2014年03月30日

秘境の森、大古林道の春の森の詩(続編)

 
秘境の森、大古林道の春の森の詩(続編)

大雪に山の樹々の枝折れぬ冬を越えてそ花の咲くらむ


 春の森の詩


春風に樹々しなりゆれ
梢に高く四十雀飛びわたるかな
雪解けの水は流れてひびき
苔むす磐に残れる雪のなお厚しも
我が踏みつ奥に入りゆく
かしこ大岩の雪に埋もれて久しかな
一本の古き根っこのここに残りぬ
ここに立ちにし年月の長く
この森に生まれこの森に還りぬ
春の日は苔むす磐にさし
山風は樹々にそよぎわたる
牛の背のごとき堅き磐よ
汝はここに歳月を刻む
二本の樅の樹は古き神殿の石の柱
ゴシック建築の大聖堂の石の柱
質実に誠実に信頼に満ちて立つ
厳かにそはここに立ちて久しも
ここに無益なるものに労するものなし
一つ一つの命が森に活き森を支える
原生の原質の組成の万古の神殿!
蝶は舞い小鳥は喜びさえづり飛び
ここに調和の春の楽は奏でられる
重々しき音、軽やかな音、清らかな音
それらはフーガのようにひびきわたる
森の奥処に鎮座する大岩
そはこの森の主にして神さびぬかも


昨日のつづきとして短歌を詩にするとこんなふうになる。あそこは意外と秘境的な場所だった。
ただ車が頻繁に通るからあそこの森が秘境であり神秘的な場所であることに気づかないのである。
この辺にはまだ実際は秘境的な場所があった。
飯館村にもあった。大倉に出る道が舗装されて神秘の場所は消えたことは残念だった。
何か公共事業で道を作りすぎたのである。
丸森も秘境があ樅の木の原生林が一部残っていた。この辺はまだまだそうした奥深い自然があった。


そして皮肉なことにバラ坂とか大葦とか八木沢峠の麓は原発事故で人がすまなくなった。
あそこはもう誰もすまなくなったから元の自然にもどるのだろう。
そして羚羊が住み着くことになった。羚羊(かもしか)の縄張りは一キロ範囲だという。
あの辺に住み着くとするとまた出会えるかもしれない。
羚羊は行動範囲が広いと思ったが狭い、一キロ範囲で食べるもものがあり生きていけることの不思議である。
人間でも一反田とか地名があり米が一反とれれば最低限生きていけるということがあったのかもしれない、
炭焼きなどがあったからできた。養蚕していた家もあった。


放射能汚染の不思議は皮肉はかえって原始の自然がもどってくるということであった。
チェルノブエリでも狼やへら鹿とかが住み着くようになった。
つまり人間がいなくなると野生の動物にとっては住みやすい場所になるのである。
人間を警戒していたのが警戒しなくなり野生化してくる。
放射能汚染したものを食べているからそれがどう影響するのかもわからない。
今のところは奇形化した野生の動物の報道はない。

浪江の小丸という牧場では野生化した牛に餌をやっている。
高瀬川渓谷に近いからその山道に牛の道ができているというのも驚きである。
最初の道は獣道だったというのも本当になる。

飯館には一年くらい行っていないけどあそこも原初の状態にもどっている。

だから猿の惑星は核戦争で巨大なニューヨークが滅びて元の自然に還っていたのである。
ここでは戦争ではないけど原発事故はそれはにていたのである。
津波によっても元の自然に一時的に還った時は驚いた。
自然が回復することは悪いことではない、美しい自然が目の当たりに現実に見た驚きだった
山の方でも原発事故で人がすまなくなればやはり元の自然の状態に還るのである
ただ破壊されて道ができたところは還らない
それにしても元の自然に還ることはこれも不思議なことだった


ともかく八木沢の麓の家はもう人が住まないとすると元の自然にもどる。
あそこでは農業など成り立たない、大原辺りは広いから集約的にやれば
放射能汚染も消えれば土地を活かすことかできるかもしれない
秘境は今やどこにもないようで実際は田舎だったら身近にまだある。
ただ発見されていないだけなのである。


今年は大雪でいたるところ木の枝が折れた。その衝撃が大きかった。
だから庭の蠟梅は今年は咲かなかった。

自然は津波でもそうだが大雪でも厳しいものである。
大雪では森に生きる動物も鹿でもかなり死ぬ
そうして生き残ったものが強い種を残してゆくのが自然である。
自然はそうして厳しいから美がある。
そういう場所に生きる人間も厳しいから自然の美に映える
人間が最も生きにくい場所は最も美しい場所だともなる
だから八木沢の麓の辺りは秘境だったのである。
すでに江戸時代から住んでいた。
今になるとどうして生活が成り立っていたのが不思議になるのだ。



 迷える足のほか踏みしことなき
人住まぬ谷間や奥深き山中を
いと古き代より汚れを知らぬ地域を
思いのまま彷徨いうる自由こそは
定命もてるかよわき人間にとり
いかばかりか神聖なるぞ
(逍遙編 ワズワース)


こういう場所は意外と近くにまだある。
この辺はまた人が住まなくなるとそういう場所に還るということもある。
こういう場所が原発事故でなくても少子高齢化で増えてくることは言える。

2014年03月29日

荒地化して羚羊がでて猿が増えた原発避難地域 (橲原渓谷からバラ坂、大葦、大古林道から大原へ)


荒地化して羚羊がでて猿が増えた原発避難地域

(橲原渓谷からバラ坂、大葦、大古林道から大原へー春の短歌)

橲原渓谷へ

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この岩を飛んで猿がわたっていた


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大雪で木が裂けて倒れた

バラ坂ー原町ー川俣線

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田んぼだったところをカモシカが逃げる

大古林道へ

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町空に交差し飛ぶや初燕

我が近く紅梅香る余韻かな
坂越えて隣の山も春の山
春の日や大原に来て双子山
一村や梅の香りに日がなかな


紅梅の燃ゆるがごとく咲きにけり匂いの満ちて朝に映えにき

雪解けの水の流れて岩伝い子猿も追いて猿渡り飛ぶ
春の日に人も通わぬ山路かな子猿のあまた群れて増えしも
樅の樹の二本のここに厳かに山陰残る雪なお厚しも
春の朝樹々のゆれにつ四十雀わたりとぶかな山風吹きぬ
山陰に残れる雪のなお厚く我が踏みにつつ苔むす岩見ゆ
二すじの滝の隠され知らじかも春の日さして樹々の間に見ゆ
この奥処雪に埋もれて大岩にまみえざるかもまた我が来なむ
森の奥我がたずねて根っこ一つ隠され残る春日さすかも
山の道春の日さして蝶の飛び我にまつわり小鳥も鳴きぬ
雪解けの水の流れのひびきつつ谷間の深く我が上り来ぬ
人住みし家の跡地は荒地化しキクザキイチゲのここに咲く見ゆ
雪解けの水の流れてひびくかな人し住まじも樹々の芽吹きぬ
樹々芽吹き羚羊いでて雪解けの水の流れのひびきけるかも
美しく椿の囲む大原の家こそ保て人そ住むべし


原町区大原へ
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これはクリック拡大

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猿跳ね石(丸森)
http://zuiunzi.net/igu/bsrisuto14/70.html


橲原村から橲原渓谷に入った。ここで考えたことは村とある時、
実際は江戸時代から戦後十年くらいは村であった。村は自給自足しているとき村だった。
それが農業主体の生活から変わった時、村というのは名前だけにもなった。
だからすでに村というとき、昔の村の感覚はなくなっていたのである。
でも田畑があるとそこはまだ村といいう感覚があった
それが原発事故で田畑が荒地化したとき、そこは村という感じはなくなった
それでも家はある。橲原村はまだ人が住んでいる。
そしてもし田畑がなくなればどうなるのか?
都会型になり郊外の住宅地という感覚になるのではないか?
そこは昔の村というものでは実質的にはなくなる
それは自然村とか歴史的村の消失なのである。
そのことの精神的影響も大きい。
村があるとき、やはり昔ながらの田園風景としてなごむ
梅でもやはり香るとき昔の村があっていいなとなるがそれがなくなるのだ
確かに梅が香ってもそこには昔の村はないのである。
一村・・・という詩的感覚も鳴くなのである。

橲原渓谷には車は入れない、ここも原発事故以来だから三年目になり問題になっている。
そして三年も人が入らないとどうなったのか?
猿が大群をなしていた。そこには子猿も10匹くらいいた。
これまでも猿は群れてでてきていたが今回の猿は大群だった。
要するに猿が人が入らないことで増えたのである。

その猿が人が来たので驚いて写真の川を一切に渡り逃げた。
岩が川の中に飛び飛びにありそれを飛んで渡って行った。
子猿もその岩を渡って逃げた。
一匹は渡れず流れの岩の中に取り残された。
でもなんとかわたって逃げた。
だから「猿飛岩」という地名が各地にあるのが具体的にわかった。
猿とつく地名は猿が身近な動物だからついた名前である。
そういう名前がつくのは猿が頻繁に出てきて見ているからなのだ。
この辺ではあんなふうに大群化した猿は見たことがなかった。

それから原町ー川俣線の道路に出てきた所のバラ坂というバスの停留所のある所
その家には牧舎もあったが人は住んでいない、荒地と化していた。
大原でも140軒あって半分が避難した。
鹿島区の仮設にも大原の人が結構住んでいたのである。
あそこはもともと秘境だと書いた
車が頻繁に通るからそういうことを全く感じないけど
車が通らない時は細い一本道が通じているだけだったろう。
だから今の道路の崖の上に六地蔵が隠されるようにあるのもそのためだろう
あの辺に細い山道があったのだろう。
あんなところどうして人が住んだのかというのも不思議である。
大原から遠田という地名がありここはバラ坂とあり大葦となり
さらに上萱はかなり上らねばならないからどうしてあんな不便な所に住んだのかと思う
それだたけ土地を求めて人は奥地へ入って行った。

猿の物語で一反田という地名があるのは面白い
一反田があればそれでけ米がとれるので住み着くことにもなる
あそこはそういう場所だった。平地がわずかしかないからである。

そしてバラ坂というのは何なのだろうとわからなかった
そこが荒地と化して田んぼになったところを踏み入ったら
バラが多くノバラが茨(いばら)になっていて突き刺さった。
ここは茨(いばら)が多くてこの地名がついたのだろうか?
大葦は葦が繁っていたからわかりやすい、バラがつく地名はわかりにくい
ただ地名は原初の状態から名付けることが多いからそうかもしれない

そこに現れたのは羚羊(かもしか)だった。
車が頻繁に通る所に顔を出していた。
すぐ自分の目の前にのそっと顔を出していたからびっくりした。
かもしかをこの辺で見たのははじめてである。
かもしか高見山で見たという報告もあった。
でもこの辺では見ていないからもともと住んでいなかったのだろう。
人が住まない荒地と化して住むようになったのだろう。
浪江の高瀬川では牛が野生化して牛道ができていたというから驚く
カモシカは牛科なのである。

人家がないということは動物にとっては住み安いのである。
人が住まないとイノシシでも増えているし猿も増える
それらが放射能汚染の影響がどれだけでるのか?
放射能汚染された植物を食べるのだからどうなるのか
そんなに影響しないのかもしれない
奇形の猿でも発券されたら大騒ぎになるだろうがそんなこともないのかもしれない
ただあの辺は放射線量は実際は相当に高いのである。

バラ坂⇒大葦から御堂がある大古林道を上ってゆくとまさにあそこは秘境である。
雪が今年は厚く溶けない、川でも水の量が多いのは雪解けの水のためである。
これだけ雪の多い歳はこの辺では一生に一回とかしか経験しないかもしれない
そして樅の木が二本厳かに立っていた。
一本は写真では細くなっていた。飯館村の山の中には太い樅の木が隠されるようにあった。
樅の木は神殿の柱のようにも見える。
ドイツの森は寒い地帯で樅の木が多いからまさに森厳な雰囲気になる。
やはり樅の木は寒冷地帯にふさわしい木である。
だから雪が厚く残っていると樅の木も重みを増して立っているという感じになる

二筋の滝が隠されるように見えた。あの滝も気づかなかった。
今年は水量が多く見えたのかもしれない、丸森にも二筋の滝があった。
あれも隠されるようにあった。こういう滝は他でも多いのだろう。
今回は大岩群のあるところには行けなかった。
雪が厚く閉ざしていたのである。


橲原村から大原の方にまわった。
大原というときやはり橲原からするとずっと広い感覚になる。
それは地名とあった風景なのである。
ここも放射線量が高く半分が避難した。
そこに椿の垣根がある家があった
その垣根は大きく家を囲んでいた。
回りの樹を切ったの除染のためだろう。
何かもったいないと思った。


見ると二つの山が双子のように見えた。あんな山があったのかと初めて見た。
大原はやはり山と関係が深い、山の生活があったところでもある。
戦時中、あそこで猿を食ったという話を聞いた。
イノシシも出てくるというからもともと山が深くかかわっていたのである。
原発事故後の村をめぐって村が村でなくなるということは淋しい
確かに昔のらではなくなっていたにしろ田畑があればまだ村であったからだ
それがなくなると村でなくなる
ただ原町市外の住宅地と化してしまうだろう。

 
 
 
 

2014年03月28日

現代文明は奇形文明である (ペットプームは自然への回帰と同じ現象ーエジプト文明への回帰でもある)


現代文明は奇形文明である

(ペットプームは自然への回帰と同じ現象ーエジプト文明への回帰でもある)

世界の文明を考察するとかなると普通は大変な作業でとてもできないという感覚になる。世界はあまりにも広すぎるからだ。
でも世界とはこんな小さな田舎町からでも世界認識はできるということがあった。
小さな田舎町の歴史を考察してきたけどこの小さな田舎でも世界で起きていることが
実際に起きている。
こんな小さな田舎町に何があるんだというときここにも世界の歴史があり日本の歴史が集約してあるのだ。
むしろ東京などではまずかえって世界のことも日本のことも基本的にわからないということがある。
なぜならそもそも世界文明といっても自然から遊離してできたものはない、
四大文明は自然の恵みから発展したものだからである。

エジプト文明はナイルの賜物というときナイル川によって作られたのである。
ナイル川が氾濫した時、その泥が肥料となり小麦がとれる。それを基礎的食糧として一大文明になった。
その特徴は生物や動物と深く密接に結びついていた。だから無数の動物が神となり崇められた。
彼らの関心は生態系にあり動物にあり天文にあり自然にあった。
現代人の関心が車とかパソコンとか様々な機械にある。

エジプト人は動物に何か精神の象徴として見ていた。こういうことは古代文明にはあった。それは多神教であり偶像崇拝と化した。
ただこの多神教こそが人間的であり一神教が生まれたのはかえって人間にとっては異端的なものだったのである。

身近なところで偶然に猫を飼うようになって猫が意外と不思議な生き物だなとつくづく思う。猫をこんなふうに見ていたことはない、
猫はいくらでもいても実際自分で飼うと猫はまるで人間の子供のように思えた。
そのしぐさ一つ一つが面白いしかわいいしこれは人間より親近感を覚えるものがあった。
だからペットブームになりペットを介護して墓まで作っていることが理解できたのである。
それは牛でも猫でもエジプト人がミイラにして人間と同じく扱ったからこれも別に人間として特別のことではない
普通のことなのである。つまりエジプト文明は全く今の世界から理解できないものではなかったのである。

異星人が作ったものとは違っているから人間が作ったものだから理解できるのだ。
実際に動物には人間にない何か神秘的な力がもっていると感じるのもそのためである。
そういう動物から離れてしまった自然から離れてしまって機械に親近感を覚える現代文明こそ異様なものなのである。

現代の高度化した機械化した都会化した文明は決して人間の生活でも心でも豊かにするものではない、
そういうことは東京で暮らしてみて思うようになった。
東京というあれほどの大都会があることこそ異様なことであり非人間的な異空間と化している。
だから有名な作家は異星人が作ったものとしているのもわかる。
ミラーであり上野霄里氏であれニーチェであれ文明を否定することは人間としてむしろ正常な感覚であり
現代文明に適合している人々こそ異様なものと化しているのだ。

だから人間としてまともになろうするとき現代ではアウトサイダー化するのである。
強力な天才的な活力をもつ人間はこれが人間の住む世界なのか?これが人間なのかという
根本的な疑問をもつのである。
そういうアウトサイダーが全くかえって理解できないのはそれだけ現代社会が非人間化しているからである。

大都会から生まれ宗教もカルトでありそれも現代文明を象徴していたのである。
オウムはその現代文明の歪みを露骨なものとして事件化したのである。
それは現代の宗教団体はどんな宗教であり組織団体化しているから本来の宗教とは
全く違った政治団体であり利権団体にすぎないのである。
現代文明という途方もない迷路の文明から産み落とされたものであり奇怪なものとなっている。
エジプト文明が奇怪に見えるが極めて人間的なのである。

それは現代が異常なほどのペットブームになっていることでもわかる。
人間にとって動物はやはり人間と密接に精神的にも結びついたものなのである。
それはロボットで機械で代われるものではない、犬とか猫が癒しになるのはそのためである。
エジプト文明のようにそれは深く人間の心にかかわるものだからである。


創価などで運動していたから実際に自分はそういう異様な空間で青春を費やしたからわかる。
それは何も宗教団体だけではない、現代は会社であれどこであれ何か非人間的なものに生が浪費されるのである。
だから会社人間になった若者は会社に疑問をもちそこが極めて非人間的な組織であることに反発するようになった。
ニートが増える時そうした会社人間になりたくないということもある。
自分はそもそも団体生活できないから働かないとういだけだったが会社人間になることは非人間化の道でもあったのだ。
要するに会社とういだけではない社会そのものが現代は非人間的なのである。
そして会社社会化したとき会社が権力をもつようになったとき、原発事故も起きたのである。


原発事故というのもそうした現代文明の延長としてあるものでありそれが自然を破壊したのである。
原発は現代文明の必然的なものとして生み出されたのである。
だから文明は原発と心中するほかないとまで言った。
だから原発事故周辺はそうした現実に文明の崩壊現象のようなものが起きたのである。
「猿の惑星」が現実化したことの驚きがあった。
人間は最高に賢いものとして作られたが最高に愚かなものであることが原発事故でも証明された。
だから文明というのは別に現代文明が優れているとはならない。
他の古代文明の方が自然と調和していたから優れていたともなる。

 
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2014年03月26日

溜池が稲作文明を発展させた原動力 (水の管理が稲作では一番大事だったあー鹿島町誌より考察)


溜池が稲作文明を発展させた原動力

(水の管理が稲作では一番大事だったあー鹿島町誌より考察)

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ここは下が鉄道になっていて高い、ここの地名が樋下となったのは
そういう理由があったつまり地名にはそれなりの理由があって名付けられている。

これは唐神堤から引くための水路だった。


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樋の水流れてうるおし実りかな二宮仕法に相馬藩栄ゆ


溜池には水利を通じての人と人との交わり、繋 がりがある。それは、親池、子池、孫池といった関係か ら、その輪を広げながら、広い範囲でのコミュニティーと して、重要な働きをしてくれている。


相馬領全部226ヶ村、この内明治4年までに実施した村は101ヶ村、更にその内で仕上成就した村は55ヶ村であって、これに用いた領主の分度外米248,220俵、開発2千余町歩、費用2万余両、溜池692ヶ所、水路等合計費用2万余両、新家作573戸、この費用2万余両、その他諸施設合計99,180余両であって、このために増加した戸数
1,135軒、人口21,715人である。
http://plaza.rakuten.co.jp/jifuku/22000/

樋町、樋口、樋上、樋下
樋口は文字どおり樋(用水管)の口(取水口、水門)のある場所から起った地名です

「筑前国続風土記」には「樋井川」の名の由来として「其の川、樫原、東油山より出、田島村の東、鳥飼村を西を経て海に入る。此の郷中、桧原村の東、長き樋有り。是は川上に樋を掛て川向に水を取り、田を浸す為なり。樋長さ七間半あり。昔より此の樋ある故に、此の邊を樋の郷という。」とある。
http://nagaoka.blog.jp/?p=18

樋がつく地名 樋越、樋口、樋田(といた):水路(管路)のことを「樋」と呼んでいる。地名以外に苗字に多く拡っている


鹿島町誌より


真野川は有効に利用するかいなかは農耕の死生にかかわる
まず真野川上流の栃窪堰の手入れをして嘉永五年以来廃止していた一の堰(大谷)を改修した。正月から五カ月間を要した。
高一丈五尺平均、堰口十六間余大石積み上げた技量をほめ・・・

