2015年05月31日

南相馬市の被害にあった海老の人に聞く (津波で死んだのは早く逃げなかったからー津波の波は早かった)


 
南相馬市の被害にあった海老の人に聞く

(津波で死んだのは早く逃げなかったからー津波の波は早かった)


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津波の前の海老村

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野球場で20人死ぬ



津波は早い、逃げ遅れて死んだ人が多い


海老浜の津波で流された家の跡に立っている人がいた。
それは海にじかに面して家だった。
前に聞いた話では津波の波は海老村に襲ったのは高い所からと聞いた。
実際は違っていた。津波の波は右田の低い場所から松原の方から流れてきたのだ。
その人は必死になって海老の裏の山の森に入った。
そこで逃げた仲間の6人が死んだ。
なぜ死んだのか、津波から逃げ後れて死んだ。
津波の波は早いという、車でも逃げきれないほど早かったという。
大内村では津波か来てからトラックで必死で逃げて助かったという話を聞いた。
でも津波が早いとすると車でも逃げきれなかったという。
すると車で逃げても渋滞になったら津波にのまれる
それで大勢死んだということもあった。
津波は早いということである。


津波は低い土地の右田の松原から高い海老の方に流れてきた。
そして海老からまた下の右田の方に流れ下っていったのである。
それにしても海に接した場所だからあそこは怖かったろう
あそこの前に道があり海老の後ろの小高い森の中に入った
ところがその森でもちょっと奥に入らないと助からなかった。
それは津波が来た跡が木などに残っているからわかる
つまり6人があそこて死んだというのは森の奥に入れなかったからだという
それだけ逃げきることができなかった。
津波はそれだけ早いからいち早くに逃げなければ助からない
津波で被害を大きくしたのはチリ地震津波の経験しかなく
津波といってもそれくらいのものしか想定していなかったのである。
津波の前に海がひいたというのは見たという


津波から助かるにはどれだけ早く逃げるかにかかっている


結局津波の被害がこれだけ大きくなったのは津波はいち早く逃げなければ助からない
そのことが徹底していない、もうとっさに逃げなければ助からない
つなみでんでこーというのはまさにてんでんばらばらにでもいいからとにかく逃げろということである。
そういう言い伝えが残ったのは三陸でありこの辺にはない
頭にあったのはチリ地震津波のことしかなかったのである。
そして時間がなかったからかとか聞くと時間はあったという
一時間は津波が来るまであった
時間はあったけど警戒せず逃げなかったことが大被害になった
ただ自分もあの地震のときバタバタ物が落ちてきたりして
それでバタバタしていたらたちまち時間が過ぎる
だから津波の被害にあった人たちもとっさに逃げるという判断ができなかった


それから右田の真野川の岸の野球場で逃げきれずに20人死んだという。
あそこまで逃げきれなかった、海からの距離は2キロくらいあるかもしれない
それでも逃げきれなかったのは津波が早いということもあったし
とっさに逃げるということができなかった
つまり時間はあったが頭に津波がどういうものか何らイメージできなかったのである。
津波は4キロ地点まで被害があった
それも4キロ地点でも床上であり意外と被害が大きかったのである。


あと海老の高台を避難所にしてそこでも30人とか死んだ、それは海に面していたところであった。
もっと逃げる場所があったのだが津波のことを知らないので役所で決めた
ただあそこから後ろの森に逃げていれば助かった
何か木につかまって助かった女性があそこでいたのだ
いづれにしろ間一髪で助かったいた人がいて死んだ人がいる
野球場で20人か、海老で小高い森に逃げて逃げきれず6人死んだ
海老の避難所で30人しんだとか・・・・・
死者の数はやはり多すぎたのである。

やはり津波ということが経験がない知らないということが致命的になったのである。
この辺は400年も大きな津波が来ていない
500年前にも全国に津波が来ているがそれも記録が定かではない
記録ははっきりしているのは元禄からなのである。
それで千葉県とか磐城の四倉に残っている津波の記録がある
それは確かな記録であり伝説である。
ところが相馬藩内にはその元禄の津波の伝説も記録も残っていない
とするとそれは千葉県から四倉まで津波の被害があったが
相馬藩内にはその元禄の津波はきていないとなる
なぜなら元禄になると政治も安定して記録されるようになったから
相馬藩政記に記録が残らないということがありえないからである。
記録がないということは四倉までは津波が来ても相馬藩内には来なかったのだろうとなる


タグ:海老村
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2015年05月29日

原発事故から考える理系と文系 (理系集団で構成された原発の問題)


原発事故から考える理系と文系

(理系集団で構成された原発の問題)


●科学は万能ではない

文系大学などいらないと予算も減らされる、文系は自分もそうだったが何も勉強しない、遊びだったというのは本当である。文系でも自分はFランではないがたいして変わらないとかなる
でも団塊の世代の時代は田舎では大学に入る人は一クラスで四五人だったのである。
中卒で金の卵として就職した時代だった。
その時代からすでに大学はマンモス化して文系は遊びの場でしかなかったのである。
理系とは全然違う世界である。理系は実験の繰り返しとか毎日が実業に結びついている。文系は別に本を詠んだりインターネットでも学べるものである。
学者の授業など聞かなくてもまにあうのである。
では理系でこの世のことがすべてわかるのかとなるとそうはならない

●地震のことが基本的にはわからない
●癌のことはわからない(病気のすべてはわからない直せない)
●人間の寿命は誰が決めているのか医者にもわからない
●社会を理系では理解できない(社会は数式化できない)

理系でこの世のことが人間のことがすべてわかるのかとなるとならない
地震のことが科学的に合理的に説明できないし予知もできない
もし予知できるなら理系の科学者は神のようになるだろう。
人間の体もすべてわかっているわけではない、癌は未だにわからないし様々な病気のことも実際はわかっていないのである。
つまり病気が病は気からだというときそんなものを否定して薬とか手術とか医療技術とか科学の発展で直るとしたら医者だって神のようになってしまう。
社会のことも数式とか統計とか盛んに利用しても社会がどうなるのか将来がどうなるのかわからない、今は株式もコンピューターで予測してコンピューターで一秒でも早く取引ができるシステムになっている
それは人間の頭脳よりコンピューターの方が株をまかせるとなると優れているとなる
ところが未来はコンピューターで予測できない
なぜなら突然の事件などが地震でも津波でも起きて狂ってしまうのである。
突然に株でも暴落してしまう、それは未来が予測不可能だからである。
そんなことは統計を見てもコンピューターでも予測できないのである。

●科学には限界がある

そもそも理系であれ神ではないのだからいくら科学が発達しても限界があるのだ
もちろん地震が予測できない、病気も全部直せない、社会も理系ではすべて理解できない何が起こるか予測できない、それで地震を想念の乱れから起きるなどというとオカルトとかなってしまい拒否される
自分がある人を津波が来る前に呪いつづけた。その半年あとくらいに津波が来たことに驚いたのである。何か想念が影響したのかとも思ったのである。
病気も全部直らないから宗教に頼るのが今でも多い、それでオカルト宗教団体に入る数が未だに多いというのも矛盾である。
科学と宗教はガリレオに見られるように対立する面があったからだ。
科学は法則であり数式や法則通りに成るということである。
でも法則通りにこの世界が理解できればいいのである。
それができないから限界が生まれる
人間は絶対にこの世界を科学的にでも理解はできない、神のように全能でないからできない
科学には必ず思わぬ落とし穴があり今回のように原発事故も起きた
科学者が百万年に一回しか起きないと確率で計算していたことも滑稽である。
どうしてそんな計算が成り立つのか今回のように津波は400年前にも起きていた
千年単位になったら必ず大きな津波が来るし予測つかな自然災害も起きてきている
それは歴史を見ればわかるし科学的に実証されたことでもあった。

ではなぜ原発を操作していた主に理系の人たちはそんな絶対安全神話に陥っていたのか?
そして事故が起きたときどうなるかは科学的に放射能のことを知っているのだからシュミレーションできた。
むしろ安全を計り事故が起きた場合のことを想定して備えていれば良かった。
それが科学者が安全神話に陥りオカルト的になっていたのである。
「事故は起きない」という前提で運営されていればそうなる
原発はまず前提として絶対に安全だということはないのは科学者であればわかっていたのである。
科学者だからこそわかっていた。それが理系と文系に分別して見れば文系の官僚や社長もコストカッターとして文系だったらしい。
そういう文系に反発して科学者は原発は全体安全などありえないと反発すべきだったのである。
科学的思考を徹底すれば原発は絶対安全はないのだからそのことを考慮すべきだと抵抗して国民に知らせるべきだったのである。
結局官僚とか政治家とか文系的指導層の圧力に理系的科学者が屈して御用学者になった。文系の人は本当に放射能のことなどわからないのである。
それは理系の人たちが常に言っているし文系をこきおろしていることでもわかる。
それなら理系的科学者がそのことをもっと言うべきだったのである。
ガリレオのように宗教者から批判されても地球は回っているということが科学者の言うことだったのである。

●科学を越えたこと奇跡とか現実にありカルマ論も統計的に証明される

ともかくこの世はこの世の終わりまでこの世界のことは理解できない、ただ全能の神のみが知るのである。
なぜ人間が死ぬのか?まずそういう大きい命題に科学は何の力もないのである。
死は分子に分解してもとにもどるだけだというだけで納得する人はいない
それは宗教とか信仰でしか解決しない、「永遠の命」が現実にあるというのが信仰である人間は死なないということを死なない命があることは科学的に証明できない
奇跡は証明できない、奇跡は確実に起きたことであり聖書に記されたことはすべて事実から記されているのである。そもそもこの世は地球でも奇跡によって創造されたとしか説明しようがないのである。
それをオカルトだとするときでは科学者は不老不死の薬を医療を永遠に老いることがないようにできるかとなるとできない、stap細胞など作れないのである。
そこに科学の限界があり科学が万能になりえないのである。

また社会というのも考えてもマルクスの理論は科学的であり合理的でありまるで宗教のようになった。
でも社会はそんなふうにならなかった。それは共産主義の国をみればわかる。
中国では一番格差がある社会になったのである。
社会科学とあっても社会は科学的に見ることはできない、社会は何か予期せぬことが必ず起こるからである。弁証法などでも説明できない。
だからカルマ論なども科学的根拠があるのかとなると実際そんなこと証明できない
でも現実にカルマが個々の人生で起きていることが確実にある
それも不可解であり人生そのものがみんな謎なのである。
そのカルマ論が自分にもあてはまったことであることを書いてきた。
他の人にも確実にあてはまっていたことなのである。
まず子供は親の運命と同じ運命をたどるというのは統計的に調べてすべてではないにしろほぼ確実だということがカルマ論を否定できないものにしている。

どうしてそれぞれの人がみんな違った宿命に生まれてくるのか?
寿命にしてもどうして長生きする人とすでに60代でも一割は死んでいるのか?
百歳まで生きる人がいるのか?
寿命は神が決めているというのも不思議ではないか?
人間の体を最新の危機で検査しても優秀な医者かみても寿命がどれくらいかわからないのである。
なぜ男性として生まれ女性として生まれるのか?
それは遺伝子の偶然の配合だとか科学的に説明できないのである。
人間はまた遺伝子によって生まれによってすべてが決まるわけではない
その後の人生で様々な体験を通して人間は変化するのである。
人間はすべて先天的なもの遺伝子とかで作られるわけではない
英雄なんかもその時代にもまれて作られるのである。
吉田松陰なども批判したが明治維新のような時代はそういう英雄を生む
今のような平和な時代には英雄はまた別な英雄になるのである。

要するにすべてを科学的に証明できないのである。
そこにだから「霊」の関与があり神が関与しているとなる。
すると科学者からはオカルトだとなるが科学者も説明できないからそうなっているのである。
この世には科学で理系ですべて説明できないから文系的思考になる。
その文系的思考を理系の人がすべて否定できるのか、オカルトと否定できるのかとなる
それより科学も科学を徹底すると原発事故は百万年に一回しか起こらないとか滑稽なことになる。専門馬鹿が生まれるのである。科学がオカルトにもなるのである。
科学とは水素と酸素から水ができるということは確実である。
でも「心の青雲」のプログで宇宙には水だけが存在することはありえないというのも確かである。
なぜなら世界はそんな単純なものではないし科学でわかるものではないからだ。
地球という全体の中で水も生成しているのであり水だけが存在することはありえないというのも言えるのである。
科学者は否定しても科学を越えたものとしての説も可能である。
なぜならこの世の事象はすべはて科学では説明できないからである。
科学的説明できないものはすべてオカルトだとして否定できとないのである。
心で思ったことがある人のことを思っていたらその人が現れた出会ったなどということは日常的に起きているのである。
すると人間の思いというのも科学的に説明できないものなのである。
思いは電波だとかしてもその電波が目に見えて科学的にとらえることはできないからである。

●人間は学歴だけではわからない

文系がいらないというとき、社会はみんな科学的に処理するようになる
その時原発事故を起こした科学者のように大きな落とし穴が生まれる
宗教であれ哲学であれ芸術であれそれは理系と文系とか分かつものではなく総合的なものとして生まれた。
例えば花を科学的に分析していたら花の美は喪失する。
もちろん科学的になれば花でも肥料が必要でありそれは科学的思考である
でも美というのはそうした科学的思考だけではない、美を感じるのは一体文系なのか理系なのかとか区別できないだろう。
理系的に花を分析していたら花の成分はどうだこうだとしたら美は失われてしまうのである。


その企業に育てる力がないのであれば、基礎学力の高い確率の集団から採用した方が無難でも、おもしろみのない、発展しない集団になるとも思う。

勉強のできる、学習能力の高い人のほうが、早く仕事を覚えられるが、役職が上がるほど、学校における学習とは違う能力、素養が要求されること。こちらの適性は、学歴・ペーパーテストの成績では判断できない。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK26032_W3A121C1000000/?df=5

東大ばかり出た人が上に立つことはできないしそんな人ばかりだったら社会はつまらないものとなる。
人間は学歴などで決まるものではない、そしたら社会は歪められる
むしろ東大閥とか官僚が現代の社会を歪めている要因にもなっている
人間社会にはエリートは必要である。でもそれが東大出でなければならないということはない、それが社会を大きく歪めるからである。
エリートというときそれは江戸時代の継続として侍がいてその侍を武士をすべて廃止したとき社会が混乱した。
一挙にそうした伝統的に培われたものを廃止して国民国家にしたとき指導者が明治維新で薩摩長州の下層のものがのしあがり支配者になったときゆがめられたのである。
その人たちにはモラルがない、利権とか地位とかそうしたものばかりを得ようとしてのしあがってきたからゆがめられたのである。

特に文系になると学歴は実際関係ない、語学などは判別しやすいけどその他の能力は社会でどう活かされるかはわからないのである。
戦後の教育の失敗はただ学問でもそれは立身出世主義しかない、どれだけ社会で利益を得て得するか、楽して得するための教育しかなかった。
受験戦争もそのためにあったのである。それは福沢諭吉からはじまっていたのである。
内村鑑三はその反対の軸として明治にあった。
理系文系というとき文系はいらないと偏差値がどうだこうだというので人間を若い内に決めてしまうのは問題なのである。
人間は若い内ですべてが決まらない、特に十代とか二十代前半で決めるのは問題なのである。
人生をそこで決めてしまったらつまらない人間しか生きられなくなる。
人生には何が起きてくるか予測つかないし意外な結果として人生が終わるのである。
理系で優れた人が事業を起こして失敗した。
その原因は何だったのか?よく分からないけどその人間性に問題があった。
人間性というときモラルがない人が果たして上にたてるのかとなる
それは理系文系でも関係ないのである。
社長になるのが文系が多いというとき何か別な能力が要求されている。
とても理系学者とか研究者タイプが社長とか勤まるとは思えないのである。

理想は理系にも文系の知識は必要だし活かされる、文系にも理系の知識が必要であり活かされる
それが理想なのだけとその両方を兼ね備えた人はまれである。
自分も数学とか科学に弱いから原発事故問題でも厳しく追及できないものがあった。
人間は結局何が無駄かなどわからない、無駄だと思えるものが有効だったりふりかえるとなる。
社会でも無駄だと思えるものが実は社会的に効用があったとかわからないのである。
核を科学者が発明したけどこれが人類にとって必要なものだったか?
核が発明されなければ核戦争も広島の原爆の悲劇もなかったし原発事故もなかったからである。
人間であれ社会であれ実は何が有用で無用なのかわからないのである。
東洋的には無用の用は必ず存在する、無用にこそ大いなる有用がある。
そもそも宇宙はあまりにも広大でありそれは地球にとっても人間にとっても無用の空間なのである。
だからそもそも何が有用か無用かとか社会で決めることか問題になる。
もちろん税金の無駄使いもあるからやむをえない面はあるが文系なんかいらないとか
偏差値が低い人間は劣っているとかそんなことで人間は決められないのである。
それぞれの人間がどんな人間になるのか十代前半とか20代前半でも予想がつかない
社会では別に学歴がなくても意外な才能を発揮して成功している人もいる
それは学歴ではないその時代とかその人の人間性とか運とかも左右している
ただ30才ではその人の将来はだいたい決まる
30才までが青春であり青春時代にモラル的に荒廃したら一生ひきずることになる
それがふりかえると人間の一番の落とし穴だったともなるかもしれない
青春時代はだから潔癖である必要がありそれを貫くことが大事になる
それが一つの人生の分かれ目になることが確かであり学歴は関係ないのである。



タグ:理系と文系
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2015年05月28日

江戸時代との対比で現代をみる (空間認識と時間認識が大規模に変わってしまった)


江戸時代との対比で現代をみる


 
(空間認識と時間認識が大規模に変わってしまった)


武士の農をはなれて、城下にあつまり、足軽中間までも城下に住居するは、治乱ともにあしき事なり。むかしは士たるものも農を本とし、在所を持て住居せり。
『集義外書』より(熊沢蕃山)

 
土着的というときいろいろな側面がある。武士でももともとは農民であったし侍になっても農業をしていた。郷士となっているのは農民であり侍である。
郷士の郷は故郷だから故郷に根付いて生活していた。
封建時代は農本主義であり農民中心の社会である。
だからいくら侍が治めるにしても八割の農民を基にして政治も成り立つのである。

現代を知るには明治維新の前の江戸時代をいすすいな側面から知らないと現代もまたわからない。
江戸時代がすべていいというのではなく江戸時代と現代を対比して現代を理解するのである。
明治維新後に失ったものが何か?それが現代の社会を知ることなのである。
まず江戸時代の地理感覚や宇宙感覚は極めて狭い、村が中心だとするとそれは極小の世界である。大きくても藩を越えることはない。
そういう世界で培われた世界観は極めて偏狭なものになる。
人間は空間認識と時間認識が基本にある。
江戸時代の空間認識は村が中心でありそこから外へと拡大したが藩が一つの国でありそれ以上は拡大しにくかった。
ただそれでも良かったのは江戸時代は外国と交わらないのだから別に外国も知る必要ないのだからそれですんでいたのである。
日本が庶民まで外国を意識するようになったのか明治維新後である。
村中心藩中心の地理感覚や世界観では生きていけなくなった。
一方で空間認識が狭いということは土着的な生活であり身の回りにあるものでまかなっていたから自然と一体化する生活だった。
だから江戸時代は自ずと土着的な生活になった。
そして土着的思考が学問しなくても体で身についていたのである。

もう一つは時間認識である。これは別にむずかしいことではなく江戸時代の時間感覚は自然とともに生活していたから自然の時間感覚が自ずと身につく生活である。
山があり木材を燃料や家を建てるために使う時山菜でも糧にするときどういう時間感覚になるのか?
樹が成長するのちは50年かかる、50年かかるときそれだけの時間感覚をもって生活していたのが江戸時代である。
50年となればもう一代ではとても山を利用できないのである。
だから江戸時代は何代も家業を受け継ぎ山を利用する。
江戸時代は職業でも代々受け継ぐのが多かった。
それは自然を糧としたから自然のサイクルに合わせるために時間感覚が長くなる
この木が育つには50年かかる、そうすると50年後のことを考えて木を植えていたのである息子にも孫の代にその木は成長して使われるのである。

そうなると代々受け継がれるものがあるから世代間のつながりもできる
それは現代で喪失したのもである。
今の時間感覚は今良ければいい、今も楽しむものだとなりとても50年後を考えて生活している人はいない。
来年は会社がなくなってしまうかもしれないとか非常に短い感覚で仕事している。
特にフリーターだ派遣だかなる時給いくらで使い捨てにされているのである。
長い時間感覚で考えられないということは世界を簡単に自然でも破壊してしまうということである。
次代のためにを考えて仕事したりしない、今を楽しみ消費することだとなってしまう。
今あるもの使い尽くして楽しみあとはどうでもいいとなってしまう。
そういう時間感覚になるとき世代間のつながりはなくなり断絶する。
現代は老人と若者は断絶している。
共通なもの共有するものがない、それは時代がめまぐるしく変化するからである

自分が石の詩を百編書いたというとき山であれ石であれ樹であれそれらは時間感覚としては長い、自然の時間感覚は長い、千歳の岩とあれば千年でありさらに億年とか長い時間感覚として石がある。
そして石は一定の場所にあって変わらないということで安定性があり土着的になる。
都会では東京などになるとそういう自然はもうない、山もない森もない、樹も石もない
ただ高層ビルがあり一分一秒を争い仕事している工業情報ビジネス社会である。
山の時間、石の時間、樹の時間、牛の時間・・・とか時間も実際はそのものに付属して時間感覚が生まれる。
今は機械の時間感覚であり機械によって時間が一秒単位で刻まれているのである。
それが文明の時間でありそこにあればとても自然の時間感覚とはかけはなれてしまう。
そもそも自然を理解するというか自然と一体化するというとき時間が必要になる。
石の時間はやはりそこに千歳の石とあるごとくそれだけの時間があって重みをましてくるのである。
文明の中で生活していればどんなことしても時間に追われるのである。

