2014年02月28日

百才生きる人の謎 (99才で血液の酸素濃度が普通の人と同じだった)


百才生きる人の謎

(99才で血液の酸素濃度が普通の人と同じだった)




酸素は血行を良好にする働きがあります。血液中の酸素が増えると血管の内壁に付着した コレステロールなどの不純物を一緒に流し、血液そのものを浄化し、清浄します。


血圧の安定


酸素は血圧を調整する中枢神経に好影響を与え、自律神経が安定するため、血管が自律 神経の働きにより拡張します。またヘモグロビンの活動を高めるため血圧を安定するには 酸素は必要条件の重要な物質となります。

心臓は生きている間拍動し続けますが、毎分70回として1日約10万回、80年間に換算すると約30億回も全身に血液を送り続けます。そして、そのエネルギー源は冠動脈から与えられる酸素だけなのです。つまり、血液を送り出す効率は心肺機能にとって死活問題なのです。運動不足や悪食などから生じる血中酸素濃度の低下は、細胞の働きを鈍らせ、やがてさまざまな成人病の原因となります
http://www2.tokai.or.jp/yamatoseitai/yamato/omote/oxas/oxas01.html




自分の母親は99才だけどなぜこんなに長生きしたのかわからない。
まず体力はない、細身であり力仕事はできない
胃腸がいいからじゃないかと言われたが胃腸は弱い
実際に胃腸の病気になっていた
細身の人は一般的に胃腸が弱い
自分も母とにているので細身であり胃腸が弱い
たからなぜこんなに長生きしているのかわからない


性格は真面目であり大正生まれで働くことしかしらない
紡績工場で若い時は十年間働いていた
その時環境が悪いから肺病になっても不思議ではない
それもならなかった
ともかく食事している様子を見ると食べることを真面目なのである
こつこつと一つ一つかみ砕き丁寧に食べている
自分は雑でありがつがつと食べるのとはまるで違った食べ方をしている

80まで店で仕事していたし80以降も家事をしていたし
90過ぎてもアパートの一人暮らしができていた
92才でこれだけのことができることは凄いことだろう
93才頃から弱りはじめて介護状態になった

今回入院したのはトイレに行けずホータブルトイレにも行けず
食べることもできなくなったためであった
けれども点滴したりして栄養補給してリハビリまでして
また前とは違うが回復した
トイレまで大便の時は歩いて行っている
距離は短くてもこれだけ歩くことはかなり大変なことである


そもそも何が長生きする要因なのか?
それは人それぞれであり環境も影響しているのか?
様々な因子が作用して百才生きる
母の場合は体の何が長生きする要因を作ったのか?
血液が酸素濃度が平常だということがそうなのか?
酸素がいかに人体にも大事かはわかる

運動して疲れると酸素不足からきている。
だから激しい運動したあとは酸素を注入すると元気になる
だから自転車でも疲れたら酸素水を飲んだらいいとなる
どうしてもこの頃筋肉の疲れがひどくなる
すると酸素水が効果あるのかなともなる


ニコチンが体に悪いのは血管収縮して酸素が十分に運ばれないためである
一酸化炭素も出すから酸素がとりこめなくなる
絶えずプカプカタバコを吸う60才くらいの女性がいる
その人の肌は皺が寄り10才ふけてみえる。
皮膚の色もつやつやしていない、老化が早く進んでいる
それよりその肌の感じはタバコ吸っているとみんななりやすい
タバコを吸っているとあんなふうな肌にみんななっている
その人は人より苦労しすぎてストレスが大きくタバコがやめられないのである
ただその人ととなりは悪い人ではない、性格はいいのである
だからタバコを吸っている女性がみんな性格が悪いとはならないと思った
ただ見た感じは本当に普通より一段と老けているからいい感じを与えないだろう。


ともかく百才まで生きる人はなぜ生きられるのか
その要因も一つではない、何事も原因と一つではない
例えば犯罪でも決して一つの原因ではない
いくつかの要因があってする
単に人を殺してみたいというだけでも人を殺していた人がいた
それも動機になるから人間の心理はあまりにも複雑なのである
別に金がないから盗んでいるということにはならない
病気も一つが原因でなるとは限らない
最後はたいがい合併症で死ぬ
事故だってなんだって一つの原因は起こらない
いくつかの要因が重なって事故も犯罪も起こる


長生きできるのはやはり医療の進歩もあり栄養もいいとか
やはり現代の環境が長生きができるようになっている
誰でも生活保護者でも食べるものはさほど他と変わりないのである
母の場合は性格的に何かこつこつと無駄なく生きるタイプであり
それが性格的な長生きなのか遺伝子なのか
兄弟でも姉は89才とか弟も89才とか生きた
でも一人は60才でガンで死んだ
だから遺伝子が影響しいるのかどうかはわからない
人間はみんな遺伝子では決められないからである。

いづれにしろ母はこの調子だと百才は生きるのだろう。

ただ元気でも次の日死んでいたという人もありこの年になるとわからない
トイレまで歩いたことや多少回復したことを見ているとそう思う
でもほとんど食事は朝はモチを切ったもの一つとか
ご飯にゆで卵一つとかあとはわずかの菓子くらいしか食べない
そんなで栄養がとれるのかとなる
栄養をとらないと弱ってくる
病院では点滴して栄養がとれて回復したことでもわかる


ただ人間は百才まで生きるとどんな感じになるのだろうということはある
自分にしてもこれから30年生きるということが考えられないだろう。
その時頭が正常でいられるのか、どうなふうな考えになるのかとか不思議である
30年は相当に長いからである
ただ百才の人はこれからも相当増えてゆく
一方で団塊の世代は栄養のとりすぎで糖尿病などがふえ早死にだという人もいる
これは結果を見ないとわからない

百才は一世紀だからこれだけ生きれば十分だとは言える
でも母は人生を生きたとは言えない
働きづめで花にも興味あるものが何もない
殺風景な索漠とした風景である
何かに感動することもない
ただ長生きしたということだけなのである

そういう人が人生を生きたとなるのだろうか?
それはその生い立ちが不孝だったからそうなったのである。

まあ、自分の家では百才まで生きたということは家では勝者になった
一人は若くて早く死んで敗者になったとは言える
大正生まれが百才だということはその前に明治が30年くらいあるから
それだけの月日がすぎたということなのだ

ただ津波や原発事故が起きたことを教えても何にもわからない
だから認知症になってからは世間のことはわからないのだから
生きたとはならないかもしれない
何か世間のことでも理解していればまだ生きている
認知症になると世間のこともわからなくなるから
生きているとも言えなくなる
百才まで生きてなお世間のことも自分のこともわかっていれば生きている
そういう人はやはり本当に百才を生きたとなるだろう
そういう人はいるから百才の時代とは言える

タグ:百歳
posted by 老鶯 at 16:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2014年02月27日

浪江町の廃炉事業のためのコンパクトシティ化構想 (小高もにた状況があるー津波でも中心部に人が集まる)


浪江町の廃炉事業のためのコンパクトシティ化構想

(小高もにた状況があるー津波でも中心部に人が集まる)


     H24.8       H25.9
戻る・戻りたい  :  43%       29.3%  - 13.7%
戻らない      :  21%       26.1%  + 5.1%
判断つかず    :  34%       44.0% +10.0%



NHKのクローズアップ現代で浪江町が役所のある所を中心に廃炉事業のためのに
コンパクトシティ化構想を出してきた。放射線量の低い場所を中心に
狭い範囲で街を作りそこだけに人を集めて住む構想である。
広野町ではすでに廃炉や除染のための労働者を宿泊するホテルができてているという。
この辺で原発事故後に一番増えたのがホテルなのである。
南相馬市の鹿島区の山側の小池に最新式の通信設備をもったホテルかできた。
なんであんな離れた所に作ったのか?
駅前にでも作ればいいと思うが土地が手に入れやすいのであんな山側に作った。
ホテルは街から離れた不便な所に結構新しく建っている。


南相馬市でも津波の被害で人々が仮設に住むから人口が中心部に集まった。
復興住宅も中心部から作られている。
ただ街内には土地がないので作りにくい
でも自分の墓地の脇に三階建てくらいの復興団地が建設されているのは目立つ
明らかに街の中心部がコンパクトシティ化してきた
新しい家も中心部に多く建っている

烏崎村とか海老村か壊滅したのだから相当数の人が移動した。
中心部から4キロくらい離れていた。
その人たちもそうだが他に原町区の海岸側からの人も移動している。
小高区でも津波に襲われた地域からも移動して仮設に住んでいる。
そういう人たちここで復興住宅に入るのかどうかわからない
津波の被害者は家がないのだからなかなか小高区へは帰りたくないだろう。
かといって土地を今求めることはむずかしい。


前々から少子高齢化で限界集落などは税金の無駄使いだと言われてきた。
実際にそうした市の中心部から離れたむらが現代的生活をするための
インフラを整備するには180倍のコストがかかるというから驚く。
それだけ現代は便利な社会を維持しようとすると金がかかる
その税金はべつに全部が自治体でまかなうわけではなく国でまかなうから批判される
自治体が自ら治めると言っても地方交付税で半分が成り立っているというのが
現代である生活保護にしても4分の一は自治体だかあとは国で払っている。
それで釧路市は生活保護者は市民として不可欠だとしている。
それは生活保護者にはそれだけ金が入ってくるから財源になっているからである。

北海道は過疎化か多く生活保護者も多い
ただ釧路市は大きいからそうてはないと思っていた。
北海道は一番生活保護が多いのは基幹産業の衰退だった。
北海道はまた本州より広いからインフラ整備でも金がかかる。
高速道路を作りそこを通っていたのは熊だけだったという批判もあった

つまり北海道はコンパクトシティ化しにくい広さがあり
それが魅力なのだが現代的便利な生活をするには向いていなくなった

コンパクトシティにするとまず様々なコストが少なくてすむ。
人がまとまって住むから都市機能が中心部にあり機能しやすい
介護でも街内を回ると手間がかなりはぶける。
田舎は街内だけではない広い範囲になると車で一軒一軒回るのが手間になる
そういう福祉サービスを受けるのにも人がまとまって住むといいのである
だから従来の分散型の人口分布は便利な生活には向いていない

それは昔から田んぼを畑を作るのには土地が必要だから土地を求めて分散化した
土地が生活の基盤だからそうなった

しかし単に廃炉事業だけの街となると農業はしていのだから
コンパクトシティ化するのは楽だし効果的なのである。
街から離れた村まで下水道の設備を整えるとするとコストが何倍もかかる
ところが街内に人口が家が集中するとコストがかからない
団地がいくつも建つが団地だけで水道とかその他の設備を
共同で管理するとコストがかからないと同じである。
テレビを見るにしてもアンテナは一つ建てればいいから効率的なのである。


つくづく自分の家の問題は一人暮らしの問題は一人でも二人でもコストが同じようにかかることなだ。
大きな家をもつことはその保全に金がかかる。
だから資産がないとできないのである。
それは昔も同じであり茅葺きの大きな家の萱の葺き替えとかは大仕事だった
だから自分でも大きな家を維持して一人暮らしをするのが嫌である
たた共同生活は人間関係なとこれも問題が多すぎる
たた共同生活の方が安心であり金も節約できるし楽になる

それとコンパクトシティもにていたのである。

コンパクトシティの最大の障害が田畑を持つ農業にあった
土地がなくては農業はできないのだからそうなる。
でも工場なら工業団地があるように人を集中できるのである。
たからこそ東京でも他でも巨大都市に人が集まるようになった
そこでいろいろな現代的サービスが提供されるのである。

浪江町のコンパクトシティ化構想はまさに農業が壊滅したからかえって人だけを
中心部に集め廃炉事業に特化した街作りがしやすくなったのである。

そもそも田舎全体の市町村の政策は土地を中心になされてきた。
それは農業中心の生活形態が必然的に土地を必要としたからである。
なぜ海岸側に人が密集して住んで津波の甚大な被害にあったかというと
田畑が生活の糧だからその田畑の中には家を建てず
海岸側の狭い土地に家が集中した。
田畑の中に離れて家があるということもあるが少ない
アメリカのような広大な土地のしるところでは一軒一軒が分離して土地を所有するように農家が建っている。
日本ては特に海側は田畑の中に家が建つことが少ない
そこは米をとるところであり家を建てる所ではないようになっていた。
日本は狭い土地に制約されて村や町が作られたのである
農業が主要産業でなくなってもそうなっていたのである。


何か変なのだけど今回の津波は人工地震で起こされたものでありそのねらいは
日本の農業を衰退させてアメリカなどが農産物を日本に売りつけるために
TPPを受け入れさせるためにしたという言う人もいた。
それと不思議に符号しているのが原発事故周辺なのである。
農業が津波や放射能汚染が壊滅してコンパクトシティ化してそこでは
土地と切り離された農業ではないもので生活する他なくなっているのだ。
農産物は農家でも作らずに外から買う他ないしTPPをアメリカが通すために人工地震起こしてそうさせたとまでなる。


小高区でも帰りたくない人が増えている、それは小高区でも農業の担い手が
高齢化していて跡継ぎがいないとか問題になっていた。
これは三陸などの津波で壊滅した港もそんなところは
老人しか住んでいず金をつぎこむのは無駄だという官僚の発言もあった。
金をつぎこむとしたらバイオ関係で再生医療分野の研究に注いだ方がいいとなる

いつれにしろ小高区も浪江町と同じく中心部たけに人を集めてコンパクトシティ化する方向にもってゆくのか
帰らない人が多くなるとそういう政策もとらざるをえないだろう。

自分は前にも書いたけど田舎は田んぼがなくなったら田舎なのかということである。
山から水が流れ田んぼう潤し米ができる。
それで山は神となり平地と結びついていたというのは日本人の原風景なのでてある。
だから田んぼがない田舎が考えられないのである。
廃炉事業だけにある街というのはすでに田舎とは言えないのかもしれない
何か映画のようであり特殊な街となりそこは何なのかとなる


posted by 老鶯 at 22:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

水道を使い井戸のことは忘れられた (農家でも井戸があっても水を運んだ苦労があった)


水道を使い井戸のことは忘れられた

(農家でも井戸があっても水を運んだ苦労があった)


男鹿赤神山五社堂の下に、姿見の井戸とよばれた古井戸が残っている。お山がけ詣りの人たちが、必ず我が身を写して試したといわれる。はっきり写れば今年の生命が保証される。写りのはっきりしないものは、災難不幸にあう。まったく写らないものは、その年のうちに死ぬこともある。などと信じられていたという。
http://namahage.is.akita-u.ac.jp/monogatari/show_detail.php?serial_no=2390


井戸にまつわる伝説は無数にあるだろう。飯館村の作見の井戸などもそうである。
今年の米の収穫がどうなるのかを井戸を見て判断する。
地下に流れる水は見えないし稲作と水は深い関係がある。
井戸の伝説が多いのは地下水が見えないからである。
百年前に降った雨が地下水となってたまっているというのも不思議である。
放射能汚染され水は地下水となり百年後にもたまり放射性物質かあったとなり
事故のことがふりかえられたりするのだろうか?
百年過ぎれば伝説化しやすいからである。


井戸については子供の時、近くの井戸から風呂の水にするためにもらってバケツで運んだ記憶がある。
街中では水を得ることすら難儀だった。
だから良く姉か大きな屋敷の家から水をもらっていた話をしていた。
「水ください・・」と頼んで井戸の水をもらっていたのである。
そこは大きな屋敷で入りづらかったのである。

街では農家での女性の同世代の人に聞くと街より恵まれていた。
井戸があるから水には不自由しない
でも井戸は今でも残っているか庭にあり家より離れている。
すると子供の時、水を運ばされたというのは同じだった。
その距離は違っていたがやはり運んでいたのである。

意外とこのことがわからなくなっていた。
昔が常にまちがってイメージしているのは戦後でも同じだった。
つまり農家では井戸があるのだから今の水道と同じように錯覚していたのである。
家の中に井戸があると思っていた。そういうのも一部はあった。
でもたいがい外にあったから水を運ぶのはそれなりに手間だった。
水を運ぶことは一つの仕事だったのである。


20リットルのバケツを毎日運ぶ女性たち

インド女性は、生活用水を手に入れる為に、一日の4分の1の時間をかけて、20リットルもの重さのバケツを運ばなければなりません。体に非常に負担がかかる為、時には大きな痛みがはしり、ひどい時には出産時に合併症を招いてしまうこともあるそうです
http://eedu.jp/blog/2013/05/24/wello-water-india/


頭に水瓶をのせて運ぶ
http://www.jaico.net/museum/5tips/4people/07headcarry.htm


今でも水を運ぶことが大仕事になっている所があるのだ。
すると水道というのはいかに便利かわかる。
家の中にあるから運ぶ手間が全くないかちいかに便利かわかる。
ただそれが当たり前になっとき、水道のもっている意味がわからなくなる。
すべて便利でも当たり前になると当然じゃないかとそのありがたさもうすれるのが普通である。

自分も農家では水を運んだりすると思っていなかった。
水は家にあるからそういうことを想像していなかった。
これだって戦後だから江戸時代とは違うのだからまちがってイメージしていた

だからいかに50年前でも間違って必ず過去をイメージしているのだ。
「遠くの親戚より近くの他人」というときそれも隣の村が遠くの親戚であった時代の諺なのである。
歩いてゆくとすると今のように広域社会ではないとすると
隣すら遠い村になっていたのである。
今は遠いというと300キロくらい離れていないと遠くはない
東京くらいだとここからは遠いとなるのだ


江戸には水道があったというとき、水道橋があるからあれは江戸が都会だった象徴だったのである。
古くはローマの水道橋がありあれもまさに先進文明の象徴だったのは
水がいかに暮らしの中で大事かを物語っていたのである。
ローマのような都会になるといかに水を確保するかか一番の問題になるからである。

過去をふりかえるとき、水を得ることの苦労は大きかった。
水道になると蛇口をひねるだけで水がでてくる。
ただそのことが水のありがたさを失わされているのだ。
水なんかいくらでもある、電気でもボタンを押せばいくらでもある
そうした感覚が人間が自然と離れてゆく原因だった
水だって自然のもの自然の恵みである
でも水道になると文明による恵みのようになる。
だから便利な文明化すると人は自然と離れ自然に感謝したりしないのである

ただ人間の宿命は何か便利になり楽だと思っても必ず苦しい面もでてくる。
便利になった、楽になったと思っていると別な重荷を背負うようになる
水道は井戸のように無料ではない、水を買うようになればその分
また苦労して金を得るために稼がなければならなくなった。
原発事故もそうした便利さを追求してきた結果起きた事故だった。
原発そのものか反自然だった。
なぜなら自然界にない物質、放射能という毒を生み出していたからである。
そこに大きな無理があり事故につながったのである。
ただ誰でも昔の水汲みや水を運ぶ苦労から解放されたいというのはわかる。
でも水道が当たり前で水道がない前に井戸があり
それで水を得ることがどれだけ難儀したかなどはイメージできなくなることが問題なのである

posted by 老鶯 at 14:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 明治維新-明治以降

2014年02月26日

大雪の後の春のおとずれ (庭の花の木がかなり折れていた)


大雪の後の春のおとずれ

(庭の花の木がかなり折れていた)

