言葉(文字)で考えて、それを言語として表出しているとまともな文章は書けないということだ。
http://kokoroniseiun.seesaa.net/


中華人民共和国と呼称するあの国は、「人民」と「共和」は日本語である。
 「人民」は、明治期にpeople の訳語として使用されるようになったが、古くは8世紀ごろに日本で使われていたとされる。

「共和」は周の時代(紀元前1046〜256)の暴政を敷いた脂、(れいおう)の故事からくる。

 脂、は財産を独占して周囲に分け与えることをせず、大乱が起きた。王が王宮を逃げ出したため、やむなく2人の臣が政を預かって国を立て直した。そのときの元号が「共和」だったので、それにちなんでrepublicの訳語として引っ張って来たのだ

http://kokoroniseiun.seesaa.net


万葉集は全部もともとは大和言葉である。その大和言葉を漢字にあてて残した。その時日本には文字がなかったのである。でも言葉はあったのである。原始的な民族でも言葉のないものはない、人間である限り言葉はある。話し言葉が書く言葉の前にあった。
だから日本人の源流を探る時大和言葉のもっている意味を探ることがわかりやすいとなり本居宣長が大和言葉と唐言葉を分けたのである。
その時日本人は相当に混乱した。それは実際は今でもその混乱をひきづっている。
漢字のもっている意味をなかなか理解しにくいし中国で発明されたものでも日本人の使っている漢字の意味は全然違ったものとなっているのだ。ただ「心の青雲」のプログの作者が述べているように「人民」「共和」がすでに奈良時代辺りから使われているとするとそんなに古いものかと思った。
「人民」「共和」は普通は明治以後に生れた造語された言葉だと思うのが普通だからである。そもそも人民という感覚は江戸時代にはないはずである。ただ民(たみ)という日本語はあったのである。


やまがたに 蒔ける青菜も 吉備人と 共にし摘めば 楽しくもあるか 仁徳天皇


高き屋にのぼりて見れば煙けぶり立つ民のかまどはにぎはひにけり(新古707)


西暦五世紀初め頃の大王。応神天皇の子とありあの仁徳天皇のあの巨大な前方後円墳の主なのかと驚く。この時すでに吉備がでてくるのだから吉備も古いのである。
仁徳天皇の古墳の大きさは近くに行ってみてもわからない、空から見ないとわからないのだ。前方後円墳という形もわからない、特に回りに人家が密集しているからあそこにあれだけの大きな古墳があることが当時の様子がわからなくなくしている。
みちのくの正式な歴史は奈良時代からすると近畿はそれよりさらに古いからその古さから歴史を実感できないから東北では日本の歴史を実感できないということがある。
東北は常に辺境にあったからである。

こういう歌はそもそも中国にはありえないだろう。中国は民とは目をつぶすという象形文字の意味だという、民は見えないようにて奴隷のように従わせるという意味だろう。

これは日本でも見ざる聞かざる言わざるということが人民に強いられていた江戸時代にはそういうことがあったから中国だけではないともいえる。ただすでに「人民」「共和」という観念が生れていたのか?
それは日本という国がそもそもそうした「人民」とか「共和」という観念を持ち得たからなのか?そんな古い時代からそういう観念を持ち得たのか、ただこの言葉は日本人が新たに作り出した漢字だとすると日本の社会にその言葉を受け入れる素地があったともなる。中国ではそういう素地は全くないからだ。つまり天皇とは中国の帝王とは違うものだった。でも仁徳天皇の古墳を見ればどれだけ巨大な権力の持ち主かと思うのが普通である。

古墳というのが何になのか?権力の象徴なのかというとこれまたわからないのである。
東北などでは南相馬市の原町区の桜井古墳も大きいが誰のものかなど全くわからないのである。

ともかく言葉は「像ではなく、言葉で考えるのはダメである。」というときこれは本当である。そのことで前にもいろいろ書いてきた。石と岩の詩を自分が書いた時、それは故郷にある具体的な現実に存在する石と岩なのである。その石と岩にも個性があり名前をつけたのである。the stone the rock なのである。

万葉集時代の感覚はみな具体的な回りの自然を基にして言葉でも歌でも作られている。
だからある言葉は密接に回りにある具体的な自然のものと結びついていたのである。
恋愛の歌でも現代のとは違っている。像としての自然感覚が具体的な像として体に身についていたのである。


奥山の岩本菅を根深めて結びしこころ忘れかねつも 笠女郎


まず現代ではこんな感覚になる恋愛歌などありえないのだ。だから当時の女性もまた現代の女性とは感覚的に違っていた。自然の原始性が身についていたとなる。
自分は石とか岩をテーマにしているからこの歌の意味が良くわかるし詩にもしてきた。
現実に奥山の岩を写真にして紹介してきたように田舎ではそういう場所がどこでもまだあるのだ。


万葉人は自然⇒人事社会であり現代人は人事、社会⇒自然を歌う傾向がある。自然の具体的な像をもっていないのである。また東京のような所に住んでいればもちえようがないのである。そもそも自然から離れて芸術はありえないのだ。だから現代芸術でも思想でも歪んだものとなる。宗教でもカルトになるのは自然から離れた都会で生れたものだからである。そこには自然から岩とか山とかから発想される自然が欠けているのだ。
科学時代になったときますます自然から離れたものとなり自然を心としない自然から遊離したものとなっていった。
ものとは心でもあるからものと心は遊離したものではなく一体のものだった。ものとは自然のことでもあった。神道とは明治以降の祭り上げられた天皇とは違った自然と一体化する日本人の心にあった。

いづれにしろ東京のような大都会ではそもそもが像として結び得る自然がない、だから言葉が言葉にならない、言葉はただ商業のために工業のように数字のようになっているのである。だからロゴスも破壊され無秩序になりカオスになっている。毎日高層ビルを見上げていれば高層ビルが実際の具体的なものでありその他にはないのである。
富士山にしても浮世絵では確かに見えていた。でも高層ビルの都会になるともう何かぽつんとしか見えない、江戸でも富士山はだから日常的に像として結びついていた。
今は高層ビルがとおっていて見えないのである。

posted by 老鶯 at 10:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本(世界)文化文明論

2014年01月22日

枯野(人間的な二両の電車)


枯野(人間的な二両の電車)


冬の山暮れるや二両の電車行く

円墳のいくつか冬日さしてあり
灯のともる二両の電車枯野行く
野良猫の今日も来たりぬ冬の暮
松一本この道行きて冬深む


枯野を夕べ灯がともり二両の電車が行く、何か不思議なのはその灯が家の灯のようにも見える。極めて人間的なのである。あの電車でもこの辺でも8両だったからこんなふうに人間的に感じたことがない、つまり何でも小型化すると人間的になる。人間味を帯びてくる不思議がある。巨大化すると非人間的になる。それは建物でも高層ビルとか巨大な建物は非人間化する。東京は巨大すぎてもう人間的なものを感じない,人間的なものは排除されてしまう。巨大な機械が毎日動いているように思う。

それは電車でもそうでありすべてがそうである。人間は機械の歯車になる。
それは巨大な会社とか工場でもそうである。何でも人間は巨大化すると非人間化するのである。店屋でも巨大スーパーになると人間よりただ物があるという感じになる。


小さい店だと何か人間が主人になっていて売るものはその人間に従属する感じになる。
売るものは貧弱でもそうなっている。すでに巨大スーパーでは人間主人でなくて物が主人なのである。社会全体でもそうなっている。膨大な物があふれてその物の中に人間は埋もれ消えている。物は豊かになっても人間は矮小化されたのが現代である。
人間は膨大な物に商品にふりまわされている。


なんか変なのだけど仮設の食堂でも女主人が一人暇そうにタバコを吸って客を待っている。その姿が人間的に見えたのである。忙しかったらそうした感覚がでてこないのである。昔の小店には何かそういうのんびりしたものがあったように思える。
今はチェーン店が多いから何かそうした地元の小さな店は廃れた。


現代のめまぐるしい社会はあらゆるところで人間的なものが喪失してしまったのである。もちろん原発など部外者は全く知り得ないかかわれない代物だった。
事故後にはじめて東電の社員が直接来てかかわるようになったのである。
それまでは特別の人しか東電の社員とはかかわっていない、だからそこに人間的つながりなどなかった。だからいち早く東電社員は事故の時、地元の人なとかまわず逃げたのである。もし何か地元の人と密接な関係ができていたらそうはならなかったろう。
でも原発とかは部外者がかかわりにくいものだったのである。


今はどこでもここに人間がいるなとか感じない、機械なのかロボットなのか物が優先されて人間は主役ではないのである。物が少なく人力の時代は不便でも人間が主役になっていたろう。道でも人間が主役ではない、車だから人間が歩み道とはまるで違っている。
車しか見えないし車では誰が行き来しているかわからないのだ。


今日たまたまボランティアの青年と六号線そいの牧場であって馬をみて話をした。
その馬は競争馬でいい馬だと話した。そんなことができるのはその青年が小高かの方から歩いてきたからである。歩いていると自ずと話すことが多くなる。
自転車でも話しかけられたりするし話したくなるのである。
車の人は話しようもないし人がいるのかさえわからない、ただ車という機械が突っ走るだけなのである。現代社会は常にそうした相手が人間なのかそれとも機械なのか物なのかわからなくなっている。
ただ何でも小型化すると人間的になるのである。二両の電車は何か鉄道模型のうよにも見えるのだ。鉄道には思い入れがあるから特別関心があるからそう見るのである。

これからの時代は高齢化と老人社会になるとかえってこうした昔の小さな店のような感覚のものが好まれるようになるかもしれない、
人間的なものをかえって求める時代になる。それは小型化したものなのである。
グローバル化などあまりにも世界が大型化してしまった反動として小型化する世界が求められるようになる。
巨大なものは必ず非人間的なになる。アメリカでも中国でも巨大すきるからその権力も巨大化して非人間的なものを必然的に作りだしてしまうのである。

結局機械でも小型化すると人間的になる。二両の電車は極めて人間的だから自然にも風景にもとけこむのである。
考えてみれば採算がとさないとするとぜいたくだともなる。でも電車がない世界は淋しものとなる。
鉄道か好きだからどうしてもそう思うのである。


郷倉と現代社会 (緊急時の備蓄機能として維持されるべき農林漁業の見直し)


郷倉と現代社会

(緊急時の備蓄機能として維持されるべき農林漁業の見直し)

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延暦一四年(七九五)九月、貢納上の不便解消と倉の延焼防止を目的として設けられた「郷倉」(郷ごとに設けられたのでその名がある)の設置理由(延焼防止はともかく)とほとんどかわるところがない。郡を割いて国を立てるか、郡郷の境界に倉を設けるかは、じつは紙一重の違いであったことを知る。「国」は、こうした手直しを繰り返えしながら行政区画として練り上げられて行ったのである
http://www.japanknowledge.com/contents/journal/howtoread/howto_01.html
年貢米が村単位ではなく、郷蔵組という地区単位で納入される事もあった様です。千々石村には6棟があったとのこと。もしかしたら名単位で納入されたという事はなかったのでしょうか。貴重な年貢米の貯蔵のため瓦葺きで作られていました。周囲が藁葺きの中に6棟の瓦葺き屋根はさぞ目立った事でしょう。

 年貢米の保管中は、村役人が管理し、村の住民等が交代で夜間は畳敷の小部屋に2人1組で泊まりこみ、夜番をしました。
http://chijiwa.ne.jp/yaboo/siseki/19_gokura.html


郷倉は、原則的に村(郷)ごとに設置され、収穫期になると前年までの分を詰め替え、その年の貯穀分を加えた。その年の貯穀分は、普通1戸に付き、稗3升程とされた。これを、飢饉・災害の際に放出し、困窮した農民を救済することにした。

「上泉の郷倉」の古文書には、「此の籾、〆82石、天保7年の困窮之節、右籾不残、困窮人貸付」

その反面、村内の干俣村では、郷倉を設置していながら、天保7年の飢饉の際、困窮した農民が、夜逃げ同様に離村し、天保6年の家数百軒余り、人数580余人が、天保9年には家数61軒、人数346人と激減したとする事実がある。
http://kazeno.info/matushima/21-bunka/021.htm




南相馬市の深野(ふこうの)の豪倉は郷倉でありこの郷倉は郷ごとに置かれたとなると数の多いものであった。それは年貢を治める場所だから保管する場所だから村で自立的に備えたものとも違っていた。相馬藩などでも天明とかの飢饉で大被害がありその後に藩でその飢饉の備えのために作った。

この郷倉がすでに795年とかに由来するものだとするとこれもずいぶん古いものだと思った。倉は確かに街では延焼防止の役割を果たしていた。国の境界に倉を建てるというのも一つの関所の感覚があったのか?
倉、蔵とつく地名は多い、地形的なものが多いが相馬市の山上の物倉という地名は何なのだろうか?蔵にはもともといろいろな役割が昔はあったのである。

今なぜこの郷倉に注目したのかというとこの辺の津浪や原発事故でこの辺が様々な苦難を強いられたためである。それはここだけではない、津浪の被害は東北の海岸線に大被害をもたらした。一時は外から物資が入らず困窮した。停電して水道も断たれた所も多々あった。その時、裏山の水を利用して薪を利用して煮炊きをして難を逃れた人たちがいた。
水も老人が歩いて運んでいたのである。車もガソリンがないと動かなくなるからだ。

南相馬市では市長がyutubeで外から物資が入らないと訴えて世界中で有名になったのは知られている。原発事故で放射能を一時恐れられて車で入って来なくなったのだ。
車社会でも災害時は役に立たなくなることが証明された。ガソリン不足はその後も一カ月くらいつづいたからだ。その時貯えてあるもので生活する他なかった。

自分の家では二週間分くらいの米が偶然にあったので電気も通っていたので煮炊きできた。ガスもあったから料理もできた。ただノリがあったのでオカズはそれくらいだった。
でも米さえあれば二週間くらいはしのげるものだと思った。
それでも電気とか水道が断たれればどうしていいかわからなくなったろう。
その後米はなくなったがその時鹿島区では古米が配られたのである。
その時助かったなと思った。米も切れていたし買うこともできなくなっていたからだ。
その後相馬市の方はスーバーもはじまり自転車で買いに行き楽になった。
その時はまだ車はガソリン不足で苦労していた。


現代のような便利な社会はかえって災害には弱い、電気や水道がたたればお手上げになる。でも災害時にはそうなるのが見えている。だから燃料の備蓄用として電気やガソリンや石油は使えないから危険なのである。むしろ薪とか炭とかを用意していなければならないかもしれない、そのことから一体農業とかでも減反政策とかでやる気がなくなり衰退産業になった。でも農林漁業のもっている意味はそれだけでなかった。
現代社会でもそれは郷倉の意味があったのである。
緊急時に災害に備えるものとしての意味があった。
国全体でも緊急時のために戦争でもあれば食料は入ってこないから備える必要がある。
そういうものとして農業などを保護してきたのである。
つまり現代では農林漁業などのもっている意味は価値は別なものとなっていたのである。

例えばこういう津浪や原発事故になったとき、外部からすべて頼るようになったときこの辺ではどうなってしまったのか?もう農家でも漁師でも一切の食料を自給できないのである。ただ外部から入ってくるものがすべてである。広域社会だから金さえあれば一応食料は入ってくるから騒乱にはならずにすんでいる。でも農家でも漁師でも自分で食料がまかなえないから悔しいというのもわかる。その時頼りになるのは補償金だけになった。
外部に頼ることが多ければ金の力も大きくなるのである。
でも金だけではまかなえないものもあった。この辺では時給を高くしても働く人がいないのである。他でも人手不足で工事関係ができないということも起きている。
若い人が流出してそうなった。みんな外部のものが頼りとなってしまったのである。


郷倉というのが古代からあったのには驚いた。ただ役目が変わっていったように何でも同じ名でも社会が変わるからその役割も変わってくるのが社会である。
郷倉は今では市町村単位で県単位で国単位のものとなっている。備蓄は必ず必要だからである。でも郷倉だけでは大飢饉になったときはその役割も果たせなかった。
郷倉がどれだけ役に立ったかはわからない、それは一部のわずかのものであったかもしれない、それでもこれだけ全国に地名として残っているのだからその役割はあった。


