2015年09月30日

抽象画(大地の結合)


抽象画(大地の結合)

Combination of the earth


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これはもう少し「大地の結合」として連作が必要である。



前に絵画化したものをまた利用できるのがパソコンでありインターネットである。
前に書いたものを書き加えたり新たに構成することができる
「時事問題の深層」とか紀行文とか前に書いたものが今も読まれている
それも十五年とか過ぎてしまったのである。
10年過ぎるともう読まないのものが普通である。
インターネットは次々に更新されるからそうなりやすい
でもインターネットは記憶されていて意外と消えないのである。
書店にある新書でも何カ月でなくなる
するとあとはアマゾンとかで買うほかなくなる
そこにはもうしり得ない無数の古本がある
本でないものはない世界になっている

抽象画にするとき何か前に描いたものが生きてくる
手直しすると前よりいいものができている
それはソフトによるのである。
ペイントショップはこれは使いこなすのが容易ではない
すると応用範囲が広いからこんなことができるのかと
新しい創作が生まれる

この一連のものもそうだった。
ペイントショップで新たに創作されたものである。
「大地の結合」というとき何かその題も自分で言うのも変だが良かった
意外とタイトルから抽象画をイメージする
何か抽象画はわからないからそうなるのである。
自分で抽象画を作って自分でこれは何だろうと思う
瞬間的に「大地の結合」というタイトルをつけた
大地の感覚は自分は田舎で追及してきたからである。
郷土史は土の上にあるということでも書いた。


ただ自分は実際に農業していないから本当は大地というのが自然が実感としてわからないのだ。
大地を知るには自ら大地を耕して実りを得ることで実感するのである。
小さな畑で毎日働いている人は大地を理屈ではなく体で知っている
それでもそれが金になるこはない、売れるほどのものは作れない
一回だけネギをもらっただけでありかえって金がかかっている
それは趣味でありそれで生活にはそもそもならないのである。
大地の結合というときやはり人間は自然の子だから大地からも離れてありえないのだけど大都会は大地から遊離している。
そこには本当の結合はない、部分化された機械化された部品の集合になっている
「大地の結合」というとき自分で言うのも変だが力強さを感じるのである。

シリア難民はなぜ生まれたのか? (欧米とロシアが背後にあり二分された、原発避難民との共通性)


シリア難民はなぜ生まれたのか?

(欧米とロシアが背後にあり二分された、原発避難民との共通性)


シリア難民がなぜ生まれたのか、これも複雑である。シリアはトルコ回りでドイツを目指した。
そのトルコのイスタンブールでシリアに行った人はシリアの人は素朴で何度もいいと言っていた。
その人は会社を退職した人であり会社内の派閥争いで会社をやめたらしい。
でもあの年で海外旅行しているのはめずらしい。
安宿を回って長期間旅行している、自分は四苦八苦していたがあの人は余裕でしていた。トルコの隣がシリアだった。だからトルコに逃れヨーロッパを目指した。
ヨーロッバというとき何かというときトルコの隣がブルガリアでありブルガリアはキリスト教国だら境目になる。もともとトルコはアジアの遊牧民でありここにたどりついた。
ここがヨーロッパの西と東のアジアの境目になっている。
イスタンブールの安宿になぜブルガリアの絨毯が飾ってあったのか?
それはキリスト教なのである。イスラムからすれば禁止されている。
でもトルコはそれほどイスラムの宗教の強制がない場所なのだろう。
トルコはまたロシアとも関係している。黒海沿岸にはロシアと貿易している街がありロシア人がいるとかなる

そもそもシリアはソビエト連邦時代から社会主義国家になっていた。ロシアの指導でそうなったのだからロシアの衛星国のようにもなっていた。
社会主義国家だと資本主義のように競争とか格差が生まれないからみんな貧乏でも素朴だとなっていたのかもしれない。
そして今なぜこれほど混乱してしまったのだろうか?
それはアメリカとロシアの対立が背後にある。それは歴史的にそうである。
アラブの春はヨーロッパにしかけれたというときそれもある。
欧米から工作員が入って活動してたとか言われる、それは常に小国には大国が干渉して裏で動かす。それは日本でもそうである。
在日が煽動して中国派が工作して抗議活動させる、政治的に裏で動かす、国が混乱すると大国が干渉して利益を得ようと活動する
だから明治維新もフリーメイソンが裏で武器を与えて金を与えて動かしていたとかなる
坂本竜馬が長崎のグラバー邸に出入りしていたのはそのためだったとかなる
右翼でも左翼でもアメリカが裏で動かしているとか左翼も中国が動かしているとかなる
それでどうしも左翼が反日勢力となり中国と結んでいるとなり賛同しにくくなる
一方で安倍首相はアメリカの手先でありアメリカの言う通りになるだけだと批判される
こういうことは常に「心の青雲」とか「darkness DUA 」とがで言われている。

政治も基本的に地理の理解がないとわからない、地政学なのである。
ロシアとシリアは感覚的に地理的に遠いようで近いのである。
つまりロシアートルコーシリアと地理的になっているのだ。
ウクライナも欧米勢力とロシアで二分された国であるからシリアにも波及したとなる
ただイスラム国が生まれ複雑になった。
トルコにはクルド人問題をかかえているからこれも複雑にさせている。
つまり欧米の勢力とロシアの勢力とイスラム国が三つ巴になって争っている。
そしてシリアは国として崩壊して大量の難民が生まれた。

大国の権力争いで国が崩壊してしまった。小国はそうなりやすい、それは朝鮮半島とともにている。小国は大国の覇権争いの場となり分断されて国さえ崩壊してしまう。
国がなくなり避難民となり世界に放出される
その難民が世界の問題となり難儀する。国連でももうあらゆる紛争の解決もできない
国連には限界がある。
そして小国の人たちは犠牲にされる、こういうことは日本と関係ないようでも敗戦のとき日本も北海道がロシアにとか二分されたかもしれなかったのである。
確かにだから日本でも国が二分されることだけはさけねばならない。
右翼であれ左翼であれそのことを第一にせねばならない、そうしないとシリアのようになるとも限らないのである。
つまり大国に二分されないように最善の努力を尽くすことなのだがそれが小国にはむずかしいのである。
日本は小国でもない大国でもないということがありアジアの戦争で無理をして敗北したのである。

なんか難民問題というときこの辺も原発難民であふれている。5年にもなるのに未だに仮設暮らしがつづいている。
ただ原発難民は難民貴族とかなっているからまるで違っている。
シリア難民のように追い詰められているわけでもない、毎日ギャンブルでパチンコで遊んでいる遊民と化している、こんな難民ならなりたいとなる。
そして避難区域となった街は無人化しているのである。
そこに住もうとしているのは老人であり若者はまれである。
すでにそういう町は住むことも放棄されて原野化している
もちろん帰って住む用意もしているから住まないということはない
でも一割とかしか住まないとなると町が成立するのかとなる
そういう所はどうしたらいいのかとなる
特区にして外国人でも住まわせたらいいのかとまでなる
良く東京辺りの生活保護者は原発の被害があったところに住めとか言う
東京に住むのは贅沢だからである。
だからそうしてそこのもともとの住民が住むことを放棄したような地域はもう外人でも日本人でもその土地を無料で解放して自由に住みたい人が住まわせるという考え方もある。小高くらいなら放射能を気にしない人たちはいる。

結果的に放棄された土地は誰の者になるのか?
それは自然にもどり自然のものとなるものでもない、国のものとなり最終的には放射性物質の処理場とされてしまう。
それでも土地をもっているというだけで処理場になった土地は国から土地代が払われるのである。それを望んでいる住民もいるだろう。
何にも金にならないよりはいいとなる。
ただ地主が土地を失ったのは土地を使用する方が権利が生じたためである。
土地をもっているだけでは権利が生じない、その土地を耕して労働したときその土地に権利が生まれる。
シリアではもう住民が避難して帰らないとなるとその国の土地は誰のものになるのかということである。
そこは空白地域になりイスラム国が侵略しても抵抗するものもいない、アサド政権にしても住民がいなくなれば国王でも何でも無意味になる。
ロシアに亡命してもう国はないからもう国王ではありえないとなる
シリア難民もまた原発難民はその差は大きいにしても同じ問題をかかえているともなる
町がなくなれば町民がいなくなれば公務員も職を失うし町長も議員もそうである。
だからこの辺の問題はシリアでもそうだが避難民としては共通しているのである


ロシア主導の国連軍が米国製テロ組織を退治する?
http://tanakanews.com/150924syria.htm(田中宇)

この辺は複雑である。イランも一枚かんでいる。
ロシア軍が入ってくることをアメリカが容認するということは大きな前進なのか?
アメリカもどうにもならなくなっている
アメリカは遠いし地政学的にはロシアが力を出せる所に位置していたとなるのか?



タグ:シリア難民
posted by 老鶯 at 10:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2015年09月29日

なぜ海岸に家が密集していて津波の被害にあったのか? (農地は日当たりが良い所を選び家は山陰の日影に建てる)


なぜ海岸に家が密集していて津波の被害にあったのか?

(農地は日当たりが良い所を選び家は山陰の日影に建てる)



無駄に広い宅地にするくらいなら、少しでも農地にする方が良い時代だったのです。
だから田舎では山裾の日当たりの良くないところに家を建て、日当たりの良い土地は農地になっています。
http://okayama-inaka.com/hudosan/27-totinotokusei.html

とくに田んぼは広範囲に水でつながっており、そこに生活排水が流れ込むと衛生上も好ましくありません。農地法で農地に家は建てられないことになっており、一部の農業施設を除いて建築は認められていないのです
http://www.ahahaohoho.com/tobira/tobira080317.htm

農地を選ぶ場合には、注意することが、いくつもあります。田畑は1枚1枚違う性質を持っているものであり、どれでもいいということでは、ありません。
日当たりはどうか、冬場の日当たりはどうか、水の便はいいか、田畑の中から水が湧き出していないか、強風が吹く土地ではないか、大雨が降ったら水が流れてこないか。
http://77ch.info/attention.html



人間は田舎に住んでいても田舎のことがわからない、自分などは農業したこともないのだから単に田畑が広がっている名としか見ていない、田舎でも今はみんな農業していないからである。
田舎の田園風景とかは原野でもないし森でもないし人間が代々労力をそそいで作られてきたものなのである。
農業を経験しないものは何かそれが自然にあるように見えてしまう。

だから松原さえ自然のままの風景とさえ見ていたのである。あれば人工林であり人間が作ったものであり自然林でないから津波には弱かった。
自然林は混生林であり松だけの森とか杉だけの森はないのである。
だからこそ津波で根こそぎ壊滅した。松は強く根を張らないのである。
それからなぜ津波が来るような危険な海岸地帯に人は密集して住んでいたのかとなることも批判された
それも農地のことを考えればわかる、農地は日当たりのいい場所を選ぶ
農家はたいがい山際の陰とかに多い、近くをみても広い田があっても家はその田の中にあるのはまれである。
それは田として利用することを優先していたからである。
都会だったら田畑のことは考えないから広い日当たりのいい平坦な地を宅地にする。
田舎ではまず田畑が優先されて家は山陰とかに多いのである。
それは八沢浦でも広い田の中には家がないことでもわかるし大内村でも山際に家が集まっている。
もちろん古くは湿地帯であり海だったところだから山際に家があるということもある。

そしてなぜ磯部村であれ海老村であれ烏崎村であれ海に接して家が密集して津波で壊滅したのかということである。
それは誤解しているのは漁業があり港を利用するから人が集まり家を建てたと見ているが農業もしていたのである。田畑も作っていたのである。
漁業している人たちが全部なのかというとそうではない
農民がそこには多かった。半農半漁ということもあったのが日本である。
磯部などはもともと砂州でありそんなところにあれだけの家が建っていた
それがなぜなのかというとき広範囲な土地は田んぼとして利用していた。
磯部村の後ろは広い田になっているからである。
漁業だけでは生活は成り立たない、食料として米を必要としていたから広い田んぼが必要でありかえって家は山陰の日影に建てられていた。

山の方でも広い平坦な日当たりのいい場所は田畑にしているのである。
日本では良く山崩れとか土砂災害とかあるけど山でも平坦な場所に家が建っていない
その日当たりのいい平な場所は田畑にしているからそうなる
日本では平な場所が貴重であり平(たいら)という地名も多い
平家というのはまさにその平(平)からきていたのである。

だからそもそも農村風景というのは長い年月をかけて人間の手を加えて作られてきたものなのである。
要するに自然そのものではない、何かその辺が実際に農業にたずさわらないものは錯覚するのである。
人間が長年手を加えて作り上げたのが農村でありもし今回のように放置されて原野化するとどうなるのか、それを回復させることがまた時間がかかるしむずかしくなる
一からやりなおしかねないのである。
田畑というのは毎年人間が手を加えることで保たれていたからである。
里山というのは自然そのものではない、人間の手が加えられたものである
前からも何度も書いてきたけど津波の跡に残った庭の樹が何か人間に見えた
老夫婦のようにそこに二本を離れがたくいつまでも立っている、今でも立っているのである。それは本当に不思議な光景だった。その樹は人間化した樹だったのである。
自然そのものの樹とは違っていたのである。
原発事故の避難区域となった所、飯館村なとでも道の辺に樹があるがあれも人間化した樹だった。
それで人がいなくなるとなんとも淋しく取り残された人間のように見えるのである。
日本は狭いから原生林があるような場所はまれであり人間化した自然になっている

八沢浦にある「前日向」とかいう地名も日向(ひなた)は田になっている。
日当たりのいい場所は田にしたからそうなったのか?
つまり日向(ひなた)は人間に住む場所としていいのではなく、田畑にするのにいい場所として前日向と名付けられたのかもしれない、人間の家が優先されるのではなく
田畑があってこそそこで生活できるからそう名付けられたともとれる。
津波では結果として田畑を優先した結果、海岸地帯の狭い場所に家が密集した、そこは田畑にはできない場所だった。それが悲劇の元になったというとき日本の国土の狭さがそうさせた悲劇だったともなる。




タグ:農地
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2015年09月28日

原町の小沢の人たちが開いた直販の店ーイトトンボ (市会議員から聞いた、鹿島は30キロ圏外で補償金もらないがもらえるようにした)


原町の小沢の人たちが開いた直販の店ーイトトンボ

(市会議員から聞いた、鹿島は30キロ圏外で補償金もらないがもらえるようにした)

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スーバー菊地の隣に「イトトンボ」という野菜の直販の売り場が新しく作られた。
これはもともと「小沢」の人たちが開いていた。
名前は小沢の沼にヒヌマイトトンボといか珍しい種類のイトトンボが生息していたために名付けられた。

体長3cmほどの小さなイトトンボ[1]。河口などの汽水域にあるヨシ原などで生活している[1]。
オスの背側には黄緑色の点が4つある。英名の Four-spot Midget はこの特徴から付けられた。また、メスはオレンジ色であることが特徴である。
、2011年3月に発生した東日本大震災により、国内最北端であった福島県の生息地は壊滅した可能性もあると考えられている。[4]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%8C%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%9C

つまり小沢のヒヌマイトトンボは最北端の棲息地で貴重だったとなる、南方系のイトトンボであり雌が赤いのがめずらしい。
このことは知らないし小沢という村には行ったことがなかった。
南方系というとき鹿島区の海老村はマルハシャリンバイの南限の地で有名だった
ということはこのイトトンボも南方系であり福島県の浜通りは温暖であることを示している
北方系はエゾイトトンボとかオゼイトトンボとかがいる、それは青い色である。
その写真を尾瀬でとったことがある。
また津波の一年後くらいだったのか蝶蜻蛉という黒い二枚羽根の蝶が飛んでゆくのをみた。
それは見たことがない蝶だった。おそらく山元町の新浜の沼に生息していたのが沼がなくなり逃れてきたのだろう。
蝶蜻蛉はこの辺では見たことがないからである。
あそこの沼には珍しいトンボが生息していた貴重な沼だった。でも一ニ箇所くらいしかなくなっいたから今回の津波でその生息地域は壊滅した。

津波で生態系の破壊があった。山元町の新浜には自然の沼地がありめずらしいトンボが生息していた。その沼地も津波で壊滅したことが報告されている。
松川浦でも一時は半分の種がいなくなったとか言われた。今はかなり回復している。
もともと新浜などでも開発が進んで残された沼地はわずかだったのである。
今回の津波で壊滅したから回復しないと言われる。
なぜなら自然のままだったら他にも沼地がいたるところにあり一部が壊滅しても他が生きられるから種が残るのである。
津波の被害はこうした絶滅危惧種を壊滅させたとなる。

そのイトトンボであったのが南相馬市の議員だった。
新しく開店したので議員もいたのである。
小沢は津波で被害を受けて家をなくした、それでまたここで前していたことをはしめたのですと言っていた。
小沢の人は鹿島の寺内の仮設にもいた、津波の被害で仮設に入った人と原発の被害で仮設に入った人とが入り交じっているからこの辺は複雑になるのである。

その議員が言うには

「みんな知らないだろうけど震災のとき丁度中央の官庁に南相馬市出身の役人がいて30キロ圏外が補償金が出さないけど出すように尽力してもらって出せたんだすよ」

「本当ですか知らなかった」
「浜名さんという人ですよ」
「鹿島の人は補償金が小高や原町のようにもらえないから不満なんですよ」

「それはわかっています、でも30キロ圏外で補償金もらっているところはないんです」

「特別に政府の方で鹿島にも出すことにしたんです、桜井市長が決断したんですよ」
「鹿島の人でそのことを知っている人はいないでしょう、みんな不満ばかりですよ」

「鹿島の人はもともともらえないのにもらえるようしに特別にしたんですよ」

この話も初耳だから意外だった。なぜなら自分でも鹿島の人でもこんなことを思っている人はいないだろう。
みんななぜ原町と小高にはあんなに補償が手厚いのかという疑問である。
ところが実際は鹿島は30キロ外だから補償金は国からも東電からももらえない所だった
でもこの話を聞いて納得する人はいないだろう。
そういうことがあったから地元出身の役人がたまたま中央にいてそして桜井市長が決断したから鹿島ももらえるようになったからむしろ感謝しなさいという口ぶりだった。
それも何か納得がいかないという時、それだけ鹿島でももらえるということが当たり前になっていたからである。
だからなぜ原町が三倍ももらっているのかという不満がある。
桜井市長も大甕の人であり小沢とも近い、出店した所も大甕だった。あそこが大甕だとは思わなかった。近くでも実際はいろいろ知らないことが多いのである。

この辺は様々な問題の地である。津波の被害者も実に多い、その人たちは家もないし津波とか地震の被害にはそもそも補償金は出ないのである。
何かそこが混同して複雑になった。津波とか地震の被害に対して補償金が払われているのではない、放射能汚染に対して払われているのである。
津波の被害者はいくら放射能汚染で30キロ圏内でもらったとしても避難区域のようにはもらえない。
津波の被害者はやはり原町区では苦しい立場にある。
小高区はまた別格なのである。

桜井市長が原町と小高で票をとれば当選するから鹿島は無視されたとか言ったら桜井市長は悪いことはしないです、それも大事だけど何かもう一つ政治的能力はどうなのだろうかと思う。
行政能力とかも問われている。もちろんこんな複雑な市でうまくやれる人がいるのかともなる。
でも桜井市長があえて反対があったが鹿島区に仮り払い補償金を百億円を市の財政から払ったのは今になると評価できる。
それは別にあとから国であれ東電であれ市の財政に確実に払われるものだったのである。だから原町区の人があんなに反対することはなかった
それはインターネットの発言だから目立たないということはあった。
だから知らない人がほとんどだと思う
自分はたまたま読んでいていずいぶん激しい口調で鹿島になんか払う必要がないと読んだのである。
ここからすでに原町と鹿島で補償金で対立していたのである。