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石一つ庭に動かず残る雪

イワヒバに残れる雪や石の庭
我が庭を他人の手入れし芽吹きかな
街角の花屋に春の色豊か


手水鉢雪の氷りて融けじかもさしおく梅のなお咲き開く

我が庭の花木の枝の雪に折る痛々しかも大雪の後
蠟梅の枝も折れにきなかなかに今年は咲かじ大雪の後
瑞々し我が手にふれぬ雪柳近くの花屋に我は買いにき
穏やかに夕べ霞みぬ山脈に燃えゆらぎつつ春の陽没りぬ
東風吹くも山脈霞むこの夕べ知られぬ山や春陽没りゆく

我が墓の前を通りて今日も行く宝永の碑あり冬深むかも

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今年の大雪はそのあとも影響していた。あれだけの雪だったから花の木などが結構折れていた。
雪の重みで折れていたのだ。こういう経験は雪国ではないからこの辺ではしていない。
ただ雪国ではこういうことが度々あるのだろう。そこに雪国の厳しさを感じるだろう。
つまり植物でも動物でも野鳥でも雪国に生きるのは厳しい感じがするのである。

大雪の影響は大きかった。かなりの庭の花の木などの枝が折れていた。
雪の重みの大きさをこれで感じた。植物でもあれだけの雪に耐えるのは容易でなかったのである。
なんか異常気象でこれまで経験し得ないこと経験する。
津波もありえないことでありその体験の重さはなかなか消えない
想像より現実が今まで見たことのないもの見る

雪にしてもこの雪は重く日陰ではまだ残っている。そうでなくてもところどころ残っている。
この辺では薄くしか雪は残らない、この雪は特別だったのである。

手水鉢に凍りついで残っている雪に正月に買った梅がなお咲いていたのも驚きである。
まずこんな光景をなかなか見れないだろう。
だから写生自体がありえないことを写しだしている。
写生が短歌でも基本にあることがこれでわかる。
津波でも大雪でもそれ自体を飾らずに写生しているだけでこんな風景があるのかという驚きなのである。


他人の手に手入れされた花木が芽吹いていた。手伝いさんというものでもないが手伝ってくれる女性がいる。
成り行きで来るようになった。この女性はいろいろ話すであるがそれが長いのである。
ただ同世代で同じ場所に住んでいるから話しがあう、茶飲み友達でありもう一人夫婦のようにしている男友達がいる。
それも津波の被害の時助けられたということでそうなった。

何にしろ自分の家であれ自分の庭であれ他人の手が入れば自分のものだけとはならない、
そもそも何であれ自分で独占ふることはできない、必ず他人の労働があって家でも庭でも何でもあるからだ。
家だって自分のものだけのようでも実際はそうではない、自分だけのものなどこの世にもていなのである。
だから自分の組で三軒も空家があるのは変なのである。
そうして使わない家や土地は何の意味もない、だから持つ権利すら本当はなくなってゆく
誰か有効に利用するものが権利を得るのである。
だから小作が戦後を土地を無料で取得したのはそのためである。
労働する方に権利がありただ土地だけをもっている人には権利が喪失してゆくのである。

だから何年間も空家にしておくことは市町村でも有効利用していないのだから何の役にもたたない、
みんな土地や家も求めている時そうした空家を持つことはかなりの迷惑になってしまう。
だから土地や家や庭でも自分のものではないその子孫のものでもない、何らかの共有財産となってゆく。


今日は霞だった。春らしい穏やかな一日だった。近くの花屋でまた花を買った。
花を飾るに花を見るのにふさわしい季節となった。


春なれや名もなき山の朝霞 松尾芭蕉


みちのくの山も春なれ夕霞


この辺もともと知られていない場所だった。飯館村などもほとんど知られていなかった。
それが原発事故で世界まで知られるようになったのである。
それはいいことではなかったのである。
今頃春田になっていたしそれもない、こんなに変わること自体あまりにも無常だった。

自分の街中の墓地は毎日通っている。
だからその度に死者を意識するということはある。
あそこの墓地は意外と古い場所だった。
ただそのすぐ側に何軒も復興住宅の団地が建つ、これもあまりの変化だったのてある。
墓地は淋しい方がいいけどまるで都会化してきたのである。
これもいいものじゃいがどうにもならない、家不足はこれからもずっとつづく。

2014年02月25日

放射線量が各地で雪で上昇 (南相馬市の浜側でも2倍に上昇)


放射線量が各地で雪で上昇

(南相馬市の浜側でも2倍に上昇)

snowradiationw.jpg

前は0.1・・・レベルだった

toishita1.jpg
2014-2-25の樋の下

toinoshita22222.jpg
三年前の樋の下

2月15日頃から福島県を中心に、東日本各地で放射線量が上昇しています。政府の放射能モニタリングポストによると、福島県の南相馬市や富岡町、大熊町などで平時の平均よりも1.2倍ほど高い値を観測したとのことです。また、茨城県や栃木県でも、少しだけ線量が上昇しました。
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-1822.html


雪でも雨でもやはり放射性物質は付着して地上におりてくる。
不運だったのは原発が爆発した時に東風がふり飯館へ行く谷間で雪がふったのである。
それで異常に放射線量が高くなった。
雪がかなり影響したのである。

今回の大雪でも放射線量が各地で上昇した。
自分の家の回りでも倍に上昇した。

前は道路でも0・1・・・だったが0・28は結構高い、倍になっていた。
雪の上では0・22とかであった。
雪が一番ほ放射性物質が付着しやすい

ただ空気中にまだまだ放射性物質がふくんでいてそれが雪に付着しておりてくる。
空気中から消えない放射性物質がある。放射性物質はなかなか空気中でも消えないのである。
ただ見た限りでは空気は別に冬でも澄んでいる、見た目はわからないのである。


それでも放射性物質は相当に減った。半分にどこでも減っている。
樋の下は一番高く9マイクロシーベルトあったが今日計ったら4くらいだった
約半分に減っている。とこでも半分に減っている
でもストロンチウムとかの核種は計られていない、セシウムが主に計られている
セシウムは確実に減る、30年たたなくても半分に減っている
でも科学的判断は素人にはなかなかできない

政府でも放射線量が本当はどれくらい減っているのか?
そうした正確なことはやはり事故の後も伝えていない
帰還させることを奨励しているから放射線量を高く設定していない


計った限りでは0・1くらいから0・3とかになると高いと感じる
室内でも0・2あったのかとなる。
雪の関係でどこでも放射線量があがったのである
だかちら空中に放射性物質は相当にふくんでいて消えないから雪がふってそれを証明したのである。


この放射線量がどのくらい人体に影響するものなのか?
自然にも放射線がでている。それには人工的な核種はふくまれていないから安全だという
だから少量の放射線量はかえって健康にいいということをなぜ科学者が言ったのだろうか
人工のものは核種が違っているからそうはならないのである。
そんなこと科学者だったら簡単なことに思えるけどそれもわからないことだった。

posted by 老鶯 at 14:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年02月24日

看護、介護がなぜ在宅がいいのか (病院や施設で人間を数として見ている)


看護、介護がなぜ在宅がいいのか

(病院や施設で人間を数として見ている)

家で介護している限りはその人は家の価値観の中でその人をみている。
家族でも千差万別だからその人が家族でどういう立場にあったの人なのかわかりにくい、
最近つきあった人も本当にわかりにくい、前の夫とともつきあっているし
障害者の息子ももっているしなんかわけわからなくなる
家族関係は本当はその家族しかわからない人間関係をもっているのかもしれない
だからその人が家族でどういう立場になったのかはその家族でないとわからない

自分の家族も外から見たらどんなことしても理解できない家族だった
そんな家族関係があるのかと不思議に思ってしまうだろう。
でもそういう家族の中で自分は育ったし最後も看取ったのである。

介護の時はその人の価値づけは家族の中で行われるのである。
家族の中でどういう働きをしたか立場にあったか、
家族にどいうふうに尽くしたかとがが問われる。

だから実際の親子関係でも全く親の働きをしなかった人もいるから
介護の時は粗末に扱われることは普通にある。
ただ害を残しただけだとそうなってしまう。
介護で自分が世話になった分しか介護しないというのもそのためである。
だから兄弟でも姉妹でも一番かわいがられたものが介護しないとかなる
親でも価値づけが兄弟姉妹で変わってくるからである。


この家族から一旦外に介護になるとまた違ってくる
ただそこではそうした複雑な家族の関係や価値づけとは違ってくる。
家族という価値づけの世界から社会的公平な価値づけが働く
それは個々の複雑な家族の価値づけではなく平等の原理が働く
その人が家族の中でどういう立場にあったのかなど関係なくなる
一人の介護者でありそれは誰々の家族というものではない
一人の病人であり介護者である

それはただその病人の様態で介護度で決められる
少しでも歩ければ早めに退院してくださいとなり
まだ重傷で歩くこともできなければ長くなる
その人がどういう家族の中で生きて来たかなどは関係ない
だから今では特養でも介護度が優先順位になる
前は身寄りがない人が優先的に入れた
今は介護度で決まりやすい
その他いろいろなことを考えても他人にはわからないからである。


結局病院や老人ホームでもそれは頭数で考える
病院では収入を増やすために一人一人の事情など考慮することはできない
10日入院だと収入が多くなるから少しでも歩けるようになったら出てくださいとなる
そして新しい人を入れることに力をそそぐのである
一人何日入院していくらだと絶えず頭で計算して対処しているだけなのである。
それは老人ホームでも同じである。


例えば経済活動でもレストランでも頭数をふやさないと利益があがらないから
一人は単に定価分を払う数にすぎない、それが経済活動である
同じ金額を払うのだからその人が特別な人とはどこにもならないのである。
数をふやせば利益もあがる。それが日常の経済活動なのである。
これは政治活動でも同じである。
一票は頭数であり数を集めない限り選挙には勝てない、
だからどんなに社会に貢献している人でも生活保護の人でも何でも一人一票なのと同じである。
カルト宗教団体でもこれは同じ考え方で人集めをする
頭数が集まればそれが数として社会へ反映させられる
それも経済活動の一環と同じなのである。
社会活動や経済活動ではその人が特別だということにはならないのである


だからそんなふうにただ頭数として計算され処理されることはわびしいとなる。
病院では死んでもそうなる。すぐにかたづけてください、葬儀屋は呼んでありますとか
ただ金として頭数で計算されて火葬場に送られる
その人をいたむ心はないのである。
でも現実に家族でもないとしたら看護するにしろ介護するにしろ
家族のようなまた何かその人への思い入れをもつことはできない
だから介護度で判定してあとは数で処理するのである。

だから議員ですら番号で呼ばれたとうことがあって怒った。
つまり病院や施設では本当に番号として処理されても不思議ではないのだ。
その個別の人間として扱う余裕もないし患者も介護者も番号として処理される

医者でも看護師でも介護士でもその人に特別思い入れをもつことはなかなかできないだろう。
次々に患者は苦し病人も苦し介護者も来るからである。
だから病院では金の計算が先になる。
早く退院させて回転率を良くしてゆくと金は効率的に入ってくるからである


ただ人間にはそれぞれの人生が個別的人生がありそこに価値がある。
それを病院や施設では考慮できない、病院では病人でありその病気をみる、
施設では介護者としてみるだけである。
家族でみるときは複雑にしろ家族的価値観でみている。

また人間には個別的人生があり価値観がありそれが本来の人間を価値づけている。
そういう方面の価値は誰かみるのかとなる。
自分はその人の話しを聞いてそういう苦労をしたんですねとかあいづちをうったりして聞いたりしているとき
相手の人生に入りその価値を認めているのである。
認知症の人でも最後まで人間としてのプライドをもっている不思議がある。
だからあなたは戦争で苦しみいろいろと辛いことを経験して生きてきたのですねとか
話を聞いてやると満足するのである

こういうことは医者も看護師も介護士もしているのはごくごくまれである
そんな余裕がないのが現場だからである
そこで人間がモノのように処理される
だから病院とかで死ぬのは嫌だとなるが最後は病院で死ぬのが8割になる

かといって在宅介護は家族にとって重荷になりすぎている。
家族が少ないからできないのである。でも国では在宅介護がおしつけているのである。
本来はそうあるべきなのだがそうできない、そこがまた介護の大きな問題なのである。
いづれにしろまた退院したら前より介護は苦しくなる
介護とが増しているからそうなる。
ただ介護される方にとっては家がいいとなるのだろう。

食事の面では病院の方が良かった
食べやすいものが出されたからである。
家だと自分はそうしたものを作れないからである。
介護を家でするのには人手が必要なのである
人手はあまっているけど活用されていない
介護士とか専門の人だけに頼るの無理がある
隣近所で昔はしていたというのもわかる
介護はそんな専門家ばかりに頼っていたらめんどうになるだけだからである。


いづれにしろ現代社会はみんな経済的には頭数として計算され個別的なものとして価値を認める所はない、
江戸時代あたりの方が人間を個別的にそれぞれの立場を尊重してみていたかもしれない、
それは人間同士が濃密に交わる社会だからそうなった。
交わる場所も村とか狭い場所だからそうなった。
ただこれもいろいろ見方がありわからない
ただ江戸時代がすべて貧困などばかりでいいことはなかったなどとはみれない
江戸時代には江戸時代なりの人間の価値観がありそこではかえって現代のように
数としてだけ処理される経済活動だったとは言えないものもあった。
ただそれを言うとまたその見方も否定される
ただ時代をみるには江戸時代でも今を見るのに参考にはなるのである。

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春寒し(顔にその土地の自然が反映している)


春寒し(顔にその土地の自然が反映している)

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冬日さし宝永の碑の残るかな


東風吹くやかなたを思いみちのくに


春寒し鴎の二羽の真野川に朝飛び来たり山の翳りぬ

山脈に残れる雪や雲影に翳り深めぬ春寒しかも

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昨日を撮った写真だった。昨日はまだ寒かった。今日は春らしく東風(こち)が吹いた。
明らかに東風(こち)が吹く時はこの辺は春らしくなる。
この東風は九州からさらに海を渡って吹いてくるものなのだろうか?
風は地球規模で吹くから風を感じることは地球の広さを感じることに通じている。
貿易風などもあり風は一地域に吹くものとは違う。

ただこの東風が原発事故では災いしたのである。
飯館村から福島市まで東風が吹いたから放射性物質も運ばれた不運があった。
北風だったら海に半分は流されていたのである。
浜通りは海に流されたのが多かった、南相馬市でもそうだったのである。


真野川に鴎が飛んでくるというとき海が近いからである。
鴎を見れば必ず海をイメージする。
ただなぜ琵琶湖に鴎が飛んでいるのか、あそこも海と通じているとなるのか?
川をさかのぼり琵琶湖に飛んでくるのか不思議である。


山脈(やまなみ)が翳るというとき、人間の顔にも反映される。
東北人が何か暗いというとき雪国の人が暗いというとき、それは自然が反映されているからである。
雪国だったら冬の間に閉ざされて暮らしたら誰でも暗くなる。
それが顔にも反映される。
実際に沖縄の人などはそうした顔に暗さがない明るさがある。
それは九州の人でも同じである。
だから沖縄に行ったとき、あんたは東北の人だと一目見て言われた。
やはりそういう特徴を東北人はもっているのだ。
その人とは一言も話さないがわかったのである。

人間の顔にはそうした自然が自ずと反映される。

ただ東京のような大都会となる自然の反映がなくなる
だから顔に深みがなくみんな数字のようなロボットのような顔になる
そんなことまで見ている人はいないしわからない
でも海辺に住む人と山に住む人も縄文時代あたりだったら
顔を見ただけで区別できたかもしれない
今でも山岳民族が生き残っているけどその顔はそういう自然の刻印が押された顔になる。

宝永四年の碑が鹿島区の神社の脇では目立つ、あそこは神宮寺だった。
もともと神社であり後に寺になった。それで寺子屋もあり
その記念の天保の碑があった。でも気付いたのは二人だけだった。

あそこに復興住宅団地がたつから墓地としては何かふさわしくなくなった。
この辺の変わりようはあまりにも大きかったのである。

2014年02月22日

東日本大震災から2年 追い詰められる介護現場 ―福島県南相馬市からの報告―


東日本大震災から2年 追い詰められる介護現場

―福島県南相馬市からの報告―


南相馬市の北部にある介護老人保健施設「厚寿苑(こうじゅえん)」です。震災直後、一時は休止に追い込まれましたが、
市内でもいち早く活動を再開しました。

現在、およそ20人の介護職員で、50人を超える入所者のケアに当たっています。

この地域は、以前から介護の人手不足に悩まされてきました。震災以降介護を必要とするお年寄りが急増し、
今まで以上に厳しい運営を強いられています。58床あるベッドは、ほぼ満床状態が続き、260人を超える人が空きを待っています


100床ということで、12月に新しい施設が開設予定なのですが、未だ働く人が集まってきていません。先ほども話したように、30分でも、1時間でもいいんです。利用者さんとゆっくりお話していただけるような、ボランティアの方でも良いので、この地域で今困っている人のために、一人でも多く働きに来てくれる仲間を期待して待っております。よろしくお願いします。
http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/summary/2013-03/11.html

今問題となっている療養型病床である。療養型がなくなると「介護難民が出る」という言い方は間違いである。いわゆる老人病院から療養型を整備する時に、収容するための箱をつくりすぎたのである。



震災以後この辺の病院介護は危機的状態になった。介護する人も増えた。避難中に認知症を発病した人もいた。もちろん病気になり介護状態になった人もいた。
そういう状態の時、若い看護師介護士が南相馬市から流出した。
それも大きな痛手となった。その後も看護師と介護士は集まっていない
それで新しく建てた老人の施設も人手不足で100人収容でも機能していない

それはこれまでもここだけの問題ではなかった。老人施設はどこも人手不足に悩んでいた
箱ものは作ってもそこで働く人がいないのである。
病院とか介護では建物より人の方がより大事になる。
人手が多ければ多いほどいいのである。
介護する方も介護される方も楽になる。


在宅で苦しいのは今や家でも人手がない
一人で介護している人も多い
一人で二人を介護している人も多い
この辺では別に人手がないというわけではない
現実に3000人くらいの人が仮設に入っているけど
この人たちはほとんど働いていないからである。
毎日昼間から酒飲んでパチンコして遊んでいるのが多い
東京の方まで遊びにでかけている老人もいる

こういう危機的な状態の時
バチンコ屋で人がたりないとか言っている人がいた
これも馬鹿らしいのだけどそういう現実もあった
自分は介護していてもそんなこと見てみぬふりである
これは個人的でも今は南相馬市全体に起きていることなのだ


ボランティアの方でも良いので、この地域で今困っている人のために、一人でも多く働きに来てくれる仲間を期待して待っております


こういう危機的場があるのに遊び暮らしている。
補償金で遊んでいればいいという意識がある
こういうところに復興などあるのかと思う

遊んでいる人は南相馬市から出ていってくれ

これは自分にも問われているがここはそういう余裕のない場所になっている
遊ぶといっても数が多いのだからどうなっているのかと思う
要するに生活保護特区のようになってしまったということである。

そこではこれからも精神的荒廃がひどくなる
働くことがすべて価値あるものではないにしろ
南相馬市民の半分くらいが働かない人となるとどうなるのかということである

病院では入院したらすぐ退院してくださいというのには驚いた。
近くの人は本当に入院して三日くらいで抗議しないから退院させられた
何か看護師に愛想もなにもない、ぴりぴりして早く出したいというだけなのである。
それだけ他とは違い余裕がなく逼迫していたのである。