ともかく農業は金にならないから跡継ぎがないとか衰退した。でも農業の役割は別な所にもあった。それは自然を活かす自然を維持するということにも景観維持とかにもあり何より郷倉的役割に変化していたのである。外国からいくらでも食料が入ってくるといっても何かあれば入って来ない、その時食料を自前で供給できなければ国自体も他国に支配されることになるのだ。ベトナム戦争でベトコンが抵抗できたのはタロイモとかを常に供給できるか環境にあったからなのだ。南国ではイモが主食になり成長が早いから地下でこもっていても食料があったから抵抗できたのである。食料がなければ簡単にアメリカ軍に支配されていたのである。

いづれにしろこの辺では原発事故で放射能汚染で農業も漁業も林業すらだめにされた。
するともう何も自給できない、ただ補償金だけが頼りになる。そういう状態がいかに危険なものか?現実に金があっても金が役に立たない状態が一カ月くらいつづいたのである。

その時金より郷倉に貯えてある古米でも命をつなぐことができた。金を貯えていても何の役にもたたない状態だったのである。それは東京辺りでもそうなる。金がいくらあっても緊急時には役たたない、現物の方が価値がでてくる。だからそういうときは米があれば金がある人は金をいくらだしても買うとかなる。でなければ飢え死にしてしまうからである。それは短期的にそうなったが長期的になると今度は外国から入らないから国の食料が頼りになるのだ。それがなくなったら国自体が滅亡するのである。
そういう役割としての農業の維持も見直されるべきなのである。

だからTPPは危険な要素がある。食料の自由競争化だから自国の農業が壊滅するかもしれないからだ。

この辺では農地が放射能汚染で使えない、これは一体何なのだろうとその場にいるから考えざるをえない。農地が使えない、魚もとれない、木材も使えないというのは実際は恐ろしいことではないか?原発事故周辺でそう感じたことは国レベルのことでも同じである。
農地が使えない使わないということはそういう危機感をひしひしと感じるのである。
つまり原発事故の恐ろしさはそうした農業漁業林業とかの基本産業を壊滅させたことだったのである。水さえ汚染されたのだからもう生活すらできず避難する他なくなったのである。

posted by 老鶯 at 10:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年01月21日

凍る堤 (田んぼがないから堤の用がなくなった-二宮神社が横峰堤の脇にあった意味)


凍る堤

(田んぼがないから堤の用がなくなった-二宮神社が横峰堤の脇にあった意味)

りんとして二本の樹の庭に立ちひびきあうかな冬の朝見ゆ
堤凍り鴨の群れつつここに住む二宮神社のここにあるかな

横峰の堤が凍っていて鴨が群れる写真を出したけどその脇に二宮神社があった。二宮神社は二宮尊徳を祭っていてもあまりこの辺ではない、神社は人を祭っていることがある。
二宮尊徳は相馬藩では重要な人物である。二宮仕法のことを語られている。
でも二宮尊徳自身が相馬藩に来たことはないのである。教えを受けた弟子が二宮仕法を伝えたのである。

この辺で不思議なのは原発事故で田んぼが無用化して荒地になっていることなのだ。
そもそも堤の用は田んぼに水を供給するものとしてある。ただの水がたまっている沼とは違っている。その田んぼがないということは堤もただ水がたまっているだけだとなってしまう。そのことは前にも水が山から流れて田んぼに供給されて山の神が祭られていた。
山と平地は水を通じて結ばれていたのである。
そういうことが当たり前だから考えることもなかった。
でも田んぼが用がなくなり荒地になった時考えるようになった。


堤がある、二宮神社がある、深野(ふこうの)に出たら豪倉(郷倉)があり飢饉に備えていたとか歴史を認識する。歴史を認識するということは本からではない、そうして土地に根付いて実感として認識されているのだ。生活の中で自ずと歴史が身についていることなのだ。郷土史はだから本だけではしりえようがない、生活の中で身につくものとしてある。

堤が凍っているな、鴨が群れているな、二宮神社があるな、深野に出たら豪倉があり飢饉の時に米や食料を備えていたなとか理屈なしで実感することなのである。

だからもうその土地から離れたら実感としての歴史は身につかない、墓地のことを良く書いたけど墓地も土地に根付いた記憶として共有しているから土地から離れるとその歴史も断たれる。だから原発事故で故郷に人が住まなくなったらそうした歴史は失われて荒地化して記憶も失われるのである。
まず故郷が失われるなどなくなるなと考えたこともなかったろう。それか現実に起こっているのだから信じられないとなるのだ。
田んぼがない世界など考えられなかったのである。
田んぼは第二の自然だから自然が消失すると同じだったのである。
そういう世界が故郷なのかというまでなっている。


故郷に生きるということはそうした自然と第二の人間化された自然と生きることが基本にあったのである。庭の二本の樹でもそうである。何か庭には対のように二本の樹がある。それは津浪の跡にその二本の樹が残っていることで認識された。
それか夫婦のようにも見えるからである。人間化された樹だったのである。


この辺はまだ田んぼがなくても故郷に住める、住めなくなった人たちはどうなるのか?
もうそうした歴史も認識できなくなる、先祖の墓も新しい土地に移住させられて故郷での先祖の歴史は忘れられる。語る人もなくなってしまう。
ただ元の自然にもどり放射能被害だけを語るだけとなってしまうのだろうか?
この辺では五年後でも田んぼに水が流れて米を作れるようになった時、復興したと感覚になるのではないか?相馬市では田んぼがあるから前と何ら変わりないのである。

南相馬市の鹿島区の横峰溜池ー西高松ー深野(豪倉)ー長野ーイオンー駅前シャーター通りー六号線の新しいレストラン (この道筋で南相馬市を考える)


http://musubu2.sblo.jp/article/85605380.html

2014年01月20日

桜井氏勝利の原因は何か (桜井氏は相手の敵失で勝った)


桜井氏勝利の原因は何か

(桜井氏は相手の敵失で勝った)

●老人は見た目で判断されやすい


もともと人間は見た目でその外見で判断されやすいのは年に関係なく普通にある。姿勢がいい人は好印象をもつのは男女でも同じである。なんか暴力団関係だと表情にも姿勢に現れてくる。この人は目つきから姿勢から何からそういうふうな感じになっている。
もうそうした外見でわかるようになると人はもう変えられないのではないかとさえ思う。

桜井市長は小柄で頭もはげているけどマラソンしていた。一軒一軒回って選挙戦をしていた。市長さんが直接家に来たのでびっくりした。まずマラソンは相当に体力を消耗する。自分は自転車にのっても百メートル走れない、走ったら病気のように寝込んでしまう。
確かに自転車にのっていても最近筋肉痛になり走ったあとがひどいのである。
その点あの年であれだけマルソンできることは不思議である。


桜井市長と比べて渡辺氏は70歳であり何かバイタリティが感じられなかった。その年もかなり影響した。見た目も影響した。横山氏も額に皺がよっていて老けて見えたのである。人間すべて見た目では判断できない、近くのトラック運転手だった人は72歳だけど今でも仕事しているように見える。50代くらいにしか見えないし外見は若いのである。
皺一つない肌であり顔もそうである。でも精神を病んでいるからこの人は表情は若くても実際は老けているのである。だから人間がすべて表情で判断はできない、表情が良くても脳が若くなければ評価は180度変わってしまうのである。


ただ女性は特に見た目で若い時から評価されやすい、10歳老けてしまった女性のことを書いたが皺が多くそれが何か嫌なのである。首回りに男女でも皺がよると老けて見える。
首回りは皺がよりやすいのである。それを見ると生気がないように見えるのだ。
同級生の人はセムシのようになっていたから驚いた。あれは病気の一つなのだろう。
老人になるとまずあの人は老けたねとかあの人は若いねとか女性は外見で判断される。

でも実際は話が面白い女性を紹介したがそれだけでは人間は評価できない、老人になると外見より話が面白いと別な要素に価値がでてくる。だから女性が外見ばかり老人になっても気にしていても男性からの評価があがるとはならない、そこが盲点になっていることに女性自身が気付いていないのだ。


●脱原発が争点だったのか


脱原発で勝ったとか新聞などで書かれたけどそんなことはこの辺では当然だと思っていたからあえて議論するまでもないと自分は思っていた。だから渡辺氏が火力発電所を浪江と協力して作るというときはいいものだと思っていた。
脱原発はこの辺では当たり前でありそれが争点になるより現状の復興問題が先決だと思っていた。
脱原発は本当は国政レベルの問題であり世界レベルの環境問題である。原発事故が起きれば海が汚染されたように世界に影響する。例え同じ県でないにしろ広範囲に影響する。
隣の国で事故が起きればやはりチェルノブエリのように影響する。現にヨーロッパが全体がチェルノブエリ事故で未だに影響している。だからそもそも脱原発は一国ですらできないのである。ましてや一県でそうしても事故の影響を受ける。
そしたらこれは一地域で反対してもどうにもならないのである。


国政レベルで決めることでありグローバルな環境問題として決めることでもある。
エネルギー問題をどうするかは国政レベルのグローバルな問題なのである。
だから一つのテーマにしぼって国民投票するような課題なのである。
とても一地域で反原発を叫んでも他に原発があれば安心できないのである。
だから東京都でも脱原発をテーマにして知事選挙するのはおかしいということはわかる。その他に様々な課題があるからである。
脱原発のために福祉とかその他のことがないがしろにされる危険性が大きいからである。自分が渡辺氏の一人暮らしの老人に目を向けた政策はいいと思った。
すべて脱原発では決められないのである。


●浮動票が動かなかった訳


4パーセントも投票率が低下したことは何なのだろうか?
これが今回の選挙のポイントかもしれない、若者が選挙に行ったのか?
おそらく棄権したかもしれない、誰に入れても同じだという全国の選挙と同じく政治にあきらめ状態を作り出している。若者の票は反映されないと棄権したかもしれない、
それも全国の選挙と同じく大きな問題だった。


浮動票が若者の票の受け入れ候補者がいなかった。だから棄権した。自分も誰に入れていいかわからなかった。あれだけ批判されている桜井氏が当選するとは思っていなかった。桜井氏が圧倒的に勝ったとはとても思えない、他の立候補者がありきたりで訴えるものがなかった。だから外部から市長を呼ぼうとか言われてきた。適任者いないからそう言われた。確かに誰やっても同じだということは今までも言われたが今回はやはりこれだけの苦しい状態では指導力を発揮してもらえる人でないとだめだという危機感があって外部から呼ぼうとなった。だがそれも実現しなかった。


結局南相馬市は桜井市長でも劇的に変わることはない、何かまたごたごたとして復興は進まない、そういう状態がつづくのではないか?一体桜井市長は復興にどんな功績、実績があったのだろうか?そんな評価された人なのかというのが疑問なのである。
そのあきらめムードが投票率低下につながった。
これだけの惨状の中で投票率が下がるというのは変である。
ただやはり人が南相馬市から離れたことも影響した。
多分にその方の影響が大きかったのかもしれない、有権者が流出して棄権したという異常事態がこの結果を生んだのかもしれない、もし投票率があがっていればどうなったのか?

この辺の分析は今のところわからない、でも何か正式な選挙とはならないものがあった。そして自民党の分裂などが重なりこの結果となった。
それが一番の勝因でありそして候補者が見栄えが良くなかったことなども影響したのである。桜井氏が元気だけが取り柄だということを言っていたが確かにそれだけでも効果はあった。あの人が一軒一軒回って歩いていたけど親しみを覚えたからである。
そういう選挙の仕方も影響したかもしれない、どぶ板選挙が功を奏したということもある。労働組合の組織票も投票率低下で有利に働いたのである。

posted by 老鶯 at 19:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

南相馬市長選:「脱原発」桜井氏再選 再稼働巡り政権痛手 (自民党の分裂と投票率の低下が敗因だった)


南相馬市長選:「脱原発」桜井氏再選 再稼働巡り政権痛手

(自民党の分裂と投票率の低下が敗因だった)

当17123 桜井 勝延<2>無現
  10985 渡辺 一成(1)無元
   5367 横山 元栄 無新
http://mainichi.jp/select/news/20140120k0000m010122000c.html


今回の選挙の争点が「脱原発」だとは思わなかった。この辺ではそれが当然だと思っていた。
言うまでもなく脱原発でありそんなことが争点なっているとは思わなかった。
それより復興の遅れが問題にされていた。
桜井市長はそのことで批判されていた。みんなも桜井市長はだめだと批判していた。

今回の選挙結果は桜井氏が勝ったわけではない、自民党が二つに割れたことが敗因だった。
桜井氏が17123票でも渡辺氏と横山氏をあわせると16352になっている。
そして今回前回より4パーセント投票率が落ちているということは結局自分のように
誰に入れていいかわからなかったことが原因なのである。

桜井市長がそんなにいいとは誰も思っていない、「脱原発」が争点になれば当然桜井氏が有利である。
でもこの辺ではそれは争点になるまでもなく当然だと思っていた。
むしろ復興など急ぐことが争点だと思っていた。
今回三者の議論など直接聞くことができなかったことなどが失敗だった。
どうしても忙しくてそういう場に行けなくなっているからだ。

結局桜井氏が勝ったとは思えない、自民党の分裂と対抗馬が有力候補者ではなかった。
渡辺一成が経験者でいいと思ったがやはりいろいろ問題ある人で指示がなかった。
79歳という年齢もひびいた。何か生気が感じられなかった。
そういう点では桜井氏はマラソンするくらいだから小柄なのに元気だと思った。
マラソンとなると自分は百メートル走ることができない、それだけ体力が消耗するのだ。だから元気なことが取り柄なことは確かだった。


今回の選挙の争点は「脱原発」はこの辺では当然であるしそれより復興の迅速化であり
それが期待されていたと思っていた。自民党系は脱原発でないことは知っていたが
この原発事故の現場で脱原発にしなければ勝てるはずがないのである。
それよりも桜井氏は労働組合とかの組織票で勝ったのかもしれない、
4パーセントでも前回より投票率が落ちたことは組織票には有利になる。
いづれにしろ今回は投票率があがってもいいはずである。
その浮動票が動かなかった。
そのことは誰に入れていいかわからないから入れなかったということがある。
自民党が一本化して浮動票が動けば明らかに自民党系が勝っていたのである。
前も400票差で渡辺氏が負けた。
この時は浮動票が桜井氏に動いたのである。


つまり今回の選挙は桜井氏が勝ったとは言えない、自民の分裂、誰に入れていいかわからずに浮動票が動かなかったことが
桜井氏の勝因になっていた。

ただ自分の失敗は良く議論を聞かなかったことであった。
「脱原発」がこの辺で争点になっているとは考えなかった。
そもそもそんなことは当たり前でありそれ以上に復興の迅速化が望まれていたと思っていた。
「小高区」では特にそういうことを望んでいた。だから不満が多いから桜井氏には入れないと思っていた。
ただこれんの結果は桜井氏が勝ったのではない、
自民の分裂選挙と浮動票が動かなかったためであり桜井氏が何か成果をあげたからでもない、
常に批判の声しか聞こえなかったからだ。


いづれにしろ今回の選挙の争点が「脱原発」というとき原発事故の現場でも
そういうことより復興を迅速にしてもらいたいという望みが大きくなっていたのである。
「脱原発」を東京都の争点にしているがこれは国政の問題であり地方の問題になると
その事故の現場でも復興が先になっているのである。
まず除染とか復興がなければ流出した若い人も帰らないし住むこともできないからである。
脱原発は当然でありそれ以上に復興が先であると思っていた。
その復興には行政能力がある経験者がいいと思っていた。

相馬市でもぎりぎりで現職が勝ったがやはりどっちにしろこの辺ではいろいろ不満が多いからそうなる。
以前として南相馬市ではそうした不満を解消するのは困難を極めている。
市長が継続しても脱原発は凍原でありそれ以上に復興が問題でありそれは同じようになかなか進まない、
復興に関しては自民党の方が行政能力があると思った。

ともかくこの辺は市長だけで復興などできない、市民自体のやる気も必要となっている。
現状はほとんど工事にしても何でも外部の力に頼っているのだ。
ボランティアもまだ来ているし内部の人がただ補償金で怠けているとかそういうことが復興のさまたげにもなっている。
いづれ外部からの助けは減ってくるし現に減っているのだ。
そして援助も打ち切られ今度は自分たちで復興せねばならなくなったらどうなるのか?
三年目でそういう正念場に入りつつあるのが現状なのである。

posted by 老鶯 at 09:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2014年01月19日

南相馬市の鹿島区の横峰溜池ー西高松ー深野(豪倉)ー長野ーイオンー駅前シャーター通りー六号線の新しいレストラン (この道筋で南相馬市を考える)


南相馬市の鹿島区の横峰溜池ー西高松ー深野(豪倉)ー長野ーイオンー駅前シャーター通りー六号線の新しいレストラン


(この道筋で南相馬市を考える)


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ここにも新しい家が建った
鹿島区では新築ラッシュである。

二本の樹は津波の跡にも残っているけど人間化した樹なのである。
だから人間を見ているのである。

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クリック拡大

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ここの牧場も広いから跡地をどうするのか


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深野のバス停

ひびきあふ二本の樹や冬の朝
朝飛翔梢の高きに冬の鳥
豪倉やここにまた来て冬の暮

新年や山鳩五六羽なごむかな

数十羽凍れる堤に鴨群れて山に日さしぬ冬の朝かな

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鹿島区の寺内から横峰堤を回り西高松から深野にでて長野を通りイオンにより駅前通りを来て六号線の新しいレストランによった。そこで見えてきたものは何か?