荒専八の代官の事業である。荒は二宮門下唯一の洋式土木技法をも心得た技術家であった

また川子村の嘆願書の中に「小堤等数多く築きたてくだされ莫大の難儀これなく」とあり(安政二年)、牛河内村では(安政元年)にお願いして水不足故に中丸堤土手つぎたし」といっているし・・・

中でも一番の大工事は唐神堤の手入れであった。この堤は領内第一の大堤で安政四年五月の再度にわたる大崩壊、もし決壊となれば産米七千石の田から民家一円亡村の惨事となる・・

七千石掛入は真野川より取り入れるももとは唐神をへず直接通じたが御山堀を高め新江の延長として横手地内68間の岩を切り通しトンネルをうがち、水路を唐神に引水して冬の貯水に便をえしめるために溜池の水増加して上真野、八沢、鹿島の一町二ケ村にわたる
(鹿島町誌)

文政年間、鹿島村の西河原において真野川をせきとめ一里の間を穿ってその水を最も裾の南右田の地にひいて百余町の内を灌漑した。自ら毎夜提灯をたてて並べさせて堀の高低をためし、時に水上の村民の激怒をかって命をねらわれた。(和算学者-荒専八-奥州相馬-森鎮雄))



稲作というのは実際は大きな文明であり自然を改革する一大事業だった。稲作は水の管理が最大の問題となる。いかに水を利用するかが稲作を拡大することに通じていた。
米の生産量をあげるかに通じていた。だかち灌漑事業でありこれは大規模な土木事業であり文明だった。水を利用するということが文明のはじまりである。そこでメソポタミア文明などでもいかにエジプト文明でも農業はいかなに水を利用するかが文明を作る。
だから四大文明は大きな川の辺に生まれたのである。カンボジアのアンコールワットの巨大な貯水池もそうだった。そこに一大栄華を築いた都市文明が生まれたのである。
溜池を改修するのにその堤を集団で人力によって固める絵がでているが機械がないのなら人力になるからその労力は並大抵のものではなかったのである。

溜池の建設ー大地の刻印(ここには絵がでているから参考になる)
http://suido-ishizue.jp/daichi/part3/01/04.html

巨視的にもそうだがミクロ的にもみると小さな村でも稲作はいかに水を利用するかで水田を拡大して収穫量をあげるかが決まる。だから必ず溜池が必要であり無数に溜池がある。稲作は溜池なくして成り立たないものだった。大きな溜池もあり小さな溜池も無数にある。それほど水の管理が稲作には必要だったのである。
水田は水なくしてはありえない、絶えず水を流していなければならない、だから水路となる樋がいたるところに必要でありそれにまつわる地名も多い。
そして溜池は必ず順次広くされている。水がたりなくなりそうなった。
水争いがあり荒専八が真野川の下流に堰を作ったら上流の人が水が不足すると思い殺そうとするまでになった。これもいかに水が大事かを物語るものだった。
入会権でもそうだがここも大規模な戦争の初端になったし水争いもそうだった。
水資源の争いは文明国では常にあった。イスラエルでのデカン高原でのシリアとかの戦争もヨルダン川の水争いに起因しているのだ。

ともかく田んぼを拡大するには土地だけではできない、水を得る必要があった。だから南右田は海側であり開拓された所だが真野川の水を確保できるうよになり水田になった。
今は津波で壊滅した。

この水が大事な故に山から水が絶え間なく供給されるので山が神となり春には田植えの時は山から神がおりてくるという信仰にもなった。山には先祖が眠り見守ってくれるという信仰にまでなった。稲作は長い間に単なる米を作るというものではない信仰となり文化になっていたのである。
だから津波や原発事故で田んぼが荒地になり水が流れないということに違和感を覚えたのはそれはすでに単なる米を生産するというのではない心に深くその景色であれ農耕というのがアイディンティティ化していたからである。
別にこれは田舎に住んでいれば農家の人でなくてもそうなる。
都会だとまた違っていてそういうふうにはならない、回りに田んぼも畑もないからである。だから大都会には文化がないのである。ただ物質化した精神性のない人工的機械的空間になっている。古代都市なら自然との密接な関係から構築されたものだから今の都会とは違っている。自然村があるというとき自然から生成発展した文明であった。
エジプト文明でもマヤ文明でも農業文明なのである。

津波原発事故では水田がなくなり荒地となり水が流れていても水は活きていないのである。その時神となっていた山をも死んだようになる。
日本では葉山羽山信仰でありこれは低山であるが水を供給するものとして信仰になったのである。山は水と密接に関係してあったのが日本だったのである。

posted by 老鶯 at 21:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 相馬郷土史関連

2014年03月25日

猫の問題は人間が起こす問題と同じで複雑 (捨て猫を飼うことで考えた)

 

猫の問題は人間が起こす問題と同じで複雑

(捨て猫を飼うことで考えた)

不幸な猫増やすな…餌やり・飼い主探し 広がる大学の「地域猫」活動
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140320/trd14032010270012-n2.htm


たまたま猫が甘えるように鳴いてくるので餌をやった。
それがはじまりで猫が家にいつくようになった
でもこの猫は慣れない
捨てられた猫で近づくと襲いかかるように威嚇する
つまり人間にはなれなくなっている
だからいやになれなれしい猫を見てきたから
猫はあういうふうに慣れているのが普通だと思っていた。
自分は猫についてはほとんどわからなかった
猫を飼ってみて猫の問題も複雑であり人間と同じだと思った。

人間と同じだという時、捨てられた猫を人間と思えばいい
赤ん坊が捨てられたら誰でもそのままにしておけないし
かわいそうだと思うしなんとかしようとするだろう
自分の成猫だけどやはり甘えたように鳴くから子供みたいである
ただ捨て猫にしてもではまず「かわいそうだ」ということから
はじまってもそれを飼うとなると人間の子供と同じだと思った。
「かわいいな、かわいそうだな」とかはわかる
でも飼うとなると餌をやり小便とか便をして汚したからしつけねばならないとか
猫一匹飼うにしてもめんどうなのである。

だから実際は自分はルーズであり自分のめんどうみるだげで精一杯なのだ
ところが介護もしているから猫の世話も自分に加わった。
この猫は腹をすかすとすりよってきてしきりに鳴くのである
猫は今や自分の家でのうのうと主顔している
餌が与えられるのを当然と思いあとはのうのうと寝ているだけである。
考えて見れば自分も三食付きで60年間家の主であった
それが家族が一人死んでまた一人倒れて介護になったとき
自分はただ一方的に世話するだけの召使になったのである。
猫は何もしない、自分は猫に仕えている、猫様なのである。
座布団にのうのうと座っている姿はまさにそうである
ただ今や家族がいないと猫も本当に家族の一員になってしまう


これもカルマであり猫を捨てるとは人間の子供捨てると同じである。
捨てられた猫は自分が飼っている猫のように深い恨みをもつようになる
人間にはなれなくなる、根強い不信感をもつにようになるのだ。
猫はだから人間と同じなのである。
だから猫は人間の子供と同じである。
その対処方法がめんどうで複雑になるのもそのためである。

例えば猫が増えるから殺した方がいいというので
実際は30万以上とか猫でも犬でも殺されている。
保健所で引き取りがないものは殺される
それは人間だって産児制限をして間引きしていたのと同じである。
猫でも犬でも増えすぎるのは人間によって餌をやるからである
野生だったら弱いものは淘汰されて一定の数しか生きられない
犬猫が増えるのは人間が過剰に餌をやるから増える
だから餌をやるなというとき人間は非情であり動物愛護法に違反するともなる
だから捨て猫がかわいそうだというだけかたづかない複雑な問題があった
それは人間の問題と同じだった。

つまり人間が餌を過剰にやり捨て猫が増えて増えた猫を人間が殺しているのである。
それは自然がしているのではない人間がしているのである。
人間に責任があり地域猫という発想もそうした結果生まれてきたのである。
一定の猫を地域で見守ろうということである
これもいろいろな意見があるからいいのか悪いのかわからない
かわいそうだというけど野良猫は田舎でもどこでも相当数いる。
捨てられる猫が多いからそうなる。
自分の家でも飼い猫に餌をやったら野良猫が入ってくるようになった
餌を欲しくてドアをあけて入ってくる。
よくドアを引っ張って入るものだと驚く
引く戸だからそういうこともできる
生きる為に必死だということもわかる
それを見れば野良猫にも餌をやりたいとなるだろう。
そうしたらまた猫が増えるだけなのである。
実際に猫を飼ってみてこんなに複雑な問題があるとは思わなかったのである。

精神的な障害児をもった年老いた女性はかわいそうというだけで
障害者でも同情はしないという
障害児で苦労したからそうなるのかもしれない
かわいそうだと同情しても40才にもなった障害児を世話しているから
そんな感傷的なことだけではかたづかないことを重荷を背負ってきたからである

猫を飼っても必ず捨てる人はいる犬でもそうである
なかなか責任をもって飼いなからねうなる
かわいそうだと思ってもそれに責任をもって世話はできない
それは障害児だってそうだろう
人間はただかわいそうだと思ってもじゃ世話しろとなればできない
だから単にかわいそうだというだけでは問題は解決しない
だから捨て猫でも犬でもそれは人間の問題なのである


猫をかわいいというだけでかわいそうだというだけでやたらに餌をやるな
そうするなら責任をもって飼い捨ててはならない
そういうことが守れないから捨て猫の野良猫の問題は解決しない
かわいそうだ、かわいいというのは人間の身勝手であり
そんな感傷的なことでは猫は飼いない
だから人間の子供と同じなのである。

 
posted by 老鶯 at 20:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

春の溜池 (田んぼがないと溜池も無用になる)


春の溜池

(田んぼがないと溜池も無用になる)

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山陰に喫茶店あり春の雲

我が町に喫茶店一つ春の雲
樹々ゆれて我は走りて芽吹きかな
春風にしなりゆるるや樹々も生く
春の昼猫の眠るや広き家


満々と水を湛えし溜池の水面光りて春の雲浮く

満々と湛えし水も用なきや田んぼに流れず春となりしも

慶長と田中城主の墓のあり散りし椿や我がたずねけり

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屋形の石の宮の溜め池も広い、日本には別にこうした溜め池はいくらでもある。
つまり田んぼには水がかなり必要であり溜め池もそれに比例して必要になる。
だからそもそも稲作は溜め池を作るだけでも土木事業となり文明なのである。
溜め池や水路を作るために相当な苦労をしているからである。

今日は北海老のニコニコ堂の喫茶店は休みだった。
あそこには案内板もないからわかりにくい、
あそこは場所的にはいいと思っていなかったがそうでもなかった。
外から来た人はわかりにくいが鹿島区の一番歴史的な場所だった。
阿弥陀寺の岩松氏の悲劇からはじまり江戸時代は北の方は八沢浦が浦になっていた。
だから風光明媚な所だった。
だからあそこで鹿島区の歴史を思いめぐらし語ることに向いていた。
そういうイメージされる場所なのである。

自分は旅をして休むことを求めるから喫茶店が好きだった。
食堂だとそこで本読んだり瞑想したりとか何か思いめぐらすことには向いていない
喫茶店には喫茶店の役割があった。
ただ全国的に喫茶店だけではやっていけないので喫茶店に入ることはなかなかできない
原町区には喫茶店だけというのがほとんどない
六号線沿いにないのである。相馬市にはあるからいい。
相馬市だとある程度城下町の情緒にひたるということはある。
ただ外から来た人は城も何もないのだから感じないだろう。
それでも歴史的な場所は何かはある。
ただ発見されないだけである。


田中城主の墓は案内板があるがあそこは盲点だった。
あの墓には慶長とあるから本当に古いのである。
今まで見たのではこの辺では一番古かった。
田中城があったところからそう遠くはないから場所的にも昔を偲べる

いづれにしろこの辺では溜池に満々と水を湛えられていても用がない
田んぼが作られないのだから水も必要ない
だから溜め池も無用のものとなっている。
田んぼがあるからこそ水も活かされていた。
水は単なる飲む水だけではない、田んぼに不可欠の水だったのである。

 

2014年03月24日

春の日の海老の浜 (津波の跡は荒廃したままにしていいのだろうか?)


春の日の海老の浜

(津波の跡は荒廃したままにしていいのだろうか?)


春の日や行き場失う庭の石

初蝶や海の展けし海老の浜

余裕もて落ち着く石や福寿草

堀流る水の光りて春の日や津波の跡の田にも流れじ


津波の後はどこでも海が広々と遠くから見える。
陸前高田市でも海がこんなに近くに見えるようになったと地元の人が言っていた。
街のすぐ近くにあってもう陸前高田市では海が見えなかったのである。
松原にさえぎられて海が見えなかった。
ただ自分が行った時は街には寄らなかったから
あそこにあんな大きな街があるとは思わなかった。
ただ海は円形の湾になっていて実に穏やかであり
松原の中は散策できるようになっていた。
その海の松原の手前の宿に一泊したことは覚えている。
それも自転車で行ったのである。

海老の浜も未だに津波の跡が生々しい、結局三年たっても何ら変わっていない
何か荒廃した感じでありその悲惨さが消えないのである。
流された松の根っこが痛々しく残っているのもそうである。
土台だけが残っているのもそうである。
庭の石が積み上げられて行き場を失っている。
庭の石も人間化した石だからどこかに収まりたいとういことがある。
それて石も落ち着くとなる。
自分の家の石は福寿草か咲いて落ち着いているからだ。

ともかく果たして津波の跡があのように荒廃したままでいいのだろうか?
それは記念として津波の被害があった建物を街中に残すべきか残さないか議論になった。
歴史的記念として残すべきだという人もいたし反対する人もいた。
被害にあった家族を失ったような人は思い出すから嫌だともなる

実際にいつまでもこの辺でも津波の跡をあのつまにしていると何か心が沈んでくるのだ。
初蝶が海辺で見たのははじめてだったが雲雀も鳴いたがなにか喜べない
全体が荒寥として荒廃しているからだ。
だから観光地にして復興すべきだという外部からの意見もあったが
被害にあった人は嫌だと言っていた。
観光気分にはとてもなれない所なのだ。

でもいつまでもそのつまでいいんだろうか?
そしたら復興はない、ただそこは荒廃したままになる。
外部から来た人はかえって津波の悲惨さを一目見ればわかるからかえっていい
したしむしろ地元の人はこうした荒廃のままにしておくのは心が沈む
だからいつまでも荒廃したままにしておくのか
これから津波の跡をどうするのかというのが問題である。
三年たったからそうしたことも考えねばならない

津波で残ったビルを残すべきだとしたのは地元の人だったが
実際は外部の人に見せるものとして残すということがある
ヒロシマの原爆ドームは記念として残した
あれを見ると原爆の悲惨さを思い出すことになる
でもそこに住む人にすると嫌な感覚になるとうこともある
ただ戦争の悲惨さはほとんど日本からは消えた
東京空襲などもその跡がほとんど残っていないから忘れられる
だからこの是非もむずかしいとなる

堀を流れる水が光り流れていた。しかしその水は田んぼには流れない
田んぼはまだ今年も作らないだろう。
この辺はだからまだ荒廃したままなのである。


2014年03月23日

春の日の石(被災地は留まるだけで幸せになった)

 
春の日の石(被災地は留まるだけで幸せになった)


春の日やとどまる石やあたたかき

 in spring days
 the staying stone
 the warm one


石古りてととまる里や春の来る

里の春変わらぬ石の在り処かな


 the statinary stone

 in my villige
 in spring


春日さしここにとどまる石二つ

動かざる石のまわりやイヌフグリ
寂けさや奥の大石残る雪


何かその人にはふさわしいテーマが必ずある。それを一生で追求している。
芸術でも職業でもそうである。

石を知るには石は長い時間かけないと知ることはできない、
石は動かないからやはり石のような時間が必要になる

この辺では故郷から離れて住めなくなった人達がいる
だから今や故郷にとどまる人はしあせだとなってしまった。
そんなこと当たり前だというが実際に住めないのだから当たり前ではない
ただ故郷にあっただけでも幸せだったとなる。

故郷喪失の損害賠償が払われたがそれで贖われるとはならない
それは結局金では変えられないものだった

つまりstationを失うと精神も不安定になるだろう。
人間は何か深くアイディンティティの見いだす場所がないと
精神形成ができないだろう
そういう場所がもともとは故郷となる
もちろん故郷を否定することはある
人間関係などが嫌だということが常にある
これはどこにでもある


この石がある場所は飯館のあいのさわにもあったし浪江にもあった
その石だけが人が去っても残っている
どういうわけか相馬市では心を寄せる石が見つかっていない
原町区でも見つかっていない
つまりそういう石はどこにでもある
ただ発見されていないだけである
だからまた誰かが発見すればそれは人間化した石となるのだ


こういう石は旅しては見つからない、どこにでもあっても旅は一時的に去ってゆくものだから
石とアイディンティティ化できないのである

いづれにしろこの辺ではただ留まっていられることが幸いだとなっているのだ
stationを失った人達はユダヤ人のように流浪の民となってしまう。
現実にユダヤ人のように避難した人たちは
補償金をもらっているけど金はあるけど批判される
でも土地を失うと金が頼りになってしまうのである
他に頼りになるものがなくなるのである


でも手に職をもっている人はこういう時でも強い
小高の人で腕のいい大工は働いていた
人手不足であるからそういう人は批判されないだろう
逆に土地だけを頼りの農家の人達は苦しいとなった
こんな経験するとは思いもよらなかったことなのである。

 


被災地に不足しているもの (土地と宿泊所)

 
被災地に不足しているもの(土地と宿泊所)
 

原町の道の駅で九州から来た人と話した。

「三陸の方を回ってきて松島から仙台に来てここに来た
三陸の方は土地がなく狭く暗く寒かった、ここは明るく空も広くあたたかい」
「三陸辺りは土地がないよ、ここはまだ土地はある」
「ともかく泊まる所がなくて困った、近くのワンルームの部屋をやっと借りたよ
この道の駅で車をとめて泊まっていた人もいたよ、ここはトイレもあるし水もあるからいいんだ」
「車で泊まって旅している人がいたからそういう人もいたのか」
「あと一年くらいはいるようになる」
「この辺はまだまだ復興していないよ、工事も長くつづくよ、九州のどこから来たの」
「佐賀県だよ」
「佐賀県のどこ」
「唐津だよ」
「ああ、あそこか、いい所だ、虹の松原に入江が深く入っている、もう一度行きたいな」「唐津は佐賀県と福岡がまじっているところだよ」
「そうか、佐賀県はなじみかないから、福岡県だと思っていた」


こんな話をした。自分は全国を旅しているからたいがいその人の住んでいる場所がどういうところか一応わかる。唐津にも行ったし虹の松原にも行った。
だからどこの出身だと聞きそこがどんな所か地理的にわかる。
三陸で空が狭いとなりここは空が広いと感じたというのはわかる。
山と狭い土地しかないからだ。それは日本自体が空が狭く感じるのだ。
外国のいいのは山もないから空が広く感じられるのである。
だから日本には空とか天の感覚がないのである。
広大な天に思いめぐらすことがないのだ。

唐津は風光明媚であり歴史ある場所である。湾が深く入り込んでいて虹の松原があり
唐津とあるのは唐は韓(から)であり韓国と歴史的に古代から深い関係があった。
ただ九州は二回くらいしか行っていないので地理的にはわからない所がある。


いづれにしろこの辺でたりないのはホテルであり宿泊所である。それも長く泊まれる場所になる。
まだそれだけ工事関係者が入ってきている。九州からもきていることでもわかる全国からまだきているのだ。
だから鹿島区の山の方までホテルができたのである。
こういう状態はまだ何年かつづくだろう。
復興住宅にしてもまだ数パーセントしかできていないのだ。
だからどこでも家が新しい家が建っているのである。


この辺で土地の価格があがったのは津波で家を失って住めなくなった人が多いのと原発避難者が多くなったからである。
だから土地の価格とか家の価値もあがったのである。
特に土地を求める人が多いのである。それは津波の被害地ではどこでもそうである。
それだけの土地を津波で失ったからである。
特に三陸辺りは土地がそもそもないのだから平地は津波の被害にあったところだから
住めないとすると高台になるがそれも土地が狭いから住む場所がなくなってくるのだ。


