2015年06月30日

物は移動できても人間は簡単に移動して住めない (移民は日本の家族のように受け入れないと不可能)


物は移動できても人間は簡単に移動して住めない

(移民は日本の家族のように受け入れないと不可能)


物が移動するのと人が移動するのは全く違ったものになる。
人が他国に移動するとどうなるのか?
家族であれその国のことであれまたは宗教であれその人ともにもたらされる
だから移民したヨーロッパではイスラム教が増えてそこが別な国のようになってしまう。日本でも移民を入れるとなると単に人間を部品のように働かせることはできない
つまり人間は物でもないし機械でもない、人間に付随するものは全体だから
この一部門で働く人がいないからと機械のように部品のように人を外国から臨時的に入れて働かせることは問題が起きてくる
そういう働かせ自体に問題がありもめごとが起きたしこれからも起きてくる。
それは人間は機械でもないし機械の部品でもないからである。
ただ文明の仕事は移民を入れるにしろ入れないにしろ仕事自体が機械化して効率化を計ってきた。

つくづく文明とは膨大な分業であり部品化だったのである。
人間の仕事はもはや無数に細分化された部品の集合なのである。
それは車を生産して使うとういことで象徴されている。
国がトヨタの会社でありその車を使うために人間が部品化され配置されているとかなる
車は部品の集合からてりその部品を請け負い作る中小企業がいて従業員がいるからである文明そのものがそうして生産を機械化して効率化してきた。
ただそれが外国人でも何でもいい、その機械化部品化として人間があるからいいとはならない。
障害者が最近雇用を会社でもしなければならなくなった。
でも意外と障害者でも流れ作業とか部品化した分業化した仕事ができる
てもそもそも人間の仕事は普通の人でも分業化して細分化して部品化していたのである。そういう仕事はかえって障害者にもできる、向いていたとさえなる

まず全人間的仕事をしている人は文明社会では極少数である。
文明の全体を知る人など誰もいないだろう。
第一次産業は自然の中で仕事していたから全人間的である。
工業化すると機械も部品の集合であり人間も機械化され部品化される
一人の人間が一つのものを作るとういことはない
江戸時代ならほとんど職人であれ一人の職人の手仕事だったのである。
職人一人が製品を全部仕上げていたのである。
田から職人も全人間的に生きていたとなる
医者でも現代のようないろいろな科はない、人間の全部の体をみていた。
人間の体の部品化はないしできなかった。

でも移民が問題になるのはなぜなのか?
人手がたりないから国内のように人間を機械のように部品のように使えないからである。移民とともにもってくるものは家族であれ国であれ宗教であれ一人の外国人はその国を代表してもってくるものがある。
移民の一人でも何かその国を代表したように国自体を外国にもってくることにもなる
だから移民は文化的衝突することになる
つまり国の中にもう一つの国ができることになってしまう。
でも外国から物だけを取り入れていればそういうことはないのである。
別にバナナが入ってくるからとフィリッピン人がメキシコ人がどうのこうのとかにはならない゛フィリッピン人が風俗であれ嫁になるのであれ人間そのものが入れば必ず全人間的なものとして問題になる

人を雇うにしても自分でもちょっとした時間でもいかに人を雇うことが特に家で働いてもらうとなると大変なのもになるか身をもって経験した。
そこには常に露に人間的な問題が露骨に現れる
もちろん普通の会社でも経理でごまかすとかあるから人間にはそうした信用問題がつきまとっているのだ。特に家に入るものは一番危険なのである。
そして時給一時間いくらはらえばいいとはならない、なにやかにやとその家の問題がありそれまでめんどうみなければなちらなかった。
家族の一員のようにしてめんどうみなければならなかった。
だから人間を雇うをほどめんどうなものはないと思った。
ただ時給いくらで雇うというときコンビニなどでもそうした家の事情とかには立ち入らないシステムになっている。
いちいちそんなことを聞いていたらもうもうけることもなにもできない
社会福祉事業になってしまう。
移民でも人間が入ってくれば現実に日本人の家族として受け入れるようでないとうまくいかない。
機械のように便利に使っては使い捨てというわけにはいかないのである。

いづれにしろ原発事故で避難した人たちも人間が各地に移動したから問題になった。
人間はそもそも物ではないのだから移動するとなると移り住むとなると簡単にはできない、移った場所に簡単になじむことはできないのである。
ただ旅するなら別である。旅人になる別に移動することが目的だし一所にとどまらない事か旅だから別である。
でも人間は長年住み慣れた場所から他の場所へ移り住むのは様々な問題をうむ
確かに第一次産業の自給自足の生活ではないからその土地に愛着するというこはそれほどなくなった。
でもやはり長年住んでいる場所と人間は一体化する
それは自然でも人でも他にもその場所に長年住むということは石のようになることでもある
その本が見つからないが会津の民話では村の欅が一緒にお伊勢参りしていたとかあり
それだけその村の古い木とか石は単なる自然の物ではない人間と一体化していたのであるだから浪江の女性が60代の人は田舎の淋しい場所に住んでいた。
それが高層ビルに住むようになったから相当な違和感がある
都会の灯の海を見て暮らすのとはあまりにも違っていたのである。
物だったら例えはみかんであれリンゴであれ野菜でも移動してもその味は変わらないのである。
ところが人間そのものが移動するということは物ではないから機械の部品でもないから簡単に移動できないものなのである。
人間は一つの部品ではない、全体に生きているからそうなる。
人間はその土地に根付く植物や樹とかともにている。結局人間の自然の中の生態系に生きる生物の一種だからそうなるのである。


posted by 老鶯 at 18:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会問題の部

2015年06月29日

東京の老人を地方に移す問題 (放射能汚染とは関係ないから浜通りは老人が住むのには向いている?)


 
東京の老人を地方に移す問題

 
(放射能汚染とは関係ないから浜通りは老人が住むのには向いている?)



地方創生の新型交付金、高齢者移住拠点などに重点

2016年度に創設する地方創生の新型交付金を、高齢者の移住拠点や観光戦略の司令塔の整備などに重点的に配分する。地方の自治体に移住者数や観光客数などの目標を設けるよう求め、成果を毎年検証して首都圏からの高齢者の移住や、訪日観光客の増加につながるよう促す。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS25H68_Y5A620C1PE8000/



前にも書いたけど福島県浜通りでいいのは気候なのである。
暑からず寒からずでこれだけは推薦できる。
だからわからないのは会津とか北海道とか雪の多いとか寒い所に老人が移住するというのはあっていないと思う。
それで会津とか福島市の方に避難した人たちもイワキとか浜通りに帰ってきているし帰りたいとなる。

東京の老人を地方でめんどうをみろというのは問題である。地方も人手不足だしそんな老人ばかりめんどうみていいことがあるのかとなる。
それはここだけではない全国でそう言われている。
ただ現実問題としてこの辺は放射能汚染で困っている
今は外部から工事関係者除染とかで人が入ってきている。
それでダンプが多いから危険なのである。
でも後何年かで工事でも除染でも終われば相当にさびれてしまうだろう
今だって子供をもっている人で避難している女性が帰らないとかある
そしてなにか産業になるものがなくなる
何でも放射能であり風評被害もあり観光にも影響する
地元の食を提供できないことも致命的である。
今はいいとしてあと5年後くらいから相当に経済は厳しい状態になる

その点放射能とあまり関係ないのが老人なのである。
すると老人にはこの辺でも気候がいいから施設に入りたいという人がでてくる
それより東京ではもう世話しきれないという深刻なものとなる
それを引き受けて地方でやれというのには相当に問題がある
ただ財政的にはメリットがある
それでも地方だって人手不足なのだから少子高齢化なのだからその人手を確保できるかどうかである。
はっきりいって在宅で介護するというのは負担が大きすぎるのである。
毎日家事と介護に追われているのが自分である。
一人でもそうした介護する人とか病人がいるだけでどれだけ負担になるのかを身をもって知った。
三食出すだけで手間だし介護度が低くても手がかかるのが介護なのである。
だからこれからすでに介護の重圧で自殺したり殺人になったりすることがすでに増えている。それはもう日常的になってめずらしくなくなる
医療でも福祉の介護でも金をかけすぎるのである。
それは無駄なものでありもっと金をかけずにできる方法はある
金がかかることで政府は在宅でして介護にかかる金を減らそうとするのはわかる
だからといって在宅でやれというと家族も少ないのだから自分のようにすべて一人に負担がかかるようなことが現代では多くなる
そこでもう耐えられないとなり事件になる

ともかくこの辺の事情を放射能汚染は大きなマイナスなのだが何か老人にとっては放射能はほとんど関係ないというとき5年後とかには老人の施設で雇用を保つとするのも一つの案になる。
ただ今でも老人がこの辺では他より多くなっているし老人だけの街、シルバータウンになったらどうなるのか、活気もなにもなくなるとかそれもいろいろな反発がある
放射能汚染の問題の解決策として老人にとっては放射能汚染は関係ないから地元の食料でも野菜でも魚でも食べさせることができるということである。
そうすれば地元の農家でも売れるからいいとなる
米を作っても売れないとか常にそういう心配ばかりなのがこの辺だからそういう案もあるのかと書いた。

新地などは海と森と山もあり老人にとってはいい場所だなと思った。
他より森が多いからそれで落ち着く場所になっている。
海も見えるから気持いいし気候的にも浜通りはいいから老人には適していると思った。
保養地としては温泉はないのだが適した場所である。
もちろんこの辺は過疎地とは違っている、交通の便がいいし仙台に近いしだから青森とか北海道のような工場がないというわけではない
原町と相馬市と新地にも火力発電所がありあそこは2000人とか働いているとなり大きな雇用の場となっている。
工場もあるから老人施設を受け入れて何とか経済を維持しようとまではなっていないかもしれない。
ただ放射能汚染とういうことでそういうこともありえるかなと思った。

これには実際はいろいろな障害がある。一体東京の人を何で地元でめんどうみるのかという動機がある。金が払うからいいじゃないかともならない、地元に生活してきた人なら
地元でめんどうみるということはありうる
でも東京で働いて老後は介護は地方でしてもらうというのは何かそぐわない
それは介護する方でも介護される方でも問題なのである。
何でも金で解決できるということではない、これも結局社会が広域化したとかグローバル化したことで起きている問題である。
つまり人間は昔のように農業中心で一カ所で定着して生活していないし一地域だけで生活が成り立たなくなっいる。
それでかえって避難者がこの辺でも小高などの人は金をもらって威張っているというのも地元の人には反発が生まれた。

でも現実問題として何も小高の人が鹿島の人に世話になるとか他でも地元の人に世話になっているという気持がない、起きない理由は食料でもなんでも外部から入ってくるし家でも今は建て売りで地元の大工が建てているわけではない、
すると地元で何をしているのか、何か地元の人にしてもらっているという感覚が起きないのである。
「この食料はみんな九州から北海道から外から入ってきたものだよ、地元のものなんか、放射能汚染で買わないよ、別に買わなくても食料など金を出せばいくらでも入ってくるよ」
「そうだな、見ろ、家だってみんな建て売りで外部のものが建てたんだよ、復興というけど復興で働いていたのはみんな外部の人だよ、地元の人は補償金でパチンコだなんだと遊んでいただけだからな」
こういうふうに広域化グローバル化社会になっていたことが家族まで散り散りばらばらになるということもあったのではないか?
うるさい姑と暮らすより他で補償金もらって新しい生活をした方がいいとか若い人にもなった。そもそも地元にこだわる人は少なくなっていた。
それは農業とか林業でもその土地の資源などに頼って暮らすものではなくなっていたからである。

まず第一次産業のしめる割合は地方でもこの辺でも一割にもみたない状態だったのであるその第一次産業が壊滅的打撃を受けても別に広域化グローバル化社会では金さえあれば困らないから避難者の方が原発貴族だとかなり威張っているとかなったのである。
それでも広域化グローバル化社会の弊害も様々に生まれた。
介護ではやはり住み慣れた所にしてもらいそこで死ぬというのが人間的なのである。
結局人間は物ではないから都合よく物のように移動させることはできないということはある。
物は人間と違って移動しやすいからグローバル経済になった。人間そのものは簡単に移動できないものなのである。
いくら金をもらったからといってどこに住んでもいいよと言われても戸惑うことがあり
それで老人は故郷に帰りたいとなる
だから人間の問題はすべて金では解決できないのである。

タグ:東京と地方
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2015年06月28日

泰山木(陸前浜街道はまさに海沿いの街道)


泰山木(陸前浜街道はまさに海沿いの街道)


老い二人木陰に深く休むかな

日立木の細道咲きぬあやめかな薬師堂あり昔しのびぬ
浜街道松影なして菖蒲咲き田に鷺歩み立谷の村かな
城跡のお掘りに写る菖蒲かな昔を偲び街を歩みぬ
十輪の泰山木の花開く海よりの風に朝そよぐかな(新地)


陸前浜街道は仙台までつづいている。
でも新地になるとわかりにくい、もちろん昔の街道はとぎれとぎれになりわかりにくい
日立木から相馬市の城跡まではわかりやすいが他はわかりにく
旅の道になると六号線になっているからだ
ただ新地までは何か一つづきのものとして感じるし
地理的には新地はやはり相馬の領域に入る
新地に泰山木の花が十輪ほど咲いて海からの風が吹いていたのはふさわしい


陸前浜街道は仙台までつづいている。
でも新地になるとわかりにくい、もちろん昔の街道はとぎれとぎれになりわかりにくい
日立木から相馬市の城跡まではわかりやすいが他はわかりにく
旅の道になると六号線になっているからだ
ただ新地までは何か一つづきのものとして感じるし
地理的には新地はやはり相馬の領域に入る
新地に泰山木の花が十輪ほど咲いて海からの風が吹いていたのはふさわしい
新地は海がより近いからである。
泰山木は梅雨の時期に咲くから映えないのである。
海が一番近かったのは新地だったから駅も被害が大きかった
それで路線が変わって作られていた
ただ見通しが良くなり海が望めると書いたがそうではなかった
その前に津波を防ぐ高台が築かれていたからである。
だから海は見えないのである。
今回の津波で海岸沿いは高台が築かれてかえって海が近くから見えなくなったのが多いのである。
それも何か淋しいとなる、海が見えると心も何か開けたような感じになるからである。
これほど風景まで変わるというのはイメージできなかった

ただあと二年で開通するのは意外と早いと思った。
常磐高速道路も開通しているから交通的には便利なのである。
小高の人が新地に家を建てたというから小高はどうしても半分くらいの人口になり
そして老人だけになり廃れてしまうのだろうか?
子供のある若い人は帰ってこないからだ
小高まで鉄道が開通すればまた違ってくる
陸前浜街道というけど本当に浜街道だった
ただ海が見えるわけではないから海を意識しなかったのである。
それでもこの辺は海からの風が春から夏と吹いているのである。
海から離れては存在し得ない場所だったのである。

泰山木は梅雨の時期に咲くから日本では映えないのである。
新地は海がより近いからである。
海が一番近かったのは新地だったから駅も被害が大きかった
それで路線が変わって作られていた
ただ見通しが良くなり海が望めると書いたがそうではなかった
その前に津波を防ぐ高台が築かれていたからである。
だから海は見えないのである。
今回の津波で海岸沿いは高台が築かれてかえって海が近くから見えなくなったのが多いのである。
それも何か淋しいとなる、海が見えると心も何か開けたような感じになるからである。
これほど風景まで変わるというのはイメージできなかった

ただあと二年で開通するのは意外と早いと思った。
常磐高速道路も開通しているから交通的には便利なのである。
小高の人が新地に家を建てたというから小高はどうしても半分くらいの人口になり
そして老人だけになり廃れてしまうのだろうか?
子供のある若い人は帰ってこないからだ
小高まで鉄道が開通すればまた違ってくる
陸前浜街道というけど本当に浜街道だった
ただ海が見えるわけではないから海を意識しなかったのである。
それでもこの辺は海からの風が春から夏と吹いているのである。
海から離れては存在し得ない場所だったのである。

タグ:泰山木

2015年06月27日

沖縄の基地と原発問題はにている (必要悪として排除できない国家の政策の問題)


 
沖縄の基地と原発問題はにている

(必要悪として排除できない国家の政策の問題)

勉強会は冒頭以外、非公開。関係者によると、百田氏は「基地の地主さんは年収何千万円なんですよ、みんな」と発言。
「ですからその基地の地主さんが、六本木ヒルズとかに住んでいる。大金持ちなんですよ」などと持論を展開したという。

 「沖縄の米兵が犯したレイプ犯罪よりも、沖縄県全体で沖縄人自身が起こしたレイプ犯罪の方が、はるかに率が高い」
 http://www.asahi.com/articles/ASH6V6F00H6VUTFK01V.html

 
このことは何かこの辺で起きていたこととにている。

原発はいらないといってもなぜやめられないのか?

沖縄に基地といらないといってもなぜできないのか?

東京に原発を作ればいいのになぜ東電はフクシマに作ったのか?

こうした疑問が沖縄とにている。
それがアメリカ軍基地でも原発でもその背後に国家としての国策としての問題があり
簡単にはやめられない事情がある。
アメリカ軍基地でも原発でもそれは国家的問題であり一地域の問題ではない
原発でもアメリカが背後にいて要請されているのであり核兵器製造のためにあるとか
原発には東電だけではない、国家の意図があり作られていたのである。
「電力不足、電力不足」と言うけどそれだけではないものが背後にある。
沖縄にしても経済力が弱いからアメリカ軍の基地に頼るということがあった
それはこの辺は特に大熊とか双葉地域にもそういうことがあった。
出稼ぎ者が多くて地元で働く場所がないから原発を誘致した。

要するに沖縄でも原発事故で避難区域になったところでもそれが国家的問題となっていた実際にだから国家的な問題として事故後も除染など莫大な金をかけているのである。
石油とかでもそれが入ってこないと国家的問題になり戦争までなるし戦争になった原因が石油の輸入をとめられたからだということもある
今でも石油が入らなければ車も動かなくなり大混乱になる。
この辺で一番問題になっのだがガソリンが入らなくなり身動きできなくなったことである戦争中でも特攻隊のゼロ戦でも燃料がなく片道の燃料で出撃したのだからそもそも帰ることはできない飛行機だったのである。
エネルギーはそれだけ文明の根幹を成すものでありそれが枯渇すれば文明も終わる。
常に言われるのは鉄が国家だということが古代からあった
鉄の生産を握るものが農業でも道具を供給できるので支配できる。
もちろん武器も製造するので支配者になれる。それが国家を作ってきて天皇は鉄の王だということが言われてもきた。
この辺で相馬藩と伊達藩が丸森で争ったのは木材資源のためであり新地で争ったのは
鉄資源のためもあった。
そういうことは人間社会では常に行われてきたのである。
地域単位で起きることは国単位に拡大したとなる

最近話題になっている憲法問題も自衛権をもち自衛隊を戦争できる体制を作るというのもそれがアメリカの要請でもありまた中国の脅威でそういうことが言われるようになった。沖縄は太平洋戦争では悲惨な犠牲を強いられた。そのことが以前としてまだトラウマになっている。
墓銘碑に名前も刻まれていないと親戚の人が最近名前を刻んだ、つまり死んだことすらわからない人もいたのである。その名前が刻まれることによって生きていた証がここにあるとその墓銘碑に思いをよせていた。
死んだときどうしてもなにもなくなるから墓に愛着するのである。
あういうことがあるのに父親の墓参りもしない人は何なのだろうととなる
父親でも思わない人は思わないから墓に無関心だとなる

ともかく戦後は経済成長一辺倒でがむしゃらに働いてきた。そして企業戦士とかエコノミックアニマルとか日本は言われた。その中核をになったのが団塊の世代だったのである。それが一つの転換期にきた。つまりこれまでは会社は意識しても会社員として生きてきた人がほとんどである。
では国家というのは意識されなかったのである。
ただ沖縄ではアメリカ軍の基地があったして戦争のトラウマをまだひきづっていた。
他の日本人はまず国家を意識しない時代だったのである。
また日本は世界でそうした戦争にかかわることもないので経済発展できたともいえる。
朝鮮戦争ではアメリカ軍でも4万人死んだとか中国でも他でも多大な犠牲があった。
朝鮮戦争では日本は特需となりもうけて復興になった。ベトナム戦争でも日本はかかわらず特需があった。

だから戦後は国家というのも特別意識する必要がなかったのである。
そもそもだから国家とは何か?というときもうわからなくなっているのだ。
戦争のとき、「国家、国家、国家」しかない、家族も会社も地域もない、ただ国家のみがあったのであり国家のために死んだのである。
ただ最近の世界情勢をみると本当にシリアとか国家がなくなると難民化して悲惨なことになると思った。
国家がなくなればもう家族も地域も維持できないから国家を最優先すべきだという意見になる。それが戦争のとき露骨に行われたのである。
国家の犠牲者が300万人とかなったのである。
戦後は経済成長一辺倒でありまず国家のために死ぬとかの気概はない
国家を意識する機会がなくなっていたからである。
国家を意識しないときは平和であり幸せな時代だったとなる
それで江戸時代の鎖国時代が世界とかかわらず平和が維持できたことは世界史的にまれであり海に囲まれた日本だからできたことなのである。

ともかく国家を意識しないときかえって平和であり幸せである。
国家を意識されるときは戦争とか何か国家の意志が強く感じられて平和でなくなってゆく中国に攻められとか国家の危機が国家を意識させられるからである

冷戦構造のなかでアメリカに全面協力した代わりに、日本は高度成長という非常に大きな果実を手にしたわけです
その背景には国家の戦略を放棄させられたという厳然たる事実があります
(日本なぜ原発と基地をとめられないのか?矢部宏二治)

日本は以前として戦争に負けて日本はアメリカの支配体制に組み入れられた国で自主独立国ではない、それが戦後70年でもそうだったのである。
だからどうして重大な過失死傷の事故に警察や検察が黙視して東電の幹部もなんら罰せられないのか?
それはそうしこアメリカの下でも権力体制ができあがっているからである。
つまり沖縄とはアメリカの最大の防衛拠点であり原発もアメリカの政策として日本は勝手にできない、それは日本だけの事情ではないのである。

ともかく原発の補償金のことでもいろいろこの辺はもめたし書いてきたがそれは沖縄でも同じだった。
地主は多額の補償金をもらって六本木で生活しているとか何かそういうこともにている。一方でそれは一部であり沖縄の大多数は基地はいらないとも言っている。
この辺でも補償金が全部そんなにもらっているわけではない、でも補償金で一番もめているのである。
金が今では一番現実的問題だからそうなってしまう。
そしてこの辺で沖縄で建築関係で働いた人が聞いたいう話