そうした土着的ものの喪失はある時文明的破綻現象として現れる
それが原発事故でもあったのだ。
原発事故が何か土着的なものと関係あるのとなるがあった。
土着的なものがあれば防げたかもしれないということである。
それは原発で働く東電の会社の人たちがもしここに何代にわたり生活するとなると
やはりと土着的思考になる。
その人たちは放射能の危険を肌で知っていた。
だからもし事故がここで起きたらここで子供を育てまた孫が生まれて代々つづき生活するとなると放射能のことを考えたかもしれない
もちろん地元の人は当然である。
ただ地元の人も放射能のことはしらない、事故が起きたらどうなるかなと考えなかった。今になって真剣に考えざるをえなくなったのである。
水とか森とか土とかまず土着的な土台となるものが汚染された。
それは致命的でありそこに住めなくなったのである。
もともと土着的であったその故郷自体を喪失してしまった奪われたというのが現実であるそれは今良ければいい、電気でも今使えればいいとか資源でも使える時使えばいいとか
何でも短い時間の単位でしか考えないし考えられないからそうなる。
そこが江戸時代の時間感覚を知り現代と対比して見直すべきことなである。
エジプト文明が3000年とかかつての文明が長持ちしたのはそうした長い時間感覚の文明だったからである。
現代のグローバル文明は百年で資源を使い果たすというかその時間感覚が短すぎる。
だから資源も消尽されて文明時代が消失してしまうかもしれないのである。
ともかく現代に起きていることは江戸時代と対比するとわかりやすいのである。
江戸時代に帰れというとかではなく対比して現代の問題が何か知るのであり
そこから現代の問題に対処してゆくのである。

とにかく現代は長期的視野をもてないことである。
今もうけなければなちらない、今成功しなければならない、十年後に成功すればいいとかならない
だから常に何か追われて生活している。
だから株のように急激にあがりま急激に落ちたり経済を動かしているのではなく翻弄されているだけだとなる。
そういう地からはなれた地につかない生活なのである。
その点貧しくても江戸時代は地につく生活はしていたのである。
だから何か人はのんびたしていたとかいい顔していたとか明治に来た外国人が見ていたのだろう。
今は何かに絶えず追われ焦燥感に満ちて疲れ一億鬱病の時代なのである。
何か幸せそうな人は顔している人はみかけないだろう。
金がいくらあっても満足していないとかかえって金持ちも余裕がないとかなっている。
幸せという観点からみれば今は物質的には恵まれても不幸な時代ともなる。
幸福とか不幸など時代によって違うから計られないのである。
病院で延命治療して一秒で長生きするのがいいかと言ったらならない
むしろ情ある人たちに囲まれて死んでいった人たちの方が幸せだったともなる。
病院で死ぬということは何か冷たい物ののようにあつかわれて死ぬからである。
病院で体をみても心はみない、ものとして人間をみて死んだらかたづけるという感覚になっているからである。
こういうことも江戸時代がすべて医療もないのだから全部が不幸だったかというとそれも計られないのである。

タグ:時間感覚
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抽象画(風の流れ)-streams of winds


抽象画(風の流れ)-streams of winds


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山を越える風

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風紋

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地球の色



抽象画も題を風としたとき、これは風なのかとみる、
でも風でもないし別なものに見る人は見る
でもどうしても現実にあるものに抽象画をあてはめるのが人間である。
ただ抽象画はどうにでも見えるとなる
@その人によって見え方が違ってくる
最初は俳句の「青嵐」というものからイメージして抽象画にした
漢字も抽象画でありそれぞれが絵なのが特徴である。
だから絵に変化しやすいのである。
一つの絵として認識しているのだ。
音として認識しているのとはまるで違っているのである。


抽象画は無限の変化だというとき形が決まっていないからである。
だから変幻自在になる。それはパソコンのソフトの作用でそうなっている。
他にも別なソフトを使えば別なものに変容する。
ただそうした機械的作業であり何か創作しているという気分になれないということもあるそれで画家自体が抽象画を非生産的なものとしてあつかっている
何かを創作したという感じがないのである
何かを変化させたというのが特に自分はそうである。
創作した気分には慣れないのである。

posted by 老鶯 at 10:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 抽象画の部(abstract)

2015年05月27日

藤の花の俳句連作(まとめ作品鑑賞)


藤の花の俳句連作(まとめ作品鑑賞)

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日立木の五本松


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鹿島の蔵

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しのぶれどとは薔薇の名前

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相馬市や夕日のさして藤の花
朝静か図書館の前藤の花 
夕月や藤棚しつらえ町屋かな
相馬市の道の駅かな藤の花
道の駅曲屋風や藤の花
街道の松影なして藤の花
五本松変わらずここに藤の花
釣人や夕べ水面に藤写る
街中の倉に紋かな藤の花(鹿島)
公園に今日も我が寄り藤の花
白藤にしのぶれどかも室の中
六号線日影の歩道藤垂れぬ

ハイクは短いから連作にしないと作品にならない
一句一句鑑賞するのが無理なのである。
一句一句ではあまりにも短すぎるからだ。
十句とかなるとそさなりに読めるものになる
「藤の花」だったらその季語をテーマに一つの作品化する
自分はこれまで相当な量の俳句と短歌など作ってきたが
一句一句とかでは読みごたえがないし作品にならない
だから一連のものをまとめるとそれなりに読めるものになる
芭蕉の奥の細道でも一句一句ではない
全体の流れのなかで一句一句を読むのである
丁度川が上流から下流へと流れているがそれは一つの川なのである。
川を断片化して見せるのではなく一つの長い流れとしてみる

「藤の花」というのでこれまでも俳句などを作ってきた。
これは藤の花をテーマにして相馬市から日立木の五本松から鹿島までの道筋を行き俳句にした。
相馬市は城下町であり何かしんみりする場所である。
最初は中村神社の境内の藤の花は知られている
それから相馬市では公共の建物は曲屋風に統一している。
道の駅もそうである。それで藤の花がにあうのである。
藤の花も日本的な花であり外国人に人気なったことでもわかる
藤と松とかも何か日本的でにあっている。

道の駅から溜池がありそこではいつも釣りする人がいた。
そこにも藤の花が水面に写っていた。
それから鹿島に来ると街中に倉があり藤が塀の内に咲いていた。
六号線の小島田の歩道にも藤が咲いていた。
そこを自転車で通りとまっていたから俳句になった。
車では俳句とか短歌は作りにくいだろう。
そういう余裕が生まれないのが車なのである。

ともかく自分は今までプログでも前に創作したものでもまとめるのが大変な作業となっている
それも時間がかかるし手間になる。
俳句でも一連のものとしてまとめないとやはり作品としてはものたりないものとなる。
俳句の一句一句は断片化したものでありそれで作品とはならなくなっている
俳句はあまりにも短いからそうなる。
プログの便利なのは日々記録することでありそれをまたあとから検索で調べられることである。
何か奇妙なのは前に自分が書いたものすら忘れている
ええ、こんなこと書いていたのと発見するのも不思議なのである。
人間はつくづく次から次と忘れてゆくものだと思った。
膨大な人間が忘却されてゆく、次から次とこれからは同世代の人も死んでゆくからであるそれらの人にいちいち関心をもてないのである。
有名な人も芸能人ももう関心がもてない、次々に忘れ去られてゆくだけだとなる
最後は「さよならだけが人生だ」となってしまうのが人生も残り少なくなるとそうであるそしてこの世から自分も去ってゆくだけだとなる。




タグ:藤の花

青嵐(今年は風が強い)


青嵐(今年は風が強い)

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来たれかし大木をゆする青嵐
ゆさぶるも動ぜぬ大木青嵐
この町に一本の大木青嵐
青春は過ぎしやしばし青嵐
青嵐大木目指し揺さぶりぬ

今年は毎日のように風か吹いていた。
今日は全国で暑いけどここは最初は暑かったけど今日は涼しい
阿武隈を越えた福島市は暑い、あそこはいつでも暑い
でも福島市が暑くなるとここも暑くなることがあった
ここは今は暑くないから助かっている
暑いと自分の家は風通しが悪いし隣がトタン屋根で照り返しで暑くなる
クーラーもないので夏は嫌なのである。

浜通りでいいのはこの気候なのである。
暑くなく涼しい感じである。
半袖では寒い感じもする
だから気候は全国一様じゃない
ここも暑いときは暑かった
最近は異常な暑さをこの辺でも経験した
ともかく気候がいいということは意外と老後の生活にひびく
会津とか福島市とかは住みたくない
だからイワキに住みたいと避難者が家を建てたのはわかるのである。
北海道なんか老後は向いていない
気候は一番体に答える
自分は体が弱いからまず寒いところとか暑い所に住みたくないのだ
その点浜通りは気候だけはいいのである。
寒からず暑からずなのである。

街中に立っている一本の欅の大木をゆすり青嵐の風が吹いた
青嵐という季語は使ったことがない
青嵐というのを経験したことがない
今年は風が強いからはじめて青嵐というのを経験した
日本の季語が多すぎて日本に住んでいてもすべて経験できない
それほど日本の天気は変わりやすいのである。
地震も常にあるから天候で日本は緊張するのである。
でも台風とか青嵐が過ぎくると何もなかったように暮らす
つまり日本人は忘れやいてのである。
一時は台風でも騒ぎ青嵐でもさらにこれは短いから過ぎ去ってあとは忘れるのである。
町に一本立っている大木に青嵐がゆさぶるのは迫力があった。
一本しかないから青嵐を感じたのである。
今年はやはり風が毎日吹いて強いから特に感じたのである。



明治以降は入会権とかの共同性は喪失した privateは奪うことでありpublic(公共性)を破壊した


明治以降は入会権とかの共同性は喪失した

privateは奪うことでありpublic(公共性)を破壊した


privateの語源を調べると、「stem of privare "to separate,deprive," from privus "one's own, individual,"」とあり、
奪う、分離するという意味があるようです。
privateとはpublicに対してprivateがある
ヨーロッパではpublic(公共性)を基に市でも作られてきた。
広場もそうであり公共のものという設計のもとに市が作られている。
それに反するのがprivateになる。
だから奪う分離するのがprivateでありいい意味には使われていない
これも日本語だと私(わたくし)するとなると奪うとういことでいい意味がない
わたくしはわたしでありわが基になっている。
わが我になる。わは割れるにもなる。我とは割れるとなるからまさに入会権の共同の山が無数にわたくしされて割れて割山になった。
それは明治維新で極端化して起きたのである。
明治維新からは日本人はわたくしすることがあからさまに強くなったのである。
江戸時代は藩主がいて庄屋が村をまとめていてpublicがありそれは拘束力になったが
わたくしするということは庄屋ですらなかったろう。
侍にしても「わたくし」するということはドラマのようにはそれほどなかった。
江戸時代は一つのpublicに公に生活していた。
それが900にも区画化され私的所有になったとき人間の心も900に割れた分割したのである江戸時代から明治の変化が現代に形を変えて継続されていたのである。

現代人の心は900どころではない、一千万の東京があるとしても心は一千万人に分割しているのである。
一千万人の人間はただ貨幣を通じて売買する時だけつながっているという感覚になる。
それは田舎でも同じであり農業があってもpublicは喪失している
むしろprivateが奪うということが民主主義であれ資本主義であれその心性はpublicに生きるということはない、そもそもpublicがないからである。
個々に分離して互いに奪うという心性になっているのだ。
逆にだから常に人間関係は奪い奪われる関係になる。
働いてもそれは労働が奪われているのであり協力しているという感覚はない
それでブラック会社に働かされて安い賃金で奪われている、搾取されているとなる
一方で他者に対してとにかく奪うという感覚になる。
安く働かせてその労働力を奪うとか国家規模になると他国の富を資源でも奪うとかなる
そもそもヨーロッパの植民地主義はアジアの資源を奪うことだったのである。

奪うというとき別に明治以降だけではなく常にあった。それは盗むにも通じている。
ただ一国とか大規模になると戦争して他国の富を奪っていたのである。
それが戦国時代だったのである。それで戦争に勝つと自国が裕福になったから戦争が指示されたという。弱肉強食が人間の歴史でもあった。
publicがあったとしても村とかの狭い範囲でありまた藩単位のpublicである。
その外になると奪う対象になっていたのである。
今や大きな国が奪い奪われる関係になっている。国と国が利権で衝突して奪い合いになっている。

奪うというとき天皇とか薩摩長州は明治維新で藩単位管理していた土地を山林でも奪ったとなる。
革命とはたいがい権力の移動であり革命そのものが権力を奪うことだから当然だとなる。だからあらゆる団体はまた奪う団体になる。わたくしする団体になる。
それは組合でも宗教団体でも同じである。
露骨に権力を奪うことを明言しているのが創価などであるが他の団体も同じなのである。国を奪うということはオウムでもオウム王国を目指していたから同じである。
だから創価では三国志をよませていかに国を奪うかを画策しているだけなのである。

漁業組合だって漁業権をたてに政府と東電から補償金を奪いとったとなる。
これも海は誰のものかというとき海をわたくしして国民から奪ったともなるのである。
個々にも奪うというわたくしすることが明治以降あからさまに容認された。
それは権利という名のもとにわたくしすることこそが正義だと戦後の民主主義でも公然のものとして容認されたのである。
それぞれがわたしくして利益を追及することが見えざる手に導かれるものとして奨励されたのである。
だから今や人間は人間にとって狼になった。
人間と人間の関係は家族でない限り奪い奪われる関係でしかなくなった。
食うか食われるかの獣社会である。互いに虎視眈々と奪おうとねらっている
食うおうと狙っているとしたら眠ることすらできなくなる。
そこに金だけが唯一の価値基準となりいかにして金をわたくしするかということが日々の活動なのである。

東電でもなぜ事故を起こしたかというとこれもpublicというものがない
privateでありあれだけの大会社でも自分の会社がよければ他はどうでもいい
政府も天下り先として検察でも用意しているから支配できる
自分の会社がよければいい、幹部なら多額の給料をもらえばそれでいい
我等の会社さえよければいいのでありあとは知らないと極端化すればなる。
会社があれだけ巨大化すると会社自体がわたくしすることが国単位になってもできる。
一つの団体が巨大化すれば宗教団体でも国をわたくしできる奪うことができる
官僚も東大閥で既得権化してその団体の利権を守るだけであり第一は官僚の利権を守ることにエネルギーが費やされる
公務員は常に批判されるけどこれも巨大な団体だから政府でもその既得権を奪うということはしない
つまり現代社会の不満はそうして巨大化する会社であれ団体であれそういうものに富がわたくしされていることに対する不満なのである。
でも結局その団体はあまりにも巨大だから何も言えないとなる。
この辺でも漁業権がどうのこうのなど事故前には言っていない、まず言えない
団体化したらどこでも何も言えなくなる、マスコミでも言えない
そういうことがどうなってゆくのか?今回の大事故や戦争とかにもまたなってゆく

だから資本主義がそれがなぜ生まれたのかとかいろいろあっても崩壊するというとき
そうしたモラルの荒廃から崩壊してゆく、誰も信じられない、信じられるのは金だけだとかなりモラルの荒廃から崩壊してゆく、人間が互いに信じられない、人間は人間にとって奪い合うものだとなるときそんな地獄のような社会に生きていたいかとなる
人間にはそういうものがもともとあったにしても欲望資本主義はその人間の悪しき面を
露骨にさせる。
何か抑制させるモラルがなければ人間は獣社会になってしまう。
そういうモラルの頽廃が限界点に達して崩壊してゆく

原発事故を起こした周辺を見れば何かそのことを象徴していた。
自分の一身上に起きたことでもそうだった。
漁業権で多額の補償金を得て原発御殿を建てたとかも本当だった。
富岡町長の五億円の金庫が津波で流れたというのも本当だろう
そういう金の噂は原発で飛び交っていたのである。
それだけの金が原発から生まれていたからである。
そして個々人をみて借金で贅沢しているというのも異常だった
借金して家を建てた人とか何か借金生活の人も多かったのである。
身の丈にあった生活など誰もしていない、金がなくても金のある生活をしていた。
そして借金で首が回らなくなりその借金を自分に肩代わりさせようと
病気のとき恐喝してきたのだから恐ろしい
そういうことをしても相手は何も感じなくなっている
それが当然であり奪うことが日々の生活だからそうなっているのかもしれないのだ。
金持ちは奪った人でありだから奪って当然だともなる
泥棒にも三分の理があるのだからそれも言える
津波とか原発事故はこうした社会のモラルの荒廃に対する自然の怒りのようにも思えたのである。
「もう醜い限りない欲望人間は一掃してやる」とノワの方舟のときのような大津波が来たのかもしれない。
そういう大転換期を迎えているのが今の現状である。


ノーベル賞受賞者で動物行動学のコンラート・ローレンツ博士はその著書『攻撃』において興味深い実験を報告している。それは、家族を形成しているネズミの群に、他のグループのネズミを放すと、あっという間に多数のネズミが襲いかかってこれを殺害してしまう、というものである。
 ローレンツ博士は「人間の社会構造はネズミのそれと大変よく似た構造を持っているのだと、十分な根拠をもって結論するだろう。人間はネズミ同様、閉じた同族の間では社会的に平和的に暮らそうとするが、自分の党派でない仲間に対しては文字通り悪魔になるのだ」といっている。

動物の行動と人間の行動はにている
人間も動物であり本能で生きる、欲望で生きる、

これで面白いのは人間でも家族でもなんでも団体化すると団体に属さないものに対しては敵対化するのである

動物にもあるとは思わなかったが団体化することは団体でわたくしすくことなのである

それは動物にあるということは人間と動物の行動は基本的ににているのである。


タグ:PRIVATE
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2015年05月26日

入会権は明治以降に私的所有に細分化 (入会権は江戸時代の村から自然発生したもの)


入会権は明治以降に私的所有に細分化

(入会権は江戸時代の村から自然発生したもの)


幕末になって本来禁止されている割山の売買が事実上行なわれるようになり, しかもその違法行為に対する制裁(割山没収)規定が有名無実化してくると山割制度はもはや村中持山(入会山)の一利用形態たるにとどまらず,村中持山(入会山)が個人持山へ移行する過渡期的現象とみなければならなくなる。幕末にこのような状態に達し,事実上個人の持山に極めて近い性質を有するに至った割山が少なくなかったが,明治維新以後部落が村氏各戸から割山を回収できなくなり,個人の私有地として登記され,個人の私有地化が完成することとなった。


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公共事業で広島であった土砂崩れで砂防ダムを作るとか他に公共事業などで所有権が900区画にも分割されていたらそれを買収する手間だけで大変な作業になる。
それで土地は国のものであり公共のものであり私的に占有されてはならないという思想が古代からあった。

江戸時代から明治時代の変化は過去を全く否定して行われたわけではない、必ず歴史には連続性があった。
入会権の歴史でもそうだった。すでに割山というのがあり山は分割されていた。
割山というのは江戸時代に地名化していた。
地名はもともと古いから明治以降地名になっているのはまれだろう。
入会権は村民が共同で生活するために必然的に生まれのである。
その土地土地を糧にしていた時代だから必然的に入会権が生まれた。
山の木を木材を家でも萱でも馬草としても炭にしてもあらゆることに利用していた時代である。
山は別に山の人だげではない、海側の人も利用していたのである。
山に草を借り馬車で橲原村まで通っていたというとき山の人だけではない、海側の人も山を利用していたのである。それは入会権があったから利用させてもらったとなる。
入会権は山でも私的所有になることはありえなかったのである。
明治にもそうした村の公的所有から私的所有へ順次移行していった。
つまり江戸時代から明治時代に何が変わったかということを知るには様々な分野があるが入会権の村の共同所有から私的所有に変わったということも重要な視点である。
そこにすでに江戸時代の共同体から培われたものがモラルでも崩壊して資本主義に工業社会に近代社会に移行したからである。

終戦後、帝室「御料林」「と「御料地」ですね、これは岩倉具視の建白書に従って、明治二十三年に4百80万町が゛あっというまに天皇家の私有財産に決められたわけでしょう
それにつづいて島津、毛利、鍋島・・それからT家のような地方の素封家が山林原野を分け取りしてしまった(土地と日本人ー司馬遼太郎対談集)

この変化も大きかった。土地が権力の象徴として歴史があったとき、村や藩を基本にして作られた共同体が明治維新で根本的に破壊されたのである。1
その変化もあまりに大きかったので日本人のもともとあったモラルは破壊されていたのである。
モラルといっても道徳も社会の生活基盤があって作られていたのである。
日本の共有された精神もそこで破壊された。
幕末に国学が起こったというのは庶民レベルでも明治維新を促進させるものがあった。
侍だけではないそういう気運があった、下から明治維新を促進させるものがあった。
ただその下からの国学の勃興は上からの富国強兵とか中央集権の強権で圧殺された。
日本の土地の歴史が日本の歴史でもあったのはヨーロッパとも共通していたろう。
それを象徴していたのが原発事故にもあった。
双葉か浪江辺りで海の前まで私的所有がありそれで東電から補償金を獲得していたという一軒一軒の家の前の海に所有権があるなど考えられない、でも補償金がもらえるしその額が多いからそれを主張して認められたともなる
ただ歴史的にそれも根拠がないものではなかった。

江戸時代の漁業法上の原則は「磯漁は地付.根付次第也、沖は入会」と明文化されている
http://okinawa-repo.lib.u-ryukyu.ac.jp:8080/bitstream/okinawa/6461/3/V2p1.pdf

そもそも原発問題でも最初は土地の確保からはじまる、次に漁業権をおさえて県知事の許可を得ると建てられるのである。
だからそこに金をばらまけば一応原発は建てられるとなっていたのである。
要するに土地が私的所有になり細分化されて公(おおやけ)から離れてしまった。
村とか藩とかは地方の公であったがそれなくなりただ個人の私的所有だけが主張される時代になりモラルさえ荒廃したという指摘は重要である。
明治維新はもちろん功罪はあるが功の面だけが主張されすぎたのである。
フランス革命が「地籍」を明確にした。土地の所有を明確化した。
明治維新ではそれをしなかった。それが日本の異常な土地投機とかなり荒廃させた。

