2014年10月30日

除染は何のためにやっているのか? (一兆円の除染はゼネコンのためなのかー飯館村は除染できない)


除染は何のためにやっているのか?

(一兆円の除染はゼネコンのためなのかー飯館村は除染できない)


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人口6000人の飯館村の除染に3200億円かけて除染か?!
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1485319489

放射性物質は周辺の山林から飛んで来る。
除染で線量を下げるには山林までしっかり除染しなければならない。
膨大な時間と費用がかかる。
だが、
飯館村は長泥地区以外の地区の避難指示解除目標を16年3月とする復興計画案を示した。
1月末の村民意向調査によると
「現時点で村に戻りたい」は 60代以上 3割にとどまる。
「現時点で村に戻らない」は 30代以下 6割を超えた。
我々は今から何年か後に、村を捨てる決断をしなければならないかもしれません。可哀想なのは子ども達です。子ども達は飯館村というステッカーを一生背負って生きて行かなければなりません

【住民】それじゃあ、「除染のための除染」、「ゼネコンのための除染」じゃないか。きっちりした数値目標を出しなさいよ
さらに、村長は、「毎時1マイクロシーベルトでもいいよという人と、それではだめだという人がいる。それでいいよという人には、それで帰村してもらう」と、この日も発言している。毎時1マイクロシーベルトの放射線量の下で生活するということは、低く見積もっても年間5ミリシーベルト以上、単純計算をすれば年間8ミリシーベルト以上の被ばくをするということだ
http://fukushima20110311.blog.fc2.com/blog-entry-83.html

モニタリングポストがあります。その表示は2〜3mはなれた周りの線量に比べて3分の1以下という状況がありました
http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/ac821053624c96109f80a422d75e232b

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山積みとなっている除染した土

廃棄する場所もないという

土をとってもどれだけ効果あるのか?


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庭を除染して花もなくなっていた

なんか殺伐としてくる



飯館村の佐須方面を通った大倉では除染の人たちが全国から集まっていた。広島とかからも来ている。大手のゼネコンが共同で除染している。
その労力も金も天文学的である。鹿島区でも小池などが除染している。
除染した土がどこでも山積みになっている。その行き場もてないという。
確かに一時より半分くらいには下がっている。
除染しても効果は一時的なのかもしれない、特に飯館村は山林が70ハーセントでありほとんど不可能な地域である。回りの樹々を切ってもその後ろは山林である。
そんなところで除染が効果的なのかわからない、素人にしても不可能に思える。
除染にたずさわっている労働者も除染しても何か成果がないんだと言っていた。
確かに建物ができるわけでもない、道ができるわけでもないからそうなる。
やってもて何が成果なのかがわからないのである。
だから除染している方も何か虚しいとなる。


ではなぜそんな費用をかけて膨大な労力をつぎ込んでいるのだろうか?
すでに帰らないと言う人が多いのである。
帰らないというとき小高にすら帰らないという人が老人でも多い。
たいがい聞いてみると帰らないという。
飯館村などは小高と違ってさらに帰れるような状態にはないから住民もなぜそんなに除染に金かけているのだろうとなる。
それより一人一億円もらって他で生活させろと言っている。
この除染とかモニタリングポストなどもなぜ作ったのだろうか?
これもなんのためなのかわからない、その下は低くてもちょっと離れると倍とか放射線量が高くなっているのだ。これもごまかしなのである。
つまた放射能は低い、一マイクロでも住めるとか言って住民を帰らせて住まわせるのが意図なのか?


政府の意図が何なのか?放射能対策ではなにかちぐはぐなのである。
そもそも30キロ圏で線引きしたのもおかしいし南相馬市でも小高を避難区域にしたこと自体過ちだった。それから地域ごとに線引きして避難させたりしたのもただ補償金で地域が分断されて内部対立が生まれた。
土地はつながっているし空もつながっているから放射線量で地域を分断するようなことをするべきでなかった。
結局対立させて分断させて政府や東電の批判をそらす意図かあってやったのかともなる。
除染は徒労なのである。成果はなき徒労の仕事である。そんなものになぜ一兆円も費やすのかとなる。

自分としては飯館村には住んでもらいたい、いったん人が住んだ地域は住まないと幽鬼が彷徨ようすさまじいものとなる。そうした廃村をめぐるのがブームにもなっている。
でも飯館村はそうした廃村にはなっていない、何かちょっと留守したよという感じなのである。人が帰ってきて手入れしたりしているからだろう。
本当に人も全く入らず放置されたら幽霊がでてくるようで怖くなるだろう。
家が空屋になるといたむのが早くなる。
飯館村ではまだ人が出入りしているからそうなっていないのだろう。
庭に紅葉が咲いていたのに人が住んでいないというのはやはり庭も死んでいるとなる。
その紅葉は人ともにあったものであり山の紅葉とは違っていたからである。
「ともに燃えて咲きなむ」というとき人間がいてそうなるのである。
人間がいて自然も人間化されているのである。
津波の跡の樹も何か人間に見えたことが不思議である。
未だにそこを離れがたく立っている姿は人間なのである。
人間の気が移ってそうなったのかわからないけど不思議な現象に見えたのである。


あれだけの大がかりな除染をするのは徒労だというときなぜしているのか?
住民も帰らないとういのになぜしているのか?
自分としても残念だけど一億円与えて他で住むようにするほかないのかもしれない。
ただ佐須までのドライブコースの道路は新しくそこで自然は楽しめる。
もう家がなくなってもどうにもなないのかもしれない。
それにこだわりつづけても無理なのかもしれない
でも自分の予想では百年後でも飯館村でも浪江でも住む人はでてくる。
日本は狭いからやはり土地の価値だ高いから住むようになる。
その時はどうなっているかわからないがだダッシュ村とか自給自足の自前の発電とかで自然と共生する生活を目指すような人がやはりでてきて住むようになる。
自然はやはり前と同じく美はそこなわれていないからでてある。

だから百年は放置してその時また住む人が出てくるまで待つほかないのかもしれない。
まず農業とか林業とか牛を飼うということができないことが致命的なのである。
ただ南相馬市や鹿島区でも花の栽培はいつまで通りしているし増えている。
花は放射能と関係ないから飯館村でも作れるのである。
竜胆などは作っていた。だから農業と関係することができないということではない、
だから除染より放射能と関係ないもので生活する方法を考える他ないのである。
別にキコリの宿でもできないことはない、放射能でも森はもとのつまであり
例えば「瞑想の森」とかで湯にひたりリラックスする場所、保養の場所などとして活用できないことはないのである。
だから今までの発想を変えなければ住めないのである。
そういうアイディアは外部からはしやすい、内部だと今までの生活にこだわるから出にくいのである。
自分としては残念だけど保養の森とか癒しの森とか瞑想の森とか森を活かす方法がある。森はもう除染できないのである。
だから一兆円かけて除染しても一体何のためにしているのか?
ゼネコンのためなのかと住民が言っていることがわかるのである。
posted by 老鶯 at 23:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

霊山まで秋の俳句十句 (鹿島→栃窪→大倉→佐須→霊山→玉野)


 
霊山まで秋の俳句十句

(鹿島→栃窪→大倉→佐須→霊山→玉野)

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秋日さし老木保つ齢かな
老木に晩菊映えて介護かな
土壁の蔵や黄落に日のさしぬ
柿なりて土蔵に映えぬ畑に人
晩菊に石の動かじ門の脇
晩菊や栃窪村を過ぎにけり
碧水に紅葉写りて巌かな
この家に紅葉燃ゆるも人住まじ
空は澄みともに燃えなむ紅葉かな
峰々の連なり高く秋霞
みちのくの吾妻連邦秋霞
晩菊にコスモス映えて日のさしぬ
旧道をたどりて秋の昼の月
秋日さし玉野に古りぬ碑の四つ
三日月や夜に影なす五本松

木を叩くキツツキの音霊山の高きに重くひびきけるかな
玉野より相馬市遠き古き碑のここに残りて秋の日さしぬ

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真野側渓谷

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今日は風もなく晴れたのでひさしぶりに大倉から佐須を通り霊山まで行ってきた。
最初に見たのがこの生きているのか死んでいるのかわからない老木である。
そこに晩菊が咲いているのもあっている。
この木はまるで百歳生きた老人にも見える。自分の母親にも見える。
晩菊はまさに自分のことであり介護しているのである。
今親を介護している人も老人になっているのだ。
ただ現代では本当の老人は70以降になっているかもしれない、70まで元気な人が多いからである。自分も病気になったがもともと軽いものだった。
ただ看護するものもなく辛いものとなったのである。
それでも時々異常に筋肉痛になって自転車に乗れないのではないかと心配だった。
今日はそさほど疲れていないかもしれない
この辺は田舎の暮らしが途絶えてことで風景も殺伐としている。
ただ畑を羽しめた人は多くなっている。
ただ風景でそこに暮らしが野に働く人がいないと活きてこないのである。

大倉からは除染の人が一杯いた。あそこは道が良くなりドライブコースになっていた。
でも人は住んでいないから淋しいとなる。
猿が出てきた、小猿もかなりいて親の背にのっている。器用に木の枝を伝う。
まず小猿でも子猫で親より機敏なのである。子猫は親より柔軟性がある。
野生の子供でも適応力があるものだと思った。
そうでないと生きていけないということだろう。
動物を観察していると本当は面白い、でも動物の写真は一瞬をとらえるのがむずかしい。動いているからその一瞬がとれないのである。

紅葉は佐須辺りでとったのか一番きれいだった。あとは真っ赤になっていない、霊山も紅葉ではない、紅葉はほとんど見れないのが残念である。
あそこも人が住んでいていから淋しい、でも除染して人が住むようになるのか?
空屋とも違っている一時留守にしているという感じである。
ただ除染してもどれだけ効果あるのかは疑問なのである。
霊山の上でキツツキが木を叩いていた。それも大きなキツツキでありコゲラとかではない、その叩く音が重く響いていたのが印象的だった。クマゲラは一番大きいがそういう種類ではない。でもやはり山に来るとこうしたものに出会うからいいのである。
あそこからは吾妻連邦の峰々が浮かぶように見えた。
あれは秋霞なのだろう。山は遠くから見る方が感動的である。
山がきれいに見える場所は高い山から見るときれいに見えるのである。
それはヒマラヤでもそうであり3000メートル登ると天をつくような8000メートルの山が見える。
山の魅力が本当に大きいから山で死ぬという人がある。山に魅せられるのである。

ただ山は登らなくて見るだけで十分山を知ることができる。
そさでもやはり見る場所が問題になる。富士山でもそうなのである。
富士山も何か見る場所によってこれが富士山かとがっかりする。
それは見る場所によっているからなのである。
自分は山はそんなに登っていないし山もあまり見ていない
山をもっと知りたいなと思っているが今はせいぜい霊山まで行って吾妻連邦を望むことはできる。
春に行った時の方が残雪の吾妻連邦を見たからきれいだった。
その時のことは写真もとったが報告していない。
毎日書き切れないのである。

福島市から相馬市まで高速道路を作っている。高速道路ができると三つの道になる。一番古い旧道と今の道路と高速道路になるのである。
だから古道という地名があるのは昔も新しい道が常に生まれていたからそうなったのである。古町もそうである。
玉野から相馬市は意外と遠い、玉野は相馬藩内で伊達との境だけどずいぶん城からは遠い所だと思う。
あそこで米沢藩と伊達藩と相馬藩の森林資源をめぐって争いがあったことは有名である。玉野が相馬藩になっていたのは森林資源を得るために相馬藩の領内になっていたのであるそこに境目付が配置されたのである。それは森林資源を確保するためだったのである。

相馬市街か離れた田んぼで白鳥が群れなして飛んで行った。
今年の天気は変則的である。今日はあたたかいからまだ秋である。
昨日は冬だった。白鳥が来たということは冬になるのである。


タグ:霊山

2014年10月29日

江戸時代の回帰、国風文化の時代へ (円山応挙の松と鶴ー写生俳句の基はここから始まっていた)


江戸時代の回帰、国風文化の時代へ

(円山応挙の松と鶴ー写生俳句の基はここから始まっていた)

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松と鶴の絵

大地に深く根付く
古き松によりにつつ
鷺の優雅に歩み来ぬ
その姿の神のごとしや
悠長なる時の中に
松は大地に深く根ずき
一所動かざるかも
そが姿は映えて生きぬ
その絵を見れば遠き日の
のどかなる平穏の世の
心に写りてなごみけるかな


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幽遠に遠つ世の絵や藤の花
細々と枝しなやかに藤の花
絵の古りて魂宿る藤の花
納められ金泥古りぬ藤の花

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こき藤の花もど円山応挙の独特なものとして描かれた。これはすでに二百年以上すぎても残っていたそれが幽遠の趣をさらにました。絵には今や画家の魂が宿っているという感じになる。そこに絵の不思議がある。
芸術の価値はその時代でしか作れないものがあるからである。
江戸時代という雰囲気でしか作れないものがあり今になるといくら技法が発達しても作れないことに価値がある。
藤の花でもこういうふうには今の人は描けないのである。


円山応挙の時代は平和な時代だった。鶴もいたし自然と調和した生活だったからこのような絵も生れたのである。鶴はいたるところにいたのだ。鶴の歩みは優雅である。鷺もそうであるが鶴はやはり鳥では白鳥とならんで最高の吉兆の鳥なのである。
それは日本の松と調和していたのだ。円山応挙の松は南相馬市の原町区の泉の一葉松をイメージさせる。やはり江戸時代も国風文化が充実した時であり現代も欧米文化から国風文化へシフトする時代になっているのだ。
正月という言葉にしても正道とか正のつくのはもともと仏教に由来していた。
正月というのもそういう言葉の由来がある。身を正す月なのである

円山応挙の松と鶴の絵(賀春にふさわしい絵)
http://musubu2.sblo.jp/article/84122909.html

 人によっては成功ののち苦難時代をことさらに表現したり、苦境時の欠乏感を補うかのように豪華絢爛な趣味にはしる例があるが、応挙にはそういうところがまったくなく、ひがみや屈折した感情がまるでないかのようである

 、「写生の祖」といわれる応挙は多くの写生を残している。写生は応挙にとっては本作品のための取材であり、覚え書きである

 呉春の名に蕪村高弟と付けていることから、応挙が蕪村を尊敬していたことや、呉春が他の門人と違って、あくまで蕪村の弟子であり応挙門下では客人的な扱いの門人であったことを物語っている。大乗寺には呉春の描いた部屋が二間ある。最初に描いた襖絵は蕪村ふうの文人画であり、
 http://museum.daijyoji.or.jp/06story/06_01.html
 
円山応挙は蕪村とも関係していたことは興味深い、蕪村も画家であり写生を基にしていたそれで正岡子規が手本にしたのは芭蕉ではなく蕪村であり写生俳句の祖となった。
芭蕉は耳の詩人と言われるように内面的なものを俳句にしたから蕪村とは違っていた。
芭蕉の句は内面的な深さがあるからなかなかまねできない、蕪村の俳句は写生俳句だとするとまねしやすいとなる。
絵画史からふりかえるとすでに江戸時代後期からその基となるものが生まれていた。
だからそれを参考にして西洋的絵画の写生か生まれ写生俳句が生まれた。
日本の江戸時代は何か否定的な面だけがとりあげられる。それも確かなのだが国風文化として興隆していたという面とその時代独自の社会と自然があってその感覚は今になれば別世界のようになっているのだ。同じ日本なのだけどそうである。おそらく人間すらそうなっているかもしれない。江戸時代の人間と今の人間は別人だとさえ思えるようになっている。ただ歴史になるといろいな見方があるからそうなる。
写真と絵の相違はやはり絵には画家の心が反映されているから違っている。
たからそこから俳句とか詩にもなりやすいのである。
写真からなぜ俳句でも詩でも作りにくいかというとそこには作者の心が個性が反映しにくいからである。
そうはいっても秋薔薇と芒が写っていたきは明らかに写生でありここから写生俳句が生まれた。
でもその秋薔薇がどういう環境で咲いていたかとなると写真からだけではわかたにくい、都会か田舎すらわからない、一万の田舎になる。どうしてもそういう背景が写真からは読め込めないのである。全体の一部をきりとったものであるからそうなる。

美濃国は、奈良時代から製紙が盛んで、良質の紙を生産していた。古くは702年(大宝2年)の正倉院文書に美濃の紙が記録されている
平安時代には、朝廷から製紙用の役人が派遣されて、宣命紙等の色紙や公用紙を生産した
養女奴隷とは、製紙のために少女を幼少時に養子にして、製紙作業をさせる制度である。戦前の製紙は朝の4時から夜の10時まで作業する厳しいものであり、しかも製紙業は家族だけの零細経営が多く、働き手が足りないためにこの制度が生まれたのである


世界遺産に美濃の和紙が登録されたという。これが702年に正倉院文書に使われていたのだから古いしそれが残っているのも驚きである。
その反面この和紙を作るために女工哀史とにたことがあったというのもマイナス面である和紙は実際は日本全国どこでも作られていたのである。
それは普通の産業でありめずらしいものではなかった。
日本の和紙がいいのは水がきれいな所で作られていたからでもある。
日本という風土とマッチして作られていた。
その和紙は冬に主に作られるから水が冷たいから苦労したのである。
ただこういう歴史を知ると紙一枚にも何かそうした苦労がしみこんでいて見方が違ってくる。当時は紙は相当な貴重品でありあらゆるものが手作りだから貴重だったのである。
今なら大量生産だから膨大な紙が捨てられている。
日本の和紙が支倉常長がヨーロッパで鼻紙として捨てたら拾ったものがいた。
ヨーロッパでは紙はあまり作られていないので貴重だからそうなった。
和紙というのは何か手触りもいいしやはり日本の文化なのである。
いづれにしろ和紙は日本の文化なのである。