 「沖縄の米兵が犯したレイプ犯罪よりも、沖縄県全体で沖縄人自身が起こしたレイプ犯罪の方が、はるかに率が高い」

これは本当だったのか?その人は飲み屋で聞いたのだからただの噂とも違うのか?
沖縄が常に本土の人に犠牲になったことを延々と言うが沖縄の人が隣の人が一番怖かったというのもまた現実味がある
近くの人も怖いということを自ら体験したからである。火事場泥棒は必ずでてくるのが人間の社会である。病気になり家ががたがたになったとき入ってきたのはそういう人たちである。
そういう人たちも借金だとか貧乏でぎりぎりになっているから明日食うものがないとなれば一万の金でも人は殺しているのと同じである。
そういう混乱のとき、人間の欲望がむきだしになり露骨に現れてくる。
だから人間の本性は怖い、人間の欲望は戦争のようなときとめられず噴出するということがある
だから戦争は人間の一番醜いことが全面的に解放されて現れる
そこはまさに生き地獄の世界だった。日本兵も捕虜になり悲惨な殺され方をしたのであるそれが戦争の現実だったのである。


タグ:沖縄基地
posted by 老鶯 at 08:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2015年06月26日

新地の里の夏(詩) (新地は山と森と海が一体となる)


 
新地の里の夏(詩)

 
(新地は山と森と海が一体となる)

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ホトトギス六号線を朝走る
冷蕎麦カボチャの花や新地かな
杉林影なし店や清水飲む



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新地の里の夏

杉の林に影なす道や
右近清水に喉を潤し
森につつまれひそか
家点々と森に隠りぬ
畑に人小鳥の鳴きて
沙羅の花風にそよぎ
揚羽の舞い飛ぶごと
ゆくりかに気ままに
新地の里を巡るかな
六号線道標一つ古り
夏の日ざし照りつけ
旅心ここに湧きしも
海望み山を仰ぎつつ
今は我が里へ帰りぬ

many shadowy pathes
turn and turn in freedom
blooming flowers in the breeze
the  houses covered apart
in the forest of the cedar
Strong sunlight of the summer day
at an old heated guidepost
a free wayfaring man want to go
in the distance



新地は伊達藩であり江戸時代までは相馬藩ではなかった。
でも明治以降相馬郡になったからすでにその歳月も長いから新地はむしろ相馬市とかの交流が長い
江戸時代までは伊達藩でも明治以降は相馬市とか原町市とかが近いのだから経済的には相馬に頼ることになる。
だから相馬市と合併しなくても相馬郡になっていたのである。
相馬市にある相馬総合病院は新地との合弁した病院であった。
相馬郡は消えて新地町は残った。
でも実質的には相馬市に頼る面が多いから相馬市になっても良かったと外からは見える
合併のときの事情はなかなか外からわかりにくいのである。
新地の地形的魅力は海と山が近接して杉の森の中に点々と家がありサイクリングして気持いい場所である。
ここは自転車だと遠いからあまり来ていなかった。
新地は飯館村とかと違うのは六号線があり最近は常磐高速道路も開通した。
鉄道も後に二年で開通するから意外と早いと思った。
常磐線が開通すればかなり復興したことになる。

今回は鹿狼山のレストランと宿泊所で冷蕎麦を食べた。地元の人が蕎麦を作っているという蕎麦である。
蕎麦通の人がいればその味がわかるかもしれない、自分は食通ではない、旅行してもただ腹をみたせばいいとしかならなかった。それは金がないからそうなっていたのである。
若いときは何も食べてもうまいからあまり味にはこだわらない
ただ最近旅もしないので食に多少こだわるようになった。
自分で料理しているせいもある。
料理しているとどうしても素材にこだわるようになる
料理できなくても素材がいいものを買いたいとなるのか自然になる。
料理の基本は礎材か良くなければいくら料理人でもどうにもならないのである。

蕎麦とカボチャの花が何かあっていた。
うどんと蕎麦はかなり違っている。蕎麦は山の味なのだろう。
新地だったら山海の味を作り出せば観光にはいいとなる
ただ今は地方でも独自のものを作り出すことがむずかしい時代である。
この辺はまた放射能汚染で海のものが食べられないというのも痛い
その土地の味を出せないのは致命的だとなる
でも右近清水の入り口にパン屋があるというのも何か街中にあるパン屋と違っていいなと思った。
もう一つ森の中に喫茶店があるともっといい、何かあそこは安らぐ場所だった。
杉林が多く杉目とあるのは元から杉が多く杉の目とは杉の間が目となってなづけられた。山から清水を取り入れて飲んでいたという家もあったからもともと山が近いから清水も出ていたのである。

六号線に出ると大正時代の道標の石碑があった。写真はとっていなかったのが失敗
大正時代というとまだ新しいという感覚があるがすでに百年たっているのである。
大正生まれの人は自分の母親のようにまだ生きている。
でもやはり百年は一世紀だから大正でも古くなっていたのである。
ただ明治と大正の碑は多いからあまり希少性を感じないのである。
でも大正と昭和があるがその差が際立っている
大正は何かより古い感じになる。昭和は最近まで昭和だし自分も昭和生まれだから実際は古くてもそう感じないのである。


その土地土地を知るにはまさに地歴である。地形とかその土地の特徴がありそして歴史がある
新地は歴史的には伊達藩の歴史であり地形的に海と山と森の国だとなる
そして何か田舎はどこでもそうなのだが新地とか森が広がっていてそこは安らぐ場所になる
するとやはりそういう場所は癒しの場所になるし渡辺病院などができたように何か保養所とか老人ホームとか向いているのかとなる。
相馬市と原町は火力発電所があるから工業地帯でありまた違っている。
新地はそうした工場のようなものがあっても目立たず森におおわれているのである。
地方再生というとき何かその土地の特色を出そうとするとき今の時代は介護とか医療とか福祉になってしまう。
東京の老人を地方でひきとれというのも問題だが田舎は癒しの場なのである。
それで

老い二人木陰の深く休むかな

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こうして老人が木陰に休んでいることが何かあっているのだ。蕎麦を作っているのもあっている。蕎麦の味はうどんとは違い、何か地味なのである。
飯館村も森につつまれて点々と家があったが新地もそうだった。
でもその相違は海が見えることと六号線や常磐高速道路やあと二年で常磐線が開通するから交通的に便利なのである。
そして高架橋になるし松原も消えたから電車から海を見えるようになるから景観的には前より良くなるのである。
まあ、あと二年は自分も生きているだろう。
ただ近くの人が同じ年の人が癌で死んだ、もう一人も近くの人が癌になったという。
それは自分にとってショックだった。
この年になるといつ何になるかわからないという恐怖なのである。
69才で突然心筋梗塞で死んだ人もいた。
それもいつも見ている人だったしそういことが珍しいことではないからだ。
ただ百歳になってもまだ生き続ける人もいるので寿命はわからない
今はいろいろ旅したことなど思い出して作品化している
その量は相当なものになる

今思うと旅というのは実地の学問を経験することだった。
地歴が学問の基礎でありこれを知らないと文系では何もわからない
文系の学部は本当は地歴と法学部くらいでありあと文学部があるがこれも地歴と関係しているのである。
その土地のことを知らないと文学も鑑賞できないからである。
だから日本全国を世界でも表面的でも実地に旅するとあらゆるものの理解が深まるのである。
そうなるとまず勤め人ではできない、結婚したりしてもできない、結婚というのはあまりにも重圧なのである。
それで芸術家の八割は結婚していないということもうなづけるのである。
人間の時間は限られているからそんなにいろんなことに時間がさけないのである。
恋愛したり結婚したり子供を育てたり勤めていたら他に何か関心をもつことすらできなくなる。
人間の時間がいかに限られているからそれはすぐ老いるから誰でもその時痛切にわかるのである。
老人になって何か知らないことは恥になる。新地が江戸時代まで伊達藩だったということを自分が郷土史研究などとプログで出していたのだから恥だとなる
そういう基本的な知識を身につけるのにも時間がかかる。
学問の領域は膨大であり時間は限られているから結局何か他者にぬきんでたことを書くことでもなかなかできないのである。


タグ:新地の詩

2015年06月25日

んだちゃーは仙台弁だった (新地の人はんだちゃと言っていたのはそのためか?)


んだちゃーは仙台弁だった

(新地の人はんだちゃと言っていたのはそのためか?)

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方言の地域図



相馬市を含む相双地区には氷柱のことをさすシガという方言が分布しています。これが一歩新地町に足を踏み入れると,タレヒという全然別の方言に変わってしまいます(ちなみにタレヒは平安時代に京都で使われていた「垂氷」ということばに由来するものです)。同様に,内出血によるあざのことを新地町ではクロチ(クロジ)と呼ぶのに対し,相馬市以南ではクロナジという別のことばが使われます。相双地区に広く見られるカーマシ(川の増水)やカンカチ(火傷)は新地町ではほとんど聞かれませんでした。


カーマシという方言がないのは新地には大きな川がないからかもしれない
相馬には真野川は大きな川であり自分の家は二回も水害で浸水した。
カーマシという表現はやはりその土地特有の気候とか災害でもあるからそれを強調するために方言になったのか?

水運の発達した北上川沿いなどでは、太平洋岸の水運で江戸と繋がっていたために、江戸言葉と共通する特徴もよく見られる。これは、東北地方の日本海側の港町が、西廻り航路 (北前船) で関西と繋がっていたために、京言葉や大阪弁の影響を受けているのと対照をなしている。
浜通りの北端にある新地町は、江戸時代に仙台藩の亘理城主・伊達藤五郎の所領であったため、隣接する宮城県亘理郡と同じく仙台弁が使用されている


んだげんちょも(そうだけども…)(相馬弁)

仙台弁の特徴はやたら語尾にだっちゃがつくことである。相馬弁ではんだになる
だから丸森の人がんだちゃといったときそれは相馬弁と仙台弁が一緒になったのかと思った。
んだちゃは仙台弁でもあった。

んだげんちょも→んだちゃ

縮めるとこうなる、ただ方言というのは地元の人でもなかなかいろいろしゃべらなくなったのでわからなくなったのである。
新地で仙台弁を聞けばここはやはり伊達藩なのかと国が変わったことを意識する。
新地は平坦な所であり相馬から地形の変化がないのである。
だから地形的に別な国に行くということが全く感じないのである。
それで常磐線でも亘理までは変化がないのでつまらないのである。
ただ阿武隈川を渡り蔵王を見るとき変化があり別な国に行くという感覚になる。
そして丸森は必ず峠を越えてゆくから別な国に行くことをはっきり意識する。
風景もがらりと変わる、蔵王が見えて大きな阿武隈川が流れているからだ。



「んだがらー」
訛り?
じゃなくて、
いちいち、同意したよと同じ言葉を話すより、
この一言で済むという便利さ。
「さっぱり、わがんなくてー」
「んだがらー、言ったべー」なんてね。

んだがらーというのは相馬弁ではない、がらーとは言わない

語尾につける「ちゃ」、
これも最近、めっきり減ってきました。
「どうですか?、そうでしょうー」なんて言うとき、
「んだっちゃー、んだからさー」で済みます。
http://sendai-satouya.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/post-7c04.html


んだっちゃーは明らかに仙台弁であり丸森だけではない、ただんだというのは東北弁の語尾に多い。それが基幹語としてありそのあとにまた地域で変化したのである
相馬でも仙台方面と結婚したがしきりに「ちゃっこい」と言っていたのは仙台弁をしゃべるようになったためだろう。
相馬で「ちゃっこい」と聞いていないからである。
結婚すると相手の言葉の方言の影響を長くいるから受けやすいことは確かである。
方言はだから地域的な文化的な境界として区別されるのである。
今でもなまりはなかなかなくならない、国の手形が訛りである。
推理小説でもなまりは消えないからそこから地域を特定して推理してゆく。
ただなまりと方言はまた違っている。同じ言葉でも音のイントネーションとか発音の相違である。
英語とかは音で主に表現するから普通の言葉でも音で違った意味になる。
人間の言葉は音が最初にあり音で表現していた。
同じ音でも「これたかい」というのと「これたかい」でも
イントネーションが違うと本当にそれがたかいように思えるのである。
低い声で普通の音で言うのと「これたかい」というのは伝える感じが相当違ってくるのだ音を文字に買えたときそうしたニュアンスがなくなったから何か一様化して数式のようになったのである。
いづれにしろ方言は直接の会話で活きてくる。そういう場が今はもてない
ほとんど地方でも標準語でしゃっべっているからである。
ただ関西では標準語ではなく関西弁だからその相違がはっきりする
関西に来たというとき言葉からすぐわかるのである。

方言は文化交流の痕跡を残したものである。たいがい古語は辺境で沖縄とか青森などに残って使われていたというのもそうである。
それは古くから交流があった証拠である。
だから地図でも関西の影響を受けたのは日本海側であり青森などもそうである。
そもそもそうした方言が関西のでも土地の方言に入ってくるというのは相当な人の流入が長い期間ないと定着しないと思う。
英語などの言葉をカタカナにしているのも一つの文化流入である。日本語化したものだからやはり新しい言葉はそうなりやすい、ただ方言はまた違っている。
語尾の変化とかイントネーションの変化であり単語そのもののことではない
同じ単語でも発音の相違が生じているのである。

考えてみると知った人は新地の人だった。やたらだっちゃといっていたのは名取に住んでいたからだと思っていた。
そもそも新地だとなるとそこは伊達藩でありだっちゃを使っていたのである。
でも今新地でだっちゃという言葉をつかっているかどうかわからない
なぜなら相馬郡になっていたし明治以降は相馬の影響の方が強くなっていたからである。婚姻関係でも新地は相馬藩内の人とと多くなっているのである。
もちろん宮城県も多いが江戸時代は相馬藩内の人とは婚姻関係はまれだろう。
明治以降の変化もまた方言に影響しているということはありうるのだ。

いづれにしろ今は方言は普通はどこでもしゃべらない
だから何か地域性とか失われているし標準語になるとあたたかみがないということもある。
何か言葉が数式のようになったのが標準語である。
土地の人さえ方言でしゃべらないとなると地域のつながりも薄れているのである。
外国まで交わる時代は反面日本国の文化すら失われているのである。
それで日本文化のことを探り新たに発見する試みを万葉集などからしてきたのである。
つまり日本語は大和言葉にありそこに日本人の文化が言葉に純粋に残されているからである。
旅をするなら江戸時代の方が断然面白かった。
言葉も違うし関所を越えると外国になったからである。
地方創生が話題になっても何か地域的特色あるものが作り出せなくなっている。
なんでも一様化してしまうのが現代だからである。
タグ:仙台弁

新地にあった「文禄」の碑 (伊達藩の検地の碑だった)


新地にあった「文禄」の碑

(伊達藩の検地の碑だった)


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新地で誤解していたのは相馬藩内だと思っていたことである。
それはなぜか?
相馬郡となっていたから相馬藩領だと誤解していた。
これは基本的知識の欠如だから相当な落度である。
普通の教育を受けていたらそういう誤解がなかった。
もう一つは今日買ってきた「新地町史」を読めなかったことである。
こういう郷土史でも基本的なものを読んでいないと誤解するのである。
歴史というのは何かわかったようでほからないのが多すぎるのである。
だから日本史でも何でも歴史は誤解しているこが非常に多いのである。

新地は相馬藩と伊達藩の境目でありそれが古代からそうだった。
宇多(相馬市)領域は南相馬市鹿島区の浮田国造が最初の領域であり
新地は亘理の領域で思国造とかあった。
これは定かでないにしろ古代から亘理が別な領域であり伊達藩との境となっていたのである。
丸森とかは山で遮られているから地形的に別な国として発展することがわかりやすい。
新地は平地であれ亘理につづいているから相馬藩の延長でもあり亘理の延長にもなる。
そこに駒ヶ峰城や画牛上や新地城で伊達藩との攻防が行われていたのである。
相馬市の領域は相馬藩が城を築くまでは伊達藩の領域だったのである。
なぜ中村に相馬藩の城が築かれたかとなると当然伊達藩の支配地域に侵入して
その土地を得たのだからそこはまた伊達藩から奪われる危険があった。
駒ヶ峰と新地では城があり攻防戦があり新地は伊達藩に帰属する結果となった。
だから相馬藩士は新地には住んでいないし代々伊達藩の武士が住んでいた地域である。
だから「黒田」という姓があるとしたらそれは伊達藩の侍の子孫であり
その他の姓にしても相馬藩の武士の子孫はいないとなる
文禄のときに秀吉の命令で厳格な検地が施行された。伊達藩ではいち早くその検地が実行された。それができたのは文禄時代にすでに新地の領域は伊達藩内として支配されるようになっていたからである。
だから年表として記憶すべきは元禄までは必要である。


文禄 ぶんろく 1592〜1595 1594 家康が田方郡の一部を大社に寄進す
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(江戸時代)
慶長 けいちょう 1596〜1614 1603 徳川家康が江戸幕府を開く
元和 げんな 1615〜1623 1621 豊臣氏が大阪夏の陣で滅びる
寛永 かんえい 1624〜1643 1636 徳川家光が大社社殿を造営する
正保 しょうほう 1644〜1647
慶安 けいあん 1648〜1651 1649 慶安の大地震(江戸3大地震のひとつ)
承応 しょうおう 1652〜1654
明暦 めいれき 1655〜1657
万治 まんじ 1658〜1660
寛文 かんぶん 1661〜1672
延宝 えんぽう 1673〜1680 1680 この頃の三島宿の家数596軒、3,814人
天和 てんな 1681〜1683
貞享 じょうきょう 1684〜1687 1687 言成地蔵の伝説が生まれる
元禄 げんろく



つまり文禄がいかに古いかわかる。相馬藩内では南相馬市の鹿島区の屋形にある田中城主の墓が慶長であり古い、それより古いのである。
伊達藩の歴史の方が古いからそうなるし記録も伊達藩には残っている。
津波の記録でも伊達藩に残るのが多く相馬藩内で残らなかったのはその時まだ相馬藩では支配がされていないからである。

だから

(文禄二年・寛永十八年総士録古支配帳に出てくる地名から探る)
http://musubu2.sblo.jp/article/104967935.html

ここに確かに文禄と相馬藩でも出ているがこれは検地ではない、一応相馬氏が支配領域とした所である。相馬市は文禄には検地はしていない
伊達藩では検地をしていたのだから「文禄」の碑はその時のものだろう。
検地の記念として「文禄」の碑を建てたとなる

新地の歴史は伊達藩の歴史だから相馬藩からはわかりにいのである。
新地はそもそも相馬郡になる歴史的必然性があったともいえないが
廃藩置県で丸森と角田県になる予定だったことでもわかる。
それが何か複雑な過程を経て福島県になって相馬郡になったのである。
でも古代からそうしたどっちつかずの位置にあったのが新地だったのである。

新地は谷地小屋、小川、今泉、杉目、の各村と大戸浜のうち、谷地小屋に置かれた新地駅(宿駅名)に由来があり、駒ヶ峰は単独の駒ヶ峰村に由来があってなづけられた。
(新地町史ー歴史編)

新地という名前が宿駅に由来していた。鹿島も鹿島神社に由来しても鹿島宿があり原町も原町宿があって原町市になったこととにている。
新地という名が新地町となり新地という地名が目立つようになったが実際は新地は狭い領域だった。原町ももともと野馬追いの牧があった雲雀が原がであり原町市となったのは
宿駅となったことが関係していた。

新地の歴史で面白いのは新地の浜で砂鉄がとれてそれを丸森で精錬し鉄を作っていたという、それも古代から武井遺跡は鉄を生産していたから連続性があった。
それで相馬藩は鉄を岩手県の宮古から岩泉から鉄を輸入して請戸港で仕入れて今度は葛尾村で精錬していた。
葛尾大臣がいてその鉄の生産で財を築いたのである。
こういうことは日本史でも世界史でもどこでも起きているだろう。
国交関係が悪くなれば貴重なものでも輸入できなくなる。
中国からレアメタルの輸出がおさえられて高くなり日本でも世界でも困って他からその輸入先を開発するほかないとなったのもそのためである。
ともかく相馬藩は伊達藩と密接な関係にあるから伊達藩を知らないと相馬藩もわからないとなる。
「新地町史」手元に置かないと相馬藩のことも調べられない
自転車で新地までは遠いからなかなか行けない
でも意外と鹿狼山は近いと思った。海と山との距離が新地は一番近いのである。
自転車でもそれほどの距離には感じなかった。
この距離感とか地形をまず実地に知らないと歴史はわからない
ただ基本的な教科書的知識もないどんと郷土史も誤解してしまう。
ともかくこの辺では「文禄」時代の碑があるということは相当に古いとなる。
それは伊達藩領域だから残っていたのである。

タグ:新地町
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2015年06月23日

青森県の地形の詩 (青森県は最果ての海に囲まれた小宇宙の魅力)


青森県の地形の詩

(青森県は最果ての海に囲まれた小宇宙の魅力)


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一戸、二戸、三戸、八戸・・
辺境の蝦夷の柵
黒石のこみせ通り
雁木造り通り薄暗し
トンネルをくぐり
雪に埋もれる小国
弘前は開けし都会
青森は青い森
津軽鉄道あわれ
終点の中里駅
砂に埋もれぬ十三湖の湊
龍飛崎は本州の果て
西風は十三湖に吹きつけ
津軽平野に吹き渡る
西風はロシアよりも吹くや
外ヶ浜、日本の果て
寥々として暮れぬ
深浦は日本海の湊
野辺地は陸奥湾に望み
北前線の寄港地
下北半島に古風の習わし
丸山山内遺跡は縄文のまほろば
ヒスイは日本海を巡り来る
アイヌのここに痕跡を残し
粛慎、北の大陸と通ず
何故に日本中央の碑
そこは日本の果てにして中央
陽は太平洋より昇り
日本海に赤々と沈む
海に囲まれた一つの青森県
本州はここに尽きて
北海道は新たなフロンティア
函館と青森の対称的明治の日本
青森は一つの県にて海が巡り
大阪京都と通じてアイヌとも
船が巡り湊が点々と栄えぬ


青森県は意外と地形的にわかりやすい、太平洋と日本海とがある県はまれである。
青森県は太平洋と日本海がある。県としても岩手県とか福島県に比べると小さいから地形的に複雑に見えても一つのものとして地形を把握しやすい。
そうはいっても地形だけはどこでも狭い範囲でもわかりにくいのだ。
確かに丸山山内遺跡は縄文の都市とかされて青森市の港に近く青森県の中央に位置していた。古代の中央が今の中央となったので古代からの連続性がある。
県の中心がどこにあるかはわかりにくい、廃藩置県になったとき無理して藩をまとめて一つにしたのが無理だった。
江戸時代の藩は自然条件を基にして作られていたから地形とマッチしていた。
どうしても福島県だと浜通りと会津は遠すぎるから一つの県としてまとめることに無理があった。
これは他でも同じであり歴史と地形を無視して大きな県にしたからその弊害が今日にも及んでいる。

確かに青森県も複雑なのだが地図を見るとそんなに広くないからわかりやすい
津軽平野は縄文時代とかは深く十三湖が入り込んでいた。
だから太古になると藤崎が淵崎であり十三湖が入りこんでいたからその名がついたのか?
弘前もやはり前は崎である。広い崎が十三湖に突き出ていたのか、そういう地形にあることも見える。
弘前)崎)とあり藤崎とあるのはやはり十三湖につきでた岬のような地形だったからなのかでもそんな古い時代に地名がつけられたのか?
ただ崎とつけばたいがい海に突き出た台地であり岬だからそういう所に早くから人は住んでいた。
この辺でも今回の津波で柏崎など高台の崎は津波の被害がなかったのである。
縄文人は今回の津波の被害にあった地域には住んでいなかった。

