2015年07月31日

南相馬市の高齢化率はすでに30パーセント (全国は25パーセントー人口動態からみる歴史)


 
南相馬市の高齢化率はすでに30パーセント

(全国は25パーセントー人口動態からみる歴史)



○ 高齢化率が25.1%に上

65歳以上の高齢者人口は過去最高の3,190万人(前年3,079万人)。


全国高齢化率

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やっぱり東北では青森とか秋田とか山形がほぼ30パ-セントにすでになっている
南相馬市と同じ状態になっている。南相馬市は原発事故の影響で高齢化が急速に上がっ
新潟県とか富山県とか長野県とかも30パ-セントに近くなっている
島根県、鳥取県とかもそうである
九州も意外と東北と似ている、30パーセントに近いのである。
こういう県は工業地帯ではない、東京から離れると高齢化率も高まる
北海道も30パーセントなのはそのためである。
北海道の高齢化率も厳しい、農業が主体だと高齢化率が高いと労働ができなくなる
そして跡継ぎも不足する、酪農でも跡を継ぎたくないとなる
農業は後継者不足で悩んでいたからである。

北海道は明治維新後は開墾者が武士などでも大量に入ってきた。
その時は北海道は若い時代だったのである。
工業化社会になると東京中心になると不利になった
そして北海道の人口は札幌に集中している、40パーセントとかあることでもわかる。
北海道は旅行するにはいいが住むとなると厳しい
札幌のような都会だったらいいにしても寒いということが老人にとっては辛いのである。
九州も東京から離れすぎているから地理的に工業化社会では東北と同じような地理にあった。
九州の鹿児島県となれば青森県ともにているのだ。南の最果ての地である。
四国も同じように30パーセントに近い、ここもやはりにている。
やはりこの高齢化率は日本の現在の縮図である。
人口動態というのは縄文時代から稲作のはじまったとき急激に人口が増加した。

それから江戸時代の後半で開拓が進んで人口が3,000万になった。
でもまだ3,000万である
明治から大正までで6,000万になった。
それでも6,000万である。
つまり今の半分の人口しかないのである。
今の半分しかないということは相当に閑散として自然が広がっていた
だから山村暮鳥とかホイットマンのように都会すら賛美していのである。
東京といってもまだ周りに自然がある状態だったのである。
この辺がかなり誤解してみているのである。

世界でも人口から見るとわかりやすい、中東地域は紛争地帯だが人口が多いし若者が多い地域である。
その若者が就職先がないとかでイスラム国に兵士として就職することもあるというのもそのためである。
中東も石油資源があっても工業化していないから成長しないのである。
そこでは若者が多いからイスラム国のような厳しい所にも行くとなる
日本も明治維新から太平洋戦争までは人口が増加し続けて若い国だった
戦後もそうである。団塊の世代が生まれたときも人口爆発した。
それが工業化、高度成長化でその人口の労働力は団塊の世代中心に吸収されたのである。

人口圧力が問題になるのは様々な問題の原因になるからである。
生物学的には人間も動物だとすると天敵がいて人口は調整されねばならない
ある種が増えすぎると生態系のパランスが崩れる
人間増えすぎると生態系のパランスが崩すのである。
明治維新から太平洋戦争と団塊の世代が生まて育った高度成長時代は歴史的には異例の時代だった
日本で一億二千万の人口を養えるなどありえない、異常な世界でもあった。
だから少子高齢化も長い歴史からみれば人口の調節のためだとなる
あと五十年くらいすると高齢化も終わり全体の人口は減ってもバランスのとれたものとなるからである。

いづれにしろこの辺では工事関係者とか除染作業員とかが大量に入ってきているから今は賑わっているように見える。
除染作業員とか六千人が飯館村に出入りしているとなるとコンビニが開店したことは便利になる。
自分も飯館村に一年以上行っていないから行ってみようと思ったが店とかないので行きにくかったがコンピニがあるとなる食事もできるから便利である。
小高でもコンビニが開店すると帰還しやすくなる
ともかく買い物しているけど毎日買い物をしている
買い物が一仕事なのである。それでもたりない、大根下ろししようとしたらなかった。
前だったら近くに店があったから買えたし一本でも買えた
今は街のなかにスーパーあってもちょっと遠いから買いに行けなかった。
ただ飯館村はもともと小さなスーパーが一軒しかなかったから不便な所だったからコンビニでもあればいい方だとなる。
コンビニでもスーバーの役割を果たせるようなものらしい。

いづれにしろこの辺は外部から入ってきているからにぎわっているようにみえる。
でもその外部の人たちが去ったらどうなるのか?
老人が増えて若者の働き口もないとかなる、今は人手不足ではあるがそれは外部から人が大量に入っているからである。
だからみんな行っている、外部の人が去ったとき相当にさびれて夕張のようになるかもしれないと・・・・
ただ火力発電所とかあり東京に近いということは有利ではある。

それから介護する若い人がいないとかこの辺では問題になっている。
それは全国的にも起きている。
もう介護できなくなり介護難民となり老人は放置されるかもしれない
介護は十年とかも長くつづくのが問題なのである。
そういう手厚いこともできなくなる
介護保険でも一日ショートすティでも五千円とられたとしても七倍くらいが介護保険からでるの異常であり医療費でも財政を圧迫して国がつぶれるとまでなる。
特に原発事故周辺は厳しくなり老人は手厚い介護など受けられない覚悟までしなければ住んでいけなくなる
若い人が見切りをつけて去っているからそうなるのである。

タグ:高齢化率
posted by 老鶯 at 21:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

抽象画(夏の山ーsummer mountains )


抽象画(夏の山ーsummer mountains )

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これが原画

下のように変化するとは自分でも想像できないのがパソコンの抽象画


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夕暮れの夏の山


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これもフォトショプで変化させてみた、なかなか手のこんだ変化ができる
抽象画はともかく変化なのである。だから無限の変化でありこの絵でもまた変化してゆく、
抽象画でもこれが山だとして見ないと鑑賞できないだろう
これが山なんだといえばそうかとなる
もちろん一見してこれは山だとして鑑賞することもできる
ただなんかわからないと抽象画も鑑賞できないのである。
自分がこれを山に見えたから山として抽象画を変化させたのである。
それも偶然の結果なのがパソコンの抽象画なのである。
タグ:夏の山
posted by 老鶯 at 02:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 抽象画の部(abstract)

2015年07月30日

鉄砲を捨てた日本人を読んで (すべてを道として精神を重んじた日本人)


鉄砲を捨てた日本人を読んで

(すべてを道として精神を重んじた日本人)


柔術は武術の起源と考えることもでき、柔術から派生した武道として柔道や合気道、そして空手のいくつかの流派などが知られています。
もともと武道とは武術であり道ではない、道というとき精神的要素が大きくなる。

武術とはいかにして敵を殺すとか身を守るかとかに発している。
それはあくまでも術であり道となったのは後世のことであり明治以降に道となった。
ヨーロッパなどでも騎士道があるがなぜ日本だけが武術が武道となり道として精神化したかということである。
そのことで興味深いのが「鉄砲を捨てた日本人」日本史に学ぶ軍縮 ノエル=ぺリン著
である。
ここで鉄砲は足軽ものであり侍の身分のあるものは使うものではなかった。
刀とかだと武術が生まれ武道になるものがあった。
しかし鉄砲には鉄砲道にはなりえないものだった。
刀を使うということは人を殺すものとして作られても精神化するものがあった。
子供の時ちゃんばらこっこにこった。
その時確かに映画のように受けてと攻めてが生まれ相互に呼吸を合わせるという感覚になる。鉄砲のように一発で相手を殺すというわけにはいかない
そのやりとりのなかで人間的なものが生まれる。
「おのし、できるな」とか良く言われて技を競うようになる

鉄砲はただ技術的優位で決まるのであり人間的やりとりは喪失する
それは核兵器になったときもう核兵器を使うことはできない、ただ核をもっているという威嚇だけのものになった。
核は使うものではなく核をもっているということで相手を威嚇するだけのものである。
近代になったとき戦争はただ兵器の優劣で技術的なもので決まるのであり技術戦争、機械戦争と化した。
鉄砲も極めて技術そのものでありだから日本人は鉄砲が入ってきたときすでに部品化していて量産して輸出までしていた。
日本人がなぜ明治維新でいち早く西欧列強に追いついたかというのは世界史でも謎であるそれは日本人の資質として戦国時代からすでにそうした優れた技術力があった。
刀でも日本刀はヨーロッパや中国の刀剣より優れている。
日本の工業力とか技術力は高いレベルにあったから明治維新も成功させたとなる。

太平洋戦争でも技術力の戦いでもあった。戦艦大和であれゼロ戦であり日本の技術はアメリカより優れていたのである。ただその後技術的に遅れて敗れた。
レーダーが日本にないというのも致命的だったのである。
ただ太平洋戦争はまだ古典的戦争の面がまだ残っていた。
馬が使われていたことでてある、移動も馬だった。だから馬を飼育することが戦国時代と同じようにあった。南京に入場したのも日本兵は馬だったのである。
今なら戦車で入場するからその辺がまだ戦争でも古典的な要素があった。
そして馬と戦死者を一緒に葬った墓があったりする。馬が供養されている。
馬がまだ活きていた時代だったのである。
馬が野馬追いに出る前に倒れた、すると馬もがんばって起きてくれとか人間的なやりとりが生まれる。
実際馬はペットと同じように人間化するのである。
機械だとそういう人間的やりとりは生まれないから非人間化する。

機械の恐怖は殺人マシーンとなりとても刀で切り合うようなものとはまるで違う。
大量殺戮となりただ人間が物ののように扱われて一片の人間的情も生まれないのである。
それは別に戦争だけではない文明化した結果、人間は機械を使うことが多くなる。
例えは自転車とバイクと車ではそれぞれに差がある。
自転車ばかりにのっていると姿勢が違ってくる。
なぜなら自転車は絶えず風を受けて走るからである。風にのっても走る、風を常に感じるのが自転車なのである。バイクもまた風を感じる、だから自転車と通じている。
でもその速さがあまりに違うから自転車とは比べることができない
自転車は坂を上るにしても人力でありその苦労は歩くとにているのである。
車となるともう風も感じないし外気も感じない、一つの鋼鉄の塊りが自然を無視して突っ走るとなる。その運転する姿勢も風を受けるとかないから硬直化する。
人間は一つの機械と化しているのだ。

この車がいかに社会を変えて人間を変えたか現代人は意識していないのである。
人間が切れやすいというとき車に乗る人はキレ安くなるし精神が安定しないのである。
突然自転車が横切ると「馬鹿野郎」とどなって切れて走りさって行くだけである。
そこに人間的やりとりは全くないし車に乗っている人は外からわからない
旅は道連れなどと言うこともない、そして馬とか牛を使うときは相手も生物だから死んだらあわれだとかなるが機械にはそうした感情は生まれないのである。
だから現代人は情の面で非人間化している。同情心が日頃の生活でも養われないのであるつまりそれは戦国時代の鉄砲が導入したときから始まった現象だったのである。

要するに建築がembodied sprit であるように人間の体も単なるbodyだけではない
精神を現したものとして作られている。
真っ直ぐな姿勢は真っ直ぐな心、真直な心、直しの姿として現れる。
だから武道で姿勢を重んじる、姿の美を追及している。
曲がった心はその人が体力があっても何か体まで曲がっているように見える
男性でも女性でも何か歪んで体も見えるのである。
腕のいい大工さんはもともと資質も良かったのがぴしっとしてまっすぐであり体力もあった。
自分はれを見ていたら体力的に貧弱だからうらやましくなった。
柔道の段位をもっているようにも見えたのである。
ミケランジェロのダビデであれヨーロッパでは肉体を精神として現すことが多い。
日本では武道とか姿勢を重んじる文化になった。

ともかく鉄砲ということで歴史をふりかえった
人間は使う道具に左右されやすい
鉄砲を使えば鉄砲社会になるし鉄道になれば鉄道社会になるし車になれば車社会になる
だから技術を何でもいいものとて取り入れるのは社会にとっていいかどうかわからない
でも現代はグローバル化で技術をとめることができない、だから技(わざ)は災い(災い)になるとは日本でも古代から考えていたのである。
思うに技術とは道具とはメデアなのである。使う道具によって感覚でも思想でも変わってしまう。
同じ文章を読むにしても本で読むのとパソコンや電子本で読むのは違う。
本は一つの本として起承転結があり一つの世界をもつ、インターネットは断片的になる。本だったら一ページを読むような感覚である。
それから紙に書いてある文字を読むのと電子文字を読むのも違っている。
縦書きで読むのと横書きでも違った感覚を与える
メデア、仲介するものによって伝えられるものが違ってくる。
音からでも声からでも違ったようになるし表情で伝えることもある

道具がメデアだというとき自転車も今は種類が多い
10種類くらい乗ったかみんな乗り心地が違うのである。
それは普通の自転車でもそうでありメーカによっても乗り心地が違うのである。
これは車でも種類が多いから乗り心地とかいろいろ違っているだろう。
人間の感覚は道具によってメデアによって左右されやすいのである。
武術なら弓を使うものであれ剣を使うものとかその使う道具によって人間が左右される
それで弓道も生まれた。

この本で学んだのは鉄砲一つでもこれだけ人間の社会を人間そのものを心まで変えてしまうという現実である。
だから何でも技術が便利だからといって取り入れることは危険でもある。
原発はそもそも地震とかが多い日本の風土には向いていなかったのである。
また西欧文明を明治に技術が便利だとして取り入れたが西欧文明はキリスト教文明でありキリスト教がわからないければとりいれなければ日本は破壊されると内村鑑三が言っていたけどそれが原発事故に現れたのである。
明治に様々な技術が入ってきたけどキリスト教を導入しないと日本は破壊されるというのは鉄砲を入れただけで社会や人間そのものが変わってしまう

江戸時代は鉄砲をすてて精神性を秩序を重んじて武士の社会を構築して300年の平和を保ったことに通じている。
日本は無制限に技術だけを取り入れたが結果的に日本の精神は喪失した。
ただ科学技術や金のみがすべてになってしまった。
それによって日本人の精神はモラルは喪失した。それは明治維新から始まっていたのである。
今日の問題はすでに明治維新の時からはじまりその歴史的結果として現在があるとなる
だから明治維新から150年とか戦後70年は日本人の新たな復古の時代になる。
それはか科学技術ではなく鉄砲を捨てたようにむしろ科学技術的なものを捨てるという発想なのである。
車に乗るより自転車がいいとか歩くのもいいとかなる発想である。
するとそれによって人間性の回復が起こるということである。
この辺で不思議だったのは一時車がガソリンが入らず使えなくなった。
その時本当に江戸時代にもどったようになった。
車がなくなると江戸時代にもどるのである。
その時空間とか時間感覚も江戸時代に一時的にもどった不思議があったのである。

結局これからの生活がとうなるのか?

もうこれ以上私はモノは道具は機械はいらない、それより人間的精神が豊かになるようにしたい
別にそういうものがなくても精神は豊かになれる
だから何でも買い金に頼る生活をしない
それより精神の心の豊かさを求める
そんなに物が金がなくても心豊かに生きる社会にしたい・・・

こんなふうになる。もちろんそれより貧困社会になっているのだから現実はそんな甘いもではないとなるのもわかる。
金はどんなことをしても非情な力をもって世界を支配している。
現実はやはり金であり金で回っている
でもなんらかここで歯止めが必要でありつまり心を変えることが求められているのである


タグ:鉄砲
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2015年07月29日

城の美学(建築は精神の具現化したもの)


 

城の美学(建築は精神の具現化したもの)

a Japanese castle is an embodied spirit

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建築はまず原材料に規定される。料理でも材料が良くなければいくら料理人が優れていてもいいものは作れない。
この辺でとれた石鰈は松川浦でとれたものを売りにきていたとき、新鮮だからとにかくうまい、魚は鮮度が勝負である。
家でもいい材料を使えばいい家が自ずとできる。
青森ヒバの家とか総檜作りとかなったら今は最高の贅沢である。
もうそういう家は大金持ちしか建てられないだろう。
建売住宅は見栄えはいいが中身はいい材料を使っていない。
だから住んでみると確かに機能的には昔の家より優れている
昔の家は大きな座敷があり襖で区切られているだけで今風に個人の部屋がない
子供部屋もないとか個人主義となった現代の生活には合わなくなった。

建築がまず材料だというときヨーロッパは重厚な石を素材にしている、彫刻でも大理石を使っているし他もエジプトのピラミッドからして石である。
石は千年とか軽く残るから歴史が石を通じてヨーロッパに残っていてローマでも二千年の歴史が石となって残っているからそれだけの年月の感覚が自ずと養われる
日本ではもう百年も残る家となるとまれである。
今は30年で古くなり建て替えるとなると歴史感覚が養えないのである。
日本文化は生(き)の文化だというとき木は石のような恒久性がない

式年遷宮(しきねんせんぐう)とは継承し、繰り返されることの永遠。
伊勢神宮には常に新しくありつづける、常若の思想があります。
平成25年に行われる式年遷宮とは、20年に一度行われる壮大で重要なお祭りです。神宮の建物を新しく建て直すとともに場所を遷し、さらに殿内の宝物もすべて新調します
http://ise.jr-central.co.jp/shikinensenguu/

枕詞のあらたまも年にかかるから常に年ごとにあらたまるというのが日本の文化である。それは日本の文化であり悪いというわけではないが常にあらたまりばかりでは継続する歴史が感じられない、何かいいものが必ず時代時代で作られているのが人間である。
その継続の歴史がたたれることは深刻なのである。
日本で明治時代が文化的に興隆したのは和魂洋才で和魂が江戸時代の継続で継承されていたから洋才もそこで日本文化として受容されたのである。
内村鑑三の「武士道」とキリスト教が結びついたのもそのためである。

建築の基本要素は材料であり機能性があり装飾性がある。機能性というとき戦国時代はいかに防御するかということに苦心した。
それが城作りの要点でもある。日本の城は外国と比べてシンプルである。質素であり構造も複雑ではない、外国の城はまずwallであり敵に進入を防ぐために壁でとりかこむことからはじまっている。城本体より壁の方に重点がおかれていたのである。
日本の城には装飾性はない、機能美が主体であり簡潔であり無駄がない、だからかえってそれは江戸時代であれ質素であり武士の精神を象徴するものとなった。
つまり建築は embodied spiritなのである。大坂城にはそれがみられないというときはなぜなのか?

心に青雲」が大坂城に幻滅した原因は何なのか?

