2015年03月31日

春霞(相馬市の城跡から鹿島原町をめぐりて俳句十句)


春霞

(相馬市の城跡から鹿島原町をめぐりて俳句十句)


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中村神社


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(相馬市)
城跡に黄色の蝶や舞いそめぬ
街道の道の狭さや梅におふ
夕鶯街道歩む二人かな
街道の細道変わらず梅と松
芽吹く樹を見上げて高く鳥の飛ぶ
(原町へ)
春霞原町広し国見山
阿武隈の山脈なだらか春霞
碑の一つ草に埋もれて落椿
江戸時代捨てらる墓や落椿
泉村たずねてあわれ落椿
紛々と夕陽に映えて梅ににおふ
晩年や梅の香満ちて里巡る
たちまちに燕の増えて鳴き騒ぐ

捨てられし夫婦の墓やなおともにあらむとここに春の日暮れぬ
日々暮らし我が墓ありぬその側の公園に散る椿見るかな


泉村十一面観音の捨てられた江戸時代の墓

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ここには文久と記されていた

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江戸時代の夫婦の墓

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北泉で津波から残った家

万作が咲いていた

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国見山が霞んで見える

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昨日今日と天気がいいので相馬市の城跡と昨日は原町の方へ行った。
相馬の城跡では相馬市の青年が何か城を取材して話した。
それはyoutubeに出すとか言っていた。
そきことはあとで書いてみる。


いつものように城跡から街道をゆくと梅林がありにおっている。
昔の街道は細いから人が歩くとより自然を感じる
そもそも今は人間が歩くことが絵になっている不思議である。
車しか通らないから歩くということが昔にもどることなのである。
旅であれ歩くことがない、だから歩く旅というものもなくなった。
歩く視点で見れないのである。自分は自転車だからまた歩くのとも違うのである。


原町に金沢を回って行った。泉村の十一面観音という所に行った。あそこも今回はじめて行った。あそこは看板があるから普通なら行っているはずだが行っていなかった。
そのことを若い人にも言ったけど本当に近くを知らないのか人間なのである。
最近すぐ近くの神社で天明の碑を見つけた。
こんなところにあったのかと驚いた。
なぜなら天明ということは天明の飢饉の時だから自分の住んでいる場所が関係しているのかと思ったからである。
60過ぎてから地元のことを知るのは遅い、でも最近知ったことも多いのである。
それだけ人間は近くのことでも知らないのである。
知ろうとしないということもある。関心をもたなかったら知ろうともしないだろう。
そして外国のことを情報社会だから気にして外国の方が詳しくなっている人がいるのが現代なのである。

原町に鹿島から出ると広く感じる。原町は確かに野馬土手あり馬を放牧していたから広いのである。広大な原っぱが原町だったのである。
春霞であり国見山が見える、あれは結構高い山だろう。あそこに国見山と名付けたのはやはり国見する山ということで名付けたのだろう。
小高と原町が中心に見えて鹿島が見えるが相馬市までは見えないというのもそきためなのか?つまり南相馬市を一望できるところが国見山なのである。
阿武隈山脈は山というよりなだらかな高原という感じである。
そこに昨日も今日も霞がかかっているから何かのどかである。
何か同じ場所でも季節で年によって見え方が違うのが不思議である。
たいがい同じ景色を見ているとあきるのである。
そして何ら自分の住んでる場所に故郷にも魅力を感じないのである。
富士山でもあればちがっているが山に関してこの辺は魅力ないのである。

それでも同じ場所でも今日は原町が広く見えたのである。
自分はここ七年間介護とか自分の病気とかで遠くに出ていない、だからいつも近辺を回るだけである。
でも今は一番いい季節である。梅はいたるところにありにおっている。
人間は晩年でも長く住み慣れた所がいいと思うとき幸せな気分になる。
だから前も書いたけど今回の津浪や原発事後では故郷に住めなくなったことが一番の悲劇だった。老人にとっては過酷だった。
若い人にはそうでもない、若いときは何かかえって都会でもいいし刺激のあるところがいいとなる。
ただ年取ると落ち着く場所がいいのである。
故郷が別にいい場所ではない、でも自然がありなごみがそこに生れる。
もう人間はもしかしたら田舎でもどこでも素朴だとかなくなった。
そういう社会になってしまったからである。
だから補償金とか金でももめて故郷でもばらばらになっていたしもともと一体感もなくなっていたということがあるのだ。
家族までばらばらになるというときそもそも家族すら一体感がなくなっていたということもあったのである。

自分の墓の側に公園がありそこに椿か散っていた。日々の暮らしの中でそうした自然の変化があり心にしみる。
だから毎日自分の家の墓の前を通っているから先祖をまだ死んだばかりの親でも意識するのである。
ところが墓が遠くになると意識しなくなる。彼岸とかに墓参りしても墓はその暮らしている場所と分離している。
そこに墓の意味が見いだせないのである。
墓地でも暮らしの中にあれば先祖でも意識するのである。
いづれにしろ避難区域ではそうして暮らしが破壊されたから墓もどうしていいかわからないとかなる。
若い人がも住まないとなるとそうなる
まずソーラーパネルで野菜栽培しているという風景も不思議である
普通俳句だと耕しといえば春の季語である。
そういうものもない、野菜工場である。何かそれも変わっている未来の姿である。
農業は実際は肥料だとか農薬だとか手間もかかるし採算があわないのである。
工場にしたらかえって楽なのかとも思うが実際はわからない。
ただ風景としては耕しという人間が大地を耕している風景が春らしいとなるのだ
ともかくこの辺の混乱状態はまだまだつづく
燕も一気に増えてなき騒いでいた、まさに春本番になる。

タグ:春霞

2015年03月29日

大和言葉を見直す時代になった (言葉はその国の文化の基成すものー神道は大和言葉に隠されている)


大和言葉を見直す時代になった

 
(言葉はその国の文化の基成すものー神道は大和言葉に隠されている)


この『よそう』を現代人は、つい先ごろまで、茶碗に飯を盛るときにも使った。(中略)

http://cds190.exblog.jp/4189811

 古代日本では飯を盛るのは女に限られていた。本来飯は神に捧げられるもので、女性が神事に奉仕したからである。(中略)

日本人が日頃何気なく使っている言葉には日本人の魂が宿っている。
ただそれが意識化しているからその精神を知ることができなくなった。
日本人とは何か?日本文化とは何かと言うときその言葉にこそある。
最も身近なものに日本文化の根源がアイディンティティがある

例えはよそおう・・という言葉が実は女性が巫女が神に仕えていて飯をよそおうということから出てきた言葉なのである。
飯を神にささげることはそれが神聖なる行事としてあった。そ木神事が日常化してただの普通の労働になってしまった。
介護になってから自分が主夫になってしまったので飯をよそおうのが仕事になったからこの言葉の意味に注目したのである。

たまふ(賜う)=たまる(賜る)。

たまふとはもともとは玉から由来している。たまるとは賜ったものがたまることである。たまふとはもともと神からたまわるものが語源なのである。
現代だとすべてが自分とるという感覚になる。
何かたまわるという感覚はない、授かるとかいう感覚も無い
だから誰も自然でも何でも感謝したりしないのである。
たまるとたくわえるは違う、たくわえるは人為的努力でありたまわるは神からの無償の恵みなのである。
人為的に貯えるのが現代の経済であり社会である。そこに呪いが隠されていた。
機械が過度に発達して人為的に自然から恵みを富を収奪して成り立っているのが現代文明である。
資本の横暴がグローバルで金が物が暴力的に横暴に支配する社会となった。
てはそういう西欧的文明の転換期になったとき何が新しい文明を生むのかとなると一つは日本文明も文化も東洋文明をになっているということである。

だから言葉から見直してゆくとき国風文化がまた再興(ルネサンス)するのである。
日本語では何か基本語となるもの、基幹語となるものがある。
それは一語なのである。
例えばチという語は広範囲に使われている。地は血でありあらゆるものの基本にチがあるトチでもカチでもマチでもサチでもチと語尾につくのはチは大地の意味なのである。
日本文化の感覚は農耕民であり土地に根ざしているのである。
だから植物的文化となりそれは荒々しい動物文化牧畜文化とは異なる。

ミチというときもミは身でありチは大地のことである。英語でも地球は地のこと大地のことであり土を意味していた。万物を生むのが土地であるからそうなる。
ただこの土地は意識しにくいのである。
大地がすべてをはぐくむ基だとしても大地のことを意識されにくいのだ。
農業している人が今は土がまだあたたまっていないからだめだとういう。
何か作るにしても土と深く関係しているるのが農業である。
土はすぐにはあたたまらないのである。徐々にしかあたたまらないし野菜でも徐々にしか生育しないのである。
そこにどうしても忍耐強く待つ時間が必要になるのが農業なのである。

神道とは何かというときそれは最も身近な日頃使っている大和言葉にあった。
ミチとはチに由来して身と地は一体てあり血が巡るとはめぐるー恵みとなる。
大地が基本にあるのが大和言葉なのである。
言葉には必ずその国の文化があり物の見方や思想が宿っている。
だから詩は翻訳すると何か別なものになっているのである。
詩は翻訳できないというのは言葉の背景にその国の風土とか文化があるからなのだ。
まず日本の俳句の季語を理解することは日本人だった多様で全部は理解できない。
ましてや日本の風土を知らない外国人には知り得ようが無いのだ。
時雨とか春時雨とかこれなどは理解できないのである。
本居宣長が国風文化を見直したとき唐言葉と漢字と大和言葉をかなとを分けたことからはじまったことでもわかる。
今は日本語があるがこれを大和言葉にさかのぼりその日本人の根源的な思想をアイディンティティを知る作業が必要なのである。
そして今や世界の言葉にふれる時代だから大和言葉とか英語でも比較して日本文化が何かを知る時代になったのである。

日々にしてよそおう飯やあわれかな家に仕えし我が仕事かな

これも奇妙だけど実際に自分が一人で今家を守っているのだ。主婦があり主夫がある。
男も最近では一人暮らしになれば料理でも家事もしなければならなくった。
介護は家事の延長なのである。だから女性には向いていても男性には向いていない面があり男性が妻が死んだり親の介護となると苦しくなるのはそのためなのである。
今や家というのは墓もあり家維持することはそれなりの資産も必要であり庭の手入れもあり家事全般すること自体が手間がかかりすぎるのである。
だから未だに整理がついていないのである。
一家を維持するにはそれなりの人手が必要だから一人暮らしでば無理だと思った。
大家族だった時代は家を維持できたが今は家自体が核家族とか分離してしまった。
だからこの辺ではそもそも故郷でも家族でも喪失して分離してしまった。
縁故をたどり全国に散らばり家自体は分離して故郷まで喪失してしまったのである。


タグ:大和言葉
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2015年03月28日

NHKスペシャル「プラントハンター 世界を行くを見て (グローバル化している花や植物の世界)


NHKスペシャル「プラントハンター 世界を行くを見て

(グローバル化している花や植物の世界)


プラントハンター(Plant hunter)とは、主に17世紀から20世紀中期にかえてヨーロッパで活躍した職業で、食料、香料、繊維等に利用される有用植物や、観賞植物の新種を求め世界を探検、冒険する人のことで、現在も存在する。

オレンジやレモンは北西ヨーロッパの貴族にとってあこがれの樹木だった。イタリアやスペインからアルプスを越えて運ばれ、夏の間だけ北西ヨーロッパの貴族の庭を彩った。イギリス人が、ヨーロッパ大陸に派遣され、サクランボやオレンジ、アネモネ、チューリップなどを購入したのが、プラントハンティングの起源だといわれている。
http://www.13hw.com/jobcontent/01_01_01.html

西畠清順さんは、数々のお金持ちの方からの依頼を受けていて、その1回の依頼料が、なななんと3000万円からだそうです。



プラントハンターはヨーロッパでは昔からあった。これはやはり金持ち国でないとできないだろう。
そもそも花を観賞する、生け花でも余裕がないとできないし鑑賞すらできない。
ヨーロッパでいろいろなもの芸術でも科学でも発達したのは生活に余裕ができたからだろう。
イギリスは寒い国だから南への憧れが強いし植物でも花でも南国のものを取り入れた。
花の種類はどうしても南国が多様だからである。

最近自分は家事とか介護に追われゆっくり花も観賞できないことに気づいた。
花見るにさえそれだけの時間的なゆとりが必要なのである。
だから時間の節約するにも金持ちだとできることがある。
家政婦を雇えば家事をしてもらうことができる。
でもこれは一日20万とか払う必要がでてくるし現代はできない
その代わり機械がその代わりをしてくれている。
オカユを作る機械は良くできているなと感心したのである。

金持ちが今何に金を使っているのか?
それは庭作りとかがあるだろう、世界の植物で飾る、花でもグローバル化しているから今は多様である。
ただ金があっても時間的余裕が無いと文化的なことがしにくいのてある。
あの人の出自が生け花の素材になるものを松の枝などを自然の中からとってくるなどが仕事だった。
つまり京都のそうした生け花などが盛んな所で文化的に鍛えられたのがグローバル化したのである。
前にも花を自由に活ける人がテレビに出た。
そういう人も京都などの文化があるところから出やすいのである。
田舎の花屋でも花の種類がふえたからグローバル化している。
それだけの知識も新しい技術も取り入れることが必要になる。

それにしてもあれだけ大がかりなことをしていることに驚いた。
樹齢千年とかのオリーブの樹とか酔っぱらいの樹とか飛行機で運んで日本で育てるのだから苦労である。
そんなことまでできる時代だともなる。
ただ残念なのは大阪とかであれ大都会で森の無いところで展示する
何本か植えるにしてもそもそもか都会には森がないのである。
一本のめずらしい樹があってもそれで森になるわけではない
森という全体があって一本の樹も生きるのである。
せめて公園きような所に小さな森でもあれば活きるのである
その点この辺は森がある、その森が深い、その森で樹も自然も野生の動物も野鳥も活きているのである。もちろんそこには岩もあり活きている。
都会のビルだらけの所ではそもそも樹も花も活きないのである
つまり森が無いということが致命的なのである。
森は作れないからである。

この辺では近くに深い森があるということは常に森を感じて生きていることにもなる。
森は瞑想的であり心を静める場所としてある。
放射能に汚染されても森は以前としてある。
飯館村は原始の森にかえるとしたら森にさらにおおわれた世界となってしまう。
双葉町でも大熊町でももともとあそこは明治まで深い森だったのである。
それが浪江町まで森にかえってしまうのか?
そうなると江戸時代にもどり広大な森におおわれることになってしまう。
森の国にになってしまうということてある。


つくづく人間の豊かさとは何なのだろうと思う
都会では森が無いのだから外国からでも一本の樹をもってきても活きない
そもそも森が無い自然が無いことがどんなにしても都会が貧しいことにもなる
都会にはそもそも森でも自然でもそんなもの作れないからである。
そういう人工的空間にめずらしい樹を外国からもってきても活きないのである。
ただ都会には金持ちがいるからやはりヨーロッパのように昔と同じくそうした職業が生れている。
金持ちに対して需要があるからそういう職業も生れている。
田舎では別に森があるのだからそんな職業は必要ないともなる。
ただ街路樹などはやはり都会でも自然を感じさせる。
仙台には欅並木がありやはりそれは自然を取り入れたもので気持いいとなる。
自分がしてみたいことは庭作りだった。ただこれも大変な労力が必要でありもうできない水やるだけでも手間であり家事から介護からやっていたらそれも手間になる。
だから金持ちでも時間に追われて仕事している人は時間がなくて旅もできない、自由にならないといっていることもわかる。
本当の金持ちは自由な時間がもてる人なのだからそういう金持ちは金持ちとも言えない
仕事の奴隷ともなっている。
日本人は豊かになっても何かそうした本当の金持ちがいないから文化も育たない
ヨーロッパのような貴族が生れないということである。

小高の原発で働いていた人の話(2) (東電の部長と並んで歩いて一目置かれた話)


小高の原発で働いていた人の話(2)

(東電の部長と並んで歩いて一目置かれた話)

前にも聞いたけどてあの人の話は興味深い。戦争についても詳しい。
原発で30年働いていた。でも下請けではないから待遇が良かった。
今のサブドレインとかがありその穴堀りしていたとういう
その仕事をもらったのは何らかの小高の人の関係で東電の上層部と関係がもてた。
何でも工事現場を歩くとき部長と一緒に歩いたら偉い人に見られたとういう。
そこで鹿島建設から仕事をもらうことができたという。
東電の幹部ともなると鹿島建設より上だったのである。
東電の社員は事故前はどこでも偉い人たちだったのである。
事故後は東電社員お断りとかも飲食店であった。
そして鹿島建設は東電より大きい会社だったというが東電が建築関係を受注したから上だとなる。
東電はまた政府と関係していたから上になる

ただ原発は東電だけではない、大手の建設会社や原子炉関係では東芝とか三菱とか日立とか日本の主なる大企業がかかわり総合的なものとして作られていた。
そして建設会社は地方でもそうだが利権になりやすいのである。
だから時の政治権力者がかかわりそこに大金が動くのである。
地方の選挙では奄美大島だったか二つの陣営に別れ争い負けた方には建設会社が受注できないとなり必死だった。
選挙に負けた方には利権が入らないのである。
建設会社がゼネコンが一番利権にかかわりやすいのである。
それにしても東電の部長と並んで歩くだけで東電の幹部のように見られた、特別な人と見られたというのもそれで鹿島建設から一目置かれて仕事がもらえたというのもこれは今でもあくことだろう。
それだけ東電の幹部となれば鹿島建設でも頭が上がらないという権力をもっていた。