西高松には廃棄された牧場があった。牧場は広いからその空き地利用に困る。もう牛を飼うということはないのだろう。するとその跡を何に利用するのか?
ただ荒地と放置していてまた元の森にかえるのだろうか?

西高松から今度は深野(ふこうの)に出るとそこにいつものように「豪倉」というバス停がある。その地名は郷倉のことである。飢饉の時のために米など食料を貯えておく倉があった所なのだ。今はただ地名だけになっている。でも地名は明らかに歴史の遺産なのである。あそこで意識されるのはこの豪倉なのである。他にはなにもないからだ。
今回の津浪原発事故では二週間は米とノリくらいで過ごした。そして米もなくなったとき、鹿島区では古米が配給されたのである。それで助かった経験をもっている。
まさに郷倉の役目を果たしたことがあって見直したのである。
災害であれ飢饉であれ貯えておく必要があったのである。
相馬藩では飢饉の経験からそうした対策がとられるようになった。
でもあそこの地名を注目している人はまれだろう。
ただ地名の寿命は長いのである。建物がなくなっても地名は残っているのだ。
もし地名も消えれば過去の歴史も消失するのである。


長野からイオンに回って駅前通りを行ったら何か原町の通りは本当に震災前より格段にさびれ方が激しい、本当にシャーター通りになり何か異様なものさえ感じてしまう。
そもそも震災前からも駅前通りはさびれていた。とにかく時代にあわなくなったのだ。
結局町の興亡はどこにでもありどこにでも古町がある。
それだけ町は変わりやすいのである。ただこれだけ大きな街がシャーター通りになるのは街のイメージとしては影響が大きいから原町は深刻である。
もう根本的に大改造しなけれはばならないがそれがむずかしい。
それだけの財源もないし街が大きすぎることも問題である。
そして人間はどうしても明るい所にひかれる。
何か駅前通りはさらに暗くなっている。
喫茶店でもレストランがあっても何か暗いなのである。
レストランンでも見晴らしのいいところはそれだけで価値がある。
食事もそれだけでうまくもなる。
それが駅前通りにはないのである。明るさが欠けている。

相馬市も暗い感じになるのだけど城下町の風情がまだ残っているから違っている。
原町のシャーターと通りは深刻である。改善が容易ではないからだ。
図書館だけがモダンな明るさをもっているだけになっているのも淋しいのである。
図書館はもともと閑静な所にあるもので駅前にふさわしいかどうかはわからない。
むしろイオンのようなものがかえって駅前にあった方が人は集まる。
そうした街作りをした所もあった。


六号線の方はそうした暗さを感じない、レストラン街であり前と同じようににぎわっている。新しいバイキング風のレストランも開店したのでよった。
一〇〇〇円は高いかもしれないが喫茶店としても機能しているので自分には良かった。
原町には六号線沿いに喫茶店がないのが困っていたのである。
でもあそこは喫茶店の代わりにはならない、なぜならランチだけであり三時間くらいで終わるからである。だから今までも開店していたのは知っていたが時間の関係で入れなかったのである。
ともかく駅前通りにはほとんど行かない、何かやはり暗いというのが影響している。
全体の雰囲気が影響している。何か本当にゴーストタウンのようになっている。


山鳩が五六羽集まっていた。そこになごみを感じた。今年は山鳩のようなものが集まりなごみ平和でありたいというのが自分の願いである。
これまでも書いてきたが自分が困ったとききた人たちは獣だった。
自分を苦しめるために来た人たちだったのである。
まあ、まだ新年なのだろう。


今日は市長選挙だけど誰に入れていいかわからない。
結局老人は老人にやさしい人を求めるのもどうしようもない。
自分の利益が大事になるのも選挙である。
なぜならまず一人暮らしの老人のことなど政治で考える人がいないだろう。
どれだけ自分はそのために苦しい目にあったか?
今でもあっている。
そういうことを考えるだけで実行しなくてもそういう人がいいとなる。
そうなると誰に入れるかわかってしまうが人間は利己的なものなのである。
自分の利益しか考えない、だから利権政治になるである。
誰を選んでいいかわからないからそうなってしまう。






2014年01月18日

一致して抗議できない小高区は合併して損した (分断された南相馬市は国や東電の策略にはまっている)


一致して抗議できない小高区は合併して損した

(分断された南相馬市は国や東電の策略にはまっている)
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古代ローマ帝国は、支配下に治めた都市相互の連帯を禁じ、都市毎に応じて処遇に格差をつける分割統治によって、征服した都市からの反乱を抑えることに成功した。

19世紀以降の欧米の植民地経営は、この原理をよく応用した。イギリスはインドで、人種、宗教、地域の差異で分割した集団を互いに反目させることで長期の統治に成功した。ベルギーやドイツは、ルワンダ・ブルンジにおいてフツとツチに格差をもうけ、少数派のツチを中間的な支配層とした。これがルワンダ虐殺の遠因となったともいわれる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%86%E5%89%B2%E7%B5%B1%E6%B2%BB


まず暴動に関与していない囚人のグループを”良い”監房へ収容して彼等を丁重に扱い、そして関与した囚人のグループを”悪い”監房へと送り、過酷な扱いを行うことにしたのである
http://ronri2.web.fc2.com/game05.html


今回の原発事故では被害地域で放射能汚染の度合いにより区分けされて分断された。
そもそもなぜこんなに区分けしているのか理解しにくいところがあった。
浪江でもどこでも帰還困難区域だとかもう帰れない地域とか帰れる地域とかいろいろ別れている。それによって補償金も違っている。隣がもらって隣がもらえないというのも変なのである。隣同士でそんなに放射能汚染が違うと思えないからである。確かにわずかには違っている。でもその差が大きければわかるがたいして違わないのに補償金がもらえる家ともらえない家に分断された。それで部落全体に亀裂が入り相互不信になり協力できないようになった。原町区の大原でも道路を境に区分けされている。確かに放射線量は違う。でも本当にそんなにそれが問題なのだろうか?回りは山で森だとするとそこから放射性物質は拡散するから森全体を山全体の放射線量を減らさないと本当は減らない。
このことが最初から何か変だとは思っていた。

それでこれは放射線量によって市町村民の心を分断させている政府や東電の計略ではないかとも思った。確かに高い所は高いことはまちがいない。でもそれによって市町村が分断されることの影響の方が格段に大きいものとなっていたのである。

南相馬市は補償金問題でずたずたに分裂してしまったとか市長が言ったときそうだったのである。分断して困るのは住民だが政府や東電にとっては都合がいいのである。
被害者同士がいがみあい争いあい肝心の矛先である政府や東電に抗議が一致してなされないからである。だからこういういことは権力者側で計略的に行われてきた。
分割して統治せよ」ということである。

そして面白かったのが刑務所の暴動を抑えるために一部の囚人を優遇してあとは過酷な扱いをして分けた。その結果囚人同士がいがみあい暴動の力はそかれてしまった。

このことはこの辺でも同じであった。賠償金が高い人は本当に高い、でももらえない人はわずかしかもらえないし全くもらえない人たちも多い。それで人心は分断されてその抗議力は弱まってしまった。
その象徴が南相馬市だった。合併したばかりでそうなってしまった。特に被害が大きいのは小高区だったのである。小高区が主張するにも南相馬市全体として主張できない、浪江町がうらやましいというときまさに小高町はないのだからそうなってしまった。
小高区が一番深刻な問題をかかえているからそうなったのである。

一方で原町区でも鹿島区でもまた別な問題をかかえている。だから小高区きことばかりに関心を集中できないのである。南相馬市の一部としての小高区の問題になってしまっている。つまり小高区は浪江町なとのように小高町として主張するのが今は良かった。
小高町の問題は浪江町のように避難区域と同じように深刻だからである。
一方で原町区と鹿島区は小高区ほどは深刻ではない、だから小高区の人の気持にはなれない、そして小高の人に補償金でうらやむだけだとなる。そういう具体的な地域の分断もあるが補償金でも人心が分断されているのだ。

だから行政側にしてもその分断された地域をまとめることでめんどうになる。小高区の主張がわかるにしてもそれを全面的に市の政策として訴えることができないのである。
だから何かこれは政府や東電の計略じゃないかという疑問を最初から感じた。

だから一つの市町村である地域が住めないとかある地域はもどって住めるとかいうのも不自然である。なぜなら土地はつづいているしある地域にしろ自然は一体なものとして存在している。だから山や森から放射性物質は区分けしても飛んでくる。
水だって飯館村を核の廃棄場にしたら南相馬市にもその汚染された水は流れてくるのである。自然はもともと広域的につながっているのだ。だから一部が帰れて一部帰れないという線引きは科学的なようでもそれによって人心も様々なものが分断される。その影響の方が大きいのである。そういうことを考慮しないでただ科学的だからたと線引きしていることに問題がある。それは延命治療とかともにている。最後の時はそんなことより科学的なことよりその人の人生の価値を優先してしたいことさせるというのも考慮すべきである。それて寿命を縮めてもいいと思う人は多いのである。
だから市町村を分断したり帰りたいものを帰さないのも酷なのである。チェルノブエリでは老人は帰り野菜すら栽培して前のように住んでいたのである。
それで寿命が縮まっても前住んでいたところに住んでいたいはいう人は住ませるべきなである。すべて放射線量で区分けしてそれを絶対化するのが疑問なのである。


いつれにしろ今回の選挙は誰に投票していいかわからない、小高区の人は小高の要望に答える人にと思うし鹿島区の人も同じである。原町区の人もそうである。原町区の人は鹿島区に30キロ圏外で補償金を払われないというとき市の財政の調整資金から一時的に出したことに不満だった。その不満はかてりときなものだったのである。そんな無駄な金を使うなということがあったのだ。でも鹿島区の人にしてみればなんだとてり喧嘩にもなるだろう。そういうふうに南相馬市は心も補償金などで分断されてしまったのである。
そういう点で鹿島区の要望を受け入れた桜井市長は鹿島区の票は入るかもしれない、一方で大票田の原町区が不満だから票が入らないとなると苦しいとなる。
それは上からの権力者側からの分断政策でもあった。肝心の抗議すべき対象が政府や東電ではなく仲間同士になっているからだ。だからこれは囚人の暴動を弱めて心理的策略と通じるものがあったのである。

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2014年01月17日

南相馬市の将来はどうなるの? (誰を選んでいいかわからない南相馬市長選挙)


南相馬市の将来はどうなるの?

(誰を選んでいいかわからない南相馬市長選挙)

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今回は誰がいいのかわからない、前回は桜井氏が渡辺氏を批判して当選した。渡辺氏は何か自民党の古い体質をひきづっていた利権構造の中で生れた市長とか言われた。
だから立派な図書館など必要ないとも言われた。高校生のたまり場になるだけだとかも言われた。現代ではインターネット化してモバイル化しているから図書館の役割も問われていたからだ。ここ七年間図書館には行っていない、前は調べもので行っていた。
図書館は調べるのにも時間がかかり手間だからできなくなった。
インターネットのようにキーワードで調べることなどできないしいちいちコピーするのもめんどうなのである。ただ郷土史関係では図書館にしかないものがある。


こうした利権に対して批判する人も多かった。かといって政治に利権はつきものだし利権から離れることはできない、自民党型の政治家だったなのだろう。桜井氏はちょうど政権交代した民主党型の政治家だった。理論化だったけど現実の政策実行では手腕を発揮できない、決断できないと批判された。自民党に民主党が崩壊寸前に敗北したのとにている。渡辺一成はそういうタイプなのかもしれない、70歳であり体力に問題がある。
桜井氏は小柄なのだけど体力には自身がある。あの年でマラソンしているというから驚く。65歳の横山氏は何か老けて見える。何か老人になるとやはり外見を気にする。
あの人は老けたなとか女性でもそうである。横山氏は白髪が多いし額に皺がかなりよっている。渡辺一成氏もやはり体にバイタリティが感じられない。体力的には小柄だけど桜井氏が一番あるみたいだ。政治は体力ではないけどそういうものも影響するかもしれない、ただそんなことで今回決めるのかとなるとか自分も未定でありわからない。
この人がいいというのはいないし何かそれはみんな共通している。


渡辺氏が経験者で無難で堅実でいいのかとなるのかもしれない、他になかなか選択がない。横山氏はどういう人なのかわからない。桜井氏は今回の津浪原発事故の処理で実行力がないと盛んに避難された。ただ外部に対してのメデアに対してパーフォーマンスだげが目立つ。ただ渡辺氏のように利権構造の政治家でないから悪いことはしないはという評価もネットで語られていた。それは民主党と同じなのである。自民党のそうした旧来の利権構造の政治を批判して政権交代できたのである。でも結果は大失敗だった。

ただ自分自体が政治に疎いしこんなことを言っているのはネットの地方版で読んだだけの知識くらいしかないから正直語れないのである。

ただ今回の津浪原発事故のような大異変があったとき、こうした老人ばかりの政治家で果たして市を引っ張っていけるのかという疑問である。すでに若者は流出して南相馬市は65歳以上の人口は30パーセント以上なのである。高齢化社会が急速に一足早くここに生れている。だからシルパータウンとかの老人特区みたいな構想が出されるのもわかる。
一つの政策として老人が住みやすい、癒しのある市を作るというのも悪いことでない。
それは日本の少子高齢化社会の先取りモデルともなる。

でもそれだけだと衰退してゆく斜陽の市となる。第一こんなに大異変があり変化したとき、それに対して老人だけが指導者になりシルバータウンなどということばかりでは市の将来はないだろう。だから問題は日本全体でもそうだが将来を担う若者が政治でも牽引力を発揮しないと将来はないだろう。
結局は全国でも老人の老人による老人のための政治になっているのだ。
若者が流出している南相馬市では特にそうである。老人票を獲得しないと当選できない、若者自体少ないのだから票田にはならない、すると余計に老人のためにいいことを言うようになるのである。それは全国でも同じである。


ただこの辺ではこれだけの異変があったらもう旧来の発想では市を作れない、例えは農業とか漁業とか林業が壊滅するとき、それらが一割しか全体の生産力がないとしてもやはりそれは自然と直結しているからその基盤となりうる。そもそも水であれ土であれ森であれ放射能汚染されてわかったようにもうその根底を成すものが失われたら汚染されたら住めないのである。確かに今は金があれば広域社会で外から入るもので生活できる。

