2015年11月30日

トヨタ創業一族の御曹司、女子大生に内定と引き換えに肉体関係迫った件で処分 (実質の権力は現代は会社がもっている)


トヨタ創業一族の御曹司、女子大生に内定と引き換えに肉体関係迫った件で処分

(実質の権力は現代は会社がもっている)


トヨタ自動車グループでvZ自動変速機(AT)世界最大手の「アイシン・エィ・ダブリュ(AW)」(愛知県安城市)の男性幹部が、 
就職活動中の女子学生に不適切な関係を迫ったとして、処分を受けたことが同社への取材でわかった。 
この幹部はトヨタグループ創始者の故豊田佐吉氏の兄弟の孫にあたり、すでに退社した。 http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1448778348/


企業の不祥事のニュース、例えば社員が飲酒運転で死亡事故を起こした場合、小さな企業ならそのまま報道されるところを、トヨタのような大企業の場合は、広告費をたくさん出しているので、報道を小さく扱ったり、自動車会社の社員が自動車事故を起こしたことが発覚したら企業イメージに打撃があることを、頼まれなくてもマスコミが自ら企業名を公表することに躊躇し、「会社員が飲酒運転で死亡事故」などの報道になります。


理彰氏と女子大生のやり取りはチャットツール「LINE」上でも「証拠」として残っており、「あなたの能力ではうちの会社には受からないから、私と特別な関係を持てば、親戚扱いにして入社させてやる」といった趣旨の発言をし、嫌がる女子大生に迫っている。そして、その女子大生が断ると、「採用は絶対にない」「友達を紹介してください」といった返事を送っている。強要とみられても仕方ない行為といえるだろう




現代の問題は会社が大きくなりすぎたことである。だからトヨタ王国ともなり東電王国ともなる。
社会の支配者の実質が実際は実業にたずさわるものであり富を産み出すものである。
政治家は仲介者でありかブローカーでありコーデネーターとかなる
政治家は実際は力を権力をもっていない、政治家は選挙で選ばれるからその地位も不安定なのである。それに比べて会社は政治家より長くつづく、東電となればもう電気社会なのだから電気がなければもう社会活動ができくなるから政治家などより力あるとなる
トヨタでも車がなければ社会活動もできないから車が必需品だからともなる
でも車は別に日本のものだけではなくて外国からも買える、それより日本車を売ることによって莫大な利益を得ているから国の経済を支えているのだから国の政策まで左右するし政治家以上の力をもっている


だから原発事故でわかったように東電は市町村を買収して市町村ごと買うほどの力ももっていたことに驚いた。つまり市町村が東電によって買いあげられていたのである。
原発事故以後も国や東電の補償金をあてにして生活が成り立つほかない状態になった。
東電にそれだけ依存した経済になっていたのである。
それは結局電気や車に依存する社会になっていることでありだからこそ東電とかトヨタが国並みの力をもつようになったのである。
そもそも自給自足のような生活のとき炭焼きして都会に頼らないで自力で生活することを誇りとしていた時代があった。
考えてみるとこのことも不思議である。科学技術の時代になると科学技術が権力を作るようになる、テクノクラートが支配者層を作る
「電気がなくなったらどうするんだ」「車がなくなったらどうするんだ」「その車でも火力発電所でも石油がなくなったらどうするんだ、、、」とか脅されることになる
要するに政治家なといなくなっても何にも困らないのである。
誰か代わりがいるしそれは選挙で選ぶものであり政治家が力をもっているわけではない
そして民主党でも電事連とか組合を通じて原発に賛成する立場にあったのである。
これからもわかるように今の社会は政治によって動かされている社会ではない
実質の権力は巨大会社にありそれはグローバル経済になるとアメリカですら国ではなくロックフェラーだとかロスチャイルトとか巨大会社が世界を動かしているとなる
その会社の利益のために国も動かされている、軍需産業ならば国が戦争して武器を売らせてくれとなり必要のない戦争までするように仕向けられるとなると怖いことである。
また金融となると何か株を操作して巨額の金もうけを金融会社でたくらむからそこで戦争までして金もうけしようとするとかそれがユダヤ人だとか言われる、それも一部あっても金融というのは今やそうして国の権力より上にあるからそうなる
そもそもだから今や国とは何かなどわからない、巨大会社の代表なのかとなる


そしてマスメデアは全くこうした巨大企業に支配されている、トヨタでも東電でも湯水のように巨額の金が流れる、そうすると何も批判できないとなる、現実にトヨタのこうした悪質の江戸時代の代官のようなことが現代の民主主義社会で行われていることが暴露されたことでもわかる
でもマスコミでは何にも報道していない、話題にもしないのは宣伝費をもらっているからだとネットでは盛んに言うようになった。
それは東電の原発事故のときもそうだった。ちょうと中国にマスコミの要人を招待していたとき事故が起きたのも因縁だった、何か事故というのは自分も一身上に起きたことを書いたが偶然とも思えないのである。
何か偶然にその時起こったのではなく日頃からそうしたことをしていてマスコミに金を流していたから起きたのである。
そして福島県自体がそうした東電とかに政治家であれ市町村自体がとりこまれていた。
それは東電が金のなる木だったからである。
もちろん福島県の地方紙などは何も批判などはしない、金をもらっているから批判できないのである。要するに現代は何でも金で買収できる、市町村すら買収されていたことに驚いたのである。それだけの権力を東電とかトヨタはもっている、だからトヨタでも名古屋ではトヨタの悪口は言えない、新聞でも言わない、もうトヨタ城下町でありトヨタ王国となっている
それで江戸時代のような代官のようなことができる


巨大権力化すると何か悪いことでも隠蔽できることが問題なのである。東電も前の佐藤知事がプルサーマルで指摘してもとりあわなっかたとかいろいろ隠蔽されていたのである。つまり権力でいくらでも隠蔽できる体質になっていたことが事故につながっていたのである。
庶民はどうにもならないといえばそうだけど庶民自体も金になるからと安易に金だけを求めているからそうなったともいえる。
景気よくなるなら何でもいいとかなっていた。
権力で隠蔽できるということは非常に常に危険になる。悪がとくに巨悪は隠蔽されるとそれがどうなるのか?
最後はそのが戦争になったり巨大事故になったりするから怖いのである。
建設関係でも不正が行われていても隠蔽される、それが名だたる大企業だったから問題になった。
権力が巨大化するとモラルも腐敗してゆく、権力でどうにでもなる、警察なんかも怖くない、権力に従うからだとなる、現実検察は時の権力者に従うからである。
まず社会で権力がないものは訴えることもできない、とりあげることもしない、隠蔽されるのである。
権力というとき実は大会社の幹部に問題なのかとなると組合も恩恵を受けているからそれは民主党支持でありやはり民主党も恩恵を受けている
それで福島県で原発に賛成していたのは民主党であり民主党主導で原発は推進されていたと矛盾があったのである。
自民党の政策を受け継いだの民主党だったのである。渡辺恒三が政治家のボスとして原発を推進させていたのである。


民主主義の最大の問題はこうして巨大な権力をもつものをどうして監視して操作できるのかということである。
創価などのカルト宗教団体でもそうである。それも巨大な権力意外の何もものでもない
だからそこでは悪は隠蔽される、司法とか政治に権力をもち隠蔽させるのである。
マスコミも聖教新聞をすらせて金を流して批判させないのである。
それはあらゆるものが権力をもつことを目指して活動しているからそうなる
それで民主主義社会では宗教の権力をおさえるために政教分離政策が生れた、政治が宗教に支配される、宗教でも権力をもつと宗教ではなくなる、権力を操作することなるからである。もちろんそもそも権力をもって支配しようとするのが目的なのだから当然だとなるそういうことを許していたらまたファシズムとなり庶民がその犠牲になる
でも人間はそうした巨大権力に金でも支配されてゆく、それをどうしたらいいのかとなると最もむずかしい問題になる
現代の権力機構からはじきだされたものはまたそうした権力に頼らざるをえないのであるそれは宗教とは何の関係もない、でも現実社会ではパンの方が大事なのである。
それがカラマーゾフのゾシマ長老が天からふってきたパンより地上でのバンが大事だということを言っていた、つまりそれを実行しているのが政治社会である。
それは自民党でも民主党でも創価でも共産党でも全部政治は現実のパンのことであり天上のことなど関係ないのである。庶民が日々求めているのはそれしかないからである。
まず詩にしてもそれを理解して読む人などほんのわずかなことでもわかる
庶民が求めているのはそういうものではない、文化でもない、日々のパンなのである。
動物でも餌をやればなつくのとにている、高等なものはいらないのである。


民主主義の課題がいかに政治であれ宗教であれ会社であれ組合であれマスコミであれ巨大な権力をもたないようにするか監視して制御できるようにするかである。
それが今もむずかしい、結局原発事故が起きたのはそうした国と東電が一体となり「安全神話」を作りあげたが津波によって悪が暴露された。
それは神の力でしかできないともなっていたのである。なぜならすべてが庶民すらも欲に動かされて原発推進になっていたからである。
それをとめることができるものはなかった。そして津波が起きてその悪が暴露されたのである。
だからそういうことがこれからも起きてくる、もう人間の力ではどうにもならない
神の力が天の力が悪を暴露して悪を滅ぼしてくれなければどうにもならないとなる
権力とは結局サタンなのである。サタンが支配されているこの世だから権力によって支配される
この世は権力によってゆがめられるようにできている
それは人間の欲がそうさせるのである。欲がない人間はいない、トヨタの御曹司でも権力があり欲があるからそういうことが実行するようになる
ただ何にも権力がなかったら人間はそういうことはできない、権力をもつと人間の悪が露骨になるのである。
そして人間は社会ではどうしても権力をもつものともたないものとに分かれる
ただいつまでも権力をもつことはできない、東電の権威は事故で失墜したしまたトヨタ王国でもいつか凋落する、それが権力の運命である。
劇的に権力が崩壊するのは別に大会社だけではない、個々人でも家族でも起きてくる
一家に君臨していた人が突然認知症になり銀行から金もおろせなくなったことには驚いたその時完全に一家を牛耳っていた権力は喪失してしまったのである。
痴呆になったのだからその極端な失墜は驚愕だった、これは老人には起こり安いのであるいくら社会的地位や権力があった人でも認知症になると一転して最悪の弱者になってしまう、だから認知症は恐ろしいのである。
病気になっても頭がわかっていれば権力は維持できるかもしれないが頭がやられるともうすべてを失ってしまうのである。





タグ:トヨタ
posted by 老鶯 at 22:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

我が街の家の墓地への情をつづる (文語体で記す)


我が街の家の墓地への情をつづる

(文語体で記す)


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我が家の近きに墓地あり、その墓地に眠れるは我が父と姉と姉の母なり、次ぎにこの墓に入れるは我が母と我となりしや、ただその後に継ぐものなしも
この墓地の街中の近くにあれば日々我が墓の前を通りぬ、我が墓は道に面してあれば親しく我の通るを死者の見るごとしも、今し秋はすぎ冬となりしも、木の葉は一枚この墓地にひらひらと散りぬる、この墓地の街中にあれどもふるしも、その故の古き碑のあれば知りぬ、古きは宝永(1700)の大きなる石碑なり、これ弘法大師空海の真言宗の碑なり