青森県の魅力は本州の最果てになるからである。最南端とか最北端とかそういう場所に人はひかれる。日本は何か海に囲まれているから世界が尽きるという感覚になる。
こういう感覚は大陸ではもたない、どこまで行っても陸地は果てることなくつづくからである。日本の特色は意外と狭く世界が尽きてしまい日本という島国に閉ざされる宿命として地理的にあった。
だから海を越えて世界と交流するという感覚がともしいのである。
江戸時代の鎖国は地理的必然性としてそうなったのでありいろいろ原因はあっても地理的制約の結果だった。
他の国では大陸などではまず鎖国などできない、絶えず異民族が侵入してくるからであるそれで万里長城が築かれたのてある。
ともかく人間の不思議は簡単に地理はどこでもわかりにくい、でもまずその土地を知るときイメージ化するとき地名があるということも確かである。青森だと最初は八戸だとか二戸だとかその地名から辺境をイメージするのである。
青森では青森という青が森のイメージであり黒石は黒い北国のイメージであり雪国らしくかんきのこみせ通りなどがあり黒いイメージがその名とともに心象化されるのである。
黒というと何か黒のイメージを最初からもつから不思議である。
弘前だと広く開けた土地の感覚をもつから対称的である。
何か弘前は明るく先進的な地であり黒石は雪国の暗さをイメージするが実際に街もそういうふうに感じるのである。

黒石からバスで小国を通り十和田湖近くの温川(ぬるかわ)温泉に二日泊まったことがあった。
トンネルをぬけると雪国だった・・・とあるがあそこは最果ての雪に埋もれて小国だったあんなところにも村があるのが日本である。
日本は山が多いからトンネルも多いのである。そのトンネルは短いにしろトンネルをぬけたら小さな村落が隠れ里があっとなるのが日本である。
小国という地名は日本全国にあり山里に多い。そこで時給自足の生活をしていたのである一つの小さな自給自足の国だったのである。
岩手県とか秋田県とか山形県は地形的にわかりにくい、青森県は地形的に比較的わかりやすい、それは太平洋と日本海が一つの県にあり一つの最果ての小宇宙になっているかかもしれない。県としての全体のイメージが浮かぶとその県を知ったことになる。
福島県は会津は会津であり中通りでも浜通りでも地形的には別な世界なのである。
青森県の最大の特徴は一県が海に囲まれた最果ての小宇宙になっている魅力なのである。


abstract(black mountain)


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人間の脳


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火口

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黒い山


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水に写る黒い山



これは外国の写真を加工したものである。こんなふうに変化することが常に意外なのである。
その手順はたいがい決まっている、それはと企業秘密とかなるが別にすぐわかる
もっといいソフトもあるだろう。
ただ十回くらい試してみるから結構手間なのである。
黒い山が水に映ったようなのに変わったのが意外だったし黒い山になったのも意外だったつまり抽象画は具象画と違い常に意外なものとして現れる
予想がつかないのである。そしてまた変化するのである。

最初の原画とか写真からは水に映った山に変化するのはまるで違っているから著作権を指摘もできないだろう。
私の原画を変化させたものだと言ってもオリジナルだという言えばそうなってしまうだろう。
そういう証明ができるのか?
抽象画の不思議はその元となるのものがインターネットに無数にあることなのだ。
別なソフトがあればまた別な変化が楽しめるのである。
ただ手間がかかる、そして創作とも違っている、化学変化を楽しむのとにているのである。

タグ:黒い山
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2015年06月22日

六号線と相馬市の道の駅の写真 (角度を変えると違って見える)

六号線と相馬市の道の駅の写真


(角度を変えると違って見える)


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クリック拡大

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立葵6号線に遠嶺かな

6号線往き来の車立葵

立葵一日明るく外にあり

青田風曲屋風の道の駅

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六号線から相馬市の道の駅は近いから毎日のように行っている。
六号線は歩道もあり一応自転車も往き来しているからまだ人間的な道だとなる
ただ歩いている人はいない、歩くというのは何か過去のものになっているのである。
だから人が歩くだけで絵になるということが今やある。
歩いて感じるものと自転車で感じるものはまた違っている。

車というのは自分は嫌なのだけど結局人間は何であれ今生きているところが活気あるところにひかれるのである。
六号線は自転車で毎日のように通っているから親しい道となり人が行き交い活きている道となる。一方で死んだ衰退した道がある。
シャッター通りとなると人も歩いていない、車が通りすぎてゆくだけでゴーストタウンのように見えるし鉄道の駅は今やこの辺は相馬市と原町間で二両の電車が通っているだけである。
駅は閑散として淋しい、駅に一人とか二人とか待っていることはいる
昔は鉄道の駅は街の中心でありにぎわっていた。
それでも前はスーバーヒタチが走っていたから違っていた。それなりに常磐線は活きていたのである。

やはり何であれ人が集まらないと活気が生まれない
相馬氏道の駅には全国から来る、工事関係者も多いが他の人も来ている
車のナンバーを見てまわる、今日は奈良の番号があった
少しでもそういう人と話すことで見聞が広まるということはあるがなかなかできない
今の季節と立葵である。この花は明るい夏らしい花である。
この花は六号線にあっている。遠くに山が見えて遠くに行きたくなる
でも今は本当に遠くても相馬市くらいしか行けないのである。
この辺に欠けているのは高い山なのである。
だから高い山を見たいということか自分には常にある

ただ何回来ても角度を変えるとまた風景が違って見えるのも不思議である。
普通だったら外部の人だったら六号線だと本当に通過するくらいになる
これだけいろんな角度から見ると違って見えるのである。
写真をとるということが一つの目的として毎日行っているよさらに発見がある
いい写真をとろうとして見るからそうなる
ともかく今はこうして風景でも見過ごしていることが多い
ただ通りすぎて行ってしまって心に残らないのである。
あそこに注目したのは立葵があれだけ咲いていたからである。
写真の魅力か大きいのはやはり写真にするとまた見えないものが見えてくるからである。俳句でも写真俳句、写俳という分野が生まれたし写真の日記も生まれた。
写真で日々記録するのが現代である。
でも写真からどれだけのものがよみとれるのか?
写真は無数にありそこから異文化とか知らない自然にふれるということもある

高速道路は自転車では走れないから自分にとっては関係ない
そこは完全に車だけの世界になってしまう
六号線はまだ車と自転車とかが併存しているのである。
この辺はまだ日影の道が多い、ただ放射能汚染で南相馬市は木が切られた。
これもどうかと思った。
相馬市は除染していないから前のままであり同じ風景になっている。
そもそも除染がそんなに効果あるのかとなる疑問なのである。
仮設の商店街に「原子力委員会」という車が水戸から来ていた。
そんな人たちも来るのがこの辺なのである。


東電は津波を来るのを予想していた (コストがかかるとか経営陣が対策をとりやめていた)


東電は津波を来るのを予想していた

 
(コストがかかるとか経営陣が対策をとりやめていた)



東電は08年春、社内の研究で、明治三陸地震が福島沖で起きたと仮定、想定水位5・7メートルを大幅に超え、
最大で水位10・2メートル、浸水高15・7メートルの津波の可能性があるとの結果を得た。
新たな津波評価を受け、原子力・立地本部の幹部らが対応策を検討したが、
設備を主管する原子力設備管理部は「そのような津波が来るはずはない」と主張。同本部の上層部もこれを了承したという。
実際にはこの津波評価が的中した形となったが、
原子力設備管理部の部長を07年発足時から昨年6月まで務めていたのは、
皮肉にも現在、福島第1原発で陣頭指揮を執る吉田昌郎所長だった。
http://megalodon.jp/2011-1128-1551-43/www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20111128/dms1111280716000-n1.htm

東北電力は第一原発のすぐ北で小高浪江原発の計画をしていて、
今回クラスの津波が来ていたことは調査で分かっていた。
(東北電力は掘って津波の痕跡を調べていた。
東電が津波を知らないなんで嘘でしかない。

やっぱり理系は優秀だから、正しく事態を見抜いていたんだな。
たしか、東日本大震災前に
福島県議会で、津波の危険性を指摘したけど
東京電力はシカト


そもそもこういうふうに津波の話題がでていたこと自体あまり地元でも関心がなかった
もし津波に対して東電で警戒していたとか話題になれば地元の人も津波が来るんだと
警戒したからそれで今よりは命も助かったかもしれない
福島県浜通りでは特に津波の伝承もなくほとんど関心がなく津波が来ないものだと思い込んでいたからである。
だから自分も前になぜ理系集団の東電が津波をポーリング調査で科学的に証明して学者が東電に警告していたのにきかなかったのか疑問だった。
実際はそうではなく津波が来るのを想定していたのである。

その点東北電力が違っていた。小高で津波の痕跡を調べていたという、それだけ津波に警戒感をゅっていた。女川の原発は津波に警戒して作り辛うじて助かった。
でも不思議なのはもし小高でそうして津波の痕跡まで見いだそうとしていたら
地元の人でも津波はこの辺でも来るのと警戒しただろう。
もし東電でも津波を警戒して防波堤を作っていたらあんな高い防潮堤を作ったのだから
そんな津波が来るのと驚き警戒しただろう。

確かに相馬市の松川浦の奥までボーリング調査して津波の痕跡の砂が発見された。
そんな奥まで来たのかと驚くものだった。
だから相馬市でも浜通りでも津波が来ないということはなかったのである。
ただそうはいっても津波には関心がなかった
それは東電とか東北電力とかなるとかやはり科学者の集まりだから違っていたとなる
そういう優秀な理系集団であったがその理系的なもの科学的追及心とかが活かされなかった
経営コストととかが幹部でかかわると政治家もかかわりとめられた。
そこには政治的なものや経営がかかわり科学的なものが活かされなかった
科学は客観的真理であり政治とか経済的コストととは関係ないものがある
それでガリレオはカトリック教団に攻められてもそれでも地球が回っていると言った。
つまり政治的なものやその他経営的コストなどに左右されないのが科学的真理なのである
もう一つは重大なことがマスコミでは取り上げないし報道しないことがある
福島県の新聞などもそうである。完全に官製報道でしかない
福島民報でも聖教新聞をすっているからもう東電でも宣伝費を出す所は批判しない
それで福島財界という本が最初原発に批判的な記事を出していたがすぐにとりやめた
それは東電から相当金が回ってきたのだろうと取りざたされた
そもそもあのような月刊誌が成り立つ資金など販売から得られない
すると宣伝費で成り立つから政府とか大企業にはさかえらないのである。

いづれにしろもし東電で津波対策して高い防潮堤を作ったらそれは新聞でもテレビでも隠すことができないし報道される
する地元の人もあんな高い防潮堤が必要なのか?
そんな高い津波が来るのかと驚いたろう
そしてもしそれが津波の警戒をうながしたら被害があっても少なくできたということもある。
そもそも津波に対してあまりにも浜通りでは無関心だったからである。
だから原発はかえって津波に対する恐怖を勘気するものとなったのである。

そして小高と浪江の間に東北電力の原発が作られるすでに工事がはじまるとういことにも無関心だった。
小高だと隣の原町でも鹿島でも相馬市までも避難区域になったから恐怖だった。
これもまた無関心だった。
ただ今回東北電力が作る所の高台は津波をまねがれたから東北電力は信頼できるとはなる東電と東北電力の差は津波に対する危機感が違っていたのだろう
それでもやはり東電となると理系の優秀な集団であり津波を予想していたのである。
それでも津波対策ができなかったのはなぜなのか?
やはり政治家とか経営とかがからみコスト的に損だしさけていて津波にあってしまった。

吉田所長の責任も重いものだったのか?
理系でありやはり津波のことを知っていてもその対策をしなかった。
吉田所長が責任を感じて最後まで原発に残ったというのもそのためだとかなる
現代は国の責任もあるけど大企業となると国なみの力をもつようになった
トヨタがすでに国ではないかとも思う、だから財界によって大企業によって国が左右されやすい、東電は一つの国の中の国だったのである。
権力関係では政府より力があり検察もとりこめる力をもっていたのである。
だから未だに東電の社長も会長も罰することができないことでもわかる。
それだけの権力をもっていたのが東電だったのである。
保安院などは単なる飾りであり官僚の検察でも天下り先が東電だったのである。

権力の怖いのは例え科学にかなわないことでも理不尽なのことでも権力でノーとなれば
それが通るのである。
官僚に不満があるのは民間会社の人がそうした権力でやれることもぃれなくなるからである。
そしてその権力に対抗するのは誰もできなくなるとき権力が暴走するのである。
自分の本でも図書館に置けないとか地方の役人でも権力をもっているのである。
創価でもなぜあれほど権力追及なのかとなれば権力でおいしい思いができるからである。だから東電の宣伝を聖教新聞でも積極的にしていた。
そういうふうに権力と癒着することが腐敗をうむ
そういうことは戦時中も特高とかいてとりしまられていたのである。
だから巨大な権力を誰が制御するのか?
政府も大企業の言いなりになり検察もそうでありマスコミもそうである。
結局誰もできないから津波が罰したとまでなるのである。
天により神により罰せられという他ないのである。


タグ:東電
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2015年06月21日

全国賃金時給分布からみる差 (データーを素人でも見るインターネット時代)


全国賃金時給分布からみる差

(データーを素人でも見るインターネット時代)


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平均賃金

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時給



鹿児島なんて最低賃金時給600円台半ばチョイくらいだよ。
で、地元じゃわりと大手の企業でも平気で最低賃金、サービス残業とかまかり通ってるよ。
本当に生活保護が勝ち組みたいなレベル。
こんなんだから、鹿児島はパチンコ屋が異常に多い。
市内中心部の一等地も立体駐車場完備の大型パチンコ店が多数進出していて、観光も多い県なのに本当に恥ずかしい、情けない景観。
所得低いから金を安易に増やそうとパチンコ屋に入り浸る人が多い。
もちろん、ちょっと暇つぶし、気晴らし程度で2、3千円程度楽しむだけの人もいるけど、老若男女問わずパチンコ人口多いのは鹿児島の最大の恥。

中国人が「日本製品やっす!」「日本女やっす!」と爆買いするのを
「爆買い有りがたや ありがたや」と揉み手で迎える。
戦後、米軍トラックを「ギブミー!」言いながら追いかけてた時代に逆戻り。
アベノミクスで見事に日本は三等国堕ちw
台湾、上海あたりの最低賃金っていくらなんだろ
地元民が食べる屋台のランチのヌードルですら一食日本円で1200円くらいだよね
日本は貧乏くせえわなあ、最賃、700円とかだろ?
人の価値が安い国。


中国人も逃げ出す日本の低賃金
中国人の研修生はどんどん数を減らして東南アジアの研修生が増えている
彼らもご存知の通り日本の低賃金にすっかり騙されたと
失踪したり訴訟をしたり散々な状況



インターネットで変わるものは相当あった。ただそれが個々人ではなかなかインターネットは意識されない。
そもそもも物の値段だとわかりやすい、毎日買い物しているから物価には敏感になる。
アスパラガスは好きだから毎日買っている、国内産だと三〇〇円とかなると高い
今日は外国産が置いていなかった、メキシコ産など国内産の半分とかだった
この値段の差がどこから出てくるのか?
それはグローバル経済だからこそでてくる値段なんだよ
最近は外国産は円安で食料でも高くなっているから前のように買いずらくなった
輸入品が高くなり食料品も高くなる、これもまた当然なのかもしれない

そもそもグローバル経済では外国産は安くなりすぎていたのだろう
日本だったら食料でも人件費やなにやらで高くつく、種が上がったとかで農家の人も嘆いている 肥料だって輸入していれば高くなる
ただ食料品が高くなることは国内産にとって農家などにとっては有利になるだろう。
それは外国産が半分の値段とかなっていれば競争できないからだ
もし外国産と国内産がさほど変わらないとなれば日本産を買うようになる
つまり日本の農業にとっては円安は歓迎だとなる、それは生産者にとってである
まず経済とか景気感とかは個々人によって地域によってみんな違っている
アメリカで時給を一八〇〇円にするとなるとこれは高いなと思う
でもこさを日本と簡単には比べられないみたいだ
それでもアメリカが景気がいいというときアメリカに投資してなぜ分配金が高いのか驚いた
そういう株とかでもうけたことがないからである
だから資本主義とは元金が資本があるともうけられんだなと実感した
時給とかで働いても今や正社員でも賃金が高くならないからである。

その資本とは国内だけではないグローバル経済の中で活かさないともうけられないのである。
グローバル経済がいいの悪いのという前に世界の現実がそうなってしまっているのであるだから会社で時給で働くより株主になって配当金をもらった方が資本主義では得なのである。だから資本主義はとにかく元金がないと資本がないと得しない仕組みだとなる
賃金とか時給の差をみるとやはりその県の経済事情が反映している。
東北だと経済力は宮城県が一番であり次に福島県がいいのである。
ただ福島県は前は浜通りとか中通りと会津には差があった。
だからその県内でも差がある
一番ひどいのは青森県とか常に言われてきた。
それは全国の賃金差でも時給でも同じである
東京近辺は神奈川とか千葉とかはやはり高い
大阪近辺でもそうである。なぜか近江では賃金は高くても時給が740円では安いと思った
やっぱり大阪や京都から離れているのが影響している?

福島県が賃金で88は九州や四国より高い、原発事故後はこの辺は人手不足で飲食店では1000円を越えているがコンビニではそれほどでもない、飲食店は結構仕事がきついということがあるからだろう。
富山石川福井長野は賃金は福島県より高い、茨城、群馬、栃木なども高い
これは関東圏は高くなっているということだろう。
全国を地域別に見るのは別に経済力だけではない、いろいろなものに県別や地域差はあるただこれも全国を旅してその土地柄を地形など知らないとわかりにくいだろう。
まず神奈川などは本当にわかりにくいし他にも福島県なども広くて福島県に住んでもわかりにくい。
全国を旅したらその土地が歴史的文化的にどういう土地なのか興味をもつ
一回でもあそに行ったなとなると興味をもつ、それは外国でも同じである。

日本は相当におちぶれて衰退してきている、なぜなのか?
日本には何か欧米のような独創性がないからかもしれない
でもアジアはアメリカでも留学生でも成績がいい
特に数学の成績がいい、その理由は稲作と関係していたというのも面白い
農耕民は努力型であり欧米のような狩猟牧畜民、遊牧民と違っている。
そのメンタリティはなかなかわからないのだ。
なぜ欧米が主導権を握ったかというと何か新しいものを発明して作り出す能力は欧米人が優れているからではないか?
こつこつ努力型には何か天才的ひらめきで新しいものを作り出す能力に欠けている
それでITなどでも遅れをとった
今やロボットがニュースの記事を編集して書くということすらコンピュターでできるという。人工知能の進化は進んでいる
人間はやはりデーターが手元にあれば素人でも分析しやすくなる
こんなことを書けるのもインターネットの情報の流通によって書ける

ネットで面白いのは地域差があって地域から地方から発信されることにもある
マスコミだと中央よりだし取捨選択も何か視聴率にだけこだわるからかたよる
そしてマスコミは権力機関の政府でも団体でも宗教でも大企業でも広報機関なのである。宣伝費をそうした大きな団体からもらっているからそうした大きな団体はたたかないのである。
だからマスコミからだけでは真実はわからないのである。
ともかく情報は無限大でありそれをどう見るからはやはり個々人で判断するほかない
そのためには資料が必要でありネットでも交流が必要になる
ただネットでの交流は会話になるとめんどうだし若い人に老人はついていけない
自分は前もそうだったが今や会話することが一番労力を使う
相手となんらか合わせなければならないしめんどうになる
だから今は家事から介護からで毎日追われているからその余裕がないからいちいち答えられない、その時間の余裕がないのである。
ただプログだと時間をみて書きづづけている、発信できることを主体にしてそこにエネルギーをそそいでいるのである

とにかく日本は衰退してゆくとき、海外旅行でも中国でさえ高くなっている
カンボジアやミャンマーなどが残された安い国になるが海外旅行すら自由にできない時代になっている。
それで逆現象が起きている
日本人が中国人でももてなす時代になる、女性も安く中国人に遊ばれとかなる
それは日本人かさんざんしたことだから自業自得でありカルマである。
国にもカルマがあり必ずカルマが厳しくのそのツケが支払わせられるのである。
すでに日本人のいい時代は終わったということかもしれない
なんとか安いとき海外旅行に行ったのが良かったともなる
人間はチャンスを逃したら二度ともどってこない
その時にやるべきことをやらないと絶対にはもうできなくなる
このことは若い人は肝に命ずるべきだ
例え金になるしとてもそこに時間を費やして後で後悔する人も多い
結局人間の最後は結末は想定外、計算外のことが必ず起きる
今度の津波や原発事故もそうである。
何か計画していたものが一挙に破綻したりして計画通りにならないのが人生である。
世界情勢なども今後どうなるかわからない、結構若い人にとって厳しいものになってゆくのかもしれない,徴兵とかなるのかもしれない
国が破産状態になったりとこれからは日本は厳しい局面にたたされる
団塊の世代は特別恵まれていた時代に生まれたともなる
自分も特別私的にも恵まれていた、ただ二十代は危険だった
底辺労働で危険な死に目にもあっているから危険だった
それも別にそこに追い込まれたというのでもなく自らそういう場所に飛び込んだのであるそれも経験だったということである。




タグ:時給
posted by 老鶯 at 22:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会問題の部

夏の日々(相馬市の道の駅までーシリーズ2)


夏の日々(相馬市の道の駅までー2)


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これは岩袋ではない、名前がわからなくなった

ここまでクリック拡大

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老鶯や離れつ藪に鳴きて暮る
老鶯やいつもの道に雨しとと
青葦の伸びて長きや風そよぐ
紫陽花や朝に水滴色づきぬ
遠くへと6号線に立葵
旭川のナンバーのあり夏燕
クローバーの匂いや夕べ走り去る
道の駅燕の雛の育つかな
一等星我に煌めく夏銀河
夏銀連なる星の一つかな
蠍座の赤く光るや夏銀河
全天に頭めぐらし夏銀河

雨の後塀よりあふれ山帽子風にそよぎて朝の日まぶし
この道の木陰のつづき五本松道の駅にし我も休みぬ
鹿狼山見えて青田にそよぐ風涼しや道の駅に行くかな
葦茂る青々として瑞々し悠々として風にそよぎぬ
街道に残れる松や夕日さし岩袋咲くこの道帰りぬ

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クリック拡大しないときれいに見えない

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このところ一週間は雨や曇りから前は晴れもあった。気候の変化が今年は激しい
この辺はまだ梅雨ではない。梅雨らしいという日もあった。
それで昨日は曇りであり雨もちょっとふるとかあった。
この辺ではまだ自然があるから老鶯がそれぞれ離れて縄張りをもち藪に鳴いている。