川内村に移住した外部の人は補償金で郡山市などで贅沢している村民を見てこんなところでは住めないと出て行った。
そういう生活はいいように見えても精神的に荒廃してくる
だから川内村のいい所があって田舎のいい所があって移住した人も出て行った。
何か前は貧しくてもいいものがあったがそれも失われた。
そういう荒廃が起きて経済的なものだけではなく精神的にもこの辺は荒廃して衰退してゆく


ナーニ、補償金で暮らせばいいんだ、何か努力しようにもできないよ
もう年だからあきらめるたよ

こんな精神状態が子供に影響してくる
そういう雰囲気は街自体にも影響してくる
そしてこういう場所は外部からのものにも嫌われてやがて来る人もいなくなる
震災から三年後の状況はもうかわいそうだだけでは解決しない
そういういつまでもかわいそうだかわいそうだというときそれに甘えてしまい何も解決しない
そういう甘えから脱することが復興へつながる。
でも現実は悪い状態に向かっている


posted by 老鶯 at 20:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2014年02月21日

津波原発事故での混乱状態は三年目でも変わっていない (それは現代社会を問うもので機能不全化している)


津波原発事故での混乱状態は三年目でも変わっていない


(それは現代社会を問うもので機能不全化している)


●まるで映画のような混乱状態が未だにつづいている

津波原発事故から三年目になってもこの辺の混乱状態は何も変わっていない、小高区の仮設なども以前として変化はない、復興住宅がその土地だけでも900区画必要でありそんな土地があるのかとなるから六号線の金沢の坂を上る狭い土地が住宅地にもなる。
津波で失われた土地の面積も広い、そこが使えないということも痛い
もちろん小高区全体が未だに人が住むように回復していないことは一番痛い。
なぜなら復興住宅を建てるとしたら小高区に土地があるのだからそこにも建てれば
土地を利用すればかなりの土地不足が回復する。
一部建てるにしても小高には住みたくないという人が多いからその土地は有効利用されない。

有効利用されないという時、何かこの辺ではあらゆるものが有効利用されない混乱状態が以前として継続されている。
未だに未来の姿など見えないし何をどうするのかも見えていない,それほど被害が大きすぎたから有効な手を打てない
この状態は何なのだろうというとき、まるで以前として映画のようにも思うだろう。
映画のセットのようになっている。
実際あの住宅地になる六号線の金沢の辺りにイノシシが二匹夕方に出てきたのをみた。
あそこは工事しているからあんなところに出てくるとは思わなかった。
ただ前には野うさぎが出てきたのは見ている。
野うさぎでもイノシシでも行動範囲は広いから街近くまででてくる。
ただイノシシをあんなところに見かけたのははじめてである。
イノシシは街内に住んでいるとなかなか見れないだろう。


この辺の状態は何か猿の惑星の映画のようだというとき現実がそれとにかよっているからそうなる。
浪江から南は警戒区域で人は住んでいない、住民がいなくなったこと自体
まるで映画のうよであり現実とも思えない、飯館村でもそうである。
そして避難した人は各地で仮設に住んでいる。そのことも変わっていない
それでどこでも避難した人たち地元の人たちに批判されている。
働かないで昼間から酒を飲みパチンコ屋などに行き遊んでいるだけだ。

それがイワキでは具体的に嫌がらせがあったのは現実にイワキに住んでいた人たちが
アパートでも病院でも何でも原発避難者が優先にされたことでから起きた。
病院も混んで避難者は無料であり地元に住んでいる人はあとまわしにされる。
何かそうした具体的に原発避難者のたに損したとかがありそれで避難者を攻撃するようになった。
あまりにも原発避難者は国からでもいろいろと優遇されたからそうなった。
鹿島でも小高区の人たちは仮設に住んで補償金もらって遊んでいるだけだとかなる。
イワキと似たような状態が作り出された。


●原発避難者だけが優遇される不満がここでも起きている


南相馬市でも原発避難者津波被害者は仮設に住んでいるから介護できないとなり
病院でも施設でも優先的に入れてその他の人たちはもともと少ないから入れないとなり
具体的にそうしたことでも不満がでてくる。自分も何か理由はわかるにしても迷惑だと思った。
ただもし小高区の人たちもただ毎日酒飲んでパチンコして遊んでいることで批判される。
何か懸命に南相馬市のために働こうとか何かそうした意識でもあればそうはならない、
ナーニ、補償金で暮らせばいいしあとは生活保護で暮らせばいい、
こんなことにされた俺たちは被害者でありかわいそうな人たちでありそれを主張できる。

でもそうした意識でいると回りからの目がこれからはさらに厳しくなってくる。

どこも人手がたりないのに病院でも老人ホームでもスーパーでもレストランでも建築現場でもどこも人手がたりない、
そんなことかまわないで金があるから誰も働こうとしない、働いているのは主に外部の人でありまだボランティアも来ている。
おそらく原発避難者でも地元の人のために何かなろうとか意識でもあればそうはなっていない。
俺たちは金があるのだからそんなことする必要はない、毎日マグロのサシミで晩酌だとなる。
そういう人たちを見ていて回りの人のこれからは厳しくなる。


なぜ原発避難者だけが優遇されるのだ・・・


これがイワキの人たちの怒りになったことは自分もわかった。
それはもともと住んでいた人たちが被害にあったからそうなったのである。
それはイワキだけではないどこでも原発避難者を受け入れているところでは起きている。
なぜ避難者は毎日遊んで暮らしているのか

なぜ自分たちはあの人たちのために働かねばならないのか尽くさねばならないのかということがある。
ただ南相馬市の場合はさにに複雑であり小高、原町、鹿島で補償金で内部対立がある。

それで一眼となって復興する意欲がそがれている。心がばらばらにされているからである。
実際考えてみると小高区の人たちが鹿島区に仮設を建てた時、一時的に市の調整金から支出して一所帯百万もらった。
それを原町の人でかなり批判した人がいた。
でも原町の人たちは二年分くらい一人一カ月七万の補償金をもらっているとかなっていた。
その差も大きいから鹿島区の人たちは不満が未だに大きい。
だから小高区の人たちが補償金の一部を鹿島区の人たちに分けるべきだったという人もいる。
こういうことは自分だけが特別思っていることではない、鹿島区の人たちの世論なのである。
表立って口に出さなくてもそういう気持が共通しているのである。


●金だけでは解決しない問題


いづれにしろこの辺の状態を住んでいても理解することが未だにむずかしい。
これは一体なんなのだろう?これからどうすればいいのだろう。
意外と補償金で金には恵まれている。ただ変なのは銀行には金がたまっても借りる人がいなくて困っているという、
銀行は借りてくれる人がいないと成り立たないのである。
金があってもうまくいかない、金だけでは解決しない問題が生れている。
自給1200円でも人手は集まらない、この人手集まらないということが実際はこの辺では致命的になりうる。
新しい百人収容の施設も建てたが10人募集しても介護士など来ない、他にも施設は建てたが介護士などこない、
下の世話をする介護士など誰もやりたくないしみんなやめてゆくと行っていた。
看護師不足も深刻である。それは金では解決しない。

何かこの辺では金だけでは解決しえない問題がかなり生れている。

みんな土地をほしがっているが土地を買うことができず家を建てられない人たちも多い。金でなんても買えてまかなえるということができなくなっている。
それは何なのか、社会を見直すきっかけにもなる。
金をもっていたからとすべていいとはならない社会である。
金が今までのように機能しなくなっている社会である。


それから人手不足というのはなぜそうなるのかというと看護師でも介護士でも
あらゆるものが専門化していて資格が必要だとか簡単になれないからである。
また相手を信用できないから保証人が必ず必要でありそれでみんな困っている。
つまり人手を補うにしても働くが端を楽にするという狭い範囲での労働とは違っているから人を使えないし補えない、
それも現代社会の仕組みそのものが機能不全に陥っているためかもしれない、
村のような大家族のような狭い社会だったら人手は金ではなくても補えたろう。

介護などはみんな在宅でしているのだから施設を作って専門家の介護士だけしかできないというこはできない、
手の余っているの者がきてやればいいとなる。
でもそんなことはいろいろな条件が国から課せられていて金も国から出るとなるとできない、
そこで専門家でなければ資格がなければやれない、
また保証人がなければ信用できないとかいろいろな障壁がない社会だったろう。
その見方がいろいろあるにしても何かこの辺の状態はそうした社会の機能不全状態に陥っている。
だからこそ何でも有効な手段がとれない、ただ映画のような混乱状態がつづいているのだ。

金によって人の心も分断されているのも現代を象徴している。あいつは多くもらっている。
格差社会ではそうなる。
なんか未だにこの辺は何なのか?
要するに現代社会の矛盾が極端化して現れている場所なのである。
現代社会が機能不全に陥るとこんな状態になり解決の道が見いだせなくなる
だから簡単に復興な外からでも叫んでもできない
それは何か現代社会の崩壊現象がこの辺で起きているからきようにも見えるのである。

posted by 老鶯 at 20:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

根を強く張る冬芒 (土着的なものはその土地に根をはる農家の人にあった)


根を強く張る冬芒

(土着的なものはその土地に根をはる農家の人にあった)


しぶとくも根を張り強き冬芒

萱(かや)は根が強く、簡単には取り除くことができません。
除草剤を使用すると作物に悪い影響を与えます。
このため、畑の中の萱(かや)は、周囲の土を掘り起こし萱の根を見落とさないように全て取り除くのがベストでしょう。
http://sendai-rtoj.seesaa.net/article/220989180.html


新さんさ時雨 宮城県民謡

萱の根方に そと降る雨は
萩の根方に 鈴振る虫は
白河市萱根地区


風流という時、俳句だと萱になれば秋は芒であり枯芒となる。枯芒から今度は一月になると冬芒になる。
でもそもそも萱がどういうものなのか実生活からわかるのは実際に畑を耕して野菜などを作っている人である。
この歌で萱の根方にとか萩の根方にというのに注目する。普通そういう発想はない。
農民が作った民謡にはそういう発想があったとなる。

畑で野菜を作る時、萱があると困る。根が強く張るからやっかいであり土ごと全部とらないととれない、
こうした作業を通じて萱の性質を具体的に農家の人はしる。
風流的になるとただその表面を見ているだけなのである。
農作業でまさに農民は自然と日々接して格闘しているところがある。
それは風流としてながめるのとは違っている。
だからこそ萱は根が強くやっかいなものだとして萱根という地名が生れたのである。


農家出身の女性と接してわかったことは土着的女性だということをつくづく感じた。
その女性は見た感じでは体も頑丈であり農業できる体をもっていると見える。
ただ実際は頑丈そうに見えても弱い部分がかなりある。
でも農業というとき体が丈夫でないとできないと外からは見る。
外で働くから寒さ暑さをじかに感じるし体が強くないとできないと思う。
だから華奢なきれいな女性では勤まらないから嫁として受け入れられない時代があったかもしれない、
米俵を担ぐ力持ちの女性がかえって注目されたり価値があったのは
機械もない時代は力あるものが価値があった。それは男女でも同じだったのである。
ただ遊女になるにはそれなりの美人が要求されたが農家ではそうではなかった。


そもそも農家に嫁ぐの嫌う女性がいた。それは農作業が辛いからである。
今はそういうことが軽減されたから別にそんなに体が丈夫でなくても勤まるようになったのだろう。
それより専業農家は田舎でも一割とか極めて少ないのでありあとは
兼業農家であり兼業農家はサラリーマンになっていて田んぼもまかせているから
全く農業しない人も多いからそこが農家と言えるのかとなる。
実際農家でも昔の農家とは違い農家的なものは失われているし農村的なものも田舎から失われている。
根を張るというとき農家はまさにその土地に根を張る存在であり樹や萱などの植物と同じだったのである。
そういう自給自足の生活は江戸時代から戦後十年まではつづいた。
それが高度成長時代となり急速に変貌してしまった。


現代はその土地に根付いて生活する土着的な志向は消えて会社に就職することが人生を決める。
社会は会社社会になったのでありその土地に根付く根を張る社を中心とした村社会は消えた。
でも人間は根源的には生物だから土地との一体感を求めることは変わりない。
それがむしろ自然であり自然から遊離しすぎた文明の中で自然のことがわからなくなった。
原発は全く自然から遊離したものであり土地とは何の関係もない、
「原発は何か」と問うてみても知識的にもわからないし具体的日々の生活でも理解できないものだった。
炭を燃料にしていればそれは山の木から作るから説明するまでもなく生活の中でその意味を自ずと知る。
原発はわからないからそれを制御したりすることもできない、ただ暴発して事故になりあとで苦しむだけだった。


サラリーマン的な人生には人間には生の重みが伝わってこない、退職すると同時に用なきものとなる悲哀がある。
農家の人にはそもそも退職がない、生涯体が動く限り現役になる。80才でも畑を耕している人は普通にいるからである。
不思議なのは東京辺りではもうそうした農家の人を知ることができない、
どうして米が野菜ができるのかもわからない、回りが全部サラリーマンであるとすると農家の人とじかに接することはないからだ。
そういう世界はやはり自然と遊離した異常な空間でありそれがいつか災害やら電気がとまったとかで突然崩壊するという恐怖を覚える。
そのよってたつ基盤が自然ではなく人工的なものだからである。
人工的なもの原発でもそういうものは今回のようにいつ事故が起きる破壊されるからわからないからである。


2014年02月20日

日永の変わらぬ松二本 (災害や認知症なども近代化の弊害が社会で現象化した


日永の変わらぬ松二本

(災害や認知症なども近代化の弊害が社会で現象化した



風唸り梢鋭く冬銀河


常磐木の松に春めく光かな東風にゆれつつ春そ近しも

松二本ここにしあれな変わらずに日永となりぬ道を帰りぬ


暦的には春になっても今年は寒い、確かに日は長くなっている。雪は丘の上の森の道は厚く積もっている。

今日は東風は吹かないがこの頃になると吹く時がある。
その風が一番春を浜通りでは感じる。これは山国でも同じである。東風(こち)吹けば思い起こせよう梅の花・・・その東風である。
この東風が飯館から福島市まで吹いて放射能汚染が拡大したのである。
運が悪かったといえば悪かった。北風の季節だったら海の方に流れていたのである。

六号線の原町に行く脇の道にも家が建つらしい。一軒明らかに整地した。
この辺では住宅を建てる土地を確保するのに苦労している。
田んぼがいくらでもあるじゃないかといっても簡単には住宅地には今もできない。
だからあんな狭いところでも住宅地にしようとしている。
900カ所の復興住宅地の土地が必要になっているのだからどれだけ土地が必要かわかる。
それをまとめて提供するのではなく空いている土地を先に住宅地にするからあんな狭い所も住宅地になる。


あそこには松が一本ありいつも通っているからなじみだったがあそこに家が建つとまた変わってくる。
この辺は津波でもそうだがいろんな所が変わりすぎるのである。
松二本が変わらずにここにあってほしいというとき、それはもう変わらないでほしいということがある。
次々に変わっゆくと心の平静が乱される、そもそも平成という年号が全く違ったものとなった。
動乱の時代になった。だから平成という年号は全くあっていなかったのである。
平成を願うのがふさわしいとなった。
平成という年号になったのは時代的何か平和であったからそうなった。でも実際はその逆になってしまったのである。

震災や津波や原発はいろいろなことを見直すことになった。

現代の生活は人間関係でもまず見知らぬ人と交わることが実に多い
それが悪いものではないにしろそこにまた一つの弊害が生れていた。
つまり濃密な人間関係が作れない、それは家族でも親子でもそうである。

同じ病室に認知症になった親をもっている人がいたがその親はすでに息子のことを知らないという、
自分の場合は最後まで自分のことをわかっていた。
それがなぜだろうと思ったとき、その人は親とは大人になってから離れて暮らしていたのである。

現代ではそういう人がかなりいる。広域社会だからそうなりやすい、
北海道だ鳥取だ沖縄だ、五島列島だとか外国まで嫁に行く時代である。
だから親とも離れてしまい離れてしまうと親子でも疎遠になってゆくのである。
そのことで認知症になり息子のことを忘れてしまったのかもしれない
ずっーと一緒に生活していればそういうことは認知症だからといってなりにくい。
近くでもあっていればそんなふうにならないと思う。

つまり現代とは離ればなれで広い地域で暮らすから親密さが作れないのである。
そんな生活は昔の江戸時代であり閉塞されていやだというのもわかる。
自分も若い時はそういう田舎をずっーと嫌だった。
だから実際に自分は田舎の人とはかかわって生活していないし旅ばかりしていたとなる
ただ年取ってくるとそういうめまぐるしく変わる生活に適応できなくなる
まず新しく交わる人の名前がわからなくなる。覚えられないのである。
すると前からなじみの人がいいとなる。
人だけでなく風景でも回りの環境でも変わらないものがいいともなる
どうしても保守的になるのだ。


つまり現代人の生活の弊害が便利なものに頼る生活、広域的に拡散する人間関係、
グローバル経済の弊害とか・・・そういう外へ外へと拡散する生活が果たして人間にとってみんないいものかという疑問が生れたのである。

家族さえ親密な関係がもてず相互不信の時代となりただ金だけが頼りとなり
家族も核家族から独居老人となり介護するにも一人しかいないとか一人で二人を介護させるとか国でも老人に金かかるからそうさせる。
大家族時代だったら可能でも在宅にしても家には介護する人は一人しかいないのである。
何かこれは家族でもそうだがこれらも近代的家族形態とか近代的とされたものが実は何か大きな変換を求められている現象である。
昔には帰れないにしろ昔の良さを見直して未来を考えるということにはつながる。

近代的ということがすべていいことではなかったのである。
その悪い側面が災害とか原発事故とか様々な分野で現象化してきているのである。
一番身近な家族関係でもそうなっているのだ。
それは認知症という病気が謎にしてもその病気の特徴が不思議に現代生活と関係していた。
つまりなじみある人となじみある場所では認知症の人の症状は安定する。
変わりすぎること場所でも人でも変わると安定しない
人でもずっーと一緒に暮らしていた人のことはわかるけど息子娘でも離れて暮らしている人のことはわからなくなる。
認知症の人にとって現代社会はその症状を悪化させるものばかりなのである。
だからこれも現代的近代化の一つの現象化した病気なのかともさえ思う。
もし認知症になっても江戸時代のような暮らしだったらわからずにボケたよというくらいで終わっていたかもしれない、
長生きしたことと関係していても何かそういう現代社会現象としての病気かもしれないのである。


変わらぬ松二本というとき、これは現実にあるものというより人間の心にある願いとしての松二本なのである。
それは二人の人間のことでもあるからそうなる。
津波の被害でもあまりにも変わりすぎたことなのである


在宅介護を強いられて共倒れになる (津波、原発避難者優先で施設にはこの辺は入れない)


在宅介護を強いられて共倒れになる

(津波、原発避難者優先で施設にはこの辺は入れない)

なぜ原発被災地域で老人ホームなどに入りにくいかとかいとう津波、原発避難者が優先されるからである。
在宅でできないからどうにもらないなと優先される。
そもそも津波被害者は家がなくなっているのだからもう在宅ではできない、
そうすると相当数の人が被害にあって仮設に入っているのだから余計にこの辺では入れない、
これは津波の被害にあった地域では共通している

ただこの辺では原発避難者がそれより多い。

特に南相馬市の問題は小高区の人たちが大勢避難していることである。
原発避難者は優遇されている時、それはイワキの方で良く言われて
双葉や大熊の人たちの車が傷つけられたりした
南相馬市では起きていないがこれから不満が大きくなって同じようなことが起きるかもしれない

一年二年は大目にみていたが三年目になると回りの人の目が一段と厳しくなる

現実に
津波被害者と原発避難者が優先して老人ホームに入れるので入れない人がいる


二人も介護していて施設に入れない人がいるのもそのためである。
それはこうした事情があったからである。
つまり南相馬市では小高区の人たちが優先的に施設に入れるが他は入れない
そのこともやむをえないとしても他では不満になる
そして小高区の人たちは補償金をたんまりもらってパチンコなどだと遊んでいる
南相馬市のために何かするわけでもない
金があるから遊んでいればいいのだとなる
そうなると小高区の人たちへ憎しみさえ生れてくるだろう


そして100人収容の新しい老人ホームでも10人介護士を募集しても来ない
建物ができても中で働く人もいない
だから民主党の「コンクリートから人へ」という政策は実際はまちがっていなかった
コンクリートという建物より働く人の方が大事なのである。
コンクリートの建物がなくても働く人がいれば介護などはできるのである
最初に人を集め次に建物を作れば良かったのである。
それが今やどこでもできないのである


全国的にも在宅介護を強いられて共倒れになる恐怖


ここだけではなく全国的に介護は在宅が強いられて老人ホームには建物が建っても人手がたりないとか入れない、
政府では在宅を奨励しているがこれも在宅でも核家族化などで
人手がない、一人暮らしも多い。つまり在宅で介護できる人は金銭的な面だけでなく人手の面でも余裕ある家なのである。
これはここだけの問題ではないすでに深刻な問題となっている
だから介護殺人も日常的に起きてくる時代になる
いづれにしろ小高区の人たちはもう小高に帰るべきである

放射線量も低いのだから放射能の問題はない
帰って自宅に住むと補償金がもらえないから仮設に住んでいるとか働かないというのは許されなくなっている


要するに南相馬市の負担を減らすには小高区の人たちは小高に帰れ!