前にも自分は国風文化の時代になるとホームページで書いてきた。
西欧文化アメリカ文化は奈良時代の唐風文化でありその後にかななどの国風文化時代、平安時代になった時代とにているのである。
高度成長時代までは唐風文化であったがこれから国風文化の時代である。
だから江戸時代とかのものが見直される。
郷土史研究なども盛んになる。インターネットでそうした知識も普及しているからである日本では経済的に工業的には明治維新から高度成長時代と取り入れたが文化的には融合されていないのである。

江戸時代は 身分や地域や職業などで
全く違う文化世界に暮らしていた
例えば音楽にしても
公家は雅楽、武士は能楽、農民は民謡、町人は端唄小唄

こういうのもやはりそれぞれの立場があり独自な文化が日本社会の中で形成される。
結局大衆社会は平等でも文化は生まないし育まないのである。
みんな同じであり同じものを食べて着て同じ娯楽しかしないからである。
だから平等がなんでもいいわけではないのである。
江戸時代は武士は武士の文化が育ちモラルも育てたから武士道が生まれた。
社会に変化がないから文化も受け継がれてきたのである。
農民の民謡が多いのも農民にも文化はあったのである。
社会はみんな一様化して今のように大衆化するとつまらないのである。
地域性とか社会の多様性とか異文化でも入ってきて文化が作られる。
明治維新後がそうした日本の文化が失われた時代だったのである。

日本の文化的な面はかえって見逃され排除されてきたのが現代である。
明治維新から150年もたつと成熟して国風文化の時代に移るのである。
政治的にも保守化するというのもそれに呼応しているのである。
西欧やアメリカのまねだけではないものを作り出すことに迫られているのである。
ただ写生俳句にしてもすでにその基となるものは蕪村や円山応挙の絵にあったということがあり日本の歴史や文化の厚みがあって生まれたものとだとわかったのである。
posted by 老鶯 at 14:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本(世界)文化文明論

2014年10月28日

秋薔薇 (写真はまさに写生そのもの、見えないものが見えた)


秋薔薇

(写真はまさに写生そのもの、見えないものが見えた)

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一輪は散りて二輪や秋薔薇
やがて散る二輪のここに秋薔薇
街の灯のともしや二輪秋薔薇
秋薔薇芒と映えて散るらしも
秋薔薇なおも一つや蕾見ゆ
秋薔薇明日は散るらむ夜のふける
昨日今日我は感じぬ秋時雨
山脈の翳りて暗し秋時雨


秋薔薇になぜひかれるのか?それはやがて散ることが意識されるからである。
夏でも散るのは散るのだが秋薔薇はまさに散るというとき何か人間にすれば死を感じるのである。
だから俳句というのは短いから感じないものは感じないし鑑賞もできない
(やがて散る景色は見えず蝉の声)ー芭蕉
死んだら何も見えないでも蝉の声は聞こえているというこれは臨終の句でもある。
ともかく何度も書いているように老人は60代でも常に死を意識させられる年代なのであるもう死んで行くんだなというのが実感でありこれが若い人にはわからない
若いときいくら死を自覚しろといっても実感しえないし時間が限られていてなくなるということも実感しえないのである。
老人になると時間もあっというまに消えてしまったという感覚になる。
そしてあとは死ぬだけだとなる。

ああ この秋薔薇もここで散ってゆく、死んでゆくんだなと思う
人間は死ぬ場所も相当重要なのかもしれない
生まれた場所があり育った場所があり死ぬ場所かある。
ああ、自分はここで死んでゆくんだというのを意識する
だから原発で避難した人たちは今どういう気持ちているのだろうと何度も思う
死ぬ場所はやはり故郷だったのだろう。
その気持ちは計りしりえないものである。
感受性豊かだったら啄木のような望郷になる。
相馬恋しや・・となっているのかもしれない。
啄木の場合の望郷は東京だから余計にそうなったのである。
福島県内だったら別にそんなふうにはならないかもしれない。
ただ老人の場合はそうなりやすい、でも実際に老人は避難区域になったところには帰らないという人がほとんどである。
便利な時代には住めるような所にならなくなったからである。

ともかくこの写真はうまくとれた。調整したらこうなった。
芒がこんなふうに写っているとは思わなかった。
現実のものとは違っているのだ。写真は現実そのものとも違うのである。
この芒と秋薔薇があっていたのである。
薔薇はもともとヨーロッパのものであり芒は日本である。その二つがここで融合しているのである。

写真はまさに写生俳句になる。写真そのものが語るものが俳句であり詩にもなる。
写真芸術の時代だというときこうして時々に刻々に移る景色を変化をとらえて記録する。それができるうよになったのはパソコンとかインターネットとかデジカメの技術が生まれたからである。
ただ他人の写真を見てなかなか俳句は作れない、やはり写真は風景を一部きりとったものだからだろう。俳句でも作るときは全体の光景を見て作っているからである。
そしてそこには必ずその人の内面が反映しているのである。
老人だったら明日死ぬかもしれないという感覚で見ているから違ってくる。
写真は見えないものが見えるというとき蕾がまたあったというのもそうである。
芒もこんなふうには見えなかった。

今年の気候は何か変である。昨日まで日ざしが暑かった。今日は急に西風になり寒くなった。南下冬は急に来たみたいだ。秋時雨というのを昨日も今日も感じた。
時雨だからすでに冬になってきているのである。
秋時雨なのか時雨なのかわかりにくい、俳句と季語がありすぎて使いこなせないのである



タグ:秋薔薇

インターネットで成り立つ中古市場 (パソコンを中古で二台買った)


インターネットで成り立つ中古市場


(パソコンを中古で二台買った)


14万で買った富士通のパソコンが一年たってウィルスで使えなくなった。これも急になったのでショックだった。パソコンの突然のクラッシュほど怖いものはない、一瞬にして
記録したものが消えるからだ。長年の努力も一瞬で水の泡となる。
ウィルスは本当にパソコンでは一番怖いものである。
その対策も完全なものはない、今はフリーソフトをダウンロードすることが怖くてできない。ウィルススキャンすればいいようだがそれもよくわからない。
ウィルスソフトはどこまで有効なのかわかりにくいし操作できない。
失敗したのはビィスタは長く使っていた。でもウィルスに感染したわけでもなかったようだ。それからwin7になったとき買い換えるべきだった。
まずパソコン二年が使うのに限度である。
とにかくwin8を初期化してすぐにまた最も悪質なウィルスに感染したのはショックだったパソコンはそんなに初期化して同時に感染するとは思っていなかった。
だからパソコン自体ウィルスが怖くて使えないとまで思った。

それで今度中古のパソコンを通販で二台買った。どちらもwin7であり3万であり安いなと思った。パソコンはもう中古品でもかなりいいものである。だから中古市場が成り立つ
これはインターネットが生まれ通販が日常になったとき中古市場も成り立つようになった中古のパソコンを東京ならいくらでも集まるからである。
そして中古でも今は最新式のよりかえって安定しているようにすら思う。
前のソフトも使えるし前のソフトでないと使えなくなったファイルもあるから古いパソコンも必要なのである。
パソコンの使い方でも買い方でも知らないと損するしパソコンを駆使できない。
パソコンは新しい知能を得る開発するための道具なのである。
だからこれをどう使いこなすかが問題になる。
買うこともそうである。何を買いどういうふうに使いこなすかが問題になる。
自分の場合はオワシスキーボードを使っていたことがパソコンに親しむものとなった。
これでないとまず文章がスムーズに打てないのである。
文章か考える速度で打てないとはパソコンは使えこなせない
やはりパソコンでも文章が中心になるからである。
ここでパソコンはつまづく人か多いと思う
ブライドタッチができれば別だがこれもできない
つまりこういうのってできる人とできない人が必ずいるのだ
自分はいつまでもできない方である。
パソコンの普及はここが一番ネックになる。

中古市場というとき今までは車はそうなっていた。それでこの辺の島紹介がロシアに松川浦の原釜の港から中古車を輸出しているのである。
あそこの近くまで津波がきていた。あそこは相当に高いのにギリギリにきていたから驚きである。
それから英語を駆使できる人を雇ったというときやはり貿易だと必要になるからである。ただビジネスでそこまで英語を使うとなると大学で相当に勉強しないとやれない。
いづれにしろ日本車の中古品は世界中で売れるしかえって憧れになっている。
日本製品はなかなか壊れ憎いということで人気がある。
パソコンは今までは中古市場は成り立ちにくかった。
今は普及したし今でも使い安いから成り立つ、一日で送られてきたのには驚いた。
六号線か通れるようになったからなんかわからない、こんなに早くつくのかと驚いた。
まず品物が豊富だから通販がいい、中古を買うとしたらこの辺では仙台までいかねばならないしそれも品ぞろいが極めてすくないのである。
仙台まで今年は一回しか行っていない、何か家事やら介護で追われているので本当に近辺しかそれも街中心にしか行っていないのである。
だから自分にとっては通販は便利だなとつくづく思う。
消費の面では田舎でも何か差がそれほど感じないのが現代なのである。

中古市場では古本でもそうだし本でも今や全国が市場化しているからないものがない。
今までは買えないものも見つからないものもある。
これも何か欲しいというときすぐに買えるからいい。
自分は忙しいから図書館にすら5年間くらい行っていない
何か調べる時間すらないのだ。図書館はいちいち調べるのがめんどうで時間がかかるからである。
ただ郷土史関係の資料はある。ただ調べるの時間かかかりすぎるのである。
何か書いて出すとなると家の中に資料でも本でもないとできない。
図書館で調べている余裕がなくなった。
家事から介護は相当に時間が食われるのである。
ともかくウィルスが恐怖だから一台がだめになったら二台目で補いさらに安全のために三台にした。費用は安いものである。
パソコンほどいかに使いこなすかが問題になるものはない。
だからこれは相当な労力がかかるものなのである。
ただ知的作業としてはこんなに書いて即座に発表できるのものはない。
それが記録となってあとでふりかえることもできるから便利なのである。

すでに書店はなくなっても困らないだろう。電器店だって通販に押されている。
品数が少なすぎるのである。配達料までとられるのも損である。
ただ通販で失敗するものがある。
大きさとか形とか実際のところわからない場合があり怖いのである。
だから10万とかなると買うのが失敗したら終わりだから買いたくない
5万くらいまでが限度だろう。
すでに何万かは通販で失敗している。
重さが違っていたとかありこれはどうにもならない
ただパソコンの中古はほぼ今は買い損がないみたいだ
それだけパソコンは前よりずっといいものがでているから中古でも車と同じくいいものにてっているのだ。ただパソコンはハードディスクが古くなると壊れやすいからこれも問題ではある。
ただ予備にするなら安いし使いやすさでは同じであり得だと思った。


相馬氏進出の経路 (文禄二年・寛永十八年総士録古支配帳に出てくる地名から探る)


 
相馬氏進出の経路


(文禄二年・寛永十八年総士録古支配帳に出てくる地名から探る)


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やえこめ(八重米)からまず相馬氏が進出した。

だからそこに初発神社を建てた

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しふさ(渋佐)にも相馬氏は慶長津波の前に進出していた?

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女場(おなは)という地名のある位置に注目

津波がここまで来ていた。

角部はつのほうとして記されている

塚原はつさはらとして記されている

村上も記されているからこの辺は相馬氏では重要な地帯だった

それは舟運の港があり女場(おなは)は最初の港かもしれない。

深い入江になっているし港に適していた。

そこまで津波が来ていたことはもともと海が深く入りこんでいたと思われるからである


クリック拡大するとはっきりします

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(小高)
おなは(女場)
つのほう(角部)
村上
つさはら(塚原)
鳩原(山側)

(原町)
かや浜
しふさ
高倉
羽鳥(はとり)
江井
太田
牛越
かや崎
大原
谷河原
はの倉(羽倉)
やいこめさい(八重米)
谷加平
牛来
太田中島
目々沢
高平
谷が原
高の倉

鶴が谷
大和田
新田
高平
おおわた
つるかや
やかはら
(鹿島ー北郷)
とちくほ
山下
やす倉
小池
ゆノ木



相馬氏の進出した経路はまずやえこめ(八重米)から坂を下って今の片倉村に入った。そこに初発神社を祭ったのはここに始まるとして祈願して建てたことがわかる。
片倉という地名はなく羽倉(はのくら)はてている。
大田神社が最初に相馬氏の移住先の根拠地になった。
この地名からは相馬氏の進出経路が見えてくるのである。
地名の中で牛来玄番という人が相馬氏に従ったものとして記されている。すると牛来というのは姓か地名化したのだろうか?巣江(須江)という姓もあり末であり末の森とか浪江にありその名が地名化したのか?姓が地名化することはまれである。
相馬地方に中世の館(たち)が38もあった。そこに相馬氏が進出してきて動乱になった。
在地の勢力となっていた豪族がいた。それは中世の館を中心にして治めていた。
つまり小高城とか牛越城ができるまえにそうした館が38もあったのである。
それはいわば草分け百姓が成長して館を構えその回りに人が集まったのである。
相馬氏は新来者でありそうしたもともとの地元の勢力を治めねばならなかった。
この辺一帯は鹿島区の鎌倉から来た岩松氏が最初に治めていたのである。

中の郷(原町)、小高郷ばかりは御手に入りそのほかは服従しないために人夫でしばらく太田の別所の館を普請して在城された。


なぜ北郷と鹿島区か名付けられたかというとそれは単に太田や小高から北にあるからではない、相馬氏の支配領域に入らない地としての北郷なのである。だから文禄士録帳にはわざわざ北郷の・・・と記してある。岩松氏などの旧勢力が力をもっていたからそうなる。
そしてこの地図に示したように山側から海側に進出している。中心部は欠けている。
原町でも高倉とか大原に進出して鹿島区でも小池とか山下とかとちくほ(栃窪)に進出してゆノ木(柚木)の名が記されている。
柚木は今でも相馬市であり鹿島(北郷)の境になっている。それは相馬氏が進出していたからかとなる。
深野(ふこうの)から小池に出る所に古い墓地がありそこに武家の立派な墓がいくつも残っていることを紹介したがそれもこの相馬氏の進出経路と関係しているのかもしれない。
大原の名は一番多くでているから小池は隣り合って相馬氏が早くから進出していたのかもしれない、ただ小池の墓は江戸時代後期のものである。

原町では不思議なのはかや浜としふさ(渋佐)にすでに進出していた。かや浜はもともとはかい浜と呼ばれていたがかや浜と記されている。
つまり相馬氏が進出してきた時、かや浜と変えたのだろうか?
発音を聞き違えてそうなることが地名には良くあることだからである。
ただしふさ(渋佐)にすでに相馬氏が進出したとなると慶長津波の前なのである。
するとすでに渋佐に人が住んでいた。そこは湊の機能があったのだろう。
慶長津波の前に人が住んでいてかや浜にも人が住んでいても慶長津波の記録は残されていない。そこは相馬氏が進出して住んだ地域だともなるとまた解せないのである。
どうしても慶長津波のことが記録にないから探りえようがないとなる。
ただ700人溺死と一行記されたのは溺死となると溺れた人となる。
700人の死者を確認できたのかという疑問である。今回の津波でもそもそも行方不明者が多いだろう。当時はそれ以上に行方不明者が多くなる。探しようがないからだ。
だから700人溺死とは死者として死体があがり確認された人数である。
当時ではその何倍もの行方不明者がいたかもしれない、するとこの数からすればどれだけの被害があったのか、今回の津波と同じように大きな被害があったとなる。
そういうことが全く記されていないし謎なのである。

ただ慶長津波のすぐあとに中村城に移ったということがその時期があまりにも慶長津波があってからだから何かあったのかと詮索するのは当然なのである。
津波の影響があってその時期に移転を決められたということもある。
津波が大きな契機となり中村に移転したともとれるのである。
ともかくこの文禄士録帳は相当に貴重な記録である。
相馬氏関係では一番古い資料だから貴重だとなる。
何か郷土史でも貴重な資料がありまずそこから郷土史研究の手がかりとなる。
これはその一つである。
タグ:相馬氏
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2014年10月27日

文禄二年・寛永十八年総士録古支配帳に出てくる地名 (深野がなぜふこうのとなるのか地名の謎)


文禄二年・寛永十八年総士録古支配帳に出てくる地名


(深野がなぜふこうのとなるのか地名の謎)

fukono1.jpg


(小高)

御なはニ御百姓くみの
つのほう(角部)
・・・・・・
(原町)
かや浜
高倉
羽鳥(はとり)
江井
太田
牛越
かや崎
つち内
下沢
(双葉)
新山
けちう
立野ニなこ地備後守
こうかや
さいの内
宮田
こまはの
大森
むないり
せきはの
こいし
清水の
いしはし
いりの
中島
たたき田
(原町)
大原
谷河原
鳩原
はの倉
やいこめさい
谷加平
牛来
太田中島
目々沢
高平
谷が原
高の倉
しふさ
鶴が谷
大和田
新田
高平
おおわた
つるかや
やかはら
かなわ
大井
こやき
かん崎
(浪江)
たかの
なんとう内
やかはら
(小高)
川ふさ
おなはの
村上
かやしき
えひさわ
(鹿島)
とちくほ
山下
やす倉
小池
(浪江)
おみの
大加り
かうの草
末の森
たかつか
さかいの
かりやとの
宮田
いての
小野田
高瀬
岩井沢
こわなし
ふるみち
根本の
はんかい
夫沢
(小高)
おなは
もと城のうち
北目
なてかつか
山田
おおかい
ゆノ木
中山
椎葉
つさ原



