2014年09月30日

鶏頭(人は何かを継ぐために生きている)


鶏頭(人は何かを継ぐために生きている)

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鶏頭の赤や継ぎなむ我が里を

鶏頭の朝に赤しもコスモスの風にゆれにつ映えにけるかな


鶏頭の赤は何を意味しているのか?赤とは神道でも赤き心とか偽りなき心とかに通じて重んじている。特にこの鶏頭は他の違う赤だからである。
つまりこれまで花を追求してきたのが自分である。
花には花言葉があるようにいろいろな意味が付与されてきた。
だから花言葉一応の目安でありその人によって解釈がある

今回はこの鶏頭の赤は我が里を継ぐものとして赤いと見た。
これはこの辺の事情と関係して生まれた感覚である。
ここだけではない、我が里に住めないという状態が生まれたからである。
前にも書いたけどいったん住んだ所は人が住まなくなると荒廃がひどくなる。
そこは廃村巡りのサイトを見ればわかる。
異様な雰囲気をかもしだしているのである。
まさに幽鬼が彷徨っているようなすさまじい光景になっているのだ。
そこにも長い歴史があり継ぐべきものがある。
その継ぐべきものが継がれずに廃棄されたことによりそういう異様な光景となった。

そもそも人間は何かを生み出すといってもたいがいすでにあるものを活かして継続したものとして生活がある。一から何かを作りだして生きている人はいないのである。
そんな風に生きられるはずがないのである。
田舎では先祖が残した田畑だから手放せないというときもそうである。
先人の残したものがありその上に今の生活がある。
もちろん時代によって生活は変化するが前の代にあったものを継いで生活している。

確かに近くで裸一貫で一代で材を築いたということを盛んに言う人がいる。
その苦労は並大抵のものではないことであったことはわかる。
つまり一代で財を築くことはそれだけ苦労かあるということでもある。
土地とか家とか何かしら資産があってならそれを継いでやるから楽なのである。
残されたものを活かしてさらに資産を増やすとか何か新しく付け加えることがてきる
何にもないところから生活している人などいないのである。

もし家がないから自分が家を建てたりしたり何か資産がなかったらとても芸術の創造などできない、その苦労だけで重荷となり何もできなくなる。
芸術はなにかしら余裕があるとできるからである。
家事だってこれもかなりの重圧になり時間がなくなるから創作できなくなることもある。
学問だってそもそもスコーレ(暇)から生まれたのであり暇がなければ学問もありえないのである。
毎日稼ぐばかりの労働を強いられたら学問とか芸術の創造はなくなる。

嗣業(しぎょう)

聖書にのみ使われている造語単語。嗣には本来、家や王位、名前、家財などを継承するという意味があり、聖書では、神様の祝福、財産、恵み、名前を受け継ぐことをいう。ゴエルはまさに嗣業である。

さらにゴエルとは、再びさがし出す、元に戻すという意味もあり、ルツ記にはこの概念が13回 も出てくる。この概念が重要なのは、この考えが私たちの救いと重なっているからだ。エデンの園で本来持っていた神様の嗣業(神様の祝福の相続)を、罪の為 に失ってしまった私たち

 嗣業(しぎょう)という概念が他にないから説明しようがない。
カナンの地、今のイスラエルは神に与えられ嗣業(しぎょう)の地であった。
だからこそ今でもそこをめぐって争われている。

神様の祝福、財産、恵み、名前を受け継ぐことをいう

これは日本的に良くいう先祖のことになるだろう。先祖の残したものとなるとわかりやすいのである。なぜならそういうものを原発事故で失ってしまったからである。
 名前とは家系ともなり恵みは田畑の実りなどでありそこに家とか土地とかあり財産もあったのである。それらを失ったことか原発事故周辺なのである。
特に住めなくなった地域はそうなのである。

何かしらその家々には受け継ぐものがある。嗣業(しぎょう)は何かをもっている。
そもそも嗣業(しぎょう)は神から与えられたものであり人間で作り出せないものである。
農業とかもともと神聖なものだったというとき一つの嗣業(しぎょう)だからそうなっている。漁業とかもそういうものとしてもともとはあった。

原発事故で住めなくなった地域はそうした土地や資産やそれだけではない家系としてつづいた名も失うことになる。それは相当深刻なことだろう。
他の土地で一からはじめことは容易ではないからだ。まず土地がなければ農業ができないとかになるからである。
ただ他の土地に移り飯館牛を絶やさないためにと牛を飼っている人もいるし土地を借りて農業をはじめた人はいる。だからできないことはない、でも村とか町としての 嗣業(しぎょう)は失われたのである。
個々には回復があっても全体としては村や町が消失したからないのである。

また避難区域だったところに老人だけ住んでも何か 嗣業(しぎょう)はやがて絶えてしまうだろう。そして元の荒野に森に戻ってしまうだろう。
だから75歳で稲田を作ったとか川内村では75歳でエチゴ栽培をはじめた。
それも一つの嗣業(しぎょう)を回復して新たに作ろうとしてはじめた。
すでに山元町などはエチゴ栽培のノウハウが蓄積され 嗣業となっているからはじめられた。そういうノウハウの蓄積がなければ一からはじめるから容易ではなくなるのである。

だから原発事故で住みなくなった地域は神に呪われた地になっかのかとも思う。
なぜなら 嗣業が奪われ人々は離散してしまったからである。
これは三陸などの津波の被害地にも言えるだろう。
もう人が継続して住めないというほど被害が大きすぎたのである。
人口の20パーセントが女川では流出したとかなるとそうである。
高齢化社会がまた追い打ちをかけて若い人たちが流出して町も村も維持されなくなっいるのだ。

小さなる漁港点々津浪きて暮らし奪いぬ誰か跡継ぐ

跡継ぐ人がいない、 嗣業が受け継がれない、村は消滅するとまでなっている。
ただ 嗣業とは何かというとき、そもそも農業とか漁業ではやっていけないと原発事故前から言っていたし跡継ぎもいないというのは津波や原発事故前から盛んに言われたいたのでありそれが津波や原発事故で致命的になったのである。

インカ帝国などはもともと国家としても旧弊化して滅びる運命にあったとか言われる。
それがスペインのわずかの盗賊強盗集団が入ってきてあっけなく滅んでしまった。
それだけの抵抗力がすでに国自体になくなっていたからだとも言われる。
今回は農業でも漁業でも林業でも壊滅的打撃を受けたのはもともと収入が少なくてやっていけないと常に言われてきて跡継ぎもいないというのとは津波や原発事故前からそうなっていたのである。ただ津波原発事故はとどめさしたとなるだけだったのである。
なぜなら三陸があれだけ百年前でも一万人以上も百年前ころに津波で死んでも回復していることでもわかる。その頃は漁業が暮らしの中心だからそうなっていたのである。
要するにすでに津波原発事故前から農業や漁業に見切りをつける人が多かった。
それが津波原発事故であからさまになり本当に見切りをつける決断を強いられたともなっているのである。



  




タグ:鶏頭

2014年09月29日

御嶽山噴火で多数死亡? (登山は魅力あるからやめることができない)


御嶽山噴火で多数死亡?

(登山は魅力あるからやめることができない)

テニス、バレーボール、スケート、スキーとは異なり、登山が、中高年であっても、登山
初心者でも「3000メートル級の山に登れてしまう」という手軽に達成感を得られることが人気を博しているとも言えます。


2004年の山岳遭難者は1609人、このうち1309人と全体の約80%を占めているのが、40歳以上のいわゆる中高年(※1)である。死者・不明者に関しては、267人のうち249人が中高年で、全体の90%を越える数字となっている。 



御嶽山の水蒸気爆発があったけどあそこは7合目まで車で行けるとかスキー場があるとか登り安い山だった。だからハイキング気分で登った人が多かったのかもしれない。
山はあのように観光地化していなと大変な苦労を強いられる。尾瀬でも檜枝岐方面から登ったから遠かった。こんなに歩かねばならないのかとそこはまさに秘境でありなかなか入れない地だったのである。一方別なルートは群馬県からは意外と入りやすいとかで多くの人がそっちから気軽に入るようになったのである。
尾瀬は明治ころまで本当に秘境だったのである。江戸時代までは秘境というのはいたるところにあったと思う。
近くの飯館の八木沢峠の麓のバラ坂とか大葦とかが秘境だったと書いたが日本の村そのものが江戸時代は交流が少ないのだから秘境になっていた。
秘境になっていたのはどんな奥地でも自給自足していたから余計にそうなった。
日本全国にある平家落人の村というのはそうした奥地で他の村とも交流がまれなことから伝説が生まれたのであり平家の子孫とかではないらしい。
他との交流がないから自ずと日本の村が神秘的になっていたのである。

神隠は戦乱から逃げて農民になった西国の武士の一族が、神様からも隠れられる場所の意味でつけたらしい

この地名の由来もわかりにくいが西国だと平家落人の伝説が信憑性を帯びてくる。
檜枝岐は相当な奥地であり平家落人伝説にふさわしい地であるが言葉が京言葉だとかそれは木地師系統が入ってきたのかもしれない。
今は尾瀬だっけハイキングコースである。バスで行った時は駒止峠を越えて行ったから遠かった。その時舗装もされていない道でありその峠の道は高いからまさに秘境に行く感じがあった。今はトンネルができたから便利になり観光地になり秘境の感覚はない。
そもそも今の日本で秘境などなくなったのである。
秘湯めぐりがブームなってもそこは秘湯ではない、観光地化した秘湯なのである。
今なぜ廃墟や廃村めぐりが若者でもブームになっているかというとそうした秘境がなくなりかえって廃村とかに神秘性を感じてしまうからである。
ある意味で皮肉だけど人が住まなくなってそこが秘境になってしまったのである。

なぜ中高年が山にひかれるのか登るのか、山登りとか本当の長い旅行するとなると簡単にはできない、勤めていたら山登りになると楽なのでもそこまで行くのも大変だし労力がかかる。登山は自分では登るだけで相当な体力が必要だった。自分は体力がないから余計にそうだった。だから山はあまり登っていない、登った後も疲れて一週間とか眠りつづけていたことがあった。それだけ山登りは楽なものでも疲れるのである。
まず重い荷物を背負って登るだけでも相当な体力がいる。

ただ山の魅力は大きい、山を知るには直接登ればその山を肌でしる効果はある。
ただ山は登るだけではない山を見る遠くからでも見ても山の大きさを偉容を感じる。
山は登るから知るというものではない、大きな高い山はむしろ遠くから見ると感じるものがある。だから画家はたいがい登るのではなく遠くからきれいに見える山を描いている。
富士山は一回登ればいいだろう。かえってきれいに見える所に行く方がいいのだ。
そのきれいに見える場所に自分は行っていない、河口湖は山が麓から大きく見えるから場所としてはよかった。他にも富士山を見るポイントがあるからそこに行く必要がある。
富士見という地名が多いのはやはり富士山はどこからでも見えるから見る山としてあった。

ただ山というのはヒマラヤなどになる3000メートルの高さまで登らないと山がきれいに見えない、8000メートルになるとそうなのである。3000メートルからさら5000メートルの高さがあるからまるで天まで聳えるような山になっているのだ。
これも春だったのではっきり見えなかったのが残念だった。
山はあまり登っていない、結局体力がかなり必要だからである。
なぜ退職者が登るかというと一つは暇ができたということである。時間もないと山は登れない、準備にも時間かかるし登るには体力がいるしあとで疲れて会社に行くこともなく家で休めるのだから退職すると登山したいとなる。
結局旅行にしても十分な時間がないとできない、金より時間があることだった。
そういう時間が一カ月でも自由に旅する時間が会社員になるととれないから旅もできない。
だから退職すると第一に旅行したいというのがわかる。
海外でもパックパッカーのように60代でもしていたからわかる。

とにかく山の魅力はあまりにも大きいからヒマラヤで50過ぎで女性の医者の人が死んだ。
山の魅力に憑かれて死んだとなる。ヒマラヤになるとそういう人も出てくるだろう。
死んでも登りたいとか山を見て死にたいとまでなる。
山にはそれだけの魅力があるからそうなる。
だから山で死ぬようなやつは迷惑で馬鹿だとか盛んに言われるがそうでもない。
山がそれだけの感動を与えてくれるから登るのである。
ただ年取ってから山に登ちらなくても遠くから見るだけでも山に感動する。
自分の住んでいる所は高い山がないから海があってもものたりないとなる。
阿武隈高原を越えると吾妻山とか蔵王と安達太良とか見えるのが違っている。
会津になると山々がひしめいている。それも千メートルを越えている山だから山国なのである。阿武隈高原には千メートル超えた山はないのである。

今回の御嶽山の水蒸気爆発にあったのは不運だった。そもそも火山は死火山でも噴火する、それも一万年に一回とかでありそれでもその時に会わないとは限らない、そうなるとよほどの不運だったとなる。
つまり自然の時間のスケールが人間の小刻みな時間のスケールとあまりにも違いすぎるのである。津波だって相馬藩内とかで400年に一回とかなるとその時間のスケールに人間か合わせることができないのである。
それにしても自然は怖いというものを津波でも否応なく認識させられた。
広島の土砂災害でもそうだった。どこに危険がひそんでいるかわからないということである。

それでも登山が危険だから禁止した方がいいとかいうのはどうかと思う。
それだけ魅力かあるら山に登る、山に登れば地上では見れないものを見れるから登るのである。だから何でも危険だからやめろといったら交通事故になるのだから車に乗るなとなる。車が生活に必要だと言ってもやはり危険なことには変わりない、毎日人が死んでいるからだ。山に登るのは遊びじゃないかというときも別な見方もある。
山に登ることこそが命をかけてもするべきだとなることもありうる。
日常の生活を命をかけてやらないだろう。そしたら山に登ることこそ命をかけてでもやるべきものだという考えもある。それはそれぞれの価値観だとなる。
西行だって最後は命をかけて旅をした。旅が生涯だったから最後もそうなった。
旅に昇華された人生だったとなる。

いづれにしろ今回の御嶽山で多数死んだとしてもそれは不運だったのである。
だから登山はやめろ禁止しろとかなるのは賛成できとないのである。
ただ山は登らなくても見るだけでも感動するから中高年は見るだけで満足しろとは言えるかもしれない、それでも登りたい人は登りたいとなる。山に登らないとどうしても山をじかに感じることができないことがあるからだ。
自分はまだ山に登りたかったが今やできない、ただ富士山でも最後にきれいに見れる場所で見たいというのが希望である。
日本人だと最後に何を見たいのか何を望むのかとなるか富士山を見たいということになるのも日本人として生まれたならそうなる。
何か文化的なものより富士山のような自然の荘厳にふれたいというのがある。

ともかく最近起きている自然災害は何なのか?大きな自然災害の前兆なのかと不安になる。
自然災害もカルマだったのである。ポンペイではエトナ山が噴火してポンペイが火山灰に埋もれて消えてしまった。それが2000年も知られずに埋もれてしまったいたのである。
今回も火山灰に山頂で埋もれたままになるというのは同じだった。
生きたまま火山灰に埋もれてしまう。男女がだきあって泥のミイラとなって埋もれていたのがポンペイだった。これもまた同じようなことが起きたのである。
過去にあったことは必ずまた繰り返されるカルマとなって現実化するのである。
津波などは三陸などでは百年前にも一万人死んだとかあった。
ただ福島県浜通りとか宮城県でも南の方ではなかった。
ただ人間の時間のスケールが短いから忘れていたのである。
災害は忘れたころやってくるというのはそれだけ人間の時間の感覚が短いからそうなる。
自然は一万年とかのスケールで活動しているのだからそれにとても人間はあわせることができないから災害は忘れたころやってくるとなるのである。




タグ:御嶽山
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2014年09月28日

抽象画 (水に反射する光の波紋)



抽象画 (水に反射する光の波紋)


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抽象画は必ず一つではないそこからいくつもに変容する
ソフトの作用で変化して行くのを楽しむ
具象画が固定化してそれを直すこも描き加えることもできない
それはすでに完成品だからである。
抽象画には完成品はない
誰かの抽象画また別な抽象画に変化する
それは著作権違反にならないから新しいパソコンによる芸術の楽しみ方になった。
まず素人だったら自分なりの絵を描くことは無理である。
自分は全く絵の才能がないし絵を創造することなどできると思っていなかった。
それがパソコンでできるようになったのである。

文章がこれだけ書けているのもパソコンとインターネットがあったからである。
ただオワシスキーボードがないと自分はパソコンを自在に使いこなせなかった。
ワープロの時オワシスキーボードを使っていたのがゾバソコンになっても
使えた。文章が主だとするときここでつまづくとバソコンは使えない

最近インターネットの中で weblioの翻訳などかなり進化している。
だんだん翻訳でも進化しつづけて人間とにた能力をもつようになるのだろうか
完全ではないにしろずいぶん翻訳能力も進歩したと思った。

原発の避難区域に住む人はパイオニアになる? (誰かが住まないかぎり復興はありえない)


原発の避難区域に住む人はパイオニアになる?

