2015年02月28日

津浪原発事故で文明の崩壊現象が先取りして起きた (それは世界的に波及する文明崩壊の予兆になるのか)


津浪原発事故で文明の崩壊現象が先取りして起きた

(それは世界的に波及する文明崩壊の予兆になるのか)


数百年にわたる恐るべき人口減少の時期がはしまる、それは頂上から崩壊し始める。
第一に世界都市がつき次に地方都市が最後に農村が崩壊する。
農村の最良の住民が度はずれに離村してゆく・・・・

文明とは都市の勝利であって文明はこれによってと土地から解放されるとともに自ら没落してゆくのでてある。
「西洋の没落第二巻ー都市と民族」

津浪や原発事故の被害を受ける前からすでに農村は崩壊していた。
だから津浪や原発事故によってだけでなくすでに農村は崩壊していて原発事故がなくてもそういう崩壊状態にあった。
つまり何か津浪や原発事故が崩壊原因のように見えても実はすでに崩壊状態にありそれをたまたま津浪や原発事故か早めただけにすぎないという見方もある。
ローマ帝国であれインカ帝国であれなぜ滅びたかということを研究している人は内部からすでに崩壊していたのであり外部からの力で崩壊したのではないという。
インカ帝国にしても一団の荒くれ者によって崩壊させられたのてはない、帝国内に内部崩壊が進行していたからそうなった。
それもそうなのか、例えばなぜ戦争で三百万人も死んで焼け野原になり日本は復興できたのだろうか?
これは津浪や原発事故より被害が桁違いに大きいのである。
食べるものさえない状態からはしまったのである。
でもその時は子供が多く生まれた。それが団塊の世代である。
ミルクさえなく親は並んで買っていたという。
だから何もないのに良くそれだけ大勢の子供を養えたというのが不思議である。
アメリカから配給されたまずい脱脂粉乳などで育ったのである。
それは津浪や原発事故より絶望的な状態だったのである。
それも一部ではない日本全国でそうだったからである。

百年にわたる恐るべき人口減少の時期がはしまる

少子高齢化時代がはじまりそれが深刻なものになってゆく、それが文明が衰退してゆく原因である。つまり津浪や原発事故だけでは文明は衰退しない
その前に衰退するものがありそれに拍車をかけたのが津浪原発事故だという見解である。なぜなら農村はすでに崩壊していた。老人が農業していても跡継ぐものもいない、補助金がなければとやっていけない、漁業もそうであった。
だからこそ東電の原発を誘致したのである。
地方自体が衰退しているからこそ原発が必要だったのである。
その原発も事故になり本当に市町村は崩壊状態になった。
港は壊滅して田畑は原野化した。人々は離ればなれになり離散した。

地方の崩壊が原発事故周辺で文明の衰退崩壊を先取りして現象化したともとれる
陸前高田市のことなど放送していたが以前として先が見えない、人口は20パーセント減った。市街は更地になったままなのである。
そういう所でどうして復興できるのかとなる。
でも戦後東京でも焼け野原になったのである。その時仮設住宅な用意されていない。
食べるものもない状態から出発して復興したという不思議があるのだ。
その相違は何なのだろうとなる。
もしその社会が上昇曲線にあれば戦争でも自然災害で大きな原発のような事故でも復興するということなのだろうか?
もし下降曲線、衰退曲線にあればそうした災害や事故とも関係なく原因ではなく下降してゆくだけであり衰退して崩壊してゆくだけだとなる。
それは人口に現れている、明治から大正から昭和から戦後も日本は人口は上昇してきたのである。
戦後も団塊の世代がそれを象徴していたのである。

日本の少子高齢化の速度は早く恐怖なのである。なぜなら空家が7軒に一軒都会でもそうであり全国で800万軒という数になるからそのことが如実にしめてしている
つまり住む人か日本かいなくなるということさえ言われる衝撃的な事実なのである。
限界集落とか自治体が消滅するとか少子高齢化のことでは盛んに言われている。
まさにそういう現象がこの津浪と原発事故でこの辺に起きたのである。
村や町が消滅してしまうということである。
そしてそこは原野化して森に還ってしまうというのが事実となっている。
飯館村でも葦におおわれやがて前の森に還ってゆく
双葉とか大熊とかはもともと江戸時代は森であり明治に開墾された土地だった。
だからそこも人が住めなくなり森に還ってゆく、自治体は消滅したのである。
マヤ文明が神殿だけが取り残されてまた森におおわれてしまった。
原子炉の廃墟を残してこの辺も森におおわれてしまうのか?

この辺に起きていることは何も津浪や原発事故がすべての原因ではなくそうなることは予定されていたのかもしれない、それはここだけの問題ではない、大きく言えば日本だけではない、現代の文明の崩壊状態を先取りして示しているのかもしれない
家族が離散したというとき若い人はもともと田舎に住みたくないから姑と一緒に住みたくないからこれ幸いと補償金もらって流出した。
大内村などでも郡山市に住んでみたら都会の方が便利でいいとなる。
だから補償金をもらいつづけて郡山市に住んだ方がいいと帰らないとなる
家族自体が戦後核家族とかが奨励されたように大家族は崩壊していたのである。
ただ農家ではまだ親と住んでいる二所帯家族が多かったことは言える。
でも実際は一緒に住みたくないというのが現状だったからこのさい離ればなれになった方がいいとさえなった。

そして現代の最大の特徴は何かとなれば貨幣こそか金こそがすべてだという社会である。それは世界的にそうでありそのことも津浪や原発事故での市長村の崩壊に拍車をかけたのである。

金があるならどこでも好きなところに住んでください
その土地にこだわることは必要ありません

農民が土地にこだわるというときそれは植物的本能とも言える。それをシュペングラーは指摘していた。そういう生物的本能の否定の上に都市が巨大化して地方が農村が衰退させてきたのが現代の文明なのである。
田舎でも地方でも金がすべてであり金さえあればいいという社会になっていたのは変わりないのである。
田舎にはまだ田舎の人間的つながり助け合いがあると思っているがそれはすでにないのである。貨幣経済が支配するのは田舎でもそうでありそれは世界的にそうなったのである。ある一地域にこだわり住むという社会ではない、金かあればどこにでも住んでください、極端になると世界のどこの国にも住んでいいです、金さえあればとなる世界である。

そういうことがこの辺で現実に起きている。仮設に入った人は膨大だけど別に金さえあれば食料に困ることはない、いくらでも外から入ってくる。
そして仮設に入っている原発避難民は補償金で暮らしていけるから何も困らないのであるもし何も食べるものがないので何かめぐんでくださいとかなるなら別である。
何にも困らないしかえって補償金がもらえるから威張っているというのそのことを如実に示している。
だから金だけにものを言わせることにイワキでも他でも非難されることになったのである何でも金がもの言う社会になっているきだからいうことが矛盾しても起きてくるのである
だから貨幣経済の資本主義とか文明そのもの矛盾が現れたともなる。

金をやるからあなたがたはどこにでも住んでください

こういわれているのである。でもその金によって一億円もらっても代々住んでいた土地から離れて住むことは人間の根源的なアイディンティティを失うことではないか?
それを田舎から都会に移り住んだ人は感じているだろう。
ただそれを表現できないからその内面が良くわからないというだけである。
文化もそうだが人間はもともと生物なのだからその土地から生成されたものである。
だから都会というのはもともとその土地から遊離するということでもあった。
それを可能にしたのは貨幣経済のグローバル化でもあった。
ユダヤ人は土地をもたないから金にたより資本主義を生んだというのも一理あるわけである。金融業を支配しているのはユダヤ人であるとかいうのもそうである。
ただユダヤ人だけではない、そういうシステムの文明はすでにグローバルになっていてそれはまた世界がその文明を取り入れたからである。
文明とは普遍化であり世界的普遍化なのである。
ただそういう世界的文明もゆきづまり崩壊してゆくことは常に社会が変化したようにありうる。
だからそういう文明が崩壊してゆく現象が津浪や原発事故でこの辺に先取りして起きているのだと解釈もできるのである。

文明とは都市の勝利であって文明はこれによってと土地から解放されるとともに自ら没落してゆくのでてある

確かに都市は勝利したけど地方の衰退は都市に影響してゆく、地方がなくして都市も実際は成り立たないからである。そこは文化もない不毛地帯であり今若い人が田舎志向になっているのもそうした精神の不毛地帯を感じているしそれが具体化したとき今度は都市が衰退して崩壊してゆく、そして文明自体が崩壊してゆく・・・その次に新しい文明が生まれ、それはななのかわからないとなる。
小規模のかつてあった田園都市のの再興となるかもしれない、それはまた新しい地方の再生にもなるのである。




タグ:文明の崩壊
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2015年02月27日

土着的生活の喪失が思想をゆがめる (シュペングラーの思想は都市民と農村の対比で展開ー(1)


 
土着的生活の喪失が思想をゆがめる


(シュペングラーの思想は都市民と農村の対比で展開ー(1)



都市は農村の生活と思想とから分離できないところの土地という原始価値に代えるのに財から遊離した貨幣という概念を持ってこれによって経済の指導権を握るようになる。

農村の魂の中には祖先の子孫としてまこ後世の子孫の祖先としてここに根をおろしている彼の家、彼の所有、これはここで短い数年間における肉体の財産との一時的な組み合わせではなく永久の土地と永久の血との永続的な内的な結合を意味する

数百年にわたる恐るべき人口減少の時期がはしまる、それは頂上から崩壊し始める。
第一に世界都市がつき次に地方都市が最後に農村が崩壊する。
農村の最良の住民が度はずれに離村してゆく・・・・
文明とは都市の勝利であって文明はこれによってと土地から解放されるとともに自ら没落してゆくのでてある。
人種には根がある、人種と土地とはともに一体となっている。
植物はその根をおろしたところで死ぬ

世界都市的住民の共通語は精確で冷たく理知的で実際的で方言と詩を嫌悪するのである。それは人種とか宗教の精神ではなくただ単に経済の精神なのである。
「西洋の没落第二巻ー都市と民族」



シュペングラーは現代の文明の没落を予言していた。その内容が多岐にわたるからわかりにくいので理解することができないものだった。
人間の生存のアイディンティティの基盤は農村にあり農民こそが人間の原型であり都市民はむしろ亜人間とみていた。
文明はそうした人間の存在基盤を否定して離脱して成長して没落してゆく。
それが世界都市民でありそこで共通なものは貨幣であり言語でもそれはその土地土地から生まれた母国語とは違う、商売用の言葉でありそれは数字とにている。化学式の記号ともにている。そこにはもはや詩はない、言葉が最初詩語だったというとき言葉は日本語でもそうだがその民族の根本的なアイディンティティなのである。
もしその言葉を失えば民族のアイディンティティは失われるのである。
日本の言葉でも大和言葉は古語にはそれがある。それは神道に通じているのである。
日本の神道とは日本の土地と自然に通じた言葉なのである。
それは万葉集に残されている言葉である。今では解釈できないものがあるのは日本がすでに母語なるアイディンティティを失っているからである。

文化が何かというときcultureでありcultivate(耕す)からきているときまさに文化は土地から生まれてくるのである。だからシュペングラーが植物から建築が生まれたというとき建築は植物的なものである。大地に根をおろして不動だからである。
ドイツの文化が霧深いゲルマンの森から生まれた。その森厳な樅の木の森が音楽と哲学とゴシックの石の大聖堂を生み出したのである。
中世でも人の入れない森が延々とつづいていたのである。その森は文化となる前には生活の糧を供給していたのでてある。つまりドイツ人は森の民だったのである。
ドイツ人の実直さとか真面目さとか哲学者が生まれたのは森があったからだとなる
人間はその土地の自然をcultivate(耕す)してゆくことで文化が育まれ成長してゆくからである。都市民にはそうした根となるものがないから土地から離れてしまったからただ貨幣でもってグローバルに展開する経済の精神しかないのである。
そこから文化や詩が生まれようがないのである。
カルト宗教団体画あるかそれも現代では政治と経済の精神しかないのである。
なぜなら現代のカルト宗教団体からかつてのような文化が創造されるようがないからだ。仏教でも歴史を見ればわかるが重厚な文化を創造したことが残されたものを見ればわかるそれは現代の経済商業の精神ではない、文化が育まれ創造されたからである。

現代は確かに経済的には繁栄しているが文化的に衰退している。
「西欧の没落」と感じたのも人間の終末的感覚から生まれたからである。
人間がグローバル化して貨幣がそれも紙幣が数字となってこれだけ支配しているというのもそのためである。
アメリカは経済と科学の国でありまさに現代を象徴している国でありそのアメリカが世界を支配するというときアメリカ的に一様化されるのである。
グローバル化によってその土地土地の文化が消滅してゆく。
そして金だけが紙幣が数字と化した金が世界を席巻するのである。
アメリカが世界の国々の文化に無頓着で文化財を破壊するというときアメリカには文化がないから文化を理解しないとなる。
ただアメリカにしてもホイットマンの時代は日本の江戸時代とにていて今の文明とは全然違っていた。その時代は農本主義だから土地に根
ざす農民が主役だからそうなっていたである。
その時でもすでにソローが出たように文明化は急速に襲ってきていたのである。
ソローは森の湖で思念を深めて森の生活を書いたのである。
その時代はまだまだニューヨークのうような大都会は生まれていない、日本なら江戸時代から明治時代、大正時代なのである。

日本でも誤解しているのは大正時代には人口が六千万しかなかった。
この影響が大きいのである。東京すら百万でありそうなると東京も回りには自然があり今からすれば田園都市だった。
だから都会も賛美されていたのである。百万都市は東京にしかなくあとは五万くらいの都市であった。都市の規模は極めて小さいのである
都市文明を否定するにしても中世からのヨーロッパの都市は数万とか五万以下とか人口が今と比べる少ないから田園都市だったのである。
フィレンツすら五万くらいだったからなぜあそこにあれだけの文化がルネサンスが生まれたのかとなる。
一千万の都市が世界中にあってもそこから今は文化は創造されていないのである。
ただそこには経済の科学の精神があるだけなのである。

江戸時代でも明治でも大正時代でも何か貧乏だけがとたあげられるけどそれは経済の比較だけから見るからそうなる。文化の比較だったら日本でもアメリカでも江戸時代から明治の方が豊かだったともなる。
だからそこで暮らしていた人は満足していた顔をしていた、平和的だったというとき何か貧乏でもそれを補うものがあった。
その時代はそもそもその時代に生きてみないかぎりわからないのである。
その時代に生きた価値観も今ではわからないのである。
ただ今の時代から類推するから常に歴史には大きな誤解がつきまとっているのである。

タグ:土着
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福寿草(百歳生きる時代の人生はどうなるのか?)


福寿草(百歳生きる時代の人生はどうなるのか?)

春寒し老々介護のつづくかな
福寿草百歳生きる時代かな
春北風(はるきた)に松風鳴りて丘の上

今の季節はこんな状態である。まだ寒い、春北風(はるきた)というのも誰が作ったものか日本らしいし俳句的だとなる。
普通だったら北風だけど春に吹く北風はまた違っている。
近くの山とは言えない丘の森に松が多く風に鳴っていた。
近くに森とか自然があるのがいい、
海の方の松林は津浪でなくなったから松風は聞けなくなった。

今の時代はこれから百歳の人が百倍とかに増えてゆく
百歳生きればそれで苦しいということもあるがまた幸福もある
それは個々の事情によって家によって違ってくるのである。
なんでも統計的数字として処理するの間違っている
老人にしても無用だから金がかかるから早く死んだ方がいいというのも
統計的に考えるとそうなるがこれからは百歳生きて何かを成す人もでてくる

百歳の人生としてもし人生を見るならばどうなるのか?
六十歳あたりまでは人生で経験をつむ期間であり
六十歳あたりからその経験から芸術家なら作品をしあげてゆく時間となる
今までだったら六十歳で終わりだからそんな長い時間を想定できない
でも百歳時代になるとそういう時間設定が可能になるのだ。

つくづく人間の生きる時間は本当に限られている
終わってみればこれだけなのかとみんななる
束の間の人生でありただ時間を浪費したなとなっているのが普通なのである。
自分の場合も旅をしているうちに時間はたちまちすぎてしまった。
五十歳から海外旅行をはじめてしたのだから今は旅するにしても海外まであるから
とても旅しきれないのである。

人間は漫画を読んでいようがゲームしてようがなにしてようがたちまち時間はすぎるのである。
このことを老人になったら一番後悔することなのである。
若いときはこのことがどうしても理解できないのである。
時間はありあまって暇でしょうがないとなっている
自分も別に仕事もしないのに暇だったがやれたことはわずかだったのである。
会社勤めしていれば会社が人生でありそれがすべてであり終わる
会社なんかに尽くして無駄だったといってもそれがすべてになるである
だから会社だけに価値を置いた人は退職したらもぬけの殻のようになってしまうかもしれない、自分のよりどころを根こそぎ失ってしまうからである。

自分の母親は百歳生きてもその内容はただ奴隷のように働くだけであり他は何の関心もない、花にもなににも関心がない、百歳生きてもそれが生きたのかともなる
だから長く生きたからそれで人生が充実したともならないのである。
人生はおそらく内容にあり短く生きても内容があれば長く生きたと同じかもしれない
自分は今は何か内容ある時間を生きている
それは若いときとは違う時間の感覚なのである。
何かを理解できるということが違っている
若いときはいろいろなことを本を読んでも理解できないのである。
ほとんどの本がすぐにだいたい理解できる
それを自分なりに解釈できる
創造的読書ができる、だから批評家に向いているのは老人の方だとなる
ただその本でも前に読んでいたのならできるが新しいのになると理解できないのがある
これもまた老人の特徴なのである
何でも新しいものが苦手になる、これまで経験したものは理解しやすいということである
タグ:福寿草

2015年02月26日

現代文明は何でも数字化されて非人間化される (米職業ランキング1位は数学者)


現代文明は何でも数字化されて非人間化される

(米職業ランキング1位は数学者)


米職業ランキング1位は数学者、最下位は? 2014年版
http://jp.wsj.com/articles/SB10001424052702304126604579504901060510912

<ベスト職業と中位所得>

1. 数学者、10万1360ドル
2. 大学教授(終身在職権付き)、6万8970ドル
3. 統計学者、7万5560ドル
4. 保険数理士、9万3680ドル
5. 聴覚訓練士、6万9720ドル
6. 歯科衛生士、7万0210ドル
7. ソフトウエア技術者、9万3350ドル
8. コンピューターシステム・アナリスト、7万9680ドル
9. 作業療法士、7万5400ドル
10. 言語聴覚士、6万9870ドル