さらに古きは隣が古代に由来する神社なればここは鹿島神社の領域なり、その後寺になり神宮寺となれり、これは全国的に神社より神宮寺になるもの多し、他に天保の碑あり、これは記されし字を見ればここは寺子屋なりしも、これまた全国に多し、何か暗唱せよという文字の記されてあればなり、天保と言えば明治維新に活躍した吉田松陰、山県有朋、坂本龍馬、,,元勲と言われた人々はみなそうなり
天保が1840年として明治元年が1868年として丁度天保に生れし人が明治に青年となり
重責を担いしなり、それ故に天保は今につづく年なりしを知るべし
天保よりの墓の多くなりしも幕末となりこの頃から豊になりて庶民も墓を作りしためなり
久しくも話もしない、同級生のその家はこの近くにあり、その家の由来を今に知れば古りしも、南北朝時代にさかのぼる古さなり、南北朝時代に霊山から落ち延びた時の祭りお浜下りのおつづら馬という馬につづらをのせたものの役を担う古い家柄なりを知りぬ
その人の街中に住むとなればこの街もまたそれなりに古りしを知りぬ

我が家の墓は新しきものなり、なぜなら我が家は明治か大正時代に今の双葉町の新山より移りすむ、父はそこの酒屋の丁稚にして葛尾村(かつろう)村から出て奉公しぬ。
その後暖簾分けしてここにいたりぬ、明治までさかのほるにしても江戸時代まではさかのぼれぬ新参者の家なり、ただこの街でも我が家の近くの神社に天明の碑あり、天明と言えば相馬藩の大飢饉で三分の一の人口の減りしときなり、そのようにその神社の古しを知らじ、天明は1780年とかになりぬ、天保より一時代前の80年前とかなりぬ
それでもまた天明もさほど遠きにはあらじか、明治より二百年前、今から三百年前、そして慶長津波はそれより百年前なりしも

たいがいの墓地は古く神社も古く江戸時代にさかのぼる、ただここが墓地となりしは明治以降であろう。江戸時代は寺の領域なり、それ故に寺子屋がありその碑があるなり
この墓地の我にとりて親しきは我が父と姉との眠ればなり、父は13才の頃に死ぬもその面影はあり、また姉は最近死ぬ故にその記憶は生々しも、次ぎに入るは我が母なり、余命幾ばくもなし、その後に我も寿命なればいつ死すとも知らじ、故に墓のことの気にかかりぬ我はここ十年介護に追われ遠くに行けず、ただこの狭き街の路地を往き来す、そしてその時必ずこの我が墓のある墓地の前を通りぬ、故に我が墓は親しきものなり

ここに眠れる人はいかなる人や、近くに生きて知る人もあり、同級生もすでにここに葬られてありしも、60代になれば死す人もあり、同じ同級生は脳出血となり一命をとどめしと語りぬ、まことに六〇代は病気の世代なり、必ずやなにかしらの病気のいでくる世代なりそれ故に死はすでに身近なり、両親の今は長生きして我が母の百歳ともなれり、余命幾ばくもなしも次ぎに死すは我なりしも、我が生きるは何故ぞ、我のみの残りて墓参りと供養なるべし、故に母死してもこの墓は我が墓参りと供養のためにありぬ
しかしその後は知らじ、我が生きる限りは墓参りと供養は欠かさじ、近くにあればその前を日々通れば墓は身近にて死者も身近なり、死者とともにあるともなれり


ここに北風は吹き木の葉は舞い散り落葉たまりぬ、この墓地の回りも前は幼稚園がありそれが取り壊されて更地となり次ぎにまた津波や原発被害で復興団地となれり、これは大変化なり、この墓の前はもともと沼地なり、それ故に地盤悪しと建設にたずさわる人の言えり、それが都会のような団地になることに驚く、ここには原発の避難者の小高の人も住めり、この変遷の大きく人の入れ代わりも激しきなり
世は常に変わるとてこれほどに変わることを前もて知るは不可なり、津波にて草茫々となり一軒の家も海岸地帯にはなくなりぬ、この変化はあまりにも無常なりしも
その海岸の村の人は家もなく仮設に住みて同じ場所に住むことなしも


この路地の道の何回か曲がりて行きぬ、晩菊のかたまり咲き日のあびぬ、山茶花の垣根に咲きて道に散り雨しととふりその白さき映えぬ、我はこの道を一人行く、この街の小さくなにもなし、最近この町の本屋も空地となり店もわずかなり、スーパー一軒のみの小さき町なり、ここに用をたすもできず、隣の市に行く、自転車屋すらこの町よりなくなると淋しも、電車は通るも駅舎はあるも二両の電車の相馬市と原町市と往き来す、中に鹿島駅のあれど淋しも、一応無人駅にあらじも乗客も少なく淋し、枯菊の何かにあうもあわれ
秋薔薇も冬となり残る花びらも散りぬれ、寥々と北風の吹く、津波原発事故の後の変わりようは予想だにせざりことなり、ただ我はこの町に生れこの町に生きる、そしてこの町に死するや、その往き来するのは路地裏の道なり

この町に開業医二軒のみなり、前は四軒ほどあり、すぐ近くにもありて往診のあり、我が父は病気のとき良く往診にきて最後を看取りしなり、その医者もなく今は空家なり
そしてもう一軒の町医者の医院も空家となり、その前も日々通りぬれば淋しも
石がありその医院に枯蔦のはいていかにも淋しも、空家となるも多し時代なり、全国にて八〇〇軒の空家ありという時代なり、何か少子高齢化で日本はさびれゆく
その路地の道に一枚の木の葉散りぬ、朝見れば残月のなおかがやく、それは我が母のもはや死なんとするとかさなりぬ景色なり
それで一句作りぬ

残月や木の葉一枚路地の道

この町もしかしにぎやかなる時あり、我が家は駄菓子屋のときあり、子供たちにて活気あり、母は忙しく働き休むことなし、母は大正生まれにて働くことしかなし、何か趣味もなく遊ぶこともなし、しかし子供のときは子供は多くその声は巷に木霊しぬ、町医者も四軒ほどありて忙しき、店も多く活気あり、町はその時活きてありしも、街中に店があり人は買い物をする、今はみなスーパーに行き街中に活気はなし、どこも街中の店はシャッター通りとなりぬ、街自体がなにか空家となる淋しさのあり
墓地もまた街と一体となりてありて活きぬ、墓地もただ死者のみならば活きず、今を生きる人の通いて墓も生きるなり、死者も生きるなり
ああ 我もこの墓地に我が家の墓に眠らむやなればこの墓地の親しきものとなりぬ
四季を通じて我はこの我が家の墓の前と墓地を通りぬ、墓にも墓地にも意味のあるべし
ここに眠れる人々のまたこの町に生きし人たちなり、ただ死者はこの変わりよう知らじ
ただ墓とていつまでもあることなし、墓もまた取り壊されて無縁墓となる時世なり
この世に永遠にあるものはなし、墓も墓地も変わりゆく、しかし我が生きる間しばらくは我が墓と墓地を通りて墓参りと供養のあらむ。
なお我が父と姉とのなおそこに立ちてあらむや、ここを日々我は通りぬ



俳句も写生だが文学でも基本は写生なのである。
空想したとしても実際に起こったことを記すことが歴史であり文学である。
だから写生に忠実だとそれで別に飾らなくても一つの記録となり文学となり歴史となる
それがなぜか現代文より口語体より文語体になると平凡なものでも味わい深いものとなる不思議かある
前にもそういうものを書いて読み直してこれも書いた
これも別に空想ではなく写実文なのである。

やはりある街でも平凡な街でもそこに長く生きることは思い入れができる
だから人は老人は特に簡単に長年暮らしたと土地から離れにくいのである
別にこの土地が街がいいというのではない、長く住んでいる所は人間でも自ずから親しいものとなり一体化してゆく
大都会になるとこういう感情はもていな、あまりにも大きく無機的になり何か書き記すことさえできない
人間が感じ得る範囲は広すぎると人が多すぎてももう人間的に一体化できない
だから大都会に情を感じるということはない、索漠とした世界があるだけになる

ともかく何か書き記すとか語るとかは何か思い入れがあり記して起きたいとなる
それが人間なののだろう。墓地に眠っている人もわからないにしろそれぞれの人生があり今は忘れられ眠っているのである。
いづれにしろ自分に残されたのは墓参りであり墓守となり供養することである。
それもまた人間の勤めなのだろう。
タグ:.墓地

2015年11月29日

木の葉(写生俳句の意味するもの)



木の葉(写生俳句の意味するもの)

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残月や木の葉一枚路地の道

鶏鳴きて朝日昇るや寺の鐘

冬の灯や街中にあれ福祉の湯


はらはらと木の葉一枚我が墓地に散りてここに我も眠らむ

路地裏に雨しととふり山茶花の散りて白しも我が一人ゆく

日々に行く路地裏の道我が墓の前を通りて山茶花白し

街中の菜畑にしとと冬の雨ふりつつあわれ目立たぬ人かな

残月の冬の未明に輝きぬ雲にかくろいまた輝きぬ

秋すぎて駅に散り残る薔薇の花もはや散りなむ我が母も死なむ

庭の石空家に淋しものさびて枯蔦はいて時は時はすぎゆく


写生というとき何か無味乾燥な感じになる、でも写生の意味するものを探求すれは深いものとなる
最近自分の行動範囲は狭い、一万の街の路地裏の道を買い物だとか病院にゆくだとか仮設の食堂にゆくだとかきるりきった平凡な道を往き来するだけである。
だけどそこを写生すれば何か趣深いものがある。

残月や木の葉一枚路地の道

これは最近死にゆく母をテーマにしている、するとなにかそのことにぴったりな俳句だった。
死にゆく母とは残月であり路地裏に一枚の木の葉が散っている
写生はそうして何かそこから深いものを読み取ることに意味がある。
写生はそれぞれ違ったものとして読まれることがある
写生俳句はなるべく主観を入れてはならないのである。

鶏鳴きて海に朝日や寺の鐘

これも全く写生俳句である。鶏が鳴いて海から朝日が昇る、そこに一回だけ寺の鐘がなったのである。
手地は嫌いだけど鐘の音だけがいい、鐘の音はもともと時を告げる時計の役割を果たしていたのである。ゴーンとなるとき何か心落ち着くものがあるのだ。
その寺は山陰の奥まった所にあることはわかっていた。
そこからひびいてきたのである。


短歌となると写生とは違うがやはり写生を基本にしている。ただ現代はもう俳句は短すぎて限界にきている、短歌だと長いからまだ現せるものがある。
俳句はもう短すぎて限界である。でも基本的に写生だということでは変わりがない
写生に専念すれば別に才能がなくてもいいものができる
だから俳句でも上達するのは写生を基本にすべきなのである。

2015年11月28日

犬に引っ張られて津波から助かった人 (動物は危険な場所からすぐに離れる)



犬に引っ張られて津波から助かった人


(動物は危険な場所からすぐに離れる)


病院で患者が話していた。一人の女性は烏崎の人であり実際に津波の被害にあった人である。孫の父親が35才くらいでなくなったとか言っていた。
もう一人は男性であり津波の被害にはあっていない
津波ではよく津波はどんなものかと見に行って津波にのまれたということを聞く
そこで津波のときは海の水がひくということがあった
地震が来て津波が来るとき犬は危険を察して海から離れようとした
人のように海を見に行ったり動物はしない
動物は本能的に危険を察すれば逃げる
人間のように津波がどんなものかなど見に行かない
それで犬に連れられて引っ張られて津波からその人は助かったという