郷土史は何を手がかりとするかというと野馬追いから探る人もいるしいろいろな方面からアプローチできる。自分の場合は地名だった。
何か深野がふこうのとなっているのがなぜだろうと必ず疑問になる。
深野をどうしてもふこうのとは読めないからである。
こういうときインターネットで大阪に深野という地名がありそれをふこのと呼んでいる。

大阪府大東市深野(ふこの)

深日(ふけ)に続いて「深」という字をどう読ませるかが難点です。
 「ふかの」でも「ふけの」でもありません。「ふこの」が正解。って読めませんよ、やっぱり。
 元々このあたりは水郷地帯だったようで、「深野」は「ふこうの」と読んだのが約まったのではないかと


ふこのはふこうのになる。深野をここではふこのと呼んでいる
これはここが深野をふこのと呼びふこうのとなったと推測しても不思議ではない。
ではなぜそうなのか?フケルから深野になったことは確かである。
ただおそらく大阪ではフケル→フケをフコと言っていたのかもしれない、一種の方言だったかもしれない、ではなぜふこのがふこうのとなりここに残っているのか
これは伝播地名なのかもしれない。
移住してきた人がその方言をもちこんできてここで名付けた。
ふこのがいつしかふこうのと呼ぶようになった。そいうことは地名によく我ことだからである。


もともと相馬氏一族でも元は千葉氏であり千葉氏は西の方から関東に移ってきたものである。
だから和泉守という大阪に由来するものもいるし全国の・・・・守がいる。小浜備後守、木幡駿河守、木幡出雲守、大友美濃守、俵口肥後守、赤沢伊豆守、渡辺豊後守、・・・・などがいた。
深野に深野の姓を名乗るとき深野という地名がもともとあってその土地を地名を姓にした。
もともとは別な姓だった。
日立木の立谷はもともと熊野信仰をたずさえて移住してきた和歌山県であり鈴木といか姓だったかその土地の名をとって立谷として土着したのである。
ただこの総士録古支配帳には深野というふこうのという地名はでていない。
大原はでているから大原の方が深野より古いのかとなる。
ただここに記された地名は一番古いことは確かである。

なぜならおなは御なはであり小名浜(おなはま)とあるがもともと御なはでありマはあとからつけられた。
だから沖縄の那覇(なは)が古い地名の元なのである。

「“那覇(なは)”の語源は、漁場を表す“なふぁ”からきている」


沖縄とは沖の漁場ともなる。小那覇(おなは)という地名もある。
沖縄はやはり古い日本を残しているから地名でも共通性がある。
小名浜がまぎらしいのは小名浜がおなはーまであり浜ではないのである。
当て字の感じでまぎらわしくなったのである。
小高には湊があり舟もたくさん入っていたし舟持ちも多数いた。
それはこの記録に記されている。漁場でもあった。
小高はその頃は入り江であり湊と漁場にふさわしい場所だった。
今回の津波でわかったように駅を越えて津波がきていたのである。
だから小高の城が浮舟城と呼んだのは何かそういうことと関係しているかもしれない。

ともかくここにでている地名は相馬藩の基になっているから重要である。
ただここに記されていない地名はどうなっていたのかわからない。
なぜ記されなかったのかそのあとに名付けられたのかわかりにくい。
なぜなら古代の和名抄にのっている地名は一番古いからである。
真野という万葉集に出ていた地名かそうである。
それがこの記録にはでていないし他にもかなりでていないのがある。
不思議なのは大原という地名は一番でている。
原町で最初に開かれた地が大原だったのかとなる。

総士録古支配帳となるとやはり相馬氏一族の武士が郷士として最初に土着した所の地名が記されているのかもしれない、そこにはすでに大熊や双葉や浪江もあった。
その辺のも相馬氏の支配下に入った時記されたものだろう。
だからこの地名と今の地名をあわせると当時の様子がわかるかもしれない。
かや浜などは文禄時代でもすでに村落があったのである。
それは高台であった。かや浜の湊は後に人が住んでのであり慶長津波の前には人が住んでいてかったかもしれない、でもかや浜の高台には人はが住んでいたのである。






posted by 老鶯 at 15:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸時代

2014年10月26日

秋に深野(ふこうの)の墓地を尋ねて


 
秋に深野(ふこうの)の墓地を尋ねて

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深野に墓の古りにつ秋の山
深野の墓地や数十輪秋薊
深野の墓地や二羽ほど秋の蝶
石くれの名もなき墓や草の花
深野の墓の古さや秋の暮

深野に育ちし女の石神に嫁ぎてあわれ秋のくれかな

深野の墓地は古い、明暦とか字が見えた。そんなに古いのはなぜなのかとなる。
小池からゆくところはいかにも墓地にふさわしい場所である。
小池は江戸時代後期でありここはそれよりずっと前のなのである。
ここはまたあとで考察しよう。
故郷は何かというときこれもいろいろ言うのだけど一つは墓地にあると思う。
そこに身近では祖父母が眠り父母か眠っているということで墓地が墓があることで
故郷になる。
だから最後に老人が墓守になるというのが故郷である。
自分の場合は本当に家で残っているのは自分一人なのである。
最後に墓を守るのは自分だけだとなる。
墓を意識するのもやはり老人でり若い内は墓参りもしなかった。
今になると供養するのは自分だけだから墓参りしている。
墓を見て思うのは花がいつまでも枯れたあるのは良くない
そこはやはり離れているからたまに墓参りだけにくるからそうなる。
掃除する人がいないのである。
それから造花なのも嫌なのである。
いつまでも造花をさしていると墓も活きていないなのとなる。
時々来て墓参りして生きた花をささげると墓も活きているとなる。

ともかく深野の墓は広いし辺りに家も見えないし墓地にふさわしい所だと思った。
深野で知っている女性は深野で生まれたのかどうかわからない、深野で育ったことは確かである。
そこからおそらく見合いかもしれない、石神の旧家に嫁いだのである。
近くに嫁に行くのは今では普通だった。
今はとんでもない遠い所にでも嫁に行くし嫁にくる。
今回の原発など避難先でも全国にわたっているので驚く。
でも嫁に来た実家がある所に避難した人もいるからそうなっている。
それだけ全国から嫁に来ていたともなる。

何か深野と大原が意外と古く原町では一番関心をもった。
原町の市街は関心がもてない、それでも橋本町に母の実家の墓があるのでやはり墓参りするから違っている。
避難区域でも墓をどうするかが意外と老人では問題になっているのである。


タグ:深野

2014年10月25日

海と陸の抽象画


 
海と陸の抽象画

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海から生まれた陸


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海と陸の紋章


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海のドーム

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二つの太陽系




抽象画でも2,000円のペイントグラフィックでも使いこなせていない
これ使っていなかったなということが未だにある。
まるで脳機能と同じである。
脳の機能でも2割しか使われていないというのはそのことなのである。
つまり脳にはまだ無限のかのうせいか秘められているのだ。
ただそれぞれが使われいないだけである。
例えばブルーカラーになると肉体的に酷使されて脳が使われないことがある。
もちろんそれでも何かを体で学ぶのだが脳は使われていない
脳というのは使い方によって活かされるのである。これは才能の問題ではない。
開発力が能力になるのだ。そういう時間をもてない人は開発されないだけかもしれないのだ。


自分は文学でも何でも何ら才能があったとは思えないのだ。
体力も非力だし人間的にもあらゆる点で劣っていた。
だけど自由な時間が与えられたということがそれなりの才能が開発されたとなる。
何かにどれだけ時間を費やすかで人生が決まるというとき生まれつきの才能より
あることにどれだけ時間をかけるかが問題になっているのだ。


旅にこれだけ時間をかければやはり何か教科書だけで本だけでは学べないもの実地で学んだ。実地の訓練が時間をかけることが何物かにしているのである。
あらゆることに時間をかけられる人はいないからである。
一つのことに時間をかければ他のものには時間をかけられないからである。


とにかくパソコンは人間の頭脳ににている。一つの脳の代理機能のようになっている。
だからソフトがその脳の機能を拡大しているのである。
パソコンの抽象画はまさにパソコンのソフトによって拡大化された引き出された開発されたものから生まれたのである。そんなもの芸術ではないともなるがやはり何らかの創造なのである。
タグ:海と陸
posted by 老鶯 at 19:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 抽象画の部(abstract)

秋深む (ふるさとの墓地を尋ねるー郷土史研究には墓地を尋ねるべし)


秋深む

(ふるさとの墓地を尋ねるー郷土史研究には墓地を尋ねるべし)

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小池の墓地


古き碑に木の葉の散るや身近にも

墓のみそ残りて誰や虫の声

故郷の墓地を訪ねて秋深む

故郷に残れる墓地や秋薊

故郷に名もなき墓や草の花


小池の墓地奥の墓地は不思議である。二十数基あり 半分は戒名もあり主に個人墓である。
墓は最初は個人墓であり次に明治になり夫婦墓になり家族墓になった。
ただあそこの十数基は戒名が記されているし墓も立派である。あとの半分くらいは石塊であり名前も記されていない。おそちく使用人とかなのだろうか。ただ卒塔婆に名前だけ記されたものがある。
それはやはり墓を作れない人だった。小池とかじさ原にはそういう名を記されていない墓地がある。
立派な墓ではない、だからあそこの墓が戒名があり立派な墓なことが不思議なのである。
辺りを見ても家もまれであるから江戸時代になるともっと何もない原野だったろう。
そこになぜあれだけの墓があり江戸時代後記から明治までつづいていた。
その後はあの墓地は使用されなくなった。

小池村の中心はあんな奥ではない、戦後も引揚者が開墾に入った人を知っている。
その人は自分の父親が勤めていた新山の酒屋で働いていた人だった。
それはタマゴ屋の漬け物倉庫のある所だからあんな所でも開墾する場所があったのかと思う。
それだけ開墾の歴史は長いし農業が仕事となっていた時代が長かったということである。
いづれにしろ墓は江戸時代になれば文化財となるから捨てるのはまずい。
最近墓を守るものがなく大量に捨てられている。その墓には元禄というのもあった。
西の方だからめずらしくないのかもしれない。この辺では元禄と記された墓は滅多にない。
墓は家がなくなっても残るものだから歴史の証になりやすいのである。
郷土史でも謎になっているのが多いのである。
墓は書類と違って無味乾燥なものではない、そこに確かに生きた人が埋まっている。
そこの土地と一体化してあるから身近に感じる。
その土地に根を張るようにあるのが墓なのである。
だから他のものと違い簡単に捨てられない、今でも地元の人が花をささげているということは
やはり供養する人がいるということで捨てられた墓とも違うのもしれない、ただあそこは継続して墓地としなっていないことが問題なのである。
やはり継続してないとやがては何でも捨てられるから歴史には継続が大事だとなる。

今年はなんか日ざしが暑い、温暖化なのだろう。それで秋が深まっているのだけどそういう感じがしない
四季がなくなると俳句には困る。四季があって季語あって成り立つからである。





タグ:墓地

補償金で分断された南相馬市の溝は深い (市議選でなぜ小高の人が鹿島の議員を応援するのか?)


 
補償金で分断された南相馬市の溝は深い


(市議選でなぜ小高の人が鹿島の議員を応援するのか?)


鹿島にいる仮設の小高の人が鹿島区の議員の応援している。世話になっているからだという。南相馬市だから小高の人が一票をもっているから鹿島でも小高でも応援してもらうようになる。その人も老人だから小高に帰らないという。
小高に積極的に帰り復興しようとする気持の人は少ない。
老人になると何かめんどうなことがいやになるからである。
それで金ある人はすでに原町や鹿島に家を建てている。
ただそれだけの資金がない人はどうするのだろうか?
その人は資金のある人ではない、だからかえって補償金で得した方だろう。
補償金もらって得した人たちもかなりいるのである。
働いていたときもそれほど金をもらっていた人ではないからである。

南相馬市は補償金問題でもめて分断されて合併したのはいいけど前の小高、原町、鹿島に分裂したのである。利害関係で分裂した。小高は一番補償金もらっていると反発が多いし原町もそれなりもらっているし原町中心になっているからそこに予算を使うからそれほど問題になっていない、でも鹿島区は割りを食ったのである。
そもそもこうして分断されたのは東電や政府の策略ではなかったかということが言われるそんなに放射線量で区別すること自体おかしいのである。なぜならみんな土地はつながっているし大気だって森だってそうである。
細かく地域的に放射線量で分けること自体が理に適っていなかったのである。
飯館村が原町とか相馬市とか鹿島とか相馬市と関係ないとはならない。
核の廃棄物処理場になったらやはり影響する。
何らかでもれると土にしみこみ水となって流れるからである。
今でも真野ダムの水を鹿島区と相馬市で飲んでいるのだからその影響もある。
だから放射線量だけにこだわって区分けしたのは政府と東電の策略という一面があった。なぜなら南相馬市では互いにいがみあうようになったし他でもそうである。
それは政府と東電にとって都合がいいいものだったのである。
政府や東電へ一致して抗議するより互いに小地域でいがみあってもらうほうがいいとなるそういう策略にうまくのせられたともなる。
そもそも小高は放射線量が低いのだから避難区域にするべきではなかったのである。

だから鹿島区の議員がなぜ小高の人を応援しているのか?それも疑問だけど南相馬市であり選挙権をもっているからそうなる。南相馬市となれば小高の人にも尽くさねばならないではなぜ鹿島区の人が不公平な処置がされているのにそのことはどう考えているのかともなる。小高の人は今では優遇された人たちとされている。
その溝は深くしこりとなっているから南相馬市は一体感はなくなっているのである。
そのことは政府や東電によっては都合いいものとなっている。
南相馬市はそうしたことに対策しなかった。政府と東電のいいなりになったというかそうせざるをえなかったのか?議員は何をしたかとなると何もしていないとなる。
どこでも議員は何もしていないと言われるようになった。
ただその女性が応援しているのは鹿島で何か世話になったというから応援している。
何を世話したのかはわからない。鹿島では小高の人を良く思っていないからである。

小高の人が小高に帰らないという人が多いというとき小高はどうなるのか?
ある人は補償金もらってそのままもらえるような感覚になっている人もいるだろう。
あとは生活保護だという人もいる。それもまた困ったものなのである。
小高は南相馬市で負担になっているのだ。
それはいわきに避難した人たちとにている。ただイワキのようにならないのは南相馬市民であるから違っている。だから選挙権あるから鹿島の議員が小高の人を世話するとういことがある。いわきではいわき市民ではないからそうはならないのは違っている。
でもいったん生じた溝はしこりは消えない、感情的にも消えない、互いに反目するようでは市政だってスムーズには進まないだろう。
相馬市などはそんなことはないだろう。南相馬市は一体感をもちえないのである。
相馬市は相馬市は避難民を受け入れているから反発がある。
避難民はそういうことを考慮しなければならないのだかそれがあまりないのである。
ただこの辺では表立っては言わないしイワキのようになっていない
ただ相当に内に不満が鬱屈しているのである。
そういうことは口に出なくても必ず影響してくるから怖いのである。

避難民でもいろいろな人がいる。例えばその土地に役立つような人は尽くすことができる人は批判されないだろう。ただ金があるからと消費しして金を使うのだからいいとはなっていない。そういう側面はあっても毎日パチンコだとかなると地元の人たちが働いているのに避難民は遊んで暮らしているのだろうとなる。もし大工とかだったらそこで働けば人手不足だから助かるとかなる。介護関係などでもそうである。
金があるだけでは威張っていならないのである。
だから避難民はどこでも反発されていて良く思われていないのである。
小高の大工さんは働いているということであまり批判はされないだろう。
でも多数は働かないで遊んでいるとなると批判されるだろう。
それで介護関係でも避難民は働くようにした方がいいと助言して具体化しようとするのもわかるのである。
別に老人になれば働かないのだから年金暮らしとかなるのだからそんなに責めない
でも避難民は年金暮らしでもない多額の補償金をもらっているから責められるのである。なぜ避難民ばかりあんなに補償金をもらえるのだと反発される。
避難民にも言い分があることがわかっていても現実問題として今の世の中必ず遺産問題でもそうだが金でもめて金が原因で必ず揉め事が起きてくるのである。




posted by 老鶯 at 10:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年10月23日

小渕優子の失敗 (二代目は苦労がないから失敗する)


小渕優子の失敗


(二代目は苦労がないから失敗する)


 
 カリスマ経営を引き継ぐ二代目の不幸 
そんな組織を突然に引き継ぐことになった二代目は不幸です。
「創業という地獄」を経験したことがない。今日食べる飯の心配をしたこともない。
社員のボーナスを出せずに社員に頭を下げた経験もない…。
生まれたときには、既にぜいたくなお金持ちの暮らしを与えられ、
周囲からボンボンと呼ばれてしまう二代目が、カリスマ経営の組織を引き継ぐのは
難しいと言わざるを得ません。
先代社長の大番頭、小番頭がにらみを利かせる組織を操らなければならないからです。
「ボンが小学生の時には、まだおねしょをしてましたなぁ」
などとからかわれながら番頭たちを束ねていくのは大変な苦労です。
http://dir01.keiei.ne.jp/dir/faith/column/10033467.html