これも現代という社会を象徴したものだろう。会社に就職したら必ず数字を処理する。数字を処理する仕事が多いのである。例えば銀行でもこれは紙幣を数えるのと数字を処理することに追われる。毎日が数字の世界で生きているのである。
金とは今では数字のことであり紙幣のことでもない、数字が増えれば豊かになったとなり数字がへると貧乏になる。
そしてゼロになったとき何もないものとなる
あらゆるものが現代は数字で計られている。経済も常に数字で計られている。
グローバル経済になると世界が数字で判断されているのである。
金という現物より数字で世界の経済が動いている。特に金融関係は毎日数字の世界で仕事しているのである。
こういう世界になると数字に弱いものは不利になるのは当然である。
だから文系は使い物にならないとかなるし文系でも数学できる人は高収入になる。
数字をみて統計などを見て判断することが多いからである。
株なども常にグラフをみているからやはり数字の世界なのである。

財政といっても金塊をどれだけ貯えているとかそうした具体性がまるでない世界である。たいがい富は具体性を帯びたものとして持っていたのである。
日本たったら米であり米俵を蔵に貯えている人か金持ちだとなる
小判でもそれは金だとしたら紙幣とは違ったその小判自体に価値あるものとして貯えられていたのである。
富は具体的な物として貯えられていて価値があった。
現代の問題は金融の世界では実際の富とは結びつかない数字で現され数字の変動で莫大な富が入る世界になっていることが指摘されるのも当然である。
富の裏付けとなるのは紙幣ではない、紙幣は紙でありそれも日本銀行で勝手に作り金融政策でデフレ脱却としてばらまかれる。
紙幣などいくらでも作れる。でもそれが国の富になったり世界の富になったりしないのである。
石油とか資源があればそれは具体的な富になる。紙幣をいくらもっていてもそれはいつか紙屑になる。現実に急激な時代の変わり目にはデフォルトして金の価値は極端に下落して紙屑になったことを世界恐慌など経験している。
戦前から戦後でも紙幣の価値はゼロになった。
戦前に金をもっていて土地を買っていたがその土地だけが価値として残されたということを知っている。
つまり紙幣はただの紙屑になるリスクが常にある。

具体的な富は土地とか資源とか今では技術力とかにあり紙幣を操作して金融を操作して富を作り出していることは現実の経済から逸脱している詐欺にも等しいともなる
架空の数字を操作して金融業者が莫大な富を得ていると感しるからである。
汗水たらして働いている人からみると一夜にして億の金が入ってきたとかなるとそれを理解できないだろう。
資本主義社会とは元金がないといい目は見ない、まさに資本がもの言う社会だとなる。
資本を蓄積できないものはまずいくら働いても富を得られないという社会である。
資本があれば一億円でもあれば投資していればもうかるようにできているのである。
元金がないことには資本主義社会では金持ちにはなれないのである。

何でも数字に換算される世界は何か抽象的になる。そこには切れば血もでる生身の人間が感じられなくなるのである。
戦争で三百万人死んだと言ってもそこに何も感じないのである。
要するに十万人の死者を積み上げる、死体や骸骨を積み上げたら具体的に感じる。
カンボジアではそうした骸骨を積み上げた所があり記念館になっている。
人間は数字から現実を感じられないである。
そこに現代の大きな落とし穴があり非現実を現実と錯覚する危険性がある。
イスラム国のあの残虐な殺し方を見ていると恐ろしくなる
そんなことができるのかと恐怖する。
ても空爆で六千人殺したとき何か感じるものがないのである。
でも六千人の死体を積み上げたらそれは残虐な殺し方より残虐だと見える

現代の情報環境でもテレビの報道でも具体性が感じられない、テレビで写る映像でも何かそれがドラマのように見ているし現実味が感じられないのである。
だから沖縄で洞窟から戦死者の骨を大学生が発見したというとき戦争の悲惨さを実感したというのもわかる。
戦争で三百万人死んだといってもそれがなんだとなり実感できないのである。
そういうことが現代では多すぎるのである。
放射能でもそれはただ数字でしか計れないし感じようがないのである。
毒があるとしてもそれが吸って死んだとかもすぐにはない
もし奇形の生物が続々生まれたとなると実感できる。
そういうこともないと放射能は実感できない、ただまさに数字としてしか意識できないのである。
人間が数字化されることは量としてしか見れない、それは非人間化社会である。

それは政治の世界でもただ数字でしか一票でしかない、一人の人間の重みはそこに何もないのである。
政治でも経済でもただ数字として計られる、一人が買うより十人が百人が買えばもうかる多数を相手にするのが政治と経済である。一人の価値などそこにはない。
一人は個人は何の力もない、だからカルト宗教団体でも創価でもどこでも数を集めて政治力となる。
まさに「数は力なり」であり数は現代では権力なのである。
何でも数で計られる、マスコミでもテレビでも新聞でも視聴率で計られる
どれだけ多くの人に見られるかで影響力をもつのである。
だからこそマス(集団)なのである。
だから本当は数字から社会を見て人間をみることは危険にもなる。

ともかく一人一人の個別事情などに対応できない、数を集めればそれか即権力につながる数を集めるには大衆を操作することだとなる。
それにはめんどうをな理屈はいらない、ハイルヒットラーとか題目を唱えれば何でもかなうとかともかく簡単でわかりやすいのがいいのである。
それによって大衆は操作されて戦争でも何でも権力者の指示通りにされるのである。
現代は常にこうして大衆、マスとして数として見る社会だからファシズムの危険がある社会になる。
この危険から逃れるのは社会の外に立つアウトサイダーとなってしまうのである。
そこには個なるものが巨大化してゆく、大衆社会の非人間性の補いとして
自然の真善美がそのアウトサイダーを通じて表現されてゆく
それは大衆社会の数化した社会から人間の巨大性を神が与えているともなる。
ニーチェとかヘンリーミラーとか上野霄里(うえのしょうり)の原生人間とかは文明人には理解できない巨大なものとして文明に対峙するのである。それはまた偶像化でもあり危険である。

そこには文明という大都会という政治経済化した数字化した無機質化した世界に対峙しているのである。
大衆化マス化した社会は何か人間の真善美とは関係ない世界である。
政治的経済的活動が数字化したものでありそこに自然の真善美は反映されないのである。大衆消費社会とは人間も消費される、数字として消費されるともなる。
人間は数字でしかないとなる、顔もないし個性もない、抽象的な数字として人間が消費される社会なのである。数字化ささた無機質な世界である。
それはシュペングラーの言うように大都会に象徴されている。
田舎的土着的なものが文化であり都会には文化はないのである。



シュペングラー(1880−1936)は「数学は幻影である」と書いた。

「重ねて言うが、数学は幻影である。」(シュペングラー『西洋の没落』)
シュペングラーは数学者だった。パスカルもラッセルも理系であり数学者であった。
数学は知的な探求の基本がある。だから「西欧の没落」ではしきりに数字化している世界を最初に書いている。それは人間の無機質化であり非人間化なのである。
まさに数学は数字は実態ではない、幻影なのである。
シュペングラーには文化は土着的であり田舎的なものである。
都会と田舎の対比の中でも語られていることが興味深いのである。
これを読みこなすことは相当にむずかしいけど自分は理解できないなりに読んでいた。
若いときは理解できなくてもむずかしい本を読んでおくべきなのである。
あとで理解できるようになるからである。
今なら自分なりかなり解説することもできる。
本は自分なりに消化しない限り読んだことにならないのでてある。



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2015年02月25日

インターネットで変わった商品の買い方(2) (個別に対応することが何でもむずかしい)


インターネットで変わった商品の買い方(2)

(個別に対応することが何でもむずかしい)


または銀行の、個人の客に対しての営業のやり方なんです。自分たちが売りたい、今売らなくてはならない商品在庫を捌く。それしか頭にありません。本当にお客さんのことを考えてアドバイスができるところはないのではないかと思います
http://president.jp/articles/-/10732?page=4

これは銀行だけではない、電気量販店でもそうである。
前にオカユを作る機械を買いたいと思って商品をみせてもらったがとれを選んでいいのかわからなかった
まず買う方の問題としてオカユを作ることに関しての知識がない、商品知識がない
そうなると量販店に聞けばいいとなるが量販店でもこれが今一番売れているものですよとか説明してくれない、またそういう商品もおいてない場合がある。
だから商品に対する予備知識が必要なのである。
それでインターネットでアマゾンで調べて
今人気なのがどれなのかということを知る
レビューはだから役に立つ、出版社で本にケチつけられたと訴えた人もいることでわかるレビューの影響は何も知らないものにとって影響が大きい、判断材料になるのである。
本になるといろいろあり物の商品とは違っている。
中味は知識だからその判断がすべて正しいとはならない。

でもやはりこの本はつまらないとか書いてあるだけでも影響する
そのつまらないにしてもこういうところがつまらないと書いてあればいいが
一方的につまらないとだけ書いてあるのは誤解されやすい
その本を出している出版社にとってはそういう批評は困るとなるだろう。
ともかくインターネットではあらゆる人が批評者になったことも影響している
こうしてし二三行でもとりあげて文をつづるということなど今までできなかった。
本など出ても読者が何かを言うことはできなかったのである。
本というのは一方的メデアだしテレビでも新聞でも雑誌でも一方的メデアである。
だからたいがい宣伝費で経営するとなると宣伝する会社の言いなりになる
それでメデアの自立性が得られなかったのである。

ただこうして誰でもプログなどでソーシャルメデアで批評できる時代はものを考える人が増えるということがあるかもしれない、なぜなら自分なり書くとなるとその批評でも書いたことが誰かに読まれるとなるといいかげんなことを書けないとういこともあるからだ。批評できてもその批評を批評される時代になもなる
だから何か書くにしてもそれなりに知識や独自の考えないと相手にされないということもある。
こういうことは民主主義の促進につながることもある。
今までは商品を買うにしても売る方が主役であり買う方はただ従うだけだという面が大きかった。
商品についての知識がなかなか得られなかったからである。
それでも今は商品がふえたから本当に選ぶのがむずかしい
印刷機は4台買ったがいいものではなかった。
安いこともあったし選び方がまずかった。
最新の印刷機でも紙送りがうまくいかないとか欠陥があったみたいだ
かえって古いのがしっかりしていたがスキャン速度が遅すぎたりして使えなくなっていた印刷機はそれなりに高いからいいのを買うのが一番むずかしかった。

それからパソコンもwin8の買ってウィルスに二回やられのはショックだった。
それで中古品のwin7を二台安全のために買ったがこれの方が使い安いというのも今の時代である。
ソフトもwin7用のがありかえって中古品の方が良かったと思い失敗だった
中古品は3万くらいでいいのが今は通販でいくらでも買えていたのである。
中古品は古本でもそうだが全国規模になるからいいのが手に入るのである。
それとパソコンはすでにできあがったものだからwin7の方がかえって使い安いということあった。
そのことに気づかなかったのが失敗だった。
新しいパソコンはウィルスに弱い場合がかえってある、それも怖いなと思った。

今と物を売るにしても買うにしてもめんどうな時代になったのである。
その人の求めるものが多様化したのである。
だから売る方にしてもオカユを作る機械に関心がない人もいる
若い人など介護したりしなければ関心がないから売る方で商品について知らないことも多いのである
ましてや金融商品など銀行にまかせているがその若い人は本当に知らないのだろう。
ただ適当にいいことを言っているだけである。
そもそも金融について詳しい人は少ないのである。
銀行では金融が株が商売でないのだから余計にそうなる

ともかく人間は相手のことを知ることが大事だけどそれができない
まず人間は自分自身のことしか考えない
家に来た人もただ金をくれとかなり本当に家捜していたのだから驚く
他の人も借金かかえているから頭にそれしかなかった。
だから病気になり介護で苦しんでいるときも借金の要求だけになる
だからこの人死ねば金になるなとなっているから怖かった
ただ自分のことしか考えていないのである。
そういう人がふえたのが現代でもある。
だから相手のことを相手が求めていることに対応できないだろう。
あの人は相手のことを全く考えない人だったのである。
そういう人が経営者になれると思えない
もちろん人を雇ってもその人のことなど何にも考えないだろう。
そういう人が経営者として成功するとは思えないから失敗したのだろう。
経営者は技術だけではやっていけないのである。

相馬市公立病院の看護婦長はそういう気配りができていた。
書類見ただけで「お母さんの介護で大変ですね」と言ってくれた。
これは簡単にできない、書類だけで簡単にその人のことがわからないからだ
そこまで相手のことを知ること自体むずかしいからである。
ただ看護婦には虐待みたいなことをされたから全部がいいとはならなかった。
看護師などは本当はどういう患者なのか良く相手をみる必要がある
でも何人も相手にする、次々に変わるときそういうこともむずかしいだろう。
それはどこでも起こりうる。大勢を相手にすれば機械的になる
メカニカルな対応になりそっけないものとなる

現代ではやはりそういうことがどうしても多くなるのだ。
そもそも勤めるにしても今は時給いくらだとなるとその分しか働かないとなる
愛想など良くしろといってもそういう動機が働かないだろう。
時給いくらでありそれ意外のことに気を使うのも馬鹿らしいとなる。
オーナーだったら別だが時給で雇われている人にはそういう動機が働かない
だから今は個々の対応がぞんざいになりやすいのである。
大勢を相手にするところはみなそうなりやすい
カルト宗教団体などでもそうである。そこで問題になるのは数だけなのである。
あれだけ数が多ければ個々人などどうでもいいとなる
現代はそういう数が中心の世界である。
数で判断されるところには個々人などをとでもいいいのである。
単に統計的数字として処理されるだけだとなる


インターネットというメデアまだ熟成していないだろう
だからこれをどう利用するかはまだ未知である。
家事やっていると物を買っても料理する材料を買ってもそのノウハウの方が大事なのである、家事は本当に多岐にわたるからノウハウがわからないとできない
それで一人の女性に教えられることがあり助かった
やはり家事は女性がノウハウを積み重ねている
介護は料理など出すから女性向きであり男性向きではないのである。
それで男性が介護で苦労する時代になったのである。
だから男性も家事とか料理を習う時代になっている。
それでも一人で家事から介護からすると大変になる
それで毎日時間に追われる生活になったのである。


小高もあと一年で避難解除 (鹿島区などは人口がへるので困ることに・・・)


 
小高もあと一年で避難解除

(鹿島区などは人口がへるので困ることに・・・)

小高は帰れなどと補償金問題で前に言ったが消費することで潤っていた面はあった。
飲食関係とか理髪店とかその他スーパーなどはにぎわった。
飲み屋では小高では金をもっているので使うという。
遊び人になった人もいた。飯館村の人もギャンブラーになったとか書いている人もいた。連日パチンコ屋がこんでそこも人手がたりないとかこの辺は異常な状態だった。
それで人手不足なのに人手がパチンコ屋にとられるというのも迷惑だった。
そんなこと遊んでいる人は意識しない。
イワキの方でも連日飲み屋で札びらを切っていたというからこの辺の飲み屋も同じことがあったということである。
飲み屋にして見れば金を落とすのだから悪いとはならないのである。

ただそこには複雑な感情をもつようになる。
金の力で威張っている原発避難民に対して良くは思わない
でも金を落とすからしかたないともなる。
ここでも小高の避難民に対してはそういうことがあった。
ただ違うのは南相馬市内であり南相馬市民になっていたからまた違ったものがあった。
そして小高とは親戚とかいろいろ関係している人がいるからイワキのように露骨な反発はなかった。
ただしかたないなということで受け入れていた。
ただ内心では反発するものをもっていた人たちもかなりいる。

ただあと一年で避難区域が解除されるとなるとまた状況が変わる
すでに変わっている、仮設を出ている人も多くなり空屋になるからそこに外部の除染関係の人などとめたらどうかとなり具体的な政策ともなった。
ただ仮設はあと一年すると壊されるのが多くなる。
すでに年内にもこの辺では大きな仮設が取り壊されるという。
だからあと一年になるとまた状況が変わる
小高に帰る人もいるが帰らない人はまだ復興住宅が少ないのでどうなるのかとなる
住む場所を確保するのが問題になるし補償金がもらえないとなると苦しいとなる。
でも外から見ると相当に補償金もらっていいわなと見ている人もいる。
実際に補償金は一人十万だけではない、もらう人はいろいろもらっているからその額は大きいと思う。
でも土地を確保して家を建てた人はだいたい終わったというから意外と家を建てた人は少ないだろう。土地が高くなりすぎたのである。三倍くらいになったかもしれない。
それなら土地も家もある小高に住んだ方がいいと考える人もいるだろう。

小高ではそれなり帰る人のための準備ができているのか?新しい工場も建つらしい。
ただ若い人が帰るかとなるとそれはわからない。
でも避難区域でも浪江とかとは違っているから補償金が打ち切られると苦しいという人は出てくるだろう。
でも外からみると補償金をたんまりもらっているのだからそれでやれとなる。
避難区域が解除されるとやはり小高に帰れば自力で不利な条件でもそこで生活するほかないのである。

現代は人口一万切ると自治体が維持できないという、それはインフラとの整備に金がかかるからである。限界集落などでは街の中心部から離れると百倍以上の金がかかるとかなるので反発されるのである。
するとコンパクトシティがいいとなる。人口を集中させた方がいいとなる
それは福祉の面でも街に人が集まれば訪問するのも効率的になるからである。
つまり小高の町を一万ならいいが5千人とかでも維持するのが現代ではむずかしいのである。
そうなら原町であれ鹿島であれそこに人口を集中させて住まわせた方がいいという考えもある。
でも小高は小高で土地も家もあるのだから暮らすべきだというふうになっている。
この辺は何か農業や漁業が放射能汚染ですたれた。
何かというと放射能であり除染するにしても疲れてしまう。
そこには放射能が具体的にどう影響するかわからないからである。
風評被害もあり放射能の実際の被害がなくても放射能、放射能で疲れてしまったのである。
放射能ノイローゼになってしまっているのである。
放射能が払拭できないからそうなる。
放射能から早く解放されたいとしても常に放射能がのしかかってくるのである。

いづれにしろ小高の問題は南相馬市の問題でありそれが合併して複雑になったのである。小高にも常磐線が通るとか常磐道が3月1日に開通するとなるとこれは大きな影響があるかもしれない。
それでも復興というときもともと農業や漁業などは全体の一割もみたないほどしか生産に関係していない、漁業などは外から見ると漁業権で暮らしていたのかとわかったのであるだから経済的には農業や漁業が喪失しても痛手はさほどない。
ただ田舎だと田畑がないという風景が考えられない、それは相当に精神的文化的には心の問題として影響する。
ソーラーパネルとか風車とか工場だけになればそれが田舎なのか?
都会と同じじゃないかともなる。
自分としてはやはり田舎なら田畑がある風景に心がなごむのである。

タグ:避難解除
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2015年02月24日

数学史からみるとわかりやすいイスラム文明 (世界文明は平和的融合である)


数学史からみるとわかりやすいイスラム文明

(世界文明は平和的融合である)



 現在我々が使用している算用数字はアラビア数字と呼ばれる。インド数字を原型として、イスラム世界で完成し、後にヨーロッパに普及し、現在は世界中で使用されている。この アラビア数字の最大の長所はインドから学んだゼロの観念をアラビア数字・十進法と結びつけたところにある。
 ローマ人はアルファベットを用いて数字を表記した(1はI、5はV、10はX、50はL、100はCなど)が、大きな数字を表記するのに大変苦労した。例えば1999はCIC(1000) IC(500) CCCCLXXXXVIIII(1000と500の右端のCは、Cを裏返して左右を逆にした記号になる)と表記した。