その人がしきりに言うのは老人が多く死んだのは逃げなかったのは
何か家とか物に執着するから逃げなかったという
老人は確かに何か家とか物でもそれを全部捨てて逃げるということに抵抗があった
すくにみんな捨てて逃げることがとっさにできなかった
ただこれは老人だけではないだろう
老人にはなにか家とか物に執着することが強いことは確かである。
それは老人の習性かもしれない、要するに老人はまた動きが鈍いということもある
それで老人の被害が大きかったのか、それよりも老人が現実に多いので割合的に被害が大きくなったとも言える
でもやはり老人が津波など来ないと言って死んだ人が多いことは確かである。
そういう話を結構聞くことは老人が逃げないで死んだ人が多い証拠である

結局動物は危険を察したら一目散に逃げる、何も家ももっていないし何も身につけるものもない、動物は毎日食べるものがあれば満足である。
危険なときに何かもってゆくものもない、ただ身一つで逃げればいい
そういうことで動物は危険をいち早く察して助かるということはあるだろう
津波ではいろいろな教訓を残したことは言える


烏崎村の被害はひどかった、何も残っていない、50人死んだという
その女性の死体に身につけていたもの高価な指輪とかがとられていたという
他にも身につけていたものがとられたと言っていた
まだ金が紙幣が入っている袋などを中学生か高校生が盗ったとして警察に取り上げられたとか何かあったらしい
他にもあのとき混乱していて金目のものを探していた人がいたのかもしれない
大金を拾った人もいたらしい、それは本当だろう
烏の人は漁業もしていたしもともと火力発電所が建ったときも補償があったから金はある人はいた。
だからタンス預金をした人がいた、その女性が言うには香典をもらったばかりのを家に置いていたときそれをなくなっていた、盗まれたと言っていた。
また流されたのもある。磐城の豊間では近くに銀行などなくタンス預金した700万円の金をもって逃げようとして津波にあい流されたとか聞いた。
こういう話は本当なのだろう。


自衛隊がそうした死体を最後まで探していた、それで自衛隊員がそうした金を盗んだことがわかりやめさせられたということも実際にあった。
自衛隊員は泥の中から最後まで死体を探していて苦痛で自殺した人が三人くらいいた。
あのような異常な状態では人間の心理もおかしくなる
ただ人間はどこまでもどんな状態でも欲深い、欲がからんでくる
かわいそうだなと言う人もいるがそこで金目のもの金を探していた人がいたのも事実なのである。
そういことは一身上で自分も経験している
あれほどの被害でもそもそも人間は自分もそうだが自分が被害がなければ無関心になる
人間は相手が苦しんでいても何か自分が被害に合わない限り無関心になる
そししてかえって相手が弱ったとき苦しんでいるときその弱みにつけこみ欲を満たそうとする、それが人間の怖さだった。
そんな状態でも人間の欲が働く、それは死人から髪の毛をぬいた「羅生門」の物語とにている。


このことは別に人間に普通にあることでめずらしくない
そもそも人間が死んだらあとは子供でも遺産争いしかないとかその人について思っていることは財産だけだというのが普通である。
あいつが死んだら金をたんりまりもっているようにだからあの金は誰がもらうのかということが関心の第一になるのが普通である。
人間の欲がそういうふうに無情にさせているのである。
現実に自分が病気になり介護になりそういう時実際に自分もこれと同じことを経験したからである。
相手がどうであれただ金だけが求めてきたからである。
借金している人もそうである。まず借金している人は犯罪の動機になっていることが実に多い、それは別に推理小説だからそうなっているのではない、現実に多いから現実を反映してそうなっているだけである。


まず死人から金目のものはぎとるということは人間の深い欲望の現れであり醜さである。それを生々しく表現したから「羅生門」が名作になったのである。
芥川龍之介は「蜘蛛の糸」でもそういう人間の欲の深さを表現した。
人間は生きている限り欲から離れられないのである。
そして借金のように追い詰められた人間は何でもする、殺人までするようになる
それもまた人間である。だからそうした追い詰められた人間に出会うと犯罪にあうから怖いのである。
余裕のある人間はそんなことはしない、津波で泥の中を金や金目のものを探しには行かない、つくづく人間は余裕がなければみんなそうなる
その人が悪気がなくてもそうなってしまうのが人間なのである。


いづれにしろ津波や原発事故などにまつわる話は尽きない、5年たってもまだ語られないことがあるだろう。そんなに一人一人に聞けないからである。
ただそこで同じようなことを聞けばそういうことは人間の共通した心理だということもわかる。火事場泥棒も常にあり人間の醜さも同時に現れる、ただそういうことはまだ明らかにされていないのである。
タグ:火事場泥棒
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2015年11月27日

人間は意識があるうちは生きている (死に向かう百歳の母)


人間は意識があるうちは生きている


(死に向かう百歳の母)


医者が言うにはもう母は水だけの点滴であり長くはもたないという、それがどのくらいになるのか?
明日なのか一カ月なのかわからない、ただ明らかに血圧が低くなっているから体が弱ってきているからいつ危篤状態になるかわからないという
でもあわずかに目をあけて自分を見つめて二言三言しゃべる、
「掃除しておけ」とか「一人でやれるのか」とか言う、母は異常に掃除とかにこだわる女性だった。
ただ自分のことを心配していること気づかってくれることは驚く
まだ意識がはっきりしている、脳も全くわからない認知症とは違う。
病気がひどくなると人間は意識が朦朧としてきて相手を気づかうなどできない
姉は一回正気にもどりうなづいてそれから一カ月意識不明になった。
意識不明になったとき実際は死んでいたのである。


人間は脳が意識していれば生きている、相手のことが誰かとか何か意識していれば生きている
意識がなくなったとき死んでいるのである。
だから認知症の怖さは脳が病気になって正気を失うことなのである。
正気のままに死ぬのとそうして正気がなくなり死ぬのとは大違いである。
ただ認知症のむずかしさは時々正気にもどるということがある
そして死ぬ間際には正気にもどりやすい不思議がある
だから死ぬ前に姉が正気に一瞬でももどったことは救われたのである。
それで人間は簡単に楽に死なせた方がいいとか言って早く死なせた方がいいとは必ずしもならないのである。
つまり正気であれば脳が意識してわかっていれば生きているからである。


とにかく人間は生きたように死ぬとか人は生きてきたように看取ってゆくとか言うのは人間は生は連続であり死に際になったから特別変わることではない
掃除にこだわっているのも生前もそうだったからである。
どうしてまともに生きてこなかったものはまともな死に方をしないとなる
死ぬときだけ特別にまともになるということはない
ただ死ぬときはやはりどんな人でも何か悟るということはあるがもうその時はすでに時遅しになる
死ぬ間際なって人間は特別変化するわけではない、生の延長として死がある
人間はそうして死のことを特別なこととみるが生きていることを特別なことと見ていないのである。
だから生きることを浪費しつづけているのである。
だから死ぬことが特別のように思うが実際は死も生の延長であり死に方もそうなのだろう
ただ人間は大きな死というかそういうのをほとんど見ない、無惨に体が疲弊して衰弱して心も弱り死んでゆく、何か大きな死を見ない、天地と一体化するような死があったら凄いと思う。
やせ細り衰弱して死んでゆく姿は敗者でしかない、生前どんな地位があり金持ちでもそうなのだ。


いづれにしろ自分の母は心臓が強いから長生きしているという、学校も一日休まなかったとか何か働きづめであり何の楽しみもない人生だった。ただ長生きするために生きてきたのかもしれない、でも長生きすることが人生の目的ではない
その中味なのでてある。百年生きても中味がなかったらただ長く生きた馬齢を重ねたとなってしまうからである。
とにかく自分にとってこの十年間は辛かった。自分自身も病気になりさんざんな目にあっこことを書いてきた。
近くで介護疲れて家に火をつけて義理の母を殺したという事件があった。
夫は入院したとか一人に負担がかけられたからである。
自分も一時は二人を介護したような状態になりパニック状態になった。
その時一人だったから苦しかった。何か介護は一人にまかせられて親戚であれ他の人でも無関心なのである。
一人に負担がかかるから耐えられなくなるのである。
そうなりやすいのが介護なのである。その人も親戚は何もしてくれないと言っていた。


これから介護の事件は次々に起きる、病院は次々に老人が運び込まれる、昨日いたかと思ったら今日はいない、病院は今は長くはいさせられない、あとがひかえているからである何かうーうーと騒いでいても看護師は何も気遣いもしない、何騒いでいるのとか言っている。次々に人が変わればこんなふうに無関心になるのだろう。
だから病院は長くいるべきところではない、でも今はほとんど病院で死ぬ
病院だけでは死にたくないといってもどうにもならない
ただ病院に入ってすぐに死ぬならいい、長くなることが問題なのである。
かといって今介護でも5年とか長くなる、両親だと二人合わせて十年になる
その十年は介護に費やされるのも辛い、二十年という人もいた
自分もつくづく長かった、でも脳出血のようにいちいち食べされるということはなかったその点は楽だった、ただ一人だから辛かった。
ともかくこの十年は津波原発事故だとなんだかんだと災いがつづいた。
こんなことがあるのかと思う、今になると涙もでない、それだけ悲しんだということもある
津波で家族を失った人たちもそうだろう。この辺は自分だけではないみんな災難に見舞われたのである。


逮捕されたのは、南相馬市原町区の自営業手伝い=白川三子容疑者62歳。
三子容疑者は、今月16日の午前6時30分頃自宅に火を放ち同居していた91歳の義理の母親=マツヨさんを殺害した疑いだ。
火事の当日、三子容疑者は「家が燃えている逃げ遅れた人がいる」と自ら消防に通報していたが、警察の調べに「自分が火を付けた」と容疑を認めているという。
三子容疑者は自営業の夫とマツヨさんと3人暮らしだったが、近所の人などによると犯行当時、夫は入院中で、白川容疑者がマツヨさんを介護していて老老介護の状態だったという。

もうこんな事件はめずらしくもない、次々に起こる、すぐ身近だから驚くが珍しくなくなる、それだけ介護は国民的課題になっているのだ。

タグ:死に際
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2015年11月26日

人間は死んでも終わらないが、、、 (家族墓は変わらざるをえないー供養の問題)


人間は死んでも終わらないが、、、

(家族墓は変わらざるをえないー供養の問題)


人間は死んだら終わりだとたいがい思うけど死んでも簡単には終わらない、もう何もなくなるけど死んだ人を愛していればやはり墓参りをして供養をしつづける
でも生前にいい思い出がない人は墓参りすらしない、そして死んでも供養はつづくのである。
生前からのことが死んでも途切れずに死んだ後は供養がつづく
仏教は死と死後にかかわりすぎた宗教であり葬式宗教になった
でもやはり日本人は死後まで供養しつづけることは悪いことではない
戒名とかはいらないしそういうことで金儲けするのが宗教ではない
要するに人間は死んだからといって特別扱いはない
その人の生前が反映されて死後もある
親子でも死んだら財産だけが目当てとなる人は普通にある
それはやはり生前の親の一生が反映している
人間はそんなに死者のことを子供でも普通思わないだろう、死んだら遺産の方が金だとなるのも普通である。


なぜ自分の母の実家の墓は「墓を守ってくれ」と長男になる人が言って死んだけどその原因は父親が事業に失敗して子供に多大な迷惑をかけて一家離散になったからである。
だから墓はあっても守る人がいなくなった。
だから供養もつづかない、なんらかでどうしても無縁墓になってゆくだろう
そこに自分の兄が入っていてもその娘は東京にいて全く墓参りすらする気持もないのである。
ただ死んでも兄の遺産があると思って金だけを要求してきている
これもやはり父であった兄の死によってひどいめにあったからだろう
そういう親であれば子供も心から墓参りとか供養すらしないのである。
自分はそこに複雑な事情があるから墓参りしている
だから子供でも墓参りも供養する気持もない人が結構いるのである。
そもそも墓自体が今は何かわからないことがある