東京電力による仮払い補償金の支給対象区域が福島第1原発から「半径30キロ」で線引きされていることについて、同じ南相馬市の住民のなかでも補償金を受給できる人とできない人が格差が生じていると、怒りをあらわにした。
http://news.nicovideo.jp/watch/nw82119


最初から桜井市長はこのことは明確に怒り手を打ったことは評価できる

この辺の政治的課題は簡単には解決しない、議員が解決してくれるのかというとできない、そして意外と官僚はやはりそうした予算を決める能力があったのかとなる予算を配分する権力があったのかとなる。
その人が言ってできたからそう思う。
何か金を配分できる金を使う権限があることが現代では権力なのである。
だから権力があるのは誰かというと金を自由にできる、金を実際に使える権限がある人であれ部署だとかなる。
とにかく鹿島選出の議員はなにしているのか、それもわからない。
実際に金を動かしたのは中央の南相馬市の役人だったのかとなる。
これもどういうふうに決められたかはその手順はどうなっていたのかは詳細はわかりにくい

こうして自分は一人で報道を担当しているが自分には何の権力もない
記者クラブに所属しているわけでもないし何か公権力の許可もないから取材もできない
取材するにはバックに組織とか権力が必要なのである。
常に何か知ることさえ権力ができないと知ることもできない
それで日本には民主主義はないと言われる
一人の個人なと権力では相手にしないからである。
ただインターネットは何か報道するにも無料だからしているのである。
マスメデアとか本当は権力を監視するものであったがどうしても権力にとりこまれる
東電から朝日新聞まで金が流れていた。
なぜならマスメデアの幹部が中国で東電に歓待されていたとき原発事故が起きたのであるその時、その歓待された中に朝日新聞社の幹部もいたのである。
だから朝日新聞すら信用できないとなる


聖教新聞の人もまず広告とることだと言っていた。その広告主が東電だったら大きな収入が約束される、あれだけの金がある資産がある会社だったからである。
するとみんな東電にとりこまれてしまっていた。そして原発神話は作られたのである。
聖教新聞とかも東電の宣伝費が二番目くらいに多かったのである。
そうなると原発のことを批判できない、他でも「財界福島」なんかも最初は原発を批判していたがすぐぱったりと批判をやめたのである。
それは東電から宣伝費が入ってきたからだろうと憶測されている。
そもそも新聞でも雑誌でも本を出すのにも金がかかる、だからその本業では経営できないすると会社の宣伝をして収入にしていることがマスメデアなどが信頼できないものにさせている。中立性も維持できないのである。
この世の中は金で支配できる、それで世界を支配しているのはアメリカだというときそこに金が集まりその金で世界を支配できるからだとなる。
銀行も世界を支配する資本主義の支配機能の中に入っているというのもそのためである。
この辺は何か政治でもみんなに直接身近にかかわってくる。それは利害でかかわってくるからである。
人間は利害には敏感だなと自分も思った。百万円でももらえればその利益にこだわる。
ある程度余裕があるならいいが余裕がない人は余計にこだわるのである。
だからその補償金のことで一番こだわりもめているのが南相馬市なのである。

ここのカレーは400円だけどうまい

肉と野菜が入って手作りで安いしうまい

posted by 老鶯 at 18:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

IH調理器の接続部分が燃える (一人暮らしには危険が多い)


IH調理器の接続部分が燃える

(一人暮らしには危険が多い)

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周りはプラスチックだった

これは二年前に買ったものである。ケーズ電気で買った
これが電気を入れないのに接続部分が燃えていた
ちょうどそこにいたから煙が出ているのでなんだろうと思ったら
燃えていた、電源部分のコンセントではない
ただコンセントにつないでいたのは確かである。
でもスイッチは入れていない、でも電気が流れて漏電していたのか?
その回りプラスチックだから燃えたのである。
鉄だったら燃えないだろう、でも回りに燃えるものがあるのが危険である。
下に木の板を前にしいていたのは失敗だった
下が黒こげになっていた。
これが燃えた時は木の板はとっていた

会社に直接連絡したら送ってもらえればみると言っていた
個人でも直接送れる
でもめんどうだから買った電気屋に送ってもらうことにした
箱も必要になるしめんどうになる
今は直接メーカーに連絡できるのがいい

ともかく一人暮らしの危険はいろいろある

●留守とか犯罪にあいやすい
●家の安全が留守にすると電気などでも計れない
●突然倒れたりしたあとが困る
●跡継ぎがいないと財産や墓などの処理でも困る

あるときはヒーターをつけっぱなしでありその時仙台にいて家に痴呆で寝ている母しかいないので連絡がとれず火事になるところだった
餅とか焼くもので温度が高くなるものだった
消防署に連絡したがどうにもならない、これも怖かった
一人暮らしで家に痴呆の老人とかいる介護する家は本当にいろいろな危険がある
一度は留守のとき水道管がもれていたが隣の人が気づいて元栓をとめてくれた
犯罪にも実際にあった。

まず介護になってから自分は様々な困難にあい苦しんできた。
一人暮らしのたリスクは本当に高い、その解決方法が簡単には見当たらない
家を一人で管理することが大変なのである。

今回は夜だったらここから燃えて火事になることもあった
これは一人暮らしとかは関係ないが
下に寝ている人がいれば気がつく
二階だと気がつかないのである。
一人は痴呆化しているから何もできない
匂いさえ感じなくなっているからだ。


タグ:IH調理器
posted by 老鶯 at 11:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2015年09月27日

十五夜(今年もさらに平和を感じた)


十五夜(今年もさらに平和を感じた)

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この道を今日も来たりぬ秋薊
この里に根付くや薄秋薊
萩しだれ小蝶隠れて日のさしぬ
数十輪ここに集めて野菊咲く
十五夜やなお健やかに我が生きむ
十五夜や争いやめてなごみあれ
一五夜の光清めむ町一つ
十五夜の我が家を照らし平和なれ
百歳を生きて一五夜団子食う
一五夜や今日は休まむ日曜日
十五夜や今年も復興願うかな

今日は十五夜で円い月がでていた。何か自分の家も震災でも津波でも四年半過ぎてそれなりに平和を感じた、ただ仮設はまだあるし平常には戻っていない
まずこれほどの異常なことが起これば一身上でも平穏を心から願うようになる
この辺はともかく自然災害はまた何十年と来ないだろう。
そして忘れたころにまた災難がやってくる
津波は四百年過ぎて来たからだ。

何か人間界でもある時どうにもならなくなり膿や毒を出して生まれ変わることが要求される時がある。
それが易姓革命である。天変地異が起きて世が変わる。
ともかく平和な家庭ではないにしろそれなり30年間は平和つづきとにかく自分は楽だったのである。
三食は出されていたし自分のすることはしたいことをするだけだった。
今になるとこれは本当に恵まれていたなとつくづく思う。
そういうことは奇跡的であったかもしれない
意外とこうした平和は長くつづかないことを知ったからである。
介護とかすでに10年近く追われる生活だった、今でもそうである。
家事を一人ですることが大変なのてある。

だから本当に近辺しか出歩かない、毎日買い物でありこれも毎日一仕事である。
何か食べ物や飲み物を出すのも手間なのである。
レストランであれ食堂であれ運ぶことも手間だとつくづく思った。つまりこれも食堂でも何でも運んでみれば手間なことを知るのである。
何かサービスを受けることは手間が必ずかかっているが自分でしてみないからわからないのである

今年の十五夜は去年よりさらに平和を感じる
去年も感じたが今年の十五夜はまた違っている、年々違って一五夜はがありこの辺はやがて復興してゆくことを願う
ただ四年半過ぎてもなにかまだまだだなと思う
それだけ被害が大きかったためである。もうどうにもならないほどの大被害だった
だからこれが元にもどるとしたら一〇年とかでやっと一区切りだなとかなってしまう。
それだけの時間もかかる
あと二年で常磐線が仙台とつながったときが一つの大きな復興になる

自分は今や定着文明を生きている。なぜなら近辺しか出歩かないからである。
今年も二回しか仙台に行っていない、ただ津軽に一回花見には行っている
ほとんど同じ道を往き来しているだけである。
それはすでに一〇年近くつづいているのである。
それでも何か新しく見いだすものがあるのも不思議である。
今度のα6000という一眼レフはいいカメラである。
こういうカメラをもつと写真をとりに行きたくなる
このカメラのいいのは液晶画面だけではない、直接目でみる窓があり光に反射しないからねらった写真がとれる
写真でとると何か違ったふうに見えるから不思議である。
野菊の花はこんなふうに見えなかった。
このカメラはいいカメラだからいろいろまだとってみたい、夜景はうまくとれなかった
夜景はむずかしい、でも写真の魅力は大きいということをこのカメラでまた感じた




タグ:十五夜

原発避難区域の復興が小高でもむずかしい訳 (小高病院の配管修理の七億円は小高の人が出せば復興になる)


原発避難区域の復興が小高でもむずかしい訳

(小高病院の配管修理の七億円は小高の人が出せば復興になる)


小高でも原町に家を建てた、鹿島に早くから家を建てた人もいた、結構原町とかに家を建てている。
息子は名取に家を建てて高速で原町の会社に通っているとかなにか外に出る人が多い感じがする
小高に帰りたいという人は老人だけど原町に家を建てれば老人もそこに住むようになる
なぜそういうことができたかというと補償金が多額だったからである。
金があるからこの際もう小高をあきらめて原町でも鹿島でも相馬市でも外に家を建てた方がいいとなった。
つまり前も書いたけど補償金が必ずしもみんないい方向に向かわなかった。
かえって金が補償金が復興のためには良く働かなかった。
金が小高とか他でも復興するより復興しないものとして働いたのである。

もし補償金がそんなにもらわなかったらもう避難区域でも小高でも不便でも何でもそこに住まわざるをえなくなったろう。いくら放射能汚染で住めないといってもどこにも住むところもない、金もないとなれば住まざるをえなくなる
そうすればなんとかそこで復興させようとなったかもしれない
現実に金がなければまず外で家建てるとか住むことも簡単にできないからである。

その一番いい例が小高病院の配管を直すのに7億円かかる。
ではその金を誰が出すのかというとそれが大きな課題になる。
東電が出してくれるとか県で出してくれるとか市でもなんとかしてくれるとか
小高の人たちはそういう考えしかないのである。
多額な補償金もらっているのだからみんなで金を出して病院の配管を直そうという意志がないのである。
他人まかせなのである。それは今回の原発事故ではみんなそうである。
津波の災害の復興で一番働いたのは自衛隊であり地元では何にもしていない
あとは外から来たゼネコンとかであり地元の人は金があるからパチンコだ競輪だとギャンブルになった。
鹿島に競輪の券の売り場があるからそうにも通っているらしい、それもすぐ近くだからである。
他はやることがないと困っているのが現状である、老人が多いから働くこともできない
だからあと5年補償金もらえればなと老人は思っている
というのはあと五年で相当な貯えができるからそうなる
すでに一千万ためたとか金のない人にとってはかえって良かったとなる

ともかく小高の問題で小高病院が復興できない、配管に7億円かかるというときこれは津波の被害ではない、地震の被害でそうなった。
放射能被害とも違うから東電では金を出せないだろう。
何か津波でも地震でも放射能被害と一緒になったのがこの辺である
津波とか地震とかの被害は放射能とか関係ないから補償金はでないのである。

小高の人たちの問題は小高病院に象徴されているように小高を復興しようとする意志がある人が少ないのである。
むしろ補償金もらったからこの際外に出て家を建てた方がいいとなっている
もし本当に復興する意志があるなら補償金もらっているのだから金を出し合って復興しようとするだろう。
その金は相当に価値ある金となるだろう。
みんな心意気がその金に託されているからまた違った金となる
そういうところから復興がはじまるはずである。
ところがそういう意志がないから誰かが金を出してくれるだろう、外の人がやってくれるだろうとなっている
それは避難区域とか津波の被害地でもそういうことがあるだろう。
それだけ被害が大きいということもあってあきらめる人も出るのがわかる

そもそも補償金もらってギャンブルで遊んでいるということがおかしい
その金をなぜ小高病院の配管を直すために出し合わないのか?
それを今度市の財政でなんとかしてくれとなると原町でも鹿島でも自分達が補償金もらっているのだから出し合って復興しろとなる
合併していないならそのことをあまり強くは言えない
でも合併して南相馬市になったけど補償金の不公平さで分断されているのが現状である。だから仮払金の百億円を鹿島区に市の財政から払うというとき反対した人が原町にいたのである。
仮払金とは東電が賠償金をはらうまで市で立て替えるもので実際はあとから東電から支払われたのだから市としては何の損にもなっていなかった。
その辺のことが混乱してわからなくなっていた。
結局南相馬市で一番損したのは鹿島区だったのである。
原町区は鹿島の三倍は補償金もらっているのだ。

こういうことがあったらようにもし市で小高病院の配管修理の七億円を出すことはやはり市全体では問題になる。特に鹿島区の人は不満になるかもしれない
なぜならどうして七億円を小高のためにだけ払うのかとなるからである。
そういうことを小高の人たちはほとんど考えていないのである。
補償金はもらうだけもらえればいい、文句はあってももらうのはもらった方がいい
あとあと小高に帰っても何でもあれ必要になるからだ
それはこんな状態にされたのだから当然だとなっている

ただそんなこと言っても誰も自腹をきって出す人はいないだろう
それは自分たちの出す金ではないと思っているからだ
東電であれ国であれ市ではないにしても出すべきで自分たちは出すべきではないと思っている
だから誰もそんなことを心配していない、
ただこういうことに何か今回の問題が象徴されていたのである。
要するに小高病院はこの一つの例であり何か復興できない象徴なのである。
これは一つの例であり他にもそうしことで復興することがあるだろう。
それが小高区の人たちにそういう意志がなくなっているからだともなる
ただでは南相馬市としてはどうするのかとなる
小高の問題は南相馬市の問題だからである。
もちろん南相馬市は県の問題であり国の問題ともなるのか現代である。
海への放射能汚染では世界の問題にもなったのである。

タグ:小高病院
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抽象画(窯元のデザインー窯変がパソコンでできる)


 
抽象画(窯元のデザインー窯変がパソコンでできる)

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窯変(ようへん)とは、陶芸作品を焼成するときに、
炎の性質や釉薬(ゆうやく)の含有物質などが原因で、
陶芸作品に予期しない色が発色すること。

これはずいぶん前にデザインしたものだけどパソコンは前に作ったものでも変化させるのが得意である。
特にペイントショップはいろいろに変化できる
ただこれを自由に使いこなすことが相当な訓練が必要である。
ソフトも自分なりに使えないとだめである。
窯変というときこれは火の加減とか偶然に生まれる
陶器は焼いてみないとわからない、何ができるかわからない
パソコンでもそうである。何ができるかわからない
いろいろ操作してみてこれいいじゃないかと選ぶ
つまり偶然の作用によることが多い
だから化学変化であり窯変とにているのである。

窯元というとき何か自分は旅していて回ったのが窯元だった
お土産となるとその土地の個性あるものとなると日本では陶器になるからだ。
窯元の種類は多いのである。
だから窯元によった思い出がある
窯元をたずねるのが旅の楽しみだということもある
自分はふりかえるとこんなことをしていたこと自体相当に暇だったのである。
今になるとつくづく恵まれた平和な時代だったと思う
こんなして旅ばかりできたということか今になると不思議である。
なぜなら今や近くすら自由に行けない
食事を用意しなければならないし介護だから離れられないのである。

こんなことになるとは予想もしなかった
どこにでも自由に行きいつ帰るのも自由だった
考えてみればこんなことできたこと自体相当に恵まれていた
結婚して勤め人になり子供を育てるとなるとまず自由が若いときから喪失する
勤め人は何日かしか休暇がとれない
自分は一カ月くらいふりと旅して帰ってこなかったのである。
ただ外国はそれほど旅したとは言えない
日本はほとんど隈なく旅している
ただ登山は体力がないのであまりしていないのが心残りだった
アルプスを上っていればよかったとつくづくふりかえる
登山もきついから若いときするものだったのである。

とにかく茶道があるように陶器は日本の文化である。
だから窯元を回ることは日本の旅になるのである。
何か自分にあっていたのは一日絵を描いているとか
一日轆轤を回して茶碗を作るとかに向いている
ビジネスとか商売とか勤め人とかに向いていない
自分は団体生活にも向いていない
だから学校は自分には向いていなかった。
結局その人の性格にあった生活ができれば幸せである
ただマイペースで何でも学問でも芸術でもやれば上達した
学校のようにおしつけられると嫌いになってしまうのである。

とにかく芸術とか学問とかなると平和でないとできない
今のようなこの辺の状態は異常である
そうなると何か芸術とかの創作には向かなくなる
回りが混乱していて生活が落ち着かないからである
そうなると優先的になるのは元の生活の回復になる
それが容易でないからこの辺は芸術などの創作には向かない場所になった
とはいえ、原発避難者が補償金で毎日ギャンブルだ、パチンコだと遊んでいるのも
異常なのである。
除染とかで働いているのは外から来た人たちなのである。



タグ:窯変

2015年09月26日

抽象画-街を歩く女性(sreet womans)


 
抽象画-街を歩く女性(sreet womans)

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これは何

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蝶の輪舞




テレビでファッションのデザインのことを放送していた。
モネをまねたファッションにしたいという
ファッションセンスは何か抽象画と通じている。
服の模様が抽象画に向いている、具象画では向いていない
紋様はだからパソコンのソフトで作るの向いている
無数の紋様ができるからである。
それを自動化して製品化する方法も確立してるらしい
つまりファッションもパソコンと相性がいい

抽象画でも具象画から離れられない
今回の絵はまず街の通りを歩いている女性をイメージして
その女性を抽象化した
青い街というのが何か海辺の街とかイメージする
それをソフトで変えた

ただここでは具象画として街を歩いている女性にこだわっているのである。
抽象画でも全く具象画から離れると鑑賞もできなくなる
この絵は何だろうととなるのも多い
でもこれは街を歩いている女性だとしてイメージすると鑑賞しやすい
この変化はまだあるがどれでもいいとはならない
街を歩いている女性のイメージにこだわっているからである。

輪舞する蝶というのはこの最初の街を歩く女性から偶然にできたのである
抽象画が偶然にできるのが多いのである。
ともかく街を生き生きと歩いている女性をイメージすればこの抽象画も活きてくる



タグ:女性

2015年09月25日

原発の専門家が肝心なことを知らなかった (吉田所長も知らない、直接たずさわった人も知らなかった)


原発の専門家が肝心なことを知らなかった

(吉田所長も知らない、直接たずさわった人も知らなかった)


原発の「安全神話」が間違いだった理由(1) 固有安全性の欠如(武田邦彦)
http://takedanet.com/archives/1040937013.html

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「非常用復水器(IC:アイソレーションコンデンサー)」です。ポンプを用いずに自然の作用を利用したもので、福島第一原子力発電所では1号機に設置されています
(2号機3号機にはせっちていなかった)
現場の責任者である福島第一原発の吉田所長は、ICが停止していることを知らずに復旧計画を立てていた
ことが明らかになっており、初動段階でのミスが致命的になったと専門家チームは見ています。
 「津波が来て全交流電源が喪失した状態で、(非常用復水器を)目いっぱい使いなさいと指示があれば、
原子炉の溶融を防げたかも・・・、本当に残念です」(北海道大学【原子炉工学】 奈良林 直 教授)


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吉田所長の手記がでていたけど吉田所長の専門は補修担当であり原子炉のことなど詳しく知らなかったという、ええ、あの事故の指揮をとった所長が知らなかった
複水機のことを知らなかったということはこれは重大なことだろう。
それで指揮できたの?これも不可解なのことである。
吉田所長は原子炉について詳しい人だと思うのが普通だからである。
そもそもその重要な複水機について知らないでどうして指揮できたのかとなる
そういう人がなぜ所長になれたのかというのも疑問になる。