 従来の数学は、例えばギリシアの場合も発達したのは代数学でなく幾何学であった。代数学が発達せず、幾何学が発達した理由はやはり数字の問題だと思う。
 天文暦学は、古代オリエントでも盛んであった占星術がイスラムでも大いに発達し、そこから天文観測や暦学が発達し、正確な暦も作成された。
 http://www.sqr.or.jp/usr/akito-y/tyusei/91-islam11.html


 それら三つとも、すなわち火薬にせよ羅針盤にせよ印刷にせよ、中国に起源をもつものがイスラム圏に伝えられ、西欧はそれを最後に学んだに過ぎない。ルネッサンスに功績があるとすれば、それを量産したということだけである。
 ルネッサンスとは要するに「大翻訳時代」であり、西欧はようやく17世紀に入って先生であるイスラムを追い抜いたのである
 http://pathfind.motion.ne.jp/isram.htm
 
 

中国が起源の火薬、羅針盤、印刷がありさらにインドを通じてゼロの観念が入りイスラムで代数学が発展した。ギリシャは幾何学だったということはエジプトの数学も幾何学でありピラミッドを作るのに用いられた。代数となると抽象化が高度になる。
スペインのトレドにイスラムの集積した知識が本として保存されていた。
イスラムを通じて数学が代数学として伝えられ医学や化学なども伝えられた。
イスラム独特の建築も伝えられた。
今イスラムというと石油とアラーの神、宗教しか見えない、そのイスラム教もイスラム国のテロとか政治だと独裁制の遅れた国としか見ていない、つまりイスラム文明は先進国としてあったがいつしか後進国になってしまったのである。
そして何かイスラム国の野蛮性とかテロとか何ら文化的なものがない世界にしか見えないのである。
西欧のルネサンスがこうしたイスラム文明が融合して生まれた。
それが西欧文明だけではない、中国にも起源がありインドにもありイスラム社会で発展してスペインにイスラム圏が拡大したときその文化的遺産がトレドに残された。
ルネサンスが華開いたというときそれは世界文明として華開いたものだった。

わかりやすいのはアラビア数字とかローマ数字とかがある、ローマ文明が数字の表記に苦労していたというのもあれだけの建築を作ったのに意外だった。
文明とか文化は戦争により争いではなく戦いではなく平和的融合なのである。
そこに人類の歴史の意義がある。別にイスラム教とキリスト教が争うというのではなく
文明や文化面からした融合なのである。十字軍のときもイスラムの富と文化が流入した。その時もイスラム文明の恩恵を西欧では受けていたのである。
中国文明というと世界とあまり関係ないように見えても紙の発明がイスラム圏に入り西欧に入り印刷術が伝播されて本が作られるようになった。
紙の発明は意外と重要であったた。それは知識を伝達してまた保存するという役割があったからである。だから本の役割は大きく文明を作るものだったともいえる。
それでローマでも図書館が立派なのである。イスラムでも図書館がありそこが学びの場となっていたのである。
その図書館の役割がインターネットになるとどうなるのかということになる
やはり知識は今までとはまた違って普及するだろう。
こうしして自分が書けるのも知識が要約的でも読めるからである。
世界史は大きくて複雑でどう勉強していいかもわからない、でも数学史という面から見るとわかりやすいとなる。世界史はまた戦争史のようにも見える。
でも世界史は文化の融合でありそれは平和的なものとしての実りなのである。

文化面から見れば文明は対立しない、宗教でも対立しない融合なのである。
西欧文明とは世界文明であり西欧だけが作り出したものではない、西欧は世界史からみると辺境だったが世界の文明を融合させる地理にありそこで世界の文明として華開いたのである。それがルネサンスだったのである。
西欧の科学機械文明は数学が基礎にあるときやはりその数学がインドのゼロの観念からイスラムの代数学から発展したことが興味深いのである。
化学もイスラムが起源でありそれは今日の化学の基礎なのである。
今のイスラムの不満はそうした過去の栄光と何ら関係ない、外から何も文化的なものが見えない、かえって遅れたものしか見えなくなっている。
その不満は暴力では解決しない、日本では江戸時代は科学など相当に遅れていた。
技術でもそうであり第一駕籠というのは原始的な乗り物なのである。
人間が担いで運んでいたと何ら変わりないのである。
だから明治維新になってすぐに鉄道でも開通して発展したというのも不思議である。
イスラム社会では鉄道は発達していない、砂漠などで条件が悪いのかもしれない。
ともかく化学を生み出してイスムラで科学は発達しなかったのである。


イスラム国がテロで話題になったときイスラムとは何なのだとか関心を集めた。
イスラム社会はわかりにくい、今イスラム圏内、エジプトとかどこでも若い人の人口が多いのである。するとそうした若い人の就職先がないとかが大問題になる。
就職先がないからイスラム国で兵隊になるという人もでてくる。
それでイスラム国が経済的にも優遇したのは魅力となったのである。
月給とか家まで与えるとなると職もなくうろついているよりはいいとなる。
ともかくイスラム圏が若い人の人口が多いということはそれなりにポテンシャルがあるのかもしれない、そこに何かエネルギーが生まれる。
日本は高齢化社会であり老人の介護にエネルギーを使われている。はたしてそんな社会から新しいエネルギーが生まれるかともなる。
戦後の焼け野原になったときも今の団塊の世代が生まれたがその時も子供が多いし高度成長時代になるとその子供の多さが労働力となりエネルギーとなっていたのである。
だから若い人が多いということはやはりその国も若いのでありエネルギーが生まれるということはありうる。
だから少子高齢化の日本が衰退すると騒ぐのはそのためなのである。

数学とか科学は苦手でわからないけどやはり文系でもそうした科学にアプローチす方法はあるのだろう。歴史的にアプローチすると興味を覚える、数式だけで見るとギブアップになる。あらゆる学問も歴史的積み重ねで発展したものなのである。



カトリック教徒である支配者はトレドを自国の首都とし,ユダヤ教徒の市民は手工芸や商売で手腕を発揮し,イスラム教徒の職人はその才能を建築に役立てました。それら三つの宗教の学者たちが翻訳学校で一緒に働き,12世紀から13世紀にかけて,非常に多くの古い文献をラテン語やスペイン語に翻訳しました。それらの翻訳者のおかげで,西洋人もアラビア文化の膨大な科学的知識を利用できるようになりました。

このサイトは簡潔にトレドのことをまとめている。

タグ:数学史
posted by 老鶯 at 22:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本(世界)文化文明論

インターネットで変わった買い物や本を買わないこと (現代的情報環境に適応できない)


インターネットで変わった買い物や本を買わないこと


 
(現代的情報環境に適応できない)


インターネットの買い物で一番便利なのは買った本人が使ってみてどうだったか書いてあることである。
そして何人もこれがいいと書いてあるとそれは確かにいいと判断する。
これはほとんど間違いない評価である
ところが電器店の量販店に行ってみても使った人が評価するのではないから
量販店ではどうぞどれでも買ってみてくださいとなる
その中には古いものや店がすすめるものでもその人に合わないものもある
品物の数も少ないから自分で選んで失敗した買い物がある
オカユを作るのを8000円ですすめられて買ったが使いなかった。
ところがアマゾンで4000円のオカユ製造機は良くできているなと感心した。
8000円のすすめられて買って失敗した。
量販店は本当に不親切なのである。

今は物がやたら増えているから何を買っていいか迷うのである。
オカユ製造機でも十もあったりすると何を選んでいいかわからない
店ではどれでもいいから買ってくださいとしか言わない
使った人の評価を聞くことができないのである
こういう点で量販店が通販と比べてかえって不親切だと思った。
ただバッグなどは重さと大きさがわからないので買って失敗したのがいくつかある。
だから店がすへてだめだとはならない
ただ通販とどうしても比べられるようになったのである。

本や雑誌が買わなくなったというとき、特に雑誌は売れなくなったというとき、ネットの影響が大きい。
メデアが変わると表現の仕方も変わることも影響していた。
雑誌とネットの表現の仕方は根本的に違っていた。
ネットでは前は応答が主だったとき長い文章は嫌われていたのである。
短い文で応答するのがネットのメデアの特徴なのである。
それは今でも2chなどでそうである
そういう情報環境になれると人間の頭もそういう環境に適応する
雑誌的情報の出し方が現代に合わないとなってしまった。
新潮などで雑誌を出しているが他にも文藝春秋とかあるがそれには中味があっても
とても全部読む気力もなくなった。
これは老化のためであるが若い人でも雑誌を読まないというとき長いの十人くらいが別々に書いているから全体として理解するのが相当にむずかしい
一人の文を理解するだけで相当に頭を使うから疲れる
それで自分は読もうとしたがギブアップした。
十人もの長い文章を読んで理解することができなくなったのである。
それは別に年取ったからではなく若い人もそうなのである。

一方でプログでもやはり今では長い文を書く人もいるがどっちかというと短い文を毎日出すのが読みやすいとなる。
でもそれなりに長くないとそれは中味がないのでプログで毎日読んでいるのはまれであるプログで毎日それなりの長い文で読めるのを出すのはむずかしいのである。
ただ毎日プログ読んでいると首尾一貫してその人の言いたいことを理解するようになる。だから「心の青雲」などは全部納得できなくても何を言いたいのか理解するようになったただあれだけの内容あるものを書き続けることが普通はできない
だから毎日読めるようなものをプログがまれなのである。
ただプログが長いと言っても雑誌からすると短いから読みやすいのである。
毎日読むにしても苦痛のない量なのである。
もし一カ月分くらいをまとめて読むとしたら雑誌と同じでありとても読めなくなるのである。
毎日少しづづ同じ人の文を読むから理解できるのである。

本が読まれない買わないというときネットのこうした情報環境になれたことも原因である本はたいがい薄くても厚いし情報量が多いのである。
だから本一冊を読むことは苦労なのである。
実際本を千冊買ったとしても理解できるのは百冊が限度である。
それくらいしか生涯で本は読めない
本はそれだけ情報量が多いのである。
そして年取るとますます読めなくなるのである。
実際は若いとき苦労してでも古典などを読んでおくべきなのである。
なぜならあとで読めなくなるからである。

ただ以前として本の種類は膨大である。
だから本を選ぶということも何を買っていいかも迷う
なぜなら本は厚いから買っても全部読むことが苦労だからである。
金もかかるからなかなか買いにくいとなる
それでもネットだけではデープな情報は内容あるものにはふれがたいということはある。本が売れないというときこうした情報環境がちがってきたことに対応できない
買い物でもネット環境に対応できないということがあった。
やたら本の評価を書いている人がふえた。
そしてその本自体を買うのではなくネットでの評価を読んで終わりという人もふえた。
なぜなら本を買うことは金がかかるし読むとなると厚いから苦労するからそうなる。
インターネットは今になると様々に現実社会に影響が大きくなってしまったのである。


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おかゆを作る

4200円では安い優れもの

タグ:通販

2015年02月23日

五本松俳句十句 (日立木から相馬市の城跡へ)


五本松俳句十句


(日立木から相馬市の城跡へ)

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草の花たどれる道や五本松
五本松老人集まり秋日没る
高齢化芒のあわれ五本松
夜もふけぬ月影さして五本松
冬の朝身の引き締まり五本松
冬日没る鬼越館に五本松
五本松ここに変わらじ冬田かな
五本松質実にして冬田かな
春北風に日も暮れなむや五本松
春の暮城跡たずね五本松

昔の街道には浮世絵でも良く松がでてくる。その松もいかにもいい松なのである。
街道にはどこでも松並木がありいい古い松があった。
日本は松の国である。松は何か人間に見えるのである。
今はそうした風景も何か脇道に取り残されたようにある。
それは車社会になったとき街道もすたれ松も映えなくなったのである
車社会は風景も破壊したのである。
五本松はどこにでもあった。それも歩いてゆくとき五本の松があると感じる。
車だったら一本一本の松を感じないからである。
五本松から日立木から松並木を通り相馬の城跡へ行く道は昔の街道を感じる道である。

こういう昔を感じる、歴史を感じるためには何回も日常的に往き来していないと感じられない、季節の変わってゆくなかでも感じるからだ。
自然と人間が一体化するというのは現代では本当にむずかしくなった。
生活のテンポが早すぎることもある。
自然はやはり悠長なときに自然のものと一体化するのである。
ともかく現代は何か自然と一体化しないから人工的になりすぎて索漠とするのである。
あそこに五本松があると何がほっとするのである。
ただ芸術は必ず時代の影響を受ける
高齢化社会だというときあの松も老人なのかと感じる
なぜなら相馬の道の駅にいつも老人がちょうど五六人集まっていたからである。
あそこはそういう場所にふさわしかったのである。
何することもなく集まって日が暮れると去って行っていたのである。
冬はさすがにいなかった。


タグ:五本松

梅咲くー春北風(はるきた)ー日立木から黒木まで


梅咲くー春北風(はるきた)ー(日立木から黒木まで)


まちばばし紅梅咲くや我が来る
春北風や日も暮れなむや五本松

春北風(はるきた)に向かいて走る坂越えて黒木までかも行きて帰りぬ
日立木の薬師堂に咲く紅梅やここに祈りぬ昔の人かな

3カ月ぶりなのか4カ月ぶりなのか相馬市には行けなかった。寒かったのとなかなか介護で出れないためである。
介護でショックだったのは自由に外出もできないことであった。
最近また弱ると手がかかる。便の始末とかでもかかる。
だから家で介護することは離れられなくなるから苦しいのである。
施設だったら誰かが代わってめんどうみるからいい、代わってめんどうみる人が家族にいないと在宅の介護は大変になる。
この辺ではまず特養とかには入れない、まず東京辺りでも介護難民が深刻な問題になる。
今日は風が吹いていた。この風は春北風(はるきた)である。寒くなくあたたかいから風を受けて走ってきた。電動自転車は風とか荷物に強い、馬力があるから風に向かっても走るのである。
相馬市の黒木まで行ってきた。黒木というと結構相馬藩では話題になる黒木氏がいた。
一時は伊達氏についたりした。丸森にも近いからそういう地理的なもので黒木氏が伊達市につくか相馬氏につくかで問題になったのである。


途中日立木の薬師堂によったら紅梅が咲いていた。あそこの薬師堂は何か場所がいいのである。
あそこは何かほっとする場所なのである。それはなんというか場所の不思議である。
日本の神社は場所に意味がある。パアースポットだというのは本当である。
薬師堂というときどこにでもあるがそこは病気の時祈る場所だった。
病院に行くように薬師堂に祈っていたのである。
病院も医者もいないのだから薬師堂に来て祈る他なかったのである。
だからあそこにはなんか場所の力、パワースボットになっているのかもれない。
そういうところでエネルギーをもらえるということもありうる。
ただそれもそこに頼りすぎると危険である。
場所でも頼れば偶像崇拝と同じになるかもしれないからだ。


ただ自分は旅してきたから何か場所にこだわるのである。
何度も書いてきたけど日立木から相馬の城跡までは一番歴史を感じる
相馬藩では日立木から松並木を通り城跡まで行く道が歴史の道である。
そして道の駅に行く所にある五本松は何か心なごむのである。
あの五本松が変わらないということがいいのである。
この辺はあまりにも変わりすぎたから余計にそう思うようになった。
五本松には実は人間を見ているのである。
五本松は人間が変わらずあるというふうに見ているのである。

ともかく今年は寒かった、今日は春だった。ただ風は東風(こち)ではなく春北風(はるきた)だったのである。
春北風とか季語があるのも日本的である。日本では季節が常に変化しているからである。
タグ:春北風

2015年02月20日

事業(原発など)の失敗と戦争の失敗はにている (撤退すること負けること失敗することを事故を想定しない)


 
事業(原発など)の失敗と戦争の失敗はにている

(撤退すること負けること失敗することを事故を想定しない)

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失敗の構図は事業でも戦争でもにている。
なぜ日本軍はこんなに無謀な戦争をしたのだろうかとなる
シンガポールを落とすということは計画的に戦略としてありえた
でもアジア全域に戦線を拡大したのはまさに無謀だった
そしてもう負けることも撤退もなくなっていった
要するに最後は原爆を落とされるまで突き進むほかなかった
なぜなら負けるということが計画にもないし
撤退することもありえない、一億総玉砕の戦争だったからである。



事業というのは経営はあらゆる人間的なことにかかわる。
だから技術者だけで理系だけでは運営できない
職人だったらその技をひたすら磨けがいいとなる
でも経営となると全体にかかわるし一部の狭い分野だけ
を追及しても成功しない
理系だったら何かマニアックでもオタクでも雇われているなら別にかまわない
でも経営となるとまた別なのである。
それは人間的なものモラルとか人格とか何かそうした幅広いものがかかわってくる
だから事業に失敗した人に接してみるとわかる。

その人はなぜ事業に失敗したのか、その人は最高にむずかしい資格をとっていた。
理系の職人として優れていた。
でも事業をはじめたとき、経営をはじめたとき失敗した。
その原因はよくわかないにしろ理系として職人として優れていたから事業も成功するものと思ったのだろう。
だから最初から設備投資も多額であった。それも金を借りてしたのかどうかわからない
その経営にしてもどういう目的があってよりただ金をもうけるということしかなかった
何かのためにするというものはなかった
なんらかの理念にもとづく経営もなかった
経営と商売はにている。成功した商家では家訓とか残っているから経験からそういう家訓が残された。
家訓というときそういう家のものでもやはり歴史の教訓ともなる

人間は事業するとしても戦争でもまず失敗がある負けることもあると想定しないのであるもちろんそんなことをマイナスの面ばかり見ていたら事業などできないというのもわかるでも一方で事業には何が起きるかわからない、だから失敗も負けるということも想定しなければならない
戦争でも負けるということを想定しないから日本軍は負け戦なのにどんどん戦線を拡大していった
それは経営でも事業を拡大して失敗しているのと同じである。
つまり小規模にとどまっていればかえってその経営が成り立つ、あまりに拡大するとかえって失敗するということも常にあることは素人でもテレビなどで紹介ししているからわかる
小規模でもその店のいい点を味わいを出すというのがいいとなると規模を拡大しすぎるとそれができなくなる。