それから前にも聞いたけど何度も言っているのは浪江と小高の間の東北電力が原発を建てる場所の土地をもっていた人がその土地を売らないと抵抗していたという。
その人の名前もあげていた。その人はなぜ高いところに電源を置かないのだ、津浪が来たらどうするんだとしきりに言っていたという。
津浪のこと言うこと自体この辺では全くなかった。
津浪が来るなど話も聞いていないのである。
だから津浪が来るから危ないということを言うこと自体不思議だった。
地元の人でも津浪のことを言っている人はいないからである。
ただ小高と浪江の間の東北電力で建てる原発は工事が開始されようとしたが今回の事故で中止になった。
その建設予定地には津浪は来ていなかった。

双葉や大熊の原発を建てるときは最初からしきったのはアメリカである。
なぜなら日本では原発を建てる技術も知識もないから最初はアメリカの指示通りにして建てたのである。
GEが設計から建設を指示して建てた、だから相当にアメリカの責任も重かったのである。電源を地下にしたのもアメリカの指示だった。
アメリカは津浪のことを想定しなかったからである。
そのことが命取りになったのである。
アメリカの指示通りにするというとき日本は戦後70年過ぎてもアメリカの占領下と同じになっていた。自主的に判断させられない、アメリカの指示通りにする他ない、
そのアメリカの指示通りにして事故になった。
ただアメリカのことはあまり批判されないのである。
電源を地下に置いたのはまず致命的過ちだったのである。
一素人が津浪に危ないとか指摘して電源を上に置くべきだということを言っていたのだから東電でもわかっていてンたかアメリカの指示だから従ったのだろうか?
その辺の真意がまだわかりにくい、つまりアメリカの責任はあまり問われないからである
原発がなぜ日本で廃止できないかというとアメリカの指示がるからだとなる。
それは単に原発として電力としてではなく核の利用とかアメリカのためになるからだろう防衛上の理由もある。つまりアメリカの指示で原発は廃止できない
それは沖縄の基地ともにている。アメリカの指示で基地も廃止できないのである。
それは戦後70十年変わらなかったのである。
だから戦後70年過ぎてアメリカとの関係を見直す時期になった。
それは中国の強大化もあり外交政策を見直す時期になったのである。


ともかく東電とともに原発とともに人生があったという人たちもこの辺には多い。
だから東電をあまり批判できないとかなる
東電から利益を得ていた人も多いのである。
原発事故の周辺は議員も東電関係で勤めで関係していたとか何らか関係して恩恵を受けている。
だから大熊町長は原発を再稼働してくれとまでなおなっている。
もう原発なしでは経済も何も成り立たなくなっていたのである。

タグ:東電
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ジャーマンウイングスの旅客機墜落事故、副操縦士が故意に墜落させた可能性 (事故は人間が完全でないからなくすことはできない)


ジャーマンウイングスの旅客機墜落事故、副操縦士が故意に墜落させた可能性


(事故は人間が完全でないからなくすことはできない)


アンドレアス・ルビッツ副操縦士は女友達との関係で難しい状況に直面しており、これが旅客機を急降下させ山に激突させる行動に
つながった一因ではないかと同紙は報じている。この女性の名前は明記していない。
http://www.bloomberg.co.jp/news/123-NLUKIL6TTDSG01.html


何か事故を起きる原因には共通性がある。韓国でのフェリーの事故もそうだった。
もうけを出そうと無理をして船を改造したりしていた。
原発事故でも清水社長がコストカッターでのしあがったというのもそうである。
今回の飛行機事故も安い航空会社でありパイロットを安くしようとしたとか
解雇できないとか言う人もいる。
何かコストカットするとどうしても安全面はないがしろになる。
安全に金をかけるともうからないからである。
でも一旦事故が起きるとその影響はあまりにも大きいものとなる。
会社の存続さえあやうくなるから安全対策しないと命取りになる。
でも韓国のフェリー事故でも今回の飛行機事故でも原発でも同じように
コストカットが優先され安全面がないがしろにされたことでは共通している
ただパイロット自身の人間的管理までは行き届かなかった。
人間が一番危険でありそれは会社でも管理できない
機械は管理できても人間は何か必ず不測の自体が起きるし予測もできない
だからかえって飛行機は自動運転の方が安全だとまでなる
人間は完全に管理できないからである。

それは人間の心を管理できないと同じである。
人間には悪意とかいろいろな恨みとか心にあってもそれは見えないからである。
このパイロットもまだ27歳で何かと動揺していた。
それは女性問題もあったようだ。
そういうことはパイロットの技術問題と関係ないのだがそうした心の問題も影響してくるだから理系だと技術者だとそんなめんどうな人間関係のことなど関係ないように見えても関係してくる。
医者でも手術するとき何か悩み事などかかえていると動揺して手術がうまくできないとかあるかもしれない、人間は機械ではないから感情的な面とかいろいろ精神に作用するからである。
感情がたかぶっいると車でも運転すると事故になりやすい。
だからどうしても人間は事故がさけられないのである。

また事故でも犯罪でも一つの原因では起きない、様々な複合的要因がかさなり起きてくるテロからの安全を計るためにドアをあけられなくしたのも裏目にでた。
実際自分の金庫も暗証番号を忘れて開けられなくなったとかそうした不都合が常に起きてくる。完全な安全はありえないのである。
思わぬ所に落とし穴があり必ず事故が起きる。
だから事故は宿命的だとかカルマだとかまでなるしそう考える人も多いのである。
なぜ事故が起きて死んだのかとなるとその人のカルマだったともなる
不運だったとなり運命論にまでなる。
実際自分の兄弟の一人は事故で死んだが父親が違うがその父親も事故で死んでいたのである。二代して事故死んだのはなぜだろうとなる。
事故のカルマがあり事故で親子二代死んだとなるのかと考えるのも不思議ではない

日本の国土のカルマとして必ず地震とか津浪とか台風とかで被害がある。
津浪は千年単位でみれば日本では起きている。
ただそのカルマを忘れていて大被害になった。
カルマは前世からだとか歴史的カルマがありそれは忘れやすいのである。
だから事故もカルマ論になると事故にあうべきしてあったとかまでなる
今回の事故ではそれにしても一人の鬱病とか女性問題の巻き添えになったというのも
あまりにも理不尽だとなる
ただこの場合でもサッカーチームはたまたま便を変えて助かったとかあり運不運がある。必ず事故でも災害でも運不運がある、この辺でたまたま家族が他に出かけていて助かったという人がいた。
一方で他からたまたま来ていて津浪で死んだ人もいるのである。
それも運不運だとなる。
だから守護霊に守られていれば助けられるとかまでなる。
誰でも60くらいまで生きると死ぬか生きるかとかそういうことを経験している。
交通事故だって歩いていても車にぶつけられるから安全ではないからだ。
自分がこれまで生きてきたのはやはり守護霊の作用があったのかと自分でも思っているのである。
なぜなら自分は何らか死んでもしょうがないことがあったからである。
神に守られたから生きていたとなる。

いづれにしろ事故の責任問題は必ず起きてくる。
人命がこれだけ失ったのだから避けることはできない
原発事故でも原因を追及してきたがその原因は広範囲であり一つにはならなかった
そして誰に一体責任があるのかとなるとそれもわからなくなっている
東電にあったとしても罰せられていないからだ
今回の飛行機事故の原因は誰にあるのか?
副操縦士にあるのか?その一人におしつけてんることができるのか?
会社の管理が悪かったともなり会社の責任もまねがれない
だから原発事故のように複雑ではない
韓国のフェリー事故の場合は宗教団体とか権力化した人たちの悪があり
それは原発事故ともにていた。
「安全神話」を作り上げたのは権力化したからである。
権力化して専門家による密室化して他者はかかわることはできなかった。
もちろん地元の人たちもかかわることはできない、ただ金を与えてそれで地元の人を黙らせていたし地元の人も受け入れたのである。

だから権力が密室化すると危険なのである。オープンにしないと権力をもつことは危険になる。
誰も外からチェックできなくなるからだ。
カルト宗教団体でもそうでありオームが密室化して宗教によって他者の批判を拒むことができた。
信教の自由を犯すのかとなる、それは創価などでも巨大宗教団体はみな同じなのである。権力集団であり権力化組織化した集団は危険な存在なのである。
だからそもそも宗教と権力(政治)が結びつくこと自体危険なのである。
無知な大衆は宗教より権力化した面だけをみる。政治だとその権力を誇示できるからわかりやすいのである。
首相の側にいれば偉いとなり中国の要人と対談すれば偉いとみるのである。
それは韓国のフェリー事故で露骨に現れたのである。
大衆をいかに操作するかということで権力を得る
それが事故にもなってゆくのが現代である。

ただ人間は要するに事故でも不測の自体が起きて予期できないから宗教もかかわる
あいつは事故にあったのは信心がなかったのだとか真面目に言っている。
ところが創価など何百万人もいるのだから事故でも不運に死んでいる人など無数にいる。そういう人をまじかに見ているだろう。
交通事故で死んだり破産したりとか近くで実際に見ている。
創価に入ればもし事故にあわないとなれば誰でも入るのである。
ただそうういことが信じられるのは結局人間は事故ですらそれがさけられず宿命的に起きるからである。
どんなに安全策をとってもやはりまた落とし穴があり事故が起きる
それは人間自身が一番のリスクだからである。

人間は神でもないし完全でもない、だからいくら理系的に優れていても人間的な弱点が女性問題とからでもでてくる。
飛行機は操縦しできても女性は操縦できず挫折して自暴自棄になるとかになる。
事故は不完全な人間のリスクから起きてくる。
だからもうさけられない宿命論にもなる
テロから安全を計ろうとしたらそれが裏目になり安全でなくなったということが象徴している。
いくら安全策をとっても不可抗力に不可避的に事故は必ず起きるものなのである。
それは人間が不完全だからでありそれは永遠にそうである。
だから原発とか飛行機でもどんなものでも事故はさけられないのである。
「安全神話」こそがいかに危険なものだったか反省すべきなのである。
それは権力化して成されたことであったからである。


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2015年03月27日

ジャーマンウイングス機墜落は副操縦士が故意に機体を破壊させようとしたものだった (原発事故ともにていた密室化された操縦室の危険)


ジャーマンウイングス機墜落は副操縦士が故意に機体を破壊させようとしたものだった

(原発事故ともにていた密室化された操縦室の危険)


人間の世界はどんなことしたって万全な安全は計れないことを今回の飛行機事故でも事件でも示していた。
飛行機を操縦している人に問題があったらお手上げになる。
外からの侵入は防げても内部の人だったら防ぎようが無い
だから人間は完全な安全は計れない、いくら計ってもそこに落とし穴があり意外な結果で事故が必ず起きているのである。
それは日常的にも起きている
自分の母親は危険なことなどしない人だった。
家にいれば安全だと思うのが普通である。
ところが水害になって水が家まで入ってきて米をもって逃げようとして炬燵の穴に落ちて骨折したのである。
つまり家にいても人間は安全ではない、地震も来るし津浪も来る
泥棒も入ってくるしどこで事故事件にあうかわからないのだ。

原発の安全神話というのはだから人間のこれまでの経験から見れば絶対な安全などないことが計れないことがわかるはずだった。
ではなぜそんな安全神話ができあがったのうかというとそれは原発にかかわるものが権力化していたからである。
それ5は危ないんじゃないかと実際に福島県の前の知事が指摘していたのである。
でもそんなことを聞く耳をもたなかったし無視できた権力かがあったからである
そして科学の専門家によって閉鎖された世界にもなっていた。
現代は専門家によってもう素人は口出しできない社会になった。
お前らごときが原子力のことなどわかるかと言われればそれまでである。
それは医療の世界でもそうでありどこでもそうなのである。

今回の飛行機事故をみても操縦室は二人とかの密室で行われている。
乗客も他の乗務員でもかかわれない、すべては二人にまかせられる。
そこで一人が意図的に墜落することを計った。
それはどうにも防ぎようが無いのである。
良くバスだと暴走したのを見て乗客がハンドルをきって操作して助かったことがある。
それは地上であり危険が乗客にもわかったからできた。
まず飛行機では急降下しても気づかないのである。
墜落寸前になって気づくのだという。
つまり乗客には何ら危険を察知することもなにもできないのである。

そのことは原発でも同じだった。
原発と地元の人たちとは完全に切り離されている
そこは密室化した空間であり地元の人たちが入れない
ただ許可を得て原発で働く人はいても肝心な操作する室内には入れない
そして原発のことを全部知り得る人間はいないという。
それだけ複雑なものとなりコンピューター制御で動かしている。
今回の飛行機事故も実際運転しているのはコンピュターであり
コンピュターの方が正確であり自動運転していたのである。
人間は補助役である。
だからコンピュターにまかせていれば事故は起きなかった。
人間がかかわって事故が起きたのである。
つまりコンピュターでいくら自動運転して事故が起きないようにしても
人間が最終的に運転するものとしてかかわっている限りその人間が事故を起こす原因になるから事故は起きる。
人間がかかわるかきり事故は起きるのである。

原発だって人間が最終的には判断して動かす、その人間が原因で事故は起きるのである。意図的に原発事故を起こすことも今回のようにできるのである。
だから本当に飛行機が密室で二人だけの操縦者でしきられあとは誰も入りこめないとなると安全面でこれも怖いものだと思った。
一人が何かの病気で倒れたならいいが意図的に爆破させるとか墜落させるとか計られたら防ぎようが無いのである。
「みんななんとかしてくれ」と乗客に叫ぶこともできない
その二人にまかせきりだからである。
原発にもそういう危険性があった。
原発の回りものは誰もかかわれないようになっていたからである。
テロで飛行機も爆破されたりしたから厳重なテロ対策で操縦室に入れないようにしていたそれが裏目ともなり事故が起きたのである。
だから人間は事故を完全に防ぐことはできない
それで原発のような危険なものは一旦事故が起きたら今回のように親類破滅までなるからやめるべきだとなる。

ともかく飛行機は乗客と操縦室が分離していて操縦室のことは何が起きているか全くわからない、そこに二人しかいなかったので一人が意図して墜落を計ればできたのである。
それは原発でも操作する人たちとそこの住民は分離されている
何を操作しているのか?中がどうなっているのかも全くわからない
何かを言えばお前ら素人にはわからないとか権力で無視できる
飛行機内も操縦室は密室化して誰も入れないのである。
テロ対策もあったが今度はそれが裏目になったからいかに完全な安全など計れないかわかる。

結局人間に完全な安全など平和時でもない、いつ交通事故にあうかもしれないし、家にいても地震であれ水害もあるし津浪もある
また家にいても泥棒は入ってくるし強盗だって入ってくる。
都会だと道を普通に歩いていてもさされることがある。
ただ飛行機は一度に大勢が死ぬから怖いとなるが交通事故の方があう確率が格段に高いのである。
だから乗り合わせた人たちは不運だったとなってしまう。
原発事故の場合は不運ではすまされないものがあった。
そこに住めなくなるような広範囲な大被害になったからである。

まず完全な安全を計るなら飛行機に乗るなとか車に乗るなとかなる
原発の安全は原発を作るなとなるべきものだった。
いづれにしろ便利なものには危険をさけることはできない
それは宿命としてそうであり人間の力では防ぎようが無いのだ。
それで「安全神話」というのがこれまでのことを人間の歴史をふりかえれば
ありえないことでありそれが通っていたこと自体問題だった。
権力化して奢りとなっていたために起きた事故だったのである。

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2015年03月25日

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光あれ

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月と地球

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蟹座

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火口

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津波


これも変化させたものである。
要するにオリジナルを変化させて別なものにする。
だから著作権違反になるかもしれない
ただこれが極めてインターネット的なのである。
文章でつなぎあわせて創作のようにもできるからである
パソコンの抽象画は変化しやすいようにできているのである
タグ:earth
posted by 老鶯 at 22:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 抽象画の部(abstract)

補償金で遊んでいる原発事故周辺への批判 (南相馬市も批判されているが誤解もある)


補償金で遊んでいる原発事故周辺への批判

(南相馬市も批判されているが誤解もある)


ちなみに日本で一番ベンツ売れてんのが東京じゃなく福島県相馬市だよ。

なぜかこういう金って身に付かないんだよね。
でもここの住民はそのお金使い切っても
まだ何か特典がありそう。ナマポ移行とか。
要はこの人らを金で黙らせて原発利権維持したいんだな。
政治家が。その金も他人に負担させてるから構わないと。

フィリピンに旅行行ったとき
原発の補償金で現地のホテルで暮して
連日、女を買いまくってる福島の奴に遭遇したな
口を開けば、買った女の話か東電の悪口ばかりの奴だったけど
あいつに遭遇して、被災者に同情する気持ちが無くなったわ

千日前のアムザで、その日来ていた被災民の方の話を聞いた。
知らない間に、勝手に500万ものカネが振り込まれたそうだ。
その他にも、ことある毎にお金が振りこまれる、と。
で、京都の府営住宅を被災民に無料で提供してもらってるんで、京都から
キタ、ミナミに遊びに来る毎日だそうだ。
復興支援の増税が馬鹿らしくなったね。まあ、可哀想な人もいるんだけど。