小渕優子の失敗は二代目だったことだろう。それも父親が死んで実力も備わらないのに跡継ぎに簡単になってしまったことである。政治経験などあの若さではなかったけど簡単に当選した。それが今日の失敗の基になっているのだ。
要するに簡単に成功することは失敗の基になる。
創業者は簡単に成功しない、血のにじみでる努力もしているし賭もしている、難局をのりこえてきた。
まず人を使うことほどむずしいことはないのだ。この女性大臣は全くのお姫様だったのである。何にも知らないというかとても人を使いこなせるような人ではなかった。
だからなぜ悪いのかという認識すらないかもしれない、政治資金のことがわからないのである。公金という意識ももてないのである。
つくづく金の扱いほどむずかしいものはない、自分もちょっと遺産が入っただけで犯罪にあうは借金を入院しているときまで要求されたり金の怖さを知った。
金ないにしろあるにしろ人間を狂わせるものなのである。
政治が利権だというときまさにその利権に群がる人が寄ってくる。
あまりにも誘惑が多い職業であり利権とか金とかにふりまわされる職業なのである。

そして二代目は創業者の苦労などわからない、だから人だって使いこなせない、秘書が名にしていたかもわからない、チェックすることもできない。
つまり本当に小渕優子はただ親が死んだことで何にも苦労せずなったのであり何も政治のことを知らないでなったのである。
だから自分の贅沢のために私用のために公金を使っていたのである。
そこになにか違反しているという感覚もなかったのだろう。
そういうことを番頭である秘書が教えるべきだったがその秘書がネコババしたんだろうかとも言われる。

小渕優子は「国民の選良」としての責任感がすこぶる希薄で、取り巻きがフォローしないとカネの管理も、事務所の運営も、地元からの陳情の処理も自分では何一つできない。神輿に乗っているだけの「田舎のお姫様」だったのだ。それをよいことに、小渕の周辺では、父の代からの「政治ズレ」した擦れっ枯らしの秘書どもが幅を利かせている
http://dmm-news.com/article/894243/


こういうことなんだろうな、本人はわからなかった。ただ操り人形にすぎなかったとなる
二代目というとき自分も家の二代目だった。創業者はやはり苦労していた。
店をはじめる資金をかりるとき罵倒されて苦労したからである。店でも昔の店はこまかい、ばら売りであり新聞紙の袋に入れて売っていた。
そういうことを見ているからどうして財産が作られたかわかる。株とかギャンブルとは違っている。
ともかく自分はただ何も努力しないで引き継いだだけなのである。
だから自分が最後は財産をひきついだとき狙われた。
他人がこれほど信用できないものなのか思い知らされた。
二代目は能力がないのに引き継ぐから失敗が多いし創業者の功績もなきものにしてしまう恐れが多い。


戦国時代でも二代目は失敗して従う家臣も武田家のように没落する。
それは個々の小さな家でも起きているのだ。
自分が二代目になったのは遅すぎたのである。今は遺産を相続するのが高齢化で60代になっているからそうなる。
これは個々の家だけではない、社会全体でも国レベルでも跡継ぐのだ遅くなる。
重要な役職でも若いときでも経験を積んでいれば継承しやすいのである。
ただ小渕優子の場合は早すぎたの失敗でありもっと政治家としての下積みがあればあのようにはならなかった。
金の重みにしても借金した人は一番知っているというとき借金もしないで金がいつも豊富になるとなると金の重みわからないのである。
自分は金の重みは知っている、自由に百万の金を使っていない、ただ衣食住に困らないというだけたった。旅もいかに安くするとか何か自由に金を使ったことがなかったのであるだから何か大金が入っても使えないしせこいのである。
今ふりかえるとこういうせこいのも人間的には人間を小さくする。
もう最低限の生活している人を知ったがその人はやはりせこすぎて失敗したのである。
千円とかごまかそうとするのもそうした最低限の生活が習慣化していたからである。
自分もそういうことで失敗している。


阿部首相も二代目であり何ら自ら努力したりなし遂げた人でもない、ただ政治家の家に生まれたから政治家になったにすぎないのである。田中首相のような人とはまるで違ってるそして自民党は今は世襲であり二代目が多いのである。
日本全体が高度成長を終わったとき二代目が会社を継ぐ人が多くなる。
新しく創業する場がなくなっている。それがまた活力のなさを生んでいる。
日本は少子高齢化で新陳代謝が行われない社会になり活力が失われたのである。
若い人抜擢してもそれが二世だったから失敗したともなる。
社会は常に新陳代謝が必要でありそれがないと活力ある社会にはならない。
革命はそのために必要なのである。
それはあらゆる分野でそうでありまず師のコピーになるようでは終わりである。
結局人間は時代によっても前のこととはまるで違ったものを経験するのである。
まず津波など経験しようがないからそれで自然や社会やあらゆる見方まで変わってしまったのである。こんな変化がこの世でありえるということが実感したから世の中の見方も変わりそれにどう対応していいのかもわからなくなっているのである。


ともかく二代目は自分もそうだが変なことやる人が多い。王子製紙の二代目がギャンブルで百億円使ったとか金があってもその使い方もわからない。だからその金の重みもわからないから浪費をしてしまう。二代目はどうしてそれだけの財産を築けたか苦労していていからわからないからそうなる。タイでit会社の社長の息子が跡を継がせるために多数の子作りしていたとか常識では考えれないことをしている。それもやはり二代目はおかしな方向に脱線しやすいのである。
だからともかく創業者がどういう苦労したかふりかえるべきである。
どうしてそれだけの財産が築けたのか?ギャンブルで築いたわけではない。
そこにはやはり創業者や社員の努力があって築かれた。それをギャンブルで使い果たすことはその努力を無為にすることなのである。


農家でも二代目はやはり開墾した創業者がいるときそうである。こうして北海道辺りでも苦労して開墾したのだと聞けばそういう苦労を知らないと知っているのでは違ってくる。それはまた歴史を知るということでもある。どういう経過で今日があるのかを知ることが歴史だからである。そういうことがわからなくなるとまた失敗するのである。
だから奇妙だけど家の掃除すると家に愛着をもつ,自分が掃除して家がきれいになり維持しているんだという感覚を持つようになる。
でも金持ちの家では家政婦に何でもやらせていたらそうはならないのである。
何か掃除することによってもその家でも愛着をもつから会社の建物でも掃除することは愛着を持つことになる。だから掃除に意義を見いだしているのもわかる。
要するに人間はただ何でも与えられるだけだと価値がわからないのである。


戦争の悲惨さも忘れまた戦争したりする。まず戦争で死んだ人たちは悲惨だった。
みんな若いし才能ある人も多く死んだからである。
今は一人の老人を生かすために長生きするためにいたりつくせりで介護したりしているけど戦争で死んだ人は無残だった。
どんなにふうにして死んでいったのか?それは地獄絵図だったのである。
そういうふうにあまたの犠牲の上に今日もある。
タグ:小渕優子
posted by 老鶯 at 21:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

山帽子の実(不幸だった大正生まれの母の一生)


山帽子の実(不幸だった大正生まれの母の一生)


烏いて二両の電車や芒かな

鶏頭や夕べ人あり前畑に


山帽子赤き実なれり幸薄き母にしあれや我がいたわりぬ


人間の一生も家族でも多様であり他から知り得ないものがあるのだ。
まず自分の母親は不幸の連続だった。幼少期だけが金持ちであり幸福だった。
あとは事業の失敗とかで一家離散であり継母に育てられたから不幸だった。
その後も不幸がつづいたのである。大正生まれとなると何かそうした不幸な人が多い。
つまり時代が過酷でありみんな貧乏だったからそうなる。
だから母だけではない、その一生を聞いてみれば同じように苦労した人が多いのである。
何か今は自分が介護しているからそのことを喜んでいる。自分の家に来てもいたわられることもない人だったのである。女中のように使われていたともなる。
ただそこにはそれぞれの家族の複雑な事情があり他からは理解し得ないものが必ずある。ともかく最後になるとみんなその一生をふりかえる。

一般的に介護というとき他人だとなかなかその人がどういう人生を送ってきたかわからないから同情心がわかないのである。
ただ金をもらえるからしかたがないからやるとなる。
だから介護は本来は家族でやるものであり家族には何かしらやる動機があるからそうなる他人になるとそういうモチベーションがもちえないのである。
ただ一日中見守り介護となると苦しくなる。認知症の介護は一番苦しかった。
でも自分は特別世話なっているから耐えるほかなかったのである。
家族には何らか介護する動機があるが他の人には金しかないとなると何をするにもただそこに心がこもらないということになる。


誰かが言っていたが嫁が来た家で嫁がその家に満足しない家は栄えないというのは本当かもしれない。「ああ、この家に嫁いできて良かった」とならないとその家は栄えないというのは本当かもしれない。嫁は女と家だからその家の人となるのがまさに嫁だからそうなる。
ともかくそれぞれの一生がある。それぞれの家族には家族の物語があり個々人にもある。それはもう語り尽くせないほどある。
この家がどうしてこうなったのだろうかというのも本当に不思議である。
それはカルマも深く関係しているのである。
母と子が同じ運命をたどることは普通にあることなのだ。
親の因果か子に報いなど普通にあり珍しくないのである。
人間は結局は最後はストリー物語になってしまう。
そして人間の一生は本当に最後まで死ぬまでわからないものだと思った。
まさか認知症になって馬鹿になり死ぬとは思いもよらなかったからである。


最近75歳の病院経営者で敏腕の医者が30歳の嫁をもらったがこの嫁を殺して自殺した。
これほど優秀な人でも最後はわからない、どれほど優秀な人でも最後の結末はわからないということである。この人は体力も知力も人間力も備わった人だったのである。
なぜそうなったのかわからないにしろやはり優秀な人でも最後はどういう結末を迎えるかはわからない、結果的にはこれだけ優秀な人でももう誰も評価しないとなる。
人間にはこういうことが結構普通にある。その最後がどうなるか見てみればそうなる。


自分の生活は二両の電車が相馬市と原町を行き来しているように本当に狭い範囲で生活するようになった。まず遠くに出れないのである。
今日も母が昨夜も朝も水も飲まなかったからいよいよ老衰状態に入ったのかと見えた。
でもまた昼は食べたからそんなに急には死なないみたいなのである。
ただこの年になると急激に弱って死んでいる人もいるからわからない。
人間の寿命は神が定めているというときそれも本当なのかもしれない。
99歳になってもいつ死ぬかわからないのである。
ましてや60代ではいつ死ぬかわからないとなる。

前畑に人がいて畑の手入れをしているということは生活があることである。
田んぼにはなくなっているが畑をやる人は増えてきた。
前畑ということが何か家と一体となり生活があることになる。
今はみんな働くといっても通勤であり遠くになる。
田舎では確かに近くだがそれでも会社となる家から離れるのである。
だから農家では前畑とか前田と門田とかが重要になる。
働くにしても家の延長であり庭で働く感じだからその感覚はそこに住んでみないとわかりにくいとなる。

家のもっている(家霊)の力
(NHK-家で死ぬということ-を見て)
http://musubu.sblo.jp/article/54156891.html


タグ:山帽子

2014年10月22日

南相馬市など介護が足かせになり衰退 (うば捨て山が現実化する)



南相馬市など介護が足かせになり衰退

 
(うば捨て山が現実化する)




南相馬市の高齢化問題は深刻である。そしてこれが放置された場合には、状況はさらに深刻化し、介護負担が大きい郷里に戻ることを躊躇する若年世代が増えることが予想される。




福島第1原発事故で約1200人が避難する山木屋地区を抱える
福島県川俣町。17日午前7時、町中心部に近い養護老人ホーム
「済生会川俣光風園」は喧騒(けんそう)に包まれていた。

事務室に通された。職員のスケジュール表が目に入る。
「午前5時48分−Aさんの排せつ介助」「同59分−Bさんの起床介助」。
スケジュールは分単位で埋まっていた。
「職員が足りなくて、これでもサービスを減らしているの」。

人手不足に拍車を掛けたのが原発事故だ。職員が避難したり、
定年退職者の補充ができなかったりして、52人いた職員は46人に減った。
そのうち半数はパートだ。逆に仕事量は増えた。
全町避難が続く浪江町などから避難した高齢者を受け入れ、
入所者は現在80人。定員を5人上回る。平均年齢は80.2歳。

福島労働局によると、介護職の有効求人倍率は2.84倍。
全体平均1.41倍の2倍近くになる。子育て世代の母親は避難し、
力仕事で頼りにしていた男性介護士たちは高給の除染作業に流れた。



この二つの記事は何を訴えているのか?

力仕事で頼りにしていた男性介護士たちは高給の除染作業に流れた。

介護する人が不足して介護できないということ起きている。川俣では浪江の人を施設で受け入れたことも大きな影響を及ばししている。それだけの老人を介護する余裕はもうない人手不足でありいない、除染作業が高給で介護の人手もいないというのも原発の複雑な影響が起きている。川俣町は山木屋をのぞいて東電から補償金などもらっていない、飯館などはもらっていても隣の川俣町は全然もらっんていない、すると当然金が欲しいから除染の仕事を選ぶ。川俣町は原発事故の影響を相当に受けた。飯館村が隣だということの影響が大きかった。でも補償金が入ってこないから除染の方に人が流れるのも必然だった。


介護負担が大きい郷里に戻ることを躊躇する若年世代が増えることが予想される。


南相馬市で起きているのは特に避難区域になった小高などは若い世代が帰らない人が多いという。女性から見ると姑とかと一緒に暮らさなくてもいいからかえって補償金をもらって他で若い人たちだげ暮らした方がいいとう選択になるという。
これも確かに女性から見たら今の時代は現実に姑とかとは離れて暮らしている人が多いから当然だとなる。かえってこの際チャンスだとなり帰らないとなる。
故郷への執着心もあまりないのが若い世代である。
ここでも補償金がもらえるかもらえないかがかなり影響している。
他で移り住むにもそれだけ資金が必要だからである。小高の場合はそれだけもらえるということもあるかもしれない、浪江とかなると一億もらえるとなる若い世代は余計に帰らない、そのことがすでに南相馬市でも65歳以上の割合が増えた要因である。

つまり原発事故周辺でも津波の被害地区でも高齢化ということが深刻なのである。
復興するにもその担い手の若い世代が流出しているからである。
姑と暮らさなくていい補償金もたんまりもらえるとなると余計に若い世代は流出してゆく若い世代が年寄りを介護したくないというのもわかる。だから帰らないというときまさにこの辺はうば捨て山になるのである。放射能廃棄物とうば捨て山になってしまう。
小高にしても復興がむずかしいというとき老人だけが残り若い世代が流出したら復興はできないだろう。80歳の老人が何かをしようとしてもこれから介護になるかもしれない、その若い世代がいなくなるとなるきそっちの方が心配になるのである。
そんなのでは復興などあり得ないだろう。
介護は自分もここ七年しているけど楽じゃないのだ。そして介護はつくづく長くつづくものだなと思った。だらだら何か生産性がなくつづくのである。
その介護の長さも負担になるのである。だから介護の負担したくないから若い世代が帰らないとなると一体誰が介護するのかとなる。
もう人も集まらないし介護する人なく捨てられるとなる。


それは別にここだけの問題ではない、全国的な問題でありだから東京ではもう施設に入れる余地がないから地方でめんどうみさせろとか言うのも納得できないのである。
そもそも介護の人手がないのにそんなに老人ばかりおしつけられたらどうなるのか?
いくら金が使うからいいといっても金だけでは解決しない問題が生まれているのだ。
「俺は億の金があるんだから田舎のものはめんどうみろよ」とか言ってもそもそもそのめんどうみる労働力がないのだから迷惑だとなる。
老人ばかり押しつけられてもどこでも歓迎はしないだろう。金を持っていても経済的効果を生むとは限らない、老人ばかりで仕事は介護ばかりだという街に住みたくないだろう。東京はだから高度成長の時は若い人を労働力と吸収して使えなくなったらまた地方にもどして若い労働力を吸収し続けるのも大きな弊害になっている。
そして何でも一極集中というとき今高齢化で60代の人が遺産相続している。
その金もまた東京とか大都会に集まっているというのも弊害である。
息子や娘が東京に集まり田舎には帰ってこないからである。
何かこれまでの日本の社会の矛盾が高齢化で極端化して現れてきたのである。



大相続時代で地方の金が大都市圏に流れる

今後20ー25年間に想像される金融資産は650兆円でこのうち120兆円が地域を越えて移転する
埼玉、千葉、神奈川に約50兆円がながれこむ
地方30県の家計の流出額は家計金融資産の二割に達する。
(福島民友ー2014-10月2日)

タグ:介護
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心に青雲のユダヤ、キリスト教批判の疑問 (宗教団体自体がユダヤと同じではないか?)


心に青雲のユダヤ、キリスト教批判の疑問

(宗教団体自体がユダヤと同じではないか?)