日本軍の失敗は事業を拡大しすぎたことなのである。戦線を無計画に拡大しすぎたのである、朝鮮とか台湾辺りまでに限っていればあんな大失敗にはならなかった。
その人も全国の人を相手に事業をはじめたのも失敗だった。
それも一人でやろうとしたのだから無謀だった。
それは大きな会社ならできるが一人ではとてもできない相談である。
そして事業から撤退できなくなっていた。
事業が実際は失敗していたのに成功を装っていた。
内実は借金で首が回らなくなっていたのが最近まで家族も借金のことを知らなかったのである。
「俺は成功者だ」と装っていたしみんなもあの人は頭がいいから成功していたと思っていたのである。
早めに失敗したのだから撤退していれば傷も浅くてすんだ。
これは日本軍の失敗と同じだった。
早めに負け戦だと悟り戦争をやめて撤退していればあんなに犠牲者が出なかったのであるそれは最近になって盛んに言われるようになった。
負けているのに勝った勝ったという大本営発表しかなかったのである。
事業に失敗していたのに成功していたと装っていると同じだった。
だから事業と戦争はにていると思った。
早めに負けを認め撤退することはそれだけむずかしいということである。

その人は正直職人として技術者としてやっていれば成功者だった
事業経営者や商売人になったとき失敗したのである。
東北人は職人としては向いている。
でも商売人とか事業経営者には向いていていない
商売や事業経営者に向いているのは関西である。
そこにはそれだけの歴史もあるからである。
近江商人とかもそうであり大阪商人もそうである。
そこではそういう人を育てるのである。
東北では農民とか職人は育てられても事業者とか商売人は育てられない
そういう歴史もないのである。
伊達政宗などは何か東北人に思えないのである。
宮城県人は東北人でないというときそういうことなのかとも思う

原発事故でもこれもあまりにも一職人とか理系の技術者とか科学者だけでやれるものではない
総合的なものであり国家的事業でありその指導者も戦争を指導するような人でないとできないというのもわかる。
文系なんか何の役にもたたないとか常に言われるけど原発は理系的なものだから
文系など何の役にもたたず必要ないというのが現実だった
ただそこにも盲点があった。
一見モラルなど関係しない世界のうように見えて関係していた。
科学者は嘘をついてたとかだましていたとかなっていたのである。
科学者は素人は科学のことはしらない原発のことを知らないから簡単にだませるともなっていたのである。

そういうモラルの欠如が事故に結びついていたのである。
科学者も正直であることがむずかしいのである
科学的におかしいことでも曲げて発表する
御用学者は事故が起きたとき盛んに原子炉は安全だと言っていた。
メルトダウンはしないと言っていた。
でもメルトダウンしていたのである。
人間は成功ばかりみて失敗を想定しない、いいことばかりみて悪いことを見ないようにする、そこに落とし穴があった。
悪いこと想定して事業もはじめねばならなかったのである。
戦争でもそうである、負けることがあり負けたらどうするかとういことを想定する必要があった。
しかし天皇教となり神国だから負けないとなっていて撤退もできなくなっていたのである。それで百万人死んだというからその罪も重いのである。
原発は戦争と違う、事故が起きたらと明らかに科学者なら放射能のことを知っているのだからシュミレーションできたし事前に訓練もできたのである。
そんなことをすると安全でないと原発を作れないのでしなかったのである。

つまり戦争も原発事故もリスクがあることを正直に言わなかった。
株なんか元金がなくなることもありますよとリスクを言っている。
だから元金までなくなっても株している人は文句いわないのである。
そういうものだとしてやっているからである。
もちろんそうなると戦争でも原発でもできないことになるかもしれない
戦争で負けるかもしれませんと言ったら誰もついてこないかもしれない
原発でも危険を言ったら誰も建てろと言わない
でもそのリスクの責任をとらされるのは国民であり住民なのである。
だから300万人も戦死した責任を誰をとるのかとなる
もし国民がそういうリスクを納得して戦争するならいい
原発でもそのリスクを納得して建てるならいい
そのリスクを隠して全くないようにして事をすすめることは誰の責任となるかである
国民が主権の時代なら国民に知らされないとしたら誰が責任をもつのかとなる。
要するに戦争でも原発でも事業でも重大な責任が課せられている。
だからこそ失敗したときどうするのかとかマイナスの面も想定しておく必要があった。
そうすれば犠牲も最小限ですんだとなる。


タグ:事業の失敗
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寒もどる (地理的一体感がもてるの30キロ圏内ー相馬藩の規模がほぼそれにあたる)


寒もどる

(地理的一体感がもてるの30キロ圏内ー

相馬藩の規模がほぼそれにあたる)

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飯館の方に雪ふり寒もどる東風吹くあとに北風の吹く

今日は朝は晴れて気持ちいいなと思ったら午後からは曇り山の方を見ると厚い雲におおわれ雪になっていた。
飯館村の方である。飯館村は標高が高いから寒いし山陰には雪が溶けず積もっていることがある。
それでも山の方を見れば南相馬市からは飯館の方を望む
すると飯館の方を思うから地理的一体感がもてる
飯館村に行くには標高が高いから自転車だと苦労するのである。
でも何度も自転車で峠を越えて行ったのである。
でも最近は一年は行っていない、葦がしげる原野になってしまったからだ
相馬藩は何か小さいから距離的に自転車でも日帰りで行ける範囲だから一体感がもてる。でも30キロ圏内が浪江まででありその辺までが地理的一体感がもてる
双葉や大熊になると何か相馬藩内でも遠い感じがする
そこはもともと相馬藩の境だったことでもわかる
そこは明治まで原野であり森であり開墾された地域だった。

この辺の気候は今日の気候に顕著に現れている。
最初東風(こち)が吹いたのである。
次に北風が吹き山の方は飯館の方は雪だったのである。
これは今頃の典型的なこの辺の気候なのである。
この辺のこうした気候が原発で災いした。
ちょうど東風が吹きその風に乗って飯館村から二本松市や福島市まで放射性物質を運んだのである。
その時雪がまた降っていてその雪と共に放射性物質がふったのである。
だから一番気候的に悪いときに原発事故も起きたのである。
悪いことには悪いことが重なるというのは本当である
ともかく30キロ圏内まで放射性物質の汚染で危険な地域とされて避難した。
鹿島区はちょうどその30キロからわずかにはずれていたのである。
そしてその30キロ圏内が地理的一体感をもてる所だったのである。
人間的感覚では30キロ圏内が地理的一体感を感じる
風土というとき風なのだがまずその地方地方の風を感じるのは住まないかぎりわからないまず会津とか浜通りは全く違った風土なのである。
雪がふらないということでも全く違っている。
だから地理的にも気候的にも会津は別な世界である。

ともかく原発から30キロ地点まで避難区域になったが地理的一体感をもてるのは自分の住んでいる所から30キロ圏内が標準である。
ただこれは距離で計られるものではない、地形は複雑だから距離だけでは計れない
その土地の風土を知るのは肌で知るというか実地にしるというか実測で知るというか
人間的感覚で知るとならないとわからない
だから自分が自転車で阿武隈高原を越えて猪苗代湖の福良を湖南を回り会津の市街に出たとき地理を人間的感覚でわかってのである。
車だとまた風とか峠の感覚とかがわからなくなるから旅にならない
地形を体で感じたとき地理もわかるのである。
今日の天気はこの辺の典型的な気候が顕著に現れた。
まだまだ寒もどるであるが東風が吹いてくるから春も近い。
天候は自分の住んでいる30キロ圏内では共通性があるが
どこでも30キロを越えると共通性がなくなるかもしれない
天候は30キロ内で共通性があってもそれを越えるとないとなれば
天候は日本だけでもいかに多様かわかる
いづれにしろ風を感じることがまた季節を感じることなのである。


タグ:寒もどる

2015年02月19日

ありもしない妄想を作り出す人間の心理 (最近のSTAP細胞やイスラム国やカルト宗教団体の深層は何なのか)


 
ありもしない妄想を作り出す人間の心理


(最近のSTAP細胞やイスラム国やカルト宗教団体の深層は何なのか)

人間の特徴は様々あるけど動物はただ日々の餌がとれれば満足している。
その他のことはなにもしない、あとは生殖の本能であり何もしない
これも考えてみると単純な生活だと思う。
今日食えるものがあれば満足であり他のことは何も考えない
人間の特徴は毎日食べることの他に様々なことに労力を費やすのが特徴なのである。
その一つにありもしない妄想と幻影とかに左右される、ありもしない妄想を作り出すのが人間なのである。その妄想が現実蜷ということで行動するのである。
人間の複雑さは計りしれない、だから心理学というのが現代的学問なのである。
あらゆることに心理学が必要になる。
宗教と心理学は最も密接にかかわっている。
なぜ人はカルト宗教団体に入るのかとなるとそれは信仰とか宗教の問題ではない
人間の心理を解明することである


心理学は科学の分野でもかかわるものになっている。
科学は人間の心理とは関係ない、数式を解くような世界だと思っている
でもstap細胞騒ぎを考えてみると不思議である。
なぜあのような問題が起きたのか?
武田邦彦氏は小保方さんには何の罪もないという、それもそうなのかもしれない。
科学者であり冷静に見ればそうなるのかもしれない。
ただこれを心理学的に解明すると人間的にそういうことはありうることである。
科学の研究者は地味である。毎日試験管で細密な実験をくりかえしている。
それは途方もない根気のいる実りもない目立たない世界でもある。
それが突然万能細胞を発見したとなり小保方さんという若い女性がエプロン姿で脚光をあびたのである。

それは何を意味しているのか?
小保方さんに罪がないというとき小保方さんの成果を理研が盗んだという時、そもそも理研では一時は万能細胞を信じたのである。
その万能細胞があるかないかは不確かであった。
ただそういう願望が理研全体でも小保方さんでも夢見ていた。
だからそういうふうに毎日地味な研究していれば万能細胞があるんだということを妄想する。それは人間的に誰でもありうることだし人間の心理として理解できるのである。
人間はまた自分のみじめな貧乏であれ何か弱さをもっているとそうでないものに憧れか金持ちになることを妄想する
厳しい酷い現実から脱出するためにありもしないことでも妄想して現実のように思うことは良くありうるのである。
だから小保方さんでも理研全体でも毎日実験を重ねているのだから万能細胞が作れたというとき理研全体が上の人もその時信じたのだろう。
科学でも何の成果が出せないと社会から認められないこともある。
だからなんとか成果を出そうとしてありもしない万能細胞でも妄想でも作り出すということがある。
つまり人間は万能細胞であれ万能人間をスーパーマンになることを夢見ているのである。
それは人間の極めて心理的な特徴なのである。

そういうことはいろんな分野で起きてくるし歴史的にも起きてきた。
人間は誇大妄想が働く、その誇大妄想が大きければ大きいほどその妄想のために人が死んだり命までかけてきたのである。
それはナチスのアーリア人が最優秀民族であり世界はアーリア民族に支配されねばならないとか日本でもアジア共栄圏を作り日本が指導せねばならぬとかである。
イスラム国でもカリフの時代を復興させるのだというのもそうである。
そこには貧乏や今の厳しい状況にある人には甘いものとしてその巨大な妄想が現実化すると思って命までかけているのである。
妄想が現実化すると思うのはやはり苦しい状況から脱することがてきると思うからであるstap細胞騒動でも日々の地味な実験の積み重ねに疲れて万能細胞を妄想して現実にあると見えたのである。


人間は本当にありもしない妄想を見てその妄想でも幻影でも現実にみる。
そういうことはバーチャルな情報社会になると余計になりやすい。
マスコミも妄想を作り出すのである。マスコミが幻影を真実のように報道するのである。オウムでもオウム王国ができて麻原は日本の王になると宣言していた。
それがた妄想でもそういう妄想が現実化すると思っていたからあのような殺人集団にもなった。
それはカルト宗教団体はみなそうである。
創価でも池田大作が日本の王になると会員は思って活動していた。「世界広宣流布」とかいうのもそうである。創価が遂にはナチスと同じように世界を支配するという妄想であるそれがありもしないことでも何か妄想が大きければ大きいほど人間はだまされやすいのである。その妄想がかえって現実味がなくてもその妄想のために命までかけるということである。
日本のアジア共栄圏なども中国というと馬鹿でかいのだからそこを支配するということはどれだけ容易なことではないか現実的に考えればそうだが妄想化するとそうではなくなるアジア全域まで日本の支配下になるという巨大な妄想に憑かれたのである。
イスラム国でもそういうカリフの時代の領土の拡張を妄想しているのである。


原発事故でも科学者が百万年に一回しか事故が起きないと確率で計算したとか言うときそれはただの願望であり妄想であった。
でも政府から官僚から検察からマスコミから東電と一体となったときその「安全神話」は妄想でもあったが現実のものとして信じられたのである。
本当は事故は起きてもらいたくないという願望が「安全神話」を作っていたのである。
だからこれも人間の願望としての妄想が働いていたのである。
科学者は放射能をのことを知っているから事故が起きることはありえる起きたらどうなるのかとかシュミレーションできたのである。
でも「安全神話」作りそういう作業を怠りただ事故は起きない、起きないで欲しいが事故は絶対に起きないという強い願望になり「安全神話」は形成されたのである。
それができたのは権力が現実社会に働き操作したからである。
アジア共栄圏とか創価王国とかオウム王国がイスラム国が妄想としてもそこに権力が実際に作用してくれば妄想でもその妄想への現実化のために働くということになる。
そういう妄想が魅力があるのはかえってあたえないこと現実離れしていることになるのだ日々地味な仕事をしているのが人間である。
それがそうした壮大な妄想を見るとそういう日々の地味な現実から一時でも脱出できるということが人間がありもしない妄想を作りだす原因なのである。

タグ:STAP細胞
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2015年02月18日

森に埋もれた境石


森に埋もれた境石

東村があり西村があった。それは江戸時代からあり長い間二つの村の境石として呼ばれていた。それは二つの村を分けるものでありしるしでありみんなが言い伝えられて知っていたその石は風が吹き鳴り雨がふり雪がふる日もそこに長い間村人とともにあった。
その境石がとまどうことになったのはこの辺に起きた放射能騒ぎだった。
原発事故があり放射能で村は森も山も自然全部が汚染されたのである。
それで村人も住めなくなり人がいなくなってしまった。
田畑があった所は葦がぼうぼうとしげり元あった自然にもどった。
そこには人々の生活はなくなり葦など元の自然にもどる。
イノシシなどが出てきて土を掘り起こし田畑は荒れるばかりだった。
普通見られない羚羊まで里におりてきていたのだ。
境石はいぶかった。
「村人はどこに行ったのだ、人影も家もなくなっているみたいだ」
「もうみんな村から出て行ったよ、誰もいなくなったよ」
そう言ったのは人がいなくなり自由におそれるさとなく出てきている猿だった。
「そんなことあんのか、ありえん」
「世の中はな、ありえないことが起きるんだよ」
「どういうことなんだこれは」
「見ればわかるべえ、人はいなくなり家もない、ただ葦がしげっているだけだべぇ」
境石はそれが納得できなかった。
「西村も東村もなくなったら境石としてある意味もなくなるんだ」
「まあ、そういうことだな」
「俺はここに何百年と村人ともにあったんだ、そんな簡単になくなっては困る」
「そんなこと言ってもこれがまぎれもない現実なんだよ」
猿はこう言って森の奥に仲間とともに消えた。境石はまだ納得がいかなかった。
「俺は境石なんだ、東村と西村がありその境石として何百年もあったんだ、それを簡単に変えられるか、東村と西村は水のことで争ったりもした、そういうことを伝える石でもあるんだ」
そうは言っても時間がたつのも過ぎるのも早かった。辺りはまもなく葦がしげりおおわれてしまった。その境石も葦におおわれみえなくなるほどだった。
それでも境石は言い続けた。
「俺は境石なんだよ、村人が消えても葦におおわれても境石なんだ」
しかし葦だけではない葦から樹も生えてやがて林になり森になってしまった。
それは大昔の村人が住まない状態にもどっていた。
そんな森の中に境石は取り残されてしまった。
「俺は東村と西村の境石なんだよ、何百年もそうしていたんだ」
でも森の樹はさらに密生してそこは道もない状態にもどった。
そして森に向かっても叫んだ。
「俺は東村と西村の境石なんだ、境石なんだ」
そしたら深い森なってしまった森の神の声だろうか聞こえた。
「境石よ、もうここには東村も西村もない、どっちの村も消えたのじゃ」
「じゃ、俺は何の石なんだ」
「ただの前から名前のない石だよ」
「そんなの嫌だよ、俺は境石なんだよ」
「まあ、そうして叫んでいるのもいいだろう、やがては忘れるだろう」
こう森からの声はその境石に言いきかせた。森はさらに樹が増えて暗くなりさらに深くその境石をおおってしまったのである。
そして森の声は言い聞かせる。
「もう東村も西村もない、争うこともない、ただ名もない石に帰る」
しかしそれからも境石は境石とさけびつづけていた。
でもだんだんその声も弱くなりかてかとなっていった。
「俺は境石なんだ、境石なんだ・・・」
なおもかすかでも言い続けているが森は深くなり風が森に鳴りその声もひびかなくなっていったのである。

タグ:境石
posted by 老鶯 at 20:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 童話

庭の石(石や樹を人間のように見ているー人とともにあった石や樹)


庭の石(石や樹を人間のように見ているー人とともにあった石や樹)


新しく庭に置きにし石一つ北風鳴りてここに落ち着く

しばしあり老人施設に掃除する女(ひと)のありしも冬のくれかな


庭の石は自然の石とは違って毎日見ているから石でも家族のようにさえ見えることがあるだろう。
山の奥にある石とまた違っている。
その石とは人間をイメージするし人間なのである。
最近知り合った人で家に来るからその人をイメージする
一年くらいつきあっているからその人を石のようにイメージする
人間は親しくなるにも時間がかかるし信頼し合う関係になるのも時間がかかる
とても一年とかでは信頼関係は結べない
家族は長い時間で形成されるから家族のような関係になることはむずかしい
だから離婚することは相当な損失ではないか?
なぜなら人間の時間は限られているし何度も結婚して信頼関係など結べない
そんな時間がないから離婚することその時間がもったいなとなる。
それでも熟年離婚もあるから何かその辺がわからないのである。

ふりかえると自分が生まれたときからこの家を自分がになっていた。
実際に自分の家に残ったのは跡を継ぐのは自分一人しかいなくなったからである。
石でもそれは人間である。雨風に打たれ雪がつもりその石にも季節がめぐり石は庭になじみ落ち着いてくる。それはまだ半年もたたないくらいだけど何かなじんできたという感じになるのも不思議である。
それは身近で見ているからそう感じるのである。
雨風に打たれ雪がつもるというときそれは石に人間を感じているし石を通じて人間を見ているのである。庭の石は特にそうである。
だからいつも不思議に見ていたのは津波の跡に残された樹である。
あれがなんとも表現しがたいのである。
日本の樹がそこを離れがたく立っている、長年一緒にいた夫婦のように家族の一員のように見える、それが家がなくなり何か悄然として取り残されたように立っている
それはまるで人間のように見えたのである。
一方で津波の跡に松原がなくなり一本松が残っているというときそれは庭にあった樹とも違う。それも人間的なのだが庭に立っている樹とは違っている
そもそも松原は家の庭にあるものとは違っているからである。