いづれにしろこういう混乱状態は三年たっても変わっていない、何か人の出入りが激しい。
まだ外部の人が相当数入ってきているから宿泊所がたりないのである。
レイプなども噂になるのも外部の人が入ってきて治安が悪くなっていることもあるかもしれない。
入れ墨の人がホテルの湯に入って来たりするからそうである。
建築関係はどうしてもそうした人や身元を明かせない人も入ってくる。
それはそれで役に立っているのだから犯罪をしなければいいのである。
第一この辺ではそうして汚い所で働く人がいないのだから働く人は貴重だとなる。

相双緑化でやはり簡易宿泊所のプレハブを増やしていた。
こうして簡易に泊まる所がかなり必要なのである。
トレイラーハウスもその一つだった。
何かそうしたものを増やさないと道の駅で車に泊まることになる
そこが今も問題なのである。


ただ一方で仮設の食堂などでは客はめっきり減っているうということもある。
その時もっとホテルは不足していた。
おそらく相馬地域でも泊まれないから遠くから通っていたのかもしれない
ホテルの問題でも旅人ではないから一日二日泊まるのではない
長期滞在となると部屋が簡単に空かないから部屋不足になる
その人も一年くらいいるとか言っていたからである。

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相双緑化に増えた仮設のプレハブ

 
posted by 老鶯 at 11:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年03月22日

梅の香、椿 (故郷は自然だけではない人が関係している)


梅の香、椿

(故郷は自然だけではない人が関係している)

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ここは原町のキクチスーパーの近くだから身近である
でも実際にここで香りを感じたのははじめてだった


春の日や猫と吾も眠りて我が家かな

故郷のここにあまたの梅の花知らじや香りに満たされにけり
梅の香の尽きず流れむ我が里に老いしもここに香り満ちなむ
我が里に手折りし椿壺に挿しその色赤くあたたかく映ゆ

春日さし沖に船ゆく高台に我が望めば旅心湧く

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川子の高台はビューポイントである。
船に春の日がさしていつもより明るく映えていた


望郷の詩人だった啄木の不孝は何だったのか?
津波や原発で故郷は何か見直されたということは言える
まず故郷を離れる故郷がなくなるなどと想像すらできなかった
故郷は当たり前にあるものなのである

ただ啄木の場合は故郷はあったが故郷から離れて故郷を想った。
それが病気とかさなり痛切なものとなった。
ただあの若さでそうした故郷の思いが自然と一体化したことは
それだけ天才的感受性が早熟してあった

自分なんかどうしても短歌など作り始めてもただ575とか並べただけだった
自然に関してもあんな深い感受性がもてない、
極めて浅薄なものにしかならなかったからどうしてあれだけの感受性をもてたのか

思うに自然は本当は時間をかけないと深く感じることはできない
だからかえって長い時間をかけて自然に接していれば深く感じるようになる
それは才能とはほとんど関係ないのである
時間によって自ずと成熟してくるものがあるのだ


東京でそうした故郷の風景がありありと思い浮かんだことは
やはり自然への感受性を若い時から備えていたからできた。
普通は若い時は故郷であれ底かいかに
美しくても感じなければどこにいようと同じなのである。

故郷とは何か問うこと自体こんな災害がなければそんなになかった
なぜなら故郷は当たり前に普通にあるものだったからである。

故郷の良さはあまりにも当たり前にあるからわからないし未だに発見されていない

今日は春らしい春だった。そこでキクチスーパーに行く所の田んぼの脇に森があり
そこに一杯梅の花が咲いていた。
あそこにあんなに梅が咲いていたと気づいたのははじめてである。
それはいつも行っている身近な場所だけど
あんなに咲いている見たのは今日がはじめてだった
そしてその梅の香りに満たされたのだ

ただ春といっても春田がないというのも不自然である。
そういう不自然ななかにも梅は春を告げた。
梅は見るよりやはり香りである。

つくづく故郷と言ってもいい場所があってもわからない
ただ発見されていなかったのである。

故郷は何かというときこれはただ自然だけではない
自然だけだったら今回の津波のように自然は非情である
美はあっても非情である
故郷が故郷であるためにはそこが家族の愛に育まれた所であり
故郷の人の愛に育まれた所であればそれが故郷となる
冷たい非情な人ばかり住んでいたらそこには誰も住みたくないだろう。

現代は田舎でも金の世の中になり非情になってしまった
それをこの七年間の介護や病気で自ら身に受けて知ったのである。

つまり椿の花は別にどこの村でも市でも郊外には咲いている。
それを手折り挿すのは誰でもする。
でもその椿は単なる自然ではなく人の心も反映されている
恋愛でなくてもあたたかい心がその椿から感じる時
それは人間のあたたかみを感じているのだ
だから俳句とか短歌はそうした人の心が反映されているから
単なる写生でも自然そのものではないのである。


ともかく一体故郷を離れる故郷を失うということは何なのか?
それは自然だけの問題ではない
別に自然が全部壊滅したわけではない
海は別に残っているし山もある
ただ人の住む所が壊滅して荒寥となってしまった
そこには人の温かみもあったのだかそれが喪失した
ちょうど現代は金持ちの家でも愛のない家族のようになっているかもしれない
金だけが唯一の価値となり愛し合わないということがある
それは原発避難民に対して金でもめていると同じである。
金をもっているが故にかえってとがめられているのである。

それはまさに別に津波がなくても自分のこの7年間の経験であった
そこには人のあたたかみもない非情さがあった
それは自然だけではない人の世にもあったのだ

ただ啄木の場合は別に故郷の人が冷たいということでもなかった
その事情は複雑にしてもそれは独りよがりのところがあった
要するに若気の至りということでもあった
だから何か一方的なもの独りよがりのものとなっていたのである。


探梅という季語があるけどやはり梅にしてもいろいろな場所に咲いているから
故郷でもわからない所があったとういことである。
すぐ街の近くに梅林があったことが意外だったのである。

 

2014年03月21日

霙(みぞれ) (人間は共に生活する人がいないと苦しくなるー一人暮らし老人の問題)


霙(みぞれ)

(人間は共に生活する人がいないと苦しくなるー一人暮らし老人の問題)


良き人と出会いし里に梅香る


我が家を手伝う人の見送りてみぞれふる
近くに住めばともにしありぬ


近くにて見栄え良きなき女(ひと)なれど

石のごとくに頼もしきかな


言葉の起源をたどるとそこには言葉が一つの共同体形成の過程で生まれたということがある。言葉はその共同体の中で互いに協力しあう同じアイディンティティをもつものとして生まれた。だから時代が変わると言葉の意味がわからなくなり死後となってゆくのもわかる。
現代のように社会が激動的に変わると余計にそうである。
社会は社に会するというときまさに小さな村単位が日本では社会の基本だったのである。
その社会が会社になり会社企業社会になってしまった。
その会社に入社してサラリーマンになった若者は会社への不満をインターネットで書いていた。
会社は何か非人間的なただ利益を得るだけの手段と化している場所であり
そこては学生時代のようなつきあいはできないという。
そういう人間的な連帯はありえない所だとなげている。

それはなぜかというと社会のアイディンティティが村落的な社会から巨大な経済社会へと変質してしまったことにある。
だから日本でともは共であり友であるからともというとき単純に共にある人共に生活する人なのである。
特定の友達いう意味ではない。
友とは一つの村なら村で共に密接に生活する人の意味だった。
だから別に特定の友達をもつということは生活ではない
村落内ではみんなが共に生活していたともなるからだ。


この7年間は家族の介護や自分の病気で辛酸をなめた。
今もそうだが一人暮らしになるとやはり夫婦であれば共に生活する人がいるから孤立感はない。
でも夫婦でもどっちかが片方が病気になったり死んだりすると共にする人がいなくなり苦しくなる。
高齢化するとその危険は誰にでも襲ってくる。

近くの人は自分と同じだった。6年前頃妻が死んだ、そしたら家事を全部自分で一人でやらなければ生活できない、
その人は泣いていたということもわかる。
糖尿病の危険がありりょうたにも気をつかわねばならないのでそれも負担になった。
つまり共にする人はいなくなったとき人間は孤立化する。

そして共にするというとき、それは原町とか近くでも意外と車で来るのには
それなりに時間がかかり遠くなる。だから何かあったとき、介護の手伝いなどできないのである。
娘が相馬市にいるとしてもそこは遠いから一週間に一回つらいしかこれないのである。
「遠くの親戚より近くの他人」というとき小さな村落内が近くであり遠くは原町でも遠いのである。


人間はいくらグローバル化しても世界の果てから地球の裏側から助けには来てくれない
ものは入ってきても介護などはできない、病人でも看病はできない。
近くに共に暮らす人がいれば安心なのである。
現代は田舎でもそうした共に暮らすという社会が失われた。
グローバル化会社社会で失われた。それは確かに豊かになっても肝心な時に助けられる。
協力してくれるわけではないのである。
それは金があっても地球の裏側からかけつけてくれることはできない。
だからグローバル化会社社会というのは見直す時である。


もちろん近くでも結局強盗まがいの人も入ってきた苦しめられた。
近くがみんないい人とは限らない、田舎でもそうである。
あんな人とは顔も見合わしたくない人はとこの田舎でも必ずいる。
ただ外から見てもどんな人がいるかわからない。
田舎ではあいつはどんな人だとか実際は見ていて知っている。
自分が知らなかっただけであった。


ひとつお勧めは、自分と似たような境遇で比較的親しい人と、「どっちかが入院することになったら、入院の時には互いに保証人になりましょう」と、病気になる「前」に契約しておくことです。公正証書など作っておけばばっちりです

人間の特徴はこれである。にたような人が親しくなりやすい、境遇でもそうである。
そういう人がうまく出会うと親しくなれる。
夫婦は別に共に暮らす人がいるのだから一人暮らしの人のことなど関心がないのである
何に困っているかなども関心がない、介護にしても実際にしない人は関心かがない
自分が一旦そういう苦しい立場にならないと関心がないのである。

相手が貧乏だとなぜ今の時代にこんな貧乏な生活をしているのだと貧乏な人を理解できないのである。
ただ今の貧乏は最低限の生活している人でも食生活はさほど違わないと思った。
イチゴも食べているし贅沢と思えるものでも食べている。そこは違わないのである。
ただ住む家とか車をもっているとかか大きな相違となっている。
だから昔の貧乏と今の貧乏は違うのである。

高齢化社会は単身者が一人暮らしが増えてくる、そういう人達は社会から孤立しやすいのである。
そういう人達は犯罪者になりやすいから老人の犯罪が増えているのだ。
自分が被害者になったのはそううい社会になってそうなった。

いづれにしろ自分の家にこの7年間の間に来た人は地獄の使者だった。
自分の苦しいことを全く理解されずただ金の要求ばかりされた鬼畜のような人達だった。
人間がこんなものなのかと愕然とした。
とてもそんな人達とともに暮らせるものではない
それが一部は社会の問題であってもその人自身の問題でもあった。
借金するのは社会の問題ではない、本人の問題が大きいからだ。

人間は外面だけ見ていると失敗する。結婚は外面だけを見ているから離婚も多くなる。
恋愛結婚だって離婚が多い。外面的なものにまどわされているからそうなる。
ただはとっきりいって若いときだったらその女性には近づきたくもなかったろう。
体は不細工だし見栄えが良くないからそうなる。
今はそういうことは関係なく見ているから若いときの価値観とは全く違ったものとして
見ているからその女性に価値を見いだしているのである。


今日は一時みぞれだった。まだ今年は寒い、本格的な春はまだである。



長姫(イワナガヒメ)は、日本神話に登場する女神。『古事記』では石長比売、『日本書紀』・『先代旧事本紀』では磐長姫と表記する。

神話での記述[編集]

大山祇神(おおやまつみ)の娘で、木花開耶姫(このはなさくやひめ)の姉。

コノハナノサクヤビメとともに天孫瓊々杵尊(ににぎ)の元に嫁ぐが、イワナガヒメは醜かったことから父の元に送り返された。オオヤマツミはそれを怒り、イワナガヒメを差し上げたのは天孫が岩のように永遠のものとなるように、コノハナノサクヤビメを差し上げたのは天孫が花のように繁栄するようにと誓約を立てたからであることを教え、イワナガヒメを送り返したことで天孫の寿命が短くなるだろうと告げた。

イワナガヒメの価値は若いときにはわからないのである。ただイワナガヒメが家でも栄をもたらすということがある。
こうした古代の歴史でも現代にあてはまことが多々あり人間の真実は古代でも現代でも変わらないということもあるから遠い昔のこととはならないのである。

ちゃっこいは宮城県の方言? (方言は多様であり文化である)



ちゃっこいは宮城県の方言?

(方言は多様であり文化である)

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ちっちぇ、ちっちぇけ とも言います。


小さい という意味です。


「あんやぁ〜、このびっきちゃっこくてめんけごど」

(あら〜、このカエル小さくて可愛いこと〜)


んだいっちゃ〜 (そうだよね〜 肯定の同意を求めるとき)


えてみっど山形じゃちゃっこい頃は
http://blogs.yahoo.co.jp/haradakuse/23370919.html?p=2&pm=c


ちんちゃい(茨城方言)



ちゃっこいは相馬地方では聞いたことがない、子供の頃思い出すと「ちんち」と聞いたことがある。
子供の頃は今より方言を聞いていた。今は子供も標準語を話すから方言を聞く機械か少ない、
でもなぜちゃっこいとその女性は言うのか?
それはその人が宮城県の人と結婚していたからである。
相馬地方では宮城県との関係が深いのである。

江戸時代の碑でも宮城県関係の神様の碑が多い、小牛田神は小牛田の山神信仰であり山神とあるのは小牛田由来である。
館腰宮もあり館腰駅があり金華山とあればまさに金華山であり他にも伊達藩から入った信仰が多いのである。
逆に妙見信仰は相馬藩から入っている。相馬藩の殿様の旗印は北斗七星であるからだ。
その妙見信仰は亘理の辺りでも集中的に広がっているのだ。

ちゃっこい というのが相馬地方で自分は聞いたことがない、
すると宮城県の方言をその女性はしゃべっていることになる。
前の女性も名取に相馬から移り住んでいて長くなるとしきりに だっちゃだっちゃとしゃべっていた。
方言は生まれ育った所ではない、その土地に長く住んでいると
土地の人に合わせるのでその土地の方言をしゃべるようになる。

つまりその土地の方言をしゃべれば仲間だとして信頼されるということもある。
ただ東京辺りではそういうことはない、みんな標準語だからである。

んだちゃ、んだいっちゃーなどというのも丸森の人かしゃべっていた。
んだ、んだ・・は東北人の共通の相槌をうつ言葉である。
ただ宮城県になるとんだちゃとなる、語尾が変化してくるのだ。
ちゃっこいは山形でもしゃべっている、これは宮城県だけでなく広範囲に広がっている。
宮城県と山形県はまた方言も違っている。
ちんちゃいというとき茨城県であり多少福島県との共通性がある。

いづれにしろ相馬藩の地域は伊達藩の影響を強く受けている。
今でも常磐線が通じていた時は仙台に通勤していた人もそれなりにいた。
通勤圏にもなっていた。だから仙台は身近な都市だった。
そこで仙台弁にふれるということがある。
でもそこに住んだり結婚しないと方言はしゃべらない
その土地と深く密着して生活すると方言をしゃべるようになるのだ。
だから方言は土着的てありこれも文化なのである

文化は地域地域で異なる時文化であり言葉でも料理でもみなん一様化すれば
文化はなくなる。そういう社会は面白くなくなる。
だから東京の人でも田舎に来ても東京と同じだとなり旅もつまらないと言う時
日本社会が地域の文化を失い一様化した結果なのである。


江戸時代あたりは隣の村とさえ方言があり言葉もりてまりも違ったものとなっていた。
なかなか隣の村さえ交わらない自給自足の経済だったからそうなった。
農業は共通のものを作りにくいという時、その土地に根ざして動かないからである。
商業は商人は移動して広く交わるから共通のものを普及させる。
それで共通のルールを作ったのは商人であった。
アルハベットもフェニキア人が発明したことでもわかる。地中海を船で行き来した商人であったからだ。
エジプトのような象形文字ではとても共通に読み解くことがむずかしいからである。

posted by 老鶯 at 10:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本(世界)文化文明論

地元でもわからなくなったしゃべらない方言 (ちゃっこいと良く使う60代の女性)


地元でもわからなくなったしゃべらない方言

(ちゃっこいと良く使う60代の女性)
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ちゃこい、ちっちゃこい、ちっこい とも言います。


小さい という意味です。


「あがんぼてちゃっこいなや〜、めんこいなあ」

(赤ちゃんって小さいねえ〜、可愛いなあ)


自分と同世代で同じ故郷に住んでいても方言をしゃべる人はすくなくなった
その女性は昔風の女性で他と違っているのだろうか
貧乏故になんでも「もったいない、もったいない」というのも昔風である

ただ携帯を使いしきりに連絡をとったりあとは現代の生活をしている。
学はないけど未払い賃金のことで労働基準局に訴えてもらうとか言っていた。
自分の正当な権利を主張するのに執拗なのである。
それはその人の個性があるけど戦後教育が民主主義が女性にも普及した結果なのだろう
男女同権なのもそうである

とにかくその女性はおしゃべりであり延々と二時間くらい話し続けるのでつきあうのも疲れる。
女性とこんなに話したことが自分にはなかった。
だから自分は女性のことなどわからない、家族では60年とか話していたが外部の同世代でも話していないのである。
だから地元の人についてもつきあいもないしわからなかった。

その女性はしょっちゅう「ちゃっこい、ちゃっこい」というがそんな方言を地元でも自分は使ったことがない、
これは女性の言葉、方言なのかとも思った。

男性がちゃっこい、ちゃっこいなどと言うだろうか?
女性が言う時、何かその言葉があっている。

赤ん坊をちゃっこいな、めんこいな・・・とかなる

めんこいなどというのも今は使わないだろう。方言はどこでもすたれている

そもそも方言をしゃべらないはいうことは何なのか?
人間は今や土着的生活をしていないからだろう。
方言はその土地に何代も住んで伝えられたものなのだろう。
だから隣の村でも言葉が違っていて方言になっていた

ただこのちゃっこいは北海道の方言だとかともでているから広範囲になっている
小さい⇒ちゃっこいになったことはわかる。

何度もちゃっこい、ちゃっこい・・・と聞く時、それが何か親しみを感じる

方言で津波被害の三陸などで励ましあったというのをテレビで放送していた。
方言は何か親しみがあり人間同士のあたたかみを感じる。
その女性はそうしたあたたかみを実際にめずらしくもっている
だから旧来の義理人情にあついとか田舎的女性の良さをもっているとなる


いづれにしろ方言は露骨に地元のなまりなのである、なまりでお国がしれるというのは本当である

・・・だっちゃ、だっちゃ・・と宮城県のなまりには実際びっくりした。
福島県では浜通りでは宮城県と結婚する人が多いのである。
方言は地域性がありそれが面白さである。
地域に転勤になったサラリーマンが地元にとけこめないというとき
方言が簡単にしゃべれないからだということを言う人もいる
方言でしゃべると心が理屈ではなく通じ合うものがでてくるのだろう

ただ今は地元ですら方言をしゃべる人が少ない
だんだん方言すらなくなってしまうのではないかと思う

方言でも言葉は現実の生活で使われて活きてくる。
何でも使われなくなったものは活きてこないのである

飯館村ではまでいな村作りを目指していた。
このまでいなというのも自分にはわからなくなっていた。
ただ使ったことはあるがあまり聞かなくなっていた

これももったいなという戦前からの貧しい時代の言葉なのである。
何でも買っては膨大に捨てる時代の言葉ではない
そもそもまでいにしろちゃっこいにしろ
そうした方言とは違う社会になっている
グローバル化であり買っては捨てるという消費社会である。
そういう言葉はやはり日本のような小さな村で生活していたものから生まれた
small is beautiful てどという言葉がはやったこともある。
小さいものか見直されるということでそういう言葉が生まれた


ただ時代とは常に変わっているのだ
最近では大きなものよりちゃっこいものが見直される
これからの時代は老人社会でありこれはすべて悪いとはならない
老人は暇だから余裕がありコミニケーションを話すことが多くなる
もともと老人は昔を話すから話すことが好きなのである
若いサラリーマンは時間がなく余裕がないから友達もできないという
仕事に労力が没頭させられて人間同士のあたたかい交流もないという
会社はそうした冷たい空間なのかと経験のないものには殺伐とした


これからはこれだけ老人が増えるのだから新しい老人文化が生まれる。
それは悪い面だけ強調されるのだがいい面もでてくるのだ。
方言をしゃべる女性にしても昔の良さがとりもどされてくる時代になるかもしれない
高齢化社会はだから社会自体を変えるものともなるインパクトがある。
それは殺伐とした会社社会とか企業社会一辺倒の価値観を変えるのである
つまりスロー社会とかちゃっこいのがいいとか
コミニケーションの密な昔の村落社会とか何かそうしたものに回帰する

それは昔とは同じではないがそういう回帰は社会を変える
それは精神的には余裕ある社会への移行にもなるかもしれない
高齢化社会というときそれは若者社会にも影響する
それがすべて悪いものとはならない
もちろん高齢者に金が使われすぎだとかの問題はある
でも良い面に作用すれば若者にも影響してそれもいいものだとなりうる

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2014年03月20日

何を復興させるのか? (少子高齢化などで第一次産業は復興できない)


何を復興させるのか?