つまりそもそも土地所有権とかは歴史的にふりかえると常に時代を変えてきたのである。律令国家であれ鎌倉時代であり土地問題から発している。
時代を作るのが土地問題であった。
マルクスの言う資本主義の工業化が起きると農民が土地を収奪されて無産階級になったというのも明治維新で地租革命とか小作問題にも通じている。
土地というのは富と権力の象徴として常にあったからそうなっている。
カトリックが土地を所有することで腐敗したのもそうである。
土地は権力の象徴として常にあったのである。
仏教でも寺が土地を所有すると権力化するということがある。
土地をめぐって僧侶集団も争っているのである。
ともかく明治維新が継続して太平洋戦争となりさらに戦後もその継続があり現代の様々な問題がそこから発していたのである。
だから明治維新を見直さないと日本の近代史はわからないのである。






タグ:入会権
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2015年05月25日

雲雀が原の本陣山から見えた鹿狼山 (角度を変えると見え方が変わるー野馬追いも近い)


雲雀が原の本陣山から見えた鹿狼山


(角度を変えると見え方が変わるー野馬追いも近い)


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ここは牛越を流れている小川である


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夕方に鹿狼山(がろう)がはっきりと見えた



高くあれ夏山望む遠きかな

be a higher mountain
in summer
in the distance

タンポポの一面に映え雲雀が原

夏菊の白と橙(だいだい)映えし道

時鳥朝に鳴きけり自転車に隣の市に買い物に行く
夏の日や本陣山よりかなたにそ鹿狼山見ゆ朝のすがしも
本陣山松影涼し国見山はるかかなたに鹿狼山見ゆ
松が枝の伸びて夏の日の山脈映えぬ雲雀が原に
夏の日や本陣山に松立ちてここに上れる武者を待つかな
旗とりて馬駆け上る本陣へ勇まし武者や夏の来たらむ
夏の日の六号線にまぶしかなかなたに望む鹿狼山かも

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加工すると感じが違う、絵画風になると力強い感じになる


国見山563メートルで鹿狼山が430メートルだった。
国見山の近くの大足山が656メートルで一番高かった
この辺では500メートルでも高い山になる。
鹿狼山一番高い山だと思っていた。
500メートルでも結構高く見える
山というのは何か場所によっても季節によっても見え方が違う
山は見る場所によって見え方がまるで違うのだ。
ヒマラヤでもエベレストでも3000メートルまで上らないと8000メートルの山は高く見えないのである。

これは富士山でも同じである。見る場所によって見え方がまるで違うからなかなか山の姿はとらえられない
ネパールでヒマラヤを見たのは一回だけだったから残念だった
今になるともう行けない、山はやはりもっと見たかった
この辺では山の魅力はわからない
ただ今回本陣山に上ったら鹿狼山見えた、やはり高いから見えたのだと思った。
それでも鹿狼山が国見山より低くかったのは意外である。
そして国見山より高い山が近くにあった。
この辺で山は低いといっても阿武隈山脈は新地から山元町に入ると山が低山になり
地勢が平凡になるからつまらないと見ていた。
国見山辺りは阿武隈山脈では高いから変化がある方なのである。

本陣山の一番上には上ったことがなかった。あそこに上ると視界が開けていた。
野馬追いの時は下の方で見ていたからわからなかった。
本陣山に上ると神旗争奪戦が見えるしあそこに立つと全軍を指揮している感じになるから不思議である。
ちょうどそこにいい松が立っていたのも良かった。
本陣山の一番上で視界が開けて見えたのである。
江戸時代とか最初は野馬追いは神旗争奪戦とかではない
本物の戦闘の体制を作り訓練していたのである。
それは絵巻物に残っている
それは陣形とかもいろいろあり実践として訓練していた
戦国時代の映画がいろいろ見ているけどやはりその場所に行ってみると実感するだろう。関が原なんかもそうだろう。
その場所の広さとか映画でもテレビでも実感できないから歴史の理解は常に浅薄なものとなってしまうのである。

 御神旗をとった騎馬武者は高々と誇らしげに旗をかかげながら、本陣山の羊腸の坂を一気に駆け上る。この時のどよめきと喝采は、旗を得た者の最高の栄誉だ。
 
あの坂は意外き短かった、でも急だし道が悪いから馬も上るのもかなりの力がいる、危険でもある。
野馬追いの見方は雲雀が原のあの本陣に立つと何か殿様になったような気分になる。
結局祭りはその時だけではないその前から始まっている、地元だと野馬追いの前に雲雀が原でそのはじまりをすでに感じるのである。
タグ:本陣山

2015年05月24日

インターネットの情報空間の特徴 (マスメデアから個の関心のメデアへ)


インターネットの情報空間の特徴

(マスメデアから個の関心のメデアへ)

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これは小島田から見たもの、鹿狼山(がろう)が見える
これは午後の写真である。


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人間の情報伝達は時代によって相当変わってきた。江戸時代までは直接人を通して口伝いなのが多かった。だから何か習う時、師を直接たずねて歩いた。
何かを知るのには教えてもらうのには直接人を通して知るほかないのである。
本とかあってもそれはわずかしか流通していない
だから知識とか情報の点では極限られたものしか得られなかった。
それで江戸時代に御伊勢参りが流行したが会津の農民がそこで農業の知識を直接旅して得た、種も買ってきたとか記録がある。
農業の知識でもそうして直接その場に行かなければ得られない時代だった。

それが急速に江戸時代になると変わってしまった。
新聞が生まれ新聞が権威あるものとなったり本も流通するようになった。
戦前から戦後十年はラジオの時代だった。
ラジオは過去のものになったけどラジオの影響は大きかったのである。
子供の頃ラジオを聞いていて・・・宝島で足音から恐怖をいだくイメージをした
ラジオというメデアは音に敏感になるのである。音から想像するから想像力は映像より醸成されることがあった。
映像として見えないから想像力が働くのである。
そしてラジオができた結果宣伝力が全国的に報道されることで拡大した。
それがナチスを産んだという分析も生まれた。
つまりその頃からラジオはテレビの役割を果たしていたのである。
ラジオさえそれだけの力をもつのだからテレビがどれだけ影響力をもったかわかる。

情報というとその場所がどういう場所かを伝えるだけで相当な情報量になる。
でもテレビ番組とか新聞でも何でもある場所についての情報は一部しか伝えられない
例えば地方については興味がなければ誰も関心ももたないし知らないのである。
一番関心をもっているのはそこに日々生活している人なのである。
そして地元のことでも地元のことを知らないということが普通にある。
最近近くの神社で「天明」の碑を発見したように知らないのである。
情報というのは今はデジタルカメラやスマホで映像中心になっている
これも大きな変化である。普通のカメラの時代は現像しなければならないから金もかかるしそんなにとれないからだ。
いくらとってもいいとなると今やデジダルカメラでもスマホでも写真で記録することになる。写真の日記が生まれた。
実際に人間は忘れやすいからデジタルカメラでとったものをふりかえると効果的である。こんな場面があったのかとか忘れていたのを思い出すのである。
それは一日の行動でもデジタルカメラで記録すると人間は忘れている
だから人間は記録することではパソコンや機械の方がはるかに優れている。
ただその記録したものち意味を与えるのは人間の方が優れている。
機械は記録してもそれが何を意味しているかなど関係なく記録しているだけである。

テレビとかで旅の記録を移す場合、編集しているからいい場面しか写さない
実際は百倍もの記録を映像としてとっている。その中に写されないものが多いから旅でも情報は省かれているから本当に知りたいことなどわからないのである。
例えば「夏の六号線」というのを先日プログに出した。

ここで小島田の所から「鹿狼山」が見える、これは新地にあるこの辺では一番高い山である。
でも地元の人もあそこから鹿狼山が見えるということに注目している人は少ない
まずあそこから「鹿狼山」が見えるというのが情報として伝えられることである。
それから山の陰に歩道に藤の花が咲いていたのである。
何か車が頻繁に往き来するから静かに垂れ咲く藤の花にはにわない感じだった
でも日影になり藤の花が歩道に咲いていたということで俳句にした。

6号線日影の歩道藤垂れぬ

藤の花が咲き6号線を車が走り鹿狼山が見えてそしてあそこまで津波が来ていたのである
一つの地点には空間にはそれだけの情報がある。
でもテレビとかで報道するときは時間も制限されているし面白くするために視聴率とるためにそうした何気ないものありふれた情報は省かれるのである。
だから営利的な情報発信には問題が生まれる、金になることはやるが注目されない金にならないことは伝えないとなるのである。
インターネットの場合は確かに読んでもらう人が多ければやりがいがある。
でも本質的には自分自身の関心から書いているのである。
そこがインターネット情報空間の今までのマスメデアとの相違である。
マスメデアは文字通りマス(大衆、集団)を相手にしたものであり個人的な関心とはまるで違ったものなのである。

personal innner issues
personal dairy issuse
personal interested issues

とかなる。第一あそこの地点に興味をもつ人は地元の人しかいない、自分は自転車でいつも通るからあそこに興味をもった。地元の人でも車の人はまたあそこからの景色に興味をもたないのである。
地元の人でも住む場所が違うと興味をもたないことがあるのだ。
ともかく情報というのはテレビだと一時間放映したとしてもその十倍の量の情報から取捨選択するのだから情報が不足するから必ず誤解が生まれているのだ。
細部が報道されないということがある。
真実の情報はその場を踏まないとわからないとなる。
それは写真でも動画でもそうである。その時の風とか気温とかそこで感じるのは五感でありそこに立たないと感じないものがあるからだ。
日影を感じるということもできないし距離感も感じられないだろう。

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これも一つの例として写真をみてもらうと
ソーラーパネルがあり今年はこの辺では田んぼが増えた。
それから隣は以前として原野であり草原となっている。
この辺の状態がこの写真で象徴している。
でも外から伝えるときソーラーパネルを写すが回りのことは写さないとソーラーバネルだけが目立つことになる。
だから伝えるべき情報はなかなか外からは伝えられない、現場に立たないと真実が見えないのである。
そこに情報伝達に関しては誤解が常に生まれている、だからやらせが常にありそれで情報捜査される。
イラク戦争でも鳥が油まみれになっていたのを写していたがあれも嘘だったとか
もう情報は実際見ることができないものだから写真からも動画からも本当なのかどうかわからない、それでも一瞬映像を見て判断されるから誤解が多すぎるのである。
つまり映像の時代でも情報捜査されやすいのである。
だからマスメデアから報道されるものでも本当なのか疑う必要も出てくる。
その映像にしてもNHKでも編集されたものでありやらせがあったとかなるからである。

情報というのは五感では感じられないのが多くなった。
動物は言葉がないが何かを伝えあっている能力はある。
愛の表現でも猫があんなに愛し合うとは思わなかった。
顔から体から雄と雌がなめあっているのである。
その猫は同じ親から生まれた子供同士だった
猫は表情がありその表情で伝えている
餌をねだるときは足にまとわりついたり何かを伝える
動物は表情で伝えている、表情が豊かなのである。
一方人間は直接合わないと表情がよみとれないから言葉だけ映像だけでは誤解が生じる
でも反面人間は直接あっても誤解が生まれる
「人はみかけによらぬもの」と言うのも真実である。
あんな顔の人が意外と花に興味をもっていて美人だった人が花に興味をもたないのはなぜだろうとなるとか表情だけから人間はわからない
直接あってもそこで必ず人間に対しては誤解が生まれる
だから人間は常にだまされことがある
動物は正直でありありのままだから表情からわかる
人間はまた表情から見ただけではわかりにくいということもあるから複雑である。

いづれにしろインターネットで明らかに情報空間は変化した。
でもまだまだインターネット情報空間は活用されていない
活用するのが手間なこともある。テレビならただ一方的に見ているだけであるが
インターネットだと探すこと自体手間になるからである。
だからインターネットから情報を得ることは相当な知力も必要になる。
それでもマスメデアからインターネットぃの情報空間へ移ってゆく
マスメデアの情報だけではたりないからである。
マスメデアによって支配されることは操作されることは危険でもあるからだ。
タグ:メデア

2015年05月22日

夏の6号線


夏の6号線

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夏の山バイクの走る六号線
6号線夏のひざしやバイク行く
6号線日影の歩道藤垂れぬ
6号線かなたに夏の鹿狼山
十数本朝の黄菖蒲6号線



道は現代では最も大事なものなのだろう。
車社会を批判してもとをにもなちらない、現実の社会は車社会なのである。
車に乗らなくても車の恩恵を受けている
変な話だけど自転車にのるということは贅沢なのである。
ええ、馬鹿なと思うかもしれないけど自転車に乗ったり歩くことはさらに
贅沢になっているのだ。
自転車や歩くことでしか体験できないことがある
車は日常的な生活に欠かせないものとしてあるか
歩くこと自転車などでたびするとしたら現代では最高の贅沢なのである。

もはや歩いたり自転車では普通は旅できないし労力と時間と金も必要になってくるからである。
農業も家一軒建つような畑を作るのにどれだけ労力がかかっているか
そこからとれるものは実際ほんのわずかなものである。
それでもそれだけの労力がかかってもやるのは農業が好きで趣味でやっていると同じなのである。
ただその女性は働いていると思っている

6号線は高速道路とは違う、生活に密着している道路である。
高速道路は生活から土地から離れてまさに鉄道のようになっている
現実に高速はやがて自動運転になるのだろう。
線路をしいた上を走っているとそう変わらないのである。
高速道路を走っているのは地上からは全く見えない
だから車がないとなんの関係もないように見える

6号線はすでに磐城とも東京とも通じている。
ただ前のように東京の方から自転車では来ない
バイクも来ない、車は東京と通じていないときも多かった
いづれにしろ人間の生活がないと何でも死んでしまうだろう。
花だって映えなくなる
人間の生活があると花も映えるということがある
黄菖蒲などは何か明るいから6号線にあっている。
夏菊もあっている

ともかく今日の日ざしは強く夏だった。
今年は夏が早い、自転車は夏と冬は弱い
舗装道路の照り返しで余計暑いからだ
その点車は楽だなと思う。
田舎では車なしでは結婚もできないだろう。
車を運転できない男性など相手にされないとなる
仕事もできないとかなる
ただ自転車にのっている人など実際は現代では贅沢なのである。
別に車に乗らなくても車の恩恵で生活しているのが現実だからである。

浪江とか双葉でも避難区域でも六号線は通じたから道は生きている。
ただ街は死んでいるから花も映えない
この辺では田んぼも5分の一は再開された
まだまだ原野が多くても何か前に戻ったような気分にはなる
とにかく六号線は通じたことはやはり大きな復興だったのである

写真の時代だけど写真だけでは現せないものがある
絵を描けないけと合成の絵がパソコンでできる。

タグ:6号線

2015年05月21日

初夏の街を生きる(介護、家事、追われる生活)


初夏の街を生きる(介護、家事、追われる生活)

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赤い花は薔薇なのか?大きい花である


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駅舎あり薔薇増え咲きて光吸う
とりどりの薔薇を植えにつ新居かな
草原の風にそよぎて夏雲雀
原町の広々として夏雲雀
夏菊の白さに映えて赤き花
夏菊や新築の家に映えにけり
朝空に雲雀のひびき夏燕
街中を今日もめぐりて夏燕
夏の朝燕飛びかい外に出る
相馬市の道の駅かな松と藤
石一つここに動かじ文目かな
夏菊や全国の車走るかな
夏の山バイクの走る六号線
六号線夏のひざしやバイク行く
六号線かなたに夏の鹿狼山
よみがえる田の面に夕日暮らしかな

十数輪街中の畑に文目咲き静まりけるかな裏の道行く
この道に藤の垂れしも散りにけりプレハブの宿舎並びけるかな



今日も疲れた。10時から厚寿苑の人とケアマネとベッドなど借りている家具店の人が来た二カ月に一回予定などを決めるために来る。
なぜ家具店なのか、これも介護保険と関係しているから来る。
ベッドは買うと買いから借りているからだ。
家具店などは今商売にならないから介護関係の仕事なになっている。
その女性は何か愛想がいいとかいうかあういう仕事に向いている
まず女性にもいろいろ性格があるから必ずしもその職業とマッチしているとは限らない
社交性がない女性だっているからである。
そして結婚するとき外見だけ見てすると失敗するかもしれない
商売をしているときそれにあった人でないと夫婦でできないということがあるからだ。

だから農家では美人で華奢な人だったら嫁にもらわないとか機織りがうまいという人がその外見より重んじられていたのである。
それは生活がかかっていてそういうことができないと生活自体成り立たないからそういう価値観になった。
今は何か外見で決めてしまうからやせた時スタイルのいい女性がいいとかなり無理をしてまで女性はダイエットしている
中国でもふっくらとして女性の方が好まれていた。
なぜなら痩せているということは栄養不足であり満足に食べられないからだったかもしれない
ふっくらとしているということは豊かな生活をしていたからだとなる
つまり貧乏な時代はやせた人間が多いのである。
北朝鮮辺りはいまでもそうだろう。ほとんどやせている。兵士するやせて戦えるのかと報道していた。

結局結婚を60以上にならないとそれが良かったかどうかわからないかもしれない、
それは金持ちでもそうであり必ず結婚にもいい面と悪い面がでてくるからである。
双方とも満足するような結婚はないためだろう。
貧しくても夫婦で苦労して生活を築いたら夫婦の絆が強まることがある
それはわからないにしろ死んでからも毎日妻に手を合わせているのはやはり絆が強かったとなる。
とにかく人間には必ずいい面と悪い面がでてくる。
悪いと思ってもそれがいい面になる場合がある
外見は良くなくても性格がいいとか頼りになる女性だったとかともなる
外見が良くても頼りにならず苦しいときは助けにならなかったとかともなる
「人はみかけによらぬもの」というものつくづくそうだった。

鉄道は二両であり東京にも仙台に通じていないから淋しい、その駅の前に薔薇が咲いた。十輪くらい咲いた。花はいくら咲いてもいい、そして光を吸う、猫は子供が生むと増えるから良くない、捨てるようにもなりそれが嫌である。
猫は子供を産みすぎるのである。花だったらいくら咲いても養うことができるからいい。動物になるとどうしも人間でもそうだが人口の制限が必要になってくるのだ。
それで間引きとかあったから動物と同じである。
ある種の動物が増えないように天敵も用意されたのは自然の理であった。

以前として田は今年は増えたが草原化しているのがこの辺は多い。
雲雀は草原にあっていた。モンゴルのような草原にあっていた。
田んぼにはあわないものだった。
北海道のような広い草原で鳴くのがあっていた。
原町は何か郊外が広いし雲雀が鳴くとあっている
相馬市にはそういう感じがしない、広さがたりないからだろう。
原町は原っぱだった、野馬追いの神旗争奪戦が行われる雲雀が原はまさに雲雀が鳴くようにな原でありあっていた。
それで南相馬市が合併するとき「雲雀市」とかの案があった。
今になると合併しなかった方が良かったという意見も多くなった。
原町は原町でよかったとか鹿島は鹿島で良かったとう言う人も多くなった。
合併は様々な問題を産んだのである。


六号線は東京と通じたから前の活気をとりもどした。
ただダンプが多いから何か危険なのである。
今は外部からの人が多いから活気がある
それもなくなったら地方は活気がなくなるだろう。
介護もいろいろ言われるが地方の仕事も介護とか医療関係が多いのである。
だからこういう仕事も何十年後に減ると地方の仕事がなくなるということもある

六号線をバイクが走るのは格好いい、それはやはり若者があっている
白髪の老人がバイクにのってもあわない、ただ意外とバイクを写真をとろうとしたがバイクの走る数は少ない、バイクは双葉とかからは走れないことも影響している
バイクはやはり風とか光を受けるから自然とマッチする面があるとはなる
ただ自分が年配の人が自転車にのりバイクにのっていたのが若者だったというのは違和感があった。
バイクと自転車では全く違うのである。自転車はバイクよりずっと苦しい
バイクは楽であり自転車は苦行である。だから自転車が若い人ならわかるがバイクに乗って楽だなつくづく見ていたのである。
六号線のかなたには鹿狼山が見える、でもあの山に注目しているのは地元の人だけだろう高い山ではないし目立たない、でも遠くから見えることは確かである。

藤の花は散ったけどプレハブの仮設が並んでこれが増えているのがこの辺である。
3000人くらいふえたら3000の部屋を用意するとなると足りないことがわかる
これも長期間だからこの辺で必要なのは宿泊する場なのである。
藤の花はそのプレハブの宿泊所の道そいに建っていたのである。
これもこの辺の一つの景色となっている。
あまりいいものではないにしろ現実にそうなっているのである。

タグ:初夏

2015年05月20日

抽象画(複雑な地形)


抽象画(複雑な地形)


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なんかわからないけど何かこれは抽象画的である

何に見えるから言ったらどうにでも見えるとなる

これを変化させたのが下の「複雑な地形」になる


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複雑な地形

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地形が作られる



自分のテーマは一つは地形だった、なぜなら旅したとき一番地形に興味をもったからである。
まず日本の地形ほど複雑で変化に富んでいる所はない
中国とか大陸になるとどこまでも平野がつづくようだと飽きてしまうだろう。
日本は狭くても地形が変化に富んでいることが特徴なのである。
地形をテーマにすると抽象画ではいろいろ表現しやすいものかもしれない
抽象画は何かどこまでも平野がつづくような大陸の景色とは違う
常に変化しているから抽象画に日本はあっているのかもしれない
四季でも抽象画に現せば日本的抽象画になる
ただ果たして抽象画が芸術なのかどうかはわからない
自分は画家でもないからわからない
実際自分の場合はインターネットにある原画を変化させているだけだからである。

2015年05月19日

県単位ではほとんどイメージするものがでてこない (地方創生でも文化は地方からしか生まれない)


県単位ではほとんどイメージするものがでてこない


(地方創生でも文化は地方からしか生まれない)


 
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県というき最初は藩があったところが県になっていた。
だから三春藩があり城があったが三春県になっていた。
相馬藩の中村に城があったから中村県になっていた。
県の規模はもともとも大きなものではなかった。
江戸時代の藩を基にしていたのである。
それが拡大解釈して今の県になった。