ともかく津波とか原発事故で感じたことは避難区域では人が住んでいない、そしてもう人が住まないのかとなった。
その時自分は石をテーマにしているから何かしら謂われのある石がある。
境の石とか何か樹でも謂われのある古い石や樹がある
それは長い時間の中で何百年とかあるものはそれは村とかと一体となっている
人間化した石なのである。
だからもともとある自然の石とは違っているのである。
だか人がいなくなったときそういう石はその村の一部となっているとき
何か取り残されたような感じになる
別に石なんかどうでもいいともなるが言いたいことはその石をその村と一緒に歴史を刻んだ石だということである
それは庭の石より古くその村と共に長い時間を刻んだ石なのである。
そしてまだ見いだされていない石がある。
それはまだ人間化していない石でありそのことを詩にしたりした。


長い間人が住んで歴史を刻んだ土地に人が住まなくなるとどうなるのか?
それが今回の津波でも原発事故でも問われたことである。
そういう長い時間で形成されたものが失われることの問題である
それは別に古い家でないにしろ二代くらいでも自分の家のことなど書いたが
それなりの歴史を刻んできている。
だから農家辺りだと江戸時代からあるのも普通である。
そういう歴史が消失することはどういうことなのかとなる
そんなことを考えもしなかったろう。
人間でも村でも故郷でもどこでも人間は一代だけで作られているのではないということである。
人間は歴史的存在である、動物には歴史はない、自然そのままでも歴史はない
人間だけが歴史を作り歴史的存在としてある
そこに人間の意味があるから避難区域に人が住まなくなるということはその土地自体の歴史の消失なのである。
ではそうした謂われ石が元の自然に帰るかというとそうはならない
やはりその村でも町でも石はやはりそこに住んでいた人間を語りつづけるのである

近くの介護施設で一生懸命掃除している女(ヒト)を見た
その時感じることは掃除している女性でもそれはその建物があり介護のために仕えているということである。
それは病院でも感じた、掃除している女性にはあまり注意を払わない
医者とか看護師は注目している
しかし掃除している女性を見ていると働いてくれているなと感じるのである。
でもがっかりするのは金のない貧乏な女性が馬券売り場で掃除の仕事できるからあってもいんだよなとかパチンコ屋だって仕事になるからいいんだよなとか
貧乏だからそういう発想になる、それは原発があったほうがいいんだよ、金になるんだからと同じ発想になるのである。
この辺では他でも人手不足で困っているのだから実際は全体で迷惑になっていることがある。
パチンコ屋で人手たりなくて困っているんだよとかおかしいのである。
その女性は借金しているからしかたなく行っているが何でも金になるからいいとはならない、そこに貧乏な人や思慮のない人の問題がある

この辺でもこんな状態でないならあんまりそういうことは言わなかったろう
毎日補償金でパチンコ屋通いとなると他から見ても何だろうとなる
こんなところで仕事しても馬鹿らしいと他の人も思って地元の人と喧嘩になったりしたのもわかる
そういうことをわきまえなければならないのだがしない、もちろん何もできないとか事情はある。
でも何かわきまえることがないから仮設に補償金をもらっていい暮らししている人は非難されるのである。
まあ、後一年でそうした仮設暮らしも終わるからまた違ったものとなってくる
その時五年間の時間の浪費がひびいてくるということもある
もっと何かしていれば良かったとかなるかもしれない
五年は長かったのである
その時間もまた浪費されたとなる


介護の仕事など誰もしたくないし意味がないとか盛んに言われるけどこれも豊かな時代に生まれた仕事なのだろう。貧乏だったら介護ということが仕事になるということはない
もともと家でしていたし介護するまでもなく人は早く死んでいったからである。
今は介護になって暮らす時間が長いということである。
百歳で終わりだともならない、確かに弱っているからあと数カ月の命なのかとも思う
でもまたそれもわからないのである。
だから介護社会というのは社会的な負担もそうだが家族の負担も大きいのである。
会社をやめて介護したりとか本当に切実なのである。
そして介護はそれなりに金もかかるのである。
でも介護から逃れることはできない、介護社会なのである。

タグ:庭の石

2015年02月17日

抽象画(電脳ーelectric brain)


 
抽象画(電脳ーelctric brain)


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電脳細胞

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脳に電気が流れているとか、細胞にも電気が流れニューロンが結合して記憶が働くとか
人間の脳は誰もわからない、電波を脳から出しているというのも科学的に証明されている
ベーター波とかアルファ波とかである。電気が流れ電波が出ている
人間の脳も神秘的であり誰もわからない
だから脳という物質があったとしてもそれは霊の作用だとなるのである。
科学的には説明できないものはそうなる
そもそもこの世のことをすべて科学では説明できない
それは永遠にできない、すべてを知るのは神だけだとなるからである
神が創り主だから当然だとなる
要するに人間か作られたのは奇跡だとなる

そして人間を誤解しているのは人間はどんな親から生まれようと
人間はその後の環境や努力やそのほかの要素で作られてゆく要素が大きいのである。
天才は別にして普通の人はそうである
人間とは後天的な作用の方が大きい
だから人間は後天的なもので環境であれ何であれ作られてゆくものである
脳は先天的なものではない、後天的に作られてゆくものである。
だから感性までも日々の蓄積で作られてゆく
脳が感性を日々蓄積して脳を作ってゆくのである
だから人間の脳は一生で二割しか使われていないというとき
脳を十分に使いこなししている人がいないてのである。
本能とか酒を飲んで脳を麻痺するとか何か様々な欲望などで真善美が見えなくなっているのである。

原発事故の原因も東京と地方の問題 (戦後の東京一極集中などの国土のアンバランスによる)


原発事故の原因も東京と地方の問題

(戦後の東京一極集中などの国土のアンバランスによる)

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●戦後の焼け野原から始まった日本

原発事故の原因をいろいろ探求してきたけど戦後の日本の経済をふりかえると戦争の後焼け野原になったとき戦争の引揚者が職もなく開拓に入った。
そういう人が小池にいたことを知っている。
まだその時農業主体の生活だったのである。
戦後十年の生活は何度も書いているように江戸時代から戦前の生活のつづきだったのである。燃料は炭だし家には裸電球一つでありまず何もない生活だったのである。
その時いいかえっていい生活していたのは農家の方だったのである。
なぜなら納豆まで作っていたし何もないとき自家生産だから食べ物はあったとなる。
燃料でも裏山の薪とかでありまかなえた。
卵でも農家では鶏を飼っていたから食べていたが街の方では食べていないのである。
だから自分の家で店をはじめたとき卵を買いに行っていたのである。

埃がたつガタガタの木の橋の道
自転車で卵買いに行く
糠に入れた卵はガタガタ道で一個か二個は割れる
母は新聞紙で袋を作りお菓子でも何でもバラ売り
近くの酒屋にも樽から酒をついでもらう
みんなその日その日をまかなう生活
銭函にチャリンと銭が入るとき喜びの時
父はキセルをスパスパと吸い
炉端で栗の焼けるのを待つ
酒の肴はミソを焼いたもの
風呂は外風呂で父が手作りした鉄砲風呂
新聞紙がたきつけになりバタを燃やす
家にあるのは飯台一つ

こんな生活でありかえって農家の方が豊かだったのである。
もともと農家が豊かだったというときそれは何でも自給自足していたからである
その当時物がないのだから買う金もないのだから農家の方が豊かだったとなる

●東京に金の卵を送りだしときから東京と地方はいびつな関係に

それが戦後十年たったころから急速に高度成長に入ったのである。
それで中卒が金の卵として人手不足の東京に送られた。
その辺から東京と地方のいびつな関係がはじまっていたのである。
東京に石炭や木材や石材などでも資材を送っているときはバランスがとれていた。
地方の資源が活かされて鉄道輸送が盛んであり原町とか平機関区があり
森林鉄道が全国にあり資材が東京に運ばれたのである。
ただその時から地方は東京への人手を供給するものになっていた。
その後も農家はやっていけないと東京への出稼ぎ時代になった。
実はこの出稼ぎが原発と深い関係があった。
なぜなら出稼ぎをなくしたくて地元で暮らしていきたくて原発が誘致されたのである。
特に双葉や大熊は相馬市や原町市から比べると工場などが誘致されていなかった。
今でも双葉や大熊には大きい病院がないから浪江でも車で通っていたのである。
そういう不便な所が双葉や大熊地域だったのである。
だからそこに原発を誘致しようとなった。
東京でも原発を福島に作った方がいいとなったのである。
双方の要望が一致したから原発は積極的に誘致されて作られたのである。

東京と地方の関係は中卒の金の卵を送り出したときから何かいびつになっていたのである東京には労働力を出して地方から人が出て行く時代はこの時から始まっていたのである。出稼ぎ時代もそうである。
そして見返りとして今度は地方には公共事業で潤す、それも無駄でもそうして地方を支えた。その公共事業も環境破壊にもなった。
それから減反とかなり補助金を出すというのも地方の農業をいびつにしたのである。
南相馬市の桜井市長が産業廃棄物の運動がきっかけで市長になったことも象徴的である
戦後の経済をみると何か中央と東京と地方のアンパランスから様々な問題が生まれてきた原発事故もその一つだった。
国土形成が東京一極集中になり地方は衰退してアンバランスになっことが原因していたのである。
日本の国土形成のビジョンというか計画性のなさというか全体のバランスを欠いたものとなりそれが原発事故にもつながっていた。
地方が衰退するとき原発事故が地方にばらまかれるというのもそのためである。
原発が建つと地元に仕事もできるし地元で生活もできるからいいとなった。
そこにまた落とし穴があったのである。
地方が衰退して廃棄物処理場とするともにている。
その廃棄物処理が今度は高齢化社会で膨大な介護難民が生まれもう介護で働く人がたりなくなり施設ではショートスティまで断っているという。
離職して介護で働き盛りの人まで失っているのは深刻である。
今度はその不用となった老人の廃棄物処理をしてくれと地方に頼んでいるのもまた東京一極集中と地方の問題になっている。

●地方は中央東京によってふりまわされただけ

地方は地方で地方独自のビジョン政策でやっていこうなどということもない、中央の言いなりであり中央東京頼りだとなる。
それもまだ原発事故を起こした原因だった。
結局地方は中央に東京にふりまわされていた経済だった。
独自の経済政策とかその土地独自の道を見いだすことがなく地方は衰退した。
そういう国全体の国土のアンバランスが原発事故につながっていたのである。
だから原発は東京に建てろというときそれなりに正論だったのである。
では地方はどうするのかとなるとそれは地方で模索して地方独自のものを生み出すほかないとなる。
そうなると貧乏からぬけだせないとなるがそれもまた地方に生きることであり
その貧乏でもこんな自然破壊までして住めなくなるよりは良かったともなっていたのである。

中央東京から地方にあてがわれたのは
自然破壊の公共事業
農民への補助金
廃棄物処理の土地
原発を建てて放射能の廃棄物処理場
そして介護老人の地方への移譲

本当に東京と中央と地方の関係はいびつでありそれは国政と深く関係していた。
国政が中央と地方のアンパランスに取り組めなかった。
国政だけでは無理であるが経済活動のアンパランスが原発事故の要因になっていた。
東京の巨大化は一極集中はやがて国自体の崩壊にも通じている。
なぜなら大災害が起きたら東京の壊滅が起こりかねないからである。
そんなことはないというが今回の津波のように想定外のことがおこりうるのである。
もし国土が地方でもバランスとれて発展していたらそういうことはないのである。
東京一極集中が国土のアンバランスを作り出して国土全体を荒廃させるということがあった。
ただこの東京一極集中とか国土改革になると戦争よりむずかしいかもしれない
現実に東京からの遷都問題はいつのまにか終わり以前として東京一極集中は肥大化しているからである。
田舎に住むことは田園都市が理想としてある。
東京ではそれは無理である。不思議なのは大正時代辺りだと人口が6千万だったということが信じられない、そういう時代は都会はいいものであり憧れの的だった
だから山村暮鳥などでもホイットマンでも都会は賛美されていたのである。
それが都会がそれから百倍とかに拡大したときもう人間離れしたものとなっていたのである。

タグ:東京と地方
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2015年02月16日

イスラム国と明治維新の共通性 (尊皇主義とか日蓮主義はイスラム原理主義とにている)

イスラム国と明治維新の共通性

(尊皇攘夷と日蓮主義はイスラム原理主義とにている)

●水戸学の尊皇攘夷からはじまった明治維新

明治維新も謎である。今になって様々な見方が生まれている。吉田松陰をテロリストに過ぎなかったという意見もあからさまに出ている。
これも今のイスラム社会に起きていることと比べるとにた所がある。
つまり「イスラム原理主義」とは「尊皇攘夷」ではないか?
水戸学から生まれた過激な尊皇攘夷が吉田松陰の思想のパックポーンになっていった。
それは西欧文明の挑戦を受けた時、イスラム原理主義が勃興するように日本では尊皇攘夷が席巻したのである。
「攘夷」とは外国人であれ外国文化そのものの排斥なのである。
イスラム社会は宗教と一体化しているから余計にそうなりやすいのである。
その過激な尊皇攘夷思想が外国の文明に挑戦を受けた時そうなりやすいのである。
イスラム原理主義と尊皇攘夷はにているのである

ただ吉田松陰の思想は結局浅薄でありただ外国人を排斥してアジア侵略の思想をかかげてそれを継承して太平洋戦争と受け継がれたのである。
「大和魂」とは「大和心」とはまるで違った戦闘的なものであり対外的に戦争へ向かう危険なものだったのである。
明治維新はそうした危険な思想も生み出す混乱状態だったのである。
天皇の現人神(あらひとかみ)信仰が継承されたのは尊皇攘夷の思想が現実に適応されたのである。
今でも長州閥の系統が安倍首相のように政権にあり岩倉具視の言葉を引用しているけど
岩倉具視は相当な悪人として今では他では断罪している
天皇を利用して政治を曲げたとものとして断罪されている。


最初は外国に対して尊皇攘夷であり過激な日本的民族主義が起きた。
井伊直弼が水戸の尊皇攘夷はによって暗殺されたのは開国を唱えたからである。
江戸幕府の方が佐幕派の方がその時世界の潮流を感じて開国を唱えていたのである。
江戸幕府の方が現実的だったのである。
尊皇となるとイスラム原理主義のように過激になり外国の文化でも何でも拒否することになる。

幕府は列強の要求を今拒めば武力衝突になり、日本は敗北すると読んで開国に踏み切り、港の開放や西洋の制度導入や通商に行こうとしました。他方、朝廷は日本の伝統が汚されるとして外国人はことごとく排斥し西洋の制度など受け入れまいとしました。民衆の多くは尊王攘夷に傾きました。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7927183.html

インターネットの面白さは同じことを考えている人がどこかにいることである。
他にも明治維新の水戸の尊皇攘夷が過ちだったという人がインターネットを調べれば多いのである。
明治維新の誤解は幕府が攘夷で開国ではないという錯覚がある。
先進的なのは尊皇攘夷だという誤解である。
徳川幕府の方が開国であり現実路線だったのである。
だから大政奉還にもなった。

●尊皇攘夷のカルト的熱狂の過ち

ただ外国も日本を植民地化しようとしていたのだからそれへの対抗もあった。
その過激な尊皇主義が江戸幕府の佐幕派に対して敵対するようになった。
徳川政権が尊皇に敵対するものとして長州と薩摩が合体し攻撃する
そうなったのは過激な尊皇主義がはじめにありそれが宗教的な熱意ともなり
明治維新のマイナス面としてのちのちまで太平洋戦争まで継続されたのである。
ただその時西欧列強に対抗するためには日本は強固に一体とならねばならない
徳川封建制ではそれができない、一つにするためには強力な象徴として天皇がもちあげられたのである。
その時庶民にとっては天皇はなじみがない、江戸時代には天皇のことを良く知らない
藩の中で殿様のことが暮らしていくなかでは一番重要だった。
天皇が暮らしの中で何か影響しているということはない
伊勢参りの流行も別に天皇崇拝とは関係していない、ただ旅として見聞を広めるものとして盛んになったのである。
だからどうして尊皇に庶民まで熱狂したかわからない。
イスラム原理主義はあれだけ宗教に支配されているから下からも起こりえる
尊皇主義が特殊な一部の水戸学派から吉田松陰によりナショナリズムとなる危険な思想だったのである。


つまりカルト宗教的なところがある。カルト的熱狂があった。
カルト的熱狂とは間違った熱狂なのである。
「大和魂」とかはカルト的危険な思想として太平洋戦争に継承されたことでもわかる。
それは今でも創価であれ日蓮系統の団体に継続されている。
日蓮宗とイスラム教はにているのだ。
王仏冥合の思想は政治と仏教の世界観であり。法華経を政治の根幹にして社会を仏国土にするという思想である。
だから日蓮宗関係は太平洋戦争でもそれを実践したのである
それはイスラム原理主義とにているのである。
創価でもだから政治は政治として政教分離的に考えることに会員でも反対している人がいる。それは日蓮の思想を実践するとなれば当然そうなる。
ただ創価などでもそうした団体は政治権力をにぎり自分たちの世俗的欲望を満たすことしか考えていない、それは中国の共産主義と同じである。
宗教がなぜ政治権力と一体になることが拒否されたのか、それは必ず権力をもてば人間は腐敗するからである。
それが2千年のカトリックの歴史で証明されているからである。
だからイスラムにそうした歴史がないということが理解できない面なのである。
イスラムの歴史について知っている人はごく一部の学者くらいなのである。
イスラムでも王族と庶民では大きな格差がありその不満分子がイスラム国に流れているのである。

●イスラム原理主義と尊皇攘夷と日蓮主義は似ている

イスラム原理主義と過激な日蓮主義がにているのだ。日蓮主義は日本民族主義となるがイスラム原理主義はカリフ時代の広範囲なイスラム社会への復古なのである。
その相違はあるにしても政教一致だからにているのである。
世界史では欧米文明が世界の標準化されたのが現実である。
それに反するものは世界的な基準に合わないものとして排斥される。
でもアメリカが矛盾しているのは自らが作った世界標準として国家主権をイラク戦争で踏みにじったことなのである。
まず国家主権を踏みにじれば国家は存続できなくなりイスラム国のような無法団体が生じた。
だから主権国家は簡単に破壊するべきではなかったのである。

そもそも日本の徳川幕藩体制でもそれを作り上げるにはどれだけ努力したかでもわかる。関所をあれだけ作り船にしても技術改良をさせなかった。
だから船でも技術改良を禁止して海外に出れないようにした。
そもそもがなぜ駕籠のような原始的なものが通用していたのか不思議である。
それは技術の発展をさせないので国の安定を第一にしたからだともとれる
もし技術が発展したら交通が発達して自由に往き来できたら幕藩体制は崩壊したかもしれないからである。
でも開国してからたちまち外洋に出る船を作り出しているのも日本人の技術を習得は早かったとなる。ということは江戸時代は何か技術を幕府で制限していたからだとなる。
イスラム社会ではなぜ技術が発達しないかの?自分の国で石油精製もできないのか?
そのことが格差を生み不満となりテロともなっているからである。
日本では技術に関しては西欧に追いつき方が早かったのである。

イスラムが全盛時代は文化的にもイスラムは全盛時代でありその建築とか医術とか数学とかがヨーロッパに流入してルネサンスが生まれたのである。
ただ暴力だけではテロだけでは文明は成立しないし興隆しないのである。
文明が興隆するということは必ず文化面での興隆があったからである。
西欧文明の批判はあるがやはり様々なもものを科学であれ法律であれ新しい思想であれもたらしたから評価されるのであり暴力だけでは何ら評価されない。
それはただ野蛮だとなってしまうのである。
江戸時代のシステムが完成されていて評価すべきものだというがそうした技術や新しいものを取り入れることを拒絶していた
それはイスラム社会が停滞しているように西欧社会に伍することはなかった。
イスラム国がインターネットを使って広報活動して世界に影響したのもまさにアメリカが発明した通信技術を取り入れたからである。
広報宣伝力の影響力も現代は大きいのである。本当はイスラム国は小さいものでも大きく見えてしまうのである。
要するに力が正義だけでは世界は治められない、アメリカがいくら軍事力で強大でも反発は必ず起きてくる。ただイスラム国にどう対処するのか?