(少子高齢化などで第一次産業は復興できない)

現代農業は老人でも可能なので、三ちゃん農業へ移行した⇒老人が多い
林業は輸入品が単価を押し下げたので産業自体が壊滅した⇒老人が多い
漁業は「3k+危険」なのでなり手が少ない⇒老人が多い
農林水産業は地方中心⇒過疎化で若者が少ない⇒老人が多い
日本は高学歴化したので第一次産業のなり手がいない⇒老人が多い


日本は一次産業じゃ食っていけないからな
農業・漁業・畜産業・林業
どれも貧乏老人ばかり
どれも費用ばかり掛かって実際年収だとクソ

漁師って海に良い事を、何一つやっていないよな。
俺の海だとかわめいていながら
遭難すれば、全部国が丸抱えだろ、しかも。


福島の汚染水が、あれだけ増えたのも、
地下水バイパスに漁師が反対したからだ。
そのうちデカイ余震が来て、汚染水タンクは全壊し、海に流出だ。



今回の津波原発事故で復興がすすまないというときその原因は何かと問われた。
極端なのはジジババしか住んでいない三陸沿岸に金を注ぎ込むのは無駄だと
官僚が言ったことでもわかる。

もともと跡継ぎもいない老人だけでやっていた地帯が多い。

南相馬市原町区の大原でも病院で同室だった農家の人も跡継ぎがいないと嘆いていた。
息子は市街に住んで一緒に住んでいなかった。
大原には三軒くらい廃屋があり放射能汚染で避難区域に半分くらい指定された。
それで仮設に住んでいる人がいる。
だから放射能汚染で農地でも賠償金もらった方がいいともなっていた。


漁業についてはわからなかったがこれもそもそも原発の補償金がなくては成り立たなくなっていた。
地元でもそういうことがわからないから苦労して魚をとって売っているのだと思っていた。
実際は漁業権を原発に売り原発成り金になっていた人がかなりいたのである。
つまり第一次産業主体の地方はそのしめる割合は全生産の一割にも満たない
この辺では三割は火力や原発の発電関係でしめられていた。
三分の一は東電の社員化していたのである。
だから浪江町では廃炉のための作業員が宿泊できる、受け入れる5000人くらいの規模の
コンパクトシティにしようという計画がある。
まさにそれは具体的に東電の社員化であり東電に所属して食べてゆく計画なのである。


なぜ復興がすすまないのかというとき、そもそも津波原発事故前でもこういう衰退した状態であり
それはもう復興できない状態にあった。跡継ぎもいない、老人だけであとはどうしたらいいのという状態であった。
そこに津波原発事故になったのだから致命的になったのである。

復興がすすまないというときそうした第一次産業の復興が進まないとなるが
それは津波原発事故前から老人だけの未来のない産業になっていたのである。
だから第一次産業の復興というのは何なのだろうとなる。
そんなところにジジババだけが住む所に金をかけても未来はない、金を浪費するだけだとなる


これが戦前だとかなると違っていた。農業主体であり第一次産業主体だから今とは考え方が違っていた。
相馬藩で400年前の慶長津波で700人が溺死したし今の宮城県の伊達藩でも今回と同じような大被害があった。
でも相馬藩ではその津波の被害地域に侍が開拓に入ったのである。
例え津波の被害地域でも米がとれるからあえて移住した。
稲作には土地が必要であり土地が不足するから海岸の湿地帯を埋め立てて開拓してきたのが日本である。
そういう時代は津波の被害にあったからと広大な土地をほうっておく荒地にしておくことはできない、
津波の後でも塩害があっても米はとれたというから別に田んぼにまたなるのである。
ただ米あまりであり他に産業があるからやらなくてもいい、どうせジジババ農業だとなっていたから余計にそうなった。


ただ故郷から田んぼとか畑のない世界は想像すらできなかった。
水というのは山から流れてきて平地を潤して田んぼに流れて米ができる。
田んぼがあって水が山から平地へと循環して生きていたのである。
だから春には山から神となった先祖が平地におりてくるというのは
田んぼを活かす水が山から流れてくるからである。
それがなくなったときどうなるのか?
そういう風景は千年以上もつづいていたのである。
それがなくなることが想像もできないことだった。


ただ現代は別に都会化して都会に膨大な人口が集中しいてるから都会ではそんなことを見ていない、
米を食べていても米がどうして作られるのかさえ見ていない人もいる。
野菜にしても果物でも同じである。それが普通の景色ともなっているのが現代である。

だから不思議なのは神戸という大都会で地震災害があってもそこは田舎とは違う、
第一次産業は関係ないからそういうことは考える必要はなかった。
ただ靴工場があって火事で焼失したとかが問題になった。
神戸の地震災害と今回の津波原発災害は根本的に違っていたのである。
神戸は苦しかったが復興も早かったのである。

今回の津波原発事故の災害の復興が進まないのは広範囲に第一次産業が壊滅状態に陥ったことにあったのである。
それはもともと老人が担い手であり衰退していた。

この辺では原発事故も重なり一体どう復興するのだろうとなる。
いろいろ模索はしている、クリーンエネルギーで再生するとかいろいろ計画はある
それにしてもこれだけ破壊されると田んぼも畑もない荒地の前にたつと
一体ここはどうするべきなのかとまどってしまうだろう。
何もないとなるとそこに新しいものは建てやすい、でもその新しいものは何なのだろうとなる


製造業と商業とかもそれも積み重ねが必要であり簡単にできるものではない
第一次産業は衰退していても千年とかの歴史があってできていたからまた復興しようとする、
でもその農業すら今までとは違う新しいものを模索するようになる。
要するに新しいものが作りやすいといってもそれが簡単には作れないということである。
それも結局外部の力に頼るとかなってしまうだろう。
とても地元でそれだけの発想と構想をして具体化することはできない
実際は東電に頼って生活していたような地帯だからそうなる


それで南相馬市長選挙で敗北した渡辺氏の構想がシルバータウン構想とかになってしまったのである。
老人が多くなって若者が流出している所に老人を呼んで老人の街にしたらどうなるのか?
それはやがて死んだ街になってしまうのではないか?


結局復興がすすまないというとき、神戸だったら苦しくても元の状態にもどせばいいのであった。
ところが津波原発事故は元の状態にもどせない、第一次産業主体の社会だったら元の状態にもどせばよかった。
それは江戸時代でも戦前でも同じだった。
しかし現代では老人だけの跡継ぎもいない第一次産業に戻してもあとでまた衰退するだけだとなってしまう。
だからいくら金をかけてもそこに未来がないということで無駄だというのも本音を言えばそうなる。




「農業も漁業も金にならない、俺は跡継ぎたくない」
「もう 俺の代で終わりか、まあ、補助金は国から出るから形だけでもつづけなきゃなんねえべえ、それはわかるな」
「んだな、田んぼは請け負わせて俺はやらねえ、それで金にはなる、農業は手間のわりには金になんねえからやらねえ」

そんなところに津波原発事故が襲った
「もう農業は終わりだ、もともと跡継がないつもりだった
この際、原発賠償金をもらってやめたらいいよ」
「まあ、漁業でも原発では東電からはあんなに金をもらっていたんだな
あそこはこれからも賠償金がさらに加えられるからいい」
「農家はずっとは補償されないからやめるほかないよ」
「でもここで何してくらしてゆくんだ」
「んだな、何も目立った産業もなくなったしな、東電で働いていた人もこの辺には結構いたけどな」
「農家は土地を手放すことは最後の最後だった、だから形だけでも田んぼにしていれば良かったんだよ」
「跡継ぎしないとしても誰かに土地を貸して作らせれば良かったからやっぱり損だった」
「もう、俺らの代は終わった、あとのことはもうわかんねえ」
「こっちも何をしていいのか、わかんねえ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これほど破壊されると未来を描くことは本当にむずかしい
戦後の焼け野原とはまた違った状態にある
少子高齢化であり高度成長の余地はない
老人が都会でも増え空家が増え高度成長から衰退へ向かう国で起こった災害だった
第一次産業主体の社会でないからそれを復興させるとしてもそれで復興にはならない
だから何を復興させるのか?
未来のために何を復興させて何を新しくしてゆくのかそれがわからないのである。
国で計画を立ててもその通りにはいかない、計画した新しい街に住んでもらいたいと言っても
住まないで人口が津波の被害地域でもでている

三陸などでも漁業も零細だったから見切りをつける人もでてくる
それで人口流出して街の復興より崩壊の危機にさらされているのである。
この際過疎地域から脱出して便利な都会にでようとする若い人も多い
だから復興しようにもその人材もないとなる
慶長津波の時のように相馬藩から津波の被害地域に開拓に入るような人はいない
ボチンティアは確かにいたけどそこで骨を埋めるまでの覚悟ができるのか?
ボランティアにはそんな過酷なところに追われるものがない
地元の人すら楽な方に向いているのだからそれも頼りにならない
様々な悪条件が重なっているから今回の復興はむずかしいのである
だから防潮堤でもそんなものに莫大な費用をかけるのが無駄だというのも一理ある
それはゼネコンが利するだけだとか除染にしても一兆円でも無駄だとされる
何か有効な手が打てないのが現実なのである。


posted by 老鶯 at 16:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

放射性物質はセシウムは流れてホットスポットを作る (樋の下を計ったらわかった)


放射性物質はセシウムは流れてホットスポットを作る

(樋の下を計ったらわかった)

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放射性物質は屋根にたまり水で流れ樋にでてきてたまった。
この写真では樋の出口のところが水路になって流れて砂利の所にたまった。
だから水路の所は半分くらいの放射線量であり砂利になった所は倍以上になっていた
ということはセシウムは水とともに流れる
そして流れない砂利の所でたまっている。


ただここの水路はコンクリートであり流れやすい場所だった
盛んに泥とともに放射性物質はセシウムは流れると言われた。
現実に泥とともに阿武隈河口に大量の放射性物質がたまっていたことでもわかる
セシウムはやはり泥とともに流れてどこかにたまりやすい。
だからホットスポットが各地にできる。

飯館村でも道の脇の泥を計ったら20マイクロシーベルくらいあったのには驚いた。
これも泥とともに流れてたまったところが高くなったのである。

長い間にセシウムは泥や水とともに流れてゆくのかもしれない
山や森にたまったセシウムも泥とともに流れてゆく
そして30年たつと半減する
その時は普通に人も住める状態になるのだろうか?


それでも真野ダムの水を鹿島区と相馬市では飲んでいる
これが気にかかるのである。
真野ダムの底の泥には大量の放射性物質がセシウムがたまっているからだ。
泥に付着して水にはまざらない、また水道局で除去するならいい
水道局では放射性物質の心配はないと言っている
実際にどうしても飲み水としても利用する
それで不安になっている人はいる


放射性セシウムが検出された試料を濾過して、懸濁物 質濃度と濾過後の放射性セシウム濃度を調べました。そ の結果、懸濁物質濃度が高い試料ほど放射性セシウム濃 度が高く(図2)、また、大部分の試料(43試料中41試料) では濾過後には放射性セシウムは検出されませんでした。
www.ffpri.affrc.go.jp/pubs/seikasenshu/2013/...


飛散した放射性セシウムは、今は土壌中の粘土粒子 にしっかりと吸着しており、容易には移動しません。けれども台風や大雨、融雪に伴って、それらの 土壌中の粒子とともに動く可能性があります。現に住民の方々からは、除染した場所に、周囲から 放射性セシウムが移動してきて、再汚染されることを心配する声も聞かれます。
www.ier.fukushima-u.ac.jp/documents/130116...


これはPDFでよめる、「セシウムは水で流れる」というキーワードで調べられる

つまり水ともには流れにくい、


飛散した放射性セシウムは、今は土壌中の粘土粒子 にしっかりと吸着しており、容易には移動しません。


セシウムは水の粒子に付着して流れやすい、でも純粋の水とともには流れない
だから真野ダムの底の泥にはセシウムは付着しても濾過した水道水とともには流れない
だから水道水は安全だとなる

そして樋の下の砂利にたまったセシウムは半分に減っていたけどまた下の方に流れて分散されたのかもしれない、
その辺の計測は必要である。

科学は苦手だけどこの辺では放射能をさけてとおるわけにはいかないから
子供でも興味をもつから科学に興味をもつ人もでてくるかもしれない、
しかしこの放射能問題は長い時間をかけないとどれくらい影響するかわからない、
森にたまった放射性物質はどうなるのか?それが減るのには30年とかかかるから困るのである。


今日は雨でやはり道路でも0・3マイクロシーベルとか放射線量が高くなっている。
やはり雪でもそうだが雨でも空中から雨滴について放射性物質がふってくる。
ヒロシマの原爆では黒い雨と言われた。

ともかく放射線量は明らかにホットスボットがありそこにたまっている。
だからそこを除染する必要があるのだ。

やはり屋根を除染したり樋の下などを除染するのは効果的なのだろう
ただ空中にある放射性物質がまた雪や雨とともにふって屋根にたまり
また樋の下に流れて砂利にたまるからどれだけ効果があるのかわからない
ただ放射線量は前の半分には減っている

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2014年03月19日

文化の相違の基は狩猟牧畜民と農耕民 (移動文明から定着文明へ)


文化の相違の基は狩猟牧畜民と農耕民

(移動文明から定着文明へ)

木や植物は大地に根を張ってゆく
徐々に時間をかけて根を張ってゆく
細密に毛根を土に伸ばしてゆく
それは女性の定着的心性である
子供を産み育てることは土着的である
子供はすぐに育たない
愛情をかけて長い時間で育つからである
だから農業は女性に向いていたのである
一粒の種をまき肥料をやり水をやり育てる
それは子供を育てるとにている
一方で狩猟はこの逆である
肉食の動物は狩をする一瞬が勝負である
その一瞬を逃すと飢え死にもなる
だから機敏に体全体が反応している
猫の耳はレーダーのように敏感に反応する
一瞬をとらえるために油断なく構えている
そして電光石火に機を見て襲いかかる
獲物をしとめるのは全身の本能の力である
一瞬のチャンスを逃すと獲物はなく飢える
死にいたる恐怖がある
だから獲物をとる機会を逃してはならない
獲物をとるために全身をぬかりなく働かせる
植物と動物の相違は男女の性のように大きい
だから狩猟民と農耕民の思考は根本的に違って
二つは一致しない文化の相違になる

文化という時、狩猟や牧畜と農耕は男女の差のように生活形態が違っている。だから互いに理解することはむずかしかった。
それでモンゴルが騎馬民族として農耕民を襲ってくる。食料がなくなるから襲ってくる。牧畜民は肉食であり農耕民は草食だともなる。
両者は理解しがたい文化の壁をもっていた。だから争いがやまなかった。
それは草食動物がいて肉食動物がいて植物と動物がいて男女がいてとその二つの世界は全く別なものなのである。
女性はどうしても農耕的な側面をもっていて狩猟や牧畜民は全く違った文化である。
農耕は女性的であり狩猟や牧畜は男性的だとなる。

言葉でもI cache a bird ととなり主語の次に動詞が即座にくることでもわかる。
それは狩猟民や牧畜民の言葉なのである。つまり主語があって常に獲物をとらえる動作に入っている言葉である。
狩猟民の感覚は農耕民とはまるで違う、瞬間が勝負である。
だからギャンブル的でもある。好機とあらば襲いかかる。
西欧文化は文明はこの狩猟民や牧畜民の系統をひく文化である。
冒険であり好機をとらえるギャンブル的であり一攫千金をものにする。
農耕民のように日々営々と働き勤め貯える感覚ではない、一気に好機をとらえ一攫千金をものにする。
そういう姿勢は狩猟民であり牧畜民である。


また狩猟民と牧畜民は移動する、動物のように絶えず移動する。狩猟民も餌を求めて移動する。
牧畜民も羊を連れて草を求めて移動する。
農耕民は定着してその土を耕して実りを得る。その差が全く互いに理解できないほど大きいから
文化を理解しあうというときそこが大きな壁となっているのだ。
商人となると移動するから狩猟民であり牧畜民的な心性となってゆく

だからヨーロッパで大航海時代が生まれたのもそのためである。
牧畜民が船を発明して海洋民族になったという人もいるのはそのためである。
そしてどちらにしろ移動する時は方向が大事になるから星が目印になる。
それで砂漠地帯や草原地帯の旗印は星と月とかになる。太陽がない。
太陽は農耕民のシンボルであり日本はそうなった。
北斗七星信仰も方向を知るためであり妙見信仰もそこから起きた。

戦国時代は侍は戦争のために移動するから狩猟民や牧畜民的になり商業が発達した。
信長の楽市楽座とかそうであり信長は商人的であり農民的ではない。
家康は農民的であり300年の鎖国時代を作った。


ただ人間の心性として農耕民的な定着性と狩猟民や牧畜民の移動性、モバイル的なものはもっている。男女があるようにそれらは別々にあるものではない、でも猫でもオスは出て歩くがメスはあまり出歩かないという時、動物でも男女の差があるのかもしれない。
男性はどうしても狩猟的であり牧畜民的である。ただ牧畜は狩猟の延長であり動物をならすということでは農耕的な側面もあったのである。狩猟は全くそうしたものはなく一発獲物を狙いとるというごけである。そこに繁殖させて増やすという志向はないからだ。

日本史でも世界史でもこの狩猟民的な牧畜民的な移動の時代と農耕の定着的なものが交互に生じてくる。江戸時代は農耕民的定着時代であり安定時代であったが明治維新以来は外国まで戦争するなど大移動時代でありその後もグローバル化で世界的移動の時代だった。全世界が狩猟民的牧畜民的大移動の時代だったのである。
その時代も一段落すると定着的農耕民的志向になる。現代があまりのグローバル化でかえって疲弊した様子が生まれているのもそのためである。グローバル化というものがすべていいものではなかった。日本文化が各地の文化が一様化されるのなどその国独自の発展生成の文化を作り得なかった。それは国内でも東京一辺倒でまねばかりの文化だったとか言われるのと同じである。
小さな畑でもそこが一つの小宇宙である。そこにはやはり富があり実りが隠されていた。それを掘り下げればそこに富が生まれる。耕せば富が生まれる。外国まで行かなくても富はその小さな狭い土地にもある。それが江戸時代だった。その後も一反でも米の収穫量は品種改良など増大したしブランド品が生まれた。米は前よりどこでもおいしくなったのである。つまり広大な土地がなくても富は生まれということである。


現代がどういう時代か、それはもうグローバル化という怪物的な経済の中で生きることではない、株でもそうである。絶えず変動して定まらない、狩猟民的一攫千金を求めるのが株式社会である。そういうのに農耕民の日本人は向いていない、こつこつと働き努力して貯えるのが農耕民だからである。株は絶えず好機をとらえ売ったり買ったりしていないともうからない。そういうのに日本人は向いていない。安定的に収入が入ってくるのが向いている。日本人は冒険的ではない、もともと農耕民でありそうした博打的な経済には向いていないのである。


現代の不安なストレス社会はやはり男性的な狩猟民的な移動社会変化社会のためである。ストレスをかかえるからタバコをやめられない、酒をやめられないとか中毒になる。
女性もストレスが大きい社会である。男女平等はいいが男と同権になるにはそれだけのストレスもかかる。そんな才能が女性にはもともとない、だから小保方さんの万能細胞も嘘だった。そんな簡単に夢のような発見はてきないものだった。
ただストレスがかかり女性でもできるんだという功名心の結果あのようになったのかもしれない。その真偽は不可解である。