県というのはイメージがわかない
福岡県といっても佐賀県といってもどんな地域かイメージわかない
福岡というと玄界灘があり韓国に近いということはイメージする
それ以外わかりにくい、佐賀県などとなると余計にわからない
長崎県なら長崎があるから長崎からイメージする
鹿児島県は先端だから薩摩としてイメージしやすい
開門岳があり桜島があるので比較的わかりやすい
阿蘇山は宮崎県だとなる
港とか山が先にあり県をイメージする
安達太良山が万葉集に三つものっていることはいかに注目されていたかわかる
それで

陸奥(みちのく)をふたわけざまに聳えたまふ蔵王の山の雲の中に立つ 斎藤茂吉

蔵王は相馬地方でも見える、南相馬市の鹿島区からも大きく見えた。
ただ原町になると見えない、ただ意外と広い範囲で見えてる
蔵王は福島県と宮城県と山形県の三県から見えているからこういう歌ができた。
ただ蔵王と言えば山形県である。
県の象徴として山がある、岩手県は岩手山であり青森県は岩木山である
秋田県は鳥海山である。
富士山といえば静岡県なのかもしれないが富士山は山梨県からも他からも見える。
まず静岡県とあってもどのくらいの範囲であり地理的にイメージできない
それは県単位だとどこでも同じなのである。

山の上の桜に昇る朝日さし沖行く船に金華山見ゆ

これは新地の鹿狼山に登山口で牡鹿半島が見えて金華山も見える時がある。
そして相馬藩内に金華山の碑がある。
これは古くはなく明治時代以降のが多いから比較的新しい
湯殿の碑などは古い方だろう。明治まで金比羅参りなどもつづいていた。
新地は海から貝をとっていた手長の巨人伝説があるように山と海が接近している地形である。
蔵王でも亘理の鳥の海からはっきりと見える。それは船の当て山になっていたから海と結びついていたとなる。
新地では牡鹿半島が見えるからその見えることでつながりが感じられる。
会津の山などは全く見えないから一体感が感じられないのである。
海沿いに今回の津波の被害を受けた所が一体感を感じたのである。

日本では山国だから山からその土地をイメージすることが多い。
そもそも奈良県は大和ととして日本発祥の地だとするとき

やまとはくにのまはろばたたなづく 青がき山ごもれる大和しうるわし

この歌があるように奈良県は山に囲まれた中の盆地だからわかりやすい。
滋賀県だと琵琶湖中心に見るからここもわかりやすい。
結局あとはほとんど県単位ではわかりにくい、それだけ県単位だと広いから地理的なもの地形もわかりにくくなるのが日本である。
日本では県単位でイメージできるのはまれである。
市単位だとわかりやすくるなる。横浜市とか鎌倉市とかなるとわかりやすい。
ただそこが神奈川県だということはイメージできない
神奈川県となると広いからどこでも県単位ではイメージできないのである。

それから日本は海にそってみてゆくとイメージしやすい、瀬戸内海というとい瀬戸内海領域として見るとわかりやすい、それが山口県だ広島県だ岡山県だとかなると山の領域が入ってくるからわかりにくくなる。
京都府なども宮津まで入っているとなるとわかりにくい、宮津が京都府に入ると思う人は外からわからない、それでも方言だとにかよっていることも不思議である。
方言でなまりでみると大阪から近江から奈良から京都は共通性がある。
だからなまりで国がわかると言われたのは変わりない
方言はやはり一つの文化圏の形成として生まれ受け継がれたからである。
でも大阪弁と京都弁とか奈良の方言とか外から見てわかる人はいない
地元だったら似通っていてもわかるとなる
福島県でんだという語尾につけるとき宮城県ではだっちゃになるから明確に別れる
それで丸森ではんだべっちゃになっていたのも面白いのである。
丸森には相馬藩か一時城主であった金山城があったからそこで伊達藩の宮城県と相馬藩の方言が一緒になったというのも歴史だったのである。
こういうことは関西の人たちも知っている
近江商人というと有名だけど大阪商人の基は近江商人だったというのも知らなかった。
近江商人が大阪商人になっていたのである。

日本ではまず全国の地域をイメージするとき県単位ではほとんどできない
山とか川とか市とか城がある所とかからイメージする。
それは県より局所的になりイメージしやすいのである。
だから長崎市となると長崎県になるからわかりやすいのである。
横浜市とあったら横浜県になればわかりやすい、それが神奈川県になると範囲が広くなりわからなくなる。地元に住んでも福島県と同じようにわからないのである。
地理的一体感も歴史的一体感ももてない
鎌倉市だったら歴史的地理的一体化感をもてるし外から見てもわかりやすいのである。
あなたはどこから来たんですかと言っても神奈川県です福島県です、岩手県ですといってもわかりにくいのである。
だから富士山の車のナンバーがあったときわかりやすかったのである。
この人は富士山が見える所に住んでいるとわかるからである。
市にしても日本には藩があっても市はなかった
堺市などは例外だった。市民というのも存在しなかった。
外国に行くときパスポートにどこの市民かと記される
外国では日本国に所属しているのとどこかの市に所属した市民としてみる。
でも日本では村があり町があり市があるからどこの市民なのかとはみんなならないのである。

観光でも県単位で外部にアピールするとき外から見ると福島県でもハマ、ナカ、アイヅになるからわかりにくくなる。
会津なら会津をアピールするとわかりやすい、だから会津県の方が地域創生としては良かったとなる。
岩手県でも盛岡市なら盛岡県となればわかりやすいのである。
県はもとも藩の代わりに使われていたのである。
名古屋市だったら名古屋城があり金の鯱がありそこを中心に考える
でも名古屋市が愛知県というときイメージができないのである。
外国でも一つの行政単位はギリシャだったらポリスでありその後もヨーロッパ
では市が一つの独立国となっていた。
それで市同士が敵対して戦争もしていた。
フィレンツとかも市として独立国だった。そういう歴史が日本ではないのでわかりにくいただ市単位でみると日本でもイメージしやすくなるのである。

県単位になると県歌など作るにも作れないだろう。
ハマ、ナカ、アイヅでは地理も歴史も自然も相当に違っているである。
そういう風土とか歴史を無視して線引きした廃藩置県が今になると文化の破壊だったとなる
要するに県単位になるとアイディンティティが見いだせないし県に愛郷心ももてないのである。
廃藩置県というのはそうした日本の風土と歴史を無視して強行された。
そこには自然の理に反した無理があった。
明治維新から130ねんとかたてばまたそのことが問われる
明治維新の影響がその後の日本を決めたことで影響が大きかったからである。
地租改正などもありかえって江戸時代の日本より農民は苦しむことになったこともそうである。
それは明治維新で強力な中央集権体制で政府に官に権力を集中させたことによっていたのである。
江戸時代にあった村々は解体されて村の共同の入会の山は私有地化された
だから原発が双葉や大熊に建てられ時漁業権が強力なものであり原発御殿が建つほどの補償金をもらった。
そして家の前の砂浜や海まで私有地でると主張されたことでも象徴されている。
それだけ私有意識が強くなり日本人私的なものとして個々に分断された原因ともなる。
ただその私有地を許すということは資本主義に欠かせないということから国ではそうした要するに江戸時代から明治維新のことがわからないと今の日本もわからないのである。

それは行政面でもあり文化面でもある。行政単位としても様々な障害が生まれる
福島一区の選挙区も福島市と相馬の浜通りがふくまれていることに違和感があるのは
地理的阿武隈高原で隔絶されているからそう感じる
地理的に一体感がもてないのである。
地域的特徴地方再生となると相馬藩だったら相馬藩として江戸時代の継続から作り直すとアイディンティティも見いだしやすいのである。
身の丈の感覚でとらえられるのは相馬藩のような六万石くらいになるのか?
この範囲は自転車でも一日で行ける範囲だからである。
その中に海もあり川も山も一応あるから多様な地形を織りなす文化が育まれるのである。これからは明治維新の中央集権体制から地方分権体制に行政的にも移るべきである。
一方で東京に過度に集中する弊害もかえってつづいている。
ただ東京からは文化は育まれないし生まれない
そのバックグランドの自然がないから文化も生まれようがないのである。
文化的側面からだったら本当は原発は東京に作るべきだった。
東京湾の方が津波に対して安全だったからである。
そして貧しくても相馬地方が独自の国造りをするべきだったとなる。


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複雑な地形



廃藩置県で失われた地域の一体感 (県は広くて郷土愛などが育まれないー行政にも障害が)


 
廃藩置県で失われた地域の一体感

(県は広くて郷土愛などが育まれないー行政にも障害が)


明治維新を迎え、大政奉還をすると天皇が江戸に移りました―――といってみたところで、地方にはまだたくさんの大名がいます。権力は各地に分散していました。明治新政府が権力を持つためには、地方の権力を全部取り上げてしまわなければならない。そこで大名の持っていた武力をすべて召し上げて、藩をなくして全部県にしたいわけですが、それを実施するには中央に武力がなければならない。中央に権力と武力があって初めて中央集権が成立する。それが廃藩置県の意義でした。
明治の冒頭で、菊池寛がまず廃藩置県に注目したのはじつにみごとだと思います。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/?tag=%E5%A4%A7%E4%B9%85%E4%BF%9D%E5%88%A9%E9%80%9A&page=1


神奈川って海あり山あり都会ありで
多様過ぎて一体感ないんだよね
県民性も地域によって大分違う


これはどこの県でもあてはまるだろう。
福島県でも広すぎる、ハマ、ナカ、アイヅで気候も風土も違っている
むしろ気候とか風土だと海岸線ということで今回の津波の被害にあった所が一体感がある世界だった。
相馬藩は江戸時代から伊達藩と関係が深かった

 伊達と相馬の境の桜 花は相馬に実は伊達に

今でも仙台に通勤している人もいたから同じである。
それは地形が影響していたのである。
阿武隈高原が障害となり隔てられていたのである。
こういう地形の影響はすでに古代からあったから変わらなかったのである。
まずその国は地形から地勢から地理から作られるのである。
自然村であり自然国である。自然から風土から一つの国が形成される。
これは世界的にみても自然から地形から風土から国が作られてゆく
だからその国を知るにはその国の自然と地理を地形を地勢をよむのが先である。

ところがこの地形をよむ地形を知るのが一番むずかしいのである。
これは地図をみてもグーグルアースを見てもわからない
例えば阿武隈高原でもそこを実際に越えてみて中通りに行ってみないとわからない
飯館村は阿武隈高原の村だが相当に標高差があり寒冷な地帯になる。
福島市になると冬は寒く夏は蒸し暑くなる。
それで阿武隈高原を越えた時海の方から風が吹いた時涼しくなりほっとした。
はっきりとそこに温度の差が生まれていたことを実感したのである。
つまり風土とはまさに風であり風を感じないとわからない
その風も今は感じにくくなっいてる
電車でも車でも風は感じないからである。

津軽平野に出て津軽鉄道の中里駅から十三湖に出たとき西風が吹いて
十三湖が波立っていたことであそこの風土を感じた。春でも日本海から西風が吹く、
そして冬はあの辺は地吹雪になる地帯である。
そういう厳しい風土なことを実感したのである。
そして青森県の車のナンバーの人がいてどこかと聞いたら大間だという
大間はどこかとすぐにわからなかった。
それは下北半島の先であり函館が原発があるのでもめている所だった
これも地理がわからないと理解できないのである。

30Km圏内に入る函館市や道南地域への説明もなく、また、同意を得ることもなく、建設が再開され、建設後には、大間原発の事故を想定した地域防災計画や避難計画を定めることを義務づけられることは、整合性を欠き、誠に理解しがたいものです。

平成24年10月、25年2月には、国や事業者に対し、函館市をはじめ道南の自治体や議会、経済界、農漁業団体、住民組織などが名を連ね、大間原発建設の無期限凍結を求めてきたところです。 
http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/docs/2014031000166/

30キロ圏内にあるから函館市は今回の福島の原発事故で反対になった。
青森県で日本海と太平洋側では風土も違ってくるし下北となるとまたわかりにくいのである。
結局自然的にその地形とか風土に準じて作られた藩が一番わかりやすかったのである。
その藩があり城を中心に見ればわかりやすいからである。
その江戸時代の前に古代からそうした地理や風土によってすでに国はつくられてきていたのである。

会津嶺の 国をさ遠み 逢はなはば 偲びにせもと 紐結ばさね (万葉集 14−3426)
安達太良の 嶺に伏す鹿猪の 在りつつも 吾は到らむ 寝処な去りそね
陸奥の 安達太良真弓 弦著けて 引かばか人の 吾を言ひなさむ
陸奥の 安達太良真弓 はじきおきて 反らしめ置なば 弦著かめやも
安積香(あさか)山、影さへ見ゆる 山の井の 浅き心を、わが思はなくに
陸奥(みちのく)の真野(まの)の草原(かやはら)遠けども面影(おもかげ)にして見ゆといふものを 笠女郎

みちのく万葉集の歌の意味するもの (福島県の古代-みちのくの大地を深まる秋に想う)

万葉集に歌われたのは福島県までである。真野の草原は石巻説があり涌谷町の黄金花咲くは宮城県である。
ただ古代で奈良に知られたのは福島県では会津であり安達太良がある二本松であり
安積香(あさか)山がある郡山であり真野の草原がある南相馬市である。
これがその後も変わらない基となっている。
会津の国をさ遠み・・・というとき会津の国と記されていることが大事である。
すでに会津では国として認められるのものがあったから国がでてくる。
会津の名の起こりも古事記に記されほど古いからである。
つまり福島県には最初会津国があった。
安達太良というのは山でありそこには国ではなかった。
ただなぜ三つも安達太良の歌が残っているのか?
それは安達太良山が福島県の中心として位置づけられていたからである。
安達ヶ原の鬼婆とかもすでに都に知られていたのもそうである。

そしてその継続として二本松に霞城が築かれた、そのことは詩にもした。
二本松城が福島県の中心として地理的にあって城が築かれた。
会津はまた別な国だった。それで廃藩置県で二本松県があり会津県があり浜通りは
磐城県になっていた。
それが今のハマ、ナカ、アイヅになったのである。
郡山は古代も交通の要所であり都の郡が置かれて接待する女性がいた。
郡山はその後もそういう位置にあり東京に近く繁華な市を形成していたのである。
みちのくの真野の草原は港であると書いてきた。
ただ石巻なのか南相馬市の鹿島区の真野なのかはわからないが考古学的発見からは南相馬市の真野が有力になっている。

いづれにしろ廃藩置県で他国を理解することがかえってむずかしくなったのである。
藩を中心にしてその国の風土なり歴史をみるとわかりやすいのである。
だから廃藩置県は何か無理して線引きして作ったものだからなじめないのである。
地理的一体感がどこでも感じられないというときそうなのである。
県はどこでも広すぎるからそうなるのである。
だから神奈川県がどうなっているのとなると地理的にわかりにくい、それはどこでも県からはわかりににくいのである。
どこの県でも即座に地理がわかる人はいないのである。
地理的一体感がないというとき何かいろいろと問題が起きてくる。
原発のような科学的なものにも問題が起きた。
中通りの福島市とか二本松とか郡山まで放射能で汚染されるとは思わなかった。
それは阿武隈高原が障壁となって原発の影響はないと思っていたのである。
ただその時東風が吹いて放射性物質が運ばれたのである。

日本の地理が複雑なのは海と山があり接近しているし山となるとわかりにくい、だから日本列島を横断してみるとわかりにくい
でも海に沿ってみるとわかりやすくなる。
今回の津波では津波の被害にあったところが一体感があったのである。
一方で安達太良山が万葉集で三つ歌われているように山を中心にみるのも日本である。
ヤマトというと山なのである。それは山に囲まれた山の国だからである。
ともかく廃藩置県後の県で日本をみることはむずかしい
それで地方活性化とかの国の方針もうまくいかないことがあるだろう。
なぜなら県単位になると地域の一体化が広くて一体感がもてないからである。
県単位の行政すら今回の原発事故でもわかったようにむずかしいのである。
福島市にまで被害があるなど考えなかったろう。
それは地理的な要因でそうなっていたのである。

そもそも明治維新は様々な面で無理があった。だから今になると明治維新が必要だったのかとか見直される。
西欧化というけどそれは日本的なのもを排斥する無理があった。
そういうふにう西欧から迫られたというのもあるけどその無理が後々まで影響したのである。
明治維新かなかったら太平洋戦争がなかったといわれるのもそうである。
廃藩置県もそうした日本を中央に武力と権力を集めることであった。
それは文化的にもそうであり標準語に無理やりしたのもそうである。
その時地方の文化的なものもかなり失われたのである。
そういうことまで考慮する余裕がない状態だった。
別に幕府でも開国を目指ししていたのだから廃藩置県がなくても開国はできたということは言えた。
明治維新は日本的な文化の破壊もあり今日まで甚大な影響をしていたのである。
だから明治維新が今になって見直される結果になったのである。


タグ:廃藩置県

2015年05月18日

浪江の請戸に消えた原発御殿 (私有地の前の海に権利があり補償金が支払われた)


浪江の請戸に消えた原発御殿

(私有地の前の海に権利があり補償金が支払われた)



所有権の問題から海底の土砂を取除く工事などができず、港内の水深が浅くなって船の往来に支障をきたすようになってきたため、同市が買い取ることになったとのことです。なるほど、元は私有地ですから、例え海底に沈んだとしても所有権は消滅しないので、この土地の売買については納得できました。

先住民による前浜と海底の所有権
―ニュージーランドの2003年「マールバラサウンズ判決」―
マオリ族の間では,前浜及びその延長は,その前浜に隣接す
る陸地に居住する部族集団の土地であるという慣習上の了解がある。
http://www.shotoku.ac.jp/data/facilities/library/
publication/education-gaikoku43_01.pdf



漁業権というのは相当にわかりにくいし未だ確定されていないもののようだ。
「海は誰のものか」とか「山は誰のものか」とかなると海で生活する漁師のものであり山も山で生活する村の人たちのものだということになるのが普通である。
ところが一軒一軒の家の前の砂浜でも海でも所有権があるとなるとわかりにくいだろう
山が私有地になっているのはわかりやすい,でもこれも明治以降にそうなったのが多いのだろう。入会権となり村が山を所有していた。
今でも山菜をとるなというときそれは山が山に暮らす人の場となっているから勝手にとるな入山料を払えとなった。
川でもそういうことがあり鮎をとるとしたら組合に金を払う、組合では川を管理して稚魚を放ち釣りをできるように勤める
海もそれで漁師で組合を作り海を管理して漁業組合ができた。
ただその前に一軒一軒の家の前の砂浜であり潟でありその家の個人の所有だというのはどういうことなのかわかりにくい

でもなぜそれが主張されたのかというと原発で東電や政府から補償金をもらうために主張されたのである。
それでもその権利が認められてそれなりに補償金が支払われたというのも東電では金があり早く金で解決したかったからだろう。
それは浪江の請戸の話とか言っていた。
何でもその人は仕事で仲間になった請戸の人の家に招待されたことがあったという。
その家は金の襖だったらしい、それは東京から職人を呼んで作ったとか言われる。
それは相当に豪華なものだった。まるで秀吉の黄金の茶室とにていたかもしれない。
それだけ請戸は事故を起こした原発の煙突が見える位置にあり近い。
だから他より補償金が高かったことは言える

でも磯部の人も船主であった人が御殿を建てていたとか言っていた。
原発御殿というのが磯部でもあったのである。
松川浦には百艘の船があったからである。
だから今ではそうした漁業権をもって補償金が入っている人たちをうらやむ人がいる
原発前はそうであってもあからさまに言えなかったのである。
自分の家の近くにも烏崎の人が家を建てたからそのことは言える
相馬市の総合病院に入院したときも請戸の人がいて特等室に入って家を建てると言っていたから軽く億の金をもっている

小高のばあさんが補償金一千万ためて喜んでいるとか聞いた。
でも使わないという、将来のために金を使わないという。
ただ一千万で喜んでいるのはやはりそんな金をもったことがない人がまだ多いのである。一千万では家も建たない、そもそも補償金一億円もらったとしても
土地も家もなくなったら家を建てるのに5000万はかかる。
そしたら一億円で足りないとなるのである。
仕事も失ったらその損失は今の時代の計算では一億円でも高いとは言えないのである。
一千万で喜んでいるとしたらやはりそれだけ貧乏な人たちなのだろうとなる

ともかくこの辺で起きていることは様々な夢のような物語にもなっている
そんな黄金の襖の御殿が津波で一瞬にして流されたこと自体夢のようだとなる。
磯部であれ請戸であれ津波で何もなくなってしまった。
砂に埋もれて元の砂州にもどるような状態になったのが磯部であり
請戸は一軒の家も残らない、あまりにも無惨な悲惨な状態になった。
本当に夢のように消えた、夢の御殿だったとなる
それは別にこの辺だけではない今回の津波で家をし失った人たちの気持をどんなものなのだろうと想像がつかない
近くでもそうであり家がある人は感じないのである。

一瞬に贅を尽くして建てし家津波に流され夢の跡かな

まず浪江もあのように荒れ果てたままになりもどらない、人も帰らないだろう。
若い人はもう帰らない、だから請戸でもただ荒寥とした砂浜になってしまう。
もう漁港は再建できないのかもしれない、松川浦とか鹿島は一応漁港は再建しているから違っている。
磯部にはもともと漁港はなかった、新地も漁港はなくなった。
津波はあまりにも大きな災害であり最初から現実に思えなかったのである。
これは夢じゃないかと現実に思えなかった。
人間はあまりにも変化が激しいとそれが現実に思えないということである。
夢の中で生きているんじゃないかとしか思えないのである。
いづれにしろこの辺で経験していることは様々でありそれが未だに現実として受け止められないという人たちも多いだろう。
一瞬に幻のように村でも消えたということが信じられないのである。

タグ:漁業権
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2015年05月17日

この世に起きることは事故でも事件でも何でもカルマが関係している (両親や祖父母のカルマは必ず受ける)


この世に起きることは事故でも事件でも何でもカルマが関係している

(両親のカルマは必ず受ける)


なんでこんなことが起きるのだということが誰でも経験している
なぜよりによって自分がこんな目にあうんだとかなる
カルマというとそれは親のカルマは目にみえてはっきりと受ける。
でもカルマは4百年前とかまで歴史的カルマになると受ける
津波でも相馬藩内で一行700人溺死とあったから被害があった。
それは全く忘れられて今回の津波で大被害になった
そうした風土や歴史のカルマがあっても忘れられていたのである。
カルマというのは忘れられ意識されないことが多いのである。
ただ何かその個々人の身に直接起きたとき何でこうなるんだとかなる