でも水が放射能に汚染されているとなると飲み水も安心して飲めなかったら誰も住みたくないだろう。田舎ではいくら第一次産業のしめる割合は一割くらいしか寄与していないとしてもやはり自然を基にして生きている場なのである。
だから田んぼも畑もない世界は何なのだと生態系の変化についても書いてきた。
田んぼもない畑もない世界が理解できないからそうなった。
土から離れた郷土史もありえないとも書いた。


田んぼと山は密接につながっている。田んぼに水を供給するから山も崇められていたし先祖が眠る場所とされ田植えの時期には春から下りてくるという信仰が生れた。
そんなものさえなくなったらどうなるのか?そういうとまどいが以前としてあり
実際は未来を描けない混乱の状態はつづいているのである。
津浪や原発地帯を観光地化しようとか外部の人が言うのもそのためである。

漁業とか農業とか林業もない世界を考えられないからである。
ただ一方でそういうことを全面的ではなくても志向せざるをえないものもあるのがこの辺なのである。だから川内村では放射能と関係ない花作りの村にしようとか構想をだしたのである。

自然は全部放射能で汚染されたわけではないからだ。目に見えないものだから何が汚染されたのかもわからないのが放射能汚染だった。
ともかくこの辺の自然はもともと図にかいたようにシーサイドとマウンテンサイドゾーンに別れていた。その中間が平地でありシティでありタウンゾーンになっている。

自然の地勢はこのように別れていることは今でも変わりない、海も山もあるからサイクリングするには気持いいとかなる。海風が気持いいからである。山もまた陽が沈むとき趣がある。つまりSUNSETZONEになるのだ。実際は橲原から橲原渓谷の上流をたどってゆくとそこはまだ人も踏みいらぬ秘境がある。丸森にもあったがここにもまだある。

そこには石が岩が主のようにあり神秘的な花が隠れるように咲いているのだ。
飯館村はさらに実際は隠された村であったし隠された地域が山の裏側にあった。
自然がその光が陰影を深めるところが隠されてあった。ただあそこが道になったときがっかりしたのである。今になると道など作らねば良かったともなる。
飯館村は何か原始の状態に逆戻りしてしまった不思議がある。


こうして自然が別に全部消えたわけでも汚染されて見る影もなくなったということでなはい、だから以前として自然から構築される市作りがイメージされるのである。
ただそれをまだまだ具体化するには時間がかかる。あまりにも変わりすぎたし田んぼや畑のない世界がイメージできないからである。そういう世界をイメージする力は老人にはないかもしれない、あまりりにも変わりすぎてできないのである。
でも今や何らかそうしたものを発想して作り出すことはこの辺で強いられているのだ。それは市長選挙に出た人にはとてもできないと感じる。すでにみんな老人だからである。老人は今までの経験からしか発想できないからである。


ただこの辺はシーサイドゾーンをとうするかち、マウンテンサイドゾーンをどうするかシティタウンゾーンをどうするかという発想になることは変わりないだろう。そういう地形は変わっていないからである。ただ簡単には全体の構想をビジョンを作ることはかなりむずかしいのである。

soma united map
http://musubu2.sblo.jp/article/47296740.html

posted by 老鶯 at 21:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2014年01月16日

忘れやすい歴史認識力が欠如している日本人 (四〇〇年前の相馬藩の津浪災害も復興のために尽くしたとか美談化している危険)


忘れやすい歴史認識力が欠如している日本人

(四〇〇年前の相馬藩の津浪災害も復興のために尽くしたとか美談化している危険)


オームの事件も二〇年過ぎたのか?二十年過ぎると忘れないにしろ何か興味なくなる。関心もなくなる。あれだけ騒がれたものでももう日本人の関心は薄れオウム事件を知らない20才の若者もすでに発言していた。戦争のこともその遺品が売られているとか忘却されてゆく、ただ一通の手紙が残っていて家門の誇りとか家には迷惑をかけないとか書いて死んでいった若者がいた。家門などというのも今は相当な旧家でないと出ない言葉になってるだろう。まだ家というのが大きな役割を果たしていた時代だったのだ。
オウムのことも戦争のことも何だったのか?日本人は過去を執拗に探求しない、あいまいにして忘れてゆくだけである。台風一過のようにからっと忘れてゆく、それが日本の風土と関係していたというのもわかる。

日本は災害国家であり次々に災害が起きる。でもその災害も次々に起こるから忘れてゆく、津波はあまりにも大きな災害だからまだまだ忘れない、それでも部外者は関心がうすれているだろう。地元だとまだまだ生々しく津波の跡が残っているから忘れない。

神戸の地震だってもう二〇年過ぎたとなるとこれも過去のものとなる。特にもう地震の災害の跡の建物も建て替えられたりして元のようになると余計にあれだけの災害でも思いだすものがなくなってしまう。二〇年の歳月はそれだけ一昔以上になる。十年一昔というけど日本では災害が多いから次々にそういう災害を追っていると前のことは忘れやすいのである。大島での災害も部外者はすでに関心がない、新しいものが災害も事件も次々に起こるからそれに追われて忘れてゆく。全国規模になると世界規模になるとと大きな災害でも事故でも事件でも忘れやすい、それはニュースの画面だけで一時だけ見て終わりでありまた次に新しい事件があり新しいことが起こり前のことは忘れてゆく。


日本人の国民性は明らかに忘れやすい、過去を水に流すとか過去を記憶しないで次々に新しいものを求める。伊勢神宮の遷宮も二〇年ごとであり新しい宮に建てかえる。
つまり二〇年が区切りでありその二〇年で過去は水に流して忘れてゆく。
そして新しい宮で神様を迎える。新年を迎えるとなる。
だから初日の出とか初という言葉が日本人は好きなのである。それは忌まわしい過去など忘れて新しいものを迎えて再出発するという感覚である。これは神道の感覚でもあるのだろう。だから日本人は過去から積み上げた歴史が作れないのである。
言葉でも英語のように時制がないし過去を意識されないのもその要因である。

ただそれだけではない、日本人はどんな過去でも水に流したいという感覚がある。

一方でヨーロッパでもその文化が石の建築から成り立っているから石は二〇〇〇年前でも残っているからローマ時代となると現代と全くかけ離れた世界ではなく現代とも密着して連続したものとして具体的に意識されている。いたるところにローマ時代の石の遺跡がヨーロッパに残っているからそうなる。二〇〇〇年前からでも歴史を過去から積み上げて認識することが具体的にも言葉でも様々な文献でも何でも過去から現代を認識されやすいのである。中国も歴史の国であり青史に名を残すとは歴史に名を残すことを生きる目的としていることでもわかる。

日本人は過去を執拗に探求しない、過去は水に流すものである。そして絶えず新しものこそいいものである。だから日本人は歴史認識にヨーロッパや中国よりも比べて欠けている。あれだけの戦争のことも何だったのか日本人は追求していない、過去は水に流す方がいいのだとかなりただ美化するようになる。

この辺で学者でも小説家でも相馬藩が四〇〇年前の慶長津波で七〇〇人溺死と記されていたがそれ意外のことは一切記されていない。それでも城を中村に移したのは津浪の復興のためだったとか小説でも美談のように書かれている。相馬藩の侍でもそうした津浪の復興事業にかかわったことなど一切記されていない、でもあたかもそれが事実のように美談のように書いている。だから知らない人はそんなことがあったのかとその架空の小説が歴史だと思う人も結構いるのだ。それは戦国時代でも維持維新でも小説化ドラマ化されると何か事実なのかわからなくなる。ドラマを事実だと現実に思っているいる人も多くなるのだ。なぜなら大衆はわかりやすいことを望むから水戸黄門のうよなドラマの方がわかりやすいからそういうもので歴史をみてしまう。


歴史が事実を基にしていることは間違いない、架空のことを事実としたら歴史に対して間違った認識を与えるから危険なものになる。相馬藩で慶長津浪で七〇〇人溺死と記されたことは事実である。ただそれ意外の事実は調べようがない、わからないのである。だから小説でもたいがい事実を基にしている。その事実が全くないのに現代の公共事業のように津浪の復興事業が行われたとか書いているし学者も小説家も書くのは何か納得できないのである。歴史小説でも事実を踏まえて探求したものを書くべきだろう。そこに小説の重みも生れてくる。

いづれにしろあれほど騒がれたオーム事件も二〇年たって自分自身も興味なくなった。
津浪とか原発事故とかの当事者になったりして余計に興味なくなったのである。

一身上のことでも大事件があったりすると人間は自分のことに追われて忘れてしまう。
今年だってそうである。離婚騒動にまきこまれ新しく出会った人間に関心をもち前につきあっていた人は忘れてゆく、結婚でも何十年で一緒にいても離婚したらまた忘れてゆく。人間は次々に新しく起きることに追われ過去は忘れてゆく運命にあるのだ。
年取ると段々新しく起こることについていけなくなる。これから同時代の人も次々に死んでゆく。
するとすでに同時代の人さえ忘れてゆく人が膨大になるのだ。
あの人死んだか、あの人も死んだか、あの人は何だったのか、もうどうでもいいやとかなり関心なくなるのである。ただ一時ニュースの画面に出て消えるだけなのである。

posted by 老鶯 at 20:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

2014年01月15日

ミミズが放射能汚染で注目された (郷土史も土に根ざしたものだから土を知る必要がある)


ミミズが放射能汚染で注目された

(郷土史も土に根ざしたものだから土を知る必要がある)


動物界の食物連鎖の最下位に属し、昆虫やモグラなどの小動物から鳥などの中型種、更にはイノシシのような大型のものまで、多くの動物の重要な食物として大きな役割を果たしている。
ミミズは、重金属や農薬などの薬剤に汚染された土壌に生息すると、それらの汚染物質を生物濃縮し、捕食した生物が中毒を起こす場合がある。ミミズ自身は、捕食者が死ぬような汚染濃度にも極めて強い耐性を示して生存し、毒ミミズ化することがある。このため、野生のミミズを捕まえて人間が食べる場合は注意を要する。また、このようなミミズを食べた鳥や魚の体内でさらに生物濃縮が進み、人間に害が及ぶこともある。

放射能大量流出事故を起こした日本、福島第1原発周辺地域のミミズは、まさに放射能の塊りであることが分かった。 ミミズは鳥類や猪など他の野生動物に食べられ、生態系の食物連鎖を通じて放射能汚染を拡散させる可能性が高い。

 長谷川元洋 日本森林総合研究所主任研究員(土壌動物学)が福島第1原電から約20km離れた川内村の国有林地帯でミミズを採集し検査した結果、1s当たり2万ベクレルの放射性セシウムが検出されたと<毎日新聞>が6日報道した。食用肉類の場合、放射性セシウムの基準値は1s当たり500ベクレルだ。

 <毎日新聞>は「ミミズは多くの野生動物の餌となる」として「食物連鎖を通じて他の生物の体内に次々と積もっていく現象が起きることが憂慮される」と伝えた。


事故で放出された放射性物質の多くは落ち葉に付着している。落ち葉が分解されてできた有機物を、ミミズが餌とする土とともに取り込んだのが原因とみられる

ミミズの土壌学
http://homepage2.nifty.com/ToDo/cate1/mimizu1.htm

ミミズは日本では嫌われている。外国ではミミズは必要なものとして嫌われていない、名前でももともとミミズは竜をあてている。モグラも土竜である。英語ではearthwormとか大地の腸とギリシャでは呼ばれていた。モグラが何か生命にとって大事なものとして認識されていた証拠である。

なぜか畑を耕す農民はそうした科学的な学問的なことを知らなくても土自体について実際に手を触れて栽培しているから土に関心がでてくる。
最近この辺で小さい畑をもって野菜を栽培している女性と知り合った。その女性はもともと農家の出だから土着的なのである。郷土史が土着的だと土に密着しているから郷土史だということを書いた。郷土史というのは土に密着した農民のことがわからないと本当は理解できない。侍とか戦争とかだけが歴史でないのだ。だからそもそも戦争の始まり村の森林資源の争奪戦から入会権からはじまったことを書いた。境界もそこから生れた。
つまり戦争になるのはそもそも村民同士の争いからはじまっていたのである。

例えば何か離婚したりすると必ず双方の親戚とか他人までまきこみ争いが大規模かするのとにている。誰でもそうした争いにまきこまれてしまうのである。

その小さい畑を耕している女性はいろいろ畑のことを言う,ネギは白い所より緑のところが栄養があるという。ネギは白いところを利用しているから緑のところが栄養があるとは思っていなかった。何かそうした野菜に通じている。土でも最近ネズミに野菜が食われたとかミミズが太っているとかいう。そしてネズミもミミズを食べる。
それではミミスは何を食べているのかというと土の微生物、栄養分を食べている。その糞がまた土を肥やして栄養豊かな土にしている。ミミズの働きは土を肥やすことがあまり注目されていない、ただこの辺でノネズミが特に小さなカヤネズミが増えたという。


主にオヒシバやエノコログサなどイネ科植物の種子や、バッタやイナゴなどの昆虫を食べて暮らしている。ただ、食物が不足すると自分の子どもを食べてしまう事もある。おとなしい生物でドブネズミのように人家に上がりこんだり、イネを食い荒らしたりすることはしない。
寿命は1〜2年程度である。

かつては農村周辺に家畜の餌、屋根材料などの目的で利用するための茅場、あるいは家畜の放牧地などがあり、そのような草原に多数生息していた。近年、それらの場所が利用されなくなり、遷移が進んで雑木林化したり、逆に開発されて消失したため、非常にその数を減らし、地域によっては絶滅寸前にまで追い込まれているのが現状である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A4%E3%83%8D%E3%82%BA%E3%83%9F


でもその女性が見たのはカヤネズミなのだろうか?この辺では津波と原発事故以来、荒野化してしまった。そこで生態系の変化があった。そのことも書いてきた。明らかにノネズミが増えた結果、ノスリが増えて定着した。七羽の精悍なノスリが集まっていのもみた。ただそれだけのノネズミがいるのだろうかと思ってもネズミは見れない、ただ畑をもっている人は見ることができるかもしれないし、ミミズも見たりする。
普通はミミズが太ったなどとわからないし関心をもたない、普通は見たくないということもある。ミミズは何でも食べる。ノネズミも植物でも虫でも食べるから生き残る。
一種類しか食べない動物は鳥でも生き残るには弱い、何でも食べられるのが雑食性が生き残る。熊とかは雑食性だからあれだけの大型でも生き残ってきた。


人間も同じだった。いろいろな食物を作っていれば飢饉にも強いのである。
米だけを商品作物として作っていた東北では飢饉の時、食料がなくなって被害が大きかった。粟でも稗でも山の産物でもいろいろ雑食的に食べていれば飢饉にも強いのである。
世界的にコーヒーだけを作っている所では他に食料を作っていなくて飢饉で被害にあったことが報告されている。

ともかく原発事故周辺ではミミズが放射能汚染で一番濃縮されやすいと現実に高いセシウムが濃縮されていた。それがなぜ問題なのかというとミミズを食べるものがノネズミから土竜から鳥からイノシシなどでも食べるとしたらノネズミは土を栄養分とするとき一番放射能に汚染されるから危険だとなる。それで飛べなくなった鳥とか鳥が減少したことが報告されている。でもこれは実際はわからない。飛べなくなった鳥など結構みかけるからでありそれが放射能の影響かどうかはぉからないのだ。


ただこの辺は津波原発事故の後に学問的にも政治的にもあらゆる問題の場所となってしまったのである。だからミミズでも外から放射能汚染を研究するから話題になり関心をもつようになった。一体自然がどうなっているのかも放射能汚染で関心をもつようになったのである。科学が苦手でも関心をもたざるをえない場所になっているのだ。
ただミミズ一つとっても生命は連関して全体の一部としてある。ミミスなくしてネズミも土竜も生きられない、植物なくしてまた動物も生きられない、植物を食べる動物がいて肉食の動物が生きられるからである。そういう食物連鎖の中に生命はありうる。
だから花はきれいだからと花ばかりに注目していると自然はわからない。