お墓は単なる記念碑であってはなりません。 ご先祖様への敬愛の心と、自分の後にくる世代の繁栄と幸福を願う気持ちがこもっていることがぜひとも必要なのです


墓は一代では終わらない人間の継続の証なのか?それも違っている。なぜなら墓は一家の墓とか明治以前にはなかったからである。
家族墓になったのは明治以降でありそれまでは個人墓であり夫婦墓とかである。
有力な武家でもそれは個人墓であり寺で守ってきた
不思議なのは山田家とか苗字のつく墓はないのである。
だから明治以前に先祖を大事にするということはあるとはいえないのである。
だからそういう考え方も間違っている


ただ人間の心情として親でも誰でもその人を思うとき墓参りをするし供養をするのであるそれは必ずしも先祖と関係しているとは限らない、だいたい先祖といっても祖父母くらいまででありその前になるとあったこともないので何か墓参りでも供養でも架空の人にお参りする感じになるからだ。
だから先祖供養するという観念は明治以降に生れた、その先祖供養でも一家のことではなかったのである。
第一一家といっても家族墓がないからである。
その先祖供養という観念はおそらく村という共同体全体で生れたものであり個々の家族からは生れていないのである。
だから何か先祖供養が家族にのみ限定されてそれを継続することだという考え方は日本人の伝統にはないのである。
まず祖父母からその前になるとほとんどどういう人かもわからないからである。
そのことを強調するようになったのは明治以降でありその時村の共同体から家の共同体に変化したからだろう。
御家大事だというときはそれは武家のことであり庶民にはそんなことはなかったのである江戸時代には姓すらなかったのだから当然だとなる


現代ではそもそも家を継続すること自体がむずかしくなった。代々継続することができるのは少数者だろう。
何かを継続することは大事である。歴史は継続だからである。
でもそれぞれの家を代々継続して先祖を大事にしろというのは明治以降の考え方であり新しい考え方だった。
だからそうした考え方も社会の変化とともにまた変わって当然なのである。
墓がなければ供養ができないのか?それは別に心があれば気持があればできる
墓があっても子供ですら墓参りをする気にならない人もいるし供養もしない人もいる
それは気持がないからである。その気持が影響して形に現れるのでありその前に形を作っても仏作って魂入らずになってしまうのである。


そうはいっても人間というのは何か形になるものがないと供養もしにくいのである。
墓としてあれば供養しやすい、でもその墓も永続はしないのだから墓ばかり作ることが問題になる。
そして供養も孫の代までで知っている人もいなくなるから途絶える
それでも代々つづくならいいがそれもむずかしいとなると墓ばかり増えるのも困る
墓があっても何か卒塔婆のような粗末なものですぐに更地になり変えられるのがいいともなる。
石の墓で立派だと後継ぎがないとそれをかたづけること自体が容易でなくなる
後の人にも迷惑をかけるのである。
要するに墓も社会の変化とともに変わらざるをえないことは確かなのである。
結局家にしろ墓にしろ常に変化する、この世に永遠に残るものなどない
だから無常の世なのである。津波で村自体なくなったとか原発事故で故郷に住めなくなったとか
そうした無常をこの辺では経験した
つまり家であれ墓であれ仮の宿なのである。一時的にあるだけなのがこの世なのである。
家だって一時的なものであり墓も永続はしない、一時的な死人の仮の宿にすぎないのである。
それで孫の代辺りまでは墓参りとか供養がされてもあとはされないの考えるべきである。
先祖代々永続するなどと考えること自体、仏教であれ宗教なら考えない
まずこの世は無常であり仮の宿でありすべてが変わってゆくものと考えるからである。


タグ:家族墓
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2015年11月25日

ギリシャの春の俳句二十句 (海外旅行でもう一度行きたい場所ー海外旅行も危険でしにくくなった)


ギリシャの春の俳句二十句


(海外旅行でもう一度行きたい場所ー海外旅行も危険でしにくくなった)



ギリシャの春俳句二十句

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菜の花やスパルタの故地や一面に

スパルタや今は菜の花に羊かな

スパルタに城壁あれや残る雪

プロボネスその奥深く岩に雪

羊飼い山に上るや芽吹くかな

羊飼いギリシャの古りて春暮れぬ

ギリシャに女神現る春の花

松古りて神殿古りて春の花

神殿の跡に花々春の海

神殿にオリーブの樹や春の風

芥子の花赤く映えるや奥地まで

一本のギリシャの鉄路春の暮

春の日や雪に神々しオリンポス

ゼウス住むオリンポスかな雪閉ざす

ひびき落つ清水や春の岩の山

ドルフィに竜舌蘭や柱古る

島々を船のめぐるや春の海

島古りてギリシャの海や春暮れぬ

老人に露店や貨幣春暮れぬ

greeceeeee1.jpg

菜の花に埋もれたドルフィの神殿

ギリシャの暮らし(ここにいい写真がある)




海外旅行してみてもう一度行きたい所はどこかとなると自分の場合は自然が美しい所だった。
それで春に行ったギリシャが良かったなと回顧する
ギリシャの良さは地形が山あり海あり島ありで日本ともにて変化に富んでいる。
そしてなによりも歴史があるから自然も古色蒼然としたものになる
自然がないところはピラミッドとかあるけど何か茫漠としてまた行きたいと思わない
ギリシャからあれだけの文化が生れたのはやはり自然が多様だということがあった
だから羊飼いがいてポリスが各地に生れ都市文明が生れ船を利用した貿易が生れ
植民都市が作られて繁栄した、そしてギリシャはヨーロッパ文明の基礎を築いたのである山の上に上ってゆく羊飼いを電車の窓から見えたのである。ギリシャの鉄道はしょぼい、日本のローカル鉄道よりしょぼい、それでも鉄道があった。

自然というときオリンボスの山々は荘厳だった。そこに最高神のゼウスが住んでいたことがうなづける。そこは本当に聖域の感じだった。おりしも春でも純白の雪におおわれていた。多々あそこでホテルがあり泊まらないのが失敗だった。
いい場所ではゆっくり見て印象に残すことが大事だった、そういう機会がなくなるからである。
海外旅行というとき一度しか見れないということがあるからだ。
それでヒマラヤでもそうである。春に行ったが曇っていて3000メートルまで苦労して上ったのに8000メートル級の高峰が見えなかった。あれも大損だった。
富士山だった実際見たのが日本にいても少なかった。富士山のきれいに見える場所ではなかったのである。山は高く見える場所がいいのである。
山は見る場所によって全然違ってみえるのである。


自分は高い山に憧れるのは自分の住んでいる所に高い山がないからである。
もう一度行きたいとなるとスイスが高い山があるから行きたいとなる
ヒマラヤも行きたいとなる、あとは自然で感動したのは大きな川である、それは日本にはなかった。
ともかくこれほど日本でもそうだが海外でもそれなりに旅した、海外は10年くらいだったから今だと旅行したとは言えないかもしれない、海外旅行の猛者がいるからである。
自分の人生は旅に費やされたとも言える、だから今になると不思議なのはいながらにしてやはり旅している、自分の魂が全国を外国をやはり旅して放浪しているというのも不思議である
だからこそこうして回想して詩や今回は俳句を作った。
今回のテーマは菜の花だった、ギリシャのプロボネス半島について鉄道に乗ったとき一面に菜の花が咲いていた。菜の花は日本のものかと思ったが外国でも咲いていたのである。これは日本と変わらないと思った。
ギリシャは春に行けば花がきれいである。日本のように湿気がなく乾燥していて雑草も少ないから花の絨毯のようになる。つくづくオリーブの樹が乾燥した所にあっているのもわかった。磐城でオリーブオイルを作るためにオリーブを植えて成長した。
磐城はそれだけ浜通りでもあたたかいからできた。ただ水はけが悪くて苦労したというのはやはり気候が影響するからむずかしい
とにかくギリシャはもう一度行きたいとなる


それにしても日本国内でも海外でも旅行しにくくなった。ギリシャでも経済難でありシリアの騒動でありヒマラヤでもネパールが地震とかで大被害でありテロが怖いとかある。
そしてここ十年は自分の住む場所も津波原発で騒乱状態になり一身上でも介護病気とかでさんざんな目にあった。そこには平和がなくなっていた
観光でも平和でないなら観光どころではなくなる、だから何か自分は幸運だった。
旅すら本当は簡単にできないものだとふりかえる
日本国内すらもうホテルがとれない中国人だらけたとかゆっくり日本の情緒すら味わえないのかとも思う時代である。
そういう時ではなく旅をしたから幸運だったとなる、旅というのも必ずしも簡単にできない、金があってもできない、社長でもできない、社長は忙しいから仕事に追われるからである。、そのうち旅する時間も鳴くなのである。


ともかく人間は時代の影響を受ける、こんなに国内でも自分の住む所でも海外でも変化すると思わなかったからである
10年一昔は本当である。この辺のめまぐるしい変わり方がそうであり外でもそうだったのである。
だから30年くらい平和がつづいたということ自体が特別なことだったのかと思う
自然災害であれ戦争であれそういうものが起きるのが特殊のことではない、平和な時間が意外と持続しないのである。それは対外的にもそうであり一身上でもそうだなとつくづく思った。
回想するたびもまた一つの旅である。これだけ旅したのだから今は回想する旅をしているのも楽しい、その回想する旅をするにはやはりいかに心の中に印象として残されるかが問題なのである。団体旅行は自然に注意するというのがなかなかできない、ぺちゃくちゃ話していると自然が印象に残らないのである。
自然を見ることに集中することが旅には必要なのである。
そうすると回想して旅が後でてきることになる。
自分は一カ月くらい平気で旅していたから回想する旅が今になるとできたともなる


外国を俳句にするのはむずかしい、でも俳句は一つ一つの場面を思い出すのにいい、ただ一句だけでは作品にならない、連作となるとき作品となる、短いから一句だけはもう俳句は成り立たないのである。


ギリシャの旅ー春の俳句十句(ここに自分のとった写真)

ヨーロッパの詩

2015年11月24日

小高の菜種油「浦里の滴」生産販売 (復興になるのか?-地域の特産物を作るのはむずかしい)



小高の菜種油「浦里の滴」生産販売

(復興になるのか?-地域の特産物を作るのはむずかしい)


テレビで放映した菜の花が放射性物質の影響を受けにくいということで田んぼだったところに菜の花にして菜種油をとることにした。
その名前が浦里の滴である。福浦だから浦里になった。
米も試験的に作ったが放射性物質の影響がありうまくいかないとかなった。
そもそも米というのはずっと余っていて困っていた、それで余計に放射能の影響があるとなるとまず売れない、飼料の米とかなるだろうとか言っている
現代の経済は昔のような江戸時代のような自給自足経済ではない、絶えず物がいくらでも全国から世界から入ってくる、だから米がとれなくてもいろいろな米がいくらでも入ってくる、そうすると地元の米というより新潟産だとか秋田産だとか最近は北海道の米がうまいとか全国から米で入り選ぶことになる、農産物は全国的競走の中に否応なくさらされている