30年来のいわき民だけどこれホントの話だよ
病院は激混みで歯医者なんか2週間に1回くらいしか予約取れないし
引っ越そうにも空き部屋が見つからないし家賃も値上がり
土地も値上がりしてるから地元民は家も建てられない
いわき市の成人は1人あたり72000円くらい貰ったのかな
子供は150万くらいだったと記憶してるけど子なしだからホントそれだけ
景気が良くなったとか恩恵を感じる事もなくただ治安が悪くなり住みにくくなっただけ
文句の一つも言いたくなるわ

開沼博(笑)あたりの御用学者見習いが必死こいて
福島に寄り添え(笑)と偉そうに講釈たれて
国から国民の税金を搾取するキャンペーンはってるわけだ(笑)
勿論、こういう偽善の御用学者連中にも
我ら我々の税金から金が支払われている(笑)
原発利権ほど、美味しいものはないんだよ(笑)

いかに国民の税金を使って、
原発利権で金儲けに余念がない売国奴が集まるかなんだよ(笑)
結局、原資は国民の金、いかに巻き上げるかなんだから(笑)
原発利権とはそういうものなんだよ(笑)



これは別に嘘でもデマでもない、現実に前に書いたけどは相馬市と書いているけどこれは南相馬市と間違えている。南相馬市と相馬市は原発事故の補償金では全く別々である。
南相馬市でも合併して小高と原町と鹿島に別れた。
この合併したことが複雑化させた。
自分のNTTに申し込んでいた住所が合併前の住所になっていた。
それもおかしなのは南相馬市となっていてそのあとが合併前の住所だったのである。
外から見てもこの辺は混乱している。つまり南相馬市と相馬市は間違えられやすいし
一つの市に見られるということがある。
一見市の名前にしては無難だと思っていたが外部から見た視点に欠けていたのである。

今の時代はまず内部志向だけではやっていけないグローバル化社会である。
自分たちの市町村がよければいいとならない時代である。
現実になぜこんなに原発事故などで外部からとやかく言われるのか?
それは一兆円を越える巨額の賠償金が支払われたためである。
それは邦の税金だから批判される。
そもそも限界集落はなくなった方がいいというときインフラを維持するのに180倍もかかるとか今はなっているからでてある。
昔だったら別にインフラ整備の金も使わない、他に頼らず自給自足で生活していたから外部から何かやと言われることはなかったのである。
自分たちは自分たちでやってゆくで良かったのである。
現実に外部から頼らずに生活していたのだから外部からとやかく言われることもなかったのである。
そして外部からするとまた南相馬市と相馬市とは区別つかない、それで相馬市も損しているとなる。相馬市は補償金をもらっていない、それはイワキ市でも中通りの福島市でも二本松市でも郡山市でももらっていないのである。

南相馬市無いでも外部からみるとみんなもらっているように見える。
でも小高は避難区域になったから住めないからもらっている。それは双葉とか大熊と同じである。
原町区も鹿島区からすると倍以上もらっているのである。
避難した仮設に住んでいる小高区の人たちに対する不満は南相馬市内でも大きいのである鹿島区は一人十万七カ月分しかもらっていない、30キロ圏外でそうなった。
原町区は2年以上もらっている差も大きいのである。
そして小高区の人は医療とか高速代とかも未だに無料であり福祉関係でも優先的にサービスが受けられるのである。
自分かもらったのは二人分で140万である。それでも隣の相馬市はもらっていないから相馬市の人たちも不満である。
相馬市にも避難した人たちが仮設に住んでいるからである。
すると女性はスーバーでいいものをう買っているとか細かいところを見ているしあいつらは遊んで暮らしているとか不満が大きくなっているのはイワキと同じなのである。

南相馬市内でも補償金がまちまちであり津浪の被害者もいて複雑化した。
同じ仮設に住んでも小高の人たちは補償金もらっているからいいとかなる。
鹿島区の津浪の被害者はやはり一人一カ月十万で7カ月分しかもらえないからである。
だから南相馬市では合併前の小高と原町と鹿島に分断された皮肉があるのだ。
その中で30キロ圏外になった鹿島区の不満が大きいのである。
小高の人たちの態度も悪かったこともあるだろう。
全部ではないにしろ俺たちは金はあるんだよとか威張っていたとかなる。
そしてパチンコ通いになり働かないということが不満になった。
何も金があるんだから遊んでいてもいいじゃないかとなるが回りで迷惑になっている場合があるのだ。
福祉関係でもここだけではない、それだけの人が入って仮設に住むとそれを受け入れた市町村では福祉のサービスの人手がたりなくなることがある。
するとそこにもともと住んでいた人たちが迷惑になるのだ。
イワキでは数が多く二万人とか移り住んだとなるとそき影響が市全体に及んだからであるプラスの面もあったがどうしてもそこに軋轢が生れたのである。

だからといって避難区域にされて住めなくなってギャンブルや風俗で遊び暮らしている人が自分は幸福だとはうらやましいとも思わない
そんなことしていてもなんら楽しいかとなるとならないしモラル的に荒廃してくる。
そんな毎日遊んでギャンブルばかりして暮らしていたら子供たちにも影響する。
億の金が入ったりしたら確かに人間はどう使っていいかわからないということがある。
だから飯館村でもギャンブラーになったというのもわかる。
それをうらやましがっている外野もいるがそんなことがうらやましいとは思えない
だから米作りをして収穫した人が喜びにあふれてきたと漁師が魚を仲間でとったとき喜びにあふれていたとかありその仕事に喜びがあった。
その仕事が奪われたこともまた原発事故の悲劇だったのである。
普通仕事をしていることを意識しないからである。

結局金でもめるのはその金の出所が問題になる。
宝くじであたったりしたらその当たった人に対して当たらない人の恨みう受けることになる。なんだあいつばかり得するんだとやっかみがすごいものとなる。
だから宝くじにあたって大金を手に入れた人は死んだりしているし怖いともなる。
もし大金が入ってもパソコンを発明したような人は世間からそんなに言われないのである遺産でももめるのも何かそういうのと同じ面がある。
原発は利権が桁違いでありこんな何兆円もして除染したり補償金だすようなとてつもないものだった。
だからこそみんなその利権に群がったとなる。
事故を起こした後もこれだけ補償金出していることに地元でも驚いている
そんなに金がだせるものかとさえ思う。
いづれにしろ地元でも補償金問題で分断されてしまったのである。
これはこれからも尾をひく、浪江の会社経営している人がお前らたんまり補償金もらっているからと前の仲間から仕事を回してもらえなかったとかなる。
それもひどいとかと思うが億の金が会社経営だとその金が大きい、5億円もらった牧場経営者がいたとかなるからイワキに豪邸でも建てるとなる。
浪江の請戸の人が相馬市の病院で特等室に入り家を建てるとか言っていたのも反感があるだろう。あの人も軽く億の金はもっているからだ。
そういうふうに避難民が原発貴族化していることに反発がある。
俺たちは金はあるんたよと見せびらかしているというのも反発を受ける
一方で肩身を狭くして避難生活をしている人もいる。
それはみんないろいろでありただ遊んで暮らしている人は目立つからそうなる。
人間は掃除しているだけでも労働している人は強い
労働すればなんでも権利が生れる、何もしなければ何の権利も生れないのである。

福島県でも財政が原発マネーが事故後も入ってきて潤っているから宮城県とか他の津浪被害県からうらやまれるのである。
開沼とか本を出して福島県では人口が減っていないとか言っているけどそれはここ五年くらいじゃないか?
そのあとは福島県は衰退するし南相馬市は消滅するとか言われている。
それは十年後とかさらに年数がたつと外部の人が入ってこなくなるからそうなる。
今は何か除染関係でも外部の人が入っているからにぎわっているように見えるのである。

なぜかこういう金って身に付かないんだよね。
でもここの住民はそのお金使い切っても
まだ何か特典がありそう。ナマポ移行とか。
要はこの人らを金で黙らせて原発利権維持したいんだな。

そういう人実際にいた,、東京とかまで行って遊びあとは生活保護だと言っていた。
こういう金はやはり身につかない、それでこういう人はまた市の方でもやっかいものになる
それより市全体のイメージが原発事故で悪くなった。
だから何旅行して南相馬市と書く責められるようで外に出るのが怖いのである。
タグ:原発補償金
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2015年03月24日

失われた伝説の森の村(詩) (森におおわれていた飯館村)


失われた伝説の森の村(詩)


 
(森におおわれていた飯館村)

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人知れず花は草にうもれ咲き
石は頑なに太古の沈黙を守りぬ
森に覆われた村の家々は
一軒一軒隠されて森につつまれぬ
私はたずねぬ一日人も通らぬ木暗い道を
深い森に神秘の蝶は美しい羽根を広げ
ひそかに息ずき森に消えぬ
山鳩は睦み合い森につつまれ眠りにつく
その高原の村に銀河は流れ星々はきらめきあいぬ
ああ しかし今は人が住まぬ村となれり
住人は去り葦が茫々と茂るのみ
人散り散りになり消えにしや
いづこにありて故郷を思ふものなれ
人々の暮らしもここには絶えぬや
ただ寥々と葦笛の歌のみが奏でられる
森深く千歳の岩は再び沈黙に返る
伝説としてのみその村は語られるのみかも
石と石はなお相寄りてここに残りぬ
その村のことをなお語りつづけるや
石と石はやはりなお村の住人のごとく
ここに残りてなお動かざるかな
その一つの石は臥牛石なりしも
牛を飼い牛と共に暮らしありしも
そこを訪ねればやはり人の如く語るものかも
ただ失われた伝説の村の物語を・・・
ああ かつてはここにありしとなつかしく
帰れざる人々は哀しくも思うのみかも


飯館村は7割が森であった。だから江戸時代から森林資源が豊富だから争いも起きた。
玉野の木材資源の争いは有名だが飯館村でもあった。
飯館村は江戸時代から森の村だった。
飯館村は森林資源も豊富だが意外と平地も多く稲作の面積が広い。
でも高原で冷害があった。標高が高いから夏だと涼しいのである。
八木沢峠を越えて見ればわかる。あれだけ高いということである。
八木沢峠ではなく大倉から入ることもできる、ただ共栄橋のところにでると新しい道ができて車が通り安くなった。

でも自分はあそこに道がないとき通っていた。そこには隠されるように小川が流れていたあそこは神秘的な所だった。未だ人が入らないという山陰にあった。
自分としてはあそこが道になったのは残念だった。
今になると人が住んでいないからあの道を作っても無駄だったように思える。
ただ七曲がりの道は車では行きにくいから車を通りやすくするために道路を造ったのである。
大倉からでも相当な峠道でありまるで秘境への道のようににもなっていた。

一方川俣から来るとそんなふうには見えない、川俣は街であり道路沿いには食堂とか暗たし家もずっとあったからである。
福島市から来ても秘境という感じはしない、ただ南相馬市など浜通りから来ると山深いところを通るから感覚的に相当違っているのだ。
特に高の倉ダムから入る道は確かにやっと車一台くらい通れるにしても森の中の道であり一日車一台くらいしか通らない、その森の道をぬけてゆくと家がある所にでる。
その家も森に隠された家である。飯館村はそうして森の中に家があるのが多かった。
あんなところに家があるというのも不便であり家があること自体不思議に思った。
あそこは森の中の本当に暗い道なのであ。舗装もされていない原始的な道だともなる。

人間は森があるということは森林資源としても有効だが人間の心に相当影響する。
昼なお暗い森が亜ということはそこは瞑想るき場であり心を静める場所になる。
だからそういう場所をもつことは心に作用する。
だから森がないとか自然がないところに生活していると自分は住んでいられない
心鎮める場所がないからである。
ビジネスだけの工業と商業だけの世界では心が疲れてしまうだろう。
だから良く東京のような所に住んでいられるものだと思う
特に自分は隠者的傾向が強いからそうなる。
飯館村もそうだが丸森もまさに森とあるごとく森が深いのである。
そこで森にまよって抜け出れなくなったとき恐怖した。
延々と森がつづいていたのである。日本は山国であり森が多い国である。
外国でははげ山が多い、日本は森におおわれた国である。

ともかく飯館村からは人が去り葦原にうもれ原始の森がおおいそこに放射能の廃棄物が埋められる。そこには人が住まなくなり葦と森におおわれてしまうのか?
それは原始の状態にもどるということにもなる。
葦原でもやがて日本では木が生えて森になってしまうのである。
最近一年くらい飯館村に行っていない、やはり休む場所がないと行きづらい。
飯館村で意外なのは工場がありそこでは人が通っている、住んでなくても通う人が結構いるのである。
つまり農業だけではない牛を飼うだげではない工場もありその工場は放射能の被害がないから人が通っている。
第一次産業は放射能で汚染されたから致命的だった。
工業なら影響はほとんどないから仕事ができているのである。
だから飯館村は無人の村とも違っている、人が普通に出入りしている。
でも家があっても人は住んでいないのである。

飯館村の人が仕事がなくなりギャンブラーになったというときそれもまたこの辺で補償金をもらったため起きたことである。
ただ飯館村でもまでいな村とか原発とは関係しないだろう。
南相馬市では働きに言っている人が結構いたから関係していた。
飯館村となると原発のある双葉は遠すぎる。
川内村は三分の一が原発で働いていたから関係が深かった。
飯館村はそういう村ではなかったのである。

それにしても飯館村は伝説の村になった。津浪で一瞬にして消えた村も伝説になる。
こんなふうになるとはイメージすらできなかった。
ただ森とか山とか川とか自然そのものがなくならない。
石でも残っている、自然を破壊するのはダムとか道路工事とかの方が影響が大きいのである。
飯館村は常磐高速道路ができることを待ち望んでいた。観光客が来るのを待ち望んでいた都会の人にとって森の村でありオワシスとなった。
それも消えてしまったのである。
ただ森はあるのだから森を活かすことはありうる。
自分の想像では電気も水道がなくても放射能など気にしない人が住むようになるかもしれない。それは昔の自給自足的な生活になる。
ただ放射能を気にする人は住まない、水が汚染されたことは致命的だともなる。
水を買っていては自給自足にならないからである。
除染しても七割が森なのだから焼け石に水であり放射能がへるまでほうっ,ておくしかないとなる。
そうなると百年とか人が住まないで原始の森にかえる、ただ森がはげ山にはならない
木の放射の汚染は簡単にはとりさることができないからやっかいなのである。

とにかく

飯館村が原初の葦原になり伝説化した
(葦笛の詩として引用構成)

これ相当に読まれている。自分でもこんな詩があったことは不思議である。
なぜか飯館村の人たちの心境に一致していたのだろう。
ただ詩はむずかしいから普通は関心ないけどこんな状態だから読んでいるのだろう。



タグ:飯館村
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2015年03月23日

春彼岸で墓参りして思ったこと (人間は死んだとたんに忘れられるから無常である)


春彼岸で墓参りして思ったこと

(人間は死んだとたんに忘れられるから無常である)


町の空高く飛びけり初燕
めれにしも明るし昼間春時雨
我が墓に誰か花さす春彼岸
百輪ほど木蓮の蕾風にゆる

誰なれや我が家の墓に花をさす人のありしも春の彼岸に

初燕を見たのは昨日だった。今日は春時雨だった。春時雨などというのも実際にある。
今日は一時的に曇りぱらぱらと雨がふった。やはり時雨なのだろう。
春時雨となると全然冬の時雨とは違う。こういうのを季語にしているのも日本である。
春彼岸であり花を誰か自分の墓にさしていた。それははっきりと自分がさしたあとにさしているからわかった。
こうしてくれのは誰かわかる、どうしても姉が保健婦の時世話した人だろう。
それは近くに住んでいるし同じ墓だからだろう。
同じ墓地だとついでに花をさすということがある。

墓に花をさすということはやはり死んでからも忘れないといことでありそれはなかなかできない、たいがい人間は肉親すら忘れやすいのである。
墓参りするのは無償の行為であり本当にその人を思っていないとできない
一見花さすことなど簡単でも金がかからなくても人はしないのである。
だから墓地というのはやはりそうした人々の思いがある場所だから違っているとういことはある。
ただ墓も意外と今は遠くから墓参りしている人が多いから墓参りにくるのも大変だとなる墓参りとか掃除するにも近くでないとできないのである。
そういうことで土地の縁が薄れてしまったのが現代なのである。

人はいろいろである。恩を忘れない人もいれば忘れてしまう人もいる。
たいがい恩でも意識しない人も多いし忘れるのである。
人間はなんでも忘れやすいのである。死んだとたんにたちまち忘れられる
そんな人生きていたのかともなる
だから死んでも五年くらいたっても忘れないのはやはりありがたいとなる
正直金だけの関係で切れるのは悲しいけどほとんど今は特にそうなっている。
金がもらえないなら何の関係もないとなってきれている。
人間はそんな関係しか結べなくなったのかということが悲しい
それは肉親の間でも兄弟でも起きている

