2015年10月31日

京都も方角がわかりにくかった、鞍馬山は暗部山 (京都は滋賀県とも地理が一体である)


京都も方角がわかりにくかった、鞍馬山は暗部山

(京都は滋賀県とも地理が一体である)



秋の夜の月の光しあかければくらぶの山も越えぬべらなり(在原元方) 
(訳:秋の夜に出る月の光が明るいようなので、闇深い鞍馬の山も越えていけそうだが・・・)

梅の花にほふ春べはくらぶ山やみにこゆれどしるくぞ有りける(紀貫之) 
(訳:梅の花の匂う春には、さすがに鞍馬の山の闇を越える時も白く見えていることだ)
わが来つる方もしられずくらぶ山木々の木の葉の散るとまがふに(古今295)


鞍馬山昼なお暗し樹々の根のむきだしにしてさえぐ道かな(自作)




「春はあけぼの。ようよう白くなりゆく山際、少し明かりて…」というのは東山を描いた文章だとされています」

枕草子のこの文は東山を見て書いた。京都の地理はわかりにくい、どこに行っても地理はわかりにくい、まず方角がわからなくなる、盆地になると意外な所が太陽が上ったり沈んだりする。それが旅の醍醐味でもある。
歴史を知るには地理を知らなければならないとは何度も書いた
でもこの地理が一番わかりにくいのである。京都は複雑でありわかりにくい。
自分は滋賀県には何回も行った。琵琶湖があるから行った。
湖西線というのがありそこが西となっている。確かに西に陽が沈む場所だったしではそこが西なら東は関が原の方向になり東(あづま)の方向になり西と東を分ける場所である。
地理を知るときは一部分からはわかりにくいのである。広範囲にその一帯を知らないと地理はわからない、今はどうしても電車とかで一部分を切りとるように見るからわかりにくくなる。

ここでも東山とは京都から見れば東になるが山科とか琵琶湖方面から見れば西山になってしまうのである。西と東では感じがかなり違っている。
春はあけぼののように明るい感じになるのだ。ただこれは盆地に住んでいる人の感覚である。海側に住んでいる人は太陽はいつも海から上る、だから山から上る陽というのは感覚的にわかりにくい、大阪に日下(くさか)という古代からの場所があるときそこは陽の沈む場所だった。大阪になぜ海に面して陽が沈むのかも感覚的に違和感があった。


地図を見たら鞍馬山とか東山とかは近江に接している山だった。すると近江を知らないとまた京都は地理的にわかりにくいのである。近江と京都は一体としてあるし他でもそうである。大地はつながっているから地理をわかるには全体を見ないとわからないのである。福島県と宮城県とかで区切るのもそうである。
特に廃藩置県は歴史がないし地理的にもいいかげんに無理して作ったから一体感が普通はない、ただ滋賀県というのは琵琶湖を中心にして山が囲んでいるからわかりやすい。
滋賀県は風光明媚であるが京都は都市としては規模が大きすぎてわかりにくかった。

湖西線秋の陽没るやさざなみの琵琶湖の岸や波のひびけり

湖西線というのは西といいうことでそういう感じになる。西というとやはりその方角なり風情になる。

鞍馬山は近江側の山と連なっている。近くに比叡山があり意外と大原も近かった。
方角的には湖西線が名前とともに印象に残っている。
まず京都市内に来たら方角がわからなくなる。
京都というとき大坂まで大都会になっているけど近江は琵琶湖があり田畑もあり田舎びているのがいいのである。それは京都から近くてもそうなっている。
でも大阪方面になると大都会になり家が神戸までも密集しているら嫌なのである。


いづれにしろ鞍馬山はくらぶ(暗部)山であり昼なお暗い山なのだろう。京都の面白さは都会だけではない、街から離れるとこうした昼なお暗い山がありそこが修行の場になっていた。まさに魔界の場にふさわしいとなる
暗いというときそもそも電気の光でこうこうと夜まで明るくなっている世界と昔だったらそれも江戸時代でも京都でもどこでも暗いのである。そこでまた過去を錯覚するのであるインターネットの鞍馬山の写真では本当にむきだしの根が張っている、その樹も古いからそうなる。


梅の花にほふ春べはくらぶ山やみにこゆれどしるくぞ有りける(紀貫之) 

梅の花で白く目立ったというのはやはり当時の感覚だった。そこはあまりにも暗い場所だ一段と映えたのである。
いづれにしろ昔の山であり道であれ街中でもどこでも暗いのである。
そういう暗い所に住んでいて鞍馬山が暗部(くらぶ)というのは余程暗い山だったのである

わが来つる方もしられずくらぶ山木々の木の葉の散るとまがふに(古今295)

木の葉が散り道もわからないようになってしまう。まず平安時代という時代で京都は一段と暗いし今の感覚とはまるで違う。暗黒の魔界に感じたのがイメージできる。

2015年10月30日

「心の青雲」の著者が求めるものは何なのか (鞍馬山に上り義経と一体化する)


「心の青雲」の著者が求めるものは何なのか

(鞍馬山に上り義経と一体化する)

山道も険しいが、山そのものが上から下を見ると絶壁といった感じで、道はつづら折りになっている。鞍馬山は岩盤で固く、杉の木が地下深くに根をはれないので、ぼこぼこと地上に根が出てくねっている。ために歩きにくいことおびただしい。


鞍馬山上りて思ふ義経のその心かな秋のふけゆく

義経の心を求め鞍馬山険しさ足に痛みて知りぬ


彼は何を求めているのか?アレキサンダーであり義経でありジンギスハーンであり戦争で勝った英雄である。
何か今はそういう戦争自体を否定している、戦争は悪いものだということが戦後の憲法までになった。だからこんなに戦争を肯定して英雄を求めているのに違和感を感じるだろうあなたは人を殺して英雄になりたいのかとなる
こういうことを堂々と書けるのもネットならではだろう。
戦争を経験した人は戦争を賛美していない、戦争だけはするなと言っているのである。
だからあんなに戦争を肯定して美化していることに誰でも抵抗を感じるのである。
まず現代の戦争だったらとても英雄化できない、機械の戦争になっているからである。
この次の戦争は明らかにロボット同士の戦争になる。そこにもはや人間はいないのであるでも実際はそのロボットという機械に殺される人が膨大になる。
現実にアメリカはすでにロボットで人を多数爆撃して殺しているのである。
それは鉄腕アトムのような架空のことではなく現実となっている。


ただアレキサンダーとか義経とかなるとまた別である。そもそも義経の伝説はなぜこれほどいたるところにあるのだろうかとなる。
それほど義経は日本全国に知られて伝説に残された、北海道までありそこから逃れて大陸にわたりジンギスハーンになったというのも伝説が残っているからそう見る人もでてくる心に青雲の著者は実地に義経という人物に迫りその人物と一体化しようとしているのである。その手法が単に小説を書くのとは違っている。
武道をしてきた体験からも語っている、だから一面迫真力がある
つまり義経を英雄視するのではなく自分自身もその英雄の跡をたどり英雄となろうとしいる、それが何か司馬遼太郎などと違っている。
司馬遼太郎は小説家であり歴史家でもない、物書きであり実践者ではない
心の青雲の著者は武道の実践家だということが違っている


だから鞍馬山を登るにしても義経に自分自身がなっているのである。
ある人物を語る時何かその人物になりきり語る
第一光厳天皇のことを知っている人すらまれだろう。そんな天皇をのことをなぜほめているのか?
その天皇が過ちを認めた、でも昭和天皇は戦争の過ちを認めないで責任もとらなかったと延々と批判している。
天皇自体が反省するとなるとし過ち認めることは異例のことだろう、ましてや戦争中現人神になっていた人が謝るとなるとそれはありえないことであった。
私は神ではない、人間だと言ったことに三島由紀夫は認めずに自死したのである。
結局情けないものを感じたのだろう。神からただの人間になったことが許せなかったのである。そのギャップも大きすぎたのである。
巨人が突然小人になる、巨獣が突然に踏みつぶされるような蛙のようになってしまう。
それはまるで魔法をかけられたようになる。そういうことは人間には常にある。
自分の家族でも認知症になった結果優秀な人が馬鹿になったということは信じられないことだった。

志高くもありて果てにけれ正しく清く秋の星光る

人間の最後はその志の高みに上ってゆき遂には死んでゆくことは確かである。
人間は死んでただの躯とか骨とか灰になるのではない、明らかに星になるのである。
彼はそれを義経とか英雄に求めている、自分は自然を求めてその志を一体化する。
その相違があってもやはり同じ志向があるので共感する
それは宗教とはまた違って共感するのである。


いつれにしろ歴史を知ろうとするときまずはその地理を知ることが基本にある。地理を知らないと何もしることができない、だから磐城の豊間で津波の被害のことを聞いたがあそこを自転車て通ったことがあるからすぐに話を合わせることができた。
何か淋しい場所であり海に接しているから被害も大きかったろうなと思った。
あそこに銀行がないからタンス預金していたということはやはり街から離れた淋し場所だったのである。
鞍馬山には上ったことがないけど何かイメージはできる。ただそれほどに深い険しい山の中だったということはそこに行かないと実感できないのである。
この実感することはやはりその地を踏まない限りわからないし歴史もまたわからないのである。
詩はまずイメージするにしてもそこに一度行っている人と行かない人の差は大きい
イメージするにもやはり一度そこに行くのと行かないのでは差が大きいのである。
京都もいろいろあり広いからかえっていろいろなものがありすぎてわからなかった。
でも義経の跡をたどるということで焦点をしぼれば何か得るものがあることは確かである大原に一回行ったがあそこも一度行ってみればそこで暮らした感じがイメージできるのである。

タグ:義経

磐城(いわき)の豊間の人は津波でタンス預金を流された (車に自転車をのせてきた人とあう)


磐城(いわき)の豊間の人は津波でタンス預金を流された

(車に自転車をのせてきた人とあう)


原町のレストランの前で自転車を組み立てている人がいた
それをみていたら簡単だった、簡単に組み立てられるようになっている
その人は車にその自転車をのせて組み立てて走る
これも便利だなと思った。景色のいいところを選んで走れるからである。

「この自転車はどこのですか」
「イタリア製ですよ、イタリア製はいいんですか」
「自転車はヨーロッパが発祥だからいいんです」
「そうですか、日本でもシマノは部品として使っていますね
これにもシマノとありますね」
「ヨーロッパもいいですが今はアメリカもいいですよ、ジャイアントとか」
「その名前はよくききます」
「このペダルの部品をとりかえたけど一万したましたよ」
「そんなにしたんですか、この自転車はいくらしました」
「三〇万です」
「まあ、そのくらいはするでしょう、重さはどれくらいですか」
「七キロです」
「ええ、軽いな」
「フレームはカーボンですよ」

こんな会話をしたあと磐城の津波の被害の話になった。

「豊間では被害が大きかった」
「豊間は知っています、そこを自転車で通ったけど前が道路で海でした、あそこなら被害が大きかったでしょう」
「あそこは街から離れているから銀行がないんですよ、あの辺の人たちはそれでタンス預金していたんですよ、それで津波を来たとき、七百万円ばかり持ち出したのですが途中であわてて落として流されたそうです」
「七百万は大きい金ですね、タンス預金は実際は何かと危険なんですよ、自分もそれで失敗して大金を失ったからです」

今回の津波ではタンス預金とかしていした人はみんな流された、でも銀行に預金した人はあとから通帳がなくてももらえたのである。
タンス預金は実際は相当に危険なのである。盗まれても証拠がないので警察に訴えてもとりあってもらかない、警察は重大事件でも証拠がないとりあげない、はっきりした証拠がないと裁判では必ず負けるからである。
だから証拠さえなければ罰せられないとなってしまうのが民主主義の社会である。
だから罰せられない犯罪者の数は膨大にいる、証拠がない限り罰することができないからである。殺人犯でも何でもそうである。
それだかけ民主主義社会では犯罪を犯しても容易に捕まえられなくなる
犯罪者の方が得するような仕組みなのである。犯罪にあって泣き寝入りしている人は無数にいる、でもどうにもならずあきらめる他ないのである。
ただそういう人はやはりカルマをもち何らか警察ではなくても罪を背負うことになる

今回の津波でも原発事故でも様々なことが起きた。それはみんなとても語り尽くせないものである。この話も一つの話にすぎない、富岡町長の五億円の金庫が流されたというのもそうである。このタンス預金の話でもそうだがそういうことはかなりあった。
通帳でもハンコでも流されても銀行に預金していればこういうことはなかった。
自分の一身上もここ十年は介護と自分の病気でつぎつぎに災難が起きたのである。
ただ直接人から聞くとその話もリアルに感じるのである。


ともかくその人は六五才以上であり自分とたいして年が変わらなかった。
車で自転車をのせていい景色の所を走るのはいいなと思った。
その人は毎日一時間半くらい自転車にのっているという。そのくらいなら疲れないだろう何か自分は距離が長くなるからあと疲れるようになった。特に筋肉が痛くなるのである。でも自転車は70でもそれを越えても楽しめる、車と併用すればもっと楽しめる
でもそういう器用なことをできる人とできない人がいる。
車も運転してバイクものりとか外国旅行も自在にするとか外国で仕事までしている器用な人に外国の旅で出会った。
そういう器用な遊び上手な人が団塊の世代などには多い、あの人もそういう感じだった。自分はまず不器用であり雑であり車の運転は向かない、必ず事故になるから原付バイクでも乗らない、何か器用さに欠けるからいろいろうまくやれないのである。
俳句短歌はできるにしろ他のことはうとくなるのである。
人間なんでも得意な人はいない、何かできれば何かできなくなるのが人間なのである。
車とは現代では何かと便利なものだから車がないとかなり損することは確かである。



タグ:タンス預金
posted by 老鶯 at 14:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

事業失敗に家系の因縁はあるのか? (結婚すればやはり相手の因縁を事業でも受ける?)



事業失敗に家系の因縁はあるのか?


(結婚すればやはり相手の因縁を事業でも受ける?)


いろいろな因縁を問題にする、事故の因縁もそうだし病気の因縁もそうである。
そして事業失敗の因縁というのがあるのか?
これは自分の実家の母と父方とも言えないが関係した親戚が二軒がすでにある。
もう一軒を事業に製鋼していたと思っていたが失敗していた。
母方の実家は警察所長までしていた機織り産業が盛んなときで事業に手を出して失敗して一家離散になった。
おじいさんになる人だったが母が威張っている人だというときそううい人でそもそも事業ができる人ではなかった。
もう一軒は町工場をしていた人が経営不振で借金で倒産して土地も家もとられた。そこは更地になり駐車場になった。
もう一軒はこの人はもともと一級の免許をもっているから優秀な人であり事業できるものはもっていた。それがなぜか60頃になって失敗していたことが判明した。
借金をしていたので判明したのである。その額はわからないにしろかなり大きいと思う。なぜなら自分に要求するのが一千万とか百万とかは軽くするからである。
だから貧乏人が一万とか二万をやりくりして借金しているのとは違う。
こういう人とつきあったら本当に怖い,何か恩着せて保証人とかになってくれとかなるからである。
それが病気のとき入院保証人とかになるとき恩きせられたのである。
これも相手の弱いところついてくる非情化した人間になっていた。
借金で追い詰められる人は怖い、犯罪の動機で多いのが借金なのである。
もう相手のことを考える余裕などない、もちろん助ける余裕もない、相手から金を奪おうという考えしかないから怖い、保険金殺人とかあるからそういうものに近くなる。


ただ事業とかに失敗する人はこの世ではいくらでもいる。第一二〇人に一人くらいしか事業に成功していない、それだけ厳しい世界だということである。
自殺する人も借金とか事業で失敗する人が多いだろう。
事業というのは相当なリスクなのである。
だから家系の影響なのか本人の自己責任なのかはわからない、母方の実家には奢りがあった。警察所長ということで俺は偉いんだということで通っていたからである。
だから事業しても成功するんだという考えになっていた。
でも実際は警察所長と会社経営することは全く関係ないことだったのである。
今なら警備会社関係となら警察関係なら何かしらつながりがあるが全くなかったのである奢りが失敗の原因になることは多々ある


もう一人は事業をできる人だったがこの人も奢りがあったのだろう。
先の見通しも甘かった。ただやはりそれなりに実績がある人だから事業をしても成功することはありえた
それがなぜ失敗したのか、その詳細はわからない、そしてなぜ家系とかに関係あるのか?
その人自身の家系について皆目わからないが親戚と関係していた人の家系というか家族がどういうものか知っていた。
妻は若いとき夫が身体障害者となりずーっと世話する役目にをになわされてしまった。
それは不幸だったのだが結婚した娘の夫は優秀であり給料も高かったので恵まれていたと思っていた。それは端からみて恵まれた結婚だったのである。
それが今になってなぜその優秀な夫が事業に失敗したのか?
それは結婚した相手の妻の家系に家族にその家風とかが問題だったのかもしれない
夫で苦労するとか何かその家系と家族に問題があった。
それは知っていたことだが結婚した娘の相手はそうではなかったのである。
それが事業に失敗したことで妻の家系の影響を受けてそうなったのかとなる
夫がしっかりしていて大黒柱になっていれば問題なかった。
事業に失敗した結果夫は頼りない人になりその負担が妻とか同居する母とかにかかってきた。
必ず長男長女は何かその家系の家族のプラス面でありマイナス面であり一身に背負う運命にある。
自分が今や大黒柱といっても女性だったが家族をなくした結果全部自分一人で家族のことを背負う結果になったのである。
長男でない場合は長女が背負うことになる。長男長女はそういう宿命を背負っていたのである。


相手の家系の因縁を受けるというとき結婚がそれだけ単なる好きだ嫌いだというだけではない重みがある。家系の宿縁を背負わされるのが結婚にもなる。
それは悪いものだけでなくないいものを受け継ぐが悪いものも受け継ぐ
事業の失敗はその人個人の奢りがあったものだが結果的には妻の家系のマイナスの面を引き継いでその悪い面に同化したとなるのか?
家系というときその家が形作る運命的なものもあるが家風というのももあるだろう。
家風があわないから結婚しないとかもある、あまりに金持ちの家と貧乏人とかの家だとあわないこともあるしあわないことは職業でもあるだろう


その点江戸時代は同じ家風の人同士が結婚していたからうまくいっていたのではないか
侍は侍同士の結婚であり職人は職人同士で農民は農民同士とかが多いからである。
今は多種多様な人々が入り交じっているから家風でもわからないし思わぬことでそのずれが大きくなりやすいのである。だから離婚が三分の一と多くなったとも言える。
好き同士で結婚してもあとあと60になってからでもその家系の影響がでてくる怖さであるただその人が事業に手を出さなかったらこんなことにはならなかった。
恵まれたものとして老後もなっていた、それでも今は何かやと下流老人が増えているのだから別にこういう人はいくらでもいるからいちがいに家系とか家風とかから見ることもてきない
客観的に見た場合その人は知っているから家系の家風とかの影響を受けてそうなったのかと思った。
家のことはそれぞれ複雑でありわかりにくい、でも親戚関係だとやはり具体的に見えてくるから自分のこととも関係して被害を受けたから深刻になるから考える
その家系とか家族を傍観しているならいいができない、災いでも具体的に及んでくる
その事業のことなどわからなかったが今回は自分の家に自分にも被害となったから考えたのである。


ともかく小さな会社でも大きな会社でもいかに経営というのがずかしいかわかる。
東電がそうだったし旭化成でもあれだけの大企業がいくつもかかわってもそうだった。
事業というのは大会社でも経営するのがむずかしいのである。
ここにもやはり大会社だという奢りがあったことは確かである。
大会社だから安心だということで内部でも油断と奢りがあった。
何らか常に人間は奢るとき失敗に通じる、奢れるもの久しからずというのが常にあったからである。奢ること自体が危険になってくる。それは国単位でもそうである。
大きな国でも奢りから衰退してゆくこともある。
ただ人間には思わぬ落とし穴が常にある。津波もそうだし原発事故もそうだったしそういう大事故でなくても常に思わぬ落とし穴があり人生が狂ってしまう。
思わぬ落とし穴だからこそ予想がつかないからその穴に落ちるのである。
思わぬ幸福もあるにしろ思わぬ不幸もまた人間には多いのである。


ここ十年の介護や自分の病気などはそうだった。そこに思わぬ幸運というかそういうものあった。ただそれ以上に不運が不幸が大きくのしかかってきたのである。
結局自分の不運とか不幸は恵まれすぎたということにもあった。
恵まれすぎると苦難に対処できない、例えば美人の妻をもっても意外と苦難が来たとき役にたたないということがある。だから妻の良し悪しも見栄えだけからは判断できないのである。苦難に強い女性もいるからである。
人間は結局何が思わぬ落とし穴になるからわからないということである。
それに備えようにも備えられないということもあるのだ。
いくら金をためて備えてもそれが役立たないということもありうる、かえってその金が遺産争いのようにまた強盗のような人がきて奪われるとか殺されることにもなる
そういうことを自ら経験したから金は怖いとつくづく思った。
何か落とし穴になるかわからないというのは備えようがないということでもある。


家系とかの問題で何かその相談などで金をとるとか除霊とか先祖をなんとかとかで商売にするのは危険である。それなりにいいことを言っていても危険である。
宗教とかそうした相談にのる人は相手の弱さがあってそれに対して金をとる
弱いものに対してその弱さにつけこんで商売にするのは何か危険である
そこに何か人間性がそこなわれるし悪魔的にもなる
だから医者とか看護師とかでも常に病人を弱者を相手にしているから一歩間違えば悪魔的になる。
いらない薬でも金のために飲ませるとかいろいろある。弱者に対してはそういうことが簡単にできるからある。
宗教でもカルト団体などに頼るのも危険である。人間が弱者化するとき危険なのはその弱さにつけこんでくる人が必ずいるしそれが多いということである。
宗教などはむしろ生きのいい病人でもなんでもない健康な人を相手にすべきなのである。弱者になるときいくら金持ちでも必ず優位にたてる、自分もそういうふうに借金していた人から病気の時脅迫まがいのことをされたし現実に大金を失った。
そういうことは老人に対してやりやすいからそうなる。


ともかく相手の弱みにつけこんで脅したりするのは人間として最低ではないか?
でも相手も窮迫していたのだからそんなことを言っていられない
それは弱肉強食のまさに自然界とも同じだった。食うか食われるかの世界である。
飢えていれば子供とか弱ったものが先に獲物にしやすいから狙うのである。
そういう経験をしたから人間界も動物界と同じだったのである。
人間は弱者に対して本当に同情心がもてるのかということさえ思う
カルト宗教団体などでは同情心は全くない、ただ一つの政治団体として権力を得るために人を集めるためにある。
そうはいってもそういう底辺の人たちはどこにも頼る場がない、頼る人がいないからそういう場所でも安易に入ってゆく、だから生活保護関係とかそういうことを斡旋してくれる政党とかカルト宗教団体は必要悪として否定できないのである。


つまりそこに弱者の悲しさがある。
上級階級だとコネがあったりいろいろ得するが底辺層は保証人になってくれる人もいないなど常に不利になり損するからである。
そういうコネも得られないとなるとそういう政党でもカルト宗教団体でもなんでもかまわない頼れる所に頼るというのが庶民なのである。そこでは宗教など関係ない
何か得することがあるから入るのでありそれ以外何もない、コネとか金がない人はそういう場所に頼る他ないのである。
ただ人間は金があっても権力があっても弱者化することがまねがれない、必ず病気になり老人になり弱者化するからである。
「悲しむものは幸いである」という意味は何なのだろうか
それは悲しまない立場にある人はすでになんらか奢りにありこの世で得をしているが実はそのことは下々のものがいて苦労していてその人たちのおかげで悲しまない立場にある
だから上にたつ人はそういう弱者のことを考えねばならないだがほとんど無関心である
そして弱者になってみないと弱者の気持すらわからないことなのである。
だから上に立つ人は悲しまない立場にある人はある意味で天国に行けないというとき
かえって小さい人やそうしてこの世で悲しんだ人たちの方が天国にいたともなる。
この世であまりにも得する強者になっていること自体が罪なことだともなってしまうのである。


いづれにしろ家系の因縁はそれぞれの家族で違っているから複雑であり外から見てわかりにくい、家系というよりその人自身の人間性とかも関係しているからすべて家系の問題でもない、何かの犯罪であれこうした不幸であり必ずいろいろな要因が重なっているのである。家系もその一つであり家系がすべてとはならない
ただ家系も家風も確実に影響している、家系とか家族とかが形成する家風には癖がありそれも影響している
商家だったらやはり商家の家風を受け継いで成功することもある。
一からはじめると商売で成功するのはむずかしくなる


タグ:事業の失敗

2015年10月29日

秋の日(石二つの俳句を英語にして鑑賞)


秋の日(石二つの俳句を英語にして鑑賞)


石二つここに動かず秋の暮


the two stones

the silenced ones

an autumn day close

、、、、、、、

in the TOCHIKUBO villiage


なぜ今言葉が死んだとか言われるのは現実にある事物と結びつかないためである。
言葉より前に自然の事物があった。それを言葉でもって結びつかせた。
だから言葉というのは事物なしではありえないのである。
万葉集などは明らかに奈良という場所でその自然と密着して生活していたから言葉はその環境と結びついていた。
枕詞が今になると理解できないがそれも奈良という場と結びついていた。
そして人間がその土地に山でも川でも名前をつけるとき人間化したのである。