(誰かが住まないかぎり復興はありえない)


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飯館に久しく行かじ家々の何となるらむ秋風の吹く


この短歌は外から第三者として見ているから無責任だとなる。「家々の何となるらむ・・」というのはよそごとなのである。
前にも書いたけど日本語には未来がないというとき未来は人の意志によってなるのである。
だから英語のwillはwouldになる、それはしてほしい、そうあってほしいということがあり自らの意志で未来を作る言葉になる。
・・・なるらむ・・・となればただ荒廃した地域を自然のままにまかせていたら何にもならない、何一つ未来も生まれないのである。

だからNHKで放送していた小高で理髪店をあえてはじめた人がいた。その人はどうしても小高に住んで復興のためにしたいと言っていた。藍染めとか農家の人がはじめたし
米を試験的に作っている人がいた。でもその夫婦は75歳だった。あの年ではもう無理だとつくづく思った。川内村でもエチゴ栽培はじめたのも75歳の老人だったのである。
75歳からなにかできるのか?これもまた高齢化社会だったのである。

ともかく津波の被害地区でもあれだけ被害が大きいとそこに住むということ自体が大変な困難を引き受けて住むことになる。だからもう住めないと流出している。
現代は移動が容易な社会だからどこにでも住めるからそうなる。
そして復興するというときインフラ整備に膨大な金がかかる。
なぜ三陸でも百年くらい前もやはり同じように一万以上死んだ津波があったのに海岸近くに住む人がいて今回の被害がまたあった。
なぜそうした経験があったのに住みつづけたのかということがある。
それはそこが生活するのに便利だからである。海の近くが便利だからまたそこで生活するようになった。
その時はいろいろなインフラなど必要ない、電気もないか水道もない時代だからただ自給自足だから掘っ建て小屋のようなものを建ててもはじめられたとなる。
現代ではあれだたけ壊滅状態になるとそんな不便なところに住みたくないと人は住まなくなる。

ただ人が住まなくなるとどうなるのか?前にも書いたけど限界集落からなど廃村になった写真を見ればわかる。そういうところにも人が長く住んでいたから神社とか地蔵とか古い碑などがある。そこが廃屋となり荒れ果てている様を見るとそこから幽鬼が彷徨っている感覚になる。つまり生きて人間もいないのだがその生きた人間とともにそうした人間が作ったものも見放されてしまう、墓でもそうであり参る人がいないと荒れ放題になりそこから亡霊がでてくる彷徨う感じになるのだ。
墓でもやはり掃除して手入れしていないと荒れる、例えば花をさしてもすぐに枯れやすい、墓は今は遠くから来ている人が多い、良く仙台のナンバーを墓で見かけるのはこの辺では仙台に移り住んだ人が多いからだと思った。
墓は何か造花だとまた淋しいのである。造花だと別にそのままにしていいから便利なのである。でも生きた花を挿していればその墓も生きている感じになる。

道の辺に古き碑久し何語る我がよりにつつ秋の日さしぬ

古い碑があったとする、それはやはり何かを昔を語り何かを伝えようとしている。
その碑でもそこに生活し続ける人があってその碑は何かを語りつづけるのである。
もし原発避難区域とかでも誰も住まなくなったらどうなるのか?
それは草に埋もれて忘れられる。するとどうなるのか?
そうした過去の先人の跡も忘れられるし墓もあっても誰もお参りしないとそこから何か幽鬼が亡霊が彷徨いでる感じになる。
それを象徴しているのが廃屋は何かすさまじい異様なものを感じることににている。
もともと自然だったらいいのだがいったん人が住んだ所は人が住まなくなるとそこは幽鬼の亡霊の住処のようになるから気味悪いとなる。
いったん人間が住んだ所は例え人が死んでも何かがそこに残っていて霊のうよなものが彷徨っていると感じるのである。
それは理屈ではない、そう感じるものは否定できないのである。
だから墓地は何かそうした霊が眠っているから他の場所とは違っているのだ。

いづれにしろ小高でも飯館村でも家の灯が一つでもともればほっとするだろう。
そこに人が生活しているということが何か大きな意味を帯びてくる
なぜならその一軒の家でも今やその村や町全体をになうものとしてある。
それはそこに残されたもの神社でも古い碑でも江戸時代から残されたものもありそういうものも捨てられるのではなく人が住むことによって誰かが目にとめるだけでも生きてくることになる。
人がそこに生活して過去とのつながりが生まれてくるのである。

だから理髪店だったら今まではそんなに注目されない、原町に行けば安い理髪店が今ではできて繁盛しているからそこに行けばいいとなる。
病院とか医者とスーパーがまず必要だとかなる。
でも誰も住んでいないとなるとそこに住む人はパイオニアになる。
不便な所に住んでその町を復興させようという意志があるからだ。
バイオニアになった人は冒険もあり犠牲になったり苦難を強いられてパイオニアになった。
だから歴史上にもその人は名を残すし名誉が与えられている。
この場合は何かまたそうしたパイオニアとも違うがただ不便な所に誰も住みたくない所に住むのだからパイオニアになる。
一方でもう若い人は故郷を捨てて一億円でも補償金をもらい他に移る

要するに故郷に残り住む人と住まない人は明確に区別されるだろう。
そこにあいまいさは許されない、住むのか住まないのかイエスかノーしかないのである。
住むでもない住まないでもないというあいまいな状態は許されないのである
自分は小高区の人は帰れと言ったけど明確にもう帰らないという人もいる
それはその人の決断なのである。
いづれにしろ帰る人と帰らない人があり明確に分けられて復興になる
帰らない人はもう小高に住まないから小高に住む人とは明確に分けられるのである。
その心構えもまるで違ったものとなる。
住まないと決断した人はもう小高はどうでもいいとかなるかもしれない
一方小高や避難区域に住む人はそこで住むんだという決意が必要になるから
パイオニアともなる。そういう人がいないか限り復興はないだろう。
いくら放射能汚染でもやはりもう住めないから住まないとしたら荒廃するばかりだからである。
どっちにしろ選択が否応なくせまられあと一年とかで警戒区域が解除されれば決断しなければならない。それは重い決断となる。

高齢化した人は米を作りたいと言っても75歳になるとつづかないだろう。
そういう人はどうなるのか?でも老人は帰りたいとなるだろう。
ともかく誰かが住み続けなければそこが廃村となりいたるところ廃屋となり幽鬼がさまよい異様な風景となってゆく、小高区の問題は南相馬市の問題でもある。
飯館村だってそうである。浪江でも双葉でも南相馬市と関係ないわけではないしつながっている。
だからよそごとでもないからいろいろ考えざるを得ないのである。



タグ:原発避難者
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2014年09月27日

神戸の長田は地震で大火事、南相馬市は津波 (神戸の小1殺人事件、南相馬市は小学五年の自殺)


神戸の長田は地震で大火事、南相馬市は津波

(神戸の小1殺人事件、南相馬市は小学五年の自殺)


先ず、袋小路は、静かで住環境は良いですね。又我が家の住人以外自宅の前を通る人はいません。知らない人が入って来たら怪しいと思います。

一方、通りに面しているところは足音や、車の往来の騒音が気になりました。人通りもあるので、どのような素性の人が歩いているのか判りません。防犯面は袋小路の方が有利だと思います。


神戸の長田地区の事件の起こった写真見たら家がこみあって袋小路になっていた。あういう風景は別に田舎ではめずらしくないだろう。神戸は平坦な土地が少ないから家で混み合っている。急な坂道もあった。あの風景を見ただけでなんか窮屈な感じになった。
日本は土地が狭いから袋小路が多い、通りより袋小路が安全だというのは外から来るものに対してはそうである。
ただ人間は一番怖いものは内部に地域でもそこに住むようになる人が実は一番怖いのである。家庭に入ってくる人もまた一番怖い。

これも都会だから地域に素性の知らない人が入ってきた。何か日頃から異様な行動をしていた。それで警察まで来ていた。しかしいったん住むようになったらその地域から追放することはできない。その人は知的障害者だというとき、かえって差別だとか今は異常にうるさい、障害者はある面特権階級にすらなっている。
その人はまず都会だから地域になじんでいない、知的障害者でも親がいてその地域になじんで暮らしている人はいる。田舎ではそういう人が多い。
神戸のような大都会だとそういう障害者も移動していることが多いからある地域になじむことができないのかもしれない、そういう人を受け入れるにも人間は必ず時間が必要になる。何でもすぐに人は親しくもなれないし関係を深めることはできない。

ただ現代は都会と田舎の差がなくなっている。東京で小学生が5年生だったか二人自殺した。そのすぐあとに南相馬市で小学5年生の女の子が自殺した。これも驚いた。
まず小学生が自殺することはほとんど聞かなかった。最近は起きているのも社会が相当に
劣化しているのだろう。
田舎でも本当に都会と変わりない、田舎は素朴で人のつながりがありあたたかいというのは昔のことである。
今は広域社会になったとき、金に頼る生活であり近隣とのつながりも希薄になっている。
毎日なぜこんなに買わなければ暮らせないのかと自分でも思う。
それだけ贅沢しなくても買う生活になると金が必要になり金に頼る生活になる。
金に頼る生活はかえって人と人は協力しなくなる。金さえあればいいとなる。
だからこの辺では仮設に暮らす人と補償金でもめて何ら協力しないし敵対さえしている。

最近の事件でもここでとりあげたのでも会津でも信じられない凄惨な事件が起きた。
母親を惨殺するとか起きた。会津というと何かまだ素朴な感じをしていたがそうではない、
それから会津では外部から入ってきた人によるこれまた凄惨な殺人が起きた。
それは神戸とはまた違っていて田舎の地域社会に受け入れられないことから起きたようだ。
金を貸せと入ってきた家で起きた。金に窮している人も怖い。それはどこにでもある。
金に窮すれば誰でも犯罪者になりうる。悪人も善人もない、金に窮して明日食べるものがないとなれば追い詰められるからそうなる。
そういう立場に追い詰められたらだれでもなる。
だから借金している人は追い詰められるから犯罪者になりすい。
相手のことを考慮する余裕などない、ただ金になればいいとだけなってしまう。
会津の美里夫婦強殺事件も金に追い詰められていたのである。
田舎に素性の知らないものが入り事件が起きた。
ただ田舎にそうした人を拒否するから簡単には入れない
そのことでかえって恨まれて殺人事件になった。

金を借りに来る人間もまた怖い、貸さないからと殺人になることもある。
その人は金がなくて追い詰められているから殺人にもなる。
こいつは何で金あるのに金を貸さないのだとなる。
他でも金貸せと言ってきた人に貸さないことで殺された人がいる。
だからこういう人とかかわるときは慎重になる必要がある
10万貸せとと言ったら一万やるとかなんか非情にだけすると危険になる。
特に田舎の人間関係では金もっているだけで金を分けろと平気でなっているのだ。
田舎では金持ちは金持ちでいられない、都会だったらとんでもない金持ちも住めるが田舎では住めない、金もっていれば分けろとなるのだ。
田舎ではうまく生活するのにはどうしても平等性が追求されるからその点を考慮しないといけない。


この二つの事件は何か共通性がある。会津の美里の殺人事件は外部から入ってきた人が地域に拒否されて事件が起きた。神戸の事件は簡単に移り住んだ人が事件を起こした。
一方は拒否して一方は簡単に移ってきても受け入れるから拒否できないから起きた。
田舎と都会の差があったのだか別に幼児殺害は田舎でも起きていた。
それは都会だけの問題ではなく広域社会でもどこでも起こりうるようになった。
田舎と都会の差がなくなっているのが現実なのである。
南相馬市の小学生の自殺も原因はわからないがやはり田舎ではむごいいじめなどないとなるが今やどこでもいじめは全国共通なのである。
それだけ大人社会がいじめを生む要因を作っている。地域でもつながりが薄くなっている。
丸森出身の女性の殺人事件もこれも凶悪だったが丸森は相当な田舎なのである。
だから凶悪犯も田舎からでる時代なのである。
田舎も凶悪犯罪は常に起きている、起きやすくなっているのだ。
金の社会になれば金にからむことがら事件が起きやすいのである。

そもそも現代の社会が複雑化して袋小路化している迷路化している。そこで犯罪の温床にもなる。都会では隣に誰が住んでいるかもわからない、田舎でも農家以外は小さな町でもそうなりやすい、人と人の関係が見えずに金さえあれば暮らせるという社会なのである。
だから金がなくなるともう何もできないとまでなる社会である。
おにぎり食べたいと死んだ人がいたけど昔ならそのくらいくれただろう。
今は金がないとそうなってしまうのである。
ともかく都会はもともと犯罪の温床になりやすいけど田舎だって今は広域社会で金中心の社会であり凶悪な事件が起きる。
そして現代に犯罪が増えるのは格差社会も関係している。貧乏の人は極端に貧乏であり金持ちは金持ちだとなると反感が大きくなる。金持ちからは盗んでいいんだという社会になる。それを容認さえされるから怖い。高度成長期のように中産階級が増えた時代はみんなが豊かになるということでそういうことはなかった。子供まで満足に食べられないとなるとその格差が犯罪に結びつきやすいのである。

世界的にもグローバル経済になると貧乏国の不満が大きくなる。
なぜ先進国だけが豊かになり後進国は貧乏なのだと知るからである。
それで豊かな国の欧米に不満が高まりイスラム国のような不満分子がテロになる。
不思議なのは欧米の若者が参加していることである。
それも格差社会で欧米でも貧乏なものは貧乏になり職もないとか国内でも格差社会になっているからである。一種のマルクスの言う世界的新しい階級闘争になっているのかもしれない。
ともかく自分もアメリカに投資していると得している。アメリカにドルが世界の貨幣であるようにアメリカに富が集中するようにグローバル経済はなっている。
まだ中国があれだけ台頭してもまだまだアメリカ中心の世界なのである。
だから貧乏なの国は人はアメリカに反発するのである。
それは別に宗教とは関係ない、宗教は別な次元の問題である。

そしてこういうふうにモラルが荒廃すると何が起きるのか?
神戸の長田では地震で火事があり大被害があった所だった。あの時アナウサーが燃えた熱い骨を手にしていたときはショックだった。そこが長田だったのである。
そして南相馬市でも津波の前にも凶悪な犯罪があり自分も被害者だった。
そのあとにも小学生が自殺した。
だから何か自然もそういう人間のモラルの荒廃に起こり災害が起こしたのだとというのもあながち否定できない、そういう異常な犯罪がモラルの荒廃が今回のような大きな災害をもたらしたのかもしれないともなる。
神戸と南相馬市が何かそういうことで共通しているのかもしれない。
昨日も二回つづけて地震が起きたから何か自然の怒りが治まっていないような恐怖を感じるのである。


福島会津母親殺害事件

福島会津美里夫婦強殺事件

丸森の女性がインタ-ネットで知り合った68才の男性を殺害

南相馬市小学五年生女子自殺

会津美里でも会津の奥であり田舎である。丸森も田舎である。ただ丸森は仙台に通勤している人も多いだろう。でも丸森は森の深い田舎のなのである。
これは高齢者が餌食になったがこうした事件はどこでも増えるだろう。
南相馬市は原町は5万くらいの市であり今は一万くらい減っている。
原因は何なのか不明である。
ただ小学生が田舎で自殺するというのは聞いたことないし異常である。
他でも起きているから田舎と都会の差は犯罪ではないのである。
ともかく田舎でも凶悪の事件が起きている。
そういう危険を自ら体験したしもはや田舎も都会も差がない時代だとつくづく思った。

タグ:神戸殺人
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2014年09月26日

母が国から百歳になる賞状と記念品もらう



母が国から百歳になる賞状と記念品もらう  

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この賞状は国から贈呈された。百歳になると市と県から10万もらえる。
でも来年2月が誕生日だからそこまで生きたらもらえる。
それまで死ぬということもありうる。
今のところトイレにも行っているしわずかでも自力で食べている。
だからぎりぎりで生きるのかもしれない
つくづく人間の寿命は99歳になってもいつまで生きるかわからない
つまり人間の寿命は神が決めているという感じにもなっているのだ
東大を出て柔道何段とか特別優秀な医者も40代で死んだとか
そういうことになぜなるのかわからない
人の寿命は本当にわからないのである。

時分の母親は細身であり体が弱かった。ただ学校を一日も休まなかったとか
製糸工場で十年働いた。真面目で働きづめの生涯だった。
どうして長生きしたのか?
食べ方を見ていると食べ物をゆっくり良くかんで食べている。
真面目に食べ物もよくかんで食べている。
趣味はなにもない、働くだけだった。
だから庭はいらないとか花にも何にも興味がない
ただ金をかせぐために働いた無味乾燥な一生だった。
そういう人生を歩んだ人が大正生まれとか戦前は多い。

結局母は不運だった。前の夫は事故で死んだのもそうだし嫁いできてもそこでいい待遇はなかった。子供のときは継母に育てられひどいめにあった。
いいときは幼い時は裕福でありその時だけだった。
大正生まれはそういう人が多い
苦労の連続であり楽しみがなかったのである。

ただ人間のわからないのは皮肉なの80までも仕事をしていたし90までも家事をしていたのでそれかボケにならない理由だったと思う。今はボケている。
93さいころまでは銀行のこともいろいろわかっていて普通だったのである。
趣味がなくてもボケないということがある。
仕事をもっていることそれか家事でもしているとボケる割合は少なくなる
そこで自分の家でも役割があり生きがいにもなるからだ。
家族の一人は退職して何もせずにいたらボケたのである。
だから人間はそんなに働かせられて不幸だということもあるがそうして90まで家事でもしていたからボケなかったというのもつくづく人間は何が幸不幸を決めるのかわからないということなのだ。
金が有り余ってもそれで強盗に入られて殺された人もいるし金持ちがみんな幸福ともならない。優秀な人間が幸福ともならない、優秀であっても事業に手を出して失敗した人もいる。