直接原発にかかわった科学者の武田邦彦氏がが知らないで報告していたことをわびている別な分野の人が知っているということで安心していたという。
つまり原発というときそれはもう一人の専門家では知り得ようがないものだった。
それは別に原発だけではない、現代文明のあらゆる部門でそうなっている
最初のパソコンはたいがい相性が悪いとかで付属の部品が使えないものが多かった。
それはパソコンがまだ初期の段階で技術的に不完全なものだったからである。
パソコンの全容もまた知り得ないものだったし今でもそうである。
だから壊れたら初期化するしか方法がないのである。
そして会社では使えなくても責任はとらなかったのである。

そもそもそうして専門家すら原発の全部を知ることはできない、そしたら素人のものは全く知り得ようがないものだった。
専門家すら個々に分かれて全体を知るものがない、事故が起きると他の分野の専門家がうまく処置していたはずだとかなる。分野が違えばもう自分の責任ではないとなるし責任がもてないとなる。
それはあらゆる組織で起きていることである。役所でもそうだし医療でもどこでもそうである。
自分の課の問題ではない、他の課に行ってください、それは私たちの課の責任ではないですとなる。
法律の分野も様々な分野があり分かれている、ここでも法律全体を知る人などいないのである。


西洋の学問とか科学はまずは部分に分割して物事をみる、それで原子の発見につながった人間の体でも物質でもどこまでも分解してみる。
ところが人間の体は一つであり何らかつながっているから一つの臓器だけを直しても見てもわからないことがある。
全体が影響して部分も悪化する、全体から離れて個も部分もないというのが東洋的考え方としてあり漢方薬が生まれたのである。
つまり人間の体質に応じた健康法とか治療法である。
それも明治以降は西欧文明の医学のみが進んでいるとなり否定された
人間はやはり体質がありこれに応じた健康法が大事である。
だから人間の体質を実と虚に分けた見方は必要でありそれに応じた生活とか健康法を学ぶのがいい。
宗教も宗(むね)なる教えとなったときすでにいろいろに細分化していたから宗なるものが必要になったのである。
その東洋的なものが現代では不明になった。

結局文明には限界があり全知全能の神を作ったものでもないから必ず破綻する運命にある専門家となるとその人たちが原発のことを知っていると思ったが肝心なことを指揮する吉田所長まで知らないというのは意外だったのである。
それほど原発の全容を知り得るものはいなかった。
それは現代の文明全体もそうである。誰もその全体を知るものなどいないのである。
だから知り得ないからこそ必ず事故も起きる運命にある。
つまり事故はもう防ぎようがないのである。
「安全神話」ではなく事故は防ぎようなく起こるということを前提にして始めねばならぬものだったのである。
人間の作ったものは完全ではありえないからである。
人間自体も完全に作られたものではない、だから病気があり死がある。
だからこの世では人間は不完全なものとして生きるほかないのである。
そして人間の作るものは完全でないから事故が起きる、そう思うの当然なのに「安全神話」を専門家と権力者とかマスメデアとかが一体となり作り上げ宣伝していたのである。
もう宗教のように安全だ、安全だと唱えていないと原発は継続できないからそうなる。
その無理は事後につながったのである。
日本は神国だから負けないとなったのともにている。

もう一つは技術家が政治と経済の論理でねじまげられたという。原発の危険を言うなというときそれは政治と経済の論理であり技術者が危ない、安全を計れないとなればそれは技術者の良心が問われる。でも政治と経済の論理で技術者がいくら言っても負ける
ドイツのVWの車がソフトで偽っていたとしたらそもは技術者が知っていても会社の経営と経済からおしきられたとなる。
技術の力と政治、経済の力を比べれば技術者の力は弱いからそうなる
医者でも不用な薬と手術するのは技術者として良心に反していても経済の経営の論理からすれば仕方ないとなる。
そこには理系と文系の対立の構図もある。
でも技術者でも理系でも嘘をつくということはモラルに反する悪いことなのである。
もし嘘をつかないという単純なことを守ることができるならば事故にもつながらない。

フクシマ原発では再三指摘されていたけど「安全神話」で権力によって隠されていたからである。
戦争でも勝った勝ったとしか国民に知らせないのも政治家は軍人はマスメデアは嘘ついていたとなる。
要するに情報も権力によって操作される、科学技術者でも権力に従う、経済、経営を第一となり嘘を言うブラックなのがこの世だとなる
それで犠牲になるのは国民なのである。
ともかくこの世で上から下まで嘘をつかないという人間はいない、盗まない人間もいない、それは自分でもそうだったし正直に告白すればみんなそうなるだろう。
そういう単純なモラルが実行できないことから大きな事故が起きる、技術者のモラル、政治家のモラル,学者のモラル,官僚のモラル、、、、、
そういう指導するもののモラルが崩壊するときすべてが下でも崩壊してゆく
だから上に立つもののモラルは最も厳しくしなければならない
責任も厳しくなるから侍は切腹して責任をとった

でも現代は戦争でもそうだったが上の人は責任を逃れて誰も責任をとらない、それが日本のシステムだとなっている。
まずそんな体制だったら誰も真剣に物事にあたらないだろう。
どうせ責任などうやむやにすればいい、国民など簡単にだませる、あとは権力手中にして甘い汁を吸っていればいい、それができるのも権力のうまみだとかなってしまうし現実になっているのである。
要するに上に立って指導する侍のようなモラルに欠けていたのである。
それは明治維新後日本は武士道もなにもなモラルがない社会になった。
アメリカと同じように金のみが立身出世で利益を得ることだけが目的化したのである。
それは福沢諭吉の学問もまさに栄利栄達のためでありモラルはない
指導者がそうなっていれば下々も当然そうなる、つまり指導者の堕落というとき民主主義のおかしな点は指導者に選んだものにモラルを求めていない
大衆の団体組織の利益代表として選ばれたのでモラルがどうのこうのなど関係ないのである。
利益をもたらすものの代表として選ばれたからである。モラルがどうのこうので選ばれていなしそもそも大衆国民にモラルなどない、そしたら選ばれた人たちもモラルがない
だから議員があからさまに大衆にこびへつらうのは当選するためであるというのもわかる大衆もまた議員に求めるのはモラルではなくご利益になるからである。
だから民主主義自体がモラルを育まないものだとなる。






タグ:吉田調書
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日本軍の組織の上官と下士官は封建制から引き継がれたものか (アメリカは平民の国であり上と下を差別しなかった)


日本軍の組織の上官と下士官は封建制から引き継がれたものか

(アメリカは平民の国であり上と下を差別しなかった)


幕末にアメリカの船に乗った仙台の一藩士がその船の中で死んだ、そこで艦長以下すべてがその水兵を上官が下士官の弔いに自らでてきて悲しんでいる。このことにひどく感動した。それに比べると日本では足軽が死んだって、犬馬をと同じ扱いだった。
「故に上下の情日に薄く、却って彼に恥じること多し。」やたらややこしい礼儀作法などやっていてけどいたに上と下が信頼関係で結ばれているか、だからこそ、「緊急の節は、各力を尽くして身を忘る、。その国盛んなるもまた故あるなり」(樋口陽一-個人と国家)より


日本の軍隊は上官と下士官の差が厳然としていて封建時代の武士と足軽のような関係にあった。学徒出陣した学生も「お前らより弾丸の玉の方が大事だと・・」か言われたり日本軍には上下の信頼関係が希薄だった。何か上からの一方的押しつけが強制が大きかったのだ。日本軍が負けた原因はいろいろ言う人がいるし立派な上官もいた。ただ江戸時代からの日本人の伝統がなお生きていたのかアメリカ人のような平民的感覚はなかった。侍の世界は一面、格式とか礼儀作法がうるさい自由のない社会だった。これは江戸時代の否定的側面である。必ず社会にはいい面と悪い面がでてくるのだ。

結局日本軍の士気は実際は強制されたものであり上官と下士官の乖離は信頼関係がなかったことはその当時の体験者が語っているから間違いない、アメリカ軍の方が実際は士気が高いことが敗北の原因の一つだった。戦争とかには技術力だけではない士気がかなり影響している。それを示したのがベトナム戦争だったからだ。真珠湾攻撃からアメリカ軍の士気が高いし日本軍は実際は自主的に戦争に参加した人は一部の軍部出身者でありそれらは国民を強制的に徴集して奴隷のごとく戦争させたのである。
ベトナム戦争でアメリカが負けたのは「地獄の黙示録」の映画のようになんのために戦っているのかわからなくなった
ただ人を殺すだけであり人心が荒廃してジャングルで地獄化していったのである。

日本はやはり江戸時代の身分制が尾をひいていたのか?

新しく編成された戸籍のうち、昭和13年以降は華族、士族の俗称は戸籍に記
載されましたが平民の俗称は記載しないことになりました。


昭和十三年まで華族や士族が戸籍に記載されていた。明治から継続していたのである。
平民と記されなくなっても華族や士族は身分制として戸籍に一応残っていたのである。
足軽とかは江戸時代は人間扱いされていなかったのだろう。
そういう封建制的なものが昭和まで太平洋戦争でも継続されたのか?
明治維新では下級武士が革命の主体となったのは侍のなかでも身分制の影響があった。
下級武士は封建制の中ではいつまでも下級武士であり上には上れない仕組みになっていたそういう不満が鬱積してくると時代の変わり目に爆発して革命になる。

上官と下士官は身分制のようなものだったのか?
ともかくアメリカ人は平民の国であり貴族はいない、日本兵が死んで人間としてみんなで葬ったとなる。
一方でまた人種差別の国でアジア人差別はあった。それはこのときはそうした戦争になる前の話でありここでは日本人でも人間扱いされて同等の待遇を受けたとなる。
身分制というとき、貴族はヨーロッパやロシアには支配階級としてつづいていた。
日本は比較的そうしたあからさまな差別がない、平等の国とされてきた。
でも形だけでも戸籍に華族とか士族を残していたのである。

日本軍の敗因はいろいろ言われるがアメリカは平民の国でありヨーロッパやロシアや中東でもサウジアラビアなどは極端な一部の氏族が支配している階級社会である。
アメリカはただ金があるものが支配するが貴族はない社会だった。
物資が豊富だとかも敗因になったがその国の成り立ちとか国民がどういう仕組みの中で生きていたかも関係していたかもしれない
良く「天の時、地の利、人の和」が勝利の原因になるというとき日本は天の時がまちがっていた。
日本は戦争する力をもっていなかった。そして人の和もなかったから負けたとなる。
結局天の時というのも大事である。時代がはずれると英雄的な天才的な人でも活かされないのである。三島由紀夫が何か一人芝居で終わったように英雄になれなかった。
でも今の時期になると中国の台頭とかで集団的自衛権が通るように別なものになって時代を動かしたということもありうる。

人間はやはり時代の影響が大きいのである。その時代がまたどういう時代なのかというのもあとになってはみないとわからないのは人生でも同じである。
青春時代には青春時代にしかできないことがありその時期を過ぎるともうできなくなる
時代でもそうでありその時代にしかできないことがあり時代が変わると価値があったことでも意味のないものとなってしまう。
時代は常に変わっている、高度成長時代を生きたものはやはりその時代の恩恵に欲している、平和の中で生きられたということは戦争があったときと比べれば恵まれたことだったなぜならまた不穏な時代になりつつあるからだ。
今になると自分が自由に旅できたことは相当に恵まれていた。なぜなら今は海外でも円安でありしにくいし国内も外国人が多くなりビジネスでもホテルがとれないとなると相当に旅行しにくい時代になったと思うからである。
要するに旅すらその時代にあわないとしにくくなるということがある

何か社会は時代は常に変わるからその時できることをしないとあとはできなくなる。
ふりかえれば時間は限られたものだから余計にそうなる。
外国人が旅行するにはいいが日本人が旅行しにくい時代になったのである。
それは海外旅行熱になったことと逆の現象になったのである。
貧乏な国は観光で稼ぐというのが多いからである。日本も貧乏になりそれとにてきたともなるからだ。
ともかく日本のいいときは終わった。高度成長時代のようなことは起こらない
だから中国の脅威がましてくるしアメリカの安保条約でも見直される
つまり中国とかアメリカの力関係で日本は窮地に追い込まれる
朝鮮半島の悲劇が日本で起こらないと限らない、すでに沖縄は中国の属国化が進行しているとか言われるからである。すでに日本国自体が分断化されることが現実化しているのである。

この文は時事問題の深層に加筆したものです

posted by 老鶯 at 09:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 明治維新-明治以降

2015年09月24日

小高の老人語る戦争の話(続編)


小高の老人語る戦争の話(続編)

土手のテーブルのあるところでまた例の小高の80くらいの老人と話した。
あの人の話は面白いのである。
ともかく戦争の話を延々としている。戦争に参加したわけでもないのに戦争の話を熱ぼくしている。
もちろん自分の姉も従軍看護婦でシンガポールに四年いた話を延々と聞かされた。
それは死ぬときまで話していた。そことが一番印象に残っていたからである。
もともと話好きな人であったこともある。
話が面白い人と面白くない人がいる。それはその人の体験したものがどういうものだったか話からわかる
その人は工事関係でいろいろな所に行っていた。なぜか沖縄にも行っていたし横田基地でもGHQのもとでも働いていた。
そこで面白いのは鉄砲玉を盗んで帽子に隠してもってきたという。それは見つからずにすんだ。その鉄砲玉は高く売れたという、そのGHQお進駐軍に物がありそれを売ってもうけた人もいる。盗んだというのもそこに物があったからである。
当時の日本には何もない、敗戦で食べるものもない時代である。

そして進駐軍で秘密が厳守なので英語のできる人は別にしたという、英語がわかると中の様子がわかり秘密がもれるからだという。その人は英語がわからないから入れたと言っていた。
軍隊はもともと秘密厳守である、もれたら命にかかわるからである。
それで日本兵のことで隊長クラスの人が肺が悪くなり隊についていけない、その時どうするかというと殺すほかないという、なぜなら生かしておけば置き去りにしてもその人から軍の秘密がもれるからである。だから殺すことが規則なのである。
でもその隊長についていた部下は殺さずに放置した。
放置したらしんでいるはずだが死なずに戦後5年してその部下のもとにたずねてきたという、なにかベニヤ板の商売で成功して社長になっていたという。
その人がなぜたずねたかというと部下をうらんではいないし殺さずに放置したから助かったということでたずねてきた。
普通は殺すのが規則であり体調も知っていたからである。
軍隊はそれほど厳しい゛かわいそうだと思っても生きる死ぬかとなると人軍隊は全員の方を守らねばならない、根こそぎ一部隊が敵に通報されて全滅ともなりかねないからだ。
戦争というのはやはり現代の戦争でも戦国時代でも似通ったものはあった。

その老人はいろいろなことを話する。特攻隊のことを良く話する。原町の飛行場で訓練した特攻隊は銅像も立っていたという、肉弾なんとかで神扱いされていた。
霞ヶ浦に大きな飛行場がありそこから支店のように原町飛行場が作られた。
その人が言うにはガソリンがない、ガソリンがないという話だった。
ゼロ戦でもガソリンがないから片道飛行であり帰ってこれないということになる
ゼロ戦でアメリカの船にめがけて飛んでも当たったのはわずかだった
ほとんどは海に沈んだ、その前に海にわざわざ特攻隊は荷物をすてて軽くして逃げたのだという、島の方にも逃げたりとし特攻隊がみんな勇ましく死んだわけでもなかった
人間魚雷でもあれも逃げたらしい、というのはアメリカでも人間魚雷が来る前に丸太をその前に投げたらそれにぶつかって何の役目も果さなかったという。
つまり最後の日本軍の抵抗は巨象にねずみがたちむかうような状態になっていたのであるそれは物資や武器の面でもそうだった。ゼロ線でもトタンで作っていたヤハなものだった、アルミニウムなら柔軟性があるがトタンでないしヤハものだった。
アメリカのB29は二気筒四気筒エンジンとかで大型でありゼロ線は最初だけは効果があったがあとは歯がたたなかった。
面白いのは竹などで作ったゼロ線を並べていてあるようにみせかけていたという。
こんなことまでしていたのは何か戦国時代ともにている。

中国でも馬で輸送していて軍刀をもっていたのだから戦国時代ともにていた
中国人はまず馬の頭をねらって打ってきたというのもそうである。
馬のことはいろいろ書かれているし馬の戦死したので墓まである寺がある
それは野馬追いではないけど戦国時代とにていたのである。
そういう古風な戦争だったが実際は航空線になっているのだから時代が変わっていた
山本五十六は海軍の出て東郷平八郎に教えられて海には通じていたが飛行機には通じていなかった。
日本では戦艦大和とか巨艦を作ったがそれは東郷平八郎がバルチック艦隊を破って以来、伝統として日本が海軍が主力になっていたのである。
東条秀樹は陸軍であり山五十六とはあわず争っていた。陸軍と海軍は一致して戦争していない、争っていたのである。東条秀人を憎んでいたとか目の仇にしていたとかなる

そしてそうした日本軍の内部でも上官と下士官は対立していた。
下士官への上官の虐待は知られていてそのことで戦争終わってからも下士官が恨んでいたのである。だから戦後に北海道開拓に入った上官が下士官に殺されたということもあったという。戦争終わったとき上官は下士官をいじめていたから下士官の復讐を恐れていたのである。それほど下士官をビンタとかなんとか制裁するのが習わしになっていたからである。
上も下も組織的に団結してアメリカと戦うということも日本軍にはなかったのである。
日本は下士官の方が優秀だったというのは本当である。
日本軍が天皇陛下のもとに団結していたから怖かったなどはなかった。
アメリカはその時、日本のことを知り尽くして勝てると確信していたのである
その装備から海軍と陸軍の確執とか日本軍内部でもまとまらない軍隊だった。
上官は九州から沖縄に行ったけど島に逃げてまた鹿児島に帰ってきたという
沖縄本土にいたらアメリカ軍と戦うから他の島に逃げたのである。
日本の上層部は指揮官や上官はだめだった。逃げる算段をして戦っていた。
下士官は返って優秀であり良く戦ったとなる。

戦争のことを語れば調べればきりがない、自分も姉が従軍看護婦だったからそのことを死ぬ直前までしゃべっていた。その戦争がまさに青春だったからそうなる
だからそういうことは別に認知症になっても忘れなかったのである。
その老人も何か自殺した人がかなりいたといっていたが病院でも苦しくて窓から飛び下りる人がいたなど自殺した人がかなりいたのである。
それは戦争がどれだけ過酷だったかを示している。そんな病院でどんな手当てをしていたのかもわからない。まさに地獄だったかもしれない。
ただ従軍看護婦は人を殺したりしないからいろいろ語ることができた。
ともかく戦争は今でも80くらいでも少年のとき戦争していたし親から戦争の話を聞くからまだ生々しいのである。自分も聞いているから遠いものではない
でもその次の代とかなると直接経験した人から聞けなくなるから遠いものとなってゆく
80才くらいの人とでも自分は貧乏な時代でも経験しているから話は通じる。
同世代はやはり話が通じる。戦後十年の炭とかの燃料の時代の人とは話が通じる。
でも戦後生まれでも十年くらい年が離れるとまた違ってくる。
高度成長時代になってくるから貧乏な時代でなくなってきたからである。


ともかく小高の人でも仮設に住んでいる人の問題は何もすることがない暇で困っている
それでパチンコとかギャンブルに行っている、日がな何もることがないというのも結構楽じゃないだろう。
ただこれまでも老人はパークゴルフなどをやっていた。
老人は昔を語るのがある意味で仕事でありそれが郷土史の一端になっている。
自分は貧乏な時代も知っているし10年くらいの年齢の差があっても話が合わせられる
でも戦前生まれと戦後生まれの差はある。
でもそんなに差はない、ただGHQとかに実際にかかわっていたのはその時代の人だと思った。進駐軍の時代が戦後あったから必ず話題になることだったのである。

それからその人は仙台に行ったら黒人が百人くらい自衛隊の服を来て日本人と一緒に訓練していたという。百人は多いと思った。アメリカ軍には黒人が多い、貧乏な人は兵隊になるということもある。
集団的自衛権が適応されればますますこうしたことが普通になる。今までもこうして日米は協力してきたからである。
百人の黒人を見るということはこの辺ではなかなかない、黒人が色で目立つのである。
仙台には外人が多いというのは本当である。通りでもそうだしどこでも外人がいる国際都市になっている。
そして小高の人が原町に家を建てたがそこで働いていたのは中国人だとも言っていた。
建て売りだと組み立てるだけだから中国人でもできるのだろう。
一週間くらいで組み立ててしまうからである。このことからもすでに人手不足が深刻なのである。この辺でも人手不足で介護であれ工事現場であれ不足して復興が進まないとういことがある。これは今日本の大きな問題なのである。


タグ:戦争の話
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2015年09月23日

松川浦岩の子の塩釜神社の由来の謎 (慶長津波の被害があったのか?)