つまり原発避難者は特に帰れとなる。復興住宅に入れるのは津波被害者であり原発避難者ではない、
原発避難者は早く小高に帰れとなる。
なぜなら土地を取得するのも大変だし南相馬市で小高区の負担を全部を背負うことはできない、
国で援助するといっても負担は地元にかかってくる。
土地の問題でも小高には土地はあるし家もある人が多いのだから小高に帰るべきである


小高区の人たちはもう小高に帰れ!

帰らないならなんらか自立する方法を考えよ、補償金頼りで遊んでいる人は帰れ!

posted by 老鶯 at 15:48| Comment(2) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2014年02月19日

萌える春(抽象画)


萌える春(抽象画)

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萌える春

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緑のさざなみ

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近江の春の俳句十句 (近江は自然景観と歴史がマッチしているから魅力がある) oumi10kkk1.jpg


近江の春の俳句十句

(近江は自然景観と歴史がマッチしているから魅力がある)

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関が原伊吹山聳え残る雪

関が原越えて近江谷春の山
車窓より蓮華畑や近江富士
春光や近江平野を走るかな
雲にじむ大津の街や春の月
義仲寺を訪ねてあわれ柳かな
春なれど朝日将軍あわれかな
春なれや芭蕉の眠る近江かな
さざ波の都の跡や春は逝く
信長の楽市楽座栄ゆ春
京に行く春の夕暮瀬田の橋
古都なれや桜の並木慶州かな


近江には4回くらい行っている。それでも近江全部を実際に回っていない、近江の魅力は自然が残っていて自然の中に歴史が織りなされていることである。近江八景とかありそれは変わっていない。これが都市化したら変わっている。意外と農村的風景が残っているから自然が残っているから歴史でも偲ばれるのである。京都はそうした自然的風景が失われているから歴史があっても魅力が失われている。ただ庭や寺だけを見るという感じになる。

近江はまた地理的に東西を分ける地域にあることで魅力がある。関が原は東西の分かれ目であり何か景色も変わってくる。伊吹山がありここでヤマトタケルが死んだというのも何かの謂われがある。歴史も地理によって織りなされているからである。
春でも関が原辺りは寒く雪が残っている。
関が原を越えると近江平野でありそこに優美な三上山の近江富士が聳える。この山は400メートルくらいとすると低い山である。でも形がいいから目立っていて象徴的な山となっている。


春には蓮華畑が広がりその近江富士が望まれる。これも極めて近江の風景にマッチしている。電車で走ってもきれいに見える。思い出としては青春10切符で春に下関まで行き船で韓国の慶州まで行ったのは夢のようであった。近江は百済寺などがあり渡来人の国でもあった。だから韓国はより身近でありその古都にも桜並木がありわずかに咲いていたが散っていた。まさに韓国まで近江はつたながっているという気分になった。


春はやはり西の方が一段と歴史もあって春らしくなる。ただ京都でも大阪でも自然景観が都会化で損なわれているから幻滅する。つまり自然景観が昔のようにありそれと歴史がマッチしたとき魅力あるものとなる。それが近江にはある。信長の時代もありその魅力を語れば語りきれないだろう。近江は春は穏やかなのだろう。


晩年の2年近くを大津に過ごした芭蕉はその時期に、藩士、医者、町人、豪商、住職、能役者など多様な人達との交流を楽しんだ。実際、芭蕉は大津湖南地方を訪れること8回におよび、近江の風景や人間に深い愛着を抱いていたように思われる。

「死後もここで過ごしたい」
芭蕉はそのことを遺言した。

芭蕉の生涯の作品は980句確認されているらしいが、そのうち1割近くの89句が大津湖南地方で詠まれているという。奥の細道の52句に比しても、近江の密度の高さがわかる。36俳仙とよばれる弟子の国別分布をみても、近江12、江戸5、美濃・尾張各4、伊賀3、等で近江が群を抜いている。

芭蕉の近江好きは「行く春を 近江の人と 惜しみける」という句に代表される
http://www.geocities.jp/ikoi98/bashou/bashou.html

木曽義仲が眠る義仲寺に芭蕉もともに眠っている。近江が気に行ったということはやはり景色が穏やかで温暖だからだろう。荒寥とした陸奥の旅を終えて安らぎがあった。
人間的にも文化人なども多いし近江商人の出たところであり京都も近いから人の交わりも盛んな所である。実際に韓国で近江商人の末裔のうよな人に出会った。
その人から年賀状が10回も来ているが返事を出していない、いろいろあって何か余裕がないからだ。

ただ近江という時、福島県に意外と歴史的に交わりが深い。会津の蒲生氏郷は有名であり近江の日野の出身である。石田三成も現実に相馬藩に来ていて自分の住んでいる近くの田中城を訪ねていて相馬野馬追いの旗に三成の旗印が残っていた。三成は近江の出身であった。それから葛尾村(かつろう)村の葛尾村大尽という製鉄で栄えた跡には近江八景を模した庭が残っている。それは近江のヨネという女性を嫁にしたからである。
そんなところにも近江との関係がある。他にも近江商人の足跡はみちのくに残されている。それだけ近江は歴史的に広がりがあるのも魅力である。琵琶湖があり風光明媚なのことと歴史があることで語り尽くせない魅力がある。

近江では秀吉の長浜の城などは訪ねていない、近江全体を見るとなるとこれも相当な時間がかかる。なぜか自分は30年くらい旅をしていて全国を遊行していたのである。
それは今になると相当恵まれていた。高度成長時代はほとんどが企業戦士となり猛烈に働いていた時だったからである。こんなふうにして遊んでいた人はまれであった。今のニートのようなものは皆無だったからである。
こうしして今になり旅を思い出すと不思議である。旅でも印象に残る場所と残らない場所がある。近江は印象に残った場所だっから思い出して俳句や短歌を作れる。
思い出さないと作れないのである。
4回も行ったとなると近江はみちのくにいても身近なのかもしれない、心象に残っていて近江は心を豊かにする。京都は家が多く寺の街であり自然景観が近江のようにないので印象に残るのが少ない、やはり自然が映えないと歴史も建築物も映えないのである。


「行く春を 近江の人と 惜しみける」やはりこの句が近江を象徴しているのだろう。
春にふさわてい場所が近江でもあるからだ。そこにはまた人がいて近江商人のように人の活動があり自然景観だけではない、人の活動文化もあるという人なのである。

ただ戦国時代は何か芭蕉の句になっていない、信長なども句にしていないし秀吉も語られていない、芭蕉の句に城の句がない、蕪村にはあるのになぜなのだろうとなる。
何かそこには芭蕉に隠されたものがあるのかと謎になる。
なぜなら城は要でありその城を無視していることが謎になるからだ。
城をさけていたとしか思えないからである。

次は秋の部としての近江の俳句十句をだす、俳句も短歌も連作となったとき一つのものとして鑑賞できる。だから俳句短歌十句十首を出しているのである。

2014年02月18日

大雪などでも災害に弱い便利な現代社会 (人手不足で社会自体が衰退する危機)


大雪などでも災害に弱い便利な現代社会

(人手不足で社会自体が衰退する危機)


●災害に弱い現代社会

津波でも大雪でも現代社会派は意外と災害に弱い体質をもっている。今回の大雪でもそうだった。車社会だから車が通れなくなると危機になる。モノは入らないし病院にゆくこともできないし、薬も入って来なくなると危機になる。それは原発事故でもこの辺で起きた。ガソリンが入らずに車が使えなくなり一カ月以上ガソリンを得るために長蛇の列となった。つまり車が現代の足だとするときその足を奪われたら何もできなくなる。
車に頼っていれば車なしの生活は崩壊する。

一方に皮肉なことに歩くことに頼る生活だったら別に車がなくても生活できる。
そういうふうに生活しているから困ることはない。
車という便利な機械道具に頼る生活をしているときもし車が使えなくなったら致命的になる。

戦後10年くらいは農家は自給自足だから水でも燃料でも薪だとか炭であり
味噌から納豆まで自家生産していたし米の貯えもあったから困ることがない、
つまり危機には自給自足なら強い、頼っているのは自分の狭い生活する場であり家になるからだ。
外から物資が入らなくても困らない、もともと外から入る物資に頼っていないからである。

例えば大雪で孤立した村があったけどそこだって昔なら雪のなかでも生活する自給自足する工夫かあり生活できた。
そうでなければそんな村が生き残れるわけがないのである。
何かしら雪のなかでも生き抜く知恵があり伝えられて生き延びてきた。
だから現代の便利な生活が山の奥まで浸透するときこうした大雪とかで交通が遮断されるとお手上げになる。

もちろん電気や水道やガスやインフラも途絶えるとたちまちパニック状態になる。
牡鹿半島や三陸では裏山の清水をくんで運び薪で煮炊きをしたように自給自足の昔にもどっていた。
現代の矛盾はその場にある富が最も無視されている。
遠くの富にすべて頼っていることが危険なのである。石油だって遠い中東だとかガスだってそうである。
そういうものが入ってこなくなったら現代社会は崩壊する。

原発事故周辺はそういう便利なものに頼る生活の崩壊現象が起きたのである。
だから自国で食料すら生産出来なくなるTPPは便利でもこうした危機がくるとモノが入らなくなりパニックになり社会の崩壊現象が起きる。
なにか津波でも原発事故でも大雪でもそうした自然災害が現代の文明に警告を発している。
もっと重大な事故が災害が起きる用意をしておけということを警告している。
東京など災害に弱いからその被害は甚大なものとなる。

現実に牡鹿半島や三陸のように裏山の清水もないし薪にする木も燃料もなくなったらどうするのか?
米があったとしてもどうにもならない、パンもすぐなくなる。
そういう状態をリアルにイメージしたら相当に恐怖になる。
そういう地獄が迫っているかもしれない、気候の大変動期にも入っているから危険なのである。


●人手不足で社会が崩壊する

人手不足のことは今や深刻である。建築現場でも顕著だが福祉関係、病院や老人ホームなどでもそこで働く人が確保できない、
人手不足社会になっている。
人など時間給でいくらでも雇えるではないか、そんな時代は終わりつつある。
現実にこの辺ではレストランでも自給1200円でも人が集まらない、
仮設で補償金をたんまりもらって働かない事情はあるにしろ働ける人がいて働かないという事情があっても
全国的に人手はあらゆる所で不足する時代になっている。

もう建築現場では建築家会社の株は仕事があっても人手不足で仕事ができず下がっている。
仕事があれば好景気じゃないかとなるがそうじゃない,人がたりず会社経営すらできなくなっている。

高度経済成長のときは金の卵とか若年労働者が人手不足を補った。
現代は少子高齢化でありそうして補うことができないことが致命的になっいる。
一見機械がやればいいロボットを開発して補うことができるとかなるがそうはならない。
機械を操作するにも高度の能力が必要でありあらゆるところで仕事が高度化すると
それに見合った人手でがどこでも不足しているのだ。

現代社会は高度な知的社会ともなっているからそれだけどこでも人材が不足する。
それを建築現場ですら簡単に補いないのである。


この業界に20年いるけどさ。
一人前になるのに型枠工で3年。
鉄筋工で5年。
土工で1年。
バックホウオペで2年。
施工管理で5年。

マジで人手不足。
鉄筋、型枠なんて1.7倍くらいの値段払っても来てくれない。
東北の現場だけどさ、誰か助けてwww


人手不足っつーても
そもそも若年労働者数自体激減し続けてる
1994年の新成人数 207万人←ここをピークに激減の一途
2014年の新成人数 121万人←過去最低更新中(何と20年前の40%減)
つまり20年前と同じ感覚で公共事業なんてやってたら労働力不足になるのは当たり前だし
そもそも出生数でさえ近々100万人割れ、人口は減少の一途、過疎地域続出、待った無しの
超高齢化少子化、公共事業なんかの為に莫大な借金してる場合じゃねーよ

つまり簡単に人手は得られないのが現代なのである。


アルバイトを雇ったりして除雪作業で高校生が除雪車に手首を切られた。
アルバイトで雇うのは危険である。アルバイトでテレビのアンテナを屋根に設置していた60代の男性が屋根から落ちて死んだ。
自分も軽い気持でアンテナの線を切った時、アンテナが倒れてもし自分側に倒れたら大怪我をするところだった。
こういうことは建築現場では常に起きている。
そういう場所は訓練している人しかなかなかできないのである。
アルバイトでやらせられるのは本当に危険である。
そういう危険な仕事をさせること自体、雇い主が無頓着だから事故が起きる。
危険なことを平気でやらせるということである。
今はそういうことはできない、中国人でもできない、だから余計にそうした底辺の仕事にも人が集まらないのである。


●今は人を働かせることが簡単にできない

労災起こるたびに安衛法厳しくして現場の手間を増やし、
逃亡中の犯罪者が一時日雇いで現場にいたら事業者責任を厳しく追求し、
資格試験を増やしすぎて、低学歴人夫の賃金や職能の延び代が減り、
建設機械の環境対応厳しくしたせいでリースが増え、結果業者の所有重機が減り、
時の政権の意向で仕事が増えたり減ったりするから将来の展望が描けなかったり、
公共事業費の削減で点検や修繕を減らしたあげく事故や災害が起こっても業界の責任にされたり、


建築現場には犯罪者などが入り込みやすい、身元を問わないからである。
それでそれなりにそういう場所で生きられるという社会もまた悪いとは言えない。
それは社会の役にたっているからである。
今は働くことが誰かのコネで働かせることもできない
履歴書が必要であり視覚か必要であり保証人が必要であり・・・・
その敷居が高すぎるのである。
就職するのに保証人が必要でありそれで就職すらできないという人たちも多い。
自分などもどこにも就職などできない、就職する要件が何もないからである。


それはなぜなのか?
極端な人権主義もある。へたに人を雇えないという労働環境もある。
なぜ保証人にうるさいかというと広域社会になると何を信用の基準にしていいかわからない。
見知らぬ人でありこの人はどうしたら信用できるのか、雇う方にしてもこまるわけである。
その人について昔の村のように人柄などしりえようがないからだ。
だから保証人がいないと雇いないというのも雇う方になるとまた雇いにくくなる。
現実に自分も気軽に近くの人だと雇って財産をもっていかれるような犯罪にあっている。
つまり人は今やどうして信用できるのかとなる。
それであらゆるところで信用問題が起きて保証人が必要となる。

病院でも老人ホームでも保証人が必要であり施設のショートスティでも二人も保証人が必要になりできなかった。
これも現代社会が何をもって人を信用していいかわからなくなっているからである。
だから人を雇うこともめんどうだし簡単に雇えないから人手不足になる。
第一ニートみたいな一度社会からはずれたらまともにみられず就職はできなくなる。

そして介護士でも意外と一番問題なのは信用問題である。
施設でも老人は貯金でも多額の財産をもっている人がいるからそういうもの目をつけられて奪われやすいからである。
だから簡単に介護士でも雇えないのである。

それはどこても同じである。人は簡単に雇えないし人権がうるさく信用問題になる。

また病院でも老人ホームでもちょっとしたことで老人は怪我しやすい、
すると責任を問われ賠償を要求されるからそれも怖いので患者でも老人でも人を相手の仕事をいやがることもある。

介護なんか別に家族が家でやっているのだからそんな専門知識や技術もいらない、
でもこうした諸々の事情で現代は簡単に人手を得られない、
そして立派な老人施設が百人収容の施設ができても働く人を確保できず
前に述べた三人も一人で介護している人すら施設には入れず共倒れになる恐怖がある。
人手不足の原因はいろいろあり賃金をあげたから補えるというものでもない
高度成長時代と違ってるからだ。

ただ人手不足時代は日本の経済の致命傷になり日本自体が衰退する大きな要因となる。
人手不足の原因はもう簡単に解決するものではないからである。

posted by 老鶯 at 20:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

病院は看護師不足、老人ホームは介護士不足で入れない (南相馬市の病院、介護の危機的状態)


病院は看護師不足、老人ホームは介護士不足で入れない

(南相馬市の病院、介護の危機的状態)

震災前は入院してすぐに退院してくださいとかならない、まだ余裕があったのだろう。
今日入院した近くの知っている同級の人は兄が心不全となり入院したが土曜日に退院しろと言われてそうなる。
自分は25日でありそれでも退院許可が出たのですぐに退院してくださいという時は驚いた。
退院支援援助で一週間伸ばすことができて余裕ができた。
男のベッドは空いていないとか男より女性か優先されているのかもしれない。
近くだから悪くなったらまた入院してもいいとは言っていた。

その同級の人がなぜ老人ホームに入れないのかもわからない、
最初は兄と二人で障害者一級の人と92歳の母を介護していた。
その後一人になり兄が病気になり今や三人も介護している。
これでも老人ホームに入れない、7年前から申し込んでいるとかこんなひどい人が
特養でも入れないとしたら自分などここでは絶対に入れないと思った。
南相馬市では特養など老人ホームに入るのは絶望的だとなる。
老人ホームの問題は空きができるのは死ぬときしかないとしたらなかなか空きが出ない

確かに100人収容の施設が鹿島厚生病院に連結してできた。
それもすでに入っているという、でもそこで働く人がいないのだから収容できない。
看護師不足で看護助士というのが何人か働いていた。
おそらく介護士募集しても来ない、するといつまでたっても施設には入れない
建物ができても何の役にもたたないとなる。
建物がなくても人がいれば介護などはやれのである。

兄二人その一人が障害者一級で92歳の母の三人を介護できるのか?
これだけの人が施設に入れないということは相当な危機的状態にある。
本当に見捨てられて野垂れ死にか共倒れになる。

この辺では津波や原発事故で若い人の流出や看護師不足で介護士不足で危機的状態にある。

こういうとき原発避難者が毎日パチンコでパチンコ屋で働く人がいなてくて困っているなどといっていることが腹ただしくなる。
補償金をたんまりもらっているから遊んでいればいいんだいう時は三年目で終わっている。
もうかわいそうな人たちではない、かわいそうな危機的状態の人は他にいる。
だからもうそういう人たちに同情する必要はもうない。
なんとか自分たちでするべきでありボランティアに頼る時も終わっているのだ。
復興にしても外部の人頼りで自分たちただ補償金をもらって遊んでいればいいとなっているの異常である。
そんな人たちを外部の人でも助けたくなるだろうか?
二年目くらいまではしかたないという面はあり一年目とかでそういうことは酷だった。

三年目からそうはいかない。もうかわいそうだという同情の時は終わったのである。

いづれにしろ介護は全国でも危機的状態になってくる。国で在宅でしろといっても人手がない家族が多い。
そうなるともう野垂れ死にとか共倒れとかそういう悲惨なことが現実になってくる。
それはもう身寄りがないということだけではない、もうそれだけの老人を世話することができなくなっている。
そうなるとめんどうだから早く死んでくださいということが現実化してくる。
安楽死だって容認されるし医者も看護師も見放してしまう。
それが非情でもめんどうみきれなくなっているのだ。

それだけ追われると医者でも看護師もそういう目で見ている。
一人へれば死ねば病院も空いて楽になる。
同情する余裕もないわ、次から次と老人が入ってくるんだから
そういう病院に入院してももう早く死んでくださいとなれば
病院に入る前に死んだ方がいいともなる
そういう時代に突入している
もう増えすぎる老人のめんどうは見切れない時代に現実になっている

posted by 老鶯 at 13:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2014年02月17日

カルマについつての考察 (個々人の人生の謎がカルマで解けるから?)