ただ言えることは人間はある程度忍耐を強いられる、犠牲を強いられる人がいる。
それに不満だからみんな今は耐えることがない、すぐに離婚して母子家庭になり貧困家庭になり子供に迷惑をかける。
大正生まれだとか戦前だと嫌でも忍耐したし強いられたのである。
現代はともかく格差社会ではあるが他人をうらやむことが多く平等を求める。
貧困になる原因が離婚にあるのは明確である。
なぜなら10万を二人でかせいでいれば20万になるが一人だと10万になるからやっていけないとなる。
知っている人は離婚してすぐに生活保護になりすでに十数年生活保護でありそれでもいつも文句を言っている。
その人は金がいくらあってもやりくりができない、だからその人に貧困になる原因もあった。
要するに人間の事情は様々であり生活保護でもみんなそうである。
だからすべてを一がいに同情はできない、ただ子供がかわいそうだとは言えるから援助している。

百歳もこれから増える一方である。ただこれがいいのかどうかもわからない
むしろ生まれた人に一人百万くらいやれば少子化対策になる。
だから百歳だったら昔はもうありえないという年齢だから奇跡的だったともなる
今はその価値か下落しているのてある。
ただ百歳を生きる社会というのがどうなるのか?
個々人でももし普通に百歳を生きるボケないで生きることの意味はどうなるのか?
高齢化社会とは今でありえないことを経験する時代でもある。
とにかくこれから百歳もめずらしくならない時代に突入していることは確かなのである。

タグ:百歳
posted by 老鶯 at 11:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2014年09月25日

秋風吹く三年半過ぎた津波原発の被災地(短歌十首)


秋風吹く三年半過ぎた津波原発の被災地(短歌十首)


葱畑働く人見ゆ仮設に住み三年半すぎ何思ふらむ

我が町の仮設に住みて隣の人や秋となるかな

小高にそ帰るものなれ久しくも家は荒れしも秋まためぐる

これよりは草に埋もれし線路かな遠くなりにき小高浪江かな

小高駅電車は来じや我が町と住み人あれや秋の日暮れぬ

浪江にそ空屋となれる農家かないつの日帰らむ秋風の吹く

飯館に久しく行かじ家々の何となるらむ秋風の吹く

津波跡移る季(とき)かな荒野にそ秋風吹きて波のしぶけり

津波にも残る神社や烏崎草に埋もれて秋風の吹く

津波にて死す人あわれいたましも月日はすぎて忘れられゆく

ここに住む人は誰なれ草埋もれ問うもあわれも秋風の吹く


数回の土寄せと追肥のおかげです。

葱は早く成長する、40日間である。野菜を作るにしてもどのくらいでできるかが問題になる。買っていると何かいつでもできているというふうに感覚になる。
農業をしていれば時間の感覚が違ってくる。すぐにはできないからである。
二十日大根の名も早くできるので重宝されたためだろう。
40日間だって長いと思う。そのままほうっておくわけでもないからだ。
水をやったり肥料をやったり土寄せというものもする。
多分小高の人だろう、土地を借りて葱を作っていた。土寄せしていたのだろう。
この辺で葱畑が増えたのは葱は作りやすいからだろう。

田舎ではまず農業のことを知らないと田舎を知ることはできない。
でも田舎に住んでいて農家でない人は知らないのである。
田舎といってもほとんどが会社員になっているからである。
稲の実りの風景かあるときこの辺でなくなったから何かそれが新鮮だった。
実りの風景は見慣れたものだったがなくなったときなんだったのだろうと考える
人間は家があれば家はあるものだと思っていた。それがなくなったとき家のことを思うようになる。あまりに当たり前にあるものは特別思うことはないのである。
たがらこの辺で起きたことはありえないことの連続だったのである。

第一すでに主に小高の人は仮設に住んで三年半すぎている、これは結構長いと思う。
さらにあと一年半とか五年の歳月は長い、この間にいろいろな身辺の変化があり心境の変化が起きてくる。だから小高に帰る人がどれくらいいるのか予想つかないというのもわかるのだ。なぜなら常に人間の身辺とか境遇とか人間関係とか財政状態とかいろいろなものが変化しているからだ。
特に若い人と年寄りの考え方の落差が大きいことが問題なのである。
老人は終の住処を死に場所を求めている。それはもともと先祖から住んだ故郷がふさわしいのが普通である。だからこそ年寄りはどこでも住んだところに帰りたいとなるのだ。
現実にチェルノブエリでも老人は故郷に帰り細々と野菜などを作り住んでいたのである。

小高は帰れれば帰れるから浪江とか飯館とは違っている。ただ何か帰りたくないという人も多くなっている。でもいつまでも仮設に留まることもできない、補償金をもらっているということで周囲かねたまれているし住みずらいとなる。
何かその人は66歳で原町に住居が提供されとか言っていた。5年くらいは補償金でためた金で暮らしあとは生活保護で暮らさすと言っていた。
家はあっても土地は自分のものでないからであり一人暮らしだからである。
生活保護で暮らすという老人は結構多いみたいだ。
小高の人は生活保護を受けやすい環境にあることは確かである。
小高で働けといってももう働けないとなる。

結局この辺は三年半すぎて何ら復興していない、また無情の秋風が吹いてくるだけである。
そもそも津波の跡にはもう家は建たない、原野化したままだから余計そうなる。
何か秋風が一層かえって身にしむような感覚になる。
松原があり実りの風景があったらそんなに感じない、荒涼とした原野なのだから秋風が一層身にしみるものとなる。
ただ津波の跡はいくら三年半すぎてもまだまだその跡は生々しく忘れられるものではない、
それだけ津波の被害は深い傷痕を人間に残したのである。

二万人近く死んだということは簡単に忘れられることではないのだ。
津波の被害の特徴は神戸とか戦争で死んだとかとも違っている。
死んだ場所が自然に帰り荒野化したということが違ってる。
神戸などはすでに震災の面影もなくなっているだろう。
津波の跡は原野化したのだけど何かそこには死んだ人の霊魂彷徨っている感じになるのだ。

だから3キロ離れて被害にあった人も海の方が怖いと言っている。
いったん津波の被害を経験すると海が近いなと離れていた人も思うのである。
もうその感覚からは生きている限りぬけられないだろう。
時分住んでいる場所でも一キロも離れていない場所に津波がきたことは本当に海が近いということを感じた、そもそも不思議なのはそうした津波の記憶がある人は海のあるところを干拓してまた田を作ったりはしない、でも伊達藩では慶長津波がきた場所を広く開拓したのである。これは今の感覚とは違っていたからそうなった。
どうしても米を作らねばならない事情があったのである。

小高駅電車は来じや我が町と住み人あれや秋の日暮れぬ

小高では理髪店が開業していて人が住んでいるみたいだ。
役所も開いているし何か飯館村とも違っている。
浪江には道路は通れても人が住んでいない
やはり人が住んだところには少数でも誰か済まないと
前にも書いたけど廃村となった集落のうように
そこには幽鬼がさまようような異様な空間になってしまうだろう。
少数でも人が住んでいればそこに明かりが灯れば
そこに人間的あたたかみが生まれる
ゴーストタウンやゴーストビレッジは不気味である。
それはまるで映画のようなのである。
コンパクトシティでもシルバータウンでもやはり人が住めば違ったものとなる。
 何かそこで救われた感じにもなるのだ。


タグ:秋風

2014年09月24日

実り(秋の俳句十句ー日立木の細道(続))



実り(秋の俳句十句ー日立木の細道(続))


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妙齢の婦人のよしや秋の蝶

前畑に鶏頭赤く朝日かな

大きなる家に介護や昼の虫

この道や光いとしむ秋薔薇

秋の山借景にして石の庭

この庭の石に面して秋陽没る

故郷の墓の前にし実りかな

安らかや実りを前に眠る人

この辺りプレハブあまた秋薊

松並木六万石の実りかな

日立木や家並淋しく秋柳

日立木は相の宿かな秋柳

秋柳夕日のさして農家かな

鴉二羽なじみ離れず秋陽没る

夕月に芒や二両の電車かな

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まちばばしというのもこの名前に注意している人もいないだろう
地名はなにしから意味があってなづけている
ここが日立木の町場だったというのも何かあったということである。



屋形の方からまた日立木の道の駅の方に行った。今日は秋晴れだった。
いい石の庭があった。あの庭の石はかなり価値がある。大きいし石自体が深山幽谷の石である。庭にはそれぞれ個性がある興味がでる。

最近この辺では米を作りはじめた。ただ試験用であり放射能で風評被害があり売れないし作りたくないという。米を作るとそのために補償金が出ないらしいからこれもおかしなことである。もう一つは米が今年も豊作で安くなっているのもある。
こうなると作る意欲もそがれる。前から農家はやる気なくしていたからだ。

ただ外から見ると墓地がありその前に実りがある。その時その墓に眠っている人も安らかだろうなと思う。やはり実りのあることは風景だけではないそれはすでに日本人の心と一体化したものだからそう感じるのである。だからこの辺で原野化した風景には安らぎがない。
確かに北海道のようになったという別なものを生み出したことはあるが実りのない風景は日本の風景ではない。
今回の津波原発事故では様々なことが問題になった。まず故郷に住めなくなるということが信じられないことだった。
ということは死に場所を求める年代になるとここで落ち着いて死にたいなという感覚になるのだ。それはまさに墓の前が実っているここで働いてきたのだからここに眠りたいとなる。それが奪われたことは相当な衝撃だろう。
だから農家の人は一番ショックを受けているだろう。
一億円もらってもやはり死が近くなる世代ではもう金よりそうした別なもの価値がでてくる。それが良い自分にあった死に場所もその一つなのである。
老人は故郷に帰りたいというのはそのためなのである。
それは若い人の心境とは相当に違っている。ここにも原発の避難区域になったことの大きな問題があったのである。

日立木は相の宿のようなものだった。相馬市の城のあるところからは近い、だから宿場はいらない、鹿島になると宿場が必要でありあった。松並木から日立木の町の細道は昔の街道の面影を一番残している。ただ他からきた人は何も感じないだろう。
地元でも感じている人は少ないだろう。最近発展した半鐘があったことでもわかる。

相宿とは合宿とも間の宿とも書き、宿場と宿場の中間にあって茶屋などもあり休息をする所です。仙台藩では泊は禁止されていました。「安永風土記」の産物の項を紹介しましょう。


人間は故郷でなくても長く住んでいればその土地となじんでくる。
それて鴉二羽がとまっている、物言わずとまっている、それは物言わずして深くなじんでいる。そこにも人間を見ているのである。
離れずに二羽がとまり故郷の山に秋の陽が沈んでゆくのを見守っている。
なじんだということはそれは人のことでもあるのだ。
だから原発事故や津波で故郷を離れることはそこに長くなじんだ人にとっては辛いのである。特に農家の人はそういう傾向が強くなるのである。

パソコンで写真を絵として楽しむことができる。パソコンは才能を補う役目を果たしている。写真の時代を作ったのもそのためでてある。全然絵を描く才能がなくても写真から絵に発展させられることである。
ただ写真にしてもつくづくいろんな角度からとるとまた違って見えるのだ。
だから写真の世界も奥深いなと思った。
旅したくらいではそうしていろんな角度からとれないからなかなかいい写真がとれないのである。
今回は半鐘に焦点をあてて写真をとったのである。





タグ:実り

2014年09月23日

抽象画(秋の色の変化)


抽象画(秋の色の変化)



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秋薔薇

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実り

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海辺の秋

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抽象画の題材と名のは具象画である。これもみんなインターネットにあったのを色として分解したのである。色の組み合わせで無限の変化がありうるのが抽象画だとなってしまう。
つまりともかく抽象画でも色だけでも何かを人間は感じる
だから自然に接していてこれは草を表しているのかといえばその気分になって抽象画を見る、その人の感覚でどうみてももいいわけである。
ただ自分でもこの抽象画がなんなのだろうと解せないものが非常に多いのである。

まあ、なんとなく秋の色だなと思えてこれを出したのである。
作り方はまず原画を色に分解する、それは無数の変化になる。
ただ著作権違反にはならない、なぜなら全く原画が何かをイメージすること自体不可能だからである。
なんとなく原画とにないるなとなれば危ないが全くイメージすらできないとなると別の作品になっているのてある。

タグ:秋の色

2014年09月22日

スコットランドの独立運動はなぜ起きた (東京一極集中と同じ問題が・・文化の破壊問題もあった)


スコットランドの独立運動はなぜ起きた


(東京一極集中と同じ問題が・・文化の破壊問題もあった)



3世紀にスコットランドにノルウェーのバイキングが侵入し、アレクサンダー王の城を取り囲んでしまいました。夜襲で城の堀を渡るためにバイキングたちが裸足になったところ、堀は干上がっていてアザミが一面に生えていました。そのため、兵隊は足を刺されて思わず悲鳴をあげ、来襲に気づかれ撃退されたというわけです。
それ以来、「国を救ったアザミ」がこの国の国花をはじめ、標章、貨幣に使われるようになりました。なお、このアザミはアザミ属(Cirsim)とは別属で英名でScottish Thistle(スコットランドのアザミ)と呼ばれ、オオヒレアザミという説が有力です。茎にはひれがあり、総苞も大きく、アザミよりはるかにするどい刺があります。


日本はイギリスと同じ道を辿っている。 
イギリスは、過剰な一極集中都市ロンドンを抱え、過剰都市により出生率が低下し移民を実行、 
そしてロンドン五輪を行った。今やロンドンの白人の数は5割を切っている。 
ロンドンにヒトモノカネそして誇りを奪われたスコットランドで今、独立選挙中だ。 

日本も全く同じ愚かな道を辿っている。 
東京の過剰な一極集中。過剰消費都市により出生率の低下、東京はロンドンよりも酷い出生率1.0だ。 
そして移民政策の審議。さらに東京五輪も行われる。そして・・・ 

関西とか九州とか、西日本の衰退が凄いよな 
年間30万人が東日本に流出してる 
願望とは逆に震災でますます西日本が衰退した 
本当に何もない 

やたらでかいスーパーやドラッグストア、ホームセンター、あとはパチンコ 
交通網もしょぼいから酒飲むにも車で行って帰りは代行 
思った以上に金がかかるしクッソつまらない 
若い時東京で暮らした人が年取ってあんな寂れた場所に引っ込んだらボケるわw 



スコットランドは歴史がある。前にも書いたけど東北の歴史とダブルのを感じる。
スコットランドは広く見ればヨーロッパの辺境の辺境だった。ローマの侵攻をはばんだハドリヌアスの城壁が残ったのもそのためである。
さすがのローマ帝国もスコットランドまで侵攻できなかったのだからそういう歴史があることがまた今回の独立運動につながった。
「あざみ」が国の花になっているのも何かその土地柄にあっている。ブリテンは薔薇になっているからだ。

蝦夷はスコッティシュとだぶるものがある。違うのはスコットランドはあの辺境にあっても孤立していない、フランスとかとも通じていてブリテンに対抗した。
ノルーウェーからバイキングの進入があってもそこで融合して独自の文化圏を形成した。
もともとケルト民族が追われたということは東北の蝦夷が日本の原住民だとしてにている。
蝦夷は縄文人ともつながるものであり渡来人が弥生文化を稲作文化をもたらして東の縄文人にの土地に侵攻したのが大和王権の蝦夷征服だったともされる。
ケルト文化の文様と縄文人の土器の文様がにているのも不思議である。

そもそもヨーロッパの歴史は複雑である。ヨーロッパがなぜ繁栄しかとなるとヨーロッパは世界の文化を融合した場所だったのである。それはユダヤ教から発したキリスト教もそうだしギリシャもイスラムの文化も融合したのである。それはスペインの歴史がそうなった。
ルネサンスが起きたのはイスラム文化も取り入れてロ-マの文化も基礎にしてあれだけの壮大なものが生まれた。ヨーロッパの強みはそうした文明の融合と歴史の蓄積の結果なのである。
ヨーロッパは一つの文明の統合生と一方で多様性があり文化を育んだ。何かわからないけどベルギー人はベルギー人だというときそうでありスコッティシュはスコティシュだとこだわるのがヨーロッパの伝統なのである。だから文化的にも歴史があるからスコットランドが独立しようとした。

ただその現代的背景はグローバル化経済で世界的共通なものとしてあった。
ロンドン一極集中でありロンドンにあらゆるものか集まるという弊害をがあり地方の衰退が起きたことであった。それが北海油田で経済的に自立する要因が生まれた。
これは日本の東京一極集中問題と同じである。
スコットランドはその地方でありロンドンに富か吸い取られるという問題は日本とも世界でも同じ共通の問題として現れた。
つまり第一次産業が主力の経済は土地に根ざしているから大都会の一極集中にはならない。
現代の経済は大都会に一極集中化しやすいのである。

そうした弊害かグローバル化で全世界に及んでいるのである。
つまりスコットランドの独立問題はスコットラントだけのも問題ではなかった。
それは経済的にも文化的にもそうである。
そしてスコットランドに核兵器の施設があるというのも反対の理由だった。
それはフクシマの原発事故ともにていたのである。
フクシマでは東京に原発をおしつけられて住めなくなるまでになったのである。
もちろん地元で積極的に誘致したということもあるが結果として人が住めなくなった。
そのとき地元の文化も失われた。スコットランドにはキルトとか多様な文化があった。
それはスコットランドが独立しているとき育まれやすい。
薊が国の花になったようにその土地と一体化した文化が育まれてきたのである。
そのことは日本でも世界でも言えることである。