言葉というとき日本語だけではない、様々な言葉がある、でも言葉の共通性として最初に事物がありその事物と結びついて言葉が生まれる
だからaではなくtheになる、その石でありその石のある場所やその石の形状とかまでイメージする、像としてイメージする。抽象的なaではないのである。
それで俳句を英語にしてみるとやはり言葉には共通性がありそれなりに石を表現できる。ただ英語力がないからこれは俳句を英語化したものではない、なんか俳句の英語でもルール化したものがすでにあるからだ。

an autumn dayというのは季節は毎年違ったものとして感じるからそうなる
英語とか外国語の特徴は中国語ですら韻を踏みやすい、中国語を習うために留学した人が中国語の音がいいから中国語にひかれたというのもそうである。
中国語は音がいいというとき日本では漢詩は漢字に注目しているが音にはあまり注目しないのである。
そして最近面白いと思ったのは日本語は何かアクセントがない、どこか強調するということがない、ただ日本語でも強調する語を強くいうと意味が変わる
やはり人間の言葉何か強調するとき強く言うことになる。それがアクセントである。
英語などはアクセントが多いというのは異民族と交わるとき何か強い調子で言わないと通じないということがあった、日本語のようなめりはりのない一本調子では通じない
言葉が最初音だというときどこの国でも字がなくても音としての話し言葉はあった。
日本語もそうである。漢字が入っても文字化して平安時代にひらがなができたのである。
人間がその土地と一体化する、アイディンティティ化するときやはりあまりにも広いとしにくい。
丁度相馬藩くらいの規模がアイディンティティ化しやすいのである。


現代の言葉は自然から離れて自然の事物から離れて自然と結び合う言葉ではない
そこに言葉の重みがなくなっている、沈黙もない世界だから余計に言葉に重みがなくなっている
ビジネス、政治、科学技術用語である。純自然と結びついた言葉ではない
それで詩語の衰退というのがある。ただ詩語というのは漢詩に多いから漢詩を学ばないと詩語は豊にならないだろう。自分の詩も詩語が貧弱だというのは確かである。
ただ大和言葉には詩語としてはもう一つ豊ではない、そもそも俳句という芸術が日本に生まれたのは極めて日本的風土に適して生まれたものである。
その短さが日本の風土に適していたのである。
グランドキャニオンとかで俳句とか茶道などしたら全く違和感があり通じない、ここは宇宙の別な惑星にでも来た感じだったからである。
こういう場所では言葉で現せないものを感じたのである。

いづれにしろ座禅とかは禅宗では沈黙を静寂の世界を追及した。それは日蓮宗とか念仏宗とはあまりにも違うのである。日蓮宗でも念仏宗でも一日唱え続ける、それは麻薬のように唱え続ける、何かあったら題目を唱えて解決しようとする、だから何か騒々しいのである。
自分にあっているのは禅宗でありその沈黙である。禅宗には何かそうした沈黙とか清楚があり枯山水も生まれた。
そもそも日蓮宗とか念仏宗は大衆化されやすいものだったのである、題目を唱えていればいいとなれば誰でもわかるからである。禅宗はその点大衆化しにくいものだったのである

結局自分の性格もあり石を追及したのが自分でもあった。人間の幸せはその人の性格に適した活動ができことにもある。自分の性格にあわないことを職業に選んだりしたら不幸になる。
自分は人と接するのが苦手である何か疲れるのである。
この十年間くらいは介護とか自分の病気とか俗世のことにかかわり苦労してきた。
これも経験だったけど今は何か前の静かな生活にもどっているから幸せだともなる
人がいない、人と極力かかわらない世界にいるとき安定して安らぐのである。
介護や自分の病気でかかわった人に毎日のように責められたから苦しかったのである。

タグ:英語の俳句

2015年10月27日

秋の日(栃窪村俳句十句) (川や小川や街でも堀川で洗濯していた時代)


秋の日(栃窪村俳句十句)

(川や小川や街でも堀川で洗濯していた時代)


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延々と悪路を上り山あざみ

石に菊清流ひびき栃窪村

橙の晩菊にさす朝日かな

動かざる石により映ゆ菊二色

山よりの流れに洗い場秋の蝶

石二つここに動かず秋の暮

秋日さし石重々と無言かな

森深く散れる木の葉や人知らじ

薪積みて栃窪村や冬支度

みちのくの奥津城眠る後の月


小山田の方に出る森の道に迷った、あそこは前にも行ったことがあった。道がぼこぼこであり上るのに苦労した。電動自転車でもヤマハのマウンテンバイク用だから上れた。
ヤマハのは馬力があるから悪路でも上れる

栃窪村というと橲原村よりかなり広い、江戸時代にどれくらいの村の規模だったかは知っておく必要があるだろう。
村というのはなぜ日本では大事かというと村の規模で生活が営まれ村単位で相馬藩だったら藩で支配していたからである。米を納めるのもそうである。
村というのは行政単位でもあり生活の単位でもある。
だから日本では村が消失してゆくと歴史も失われる、日本は村があって国があったとなるからである。
そしてコンパクトシティでももし村がなくなったら何か日本は国としてつまらなくなるだろう。
どんな奥地でも山の中でも営みがあり村があることに日本の特徴があったからである。


ただはっきりいってこの辺は原発事故で田でも集約化がすすみ企業とかが入って大規模農業になるほかないのかもしれない、津波の跡とかは一部そうなっている
小さい田んぼがあちらこちらにあっだがそこは放棄されているからだ。
もう跡継ぎもないということで放棄される、だから小規模農業は成り立たなくなる。
そうなるとこの辺では村はどうなるのかということである。
この辺はまだ村でも限界集落というのとは違っている
街がありんなに離れていないから住居としては残るだろう。車があるから通いるからである。
ただ農業とかはもうやっていけないからどうなるのかわからない。
そういうふうになると何か村の景色とかもなくなり何か嫌である。


例えは栃窪村には山からの水が流れてその水で洗いものしていた家があった
ところがそこも堀にしたのでなくなっていた。
要するにまず自然の小川はなくなった、だから何かそうした自然と調和した生活が今になると牧歌的に見えるのである。
実際は貧しい生活でもなにか自然の中で生きた人間が牧歌的に見える
今になると信じられないけど街中でも川から水をひいて洗濯物まで洗っていた時代があったのである。
自分の家の裏がそうだったのである。それが今になるとここもそうだったと思い出したのである。
つまり山の中だけではない、街ですらそうだったのである。
水道がなければ洗濯物を洗うのは川でするほかなかったのである。
「かわらのおばさん」という黒い蜻蛉を言っていたのは洗濯しているおばさんがいたからだろう。川にいつも洗濯しているおばさんがいたのである。


冬場の洗濯

萩の洗い場

この写真がそうである。これは大きい川だが堀とか小川でもしていたのである。
それは萩などでも街中を流れる堀の水で洗いものしていた。
何か鯉が泳いでいるから新しく作られたように見えるのである。
自分の家では井戸がなく水を近くからもらっていたのである。
水道ができたのは戦後十何年かたってからだったのである。
もともと水道がない、江戸には水道橋があり水道があった。それだけ都会だったとなる

戦後十年の暮らしは江戸時代のつづきだった。燃料は炭だったからである。
だからこの時の経験は貴重だったとなる
人間は時代で錯覚するのは水道がない社会がもうイメージすらできなくなっていることである。
まず洗濯自体が一仕事でありその費やされた労力は世界中で同じである。
セーヌ川で大勢で洗濯している女性の絵があった。
セーヌ川というとロマンチックにイメージするが同じだったのである。

栃窪村は真野川の上流にありあのどっしりと隠れた石がいい
あれは底が平たいし大きいから安定感がある
あの石に気づいている人は少ないだろう
今日は秋晴れで気持が良かった、ともかくこの辺は除染のダンプなどひっきりなしに走っているし落ち着かないのである。
落ち着きを取り戻すには後三年なのか五年なのかわからない
それにしても長すぎるのである。そのうち死んでいる人もでてくる。
なにかわたわたしていて落ち着かずに死んでゆくのも嫌だとなる
とにかく見かけるのは老人が多いのである。





タグ:栃窪村

2015年10月26日

みちのくと十三夜の月と金色堂


みちのくと十三夜の月と金色堂

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月雲に隠れてあわれ秋薔薇

みちのくに十三夜の月眠るかな

みちのくに十三夜の月金色堂

十三夜の月光照らす金色堂


津波の後荒寥と秋の日の没りて枯木のなお立ちにけり

津波より五年も過ぎむ庭の樹のなお立ちにつつ秋のくれかな

一三夜の月の静かな田舎かな遠くに行けず籠もる我かな

十三夜の月こそあわれ夜はふけぬ百歳の母の介護のつづきぬ

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津波の跡にまだ残っている家の庭の樹、枯れているけど倒れることもない
何か離れがたく以前として残っている




昨日が十三夜の月とネットに出ていたけど今日も満月でありきれいである。
何か十三夜の月は神秘的である。
一段と宇宙の静寂の中に美しく輝いている


今は遠くに行けない自分だから籠もる自分になったからこれもにあっているともなる。
一五夜と一三夜の感じが相当に違っている。十三夜の月は何か奥深くものを感じる
だからみちのくにあっているかもしれない、みちのくというときやはり現代でもその感覚は歴史とともにある。
みちのくというとき芭蕉によって一詩人によって印象化された面がある。
もちろん古代からみちのくというのはすでに歴史的に独特の位置づけがあった
京都から離れた遠い辺境の地としての位置づけがあった。
だから「五月雨の降り残してや金色堂」があった


この句にみちのくが印象づけられる、みちのくというときなかなかそれが一つの地域としても一体感をもちにくい、みちのくといっても広いからである。
青森とかなるとみちのくでもさらなる辺境である。秋田といっても何かなじみがない
実際は平泉までがみちのくとしてありその奥となるとまた違っていた。
平泉が栄えたということがみちのくの栄華なのである。ただそれも三代で終わったはかない栄華だったのである。
ただみちのくの魅力は西のように華やかではないのだけど何かそこに魅力がある。
辺境の地として魅力である。それはスコットランドとかにている。
ローマの辺境としてスコットランドがあり薊がその国の紋章となっていることでもわかる

ただ常陸とみちのくの感覚はやはり違うだろう。それは古代からそうなっていたのである白河の関から勿来の関からそうなっていた。その歴史はそれだけ古いのである。
みちのくはだから京都から見たとき遠い辺境の国として江戸時代までもあったのである。今は何か外国人とかの観光で騒々しくなった。
京都でもそうである、どこでもそうである。そうなるとやはり日本的風情もある程度はそこなわれる。経済的には落ち目になり観光の国となりやがて日本人女性が売り物になる時代になってきているのかもしれない、それもカルマだった
日本人もさんざん外国でそういうことをしてきたからである。


今になると日本国内すら旅しにくい、ホテルもとれないとかさらに騒々しくなっている。自分はみちのくが好きである。静寂を追及してきた者としてみちのくが好きである。
西になると騒々しくなるから嫌なのである。そもそも都会が嫌なのである。
そういう性格だったということもある。
まず月を鑑賞するとき騒々しい所ではできない、都会の月は書き割りの月である。
自然の静寂から離れているからだ。都会には自然は映えないのである。
月は一段と闇のなかでこそ輝くものなのである。神秘性を増すのである。
現代は電気の光で闇が消えてしまった。それで本来の自然の神秘性が失われた。
京都には確かに自然があるが観光客が多くなりすぎたことは日本の残した文化でも鑑賞できないものとする
庭などは一回見たくらいではわからない、四季折々何回も見れば鑑賞できる


ともかく月は不思議である。月と蟹は関係しているのか?満月になると産卵するというのも月と関係している、天体は人間にも影響を及ぼす、蟹座生まれなことも月に魅力を感じるのか?
性格的にも自分は陰だからそうなる、十三夜の月がだから何か神秘的でありみちのくにふさわしいともなる
俳句は写生でないといいものはできないが金色堂というとやはりみちのくでありそこをイメージする距離にはある。
今金色堂に平泉にこの十三夜の月が照らしているのをイメージして作った。

後の月

こことあわせて読むとみちのくの月として連続したものとなる

タグ:十三夜の月

2015年10月25日

国際性が身につくとは何か (株とか世界に投資してみるとわかるー信用が一番大事)


国際性が身につくとは何か


(株とか世界に投資してみるとわかるー信用が一番大事)


カナダに投資したらカナダのことは行ったこともないし知らない、でもカナダがどういう国なのか気にかかるようになった。
カナダに投資しているからカナダが経済的にも利益を出す国で政治でも安定していてその他でも何か世界に利益になるものを売り出しているとか気になる
石油の資源国なことはわかったがその他のことも気になる

投資することとか商売することとかグローバル経済とは何かというとき何か自分は学問的に考える、するとそれが学問上の問題のようになり現実から離れる
でも投資するとなると違っていた。中国の経済の不安で株価が世界的に下落したしカナダも下落して一割ひかれたことは大きかった。
株は前からそういうことがあった。だから株はリスクがあるから怖いのである。
ただ日本では株を多少していたが外国に投資したのははじめててである。
だから投資した外国のことが気になるようになった。
それはただ旅行しているとか学問的に外国のことを知るのではない、実際に自分の金がどうなるのかという深刻な問題になったからである。

人間は自分の金が得したり損したりするとき真剣になる。ギャンブルがやめられないのはそうした金の真剣勝負になるからである。
株は必ずしもギャンブルではない、外国に株であれ国債であれ何であれ投資することは何を意味しているのか?
例えば会社で働いている人は外国で勤務したりするとビジネスでも具体的に理解できる
外国と取引すること商売することがどういうことなのかわかる。
そういう経験を積んでいれば別に株をしなくても外国と取引する外国人とつきあうということがどういうことかわかる

外国に投資することで最大の問題は何なのか?そこは日本ではないということである。
それは当たり前のなのだが日本でないということはまた大きなリスクである。
なぜなら日本ではないということは日本で受ける保証がないということである。
だからある時投資した金がゼロになる、外国だったらそういうことも簡単にできる
としたらまず外国に投資したりしないだろう。。
現代のグローバル経済というときいろいろ批判してきたけど自分が株とかに投資したときそのグローバル経済の中に組み入れられていることを実感した。
資本主義が資本を投資してはじめて資本主義を理解するのである。
貯金していてもわからない、資本をもちその資本を金でも投資するとき資本主義を理解するのである。


その資本主義であれグローバル経済で一番大事なのものは何なのか?
それは信用なのである。金をあづけることは信用するからあづける、そんなことが当たり前というけど信用がなければまず商売は成り立たない、経済も成り立たない、まずカナダという国を信用するから金をあづける。そこは外国だから余計にそうなる。
政府で簡単にあずけた金をゼロにされたりしたらもう世界経済も資本主義も成り立たないのである。
商売で一番大事なのは信用なのである。これはあらゆる面でそうである。
信用がなければ社会も人間関係も成り立たないのである。
信用ということは農民だったらあまりなじみがない、信用にかかわることがあるとしても具体的に人と人のやりとりがあっても農民だったら何を信頼するかというと大地だとか自然になる。人間と人間の関係ではないのである。
商売では契約が一番大事であり命に懸けても守らねばならないものとなっているのは信用が第一だからである。
それで聖書が絶えず人間と神との契約の書だというときまさにその信用のことだったのである。中東辺りでは商売がはじまった歴史が非常に古いからそうなった。
法律でも商売に由来するものが多いのである。
宗教と商売とは関係ないようでも密接に関係していたのである。

グローバルな資本主義世界となったとき、そもそも貿易をして商売するのだから信用がなければ成り立たないのである。
中国では偽物が多いから日本で爆買いするというときもそうである。
中国はなにかと政治でもまだ信用がないから投資するのが世界でも不安になる。
それは政情不安な国とかもそうであり何か信用できないとなる
だから投資しにくいとなる。投資というのは大損するときがあるから個人的にでも簡単にできないのである。
ともかく投資することは信用するから投資するのである。
問うされた人は国でもその信用に答えねばならない、それが世界経済として成り立つ、信用がなければ国と国の貿易でもできなくなるからだ。

それで例えばTPPというときこれも日本だけが不利とはならない、アメリカでも反対しているからアメリカでも不利なのである。
でもこれも互いに信用しなければ成り立たない、アメリカが一方的に得する仕組みだとなると他の国も参加しないだろう。
そしてTPPの一番の問題がその参加国が信用しあえるかなのである。
その一番の不安が食料にあるだ。
何かあったとき食料が入ってこなくなる、金でも買えなくなる、何かそこが一番外国だから不安になる。日本国内だったらそういうことはない、食料だと輸送するのも新鮮なままに輸送するのもむずかしくなるからだ。
これも経済でそうした協定を結ぶことは国が違うのだから国同士の信用関係がないと成り立たないのである。

なぜ中国とか韓国とかと日本はうまくいかないのか?それは常に戦争のことで責めれるし日本を敵国のように攻撃してくるからである。
すると中国はいつ日本を攻めてきて占領されるかもしれないと不安にさいなまされているのである。日本人が滅ぼされるという極端な不安をあおる人もネットにいる。
それは信用できないということにある。
ただ信用できないというとき国同士信用しあっている国があるのかともなる。
ロシアは信用できないとかもそうである。それは歴史的にもシベリア抑留とかで信用できない、政治的に信用しあっている国があるのかとなる。
ヨーロッパは連合したがEUになったときそれは信用しあうものとして連合である。
その国々では国境もなくしたというのはそのためである。

ともかく商売とか経済とかはグローバルになったとき信用がさらに大事になる
なぜ例えば原発を最初に福島に作ったときアメリカのGEは古い型のマーク1を日本に売りつけたのかというのもそうである。
それは危険なものだったが外国だから売りつけたのである。

外国だから粗末なものでもいい、もうければいい

つまりこうなるとき公平な商売貿易は不可能になる。外国となるときすでにもう信用関係がない、危険な原発でも被害が及ばないとなれば安いものでも古いものでも売りつける。それは無責任だとなり外国は信用できないとなる。
日本国内でも東電は東京では危険だからはフクシマに原発を作った。それは東京までは事故が起きても被害にならないということフクシマに作ったのである。
すでにそこで原発はリスクをともなうものと認識していたのである。
それほど安全を言うなら東京に建てれば良かったのである。
そこにすでに信用できないものとしてフクシマでも見れば良かったのだが金欲しさが優先されて信用したのである。
その信用は見事に裏切られたのである。

ともかく人間関係でも信用が一番大事である。それは人を雇う者と雇われる者でもそうである。まず信用がなければ雇うこと自体できない、だからどうして雇う人間を信用するのかということが最大の問題だった。
近くに住んでいるからとかそんなことで信用したりしたのが失敗だった。
田舎だから安全だとは今はならない。
そして信用関係は簡単に築けない、時間もかかるし互いに信用するには必ず問題が起きて信頼できないとかなる。でも何とか問題があったが和解したとか信頼関係ができたとき
安全になる。それは狭い地域でもそうだから日本国内でも広いから同じである。
外国となるともともと国同士が常に信頼できないとなっているとき、どうしてでは経済でも商売でも貿易でもできるのかとなる


だから国際関係の基本は政治だけではない、経済にあり商売にありその他国と国が行う事業とかでも信頼関係が必要になるのである。
信用できないということが致命的なのである。
物を売ったけど金が払われなかったとかインターネットであればインターネット自体信用できないとか問題になる。
インターネットというメデアが何か信用できなるのかとなるとここでも商売をしているからそうなる
人間関係とは国同士でもどうしたら信用関係がもつことができるかが最大の問題なのである。
契約はその信用を証明するものだから一番大事なものとなる。
いくら自分はそんなこと契約していない、金を借りていないと言っても契約書があれば
嘘はつくことができないとなる。それで契約書が大事になる。
でも日本ではこの契約の大事さを認識していない
つくづくだから中国とかと政治問題でこれほど信用できないとなるときどうして経済が貿易ができるのかともなる。
日本の会社は中国をひきあげるとか投資もしないとかなるのである。
それは韓国でもそうだけど信用できないからそうなるのである。
中国の日本の会社が打ち壊されたりしたらもう経済活動も何もできなくなるのである。
戦争のことと経済商売のこととは別である。戦争の問題とかで日本をたたくことで貿易もできなくなる、戦争のことはなかなか今でも判断しにくいのである。
そのことで常に攻められたら日本でも中国とはかかわりたくない、経済的にもかかわりたくないとなってしまうのである。





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抽象画(拡散する街ー連結する街)


抽象画(拡散する街ー連結する街)

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拡散する街

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連結する街

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異国の花



抽象画が何に見えるかは決められない、でも何かに具象画にしたいのである。
だからこれも街の拡散と連結というときそういうふうにすでにタイトルから見るのであるでもタイトル通りにはならない
これは秋の色という自分が作った抽象画をまた変化させたのである。
抽象画は無限の変化である。


ただ不思議なのはすべてが変化して抽象画にはならない、いくら変化させてもそれらしいものにならない
抽象画とは何なのか作っている方でもわからないのである。
変化させてみたらこれは街だなとか岩があり森がありとかイメージする
でもそうみんな見えるかといったら見えないのである。
それが具象画と根本的に違っているのである。





2015年10月24日

大学に文系はいらない(2) 理系と文系の相違は何か


大学に文系はいらない(2)


理系と文系の相違は何か


この世界を見るのは二つの方法がある、それが物質世界と人間世界になる。物質世界は理系であり人間世界は文系になる。
理系には人間世界と関係しないで物質を探求する
例えば考古学があるとしたらそこで発見された石器がある。その石器がヨーロッパ
で発見されたものは大きいというとき殺傷能力も大きいということである。
理系だったらその石器をどういう状態でどんな石を使って作ったとかもっぱらその石器自体の物質的成り立ちに目を向ける。

一方で文系の人はその石器自体の成り立ちよりその石器が人間にどう影響するのかを見るそれを人間の歴史からみる、ヨーロッパでは戦争が多かったというときそれは石器の時代からアジアとは違っていたと書いたがそういうふうにみる
石器の違いが人間にどう影響したのかをみる、一方で理系の人はその石器の成分とかを念入りに調べる、人間社会にどう影響するかはあまり考えない
その物自体に興味を持つのである。それは化学式となり元素記号化する
そのことが理系と文系の大きな相違かもしれない。


文系の人は例えばいろいろな道具でも車でもその道具を作ることではなく車が人間社会にどう影響するかをみる、自分も文系だからそういう思考になる。
車が嫌いだとか車は人間的ではないとか交通事故になるから危険だとかもっと車をへらしてバスでもいいとか交通体系を変えるべきだとか社会体制まで論じる。
でも理系の人はそういう車が社会にどう影響するかよりより高性能な車を技術開発することをひたすら目指している。


自分もそうだが文系の思考は何か医療でもあらゆるる技術でもそれが社会にどう影響するかをみる、だから原発でもそれがどう回りに影響するのか心配する
原発が社会にとって必要なのかどうかを議論する。
理系の人は原発の社会的影響より技術的にその技術を完成しようと努力する
原発の危険性があっても技術者として原発の技術の完成に向かって努力する
理系の人は技術そのものを最高のものにしようと努力している。
それは医療でもそうである。人間を不死き体に老いない体にまでしようとしている。
結局技術の完成を目指すとしたら人間を死なない体にすることが究極の目的になってしまうからである。

象徴的なのはアルキメデスは足場を与えてくれ、そうすれば地球すら動かして見せよう。、、、あれば世界を動かすと言ったが戦争にまきこまれて死んだ、つまりこれこそ理系なのかもしれない、回りの状況を社会のことなど関心を払わずそれで殺されたとなるからだ。

街が占拠された時アルキメデスは砂の上に描いた[9]数学図形(en)について熟考していた。ローマの兵士はアルキメデスをマルケッルスの元へ連行するよう命令を受けていたが、アルキメデスは思案中だとこれを拒絶した。これに兵士は激高し、剣をもって彼を殺した

回りの人間がどうなっているか見ない、ただひたすら研究に没頭していたのだから理系のオタクのようになものともなる
理系的思考になるとそういうふうに世界も理系的思考で世界を動かせるという自負になる世界を作り動かしているのは理系だとなることがここに象徴的に示されているのだ。
回りで起きている社会の人間の動向に無関心だったのである。
社会の人間の動向に絶えず関心をもっているのが文系である。
なぜ事故が起きるのかと探求すると理系なら技術的な問題であり技術が改良すれば解決するとなる
でも文系だとモラルがないとか会社の組織が問題だとかコストを第一にするとか技術そのものよりそうした周辺的なものかかわる人間を問題にする
アメリカが古い原発をもってきたのが悪いとかアメリカがそうできたのは日本が戦争に負けたからだとかそういう歴史とかも関係させる、理系だと原子炉がどうなっているとか
原発そのものの技術的な問題に関心がありそれが第一となる
それで東電が原子炉のことばかり心配して回りの住民のことを心配していなかったというのもそのためである。
回りの住民を避難させることが遅れて混乱したのである。


例えば文明をみるときこれは理系が作ったのだろうか?ピラミッドなどは高度な建築だから理系が設計して膨大な労働力で人力で作り上げた。
それを作り上げたのは技術は理系である。でも文系になるとどうしてこんなピラミッドを作ったのだろうと考える、それは当時の人間社会にどう影響したのだろうかとか何のために作ったのかと考える、理系だったらその構造の分析をするが文系は当時の社会にとってどんな意味がありなぜこんな巨大なもの作ったのかと考える
それは実際に未だに王の墓でもないとなると一体なんのために作ったわからないのである

そもそも文明というときエジプト文明がありキリスト教文明がありイスラム文明があり仏教文明がある。これは理系が作った文明かとなる
それらはモラルを中心にしたものであり技術はあくまでもそのモラルがあって建築技術となり石像でも何でも宗教の建築物となっている。
宗教となると明らかに文系なのである。だから宗教的観点からすれば武器とか作ることましてや核兵器など作ること自体否定する。肉食を否定しているように宗教が平和を目指すのだから武器そのものを否定する。それはどの宗教でも同じである。
でも理系にとっては技術を開発することであり核兵器が人間社会にどう影響するかなどあまり考えない、アイシュタインなどが広島に原発が落とされたことで反省はした。
でも物質そのものの研究は物理学で延々と行われている。それが社会にどう影響するのかとか考えない、技術にはそれ自体が人間社会と関係なく追及されているのである。


例えば不老の医療が発達してさらに寿命が伸びたときそれが人間社会にどう影響するかを考えない、そんなに人間が長生きしたらどうなるのか?
それもかなり苦痛になるだろう。暇をもてあますこともあるし子供を産まなくなるなるとどうなるのかとかもある。
不老不死になったら確かに子供はいらないとなる。それも淋しい社会だとなる
つまり科学とはそういう人間社会にどう影響するかを考えないで研究がどんどんすすんでゆく
それが原発事故とかいろいろな社会問題を引き起こしているのである。
DNAまで遺伝子まで操作したらどうなるのかとかそこには原発のように危険なものとなる
そこに理系と文系の大きな相違がある。
この辺の原発事故でもうどうしていいかわからない、その解決方法がない、そういうことをある程度予想できたのけど原発は建てられたし理系の人は回りの影響についてはあまり考えないのである。
つまり科学技術信奉になってゆき、事故は百万年に一回しか起きないと何か科学万能の信仰になり神話になりもうとりかえしのつかないことになったのである。





posted by 老鶯 at 19:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

大学に文系はいらないのか? (自分も文系であった経歴)


大学に文系はいらないのか?