カルマについつての考察

(個々人の人生の謎がカルマで解けるから?)


●なぜカルマの思想が生れたのか?


人間が輪廻のサイクルにあることを“苦”と考え、そこからの“解脱”を宗教による救いの最終目的と考えています。インド人にとって救いとは、苦しみの輪廻から逃れることに他なりません。

輪廻は「カルマ(業)」によって引き起こされるとされます。カルマとは、前世の行為が目に見えない潜在力となったものです
http://www5a.biglobe.ne.jp/~spk/about_sp/sp-thought1/sp-thought1-7/sp-thought1-7-01.htm


仏教では、生前での生き方、為してきたことの結果によって生まれ変わる世界が決まると説いています。それは「自分の為したことが返る」というカルマの法則に基づいています。

カルマというとき宿命とかもなりいろいろな解釈がある。ただなぜインドでこういう思想が生れたのかということである。それは百年とかの単位で生れたものではない、仏教の思想はヒンズー教に由来している。キリスト教は旧約聖書に由来している。
その歴史は人類かはじまりから生れた思想である。
だから仏教でもヒンズー教に由来しているという時、ヒンズー教を知らないと本当は深く知ることはできない、キリスト教でも同じである。
そして何の宗教であれ思想であれ慣習のようなトーテムの原始宗教であれいちがいにそれらを古いとして近代的な思想で批判はてきない、奇妙なことは現代思想こそ実際は百年単位とかで生れたもので人類史をさかのぼれば一時期の異様化したものとして後世にふりかえられる。

カースト制が古いし差別だという時もそうである。それが成り立つ伝統社会があって生れた。だからそれはそれなりに合理性があり社会を形成する。差別だという時それは現代からみてそうなのであり当時は別に当然であり社会的合理性があったともなる。

奴隷すら人類史では進歩したものだったという。なぜなら戦争で負けたら皆殺しにされたけと奴隷として生かすことは進歩だったとなる。だからカースト制にもそれがなりたつ歴史があり否定するにも簡単に一言ではできないものをもっている。

江戸時代の士農工商も差別だとなるがこれも江戸時代の社会ではその社会を成り立たせる基盤でありこれを否定したら社会は成り立たない、侍は別に支配階級でぜいたくしていたとはいえない、ヨーロッパの貴族でもそれなりの役割があり社会を維持していた。
だからマルクス的階級論は歴史的現実社会に適用されないで失敗したのである。


●カルマの思想で解ける人生の謎


カルマというのにキーワードでも関心をもつのは人間というものがその人間関係でも家族でも結婚因縁でもそうした諸々の人間の事象が不可解だからカルマとは何なのかと関心をもつ、それぞれの人生でなぜある人はある人と結婚する。それは好きだと嫌いだとかあるにしてもただそれだけではない、何か前世からでも結婚する因縁があったのではないかとまでなる。結婚は好きだから結婚しても三分の一は離婚している。別に見合い結婚でもうまくいっている。それはなぜなのか?見合い結婚は家と家同士の結婚だから意外とうまくいっている場合が多いかもしれない、かえって恋愛結婚は離婚している割合が多いかもしれない、そこに家系とか家がもっているカルマなども関係してそうなっているのかもしれない。家系がもっているカルマなど恋愛結婚ではわかりえようがないからだ。

そのカルマがわかるのは何十年もたってとか人生の終わりに自覚したとまでなるからむずかしいのである。結婚などはただ相手の姿形だけを見ているから失敗するのかもしれない。それ以上に家系やその人がもっているカルマなど見ないからそうなっているのかもしれない。それはまた見ることも簡単にできないから結婚して失敗したとなる人が多いともいえる。


そもそもこの世に生を得たということはすでに業(カルマ)があって生を受けた。何らかのカルマがあったから今の生がある。だからそのカルマを解消しないとまた生まれ代わりカルマを解消しなければならないとなる。人類全体でもそうではとないか、その個々の人生でもそうである。同じカルマを延々と繰り返し活きている。人類でも同じカルマを繰り返す、戦争でもそうだし今回の原発事故でもやはり一つのカルマであり火を盗んだプロメティウスの過酷な罰を受けた神話的場にすらなってしまった。神話が現実化して個々人がその刑罰を担うことになったのである。人類的歴史的カルマが現実化した驚愕があったのである。

具体的には個々人では常に訴える人がいる

「なぜ自分はこんなに苦しまねばならないのか」
「なぜ自分はこんなに貧乏なのか」
・・・・・・・・・・・・・・


それは障害者をもった人なども言うしなぜ自分は自分の子供でこんなに苦労しなければならないのかとか訴える。
ある人は結婚した相手が20代で大病にかかり一生世話させられる羽目に陥りそのことを延々と嘆いてきた。
確かにそれは同情すべきことであった。
でもそれがなせなのか?というとき不可解になる。
なぜその人だけがそんな苦しみを受けねばならないのかとなるからである。
それはなぜなのかと問うとき謎になる。

よりもよってなぜ自分だけが若い時から身体障害者や知的障害者など世話しなければならないのか?

そういうことも謎であり納得する人はいないから他者にその不満を訴える。
そうするとそれがなぜなのだろうとなりカルマだったということが一つの解答になる。
つまり前世に由来していてあなたはそうした病人や身体障害者や知的障害者を世話しなければならない因果をもったのだとなる。


●カルマは社会やた他人の生ではない前世のカルマ(行為)に由来している


それも何か合理的に最近納得した。そういう不幸な人は不幸になる因縁があったと思うようにもなった。なぜならその人と深くつきあってわかった。
その人は他者を弱者を虐待するような人だったのである。
だから自分が病気の時、弱った時いろいろ責めてきたことでわかった。
その人は前世は弱者などを虐待したことがありそれで今世でそうした弱者を身体障害者世話し続けねばならない運命に陥った。
だから前世の悪行で今世になり報いのためにそうなった。
どうしてそうなったのか他に説明つかないから前世の因縁だとなってしまうのである。
親もそうならその妻となった人も夫で苦労する運命にあった。
もちろんそれは最近わかったことでありすでに還暦など過ぎてわかることがある。

ともかく親と同じように夫で苦労する運命にあった。しかし今まで表面化していないから隠されていただけである。

前世の行為が目に見えない潜在力となったものです。

潜在力として長くひそんで現れなくてもいつか必ずその行為(カルマ)は現れるのである。
例えば団体とか組織の罪は権力で隠されやすいし闇に葬られやすい。
でもいつかは必ずその団体や組織のカルマも表面に現れて隠すことができない。
それはカルト宗教団体のようなものでもそうでありいづれはその悪が否応なく現れてくる。
原発事故も東電の組織的犯罪とまで言えるものだったが政府までとりこむほどの
巨大な権力だったから隠されていたにすぎなかったのである。
それが津波によって暴露されたのである。


なぜ自分は不幸なのだろう
なぜ自分は貧乏なのだろう


そういう問いは常にある。それを社会の不公正として糾弾する。それが一般的でありそれが団体化組織化すると様々な団体組織党派となる。カルト宗教団体でもそうである。
仏教系統の宗教団体でもそれは前世の宿縁でかたづけられない。
「あなたは不孝になることはない、貧乏になることはない、それは社会のせいである」と団体で運動することになる。
ところが社会のせいだというとき、それは結局他人のせいだということになるのである。
前世の宿縁だとしたら自分の悪行,業(カルマ、行為)によって現在があるとしたらそれは社会のせいではない、
そんなことを考えたくない、自分には何の責任もない、社会のせいであり他人のせいだとする方が楽であるからだ。

そうにしたって結局なぜ自分だけが苦しむのか貧乏なのかとか問うと解答にはならない。
自分の中にあるのではなく社会に他者にあるとすれば楽なのである。

借金する人も明らかに自分に責任がある。普通借金はいろいろ事情あっても簡単にはしない。
でも借金する人は簡単に借金している。それはやはりカルマを作っているのである。
そのカルマの故に家族が一家離散したり具体的に悪い結果が現れるのは因果の法則でありわかりすい。
そして金を借りにくるのは他者に責任をおしつけることになる。
借金する人はそういうふうに他者に責任をおしつけるのである。
自分が病気の時もそうして借金している人に苦しめられたからそのカルマはさらに大きなものとなりその本人にのしかかってくる。
でも以前として他者まで苦しめたことをきづいていないのである。


カルマは気付かないことが多いのである。
他人を傷つけたり虐待したり苦しめた人は意外とそのことに気付いていない、
一体私は何をしましたかむしろ助けていたんですよとかさえなっているのだ。
それほどに他者に対した悪行でも気付かない、気付かないからカルマを受けて苦しむことになってもどうしてなのだろうとなってしまうのである。
でも潜在力となってその人に絶えず働いているのだ
個々人の人生でも人間関係でもあまりにも不可解だからカルマの思想が生れた。
それが何か一番納得がいくから生れた。
その他にそうした人生の不可解を合理的に解けるものがないから生れた思想なのである。

2014年02月16日

介護もカルマだった (親の介護は個々人によって対処が違う)


介護もカルマだった

(親の介護は個々人によって対処が違う)

私ならば、母さんに面倒を見てもらった年数を数えて、その年数お母さんの面倒をみて、「借りは返しました。出て行ってください。」と言います。トピ主さんがまず自分を大切にしないと、他人を大切にする事は不可能です。
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2004/0723/008828.htm?o=0


インターネットには様々な意見や体験が述べられている。
探すのがめんどうだけど確かに参考になる

介護は兄弟がいればかわいがられた方が親の介護しろとかなり
自分はかわいがられなかったからお前しろとかなる
つまり親と子供のかかわり方によって変わってくる
親を嫌っている子供も普通にいるからそうなる
つまり介護はそうした親子の関係が現れやすいともなる
だから義理の母とか父になると介護したくないというのもわかる
何ら世話されたこともないからである

つまり介護になるとそうしたカルマが如実に否応なく現れる
そしていくら介護を強いられてもしたくないという人はしたくない
それはカルマが関係していた

母さんに面倒を見てもらった年数を数えて、その年数お母さんの面倒をみて、「借りは返しました。出て行ってください。」

ここまでカルマを数字でさえ計るのは借金を返すカルマとにている。
カルマはこれほどまでにきちんと計られ受けたらその分と同じものを返すことを要求される。
カルマは借金のとき一番わかりやすいのである。
10万借りたら10万のカルマが生じて百万借りたら百万のカルマが生じ千万借りても同じである。
おそらく10万盗んだら10万のカルマが生じ・・・となっているかもしれない
そういうふうにカルマの掟は厳しいものがある
一方的に過剰に要求したりまた返さないこともカルマをさらに負うことになる

奇妙な話だけどある雇い主が従業員に給料を払わなかった、その分をある家で世話になり何故か無料で援助してくれた。その人は何度も雇い主が払わないことを抗議していたのである。それは正当な抗議であり労働基準局に訴えるとまで言っていたしそういう権利もあった。それは半年以上給料をもらわずに働いていたから怒りがおさまらなかったのである。ただ雇い主は払う気がないし今ではその店は客もめっきり減ったので払えないという状態にある。繁盛していた時は給料は払っていたのである。
ただ払わないという時そこに何かは従業員に対して申し訳ないとかこれは少しだけどもらってくださいとかという心使いがなかったことも怒らせる原因になっていた。

でも不思議なのはその人に対して援助する人があり多少の金は払われたのである。
するとカルマの関係は複雑となる。

三者の中にカルマの因果関係ができていたのである。

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この図のようにカルマを負ったのは店の雇い主である。
それは客であった第三者が雇い主がはらむなかった給料の一部を払ったのだから
実は客である人に店の雇い主はカルマを負っているのだ。ただ雇い主はこのことに全く気付いていないのである。
またそれを知らないからそうなる。
つまり従業員にもカルマを背負ったし援助した客にもカルマを背負うようにっていたかのである。
こんなことを何も思わないし何も考えないだろう。
今でも別にその援助した客は店を気に入って行っているしその客自体も雇い主にカルマがある、
借りがあるとも思わないしまた雇い主もこの人はただの関係ない客の一人だと思っているのだ。

カルマは実際は複雑な社会で人間関係でどこに発生しているかわからないし気付かないのである。
でも気付かなくてもいつか気付かされきっちりと払わされることが怖いのである。

介護に関しても自分が家族を介護したのは複雑な事情があった。
60近くまで食事でも何でも世話してくれた。
それが当たり前だと思っていたのである。
しかしそのことは他の人より大きなカルマを知らずに背負っていたのである。
つまり介護はそれだけ世話になったとなるとせざるをえないし文句もなかなか言えない
そういうカルマがありそれを今自覚させられたのである。
カルマは本人が気付かないことが多いがいづれ気付かされそのカルマを借りを返すことを要求されるのである。
もちろん返さなくてもいいがするとさらなるカルマを負いいつかまた何倍にもなってカルマの借りの返還を要求させられる



もしカルマを借りを返せないとどうなるのか?


それは来世で返すことを要求される
生まれ代わり返すことが要求される



つまり今の不孝な状態はカルマを返していないとまでなるのだ
こうなったらカルマも何代もつづくとなると怖いことになる。
前世の因果でカルマでお前はそうなったとなることが言われると同じである。

おそらく客がその雇い主の店を気にいってまだ行っているというのはそのカルマと借りと関係しているかもしれない、
カルマを返してもらいたくて行っているのかもしれないということである。


カルマの法則
●この世ではカルマ(借り)を返さない人が実に多い
●カルマは気づきにくいため
●でもカルマは確実に返すことを実際の生活で要求される

●できない場合は来世へまたは次の代へとカルマは(借り)は引き継がれる

家系の因縁とか興味ある人が多いし調べている。それはなぜか?
人間の出会いとか親戚関係とかいろいろなことが謎が多いからそうなるのだ
それを解きあかそうとしても不可解なものが多すぎる
だからどうしてとなるのだ?
その一つに確かにカルマの法則がありうる
すべてではないにしろそういう法則が人間に働いていることは確かである

人間は必ずどこかでカルマを作っているしそれが気付かなくても
実際の生活で自覚させられる
なぜこんな苦労するのだというとき
それはカルマが関係していることがある
ただそれを解きあかすことが数学でないのだから複雑すぎるから気付かないのである




posted by 老鶯 at 21:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

なぜ被災者は働かないのか(原発避難者の風当たりが強くなってくる)



なぜ被災者は働かないのか

(原発避難者の風当たりが強くなってくる)

つぶやきかさこ
http://kasakoblog.exblog.jp/17228759/

このサイトに要点がわかりやすく書いてある。やることないから東京でキャバクラに行った、
あとは毎日パチンコだ、汚い仕事はボランティアがやればいい、こっちはかわいそうな被災者なのだ、
補償金や義援金ももらえるし働くと失業保険の金がもらえねえしな、馬鹿らしいんだよ・・・・

こういうことも一時期はしかたなかったろう。どうしていいかもわからなかった。

でも三年目になるとそうはいかない、回りの目も相当に違ってくる。
このプログでは一年目でそう書いていたのである。
一年目ではまだまだ被災者を責めることはできなかったのである。
回りではおかしいなと見ていても見逃していた。
でも三年目になったら回りの目は厳しくなる

原発被災地でも南相馬市でも補償金で小高区と原町区と鹿島区はそれぞれ額が違っている。
一番多いのは警戒区域になった小高区である。ここは一人十万でありその他にもいろいろもらっている。
だから一家で百万もらっているというのもいる。
それでボランティアが働かないと喧嘩になった。
そのことは一年目とか二年目であった。今ではボランティアの数は相当減っている。
事情は常に時間とともに変化している
地域ごとにも変化している。

福島県内でも中通りは郡山市でも二本松市でも福島市でも放射線量が南相馬市とかより高い地域がある。
でも何ら補償金はもらっていない不満がある。
それで南相馬市の人の車が福島市で傷つけられたというのはそういう不満があるからだろうか?
その真偽はわからないにしても福島県内でも対立があるのだ。
こういうことは宮城県や岩手県ではそんなにないと思う。
そもそも原発の補償金など関係ないからである。


ただ日頃でもスーバーで何を買っているかなど主婦でも女性は見ている。
自分も今回小高の知っている人がニートでありその人がエチゴを買っていた。
こいついいもの食べているなと思った。
前には電動自転車のいいのを買っていたのもそうである。
ニートだからもともとはぎりぎりの生活でそれは贅沢の部類に入っていたことは確かである。
そんなもの贅沢ではないというのも今は言えるがその人にとって明らかに贅沢になっていたのである。
東京で遊び歩いている老人もそうだった。日頃の生活だったらんなことできなかっただろう。
だから原発事故で得したという人も結構いるのである。


ただ今までも相馬市の人はスーパーで避難者が高い買い物をしていることを何回も言っていた。
そして批判していた。働いてほしいほしいと何回も言っていたのである。
だから相馬市でも飯館村とかはあまり責められないにしても補償金がかなりもらえから
そこで回りの人はぎりぎりで生活している人もいるから嫌われる。
それで飯館村の人をトマト農家では雇わず津波の被害者を雇ったというのは別に冷たいことでも何でもなかったのである。十分に補償金で暮らせるからである。