でもどうしても花のような果物のようなものに注意を向ける。ミミズに注目する人はまれである。ミミズはだからまた汚い格好の農民でもある。農民は人糞でも前は汚いものを扱っていたからである。それで嫌われたりしていた。今では農民でもみんなこぎれいにしているからそういう感覚がなくなったのである。農民でも今はみんな他と変わりない、なんかサラーリマンのようにしか見えない人も多いのである。

いづれにしろ郷土史が土着的思考が基本にあるという時、農民を知らなければ知り得ないということがあった。だから科学的なものは苦手でもミミズの働きも知らなければならない、そういう様々な関心をもたせたということでは原発事故周辺は何か様々な学問的テーマをもちやすい場所になるから他からいろいろな研究者も入ってきているのである。


ミミズってなんか嫌なんだよな
なんとも気味悪いんだよ
こんなものがなぜいるんだよ


馬鹿を言うなよ
ネズミがなければネズミも鳥も人間も生きられないんだぞ
ミミズは土を肥やしている
土が肥えるから野菜も作れる
その野菜を食べるのは人間なんだよ


ミミズがいないとネズミも生きられなくなりネズミを餌とする
ノスリなども生きられなくなる
イノシシも生きられなくなる
ミミズは地球の生命にとって不可欠なEARTHWORMなんだよ
大地の腸なんだよ


人間どもよ、ミミズをミミズ様としろあげめよ
ミミズなくして汝らの命もないのだぞ
汝らの命もミミズがいる故にありうる
それを心しろよ
だから無闇にミミズを嫌ってはいけないことを知れ

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2014年01月14日

茜雲(茜のような田舎の老いた女性のこと)


茜雲(茜のような田舎の老いた女性のこと)

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クリック拡大-七羽のノスリが集まる

陽の没りて夕月光り茜雲
冬の野に七羽集まるノスリかな
枯芒今日もこの道行き帰り


仮設の食堂を2年間働いていた60代の女性がやめた。ほとんど賃金は支払われなかった。ボランティアではないと怒っていた。福祉でも働きに応じた賃金は払わないと違反になる。差し引くのは市役所の方であり働かせている方ではない、あそこの店はもうつづかない、客もめっきり少ない、ただ主人が店に威張っているだけである。主人はなにもしない、ただふんぞりかえっているだけである。あんなのだからただ働きさせていた。
まず小さな店でも一人ではできない、働いていた女性は得難い人材だった。
あういうマスターの場所では働く女性はいないと言っていた。親戚の女性も働いていたが今は働いていない、嫌がってこなくなったというのもわかる。
結局経営は人を大事にしなければ人の協力を得なければ成功しないだろう。
働いていた女性の言い分が最もなのである。
ただ大きな会社で働く人はまた違っている。店のものを盗むとか大きな会社になるとまた違ったものになるだろう。社長は社員を信用してはいけないとか言う人もいる。

とにかくいかに社員でも何でも盗む人が多いかである。

それが一番雇う時問題になる。それで自分は大失敗した。
家ので働く人はよほど信用がないと入れてはいけない、これは会社とは違うからだ。
そういう人材を得ることは簡単にはできない。
小さい店とか会社だと会社は家族のようになる。大きな会社とは違う。

だからあのような暴君のような男性がマスターではとても店ははやらない。
威張ってばかりいたというとき、自分の母方の祖父にあたる男性も警察署長でありその後退職して機織り工場を経営したけど失敗して家族離散になってその子供は塗炭の苦しみを受けることになった。「威張ってばかりいた」というとき警察署長の時もそうであり機織り工場を経営していた時も威張ってばかりいて何もできなかったのだろう。
家族でも社会でもそういう人はいるのだろう。
自分は祖父といっても会ったこともないから客観的に今評価する。


人材ほど人ほど大事なものはなく得難いものはない、それはここ7年間の苦労でみにしみた。家の中を荒らされて大きな財産を失いその後も自分の家の混乱と自分の病気に乗じてとれだけ苦しい目にあったか書いてきた。人間はこんなに非情なものかと思った。
あとで知り合った人は有能な面はあったが非情だった。
今度知り合った女性は違っている。

それは猫が子を生んだ時、かわいそうだけど捨てるからなと親を見て言うと納得したとか言うのが不思議である。猫についてはいろいろ語っている。捨てる時は民宿のようなところに捨てるという。余り物が豊富だからだろう。
最近野良猫が来るので餌をやるが一旦野良猫になるとなれない、餌が欲しくても距離を保ってしか近づいてこない、近づくと襲いかかるように口をあけて警戒する。それは見ていると怖い、結局飼い猫の時はあんな様子は見せなかったろう。野良猫になりうろついては追い出されたりして人間を警戒してなつことがなくなったのだ。
ただもともと飼い猫だから家の中に平気で入ってきて炬燵の中に入って寝ていたりしていたのである。あれも飼い猫のためだったのだろう。

ともかくその女性の語ることを聞いていると情のある女性だということがわかる。
だから一人の男性は親身になっていろいろ相談にのっている。今日も電話をかけたのが宮城県であり市役所の男性だった。いろいろアドバイスしてくれる。

何か人に頼むのがうまいのである。ただそれは言葉ではない、心がいいから男性も親身になってくれる。
その女性は女性とは見えない、若い時も体の体型が何かぶさいくである。顔はそれほどでもなくても体が太っていて体型が不細工なのである。だから若い時だったら男性も魅力を感じたとは思えない、ただ今も十歳老けてていも話すことが面白いのと心がいいということでその女性は男性に協力させる。それは若い時のとは違う。


ともかく人間の孝不孝は本当は金では計れない、その女性は貧乏だけど男性にたすけてもらえる。それは美人では全くない、その女性がもっている別な要素がそうさせている。
すでに10歳老けていて皺が多く女性にも見えない、でも60代以降は実は女性でも男性でも価値観が変わる。外見よりその人のもっている内面の方が大事になる。
だから年取ってから若作りしてもそれがいいとは限らないのだ。
つまり年になると別な方の魅力に価値がでてくるのだ。それは肉体の若さとか外見ではない、その人のもっている心の良さとか話が面白いとか何か別な人間的魅力である。

だからいくら金を得てももっていてもそれだけで価値は生れない、確かに日々の生活は金なきだけど金をもっていただけでは価値は生れない、別に美人でもなく年が十歳老けていても体が不細工でもその女性のもっている価値があるから男性に助けられる、だからそういう女性も金がなくても幸福だとも思った。
一方で金があっても不孝な女性はいる。性格の良くない、話も面白くないとなると年取ってから体とか顔とか外見ではない価値が大事になる。
その辺を女性も勘違いしているのだ。若作りしてももはやそこには価値がなくなっているのだ。若い時と年取ってからの価値観は180度変わることがありうるのだ。
そこにまた人生の誤算が生れるのである。


茜雲というとき寒い中にほんのりとは赤くなる雲であり何かこの女性のような感覚にもなる。寒いんだけどほんのりと赤いものがある。そこ冬の月が光りでている。


ノスリが七羽も集まったのはめずらしい。七羽はこの辺ですみついたのである。何かネズミでもいたのか?畑にはモグラもでているしノネズミもでている。それは畑をもっているとわかるのである。土が掘り返されたからでてきたのかもしれない、だからそこに集まってきたのかもしれない、セキレイまで集まっていた。地中から虫などがでてくるのかせしれない、まだまだ寒さはつづく。


「あかねぐも」(茜雲)とは、朝日や夕日を浴びて茜色に照り映える雲のことです。朝日に限って言うと、東の方が赤くなるので、「東雲」(しののめ)といいますね。「あかね」というと、よく女の子の名前にもつけることがありますが、本来は、アカネ科の蔓性の多年草で、晩夏、多数の淡黄緑色の小花を円錐状につけます。その根は赤い染料に使われたり、薬用に使われたりします。ですから、「あかね」は、赤根からとった言葉です
http://www.caguya.co.jp/blog_hoiku/archives/2006/03/post_206.html


茜は西だから西の雲が赤く染まることでもある。朝日で染まるのはまた違っている感じがする。茜雲は今の時期何度も見た。ほんのりと赤くなる雲である。
自分のあった女性がイメージされる。それは恋愛関係とか全く関係ない、茜は赤根であり何か赤い大根とかでもあり蕪とかもイメージされる、田舎的なものがイメージされる。
「あかね」とは女性の名前としてもいいなと思った。

2014年01月13日

森林資源(入会権)をめぐる争いと原発事故は重なる (エネルギーが文明の基だったことは変わりなかった)


森林資源(入会権)をめぐる争いと原発事故は重なる

(エネルギーが文明の基だったことは変わりなかった)

●歴史でもカルマは繰り返される


人間の今を考える時、必ず過去をふりかえる必要がある。なぜなら今は過去の延長として今があるからだ。今の状態が突然生れたのではない。過去の積み重ねで生れたのが今である。その今を知ろうとした時、歴史をふりかえらなければわからない、歴史は千年とかの長さが単位となる。人間がカルマを繰り返すという時、カルマとは業でありこれは個々人の人生でもカルマを繰り返している。親の人生と子の人生が同じになっている人が丹念に調べれば統計をとれば良く聞いてみればそうなっていることが多いということがある。
それはだから特殊な一個人の問題でないからカルマは個々人の人生にとって大きな課題となる。カルマ解消しないとカルマは何代もつづき災いは消えないともはなる。

その人間の業を考える時、それは人類の発生当時からはじまっていた。原発事故でもプロメテウスが火を盗んで過酷な最大の罰を受けた。これも原発事故とにていた。原子力とは核戦争で人類が滅びると盛んに言われた。ただ平和利用はいいから推進されてきた。
実際はそうではなかった。鉄の利用も危険だとローマ時代に制限された。鉄になるとやはり武器でも殺傷能力が格段に高くなるからその危険を感じたからそうなった。
鉄でさえそうであり原発ならさらにそうだった。ただそうした危険なものを感知すく能力が衰えてきた。科学というのは原子力だろううが何だろうが人類に貢献するものとしていいものとして肯定されてきたのである。


●森林資源の争いで境界が生れた


人間の業という時、カルマという時、すでに同じようなことが歴史であった。
なぜ丸森の森をめぐって相馬藩の玉野でも大規模な森林資源をめぐっての争いがあったのか?そこには米沢藩と伊達藩と相馬藩が三つ巴の争いとなった。それから飯館の飯樋でもあった。そのことはプログでも書いた。そこはちょうど相馬藩と伊達藩の境だった。
飯樋ではもともと小規模な村と村の入会権の争いのようなものであった。なぜならその有力者同士が親族でありその親族の一方に相馬藩が合力したからである。そして伊達藩と相馬藩の境が形成された。この入会権は近江の方でやはり森林資源をめぐって村同士が互いに合力して大きな戦争に発展した。戦争の原因が大名同士ではなく村の森林資源の入会権からはじまっていたのだ。

このことは今と関係ないようだが深い関係があった。なぜなら森林資源は今の石油や原子力にも相当していたのだ。木は燃料として不可欠であり器も木で作っていたし家も木で作っていたから木なくして生活は成り立たない時代だったのである。その後も木は炭を作るものだから木なくしてそもそも生活が成り立たない、鉄を作るのにも大量の木を必要としていた。なぜなら炭を利用していたからそうなった。そしてこの辺でも森がかなり破壊されて自然が破壊された。だから原発事故で自然が破壊されたというとき、すでに古代にさえ同じことが起きていたともいえる。それだけ木は大事なものだったのである。

例えは燃料がなければ薪がなければ食料があっても食べることができない、煮炊きしなければ米でも何でも食べることができない、冬の寒さもしのぐことができない、それは震災で津波で一時電気もストップしたとき、裏山の水をくみ薪を燃料にして米を炊いていた三陸の人々がいた。それは昔の生活にもどらざるをえなかったのである。つまり木はそれほど昔は大事なものだった。
それが今は忘れ去られていたのである。日本の森が多く木がふんだんにあっても外国から輸入して利用もしないからそうなった。だから森や木の価値がわからなくなっていたのである。


●プロメテウスの神話は原発事故を予言していた


この森林資源の争いは石油の争いともにている。石油がなければ現代の生活は成り立たない、石油が電気を作りあらゆる日用品も作っている。それは木の資源と同じなのである。だからこそ石油をめぐって戦争までに世界でなることは同じことなのである。
つまり一地域の歴史でも世界的なものグローバルなものとしてとらえることができる。
紛争の根は一地域だろうが世界的だろうが同じだという人間の普遍的真理にまでいたる。つまり人間の業は世界的にも同じカルマ(業)をもっているからそうなる。つまり石油がなければ現代文明は崩壊する。電気が作られなければ現代の文明は崩壊する。エネルギーというのがそれだけ人間にとって命よりも大事なものとなっている。車でさえガソリンがなければ動かない、それで一時ガソリンがこの辺では入らなくなり長蛇の列ができた。車があってもガソリンがなければ文明は機能しなくなる。
石油を得るのは中東であり危険地帯だから原発にも頼るようになった。それは今も昔もエネルギーが人間の生活の基であり命になっていたからである。

電気がどうして作られるか、基本的には石炭であれ石油であれ燃やすことである。だから木を燃やすこととさほど変わらないともなる。ただ原発は違っていた。それは非常に危険なものだった。そのことは実際科学者は知っていたが目をつぶっていたのである。
結局人間の業としてカルマとして原発事故も起こった。一旦電気という便利なものを手に入れたら手放せない、薪の時代に炭の時代にもどることはできない、電気はあまりにも便利なものでありこれなしではもう生活できなくなっている。
でも子供時代は炭の炬燵であり裸電球で風が入ってくるトタン屋根の家で寒い寒いと寝ていた記憶がある。その頃、電気製品はないのだから湯たんぽなどは使っていてもその他の暖房はしていない、農家では一日中囲炉裏で薪をくべていたという。その囲炉裏の側で暖をとって寝ていたのである。これほど電気が普及したのは50年くらいであり人類史にすれば短い、でもこの50年で人類史では何万倍ものエネルギーを消費しているのだ。

マヤ文明は太陽の光が弱まるという恐怖のために人身御供して祈った。太陽がエネルギーの基だと信じていたからである。そしてその恐怖のために神殿を森に残して滅びた。
何か原発はその神殿とにていて回りに人が住めなくなり元の自然にもどる、森林におおわれて神殿が放置される。それも原発はにている。だから人間の歴史はカルマの繰り返しだとなる。それは個々人の人生でもそうであり延々とカルマの繰り返しになる。
プロメテウスの神話はすでにそういうことを予言していたのである。
神話なんか現代の生活に関係ないものだと思っていたがプロメテウスが火を盗んで過酷な罰を受けたのと同じ結果でにてないか?ストロンチウムの毒が一万年たたないと消えないという空恐ろしいことがこの辺で起きたのである。
だから原発事故周辺は神話が現実になった黙示録的なものも現実化している。
フクシマの惨状が人類の未来を暗示しているともなるのである。

posted by 老鶯 at 23:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

枯芒(野に咲く花と活ける花の相違)


枯芒(野に咲く花と活ける花の相違)


枯芒風に鳴るかな生きにけり

冬芒夕日のさして田舎暮る
凍みし土踏みて通るや田舎かな
野良猫の我が庭にきて日なたぼこ


華道家と作庭家との決定的な差異は、植物を単なる物と見なすか生き物と見なすかにある根とつながっていない草木は千代紙や毛糸と何ら変わりはなく、
http://kokoroniseiun.seesaa.net/


丸山健二の文を「心の青雲」のプログで度々とりあげている。生け花がどうして生れたか?華道がどうしして生れたか?それはそれなりに日本人が長い間の自然感が反映されたものだろう。仏教とも関係して華道も作られてきた。だから華道でも茶の湯でもそういう伝統は日本の自然と深くかかわって作られていたからいちがいにこうした伝統を否定はできない。ただそうしたものが家元制度とかいろいろ今では利権となって本来の意味がわからなくなる。伝統は必ず時代にそぐわないものがでてくる。
現代では花が外国からも入ってくるから多様であり生け花というよりはフラワーアレンジメントになる。正月の飾りとして近くの花屋が作ったようなものになる。
それが現代的なものとして芸術化していたのである。