(自分も文系であった経歴)


最近文系の大学など無駄だ、税金の無駄だということで廃止した方がいいと議論になった自分は大学をでても三流であり実際にほとんど勉強していない、文系の大学は遊ぶ場となっていた。
急速に団塊の世代が大学に入るころ学生が増えたのである。それで文系の大学は特にマンモス大学になった。3000人も講堂で講義するということが異様な風景だったのである。
高校と大学はあまりにも違っていた。高校は授業は強制であるが大学は授業に出なくてもいいというのがあまりにも違っていたのである。
授業に出ている真面目な学生はかえって嫌われていたのである。そして文系の単位は授業に出なくても最後に何回かでてとれるし卒業できたのである。
そんな卒業証書に何の意味があるのかと思う。
文系の学問の成果は何なのかとなる。理系はまるで違っていて毎日実験とか勉強の度合いがまるで違っているのである。だから文系大学は遊びだというのは本当である。
一日マージャンしていた人もいるし勉強しないのが普通なのである。


それでも団塊の世代は自分の中学のクラスだと4,5人しか大学には行っていない、第一その頃中卒であり金の卵として東京の中小の工場で働いた。
それは中学でてすぐに東京で親元を離れて働くのだから過酷な面があった。アルバイトでその下町の工場では油にまみれ汚い狭い部屋で寝泊まりしていたのである。
それは中国の出稼ぎ者とにていた。その人たちが高度成長の労働力となったのである。
だから大学で遊んでいた自分などと中卒で東京で働いていた人たちの差も大きかったのである。
自分はまず勉強嫌いであり何かあらゆる面で劣っていたから体力でもだめだし何か人格的にもあまやかされてためだった。また自分は集団になじめなかった。
でも東京の大学で一時は体育系に属していたりカルト宗教団体に入り集団生活にとけこむために必死だった。
その後は会社にも入らないし集団生活はしていない、今で言うニートとなった。
その時は無職のような人はアウトサイダーになっていたのである。
ほとんどが会社員になっていたし誰でも正社員になれた時代だからである。
Fランとかでもみんな正社員として就職できたから楽だった。
でも自分は大学に入ってから遊びくせがついたというか真面目になれなくなった。
だから団塊の世代がほとんど企業戦士になったことが理解できない
一回文系の大学に入れば遊びの場だからそんなに企業戦士になれると思えないからである自分は特殊でも何かそれが今では理解できないのである。


でも自分は何か今になると学問好きだったと思う。そして思うことは自分のような体力のないものは学問とかで身をたてる他ないということを自覚した。
職人であれ建築現場であれそこで働くにはやはり体力かものいうのである。
体力があればブルーカラーでも勤まるが体力がないと勤まらないのである。
だからそういう体力のない人は事務系とかなるから学問に励まねばならなかったのである自分の家の庭を作ってくれた大工兼庭師は体力でも優れていた。
何か柔道の有段者のようにも見える、体が全然違っているのである。
そうでなければまず大工でも庭師でもできない、基本的に現場の仕事は体力がものいうのである。
それでアルバイトでしたことは流れ作業しかないのでそのことで仕事を嫌悪して一切仕事はせずに旅とかばかりするようになった。
流れ作業をしたらまず仕事自体に嫌悪しか覚えなくなる、一つのロボットにされるのだからそうなる、そこにはすでに人間の誇りも何も奪われてしまうのである。
自分は多少英語などは好きな面があったがこれも根気がなくてものにならなかった。
学問とか語学とかは根気が必要でありそれに欠ける人はものにならないだろう。
理系も実験だとなると相当な根気のいる仕事であるから何事根気がなしでやれる仕事はこの世にはないのである。


自分の人生をふりかえると確かに遊びの人生だった。それは大学が遊びだったことからはじまっていたのである。たまたまそういう家庭環境があり許されたということになる。
だからこれも特殊だったとなる。今はニートが普通にいるがその頃はいないからである。文系とはなにのなか?これは別に本当に大学に行かなくても本を読んだだけでも学べるものである。
とくに今になると有利なのはインターネットで学ぶだけでも別に授業に出なくてもいい、文系の教授は専門性に欠けているし学ばなくてもいいとかなる
そして本を買うということが本をそろえることが文系では大事である。
自分の興味のある分野の本をそろえることが読まないにしろ必要なのである。
それがインターネットでアマゾンで古本でも何でも安く買えることはかなり文系の勉強にとっては有利である。
文系は本を読むだけでもすでにそれで十分だとなっているからである。
文系は特に何か教授でも教えるものがないというのが現実だからである。


しかしそれでも文系の分野も実際に相当に広範囲であり何を学ぶのかとなると専門にするのかとなるとむずかしい。
ただ文系なら他の分野のことでも一応理解できる、理系となるとこれだけ細分化されているから他の分野は理解しにくくなる。
それで東電の原発を指揮していた吉田所長が肝心の複水器のことを知らなかったというのは意外だったのである。
所長となれば原発のことをたいだい知っていると思ったからである。
今は何でも複雑だから理系でも知らない分野になると知らないのである。
それにしても所長も知らないとしたら一体何かあったときもう何もできないとなるのではないか?
旭化成の社長は東大の薬学部げあった、としたら建築関係のことはわからないとなる
社長がわからないのだから支持しようがないとなるのではないか?
だから理系でも細分化されてあらゆることを知る人などいないのである。


ともかく文系と理系を考えることは結構大きな深い問題である。
だから簡単には解決できないし決定できない問題である。
一つの視点としてもしかしたら文系が無駄だというとき優生思想のうよなものがあるのかもしれない
障害者は無益で社会の負担にすぎないから抹殺すべきだということがナチスの優生思想で起きた。アーリア人が優秀だから他の人種は劣っているから抹殺すべきだという思想である。
理系の人は何か文系が根本的な理系の常識である知識すらないから馬鹿にするということがある。そこで理系は文系は無駄と思ってしまう。
実際に日本のとき戦争では学徒出陣でも理系の学生は免除されたのである。
今でも理系は国を支えるものとして見られているのである。
ノーベル賞のように世界に通用するのは理系であり理系が実学であり現実に役にたつものとして社会からも認知されるからである。
だからお医者様となり社会でも優遇される
一方政治家でも官僚でも法律関係とかなると文系的なものはうさん臭いものに見られる
理系は何か必ず結果がでるしその責任が偽ることができない
傾斜マンションでもそうだし原発でもそうだしはっきりと結果としてでる。
甚大な被害があり責任が理系の人には技術者には課せられているのである。
文系にはそうしてはっきりと責任が問われることはない、だから社会を支えるのは理系だと理系の人は言う。
弁護士すらさげすまされている、ブラックな仕事だと言われる。それは法律をたてに巨額の遺産とか何かそういうものにかかわり示談屋のようになっているからである。
法律をあやつってぬれてで粟の利益を得るとなる。


ともかくこの理系と文系という問題は奥が深いし簡単には語れないだろう。
ある意味で人類史的な観点とか歴史的にも人間をふりかえらないと何が理系で文系なのかもわからない、奥深い問題である。
つまり理系と文系というとき浅薄な問題としてしか考察していないのである。
これは人類史的視野で見るべきものなのである。
確かに哲学が俺はこういう哲学をもっているとか誰でも今は言う
しかし哲学とは体系的なものでありそういうものは哲学ではないというのもわかる。
たいがい西洋の哲学は体系的でありそれで力をもったが日本ではそうした体系的な哲学という学問は生まれていない、「心の青雲」で言う弁証論というのがそうなのかそれも社会ではまだ認知されていない、弁証学というのはアウフへーベンとかドイツ哲学の流れをくむものだろう。
理系と文系を考えるとき心の青雲は役にたつ、文系が理系的なものを見る視点がある。
だから文系のものでもわかりやすいのである。
理系と文系をかねそなえた人はまれである。自分はまず理系的に説明されるとまるでわからなくなるからだ。


ただこの辺では原発事故で放射能のことが毎日のように放送されるし被害があった。
するとどうしても放射能のことを知る必要が出てきたのである。
距離の二乗に反比例して拡散するから30キロまでが避難区域になった。
放射性物質は数字でしか計れない、そうなると数学の世界だった。
数字で確実に出るから明確だともなる、浪江では0、5くらいだったのに急に7になったときは驚いた。大熊でもそうである。そこは確実に高いから住めないと思った。
これは数字ではっきりと出るからかえってわかりやすいとなる
原発事故や津波のことでもこれは理系の分野だったがまた文系の分野も関係していた。
一体この辺の様々な複雑な問題を解決するのは理系だけのなのか?
この辺では政治でもそうだが様々な問題の場なのである。一体それをどう解決するのかとなると理系だけでは解決できない、郷土史とか関係ないと思っていたが関係していた。
郷土史などは好事家のものだと思っていたがこれを郷土学とすればトータルに郷土を追及する学問になる。
だから原発事故周辺の問題の解決は様々な分野の人がかかわる場になった。
それは理系が主でもやはり文系でも関係していたしその解決はトータルなものとして追及されるものとなったのである。




タグ:理系と文系
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2015年10月23日

三井不動産の傾斜マンションはなぜ起きた (複雑に専門化して検査できなくなっている)


三井不動産の傾斜マンションはなぜ起きた

 
(複雑に専門化して検査できなくなっている)



建築業界に詳しい専門家は、工期重視の慣行や建設ラッシュなどが背景にあると指摘している。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG19H9F_Z11C15A0CC1000/

住宅ジャーナリストの榊淳司氏は「旭化成建材は、デベロッパーである三井不動産グループの下請けの立場になる。日本ではデベロッパーの命令は絶対なので、工期を守るため(旭化成建材の)現場監督は相当なプレッシャーを感じていたのかもしれない」
http://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/151017/lif15101720010017-n2.html



なぜ手抜きしたのか?手抜きしてコストをおさえるためなのか?その辺がはっきりしない
最近起きている事故の原因は韓国フェリー沈没でも明らかに無理してもうけようとして船を改造して沈没した。
鬼怒川の土手のソーラーパネルが原因で洪水になったというのはそれも土手を削って無理して設置した。
原発でもコストをおさえるために高い所に建てることが決まっていたが電源を下に置いたのでわざわざ土地をけずって低くした結果津波の被害にあってとりかえしのつかないことになった。

そして被害者もここで暮らした思い出とかその他いろいろあるから簡単に他に移れないというとき何かこの辺の原発事故で故郷に住めなくなった被害とにている。
それで精神的被害として賠償金が払われたのである。
今回の問題はもし工期重視とか関係しているとなるとコストをおさえるために手抜きしたのとも違う、でもそれも関係していたのかもしれない
ただ露骨にコスト削減ということでワイロを出したとかはない。
でもなんらかミスではなく故意のミスだったのだろう。
杭が支持層に到達しないということを知っていてもそうした。
それは何らか理由があってそうしたとなる
杭打ちの担当者だけが一人のミスでこうなったのだろう?

原発事故のことからこういうことを考えるようになった。
そしてなぜ事故が起きたかというとその事故の原因に共通性がある。
それはコストをおさえるということである。
そのコストをおさえることが安全を無視することになる

「上の方から工期内に仕事を終わらせろ、そうしないと次の仕事はないぞ」
「早くしろといっても杭打ちでも時間がかかる、どうして早くしろというのだ」
「いちいち理屈を言うな、早くやれと言ったら早くやれ」
「そんなに言うなら,ごまかす他ない、、、、これは簡単には見分けられないからな
責任は誰がとる、上の人だよ、俺たちも仕事もらえなくなったら終わりだ
上の命令には従わなければならないかな」

下請けとかは弱い立場にある。この世の中権力がもの言う社会である。
権力のないものは上に抗議もできないし、力もないのだから従うほかない
何か雇用する人雇用される方でも権力関係がある、ビジネスでも仕事をもらうためにいろいろと工作する、受注する方は弱い立場になる
だから官僚は国の莫大な予算を使うのだから上にたち受注する方はワイロを送ったりして不正が起きる。

つまりこの世の中権力関係でこうした不正から逃れられない。東電の権力は国並みであり政府も一体化していたから「安全神話」が作られた。
検察も一体化して作られたからそれに抵抗できるものはいない、東電でも下請けの数は多いしまたトヨタなどの下請けでも膨大な下請けがいる。
その人たちは仕事がもらえなければどうにもならないから弱い立場になり上の命令に従わなければならない
結局この世の中権力で上下関係が生まれそこに不正が生まれる
権力をもつものとはいろいろな所である。病院でもそこは権力関係があり権力をもつものに従うシステムである。だから医療ミスがあっても権力があるから一患者は弱い立場になり明らかにされない
マスコミでも権力をもっているから報道でもかたよる、マスコミ自体が会社の宣伝費で成り立っているのだからすでに公正は望めない、会社が宣伝費を払わなければ成り立たないからである。
要するにこの世の中は権力によってあらゆるものが支配されるシステムなのである。
その権力に公正さがあればいいが実際はないから問題が起きてくる
アメリカは強大な軍事力で権力を持っているが公正とはならない。
そういう国際関係でもそうだし政治でも宗教でもビジネスでもそうである。
宗教でも巨大な団体になると公正とは関係なく権力化して従わせることになる

民主主義はこの権力を抑制するために三権分立ができた。でも現実の社会では権力の公正はない。
今回の杭打ちの不正でもそうである。何か原因が明確でないにしろ有名な大企業が権力がありその権力故に問題が起きてくる。
そもそも下請けに権力故に過重な要求をすること自体が危険に通じていた。
それはブラック会社で過労死されたとか訴えがあったことでもわかる。
権力をもつものは横暴になる。権力で何でも通るということが怖いのである。
それが回り回って消費者が被害者になる。
それは東電でも同じだったのである。政府と一体化した巨大な権力をおさえることはできない、そして安全神話は作られた。
もし安全でないというと検察とか戦時中の特高のようなもので逮捕されることさえありえた。戦争に負けるとか言うと特高につかまった。「安全ではない」というとこの辺では暮らしにくくなった。
東電で働いている人が多かったから今でも東電のこと悪く言えないんだよなという人が多いからである。それだけ原発は地元に利益をもたらしていたからである。

なぜ人は権力をもちたいとなるのか、創価でも他の宗教団体でも左翼系だろうがあらゆる団体が権力をもちたいと活動しているのだ。
それは結局権力で得をしたい、権力によって今回の下請けのように従わさせられるのが嫌だからだとなる。その人たち公正さなど追及しない、なぜなら現実の社会で得している人は権力をもっている人たちであり公正を追及している人たちでないからである。
そういうことを肌で知っているからそうなる。なぜ権力のないものはこんなに苦しみ下位に落とされて悲しい思いをするのだと身をもって経験しているからそうなる

もう一つの問題はそうして会社が大きくなり下請け孫請けとかに回すと責任の所在がはっきりしなくなる。そして検査するにも複雑になっているから簡単に検査できないのであるそして結局官僚でも検査しようがない、原発でも保安員は検査できなかった
それは専門的だから複雑であり検査しようがないのである。
専門家しかわからないしまた今回はその専門家の間でさえ見抜けなかった。

西区の住友不動産のマンションの杭の打ち込み不良も何段階も検査、確認の課程があっても ひとつもまともに機能していないのが報告されてるからな。というか確認っていったって確認なんかろくにしてないだろ。

もう検査すること自体できないように複雑になっているのである。
だから吉田所長が電源喪失時に原子炉を冷やす1号機の非常用復水器(IC)の仕組みをよく理解していなかったというのもそうである。
吉田所長は外からだと原発のことを何でも知っていると思うだろう。
それが肝心なことを知らなかったのである。
ここでも大企業がかかわっても下請けとして旭化成が請け負うとしても旭化成でも大企業である。それでもチェック機能が働かなかったということはにている。
チェックしきれない、検査しきれないという問題が常に起きている
ドイツのVWの偽装問題でもそうだった。
たまたま検査されて発覚していたのでありコンピュターでソフトで偽装していた。
これも検査できないからそうなった。

そしてマンションを買った方が企業を訴える場合、立証責任がある。それは犯罪と同じである。立証責任を負うということは容易ではないから犯罪にあってもあきらめる人が多いのである。
これは医療ミスでもそうであり原発事故だって放射能のことなどわからないから追及しにくいのである。相手が東電とか政府と一体になっていればもう追及はできない
前の佐藤知事がプルサーマルで追及してもできない、それが原因で落選したとか言われるその後釜には渡辺構造の甥が原発推進派が知事になったと言われる
こうして権力で政治でもビジネスでも動くとき不正でもごまかせるとなる。
いちいち原発の内部のことなど小さいミスなど報告する必要がないとかごまかして報告しておけとかなりそれが大事故につながる
だから権力の対等性がないかぎり同じことは起きる、権力の対等性があるとき本当の民主主義が機能するとなる。
それはあらゆる面でそうなのである。報道でもマスコミがあまりにも権力をもったから公正でなくなっていた。
でもこの権力の公正さ対等性がどうして実現するかとなると最高にむずかしいだろう。
それはこの世ではほとんど不可能に近いとなってしまうのである。

posted by 老鶯 at 10:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

老人でも欲はきえない、味覚の秋 (田舎の老後はどうなるか)


老人でも欲はきえない、味覚の秋

(田舎の老後はどうなるか)


人間の欲望は老人になっても消えない、個人差はあるにしろ性のようなものでも残り火のように燃え上がる、本能というのはいかに強いかに驚くだろう。
見合い結婚した人が恋愛したいとか老人が言うのもわかる。
性だけではない、人間は異性に最後までひかれるのである。
それは必ずしも肉体的なものだけではない、女性は何か男性にとって癒しなのである。
鮭は最後に必死になって川を上り産卵して死んでゆくのと同じく本能はそれほど強いのである。
老人が枯れるなどと言っていたのは60くらいで死んでいる老人が多い時代であり本当の老人の姿がわからない時代だった。
つまりそういう時代は優秀な老人がしか長生きしていなかったのである。
今は普通に誰でも長生きするから卑俗なものが老人でも露骨になる
まず老人とはなにか?これも老人になってみないとわからないのだ。
若いときは老人になることがイメージできないのである。
ただやはり若い人でも賢い人は賢い、結婚しなかったら手術するときなど誰が保証人なってくれるのだとか誰が看取ってとれるのだとか考えている人はリアルに老人をイメージしているのだ。
自分は不安があったイメージしなかったからだ。そしてその通りなった、病気になったことで身寄りがなく悲惨だったことをプロクに書いた。

そして意外だったのは老人になると食が細くなるというが実際は違う。何か食にこだわるようになる。これも自分では意外だった。自分はまず食う意地があまりない
食うことにそれほどこだわらない、腹をみたせばいいとかしかなかった。
何かうまいものを食べたいという欲望がなかった、こういうのもやはり個人差があるのだろう。
老人になると量より質にこだわる、うまいものというときこってりしたものより何か野菜が多い、和食風な質のいいものを食べたくなる、量より味にこだわるようになる
そんなこと贅沢だろうとなるが老人に対する誤解があるから書いている
食にこだわるといとき、「寿司もってこい」と形相を変えて死んだ女性がいた。
この女性は死ぬまで食い意地があった。まさに餓鬼の状態で死んだのである。
それほど人間は食にこだわるのである。

では食にこだわることが悪いことかというとそうともなない、なぜなら介護しているとなんの楽しみがあって生きているのだろうとつくづく思う
食もうまいから食べいるのではない,ただ生き延びるために食べているし胃ろうになったりしたら味もなにもないのである。あれを見たら本当に悲惨だと思った
老人になるとどうしてもどんなに注意しても病気になりやすいし体が弱ってくる
そして最悪の状態になりかねない、食べるものもただ生き延びるためだとなる生きている心地もしなくなる
人間は食欲があって食べ物をうまいのであり食欲がなくなれば食べ物はただ生き延びるための薬のようになってしまう
それで自分の父親は癌で死んだけど明治生まれの一生貧乏だったから最後に言った言葉が「刺身食えるようになったけど食いたくない」と言って死んだ
体がもう食を受けつけなくなっていたからだ。これも悲惨だったとなる
人間はいつまでもこれがうまいと食べられるわけではない、いつか食べてうまいという感覚すら喪失する
これがうまいと食べられるときはまだ幸せな方なのである。
別に金をかけなくても旬なものを食べることはできるだろう
今日は何かソバが好きではないが秋の味覚でありソバをめずらしく食べた
自分はもともと食にはこだわらない、旅行に言っても旅行が目的であり食ではないから千円以上のものを食べたことがないのである。
ありきたりのもので安いものしか食べていないのである。

そして老後は身の回りが大事になる。行動範囲が狭くなる。「遠い親戚より近くの隣人」が助けになる。その遠いとは隣の村とかの距離だったのである。
これは自分の息子でも娘でも同じである。遠いと何かあったら助けてもらえないのである隣の街でも8キロとかでも遠いと感じた。なぜなら車で来るにしても10分かかるし往復になると20分で通うだけでも手間になるのである。
近くだったら通うのにも楽だから近くが大事になる。生活でも近くが便利だと楽になる。その点田舎は不便である、特に一万くらいの町だとかなり不便になる。
4万以上だとそれなりのものがそろっている。特に病院がそうである。これが老後の一番の問題になりやすい、だから過疎地域とかには住むべきではない、田舎にもいろいろあり東京から見ると仙台すら田舎になるのである。それから限界集落のような所もある。
その田舎の差も大きいのである。一万の町でも街中とたった500メートルくらいした離れていない所でも田舎は違っている。

そこに住んでいる人は回りが農家なので付き合いがめんどうであり四六時中監視されていて女性は家に入れないと言っている。農家になると付き合いが強制的になりめんどうなのである。それは一キロもない地点でそうなっているのである。
一キロ離れているとそこは田んぼになっているからである。
田舎と言っても多様である。不便なようでも隣に大きな市があれば車で通いるからさほど不便はないかもしれない、ぽつんと都市から離れている地点になると大きな病院に行くのに百キロあったとなるという所もある。
この辺ではむずかしい病気になったらもうあきらめるほかないだろう
糖尿病の人は仙台まで行ってみてもらっている。まず医者は選べない、そもそもむずかしい病気になるともうお手上げになる。自分の町では歯医者意外は二軒しか医者がいない
一軒は年取っているからいづれ終わるとなると一軒しか開業医はいない
病院はあるが大学から来る医者だからいつもみてもらえることはできない
ただディサービスなどの介護施設ができたから近くで便利だった

そして老人になると狭い範囲で暮らすことが多くなるから親密な人間関係を作ると楽である。ただ人間が親密になることは時間がかかる、十年くらいないと親密になれないから外から来た人は親密になることはなかなかむずかしい
人間関係は田舎に住んでいても一番むずかしいのは変わりないのである。
だから田舎でも仕事をもち田舎に貢献していれば溶け込みやすい
老後をただ年金だけで暮らすとなると田舎では働き手にならないから敬遠されるかもしれない、田舎では高齢化がすすんでいるから特にそうなる
限界集落ではすでに老人だけになりもう村を維持できなくなっているからである。

いづれにしろ老後問題はいろいろと問題がある。下流老人問題もそうである。
下流老人問題も深刻である。それで自分も被害にあった。ぎりぎりで生活している人が膨大に増えているのだ。そういう人は老後の食の楽しみすらないかもしれない
ただこの辺ではそもそも外食にしても限られているから特別なものは食べられない
世の中どこに住んでもあらゆることで恵まれることはないし満たされることもない
自分の条件は都会のように混んでいる所ではない、静かな所を好む、だからその他はあまり満たされなくてもいいのである。これは人によって異なる
結局自分の状態で一番たりないのは家事の問題なのである。
ある人が70くらいの人が家事のために結婚したいというのがつくづくわかる
家事というのが相当にな労力でありまた介護が加わるとさらに負担になる
介護で有能な人が会社をやめたりすると日本の国力の衰退にもなってゆく
テレビでみたけど有能技術者の妻が認知症になり介護して家でパソコンで設計していた。これも楽ではない、まず介護していると集中できなくなるからだ。
この夫婦は50代くらいで若い、介護問題は日本国民全部の課題なのである。

ただわかったことは人間が本当に能力を発揮するのは50以降だということは言える
それまで貯えていたものは必ず実りとなってくる。
今になると読んでいた本でも読んだ時はほとんどその意味がわからなかった。
ただ本を買っていてつんどくだった。何か本を買うと知識が増えたように錯覚していたのである。
だから本の山に埋もれていただけである。その内容を消化していたわけではない
今になると本を自分なり引用して自分なりに解釈できる
それでいろいろ今までわからないことがわかってくるから有意義な時間を過ごすことができる
知識もやはり蓄積だったのである。何事日々の蓄積の上に何事か成る
それはつまらない雑学のようなものでもそうなのである。
そういうものでも知識であり役にたつのである。
知識も膨大であり自分なり理解して積み重ねたのが自分自身の知識になっていた。