今日は晴れて朝まぶしく日がさして紫陽花の葉に水滴が光っていた。
それから相馬市の道の駅の方にまた行った。
青田に気持ちよく伸びた苗がそよいでいる。
遠くには鹿狼山が見える、新地まで相馬郡だったから鹿狼山見えるということで新地も相馬なのである。
ただあそこは伊達藩との境目である。

この青田の脇の道は長い日影の道となっているから気持いい
そして五本松があるから何かあそこが落ち着いて安らぐ場所なのである。
道の駅では遠くからの人が集まる。
この前は釧路であり今回は旭川のナンバーがあった。
工事とか除染関係ではないらしい、太平洋フェリー苫小牧からくる
燕の雛が盛んに鳴いて口をあけている
夕べは昔の街道の松がありそこに夕日がさし岩袋が咲いていた。
この辺では田んぼが増えたが原野化している所がまだ多い
だから田んぼの代わりに一面にクローバーで埋めつくされている。
それは北海道の光景である。
だかちクローバーというと北海道を思い出す。

今頃の葦は青葦である。
瑞々しく青々として悠々と風にそよいでいる。
梅雨の時期は必ず行っていたそれも長いのである。
今になるとつくづく恵まれていたなと思う。
旅に出たら一月くらいは帰ってこなかったからである。
だから北海道には思い出深い場所となる。

夜も自転車で走り走りながら銀河を見る、夏銀河というとなにか秋の銀河とも違って宇宙が輝いている。無数の知らない星が輝いている
プラネタリウムではとても現実の星のようには見ることはできない
自然は常に新鮮なのである。やはり夏は瑞々しいとか青々としたという感覚になる。
命が輝いている、それに感応するのが人間である。
自然に本当に感応するならゴッホのようになる。
それだけ人間の感受性が弱いから今一つ自然の強烈な命を表現できないのである。



タグ:夏の景色

2015年06月20日

立葵の抽象画 (抽象画には演繹法と帰納法が適用されている)


立葵の抽象画化したもの

(演繹法と帰納法が抽象画に適用されていた)


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演繹法は抽象化された事柄を具体例にあてはめること

帰納法は具体例からそれぞれに共通する性質をぬきだして抽象化すること

抽象画を見てこれなんなのだろう

「花ににているよな、特に立葵にているんじゃないか?」
「そういえばそうも見えるな」
「これは立葵だ」よ
「見ればわかるよ」
「でもこれは抽象化すると円にもなるし炎のようにもなる」
「それは言えるな」
「それから色は赤とかピンクだね」
「白もあるけど」
「立葵は色が鮮やかなのいい、夏らしくて・・・」
抽象画を解析する、理論化するというこいうことになる
花だったら円という形になりやすい、性質としてはそうなる
他にも円になるものはあるけど
基本的に性質は四角とか丸とか三角になる
色はまた別な要素である。

その性質を基にして抽象化すれば帰納法になる
抽象化されたもの、抽象画を具体例にあてはめるのが演繹法である


タグ:立葵 青田
posted by 老鶯 at 17:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 抽象画の部(abstract)

2015年06月18日

「心に青雲」では自然循環論を言っても東京の暮らしは全く反している (文明人はみな自然と相反して生活している)


「心に青雲」では自然循環論を言っても東京の暮らしは全く反している

(文明人はみな自然と相反して生活している)

だいたいシャケの体の6割は森に棄てられる。一頭の熊が1年で平均700匹のシャケを森に棄てる。
 そういう時期に森に入ると、すごい腐臭がただよっている。
 森中に白いコメがまいてあるようになっているが、それは腐ったシャケの死骸にウジがうごめいているのだ。
 それをさらに鳥が来て食う。鮭の死骸は10日間で白骨化し、翌年にはそれも消えてなくなる。ネズミが食べ、鹿がかじり、昆虫がたかり、微生物が分解する。
 熊がいて鮭が登ってくる川がある森はとても元気だそうだ。
 鮭が海の栄養素を運んで来て、その死骸は山に還元されていくからだ。
 http://kokoroniseiun.seesaa.net/
 
 
C・W・ニコル氏のことを「心の青雲」でとりあげている。これは自然には無駄なものは何もないということを無駄にしないということを具体的な例でとりあげたからわかりやすい森と川と海は別々なものではなく一つの生命体として連続して連環してあるというのはわかる。
でもそこで問題になるのは文明人の矛盾しているのは自分もそうだが東京という大都会で暮らしているとその生活がそうした自然の連環的な生命のリサイクルの中にあるのとは全く違ったものとして生活している。
東京でそういう森も川も海もないのである。だからそういうところでそうした自然を認識するのかとなる。
東京だと最も自然とかけはなれた生活をしているのである。
そういうことに感心するのはわかるけど現実の生活は全く正反対の生活をしている。
田舎だと山を神としたのは山から田んぼに水が流れて稲を実らすからである。
それで春になると山から神がおりてくるというのは水が流れて田んぼをうるおし稲を実らすからそうなる
そして死ぬと山に還るというのはそうした稲作と深く関係した生命の循環的思想はその生活から生まれたのである。
田舎では田んぼがあるから農民でなくても何かそういうものを意識する。

ところが東京のような大都会になるとそもそも田んぼもないのだから意識しようがないのである。
でも江戸時代では江戸の回りは自然豊かであり農民が住んでいて糞尿を農民が肥料にするために取りにきていたのである。
農業は肥料がともかく一番大事だからそうなった。
つまり江戸だったら都会で生命の循環的生活をしていたからそれは具体的なものとして
実感としてわかる。
でも今の東京でそうした自然のことは理屈としてわかっても実感としてはわからない
遠くの世界として感心しているだけであり現実の生活は正反対なのである。
毎日膨大なゴミが捨てられているしそれが家事では一仕事なのである。
それは東京でなくてもどこでも同じである。
文明人としてみんな生きているのでありそのシステムの中で生きている。
人間はつくづく自分もそうだが言っていることとしていることが必ず矛盾してくる

「心の青雲」の著者は東京に住んでいる。すると東京電力の電気を利用しているしそれを供給した場所がフクシマでありそのためにフクシマは住めなくなるまでになった。
循環的生命論を言うなら東京はそれと全く反した所に生きている。
東京を維持するには膨大な電気が必要である。文明を維持するにも必要である。
そのために石油が必要になり原子力が必要になる。
もちろん田舎でもそうした文明の中に生活しているのだから電気は必要である。
ただ東京にはどれだけの電気が必要なのか?
それだけのエネルギーを消費することはすでに循環的生命の世界とは正反対の社会なのである。
そして放射能はたいしたことはないと最初から言っていた。
それはわからないにしてもそれも無責任だろう。
東京に電気を供給するためにフクシマで事故が起きた、そして放射能はたいしたことがない、普通に生活すればいいとか言うのは無責任になる。
だから何かそうした自然循環論の生命論を説いても矛盾している
それは自分にもあるし何か矛盾していることは必ずある。
自分も資本主義を批判しても資本主義でもうけているから得しているから資本主義が実際はいいとなる方なのである。

だから人間は口で言うのと理論とは必ず矛盾してくる
要するに東京のような所に住んでいる人は自然とは切り離されているからもともと自然とは関係ないのである。
でもフクシマでは田畑があり海があり漁業があり林業がありと自然と関係しているから放射能汚染で致命的打撃を受けたのである。
東京の人もまたフクシマの事故には関係していたし現に東京の水源も汚染されたとかあるそして東京は東京で都会は都会で田舎は田舎で地方は地方で暮らせとかはならない、
フクシマなら東京から離れているから汚染しても東京までは及ばないという感覚でフクシマに原発を作ったことがそもそも疑問だった。
東京の電力は東京で作ればいい、原発も東京に作ればいいというのも正論だったのであるそうすればかえって今回のような津波のような事故にはならなかったのである。
もちろんフクシマにはフクシマの問題がありそれはこれまでも書いてきた。
それより原発は広範囲に影響するから日本全体の問題でもあった。
いづれにしろ生命循環論を語るなら東京に住んでいて語っても説得力がないことは確かである。

体内に「生命の歴史の水」を保持するということである

歴史の水というのも何か新鮮な表現である。水にも歴史性があるとか原子も古くなっているとかいうのも何か理系的なものを文系的に解いているから自分は文系だから納得する。そういう点では新しい視点をもたらしたことは確かである。
人間の特徴は歴史的存在であり日本人は人種のことではなく日本の歴史の中で作られたのである。
歴史というのは例えば原発事故で三野混沌の極貧の生活を見直されたように常に歴史をふりかえり対比して現代を見るのである。
自然にも歴史があり津波にも歴史をみればこの辺でも大きな津波に襲われて四〇〇年前に七〇〇人溺死の記録があった。
そういうことが全く忘れられていたから歴史をふりかえることが忘れていたからこれだけの被害があったともなる
「生命の歴史の水」というとき「人間の歴史の血」というものを歴史的民族はもっている。
それは血統というのではなく長い歴史で培われたものが時代を経てももちつづけるということである。
血とは地のことでありその土地から受け継ぐものだからそうなる。

人間は一時代を一世代を生きただけではわからない、長い歴史を連続したものとして人間をみるとき人間がどういうものか理解する。
動物は歴史をもたないから進歩も発展もないとなる、いつも同じなのである。
歴史は必ずそれが教訓でありその教訓からいかに学ぶかが人間なのである。
だから最近七年間いろいろと苦労して諺というのがいかに今でも通用しているかわかったそれは庶民が伝えたにしろ人間とは今も昔も変わらないものがあるから通用している。
「遠くの親戚より近くの他人」というときその遠くは隣の村でも車もないのだから遠かった。
これは別に交通が便利になっても変わらなかった。
遠くの親戚というより東京でも何か大地震などが起きた時、即座に助けられるのはやはり近くであり遠くではできないし外国が助けるとは限らない、つまり東京でも何かそうした大災害にあわないと田舎などどうでもいいとかなる。
でも今回の東北の災害でわかったように想定外のことが必ず起きるということである。
だから災害の観点から社会を見直すことも必要になったのである。

諺は庶民は残したものでも深い真理があった。
それが今でも通用するということは人間自体が文明化しても変わっていないということなのだ。
だから諺は真理であり馬鹿にできないと思った。
学問もむずかしくすると理解できなくなる。「相互浸透」とかは朱に交われば赤くなるとかのことであり弁証法は何かとなるとそれももっとわかりやすくすれば理解できる。
ただ科学にも詳しいとなるとそこで浸透というのは化学反応のようにイメージしているのだろう。「朱に交われば赤くなる」というのは化学反応でもあるからだ。
学問はどうしてもむずかしい言葉を使うから庶民に敬遠される。
真理でもそれは単純なものとして表現できるのである。だから弁証法となると別に庶民でなくてもとっつきにくいのである。



タグ:心に青雲
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2015年06月17日

三野混沌の土着的生活が現代に問うもの (原発事故で故郷まで失ったものへの教訓)


三野混沌の土着的生活が現代に問うもの

(原発事故で故郷まで失ったものへの教訓)


いちばんむずかしいことで、誰にできること

ふしぎなコトリらがなく
花が咲いている
どういうものか ひとのうちにゆくものではない
ひろいはたけにいけ
きんぞくのねがいするヤマはたけにいけ
まっしろいはたけへいけ
そこでしぬまでととまれ
あせってはならない
きたひとにははなししろ
それでいい
クサをとりながらつちこにぬれろ
いきもはなもつかなくなれ
これはむずかしいことだが
たれにもできることだ
いちばんむずかしいことをのこしておけ
いちばんむずかしいなかでしね
(三野混沌)

現代は戦後十年は江戸時代のつづきだった。燃料は炭だったし電気は裸電球一つしかなかった。家には何もなかったし竈まで使っていた。
その後あまりにも便利になって過去のことが不便な時代のことがわからなくなった。
高度成長時代を経て人間は地方でも確かに田畑を作っていても小さな畑にしがみついて暮らす土着性は失った。
その当時は結局この詩のようにわずかの土地にしがみついてそこから離れることもできない生活だったのだ。

きんぞくのねがいするヤマはたけにいけ
まっしろいはたけへいけ
そこでしぬまでととまれ
あせってはならない

その生活のすべてがその畑にあったのであり他に生活する方法がなかったのである。

これはむずかしいことだが
たれにもできることだ
いちばんむずかしいことをのこしておけ
いちばんむずかしいなかでしね


その当時の残したものはその田畑を維持して生きろということであった。
それ意外生きる道がないからそういう遺言になった。
しかし高度成長時代からは全く変わってしまった。まず第一次産業はGDPの一割に低下した。地方でもこれは同じである。
回りに田畑があっても農業でも林業でも生活できないとなり跡継ぎがないと老人だけが細々と受け継いでいるだけであった。
漁業なども生活するには苦しいと思っていたが実際は原発の補償金で原発御殿が建っていたのである。事故後船主などは補償金がもらいつづけるから他の人とは違う特権者だったのである。

要するに第一次産業は高度成長以後、その役割が極端に低下した。
だから跡継ぐものがいない、農業でも漁業でもやっていけないとなっていた。
実際田舎でも専業農家となると少ない、農家といっても田んぼをもっていても自分では農業しないで他の人に委託している人も多い。
それから減反政策でともかく田んぼをもっていれば金になるとまでなる
最近米の値段が下がったから国で五〇〇億円の補償金を出すことになったのもそうであり国の援助で農業はなりたったいたしこの辺では漁業も原発の補償金で成り立っていたのである。
だからあまりにも戦前のような農業を理解できなくなったのである。
工業化して豊かになると第一次産業は農業は趣味的なもの楽しみとしてやるというのがある。
それでも毎日わずかの畑をするにも草取りだ肥料だ、虫に食われる、ネズミに食われる、盗まれるとかそういう苦労が絶えないのか農業なのである。
ただそれはあくまで趣味であるから昔のように真剣なものとはならない
野菜はとれなくても実際は買って暮らしているのである。
三野混沌の時代はそれが命にかかわってくる,飢えて死ぬということがありうる。

そういう時代のことを忘れていたし山尾三省のことでも書いたが貧乏暮らしが特別なものとして話題にして視聴率をとるような時代である。
それも今になると演技でしかなくなる、山尾三省だって何でパンも食えないような生活しているんだ、それで目立って売り出そうとしているのかというふうにみられる。
三野混沌の詩はそういうものではない、実際にぎりぎりで生きていた現実があって作られたのである。
今なぜそれが見直されたかというと原発事故が起きてからなのである。
原発事故では放射能で一番第一次産業が農業や漁業や林業でも被害を受けたし土が使いなくなり水は汚染されて故郷にすら住めなくなったからである。
その原因がなになのかとなるとやはりあまりにも第一次産業を軽視したのと土着的なものが失われていたのである。
自給自足はその土地にもともとあるものでしか成り立たない、土着的なものから離れて生活していたのが高度成長時代からそうなっていた。
三野混沌だけではない、原発事故で昔の生活を見直されることになったのである。

なぜ故郷にまですめなくなったのか?
それが単に原発事故のためだけだったきか?すでにその前からそういう状況が作られていた。原発事故はその引き金となっただけだとも言える。
つまり多額の補償金をもらって他に移り住む方もいいとなっていたのではないか?
金が万能となり別に故郷でなくてもどこに住んでも金さえあればいいという社会が現代のグローバル社会である。
だから金持ちは税金高くなるから外国に移り住むとかなる

われわれの文化を悩ませる、「駆り立てる衝動」は、現代にとどまることへの躊躇となって現れる。より多くを求め、よりよくなるために過去を捨てていかなければならないわれわれには落ち着きだけではなく、根もない、われわれは同じ場所にとどまってはならないのである。それは職業や生活水準だけのことではない、家族や共同体さえも知らぬ間にだが確実にわれわれがとどまってはならない場所になりつつある
上向きの社会移動性とは単に地位的、階級的、物質的な上方移動を意味するのではない、それは地理的心理的な離別、すなわち両親の価値観や趣味からも遠ざかってゆくことも意味する。(豊かさの貧困ーポール・L・ワクテル)

つまりこの「駆り立てる衝動」がまさに自分が絶えず故郷から離れて旅することにあった故郷という小さな世界を脱するために旅が駆り立てる衝動だったのである。
ただそれは個々人だけではない、現代は全体のエートスとして心情、雰囲気として心持ちとしてそうなった社会である。
だから前々からなぜ簡単に故郷は捨てられ消失したのだろうということが疑問だった。
そんな簡単に何であれ故郷まで消失することかイメージもでてきなかったからである。
だから原発事故で故郷を消失したのではなくそもそもそういう故郷にこだわらない生き方が普通になっていて故郷から離れることに抵抗がなくなっていたともなる

現代は極端に移動する社会である。アメリカは特にそうなっているからアメリカに日本もにてくる。遊牧民的社会になっている。
だからなぜ故郷まで離れて消失してしまったのかというのは原発事故前からの生活そのものにあったともなる。極端に第一次産業は軽視されていたしグローバル経済でさらに豊かな生活を目指すようになっていたのである。
だから大内村の人でも郡山市で補償金で生活するとき帰りたくなくなったというのもわかるのである。
どうしてもすべでが原発事故だけでこうなったのではなくそういう状況を作り出すものがすでにあったから原発事故を契機として一挙に現実化したとも見えるのである。
つまり原発に頼る生活は一見豊かさをもたらしたが危険なものであり根もないものだったのである。
そうして個々の生活をみてもあまりにも贅沢でありその豊かな生活も無理があった。
八人に一人が借金しているとか家を建てるのにも借金してた建てるとか本当に無理してその豊かさを追及していたのである。
正直金になるならなんでもいい、モラルに反することでもいいし原発でもなんでもいいというのが現状だったのである。
もう欲望が無限に肥大化していたのがこの辺であり他でもそうである。

そうかといってももう三野混沌の時代にもどりそんな生活ができるかとなったら農民すらできないのは常に農業が金にならないと嘆くことでもわかる。
そんな極貧の生活を誰もしたくないしそれをやれということは命令することはできない
ただなぜそうした過去の生活が見直されたかというと故郷を失ってもいいのかという深刻な状況が生まれたからこそである。
故郷に暮らせなくなるということがどういうことなのか?
それはまだ自分の場合は暮らしているからわからない、その心境がどうなっているのかわからない、それでも故郷に帰りたい毎日泣いているろ老婆がいるとかは聞いている。
ある人は家族がばらばらになるなら蝋燭で暮らした方がいいという極端なことを言うようになったのも原発事故のためだった。
それなり三野混沌のような極貧でも故郷に住めなるいいという感覚になるのである。
要するに津波であれ原発事故であれはそれは様々なことを考えさせられるものとなった。その一つが三野混沌のような昔の生活も見直される結果になったのである。
しかしそんな極貧の昔の生活にはもうもどることはできない,ただ江戸時代でもそうだが現代を対比して見るとき現代が見えてくるものがある。
だから人間は常に過去を歴史をふりかえり現代を見直すということが必要なのである。

タグ:三野混沌
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2015年06月16日

エマーソンの「償い」の思想はカルマの理論と同じことを言っている (与えたものが一方的に損することはありえない)


エマーソンの「償い」の思想はカルマの理論と同じことを言っている

(与えたものが一方的に損することはありえない)



わたしのためにはなっても相手のためにならぬ益を少しでも求めようとすれば、とたんにわたしの隣人はその不当な仕打ちを感じてしまう
わたしは身を引いただけ、枯れもわたしから身をひいてしまう。
彼の目はもはやわたしを求めず、われわれのあいだに戦いがはじまり、彼の内部には敵意が生じる

人々を歩駒のように扱えば、扱ったこちらまでが彼らと同様きっと苦しむことになる

百を数える恩恵を受けながら会えた恩恵は皆無だという人は果たして何が得したのだろう。
いつも支払っていたまえ、いづれは負債を所詮自分で支払わねばならない
失ったものがあればその代償として必ず何かほかのものが手に入っており、手にはいったものがあれば必ずその代償として何かを失う
集めるものが集めすぎたら「自然」は彼の金庫のなかにいれてやるだけのものを彼自身から奪い取る



人間の世界に何をするにも償いが働く、その償いは仏教で言うとカルマ論になる。
それは現世だけではない、前世にも及ぶからエマーソンより深遠なものがある。
カルマのことをエマーソンが言わなかったのは仏教を知らなかったからである。
つくづくこの自分のこの七年間の苦しみはまさに償いを強いられた。カルマの清算を強いられた。カルマの清算ということは「償い」のことである。
親には世話になったから介護を強いられたというのもそうである。
遺産が入ってきたときそのために大きな災いが生じたのもエマーソンの言う通りだった。富が集まりすぎるとそこに災いが生じるのだ。
なぜ中東で常に熾烈な争いがあるかとなれば石油という巨大な富があるためなのだ。
あまりに金をためこむとそこにはよからぬ人も金目あてに集まってくる
そのために殺されるとういことも常に人間の社会ではある。
その人相応の金ならいいがそれを越えると災いが生じるのである。

とにかく人間の関係は

わたしのためにはなっても相手のためにならぬ益を少しでも求めようとすれば、とたんにわたしの隣人はその不当な仕打ちを感じてしまう
わたしは身を引いただけ、枯れもわたしから身をひいてしまう。
彼の目はもはやわたしを求めず、われわれのあいだに戦いがはじまり、彼の内部には敵意が生じる

このことは日常的に誰でも経験している。無償で与えるものは一人もいない
そしてただより高いものはないということも経験している。
自分のつきあった人はこれを徹底していた。その人は事業を商売をはじめたけと失敗した理系で技術者で頭がいいのだけど何か経営とか商売には不向きだったのだろう。
それより東北人はつくづく商売には向いていない、それがただ如才ないとかではない、
農民体質だから臨機応変でないとかでもなく、商売がどういうものわかっていないのである。
近江商人はそういうことがわかっていたから成功したのである。

売り手よし 買い手よし 世間よし
http://www.mahoroba.co.jp/saying.php?itemid=2644

商売は一方的に相手から利益を得るというものではない、利他的精神がないと成功しない、何も得られないものに金を払ったり社会が認めたりしないのである。
資本主義が修道院からはじまったというときもそれこそ信仰に基づいた利他的精神だった商売はもともとそういうものでありとても今のように株で暴利をむさぼるようなことはありえなかった。
その人は商売をはじめてからもの凄く計算高くなったのかもしれない、まず売ったら五分はもらほねばならぬ、何かしたら五分はもらう、でも与えるのは一分でいいという精神である。
それが自分が病気のときもそういうことを実行して借金を求めてきた。
多額の借金している人はすでにモラルは喪失しているから危険である。
そんな人が病気のとき来たのだから最悪だった。
相手が弱者でも病人でもかまわない、今金がとれるということで借金をその弱みにつけこんで借金を請求してきた。