もともと花でも植物でも何でも自然にこそ映えるのであり自然から離れたらその本来の美はそこなわれるのはどうしようもないのである。
作庭家にしても庭作りには石の配置などがすでに決められていて作られている。
だから漠然と石を置くわけではない、ただ作庭は土作りとか肥料も考えるとか野菜や米を作るような感覚になるのだ。生け花はただ花だけを取り出して飾るから本当の自然を知るというわけにはいかない。自然の一部を切り取る作業になるから根とつながっていないとなることは確かである。花そのものでも花だけが自然に咲いているのではない、自然という全体の中に花も生きている。だから花だけをとりごして壺に活けることは自然を切りとる作業なのである。ただそれも人間的に自然を活かすということであるからいちがいに否定はできない。


不思議なのは利休の茶の湯がなぜ堺という当時は世界と貿易していた都会で生れたのか?
そのことがわからない、


東山当時の茶の湯は(あばら家のような茶室ではなく)端正な書院造の部屋で中国の美術品をたくさん並べて鑑賞する美術鑑賞の場だった
http://musubu.sblo.jp/article/8976513.html

それから鎌倉時代に禅宗を基にして茶の湯が広まった。利休がわびさびの茶の湯の道を発明したわけではない、すでに禅宗から発しているから中国にも発していたのである。


華道になると壺も重要である。茶碗も大事でありだから陶芸が盛んにならないと茶の湯の道も盛んにならない。つまり文化は伝統は奥深いものでありまず華道や茶の湯は嫌いだという時、その伝統を深く今の人は知らないのである。自分も全く華道も茶の湯も知らない、第一めんどうだから茶にしてもただ安い茶碗を買って茶の湯のまねごとをしているだけである。華道についても全く知らない、でももともと伝統的なものには現代では忘れられたものが宿っている。だから日本の伝統的なものがこれから見直され国風文化の時代が来ているのである。


まず日本の文化自体が日頃身近に接することができないから余計に何か博物館に収納されているようなものとして見ている。能でも歌舞伎でも日本の文化は日本人の生活とかけ離れたものとなって保存の対象になっている。それは何か時代にそぐわないものとなり家元制度で利権として保存されているような感覚になるのだ。


枯芒が風が吹いて鳴った。その時枯芒も死んでいるのではない、生きていると思った。
風に反応して鳴るということが生きていることである。そういうことが華道にはない。
田舎でもほとんど舗装されているから土の道がなくなっている。
でも土の道だと凍みるのである。霜もたつのである。その土の道を踏む時、自然を感じるのである。
だから都会だとほとんど自然から遊離した人工空間で生きているのである。


話は変わるが最近、野良猫がくる。餌をやったからくる。その猫はもともと飼い猫だった。だから最初は人なつこくよってきた。でも野良猫になり野生に帰った。だから餌をやっても近寄らない、なつかなくなった。一目散に逃げることもあった。人間に追われるようになったからそんなふうに人になつかなくなった。こうなった野良猫は簡単に人になつかない、警戒心をもちなつかない。ただ餌が欲しい時、何か甘えるような声で鳴くのである。それはやはり一度人間に飼われた猫はなかなか元の野生の猫にはもどれないのである。

華道でも同じであり花は自然で本来映えるものだが花瓶に挿す花は人間化された花である。でも自然も結局、人間化されたとき自然は活きてくる。山に名前つけたり何でも人間化されているのが自然であり火星とかの山でも名前をつけると人間化する。でなければ全く人間とかかわらないから荒寥としたものとなりそれは活きたものとはならないのである。アダムがエデンの園で植物でも花でも名付けることが仕事だったのである。

それは自然を人間化することだった。庭にしても全く野生的なものとは違う。そこに庭にある石まで人間化されているのだ。だから津波で流された庭の石が残っているのも不思議だった。意志でも人間の情が移っているということもある。全く自然の石とは違っていた。自然の石でも境の石とか人間化されていて活きているから自然も人間によって意味づけられて価値を帯びているのである。

2014年01月11日

冬の暮(津波の跡の枯野の短歌十首) (三年目でも不思議な光景はつづいている)


冬の暮(津波の跡の枯野の短歌十首)

(三年目でも不思議な光景はつづいている)

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ノスリが飛んでいる

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クリックすると鮮明に見えます

冬の海鴎一羽の飛び行くや一本なほも残る松かな
一本の津波に残るその松の冬の海行く船一艘見ゆ
津波跡枯野となりて船一艘沖行く見ゆる冬のくれかな
寒々と雲浮き連ね冬の海枯野淋しく暮れにけるかな
数本の樹のなお残り津波跡誰か住みしや冬の日暮れぬ
ノスリ飛ぶ冬の夕空一本の松も露に残る影かな
津波より三年過ぎむなほ残る家の跡しも枯野となりぬ
葦原の枯れて沼地や陽の没りぬ右田の松原今はなしかも
海老の浜右田の浜烏浜枯野となりて昔にかえる
近くにも津波の被害語る人なお生々し冬のくれかな


津波の跡を見ているのはこれで三年目に入るけどその不思議さは変わりない、
こんな光景になっていること自体信じられないというか不思議そのものである。
津波の跡に残った樹を見ていると何か不思議である。
異次元の世界に来たような感覚になる。
この辺は何か写真でもまるでありえない風景が未だに撮れている。
これは別に写真をとる人が優れているのではない
その風景自体があまりにも普通でないから絵になっている
非日常的風景がまだつづいているのだ。
こういう風景は日本にはある。北海道はこんな風景が今でもある。
だから全くありえない風景ではない、でも津波の跡の風景はまた違っているのだ。

これって何なのだろうと不思議さが消えないのである。
何か幻想画のようにも見える。
こんなこと言っているとまた被害者にしかられることになる。
お前は犠牲者をどうみているんだとか言われる。
でもなんか不思議さが消えない風景なのだ。


まだあの津波に残った一本の松は残っている。そして冬の夕空にノスリが飛んでいる。
ノスリはここに住み着いた。それだけ餌になるノネズミが増えた。
でも人間の目ではまるでノネズミは見えないのである。
でも確かにここに住み着いているのだから餌があるから住み着いている。

こうした不思議な風景が普通の状態になるのはいつになるのか?
この辺では元の自然にもどったのだからそれを見ていれば別に戦争の焼け野原とは違っている。
街自体が津波で消滅したところはこれより凄まじいものとなっているだろう。
ここだって実際は海老でも烏浜でも何百人の人が住んでいた。
それが根こそぎ失われた。

そして復興住宅建築がかなり進んでいる。地元でも津波の被害者でも新しく家を建てた人は少ない、
ほとんどは復興住宅に入るのだろう。それだけの余裕がある人は少ないとなる。
この辺の変化はなかなか収まらない、その傷痕はあまりにも大きかったのである。

こういう写真は地元の人しか撮れないだろう。写真は撮り方によってかなり違って見えるからだ。
その土地に住んでいればいろいろな角度から季節でもとりやすいのである。

今までは別に変わってものとして写真にもとらなかった。
今はやはり何か以前として不思議な光景だから絵になっている。
まずこれだけの津波被害を経験することは何百年に一回だとなる。
そんな時にめぐりあわせたのも不思議なことだし被害にあった人たちにしてみれば
何でこんな不孝に会わなければならないかと嘆いているだろう。
その心境は被害にあった人たちにしかわからないのである。
その落差は地元でも大きいのである。

冬ごもる-冬の雲 (浜街道相馬の城跡へ-相馬に住むものの今の心境の短歌十首)


冬ごもる-冬の雲

(浜街道相馬の城跡へ-相馬に住むものの今の心境の短歌十首)

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冬の雲(抽象画)


一本の松に風鳴り墓地のあり名のしるけく冬の朝かな

知られざる道のあるかな冬日さし凍みにし道を我が踏み行きぬ
故郷の堤も凍り葦枯れて踏みいる人もなくして暮れぬ
かなたにそ蔵王の見えて雪厚しみちのく長く冬ごもるかも
六万石城の跡かな堀凍り行き交う人もまれなりしかも
街道に松の残りて北風の鳴りにけるかな城へ行き来し夕日さし暮る
街道の松並木くれ冬の月日立木通り我が帰るかな
日立木のまちばばしかな冬の暮我が通りつつ街道暮れぬ
東京の築地に行くと運転手昔を語る故郷の冬
冬の雲流れざるかな窓の外に遠くに行けず故郷に住む
北風の唸り吹くかな冬ごもり家にしありて古書を読むかな

北風のまた我が家に鳴りにつつ故郷に古り今年も生きぬ

一本の松がありそこに一家の墓地がある。そういうのは田舎にある。墓自体が贅沢だともなる。町内の墓地だとこみすぎるからだ。原町の橋本の墓地は広いから墓参りにはいい。でも実家の墓を新しくしたからいい。でも墓だけしかないのである。父親が埋まっているからと娘が墓参りにきても実家がないのも淋しいとなる。
墓碑に名も記されていない墓のことも前に書いた。金がなくて記されないというのも親不孝なのだろう。だからそういうことを考えると家の近くに墓地があるというのはぜいたくであり田舎ではそういう面で贅沢なのである。農家では代々家がつづくから良かったのである。墓は一つの拠り所にもなる。だから原発事故で避難した人たちはそういう拠り所をなくしたから辛いという面がある。
人間は住み慣れた土地を失うことがどれほどの苦痛なのか?そのことをあまりか外部の人は特に都会の人は考えないだろう。それは金では贖えないものがあった。

ただ今までは故郷があるのが当たり前であり家も墓もあって当然でありそんなものがなくなると想像すらできなかったのである。想像を絶しているのが今回の津波原発事故の被害だったのである。


あをによし奈良の家には万代に我れも通はむ忘ると思ふな


http://musubu2.sblo.jp/article/53189908.html

(原発で故郷を離れる人の心境の一致)


ここで書いたけどやはり家というのは40年とか住むしもっと農家などでは長く住んでいる。代々住んでいるから自ずと重みが生れる。家に対する愛着は田舎では大きい。
マンションに住むのとは違っている。つまり田舎では農家だったらその土地とも一体化しているから愛着が深くなるのだ。家にはまた思い出がつまっているから愛着がでてくる。単なる人が住む箱ではない、そして代々語り継がれるべきものがあると余計にそうであり先祖も家に生きるし土地に生きてゆく。そういうものが失われることは金では代えられないものである。だから外部からみるのとそこに住んでいたものの心境は相当に違っているし理解できない。都会の人には理解できないものがある。

六万石の相馬の城跡も淋しいものである。そもそも城があっても東北辺りは仙台をのぞいて淋しい田舎だった。だから自然がみとにしみるとなる。今回は電動のマウテンバイクで舗装していない道を分け入った。すると土の道だから凍みているのだ。それが冬らしいのである。舗装されているとそうした自然の感覚から離れてしまうのである。

冬籠もるというときもう都会ではそういう感じがなくなっているだろう。冬籠もるは農村的風景があると冬籠もるとなる。冬籠もるというときそれは生活自体も冬籠もるということがあれどは余計にそうなる。昔の冬籠もる生活は冬に備えて自給自足していたからそうなる。今は交通が発達したから冬籠もる必要はない、物はいくらでも入ってくるからである。だから現代は季節感がなくなる。
何か冬籠もるというと鄙びた所に今はあっている。みちのくは多少はそういう感覚になる。冬だったら相馬の浜街道も昔ならあまり行き来しなかっただろう。
今回は暗くなって帰ってきたから余計にそういうことを感じた。

冬の雲が窓の外に流れないというとき何かそれが今の回りの状態を反映している。
冬の雲はいろいろ暗示している。自分の生活もここ7年間は全く遠くには行けない故郷に閉ざされた生活だった。まさしく冬の雲に投影される心境がそこにあったのだ。
つまり俳句では特にそうだが短歌でもその歌われた背景を深く読む必要がある。
万葉集などの一首などになると一つの歌に一冊の本で開設くらいの背景があるからだ。
真野の草原にしてもそうである。そこには歴史的背景を読まなければ鑑賞できない。
その点奈良や近畿で歌われたものは万葉集より古い歌があり仁徳天皇の残された歌もある。あの仁徳陵の主かと思うとみちのくからすると古いなとなるのだ。


難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花


この頃は冬ごもりという感覚があった。今はとても感じられない、東京でも大阪でも大都会にはもう冬ごもりはないのである。

2014年01月10日

あまされる老人、貧乏老人 犯罪老人、精神を病む老人・・・ (高齢化社会の問題が深刻化する)


あまされる老人、貧乏老人 犯罪老人、精神を病む老人・・・


(高齢化社会の問題が深刻化する)


・1/7 18:14速報!泉修一容疑者(62)を殺人容疑で逮捕

・ストーカー相手から「結婚したい」「一緒に死にたい」などと言われていた
・角好江さんは、1年ほど前から合計9回にわたり警察に相談していた
・角好江さんは警察に「男に付きまとわれている」とストーカー被害の相談をしていた
・角好江さんが何者かにより殺害された後に出火

●居場所がない老人


前にもあったけどスーパーの前にベンチがありそこで酒飲んでいた老人は72歳とか言っていた。ただ若く見える、50代で仕事しているように見える。その人はトラック運転手であった。だから地元で働いたというより東京のちくじ市場に重に通っていた。他に市場があり通っていた。だから東京のことをしきりに言う。朝早く仕事が終わりすることがないからあとは酒飲んでいたという、歌舞伎町辺りでも遊んでいたのかもしれない、三島由紀夫が乗り込んで死んだ自衛隊の防衛省のある所が靖国通りがありそのことを言っていた。
東京に大学の時、4年間住んでいても地理はわかりにくい、特に山手線沿線しか自分にはわからなかった。あとは隅田川はまだ川があり自然があるのでいい所だった。春の日に百羽もの鴎が川に群れていたのも東京らしい。
東京都交通局都営地下鉄・大江戸線築地市場駅とかあるがこの大江戸線から電車が隅田川に出てくる時は何か春らしいものを感じた。東京で自然を感じる場所はあまりない。
浜離宮というのが近くだったことが地図でわかった。東京は長年住んでいてもなかなか地理はわかりにくいし歴史だってよほど興味をもたないとわかりにくいだろう。

その元トラック運転手は両国橋や蔵前通りのことを言っていた。両国橋は知っていても
蔵前通りは通った記憶がない、車で運転していれば記憶されるのだろう。
車では何々通りというのが大事だから頭に記憶されていた。電車の旅だと駅名が記憶されるやすいがまた忘れやすいのである。
そのトラック運転手の人生は東京まで行き来することであり東京が主な生活の場でもあったのだ。だから現代で錯覚しやすいのは田舎に住んでいると田舎でその土地を中心に生活していると思っている。でも実際は今の社会はどこでも広域化しているから地元だけで生活している人は少ないのである。農業が主な産業じゃないかと思っているが農業は一割にも満たない産業になっている。その他はみんな会社員なのである。
だから田舎は地元が中心の生活かと都会の人が思うけどそのトラック運転手は東京が生活の中心だったのである。こういうことは田舎に住んでいる人でも結構多いかもしれない。

●精神を病む老人も増える


こういうふうにその人は実際は農家であっても働いているのは会社である。その家は広く車が四台もあるという、そうなると広い庭がないと置けない、また孫も大人にっていて何人もいる大家族である。でも自分の部屋があり離れ家だってありそれだけの大家族でも部屋に困っているということはない、老人の部屋がないという人もいる。その人は住宅を借りていたから家族が多いから追い出されようなことになった。それで不満が高じて犯罪者になって自分が被害者になったのである。ただ別に同じ田舎で今も暮らしている。
その人は住居の問題であまされた老人だった。元トラック運転手はなぜあまされているのかよくわからない、ただ精神病院に一時いたり何らか精神を病んでいるのだろう。
でも話してみれば普通の人である。ただ何もすることがないと昼間から酒飲んでいる。
家でもあまされている、のけものにされていることは確かである。だから部屋はあり家が広くても家にいたくないという。この辺の詳しい事情はわからない。
相馬市の道の駅にたむろしている老人も家にいるのが嫌であそこでひがな何することもなく部落の人とたむろしているのだ。そういう居場所のない老人も増えている。