自分の一身上のことでも金、金、金・・・ばかりだった。回りも原発事故の補償金で金でもめて地域は分断された。それも金が原因であった。
なんでも人間関係も金だけだになると悲しい、何か金意外のつながりができたとき人間っていいなとなる。
それを作るのが今の時代はむずかしいのである。
かえって貧乏な時代の方がそういう人情にあつかったというのもあり人間は必ずしも豊かなことが幸せに通じるとはなっていない。
あるものは本当に金を盗むために来てあるものは金、金、金と自分の病気のとき要求してきた。
もう借金とかに追い詰められると相手のことなど見えない、金をしぼりとってやれとしかないのである。
だからすでに借金している人は人間でなくなっている。
借金のためにはなんでもする犯罪者になっているのである。
その餌食にされようとししたのが自分であり実際そうであった。

「金の切れ目が縁の切れ目」「地獄の沙汰ば金しだい」とか本当に諺は人間の変わらぬ真理だった。つまり人間は昔も今も変わらないからこそ諺も生きている
ともかく墓参りするということはやはり人間として欠かせないものである。
つまり墓参りは何か見返りぁう期待しないからいいのである。
それは花をさすだけでもいいのであり問題は心が問われている。
死者を思わないものは花一本もささない、それは親子でもそういうことあるから人間は肉親に対しても非情化する、そしてとにかく忘れやすいということである。
死んだ人を何十年も思いつづける人は肉親だろうが兄弟だろうが夫婦でもいないだろう。つくづくだからこの世は無常なのである。
肉親の関係すら死んでしまえばはかないとなる。それはやがて老人になればいやおうなく現実になる。
そもそも人間にそうした金意外とか利益意外の関係を求めること自体ありえない
ただその時々の利害関係しかないとなる
だから結局人間の関係も一時のものでありこの世の縁もそんなものでありたちまち人はみんな死んで二度と合わないとなっているのである。

人間はある点でつくづく犬や猫以下になっている面がある
なぜこれほど犬や猫に思い入れが深くなるのか?
それは人間の貪欲さや非情さから人間より犬猫の方が無欲でかわいいとなっているからである。
犬の方が恩を忘れないとなもなる。
人間は嘘をついたりと動物以下なのである。
だからどうしても人間嫌いになり犬猫の方がいいとなるのもわかった。
人間の醜悪さは悪魔的なものになってしまう。
他人などはもう人間とも見ていない、こいつからいくら金がとれるんだしかなくなっている
そういう世の中になったから極端化したから津波でも原発事故でも来て故郷も消失したのかもしれない
ずっとそのことは自分の一身上のことから思いつづけていたのである。
動物以下と化している人間は滅びるほかないとなるからである。
そんな人間の世の中は滅びてもいい、惜しくもないとなってしまうからである。


タグ:春彼岸

日本は戦後70年過ぎてもアメリカの属国だった (原発もアメリカの意向のもとに作られ事故になった)


日本は戦後70年過ぎてもアメリカの属国だった


 
(原発もアメリカの意向のもとに作られ事故になった)


津波で電源がアウトになることを東電は予期していたが
補助電源の位置を変えたいと言ったら設計者の米国企業が断ったんだよ
「電源の位置を変えたら保証対象から外す」ってね

結局、米国企業に言い負かされて電源を動かせなかった
アメリカはハリケーン対策で補助電源を地下に設置するが
それが津波に対して脆弱であることを米国は全く考慮しなかった
この事実は震災当初は何度か報道されたのに
以後はさっぱり報道されなくなったな
アメリカに都合が悪いので報道管制が敷かれたようだ


福島の原発事故の原因をいろいろ探求したけど様々な要因があり科学に弱いから自分には究明できなかった。
もう一つわかりにくくしているのはアメリカがどうかかわったのか?
アメリカの責任は問われないことがまた謎にしているのである。
アメリカはハリケーンのことを考えて補助電源を地下に設置することを強制したというがそんな力があったのかとなる。
だとするとこれは日本の風土を無視したことから起きた事故だともなる。
アメリカはアメリカのことしか頭になかった、そのアメリカでハリケーンの被害が多いからと日本にもおしつけたというのも大きな問題になる。
でもアメリカの原発は地震の多い西側ではなくほとんど東側にある。
とすると地震のことはアメリカでも気にしていたのである。
そもそもなぜアメリカが日本で原発を作るのにそんな権限があるのだろうか?
そのことにこそ原発事故を起こした主要な原因があったとなる

それで最近出版された「日本はなぜ基地と原発をとめられないのか 矢部宏治」という本がそのことを言っていた。それは盛んにネットで言われていたことであるがそれがネットだと陰謀論になり信用されなくなる。
ただネットでは常に裏にアメリカの圧力があってアメリカを批判できないと言っていた。だからアメリカの批判は表に出にくいのである。
結局日本は戦後70年過ぎて独立国ではない、アメリカに占領されたアメリカの属国になっているから原発でも一方的におしつけられらても何も言うことができない
官僚も検察も表と裏があり裏ではアメリカの植民地と同じであり独立国ではない、
まず外国人の基地があり外国の軍隊が駐屯している国は独立国ではないというのは本当だろう。
それは沖縄がなぜ基地をなくすことができないのと同じだというのもわかる。
日本には決めることができない、アメリカが決めることだからである。
日本の憲法もアメリカによって決められたものでありそれが戦後70年すぎてもそうなのである。
日本は以前としてGHQが支配した時と同じままなのである。
日本人が日本人で意志決定できないようになっている。だから独立国ではないとなる。
それは原発でも同じだったのである。

政治で決定するにしても鳩山由紀夫首相が基地を移転するときもアメリカの反対にあいできなかった。それは民主党ならアメリカの意向に逆らうことができた政権だった。
でもそれができないというのは日本はいくら政治でも時の政権でも自らの意志決定をできない、その上の権力が裏の権力がとりしきるからできないという。
それはアメリカと一体となった官僚でありせ検察でありそれが実質支配しているからできないという。だから日本はアメリカの植民地国であることは戦後70年過ぎても同じだったのである。
だからこそなぜ東電の会長とか社長が検察が逮捕しないのか裁判にもならないのかということもわかる。
そこにはアメリカの意向がありアメリカと検察が日本を支配しているからである。

結果的に日本国民が原発事故でも犠牲にされということである。
世界情勢でもアメリカ側からしか見れない報道になる。
ウクライナでもクリミアでロシアはアメリカの一方的おしつけからただ防衛しているだけだという専門家の意見があった。そうなのかとなるがその意見はなるほどと思った。
だから鳩山由紀夫前首相の言い分も一理はあるのだと思った。
アメリカ側の言い分しか報道されないからアメリカ側の見方がおしつけられているのだ。それにはマスコミも加担しているからアメリカを批判できないのである。
イスラム国の問題ももともとは一方的にアメリカが主権国家を侵略したことからはじまっていたのである。でもそのことをあまり大々的には言えないのである。

根本的な問題として日本は戦争に負けて以来アメリカの植民地であり独立国ではなかっただから原発でもアメリカの政策としておしつけられて事故につながった。
原発問題と基地問題は共通していたのである。
アメリカの属国となったことから日本が解放されていないからである。
戦後70年過ぎてもそうなのだから今はそうしたことを見直す変革期に来ている。
ただ日本という国はウクライナであれ朝鮮半島が二分されたようにそれが他国のことのように見えても日本も常にそうした分断される危機がある。
戦後もアメリカとソビエト連邦により分断される危機があった。
朝鮮半島の悲劇は大国の綱引きで分断されたのである。
それが日本でも起こりうるのである。つまり日本は中国とかロシアとか大国に囲まれているからである。国力でも中国とかロシアと比べると今でも劣るからである。
そして背伸びすると中国やロシアやアメリカとも争わねばならなくなる。
それが日本が戦争に負けた時と同じになるのである。
そういう回りの環境は変わっていないからそうなる。
そしてまた戦後70年過ぎてそのことが問われ日本の独立を志向する時代になったのである
タグ:アメリカ
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2015年03月21日

春の日(真野ダムで倉敷の人と出会う)


春の日(真野ダムで倉敷の人と出会う)

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真野ダム展望台

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クリック拡大すると大きくはっきり見えます

一軒一軒復興住宅に春日さす
飛び来る鳥に匂える朝の梅
初蝶や栃窪に見てうれしかな
椿散り今し流れて消え去りぬ

イヌフグリ畦に満ち咲き田起こしの土黒々と田植えはじめむ
紛々と里には梅の香りかな草も萌えにつ我が踏み歩む
大岩の春日をあびて蕗の薹あまたいでにき流れひびきぬ
それぞれの形に石の並べられ春日をあびて所得るかな
石二つまた石二つ並びつつ夫婦のごとく春の日さしぬ
春日さし石に腰をおろしつつ我は休みつ人また来る
真日さして紅梅映えゆ赤々と椿もここにあまた散るかな


復興住宅も一軒一軒の方が景色にあうし春の日がさしてのどかな感じになっている。
団地だとやっぱり何か一軒一軒の家とは違っている。
今日は真野ダムの方まで行ってきた。春らしい春だった。
蕗の薹が一杯でていたし梅がいたるところでにおっていた。

真野ダムの展望台で倉敷の人と出会った。
その人は鹿島に実家があると言っていたが鹿島で育ったわけではない、自衛隊の関係でいたのだが今は倉敷に住んでいるという。子供連れだった。
倉敷はずいぶん遠いですねというと1200キロあるというから本当に遠い
常磐高速を来たという、それにしても遠い。
「倉敷は瀬戸内海は海が穏やかでいい、こっちは海が荒いから」
「このダム湖のように静かですよ」
「でも瀬戸内海は潮が勢い良く流れているだよな」
「ええ、潮の流れの強い所では魚が大きくなるんですよ」
「ええ、そうですか、やっぱり潮の流れにさからうとかで筋肉がつくのか」
「まあ、そういうことかも」
「鮎でも流れの強いところでは育ちますから、天然の鮎は肉がしまらないからうまくない」
その人は城に興味があるという。そういえば西の方は城がそれも大きな城が多い。
そして瀬戸内海に海と通じている城が結構多いのである。
それで相馬藩の初代の殿様が瀬戸内海の城をみて海に通じていることを見て一時小高の村上に城を築こうとしたのである。あそこはその時港があった。蔵まである港があった。
それは瀬戸内海の城を見聞してまねたのである。
瀬戸内海の城では明石城などが淡路島などが見えて気持よかった。
東北では海に面した城はないからである。

自分の場合たいがいその人が住んでいる場所に実際行っているから話を合わせられるのである。倉敷にも行っているし瀬戸内海も行っている。
日本全国ほとんど行っているからその人がどういう場所に住んでいるかたいがいイメージできるから話を合わせられるのである。
ただ海に通じている城が多いとしてもなかなかそこまで見るのは一回らいではむずかしいのである。海が近くでも見えない場合があるからである。
明石城ははっきり見えるからわかりやすかったのである。

田起こしされた田んぼが今年は多い、でも栃窪のほうになるとない、山側になるとまだ放射線量が高いからである。
南相馬市でも今年は6倍くらい作付き面積が拡大するというから相当に増える。
これも復興になる。常磐高速で来たというのも復興になる。
ただ飯館村などは復興しないだろう。草茫々に埋もれているだけである。
城に興味あるんだけどどこがいいですかと聞かれたから二本松の城は天守閣が高いところにあるから見物だと言った。
だから二本松の城に行くと言っていた。あそこの城は本当に高い所にある。
東北では城が少ないし小さいから見るべきものが少ないとは言える。

とにかく外からの人と話すと何か得るものがある。
いろいろな面で比較できるからである。
そもそも日本のことは外国と比べないとわからない
日本のことを日本人自身がわからないのである。
自分の土地のことも他の土地と比べてわかるのである。
ただそれにはその土地のことを知らないと話できないのである。
自分の場合たいがいその地を実際に踏んでいるから話ができるのである。
いづれにしろ倉敷は本当に遠いなと思った。

真野ダムの展望台にはいろいろな石が並べてあった。あの石も面白いと思った。
石に興味があるからそれぞれの石にも個性がありみんな形が違ってる。
形が違っていても調和するのである。
あそこは石の庭として面白い場所である。

ともかく飯館村でもアイノサワでもあそこに石がありあそこも人が来れば以前として活きることになる。人が来ないとそこは死んでしまう。
石すらそこに春日がさして人が座るとき活きたものとなる。
だから飯館村でも人がいなくなっても人が入る必要があるのだ。
そうすれば全く無人の死んだ村にはならないのである。
今日は何人かあそこに来ていたから活きている場所になっていた。


タグ:真野ダム

2015年03月20日

南相馬市の鹿島の仮設の食堂について (くつろぐ場とはなっていない)


南相馬市の鹿島の仮設の食堂について

(くつろぐ場とはなっていない)


鹿島の仮設食堂でバイキングにしたのはめずらしい。原町ではしていた。でも千円だから高い、コーヒーは無料であるからそれほど値段は変わらないかもしれない
バイキンク形式は毎日変わるから常連になっても今日は違っているなとなり来る
ただレストランとかは意外と雰囲気とかが大事である。
仮設では狭いし作りにくい、あそこは他より広いがレストランのような雰囲気が作りにくい、ただ食べるだけだとなる
まあ、仮設だと狭いのだからしょうがないとなる。
今は半分くらいは除染とか外部の人が入ってきている
それでどこでもレストランとか食堂はにぎわっている。

レストランとかは本当はいろいろなものがある。
ただ腹を満たせばいいというのも普通にある。
一般的な食堂はそういうのが多い
ただ人間は腹を満たすだけではない、そこにいろいろな付加価値を求める
もちろん腹を満たせばいいという人もいるし金をかけられない人もいる
スキヤなどはただ安く食べられればいいとなっている
あこも人手不足で時給1200円でも集まらない
この辺は特にそうだが全国的に人手不足が深刻である。
人手不足で熱海では経営難になったとか他でもそうである。
介護関係はますます人手不足になる

つくづく人手不足というとき人手は必ずしも金を高く払っても補えないということがあるまず人間はロボットのように機械のようには使えないのである
家で働いてもらうような場合、経験があるからちょっとしたことでも人を使うことの大変さがわかった。それで大損にもなった。
家で働いてもらうにはまず信頼関係が一番大事なのである。
これは簡単にできない、それなりの金を払ってもできない
例えば信頼関係ができているのはその家に十年とか働いている人なら信頼できる
その十年の間にはなんらか金だけでな人間的やりとりができているからである。

ともかくあつみ食堂は前は弁当屋だったのでその時も買っていたから料理がうまいことはわかっていた。今でも料理はいい、どっちかというとバターとかで味付けしているから若者向けというか現代風にしているのだろう。
料理はいいとして何か仮設食堂はくつろげる場所ではない空間がない
それがそんなに問題あるとは思っていなかったが何かくつろいで食事できないことを感じた
もちろんそれは個人的な好みもありかえって場末の飲み屋のような所でくつろげるという人もいる
そこのマスターとかと親しいとくつろげるとかといろいろ要素が入ってくる
つまり食堂であれレストランであれ食べるだけではない付加価値が必要になる
そして現代の商売はものがあふれているから付加価値の面が大事になる
でもそこまで考慮して商売するとなると大変な作業になる

ともかく食事は何かくつろぐ時でありただ腹を満たすだけだと人間のような気がしないとなる。
介護になってからずっと一人だけで食事であるが家で食べている方が落ち着く
ただ食事の用意がめんどうなのである。
だから家事に時間がとられる、家事はいろいろあって時間がとられる
それで外で食べた方が時間の節約になる。
食事でもレストランでも一人で食事すると嫌で一人暮らしの人が良く女性の友達を誘っているのもわかる。
その相手によっても食事の楽しさは変わる
結局人間は機械でないのだから人を雇うにしても誰でもいいとうわけではない
家で手伝ってもらうにも相性とかかえってめんどうなのである。
人手不足の時代だけとどこでも誰でもいいというわけにはいかないから人手不足はこれからもつづくだろう。
極力機械化するとしてもやはり人手が必要であり人手不足はつづくのである。


タグ:仮設食堂
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2015年03月18日

言葉に大昔の生活の痕跡が残されている (値(あたい)は生産することから生れていた)



言葉に大昔の生活の痕跡が残されている


(値(あたい)は生産することから生れていた)


 
「値・価(あたい)」の由来
あたいは、「相当する」といった意味がある動詞「あたう(能う)」が名詞化したものであるとか「あたあい(当合)」が変化して「あたい」になったと考えるのが妥当らしい。
「値」の漢字の「直」は、「まっすぐ」や「まとも」といった意味をもち「値」になると、「(人が)何かにまとも」といった意味を持つのだそう
あた・う〔あたふ〕

言葉はそもそも歴史がはじまったときからある。言葉は詩の化石化したものだというときそれだけ古いということである。
あたいが与えるから生れた言葉だというとき原始とか古代では人間はみんな生産者であり消費者ではない、戦後十年までは農家では納豆まで作っていたし自給自足していたのである。消費することが極めて少ない社会だったである。
現代の消費社会というのはここ五十年くらいつに起きたことであり人間はもともと生産者であり消費者としての歴史は極めて浅いのである。
何か生産しない限り生きていけないのが人間だった。
つまり自分で生産したものを消費したのであり自給自足であり他人が生産したものを消費していたのではない。
だから消費するという概念すらなかった。
それであたいという言葉が与えるから生じているのは自分で生産したものにこそ値が価値があるということであり他人が生産したものを消費するということに価値は生れないのである。
第一消費するというとき費やすとなるが費(つえ)えるとは