天守閣は壊して、石垣や掘りなどの往時の遺物だけ残した公園にしたらよいと思う。大阪の人は「太閤はん」が誇りらしいが、だったらなおのこと、その誇りを大事にして、どうせレプリカなのだからあのラブホみたいな天守閣を破棄すべきではないか。


確かに大坂城をバックにして写真をとらせる人がいたりと大坂城は何か観光用のようにも見える。それに反して石垣は幾重にもあり広いから当時を偲べる
日本の城は石垣はたいがい昔のままに残っている、だから日本では石垣から昔を偲ぶ
会津の城でも新しく再建されたから何か博物館のように見える。
つまり歴史的な建造物でも自然の石や樹と同じように風雪を帯びると貫祿が生まれる
熊本城などは明治維新で陥落しなかったとか鉄砲の玉の跡が残っているとかそういうものがあり魅力がある。
会津の城でも薩摩長州軍に攻撃されて辛うじて残っている城の写真があったがあの写真にその凄まじい傷跡が生々しく残っていたのである。
かえって石垣だけしか残らないとなると世の無常を感じるのである。
真新しく再建されると何か撮影のセットのようにも見える、それが大坂城であり他にもそういう観光用に再建されたものには見える。
あれは徳川幕府が建てたもので秀吉が建てたものではない、秀吉が本拠としていたのは京都の伏見城でありそこに伊達政宗と山形の最上氏が並んで屋敷をもっていたのである

自分は大坂城のとき桜が咲いて散っていた。それが夕日に映えて散っていたのを印象的だった。
まさに秀吉の豪華な安土桃山時代の再現を感じた。でも大坂城は秀吉の城ではない、秀吉は京都の伏見城が本拠でありそこに徳川幕府のように全国の大名の屋敷を構えさせた。東北では伊達と最上が並んで屋敷を持っていたのである。
城でも大坂城でも会津の鶴ヶ城でも再建されたものであり当時のままに残っているのは全国で五つくらいしかないのである。
会津の城は新しく再建されているから真新しく何か博物館にも実際なっているからそれが江戸時代からあったのかと思う。
もし戊辰戦争の時の鉄砲の傷跡とか残っていればそのときの戦いのすさまじさを感じる
何か真新しいものを見ているとまさに博物館であり実物の城のように見えないのである。
その点、弘前城は小さいけど江戸時代からのものであり再建されていない
それは小さいのだけど何か北の質実な古武士のようなものを感じたのである。
歴史に残る建築は人間の精神の表象でありだから単なる物とは違ったものを感じる。
それは刀をただ人を切るものというだけでないものとして侍は帯刀していた。
刀は単に人を切るものではなく精神的なものとしての刀があった。
鉄砲はただ人を殺すだけのものでありそれが否定されたというとき鉄砲は人間の心を精神を否定してしまうからである。
その鉄砲が今や機械の戦争と化していることでもわかる。



 城の美学

徹底的に無駄を省いた造型
簡素簡潔の極みの美
潔白の四面の白壁
忠誠の主君の天主閣
質実の土台の石垣
貧しさの中の無駄のない美
武士道の結晶の美
身を律して静粛なり
冬樹のように張りつめて
ここに自ずと人格は陶冶され
一本筋の通りぬ
城下町の細い道
身を引き締めて
侍の威を正し歩む



城は東北では大きなものはない、一般的に日本の城はなぜあのように小さいのかと思う
今ならビルと比べるとあまりにも小さいのである。やはり日本の狭い島国だからこそ生まれた茶室のような無駄のない建築になっていた。
戦国時代に信長が鉄砲を導入して覇者となったがその後江戸時代になり鉄砲を廃棄した。それは精神性の方を重んじたからだというのがこの見方は世界史ではない
なぜなら熾烈な戦争では武器も核兵器になるまで追求しているからである。
日本の江戸時代のことは何なのかこれもわからなくなっている。
どうして駕籠のような原始的な人間の力だけに頼るもので人を運んでいたかというのも不思議である。

馬車を許可すると、駕篭かきや馬子、馬方、飛脚、船頭など古くから輸送関係の仕事を行なってきた者が職を失なう
同様の理由で、大八車の使用も禁止されていました。
(大八車の使用は江戸市中と駿府のみ許可。他の地域、特に街道での使用は厳禁)。
また、馬に乗ることが許される者の身分を厳格に定めたことも、馬車がなかった背景の一つ。
馬にまたがって手綱を取って乗れるのは武士のみ。

江戸時代はあえてこうして技術を否定したのである。こういうことは現代でありえない、そんなことしたら世界から取り残されるという恐怖があるからだ
そして侍が一番偉いんだという身分制封建制社会を維持するのには技術より鉄砲などをみんな使えるようにするより刀とか馬を尊んだ。
馬はヨーロッパでも騎士道でありナポレオンの時代も騎馬隊があって重んじられて貴族が馬をもつことでその地位を維持していたのである。
それは日本でも同じである。相馬野馬追いでもわかるように馬は特別なものだったのである。
いづれにしろ戦国時代に防衛的なものとして城が作られたが平和が三百年もつづけばそうした防衛的なものは城では無用化していたのである。
城で誤解するのは今ではあまりに小さいけど江戸時代は一番高い建物であり目立った。
天守閣が一番高く望まれていたのであり城が中心的な建物としてあった。
白虎隊が城が燃えたから終わりだとなって自決したのはそれだけ城の重みがあったからである。
現代はそういう中心になるもの重みになるものがないからすべてが混沌として分裂しているのである。
現代社会はだから精神的に安定しないしモラルも持ち得ないのである。

大阪城の詩(城の美学)
http://www.musubu.jp/shiropoem.htm

タグ:日本の城
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鬼百合(気丈夫な姉を思い出した)


 
鬼百合(気丈夫な姉を思い出した)

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ノウゼンの玄関に散り人入る
ノウゼンや出陣前の馬の列
涼しさや海鳥隠る草原に
大き家の屋根に猫いて夏の月
鬼百合や我が家守りし姉はなし

夏草に道標埋もれ久しくも栃窪にも飯館にも行かじ
知らぬ間に我が庭に入り揚羽蝶休みてありぬ夏の午後かな

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右田の方は工事であり残った一本松は枯れるだろう。枯れそうにみえたからである。
今考えると一本松が残ったというけど松は松原になっていて意味があった。
もともと防潮林だから松原でないと意味がない
一本松でも海側でないなら意味のある伝説もある松が残されている
とにかく津波の跡には休む日影かないから暑く感じる
ただ草原化してそこに海の鳥が隠れ海の風が吹いてくるから涼しい

今日も異常に暑かった。二階には隣がトタン屋根だかその影響で熱がこもっていた。
それでクーラーを一時的に使ったが一日はしていない、夜はしない
それでも今日は暑かった、蒸し暑いと耐えられなくなる
自分の家を建てたのは自分ではない、姉と母が建てたものであり気丈夫な姉が家を守ってきた。
姉は男性でも相手にてもひるまない、男性が恐れるような強気の女性だった。
だから怖いなと男性が姉について言っていたのである。
だから本当に鬼百合がふさわしい女性だった。
強気の女性は鬼百合がふさわしい、女性にもいろいろいるし花にもいろいろある
鬼瓦とあるけどまさに家守るものだった。

家を守るにはやはり自分がその跡を継いでわかったが鬼瓦のように強気でないと守れないということがあった。
それがこの七年間の苦しみで経験したことである。
これほど家に入ってくるものに家が荒らされると思わなかったからである。
そういうことをプログで書いてきた。
姉は最後は認知症になり無惨な姿で死んだ。
いくら強くても老いには病気には勝てなかったのである。

今頃の暑さはやはり鬼百合であり暑さの最盛期にいつもなっている。
この暑さは今年はいつまでつづくのかやはりお盆あたりまでなのか?
それとも長くつづくのか?暑さも体力を消耗する

横手には道標があり栃窪へ記してあるのが飯館村にもすでに一年以上行っていない
そろそろまた行かないとと思っているが暑いのに自転車は弱い
栃窪でも昔だったら歩いてとかなると遠いから道標があったりする
この道標はあくまでも歩いていた時代だから作られたのである。
飯館村はそのものが葦に夏草に埋もれてしまったというのも不思議である。


タグ:鬼百合

2015年07月28日

異常な暑さはなぜ? (人間は自然に適合しないで暑さに苦しむようになった)


異常な暑さはなぜ?

(人間は自然に適合しないで暑さに苦しむようになった)


最近なぜ35度とかの暑さがつづくのだろうか?
地球的規模になるとそんなに暑くはなっていないという
では日本の暑さは何なのだろうとなる
地形的には内陸部,盆地は暑くなる
京都も暑いし福島市も盆地で暑い
もう一つは東京とか大都市近辺がクーラーの熱風などで暑くなる
それからアスファルトで暑くなる
それは自転車で感じる
車ではクーラーがあるから感じにくいのである。

暑いというとき海に面している地域は比較的暑くないだろう
海から涼しい風が吹いてくるからである。
福島県では福島市と会津は暑いし盛岡市でも35度になったのかとびっくりした
北海道でも海に面していない地域は暑くなっているのかもしれない
ただ西の方は全般的に暑くなっている
気候は福島県でも広いから地域差があり狭い地域でも天候には差がある
天候というのはだから広い範囲で見るから誤解しやい

大都会が暑くなっているのはヒ-トアイランドの影響が確かにある
あれだけビルや家が建てこんでいれば涼しい風も吹いてこないし
は水まいたくらいでは効果ない

涼風(すずかぜ)の曲がりくねつて来たりけり
一文が水も馬に呑せけり 一茶

というように、水に値がついているものは、一茶の住んでいた本所付近では、水を買って使っていたので、水が貴重品だったのだろう。
江戸だったらやはり都会だから何でも金になる。水も売られていたのである。
涼風がくるのも曲がりくねってくるというときそれだけ家がたて込んでいたからである。でも涼風は来ていたのである。
都会ではこれだけの温度になると熱風になってしまうだろ。
江戸時代にはアスファルトとかでていから土だから水をまけばそれなりに効果があった
ただその水も簡単には使えない、金もかかっていたから問題である。
土間が夏が涼しく冬はあたたかいというとき土がエアコンの役割を果たしていた
暑いというとき、寒いときでも人間は知恵を働かせて自然に適合していた
江戸時代になると今の大都会と同じような面が現れていた
でも一応涼しい風は吹いていたし今のようなエアコンの熱風とかにはならない

異常な暑さの原因は明らかに都会化とエアコンやアスファルトととか文明の発達が原因している
それが全部ではないにしろその要素を否定できない

家の作りやうは、夏をむねとすべし*。冬は、いかなる所にも住まる。暑き比わろき住居は、堪へ難き事なり。
 深き水は、涼しげなし。浅くて流れたる、遥かに涼し。細かなる物を見るに、遣戸は、蔀の間よりも明し*。天井の高きは、冬寒く、燈暗し。造作は、用なき所を作りたる*、見るも面白く、万の用にも立ちてよしとぞ、人の定め合ひ侍りし*。

 徒然草(上)
第55段 家の作りやうは、夏をむねとすべし。(徒然草)


京都は盆地で暑いからこういうことになった。北海道なら冬をむねとすべしとなる。
日本では夏はもともと暑いものだったが31度とか32度くらいで耐えられる暑さだった。
これは自然現象というよりやはり大都会化したことが確実に影響している
この表現で面白いのは川のことで浅く流れているのが涼しい・・・というのである。
さらさらと流れている浅い川が瀬音のする川がいいというのは日本的である。
まず外国の大陸の川では運河のようであり日本のような川がないのである。
それでこの辺で新田川が意外と浅い川であり瀬音がするからかえって情緒があり夏なら涼しいとなる、深い川は何か淀んだような感じになるから夏にはいいとは思えない
真野川は長い川であり瀬音があまりしないのである。
京都辺りでも川があるが瀬音のする川である。盛岡の中津川もそうである。仙台の広瀬川も歌にもなったから有名である。
ただ仙台は都会化しすぎたからあそこにそれほど涼しさは感じないだろう。


天井の高きは、冬寒く、燈暗し・・・これも今とは違う、今は天井が高い方がいい、空間的にまさにspacious(贅沢)に感じる、狭苦しい所に日本人は住みすぎるので兎小屋と言われる。それが人間に余裕ないものをもたらしている。
狭いところに常時住んでいれば狭苦しい思考に自ずとなってしまうのである。
その当時は電気もない暗い時代だからそうなったのであり現代にはあてはまらない
大き家の屋根に猫いて夏の月(自作)
こんなふうに大きい家の方が猫まで余裕がでてくる
日本の文化は京都が中心だというとき京都の気候が影響している。
それが暑いことでありそれで涼を求める文化が生まれた。
料理でも暑さ向きのが日本の料理であり淡白なのもそうである。
暑いと何かこってりとした肉料理とか食欲がなく食べたくないのである。
それで寿司とか刺身などはすっきりしていいし酢のものが夏には向いているし
漬け物を梅干しでも食欲をそそるようにできていた。
懐石料理などもそれに通じている。
それから冷しソーメンとか夏の料理が結構多いのも日本である
それらはこってりとはしていない、さっぱりして淡白なのである。
日本人は分厚い豚肉と牛肉など食べなかったのである。

結局日本はその風土にあって日本らしくあるべきなのである。
夏は暑いにしても涼しいということを味わう楽しさがある
木陰も気持ちいいし夏に気持良くなるのがある。
夏は夏らしく夏を味わうのが自然なのである。
こんなに暑いとどうしてもクーラーを使う、今でも自分の部屋は暑いので29度とかなっている
でも扇風機だけでクーラーはとめた。なんとか過ごせるようだ
クーラーを使うことはエネルギーの効果的な利用方法ではない
エネルギーは貴重だということは原発事故でわかった。
蝋燭でもその溶けた蝋まで集める仕事があったりと江戸時代は何でも無駄にするものがない、エネルギーがそれだけ貴重だったからである。

ろうそくは、1か月もかけてじっくりと作られた貴重品で、現在ではほとんど省みられることもなくそのまま捨てられてしまうような溶け残りであっても、蝋涙(ろうるい)と呼ばれ、これを回収し、商う行商などがいたようです。


人間は文明化して自然に対してかえって無駄なエネルギーを浪費するようになった。
暑ければクーラーだとなりその消費量は膨大である。
それは大都会化とかアスファルトなどで暑さが文明によって作り出されたものである。
そのために無駄なエネルギーを消費して原発も石油も欠かせないとなりこの辺は取り返しつかないものになったのである。
もう35度になったら暑さを楽しむことはできない、熱中症となり病気になり死ぬこともある。
それも自然に逆らった生活の結果だということは言えるのである。
ただそれでもクーラーのあるとないでは今では寿命にも命にもかかわるだろう。
クーラーの効果はあまりにと大きいのである。
クーラーがあるからこそ今や文明人はこの極暑で生き延びているとさえいえる

でもついには石油が入らないとか電気がもう供給できないとかなるかもしれない
その時原発も再稼働しろとなり今回のようなとりかえしのつかない事故になり
住めなくなりマヤ文明のように神殿も放置されて人がいなくなるということにもなる
とにかくクーラーの風は効果があっても自然の風ではないのである。
人工の風でありそれが熱風ともなり暑さを増したりしているから問題なのである。
土間が涼しいというときまさに土は自然であり冷房とか暖房の自然の装置だったとなる。
この辺は31度とか32度であり海風も吹くしなんとか暑さでも涼しさがあり楽しめる場所である。
それでこの気候だけは浜通りではいい、老人には向いているともなる。
35度になったらもう夏は楽しめない、生命の危険状態になるからである。




タグ:暑さ

2015年07月27日

夏の鳥(山鳩など写真三枚)


 
夏の鳥(山鳩など写真三枚)

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山鳩や故郷の祭り里帰り
山鳩や青葉のつつみ影深し
山鳩の枝移る樹の青葉かな
三色のハイビスカスや店に映ゆ

ヒヨドリのとまり尾長もとまりさる風にそよぎて青竹清し
青竹の風にそよぎて清流のここにひびきて鳥とびにけり


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昨日の雲雀が原の観客席には入らずに入り口の木陰で休んでいた。
その木陰が意外にも涼しくいい場所だった。
桜の樹が大きく日影も広く気持いい場所だったのである。
今年は暑いから木陰が気持ちいい
からっとした暑さだと木陰は余計に気持いい
砂漠の国は暑くてもからっとしているから蒸し暑くないから
木陰とか日影にいると意外と涼しいのである。


その木陰で見上げてたら山鳩がとまっていた。
鳩は平和の象徴である。
山鳩だと普通の土鳩ととは違う、本当の鳩である。
山鳩には何か温和でありやさしさが現されたものである。
羊は柔和さが現れたものである。
山鳩は何か母とか優しいものをイメージする


祭りは夏の季語であり野馬追いには里帰りする女性がいる
でも男性には里帰りとは違っているが故郷に帰ることがある
故郷というときやはり父とか母とともに過ごした場所でもある
もしそこに愛された場所なら山鳩のように平和な感じる場所になる
ただ故郷を嫌う人もいる、一茶は不幸だったから茨の花が故郷だった
故郷とといってもみんないいものではない
故郷はやはり祭りがあり自然がありそこに憩うとなる
それが山鳩で象徴されていたのである。

今年の夏は夏らしい夏である。今日も暑いがからっとしている。
コメリに三色のハイビスカスが咲いていた。
これせ買うと高いが花というのは買わなくても見るだけでもいい
食べ物は食べなければ何にも感じない
花は別に他人の庭でも見るのは無料なのである。
花は別に金がないから鑑賞できないということはないのである。




タグ:夏の鳥

2015年07月26日

野馬追いー神旗争奪戦の雲雀が原へ(写真)


野馬追いー神旗争奪戦の雲雀が原へ(写真)


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北郷から雲雀が原へ鹿島の一石坂を上る

旗印同じや越える一石坂旗をとらむと雲雀が原へ
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小高郷の陣営が出番を待つ

黄色の畠は小高神社の旗

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これは江戸時代から伝わったものか古い感じ


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馬もばてたのか?鼻血を出して倒れる、あとで起き上がった

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葵の紋


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雲雀が原へ行列

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鉄砲隊

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かもめの旗が面白い


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総大将

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北郷ー副大将

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中村神社

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武田の紋

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雲雀が原で神旗争奪戦

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北郷から出た葵の紋に注目ー神旗をとる

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野馬追いの行列は順序まで決められている

名前と役柄を記されたものがあり出場した人の名前が全部出ていた。

旗にも役割があり伝統的に決められたものである。

今日は暑く雲雀が原には入場しないで他から写真をとった

写真はとる場所によって相当に影響する

遠くをとれるカメラだったので本陣山に旗をとって上る馬をとれた

菊の紋は北郷(鹿島区)の人でその人は鹿島から馬で来た

今はみんな車ののせてくる。

野馬追いもなんでも機械に頼ると昔が再現されないのである。

馬でもせめて原町とか鹿島とか小高くらいは馬で来たら

当時の状態をしのべる

ともかく500頭集まれば壮観なものになる

江戸時代はまさに戦闘訓練だからこんなものではない

雲雀が原の十倍の原で戦闘訓練をしていた

馬が500頭であれ千頭であれ集まると迫力あるなとなる

戦国絵巻を映画などで見るが何か狭い画面で見るから迫力が伝わらないのである。

もし一万とかの馬を見たら凄い迫力になる

そういう戦争となると今では想像できない

戦争は馬が主役でもあり馬がどれだけいるかが戦争で有利かが決まる

だから武田の騎馬軍団が力をもったのである。

その馬に頼らず信長が鉄砲で時代を変えたのである。

馬というのが競馬とかでしか見ないから馬がどういうものかわからなくなったのである。




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野馬追いの一考察ーなぜ赤い母衣の大将が目立つのか? (鉄砲を捨てた日本人から戦国時代ふりかえる)


野馬追いの一考察ーなぜ赤い母衣の大将が目立つのか?