なぜ老人があまされたり居場所がなるかというと家が狭いというのも一つの問題ではあるがそれ以上に現代の老人は田舎でも仕事がその土地に根付いた農業などではない、みんな会社員であり広域社会で仕事している。そうなると一旦会社をやめるとその生活の根が農業ではないのだから継続できないくなり何か伝えるものもなく無用化することが多いのである。その老人は金には困っていない、ただ年金をもらったときだけニコニコ孫でもよってくるという。それだけしか金しか用がなくなっているともいえる。
前に書いた生活保護の女性は貧乏老人の問題であった。家からあまされて犯罪老人になってた人もいて自分が被害者になった。現代きの老人問題は老人が増えても社会的な役割をもてない、家での役割ももてないことが大きな社会的問題化する。
老人が少なく昔だったら老人の家でも社会でも役割をもてたのである。


●社会的家庭でも役割がなくなることは老人にとって非常に危険


その役割をもてないことが老人にとって意外と深刻なのである。それが痴呆症、認知症になる要因かもしれないからだ。自分の身内はそうだった。公務員をやめてか30年くらい何もしていない、家事もしていない、趣味にしてもそれはあっていなかった。あっていたのは看護婦や保健婦をしていたから人を世話する仕事だったのである。でもそんなことは全くしないし家事もしていない、そのうちボケてしまったのである。
人間は年取るといつのまにか黙っていても無用人間になりやすいのだ。

社会で無用化するといつのまにその人の存在さえ忘れられる。保健婦であれ看護婦であれ何であれ社会で活躍している時はそういうことはない、会社員でもそうである。でも一旦そういう社会的役割がなくなるとその人は実は社会から消えるのである。

そしてもうその人自体の存在さえ忘れられる。そして認知症になりボケたりして社会に迷惑をかけたとき迷惑かける老人として社会で認知されるというのも変だがそうなってしまう。だから人間はともかく会社をやめても何でも何か社会的役割をもく仕事をつづけねばとならないのだ。それは個々人によって違ってくる。でも高齢化社会ではこれは大事なことである。そうしないとその存在さえ忘れられ認知症とかなり社会の重荷負担になることが怖いのである。その原因はわからないにしても老人になっても何か社会的役割をもたないことは非常に危険なことである。

老人ストカーとかになって殺人までになっているのはよくわからない、72歳の女性に62歳の老人/かそんな激しい恋愛感情をもつものだろうかとも思う。

でも62歳でもまだ現代では若い人はいる。その差はあるにしてもそういう気持はわかる。なぜそういうふうに思いつめるかというと老人には後がないということである。何するにしてもこれは最後だとなるときの心境は若い人にはわからないのだ。これが最後の恋だ、あと生きるのも短い、何とか恋をなし遂げたい、できなければ一緒に死んでもいいとなるから老人は一面怖いわけである。それはドラマでもやっていたから現実にもあったとなる。ただドラマでは若い女性だったから違っていた。


60過ぎるともう何かする時間がない、だから何するにしてもこれが最後だとなり思いつめることはわかる。だから犯罪を犯しても恐れない、どうせまもなく死ぬんだ、やりたいことをやって死んだ方がいいとなるから怖い。この女性がだめだったら別な女性がいいとかの余裕もないのである。この心境は若い人も見習えばいい方に作用する。もう一年しか生きられないとなったら人間はどうなるのかそうなったら人間は何でも真剣になるだろう。
でもまだまだ生きられる時間は無限にあるように思っているからだらだらと時間を浪費する。そしていつのまにかみんな年取って時間がくなったことをしる。
それはもういくら金を積んでも過ぎ去った時間を取り戻せないから深刻なのである。


自分もここ7年間は全く旅行もできなかった。家の近間でも余裕をもって出かけられない状態だった。こんなことになるとは思いもよらなかった。なぜなら一カ月くらいいつでもぶらりと出かけて帰らなかったのが自分だったのである。それが一日たりともできない、6時まで帰らねばならないとかなっているからだ。そして誰も代わってくれるものもいないのである。そして一番思ったことはもう一度富士山を見てみたいと思ったことである。富士山がきれいに見えるところでもう一度見てみたいと心のそこから思った。
やはり日本に生れたら富士山を見て死ぬのがふさわしいとなる。富士山は日本の象徴でありそれは日本人の心ともなっていた山だったからである。
これが最後だとなるとどんな人でも見る目が違ってくる。しかしそういう日はついにみんなに来るのである。

posted by 老鶯 at 20:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2014年01月09日

生活保護者とにていた原発避難民 (働くとその分ひかれれは働く意欲がなくなる)


生活保護者とにていた原発避難民

(働くとその分ひかれれは働く意欲がなくなる)

うちは自営業で、生活保護世帯の人を雇っています
その場合、ちょうど半分減らされることになります。
働いている人の手元には50パーセントしか残りません。
残りは福祉に取られることになります。

どうしても減らされるのが嫌なのでしたら。
知り合いの人のところに働きに行って、それを黙っていてもらうしかないです。
(つまり福祉事務所に内緒で働く)
ですが、それがばれた場合
質問者様の稼いだお給料の5倍を「罰金」として取り立てられることとなってしまいます


生活保護者とかかわってこれもめんどうなものだと思った。生活保護がいいとか貧乏な格差社会では言われている。でも生活保護者にはいろいろな制限があるのだ。
生活保護以外に収入を得ることがむずかしいから生活保護内の金で生活しなければならない、働いても半分ひかれるとかなると働くのが馬鹿らしいとなる。8割もひかれるとかもありこれも変だなと思った。
その女性は生活保護者にしては性格がいい、話していても面白い。学はないのだけどもう女性としては見れなくても何か話をしていて面白いのだ。
ただなぜあんなに他人に平気でものを頼むのかわからない、頼むことになれているのか、頼み方がうまいのか自分もかなり使われた。自分も困っているから助けたから別に助けたとも思わない。でもあんなに身も知らない人にずけずけものを頼むというのもわからない。
自分はものを頼むということをほとんどしたことがない、する必要がなかったのである。今になり全部自分で家事からなにからするようになって頼む必要が出てきたのである。

あの女性の人生は実際はわからない、二回離婚しているし一時は金はあったというからどういう生活していたかわからない。
離婚している女性はたいがい貧乏になっている。まず女性だけで稼げる職業は看護師とか限られているだろう。
自分の家に来た人はそうした離婚した女性とか生活保護とか借金かかえているとか困った女性しかこなかった。そういう人には頼むより頼まれる方だったのである。


その女性は食堂で働いていて給料がもらえないことに怒りをぶちまけていた。食堂の仕事は惣菜なども作り客が多い時は忙しいからかなりの労働になる。自分も家事をしてみてこれもけ結構な労働だと思った。介護もしているから余計にそうなのだ。何でも労働自体はみんな楽ではない、労働することは実際は高くつくものであり時給などで計れるものではない、人間にとって一番貴重なものは時間だとするとその時間を奪われるからである。

働くということは働かせるとなると受動的であり奴隷的労働になる。ほとんどが今は働かせられている奴隷的労働である。時間給はみんなそうてある。一方で自ら働くという能動的な働くのはそれはその人の人生を作ってゆく。そういう働き方も少ないにしろある。
それぞれの才能を活かす働き方てある。江戸時代の職人のような働き方である。
その人がその個性に基づいて自主的に働いている。だから働くにしてもいろいろあり働くことは多様なのである。


その女性は憤っていたのは食堂の経営者が賃金を払わない、その理由が生活保護者であり払うと法律違反にるからという理由だった。でも労働自体は結構楽ではない、生活もぎりぎりであり困っている。この辺では支給額自体極めてすくないのである。それは本当にぎりぎりである。生活保護費だけではまともな生活は送れないだろう。
だからこれまで働いた分をもらいたいとしきりにいう。でも法律上は確かにもらえないかもしれない、だから半分くらいでももらえればいいとなるがそれでも不満である。
その女性は働くのが馬鹿らしいと言っていた。これは本当だろう。
いくら生活保護者でもそれだたけ働いて成果が金が得られないなら働く気がなくなってしまう。生活保護にそんなにこの辺では余裕がないからだ。
得しているのは生活保護者をただ働きさせている経営者になってしまう。
無料で働かせているのだからこれほとど得なことはない。ただそういうところでは働く人もルーズであり真剣には働かないのである。


このことは原発避難民と同じだった。避難民も働くとその分が補償金をもらえなくなる。失業給付金ももらえない、仮設からでて自宅にもどると補償金が得られないとか働くと損になる仕組みになっているからみんな働かないのである。これも生活保護者と同じ仕組みになっていて働いたり自宅に帰って復興しようとかの意欲をそいでいるのだ。
川内村辺りでも村民が補償金で郡山市のような便利なところで住んでいたら帰りたくなくなった。帰ると補償金がもらえないとなり帰らないのである。人間は一面こうして生活を保証するとかえって不都合が起きてくる。補償しすぎた結果として金の問題でもめていて避難民同士がいがみあっている。だから補償金が必要でもそれがすべていいものとはなっていない。それは生活保護者と同じである。保護されることになれるとそれが当たり前になりそこから脱する気持もなくなる。真剣に生きるということもなくなる。

何かこの辺の状態はだからみんな特に仮設の人はそういう状態になっている。
つまり補償金をいくら出してもそれだけで今の状態を改善することはできない。
未来もありえないということである。ただ安易な道を選び人心も堕落してゆくだけである。
そもそも働くということにはいろいろな要素がありただ金をもらうとういことだけではない、生きがいであり協同であり共同意識を醸成するとかハタを楽にするとか、work(作品)化するとか人間の存在意義は働くことにあるのだ。ただ働くことはすへてが価値あるものとはならない、膨大な無益なことに労働が費やされていることも現実なのである。
エステで生活保護者が東京で働いているとしきりいうがそんな労働に価値があるのか?
金持ちに使われている奴隷労働でないかとも思う。介護などならいい仕事でないにしろ人に尽くす仕事である。エステなどは金持ちのために働かせられているというふうに見える。その女性はただ金を得ればというだけの人だからまたそんなところで働いているのがふさわしいとなる。


ともかく現代は働くことがすべていいものとして肯定できないから働かない人が膨大になったのである。また働くことが強制されないから働かないのである。働かされている人が多く自ら働いている人は少ないからそうなる。いづれにしろ今の世の中格差社会である。その女性はテレビで電車の番組を見るのが楽しみだという。でもその女性は電車に乗って旅したことがあるのだろうかと思う。でも自分の母親よりはずっとましである。いろいろな楽しみをそれなりに追求してきているから同世代なのである。

自分の母親は一切の楽しみを否定している。花も庭も何でもそうだった。金になるものは一切否定している。たた食べる贅沢は否定しないだけである。これは異常であり狂気だった。今は寝ているから何も言わないだけである。その女性は自分の贅沢をみてそのことはいいものだと思っている。自分もそうしたいと思っている。楽しみを肯定しているのである。だからその女性が何も人生で苦労ばかりだったとは思えない。

それが大正生まれと団塊の世代の差かもしれない、団塊の世代は働くことばかりではない、苦労ばかりではない、楽しみを追求してきた世代だった。だから白い髭の老人ライダーも普通にいる。バイクでもそれに乗ってきた人は老人になったからとやめられない、その快感を覚えているからやめられないのである。
人間は年取っても快感は脳に記憶されて消えない、ビールでも一回その味を覚えるとまた飲みたくなる。ノンアルコールは全くビールの味でありそれでサシミで飲むときは本物のビールと同じようにうまかったのである。


いづれにしろ三年目となり原発避難民も津波避難民も補償金でだらだらくらしている時期は終わっていると思う。ただ高齢化社会で老人はまた働くこともできない現実がある。
南相馬市では若い人が流出して30パーセントとか65歳以上の人口が他より多いのである。他より高齢化社会化して負担が増大しているのだ。そして60以上で貧乏老人になっている人は生活保護になりやすい、そういう人が増えている。生活保護者の老人の比率が増えているのだ。犯罪の比率も増えている。南相馬市でシルバータウン構想などがでてきたのもそのためである。


posted by 老鶯 at 23:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

葉牡丹とおなご (田舎の農家育ちの苦労した女(おなご)


葉牡丹とおなご

(田舎の農家育ちの苦労した女(おなご)

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北風唸り
庭の石にそえ
葉牡丹
飾り気なく
たくましく実直に
誠実なる石に添えて咲く
北風唸り
長き冬を耐えて咲く
寒々と冬の雨ふり
我が墓のある墓所を通り
路地裏の道にも咲く
苦労の故に十歳老けた女(おなご)
男に女(おなご)が来る
この土地で生きて育ったおなご
その土地に根付いたおなご
小さな畑を耕すおなご
仮設の食堂で働くおなご
葉牡丹の紫色の深く
その土地に根づいて咲く

1 女たち。おなごしゅ。おなごし。⇔男衆。
2 女中。おなごしゅ。おなごし。⇔男衆。

おみな-ご をみな― 【▽女子】
〔古くは「おみなこ」〕女の子。若い女性。
おんな-ご をんな― 【女子】

何か今の女性は一般的に若い、中学生くらいの母親でも何か若い。母親らしく見えない、だから20代かと思った。でも今はみんな若いから母親という感じがないのが一般的らしい。それは幼いということにも通じているという。母親でも大人になっていない、それは今の人間全般的に言えるのだろう。60代でも普通は若い、60代では老人らしくないのが現代である。老人というと成熟して落ち着いて枯れたという感じだったが今は違っている。
みなん若いのであり若いということは一面いいことなのだがその年相応のものか身についていないから幼い、幼稚だとなってしまう。外見は若くても精神的にはただ幼稚だとなってしまう。

だから10歳老けた女性は他の人とは違っていた。そうなったののは特別苦労したこともある。外見は若くなく10歳老けてみえる。そしていつも苦労を語っている。

この女性がおなごというこ言葉を使った時、これは方言なのかと思ったら全国で使われていた言葉である。おなごしというときはおなごで女性で働いている人をさしていた。
女中もさしていたからおなごは良く使われた言葉なのである。
男に女子(おなご)が来るというときおなごは若いとなるが実際は老人でも言っている。
そもそもおなごという言葉を地方でも聞かない、今はみんなきれいな標準語をしゃべるからだ。方言は土着的なものだが一般的に土着的なものがなくなったのが現代である。
土着的人間という時、もともと農民にその典型があった。でも今は農家に嫁いだ女性も農民的な所か全くなかった。サラーリマンの妻であった。実際農作業もしていない、田んぼは委託しているからしていない、何も農家的な所がなかったのである。


田舎ではこの女性は10歳も老けていてしわが多いから女性として見れない、それても75歳の人と助け合って夫婦のように行き来している。でもその男性の家はすぐ近くでも一人では行けないし来るなと言われている。というのは回りで親戚がいて誰か来るのを見ていてうるさいからだという、そのことを異常なほど気にしている。これは他でもそうである。街内からちょっとはずれただけでも村になりうるさい。田舎は常時監視状態にある。
誰と誰が会っているとか見ていて監視しているのだ。
そういう窮屈な所が田舎でもある。ただ田舎といっても農村部と街とは違っているし原町や相馬市の街内になるとまた違っている。
ただこうした人間が監視状態で暮らすとなると嫌になる。
そしてまだお悔やみとかで2万払っているから金かかかるとか嘆いていた。もう町内ではそういうことはもうしている人は少ない、冠婚葬祭自体消滅さえしているからだ。


今の時期だとこういうおなごは葉牡丹とにあっている。これは花なのか野菜なのかわからないからだ。土着的ということは花だけをみていてはわからない、その土に根ざした野菜をじかに栽培してとって食べていれば土着的になるのだ。それがこの辺は放射能騒ぎでなくなっているから異常なのである。土着的とは土に着くだから土から離れてありえないのだ。だかちらこれまで農民が田舎では8割とかいたらみんな意識しなくても土着的人間になっていた。今は田舎ですら農家ですらサラーリマンになっているのである。会社員なのである。だから未だに冠婚葬祭にこだわっているのが何かそぐわないと思った。