例えば歴史的カルマとなると相馬藩の歴史的カルマもあるかもしれない
相馬藩は天明の飢饉で越中からの移民などを受け入れた
三分の一の人口が消失したからだ。
そういうとき移民してくる人がいたということはその時代の貧しさがあったからだ。
そういう荒廃地になるところが多かった
移民してきた人たちの住んでいる所もそうだった
何か移民せざるをえない状態があった
移動が自由でない時代は藩を出ることは命がけだった。
だから移民する人にもそれだけの事情があった。
それで相馬藩内に移住して苦労した。
それで「加賀泣き」という言葉が残っている。
よほど移住して苦労したから加賀の人が泣いたということである。

これがカルマとなんの関係があるのか?
それはなぜ今回のように相馬藩から原発事故で避難民になって他の土地で暮らさねばならなくなったのか?
そしてやはり相馬藩に移住した人たちのようによそ者としてあつかわれ嫌な目にあう
まさにそのことは移民した人たちが相馬藩でされたことと形は違っても同じことをされている
実際は相当恵まれたものだけど何かよその土地に暮らすということで形見の狭い経験はしている
かなり楽な方でもよその土地で暮らすということがどういうことか身をもって知ったともなる
なかなかよその土地で集団で暮らすということがどういうことか理解できないからである戦争でも戦争の苦しみなどわからなくなっている、でもまた戦争になったらそのカルマがめぐり戦争の苦しみを知ることになる

カルマで確実なのは親のカルマから逃れられないことである。
自分の一身上のことでも書いてきたけどなぜこんな苦しみを受けねばならなかったかというと親のカルマを自分が清算するような立場になっていたのである。
長男長女はその家のカルマを一身に引き継ぐことになることは間違いない
それは悪いカルマだけではない良いカルマうも受け継ぐのである。
良いカルマも悪いカルマも受け継ぐのである。
なぜならどんな人でも良いことばかりしてるなどありえないからである。
例えば財産を残すにしてもそれが必ずしも良い金とは限らない
太宰治の斜陽館などは小作から搾取してできていた。
だからそういう家にはやはり小作の呪いのようなものが受ける
ただ江戸時代の庄屋とかなると別である、それは農民とともに一揆では戦い死んだ人もいるからである。

カルマは両親のカルマを必ず受ける。自分にしてもなぜこんなに介護しつづけねばならないのか?
それは60年間自分に食事を出し続けてくれたからお前もそれをしなければならないというカルマを受けたのである。それは逃れることができないカルマとなっていた。
百歳まで生きたことはそのカルマを自分に受けさせるために生きていたともなるのだ
両親というとき母がいて父がいる。その父のカルマも受ける
それは財産を残したことで災いが生じた、財産がカルマになっていた。
その財産はすべて良いものとして残されていたわけではない、
太宰の斜陽館のようにあからさまのものではないにしろ公務員という恵まれた境遇で残された
それで自分がそのカルマを受けたのである。
いいことであってもやはりその金が元で犯罪にあったり病気の時金を要求されて苦しめられたのはそのためだったかと思う
金にはなにか具体的なカルマとして現実的だからわかりやすいのである。
金がないのもカルマだけど金をもっているのもカルマなのである。

家系に起きてくるカルマは本当に不思議である。
ある人が収入もいい人と結婚した。その人は頭が良くて優秀だった
だからいい人と結婚したと外から見られていたのである。
それがなぜ事業で失敗した結果60過ぎて苦しむことになった。
まず60以上になると人生の総決算のようなことが誰にでも起きてくる
若いときの不品行であれ何であれ悪行であれそういうことは決して消えるわけではない
60以上になるとそうした若いときのことまで生々しく蘇りその悪に苦しめられる
要するに人間はどんなことしても何かしらカルマを積む
両親でも先祖でもそうでありその国でも歴史的カルマをつむ、それで今も責められているだから先祖供養しないとだめだというがそれでカルマが解消するわけではない
どうしたらカルマが解消するのか?
それは善行を積むほかない、残された財産があったら困った人に分けてやるとかになる
そうすれば金にまつわるカルマはだんだん消えてゆくことになる
ますます強欲になって金をためたらカルマをまた積むことになるからだ

とにかくカルマは何もなければ意識されないものなのである。
何か事故とか犯罪とか何か悪いことが起きるときカルマを否応なく意識される
なぜこんなことが自分に起きたのだろうとなる
それは理不尽な犯罪だったこの世には多い、ではなぜその人だけがその犯罪の犠牲者になったのだろうというのが謎なのである。
よりによってその人にそんなことが起きたというのが謎なのである。
それでカルマが意識される、家系も意識される
家系も謎でもその時家系の問題してカルマが意識される
会社に勤めていれば優秀で終わったのになぜ事業をはじめて失敗したのか?
そういう人にまた嫁いだのうかというのも謎である。
まず結婚するときそんなことなどわかりようがないからである。
それは嫁になった方のカルマが家系が関係していたのかとなる
実際に嫁になった女性の家族は普通の家族ではなく問題があった
その家系のカルマを受け継いで夫も失敗したのかとまでなる
昔は戦前までは家と家の結婚であった。
すると家系というのが問題になる
今は個人間の結婚で家系なんか関係ないよ二人が愛し合えばいいんだとなった
ところがなぜそうであればいいが家系の影響を受けるのかということである。
結婚は個人の問題でなく家系がかかわるからあとあとそのカルマを受けることなにる
でも家系でもその家庭のことはわかりにくい、だから今はあまり考えないのである。
家系にはやはり徳を積んだ家とそうでない家と明確にある
徳を積んだ家と結ばれることはやはりあまり悪いことは起こらないとなる

聖書ではその家系のことなのである。アダムから生まれた神の子孫のことを記したものであることでもわかる。
神の家系としてユダヤ人は神から選ばれたものとなっている。
だから家系を一番重んじていて異民族とは交わらなかったのである。
神の家系が汚されるからそういうふうになっていた。
家系がそれだけ重みをもっていたのである。
つまり最強の家系は神の子となるべき選ばれた民であり
それでユダヤ人がいろいろなことを言われても滅んでいない、
他は3000年前とかなればその時の人種はどこも残っていない
そして運の強い人につけというときそれもやはり運の悪いというのは何か
例え能力があってもうまくいかないのはなぜだろうとなるからだ
天才でも能力かあってもそれだけでは何かは成らない
そこに神の力が働かないと成らない、だからそれは運だともなる
運の悪い人につけば同じように結果が悪くなる
何かで失敗したり事故を起きたりうまくいかないのはなぜだろうとなる

だから結婚というのは二人があえばいいことだともならないのである。
むしろ家と家の結婚でもうまくいっている方が多かったかもしれない
それだけ人間は謎であり人生問題でも解きあかせないから悪いカルト宗教団体でもこれだけ増えたのである。
それは人生に不可解なことが多すぎるから何かに神仏に頼るようになる
ただそれもたいがいは間違ったものでありかえって悪いカルマを積んでいるのである。
それは神仏に頼っているのではなく本当はこの世の力に人に頼っているからである。
最終的にはカルマからは真の信仰によってしか脱せられないともなる
カルマはともかく逃れることができないから厳しいものとなる

ギリシャ神話の「シーシュポスの岩」のように延々と石を持ち上げていなければならない要するに延々と持ち上げる岩はカルマなのである。
介護などもいつ果てるのかわからない、百歳になってもわからない
延々と介護からから脱することができない
カルマは人間の業であり人類が消滅しない限り終わることがない
つまりこの世でカルマが消滅することはないのである。
ハルマゲドンで最終戦で人類が滅びるというのもそうである。
業が積み重なって最後に最悪の結果となる。
人類のカルマはどれだけあるのか?
もう計りしれない悪行が歴史でもある
その総決算が最後に来る、それが人類が滅びるということである。
この辺で原発事故で積んだカルマも恐ろしいものだった。
プルトニウムの毒が二万年消えないという恐るべきカルマを追わされたのである。
それはまるで二万年間岩をもちあげるようなカルマともにていたのである。
原発事故によってもたらされたカルマだったのである。
その放射能から解放されるのが二万年後としたらその罰も過酷だったとなる

「シーシュポスの岩」

肩にずっしりと重い岩よ
いつまでこれを持ち上げねばならないのだ
いつになったら解放されのだ
今日もずっしりと岩が重い
休むことなく岩を持ち上げねばならぬ
これは与えられた罰(カルマ)なのだ
怠け者にも様々な悪徳を積めば
それは必ずカルマとなって負わされる
その刑罰を解かれるのはいつなのか
それぞれの人生にカルマがある
カルマからは誰も逃れられない
蟻は蟻のカルマを猫は猫のカルマを生きる
なぜ蟻として生きねばならぬのか
野良猫になり餌をあさらねばならないのか
人間もまた同じそのカルマは複雑だけれど
それぞれにカルマを負わされるのが人生だ
・・・・・・・


タグ:カルマ

2015年05月16日

原発避難者が帰らない理由(NHKの原発避難者1154の声) (現代は誰も不便な所に住みたくない)


 
原発避難者が帰らない理由(NHKの原発避難者1154の声)

(現代は誰も不便な所に住みたくない)


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原町のイオンに一週間に一回くらい行ってみると品物が違っている。値段も安いし種類も多い。
自転車だとなかなか行けない、それで鹿島区にある一軒のスーパーでまにあわすほかない車がないと買い物と医者は不便になる
値段まで高いものを買うほかないのは苦しい
今は田舎が東京より物価が高いというのは本当である。
田舎では収入が低いが物価は高いのである。
ただ持ち家の人が多いし賃貸でも格安蜷場合がある
地域でも広いから実際は住む場所によって差がでている。
原町市内でも大原とかなると山の方で遠いから街まで行くのは遠いとなる。
だから大原に住んで農業をしていた人の息子が街内に住んで親は一人で農業していた。
今は空家になっている
田舎は広い土地に住んでいるから街から遠い所は買い物に不便になる。
だから田舎では車がないと生活できないとなる
実際に田舎では一人一台車をもっている、車をもっていない人はたいがい貧乏人なのである。
車が金あるかないかの判断基準にてなりやすい、原発避難者が補償金でいい車を買ったということで傷つけられたことでもわかる。

NHKの原発避難者1154の声で放送したことは何も目新しいことがなかった。帰るか帰らないかそれは早く決断を急がせるのではなく決められないままでも仮設にでも他でも住んでいられる安心感を与えるべきだと学者の人などが言っていた。
それも避難者側の言い分であり回りの人がどう思っているか回りの目が気になる、コミニュティにとけこむことができないということも言っていた。
つまりそうした宙ぶらりんなどっちつかずでいつまで補償金もらって暮らすつもりだという声が回りに大きくなっているのだ。
原発避難民は補償金で遊んで暮らしていられる、俺たちは地元で汗水垂らして働かねばならない、それでもたいした金にはならないとか不満になる
俺たちは原発避難者のために働かせられているんだとかまでなる
だから二本松であれ会津であれイワキであれ回りの目が厳しくなってきている
だから学者でもそのまま帰るか帰らない決断を迫らずにそのまま長くいられる状態を保たせるべきだというのは回りからするとかなり迷惑になる。

現実に南相馬市内では小高の中学生が鹿島区の小学校内に仮の校舎をもち、小学生は中学校に小学生が仮の校舎をもっている。
それは争いになるからだという。つまり同じ南相馬市内でも鹿島と小高ではイワキのように激しくはならなくても軋轢が生じている。
小高の人は金が入るから態度がでかいとか遊んで暮らしているとか不満が大きいのである特に津波の被害にあった人たちは家もなくなり補償金も鹿島区ではかなり少ないから不満になる。
とにかくこの辺は津波の被害もあり複雑になっている。
漁業関係者は原発から補償金をもらって家を建てたとかなんとかこれまた補償金問題で心が分断されている。
だからいろいろめんどうだから年もとっているからかかわりたくないと早い内に鹿島や原町に家を建てた人はかしこかったとか言われる
小高の避難者は来年は避難解除になり小高に帰る、小高以外に家を建てた人は帰らない
でも今の時代不便な所には住みたくないのである。
そしたらそんな不便になった所に帰るのかとなる

結局移住したコミニュティに溶け込めないというとき回りの目が厳しいというとき何かそうさせているのか?
それは相馬藩が天明の飢饉以来越中などの移民を入れて働かせて立ち直った。
今でも三分の一の墓が真宗系統なのが相馬藩である。
江戸時代は全国でそうした荒廃地が生まれ移住していたのである
そもそもそんな条件の悪い所になぜ移住したのかとなる
それはそういう時代でありあえて土地が与えられるということで移住した。
そして移住した人たちは「加賀泣き」とか伝えられるように相馬藩で苦労したのである。条件の悪い所を開墾したりしたからである。
もう一つ前にも紹介した十津川村が水害で壊滅的な被害を受けて北海道に村ごと移住したのも貧乏な農業で暮らしていた時代である。
そういう時代は条件が悪かろうがもともと条件のいい場所がない時代だったのである。

だからそんな苦しまねばならない場所に移住したというのはそういうもともと今のよう便利な生活などしている場所がなかったのである。
それでも武士が北海道に移住してその苦労に耐えられず離脱して官僚になったとか映画があった。
それはそんな苦しいのがいやで贅沢したいから官僚になって仲間から離脱したのである。そもそも北海道にはアイヌがいても回りの住民からの圧力がなきに等しかった
いくら金もっていてもそれだけの集団になるとなんだあいつら遊んでいるだけではないかとなり不満が回りからぶつけられる
相馬藩に移住した移民はもともといた土地の人に従い懸命に働いていたからそんなことは起こらなかったのである。
原発避難民が移住先で金があるからもともといた土地の人より裕福で威張っていられるなどありえなかったのである。

原発避難者とはこうした人たちと比べることはできない、時代がそもそも違うからである便利な贅沢な社会がありそこには金さえあればどこでも住めるという時代である。
現実大内村は山の中の孤立した村のようになっている。
それが郡山市で暮らしたら帰りたくなくなったという気持がわかるのである。
自分も原町市とか相馬市とかの方が便利で楽だとなるからである。
つまり不便な所には帰りたくない、住みたくないとなって帰還するのは時間がたつにつれてますますむずかしくなっているのだ。
ただ小高の人は南相馬市民だから浪江とか双葉とかは違う。
そういう点ではイワキのような深刻な軋轢がないがそれでもみんな鹿島区の人は不満であり口々に言っているから小高の人は小高の人で鹿島にはいたくないということがある
一方で小高に帰るの不便であり老人ばかりでありそんなところでどんな生活になるのかとうい不安がある。
だから早々に住むこともあきらめた人もいたのである。

そしていつまで補償金もらって遊んでいるんだとか回りの目が厳しくなっている
つまりどっちつかずのような宙ぶらりんな決断しないこともまた避難者にとってもいいものではない。決断をしないで帰る帰らないとか決めないでいられる状態を作ってやるというのも回りの人からすると困るのである。
アンケートをとったりなんかいろいろ外部から言われても何の解決にもならないというのも避難者にとってみればそうなる
ではどなん解決方法があるんだとなるとその個々の家族で決めるほかないとなる。
決断するほかないとなる。いつまでも決断をながびかせてもいいんだ、それをおしつけない状態にさせることも大事だというのも回りの人には困るのである。
むしろ避難者にとっても決断した方がすっきりするだろう。
帰るなら帰る、帰らないなら帰らないとして将来の方向を決めた方がすっきりする
帰るにしても帰らないにしてもどっちにしろ困難なことがあり問題がある。

いづれにしろどうしても現代では不便な所には住みたくないとなると帰還するのは無理だと自分は思う。
回りからなんだかんだ言われるとかそんなことを気にしないで金があるから家を建てた人が決断した人が結局はすっきりして良かったとなる
「進むも地獄退くも地獄」となるならどうしても楽な方を人は選ぶようになる。
一億円の金をもらっても回りに何らサービスを受けられないとしたら何の価値もない
原野に立って金があって自動販売機もなくジュースも飲めなかったら金の価値は何にもないとなってしまうからである。
一億円あっていろいろサービスを受けられるとき金にも価値がでてくるからである。
そういうことでどうしても帰還するのはもうあきらめる人が増えたきて避難区域の町は消滅するほかないとみてしまう。

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ただ狂いたいほど帰りたいという心境は故郷を失った人しかわからないだろう。
故郷とは何か、故郷を失うことがどういうことかわからないからだ
普通は外部から見ると故郷にそんなに固執するものなのか?
金があるんだから新しい土地ではじめたらいいじゃないかとなる
啄木は故郷をあれほど思ったのは東京で若くして死ぬという状況で起こった。
では原発避難者は東京に移り住んで人もいるが福島県内とかにも多いからから
大都会とは違う環境にある
やることがなくても困ったというのもこの辺の津波の被害者も言っていた。
そういうこともあり狂うほど帰りたいという気持は本人しか理解できない
それは年齢にもよりそう思っているのはやはり50代以上かもしれない
若い人はもう新しい土地になじみほとんど帰らないとなってしまったからである。
タグ:原発避難者
posted by 老鶯 at 22:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

抽象画から具象画へ(春の川) (抽象画から抽象画へ)

抽象画から具象画へ(春の川)

(抽象画から抽象画へ)

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水と緑

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海溝

これは原画と比べるとわかる、でもこれの方が原画より抽象画的になっているのも
不思議である。




一つ目は川のように見えたから岸を新緑や芽吹きをイメージした。
そして岩山のようになったから山をイメージして加工した。
これはオリジナルの絵とはもうほとんど関係なくなっている。
ただ川の所が多少これと同じだなと原画を見ればわかる
これはだから著作権に関しては指摘されないだろう。

海溝はこれは明らかに加工したものとわかるから著作権が指摘される
これは参考のために出しただけである。
抽象画でも具象画とは切り離せないのである。
川とか山とかのイメージを抽象画で何を現しているのかわからないものを
具象画に変えたのである。
抽象画はインターネットから生まれた新しい芸術ともいえる。
普通の絵画からはこんなことできないからである。
タグ:春の川
posted by 老鶯 at 01:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 抽象画の部(abstract)

2015年05月15日

失われた「真直」という大和言葉 (純な日本の復古は大和言葉を見直すこと)


失われた「真直」という大和言葉

( 純な日本の復古は大和言葉を見直すこと)



子供の為めには自分の凡てを犠牲にして尽すという愛の一面に、自分の子供を真直に、正直に、善良に育てゝ行くという厳しい、鋭い眼がある。この二つの感情から結ばれた母の愛より大きなものはないと思う。しかし世の中には子供に対して責任感の薄い母も多い。
<小川未明「愛に就ての問題」青空文庫>

豊国の企救(きく)の浜辺の真砂土(まなごつち)真直にしあらば何か嘆かむ

今日の万葉集の一首 (美しい自然と真直なる心があれば嘆くことはなかった)
http://musubu2.sblo.jp/article/56762498.html



大正時代まで「真直」ということばは使われていた。明治までは日本の古来の言葉が江戸時代から継続されて使われていた。
何か明治大正すら本当は遠い時代になってしまったのだろうか?
大正4年生まれの母は百歳で生きている。一世紀たったのだから遠いといえば遠い。
大正時代で一番意外だったのは人口が6千万であり大都会すら東京でも百万とか少なかったことである。
今からすると6千万というのは少ない、ということはそれだけ日本の自然が今とはまるで違う、砂浜でも広く残っていた。
鹿島と原町の間にも砂浜があった。それが火力発電所がたって消えた。
それから防潮堤が作られて波に浸食されて日本の砂浜は消失した。
その時まだランプを使っていたのだからその違いはあまりにも大きかったのである。
でも現代に生きるというとき何かまだ大正生まれの人が生きているということで遠いという感じがしなかった。
明治とるなるとすでに遠い過去になる
太平洋戦争も70年が過ぎる。それで戦争のことがしきりに語られる。
それは当時小学生だった人たちである。80代だとまだ戦争を経験していた。
団塊の世代は経験していない、それで今日NHKで見た九州の宮崎県が爆撃されて
小学生の時腕を半分銃撃されて失った女性がいたことには驚いた。
まだそういう人がいたということで生々しかった。
あれだけの傷を負ってまだ戦争のことをひきづっている人がいたことの驚きである。

「真直」とはまなおということはなくなり真っ直ぐとなって残った。
でもまなおとまっすぐは感覚的に相当違っている。
「真直」という言葉はもともと万葉集にあったし日本語の原型は日本の精神の原型は万葉集時代に作られたのである。
つまり日本人には日本人の言葉があり言葉は日本の自然とともに作られたのである。
だからネティブとなる。だから日本語がこうして消失するとき日本人の精神も失われていたのである。
だから日本人の精神を知るには万葉集を知ることになる。ただそれが恋の歌が相聞歌が多いというとき何かうわついたものになり軽薄なものとなり現代的なものとして解釈されやすい。ただその中にもやはり今とは違った日本人のまさに素直なる真直なる心があって歌われている。
日本人の文明に汚されない心に青雲で言えば「純なる日本」である。
この点で同じものを自分も追及していることは確かである。

日本は経済成長を遂げたけど失ったものも多いのである。
日本の純なる美しい自然が相当に失われたことは確かである。
日本の自然は特別美しいものだったことは確かである。
その美しい自然によってはぐくまれたのが日本の心でありそれが万葉集に結晶化して残された。
日本語で言われることはなぜ形容詞が少ないかということである。
これも逆説的だけど日本の自然があまりに美しいからかえって形容詞が発達しなかった。あまりに美しいと何か言葉を発することができない、息をのむとかなりそれで形容詞が発達しなかったのかもしれない、一方で何もない所では着飾る言葉をかえって発達する、形容詞が発達するということがあるかもしれない。

真直という言葉はもともとは直しに「なおし」という大和言葉に由来している。
ただ不思議なのは直しと真直とは何かかなり違ってる
真直という言葉には日本人古来の精神が宿った言葉ではないか?
真直とは不純なものが交わらない、純なるものの追及なのである。
それは日本の自然と融合して「真直」となるのである。
この真直というとき日本の武道と通じている。
日本の武道は型とか姿勢を重んじる。それは勝負にこだわるものとは違う。
礼にはじまり礼に終わるとか