(鉄砲を捨てた日本人から戦国時代ふりかえる)

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ノエル ペリンは、江戸時代の日本が鉄砲を放棄したことを、「世界史におそらく類例を見ない」と注目している。
「高い技術を持った文明国が、自発的に高度な武器を捨てて、古臭い武器に逆戻りする道を選んだ。
そして、その国日本は、この逆戻りの道を選びとって成功した。」
江戸時代の日本は、鉄砲を製造できる高い技術を持ちながら、あえて、鉄砲を捨てた。
製造できなかったのではなく、製造しなかったのである。
(鉄砲を捨てた日本人)


NHKで信長の長篠の戦いを実験して説明していた。
鉄砲が戦争を根本的に変えただけではなく、社会まで変えた
鉄砲は質より量であり一人一人が名のり争う古典的な戦ではない。
鉄砲だと誰が撃って殺したかわからないという
それは大将が名乗りでて一騎討ちとかの争いとも違う。
鉄砲とは現代にも通じる近代戦と同じだったのである。
鉄砲は足軽隊がになうものであり家柄とも関係ないものだった。
それまで一人の大将とか名だたる武将とかが戦国時代の主役だった
ところが鉄砲が作られたときそうした古典的な武士の世界は喪失した
それが現代の戦争と同じようなものになった。

人間社会は道具によって変わるということは常に言われてきた。
戦争というのも道具によって武器によって全く変質したものになった。
信長は鉄砲に目をつけ足軽に鉄砲隊を編成して城下に住まわせた
名だたる家来とか大将とかではない、無名でも量を重んじた専門の足軽の鉄砲隊を編成したのである。
信長は旧来の殿様というより社長だったというときまさに商業も重んじたからそうだったそして日本の鉄砲はすでに分業で部品化した世界でも最先端のもので朝鮮に秀吉が攻めた時も明では日本の鉄砲は優れているから戦わない方がいいといっていたのである。
日本人の特質は外来のものでもすぐに取り入れて自家薬籠中の物にするのが得意である。それは戦国時代に信長の時からそうだったのである。

ではなぜその後鉄砲を捨てたのか?これも謎だけどあえて優れた鉄砲を捨てて鎖国して平和な社会、徳川幕府の支配体制で300年もの戦争のない社会を作った。
こういうことは世界史でもないから軍縮を果たした歴史として評価される
ただ日本がそれができたのは大陸のように他国から攻めにくい海に囲まれていたという理由もある。国内だったら鉄砲を捨てて鎖国して平和が保てたのである。
大陸になると国と国、民族と民族の戦いは陸続きだからさけられないし熾烈になる。
民族みな殺しというのも大陸だから起きてくることなのである。
それは日本の特殊な地政として必然的になったともいえる。
このことはあとで考察することにして今回は野馬追いのことである。


野馬追いでは古典的な武士の戦の再現なのである。
鉄砲隊があったとしても主役はそれぞれが旗印をもち大将とか副大将とかの役があり
人間中心の騎馬軍団なのである。それは武田の騎馬軍団であり信長の鉄砲隊が中心の
近代戦に通じるものではない、
そもそもあれほど馬や鎧兜で着飾るというのが正にそうである。
不思議なのはそうした装飾によって相手を畏怖させるということもあるが何か現代のファションショーのようにも見える
どうだ俺の出で立ちを見ろ、格好いいだろうとか強そうに見えるだろう。
そういう装飾性を競っていることも不思議である。
むしろ殺し合いとなると信長の鉄砲隊のようになるのが合理的なのである。
殺し合いにそんな出で立ちを飾る必要がないのである。
ただ一番目立つ母衣(ほろ)にしてもそれは矢を受けるとかのものであっても大将が常に中心にいるということ、大将の存在感が大きいことがわかる

今回北郷の副大将の館に宇多郷(中村)と北郷(鹿島)の郷士が集まったが副大将の母衣は紫である。紫だと目立たない、どうして真っ赤な総大将の母衣が一番目立ち中心になる。
だから北郷の本陣に総大将をむかえたときは一番盛り上がるのである。
ただこれほど総大将の存在感があるのはやはり古典的な戦としての時代を反映している
それほど殿とか総大将とかがいかに古典的な戦いでは重要であり中心的なものになっていたかということである。
それはただ軍隊としてではなく精神的支柱としても殿様が総大将が中心として形成されていて忠義の中心として武士社会は形成されていたのである。

つまり総大将の真っ赤な母衣が一番目立って主役であり副大将の紫の母衣は目立たない
こういうところに何か戦国時代とか武士社会の在りし日の姿をみる
それは明治維新以降大将とか何かそうした中心的存在感となるものが消失したから殿様とか総大将とかの重みを感じなくなったのである。
それは鉄砲が戦いの主役の時に近代戦と同じようになり殿様とか総大将とかの重みが失われたのと通じている。
現代はもう機械の戦争のようにさえ見える、そこに母衣(ほろ)や鎧兜で身を飾り名を重んじるとか武士道的なものは喪失した。
野馬追いの行列とは身を挺して真っ赤な母衣(ほろ)の殿様、総大将を守る行列なのであるともかく戦国時代が殿様の総大将の首がとられれば負けであり戦争は終わる
だから殿様を守ることが一番大事になるという世界だった。
こういう世界は中心がはっきりしているから外見的にもその結束とかはっきり見えるのである。
現代になると何でも戦争でもどうなっているのかわからなくなったのである。


不思議なのは日本は鉄砲を捨てたというとき江戸時代は鉄砲など強力な武器があるとまた不穏になり平和が乱されるので鉄砲を捨てた。
鉄砲より武士社会の秩序を重んじることを選んだのである。
鉄砲があって足軽でも大将でも変わりないとなると武士の威厳も何もなくなってしまうからである。
そうしたら武士の地位も威厳も何もなくなり足軽や平民とは同じだとなってしまうから
秩序が保てなくなるから鉄砲をもたせなかった。
それで入鉄砲が一番関所で警戒されたことでもわかる。
武士が精神的存在として威厳とか地位を保つには鉄砲があってはできなかったというのも歴史の教訓が日本にあったとなる。
武器は技術はそもそも社会を根本的に変えてしまうのである。
刀には精神性があり重んじられたが鉄砲にはないから捨てたというのも不思議である。
刀は単に人を切るものではない、刀が侍の魂だというとき精神的なものとしてあった。


それは実際に明治維新以降日本がどれだけ変わってしまったかを見れば誰でも実感していることなのである。
現代では戦争は常に否定されるけど戦国時代も過酷でも何か人間的なものがあるから救われているともなる。
殺し合いでもそこに人間的なものがあったから救われる
現代の戦争はそういうものがなくただ人間の大量虐殺となっているだけだから忌避されるのである。
鉄砲から日本の歴史をみるのもまた一つの視点である。
だからこの本は読む価値があるのですぐにアマゾンで注文した。
こういうふうに本がすぐに手に入るので今は知識が広まる
だからまた本を相当買っている、でも読むのは触りだけなのである。
そんな時間がないからだいたい今は触りを読むだけで全体もわかる
本というのは膨大に知らない本があったのである。
だから肝心なものを読んでいないのが多いのである。


タグ:母衣(ほろ)
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2015年07月25日

北郷の本陣に相馬藩の殿を迎える(野馬追い写真)


 
北郷の本陣に相馬藩の殿を迎える(野馬追い写真)


北郷の本陣に殿を迎えける法螺貝ひびきて威を正すかも

大将の赤き母衣(ほろ)の一段と映えて青田を進みけるかも

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先陣の馬が走る

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大将の赤き母衣(ほろ)の一段と映えて青田を進みけるかも
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北郷本陣へ

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本陣へ総大将が来る

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中村神社(相馬市)

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北郷と宇多郷の行列



北郷の館の海老原さんは副大将であり紫の衣だったが写真はとれなかった

総大将の殿様の赤い衣だけが目立つ

戦国時代はやはり殿が中心となってまとまっていたからか

中心として総大将の赤い衣が一番目だつ、副大将の紫の衣があっても目立たない

本陣に殿を迎えるときも主役は総大将の殿様なのである。

総大将を中心にして家来が取り囲み守る

だから戦国時代は殿様の総大将の首がとられたり戦いは終わるのである。


明日は雲雀が原へ神旗争奪戦へ

500頭は普通は出る


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野馬追い始まる (北郷の武者の集まる館)


 
野馬追い始まる

(北郷の武者の集まる館)

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北郷の郷士集まる館

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五輪塔で同系統で同じ村だろう

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北郷の郷士集まる館かな

鬼百合や列に加わる旗印

振り向きぬ同類の旗誇らかに

草青し旗をなびかせ馬の列

集まれる館や馬のいななきぬ

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野馬追いというのは野馬追いの行列がはじまる前から見ないとわからない、
それぞれの郷があり郷士がそこからでる。
今日は中村の宇多郷と北郷が合流して鹿島区で行列がある。
これはそんなに馬が出ないから迫力はない。

でも野馬追いというのはどこからその馬がでてくるのかその旗印はどこから出てくるのかが大事なのである。
それが地元でもわかりにくいのである。
なぜなら年に一回しかなくどこから馬がくるのか見えないからである。
今回は五輪塔の旗が二騎つづいてきたのでこれは同じ系統の旗であり同じ村のものであるまずこういうふうにとれることがなかなかできないのである。
野馬追いは旗祭りだというときその旗がどこから出るのか大事になる
でもそれがほとんどわからないのである。
行列になったときはすでにその馬がどこから来たかわからないのである。

北郷の郷士の集まる館は海老原さんの家である。そこに宇多郷の人も集まり行列になる。ここの写真の旗印はみんな北郷のものである。
ここに宇多郷の騎馬が集まるとどこの旗印だかわからなくなる。
この旗印を見分けるのが野馬追いではむずかしい。
地元の人でも旗の数が多いからわからないのである。
そして写真でもそれが一瞬のチャンスしかないから写真もとれないのである。
去年までは復興の野馬追いで盛り上がったがまた平年並になるのか?
去年までは草茫々だったが原野に草原になっていたが今は青田もあり半々の景色になっている。

野馬追いはもともと相馬藩の郷士であった人しか原則的には参加できない
誰でも参加できないということで地元でも他は見るだけだから盛り上がらないともなる
参加できる人は確かに侍の出だということで誇らしいとなる
だから野馬追いに金がかかっても出るとなる。
やはり何か侍になったような気分になることは確かだし戦国絵巻の再現である。
その時代だったら何か戦争というのも現代の戦争とは違い人間的だった。
今の戦争は人間が戦争しているのか機械が戦争しているのかわからないからである。
野馬追いの時だけ馬が活きるというのも祭りの特徴である。

なんか野馬追いを外部の人に説明するとなるとまた違ったものとなる。
自分のプログも報道機関の一つだから説明しなければならないと写真をとってきたのである。
地元の報道機関になるとやはり取材があり何かを伝えるという作業である。
それは自分なりにしてきた。
それで相馬のことも他でも理解される一端とはなる。
それはある意味で自分の仕事だともなる


posted by 老鶯 at 12:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 野馬追い関係

人間は何であれこの世に生きていれば連帯責任 (自分は手を汚さないでも戦争でも加担することになるー自衛隊にすべてまかせることはできない)


人間は何であれこの世に生きていれば連帯責任

(自分は手を汚さないでも戦争でも加担することになるー自衛隊にすべてまかせることはできない)


 
●自分が手を汚さなくてもやはり殺すことに関与している

猫は子を産みすぎるから捨てる人も多い、オーストラリアで200万頭の野良猫を殺すというのもそのためである。
猫は繁殖力が強いからそうせざるをえない、例えばの話、猫の子を捨てるのを金で頼んだとすると頼んだ人は金を払っただけで手を汚していない
でも実際は間接的にかかわっていて汚れているのである。
これと同じように豚であれ鶏であれ牛であれたいだいその屠殺には関係していないのが現代である。
だから現代では屠殺の現場を見ている人はいない、でもやはり誰かが屠殺して肉にしているのである。
屠殺場を作ることを反対しているが豚肉を食べたいとなればどこに屠殺場を作らざるをえないのである。
それが近くにあったときいつもそこを通るから嫌だった。
今はなくなったけどなぜかそこが屠殺場だったという記憶があるからその嫌な記憶が消えないのである。
そこで豚が殺され続けたというときその土地があまりいい感じがしないだろう。
今は福祉の施設になっているから知らない人もいるだろう。
そこには何か土地の因縁というものが残る感じがする
そういう場所には住宅を建てたくないということもある。
それは理屈ではない、何となく嫌だということをさけることができないのである。
自殺があった家やアパートの部屋が住む人がいないとか安くなるというのはそのためである。

人間がなんでも今は直接的にかかわらないことが多い、毎日買う商品そのものがそうである。
どうしてその商品が作られてきたのかわからない、ただ金を払えば手に入れられる
その商品を作るのには豚肉でもやはり豚を屠殺してそれを加工している人がいるのであるそれはあらゆる商品がそうである、中国の鰻はなぜあんなに安いの?
それは太らす特殊の薬を使っているという、なぜ肉厚なのが不思議だったがそれは薬で太らせていたとなると食べる気がなくなった
何らか体に影響してくるからである。
食品の場合はそれが作られ過程がわからない、何かいろいろな薬品が入りすぎるのである今の社会は直接知るということが少なすぎるのである。
極端な貧乏を新聞とかでとりあげたとしてもそれは極端でないと注目しないからとりあげる
でもその真偽はわからないしたいがい嘘だろうとネットで言うようなっている。
自分もそう思う、そんな極端な貧乏は注目をひくために出しているのである。
それもその本人から直接話を聞けないからそうなっている
だからマスコミから出る情報はやらせがあり真偽を見極めにくい

人間が自分が手を汚さなくてもあらゆるものに関与しているというとき
それはいろいろな分野にある。
サラ金きか消費者金融のバックに金を出していたのが銀行だったというのもそうである。サラ金が暴利でもうけていたが銀行ももうけていたのである。
でも銀行は面に出てこないしきれいなものだとして社会から見られている
実際は銀行もブラックだったのである。
「みんなブラックじゃねえか」ということを自分は前に書いた
自分が手を汚さなくて間接的にブラックなこの世とかかわるからそうなる
アメリカの投資で自分がもうけているというときもそうである。
自分は株を直接取引していない、頼んでいるだけだがやはり株でもうけているとなると
資本主義の恩恵を受けているとなる

●自衛隊に金を払うから戦場で死んで戦いというのもそうである

人間でも人殺しを金で頼んだりすることが推理ドラマでは常にある。
地位があり権力がある人は自分の手を汚さないで殺人を暴力団関係に依頼したりする
それは直接的に手を汚さないのだがやはり殺人に関与している
例えば最近の防衛論議でもそうである。
自衛隊には十分な税金を払っているのだから戦場で戦ってもらって死んでもしょうがないとなる
税金で食べているのだから死んでこそその勤めを果すのが自衛隊だと極端に言う人もいるつまり自衛隊の仕事は戦場で死んでこそ意味あるものだとなる
ただ訓練ばかりしていて何になるのだとなる
そんなら楽じゃないかとなる
でもこれも地位とか権力がある人が暴力団関係に人殺しを頼むのとにていないか?
自衛隊は暴力団ではないにしろにているのである。
「お前らに金やるんだからいざとなれば戦場に行き敵を殺せよ」となる
そういうことが意外とみんなが肯定しているのである。
本当は戦争で人を殺すためとなると徴兵制の方が公平である。
なぜなら誰かに戦争を暴力団のように頼むことではなく自ら引き受けることになからである。
そうでなければ国となると大きいから守れないからである。
つまり国民自身が手を汚さなくては守れないのである。
誰かが手を汚さずに守ってくれるというのは虫がいいとなる

そもそもなぜそういう汚いことに人間がかかわるのかというと人間には肉を食いたいという欲望がありそれで誰かが豚を殺さざるをえない
その人間の限りない欲望が誰かを豚を殺さざるをえないようにしむけているのである。
みんな豚肉なんか食べたくないとなれば誰も豚を殺す必要がないからである。
でも豚を殺すのでも牛を殺すのでも自分はしたくないとは言える
他の人もそうしたら肉は提供されないということはある。
でもまたこれもそうした屠殺にかかわる人もやはり仕事がないとかなれば誰かがすることになる。
代わりで殺人する人も嫌でも金になるということでするからこれも欲望のためである。
原発でもそんな危険なものいらないとは簡単に言えない
なぜならみんなが電気を必要としている、暑ければクーラーがなければいられない
今は特に温暖化しているから余計にそうなったのである。
クーラーが最高の効果があるからである。
電気は今は石油が主だけど石油だって相当危険な場所、紛争が絶えない、戦争している中東にとりにいかなければならない、そんな所に自分は行かないからいいやとはならない
誰かがその危険を引き受けているから石油が手に入り楽しているのである。
そういうことは常に現代の便利な社会にはある。
ただ直接的に手を汚していない、危険にあわないから金さえ払えば電気が使えるとなっているのだ
結果的に原発事故がありこの辺では甚大な被害となったのである。
それはここ住んでいる人たちの欲望も深く関係していたのである。

●戦争を否定するのには豚肉を食べないような覚悟が必要

現代は便利さを求め欲望がかぎりなく肥大化したのである。
豚肉を食べ、鶏肉を食べ、牛を食べ・・・あらゆるものを食べる
そのためには間接的にでも実際は豚を殺し鶏を殺し牛を殺しているのである。
それが現代では意識しにくいから感じないのである。
でも豚肉を食うなとか牛の肉を食うなとは誰も言えない
それが言えないのは人間の欲望が否定できないからである。
この世のことはあらゆることが関係ないではすまないしかかわっている
本当は自分だけが安全地帯にいることはできない
戦争は自衛隊にまかせればいいとかはなりえない、なぜなら戦争となれば国全体の問題になるからである。
つまり自衛隊員でももう戦場に行かせられるならやめたいという人が増えるというとき
殺人で手を汚したないからそうなる。別にやめてもいいからである。
ネットウヨが率先して戦場に行けよというのも正論なのである。
それだけ口で勇ましいことを言っているのだから実際に戦場で戦ってこいとなる。
いざ戦争となったら自衛隊だけでは絶対に守れないのである。
要するに戦争といってもそれは現代では日本ではゲームのような感覚になる。
戦争を実感するのは実際に戦場で人を殺したときだろう。また殺された人を見たときだろう。
戦争した人が戦争だけはしたくないというのはそのためである。
何らかの罪悪感をいだかざるをえないからである。

とにかく集団的自衛権であれ自衛隊が海外の戦場にゆくことは海外で人を殺したりしたらそれは日本にいる一般の人も実際は手を貸しているということである。
自分たちは海外のことは自衛隊のことは知らないとはならない
金を税金を出して自衛隊にやらせるとなってもそれは人殺しを金が頼むとんのと同じなのである。
ではお前は国をどうしけ守るんだ、九条で平和ばかり念仏のように唱えて守れるのかとなる
その前になぜ戦争が起きるのかということを考えねばならない
戦争をさけるということを世界の国々で計らねばならない
そんなことはお人好しであり中国であれロシアであれ攻めてきてたちまち国民は蹂躙されて奴隷にされるのが国際社会の現実だともなる
でも世界の歴史で軍事力で世界を支配できたかというとできなかった。
それはモンゴルのように一過性で終わる
ただ戦争を否定しようとしたとき左翼のように9条を守るというだけではできない
豚肉を食べたいという欲望をなくすようなことが必要になる。