それは米だけではない、味噌にしても全国の味噌がスーパーに並ぶ、自分はめんどうだからダシ入れの味噌を使って味噌汁を作っている、地元の味噌も置いてあるが買っていないこれも地元にとって困ったことでもみんなどこでもそうなる
地元が繁栄しないと地元に生きるものにとっては困っても便利だからそうしてしまう
なんか知人が蔵王の米を買ってくれと言われてしかたなく買った、これは義理で買った。一人になると精米したものを一袋とか買った方がいいのだが義理で買う、それがやはり地元に生きるとそういう義理が生れるからどうにもならない


菜種油にしてもこれも別にここだけで作られるものではないしすでに各地で作られているからここだけのものを作ることは最初からむずかしい、だから搾るのできないので前からしている業者に頼むとかなる、自力できない。
菜種油の面白いのはもともと菜種油は江戸時代が広範囲に作られていたのである。
昔は油は食べるためのもんじゃなくて行灯(あんどん)の火に使う貴重品だった。

日本の油についてはここに詳しく説明されている。
「油を売る」とかが

先 生「菜の花の実の菜種を絞って油をとります。油を売る人は,買う人の
器に,ほそぼそと油を注ぐので,注ぎきるまでに時間がかかります。
その途中,なすこともないので,むだ話などをして時間をつぶしていました。」
そんなようすを表した言葉がありましたね。
カメオ"油を売る"という言葉ですね。


今はこんな言葉を使わない、酒でも樽から注いで売っていた時代があった。
そういう不便な時代はかえって人間と人間のコミニケーションが生れる
例えはこの待つという時間が意外と貴重なのである。
電車というとき駅舎がありホームがあり待つ時間が必ずある。それは五分とか待つ時間でもそれが電車である。電車がくるのを待っている、線路が伸びていてそれが何か旅情になる。
自分は電車の旅が長いからこうして電車で待っていることが多かった。
それが今ではなつかしい思い出となっている。
現代はこの待つ時間も失った。まず新幹線だと待つという感覚がなくなる
バスでも飛行機でも待つ感覚が生れないから旅情かないのである。

駅舎に電車を待つや秋薔薇

そのことはさておき。精製したものが白絞油(しらしめゆ)で食用油に
なる。搾り取った油粕は素晴しい肥料になり、肥料になるというのも重要である。
農業で一番苦労しているのが肥料である。鶏糞が安いから肥料にするとか肥料なしで農業は成り立たない、だから菜の花を農家で作りそれを加工して油にしてまたその油粕を肥料にするリサイクルが生れていたのである。
ともかく江戸時代から戦後十年でも自給自足が基本だから無駄にするものはなかった。
ともかくそういう時代は何でも貴重だった、油は特に貴重だった。
そもそも行灯に菜種油を利用したというときその灯自体が貴重なものだった。
それは長く使えば油を多く使うからもったいないとなる。要するに何でももったないとなるのが昔だったのである。
今でも貧乏になると電機を節約したり水を節約したりしている
それと同じ感覚なのだが電機は相当に無駄にしている

油というとき今はオリーブオイルも人気である。それで磐城ではオリーブを作りオリーブオイルを作るのに成功した。緯度が地中海沿岸と同じであり温暖だから適していたという、でも乾燥地帯にできるものだから水はけが悪いのでうまくいかなかったと言っている。外国はヨーロッパとかでも乾燥地帯が多いからそうなる
オリーブはヨーロッパではどこでも作られている、イスラエルのゲッセマネに樹齢千年くらいのオリーブの樹がある

「ゲッセマネの園」に入場した。ゲッセマネとはヘブライ語で油搾りを意味する。昔この辺り一面はオリーブの木が植えられており、オリーブの精製が行われていた場所である

これだけオリーブオイルにも歴史がある。
農業というのはそもそも歴史が長い、工業の歴史とは違う、だから磐城でオリーブの樹を作るのに6年とかかかり油を搾った。そもそも自然相手の仕事は時間がかかるのである。
だからとても簡単に菜種油でも作れないと思う。その土地土地の気候風土も問題になる。その土地独特のものを作ればそれは単に食料とかではなく文化となる。
まさにcultur-cultivate(耕す)ものとなる、農業がそもそも文化だったのである。
農業が自然相手であり文化も土に根ざすから長い時間がかかってできるものでありとても即性的にはできない、そこに農業の問題がある。何か特産物を作れと言っても簡単にできないのである。


それで面白かったのは鶴岡のだだちゃ豆である。

栽培する土地が合わないと風味が落ちてしまうことから、生産地が限られている。収穫期も短く、保存も困難だったため、長らく幻の豆と呼ばれたが、
だだちゃ豆は明治の後期に誕生したとされる。当時の大泉村白山に帰農した士族、森屋藤十郎の娘初が、隣村の寺田から貰い受けた早生種の茶豆の種を畑に植えたところ、なかに晩生で味の良い豆があったため、その種を大切に保存して自分の畑で増やしていき、現在のだだちゃ豆のルーツとなった藤十郎だだちゃを育てたという

だだちゃ豆の種は門外不出!食用のだだちゃ豆とは別に種取り用に栽培して、長年伝えられた味を伝承しています。


農業で大事なのは肥料と種である。この種が高いと趣味で畑をしている人は常に言っている。種がいいものでないといい野菜も作れないのである。
その残された種が貴重でありそれが特産物となったのである。
だから何か簡単にその土地の特産物が作れないし生れないのである。

小高ではその福浦でも家を壊していた、竜田駅前でもリホームするのかと思っていたら家を二軒壊していて更地になった所をここは自分の家があったところだと言って老婆が帰ったりと帰らない人が多い、子供に従うほかないとなり外に出て行く人が多いのである。
この菜種油は一つの復興の希望として作られたのだがこれを売るとなると高くなるし他と競走しなくてはならないとかまたむずかしい。
でも米がとれないとなると一つの復興の希望として託されたのである。

「菜の花や月は東に日は西に」蕪村

山村暮鳥の詩にもいちめんのなのはなという詩がある。菜の花が一面に咲いている風景は日本の風景かと思ったがギリシャに春に行ったときそこも一面の菜の花であり遺跡も菜の花に埋もれていた。ギリシャの遺跡は花に埋もれいるから美しかった。
そこはスパルタのあったペロポネソス半島である。
質実なスパルタと菜の花があっていたかもしれない、他でも菜の花は咲いていたのであるいづれにしろグローバル社会になると世界視野で何でも見なければならない
農業すらそうでありそうなると世界的知識も必要になるがインターネットではそれで役立つのである。
インターネットは知識社会にふさわしいものだったのである。
鶴岡ではテロワールを重視した地域作りをしている。今でも焼き畑をしていたというのは驚きだった。

スパルタの故地に菜の花一面に


テロワール(Terroir)とは、「土地」を意味するフランス語terreから派生した言葉である。もともとはワイン、コーヒー、茶などの品種における、生育地の地理、地勢、気候による特徴をさすフランス語である。

この菜種油のことで名前のことで工夫していたが「浦里」というのは霞ヶ浦とかにありそこも浦里とインターネットにでてくるからまぎらわしい、
やはり今はインターネットで同類のものを探してダブルないような工夫が必要だった
インターネットは年配の人はやらないから情報的には欠けていたとなる

タグ:菜種油
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2015年11月23日

写真はそのままでは映えない (photshopで加工すると映える-その例)


冬の夜明け(海老浜)


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海老の浜

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牛越城



七年の牛越城や薄紅葉

鶏(かけ)鳴きて朝日昇るや海明けぬ

路地裏の道や晩菊今日も見る



海老浜に朝日昇りて冬の朝鶏も鳴きけり暮らしのつづく

はらはらと木の葉一枚我が墓地に散りてここに我も眠らむ

路地裏に雨しととふり山茶花の散りて白しも我が一人ゆく

街中になおかすけくも残る虫余命いくばく病院にゆく


牛越城は七年間で終わった、でも一応城の役割を果たした。それも歴史である。
薄紅葉というと何かにあっている。赤い紅葉として燃えない城だったともなる
それより今年は何か気候が変だ、今頃寒いはずだがなまぬるい風が吹いたりする
寒暖の差も大きい、だから風邪ひいた。何年も風邪をひいた覚えがない、


今日の朝の海老浜に冬の朝日が昇る、松原がなくなったから常に朝日が昇るのが見えるようになった。海老にゆくといつも鶏の鳴く声が聞こえる、それが気持いいのである。
卵産むだけのベルトコンベアーの鶏は自然ではない、ニワトリは庭の鳥なのである。
その時ニワトリは生きている、卵産む機械ではない、ニワトリとして生きているのである
海老村は津波で消失した、そこを発掘している。何が発見されるのか、その発掘した土から昔の津波の跡でも発見すれば大発見になる。400年前に津波が確かに来たという証拠になるだろう。ただそこまでは調べないだろう。

何日か前は雨だった、その時路地裏の道に雨にぬれて白く山茶花が映えていた。
自然は何か一人だと映えるということがある。その白さが心に残る
わやわやと騒いで観光しているのは何か自然に接するには適していないのである。
自然に集中するにはやはり一人がいいのである。


母は死にたい死にたいという、点滴をとってくれとか小便をとる管が嫌だとか看護師が若くて乱暴だとか言っていた。
水しか家で飲まなかったとそのままいたら死んでいた。自分はその方がいいのかなと思っていた。つまり老衰になっていたのである。
また点滴したから生きているけど苦しいともなる
でも家で死なせるのはなかなかむずかしい、なぜ放置していたのだとか怪しまれるだろうまず水も飲めなくなったら死んだ方が楽である。
それにしてもまだ意識が鮮明だということに驚く
物忘れでは明らかに認知症になっていたことはわかっていた。
でも自分が今どういう状態なのかわかっている、それは意識が正常だということである。姉は一カ月間無意識となり目も死んで死んだと同じだった。
母の不思議は百歳でも今でも意識は正常であり自分の状態をわかっていることが不思議なのである。
人間はこれだけ百歳にもなり死ぬ間際まで意識が正常だということはやはり生きているのである。
脳が死ぬと意識がなくなれば人間は死んでいるのである。
ほとんどミイラのようになっているけど意識が正常だから生きているのである。
なぜこんなにまで生きるのかいうのも不思議である。


写真を加工したもの

貧乏になり落ちぶれる日本 (観光で稼ぐのもそのためか)


貧乏になり落ちぶれる日本


(観光で稼ぐのもそのためか)


豊になる条件として

●資源

●技術

●精神力(モラル)


日本をふりかえると明治維新がありそれは評価が定まらないにしろ日本がアジアで先進国に西欧化をいち早くできたことは評価できる、他はみんな植民地になったからである。
中国などはまず欧米に領土まで分割されて植民地化されていたのである。
それはイギリスの阿片戦争からそうなっていた。
でも今や中国がイギリスに原発を建てる、資金も中国から出るのである。
こういうふうに歴史は常に変化している
第一イギリスの鉄道の技術を取り入れたのに日本の鉄道を取り入れるのだからそれも変わったし中国も高速鉄道を売り込むのだからその変化も激しかった。
中国の鉄道が十年前辺りどうなっていたか見ればわかる
中国の鉄道は人間を家畜のように詰め込んで出稼ぎ労働死者を運んでいたのである。
聞いた話ではその乗客を笞で打っていたという、鉄道は流民化した膨大な地方からの労働者を運んでいた。そのエネルギーはすさまじいものだった。
中国はあれだけ人口が多いのだから何かあると流民化する、食いなくなると膨大な流民が発生するのである。
そんな時代は一五六年前だった。それもすでに変わったから時代の変化は早い、十年前とか行ったときは満州里でトヨタを買って乗っているとかあの辺で豊になる人は豊になっていたのである。
約二十年くらいでそれだけ変化したのである。
自分は海外旅行したこともないのに中国を一人旅した、それも50才以降だからひどいめにあったのである。
今になると良く旅できたと不思議に思う。海外旅行で最初に中国にゆくというのは危険だったのである。