松川浦岩の子の塩釜神社の由来の謎


(慶長津波の被害があったのか?)


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クリック拡大(塩釜神社の碑)

( 1338 )延元三年暦応元年戌寅三月宇多一群
黒木城主大膳太夫定信公の勧請なり
(1544)天文13年頃より相馬氏栄え(1573-1591)
天正年間相馬讃岐守顕胤厚く此の神社を尊崇し
神田(塩田)五反歩を寄進す

(1611)慶長16年相馬年胤小高城より中村城に移り翌年17年5月岩の子此の地に社殿を復興す

慶長津波とは、1611年(慶長16年陰暦10月28日)、三陸沖を震源とした地震によって発生した津波。
 その範囲は、北海道南西部から東日本太平洋沿岸の広範囲に及ぶ。


 「奥州筋生波(ツナミ)」700人溺死(相馬藩政記)

 ここで生波をツナミとしている。奥州のツナミだから広い範囲にツナミがあったと記しているし今回のツナミと同じなのである。ツナミということば慶長津波で全国で普及して定着したのである。



 
大津波で鎌倉と由比に溺死者二百人を出し、9月には早雲が小田原城を攻め落としたという。

 他の史料は小田原「自落」と記すものもあり、津波と早雲の軍勢の両者によって大森氏は抵抗をあきらめたとのニュアンスが感じられる。
こういうことが相馬藩内でも起きた

相馬氏が進出しても相馬藩内は相馬氏の支配下にはない、館を構えて中世の豪族が支配していた。
それは小高に大きな港があり原町の泉にも港があり勢力をもっている豪族がいた。
磯部も港の機能があり佐藤氏が大きな勢力をもっていた。
そうした在地の豪族が相馬氏に敵対していたのである。
だから小田原で北条早雲が

津波と早雲の軍勢の両者によって大森氏は抵抗をあきらめたとのニュアンスが感じられる
http://musubu2.sblo.jp/article/125743125.html



佐藤氏が磯部館から鬼越城へ

築城年代は定かではないが永禄6年(1563年)頃に佐藤伊勢好信によって築かれたと云われる。佐藤氏は源義経の家臣佐藤忠信・継信兄弟の後裔を称し、好信ははじめ岩城氏の家臣であったが、後に相馬顕胤・盛胤に仕えて軍奉行を務めた。天文11年(1542年)伊達輝宗との合戦の功により磯部・日下石など宇多郡の内六ヶ村を領しはじめ磯部館(佐藤伊勢館)に居を構えた。しかし、
海水による浸食が激しく鬼越館を築いて居を移したという。
http://musubu.sblo.jp/article/99906310.html

相馬市黒木の諏訪神社の社頭の松は「桃井の松」と呼ばれる。諏訪神社は、もと宇多郡尾浜村(相馬市の松川浦北部)にあり、天文七年(1538)に西方の黒木に遷座になったといひ、当時の歌が伝はる。桃井とは神官の名前らしい。(諏訪神社由緒)

○陸奥の宇多の尾浜の浪風の音だに声こい(恋)の百永ももえい(桃井)の松  古歌



 
岩の子の塩釜神社の由来が碑に記してある。

1338年というと古い神社である。第一そこまで記録がさかのぼれることが大事である。

天正年間相馬讃岐守顕胤厚く此の神社を尊崇し神田(塩田)五反歩を寄進す

慶長津波の前にここに塩田があり寄進しているのである。

(1611)慶長16年相馬年胤小高城より中村城に移り翌年17年5月岩の子此の地に社殿を復興す

慶長津波があったとき小高城より中村城に移転したのである。
津波があったときなぜ中村城に移転したのか?津波の後に移転したのか?
いづれにしろどっちにしろ700人も溺死したときなぜそんな大被害があったとき城を移転するという大事業を行ったのかとなる。
そんな力が財政的にも人手でもあったのかとなる。
そもそも城の移転とか他のことはこうして記録されているのに慶長津波は記録されないのか?
佐藤氏の磯部館から今の鬼越館の移転も記されている。諏訪神社の移転も記されている。諏訪神社にはそこまで津波で何か流されてきたとか伝説が伝わっている。
あそこまで津波が来たのかとなる。ではなぜ松川浦から今の市の奥の方に移転したのだろうか?
それも謎であるが時代的には前だから慶長津波のことを語るものではない
でも何か移転するには理由があったとしても語られていないのである。
そしてなぜそこに津波の伝説が語られているのだろうか?
これはおそらくもしかしたら松川浦にその神社があったとき津波があってそれが伝えられているのか?
ただそれが慶長津波かとなると疑問になる。年代が明確に記されているからである。

小田原「自落」と記すものもあり、津波と早雲の軍勢の両者によって大森氏は抵抗をあきらめたとのニュアンスが感じられる

慶長津波の時は戦国時代であり熾烈な領土獲得の争いをしていた。
その時の津波は相馬氏にとって有利な方向に働いた。小高の港が壊滅したら岡田氏の力がそがれたとか佐藤氏でも伊達に味方していたとか相馬氏とは対抗していたのである。
だから慶長津波は相馬氏に有利に働いた。
だから津波の被害は記録として残さないし語らなかったともなる
それで海老の大工が移転した中村の天守を造営に行こうとしたら引き止められた。
それが津波を現していた伝説かもしれない、大原と関係していたのは相馬氏は大原から小池と勢力を伸ばしていったからである。
海側は相馬氏の勢力圏に支配下に入っていないのである。

牛越城でも泉氏が泉官衙跡のある港を支配していたから山の方に城を築いたのである。海の方はあとから相馬氏が進出したのである。
ともかくなぜ慶長津波の記録がないのかということ自体が謎であり不可解なのである。
元禄時代になると記録が残されるようになったとしてもそれでもその前からの記録もこうして記録されているのである。
それが全くないことはかえってその記録をしない、あえて津波があっても記録しないというふうに考える
その時は戦国時代であり津波の被害より敵に勝つことが第一になる。
すると津波が海側の豪族の力をそいでくれたので相馬氏がその時都合よく勢力を拡大して中村に城を移転できたとなる。
それは津波のあったとき同じ時期だというのもそういうことからかもしれない。
津波によって海側の有力豪族が抵抗をあきらめた。
磯部の佐藤氏も伊達側だったのだからそうなる

(1611)慶長16年相馬年胤小高城より中村城に移り翌年17年5月岩の子此の地に社殿を復興す

社殿を復興すとはこの社殿がどうなったのか、津波がここまで来たのか?
今回の津波では来ていない、でもあの高台に神社があったのか?
それも一つの謎である。今ある場所に神社があるとは限らないのである。
平地にあれば流されて高台に移したということも考えられる
ただ古歌が残っているからあれは今の高台から歌ったものである。
とするとあそこにもともと神社はあったとなる
いづれにしろ外から来た研究者が津波がなかったのではという推測したのも慶長津波の記録がないからである。
相馬藩政記に一行あったとても津波の被害のあった場所になにかしら記録が残っていてもいいのである。それが伝説にしても不確かなのである。
伝説の弱点は年代が不明なのことなのである。
だから原釜の津神社(つのみや)に津波が来たとき逃げると助かるということが伝えられてきたというコメントが松川浦の人からあった。
ところがこの津(つのみや)神社は相馬藩内にいくつかありそれは津波とは関係ない、ツノガノアラシトのツノであり製鉄関係で渡来人が移動してきた跡だったのである。
その関係の神社でありそれが渡来系だから隠されてきたのである。
その伝承もいつの時代のものか特定できないから困るのである。


慶長津波のことをいろいろ探求してきたかがこの辺は結論になるのかもしれない
これ以上調べようがないからである。
他の人がまた新しい情報が教えてくれればまた別な見方もでてくる
結局歴史というのは記録されずに消えることもありうる
何か重大なことでも記録が消えて歴史に残されないということもある。
今でもそういうことは現実に起きている。マスメデアで報道することがすべてではない
確実に重要なことが報道されないのである。
その報道されないことが最も重要なことなのである。
それは権力で隠されるし表に現れないのであ。闇に葬られものがいくらでもある。
その真実が知らされないから原発事故とかにつながる。
つまり情報というのは権力によって操作されることが多いのである。
権力者にとって都合の悪いことは知らせない、相馬藩でも相馬藩政記にすべてが記されることはない。都合の悪いことは記さないということがあった。
それが慶長津波であったかもしれない、その理由はただ定かではない
戦国時代の中で争いの中で慶長津波は隠されてしまったとなる。



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2015年09月22日

初秋松川浦と浜街道をめぐる


 
初秋松川浦と浜街道をめぐる(写真)

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藤の蔓ここに残りて春なればまた咲かむかな死者を弔ふ

この後ろに残っているのは奇跡の藤の蔓だという、津波にも残ったから春になると藤の花が咲くのだろうか?
それはあたかもその花が死者を弔うともなる



松川浦初秋の風や舟一艘
松川浦釣り人一人秋の雲
海の風松に薄や社古る
島見えて塩釜神社に薄かな
文字島に秋の鴎の一羽かな
柿なりて街道暮れむ細き月
五本松夕月いでて実りかな
街道の五本松暮れむ稲刈りぬ
しみじみと秋夕焼けの濃くなりぬ
薄雲に月のほのかや隠る石

津波跡残る社に幹と根や磯部は消えて秋の風吹く
岩の子の塩釜神社の古りにけり浦に島見え秋の風吹く
津波より五年も過ぎむ秋日和実りもあれや魚も釣れむ
萩しだれソバナの花のうなだれて月のいでしや街道帰る
街道の細道あわれ日立木の家並変わらず月のいでしも

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今日は秋晴れであり松川浦の方に行った。磯部の神社には大杉の幹き根だけが残っていたあれは相当な大きな杉だった。ただあそこの神社には注目していなかった。
ただ稲荷神社とあるだけである。
津波は磯部の村を壊滅させた。そこには何も残らなかった。
そこから少し離れたこの神社には杉の幹と根が残った。
何か今や津波を偲ぶものが少なくなっている。この大杉の幹と根も枯れるのか?
潮水をたっぷりとかぶっているからである。
たいだい残った松でも枯れてゆくと思う
松は潮水に弱いし強く根を張る樹ではなかったのである。

松川浦の岩の子を回ったら塩釜神社があった。この神社の由来は慶長津波の前からあったのであり碑に年代も書いてある。でも慶長津波ののことは書いていない不思議なのであるここからのながめはいい、島が一つ見えることは古歌の通りである。
岩の子の文字島は前を埋め立てたので防波堤にさえぎられ景観が悪くなった。
秋の鴎が一羽はとまり季節を感じる
今日の風は秋風であり北風であった。もう南風とかは吹かないし東風も吹かなくなる
明らかに秋であり風景も変わってくる


松川浦では大橋の辺りでは連休なので釣りの人が一杯いた。仙台から来る人が多い。
食堂も五軒くらいはじめたから困らない、でもまだ津波の影響は消えない
旅館は工事関係者がとまりまだ観光客はどれほどきているか
まだまだ元のようにはもどらない、放射能の影響もあり魚もとることができないのは痛いただ漁師は別に補償金があるから生活には困らないのである。
そこが前の見方とは違っている、前は生活は魚だけでは苦しいと見て同情していたのである。今はあまり同情する気になれなくなったのである。

帰りはまた街道の細道をゆく、ここはなぜか何度も通っても情緒があるのが不思議である普通だったらこれだけ通っていればあきるだろう。
でも何か季節が代わりまた別なものを感じているのも不思議である。
浜街道といっても日立木から松並木から城跡までなのである。
あとはどこが街道なのか良くわからないのである。


10年近くも何か遠くに行けない、近くを行くだけである。
その近くすら行けなくなるという恐怖を感じた
介護して母が腰を打って動けない、ホータブルトイレに行けないと騒いだからだ
そうしたらつききっりで介護しなければならなん、そしたら外も出歩けない
テレビでは脳梗塞になった母を三食食べさせて朝は新聞配達して収入にしている男性を写していた。
ああなると本当に何もできなくなる、外出すらできなくなる恐怖である。
代わってくれるものがいなければそうなるのだ。
介護はそれだけ人の自由を奪ってしまうのである。
その代わりというか自分は自由に旅したのだからその代償なのかと思った。
なんか人間はどんな幸福でも必ずツケを払わされる
60以降に一番具体的なのは借金のツケを払わされることである。
その他自分の場合、自由の代償がこうして全く自由を奪われることであった

津波もまた何かの代償だったのかもしれない、海の幸を与えるがその代償として災いも与えるとなっていたきかもしれない、そういうカルマが常にあるのがこの世だということを身をもって知ったからである。




タグ:松川浦

2015年09月21日

インターネットで変わった本の読み方 (私設の図書館くらいの本が知的作業には必要)


インターネットで変わった本の読み方

(すぐに注文して買える本ー全部読むのではなく一部を読む)


本は高いものだから前は買いなかったしまずインターネットでわかったことはこんなにいろいろな本があるのかということである。
古本も全国だとあるしもうあらゆる本がある。それが全国的になると安く買える
このことで知識が増大して知の効率が飛躍的に増した。
田舎だとまず本自体がないし買うこともできなかった。
仙台まず行っていたのは仙台でないと本が買えないし専門書は買えない
これは今になるとかなり不便なことだった。
だから知的に相当田舎では不利であった。
それがインターネットで田舎でも発信できるし本はいくらでも買える
それでまた本は半分捨てたがまたその半分の量をインターネットで重にアマゾンで買っているのである。

本をどう利用するかは本というのはある一定の蔵書が必要なのである。
それが読まないにしろ必ず必要なものなのである。
本はいわば自宅で図書館のように備えて置くことが必ず必要である。
だから作家とか学者でも自宅が小さな図書館となっていない限り研究もなにもできないのである。
それは小説などを書くにしても膨大な資料が必要になってくるからである。
つまり何か書くとき必ず本は必要になる、今ではインターネットがその一部の役割を果たしている。
でも内容が濃いものとなると本になる。だから今は自分で文章とか書くとき必ずそれと関連する本を買っているからまた本が増えてきた。
そして本の読み方は今はまずさーと全体を見渡して自分にとって必要な部分を引用して使う。
厚い本でも全部は読まない、二三行でもそこを自分の文脈の中で使うのである。
その二三行が文章に重みを加えるのである。

だから何か今はいろいろなものを組み合わせるとそれが一つの創作的文章にもなる。
抽象画で変化させたようになる、例えば一つのテーマで今「人間の顔」ということで文章を書こうとするときそれに関するものを本を集める。
でもなかなかどこにそうした文があるかは見つけにくい、でもいろいろな今まで集めた本をぱらぱらとなんとなく読んでいると見つかったりする。
このなんとなく本を読んでいる、拾い読みしているのが意外と大事なのである。
つれづれなるままに......というのが何か知的作業だったのは昔から変わらなかった。
つれづれなるままに読んでいたらそれが心に残り自分なりの文章に文脈に取り入れられるのである。
こういうことができたのは有名な作家とか研究者とかであり普通はできない
なぜなら本は前は高価でありまた買うこともできなかったからだ。
本は膨大な数があってもどういう本があるのかどうかもわからなかったのである。
それでいつもベストセラーなどが話題になり何百万も売れていたというのはそれだけ本は流通しにくいからでてある。
本はその人なりに読む本が無数にあった。でも本は流通しにくいからそうした目立ったものが地方の小さな書店に置いて売れることによって商売が成り立っていたのである。
そんな本は実際は何の価値もない紙屑になる本だったのである。
それでも売れたから地方の書店では商売が成り立っていたとなる

ともかく人間の生きる時間は限られている。だからとてもあらゆる本は読めない
もう年取ると余計に読む気力もなくなる。今読むのはそういう読み方ではない
全体に目を通して自分に役立つものを素早く抜粋して利用する読み方である。
本というのは全体に目を通すのに優れている
インターネットでは全体がわからない、部分に細分化されすぎているのである。
一ページを読むというのが多いのである。
本は厚い本でも全体に目を通して要約して読むということもできる
電子本でもそういうことはできないから本の効用は今でもあった。
だから本はなくならないが書店はなくなる、特に地方の書店はなくなる。
それでも本はインターネットでいくらでも買えるのだから困らないのである。

その人の知識というのもその人が人生の時間で蓄積したものである。
知識でもそうだがそれはその人の体験とかそれぞれの地域に住んでいて知識化している。それは長い時間の中で知識化しているのである。
だからマヤ文明というときもそれは長い時間のなかで一つの知的コスモスを総合的に作りだしたのである。一つの芸術ではない、総合的共同体の知的体系なのである。
そういう作業を地域地域で人間はしている、だから地域地域に世界でも日本でも文化が生まれた。
知的体系の構築というとき芸術はその中に組み入れられたものである。
自分でも一つの詩ではなくそれは知的体系として構築されたものの中にある
その時一つの詩とか一つの絵ではなく全体の一部としてそれは構築されている。
そもそも絵のはじまりが建築物に飾るものとして生まれた。
建築に映えるように絵が生まれたのであり絵として独立していなかったのである。
そういう総合的なものとして芸術はあった。


地域とはそうした総合的な場としてある、一つの物を車だけを車の部品工場のようになるものとは違う。それは地域の風土から生まれる。
どうしても会津だったらあれだけの高い山があるのだから山の文化が生まれる。
太平洋に面した海側は海の文化が生まれのは当然だとなる。
これまではマスメデア中心の情報や知によって支配されてきた。
本でもベストセラーとか何か中央で宣伝されるものによって知識が支配されてきたのである。
地方から発信しにくいシステムだった。
今はインターネットだと発信することは本当に簡単である。誰でも内容は別にしてプログだったら簡単にできる。
簡単すぎるからなにか軽薄なものも多いし情報過多になっている。
現代はともかち知的にも何か孤立しないようにシステム化されてきた
だから一方でその地域の風土というのは地域の個性を産むものだから新しい知の創造は地方から生まれる。
限界集落とか今回の原発事故とかそういう地域の消失と破壊は文化を衰退させた
多様性が失われ東京のような中央集権の文化もない索漠として世界になる

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この本は共同体の美というテーマであった。
美の形式が共同体では確立していた
エジプト文明でもそうでありマヤ文明でもそうである
中世のキリスト教文明でもそうであり
国々によって様式がありそれは総合的知的体系化したの文明である
現代のグローバリズムはそういう文化を創造しない
グローバリズムは文化を破壊する、その土地の風土とかを無視するからである。
一つの貨幣、ドルによって統一される、そうなるとアメリカの価値観が普遍化するのである。
科学技術もまた巨大化して地方の文化を根こそぎ破壊する
それがこの辺では原発事故で現実化した見本だったのである。

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老衰でも人間の最期はみじめ (仕事をしながらいつのまにかに死んでいる死がいい)


老衰でも人間の最期はみじめ

(仕事をしながらいつのまにかに死んでいる死がいい)