日本は今グローバル化ではない,日本の土地に根ざした国風文化の再興の時代を目指すべきである。狭い土地でも故郷でも灯台下暗しであり、こんなところがあったのか?
最近近くを見直して感嘆した。一番近くの良さが見逃されていたのである。

それは震災以後に当たり前のことがいかに大事なことだったか幸せなことだった再認識したことでもわかる。
当たり前なことはそれが意識できない、失ってみて初めてそれが幸せだったと認識できる。
誰も故郷に住むことなど当たり前である。それが住めなくなったことである。
田畑があるのは当たり前でありそれがなくなったことで田畑も見直す、家族が一緒に暮らしていたのがばらばらになる。
大家族で暮らしていた家が田舎ではまだありそれがばらばらになってしまったとき、一緒に暮らしていたときが幸せだったとふりかえる。
それは結局病気になってはじめて健康のありがたさをわかったのと同じだったのである。

いづれにしろ遊牧民だと深く物事を仕事でも掘り下げられない、一定の場所に樹のように根付く時、その場所での認識が深くなる。
だから歴史的なもの長い時間で作られたものは理解しにくいのである。
だから意外と自分の住んでいる狭い場所のこと故郷のことでもわからないことが多いのである。


丈夫でよく働き病気をしないで、多産、そういう黒人同士をかけあわせて、より頑強な子供をつくらせた。牛や馬となんら変わらないやり方、つまり狩猟・牧畜民族の伝統である
http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/391886949.html(心に青雲)


今日の「心に青雲」の記事は面白い。
人間をやはり動物のように家畜のように処理できるのは遊牧民だからである
こういう発想は農耕民にはできない
植物の品種改良はしても動物や人間まで同じ発想ではできない
こういうことは日常的な生活から生まれてくるからだ
人間の品種改良に抵抗がない
ナチスがアリーア人が優秀だからあとは滅亡するべきだとか言った論理になる
つまり農耕民と牧畜民の文化の差は男女の差のように大きいのである。
そのために理解できないことが多々あるのだ

posted by 老鶯 at 09:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本(世界)文化文明論

2014年03月18日

原発事故の賠償金は原町区と鹿島区で大きな差 (南相馬市は賠償金で三つに分断)


原発事故の賠償金は原町区と鹿島区で大きな差

(南相馬市は賠償金で三つに分断)

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避難区域(小高区)

緊急避難準備区域(原町区) 平成23年3月11日から平成24年8月31日
屋内退避区域(鹿島区) 平成23年3月11日から9月31日


今回の賠償金はまず30キロ圏内と圏外で相当な差があった。
30キロ圏外は避難指示がでた30キロ内は屋内退避でありでていない、でも半分は避難した
30キロというのがどういう科学的根拠なのかわからない
実際は中通り郡山市とか二本松市とか福島市が線量が高くなっていたからである。


南相馬市でも鹿島区は最初賠償されない地域になっていたが同じ南相馬市ということで
一所帯100万を市の調整資金から出して原町区の人から批判があった。
それは名せか?原町区の賠償金が思った以上多かったのである。


一人10万もらえる期間か鹿島区は7カ月間しかない

原町区は18ケ月間もある
これを計算すすると
18×10 = 180万円
一人分でこれだけの金がもらえる
二人だと360万になるし3人だと548万とかなる
家族か多いと一千万くらいもらった人がいたのかとなる

こんなに原町区の人がもらっていたのか?

一人7万と計算していたのが大失敗だった

確かに鹿島区も一人十万だったから7か月分で70万で二人分で140万だった
その分は確かにもらった。でも原町区は多すぎることがわかった。
でもそんなに原町区の人たちがもらったのか?
いくらもらった聞いても原町区の人は教えない
だからやはりこういう計算だともらっているのだろう。


小高区は一人十万であるが意外と原町区はもらっていたとなる。

小高区に対して批判がおおきいか原町区に対しては鹿島区ではあまり批判しない
それは賠償金のことが良くわからなかったということがあるかもしれない

だから鹿島区の不満が大きいことがこれで一目瞭然である。

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原町区と鹿島区では賠償期間で大きな差がある

介護関係でも追加の賠償金が出たがこれも期間が短い鹿島区は7カ月分であり
期間が長い原町区は18ケ月分になるから額に相当な差がでる
この賠償期間が一番の問題だったのである。
せめて原町区が18カ月分ならせめて半分くらいの10カ月分くらいにすればそれほど文句がないかもしれなかった
なぜ被害はそんなに変わらないにこれだけの差があるのか解せないからである。

自分は南相馬市の屋内退避地域だから賠償金には不満がある。
ただこの30キロ圏外という位置が外部にプログでも発信するには適地だった
これが小高区とか避難区域とか原町区でも賠償金が多くもらっていると
お前はそんなにもらっているのじゃないかと外部から批判される
微妙な位置だったがある意味で客観的に見れる場所だったのである。
相馬市となると賠償金がもらえないから埒外になる。

いづれにしろ原町区でもかなりもらっているからそんなに原発事故に文句言うなよとかも
外部から国民から言われる立場になりやすい,30キロ圏外は賠償金がもらっているのは
もらっていてもそれほど多くないから客観的な立場になり外部に伝えられる

だから正直自分の家では最初に一所帯百万もらってもそれはあとでさしひかれたから
結果的に140万でありプラス介護にしても一人一万で二人分でも7カ月分だから20万にもならない
、だからこれもさほどでないとなる

でも相馬市や他でもらえない人はさらに不満になっている。
だから福島県内でも賠償金もらっている人に対する不満がある。
それで原町区の人が福島市で車をきずつけられたのはそういう不満があるからかもしれない
なぜなら福島市の方が線量は高いからである


いづれにしろ南相馬市の小高区と原町区は賠償金で不満がない
不満なのは仮設住宅を建てさせた鹿島区の人達なのである。
だから小高区の人とうまくいかないのである。
原町区のように賠償金をもらっていれば不満はなかった
現実に原町区の人たちか仮設が一杯建って小高区の人たちがいてもそんなに批判はしない
それは賠償金が原町と鹿島ではこれだけ差があったからだったのである


訂正

原町区は平成24年8月までが賠償期間です
だから一人10万円で18カ月分の支給です

さらに訂正

鹿島区でも一人一カ月10万もらっていた
だから原町区も一人一カ月10万であり18ケ月とすると額が大きい
その差は大きすぎたのである
それで鹿島区は不満なのである

ただ外部からはそれほど批判される額にはなっていなかった

いづれにしろもし原町区がこれだけもらっていれば
鹿島区の不満は大きいし消えない
そこに大きな溝が生まれる

結局 小高区、原町区、鹿島区が合併して南相馬市になったけど
それぞれが賠償金などで分断されてしてしまった皮肉がある
南相馬市は賠償金問題で心が一つになれないのである

その大きな原因が原町区はさほど被害がないのに鹿島区とほぼ同じなのに
賠償金が意外と多くもらっていたとなる

ただ原町区の人はそれぞれどれだけこもらったかは言わない
それは意外と多くもらっているから言わないのである

原町区 一人180万

鹿島区 一人70万

この差は倍以上というのは納得いかない
なぜ原町区がこれほどもらえるのか?
それは同じ南相馬市なのに
つまり原町区は南相馬市の中心であるからか?
ここに支払えば不満を言わないからか?

そして鹿島区は除外された地域になった

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2014年03月17日

福寿草(猫と石と家)


福寿草(猫と石と家)

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幸いや石の動かず福寿草

春日さし動かぬ石や介護かな
我が家になじみし猫や福寿草
我が庭を猫の歩みぬ福寿草


新田川流れの光り春の日や原町に来て国見山見ゆ

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今日はあたたかでまさに春だった。原町の実家と鹿島の墓参りした。
墓は立派な墓を残すべきではない、跡継ぎがいないと金かけて立派な墓を作ってもあとは邪魔になるだけである。そして墓は簡単に取り壊すことができない
もし卒塔婆のようなものを建てるだけだったら取り除くのも簡単だからいいのである。
そもそも墓に前は土葬していたし墓に骨入れること自体めんどうなことになる。
骨が入っているとそこに死者がまだいるとなる。

だからなんか骨をもってゆくと死者が墓からいなくなったような気分になるだろう
そこがまさしく空っぽになって何もないとなる。
親戚で骨をもってゆくというがすでに墓に名前と戒名は刻んでいる
でもその人は娘になっているから骨をもってゆくとその名前と戒名も消すほかないのだろか?

これも死者が何なのかわからないからどうして処理していいかわからないのだ。
彼岸になったので墓掃除とか墓参りしたのでまた考えた。

新田川が春の光がさして水面が光り国見山が見えた。
国見山は原町からしか見えない、国見山に上った時は小高、原町、鹿島区が一望に見える。
でも地上になると原町区からしか見えない、そんなに目立つ山でないから今までは注目していなかった。
鹿島区だと鍋の形をしたなべかんむり山が象徴的な山である。
必ずその市町村にはシンボル的な山があるがそれは外から来た人にはわかりにくいのだ。


福寿草が咲いて庭の石が動かない、猫も半分野良猫なのだが自分の家になじんでいる。
猫はずうずうしいのだ。座布団に座ってのうのうと休んでいる。
猫を飼うということは猫に餌をやったりと猫に仕えることになる。
猫様になってしまうのだ。ニャオニャオと餌をねだりあとはのうのうと寝ているだけである。

でも猫は家の主のように家につくという、犬は人につくという、猫は家にあっているペットなのだろう。
部屋が七つもあれば猫の部屋があってもいいとなる。
ただ便をしたので部屋にはいれない、しつけもめんどうなのである。
生き物を飼うことは手間だしめんどうなのである。
だから本当は自分はルーズだからむいていないけど餌をやっていたら家にいついてしまったのである。


母のことをふりえると92才の時、2年間アパートで暮らし、それから交通事故になり三カ月病院で暮らし、
あとは一カ月、福寿園で老人ホームに入り最近はまた一カ月入院した。92才からこれだけ動くのは辛いだろう。
結局津波原発事故で死んだ人は移動が辛いことになり環境が変わったからである。
それで老人の関連死が多くなった。
つまり前にも述べたが自分で経験したことを回りでも起きた不思議がある。
家族が分離したことや家を空けて火事場泥棒にあうということも自分は経験してきたのである。
タンス預金が津波で流されたのもあったがこれも結構な金が流れて消えたのである。
自分も津波ではないが火事場泥棒で大金は消えてしまった経験をしている。
だから自分に起きたことそして次に回りで同じようなことが起きているから何なのだろうと不思議に思ったのである。


今や石のように動かないことは幸いである。そこに福寿草か咲いている。
故郷から追われ家族が分離して落ち着く場所がないのは老人にとっては辛い。
若い内は旅ばかりしていたけどだんだん動くのが億劫になるのてある。
老人は石のように動かなくなる。それで心も安定するのである。
そこに幸いがあった。
そんな当たり前のことが幸いだったことをこの辺では気づいたのである。

 

最近南相馬市で見かけた新しいもの (トレイラーハウスにペリコプターをもつ家)


最近南相馬市で見かけた新しいもの

(トレイラーハウスにペリコプターをもつ家)

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これは運ぶには楽でなかった。でも運ぶようにできているものでもあった。
前に運転する車両が接続していあった。
これは車両であり土地は駐車場のように借りたのだろう
これに電気を接続すればそれなりに簡易宿泊所として使える
別荘として使っている人もいる。
ただトイレとかいろいろ設備を入れると高くなる。
でも家を建てるよりはかなり安くなる
ただこれは移動するのはむずかしい
だから別荘用としてはいい
この辺で増えたのはホテルであり
今も外部の人が泊まる場所が必要だから近くに建った

ナンバーをつけていれば、陸運事務所管轄で。
ナンバーを外して、固定すると、市から固定資産税が少し掛かります


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これは何なのか、趣味なのか、ラジコンで動かすのか、仕事用なのか
人が乗れるように大きい、撮影するためのもきなのか、何かわからない
でもこれだけ大きいもの二つあると仕事用なのかもしれない
薪を燃料にしているのか山の方にログハウスを建てていた
この辺では東京とか外部から入って住むようになった人もいる
そういう人かもしれない、
原発事故以後は何かそうした新しいものもがこの辺では入ってくる

こういうのは許可なく写真とるとまずいかもしれない
プログでも公表するから問題になる

場所は特定しないからいいかもしれない
文句が来なければいいのかもしれない
嫌がる人はいるから勝手に人の家の写真はとれない

posted by 老鶯 at 10:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年03月15日

春の俳句十句 (横峰の堤の二宮神社を回り原町へ)


春の俳句十句

(横峰の堤の二宮神社を回り原町へ)

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樅の木や二宮神社冬を越す

相馬藩二宮神社や春の雲
耕やさむ小さき畑春の雲
老守る小さき畑や春の雲
広々と横峰の堤春の鴨
竹ゆれて流れの早し春の川
国見山南相馬や春の雲
鴨眠る水面に微笑む春の月
我が家の猫にやさしく春の月

春の日や母なお生きて百才に

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横峰堤は結構大きい、堤は結構大きいものがある。鹿島区には大きな堤がある。
溜め池は意外とこれもわかりにくい。北海老の溜め池も
あそこにあんなに広いのがあったのに気づかなかった。
唐神堤は一番大きい。横峰堤にはまだ白鳥がいた。
白鳥はまだ帰らないのは今年は寒いからである。
堤はあきらかに自然でありこれも松原と同じようなものだった。
こういうふうに広い溜め池があると気持がいい。

その堤の脇に「報徳二宮神社」があった。
これだけはっきり二宮神社とあるのはめずらしい。
相馬藩では二宮尊徳のことをか常に語られるけど神社になっているのははじめて見た。
意外と相馬藩ですべてを知ることはできない

人間は灯台下暗しだと何度も書いたけどここはいいところだなと感じるのも時間がかかる堤などあまり注目しないこともある。
でもこれも第二の自然だからやはり気持いいのである。
要するに人間は一番近くの日常的なものの良さを認識できないのである。
だから今回の災害で故郷に住めなくなったけど改めて故郷を見直すことになった
そして当たり前の日常を失った時、その当たり前のことが本当は大事なものだったことに気づいたのである。
あまりにも当たり前だから気づかなかったのである。


故郷がいいな感じる時は自然でありまたそこにいる人間がいいなと思った時だろう
原発事故で田んぼが作れないのだから溜め池は用がない、ただ白鳥や鴨の池となってしまっている。
溜め池から水が流れて田んぼがあるときそれが故郷の原風景になる
だからどううしても田んぼかない風景はイメージすらできなかった。
ソーラーパネルとか風車を作ってもそれが景観的には故郷としては嫌なのである。
そういう故郷の風景になじむだろうかとなる

今日は春らしかったけど昨日だって風が冷たかった。
今日は春らしいから原町まで行ったまずこの辺は新しい家が百軒以上建っているだろう。
次々に建っている。なぜヘリコプターが二台もある新しい家が建っていた。
あれも趣味なのか何なのか外部から入って来た人なのか、新築の家が目立つ。

新田川の上流の流れは早く水かさがある。
やはり今年は雪解けの水なのだろう。
山には相当な雪が積もったからあれだけの水がながれてくる。
それも春らしいとなる。

国見山はちょうど南相馬市の真ん中にある。今までは原町の山だった。
でも小高区と原町区と鹿島区が視界にぴったり収まる
だから南相馬市は地理的には一体だった。
相馬市は国見山から視界に入らないのである。

南とつくだけでまた何かあたたかく感じるから不思議なのである。
南とついただけでどこでもあたたかく感じる。
北とついただけで寒く感じるのも地名の不思議である。
北海老とか北屋形となると実際に陰になり暗い感じになっていたのである。


春の雲というとき、知っている人が耕す小さな畑をテーマにして作った。
老人が耕すにはちょうどいい小さな畑なのである。
それでもいろいろなものがとれる。結構その畑を耕すのも手間なのである。

春の月が川の水面に写ってゆれていた。満月だった。
そしてニャオーと近寄ってくる猫にもやさくしなった
この猫はなれていないけど近寄るときあるからその時警戒をといている
この猫も虐待されたからなれない
つまりこの猫も自分と同じだったのだ
自分もこの六年間は虐待されてきたのである
だからこの猫の気持ちがわかり家族の一員のように思えたのである

何か今日は平和を感じたしまだ復興は先でも平和になってゆくのだろうか?
それでも警戒区域で故郷に帰れないとなった人たちの気持はどういうものなのか?
こうして南相馬市はまだ故郷があって春になる
田畑は復興していないが田畑も復興すれば元にもどったとも感じるだろう。
その喜びも大きいものとなるだろう。
それにしても大きな変化でありその先が見えないのである
ともかく自分の個人的なものでも何か平和を感じた


母は百才まで生きるのだろうか
それも自分の家にとってはめでたいことだった
要するにようやく内も外も平和を感じた
ただ何か忙しいことはたしかであるしまたいつ様態が悪くなるかわからない
ただ百才を目指していることだけは言える

人間はいつまでも苦しいことばかり災難ばかりはつづかないだろう
そんなにつづいたら生きるのさえ嫌になる
今日一日は本当に春らしい春を感じた
やはり災害から三年たちさらに時間がたってゆくと自然にもなごんでくる
自然もそんなに過酷だったらこれも生きるのも地獄になるだろう。
200年とか400年とかまたこんな災害があるとは思えないのである
ただこんな大災害は津波でも長い時間の中では必ず来るということを知ったのである

高齢者の一人暮らしが増える問題 (犯罪の増加や社会にも影響する)


高齢者の一人暮らしが増える問題

(犯罪の増加や社会にも影響する)

なぜ高齢者の一人暮らしが増えてくるのか?
それは家族の変化もある。
核家族化してかつての大家族は消失した
農業労働は核家族ではできない、大家族がいいという社会背景もあった
核家族は会社や工場で働かせるには都会へ労働者を集中させるのには向いていた
家族も社会の変化に対応してそうなったのである。


そういうふうに社会が変化すると家族も旧来のモラルも変化する
例えは姑嫁の問題も今は逆転している
嫁の方に気を使い姑は嫁と一緒に住みたくないまた住めないとなり
その人たちは一人暮らしになりやすい
力関係は逆転してしまった
そうなると姑は60代でまだ若く一人暮らしになる
そこで枯れるというのは少なくぎらきらした欲望があり問題を起こす
自分もそうした人に犯罪にあった。
自分も社会の変化の被害者でもあった。


一人暮らしになる要因が現代は増えている
まず熟年離婚も増えている
戦後は女性の権利意識が強くなっているから男性に一方的に従うことはない
子供がいる時は我慢していても子供が成長すれば離婚しやすくなる
経済的にも離婚しやすい条件が整ってくると余計にそうなる
嫌な夫と一緒にいたくないとなるともうとめられない
特に会話がないということも離婚の原因になるみたいだ
「何にも会話かない」そういう言う60代の女性が二人知って
一人は離婚して一人も離婚を考えている
それは確かに夫が悪くてそうなっているみたいだ


ともかく60代以上の夫婦でも一人暮らしになるリスクを相当にかかえている
一人は60代で妻をなくして一人暮らしになった。
それで家事ができなくてないていたという
糖尿病の体質だから食事に気をつけねばならない
その料理は一人で家でやるほかないから大変である
つまり夫婦でも一方が死ねば一人暮らしになる
子供と一緒に住む人は恵まれている
そして一人暮らしに耐える用意のできている人はまれである
突然一人暮らしに追い込まれるから辛いのである
妻をなくした人も突然に死んだからそうなったのである

その人は津波の被害にもあって一人だったから辛かった
その時近くに助ける女性がいてその人と友達になった

その女性はコミニケーション能力があり権利をどこまでも主張する
団塊世代の新しい女性のタイプなのだろうか
まず旧来の従順な女性のタイプではないから普通は嫌われるだろう
その女性は他の女性とはそもそも違っている
0型特有の個性的な女性なのだろうか
まず執拗に自分を主張してあきらめない
賃金未払いがありそれも権利としては正しいので執拗に請求する
あういうひとは確かに政治家や経営者や営業に向いている
執拗にあきらめず自分を正しいと思うことを追求する


その女性は中卒だから学問がなくてもいろいろな機関を利用する
人でも利用するのが上手なのである
要するにとんな人でも交渉力がある
あんな女性がいることも驚きだった
田舎では何かそんなに権利など主張しない
東北人は特にそういうことをしないと言われてきたからである。