1 財物などが使われてひどく減る。「投機で家産が―・える」
2 時間や労力がむだに使われる。「いたずらに歳月が―・える」
3 (潰える)つぶれてすっかりだめになる。崩壊する。「災害に―・えた街」「計画も夢と―・えた」
4 (潰える)戦いでことごとく負けてしまう。
「是(ここ)に於て南軍大(おおい)に―・え」〈露伴・運命〉
5 やつれ衰える。
「年頃いたう―・えたれど」〈源・蓬生〉


こうした悪いものとしての意味しかないのである。
何か消費するというとき買うことになるが買うは代えるであり物々交換の名残りを残した言葉である。
買うとは自分が生産したものを交換することを意味していたのである。
だから消費という観念すらないのである。
こういうふうに言葉からふりかえると現代の生活がいかに異常なのかわかる。
もう自分でも毎日買うこと消費することが生活なのである。
何一つ生産せずに買うことが生活なのである。様々なものを買うことに費やされているのである。
江戸時代からしたら千倍とか買って消費している生活なのである。
人間は何一つ生産する能力を失っているという指摘も確かである。
それが豊かな生活かとなるとそうではない、何も生産できないということは何も価値をあたいを生まない生活にもなる。
何かを生産したとき自ら作りだしたときあたいが価値が生れたからである。
だからこういう消費生活はいづれは破綻する予感がするのである。
何も作らないで買ってばかりいたらいづれは食料すら手に入らなくなる。
何も生み出さないとしたらあたいが生れないからである。
つまりついえる・・・となってしまう。

うむとかあれば売る(うる)という言葉が基幹語から生れる。生む(うむ)があって売るとなると最初にやはり生産することがあり次に売るになる。その言葉にも消費するということはない、あくまでも生む、生産することに重点がある。
うみとは海はうむものとしてあるからうみになった。
うみーうむーうる・・・は関係している。最初に売ったものは魚だったらしいからであるそもそもそういう生活だからこそ言葉もそういうふうにできあがってくる。
だから現代の消費社会というのは無駄が膨大にありゴミをだしつづける。
それは自然の資源も無駄に消費する社会である。
原発もやはり核のゴミをだしつづける。それはプルトニウムだったら二万年消えないとかなる恐ろしいものだったのである。

とにかく費やすーつええるーことになる社会なのである。
最終的には現代の社会は文明はあらゆる資源を費やして遂についえる社会になる。
二十世紀とかは本当に膨大なの地球資源を消費した異常な社会である。
それは人間すら戦争で膨大な命が費やされてついえた社会なのである。
資本主義であれそれは何か現代では異常化している。
資本主義が修道院からはじまったというとき消費ということは頭になかった。
資本の蓄積をするプロテスタントシズム、勤勉にして神に仕えるということから資本主義がはじまったとなると消費という無駄に費やすということはなかったのである。

ともかく現代文明は科学技術文明でも核兵器や原発でもその頂点に達して崩壊する危機に直面している。現実に原発事故周辺は文明が崩壊した場所となってしまったのである。
だから文明の転換が望まれるし新たな文明の創造が望まれる場所にもなるしただ文明の廃墟として捨てられる場所にもなりうる。
つまり費やされついえた場所にもなるのである。
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南相馬市鹿島区の最近の状況 (除染の作業が延々とつづく)


南相馬市鹿島区の最近の状況

(除染の作業が延々とつづく)


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ここは杉林だった、かなり切られてしまった
木でも飯館だと3マイクロあったから木の汚染もやっかいなのである。
木を切らないといつまでも放射性物質は減らないからである


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小池の仮置き場は広い、これもいつまでも置くようになるのか?
景観の破壊でもある

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ここに切った木を集めたのか


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牛舎は壊されるが多い


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これもいい風景ではない

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この家には古い蔵があった


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堀で4・1だから高くない

堀は泥にたまっていると思ったがそうでもない

まず堀から除染している

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田んぼの中もこの辺は低い

道路では0・2以下である

でも室内でも0・2とかあるから放射線量は変わらない面もある

ただ外では前からすると半分くらいに減っている



南相馬市で米の作付け面積が鹿島区で6倍にふえたとか全体でも増えている。
ただどれだけ収穫されるか不明である。土地が放置されて荒れているからだ。
元通りの収穫は望めないがいつまでも荒地にしておくわけにはいかない
米を販売することも許可するようになった。
今も除染しているが堀で0.4とか田んぼの中で0・3とか低いと思った。
堀は泥がたまり高いと思ったからである。
もともとこの辺は田んぼでも0・5くらいしか最初からなかった。
ただ山の方になるとどこでも高くなる。
まず堀から除染しているがその土の量が膨大になるのだ。
だから借り置き場がそちこちにある。

そしてその土を運ぶにしても量が多いからひっきりなしにダンプが通る
そういう点で落ち着かない場所なのである。
それからソーラパネルがところどころあり何か田舎の景観を乱していいものではない
これはここだけの問題ではなく全国的にソーラーパネルがふえたのである。
これの問題は景観を乱すことなのである。
その良い例が農家の前にソーラーパネルがあり古い土壁の蔵があるというアンパランスな景観となっている。
何かこれは田舎的景観ではないのである。
ともかく南相馬市まで除染作業しているが隣の相馬市になると何もしていない
これも変だなと思う、なぜなら相馬市でもそれなりに放射線量は高いからである。
さほど変わりないということもある。
南相馬市までは補償金をもらったが相馬市になると全くもらっていないから損なのであるそういう不満は福島県全体にある。

いづれにしろこの辺が落ち着くのはもっと先である。5年後とかになるかもしれない
それまでは外部の人の出入りがありにぎわっていることにはなる。
食堂なんか作業員でこんでいるからである。
スキヤは自給200円でも集まらない、どこも今は全国的にも人手不足なのである。

タグ:除染
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2015年03月17日

春霞(今日は海は霧で山は霞)



春霞(今日は海は霧で山は霞)

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パノラマ写真


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朝霧に雲雀の鳴くや数羽かな
真日さして野梅匂うや里の山
春霞家点々と里の山
紅梅に里の雀の映えにけり
この家の土蔵の古りて落椿

春来たり雲雀は鳴けど淋しかも里の田畑は荒れにけるかな

今日は海の方が朝は濃霧が流れた。海側は良く霧になる。午後からも霧が海には流れていたが山の方は霞がかかっていた。
今日は春らしい春であたたかい、野の梅がそちこちにありにおっていた。
ただ田んぼは荒れていた。この辺は除染で普通ではない
その田んぼの土をとるだけで大変な作業でありその土の置き場があちこちにあって普通ではない
だから何かのんびりしとした田園風景ともなっていない。
車も多いから余計にそうなる。

春霞に点々と家があるのどかな風景が普通なのだかそれが除染作業でそうはなっていないともかくこの除染は土をとるのだから容易じゃない、その量も莫大なものとなる。
田舎ののどかな風景はそれで壊されている面がある。
ただ梅は咲いてにおっている。

春なれや名もなき山の薄霞   松尾芭蕉

写真に撮ったのは薄霞である。

今朝行きて明日には来ねと言ひし子が朝妻山に霞たなびく柿本人麻呂

冬過ぎて春来るらし朝日さす春日の山に霞たなびく

春霞は万葉集ですでに使っている。霞はやはり春になるとかかり春らしいとなる。

夕陽映え遠くに霞む春の冨士


写真で俳句にするのはたいがいいいものはない、俳句は写生でも写真から作れるようでも作れない、現実に見えるのは立体だしその雰囲気は写真では全部わからない。
でも写真はいいのが今ではいくらでもある。
富士山が見えたら気持いいだろう。富士山は良く見ていないからだ


霞とはもやとか霧なのか?海側は霧が流れていてしめっていた。
だから山側も霞になったのか?何か粒子にさえぎられるか霞む
それが科学的解説になる。
タグ:春霞

日本語は縄文定着文明に由来しているのか? (言葉から東西文明の相違を探る一つの試み)



日本語は縄文定着文明に由来しているのか?

(言葉から東西文明の相違を探る一つの試み)


 
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現代の学問はグローバル化しているからなかなか素人学問では追いつけないだろう。
「地球環境史学」というのは世界史を環境の分野から見る壮大なものだからである。
その中で日本の縄文定着文明が一つの文明として見直される。
縄文が文明だったのかという疑問があるがそれも一つの文明として見直される。
そんなに縄文文明が世界的に優れていたのかとなる。
日本人のアイディンティティのルーツは縄文時代一万年にあるというときその長さに驚くだろう。
ではその縄文人として受け継がれたものが何か残っているのだろうかとなる。
それは日本語に残された言葉にあるのかもしれない゛日本語自体が孤立語であり他の言葉と関連していないから未だに謎である。
たたその言葉がどういう成り立ちがあるのかというとその言葉を成り立たせたものその生活自体にあったということは推測できる。

その一つとして日本語はとるというのが基本語としてある。英語でも外国語でも基本語がありそれはインドヨーロッパ語族だと牧畜狩猟を基本にしていた生活から生れていることははっきりしている。have get cache drive ・・・・とか獲物を捕らえるという感覚の動詞が主体になる。haveだとこさはあまりにも多様な意味がある。単にもつだけではない、養うとかありそれは家畜を養うに通じているのである。
haveは明らかに基本語でありそれはその生活と密着しているからそうなる。
だから言葉は研究することはその民俗のありようとか考え方文化に通じることになる。
ただそれがあまりにも多様だから言語の研究はたいがい嫌になりあきらめることになる。
日本語もまたいろいろその起源を探ってみても実際は不明である。
だから結局徒労になる。あくまでもみんな仮設にすぎないからである。

言語を知るには返ってその生活のありようにこそ注目して言語をみるべきなのである。
日本だったらどういう生活をしていたかというと魏志倭人伝る。
魏志倭人伝には、「その地には牛・馬・虎・豹・羊・鵲なし」とあるごとくく牛とか馬とか羊でも知らなかったのである。
この相違は大きい、大陸では遊牧民はすべて牛であれ馬であれ羊であれそれを基にした生活でありそれが文明に発展したからである。
日本人は確かに鹿などを狩りしていたけど基本的には漁労民族である。
海の幸と山の幸に恵まれていた民族なのである。
山の幸は森の幸に通じている。だから牛とか馬とか羊は知らない民族だったのである。
最初に日本に来た人が中国人が日本人の特徴を的確にとらえていたのである。

ここで一つの基本語としてとるというのを例にすればここから発展する言葉が様々ありこれが日本語の基本語として発展する。
とるとは森などで栗でも木の実をとるということに通じている。
日々の暮らしが木の実をとることになっているからとるという言葉は基本語になる。
そのとるからとまるがありとむ(富む)がありとち(土地)がありとち(栃)が生れて派生語が生れてくるのである
最初に定着文明があったということになると人間は移動してばかりいたら豊かにはなれない、貯えることができないと富むことはできないのである。
だからとるからとむに発展した。縄文時代が縄文土器を作ったのはまさに富むための器を貯える器を作ったということで富むことになったのである。

それから恵み(めぐみ)という言葉がある、そのめぐみはめぐるからきている。
日本では恵みはめぐることである。めぐるとは水がめぐるように循環することなのである季節がめぐり恵みが与えられる。時もめぐるが水もめぐり大地を潤し恵みを与える。
それは弥生時代にも稲作になってもその生活は受け継がれた。
稲作も定着文明だから共通していたのである。
遊牧民は広範囲な大陸を移動する生活である。その生活のありようが根本的に違っていたのである。

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「地球文明の寿命」安田喜憲

東西の文明を考えるとき西洋の起源は狩猟牧畜に由来している。
そしてここで安田喜憲氏が指摘しているように大きな獲物を追って捕らえ食していたからその石器も大きかったというのも興味深い。
石器時代から東西の文明は根本的に違って発展したのである。
西の文化はそもそも石器時代からそれだけ動物を殺す道具が東より優れていた。
つまり西の文化は動物を殺す文明として石器時代から発展した。
それは現代と何の関係があるかというとその動物を殺す道具としての石器が巨大な殺戮機械に核兵器まで発展したといもはることができる。
西では戦争が歴史でもありたえまなく戦争していたから兵器の技術も発展していたのである。
西洋文明というとき科学技術文明のことでありそれは道具によって機械によって自然でも人間でも支配しようとするコントロールする文明である。
それは男性的原理からなる文明である。
それに比べ東は女性的原理かなる文明である。採集文明が木の実をとるのだからそれは狩りをするのとは違う動物を飼育するのとは違う馬にのるモンゴルのような生活とは違う、極めて女性でもできる作業なのである。

ともかく西洋文明と東洋文明とは何かというとそのテーマが大すぎるからそれを解くとなると様々な視点が必要になる。
ただなぜこれまで西の文化が優越になったかというとそれはやはり神が定めたものだろう聖書が生れたイスラエルは遊牧民のアジアの端だった。
では東洋となると東洋とはどこなのかなになのか明確ではない、そういう文明論などまだ解きあかせないからである。
日本は東洋文明だとしてもまた島国であり特殊な漁労採集民族だった。
それは西にはない文化を縄文文化を育んだ。
でもそういう日本の文化はないがしろにされてきた。
圧倒的な西洋文明により日本の文明は埋没して見捨てられていたとなる。
だから縄文文明が新しく見直されるときそれは国風文化の再興(ルネサンス)になるのである。
ただ縄文時代が遅れた文明のように見られているし日本の文化は圧倒的な西洋文明一色になっているからその発掘をすることが日本の発見にもなるのである。
だから外国語にばかり注目しているが「恵み」という言葉に何か日本文化の基本的なものがある。それは採集文化の女性のやさしさみたいなものが恵みにはある。
それは弥生時代の稲作文化の山から水がめぐり大地を潤しめぐる文化に通じている。
循環再生の文化である。

いづれにしろ今回の原発事故は様々なことを文明の転換すら要求される巨大事故だった。それは西洋文明すら見直すものとなったのである。
西洋文明の科学技術文明がたどりついたのが原子力だったとも言えるからである。
それは石器時代にすでにその萌芽があり今日いたっているという歴史の連続性がある。
一見世界を支配した科学技術文明が原発事故によって崩壊の危機にさらされたともいえるなぜなら原発事故であれ核戦争は人類滅亡に導くからである。
では東洋文明とは何かというとそれはあまりにも大きなテーマだし実際は日本文明が縄文時代でも文明と見ていないように発見されていないし日本人自身評価がしていないのである。野蛮なアフリカのような土人の作ったもののように見ていることでもわかる。
そして聖書のエデンの園では動物は食べていない、果実と木の実を食べていたのである。
そこには野獣はいない、ライオンとか肉食獣など獰猛なものいない、おだやかな草食獣とともに暮らしていた。
それは縄文人が一万年平和な暮らしをしていたというときまさに木の実や果実を食べていたからである。
肉食獣をとったり食べたりしている遊牧民から牧畜民から発した西洋文明はそうした東洋的平和な文明とは根本的に違っていて
弱肉強食の原理の世界、現代のような世界を作り出したともなるのである。
ただそれはあくまでも文明の相違であってそれぞれの良さがありそれを融合させるのが新たな文明なのである。
それがいち早く西洋文明化した日本にあると明治時代に指摘された。
それから百年以上すぎて原発事故がそういう西洋文明の転換をうながすものとさえなったのである。







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2015年03月14日

暁に鳴く雲雀 (俳句は写生が基本であり評価する方が力量が試される)


暁に鳴く雲雀

(俳句は写生が基本であり評価する方が力量が試される)

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暁に雲雀鳴きそむ一羽二羽
暁に月光冴えて春寒し

暁に残月光り津浪後残る社や春寒しかも



 「暁(あかつき)」というのは夜なのか朝なのか。これを
「明け方の頃」と理解して「朝」と思っている人がかなりいる
が、正しくは「夜」の範疇に入るものである。


暁と曙はまぎらわしい、暁のあとに曙がくる。
暁はまだ夜である。
今日は暁のときだった。今日は結構寒く春という感じがしなかった。
「春は曙・・」があるがそんな感じではなかった。
実際にまだ暗かった。それでもすでに雲雀が鳴いていたのである。
ずいぶん早く鳴くものだと思った。
二三羽鳴いていた。

俳句は写生が基本である。なぜ俳句がつまらないものが多いのか。
やはり写生に徹しないからだろ。
何か意味ありそうな深いものを現しているようでも俳句では俳句にならない
そういう意味ありそうな俳句がまた多いのである
だからそれがなにかいいように思えるのである。

要するに俳句は単純に写生に徹した方が深い趣が出る日本的芸術なのである。
暁に雲雀が鳴いている、一羽、二羽、三羽と鳴いているとなる
それは明らかに写生なのである。
ここで例にだした俳句も写生ではないから鑑賞にたえないのである。
俳句の評価はむずかしいが写生を基本にすれば評価しやすいとなる
つまり俳句は作るより評価する方がむずかしい芸術なのである。
誰でも作れるから評価する方が深く読む力のある人が優れているとまでなる芸術なのである。

暁(あかつき)の 紺朝顔や 星一つ
                 高浜虚子
                 
これは写生だからいいのかも、朝顔が咲いていて星が暁に一つ輝いていた。
説明もないし写生だから評価できる。
虚子も写生でないのが多いのである。
でもが暁に紺朝顔が開いていたのか、まだ開かない朝顔だったのか?
普通は開いた朝顔をイメージする、でも写生になれば開いていないかはもしれない
そこまで読む必要がでてくるのが俳句なのである。
朝顔は光がささないとやはり開かない・・・とすると厳密には写生ではないことになる
でも開かなくてもそれが紺朝顔として認識されていたことは確かである
これから開く紺朝顔として・・・
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2015年03月13日