アラブ人はキリスト教建築から多くのことを学びそれを凌駕するような建築物をつくろうと努力しました。
イスラームのモスクはキリスト教の教会よりも美しい建物でなくてはならなかったからです
その結果生まれた独自の建築様式はエジプトやシリアなどを征服したとき周囲の非イスラム社会に対して
イスラーム文明の存在を強烈にアピールする効果をもっていいました
(世界の歴史ーJ.Mロバーツ)

文明が世界に普及するときは必ず軍事面の制服だけではない、文化面での技術などでも新しいものが取り入れられるから受け入れられるのである。イスラム国のようにな野蛮だけでは誰も受け入れないのである。

テロにどう対処するのかはこれは世界的問題であり世界で共通認識をもたねばとめることができない
これだけ人が自由に往き来して人種が交じり合い住んでいればテロリストがどこにでも潜在していることになりとめることができない
パスポートだけで他の国に入れるのもあまりにもルーズである。
入鉄砲を関所で警戒していたけどそれよりもルーズでありテロリストが入るのをとめることができない、グローバル化はそういうリスクをかかえていたのである。
グローバル社会はテロには弱いということが露呈したのである。
だからテロを封じ込めるにはどうすればいいのか?
それはまさにグローバルな課題であり人類の課題だともなる。



「維新」の“真犯人”;水戸藩の狂気(其の六 水戸の公家かぶれと司馬史観の罪)
http://harada-iory.cocolog-nifty.com/seikoudoku/2011/02/post-3099.html

これも参考になる、明治維新の過ちという本は古本でも安くなっていない、これはめずらしいと思った。やはりそれなりの内容かあるものは古本でも高いのである。
まだ買って読んではいないが買う必要があるだろう。
明治維新と水戸学と太平洋戦争は連続しているということが重大なのである。
明治維新に太平洋戦争の種が水戸学によってまかれて成長したともなるからだ
相馬藩はいち早く水戸学に染まり天狗党に加わり死んだ人もいる。
それは地理的に近いということもあった。でも二本松では少年兵が無惨に戦死した。
二本松と相馬はそれほど離れていないのである。
それも一つの郷土史の課題だろう。
司馬遼太郎の史観では明治と昭和の太平洋戦争を切り離している。
でも実際は歴史は必ず連続している。
だから明治維新から見直さないと太平洋戦争の原因もわからないのである。
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2015年02月15日

イスラム国のテロにどう対処するのか? (イスラム社会文明と欧米文明の衝突が根底にある)


イスラム国のテロにどう対処するのか?

(イスラム社会文明と欧米文明の衝突が根底にある)



渥美堅持の中東講座

 イランのイスラーム教は教団の指導者は預言者の子孫でなければならないとすると言う見解から生み出されたものであるが、その子孫を巡ってイスマイル派なるものが生まれたのである
http://www.fusoujyuku.jp/lectures/islam/vol07.html

中東の生活環境は日本と異なり牧畜的、遊牧的である。牧畜を営む民族にとって重要なことは不純な血が混じることである。アラブ民族ばかりかユダヤ民族においても血の純潔は集団世界を維持する唯一の方法である。彼らがその人生において最も神経を使うことは結婚であり、男女の交わりだ。ユダヤ教、イスラーム教ともに男女の中を規制する律法の厳しさは群を抜いている。
よって男女の問題はその家の血統の評価にも及ぶこととなる。それゆえみだりに男女の交際を広げると個人ばかりか一族全体に及ぶこととなる。原則としてイスラーム世界では正式な婚約が成立しない男女の交際は認められていない。もしその禁を破ると、その一族全部に淫乱の血が流れているとの評価がなされ、イスラーム教徒として相応しくない集団であると判断される。
http://www.fusoujyuku.jp/lectures/islam/vol07.html

 平和は武力によってのみ破られるものではない。それは異文化によっても破られる。道徳的環境の破壊はイスラーム教世界にとって武力以上の脅威を与える。かくして時にはジハードの義務はその範囲を広げることとなる。これがイスラーム教はテロを持つ脅威の宗教であるという印象を与えることととなる。
 http://www.fusoujyuku.jp/lectures/islam/vol03.html

このサイトとわかりやすく説明されている。
 

 
人間はなぜある行動をするのかというとき、ずっと自分も犯罪にあったからなぜそういう犯罪を犯すのかとか考えるようになる。
犯罪者で一番最初に問題になるのが動機なのである。
動機があればその人が有力な犯人となりうる
何か恨みをもっているとかあれば動機がもっているから犯人として有力になる。
人間は犯罪を犯すのはなにかしら動機があるからだとなる
その動機が愉快犯であり人を殺したくて殺したというのもそれは人間でありうるのである人間の心は誰も計りえないほど複雑なのである。
ただ動機がわかりやすいのは犯人も割り出しやすいとなる
怨恨説とか男女関係のもつれとかこれは人間が生まれてからあったことである。
それから財産とか金をめぐる争いであり殺人は日常的に起きているからわかりやすい
まず借金している人はすでに犯罪予備軍である。
ある意味で借金している人は犯罪者にすでになっているのだ
自分はそういう経験しているからわかる
借金している人はその借金を返すためならどんなことでもしやすいのである
相手が病気になったりしたらチャンスだと脅迫されたから怖い
借金している人とつきあうだけで怖いことなのである。
何されるからわからない、追い詰められているからである。
もちろん金に追い詰められた人間も明日食べるものがないとすると殺したりもする
そういうことは常に起きている

なぜこういうことを書いたかというとイスラム国のテロが起きているのか?
なぜあんな残虐なことができるのか?それもそれなりに理由があるからだろうとなる
人間のしていることだから何かしら理由があるのだろうとなる
そんな理由も考えることなとない、テロリストは抹殺すべきだという意見もある
その理由もまたわかる、テロリストを許していたら世界の平和など保てないともなる
一方で前も書いたようにアメリカがな主権国家のイラクにいがかりをつけた簡単に国家主権を踏みにじったこはあまり批判されない
アメリカが国家の主権を重んじろと言っても説得力がないのである。
あのイラク戦争がイスラム国を生み出していたのである。
イラクの主権国家を簡単に踏みにじったから無法なテロリスト国家のイスラム国が生まれたとなる
空爆とあの首切りの残虐行為を比べてどっちが残虐なのかという問いもある
空爆の恨みに対してのあの残虐行為があった。

そもそもイスラム文明と欧米型文明の衝突と良く言われる。その歴史は十字軍からはじまり長いのである。だから日本人が中東の歴史を理解することは本当にむずかしい。
だから何なのだろうとなる。
ただ犯罪でもともかく何かしら動機がありその動機の解明が必要であり例えイスラム文明が何なのかむずかしいにしろ理解しようと努力する必要があるのだ
またそうせざるをえないのである。
イスラム文明とテロリスト集団のイスラム国は切り離して考えるべきだという意見もあるただやはりイスラム文明に対しては日本人はほとんど理解していない
またそれだけなじみがないからわかりにくいとなる
そもそも牧畜民から砂漠から生まれ宗教を理解できないのである。
一神教を理解できないのである。
牧畜民だと血統を重んじるというのも興味深い

牧畜を営む民族にとって重要なことは不純な血が混じることである。アラブ民族ばかりかユダヤ民族においても血の純潔は集団世界を維持する唯一の方法である

これは羊であれ例えばわかりやすいのは競走馬では血統が一番大事になる。
優れた親から生まれたからその子供も優れていると常に競馬では血統が価値基準になるのである。
それは極めて牧畜民族的な発想なのである。
純血主義になっていてそれが人間にも適応されているのである。
この牧畜民的発想はインドでもカースト制があるごとく発想的には同じである
牧畜民的発想はインドでもイスラムの影響で国家が作られていて同じなのである。
中国も半分は牧畜民的社会なのである。
日本は魏志倭人伝には、「その地には牛・馬・虎・豹・羊・鵲なし」とあるごとく世界的にはめずらしい国だったのである。
だからそもそも牧畜的砂漠的世界を理解しにくいのである。
誤解しているのはイエスが生まれたイスラエルが半分は砂漠であり牧畜社会である。
中東は砂漠であり牧畜社会であり牧畜社会はヨーロッパでもアメリカでも拡大したのである。
中東とかイスラム社会の根底にはそうした基本的な社会構成が変わっていない
部族社会だというとき族長が支配するのであり今でもアラブの王様が支配している
ヨーロッパではローマ帝国支配から2000年の複雑な過程を経て国家が形成されている。
中東は古代からモハメッドの時代からたいしてその根底を成す社会が変わっていないのである。
そこに文明の差が生まれ対立が生まれた。
だからそこに文明の対立が生まれたとなる

ローマカトリックとか日本の僧侶階級でも腐敗が大きかった。
それが政教分離の法律が作られて近代国家になった。
不思議なのはイスラム社会ではカリフとかイスラム法学者とかなると腐敗がなかったという、でもスルタンとか王は享楽していることがある
イスラム社会ではただ宗教の専門と言われる人たちか腐敗がないということも理解しにくい
なぜなら政治権力を握り現実に支配者になれば必ず腐敗するからである
イスラム社会では政教一致でも腐敗が起こらないということなのだろうか?
ただイスラム原理主義というのが必ずでてきてエジプトでも今度はそれらを軍が排斥することになり独裁にもどったのである。

結局なぜ欧米とイスラム社会が文明が衝突するのか?
その原因をもっと互いに理解しあわないと紛争はなくならない
その溝が深いから結局テロになり戦争になる
人間の歴史をふりかえるとなぜ太平洋戦争でも第二次世界大戦でもとめられなかったのか戦争はなぜとまらないのか?
それは政治の問題であり根底にその社会への理解がないから起きるともいえる
それは犯罪の理解と同じなのである。
ただ犯罪を罰しても犯罪者がへることはないのである。
犯罪に対しては厳しく罰すればいいんだというのと犯罪を犯す理由を探り犯罪防止につなげるという立場がある
つまりイスラム国のテロにしても厳しく罰しろとかイスラム国の理解を深めるとかの二つの意見のせめぎ合い起きているのである。





 

posted by 老鶯 at 17:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2015年02月12日

蠟梅(移動しないで住み慣れた場所に住める人は幸い)


蠟梅(移動しないで住み慣れた場所に住める人は幸い)


残月や百歳生きて冬芒
家一軒石に春日や落ち着きぬ
蠟梅に松や幸い老いて住む

蠟梅が咲いていた。今までは街中の墓地に咲いていたけどあそこに復興団地ができた。
他の所に咲いていたのを見つけた。今日は春の陽気だった。
やはり東風(こち)が吹いた。この辺はどこでも除染している。
来月で津波と原発事故から二年だけどこの辺で感じることは今まで同じ場所に住めるのは幸いだったとなる。津波で被害を受けた所はもう同じ場所に住めないからだ。
同じ地域でも移動して新しい家を建てた人はいい、でも復興団地になるとなにか嫌だなとなる。
田舎では家も大きいし庭も広く田畑ももっていた人が多いからである。

例えばどういうふうに感じるかとなると、津波の被害を受けた所から離れた所でも石があり春の日がさししているとここは被害が受けず前と同じ場所に住んでいて幸せだなとなるそんなこと当たり前だとなるけどこれだけ原発事故で避難したり津波で家や家族を失ったとすると以前としてその傷痕が深い。
当たり前にあったものがなくなったということなのである。
前あったところには住めないし失った家族ももどってこないのである。
こういうことは十年たっても以前として忘れられないだろう。
だから神戸でも十年たってもやはり同じように苦しんでいたのである。
当たり前に住んでいたところに住めないということが理不尽なのである。


小高区などは別に住めるし半分は帰るという、家も土地も田畑もある人は帰りたいとなるだろう。ただそれでも町全体が半分の所帯になるとその影響は大きいし将来はどうなるか想像つかないのである。
そうはいってもどうなるのだろとうか受け身ではどうにもならないだろう。
こうするんだという意志がないと未来は見えてこない
田んぼなんか除染できるのかと思う。表土をとったとしてどれだけ効果あるのか?
その土だけでも大変な量になる。保管するにしてもそれをどう処理するのだろうか
土から放射性物質を分離できるのかとなる。
浪江とか葛尾村や飯館村は帰れるのか?
どうして判断できるのかわからない。

ともかく蠟梅が咲いている、松がある、それを見ていると落ち着くのである。
要するに最近人間は老いるとなんでもないと見ていたものがなにか価値があるように見えてくる。
それは故郷など意識したことがないだろう、故郷は普通にあるものだからである。
家にしても回りの環境にしても田畑にしても普通にあるものであり意識しない
それかなくなったとき、住めなくなったとき余計にその住んでいた場所を貴重に思うようになるだろう。
人間は見慣れたものの価値を知らない、見慣れたものに実は価値がある。

田舎ではその風景に価値がある。田畑も荒れ果てる時、普通にあったことの価値を見いだす。
田舎では特に農家などでは家一軒に都会と違って存在感があった。
何代もつづく農家だったりするとさらあに存在感があった。
そういう農家は大地に根付いた樹のようにも見えるのである。
昔だったら大地の養分を吸っていて人間も暮らしていたのだから余計にそうなる
だからつくづく人間の生きる価値観とは時代によって計れないのである。

現代は確かに金さえあれば何でも買える、現実自分は毎日買い物であり買うことが自分の仕事の大きな部分になっている。消費することが生活することである。
いろいろな食料は金があれば労せず入ってくる。
しかしそこに生活の充実感とか価値が生まれるかとなるとない
だから人間の価値は時代時代によって計れないものなのである。
農家の人など都会で飯館村の人でも福島市で暮らしたりすると都会人になる。
団地に暮らしたりしたらなんか存在感がなくなる。
便利でも生活の充実感はなくなってしまうだろう
そういうことを改めて意識させられたろう。

だから帰りたいという人もいるし便利な生活の方がいいという人もいる
ただ見慣れたもの当たり前のものに実は価値があったことを見直していることは確かである。
自分はここ7年間遠出をしていない、一日も旅していない、本当に近間しか行っていない
その近間でも価値あるものを見いだす、ありふれたもの普通に当たり前にあるものの価値を発見してきたのがここ7年間であり津波原発事故でもそれぞれが同じだっただろう。

まだ冬であり冬芒である、芒は萱根という地名があるごとく根が強く張るのである。
冬芒も死んでいるわけではない、生きて大地に根を張っているのである。
大地に根を張った生活が本来の田舎だったのである。
それが今では一割しか農林漁業に従事していない、ただ風景としては田畑があったから
以前として変わりない農村風景のうように見ている。
実際に農業など暮らしている人は一割にもみたない、あとは会社員なのである。
だから農業がなくても暮らしていけるのかとなる。
もし戦前のように農業が主体だったらもう住むことができず他に移住するほかなくなっているはずである。

タグ:蝋梅

2015年02月11日

江戸時代から明治への変化を見直す (大規模産業化工業化が社会を根本的に変えたー原発事故もその過程で起きた)


江戸時代から明治への変化を見直す

(大規模産業化工業化が社会を根本的に変えた

原発事故もその過程で起きた)

●明治の大規模産業化工業化が最大の変化

江戸時代から明治への変化こそが現代史の出発点なのである。それはあらゆる面でそうでありここを知らないと日本の歴史が解読しようがないのだ。
だから最近明治維新が見直されるのは太平洋戦争の原因が明治維新の過度の尊皇主義から発していて吉田松陰のアジア制覇という思想が太平洋戦争の源があるとれる。
明治維新から太平洋戦争は連続しているのだ。
歴史とは連続なのである。明治維新で日本がまるで変わったように見えても連続したものがあり明治維新が成された。
ただその変化があまりに大きすぎたので江戸時代のことが理解できなくなったのである。外国から来た人達が江戸時代の人間を見て温和ないい顔をしていたという。
幸福そうな顔をしていたときいうとき、それはなぜなのか?
江戸時代は貧乏でも人間は融和的であり村というコミニュティがあり精神的に安定していたし生活のリズムも自然に合わせていたから現代のように絶えず仕事に情報に追われるようなことはなかった。
だから近代化して工場を作ったとき時間を守らないということで外国人が不満だった。

これは産業化工業化するときどこの国でも起きてくることである。
江戸時代の時間の感覚と近代化した産業時代工業時代の時間感覚はまるで違ったものとなったのである。
教育にしても寺子屋では机はばらばらに勝手に置かれていた。学校になり整然として置かれたし常に集団行動をさせるようになったのは工場労働者としての時間を守る集団に適応するために学校が作られたということがあるからだ。
大量規格生産のために人間も教育されたのである。
江戸時代は一人一人の職人が注文に応じて丹精込めて作っていた。大量生産品でないから同じものがないとまでなる。職人はそれぞれ芸術家だったとなる。
だから一つの一つの下駄も違っていて職人の名前がついたりしていた。
それは今の大量生産感覚のもの作りとは違っている。

江戸時代から明治時代の変化は産業や工業面での変化が大きく政治的な面だけではなかったのである。
要するに産業化工業化が社会を変えてしまったのである。
ただ明治以降も江戸時代と田舎は変わりなく継続するものがあった。
燃料は近くの森の木材で炭を焼きほとんど自給自足であった。
その生活は江戸時代と変わりないのである。
ただ原町市に原町紡績が作られ自分の母が働いたように大規模工場ができて変わったのである。
人間の社会を変えたものは世界的にも産業化工業化でありそれは機械化でありその影響は共通していたのだ。それはいい面と悪い面をもたらした。
その影響は今日までさらに極端化してつづいているのである。
戦前とかはもったいなとかいうことがあり物を大事にしていたがそれもなくなった。

●機械化は非人間化をすすめてきた

産業化工業化機械化はいい面として過重な労働から解放された。しかし一方で失ったものがあった。機械により機械に追われる生活となった。人間は今や自然と格闘しているのではない、あらゆる面で機械と格闘しているのである。機械の役割がそれだけ産業化機械化によって大きな役割を果すようになったからである。
この産業化工業化こそが実は世界的な社会の大変化をもたらしそれが非人間的なものとなっていった。
機械は一面人間性を奪うのである。人間は機械を使うことによって人間も機械化されるのである。人間が機械に合わせざるを得なくなるのだ。
人間が機械によってロボット化されるのである。
だから人間の未来の夢は人間が労働せずに機械がすべてしてくれるロボットの出現なのである。ある意味で社会はロボット化しているのである。
自動販売機はロボットでありレジでも何でも機械化されやすいのは機械化されるからである。
ただそこに人間の理想が実現されるかとなるとならない、そこにも思わぬ落とし穴が待っているのだ。原発事故のような思いもかけないことが必ず起きてくる。
老子が二千年前にすでに鍬を使うことを拒否した。道具を使うことを拒否したのはその道具によって人間性が奪われることを警戒していたのである。
現実に鍬が大規模な機械化社会になったことでもわかる。

江戸時代から明治への産業化工業化近代化で本当は一番恐ろしい結果をもたらしたのは
大量殺戮の兵器が作られたことである。それが最終的に日本に核爆弾となって落とされたことである。
ナチスでも真偽は今は不明にしても人間が物のように大量殺戮されたのはなぜかということであたる。それはベルトコンベアーの上を人間が物ののように押し出されてゆくチャップリンの映画にあった。
大量に規格製品を作るということは人間もまた大量の規格製品化してベルトコンベアーから押し出される。
それが恐るべき大量の殺戮になっていった。
20世紀は兵器の殺傷力があがり人間の歴史で最も大量に人が殺戮された時代なのである。その原因を国際関係とか政治的な関係とかから解こうとするだけではできない。
近代化とはグローバル化であり産業化工業化が世界で共通に行われてきたことになった。だから世界でみんな同じように学校が作られたことでもわかる
社会組織は世界で共通しているのである。
だから世界は言葉は違っていても社会組織はにたものとなっているのである。

江戸時代から明治に変わったとき産業化工業化が根底から社会を変えたのである。
江戸時代は農民主体の生活だから自然のリズムの中で暮らしていた。
日が昇るとともに起きて仕事して日が沈むと休むという自然のリズムである。
工業化になると特に現代は夜も眠らない生活となる。
そういうことが根本的に人間を変えてしまう。人間も生物だとするとき生物から離れた人間が実は機械になっているのである。
だからこうした機械化は非人間化でありこれに反発する人が出るのも必然なのである。
機械が主人になることに耐えられないのである。
詩人であれ芸術家であれ哲学者であれこういう機械化産業化工業化の世界には耐えられないのである。
そういう人はだからアウトサイダーになってしまうのである。ニ-チェからヘンリーミラーから上野霄里原生人間の主張などとしてつづいている。

●イスラム国は文明人より野蛮なのか?