ともかく老後になると人生はなにかとか自ずからわかってくるのである。
そして人生を後悔しない人はいない、こうしたら良かった、あんなことしなかったら良かったとかどんな優秀な人だろうがなる。
結局それだけ人生は短いからそうなる、もし二百年でも健康に生きれるならそんなことはない、語学をこれからもっと勉強したいとなれば百歳からでもやれるとなるからである。結局人生の短さが様々な後悔となり終わることになる
結婚しても後悔があり結婚しなくても後悔があり何をしても後悔があるのが人生である。結婚しない人は何か人格的には欠けている
では結婚した人が人格円満かとなるとそうでもない、結婚してかえって人格が悪くなったという人もいるだろう。
結局人間は最後は健康がなくなることが最悪である。食べても何の味もない、この人は何で生きているのだろうとなる
百億の金があっても味覚がなくなれば何の楽しみもないのである。
宗教では食べることにこだわるなというけど味覚にこだわるのは脳の刺激にもなるし健康にもいいのである。
老人は五感が鈍化してゆく、だから何でも味覚でも刺激すると脳の働きが良くなるのである。だから貧しくても工夫して味覚を楽しむべきだとなる



タグ:老人の欲
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2015年10月22日

秋薔薇 草の花(写真を絵画風に)


秋薔薇 草の花(写真を絵画風に)


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この路地を曲がりて一輪秋薔薇
散り残る花びらあわれ秋薔薇
故郷に何を飾るや草の花
百歳の母なお生きる細し月

ながらくも空家に今日も白き薔薇散りて咲きしも秋となるかな
今日も咲く空家に白き秋の薔薇我が通りつつ我に向き咲く
道の辺の叢深く月見草田舎に静まり月の光りぬ

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秋薔薇というのは何かものさみしい、それが何か田舎にあっている。
そもそも花というのは田舎にあうものである。
都会には草の花などあわない、また見つからない、自分は東京で学生時代過ごしたけど自分にあわないことを知った
それ以来田舎の隠者になっていたのである。
でも田舎にも人間の醜さがあるしその醜さがまた露骨に現れやすい
自分はほとんど田舎でも人づきあいしなかった。
つまり隠者でいられたことが不思議だったとなる、それは特殊な家庭環境でそうなっていたのである。
ニートと言えばニートになるが高度成長時代は会社員になるのが普通であり誰でも就職できた時代である。正社員になれた時代である。
だからあの時代はまず会社員にならない人は社会からはずれた人だったのである。

そして今思うことはなぜあのときみんな企業戦士になったのかという疑問である。
もっとその時こそ社会に余裕があったのだからみんな会社員になる必要がなかったのである。
あの時代こそニートでもアウトサイダーでもなる人がもっといていい時代だった。
つまりみんな会社員になることは社会にとってもつまらないことである。
不思議に今になると隠者であってもその中でたくわえたものがあり今実っているといのうも不思議である。
人間はとにかく何もしなくてもつくづく何か蓄積している
その蓄積したものが必ず最後になり花開くのである。

そしてまた今思うことは今の時代はかえって経済が凋落してゆくときニートとか派遣が多いがそういう時代ではかえってそういう人たちは社会にとって奴隷化されていた
一見自由なようでもそんなにニートでも派遣でも多いということがアンバランスになっていたのである。
アウトサイダーはもともと社会ではまれな存在だから意義があった
それがこんなに増えること社会人として普通になることが異常になる
そしてこれからの社会はそうしたニートとか遊んでいる人は社会で許されなくなる
生活がみんな厳しいしそして少子高齢化でどこでも人手不足のときなぜ働かないのだというプレッシャーがどんどん強くなるからだ
もう働かないなら移民の方がいいとか外国人を大量に入れる
そうすると働かない人たちはさらに苦境にたたされる、日本から出て行けとかなりかねないなのである。
だから高度成長時代こそ社会からはずれる人間がもっといてよかったのである。
なぜならその時こそ社会に余裕があったし経済も上り調子だったからである。
その時は人手不足であっても団塊の世代のように若い人が多かったからちょうど時代にマッチして人材は供給されたのである。

ともかく月見草は本当に月見草であった。これは名前が良かった。月を見ている草であり花なのである。こういうのはやはり田舎に住んでいないと感覚的にわからない
自分は田舎の静けさとか人がこまない所がもともと安らぐ、性格的にそれが高じると異常になる。
田舎のシーンとした夜が安らぐ、都会にはそれがない、だから住みたくない
そもそも都会で自然への感性をみがくことはできない
俳句でも芭蕉のような俳句が作れないのはやはり江戸時代のような環境が喪失したためである。江戸時代の静寂とか闇は喪失した。そこで人間の感受性も喪失した。
だから月見草と名付けたのは田舎に住んでいた人が名付けたのだろう。
京都が発祥になるものが多いにしても京都もまだ江戸時代辺りは自然が豊である。
意外なのは大正時代は6000万の人口しかなかったのてある。
東京でも二百万くらいとかの人口しかなかったのである。
そういう世界は確かに貧乏でも今になると落ち着くなと思ってしまうのである。

それにしても空家に咲いている白い薔薇は不思議である。そこは十年以上は人は住んでいない、
でも時々人は来ている、しかし空家に咲いている花は誰も見ない
自分は毎日その前を通るのでその花は自分に向かって咲いては散っている
空家が膨大に増えてくる、空家は自分の家もそうだが古くなり修繕する所が多くなり古い作りだから住みにくいから住むのがむずかしいことがわかる。
いづれにしろ人が住まない庭に咲いて散っている花も不思議である。
やはり花も誰かか見ているとき活きているのである。
誰も住まなくなった家に咲いていても虚しいとなってしまうだろう。





2015年10月21日

自然とも人間同士も意志疎通できない (人間は核分裂して滅びる)


自然とも人間同士も意志疎通できない

(人間は核分裂して滅びる)



「ここへ畑起してもいいかあ。」
 「いいぞお。」森が一斉にこたえました。
  みんなは又叫びました。
 「ここに家建ててもいいかあ。」
 「ようし。」森は一ぺんにこたえました。
  みんなはまた声をそろえてたずねました。
 「ここで火たいてもいいかあ。」
 「いいぞお。」森は一ぺんにこたえました。
  みんなはまた叫びました。
 「すこし木貰ってもいいかあ。」
 「ようし。」森は一斉にこたえました。

 狼森と笊森、盗森-賢治
 http://members.jcom.home.ne.jp/matumoto-t/miyazawa22.html


 
自然に対してこんなふうに謙虚に問うことなど今は全くない、根こそぎ森を巨大なブルドザーかなにかで一挙に破壊してしまう、森とか自然に対する畏れもない
つまり自然との意志疎通がなくなった社会である。それは人間の傲慢故である。

「ここへ原発建てていいかあ」
「だめだ、そんなものはいらねえ 事故起こしたらどうするんだ」
海の神はそう言った人間は全く聞かなかった。
「科学者が安全と言ったのだから安全なんだよ、そんなことをいちいち問うこともないよ」
住民がそう言った
そして
「金やるからここに原発建ててもいいか」
住民が言った
「建ててもいいよ、金くれるんだったら」

そこで自然というものはない、海に対しても恐れはない
こんなことを問う人もいないだろう。
科学技術は今や万能の神と化したのである。
自然との意志疎通が原住民とかの文化にはあった。それが儀式とかなりアニミズム的なものともなるがそれが科学からみれば迷信とかなり否定してきたのが現代である。
でもそこには自然と何か意志疎通させるものがあった
それは自然に対しての畏れをもっていたからである。
それは海に対しても森に対しても山に対してももっていたから信仰にもなった。
自然は恐るべきものであり人間を越えるものであるからそういう自然への畏れが信仰となった。
今は食料でもどこからどのように育てられて入ってくるのかわからない、だから農家の人は農薬を大量に使う野菜などは食べないという。買って食べている限りそうした生き物に対する畏敬というか何か理屈では言い表せないものが消える
ただモノ化したものとして買うだけである。肉片と化したモノとして消費して消化する。それが鶏でも庭で飼っていたらその鶏を殺して食べるというときはその過程を見ているので違ってくる。
その過程が見えなくなったとき動物の命も単なるモノとなり商品化して値段だけが問題になるのである。その命自体がどういうものかわからなくなる。
単なる肉片を消費している感覚になっている
すると命を尊ぶという感覚もなくなる、鶏も単なるブロイラーになる

ブロイラーは徹底した育種改良の研究により、過去50年間で、成長率が1日25gから100gへとあがっている。自然界の鶏は成鶏に達するのに4〜5か月かかるところをブロイラーは40〜50日で成鶏に達する。その急激な成長によりブロイラーの30%近くは体を支えることが難しく歩行困難となり、3%はほとんど歩行不能となっている。なお心臓にも負担がかかり、100羽に1羽は心臓疾患で死亡する[1]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%BC

これも何か鶏の命を無視して人間のためにだけ効率的に命を利用することになる
卵でも大量生産するために効率的に工場のように鶏を飼う

鶏の自然な生態に著しく反した過剰な密飼い、太陽光にも風にも一生当たれぬ密閉された空間など、

そういう光景は逆に人間もそうさせられているのである。工場での大量生産のために流れ作業なども同じである。このように動物を命を扱うと人間もそうさせられるのである。
これも因果応報だとなる。21世紀が戦争で大量殺戮になったのもこうした動物でも何でも命の軽視があった。それは自然とのかかわり方も関係していたのである。
だから今は田舎で鶏を放し飼いして道を横切る光景を見たりすると平和だなとつくづく思う。それが自然な光景なのである。現代文明は自然との動物でもかかわりかたが暴力的なのである。人間と同じ命だという感覚がなくなっている、動物もモノ化しているし人間もモノ化されている。

仏教が草木も成仏するとか動物も人間と同じ命と見ていたのとはあまりにも違うのであるこれは宗教はもともと原始宗教でも自然のかかわり方が自然の畏敬があり生まれている。だからどの宗教も自然を畏敬している、それ。かなくなったのが現代文明なのである。
自然とか神に対する畏れがなくなったのである。
それが津波で思い知らされた。人間の想定外のことか起きたからである。
人間同士も意志疎通できない、自然との意志疎通もない、その時どうなるのか?
世界は核分裂状態にあるとか大都会は東京でももう核分裂の状態でありその状態が核を発明したのだという人もいる。
人間が核で破滅するというときまさにそういう宿命にあったともなる
人間はもう相互に意志疎通できない、自然ともできない
その時核爆発となり核分裂してこの世は滅ぶとなる
タグ:自然の畏れ
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2015年10月20日

資本主義の終焉と歴史の危機ー水野和夫を読む (資本主義民主主義の理念の危機でもある)


資本主義の終焉と歴史の危機ー水野和夫を読む

(資本主義民主主義の理念の危機でもある)


それまで三世紀にわたって封建経済全体を前進させてきた原動力である農村の開拓が地理的にも社会構造上も客観的にみて天井に突きあたってしまった

ぺリーアンダーソン

これは日本とにている、日本も幕末辺りになると新田開発になる場所もなくなり人口が増えるのも停滞した、日本でも田を作るための開墾開拓の歴史は弥生時代から延々とつづいてきたからヨーロッパともにていた。
そして明治維新後も開墾開拓はつづいていたのである。
八沢浦は明治になり埋め立てられて田になった。小高の井戸川浦は大正時代に開拓されたのである。
戦後でも引揚者が各地に開墾に入ったのである。小池というと鹿島では街から近いのちそんなところまで開墾に入った。だからいたるところ戦後でも開墾に入ったのである。
つまり農業国の延長として戦後十年くらいはつづいていた。
そもそも満州に日本が進出したのは広大な土地で農業をしようとしていたのである。
日本は狭く農業が限界に達して開墾地を求めて満州に進出した。
それが契機となり中国と戦争となりアメリカとも戦争になった。
日本という一国でも成長しようとするとき外国へ進出してそれが戦争ともなる
成長が限界になるとそうなりすいのは歴史をみればわかる。

資本主義の限界とは資本の実物投資の利潤が低下して資本の拡大生産ができなくなってしまうことです

金があっても今やどこにその金を投資してもうけるかとなるとその国も会社もなかなか見つけられなくなる、世界の資本主義がもうそこで限界に達する
自分がカナダの国債を買ったけどそれが一割も引かれたのはショックだった。
カナダはよく分からなかったが石油がとれるからいいんだとすすめられた。
今は石油の時代だから石油がとれることは経済が強いのかと思った。
ところが最近石油の値段がかなり下がった。それは中国の影響などで需要が低下したからそうなったのかと思う。
石油がとれてもそれを使ってくれる世界経済が停滞すれば石油の値段も下がるのである。中国でも成長の限界がきたということでそうなった。
そこで金余りにもなりパブルになる、一度日本では異常に土地の値段があがったのはそのためである。金の投資する所がなくなりオランダではチューリップバブルになった。
絵画が異常に高い値段でバブルの時に買われたのもそのためである。
バブルと同時に長いデフレになっていったのももう物余り金余りになったからである。
今やどこの国に投資しようがもうけがない、利子が生まれないので資本主義は限界に達したとされる

「主権国家が消滅して世界政府ではなく中世の西洋のキリスト教世界に存在したような普遍的政治組織の近代的、世俗的な相当物がそれにで変わる」
キリスト教的価値観に支えられた中世の神聖ローマ帝国のようになる

新中世主義ーブル

これはグローバル資本主義の限界として言われるようになった。それは自分でも相馬郷土史研究として地域のアイディンティティを追及したのとにているしグローバル化した世界が逆にフィードバックして中世的な世界に帰るという現象である。
相馬郷土史というよりこれから相馬郷土学として発展させたいから名前も変える
つまり資本主義が限界に達すると世界政府とか世界市民というより中世的なブロック的な世界観にもどるということがあるのは日本でも共通している。
世界政府となると価値観がとても共有できないからである。
グローバリズムの負の部分は世界の個性的な歴史的発展した文化の破壊であり自然の破壊だったからである。
何か文化的な統合はグローバリズムから経済だけのものであり起きなかった。
ルネサンスは世界的な文化の統合の結果として起きた。
ギリシャからローマからイスラムからキリスト教文化が一体となって起きたのである。
そこにイスラムがその時先進的な役割を果たしていて数学とか科学で優れていたのである中東は後進国ではなかったのである。
イスラム国のような野蛮だけが目立つ世界は世界に何も貢献しないのである。
ただ武力だげだったら文明は作り得ないのである。

資本主義は最初はこれも理念だった。それはプロテスタンシズムとしてはじまった理念の実体化したものとしてはじまった。利子はキリスト教では禁止していたが利子を産むことを勤勉に働いて資本を蓄積することは神に奉仕することだとなった。
なぜならその蓄積した資本を富を有効に使えば神に奉仕することになる。
それは他者への奉仕としてはじまったのである。だから理念であった。
それは現代の資本主義とはただ利子を産みそれを利己的に使うのとは違っていたのであるそして民主主義も自由、平等、博愛という理念からはじまった。
でもそこに西欧の文化には文明には必ずキリスト教文明でありキリスト教なくしてありえない文明である。
資本主義もそうだし民主主義でもそうである。一見関係ないようでもその底流にキリスト教があってありえるものだった。
なぜなら

あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。

こういうことは今では普通にあるが今までは人民の命は国王のものだとかなっていたしこういうことを実践することは今でもむずかしい
中国などの王朝国家からしてもこんな思想は起こり得ないのである。
それはアメリカだと貴族もなく上も下もない平民的世界になったから民主主義が可能になった。
それでもアメリカでも金持ちと貧乏人の格差が極端だというときそうはなっていない
逆に一パーセントの金持ちが富の大半をもっているというとき異常な格差社会で人民は金持ちの奴隷化しているのが現状なのである。
格差社会になると中間層が消失してゆくと民主主義もなりたたないいうのは対等を求めるのが民主主義だからである。

わかりやすいのは大金持ちが貧乏人に仕えるのがキリスト教であり対等化するのが民主主義の理念だとしたら現代の資本主義は全く初期のプロテスタンシズムとも全く相反するものなのである。
大金持ちは仕える人を金で求めるが誰かに仕えることなどありえない
金があればもう毎日外食でもいい、豪華な外食を毎日できることは金があるからそのサービスを受けられるのである。
そして召使を雇うこともできる、召使は金持ちに仕えさせるのであり金持ちが仕えることなどありえないのである。
だからアメリカでは黒人を奴隷として働かせた、それをしたのはキリスト教国だったのである。
仕えるというときそれが具体的に如実に現れるのか家で働く家政婦とか手伝いさんとかである。
なぜここに露骨に現れるかというとまさに家政婦とかお手伝いさんはその家の人に仕える仕事を目に見えてしているからである。
そこでなぜこの人はこんなに金持ちで贅沢しているのだということがはっきりとわかる。その格差を肌でわかる。だから金持ちの芸能人がベビーシッターを雇ったが宝石類を盗まれたというのはそのためである。
自分もそういう経験しているからわかる。

今の自分の感覚はお手伝いさんと言っても皿洗うとかで十分くらいで仕事が終わる
そうすると何か自分がかえってそのお手伝いさんに仕えているような感覚になる
なぜならほとんどの家事でも介護でも自分がしているからである。
それが機械化しているとか買うことで可能になっていることもある。
その代わり昼間は外で食事して家事を極力省いているのである。
そうすれば時間が生まれプログに書くこと創作に専念できるからである。
それは社会にとって有効だともなる。ただ具体的に自分のプログは社会的に認可されているとはならない。
要するに今は家事をしなくても外食であれ何であれ機械でするとか外に頼むことでできるだから昔は中産階級でも女中を二人雇っていたとの時代とは違う。
それだけ家事は一大労働となっていたからである。

でもまた現代の労働は奴隷は派遣とか非正規労働者に安い時給とかでやらされているとかなりそれは女中とか家政婦とか手伝いさんは具体的にわかりやすいがそうした派遣とか非正規の安い労働者は現代の奴隷なのかもしれない
ただそれが女中とかお手伝いさんとか家政婦のように金持ちに仕えているということが具体的でないから意識されにくいのである。
別に誰かの金持ちの人に仕えているわけでもない、会社に使われているだけだとなるからである。
でもその時会社の幹部に仕えているのかもしれない、それは間接的だから意識されにくいのである。
別にレストランで食事をしてもサービスされる方も奉仕されているなど意識しないだろう現代の奴隷は意識されないし貧乏人もじかに接してみないと目に見えないのである。

つくづく今になるニートが一番貴族である。
三食つきだし後は自由である。自分が60才までそうだった。
今も自分が召使であり奴隷になっていたのである。仕えるものはになっていたのである。
資本主義とか民主主義とは何なのかというときそれが理念でありその根底にキリスト教の精神がある。
どうして資本主義にあるのかというとはじまりが修道院にあった。そこでは神に奉仕するということで勤勉に働き資本蓄積して人の世に役に立つということであり修道士は贅沢などしていないのである。
今は逆でもそういう所が出発点としてあった理念だったのである。
民主主義もどこまでも対等を求めるというときそれはキリスト教の人に仕えなさということからはじまってる。それは人間の平等対等の理念である。
そして仏教でも女性は成仏できないと差別されていた。女人禁制の山が各地にあるのもそのためである。女性は不浄なものとされていた。
それでヒンズー教ではカースト制があり差別があり釈迦が生まれて仏教になり女性も成仏できるということで女性も信者になり普及したのである。

それも人間が対等を求めるからそうなる。そして逆にフェミニズムとなり今度は女性の適性を無視したもの女性の特権化が起きたり民主主義はあらゆる人が自由であ権利があり極端化して大衆の卑俗なものが力をもつようになったのとにている
要するに理念は理想である、でもその理想は時間がたつにつれて曲解されて俗化されて堕落して別なものになってゆく
資本主義と民主主義が理念だというとき中東のイスラム圏などと相いれないのは理念が対立しているからである。トルコは宗教でも妥協しているから違っている。
つまりすべて軍事力とか経済力の対決ではなく理念の対決で世界が調和しない、対立関係になるということがある。
誰も中国の共産党一党独裁は嫌だとなる、日本は中国よりはアメリカにも問題が多いが共産党一党独裁だけは嫌だとなり協力できないのである。
どうしても経済力があり軍事力があっても共通の価値観をもてないことが最大の問題なのである。
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2015年10月19日

明治維新に国民国家となった経緯 (国民国家から世界市民へ向かうのが人類の進歩?)


明治維新に国民国家となった経緯

(国民国家から世界市民へ向かうのが人類の進歩)

●西南戦争で国民軍が勝って日本国民になった

民主主義国家とは何かなのか明確に意識されていないのである。
民主主義国家とは主権が国民一人一人にある国家である。つまり国民の一人一人が国家に対して責任をもつのが民主主義国家なのである。
国民の一人一人が平等の権利をもたせる、票でもみんな一票であり同じ権利なのである。生活保護だかろうがよぼよぼの老人だろうがそうである。
国民国家というときそれが日本に生まれたのは明治維新の時なのである。
西南戦争で武士と戦い国民軍が勝ったことにより国民の意識が生じたのである。
だからその時戦った一平民の国民がどんな感覚になったのかということである。
「俺たちは侍と戦って勝った、もう侍に従う必要ない、俺たち国民一人一人が国をになうのだ」
その時意識変革があった。その意識変革はに民主主義に通じていた。
リンカーン大統領が、「人民の、人民による人民のための政治」としたことが民主主義の発祥である。

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。
(日本国憲法)

民主主義国家とは明治維新後でも明確に意識されないしなっていない、なぜなら天皇の臣民となっていたからである。それは国民の国家とは違う、天皇の国家となってしまうからである。そのことから太平洋戦争は天皇の臣民としての神国としての戦いであり多大な犠牲が国民に強いられた。
国民国家としての戦争ではない、天皇の臣民としての戦争となる
国民というとき国民一人一人のために戦うのであり天皇のために戦うのとは違うからだ。ではこの国民主権となり国民国家となったとき責任は国民一人一人に課せられる、国家をになうのは国民一人一人である。

江戸時代までの日本に存在したのは愛国はなく忠君という倫理だけでした。
自分が仕えている大名に忠誠心をもつというものです
商家にもそれはありました
愛国をなじませるために忠君愛国にした
(明治という国家ー司馬遼太郎)

江戸時代から明治維新で激変したのはそうした封建時代に培われたものの大変革だった
日本人にあったのは藩民でもない、会津ではあれだけの戦いがあり犠牲があっても会津藩に属する農民は無関心だったのである。
だから

■明治元年(一八六八)九月二十二日、若松城は一ヶ月の籠城戦の末、遂に開城と
なった。
■会津の落城からまだ十日とたたない十月三日から、会津全域にわたって数万にの
ぼる農民の激しい一揆騒動が起きた。「ヤーヤー」と叫んで打ちこわしを行った世
直し一揆は、封建制度を厳しく批判して、新政府に対しその改革の実行を迫るもの
であった。

これは明治維新の時の庶民がかえって城が破壊されるとか城の侍が激しく戦い死ぬとかに同情していない、むしろ歓迎していたとなる。
常に会津の戦争が悲壮感をもってみられるが庶民にとっては無関心だったのである。
それはヨーロッパだと城壁に囲まれて市民が一体であり市民とんう感覚が育てられた。
それは外敵と共同して戦うということから市民(citizen)が生まれた、外国にゆくと
どこの市民なのかと問われる、citizenship(公民権)というのはそこから生まれている共同体意識なのである。
civilizationもこのcitizenから生まれた概念である。
要するに市民というとき外敵から共同して守ることであり強固な連帯意識がある。
でも日本の封建時代にはそうした強固な共同体はない、侍は侍であり農民は農民であり職人は職人である。それらが一つの共同意識をもっていない。
だから会津ではあれほどの戦いがあってもそこの住民はかえって歓迎していたとなる
つまり農民は侍に米を納税するだけのものであり会津藩を共同して守るという意識がなかったのである。

●江戸時代は庶民は藩意識もない、強制的に所属されていただけ

明治維新から日本で一番の変化はこの武士の階級がなくなった。城もなくなった。藩もなくなった。廃藩置県でなくなった。このことが一番の変革だったのである。
ただ藩単位で生活していた期間が長いのだからそこで醸成されたものは郷土愛である
郷土愛とは何かというときこの辺は原発事故で避難区域となり住めなくなった。
その時故郷とは何かということが常に問われたのである。
故郷とは何かというときそこは一代だげではない、何代にもわたって人が暮らした所でありそこへの愛着は親から祖父からさらに代々暮らした所への愛着でありそれが歴史となっている。
だから自分の父親が双葉の酒屋で丁稚奉公していたということを書いたがそこにもやはり自分は経験していなくても話を聞いているから愛着がでてくる
つまり人間の記憶というのは一代だけではない、親や祖父やその前の長い歴史があり愛着が作られてきたのである。
だから郷土愛というのは普通にもっているものであり地が血となるのもわかる。

でもcitizen(市民)とかは本当にわかりにくいのである。文明というときみんな科学技術のことを蒸気機関車が走ったことなど技術だと思っている。
ところが文明というのはcivilizationであり市民から発しているのである。
そのcivilizationから国民意識になった。そのことが日本ではむずかしいので天皇の臣民として理解させて国民意識を作っていったのである。
だから国民になることは明治維新の最大の改革だった。また法人となること会社の一員となることもまた改革だった。会社というのも明治になって生まれたからである。
具体的に国民を理解したのは西南戦争の時である。とても武士階級に国民軍が勝てると思っていなかったし西郷軍の武士階級もそう思っていた。
でも国民軍が勝ったことで武士階級はなくなった。その時会津藩士も国民軍に参加していたのである。その時薩摩に恨みをいだいてその恨みを晴らすということもあったかもしれないがもう藩はない、国民として戦ったのである。
何かその時国民軍として戦い参加した人たちは最初に国民を意識した。
侍が国をになうのではない、国をになうのは戦った国民軍の一人一人だということを意識した。それはやはり命をかけて戦ったのだから学問的に知識として理解するのとは違っていたのである。
そして日露戦争から太平洋戦争と国民軍は外国との戦いでさらに国民意識が強固にされたのである。