日本だって江戸時代はそれぞれの土地に根付いた文化をつくりだしてきた。だから江戸時代は多様な文化だった、それが明治維新になり共通語として標準語を教えるようになったとき文化の多様性も失われた。グローバル化した結果に今度は日本語を英語に変えろとか真面目に議論されているのだから同じことがくりかえされている。
経済合理性とか科学から見るとそれは共通の要素を追求しているから一様化しやすいのである。その土地土地の風土をどうだこうだとなれば文化を基にすれば一様化はできないのである。
地方でそれぞれ特色があるときその土地の価値が生まれる。みんな東京のようになれば地方の価値はただ経済的合理性からのみ計られて切り捨てられる。
そういことばかりで地方は見られ切り捨てた方がいいと東京からはみる。
スコットランド独立問題は何か遠い国でも現代的な世界的な共通の問題として起きたのである。

大都会一極集中へのレジスタンス
独自の文化をばぐくむ歴史的伝統への回帰
土地とのアイディンティの回復

大都会一極集中とかグローバル経済とは別なものを目指す運動である。
文化的には一様化する世界はつまらないとなる。どこも同じじゃないかとなる。
だから世界を文化的面からしたら相当に衰退しているだろう。
日本でも文化の独自性をつくりだしたものは少ない、そういうものはやはりかえって江戸時代にあった。

自分としては石にアイディンティを見いだしてきたというときそれはその石はどこどこにある石であり抽象化された a stoneではなくthe stoneなのである。
石にしても無数の石がありそれらはみんな同じ石ではないのである。
だから浪江の高瀬川の近くにあった皺石と名付け石もあそこの場所にあって活きているがそこに行けなくなったのが悔しいのである。
高瀬川渓谷はこの辺では景勝地であった。上流にダムかないから自然のままだったのであり山水画の景観だったのである。飯館村もまた自然の中に隠された村てありそこに安らぎがあったのである。
そういうものを奪ったのは東京一極集中の結果であり原発事故だったのである。

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  浪江の皺石(詩)

(一つの石の存在感についての考察)



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2014年09月21日

秋の夕暮(日立木から相馬市を夕暮れに回る)


 秋の夕暮(日立木から相馬市を夕暮れに回る)



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日立木に秋の夕日や古き蔵

日立木に半鐘残り実りかな


この道や萩に薊に草の花実りの稲穂六万石かな

一所はや稲刈られ街道の松並木見え夕日のさしぬ

街道にソバナの花やはや暮れむ細道通り城跡に着く

相馬市に秋の夕日の山に没る土手に芒や家並淋しき

スナックの名前の一つ目にとめぬ誰が営むや秋の夕暮

道の駅今日も老人たむろしぬ秋のはやくもめぐりけるかな

白菜の三カ月すぎて実れるとその間の長き見守りけるかな


日立木に半鐘があったのに気づかなかった。ここは数えきれなく通っていてもあまりに見慣れていて気づかなかった。人間の盲点としてあまりに見慣れたものは注意しないのである。そういう盲点をついてポーが推理小説を書いた。重要な手紙が一番見られる所にあったので注意されなかった。これは人間心理の盲点である。
あえてわからないところに隠そうとするとかえって見つかる。それは自分の実際に経験したのである。大金などを大事なものを隠すときは誰でも目につくところにあると注意しないのである。確かに大きな看板とかいつも見慣れているものは人間は注意しないのも盲点である。いつもあるものは注意しない、灯台下暗しなのである。
毎日見ているものに注意しないのである。

半鐘は近くの神社で遊んでいたとき、火事があったりしたとき登っていた。それが急であり意外と危険なものだったが子供でも登っていた。子供はそういう点意外と運動能力があり機敏だということがある。子供はそうして危険な所でも怪我かないということもある。
子供は順応力がある。大人になると順応力がなくなる。

日立木の家並を出ると稲田でありその一部はすでに刈り取られていた。ずいぶん早いと思うがそういう季節になってきた。夕暮れは何かこれまでの残暑と違い秋めいていた。
最近北風もふいたし急速に秋がやってきているのだろう。
萩の花に薊に草の花と咲いているのもいかにも秋らしい道である。

どういうわけか今日は相馬市についたら橋の手前の何か注意もしない、家並がある。
そこは何か古ぼけた感じがする。その中にスナックの名前が書いてあった。
どうしてかその名前を今回は注目したのである。
そんなスナックなど注意してどうなるのだと普通だったら見過ごしていたしこれまでも見過ごしていた。
ただ人間は長く住んでいれば細部に注意するようになる。最近7年間は遠くにゆくことがない、仙台にすら春に行ったがそれから一回も行っていないのである。
そうなると近くに注意するようになった。
それでそんなスナックを注意して短歌にするようなことはないのだが今日はしたのである。
というのは同じ街に住んでいればそこにも人の営みがあるからだ。
するとここに誰が住んでいるのだろう、やはりスナックでもそこで生活している人がいるとなり注意した。

これは啄木の歌ににかよったものがいくらでもある。表札を見ただけで歌にしている。
あれだけ若くてあういう死ぬ間際に短歌を残したことの不思議である。
人間は一見意味ないと見えるものでも意味を発見するのは老人になってからなのである。

Yといふ符牒ふてふ、
古日記ふるにつきの処処しよしよにあり――
Yとはあの人の事なりしかな。啄木

こういうことは老人になってからそうなる。もう誰とあったのかそれが誰だったのか何を意味したのかさえ不明になる。丁度認知症気味になってゆくのだ。
覚えている人間が二人とか三人とかになりそれも定かではない。
それも変なのである。人が子供のころからあっている人間は数限りなかったのである。
でも覚えている人はほんのわずかだとなってしまう。
つまりY としか浮かばない謎になってしまうのである。
人間がこの世で会うとしても最後はさよならだけが人生だとなってしまう。
老人になるとどれだけ人と人が別れてゆくが痛切に現実になそうなるからだ。

何か相馬市と原町市では感じ方がかなり違うのも何度も書いてきたが不思議である。
相馬市では歯医者に通っていたがそのとき驚いたのは夫婦でしていた歯医者の夫が死んだということには驚いた。夫婦で歯医者をしているなど恵まれているなと思っていたからだ。
そこには何回も通っていたからそう思った。別に親しいわけでもなんでもない、相手も何も自分のことを知らない、そこで思ったことは人間は本当に恵まれたと思ってもいつまでも恵まれるということもないということなのだ。その夫はわからないが50代だったのか若いが癌で死んだらしい。
相馬市にはなぜ二週間相馬総合病院に入院していたから病院通いで行っていたのである。
二年間以上通っていたのである。

知り合いの女性が小さな畑を作っている。白菜を植えたというが実るのは三カ月後だという。ええ、三カ月後なのか長いなと思った。なぜそう思ったのだろうか?
スーパーに行けばいつでも野菜はあるじゃないかということでそう思った。
そんなに三カ月でも待つ必要はない、金を出せばいつでも食料は手に入ると思っているからだ。
この白菜が三カ月でやっととれて食べられるのかということである。
それだけでも食料は食べるまでになるのには手間がかかるのだ。
ただ買うだけの人はそういうことが全く実感としてわからなくなっている。
田舎に住んでいても農業に関係しない人は同じなのである。
自分もそんなことを感じたことはなかった。そこが失敗だったと思う。
まず田舎に住むなら農業を片手間でもいいからしてみることが必須である。
そうでない限り都会人と同じになってしまうからである。

でも実際はその畑はほとんどとるにしてもずかである。いまだにキュウリ一本とかしかもらえない、ただその小さな畑をする苦労だけが語られている。
キュウリを虫に食われた、ネズミに食われた、モグラに食われた、肥料に苗に金かかったとかそこから得るものはただそうした苦労話だけだった。
その女性もいつも腰痛いとかそんな話であり老人はつくづくもう農業さえできないのかと思った。
そこは小学校か中学校の試験用の畑みたいなのである。収穫はほとんどない。
ただ金場それなりにかかっているから収益はない、むしろ金をかけたぶん損になっている。
だから学校の実験の畑と同じである。
ただ農業はそれだけ手間がかかるものなのである。

相馬市の道の駅には今日も暇な老人がたむしていた。あのように時間をつぶしているのも高齢化社会の風景である。ともかく今日は本当に秋の夕暮れになっていたのである。



タグ:秋の夕暮

2014年09月20日

今高い野菜のことで田舎と都会を考える (原発事故も田舎と都会の差から作られた)


今高い野菜のことで田舎と都会を考える


(原発事故も田舎と都会の差から作られた)



●田舎は地方は戦前までは自給自足で都会に頼っていなかった

今野菜が高い、レタスが3百円とかは高くて買えない、東京辺りではもっと高くなっている。こうなると野菜自体が買えない状態になっている。わからないのは外国産が入ってこないことである。前には外国産が入ってきたことがあった。
アスパラガスはメキシコ産であった。自分はアスパラガスは好きなので毎日食べている。
あとはあまり野菜は食べない、肉も食べない、魚は食べている。小食になっている。
不思議なのは卵とご飯とお菓子くらいで介護されている百歳にもなる人が生きていることである。もともとご飯と味噌汁と梅干しだけで生きてきたのだからその昔と変わりないのである。だから戦前生まれの人は生きることに耐久性がある。今の人は団塊になると贅沢だからとてもこうはならないだろう。糖尿病が増えているのもそのためである。

この野菜の高騰で思うことは田舎と都会はもともと差があった。特に東京と田舎は差があった。だから東京に憧れる人がまだ多かった。自分も東京にゆくことに憧れた。
それより田舎を脱出したかったのである。脱出願望がありそこに東京がのっかただけである。その後も旅行ばかりしていたことはそういう田舎の脱出願望がつづいていたからである。一般的に若い人は田舎を好まない、特に団塊の世代辺りでは特にそうだった。
その頃東京と地方には相当な差があったのである。
いづれにしろ高度成長時代になると豊かになりたい東京と同等の生活をしたいという欲望が地方でも強くなった。それが双葉辺りで原発を積極的に誘致した原因でもあった。
なぜなら原発ができて出稼ぎにゆくこともなくなり良かったと言っているからである。
あのころは地元で農家などは現金収入がなく出稼ぎの時代だったのである。
ただ出稼ぎで現金収入があり子供を大学まで出した農家の人がかなりいたから出稼ぎがみな悪いものとはならない。今や建築現場では出稼ぎの人もいないから人手不足で困っているからだ。

その時代から東京と地方の差をうめる努力をしてきた。その一つが公共事業であった。やたら建築関係の土木の会社が田舎に増えた。田舎の産業は農業と漁業と林業など第一次産業だったが建築土木が主流ともなる。それで都会との差を縮めようとした。
工場も誘致されて現金収入が増えた。
東京と地方というとき戦前はうまく東京と地方の役割があり調和していた。
その例が平機関区や原町機関区は石炭や木材や石材など原材料を東京に運んでいた。
それは全国で森林鉄道が網の目のように張りめぐらされていることでもわかる。
木材はみんな国内産だったのである。そういう時代は東京と地方の田舎の軋轢がない、限界集落などもない、田舎は税金の無駄使いだなどと言われることもない、そもそも田舎は田舎で自立していたのである。東京に田舎から供給するものがあったからでてある。
それは団塊の世代が集団就職でそうだったように労働力も供給していた。
出稼ぎも労働力を供給していたのである。

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ここは丸森である

富めりとも翁の身には知らざらん木の間のけむり絶えずのぼりて 大和田建樹

これは炭焼きして自活していた時代であった。戦後十年も炭の生活だった。だからこそ田舎では自給自足で自立していたからこういう自負があった。
国に頼っていない、都会にも頼っていないから都会の人に税金の無駄使いなどともいわれなかったのである。今からすると貧しいのにそういう自負があったということを見直すことになる。おれ達は東京のお荷物ではない、国のお荷物ではない、自分達のことは自分達でまかなっているとうい自負があった。今は地方自治体でそんな自負をもっている所は少ないだろう。だから原発はかえってそうした辺鄙な地域に建てられやすい、そうなったとき地域の自立は消失して東電に町ごと村ごと市ごと買い取られるような状態になっていたのである。現実にあれだけの補償金が出されることに驚いている。
村一つとか町一つなど東電で軽く買い取る規模だったのである。

●都会(東京)と田舎の差がはっきりあった方が良かった

今思えばかえって東京と都会と田舎の地方の差はあった方が良かった。そして地方は地方なりの田舎なりの自然とともにそれに見合った生活を目指せば良かった。
つまり野菜が馬鹿高くなっているが田舎では安く買える農家からもらうとか市場で安く買えるとかあるからだ。都会では東京ではそうはいかないのである。
野菜がキャベツでもレタスでも白菜でも一個千円だとかなれば東京に住みたいたいという人はへるだろう。外国産を仕入れろと言ってもアメリカのカリホリニュアが干ばつだとか
世界的食料危機くになるとかで入らないとしたらどうなるのか?千円のキャベツを買うか食べないのかになる。そしたら田舎がいいという人はでてくるのである。

また田舎は田舎で野菜は東京のようにはならないが車は贅沢品だとなり一人一台はもていないとかなる。文明の贅沢品は買えないということが起きる。前のように現金収入がかなりへるからである。それはそれで田舎は嫌だ都会がいいという人も逆に前のようにでてくる。でも野菜がキャベツでも一個千円の所では暮らしたくないともなる。
そういう選択が迫られる。今のように東京も田舎も変わらない生活をしていればそういうことが自覚できないのである。
都会で暮らす、田舎で暮らすメリットとデメリットがはっきりさせられる。
田舎は嫌だとしても東京でも野菜が馬鹿高いとなり嫌だとなればどっちを選ぶのかとなる。

おそらく原発事故はそういう課題を生み問うことになった。だから双葉の人が蝋燭でもいいから家族一緒に暮らしたいとなった。こういうときは極端なことがでてくるのである。
山尾三省のようなパンが贅沢だとまではならなくても田舎に暮らすことはやはりそれなりの貧しさがあり覚悟が要求されてくる。
田舎でも地方でもそういう生活なのだということを自覚して生活していれば原発など誘致しないのである。東京も都会も田舎も地方も生活水準は同じであるべきだという追求が原発を誘致する結果となった。
それは大きくは文明の問題でもあった。
現代は本当に過分な贅沢を追求している。それは借金してまでしている。借金してまで豪邸を建てている。事業に失敗しても成功しているととか借金していたりとか見栄を張り生活していた人もいる。
そういうものをどんどん追求してゆくことが原発が誘致される要因だったのである。

●資本主義は無限の欲の追求であり限界が・・・

小高の人は腕のいい大工であり庭師であり感心した。それでも借金して豪邸を建てているとか他のブラック的な事業にも手を出している。そして小高に原発が建つと景気良くなるよと言っていた。実際に小高に東北電力で原発を建てることが決まり工事も始まるところだったのである。
つまり一個人でも欲望かかぎりなくなってゆくとそうなるということでてある。
原発のことなど何も知らなくても景気よくなるよというだけで誘致する。
それは双葉や大熊や他の地域でも同じである。その金が桁違いであり幻惑されてしまうのである。結果的に事故の後も巨額の賠償金でもめて翻弄されているから変わりないのである。
原発はそうした地元でも国でも人間の欲望と密接に結びついて危険でも作られてきたのである。

事業して借金した人もそうである。見栄をはりその見栄をはった生活がやめることができない。
そうするとモラルもなにもなくなる。嘘もつくし金のためについには保険金殺人までするような状態に陥ってゆくから恐ろしいとなる。
そういう現代の文明的生活の追求か実は危険なものがひそんでいたのである。
資本主義自体が人間の欲望の自由な無限の拡大でありそれは自然破壊にも通じていたし現実に世界の自然破壊になった。だから資本主義やグローバル化を否定する人々もでてきた。
かといって資本主義で利益を得ている人はその欲望を減らすことなどできないのである。
金があれば一億あってももっと増やしたいとなる。それはきりないのである。
自分も矛盾しているのは株をしていることでもわかる。
金の魅惑は大きいし実際的力をもっているからそうなる。
原発事故周辺では結局土地とか家を失うと金だけが頼りだとなり金中心で動くようになったことである。頼るのが金しかなくなってしまったのである。
自分でも米も野菜も作れないからである。
ともかく原発事故はここだけではない文明をそのものを見直すものとなったのである。


タグ:東京と地方
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2014年09月19日

老人の価値は誰が決めるのか (本人ではなく個々人の価値観で決めている)



老人の価値は誰が決めるのか


(本人ではなく個々人の価値観で決めている)



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●差別意識は人類か始まって以来あるもの

で誰が価値あるのか何に価値あるのか決めることはむずかしい、身障者から知的障害者から貧乏人から金持ちからさまざまな人間が混在しているからてある。
世界的になればアーリア人が一番優れているとかユダヤ人か神に選ばれたから優れているとか白人と黒人には明確な差別があり黒人は劣等民族とされる。
日本人も戦争き時にはジャップと軽蔑され黄色人種は白人からすれば劣等民族だとされて原子爆弾を落としたとも言われる。
アメリカでは旅行しても博物館で入りにくくされたとかそこで暮らしていれば必ず差別がある国なのである。
中国人はどうだこうだ韓国人はどうだこうだと毎日差別発言をしているきを見ればわかる。
お互いに人種や国で分けて優劣を言っていくのが人間である。
肌が黒いとか黄色とかて人間は差別できない、欧米人が世界を主導してきたから他の人種は国は劣等だとされるているのであり肌て決めているほけではない。
ユダヤ人は神から選ばれた人種だから他は人間ではないということも根強くある。
一方でユダヤ人は常に迫害されたてきた差別されてきた民族てありそれがナチスきホロコーストになった。
宗教的にもイスラムは下位のものとキリスト教圏からは見られる。
宗教によく人間の差別も根強くある。