相馬市と原発避難者の対立は南相馬市よりひどいかもしれない、
南相馬市でも鹿島区に住んでいる小高区との対立は深くなっている。
あいつらはたんまり補償金をもらっている。こっちはもらっていない、
そしてなんであの人たちは遊び暮らしているのか、そういう不満が大きくなっている。
ただ鹿島区の人も今は働いていない人が多いが小高区の人より働いている人も多いだろう。


そもそも復興というとき外部から来た人たちの力に頼っているのが現状である。
復興住宅やその他の復興事業もほとんど外部の力に頼っていたのである。
だから復興というとき、何か地元の人がみんなで協力して一つの建築物でも建てたとき
何か復興したという満足感が得られる。そういうことが今回の被災地にばないのである。
そんなことできとないということもあるがやはりみんなで何かしら
復興に尽くしたということがないのなら復興の業績はただ外部のものだけにあったとなる。
そうなると復興したのは外部の人たちであり地元の人はその時遊んでいたんだよとなり
子孫にそのことを語ることもできないだろう。
津波原発被害では地元の人はただ遊んでいただけだよ、何の苦労もしていない、
感謝するのは外部から来た人たちでありおじぃちゃんやおばあちゃんでもなかったんだよ
そんなことを子孫に言われることになるかもしれない・・・・


相馬藩の飢饉の時は越中などの人が移民して救われた。
それは歴史的に評価されているし語り継がれている。
それも外部の人たちだったとなるがでも地元に根付いて地元の人となったのだからまた違っている。
その時は残った地元の人たちも苦労したのである。

いづれにしろ原発避難者はこれからはさらに外部であれ内部であれ風当たりが強くなる。
今までのようなかわいそうな人たちとも見られるなくなるかもしれない、
何で遊んでばかりいるんだとか批判が強くなる。

それは今までは表だってはあまり言えなかったが抑えられていた感情が露にでてくるかもしれない、
そうなりつつあるからやはり今までのようなかわいそうな人たちという感覚ではこれからやっていけなくなるかもしれない、
それは南相馬市でも相馬市でも内部でもそうなってゆく。


原発避難地域の現状の矛盾

(補償金で働かない地元の人と外部の人が喧嘩!)
http://musubu2.sblo.jp/article/61677034.html

これを書いたのは2013年1月だった。それから一年またすぎた。
そしてまた状況が変わってゆく、あのころあそこの仮設の食堂は客でこんでいた。
今はめっきり減っている。それが一年前だとは思わなかった。
あのころはまだ外部から入ってくる人が多かったのだろう。
3年目になり外部からくる人は激減しているかもしれない
ただ復興住宅など10年もかかる仕事かもしれない
それだけ復興は長くかかる。
だから外部の力は以前として必要である。
しかしそれもどんどん減ってゆくことは確かなのである。

posted by 老鶯 at 19:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

大雪ー冬芒 (介護を在宅にするには病院や老人ホームの中間施設が必要)


大雪ー冬芒

(介護を在宅にするには病院や老人ホームの中間施設が必要)

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99歳リハビリするや冬芒

99歳生き抜く母や冬芒
雪埋もる石に葉牡丹風唸る

大雪や山鳩の群れ平地かな

原釜に妻を亡くすと仮設にて酒飲み帰る冷える夜かな

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山鳩の群れが20匹くらいここに集まっていた

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介護でわかったことは自力でトイレに行けなくなる時、一段階も二段階も介護度があがる。
オムツになると嫌がるしいいものではない、不快度が急速にあがる。
だからなんとか自力でポータブルトイレに行こうとするが苦しい。
世話する人も負担が二段階くらい大きくなる。

しかし病院は入ってすぐに隊員許可がでたら出てくださいと言われた。
それほど看護師が仕事に追われているということもある。
次から次と入れて診療費を稼ぐということもある。
両方があって入ったら出てくださいとなったのである。
でも一時怒ったがそれもできないような状態である。
特にこの辺は看護師不足が切実なのである。
ただ介護など看護師でなくても点滴などしないでやれるものが多いのである。


入院して在宅してとかして在宅介護を政府では進めているがそのための備えはない、
施設は満員で入れない,特養でも10人待ちでも一人死なない限り空きができないとしたらなかなか入れないだろう。
病院だったらいつでも入れるがすぐに出される。
また施設のディーサービスなどはせいぜい二日間とかまた利用するのもめんどうなのである。

在宅で介護するのには家で介護する人の負担を減らすことなのだがそれができていない
それで家で介護する人の負担だけが増えてくる。
自分のような男一人だと余計にそうである。
自分より辛い介護している人も多い。
それでも施設には入れない、金もかかることやいろいろ負担がある

正直自分は7年も介護しているからしたくない、介護の問題は一般的に長いことなのだ。
10年とかも普通にありそれで疲れてくる。そして介護をした人は介護にかかわりたくないとなる。
資格までとって長い間介護した人はしたくないと言っていた。
自分もしたくない、
「今度はあなたの番ですよ、もう私はしませんよ、こりごりです」
となるのである。
なぜなら在宅であれその苦労がなみたいていでないから経験した人はそうなる。
苦労するのあなたの番ですよとなり介護の手伝いもしない
なぜなら介護で手伝ってもらうこともなかなかできなかったからそうなる
私も在宅で苦労しましたからもう手伝いもしたくありませんとなる

つまり介護の問題は在宅でさせるにしても何か工夫が必要だし病院でもない、
施設でもない゛その中間の気軽に時々介護するものの在宅の負担を軽くするものが必要なのである。
入院してもすぐに出てくださいでは息抜きにもならない、介護には代わりがなければ息抜きもできないのである。

枯芒から冬芒となるがまさに今や冬芒まで生きているのが時代である。
一月になると冬芒である。

大雪はかなり溶けてきた、今日は風吹いて日差しがあたたかい、
それでもこの大雪で自然界にかなりの異変があった。
鶯が餌を求めて突然部屋に入ってきて猫にとらえられた。

今日は雪野に20羽くらいの山鳩を群れなして飛んできた。
こんなに山鳩を見たことがない
ということは山から群れなして餌を求めて平地におりてきたのだろう。
これだけの大雪はこの辺では珍しいから野鳥も餌に困ったのだろう。
ただ雪国では野鳥でもどうして餌を求めているのかわからない
虫が餌なら雪の森でもあるから生きていられるのだろう。
虫が餌でないとしたらどうなるのかわからない。


原釜の人で妻を亡くしたという人が仮設の飲み屋で酒を飲んで帰った。
原釜は被害が大きかった。
津波の後遺症はまだまだ消えるものではない

2014年02月15日

仙台に約一年ぶりに来る (浮世絵展を見てバスで帰る-阿武隈川の短歌)


仙台に約一年ぶりに来る

(浮世絵展を見てバスで帰る-阿武隈川の短歌)

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津波跡駅舎もなしや冬の海
阿武隈の川面に写る冬の雲
冬の雲津波の爪痕消えぬかも


冬の浪荒く打ちつけ津波跡駅舎いくつか消えてなしかも

阿武隈の川面に写る冬の雲なかなか消えじ春はまだしも
街の灯の連なりともり仙台に久しく来じも今日我が歩みぬ

仙台の街の灯ともりなお冬やコートを着つつ歩む人かな

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これは縮小したものです

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これを拡大して見てください

やはり大きい写真でないと見栄えしないものがあります


クリック拡大


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直通のバスで仙台に行く、途中新地とかは駅舎が津波で消えて荒い浪かしぶきをあげて打ちつけている。東部高速道路に出ると高いので眺めがいい、必ず阿武隈川などが見える。河口になるので広くゆったりと流れているのは外国の川を見るようである。
こういうふうに大きな川を見れないのが日本である。

阿武隈川というときそこには歌枕となった川でもあり阿武隈川についての古歌を知ると
また見方が違ってくるだろう。


 阿武隈に霧立ちくもり明けぬとも君をばやらじ待てばすべなし(「古今集」)
 よとともに阿武隈川の遠ければ底なる影を見ぬぞわびしき(「後撰集」)
 行末に阿武隈川のなかりせばいかにかせまし今日の別れを(高階経重「新古今集」)
 秋の夜の月はのどかに宿るとも阿武隈川に心とまるな(藤原実清)
 思ひかねつまどふ千鳥風さむみ阿武隈川の名をやたづぬる(定家)


阿武隈川せやはり地理的に一つの境である。川は境にもなる。だから阿武隈川はみちのくの一つの境になる。特に亘理から岩沼にわたるところは境である。
底なる影とはなにか?確かに河口の方になると広いからそうした影が写しやすい、
冬の雲が今回は写っていた。つまり阿武隈川は大きいし底が深いということで影も写りやすいからこれはもしかしたら想像でもないかもしれな、ただ京都の人が歌ったのは実際に訪れたより想像で歌ったのが多いからわからない。
ただこれは想像にしても阿武隈川の特徴をとらえているのだ。

古歌を鑑賞するには相当な歴史的背景がありまた深いものがあるからなかなか鑑賞するのがねずかしい。
ただ阿武隈川にしても長い川だからどの辺を歌ったのかもわかりにくい。
みちのくに住んでいるものとしては相馬からだと必ず亘理で阿武隈川を渡るから一つの境意識がつちかわれる。


現在の「あぶくま」の地名は、平安時代の文献に「あふくま」と呼ばれていました。『三代実録』貞観5年(865年)の項で「阿福麻水神(あふくまかわのかみ)」が出てきます。この神は『延喜式』(912年)の陸奥国亘理(わたり)郡に出てくる、あぶくま川河口の「安福河伯(あふくかはく)」神社と考えられています。『延喜式』の「安福(あふく)」は、本来は「安福麻(あふくま)」であったろうと『大日本地名辞典』を編集した吉田東伍は言います。また「河伯」は『和名抄』に「かわのかみ」と記されいます。したがって「安福麻河伯」神社は9世紀には「あふくまかわのかみ」と呼ばれたと考えられます。仙台藩の『封内風土記』によれば地方民がこの神を「阿武隈河大明神」と呼び、昔は「阿武隈川神社」と呼んだと記しています。

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逢隈(あふくま→おおくま)となっていて駅もできた。そこに実際に逢隈という地名が残っている。やはりここが名前の発祥地だとすると川を渡る場所としての名だったのか?
大きい川はわたるのに難儀したから逢うと別れるとかがテーマになりやすいのだ。


仙台で浮世絵展をやっていた。北斎の浮世絵を現代的手法でよりきれいしにした。
赤富士が暁に染まるのがリアルな絵があった。普通は何かくすんでいるのだ。
ただ富士の迫力は自分の眼で実際に見ない限り感動しない。

ソニーのRX200は夕方とか夜景がきれいにとれる。写真の魅力がこれでました。
こんなふうにきれいにプロ級にとれていることに感動した。

仙台にはやはり一カ月一回くらいは来る必要がある。
やはり展覧会でも文化であり得るものがある。
インターネットやテレビの画面だけからは得られないものがあるのだ。
音楽でも生演奏を聞かないと音楽はわからないというのは確かである。
ただ最近7年間は介護に追われそうした時間の余裕がなくなっていたのである。
現実に水道管が壊れ大量の水漏れがしていたと連絡があった。
子供を家に置いて火事になったとかハチンコして遊んでいて車の中で子供が死んだとか
何か家族でも家を留守にして留守番がいないと問題が起きる。
そういうことかつづいたのがこの7年間でありまたつづいているのである。

2014年02月14日

アスパラガスから考えるグローバル化経済 (原発事故も各人の過度な富を求めることにありその根も深い)


アスパラガスから考えるグローバル化経済

(原発事故も各人の過度な富を求めることにありその根も深い)

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産地直送で村おこし町起こしをしている農家がある。アスバラガスが転向の異変でとれなくなる。
そのとき消費者に天候の異変があり雹などふり提供できないとなった。
一週間ほど遅れると直接生産者から消費者にその旨を連絡した。
(一週間遅れますががまんしてください)ということになる。
(グローバル化の終わり、ローカルからのはじまりー吉澤保幸)

このつづきだけど


「アスパラガスなんかスーパーでいつでも売っているよ、最近100円でメキシコ産の太いアスパラガス売っていたよ、それを買えばいいんじゃない」
「そういったって、アスパラガスを作っている人から直接買っていたのだからそんなことができないよ、その人のことを考えてみろ、天候の異変でとれなくなり苦しんでいるんだよ、その人の身になってみろよ、その人のことを考えたら一週間でも待つのが人間としての心をもっていたらそうなる」
「そんなこと言うけどアスパラガスが食べたいなら安くていいのが食べたいなら食べればいいんだよ、どこのものでもいいんだよ、安くてうまければいいんだよ、今はそういう時代だよ」
「でもさ、もしメキシコ産のものでも何かがあり入らないことがあるだろう、そしたらどうするんだよ、外国でも何が起きるかわからない、いつまでも安いとも限らないからな」「なーに、世界は広いからどこからでも入ってくるんだよ、そんな心配はいらないよ
世界が市場になった時代たからな」
「そういったって、自分が買うと決めた農家の人との人間関係を壊すことはできないよ、モノがどこから入ってこようとどこで買おうとそのモノを作る人間のことを考えている人は今はいないからな、そのモノをどうして作られているかもわからないからな」
「そんなことよりさ、今は人間関係などめんどうなものは関係ないんだよ、金さえあれば何でも買える時代だよ、アスパラガスだってなんだって金さえあればいつでもどこでも買える、それが世界市場化したからそうなる、世界市場で競争しなければ何でも売れなくなる、食料だってそうなる、日本の食料も今や和食などと世界に売れているじゃないか
それはアスパラガスと同じなんだよ、日本のリンゴも高級品として高値で売れているだろう」
「でも人間と人間の関係は大事だよ、モノより人間の関係を第一にすべきなんだよ、
地球の裏側からモノが入ってきてもそれを作っている人のことなどわからない、だからいつそのモノが入らなくなってしまうかわからないリスクがあるんだよ」
「そんな人間の関係よりさ、金の方が今は大事なんだよ、金さえあればモノはいつでも手に入る、だから金をかせぐ必要があるんだよ、金の方が人間関係より大事なんだよ」

グローバル化の市場原理が働くと人間関係より金だとなる。そこに人間との関係はなくなり金が神のごとくなるというマルクスの理論もわかる。メキシコ産のアスパラガスを買ってもモノを買っているのでありそれを作っている人間とは何の関係もないのである。

物々交換とか江戸時代の村のような狭い自給自足の体制だったら人間関係の方が重視される。昔の経済はそういうことの方が多かった。

人間の動機を「物質的」なものなのか、またと「観念的」なものとして描きうるという見解、また日常的生活を組織する誘因は必ず物質的動機から発するという見解を受け入れさせたのである。

諸事情の真の状態というのは市場にかてったものから非常にかけはなれているもので簡単な言葉で描写するのは容易ではない、・・・

(人間の経済・・Kーボランニィ
)

食堂に入るにしてもその動機はいろいろある。ただ料理がうまいだけとは限らない、そこのマスターが気に入ったとか食事はイマイチだから雰囲気がいいとかなごみがあるとかいろいろある。すべて料理だけで決められるわけではない、そこにも様々な個人的価値観が入ってくるのである。だから同じ物を売るのでも売る人間によっても売れたりう売れなかったりするのである。
例えば村で草鞋を作っているとき、それが必ずしも必要だから買うのではなくその草鞋を作っている人のために必要でなくても買うということがあった。その草鞋より人が大事だからそうなる。今でも経済合理性よりここの村は貧しいからつまらないものでも買ってやろうとかなることはある。経済合理性だけで市場原理だけで割り切れないのが人間だからである。それが人間の経済であった。そういう世界では人間同士のモラルが養成されたのである。

原発事故をその原因は何なのかといろいろ考えてきたけどモラルが喪失したということが大きな要因だったということが自分の書いたものをふりかえり再認識した。

だから原発事故は単なる技術的な問題として起こったものとは思えない、根深く文明そのものに問題があったともなる。

過度な富を求めて起きたというのも見えてくる。原発は金になるからあらゆる人がそこに群がった。政治家から官僚から検察からマスコミからカルト宗教団体から地元の漁業権者から議員から市町村民から全部その巨大な利権、金を生み出すものに群がったということがある。それが巨大な富を金を生み出すものだったからである。
そこにはかなりの無理をしても原発を作り出すものがありそういう根があって原発は推進されて事故が起きた。
文明自体が過度な富をもたらすものとして限界があり原発事故が起きた。
それは個々人でも過度な富を求めているということもあった。

いかに人間が今は過度な欲望をもつか、それは個々人をみてもわかる。
借金して贅沢していた人もあったしブラックなことをしても贅沢しているし様々な欲望が過度に追求されている。そういう欲望がありそれが根となり原発を生み出す原動力となっていた。

ではお前は江戸時代にもどり電気のない世界で暮らせというのはまた違っている。
電気は必要でありその他のものも必要である。山尾三省のようなパンも食べられないような生活は過度な欲望とは言えないのである。
どのくらいが過度になるかは問題になるが明らかに全体的には過度な富の追求になっていたことは確かである。
田舎の暮らしでも今は都会より贅沢である。車だって一家に4台とかあるのも普通である。一人一台も普通である。そして借金していてもそうしている人もいた。

そういう生活は原発が危険でも金になるからと誰も反対しなかった。
回りが全部そうなら反対してもできないということもあったのだ。

漁業組合であれ農協であれ労働組合であれ宗教団体であれそれらが利権化してもそういう団体にそんな利権だけを求めるななどと言えない、権力化しているからそんなことは言えないし怖いからそうなる。労働組合だって電事連合は原発推進だったし原水協すら原発には賛成していたのである。現代の団体化組織化したものはみんな利権追求団体である。
一見そうでないようでもそうなっている。だからマスコミはそうした組織化した団体化したものの宣伝費で成り立つから利権団体を責めたりはしない、同調して利益を得ればいいとだけなるのだ。それで安全神話は作られたのである。


では以前として過度な欲望の追求をやめておさえる生活をしようとなると誰も賛成しないだろう。それだけ一旦豊かな生活をするとその生活レベルを落とすことがむずかしくなる。電気を減らすということもなかなかできないのである。
だから個々人の意識を変えることだとなるがそういうふうに原発事故をとらえて実行している人もいなしできないのである。つまり原発事故の原因の根はそれだけ深い所にあり単に技術的問題だとか脱原発とかを全部なくせとか簡単に言うまえに個々人の生活に過度な富を求める、欲望の問題がありそれを抑えるということがむずかしいということを自覚すべきなのである。



細川とか小泉とか都知事選で脱原発を訴えたけど
一体彼らはそもそも家でどんな生活をしていているのか?
ふんだんに電気を使い贅沢しているだろう。
そして政治的利権で得して贅沢している
脱原発のデモした人たちも同じじゃないか?
デモして暑くてたまらなかった
どんどんクーラで冷やしてくれとなる
山尾三省のような生活をしろとは言わないけど
各人の生活でも何か「脱原発」ただ唱えるのは楽だよな
では一旦自分の生活で電気を減らすとなると容易でなくなる
「脱原発」と叫ぶことは誰でもできることなんだよ

posted by 老鶯 at 16:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年02月13日

貧乏はモラルを養成して過度な富はモラルを荒廃させる (原発事故周辺地域はやはりその罰を受けたーそれは世界的にもそうである)