推理小説ではテレビのドラマでも事件でも必ず借金が犯罪の動機になっているのが多いのである。借金していることを調べれば犯罪の大きな動機をもつからそこから犯人を探す。まず動機から犯人探しになる。
そうなった人はもう他者に対する同情もなにもない、ただ利益を得ればいいというだけになっている。かえって相手が弱者化したとき恐喝すれば効果的である。
そうして保険金殺人にもる、それとにた恐怖感を味わったのである。
そういう恐怖を与えたものはすでに刑がなくても犯罪者なのである。
別に刑を受けなくても犯罪を犯している人など無数にこの世にはいる。
むしろ刑を受けている人はカルマを負って清算しているのだから救われているともなる
ともかく借金はすでに大きなカルマを積んだことになり返還を要求されるのである。

そういう自分またカルマを背負っていたからこういうことにあったともなる。
何か積もり積もったものが必ず六〇代以降に清算を要求されるのである。
その人は借金のために風俗とまではいかないが働かせられるているからこれもカルマだったとなる。
ブラック企業とかが繁栄することはないだろう。人を人とも思わないような働かせ方をしたら繁栄するとは思えない、だから倒産したブラック企業がありざまあみろとかなってしまう。
もし利他的な行為としての商売ならそういうことはならないだろう。

つまり世の中は公平の原理が働くというとき「償い」の思想はそれを言っているしカルマ論はそのカルマを借りを返すことを強いられるということである。
それは共通した思想であるがカルマ論の方がより深いインドの思想なのである。
だからなぜ自分はこんな不幸なのだろうとかなぜ不運なことばかりなのだとか悩む人はいくらでもいる。
そううい不運なことはただ偶然なのかと疑問になるりカルマを知りたいとなる
自分に起きた不運とか災いは本当にここに書いていたようにそうしたカルマが重なって起きたのである。
六〇代以降は何かカルマの清算が誰でも要求される。
親にも子供としての償いをしなければならないし介護しなければならないとか社会にも償いをしなければならないとか必ずある。

その人はなぜか不幸だった、その不幸は他にもいる、障害者をかかえた人などがいてそれとにている。
でもそれも今はその人のカルマだったと思う。その人は弱者を虐待するような人だった。もちろん自分も虐待されるカルマがあったのかもしれない、例えは猫などでも虐待していたりするとそれがカルマとなるからペットを飼うのも怖い面はある。
虐待したものは虐待されるし盗んだものは盗まれるし殺したものは殺されとかそうした因果応報カルマ論はここの人生で納得いく理論なのである。
つまり殺すものと殺されるものは偶然なのか?それにも因果関係がカルマが働いているのではないかとなる。
親が子供を虐待すると子供が親になったとき子供を虐待するということもカルマとしてある。親の因果が子に報いというのは現実にそういう例が多いから常に言われるのである。
もちろんあまりにも人間は複雑だから謎であり不明なのも多い、ただ一般論として確率としてはカルマ論はあてはまるからこそカルマにこだわるのである。
インドでカースト制が生まれたのもそうした簡単に差別というのではなくしれだけ古い国だからこそそうした身分制も必然的に生まれてきた。
その土地で裕福になるのは勤勉に働いたとか何か理由があってなっている。
怠け者だったら裕福にはならないから金持ちをうらやむのは間違っている。
ただ今はそうした公平の原理が働かないということで資本主義が否定されつつある。
公平でないということはやはりその社会の危機であり社会自体が崩壊に向かっているともなる
格差で不満が増大してそれか革命につてがってゆくからである。

いづれにしろ与える時は与えるがいい、それが一見無駄なように見えても与えることは幸せだからである。
自分もなぜこの人にこんなに与えるばかりなのか?相手はさほど感謝もしないようにも見える、でも与える力があるときは与えていた方がいいとなる。
むしろ金持ちだったらそういうカルマをもっているのであり与えないとかえって災いが生じ安い、だから金持ちになることもむずかしいのである。
宗教はそもそも利他的なのもだから損することを厭わない、ただ与えることをすすめる。そんなことして自分に何の得があるのということになる
なぜならエマーソンの言うように少しでも自分の利益にならなければもうこの人とはつきあわないとなるのが普通だからである。
それほど利に聡いのが人間であり人間社会の普通のありさまなのである。

だからエマーソンでも例え損に見えてもかえって損であれば損であるほど与えないというのはそこに「償い」があるからだとなる。
その損は決して損はなく償いが必ずある、また何か得したとしても不正なら必ずカルマを積んでいるからその借りは返すことが要求されるのである。
とにかくなぜに人間は自分だけが不当な仕打ちをされるのだろうという不公平感におちいりやすい、それが犯罪にもなる。
でもそうした不満でも自分にも何らかの落度はあるのが普通である。
でもそれを否定して不運だ不公平だと言うとき納得できないのである。
人間は生まれた家で決まるんだよな,努力しても無駄だよともなる。
でも本当にそうなるのか?、人間は何かしら努力しないなら積み重ねがなければ何も成らないだろう。
だからどうしてもそうした不公平感も例えはあったとしても全部は肯定できないのである

虐待したものは虐待される
金持ちは与えないと奪われる
貧乏人もにも非はある
世は公正を求めるしのぎあいである
とても暴利を得る社会はつづかない
富は独占できない
そこにアメリカの危険がある
金持ち国の危険がある

ともかく人間は運不運があるにしろ公正を求めてる。だから公正でないことは許されない、だから公務員だけが得しているというときいづれはそれも正されるだろう。
官僚も得しているというときそれも社会は許さなくなる。
そういう公平を求める力が常に働いているからいづれはそうなる。
公平でないことは誰も許さないのである。


情報過多時代にどう対処する? (NHKクローズアップ現代ー買い物は“おまかせ”スタイルで!? )


情報過多時代にどう対処する?

(NHKクローズアップ現代ー買い物は“おまかせ”スタイルで!? )



今やインターネットとかで買い物も情報化している。そして情報過多に悩んでいる。
情報が多すぎて自分でも選びきれないというのが問題になる。
それはインターネットでは常に起きている。
種類が多くて何でもあるとしても何を買っていいのかわからなくなる。
そもそも買い物だったら昔だったら隣近所の店であり次にスーバーとかイオンとか
買い物の種類が増えたきた。
だから自分も買い物が仕事になっている。様々なものがりそれを選びきれないしわからないものがまだまだある。
意外といいものを買うのはむずかしい。特に野菜とかは生ものはむずかしい。
それから調味料とか料理に使う細かいものもわかりにくいのである。

自分はもうインターネットでプログで発信するために情報にアツセスしたり本を読んだりするからもうそんなにいろいろなことを一人でできないのである。
もうスーパーマンになるほかない状態である。
家事だけでも実際に書類とかいろいろあるからそれだけでも頭に入れることが手間になるそれは自分だけではない他の人も情報が多すぎて仕事するにもどうしていいかパニックになっている人が多いだろう。
人間が情報を処理できるのは限界がある。つまりもう情報はとても消化しきれなくなっているのだ。
情報の性質として情報は天文学的無限大であり常に膨張しているしグローバル化するグローバルに膨張しているから一人の人間の頭では処理しきれないのである。
情報の性質としては

●一つの物事一つの場所の深化する情報
●広域化グローバル化する情報
●視覚化する情報

一つの物事とか一つの場所で深化してゆく情報は江戸時代とかがそうであった。
一つの藩内からほとんど出ることがないからその中での情報を知ればいいのであり外部の情報はそれほど知るなくても困ることがなかった。
人間もそうした狭い範囲で親密に暮らしていたのである。

今の情報は単に情報でなくても物でもグローバルに流通しているときその情報を広げれば無限大になる。とてもそんな能力は人間にはない。
そして現代の特徴はデジタルカメラなどで動画になり写真の情報も膨大になっている。
その視覚化された情報でもそこには写真からよみとるものが様々にありまたふえてくる
そして原始的な情報の取得は対面的なものである。そこには活字だけではない、声や身振りや表情という情報を伝えるからそれは一番心に残りやすい。
でもこの対面的なものはわずかに限られた人にしかできない
外国になるといくら交通が便利なになっても直接合うことはむずかしい。
直接合うことわずかであり限られているからどうしもその他のことで知ろうとする
医者でも直接みてもらうとなると病院で半日待っているとか手間がかかりすぎるのであるそれで医者が説明するのは二三分なのである。
それだけで何かわかるかというと一方的に聞いているだけで詳しく聞くこともできないのである。
でも直接医者に聞かないで自分で判断するとまた命取りになることを経験した。
ある人は癌になり医者にも行かずインターネットとかで情報を調べて漢方薬の医療とか民間医療のようなことをして悪化して死んだとかもある。
これも様々な情報にまどわされてそうなった。
要するに癌の情報も膨大になると情報の迷路に入ってしまっておかしなことになる。

学問でも例えば本を読む場合でも今や古本から無数の本を知るしアマゾンでボタン一つ手に入る。だから何か調べて書こうとするときやはり情報が多い方が詳しくなるから毎月古本とかなるべく安いものを十冊は買っている。
でもその本を一冊一冊詳しくは読まない、要点だけをさーっとよんで利用しているだけである。
何回も今でも読んでいるのは古典的なものである。
そういうものは何回読んでも新たな発見がありなるほどいいことを言っているなと感心するものが何度読んでもある。
一種の古酒のような味わいになるのかもしれない。
ただそうして何度も読む本と何か学術的に調べる本は違っている。
それはあることについて様々な視点で書かれたものを知る事がいいからその方面の本を集める。
しかし本は中味はなかなかわかりにくいので古本だと立ち読みのようなことはネット上でもできないのでこまる。

そして電子本は読みにくいことがわかった。自分のように要点だけを読もうとするパラパラとめくり全体の要旨を知ることができないのである。
どうしても一ページづつ読むから手間になるからできない
そして活字を本で読むのと電子文字で読むのも相当に違っている。
何か本の方が記憶に残りやすいのがなぜかわからない。
だから本というメデアは出版社とか書店がなくなってもなちならないのかもしれない
要するに本で読みたい人は残る。でも出版社とか書店で本を買うということはなくなる
アマゾンのような販売になるだろう。

いづれにしろこの情報過多の時代でまた時間が奪われるのも問題だろう。
ただ本にしても今ふりかえると情報がずいぶん少ない江戸時代のようだったともなる。
なぜなら本自体が田舎だ専門的なものはほとんどなくベストセラーのようなもの売れるものしか置いていなかった。
それで仙台の方に度々自分が行っていたのは本を買うためだった。
その仙台の大書店でも本の種類は膨大だったのである。
それがわかったのはアマゾンで本を買うようになってからである。
地方では本は極端に少ないし古本は神田の書店のようなところでしか買えない時代があった。
そういうことでも田舎にいても今でも情報格差はないのである。
何か調べる気だったら田舎でもできる。

今は金に糸目つけず買っているからかなり専門的な貴重な本も手に入るのである。
そうはいっても本も買い切れないし読みきれない
だから若い人は今までもそうだったが情報過多になりつまらないものを読んで時間を奪われることである。
何が必要な本でももはや自力では選ぶこともできないかもしれない
本の内容を若いときは簡単に読めこめないからである。
要するに本を読むということは自分の文脈で読むとういことである。
その文脈の中でインターネットの検索があり本がある。
本には確かに詳しい専門的な情報があってもそれは自分の文脈で利用する
それではじめて本を読んだとなるのである。
あとはただ受け身だと頭にも残らないしただ読まされているというだけになってしまう。そういうものはたいがい忘れて何も残らないである。
つまり本を読むことは自分なりに解釈することである。
そして本を読んだことを自分の文脈で解説すれば取り入れればそれが他人にも有益となるのである。
タグ:情報過多

2015年06月15日

電車(ディーゼル車)を待っている時間 (詩) (金のように計算できないから時間が節約できない)


電車(ディーゼル車)を待っている時間 (詩)

(金のように計算できないから時間が節約できない)

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春の雲がぽっかり浮いている
自由な気ままな旅
見知らぬ駅で途中下車
なかなか電車が来ない
遠い北の果ての鉄道
やっと一両のデーゼル者が来る
線路の脇にでんでん虫が眠っている
遠い見知らぬ駅におりたつ
そこには何軒かの農家があり
牛を飼い畑を耕し暮らしがある
そこにも駅があることがなつかしい
ああ、そういう自由な気ままな旅の日
それがなつかしい
今はただ日々家事に追われ介護に追われる
その時線路はどこまでもつづき
自由な時間がありふらりと途中下車
誰もとがめるものもなく
「どうぞゆっくり電車 (ディーゼル車)を待っていて下さい
その内電車も来ますよ」
夏の蝶が花々にとまり蜜を吸い
私は気ままに放浪していた
立葵の花が一際明るかった
私は延々と線路がつづく限り
自由な旅をしていた
そこに尽きることない自由な時間があった
しかしその時間も尽きたのだ
何事時間は尽きる
恵まれたものは自由な時間
それはもはや得られないことの衝撃
人に与えられる時間は限られている
何をするにしろ時間は限られている
そしてたちまち時間は尽きて老いる
そしてただ思い出すだけになる
そしてこの世から去ってゆく
私の時間は見知らぬ駅でなかなか来ない
汽動車(ディーゼル車)を待っていた時間
それは幸せな時間
その時間はもう二度と帰ってこない
人がこの世にいる時間は限られている
なかなかディーゼル車が来ないと思っていたら
本当にディーゼル車は来なかった
でも待つ時間に意味があった
待っている時間が人生の豊かな時間
そういう時間がない旅は記憶に残らない
ただあわただしく過ぎ去り
記憶に残らない旅となる


人間の盲点は常に時間を浪費していることである。
時間は金のように計れないから自ずとそうなってしまう。
金だったら物を買うのにもいつも意識して節約したりする
時間は節約するという思考が働かないのである。
時間をためるとか時間を一気に使うということもできない
金だったら多くたまったら一気にぜいたくして使ってしまうことができる
時間は一気に使ってしまったりできないしためることもできない
だから時間というのは常に不思議な理解できないものなのである。
ただ時間を理解できるのは老人になったときだけである。
これは誰でもはっきりと理解できる

人生の時間がなくなってしまったことを否応なく意識させられるからである
金だったらためることができるし老人になっても金は確かに有効に働く
ただ若いときの時間とかはもどってこない
青春という時間も二度ともどってこない
女性だったら若いときの美貌でももはや二度ともどってこない
ただ老人が若いときに失ったものの代わりとして経験から得たもの
知恵とかが備わってくる
若いときに読んだ本はいろいろあったが理解できない
今読んでみると理解できるのである。
人間の知恵とか理解力は老人にならないと身につかないようなっているのだろうか?

結局人間は何か失ってももまた何かを得るようになっている
ただ時間だけは失ったら取り戻せないのである。
それは巨万の富を積んでも取り戻せない
人生の時間は確実に切れるのである。
だから時間の謎は人間は何かを成しうるために時間が与えられている
その時間はそれぞれ限られている
時間とは刻々の時間であり日々の時間であり四季の時間であり一年の時間がある
人生の時間も子供から青春時代から壮年と段階があり
時間とはそうした日々の集積であり経験の集積である。
だかち人生は一挙に何でも経験できなようになっている
今日経験することと明日経験することは違っている
そういう経験された集積されたものがやがて実りとなる
だから老人はになるとその実りがいい方面でも悪い方面でも否応でも現れてくるのである時間が何に費やしたか確実に現れてくる

それは電車を待っていたのが自分の時間であり人生であったとなってもそうである。
つまり人生は何に時間を費やしたかで決まるからである。
何に金を費やしたかというより何に時間を費やしたかの方が人生を決める
つまりあらゆることに時間を費やすことはできないからそうなる
百億もっていてもあらゆることに時間を費やすことはできない
それで享楽に費やしても煙のように消えるし
また苦労してもその苦労した時間がありまたそれも人生だったとなる
それも無益とはならないしその苦役の時間もまた人生を作っていたのである。

時間はたいがい与えらるのは平等なのである。
金は不平等でも時間は公平なのである。
ただ金持ちだと時間を節約できることはできる
食事でもめんどうだから贅沢な外食ですませば時間がうく
高い金を払って家政婦を雇えば時間が浮く
自分はそれができないから時間が奪われているともなる
それでも家事は機械化されたとか外食もしているから時間を浮かしている
時間はいくら金があっても基本的にはある人が特別長い時間を得るということはできないのである。
そして時間を節約するということが金のように意識しないので時間は必ず浪費されているのである。
あなたが使う時間があなたの人生を決めているのである。



デーゼル車は北海道に多い、稚内とかへゆく線はそうだった
北海道の鉄道は廃線になったのが本当に多い

タグ:電車の旅
posted by 老鶯 at 06:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 北海道(俳句-短歌-詩)

2015年06月13日

サウスカロナイナ大学関係者が相馬市の道の駅に (燕の放射線の影響を調べていた)


サウスカロナイナ大学関係者が相馬市の道の駅に

(燕の放射線の影響を調べていた)


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燕の写真をとっていた。



サウスカロナイナの大学生なのか、相馬市の道の駅で燕の巣を掃除していたのかと思ったら燕の放射線の影響を調査していたのである。
双葉とか大熊の方でも調査していた。
そこは燕が少ないと言っていた。ここは多いと言っていた。
本当にあそこは燕の巣が十以上もそれ以上もあった。
燕の巣を作るのに適していたのである。
燕は高さとか人が住んでいる所に巣を作る。
烏などに狙われない場所に巣を作る
 ツバメが人目につきやすい所で営巣するのは、巣や卵や雛を、他の鳥の攻撃やヘビなどから守るためで、人間をガードマン代わりに利用しているためのようです。人がいつもいるところ、人の出入りが多いところでは、巣を奪うスズメや卵や雛を狙うカラスなどが近づかないことから、力の弱いツバメは人間の近くで営巣することによりその非力をカバーしていると考えられます。(川内博「四季の野鳥」)
 

相馬市の道の駅に燕が集まり巣が多いのは燕にとって最適の場所だったのである。
烏や猫やヘビやスズメからも守られる所にあった。
燕は人が住んでいたり車があったり人が往き来している場所が安全なのである。
だから大熊とか双葉には燕が少ないと言っていた。
人が住んでいないから燕も巣を作らない、また安全でもない
人が住まないとたいがい野生の動物によっては住みやすくなるのでふえる
燕が人と共存していた鳥だから違っていたのである。
双葉とか大熊とか浪江は今人が住んでいないからどうなってしまったかわからない
野生の動物にとっては住みやすくなっているだろう。
野良猫などがうろついて捨てられた子猫とか青大将に食べられているとか
なんか不気味でもある。
チェルノブエリでは狼がやってきてヘラ鹿もやってきて野生化した
今回の事故で野生の動物などに鳥などにどれくらいの影響があるのかわからない
これも影響がすでにでているとか蝶で調べたとかある。
でもその確証はなかなか得られない
突然変異とかあり常に否定されているからでもある

とにかく放射線の影響はどうでるのか素人にもまた専門家にもわからない
それでも相馬市の道の駅で売っている野菜などは日下石(にっけし)などのあの近くの農家の人が出している、でも高いせいもあり売れないし地元の人も買わないという
確かに相馬市の道の駅は野菜でも普通に高いのである。
放射能の影響は検査しているけど地元の人も買わないという
松川浦でとれた魚も売れずに残っていたという
放射線量の調査が本当なのかどうか疑う人が地元でも多いということである。
ただ老人は気にしないで食べているというのは言える
自分も別に気にしないであそこの野菜などを買っている
放射線は学者によれば遺伝子に一万年影響するとか言う人もいる
遺伝子に影響するとそれが子孫にも影響するから深刻になる
ただそんな長い先はもう関係ないだろう。

サウスカロナイナ大学の教授が燕の奇形を指摘
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-1291.html
University of South Carolina, Columbia(サウスカロライナ州)
国際経営学に定評がある大学

生物科学科(Department of Biological Sciences)
化学•生物化学科(Department of Chemistry and Biochemistry)
海洋地球学科(Department of Earth and Ocean Sciences)
物理・宇宙科学科(Department of Physics and Astronomy)

こういう学科もあるから生物化学の学生だろう。

ともかく相馬市の道の駅は広いし車をとめているのにもいいし、田んぼが見えて山も見えるから眺めのいい場所にある。
それで散歩コースとして良く行くのである。
そこで遠くから来る人たちの車のナンパーを見ている。
ただ外国の人にあったのはめずらしいし原発事故のことで来ていたのである
タグ:放射線と燕
posted by 老鶯 at 21:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2015年06月12日

今日一日の実り(詩) (労働に充実感がもち得ない時代)


今日一日の実り(詩)

(労働に充実感がもち得ない時代)



父の手は手というよりもむしろ大きな馬鋤だ
合掌することもなければ
無論他人のものをかすめとることも知らない手
生まれたままの百姓の手
まるで地べたの中からでも掘り出した木の根っこのような手だ
・・・・
いまもその手は骨と皮ばかりになって
なおもこの寒天のやせた畑地を耕している
ああ 自分は何も言わない
自分はその土だらけの手をとっておしいただき
このところではるかにその手に熱い接吻をする
山村暮鳥(父上のおん手の詩)



今日一日の実り

今日一日実りのあれや
多くのものがあふれ
今日も我はスーパーに買う
金があれば何でも手に入る
物なら何でも買える
しかし何か実りなきは
何か充たされるものなきは何故や
食べれば確かにうまく腹を充たす
とはいえ何か充たされぬは何か
ただ買いて腹を充たす
今日一日の実りのあれや
田畑に労して実りしもの
その住む大地から実りしもの
それを食べてこそ実りのあれや
今日一日腹は充たせど心は虚し
そのもののいづこよりきて
いかにして作られしものか知らじ
パートに働きて時給をもらいて
そは充たされしや
どこに働いても賃金のみで計られ
金が実りのすべての基準
今日一日いくら稼いだか
それが今日の実り
現代の仕事は無数あっても充たされない
ただ消費されることで充たされる
腹を充たしても心は充たされない
それでみんな仕事が嫌になっている
しかたなく金を得るために仕事している
金がたりない、金がたりないと
毎日不満を言っているのが現代
これほど物があふれても豊かにならないのはなぜ
そこに現代の心の貧困がある
いかなる仕事も本当に今日一日の誠の実り
それがなければ虚しいとなる



おそらく「豊かさの貧困」でも様々なことで現代文明は批判されてきた。人間はアトム化されるとか人間が数化されるとか人間が人間でなくなる、それでアウトサイダーとなり人間回生を目指したのかニーチェとかミラーとか上野霄里とか他の思想家でもそうなった。それは過激となったのは天才だったからそうなった。
天才は普通の人より生きるエネルギーが大きいからそうなる。
静かな思想家でもピカートなどはろはりアトム化した文明を「沈黙の世界」で示した。
それはそうした高度の思想とか文学でなくてもいろんな方面からの批判があった。
経済思想からもあったのが「豊かさの貧困」であったり他にそういうこと様々に語られてきたのである。その本も膨大になるから読みきれないのである。
結局本はいくち買っても読んでも自分のものとして書かなければ読んだともならなかったのである。
現代の消費社会はまさに消費するというときただ費やすという消極的なものとなったからだろう。
今でも生産するというときは積極的なものとしてある。
人間はただ消費しているばかりだったら何ら生産性がなかったらあらゆるものが虚しいとなる。
この世の中今はあらゆるものがそれは物だけではない、情報でも一方的に消費するだけなら虚しい、自分なりに考え自分で評価すれば生きたものとなる
だから何でも受け身では精神は充たされないし虚しいとなる
テレビの情報の奴隷になっている人たちもそうであり自ら考えないで生きている人たちも奴隷になりやすい。