そして今中国人が爆買いとかで日本に大量に来ている、日本が観光立国のために外国人を呼ぶ政策をとる、観光で稼ぐというときそれは国に力がなくなったからである。
高度成長時代なら家電が特にテレビなどは日本製が飛ぶように売れた、その時日本の国力は飛躍的に増大したのである。電気製品の基礎となる半導体とかも売れた。
しかし今やそれも中国や韓国が追い上げてきて家電は中国製でもまにあうとなってきた。まだ日本の技術の優位があっても高度成長時代のように日本が一人勝ちとはならない、
するとどうなるか、グローバル経済では何か外国に売れるものを作らないかぎり豊になれない、それが日本にはない、まず資源がない、豊になっている国は投資をしてみればわかる。石油がとれるとか資源のある国である。
中東とかカナダとかオーストラリアとか資源がある国が有力な投資国になっている
まだアメリカが強いのは資源国でありまた軍事力があるためである。
ただアメリカも軍事力とか他にも中国に追い上げられている。
グローバル経済では技術がないときは中国では安い労働力を売っていた。
後進国は今でもそうである。安上がりな労働力を売る他ないからである。
日本が今派遣とかパートとかが安上がりな労働に頼るのはそれだけ日本の経済が衰退しているからである。高度成長時代はみんな正社員であり終身雇用であったからだ。
それが成り立たなくなったのは日本の力が衰退しているからである。


グローバル経済では何か売るものがない限り貧乏になる、日本ではもの作りで家電などを売り込んで豊になっていたのである。
そうした技術力がなくなるときどうなるか、何を売るのかとなる、まだ確かに日本の技術で優れたものがあり売れているものはある、車はまだ売れている
それも高度成長時代のようにな勢いがない、すると衰退国家になってしまう。
グローバル経済を批判してきたが豊になるには現代では世界に売るものがない限り豊になれない、結局フクシマ原発でもみんな豊になるために誘致した。
大熊とかでは塩田があり塩を作って東京に売っていたというから貧しい時代だった。
前は日本は資源がないから東京に資源を売っていた。森林資源があり石炭資源があり常磐炭鉱があり日本全国で炭鉱が資源だったのでありそれで鉄道はまずは石炭を運ぶものとして作られた。北海道の鉄道もそうである。
そして資源を今度は外国から買うようになった。ではその金はどうしたかというと家電など電機製品とか技術力があり外国に売って金を稼ぎ外国の資源を買うようになったのである。


観光立国というとき貧乏な国である。ギリシャはまさに観光で食っていた国である。
ギリシャで買うものは何もない、その風光明媚な自然を見るとか遺跡を見るだけであり買うものがない、日本ではまだ中国人が買っているうということは日本の製品に魅力があるためである。ギリシャが経済危機に陥ったのは観光立国だからであり何も売るものがないからである。ギリシャはヨーロッパの保養地としてあり何か生産しているものがなかったそれで公務員が多くそこに金が使われていた経済危機に陥った
つまり観光だけ食う国は実際は貧乏な国になったということである。
日本も同じなのである。何か売りたくても電気製品でも売れない、何を売るかとなると観光になったのである。さらにアジアの後進国になると女性を売るとまで普通になっていたカンペジアで5ドルで女性を買うとかそういう所が未だある。
そういう所に日本人がたむろしていた。そして今やその逆になった。
日本人か今度は中国人に同じことされる、売るものがないとなればそうなる
それも日本人かさんざんしたことだから因果応報だとなる
そういう変化が現代は激しい時代である。


これからは英語ができないと金にならないというとき観光だと日本人が大勢くるブッダガヤなどでは日本語をぺらぺらにしゃべる人がいた。それは日本人を相手にして金になるからである。
それと同じように外国人を相手にするには英語をしゃべれないと金にならない、そういう人たちは必死になって日本語を学ぶ、なぜなら金になるからである。
何か動機が金になるというとき学校に行かないものでも必死に語学を学ぶとういことがある。語学の才能は学校の勉強しなくても上達する人は上達する。
中国の満州から来た人は三年くらい地方にいて日本語がうまくなった、それも驚いたことである。それだけ日本語がうまくなれば日本が豊なら商売にもなる
英語ができれば金になるから世界で英語を学んでいる、中国ができれば金になるとなれば中国語を勉強するのである。、実益がないと普通人間は熱心にならない、文化とかだけでは普通は一部だけであり熱心にならないのである。
でも英語については武田邦彦氏が言っているように別に英語ができなくても機械に詳しくなれる、英語に精力を費やすより機械を作る仕事の方に若い人は精出すべきだという
それも確かに言える、英語とか外国語が必要となるのは要するに日本の電気製品が売れていればそんなに外国語が英語が必須だなと言わないのである。
世界で技術力が優れていれば英語ができないと通用しないとはならない、技術力で世界に通じればいいことであり英語ができることと技術力は関係ないのである。
観光の分野であれビジネスでも英語が必須だというときそれだけ外国の力が強くなるから英語ができないと商売にならない、特に観光となると外人は日本では英語が通じないから観光で困るとなる、それは日本が観光で人を呼び売るものがないからそうなったのである


ともかく日本人自身が観光しにくくなったなとなる、ビジネスマンすらホテルをとれない、そしてホテル代も上がっている、そうなると日本人自身が旅行しにくい、どこでも中国人だらけだとなると旅情も壊される、だから自分は自由に旅行してきたけど旅行もしにくくなったとなとつくづく思う。
自分は貧乏旅行でいつも安い宿を探すのに四苦八苦していた。どうしても旅行代を節約するのには宿泊代と食費しかない、だから食費はまず千円以上のもの食べていない
自分はこれまで貧乏性でありそういう習慣はなかなかぬけない、外国旅行でもそうだった外国旅行はかえって安い宿が多いから助かったのである。中国などは馬鹿みたいに安い時代だったのである。
まず日本人が日本をゆっくり旅できないということ日本の旅情すら味わえないということは正に日本がギリシャのように落ちぶれたことなのである。
金を稼ぐにはそんな文句を言っていられないからである。
観光で商売するも温泉であれ客が中国人とかになれば日本人より中国人にサービスするようになる、それがグローバル経済社会なのである。

日本が衰退してきているということは

2000億円あっても窮乏するのは盛田英夫が教えてくれている

ソニーの創業者である盛田昭夫はその事業の成功で莫大な資産を残したが、この盛田昭夫の長男が盛田英夫である、この人は場当たり的にその莫大な金を使って事業を起こしてみんな失敗して財産を失った。
こんな人がいるのも驚くがやはり二代目は親の遺産を受け継ぎ発展させることはむずかしい、これだけの遺産があったら何か有効なことができたと思う
そんな人に金を与えても何もできない、消尽するだけだとなる
でも今は何か金があってもでは新しい事業を作り出すことができるのかとなるこれもむずかしい、金があっても必ずしもそれで事業を起こして成功するとは限らないのである。
それを証明したのがこの人だったのかもしれない、ただそこには何の目的もなくその時の思いつきとか場当たり的に金をつぎこんで金を失ったのである。
何か事業にも何かしら理念が必要なのだろう。ただ一山あてようとかでは成功しないだろう。だから事業を起こして成功している人は20人に一人しかいないのである。
この人の失敗の教訓はいくらこれだけの金があっても有効に使えなかったということである。
だから金だけあっても豊にはなれない、むしろ金を産み出すものが必要になる
ソニーの創業者である盛田昭夫氏はそれを産み出したがその息子はただ消尽しただけだとなる


もう一つ日本が衰退するものとして指摘されたのが日本はポルトガルとにている、ボルトガルが衰退したのは海外に出る冒険家的資質が喪失したためだという、それはリスボンの大地震が影響して若者が覇気を失い保守化した、海外に出て冒険しようなどという覇気もなくなっていたからだという、それも今の日本の状態とにている。
若者が第一少子高齢化で少ないこともある。今も若者は明治の若者とかその後の戦前から戦争、戦後の団塊の世代とも違う。その時若者に活力があり若い世代が多い時代だった。団塊の世代でもそうした若い人が多いから活力があった時代である。
子供がわんさとどこでもいて地方でも活気があった時代である。
それは後進国になるとイスラム諸国は若い人が多い、だからその不満も大きいからテロになる、それは逆にそれだけのエネルギーがあり不満が爆発しているとなる
まず日本でもあれだけの戦争をするには若い人が多くてエネルギーがないとできないだろう。その時もどうして戦争になったかというと若い人が働く場を広げるたに戦争になった満州国が建国が戦争の発端だからである。
満州国に開拓民を送りそこに若い人の働く場として提供することが必要だったのである。ということはそれだけ若い人が多いからそうなったのである。
今のような高齢化社会だったらそうはならない、満州のような寒い所には行きたくないとなるし労働力にもならないからである。
老人はもう死ぬだけとなり津波や原発事故で復興がきないのも少子高齢化が影響しているそれはポルトガルとにている、リスボン大地震は今回の東北の津波であり原発事故でありそれは日本の技術力の衰退でもあった。
そして若者が少ないから日本全体の活力がない、老人の医療とか介護に費やされている、国もそうであり金も使われていれば余計に衰退してゆく
では何か日本を活力あるものにするものがあるのか?
それは何かあることは言える、それを見いだし成長させることはありうる
つくづくこの辺でも悲惨な状態になっても希望だけは何か残るいうのは本当だった。
どんなに悲惨な状態でもそこに神は希望を与えているという不思議があるのだ。
だからこそその希望があるからこそ新しい時代は作られてきたのである。



参考にした本

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英語教育と日本の没落(武田邦彦)


これらを編集すると自分なりの文章になっている、今はアマゾンで本を簡単に手に入るから便利である。武田邦彦氏などは理系でありその見方がでているから参考になる
英語が必要かどうかと言ってもいろいろな分野で意見がある
ただなかなか理系の人の言うことはわかりにくいがここはわかりやすいのである。









posted by 老鶯 at 15:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2015年11月22日

人間の見栄の怖さ (世間を脱しなければ見栄からも脱することができない)


人間の見栄の怖さ


(世間を脱しなければ見栄からも脱することができない)



あれよ、スタップ細胞で自殺した人がいたけど責任なんてないんだから 
こういうどうでもいいことに拘るのが自殺者の決定的特徴。 
それは恋愛であったり仕事関係であったりの些細な問題を含む。 
そんなものは蜂に刺されるより痛くないんだから、何故に痛みを求めにいくのだろうか。 

極々小さなプライド、世間体、感情に振り回されているに過ぎない。 
それをノイローゼという。大局に縛られず、小局に縛られる者ほど 
ノイローゼの傾向を持つと言い切れる。 