バウハウストの創設した秘密結社イルミナティは、18世紀のことではあるが、それ以前にもユダヤは黒い貴族だとか悪魔主義だとかの秘密結社活動を行なってきた。それらがユダヤ教やキリスト教をつくりだしたものと思う。
http://kokoroniseiun.seesaa.net/(黒死病の闇)

プログの主催者の言っていることは共感することが多い。ただそれがすべてユダヤやキリスト教批判になり悪の根源はユダヤとなっている。
確かにアメリカを動かしているのはユダヤだとかなり今の資本主義はユダヤ人が作り出したのだという説もいろいろ調べればそういうことはありうる。
ユダヤ人とは何かとなれば純粋の旧約聖書のユダヤ人ではないだろう。
ローマ帝国に敗れて離散してからはその末裔だとかではない、ユダヤ教を信仰する一団だとなる。
最近読んだ本で「一万年の進化爆発」で今の金融を担うユダヤ人はアシュケナージユダヤ人だという。これはドイツのユダヤ人という意味である。ドイツから東欧やロシアに移り住んだ人たちである。
その人たちはホワイトカラーになった。


ボーランド人のユダヤ人も金貸し業であり通行料取り立て人請負人、不動産管理人、工場や居酒屋の経営者になるものがでてきた。
14世紀の中頃、賃金や給料や報酬によって生計をたてたのは約15パーセントであり残りは独立した事業者であり彼らはポーランド、リトアニア共和国の管理階級だった。
読み書き能力に加え専門職であるにはビジネスマンと同じく複雑な取引の技能を必要とした。


つまりブルカラーではなくビジネスマン、ホワイトカラーであり頭脳労働者になっていたのである。それは官僚と同じように国の中枢を占めるようになるから移民でもその国に重きをなすようになる。ところがイスラム系のユダヤ人はそういう頭脳労働者ではなくブルカラーの肉体労働の下層民になっていたという。だからユダヤ人がどうのこうのというとこのアシュケナージユダヤ人のことなのである。
アメリカに移住した人たちもそうである。その人たちはそういう頭脳労働集団を形成していった結果、ノーベル賞をとる科学者を輩出してきたという、その原因が歴史的にたずさわった頭脳労働集団として形成された結果そうなったという分析も興味深い。
農業とか職人集団だったらそうはならなかったのかとなる。


天才がなぜ生まれるのか?とか問われるけど一人の天才が生まれるにはその背景にその天才を生み出す文化的パックグランドがあって生まれる。ヨーロッパに音楽の天才が生まれるのはそれだけの生まれる素地があったからである。そういう天才を生み出す集団が形成されているかだという。だからアシュケナージユダヤ人はそういう頭脳集団を形成しやすかったのかとなる。知能指数が他と比べて明確に高いとかそれは歴史的後天的に獲得されたものであったとなる。イスラム系ユダヤ人は全くそうなっていない、下層階級にしかならなかったのである。つまりユダヤ人だから頭脳的に優秀になるということではなかったのである。
これを日本で考えるとノーベル賞をとっているのは西がほとんどだというとき、大阪京都とかはもともと日本の文化の中心でありそういう頭脳集団を形成しやすかったからそうなっているともなる。大阪は商人の街であり京都は文化の中心だからである。
アシューケナーユダヤ人のように一つの歴史的文化的集団が形成されてそれが受け継がれてノーヘル賞級の科学者も生まれたのかともなる。なぜなら同じユダヤ人でもイスラム系は全くそうはならなかったからである。


イスラム教も一神教だからアブラハムから別れて生まれた宗教だからユダヤ教の基の旧約聖書から生まれたのである。だから同系統の宗教である。結局イスラム系でも分派したように宗教は分派してまた争うことになった。カトリックとプロテスタントでもそうである。仏教でもそうである。ともかく宗教は集団化したとき負として作用したことが大きくなりすぎたのである。それはキリスト教だけではない、仏教だってそうであり結局政治化して世俗化して権力とかかわることで問題が起きてきた。だから政教分離の法律がヨーロッパから生まれたのは必然だったのである。
日本の神道だって神社本庁が戦前の天皇制の復帰を唱えている。それも天皇教は宗教でありカルトでありそのために300万人も死んだともなる。そうした恐るべき災いが宗教から生まれたとなるから政教分離が生まれたのである。
宗教の悪しき利用は国を滅ぼすと日蓮が言っていたけどまさに今も創価をはじめカルト宗教は国を滅ぼすものであることは変わりないのである。


内村鑑三は明治にキリスト教が解禁されたとき日本はヨーロッパのキリスト教文明を根幹にすえないと日本は崩壊すると言っていた。つまり西欧文明を明治にどう解釈したのか?
日本では便利なものとして科学技術として取り入れた。キリスト教は取り入れなかった。西欧文明の基がキリスト教であるということを否定したのである。西欧文明を取り入れるにしてキリスト教を取り入れなかったら成り立たないと言っていた。
それはなせイスラムであれだけ宗教にこだわっているのかともにている。イスラム教がなければ国も成り立たないからあれだけ主張している。
ただキリスト教でもカトリックやプロテスタントがあるように一つではないのである。
内村鑑三は武士道的キリスト教を唱えたり手島郁朗氏は神道的キリスト教を唱えたのもわかりにくいのである。


ユダヤ人が世界を支配している、金融で支配しているというのは資本主義を牛耳っているというのはやはり金融業に従事する人が多いからだろう。マスコミ関係もそうである。
何か現代の中枢にかかわるからそういわれるのだろう。
それは創価でも裏で金で支配しているというのとにている。実際ほとんどの地方新聞が聖教新聞をすっているからユダヤの支配とされるのとにているのである。
でも創価だって結局自民党に使われているということもありとても世界を支配てきるような力をもつことはありえないのである。
宗教が一つの政治的集団と化したとき世俗化したのでありそれは何の宗教でも間違いの元ととなる。イスラム教でもそうである。政治は権力を行使できる。宗教がカトリックのように政治化したとき堕落した。宗教が権力をもてば権力として工作して日本も支配するようになる。それはカルト宗教団体はそこに莫大な金を集まることでその金を利用して国を支配できるとなるからである。
そういうことが目に見えているから宗教が嫌悪され危険視されるのは当然なのである。
だから内村鑑三が無教会を唱えたのはそううい集団宗教を拒否したからである。


どんな宗教にしてももともと人を殺すことは否定している。そしたら戦争などできないはずである。でも宗教の名のもとに神の名のもとに戦争でも人を殺してきたのだからそれは宗教のせいではない、人間のせいなのである。神もそんなことを命じてはいない、だから宗教が悪いのではなく人間が争いの元を作り出している。その原因はあくなきこの世に対する欲望だったり不満だったりであり宗教そのものがそうしているのではない、悪人が宗教に触れると最悪になるともいわれる。
なぜなら自分の欲望を達成するためであり怨念であり不満であり神や仏の名によって断罪して殺すこともできるからである。
正義の名のもとに膨大な人間が戦争で死んだのと同じである。
だから人間の悪意から発したものでも神の名のもとにカトリックでも死刑にしてきた歴史がある。カルト宗教はほとんどそうなのである。
「あいつは地獄に落ちる」とか絶えず言っているけどその本人がどんな人間が見ればわかる。それは普通の俗人となんらかわりない、どろどろした欲望の持ち主でありその本人が地獄に落ちるような人柄なのである。ただ宗教はそうして恐怖を与えるだけだとなるから拒絶反応だけがでるようになる。悪人が宗教をもつとき最悪になるというのはそのことである。サタンが宗教を巧みに利用するというのもそのことである。
カルト宗教団体もこの世からなくならないのは必ず不満分子がいてそれに頼る人がいるからである。それを利用して政治化して権力を左右しようとする野心家が常にいるからそうなる。またそこには大衆の大きな無知も作用しているからなくならないのである。


タグ:ユダヤ人

2014年10月21日

インターネットで発表の場を得た素人芸術 (絵と俳句のプログの紹介)


 
インターネットで発表の場を得た素人芸術


 
(絵と俳句のプログの紹介)

karekiii123.jpg

これは加工したものでまずいけどこれとにたものがあるから出した


ここのプログは絵を出している、これはもしかしたら素人的な絵なのかもしれない。
日曜画家とかの絵なのかもしれない、でもともかく素人でも絵を出せるし作品は一応だせるのがインターネットである。
だから膨大な作品が俳句でもでている。大正生まれの母親の俳句を出している。
やはり貧乏な時代の俳句であることがわかる。
インターネットではまず他人のプログでも評価はほとんどないのが多いだろう。
まず芸術の評価はむずかしいのである。
ある人がいいと思ってもある人はそうではないとか個々人によって違ってくるからである
俳句だって絵画だってなんでも評価がむずかしいのが芸術なのである。
ものすこく難解なのがありもう読むことすらできないようなものがあとで名作になっている。宮沢賢治の作品はそういうものだった。他にもカフカだとか芸術にはいくらでもそういうものがある。
百年たって評価されたものなどもあるのが普通である。

なぜ今ここを紹介したかというと一瞬「枯木」の絵を見たとき、これはいいなと思った。まるでそれが人間のようにも見えたので一句作った。

老いにしや枝幾重にも枯木かな

これは自分の心境と絵がマッチしたから作れた。これを単なる枯木ではなく何か人間に見えたのである。こういう枯木の写真もあるが写真とも違うこの絵に何か息づいているものがある。それは老境を迎えると自分もそうだがこれだけのものを毎日書いているように
何か自在にいろいろなものを書けるようになる。世のことが老人になると普通の人でも経験を積むから見えてくる。
この枯木の絵はまた多岐に別れて自在に伸びている。それはまさに自分の心の状態でもあった。今まで経験したこと旅のことでも自在に書けるし詩も今大量に書いている。
この枯木のように縦横に自在に枝を伸ばしているのだ。


ただここで風景画が多いがそれは何か個性がもう一つどぎつくでていないから素人的なのかもしれない。ただ見る人によって絵の評価も違ってくる。
絵とか写真から俳句を作ることができるが一般的にはどうしても本物の写生ではないから作れない。ただこの枯木は内面的に見たから自分の心境と一致したから作れたのである。
ともかくインターネットには膨大な表現の場ともなっているが注目されないのが多い。
やはりプロの評価がないからだろう。
自分は俳句などは相当評価できる。ただ俳句はもう一つ芸術としては抽象画と同じで評価されにくい。俳句をいくら作る人がいてもそれで芸術家とはならないだろう。
それなりの記念としてインターネットに残すのもいいことである。
今までなら全く埋没して知られずに終わっていた。


インターネットで何でも紹介するとわずかでも知られるという手段は開かれたのである。
出版とかなるとまず敷居が高すぎるか、無名の人は全く相手にしない、有名なもので金になるものしか相手にしない、それも金がかかりすぎるからそうなるのである。1
出版社とかそうしたものはなくなるのかもしれない、まず写真とか絵は金がかかりすぎて出せない、今は無料で出せるから素人芸術の花盛りだとなる。
写真は膨大でありプロ級のものがいくらでもある。絵となるとやはりなかなか一流となると出ないだろう。でも心にひびくものはある。
タグ:絵のプログ

生活保護って何なの? (権利ばかり主張するようになった現代)


生活保護って何なの?
 
(権利ばかり主張するようになった現代)


生活保護がいろいろ問題になるけどこれまたわかりにくいのだ。第一生活保護者自体が生活保護のこと自体知らなかった。すでに十年以上生活保護だったのに知らなかったのである。生活保護が権利だと法律に規定されているから権利として主張することもできる。現代は特に戦後は民主主義になり権利を主張することになった。団塊の世代は権利意識が非常に強いのである。それが学生運動辺りからそういう傾向が強くなった。
だから生活保護をもらっている人は権利だと思っている。いろいろ役所に要求するのが普通だと思っている。つまり民主主義はあらゆることが権利になるのである。
戦前はそういう権利意識は希薄だった。お上のいいなりになるということがありそれが一転して権利社会になったのである。権利だったら誰にも感謝しない、国にも感謝しない、権利だから当然であり感謝する必要もないのである。

奇妙だけど江戸時代あたりは貧しいけど自然に神から与えられる糧に感謝していて祭りもあった。農民でも漁師でも山に暮らす人でも自然から糧を得ていたから感謝していた。
それが今ではそれも権利だともなる。神から与えらるのではない、人間の権利として得るものだとまでなる。そんなところまで権利意識が過剰になったのである。
そういうことで津波が天罰だったとも解説した。人権意識でもそれが過剰になると異常になってしまう。障害者でも権利意識が強くなり特権階級にすらなる。
「俺は障害者なんだよ、だから俺には権利がある、俺をあわれみ援助しないやつは民主主義社会では責めていいんだよ、もっと金を出せよ、権利があるんだから」とかまでなっている。あらゆるところで権利意識が過剰になっているのだ。

ところが生活保護にはいろいろな規定があって複雑なのである。年金の足りない分が生活保護になっている人もいるしなかなか理解しにくいのである。だから生活保護を受けている人自体も知らなかった。その人は遺産を要求してきたけどそれはたかが百万くらいにしかならない、ところがその百万でも受け取ると生活保護が停止されるということを知らなかったのである。その人は普通の人でないからとても生活保護が停止されたら生活できなくなる。金の管理もまともにできない人だからである。遺産相続でも一億円くらいだったらいい、別に生活保護者が遺産相続の権利を失ってはいない、ただ百万でも相続すると生活保護が停止されるのである。東京だから月20万くらいもらっているかもしれない、子供も一人いるから東京だと多い場合かある。つまり生活保護はその人にとって大きな権利だったのである。もし生活保護なければ路頭に迷い生活できない、その人はそれを自覚していないし法律も知らなかったのである。

生活保護は一種の公的保険だというとき、何か事故とか病気とか不意の不幸が起きたとき援助するものである。たからアメリカでは5年とかが限度になっている。日本ではいったん生活保護を受けると既得権化して生涯受ける人も多い。生涯になると億の金になってしまうだろう。人権とか生活保護でも主張できるのは豊かな国であり豊かな国に生まれたからこ受けられるからそこに感謝しなければならない、中国辺りでは人権も生活保護もないだろう。それをしていたら国が持たないということがあるからだ。
権利ばかり主張する社会はどうなるのか?モラル的には荒廃する。要するに戦前と戦後のモラルが極端に変化しすぎたのである。戦前は滅私奉公でありそれが天皇に忠誠を誓い戦争の犠牲になったという反省があった。そして民主主義が入り権利意識だけが強くなる極端化したのである。
生活保護は老人になるとまた違っている。老後は生活保護がいいとなり老人が増えているのである。年金より生活保護がいいというときそうなる。特に医療費が保証されるから助かるのである。

生活保護は確かに権利なんだけど何か逆に権利を失っている面もある。遺産をもらうことは額が大きければいいがそうでないと受けるのは損だとなる。生活保護の権利の方が大きいということが自覚させられるのである。生涯でも最低限でも保証されることは大きいとなる。少なくても飢え死にはしないとなる。でも一面権利を得たようでも権利を失っていたのである。
ともかく女性でもフェミニズムが女性の権利を主張して男女平等だとなった。でも女性が実際は仕事もできないのに女性を差別しているとかなる。女性の大臣が辞任したけどやはり政治家として基本的なことすら知らないということがあったのだ。
つまり現代の社会は複雑だから法律を学んだ人も資格ある人も知らない、政治家の家に生まれても政治資金について知らないとか起きてくるのである。
知っていてやっていれば別だが知らないということがありそれが致命的になるのである。現代はあらゆることなど知り得ようがないのである。あまりにも多岐にわたることなどしりえようがないのである。
本当に自分なども社会とかかわっていないから知らないことが多すぎたのである。
今の社会は知らないで失敗することがまた多すぎるのである。
確かに権利があったとしてももし弁護士に頼んだりすることもなかなかできないとういこともある。法律も理解するのが容易ではないからである。

タグ:生活保護
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2014年10月20日

富者と貧者(詩)より (富者と貧者の問題の根は深い)


富者と貧者(詩)より

(富者と貧者の問題の根は深い)

富める人と貧しき人


富める人は知らじ
貧しき人のありしを
日々工面して生きる人を
わずかの金を貸し借りする人を
狭き市営住宅に住む人を
富める人は知らじ
貧の悲しみを
今は貧者のあるすら見えじ
富める人はみな富めると思ふ世なり


幸福なる人は悲しみの人を知らじ
障害者を持ちて苦しみ悲しみ老いし女
その女の悲しみ苦しみ尽きじ
かくなる女のありしも知らじ
重なる苦しみと悲しみの女
人はそれぞれ苦しみ悲しみもてり

近くに妻を亡くせし女の苦労を語りぬ
家事に苦しむ一人暮らし
我もまた同じなれば知る
ただ夫婦健やかなる人は知らじ
老いの悲しみ苦しみを若きは知らじ
その美貌も力を失いゆくを知らじ
その時老いのあるを知らじ
病める人の心をを健やかなる人は知らじ

津波にあまた亡くせし人のありしも
近くにあれどその悲しみも知らじ
家をも土地も家族を亡くせし人の
その悲しみ苦しみを知らじ
災いの我が身に及ばざれば知らじ

幸いなる人よ、汝は知らじ
世に苦しむ悲しむ人を
富める人は知らじ
世に貧に苦しみ悲しむ人を
ただ自らの幸いを求むのみにてよしや
苦しき悲しき人もしばし還り見よ
汝の幸いは汝のみにてかなわざるを知るべし