今朝の海老浜(昨夜の雪が一面に・・・)


今朝の海老浜(昨夜の雪が一面に・・・)

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今朝の海老浜(昨夜の雪が一面に・・・)
ネギ畑があり海が見える
この辺から海が見えたことはない
松原だったから海は見えなかった


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これはツグミだった、ツグミは地上で虫をあさっているが
朝は木にとまっている
でもこんなに群れているのは見たことがない
一羽づつ見ているからである。
ここからは海が見えるから気持ちいいとなる



海老の浜


昨夜の雪
椿に映えて
海老の浜
広々と見ゆ
梢に高く
鳥のとまりて
見晴らしぬ
阿武隈山脈
その奥の嶺
雪のふるかな
飯館村に久しくも
我は行かじも
沖行く船よ
朝広々として
津波の後に
視界開けぬ

昨夜の雪が一面に白く残っていた。
海老の浜に今日も行った。
あそこが津波が来て家がほとんど流された結果視界が良くなった。
今まではあそこに椿が咲いていることを知らなかった。
海外よりは奥でありまた家にさえぎられ見えなかった
海老の浜はもともと高いから視界が良かった。
でも今ではそんなに感じなかったのである。
360度展望すると阿武隈山脈が見えてかなたは飯館村となる。

どうしても人間は広い所と明るいところを指向する傾向がある。
山の方は暗い感じになるので朝には行きたくない
海はやはり心を広くする
こういう景観は心に影響してくる
山に囲まれていると閉塞感が強まるだろう
会津などでも山に囲まれているし中通りだってそうである。
日本は山国だから山に囲まれて生活している人が多い
会津の方に避難した人たちがイワキとかに移りたいというのは
海が見えるのとあたたかい所がいいとなる
海を見ていて生活しているのと山に囲まれて生活しているのとは
相当に心が違ってくる
海は開放的であり山国は閉鎖的なにる

明治維新もいろいろ見方があるが風土的地理的な影響もある
山口県とかでも海に面している
瀬戸内海は交通の要所であり薩摩藩でも海に面して貿易していたのである。
そして外国も関係していたからこの影響が大きかったのである。
東北の海は瀬戸内海の海とはあまりにも違っている。
村上水軍なども育たない海である。
ただ広く人間の営みの海ではないのである。

いづれにしろ海を見ていると心が広く解放された感じになる
だから朝は海の方に向かうのである。
そして毎日気候の変化があり感じるものが違う
介護になってから7年間くらい仕事に追われ遠くに行っていない
一人で家事でも何でもやっていると時間に追われるのである。

タグ:椿

2015年03月12日

帰りたい、帰れない、避難者 4年目の選択 (NHKクローズアップ現代を見てー浪江の老人に見る悲惨な現実)


帰りたい、帰れない、避難者 4年目の選択

(NHKクローズアップ現代を見てー浪江の老人に見る悲惨な現実)

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家の庭も中も荒れ放題だった
でも蝋梅と梅のようてものが咲いていた

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窓から見える夜景



蠟梅の庭に咲きあわれ老夫婦家は荒れにき帰れざるかも
浪江にそ帰りたしとて帰れざる皺深く老い故郷思ふ
浪江にそともに暮らす歳月やその家荒れて壊すも悲し

クローズアップ現代で浪江の人は高層ビルに住んでいた。1000人住んでいるというのも驚きである。夜景がきれいだというのもそうである。
でも田舎からあのような東京のど真ん中に住んでいるのもなじめないだろう。
だから帰りたいとなった。この気持はわかる。
夫は東電の下請けで働いていた。二人で苦労して家を建てたという。
家を建てたというとき近くでも苦労して夫婦で家を建てたという人を知っている。
何もないところから建てたから自慢していた。
家がもともとある人はそう思わないのである。
だから人間の思いは家があってもいろいろなのである。
その家に思いが深い人もいればまたそれほどでない人もいる。
年代によっても違ってくるのだ。
久しぶりで家に帰ってみたら荒れ放題だった。ネズミにかじられるは泥棒が入るはそれを見たらもう壊す他ないとなり壊す費用が出るので壊すことを決心した。
その老夫婦は80越えているからどうしても家に帰りたいということがあった。
でも家は4年も放っておくと荒れ放題になり住めなくなる
しょっちゅう近くだと帰って手入れしている人はいい
東京だと帰りにくいからそうなる
その荒れた庭に蠟梅が咲いていたのである。
蠟梅というと何か老人にふさわしいというか長寿の花のうよに見える

浪江ては東電関係で働いていた人が多い。南相馬市も多い。
その家を建てたというとき東電関係で働いたから家も建てられたともなる。
そういうことで複雑であまり東電を批判できない
高層ビルも東電関係のものなのだろうか?
そもそもか浪江でも原発の被害の大きかった所は東電の会社の社員のようになっていたところがあった。
自治体だったそうである。東電から金が入るからぜいたくもできたとなる

でも今になると東電というのは地元の生活とほとんど関係しなかったろう。
地元と関係するということは田畑を作っている人や漁業している人や何かその土地に根付いて生活している人と関係しない
もし田畑を作っている人と関係していればもし事故が起きて放射能汚染したらどうなるのだろうかと考えたかもしれない、その土地と関係しないから考えない
だから事故が起きたとき原子炉は心配したけど住民のことは考慮しなかった。
それで津島とか一番放射線量が高い所に浪江町では指示して避難させたのである。
これは自治体とも良く話あっていないからだろう。
そもそも原発は東電とか政府の一方的なおしつけがあり住民はかかわれなかったのであるただ金をもらえるということで容認していたのである。
下請けも多いのである。そういう人たちは東電の社員と同じだったのである。

故郷とか田舎だともともとは自給自足でありその土地土地であらゆるものをまかなっていた。それが広域社会化してグローバル化した経済では第一次産業は一割りの生産を担うくらいになった。
農業でも漁業でも老人だけになり跡継ぎもいないとかなっていたのである。
でも今回の原発事故で故郷とか田舎とは何なのか見直すことになった。
田舎とはその土地が一つの世界となって食料でも資材でも自給できることが基本になっていた。
例えば米でも野菜でも自分の田畑で作り燃料でも薪を裏山とりとかそして料理も自分でしたらその土地の糧で生きているという感覚をもつ、すると土地に愛着をもつ
そうでないものは金だけが頼りになる。自分もそうだけど別に田舎に住んでいても今は会社勤めだからそういう人が多い社会なのである。
それが外部との交流の割合は多くなると外部依存になる
その時地域のつながりも薄れていたのである。
実際に収入を得るのは東電という会社があってだとなると特にそうである。
東電中心に生活があったとなる。

そして高齢化社会となっているから老人は故郷に家に帰りたいとしても若い人は移転先で生活をはじめているから余計に老人だけが帰りたいとしても帰れなくなっている人がいたつまり「老いては子に従い」になってしまった。
生活の中心が若い人になり若い人は未来に生きるからそうなる
そこで老人も若い人に従うほかないとなってしまった。
そうしてもう故郷に帰る人はますますへりただ老人だけが帰りたいとなっても帰れないとなっていたのである。
だから今回の原発事故は老人にとっては残酷だった。
そして現実に夫が死んで自殺した高齢の人もいたのである。
原町でも90何歳かの人が一時避難するようになったとき墓に入りますと言って自殺した人もいた。
老人はそれだけもう移転して新しい生活ができないのである。
ただその老人にしても生活がなりたったのは東電があったからである。
その生活も東電とともにあったということが複雑なのである。

いづれにしろ浪江というと縁戚関係の人も多い、浪江は川が二つあり請戸漁港もあり高瀬川もあり大堀りで相馬焼きの窯元せあり風光明媚な所だったのである。
それが荒れ果ててしまった。
あの状態ではもう元の町にはもどらないだろう。
今回の津波であれ原発事故であれ街全体が壊滅したときそれから復興することは絶望的になる。
街自体が全部なくなったときその衝撃はあまりにも大きかった。
その前にたたずんだとき絶望的になるうちのめされてしまう。
そこで考えたことは街というのは村でも全体があって個々が成り立っていたのである。
今はどの市町村に住んでもあまりその市町村につながりとか感じないで住んでいる
田舎でも広域社会になると物は外部からいくらでも入ってくるから金の方が大事になる。でも一旦街でも村でもこんなふうに消失すると全体がないともう個々は維持できないということである。
商店でも街が衰退すれば人口が流出すれば成り立たなくなる。
それは大きくは国がなくなるとシリアのように難民となり悲惨なことになのとにている。でも国とか市町村とか普通はあまり意識しないのである。

ただ津波でも原発事故でもそういうこと市町村自体が消失して維持できないとなることなど想像もできなかったのである。
そしてもう老人だけが帰りたいとしても老人だけが残っても復興はできないのである。
小高などでも帰るのは老人てあり若い人は流出して帰らないとなると復興できない
補償金もらってもそれもいつまでもつづかないし老人だけでは復興できない
いろいろな悪条件が重なり復興するのは容易なものでなくなっている
それにしても80越えて東京で暮らすのは辛いとつくづく思った。
それから避難者は補償金でいい暮らししているだろうとか避難されているのも辛いというこれも小高の避難者に起きたことである。
それはあまりにも遊んでいるということが目立ったからである。
老人は田舎がいいくても若い人は都会がいいという人もでてくる。
だから原発事故は老人にとっては残酷だったのである。


浪江の高瀬川の近くで自分が一度だけ見た石は「皺石」と名付けた。
それはまさに皺を刻んだ老人の石に見えたからである。
浪江はまだ良くみてない所があった。
高瀬川は上流にダムもない自然の川だから名勝の地だった。
だから観光するのにもいい場所だったのである。


浪江の皺石と老人

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老人の一人一人はその顔の皺を深めて人生語る

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その石は存在し続けようとしている
その場その空間に定められて深く
その石は風を感じる
春の日に山の奥へ遠くへ道は通じている
春の風、夏に影なし涼しい風、秋の風、冬の風
あたたかな春の光、秋の光、冬の光を感じる
その風の色合いはそれぞれ違う
雨も雪もその石にふり動かざる
その石は苔むし皺が刻まれている
その深い皺は老人のようにも見える
その石はそこに存在しようとする意志
その場、その空間に歳月を経て深化させる
石はそこに重しのように意味をもつものとなる



浪江の高瀬川の近くで自分が一度だけ見た石は「皺石」と名付けた。
それはまさに皺を刻んだ老人の石に見えたからである。
浪江はまだ良くみてない所があった。
高瀬川は上流にダムもない自然の川だから名勝の地だった。
だから観光するのにもいい場所だったのである。

石でも人間が語っている
それが人間が住まなくなったらどうなるのか?
それは飯館村でも他でも言える
ただこの石そのものはなくならないのである。

タグ:原発避難者
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春の朝(海老浜は津波の後に見晴らしが良くなった)


春の朝(海老浜は津波の後に見晴らしが良くなった)

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パノラマ写真ークリック拡大


海広く朝鳴きあいぬ雲雀かな
春の朝山鳩二羽や平和かな
イヌフグリ津波の跡の海老の浜

海向かい観音様や朝日さし供養の碑かな鶯の鳴く
椿咲き海広ろかに見渡して津波の跡の海老の浜かな
海老の浜津波の跡に春の霜我が踏みにつつ残る松かな
三十人ここに死ぬとて春の霜津波のよする跡凄まじき
広々と海広がりて阿武隈の奥に雪の嶺春の朝かな

今日は昨日よりあたたかい、それでも春の霜でありまだ寒さはあった。
海老の浜は津波で家がなくなり見晴らしが良くなった。
今までにない景観になった。
松原もないから海か広く見えるようになった。
海老はもともと高い所にあったから見晴らしがいい。
でもこんなふうに広々と見えなかったのである。
家がないとこんなに景観が変わるものかと思った。

椿が咲いていてそこに海が広々として見える、あれは自生の藪椿である
景観的にはいいからあそこを海浜公園にすればそれなりに観光地になる
いづれはあのままにしておくことはできないから公園化するほかないだろう。
見晴らしがいいから気持ちいい
そういうとここで死んだ人を思わないのか死んだ人からするとまだ受け入れがたいだろうでもいつまでもそのままにしておくわけにはいかないだろう。
海老浜は烏崎より公園化しやすい、烏崎は火力発電所で景観が悪くなったからあそこは魅力がない、海老浜は前より景観的に良くなっているのだ。

防潮堤を高くして海が見えなくなるということで問題になった。
確かに海が見えないと海側に住んでいる魅力がなくなる
観光に来てもつまらないとなる
松原はなくなったのだが景観的にはまた違ったものとして魅力がでてきた
海が広く見えて阿武隈山脈が見える。
蔵王連峰も右田の方から見えたのである。

津波で景観が変わったのでそのことをずっと報告してきた。
椿は家並みに隠されて見えなかったのである。
意外は家が見晴らしを悪くしていることに気づいた。
何か家がなくなるとこんなに見晴らしが良くなると思わなかった。
家といってもあそこはビルなともないからである。
都会で景観を悪くしているのは家が密集してビルが建て込んでいるからである。
ビルがなくなり家も少なくなると見晴らしが良くなる
江戸時代は東京でもビルもないから富士山が見えて見晴らしが良かったのである。


タグ:海老浜

2015年03月11日

南相馬市海老村の誤算 (津浪は同じ高さでは来ないー海底や陸の地形により複雑)


 
南相馬市海老村の誤算

 
(津浪は同じ高さでは来ないー海底や陸の地形により複雑)


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海老村は津浪の避難場所になっていた。NHKで今日放送していた。
40人あそこに逃げて助かったのは10人だった?
そんなに死んだのかという驚きである。
あそこに観音様の供養の像が立っている
そもそも海老村はや八沢とか右田からするとかなた高く感じられたのである。
だから自分もそれほど被害がないと思った。
しかし海老村は壊滅した。

津浪は一様の高さではおしよせない、あるところは高くなりあるところは津浪の圧力が強くなりと複雑なのである。
海底の地形も影響しているという、あるところではすごく高くなるのである。
宮古湾では湾の奥の方が高くなると思ったから東京にいた夫がそれで妻が死んだとあきらめたということを言っていた。
陸から見ると海老村は確かに高いがそれは陸の視点であり海からの視点ではない
海から見るとそれほど高いものでもなかった。
海老村にはなぜかせりあがるように高い波はおしよせたのである。

それであそこの崖の上に白河市から移り住んだという家族が三人死んだ。
八沢浦開拓記念の石碑から八沢浦をながめると確かに高く見える
でも海からだとそうでもないのかもしれなかったのである。
だからあそこが避難場所に指定したのは大きな過ちだった。
もう一カ所は前に書いた「命拾いの崖」だった。
あそこは結構高いから逃げれば助かった。
津浪は海老村をなぎたおして壊滅させて今度は右側に海水は下に向かって流れたのである一方は八沢浦の方に流れた。それで「命拾いの崖」の上から見た人は渦巻いておしよせたというから怖い。生きた心地もしなかったろう。

今回の津浪では想定を越えていて指定された避難場所こそ危険であり大勢の人がそのために死んだのである。
一カ所だけに避難するといきう考え方はよくない、何カ所でその時の情勢によって決めるべきだと言っていた。
そうはいっても人間は避難場所が決められると何か安全だと思うしそれが人間の心理である。
役所で決めたことは間違いないとか思うだろう。
しかし本当に政府とか役所がすべて安全を保証するのだろうか?
原発事故でもわかったように政府はあてにならなかったのである。
政府は必ずしも命の保証はしない、むしろ戦争のときのように民の命を勝手に奪うとういこともある。
政府でも本当に信じられるのだろうかということである。
あらゆる会社組織集団はその人たちの利益を第一にして動いている。
それは政府でも宗教団体でも同じである。
そういう大きな集団によって社会は動かされているがそれらは権力集団であり
その人たちの言いなりになっていると危険なことにもなる
東電は国と同じ権力をもっていたし行使できたしそれに歯止めをかけるものはなかったのである。そのことが事故にもつながっていたのである。

結局震災から四年すぎてもこの辺は何もかわらなかった。
津浪の跡は震災と同じままである。
津浪のその跡を日々見ていると人見ていない人の差も大きい
磯部村とか海老村とか烏崎村は一軒の家なく壊滅した状況である。
そこは何にも変わっていない、
そこでは大勢の人が一挙に死んだのでそこには何か草木も生えないとか
死霊がただよっているとか墓標のない墓地のうよにも見える
それほどその跡は以前として凄まじいのである。

津浪は本当に凄惨であり打ちのめされてしまった。
街自体が消失してそれを見たらとても住めないという感覚になる。
ただ以前として海の恵みがありそれで何とか復興しようとしている
料理店とかでもそうであり海の恵みがあるところではそれを糧に復興しようとしている
宮城県ではもともと水産関係は漁獲高も大きかったからそうなる
福島県の十倍はあったのである。