ただ団塊の世代の男性と全く同じタイプであったのだろう
戦前にはあのようなタイプの人は庶民にはいなかった
女性の権利を主張していたのは学のある知的な選ばれた人だった
今は庶民でもそうして権利を執拗に主張する人がいるということである

もちろん人間にはいろんなタイプがいる。

でも大正生まれとか戦前生まれとか戦後生まれの団塊世代とかでは
それなりの性格が作られてきた
団塊の世代は戦前の滅私奉公とか国家に奉仕するとかのモラルがほとんどない
そういう教育は全く受けていないから国家意識は非常に希薄である
ただ民主主義であり男女平等とか様々な面で平等意識は異常に強いのである
そしてそれにともなって権利意識も強い、それは悪いことではないが
あまりにも権利を主張すると悪い面にもなる
そういう一面はその女性にもあった。


離婚がふえるというとき団塊の世代でも離婚が多いしその下の世代でも離婚が多い、
それは女性は忍従するものだというモラルが消失したからである。
男女平等であり嫌だとなれば忍従することはない離婚する
経済的にも自立しやすくなれば余計にそうなる。
今は離婚しない人接しない人は今はいない
その結果として一人暮らしも増えるのである
だから一人暮らしが社会的問題になる

まず高齢者の一人暮らしは様々な問題をかかえる
老人の一人暮らしはいろいろな面でいいものではない
精神的にも健康的にも良くない
だから男性の一人暮らしは寿命が縮まることでもわかる

これからの高齢者の一人暮らしは何からの共同性が必要になっている
なぜなら大家族で暮らすこともできない、一人暮らしになりやすい
するといろんな面で一人暮らしでも暮らしやすい社会がいいとなる
それはただ人間関係でも一緒にやれる人とやれない人がいる
あの人ととは絶対に嫌だともなる
だから制度的に整えても人間関係は簡単には作れないのである

ただ老人の一人暮らしは犯罪にあいやすかったり
家を留守にして水道管が破裂していたりとか何か問題が起きやすいのである
だから一人暮らし同士助け合うということが必要になる
そういうことは社会的な問題になもなっているし
政治の問題にもなるが互いの自助努力も必要になっている時代である。

posted by 老鶯 at 10:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2014年03月14日

夏に燃える雲雀が原 (野馬追い神旗争奪戦ー詩)


夏に燃える雲雀が原

(野馬追い神旗争奪戦ー詩)

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大将が雲雀が原に到着

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相馬流山の踊り


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ここはクリック拡大



雲雀が原に続々と相馬の武士の結集する
宇多郷、北郷、中ノ郷、小高郷、標葉郷、
三社の神輿をかつぎねり歩く
大将の兜に身をひきしめその凛々しさよ
夏の真白き雲の沸き上がり
日ざしは強く照りさしぬ
相馬流山の軍歌は朗々とひびきわたり
打ち揃い金の扇は一切に翻り光を受けてまぶしも
夏空に神旗はあがり
この時馬はいななき競いせりあい
この時雲雀が原は戦場なれ
神旗をとれば馬も踊り跳ね御本陣に向かう
人馬一体となり御本陣に駆け上る
武士(もののふ)の誉れよ、馬も人も
殿よりの褒美を受けて誇らしく
かの武士は誰そ、いづこの家や村や
その旗指物の一段と映えにけり
注目の的となりしこの一時よ
そのために一年の長きを馬を飼う
青春の日の蘇りしように
真夏の暑さに馬も人も奮闘する
野馬追いの日の待ち遠しかも
その時の相馬の武士(もののふ)の奮いたち
法螺貝は街中にひびきわたり
晴れ舞台に夏の日ざしをまともに受ける



伊達に抗して荒ぶる馬

黄金の扇のそろい日に映え眩しも

竹に雀は仙台様の御紋、相馬六万石、九曜星

粛々と相馬流れ山の軍歌ひびけり

いななきて荒ぶる馬は伊達に抗す

相馬の武士(もののふ)の心意気

武田流法螺貝鳴りて先陣を切るは

誰が家の旗印、馬も勇み馳せるも

御使い番−若者一の旗走りゆく

中ノ郷、小高郷、標葉郷、北郷、宇多郷

雲雀が原に総結集して旗の列

かつては山中郷も一枚加わりしも

ここに鍛えて伊達を退ける昔の武勇

いななきて荒ぶる馬は伊達に抗す

緋の母衣大将の威風堂々と従者

先頭に藩主の旗、最後尾に藩公奥方旗

相馬藩主の若殿を守り列なす絵巻かな

本陣に勲し駆け上る旗印は誰が家そ

雲雀が原に今し夏の雲湧きにけるかも

今や城より出て主君から厳しき命下る

馬上一せいに勇ましき法螺貝鳴りわたり

相馬の山々、大地、海にも木霊して

藩主の下に 集結して打ち揃う相馬の武士(もののふ)

先祖代々の旗印はなびきて華麗に練り歩く

相馬流山の軍歌の雄々しくひびき

藩内の社もここに総結集して雲雀が原へ

武田菱の旗の護衛に総大将の紫の衣鮮やかに

先導す一の旗の伝令の若者は駆けめぐる

雲雀が原に千の旗ゆれ御神旗を馬せりあいて奪い合う

主君の誉れを得むと馳せ上る若武者の馬よ

この時老将も勇みかつての武勲の蘇る

人馬一体、荒ぶる馬の鼻息荒しも

山中郷、中ノ郷、小高郷、標葉郷、北郷、宇多郷

代々の郷士、大地を耕し郷土を守る者たち

今雲雀が原に相馬藩の力は結集せり

夏の大空に法螺貝はひびきわたり

村々に土着して、代々の旗は眩しい光のなかにはためけり

相馬藩の隅々の力のここに総決起して伊達に立ち向かう

三百年つづきて変わらず君主をいただき

相馬の武士の誇らかに年に一度の祭りかな


詩としては前の方が優れていた。今回はただ夏の野馬追いということで作った。

野馬追いでは雲雀が原の神旗争奪戦て最高潮にもりあがる。
野馬追いが旗祭りというとき、旗の種類は多い。


平成4年の約、408騎を調査した結果


伝来旗 101

役旗 140
家紋旗 69
創作旗 43
(原町市市史10)

旗で多いのが意外と役旗だった。何が役旗見ていてもわかりにくい、
伝令の一の旗はわかりやすいが他はわかりにくい、
でも役旗が多いということは戦場では何かの役目があって旗があった。
旗を見て戦場で戦った。だから役旗は実際は一番大事になる。
家紋旗は最近増えているのは伝来の旗が布であり劣化して残らないからだそうである。
鎧とか兜は残っているというのもわかる。鉄だから残りやすいのである。
確かに布だと痛みは激しくなるからいつまでも使えない、それで家紋旗に変える。
野馬追いは歴史の再現だから創作旗はまれだと思っていたが多くなっている。


野馬追いでいつも不思議に思うのは何であんなに華麗であり美的なのかということがある。
殺し合いのときそんなに飾りつけることに夢中になることが今では解せないのである。
「昔はその家紋に代わって図柄を工夫して、ほかには絶対にないというものを作った」

こういうふうだから図柄にこった。他にないものを作るには独創的になるから芸術的にもなる。
それでも戦場にゆく、人を殺しにゆくという時、何かあんなに鎧でも実用性があっても装飾性があるこが解せないのである。

現実に明治維新の時の戦争は着飾る武士はなく機能的な兵士になった。
さらに元体の戦争は機械の戦争でもあり着飾るものもなくただ
人を大量に殺せばいいとか戦争ですら非人間的なものになっていった。
そしてついにロボットが戦場で人を殺しロボット同士が殺し合う
SFの世界が現実化している。そこにはもう人間臭いものもなくなる。


兜でもあれをかぶると身がひきしまるし見ている方も格好いいとかなる。
庶民が武士になりたいうといときあのような格好いいということを見ればそうなる。
今は兵士になりたいという人はいない、ただ人殺しの機械のようにされるからである。
全面に出てくるのは人間ではない、最先端の飛行機とか戦車とか船とか主役は兵器であって人間ではない。

野馬追いで感じるのは野馬追いの時だけ馬も生きる。馬も街中を通りいななき着飾って馬も誇らしく見える。
馬もその時人間と同じなのである。馬は今競争馬としてしか生きていない。
この時は昔の晴れ舞台にもどる。馬が一頭だけではない相当な数として馬が活きていることを実感する。
旗祭りだけど馬の祭りでもある。


ともかくこの辺では標葉郷は浪江町だけどそこが消失すると規模が若干小さくなる。
やはり野馬追いは数が多いと圧巻になる。江戸時代は山中郷の今の飯館村からも出ていた。
大熊町や双葉町も相馬藩内だった。その相馬藩が一部欠けてしまう。

祭りは地域を一体化するものであることは確かである。
一体と化した相馬藩を実際に見れるのが野馬追いである。そこに祭りの意義がある。
ただ野馬追いに参加している人は500頭出たとしても500家族だから少ない、人口が10万として500所帯しか出ないのである。
武士は相馬藩でも選ばれた人たちだった。ただ相馬藩では武士といっても在郷給人が多く農民であり武士だったのが多い。
鍬先給人がいたように何か農民的なのである。

今でも野馬追いに出るのは農家であり相馬藩でも相馬市の街内から出る人はほとんといないのである。
城下町を形成していた時は野馬追いの訓練にてていたが明治以降は城がなくなったきだからいなくなった。
でも相馬市は鉄道が通っても町並みはもとのままであり防衛のために細い道が多く入り組んでいる。

野馬追いは一年に一度の晴れ舞台だとは言える。だから金がかかっても出たいとなるがみんながでれわけではない、
そこに祭りとして問題がある。

青森のネブタ祭りが誰でも飛び入りでもハネトとなって参加できるのとは違う。
つまり相馬藩内でもただ見ている人が大勢であり実際に祭りに参加できるのは極めて限られた選ばれた人たちなのである。
だから完全に実際に祭りに参加する人とたた見る人に分かれてしまうのである。

野馬追いは写真をとる題材としていいのだが意外といい写真がとれない
地元の人でもとれない、それは動いているからいい場面をとりにがすのでてある。
そして祭りは一年に一回しかないから写真は祭りの時したとれない
だから写真とるとなるとここに長年住んでもいい写真がとれなかったのである。

posted by 老鶯 at 15:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 野馬追い関係

2014年03月13日

なぜ復興がすすまないのか (原発警戒区域ではもう60パーセントも帰らないから町の崩壊)


なぜ復興がすすまないのか

(原発警戒区域ではもう60パーセントも帰らないから町の崩壊)

全体の復興のために心が一つになれない

今回の津波原発被害でなぜ復興がすすまないのか?
神戸と比べるとその復興度合いがあまりにも差がある。
その原因の一つが小さなコミニュティが分散していて破壊されたことなのだ
神戸は大都会だから狭い地域に人が密集したことで被害があったのだけど
復興する時はその狭い一区域を復興すれば良いから早く進んだ

ところが津波原発の被害は広範囲だからその狭い範囲で集中的に復興ができない
これだけ被害地域が広いと分散していると政府でも集中しててきない
そしてその狭い分散した地域でも現代のインフラを用意しないと住みたくないとなる
だから石巻で近くにスーパーがないから住みたくないというのは意外だった
石巻は大都会だから他にも大きなスーパーがあるからだ
でも年寄りにとっては近くにないと不便になるからだ
石巻でも高齢化社会の問題がでてきている
市役所ではそうした街作りで家を建てる計画しても住まないという人が増えている
そうなると家が建てても肝心の人が住まないのだから復興はありえないのである。


そして浪江町なども60パーセントが帰らないという、全国に避難者は散らばっていて
岡山県辺りにもいてその人たちが集まったが3年たってここは田舎的な風景もあっていいと帰らないという。
浪江町の役所の人が説得しても帰らないという。
こうなると町民がいなくなれば役所の公務員も職を失う危機になっている。
町村が崩壊してなくなるという危機にさらされているのだ。
ただコンパクトシティとして廃炉事業の宿泊所、支援所として小規模で町を残そうという計画をしている。
最低で5000人単位で残そうとしている。
それは将来に30年後でも浪江町に帰ってくる人がいるかもしれないということを予想しているからだという。

それはありうる。浪江町の人でなくても田舎に住みたいと言う人は今でもいるからである。
だから土地が少ない日本ではやはり住環境が改善されれば住む人はででくる。
ただ現代では5000人規模の町では医者もいないとか住みにくいだろう。
だから余計住みたくないという人が増えてくる

それから移住先がかえって住みよいということも現代ではありうる。
岡山県などもし大阪に近ければ交通の便はいいし海もあるし山もあるし
それなりに自然があるから東京とは違うから住みたいともなる
あの辺は歴史もあるから住みたいと自分も思った。
東京は住みたくないが関西は琵琶湖だって近くなるから自然と歴史があるから住みたいとなる

ただ南相馬市でも浪江町が無人の町になっては困る。
コンパクトシティでも廃炉事業の支援の町でも残ってほしいとなる。
なぜなら浪江町は高瀬川渓谷とかの山水画のような自然景観がいいところがあり
そこに行きたいとなるから小規模でもそこに町がないとあるのでは大違いになるのだ。それは飯館村でも同じである。
そこで飲み食いする場所も欲しいのである。
小規模でも町があればそうしたところにも行きやすくなるからだ。


いづれにしろ今回の災害の復興の進まない理由はなになかのかとなると見えてきたのは
それぞれの個々の家とか個人の事情とかそういうものをいちいち考慮していると復興はできない
街全体をコミニュティ全体を復興させるのだという強い意志がないと復興はできない、
いちいち個々の事情をとりあげてそれを考慮していたら全体を計画しても計画倒れになり復興はすすまない。
強制的にここに住んでくれとか配置しない限りできないという状態になっている。
でもそんなこと民主主義社会ではできないからもう町の復興できないとあきらめるようになる。

現代は江戸時代とは違う、どこにでも住める、補償金一億円もらったら他に住んだ方がいいともなるだろう。
無理して条件の悪いところに住む理由がないのである。
それでも人によって価値観が違うからどこまでも町を離れず住みたいという人はいる
それぞれの価値観に基づいて自由に住めるのが現代だからそうなる。
そのことがかえってもう帰らないという人が増えた原因なのである。


結局こういう大災害になった結果、何が起きたのか、建物も崩壊したがコミニュティも崩壊したのである。
コミニュティとは建物だけではない、その土地とか人間のつながりとか先祖代々の歴史的つながりとかいろいろある。
そういうものが破壊された。
だから全体を復興させようとしてもできない、それは全員の意志が一つにならねばできないからだ。
するとそこでは犠牲になる人もでてくる。嫌だけれど我慢することもできてくる。
そんな我慢するより暮らしいい方に移った方がいいとなった。
誰も好んで苦労する人はいないのである。
楽をしたいというのが人情なのである。それをとがめることはできない。


明治時代るち侍が職を失って北海道に伊達藩の亘理の人が北海道に移住したりしたのは
全員が一つとなって苦しくてもそこに住む場所を求めて住んで伊達市になった。
それは他に行く場所もないから荒地も目指して進んで行った。
その時はみんな心も一眼となっていたからできたことなのである。
今はどこにでも移れるし楽なところで住みたいとなりバラバラになってしまうのである。
もし補償金ももらえずもう町を離れられないとか強制されれば住む人もいるが
一億円もらえるなら他で住もうというのが人情でありそれは責められないのである。


だから今回は個々人が復興しようとしても全体で一つの意志にならないと復興できない、
でもそれがかえって神戸のような狭い地域に密集して住んでいたら集中できた。
それが分散してコミニュティが物心両面で破壊されたから復興がすすまない。
補償金はたくさんもらっても復興できないのは全体を回復して復興しようとするとき
そういう全体を復興させようとする心が一つになれないからいくら金を注ぎ込んでもできないのである。
それは金銭の問題より精神的な問題でありそういう一つになる意志がもてない
町でも全体を医者でも商店でも農業でも一つになり町があるんだという意識がもてない、
町民といっても市民といっても心が一つになれないから復興できないということもある。
それはいくら金を注ぎ込んで計画を立てて住んで復興してくださいといっても住民には
そういう全体を復興させるという意志がなかったらできない
その中で自分だけは犠牲になりたくない、嫌なことを引き受けたくないとなると復興はできない、
そんな所より楽な所に移った方がいいとなったのである。
楽なところ住むに条件のいいところへ移ってゆく。
だから仙台市周辺は人口が増大したことでもわかる。
東北では仙台が一番の都会だからそうなる。長町にも仮設住宅があった。

そもそも震災前でも不便な所には住みたくない便利な所に住みたいということがあった。
だからこの際便利なところに住みたいとなる。それで大内村でも帰らなくなった。
要するに震災前でもそうした問題がありそれが津波や原発事故で露になったのである。

金だけが頼りだというのも田舎でも同じであり金さえあればいいということは
補償金一億円もらえるなら他で暮らした方がいいとなる
もちろん老人などは金より故郷で暮らした思い出が価値があるというのがある
でも若い人はそうとはならない、むしろ便利な都会の方がいいと考える人が多かった
だから金によって前々からも田舎でも金さえあればどこに住んでもいいということが現実化したとなる
そのことが津波原発事故で現実の問題となり故郷に固執する人は少なく他に移る原因でもあった。
現代はだから故郷に執着する人は農業主体の社会じゃないからそもそもなっかたから
故郷でも離れることに固執しないということもあった
ただそうしたことも個々人の価値観の相違があり影響する

posted by 老鶯 at 19:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年03月12日

STAP細胞、万能細胞は嘘だった? (科学者、専門家の嘘は見抜けない、原発事故でもそうだった)


STAP細胞、万能細胞は嘘だった?

(科学者、専門家の嘘は見抜けない、原発事故でもそうだった)

●STAP細胞、万能細胞も錬金術師のだましだった?