原発事故でもそうだった、それも人間の欲望と深く関係していたからである。
つまり原発反対のデモに行った人が帰ってきて暑くてどんどんクーラーび冷やしてくれと言うのも矛盾なのである。
結局9条を実行するとなると宗教のように無抵抗主義になり人は絶対殺さない、殺すなら殺されてもしょうがないとかなるかもしれない、そこまで覚悟せざるをえなくなる。
ただ世界史では強い国が勝つとは限らないのである。
それを証明したのがベトナムだった。アメリカはベトナムに勝つことができなかったのである。強いということは必ずしも軍事力があるということでもない
聖書では軍事力ではない、神に頼って勝ってきたのである。
だから何らかそこに神の関与があったとなるのである。
つまり戦争でもあまりに不条理なことモラルに反する国が一方的に他国を蹂躙できるのかとなる。それはやはり神が許さないとなり神の関与があるとなる
この世のことはなんらか神の関与がある。原発事故も津波とかで神の怒りだったのかもしれない、原発は何か神を怒らせるもので呪われていたのである。




タグ:自衛隊
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2015年07月24日

東芝“粉飾決算”中心人物のあだ名は「原発野郎」 (モラルの崩壊が事故前にも事故後にも現れた)


東芝“粉飾決算”中心人物のあだ名は「原発野郎」

 
(モラルの崩壊が事故前にも事故後にも現れた)



 2009年に東芝社長となった佐々木則夫氏は何よりも先に、不適切会計が始まっていた西田厚聡・前社長時代の問題を明るみに出すべきだった

東芝の事業の二大柱は、半導体と原子力発電なのだが、佐々木前社長は原子力事業一筋でのしあがってきた人物。たとえば、東芝は06年、相場の3倍以上の約6000億円を用意し、原発製造大手である米ウエスティングハウス社(WH社)を買収したが、その立役者が佐々木前社長だった。
この佐々木前社長の行為は11年の東日本大震災以降の原発事業の不振をごまかすためだったと見られているのだ。

「06年に経産省が「原子力計画」を発表し、既存原発の60年間運転、30年以降も原発依存度30〜40%を維持、核燃料サイクルの推進、原発輸出を官民一体で行うとぶち上げました。東芝はその先陣を切ってコケた。計画を当時まとめたのが現在、安倍首相の秘書官として出向している経産官僚らです」(元政府高官)〉



東芝というと日本を代表する大会社である。それがなぜ粉飾決算までしなければならなかったのか?
それは原発と深く関係していたのだ。東芝は電気製品より原発に力を注いでいた。
原発はまた官民一体の事業だった。原発はベトナムでもトルコにも売り出したように
日本の産業にもしようとしていた。
それが今回の事故で大打撃を受けた。
原発事業は何か呪われたものだったのである。
東電という会社も日本を代表する巨大な会社だった。
その幹部もまた今回の事故の大きな責任があった。
津波は東電と想定しなかったというが独自の調査で想定していたのである。
ただコストがかかるから津波の防潮堤を作らなかっただけだったのである。
東北電力の女川原発はぎりぎりで助かったのは指導陣が経営陣が津波を想定して高くしたからである。
大失態は一旦高く作ったのに低くして作った、それもコスト面からそうなった。
それはアメリカのGEがアメリカには竜巻が多いからと電源を地下にしたことで最初原発はアメリカに指導されて作ったからGEにも責任があった。
そして東芝でなぜまた幹部が粉飾決算をしたのか?
それは原発の事故と関係していたのである。
原発で打撃を受けて収支が悪くなり粉飾決算になった。

事業というのは何かモラルの面で先に崩壊してゆく、一見技術の問題なのだからモラルとか人の道とかは関係ないように見えるのである。
技術に科学に忠実であればいいように見えるし理系だからあまりそうしたモラルとは関係ないように見える
ただ経営陣は文系であり理系的なものと関係あったとは言えない
親戚というものではないが事業を起こして失敗した人を知っている
理系の人も経営者になり失敗している
その失敗によってその人のモラルも崩壊していたのである。
その人は理系として優秀であり技術者だったのである。
その人も事業が失敗していたが成功を装っていたのである。
だからあの人は頭がいいから成功していると家族まで最近まで思っていたのである。
その人は借金してやりくりしていたけど成功していると思わせていたのである。

それは明らかに粉飾していた、粉飾会計をしていた

それは事業の失敗を隠すためであり嘘ついていたのである。
そのために自分は病気の時、借金を要求されてひどいめにあった。
でも病気になって弱者になったから何も言えなかったのである。
それをいいことに入院保証人になってやるからどうだとか借金をしてくる
その保証人でも誰の保証人となるのか?
それはまさに事業に失敗した肩代わりをしろ、自分の保証人になれと同じではないか?

借金した人ととかかわることは本当に怖いことなのである。
もしその時自分のように弱者になったら何かほんのささいなことでもしてもらったら
借金をしてくるから怖いし断れなくなるから怖い思いをしたのである。
その借金も百万単位で大きいから恐ろしいのである。
そんなことを相手は何にも思っていない、強者になった人は弱者になった人のことをわからないのである。
ただその人も借金があるからブラックな所で働かざるをえなくなったのも
モラル的に崩壊しているから何でも金のためにするようになる。
犯罪では必ず借金していること動機になるから調べる。
借金していれば確実に動機があり犯罪に結びつくことが多いのである。
その人はすでに弱者を恐喝したのだから犯罪者なのである。
別に警察につかまらなくても犯罪者になっている人などいくらでもいるのである。
警察などあてにならないという言うのもわかる
犯罪を置かしても犯罪者にならない人の数は膨大なのである。

原発事故の影響は本当に大きかった。それは日本全体にも世界にも影響した。
原発というのはそれだけ危険でありある意味で呪われたものであった。
つまり原発にかかわること自体が危険でありかかわると呪われるとなる
それは原発が核分裂という自然に逆らう技術であり二万年も消えないプルトニウムの毒を出す恐るべきものだったからである。
その時点で科学者もそのことはわかっていても利益になるから国でも官僚でも一体になり推進されたのである。
いかに原発事故の影響が大きいか、未だに避難区域になっている所は帰れないし元にもどることはない、補償金の問題で批判されるが故郷自体がなくなるということ人が住めなくなり荒廃してゆくことがどういうことか?
その被害の大きさは死者はでないにしろ物質的精神的損失は計りしれないのである。
一億円補償金もらってかえって得したとか言われても家族が離散状態になり
コミニュティは崩壊して故郷で代々築かれた歴史もたたれるという精神的な被害も大きかった。
あなたたち被害者づらしているけど原発では恩恵を受けていたし原発を積極的に誘致したのは住民であったというのも言える。
ただ利益になるということで国も官僚も東電や東芝も住民も一体となり押し進めたとなるそれでも東電はそれほど会計的には損失していない、国の援助があるからだ。
幹部も辞任していないで外国で役員になって暮らしているというのは東芝と大きな違いがある。
これもなぜそうなのかみんな疑問に思っても何ら責任が問われない
その原因は何なのかとなる、国の責任も問われるからかなのかこれも不可解であり
国民は憤りを感じても何ら責任は問われないのである。

タグ:東芝
posted by 老鶯 at 07:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2015年07月23日

白百合の花と介護している家(詩) (人間は長く人生をともにした家で死ぬのが理想だが・・・・)

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白百合の花と介護している家(詩)

 
(人間は長く人生をともにした家で死ぬのが理想だが・・・・)



蝶とまり夕風ゆれる合歓の花

限られし時に鳴きけり蝉の声今しひびきて夕暮れむとす



白百合の花と介護の家

庭の白百合の花、臥す母に向きて咲きにき
その大輪の真白き花や母に向きて咲き今日も暮る
我が家に嫁ぎありし長きその日よ
そが憩うべしはいづこや今は家に安らぐ
それぞれの家に歴史、物語のあれ
悲しみ、喜び、いがみあい、苦しみ、笑い・・・
それぞれの家族に物語のあれ
その長き日よ、その時は帰らじ
ただ思い出として物語として残されぬ
死ぬときよ、真白き百合の花を見む
その花の偽りなき誠の花よ
汝はその花を見て安らかに死ぬべしかな



今日の推理小説のドラマはそれなりに深いものがあった。人間は何か事件があるときそこに人間の問題が具体的に現れるから事件から人間を考える
なぜ夫を妻が殺したのかとなるそれが複雑である。
動機は義理の母を介護していたのに夫は不倫して妻の願いをことごとく無視した。
誰が見てもひどいと思う。
それが介護ということで自分も興味をもった。
介護は介護している人でないとその気持もわからない。
妻は七年も介護していたとか介護は長いからまた負担が大きいのである。
その妻は20数年の平和な家庭生活を壊したくなかったというのが動機だった。
夫から別れるという言葉を聞きたくないがために殺人になった。
その家族の思い出を壊したくないとして殺人になってしまった。
そのことは結婚でも長く一緒にいればそうなるのが普通である。
だから熟年離婚というのが理解できない

ともかく長い期間いて培われたものが何かしらある。
その間に憎んだとしてもそれも愛の反面になる。
長くいるということは何かしら意味があると思うからだ。
なぜそう思うかというとそういう時間がもうなくなるからだ
ではまた新しくはじめればいいというが20数年を御破算にしてまた一から始めるとなると人生にはそんな時間がないのである。
自分が前々から何度も言っているけど人生とは結局何に時間を費やしたかで決まる
そういうとき人間には時間が限られているのだから数十年一緒に過ごしてまた別な人と一緒に過ごすという時間が与えられていないのである。
だからその妻はそうして費やした家庭生活の思い出とかを壊したくないというのがわかるのである。

つまり人間にとって一番貴重なのは時間なのである。
誰と一緒に過ごすか、それも時間を共有するということである。
その共有する時間は一人くらいしか与えられていないのである。
離婚してまた別な人とやればいいとか次も離婚して最初からはじめればいいというわけにはいかない、なぜなら時間が鳴くなてしまうからである。
だから老人になってからなにか深い付き合いと結婚してもうまくいかないように思う。
老人はすでに費やした時間をふりかえるだけだからである。
新しい思い出を作る時間がすでにないからである。

人間の一生は本当にそれぞれの物語である。
だからこの家を苦労して建てたんだというときそこに物語がありその家に重みがでてくる家とは単なる箱もの、物とも違っているのだ。
たいがいこの家は働いて苦労して建てたんだよというときその物語を聞けば家に重みがでてくる。
それは商品にも通じている。この野菜は苦労して作ったんだよと直接聞けばその野菜が貴重に思えるのである。物々交換の時代はそういうことがあった。
今はそうした物語が省かれるから商品でも値段だけがとりあげられる。

介護を考えると自宅で死ぬのが看取られて死ぬのが理想である。
病院とかは施設とかは家ではない、それぞれの家の物語はない
一種のやっかいなものの収容所となってしまう。
介護というときその人がどういうふうに生きてきたのかということが問題になる。
それを一番知っているのは家族だからである。
でも家では延命治療るような余りに負担なことはできない
そんな負担を背負ってまで家でやるというのは余程の人でないとできない
そうされていた介護度5くらいの人を病院で見た。
その人はそれだけのことを家族にしていたからそれだけの介護をされていたのである。
最後はあまりにも悲惨な状態になっていた。
浪江の人だったが今はとどうしているかわからない。

病院で死ぬことも看護師や介護士に世話になることもこれも一時的ならいいが最後の看取りとか世話になることはいいことではない
医者でも看護師でも介護士でも体はめんどうみても心はみない
死んでもそんなこと毎日死んでるから物ののように扱うだけである。
看護師は白衣の天使でもなんでもない、介護士でもそうである。
またこそれを要求するのも無理がある。
見ず知らずの人にそんな愛を要求するのは無理だとなる。
病院はもともとそこで死ぬというより一時的にいる場所だったのである。
延命治療などは人間というより機械に囲まれて最悪だと思う。
人間は直る見込みがないなら延命治療はすべきではない
病院は無機質な冷たい場所なのである。
医者でも看護師でも介護士でも天使でもなんでもない、むしろ冷酷に見ているともなる
それをみんな批判できないだろう。
そういう仕事として割り切ってやっていて家族のようなことはできない
自分にとってだから病院とか恐怖になったし看護師にも怖い目にあったら今では恐怖している。
一時的にいるのはやむをえないがそこで介護のような延命治療のような状態にしておかれることが恐怖なのである。

タグ:介護の家

2015年07月22日

アメリカに投資してもうけている自分の矛盾 (アメリカ人は日本より貧困層の問題が深刻)


アメリカに投資してもうけている自分の矛盾

(アメリカ人は日本より貧困層の問題が深刻)


●アメリカは貧困社会?



アメリカは「特権階級」「プロフェッショナル階級」「貧困層」「落ちこぼれ」という4つの階層に分かれ、「特権階級」「プロフェッショナル階級」の上位二階層を合わせた500万世帯前後、総世帯の5%未満に、全米の60%の富が集中しており、トップ20%が84.4%の富を握っているそうです。そして、経済的に安心して暮らしていけるのは、この5%の金持ちだけだとのことです。

「他人の子供の世話をするために、自分の子供の世話をおろそかにする。自分は標準以下の家に住んで、人さまの家を完璧に磨き上げる」ワーキングプアは「ひたすら与えるばかりの人たちなのだ」とエーレンライクは言います。

小林由美『超・格差社会 アメリカの真実』



日本だとプロフェショナルが何ですかとか言わない、職業より会社名などを言うだろう。プロとはあなたの専門は何ですか?となる
何か専門的な知識やスキルを基にして働くものは収入が大きい。
「特権階級」は親の資産とかを受け継いだ人とかであるがアメリカでは金持ちでも桁はずれるになる。
日本はアメリカを戦後手本にしているのだから当然アメリカ社会に何でもにてくる。
それより世界が資本主義というグローバル経済のシステムに組み入れられているから資本主義経済の影響が大きい。
それでどこの国でも格差が生まれる、それはアメリカだけでなくて世界中で起きていることである。
だからこそアメリカだけの問題ではなのである。
ただアメリカとか中国とかなると国が大きいから極端になるのである。

なぜ貧しい人と裕福な人がいるのかとなるとこれもまた今だけの問題ではないし歴史的にもう人類がはじまってからあるだろう。
だからこの格差の問題は今だけではない、根の深い問題なのである。
貧乏の原因を考えるとまずそうした社会的問題としてとらえるのではなく個々人が原因になって起きることが必ずあり自己責任だとして批判されることはやむをえないことである貧困は今は目に見えないしまたそもそも人間の直接に接する人は少ない、10人くらいかもしれない、するとそこから見えてくるもので判断しやすい
良くシングルマザーとかの悲惨な貧困が増えているということを話題にするけどそれもマスコミでは極端なものしか取り上げられないからその内容が本当かどうかもわからない。つまり最低の極端なものが話題にされやすいのである。
普通に生活している人は話題にしても面白くないから極端な貧乏を話題にするのである。だからそういう記事が本当なのかどうかという疑問がわく
ただ全般的に現代が格差社会だということは否定できないだろう。

●貧困の原因

個人的な貧困の原因としては

●親の資産を受け継いでいない
●離婚している
●プロフェシャナルになれない

なぜ親の資産を受け継がないと貧困に落ちるれのかというとこれはまず土地とか家がないということをイメージすればわかる。
何もないところから一から結婚して始めるとなるとその労力は何倍にもなってしまう。
10万とか家のローンを払うとなると月給からその分30十年とかひかれていくのだから辛いそれで老後に破産しているとかが起きている。
でも能力ある人は一からはじめて財産を残している、土地を買い、家を建て、子供を教育して育てている。
農家だって三代しないと農家とは認められないという。
それだけの積み重ねがないと農家にもなれないからそうなる。
「草分け」というのはまさにその名からわかる。
つまり草茫々の原野に入り開拓した家である。
その後から入ってくる人はそうした草分けの家をまず頼りにして働きやがて代を経て財を築いてゆくのが順序である。
だから誰もいつまでも貧乏にとどまるとは限らないのである。
そういう人がなぜ今貧乏なのだ、草分けはうらやましいとか言って盗んだりすることはゆるささないことである。その家は最初は同じように苦労してきたからである。

子孫はその恩恵を受けている、でも恩恵を受けた子孫も零落することはある。
あとからの人がかえってけ苦労して豊かになってゆくということも昔からあったのであるその人は電工であり普通の労働者だけどトラック運転もして人より歩合制で一台いくらで勘定するけど人より運んだから収入になったという。それだけ努力したということである別に特別なスキルがなくても貧乏にならないし土地も家もあり普通の暮らしをできた人も多い。高度成長時代ということもありそういう人はが中産階級になった。
派遣とかフリーターとかはその時代ほとんどいないし正社員の時代だったことは今とは違う。
それから貧乏している人は必ず離婚している、離婚している人は二人分の収入があるのに一人分になるのだから当然貧乏になるのは目に見えている、現代はあまりにも簡単に離婚しすぎるのである。シングルマザーの問題もそこから起きてくる。
夫に問題があっても収入があれば昔ならがまんしていた。現代ではがまんしないから収入が減ってその後の暮らしのことを考えないで離婚する
すぐに生活保護になった人も知っている。
貧乏にはかならず自己責任の部分はあるし否定できないのである。


現代の格差社会を問題にするときそうした個々人の問題に原因があるというのではなく
社会のシステムの影響で貧困から脱することができない問題である。
いくら働いて働いても豊かになれないのはなぜなのか?
それはその本人ではなく社会のシステムで資本主義社会が悪いからそうなっている
それも確実にある。それでピケティの資本の不公平を指摘したのが世界的話題になった。つまり資本主義はもともと資本が元金がないと豊かになるチャンスが与えられないのである。
それは一億円の元金がたまれば株に投資すれば今でもその元金が増える、でもそのまとまった元金が増えなければ増えない、だから一億円あれば働かなくても暮らせるなとためる人もいる。
その一億円の金も資産家なら簡単にもてることができるから格差になる。
だから親の資産を受け継がない人は元金がないから投資もできず細々と働いているほかないのである。
だから資産というのはどうしても一代で築くことはむずかしいと思う。
それは特別能力があるプロフェショナルな人にはできるが普通は苦しくなる。
自分の場合はただ親に恵まれたので今は金には困っていない
でも自分が金持ちだったという気分になったことは一度もないのである。
旅ばかりしていたといっても最低限の旅でありまず外食で千円以上使ったなかったし宿も最低限の宿を探すのに苦労していたのである。
だから贅沢な旅などしたことがない、温泉旅館などに一度も泊まったことがないのであるあと使ったのは本代であり何か贅沢などしたことがないのである。