イスラム国のあの恐るべき野蛮性はどこから起きてくるのか?
一方でヨルダンのパイロットがつかまり焼き殺されたけどそれはなぜなのか?
空爆で大量殺戮している文明人が野蛮なのか?
それともあの恐るべき野蛮性が本当に野蛮なのかとなる。
大量に人を殺戮できルウよになったのは産業化工業化の結果である。
ただそれは人をもの大量に無差別に殺戮する道具となったことである。
産業化工業化が非人間化した原因であり文明化とは何なのかとなる。
文明人などというと高等に見えても大量に人を殺戮する機械を発明した実行したとなると何が文明人かわからないのである。
原発の災禍も文明の災禍であり故郷にも住めなくなった。その被害もあまりにも大きかったのである。
日本は原子爆弾を落とされ原発事故が起きて二回も核で被害を受けたのである。

今日の様々な問題は江戸時代から明治への移行ですでにはじまっていた。
太平洋戦争も原因も明治維新で作られていたのである。
それが吉田松陰の過激な攘夷思想である。外国に対して攻撃的でありアジアへの侵略思想をかかげた大和魂が太平洋戦争に受け継がれたのである。
その根底には産業化工業化がありグローバル化した経済も原因していた。
石油が入らないようにアメリカが経済制裁したとき文明は動かなくなる。
それで戦争するしかないとなるのはそれは経済が世界的になっているからだ。
江戸時代なら石油がなくてもそれなりに生活する他ないのである。
ただ油でも相当貴重でありあらゆるものが貴重であり一切無駄にする生活はしていなかった。

江戸時代の生活がいいとかにはならない、ただどうしてこんなに20世紀が大量殺戮の時代であり原発事故でもそれは大規模産業化工業化文明化の結果として必然的に起きたのである。現代の社会は電気なくしてはありえない,電気社会である。
だから東電では事故後も収入が増えているのである。大量の電気なくして産業も工業も維持できないからである。電気がなくなるとき文明も終わるのである。
それはすでに予定されていたし歴史を見れば科学者でなくても起きることはさけられなかったのである。
それが安全神話が作られたのは政治家も官僚も東電もマスコミも文明人であり文明を維持するために安全神話を故意に作ったのである。
だからこそ文明の災禍としてさけられないものとして原発事故は起きたのである。
大きくは明治以降の産業化工業化を見直さないと真の原因はわからない。
つまり大きくは文明否定しなければ現代文明は一見豊かで繁栄しているようでも破滅に向かっている。
文明は自壊するのである。そういう日が必ずやってくる。
今回の原発事故はその一つの現象に過ぎないのである。


タグ:文明の災禍
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冬樹(農家は人間に存在感を与える)


冬樹(農家は人間に存在感を与える)

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労務者や夕日のさして冬の草

我が庭に新しく置きし石一つ雪の積もりて重さを増しぬ
蔵に雪二本の樹の変わらずに池は凍りて農家の暮れぬ

この辺は今は除染の労務者が多い、3500人くらい入っている。だからいたるところにプレハブが建っている、またここに建ったのかとなる。
だからホテル関係や食堂や労務者が使うものなどは売れている、コンビニも夕方になると混んでいる。
何か人が多くにぎわっているから復興しているのかと外から来た人が言っていたがそれは地元の人ではない、外から来た人でにぎわっていたのである。
地元の人はパチンコなどで遊んでいるだけである。
補償金もらっているし高齢者が多いから働かないのである。
これも矛盾した話である。
あっち系の人が入っている、入れ墨の人が湯に入ってのも見た。
でもそういう人達だって働いているのである。
地元の人こそ遊んでいる人こそ非難されるべきだろう。

人間の存在感は人間そのものにあるが家とか土地とか回りのものによって存在感を与えられることがある。
特に田舎では家と広い土地と田畑がもっていることで存在感が与えられていた。
川子の高台の家はいつも存在感あるなと見ている。
二本の樹がまるで夫婦のようにあり蔵もあり変わりないのだが存在感がある。
何か毎年見ていてもそれがさらに存在感を増してくる
あの二本の樹がますます一体感をもたらしている
自然のものはそういうふうに時間の中で存在感をましてゆく
それは石でも同じなのである。
庭に新しい石一つ置いたがこれも時間の中で存在感をましてゆく

結局は自然を見るときまた人間を見ているのである。
田舎では自然とか田畑とか家がありそれぞれが存在感をもつ
だから復興団地とかなると存在感が消失するのである。
人間はもう年とってくると何か変わらないものがいいし変わらないものに価値を認める
ここに変わらずに二本の樹があるな、ここに五本松があるなということで心も安定する
変わることが苦手になる。
だから津波とか原発事故で老人は変化に耐えられないということがある
それで精神的にまいってストレスで死んだり自殺した人もいたようだ。

都会は豪邸に住んでも人間の存在感がない、存在感は自然の中で暮らす中で与えられている。一軒農家は存在感があり精神的安定感を与えているのである
ただ田舎でも街内になるとそうは感じないのである。
ともかく一身上でも回りでもあまりにも変化が大きすぎた。
コミニュティも破壊されたりこの変化の衝撃はつづいている。

農家の二本の樹は信頼を示している
それは変わらずにそこに立っている
風が鳴り枯木となり信頼を深める


そこに安心があり安らぎがある
その風景はまさに精神的に作用する風景なのである。
信頼というとき、自分の一身上では裏切りしかなかった
信頼は全くなかったから余計にそう思った。
人間が信頼しあうほどむずかしいことはないことを経験した
そもそも東電とか政府が信頼すべきものではなかった
信頼関係がなかったことが事故につながった
何事信頼関係がないと破壊されるのである。

タグ:農家

2015年02月09日

白河街道を会津へ (会津の歴史を白河から偲ぶ)


白河街道を会津へ

(会津の歴史を白河から偲ぶ)

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 小峰城の西側に広がる会津町。白河も領地としていた会津の蒲生家が改易となり、多くの浪人が出た。棚倉から白河に移ってきた丹羽長重が、これらの家臣を召し抱え住まわせたため、「会津町」と名付けられたとのこと。白河には、今でも会津にゆかりのある方が少なからず住み、「あいづ」の名で商いをしている店もある。
 http://www.city.shirakawa.fukushima.jp/view.rbz?cd=3704
 
伊達政宗の初陣は伊具郡(宮城県丸森町)での相馬氏との戦いであったが、その時に伊達軍の拠点となったのが梁川城で、政宗は梁川八幡宮に戦勝祈願をしたといわれている
奥州仕置によって伊達氏が岩出山城へ移ると、梁川城は蒲生氏郷の領地となり、氏郷の死後は、上杉景勝の領地となって、梁川城には須田長義が置かれた。現在の梁川城の遺構は基本的にこの時代の城主…蒲生氏郷家臣の蒲生喜内か上杉景勝家臣の須田長義によるものと考えられる
会津の勢力が梁川まで伸びていた。丸森で伊達政宗が戦いたのは梁川城があったためである。丸森は地理的に相馬に近い、今でも丸森と相馬の関係は深い。
相馬市の病院に入院していた人は丸森の人であり丸森の人は相馬市が近いから往き来する丸森から相馬地方に働く人達もいる。
だから一時金山城は相馬氏が城主となっていたのである。
ただ丸森から梁川はかなり遠い、山を下って行ったが地理的には不便である。
阿武隈川があるにしてもそこには急流があったりするから船を利用できないだろう。
この辺の事情はわからないが梁川は会津と伊達と米沢藩が城主となっていたからそういう場所にあった。


白河となるとここもわかりにくい、白河の関所があるがあそこが本当に古代からの関所だったのか特定されていない、ただ今でも奥深い場所にあり暗い杉の林の森でおおわれた道をゆくからあそこがいかにもみちのくへ入るにはふさわしいし奥の細道を感じるのは福島県ではあそこだけである。
あそこに盗賊が出たという伝説が残るのもわかる。
その白河から白河街道が会津まで通じていた。猪苗代湖の湖南町を通り東山温泉辺りに出る道である。ここは自転車で旅したからわかる。
勢至峠は今でも昔の面影を残している。道が細く両側に宿場町の名残りとして家並がある

馬を育て馬と別るるあわれかな馬頭観世音に秋風の吹く

此辺の若駒は凡て婦人の手で育てられるので、優しい別離の場がこの日何回も演ぜられた
勢至菩薩は馬の守護神かと思はれる。奥州では処々にその石塔がある。

馬と人間の物語はいろいろある。今は牛と人間の物語である。飯館村では牛の村だったからそうだった。牛の名前を十頭も覚えていた。意外と羊でも飼う人は特徴があり名前をつけて覚える。名前をつければ名前を呼べば人間と等しくなる。
猪苗代湖を見渡せる高原のような所がありそこに一面に月見草が咲いていたことを思い出した。

感動するのは 峠を越えてしばらく下がったころから目の前に現れる猪苗代湖へ
続く里山の美しさである 
http://ameblo.jp/nanacuba/entry-11835922785.html

一面に月見草咲き猪苗代湖その藍色や秋となるかな

福良で蔵の宿に一回泊まったのも一興だった。福良は宿場町であり奥まった場所であり趣がある。

福良にそ磐梯山望み見る波音ひびく秋の朝かな

白河街道は春にも行った。今思い出しているのは秋である。

街道の奥にこそあれ足とめぬ野菊の咲きて清水流れぬ
街道の道のり遠し芒原山間越えて会津に出るかな

そこは車もあまり通らない、芒だけが茂っている淋しい場所である。
ただどうしても記憶はうすれてゆく、あそこから歴代の会津藩士の墓のある

苔むして墓も古りなむたずぬれば今ひとしきり秋の蝉鳴く
三人の戒名見れば女なり側室にあれ苔むしにけれ
歴代の藩主の墓の積み重ね墓山となり時は過ぎにし

あそこの松平家の墓所はまさに墓山だった。立派な墓があるのだがそれがすでに過去の栄光を語るだけであり今は苔むして無常を語るだけだった。
結局墓を立派にしてもその墓も苔むして無常を語るだけである。
三人の女性の戒名の墓があったのはそこには側室もいたのか、それはわからない。
どういうわけか女性個人の墓が相馬藩でも何人も残されている墓地があった。
なぜこんなに女性の墓があるのか不思議だった。やはり武家では女性個人でも重んじられていたということなのか?最後に人間残るのは墓である。ただ墓も無常なのである。
無縁墓として元禄時代の墓まで捨てられて墓の墓場になっていたことが放送されていた。墓の運命も遂には捨てられことにある。
自分も墓に金かけて新しくしたのが失敗だった。
どんなに立派な墓にしてもその墓も時代や時の流れに忘れられ無常を語るだけになる。
すでに明治からは武士の墓はそれほど意味ないものになっていたのである。
むしろ民俗学的には路傍の馬頭観音の碑とかは文化財として見直されているのである。

会津若松の中心から五つの街道がのびる。白河・二本松・越後・下野・米沢街道。白河街道は奥州街道を経て江戸につながる重要な道。今の国道294号がこれにあたる。 
  
晩年白河を越える折二人はこう詠んだ。
 
 八重 老いぬれど又も超えなん白河の関のとざしはよし難くとも。
 頼母 旅にねしむかしの夢のあととへばうらみを知るや白河の関

会津藩は明治維新では激しい興亡があり無常を語る場所になったのである。
その恨みが未だに残っていることでもわかる。
白河と棚倉が関係していたことはわかる。距離的に近いからである。
棚倉藩は水戸への街道が通じているように水戸に近い、白河はみちのくの境である。
水戸に近いから水戸学の水戸天狗党に尊皇の攘夷思想に相馬藩士がいち早く洗脳されていたことがわかる。
そしていち早く皇軍の薩摩長州軍に帰順して丸森で仙台藩と相馬藩士は戦ったのである。その時船で磐城の方まで行った、やはり船の方が便利ということがあった。

福島県が福島市を県庁とした理由は二本松にも会津にも置かなかったのは皇軍に抵抗したからだという。それで福島市は関係ないから置いたという、たた福島市は平坦な土地が広いからそういう地の利が影響しかのかもしれない。二本松市は山が多いから新都には向いていなかったともとれる。
福島県の歴史もこのように複雑に交差している。
だからそもそも福島県を一体のものとしてみることが歴史的にも地理的にもむずかしいのである。
歴史的には会津の人は会津の歴史から考えているからである。会津はそれだけの歴史の厚みがあるし広いからである。

白河に会津町あり城の側ここより偲ぶ会津への道

 
タグ:白河街道

抽象画(青い教会)


 
抽象画(青い教会)


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夏の山々


西村計雄の絵は抽象画になりやすい、抽象画的だからである。
抽象画として多少加工して成功しているのは
もともとその絵が抽象画的であり抽象画に変化しやすい素材だからである。
だから抽象画は一定していないく加工変化されやすいのである。

西村計雄の絵は明らかにパソコンを使ったらもっといい絵ができた。
なぜならパソコンの方が線とかを手より描きやすいからである
手術でもパソコンで操作した方がうまくできるとかいうとそれだけパソコンが進歩したからである。
色をパソコンで分解するというのも今までならでてきない
今はそんなこと2000円のソフトでできるのである。
ソフトは高い安いではない使い安いのとなれたのがいいとなる
ソフトは使いこなすこと自体相当な労力が必要だからである。

加工したということで著作権違反かもしれない
一つの実験として出したのである。
抽象画とはこういうものだいう見本である



タグ:抽象画

2015年02月08日

会津の方角地名 (方角地名がその土地を知る基本)


会津の方角地名

(方角地名がその土地を知る基本)

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塔寺の駅におりたちあわれかな秋の日さして豆たたく人
塔寺におりたち道の別れゆく西会津かな秋の夕暮
西会津道分け入れば芒かなかなたは越後や陽の没りゆきぬ

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地名の基本は方角地名である。南相馬市では合併して南相馬市になったのは相馬市から南だったからという、相馬郡はもともと相馬氏が小高に最初の城を築き在地の豪族を支配して行った、小高より北の北郷はみて南相馬市の鹿島区と相馬市の領域である。
相馬市はもともと伊達の支配地域であった。
だから北郷というときそれは歴史的地名としての北がある。
小高が中心として北郷がある。本郷というときもそこが中心の郷になるからである。
旅をするときまず方角がわからなくなる。方角がわかればその土地の全体の姿が見えてくる。滋賀県は琵琶湖中心だからわかりやすい、湖の西がありその方向の比良の山にが没る西は陽の没る地域である。西は何か淋しい感じを受けるのである。
東とつくと陽の昇る地域であり明るい感じがする。
京都でも方角地名から全体の姿をとらえると東山は陽の昇る山であり明るい感じになる。北山とかなると何か寒い感じになる。
だから会津の東山温泉となると京都の東山に通じるのかとなるとこれもどうしてあそこが東山なのかわかりにくい。
喜多方は北であるが北会津となるとまた違っている、どこから北会津なのだろうとなる
つまり方角地名はどこが中心なのかが問題なのである。
相馬地方だったら歴史的小高が中心だったからそこで北郷というのが歴史的方角地名として残っている。
histrical centered place がどこになるのかが問題である。

会津では西会津というのはわかりやすい、それは越後へ新潟へ通じているからである。
西会津は会津市街から離れた辺鄙な淋しい場所に感じられる。
秋に旅したときは芒がなびきそうだった。西会津の奥にも温泉があり新潟に出た。
バスだったので地理的にわかりにくかった。
白河街道は自転車で旅しているから地理的にわかる。
ただ白河街道が会津に出る場所が東山温泉だったことかわかりにくい。

いづれにしろ地名は方角地名が基本である。そもそも世界でも西と東(オリエント)に別れる、西はヨーロッパ
であり東はアジアであり中東となるとその中間とかなる。
日本でも西と東があり東はアヅマであり福島市には吾妻山がある。
遊牧民とか海洋民にとっては方角が一番大事である。
方角を知ることが生死を決する。砂漠で日本人の一団がラクダを率いて旅したが水のある方向がどっちかで苦慮した。幸い経験者がいて水のある方向に導いて助かった。
砂漠や平原とか大陸とか広いところを旅するには方角が一番大事なのである。
それで北斗七星と北極星が目印となり相馬藩でもそうだが野馬追いでも妙見信仰は北斗七星信仰が中国から伝わったのである。