「生命のエリクシール」は人体を永遠不滅に変えて不老不死を得ることができるとされ、この場合は霊薬、エリクサーとも呼ばれる(なお、賢者の石が文献上に記述されるのはエリクサーよりかなり後である)。それ故、錬金術は神が世界を創造した過程を再現する大いなる作業であるとされる。錬金術で黒は富や財産を表し、白は不老不死の永遠、赤は神との合一を意味する。


錬金術師を騙る詐欺師達が貴族相手に黄金練成をしたように見せて大金を搾取したり

錬金術の発展途上では化学史上重要な数多くの発見がなされた。硫酸、硝酸、塩酸、王水、アンチモン、燐などはどれも錬金術師が発見した物質である。物質だけではなく、多くの実験器具も錬金術師が使用していたものが現代の化学で用いられている
http://contest.japias.jp/tqj2010/120192/about.html



小保方さんのSTAP細胞は嘘だったのか?これも何だったのだろうかと思う。
文系のマスコミが騒いだからだという人もいる。
確かに文系など皆目その論文の一行も解読できない

つまりマスコミ自身で審査することなどできないから勝手にスターを作り出す
マスコミから作り出されたスターはたいがいいかがわしいとなる
でも科学者はたいがい数学のように客観的評価が厳しい世界だから嘘はないと思う。
そして理研となればその組織自体が国で運営しているのだから誰でも信用する
個人だけで論文を発表しても信用されないしそもそも権威あるネーチャーなどにのらないだから
文系のマスコミが一方的に信用したのが悪いともならない
自分でも一般人でもそんな専門的なことは皆目わからないのである。


ただ素人なりにまず万能細胞などはないと思っていたしips細胞でも
それは成功しないと言う人がいたときそういうこともあると思っていた。
人間には様々な願望があるけど老いることがなくなる、そのことは最大の願望になる。。
だからこそ万能細胞ができたのかと大騒ぎになったのである。
それは研究者だけではないみんなの人類の願望だから大騒ぎになった。
それも嘘だったとなると科学者も平気で嘘をつく世界なのかとなる

そして科学信仰の時代は科学者は神のようになり信じる人が多い。
科学によってできないことはないはという信仰に陥っている。
科学には限界がないと思っているしそう望んでいるから嘘でもだまされる

やはり科学には錬金術の系統をひくものであった。宗教でも呪術でも病気の時は直りたい一心だから頼る。
頼られる方もなんとか効果を出したいと思うからそこから薬でも医術でも発達した経過がある。
ただ神に仏に祈っただけでは効果がないとなると実際に効果を出す錬金術でも科学でも信仰にもなる。
ただそこにもいかがわしいものがありだまして大金を得るというのは理研で百億の予算を得たというのと同じである。
ただそれが理研という国の研究機関が容認したなら誰でも信用するだろう。
これも何か原発事故が起きたことと通じている。


●原発も専門家意外かかわることができないものだった


科学は放射能でも原子力でも一般人には皆目わからない、マスコミでもその論文を読んで判断できる人などいない、
だから科学にも常に一般人はだまされる。
原子力は絶対に安全だというときそうでないと一般人は言えない、なぜなら原発のことを放射線のことなどわかる人がいないからだ。
だから専門家でもない素人はだまっていろと常になる。
それは法律問題でもあまりにも子細なことや法律用語を駆使されるとわからなくなると同じである。

科学はまさに法律より専門的であり普通の人は皆目わからない。
だからだまされやすいということもあった。

政府すら保安院が何の役目を果たさなかったように要するに原発をしりえるものがなかったのである。
東電が専門集団だから一番わかっていたしそれに対抗することはどこもできなかった。
だから内部で何が起きていても隠すこともできたし嘘ついてもわからなかった。

これもいかがわしいとされた錬金術師の系統でありそういうものが
国の公認の研究所でも行われていたということは原発でも同じでないか?
つまり国の公認で危険な原発でも作られていて失敗したら国がかかわり賠償する規定があったのである。
官僚には原発でもSTAP細胞でもわかる人などいないのである。
政府はそれが金になる、新しい産業になるとか目をつけるだけであり安全性についても
検査したり守ることはできない
政府すらだまされて予算をとられたということでもわかる。


原発は数学的確率で百万年に一回しか事故は起こらないと計算していた科学者もいた。
でも千年前の貞観津波のような巨大津波がきたならどうなるのかと計算したらそんなことありえないわげである。
それは別に数学者でなくてもわかることであった。
千年単位でそれだけ巨大な津波がきていたから警告もしたが無視された。
コストがかかると無視されたのである。


現代の問題はあらゆるものが専門化して専門でないものは何もいうことができなくなるし
要するに何もできない無能人間にされているのだ。
介護などは別に資格がなくても家でみんなやっている。
でも介護すら専門家しして専門意外の人は病院では施設ではできなくなる。
するとそこで素人は介護もできない、介護すら専門家しかできなくなる
それでこの辺では十人も介護士を募集しているが一向に集まらず
百人入れる施設を作っても無駄になっているのだ。


もちろん専門家をすべて否定することはできない,自分は自分の病気を自分で判断して
大失敗した。生命の危険になった。だから病気でも素人判断は非常に危険なのである。
だから専門家をすべて否定はできない。
でも専門家が万能化することが危険なのである。
科学者でないものは専門家でないものは何も言うな、お前たちに科学のことはわかりようがない、
医学のことなどわかりようがない、だまって医者の指示に従えばいいのだということもまた危険なのである。
だから医者の指示に従わないでかえって抗ガン剤を飲まなくて寿命が伸びた人もいるのは事実なのである。

でも自分のように素人判断して大失敗することもあるからこれも危険なのである。

ただ専門的なことでも何もしることができないから何も言わず従えばいいというのも大きな危険につながっていたのである。
自分が病気になってからいろいろ気になりその関係のことを調べているとそれなりに詳しくなることはある。
ただ素人判断は危険だから医者にかかることは必要である。

結局STAP細胞騒ぎも現代を象徴した事件だったのである。ついにできたか、万能細胞が、
科学は万能だというまさに信仰になっているからできないことでもできると思い込むのである。
それはあくまでも人間の願望であり可能なことではなかったのである。


●専門家と科学者の相違


「専門家」とは、何かについて詳しい人、よく知っている人、であるが、それでは、「科学者」とは何か。

影浦は、「分からないこと」を追求する人、ととらえる。


「専門家があくまで「知っている人」たる立場を保持するためには、一般に、どこかで、「私が知っていることが正しいためには、現実はこうでなくてはならない」という思考回路が要請される。

原発事故を語る「専門家」の過ち〜影浦峡から学ぶ
http://ameblo.jp/ohjing/entry-11779271075.html


専門家と科学者は歴史的にも違っていた。科学者はサイエンスは哲学からはじまっているから専門家とは違う。
科学者は真理を探求している。それは哲学と同じである。
しかし専門家はすでに知っている人であり熟知している人であり技術者として完成している人である。
だから病気でもいろいろな体の部位の専門家の医者がいてその専門分野については熟知しているから
専門家はその部位については権威者となっている。
科学者が知らないことを探求しているとは違う。
この理論からすると理研は知らないことを研究しているのだから専門家とも違うとなる。科学者の方になる。
でも高度な専門分野だから素人が何か言えることはない世界では同じである。

法律家でも弁護士でも法律の専門家だから法律のことは自分たちにしたわからないから自分たちに依頼者はまかせればいい、法律のことをいくら言ってもわかるはずがない。

ただそれではいけないと陪審員制度をとりいれたのはやはり裁判が専門家だけではやっていけないものとして判断したから進歩だった。
裁判は素人も参加すべきものとしてた。でも他のことについては高度に専門化しているから素人はかかわりにくいのだ。

専門家はある意味でその部門についてはすべて知っていることをを要求されているしそうでないと専門家にはなれない、
ある部門には精通していて素人が全く手を出せない、その分野についてはすべてを知っていることになる。
それはあくまでもその分野についてだけなのである。

未知のことを探求している科学者よりその分野について知り尽くしている専門家に頼るのが現代である。
そうでなければ病気でも直せないし何か効果あることがもたらされないからである。だからこそ専門家の時代が現代なのである。


●専門家集団に牛耳られたことが事故の最大の原因


(イリイチの「専門家時代の幻想を読んで)
http://musubu2.sblo.jp/article/44433527.html

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この専門家の時代は政治家が衰え教授らの導きのもとに有権者たちが必要を規定する力を技術官僚に委ね、誰が何を必要としているかを決める権威を放棄してしまい、そしてこれらの必要を満たす方法も、独占的寡占体制に決めさせてじっと辛抱していた時代であったと後世の人たちに記憶されるだろう。(専門家時代の幻想-イバン、イリイチ)

あなたが何を必要か断定し、処方を書く力を自分たちはもっているのだと主張する
専門家は顧客にとって最高の利益-国家理由をも上回ることがある。


専門家は現在認められている銘柄の科学的正統性を教える点で僧侶の役割を演ずる。
国の後ろ楯をもった聖職者の方にはるかに近い。


それぞれの専門職はまるで編成された教団のような観を呈するのである。

彼らの役割は傍観者、証人のそれに限定される。まるで法的プロセスとは何か大がかりな、きしみ音をたてる機械のようなもので、
一旦動き出したらその仕組みに精通したものしか近づいても操作してもいけないというかのようである

--------------------------------------------------------------------------------


再確認すればこういうことである。専門家が万能性をもつ社会である。
だからSTAP細胞は万能細胞は現代の象徴的な事件だったのである。
でも結局人間は万能になりえないから原発事故も起こりSTAP細胞の組織的なだましもある。

posted by 老鶯 at 21:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2014年03月11日

寒戻る(3・11震災の日)


寒戻る(3・11震災の日)


イヌフグリ可憐につぼむ寒もどる

夕光に白鳥美し飛翔かな

震災の日悲しみもどり寒戻る

遅々として復興住宅すすまずに建築現場や寒もどるかな



震災から3年過ぎた。これも一区切りだろう。
もうかわいそだ、かわいそうた、悲しい悲しいの時期は終わりになるだろう。
もちろん家族をなくした人に見ればそれは終わらないかもしれない
でもそうでな人たちにとっては3年目からは関心がうすれてゆく
ボランティアも半分以下にへったことでもわかる
そもそも人間は忘れやすいのである。
だから自分の身にふりかからないことは余計に忘れるのである


ただ今日は震災の日だからこれは記念日としていつまでも残り思い出す日になる。
ただこれからはますます外でも関心がなくなる
そしていつまでもかわいそうだ、悲しい、悲しいという時期は終わる
それよりそれぞれの生活を将来どうするかが関心の的になる
生活再建の方が当事者でも大事になる。

その再建がいかに困難なのか一向に復興がすすまないことでもわかる。
様々な問題が山積みにされていて未来が見えない
ただそれらの問題に一つ一つ取り組んでゆくほかない

近くの復興住宅の団地にしてもなかなか完成しないと毎日見ている
毎日そこを通るから実感するのである。

ただあそこが街の中心であり自分の墓の前に建つから違和感がある。
墓地は何か淋しいところがあっているからだ。
復興団地にしてもあそこは場所が悪いが土地がないので市の土地を利用するようになったのだ。
5つつくらい団地がたって人が入ればそこはかなりの人の出入りが生まれる。
だから何か墓地の前だったということか立地が悪かったのである。
それもこういう状態でどうにもならなかった。


今日も北風が吹いて寒かった。
だからイヌフグリが咲いていたけどつぼんでいた。
それから白鳥が四五羽は夕日がさして飛んでいった。
白鳥は何か夕べによく編隊で飛ぶのが見える。
白鳥の飛ぶ姿は本当に美しい


結局いろいろ失ったけど何か自然の美というのは失っていない
放射能汚染では水が汚くなるとか木や草が枯れるということもない
むしろスモッグとかの方が空気も汚れているように見えるから嫌である
放射能汚染されても空気も水も澄んでいて変わらないから不思議なのである
都会には白鳥でも飛ぶのが見えないだろう。
自然の美は大都会には消えている
だからもともとないのだから失うこともない
故郷と言ってももともと自然はないのだから東京が故郷とはならないだろう。


ただこの辺では実際はいろいろなものを失った。
それは避難者が痛切に感じていることである。
それは金ではあがなえないものでもあった。
だからそうした失ったものを金ではもはや買えない
それは老人とにている。
老人は金があっても時間は買えない
過ぎ去った時間は買えない、もとせない
百億積んでももどせないし買えない
そういう老人の感覚は老人になってみないとわからない
だから老人は故郷に帰りたいとなるのだ


原発作業関係ですでに8人が死んでいる (人柱伝説は事実から生まれた)


原発作業関係ですでに8人が死んでいる

(人柱伝説は事実から生まれた)


●ニュースにならない原発作業員の死


2012/1/17 福島県広野町周辺で日本原子力研究開発機構が実施している除染モデル事業で働いていた男性(59)が作業中に死亡。

2012/1/9、福島第一原発の放射性廃棄物を貯蔵する施設で生コンクリートの流し込み作業をしていた60代の男性作業員が、急に体調不良を訴え、午後5時過ぎに亡くなった。死因は急性心筋梗塞。
2011/12/12 伊達市で日本原子力研究開発機構が実施中の除染モデル事業に従事していた建設会社の男性作業員(60)が 死亡。
2011/10/6 福島第一原発で働いていた50代の男性作業員が死亡。

2011/8/10 原発近接エリアから車の運び出し業務に従事していた本宮市内の1名が死亡。
2011/8/9 原発近接エリアから車の運び出し業務に従事していた田村市内の2名が死亡。
2011/8上旬 福島第一原発で復旧作業にあたっていた40代男性が8月上旬に急性白血病で死亡。

2011/5/4 福島第一原発の現場で復旧作業に当たっていた60歳の男性が死亡。死因は心筋梗塞。


こうした死はニュースにもならならずに忘れられる。そしてメデアで報道されないそれなりに報道されるべき死は無数にある。ではなぜマスメデアではとりあげないのか?
それはこうした死は社会的にとりあげるべきものでも視聴者にとっては興味をひかないからである。

マスメデアは劇場社会では事件を本当のドラマとして報道したて視聴率を稼ぐのである。
]マスとは大勢の人の意味だから大勢の人が興味をひくのはドラマ性があるものと変わったものである。
だから犯罪は一番興味をひく、推理小説のようにいつも興味をひくから
必ず報道する。そしていろいろな死があってもそれは報道しても注目されない。
こうして原発作業で死んだ人も重要なものとして報道されない。
ただマスメデアに対して少人数を相手とする無数のミクロメデアがインターネットに生まれたので
その人たちか取り上げるニュースが生まれた。
それは地方からでも発信できるから様々なニュースがとりあげられるようになったのである。
これらの死の死因が心筋梗塞とか白血病なのか気にかかる。
これはセシウムとか放射能汚染と関係していると言われるからである。
そうしたことがあっても隠されるだろう。
報道することができるものは時の権力者である。
だから相馬藩でも400年前に津波で700溺死とは記録されたが他の記録は一切ない
権力者の都合でそれしか記録されなかったのだろう。


●人柱伝説は事実を基にして現在もある



僕の近所の溜池には人柱の伝説があって、
犠牲になった乙女をマツっている神社まであります。
これってほんとなんでしょうか?
人柱なんてほんとにあったのか疑問です。
溜池にはそういったなんらかの伝説がくっついてる場合が
よくあると聞いたこともありますが。


古天皇の時代(飛鳥時代)、古代の長柄橋の架橋は難工事で、人柱を捧げなければならないという状況になった

人柱の伝説、習俗は世界中にあるそうです。ボルネオのミラナウ族は柱穴を
堀り奴隷娘を落として殺しました。

常紋トンネルは、囚人労働が廃止された大正元年から三年がかりで建設
されたトンネルだから「人柱」の噂になっているのは、タコと呼ばれる
労務者のことだよ。
常紋トンネル付近には、苛酷な労働によって死亡したタコの死体が埋められている
らしく、その数は百数十人と言われている。
「常紋トンネル」という本の中に、トンネルの補修中、壁面から人骨が発見され

「日本の諸侯が城壁を築くとき、多少の臣民が礎として
壁下に敷かれんと願い出ることがある。
自ら志願して敷き殺された人の上に建てた壁は
壊れないと信じられているからである。
http://matome.naver.jp/odai/2135088492256507001

塩田平では、農業用水を確保するために中世から数多くのため池が作られてきた。

手塚地区にある舌食い池には
「堤を何度築いても崩れてしまうために人柱をたてるということになり、村はずれに住む一人住まいの娘に白羽の矢が立ったが、その娘は人柱になる前夜に舌を噛んで自死した。」という伝説が残っている。

すなわち「稲作は、はげしく自然と対立するものであったがために、自然(神)をどのように和め、どのようにして自然の力を人間の側に引き入れるかということが問題となり、神のもっとも喜ぶ捧げ物としてイケニエは準備されたのである。」@といわれている。
http://www3.karuizawa.ne.jp/~nishiiri/hitobasira.htm



伝説が起きるのは何もないところには起こらない、噂だって全くなにもないなら起こらない、火のないところに煙はたたない、
伝説はそれにまつわる何かがあって起きて伝えられる。その意味してるものが何なのか探る必要がある。
人柱伝説は現代にも実際に通じいるからわかりやすい、今でも大工事では事故は起こりやすいし人も事故で死ぬ。
何でも工事とか建築関係は危険な仕事だから3kの仕事、汚い、危険、きつい・・から誰もやりたくない、
でも誰かがやらざるをえない仕事がある。
工事とか建築関係では事故で死ぬ人が結構ある。それは現代でも同じである。

自分もアルバイトで建築関係の仕事をして死ぬところだった。
ビルの高いところで足場を組む仕事をさせられた。
それで落ちる寸前になったことがあった。
あそこでは確実に死ぬところだった。人間はやはり今は交通事故でも人は死ぬ危険性が高い。
別に運転しなくても突然暴走する車にもはねられる。
ただ建築関係は仕事自体が危険である。
そういうことをふりかえるとこんな平和な時代でも良く生き残ったなとかなる。
それは結局運が良かったともなる。

●人間が生きることも文明も犠牲によってあがなわれてきた


ここで指摘していると稲作が自然と対立するものだったということは普通は考えない、稲作は自然と調和するものだと思っている。
でも稲作は相当な人工的な一大文明だった。
巨大な土木事業だった。溜め池を造るにしてもそれも人力が主なときは容易ではない、
それで人柱伝説が生まれる。人柱伝説はそうした文明を作るための犠牲だったのである。
その後も建築家関係や道路でもトンネルでも橋でも作るのには必ず事故で死ぬ人がいる。
つまりいくら機械が発達しても人柱が必要になり死ぬ人がでてくる。


どのようにして自然の力を人間の側に引き入れるかということが問題となり、神のもっとも喜ぶ捧げ物としてイケニエは準備された


この考え方も人間が発祥してからあった古いものである。常に神へ対して犠牲がささげられてきた。
人間が犠牲にされてきたがあとは羊とか牛とかか実際に殺されて犠牲としてささげられた。
犠牲というときこの漢字自体が牛であり牛を犠牲にしたからこの漢字が生まれた。
そもそもこの世を生きることは常に犠牲が要求される。動物の命を奪うことは動物を犠牲にして人間が生きているということである。
たから今でもそのことは同じである。

そういうことから動物を殺して犠牲にしていることからそういうことをしなければならない
人間の業がありそのことを追求して生まれたのがヒンズー教であり仏教であったのだ。
だから今でもインドでは牛や猿を大事にする。牛を殺さないし街中も歩いている。
人間の命も他の生物の命によってありうる。牛でも豚でも殺される時は苦しいしそうして食べるものはありがたいともなる。
一方でそんなことが残酷だから動物は食べないという宗教が生まれたのである。

稲作文明にしても一見自然と調和しているようにみえても自然を壊すということもあったし
溜め池を作るにも大事業だから犠牲がでてくる。そういうことが伝説として残されたのである。

そういうことはマヤ文明でも絶えず残酷に人の命が犠牲にされた。
なぜそんな残酷なことをする必要があったのかというと現代ではわかりにくい。
太陽が衰えて死んでゆく、そしたら生きていけないと人間の命が犠牲にささげられた。
心臓までささげられたから異常なほど太陽が衰えることを恐れていたのだ。
太陽がエネルギーの基となっていたからだ。


このことが原発とも関係していた。
原子力のことは放射線でも実際は科学者でもわかっていなかった。
それは稲作文明も自然を変えることであり原子力も同じだったのである。
つまり原発でも生贄が必要になっていたのだ。
そんなことが非科学的だとなるが原子力にしても人間が全部わかっていないからそうなる。
自然を変えることは自然の力を人間の側に引き入れるということは危険なものがあったからである
。つまり科学であり技術というものは人間にとってすべていいものではなく常に危険があった。
だからこそ業、技(わざ)は災いに通じていたのである。

原発も同じでありそれは恐るべき災いをもたらすものだった。
その犠牲となる人が故郷まで奪われる多数の人が生まれたのも犠牲である。
原発の故に犠牲にされる。これは石油のためにも犠牲にされるということもある。
犠牲という時、戦争だって膨大な人間の血が国家のために犠牲にされたともなる。
だから靖国問題がある。

歴史も犠牲の上に築かれるているし文明もそうである。

人間の命が犠牲にされるからこそ文明はみんないいものではなく呪いが隠されている。
神に呪われてるのだ。だからその神をなだめるために人間の命の犠牲が必要だったのである。それは原発でも同じだった。
そういうことを科学者でも原発にかかわった人達は考えない、科学技術が信仰のようになっている時代である。
科学技術にも神の呪いがふりかかることをわきまえることがない。科学技術も偶像化して万能化して神をないがしろにして
神のごとく人間がなれると奢りになる。その一つがSTAPー万能細胞騒ぎだったのである。
科学技術が万能だというのはまさに信仰に近いものとなっているからそういうものを期待する。
万能に人間はなりえない、そして遺伝子操作した猿が逃げていたとか
そんなことから生態系が破壊されて人間に及び大きな災いをもたらす、
だから科学技術は万能ではなく常に危険をともなっていてそれが人類滅亡にもつながるものだということを知るべきなのである。

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2014年03月10日

津波原発事故から3年過ぎて (なぜ復興はすすまないのかー文明の崩壊現象が起きている?)


津波原発事故から3年過ぎて

(なぜ復興はすすまないのかー文明の崩壊現象が起きている?)