俺の答えはシンプル。 
自殺の原因は、人間の見栄と、人との関わりだと思う。 

例えば一例をあげると、結婚して、マイホームローン組んで、 
破綻して自殺、 「結婚」も「マイホーム」も糸をたどっていくと結局は「見栄」。 



本当に常に人間社会は見栄の競走である。見栄は様々なものがありそのために死ぬ人までいる、例えば子供でも親は子供を何か自慢したい、自分の子供は優秀だと何か他の親の子供と比べて自慢したい、その見栄の競走は尽きることなくあるしつづいている。
ただ時代によっては様態は変わってきているが本質的には変わりない
見栄などたわいもないものとして無視することもできない、それが世間というものだからである。見栄から脱するには世間から脱するほかないともなる
出家することは世間の見栄から脱することであったことでもわかる。
世間にいる限りもろもろの見栄とか世俗のことにかかわらざるをえないからそうなる


見栄というときだからそれを簡単に無視できないのである。
ある人が大学で一番の美人と結婚したのは博士となり世界保健機構に就職したことを装っていた。毎日出勤していたのである。金は親戚から工面していた。
それが長い間わからなかった、そしてそのことがわかったときその夫は妻と子供を殺して自殺したのである。
その人は優秀でありたいということで装っていたのである。
そこまで極端になるのかと言うが何か人間は極端なところに真実が現れる
これと同じような人を近くで知っている。
その人はある資格で一級の免許をもっているから頭いい人だといつも言われていた。
本当に頭がいいのは確かだった。でも事業をはじめたのが失敗した。
その失敗を隠すためにどうしたかというと借金していたのである。
最近までそのことがわからなかった。自分とも関係していたから怖いことだった
自分の家が苦しいとき病気の時、弱みにつけこんで借金をしてきたからである。
借金してまで自分は成功したのだと装っていた。


たいがい借金している人は常に犯罪者の動機になっている
借金に追い詰められると非常に人間は危険な状態に追い込まれるのである。
もう相手のことなどどうでもいい、金さえとればいいとしかならないのである。
それも人間の見栄からそうなったのだから見栄は恐ろしいのである。
優秀だと言われることに固執するからそうなる
自分の身内でも自分は優秀だと死ぬまで言っていた、でも最後は認知症になったのだから痴呆化したのだから馬鹿になったのでありそれでも自分は優秀だと言って死んだのであるおそらく認知症になって馬鹿になったことを自覚して自分はそんなはずがない、優秀な人間なんだということをかえって言うようになったのかもしれない
ただそんなに優秀だとこだわる心理がわからない、何か自分などはあらゆる点で劣っているから優秀だと一度も思ったことがないからである。
最近やっと詩歌でも何かいいものができているなどは自覚しているが優秀だと思ったことがないのである。だからその心理が理解できないのである。


見栄でもたわいのないものがありそれがその人で終わって他に迷惑とか影響されないならいい、その見栄が他人に甚大な悪影響を及ぼすことが恐ろしいのである。
借金が見栄のためだとしてその借金を他人に要求されて脅迫されたり殺されたりするまでなることが恐ろしいのである。
そんなになるまで借金しなくても手をうてたはずだがその人は自分が優秀だとして通っていたし成功者だとして通っていたから失敗したとは見せられなかった。
おそらくそのことは妻と子供を殺した人のように自分の全存在の否定になるからそうなったともなる。
その人は博士でもないし世界保健機構に就職した訳でもいないし何一つ優秀な所がなかったのである。それがばれたら当然妻にも子供に見捨てられることになるから妻も子供も殺して自殺したのである。


見栄とは自尊心なのだろう、その自尊心が砕かれるから恐怖なのである。
でも人間は宗教的には心理的にはそうした自尊心を一度完膚なきにとりさられるような経験が必要なのである。
それも一つの心の回心となる、宗教は心の回心にあり外見にはない
だから他人からひどいことをされても心の中で許すのも回心である。
そういう心の状態を求めたのが宗教であり外見ではない、だから本当の宗教者は外見にごたわらない、でも世間では常に外見にこだわっているのだ
その外見が見栄なのである。
どんなに家に住んでいるとか、あいつのもっている車は俺より安いとか何か比べて優越感をもつのである。
大学なども会社でも何か世間的評価がありそれが見栄ともなる
社会にでてからも学歴にこだわるのも異常である。でも世間の評価はその人の実質もっているものなどわからないから外見とか学歴とかで判断してしまうのである。


人間は自ら高くするとき卑(ひ)くくされる、だから地位とか何か金持ちでもどうしても高慢になる。自ら高くするから卑(ひ)くくされるのである
地位ある人や金持ちの危険はそこにある、そんなことを意識しなけど心の修行としては危険な状態にある、自分は偉いんだとどうしてもなりその地位や権力にこだわるからであるそれも結局一時的なものであってもそうなのである。
誰も貧乏になりたくないし貧乏になることをすすめているのではない、貧乏というのもまた人間を相当にゆがめてしまう、特に金がこれだけ力をもつと普通にみんなそうなっている。金さえあれば何でもかなうとかなる時代である。
そういう中で貧乏も人間をゆがめる、今は清貧などありえないのである。
最低限の生活を維持するのにも金がかかるからである。清水を飲み裏山の薪でご飯たくなどできないからである。
だからあえて貧乏を求めるのは今では変人になるのである。テレビでそうした人を話題にするのは貧乏は普通と今は違うから注目される
昔はみんなそういう貧乏な暮らしだったけどその貧乏に注目していた人はいない
みんな貧乏だったらみなん同じだとなり変わってもいない普通だから注目しないのであるテレビでは不幸が楽しみとして提供されているのである。
幸せな家族の風景を放送しても誰も注目しないのである。
事件とか犯罪とかともかく変わったことなら注目されるから放送するのである。
それをみんなが要求しているから放送するのである。


だから別に事業に失敗しても世間から見放されても宗教的に心からみればそれですべて終わりだとか自殺するまでもないのである。
そこで世間はどういうものか知れば回心につながる
優秀なとき金があるときは世間の人はほめたりして寄ってきたが一旦失敗するともう誰もよってこない、これが世間の正体だとか悟るかもしれないからだ
でもその前に自殺したり犯罪になるのが多いのである。
つまりこの世に生きるということ自体すでに世間から離れてありえないとするとき
見栄からも離れられない、そしてその見栄が自分だけですむならいいが必ず家族であれ他人に悪影響を及ぼす、殺される人間だっているのだから世間は怖いとなる。
自分は隠者だったから世間とかかわらないから長い間世間を知らずにすんだから良かったのである。それも家庭環境が特殊だからそうなっていたのである。
ほとんど世間と交わらずにすんでいたのである。


ともかくインターネットにはいろいろな実生活の経験を語るものがあるから有名人でなくても示唆に富むものがある。人間の経験が極限られたものであり一体それぞれがどんな仕事をして何を感じているからわからない、そうした個々の経験から語るものが誰でももっているのでインターネットは何か今までとは違ったメデアなのである。
確かに大局的に生きれば小さいことはどうでもよくなる、現代は仕事でも細分化されてもう全体が見えない、全体に機能するものがない、仕事だって金を稼ぐだけだとかなっている
戦争は否定されるにしても日本が世界を導くのだとかなるとそのために生死をかけるとなるとまずそんな小さなことにいちいちこだわらなくなるのである。
そういうものがなくなったから小さなことにこだわりそれが人間の生活のすべてだとなってしまうのである。









タグ:見栄

2015年11月21日

冬の夜明け(海老浜)


冬の夜明け(海老浜)


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海老の浜

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牛越城



七年の牛越城や薄紅葉

鶏(かけ)鳴きて朝日昇るや海明けぬ

路地裏の道や晩菊今日も見る



海老浜に朝日昇りて冬の朝鶏も鳴きけり暮らしのつづく

はらはらと木の葉一枚我が墓地に散りてここに我も眠らむ

路地裏に雨しととふり山茶花の散りて白しも我が一人ゆく

街中になおかすけくも残る虫余命いくばく病院にゆく


牛越城は七年間で終わった、でも一応城の役割を果たした。それも歴史である。
薄紅葉というと何かにあっている。赤い紅葉として燃えない城だったともなる
それより今年は何か気候が変だ、今頃寒いはずだがなまぬるい風が吹いたりする
寒暖の差も大きい、だから風邪ひいた。何年も風邪をひいた覚えがない、


今日の朝の海老浜に冬の朝日が昇る、松原がなくなったから常に朝日が昇るのが見えるようになった。海老にゆくといつも鶏の鳴く声が聞こえる、それが気持いいのである。
卵産むだけのベルトコンベアーの鶏は自然ではない、ニワトリは庭の鳥なのである。
その時ニワトリは生きている、卵産む機械ではない、ニワトリとして生きているのである
海老村は津波で消失した、そこを発掘している。何が発見されるのか、その発掘した土から昔の津波の跡でも発見すれば大発見になる。400年前に津波が確かに来たという証拠になるだろう。ただそこまでは調べないだろう。

何日か前は雨だった、その時路地裏の道に雨にぬれて白く山茶花が映えていた。
自然は何か一人だと映えるということがある。その白さが心に残る
わやわやと騒いで観光しているのは何か自然に接するには適していないのである。
自然に集中するにはやはり一人がいいのである。


母は死にたい死にたいという、点滴をとってくれとか小便をとる管が嫌だとか看護師が若くて乱暴だとか言っていた。
水しか家で飲まなかったとそのままいたら死んでいた。自分はその方がいいのかなと思っていた。つまり老衰になっていたのである。
また点滴したから生きているけど苦しいともなる
でも家で死なせるのはなかなかむずかしい、なぜ放置していたのだとか怪しまれるだろうまず水も飲めなくなったら死んだ方が楽である。
それにしてもまだ意識が鮮明だということに驚く
物忘れでは明らかに認知症になっていたことはわかっていた。
でも自分が今どういう状態なのかわかっている、それは意識が正常だということである。姉は一カ月間無意識となり目も死んで死んだと同じだった。
母の不思議は百歳でも今でも意識は正常であり自分の状態をわかっていることが不思議なのである。
人間はこれだけ百歳にもなり死ぬ間際まで意識が正常だということはやはり生きているのである。
脳が死ぬと意識がなくなれば人間は死んでいるのである。
ほとんどミイラのようになっているけど意識が正常だから生きているのである。
なぜこんなにまで生きるのかいうのも不思議である。

タグ:海老浜

2015年11月20日

平景政(鎌倉)までたどれる只野氏の由来 (奈良の三輪山に野馬追いの杉紋は由来している)


平景政(鎌倉)までたどれる只野氏の由来

(奈良の三輪山に野馬追いの杉紋は由来している)

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鎌倉景政(平景政)は、桓武平氏の流れをくむ平安時代後期の武将で、鎌倉地域を領有していたことから鎌倉氏を称しました。新吉田一帯も景政の領地であったといいます。景政は八幡太郎源義家に仕えて、16歳の時に後三年の役(1083〜87年)に従軍しますが、右目を矢で射られました。『港北百話』によると、傷ついた景政は馬で運ばれて帰ってきましたが、吉田村で亡くなります。

片目で思い起こされるのが、製鉄・鍛冶の神、天目一箇神(あめのまひとつのかみ)です。
産鉄民が祀る鍛冶神は片目、一本足に特徴があります。それは、片方の目で赤く燃える炉内を見続けることでその視力を失い、長い時間鞴(ふいご)を踏むことから足が萎えるなどの欠陥を引き起こすからでした。

ここまで見て、景政の最終居住地が由井の里とされる理由も明らかになります。由井の民は産鉄・鍛冶の特殊技能民だったところから片目の景政と結び付いて、景政が由井の里に居を構えたと言う伝承が形成されたのです。由井の里、坂ノ下、甘縄と地域がばらばらなのは無理に話をこじつけたからそうなったのでしょう。