●悪人もサタンも神に存在をこの世で許可されている

人間とはこうしてし絶えず差別化してきたのである。  インドでカースト制がてきたのもそのためである。そもそも人間き価値を誰か決めるのか?
このこと自体が極めてむずかしいことなのである。「お前は価値のない人間だから死んでしまい」と言う事はむずかしい。 女性でも美人は価値あるがそうでないものは価値がないとかも言えない、なぜなら不美人がいて美人かいるブスか美人きひきたて役になっている。もし美人だけだったら美人は存在しないことになくからだ。
人間はあらゆくことにそれぞれに価値を決めているのである。
パチンコなどやるやつは価値がない、パチンコなどなくせばいいと言ってもそれを必要としていく価値あるとしている人たちかいるから存続している。
「暴力団なんからいらねえ、抹殺しろ」と言っても暴力団にしても社会悪としても必要なものだとも言える。現実に政治家自身が価値を認めている人もいるからだ。
つまり悪人なんかいらないから抹殺しろというけど悪人自体もこの世を構成するものであり聖書自体が神が悪人き存在をサタンき存在を認めているきである。
そもそもこの世から悪などなくなりえようがないのである。

学歴がどうのこうのというきも優劣を決めくも指標としてこだわる。社会に出たら学歴など関係ない、何かてきるか仕事かてきるかできないかで決まる。
ただ東大くらいになるとあらゆることで劣等生て高校も卒業てきないような自分は体力がありそして頭かいいという人は理解できない、天才も理解できない。
要するに学歴は何かかできたきとは違う。芸術家だったらどれたけ芸術分野で成果をあげられかである。それは作品に如実に現れるからわかりやすいのである。
それは偽ることきできないものとして提示されくからである。
中卒でも別にのしあがる人はいる。大工などでも職人ても腕がいいとはみなならない、職人には学歴か必要のないものが多い。設計とかなると学歴か学校で基本を学ぶことか必要でも社会で成功するのはそれだけでは決められない。

 ●老人の価値は家族になるとわかりやすい

老人の価値を決めるときもそうなのである。老人に金を使うきは無駄だだから若者に少子化たから子供にもっと税金を使いというきもは最もなのてある。
若者が老人を公共の場で施設て介護している世話している風景は何か異様なのかもしれない、今までにないことかもしれない。
家族では弱った老人を世話している光景は昔からあったろう。でもこれだけ大勢の人間か若い人か介護している情景は異様なのかもしれない。
ただそういう場で世話している若者は老人をどうみているのか?
ただ金をもらえるからしかたなくやっている。老人には何ら価値を認めていないかもしれない。
その介護する若い人でも老人の見方はそれぞれ違っているのだ。
あのばあちゃんはかわいいくないな、言うことよく聞かない、わがままだとかその性格で価値判断している人もいるだろう。そこには個々人で様々な価値判断かある。

これが家族になるとそき価値判断は施設とは違い家族内ての価値判断になる。
そき人が家族でどういう役割を生きてきたかが問題になる。苦労して家や子供に尽くしてきたということは家族なら言わなくても暗黙の内にわかっているから介護する人もいる。
妻には苦労かけたからと夫か介護している姿も見ている。
そこでの老人き価値観は家族が決めていくのである。病院での価値観になると医者でも看護師でも家族のようにはみない、病院経営を維持するものとしてまた大学病院では実験材料として見ていることが現実にある。手術をすすめるのは実験材料としてするからであるというのも恐怖だけど現実ということもある。

自分の場合はともかく人一倍家族には世話になったから普通の人より介護の動機がある。
60まで世話してもらっていたのである。ただ親でも金持ちでも親を大事にしないことかある。金持ちではたいがい高い料金の施設にあづける。かえって貧乏な親の子供か財産がなくても親を大事にすることもある。自分の親は苦労して育ててくれたから世話するという人もいるからその価値判断はマチマチなのてある。
こんな老人は価値がないというときそれは一般的な見方なのてある。
それは財政的負担が大きいから老人はいらないとなっている。だから延命治療など金のかかることはしない方がいいのである。
老人だって個々人ては違っているからである。一般的になると80以上くらいになくと戦争を体験して苦労した世代たから世話してもいいというのが社会的見方である。
団塊の世代は自分本位の人たちだと日本を劣化させたものとして常に槍玉にあげられているから老人になっても価値か認められない、特に施設てはぞんざいに扱われるだろう。

●ただ食べて寝ていくだけになるとそれは人間なのかともなる

ただ自分の価値観としては毎日食べて寝るだけの人間は人間なのたろうかとも思う。
特に認知症になった人についてはプログて書いてきた。
それだって知的障害の人でも母親は愛情をもっている。だからもしそうであれば社会では価値を認めなくても母親は愛すべきものとして価値あるものとして見ているから違っている。ただ認知症とか知的障害者になくと世話するのが苦しくなるから早く死んでほしいとなるのは批判できないのである。

例えば自分の場合寝たきりになっても頭が正常なら病院でも花をいけて見ていたいとなる。
そして俳句や短歌を作る、するとそういう人に人間の価値を認める人もいるだろう。
ただ病院ではそこつでは配慮しない、その人を知っている人でないとそこまでは配慮しない。なんか世話していてもその人か天井を見つめて寝ているだけで何も関心をもたず食べては寝ているたけなきが人間なのかと見る。
それも生い立ちでそうなったのだから批判てきない、その人が老人でも病人ても人間として価値があるかどうかは個々人の価値観で見ているのである。
そもそも花に無関心な人は別に健康な人でも若い人ちも多くいる。若いときはあまり花に関心をもたないたろう。関心をもつのは女性たとなる。
今になるとただがつがつと働き稼ぐ人間は嫌われる。成り金が嫌われるのは金の使い方かわからないからだろう。宝石などばかり身につけても金があってもそれが価値あるものに投資されないということて批判される。
でもそれはそき人き価値観だからそれは他から無駄だといっても俺のかせいだ金を何に使おうととやかく言われることはないとなる。
人間の価値観は個々人によってみんな違っている。
たから老人を見る価値観もみんな違っているのである。
いちがいに老人は価値ないというとき、そうなら成り金だって健康でも金持ちでも価値がないと見る人はいるのである。何事一様な判断はできないのである。
タグ:老人の価値
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2014年09月17日

なぜ老人は金を使わないかモノを買わないのか? (老人は消費すること自体が大きな負担になる)



なぜ老人は金を使わないかモノを買わないのか?

(老人は消費すること自体が大きな負担になる)



なんか通販では大きさとか重さわからなくてかなり買い物に失敗した。今回も背負うリュックサックを買ったが大きかった。前は重くて使えなかった。そのリュックを買ったのは下に弁当など入れられからいいと思った。弁当は一つにすると生ものは汚してしまうからである。
通販でムダが多いのは買いないものが買えるからである。
田舎では売ってないものが無数にあるからである。でも手に取ってみないと使えないものがかなりあった。っだから通販は無駄な買い物が多くなりやすい。

そもそもそいうものを買っても老人になると利用する頻度が少なくなる。
登山でもキャンプでも今簡単にできなくなっていた。介護で離れられなくなっているからだ。 そしてこの辺はバスになった結果仙台に行くのにも面倒になったのである。
バスは何か疲れるのだ。最近既に半年以上も仙台に行っていない。
出不精になってしまったのだ。
自転車でも自分は若い時からツーリングなどしていないから50以上になりスポーツタイプの軽いの買った。でもこれもわずかしか乗りこなせていない、つまりモノを道具を買ってもそれを使いこなす体力や気力や時間がなくなってきたのである。
最近小型のいいビデオカメラがでたので自転車にとりつけようとしたがそれもできなかった。いいものがでても買っても使いこなすことができない、老人は金があってもモノを道具を買っても使いこなすことができなくなる。

人間の生きる時間は本当に短い、高齢化で寿命が長くなったといってもやはり老人は若い人のようになんでも取り入れて使いこなすことができないのである。
趣味だってこれも相当な年季を必要とするから簡単にはできない。
60の手習いだなどというけどその負担は若い時の何倍もの労力になる。
読書だってそうであり厚い本は硬い本は読みにくくなる。
だから読書でも若い時は別に理解しなくても読んでいた方がいいとなる。
その意味を老人になると深いものとして理解できるようになるのだ。
素読とか子供の時暗唱させるのがいいというのはそのためである。その時意味がわからなくてもあとでわかるときがあるからである。

老人になると何かをするということはすでになんでもかなりの負担になる。それは遊びでもそうであり金があるから何でも買えてもそうである。第一パソコンやろうとしたらその労力は若い人の何倍もの負担であり使いこなせない、だから老人はモノを買わなくなる。
もしパソコンを買うなら大金持ちなら教える人を雇うことも必要になってくる。それでもパソコンを覚えることは容易ではないのだ。
その手間と時間が若い人が覚えるより負担になるから買っても使いこなせないとなり買わないとなる。老人になるとそいうことが多くなるのである。

人間は年をとればとるほだモノがいらなくなる。みんないっているだろう。
「もう何もいらない」と死ぬころになるとそうなる。
立派な着物をいれる箪笥があったけど着物を着たのわずかだった。
悲惨なのは認知症になりモノがありすぎると整理できなくなり忘れた忘れたと騒いでパニックになっていたことである。
認知症になると部屋には避けなものがない方が整理しやすいからいいのである。

老人になると何が必要なのか?何が買いたいのかとなるとモノではなくなる。
逆に金で買えないものが価値お帯びてくる。そもそも親切とか優しくしてくれるとかは
金では買えないものだったのである。
特に介護はモノを与えることではない、親切に接してくれるとかの精神的なものであり
モノを買うのとは違っているのである。
老人になるとそうしたモノではないものが価値をましてくる俺はいくらでも金をもっているだから俺に親切にしてつかえろといってもそうはならない、施設では嫌々ながらそんな老人をめんどうみている。でも施設では金だけではどうにもならないから不幸だというのもわかる。モノは買えても心は買えないのである。

認知症の不思議は何が最後に大事になってくるかを象徴している。
『殯の森』(もがり の もり)という映画は認知症のことがよくわかっていて作られたいいからいい映画だった。認知症の人が大事にしていたのは一つのバッグだった。
肌身離さず持ち歩いていたのである。それをとったとき激しく怒った。
なぜか、そこには思い出の品が死んだ妻の遺品や日記が入っていたのである。
自分の姉もみすぼらしいバッグを肌身離さず持ち歩いていたのである。
それはシンガポールで従軍慰安婦を4年間していて辛酸をなめた戦友が作ってくれたものだった。死ぬ間際までその戦争のことが忘れれず語っていた。
戦争の体験はそれほど忘れられないものとなっていたのである。
何が価値あるものとして残ったかというと「思い出」でありそれは形にはならないのである。それも人生を象徴していたのである。

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戦友が作ってくれたこのバッグをいつも肌身離さず持ち歩いていた

タグ:老人
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2014年09月16日

東京の危機迫るー貞観津波の時と同じ傾向 (茨城から千葉、埼玉と地震が頻発)



 東京の危機迫るー貞観津波の時と同じ傾向


(茨城から千葉、埼玉と地震が頻発)

これまでの地震は散発的に起きていた。東日本震災から違っている。周辺に集中的に起きているのはやはり東日本震災の影響である。埼玉に震度5弱が起きたのは不気味である。
東京は東電が原発を福島に浜通りに作った。それは一千万の東京を維持するために作られた。東京は自らの危険を避けて東京に作った。そして原発事故の災禍をもたらしフクシマでは浜通りでは人も住めなくなった。
この災いをもたらしたのは東京のような巨大都市がありそれが負荷となり原発事故がもたらされたのである。東電や政府は東京から離れたところで安全策を図ったのである。
そして飯舘村のような原発とは関係ない自然と共生を図って暮らしていた村に住めなくさせたのである。その罪は余りにも大きすぎたのである。
そのカルマを支払わせるために東京に危機が迫っているのだ。
貞観津波の時も陸奥は大被害を受けた。それはそのとき大和王権が陸奥の蝦夷をふみにじり虐殺していたのである。

そうして人心が乱れるとき自然も乱れる。その乱れを蝦夷の怨霊を鎮めるために祇園祭が始まったという。そのときの政権は奈良から京都に移っていた。
そのときは首都は京都だったが今は首都は東京である。
そういう人間の歴史とも災害は関係して起きてくる。
大災害はまた人間社会の根本的変革をうながす強制するものとしても易姓革命を起こすものとしても起きる。
原発事故も天の警告であり変革をうながすものとして津波が襲ったのである。
東京一局集中も国土利用では間違っている。天の配剤がありそれに反するとまた天変地異が起きてくる。東京はすでにもうそうした自然から見れば異常に肥大化した自然に天の理に反したものとなっている。
だから天の理に従って大災害が起きて新たな日本の国造りを強いるのである。
それはとても人間の力ではできるものでないから天が関与するのである。
原発事故でもその悪が暴いたのは人間ではない、国家的犯罪になると人間では裁けないから天が神が自然を動かすともなる。

蝦夷の怨念と同じものが今回も起きている。貞観津波では京都だったが今度は東京になる。
東京では常にに地方を軽んじてきた。第一次産業を食料を提供する地方を軽んじることは自然を軽んじることに通じているのだ。
大きく見ればグローバル経済というのも日本を起点にして見直される時期に来ている。
食料は国内で自給するのが基本であり外国に頼るのは天の理に反するのである。
だらこそ天から罰を加えられる天変地異が起きてくる。
tppもアメリカの第二の属国化なのである。

都会には都会のカルマがある。関東大震災があったが東京では必ずそういう地震災害が起きる。都会は災害に弱いからである。だからカルマを繰り返す、東北でも津波は繰り返されてきた。日本自体がそうした国土のカルマをもっている。その運命から逃れられないのである。歴史を振り返ってもその地理が歴史を作るように災害も繰り返される。
ただ日本人は忘れやすい民族なのである。何か一過性で台風のように荒らされてもその後の青空のように忘れる。
神戸の地震でも都会の被害は甚大になる。それを考えたら普通はあんなに密集して住んでるのは地獄を作り出すためにお膳立てしているとしか思えない、それは津波でなぜ危険な海岸に家が密集していたのかと言われるのと同じなのである。
高層ビルに住むということはやはり人間の危険に対する感覚がマヒしているとしか言い様がないのだ。

東京が大被害受けることは日本の国土再建計画が起こり地方に危険を分散させる政策が取られる。東京オリンピックは中止され国土再建に向かう。東京遷都も具体化するそれだけの衝撃がない限り本気の改革はできないのである。

窮まれば変じ、変ずれば通ず(易経)

正に被害地はこうなっている。原発事故ではそもそも町や村がなくなった、住めなくなったのである。これ以上の変化ない、これに対処するには変じるしかないのである。
これはまた明治維新とか戦後の焼け野原と似ているのだ。
東京に大地震が起きたら全国規模で国土再建をせざるを得ない、それはそうしいられるのである。 その後にまた新しい日本国土の天の理にかなった再建が行われる。
そうでないければとても大きな根本的改革はできないのである。
そのときまた荒廃の極点に達していた日本人のモラルの再建もありうるのである。
つまり人間の力だけではモラルもあらためることができないのである。
だからそこに天の力が働き国土の改革が行われる。そのための犠牲として津波原発の犠牲があったともなる。戦争の犠牲者があって戦後の復興があったと同じである。
時期的に明治維新から70年で戦争へ戦後約70年で大災害になった。そいう節目に自然災害も起きてくる。それも天の理だったのである。



タグ:東京
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火災保険、10年超引き受け停止へ 損保大手 自然災害増加で収支悪化 (国民年金も保険であり支払いきれなくなっている)


火災保険、10年超引き受け停止へ 損保大手 自然災害増加で収支悪化

国民年金も保険であり支払いきれなくなっている)


  損害保険大手が、10年を超える期間の火災保険の新規契約引き受けを来年秋にも停止する方針を固めたことが13日、分かった。異常気象による建物被害が増加傾向にあり、長期契約での収支予測が難しくなったためだ。現在、最長で36年の保険契約は、 ...
MSN産経ニュース

若い世代はまともな職にも就けず、安定収入もなく、結婚もできず、ジリ貧。 
一方、老人世代が雇用延長して会社に居座り、高給を得て、裕福な生活をおくる。 
自分たちだけ良ければ後はしらねえ、って感じがぷんぷんする。 
政治家も自らの懐にカネが転がり込む仕組み作りに腐心しているだけで、表向きは 
キレイ事をいっているだけで、将来の日本がどうなろうと知ったことではない。 
だいたい、余命幾ばくもない70才の老人がまともに将来を考えるかっての。 


年金は保険だから。得する人もいれば損する人もいる。最も公的年金は、政府が出資してるから得する割合が高い。

 自動車保険は事故を起こさないと貰えませんよね。健康保険は病気や怪我をしないと 
貰えませんよね。保険金を貰うような事態にならないほうが幸せなんです。それを、 
「掛け金が無駄になった。私も事故を起こしたかった。病気になりたかった。」と悔やむ 人はいません。 

国民年金「保険」も、厚生年金「保険」も同じこと。貰うような事態にならないほうが幸せ なんです。保険金をもらえなかったら、「無駄に長生きして生活に困らなくてよかった」と
喜ぶべきなんです。 

そういうわけで、年金の支給は90歳からにしますのでよろしくお願いいたします。 



一般にも保険が「危険を分担」し合う契約であることの認識は薄く、自らに保険事故が発生し、経済的保障を受けなければ保険の効用、仕組みについて理解がされないことが
多い。