人は知らし、知らじ苦しみ悲しむ人を
ゆえに必ず巨万の富を積む人は呪わるべし
富を分かたざれば富は失うべし
また貧者は富める人の同情を知らじ
情けをかけてもただ富を奪う心のみなり
まことに富を強奪して富者に報いぬ
これまた貧者の追い詰められし悲しさ
それは良しや富者と貧者はいかにあるべし
その調和はいかにあるべしかな


富者と貧者の問題は有史以来ありつづけたのだろう。原始人だったらなかったろう。それだって獲物をとる人が上手な人と下手な人がいるし必ず何か差が生まれてくる。
そういう差が貧富の差となる場合もあるから人間には避けられないものとして富むものと貧するものがある。
ただ本当に貧者というとき、その貧者にも問題がある。たいがい離婚した人は貧乏になりやすい。生活の当てもないのに若いときすぐに離婚して生活保護になった人もいる。
こういう女性が今は本当に多いのだ。すぐに離婚してあとで困っている。昔だったら子供が成長するまで我慢するとかなっていた。今はすぐに不満があったら離婚する。
すると二人分でやることが一人でやるから苦しくなるのは当然なのである。
だから貧者にも必ず貧者になるべきものがあってなっているということもあり批判される特に現代では自己責任論になってしまうのである。確かにそういう人か多いからである。ただ障害児とかもったら苦しみ悲しむ、それも一生だから悲惨てのである。
そういうのは同情するけど貧乏には貧乏になる所以がその人にありすべてが社会のせいでもないのである。


資本主義は何か根本的にシステムとしても壊れている。資本主義は修道院の禁欲から生まれたというとき今の欲望資本主義とはあまりにも違ってしまったからである。
それでは共産主義がいいかというと今の時代また共産主義が復活しつつあるのあまりの格差社会になったからだろう。共産主義は貧者は富者を殺してでも革命でもして富を奪っていいのだということに極論すればなるしソ連と中国などでは実行されたのである。
でもそれもうまくいかなかった。やはりさらなる格差が生まれている皮肉がある。
人間から格差がなくならないというのはそれは宿命のようにある。
どんな社会になっても富者と貧者や貧富の差はなくならない。


現代は貧者がいても見えないのである。ボロを着ているわけでもないし見えないのである現実に食べるものは富者とさほど変わりないのである。もちろん外食では差があっても刺身を食べていない人はいない、いくら貧しくて最低一カ月一回は食べるだろう。
自分の父親は病気になり刺身を食えるようになったけど食いたくないと言って死んでいった。モノがない時代は貧乏とはそういうものだった。
今の貧乏は昔の貧乏とは性質が違ったものとなっている。だから貧乏が見えにくいのである。どこに貧乏人かいるのとなってしまう。
自分は直接貧乏人と接したから現代の貧乏人がいることを知った。一人はただ貧乏といっても贅沢したい貧乏でありだからこそ自分は強奪されたのである。
その人は確かに貧乏でも同情されない犯罪人であった。

もう一人はこの人はいろいろ苦しみを背負わされた女性だから同情している。
でもやはり富者に対して要求するものが大きすぎるしいくらでも金とれるとかなると怖いと思う。
その女性は今どきなんでももったないもったないとしていて本当に貧乏だったのである。だからといって人をだましたりして富者から奪うというのは少額でもいいのだろうかという疑問があった。前のは大金だったので許すことはできないでいる。
でもやはり富者からも犯罪でもなんでもいい奪えばいいというのがこうしこた格差社会になるとなってきている。それを富者は気づいていない、ただ現代の富者も知られていない、ビルゲイツなんか何百億の資産があってもジーパンはいて街を歩いていれば普通の人と変わりないのである。金持ちすら見えない、豪邸に住んでいるとわかるくいである。

でも今でも別にいい家に住んでいる人は多いし車もみんな持っているから誰が本当に金持ちなのかなどわからないのである。
要するに現代の貧乏はアメリカでも日本でも中産階級が没落した結果、上と下の中間がなくなって格差が露になった結果なのである。労働者でも派遣とかフリーターとか時給いくらで働く人が増えた。正社員でない人が増えた結果、差が開きすぎて貧乏が問題になったのである。そして物が溢れているの買えないということもある。

高度成長時代は物があふれてきて買うことができた。今はトヨタで派遣で働いても車も買えないとなっているのが不満になっている。
そういう格差社会になった結果貧乏がクローズアップされるようになった。
貧乏な人が目立つようになったのでありそのためにかえって富者も比較されて責められるようになったのである。つまり共産主義革命の時代に戻ってしまうということである。
みんなが高度成長のように裕福になればこうはならなかったのである。
ただ貧乏の原因が富者だけにあるのではないしそこかまた問題なのである。
でも目先のことを見れば富者にその憤りが向いてきているのである。


別に自分はこれまで富者という気分になったことはない、ただ前にも書いたように自由な時間を与えられただけなのである。やはり千円レベルで苦労していたのである。
百万など現金をもったこともないのである。車もないし本代には使っていても旅行しても最低限しか使っていない、自分が金持ちだと思ったことは一度もないのである。
金持ちはやはり少なくても一千万でも自由に使っていいという身分だろう。
それでも一億円とか資産でもある家なのである。ただ上見ればきりがないし下を見ればきりがないということがある。こんなに貧乏しているのかというのが現代ではある。
そういう格差社会になったことが問題なのである。
ただ富者と貧者の問題は簡単に解決するものではない、なぜなら富者と貧者がない時代はなかったからである。そこには何か深い理由があり共産主義のような理論では解決しない人間の根本的問題があった。
だからこそ「悲しむものは幸いなり」というキリストの教えかあった。
悲しみ苦しみを知らないものは人間的に浅薄だとなり人間を知らないとなる。
そして人間の幸福とはそうした苦しみ悲しむ人の上にあり一人では富者になることができないということもある。その自覚が富者にも必要である。
だからといって貧者が富者を殺してでも奪えばいいとなるのか?
それを理論化したのがマルクスだったのである。それも失敗したのである。
だからそういう歴史もふりかえる必要があるのだ。

タグ:格差社会
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2014年10月19日

習慣が人を作る (悪い習慣は悪い人を作る)



習慣が人を作る


(悪い習慣は悪い人を作る)



―― 一流の人は習慣を重視する ――

一流の人は、習慣とは成功への道だと考えている。
だから絶えず習慣を強化する。
たとえば運動や摂生、早い出社がそうだ。
一流の人は習慣に秘められた大きな力に畏敬の念を抱いている。
だから1日でも気をゆるめると、自分が墜落すると考えている。
彼らは習慣の力を人生のすべての領域で活用する。
二流の人は成功の土台となる習慣の力に気づいていない。

まず人間が習慣をつくり、次に習慣が人間をつくる。
ジョン・ドライデン(17世紀のイギリスの詩人)

優れた道徳心は習慣からしか生まれない。私たちは、自分でつくった習慣のようにしかならないのだ。節制している人は節度のある人となる
アリストテレス (古代ギリシアの哲学者)

結局のところ、人間というのが習慣に基づいて、毎日どんな行動をしているか?という事の積み上がったものが、人生になっていくものですから、もちろんですが悪い習慣を毎日積み上げて入れば、その結果として芽生える人生というのも、良いものにはなりません
http://www.108-fineart.com/entry7.html




まず人間が習慣をつくり、次に習慣が人間をつくる。


習慣は人間の資質を越えてその人の意志で作られてゆく。習慣はまずその人の意志があり習慣になり習慣が人間を作ることになる。飲酒や喫煙をやめようとする意志がなければまず習慣化しない。やがてつづけているうちに習慣が人間を作ることになる。
自分は30頃酒ばタバコもやめた。タバコは早い内にやめた。それが体に良かったことは確かであり頭にも良かった。会社勤めをしないし付き合いゼロの生活だったから宴会などにも出ていない。酒はからだだけではない脳を麻痺させるものでありそれが一番良くないことが今になるとわかる。

習慣が人間を作るというとき酔うと思考が停止するし理性も失う。酔うことにいいことはなかったのである。酒は麻薬と同じである。麻薬も酒も習慣化しやすいのである。
やめることができなくなる。そして人間の快楽をあくことなく求める。それは性でも何でも終わることがないのである。それも習慣化するから怖いのである。
一方で禁欲も全面的にではなく習慣化する。だから修道院では労働勤勉によって習慣化したのである。それが資本主義の基になったというのも逆説だったのである。

人間にとって習慣の力ほど強いもの影響あるものはない。認知症になっても習慣の力は活きていたのである。布団の上で農家の女性が田植えしていたというのはそのためである。人力で田植えし続けていたからそれをしていたのである。自分の家族も認知症になったけど魚をさばいたりしていたからそういうことができた、洗濯が機械を使えなくても洗濯板でしていたから奇妙だった。今までしていたこと習慣化していたことは認知症になってもできる。それがいい効果を生んだのである。習慣化したことはもう体が自然と動くようになっていることなのだ。

だから習慣はいい方向に作用すればそれだけの力を発揮するが悪い方に作用するとその影響も大きいのである。例えば盗みでもちょっとした盗みでも癖になるから習慣化するから本当に怖い。時代劇でスリの人がどうしても手が出るんだよといって手を切ったがそれほどにしないと習慣をとめられないのである。だから本当に悪い習慣は怖いものなのであるだからそもそも仕事が習慣化する。毎日仕事にたずさわること自体習慣化しているのである。仕事をしないと怠けることが習慣化することが怖いのである。
仮設に三年もいたらもう体がなまって仕事はできないと農家の人が言っていたけど習慣化することは悪い方に作用するとその影響が大きすぎるのである。

自分が東京の大学に入って学んだことは遊ぶことだったというのも奇妙だった。
もともと勉強が嫌いだったし興味を覚えなかった。特に理系が苦手であり数学がだめだったから余計にそうだった。大学に入ったら授業に出る必要もないとういのも不思議だっただからこれ幸いと授業にもほとんど出なかった。実際一日昼間からマージャンしていた人もいたのであり学んだのはマージャンだったという人も多いのである。
だから文系大学は廃止しろというのもわかるのである。なにしにきたんだということになり学んだのは遊ぶことだった。そのこと自分には大きな影響があった。その遊び癖がついてしまったことである。だからなぜ大学で遊び癖がついた人が企業戦士とかになっていったことが今でも理解できないのである。

その後まともに職についていない。流れ作業ばかりのアルバイトでやる気がなくなったこともある。
ただ幸運で仕事しなくても生活ができていてその後は旅に時間を費やしたのである。
かなり読書は好きだったのでした。でも読書すら基本的なものすら読んでいないことに気づいた。読書は本は厚いから読むのに負担なのである。若いときはまず理解できないから余計に苦労なのである。でも読書百編自ずから意の通じるというのは本当である。
理解しなくても本を読んでいる必要があるのだ。それは後年理解できるようになるからだあの本にあんなこと書いてあったなと思い出してあとで読書が有効になるのである。

人間が習慣化するというときあらゆることが習慣化するから怖いのである。体もその資質の差は大きくても習慣によって作られる。不摂生な生活をすれば必ず体が丈夫な人でも習慣化して60代になると必ず体に影響する。病気は必ず生活習慣病だというのはそのためである。もちろん全部ではないにしろそうなりやすいのである。
これも奇妙だけど旅も習慣化するといつも旅している気分になるのである。
自転車にのって風を受けて走っているのである。それはデスクワークとは違い自然の風を感じるから健康的なのである。車では風を感じないからそうとはならない。だから自分の場合は何か工場とか会社で事務ばかりしていより健康的だったともなる。

ただマイナスの点として仕事を覚えない仕事を習慣化しないことで社会人として大きく欠けたものとなった。今は家事とか介護しているけどこれもつくづく仕事であり習慣だと思った。一つの奉仕の仕事としてあったのである。家事は金にならないから仕事にならないというがこれも明らかに仕事なのである。家事をこなすには相当な熟練が必要なのである
いづれにしろ何でも習慣化するのが人間である。貧乏もあまり長くつづくと習慣化しているのだ。大金入ってきても使えないのである。チビチビ生活してきた人の生活感覚は習慣化しているから大金は使えない、だから秀吉が貧乏な百姓からあれだけ豪華な生活に転換したことことが理解できないのである。
貧乏も習慣化する千円でもちょろまかすということなど習慣化していたりするから怖いのである。いかに底辺が千円借りたとか貸したとか千円レベルでこだわり生活しているかわかるだろう。自分もそうだったのであり千円レベルで常に苦労していたのである。
そういうのはもう習慣化しているからぬけだせないのである。
一方で金持ちも習慣化するから浪費から逃れられないとなる。また借金でも習慣化するとから借金癖がつくと何でも人間は習慣化するから怖いのである。
タグ:習慣

2014年10月17日

南相馬市鹿島区の状況(写真三枚ー2014-10-17)


南相馬市鹿島区の状況(写真三枚ー2014-10-17)


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ローソンの前でトラック横転

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海老への道で花栽培

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街内の復興団地に人が入る




この三枚の写真は今を南相馬市の今を象徴している。
ローソンの前でトラックが横転したのも今でもトラックがひっきりなしに通っているからこういう事故があっても不思議ではないし十分にありうると思っていた。
とにかくトラックで毎日まだ復興のために運ぶものがあるからだ。

次に海老に行く道に新しく花を栽培する場所ができた。ここでは生産者がじかに売っている。これはいいなと思った。前から書いていたけど花は放射能の影響を受けないからである。だから寺内でも花を栽培している所は前と同じように作っていたのである。
川内村でも花を栽培しようとしたのもわかる。
だからこの際こういう新たなことに転換するのはいいことである。
ただソーラーパネルはいろいろ問題が起きてきた。何かあまりにも過剰になり無理があったのだ。
景観も破壊するのでは嫌な面もあった。だから花栽培はいいなと見た。

街内の復興団地はほとんど部屋がうまった。すぐに予定した人が入ったのだろう。
子供のいる家族もいるし小高の人もいた。
何かあういうのを見ていると復興していると感じる。
まず仮設は早く出るべきなのである。仮設は何か中途半端だし小高に帰るでもないまた別に住むでもない中途半端でありこれからはそれでは困るのである。
かえっていい加減な人には仮設というのは住み心地がいいみたいだ。

いつまでも補償金暮らしとかはもう終わらないといつまでも復興などないだろう。
花栽培と復興団地に人が入ったことはまた復興を感じた。

タグ:震災復興
posted by 老鶯 at 19:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

秋薊 (介護も家事も七年間になると長いーみんな重荷を負わされている)


秋薊

(介護も家事も七年間になると長いーみんな重荷を負わされている)


故郷や今日も買い物秋薊

秋薔薇見る暇なきに散りにりけり

秋の灯や復興団地人入る

何人も重荷負わされる生きるかなあざみ根を張り秋風の吹く



人間は誰でも重荷を負わされている。ある人は確かに生涯貧乏で障害者の世話とかで苦しんできたことを語るけどその人だけではない、何らか重荷を負わされて生きている。
仕事すること自体重荷である。もう7年間も介護や家事に追われてきた。
七年間となるとやはり長いから苦労したなと我ながら思う。
人間も仕事でも十年くらいしていると苦労して仕事したなとかなるだろう。
そこに生活の実感が生まれることは確かである。
やはり長くなればなるほど苦労してやったなとかなる。
自分はこれまでそうした苦労からまねがれていたのは幸運だったのである。
だから旅も自由にできた。他の人はみんな苦労を背負って生きてきたのである。
自分の母親90年間苦労の連続だったとなる。それが人生であり何の楽しみもない
ただ食べるものだけは贅沢したのである。
だから庭はいらないとか花も興味ないとかそんなもの無駄だとか狂気のように騒いだのである。それもまた異常だった。

ただ何も苦労もない人もまた人間としてまともでないことは言える。このバランスがうまくとれていればいいのである。一方に偏るからおかしくなるのである。
駅前の秋薔薇は散っていた。前は見ていたけど見ない内に今年は散った。
それもそれだけの余裕がないから見る暇がないからそうなる。
今日は北風が吹いていた。急に寒くなった。
いづれにしろこの七年間本当に苦労の連続だった。
まず人を雇うのは本当に苦労である。家の中で働いてもらうほどめんどうなことなはい。家事などしてくれる女性は何か問題を金銭的なもので必ずかかえているのである。
今では昔の人のようなモラルが正直な人とかいないからあまりにも金だけに目をつけられている。それが露骨になっている。


俺に金くれ、俺は金とりにきたんだとばかりに入ってきてその通りにした女性がいたことには驚いた。こんな女性がいるのかと信じられなかったし他にも「おばちゃんは金があるから金でめんどうみろ」とか血相変えて遠い親戚の女性は去った。
その女性は金持ちだったのである。あとは金がなかった。一人は裁判にすると切れた。
これほど金に困窮して異常になっているのが現代である。
もう一人は借金でおいつめられて自分に入院しているときも要求してきた。
それは脅迫だったのである。これらの人は犯罪の一歩手前であり実際は犯罪者でもあったのだ。
こんな女性が近くに田舎でも普通にいると考えられなかった。
そういう考えられないことが自分にはこの七年間起きてきたのである。
津波も原発もこれも考えられないことだった。
こんなに次々に異常なことが起こることが信じられないとなる。
つくづくこの世も末だというのを感じた七年間だったのである。

街中の墓地の前の復興団地には人が入りはじめた。ほとんど部屋は埋まっているから待っていた人が多かったのだろう。子供のいる家族もかなりいる。
小高の人も入っていた。津波の被害を受けた人が優先なのだろう。
復興住宅でも団地でもまさに復興したという感じを受ける。
仮説とは違いここで生活してゆく基盤できたとなるから違っている。

タグ:秋薊

2014年10月16日

百寿者100万人時代 (nhkー長寿者の心は幸福感に満たされている?)