貧乏はモラルを養成して過度な富はモラルを荒廃させる

(原発事故周辺地域はやはりその罰を受けたーそれは世界的にもそうである)

箴言

少しの物を所有して主を恐れるのは、
多くの宝をもって苦労するのにまさる。
(15:16)

野菜を食べて互に愛するのは、
肥えた牛を食べて互に憎むのにまさる
(15:17)

貧乏などいいことはない、あなたは貧乏の苦しみを知らないとかいうのも本当である。
貧乏がモラルを荒廃させるというのも普通にある。
一方で確かに過度な富がモラルを荒廃させるというのもある。
そき富の度合いも問題になる。
現代は個々人で見るのではなく全体で見れば過度な富がモラルを荒廃させて堕落させている状態に見える
格差社会で貧乏時代にもなっいるというのもある。
ただ歴史的に見れば今ほど全体で贅沢している時代はないだろう。
実際生活保護であろうが貧乏を絵にかいたような人でも現代の富を享受している
食べるものでも何でも現代の平均的な富を享受しているのである。


過度な富というとき、「もったいない」ということが現代ではなくなり膨大なゴミを生み捨てている。
そういう社会はどんなことてたってもったいないという思想は生れない
江戸時代はどんなものも捨てない、あらゆるものを資源として活かしていたからもったいないということで日々生きていた。
モノを大事にしていた。
限りある資源で生きていかねばならないからモノを大事にしたしモノに感謝していたし
自然から与えられるものに感謝していたのである。
戦前の生まれの人はもったいないということが生活の中で身についていた
だから極力無駄をするのをさけた。


現代は消費社会となり新しいものを次々に買い古いものは捨てるという生活になった。
そこにはもったいないという思想は育まれない、モノを粗末にするし与えられるものに感謝もしない、
過度な富の時代になるともったいないというモラルは喪失する
ロウソクがどれだけ江戸時代でも貴重だったか溶けた蠟を集めて再生したりと徹底して
資源を無駄にしないのである。


江戸のリサイクル職業
http://www.gakken.co.jp/kagakusouken/spread/oedo/02/kaisetsu3.html


そもそも江戸時代のモラルはどうして形成されたのか?
それは基本的にはベースとなったのは小さな自給自足体制の村だったのである。
農家自体が一つの自給自足体制の根城だった。
だから納豆まで自家生産であり自給自足ができていたのである。
戦後十年は江戸時代のつづきであり炭が燃料だったり暖房に使っていたから農家の方が豊かだった。
卵なども農家では鶏を飼っているのだから食べられたが街では病人しか食べられない贅沢なものだったのである。


例えば産地直送で村おこし町起こしをしている農家がある。アスバラガスが転向の異変でとれなくなる。
そのとき消費者に天候の異変があり雹などふり提供できないとなった。
一週間ほど遅れると直接生産者から消費者にその旨を連絡した。
(一週間遅れますががまんしてください)ということになる。
でも現代では日本全国から世界から食料が入ってきているとき一週間がまんする必要などない、
いくらでもモノはあふれている、世界中から入ってくるとなると金さえあれば一週間待つ必要などないのである。

実際にアスバラガスはメキシコ産になると200円だったのが100円になっていてそれも太いから買い得になる。
だから地元で日本で生産しても対抗できなくなる。
しかしそのことがモラルを荒廃させる。

自給自足の体制だったら村のものは外からモノが簡単に入ってこないから
みんなで辛抱するほかないし少ないものでも分かち合い助け合う他ないのである。
そこには忍耐心という徳が養成されるのである。
確かに作る人も消費する人も一週間待つことで忍耐心の養成を共有する。
いつもそんなにモノは手に入らないものだ、農家の人は天候の異変に弱い、
それを食べる人も考慮すべきだとなり農家の人と心情的に共有する心を養成されるのである。


グローバル化した経済ではそういうことはない、モノは世界中から入ってくるから金さえあれば手に入るとなっている。
そのモノがどうして作られて世界から提供されているかもわからないのである。
後進国の人が過酷な労働で提供していることもわからないのである。
だから徳をモラルを心を共有することができない、グローバル化の問題がそこにあったのである。

ともしさに耐え
少なきを分かち合い
同じ場所に
生をともにして
人はともに眠りぬ
・・・・・
より多くを求め
多くを分かち合い様々な場所に
生を別にして
人は別々に眠りめ
人の心は通わず
人はただモノと金のみを求める

結局原発事故がなぜ起きたのか?
それを深く問うてゆくと過度な富を求めた結果であった。
過度な富を求めた結果として危険な原発に手を出して今日の状態をもたらしている。
双相(双葉相馬)地域は福島県で一人辺りの収入か一番多かったのである。
それでもみんな過度な富を求めていたのである。
みんなたりないたりないということしかなかった。


その結果として何がもたらされたのか?
同じ場所に住めず人はばらばらになり心も通わないものとなった。
その後も補償金問題で以前として金を求め心は通わずバラバラになっている。
それは結局過度な富を求めた結果なのである。
これは原発事故周辺だけではない、日本全体に言えることである。

今や富は本当は十分ではないのか?
ただ配分とかその他の格差問題がありそれが貧乏だと自覚させられる。
でも全体的な富の配分を有効に行いば今は十分な富がある時代である。
過度な富を求めた結果としてモラルの荒廃が起こりその罰を受けたのが原発事故周辺地域だったのである。
それはここだけではなく世界的な問題としてある。
実際にみんなばらばらに住まざるをえなくなり心も通わなくなっているのも原発事故周辺なのである。

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大雪の異変(雪野の写真)


大雪の異変(雪野の写真)

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寒暁に一本松や凍みる雪

山鳩の雪野に目覚め飛び立ちぬ
大雪や飛び入る鶯猫捕う

雪野原夕雲紅く月光る

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猫に捕らえられた鶯

大雪は異変であり鳥が餌がなく街まで探しにきたのだろう。
ばたばたと家に入ってきたかと思ったら偶然飛び込んだ狭い部屋に
野良猫がいてその鶯をつかまえてしまった。
その鶯をたすけてやろうとしたからがっかりした
でもこの猫は最近ずっと餌をやっているから家に住み着いている
そしてその猫はその鶯を一旦もちさりまたもってきて自分に見せた
なにか誇らしいようにしてもってきて見せたのである

猫はネズミをとるともってきて見せるということと同じだった

「俺はとったぜ」とほめてくれというふうに獲物を見せるのである。
こんなことをしたから憎いとか残酷だと思ったがこれも全く本能で反応したのである。
雀くらいならいいが鶯は貴重でありがっかりした
動物はみんな本能で生きているのをまざまざと見たのである。

今朝は太陽があの一本松に映えて昇る、
鹿島の右田の一本松として宣伝しているのは高い松である。
あれよりこれが松らしい。でもこれもいつか枯れるのだろう。
右田の松原は二本しか残っていない


雪野はこの辺ではなかなか見れない、この雪は凍みてなかなか消えないだろう。
根雪となってゆく雪だから雪国の風景である。


水道管が壊れたのは家の外だった。それも直してもらった。
他でもかなりの数の水道管の凍結があった。
一度に災害の時起こるから困る。
風が冷たいと凍結しやすいから風を防ぐ工夫が必要だった。


雪景色の写真はきれいにとれる。こういう写真はここではなかなかとれないから貴重である。


2014年02月12日

美談とされた時、美談でなくなっている (佐村河内守ゴースト騒動ー障害者を持つ人の問題)


美談とされた時、美談でなくなっている

(佐村河内守ゴースト騒動ー障害者を持つ人の問題)

最近佐村河内守が作曲した曲でなかったとかがわかり騒動になった。ゴーストライターがそのことを告白した。耳が全く聞こえないというのも嘘だったらしい。
でもみんな騙された。そのシナリオは誰が書いたのか話題になる。創価も関係していたとかもネットを調べれば延々とでている。プロデュースに加担していたのかともなる。
NHKで放送されたから一躍有名になったのである。
NHKは権威がありお墨付きを世間に与える。NHKだと人は信じる。
でもNHKもまたそうしたお涙頂戴のような障害者のことなどを良く話題にする
そして何か現代はあらゆることに人権が権利のみか主張される時代である。
障害をもっいることはそれ自体大きな権利にもなってしまう。
俺たちがどれだけかわいそうか、苦しいかわかるか、同情するのはあたりまえだ
、同情がたりないんだよ、そういうやつは社会が許さねえぞ」
とまで恫喝すらなる。
障害者を全面に出してまた社会から同情を強制的に要求して募金でも得る時代である。
だからそういう風潮の中に生れた事件でもあった。


最近つきあった人はまともな方なのだけど権利意識強いのである。
だから福祉福祉と盛んに言ってその利益にあづかることをはずかしいとも思っていない
当然の権利でありまだ利益を受けることが少ないと権利意識が強いのである。
ただもらっている額は少ないからそれもわかる。
そういう人はどんなことでも自分の利益になることは利用する。
創価であれ共産党であれ問わないだろう。
そういうところで頼めば利益が得られるとわかっているから積極的に役所のように利用している。利用されているのではない便利なもの頼りになるものとして利用されているのである。底辺の生活で苦しんでいるからそれを生き抜くためにとんなものでも利用するという態度になる。だから権利意識が強いのである。
その女性も障害者をもって苦しん苦労してきたことはわかる。
でもその障害者の度合いは軽いし外からいみてもつきあってみても普通の人に見える。
たから働いてもいるのだ。知的障害者でもいろいろ段階があるのだ。

今の時代は例えば韓国が戦争被害を延々と日本に訴えるのもそうだし中国でも日本を責め続けているのもそうである。何かみんな被害者意識に凝り固まっているのだ。国自体がそうであり個々人でもそうである。何か不運や不遇があれば社会が悪いとなり社会に訴えて同情してせっと優遇しろと訴える。その訴えてくれるのがカルト宗教団体とか政治政党とか様々な団体になる。それが民主主義だから当然だともなる。組織化して訴えなければ何も得られないということもある。だからそれぞれの団体がその権利を利権を主張するのか民主主義だとなる。それはそうでもそれが度を越すとどうなるのか?
極端にしろ今回のような風潮が当たり前となり事件として表沙汰になる。
それはこの人だけでなくマスコミ全体で操作されプロデュースされていたのである。

これも原発で安全神話が作られたことともにていたのである。
障害者をおとしめたり批判したりすることはタブーになっていたからである。
だから度を越して明白な詐欺になってもとがめる人もいないような状態にてなり事件になった。

障害者は宗教団体にとっても利用するには現代では最も効果的なのである。そういう人を表に出してお涙頂戴になり宣伝効果が大きいしそれには逆らえないから誰も批判できないからマスコミでも盛んにとりあげる。現代は障害者の方が目立っていて利用価値が高いものになっているのだ。文明自体が障害者化しているから弱者や障害者が推奨されるというのは文明自体がゆがんでいるからだとニーチェや上野霄里(しょうり)氏なども激烈に批判した。実際は人間は弱者でありたくない、病気でありたくない、健康でありたいというのが普通である。超人になりたいというのも普通である。誰も弱者ではありたくないのだ。自然はその病的なものではない、力強さに満ちているからとても病弱者には自然を詩にできない、だから何か障害者が全面にでてくる現代文明は歪んでいるからこそそうなっているし障害者が推薦されるのもまたそうなのである。


原発避難者もそのことで今は批判されている。一カ月百万とかもらって毎日パチンコだ競馬だと遊んでいるのにどこがかわいそうなのかとなってしまっている。俺たちは原発の被害者だということになると堂々とその権利を主張できるからそんなにもらっても悪びれことはなくなる。もっともらいたいともなる。ある程度権利を主張するのはいいにしろそれが度を越してくると今回のような事件になるのである。


でも障害の度合いからすると近くの人は外にも出れないから重症である。でもその母親である女性は愚痴をこぼしたこともない、その不満を言わないかったのである。
だからどう思っているのかと不思議であった。もちろんその女性の内面にたちいることはできなかった。その苦しみは言うにも言えないものだったのである。
一方は延々とその人より軽い障害なのに言い続けている。そういう性格だといえばそうなのだがそれも一つの問題であった。障害者をもって苦しんでいる人はかなりの数いるからである。だからその人だけが一番苦しんでいるとはならないのである。
いづれにしろ美談として宣伝された時美談とはならなくなっているのは確かである。
たからマスコミで宣伝される美談は美談でなくなっいる。作られたものとしての美談になっているのだ。



平凡な人の隠された偉大さ


その年老いた女性は苦しみかかえていた
苦しみをになって長く生きてきた
しかしその苦しみを他者に言わなかった
その苦しみを自分のみに留めた
その受難は何故かわからない
定めなのか何なのかわからない
しかし自分でその受難を引き受けた
それは平凡な女性であり美談でもない
誰もその女性を称賛はしない
しかしそのようにできる女性もなかなかいない
ただ身の不遇を延々と嘆くだけであり
なぜ自分がそんな不遇のみがあるのかと
普通はただそれを他者に訴えつづける
しかしその女性は自分の腹の内に収めていた
その苦しみは他者には計りしれないもの
その女性はふりかえれば誰も注意もしないが
なかなかそうあることはできない
自分もできないことだった
でもそういうことに注目している人はいない
人にはそれぞれ苦しみをもっている
たからといってそれか本人だけが苦しむ
自分だけが不孝なのだとは言えない
同じ苦しみでももっと辛い苦しみでも
それを口に出さず耐えている人もいる
大げさに美談として讃えられるものは
偽りが多く誠の美談は世に現れない
それは隠されて目立たず注意されない
ただそういう人はいることはいる
回りを注意して見ればいる
平凡な人にそういう人がいる
でも誰も注意して語られることもない
そういう人がこの世を支えているということも
人は心にとめておくべきだろう



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大雪で雪国を思う (雪国に暮らす時間(詩))


大雪で雪国を思う

(雪国に暮らす時間(詩))


寒木の芯まで冷えて光る星

群れ来る狭き畑や寒雀
土地の人身を寄せあいぬ寒さかな

大雪の根雪となりて住み着きぬ

雪厚く積もりて溶けじ日のさすも雪国の暮らしここに思いぬ


45年ぶりで大雪だった。この雪は簡単に溶けない、日がさしてもとけない
福島県でも浜通りではほとんど雪はふらないし積もらない
だから会津とかとはまるで違っているのだ
だから雪国のことかわかりにくいのだ

会津とか新潟とか日本海側は毎日のように雪がふっている
そういうところに住む人かどういう感覚になっていくのかわかりにくい
雪かふっていると外出するのも億劫になるだろう
するとなにか家にいる時間が長くなる
家族でも仲間でも身をよせあって家の中にいる
すると何か親密さがましてくる
情が深いものともなってくる

この辺で原発事故で新潟に避難した人たちは本当に親切だったという
温泉にも入れたしごちそうもでたし本当は観光気分だったのである
それも新潟辺りは雪国でまだ情が深いということがあるのかもしれない
福島県の浜通りとか宮城県は意外とドライなものになっている
それでも福島県が宮城県より先祖を重んじるのが強いとかなるのは
まだ会津とか田舎的なものが残っているからだろう
宮城県は仙台中心に都会的なのである


日本海側の風土から培われた人を理解するにはまず雪の季節を一緒に過ごさない限りわからない、
冬の長い間雪に閉ざされて過ごす世界が理解できないのである
雪だと自転車も利用しにくいから住みたくない
活動力もかてり鈍ってしまうだろう
そしてただ春が待ちどおしいとなる


福島県では会津は雪国でありここは浜通りと中通りとは異質な空間なのである
だから会津が明治維新であれだけ抵抗して白虎隊なども生れたのも風土が生んだともいえる
浜通りだともっと妥協したりして時勢にのるような機転が働く、いい悪いにしろ会津は雪国であり特殊なのである。
相馬藩は天狗党などに入ったように水戸と近いからその影響を受けて勤皇になったのである。
小藩でもあったがすぐに薩長軍について伊達藩を責めたのである。

ともかく雪国の暮らしがその人の性格をつくってゆく、雪に閉ざされた生活は忍従の生活である。
雪はむしろひやっかいだがどうにもならないのである。
それは自然の力に従うほかないとなり忍従になる。
ただそこで人間同士が親密になり情深くなるということがある
それは西とか南とかにない性格である。
東北でもどこも雪国ではない、地域的差があるのだ



雪国に暮らす時間


しんしんと今日も雪がふる
明日も雪がふる
家は雪の重みを支える
雪かきの苦労がある
人々はそこて忍従を強いられる
ともに家の中で過ごす時間が長い
雪は根雪となりなかなかとけない
日がさしてもとけない
しんしんと山国に雪はふりつづける
人々は身を寄せ合い
長い冬をともに暮らす
そこに自ずと絆が生れてくる
しんしんと今日も雪はふる
墓地も雪に埋もれ
明日も雪はふる
雪はおやみなくふり
山国に閉ざされて過ごす時間
顔を見合せて雪に耐える時間
そして雪とともに老いる人たち
しんしんと雪はふる
おやみなく雪はふる
心も雪のように白くなってゆくのか
心にも雪はふりつづける
雪国の人はそして一層寡黙になり
ただ雪に耐えて春を待つ

(今日も見る松一本や根雪かな)


雪の思い出としては山形県小国町へ米沢から行った時の思い出が残っている。
その電車に乗ったのは数人しかいてかった。でも延々と車窓からは雪景色だった。
途中一本の松が雪に埋もれていた。そして結構長い線だったから退屈だった。
でもあとになるととそうした退屈な長い時間が記憶となってよみがえるのである。
だから新幹線のような急ぐ旅は記憶に残らないのである。
要するに旅は金をかけることではない、時間をかけることが最も贅沢なのである。
だから七つ星の超豪華なトレインでも満足しないのである。
記憶に残った旅なら何か旅していたのである。
記憶に残らないとしたら結局何も残らなかったとまでなる

思い出すと詩もかけるが思い出せないと書けないのである。

思い出す時何かそこは都会のように混雑したところは思い出にのこりにくい。
でも数人しか乗らない電車で延々と雪景色を行く旅は心に残り思い出すのである。
そして小国という地名は日本全国にある。
それは日本はそれぞれの地域で自給自足で閉ざされた生活をしていたからである。
そこがまさに小さな一つの国と化していた。
江戸時代なら特にそうであり鉄道が日本を結び日本人という一体感を作ったというのもありえる。
日本は山国が多くそれぞれが閉ざされた生活だったからでてある。


雪にうもれた遠い町(小国町)
http://musubu2.sblo.jp/article/31951266.html

2014年02月11日

南相馬市自分の組の最近の状態 (空家、一人暮らし、介護、新築の家、・・・)


南相馬市自分の組の最近の状態

(空家、一人暮らし、介護、新築の家、・・・)

震災津波以後どういう変化があったのか?
今の状態は自分の組を見ると何か象徴的である。
組にしても12軒くらいしかない。


空家が三軒もある。
一軒は医者をやっていた、震災以後やめた。
もともと母の介護で故郷にもどったのだがその母も施設にあづけて死んだ
今は庭も広く屋敷も残っているが空家である
もう一軒は老夫婦だったが夫が死んで妻は子供にひきとられて
二人で住んだ家が空家となっている
隣も一人でなんとか暮らしていたが自立できなくなり子供が引き取った
だから空家になった