今になると国民など当たり前ではないかとなるが明治維新の時はそうではなかった。
日本国民として大きな範囲での意識が生まれたことはこそcivilizationだったのである。なぜなら侍が治めているときは政治でも何でも侍が決めてそれに従うだけであり庶民は政治に関与することができないからである。
そうすると藩があっても藩意識もないのだから責任感も生まれない
それで会津の侍があれだけの戦いと犠牲があったのに無関心だったことでもわかる。
でも今や国民となるとき外敵に向かい国民が責任をもって戦うという意識になった。
日本のどこかが外国に攻められて炎上しても高みの見物だとはならない
同じ日本国民として黙ってはいられないのである。
太平洋戦争ではこの国民意識は最高潮になり過度になり敗戦でまた変わってしまった。
日本は戦争を否定して国民意識も変わった、日本国民自体を遺棄して日本国民であることに誇りがもてない、否定的な感情をもつようになった。
特に左翼系では日本国民であること自体を拒否する。おそらく中国に属した方がいいとか一方で右翼系でもアメリカに従属して属国化したから本当の国民意識は失われた。
その時愛国心も失われたのである。
歴史というときやはりどういう経過でそうなったのかをふりかえることにある。
明治維新が今日の日本国の基になったのでありその時からの継続が日本であった。

●国民国家は否定され愛国心は日本では喪失して多国籍企業世界へ

日本がなぜ愛国心がなくなり日本人であること自体拒否するようにもなったのか
その原因は太平洋戦争でアメリカに敗れて属国化されたことにあった
敗戦以後は国民という意識が希薄化してみんな企業戦士となったことでもわかる
会社が企業が国民の代わりとなったのである。この傾向は多国籍企業がグローバルに支配するということでもあった。アメリカですら愛国心がどうなっているのか、いくら戦争に勝っても愛国心となるとやはり衰退しているだろう。
むしろ多国籍企業として国が企業化しているというのが現代である。
だからこれは日本だけではないグローバル化した世界では愛国心は薄れるのである。
そして国民意識から何に変わったかというとグローバルな経済人となったのが現代である中国でも愛国心を言うが共産党の幹部は巨額の金を貯えてアメリカでもカナダでもどこでも移住する準備をしているとか日本でも金を金持ちは他国に移すとかをしている
もし愛国心の時代だったらそんな国を裏切るようなことはありえないのである。
でも世界的経済人としてなら別に国より経済が大事だからそうなっても不自然ではないのである。
今は国と国が戦争するように見えても実際は石油の利権とか企業の利益のために戦争になる。それは今までもあったにしろ多国籍企業世界ではそれが露骨になる。
太平洋戦争のときはそこまで多国籍企業の力はなかったからである。

ともかく人類史で考えれば国民国家というのは大きな共同体となり一つの大きな進歩だった。次に国を越えて共同意識をもつグローバル経済になったけどこれも問題はいろいろある、企業は利益共同体でありそれ意外ないから国々の文化も破壊する。
江戸時代のときの藩はその土地に根ざして個性的でありその土地土地の文化を育んだ
そこには土地と一体化した共同性と文化がやはり育まれたのである。
だから廃藩置県になったとき県というのは今でも違和感がある。
県の範囲が広いので県からイメージできないのである。福島県だったら会津は会津であり福島県としてありえないのである。そもそも福島という名前すらどこから来たのかこれも福島県が一体になりえないことである。県という範囲がどこでも広すぎるのである。
城があったところからその土地のことはイメージしやすいのである。
多国籍企業となるとこうした土地土地の文化を破壊することが大きな問題である。

でもまた貿易とかを否定はできない、なぜならオランダが最初に国民意識をもったのは貿易が盛んだったからだという、商人の国になったときどうしも世界が広がるから国民意識ももつ、そしてオランダは国が狭いから国民意識をもちやすいこともあった。
商人は国境を越えて商売するから国の支配を受けると自由がなく税ばかりとられるから国を否定するというのは今の多国籍企業とにている。
ハンザ同盟などがそうである。そうした商人のネットワークが一つの国のようになる。
そうした矛盾はあるにしろ人類が目指すのは何なのか?
文明とはcivilizationであり市民からはじまり国民意識となりさらに世界市民としての自覚をもつ世界なのだろうか?
そこでは世界市民となると世界市民として方を遵守するとか人権を重んじるとか共通の価値観の形成が必要になる。
そこには宗教とか様々な相違があり困難を究める、しかし人類の進歩とは国民意識がそうだったように世界市民として拡大してゆく、物理的には空間はすでにどこでも行ける時代だからその障壁はとりはらわれたから問題は意識の問題なのである。
ただ世界市民といってもそうなる前に今でもそうなように混乱が起きてくる
シリアの難民問題でもそうでありそれはあくまでも理想であり人類はその前にハルマゲドンとなり国と国が最後の戦いをして滅びるということもある。
だから世界市民といっても架空のことであり国民意識は現実となった歴史感覚であるか
世界市民という意識をもつのは困難を究める。
マルクス主義の世界のプロレタリアートは団結せよというのはそれも一つの世界市民への国を越えた運動だった、それも挫折して凄惨な大量殺戮で終わったのである。
だからその前途は厳しいが国民国家になるということができたことはやはり人類の進歩として見直すことは必要である。

確かに藩にすら所属していない時代から日本国民になったということは飛躍的な進歩だった。それからアメリカに所属しているというのはアメリカが世界国家的だからそうなる
そして今世界ではどうしてもそうした広域で結びつく世界を目指すのは貿易などで強いられている。それでヨーロッパ共同体 (EU) が生まれたのはそのためである。
でもこうした広域な共同体になることは歴史的なものもあり非常にむずかしいのである。だから以前として軋轢があり問題が生まれる、日本が江戸時代から明治維新で国民国家になったのはやはりそれだけの歴史があり統一しやすかったとなる
他ではアジアでも国民国家になるのは遅れたことでもわかる。
そうした広域共同体がむずかしいのは言語であれ様々な文化の相違もありそれを何をもって統一するかとなるとむずかしい。ヨーロッパとか中東は宗教が大きな役割を果たしたが現代はむしろ宗教を否定してフランス革命で自由、博愛、平等が理念になった。
それは民主主義の理念たったのである。民主主義というのは理解しにくい、でもそれは何でも自由とかではない、一つの理念なのである。
アメリカはその理念を世界に普及させることを強いる、それに従わないと戦争で従わせるとなるが中東では受け入れられなかったのである。


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2015年10月18日

雇用者の責任と雇用される者の責任 (民主主義では雇用するものもされるものも対等を求める)


 
雇用者の責任と雇用される者の責任


(民主主義では雇用するものもされるものも対等を求める)



雇用主(使用者,会社)も,従業員の業務中の行為による損害について賠償責任を負います。これを『使用者責任』といいます。
契約はいつまでか(労働契約の期間に関すること)
辞めるときのきまり(退職に関すること(解雇の事由を含む)

※労働契約を締結するときに、期間を定める場合と、期間を定めない場合があります。一般的に、正社員は長期雇用を前提として特に期間を定めず、アルバイトやパートタイマーなど短時間労働者は期間の定めがあることが多いです。

労働契約に期間の定めがある場合は、労働者は、やむをえない事由がない限り、一方的に辞職する(労働契約を解約する)ことはできないのが原則です(

僕が「基本的には人を雇うべきではない」と思う一番の理由は、人を雇うということには、大きな責任が伴うと考えているからだ。社員を雇えば、毎月給料を払わなければならない。会社の業績なんてお構いなしに、契約した分のお金は払う責任がある

僕は、どうしても人が必要な時には「従業員」ではなく「共同経営者」を見つけるべきだと思っている。
http://dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2013/01/26/214422

言い換えれば、派遣労働者というのは、必要がなければ後腐れなく切れる企業にとって都合のいい人材という前提で作られた身分ということです。
http://winfriede.com/post-2346/

しかし、働く人が少ない中小企業では、社員一人一人の顔が直接見えます。
いくら会社の業績が落ち込んできたとしても、「明日からクビだ」なんてことは言えません。
当然、雇う側にも責任があります。
社員とその家族の面倒を見るという責任です。

どんな理由であろうと辞めると言っている人間を引き止めても仕方ないですし、
それが体調不良となればなおのこと止めることはできません。
http://lucas-sedori.com/?p=827



自分など社会とかかわらないから社会のことはわからなかった。学者のように本を読んだりして勉強していた。
でも現実社会になると具体的なこととして理論ではなく何でも重い責任が課せられているがわかった。
それは人を一人簡単に手伝いさんとして雇ったことからはじまったのである。
それは自分が雇ったのではない、家の人が雇ったのだがそのことからいろいろな社会や人間の問題を考えるようになった。
自分が人一人雇って大金を失ったのは誰の責任か?
雇ったお前の責任だ、お前が悪いんだ
結果的にこうなったのが現実なのである。もう金は取り戻せないし何もできない

だから人を雇う時はその履歴とか保証人とか厳しい
簡単に雇えないのである。まず手伝いさんでも簡単には雇えない
家の中に入るのだから家の中のことがわかるのだがら簡単に雇えない
つまり何かあっても雇った方の責任にされるのだ。
そして民主主義のことを書いてきたが民主主義とは選挙権があるというだけではない
社会そのもの民主主義なのである。
それはだから雇用とかの面でもそうなっている
雇う人と雇われる人がいるがそれは対等を計る制度なのである。
雇う方でも責任があるから雇う方でもいろいろ手を打つ、厳しくせざるをえないのであるなぜならその責任はとらされるのは雇い主だからである。

大金を失ったのは雇った方が悪いとなるからである。

犯罪でもそうである。
犯罪にあった方が悪いのだ、油断したから悪いのだ
そんな危険な奴を簡単に雇った方が悪いのだ

お前がレイプされたのはそんなに派手にしているからだ
お前が犯罪を誘発したのでありお前が悪いのだ

お前がタンス預金して盗まれたのはお前が悪いのだ
誰も同情しないよ
警察でも証拠がなければとりあわない
お前がすべて悪い、馬鹿だということ

民主主義社会では常にこうなっているのである
一見雇い主の方が有利になっているようでなっていない
だから人を雇うなというとき共同経営者になることだというとそうである
それは共同の責任であり雇うと雇われのとは違うからである。
つまり雇う者と雇われる者は対等になるのが共同責任だからである。
だからお手伝いさんを雇うにも共同経営となるか家族のようにしないと成り立たないとなる

正社員と派遣とかに分かれたのは雇う方が責任をとりたくないことなのだ
正社員ならいろいろ保証するが派遣だったらいつでも首が切れるということで雇う方にすれば便利なのである。
でも雇われる方にすると身分も安定しないし将来の設計もできない
すると公務員とかはまず一端入ったら身分保証が一生される
簡単には首にできない、病気だろうが何だろうが能力は実際なかったにしろ
一端入ったら身分が一生保証されるのである。
その違いはあまりにも大きいとなる
公務員は身分だというとき侍と同じだとなる
会社だとやはり会社自体がつぶれることがあるからそうはならない
公務員はこの辺のように町や村がなくならない限り身分は保証される
食いぱっぐれないのである。

民主主義は要するに何でも対等をめざしている、一見そうでないように見えてもそうである。
雇い主と雇われるものもそうだし政治家でもあくまでも選ぶのが選挙民なのだから対等である。
そして結果としては選んだ政治家が悪いとしたら

選んだお前たち選挙民が悪いんだよ

となる、それは犯罪にあったら犯罪にあう方が悪いんだとなるのと同じなのである。
マスコミに対して批判が多いのは

なぜマスコミだけが大々的に報道する権利があるんだ
民主主義は平等ご、誰でも報道する権利はある
知る権利がはある

とかなり新聞とかテレビの批判になりインターネットが生まれたのは当然なのである。
報道はテレビ局でも六局とかに独占されていたからである。
何も知らされないなら民主主義も成り立たないからインターネットは民主主義を促進されるツールになる。

民主主義の功罪は極端化するとみん対等だし責任を問われることを極度に恐れることになる
医者と患者は対等でないようでも対等を求める、だから医療ミスにあうとことを医者は極端に恐れると医者になりたくないとなる、そういう問題が実際に起きた。
先生と生徒でもそういうことは起きる、絶えず責任が問われるから戦々恐々としていなければならない社会である。
子供に声かけても何かあったら責任が問われると必ず何があってもお前が悪いんだとされる社会である。
そうなると雇う方でも徹底的に疑い信用しないという窮屈な社会になるし実際そうなっている 互いに人間が信用できない社会なのである。

それまた当然だともなる。つまり雇う方でも雇われる方でも対等を求めれば責任が問われる、雇う方にだけ責任があるのではなく雇われる方にも責任がある。
雇う方も雇われる方もだから共同経営者になるのが理想だしそういう会社もあった。
まさに民主主義社会ではそうした対等な関係をどこでも求めているのである。
つまり民主主義社会では一票が平等である。それは平等の権利を与えられていることなのだ。生活保護者でも一票は同じなのである。
とういうことは対等だということは対等の責任もあるということになる
首相でも大臣でも何でも対等であり首相にだけ責任があるのではない
その首相を選んだのは一票を入れた者にもあるとなる

でもそういうことを自覚している人は少ない、国を担うのでも会社を担うのでも何でも実際はみんな対等だとなるとき対等の責任を課せられているとなる
だからある人が金を多くもっていたりするとそのことも対等ではないとなる
あまりに対等を求めると平等を求めるとそれがかえって平等でなくなる
たいして働きもしなくても同じ賃金をよこせ、能力もなくても対等を要求する
才能でも努力でも何でも無視してすべては同じであるべきだとなりそういう要求もまた理不尽になるのである。

とにかく会社であれ何であれ例えばどこの市町村に属していてもその市町村の一員としての責任が問われる、だから原発事故では原発を誘致して金もらっていた町の人が悪いんだとされた。つまり民主主義とはこうして常に一人一人が責任が問われることなのだ
上の人が決める権力をもっていたなら下の人は従うだけだから責任はない
それは江戸時代なら侍がすべての責任があり切腹するほかないとなる
今はどこでも一人一人の責任が問われる
そうなるとき会社でも共同責任者であるとしたらその会社自体のことを総合的に考えざるをえなくなる
その会社は何をしようとしているのか、社会に対してどういう存在になっているのか?
何かそれは利益だけではない、そうした社会に対しての総合的な視点が必要になる
俺は別に時給いくらもらっていればいいだけだよとはならないのである。
でも時給もらっている人はそれだけのものとしてみられることは確かである。

大きくなれば会社だけではない、市町村員としての自覚とか国民としての自覚も要求される
それは上からの強制ではなく一人一人がそうした自覚や責任が課せられているのが民主主義だとなる
今人手不足で会社が困っているというときやはりただその場その場で会社にとって都合のいい雇い方をしていたからだと言うのもわかる
でも一方で雇われる方でもそうして何でも対等になると責任が大きくなるのだ。
派遣などはそうした責任がないから気楽だとか言われる
そういう人は責任がないのだからまた時給であり安いとなることに甘んじなければならないともなる
要するに民主主義とはともかく対等を求める社会だがそれと同時に責任も課せられている社会のである。



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2015年10月17日

常磐線の思い出短歌30首 (津波原発事故からふりかえる)


常磐線の思い出短歌30首


(津波原発事故からふりかえる)


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逢隈駅乗り降り多し蝉の声

AUKUMA station
the new one
many passengers
voices of cicadas

新しき駅にしあれや逢隈(あふくま)駅乗り降り多し蝉の音ひびけり
交換に逢隈駅にとまるかな蝉鳴く声のここにひびけり
亘理駅鴎の一羽飛びゆきぬ秋の野広がりしばしとまりぬ
浜吉田海の近きと知らざりき津波の後に電車通りぬ
山下駅勤めの人や菖蒲咲き仙台までを乗り合わすかな
坂本駅一人おりにき冬の夜やともしびあわれ我は見てをり
新地駅夜の静かに着き月光りホームにおりて虫の音を聞く

駒ヶ峰はやすぎにけり相馬と伊達の境の駅かな
相馬駅松一本立ち駅前の通り城跡へゆく秋の夕暮
日立木駅鉄路に咲きぬハマヒルガオ海に近きを磯部は消えぬ
日立木駅一人おりにき誰なれや刈田広がり電車すぎさる
鹿島駅幾人のるや秋の薔薇四五輪咲きて今日も暮れにき
駅前の自転車屋古りあわれかな病と聞くや秋となりしも
原町の駅に大輪のひまわりの咲きて行き交う電車見ゆかな
原町にスーパーヒタチのとまるまま五年も過ぎむ秋のくれかな
磐城太田神社の古く相馬藩歴史を語る秋となるかも
磐城太田次は原町ようやくに帰る故郷に電車ひびきぬ
小高駅ここまで津波来たりしと人住まぬ街電車通ぜじ
桃内の駅の淋しもつぎ浪江なにかあれかし冬田広がる

川二つよぎるや浪江の駅すぎて請戸の港思ふ秋かな
夜ノ森の駅につつじの映えにつつ電車すぎさる今は通らじ
双葉駅昔は長塚我が父と姉との思い出ここにあるかな
我が姉の死して悲しも語りたる双葉のことを思いだすかな
竜田駅金木犀の匂いけり線路閉ざすもまた通じなむ
木戸川をすぎて秋なれや木戸駅すぎて広野につきぬ
末次の駅におりたち畑に人菖蒲の咲きて墓地の暮れゆく
大野駅広野駅冬の野の広がり駅の名心に残りぬ
久ノ浜駅に浜菊咲きし見ゆ津波の後にあわれなるかな
四倉の駅の秋なれ廃墟ありセメント工場跡と電車すぎゆく
草野駅まもなくいわき秋の日のさして稲穂も刈られる季(とき)かな
平駅おりたち線路仙台へ伸びしも遠き春の夕暮
いわき駅東京へゆくカラフルな電車並びて春の日に来る
勿来より春にたどりぬ泉駅昔の路線夕焼け美し

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1898年(明治31年)8月23日 - 日本鉄道磐城線の長塚駅(ながつかえき)として開業。
1901年(明治34年) - 土浦線・水戸線友部駅 - 水戸駅間・磐城線を統合し海岸線と改
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定により常磐線の所属となる。
1959年(昭和34年)10月1日 - 双葉駅に改称となる。

双葉駅が浪江が標葉郷であり楢葉があり双葉となった。標葉は浪江は相馬藩に入り野馬追いにもでている。双葉はもともと長塚駅だった。だから双葉というとその駅名が新しいと感じるが昭和34年に改称したとなる実際は古い
相馬駅も中村駅でありこれは中村というとき

1897年(明治30年)11月10日 - 日本鉄道の中村駅(なかむらえき)として開業。
1961年(昭和36年)3月20日 - 相馬駅に改称。

相馬駅に改称されたのは昭和36年であった。でもなにか中村というのが子供の頃から親しんでいたのでこれもそれなりに古くなったと思う。
人間は地名でも駅名でもなじむに時間が必要だった。
地名はまず百年くらい継続しないとなじまない、地名は百年は短い、それだけ地名というのはなじむのに時間が必要なのである。
だから駅名でも相馬でも双葉でも最近のことのように思えるのである。
合併して市町村の名前が変わってもそれがなじむには相当な時間が必要になる。
双葉は元の長塚は自分の父親と姉の思い出の地だった。父が丁稚奉公した酒屋があったからである。それは富沢酒店の隣だったのである。それは戦前につぶれなくなった。
でもその話を聞いていたからなつかしいとなる
何か銀行があって遊んでいたとか銀行自体がその時めずらしいものだったのである。
それも遠い日の話になってしまった。
人間は最後は思い出だけになってしまう。それが常磐線は何度も乗っているから駅名とか思い出すのだがその思い出すことは正確ではない、例えば駅でも大野駅とあるがその順序がわからなくなったりする、ただ駅名は何度も乗っているから覚えている。
他の線は駅名を覚えているのも少ない、だから何か思い出す作業というのが不思議なのである。
ともかく双葉駅辺りが相馬藩と磐城藩の境目である。
古代では磐城国だったから磐城太田という駅が原町の隣にあるし磐城とつく地名が今でも多い、それは白河も磐城と接していたから同じだった。

常磐線で今回津波で意識されたのは海が近いということだった。
浜吉田とかがなぜ浜になっているのかわからなかった。浜など全く見えないし遠いと思っていたのである。そしたらあの駅前まで津波が来ていたことには驚いた。
新地駅は一番海に近いことは知っていた。海が見える駅だった
山下駅でもあとは海が見えないのである。
だから浜吉田まで昔は海だったということを意識させられたのである。
それは亘理駅でもそうである。あそこに鴎が飛んでくるのを見た
鴎が飛んでくるということは海を意識するし海が近かったのである。
岩沼でも海は近かった。それは多賀城とか宮城の海岸線でもそうだった。
建物がたて込んだりビルが建ったり松原でも海が見えなくなっていた。
だから海が遠いと思っていたのが津波で海が近いと意識させられたのである。
小高駅までも津波がきたから小高は海が近かったことを意識させられた。
そして小高の城があるところまでかなり海が迫っていたのである。
中世には小高は規模の大きい湊でありすると小高城に近く湊だったとなる

常磐線は今のいわき駅は平駅だった。平駅というのがなじみがある。平機関区があり原町機関区がある。それは東京への物流の二大基点であった。
戦後十年か二十年か木材とか石とか運ばれた。平は常磐炭鉱があり石炭を運んだ。
日本の鉄道は北海道でもそうだが旅客を運ぶより物を運ぶものであり特に石炭を運ぶものとしてはじまった。小樽などもそうである。北海道には炭鉱が多かったからである。
とにかく自分は電車の旅行の時間が長い、自転車旅行はそれほどしていない、電車で一番旅しているから鉄道に興味をもったのである。
北海道には十回くらい行っているから一番親しい場所である。
電車の旅も人家が多い工業地帯など走ると印象に残らない
だから西は混んでいるから何か印象に残りにくい、ただ印象に残るというとき記憶されるというときやはり一度くらい行っては記憶しにくいのである。
英語の単語でもそうだが何度もその言葉を使っているうちに読んでいる内に記憶に定着するのとにている。

人間にとって意外と盲点なのは記憶することが大事だということである。
人間は人生でもその人が記憶したことか人生になりやすい
だから認知症になると昔の記憶は残っているのでそのことを何度も嫌になるほど話すのである。
それで戦争のことを千回も聞かされたので嫌になったがそれが人生だったからそうなったのである。
そして記憶というのは漠然としたものより地名とか駅名から記憶がよみがえってくる。
だから電車の旅は駅名が歌枕のような役割を果たしていたのである。
ただ正直遠くは必ずあいまいになり定かでなくなる
車窓からの景色でもあいまいになる、でも常磐線のようにいわきから岩沼までは人家が少ない、野原が多いからそういう場所だと記憶に残る。
その間に無人駅もかなり多い、日立木駅など人一人くらしかおりないことが普通にあるのだ。
そういうときその一人がおりたということを見ていて記憶するのである。
もう何十人もおりたりすると記憶しにくいのである。

いづれにしろ新地駅はなくなった。あそこでは相馬駅につくまえ交換列車を待つので6分くらいとまっていた。それは夜だった。月が海から出て光り虫がないていた。
そういうことが今や津波で流されて経験できないということも不思議だとなる
新しい常磐線は二年後に開通するがそれはまた全く違ったものになる
別な場所になるから今とはまるで違ったものとなる
それは仙石線でも新しくなりそうなった。遠名駅は高台に移り景色が悪い所になった。
常磐線ではそれぼとの変化はなしいにしてももう前の駅とは違うものとなる
だからもう経験できないとなると記憶されたものが貴重だとなってしまう。
新地駅などは特にそうである。

それにしても自分はいつでも電車にのっている気分になる、旅している気分になる。
それが人生だったともなる。そんなことが人生だったのかとなるが現代では結構普通の人でも作家でなくてもそうなる人がいるだろう。
働かない人が普通に若い人でも多いからである。
するどこんなふうにして過ごした人も多くなる
ただ団塊の世代は企業戦士だから働いていた人が多かったから自分のような人はまれである。ニートなとはあの当時は極まれなアウトサイダーである。
今はどこにでも働かないニートが日常的にいる、これも時代である。
今になると自由に旅できたことが不思議である。ここ十年介護などで全く旅できなくなったことでその自由に旅できたことが不思議に思え恵まれていたなとつくづく思う。
自由に旅することなど自分にとって当たり前だったのである。
特別なことではない、当たり前のことであった。でも勤め人だったらできないのだから自由に旅できることはよほど恵まれていたとなる。

印象に残る駅はある、逢隈駅は新しいがあの駅は丁度交換の電車を待つ、するとそこで蝉の声がひびく、山間にっているしトンネルをぬけると阿武隈川に出る、蔵王も見えるから一つの地理的境目になる。
阿武隈川は逢隈からでている,他にも郡山にも逢隈橋があったからだ。
常磐線でこれだけ駅からイメージできたのはそれだけ回数をのっているからである。
それは自分の死んだ家族との思い出も重なる
駅は鉄道が盛んな時はこれ以上に生活に密着してて思い出の場所になっていた。
何か人間が記憶するというとき思い出すというとき漠然として何もない、野原だけとかなるとそこに地名が一つあることでその地名からイメージする
だから旅で記憶されるのが駅名だったのである。