保険というのがこれもそもそもわかりにくい。親が農協の保険の火災保険い入っていた。それで今回の地震で30万くらいはもらった。
でも津波に被害があった人は500万もらったという。床上浸水で被害が大きかった。
それでもその額が大きいと思った。その人は1200万くらいの保険だった。
自分は600万だったのである。それも積み立てたのが戻ってくる保険だった。
ただ自分は少ないと感じたが保険は何かあった場合のために助け合うことが保険だということを理解した。そういう助け合いだということを自覚している人は少ない。
保険会社に一任してその保険会社から支払われるのであり互いに保険金を納める人が協力してなりったていることがを自覚していないのである。
それが近くで同じ農協だったから自覚したのである。
正直農協は一年に5万であり高いと思った。でもこれは掛けたものが返ってくるから高かったのである。

現代は保険の時代でもあるが保険とは何か理解している人が少ないと思う。

年金は保険だから。得する人もいれば損する人もいる。最も公的年金は、政府が出資してるから得する割合が高い。

 自動車保険は事故を起こさないと貰えませんよね。健康保険は病気や怪我をしないと 
貰えませんよね。保険金を貰うような事態にならないほうが幸せなんです。それを、 
「掛け金が無駄になった。私も事故を起こしたかった。病気になりたかった。」と悔やむ 人はいません。 

年金が保険と理解している人もまれだろう。若い人が年金を払うのが馬鹿らしいというのはわかる。
自分もそう思っていたが払うのは親だったので苦しいとは思わなかった。
年金は保険だとすると老後のために何かあった時にもらうものであり月給のようにもらうものではない。
それは病気とかになった時もらうものだとなる。そうなると定期的に死ぬまでもらうのはないとなる。
国民年金などはこうした保険というよりは国の社会保障になっている。半分は国で保証しているのである。健康保険でもそうである。アメリカでは健康保険が馬鹿高いから貧乏人は入っていないから病気の時はいい医者にみてもらいない、日本では平等にみてもらえるのがいいと評価される
でも国でその負担が増えるとはらいきれなくなり消費税などの増税になるのである。
それはこれも保険でありみんなでなにかあったら負担しあうという思想があり成りたっている。
生活保護でもそういう思想があり成り立っている。ただ税金で納めるから保険だという感覚がないのである。

若い人が年金に不満なのは今の団塊の世代などは少なく払ってももらえるが自分たちが老人になるときはもらえるかどうかわからないという不満である。現実に今の90代は年金をはらわなくても三万くらい国から支給されたのである。年金は国で保証されるから支払われるとしても今払っている年金は今の世代に支払われるから不満なのである。
考えてみれば火災保険などは支払う額はそうした世代間で差はない、みんな同じ額を払って維持している。今の若い人は多く払ってももらえるかどうかわからないというのは当然だとなる。
厚生年金や企業年金も国民年金とは違っている。
公務員はなぜ年金が高いのかと不満がある。その差があまりにも大きすぎるからである。
そもそも国民年金にしてもそれが保険なら病気とかの時支払われるのであり月給のように支払われるのではない、そうしたいなら貯金の年金に入り老後にもらえるようにしひた方がいいとなりそうしている人もいる。

いずれにしろ社会保障費も増大すれば消費税などあげねばならない、少子高齢化でその負担が若い人にかかるから不満が増大する。最近火災地震保険でも払いきれないから募集を保険会社で取りやめたことも同じことなのである。支払う額が大きくなるともう維持できなくなるのだ。
それは社会保障費でもそうだし年金でもそうだし民間でも維持できなくなる。
そういう限界状態が社会全体に生じているのである。

現代社会が理解しにくいのは何でも規模が大きくなっているからである。少人数の頼母子講などなら理解しやすいが巨大化すると人間はなんでも理解しにくくなる。
でも今回のような大災害になると巨大化しているから巨大なシステムを構築した保険会社でないと対処できない、その一番巨大化したのが国の保障なのである。これだって税金で成りたっているのだから
保障しきれない事態になっている。
タグ:保険

2014年09月15日

虫の声 (敬老の日ー石のように動かなくなる老人の心境ー石の心(詩))


虫の声

(敬老の日ー石のように動かなくなる老人の心境ー石の心(詩))

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秋の蝉残り屋にひびく海老の村

朝の海望み揚羽や舞いにけり

露草や石一つ残る津波跡

老いゆくや夜更けに光る後の月


田舎なれ夜のふけて鳴く虫の声かすかなるも我が聞き入りぬ

秋となり声なき死者は何求む別れし人も遠くなりゆく


スーパーで掃除などしている退職した人は母親が92歳で息子の名前もわからないというから重症である。その人がだれかわからないのは認知症でもかなり重症である。
夜中に起きるのが困ったということも自分も経験している。
その人が早く死んでくれればなと何度も言っていたから認知症になるとみんなそうなる。
自分の場合は最後まで自分のことはわかっていたのである。
認知症は時々正気に帰ることがあり意識不明になり昏睡状態になるまえも正気にもおったことがあった。だから本当に認知症は不可解な病気だと思う。
90歳過ぎるともう半分は認知症になる。


今日はは敬老の日といってもこれだけ高齢化になると社会で祝うというより負担に感じる人がふえるだけである。
福島県では会津の方で65歳以上が50パーセント越えている村がある。
そういうところは村自体維持できなくなってゆく、そして津波原発事故は高齢化で復興できないとなっている。
避難区域になっているところはどこも若い人は帰らないとなり帰るのは老人だとなると
復興はできない、老人は先のことは考えない、まもなく死んでゆくものとして在るから
先の長いことは考えられないのである。

そして老人は動くこと変化に対応できなくなる。老人は本当にだんだん石のようになってゆく。 老人は死に場所を求めているのだ。その場所は先祖代々生きてきた場所がふさわしいのである。だから老人はどうしても故郷に家に帰りたいとなる。それが奪われたことはいくら補償金をもらっても償いないとは言える。ただ補償金はまわりからどう見られるかも問題になるからそれはまた別問題である。

ともかく老人の心境は詩にすれば次のようになるだろう


 石の心

在るべき所に人はあらじ
在るべき所を人は知るべし
巌のように固く重く
在るべきと所を悟り
その場を動かざるべし
在るべき所に人は死ぬべし
汝は在るべき所に安らかなるべし
その死後もまたしか在るべし
巌のように固く重く
そこに花のまた咲くべし
巌とは夫であり花は妻なれ
花はその巌の上に安らかに咲くべし 

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巌の石のように在るべき所に在るということ悟りのように自覚する。それはなにかというと自分の人生をふりかえっても在るべき所になかった。
いろんなところ無駄に彷徨っていた。カルト宗教団体などで活動していたのも在るべき所になく時間が浪費されただけだった。都会の生活は何かその繁華街であり本当の生活があるように思えないのである。現実ならざるものにも見える。それは自然から全く離れた人工的空間になっているからである。
人間は死ぬ場所がどこになるのかも大きな問題だろう。ここが死ぬ場所だと納得して死ねる所である。仮設で死ぬようなことがあれば本望にはならないだろう。
女性だったら嫁ぎ先の家で死ぬのが本望だろう。そう思わない人はやはり結婚が失敗だったともなる。 

海老村の津波の跡に石が残っていて露草が咲いていた。石と露草が在るべき所に在り咲いているとなる。津波とか原発事故はその在るべき所を奪われたことが最大の悲劇であり理不尽だっともなる。
一方で若い人は一億円もらって便利な都会で暮らした方がいいとなるおも現代では避けられないのである。
皮肉だったのは「絆」とは外部との絆だった。広域社会になると外部との繋がりが大きくなり金の力が増大する。つまり地球の裏側からもものが入ってくるからである。
一方で肝心の内部の絆は繋がりは助け合いはない、補償金でいがみあっているというのもつくづく現代社会の矛盾がここで露骨に表れたのである。
広域社会では外との繋がりで絆が生まれたのもそういう社会になっていたからである。
一方で近くはかえって繋がりがないというのは現代社会ではそういう構造になっていたからである。金さえあれば食糧にこまらないということがそのことを象徴していたのである。そして広域社会でも交通が遮断されたとき危機に陥ったことでわかる。
外部から食糧が入らなければ現代では万事休すになるのである。

ともかく敬老の日ということ自体が全くそぐわない時代にもなった。
早くしんでくれというのが悲鳴のようになっている時代でもあるからである。        
タグ:石の詩

2014年09月14日

田舎の路上でギターの演奏していた若者 (除染で名古屋から来たというが・・・・)



田舎の路上でギターの演奏していた若者


(除染で名古屋から来たというが・・・・)

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夏草や若者歌う田舎道


この辺では外部から人が入ってくるのは珍しくない、でもあれは変わっていた。
脇道で車もあまりと通らないところでギターとハーモニカで演奏していた。
あれは都会でよく歌っているストリートミュジシャンである。
それが田舎道でしていたから驚いたのである。

その若者は名古屋から車できたばかりだった。随分田舎だとか言っていた。
ホテルが用意してあるというがプレハブだった。
この辺にコンビニあるのかとか随分田舎だと思い何もないとか言っていた。
名古屋からすればそうなる。
名古屋に太平洋フェリーで何度も行った。
名古屋の人とはトルコのイスタンブールでも会った。その人は会社の派閥争いで敗れてやめて世界旅行していた50代の人だったろう。
その人はシリアにも行っていてあそこの人たちは純朴でいいよと言っていた。
外部からまだ人があまり入れない地域は昔のままであり汚されていないからである。
アジアでは元のビルマのヤンマーやラオスに行った人もそう行っていた。
だからシリアは悲劇だった。日本人はアラブに好感を持っている人がいるしアラブ人も日本人に好感を持っている。アラブ人は何か付き合いやすいところがあるからだろう。

そこであった名古屋の人は何かエネルギッシュだった。若者と交わり溶け込んでいた、名古屋人には信長や秀吉タイプがいるのかと思う、一般に大阪や西の人は積極性が全面に出る。近江の大津の人も値切るのがうまい、外国でもそんなことができていた。
近江商人の出た所だと今では思っている。
東北人はたいがい農民であり体質的に積極性がない、それはここに転勤してきた関西の人も言っている。
日本人は商人に向いていない、職人だというとき特に東北人はそうなのである。
ただ伊達政宗は例外だったのである。
前の親戚の人が事業に失敗したのも商人として失敗したのだろう。
職人のままだったら成功していたのである。ただ事業は20人一人しか成功していないとすると地域だけでは測れない、でも事業で成功しているのはやはり関西の方だろう

いずれにしろあの若者は除染とか建築関係の仕事ができるのかと思う
一週間で辞めるかもしれないというときそんな感じなのである。
飯場でギターひいている人はいないだろう。
人手不足でだれでもいいから人をあつめているからだろう
建築関係の仕事はアルバイトではやるべきではない、危険であり除染でも屋根から落ちたりすう。あれは相当な訓練が必要なのである。
ただあんなふうに積極性のある若者はこの辺ではすくないだろう。

今年はまだ夏でありまた秋になっている。
だから夏草でもある。一般にはこの辺の労務者は高齢化している。
若い人はどこでも少なくなっているのだ。
若人はやはり無鉄砲であるがエネルギーはあるから活気は出てくる。
田舎何もないというとき田舎もともと老人向きだった。
田舎の良さは本当は老人になってからわかる。
自然にとけこむのには木が育つように時間がかかるのである。

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相馬市の道の駅で昨日の話 (補償金で分断されて絆がなくなった原発事故周辺)


相馬市の道の駅で昨日の話

(補償金で分断されて絆がなくなった原発事故周辺)



相馬市の道の駅ではいつも近くの老人が4、5人集まっている。話題にしていたのが1200万で売り出していた土地と家だった。広告がでてそれを見せていた。
家は築44年だから価値がないけど土地が140坪では広いと思った。
日下石であり街内ではないにしろ近くにスーパーもあり学校もある。
今では土地を求めている人が多いから買得ではないかと思った。
農家だった人などは広い土地を求めているからである。

そこには飯館の人が来ていた。相馬市の大野台の仮設にいるという。あそこには仮設が多く津波の被害者もいる。津波の被害者は地元に家を建てて仮設を出た人が多いという。
その人は飯館の飯樋であり墓が三つあり牛を飼っていたという。
牛を600頭も飼っていた家があったというのも驚きである。
それだけ飯館は広い土地だったのである。
米の耕作面積も広かったのである。山でも平地が広い所でもあった。
みんな帰るのかと聞いたら帰るのは老人だけだといっていた。
これは避難区域などではみんな同じである。

テレビで放送していたが川内村では原発に三分の一働いていたという。
川内村は原発でもっていたのである。辺鄙な村でも結構豊かに暮らしていた。
なぜなら原発で働くと給料が他よりいいからである。
それに比べて飯舘村は牛の村であり原発とは関係ない村だった
東電からの援助もなかったろうから悲劇だったのである。
南相馬市でも原発で働く人が多かったのには意外だった。
今回原発事故で被害にあった所では飯舘村は恩恵を受けていない村だった。

道の駅には外部からの人も出入りしている。自転車日本一周とかの若者もいた。
仕事できている人もいる。六号線がいわきまで通じていないのでどこを行けばいいのか
尋ねる人がいた。六号線は朝晩は許可証なしで通れるようになる。
それでもなかなか通りにくいのは変わりない。
この辺はまだまだ混乱が続いている。
大野台では仮設でも飯館村と津波の被害者の事情はかなり違っている。
津波の被害者は補償金を漁業関係者意外はもらいないからだ。
それで飯舘村の人がトマト栽培農家に雇ってもらおうとしたら断られた。
津波の被害者を雇うからだとnhkで放送していた。

この補償金問題もこの辺で内部対立を作り出した。
浪江の工場経営者も前の仕事仲間から補償金もらっているのだからと仕事をさせてくれないと嘆いていた。
一方では避難民は補償金で働かず遊んでいると非難される。
近くでも畑で野菜をつくっている人がキュウリをくらと仮設に住んでいる人に言われたが
小高の人にはやらない、金あるんだから、買えばいいだろうと言ったという。
それもそうなのである。
ただ南相馬市では小高の人は同じ南相馬市でありイワキや他の市町村とも違っている。
悪感情があってもそれがいわきのように露骨に嫌がらせまではならないだろう
車をパンクさせたというのは本当かどうかわからない

もし本当に困っていたら

「私は食べののがなくて困っています、一本でいいからキュウリわけてください」
「あなたたちが困っているの見ていてわかっています、どうぞもっていってください」
「ありがとう、ここの人は親切です 恩にきます」
「困ったときはおたがいさまです」

「キュウリ一本など買えばいくらでもあるよ」
「金はあるんだからそんなもの買えばいいんだよ」
「この土地のものには世話にはならん 俺たちは俺たちでやるうんだよ
金で遊ぼうが金あるんだから手伝いに雇ってもいいよ、金があるものが今に世の中では
ものを言うんだよ」

こんなふうになるのはまさに現代を象徴していたのである。要するに原発事故は現代社会の矛盾を露骨にした場になったのである。

絆だとか最初はいわれたけど今では心もバラバラになってしまった。
人間は貧しいときは助け合うけど豊かになると助け合わない、それと広域社会になったとき、金の力が大きくなりすぎたのである。
このへんでは食料がとれなくても全然困らないのである。かえって補償金で贅沢をしているのだ。
そのことを象徴していたのがこの土地のものが作った野菜をくれろといったらもし保証金もなく苦しんでいたら分け与えていた。そうしなくても困らないから協力もないのである。
広域社会になり金の力が大きくなると近くでは協力しなくても生活できるからそうなる。
若い人が故郷から流出するの移動するのが容易な時代だからそうなる。
原発や津波の被害地はそうした現代の矛盾を露骨にしたのである。

タグ:原発補償金
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2014年09月13日

金の貸す方の恐怖 (貸すと際限なく借りに来る恐怖)



金の貸す方の恐怖


(貸すと際限なく借りに来る恐怖)


金を貸す方の心理を借りる方は知らない、立場が変わると人間は相手のこと理解できない、患者と医者と看護師でも親と子でも上司と部下でも立場が違うから理解できなくなる。
正直親とならない人は親の気持ちがわからないということがある。
自分がそうだった。今親の介護をして世話する人の気持ちを理解した。
毎日食事の用意をすることが大変なのである。でも親もそうしてくれてきたことを理解したのである。
親は子供を世話してきた。そこには子に対する願いも生まれる。
子供が立派に育ってほしいとなる。その立派とは何か明確ではないにしろそいう気持ちを持つのである。
それは日々子供のために尽くすからそうなる。

人のために他人でも同じである。
特に看護師などや介護士でも人と直接向き合う仕事だから余計に感じるのだ。
「なぜこの人のために働き尽くさねばならないのか?」
金をもらっているから仕方がない、そう割り切れないのである。
だから病院とか介護関係では虐待も起きてくる。それは家族でも起きてくる。
家族も実際は様々な家族があり複雑なのである。
要するに世話する人と世話される人の立場の違いで問題が起きる。

金の貸し借りもそうだった。金を借りる人は金を貸す人の気持ちがわからないのである。
返すから貸してくれとはいうけど返すとは簡単に誰でもいうことができる。
一回貸すと必ずまた借りにくる。返さなくても借りにくる。
金を貸すとそれが延々と続くから怖いのである。要するに切りがないことがこわいのである。
延々と金をせびられのが金を貸す方にとっては怖いのである。
金を貸す方にすると延々とせびられる、たかられるということが恐怖になる。
そういうことは親族間で起こりやすい。
借りに来ても断りにくいからである。