病院に介護されている人が自分の母と組の人が一人いた。
自分の組で一人暮らしの人が三人いる


空家三軒
一人暮らし三人
二人は介護状態になり子供がひきとる
介護家族二組(病院に入院中)
子供のいる家族は一家族


なんともわびしい構成である。こんな状態が何か現代を象徴しているのかもしれない、
この一区域がまるで限界集落のようになっている。

ただ新しく入って来た人が近くに三軒くらいある。
一軒は津波で壊滅した烏崎の人である
この家は大家族だけど外観はできていても何か半年すぎても住んでいない
ということは何かまだわからないが水道なのか電気なのか
そうした設備ができない、人手不足なのか資材不足なのかわからない
でも普通ならできていいはずである


この状態はやはり現代の社会の状態を象徴しているみたいだ。
活気もなく少子高齢化社会の縮図となっているのかもしれない。
この辺では仮設に人が増えてもそれは普通の状態ではない
まさに仮の宿でありいつれは消えてゆく
ただ一方で街の方に家が人が集まってきたことも確かである。
コンパクトシティ化してきたのである

復興住宅にはすでに人が住み始めているという。
でもこの数も多いから復興住宅そのものをそろえるのは相当時間がかかる。
人手不足と資材不足と土地不足とかいろいろな条件で遅れる

この津波や原発被害からの復興は相当に時間がかかり元にもどらない
神戸では十年くらいかかったというがここではまだ時間かかるだろう
それだけ被害が大きかったのである
10年もかかるとすると老人にとってはさらに苦しくなる
もう故郷に帰って過ごす時間がなくなる
帰っても75くらいになると病気や体が弱り苦しくなる
つまり復興した故郷に元のように暮らせないということになるのだ


現実に二組の老人はやはり一人は75くらいで弱り子供にひきとられた
そういう人もふえてくるとすると故郷に帰り住むこともむずかしいのである
結局子供のところにひきとられるとすると子供と一緒に住むほかないとなる
子供が故郷に帰らないとすると親も帰れないとなる


ともかく様々な負担が強いられていてその復興にしても先が長すぎるのである
原発避難区域は町自体が崩壊したようになっているが
その回りも何かそういう崩壊状態になる不安があるのだ
だからなんらかの思い切った対策が必要なのだがそれが見えないのである。

こんなとき競輪のサテライトが再開するとかパチンコ屋でにぎわうとか
そこに人手がたりなくて困っているとかでいいのかとなる
どこも病院も介護施設も建築現場もあらゆるところで人手不足なのである
そしたらなんとかそこを補おうという力が働くのが普通である
それができないのは何か現代の社会構造の問題がある

働くことが保証人だとか資格だとかなにかにやめんどうすぎるのである。
それも相手を信用できない広域社会になっていたとかがありできない
ただ責任ばかり問われるから看護師でも介護士でも他もやりたくなとなる
でも介護などは家でもやっているのだから誰でも実際はできるのである
何かしたくてもできないという人も多いの現代社会なのである
だから何かそういう既存の考え方を変えないと現在の状態は改善しないのである
それは市政だけではできないのである
個々人の意識を変えることや自発的な意志が必要になってくる。
それがないと今の状態は改善できない
みんな他人まかせにしてできないのだ

結局看護師も介護士だって集まらない、いくら募集しても集まらない
建物が箱物を作っても集まらないから宝のもちくされになる。
奇妙なことだけど建物がなくても人手があれば介護などは助けられるのである
そういうところでも既存の考え方を変える必要が出てきているのである。

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津波被害の裏話 (銀行では流された書類を探していた)


津波被害の裏話

(銀行では流された書類を探していた)

●書類もコンピューターに保存されて残っていた


津波の被害にはいろいろあった。そのことは各地で語られているがまだまだわからないことが多い。被害が広範囲になったからである。

銀行に勤める孫をもっている人が言うには銀行も津波の被害がありその時、金庫とかではなく紙幣ではなく書類を探していたという。預金者などの書類の方が大事だったのである。それを探して見つかったという、どろどろになっていたが見つかった。
こういうことは他にもあった。役所でも書類が流されると大変なことになる。


ただ実際はその書類でも何でもコンピューター化しているからどこかに保存されているのが現代である。だから貯金している情報はコンピューター化されて本部にでもどこでも保管されている。それは一枚のディスクでもいいわけである。
膨大な情報も一枚のディスクに保存される時代である。

ただコンピューターの弱点は何かで記録したものが一瞬にして全部消えることがある恐怖なのである。それもいくつもコピーしてあるからなかなか消えないといかことはあるだろう。だから紙でも津波などで流されるということは想像外のことだった。
だから役所などでは苦労したろう。


ある人は銀行にあづけてある預金など金は数字にすぎないという。数字として金はある。紙幣としてもそれは紙切れであり数字にすぎないという。だから数字はゼロになることがありいくら金をもっていても金だけでは紙に過ぎずその資産はゼロになるという恐怖がつきまとっているのであく。それで土地バブルが起きた。土地は数字ではなくゼロにはならないからである。

。被災庁舎の金庫内で回収された土地台帳は、デジタル化されておらず今後の復興作業でも不可欠な文書のため町では対応に苦慮していた。

6 月初旬に公文書の被災状況の調査に訪れた群馬県に公文書の復旧が要請された。

濡れた文書の乾燥、
塩分や汚れの除去、綴り直し、文書目録の作成、背文字の貼付で、土地台帳、家屋台帳、戸籍関係の書類など 339 冊であった。なお、被災した公文書は、


東日本大震災で津波被害を受けた自治体の公文書
http://www.archives.pref.gunma.jp/20110311-hisaibunsyo/
20110311-hisaibunsyo-hou/20110311-hisaibunsyo-hou-ona.pdf


●自衛隊の幹部が部下が拾った金庫をネコババして解雇された


東日本大震災津波で流された金庫が5,700個?
http://www.onoe-kaikei.com/hac/2013_6.pdf


富岡町長の5億円の金庫が流されて回収してくれと頼まれたことなどか話題になった。
これだけの金庫が流されたのも流された家の数の多さからそうなった。
たいがい家に金庫はある。金庫でも重いものもある。
そんな重いものでも今回は軽く流されたのである。


自衛隊では死体など探していたがそれで流された金庫を発見した。
それを上の幹部の隊長なのか知らないけど届けた。
その金庫がネコババされたことがわかった。
隊員は手帳に記録することが義務づけられていてそれでわかったという。
その隊長は解雇されたという。

そういうふうに組織で安全策を講じている

推理小説のドラマでよくノートを手帳を調べているけどこれはこうした事実を基にしていたのである。
ただ今はパソコンで記録しているとなるとそれが証拠になるのかどうか問題になる。
ただ一枚のディスクでもパソコンだと膨大なものが記録できるのである。
それは無尽蔵に記録できる。
この記録はクラウドとかどこにでも記録できるからかえって災害の時は記録は保存される。
ただこれにも弱点があり一瞬にして何かの銚子て消えることが恐怖なのである。


●記憶は一時期であり記録は歴史の時間で残る(記憶⇒記録⇒歴史的価値ずけ)


記録は流されても、記憶は流されない
http://www.jibun-shi.org/modules/blog/details.php?bid=30


記録というのはどうしても消えることがある。記録というものはいくら記録されていてもその意味をもたせないと価値がなくなる。
なぜなら記録は今や膨大な天文学数字としてある。
それらをいちいち読み価値づけすることができなくなる。
戦争のことだってその記録は膨大でありそれを読み解くこともむずかしくなる。

「人は誰しも歴史を持っている。それはささやかなものであるかもしれないが、誰にも顧みられなく、ただ時の流れに消え去るものであるかもしれない。個人史は当人にとってはかけがいのない生きた証であり、無限の想い出を秘めた喜怒哀楽の足跡なのである。この足跡を軽んずる資格を持つ人間など誰ひとり存在しない」(色川大吉『ある昭和史―自分史の試み』から)


これは言える。だから自分は相馬郷土史研究でそういう個人に焦点をあてて老人の話しを聞いて時々書いてきた。
そういう個人的なことはやはり家族史、家の歴史にもなる。
だから郷土史はおばしちゃんやおじぃちゃんから聞いた話しからはじまるというのはそのことである。
それが一番身近だからである。

では記録と記憶の相違は何なのか?記録がなければ過去のことがわからないということも事実である。
ただ記録が写真が文書が家が流されても以前として各人は生きている限り
記憶を維持されているから延々と語り続けることになる。

誰かが誰かに語るということは記録を読むのとは違う。
そこには感情的なものや様々なその人なりに伝えるものを聞くことになる。
語ることから「民話」が生れたのである。
語ることを書き記すことによりまたそれが記録され後世に残されたのが歴史でもあった。
語ることは記録としては消えやすいのである。
文書にすると消えにくくなる。
だからその人自身の書いたものが残っていると歴史もわかりやすいとなる。

誰かに語ったことは尾ひれがついて何が真実か事実なのかもわからなくなってしまうことがあるからだ。

だから記録は流されても 記憶は流されない・・・
というとき実はそれは一時代とか短い時間だったら記憶は流されないが長くなると流される、消えやすいということなのだ。
生きている内は語り続けてもいづれは死ぬと語る人は語ることもなく残された記憶しか
ふりかえることができなくなるからでてある。


ただ記録はすべて歴史ではない、記録は無限であり膨大であるとしたとき、
その記録をすべて解読することも関心うもつこともできないからである。
その記録を自分のものとして読み解く時、歴史は価値あるものとなる。
そしてそうした記録は無数に埋もれていて不明になっているのだ。
江戸時代の古い碑を紹介して読み解く作業をしたけどそれらは記録として残っていても
今では意味がわからなくなっているのだ。

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2014年02月10日

寛政地震で相馬藩内で8人死んだ津波があった (200年前だったがこれも記録されていなかった)


寛政地震で相馬藩内で8人死んだ津波があった

(200年前だったがこれも記録されていなかった)


1793年 2月17日
(寛政 5) 陸前・陸中・磐城 8〜8.4 仙台藩(現、宮城県)で死者12、家屋破損1,060余。宮城南部の震度は5〜6程度であった。相馬で津波があり、死者8発生。
http://www.mlit.go.jp/kokudokeikaku/iten/information/council/shuto-research/jishin_kentou/c_js06.html


寛政五年正月七日午刻(昼九ツ時過)(1793年2月17日正午過頃)牡鹿半島沖に大地震が発生した。
『古廟山主将記録』には、大津波が発生し須賀浦にて家17軒が流れ12-13人が流死したとある。『東藩史稿』には仙台藩領内で圧死12人、馬13頭、潰家1060余とある[1]。
全体で潰家および流失家1730軒余、船の流失・破損33、死者44人以上とされ、相馬では余震が10ヶ月以上続いた記録がある[2]。


宇佐美龍夫(2003)は、津波が相馬、いわきで引き波で始まったことから1896年の明治三陸地震にも似ていることを考慮して震央(北緯38.5°、東経144.5°)をより沖に定め、規模もM8.0-8.4と推定した。1897年の地震との類似を考慮すればM7.9程度になると推定している[2]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%9B%E6%94%BF%E5%9C%B0%E9%9C%87


寛政五年(1793)宮城県沖に
発生した地震の詳細震度分布と津波の状況
http://sakuya.ed.shizuoka.ac.jp/rzisin/kaishi_19/16-Namegaya1.pdf



ここの図では松川浦から請戸で2メートルから4メートル浸水している
この時8人死んだということはそれなりの被害があった
津波は慶長地震の津波だけではない、相馬藩内でも寛政地震であった。
慶長地震が400年前でありその200年後に寛政地震があり相馬地方にも津波があった
それは今から200年前でありこの辺が津波の伝承を聞かないというとき
200年前だったらその伝承が残ってもいいはずであった
400年前は無理にしろ200年前となるとそんなに昔とはならないからだ

ただこれについても相馬藩政記に記されていなのだろう

慶長津波では400人溺死と記されている。寛政地震津波では記されていないとすると
このことも謎になる。
まあ、死者8人くらいなら軽くみることもわかる。
でも津波の記憶は残しておくべきだった、伊達藩には記されていて伝えられた。

そして慶長津波も寛政地震津波も今回の三陸沖津波も震源地か近いのである。
だいたい同じような場所から起こっているかことに注意するべきだった
そこには明らかな周期性があり大きな地震が百年単位とかで起きている。
明治時代にも三陸津波で大きな被害があった。

だから相馬は宮城県とも岩手県とも近いのだから無視できるものではなかった

それが何か相馬では福島県の浜通りでは津波は起こらないという感覚になっていた
三陸で岩手県でまた津波か、ここには津波は起こらないよという感覚になっていた
ても歴史を調べれば400年前にも200年前にも大きな津波がきていたのである。
ただ200年前の寛政地震津波でも8人死んだくらいだから記録にも残らなかった
だからここの津波についてもほとんど相馬藩でも知られていないのである。
民間の伝承も残っていないのである


ただ津波が200年前にもあった、
それも8人も死んだということは重大なことだったのである

つまり歴史では何が重大なものかその時ではわからない
この時は相馬藩は戦国時代ではなく政治も安定していた時代である。
だから自然災害にも藩で注目してもいいはずだった
それも注目されなかったのはなぜかという空白が問題になる


相馬地方では津波か来ないということがみんなで思いこまれていたのである
だからまるで危機感がなかった
三陸に起きても相馬では起きないという確信のようにまでなっていたのである。
でも現実に200年前にも来ていて8人か死んでいる
だから相馬地方でも浜通りでも津波は来ると警戒してければならなかった
今回のようなき巨大なものではないにしろ津波は日本の海岸では必ず来るものなのである
そういう宿命、カルマを背負った国土が日本だったのである

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なぜ事故が起きるのだろうか? (事故もカルマが関係していたーツケは必ず払わされる)


なぜ事故が起きるのだろうか?

(事故もカルマが関係していたーツケは必ず払わされる)


事故がなぜ起きてくるのか?それは不注意とかが一番言われる。
でも注意しても事故は思いがけなく起こる。
だから事故は運不運だともなってくる。
なぜ今回水道管などか壊れて大量の水漏れをしたのか?
それも自分が留守の時に起きたのか

これは何なんだろうとなる

その原因はたまたま遠くに外出したことにあった
それも仙台に行ったのは約一年ぶりであり出かけていない
だから母が入院している間に行きたいと思っていた
自分はこれまで自由にどこでもふらっと遠くに旅もできた
そういう自由があることはよほど恵まれていたのである
なぜなら他の人は勤めていれば時間に出勤して
休暇をとること自体簡単にできないからである


それが家族が病気になり自分も病気になりここ7年間は介護でできなくなった
介護になると代わりがいないと外出すら余裕をもってできなくなる
それが一番自分には辛かった
全く自由が奪われてしまったのである
それも結局はあまりにも恵まれた結果なのである
「お前には十分自由を味わったからもうあなたの自由はない」
そう宣告されたと同じである


今回の大きな事故も何かそういう宣告を破ったことが原因している
お前は勝手には外出できない、遠出はできない
今までは家族がいて留守していたのだからこんなことは起こりえようがないのだ
要するに「お前にはもう自由がないのだ」ということを宣告されているのだ
その宣告を破ったがゆえに大きな事故が起きてしまった
それも自分がいないときに起きた
自分がいればその事故もたいしたものとはならなかった
水はすぐとめられたからである

てもこんなことは40年に一度くらいしか起こらないのである
だからその事故の時、家にいないということはよほど不運だったのである

事故に運不運があるとき、それは単に不注意とかではない運命的に事故が起きる
だから事故の原因が何なのか、それは運命だったということにもなる
そして事故がカルマだったということも指摘される
カルマというときその人が事故を起こすカルマをもったから起こす
自分の兄弟の一人は自分の父は同じではないが工場で事故で死んだ
その息子であったが40歳で交通事故で死んだ
だから二代して事故で死んでいるのはなぜなのだろうとなる
これもカルマなのかとなってしまう


ただこの世で事故はいつでも起きている、最近聞いた話では電柱に上る電気の仕事をしている人が
感電して死んだという、あそこには6000ボルトの電気が流れているという、
だから危険であり死ぬ人がいても不思議ではない
すると電気はボタン押せば使えるがその電気を作り保つことは危険があるということも認識する
命がそこて犠牲にされているということも認識して電気はありがたいものだとなる
原発でも事故が起きなければそうなっていたのである

だから事故はいつの世でもあり一つの犠牲だったともなる

なぜなら事故は交通事故でもそうだが車社会ではどんなに注意しても起きる
だから車社会の犠牲として事故が起きるからやむをえないとして保険金がでる
電気も同じなのだ
電気を維持するためにはやはりそれを保守点検する人がいてそういう事故が起きた
それは電気社会を維持するための尊い犠牲だったとなる
一種の電気を維持するための殉職だったとなる

原発事故でも電気社会を維持するために不可欠であり
犠牲者がでてもしかたがない、それより電気がなくなったら今の社会は維持できない
だから原発なしでは社会は文明は維持できないからつづけるべきだということになる
だから原発は簡単にやめるわけには行かないのである


いづれにしろ事故は何か運命的に起こらないか?
今回の事故にしても自分にとっては何か運命的だった
自分が今出かけなければあとはまた出かけられなくなる
そう思ってでかけたとき事故が起きたのだから運命的である

だから事故でも運命論的にとらえる人もでてくる
事故にあうべくしてあったのだ、死ぬべきして死んだとかさえされる
原発事故も起こるべくして起きた

巨大地震津波が起きたのも運命的であり事故も起きた
事故は運命的起きたということである
運命的とはどんなことをしてもさけられずに起きるということである
そこには神の意志さえ働いて起きるともなってしまう
だから人間の力ではさけられないものとして起きるのだともなってしまう

事故でも今回の原発事故でも予測しえないものが起きて起きるからそうなる

交通事故だってどんなに注意してもたまたま車を運転している人が暴走したりすれば
さけられない、自分が悪くなくても死んだりする。
だからそれもよほど不運だったとなる
それは相手の過失でそうなっても不運だったとなる

事故でも犯罪にあうのも運命的で運不運があったとなる
自分が突然病気になり入院して火事場泥棒にあったのも
大不運だったがそれも運命的でありさけられなかった
つまりそういう犯罪にあうべくしてあったとまでなる
犯罪というはそういう側面があるかもしれないのだ
なぜその人だけが犯罪の被害者になるのが不可解なことがあるからだ


ともかくこの7年間に自分に起きたことは何らかのカルマの結果でもあり
起こるべくして起きた運命的なものがあったということである
カルマとはなんらかのツケである。それを人生で積んでいるのが人間である
一番わかりやすいのは借金である
借金は具体的なカルマでありツケだからいづれは隠すことができず払わされる
それが過酷なものとなっている場合がある
その清算もいつかは要求される

だから自分に起きたこともカルマでありツケを払わされているとなる
原発事故でもそういうことがいろいろ起きている。
原発避難者は原発では金銭的に恩恵を受けていたとか言われる
それか今はカルマとなりツケとなって過酷なものとして支払いを要求されている
いづれはカルマはツケは個々人でも団体でも支払わされるということである

posted by 老鶯 at 11:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連