復興復興と言うけど人口流出がどこでも問題になり帰りたいというのは老人だけだとか
復興は進んでいない、街自体消失したところにどうして人を集めればいいのかとなる。
若者は復興している割合が大きい、年取るにつれて復興していないのである。
家を建てるにも資材の高騰とか人手不足とかなりそれもむずかしい
ローンで建てるのも年取ると返すのが容易でいなと嘆いていた。
その点原発の避難者は補償金があるから恵まれている。
それにしてもそこにも様々な問題があり金だけでは解決しない
家族がばらばらになったというのも苦しい
要するに復興は10パーセントくらいしかしていないのではないか?
それだけ広範囲な甚大な被害だったのである。

タグ:海老村
posted by 老鶯 at 14:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

春から冬にもどる朝の景色 (今とって来た写真)


春から冬にもどる朝の景色

(今とって来た写真)

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海から昇る大洋

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山は雪が降っている

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凍った荒地に日がさしてくる



雪舞いて朝日昇りつ雲雀鳴く津浪の跡の凍る荒野に

春の朝陽の昇り来る誰かしるかすかに月の残るを見ゆる

プログというかインターネットでは本当は実況中継ができるメデアである。
ただプログだと時間差がかなりあって読んでいる
まだテレビで実況中継を見ている。
プログはまずまだ読む人が限られている。
だから実況中継しても見られないから力を入れないということがある
一日の中でも朝、昼,夜と景色は変わっている。
その日の内に見るとしてもそこに時間差が生れる
テレビを見たら北海道が寒く雪がふっている
他も今日は寒い、ここは山が雪で風花が舞っていた。


ただ春だから雲雀が鳴いていたのである。
津浪の跡は凍っていた。
写真に写っている所には津浪はきていないがすぐ前に来ているし光景的には同じである。そしてこの景色が今のこの辺の状況を語らずしして示している
凍った荒地に朝の陽が昇る、何か荒涼としているが春だから雲雀が鳴いている。
その雲雀の声が春の訪れを告げているがまだ寒く津浪の跡の荒地は凍っている。
今日の風景なにか不思議であった。
写真からだけではその場の風景を状況を知るのはむずかしい。
立体的に369度の感覚で見れないからだ。
寒さとかも感じないから写真だけでは感じない
人間は肌で感じない限り本当に感じたとはならない

結局写生が短歌でも基本である。
今日の景色はそのまま変わっているから写生になる
この辺は津浪の被害で写生そのものが驚くべきものとなってしまった。
未だに津浪の跡は荒涼としているからだ。

月もかすかに見えた、朝日が上り月は沈んで消えてゆく
それは世代交代ということも感じる
自然も人間を象徴しているのである。
タグ:春の朝

2015年03月10日

恩恵には災いがついてくる (日本は自然の恩恵があり災害の歴史でもあった)


恩恵には災いがついてくる


 
(日本は自然の恩恵があり災害の歴史でもあった)


つくづく津浪とか原発事故で考えたことは恩恵が大きいとまた災いも大きいということである。
原発の恩恵は実際は大きかった。もう原発なしでは自治体では成りたたなくなっていた。だから大熊町では原発を再稼働しろとまで今でもなっている
収入がなくなれば自治体も成り立たなくなり公務員は失業する
公務員がこれからは自治体が縮小したり消滅して失業する
そういう人口減少と縮小化時代に突入しているのである。
実際は海でも農地でも山でも自然の恩恵があった。
ただ金にならないということで無視されてきたのである。
だから海の恵み山の恵や水の恵や自然の恵みに感謝する人はなかった。
農業でも金にならない金にならないしかなかったし漁業は原発の補償金で優雅な暮らしをしていたとなる
つまり海の恵めや大地の恵みや水の恵や森の恵みやと自然の恵みに感謝する人などいなくなっていた。
それらはまさに意識しなくても自然にあるものだから感謝しない
空気のようにあって当然だとなるからだ。
それは故郷もそうだった、それは意識しなくても普通にあるものだったからである。
だから故郷があることに感謝する人などいなかったのである。

その無意識に普通にあったものが根こそぎなくなったときそれらの自然とか故郷を意識するようになったのである。
魚もとれない、米もとれない、野菜も作れない・・・そうなったとき始めて海や大地や山や森や水の恵みを意識したのである。
工業化社会はやはり自然の恵みをないがしろにしてきた
つまり自然の恵より人間が作り出したか科学技術の恵みが大きなものとなっていたのである。
そこでは科学者は神官となり支配者となりえた、実際の神官は科学者であり技術者であるそれに付随して政治家とか官僚とかマスコミかその利権にあづかったのである。
原発事故のあとでも科学者は技術者はあまり批判されないのは現代の文明に科学者や技術者なしで成り立たないからである。
現代文明の恵みは自然より科学技術によってもたらされたものなのである。

ただ何でも人間には恵みがあったとすると必ずそこには災いがついてくる。
これもどういうわけかわからない、石油がいいものでもそのために戦争にまきこまれるような状態になるし戦争は石油をめぐって起きる
原子力でもその恵みは大きかったのである。
自然よりも大きい恵みがあった。電気社会であり電気がなくなったら何もできない社会である
震災のとき自分は米がありそれを電気釜でたくことができた。水道も通っていた。
もし電気がとまれば米さえたけないからお手上げになる。
そういう場所もありそこでは裏山から薪をとり水をくんできて米を炊いていたのである。昔の自給自足生活にもどったのである。
米があれば何週間は生きられる、その米が尽きたとき町の方で古米を支給してくれたのである。
緊急のときもし電気かとまれば何もできなくなる。
だから電気の恵みは大きいし原子力だって大きな恵みとなっていたのである。

でも海の恵みも大きかったとするとその災いも大きかった。津浪はその恩恵の裏返しなのである。恩恵が大きければ大きいほど災いも大きくなる
石油の恩恵はあまりにも大きいからそこから戦争も起きる
原子力の恩恵もあまりにも大きいからその災害も人が住めなくなるほど大きかった
こういうことは何か人間の普通の生活でも起きている。
恩恵があるところに災いが必ずある。
車は便利でも交通事故があり便利なことがみないいとは限らない
これは人生でも親の恩恵が大きいとすると今度は介護させられる
今や親は長生きだから世話になった分今度は介護で苦労させられるのである。
だから兄弟でも一番可愛がられたものがめんどうみろとなるのも当然だとなる
自分は二人を介護してひどいめにあったし今も継続している
恩恵には必ず災いがつきまとっている

国々でも地域地域でも恩恵は与えられている。日本にも海の幸山の幸に恵まれた大きな恩恵が与えられた国である。
その反面は災害が多い国だということである。
それも海の幸山の幸が大きいからこそ災害も大きいとなる。
そういう両面性が必ずつきまとっているのだ。
日本では山が急峻で美しいのは火山国だからである。でも火山の被害があるのも日本である。
こうした風土を考慮しないで危険な原発を建てたことが問題なのである。
その風土にあった恵みがどこでもある。
石油がなければ何もできないとか原発がなかったら何もできないとならない
温泉が多いから地熱発電がいいとかにもなる
ソーラパネルとか風力発電はどうかとなるとそれも風土と関係している
やはり技術も風土にあわせる必要がある。
風車が生れたのは中東だというのもわかる
砂漠では風がいつも吹いているから向いている。
日本ではトンネルの技術が発達したのは山が多いからである
要するにその国の風土にあわせた科学技術の応用が必要だということである。

歴史は地理だというとき地球が地の球だと日本人は翻訳した。earthは土という意味があったから地球とした。地理となると地の理なのである。地から理を割り出す、地形や地勢からその土地の成り立ちを見る。そこに理があるというのである。
最近地理が「地歴」になったのはうなづける。地理と歴史は一体だからそうなる。
日本人はつくづく翻訳がうまいと思った。
最近「環境史学」が生れたのもグローバル化で地球的視野をもてるようになったからである。
庶民でも貧乏人でも日本なら外国旅行できる時代でありこの変化も大きかった。
海外旅行は安いホテルにさえとまれば金はかからないのである。
地球の歴史はその地理とかその地の風土と一体となりある
だから「地歴」という新しい科目は現代的だとなる
郷土史でもまず最初に地歴が問題になる、地歴がわからないと何もわからない
その地歴を知ることは簡単にできないのである。

津浪でも原発事故でも学問として科学にばかり注目していたのである。
地歴の分野に注目していない、津浪は千年単位になれば巨大な津浪がきていた。
相馬藩内にもきていた。
それは土のボーリング調査でわかった。
相馬市の奥までも津浪でもたらされた砂が発見されたのは最近だったのである。
津浪が来た何年か前だった。でもそれて津浪を警戒することにはならなかった。
学問的に「地歴」の分野は新しいからそうなった。
いづれにしろグローバル社会のいい面は地球全体を視野にした学問が必然的に発展するということである。
そういうことが実地を調べることがてきる時代でもある。

ともかくそれぞれの国には恵みがあるが災いもある。
人間は恵みだけを求めてその反面の災いを無視するのである。
その災いがどこから来るのかを知るべきなのである。
それをないがしろにすると今回のような大災害になり文明が崩壊するような危機に直面する
恵みを求めるのはいいとして恵みにつきまとう災いも前もって考慮すべきだったのであるつくづく日本の天皇が自然の災害から守るために神々に祈る祭司だったというのもわかるそれだけ日本では有史以来自然災害の大きい国であり災害の国だったのである。



posted by 老鶯 at 20:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

抽象画(夏の色)


抽象画(夏の色)


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十字路

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夏の夕焼け

これは夏の夕焼けとして見れば見れるのである。
題がないとなにこれとなる

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夏の色
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夏の山

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変化する地盤

クリック拡大

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夏の山から変化したもの



抽象画は化学変化なのだろう。名前をつけるがそもそもつけにくいのが抽象画である。
これが何なのとなる。
でも不思議なのは十字路と名付ければ確かにそうしか見えないとなる。
夕焼けと名付けてはじめてこれは夏の夕焼けだと見る
名前がないとどう見ていいかわからないのがあるからだ
このなかの一つは変化させた元の絵が判明されやすいから問題がある。
色がきれいなのでだした。
パソコンの色は絵の具にはない色なのである。
電気の色でありそれが新しいart(技術)なのである。
タグ:夏の色
posted by 老鶯 at 19:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 抽象画の部(abstract)

津浪はやはりノアの大洪水にも匹敵していた (縄文海進海退の時のような変化に直面している)


津浪はやはりノアの大洪水にも匹敵していた

(縄文海進海退の時のような変化に直面している)

4.千〜2千年前
気候の冷涼化始まり、クリ栽培の衰退:2千年前。
海退が進行。貝塚衰退、北部九州で水田稲作開始:2千500年前。
約4千年前、列島の気候は温暖な安定期から冷涼な不安定期へと移行した。三内丸山のクリ林などの人為的な生態系は衰退し、代わってトチの実の利用が各地で活発化した。
これは、自然に対する人間の影響力の低下と自然林の回復を示すものとも考えられる。
僅かながら海面の低下も進み、内湾や干潟の縮小によって貝塚も次第に衰退した。
やがて縄文晩期後半に北部九州へと伝わった水田稲作は、弥生時代の入ると各地に普及し、稲作農耕社会への転換が一気に進んだ
http://www14.plala.or.jp/bunarinn/plala/DaieryAB/sizennkannkilyou/sizennkannkilyou.html#nihon

気候変化が人間に及ぼした影響は大きかった。それによって文明が消滅してまた新たな文明も生れるようになった。
ノアの方舟の洪水は実際にあったことを基にしている。
古代文明の崩壊には塩害、干ばつ、森林資源の消滅、そしして大洪水といった自然災害が決定的な意味をもっていたのである。
しかもその自然災害の大半は文明の発展の中で人間が自然を破壊したそのつけの上にひきおこされた。
あたかも人間の欲望が地に満ちた時、神が大洪水を引き起こし文明を崩壊ささられる。
(安田喜憲)

気候変動が文明の発展と消滅を決めていた。それはとりもなおさず自然の力が人間の力(文明、技術)を越えていることの証明なのである。自然に逆らえないというときそれは神に逆らえないということにもなる。
今回の津浪で経験したことは恐るべきことだった。それは本当にノアの洪水だったのである。
津浪の跡に山鳩が飛んできたときまさにノアもオリーブの葉をくわえた鳩が来たとき洪水はやんで陸地に到達した。
津浪には人間の想定を越える自然の力をまざまざと見せつけられたのである。
その前になす術もなかったともいえる。
原発にしてもそこには人間の奢りがあり科学者が神のようにふるまう奢りがあった。
科学者が現代ではあらゆる分野で神官になったからである。
その奢りも津浪によって打ち砕かれたのである。

あたかも人間の欲望が地に満ちた時大洪水を大きな自然災害が起きたということを自分も書いてきた。原発は人間の欲望の象徴でもあったのだ。
現代文明は限りなく欲望の増大を容認した社会である。
資本主義でも民主主義でもグローバリズムでもみんな人間の欲望の無制限の解放だったのである。
欲望を制限する思想がないのである。もっと欲望をもてもっと消費しろとか欲望をもっと刺激して物を売れ消費させろとかなっていた。
それが科学や機械の発達によって世界的に無制限になっていた。
そのたどりついたのが原発事故だったのである。

個々人をとっても自分が接した人でもなぜこんなにみんな多額の借金してまで立派な家を建てたりいい車を何台ももち贅沢しているのだろうと思った。
その借金が自分で始末するならいいが自分にも他者にもその借金を負わせようとしていたそれで自分は病気のときに苦しめられたのである。
つまり自分の欲望のためには他者などどうでもいいというモラルの荒廃が起きていたのである。
自分に起きたことは犯罪にもあったしモラルの荒廃が顕著となった時代なのである。
残酷な少年の殺人とか異常なほどのモラルの荒廃がありそれは大人にあり子供にその害が及ぶ、今やモラルの荒廃は頂点に達していたのである。
末世にはそうした異常なことが起こるというのは本当なのだろう。
それは田舎も何ら変わりない、その欲望は度はずれたものともなっている。
でもそれが資本主義や民主主義ではかえって奨励されるのだから根本的におかしいとなる

車なら一台あればいいようにも思う。田舎では一人一台だから都会より贅沢である。
今や都会と田舎の生活は医療をのぞいて何ら変わりない、田舎の方が贅沢である。
浜通りの人は会津とかより欲が深くなっていたかもしれない。
それは原発があり漁業者は補償金で暮らせる。
今回の津浪でも宮城県とか岩手県の方は原発の補償金がないから復興住宅に入れないとか高台の土地を与えられても家を建てる金がないとなっている。
原発事故周辺は補償金で家をイワキとか他の土地に建てた人が多いのである。
それで土地は何倍も高騰している。

原発事故は文明を崩壊させるほどの事故だった。
人が住めなくなり人口が流出して荒野化する。それはかつての文明が森を破壊して砂漠化したともにている。
森は残っていてもそこには人は住んでいないのである。
津浪が縄文時代と何の関係があるのかというと縄文海進があり縄文海退がある。
その時も大きな変化があった。貝塚が現在の海よりずっと奥にあるのは縄文海進時代に内湾で貝をとっていたからである。
新地の貝塚もそうであり海よりずっと奥の台地にある。あそこには貝をとっていた巨人の伝説がある。その伝説は勝手に作られたものではない、憶測でもない、明確な事実の上に作られていた。伝説は何かその基になる事実があってみんな作られている。
だから伝説を架空のものとするのは間違いなのである。
そして歴史を知るのには地理が大事である。地理を知らなければ歴史も知り得ない、相馬藩内でも歴史を知ろうとしたら地理を知らなければ根本的なことはわからないのである。それはどこの地域でもそうなのである。

だから津浪で本当に驚いたのは縄文海進時代が再現されたことである。
有名な万葉の歌の真野の草原の歌があるがその時は縄文海進時代が継続していて海は塩崎まで海だったのである。塩崎というのが海であったから名付けられた。
そこに船着とある地名も現実にそこに船が入ってきてから名付けられたのである。
そこの手前まで烏崎から船が流されてきたことには驚いた。
縄文海進時代は海に依拠した漁労生活になり縄文海退の時は山の幸に依拠する生活になった。ドングリや栃の実や山菜などである。
海の幸、山の幸が日本の国の恵みである。
そして縄文海退の時は平地が湿地帯が広がりそこに稲作する地ができたので弥生文化が稲作文明が発展したという。この説はやはり日本がいかに海側に平地が多く湿地帯が多いかでわかる。釧路湿原を見ればその時代が今でもわかる。あの広い湿地帯が田に変わってしまったのである。

つまり縄文海進とか縄文海退という海の変動が大きな文明の変化までもたらしたのであるそれは今回の津浪による変化ともにている。
気候変動とか自然の大災害は文明自体を変えてしまうような変化をもたらすのである。
相馬藩内の三分の一の人口が流出してそのあとは荒野化している。
それは宮城県とかでも人口が流出している。
それはもう一個人とかの手に負えない大きな変化に見舞われている。
だから田がなくなったあとに何を作るのかなどイメージできないことでもわかる。
縄文海退のときはそこで稲作文明が入り縄文文化から弥生文化に移行した。
今回は何に移行するのかとなるとそれもイメージできない。
稲作文明は自然のサイクルを利用した自然循環文明であり今の高度に科学化した機械化した文明とは根本的に違っているからである。
それでその先がイメージできない、見えないのである。



タグ:縄文海進
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2015年03月08日

津浪原発事故で復興しないのは高齢化社会のため (急速に老人が増えて取り残される地帯)