●毎日家事に追われている自分は金持ちではない

今でも自分が金持ちなのだろうかというとそうではない、実際に毎日家事と介護に追われているとなるとどうして金持ちなのだろうかとなる。
金持ちだったら家政婦でも20万とか30万でも雇うだろう。それこそ金持ちの気分になるだろう。掃除、洗濯、買い物、介護をしていたら自分は召使と今は同じではないか?
あいつは金があるなと言われても自分の状態は召使なのである。
だから自分を自分も金持ちだと思いないし召使としか言いようがないのである。
本当の金持ちは家政婦を二人とか雇っている人である。そういう人がいたが強盗に殺されてしまった。
だから金持ちは何なのかというときその内容もある。毎日家事に追われているような人が金持ちとは言えないのである。
家政婦とかだと一番格差を感じやすいのである。
他人の子供を世話して他人の家をぴかぴかにみがくのはなぜだろう?
そういうとき一番格差を感じやすいのである。
だからアメリカでは手伝いさんを裸にして使うということが極端化してなった。
それだけ格差が大きいと家に入る人はほとんど泥棒だということになってしまうからである。

確かに自分でも一番不思議なのは矛盾なのはアメリカに投資して儲かっていることであるええ、でもアメリカではこんなに貧困者がいるきかという驚きである。
アメリカは極端な格差社会である。移民社会だからそうなる。
つまりアメリカが国として豊かなのに貧困者がそんなにいるのかという疑問である。
そのアメリカで自分が金をもうけているというのも矛盾なのである。
これはグローバル経済では普通のことでもそういう経験がなかったから感じなかった。
アメリカが豊かでもその富はアメリカ人の国籍のある人に還元されていないのである。
誰に還元されているのか?それは株主だというのが資本主義なのである。
アメリカでは特に株主が優先される純粋な資本主義国である。
それは別に日本でもそうである。日本でもうけたものが別に日本人にその富が還元されるわけではない、外国人の投資家にも還元されるからグローバルなのである。
ただギリシャのようになると国自体が貧乏になると国内の格差だけではすまなくなる
全員が貧困状態に陥り国自体が滅亡するとまでなる
それは日本でも言えるのである。格差社会でも国にまだ力があれば国自体が全員貧乏になり滅亡するような状態にはならないのである。




タグ:格差社会
posted by 老鶯 at 22:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会問題の部

2015年07月21日

真夏の写真(雷雲が福島市から広がってきた驚き)


真夏の写真(雷雲が福島市から広がってきた驚き)

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パノラマ写真

この雲は福島市から湧いてきた雷雲

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夏空に若竹伸びる数十本
ひまりわとダリアの庭や陽の盛り
のうぜんにヒマワリ映えて街の庭
山百合の匂い流れて農家一軒
雷雲の福島市より沸き上がる
道の駅交差し去るや夏燕

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梅雨が明けたというけど今日は浜通りはからっとしてさほど暑くなかった。
クーラーも必要ない暑さだった。でも福島市になるとやはり35度くらいになっていた。
それで夕方に黒い大きな雲が湧いてきた。
それはどんどん大きくなったが雷は鳴らなかった。
福島市ではテレビで停電にもなる雷だった
写真の雲は福島市から湧いてきた雷雲だった。
福島市は浜通りとは地形的につながらないようでつながっている
阿武隈高原の向こう側に福島市がありそこから雷雲が湧いてきたのである。
するとそれは福島市から南相馬市まで広がった雷雲だから相当に大きいとなる。
そこまで普通ここではイメージしない

でもちょうどテレビでこの雲を見たとき福島市で大きな停電がありかなり雷があった。
その影響でこの巨大な雷雲が南相馬市までひろができたのである。
福島県はハマ、ナカ、アイヅで天候も相当違っている
浜通りは福島市とある時天候でも関係してくる
今日の雷雲がそうだった。
でも浜通りの暑さは31、2度であり湿気も少なく今日は暑く感じなかったのである。
浜通りは気候だけは恵まれている

福島市まで双葉や大熊か飯館村を通って放射性物質が流れた
これも意外だったがやはり地形的につながっていたからそうなった。
福島県はまず浜通りだったら会津のことは天候的にも地形的にも影響がない
福島市はやはり天候的に影響がある、暑さは浜風が吹いて違っているが今回のように福島市で雷がありその雷雲が浜通りまで広がってきたのである。
雲はこんなに広範囲に広がるものとは思っていなかった。
雲は宇宙から見ないとわからない、風もわかりにくい、それは広範囲に活動しているかだとなる。

夏だとやはりいい写真がとれる、夏には一番花が映えるからである。
ともかくこのくらいの暑さだと過ごしやすいし自転車に乗っていてもそれほど疲れないと思った。
俳句は季語が中心なように極めて日本的なのもである。
日本の季節は変化が激しい、だから気候が挨拶代わりになりそれが俳句文学になったのである。
天候は毎日変わるからブログのようなもの毎日アップするのには向いていた。
今日はまさに天候の報告だったのである。
タグ:雷雲

2015年07月20日

涼しさー六号線で感じる東風 (津波で海が見えるようになった浜街道)


涼しさー六号線で感じる東風

(津波で海が見えるようになった浜街道)

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海見えて浜風涼し6号線
涼しさや夕風吹いて6号線
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cool
evening winds
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涼しさや夕風に走るサイクル車
草原に海風涼し6号線
鬼百合やこの道幾度越えて行く
この辺り蝶の眠るや合歓の花

六号線は浜街道がありその脇を走る。浜街道というとき海が身近に感じられるから浜街道になる。東海道もそうである。
でも実際は海が見える場所はまれだった。だから海を意識しないのである。
松原があったときは海が見えなかったのである。
でも津波で松原とか家すらなくなり海が見えるようになった。
もともとは海が迫っていたのである。
海から吹いてくる風は東風(こち)である。でもなかなか風というのはわかりにくい。
風はその場所に長く住んでいないと意識できない

それで菅原道真の歌「東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花、主(あるじ)なしとて春を忘るな」の歌がどうしてできたのか?
この歌は京都であり山に囲まれている、東風は山から吹いてくる。その感覚がわかりにくい。ここでは東風は海から吹いてくるからである。
その広大な太平洋から吹いてくる風なのである。
ただ東風吹かば・・とあるとき常に京都でも東風が吹くときを意識していたのである。
ここでは丁度原発事故のあったとき東風(こち)が吹いて飯館の山の方に放射性物質が流れて悲劇になった。
だから東風吹かば・・・・となるときここでは原発事故を思い出すのである。
風は旅していても意識しにくい、まず旅していると方角がわからなくなる。それで余計に風のことは意識できない、どっちから吹いてきた風なのかなど旅してもわかりにくい

特に電車でも来るまでも今は風を感じないからである。
それでバイクで風を感じたいという人が中高年でも乗っているということがある。
自然を感じない旅は旅ではない、ただの移動になってしまうのである。
昔の船乗りとか帆船の時代だったら風を感じるだろう。風を知らないでは船も操作できないからである。今ではヨットが一番風を感じるものになる。
自然を感じる旅はどうしても便利すぎると機械に頼るとできない
余りに現代のような便利の社会では自然を感じるにはわざわざは不便にしないと本当の旅はできない。
だからかえって時間がかかるし手間になるし難儀になるのである。

ともかく自分が旅していても風を感じたことはほとんどない、最近春に津軽平野の十三湖に行ったとき西風が吹いていたのでここは西風が太平洋から吹いてくるのだと意識した。それで余計に荒寥としたものを感じたのである。
あの西風を感じたときはじめて津軽平野の荒寥たるものを感じるのである。
もう一つは祖谷の谷間から吹いてきた春風である。
祖谷の葛橋の辺りだと相当に山深い、四国は実際は山国である。
それがなぜ谷間を吹き抜けてくる風があった。それは海からも吹いてくる風だという
風が吹く範囲とそのように広範囲なのである。
それでフクシマの原発事故で海から阿武隈高原の飯館村から福島市まで東風が吹いて放射能汚染されたのである。
谷間が風の通り道となり風がはるか福島市まで吹いたという驚きであった。

ともかく六号線は車の騒音などで嫌なのだが一番活きている道だし毎日のように通る
今日は白い髭をはやした年配の外人が重い荷物をのせて六号線を走っていた。
あれも珍しいと思ったがついていけなかった。
相当な体力がある人だなと見ていた。小島田からの坂はきつい。
自分は前は上っていたが今は上らない、脇道を走っている。
電動自転車だと上れるが脇道の方がいいのであそこは上らない
自転車は坂で疲れるのである。だから体力がない人は自転車はきついのである。
その点バイクは楽なのである。自転車は若い人でもまれである。
でも自転車の旅は今ふりかえると記憶に残っている。
それで思い出して詩を書いているのである。





2015年07月19日

涼しさ(今年は秋が早いかもしれん)


涼しさ(今年は秋が早いかもしれん)

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涼しさや水無し川の今日流る
涼しさや青竹伸びて流る音
川の瀬の音を聞きつつ橋に合歓
ノウゼンに夕日のさして虫一つ
ノウゼンに夕焼け映えて今日の暮る
山の影夕べ涼しき月と星

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今日もかなり暑かった。32度くらいにはなった。クーラが前の部屋にあったので試してみたが壊れていない、これも20年前とかかもしれない、古いものだが意外と壊れない、
このクーラーは20万とかしたから高いのである。
それで古いから電気を食うと思った。でも長い間使っていて壊れないしまだ使えるということは今では貴重に思った。
その部屋には液晶テレビになる前の重いテレビがあった。
液晶タイプにする前でありそれがもう動かせないほど重いものである。
それも最新式だったがそれから軽量化したからあまりにも違いすぎて使いものにならない技術が進歩して使いものならないものとさほど変わらず使えるものがある。

洗濯機でも冷蔵庫でもクーラーなどはまだ使える、クーラーは古いと電気料が高くなるから問題である。
今なら10年も使えるとしたらもうけものだとなる。
その他のカメラとか電子機器は変わり方が激しいからである。
こっち日新月歩なのである。


水無し川はどこにでもある。今日は水が流れていて涼しい
青竹が伸びて水の流れる音が聞こえる
日本の川は瀬音が気持ちいいし涼しいとなる
浅い流れだから仙台の広瀬川でもそしうだし原町の新田川もそうである。
真野川は瀬音があまりしない、ただ長いという川である。
川で良かったのはやはり浪江である。二つの川がありこの辺では一番いい川だった。
それで詩も残されたのである。


ノウゼンに夕焼けが映えて暑い一日が終わった。
そして夕月と星が出て涼しい
どうもこの涼しい感じも今年はこの辺で終わり早めに秋がくるかもしれない
これからまた梅雨の曇りになるからだ
暑さのピークは過ぎたかもしれない
何か体がぐったりして弱った、食欲もない、でも明日からは曇り気温も低くなる
だから意外と夏は早めに終わり今年は秋が早いのかもしれない
今年は暑さが早めであったがそれも終わり秋が来るのかもしれない

とにかく今年の気候は変則的でわからないことはいえる。
やはり確率としては7月までは暑いとしても8月からは低い割合が多くなる。
琴氏は残暑もそれほどでなく早い秋が来るのかもしれない
するとクーラーもいらないとなると楽である
すでに夏ばて気味になっているからである。


タグ:涼しさ

男性的なものと女性的なものの探求 (岩と甘い声(詩)


男性的なものと女性的なものの探求

( 岩と甘い声(詩)


岩と甘い声

a rock and sweet gentle voices

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その女性の声は甘くやさしく
我が心にひびき癒される
大輪の花のように
悪びれることなく
馥郁と香りを放つ
その声は若々しく
新緑が風にそよぐように
その中に小鳥は伸びやかに
さえづりは森にひびきわたる
その余韻は森に木霊する
一方一つの古びた岩は
冬の寒さと雨の冷たさ
唸り吹く風の冷たさ
その辛さを語る
年老いて刻まれた深い皺
老人のように語る
人生の織りなす四季
人はこの岩を見ず
美しい花と甘い声を求める
岩は何を語るのか
岩は風雪を帯びて
威厳のある相貌
人生の辛さを耐えた沈黙
それもまた森に不可欠なもの
女性と男性に別れた性
自然もまた二つに分かれる
女性的なものと男性的なもの
その二つがありて調和する
妙なるハーモニィを奏でる



女性と男性は永遠に神秘である。そもそも人間は女性を男性は体験できないし男性を女性は体験できない、だから相互にわかりあうことがむずかしいとなる。
男性は子供を産めないし産む経験がないのだから子供を産むということが根本的に理解できない
快楽でも男性と女性は根本的に違っている。
そこに必ず行き違いが生まれるから離婚が三分の一とかになる。

ヨーロッパ系の言語がフランス語でもイタリア語でもドイツ語でもスペイン語でも男女を別にしているのはなぜだろうとなる。
自然を男性的なものと女性的なものとして分けて見ていた。中性というのもあるが男性的なものと女性的なものと分けた。
中国は陰陽に分けた。それはやはり動物だと雄と雌がいて成り立つように世界が作られていたからである。
猫でも雌より雄は外を出歩くというのも何かそもそも動物と人間はいろいろな面でにているのである。
それはペットとして飼うとわかるのである。
男性的なもの女性的なものというとき別に男性だから女性だからというのではなく
男性の中に女性的なものがあり女性の中にも男性的なものがある。
草食系男性とか肉食系女性というのがいるし女性的なもの男性的なものが実際に明確に別れるものでもない

でも一般的には女性なら癒し的な要素が大きく男性は闘争的とか逞しいとか強いのが男性である。
でも男性でも女性的な側面は内面的に精神的にもっている。
それも個人差が大きい、自分は何か女性的であり男性的に強さに欠けている
芸術家でも男性的タイプと女性的タイプがあり作品に現れている。
そもそも人間はもともと一つでありアダムの肋骨から作られたのが女性である。
だからこそ男性と女性は一体化しようとするのである。
もともと一つのものが二つ分かれたのだから実際は別れても一つなのである。
肉体的にも男性にも女性となり女性も男性となる作りがあるのでもわかる。
肉体という面だけが強調されるが精神的な面の相違も神秘である。

その女性は不運だった。結婚して障害児をもち、離婚して貧乏がつづき、苦労の連続でふけてしまった。
もともと見栄えが良くない、岩長姫だった。
ただ苦労しているから話は面白い、同世代だから話が合うとういことはある。
それはこの女性だけではない、そもそも女性だと若い時は余りに違うし別人のようにさえ思うだろう。
女性の華は若いときである。でも今は40でも50でも60でも若くなっている
それは男性にも言えるし個人差も大きい、
老人になると生気が衰えてくる、若い人には生気がありそこが根本的に違っている
だから老人は若い人と接すると若い人の生気を受けるからいいとなるが若い人でもいろいろいるから全部がいいというわけではない。
ただ女性というと肉体的なことにだけ注目するが声も大きな要素である。

それでホメーロスの『オデュッセイア』でセーレンの声に魅了されてしまう神話は何か生々しいのである。
それが肉体ではなく声だったことなのである。
人間は肉体ではなくても延々と女性的なものにひかれているのである。
そして人間の求めているものは心地よいもの快なのである。
何か性でもうまいものを食べたときでもそれが心地よいものとして脳に記憶されて消えないのである。
そしてその快楽をまた味わいたいというなる。
だから老人になってもたとえ肉体的なものでなくても老人が女性を求めることは変わりない
近くでイタリアンジェラードというソフトクリームを売っているけどこれもうまいから高くてもやめられなくなった。
快楽はつくづく食べ物でも中毒になるのだ。誰も苦しみを求めたりしない、それはやむをえないものとしてある。
だから麻薬ても快楽は脳に記憶されて習慣化されやすくたつことができなくなる。
それは別に麻薬でなくてもこのソフトクリームを毎日食べたくなったことでもわかる。
脳に快楽として記憶されたものはまた同じ快楽を味わいたいとなるのである。


いづれにしろ詩とか芸術になると女性ぬきでは語れない、だから詩となると若い時は恋愛詩になる。でもこれも浅薄なものとして終わる。
ダンテがベアトチェーリに憧れたということはわかる。
女性だとどうしても花に例えられる。岩とか男性に例えられる
花をテーマに自分がしたとき自分は女性的だがまた同時に石や岩もテーマとしてきた。
芸術になると理想は男性的なものと女性的なものの両方があるといいがどうしてもそんな性格をもつ人はまれである。
人間の個性でも限られている、あらゆる面をもつ人などありえないのてある。
それはまさに神のようになってしまうたろう。
ただ詩となると自然と人間も不可分に結びついている。
小説になると自然より人間中心になるが詩となると自然と結びついたものとして表現する自然から離れると人間だけだと芸術はそもそもありえないのである。



ホメーロスの『オデュッセイア』に登場する。オデュッセウスの帰路の際、彼は歌を聞いて楽しみたいと思い、船員には蝋で耳栓をさせ、自身をマストに縛り付け決して解かないよう船員に命じた。歌が聞こえると、オデュッセウスはセイレーンのもとへ行こうと暴れたが、船員はますます強く彼を縛った。船が遠ざかり歌が聞こえなくなると、落ち着いたオデュッセウスは初めて船員に耳栓を外すよう命じた。ホメーロスはセイレーンのその後を語らないが、『神話物語集』によれば、セイレーンが歌を聞かせて生き残った人間が現れた時にはセイレーンは死ぬ運命となっていたため、海に身を投げて自殺した。死体は岩となり、岩礁の一部になったという。しかし声だけは死なず、現在でもある時期になるとセイレーンの歌声が聞こえ、船員がその声を聞いた船は沈没すると言われる
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%A4%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%B3


タグ:男性と女性

2015年07月18日

paintshopで変化させた樹齢千年の古木、老木


paintshopで変化させた樹齢千年の古木

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老木



paintshopは変化させるに向いていた、普通に絵を描くのは絵の才能がないから使いこなせない
これも前に何か相当苦労して作り出していた
操作する回数が多い、目的をもって操作しているのではない、偶然の結果なのだが
何か意味ありそうなものが抽象画にしている
それがいくら操作しても意味ありそうにならないものもある
だから偶然なのである。
これはもともと抽象画になりやすいものだったから変化しても意味あるものとなった
だからソフトによって新たな抽象画ができるのがこの世界である。
タグ:古木老木
posted by 老鶯 at 11:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 抽象画の部(abstract)

2015年07月17日

経済学とは経世済民 (日々の生活であり一番身近なもの)


経済学とは経世済民

 
(日々の生活であり一番身近なもの)


「経世済民」

 経世というのは「世を治める」の意味です。「済民」は「民を救う」という意味です。世を治め民を救う、この4文字の言葉から「エコノミー」は「経済」と訳したらどうかということになり、そのまま経済という言葉として定着しました。

大学で経済学部を専攻した。でも自分はそもそも勉強が嫌いであり学校に適応できなかった。受験の勉強であり勉強が好きになれなかった。
だから勉強とは常に試験とかで強いられたものであり暗記であり高校まで自分で考えたことがない、ところが学問とはそもそも学び問うというように何かの問いがありそれを解決するものとして生まれた。
この世に生きる限り様々な疑問が生まれてくるからである。
今や文明生活は複雑であり疑問だらけでありその全容を知ることはできない
「なぜ3百万人も死んだ戦争があったのか?」
これも深刻な問いでありその明確な解答などないのである。
「なぜ人間は死ぬのか」
これも人間にとって個々人にとって最大の問いになる。
それで求道になりその問いをの答えを求めるのが人間である。
そしてその問いの答えは必ずある
だから真剣な問いがあることが学問のはじまりである。
学問というとき問い学ぶとあるが学ぶはまねるでありそのまねる、暗記だけだと学問は嫌になる。
簡単な算数でも今になると暗記でありそれをいろいろ考えて学習すると勉強好きになった算数を数字だけで抽象的に考えているとわかりにくいのである。
子供の学習で像から考えろというとき、一、二、三・・・と数があるときそれを具体的なものとして一個二個三個として図形として数字をとらえるとわかりやすくなる
数字は極めて抽象的なものだからとらえにくいからである。