いづれにしろ現代は何か労働そのものが拒否される、それはなぜなのか?
労働は嫌悪されているしなるべくしない方がいいとなる。
それが生まれたのがフリ-ターでありニートとかである。
労働はその場しのぎであり一時の賃金をえるだけのものとなる
労働の形態がそうなってしまった。労働はWORK(作品)ではない
JOBでありその場しのぎの一時的賃金を得るものにすぎないのである。
そういうふうに労働があるとき社会全般も荒廃してしまうのではないか?
なぜなら社会の基本は労働にあるときその労働が嫌われ労働しないことこそが一番いいことだとなっているからである。

現実に労働は機械にさせるべきで人間は労働しない方がいいという社会になっている
だからあらゆるものが機械化して雇用すらなくなってくる
その時人間は不用なものとなってしまう。
その時人間を山村暮鳥の詩のように讃歌することなとなくなる
(父上のおん手の詩)のようにその手はもうない
それは機械に置き換えられてしまったのである。
もはや働くの機械であり人間ではないからである。
そういう社会はまたどうなってしまうのか?
人間の生きる充実感はどうなってしまうのか?
人間はお払い箱となり頽廃してしまうのではないか?
それとも労働から解放されてパラダイスになるのか?
この辺では補償金で毎日パチンコだとか遊び暮らすようになった。
飯館村の人がギャンブラーになったとかもそうである。
みんなか知識人でもないから本など読まないのが普通だからである。

お前はどうなんだというとき、自分は旅に時間を費やした。その他学問とか芸術に費やした。その追及したものをプログなどで発表している
自分自身が流れ作業ばかりして日銭をかせぐ仕事ばかりだから労働を嫌悪して環境に恵まれていまになるまでせずにすんだのである。
そこに何でもそうだがプラスマイナスがあった。
いろいろな欠如したものも生まれてこの七年間は介護や自分の病気で苦労してきたのである。
現代の文明の問題は「今日一日の実りがない」ことではないか?
仕事をしてもそれを感じられないことではないか?
地球の裏側の人のために働いてもそういう労働自体に喜びを充たされたものがあるのか?
そういうグローバル経済というのももはや矛盾が大きくなり限界に達しているのではないか?
そんな遠くの人は何か困っても助けには来てくれない、確かに物は来ても助けてはくれない、実際に原町でも何かあったら家にきてもらいたいができなかった。
「遠くの親戚より近くの他人」は車社会になっても通用している。
車で原町かち来るのも手間なのである。グローバル経済の弱点は肝心なとき近くのものに助けてもらえないということにもあった。
それがアキレス腱なのだがまた反面この辺で津波や原発事故で働き助けたのは外部の人であり内部の人は遊んでいたという矛盾がある。
それは広域社会化しているからそうなった。
だからまたすべてが広域社会化したから悪いというものでもなかった。
すでに自給自足の村社会にはもどれないからである。

とにかく何か仕事の充実感が得られないというときそこに現代特有の問題がある
消費社会であり生産社会ではない、生産しても働いても充実感がない
例えば農家なら自給自足でもその働いたものは直接に家族とかが食べていた。
売るために働いて作っていないということが労働の充実感をもたらしていた。
そして父上のおん手の詩のように感謝していたのである。
いまスーバーに行って物を買って感謝している人などいない
ただ高いか安いのかうまいのかとかみているだけである。

でも名取の閖上(ゆりあげ)から来たシジミを売っていた。
あそこも津波で大被害を受けたからシジミもとれるようになって復興しているのかと感じた。他のシジミはどこから来るのかもわからなかった。
前はこの辺でも川でシジミがとれたし自分もとって家族に食べさせた。
それは大きなシジミだった。売っているのはみんな小さなシジミなのである。
そのシジミをとっていたとき何ら苦痛はなかった。

閖上(ゆりあげにとれるシジミをスーパーに買いて思いぬ津波の後に

それよりそれは楽しみだったのである。今では野菜でも米でも作るのは家族のために作るだけなら楽しみになる。機械でするしそんなに苦労ではないからである
それでもほんのわすかの野菜しか作らない人は毎日草取りだ肥料だ気候がどうだこうだと言っている。
だから農業というのは本当に手間でありかえって肥料だとかその他種でも金がかかるものなのである。
だから趣味としてやるのはいいがとても売るとなると全く違った労働となるのである。

結局変だが自分の今日一日の実りは風を切って軽快にロードで走ったことだった。
それは自分の一生すらそうだったとなる。何か仕事して充実感を得た経験がないのである仕事が多岐にわたりパーツ化すると仕事で充実感をもっているのは一パーセントくらいにしかならないのでないか?
そのことが現代文明の頽廃であり深刻な問題なのである。
ホイットマンであれ山村暮鳥であれあれほどすべてを賛美できたのはやはり時代だった。人間の労働が活きていて消費社会ではない自ら働いて労働自体が充実感をもたらしていたのである。だから現代は労働より遊びに重点が置かれる社会でもある。
ギャンブルとかでなくてもレジャーが盛んになったのもそのためなのである。



タグ:仕事
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貧乏が賛美されていた明治から戦前のこと (山村暮鳥の詩の不思議)


貧乏が賛美されていた明治から戦前のこと

(山村暮鳥の詩の不思議)


現代の生活は定着的農耕民的生活から離れている。江戸時代なら8割が農民であり生活も回りにあるものでまかなったからそんなに移動はしない
隣村にゆくのにも見知らぬものとして警戒されていたし民情が一致しないと飯館村大倉村と佐須村は明治以降になっても合併しなかった。
現代の生活からするとどうしてそういうことができたのか不思議である。
地球の裏側から物が入ってきてその物が入らないことを心配しているグローバル経済の時代である。
現代とは空間感覚が急速に拡大した。
文明とは空間を技術でもって交通でもって縮小することでもあった。
だから明治維新の象徴が鉄道になったのである。
鉄道によって日本という関所で閉ざされた空間が敗られ一挙に日本の国土意識をもったとなる。
切符一枚で日本全国に関所も通らず行けることがなくなったからである。
その江戸時代から明治の変化も大きかった
だから東京で鉄道でも見知らぬ人たちが乗り合わせることに違和感をもった
つまり見知らぬ人がそんなに一緒にいるということがありえてかったのである。
人間は常に見知った人たちと生活していた。
それが江戸でも長屋でもそうである。長屋でも人は移動しなかったのである。

江戸時代から明治に変わるとき空間意識も時間意識もまるで変わってしまったのである。ただ明治昭和戦前戦後十年とかとまだ生活的には江戸時代の延長ということがあった。
なぜなら燃料も炭とか薪であり時給自足的な生活だったからである。
そして農民的社会であり工業社会でも情報社会でもない、その土地土地に根ざした生活だった
一番驚くのは大正時代でも人口が6000万だったということである。
これくらいの人口だと日本の自然は十分に今より余裕があり残されていたのである。
それでけ山村暮鳥はホイットマンのように都会までありあらゆるものを賛美していた。
機械文明もその時は新しいものとしていいものだったのである。
そこに否定するものはなにもなかった不思議である。ガスタンクまで賛美している
その時文明は全面的に賛美するものとしてあった。
科学とか技術が新しいもの作り出してゆく未来と感じられていたのである。
明治から大正時代でもその時は日本の新しい文明の発展時代でありそれは何でも良いものとして受け入れられていたのである。
アメリカでも日本と同じように農民主体であり農本主義でありそこを基盤にして機械文明が発展してゆくはじめでありホイットマンも何でも賛美していたことは同じだった。
その時ソーローのように文明を批判していたのは例外的だったのである。
そういう田園を破壊する予感はあっても全体的にはそうはなっていなかったのである。

そして山村暮鳥の詩の特徴はまたその当時の詩の特徴は貧しさを賛美していることである貧しさの中になにか人間として尊いものを感じている。
現代は貧しさは最も嫌われるものでありふれたくないものであり貧しさ隠す時代である。だからボロを着ている人もいないし何か飢えている人などみかけない
生活保護制度もありそこまでにはならない時代である。
ただ現代の精神的貧困さはかえって車がないとか立派な家がないとか教育でもいい大学に入っていないとかそういうことで競っている
いい車をもっていない人は見すぼらしく見えるから借金してもいい車をもとうとする。
現実に前の親戚は事業を起こして失敗したがそういう見栄を維持するために借金していた他でも借金していい家を建てた人が多いのである。
だからいい車をもっていないとかいい家がないとかそうしたもので差別化される
教育でもいい大学に入っていないと馬鹿にされるとかなる
貧しい時代は食べるのが精一杯な時代はそういうことがなかったろう。
要するに江戸時代でもその後明治から戦後でも十年くらいは大方はその日暮らしではなかったか?

自分の家では一時部屋を貸していたみたいだ。その時毎日のように家賃をとりにいったと聞いた。これもありえないことである。一カ月に一回が普通である。
毎日となると手間になるからめんどうになる。
ではどうしてそうなったのか?それは日銭稼ぎでありその日暮らしが多かったからだろう酒でも升で子供のとき買わされたことがありその頃買い置きというのはできなかったのだろう。
そんな金をもっていなかったのである。
つまりその日暮らすのが精一杯だったのである。
今の時代は貧乏でも何かしら貯えのない人はいないだすろう。
ただ貧乏な人はその日その日を暮らせばいいとしている人はまだいる
蔵がある家はその時金持ちだったのだろう。
何かしら米でも貯えておけたからである。何も貯えられない人がほとんどだったのである病気になったらどうするのかといったらろくに医者にかからず死ぬ他なかったのである。今のような手厚い医療も介護もないのである。そんなことにかける余裕もなかったのである。
だから今の生活と比べるとその相違があまりに大きいのでそういう生活が理解できなくなっているのだ。

今の生活は今を見てもわからない、過去と比べると見えてくるのである。
今の当たり前のことは昔は当たり前ではない、特別恵まれたことだった
昔は三食食べられて眠る場所があればいいとか考えていたのだろう。
それ以上の贅沢は望みえようがなかったともなる
母が紡績工場で働いていて30分の休みに遊びたくてはや食いした女性が体を壊して死んだというのは信じられない、でも30分は短いから食べる暇もなかったのかもしれてない
そういう労働環境だったともなる
昔はなんらかどこでも働きづめの一生だったのが多かったことは確かである。
現代のように三分の一が働かない時代だとなるとこれは天国かもしれないとなる
自分などは恵まれてその天国を生きたのかともなる。
だから現代人の若者でも不満は過去に比べるとかわいいものなのかもしれない
もちろん時代時代によって苦しいことも楽しいことも変わっているから一がいにははかりえない
でも過去と比べれば現代は恵まれた時代なことは確かなのである。
ただそこで失ったものがは確実にある

なぜ貧乏がその時代に賛美されていたのかということである。一種の清貧というものがあった。清貧というのもは貧しさのなかでも何か精神的には美しいものを維持しようとすることである。
現代ではそういうことはない、貧しいということは落伍者でしかないのである。
現実に水道でも電気がなければ生活できないというときその最低限の出費でも金がかかるのだから金がないということは生活できないということに通じているからである
山の清水を井戸の水を飲んで暮らせばいいとはならないからである。
だから清貧などという暮らし自体が成り立たないのである。
それで人間はかえって文明的便利な生活の結果として精神的には貧しくなったともなる
貧しさの中に人間的精神的な高貴さを維持できるものがありえたが今はありえないからである。
上野霄里氏は戦前生まれだから「貧乏の哲学」をもっていた。
だから貧乏な生活でも精神の高貴性を維持できていた。
でもあのような貧乏をもう強いることはできないのである。
旅をしても一杯の水を飲むにも金がかかるからである。
自分は別に車がなくても今は生活できるし車がなくても貧しさは感じない
そもそも車は自然を感じないから嫌なのである。風も感じないし日影をゆく自然も感じない、だから自然を感じるために自転車に乗っている
ただそれも車社会では贅沢なことをなのである。
日常生活では車をもたなくても車の恩恵で暮らしているからである。
ただ車をもっていないとなると現代では一段と低く見られる
車ももてない貧乏なのかと見られのである。
むしろ自転車で生活していること自体豊かなことだと自分では思っている

軽快にロードで走る夏雲雀

やはりロードだと電動自転車と違い早し気持いいとなる。電動自転車ばスピードは出せないからである。
ともかく山村暮鳥の詩はその時代を反映したものであり今ではありえないことを詩にしている、それはまた現代で失ったものがいくら貧しくてもあったのである。
だからそういう昔にあったものを見直す作業も必要である。
それより今の時代はかえってそうした昔のことをもっと知るべきだと思う。
何を得て何を失ったかを知るべきである。
それは原発事故などで故郷まで失った悲劇を考える手助けになるのである。
昔の詩歌は貧しさを歌っていてもそれは現実から生まれていた。
山尾三省は作られた文明という豊かさの中に作られた貧しさであり
本物の貧しさではない、パンも食べられないというのは故意に作られた貧しさなのであるテレビで放送するのも貧しさがものめずらしいものとしてとりあげている
本当の貧しさがわからなくなったからそうなったのである。
だから山尾三省の詩はそんなに価値がないかもしれない
つまり芸術はその時代時代でしか作り得ないものがある
芭蕉の俳句もその時代だから作れたのであり今でもこれほど俳句が盛んでも俳句が作れるの芭蕉以上の人は出てこないことでもわかる
その時代に作り出した価値はいくら文明が発達しても豊かになっても作れないのである。


ボロを来て野良仕事している人間
車も機械もなにもない時代
家もボロ家でみんな貧しい時代
そこにも人間の美しさがあったのか?
その心は正直で飾るものがなかった?
今人間はいろいろなもので飾る
その着るものでその持つもので
家や車や機械や道具で飾る
でもその心は貧しい
ただ毎日たりないたりないと嘆き
不満が絶え間なく起こり
何にかがないと嘆く人ばかり
一人も感謝するものはいない
多額の借金までして身を飾る
自然の美もその人たちには映えない
車のない人たちは失格者となり
見下して車を吹っ飛ばしてさる
人間同士いたわることもなくなった
ただ金を求める声のみがある
・・・・・・・・

つきあいが悪くなり親密さがうすれてきたことが現代経済の特徴だという
親密さには時間かかる
社会的に物質的に豊かになりますます時間に追われると人間同士の親密さや思いやりが少なくなってゆく

我々が成長と生産性を重視するのは「根」の感覚が薄れていることと密接な関係がある
自分を確かにつつんでいた共同体が失われ自分の孤独ともろさを思いしらされたとき我々はそれを所有で埋め合わせようとするのだ。
捨てな新しいものを買う時、家の中を見回して新しいして物を買うとき力を感じるのである。

「アメリカ人の来世はショッピング・センターにある。彼の勤勉はそこで報いられるのである」
(豊かさの貧困)ーポール、L ワクテル

自分も毎日が買い物であり買い物が一仕事なのである。
なぜこんなに買い物があるのかと思う、だから毎日行っているのはスーパーなのである。
ただそこは買う場所であり何か人間が親しくなる場所でもなんでもないのである。

この本も前に読んだが忘れていた、前に読んだ本を自分なりに活用してくるとき本も生きてくる
これをもう一度読んで評論してみよう



山村暮鳥の詩はいろいろあるが今ここでは紹介できない
山村暮鳥全詩集がでているのでそれを読む他ない
あとで詩の解説はするようになる



タグ:山村暮鳥
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2015年06月11日

結婚もしない家族もいない人の末路 (何でも人生の最後は自業自得で覚悟が必要)


結婚もしない家族もいない人の末路

(何でも人生の最後は自業自得で覚悟が必要)


歳喰って入院してみろ
独り身の老いぼれ爺に対する看護師の嫌がらせ虐待は凄まじいぞ
傍で見ていて見ちゃおれんぞ
独り身の男は差額ベッドの個室に入れるようにしないとな
金をたらふく持っていれば女と言うのは見下さないから

違うよ、独身がキツイのは親の死の時期を意識したときと自分が病気になったときだよ
親が死んだらもう一人ぽっちだ、誰も相談にも乗ってくれない、そもそも親の葬式はどうやって出したらいいのか、親の墓は?そして自分の死後は?
病気になったときも誰も看病してくれないし、入院することになったら誰が入院準備をしてくれる?誰もいない

東京ですが、また数十年続いた店が潰れた。そこいらじゅう。結婚以前に、
生存出来るかどうかの状況が広がり続けている事を議論した方が良い。
結婚や幸不幸を語っている内は実に長閑。不幸でも何でも無い。
ちゃんと食べれて、ちゃんと家の中で眠れる。これすら出来ない人達が
もの凄い勢いで増えてる。結婚したって、出産するだけで50万円。
お金持ちだけの選択肢じゃないでしょうか。貧困層はそのうち消えると
吐き棄てた政治家がいたけど、確かに一理あるかもしれない。自分だけで精一杯。



このことを身をもって経験した。全くその通りだった。自分は別にこんなこと予想もしなかったからのんきだった。何となく不安があったから的中した。
なんとなく不安なことは何か的中する度合いが大きい、本当はそんなこと考えたくないけど的中する、何かになるんじゃないかと不安なことは本当にそうなる確率が多いのかもしれない
原発だって近くにあればあれ危険じゃないのか?とか放射能のことはわからないにしても不安に思う人がいたろう。
人間でもなんかこいつヤバイんじゃないかとなると君子危うきに近寄らずとなる
つまりそういう不安が的中しやすいのである。
だからといってこの世の中そんなこと言ったら暮らしていけないから楽天的にすごした方がいいとなる。
それでもこの世で最悪なことが国レベルでも市町村レベルでも個々人でも必ず起きるということを身をもって津波とか原発事故で経験した。
最悪のこととは戦争で300万人死んだというのも今より最悪だった。
それは今になるともはや想像もできない最悪だった。
あれだけの最悪を歴史的経験するとどうしたら戦争をさけられるのかという国民になってしまうのは当然だ、9条だけの話じゃない、戦争経験した人は戦争だけはするなと言って死んだ人が多い。それだけ悲惨すぎたからである。
それも国民の歴史的経験からそういうことになったのだから悪いとはならない
でも戦争のことを知らない人は戦争を軽く考えてしまう。
人間は何でも実際に経験しないとわからないことが弱点である。

例えば牧師だろうが何だろうが例え本を出したとてもそれは言葉では誰でも言えることがある、人類みんな愛しないとか同情しなさいとかいろいろいいことは言える
でも実社会ではそんなに簡単に言葉だけは言えても現実に対処できない
そういうことを身をもって遅かったが体験した。
人間かいかに非情で自分のことしか自分の家族意外のことしか考えていないかというのも知った。
そんなことが当たり前じゃないかというが経験しないときみんないい人だと思っていたのである。
だから肉親が家族が殺されたり被害にあったとき憎まずに許しなさいということは簡単に言えないのである。
自分も被害にあって許さなかったからである。
キリストの十字架の上での言葉ならそれは嘘ではない、身をもって示したからである。
言葉ならいくらでも人間は言えるのである。
だからいくら本にいいことを書いてもその人がどんな体験をしたのかが問題になる。
戦争のことなどもだから実際は体験した人でしかわからないのである。

将来を予測して結婚している人は若いとしてもしっかりしている
自分にはそういう感覚がなかった。
本当にこの通りになったのが自分だった。
もちろん自分にかかわった奴らも異常だった。
それぞれが大きな問題をかかえていた。
一人は家族から追い出されたとか離婚していたとかあり現代の家族関係を象徴していた。つまり現代では子供は親のめんどうみないし一緒に住むことはむずかしくなっている
たから結婚したら別々に暮らすのが普通なのだがその人はまた金もないなど追い詰められていたのだ。
もうぎりぎりに追い詰められていた。そういう人も老人で今は増えているのだ。
みんなが金持ち老人じゃないのだ。
もう一人はまた借金で首がまわらなくなった人だった。
成功していたというので本当に成功していたと思っていた。
前の代からつきあいがあったから信用もしていたがそんな人ではなかった。
事業を失敗したからこの人も追い詰められていたから自分の家が病気とかなり自分もなったとき借金の請求で攻めてきたのである。
だから自分が病院に入院するとき、保証人になってもらったがそのことで恩をきせるは
弱者化したときいじめてきたのである。
その人が事業に失敗したのも当然だと思った。弱者を虐待するような人だったのである。

ただ南相馬市立病院では別に保証人もいらなかったのが不思議である。
あそこは何かルーズだったので良かった。相馬総合病院はうるさかったのである。
その時手術もしたからその時立会人が必ず必要になる。それも結婚していないととかなる家族がなくなると困ることになる
そして人間は非情であり弱みにつけこまれたのである。
それもあったが相手もぎりぎりに追い詰められていたのである。
相手を思う余裕がなかったから当然そうなったともなる
腹減ったら動物でも獲物となるものを襲い食べなければならない
子供など怪我しているような動物だと獲物にされやすいというときそれはつかまえやすいからそうなる。
飢えているのだからてっとりばやくつかえまるものをねらうのである。
まさにこの弱肉強食の世界を自分は身をもって体験したのである。
弱者に対しては相手も言い分が通りやすくなるのだ。
何ら抵抗できない状態にあるからそうなる、それは病院とかでも起こりやすい

医者とか看護師には抵抗できない、だから身寄りのないものは悲惨なことになる
おもちゃのように看護師にもてあそばれていた90才くらいの施設に入っている老人がいたその老人が苦しくても家族がいなのだから看護師にとってやり放題になる。
現実自分も入院して虐待とにたようなことをされたから病院は怖いと思った。
看護師がやさしい人とか医者でも非情な世界だと思うようになった。
体をみても心はみないし病院で死ぬのは別に家族でもないのだし人間は次から次と死んでゆくのだから死ぬことは一丁上がりとかしかならなくなってしまう。
あとは物のようにかたづけるだけなのである。
だから家族がいないということは人間にとって弱肉強食の世界では恐ろしいことなのである。
そのことを結婚しない人が多くなったが60以降に自分のようになりやすいから恐怖を感じるべきなのである。

いづれにしろ結婚するに結婚しないにしろ離婚するにしろ家族をもっても様々な問題をかかえるのが人間だから別に結婚しなくても地獄を経験している人などいくらでもいる。
別に家族があってもでたらめな親だったら子供は介護したりしない、捨てられるから家族でもいろいろあるから家族が万能でもない、他人でも親切な人は親切である。
同情する人はまれでも同情するのである。
自分を弱者化した時攻めて来た人もぎりぎりに追い詰められていたのである。
結局何度も言ってきたが人間は結婚するにしろしないにしろ自業自得でありカルマの清算を60以降に否応なく強いられる。
これは本当に自覚すべきなのだが若い内はしないし想像できない