 
津浪原発事故で復興しないのは高齢化社会のため

(急速に老人が増えて取り残される地帯)


南三陸の前の志津川町から登米市に移り住んだ人は92歳の夫を介護していた。
病院が近いので長生きできたという。
南三陸は不便な地域だった。不便な所は病院とか医者が少ない地域である。
川内村では帰ったのは1500人とかいても老人が多いのである。
そこで立派な雛人形を飾ったが孫が見にこない、来たいと言うのだけど来ない
それでスマホで写真をとり孫に送っている。
娘なのか夫が息子なのか若い夫婦は帰らない
「放射能怖いから・・・帰りたくても帰れないんだ」
そういわれるとどうにもならないよと言っていた。
だけどもし娘でない嫁がそういっていたら若い夫婦はだけの方がいいとなる
なにかこの際、放射能のせいにすれば自分たちの言い分が通るということもある
姑と一緒に暮らすのが嫌だということがあり別々に暮らす方がいいとなる
つまり不便な川内村に住みたくない、姑と一緒に住みたくない
この際放射能のせいにすればそれができるともなる

ある女性の老人はは息子娘のところに行ったがいられなくてまた仮設に返って来た
これもまた老人がいにくいことがある。
老人は住み慣れた家と家族とか地域がいいのである。
そもそもなぜこんなに家族が分断されたのか?
津浪や原発事故のためだとなるがそれだけでもない
もともと大家族というのはあったとしても形だけであり昔の大家族とは違っていた。
地域でもこれも今までの地域とは違っていた。
便利な時代になれば便利て所に住みたいとなる
でももし便利な時代でなかったら自給自足のような生活だったらそういう考えにはならなんのである。

要するに金さえあればどこにても住んでいい時代なのである。
地域の崩壊とか家族のつながりは希薄化したとか前から言われていた。
それか津浪と原発事故で拍車がかかってしまったのではないか?
津浪の被害地域でもそこは南三陸とか岩手県の方はそうだった。
だからそういう過疎的な地域は一挙に崩壊現象が現れた。
石巻とか多賀城とか人口の多い所はそうはなっていない
川内村とか葛尾村とかは過疎地域だからもう村が復興しない
葛尾村1500人くらいとなると前から村を維持すること自体限界だったのだろう。
もともと働く場所もない山の村だった
それは明治以降もそうであり自分の父親が葛尾村から双葉の新山に丁稚奉公に出たことでもわかる。

大熊や双葉も相馬藩ではもともと辺境地域で森でおおわれていたのが開拓された地域である。双葉の桜並木はその記念事業として植えられた。
原発周辺は原発の恩恵で存続していたということもある
川内村の意外なのは三分の一が原発で働いていたのである。
意外と原発に近いからそうなる。
いづれにしろ高齢化社会がこの辺では急速に問題が現実になった。
小高でも半分帰るといっても老人が多いのである。
するとだんだん体が弱り病気や介護状態になったら誰がめんどうみるのか?
行政でも対応しきれない、すでに介護士も外部の人で今はまかなっている。
やがたその人たちが去ったら誰がめんどうみるのかとなる
娘や息子のいる所を頼るほかないかもしれない
そうなるとコンパクトシティがいいとなる
南相馬市なら原町区の中心部に人を集めたり鹿島区も街の中心部に人を集める
津浪では海岸に人が住めなくなり街に人が集まった

つまりこの辺は高齢化社会の問題が急速に現実化したのである。
高齢化社会の問題は都会の方が深刻だという。
なぜなら人口が多いからそうなる、すでに介護士も不足して施設も点てられない状態である。団塊の世代が介護状態が増えるあと十年後はさらに深刻になる
在宅介護といっても大家族でないからそれだけの余力がある家族は少ない
ともかくもともとあった社会の矛盾が津浪原発事故で顕在化したのである。

人間も生物だから土地と一体化して土着化して住むのが人間的だとなる
農家だったら代々その土地に住んでいてそこに愛着を見いだしアイディンティティを見いだす。それで精神も安定する。
農家でもなくてもそうした農村風景の中で都会があっても田園都市の中で心が培われ安定する。
もちろん都会といっても5万の都市と10万の都市の差は医療などでは大きくなる。
郡山は十万以上である。医療にはいい場所である。
十万でも田園都市としてありうる、仙台でもまわりはまだ田園が広がっていることもあるただ市街地化して自分としてはあまり好きではない、盛岡くらいがいいかもしれない。
東京の老人を地方で受け入れろとういうけと地方でも病院や介護士とか不足しているのだからそんな余力がない。
福祉や介護や医療にもうこれ以上金をつぎこむことは国自体衰亡してゆくという危機にもなっている。
老人栄えて国滅ぶという本も出ていたがそれも笑い事ではないだろう。

高齢化の問題は例えば遺産相続でも60以上であり遅いのである。
早めに遺産相続して家の跡を継ぐと新しく変われることがある
若い世代へ引き継がれ時代にあったように活用できる
自分でも早い時期に家の跡を継いでいたらこうはならなかった
自分自身も後十年とかでどうなるかわからない
すると家をどう処分するかなどの問題になってしまう。

これは家だけの問題ではなく、社会全般の問題である。
若い人に交代させないと社会か時代に即応できない、もちろんグローバル社会からも日本は取り残される
若い人は何できないと言ってもやらせてみないとわからない
つまり経験を積まないと人間はできるかでないかもわからない
経験を積ませて若い人を成長させることも必要なのである。
それがまた高齢化社会の大きな問題なのである。
社会かか新陳代謝できないということである。
そういう社会は衰退してゆくことは確かである
団塊の世代の時は戦後の焼け野原でも今になると人口が爆発的に増大して活気ある時代だったとなる
今はあらゆるものが縮んでゆく時代であり下降してゆく衰退の時代になった。
ただ膨大な老人をかかえて呻吟している社会である。
やはりそれはプラス面よりマイナス面が大きすぎるのである。

女川町では被害が大きかった。街の8割くらいの家が損害を受けた。3割の人口が流出したその時町では若い人に新しい街作りをまかした。
「還暦以上の人は口だすな」これを実行して新しい街作りが他より進行している
21日には新しい駅も開業してし鉄道が通る
この例のように老人ばかりが集まっても何か新しいものは生れないのである。
老人は今まであったものの継続を望むし大事にするからである。
若い人はこれから自分たちの暮らしいい街作りを望む
その両方が必要なのだけど老人がかかわると新しいものは生れにくいのである。
家でも会社でも代替わりすると代わった人は新しいことに挑戦する
大塚家具でも新旧の世代で争いが起きる。

ただ老人がすべて不用かというとそうでもない
なぜなら老人は経験を積んでいるしその土地のことでも知っているからである。
でもこういう何もなくなるとそこに何を作っていいかわからなくなる
それが原発被害地域で起こっている
田んぼがない世界がイメージできない
田んぼのない後に何を作るんだとなりどうしていいかイメージできないのである。
それは津浪の被害にあった海岸地帯でもそうである
そこをどう利用していいのかわからないのである。
だからフクシマは復興がすすまない、放射能被害にどう対処していいかわからないからである


タグ:復興
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2015年03月07日

南相馬の玄米に放射性物質が直接付着 (セシウムボールの放送で不安が増大)


 
南相馬の玄米に放射性物質が直接付着

 
(セシウムボールの放送で不安が増大)

sssesese111.JPG
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30キロ圏内に緑色の点がありここは高い
でも30キロを出た鹿島区では緑色の点がないのである
だから30キロ圏内で線引きしたのは科学的だったと一目でわかる


●セシウムボールの不安

天候・風向きなど、様々な調査を重ねた結果、やはり、福島第一原発から風に乗り飛んできた放射性物質が付着したのではないか、という結論になる。
http://ch.nicovideo.jp/oshidori/blomaga/ar577921

NHKで放送したセシウムボールの放送は怖いと思った。セシウムは水に溶ける水溶性なの?二種類あって水に溶けないセシウムボールがある。
セシウムは最初水に溶けず泥などに付着していると言われていた。
だから真野ダムの水を飲んでいても大丈夫なのかと思った。
それが水に溶けるとなるとどうなるのか?
ただ水に溶けるのは安全だという、なぜなら体に吸収されても日にちがたつと排泄されるからだという。

ところがセシウムボールは水に溶けないのだから体内にとどまる
肺にとどまりやすく放射線をだしつづけガンになるという
そのセシウムボールが南相馬市の玄米に付着した
これは土壌からなど吸収されたものではない、爆発以後に飛んできたものである。
つまり爆発以後も放射性物質がとんできているのである
こんなもの米に付着していたら地元でも食べたくないし外部の人も買わないだろう。
どういうわけか最初は水に溶けないセシウムボールが飛んでその後に水に溶けるセシウムが流れた。これは種類の違ったものである。
すると最初の内の被爆が危険だったのか?
いづれにしろ放射線の被害については明らかではない、わからないことが多すぎるのである。だから憶測ばかりが肥大化する傾向がある

三十キロ圏内を避難地域にしたのは正しかった

原因は何か農水省で調査した結果、2013年8月に何らかの放射性物質の放出があったのではないか
放射性物質が付着している稲穂の部分は、位置からみると、8月に成長する部分であるということ、
同じ地域で7月に収穫した小麦などには放射性物質の付着が見られないこと
などから、8月に何らかの事象があり、放射性物質が付着したのではないかとのことであった

この地図をみるとやはり30キロ圏内が避難地域にしたのが正しかった。それはチェルノブエリでも避難させて人は30キロ圏内は立ち入り禁止にしている。
30キロ圏内というのは科学的根拠があった。
それはその後に飛んできた放射性物質が30キロ圏内で顕著に見られたことでもわかる。
これは3月ではない東風が吹いているときではない、8月だとすると南風なのである。
8月に成長して南風で運ばれて付着した。
つまり南風だったらこんな分布になったのである。
原町区までは30キロ圏内であり小高区は20キロ圏内である。
この距離に比例して8月に飛んだ放射性物質は分布しているのだ。

3月11日は東風であり浪江の山の方から飯館村に流れた。
南風だったらこんな分布になったのである。
明らかに30キロ圏の外の鹿島区は低くなっていた。
距離の二乗に比例して放射性物質が拡散するというのは科学的な根拠があった。
それで補償金も原町区では2年2カ月分、一人十万が支給されたようである。
鹿島区は一人十万で7カ月分だったのである。
これは政府で決めたことなのである。
大田地域は原町区に入る。
やはり小高区は距離では近いから危険地帯でありその後も放射能の影響を受けていたから避難区域にしたのは正しいともなる。
そして今後住むとなると以前として廃炉になっていないからまた放射性物質がセシウムボールも飛んでくる危険がある、だから住みたくないとなる。
結局チェルノブエリのことをもっと参考にするべきだったのだろう。
30キロ圏内は立ち入り禁止にした。フクシマより線量が低くてもそうしたのである。
ただ老人は細々と野菜を作り住んでいる人たちがいた。
老人は放射線の影響を受けにくいからそうなった。

●自分の体のことも心配

被ばくによる鼻血問題、口内炎、皮膚の疾患など、微量なセシウムボールに反応している可能性もあるのではないか。
とにかく、放射性物質にまつわる研究は、まだまだ未解明な部分が大きいのである
http://ch.nicovideo.jp/oshidori/blomaga/ar578043

放射線が口の周囲に当たると、唾液を出す細胞がダメージを
受け、唾液が出にくい状態になります。そうなると口やのどが
カラカラに乾いたり、唾液がねばねばしてくる症状が出てきま
す。
 実際には、食べ物をかんでのみ込もうとしても、パサパサとし
て食べ物がまとまらずのみ込めない、夜中に口が乾いて目が覚
めてしまう、唾液の殺菌作用がなくなり、虫歯が一気にふえる
などの症状が起こります。
http://ganjoho.jp/data/public/qa_links/brochure/odjrh3000000purk-att/
203.pdf#search='%E6%94%BE%E5%B0%84%E7%
B7%9A+%E5%8F%A3%E5%86%85%E7%82%8E'

最近ずっと口内が乾燥して夜に寝ているとからからになっている。
口内炎というものではないがこれも不安になる。
自分は爆発した日に外を自転車で出歩いていたからである。
ただこれは老化現象であり放射線とは関係ないだろう。
別に味もあるし普通に食事できているからである。
夜眠るとからからになっているから結構苦しいのである。
自分は鼻ももともと悪く口呼吸していることも影響している
だからこれが放射線の影響とは思えない
それでも鼻血とかあったのなら不安になるだろう

放射線のことはわからない、だから不安になる人は不安になる
それより栄養をつけて運動して免疫力をつければ大丈夫だという人もいる
結局放射線の影響はわからない、科学者もわからない
セシウムボールについてもその影響も不確かである。
ただはっきりと目に見える形でセシウムの粒子を見つけたのだから
この発見は大きいのだろう。
それも水に溶けない、体に残るというのも科学的根拠がある。
ガンにまでなるかどうかはわからない、
放射線のことは何かと隠されるからNHKでも肝心なことは放送していないという
不安をあおるからしない、政府でも問題にする

茨城県の一般家庭の掃除機ゴミパック内から発見された2粒のホットパーティクルについて、
ガンダーセン氏はこう語ったそうです。
「この粒は80%どころの話ではないよ。ほぼ核燃料100%の粒だ。
まるいだろう? 核燃料はすごく高温になって解けるとこうして粒がまるくなるんだよ。
これはピュアなピュアなピュアな100%の核燃料だ。これはとてつもなく放射性が高い。
事故のあった炉心から飛び出してきたんだ。
本来ならこんな物は何重にも厳重に隔離されているハズの物質であって
普通に人が生活する環境にあってはいけない物なんだ。
もしこれが人体に入ったら100% 必ず癌になる」

こんなことを言う学者もいるから本当のことはわからない
ピュアなピュアなピュアな100%の核燃料
純粋な核燃料でありセシウムボールはやはり何らかの根拠があり大きな発見だったのか?



posted by 老鶯 at 20:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

抽象画ー樹齢千年の樹(幹の変化)


抽象画ー樹齢千年の樹(幹の変化)


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樹齢千年の樹

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ゼンマイ

抽象画が変化の芸術である。だからここでもさらに変化させると違ってきた。
幹を太くした方が貫祿が出る。
それから樹齢千年の樹というのもこんな感じの樹を実際に見たことがある
ゼンマイは元の絵をもっと取り入れた方が良かった。
ただこさを見ると元の絵がわかることが問題なのである。
その元の絵はインターネットはわからない
そこがインターネットでは抽象画にしやすいということがある

文章でもインターネットではコピーしないまでも似たようなものを自分のもののようにして作り上げることができるからだ
編集してつなぎあわせるというなにかそれが元の文とオリジナルなものと区別できなくなるのである。
それが極めてインターネット的なのである。
インターネットが集合知だなどということを言う人がいた。
確かに様々な知識が集合して一つの独創性ももつことがありうる
この世に膨大な知識があってもそれを利用することはもう不可能である。
知らない知識は宇宙の星のように多すぎるのである。
インターネットで人工知能を作ろうとしているのはそうした集合知を作ろうとしている
本を買うにしても前と違って文章を書くのに自分の文脈を作るために
キーワードとかで関連したものを買ったりする
つまり関連したものを買うのには便利だということである。
ただ本のように長いもの中味が濃いものは出ていないのである。

ただインターネットでは自分で本を読んでそれを独創的に解釈するということがやりやすい、本は読んだままでは読んだことにならない
自分なりに読むということが読んだことになるのである。
他人が発見したことを自分なりに解釈して評価するのである。
それを発表できることはやはり創造的になる。
ともかく他人の本でもこうした抽象画も他人の創作のオリジナルの二次利用なのである。

タグ:樹の抽象画
posted by 老鶯 at 10:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 抽象画の部(abstract)

2015年03月06日

木の幹 抽象画から具象画をイメージて作り上げる


木の幹

 
抽象画から具象画をイメージて作り上げる

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ゼンマイ

これもインターネットにあったものを変化させた。だからまた見つかれば著作権違反かもしれない、外国のアメリカのものだからまずインターネットではわからないということがある
これが著作違反だと指摘されたことがないからだ
そもそもこの抽象画はインターネットから生まれたart(技術)なのである。
創作というより技術なのである。
要するにソフトを使って変化させることでありそれは元の絵があってできる
その元となる絵がインターネットには無数にある。
だからこれ面白いから変化させてみようとなり変化させる
するとそれらしいものができる

ただ抽象画でも具象画をイメージして作為的に表現しようとしている
これは変化させたらゼンマイに見えるし極めてゼンマイのように生き生きとしたものになった。
つまり具象画をイメージしないと抽象画でも鑑賞できないということがある
これはゼンマイだなと思うとき生き生きとしたものに見える
他でもこの抽象画は何を現しているのかと見ていて苦慮する
すると何か生き生きと見えないのである。

もう一つはこれは変化させているから元の絵からは推測できない
ただここでも幹を作るために故意に作り上げたのである。
最初は抽象画だがその一部を切り取りこれは幹だな見えたので幹を作り上げる努力をしたのである
それをまたフォトスケッチャーで変化させると違ったものに見えてくるのである。
つまりパソコンだといくらでも変化させることができるのである。
タグ:木の幹
posted by 老鶯 at 20:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 抽象画の部(abstract)