そしてでは経済学とは何なのだろうとなる。学問は現代では様々な分野に分化してしまった。学問は学び問うが基本であり問うとはやはり哲学でありギリシャの学問が哲学であり問答形式になっていたことでもわかる。
経済学にしても商学部とか経営学部もあり分化している。
ただ経済となるとより一般的になり総合的になるから哲学的にもなる
商学部とか経営学部は実用的なものとしてある。
経済学部とは何か宗教にも通じている。世を治めるというとき宗教もそうだからである。資本主義がそもそも修道院から生まれたキリスト教のモラルから生まれたというのもそのためである。
仏教でも勤めというのはまさに仏に勤行をあげるとかが勤めでありそれが一般社会にも勤めるとなり働くとなった。
自分は今になると学問好きだったと思うようになった。
ともかく自分は考えることが好きなのである。何か実践することは苦手である。
だから実業家とか政治家とか現実社会で何か事業をしたりすることは向いていない
だから学者タイプだったのである。

経済学とはあらゆる分野に必要になる。根本的には経済とは何か、それはコストの問題があらゆることに最初に問題になるからそれが経済学なのである。

「エコロジー幻想ー武田邦彦)という本を例にすると

鉄道とバスと自動車を比べた場合、一人を一キロ運ぶエネルギーが鉄道は100、バスは178、自動車は595になるという。こんなに違うのかというのも意外である。
自動車は一人でも使うから効率的ではない、多人数を運べばバスの方が効率的になる

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田舎では一人一台車をもっているのが普通である。それは大量にエネルギー消費しているから都会より田舎の方がエネルギーを無駄にしているとなる。
それでコンパクトシティがいいというとき現代の便利な生活を維持するにはエネルギーでもコストがかかりすぎるからそうなる。
料理するとき湯で卵にするためにガスとか電気を使う、ガスだと5分とかであり電気だと10分とかになる。その時常に自分は無駄を感じていた。
つまり卵二個だけゆで卵することにそれだけのエネルギーを使うのかという実感である。なぜなら5個でも使うエネルギーは同じでありさらに十個でもほとんど変わらないからである。何かこれが田舎の生活がかえってエネルギーを消費しているというのとにている。都会だと人が集まっているから人間を卵に例えると百個でもゆで卵にできるとなる
それが毎日のことだから実感としてエネルギー消費を考える。
それは水道などでも同じである。一人風呂に入るのと五人風呂に入る水道の料は同じなのである。そこに水の無駄が生まれているのである。
現代は個々の暮らしが多くなったからこういうエネルギーの無駄が多いのである。
つまり車がエネルギーをそれだけ消費するのはゆで卵を一個を同じエネルギーで消費しているからである。バスだったら十人のせるが車は一人だからである。

それから太陽電池発電がこの辺でも原発事故以降いたるところに見られる
これも自然エネルギーだからすべてがいいというわけではないという。
それもコストの問題なのである。税金を投入しているから安いものではない、その設備投資でも保守するのにも金がかかる、これもコストの問題があり経済学なのである。
科学が技術だけの問題ではない経済学が関係しているのである。
つまりあらゆるものにコストがどれだけかかるということが常に問題になるからである。だから゛あらゆる分野で経済学が問題になる。
それはコストの問題が最初にあるからである。物を買うにしてもこれが買う価値があるのか、これだけの金を払う価値があるのかとかこの人を雇って価値があるのかとかコストの問題になる。それが経済学なのである。
オリンピンクの国立競技場問題もそうである。そんな大金をつぎこむ価値があるのか?
コストの問題がありそれでもめているのである。


原発事故でも経済学が関係していた。原発を建てるにば金がかかる、それだけの金を使う価値があるのかとなる。なぜそんな危険なものを作る必要が日本にあるのかとなる。
それはコストだけではない、アメリカの要請とか核兵器にするという裏の目的もあったのかとなる。
ただ東電の社長がコストカッターとして資材部から社長にのしあがったということでやはりコストが関係していた。
最初は高い所に原発を建てる計画だったのを低くしたのもコストのためだったのである。つまり安全を計ればコストがかかるからであり現実に津波の予想を東電ではしていたのである。
それをあえて津波対策の工事をしなかったのはコストがかかるためである。
これも経済的問題であり経済学だった。
この経済的問題はあらゆるところに生じる
日々の主婦のやりくりも経済学なのである。


介護問題にしてもこれも経済学の問題である。そもそも介護保険があるとしてそれは税金からでている。その金も膨大なのである。
確かに一日ディサービスでとまると5000円くらいとられる、でも現実は介護保険からその8倍くらいは出ているのである。もしその分をはらったら一日8万とかなると高級ホテルに泊まることと同じ料金がかかることになる
それで一カ月部屋が空いているから泊めたらどうかとケアマネジャーに言われた。
これまでは空いた部屋がないと思っていた。この辺では人手不足でもあるから実際そうだった
でも一カ月泊まりませんかというと空いているのだろう。
空いたままではホテルと同じように金にならないからすすめられた
一カ月15万は別に高くないのである。
ところがその15万は介護保険から出ると7倍8倍となったら百万にもなってしまう。
そういう計算をすると空恐ろしくなるのである。


別に介護保険から出るからいいじゃないかとなるがコスト的にはどうかなと疑問になる
なぜならその一カ月百万の金は税金だとすると個々人でも介護保険から払っているから実際は無料ではない、みんなして税金とて払っているものである
それで若い人にこうした保険料でも負担が多すぎるから健康保険でもコスト面で問題になる。国民年金でも若い人に税金の負担をかけているから問題になる。
税金をとったり払ったりすること使ったりすることも経済学なのである。
それが額が大きすぎるから何か実感しないが個々人でも月給からも税金としてひかれているのである。
高齢化社会とか介護とか医療には金がかけすぎるから政府でも何とか減らそうとするのはわかるのである。
それは自分の家の問題でもあるからよそ事としてではなく自分の問題として経済学がある経済学とは日々の生活のことであり学問としてむずかしいことではない
経済学は今ではグローバル経済になるとますます世界的なことも経済学としてみるようになる。
世界のことは関係ないとしていられないのである。アメリカに投資したらアメリカの動向や世界のことが常に気になってくるのである。
それは自分にも直接影響するからである。
経済学はまた倫理学である。昔だったら物を大切に使う、使い捨てなどしない、自転車でも高いから一生磨いて使うものだった。新しいものを買う金がないからである。
そういう貧乏な時代は何でも物でも大切に使っていた。

経済学はモラルの問題でもあるから「経世済民」になった。
医療とか介護とかも科学だけの医療技術の進歩だけでも解決しない
コストの問題がありそんなに保険を税金をつぎこんでいいのかとなる
それですでに国がつぶれるとまでなる、
ともかく物を今のように消費して使い捨てるとかの経済は成り立たなくなる
そんなに資源を無駄にするほど地球は人間に与えない
物を大切にするということはやはり経済学の基本でありモラルの基本なのである。
何でも新しいもの新しいものを求めるのも問題なのである。
今あるものを大事に使うというのも長く使うというのもコストの面でモラルの面でも必要なのである。結局そうならざるをえなくなる。
現代の消費生活はギリシャのように借金してまで贅沢するよう生活は経済学的にも破綻するということである。
医療とか介護分野でもそんなに金を使うことは経済の破綻になる。
何も介護など金をかけないでもできる。金を使えば個々人にも全体にも負担が大きくなり経済にコスト面で破綻してしまうのである。
やはり経世済民とは経済は世を治めることなのである。
何でもコストの問題が最初にありそれに納得してもらえれば世は治まるとなるからである現代とは税金の無駄が多すぎるからである。その税金が公務員に使われているとか不満が多いから世が治まらないのである。



タグ:経済学とは
posted by 老鶯 at 14:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会問題の部

認知症予防には家事をつづけること (高齢化は人類の課題として与えられた)


認知症予防には家事をつづけること

(高齢化は人類の課題として与えられた)


なぜ認知症になるのか?それを実際に認知症を家族として介護した経験からわかったことがある
一人は家事を90以上までつづけていた、一人は退職して何もしない、家事もしなかった。二人の女性を見ていたとき一人は家事をやらされて一人は何もしないのだから働かされている女性は高齢だし辛いとみるんいい役回りだとは見ない
家事もしないて三食用意される人の方が幸せだと見る
ところが人間の幸せというのは何が幸せの原因になるかわからない
人生で不幸が幸せの原因になることは良くあることである。
幸福ばかりの恵まれた人生がかえって仇になり不幸になることもある
土地もちの大地主の女性の姉妹が飢え死にしたというのもそうである。
財産があっても財産を管理できなかったのである。
もちろん金持ちだと常にその金がねらわられて殺されるということも常に起きている。
金があることはいいとしてもまたそれが不幸の原因になる
金がないこともまた不幸の原因になっていることは普通であるが金があることも不幸の原因になっていることもあるから何がいいのかわからなくなる

認知症の予防にはいろいろなことが言われる、そもそも原因が良くわからないからであるただ現実に認知症になった人をみているからその経験を基に書いている
一人は趣味もなにもなかったが家事を90以上までしていたのである
92才頃までしていて認知症になっていなかったのである。
一人は一緒に住んでいても家事をしなかった。
そして自分はいつも頭がいいと言って死ぬまで自慢していた。
それは実際に本当であり頭がいいし体も丈夫だったのである。
ただ退職してからは家事はしていない、怠惰になり何もしなくなったのである。
そのことをあまり重大なものとは見ていなかった
しかし死んでから5年とかすぎるとそれが大きな問題だったのである。

家事をすでに介護とかして7年間もしているが家事はいろいろな仕事がある。
掃除、洗濯、かたづけ、料理とか様々なものがある
金銭の管理もありこれもなかなか一仕事であり頭を使う
家事をすることはそれだけ頭を使うし手も体も使う仕事なのである。
家事はそれだけ全人間的な仕事なのである。
だから自分は家事をしていても料理を未だにできない
それだけの時間を費やすことができないからである。
そして認知症の予防には家事をつづけることだというときなぜか?
例えば冷蔵庫でもどこに何を置くとか分類整理することが一仕事になるし
それが記憶力とかなり関係していたのである。
何をどこに置くか、それをどう利用するというのは記憶力が必要になる。
認知症になと下駄箱に食器など置いたりするからである。
日々記憶の能力を使うから記憶する海馬が鍛えることになるのかもしれない
簡単な計算をするのもいいいうが具体的に体や手や頭を同時に使うのがいいのである。

それが家事にはあり家事をしないとボケやすいというのはありうると思った。
だから嫁さんに「おばあちゃんは何もしないでいいですよ、テレビを見ていて下さい」と言われたおばあちゃんがボケやすいのである。
テレビは何か頭を使わないものなのである。読書なら頭を使うがテレビは一方的洗脳のメデアなのである。
それは無意識的にもそうなっているのである。
それでレナウン、レナウンというコマーシャルがあったことを思い出した。
それは女性と会話してそのことが思い出したのである。
わすれていたがテレビではレナウン娘とか何度もそれ何百回も見ていたかもしれない
それでそのレナウンのコマーシャルのことを思い出してのだある。
とにかくテレビのコマーシャルは見る回数が多いと無意識的に記憶されるのである。
何か考えることなく一方的にコマーシャルでも洗脳されやすいのがテレビなのである。
テレビを見て何か考えるということがない、だからテレビは一方的洗脳メデアになりやすいのである。
テレビばかり見ていると馬鹿になるというのはそういうメデアの特質があるからである。


人間の幸福が何かなど本当にわからない、「おばあちゃんは何もしないでいいですよ、テレビを見ていてください」となればその方か幸せのように見える
一方では苦労して料理をするからである。でも実際は何もしないということが認知症になことに通じていたのである。
家事とはいろいろなものを分類したり管理したり絶えず仕事があるのである。
だから自分は文章を書いたり写真をとったり他にしていると頭が回らなくなるのである
人間一人でてきることは限られているのだ。
家事だけで相当に頭を使う手も体も使う仕事なのである。
だから自分は暇なく何かをしているし余裕がないのである。
つくづく人間は二つのことをこなすことは容易でないことを知った
女性の場合は家事をしないことが認知症なる危険がある
一方で男性でも退職して何もしていないと認知症になる危険があるのは同じだろう。

カルシム不足なにるのはかえって寝ているとそうなるが活動して体を動かすとカルシム不足にならないそうである。
寝てばかりいる兵士は足の骨に負担かからないので体が「カルシウムいらないのだな」と思って尿から体の外にカルシウムを出してしまうのだと考えられます
こに対して一日三時間以上立っている人の場合は足の骨や背骨に負担がかかるので体が「カルシウムが必要だ」と思いカルシウムの流出を防ごうとしているのです
(エコロジー幻想ー武田邦彦)

これも興味深い、

家事もしないと記憶を司る海馬も働かない、働かせる必要がないからだ

家事をしている女性は頭を常に働かせるから海馬が働き強化される

つまり使わないものはいらないとして機能しなくなる、workingしなくなる
それは人間の体でも脳でも社会でもそうである。
社会が活きているということはともかく活用されていることなのである。
道でももし誰も通らないとしたらもう死んだ道となる。
人間がともかく通れば活きた道となる、六号線でもだから車が通って活きていると感じる車さえ通らない道は死んだ道となってしまう。
原発の避難区域は人が住んでいないのだから全体が死んだ街になってしまった。
それでも車が通っているとそこだけは飯館村でも活きた道になっている
双葉や大熊は完全に死んだ街になってしまった
高齢化社会、長生きの時代は認知症を家族で介護したから最高の恐怖だった。
頭がいいとか最後まで言っていても実際は痴呆化していたのだから悲惨である。
だから認知症にならずに死ぬということも高齢化社会では一つの目的となる
高齢化には様々なリスクがある。簡単に死なないことがまたリスクなのである。
長生きするために苦しみが増すということも確かなのである。
ただ認知症にもならず90すぎても自分のことを自分でしている人がいるがそうであれば問題ないのである。
そのためにはどうしたらいいのかとなる。

それで家事をしない女性や退職して生きがいとか仕事がなくなる人には危険がある
原発事故や津波でも何もしないでぶらぶらしていた結果、不活発になりそれが病気にまでなったというのもそのためである。
車椅子で何もできなくなり泣いていた男性がいたがそれも悲惨なのである。
高齢化社会というのはやはり人類にとって必ずしもいいのではなく一つの課題として与えられたものだと思った。
高齢化社会を健康で有益に生きることが課題なのである。
それをみんなができないからこそ課題なのである。
高齢化というのは人類的に起きていることでありそれに対処するまでになっていないのである。
高齢化は体でもそうだが頭でもそれに対処するまでに人類は進化していないともなる
90頃まで一人で自立して健康で生きていれ人の割合が多くなれば高齢化に対応できるようになったとなる。
そういう過渡期として現代があり日本でもそれが試されているのである。

昔の女は家事の他に糸紡ぎや機織り・縫い物繕い物と
手先を動かす作業をしてたからボケにくいんだよ


昔ならいろいろ女性の仕事があったけど今は機械化したりしてなくなったこともある。
何でも機械化してロボットがするようになったら人間はボケになり一体何のための機械化だったのかともなる
だからこそ高齢化は人類的課題として与えられたのである。


タグ:認知症予防
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2015年07月16日

間や余白がない西欧化文明化された社会 (日本語の間(マ)の意味)


間や余白がない西欧化文明化された社会

(日本語の間(マ)の意味)


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物と物の間の空間は西洋のものの見方では空白でしかないのだが、日本の思想からはそこに何かがあると感じさせる。
http://www.designtope.net/mandara/39.htm

日本の大和言葉にはその国の言葉にはその国の独自の文化とかがあって生まれている。
日本人は日本語がどういう思想あるのかわからない、それを検討するのもむずかしくなっている。
それで本居宣長が大和心と唐心として日本の言葉を分けて日本人の心を知ろうとした。
その国の民族の言葉はその民族の自然の見方とか思想が反映している
日本語にもそれがあるのだがなかなかわかりにくい。
だから唐心とは今では欧米の心でありそれが主に英語になるからそこから対称的に日本語を見るのが今でもわかりやすいのである。

つまりそもそも日本人とは何なのか?日本の文化とは何なのか?そういうことをわかっている人は少ないのである。
日本の文化は中国文化の亜流だと見る人もいるし中国ではそう見ている。
でも日本人が使っている漢字と中国人が使っている漢字の意味は相当に違っている。
特に明治維新語は西欧化して日本の言葉が多くて日本人が造語したのをちゅうごくじんか使っているのである。
日本は何か造語するのがうまいのである。地歴という言葉もうまい言葉だと思う。
そういう言葉は他にもあるが適切でないものもある。
言葉でも社会が変化してゆくと言葉もすたれるし新しい言葉もできるし同じ言葉でも別な意味になってしまう。

日本語の特徴はおそらく一字の言葉だった。一字に何か意味があった。
例えばまとあるとき(間)あてたり(真)あてたりする。
ただこの真にこの両方の意味があるとなるとまた複雑になる
ただ日本語には語尾にまとつく言葉が多いことは確かである。
基本的な言葉でもヤマとかシマとかハマとかがある
マという一語でも意味がある。
間をとれとかある。でも間とは何なのかというとまたはっきりしない。
ヤマとあったらそのマとは何なのだろうとなる
ヤとは何なのか、屋根とあるから屋根をイメージする間は屋根と屋根の間なのだろうかとなる
普通だったら山を見て山と山の間の空間を意識しない、山自体一番意識するのである。
山とは連なる山であり間をおいて連なる山を意識したのかもしれない
島でもそうであり一つの島ではなくて間を置いていくつもある島のことかもしれない
日本列島の地形は連なる山であり島も多いからそうなったのかもしれない
ハマでもこれはハは端(は)であり端(はし)になる、浜はハシにある間だともなる
浜とは何らかの間なのである。須磨(すま)とあれば澄んだ間と感じるから名付けられた。間とは何か、何かほっとする何もない空間なのかもしれない


日本の原自然状態だったらそうした間が多かった、家も少ないしもちろん工場などもないし都会もないから間がいくらでもあった。
その間を埋めつくして発展してきたのが日本でありそれはどこの国でもそうである。
そもそも間というとき部屋が間というのも不思議である。
間というとき何もない空間のことだからである。欧米的には部屋は実用として役にたつものとしてしか意識しない
誰々の部屋とか何を置く部屋とか何に使う部屋とか実用として役に立つものとして家があり部屋がある
それは何でも都市でも用あるものとしてすべてがあり間という考え方がない
間をとるという考え方がないのも不思議である。
space というときspaciousとなり空間なのだが空間が贅沢だという意味がある、宇宙が空間として認識していたことは共通性があるのか?
ただ間という感覚はない、ただ広いということは贅沢だという意味はあった。
でも間という考え方はない、間とは物と物があってその間となるからである。
blank space 余白となるとblankという意味は否定的マイナスのイメージである。
間というとき何か履歴書でもブランクあるなとなると評価されないのである。