若いときの不品行など一時的なもので忘れると思っているが60以降にかえってよみがえりさえなまされるのである。
若いときはなにをしてもそんなに老人になるまで影響するとは思わないのである。
つまり若いとき老人になることが想像できないことが人間の弱点なのである。
若い人が良く俺は60くらいで死ぬのがいいとか言うがそんなこと60になったら誰も言わない、もっと生きたい70でも80でも平均寿命まで生きたいというのが普通である。
その若い人たちも必ずそうなるのである。
結婚しないとどうなるのかというのも想像できないからであり今回のような恐ろしい災害が起きたのも想像できないからこんな大きな被害になったのである。

結局人間はもう最後は結婚するにしろ結婚しないにしろ何になれすべてカルマであり自業自得としあきらめるほかない、つまり現実を受け入れ過酷でも覚悟するほかないと思ったそういう境遇なってしまったのだかからもう結果だからどうにもならないと現実を受け入れることを覚悟するほかない
借金した人も他人に負わされるのではなく自分でかたをつけるほかないのである。
人間はみんな最後は自業自得であり他人に責任転嫁ができないようになっている。
だから必ず何であれ責任がとらされる、最後はカルマの清算が強いられる
それは逃れることはできないと覚悟するべきである。
自分の場合はそういう覚悟を強いられたとなる。他の人も別に結婚しない人でも自分のカルマは借金でも自分で返す他ないのである。
結局他人がそれぞれの人生の責任など負ってくれない
その人自身が最後は負わされてカルマの清算を要求される

これからは日本も今までのような楽なことはない、経済的にもそうだし大きな国民的困難の時代になるだろう。貧乏になってゆくのもそうである
だから日本に関して甘い幻想をいだくのはやめた方がいいとなる
日本の経済成長とか楽な時代は高度成長のような時代はもうないのである。
日本は今回の震災や原発事故で苦難の時代に突入した。
それも国民的カルマとして自覚しておく必要がある。
まともに食べられないというとき、物価があがったから現実に野菜でも果物でもずいぶん上がって食べられないと思った。
だから何をたべればいいのか?バナナは安いからバナナでがまんするとかなるかもしれない、現実に自分の子供の時はバナナは田舎では売っていなかったし父親が病気になったとき仙台から買ってきた。バナナは最高の贅沢品だったのである。
だから昔の生活をふりかえりバナナが食べられることはまだ贅沢なんだとか思う必要もでてくる。
そういう心構えをもたないと今までのような贅沢の時代は終わったとしてひきしめないと生活すらできなくなるからだ。
物価が高いということは物の価値があがることであり賃金が上がることは労働の価値があがることでもある。それは悪いともならないのである。
それは節約とか倹約とか物を大事にするとかになりいい方面に働くこともあるが悪い面としては消費が落ちるから売る方では会社では困るともなる
ただ今までの贅沢な無駄な消費生活は見直される時代になるからいいことでもある

いづれにしろも老人は先がないからあきらめかつく、若者はそうはいかない、そこにまた大きな差がある。この辺で避難者は小高などに帰れというけど老人ばかりであり
そんな人たちがどうして復興するのだろうかと思う
シルバータウンになりうば捨て山になってしまうのじゃいなかと思う。
あと何年生きればいい、あと五年原発補償金もらって暮らしたいなどと言う人ばかりなのである。そんな人たちがどうして帰って復興できるのかとなる
そういう人たちを老人をみるともう復興がどうのこうの問題でなくなっているような気がする。
だからもう何も外からも何も言っても無駄だともなる。第一そこに住む人たちがもう復興などする意欲がないのだから外から何を言っても無駄である。

人間は例えばアメリカが日本を守ってくれるわけではない、日本が領土でも守る気がないとしたら血を流す気がないとしたらどうしてアメリカが血を流して助けるのか
それも日本人は他力依存に戦後アメリカに支配されてなってしまったのである。
戦争はするのはを拒否しても自分の領土を守るという気概が必要になる
なぜらなちら尖閣諸島だけではない日本自体が今度は中国の属国化してしまうからである人間は最後は覚悟と気概が要求される。
それは過酷な体験したことによりそういう覚悟ができる
イスラム国も残酷だがあそこまでしていることはやはり命かけて戦っていることは戦後に楽してきた日本人には理解できないのである。
だからあんな残酷な殺され方を日本人がされたとなる。
それは別に戦時中は普通のことでありめずらしいことでもなかっのである。
ギリギリにおいつめられると人間はどんなことでもする
飢えていると野獣と同じくなるからもはや何を言っても無駄である。
戦争終わってから捕虜になりどんな悲惨な目にあったかそういうことも体験したものでないかぎりわからないのである。


タグ:未婚
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2015年06月10日

初夏の花々(薔薇などの写真)


初夏の花々(薔薇などの写真)

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クリック拡大ーニコニコ堂(北海老)

小さなるトルコ桔梗の桃色に壺にさし見ゆ可憐なるかな
年ふりて花に花のつつむかな夏蠟梅を庭に咲かせぬ
花の中小さき花をつつみつつ夏蠟梅の我が庭に咲く
三色の百日草を部屋におくその色映えて明るくなりぬ
触らずに薔薇に光や我がよりて掃き浄めける朝の庭かな
窓により若き男女や大輪の赤き薔薇映ゆニコニコ堂かな



写真はデジタルカメラだとまずこれが良くとれているんじゃないかなと思ってもとれていない、角度を変えたり接近したりランダムにとったものをあとで見るとこれがいいなと選んでいる。
こういうことは写真だけとるならできなかったろう。
現像する前にどんなふうにとれていたのかわかるだろう。
だから写真というのはより身近になった。つまり素人でもいいのが結構とれる
ただ6万くらいのカメラは必要である。
光の具合などでかなり差がでる、実際見たものとは違ってくる。
この薔薇の写真はやはり光の具合が見た感じとは多少違っていた。
さらにいいカメラだったら見た目と同じくとれるらしい
それはソニーのカメラで二十万とかなるがそれだけの価値はある
夏蠟梅とかめずらしい花である。そういう写真はインターネットに今はいくらでもでている。

自分は庭を掃除したり花を挿したり手入れしたり家事をしたり介護したり金銭の管理からなにから毎日追われている
プログだってインターネットでもパソコンの操作は結構手間だし疲れる
今日は厚寿苑に三日ショートスティした。
だから余裕あるといえばあるが前とはまるで違う。
前はなんかいつまでもなにしもしない時間が延々とあった
だから暇で嫌な面もあった。でもそういうことも今はない
だから家事でも何でも何もしない時間が長くつづいたらなと思う
そういう時間をもてたのは幸せだった
結局人間で一番貴重なのは時間だった
その時間が無駄なことに費やされることが一番浪費だったのである。
そのことが若いときにはいくら言ってもわからないのである。
人間は何でもそれが現実化しないと自分の身にならないとわからないのである。

誰だか一万時間費やせば誰でも他よりぬきんでる、プロになるというのは本当である。
なぜなら一つの楽器を覚えるにはそれに時間をいくら費やすかで決まるからである。
一万時間費やせばプロになれるはいうことである。
そして楽器にしたっていろいろな楽器など時間がないから覚えられないのである。
北海老のニコニコ堂には日曜日は人が入っていた、若い男女は窓に見えた
自分は入らなかったがあそこの庭はいろいろ花が咲いている
今は大きな薔薇が咲いていた。あそこは絵になる場所なのである。
ただ昼間でも予約制の食事だから行きにくい
仮設のあつみ食堂には一週間に二回くらいは行っている
あそこまた昼間だけだから困る、晩方もやればゆきやすくなる
結局これも時間の節約のためなのである。
外食すれば時間が節約できるからそういうふうに思う
ただ野菜類とか自分でとらないと体に悪いから自炊が必要である。
今日はまた暑くなった。
暑いと外にでると自転車は疲れる
また明日から介護がはじまるからゆっくりしていられないのだ。

"天才"に生まれ変わる「10000時間の法則」

これが参考になるかもしれない,旅でも旅人になるにはそれだけの時間を費やす必要がある
それはみんな時間がないのでできないのである。

知識にしても膨大だからそれに費やす時間がなくて中途半端で終わるのである。
タグ:薔薇

抽象画(光あれ、色のあれ)


抽象画(光あれ、色のあれ)

抽象画に適したレーザーグラフィックス


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光あれ、色のあれ

be lights  be colours

coloumoub1.jpg

山の色

starr123.jpg

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水がおおっていた




抽象画はこうした新しい電気の色に向いている。
電気の色は変化しやすいのである。
だからart(技術)とともに生まれた新しい芸術なのである。
タグ:
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2015年06月09日

抽象画(岩と地底) (抽象画は原画を変化させて意味与えて鑑賞する)


抽象画(岩と地底)

(抽象画は原画を変化させて意味与えて鑑賞する)

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奇岩

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死火山の火口

これは原画とかなりにているからまずい

ただ一連のものとして理解させるために出した


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地底の紋章


これも著作権に違反しているかもしれない
でも抽象画が変化させてまた意味あるものとなる
つまり抽象画が見てもなにかわからない
それが変化させて岩になったなとしてまた鑑賞している
火口のように見えるとしてまた鑑賞している
これは原画みると変化させたものだからわかる
別に著作権は指摘されていない
結局わからないのだろう。

インターネットでは著作権違反は相当にある
なぜならインターネット自体が一つの巨大な本になっている
一冊一冊として作者があるのとも違っているからだ
共同制作みたくなっている
これも問題なのだけどそうなりやすいのである。
普通は絵画などは写真集でみているけどこんな変化させたりできないからである。
posted by 老鶯 at 17:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 抽象画の部(abstract)

神田うのベビーシッターに3000万の窃盗被害 (家に入り働く人は一番危険で要注意ー泥棒にも三分の理)


神田うのベビーシッターに3000万の窃盗被害


 
(家に入り働く人は一番危険で要注意ー泥棒にも三分の理)


神田うの、ベビーシッターによる3000万円以上の窃盗被害に 「シッター4人体制」も発覚し、ママタレ資質に疑問の声も
2015年6月5日(金) PM 6:36
「主文 被告人を懲役2年4月に処する」。5月14日、東京地方裁判所711号法廷で“ある窃盗事件”の判決が言い渡されていた。被告人は60歳の女性。A被告はベビーシッターとしての立場を悪用し、派遣先の家から27点、時価にして1千万円以上もの金品を盗んでいたという。実は、彼女はタレント・神田うの(40歳)の元ベビーシッターだったのだ――。
うのといえばタレントとして活動するかたわら、手掛けるブランドの年商が100億円とも言われる実業家だ。07年には、大手パチンコチェーンなどを展開する「日拓グループ」社長の西村拓郎氏(45歳)と結婚。11年10月に長女(3歳)を出産すると、子育て環境の充実に力を入れ始めたという。11年12月、彼女はベビーシッターの派遣を知人の会社へ依頼。そこで紹介され採用されたのが、A被告だった。


高島忠夫と寿美花代の子供が家政婦さんに殺害された事を思うと 3000万の金品盗難で済んで良かったと言うべきか

自称保育士の男がベビーシッターとして預かっていた子供を虐待し、死体遺棄した疑いで逮捕されました
被告人は60歳の女性。一番の古株←しなさそうに見えていたのかもね そういう人が一番怖いってことだ

信頼までは金で買えなかったかぁ…松嶋菜々子と反町隆史のところは、プライベートを知られるのは怖いから、シッターやお手伝いさんは雇わないとかいう記事が出た事あったけど、それ位警戒して丁度良い位だね。
http://www.officiallyjd.com/archives/452658/


これは事件が起きるべくして起きた。こういうのは被害者もカルマがある。
要するに犯罪でもただ偶然には起きない、その人の因果で起きる、偶然だけではこの世のことはかたづけられない。
なぜある人が事件とか事故にあうのか?
ただ偶然にそうなっているのか?
自分のことを考えられると偶然には思えないから自分にもカルマがあったから犯罪にあったと今では考える。
もちろん相手もそうなのだが自分もそうだったのである。

被告人は60歳の女性。一番の古株←しなさそうに見えていたのかもね そういう人が一番怖いってことだ
自分にもこういうことがあった。近くだしそんなことしないと思っていた。
でもその人にすれば自分の家で働く動機がなく金だっけだった
だから最初から金だけが欲しくて家の中を荒らされたとなる。
そこに突然の自分の病気とか重なってそうなったのだがこれも自分のカルマだった
カルマは必ず清算されることが要求される
人生のしたことが必ず60以上になったら清算要求される、ツケは払わされるのである。
それはどういうふうになるか個々人で事情が違うのでわからない。
何かこの世に偶然はありえない、犯罪にあうのもあうべくしてあう、あわない人はあわないのである。

この芸能人はあうべくしてあったのだ。その生活を見たら誰でも盗みたくなるような家だったのである。高価な宝石やら何やら家政婦でもベビーシッターでもそんなところで働いていたらそうなる
なぜこの家にこんなに高価なものがあるのか、こんなに金があるのか、私はこんなところでなてぜ下働きしなければならないのか?
他人の子供の世話をしなければならないのか?
そういう生活の差が露骨にありすぎたのである。
一番危険なのは家に入って来る人である。家の事情がわかってしまうからである。
信頼関係がない人は家に入れるべきではないが入れたとしても常に看視していなければならないから心も休まらないだろ。
今では介護関係などでも家に人が入ってくるから危険である。
でもまたそうならざるをえない事情もある。大家族でもないし人手たりていからである。本当はこういうふうに家に入ってくる人は一番犯罪が起こり安い場所なのである。
青森では家政婦が働いている家々に火をつけて火事にしたとか様々な問題が起きる。
要するに人間は働くにしても動機が肝心になる。
犯罪では必ず動機を問題にする。動機があれば犯人と目星をつけられるのである。
働くにしても働く動機が必要なのである。
それが今は金だけもらえるから働くという人が多くなった。

例えば江戸時代以前とかは乳母(めのと)とかが殿の子育てなどをしていた。
それはその侍社会では城を守るという共同性の中に生きて生死をともにしていた共同体があったからである。
その殿様の子を育てるということは自分自身達の利益にかなうことであり守らねばならないものだった。それは単に利益というだけではない、長い時間でそうした家族と同じような絆が作られていたのである。
今はそういう動機がない、ただ金で雇う雇われる関係になると家の中で働くとなると危険である。
信頼関係は簡単に作れないからである。
実際インターネットで離婚した男性がベビシッターを雇い子供が殺されたとか虐待されたとか外国でも普通に起きている。
そういうことが起こりやすい世界なのである。
特に今は金だけの関係だけになるから特に問題が起こりやすいのである。
他人の子供をめんどうみる動機がない、金のためだけだとなると盗んだ方がいいとなる
ここにはこんな贅沢している、盗んでもいいとなり泥棒にも三分の理があるとなる
現実にこの人との生活の差は百倍もあるだろうから当然だとなる
3000万盗まれても端金になってしまう。
だから本当に子供でも殺されなくて良かったとかつくづくそう思う。
一万でも殺される人は殺されているからである。
だからこういう犯罪はどっちにしろ起こるべくして起こるというカルマがあったとなる。

最近東京で介護する老人が増えるから地方で介護させるとのがいいと東京で言っているのもまた身勝手である。

農業は米を作れば作るほど赤字を作り、再就職先も無い。
田舎は独居老人と孤独死(都会者は信じられないだろうが、百姓の餓死などザラだぞ)、空家と無縁墓だらけ。
いかなる形であろうが、余所者が入り込める隙間などどこにもない。

それより田舎で暮らしてきた人が金がある東京の老人を介護者として優先して地元の人が介護されないとか金がない人はお断りとなったらどうなるのか?
田舎の人たちは怒るだろう。
そうなると東京から施設に入っても歓迎されないから危険な状態になるかもしれない
それは金だけではそもそも介護の動機にならないからだ
介護となると常に問題になるのが義理の父親とか母親は実の親ではないのだから介護したくないとなり離婚になったケースもある
それも動機がないからそうなる、介護はもともと家族がするのが動機があるのだからそうなるべきだとなる。
子供を世話したのはその介護される親だからである。
他人は金をもらったとしてもいやいやでしかできないだろう。
だから介護というのは動機が深くかかわっているから施設ではいい介護は金持ちでもされない
世話する人には動機がないから金だけもらえるとしても表面では愛想よくしてもどうしても本音が現れるのが介護の現場なのである。

いづれにしろ殺されなくて良かったとしてあきらめるべきだった。

その人にとって3千万でもはした金だったからである。
だから泥棒にも三分の理というのは諺にはつくづくそれなりの理があって今も変わらず人間は変わらないから通用している
盗まれる人は殺される人は何かそれなりの理由があり偶然ではないとなる。
ただ必ず例外的なことはありすべてとは何でも言えない
これは外から見てもわかりやすい例である。
何か世話になったとか金意外の動機があれば家で働くのも安全になる。
そうでなければ保証はないということである。
その子供でも雇い主でも殺されるかもしれないということを自覚しなければならない
いづれにしろ人を雇うとか雇われる関係というのもまた様々な問題が起きる
ブラック会社のことが問題にされるのもそのためである。

そこには金だけが働く動機となり雇う人も雇われる人も金だけの関係になるから問題になる。
雇う人にも雇われる人にもなにかしらの人間関係が生じればそうはならないのである。
今は人間の関係を金だけで処理しようとするから問題が起きる
金がやるからいいだろう何か文句あるのかとかで終わりになる。
そういうことは福祉とかでは人とじかに接するから割り切れないから問題が起きるのである。
ともかく家に人を入れるとなるとそれなりの家で待遇しないと問題が起きる
それだけの金があればもっと金をはらっても良かったからである。
家の中で働いてもらうことははっきり言って金でありなんであれ与えないとできない、高価な代償が要求される。現代は特にそうした人間関係が簡単に作れないから問題が起きるインターネットでベビーシッターを雇った殺されたというのもそうである。
つまり家族の役割をしてくれる人などもともといないのである。
それを自分は介護とか自分の病気で自分一人だったからいたいほどわかったということである。

金は借金でもすれば出てくるが
人は湧いては出てこない

人手不足といっても仕事ができる人は簡単にはみつからない、その仕事にマッチした人は簡単にでてこない、確かに金はでてくるしある人も多い
でも信頼ある人が来るかとなるとそうならない
だから人手不足簡単に解消しない
金だけではこの世のどうにもならないのである。
金+?が必要なのが人間社会なのである。




ベビーシッターの男が預かった子供を殺害した事件は、もちろん一番悪いのは犯人だけど、預けた母親もちょっとバカすぎるよね。 ネットで見つけただけの赤の他人に子供を預けるなんてね、非常識もいいとこ。
母親は被害者ぶってると思うけど、あなたもはっきり言って間接的な加害者だよ。被害者ぶらないでほしい。

hasekai526さん 編集あり2014/3/1919:07:56

別のサイトでは母親のブログに、預けた日は彼氏と2泊3日で旅行に行ったと書かれていたそう。
ブログは既に閉鎖されているらしいので事実かは分からないけど、本当なら最低です。
何被害者ツラしてんの!
家族も彼氏も同罪だよ。(知ってれば)


世の中の事故なんて、何かと何かが、タイミング悪く
重なった時に起こるんだと、改めて思いました

つくづくこれが自分にあてはまっていた、事故や事件はいろいろなものが重なり起きる。
自分も全くそうだった、なせそのとき突然病気になったのかもそうである。
それも偶然ではなくなるべくしてなったとなる。
だからこの世で起きることは自業自得なんだよ借金した人もそうであり見栄からしているだからそれを他人に負わせるのも納得しないだろう。
自分でそのツケを借りをカルマを払わなければならないんだよ
まあ、他人のことは言えない、自分もそうだった。
ただなんとか自分はこの七年間の苦しみで自分のカルマは清算した感じた
そのあとまだつづきがあるのかもしれないけど金があるから安全はない
本当に殺されなくて良かったというのが世間の見方であることを知るべきである。

=A7dP5XXUanZVIzsAwNEUAPR7?page=2&qid=13125064868
posted by 老鶯 at 13:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2015年06月08日

南方系と北方系は世界史的なテーマ (日本では東西が歴史的にも風土的にも基になる)


南方系と北方系は世界史的なテーマ


 
(日本では東西が歴史的にも風土的にも基になる)


●ヨーロッパは南と北は明確である

日本での南方系と北方系の区別はむずかしい。
文化が地理から作られるから気候風土が深く関係している
それが明確なのはヨーロッパだと暑い方の地中海沿岸のラテン系と寒い国のゲルマン民族である。
フランス語とドイツ語が明確に別れているし言語学者でなくてもすぐにわかる
言葉の面から言えばドイツ語は東北のズーズー弁的なところがある
何か言葉が重いのである。そのドイツ語を基本にして英語が成り立っている
ということはドイツ語は世界的なものになっているという面もある
英語でドイツ語を意識しなくてもドイツ語がその根底にあるからドイツ文化の影響を受けているともなる
ヨーロッパだとこうして南と北は地理的風土的にも文化的にも歴史的にも別れているからわかりやすい
ギリシャやローマは南方系でありギリシャにはオレンジなどがとれる、それは日本だと瀬戸内海辺りになる。
ドイツとかは寒いし霧の国であり憂鬱になるから憂鬱な哲学者が輩出している
それは風土的な影響なのである。音楽でも重厚な音楽になる
ゴシック教会のようにゲルマンの森を象徴しているというのもそのためである。
日本だと東北から北海道はゲルマンににている北方系だが北海道は風土的にはより北方系である。トドマツなどがあり樹も重厚になるし太いのである。

カトリックはラテン系であり勤勉なプロテスタントは北方系である。
南方系のラテン系はシエスタとか昼間の長い時間を昼寝するとか休む
それは暑いせいもある、暑いところは昼間は働けないのである。
だからなまけもののように見える。
寒い国はかえって勤勉になるのである。
人種的に区別することもあるが人間はそこに住む風土の影響の方が大きい
ただユダヤ人は例外である。神の民として今も残存しているからである。
民族というより風土的歴史的に作られた文化的集団としての区別である。
だから日本人のルーツを探っても無駄なような気がする
遊牧民とか農耕民とか漁労民とか分けるのがその風土とか生業が人間の存在を規定する
世界は人種で分けるのではなく土地土地で培われた歴史と文化で分ける。
だからもし日本に移民がふえても日本の風土はかわらないから日本人の文化を受け継げば人種は関係ないとなる。
ただ言葉が変わったりしたら日本の文化は喪失するのである。

文化は風土が多様なように多様であるべきなのである。
方言をみんな標準語にしたのもつまらない、ズーズー弁は軽蔑の対象になったが
方言が喪失したら国の訛りもなくなり地域性もなくなる
今は子供からしてきれいな標準語をしゃべり方言は喪失しているからだ。
面白かったのは丸森の人がんだべっちゃと言ったことである。
仙台だと語尾がだっちゃになる、相馬ではんだとなる、それか結合してんだっちゃとなった
丸森には一時相馬藩の城があったから方言も結合したともなる
こういうふうに地域性があると方言でも文化であり面白いのである。
科学とか数学は共通であり地域性とかないからグローバル化で文化も破壊されたのである地域創生というとき方言だって見直す作業が必要なのである。