我が母の苦労つづきをその最期我はみとるやいたわりつつも


NHKの「老衰死」を見たけどあんなふうにして母も死ぬのかもしれない、老衰死というけどあそこまでなるのはそれなりにまた時間がかかる。
老衰というのは徐々に生命力が喪失してゆく死である。
食べられなくなると徐々に細胞が死んでゆくというのがわかりやすい。
本当に食べる量が少なくなる、こんなに食べないのに生きているというのが不思議になる死んでゆく状態になるともう何も食べない日がつづくのだろう。
水さえ飲まないようになる。そして肩で息をして息が苦しくなり荒くなり息が途絶える
でも脳細胞が死んできているから苦痛を感じないというのもそうなのかもしれない
外から見ていると息が苦しいから死というのは非常に苦しいように見えるのである。

だから死の前に認知症になるというのは一つの人間の生命の摂理なのかもしれない、つまり認知症になると暑さ寒さも苦痛すら感じなくなるし死も怖くならないという。
でも認知症になって姉はの死にざまは無惨だった
意識不明になるまえに確かに正気に一回帰った。
それから一カ月くらい無意識になっていた。何にもわからなくなったから死んだも同然だったのである。
人間は意識がなくなると死んだも同然になる。
何か意識があるか限り生きているのである。
なんか姉は女性でも豪快な人だった、体育系であり太っていて男でも人を恐れないのである。

だからたいがい強面の男性でも恐れない、堂々とわたりあうのである。
ただ性格的にはあまりにも強きであり功罪があった。
常に人を見下していたのである。だから死ぬ時まで自分は優秀だったと言って死んだからそんなに優秀なことにこだわるのかというのがわからなかった。
それも認知症になって馬鹿になったとかなどと言うことがあったのでかつての優秀な自分でありたいということを強調したいためだったのかもしれない。
ともかく人間の最期は誰でも悲しい、特にその人のことを知れば悲しい
自分の母親はやさしくしてもらったことがほとんどない人生だったのである。
もともと性格は素直でやさしい性格だった。
でも継母に育てられたり結婚しても前の夫が事故で死んだりと何か不運つづきだったのである。
だから何か遊んだということもほとんどない、働きづめ苦労つづきでありそれがまた異常な性格にした。
花も何にも興味がないとしたらそれは異常なのである。
ただそれも過酷な人生だったということがあった。

結局やさしくされたことがない人生だった。
だから自分は母には悪いなという気持が常にあった。
母は恵まれていたら上品なおくさんになっていた。
こういうことは大正生まれの人とかには多いかもしれない
戦前生まれでもやはり何か不運な苦労つづきの人が多いだろう。
それでも母は忍耐強い性格でありあまり愚痴も言わなかった。
これだけの不運でもそうだった。
今の人はささいなことでも忍耐しない、不満ばかり言っているのである。
そこが戦前とかの女性とは違っている、だからすぐに離婚するのである。
そんなに簡単に離婚することはわがままなことがあるのは確かなのである。

人間の最期はみんな悲惨である。成仏もなにもない、死は悲惨なのである。
ただ肉体の死とともに人間はすべてが終わるのか?
人間の生はなにかしら継続されてゆく、その次の世代に何か継続されてゆく
自分をよくしてくれた姉と母のことは忘れることができない
姉が死んでからいかに人間が非情かも知って余計に思うようになった。
人間の愛とか情は死ぬ間際まで通じている
愛は死後まで通じているのかもしれない、百歳になっても認知症になっても何もわからなくなったのではない、愛とかはわかるのである。
この人は優しくしてくれとかはわかるのである。
犬猫でもそうした愛情は通じるしわかる

だから介護は他人がするのはむずかしいし若い人には向いていないと思う
若い人のやることは別なことである。
家族として長く一緒にいた人がやるべきなのだろう。
ただもう最期の方になると介護の負担が大きくなりすぎるのである。
トイレにいけない、介助していたら夜すら眠れなくなる
何もできなるのである。
だからそこで情があってもその情の通りに行動できないというのがまた矛盾なのである。シリアの移民でもかわいそうだと言ってもそれでみんな受け入れたらどうなるのか
何かかわいそうだと思ってもそれを現実に行動に移すとなるとそう簡単には行動できないのである。

要するに死をどう迎えるのか?それは人間の死は肉体の死であり精神の霊の死でとないと
いうことを死ぬまで思いつづけることである。
肉体という殻は最期脱ぎ捨てる、でも精神は霊は死なないのである。
人間は死なないのである。キリストは死ななかった蘇ったからである。
聖霊は死なない霊である。肉体を越えたものでありそれがなくして人間はすべて敗北に期する
人間が死んで終わりだとなるなら生きていることすら無駄である。
人間は死なない命があってこそ生きることができる
永遠の命があるからこそ生きる希望がある。それがないといかに自然が美しいとか言っても死んだら終わりだとなる
自然が輝くのは永遠の命があるからである。
死とは肉体の殻を脱ぎ捨てることであり霊は死なないのである。

ただ誰でも自分でも病気になると精神まで病んでくる、病気に勝てる人はいない
体と霊の戦いがあるがどうしても肉体が衰えてゆくと心も衰えるのである。
元気溌剌として死ぬ人はいない、何か弱り果てて死んでゆく
だから死は死神の勝利であり人間は死によってどんな人も敗北すると見える
ただこう思いつづけること肉体に打ち勝つことは至難である。
すでにちょとした病気でも人間は自分でも弱気になってしまうからである。
老衰の死がいいというけど自分はなにか嫌である。
近くであれよあれよというまに仕事して一週間とか後に死んだ人がいる。
あういう死に方がいい、仕事しているうちにいつのまにかにあの世に逝ってしまっていたのである。
90才になり一週間前まで患者をみていて死んだのである。
別にその人は性格がいいという医者ではなかった、でも死に方はあまりそういうことと関係ないみたいである。

要する人間は最期まで仕事していることが大事なのである。
仕事でもいろいろある。別に医者だけではない、自転車屋の人も病気になったが最期まで仕事していたし同じように病気になった人も仕事している。
仕事がないということが意外と人間にとって辛いものにもなるのだ。
退職してからでもそうだし老後でも何か仕事がないことはもう生きがいもないということになり危険な状態になる。
その人は生きなから用なしとなることが怖いことなのである。
それはもう報酬の問題ではない、医者なら医者として任務を全うすることこそ大事になるともかく仕事というものが人間にとって金にならなくても欠かせないものなのである。
何か老衰というのも死ぬまで弱ってゆく姿がみじめなのである。
つまり死が意識されないように死んでいけたら幸せだとなる
仕事して病気になった、そしたら死んだとかなるのはほとんどみじめな死を意識されないのである。
あの人は仕事していたけど死んだのという感想なのである。
50才の人でアルツハイマーにてっても会社に行き仕事をして社会とかかわっている人は10年も症状が遅れて生活している驚きがある。
何かそこで脳が刺激されて脳の萎縮が進まなかったのである。
人間にとってやはり何か生きがいがないと病気でなくても衰えてゆく

姉がアルツハイマーになったのは退職してから怠け者になり家事も料理もなにもしなかったことが悪かったと思う。
画家はキャンバスの前で死ぬべきであり職人は仕事場で死ぬのがいいし農民は畑とかで死ぬのがいいとなる。
何か仕事をもたない人はだから老後でもみじめになっている、死ぬ前にすでに用なしとなっている、ただ命を伸ばすだけとなり無用の老人となって迷惑をかけるだけだとなる。
そしてだらだらと人に迷惑をかけて死んでゆくだけだともなってしまうのである。
ただ人間はどういうふうに死ぬかはどういうふうに生きたかともに通じる。
仕事をしているというときまさに仕事しながら死ぬというのはそこが死に場所だったとなるのである。

ともかく高齢化社会は介護社会でもある。介護の負担が大きすぎるのである。
まず仕事しながら死んでゆく人がまれである。延々と介護がつづく
自分だってすでに十年にもなるのである。
その労力は並大抵なものではない、だから旅行に全く行けないし近くすらゆっくりと行けない
そしてもっと深刻なのは重要な社会の仕事をしていた人が50才くらいでも仕事をやめて介護しなければならないことである。
それは社会にとって損失が大きい、その仕事にもよるがやはり技術職であれ何か社会的に重要な仕事をしている人が介護になると海外との競争力が衰えるとかまでなる
自分にしても何か介護が負担になると何か創作することも書くこともままならなくなる
介護が意味がないものでもない、でもその負担が現代では大きくなりすぎるのである。
だから一方で介護するということは人間として悪いものでないにしろ一方で仕事もできなくなる、有益な時間が奪われるとかなる。
だから若い人にしても結局介護は実りのない仕事だとなり誰もしたくない
それで有能な人間は介護などしない、介護している若者は社会のおちこぼれがふさわしいともなっているのが現状でありそれで問題を起こしたりしているのである。
タグ:老衰
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2015年09月20日

原町の道の駅で盆栽展


原町の道の駅で盆栽展

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石川氏の作品

松林

クリック拡大


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曲松

これは二つが組になってみるそうである。


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一本松

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下浦氏の作品


松風


こういう松は山の中でみかけた

いかにも風雪を帯びた松である。

枝垂れた松の枝がいかにも風に吹かれている感じになる

セッティイングが展示がもう少し工夫が必要だった

何か自分もフラワーアレンジメントしているけど

写真映りいいように配置しないといけない

現代はなんでも写真を意識しなければならない時代になったのである。

これは別に写真をとっていいと言っていたのでとった

でもここに出すと名前が必要に思った。著作権があるからだとなる

ただ名前を出すとまた許可されていないからめんどうだとなる

新聞でも許可しないのに名前と住所まで出した人がいたのである。

今はどこで写真がとられインターネットに発表されているからわからない時代である。

それで一応名字だけを出した。

名前の全部を知りたい人は連絡すれば教えることはできる

ただこれも問題になるということはある。

ただ写真をとることを許可したのだから出してみた


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羽根見ればヒョウモンとまる秋薊

ヒョウモンとつく蝶にはいろいろある。北海道が多いのか?寒いところの蝶なのか?
秋の薊にあっていた。



時々あそこで展覧会をしている。野草展などもあった。
今回は盆栽展である。盆栽にも個性がある。
今回を目をひいたのは松林のようになっている盆栽である。
一本の根からこれだけ生えた
これが気にいったのはこの辺では松原が津波で流されてなくなったからである。

右田の松原はいい松原だったけどなくなった。
あそこは一本の松がいいというより松原になっていたから良かった。
一本一本の松は良く見ていなかった。
松は一本一本見るのと二本と三本とか五本とかの松があり松原があり松林がある。
この松が松林のように見えたのである。
だから何か松原があったなとか見えたのである。
もう右田の松原でも高田の松原でも見ることはできないのである。






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2015年09月19日

秋の彼岸が姉の命日で7年すぎた (家と土地に記憶を残す死者)


秋の彼岸が姉の命日で7年すぎた

(家と土地に記憶を残す死者)


姉死してはや七年の過ぎにしや秋の彼岸が命日なるかも

日々通る我が家の墓花なしを見れば淋しも花さしにけり


昭和20年9月21日が姉の命日だった。数えてみればすでに今年は昭和27年だから7年もすぎたのである。
これも早いと思った。6年だと思ったが7年だった。プログをかきはじめたときちょうど認知症を発病した。それまでは良くわからなかったし穏やかだった。
認知症が発病したというのがわかったのはもともと気性が激しい人だから暴力になったからである。
認知症は人によって症状が違う、激情的な人は認知症になると暴れたりする介護する方の負担は大きくなり苦しくなる。
その認知症の介護のことで二年半とかプログにかきつづけた。
ただ二年半すぎたところで死んだので長くは介護しなかった。

その点は救われたのである。あれ以上長くなると自分も母もとも倒れなり家は維持できなくなっていた。
それからまた母の介護でありもうすでに10年にもなるのである。
その間に自分も病気になり犯罪にあいとか借金で攻められとかさんざんな目にあった。
なぜならその間に病院に一カ月入院して二週間は手術のために入院したからである。
これも苦しかった。一人で何でやらねばならなかった。
それまでは社会と没交渉であり隠者のような生活をしていたからである。
だからそういう暮らしができたのも不思議だとなる。
今だとニートとか珍しくないが団塊の世代では相当な変わり者である。

それにしても未だに自分は落ち着かない、母が腰をいためたとかいろいろ介護でめんどうになっているからである。
介護は長いからこれも負担なのである。姉が認知症になって以来毎日生活に追われてきた近くすらのんびりと行けなくなった。
夜の8時ころ帰った時、姉は帰ってこないと近所の人のところに行き騒いでいたのである
その近所の人はいい人だったので受け入れてくれたのである。
あとのひとは親しい人も近寄らなくなった。
自分にとって姉の認知症の介護は限界になっていた。鬱病にもなっていたからである。
その時脳梗塞で倒れて入院してその後半年くらいで死んだのである。

人間は死んでから七年くらいはまだ昨日のことのように思える。
死んでからまだ自分は気持の整理ができていない、というのはその後も今度は母の介護に追われてきたからである。
だからずっーと心の余裕がもてなかった。そしてその間に今度は津波や原発事故が起きたのである。
ともかく激動の十年だった、そしてまだそれは終わっていないのである。

姉についてはいろいろ思い出があるから一つの本にして残そうとしていたがなかなかその余裕がないのである。
七年くらいすぎても思い出はまだまだ生々しいということに気づいた。
人間は死んでもそのあとその人が記憶から簡単には消えないのである。
7年となると長いと思ったがそれは昨日のことのようにも思えたからである。
それだけ人間は例え死んでも影響があり何かしら残った人に記憶を残してゆく
つくづくだから限界集落でもそこに夫が死んで残された妻がその家を離れたくないとかその土地を離れたくないという気持がわかった。
それはまだ死んでも生々しくともに生きた人の記憶がその家や土地に残っているからである。
その土地とか家とか何かに記憶が刻印されている。

だから人間は死んでもそう簡単に記憶は消えないし忘れられということはない
むしろ生々しく蘇るということ残された人にその生前の姿が鮮やかに現れるということもある。
それは7年過ぎてからでもでありまだ時間がたってその人の姿が明確にありありと映し出されるということがある。
津波で死んだ人たちもまだまだ遠い人ではないのである。
10年すぎて一昔になるがそれでも死んだ人は簡単に記憶から消えることはない
だから原発避難者でも故郷とか家から離れられないという気持がわかる。
特に老人に多いのはその家に土地に記憶が刻まれているからである。
その家とか土地から離れたらそういう記憶も薄れて思い出せなくなるからだ。

自分の家の墓はすぐ近くであり毎日のように通っている。ちょうど用事あるとそこを通るからである。だから墓は身近である。
それで毎日見ているからさした花が枯れたとかとりかえて花をさしていないと何か淋しいなと花をさしている。
つまり墓も近くにあれば身近になり生活をともにすることになるのだ。
死者もまた身近にあるともなるが離れていると生きている人も死んでいる人も遠くなる。


タグ:秋の彼岸

平和の時代は終わり危険な時代へ (集団的自衛権の攻防は日本の動乱の時代のはじまり)


平和の時代は終わり危険な時代へ

(集団的自衛権の攻防は日本の動乱の時代のはじまり)


幸運は長くつづかない
平和も長くつづかない
日本の平和の日は終わり
日本を守るために
血の犠牲が払わされる
70年前の戦争で
死んだ無数の戦死者
国家はまたその血の犠牲を求む


国家とは何か、国家とは血の犠牲を求めている。何かまた戦争の時代に入ってきたのか?
集団的自衛権とはその先触れなのか?
日本は戦後は焼け野原になったけどその後は朝鮮戦争の特需があり高度成長になった。
戦後50年とかは幸運だったのである。
自分の人生も平和であり幸運だったとつくづくふりかえる。それは普通の家族ではないにしろ何か平和であった。そして何より自分は楽だった
会社にも勤めないから自由に旅もできたしそういうことが許されていた。
三食も用意されていたし楽であり何か暇を感じていた。
それが親が病気になり一人は死んでもう一人は介護になった。
自分自身も病気になった。その時病気で弱者になったとき責められた。
一人もいたわる人はいなかった。それも長い平和と幸運の代償だったのかもしれない

つまり日本の幸運と平和は本当は日本自身で成されたものではない
日本が日本を守っていたのではない、アメリカに守られていたとかなる。
冷戦構造の時はそうだった。そして今は冷戦も終わり世界構造が変わってしまった。
日本は日本を守るために血の犠牲が求められているのである。
アメリカとともに戦争するというより日本を守るために日本人自身が血の犠牲を国家から強いられる。
だから再び戦争の準備をしなければならなくなる。
何かアメリカとかも守ってくれない、だから自力で日本を守れとなる。
そういう時代の変革期に来ているのだけどあまりにも長く平和がつづいたので危機が自覚できない

平和とか幸運は個人的にも団体でも国家にしてもつづかない
自分の平和と幸運はたちまち苦難に代わり悪戦苦闘の日々になった。
もちろん津波とが原発事故でもそうである。
何か平和と幸運の日は終わり再び歴史的にも日本は苦難の時代に突入して行くのか?
そういう不安がある。ただすでに平和を豊かさを満喫した世代でありもう人生も終わろうとしているからこの国家的苦難は若い世代にのしかかる
これからの若い世代はもう戦争で無数に死んだ人たちのように楽ではない人生になるのか?
人間はどうであれ時代時代を生きる宿命を逃れることができない
明治からこれまでふりかえれば日露戦争があり太平洋戦争があった。
戦争を二回経験している。戦後70年はそうした戦争もなく平和と繁栄の時代だったのである。

団塊の世代は恵まれたと今の若い人が言う時それもそうだった。
高度成長時代であり日本の繁栄の時代を生きたからである。
いくら集団的自衛権に反対してももうそれだけでは国は守れない
非戦を唱えても9条が平和を守ってくれるわけではない
常にそうした反対する団体は中国とか韓国の工作員が煽動しているとか言われる
では中国が日本を守ってくれるのかとなるとならない
中国に日本に恨みをもつから復讐する、日本は中国の今度は属国化される
だから左翼が集団的自衛権に反対しても国民は前の安保闘争のように盛り上がらないのである。
アメリカは日本を守ってくれない、アメリカは日本に血の犠牲を強いる
日本はもうアメリカの傘の下で安全を計れないのである。

9条も守ってくれない、血の犠牲が強いられて日本が守れるのである。
集団的自衛権とか徴兵制とかはこれから強制される。
そうしないと国が守れないからである。
冷戦はもうとっくに終わり世界の構造は変わってしまった。
つまり9条を唱えていれば国が守れる平和と幸運の時代は終わったのである。
もうまず自衛隊に血の犠牲が求められている。
自衛隊は死んでこそ国のために死ぬことで価値があるとか言われているからだ。
税金はそのために払っているとか言われている、だから自衛隊がまず日本国のために血の犠牲が強いられる
外国で死ぬことが要請されている。
その時自民党でも安倍首相でも公明党でも創価でも良くやったとほめられる。
指導者は国家のために犠牲を払う若い血の生贄を求めているのである。
まず創価は戦闘的集団であり平和を望んでいない、あくなく権力を追及する団体だから世界に対してもそうなる。日蓮は戦闘的なのである。
だから太平洋戦争でも日蓮主義で指導した人がいた。右翼と一体化しやすいのである。
また時の権力に反抗することはない。

日本はあまりにも平和であり繁栄の時代が長かった、だから以前として敵に攻められるとか感じない、つまり9条というのは中国からみたら都合のいいものであり中国の支配下に入れるために工作員が支援しているとなる
何らかでこれから日本はの平和ボケは厳しい現実にさらされ打ち砕かれる
津波のように恐るべきことが起こり打ち砕かれる
ミサイルが本当に北朝鮮から飛んでくるかもしれない、ただ以前として平和が幸運が長くつづいたからそうした危機感が喪失してしまっている。
集団的自衛権がどうのこうのというよりそういう恐るべき現実に日本はどう対処するのか日本の国家の危機になったら日本は嫌が応でも血の犠牲が求められる時代になる