間という考え方は日本的なものなのかとなるとすでに中国では無用の用とかの思想があり有名である。それとにていることは確かである。
無用の用とか余白を重んじることは東洋的なものである。
それが最近感じたことがパソコンの画面が正方形で余白のない古い型のものを使っていてわかった。
横に画面が長いと余白が生まれる、その余白が作業しているとき何か余裕をもたらすのである。
ぴっちりとして正方形の画面で作業しているとまさにそこは実用しかなくなる。
一見これは何でもないようで精神に影響していた。
つまり余白がないと何か正方形の画面が実用だけとなり心の余裕がなくなるのである。
その余白は無駄なものではなく無用の用として必要なものとして東洋の思想があった
それは時間にあてはめてもそうである。一時間でこなす仕事でも必ず一時間ぴったりで終わることはないしある程度の時間の余裕をみないと仕事もできない
だから一時間で仕上げろというと人間は余裕をもって仕事ができないのである。
文章をこうして書くのにも3時間で書き上げろと言われてもその前に準備が必要であり
時間の余裕が必要になる。
そして改行して間をおくのも文章を理解するのには役立つ
文章でも話すにしても間が必要なのである。
落語家は間をとるのがうまいというときやはり日本の間の文化がある。床の間もそうである。


最近は家事とか介護に追われるからその余裕がないのである。
それは自分だけではなく間とか余白とかもてない欧米的効率社会になった。
そういうことができるのはまさに機械が適している、人間はそんなに効率的にできないのである。
人間が効率化するために機械に合わせるような世界では人間の心は疲弊するだけだとなるもちろんそれに適合しているのが文明人である。そういう歯車のようにさせられるのが学校から文明人として強いられる。
そういう文明の時間から離脱するとなるアウトサイダーのようなものに社会からはずれたものとなる、そういう生活をするとなる山尾三省のようになる変わり者とされてしまう。ともかくデジタル化すると一分刻みで時間に追われる。
その一分の重みを知ったのは新幹線とか電車にのるときである。自分の時計が一分遅れていたのである。その一分の遅れが致命的になる。
新幹線の時間に間にあわなくなったりする。仕事でも一分刻みで仕事させられている人が工場などにいる
つまり時間でも間をもていなのである。その間をもてないことから文明人は常にギスギスしてイライラしているし心に余裕がないのである。
だから間に満ちていた時代は江戸時代でも日本人はいい顔していたとヨーロッパ人が見たときそれは貧乏でも時間の間が多く空間にもいたる所に間がある社会だったからとなる。
posted by 老鶯 at 20:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本(世界)文化文明論

2015年07月15日

君が代は日本の土着的な誇るべき歌 (磐をイメージして聞くべき歌)


君が代は日本の土着的な誇るべき歌

 
(磐をイメージして聞くべき歌)

 
君が代の歌詞は古今集からだとすると古い。
曲は明治になって雅楽を基にして生まれたとなると日本的な伝統から生まれた音楽となる雅楽はなじみがないし宮廷の貴族だけが楽しむようなものだと思っていた。
ただ宮廷だけでもそれが音楽として伝えられるものがあったとすると日本の伝統である。貴族はいろいろ批判されるけどやはりその国のモラルと文化を作ってきたのである。
マルクキシズムになるとそうした貴族階級の否定になるから文化も破壊されるのである。中国の文化革命がそうであり文化の破壊であり実際に中国の文化財が破壊されたことでもわかる。
日本でも武士階級が批判があってもモラルと文化を江戸時代に作ったのである。
江戸時代には仏教は侍の下部組織となって役所のようになってしまった。
江戸時代のモラルは武士が作っていたのであり寺は戸籍などを管理する役所になっていたただ武士道というのは江戸時代にはなかったというし古い武士の出身が武士道を否定しているのもそれだけすでに武士道はもうどんな武士の出でも何も受け継がれていないのが現代である。
この辺では野馬追いがあっても武士道というものはない、ただ祭りとなっているだけである。


武士道というときやはり剣道とか柔道とかに受け継がれている。それは姿勢を真っ直ぐにするとか真直な道の追及なのである。
空手でも武士道が何か受け継がれている。ただ確かに道とついてはいなかった、剣術であり柔術として江戸時代にあったという「心の青雲」の著者の指摘がある。
何か術となると精神性がない感じになる。
いづれにしろ日本の歴史は江戸時代の300年がありその時代につちかわれたものに純な日本があったことは確かである。
ところが明治になったときその江戸時代にあったものが何でも変えられたのでわからなくなった。
でも明治にかえって漢詩が一番興隆したとかなるから日本の伝統的なものが江戸時代から継続したものが明治になって新たなものとなって復古したのである。
歌舞伎などでもそうらしい、明治に新しく作られた歌舞伎なのである。
なぜそういうことができたかというと明治にはまだ色濃く江戸時代に培われたものが残っていたのである。
一葉の文学でも古文調でありあのように大和言葉が古文調が残っていたから明治になり独特のものとして小説が作られた。
つまり和魂洋才であるが和魂があって大和心があって唐心があったようにまず和魂がなかったら洋才もありえないのである。
その和魂が明治にも根強く残っていたから明治は文化の興隆時期だったのである。

だからキリスト教にしても内村鑑三の武士道キリスト教とか戦後では手島郁朗の神道的キリスト教とかが主張された。手島郁朗氏については理解しにくいにしても何か日本の伝統的なものを受け継いでいたのである。
そもそも明治維新が複雑でわかりにくいにしろ江戸時代300年に培われたものが西欧文明の挑戦を受けて日本の伝統に根ざしたものが維新した、改められた時代だったのである。その後はその江戸時代に培われた日本の伝統が失われた時代だった。
だから日本とは何なのだろうとまた古きをたずねて新しきを知る、温故知心の時代になったのである。
国の歴史となると明治維新だけをみる人が多いがそもそも江戸時代の前から戦国時代から継続が歴史だというとき明治維新もまたそこまでさかのぼって考える必要が出てくる。
つまり安土桃山時代にキリスト教を導入していればどうなっていたかとなる。
その時明治維新と同じように日本は400年前に西欧文明と対峙することになったからである。それを拒否して鎖国したから明治維新があったとなる。
太平洋戦争の原因もそこまでさかのぼることにもなる。
そういうふうに国の歴史となると長い目で見る必要がでてくるのである。

君が代とは

我が君は 千世にやちよに さゝれ石の いはほと成て 苔のむすまて(題知らす/読人知らず)

歌詞としてはここから出ている。でも曲はどうしてできたのか明治以降にできたのである雅楽から生まれたというときやはりそこに日本の伝統が継続されて生まれたから意義あるとなる。
ただ君が代は天皇とは限らない、日本民族の継続せんとする歌だから国家にふさわしい。君が代には思想性がある。他の国家のように単純なリズム的なものではなく土着的なものがこの歌からはひびいてくるから荘重なものとなる。
バッハの音楽がゲルマンの森にひびきわたるように荘重なものがある。
音楽というと今ではリズムであり何か思想性があるものがなくなった
文化とは常にcultivate-cultureであり耕すものなのである。
それには土着的なものがないと生まれないのである。
明治には江戸時代の土着的なものが根強く残っていたから和魂洋才として日本の文化も華開いたとなる。
なぜなら現代の創始者をたずねると明治にはじまっているからである。
そして明治からすでに140年とかすぎて戦後70年もすぎるとまた日本の変革期復古期になったのである。
精神的にもそうだて現実の外交でもやはり自立が強いられるから戦争への準備だと安保改革が批判される。
アメリカも日本を守らないし中国が巨大化して日本はまた孤立化して太平洋戦争のような状態になりやすい地政なのである。
とにかく君が代は

千世にやちよに さゝれ石の いはほと成て 苔のむすまて

磐を歌うものだから磐の心を知らないと感じない、国家的なものだけではない千歳の磐を歌うものだからである。
自分は磐の詩を百編書いたからまさにこの歌にシンパシィーを感じたのである。
君が代は天皇をイメージするのではない、千歳の磐を像としてイメージする、磐の持続性、忍耐とか人間の精神化されたものとしての磐である。
これは磐だけではない山にも通じるものである。
山とか磐に通じる荘重な思想性がある音楽なのである。だから君が代は日本の国歌は誇るべきものだと思った。
もちろん自分は音痴であり音楽はわからないにしてもこの君が代はシンプルだからわかりすいいのである。
音楽もやはりその国であれ地域であれ土着的なものとして結びつくと荘重なものになる。日本ではそれがないのだがこの君が代には単純だが土着した荘重なものを感じるのである
natinal fundmental deepend and rooted songなのである。
だから君が代を歌うとき日本人の誇りが満ちてくる、それが天皇を讃えるということで君が代を批判するが歌と曲そのものはこれ以上国歌にふさわしいものはないのと思う。

タグ:君が代
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2015年07月14日

津波で失われたものに木陰があった (右田の松原は消えて木陰ないので行けない)


津波で失われたものに木陰があった

(右田の松原は消えて木陰ないので行けない)


今日は朝から暑かった、福島市で40度に一時なっていたから記録的な暑さである。
ただ福島市と南相馬市は温度でも相当違っている。
浜通りは浜風が吹くから涼しいのである。
それでもここも今日は異常に暑かった。こうなるとやはりクーラーが自分の部屋にないといられなくなる、自分の部屋は二階にあって隣のトタン屋根が焼けて三度くらい暑くなるから余計にいられなくなる
そして思い出したのがいつまも右田の松原の日影で休んでいたことである。
松原が長く影になっていて海から風が吹くから涼しいのである
今になると日影になる場所が海辺には全くない
他の人も日影になる場所がないと言っていた。
これもまた津波で失ったものだったのである。

木陰というとなんでもない当たり前にあるもののように思っていた。
木陰は木がないと木陰にならない
その木がないのだから木陰にならない
そしてその木というのは簡単に作れない、成長しないのである。
それで確かに土盛りした高台に樹の苗をボランティアとともに植えた
でもその樹が育つのは50年後とかなってしまうだろう
そもそも右田の松原は江戸時代からあったのか?
百年は軽くすぎている,比較的太い松が多かったのである。
松川浦の松は年月が浅いから細い松林だった
だから右田の松原は貴重だと思っていた

もともと松原は人工的風景だったのである。
自然林ではなかった、そして松原は根が強く張らないので津波に弱かった
混生林だったら自然林だったら津波に強かったし点々と残っている樹は松は一本もないのである。
松は津波に弱いものだった、竹は強く根をはるから津波に強くそれで津波が遮られてよわめられておさえられて助かった所もある
松原といのうは津波を全く想定していなかった
それは海側を干拓して潮風を防ぐ防潮林として人工的に作られていた
ただ不思議なのは慶長津波(1611)の後の20年後くらいに津波の跡は塩田化して利用されたただその時田としても干拓した地域が仙台平野にあった
「潮入り」とかの地名は津波の跡がなお残っていた土地らしい
松原が日本にこれだけ増えたのは慶長時代の津波の後から大分たってからだろう
それは百年くらいたってからかもしれない
その時津波のことなど忘れていた。米をとるために防潮林として松原が作られた
それは自然と調和した光景のように見えていた
実際松原は日本の自然の風景となっていた

それにしても今回の津波で松原が喪失したことは驚きだった
なぜこんなうふうにてったのか今も解せないだろう
それは人間が悪いとも思えないからである。
ただ問題は松原が作られたのは日本では土地がないから海側に干拓したことが原因になっていた
松原が作られたのは稲作するために干拓したことがそもそもの原因だったのである。
それは日本は土地が狭く田んぼにする土地がないから海側を無理して干拓したのである。それは日本の風土の宿命というべきものだった
日本が満州に進出したのはやはり満州という広い土地で稲作するためだったのである。
満州は寒いから稲作には適していない後日本人は米を作ろうとしていた

その米を作ることがまさに日本人の業(カルマ)となっていたのである。
だから今になって米が余っているということは当時の人からみたら想像もできないことである。
減反政策など想像すらできないことである。
干拓とか海を埋め立てするかとかは自然に逆らうことだった
そういう無理が大きな自然災害を生んだのである。
文明は自然に逆らうことである。
原発事故でも実際は自然に逆らうことであった。核を分裂させて放射能の毒をもたらすからである。
自然には毒はもともないのである。
文明の災禍はこれからも大規模に起きてくる。人間の技、業(カルマ)なのである。
その業(カルマ)をとめることができないからまた災い(技わい)がとめられないのである。
いづれにしろ50年後に樹が成長してその木陰でまた休んでいたい

50年すぎて木陰に我はまた休みてあらむ海風涼しく

右田浜松影涼し昔かな

生きている内にもう木陰休むことはできない、でも30年くらいたてば木陰ができているかもしれない
それにしてもその歳月は長い、この津波の復興は20年たっても以前としてできない
それだけの長い時間が必要になってしまったのである。
タグ:松原
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立葵(抽象画)


立葵(抽象画)


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これも一つの抽象画になる、自分は花をテーマにしてきた
立葵としての花の変化したものに確かに見えるのである
タグ:立葵
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2015年07月13日

土着的なものになって文化は興隆する (「心に青雲」には土着的なものが欠如している)


土着的なものになって文化は興隆する

(「心に青雲」には土着的なものが欠如している)

「『鎌倉仏教』は、日本の土着世界観の幾世紀もの持続に、深くうち込まれた楔であった。」(280ページ)、「土着世界観の著しい特徴の一つ、抽象的な全体の秩序へではなく、具体的な部分の詳細への鋭い関心……」
 http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/taguchikosou.htm
 
仏教は土着的ではない、一つの思想でありそれは世界的に通じる普遍的な理論である。
だからはこそ国が変わっても通じるものがなりそれが中国的なものとして土着して
韓国的なものとして土着して日本的なものとして土着した。
日本でも時代が変わると鎌倉時代には武士の仏教として禅を中心に土着化した。
土着化するということはまさにその土地と一体化することなのである。
ゲルマンの森と大地と一体化してゴシックの石の大聖堂が作られた。
土着化とはその土地と自然と一体化することなのである。
宗教にはそういうことがあったがマルキシズムは世界的普遍的なものとして受け入れられるたとしてもそれが土着化するということはなかった
一つの科学的理論と同じである。それは民主主義とか資本主義とかも主義でありそれが土着化するということはなかった。
ただ資本主義のはじまりが北のドイツなどの修道院からはじまったというときそれは宗教的なものとしてはじまった。
神に奉仕するということで勤勉の哲学がありそれはエトスとして庶民にも共有された。
日本でも武士の精神は武士道は庶民にも影響していたのである。

そもそも民族とか国というのは必ず土着化したある地域からはじまっている。
日本の民族の国のはじまりがヤマトだというときそれは奈良の一地域にヤマトがありそこが国のはじまりだったのである。

抽象的な全体の秩序へではなく、具体的な部分の詳細への鋭い関心

奈良が山に囲まれているというとき「やまとはくにの まほろば たたなづく 青がき 山ごもれる 大和しうるはし・・」その青山でありその山でも個々に山がありその山と一体化してゆく。万葉集もそうした明確な像となるオブジェクト、対象があって歌われたものである。
まだ架空のもの、詩のように空想化されたものは歌われていない。その土地の像と不可分に結びついていたのである。
日本人の精神の源流として山自体が信仰の対象となる、三輪山がそうである。御神体が山なのである。つまり抽象的なものではない、山とか石が御神体になるのである。
これはユダヤ教とかイスラム教とかキリスト教でも偶像崇拝とはなる。
それ自体を神として崇めることには問題がある。
ただ山とか石とかがもっている原生質を人間が精神化するモラル化することは別に偶像崇拝でもないのである。仏像でもそれを神ではなく精神的なものの表象として見れば偶像とはならない、ただ常にどうしても人間は偶像崇拝に陥るからそれを厳しく戒めたのであるカルト教団でもほとんど教祖が偶像化していることでわかる
具体的なものとして人がいないと理論だけでは庶民でも理解できないからである。
だからつまらない人間でも現代では偶像化しやすいのである。
特にマスメデアは常に偶像を作り出しているからである。
それでイスラムではテレビとか写真に人間の顔が写ることを拒否することまでしているのである。

「心に青雲」の著者が像で考えろというときまさにその具体的な像がないと人間は実感できない、ところが都会になると山もない樹もない、石もない、自然がなくビルだけを見ていたらどういう像が形成されるのかとなる。
都会に土着的になるものがない、それは仙台でも都会化東京化すると土着的なものはなくなる
だから仙台には賢治とか啄木のような土着的な詩人が生まれなかったと言う人もいる。
つまり詩人は芸術家でも土着的でなければ詩も絵にもならないだろう。
毎日高層ビルを見ていても深い精神性は養われない、ただそこにあるのは損得を毎日計算しているビジネスマンがいるだけだとなる。
「心に青雲」の言っていることはまともなのだけどでは純なる日本はどこにあるのかとなる。純なる日本はやはり日本の自然にあり神道はその純なる日本の自然にあった。
その大和言葉にあった。
罪(つみ)とはつつむでありつつみかくすでありつつしむとか日本の自然は余りに美しいのでその自然に罪をつつみかくすということがあった。
それは犠牲の小羊で血を流して罪を清めるという文化とはあまりにも違っていたのである日本ではそもそも馬とか牛とか羊がいないと魏志倭人伝にあるように動物を犠牲にするという文化がないかち理解できないのである。

「心の青雲」でしきりに徴兵制を復活して若者を鍛えなおすべきだというのもわかる。
やはり人間の精神形成は30代までほとんど完成してしまうからである。
青春時代を放蕩していたりしたら何らもはや人間的な精神形成が不可能になる。
青春時代を浪費することはそれはのちのちまでたたりとりかえしつかなくなるから怖いのである。
ただそういうふうに青春時代を思う人はまれである。
青春時代がいつまでもつづくと思っているのが人間でありそれは世代が変わって変わらないのである。
青春時代はたちまち過ぎて老人になっているのが人間なのである。
青春時代に精神形成ができてそのあとは何か余祿みたいになるのが人生なのである。
ただその後も紆余曲折があっても青春時代に悟り突破するものがあれば確かに精神を病むとかなくなるのは確かである。
「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ」である
人間は一度狂わなければ逆に狂ってしまうのも人間なのである。
吉田松陰が狂いと言ったのは正しかったしそうしなければ乗り切れない時代だった。
ただその狂いもただ狂っていたのでは効果はない、的を得ないと本当に狂気になって終わる。