常磐線は昔の平から仙台までは記憶に残っているがその南となると何か福島県でいなように感じる、ただ勿来から泉駅まで春に自転車で行ったがあそこは勿来から鉄道が通っていて物資を運んでいた。その蒸気機関車の写真もネットにでていた。
そんな時代があったのかと鉄道が盛んなときは戦後十年以上でもつづいていたのである。つくづく津波があり原発事故がありそのことで何か大きくこの辺は変化しすぎた
その変化に五年すぎようとしてもとまどっているのである。
それだけの大きな被害だった。常磐線も双葉とか大熊とかの線がいつ開通するかわからない、仙台までは二年後だからそれまでは生きていて乗れるだろう
電車の旅はつくづく自分の人生だったとなとまで思う
ただ思い出すとなるとなかなかできない、駅でも前後が逆になったりはっきりしなくなるのだ。
ただ常磐線は生活路線でもあったから記憶されていたのである。


1907年(明治40年)12月1日 - 小名浜馬車軌道(馬車鉄道・後の小名浜臨港鉄道→福島臨海鉄道)が駅前に乗り入れ。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定により常磐線の所属となる。
1941年(昭和16年)6月 - 小名浜臨港鉄道線が経路変更。同時に当駅に乗り入れ。
沿線の工場や小名浜港への貨物輸送主体の鉄道で、当時は栄町〜江名間の江名鉄道もありました。貨物列車にはもっぱら国鉄から譲受した蒸気機関車が使われておりました。
http://6.fan-site.net/~haasan55/OnahamaRinko.htm8(映像あり)


これはホームページで書いていた。常磐線俳句十句もまた連作になる
前に書いたものもまた書き加えられて延々と創作は連続してゆく
そういうことがネットではしやすいのである。
同じことでも多少色を変えると別なものになる、すると読む方でもその人が何を強調しているから記憶に残りやすいとはなる
一冊の本は完成したものだがプロクとかは特に完成しないで延々とつづくのである。
そしてそこで前に書いたものもまた新たにされる、更新されてよみがえるのである。
それが本とネットの違いである。


ともかく双葉駅はいつ開通するかわからない、昔は長塚駅であり自分の父と姉との思い出の地だった。父は酒屋に丁稚奉公していたのである。姉もそこに行っていたのだ。
そういうことでも常磐線は旅するだけの路線ではない他の人でもそうである。
母は原町の原町紡績(原紡)に十年糸取りして働いていたがその原紡に鉄道の引き込み線が門から通じていたことは驚いた。
この引き込み線は今でも岩沼の製紙工場にある、鉄道で物資や製品を運んでいたからそうなる
またどこの駅にも引き込み線があり貨物車が荷物を運んでいた、それで駅前に自転車屋があるのは鉄道で運ばれるからそこで下ろすのに立地がいいからそうなった。
おそらく病気になった駅前の自転車屋はそういう古い自転車屋なのだろう
駅前が栄えた、相馬市の駅前通りは鉄道とは関係していない、もともと城下町でありそのまま変えなかった、原町は駅前通りとなり陸前浜街道の通りはすたれて駅前通りが繁盛した。
今はシャッター通りになっているのも淋しいとなり時代の変化が常にある。



2015年10月16日

TPPは食料に関しては危険 (人間の体も風土によって作られてきた)


TPPは食料に関しては危険


 
(人間の体も風土によって作られてきた)


コロサイ人への手紙 1章17節
彼は万物よりも先にあり、万物は彼にあって成り立っている。

現代の生物学を駆使しても、大腸菌1匹すら人工的に作る事は不可能なので、当分の間は無理でしょう。
現代の人間の技術では生きた細胞一つ作り出すことが出来ないんですか。また一つ新たな事実を知ることが出来ました。そう考えると人間とは案外たいしたことないんですね。
 このお話を読むと、現代を生きる人間にこそ謙虚な心というものが必要なんだなと感じます。この謙虚な心を忘れずにこれからの人生を生きていこうと思います。
 
 パプア・ニューギニア人は、
ほとんどイモと野草だけの食事で、
この筋骨たくましい肉体をしている。


 パプア・ニューギニア人の腸内細菌を調べてみた結果は、日本人とはかなり違った様子をしているとのことです。
 彼らの腸内細菌の種類とそのバランスは、人間よりはウシに近いというのです。教授は、その腸内細菌が、彼らの体内にタンパク質をつくり出していると見ています。

 人間が草食だった時代
 http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/059ningen.htm
 

そもそも野菜なんて国によって品種が違うだろうに。
日本は日本人に合うように品種改良を続けて、今の野菜がある。
もしも外国のと違くなければ改良を続けてきた意味ないだろ。
日本の農業をバカにしちゃいかんよ。

農業している人と接すればわかるけどまずわずかの面積でも手間はかかる金もかかる
種から苗から肥料代が馬鹿にできない、絶えず草取りしなければならない、ともかく趣味程度でもその労力が並大抵ではない、その女性はもともと農家出身で農業が好きなのである。
その小さな畑のことばかり頭にあり気を使っている、体も使っている。
ただそれで金をとれるかとなると金はかえってかかるし収穫も極わずかであり人にやるほどのものはない、だからネギを一回もらっただけで何ももらっていない
ただそれだけやるので苦労なのである。

農業は割にあわないということが嫌というほど言い続けられていた。
農家を継ぐ子供は親に農業はやるなと殴られたというのはまさにそれだけ農業で生計をたてるのが今では負担になっていたからである。
だからその人は原発とか全国の建築現場で働いてきたのである。
北海道の美瑛でも農家のライダーハウスにとまったが延々と農業はしたくない金にならない、中国人の方がいいと聞かされた。それを聞いて聞かされる方も嫌になった。
そういうことは果物でも何でもそうらしい、農業で生計をたてることはそれだけ負担なのである。

でも農業はその土地土地から離れられない性質のものである。一地域でも肥えた土地なのか地味の悪い土地なのかある。
その土地から離れられないものだから他の産業とは違う。例えば車を作るのだったら土地とか気候に左右されない、どこでも部品は作れるのである。
海外でもいいしどこでもいいのである。農業は土と不可分に結びついている。
そして土地とか気候とかがみんな違っているから風土の影響が大きい
技術でも日本では山が多いからトンネルの技術が発達したというのはやはり技術も風土の影響を受ける。風車は風の多い砂漠のような中東から生まれたというのもわかる。
技術すらそうならましてや食料となるものはもう風土かう生まれ育てられるものである。面白いのは魚の種類が日本は本当に多い、この魚はなんなのだろうとスーバーに行けば知らない魚を売っている、するとその魚の種類に応じた料理法が生まれる
魚を通して多様な食文化を育んできたのが日本でありそれは縄文時代からつづいていたとなる
日本は馬、牛、羊はいなかった。日本は魚の文化の国だったのである。

人間の不思議はその風土によって人間の体もつくられてゆく、だから肉食の欧米人は肉を消化する酵素が出る、肉を消化しやすいように長年の観衆で体がつくられてきたのである一方日本人は腸が欧米人より長いのは牛と同じく穀物を消化するのに適するようにそうなった。
パプア・ニューギニア人の腸内細菌を調べてみた結果は、日本人とはかなり違った様子をしているとのことです。
彼らの腸内細菌の種類とそのバランスは、人間よりはウシに近いというのです。教授は、その腸内細菌が、彼らの体内にタンパク質をつくり出していると見ています。
これも同じである。ニューギニア人は牛と同じように草食でもタンパク質を作りだしている。人間は生まれつきのものではなくその風土に適応して作られてゆく
それを無視した生活をすれば長生きもしないし病気も多くなる。
最近胃ガン大腸ガンとか前立腺ガンが増えたのは欧米食になったからである。
それは縄文人いらの食生活に適していないからそうなる

確かにイギリス人の食糧は牛肉である
と認めなければなるまい
イギリス人は戦争愛していると
それはあらゆる享楽と同じ
彼らの大好きな気晴らしなのだ
クレタ島の人々もそうだった
牛肉と闘争、この二つとも
イギリス人から学んだのだ

バイロン(ドン、ジュアン)

欧米文化は明治維新後に日本の風土にマッチした食文化でも破壊したのである。
欧米は好戦的な人たちでありそれも日本人に伝播されて日本は太平洋戦争に突入した。
悪い風習がとりいれられてそうなったのである。

食料を考えるとこれも不思議である。人間はこれだけ科学が発達しても命は作れないのである。命を作り得たのは神だけである。命を与えたのは神だけである。
命は神しかつくりえないのである。人間をどんなことしても作れない,ロボットは一つの機械にすぎない、人間にはなりえない、つまり人間は命を作れないのである。
品種改良でもバラならバラを基にしてものであり何か全く新しい品種を作ることはできない、ただ一つ品種からバラならバラから多様なものは作れるがそれはあくまでもバラの範囲に収まる、つまり新しい品種は種は人間には作れない、細菌のよう下等なものでも作れないのである。
ただイメージとしては作れても現実には作れないのである。
だから農業に関して風土に根ざして生まれるものだから外国産ばかり食べていたらやはり日本人は変調をきたす。

そして食料となるものはその風土と密接に結びついてできている。
だから外国産の食料は日本人に適さないことがある。それは全部ではないにしろ適さないものが多いことは確かである。
植物でも樹でもアメリカに移民した日本人が証明している。
その土地と風土に密接に結びついてできるからそうなる。
ただ外来種でもねづいたのも多い、元はといえば外来種のものも多い、でも同じ野菜でもそれは日本化した味になっているともいう。
同じカボチャでも日本のカボチャと外国のカボチャは違うというのもやはり風土の影響なのである。人間はあらゆる分野で風土の影響をまねがれないのである。
だから食料に関してはTPPは賛成できないし何かまずいことが起きてくるから不安があるからそうなる。それは工業製品とは違っているからである。
ガンが増えた病気の不安もあるからだ。
薬でもその人の体質にあった漢方薬がそれなりに効き目があったりするように体質は風土なのである。風土から離れて日本も国もありえないのである。



 
タグ:TPP
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2015年10月15日

「金の切れ目が縁の切れ目」「ただより高いものはない」「地獄の沙汰も金しだい」 (金でのことでも意志疎通できないから問題起きる)


「金の切れ目が縁の切れ目」「地獄の沙汰も金しだい」「ただより高いものはない」

 
(金でのことでも意志疎通できないから問題起きる)


今日もまた駆けずり回って疲れた。手押し車を一つ自転車に積んでリサイクルセンターまで行き投げた。リサイクルセンターは近いからできた。
自転車も他も一緒に処理しようとしたがそうなると車を頼まねばならない
タクシーに聞いたらなんかめんどうなことを言って頼めなかった。
知っている人がいるから頼めばいいのだが結局かえって礼しなければならないから高くつく、自分に対しては高く要求する
それから便利屋というのにも頼むことはできる、それも値段の問題になる。
つまり金の問題なのである。別にここで金にこだわったわけではない
何か自分でやれることはしてみたいと思った。
何でも金かけていることは良くないと思ったからだ。

実際車を頼まれた方も車は維持費がかかるものだから無料では誰もやってくれない
やってくれるとなると余程親しいか余裕のある人だろう。
車のない人は買い物などを頼むとき親しい人に2000円とか3000円で頼むようにしている人がいる。
これも車を維持するのは金がかかるからそうなる
それをどうこういうことはできない、
要するに車をもつことは金のかかることなのである。
だから車のない人はそれなりの負担しなければならないのは当然なのである。
何をあなたはいちいちそんなこと理屈を言っているのだとなる

ただどうしたら安くするかということを考えるとどうなるかということである。
親しい人に頼むと普通の倍以上とかとられる
自分はずっと金のことでいろいろ体験してきた。
今までは金のことも世間のこととも何もしていない
全部家の人がやってくれてきたからである。
金は実際は食費は三食付きであり本代とか旅行代とかその他にほとんど使っていないし
金持ちの息子とは違っていた。
ただ時間だけがふんだんに与えられていたのである。
だから自分が金持ちの気分はないし金はいつも不足していたのである。

そして自分は本当に世間知らずだった。世間知らずの方が良かったという面があった
これほど人間が醜いのか、これほど金しかない人になってしまったのかということを痛切に感じた。それだけ金に窮している人が今は多いということである。
ただ別にそういう人と直接交わらなければわからないのである。
最初に来た親戚の人は「おばちゃんは金あるんだから金にめんどうみてもらへ」と言って寝ていた母をどなりつけてきれた。
その人だけは金があまるくらいあり不思議に何か遺産が入る人だったのである。
金がなくてこう言ったのではない、病人とか介護にかかわりたくないから言った
別にその人とは付き合いがほとんどないのだからその人はかかわらなくてもなにかすることもないのである。
だから別に何も言わず来なくなればいいだけである。
でも今考えるとつくづく「金でめんどうみてもらへ」というのが現代だと思った。
金で何でも解決しろというのが現代の社会なのである。
介護でもそうだしもう何でもそうなのである。
この辺で原発避難者が仮設に住んでいるが補償金問題でもめていることを何度も書いた
これも結局どうなるのか「お前ら避難者は金を多くもらったの
だから「金でめんどうみてもらへ」と極端になればそうなる
「俺たちはもらっても少なかった」だから協力はしないとなる

金は人間を協力させるものとして働かない、離反させるものとなる。
そして金が万能でもない、でも万能化しているのである。
それで浪江の工場経営者が前の仲間に仕事を回してくれと頼んだらあなたは高額な補償金もらっているのだから仕事がなくてもいいだろうと言って断れたという。
これもちらっと本音をテレビでもらしたのである。
実際工場とかの経営者や牧場の経営者が大熊辺りで5億円もらったというのは本当だろう
その額が大きくなるのである。
そうなるとお前らは補償金でもう一生暮らせるんだから仕事などしなくていいだろうとなる
これも金をめぐる人間の問題であり今の社会の問題だった。

次は自分の家に「金をくれ」と入ってきた人である。それは冗談だと思っていたのであるそううい大胆な人だったからそう言って気にしなかった。
ざっくばらんな人だと思っていた。
実際この通りの人だった。自分が突然病気になったとき本当に家捜しされて大金を失ったその通りに実行したという驚きである。
そんな人いるのかという驚きである。
でもその人は金に窮していたのである。それほど金に窮していたのである。
金に余裕ある人は家の手伝いなどしない、たいがい問題ある人である。
だから金にまつわることで必ずというほど問題が起きやすいのである。
現代は金に困っている人が本当に多くなったのだろう。
下流老人とかフリーターとかシングルマザーとか日本人は貧乏になったのである。
格差社会のこともいろいろ言われる
金に余裕ある人は少ないのである。
もう切羽詰まっている人が多いのである。

もう一人の親戚はこの人は一級の資格をもっていたから金に余裕ある頭のいい人だと思い込んでいた。
この人は一番金に困っていた。もう金がなくて窮迫していた。
それが最初はわからなかった。家族の人もその時はわからなかったのだ。
多額の借金をして自分は事業の成功者だと装っていた、嘘ついていたのである。
この人はまずなんというかすべてのことについて金を要求してきた。
頭の中が金しかないのである。それだけもう金に追い詰められていたのである。
事業しているから一千万の機械を買ってくれとか最初言っていた、自分には成功した人だから何のことがわからなかった。
その事業のことも良くわからなかったのである。
ただいつも成功している金はいくらでも入ってくるようなことを言っていた。
別に深くつきあったわけではない、死んだ身内が深くつきあっただけである。
自分はほとんど何も関与していないのである。

その人は何するにも頭には金しかない、入院して手術をするとき保証人になるから
書類に書いてくれと言ったらなにかそれを非常に恩きせまがしくしていた。
その人はまず最初から何かしてもらいたいなら金を出してからにしてくれということを暗黙に要請していたのである。
一つの商売として自分に要求してきたのである。
自分が病気だということを何の考慮もしなかった
おそらく自分が弱い立場にあり苦しい立場になっているからかえって弱者になったから
要求しやすいわけである。
その人が若いときいい人だと仕事仲間が言っていたがそれは30年前とかのことである。
だから人間は変わるものである。同窓会でもみんな全く人間が変わってしまったというのが普通らしい、自分は一度も出ていない
その人は若いときはそうではなかった、事業に失敗してモラルも何も喪失していたのである。
頭の中が金しかなくなってしまった。
自分が頼んだことはたいしたことではない、でも手術の保証人というが大手術でもないし何の保証も要求されない、金には困っていないからである。それで負担をかけることなどなかったのである。
ただそういうことで自分に金を要求してきたのである。
なんか逆に今になると借金の連帯保証人にでも自分になってくれという感覚になった。
その人は切羽つまっていた。

結局みんな金で切羽詰まっていたのである。
もう今金が入らなければ強盗にでもなる他ないというほどまで極端化すれば切羽詰まっていた。
現実借金の形にブラックな所で働かざるを得ないのもそのためだった。
借金している人は本当に怖い、全くモラルがなくなり常に犯罪の動機になっている
借金自体がもうすでに犯罪者となることに限りなくなっている
だから借金のために犯罪になることがいかに多いか納得する
そんな人が病気のとききたのだから最悪だったのである。
自分にとってこれほど恐ろしいことはなかった。
相手はなんにも感じていない、自分の借金のことしか頭にない
借金している人はみんなそうである。

その人はもともと商売には向いていなかったのだろう。理系で技術のことだけしていれば会社に勤めていれば借金などしなくてすんだ
商売というときただそんなふうに病気の人に対してまで商売して金を要求することではないだろう。
損して得をしろとか相手のことを思って商売するということもあるだろう。
そういうことが全くない人であった。
まず自分が10をとる、そうしたら3か4をやる、絶対に10をまず与えて損なことをはじめからしないのである。「損して得をしろ」とは絶対にならない
そういうことを病人にしたのはかえって要求しやすいからそうなった。
商売相手としてはのみやすから要求してきたのである。
相手のことを全く考えないし考える余裕もなかったのである
そういう人が商売に成功するだろうか?
まず東北人は商売には向いていない、職人に向いているのは本当である。
自分も家で小商いしていても経験しているが全く向いていない、自分は何もしていない
商売に向いているのは関西の人である。
あんなに韓国まで行って買い物してねぎることができる
交渉がうまいのである。自分はかえってそれをまねして失敗した
中国人も商売上手である。それは近江商人とかの場所だっからDNAでそうもなっていた
東北人は農民であり商人のDNAに遺伝子にない、ただ伊達政宗は例外だったのである。

いづれにしろ現代は自分だけではない、金にはじまり金に終わっている社会である。
この辺で補償金でもめて分断されたのもそうである。
あらゆることが金にまつわるものとして問題が生じているのだ。
金がいいとか悪いとかではない、金がとにかく社会を人間を動かす社会である。
そんなこと昔もそうではなかったかといえば確かにそういうことはあった。

「金の切れ目が縁の切れ目」「ただより高いものはない」「地獄の沙汰も金しだい」

この諺を身をもって経験したからである。

現実にすべてこうして金にかかわって縁は切れたからである。
金しか要求しないものは金しかつながりがないものは縁は切れる
金でめんどうみてもらへ」と切れた人もそうである。
金でしかつながりがないからそうなる。
これは極端にしても極端なことにつくづく人間の真実がある。
本音が現れたところに人間の真実がある。
その本音の部分がマスコミできれいごとで隠されて言わないのである。

だから「心に青雲」とかネットで本音を語りやすいからわかりやすいとなる
難民をかわいそうだからと受け入れると国までのっとられるから受け入れるなというとき非情にも見えるが難民も必死であり相手のことをなど考慮する余裕がないからである。
どんどん要求だけしてくるしその責任を受け入れる側が負えるのかあとでまたそのことで国内でもめることになる
それはもう意思疎通できていない暴力的侵入である。
平和の時の移民は意志疎通して双方納得の上に移民を一応受け入れている
シリア難民はもうそんな意思疎通も何もない、相手は生きるか死ぬかの瀬戸際になると受け入れ側のことなど考えられないのである。
でも受け入れる方でも何か必ず慈善でもかわいそうだ思っても難民を受け入れる側でも責任が課せられるからそうなる。
捨てられた猫をかわいそうだとエサをやることでもそうである。
そうなると必ず野良猫が増えて回りに迷惑になるとかなりエサやりを禁止した市もあったそれも難民ともにているのである。
かわいそうならお前がめんどうみろとかなる。そうなると責任が課せられるから嫌だとなる
ともかく金にまつわる諺がこれほど身にしみたことはない
それは今も昔も同じ問題としてあったからそうなる
そうなると人間の世の中が今が特別そうではなく金というものはそういうものだとなる
ただ自分が世間というものがどういうものか社会とかかわらないからわからなかったのである。
そしてむしろ社会とかかわらなければこうした醜い人間のことを知らないから人間はみんないい人だと思ってしまっていたのである。
子供は人間の醜い面を知らない、知ることができないから幸せだった。
自分はカルト教団で学生のときかかわって以来ほとんど社会とかかわらない隠者だったからそうなった。
そこで反発したのがなぜそれほどまでに権力を宗教なのに追及するのかということ出てあった。それはまた金を追及していることでもあったのだ。

世間でもまれた人はこんなことは人間の醜い面は嫌というほど現実社会で経験している。なぜならビジネスではまさに常に金のやりとりだから金にまつわり人間の醜い面を嫌というほど経験しているからそうなる
「金とは何か」と考えるときこういう現実から金のことを考えねばならないのである。
金の最大の問題は金のために心まで売り渡す悪魔に売り渡していることなのだ。
それは政党でも組織でも団体でも会社でも東電でもそうだった
マスコミもそうであり金によってモラルを喪失してしまう。
弁護士でも認知症の後見人になった人がキャバクラで遊ぶために金を使ったとか
まさに具体的にこの事件などはわかりやすい
他ではなかなかこうしたことは隠されているからわからないのである。
金がなくてもいいとか金が悪いとかではない、金によって人間の心があやつられることなのである。
ではそうさせられないためにはどうするかということを考えねばならない
金が必要でも金に支配され心まで売り渡すようにならないためにはどうするかとなる
このことが現実社会では至難だから常に事件でも起きてくるのである。
まず欲をある程度はおさえないと金に心まで支配される
そのある程度は問題だけどやはり欲をおさえないと心も支配される
別に事業に失敗しても成功を装い借金する必要はない、でも見栄とか世間体とかいろいろあってそうなりモラルが喪失してゆく、それが一番怖いのだけどそういうものより金の魅力が大きいからみんな悪魔に金を通して心を売り渡しているのである。

意志疎通できない社会のことを書いたけど金でもそうである。
「金をくれ」とか家に入ってきていうことをそのまま実行する
そこに意志疎通がない、ともかく金が欲しいから金をよこせ、よこさなければ奪うまでだとなる
ところが

「私はこういう事情で金が必要なんです、、、、金を貸してください」
「そうですが、あなたの事情はわかりました、嘘ではないようです、考えてみましょう」

とかなる
金を貸さない方がいいというがやはり一応聞いてみるし離してみる、そこで互いの意志疎通があり了解して金を貸すなりなんなり対処する
それが一方的に金を出せばいいんだとあとは関係ないとなるとき強盗のようになってしまう。
意志疎通がないとき必ず人間は問題が起きる
金の問題でも双方で何かしら意志疎通が必要なのである。
江戸時代あたりになると狭い範囲で親密に暮らしていると日頃から意志疎通ができていたただその狭い範囲内、村の内とかであり村から離れると意志疎通ができないから隣村から来た麦つきの若者が大蛇だったとかなる
江戸時代には見知らぬ他者と交わらないことが多いが外部に村の外になると意志疎通ができないことが問題だったけど狭い範囲で暮らしていたから問題が起きにくかった。
今は膨大な見知らぬ他者は接する時代である。
だからあらゆるところで意志疎通ができないのである。
ニュースでもマスコミから流される情報はほんの一部だけどそこが拡大化されて報道される、そこに必ず誤解が生まれる、そういうことは現代で日常的に起きているのだ。
金が暴力的に働くのは意志疎通の問題がある。
金さえもらえばいい、金を出せ、理由はない、金を出さないなら殺すとなるとき強盗になり意志疎通が全くない状態でそうなる
だからテレビから流される情報は一方的であり誤解が非常に多いのである。
金は何かというとき互いに意志疎通させるものその媒介をするものとしてもある
一つのメデアでもある。それがかえって意志疎通をはばむものとなっている
「お前はなぜそんなに金をもっているんだ、俺は全くないんだ、働いても働いても金がたまらないんだ」
「自分はその金で贅沢などしていない、この金は親が苦労して自分に残したものだ
自分は親を介護したし今も介護している、そのためにも金を使っているし学問のためにも金を使っている、別に贅沢しているわけではない、、、、」
「そんなことしるかよ、俺に金がなくお前に金があること自体が不公平なんだよ」
「そうはいってもあなたにも何か金にならない、貧乏な原因があるんじゃないかな」

なんかこんなことでも金について話し合えば意志疎通ができてくる
それが全くないとき強盗になり殺人になるのである。
問答無用となるのではない民主主義とは互いの意思疎通のことである。それが基本にある。
いろいろ不満があってもともかく相手と話して相手を理解して意思疎通する
そこにはどんなことしても公平はないし不満が残るし犠牲もでる
でも暴力になるよりは殺し合いになるよりはいいという制度なのである。


タグ:金の諺

15年くらいの前の自転車が放置されていたので警察から引き取らされた (所有することは何でも責任も課せられている)


15年くらいの前の自転車が放置されていたので

警察から引き取らされた

(所有することは何でも責任も課せられている)


全面的支配性

所有権は物の使用・収益・処分という全面的支配を内容とするという性質


この自転車は15年前とかでありなぜ隣の市にあったのかもわからない
もう使わないし忘れたものだった。だから捨ててくれと言ったら登録されているから捨てられないという
今度はひきとったら捨てるのもめんどうになる。

なぜこんなふうになったのだろう。それは盗まれたものなのかそれもわからない。
問題は防犯登録されていて警察の記録に残っていたから所有しているものとして責任をとらされたのだ。
そんなものいらないもう15年前のものだからいらないと言っても登録されているということでどうにもならない
登録抹消の手続きをしてなければ時効もない、その登録抹消もまためんどうなのである。車の場合は登録解除することは必ず必要である。自転車の場合はめんどうなことをしたくない