 
百寿者100万人時代

(nhkー長寿者の心は幸福感に満たされている?)


百歳を生きている人がどんな気持ちでいるのか不思議である。
身近に確かに百歳になる人を介護している。
自分の母親が幸福かというと今まで家庭では不幸だったから自分が世話しているので喜んでいる。これは自分の家族とその生い立ちでそうなっている。
人間は百歳生きてもみんな違っている。
百歳で幸福だというときそれなりの条件が備えているからかもしれない。
家庭で世話する人がいるとか施設でも親切に見てくれる人がいるとかである。
nhkの放送ではそうだった。やはり家族が受け入れる体制がないと幸福感はいだけない。
そういう家庭環境がみんなこれから得られるかどうかわからないだろう。

精神的な面から老人がどういう心境にあるのか?
それは還暦をすぎると誰でもわかるのだ。
共通していることは時間が特別貴重に思えてくるのである。
今日一日が貴重に思えてくる。
なぜなら百歳まで生きるにしてもやはり死を身近に感じる年代だからである。
明日がないかもしれないということから時間が特別貴重に思えるのである。
見るものでもこれが最後とか思うし会うのもこれが最後とかなる。
実際に老人になると別れることが多くなり永遠に合わなくなることが親なども死別するからそうなる。
人間が会うということは誰であれ不思議な縁があって会っていたとなる。
なぜなら死んだら永遠に会わなくなるからだ。
そういうことを理屈ではなく実際のこととして起きてくるからである。


若いとき一番浪費しているのは時間である。時間は何か具体的に見えないとらえられないからそうなる。金だといくらいくらとか計算できるが時間は計算できないから必ず浪費しているのである。そして老人になるとその時間の貴重さにみんな気づくのである。
過ぎ去った時間が帰ってこないということである。
時間とは体験し出会い学びと何かを費やすことである。
そして前にも書いたけど本当に人間は何に時間を費やしたかが人生なのである。
あらゆることに時間を費やすことはできないのである。
だから江戸時代などをふりかえるとたいがいは親の跡を継いでやっている人が多かった。でも農業でも大工でも職人でも侍でもみんなが向いているとは限らないのだ。
それでもそうして向かいない人も親の跡をついで時間をかけて学んで跡を継いでいたのである。要するにそれだけの時間をかければ人間は与えられた仕事でも適応して覚えてゆくということである。どれだけ時間をかけたかが人間を作るのである。
ただどうしても仕事は若いとき覚えやすいから若いときを逃すと仕事ができないということはある。

奇妙だけど自分は旅ばかりしていたけどそれも今になると貴重な体験であり時間だったなとつくづく思う。なぜなら今やこの7年間近くすら行けなくなっていたからである。
ふらりと自由に行けたのが行けないショックは大きかった。
ただすでに会社人間とは違い自由な旅をしてきたのだから後悔はない。
会社人間はそういう面で会社ばえりに尽くして働いていたのも今になると何だったとかなるだろう。そうはいってもそういう時間は帰ってこないのがショックなのである。
老人になると金があってもその金すら使いこなせなくなる。
いい自転車買ったけど体力がないから長い旅もできないとかパソコン買っても使い方がめんどうでできないとか何か買ってもできないとういことが多くなるのだ。
何でも買えるけど使いこなせないということになるのだ。
だから老人は金を持っていても使わないのである。
ただ病気のために使うのが一番多くなっているのだ。


旅などは別に金はさほどいらないのである。自転車でもバイクでも野宿していたりしたら飲み食いの会だけである。それだって贅沢しなければ金はかからないのである。
電車だと交通費がかかるけど青春18切符だとさほどかからないが時間が必要なのである。つまり金より時間が貴重だったということがわかるのである。
そして人間はみんな不平等だと思っているけど時間だけは平等に与えられているのだ。
だから人生とはそれぞれの時間を何に費やしたかで決まるのである。
若いとき金持ちだから一億円あったとしても結局費やす時間は同じだから金によってすべてが左右されないのである。
老人が幸福感にひたされるのは百歳くらいになるとただ今生きているということが幸福なのである。なぜなら死んでいるのが生きているとなればそうなる。

そういうふうに若いときは絶対に思わない、生きているだけ存在しているだけが幸福などと絶対に思わない。なぜならそんなこと当たり前だかからそうなる。
幸福だというとき金があることとか恋人がいるとか何か得ることでありただ生きているあることが幸福だなどとならないのである。
その感覚がわからないのである。明日はこの世にいないかもしれないというとき今こうしてある時間が貴重になってしまうのである。
「今日も生きていたな、存在していたな」というだけで幸福だとなってしまう。
百歳の幸福感は外見は悲惨なのだが心の中は余計にそうなってしまうのである。
何か見るにしても末期の目でみているからもうこれっきり見れなくなると思ったらあらゆるものが貴重になるだろう。自分は富士山を見たいというときそうだった。
富士山すら見れないのかと思ったときもう一度富士山を見て死んでゆきたいと思った。
ガンになっても冨士登山した人の気持もわかる。自分はただ遠くからその姿をもう一度みたいということである。
いつでもあるとかいつでもできるとかいつでも会えるとかになると貴重に思わない。
この辺では故郷すら住めなくなったから故郷は何だろうとか考えるようになった。
故郷なんか当たり前にあったからである。
当たり前にいつでもあるものは貴重に思わないのである。
そういうものはなくなってみてはじめて貴重さがわかるのである。

百歳まで生きても日本人の健康寿命が男で71とか女で74とかなっているのは本当に長生きとは言えないだろう。虚弱化するとそれも長生きできないし生きた感じもしなくなる。
自分だったら自転車である程度遠くまで乗れるというとき幸福である。
それができなくなると生きている幸福感が減退してしまうだろう。
現実に筋肉痛になってきたのはそういう兆候が現れてきたのである。
そうなると長生きしたくなくなるのである。
だから長寿社会でもその中身が大事である。寝たきりで長生きしてもつまらないとなるし本当に長生きなのかとなる。
人間は確かに生きたように死ぬというのは本当なのだろう。
自分は旅ばかりしていたから旅しながら風に吹かれてどこかへ消えるのがふさわしいとなる。病院のようなところで死ぬのはふさわしくないとなる。
なんか今でも峠を越えようととして歩いている自分がいる。
認知症の農家の認知症の女性が布団じ田植えしていたというのもわかる。
人間は過去にどう生きたかが大きな影響を残しているのである。

旅に病んで夢は枯野をかけ廻る 芭蕉

まさにこうなるのである。最後死ぬときどう生きてきたかが死にざまとなる。
どう死ぬかはどう生きるかにあるのだからどう死ぬかなどと老人になって考えても無駄だとなる。人間はどう生きたかでありそれを今更決められないとなるのだ。
ただ延命治療してくれるなとかそういうことは決められる。
でもどう死ぬかはどう生きたかでありもうその生きた時間ば取り戻せないのだから
自分の思い通りにはもう死ねないということになるから恐怖なのである。
そういうふうに若いときに思わないのである。
ただ老人になるとそうした残酷な現実から逃れなくなるのである。


タグ:百歳
posted by 老鶯 at 20:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

抽象画(朝焼け)


 
抽象画(朝焼け)


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活力ある命の流れ


これも原画がある。世界的なfacebookで絵を見せ合い評価するアプリがあった。
その原画を変化させることもできる。
そこにはプロ級の絵もあった。抽象画が多いのはやはりパソコンだからである。
あういうのはインターネット的なものだろう
世界中で競うことができるし絵だから理解できるからである。


抽象画は見分けるのがむずかしいけどともかくこのように変化加工するのが容易なのである。
これは別に絵の才能がなくても楽しめるのだ。
たた化学実験のように何十回もソフトで加工するから結構疲れる。
メカニカルプロセスを経てできあがるからである。
それは何か絵を筆で描くのとは違う。メカニカルな要素が大きいのである。
いづれにしろインターネットには無数の抽象画があえ絵があり写真がある
それがグローバルになっているから計り知れないものとなっているのだ。
インターネットが世界的展覧会になっているのである。
タグ:朝焼け
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2014年10月15日

福島県の観光の魅力 (旅する経路が問題ー浜通り→中通り→会津の横断でわかる)


福島県の観光の魅力

(旅する経路が問題ー浜通り→中通り→会津の横断でわかる)

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●福島県を横断してわかる地形

福島県は今振り返ると広大であり地形の風土の魅力が大きい。海があり山があり川がありと変化に富んでいる。旅をするときよく自転車でも六号線を東京から青森とか旅する人はいる。つまり日本列島縦断が多い。どうしても日本列島を旅するとなると縦断が多くなるそれが最短距離だから遠くに旅する場合はそうなる。
そこに旅の盲点があり旅をつまらないものにしていることがある。
福島県を理解するにはこれは相当な時間と労力が必要である。
これは福島県に住んでいてもそうである。福島県全域を旅しても福島県は広いなとつくづく思う。特に会津は山国でありここはわかりにくい、山の領域が広いからわかりにくい。どれだけの山があるのかと思う。阿武隈山脈は山ではない、高原であり山の醍醐味がないのが残念なのである。
福島県ははま、ハマ、ナカ、アイヅに分かれている。ここでは気候も相当違っている。
浜通りは海に面しているから風土も違う、会津は全く山に囲まれている。
この相違も相当に大きい。
もともと福島県ができるとき磐城県と二本松県と会津県とに分かれていたのは歴史的にもそうだし風土地理的にもそうだったのである。
前にも書いたけど二本松の城にたつとあそこが福島県の中心のように感じる。
天守閣が高く一望できるからである。
中通りはもともと江戸時代から大動脈でありそれは平泉に通じていたのは鎌倉時代からだった。だから頼朝が国見町の圧樫山で藤原氏の軍勢と戦ったのがわかる。
芭蕉が来たのもこの道である。江戸からだとどうしても最短距離になるからである。

今は旅が便利すぎて旅にならない、旅はもともと不便であり不便だからこそ旅になっていた。新幹線で三時間で平泉に着いたとなると何の感懐もなくなる。だから名所がつまらないとみんな言っている。そもそも旅は過程にあるからだ。その過程がぬけおちたら旅にならないわけである。芭蕉の奥の細道がまさに徒歩のリズムで過程にあったから書けたのである。ただ芭蕉でもみちのくは一回しか旅していない、旅は実際はその過程にあるのだから旅の経路か違えば旅はまた違ってくる。
自分の人生がほとんど旅に費やしたというときそれでも福島県を知るのは容易ではないことがわかった。それだけ福島県は変化に富んで広いからである。
旅は福島県を中通りだけを通過したらつまらない、浜通りから中通り会津からさらに日本海へ横断すると日本がいかに変化に富んだ地形であるかわかくだろう。
そして会津から浜通りへ出て太平洋を望んだときの感激も大きいのである。
日本海から会津から浜通りへ太平洋へ出るとそれも同じ横断でも方向が違っていても全く違った感懐を抱くのである。
結局旅の経路はきりがないから一人の人間の旅する時間が限られているから知ることも限られているとなる。

旅をするときどうしても東京からとか大阪からでも縦断が多くなる、福島県を横断するとなるとまた時間がかかりすぎるからそうなる。今は車だからそれがしやすいか車だとまた早すぎて印象に残らない場合が多い。例えば車だと風を感じないのも致命的になる。
夏の盛りに阿武隈高原を越えて太平洋の方に向かうと涼しい風が吹いてきて救われた感じになった。福島市は暑く蒸し風呂のようになるからだ。
その風を感じるのは自転車だといい。自転車はまたきつい坂を上ることを記憶している。あそこを息咳って苦労して登ったと体に記憶されるのである。
まず風土とか地形を知るにはいくら立体地図をみてもわからないのである。
峠があったとしてもそこを登る体験をしないと実感しないのである。
バイクだって早すぎる楽なのである。自転車とは全然違っている。
だから40すぎてから自転車旅行しているとき若い者がバイクで飛ばしているのも変だった何だ若いのに楽だなと見ていたのである。

●猪苗代湖の湖西は隠された地域

福島県を旅するとき会津に入るのにも郡山市から入るが旧街道の白河街道を昔の福良とかを回り旅すると興味深いし情緒がある。あそこはあまり車も通らないからいい。昔の街道の感じが残っていたのである。

雨しとと田植えの人や湖西かな

奥羽山脈の中にあり、北に磐梯山、南に猪苗代湖、東に郡山盆地(安積原野)、西に会津盆地がある。
湖南は郡山市の領域であり会津の方に向かう所は湖西だったのか?琵琶湖でも方角でそれぞれ違った趣をだしている。方角地名は地名の基本である。

湖南出身の民俗学者・橋本武氏が、安積から湖西に嫁にきた<おたかばあさん>(当時75歳)に聞き取りをしたときの記録です。
<おたかばあさん>、<大正のはじめごろはこの地の田んぼは1反歩3俵ぐらいしかとれず、1町3反歩耕作していたがくらしは貧しく、炭焼きをするしかなかった・・・>
http://eigaku.blog.ocn.ne.jp/test/2011/08/post_72af.html

経沢(へざわ)――福島県会津若松市――の物部守屋一族落人伝説
http://blogs.yahoo.co.jp/mas_k2513/30535860.html

これらのインターネットの説明は興味深い、なぜかというとここが黄金とか鉄の生産と関係していたとなるとそこになぜかここに

荒脛巾 (アラハバキ)神社と扁額に書いてある神社がある。
http://blog.goo.ne.jp/hi-sann_001/e/ca6443348a2c24f9128edd076cdfe454

これは知られてはいるが東北でもあまり見かけない神社なのである。大和王権に滅ぼされた蝦夷だという説がある。阿部氏と関係しているのも東北では多い。
この辺は何かまだ知られていない秘密的な場所である。白河街道の方を来る人は少ないからである。
この辺は前にも書いたけどまたそれからいくらでも発展して書けるのかインターネットである。インターネットだと本のように固定しないのである。常に簡単に書き換えられて新たなものとして展開してゆく、それが本との相違である。本は固定しているからである。今はある地域に詳しい情報がインターネットででている。
本で探していたら容易ではないしできない、本はまず一冊は厚くて読めないから触りだけでも読むのがいいのである。それだけでも全国となると広いから助かるのである。

足とめて清水を飲むや野菊咲く

夕日さし白河街道芒かな我がたどりゆき会津に入りぬ

次回はまた旅のご案内を御期待!

タグ:福島県

2014年10月14日

abstract(bright towns)


 
abstract(bright towns)

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green town

中古品で買ったペイントの色の感じが違っていた。明るいパソコン特有の色になっていただからこのペイントでまたいくらでも抽象画ができる。
抽象画はいくらでも変化させられるからである。
街といったらどうしても具象画にすると街並をイメージするけどただ色から街をイメージするとなるといくらでもパターンがある。
無数にさえあるとなる。これはほんの一部である。
色から茶色だと土をイメージする。緑は森であり赤は花だとかイメージも固定しないのである。だからいくらでも変化できるのである。まさに千変万化となる。


抽象画がともかくソフトの影響が大きいということは技術的要素が高い
ただ観る方でも見方がありいろいろに見ることができるのもいい。
一つの俳句でも短歌でも人によって違ったように解釈している。
それがインターネット的なものとして読める。
一部の識者だけに左右される時代が終わったともなる。
その場合はどうしてもマスコミに左右される
マスコミによって人物が操作されるのである。
それは権力によって操作されることになるのである。
タグ:
posted by 老鶯 at 11:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 抽象画の部(abstract)

古い道と新しい道(古町のことなど)


 
古い道と新しい道(古町のことなど)

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抽象画(古い道と新しい道)
http://musubu.sblo.jp/article/104552247.html

道には古い道と新しい道がある。道も変わり安いのである。古い道は古い通りは忘れられてゆく、相馬市は城下町だから道が碁盤上になっていてそれほど変わっていないのだろうでも駅前通りはまっすぐだったのかわからない。
昔の道は曲がっていた道が多い、鹿島駅からますぐな道は新しいかもともと脇に入った細い道が昔の道でありそこに店屋があり映画館があった。
日立木の道の駅でいつもたねろしている老人は日立木の生まれで学生のとき鹿島の映画館によっていたという。映画館という言葉自体死語になった。
映画で動画のニュースを見ていた時代があったのだ。そのニュースは相当に遅れていた、テレビのようにリアルタイムのニュースではない。フィルムを汽車で運んでいたとなるとそうなる。あのころは時代劇全盛の時代だった。。鞍馬天狗とか良く見ていたのである。嵐 寛壽郎(あらし かんじゅうろう)今でも覚えている。
ともかく老人になると昔の話を語りあうことで妙に同胞意識をもつのも不思議である。
昔の話があわないとやはり何か友達にもなりにくい。
家に来た二年くらいしか年が違わない農家の出の人の話は本当に面白かった。
同時代だから話があったのである。

道にも古道があるが町にも必ず古町がどこにでもある。都路に古道とあるのはその道が古い道になったからである。
どこの街でも古町があるのはそこがもとは栄えていたからである。
南会津でも古町温泉とかあり地元の人が入っていた。
ここが古町だったのかと山奥だから不思議に思った。