ともかく青春時代はいろんな面で二度とない、自分もカルト教団などで青春を浪費したが自分が追及していたのは権力などではなかった。でもカルト教団はすでに世俗より俗世化したものだから権力御利益しか目指すものがなかったのである。
精神形成として若者を鍛えるべきだというのはわかるがそれが国家のために戦争の時のように仕向けるのには疑問がある
別に国家を第一にしなくても精神形成とか求道はありうる。
ただ国家に奉仕するのが生きる目的でもないからである。
国家的ヒロイズムとしての「心に青雲」の主張は疑問がある。
アレキサンダーの時代ならそれもあっても現代の戦争は全く違ったものでありただ人間の無駄な殺戮だけあり人間が殺戮マシーンになっているだけだとなる
日本兵は確かに粗末な食でも戦場で耐えたということはわかる。
その苦労はなみたいていなことではないし今の飽食の日本人には耐えられないことであるでも実際に従軍看護婦をした人が家族にいたので聞いたがもう耐えられなくで病院の窓から飛び下りたとか自殺した人がかなりいたのである。
それほど過酷だったのである。
だからそういう日本兵をみんな英雄視できるかは疑問なのである。

そして教育にしても土着性が喪失した結果として荒廃がある。
それは明治維新後急激な過度な富国強兵の欧米列強に伍するための中央集権になったからである。
廃藩置県というのも今になると土地の土着性を無視した結果であり問題が起きている。
やはり土地に根ざして人間の精神が形成されるというとき江戸時代の方が貧乏でも人間の精神はまともだった。
教育でも武士が中心でも藩校とかあり土着的でありそこから明治維新の逸材が生まれた。明治維新には混乱して評価が定まらないがやはりわれだけ若いのにあれだけのことをやれたという驚きがある。
今の若者でも団塊の世代でもそうしたことをまねてもできない、全学連などは全く腰砕けで終わったからである。

団塊の世代はその後はただ企業戦士として高度成長時代を築いたのである。
ただこれは評価されないし若い人の反発をかっているだけだとなる
戦後70年たって国際情勢でも変わったし国内でも変わったから教育にしても何でも変換を求められている。
今回の津波とか原発事故もそうした変わり目に起きたのである。
つまり復古というときやはり日本の土着性の復古でありどうしても都会的な所から起きてこない
仙台が何か東京化しているから土着的なものを喪失しているから詩人が生まれないというときそうである。
自然がないと土着的な創造は生まれないのである。
その土着的なものを破壊したのが原発事故でもあった。
第一次産業があって土着的なものが育まれるからである。それがなくなったらどうなるのかということを書いてきた。
田んぼがない田園社会がイメージできなくなったということである。
東京のような大都会だと田んぼがもともとないのだから米がどうしてできるのか像として具体的にイメージできないのである。具体的な像となるべきものがないのである。


タグ:土着の思想

夏の花四種(詩とエッセイ)


夏の花四種(詩とエッセイ)

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合歓の花が向こうに咲いている

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写真でこのように見えたが肉眼では見えなかった
写真でないと見えないものがかなりある
花は特に近づいてとると見えないものが見えるのである。


夏の花四種

合歓の花は高みに咲きて風そよぐ
立葵は健やかに伸び咲きて
藪甘草は故郷の山む向き咲く
その赤心の花は土着の花
夕暮れ匂うは貴婦人のラベンダー
高雅なる紫色の衣ににて

花にもいろいろ個性がある。不思議なのはこの四種類の花でも合歓の花は外来種である。合歓の花はベトナムのフエの王宮では街路樹になっていた。

ベトナムの王宮たずねあわれかな合歓の花みな散りし後かな

ベトナム辺りでは美人を連想するときは合歓の花になるのだろう。他に南国だからいろいろ鮮やかな花が咲いていた。

伝統的にハーブとして古代エジプト、ギリシャ、ローマ、アラビア、ヨーロッパなどで薬や調理に利用され、芳香植物としてその香りが活用されてきた
ラベンダーも外来種であり香りが珍重されたことは今に通じている。それは何か貴婦人の高雅な香りなのである。
花にもいろいろあるがこのうよに外来種が多くなったのが現代である。

このなかで藪甘草は土着的な花である。だから野馬追いとかにもあっている。

青田中行列行くや藪甘草

今年は青田が増えたからそこに藪甘草が咲いて野馬追いの行列が行く
野馬追いでもそうだがそもそせ祭りは土着的なものから生まれた
土着的なものがないなら祭りではない、祭りはそれだけみんな古いからである。
それで仙台になると何か東京のように土着性がなくなる、都会化し郷土史に興味がもてないし土着的な文化が生まれないというのもわかる。
賢治とか啄木には土着性があったというのもわかる。
啄木の場合は土着的になれずに終わったが土着的なものをあの若さでもっていたから故郷を偲ぶを歌を残したのである。
二人とも天才であり本当の土着性となると三野混沌とかの本当に土とともに生きて死んだ人になる。
この辺は海があっても高い山がないから故郷の山というとイメージできない
山でもいつも高い山を見ていると心に影響する。
この辺はそれがないからものたりないのである。

ともかく昨日は暑かった、ぐったりした。暑さにも弱いから暑いところは寒い所に住みたくないのである。
浜通りは暑さと寒さが極端でとないから気候だけはいいから老人には気候では適している最近異常に暑くなっているから南とか暑い地域には住みたくない
沖縄の方が涼しいというのも異常である。沖縄では海に囲まれているから32度くらいまでしかならないのである。
それでも暑いが35度になるともう住みたくないとなる

タグ:立葵

2015年07月12日

紫外線も適度に必要 (人間は風土から作られるー原発事故にも関係していた)


紫外線も適度に必要

(人間は風土から作られるー原発事故にも関係していた)


●白人の肌は少ない紫外線を吸収するために白くなった

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北海道は紫外線をこれだけ多くあびねばならない
それは緯度が同じ西ヨーロッパとかと同じだったのである


日経のテレビで紫外線が有害ではなく体に必要なものだということを科学的に立証したと研究者が言っていたのは興味深い。
ヨーロッパなど寒い地域の人たちが肌が白いのは紫外線をあびる量が少ないからだという肌が白いということは科学的には紫外線を吸収しやすくしているのである。

人間の皮膚の色はさまざまです。それは黒褐色のメラニン色素のためで、メラニンが多いほど肌の色は黒くなり、紫外線に対して抵抗性があります。白人では紫外線を浴びても赤くなるだけで、あまり褐色になりません。日本人は赤くなるとその後数日して褐色になります。黒人は紫外線をあびるから黒い肌になった。その風土の中で黒い肌になり白人は白くなった。

最近くる病により頭蓋骨全体が軟化(頭蓋癆)が増えている。
女性が紫外線をあびけいないのでビタミンDが不足している。それで骨が弱くなっている
母体が幼児に影響するからタバコを吸っている女性は気をつけろとか言われる。
人間はその風土に適応して体がつくられてゆく、それは何千年という長い間の中でその風土に見合ったものとして作られてゆく
だから欧米人は肉食が基本だとするとき肉を消化する酵素が胃からでる。日本人は穀物を消化するために腸が長くなった。
だからそもそも日本人は米など穀物中心のアジアは肉食が向いていないとなる。
原発事故でもチェルノブエリではヨウソが不足しているから甲状腺癌になった。
日本ではヨウソを海草類からとっているからヨウソ不足にならないから危険をまねがれるということが言われた。それも風土の差だった。
欧米人には白人には皮膚癌が多い、日本人には少ないのである。
癌の種類でも欧米化して食事が変わるともともと少なかった癌が日本人に増えている。
前立腺ガンなどは少なかったが増えているし他にも大腸癌とかも増えている。
それは明らかに食事が欧米型になっ結果である。

そもそもその土地に風土に適応して生きてきたのが生物である。
人間も生物なのだから当然そうした影響を受ける。
グローバル経済というのは一見いいようでもそもそも風土は別々でありそこに育まれる育つ食料でも何でも違っているのである。
日本では牛肉とか豚肉を大量に食べるようになった。果たしてそれがいいものだったかどうかそのために欧米型の癌が増えた。
肉を消化する酵素がアジアでは出ないということは肉食は向いていないのである。
学問の基礎はこれは科学的なものとして証明したのだが他の科目でも共通したものがある学問の基礎は風土学にあった。その土地土地のものが食料でもありその土地にあった食物が育つように地球ではできている。
文化もだからその土地を耕すものとして生まれる。その土地から離れて文化もありえないグローバル経済は何か世界を何でも一様化することなのである。
科学とか数学とかはそうなりやすい、それはグローバルなものとして共通言語になる
言葉でも共通にはなりえない、例え英語でも英語には英語が生まれた文化的背景があり
それは数学のような記号ではないのである。
だから当然英語を使えば英語圏の文化の影響を受けるのである。
人間が国内でも日本では多様な世界だった。それが言葉でも方言がなくなったら地域性もなく言葉のあたたかみもなくグローバル化した世界のように無味乾燥になってしまう。

●学問の基礎は風土にある

原発事故でもそうした地域性とか風土とかが原因になっていた。
アメリカでは竜巻で度々被害を受けていた。それで竜巻を想定して頭にあるから電源を地下にした。まずフクシマ原発は最初に原発が作られたのでアメリカの指導によって作られたからである。アメリカでは日本の風土を地震が多いと津波のことを想定しようがなかったのである。
ただアメリカでさえ東部にほとんどの原発があり西部にはなかった。
それは西部では太平洋岸沿いは地震が起きているからである。
つまり自分の国内なら安全をやはりアメリカでも計っていた。
ところが外国になると無責任になる。それは外国になれば誰も自国を本気になって守らないと同じである。
アメリカでも日本が中国と戦争になれば本気に守らない、死んでまで犠牲になることはない、それよりかえって中国と日本を戦争させて利益を得たいというさえなる。
それが国際関係であり外交である。漁夫の利を得たいとなる。ロシアは常にそうであった誰も他国を命をかけてまで守ろうとはしないのである。
国もそうだが個々の家だってそうである。家を守るものは家族しかいない、だから家の中に入って働く人は一番危険になる。
そもそもその人たちは家のために働くといっても金のためにしかないのだからその家のために尽くす動機がないのだから危険なのである。
その家から奪ってやろうという気持しかないとしたら油断できない、いつも看視している他なくなる。それで家で働く人は問題を起こすのである。
ベビーシッターでも他人の子をまかせたらそうなる


それは国と国の関係にもにていたのである。原発でもアメリカは古い原子炉を売ってもうけたくて日本にすすめたとかある。
それは外国になるともうければいい、事故になってもいいとかまでなってしまうのである一体そもそも国であれ家族であれ守るものは誰なのか?
それは個々人でもそうである。自分を守るものは他人なのか?
例えば健康でも自分を守るものは自分しかいない、だから節制しないと病気になることはわかっている。病気が怖いといっても医者や看護師が全部直してくれるわけではない、
基本的には健康も極力守れる範囲で自分で守らなければ守れないのである。
地域にしても故郷にしても守るのは誰なのか?
東京電力はフクシマに原発を作ったのは自分たちの安全を計るためである。
フクシマが事故になっても東京は離れているから安全だとなる
つまり地域を守るもの故郷を守るものもそこに住んでいる人しかないのである。

●国でも地域でも家族でも自分でも守るのは誰 か

ある人が見栄で借金してその借金を他人になんとかしてくれと借りにくる。
その額も事業に失敗したので大きい、それをなぜ他人に頼るのかとなる。
それもこっちも苦しい病気のとき要求してくる。
相手が弱ったときチャンスとなり弱ったとき攻めてくる。
まさにこれは外交であり国際関係であった。それは戦国時代と同じである。
弱みを見せればつけこまれる、火事場泥棒にもあうのである。
だから外国に他人に頼るのは極力しないようにするのが基本である。
それは原発でも同じだった。アメリカに頼りすぎて日本の技術がないためにそうなった。アメリカの言う通りになったのが危険たったのである。
防衛面でも今やアメリカにだけ頼る時代ではなくなった。
だからそこで戦後70年とかで大転換期になった。
軍備を増強するとかではなく何か日本の自主性を日本を日本で守るという精神の復古が必要になるから右翼が台頭する時代になる。
そこにはまた戦争の危険性がある、ただ戦争も良しともするのもやはり時代の反映なのだろう。
そもそも日本人の心として日本を守ろうとする気概すら消失しているからである。

ただ戦後70年は経済の豊かさの便利さの追及しかなかった。
日本は危機的状態から守られてきたのである。それはアメリカが良きにしろ悪しきにしろあったということである。
ソビエトの冷戦時代も終わり日本はまた中国とかアメリカとかロシアの中で独立路線を進となると戦争になると孤立するのである。
紫外線の問題は科学的なものの専門分野としてある。
でもそれを深く追及してゆけば風土の問題とか全体の問題になる。
グローバル化して白人はアメリカなどに住むようになった結果、紫外線をあびすぎて皮膚ガンが増えた。
日本人も肉食化して大腸ガンとかその他の癌が増えてくる。
人間はやはり風土の問題とか地域の独自の成り立ちとか歴史を無視できないのである。
それは理系とか文系とかではない総合的な問題として考察すべきなのである。
だから原発はただ科学だけの問題ではないその土地の風土と郷土史とも関係していたのである。
そういうふうに総合的に見る目が文明から欠如している。
まず文明全体とかみれる人などいないからである。
文明の災禍はそうして全体が見えないからこそ起きてくる
原発自体だってそれにたずさわる人さえ全部を知りえる人などいないからである。
原発の問題はさらにその土地のこと風土であれ全体を知ってこそできるものだった。
そういう全体の視点が喪失していたから事故になったのである。


タグ:紫外線
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2015年07月11日

石巻の歴史 (東北の港でもあり様々なテーマがあった)


石巻の歴史

(東北の港でもあり様々なテーマがあった)



雄勝の硯
この石は玄昌石(げんしょうせき)とよばれています
http://www.mediaship.ne.jp/~elsoshu/my%20home%20p/suzuri.htm


ほまち

「帆待ち」「外待ち」と書く。
このあたりでは「ほまちかせぎ」と使われることが多く、「ほまづ」と濁ります。方言ではなく、国語辞典にも「出帆を待つ間の船頭さんの稼ぎ」「臨時の収入」「へそくり」と載っています。多く東北地方で言われてきた言葉と但し書きがついて。相馬に行くと「小遣い」「駄賃」の意味となるそうです。
 http://archive.ishinomaki-support.com/index.php?gid=10161

この難破船事故の積荷には仙台藩の城米が主力では有ったのですが、その他には荒銅、堅炭、辛子、大豆、和薬等も積んでいたのですが
http://red.ap.teacup.com/hangui/1498.html

仙台藩は 石巻、 気仙沼などの良港にめぐまれ あわび ふかひれ
などの高級海産物を長崎を通じて 輸出して 外貨を稼いだ。 さらに 鉄、
金などの鉱山を持っていた。 仙台藩の経済力は 幕府にとっては 脅威
であった。


石巻の人がしきり言っていたのは「雄勝の硯」のことだった。この職人の一団が住んでいたところに津波が来てその職人の一団が死んで困ったという。
スレートという材料が出てこの硯の歴史は相当に古い、それで石巻から江戸に出していたのかと思ったらそういう記録はない、すると伊達藩とかで使われていたのか東北中心に使われていた硯だったのかとなる。
スレートでは新しい東京駅の屋根に使われたとかテレビで放送されていた。
石巻で興味をもつのはそこは東北の港ともなっていることだった。
北上川は平泉に通じてそこからいろいろな品物が運ばれたと言われる
特に名古屋の常滑焼が多いのである。
他に象牙などはどういう径路で入ってきたのか未だに謎にされている。
江戸時代は北上川が交通路になり盛岡の方まで通じていて物資が運ばれた。
だから石巻は東北の港とも言える、一伊達藩の港ではない、そこも魅力なのである。
石巻の港には南部・八戸・一関といった東北諸藩の蔵が次々と建てられ、
だから穀町とか千石町とかの地名がある。主に米を積み出したからである。

 
彼は、薩摩藩士で安政年間に東北を歴訪し、見聞をもとに『東北風談』(風譚とする写本もあり)を著し、東北諸藩の藩政と海防について的確な批評をした。
肝付兼武は仙台について、広い平野に水田が広がり、諸藩に冠たる米の大産地だが、米以外にみるべき産物がなく、およそ衣服器材はみな他国に求めている、と産業の実情を述べている。
 これ自体、現在にも通じる宮城の産業構造を的確に捉えているが、もっとビックリするのは、次の民情の批評だ。
 http://plaza.rakuten.co.jp/odazuma/diary/200604020000/
 
江戸に送られたのは主に米であり江戸の米相場まで左右したというから仙台米はそれだけ江戸で食べられていたのである。
北上川沿いとか仙台平野は米倉となった。それは広いからそれだけの米がとれたが米ばかり作って飢饉のときに米がとれなくなり苦しんだとなる。
コーヒーだけ作っている国が飢饉になれば苦しむのと同じである。
米は商品作物となっていたのである。

もう一つ面白いのは鋳銭場があったことである。仙台藩で経済が困窮したとき「寛永通宝」が作られた。それによって一時的に藩の財政を支えた。
でもそのことが日本経済全体に影響した。これも何か経済学のテーマだった。
ここから探求すれば一つの論文が書けるだろう。
つまり学問は必ず一つのテーマをもって追及することからはじまるのである。
そういうテーマは身近にいくらでもあるのだが見いだされないだけなのである。
海の民、漁師の影響は日本では海に囲まれているのだから古くからあった。
「ほまち」というのが帆待ちから来ていたのか?
シケているというのは海が荒れているということで伝わっていることはわかる。
他にも漁師の言葉が他にも伝わっているのである。

石巻はいろいろ探求することがある。
そこで聞いた話で自分の母親は山形の人で北海道に船に向かう途中船酔いで石巻におりてそこで嫁になってしまったという。
これも嘘のような話だが人間の運命はみんな数奇なものなのである。
どうしてその人と結婚するようになったかとなるとそれも数奇であり不思議としか言いようがないことが多いのである。
特に戦後になると広域化して全国の人が交わり結婚するからこういうことも今ではめずらしくなくなったことでもわかる。
ただ石巻は港であり他国の人の出入りが多いからそうなりやすかったことは昔からあったことはわかる。

石巻に関してのネットの情報はかなりある。、仙台藩についてもあった。
やはり大藩だから歴史の集積があるからそうなる。
ただ広すぎてなにかしぼれないということで仙台では郷土史に興味を持つ人は少ないとなる。
でも石巻とかにしぼればそこから興味が広がるのである。
仙台はどうしても大藩だから東北とも関係して江戸とも関係して全国的に伊達政宗の時代からなっていたのである。
伊達政宗にしてもその歴史の裏話としては伊達政宗だけが脚光をあびるが伊達政宗によって滅ぼされた武家もいる。葛西氏は石巻を支配していたが伊達政宗に滅ぼされた。
その逸話も残っている。月鑑斎(げっかんさい)などもそうである。
相馬氏は伊達政宗に滅ぼされなかったのはなぜかというのもまた歴史のテーマになる。
石巻から登米(とめ)には行ったことがないのは鉄道が通っていないためだった。
行きたいと思っても行けないのである。車がないと行けない場所だったのである。
自転車で旅するにしてもそれは一部しかできないからぬける所が多い
鉄道が通っていれば何度でも行けるのである。

葛西氏の伊達に追われて殿入沢逃れざるかなここに果てにき
鉄道の通じざるかな登米遠くなお行かじ我が齢も尽きむとすも
万石浦浦宿すぎて女川や百羽の鴎夏に舞ふかな
石巻津波の被害なおあらわ空地のめだち夏も淋しき
石巻ここに住み着く親のこと語るも奇しき海風の吹く


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