東北の被災地は被災前から高齢者が多く過疎化していた。神戸の復興は震災後2年すると仮設住宅からでて、自力で再建の道を進む人が多かった。都市部で人口も多く、若いひとたちは立ち直って新たな生活を築く力があった。
http://himawari-gumi.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-0e49.html

地方都市に行くと、農地の中に住宅がばらばらに点在して、これではインフラの整備が大変だろうと思う。日
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/90e61af78b413efff3f2ebf6c9ed7122


 被災者の人々は、被災前の元の街に戻してほしいという希望が
あると思うのですが、全てが流されてしまった被災地を元通りに戻すのは
現実的には不可能なんおではないでしょうか。
http://ainodennsyobato.at.webry.info/201303/article_7.html


被災地で緊急を要する事案であるのに、
通常ルールで申請をして、
許可を得なければならない。
また、復興交付金制度を使い山を削ろうとしたら、
今度は都市計画設計をしなければならないという
ルールもある。




今回の災害はあまりにも大きかった。どこがどうなっているのかも近くでもわからない。だから一体どう復興を進めていいのかもわからない、原発事故周辺は津波の被害もあってかさなり何らすすんでいない、今回の復興がすすまないのは社会自体の文明自体の崩壊現象のようなものが起きたからではないかとも書いてきた。
それほど被害が大きくどう理解していいのか何が起きたのか今でもわからないものがある。放射能汚染だってこれも今でもどこまで有害なのかもわからない、その原因をあげたらきりがないだろう。それはすでに現代社会自体の様々な矛盾や問題が災害とともに一気にふきだした感じなのである。


この災害によって今の社会の文明社会の隠された問題も表面にでてきてむきだしになった。だから文明の崩壊現象のようなことが起きた時、それを簡単に復興することはむずかしい。もう前のようには元どおりにはならないというあきらめ感もでてくる。
大きく言えば新しい文明の再構築すらせまられているのかもしれない、そうでなくても今までの規制の社会に基づいた考えでは復興はない、それほどまでに破壊された恐怖だった。だからもううちのめされてあきらめるになる人も高齢化社会ではでてくる。
高齢者は老後は楽に暮らしたいという人が多いからそうなる。
そして肝心の若い人は流出してゆくときさらに街の再建や復興は絶望的になる。


ともかくどれだけの問題がここに生まれたかとても手に負えないものとなっている。
縦割り行政の問題もある。国と地方が対立していることもある。地方自治力の衰えがあり国指導になってうまくいかなこともある。そのことは別に災害前にもあったことが震災後に露骨に現れたにすぎない、すべての問題が震災のためではない、すでにそういう問題が噴出する根は震災前にあったのである。
だからインカ帝国などが滅びたのは簡単に何百人かの侵略者によって滅びたのはその社会がそのシステムが機能しなくなっていて外部からの侵略者によって簡単に滅びたとも言われる。

何かそうした文明のシステムの弱体化とか機能不全状態に陥っている。問題が災害とともに噴出した結果、いろいろ問題が山山積みであり解決しない、人手不足でも深刻であり福祉の建物ができてもそこで働く人がいなとかなり建物より人の確保が大事だともなる。

だから再建しようとするとき今までの社会のモデルを参考にはできない、全く新しい発想が必要だというのもそのためである。
一面これだけ破壊されたらそこには全く新しい構想の街も作りやすいということはある。規制の概念にとらえられない街作りも可能になる。
ただそれもまた少子高齢化で担い手がいないとかなんとか問題が山積みなのである。


歴史をふりかえると農業や漁業や山林業など一次産業主体の社会だったら比較的復興はしやすかったのかもしれない、別に道路だ、水道だ、建物だ・・・と言ったインフラは必要ない、もともとその土地での自給自足を基本にしていたのだから例え津波で水田がだめになってもやはりそれがまたチャンスとなって相馬藩からもわざわざ伊達藩に開拓に入っている。今は農業でも第一次産業主体でないからこの際跡継ぎもないから高齢者ばかりでやる気もないからやめるというふうになってしまった。
高度成長期のような社会ではなく衰退する成熟する社会で起きた大災害でありそれで復興もできない、それはもう個々ではいくら努力しても無理でありもう社会自体が沈滞化して衰退してゆく、街の復興などももうできないというあきらめになってしまう。


まず復興住宅にしても数パーセントしか達成していない、その数が膨大なことと土地も膨大であり進まない、その後の生活設計も見えてこない、だからすでに津波でも原発被害でも被害がひどい街は放棄されつつある。新たな場所に移って再建をはじめている。
飯館村でも長泥地区では建築業の人が福島市に移り再開したからもうもどらない。
農業中心だったら土地が必要でありそんなことはできないが今は飯館村でも農業だけでは成り立っていない、それなりに会社があって工場があって成り立っている。
それはどこでもそうでありだから土地に制約されないとすると他に移っても抵抗感がないのである。


国主導の復興に問題があるとしても予算は国からでくから金をにぎっているのが国だから地方自治体は従わざるをえない、現代とは地方の地方の自治力が弱体化していたから災害でもそうなる。つまりすべての問題は災害によって起こったわけではない、その前からそうした問題は指摘されていた。それが震災であらわになっただけなのである。
だから個々の努力が必要にしてもそこには限界がある。
今までにない新しい社会の構想が必要になる。でもそんてものが簡単に見えないし作れないのである。ただ文明の崩壊現象が起きているからそれほど何か新しいものを作り出すものが必要になっている。


そういうことは明治維新の時にも起きた。社会を根本から作り直す必要にせまられたのである。戦争に負けた跡もその焼け野原は今の壊滅した市町村の状態ともにていた。
ただそうした歴史をふりかえっても今回の方が再建は復興はむずかしいようにも見える。インカ帝国のように社会自体が文明自体が衰退してゆくときに起きたことだからである。つまり大きな文明的問題に直面しているから復興がなかなかすすまないとも言える。
個々の問題は山積みでもそうした大きな社会文明の転換さえ要求されいるうような巨大災害だったのである。




文明が崩壊するのは、「脳が文明を手に負えなくなる」からだ。本書はそう主張する。マヤ、ローマ、クメール、どの文明も、始めは不利な環境や障害を克服して立ち上がった。その後も予想を上回る困難に遭遇するが、創意工夫や多様性で乗り切っていく。しかし、やがて、潜在的な問題が複雑さを増してきて、正しい解決方法を考えることが難しくなる。そして遂に、文明がもつ知識で解決可能な「認知閾」を越えてしまい、問題を次世代に先送りするしかない状況に陥る。これが、文明の滅亡のプロセスだという。

http://honz.jp/9606

posted by 老鶯 at 22:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

2014年03月09日

春の日(原町ー萱浜に行く)

 

春の日(原町ー萱浜に行く)

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ここまで津波が来たらしい、でもこのからまる藤の蔓は異様である
大蛇が絡まりついているようである
女性にはそういうものがある


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また一軒食堂に入る春の街


新田川水面の光り春の日や我がわたりて原町に来ぬ

春の日に萱浜の沖船のゆく津波の跡や年はめぐりぬ
林の陰池なお凍り高台に今年の寒さここに残りぬ


必ず新田川を渡ると原町である。だから自転車だと新田川を意識する。
川は一つの境として意識する。だから川はやはり徒歩だった昔は必ず意識する
車だと川も意識しないのである。
水面が春の光に反射する光景などでも見れない
そんなの見ていたらよそ見していたら事故になってしまう。
だから車の移動は距離の移動になってしまう
ただ運転しないで乗っていて外をみていると違う。
見ることに集中できるからである。

萱浜も見晴らしがよくなって沖に船の行くのが見えた。
景観的には前と違って海が広く意識するようになった
もともとあの萱浜には松があったが
あそこは何か陰気で嫌だったのである。
松原というものもなく何か陰気だった
あそこて首吊りがあり女高生が殺された。
そのすく一週間後に津波がきた、そして女高生の死体があがったのである

正直、原町の海岸の印象はいいものでなかった
海岸では右田の松原が一番良かったのである。

自然でも何か暗いものが感じるといやになるかもしれない
あそこは女高生の殺人があるまえからなんともいい感じのしないところだった
自然でもそういう場所があのかもしれない
人工化した自然の方が親しみやすいというところもある。
右田の松原はそういう場所だった

なぜか津波の前にあったことが気になるようになったのだ。

自分の一身上でもそうである
犯罪にあい半年以上呪いつづけたのである。
そしてあの津波が半年後に襲ってきたのである。
自分の家も一人が認知症になってからばらばらに暮らすようになった
そして火事場泥棒にもあった
何かそれが回りの状況ともにている不思議があるのだ。
自分の一身上の混乱が回りに波及したように感じたのである。
自分の一身上も地獄であり回りも地獄になってしまったのである。


それから津波の起こる前の夏は異常に暑かった。
あの暑さも何か津波と関係していたかもしれない
あんな暑さを経験したことがなかった
異様な暑さであり空も普通の空でなかった
異常な明るさがつづき曇ることもなかった
何かそうした天気とも津波は関係していたかもしれない
おそらく津波は天体とも関係して起こる
大地震も地球の変動も天体と関係している
ということは気象とも関係しているとなる


そして世の中の人間の社会の腐敗などとも関係していた
現代というのはただ欲望の無限大の拡大であり
ただ金、金、金に追われる生活がつづいてきた
それはどこの家族でも個人でも同じだったのである。
原発とはそうした人間の限りない欲望が作り出したものなのである。
そういうものに対して神が自然が怒ったとういこともありうるのだ

何か人間の社会もすでに腐敗して極限状態にあったということもある
腐敗はもう極限に達して是正できないところまできていた

だからこの巨大な災害は人間への文明への奢りに対する戒め、警告でもあった。
ただ科学的なものだけでは答えが出ない畏怖すべき災害だったのである。


原町てラーメンが300円で食べられ所があった。餃子も200円で食べられる
あれはやすいと思った。あそこははじめて入った。
そういうのがあるから原町は便利なのである。

帰りに川子の高台の池はまだ凍っていた。
今日は寒くはなかったが今年は寒かったからだ凍っていたのである

 

当たり前の幸せが失われた原発事故周辺 (春の日の石(詩)で過去をを回想する)


当たり前の幸せが失われた原発事故周辺

(春の日の石(詩)で過去を回想する)

春の日の石


わずらいなく
いくつかの石
そこにありにし
争うこともなく
信頼しつつ
長き日を
千歳の日も
そこにありにし
何事のなけれど
そこにありにし
春の日のさしして
ぽかかと
石はゆったりとありぬ
今は村人は離ればなれ
散り散りとなりぬ
何事のなけれど
そこにありにし時の
その幸いの日々よ
春の日のさして
ぽかぽかと
自ずと満ち足りた石よ
幸いはそこにありしを
村人の畑を耕して
ぽっかりと春の雲浮きぬ
鶯はのどかにその美声を放ち
梅の香り流れ石はなごみぬ
旅人のその石に腰をおろし
また去りゆく山の道よ
蝶はここに生まれて舞いぬれ
嬉々としてまた花を求めて
いづこかへと舞い去りぬ

津波原発事故で変わったことは当たり前のことが幸せだったことである。
そういう当たり前のことは意識しにくい、それがあまりにも当たり前だったから
それが幸せだなとと意識した人はいない

でも実際にそれが津波や原発事故で破壊された時、それを意識するようになった。
家はなくなり家族はばらばらになり故郷すら失った。
こんなことがありうるのかという連続だった

だから自分も詩を作っていたけどその詩を作るイメージするのは実際にあった
ふれたものからイメージして作っている。
それは故郷の自然であり生活があって作られていたのである。

だから平和な時はそれはただ当たり前のものとしてあり意識していない

今になるとあそこはもうなかなか行けないとかなっているのが理不尽なのである
この石があったのは原町からトンネル、原浪トンネルという新しくできた
トンネルを通って出たところに家がありその前に川がありそこにいくつかの石があり
そこでいつでも休んでいたのである。
そこに前には茶屋があってモチなどを売っていた。
それはなくなった。
あそこは浪江の領域でありそれで原町浪江で原浪トンネルとなっていた。
浪江だと警戒区域になっているから入れないのも理不尽なのである
春になるとまた自転車で行きたくなるのである


ともかく津波原発事故から3年目でもこの辺で経験していることは常にありえないことだったのである。
もちろん津波で家を失い家族を失った人は自分以上にありえないことを経験している。
仮設に住んでいる人もそうである。
そういう人の心境はなかなか計りにくいのである。
だから外からあれこれ言われると反発することもあるだろう。

ともかく本当に当たり前のことが幸せだったとは思いもよらなかったのがこの辺でみんなが意識されたことである。

もちろん事故前でも人間はいろいろもめているし事件もあったし酷いことも常に起きている
それは事故前に自分がどれほど酷い目にあったかを書いた
たたその前の30年間は自分にとっても回りも何の問題もなかったのである
自分の場合は姉が認知症になってからすべてが崩れてしまった。
その間の30年間は何ら問題なく楽な平和な日々だった
その30年間は近くでも遠くでも自由に旅していた幸せかあった
それが全くなくなった。

ここ7年間は介護であり自由に出歩けないからなんか今は温泉てにでも入って
食事の用意をされて楽したいなと思う
毎日食事の用意しているとその事から一時でも解放されたいと思う
それが7年間できなかったのである。


ともかく自分の詩のテーマは石があった。だから石に対する思いがあり
原浪トンネルを通ったところに石がいくつかあり休んでいたなと思い出したのである。
そういうことは故郷から離れた人も別に詩にしなくても思い出しているだろう
あそこでどうしたとか畑を耕していた田植えをしていたとか何をしていたとか
農家の人でも他の人でも思い出しているだろう。
実はそういう思い出も貴重なものとなっているのだ。

思い出は明らかにその生活した場と密接に結びついている
その場から思い出しているのだ。
だからその生活した場から切り離されると思い出せなくなる
歴史でも近くの古い碑などを紹介したか
密接にその場と一体となり記憶される
だから場から離れると思い出せなくなる

確かに世は変わっても自然そのものは変わらない
たた津波では松原は消失したのだから変わった
それは元の自然にもどったということでもあった

ともかく浪江の高瀬川渓谷などは景勝の地でありその麓の大堀は相馬焼の窯場だった
あそこは場所がいい、窯元は何か場所がいいところにあると窯元らしくなる
高瀬川の清流の岸辺であり気持いい場所だった
そういう所から離れて住めないということか大堀の人も残念に思っているだろう。
あの辺は線量が高いだろう。


ただ放射能汚染でも自然そのものが失ったわけではない、自然の美しさは今でも変わりないのである。
高瀬川でもそうである。それが放射能の不思議だったのである。
水は澄んでいるし緑も同じだしどこが変わったのかという不思議がある
それでも放射性物質は雪ふってわかったように空気中にただよっている
それを毎日吸っているから何らか影響がある
たたそれを直接的には感じないのである

昨日は寒かったが今日は春らしい日である
それでこんな詩が生まれたのである

posted by 老鶯 at 11:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年03月08日

原発避難者は3年目でどうするのか (仮設はすべて仮にすぎないから終わるべき)


原発避難者は3年目でどうするのか

(仮設はすべて仮にすぎないから終わるべき)


NHKで原発事故で13万人が避難しているという,その中に自主避難も5万人いるという。
でもなんかNHKでは本音のところは放送しない、
都路村の孫も何人かいる大家族がいたけどそういうふうに家族が多いと子供でも一人
10万の補償がでる。だから家族が多いと一カ月百万とかりてってしまう。
小高区の家族にはそういう人がいた。毎日マグロのサシミだよ言っていた。
田舎では都路村でも飯館村でもまだまだ大家族がいる。
農家にはまだ多いのである。

まず都路村でシイタケなど栽培してもそれほど金にはならない。
そして放射能汚染の風評被害でそもそも売れなくなっている。
そうしたら帰ってどうして生活するのだとなる。
補償金の額が大きいから帰りたくなくなった人がかなりいるのだ。
こんなにもらえるなら川内村でも郡山市の方がいいとなって帰らないのである。

もしそんなに補償金もらえないならもう放射能など気にしないで生活した方がいいとなるだから
何かタマネギを無料で配布したとき、我先に困窮しているようにもらってゆく
着るものまだ支援されている。
そんなのはたりている。何か私たちはんなに困窮していますよというのを社会に見せつけるためにNHKが放送しているのだ。
もちろんそうるなと住民もどういう放送するのか気になるから取材を許すことになる

デアはだから真実は伝えない、NHKは特にこの人たちはかわいそうな人たちですよということが
テーマになり視聴率をかせぐのが手法である。
それで耳が聞こえない佐村河内守氏にだまされたのかなんなのかわからないが
NHKにとっては格好の視聴率をとれるものだったのである。

なぜこういうことを言うかというとそんなことをあえてそんなこきとを言う必要がないというかもしれないが
何か誤解されて全国民に知らされることが危険なのである。

こんなことを報道していたらいつまでも補償が必要であり国はそうするべきだということを暗黙の内に奨励することになる。
確かに補償金を打ち切られたらこれからの生活は厳しくなる。
でも一方でだらだらと補償金頼りの仮設の生活も許されるものではない

仮設の奇妙なのはすべてが仮りなのである。仮の宿であり仮の生活でありすべてに
仮りがつき人間そのものが仮りの人じゃないかとさえ思った。
なぜなら東京の方で競馬だ風俗だと遊んでいる人がいてその人の仮設の生活は
まさに仮設で暮らすような生活が良かったのである。
不思議なのはその人生が仮りの人生だったのかともなる

そういうすべてが仮りになってしまうとき地元の人と何か復興に向けて働くということもない、
地元の人と交流できない、なぜならすべてが仮になっていて仮では根を下ろすことはできない。
それは強いられたから仕方がないという面があっても3年たっていつまでも仮では回りも困ってしまうだろう。

別にイワキであれ他に移って看護師であれ介護士であれスーパーのレジであれ何であれ
その地元で働いて貢献していれば地元の人たちに批判はされない
あの人たちは働いてくれるのだなとなる。実際に一部の人は働いている。
でも大方は補償金で働いていないから批判されるのである。

そして補償金でも手厚い、新しく土地の購入にかかる金を補償金として支払うとかもあった。
イワキなどの地価は三倍くらいするからそれだけ費用がかさむ。
でもその地元の人たちにとってはそういう土地を買えない家も建てられない人も相当いる。
それなのに原発避難者は家まで建てられるとうらやましがられる。

要するに人間は別に金持ちでもいい、それは回りが容認する金持ちだったら誰も批判はしない。
その土地に貢献した人であり社会に貢献しているから言わないのである。
おそらく江戸時代の庄屋などは役所みたいなもので豊かでも飢饉のときは食料をめぐんでくれるとかのために
金持ちであることを回りで守ってくれたというのもあるとか
すべての金持ちが昔から否定はされていないのである。

原発成り金はそういうものと違うからいろいろと批判される。
なんであの人たちがあんなに何でも地元の人より優遇されるのだろうとなる。

現実に事業するにも南相馬市の鹿島区だけは支援がないのである。
30キロの外ということで除外されているのも南相馬市なのに解せない人はかなりいる。
そうなると小高区の人とまた軋轢をうむ。

いづれにしろ仮設にいる限り復興はない、それはいつまでたっても仮りのものでしかないからである。
だから人まであなたは仮りの人間ですかとまでなる。
根を下ろした実体ある人ではないとまでなる。
そういう人が社会のアウトサイダーとして少数者としてわずかにいるのは
別にかまわないただこんなに大勢の人が仮りの人になっていることは社会的に異常になってしまう。
だから仮設から早くでて仮の生活ではない本当の生活に移る時期なのである。
仮設からみんなが出たとき復興への次の大きな段階に入ってゆくことは確かである。
そういう時期になっているということである。

結局明治時代でも亘理の伊達氏の氏族が新天地の北海道に移住したのは苦しかったが成功だった。
そこは伊達市になっている。それから奈良の十津川部落も水害で一村がみんなで北海道に移住した。
そこではそこに住んでいる人たちとそれほど軋轢がなくてすんだ
もちろんアイヌが先住民としていたが同調していった。
今回はそういうわけにはいかない、補償金をもらったとしても地元の人から受け入れられない事情が生まれた
だから金だけもらっても何でも解決するというものでもない
それは今の社会は金で何でも解決するようでもやはりしない
飯館村の農家の人が食料は自給していた。
それで補償金生活になったら買いだめするとか金だけの生活に不安になっているという。
飯館辺りでも食料はなんとか自給するということがあったかもしれない
でも補償金は金だけの生活となると考え方まで変わってしまう。

ともかくイワキでも双葉や大熊の町を作ろうとしてもそこに地元の人と軋轢が生まれる。
二本松でも浪江町を作ろうとしてもそうである。
そこは北海道とは違う、すでにその土地の作られた生活がありそこに金だけをもってきて入ってくるのは暴力的にもなる。
だから金だけでは人間の生活はすべてを解決できないことを知ったのである。

posted by 老鶯 at 22:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連