左翼が9条を守れというときそれに乗じて中国が侵入して支配されることにもなる。
なぜなら常に在日とか中国の工作員が入り裏から日本を支配しようとしていると言われるからだ。つまり中国が巨大化したとき常に背後に中国がいるとういことを考えねばならぬ時代になったのである。その橋渡しとして在日がいるとなる。
すでに日本の中で中国派とアメリカ派とかが二分して争っている。
だから常に左翼は中国の手先であり日本を売り渡すものだと見られている。
単純な平和主義ではない、要するに中国とか関係しない平和主義ならいい。
でも実際は9条は中国に利用され中国にとって都合がいい、左翼はそして中国の手先となり中国が日本を侵略してその左翼を利用して日本を今度は支配するとなる。
右翼またアメリカの手先だというのもそうである。
どっちを選べとなると必要悪でアメリカがいいとなっている。

いづれにしろ日本の平和と繁栄の時代は終わり危険な時代になりつつある。
それが津波であれ天変地異であれ原発事故であれ時代が代わり目に起きてきたのである。ただ平和と繁栄の70年間は無駄ではなかった。そこで貯えられたものが華開くのもこれからである。
何か個人でも実際才能でも華開くには時間がかかる。団塊の世代は批判が多いがやはり平和と繁栄の時代に蓄積したものがありそれが華開く
とにかくシリア難民でもそうだけど何か世界が動乱の時代に突入する。
あれは難民というより命懸けの民族移動である。必死だからある意味で受け入れる方も怖い、拒否できない、そこでは人権主義でも限界がある。
数が多いからもう戦争のようになる、そうなるととめるには軍事力しかなくなる。
そこで戦争が起きてくる、相手はすでに相当数死んでいるし命懸けだからである。
グローバル資本主義はもう限界であり世界経済も停滞して大きな破綻に見舞われるかもしれない、もう維持できなくなり新たな世界の構築がはじまるかもしれない
そういう時代の大きな変革期がきている。
自分が苦しめられたのもまさにそういう時代に入り国家もそういう時代に試練の時代に入ってゆく。


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2015年09月18日

みちのくの文化圏の探求 (まず地理的でも政治的でも境界を知ること)


みちのくの文化圏の探求

(まず地理的でも政治的でも境界を知ること)


江戸時代(1603年〜1867年)には津軽地方は弘前藩、 南部地方は南部領八戸藩として別々の統治の下に置かれました
http://human.cc.hirosaki-u.ac.jp/kokugo/tugarunanbu1.html

地理的境界として奥羽山脈があった。それは新幹線で新青森から奥羽山脈をぬけて浪岡に出た時わかった。
方言から地域を区別するのは昔からあった。人間の地域性はまず地理で地形で区切られて方言で区切られてそれたら政治で区切られる、青森でも弘前藩と南部藩と対立して影響していた。関所があるとそこで二つの地域に分けられて違った文化をもつようになった。

伊達藩は今の宮城県であり新地は伊達藩でありその新地出身の人がだっちゃという方言を使っていた。ただこの女性は名取にも住んでいたから仙台弁になった。
新地はまぎらわしい地域だった。明治以降は相馬郡になったが江戸時代は伊達藩だったのである。
明治以降の廃藩置県は地形とか考慮しなかった。江戸時代は地形が地理が一つの国として封建制の中で確立していた。ただ伊達藩となると広いからそれは政治的支配であり地理を越えたものとして成立した。

廃藩置県になってからは地理的に県を理解することはむずかしくなった。だから前に県からイメージすることができないと書いた。
つまり青森だったら弘前藩と南部藩は地理的に政治的にも別だったのである。
福島県でも広いから一つの地理から理解できない、会津地域はもともと万葉集の残っているように一つの別個の国だったのである。
「会津嶺の 国をさ遠み 逢はなはば 偲ひにせもと 紐結ばさね」
ここで嶺となっていることがまさにその国が会津嶺でありその嶺は複数の嶺なのである。一つの嶺ではないのである。
岩手山だったち岩木山でも鳥海山でも一つの嶺としてあるが会津は多数の嶺のことなのである。
福島県の福島の由来を探求している人がいるがこれせ複雑であり何かわからなくなる。
大阪とかにその由来を求めているが何かしっくりしない。
なぜ福島県なのかその由来がわからないのである。
福島県というのは名前は何か歴史的でも地理的でもない、ただ二本松県とか会津県とすると統合した名前にはふさわしくないから福島県としたのかとなる


まず世界を理解するのは地理からはじまる。岩手県でも区界(くざかい)という高地があるそこで岩手県は二つに分かれている。そこには春になっても雪が残り冬だと厚い雪に埋もれるのである。
そして今回の津波の被害を受けた地域は太平洋海岸線として一体であった。
海岸線とか大河の流域とかが一つの共同の地域を形成することは交通からありうる。
ヨーロッパでは川が縦横に流れ運河ともなり交通がありハイザ同盟とか一つの都市のネットワークを作った。
日本は大河がないから海岸線のネットワークを作った。
都からは鉄の材料が浪江の請戸港に運ばれて葛尾村で製鉄されて葛尾大臣が栄えた。
宮古と相馬はかえって海の道で結ばれていたのである。
地理を知るときはやはり区界(くざかい)でもそうだが地理的でも政治的境界でも知ることが第一になる。
福島県ではハマ、ナカ、アイヅとあるとハマと浜通りとか中通りは阿武隈山地で区切られているから地理的に隔絶してるのである。
ただ今回の放射能汚染では風で中通りの福島市とか郡山市まで放射性物質が運ばれたので皮肉だが地理的一体だったと感じたのである。
風はどうしても峠でも山でも越えてゆくからそうなったのである。

福島県はまず会津は地理的にも別個の世界である。2000メートル級の山がひしめいているからそこが全く違った山国の世界なのである。
そして阿賀野川を通じて新潟方面と交流があり浜通りからすると遠いのである。
だから福島県と言ってもそこを一つの国としてイメージするものがててこないのである。
文化はやはり一つの地理的なミクロコスモスの世界観が形成された場所から生まれる。
だから会津には会津の文化があり福島県の文化ではない。
そこには歴史の厚みがあり風土に形成された歴史と文化が蓄積されている。
会津も広いし奥深い世界だから地理的にも究めることはむずかしい。
福島県を知るだけで相当旅行しないとわからないだろう。
東北でもそうだがここも地理的歴史的一体感がどこまであるのかわかりにくい。
要するに東北でも広いからそうなる。
ただ常陸が関東圏であり白河関からはみちのくになったのは地理的にも政治的にもそうなった。

文化の形成はやはり地理がらはじまる。それは相馬藩という狭い地域でもそうでありそのミクロの世界でも一つの世界観をもつことにより文化がcultivate(耕して)されて形成される。耕すというとき土を耕すというだけではないすでに土を耕し実りを得ること自体が文化なのである。
地方創生というとき文化の再生こそが地方創生である。経済的なものだけではない、政治経済のように人工的なものではなくその土地土地から形成されるのが文化なのである。
現代はグローバル資本主義から国単位でも県単位でもさらに江戸時代の藩単位になり文化の再生の時代になる。
文化の個性はその土地なくしてはありえないからである。だから東京に政治経済はあるのだけど文化がないのである。
奈良や京都には大阪でも文化があったが東京にはないのである。
文化が興隆しない限り栄えたとはならない、たいがい政治都市でも鎌倉でも平泉でもやはり文化が興隆したことで歴史をみるからである。

東北文化圏とかその中でも会津文化圏とか相馬文化圏とか青森でも弘前文化圏とか岩手でも地域的に分かれた文化圏かある。それは全国的でもそうである。
この文化圏の再構築することによって日本の文化も多彩なものとなる。
日本は国土は狭いのだが地勢が複雑であり変化に富んでいる。南国から北国からある。
だから一つの世界観を形成しやすいとなり日本文明が形成されたのである。
全国的だと琵琶湖を中心とした近江文化圏とか瀬戸内海文化圏とかはわかりやすい。
地理がわかりやすいところが旅してもわかりやすい。
琵琶湖があり瀬戸内海がありそこからイメージできるからである。
ただ岡山県だとか広島県だとか県単位になるとイメージすることができないのである。

東北などの雪の俳句

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区界に雪の溶けずに厚しかな

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2015年09月17日

拡張型グローバル文明から内部志向型の文明形成の転換期 (日本の江戸時代、マヤ文明とか内部志向型文明が見直される時代)


拡張型グローバル文明から内部志向型の文明形成の転換期

(日本の江戸時代、マヤ文明とか内部志向型文明が見直される時代)

文明の見方はいろいろあるし文明そのものが何か定義はない。
古代文明はエジプト文明でもそうだしマヤやインカの文明でもそうだが内部志向型文明と定義づけられるかもしれない。
内部志向型というとき交通が発達しないから一地域で一つの世界を作る文明である。
外部志向型文明は拡張型文明であり一つの世界が広域に形成する
それはローマとか中華文明でも古代の文明でも起きた。日本は中華文明の縁辺に生まれた文明という見方もあるのもそのためである。
時代的にも中世とかなるとヨーロッパでも城が多いから日本の封建制時代と同じであり内部志向型文明になる。
外に拡張しない文明であり閉鎖的な文明となる。
だから中世と日本の江戸時代はにているのである。

例えば江戸時代は鎖国であり拡張文明ではない、外国との交流をたち日本独自の社会を形成した一つの内部志向型の文明だった。
江戸時代をどう定義するかいろいろあってもやはり一つの内部志向型文明を成熟した社会を形成したと評価できる。
内部志向型文明はその地域で国で自給自足して世界観を作り上げる。
日本は稲作文明の継続として江戸時代があり一つの世界観を形成した。
山に神がすみ春には里におりてくるというとき田植えの時に神が山がおりてくるというのは日本的な稲作文明の世界観であり信仰にもなった。
山には先祖が死者が眠るという山の信仰があったのはそのためである。
それは稲作文明から生まれた一つの信仰であり世界観である。
葉山(羽、端、.....)信仰がそうである。羽山は端山は低山地域にありそこはちょうど田に水を供給する山の高さなのである。高い山の信仰ではないのである。
それは日本の自然と調和した自然観であり世界観であった。
ただ明治維新は様々にとりあげられるが日本の文化の基ともなった江戸時代はまだ歴史的に文明的に鎖国というマイナスの評価になっている

でも現代の文明はこうした拡張型文明から内部志向型の文明に移行する時代にきている。拡張文明というとき西欧文明の大航海時代からはじまって現在のグローバル資本主義経済を形成した。それは地球が一つの世界を形成した。だから世界が一つの価値観をもった時代だとなる。
資本主義が絶えず資本を世界に投入して経済の発展を計る、そもそも資本主義が起きたのは大航海時代に船で貿易するために投資がはじまった。
船が沈めば株主は大損するが船が安全に帰ってくれば大儲けになるのである。
それが船の株主であり資本主義がそこから発展したことでもわかる。
ヨーロッパとか中東とかでは船を作るために大量の木材を必要として森が破壊されたというときレバノン杉の森が消失したというときそれだけすでに船を利用した貿易が地中海で行われていたのである。
文明はそうした船をつくるために食い尽くされたというときいかにそれは拡張型文明が早い時期から発展していた。

その拡張型文明は西洋だけではない、世界の資源を求めて進出した結果としてアジアの森が今度は破壊されたことは同じである。
内部志向型文明は江戸時代の葉山信仰、稲作文明のようにあまり自然破壊は起こらないのである。
それでも海の方へ田を干拓したとき湿地帯を埋め立てたから自然破壊だった。
松原は自然と調和したのもだと思っていたが自然破壊したものであった。
なぜなら津波で根こそぎ松原が破壊されたことでそのことがわかった。
松原だけとか杉林とかは人工林であり自然林ではなかったのである。
稲作文明は内部志向型文明でもその稲作の範囲を海の方面の湿地帯に拡大したとき自然破壊になっていたのである。

現代のグーバリズムの拡張型の文明は限界にきている。もう拡張する発展するフロンティアが消失している。だからいくら資本を投入しようにもその場がなくなっている。
だから世界経済が発展するということはなく世界経済自体が停滞して後退してゆく
それは中国経済でも限界が生まれたことが象徴している
新興国の発展にもブレーキがかかる、資本主義はグーーバリズムはそうした限界にきているのだ。
だから世界的に株価は低迷して成長する国も分野ももうなくなる
それは日本だけではない世界的に起きている現象である。
例えば日本でアベノミックスで資金をいくら投入しても経済発展が望めない、回復しない、一見株が上がり成長しているように見えてもそれは見せかけであり日本はこれ以上経済成長するのは限界なのである。
それは中国でも起きてきたし世界自体が経済成長することができない限界にきている。
これ以上グローバリズムの経済を押し進めればむしろ地球の自然環境は破壊されるから
それは自然の理が働いてブレーキがかかったともとれる。

現代の資本主義拡張型文明は会社文明であり多国籍文明であり今までの文明とは違う、そこには文化がないのである。ただ経済の原理があるのである。
文明には必ず文化があり世界観がある。グローバリズム経済には資本主義には文化が生まれない、会社は多国籍会社はその土地に根ざすものではないから文化を生まないのであるつまり文化はcultivate(耕す)場がなければ生まれないのである。
だからシュペングラーが警告したのはまさに土地に根ざした田舎が失われ都市文明化して文化が消失して世界が数で計られる無機的なものとなる。
毎日世界が株を標準として常に数で計っていることでもわかる。
その株価も実質の経済を繁栄したのもでもない、架空の数字の世界だとも言われる。
致命的なことは文化がグローバリズム経済から生まれないことなのである。
そこに精神の不毛があり文化の不毛があり精神の貧困がある。

だから今見直されるべきは日本では江戸時代であり国風文化なのである。
それは日本だけではない、かえってグローバリズムの世界、一様化した世界には興味がもてない、会社文明、多国籍会社文明は精神的に軽薄であり文化がない。
それはただ外部志向があるのみであり内部志向がないからである。
内部志向というとき縄文時代の土器の装飾とかマヤの土器でも装飾が豊かなことが共通している。
内部志向型文明は一見それはグローバルでとないと批判されるが濃密な自然との交流があり芸術性豊かな装飾性が豊かな文明だったのである。
だからこうしたエジプト文明でもまたマヤ文明でもそこに一つの自然と調和した世界観宇宙観がありそれは一つの詩的空間にもなっているのである。
つまりそもそもグローバル資本主義経済には詩はない、経済の話だけである。
それから科学が技術が現代を形成するものでありそこに文化はないのである。
もちろん科学でも技術でも文明を作るものであり文化を形成する
だから科学技術文明はエジプト文明でもマヤ文明でもあった。
石を緻密に正確に刻み寸部も隙なく石の神殿を造ったことではにていたのである。

外部拡張型文明というとき第二次世界大戦とかもそうした時代に起きたしそれは大航海時代からヨーロッパの拡張としてアメリカの発見がありそれが現代の世界を作ったきたことでもわかる。
その時日本も世界史的に拡張型文明となり太平洋戦争を起こしたのである。
その後の70年も経済のグローバル化にのって日本も発展した。
しかし世界はもうそうしたグローバル資本主義の拡張も限界にきている。
中国が台頭して戦争にになるとか日本が集団的自衛権で戦争に突入するとかもないだろう世界的に小競り合いがあっても世界第二次大戦のようなものは起こらないだろうという見方もある。
つまり世界はそうした拡張型文明から内部志向型文明に移行するのである。
それぞれが国風文化に内部志向型文明にもどってゆく,回帰する時代になる。
それはとりもなおさず新しい文化が華開くルネサンス時代の到来なのである。

自分はもともと相馬藩内でそうした地域文化を土地に根ざしたものを追及してきたのである。
そうした小さな地域でも世界でも一つの世界観をもてる。
いやその世界観の方が自然の理にあっている。だからマヤ文明ひかれようになったきはそのためである。
そこには矛盾はあっても一つの森に埋もれた自然と調和した文明があったのである。
そういう一地域で世界観を深化させて構築していったのである。
何か不明なのものが多いが一つの石のブロックが一年とかとなり時間を積み重ねていった文明の構築物なのである。
それは内部志向型の内密な装飾性豊かな人間的な文明だったともなる
いづれにしろ古代文明にしろこれから再評価されてゆくし新たな意味がもたらされてゆくことは確かである。
それは現代のグローバル社会との対比で再評価されてゆくのである。


タグ:古代文明論
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2015年09月16日

介護は親子でもむずかしい (介護は虐待になるのもむずかしすぎるから)


介護は親子でもむずかしい

(介護は虐待になるのもむずかしすぎるから)


介護というのは何か高齢化社会で新しい問題として問われるようになった。介護は別に前々からあったが介護が一つの仕事となったり介護士という職業を生まれたのも実際は新しいのである。介護士は高齢化社会で生まれた新しい仕事なのである。
仕事は必ず時代によって新しい仕事が生まれる。
看護師とか介護士は違っている。看護師は注射とか点滴とか何か技術的にめんどうなものがあるから介護士より資格的にも上だし社会に認められた仕事で月給も高い。
介護士は底辺の仕事であり安いからいい人材が集まらない
そもそも介護士という職業自体新しいからである。看護師はすでに古い歴史をもっているかが介護士はそうではない、ただこの二つの職業は共通した面はある。
なぜ近くに新しくできた老人ホームが募集しても人が来ないのか?