恐喝事件では推理小説では延々と金を請求されるということで殺害するというのも切りがないことが恐怖になってそこまで金を与える方が殺害までにいたる。
金を貸す方もそういう恐怖がある。
なぜなら金を借りるような人は常に金に困っていて借りに来るからである。
金を借りに来ることに終りがないのである。

その金の貸し借りから信頼関係はこわれてゆく、金の借りる方は金にならないならと離れてゆくし金を貸す方は金を延々と要求されるということで恐怖となり縁も切れてゆく。
人間は限度がないことが怖いことになる。欲望にも限度がない、だからかえって一千万の月収があっても生活が苦しというのはそのためである。
収入が増えれば楽になるというのではないという。それ相応の生活ができないことが問題なのだというのは本当だろう。

なぜ金の貸し借りから人間関係が破綻するのか?
金を借りる人には必ず問題がある。そして知人であれ金を借りるとなるとどうして金を借りるようになったのか厳しくとわれる。ギャンブルでおおまけしたからだと言ったら誰も貸さない、貸すのはサラ金である。
金を借りることはその人の人間人格、人生まで問われることになるのだ。
おまえはいいかげんな奴だから借金するのだとみられる。

まず事業している人などと付き合うのは怖い、こっちに弱みがあったりしたらさらに怖い、相手は金しか眼中にない、ちょっとでも何か頼めば百万単位で借金を要求するから頼めなくなった。だからかえって頼むときは法人会社がいいとなる。
要するにもう知人でもなにかしてもらうと際限なく要求されることが怖いのである。
「ただほど怖いものはない」の意味は報酬として決まった金でケリがつくことはわりきれていいのである。
なにかしてもらっていくらだと決まっているとかえって割り切れる。
いくらでもいいですよおいわれると一万から百万までまりうるのである。金持ちだったら百万払うこともあるからである。

いずれにしろこの金の問題も親から受け継いだカルマだった。いつも金を貸すことで返してもらうのに苦労していたからである。そのカルマも引き継いだのである。
カルマは親からのカルマ必ず引き継がされるのである。
そこにはいい面と悪い面がある。いい面だけを引き継ぐことはありえないのである。
いずれにしろ金の問題はやっかいである。自分はそんなことにかかわることがなかったからよかった。今やいろんな世俗的なことに関わらざるをえなくなった。
人間は世俗のカルマから逃れられないのである。
借金をすること自体がすでに具体的にカルマを背負うことになっているのだ。
だから借りた人に借金を返さなくても他の人から取立てがされそれは厳しくなるというのもありうる。そのカルマともかくどこかでまた返さない限り要求されるのである。

夏の蝶の抽象画



夏の蝶の抽象画


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これは自分の写真が抽象画になってる。写真は明らかに絵なのである。
だから絵画風にも抽象画風にもできる。
これも加工する途中で変化したもの切り取ったのである。
これに蝶を見れるかというと普通は見れない
ただ写真を見てこれは蝶なんだよと言うとそうみえるのである。
もちろん別なふうに見るものもいる。
でも抽象画も具象画を基にしているから何かイメージできないと鑑賞できないことはある。
黄色が揚羽蝶と見れば鑑賞しやすいのである。
タグ:夏の蝶

2014年09月12日

夏の終わりに死んだ揚羽蝶を見て思ったこと (人は生きたように死ぬ・・・・揚羽蝶の軽やかな死(詩)


夏の終わりに死んだ揚羽蝶を見て思ったこと


(人は生きたように死ぬ・・・・揚羽蝶の軽やかな死(詩)



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クリック拡大できれいに見えます


入れ替わりダリやにとまる揚羽蝶




揚羽蝶の軽やかな死


揚羽蝶は軽やかに野を飛び回り
道に美しい羽を残し死んだ
風に吹かれて光を一杯に吸い
蝶は花々を巡り舞いぬ
蝶にはただ花々が映じている
その美しい紋様を見せて
蝶は喜々として舞った
風は草原に吹きわたりかなたに
海の波が寄せて飛沫があがる
この世の労苦は限りない
蟻の労役は果てしなく続く
人の生は重く苦渋に満ちている
それはこの世の終わりまで続く
この世を生きることは苦役を課せられた囚人
なぜ無残な死があるのか
蝶の軽やかな死よ
そこに苦痛はなく軽やかな死
美しい羽を残した死
何も苦痛はなく惨めではない
それを手にとれば
また風にのり飛んで行きそう
蝶は死んでも野の花々の中を舞っている
神の庭園の花々の中を舞っている
風に吹かれて十分に光を吸った蝶よ
風に軽やかに舞い上がる蝶よ
なお眩しい夏の日は続く
そは来世でも天国で舞い続ける
軽やかに風に吹かれて喜々として
限りなき花々の中を・・・・・・



今年は暑つくなったり寒くなって秋だと思うとまた暑く夏になっている。
残暑なのだけど秋も既に来ているという奇妙な感じである。
揚羽が飛んでいるのは夏である。日ざしも夏である。
人間の生が苦だというとき病気になり死ぬときである。
それがあまりにも無惨なのである。それは別に金持ちだとか貧乏とは関係なく人間の最後は誰でも無惨なのである。最後の姿は無惨である。

今日道端に死んでいた揚羽蝶にはそういうことはない、そこになんら苦痛が感じられない美しい羽を残して息絶えている。そこにかわいそうだとも感じない、それを見て死んだように見えないのである。
人はよく生きたように死ぬというとき、まさに蝶は生きたまましんでいる。
またその羽を手に取れば風に乗り舞い上がう感じなのである。

自分もこのように生きた。自分は会社員とか向いていない、だから学校が特に中学とか高校が嫌だった。実際は高校でも卒業できないほどでありやめったかったのである。
受験勉強に興味をもてなかったからだ。
それ以後大学でも自由になり卒業しても一時仕事しても単純な流れ作業だったのでしていないのっだ。それで仕事の嫌悪感わ感じてしていない流れ作業やるなら家事の方が毎日していて面白いしやりがいもある。掃除するにしても我が家のためにしているのだから他人がやるのとはやるきがちがってくるのである。主婦は結構やりがいあるものにもなる。
今仕事にやりがい感じている人は少ないだろう。
そのことがニートが増えた要因もある。
ただはっきり言って会社勤めををしないとかしていると社会性が身につかないとか社会のこと知らないことでいつか苦しむようになる。
この七年の自分の苦しみがそうだった。社会的訓練を積んでいないから苦しんだのである。

自分は特殊な環境にありこういうふうに生きられたのである。幸運だっといえばそうだった。今でも金には困っていない、これまでは小遣いをもらっていたから贅沢はできなかった。旅行したとしても贅沢をしたことはない、千円以上の食事もしたことがないし温泉にとまっとことも安いのに一回くらいしかとまっていないのである。
ただ自由な時間が与えられたということだったのだ。

自分の母は子供の頃から働き詰めであった。親のためにも働かされたし何か遊ぶということさせられなかった。だから最後に庭はいらないとか狂気のようになり言い張った。
花にも興味もないし美しいとも思うものもない、その一生は働くだけだった。
こういう人生も悲惨だった。それはアリの一生だった。休むことなく働きつづける奴隷と同じだったのである。ただ食べ物にだけは贅沢だったのは豊かになってからはみんなと同じだった。
こんな人生だと百歳生きても幸福だったのか、生きたのかともなる。
ただそいう人生を選んだのではなく強いられたのである。
そういう人もまた多いのである。
ともかく自分は外の光を十分に吸って生きた。
毎日半日くらいは外で過ごしている。一日デスクワークしているのに耐えられない

ともかく自分の最後はこの蝶のようにありたいとも思うがむずかしい
こんなふうには人間は誰も死ねないのである。

2014年09月11日

ひまわりを見て写真をとっていた京都の若い女性 (やがて津波の跡も観光地になる)


ひまわりを見て写真をとっていた京都の若い女性

(やがて津波の跡も観光地になる)

京都から来た人が女性二人男一人が写真で紹介したひまわりバックにして写真をとっていた。
あそこのひまわり大きい、あそこはこはひまわりがずっと咲き続けているから大きくなった。
ほかのひまわり畑は枯れてさいていない、咲いているところも小さいひまわりである。
でも南相馬市がひまわりの市になったと書いたがやはり外から来た人もそのひまわりに注目したのである。

京都というそこに住んでいるだけでうらやましがられ所である。でも意外とそこに住んでいる人は京都のよさ知らないことがある。
京都にはなんでもあるから京都の人は旅はあまりしないともいわれる。
奈良の人に一作日はあったが若人は地元のことがわからない、いくら歴史があっても普通はわからない、そして若い時はただ外に憧れているのである。
要するに長年住んでいる場所に感動している人まれである。
京都には山ほど文化遺産があっても感動しない人もいる。
いつもみているから感動しないのである。

観光でも京都はわくりにくい、特に歴史的なものはわかりにくいのだ。どこでも歴史を感じることはむずかしいのだ。京都はありすぎてかえって文化的なものさえ興味がなくなるということも起きているだろう。
京都は街のなかでもきれいな水が流れているのがいい。
まわりが山に囲まれているからまだ自然はある。
ただ今日会った若い女性がここは広く感じるといって言っていたことがわかる。
京都も都会であり家が密集しているかそう感じる。東京よりはいいのだがやはり広々とした空間はないのである。
だから鰻の寝床もような町屋になった。

現代は医療関係は田舎と都会の差はあってもそのほかで差が感じられなくなった時代である。仕事面では都会中心でも文化的に東京や京都や大阪が中心とはならない時代である。むしろ自然がないのだから自然の感性はつちかえないということもある。平安時代の環境とはあまりにも違いすぎるのである。
要するに京都からはかえって紫式部や枕草子がうまれにくいのである。
現代は文化的面では都会に住むメリットが少ない、京都の日常は家が密集して狭い空間に押し込められている感じになるのだ。

「田舎の学問より京の昼寝」
これは今まではあった。でも交通が発達してインターネットで通販時代になると買い物でも不便を感じないのである。情報的にもそうである。
今ではかえって京で昼寝しても何にも得るものがないだろう。都会と田舎の環境がそれだけ似通ってきたからである。
むしろ田舎で都会をはなれて昼寝していると都会の喧騒から離れて人間的になり感傷的になる。物思うのは田舎の方が向いている。
兼好法師の徒然草の時代とはあまりに違いすぎるからでる。

結局人間はどこに住んでも感じるものがなければどこにすんでも同じである。名所に行っても同じである。
現代は何かに深く感じることができなくなっている。
情報社会になっても感受性は衰えている。人工的空間で機会に囲まれ生活しているから自然への感受性が衰退する。

石や岩を詩にしてきたがその石や岩は都会にない、それは具体的な像としてもてないから言葉も観念的なものとなる。言葉と具体的な事物が結びつかないのである。
だから今や人間は政治人間経済人間科学人間になり本来の人間はいない、トータルな人間もいない、ただ部品化した人間しかいないとなる。

郷土を考えるとき自分は全体としての郷土であり部分として機能するものではない、なんでも全体として機能するものとして見るのである。
小さい田舎だとそいうことがしやすいということもあった。福島県でもこれをアイデンティティ化することはむずかしいのである。
ともかく人間の充実した生は自然を離れてはない、なぜこれほどに殺伐として美のない世界になっているのか?
これが繁栄といえるのか、いずれにしろ都会の価値はここ十年くらいでインターネットの発達などでまた下がった。

南相馬市の将来像は描かれていない、まだ混乱状態にある。ただフクシマが世界的にも有名になった。
全国的にも有名になったから今までは南相馬市を観光する人は少ない、野馬追いくらいだった。
だから外から来る人少なかった。六号線で道の駅ではあっていた。でも自転車を借りて見て回る人は見かけなかったのである。
ひまわりが咲いているということでもそれが人を引き付けるものにはなるということである。
津波の被害地域はまだ観光にするのは無理である。でも現実は津波の被害地を見て回っている人がいる。
その人たちにとっては観光でしかないのである。
だんだんかいそうだというよりそいうふうにポンペイの遺跡見学のように時間がたてばたつほどなってしまうのである。


タグ:京都
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2014年09月10日

海老村の津波の分析 (津波はどこが高くなるかわからない)


海老村の津波の分析

(津波はどこが高くなるかわからない)



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坂の手前までは来ていない

だからネギ畑を作った

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ここから下は低く津波が流れ落ちて行った


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海老の海岸の道は通行止め




海老村は高い場所にあったから津波であれだけ被害があったのは意外だった。
津波はどこがたくなるかわからない。海底の状態にも左右される。
海老村ではんみに接した崖のところが避難所になっていたという。確かにあそこは高いがあの崖を軽く越えて津波が襲いかかった。
だからあそこがなぜ高くなったのかわからない。
津波は一様な高さでは来ない、あるところで高くなる。
崖の上の海に接していた家は悲惨だった。
三人くらい子供も死んだ。あの崖は高く感じていた。
あの崖を軽く越えてきたのだ。

テレビでも双葉の原発がある場所の崖に津波が高く襲って生きた映像は恐ろしかった。
三陸せも高い防波堤でも越えてきた。高くしても津波を防げない、
津波に効果的なの土を盛り人口の丘を作ることである。
それは低くても津波の勢いをそぐことができる。
松原は津波には弱かった。

ともかく鶏足神社の前の坂まで津波は来ていなかった。
あの坂で遮られたと思っていた。実際はそれより前までしか来ていない、だから坂の脇でネギを作っていた。
塩水はかぶっていないからネギを作り始めたのである。
今は天候不順で野菜が高いから農家でも畑を始めたところが多くなっている。
やはり人間は働いていあないと土地も自然も活きて来ない、
防波堤は高くしているからあそこは当分工事が続く、
海岸の道は立ち入り禁止になった。


タグ:津波
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2014年09月09日

ひまわりの市となった南相馬市 (今年は夏と秋が一緒にある)


ひまわりの市となった南相馬市


(今年は夏と秋が一緒にある)


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ひまわりを燃え尽くさんや直射かな
ひまわりや背中に汗や畑に人
ひまわりや畑に人あり暮れるかな
秋の蝉夕暮れひびき屋形かな

花瓶に咲くひまわり外の光を求めもだえけるかな
痛いほど直射にさらされひまわりの今日も咲きつつゴッホは外に出る
ひまわりや今命の燃えるとき幾羽の揚羽舞にけるかな
ひまわりのあまた咲くかな朝開けて仕事始める南相馬市
この道や稲穂の実り萩の花五本松かな道の駅に着く
道の駅奈良の人と出会いけりみちのくの実り夕べ映えにき
線路脇ソバナの花のうなだれてツリガネニンジンそいて咲くかな
唐神の堤に鷺の一羽かな広々として夕暮れにけり
夕雲の紅く染まりて十五夜の満月上り実りうれしき

紅に紫の雲や十五夜の月の昇るも黄金の実り



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稲を見回りに来ていた

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今年の気候は変だ、暑いのだが寒い、秋なのだが残暑である。
それは8月からそうだった温暖化が変則的な気候にしているのだ。
何度も書いているけどこのへんの不思議は南相馬市は原野であり相馬市に来ると津波の被害がない所は稲が実っている。
原野の世界から前の実りの世界に戻ることがまるで過去にもどる感覚になるから不思議なのである。今までは当たり前だったことが新鮮に見える不思議である。
萩の花が咲き黄金の実りがある。この実りが南相馬市にはない。一部再開したが一面の実りの風景はないのである。
また松と実りの風景や青田の風景は心と一体化した風景となっていた。
五本松がありあの松はいつも見ているけど実りになり風景をつくる、それだけではない、その実りがあって生活できるのである。

一方では南相馬市はひまりり畑がそちこちにある。するとひまわりに注目する。
南相馬市の花が今ではひまわりになっているのだ。
草原化して揚羽蝶が十羽くらい集まっていた。小さなモンシロチョウはへっていた。春からあまりみかけない、揚羽蝶はなぜかここにあつまっている。揚羽は減っていないようだ。田んぼより風景としては草原の方が何か開放的で揚羽蝶にあっている。
ひまわりというとゴッホである。でも花瓶にひまわりをさすのは向いていない、熱い光を浴びているのがあっている。
あまり暑いと外に自転車では出れない、このくらいだとまだでれるからいい。
それで写真の被写体を求めて歩くのである。近くでも隠された場所がある
線路に入ったのは今はスーパー日立が走らないから安全である。
あの辺は車窓からいつも見ていたけど線路に入って見たことはないので見に行ったのである。

いずれにしろ畑でも人がいないと働いていないと自然も活きてこないのだ。
暑い日差しを受けて人も野で働いているときなお蝉の声もひびきひまわりも野に映えるのである。自然と調和するのである
だから警戒区域では無人化しているから荒廃するだけだとなる。
十五夜の月が夕べの雲から昇ってきた、一部稲の実りがあり見回りに来ていた。
十五夜の月と実りがある風景はいい。この辺の不思議さまだ続いているのである。



タグ:ひまわり

2014年09月08日

深野(ふこうの)(ユッサの湯)から大原から橲原(じさばら)の秋の俳句短歌 (人が住んでいるから自然も活きる)


深野(ふこうの)(ユッサの湯)から大原から橲原(じさばら)の秋の俳句短歌

(人が住んでいるから自然も活きる)