会津田島駅発内川行き → 針生 → 山口 → 古町温泉入口下車(乗車時間約1時間) 
福島県南会津郡南会津町古町 字太子堂186-2

古町温泉赤岩荘
http://www.sayurinosato.co.jp/akaiwa/access.php


古町や会津の奥の湯秋の暮

ここに自転車で寄ってこの風呂に入ったのである。写真を見ると赤い岩の温泉だった。
旅の面白さはこうしてふらりと地元の人しか入らない温泉などに入るとなつかしく思い出す。まずホテルなどに泊まったら旅情が今はないのだ。豪華な温泉にとまってもそうである。旅は別にそれほど金がなくてもできる。
何度も言っているけど金より時間なのである。それと体力があるといい、自転車だと最近何か筋肉か疲れて原町に行っても筋肉痛になっているのだ。
これではもう長い旅を自転車でははできないと思った。
あの辺で栃餅を売っていてうまかった。柳津で粟餅だった。自転車で旅していたらただでもらったりした。その粟餅屋が火事になったのには驚いた。
自転車の旅だと何か車とは違い目にとまり話かけられたりする。別に金がないわけではないがそんなふうにしてくれるというのも思い出に残る。
旅というのは道が二つに分かれていたとすると本当はこの道を行ってみようかと思いがけないと所に出るの面白いのである。今は車で道があらかじめ決められる。
何か旅自体が道(未知)への旅がなくなった。どこもあらかじめ知られているという感しになって観光地に行ってもつまらないという人が多くなったのはそのためである。
芭蕉がみちのくを旅したのは全く未知の世界だからこそ「奥の細道」を残したのである。

まず日本では道がまっすぐな所は少ないだろう。何か曲がりくねっている。高度成長期の日本改造で道はいたるところに新しく作られた。その道はまっすぐなのが多い
それは結局スピードを出して早く目的地につくという物量の道であり旅の道にはふさわしくない。浜街道でも日立木に入る道は細い道なのである。六号線からそうした脇道の昔の街道に入ると旅情があるが旅人は注目しないしそれが特殊な歴史趣味の人しか見ないのである。相馬市の道の駅には休んでもまた六号線を行く、だから旧街道のことを知らずにすぎてしまうのが普通である。
これは自分でも東海道に行ってもそこが昔の街道なのか良くわからないことがあった。
他から来ると今の道ばかりに目が奪われるからわからないことか多いのである。
よそから来ると昔を偲ぶことはむずかしくなる。外国などは特にわかりにくくなる。
最近はインターネットで思い出す旅をするのに便利になった。古町温泉とキーワードを入れればでてくるからである。

相馬市は城下町の名残の細い道や路地が残っている。だから多少昔を偲ぶことがてきる。そして景観にも注意している。公共的な建物は切り妻風の建物にしているから落ち着いた感じになる。やはり建物は相当に人間の心に影響する。馬場野の一人暮らし用の長屋風の建物のことを書いたがあれはも木の造りで落ち着くのである。やはり木の家は落ち着くのである。それは芒がなびいていたり菖蒲が咲いていたりとそうした日本の景色と和するのである。つまり文化とは一つのものではなく全体だから全体が消失すると部分だけを作っても文化にはならない、茶室などでも大都会の隅に作っても全体が高層ビルやマンションになったら合わないのである。京都すら町家の前がおしかぶさるようにマンションが建っているからだ。

老鶯の句に宇陀の古町
http://hai575.info/sa06f/20/20.htm

ここに老鶯の句を集めていた。自分の俳号も老鶯にしていた。ここの句は選ばれているからいい句がでている。古町とキーワードで引いたらここがでてきたのが面白い。こういう利用方法がインターネットならではである。そのときインターネットが活きる時なのである。
インターネットの活用方法がいろいろあるが使いこなすことがむずかしい。
それはソフトと使いこなすのと同じである。何かありすぎるのだけどもう一つ利用方法がわからないということがある。要するにあらゆるものがあっても分散しすぎてどこに何があるかわからなくなっているのだ。最近自分はこれまで書いたもの印刷したりと分類して整理している。
この作業が大変なものになっている。相当な時間と手間がかかる。
しかし小冊子にしてみるとまた違ったものに見えるから不思議である。

失われた旅の神秘性(未知の欠落)
http://www.musubu.jp/hyouronkannshou3.htm#m


タグ:古い道
posted by 老鶯 at 09:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 明治維新-明治以降

抽象画(古い道と新しい道)


 
抽象画(古い道と新しい道)

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透視ささた古い道


これも最近中古品のwindowe7のペイントを使って作った。抽象画はソフトを変えるといくらでもまた違ったように作れるのである。だからペイントショップなどを使えばいいのだが使いこなす事がずかしくなっているのだ。それと暇がないとまたできない。
ソフトを使いこなす方がハソコンを使いこなす方よりめんどうなのである。
なんかいろいろなことをするの2が億劫になる。時間もない。
抽象画をプログに出すときは余裕ある時なのである。
タグ:古い道
posted by 老鶯 at 02:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 抽象画の部(abstract)

2014年10月13日

抽象画(眼鏡をかけた日本人)


抽象画(眼鏡をかけた日本人)

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原画
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日本人は外国で眼鏡をかけて真面目そうにしているいるからわかるとかいう。
日本人はなにか真面目な職人なのかもしれない、商人には向いていない
中国人やイスラムは歴史的に商人の国である。
日本人は真面目に物を作っている細かい作業をしているふうに見られる。

抽象画は具象画と違うからいくらでもできる。ただ最近パソコンの故障とかでしていなかった。
抽象画は子供で簡単にできる。
加工すると無数に変化するからできる。
これ何だろうとなりそれにそれらしい名前や説明をしてみる、するとそれが抽象画なのである。
蜂みたいなのが生まれたのは全く偶然である。でもこれも不思議なことである。
これも今までにないものを創造しているのだから創作なのである。
これをアニメで動かせば一つの創作となる。
抽象画はパソコンから必然的に生まれた新しい芸術なのである。
これは絵の才能もなにもいらない、これ何だろうかと変化を楽しむ遊びなのである。
タグ:眼鏡
posted by 老鶯 at 22:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 抽象画の部(abstract)

人間の苦しみ不幸はみんな違っている (南相馬市立病院の同室の四人の苦しみ)


 
人間の苦しみ不幸はみんな違っている

(南相馬市立病院の同室の四人の苦しみ)

すべての幸福な家庭は、よく似ているものだ。
しかし、不幸な家庭は、それぞれに不幸である。
- トルストイ

なぜこの世に人間に様々な苦しみと不幸があるのか?一生苦しみを受けないものはいない、だから人間が生まれたら苦しみを誰でも課せられているとなる。それはカルマだとなる
南相馬市立病院で同室の四人はそれぞれの苦しみを背負っていた。悲惨だったのは手をあげることしかできない人だった。しかしその人は農業で優秀であり賞までもらっている人だった。だから4人の娘を大学にあげた。妻はだから毎日浪江からきて懸命に介護していた。妻がきたとき手をにぎりやっと手をあげるだけであとはなにもできない、ただ妻が手をにぎるとき妻が来たことを辛うじて意識してたのかもしれない。
それを見てると悲惨だった。ただそれだげ介護されてるのだからいい面もあった。


隣の人は90すぎていて隣の福寿苑から来た人でありこの人は痰がつまり苦しんでいた。
大声を出して痰がつまるので苦しんでいた。それで自分は眠れなかった。
その痰をとりだすのに看護師がするのだがそれも笑ってしていた。
その苦しみを見て笑っていた。その人は福祉の人だから身寄りが無いからそうなった。
身寄りがない人は病院とか最大の恐怖であることを知った。
身寄りのない人は手術でも実験台にされるし知っている人では献体したがその人も施設に世話になったというのでそうしたのである。
その女性がそうなったのはそうなる事情を自分で作り出したためたともいえる。
何らか人間は最後は自業自得なのである。
身寄りかりていというとき自分もそうだった。だから留守の間に火事場泥棒されて大金を失った。身寄りが無いということは本当に怖いことなのである。
それがわかるのは病気になったときであり入院したりするときわかるのだ。
健康であればい意外とそうしたことに気づかないのである。


もう一人の人は声がでなくてなっていた。喉を切開していたためである。これも悲惨なことだったが突然しゃべりだしたときは驚いた。ただその後なまもなく死んでしまった。
大原の人でありしゃべれるようになってから大原のことをいろいろ聞いた。
ちょうど南相馬市立病院から大原の方が見えたのである。
南相馬市立病院は高いから見晴らしがよかったからである。
その同室の四人にはそれぞれの苦しみ不幸があった。
人間の苦しみはみんな違っていることがこれでもわかる。
人間は誰しもいろんなことで苦労している。それはみんな違っている。みんな違った苦しみをになわされている。自分の母親は父親が事業に失敗して辛酸をなめた。継母にもなりひどいめにあった。その後最初に嫁いだ夫が事故死したとか不幸がつづいた。
他でも信じられてない苦労をしている人がいろいろいる。障害者をかかえて苦労している人は普通にいる。たから延々とそのことを他者に訴える。

もちろん貧乏で苦しんでいる人はいくらでもいる。
自分の姉も健康優良児のような女性だったが従軍看護婦じシンガポールで四年間辛酸をなめたから死ぬ直前までそのことを語りつづけていた。苦しい時のことが忘れられなかったのである。そして認知症となり最悪になって死んだ。
認知症の苦しみは最悪である。本人も馬鹿になったからわほからないかというとそうでもない、自らも苦しむことがあるのだ。苦しみを意識していることもあるのだ。
記憶できないということで苦しんでいることがあるのだ。
認知症は最悪であり人間はなぜこんなに悲惨なのかと自らも介護していても苦しかった。老人になったら女性も悲惨である。皮膚が象皮病のように皺が寄っている女性がいて気持ち悪かった。たいがい女性も皮膚が老化すると見ていられないようになる。
女性にとっては老化することは悲惨である。でも最後にはみんなそうなってしまうのが人間である。


人間は結局楽しい思い出より苦しい思い出の方が忘れられないものとなる。
だから苦しめられたひどいことをされたことも延々と忘れないのである。
意外と良くされたことは人は忘れるのである。だから恩も忘れやすいということがあるのだ。でもひどいことをした人のこと忘れないのである。
いづれにしお釈迦様が言ったように人間は苦るしむために生まれてきたともなる。
それがカルマだったというのは現実にカルマの法則があるからなのである。
苦しまない人はない、一見めぐまれていても病気にならない人がいないからどこかで苦しむのである。人間はいくら文明が発達しても苦しみが消えることはない、かえって文明ゆえに原発事故でもそうであり苦しみを受けるし医療が発達しても延命治療とかで苦しむのである。医療といかのが人間を楽にするだけのものではないのである。
かえって苦しみを与える場合がある。医療にはなにか残酷なものがかえってあるのだ。
だから病院とは恐怖の場所なのである。
だからかえって病院で死ぬより野垂れ死にでもいいともなる。

人間の最後はみんな無残なのであり孤独死だから悲惨だともならない。
人間は死をもってしか苦しみから解放されないということもある。
生きていること自体苦をまねがれないのである。
死か人間の救いということもある。やっと死んで楽になったなと認知症でも苦しみ死ぬ人を見ればそう思うのである。

タグ:病院
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2014年10月12日

現代の格差社会、貧民の増加は危険な状態に (昔の貧乏より現代の貧乏も苦しい面がある)



現代の格差社会、貧民の増加は危険な状態に


(昔の貧乏より現代の貧乏も苦しい面がある)

スーパーで万引きしたり、親戚や友人知人の家に盗みに入ったり、
息子や娘名義のJA口座を無断で作成して借金したり、
おかしなボッタクリ物品のセールスに励んだりと、ムチャするのが多数。
んで、こんなことがあっても警察は何もしてくれない、と。

最近話題になるのは老後破綻とか老人の犯罪増加とか生活保護の増加とか生活が困窮している人のことである。
株が上がっても恩恵があるのは金持ちだけであり底辺層はかえって円高で生活が苦しくなっている。
資本主義は資本があると得する社会である。資本というとき金もそうだが土地でもそうであり無産階級は損することばかりになる。
金が金を生む、資本が資本を生むのが資本主義なのである。
だからアメリカが景気かいいとかで投資したら得していた。
つまり金はグローバルに移動しているからそうなる。
でも元手がないものは資本がないものは大きな金は入ってこない仕組みになってる。
株だって元手が一億円くらいないともうからないだろう。
きャンブルでも元手大きければ必ず最後に勝つ仕組みと同じなのである。
いつまでも負け続けることは無いからである。株でも長期間でみれば上がったり下がったりするから長い目でみればもうかることにはなっている

現代の貧乏は昔の貧乏とはかなり違っている。戦後十年くらいは戦前と江戸時代の生活のつづきだったのである。自給自足であるから農家の方が豊かな生活をていた。
第一卵を食べていることが贅沢だったのである。玉子焼きが食べれるようになったとき高度成長期に入ったのである。
貧乏というとき醤油が使いなかった貧乏のことを書いたけど今の貧乏のレベルとは全然違っている。要するにご飯と味噌汁と梅干しとタクワンとかの食生活が普通でありそれはほんの一部をのぞいたて変わりなかったのである。
三食食べれれば良い方たったのである。だから自分の家の貸していた家では着るものもなく布団もセンベイ布団で餓死して老人が死んだ。そういう時代だったのである。
もちろん生活保護も無いし医者にかかれるわけもない、貧窮のどん底だった。
その老人は風呂にも入らないし汚い手で家賃をわずかばかりもってきたのである。
それは戦後間もないときでありそのときはそうしたどん底の生活をしていた人がいたのである。
だから農家では食べ物はあったのだから餓死すようなことはなかった。
ただその老人が餓死したのは別に子供がいたのに助けなかったのだからまた事情は違っていた。あういう人は今だったら福祉の方で世話するからあんなふうにはならなかったのである。
昔の貧乏も苦しいけど今の貧乏もまた事情が変わって苦しい。
とうしても消費社会になったから買う生活になっているから金がかかる。
まず戦後十年くらいは水道もないから街では水をもらっていた。
その水は無料だったのである。水代は無料であり電気代なども裸電球一つだとほとんどかからない、買うものというと米とか味噌とか豆腐とか極限られたものである。
燃料は炭だからこれは金がかかっていたかもしれない。
ともかく家にあるのは飯台一つであり何もない生活である。また何もモノがない時代だから買いようがない時代だったのである。

今はあらゆるモノがあふれた時代であり金さえあればなんでも買えるモノがある時代なのが違っている。基本的なところで水道代とか電気代とか通信費とかでも二万以上になるからこの出費も大きいのである。
そして毎日買い物しているけどなぜこんなに買い物があるのかと思う。
別にそれほど贅沢していないのにともかく買う物が多すぎるのである。
金さえあれば何でも買えるということで無駄も多くなる。
だから底辺層が増えると老後でも国民年金をもらっても8万でもやっていけない、辛うじて夫婦で15万くらいもらえばギリギリでやっていける状態であり妻か夫が死ぬとやっていけなくなる。ともかく消費社会は金が使うようにできている。金を使わないといたるところで支障がでる。節約すればいいだろうとなるが基本的なところで水道や電気や通信代を節約できない、みんな携帯を老人でももっている。
今の貧乏はモノがいくらでもあるのに金がなければ買えないという貧乏なのである。
もともと何もない戦後十年くらいの貧乏とは違っている。
欲しいものかいくらでもあるのに金がないから得られないというのはかえって苦しいともなる。要するに渇望感が増してくる、あふれるほど物があるのに買えないとなるとますます欲しくなるというのが人間の心理だからである。なければないですますというわけにもいかないのでてある。
今は清貧などありえない、清貧がありえたのは何も物がないときにありえたのである。
清貧だからといって水道代や電気代通信代を払わないわけにはいかないからである。
だから八人に一人がサラ金から借りているとかみんな無理をしてなんとか現在の生活水準に合わせようとしているのだ。

結果的にこうした困窮者が増えてくるとどうなるのか?
社会の秩序が乱れ犯罪も増えるから金持ちだってもう塀を囲み防衛しているというとき安心がない社会になる。
金持ちはまたそうした貧民が増えるとどうしてもねらわれやすくなる。
それは強盗にもなり殺人までなってゆくから怖いのである。
現代はすでにそうなっている特に老人で犯罪が十倍になっているのは国民年金などでそもそも生活できないからである。
つまり現代は相当に社会の治安が乱れ秩序も乱れすでに貧民の動乱が起きるような危険な状況になっているのだ。
犯罪は表に現れるのは罰せられたりするのはほんの一部であり一割くらいかもしれない。だから老人の犯罪が統計上10倍に増えたというとき実は百倍にも増えているのである。

人間は善人も悪人もない、こうして生活に困窮してくると誰でも犯罪を犯すしモラルがどうのこうのもなくなる。明日食べるものがないとなる平気で殺すのも人間である。動物と同じように食うためには相手を殺すほかないとなる。
現在はそういう危険な状態になっている。
金持ちから奪うのに抵抗さえなくなってくる。あいつらは俺達が苦労して働いている金で贅沢している。だから奪ってもいい、殺しても奪ってもいいのだ。
金もっているだけでそうみられるし危険になっているのが現代なのである。
反乱か起きないというが暴動が起きないというがそういう前夜にさえなっている。
個々人ではそういう危険なものになっているから何らかのきっかけで暴動さえ起きかねないのである。

タグ:格差
posted by 老鶯 at 14:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会問題の部