でも15年過ぎてもその所有者が特定されて記録に乗っているから責任をとらされる
つまり所有するということはその所有するものに対して責任をとらされるということである。
犬の場合も飼い主に登録の義務があるから責任をとらされる
これも結構めんどうだから犬を飼うことは責任が課せられる
猫にはそうした義務も登録もないから気楽であるから捨てられる猫も多い
ある一面こうして公的な場所に警察でも登録される記録される怖さである。
それで公式に責任が課せられることになるからだ。


そして犯罪でも登記簿でもなんでも記録されることはこうしてあとで責任が課せられる
記録はここで重要な証拠となるから責任から逃れられなくなるから怖いのである。
歴史でも記録かないともう百年もたったら事実がなになのかさえわからない
坂本竜馬が問題になるのは正式な記録がほとんどないから評価できないとなっている
過去でも記録がなければ探りようがないのである。

人間は所有するということは得に思える、自分の自由にできると思える、でも所有することは責任が課せられている
土地でも家でも所有することは相当な責任になる。
だから空家というのは放置されていていいのかと疑問になり法律が変わりいつまでも放置される空家は高い税金が課せられるし撤去も強制される
土地でも家でも所有することには責任が課せられているのだ
壊すにも相当な金がかかるから壊せないということもある。
それは自分の場合、放置された15年前もの自転車をひきとらせられたのと同じである。

誰も使わない空家はすでに危険でもあり本当はその人が所有している権利もなくなっているのかもしれない、でも登録されているから権利がありまた責任がある。
つまり権利があるところにはまた責任も生じているのである。
民主主義は権利だけを主張することと思っているが必ず権利には責任が生じている
それは自転車の所有一つでもそうなっていたのである。
「これを買って自分のものだからどうすると勝手だ」とはならない
家の場合は本当に古くなると修繕するのに相当に金がかかる、もう一端直し始めたから新しく買った方がいいくらいであり金がかかるからもう自分はしたくない
原発避難区域では家を壊しているのが多いのは放置すると家がいたむからそうなる
もう壊した方がいいとなる。
人間はまず何でも所有するにしても責任が生じる
この山を無料であげますよともらっても山を管理してくださいとなると金がかかるし手間もかかる、だから簡単に何でも無料でももらってもいいとはならない
「これは自分のものだからどうしようと勝手だ」とはならないのである。
空家でも回りのものに迷惑になるからそうなる

土地だって何も使わないで荒地にしておくと問題が起きるだろう。
そこにはネズミが増えたりゴミ捨て場にされたり何か問題が起きる
そもそも空家でも土地でも有効利用しないものは所有権失っている
ただ土地をもっているだけの人は所有する権利がないとなる
でも土地は今回の原発事故津波でこの辺の土地は三倍くらいに高騰したかもしれない。
土地はだから金より価値がでることがあるから手放さないのである。
70坪で700百万円と書いてあり高いなと思っていたがそこは町で一番いい土地なので
今になるとその土地は新しい建物が次々に建てられたから土地の値段は三倍にもなったろう。
大東建託のアパートが10棟も建ったからである。そういう大会社もかかわるからさらに土地の値段が上がったのである。

でも何も利用されないものには本質的には価値がない。あらゆるものは使用されて価値がでてくる。
例えば日常的に使う食器でもそれが高価なものでも飾ってあるだけでは価値がでない
使われて価値がでてくる。高価な芸術品的なものでもそうである。
茶道の茶碗でも並べて鑑賞しているだけなら価値がない
それは使ってみて使われて価値がででくる、でもいくら金があっても人間は今や特に老人になると物を買っても道具を買っても使えないという問題が起きる
いろいろ使いこなすことがめんどうになるのである。
となると老人は金をもっていても無駄だと言われるのもわかる
宝のもちくされ,金をもたせても有効に使えないとなる

フラワーアレンジメントするにしても花を買うのだがではこれを有効利用するとなるとそれなりのセンスとかまた暇も必要なのである。
何か忙しいとこういう趣味的なことに時間がさけなくなった
つまりここ十年は家事と介護で花すらゆっくり見ていられなかったのである。
何かするにはただ鑑賞するのにも金だけではたりない、時間が必要である。
その時間が限られているからできないとなる。
自分の場合はあと十年生きれば作品を完成できるがもし5年くらいになると中途で終わる
それは結局家事とか介護で時間がとられたことでもそうなった。

ともかくこの世の中は法律でも何でも具体的に解決をせまられるとき勉強することになるそれは科学でさえそうだった。放射線など関心もなかった。でも原発事故で知ることを強いられた。
学生時代なぜ勉強しないのか?それは現実の深刻な問題として自覚できない、ただ受験勉強とか単位をとるとかであり社会と関係ないからである。
でも社会に出れば必ず深刻な問題を解決するために学問も必要になってくる。
その時学問も生きたものとなるのである。
自分はもともと理屈好きだから学問に向いていたのかもしれない
ただ自ら勉強したいということがなかった
おそらく自ら課題をもち探求することが若いときからあれば良かったとなる
まず人間は社会は一つのことを探求するにも様々な知識が経験が必要になってくるからである。
だから老人はなにかしらともかく失敗しても経験しているから若い人は聞いていた方がいいとなる
失敗した人生でも若い人にはこうして失敗したのかと参考になるからである。

タグ:自転車登録
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2015年10月14日

コスモスと秋薔薇


コスモスと秋薔薇

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故郷に柿なり親し女(ヒト)一人
朝日さし駅に四五輪秋薔薇
朝日さし40の女(ヒト)や秋薔薇
秋の川鴎に鵜に雁や何語る
コスモスや田舎の道に鳩のいる
秋の空鴎鴎飛びくる街の中

美しく蝶の出会いて別るかな日に日に風の寒くなりゆく

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今は写真の魅力が大きい、田舎でも写真を趣味にしていると退屈しないかもしれない
田舎は四季があるからあきないものがある。
写真をとると自然の新たな発見がある。
見えないものが見える、光がさしているとかこういう一瞬のシャッターチャンスをとらえる。
今は俳句だけだと訴えないだろう
写真をみればまさに写生俳句に自ずからなっている

それから抽象画的なものもパソコンでできるからデジタルカメラとパソコンは切り離せないのである。
二人の女性がいる、一人は六〇代であり一人は四〇代である。
それぞれが違った個性になる。
別にその人が仕事でくるだけでちょっと話すだけである。
でも四〇代でも秋薔薇がにあっているかもしれない
秋薔薇というと何か六〇代の老人にふさわしい感じがする
でも四〇代も成熟しているからふさわしいとなる
はっきりいってまず六〇代になると三〇代でもあわない、なんとか四〇代はあわせられるかもしれない
それはただちょっと話すだけの関係である。

 
川に鴎と鵜と雁がいる、何を語るのかともなる秋である。川には芒がなびいている。
鴎は今日は街の中を飛んでいた。
海が近いから一羽くらい飛んでくる。これが気持いいのである。
鴎が飛んでくることは海が近いのである。
亘理駅にも飛んだのを見た。
あそこも意外と海が近かったし浜吉田駅まで津波が来たことには驚いた。
浜とつくから海が近かったのである。
津波では海を意識させられたのである。常磐線は相馬から岩沼でも海が近かったのである
コスモスと鳩はにあっている。鳩が道に一羽いる、それはなんでもないが平和な光景である。鳩には本当に何か優しさをあたたかさを感じる
つまり動物でも花でも自然は何一つ偽りなくそのままを現しているのである。

何か今年は今日も暑い感じになる、朝晩は寒くても何か暑く感じる
だから秋が深まってゆくという感じがしない
温暖化で季節感が狂ってきたとなる
ともかく写真をとることは自然を深く見ることになった。
だから一眼レフのカメラは必要である。
これも実際は七万くらいで買うことができた
望遠レンズは使っていない
写真はやはり一瞬が勝負になることがある。だかちその点今度かったソニーのα6000はいいカメラである。


タグ:コスモス

人間は意志疎通できないとどうなるか (暴力的解決になるー武力、金、技術(科学)は暴力となる)


人間は意志疎通できないとどうなるか

 
(暴力的解決になるー武力、金、技術(科学)は暴力となる)


猫とは言葉が通じない、だから猫をしつけることが嫌になる。排泄をどこでもするとかかってに台所のものを食べるとか嫌になるからはたいたりする
それは言葉が通じないからしつけできないから暴力でしつける
それは子供でも同じだろう、しつけようとしても言葉できなければ暴力的になる
人間が言葉をもったのは意志疎通するためである。でなければ行動で意志疎通させねばならなくなる。
意志疎通ができなくなるとき暴力的な解決になる。
それは個々人の間でも常に起きている、俺の言うことがわかんねえのか、と叩いたり度を越すと激しい暴力として爆発して殺人になっていることは毎日の報道できりがなく起こっている。
互いに意志疎通ができないとき暴力になり力の強いものが言うことを聞かせる服従させるとなる。
国と国の戦争でも互いに意志疎通ができない、だから暴力で解決することになり強い方が弱い方を服従させるとなる。
それでも強い方が正しいということはない、アメリカがすべて正しいとはなっていない
ただ強いから服従させることができたということになる。

明治維新でも佐幕派が勤皇派が正しいのかなになのか混沌としてわからなくなった。
結局は最後は暴力で武力で解決したのである。それは毛沢東は革命は銃口から生まれというのもそうである。共産革命も暴力で成されたのである。
それが正しいとかではない、暴力で革命が正しいとされただけである。
だから中国でも権力を手中にしてからは腐敗したのである。
民主主義はそうした暴力で解決するのではなく平和的手段で解決するために投票という手段を採用した。た暴力は人が死ぬのだからそれよりはいいとなる。
民主主義は最善ではなく最悪をさけるために生まれた制度であるからこれも政治的なものとして不満が大きいのである。
でも暴力革命よりはいいから採用された。そうなると別にどんな団体でも選挙で力をもつことは権力を得ることは許される制度だとなる
共産党でも創価でも武力も辞さず権力を得る武闘派的団体だった。
でも民主主義になり平和革命と無血革命で権力を得ることを目指すようになったのである
ただ暴力というとき今でも武力は最後のやむをえぬものとして実行される。
しかし現代の暴力は武力だけではない、別なものに変わったのである。
暴力的なものとは数の暴力というとき民主主義は数さえ集めればそれが正義となり権力となる。
すると権力をとるために革命でも数を集めることだとなりカルト宗教団体ならともかく頭数を集めることか革命だとなる。宗教もその一つの手段となった。
数はもはや暴力である。どんなに正しいことを言っても一票の力しかもちえないから社会では相手にしない、ところがカルト宗教団体でも創価でもなんでも信者の数で社会に影響するから数が暴力的なものとして社会で働く、そしてこの暴力的な数によってマスコミも支配される、マスコミはテレビでも視聴率がないと広告費も入らないからいかに多くの人にみられるかが最大の問題になる。
だからそうした団体を批判したりはどこもしないのである。
民主主義は数で決まる。南相馬市でも三〇キロ圏外は補償金が少なかった。もらったのはもらったけど少なかった。もちろん全くもらえない方が多かったから不満が広い範囲になった。
南相馬市の場合は市長選挙でも小高区と原町区に補償金を多く与えれば票は原町区が五万とかの人口があったのだから原町に恩恵があればそれで市長は当選できたとなる。
だから合併して損したのは鹿島区だとなってしまった。
これも民主主義はともかく数で何でも決まるかである。
若者が不満でも老人票が多いから老人に有利な政策になり結果的に若者は老人のために苦労するだけだと不満が大きくなる。
民主主義は武力とかではない、数で決まるから数が暴力の代わりになるからである。
それで不満を言ってもそういう制度なのだからどうにもならない、他にいい制度があるのかというとなかなかないだろう。

ただ民主主義は選挙だけではない、報道の自由とか言論の自由とか方の法律によって決まるとかいろいろある。法律が大事なのはそれも意志疎通の問題なのである。
常に争いが起きたとき武力で解決していたら個々人でも暴力で解決していたら平和保てない、だから明治維新後は仇討ちは禁止された。
法律にのっとて平和的に成されるのであり暴力は禁止されたのである。
それでも不満だった武士は家族を無惨に殺された侍は暴力で復讐したということがあった法律だけでは納得できないことは今でもあり暴力で復讐する人はいる。
なぜなら法律は絶対に公平なものでもない、それも暴力をさけるために最悪にならないものとして民主主義の制度の中で作られたものである。
この世に最善となる社会などありえないからである。
法律も万能でもないし民主主義も万能でもありえない、ただ暴力、武力にならないための最悪をさけるものとしてあるだけである。
だから国同士では国際法などは通用しない、結局国同士になると暴力が戦争で優劣を決めるだけだとなる。どっちが正義ということはない、太平洋戦争でもアメリカが別に正義というわけではない、ただ強いものが弱いものを服従させたというだけなのである。
日本には日本の義があったともなる。
それは世界紛争とは今でもそういうものでありどっちにも義があり強い方にすべて義があるわけでもない、世界紛争になると法律は通用しないから未だに武力で解決しているのである。

暴力というとき何か武器とか武力をイメージするが現代では別なものに変わった。
武力は金に代わり技術力科学に代行される、技術でも今は巨大であり森林でもどこでも機械で破壊してしまう、機械が暴力的であり科学もそうである。科学技術力は自然と人間が意志疎通させることしない、何か自然のリズムのように徐々に変えるということもしない、急速に科学技術力げ自然を破壊して変えてしまうのも暴力的なのである。
原発でもそうである。それは恐るべき自然を破壊し汚染する暴力装置だったのである。
この技術力も制御することができない、すると自然は破壊され人も住めなくなった。
科学技術力が自然であれ社会であれ暴力的に働いたからである。
そして現代のグローバル社会で最も暴力的なものが金になっている。
グローバル資本主義では金が最も暴力的なものとして力をふるっている。
金によって世界は支配できる、その金を支配しているのが世界の金であるドルだとなりアメリカが世界の支配者となる。

金の力がグローバルに働くからそうなる,巨額の金が株式市場で動く,それで株で何百億をもうけたとかとなると金の暴力的なものとしてグローバルに働いている。
国でも個々人でも世界的にもはや金の支配から逃れることができない、だから不思議だったのはシリアにはロスチャイルド系の銀行がなくIMFがなかったということである。
それはアメリカに支配されないためにそうなっていたとなる
金でも百億円株でせうけて俺はもっているとなるとそれが暴利となり暴力的になる。
その金で何でも買えるとかなり金に魅せられたら悪魔的にもなるだろう。
新聞社でもテレビ局でも何でも金で買えるとなる。現実社会では金で買えないものはないとまでなっている。
民主主義でも票でも金で買えるともなる。そうなると金の力がすべてを決定するとまでなる。
金は武力とちがって武器でもないから外に現れにくい、でも武器を買うためには金が必要であり戦争には必ず金がかかわっている。それで金で戦争させるとなると金が実際は暴力になる。

東電が安全神話を作り得たのは金の力でもあった。国家並みの金をもっていたのである。
グローバル資本主義は暴力的なものとして機能する。それは金が世界を支配するからである。金にもの言わせる、金に従わせるとなる。金で心を買うということにもなる。
その力がグローバル社会になったとき資本主義になったとき有効になる。
だからグローバル経済というものが果たして人間にとっていいものかどうかは疑問になる金によってすべてが支配されるより金では支配されないということもまた人間社会には必要である。
金の力がグローバルに力をもつと人間的なものを逸脱してしまうのである。
それで人間の経済とかが志向されることにもなったのである。
それが金がすべての価値基準でない社会がかつてあったからである。
現代は確かに露骨な暴力は否定されるがそれに代わるものが暴力的に働いている
人間的経済のようにそこには互いに意志疎通させるものではない
ただ一方的に金の力で支配されてしまうのである。

民主主義とは根幹お思想はいろいろあるけどともかく武力に暴力ではなく話し合いで意志疎通して平和裡にもめごとを対立を解消しようとすることが根底にある。
だからここにも不満がある完全なものではない、でも暴力になったらあまりにもどこでも悲惨なのである。戦争でどれだけ死んだか?それは国同士の争いになると暴力しかないからである。国際法なども通用しないから力が強いものが決めるとなってしまうからであるともかくこの社会は絶対に公平にはなりえない、個々でもそうであり国と国でもそうである。
それは神しかできないことである。

主は地をさばくために来られるからである。主は義をもって世界をさばき、公平をもってもろもろの民をさばかれる。

あなたがた力ある者よ、まことにあなたがたは正しい事を語り、公平をもって人の子らをさばくのか。

アメリカが力あるものだけど公平をもってさばけるのかとなるとならない、日本の敗戦はアメリカの力によるものでありそれで
公平にさばかれたかとなるとならないのである

永遠の平和は神によらなければこない、その時は一端この世が滅びるときなのである。
民主主義とは何かというとき話し合いであり議論でもそうである。
武力ではなく暴力ではないことで意志疎通させて解決させようとする制度である。
そこには不満がある、仇討ちでも私的復讐を許したらそれはまた復讐された方が恨みつづけて怨念の連鎖をとめられないのである。それは子供にまた負担をかけることなのである国同士の戦争となると正義などどこの国にもない、それは今のシリアの混乱をみれば一体何で争っているのかもわからないのである。
それは太平洋戦争でも起きていたのである。中国の内乱がありロシアも加わり大国の思惑のなかでシリアが犠牲になり難民化したのである。

2015年10月13日

社会全般に意志疎通ができなくなった時代 (トータルに考えられない社会ー郷土史はトータルな学問である)


社会全般に意志疎通ができなくなった時代

(トータルに考えられない社会ー郷土史はトータルな学問である)


意思疎通というとき互いに何事かの共通認識である。それができなくなったのは明治維新後である。西欧化した結果として江戸時代からつづいた共通認識は失われた。
だから明治維新の混乱は今でもつづいている。
民主主義という言葉一つとってもそれを理解することが非常にむずかしい、西欧文明が入ってきたとき日本人は漢字でそれを訳した。
それは新しく造語した努力がある。権利とはRIGHTだけど英語だったら正義ということになる。権利は何かしら正義があって権利が要求できる。
それで権利は権理だったのである。この方が役として良かった。権利となると利の方に重点が置かれらである。
ともかく西欧文明の概念自体を日本語で訳すことは至難であった。
今でも本当はその概念を理解していない、それは仏教でも中国の文化でも取り入れたときその概念を理解することはむずかしかった
日本語には仏教用語もあり中国文化の漢字によって多彩なものになった。
それにまた英語が加わって言語が重層的になったということはそれだけ日本語は世界の文明文化を取り入れた言葉なのである。
それは大和言葉だけでは取り入れることができず漢字で取り入れたのである。
意思疎通するというときまさに言語の面でもそうだった。外国人と意思疎通するというときも言語が中心となっていたからである。
他国の文化を理解するときどうしても言語がわからないと根本的に理解できないからである。
意思疎通というときそれは明治維新から近代化したときあらゆる面で起きてきたのである江戸時代は日本人が日本的環境と生活の中で意思疎通できていた時代である。

なぜなら基本的にはその土地土地で狭い範囲で生活していたから共通認識ができやすい社会だったのである。
そして時間軸で考えると江戸時代は親の仕事を受け継ぐことが多いから世代間の分離もない社会である。
つまり侍は侍になり農民は農民になり職人ば職人になると親の仕事を受け継ぐから世代間の分離がない、職人でも十代以上もつづくとかそれだけ変わらない社会が基盤としてあった。それが可能なのは社会が江戸時代はあまり変化しないことだったのである。
現代ではもう二代でも仕事は継続されない、めまぐるしく変わってゆくからである。
すると当然世代間の分離が起きてくる。親の仕事を受け継がないのだから親との分離が精神的にも物質的にも起きてくる。
また大家族だったのは農業でもそもそも大家族でしていたからである。
すると家族が会社になっているようなものである。家内工業でもある。
それが土地と結びついているから土地と一体化して分離しないのである。
現代の特徴は何か、それはあらゆることで分離されてしまうことなのである。
家族でも大家族から核家族へ、世代間でも親は親、子は子となり所帯も分離してゆく
仕事もみんな別々であり分離してゆく、そして単身所帯が膨大に増えてゆく
次の世代に継承されないということが書いたがそれは社会の構造が変わりすぎたからである。それは江戸時代と比べると明確になるのである。

意思疎通ができないというときそれは家族内だけではない、家族の世代間でもそうであり故郷という場を共有するものでも意思疎通できにくいのである。
なぜ原発事故で故郷も失い、家族でも簡単に分離したのか?それを探求してきたがそれが原発事故だけに由来するのではない、そもそも家族も故郷も土に根ざした農民社会ではない、みんな会社員である、そしたらその土地に執着する生き方とは違ったものとなる
人間はふでに故郷という土地から分離していたのである。
だから原発事故が契機となっただけでその前からそういう状態にあったから家族も解体して故郷も喪失して分離したとなる。
別に金がもらえるからどこに住んでもいいという状態になっていたのである。
その土地にこだわっているのは農民くらいだとなっていたのである。
それで親が農業の跡など継ぐなとその子供を殴ったというから驚く、それだけ農業は現代では割に合わないものとなっていた。
その人は原発でも働き全国の工事現場で働いた人だった。そして七町あった田んぼはもうないという。

別に人間は意思疎通できないということは常にあった。江戸時代でも職業が違うと神秘的なものになっていたのはそのためである。木地師とか産鉄族は神秘化されるのはその仕事が理解しにくかいらそうなる。
そして江戸時代で意志疎通がしにくいのは空間的なものである。隣の村同士すら空間的に離れていると意志疎通できなくなる、それで隣から麦つきに来た若者が大蛇だったとかなる。何かそうした天狗だとか河童だとか動物とかの妖怪伝説になるのはその人と意志疎通できないからそうなる。明治維新では外人が天狗になったり火山の爆発を起こしたとかまで押しつけられている。そういう異形のものとされるのは意志疎通ができないからであるそういう意志疎通できないことが社会全般に家族でも故郷でも起きているのが現代である原発事故でもそもそも東電の社員のことを原発を放射線のことを知ることなどあっても理解できない、そのことからすでに意志疎通できないものとなっていた。
現代ではそうして意志疎通できないことから様々な問題が起きてくる。
もし意志疎通できていたら原発事故も起こらないしそんな危険なものを土地の人が賛成しないのである。

現代はあらゆることで意志疎通できない社会である。職業も複雑であり無数にありどういう役割をしているのかどんなことをしているのかもわからない、それぞれの職業で意志疎通できない、江戸時代だから家内工業で何でもその土地に根付いてその延長に仕事があり意志疎通できた。今は職業が無数にあり高度に専門家してできない
例えば弁護士がいたとしても医者でも専門用語を使われるともう意志疎通できない、
もちろん放射線のことを言われたら何も意志疎通できない、お前ら素人は何もわからないから何も言うなで終わりなのである。
そうすると専門家の言うなりになり事故も今回のような原発事故も起きてくる。
そもそもそれは政治家でもマスコミでも原発のことなどわからないから金になるからいいというくらいの認識しかもてない、政治家とかマスコミは文系が多いということもある。放射線のことなどわからないのである。ここでも意志疎通ができない、理系と文系では意志疎通ができない、ノーベル賞でニュートリノが中性子がどうのうこうのと言っても理解できるのはまれだろう。科学者と素人は意志疎通できない
それは化学が錬金術からはじまったことでもわかる、何か怪しいことをしている、不気味だとされていたことでもわかる。
その時も一般の人と化学を科学を扱う人は意志疎通できないからそうなっていった。

グローバル社会になるとますます一見物が自由に入ってきて世界が理解できるように思えるけど実際は物が入っているだけであり世界のことを外国人を理解しているわけではない外国人と意志疎通できているかとなるとできない、そしてますます人間は互いに意志疎通できないものとなり他者との共通認識をもつことができなくなる
現実に身近なことでも例えば銀行とは何なのか理解できますか?
何かこの銀行を理解することは本当にむずかしい、銀行は何をしている所なのかわかりにくいのである。ましてや株でもあれ世界経済のことを理解できるのかとなるとできない
江戸時代だったら確かに理解できないもの意志疎通できないものがあったが今の時代とはレベルが違う、現代はますます他者と意志疎通できなくなる時代である。
未来もますます社会は分化してパーツ化して互いに意志疎通ができなくなる
ともかく社会をトータルに理解できないのが現代である。

郷土史は実際はトータルな学問だった。その範囲はあらゆるものに及んでいたのである。だからとても一人でできるものではなかった。地理学であり地質学も科学も関係していたしあらゆる学問が関係するトータルなものだった。
細分化した学問が郷土史ではない、それは自然と人間と全般にかかわるものだったのである。
だからそれを自分なりに追及してきた。郷土史とは人間復活再生の学問である。
なぜならそれは自然と土地とか社会と歴史とかトータルに探求するものだからである。
文化がculture(耕す)というときまさにそうだった。文化の再興は郷土史にあった。
郷土史は全般的なものだから芸術もその中に入る。
しかし今はなぜ文化がないかというと自然に根ざしたアイディンティティが欠落した社会だからである。
つまり詩語が喪失したというときそれを一番物語っていたのである。
経済用語、科学用語、法律用語、、、、しか言葉は使われない、詩語を使う人は異形のものとなりアウトサイダーとなってしまうのである。
自分も山とか石とか樹とか自分の住んでいる土地からも主に追及してきたがそれは理解されない、都会の人に石を理解することはむずかしい。
ただ材料としての石を理解することはできなるが文化としての石を理解することはむずかしい