介護業界に新規参入したばかりで実績のない事業者は信用がなくケアマネージャーとしても選定しづらい。
そのため利用者がなかなか増えないということです。とくに都市部では競合する事業者が多く、競争が激しい。ケアマネージャーのところには「ウチを使ってください」と営業マンが日参する状況だそうです
http://president.jp/articles/-/14419?page=3

こういう理由もあったのか?つまり建物は建てた、ではそこで働く人が問題になる。
そこで簡単に人材は集まらないしその人材によって評価を得るのにはまた時間がかかるから人材はまた即席にはできない、それで新しくできた施設には集まらないのだろうか?
もう一つは田舎では15万とか年金をもらっている人が少ないこともある。
まず確かに新しくできたところは評価を得ることはなかなかむずかしい
建物が立派でもそこでケアする人材は簡単にえられないのである。
結局誰でもいいとなれば虐待するような人が入ってくる。
つまり介護という仕事は機械化できないし極めてヒューマンな仕事なのである。
そして親子でも介護がむずかしいというのは親子でも千差万別であり親子の事情は外からみてわかりにくい、だから親の介護をしたくないという人も増えている
子供は介護してくれないあてにならないという人が多いのである。
そこに親子の事情があり親を介護したくないというときそれはこれまでの親子関係が原因しているのである。

自分の場合はあまりにも複雑な家庭であり特別は自分は良くしてもらったので姉のときも今は母の時も介護している。
でも今日は嫌だった、一週間、ショートスティしたら腰をぶつけたのである。
そして立てなくなった。ホータブルトイレにも行けなくなった。
百歳にもなったら慣れた家とか部屋を移ることは危険である。
もともと自分の母親は人の言われたことは無理しても従う性格でありそれで無理するのである。
このトイレに自分で行けないということが大問題だった。
なぜならオムツにしろというとき嫌がった、オムツにすることはがっくりと人間の生活の質を落とす、それを自分も経験したから思い出してわかった。
何かオムツにすることは人間の尊厳をくじくものなのである。
それも経験しないとわからない、自分はそれでずいぶん苦労してきたけど忘れていたのである。

ベッドの高さを調節したりしてなんとかまた一人で立ってポータブルトイレに行ったみたいだけどこれで今日は自分も疲れた。
トイレに行けないとか介助するとなる夜もあるから介護する人が疲れるし仕事もできなくなる。
前は認知症だったから苦しかった。でも姉の場合は二年半で死んで今になると早かったなとなる。
9月21日が命日であり6年も過ぎてしまった。その間にいろいろなことがあり何かゆっくりふりかえることもできなかった。
介護はそれだけ気を使う仕事なのである。
ともかく介護は介護される人と介護する人に何かしら動機がないと簡単には普通はできないだろう。
親不孝だったという人がその償いに介護しているとかの動機があったりすると認知症の介護でもなんとかようとする。
自分も何か贖罪の気持があり介護しているのである。
普通は施設でもそんな動機をもちえないから虐待も起きてくるのである。
いくら金もらっているからといっても介護は人間と人間が密接にふれあうから問題が起きる。

いづれにしろ介護は長いし介護をしていた人がたいがい介護にはかかわりたくないということでもわかるようにそれだけ身内でも負担が大きすぎるのである。
かといって介護する動機をもてるかとなると普通はもてない
人間はつくづく何でも動機が大事である。
人間の関係が今は露骨になると金しかない、こいつから金をとればいいとしかなくなっている。
そういう動機しかない時代なのだから介護でも何でこのジジババを介護するのだ、金をもらえばいい盗んでもいいとかなる。
自分の経験でも何かみんな金に追われていて余裕がある人がいなかった。
借金に追われぎりぎりの生活に追われもうなんとか金を奪う他ないような状態に追い込まれていた。
それで自分がその金をとる対象にされたから怖かった。
だから老人を相手にした介護でもそうした問題が露骨に起きやすいのである。
だから金持ちでも施設では優遇されとは限らない
つまり建物が立派でも相手も人間だからである。介護士でも貧乏だったら何でこのジジババはこんなに金をもっているのだとかなり奪ってもいいとかなりやすいのである。
もちろん親切するときも動機が金だけになると相手はいくら金をもっていても弱者なのだからいじめられることだってありうるのである。
なぜなら金持ちの親はたいがい子供が施設にあずけるからである。

介護はだからハードの建物をいくら立派にしてもいい介護は受けられない、ソフトの面が人材がいいかどうかで決まる、しかし介護ではその人材はえがたい、それは親子でも介護がむずかしいことでもわかる。
どうしても介護する動機が大事になりその動機がもちにくいからである。
自分の場合は介護したくなくても悪いことしたなという贖罪の気持がありいやいやながらやっている。
これもどこまでつづくかわからない、手がかかりすぎる施設にあづけたいとなる
施設にあづけると年金もないからこれもまた苦しい、どっちにしろ介護はやっかいな問題でありそれが家族だけではない国の財政まで影響して福祉のサービスが限界にきている。すでに家族の問題だけではない、社会的問題であるから税金のことか言われる
税金から払われるからである。消費税にしても福祉に使われるしそれは国民全員のかかわる問題になっているのである。
もし介護でも費用をへらすことができれば国民全員も助かることになる
だからもし隣近所とか老人同士が助け合うとかなれば国の費用も減らすことができる
何でも国に頼るとか税金でやるとなると莫大な金がかかり国民の負担がさらに重くなるのである。
ただそんな大局的に考える人はいない、そういう立場になると人間は誰も関心をもたないのである。

タグ:介護虐待
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秋薔薇(移る季節)


秋薔薇(移る季節)

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介護する母にまつわる秋の蠅

一輪の秋の薔薇咲く我が庭に朝の静けく石に映えにき
しんみりと一輪静か秋の薔薇我が庭に咲き季は移りぬ
白々と秋の薔薇咲き空家かな我が見るのみに散りにけるかな
ノウゼンの夏の名残になお咲きぬ朝顔も咲き季(とき)は移りぬ
女郎蜘蛛巣を払いしも巣をつくる生きるためなる業なるかも



庭に一輪薔薇が咲いた、秋になって咲いた。
もう夏は終わり秋だろう、でも夏の名残がありノウゼンはまだ咲いている
他人の庭だがそのとたあわせがいかにも今らしい
秋の蠅が寝ている母にまとわりつく、一週間も施設でショートスティして腰をいためた。ボータブルトイレに立てないでいけないとか難儀した。
その補助もしないとなるとまた大変だと思った。
施設ではトイレの補助をしているからだ。
正直いつまで介護はつづくのだろうと嫌になる。
たいがい介護した人は長いので嫌になるのだ。
それでもうしたくないとたいがい言っている
自分もこれだけしたのだからやりたくない、介護にかかわりたくないとなってしまう。


人間は何か秋の蠅でも嫌なものから逃れられないようにできている
たいがい何か子供でも親でも負担を課せられている
障害者の子供をもち一生苦労する人もいる
今どきは何か子供で苦労している人も多い
ニートとかが増えているしそういうのも重荷になる。
もちろん子供に恵まれた人もいる。
でも子供で苦労する人が多いなというのも昨今である。
ともかく人間は何かしら負担を強いられる、そして自分もやがて年取ったり病気になると負担になる。
自分もこんなに親で苦しむとは思わなかった。
それだけ自分は特別良くされたからしかたないとは思う
一人はひどい認知症で死んだ
一人は延々と介護がつづく
介護はつくづく長いなと思う

女郎蜘蛛が蜘蛛の巣をはらってもはらっても作る、これも業(カルマ)だと思った。
巣を張らなければ餌をとらなければ生きていけないのだからそうなる。
これは殺さない限り家の回りに巣を張りつづけるのである。
蜘蛛が嫌だといっても蜘蛛にすれば巣を張り餌をとらねば生きていけないからそうしている。
人間でも世の中でもそういうことはある。
本当にこの世はカルマがきれない、延々と生きるものにカルマは消えないのである。
だからカルマを断てという仏教の教えもわかる。
それはこの世が終わるまで延々とつづくのである。
秋の蠅でもまとわりつく、何か嫌なものに死ぬまでまとわりつかれる
それは死ぬまで人間はそうした嫌なものから逃れられない
それはどうにもならないことなのである。

近くの空家は10年くらい人が住んでいない、なぜ住まないのか?これもなぞでありあの家のことは聞かない
近くでも知らないのである。そこに一輪白い薔薇が咲いて散る
見ているのは自分だけだというのも不思議になる。
その空家は別に荒れていない、時々人が来ているからだろう。
でもどうしてこんなに長く空家にしているのかわからない
税金の関係とか事情があるとしてもわからない
何か近くでもわからないことが多いのである。


タグ:秋薔薇

2015年09月15日

老後は年金が15万くらいもらえないと老後難民になる (介護は金の計算になる)


 
老後は年金が15万くらいもらえないと老後難民になる

(介護は金の計算になる)


新幹線で自殺した人は年金18万もらえると思っていたのにもらえなかったのか理由だった18万といえば高いと思うがそこで4万以上家賃にとられるのが大きい
地方では持ち家であり18万あれば十分である。
老後のことなんか若いときから考えることないとか思っていた。
若いときは若いときで精一杯だから老後のことなど考える余裕がないのが普通である。
だから普通は考えないしそれでいいと思う

でも老後が長くなると何が大事になるか?年金なのである。
例えは百歳も生きるとなると年金をもらえない親を世話するのは経済的にゆきづまる
国民年金の8万くらいではやっていけない、8万でも実際は助かる
自分の母は年金が月に2,3万とかである。それは積み立ててなくても支給された時代である。長生きのご褒美として国でくれた年金だったのである。
だが今になって親を世話していみると介護は金の計算だなとつくづく思った。
施設に入れるにも地方だって最低15万とかかかる時代である。
すると年金は15万くらいもらえないとまず施設に入ることもできない
貯金より年金をみるからである。

そして地方では年金が15万とかもらっている人は恵まれた人でありあとは公務員くらいとなる
他は国民年金になってしまう。それではとてもたりないのである。
それで老後難民が6百万人になるというのは年金で暮らしていける人が少ないからである
そして年金から介護保険とかひかれるし物価にスライドしてあげないし、かえって減らされているから15万もらっても実質はさらに低くなっているのである。
ショートスティでも一日5000円くらいかかるとなると金の計算をしてしまう。
施設にあずけても一カ月で5000円で15万とかなる、それは特養でそうであり民間は地方でももっと高くなる。
そして地方ではまだ施設が不足しているしこの辺では余計にそうである。
ただ最近近くにできた老人ホームは募集しても人が集まらないという。
それはなぜなのか?良く内情がわからないがおそらく15万とかの金を払える人が少ないからではないか?
地方ではそんなに年金をもらっている人は少ないからである。

一日5000円でもそれに介護保険からでるから一日3万くらいになっているかもしれない、つまり実質の金はそれだけかかるとなる介護も金の計算にな簡単にサービスを受けていいのかとなる
もし一日とまるのに介護保険から金がでて何倍にもなるらその金をもらって自宅で手伝いさんみたいな人を雇った方が効率的だとなるし老後難民になっている人もそういう仕事をすればいいとも思う。
介護は実際は誰でもできるものであり看護師の仕事ととは違うからである。
だから何か老人を子供のようにあやしている、そのあやしている若い人もなにか知的に遅れている感じもする
老人介護はそもそも女性に向いていて男性には普通は向いていない。
家事とかの延長に介護もあるからである。

ともかく金の計算するというとき命も金なのかもしれないとみる。
つまり一日命を伸ばすためにいくらと計算してしまう。意外とその額が大きいからである国とか介護保険からも金がでているからその金は一日5000円でも何倍にもなっている
だから年金でも若者が納めないとと成り立たないとなりこれだけ老人が増えれば若者に負担がのしかかるのである。
それで若者が老人に金かけるなというのもわかる。
老人で国がつぶれるというのも冗談でもないのである。それほど介護とか医療には金がかかるのである。

今の自分の状態だと自分は国民年金がもらえるけどもらっていない、とするともし施設に母を入れると15万かかり自分の生活にも15万とかかかる
一月30万もかかるのは大きいのである。これでは破綻してしまうだろう。
ところが母がもし15万の年金をもらっていればこういうことはなかったのである。
姉は公務員で16万もらっていたから施設に入れても負担にならなかったことでもわかる
金の負担がないということが意外と助かるし介護は金のかかるものだということに気づいた。
在宅だと手間はかかるが金はそれほどかからない、一カ月15万などかからない、4,5万かもしれない。
まだ手がかからない状態だったらそうである。介護度がすすむと在宅は金もかかるし厳しくなる。
何か老後というとき一日生き延びるとかえっていくらと金で計算されやすいのである。
若い人はには貧乏でも一日いくらだとか計算しないだろう。
まず介護状態にならないし病気にもなりにくいからそこに金を使わないからである。
介護は誰かかめんどうみてショートスティでも施設でも結構金がかかるからである。
だからこそ一日生き延びるといくらかかるとか計算されやすいのである。
それが何か無駄な金にも手間に思いてしまうのである。

この人は一日生き延びる価値があるのか?何か認知症になり何もわからなくなっているのではないか?
こういう老人は果たして生きる価値があるのか?そのため一日いくらと金がかかるからそう問われる。
ただ生き延びる価値があるのかないのかという判断は誰もできない、それは最高にむずかしいし神のみがてきるとまでなるだろう。
だからこそそんなこと誰もしないのである。そもそもできないのである。
自分の姉はひどい認知症になったけどこの認知症の謎はどこまで正気で正気でないのかわからないのである。
正気にもどったりまたわけわからなくなったりとまだら状態になる。
でも姉は確かに死ぬ一カ月前に正気に一瞬もどってそれかは意識不明になり一カ月後に死んだのである。
だから認知症でもその人は何もわからなくなったから生きる価値がないとも判断できないのである。

今日厚寿苑で聞いたら自分の子供の名前を覚えていたし孫の名前も覚えていたし曾孫のことも覚えていた、それも忘れていたと思っていたのである。
二年とあわないと忘れてしまうからである。
そしてしきりにこの施設にいるといくらかかると金のことを気にしていた。
約5000円かかるというと金がかかるからいられねえなと言っていた。
つまり金のことを理解していたとなる
だから人にもよるが認知症になっても百歳になっても何かわかっていることがある。

ただ社会的こうした老人ばかりに金をそそぎこむことが何か価値を生み出しているのかとはなる。もちろん人間の価値など多様であり計ることなどできない
でも例えばショートスティであれ施設であれそこにあずけて金を使うより自分の場合、花を買ってアラワーアレンジメントするのが価値あるとか、老人の代わりに孫であれ奨学金のように金を使った方がいいのではないかとも思う。
ここでも老人に金をかけすぎるからそうなるのだ。
ショートスティが一日5000円でも実質は何倍も金がででいる。
そんなに金を払っていいのかとなる、それより国の将来をになう子供に若者にその他に金を使った方が国でも有益ではないかとなる
つまり老人問題は金が深くかかわっている。金がかからなければそれぞれの家で安上がりにできれば国でも負担がへるし若者の負担もへる
施設でも田舎では今は老人施設が一番立派なのである。
金をかからないようにするために国では在宅をすすめたのだが今は大家族ではないから
今度は人手が家にないとなりできない
でももし立派な施設など建てないで介護士とかも雇わないで在宅にするなら介護する人に10万とか与えた方が国の負担は格段にへるだろう。
隣近所とか暇な老人でも介護度3くらいまでならできるからである。

いづれにしろ介護でも国の負担を少なくすればこんなに若者とかから老人は早く死ねとか言われない、金のかからない介護を目指すべきなのかもしれない。
あまりにも施設でも立派だし介護士だとかも雇うとか何か介護は病気とも別なものだから金がかけすぎているのである。
介護士の給料をあげなければそもそもいい人材はえられないというが介護は本当は別に隣近所の暇な老人とかでもやればできないことはない
そんなに負担にもならないことはありうる
何かそういう方向にもっていかざるをえない、それで在宅介護という方向は間違っていないのだろうがそれをするためには地域包括センターがあるように隣近所とか助け合いのが必要になる。
そういう社会でなくなったときそれがむずかしいから困るのである。
やはり助けてもらうにも老後難民の人たちがブラックバイトとかしないと生活できないとかあり介護する人に10万支給するというふうになればその老後難民化した人たちに仕事を与えれることができるかもしれない
ただこれも一つの提案にすぎないし何かとうまくいかない机上の空論だともなってしまうでもなんらか対策しないと本当に老後難民だ医療や介護の負担で国がつぶれるとまでなるのが冗談でないのである。


タグ:介護
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鬼怒川の堤防決壊の原因 (原発事故ともにて失敗の法則もあるのか?)


鬼怒川の堤防決壊の原因

(原発事故ともにて失敗の法則もあるのか?)


原突事故がどうして起きたのかその原因を追及してきたけどそこには何か同じ法則のようなものがあった。
成功の法則があれば失敗の法則があるのだろうかとなる
鬼怒川は一級河川であり国土省の管理するものだった。
その管理を怠ったから国土省の責任が問われている。
その前に民主党もソーラーバネルを推進したから今になるとそれも原因とされる
いづれにしろ堤防も完全なものではない、おそらくスーパー堤防にしても完全ではない
どこで自然災害が起きるかわからないしどこに弱点があるかわからない
堤防自体が自然なものではない、自然に逆らうものだったということも不思議である。
なぜならナイル川であれ川というのは洪水があるのが自然なのである。
その洪水によって栄養のある泥が流れて小麦がとれエジプト文明が栄えた。
つまり洪水は自然作用でありそれがすべて悪いものではないのである。
だから堤防自体が自然に逆らうものであり決壊もするとなる
それで一部増水したときは水の逃す池を作るのは自然に逆らわない方法である。

今回の鬼怒川の決壊でも最初は私有地であり法律的には問題ないとかなるし私有地だからどうにもならないという議論がある。
これも明治以降私有地化された結果、公共の概念がなくなった。
入会権として村の所有地だったのが広島の土砂災害 でも私有地化されて細分化されて公共事業がしにくくなっていた。
そういうことも災害に結びついていた。めして原発事故の補償では家の前の海が私有の海だとして要求していたのである。
原発でも最初はその私有地を買い上げることからはじまる。それでその土地をもっている人が反対するばそこには建てられないという権利がある。
でも東電や国となると対抗できないのである。
たいだいは私有地があれば公共事業はしにくい、今回は私有地になっていて堤防の決壊につながった。

国家の役割が何なのか?国土省があるときそれは安全を守ることにあった。
それは原発でもそうだった。まず安全を守ることが第一として国の役目であり保安院を置いたが何の役目も果さなかった。
むしろ東電と国は一体となり「安全神話」を作っていた。
何か安全というとき企業でもそこに金を使うともうからないからしたくないのである。
だからこそ安全面は国でしなければならない、国で安全を管理することが役目となる。
今回のソーラーバネルが自然堤防を削ったとかが問題になったのは業者ではもうけだけを考えるからそういうことにもなりかねない。
国土省でも危険だと地元の人が陳情しても無視していた。
削った跡に土嚢を積んでいたということは危険の認識はあったということである。
ここでも私企業と国の関係に問題があった。
この私企業は規模が小さいけどそれでもこういう問題を起こしたのである。
東電は国並みの私企業だから違っていた。それは国をも支配できる力をもっていたのである。私企業は安全面が必ずおそろかになるのである。

そもそも日本は本当に災害の国だったことをまた認識された。
実際自分の家も二回も近くの川が氾濫して床上浸水になっている。特に自分の家が一番町で低い場所にあり被害が大きかった。
二回目は今回と同じように土手を削って道を作ったという農家の人が批判された。
そこから決壊したからである。これも今回の鬼怒川の決壊とにている
それでその農家の人はさんざん批判されていた。
確かにそれが原因だったとすると人災だったとなる。
ただ果たしてそれが原因なのかどうかは良くわからない。
その後は堤防は強化されて水害はなくなったのである。
つまりそうした災害の原因はどこかで同じようにあるということになる

今回の自然堤防を削ったのが原因かどうかははっきりしないがこれは大規模な水害となり人まで死んでいるから国土省まげ関係するようになったのである。
本当は日本では自然災害は不可避であり防ぐことができないものなのかもしれない
だから津波では海岸に津波の来るような場所に住んだやつが悪いとか
今回もあんな危険な場所に住んだ人が悪いとまで言われるようになったのである。
あそこはもともと沼地であり土地が低い場所だった。
それが宅地開発して家が増えたからである。
自然条件を考えないで住宅地にしたから悪いとなる。地震の液状化でも言われた。
地盤が悪い所に建てたやつが悪いとなってしまう。

要するに日本では地震や水害でも津波でも災害をまねがれない国なのである
そういう国になぜ原発のような危険なものを作るのか、それはどんな安全策を講じても事故は起きる、予測つかないからである。
だから津波の来るような海岸線には住まない方がいいとか水害の起こるような所には住むなとなる。
でも日本は狭い国だから危険な場所でも住まざるを得ないから必ず犠牲者が出ているのである。
ともかくソーラーバネルは自分の場合は最初は景観を破壊するので嫌だった。
実際に森を切って設置しているし台風などがきたら危険なものとなる
いかにも原発よりいいと民主党が宣伝したことも裏目になった。
そのソーラーバネルには税金が使われているからそれはエコではないというのもわかる。そしてこれも利権化して危険な面あったが無視されたのである。
結局エネルギーを何に頼るかとなると石油とか今は石炭が見直されている。
いづれにしろ必要悪でも今はそれしかないとなる。
ソーラーバネルなどはエコだといっても電気事業としては成り立たないとなり電力会社では迷惑だともされるからである。

国土省の責任が今回問われるとなるとか言われる。その国土省の大臣が公明党である。
つまりその堤防を削った近くの人が危険だと訴えたの国土省では無視したからである。
だから民主党だけに責任があるともならない、政治となると必ず責任が問われる
それは国土省の官僚の責任も大きいがその当時の大臣も責任が問われる
そうなると公明党の責任とか創価の責任まで問われる。
政治の責任と宗教の責任が違っていても何か政治と一体化すると政治の責任が宗教の責任になり宗教の責任が政治の責任にされる。政教分離しないとそうなりやすいのである。
殺人罪にすらなりえるからそういう立場になると責任がそれだけ重くなる。
でも日本では今回も誰も責任を問わないとなる。
文字通り水に流せとなる、そういう言葉が生まれたのもともかく災害が水の災害が常にあったのである。
八竜神社というのが実に多いがこれは水にまつわるものでありそれだけ日本では水の災害が多かったのである。
反面水が豊なのも日本である。津波もあるが海の恵みもある。
その国の風土にはプラスになるものとマイナスになるものがあるがそれは表裏一体なのである。