そもそも武道とは、「武」を通して「人道」を学ぶものだからです。

日本の武道は単なる格闘技ではなく人道とかなると精神を重んじるものとなる。
外国は格闘技でありゲームでありそこで勝敗が第一になる。
そこでルールが大事になる。それは文化と歴史の相違である。
外国では絶えざる侵略戦争の歴史であった。だから勝敗にこだわる。
負ければ奴隷にされるのだから勝敗が第一になる。
日本でも格闘技としても勝敗より精神性を重んじる
「武士道」でもそうである。
だから「真直」というときその姿勢が真直だというとき精神も真直だとなる。
型があり心があるとなる。
つまり日本の武道は真直な心を養うことにある。外国ではルールでありルールを敗ることは許されない、公平なルールで勝敗にこだわるのである。
西洋と東洋というときそこに根本的な文化歴史の相違がある。
宗教は東洋アジアから発したというとき深い精神性はアジアにある。
誤解しているのはキリスト教が西欧だと思っているけどそれは西欧化されたキリスト教なのである。
イスラエルはもともとアジアなのである。だから西欧型のキリスト教は西欧化されたキリスト教となってしまう。
日本はあらのそることを欧米化一辺倒になってしまったのが明治維新以来そうだった。
ただ大正時代まで真直という言葉まだ使われていた。

直しとは

ゆがみや誤りなどを正しくすること。また、こわれたものを、もとどおりにすること。

まさに現代日本に必要なのは日本古来の真直な心をとりもどすることなのである。
ただ万葉集時代にも奈良時代にもすでに何か嘆くものがあったということがある。
それが何なのか、自然の消失だとは思えない、やはりいつの時代でも必ず時代によって失われてゆくものがある。そういう嘆きが常にあるからそうなったのか?
現代だったらまさにいろいろなものが科学が発達しても便利になっても何か失われたものも大きい。そういう嘆きは自分も延々と書いてきたし巷にも満ちているのである。
美しい日本の自然が失われたとき日本の心も失われたのである。
心のに青雲で「純なる日本」は東京などから復古できない、像で外界をとらえるろというのは確かである。
その像になるべきものが東京にはないのである。毎日高層ビルをなげめていればそれが心の像となってしまうのである。
崇高な山を毎日眺めていればその像が心に定着するのである。
ここでもその山がないから岩手山とか岩木山とか富士山が見える場所に住んでいる人はうらやましいとなる。
つまりその独立峰という像によって日々心が作られるということがあるからだ。
山には精神性があるが海にはまたないのである。
どうしてもだから浜通りには精神性が欠如するのである。


真直なる富士の姿や今日も映ゆ美しき日本正すべしかな

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タグ:大和言葉

2015年05月13日

資本主義の労働倫理の頽廃 (介護から考える労働とは何なのか)


資本主義の労働倫理の頽廃

(介護から考える労働とは何なのか)


●資本主義は修道院からはじまり他者を助けるのが労働

人間を人間たらしめているのは労働だろう。労働なくして社会も成り立たない、生活もできないからである。
ただすべての労働が肯定されるものではない
別にパチンコ屋とかその他の娯楽は息抜きに否定はできないだろう。
低俗なのものでもこの世の中需要があれば否定できない
ただそうしたパチンコ屋でもギャンブルでもそれが労働とはならないだろう。
現実にこの辺で原発事故で避難民であふれ仮設に住んだ人たちが補償金ですることがなく遊び暮らすようになったとき何か起こったのか
パチンコ屋に働く人がいなくなるとかまで人手不足になったのである。
ところが他でも介護関係でもコンビニでもスーパーでもあらゆる所が人手不足になった。そんなときパチンコ屋が人手不足だなどと言っているのも異常だったのである。
別に普通の時だったらいいが働く人がいなくて困っているとき遊ぶ人が増えてその世話する人が人手不足で困っているというのは異常なことである。
その時は津波の被害もあり外からの人が懸命に瓦礫をかたずけるとか働いていたのであるそんなとき地元の人は遊んでいたから飲み屋で地元の人がもっと働けと怒ったというのも当然だとなる

労働とはもともと仕事そのもの価値のことを言っていた。
なぜなら修道院から資本主義がはじまったというとき修道士修道女が神の奉仕として働くこと自体が信仰になっていたからである。
その人たちは消費はしない、贅沢はしなかったのである。
ただ真面目に働いて他者に与える労働をしていたのである。
その労働が人助けとしての労働だったから神の意にかなうものとされていたのである。
資本主義もそういうまさに宗教からはじまったから主義なのである。
民主主義も主義でありそれはその根底に信仰のようなものがある。

資本主義はそもそも人助けのキリスト教から生まれたというとき今は全く違ったものとなってしまった。
そうした人助けの労働という観念が全く消失した。
つまり労働自体に価値を置かないのである。むしろ消費の方に価値を置いているのが現実である。
労働自体の価値より労働で得た金によって何か買う消費するということで働いている。
それが人助けだとかなんだとか関係ないのである。
コンビニであれスーパーであれ農家であれ会社であれそこで働いている人が労働自体に価値を見いだして働いている人はまれだろう。
ただ医療関係とか福祉関係は直接その個人に対しての労働だから奉仕的になり労働自体の価値を感じる、だから一番感謝される労働になっている
医者とか看護師の労働はその代わりきついけど直接今の社会で感謝されるのはまれだろう家を建てたから道路を作ったから電気を供給しているからとか感謝してくれる人はいるのか?。
現代社会は直接感謝してくれる労働はまれになっている。
ただ金をもらい消費するということが働く動機になっている。

そして資本主義の最大の矛盾が本質から全くそれてしまったのは労働倫理の喪失であった世界的マネーゲームで巨万の富を得るというのもそうである。
働かずして信じられない巨万の富を得る人がいる。
それが資本主義だと言えば否定はできない、そういうシステムで世界は動いているからだ現実に自分もそれで得した方だから矛盾している。
働かずして金を得ているというのは全く資本主義の発生した倫理が消失してしまったからである。
第一そういう人たちを見たら真面目に働くのが嫌になるだろう
若い金融関係の仕事している人が自分の給料より株でもうけている人のもうけが高いと言っていたのも矛盾である。
そういう格差が生まれているのが現代の資本主義なのである。

それは世界的にモラルの頽廃を生んでいる、それで資本主義は崩壊すると言われる
資本主義によって戦前からあった日本人のモラルも義理人情なども今はない、
ただ金だけがすべての基準になってしまったのである。
人間と人間の関係はすべて金になるとき「金の切れ目が縁の切れ目」となり自分の場合もたいして関係でなかったから切れたとなるけど他でそうなりやすいのが現代なのである。あらゆる価値を金で計算すればそうなってしまう。
いくら労働したからといって金で価値が計られるとしたら金の多少ですべての価値は決まることになる。
一千万稼ぐ人と500万稼ぐ人と300百万稼ぐ人がいてすべて収入で計られる
あの人はこういう労働していてその労働が価値あるとか見ている人はいない
金の多寡でその価値は決められているのである。
その労働自体の価値が見えにくいからそうなるということもある。

●介護も新しく生まれた仕事であり労働

労働についても探求してきたが正直自分は20代は結構アルバイトとか労働したけど流れ作業とか単純作業が嫌になりそのあとは30年間労働していていない
お前自体が遊んでいたのに労働のことが語られるのかといえばそうである。
今でも株などてしいるからお前も資本主義で得しているからそんなこと語られるのかとなる
ただこの七年間は何をしてきたのか?
このことはプログでも書いてきた。毎日親の介護であり家事である。
これは求めてしたのもではなく強いられたのである。
毎日三食出すことや家事が介護が加わると結構な労働になる。
その間に病気にもなっても誰も助けるものもいず自分一人でなんとかしてきた。
今や介護も一つの労働となっている。昔は介護という仕事はなかった。
介護は金の面でもいろいろな面で無駄だというのもわかる。
介護という労働に何の意味があるのだろうかとなる
ただ介護も病人の看病の延長として介護というのが生まれた。
もともと看護と介護は一体なものとして切り離されずあった。
介護は確かに看病の延長としても高齢化になって生まれ仕事なのである。
どうしても90才になると体力の限界になり介護状態に陥る人が多いのである。
自力で自分のことができなくなるのである。
だからその労働は人助けになる。労働自体が人助けなのである。
そういう点からする労働自体に価値があるとなる。

七年間というと結構長い、なぜならその間ほとんど息抜きもできなかったからである。
家事と介護に休みはないのである。医者が休みをとりにくいのともにている。
それは奉仕的なものとしての仕事だから命にかかわる仕事だからそうなっている
ただその見返りとして医者の地位は高いし給料もいい、感謝もされるから仕事自体としての価値は現代では一番高いように思う。
それでNHKのクローズアップ現代で献体するものが増えたというとき医者に直してもらったことがあり献体で医療に役立ててもらいたいという人が増えたのである。
それだけ医者の仕事の価値は今では一番高いからそうなる。
医者とコンビニの店員を比べれば一目瞭然である。
コンビニの店員に感謝する人など一人もいない、店員の方が客にありがとうと感謝しているだけなのである。つまりそれだけコンビニの店員の仕事自体の価値は低いのである。
その価値の低さは時給で計られ安いことでもわかる。
こういう仕事は機械化されて消失しやすい、一部スーパーのレジが機械化していることでもわかる。
コンビニの店員より介護士の方の労働自体の価値はある。やはり感謝されることでわかるただまだ介護士という職業は看護師のように認知されていないのは高齢化で新しく生まれた仕事だからそうなっているのである。

結局人間は労働してみなければ労働の価値はわからない。何でも金を払えば買えるじゃないかとなる。でも買うものには労働して売られている。
その労働の結果としての商品のことが労働してみない限りわからないのである。
もし一つの物を生産してそれを売るとなると運ぶことが必要でありまた店に並べて売るとなる。
もしその過程を一人で労働してみたらその物の価値がわかるのである。
例えば外国旅行して買ったものをもってくるとなると運ぶだけでも苦労である。
するとその運んだものには価値があるとなる
そういう労働をしてみないと物の価値もわからないのである。

自分が家事とか介護して思ったことは一日でも三食用意してくれる旅館で休んでみたいとなる。お前は自由に旅行していたではないか?
確かに旅行はしていたけどそれはあくまでも旅であり温泉旅館とかで料理を楽しむ休息するのとは違う。
自分は宿はとまるだけの場であり料理を楽しむ所ではなかった。
だから料理は金がかかるから最低で外でしていたのである。
最低の料理しか食べていない、長く旅すると料理に金がかけられないのである。
ホテル代だけで日本は高くつくからである。
自転車旅行になると野宿だから宿は無料だったとなる。

つまり毎日三食用意して出していたらその食を出してくれ人に感謝の気持をもつということである。
料理してくれて出してくれる人の労働の価値がわかるということになる。
つまりこういう単純なことでも実際に労働してみないと価値がわからないのである。
「七年間自分は三食を作り出しつづけてきました、一回だけでもいいから三食出してもらい、のんびりしたいです、それをしてくれる人には感謝します」となる
これは別に旅館とかではない、誰かそうしてくれれば同じである。
今まではそう思ったことがなかったからである。
妻が死んだときそういうことを痛切に感じるのと同じである。
妻が死んで妻の家事の労働のありがたみがわかると同じである。

●労働とは誰のために働いているかも問題

ともかく資本主義の労働が労働倫理がありそれはキリスト教に基づいていたのである。
なぜイスラム圏に資本主義が根付かないのか民主主義と相いれないのかは宗教の相違によるということもあった。
イスラム教の倫理はまた別なものとしてありそれはそれの違った倫理観がある。
それをいちがいに否定はできないわけである。
日本でも義理人情だって日本的倫理観になるからである。
日本でもどこの国でもそうした倫理観は必ずあるから否定できないのである。
そうしたその国独自の倫理観があって外来の倫理もモラルも道徳も根付つくのである。
だから武士道とキリスト教は結びつけられたのである。

こうした資本主義の発生したときの倫理観の喪失はやがて深刻なものとなってゆく、実際にもうなっている。
つまり働くの馬鹿らしいという感覚である。泡銭のように金が入る人といくら働いても働いても安月給で時給しかもらえないとなるとなるべく働かない方が得だともなってしまうそしてもうけさせるのはブラック企業の幹部になり得しているのは公務員だとか俺たちはそういう人たちの奴隷にすぎないとなり労働意欲が減退して遂にみんな働かないとなってしまうかもしれない
現実にそういう働かない人が若者にも増えている,それが別な理由にしろ労働することが馬鹿らしいということが起きているのである。
要するに一体誰のために働いているのか、奉仕しているのか?
結局社会の支配的地位の人のために働かせられているという感覚が強くなった。
もし医者や看護師ならはやはり患者のために働いているという労働倫理かある。
介護士の場合は安月給で上役や他のものに金がゆくが実際現場で働く人には回らないという不満がある。

労働というとき誰のために働いているのかというのも問題になる。
社会のためだと言ってもわかりにくいし結局上の人のために働いているとてり馬鹿らしいともなる。
介護の仕事だって金持ちに使われるのは嫌だというとき金持ちだけが優遇されることの不満がある。
「俺は巨万の富を持ち主だ、金はやるから俺のために働け、奉仕しろ」
そういわれたとき金をもらっても働く気力がそがれる
金のためにしかたないんだよなとなることでモラルの荒廃をうむ
金の多寡とは違うところに本来の労働倫理があったからである。
ただそうはいっても常にこの世は矛盾である。
薬とか買えないとか医者にも行けず早死にした人もいる。
そうなると金がないから早く死んだとなるからどうしても金が欲しいとなる。
嫌でも金になる仕事をしている人ではこの世にはいくらでもいる。
修道院からはじまった資本主義ならそんなことありえないのである。
困った人たちを助けるために働いているのだから自分たちのために働かせるなどありえないわけである。

カルト宗教団体とか政治運動でも創価などはすべてが一票とるための活動であり誰のために活動しているのかとなると議員になる人とか幹部のために働いているとなるから馬鹿らしいと気付くだろう。それはどこの政党でも組織でも似たものである。
要するに中国でも格差が極端だから一体誰のために働いているのか?
共産党幹部が王様のようになりぜいたくさけるためなのかともなる。
そういうことは他にもある。大企業でもたいしたことをしないでもある年齢になると高額の給料をもらっていると若者は不満になる。
一体自分は誰のために働いているのかということがそこで問われているのである。
働くということはそもそも自分のために働いているのではない。
コンビニの店員でも買いに来る人のために働いているのである。
他者のためにサービスして金をもらっている。

働くが端を楽にするというときもそうである。それは苦労している身近な人を見て助けたいうのが働く動機だったのである。
自分が助けてもらえたもらいたいとき、事情があるにしろパチンコ屋で働くのが忙しい、パチンコ屋で遊ぶのが忙しい、他でも仕事かあるのでエステなのか知らないけどそんな人たちのためにサービスして自分のことは何に関心もなかったのである。
そして金だけは要求していた、自分の母親に一杯の水も出さないのに金だけは要求してきた。
それで義理の母を介護している嫁にも遺産を分けるべきだというときそれだけの労働をしたのに他の兄弟はしていないのにすべての権利があるのかとなる。
何かしら労働したとき権利が生まれているのである。
だからこの点は法律も変えるべきなのである。


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台風の風で藤の花散る (台風の風に地震とまだ不穏な状態がつづく)


台風の風で藤の花散る

(台風の風に地震とまだ不穏な状態がつづく)


 
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風荒く藤の花散るここにあれ穏やかなるはしばしの間かな

白藤のかそけく散りぬ我が家やかたえに咲くはしのぶれどかな



台風の風で藤の花は散った。今朝は地震だった。それもかなり大きかった。
体感的にはこの辺は震度4に感じた。
それが不気味だったのは3・11と同じゆれ方だったから怖かった。
他の人もそのことを言っていたから体感的には怖いものだった
震度はあくまでも目安であり隣合う市町村でも違っている。
震度より体感の方が正しかったということが3・11では言われた。
田から震度という数字だけでは地震は計れないのである。

今日は夏である。今年は夏が早いのである。
台風もすでに6個とか発生している。
やはり温暖化の影響なのか?
とにかく公園の藤の花の下に休んでいたのは二日くらいだった。
これもたちまち散ってしまった。
花は散るのが早い、一時咲いて散ってゆく
藤の花だとまだ長く咲くように思っていた。
だからこんなに早く散るのかと思った。
穏やかに藤が垂れていたのは短かった。
たちまち嵐が来て散ってしまった。

何かこの七年間はそういうことが一身上でもつづいた。
変わりやすいのである。
穏やかに藤の花が垂れて咲いているなと思ったらたちまち散ってしまった。
昨日は近くの同じ年の人が死んで驚いた。
晩年になれば同世代の人が次々に死んでゆくからその人について考えることもできなくなる
あの人はテレビに出ていたなと思ってもすぐ死んで忘れる
今有名な人もほとんど忘れられると思う。
だから50年後とかにまだ何でも作家でも名前でも作品でも忘れられないのはそれだけの価値があったとなる
死んでから50年後に今有名でもほとんど名前が残っていないからである。
マスコミで名前を売ったような人はほとんど残らないと思う。
テレビとか新聞とかすでに文化はなく大衆用の娯楽でしかないのである。
だから質も相当に落ちている。

ともかくプログはその時その時のリアルタイムの報告である。
だから俳句とか短歌は向いている。
ただ俳句は短すぎて文学として成り立たなくなっているかもしれない
その点短歌はまだ長いから表現として文学として継続される
どうしても短歌の方が出すのが多くなることでもわかる。
短歌にはそれだけ表現する余地が残されているからである。

「しのぶれど」という薔薇の花の命名は良かった。
百人一首からとった、こんな名前にするのも薔薇だからだろう。
薔薇は交配して新種の薔薇が作られ種類も多いからである。
でもこの名前つけた人はセンスがあった。
しのぶれどというとき別に恋だけには限らない
忍ぶ花ということにもなる。
花の見方はいろいろある。一つに固定はできないのである。


2015年05月12日

文目の似合う町 日常の景色にも見いだすものがある


文目の似合う町

日常の景色にも見いだすものがある

 
新緑や少年未来へ走るかな

隣家の庭に牡丹や真昼間の光をあびて誇らかに咲く
公園の隅に見つけぬ花一つ都忘れやここに咲くかな
今日もまた公園の藤垂れにけりその下に一人我が休むかな
街中の畑に菖蒲咲きにつつ今日も裏道通りけるかな
白菖蒲ここに咲きにつ誰か住むもの言ふことなく通りすぎにき
街角に文目の咲くやこの町のものさみしかな人行くまれに
こぞにあれ話せし人の今日死ぬと驚きにけり春は終えなむ
一本の欅の高く新緑の風にそよぎて燕飛び交ふ
街中にそちこち赤しチューリップ今日も用あり街をめぐりぬ
厚寿園に母はとまりぬ近くなれ文目の咲くやここに住むかな

田舎というとき東京からすれば十万の都市でも20万でも仙台でも田舎になってしまう。一万の町に住んでいれば4万くらいでもそれは大きいとなる。
今はここにスーパーが一軒しかないしここですべてまかなえない
医者は二軒しかないしこれも何か使えない、めんどうな病気になると使えない
ともかくこのて7年間は自分は本当にこの小さな町を行ったり来たりしているだけである介護していると三食出すことでも時間がとられる。
朝食の容易だ昼食だ夜だとなるだけで相当な時間がとられる、負担になるのだ。
例え介護度が低くてもその手間がかかる。
だから在宅と誰かかかりきりになるからその手間が負担になる
施設だったら十人を一人でみるとかなるがそれだけ手間をはぶくことができる
介護は何かいろいろと手間のかかるものなのである。
近くに施設ができたからこれは良かった。
これは遠いと何か安心かないとなる

意外と老後は近くのものが何でも大事になる。
それで原町の人が来るにも車で来ると手間だからしょっちゅうは来れないのである
「遠くの親戚より近くの他人」が今でも現実だった。
その遠くとは車社会でも隣の市でもそうなのである。
車で来ても手間になる。だからコンパクトシティというとき介護になると施設にまとめてめんどうみるとか街に集めてめんどうみるというのがいいのである。
それで仮設暮らしでわかったことはあのように長屋形式で暮らしていた方が老人にはいいという面があった。
毎日親しく顔合わせて暮らしているから老人にはいいとなる
プライバシーの問題があるにしろもうなれてかえっていいと言っていたのでわかった。
街内に住んでいても車で一軒一軒を回るのは手間になる。
ところが仮設だと歩いて回れるのである。

インフラの整備でも水道でも電気でも他でもまとまって住むと手間がはぶかれるのである田舎では田畑を作る関係で広く散在していたからやむをえないことがあった
ところが老後はみんな集まって住むと世話する方では楽だとなる
仮設に住んでいる人は互いに交流しやすいということもあった。
ただ仮設はあくまでも仮設であり生活がそこにはない
老後の生活をどうするかということのヒントが生まれたことは確かである。
相馬市では長屋風の建物で一人暮らしの老人が住んでいるのも一つの老後の暮らし方である。
老後の一人暮らしは負担になる。
自分も風呂が地震で壊れたので今は街中の福祉の湯に入っている。
一人だけだと何か金もかかるからめんどうになるのである。

中学生が走っている、新緑の季節である。少年は未来に向かって走っている
反面昨日は同じ年の人が死んだ。その人とは二年前だったか一回話しただけだった。
自分の病気のことを言っていたがその後その人が癌になったとは思えなかった。
おそらくその時は何でもなかったのだろう。
ただそうして一回話しただけでも同じ年の人が死ぬということは驚きである。
死は突然にくる、老化も突然に来る、髪でも真っ白になってしまっている。
それは突然になったように思うのである。
人間はあっというまに老いて死んでしまう。
田舎ではそうして人が死ぬことが最大関心事になる。
だから沖縄の新聞が成り立っているのは死亡記事欄があるからだという
死亡を知るのが新聞でありそれで新聞社が成り立っている
今でも香典の費用がかかって困っているというのが田舎である。