そもそも田舎と都会人でも意志疎通はできなくなっているのだ。
ビルに囲まれて暮らしている人とはもはや自然のことはわからない、詩語はそこで死んでいてただ数字化した言葉を使っているだけなのである。
それはシュペングラーやニーチェや上野霄里氏などが指摘してきたことである。
アウトサイダー化してゆくのはもうそうした個人でしか一つのトータルな世界観を価値観をもちえない、作りえないからそうなったしまった。
マスコミは大衆の価値観でありそこから真実の価値観は作りえない、だからマスコミに紹介されたり有名なにる人は大衆的価値観の浅薄な人たちである。
新しい文化を創造することはマスコミではできない、大衆はもはや文化を創造できない
大衆と民衆は違う、民衆は文化を作っていたが大衆は作らないからである。
それで文化創造を目指すものはアウトサイダー化するのである。
そしてその人はまさに天狗とか河童とか山姥とか異様なものとされてこれまた大衆とは意志疎通できないものとなる。
まず言葉が通じない、詩語が理解できないからそうなる。
言葉が意志疎通の基礎にあるときその言葉時代が存在感を失っているのはその基盤となるコミニュティとか自然が失われているからである。
それで田舎人と都会人は意志疎通できない、では田舎人が意志疎通できているかとなるとできない、第一次産業に従事しているのは一割にもみたないからである。
その土地に根ざして生きているのではいなやはり会社員がほとんどだからである。
田舎でも隣は何をする人ぞとなってしまっているのである。


タグ:分離る人間

2015年10月12日

現代の課題は先人の残したものを継承すること (原発避難区域では継承するものがいなくなった悲劇)


現代の課題は先人の残したものを継承すること

 
(原発避難区域では継承するものがいなくなった悲劇)


「先代が作ったこの道を守ることが我々の使命」というありきたりの言葉でありますが、私は決して好きではありません。なぜなら先代が作ったものを守るだけなら番頭にやらせればよく、「自分は先代を抜く」という創業ファミリー間のライバル心が生まれないからであります。二代目、三代目がやらなくてはいけないのは先代ができなかったことを見つけ、発掘し、成長させることであります。
http://blog.livedoor.jp/fromvancouver/archives/52393272.html

日本は明治維新が創業者の時代であった。ほとんどの大学が明治に作られた、その創始者は明治時代の人である。
明治に日本の骨格は作られてその延長として大正と昭和があった。
吉田松陰の思想にはすでにアジア侵略の思想があった、それが現実化したのが太平洋戦争である。
歴史は継続だとするとき断絶したものではなく突然に太平洋戦争が起きたわけではない、歴史の継続があり太平洋戦争になった。

日本は今や二代目三代目の継承者の時代であり明治のように創始者の時代ではない、太平洋戦争以後でも高度成長がありすでに二代目三代目の時代に入った。
今まであるものを継承して発展させる時代であり新しいものを作る時代ではない
新しく作るのも大変だが継承することもまたそれなりに能力を必要とする。
それで二代目三代目が失敗するというのはそれだけ受け継ぐこと自体がむずかしいからである。
いかに先代の残したものを受け継ぎ発展させるかがむずかしいのである。
武田信玄でもその子供は継承することに失敗したし織田信長でも秀吉でもその子供には継承されず滅んだ、それだけ継承することもむずかしいからである。

もう現代は新しく何かを作る時代ではない、特にハードの面ではそうである。高度成長時代なら線路を作る道路を作る、箱ものを作る、ビルを建てる、ダムを作るとかインフラ整備に費やされた。日本改造と田中首相が推進した時代である。
そういう時代は終わった、もう過剰になりインフラ事業は無駄だとなった。
農道まで舗装したり無駄な道を作りすぎた、北海道では熊が通るだけだと揶揄されたのもそのためである。
家にしても高度成長時代にみんな家を建ててて空家が全国で800万軒とかいう恐るべき時代になった。
家が空家となり継承されないのである。家というものだけではない実は家とともにあった家族の物的なものと精神的なものも継承されないのである。

この辺では原発事故で村や町自体が人が住まなくなり継承されないのが問題になった。
限界集落でも継承者がいなくなり消滅してゆく危機になっている
今まであった遺産が継承されず消失してゆくという問題になった
原発避難区域ではそうして帰るのは老人だけだとなるときこれも家でも村でも町でも継承されないということが危機なのである。
つまり老人だけが帰っても継承するものがいなくなれば村も町も消滅するのである。
そうすると公務員すら失業するという危機になっている
会社が倒産してゆくと同じなのである。会社が倒産すれば社長は社長でくなる
住民がいなくなれば村も町も公務員も失業してしまう
そして継承されないことは老人だけが帰っても残したものを継承できないことは老人の意味もなくなる。
老人の意味は何かしら家でも精神的なものでも後のものに残すものがあったことで意味と価値が与えられているからである。

それは別に金持ちの家でなくても普通の家でもそういうことが普通にある。
親は苦労して家を建てたとか苦労して何々したとか常に言うからである。
ただ今は別に避難区域だけではない、親の残したものが継承されないことが多い
子供も親から分離して別に家をもち暮らすようになったからである。
そして農業だったら代々土地を受け継ぐものだったがこれも農業では生活できないと跡を継がなくなったから継承ということが行われない
そのために老人の価値とか意味がなくなったのである。
まず避難区域ではもう親であれ先祖の残したものが継承されない、町でも村でも消失しゆく、それは何を意味しているのか?
自分はこうしてここで生きてきたとかもう子供に語れないし語る人もいなくなる

いくら金をもっていても何か財産ではない、その町に村に生きた意味とか価値は失われる原発事故がなければ原発で働いてこの家を建てたということは自慢になっていた。
それももうなくなった。
ある人は若いときから家を建てた、それも相当に苦労して働いて金を残して建てたということを自慢していた。その庭には大きな石で組まれていて見物である。そのことが自慢なのだが子供はそこに住んでいないし妻が死んでその家に一人取り残されて大きな家に住んでいて淋しいというのもわかる
毎日仏壇で妻に手を合わせている、これも継承するものがいないから淋しいとなる
やがては空家となるのか、売られるのか、子供は他に住んでいるからそうなるだろう。
その人が苦労して残して家のことは箱ものとしてあっても苦労したという話は継承されないのである。これはその人だけの問題ではない、自分でもそうであり
空家が全国で800万軒あるということは別に原発の避難区域だけではない問題なのである家族も基本的な一つの歴史だというときそれも継承されないのである。

自分も60代になって親の財産を継承した、これも遅かったが今では長生きだから財産は死んでからしか受け継げないからそういう人も増えている。
そして自分も病気になり悪戦苦闘して家を守らねばならない立場になった。
介護もしなければならない、家事全般をになうことになり大変なことになったのである。そのために財産を奪われことにもなった。
病気になり弱体化したときそれを良いことに攻めてきたのである。
相手も借金とかで追い込まれていたり金がないから攻めてきたのである。
自分に起きたことはまさに六〇代で遅かったが継承することであった。
親の残したものを継承することがそして発展させることが自分の仕事になったのである。これは一身上のことだがこういう継承問題は会社であれ家族であれどこでも起きる問題である。
そして継承するものが能力がないとかふさわしくないとなると親の残したものは無益化するのである。
原発事故がなければその子供もいい暮らしができたのだから親に対して感謝していた。
それが今は反転してマイナスにしか働かないのである。

現代の問題はこの継承するということである。少子高齢化問題も子供に次の世代に継承されないことが問題なのである。
継承して発展させることが課題なのである。先人の残したものが活かされないということが問題なのである。それは国とか会社とか市町村とか大きな範囲でもそうだが個々の家の単位でもそうなのである。
何か先人の残したものを継承してゆくというのが課題なのである。
戦争でもやはりそれを否定だけする面もあるが肯定的にみるとき先人の苦労も報われるということにもなる。
あの戦争はただ無益だったとか否定的な面としてとらえるのが多い、でもまた肯定的にとらえられる面もあった。それも歴史の継承の問題なのである。
だから何を受け継ぎ守り発展するかが問題になっている

[嗣業の土地を相続している娘はだれでも、父方の部族の一族の男と結婚しなければならない。それにより、イスラエルの人々はそれぞれ、父祖伝来の嗣業の土地を相続することができる。]というものでした。(民数記)

ここでは土地を受け継ぐことの方が大事なものとされている。土地に従属するものとして人間がいるから娘も土地を受け継ぐが一族の男と結婚が強いられるとなる
嗣業の土地を大事にしていた。故郷とは嗣業(しぎょう)の土地なのである。
その嗣業(しぎょう)の土地を失うことは何を意味しているのか?
流浪の民となってしまうのだろうか?ただ別に他に土地を買って家を建てた人も多いから原発避難者はそれとも違っているだろう。
ただここで言いたいことは嗣業(しぎょう)を大事にするとういことである。
それを軽んじることは先祖や親でも軽んじることになる

農家では常に言う、先祖から受け継いできた土地だから手放したくないというのは同じ心情なのである。
これは農民的な心情であり今は古いとなるがやはり嗣業(しぎょう)というのもが大事にしていたのは変わらない心情があったのである。
この辺では仕事もなくなりパチンコで毎日遊んでいるというとき漁業とか農業とか林業とかも嗣業(しぎょう)だったのである。
それは神から与えられた仕事だった。その仕事も奪われてギャンブラーになったというのもそのためである。
原発事故で奪われたものはあまりにも大かったのである。
だからといってそれで補償金をもらって遊んで暮らしていればいいとはならない
全然もさえない人がまた多いからである。白河まで除染していたから本当に広範囲な被害だった、その人たちは何ももらっていないからである。

嗣業(しぎょう)
神から受け継いだ賜物、具体的には土地、富など相続財産、占有物を意味しているものと思われます。

あなたは一日無益に過ごしてはならない
今日一日に成すべきことがあり見るべきことがある
それは個々人によって違う
その土地土地によって違う
ただ日々にそこに成すべきことがあり見るべきことがある
その集積が実りとなる、物的にも精神的にも
そして土地土地の文化が形成される
その文化を継承することも嗣業なのである。

現代は常に新しいことを求めて嗣業(しぎょう)が継承されない軽んじられるてきた。
嗣業(しぎょう)というとき文化でもそうである。文化の意味する範囲は広い、食文化もありそれも日本の基本を形成しているが洋食になりそれもないがしろにされたことがある。食文化でもまた継承が問題になるのである。

結局ここすでに十年間が自分は家との格闘だった。未だに家は整理できていない、いかに残されたもの、家でも活用するかである。それが一人なので大変なのである。
つまり自分に与えられた嗣業(しぎょう)がここにあった。
それは他でも必ず受け継ぐ嗣業(しぎょう)がある。それはみんな違っているのである。
それは家だけではない、土地でもそうだし伝統技術とかもそうであり技術の継承も
大きな問題なのである。そういうことが成されないと国でも家でも衰退してゆくのである。あるものを活かすこと先人の残したものを活かすことが嗣業(しぎょう)なのである


タグ:二代目
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2015年10月11日

abstract(express ways)-高速道路


abstract(express ways)

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これは何か現代的抽象的らしい、パソコンからできる抽象画である。
高速道路というのがぴったりである。
高速道路から見える景色も違っていた。これは早すぎるから旅になりくいが乗り物もメデアなのである。
人間はメデアによって道具によってつくづく影響されて新たな創造が生まれる
パソンコとかインターネットがそうである。

これは今までのメデアとはかなり違っている
パソコンやインターネットで表現するのと文章でも本とか紙に書いて表現するのとは違うプログだと毎日書いている、でも同じことを書いていても何か抽象画のように変化している
それはその人なりの思想をもっていてそうなる。
そういう人はまれでありインターネットではなかなか見つからない

だから毎日読むプログが自分では三つくらいしかない、「心に青雲」とdarkness dua とか武田邦彦氏のプログが毎日発信されているから読んでいる
その他は毎日読むとなるとそれだけのものを書くのが容易ではない
だから毎日読むプログはこれだけインターネットに出ていてもないのである。

ともかく抽象画は無限の変化であり変化しない抽象画は死んでいるともなる
次々に変化するときパソコンの抽象画が活きているとなる
ここにだしたのもまた変化しつづけるのである。
それはパソコンのソフトの操作でそうなるからである。
タグ:高速道路

一人一人をみれない施設での介護 (なぜ介護士などが低くみられるのかー仕事の意味が見いだせない)


一人一人を見れない施設での介護

(なぜ介護士などが低くみられるのかー仕事の意味が見いだせない)


母が腰をぶつけて急激に弱った。それは施設では一人一人を見れないからである。
まず弱った母を食堂で四〇分も座らせていたのが辛かった。
今はほとんど寝ているし起きていると辛くなっているからである。
でもそういう一人一人の状態を良く見れないのが施設である。
そして二度と行きたくないと言ったのは風呂に二度も入れられてひどかったという。
三日のショートスティの間に二回は必要なかった。
体を拭くだけでいいんだ、自分の母親は体を拭くだけで風呂には入らなかったと言っていた。というのは自分の母の母は祖母は脳出血で倒れて五〇代くらいで介護になった。
それは大正時代であり今のような介護はない、風呂のサービスもない、オムツもないから藁で便をとっていたとか言っていた。それを見ていてそう言ったのである。

そして施設の人が言うには夜は人手がたりない、昼間はいるけど夜は少ないから手がまわらないとポータブルトイレをベッドの脇に置くのができていなかった。
それで母はとまどって離れた所のポータブルトイレに行くの苦労したのである。
そういうことで腰をぶったのかもしれない、施設にしてみれば人手がたりないのだから一人一人を丁寧にみていられないのである。
人手不足というと大工でも工事関係でもどこでも人手不足で家を建てるのにも何でもこの辺では待っていなければならないとかこの辺では特にそうなっている。
これは全国的に人手不足はあらゆる所で深刻なのである。
建築関係とかでは人が集まらなくて会社がつぶれたとかもある。
今の日本は人手不足で国自体が危機にさらされているともなる

介護士という仕事が何かほとんどは食事の世話とかトイレの世話とか何か機械的に仕事している、風呂に入れれるにも人が多いのだから機械的に芋を洗うようにしているのだろう相手を人間とみているかどうかもわからない、忙しいからいちいち一人一人をみていられない、身体的にもそうだしそれより心になるともう関係ないだろう
このジジババがなんのだ、自分にとってなんなのだ、ただ食事の世話から下の世話をするだけの人となってしまう。
だから介護では何かその仕事に意味を見いだせることはまれになるだろう。
「なぜこのジジ、ババを世話しなければならないのか」というとき金をもらうからしかたがないとなるだけで意味が見いだせない、人間は何でも金だけですべて解決できない
人間は何でも意味を求めているのである。人間は哲学的存在なのである。
あらゆることに哲学が不可欠なのである。
「人間は考える葦」だというときそうである。宇宙であれ地球であれ人間にとって意味を価値を与えられのである。もし人間にとって意味と価値が与えられなければ宇宙も地球もただの物体になってしまうだろう。
宇宙の果てのどこか知らない星には意味も価値もないのである。

家族で介護するときは父であれ母であれその人ととなりを知っているから違っている
自分の介護した姉でも母でもそういう点で違っていた。
母は子供の頃、不幸だった。継母に育てられて不幸だった。
継母に弁当を子供の頃作ってもらったのだが残したら「俺の作ったものを食えねえのか」と投げられたというからひどい、その継母は異常に気が強い女性だったのである。
その女性は最後は施設で盲目となり「悪かったな」と母に言って死んだ。
そういうことを聞いて知っているのと知らないでは接し方も違ってくるが施設ではそういうことを知らないでただ身体だけの世話をしている
その女性がどういう一生を送ったかはわからないのである。

介護は体を直すということはもうできない,ただ死んでゆくのを見守る看取るという仕事である。身体も苦しくなるから楽にするということはあるが老人の介護はその人の一生を看取るということがある。
そこに介護の意味があるとすると若い人にはてかなかむずかしいともなる。
ある程度の人生経験がないとそういうことにはたちいれないだろう
それよりその人のことをまず家族のようにしりえないこたとなのである。
だからただ死んでゆく、用のない人間をみているだけで意味のない生きがいのない仕事だとなってしまう。
そして社会的にもその地位も医者や看護師のようには見られない、一段と低いものとして社会的にも認められていない、そして給料も安いから誰もしたくないとなる

自分も老人だから自分は老人の話を聞くのか好きである。それが郷土史とも関係していたその人の一生は郷土と深く関係している場合が多いからだ。
自分は八〇代の人とからいろいろ話を聞いてそれをプログに書いてきたりした。
ただ人によっていろいろであり話が面白い人とそうでない人がいる。
やはり面白い人はいろいろな経験した人になる
ただ人の経験したことはみんな違っているからそれぞれに興味がある。
これは認知症の人でも変わりがない、昔のことは覚えていて何百回も語りつづけるからである。
姉は従軍看護婦でありそのことを死ぬまで語りつづけていた。
それを千回も聞いたので嫌になってしまったのである。
でも人生で一番印象に残ったことが戦争のことだったからそうなったのである。
介護と郷土史とか関係ないというが郷土史というのはトータルな学問なのである。
郷土全体が対象だから介護とも関係してくる、原発とも関係していた。
津波のことなどその土地の歴史が関係していたのである。

ともかく介護という分野は新しい仕事でありその意味とか社会的に評価がされない
もちろん介護自体が税金の無駄使いだということもある。
そんなものに金を使うのはもう無駄でありその余裕が国にはないというのも言える
例えば一割負担でも五倍とかが国で支払うから施設とかを利用するとその額が大きいものとなるから問題なのである。
でも在宅でもその負担は結局大きくなる。金銭的にもそうであり介護は長くなるからそうなる。
そして家族も核家族しているから一人がみるのが多く負担になる
それで公共的な援助になると金がかかりすぎて若い人の負担にもなる
だから金銭的に介護は無駄となり批判される

それは確かに言える、老人ばかり増えて介護する数が膨大なにるともう税金を使えなくなる、国が破綻しかねない状態になっている
在宅介護にシフトしてもこれもまた負担が大きいから退職して介護に専念すると社会の損失になる。
そういう問題はあるにしろ何か介護自体にもなんにも意味がないということではない
つまり介護士という仕事の意味が問われているということもある。
それはそもそもこれまで介護があったとしてもこれだけ社会的に介護する人数が増えたり医療の発達で寿命が伸びたりしてこういう問題が起きてきたのである。
いつれにしろ何か身体だけの介護をしていたら介護の仕事に意味は見いだせない,ただ便の処理だとか老人自体が汚いものとしか写らないだろう。
でもその人生をみて介護すれば何か意味を見いだす、でもそれは若い人にはむずかしいし向いていないとなる。
だからそうした心を見るのはかえって六〇代くらいの人が向いているとはなる。

テレビで死んだとき介護士と家族が一緒に風呂に入り死者を清めることをしたというのもやはり介護というのが家族とのかかわりが不可欠なためだろう。
介護は本当は家でするものだとすると女性の場合は嫁というように女と家は一体のものになっているからである。男性は社会的役割の方が大事だが女性は家で生きることが多かったからである。
家で生きることに意味があるのが女性だったからである。
----刀自という墓があるけどそれは家事をとりしきった女性のことである。
家と不可分に一体化していたから死んでもそうなったのである。
だから家で死にたいとなるのはわかるが負担が大きすぎる。
ともかく人間というのは何であれ意味を求める哲学的存在なのである。
意味がないことにいくら金をもらっても耐えられないのはそのためである。

神々がシシューポスに課した刑罰は、休みなく岩をころがして、ある山の頂まで運び上げるというものであったが、ひとたび山頂まで達すると、岩はそれ自体の重さでいつも転がり落ちてしまうのであった。無益で希望のない労働ほど恐ろしい懲罰はないと神々が考えたのは、たしかにいくらかはもっともなことであった。

介護とかにはそういうことを感じる仕事だということである。家族すらそう感じることもあるから他人だったら余計にそうなるのである。そこに介護の問題もあった

タグ:介護
posted by 老鶯 at 11:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2015年10月10日

白河の翠楽苑を抽象画にする (日本の庭も抽象画?)


白河の翠楽苑を抽象画にする

(日本の庭も抽象画?)

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翠楽苑

ヨーロッパの庭だと庭園になり幾何学的であり抽象画的である。では日本の庭となると幾何学的とはならないがやはり抽象的なものになっている。
それが自然そのものではなく人工的に作るからそうなる。
自然のままを取り入れても人工的要素があるからそうなる。

京都の庭は竜安寺の庭でもなにを現しているかわからない、それは抽象化しているからである。海を現しているとしてもそれはあくまでイメージであり他のイメージにもなるから抽象画は固定して見られないと同じである。
庭は自然を抽象化した要素がある。

白河の南湖にある翠楽苑は翠(みどり)を楽しむとある、確かに松の翠が多いからそう名付けられた。
これもやはり人工的に作られたものだから何か自然とにていても違う。
それは一幅の絵に治まるように作られた。
自然になるともっと荒々しいものになるがここは穏やかであり荒れることがない
それは南湖でも同じである。

この翠楽苑を抽象化した、翠(みどり)と水がテーマだから適当にアレンジした結果こんなものができた。
翠であり水でありそれを抽象化したらこんなふうだろうとなる。
これも意図的ではない、偶然の結果だった。
ただ翠(みどり)を反映したものができたらとソフトで操作している内に偶然にできたのである。
つまり翠楽苑という人工的庭は抽象化されやすい要素をもっていたのである。
それは自然そのものではない、自然をまねてとりいれて人工化したものだから抽象画的だとなる
抽象画は具象画と違いいくらでも変化が楽しめる、自然も無限の変化のように抽象画も無限の変化なのである。それがパソコンのソフトで可能になったのである。

タグ:翠楽苑

白河の秋の翠楽苑

白河の秋の翠楽苑

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この石の脇に竜胆が咲いていた

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赤とんぼがとまっているのが見える


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秋の翠楽苑

秋水石にひびきて流れ
借景成す松山の緑濃く
広き池に写す深緑の影
二段の滝に四阿屋あり
茶亭の小径の石により
竜胆の咲きて径は分る
蜻蛉一匹静かにとまり
清流絶えず池を満たし
その水の濁らず保ちぬ
秋の午後の日のさして
一服の茶をたまわりぬ
床の間に清楚白菊一輪
水は石に絶えずひびき
松の翠の苑に鎮座する
石と石に日さし暮れぬ

(秋日さしここに静まる松と石)

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抽象化した翠楽苑のロゴマーク




南湖にあった翠楽苑は良く作られている。

「やっとなじんできたんですよ」
「作られていから何年ですか」
「二十年です」

「何か新しいものと思いました、やはりこれだけの庭を造るのには時間がかかりますね」
自然のものは松でも石でもやはり根付くには時間がかかる。
二十年でも真新しい感じである。京都の庭は古いからやはり違っている。
庭というのはなかなか近くで何度も行かないと鑑賞できない
だから京都に行っても庭のことは良くわからないのである。
まず京都自体を知ることはかなりむずかしい、歴史があっても鑑賞することがむずかしいのである。

だから庭は近くにあって四季おりおりに楽しむのがいい、そういう庭は仙台にもないし東北には意外とない、それだけ庭を造るのは苦労なのである。
ここの庭は場所が良かった。借景としてすでに松山がありそこから川のように水が流れるようにした。それが自然の川のように見えるのである。
ここは春は桜で夏は木陰が多いから涼しい感じになり秋は紅葉と楽しめる
花も咲いていて石により竜胆がそちこち咲いていた。

自然を人工化したものだが日本の庭はなるべく自然のままに作る、流れが縦横にあり石橋があり四阿屋があり滝もあり気持がいい、「秋水庵」というのもあり今の季節にぴったりだった。
秋水が石にひびき流れていて気持が良かった。
翠楽苑とは松の翠(みどり)を楽しむ苑のことだった。
確かに松が多く翠が多いのである。

自分でもやりたいのには庭作りだった。これはしかし相当に金がかかるし大財閥でないとできない、この翠楽苑で感じたことはものたりなかったことは大きな石がない、石がそちこちあっても大きな石がない、これだけの庭だったら大きな石があってもいいと思った。そしたら庭に重みをもつ、大きい石といっても隣の家でも大きな石があるし旅館に庭でもあったり結構ある。
ということは別に大きな石は贅沢ではない、立石というかそそりたつ石もない、点々と石はあっても何かポイントになる石がない、それがものたりない感じになった。
ただこの庭もそれなりの庭のイメージがあって設計されて作られた
だから庭にはどんな小さな庭でも個性があるのが不思議なのである。

近くに広い庭をもっている家がある。その庭には何にもない、更地にしている、前は畑にしたりしていたが今は更地であり何にもない、小石だけでもしけばいいと思うがそういう趣味もない、だからいくら土地をもっていても家をもっていても活かされないことがこの世には多いのである
そういうことができる、したい人は土地がない、金がないとかでできないのである。
津波の跡でも更地になったからそこを公園にして大きな庭でも作れば復興にもなる
ただこれもなかなか堤防工事とか先にあるからむずかしいとなる
ともかくあそこの庭にはまた行ってみたい、紅葉になるのは早い、一〇月末にはなっている、一部は写真に写っていたように紅葉になっているからだ。
新幹線だと仙台から白河まで一時間であるが仙台までゆくのに二時間かかるからそこが遠く感じる、それからバスは電車より疲れるのが嫌なのである。

福島県の観光というとやはり白河の小峰城とか二本松城とか会津の城がメインになる。
浜通りには城がないから歴史の観光としては魅力がかける、福島県では観光というと会津であり中通りが中心になる。
小峰城ができたのも十年くらいでありあれは小さいけど効果あったなと思う。
前は何もないとき訪ねたことがっあった。その時のことは印象に残っていない、だから城もやはり石垣だけではものたりないとなる。
ただ会津の城には魅力を感じない、何か平城で新しく博物館のように感じるのだ。
もし戊辰戦争の銃弾の跡とか残っていたら歴史を生々しく感じる。
新しくなると博物館なのかと思う、ただ会津でも七層の黒川城があったら見物だった。
その城は壮観であり会津九〇万石の時代もあったのだから見物だった。
その黒川城が地震で崩れて今の五層の城になったのである。

タグ:白河翠楽苑