不思議のなのは日本は最初ポリネシアとかの海洋民がわたってきたので日本語はポリネシアに由来するという説がある
海からみて船にのって日本列島を見る、海から方角地名が生まれる
ニシとはイニシであり太陽が去ってゆく方向にある。それは海から見てそうなのである。陸地ではない、だから日下石(にっけし)とはニシの方向にある海岸地帯だったのである。今回の津波で本当に日下石(にっけし)まで海なったことに驚いた。
あの辺は縄文時代は海だったであり海岸地帯だった。
鬼腰館という中世の砦があるがあれも鬼とは北の方角でありあそこは北風を受ける小高い山だった。

いづれにしろ方角地名からその地域をイメージさされることが多いのである。
奈良の西の京というとき何か西でありさびれた感じになる。

奈良市の西の郊外で、平城京の右京を西京と称したことに由来するといわれています。秋篠(あきしの)川西岸一帯をさし、薬師寺、唐招提寺・・・

ここは別にさびれた場所ではない、右京が西になっただけである。

赤々と椿の散りぬ西の京築地塀古り古(いにしえ)偲ぶ

西の京春の夕日影塀長く古偲ぶ堂塔の跡

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タグ:塔寺

北海道の抽象画(続き)


北海道の抽象画(続き)

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北の十字架
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冬の山脈

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残雪の峰



北海道的なものはまた本州とは違っている。手つかずの処女地として開墾された地であるつくづく日本は島国で狭いけど多様な風土から形成されている。
北海道から沖縄まで北国と南国がある。
だから日本を知ることだけで容易ではない
北海道には近いから十回くらい行っているから親しい地である。
九州とかは二回くらいしか行ってないから地理的にもわかりにくい
北海道の魅力も大きい
要するに北海道の自然というとき未開の原始林の風景がある
北海道の冬は厳しい、ここも冬を知らないと本当はわからない
ただ住むのは寒いから嫌だとなる

とにかく自分は日本はほとんど行っている、だからそこがどういうところかイメージできる。世界は無理でもやはり実際に旅しているから常に旅しなくても心があちらこちらと以前としてたそこに旅している、心がその土地に飛んでゆくというか浮遊しゆくというか
なんかそんな感じになっているのも不思議なのである。
旅はテレビとか本を読んだりしてもできない
実際にその場にゆくことである、それもあまり乗り物に頼らなければあとでイメージされてくる。
車だと電車でも記憶に残りにくいのである。
苦労して峠を自転車で上ればそれが体で記憶されるからあとでイメージが浮かんでくる

この抽象画も前のつづきである。西村計雄の絵は抽象画的だから抽象画に変化しやすいのである。
自分のしていることは創作とも違う、オリジナルなものがあってパソコンのソフトで変化させているだけである。
だから最近そのオリジナルなものが見つけられなかったから抽象画を描けなかったのである。
たまたまテレビで見た時、これは抽象画だと思いインターネットで見たらそうであり抽象画に加工したらできたのである。
タグ:北海道

抽象画(北海道の雪の紋章) 西村計雄の絵は抽象画的だから抽象画に加工しやすい


 
北海道の雪の紋章

西村計雄の絵は抽象画的だから抽象画に加工しやすい

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ここまでクリック拡大

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地球創世記の地球



北海道共和町にある西村計雄記念美術館とあるけどこの人の絵は抽象画的なのである。
だから加工すると抽象画になる。
その当時はパソコンがないから人間がパソコン的な線とか光の感じとかだしていた
この人の作品は線を活かしたものだからである。
何か幾何学的なものと線のアートなのである。
だからこういうのは抽象画的だから加工しやすいとなる

要するに第二次第三次の作品としてパソコンとして加工しやすいいうことである。
それは創作というより新しいアートの楽しみ方なのである。
ただそれが著作違反とかになるのかどうかはわからない
でも何か北海道の共和町というとき何か北海道的な抽象画になっているのも不思議であるまずパソコンで加工するのはまさにart(技術)そのものである。
オリジナルなものがあり加工すると別なものになってゆく
抽象画になりやすいのがこの人の絵が抽象画的だからである。
タグ:雪の紋章

2015年02月07日

東風(こち)が今日吹いた (六号線もイワキに通じ常磐高速道も全線開通がまじか)


東風(こち)が今日吹いた

 
(六号線もイワキに通じ常磐高速道も全線開通がまじか)


東風(こち)吹くやイワキの方へ六号線
復興や六号線に東風吹きめ
六号線コーヒ飲み休み春の山

今日明らかに海からの風が吹いた、東風(こち)である。
今の時期にしては早いと思った。
今ころ吹いたと記憶がない、立春はすぎたが東風が吹くのは3月かと思った。
3月11日に津波と原発事故の時東風が吹き飯館村から福島市まで放射性物質が流れた。
だから東風が吹くの3月になってからだと思った。

今日は確かに春のような感覚だった、ただまだ春の山という感覚でもないだろう。
六号線は今度はバスでもイワキの方に行ける、二回くらいだが行ける
だから行ってみたいと思ったが介護あり苦しい
まず介護になってから本当に一日も出れない、こんなことになるとは思いもよらなかった
大野駅まで行きそこからイワキまで電車は復興している
大野駅など誰がのりおりするのかと見ていたがあそこは原発で仕事する人達が利用していたのである。
あの辺は原発で潤っていたからイワキから離れていても南相馬市から離れていても
経済的にはそれなりに恵まれていたのだろう。
原発は相当な人が東京辺りからもくるからである

常磐高速道も4月に全線開通するとか出ていた。
この影響も大きい、流通が経済で欠かせないとき道路は生命線になるからだ
現実ガソリンが入ってこないときこの辺では経済が麻痺したからである

ともかくこういうことがあって東風が流通が復興する風に感じた。
東風はイワキの方から吹くのではなく海側から吹く、南風はイワキの方から吹く
東風と北風がまじりあって吹く、でも東風が吹いたのは早いと感じた
タグ:東風

会津の雪の詩 (会津は一つの国の文化圏ー福島県は広い)


会津の雪の詩

(会津は一つの国の文化圏ー福島県は広い)

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雪深く技あ磨きぬ会津塗り
車窓より雪に埋もれぬ社かな
城により会津の武士道松に雪
城下町茶の道残り冬深む
雪埋もれ会津の武士の眠るかな
城下町蝋燭の光雪に映ゆ
曲屋の雪に埋もれてけ奥会津
雪埋もれ木地師の裔や山の中
山中に木地師の灯し雪深し
蔵の梁黒く太しも積もる雪
津南町川の港や凍る雪

深々と雪に埋もれて墓の見ゆ後ろの農家も雪におおわる
猪苗代湖畔の雪やあわれかな野口秀夫の貧しき生家
火を吐きし磐梯山の風雪を帯びて厳しく凍る湖かな



会津の雪の詩

雪の深さに樹々の静まり
寥々と風は鳴るかな
樹々に吹雪て引き締まる
今日も霏々と雪は雪はつもりぬ
その林の奥処の知らじも
会津の雪の白さや会津の心
会津の武士道こここに育ちぬ
火を噴きし磐梯山を望み
その厳しく凛々しき姿よ
猪苗代の湖畔に雪はふりにつ
貧しくも清らかに哀し
湖は凍り純白の白鳥こそそこにあれ
城下町技を磨きぬ会津塗り
蝋燭の灯は雪に映えにき
雪埋もれ木地師の裔の山に棲み
曲家の雪に埋もれて奥会津
長き夜や囲炉裏を囲み物語せむ
しんしんと雪はふりつつ
会津の城下や無念を秘めて雪に埋もれぬ



福島県はそもそも広すぎる、ハマ、ナカ、アイヅに別れていて気候が違う。だから福島県を一つとして語りにくい、歴史も違っている。
明治維新のときなぜ相馬藩が尊皇の水戸天狗党にいち早く属したのか?
それは浜通りであり水戸に近いからである
棚倉からは水戸街道であり水戸に通じている。
東京からも今でも浜通りの六号線は水戸街道と言っている。
会津は水戸より遠い感覚であり交流も少ない、ただ福島県内でも会津藩は大きいから中通りとか相馬藩にも影響はしている。
それでも会津藩は一つの大きな国であり文化圏なのである
会津は風土と歴史とが一体化した一つの大きな国である。
だから歴史の厚みがあり文化の厚みがあり福島県の文化の中心ともなる
福島県だと会津かなとなるのが外から見て会津が特別であり特徴が風土的にも歴史的にもあるからだ。
会津は雪国でありその雪から会津の心も作られたのである。
だから雪を知らずして会津や日本海などのことがわからないのである。
雪というとき全部同じ雪だと思っているけど雪質とか感覚は違っている。
「心から信濃の雪に降られけり 一茶」というとき信濃の雪はまた違ってる。
青森で朝降った雪は何か明るかった。これもしめった雪とか新潟辺りはそうなるのか、
何か違っている。会津の雪も会津らしい雪のなである。
ともかく会津は本当に広い、そして2000メートル級の山がひしめいている。
その山もわからないのである。それは尾瀬まで通じている
山を知らなければまた会津をしりえないのである。
山の心が会津の心にもなる。

会津はまた会津若松の城下町があり明治以降は喜多方が商人街として発展した。
この二つの街は対称的である。歴代の会津藩士の殿様の墓地があるのも特徴的である。
そして会津城下町は本当に城下町らしい体裁を調えている。
職人の街でもあったからである。会津塗りとか会津蝋燭とかか産業としてあった。
これも山が多いのだから会津塗りは木地師が碗を提供する必要があった。
その材料を求めて近江の方から蒲生氏郷が職人を連れてきたのである。
面白いのは浄法寺碗、秀衡碗(岩手県)の影響を強く受けたらしく仙台市が市場としてありそこを通じて技術が伝播されたという
仙台が江戸時代でも市場としてそこを中心にして東北のつながりがあったことは今に通じている。
「会津商人」というのが巣てに知られていた。

村紅葉會津商人なつかしき  蕪村

領国経営の手法は信長似ており、商業優先政策(楽市・楽座の実施)をとる。近江商人→松阪商人→会津商人と、経済政策において極めて優秀な統治を行う職人も多く招いた。漆器、ろうそく、木地、焼き物などの基礎をつくり、その産物は、日野や松阪から連れてきた近江商人によって全国に販売され、会津に大きな経済効果を生み出している。
芦名時代からの会津商人司簗田藤衛門道幸の屋敷跡でここに2500坪の屋敷を与えてその発展を期させた つまり会津は近江商人 伊勢商人の集大成の町で白虎隊だけの町ではないのです

養蚕、漆、ろう、紅花などの栽培を奨励して、価値の高い商品作物を生産することに力をいれました。特に朝鮮人参は高価な商品作物であることから藩直営の事業とするために人参奉行所を設け、人参の生産販売を専売制にしました。そして、藩の指導奨励と農民の根強い努力で、会津の朝鮮人参(会津和人参ともいわれる)は天保(1830)幕府の許可によって日本ではじめて輸出人参として清国(中華人民共和国)のむけ長崎の港を出港したのです。
http://www.musubu.jp/jijikyodoshi.htm#aizu

会津の歴史は厚みがあり会津藩は大きく明治維新で敗北したが大藩で最後まで幕府側にたち武士道を貫いた。会津の魅力は雪国であり風土と一体化しているところにある。
東京とか江戸城があったとしても大阪でも大都会化して風土ときりはなされているから魅力がない、ただ高層ビルを見るだけになっているからそこに精神性もつちかわれない。
徳性すらつちかわれない。ただ金儲けのビジネスがあるだけだとなる。
江戸時代の魅力は風土と歴史とかが生活そのものと一体化していたから魅力があった。

ただ時代か変わると価値あるものもの価値がなくなる。結局一つの物でも碗一つとってもその当時人々が使っていたから価値がでてくる。
今になるとあまり碗など使わないし規格化された大量生産のもので使い捨てにしている。昔だったら碗一つが高いし貴重でありていねいに一生も使っていたかもしれない、
だからこそ当時の使っていたものは当時の人にとって今の人の感覚では計り知れない価値があっんたのである。
今はそれを土産とかで買ってもその価値は喪失しているのである。
江戸時代は簪一つにしても今の価値とは全然違っている。
珊瑚の簪とか価値があった。それは美的なものとして使われていたから価値かあったのである。
江戸時代のものは一つ一つが職人の手作りであり価値があった。
下駄一つ一つに職人の名前すらついていたのである。
そういう価値観の時代と今の価値観は違いすぎるから価値あるものも価値ないものとされる。
ただそうした物の価値でも時代が作っているのである。
その時代に生きた人達がいて使っていて価値が生まれたのである。

だから使わなければ何の価値もでてこない、例えば自分の母が百歳になり百がモモであり桃色のちゃんちゃこを買って着せた。
これは一回だけ使ったのである。だから無駄だとも思えた。
しかし百歳まで生きることはまだまれだから記念に買った
そして一回だけ着ても使用しもそれに価値が生まれる
なぜならそのものか使われたことによって精神性が付与されたのである。
百歳生きた人が着てそこに百歳の魂がのりうつったとも大げさだがなる
つまり江戸時代の物でもそういうことがある。
使われたことによって価値が生まれそこにその当時の人の魂がのりうつっている物なるから貴重だとなる。
ただ現代になると骨董品のように飾っていても価値は生まれないのである。
時代時代に価値あるものがあるがその時代でしかその物の価値がしりえない、今では碗にはそれほど価値がない、でも漆器は近くに塗り屋がいたから漆塗りは塗るだけで相当な手間であり労働なのである。
そういう手間と労働を考えても碗一つの価値がどれだけ高かった偲ばれるのである。

タグ:会津

明治維新が見直される (歴史も地理ー長州閥が日本を歪めた?)


明治維新が見直される

 
(歴史も地理ー長州閥が日本を歪めた?)

歴史をみるとき地理とか風土が基本にある。
関が原が明らかに日本の東西の分かれ目であり天下分け目の戦いになったのもそういう地理が決定していたのでてある。
「地の利、天の時、人の和」があるけど地の利が歴史でも大きく作用している。
だから地歴という教科になったのもうなづける。
地理を離れて歴史もないからである。

みちのくの真野の草原遠けれど面影にして見ゆというものを 笠女郎

この歌もみちのくの真野として知られた地点が地理と関係していたのである。
マルハシャリンバイというのが自生する南限の地として海老浜があったからだ。
まだあたたかい地域であった。
それでもイワキからはそれなりに遠く感じるのである。

なぜ今の宮崎県の日向(ひゅうが)から神武天皇の東征の神話があるのか?
瀬戸内海から吉野の方をまわり奈良の橿原に遠征して初代の天皇になっている神話であるこれも日本の地理からすればわかりやすい。
九州は古代から朝鮮とか中国と関係深いのである。外国の窓口になっていた。
それは鎖国時代でも長崎が外国の窓口となっていたことでもわかる。

明治維新もなぜ薩摩長州が活躍して成したのかということである。
それもやはり地理的なものがそのパックポーンにあった。
沖縄と貿易で豊かであり最初に外国とイギリスと攘夷で戦っている。
長州でも外国勢と実際に戦っている経験は大きいと思う。
そういうことが会津とか東北になると地理的に以前としてみちのくの立場にたっていたのである。
東北などは外国を肌で感じる立場にはなかったのである

明治維新は錯綜しているから理解するのがむずかしい。
明治維新が何であったかの見直す作業が最近成されている。
吉田松陰にしても勝者となり権力を握ったものが作り出したもので
実際はテロリストであり一人のはみだしものに過ぎなかったとかいう人もいる。
つまり松下村塾はテロリストが会合した場所にすぎなかったという。
何らそこには教育などはなかった。
それもそうかもしれない、そもそも松陰は20代であり若いから血気盛んだから学問を教えるなどできなかった。
血気盛んだからまず行動ありきだったのである。
青春時代はいつの世でもそうでありまさに思慮分別もない若者が活躍する場を与えられたとなる。
そういう無謀あ若者がいてそのエネルギーが明治維新になった。
奇兵隊出身の下級の伊藤博文が初代の首相になったり地位の大逆転があった。
殿様であった人達は一庶民に転落したのだからその変化も大きかったのである。
藩がなくなり殿様がいない世界というのも全く新しい世になったとなる
そして誰が偉いとなったのか?天皇が一番偉いとなって天皇の臣民となったのである。
天皇もまた権力を握った長州閥によってもちあげられたのである。
その長州閥は安倍首相まで今もつづいている政治の構図があるのだ。

変な視点だけど百歳が多い県と明治維新で活躍した県は一致している。
四国が一番多く長州辺りも多く薩摩の九州も多いし沖縄県もそうである。
これは気候の関係でそうなっているけどこれも地理であり明治維新とも関係しているのだろうか?
明治維新と言っても日本の地理的環境が影響しているのだ。
会津は悲劇だったけど「ならぬものはならぬ」とか雪に埋もれて何もなせないのが会津だったという見方もある。
相馬藩はいち早く水戸天狗塔になり尊皇派であり仙台藩と丸森で争った。
これも相馬藩は水戸が地理的に近いからそういう影響を受けたともなる。

明治維新の問題は長州などのあまりにも若い人達、テロリストなのか、そういう人達が国の権力をにぎったことにあった。そして腐敗したのである。
革命とか戦争になれば若い人の力が必要だが政治を動かすとなる経験を積んだ人達が必要になる。
それで幕臣も明治政府に採用された。幕臣には優秀な人達が相当いたからである。
でも若造が権力を握ったから国がゆがめられてしまった。
それは何かイスラム国とにているのだ。
明治維新でもあれとにた残虐なテロリストが横行していたのである。
会津藩士が血祭りにあげられたのもそうである。

明治維新が何であったのか、その歴史を見直すことはなぜ必要か?
それは明治以降の歴史がなんであったのか?
そのはじまりが明治維新にあったから見直されているのである。
太平洋戦争から70年すぎるとまた大きく歴史の見方が変わってくる
要するに歴史の評価となると百年とか二百年過ぎないと冷静に判断できないのである。
佐幕派開国派が権力をにぎっていたらもしかしたら日露戦争とか太平洋戦争はなかったかもしれないというとき吉田松陰の思想にすでにアジアに進出して制覇するという過激なものがあった。
吉田松陰の尊皇思想がやがて太平洋戦争に結びつく源があったともなるからだ。
幕臣だったら天皇はそれなりに尊重しても現実路線になったことがあるかもしれない
尊皇とはカルト的宗教の狂気があった。イスラム国ともにている。
それが太平洋戦争にもつながっていたいうことはありうる。
イスラム国は何か明治維新の状態を再現しているようにも見える。
ただ日本のように江戸幕府三百年の歴史がないことが違っている。
300年の徳川時代があって明治維新も成されたのである。
何もないところから全く新しいものは作り得ようがないからだ。


参考
タグ:明治維新
posted by 老鶯 at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 明治維新-明治以降