それは狭い一地域でも歴史が違っていて色合いか違ってくる
何回も書いたけど相馬市は相馬藩の城跡があり城下町である。
原町市はひは雲雀が原があり野馬追いでは神旗争奪戦が行われる場所である。
でも原町は明治になって鉄道が開通して原町機関区になったようにいち早く近代化した街である。
だから大正時代に巨大な東洋一の無線塔ができた。
駅前通りが主要な商店街になったのもそのためである。
相馬市は駅前と通りはなく城下町のままだった。
原町は何か感覚的に広々として感じになる、郊外が広い感じになり雲雀が鳴いているのがふさわしい、それで雲雀市という合併後の名前も浮上したことでもわかる
そういう土地柄なのてある
こういう違いはなかなか旅しているとわかりにくいのである。

●日本では南北が東西になっている

とう‐ざい【東西】

もと相撲で、東から西までおしずまりなさい、という意で言い始めたという》興行物などで口上を述べるときに、また、ざわめきをしずめるときなどに言う語。東西。とざいとうざい。

1 東と西。また、その方向。「―に走る道路」
2 東洋と西洋、関東と関西、東側諸国と西側諸国などの意。「―の文化」「洋の―を問わない」「古今―」
3 世間。また、世間の事柄や事情。「―もわきまえない青二才」
4 《東や西の意から》あちこち。方々。

東と西。また,東洋と西洋,東側諸国と西側諸国,関東と関西など。 南北 「川は町の中央を−に流れている」 「人の気持ちは洋の−を問わない」 「古今−」
A方角。転じて,世間の事柄。 → 東西を失う ・ 東西を弁ぜず
Bもと中国の俗語で,物品または金銭の称。

東人(とうじん、韓国語:동인〔トンイン〕)は、李氏朝鮮の官僚の派閥の一つ。

東人と西人の対立が始まると当時の大司憲・李珥は、金孝元、沈義謙双方を地方に退かせたため、東人の領袖の座に鄭仁弘を着かせた。1584年、李珥が亡くなると本格的な党争が始まった。東人はほぼ政権を掌握していたが、西人から東人へ寝返った鄭汝立の謀叛事件により西人に政権を奪われることとなった。
しかし、1591年に西人が世子冊封の問題で失脚すると東人が政権を掌握した。東人は西人の粛清を始めたがその過程で、南人と北人に分裂することとな
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%BA

あずま‐びと〔あづま‐〕【▽東人】

東国の人。田舎者の意を含んでもいう。あずまうど。あずまど。
「破 (わ) り子や何やと、こなたにも入れたるを、―どもにも食はせ」〈源・宿木〉

東男に京女
男は男らしくいきな江戸の男がよく、女は優しく美しい京の女がよい。
あずまあそび【東遊び】

古く東国地方で、風俗歌に合わせて行われた民俗舞踊。平安時代から、宮廷・貴族・神社の間で神事舞の一つとして演じられた。歌方(うたいかた)は笏拍子(しゃくびょうし)を持ち、笛・篳篥(ひちりき)・和琴(わごん)の伴奏で歌い、四人または六人の舞人が近衛(このえ)の武官の正装などをして舞う。現在は宮中や神社の祭礼で行われる。東舞(あずままい)。

あずまうた【東歌】
上代、東国地方で作られた民謡風の短歌。万葉集巻14と古今集巻20の一部に収められる。
あずまうど【東人】
「あづまびと」の音変化。
「あやしの―なりとも、賑ははしきにつきて」〈徒然・二四〇〉
あずまえびす【東夷】
京都からみて、東国の人、特に無骨で粗野な東国武士をあざけっていった語。東夷(とうい)。


日本では南方系と北方系は東と西である。だからトウザイ、トウザイとは東も西もで日本全国をさしている。
日本の方角感覚は南北ではない、東と西なのである。

●東西感覚は歴史的にも韓国と日本でも共通していた

それは歴史的にも関が原で東と西が奈良時代から別れている、東はあづまでありそれは戦国時代でも信長は尾張であづまの領域、東の勢力である。

それは天智天皇と天武天皇が争った壬申の乱からすでにはじまっていた。
大海人皇子は天武天皇元年6月24日(7月24日)に吉野を出立した。まず、名張に入り駅家を焼いたが、名張郡司は出兵を拒否した。この状況を不利と見た大海人皇子は、伊勢国に滞在し占いを行った後、伊勢神宮に参拝した。これにより大海人皇子は美濃、伊勢、伊賀、熊野やその他の豪族の信を得ることに成功した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%AC%E7%94%B3%E3%81%AE%E4%B9%B1

名張から伊勢へ向かった。伊勢から名張へ自分は旅をしたからこの地理感覚わかる。
面白いのは韓国でも同じ方向感覚で歴史が形成された。壬申の乱と同じように日本と同じように韓国でも東西の争いがあり国が作られた。
小野妹子が(7世紀初せいきはじめ)推古天皇時代607年,はじめての遣隋使として中国につかわされ,「日出づる処の天子、書を日没する 処の天子に致す、恙なきや」という書き出しで有名な聖徳太子しの国書を皇帝煬帝にわたした。
日本は極東だとか東海だとか東の果ての国なのである。南北ではない、それは陽が上る方向の国である。人間の方向感覚は陽が上る方向と沈む方向で知るのは人間が住み始めてからどこでも同じ傾向があったろう。
でも日本でも日本海は山から陽が上り海に沈む、西に沈む、この感覚が太平洋側に住んでいるとなじめないのである。
盆地だと東山から上り西に沈むとなる。京都に東山があるのは陽が上ることは意識するが西山はないのは陽が上る方向を人は特に意識するからである。

東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる 啄木

東海とは日本海も太平洋も視野に入れた広い範囲なのである。韓国から見ると日本は東海になっている。

東と西というとき不思議だったのは近江である。琵琶湖中心に湖西と湖東があり湖西となると淋しい感じになっている、東は風土的には陽の上る方向だから明るい感じになる。
西は陽が没する方向だから淋しい感じになる。
ただ歴史的には違っている。西となると別に関西は先進国で東は後進国であった。
それで今でも東京をトンキンとして関西人がネットで言っている。
地名でも書いてきたが地名の基本は方角地名なのである。
方角によってその土地を知るのが基本である。
それで相馬市と南相馬市となったがもともと相馬藩は小高に最初に相馬氏が拠点の城を築いてそこを中心にして鹿島とか相馬市の方向は北郷としていた。
北という感覚がここにはあった。東と北は日本では同一であり混同しやすいのである。
南はなじみがない、でも東風(こと)とか北風とか西風があり風では東風と北風がなじみがある、南が意識されたのは柳田国男の海上の道で沖縄や南が意識されたのである。

「名も知らぬ遠き島より 流れ寄(よ)る椰子の実一つ ふるさとの岸をはなれて なれはそも波にいく月(つき) もとの樹(き)は生(お)ひやしげれる 枝(えだ)はなほ影(かげ)をやなせる ・・・」

この遠き島が沖縄の島になるしさらに南の島々に通じる。オーストロネシア語圏内になる椰子の実は日本の岸に流れ着くのは南の島からである。
それは黒潮の流れにのって流れてくる。
南相馬市の鹿島区の海老浜は車輪梅は南限の地として有名だった。
これは奄美大島が原産でその種が流れ着いて自生したのである。
まず太平洋は広いしアメリカの方からは何も流れてこないし交流もないのである。
台湾から与那国島から沖縄の島伝いに九州の薩摩とつながった。
薩摩芋ももともと沖縄から伝播してきたものらしい。
米はこの海上の道から来たというけど沖縄では稲作になる適地がないし本土とは江戸時代になるまで交流がなかったからどうなるかとなる
ただ貝は中国に伝わり貨幣となったり日本の関東地域とかまで運ばれたことはわかっている。

ともかく旅すると必ず方角がわからなくなる。だから方角を知るために磁石が必要なる。近江は琵琶湖を中心にして地理がわかりやすいところだった。
それでも湖西があり湖東があり関が原から向こうが東だという感覚がわからなかった。
たいがい自分の住むところは太平洋から陽が昇るからである。
ただ湖西となると何かやはり陽の没るところで比良などの山々があり淋しい感じになる。西会津でも会津のさらなる奥で淋しい感じになる。
つまり東とつくと何か明るい感じになる。東山とかあり東山温泉とかあるのは会津でも同じである。
でもまた会津でもあそこが東山で陽が昇るのかということもわかりにくい、会津は山国になるからその地理がわからなかった。
そして一番不思議に感じたのは太陽が湾から山に沈んでゆく、西沈んでゆく光景である。大阪湾などがそうであり他にもそういう場所は西になると多いのである。
大阪の日下とはもともと大きな湾があり陽の沈む所として名付けられた。
日下部というのはそこから生まれた。一つの太陽の方向感覚から生まれた地名でありそれが氏族の名前となった。
旅の面白さはそうしたありえないような風景に接することである。
それは太陽が山から昇るでも海から昇る陽をいつも見ているのとはまるで違った感覚になるからである。


タグ:東西南北
posted by 老鶯 at 17:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本(世界)文化文明論

2015年06月07日

相馬市の道の駅は自転車の散歩コース (車社会で活気あるものは変わったー配達する仕事も同じ)


相馬市の道の駅は自転車の散歩コース

 
(車社会で活気あるものは変わったー配達する仕事も同じ)

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相馬市の道の駅の燕の巣




道の駅人々行き交い燕の子
道の駅燕の巣二つにぎわいぬ
ツツジ咲き人々集まる道の駅

新緑に風のそよぎて山帽子咲きて影なす道の涼しき
新緑の風にそよぎて時鳥声清らかに近くに鳴きぬ



今日も相馬市の道の駅に行った。あそこまでが自転車でも散歩コースになる。
北海老のニコニコ堂の庭をみて八沢浦を回り道の駅につく
あそこに燕の巣が二つあり雛が育っていた。
あそこは人の出入りがありかえって烏などにねらわれないいい場所だった
埼玉から来た人だった、南相馬市と相馬市があることでわかりにくいと言っていた。
やはり外から見ると区別しにくいだろう。
地名でも名前でもなにか区別する、分けるということもある
同じような名前だと区別できなくなる
南相馬市も相馬市も同じじゃないかと外からは見えるのである。
名前をつけるとき外からの視点も必要だった。
やっぱり雲雀市というのありかと思った。

いつも道の駅とかではナンバーをみている。
釧路から着ている子供連れがいた。
それが釧路だったのである。遠いと思ったが苫小牧からフェリーで来たと推測した。
なぜなら苫小牧から仙台の太平洋フェリーで自分は十回くらい北海道に行っているからだもう一人も北海道であり除染でんの仕事で何でも岡山からこっちに移ってきたばかりだという。
スマホとタブレットをもっていてコンビニで休んでいた。

それからまた道の駅でぶらぶらしていると三輪車の大きなハーレーダビッドソンが二台置いてあった。
するとそれをしげしげみている人がいた。
「これは三輪車だからヘルメットかぶらなくてもいいんだよ、転ばないから」
「そうなの、これは転ばない、がっしりしている、まるで車だ」
「これは名取で売っているよ」
「これは高いだろうな」
「年配の人だよ、これに乗っているのは」
「みんな、いいバイクでも乗っているのは年配だな、この前もハーレーダビッドソンに乗っていたのは大熊の74才で頭がまるっきり禿げた人だったから驚いた」
「これはスピード出すというより車体を見せて自慢するもんだよ」
「ええ、そんなもんですか、ぴかぴかに磨いているな」


自分は何気なく触ったが触るなとその人に言われた。
三輪車が一台とサイドカーのついたものが黒いのと白いのが一台とめてあった。

「こんな大きなのはアメリカ向きだよ、アメリカで鉄道を利用したけど車内は広いんだよ、でも広くないと困るよ、太ったでかい人がどっしりと腰をおろすからあれくらい広くないと乗れない、日本では狭くてこまっているだろう」
「まあ、これは広い道路向きだよ、アメリカで作られたからな」

自分はアムトラックに乗ってアメリカを一度旅したことがあった。
車内は広いからゆったり座れたのである。まるで応接間のソファーにに座る感じだったのである。
そういう感覚がアメリカ的だと思った。日本では何でも一回り小さくなってしまう。
大陸的だというときそうした日常生活から何かするのにも影響している。
一見そんなことが関係ないようでも戦争のような大きなことをするにしてもアメリカのような大きな国は日本とは違ってものの見方まで変わっているのである。
日本は狭い国だから考え方もせせこましくなってしまうのである。
北海道はその点日本にてはアメリカ的なのである。
そのハーレダビッドソンに乗っていたのは意外にも南相馬市の地元の人だった
東京で買ったという、それなりに金がある人なのか、この辺でもそういう人がいたとかなる
もしかしたら補償金もらった避難民かもしれない、南相馬市にもいるからだ。
ともかくハーレダビッドソン見ていたやはり年配の人は相当にほしいという感じだった
やっぱりあれ一度のるのが夢なのだろう。
車を運転しない人にはわからないのである。
まあ、自転車だと百万円くらいのロードの軽い自転車に乗ってみたいとかと同じなのだろう。


道の駅に来る所の道に山帽子が咲いていた。外に咲く山帽子はまた気持良く咲いている。風がそよぎ木陰がなして気持いい、今日は晴天だけどそれほど暑くなかった。
そろそろ梅雨に入る時期だけど遠くには行けなかった。
ともかく介護とかなると遠くには行きづらいのである。
明日またショートスティだけどこれまた嫌だというし具合悪いとも言っていたしいつまで介護がつづくのだろうと思う。

ともかく相馬市の道の駅は自転車の散歩コースとして最適である。
原町は街中にあるから散歩コースにはならない、用事で行くことになる
今は鉄道の駅より本当に道の駅が駅らしいとなる。
そこには人々が行き交い集まるからそうなる。
前は鉄道の駅がそうして人々が集まる場所だったのである。
人間の生活は常に変わっている

アマゾンなどで何か本を中心になるが毎日のように配達してもらっている。
するとその人が田舎だから車をとめて家の玄関まで距離がある農家に配達していた。
そこまで走っていたのである。
走らないと時間を短縮できないからだろう。
今は通販時代になると配達することが社会にとって大事な仕事に見えた
自分でも配達されないと相当に困る。
だからますます配達する仕事が社会にとって重要な仕事に見えたのである。
そこには人手も必要であり人手もそういう所に移ってゆく
そういう仕事はこれから給料も高くなってゆくのかもしれない
社会で必要としている仕事は常に変わっているということである
道の駅とか配達している人が何か現代を象徴していて活気があるとなる
鉄道の駅は何かさびれているとなってしまったのである。

タグ:道の駅

2015年06月06日

縄文語とアイヌ語の謎 (福島県は関東より弥生文化の先進国だった)


縄文語とアイヌ語の謎

(福島県は関東より弥生文化の先進国だった)

 
千島列島とカムチャッカ半島の地名を見ると、アイヌ語地名は北上したもののようであり、南下してきたものではない、村山七郎著「アイヌ語の起源」(三一書房)
http://www.dai3gen.net/ainutoku.htm

アイヌ語が北上してのであり南下していないという指摘は重要である。
アイヌ語はもともとの縄文語に由来して民族の移動とともに蝦夷(エミシ)が伝えた言葉である。
アイヌ語はツングース系統とすると北から侵入したようで南からの移動の勢力が強かった北海道にもエとつく地名が多いのはなぜなのか?
それは南方から北へと地名が移動していたのである。
アイヌ語はアイヌが何なのかわからないにしろエとつくのは北上してきたものであり
アイヌ語はアイヌは北方系にしても南方系に由来しているのである。

そうなるとアラハバキもアイヌ語で解がないであろうか。arpa-pake と解すると、これは、行く(発つ・出発する)・首領(頭)、ほどの意味になる。果たして出発して旅をしたものが熊の頭だったか部族の首領だったかはともかく旅してくるものをマロードとして祭ってきたわけだ。
一方、paki となるとこれは「エビ」の意味である。エビ、つまり、蝦夷、に転意するのに造作も無い。アラハバキが「蝦夷」の語源を教えてくれてはいまいか。
http://www.dai3gen.net/arahabaki.htm

ezogo111.jpg

目・見・お前・?・? アイヌ語 e= お前(ニ人称単数)
いーせ
いーそ
いーる
いーま(居間)
いーね(稲)
いーほ(飯)
いーい(飯)
いーち(中国語)
いーし(石)
いーえ(家)
いーも(芋)
いーむ(忌む)
いーなう(いなう)
いーりえ(入江)
いーけ(池)
いーき(息)
いーのる(祈る)
いーにし(いにしえ)
いーねる
いーく(食う)
いーさご
いーらっしゃい

「えびす」の語源は、「エミシ(蝦夷)」が「エミス」になり、「エビス」になったとされている。また、「えびす」は蛭子の神さまでもあり、水に関わりがあるから、兵庫県の西宮戎神社や大阪の今宮戎神社のように海に近いところにあるのが多いのである。

えびすが蝦夷とかエミシの由来なのか?それは水に関係あるのか?
それでエが江になったのかとなる
図で示すとイから派生する言葉がある。イは接頭語でありそれ自体意味があるとはなっていない、要するに強調するためにイが用いられた。
日本語ではセは瀬であり一語でも成り立つのが多い
伊勢とあってもイは接頭語であり強調語でてある。
イネとあってもネも根であり一語で成り立つ、いほでも穂(ほ)であり一語で成り立つ
この接頭語がつくのは北方系ではなく南方系の特徴だという

たとえば、日本語の接頭辞は、ツングース語にはまったくみられない。
接頭辞は、常に他の語の前に付いて用いられる語構成要素で、「お寺」「ま昼」「か細い」「い抱く」などのオ、マ、カ、イがそれにあたる。
 このように、日本語は、ツングース語的な文法を持っていながら、ツングース語では説明できない要素も非常に多い。
 
「日本語はオーストロネシア語とツングース語の混合言語」ではないかという結論に到達する。すなわち、縄文時代に、日本列島ではすでに原ツングース語を話す人がいたとして、その後、渡来したオーストロネシアンとお互いに混じり合うなかで、日本語の原型が形成された、という。

 http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn5/005_04nihonngo_ha_konngougenngo.html
 
日本語が混成後であることはまちがいない、それはオーストロネシアンと北方系のツングース系だということである。
その典型的な象徴がイーエという言葉である。それはエにイが強調語として接頭語としてつなぎあわされたのである。
エがさきにありエはエゾーエソでりエミシなのである。
そのイエに漢字が入り家をあてたのである。
ツングースが北方系が東北地帯一帯に先に縄文人として日本を形成していた。
そこに南方系のオーストロネシアンが入ってきて混成後が生まれた。
日本の最古の原住民、蝦夷は東北にあったともなる
それは例えば福島県でも茨城県より田が先に作られたということが考古学の発見でわかってきた。
福島が先進国で茨城、ヒタチの方が後進国だったということもその一つである。
つまり原日本人が東北にあるということはかなり重要だろう。
そのげんじゅうみんか言葉がなかったというのではなく縄文語としてすでに言葉をもっていたのである。
日本の最古層に東北の縄文文化があったともなる。

ただこのエミシは本当に謎であり不明である。
渡来人がこの蝦夷にも交じり地名とか言葉も残した。
アラハバキが蝦夷とかいうけどこれも渡来人系統である。アラとはツノガノアラシトのアラでありアラという国が韓国にあったからである。荒という姓は渡来系なのである。
東北にはツガルもツノガノアラシトから敦賀(敦賀)がありツノガからツカルになったのである。鹿角(カヅノ)などもそうかもしれない、
つまりツノガノアラシトの変形したものである。
カヤというのヤマトタケルに抵抗した蝦夷の一団の中にいたのである。
カヤは伽耶なのである。それは渡来人の一団がすでに蝦夷でもあった。
だから蝦夷は物部氏とかツノガノアラシトから伽耶(かや)とかの渡来人と一体化した人たちのことである。
そして弥生文化は関東の方より福島県側が発達していた。


稲作の伝播には太平洋側と日本海側の2ルートがありました。そして、稲作は日本海側の方が向いていますから、このルートの稲作の伝播は太平洋側よりさらに速度を速め、たった100年で青森県まで到達しました。そして、東北の太平洋側の稲作は、日本海に注ぐ川を遡上して広まりました。
このルートは新潟から阿賀野川から東進し会津盆地に入るルートです。弥生時代中期の福島県域の人たちは、たぶんこの阿賀野川に沿ってやってきた人たちです。この人たちが県域の各地に広がり、その子孫が弥生時代に県域に住んだ人たちでした
http://blogs.yahoo.co.jp/asakayama1000/20944129.html

つまり弥生人はすてに渡来人でもあり福島県には濃厚にその跡が残っている。
これは渡来人の影響が大きかったともなる
しかしその前に縄文人が東北にはいてそれが縄文語のルーツでありそれにオーストロネシアンとツングース系の北方言語が混じり合ったのである。

いづれにしろ日本語が孤立語でそのルーツがわからないのはそもそも満州に住んでいる人たちとかインドネシアに住んでいる人たちの言葉とか東南アジアの言葉を知らないことによる
もし交流があったなら共通語が東南アジアとか中国でも形成されていたのである。
それはヨーロッパを見れば継続して交流があり明確に混成後として言葉がわかる
日本語は例えばオーストロネシアでもそれは断絶してしまったから不明になったのである現実に日本が戦争でオーストロネシア地帯にポリネシアなどに進出して兵隊が支配したときその島では日本語をしゃべっていたし今でもしゃべる人がいることでもわかる。
戦争を通じて日本と交流があったから日本語をしゃべっているのである。
戦争で征服、征服されると言葉が強制的に混成後になることが明確である。
日本は回りを海に囲まれて断絶してしまったのである。

言葉の不思議はもし縄文語があるとして縄文人がしゃべっていた言葉と同じ言葉をしゃべっているとしたら明らかに縄文人をルーツにした文化を言葉から受け継いでいるとなる
すると今の日常生活にも縄文人が日本人の中に生きているとなる
縄文時代となるとただ過去の死んだ遺跡のようにしか見ていない
今とは遠く切り離された遺物として見ているのである。
現実に今に生きていない歴史は歴史にはならないだろう。
民族の言葉を維持することはそうした縄文人の文化を受け継いでいるということにもある大和言葉というと縄文人が関係ないように見える
蝦夷といってもわからないから大和言葉は渡来人の言葉なのかともなる

でも日本語が孤立語だというのはそもそも回りとアジアと交流がなくなっていることにあるのだ。
戦争でもアジアから孤立していたし今でも朝鮮中国からも孤立している。
その孤立語というのは言葉だけではない、現実の世界でもアジアから孤立していることがつづいているのである。
言葉というのはだから現実の世界情勢を反映したものとしてもありつづける。
中国などはかえって今ではその文化でもわかりにくいのは明治維新から欧米一辺倒になったからである。
中国がまたアジアの中心になると必ず中国文化が見直されるのである。
文化という視点になればやはりその土地と一体化するアイディンティティ化する
だから東北の源流を探ることも大事になる
そこから東北ルネサンスが生まれるのである。
それで東北の歴史も見直す必要が出てくるのである。



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posted by 老鶯 at 21:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本(世界)文化文明論