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ユッサの庭

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大原

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秋日さし石の五つや枯山水
山陰に枯山水や秋の蝉


秋の蝉五つつの石にひびくかな


five stones in the garden
sounding in autumn
Voices of the cicadas


水引やユッサの湯に入り帰る道
故郷の村々あわれ虫の声
山に雲深野の野や花薄
大原の秋や人住み夫婦山
牛に馬秋の日さして里めぐる
家の中広く虫の音ひびくかな

深野の墓地の古しも秋日さし知りにし人のここに住むかな
病院に知り合う人の眠るかな大原の秋虫の鳴くかな
大原ゆじさバラに行く月見草ソバナの花咲き山は曇りぬ
橲原に立目石ありいつよりやここに動かず秋の日さしぬ
山路来てソバナの花の雨にぬれ磐の重くもここにあるかな
ソバナの花あまた咲きにつ一輪のフジクロセンノウ隠され紅し
雨ぬれてソバナの花に一輪のフジクロセンノウ隠れて紅し
雨ぬれてソバナの花に磐に咲き隠れし家を誰か問わなん



小池から深野に行く道は森の道である。あの高台は家はまれでありもともとは野であった。
謎なのその小池の奥に江戸時代の古い墓地があることなのだ。そこは江戸時代の
墓が多くあとは少ないから墓地としては継続していない、あの辺を見れば家がまれであるのになぜ江戸時代の墓があるのか謎なのである。明治以降の開拓に入った人の墓に見えた。
ただ深野は古い土地であり大原広くもともと原町は大原方面から開墾された土地だった。
原町の市街地は江戸時代まで野馬の放牧場だった。そこから野馬追いの祭りが始まった。
原町の江戸時代は深野から大原の方が中心だったのである。

深野はフコウノと呼ぶ、なぜフコウノになったのか謎である。深野はフカノである。なぜフコウノとしたのだろうか?深野から石神に嫁に行っ女性を知っている。
小池から深野に行く高台には古い墓地がある。薄が茂っているけどあそこも畑だったのだろうこの辺は放射線汚染で耕作しないから原野化して芒や芦が茂るようになったのである。
深野のユッサには今は外部の人も入るから混んでいる。あそこには食堂があるからいい。
そして今日注目したのは石の庭であり秋の日がさしていて落ち着いた山陰にあるのもいい。
小川も流れていたから自然を活かすもっといいだろう。
そこから大原の方に向かった。水引が咲いていた。大原の二つの並ぶ山は双子山なのか、夫婦山がいいと思った。大原は実際は相当広い、130軒ありもともと原町の中心部だったのである。そこの前田という土地に南相馬市立病院で知り合った人が住んでいた。

その人は79歳とかで古い家であり猫とともに一人で住んでいたのである。
息子は市街に住むようになったからである。後継ぎがいない農家になっていたのである。
すぐ近くに廃屋もあったから山村はそうなりやすい。空家が一番多いのは長野県なのはやはり山国だからである。
その人の墓杉の木立に隠されるようにしてあった。大原では半分くらい一時は避難した。
鹿島区の仮設にも住んでいる。家を見たら今は帰っている人が多いみたいだ。
実際大原放射線量が高かった。原町は街中でも本陣、雲雀が原0.5とたかいのである。
だいたい0.2を基準にしているから0.5でも高いとなる。
いずれにしろ人が住まなくなった村や町はどうなるのか?そこでは自然も活きず死んでゆくということにもなる。人が住んで自然も活きる、例えば全国にある夫婦山とあればそこには人間の暮らしがあってその名があり山も人間化しているのである。
だから人が住まなくなった村でも町はどうなるのか、飯館など芦に埋もれてしまったのである。
浪江や双葉になればその荒廃はもっとひどいのである。

大原から橲原に行く新しい森の道を行くと変な大きな鳥が出てきた見たことのない大きな鳥だった。なにかまだ知らないものがひそんでいる。
橲原の立目石は小池との境の石だという、ここはもともと江戸時代から木材の供給地だった。
この名前が変わっていて注目されている。自分の家も姉がよく言っていたけど同級生の人が木こりで家の柱は橲原の木だと自慢していたのである。
これはどこでもそうだった。みんなその土地のものを利用していたのである。それが自然な生活だった。日本全国に網の目のように張り巡らせた森林鉄道網がそれを語っているのである。
原町機関区からも東京に木材を供給していたのである。
葛尾(かつろう)村の落合まで通じいたのには驚いた。そこには明暦と元禄の碑があったから
葛尾(かつろう)村も古いのである「

橲原の川に降りたらソバナの花が一杯咲き一輪フジクロセンノウが咲いていた。
その花が際立って美しかった。やはりデジカメはいいのでないときれいにとれない。
鹿島に帰ると仮設だらけである。仮設はやはり本当の生活ではない。やはり日本ではもともと村が中心であり自給自足していた時に自然とも調和していたのである。
牛と馬が秋の日を浴びているのは気持ちがいい、飯館にも牛がいたがいない、馬はこの辺では野馬追いのために飼われている。
確かに貧しいのだが村は自然と調和していたからなごむということがあった。

原発事故はそいう村々や町すら根こそぎ消失させたのある。
それは何を意味しているのだろうか、それは大きくは現代の文明を問うことでもあった。
現代の科学文明はそもそも第一次産業をもともとあった村の暮らしを破壊してきていたのである。それが現実化したのがこの辺の惨状だったのである。














2014年09月07日

秋に故郷を想う 厚寿苑の建物はいいし見晴らしもいい


秋に故郷を想う

厚寿苑の建物はいいし見晴らしもいい

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土色の壁に映えにき木槿かな

厚寿苑に大正生まれなお生きて小高の昔語る秋かな

故郷に住みて老いにし女あわれその皺深く秋となるかな

山の端に夕陽の没りて塩崎船着の名や月もい出にき

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厚寿苑はできたばかりでありまだ歴史がない、あそこは建物がホテルのようになっているから気持ちがいいし見晴らしもいい。
厚生病院は古くなっているし見晴らしがよくない、介護とか自分の病気とかになって病院とか福祉施設を利用することが多くなる
現実に南相馬市立病院に一か月入院したし相馬総合病院に二週間入院した。そのことをプログに書いた。
建物も人間に相当影響する。ただ建物でも見晴らしがよくないと活きてこない。三階建てとか高くなると田舎では見晴らしがよくなるから気持ちがいい。
人間は見晴らしのいいところで解放感を感じる、病院とか施設でもやはり見晴らしがいいところに入りたいとなる。
南相馬市立病院は見晴らしが抜群だった。相馬総合病院は迷路であり古くなっているから嫌だった。ただ専門の医者が三人で担当していたから良かった。

ともかく厚寿苑は建物はいいが働く介護士は外部の人である、ただ福島県だと同じ方言でなまりがある。岩手県もいても福島県一番多い、介護士の仕事は何か決まり切っていて工夫のない何かスキルが身に付く仕事には見えないから誰でもできるようにみえる。看護師になると注射や点滴などがありスキルを磨かないとできない、この世の中誰でもできる仕事は価値がない。
この世の仕事はスキルがみんな必要であり経験を積まないと一人前に離れないのが多い。
介護士が低くみられるのはそういうことがないからである。
看護師には給料が高く誇りもあるが介護士にはない、介護は自分もしているから誰でもできるのである。
仕事は危険だったり難易度が高くなると給料も高くなる。
ただ土木建築関係では危険でも安い、それでも型枠大工とか鳶とか技術が必要になるのは高くなる。

人間の社会は必ず昔があって今がある。動物は一代で終わり昔がない、ただ一代でも歴史はある、飼い猫だったもの捨てられて拾われたというときあわれだとかなりその猫にも過去があった。
ただその猫の話は伝えられない、伝えるのは人間になる。
だから猫にまつわる話は人間を通じて伝えられるのである、それも人間の歴史となる。

人間は常に歴史を刻んでゆくものである。昔があって今がある。
今があるのは昔があるからなのだ。そういう昔は土地と結びついているのである。だからその土地から切り離されると伝えにくくなるのである。
だから避難して住まなくなったら歴史も失われる。
人間を語るとき、お国はどこですかとなりその人が何をしてきたかが問題になる。狭い範囲でも村々で自然環境も違っているから同じなのである。村々には地形的にもそれぞれ特徴がある。
それは日本人がそれぞれ土地で自給自足的生活をしてきたからである。
だから鹿島区でも屋形とか栃窪でも塩崎村でも特徴があるしそこで感じるものが違ってくる。いなかにはもともとそうした多様な生活があったのである。それhその土地土地で生きるとなるとその土地土地活かして生きるほかないからそうなったのである。
それは会社とか工場で働くのとは違っていたのである。

塩崎村に秋の夕陽沈み月がでる、あそこの特徴は船着という地名があり塩崎というように海だったのである。
だから津波で船が流されてきてその船着近くまで津波で海水をかぶったことに驚いたのである。
海があるところは海から月がのぼり映える。
あそこもその土地柄で情緒を作り出している。あそこの森にはまだ蝉が鳴いている。屋形にも森があり秋の蝉が鳴いている。
屋形はこの辺では一番古い場所である。
                       
タグ:むくげ

2014年09月06日

芸術の基本は俳句も短歌も写生である (津波原発事故で事実が写生が驚くものとなった)


芸術の基本は俳句も短歌も写生である


津波原発事故で事実が写生が驚くものとなった)


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竜胆の紫に薄紫のそえて咲き我が家の内に争わざるかな


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枯蟷螂ミイラとなりて机の上


朝日さし隣の庭に揚羽蝶花めぐり舞いつつ去りて花は映えにき

女郎蜘蛛窓に巣を張り隣家の庭の花には揚羽蝶とまる

竜胆の紫に薄紫のそえて咲き我が家の内に争わざるかな

故郷に住みて老いにし女あわれその皺深く秋となるかな



短歌とか俳句の基本は写生である。なぜ写生なのかというと自然界でも人間界でもありのままが実は驚くべきものだからである。
窓に女郎蜘蛛が巣張っていてその向こうに隣の庭が見えて花に揚羽蝶が舞いながらはいり花に止まっている。
この情景そのものが驚くべきものなのである。
女郎蜘蛛は不気味であるこの世は不気味なものであれ花であれ
美的なものの中にあることが特徴なのである。
女郎蜘蛛が嫌だとしても視界に入り避けることはできない、この世常にきれいごとでは済まない、不気味なものでも嫌なものでも混在しているのである。

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枯蟷螂ミイラとなりて机の上

これも写生そのものである。なんだそれだけかとなるがこれも写生でありそのままが一つのリアリティを示している。
俳句はもう短いからこれ以上端的なっ写生以外文字を入れられないのだ。その点短歌はまだ長いからその人の独自のもの「ものの見方が読めこめるのであるq
だから俳句のほうが解釈は難しい、だから俳句はその俳句を鑑賞している人が鑑賞力がないと評価もされないことはありえるのだ。
うまり俳句のほうが月並みな平凡な俳句が量産されやすいのである。


写生の俳句であれ短歌であれ今やデジカメやスマホや携帯で即座にとってプログにアップする時代である。
だから写生の俳句や短歌はインターネットで興隆しているがまだ評価はされていない。
今や文章だけではない、写真が日記代わりにもなる時代である。
だから写生の時代であり俳句短歌も写真なくしてありえないのである。

いずれにしれこの辺はありのままを写生しても驚くべきものとなってしまった。だから別にテレビのように視聴率をとるために工作する必要がなかったのである。
ありのままが驚くべきものとなっていたのである。
文学でも絵画でも基本的には写生がある。
芸術の基本は写生なのである。
(事実は小説より奇なり)をこの辺で体験してきたのである。



タグ:写生俳句

2014年09月05日

秋の蝉の短歌十首(故郷に尽きる命とならない不幸)


秋の蝉の短歌十首


(故郷に尽きる命とならない不幸)


秋の蝉なお一つ鳴く屋形かな


この森や夏の終わりに集まれる蝉の鳴くかな命尽きるまで

蝉の声ひびきあいつつこの森に夏も終わりて命尽きなむ

秋の蝉せつなきまでに鳴きにける命の尽きる日の短しも

故郷は荒れにけるかもその跡を誰か継ぎなむ秋の蝉鳴く

歯の一つまた欠けにしや我が老いぬ残る命をいとおしむかな

人はみな尽きゆく命何故に争い別る時こそ惜しめ

その命いづこに尽きむ常なき世他郷に死すもあわれなるかな

故郷は荒れにけるかもその跡を誰か継ぎなむ秋の蝉鳴く

揚羽蝶朝に出会いて舞いにけり草原広がり風そよぐかな

しばしの間光れる月も雲隠れ猫はいづくにまた消えてなし

山陰の道にとびにき黒揚羽いづくに消えむ雨しととふる


歯がまた欠けた、前にも三つくらい欠けた。年になるとだんだん歯が欠けてゆく、年がとるということは命が尽きてゆくということなのだ。
その心が反映して蝉の声を夏の終わりに秋の蝉の声を聞く、蝉の声は聞こえなくなるときそれは死なのである。
人間もまたはかない短い命なのである。その短さが若いときには感じない
時間なんかいつまでもあると思っていたが時間はあっというまに消失してゆく
そして残された時間はわずかとなってゆく


確かに長生きの時代でもやはり老いは迫ってくる
そうなるとやはり自然でも感じ方が違ってくるのだ。懸命に蝉が鳴いている、もう限りある命を精一杯鳴いているなと聞くようになる。
老年の一日は何か時間が凝縮されたようになってゆく
若いときは何か時間は緩慢として浪費されてゆく時間だった
老人になると時間は浪費できない、時間が消失して死んでゆくからである。
若いときは感じやすいというけど死をまじかにした老人の方が感じやすい。
自然を末期の目で見るようになるからである
もうそれぞれに尽きてゆく命だとなるときその命は凝縮されたものとなる


この辺ではもう故郷に帰れない人たちも多くなると他郷で死すことになる、故郷で死ねないというのも悲劇なのかもしれない、それは流浪するもの、旅人のように普通の人がなってしまったのかもしれない。先祖代々の故郷で死ねないというのも考えられないことだった。
これもまた無常だったのである。仮設に五年もいるのは長い。その間に働かない期間も長い、
伊達の桃売りに来ていた農家の人はもう二年仕事から離れると体がなまり働けないと言っていた。
それが5年も過ぎたらもう働く気力もなくなるし老人が多いからあきらめになりどうでもいいとなってしまう。あとは生活保護だと言うのもそのたぬなのである。


故郷がこんなふうに荒れてしまうことは信じられないことだった。
その無常はあまりにも大きかったのである。ただ呆然としてしまう無常である。
田んぼが草原化してしまうなど想像すらできないことだった。
千年とかも田んぼの風景はあったのである。
いづれにしろいくら長生きでも無常迅速である。それは蝉の声とにていたのである。
蝉のように一時鳴いて人はたちまち終わるのであり無常なのである。





タグ:秋の蝉

2014年09月04日

自分のパソコンの履歴 (親指シフトキーボードで文章をスムーズに書けたことがパソコン つづけることができた)


自分のパソコンの履歴


(親指シフトキーボードで文章をスムーズに書けたことがパソコンつづけることができた)


自分がパソコンに親しんだのは富士通のオワシスのワープロからだった。
これはたまたま買ったワープロがオワシスでありそこから親指シフトキーボードを覚えた。
それがパソコンでもできたのでパソコンに親しんだ
パソコンでつまづくのは文章をいかにスムーズに打ち込むかなのである。
いちいち文章を打つのにてまどうとパソコンは使えない
ローマ字入力だとどうしてもスムーズに打鍵できない
親指シフトキーボードだと思考の邪魔にならないようにスムーズに打鍵できる
自分はローマ字入力だとパソコンに親しめなかったろう

だから自分はパソコンも富士通のものをずっと買っている
パソコンは今やどれでも親指シフトキーボードがあれば使える
ただこれをしていると他では不便な面がでてくるだろう。
少数者しかしていないからサービスが少ないから対応できなくなる
でもwin8でも親指シフトキーボードで打鍵できた。
ソフトを売っているところで対応していた

親指シフトキーボードからはじめるとそれをつづける人は多い
でもこれを知らない人はローマ字入力になる
ローマ字入力だと長い文章には向いていない
だから親指シフトキーボードでないとパソコンを自分は使いなかった
どうしてもパソコンでも文章がめいんになるからだ

今回win8が使えなくなったのでXPの古いパソコンでアップしようとした
そしたらやはりパソコン自体が画面が狭いとか文字が雑に見えると違っている
新しいパソコンはきれいに文字もでている
パソコン画面は広い方がいい、狭いと窮屈になる

パソコンはその人なりの仕様に使うことがある
ただソフトはあまり使わない方がいい
なるべく少なくしてシンプルにして使った方がいい
そしてパソコンで大事なのは安全性だった
突然クラッシュしたりウィルスで機能不全に陥るのが一番怖い
それが突然になることが多いからである。
reg clean proは別なパソコンにも入ってきた
こんなものがすべてのパソコンに入り混乱させる
それは今や何億という人に影響するからその範囲が広くなる
だからこれは世界的犯罪でありこういうものをで
インターネットが攪乱することは世界的犯罪であり重罪にすべきである
今やパソコンとかインターネットは世界のインフラにもなっているからだ
この世界的システムを破壊する罪は大きいのである。
パソコン
は一部のマニアの時代はとっくに終わっているからだ

明日は初期化の作業になるだろう
半日もかかるというのは困る
初期化することにはかなり抵抗があったがどうしようもない
やはり最初に親指シフトキーボードが使えないと
何もできないから困る
あとは順次そろえればできる
その親指シフトキーボードも一つの字がキーボードの一つが故障したらこれは不便で使えなくなった。
この故障にも困ったがこれは直してもらうのは簡単にはできない
サービスする場所が限られているし通販で買ったものだからである。
こういう特殊なものになるとパソコンは使いにくくなるのだ。
ただその特殊化があったからこそ自分はパソコンを使い続けることができたのである。


posted by 老鶯 at 21:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記