タグ:国土省
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2015年09月14日

南相馬市では一番損した鹿島区 (福祉まで差別されていた)


南相馬市では一番損した鹿島区

(福祉まで差別されていた)

介護保険のこと聞いたら年で1万8000円とかであり安いなと思った。
実際はその3倍とられるのが普通であった。
震災の特別処置で約三分の一となっていた。
ところが原町区は免除だったのである。
こんなところまでずっと差別されていたのである。
それは震災以後も医療とか福祉分野でも南相馬市内で差別されていた。

介護保険でも原町区は免除

鹿島区は2分の1

補償金も原町区は鹿島の3倍

何か納得いかなかったのは福祉とか医療では差別するべきではなかった。
なぜなら合併しても前の小高、原町、鹿島とかえって分断されてしまったのである。
つまり南相馬市になった意義がなくなった。
ただ国で30キロげ区切ったから他でもそうした問題は起きている。
30キロ圏内は手厚い補償があったが他はないのである。
だから別に鹿島だけではない30キロからはずれた地域は何にももらっていないのである。相馬市なども線量が高いけど何にももらっていない、だから避難した人たちに不満が大きいのである。
南相馬市の問題はなぜ同じ南相馬市なのに鹿島だけが損させるのかとういう問題であり他と違っている。一応補償金もらっているからいいじゃないかとなるがやはりなぜ同じ南相馬市なのに差別されるのかとなる。
だから今の市長は何もしないと不満になる。

ただそもそも合併と言っても原町の人口は多いのだから選挙になれば原町中心になり原町に重点を置かざるを得ない、でから今の市長は原町区と小高区の票を獲得すれば当選するとなり鹿島区はどうでもいいとなったと言われる。
民主主義はつくづくともかく数で決まるから数が多い所に重点をおかざるえないのである
別に自分は原町とか小高の人に恨みがあるわけでもないし、それぞれの個々の人をとればいい人も悪い人もいるのは同じである。
小高の大工さんには庭も作ってもらったし小高の個々人に恨みがないし悪い人とは思わない。
ただこの問題そういう個々人のことではなく政治の問題として南相馬市が分断されたことが問題なのである。
心も分断されたから小高の人と鹿島の人はつきあわないとかなるのはまずいのである。
そういうことはこれからも尾をひいて問題になり復興の障害になってゆく

30キロ圏内とか避難者はあまりにも優遇されたのである。医療は無料、介護は優先、補償金は多額......その他様々な特典があり優遇されすぎたのである。
南相馬市は同じ南相馬市民でも鹿島区は30キロからはずれたということでその差が大きいのである。
それで30キロで分けられた地域では泣いて東電に女性が訴えていたこともわかる。
それは他でもあったしそれより福島市とか二本松市とか郡山市とかいわき市も被害があったが何にももらっていない、そして避難民がぞくぞく来て家を建てる、贅沢して遊んでいるとなり反発されたのである。
だから福島県内でも補償金でもめて分断されたのである。

福島県内だとむずかしいが南相馬市だったら何か市の方で対策することができた
それをしないことは南相馬市は一体感がなく心まで分断されたとなる
自分は別に金銭的に困らないからいいけど他の人は鹿島区でも相当に不満がある。
こういう差別は敏感にならざるをえない、そうなると南相馬市は心でも分断されてしまった。
それが市政でも何かいろいろとこれから障害がででくることは確かである。
そして国でも補償に関して配慮がなかった。
避難区域では様々な手厚い補償があっても30キロからはずれるとなくなる。
全くないという状態になった。
そして避難民が帰らないというとき帰ると補償金がもらえないとか働くとか休業手当かもらえないとか様々な補償が受けられない
そんなことがかえって働かない帰らないとなってしまったのである。

ともかく働かないニートなんかは喜んでいる、働かなくても一人十万はもらえるからこれはいいこのままずっともらえるといいなとなってしまった。
老人だったらこのま生活保護のように保証金て暮らせるといいなとなってしまった。
だから復興とかなんとかそれは何なのだろうとなる
復興するといってもそこに住んでいた人が第一に考えることである
その人たちはただ補償金もらって暮らせればいい、故郷がどうのこうのとかはいい
そうなったら復興などありえないのではないか?
それを応援するにもそこに住む人がそんな態度なら応援してもしょうがないのである。
ただ南相馬市は小高が入っているからどうのこうのと南相馬市民は言うことになる。

いづれにしろこのことは鹿島の市議会議員も何の働きかけもしていない、何の役にもたっていない、補償金問題は今回の原発事故の現実的には最大の問題だったのである。
タグ:原発補償金
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2015年09月13日

原発避難民とシリア避難民 (原発避難民は小高でも帰り再建すべきだろう)


 
原発避難民とシリア避難民

(原発避難民は小高でも帰り再建すべきだろう)


なんかこの辺の高校生がアフガニスタンの避難民に同調して訪れたとかのニュースがあった。
確かに同じ避難民ではあるがまるで違っている
シリア難民を見ればわかる、もう国が崩壊している、そうした戦争している中で取り残された人たちが700百万人とかがISに脅されながら暮らしているというのも悲劇である。
あれをみていたら何か生きた心地もしないだろう。
ISは狼でそこにいる住人は羊になる。

イスラエルにいたときシリアに行ったという人がいてシリアはいい、素朴でいいと盛んに言っていた。シリアは独裁政権でも庶民には素朴な人たちが多いということだったのか?
江戸時代のようなところがあったのかもしれない
だからなぜあのようになったのか悲劇だとなる
ただあのような状態になったら安全にまず暮らせないから国を捨ててでてゆくほうがいいとなる
それで資金とか英語の教育を受けた人たちが外国に難民として出てきた。
英語ができる人がヨーロッパでも中東でも知識人には多い。
ギリシャでもそうだった、英語できると外国に出て働けるとなる
英語は国際人になるには不可欠だとなるのも確かである。

この辺と確かににているのは小高でも浪江でも飯館でもその他避難区域になった所はもう住めないとか他に家を建てたり故郷を捨てている人が多い
特に若い人は多いというとき何かシリアの避難民とにている
取り残されているのは老人とか障害者とか子供とか弱者だという。
この辺でも事情は違うが老人が残され若い人は故郷を捨てて住まない
それにしてもシリアくらべればこの辺はいくら放射能が怖いとしても
あまりにも差がありすぎる
シリア難民から見たら何なのと思うだろう。
避難民は多額の補償金をもらい遊び暮らしている
シリア難民は命懸けで脱出して残った人はどん底の暮らしをしているからだ

原発避難民は原発貴族だとか言われる
すでにインフラも水道でも電気でも何でも使えるのだから帰って再建できると
シリア難民からみたら思うだろう。
なにか避難民という名があってもシリア難民とかとはあまりにも違いすぎる
たから比べれば贅沢きわまりない避難民だとなる
そんなものに同情できるかともなり避難民と地元の人はつきあわない
なにも同情するものがないとみるからである。
原発避難民にいろいろ言い分があってもそうみてしまう
「お前らぐだぐだ言っていないて自分たちの故郷を町を再建しろ」となる

一方で今回のシリア難民で考えたことは国がなくなることの恐ろしさである。
国が崩壊することの恐ろしさである。
イラクとかシリアはイラク戦争以来無政府状態に陥っていたのである。
そこにISが勢力を伸ばした。それはヤクザの一団のような盗賊の一団のようなものだったかもしれない、そこには暴力しかないからだ
だから国が崩壊すればあのようになるという見本だった。
もう家族も守ることができない、国を脱出するしか生きる方法がなくなる
国など当たり前にあると思っているが国がなくなるということもある
故郷が当たり前にあると思っていたのがなくなったのと同じである。
国が崩壊すれば家族も守れないし街もなにかも失ってしまう
無政府状態になり盗賊が跋扈してやりたい放題になる
だからそうした無政府状態より独裁政権でも良かったと今ではなる
イラクの独裁政権の方が良かったとなる
あの辺はそういう独裁でしか治めようがない国だったのである。
民主化するような国ではない、民主化するにはそれなりに国になっていないとできなかったのである。

いづれにしろなんか日本も動乱の時代である。だからシリア難民と比べるのだがあまりにも違っている。
避難民が威張っていて避難者を受け入れた方が小さくなっている。
それは在日と同じだとか言う人もいる。やがて避難民を受け入れた国は母屋を化して庇とられとかなると言われる
避難民は図々しい、それは何か原発避難民にも言われている。
なんだあいつら俺たちより何でも優遇されて金があり新しい家を建てているとか批判される
こんなことはシリア難民などにはまだありえないことである。
食うや食わずで避難してきた人たちだからである。
今日食べるものが与えられればいいというだけである。
ただトイツに避難するのはそこは豊かな国だからである。

原発避難民は何か恵まれすぎている。何が避難民なのか?小高などは放射線量が低いのだから帰って十分に生活できるし再建もできる
なんでしないのか?なんで故郷を捨てたのか?
戦場と化して破壊された街とも違う、十分に家は残り暮らせるのである。
多少の不足あっても暮らせる、シリア難民と比べるのが間違っているというのもわかる
でも何か同じ避難民でもあまりにも違いすぎるのである。
人間はやはり甘やかせそれに甘んじる、補償金もらえばそれで暮らそうとなる
お前がそんなこと言えるのかといえばそれも言える
でもなんか同じ避難民でもこれは何なのだろうとなるしみんなもそうみているのである。



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文明は何でも何らか自然破壊で自然に復讐される (ソーラーパネルもそうだった)


文明は何でも何らか自然破壊で自然に復讐される

(ソーラーパネルもそうだった)


文明とは自然破壊が必ずあり自然破壊がない文明となると縄文文明くらいだった。
弥生文明ー稲作文明も自然破壊だった。その前の焼き畑農業も肥料にするために森を焼いたのだから自然破壊である。
稲作文明は自然と調和した文明のように見えた。それですら自然破壊だったことが津波で判明した。
松原というのは自然林ではない、人工林である。ちょうど杉林が自然林でないのと同じである。
自然林とはいろいろ樹が交わった混生林である。松とか杉とか一つの種類だけになるのは人工林である。東南アジアでもゴムの樹だけになると人工林でありそれは外国の企業でそうしたのである。
稲作だけの米だけを作るとなるとそれも自然破壊になっていた。
東北で米を作ったのは江戸に米を商品として売るためだったのである。
だから東北で飢饉が起きたときは米ばかりに頼ったためだという。
いろいろいな作物を作っていれば米が不作でも例外に強い作物も作っていればそうはならなかった。
そもそも自然は混生林であり様々な種類のものが混生して生きているのが自然なのである何か動物の一種類でも増えると自然のバランスが崩れるのと同じである。

だから文明そのものが自然を破壊するように宿命ずけられている。
レバノン杉がもう絶滅すほど切られたのは船の材料に使われたからである。
これも文明のために消尽された。他にも森がヨーロッパで消滅したのは文明化が原因している。
稲作文明も自然破壊だというとき海側の湿地帯を開拓した結果、そこに松原を防潮林としたのだが今回の津波でその防潮林の松原がなぎたおされて消失した。
つまり文明は必ず自然を破壊したら自然に復讐される
まさか松原がそういうものとはいつもそこにいて思わなかった。
もし自然林の混生林だったら津波の被害はかなりおさえられた。
なぜなら松は根が強く張らないので津波に弱かったのである。
他の樹はあれば混生林だと津波の力を弱めたとかいことがありえた。
それは稲作だけを広げることが自然破壊であり人間にも影響した。
一つの作物を商品化してしまうことは不自然なのことなのである。
いすいろて種がありいろいろなものを食べていた方が人間にとっても自然である。
そうしていれば飢饉でも米が不作でも他のものを食べて生き延びるととういこともあった縄文文明は自然と調和した文明であり大災害からまねがれたことはありうる
でも縄文文明だと人口は増えない、増やせないのである。
稲作文明になり飛躍的に人口が増えたのである。

今回の鬼怒川の氾濫でもソーラーパネルを設置するために堤防を削ったとか、民主党のレンホウ議員が仕分けだとして公共事業を削ったためだとか批判されている。
ソーラーパネルは別に自然と調和したものでもない、山の森とか削って作っているから
大雨になったら土砂崩れとかなって危険なのである。
ソーラーパネルは景観の破壊でもあり自然と調和したものではない
これも民主党が推進たから今になると批判されている
もちろん鬼怒川の堤防決壊はソーラーバネルを設置するために堤防をけずったためであるがそこの住人が訴えていたのに国土省は無視した。
自民党の責任も大きいし今の公明党の大臣も責任があるとなってしまった。
だから国土省は訴えられるとまでなった。

ともかくダムだって自然破壊であり文明化したものは何でもなんらかの自然破壊である。その自然破壊は必ず自然にまた復讐されるということである。
そもそも人間は自然に従うことによって生きるようにできている。
もし自然には逆らえない、いくら文明が発達しても自然には逆らえない
自然の力は津波でわかったようにとても人間の力では制御できないのである。
人間が生きるために自然の力に謙虚に従う他ないのである。
文明の力が増すと人間は奢る、自然を征服できるとか奢る
それが一挙に砕かれたのが今回の津波だったのである。

いづれにしろ人間はその国土の風土の制約を離れる他とはできない
その国土に風土にマッチした生きる他ないのである。
原発はそもそも地震とか津波がある日本には向いていなかったのである。
グランドキャニオンとかあるアメリカには向いていた
日本の国土は狭いし山が多いし津波もあるから向いていなかった。
そういう風土を自然条件を無視すると自然から大きな災いを受ける
自然に従うとなると津波の来るような所には住まない方がいいとなる
いくら防潮堤を作っても今回は防ぎようがなかったからだ。
そもそもがそういう危険な場所に住んだこと自体過ちだったとなる。

民主党はまた今批判されている
「コンクリートから人へ」というのも批判される
日本のような災害の多い国では国土を守ることが第一とされる
この言葉が今回の津波であれ震災であれ鬼怒川の氾濫であり再認識されたのである。
要するに日本の風土とか国土とか無視すると天罰が下る、これは仏罰ではない、
国土省はそういう重責をになっていたのである。
だから公明党の大臣まで批判の対象になってしまったのである。


posted by 老鶯 at 14:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

初秋の街道をロードで相馬市まで


初秋の街道をロードで相馬市まで(ソバナの花)

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街道の実りや城へ6万石
街道の細道つづきソバナ咲く
街道の家並変わらず秋の蝉
街道や芒女郎花祠かな
中年の労務者あわれ秋薊
プレハブに労務者あわれ秋薊
故郷をロードに走る実りかな
初秋の風きり走るロードかな



街道というときこの辺では浜街道であり日立木から相馬市の道である。
あそこはいつ行っても情緒がある。
今はなかなか街道を知ることができない
なぜ情緒があるかというと道が細いから花も映えて人間的になる。
日立木の道は細いけどあそこが昔のままの道なのである。
あの家並も昔のままだから情緒がある。
浜街道でも昔のままに残っているのはまれだてわからなくなる

今はソバナの花が街道沿いに咲いている
この花が何かこの辺の街道にあっていた。
桔梗でもない素朴な花であり街道にふさわしい花である。
現代の旅はなにか情緒がない、旅にならない、六号線を突っ走っても旅にはならない
街道の細道、つまり「奥の細道」だったら旅になっていたのである。
まさに「奥の細道」であったからこそ芭蕉の句もできたのである。

この辺はまた工事であり騒々しい、以前として簡易宿泊所のプレハブが増えている。
それだけまだまだ労務者が入ってきている。
その数も多いから活気あるようにみえるのである。

自転車は今の時期は気持ちいい、昨日はロードで相馬市まで行ってきた。
これは最近乗っていなかった。
これは荷物には弱いが早く走るにはかえって電動自転車より軽いから風にのるように気持良く走れる、まず自転車が好きな人は値段の高いロードにのるだろう
つまりこれは走っていて気持いいからである。
スピードを出して走ること自体が気持いいからである。
自分の八万くらいであり軽いのだが安定性がないのが問題である。
これも忙しくて乗っていなかった。
何かいろいろなことができなくなった。
家事とか介護とかに追われてそうなった。

一週間ショートスティであずけたから楽であった。
でも意外と金はかかる一日5000円とかかかる
だから施設で一カ月15万とかなるのもわかる
物価高であり田舎でも最低で15万はかかる
でもそれだけを負担するとなると田舎では金をもっている人は少ない
自分も年金をもらっていないし母の年金はわずかだから
かえって在宅だと金はかからない
介護も金の問題がからんでくる
やはり年金が老後は大事になる。だから自分は年金は70才からもらうことにした。
そうするとなんとかなるがあと二年とかなるとそこの金の工面が苦しくなる
老後難民になるのもわかる
自分は親に恵まれていたから金銭的には苦しんでいない、その他のことで苦しんできたのである。



2015年09月12日

復興とは何なのか? (街を復興させるためなら街に住む人に金を与えるべきでは?)


復興とは何なのか?

(街を復興させるためなら街に住む人に金を与えるべきでは?)


復興予算が国から出ている、それで防潮堤を作っても誰を守るのか?
そこにはもう守るべき家も人もないなくなった。
若い人がいなくなって住む人もいない、無駄だというのもわかる。

原発避難地域では補償金が大きいから街に帰らない、若い人は補償金をもらって他で暮らした方がいいとなった。
これも何を復興をさせるのかがはっきりしないからではとないか?
市町村とあると市や町や村の復興なら若い人が出るような政策とか予算の配分をするべきではない
つまり個々人や家に補償金を与えるべきではなかったとなる。
なぜならその補償金で自分たちの街にも住まない、他に住んだら誰が復興するのかとなるからだ。
不思議なのは市町村を復興するというときそこに住む人が復興するのである。
それがそこに住む肝心の若い人が流出したら復興予算は何のためになるのだろうとなる
それで霞が関の高級官僚がジジババだけの町に予算をつぎ込んでも無駄だというのも
現実にそういうふうになってきたからである。

だから市町村復興するなら少なくてもその市町村に住む人なら援助してもいいがその市町村から出るなら援助しても市町村の復興にはならないのである。
南相馬市は小高とかが避難区域になっているが原町に家建てた、鹿島に家建てた、他にも家建てて小高に住まないとしたら何のために補償金を与えたのかとなる
小高を復興させるために補償金を与えたがそれがかえって小高から出るために使われたからである。
小高に住む人にだけ与えればそうはならなかったろう。
補償金とか復興資金とかはかえって市町村復興のためにならなかったとなる

そもそもだから防潮堤でもそうだけど国の復興予算が町の復興に活かされていないのである。
そこに住む人がないのに守る人がないのに防潮堤が作られている。
小高でもインフラを整備してもそこに住む人がいない、老人ばかりだというのもそうである。
原発の補償金はかえって町を出るために他に家を建てるために使われたとなる。
それは個々人の復興にはなったが町の復興にはなっていなかったのである。
町を復興させようというより個々人の考えが自由であるというとき、町は復興できない
重点が個々人にありそしたらその補償金でも自由に使って楽な方で暮らそうとなってしまうからである。

だから小高でも小高を復興するならそこに住む人に補償金でも援助するべきである。
ただ原発補償金は国と東電があたえるものであり個々人に与えられたから別である。
それは市町村の復興のためというより損害に対して与えられたからである。
それでもそれもまた市町村の復興のためにはならなかったのである。
何を復興させようとしているのか意外とそこが明確にならないから予算の使い方がうまくいかない、無駄になっている
そして無駄なインフラに使われてかえって守る人もいない、人が住んでいないのに防潮堤がある
それが何か今回の津波とか原発地域を象徴している

タグ:復興予算
posted by 老鶯 at 11:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連