どんな田舎でも町でも市でも長年住めば都となり親しむことになる。
一万の町でも一応そこで別に町内だったら車がなくても暮らせるのである。
隣の家の庭には塀がないから牡丹が丸見えである。
その牡丹に真昼間の光さしてまぶしい
花を見るのは別に金はかからない、隣の家の花でも無料なのである。
高い塀で防御すると庭も見えない
何かそれは安心が得られない街なのである
格差が大きくなるとそうなる。
太宰の生家の斜陽館がそうだった、高い煉瓦の塀は小作からの訴訟があり
襲われるという恐怖があって作られていたのである。
公園の花でもそうである。そちこちに咲いている花もそうである
一万の町だと文目とか咲き何か落ち着く、静まりかえっているとなる

文目(あやめ)と菖蒲は違っている。
どちらもあやめだが文目は花が小さい、菖蒲は大きいのである。
自分が見たのは文目の方である。


タグ:あやめ

2015年05月11日

同じ年の人が近くで癌で死亡 (癌が増えていることの恐怖)


同じ年の人が近くで癌で死亡

(癌が増えていることの恐怖)


そもそも日本人と欧米人は体質が異なるので、同じ食事を摂っていても、日本人のほうが糖尿病になる確率が高い。糖尿病になると、インスリンというホルモンの血中濃度が高まりますが、これにはがん細胞の増殖を促す作用があり、発がんリスクが2割ほど高まることがわかっています」(前出・中川医師)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/40436?page=3

二年前だったかその人と話した。前の家の人と三人で話した。その時自分が病気で入院してひどいめにあったことを言った。
その人はその時は病気ではなかった。まだ癌に気付いていなかったのだろう。
その人が今日死んだと聞いて驚いた。
癌で医者に通っていたから突然ではなかった。医者嫌いで病院に行かないということも言っていた。
癌で死ぬ人は日本人で明らかに増えている。
高齢化もありそのためにふえたというが50代60代でも相当に増えていると思う。
最近50代の近くの人が癌だと聞いた。
でもその人も普通に仕事しているかとても癌になったとは思えないのである。
ただ癌でもいろいろあるからわからない、体の場所によって悪質なものとないものがある膵臓癌とかは最悪で確実に転移して死にいたると言われている。
自分も癌の検査をしたが癌ではなかった。
でも癌になった人は患部を全部切除している。その人も60代であった。
ただこれは切除すれば直るものらしい、患部によっては悪質であり直らないのが癌である。


癌の恐怖は中学生の時体験している。父親が肺ガンで死んだからである。
それ以来自分は死の恐怖にとりつかれた。
それで宗教を探求するようになった。宗教の道に入ることは病気が原因なことが多い。
病気が深刻だからそうなる。自分が病気でなかったが死というのは最大の恐怖であった。癌はまた苦しんで死ぬのも悲惨である。
癌は患部が増殖したまま焼けないで残っている。
それが癌の恐ろしさを如実に示していた。野辺送りで埋葬していたから自分はその焼けない癌を見たのである。
その頃まだ外で薪を積んで焼いていたのだから今になると驚くがその頃はみんなそうだった。
火葬場で焼くようになったのは戦後十数年たってからだった。
それまで火葬は外で薪を積んでしていた。それは今もインドではしている。
そういうふうにして人間は焼いていたのである。
これほど無情な光景はなかった。
人間には生きるということは驚くべきことである。
その最大の恐怖と驚きが死なのである。
津波でも多くの人が死んだがこれも驚くべき光景だった。
もちろん戦争で死んだ人たちもいたから常に人間が生きていれば死に直面する
ただ一時に多数の人が死ぬということが違っていた。
その時死は日常であり死ぬの当たり前であり生きているのが不思議だとなっていた。
そういう感覚もその時代に生きてみないと実感できないのである。

いづれにしろ癌が増えているというときなぜなのか?
高齢化で増えているというだけではない、それは日本人の食生活が変わったためだというのは本当だろう。
外国人の体質は日本人と違って肉を消化する酵素が出るというのもそうである。
人間にそんな違いあるのかというとき肉食民族は肉を食うための体に作られてきたのである。
日本人が穀物を食べるから腸が長くなったのと同じである。
日本人の体質は肉食に向いていないのである。
肉を消化する酵素が出ないのだから肉を良く消化できないのである。
牛のように穀物類を腸を長くして消化するように長い年月で作られてきたからである。
だからなんでもこうして人間は風土と一体化して作られた文化的存在なのである。
原発でも日本の風土に適さないものだった。地震国であり津波もあったからである
アメリカの指導で最初作られたのでアメリカで竜巻を恐れていて地下に電源を置いたが日本ではそれは通用しなかったのも同じである。
こうした風土とか文化の相違を無視すると何でも災いが生まれてくる。
グローバル化というのはそうした風土とか文化を無視して単一化した価値観をおしつけるから危険なのである。
それはアメリカの一国支配の横暴にもよっているのである。

人間の体も地が血であるようにその土地から植物のように作られているのだろう。
その住む土地から離れて人間もないのである。
だからその風土の制約からいくら科学技術が発達しても離れられない
それは宿命的なものである。それを無視すると災いが起きる
日本人は明治維新後あらゆる面で欧米化を制限なくしてきた
食生活でもそうでありそれが今になって災いになってきた。
日本人は何でも取り入れて豚でも牛でも鶏でも食べすぎるのである
それは欧米人は肉食民族だから体が肉食に適応するようになっていた。
日本人は肉食民族ではないからそうした体になっていなかった
そして癌がふえたのはそういう日本の風土に適した古来からつづいた食生活をしなかったからである。
肉とか乳製品のチーズとかあらゆるものを食べすぎてるのである。
野菜と魚と穀物類を主体にして肉類は極力さけるものだった。
もちろん江戸時代は栄養失調で目が見えない人が一割くらいいたというから
江戸時代の食生活はいいとはならない
外国から入るのものが何でも悪いともならない
ただ日本に適したように取捨選択が必要だったのである。
日本では宦官制度を入れないとか外国文化を入れるときは取捨選択していたのである。

明治維新後はあらゆるものを取捨選択なしで入れてしまった。
結果として日本の文化が破壊されて日本人とは何かさえわからない
日本を建て直すにはやはり日本古来からつづいたものを伝統は見直すことなのである。
だからといってキリスト教が悪いとか外国の文化でも宗教でも何でも否定することではない
いいものは取り入れ悪いものは取り入れないということである。
明治維新とは復古でありもともとあった日本人の精神の復活だったのである。
でも全くあらゆる面で欧米化したものとなり日本の文化は破壊されてしまったのである。
いづれにしろ60代以降は健康が最大の問題である。
あんなにあっけなく死んだら巨万の富があっても何にもならなかったとなる
もちろんその人は金持ちでない普通の人だからそんなことはない
ただ同じ年で癌で死んだということはショックだった。
自分も病気になったからいかに60代以降は健康が大事かということである。
少なくとも自分はあと十年は元気でいたい。
そうすればなんとか仕事が作品が成就するだろう。
同じ病気の人が十年生きているから他の病気にならないなら生きているだろう。
それでも人間はいつ死ぬかは百歳になってもわからないものだと思った。
癌で死んだ人の義理の母親は今も施設で生きている
義理の子供でも今では子供の方が早く死ぬということも超高齢化社会で起きているのである。
なぜなら60代で一割の人間はすでに死んでいるからである。
そういうことが起きても不思議ではないのである。



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2015年05月10日

藤の花の章(白藤の詩)


藤の花の章(白藤の詩)

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白藤の花

白々と幽けく
穏やかに垂れて咲く
触るるもこばむ
風にかそかにゆれ
あるとしもなく
そこにありぬ
猫の性にも似にしや
わずらわしきことに
かかわることをこばむ
夕日のさして
幽かに冷たく月や光りぬ
白々と幽けく
穏やかに垂れて咲く
誰か待ちしや
騒がざるべし
我が家に置きて
都忘れの花をそわせぬ

幽玄の美というと白藤なのか?柳などもなにか似ている。
人間には性格がある。自分は母親と似ている。
自分の母親は今は毎日寝ているけどカーテンをしめきって外を見ることもない、
庭には花が咲いているしそんな暗い所にいるのは普通嫌である。
でもそういうところに一日誰とも話さずいる
話すこともできないのだけど普通のとき前からそうだったのである。百歳になったからというのではなく前からそういう性格だったのである。
人づきあいが苦手な性格である。
自分も何か人と会ったり話するだけでひどく疲れるのである。
一日一人切りでいた方が心が落ち着くのである。
自分も修道院のような所が向いていた。
ただそこも集団生活だから実際は向いていないとなる

花にはいろいろある。花はずいぶん見てきた。たまたま白藤の鉢を家に飾り都忘れの花を置いたらふさわしいと思った。
生け花でもフラワーアレンジメントでも花を適当に合わせるとできる。
要するにたいがい花と花はそれぞれの個性がありただ一緒に活けただけで調和するのである。
だから意外とフラワーアレンジメントは簡単だとなと思った。
生け花は作法とか型があるがフラワーアレンジメントにはないからである。
桜の次には藤とか菖蒲とか季節とともに移りゆく花がある。
それは日本の文化となった花であり野生の花とも違っている。
藤の花は別に山にいくらでも咲いている。
でも文化としてその花は山に咲くのとは違う
すでに藤原京とかにもないるし藤壺とか源氏物語にもでている。
藤にはすでに万葉集時代から人間化した文化となった花である。

藤というのも不思議な花だと思う。
「藤と猫」があっていると思って検索したらその絵がでてきたのでインターネットはそうして関連あるものを引き出すのに向いている。
猫は何か藤とあっている。猫も何か神秘的なのである。
犬とはまるっきり違った性格である。
自分は明らかに猫の性格である。何か人嫌いなのである。
石の詩を百編書いたというのもそうである。
石とか猫とか藤の花は何かにかよっているのだ。
日本的な花はやはり桜とか藤とか菖蒲とか萩とか桔梗とかある。
それらは日本の歴史と風土として文化となったものである。
最近桜だけではない外国人の観光客が藤に注目していることでもわかる
日本のような藤の花は確かにあっても外国のとは違う。
菖蒲でもジャーマンアイリスとかあるがまるで違っているのだ。

京都の迎賓館に藤の間とかあるのもいい、花を部屋の名前にしているのも外国ではないかせしれない。藤の間というだけで何か落ち着くだろう。
そこで茶を飲むというのもいい、それが日本の文化である。

藤の間に茶の味しみぬ京都かな

ただ別に京都だからといってすべていいとはならない、京都はやはり大都会なのである。だから情緒もかなり失われている。外国人でも観光客がふえると何か静かな古都という感じもなくなるのである。
そういう文化的なものは地方都市が向いている。
弘前が喫茶店の街だというとそうだった。あのくらいの規模の都市が今は文化をはぐくむ4,5万では文化は育たないだろう。10万以上ないと今は文化都市にはなれない。
啄木とか賢治が育ったのは盛岡があったからである。
この辺だと仙台になるのだがあそこは自然景観としてはぱっとしないのである。
どうしても独立峰がある岩手山がある盛岡とか岩木山がある弘前が文化都市にふさわしい


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2015年05月09日

藤の花と五本松 (相馬市の道の駅から日立木の街道)


藤の花と五本松

 
(相馬市の道の駅から日立木の街道)


 
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神社の墓地の公園の藤もいい
あそこには復興団地ができたから何か都市の公園の感じになった
でもいつも人はあまりいないが増えたことは確かである。




道の駅曲がり屋風や藤の花
藤の花今日も暮れゆく五本松
五本松変わらぬものや藤に松
街道の松影なして藤の花
釣人の今日もありしや藤写る

街中にそちこち赤しチューリップ今日も用あり街をめぐり
公園に昼間人なく藤の花白つつじにそ映えて垂れしも
影なしてこの細道に藤の花風にそよゆれ夕ぐるるかも



今年は夏が早い、ここのところ一週間は夏だった。夏になると家にいたくない。
だから毎日相馬市の道の駅まで自転車で行っていた。
あそこまでは自転車でも行きやすい散歩コースになる。
そこから相馬市になると遠くなる。相馬市までは15キロはある。
自転車だと5キロが遠くなる。
ここから5キロで温泉があると表示がでていても往復10キロになるから遠いと思い行かなかった。
結局自転車は疲れるからそうなるのである。

草臥れて宿かる頃や藤の花 (芭蕉)

これが江戸時代の歩くときの感覚である。自転車だと違っているがやはりそうした人間の体感としての感覚が残る。車ではそうした体で感じる実感が消失する。
特にこの辺はとにかく除染とかトラックが多くなった。
沖縄のナンバーは見ていないが最近大分とか宮崎を見ている。
富士山というナンバーはめずらしいと思った。静岡県だった。
毎日高い所で富士山を見ているというからうらやましいと思った。
まずこの辺で欠けているのは高い山だからである。
トラックが多いと事故も起こりやすい、危険である。
絶えずトラックがどこでも通るから危険である。
だからなんか情緒にこだわるといいものではない
ただ外部からの人が多いから経済的には今はこの辺はいいのである。


花にもいろいろあり自分は高山植物も見てきたし北海道では寒いから高山植物が平地で咲いている。ハクサンチドリとかも咲いていたのには驚いた。宗谷岬であった。
檜扇菖蒲なども咲いていた。花を見るには北海道がいい。
北海道には十回も梅雨の時期に行っていたから恵まれていたなと思う。
勤め人は連休しかそういう長い休暇はとれないからである。
旅は一日二日でできるものではない、本当は道は未知であり道が別れていたら気ままに道を選びどこまでも行くのが旅だったのである。
今は道は決められているしどこに行くかも決まっているから旅はなくなった。
そういう旅をするとなると大変な労力と時間と金すらかかるのである。
ただ思い出に残るたびはそういう旅なのであり江戸時代は不便でもそういう旅をしていたのである。

花にもいろいろあってチューリップとかバラは街の花である。
毎日買い物でありこれが意外と時間をくうし一仕事なのである。
それだけ今は買うことで生活しているからである。
何で毎日こんなに買うものがあるんだとなる
だから金もかかるから今は金にも追われている
三食用意するだけでも介護もしているから時間に追われるのである。

相馬市の道の駅への道の五本松はいい、五本が残っていることがめずらしい。
なぜあそこがいいのかとなるとやはり単に人も住んでいないところにあるのとは違う、日立木とかの街道沿いの村があり松並木があり田んぼが広がり城に通じている。
そうした実際は自然のままではない日本人の営みとして作られた光景だからである。
鹿島から川子の五本松もあったがあそこはそうした風景がないし松も残っていないのである。
この辺で特に感じたのは津波とか原発事故で変わり過ぎたのである。
だから変わらないものがいいとつくづく思うようになった。
若いときは変化を求めるが老人になると変化しない方がいいのである。
だから亜五本松を見ると心落ち着くのである。
あそこに行く途中に溜池で今は釣りしている人がいるのもいい
水辺に藤は写っている。
日本の景色は田んぼとか街道の松とかで自然そのものではない作られた風景であり
それが日本人の原風景となっていた。
だからソーラーパネルとか多くなったが風車などでも景観を乱すから嫌なのである。
東京などは学生時代に住んで嫌になった。
その後も自分は性格的に都会向きではない、人間関係は都会的なものを意外と求めているが環境は田舎の方がいいのである。
ただ都会も必要でありそのバランスがかたよると住みにくくなるのだ。





2015年05月08日

青森県の地名の謎 (ツガルとはツノガノアラシトか?)


青森県の地名の謎

(ツガルとはツノガノアラシトか?)

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新幹線で行くと地名でも極限られたものしか頭に残らない、二戸(にのへ)というのが何か心に残った。八戸の前に二戸があった。
一戸二戸三戸・・・・・九戸がある。
これは必ずしも青森の最先端へ行く順序ではない、ただ何か順番がありそれに意味がある古代からのものなのか蝦夷征服の柵を意味しているのか不明である。
ただヘとつくのは日本語である。へは辺でありヘリとかへるのへなのである。
へっぴりごしとか言うのもそうである。屁(へ)もそうである。あまり感じのいい言葉ではない

「山川を中にへなりて遠くとも心を近く思ほせ我妹(わぎも)」〈万・三七六四〉

へなるはへだたるである。

辺野古や野辺路もへがついている。場所でも辺野古は山原のジャングルをぬけた所にある町であり沖縄でも縁(へり)の場所である。その先は山原でありジャングルである。
野辺路も何か冬に行って沖に一艘の貨物船を見た。江戸時代は港として栄えていたか今は雪に埋もれてさびれていた。
青森は蝦夷との関係で地名もアイヌ語由来が多いとか言われる。ナイとかベツは川の意味でありそういう地名が多いというがそれも明確ではない、地名からそうした歴史を解きあかすことは危険なのである。地名はとにかく自分でもそうだが勝手に解釈しやすいからである。
むしろ大和言葉の古語が青森県と沖縄に化石のように残っていることの不思議である。
古いものがかえって辺境に保存されるということがある。
青森は海から森が望まれたから名づけられたというとき海からの視点で名付けられていた。
それは航海の民が名付けたとなる。青森というのはわからないにしても海からの視点で港として全体がある。
青森県の地理的特異性は周りを日本海であり津軽海峡であり下北は太平洋に接しいてる。
県全体が海に接しているからめずらしい県だと思った。
東北では青森だけが日本海と太平洋に接しているから特別なのである。
そこで日本海貿易があり北海道の繫ぎの場所であり太平洋にも接しいるから貿易で栄えるという地理的特性が古代からも縄文時代からもあった所なのである。


津軽鉄道の深野田という駅の名もフコウダと言っていたから南相馬市の原町区の深野もフコウノであり同じ地名の名付け方なのである。大阪にその元がありそこから地名が伝播した。それが青森の津軽に伝播しているのもなんらか共通の文化をもった人たちが移動したからそうした名付け方をしている。

蝦夷の種類を説いて云はく、類に三種あり近きを熟蝦夷ニギエゾ、次を麁蝦夷アラエゾ、遠きを都加留ツガルと

ツガルとは何なのか?これはツノガノアラシトがなまったものではないか?ツガルはツノガである。これを言うのは津波で神社のことが話題になったけど津波に関する神社はほとんどない、津神社となっていたのはツノ神社でありその元をたどればツノガノアラシトなのである。渡来人の製鉄の神なのである。
蝦夷とは何かとなると未だに不明である。それはただ大和王権に逆らって者達のことでありそれ以上のことがわからないのである。
一般的に言われるのは物部氏が仏教移入派に敗れて東北の方に逃れてきて渡来人と一体となり抵抗したという説である。物部氏と渡来人と蝦夷が一体化したのが大和王権に逆らったのである。
その中にツノガノアラシトの一団がいた。逃れてきたかや国の一団もいた。
それは日本の国造りの初期に産鉄族として技術者集団として日本の国造りにかかわった。
そこにはすでに渡来人が日本に根づいて生活して日本人化して日本原住民の蝦夷と一体化していた。そのツノガノアラシトの一団がこの最果てのツガルのに逃れてきて住んだのである。真野の草原(かやはら)の万葉の歌も真野の伽耶(かや)であり伽耶国の人が住んだからそうなった。
それが後に隠されて不明になったのである。
秋田にしろ物部一族の痕跡の強い場所であり物部と渡来人が古代には一体化していたのである。

敦賀郡津守郷

外からの渡来人や文化に関しては、ツヌガアラシト(都怒我阿羅斯等、またの名は于斯岐阿利叱智干岐)の渡来説話がある。かれは、意富加羅国の王子で、初め穴門(長門国西南部)に至り、そこから北つ海から廻って出雲国を経て、角鹿(敦賀)に着いたという


ここの津軽はツガルは日本海回りでツノガノアラシトの一団が来ていたのである。
敦賀からはここは近いからこれは間違いないだろう。
ツガルというとき何か違和感を覚える、一体何を意味しているのだろとうなる。
ツガルはツノガノアラシトのツノガがツルガになったである
実際に敦賀(ツルガ)がツノガに由来しているのだから有力な証拠になるのである。
十三湖は日本海や対岸のツングース族とか住んでいて北の広範囲な貿易拠点だった。
越(こし)も古志神社とかありコシとつくのは中国から移動してきた国の名とかあり
日本海側は渤海でもそうだが入りやすい場所である。
今でも北朝鮮から船で脱出して流れ着いたりしているからである。
それだけ近い距離にあるためである。
最初は日本海から安倍氏などが船で来ていたのだから今は辺境でもツガルの方が古代では開けていたということもある。
そこは蝦夷はまだ大和王権にとっては物部氏などがいたとしたらまだ通じるものがあったツガルは大和王権も通じない北方系の渡来人達が住んでいたのだろう。
蝦夷といってもツガルが別個にありそれは蝦夷であっても独立国のようになっていた。
それは早くから貿易が行われていたからだろう。


三内丸山遺跡からは「交易品」の、ヒスイ製の玉類、黒曜石製の矢じり、コハク原石、アスファルトが付着した矢じり、イモガイをまねた土製品などが発見されています。これらの貴石や貴重品はそれぞれの地域の特産品であり、はるばる日本海を丸木舟でわたってこの地に運ばれてきたものです。
http://www14.plala.or.jp/bunarinn/plala/daieryAA/daiery/encarta/harukanarutabi/sannai/sannai.html

渤海の使節を乗せた船は、ロシアの沿海地方を出発し、冬の季節風にのって日本海を一気に横断、今の秋田県から山口県にいたる日本海側の各地の岸に着きました

太平洋は荒い海だけど日本海は早くから交易の海だった。北前船も日本海回りであった。歴史はとにかく地理の理解が不可欠なのである。
それが青森についてもわかりにくい、福島県も広いからわかりにくいのである。
地理は何回も直接にその地を踏まないとわからないのである。
弘前は一回行ったにしろその他は津軽は行っていないから津軽平野は広いと思った。
そこには日本海から十三湖に西風が吹いていた。だから太平洋から吹く東風とは反対の風だったのである。あの風が吹きつけたので津軽の荒寥さを地の果てなる地を感じたのである。

2015年05月07日

なぜ人は老化するとぼけるのか? (認知症の原因は社会での家族での役割喪失?)