2014年01月07日

冬柳(相馬市田町通り)


冬柳(相馬市田町通り)

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春きざす凍みにし道にイヌフグリ

冬タンポポあたたかなれや里の道
新年や蔵王の見えて相馬市へ
百歳になれや夕ぐれ冬柳
闇つつむなお生きなむや冬柳
街灯や田町通りの冬柳
月細く夕暮れあわれ冬柳
冬柳長々垂れて長寿かな

冬の日の小径(こみち)を行けば故郷になお知らざりき奥に家あり

時折に汽笛の鳴りて池凍り二両の電車なお行きかいぬ

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イヌフグリとかタンポポも咲いていた。冬タンボホという季語があるから冬でも咲く、イヌフグリはまだ咲かないはずだけど咲いていた。第一今日でも寒かった。
この辺では雪はほとんど降らないから冬タンポポは咲く、そしてヤマハのマウテンバイクの電動自転車で舗装されていない道を分け入った。
田舎は狭いところでもこんなところに人が住んでいたのかと思わぬ所に家があるのだ。
そこは車も通らないような奥になっている。
でも近くを電車が通っているから時々汽笛が聞こえる。
寒い日にその汽笛がひびく,それも原町と相馬市を行き交う二両の電車である。
それでも電車が走っていることは営みがあることなのだ。

ただこの辺は電車は通っていても肝心の営みがなくなっていることが問題なのである。

なぜ電車にひかれるかというと電車は風景にあう、自然に映えるからなのだ。
だから撮り鉄がいることがわかる。電車は自然の中で絵になるのである。
車はなりにくいのだ。
自転車というと種類が多くみんなそれぞれ乗り心地が違うのである。
それはバイクなどでもそうである。車でそうだろう。
マウテンバイクになると悪路に強いから知らない未知でも分け入ることができる。
行動範囲が広がる。冬は冬で走っていて気持がいいのだ。


相馬市へ出る所で大きく雪の蔵王が見えた。完全に雪におおわれている。八沢浦からも蔵王は見える。でもそこが蔵王が見える限界である。今日は冬晴れで苦も一つないからあれだけはっきりと見えた。

それから夕方になり相馬市の田町通りの柳を見た。小泉川の柳も良かったので探したがなかったのは切ってしまったのである。あれは残念だった。切り株だけがあったからだ。
ここの柳はかなり大きなもので見応えがある。この冬柳は自分の母親をイメージする。
百歳になるからである。百歳生きる人もこれから相当に増えてくる。
人間は百歳生きれるものだなと思う。こんな百歳の人が生きる時代はなかった。
ただ60代でも一割は死んでいるから何かこれからそんなに長生きするものだろうかということも思う。

自分の母親は百歳まで生きるために生きている感じなのである。百歳がゴールでありそのためにこつこつと食べて生きている感じなのだ。そういう性格なのである。
柳は長寿の木にふさわしいのだろう。ただ幽霊のように生きているという感じにもなる。それでも生きてはいる。寝たきりではないからまた違っている。
90歳以上くらいになるとなんか人間も幽霊のように生きているとう感覚になるかもしれない。そこまで生きてみないとどんな感覚になるのかわからない。
そういうときの心境で俳句とか短歌とか詩を作ったらどうなるのかとも思う。

自分は結構健康が回復したからまだ運動ができる。ただあとで筋肉痛になる。
今日は走っていて日が永くなったなと感じた。
五時で真っ暗だったけど結構永く明るくなっていた。
新年になるとやはりすでに春が来ているのだと感じた一日だった。

2014年01月06日

真野の草原(かやはら)の再考 (インターネットで情報集めたら見えたくるものがあった)


真野の草原(かやはら)の再考

(インターネットで情報集めたら見えたくるものがあった)

●吉備国に濃厚に伽耶(カヤ)の国の影響が残る


吉備勢力は出雲征服を試みるも完遂寸前に出雲東部の意宇王の前に失敗。以後、ヤマト政権と同盟して列島の統一・治世に貢献し、古墳時代から飛鳥時代まで繁栄した地方として重視された。河内王朝時代には、ヤマト政権中央部に対抗するほどの勢力を誇ったが、これがヤマト政権の警戒を呼んだのか、後はヤマト政権の謀略などで勢力が削減されていった
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%82%99%E5%9B%BD

『国造本紀』によれば、吉備地方には吉備氏のもとに大伯氏、上道氏、三野氏、下道氏、加夜氏(賀陽氏、賀夜氏、香屋氏)、笠臣氏、小田氏があった。吉備の国造の場合、多く(上道・三野・下道・加夜・笠)が臣(オミ)姓を称している。
この中の下道氏と笠氏は、後に朝臣の姓(かばね)を名乗る(吉備朝臣)[1]。奈良時代に日本をリードした学者・政治家の吉備真備は下道氏である。
吉備仲彦は香屋臣(かやおみ)の祖。その血統が賀陽氏に引き継がれているといいます


岡山市北部のごく限られたエリアでありながら、重要な文化財が集中する足守地区。
足守の地名は、古くは日本書紀応神天皇二十二年(推定五世紀初頭)の期に「葉田葦守宮(はだあしもりぐう)」の記述に見られます。「葦守」が「足守」に転じており、「葉田」は「秦」を示します
古代足守郷に勢力をふるった賀陽氏の名が刻まれていますが、宮を創建し
それまでの日本には「呼び名」はあってもそれを表す文字はなかった。 そこに漢字を当てていく作業が始まったのが天平宝字(757年)である。

笠満誓は俗名「笠朝臣麻呂=かさのあそん・まろ」。
笠朝臣・・・「前身を吉備から出る笠臣とする。美濃国国主氏族。
大化の改新以前は吉備出身氏族の上道・下道・三野臣らとともに臣姓を持ち、ゆるやかな同族系譜を持っていた。
ここからは吉備真備が出る。

大宝四年に笠朝臣麻呂が従五位下を授受さる。」

笠満誓は俗名「笠朝臣麻呂=かさのあそん・まろ」。
笠朝臣・・・「前身を吉備から出る笠臣とする。美濃国国主氏族。
大化の改新以前は吉備出身氏族の上道・下道・三野臣らとともに臣姓を持ち、ゆるやかな同族系譜を持っていた。
ここからは吉備真備が出る。
大宝四年に笠朝臣麻呂が従五位下を授受さる。」
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/54651359.html?newwindow=true


みちのくの真野の草原(かやはら)は伽耶(カヤ)の国に由来するという考察をした。なぜなら草原郷(かや)となるときそれがこの賀陽)かや)とか香屋臣(かやおみ)の祖に由来している。カヤはこの渡来人からのカヤであり萱が繁っているというのではないと考察した。沙弥満誓は笠氏だから笠女郎の父親であり笠女郎の故郷は吉備の萱(カヤ郷)の出で笠氏は賀陽(かや)からの帰化人だったという説である。足守という地名が葉田葦守宮(はだあしもりぐう)」ということは秦氏の葦守だとなっている。渡来人の守る葦守になっている。渡来人⇒味真野⇒葦真野というふうにもなる。草原(かやはら)が何か不明にしても渡来人の匂いが色濃くするということは疑いないのではないか?


ただ葦(あし)と草(かや)は根本的に発音が違うのだから別な種類のものである。別な意味をもっている。発音がカヤとなるとき賀陽)かや)とか香屋臣(かやおみ)と結びつく、単なる草原(かやはら)を自然の景色なのかという疑問がある。これは一地名だと考察したのもそのためである
http://musubu.sblo.jp/article/57107299.html

吉備の製鉄は6世紀後半以降は箱形炉による生産がさかんになり、上記のように「まがね吹く吉備」とよばれるようになる。箱形炉とは長辺側に台状の高まりをもち、短辺側に溝をともなう炉のことで、長辺側に鞴(ふいご)が置かれ、高みから原料・燃料を投入して溝の排滓する方法が用いられた。この場合、製鉄炉の原料には鉄鉱石が用いられ、朝鮮半島から導入された新しい技術だったと考えられている
http://bell.jp/pancho/travel/kibiji/history.htm


百済王敬福(くだらのこにきし の きょうふく) - 761年(天平宝字5年)に、紀伊・阿波・讃岐・伊予・土佐・播磨・美作・備前・備中・備後・安芸・周防など12カ国の軍事権を掌握する役目に任命される。

周知のように和田氏系の諸氏の中には、小野氏や栗田氏のよ

彼らは、「伽耶隠し」「百済隠し」「新羅隠し」「韓隠し」をしながら、同時にいままでの呼び名に新しい漢字の「音・義」を盛り込み、密かに閉じ込めていった。だから「木村」を「木のある村」と見るのは間違いで、キム・ウラ、つまり金浦、そうあのキンポ空港のある「金浦」のことなのである。湘南の海岸線に高麗という町がある。ところが街の鎮守の名前は「高来神社」とある。
どちらも「こうらい」と読めるが神社のほうは「たかく」神社と読ませている。
これも、明治政府の「朝鮮隠し」の生きた証人だ。
「高麗」という地域表示はいまも街角に残っているが、高麗という地名がどうしてここにあるのか知る人は少ない。

http://iwamigin.vsp3.com/history/tokyo-kudara.html

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●カヤとつく神社や古代の記録


の神名は鹿屋野比売(かやのひめ)の神、またの名は野槌(のづち)の神

 言霊ヌ 鹿屋野(かやの)の鹿屋(かや)は神(かみ)の家(いえ)の意です

「阿太加夜神社」 (出雲風土記、意宇郡)出雲神社リスト@#59
「加夜神社」   (出雲風土記、神門郡)出雲神社リスト@#282
「井草神社」(出雲風土記、飯石郡。三刀屋町伊萱の伊草神社)出雲神社リスト@#301
「阿太加夜努志多伎吉比賣」 (出雲風土記、神門郡)
「賀野里」 (かや)(播磨風土記、飾磨郡)
「鹿屋野比賣神」 (古事記、野神の名前。岩波ではp58)
「加悦郡」 かや、と読む、丹後の一地方 
「草野灰」(かやのはひ) (陸奥風土記、八槻郷)
「神石萱」(かむいしかや)(陸奥風土記、八槻郷)参照:神prefix
「市鹿文」(いちかや)他、(景行紀)参照:景行紀の蝦夷
「韓人山村等上祖 柞巨智賀那」(参考)(播磨風土記、飾磨郡)
「賀奈良知姫」(参考)(先代旧事本紀p107、葛木土神の剣根命の娘)
「うがや・ふきあえず」 (参考)
「伊可古夜日女」(参考)(山城風土記。丹波国ノ神野ノ神、と)

http://www.dai3gen.net/kayanrm.htm


また吉田連は、神亀元年に吉宜や吉智主が賜わった氏姓で(『続日本紀』 ・ 『新撰姓氏録』)、 『姓氏録』や『続日本後紀』によれば、塩垂津彦(天帯彦国押人命の商) が、崇神朝に己没(嶋津江流域にあった伽耶諸国中の小国、のち百済に併合)に派遣され、その子孫の達率吉大尚とその弟の吉少尚らが来朝したとし、

『姓氏録』は旧姓の「吉」 (キチ)を、己没で「宰」を称する言葉であるとするが、吉大(太)尚が『日本書紀』や『懐風藻』に見える天智朝頃の実在の人物で、達率という百済の官位を帯び、キチ・キシが首長を表す朝鮮語にもとづくことから、この氏の実態は7世紀後半の百済の役後に渡来した亡命百済人(己抜糸)と見て差し支えない。 さらに『姓氏録』右京皇別下に天足彦国押人命の三世孫彦国茸命の商と記す真野臣は、彦国茸命の曾孫の大矢田相称が神功皇后の新羅征伐に従軍し、新羅国王の女を要って生んだ佐久命の子 孫で、その九世孫の和珂部臣鳥と忍勝らが近江国志賀郡真野村に居住したために、庚寅年籍で真野臣の姓を負ったとするが、貞観5年9月、真野臣永徳らが宿祢姓を賜わった時に百済系渡来氏族 の民首の一族の者が、これと同視と称して真野臣の氏姓を与えられており(『三代実録』)、真野氏ももとは渡来系であったと推断することができる。
http://www.city.okayama.jp/kitaku/asimori/asimori_00001.html


●真野の草原(かやはら)はやはり伽耶(カヤ)に由来する


伽耶国は古い、百済国はなじみがあってもその前の小国の伽耶はなじみがない、だからその後百済に併合されて余計に消失してしまった。ただ吉備国に濃厚にその跡が記されている。だから吉備国から伽耶国のことが伝わったということはありうる。吉備は大和に対抗する拮抗する大国であった。だから会津にも吉備が進出していた。

津大塚山古墳の三角縁神獣鏡岡山県備前市鶴山丸山古墳のものと同じ鋳型である

古代はともかく渡来系が主導的役割を果たした。製鉄などの技術をもっていたためである。
真野郷というときもこれは真野氏にかかわるというとき、真野氏の出自も渡来系である。そもそも真野氏の名前は真野という地名から起こっている。それは吉備の葦守神社に由来して葦の間の野⇒味真野⇒真野なのである。真野の由来は吉備にあり吉備から発して近江に真野という地名を残し越前に味真野という地名を残した。かえって遠くに古い言葉が残る。沖縄や青森に古語が残っているのと同じである。味真野とは吉備を発祥地としている地名だったのである。

何かこういうふうに古代の情報を集積してゆくとやはり笠朝臣(しゃみまんせい)の娘が笠女郎であるにらうに見えてくる。近江に真野とあっても吉備が起源としては古いのである。そして吉備はまがねふく吉備というふうに渡来系の製鉄技術者がいた。だからみちのくに黄金を求めてきた百済王敬福もかかわっていた。伽耶がなじみがないというとき百済国に併合されてその国自体が早めに消失したからである。ただ日本に亡命したのは古く蝦夷(えみし)として中央政権の大和と戦った。

「草野灰」(かやのはひ) (陸奥風土記、八槻郷)
「神石萱」(かむいしかや)(陸奥風土記、八槻郷)


このカヤは伽耶一族のことである。草をカヤとは普通は言わないしあてない、草原をカヤハラというのはだから萱のことではない、伽耶国をさしている。百済隠し、伽耶隠しという操作がその後行われた。伽耶は百済に隠され大和にも隠され不明となっていった。

いづれにしろ伽耶(カヤ)と真野氏も渡来系でありつながりがある。南相馬市の鹿島区の真野郷でも萱野姫を祭っているがこれは渡来系の姫だともなる。焼畑の神ともなっているが伽耶国に由来するものでもあるかもしれない、唐神という地名も残っているし原町区に高倉とかの地名も渡来系なのだろう。泉官衙跡から発見された木簡で白人も渡来系であり嶋田とある島も渡来系の苗字かもしれない、つまり渡来系が深くかかわった地が真野郷たったのである。それは個々か製鉄の一大生産の場だったからである。

ただ萱原という地名が残っているのは石巻でありそこにも真野公という木管か発見されているのだからやはり真野と萱(伽耶)が一体化している。そこは萱原とは限らないのである。石巻が江戸時代でも真野の草原としていたがそれは考古学的発掘がされていなかったからである。南相馬市の鹿島区には古墳とか金銅製双魚佩とか考古学的発掘があり地名も明確に残っているとかで有力になった。石巻には古墳とかがないから物証の点では貧弱なのである。

ともかく文献でもこうして草原(かやはら)の情報を重ねてゆけば自ずと見えてくるものがある。それはなかなか一個人ではできない、インターネットにそうした情報が集積してくると見えてくるものがあった。

古代には葦とか萱はいたるところに繁っていてめずらしくない、その萱原を面影に見るなどということはありえないのだ。ただカヤは伽耶は古い地層の地名であり伽耶隠し、百済隠しでその本来の意味が別なものに変化した。特に百済に併合されたから余計に不明になった。新羅琴は実は伽耶琴だった。新羅で発明されたものではなかったのである。
伽耶はそういうふうに小国でもありその痕跡が消されていったのである。

韓国でも最も古い楽器の一つ 伽耶琴。
奈良の正倉院には、新羅琴として保存されている楽器だ