なぜ人は老化するとぼけるのか?

(認知症の原因は社会での家族での役割喪失?)


●認知症の症状は千差万別

人間はなぜボケるのか、認知症になるのかというとそれは老化してゆくと誰でもなるもので病気とは認識していなかった。
しかしボケは明らかな病気であり老化とは違っていた。
それは混同しやすいものだったのである。

認知症の一番特徴的なことは海馬の機能が失い直前のことを全く忘れることである。
それで何かなくすことがある、サイフを置いたことを忘れる
するとパニックになり一番身近にいる人に疑う、「お前盗ったんだろう」と激怒して暴力になることもある。
それは実際狂気の現象だから怖いのである。相手が激情的で気が強いと余計に怖いのである。そういう恐怖を嫌というほど自分は受けてきた。
考えてみるとなぜサイフを隠したりいろんなものを変な場所に隠すのかというのも認知症の不思議だった。
サイフは誰かに盗られないように隠すのは普通の人でもするからわかる。
その隠した場所がわからなくなりあとでパニックになる。
それは普通の人にも起こるから推察できる。ただくだらないものを隠す心理はわかりにくい。
たいがい九〇以上になると半分は認知症になる。もう百歳になったらほとんどの人が認知症になっている

ただ不思議なのは自分の母はものすごく金にこだわる人だった。
駄菓子屋で店で働いていたので一円にこだわる人だったのである。
だからボケるまでは金にこだわる人だった
全く金のことがわかなくなった。大金を実際に盗られても笑っていた不思議である。
金のことがわからなくなっていたのである。
これも不思議なの現象である。一方で姉の方は銀行に自分の金をおろすことができなくなっていたが自分の金を盗ったとか金にこだわっていたのである。
ただ自分に金があってもその金をおろすことも何することもできなくなっていたのである金が大事であるということはわかっていたから金にこだわっていた。
一方は金に無頓着になってしまった。これは性格的なものがあったのだろう。
認知症はその人の性格は出やすいのである。
母はもともとおとなしい性格であったから認知症になっても穏やかなかもしれない。
症状としては入れ歯をよく忘れるがパニックにはならない
これはやはり認知症の典型的な症状なのである。
ただそこでパニックになるかはどうかは性格的なものであったのだろう。
だから認知症はその人の症状が違ってくるのである。

●社会的家族での役割喪失が原因

「集団に寄与できなくなると命を終わる」ということの二つです
「自分の健康」より「社会に貢献する」ことに重点を置く「健康法」を編み出すのが良いと思います。
(平成27年4月29日)武田邦彦 (中部大学)

この話は興味深かった。なぜボケるのかとか認知症になるのかということを前に追及してきた。
認知症の原因は何なのか?それは実際は謎である。
ただ記憶の機能が失って症状がでることは確かである。
それは直前のことを忘れるということで海馬の機能が失うためだとなる。
そこから脳全体に波及して痴呆症になる
でも知的障害者と違うのは何かなお人間としてありつづける
またはありつづけようとしていることである。
だから馬鹿にされると異常に怒る
馬鹿にされることがわかるのである。
母親であり父親であり姉であり年上であり会社に勤めていたら部長であり社長であることにこだわるようになる
それでボケても母は母であり親は親であり部長は部長であり社長は社長である。
それで施設で介護士が部下の役割をして機嫌をとっているとボケた人も気分が良くなり症状が落ち着くというのもそのためでてある。
そして認知症の人は時々正気になるという不思議がある。
特に死ぬ前に正気になるというのは本当だった。
姉も死ぬ前に正気になりその後全く無意識となりわからなくなり死んだのである。
これも認知症の不思議な症状だったのである。

なぜ自分の姉が認知症になったのか?
あれほど優秀な人間がなったのか?、それは他でもそういうことがある
優秀な人でも認知症になる。
でも姉は看護婦であり役場で保健婦をしていて最後は事務の方に回った。
そして60前で早めに退職してしまった
その後家でも家事をする人がいたから何もしなくなったのである。
趣味をしていたけどそれはたいしたものではなく姉にはあっていなかった。
ただ付き合いでしていたのである。
その時どういうことが起きていたのか自分にはわからなかった。
家族での役割がなくなっていた
社会で役割がなくなっていた

この二つが同時に起こっていた。そしていつしか社会からも忘れられた存在になっていた趣味でもそれが本物の趣味なら違う。写真などでも今はプロ並の人がいるしそれは相当に訓練を積んでいる、俳句なんかも退職してからはじめられるが早めにしていないとうまくならないだろう。
つまり普通の人は天才でない人は何でも積み重ねなのである。
積み重ねたものが何でも老人になって実るのである。
別にそれは才能でも何でもない、積み重ねなのである。
四季の感覚を磨くというときそれは俳句に不可欠であり年々感じるものがあって日本の季節感を会得するのである。
だから退職してから始めて実るものは趣味でも何でも普通はないのである。
積み重ねたものだからその積み重ねを退職してから一からははじめられいなのである。

結局武田氏が言うように動物ははぐれ猿が集団の役割がなくなり早死にするとかも動物でさえ集団の社会の役割が喪失するとき早死にするというのは社会的種的本能に生きるものだからそうなる。
ただ人間の役割は社会的に有用だというとき、社会的有用というのは何なのかわからない、会社に勤めていれば有用かといえばそれだけで有用ともならない
社会からはみだしたはぐれ猿ならぬ人間でも有用なことはありえるし人間の価値はあまりにも多様だから決められないのである。
例えば戦争のとき一番有用なのは一番非情な残酷な人間が価値あるともなる。
むしろ現実社会で有用で価値あるとされるものが有用で価値あるとは限らないのである。かえって官僚であれ政治かであれ企業であれ社会に様々な害悪をもたらすものともなる。原発などはその例である。社会で有用である人たちが害悪を作りだしたのである。
それで荘子の「無用の用」という思想も生まれたのである。

●認知症は役割がなくなった人、無役となった人?

人間が用がなくなるというとき、社会的に用がなくなるということではない
ただ一般的になんらか社会に用がある、機能しているときボケの予防になるということは言える。
workというとき作品という意味があり作品をしあげること、もう一つは機能する何か機械でも働く作用する、社会でも機能しているというとき人間もボケないとなる。
会社を退職するとそうした社会的機能役割が喪失するworkingしないことがボケに通じることは一般的に言える。
社会的無用化するとき社会的死でありそれは社会から消えてしまうのである。
社会で無用化しても家族で役割があれば別である。
でも嫁に「おばあちゃんはなにもしなくてもいいんですよ、テレビでも見ていてください」とか言われる人はぼけるというのは家族での役割がなくなるからである。
一見いいように見えてそうではなかった。
料理でも家事でもしていれば家族でworkingししているからボケにくいとなる
自分の姉は社会で有能であっても社会で役割がなくなり家族で役割がなくなっていたのである。
そして認知症になり迷惑をかけて死んだのである。
そして最後まで死ぬまで「自分は優秀だった」と言って死んだ。
実際に退職する前は優秀だったが退職してからは社会でも無用となり家族でも役割がなくなっていたのである。
こういうことがホケに通うじている。

不思議なのは例えは家族で介護している人とか知的障害者をかかえて何らか世話している人はボケないという
それはなぜか?心身ともその世話に費やされるからそのために心身がworkingするからボケないというのも皮肉である。
だから退職して何もしたくない、ゲートボールだとかカラオケだとかしている人か趣味でもプロの粋に達していないようなものは危険である。
それは若いときからの積み重ねがないとできないのである。
ともかく役割がないということは社会的死であり社会から生きながら消失することなのである。
だから奇妙なのは悪い政治家でも現役をつづけている人はボケないというのも社会的役割が以前としてもっているから機能してworkingしているからだともなる
悪役という役を演じつづけているからだという奇妙なことになる
ボケという観点から見ればそうなるのも奇妙なのである。

何の役もなくなる人が最悪のボケ、認知症になるというのも不思議なのである。
これは認知症という観点から人生を見た場合そうなるということである。
最後に認知症になることはいくらそれまで社会的に有能でも馬鹿になったということだからその功績すら無になるということがあるから怖いのである。
最後まで正気で生きていたらその人は普通の人でも認知症になった人より優秀だったとなってしまうのである。
そういう人を見ているからこの人は優秀ではなかったけど最後まで正気だったから偉かったなと見たからである。
優秀だと優秀でないとかこうして最後まで見ないとわからないのである。
ある人は優秀出されたが事業をして失敗したから最後は優秀だとは言えなかったとなる。人間は最後までみないとつくづく評価できないしわからないとなる。






タグ:認知症
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2015年05月06日

体育系でないと勤まらない看護師 (病人や介護する人に気力が奪われる仕事)


体育系でないと勤まらない看護師


(病人や介護する人に気力が奪われる仕事)


●医者や看護師への要求が大きすぎるのも問題

看護学校ってなんで体育会系なんですか?女ばっかりなのに。
前から不思議です。
看護学生の行う朝、昼、晩の挨拶は軍隊式だし
教育というよりは調教、制裁的指導といった雰囲気。

じゃあ看護師が
患者が血だらけになり血圧がみるみる下がった時
『無理〜!』と逃げたら?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1450816769

身体拭きのケアは体力勝負
1日に4〜5人もざらだし、
お風呂介助なんかしちゃったら
もう午前中で1日の体力を
使い果たしてヘトヘトになります。


看護師が主に看護婦が白衣の天使などというが実際は医者も看護師でも介護士でもハードな仕事である。
精神的に疲れる仕事なのである。看護師になると精神面から肉体面でもハードである。
看護師は病院を走り回ることがある。それはやはり緊急性がある仕事だからである。
患者の容体が急変したりするからである。
つまりなかなか気がぬけない仕事なのである。
だから看護師は体力も必要なのである。心身共に過重な負担がかかる仕事なのである。
自分の身内か看護婦だった。自分と違って体育系でありものすごく気が強かった。
体力もあったし頭の回転も早かった。男勝りであり力も持ちでもあった。
だから戦争で従軍看護婦としてシンガポールで四年間過ごした。
そこでは戦争で傷つく人を看護するのだから並大抵のことではできない
本人も腸チフスにかかったとか戦争が終わったときジャングルに逃れ食うや食わずのどん底を経験している。
そういう時を生き抜くにはとてもヤハの精神と体では生き残れないのである。
はっきりいって自分は体力もないしそういう強さがないから生き残れない

ただ看護師のことをいろいろ言うのはわかる。看護師に文句言うのもわかる
看護師にいい印象をもっている人は少ないのである。
患者側からすればそうなる、看護師に対してどうしても要求が過多なる。
なぜもっとやさしく接してくれないのかとかもっと気を使ってくれとか要求が患者側から常にあっても看護師は答えられないのである。
自分も入院してひどいめにあった。
ものすごい剣幕でしかりつけられたのである。
病人に対してあれほどまでに強く言う神経がわからない。
痴呆老人でもないしたかだか二週間程度の入院にすぎない手をやく患者でもない
でも患者に対してものすごく厳しい態度だったのである。
それ以来看護師が恐ろしくなった。
患者は弱者だから何も言えないのである。
医者や看護師や介護でも介護士に対してめんどうみられる方は弱者になる。
入院したときそこばまるで刑務所になるのである。

●医者や看護師は容易に人も殺せる仕事

病院に通ってみてもらうのとは違う、閉ざされた空間で絶対的優位な立場として医者や看護師に見張られるとなる。
実際に一カ月間病院から出れなくなっていた。
患者の言い分など聞かれない、一方的弱者の立場になっていた。
だから入院すると簡単にそこでは医者や看護師の言いなりにされ殺されることありうる
しかしそれはわからないとういことも恐怖だった。
医療ミスなど日常茶飯時に起きているけどそのミスは問われない
それも病院が入院で手術するとかなる怖い場所だと思った。
現実にブラジルで医者が三〇〇人殺したとか外でもドイツでも何百人殺したとかあった。そういうことが容易にできる場所なのてある。
そうしても気づきにくいのである。

シップマンは、1975年から98年にかけて250人をモルヒネで殺したとされるが、2002年に警察が
「シップマンによって、少なくとも215人以上の患者が殺された」
と発表する。
ハロルド・シップマン (イギリス)【1946〜2004】
http://syouji.blog.jp/archives/1006921136.html

医者でも看護師でも患者に対して強者になっていることが問題の根にある。
「お前らは逆らえないだからだまっていな、死んでも何もいえないんだよ」となる怖さがある。
患者は弱者とてなり頼る以外ないものとなるからそうなる。
人間は弱者となったとき人間の悪しき面が露骨に現れることがある
自分はこの七年間その人間の悪質性に実際に身をもって苦しめられてきた。
それまではそういうことをされていないから人間はみんないい人だと思っていた
人間は本当に犯罪にあってひどい目にあったりしないと何でも他人事なのである。
他人事になると殺人事件があろうが災害で近くで死んでもそうなのである。
この辺ですぐ近くで津波で死んだ人がたくさんいても自分自身が被害にあっていないと
必ずしも同情するとは限らないのである。
それは何も普通の場合でも人が苦しんでいることはしょせん他人事であり無関心なのである。
そして他人が苦しんでいてもかかわりたくないのである。
なるべく病人とか弱った老人とか障害者とかにはかかわりたくないのが本音なのである。それはなぜなのか?
それはそういう人たちにかかわると自分自身も心身がそこなわれるからである。
身内の人に精神的障害者がいると必ず自分自身も精神を病むようになる。
自分も鬱病になっていた。だからそしいう人たちとかかわりたくないのが本音なのである

●人間が誰かを思うことのエネルギー量は大きい

ところが医者や看護師や介護士はそういう人たちと日常的にかかわることが仕事だから何か病んでくるのだと思う。
家族だったら何年かとか今では介護でも十年とか普通にあるからそれでか家族で苦しむ
でもいつか終わりがくるが仕事にしている人はやめない限りいつまでもそうした弱者とつきあわねばならない、そういう病人とか介護するような老人とか精神障害者と接することは健康な気が奪われるということがある。
自分も認知症の介護してそうなった。何か陰気なものとなり元気が奪われてゆく
いつまで寝たきりの人を介護しているからそこで元気が奪われてしまう
その影響は思った以上大きいのである。
どこの家でもそういう病人であれ介護する人であれ精神障害者をかかえていると何か正常ではなく気が奪われ家が陰気なものとなってゆく
だからそういう家には他の人も近づかなくなるのである。
それを冷たいとなかなか責められないのである。
自分自身だとそう思ったからである。

医者とか看護師とか介護士とかの職業は他のものと根本的に違うのはそうした弱者を相手に肉体的だけではない精神的な面で気を使うから異常に疲れる仕事なのである。
なにしろそうした弱者に気を使うだけで相当な労力なのである。
四六時中その人は家にいるということはさらに気力を奪われる
医者でも看護師でも介護士でも家に帰れば正常な世界で過ごせるというのではないからだ気が奪われるというとき、それが実際は相当に深刻なのである。
誰かに気を使うということは相当なエネルギーを必要としているからだ。
例えば一人の人間が気が使えるのは限られている、何十人もの人に気を使い気を配ることはできない、せいぜい十人くらいが限度だろう。
ためしにあなたが思っている人をどれくらいいるのか?
せいぜい常に思っている人は家族とかあとは数人にしかありえない
ただコンビニとかで物を売ったり機械的に接するのとは違って相手を気づかうということは違う。
それは気力が一方的に奪われることになるのだ。
現実に家に病人がいてヘルパーなどがきてその病人がいて気を使うことだけで単に掃除とか何か家の仕事するより疲れるのである。
だから常にそうした病人や介護する老人と接するのは心身ともに疲れるから体育系のタフな人でないとできないとなる。
優しさが要求されてもそれだけではできないのである。

つまり人が人を思うというときそれは数人が限度であることでもわかる。
人を思うこと何かしら思うことは相当なエネルギーなのである。
だからカルト宗教団体などでは数が多いからそこでは上の人はそんな一人一人を思わないただ一票とし数えるだけである。一人一人を思っていたら身がもたないからである。
政治でも数だからそうである。
そして人間の思いがそれだけのエネルギーが必要とするときある人への思えばそれだけで思いの力が働いてその人を左右できる、いい方面にも悪い方面にもできるというのは本当だろう。それだけ思いのエネルギーが労力を要するからそうなる
だからこそ家にそうした病人とか介護する老人とか精神障害者がいると消耗の度合いが大きいのである。健康な気力が奪われてしまうのである。
どうしても子供や若い人から発する気を受けると元気になる、老人に接すると普通は気が奪われるのである。
自然も何らかの気を出している。花でも色がいろいろであり赤は赤の気を青は青の気を出している。緑は緑の気を出している。
自然が出る気は何でも健康的なのである。だからエネルギーを自然からもらい元気になる山に接すれば山の気をもらい元気になる。岩に発する気があり元気になる。
動物は病気になるが死ぬが自然自体は常に健康体なのである。
天国に病人もいないし年をとらないし若い人しかいないというのもそうだろう。
そこにすべてが気力が充実する世界だからである。


 
タグ:看護師(婦)
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2015年05月04日

夏になり様々な花が咲き買った


夏になり様々な花が咲き買った

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八重桜影なす下に小花かな
釣人や夕べ水面に写る藤
蛙鳴き夕日さし暮る五本松
夏燕ハーレーダビドソンに去りにけり

しのぶれど薄紫のその薔薇の我がたもとに咲きて夕ぐる
街中にそちこち赤しチューリップ今日も用あり街をめぐり
我が庭の七輪の牡丹風に散り残る一輪見つつ暮れにき


昨日の夕方に溜池で釣りしている人がいた。藤の花が水面に写っていた。
釣りしている人はなにか自然と調和している感じになる
でもあの人は違っていた
パチンコならもうかるけど釣りはもうからないとか下品なことを次々に言っていた。
あういう下品なのが田舎でも多い
そもそも自然に親しむといってもそれは農家だったら生業としているのであり
自然に親しむという感覚はないだろう
農家だったら自ずと自然と生きなければ生きられないから違っている
釣りといってもそれは遊びであるから釣った魚を離している
あの人は別にそれほど釣りが好きではない、暇だからしている
パチンコなどの方が好きなのだろう。

桜は散り八重桜の季節になった。それから藤の花も咲いた。
今年は夏が早い、老人のライダーは一時休み去った。
あれも気持いいとなる
ところどころ植田がふえた。でも一割くらいしかまだない
それでも田が増えると元にもどるような気がする
田んぼに水か張られると蛙も鳴いていた

庭の牡丹は昨日の風で散った。一輪だけ残っていた
この季節何かめまぐるしく変わる
花もいろいろ咲いて買った
「しのぶれど」という薄紫の薔薇は名前のつけ方かいい
百人一首からとったのだが名前でさらに活きる
センスのある人が名前をつけた
もちろん百人一首を知らないとつけられない
ただ薔薇の名前にしてもそれが公認されて一般化するとなると
それにふさわしくないと定着しないと思う
「イヌフグリ」という名前は嫌なのである。
でもそれを変えられないし定着しているのはなぜだろうともなる
その名前がついたのはなぜだろうとなる

イヌノフグリの花はとても小さいので、たぶん実のほうがずっと印象が強かったのでしょう。その形から名前が付いたとしても理解できます。
http://homepage2.nifty.com/tnt-lab/s/nat/inufuguri/inufuguri.htm

これもインターネットに解答があった。
実の方が目立つのでそこからとった名前である。
確かに花は小さいから実の方が目立った
でもみんな花に注目しているからこの名前はいいものではなかった
でも一旦定着すると変えられないのである
薔薇の名前は「しのぶれど」とか文学的にでもつけやすいのだろう。
でもこれは文学的な粉飾には感じない、薄紫といえこの花にあっているのである。
街中にあっているのはチューリップである。
チューリップは何か都会的だともなる
野に咲く花とは違っている感じになる、薔薇もそうである。
何か都会的なのである。野生の薔薇の花とかチューリップなどは見ないからである。

ハーレーダビッドソンに乗った大熊の人は去った、夏燕の季節になる
自分は以前として介護から家事から買い物から時間に追われる生活なのである。
家のことをきりもりすることは一仕事だった
金の管理から掃除から次から次と仕事がある
ご飯をたくのとおかゆを作るのは機械だから楽である。
でも一日三食を用意するのが手間なのである。
だから生活にずっと余裕がないのである
プログに書くのも四時間くらいの時間はかかる
書く前に想をねることから時間がかかっている
前は時間がありすぎたけど今は時間に追われる
要するにどんなに暇なものでもいつか本当に時間がなくなるのが人間である。
そしてやれることは極わずかだったとなる
ニートとか何か今は暇な人が働かない人が多くなった
それも必ず後悔する、まず後悔しない人は人生ではいない

なぜなら時間はどんなに暇であっても死ぬほど暇と思ってもそれは一瞬のことである。
たちまち青春は過ぎて時間はなくなる
なにしてもなにしなくても時間は切れるということである。
だから暇で暇でしょうがなかったのがこれほど時間に追われるとは思わなかった
暇であると思う時間はいかに貴重だったとかなる
その時間を無駄にしているのが人間なのである。
ニートとかあとですごく後悔するようになるしひどい目にあうことになる
社会的に訓練していないと最後に困るのも人生だった
この七年間の苦しみはそのためにそうなったのである。

ただいづれにしろ最後には人生の総決算がくる
これはもうさけることができない、その人の一生否応なく現れる
もう隠すことはできない、内面的にも現れる
その顔にも現れ体にも現れる
不摂生していたらどんな丈夫な人でも病気になる
だから老年というのは怖いことなのである。
どんな人生を送ったか何でもあれ結果として現れるて隠すことができなくなるからだ。
地位ある人でも金があってもそれでその人生でしたことを隠すことはできない
その不徳な人生も顔にでも結果として現れて隠すことができなくなる
真善美でも何か見えなくなっている
つまり時間の浪費とそうした不徳な人生を悔いることが最大の恐怖である
なぜならもはやとりかえすことができないからである。
自分もそんなことを考えなかった。
今になってもはや死が近いとき感じたのである。
タグ:夏の花