義家公の御家来である鎌倉権五郎景政の伝説も多く、役の後にこの地を治め善政をしいたと伝えられ、逢瀬町多田野の鎮守「多田野本神社」では、権五郎景政を御霊として祀り、「御霊櫃峠」の名の由来にもなっています。


桓武平氏三浦氏族という油井(由比氏)。

河国庵原郡由比から発祥した藤原南家為憲流或いは大宅氏族、桓武平氏三浦氏族という油井(由比氏)

仙台藩士は恐らく岩代国安達郡油井村発祥。


杉紋を用いる代表家は、大和の大神神社関係の家である。中心はその祖神から出た大神氏である。一名大三輪とも書き、オオカミ・オオガとも呼称する。この後裔に、豊後の緒形氏がある。緒形氏の後裔に幕末の緒方洪庵が出ている。この緒方家も杉紋を用いている。
 穂積氏流の鈴木氏、清和源氏流の新見・上林・小島の諸氏、藤原氏流の本多・有馬・岩瀬・杉浦・戸川の諸氏が杉紋を用いた。さらに酒に関係した家でもこれを用いている。 


 古事記では玉依姫は神武天皇のお母さんと言う事になっています。
このような伝承もあって万葉集にも「旨酒を三輪の神主が斎ふ杉、手ふれし罪か君に逢い難き」と歌われています。
毎年十一月十四日醸造安全祈願祭りが開催されています(酒祭り)。
杉の葉で作られたしるしの杉玉を作り酒屋さんは貰い受けて新酒の醸造に入るという古い慣わしです。
大神神社は古神道の様式を最も良く残している神社といえます。

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柳田国男の目一つ五郎という中に景政のことがでている。この武将は鎌倉では有名であるそれは源氏来る前から力をもっていた武将である。
鎌倉の武将が関東から東北に移住して先祖になったのが多い。南相馬市の鹿島区の屋形の岩松氏もそうである。それは東北全般でそうである。鎌倉幕府によって平泉の藤原氏が滅ぼされたときから関東武士が東北に進出して先祖になったのが多いのである。
だから東北で先祖がはっきりしているのは鎌倉時代からでありその前となると明確に残っているのはまれであり伝説になる。南相馬市でも岩松氏が一番古く原町の新田とか飯館村の方まで支配地があった、それだけ広い領域を最初に鎌倉から来た岩松氏が支配していたのである。

それは他でも同じであり景政伝説があるのは御霊神社があるのはそのためである。
上杉謙信まで景政の御霊を祀っていたのである。広範囲に景政の伝説が広がりその御霊が祀られていた。

謙信の母は古志長尾家の出自で、姉は上田長尾家の政景の妻であった

景政の御霊が祀られたのはこういう経過があった。

そして奥州二本松領の多田野村において、御霊を祀ったのも長尾氏だった。
只野油井などの苗字に分かれて今も栄えている

ここに只野油井がでてくる。油井という地名は鎌倉にあり油井を姓にする人もでてくる。不思議なのは岩代国安達郡油井村がある、これはどういう経過で名前となったのか?
只野油井という姓は多田野村からでている、名前はなぜ油井なのか?それは鎌倉の地からでていることは間違いない、前に飯館村の大倉が岩松氏と関係して名付けられたと書いた鎌倉に大倉郷とかあり同じような名付け方をするということはありうる、鎌倉山などもそうだろう。つまり全国になぜ同じような同類の地名が多いのかというと人間の移動ととも地名もあり、アイヌ地名などと違い伝播性が強いのである。
地名にすくときどうしても自分が住んでいた土地の名とにたよう名づけかたをするし油井は姓が移動して地名化したともなる


南北朝の大乱の時に鎌倉に由来する武士の末裔も南朝と北朝に分かれ争った。そして只野油井とは何か二つの氏族が合体したものかもしれない。そういうことは古代からあった。昔の姓名は今とは違って個人のものではなく一族を現していたからである。
ともかく相馬氏一族でも鎌倉時代までたどれる武士の末裔はまれだろう。
南相馬市では岩松氏のことは一族皆殺しにされたことで伝説化して伝えられてきたのである。その子孫もはっきりしているし殺した子孫も現実に生きているということである。
だから意外と500年たってもこのことは生々しいのである。あいつが主君を殺した末裔かとまで今もなっている、そしてそのために姓を変えたということもわかっているからそれも無駄だったのである。
一方で400年前の慶長津波のことは一行700人溺死としか記されていないのである。
こっちの方が重大であっても記されていない謎なのである。
確かに岩松氏は悲劇だったけど700人津波で死んだ方が大惨事だったはずなのに記されていないのである。


野馬追いの旗というとその由来をたどれば戦国時代だけではない、南北朝時代から鎌倉時代からその前からも由来しているのがある、それは関西の方にその由来をたどることができる、第一杉紋は奈良の三輪山に由来していた。三輪神社の氏子から広がった門なのである。そうなると奈良時代からはじまり関西に広まり関東に広がり鎌倉時代に伝わったとなる。
そして万葉集とも関係したというからそれはまるで日本の歴史だったとなる。
只野氏からたどれるのはまさに日本の歴史である。杉紋の旗印からたどる歴史は日本の歴史だとなる。
東北では南相馬市の鹿島区の真野の草原の万葉の歌は有名である。でもこれは奈良から歌われたものであり具体的に一族の歴史としてたどることはできない
只野氏の場合は連綿とつながる氏族の歴史からたどれるから違っている

「旨酒を三輪の神主が斎ふ杉、手ふれし罪か君に逢い難き」

酒と関係したことは酒作りも鎌倉から伝えられたのだろう。原町の泉長者も酒で財を成した伝説が残っている。酒というのは江戸時代からそのあとも日本で大きな産業であり酒作りの家が長者になっているのはいくらでもあるし街の中心が酒屋だった、それは双葉の前の長塚の富沢酒店でもそうだったのである。自分の家も実はその近くの酒屋の暖簾分け支店だったのである。
万葉集までたどれる歴史がすぐ近くの只野氏からたどれる、だいたい東北ではそうした古い歴史をたどるのがなかなかできない、関西辺りだとそういうものが普通にある。
東北ではたどりにくいのである。自分の家は葛尾村の柏原から出たことはわかったがそれ以上はたどれない、鎌倉時代までその前までたどれるのはこの辺では非常に少ないだろ。う、それでも野馬追いの旗というのは鎌倉時代からその前からも由来したものがあり
それがほとんどわからない、どうししてその家でその旗印になっているのかわからないのである。
そもそも野馬追いが旗祭りだというときその由来を知らないと歴史がわからない、その解明ができない、今回はたまたま同級生が口伝として伝えたもので興味をもち杉紋というのが奈良の三輪山に由来していることがわかり一つの日本の歴史をここに実感したのである。



タグ:景政
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2015年11月19日

南相馬市鹿島区に多い只野(但野)氏の謎 (お浜下りの祭りのおつづら馬の話ー野馬追いの旗印は杉紋)


南相馬市鹿島区に多い只野(但野)氏の謎

(お浜下りの祭りのおつづら馬の話ー野馬追いの旗印は杉紋)

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 南相馬市鹿島区日吉神社(ひよしじんじゃ)のお浜下り(はまおり)は、12年に1度の申年(さるどし)の4月に行われます。神輿(みこし)の行列に、宝財踊り(ほうさいおどり)、手踊り(ておどり)、神楽(かぐら)などの組々が奉納(ほうのう)します


只野が関連姓でありルーツ。現山形県の広域である羽前、現福島県西半部である岩代国安積郡(多田野村)只野村が起源(ルーツ)である、桓武天皇の子孫で平の姓を賜った家系である平氏(桓武平氏)鎌倉氏流。仙台藩の士族は清和天皇の子孫で源姓を賜った氏(清和源氏)和賀氏流。近年、福島県相馬郡鹿島町に多数みられる。

只の(普通の)野原という意味。

岩代国(陸奥国)安積郡只野村をルーツとする。

宮城県の只野家:仙台藩の重臣。もとは毒沢氏を称して和賀氏に従っていたが、江戸時代の初めに伊達氏に仕え、仙台藩士となる。



同級生の只野(但野)氏についての由来を聞いて不思議だった。
同じ鹿島町の街内に住んでいてその家の由来を語った。有名な真野のお浜下りに「つづら馬」というのがある。つづら馬とは馬につづらをのせて荷物を運んだ。
霊山城で南朝が滅んだとき落ち延びたことを由来にした祭りなことは知られている。
それは真野の中館に落ち延びたのは桑折氏であり桑折氏が田中城の城主でありのちに伊達氏などがかかわり攻防があって相馬氏が支配することになった。
鹿島町は鹿島神社から起きていることは古代の歴史でもわかっている。
古代から鹿島神社はあった。でも中世とかなると鹿島神社がある場所が中心ではない
田中城とか真野の江垂(えたり)の中館が中心である。
その前に鎌倉から来た屋形に館をかまえた岩松氏が飯館から原町の新田とか広く支配したのである。それで鹿島町内に御前内とかその奥方が住んだ場所が伝えられるのはそのためである。


只野(但野氏)はではいつ頃からこの地に来たのか?その姓の由来は郡山の古代の安積郷の多田野村なことは確かである。
その多田野に由来して只野(但野)になったのだがそれがどうしてここに移住したのか?
鎌倉時代に由来をもつというけど史書に残されたのは霊山城が滅びたとき落ち延びた一団の中に只野氏がいた。
でも史書に残されているのは桑折氏が中心なのである。只野氏が中心ではない。
それでも盛んにつづら馬のことをいい自分の家ではそれを代々になっていてお浜下りの祭りの中心だったようなことを言っていた。
それは大学で調べに来た人もそのことを記したという。
只野氏がつづら馬を祭りで担当していることは確かである、でも史書では桑折氏が中心である。只野氏は史書にもでてこない。
ただ最初に霊山城が滅びて移住した場所が真野の中館ではなく平地の今の鹿島町内辺りだったのだろうか?
すでにここは鎌倉からきた岩松氏の妻とかが住んでいて御前内という地名が残っているからだ。
それから田中城は町内から離れたところにありそこは湿地帯であり自然の堀になっていて防御するにいい場所だった。湿地帯を利用して城を築いていたのである。
そこまでは今回の津波でも津波は来なかったのである。その近くまで津波が来たことには驚いた。
つまり田中城を築いたのは岩松氏のあとにその離れた湿地帯を利用して防御にいいから作った。


只野氏がお浜下りでつづら馬で中心的役割を果たしたとはいえないだろう。
史書にも残されていないとなるとそうなる、つづら馬という役割をになわされたのは荷物を積んで逃れた役割を果たしたからだろう。
ただ只野氏はなぜ鹿島区にこれほど多いのか他に福島県ではまれでありこの地域だけに多い、近くにも只野の姓の人が住んでいるし本当に鹿島区に多いのである。
只野氏がこんなに多いのはなぜかとなるとそれも謎だが子孫が繁栄したとなる
とにかく南北朝の動乱は全国的にありその時勝者と敗者にも分かれ落ち延びた武者がどこにでもいてその人たちが土着していった歴史がある。
郡山の安積の多田野村から南朝勢に加わり霊山城が滅びて只野氏の一団もおちのびて鹿島に来た。桑折氏が中心だが今の鹿島の街内は只野氏が住んだ。その後子孫が繁栄したとなるのか?
これはまだまだ謎であり何か只野氏の一団は入とか何か一つの文字を共有して結束していた。分かれるときその文字を記して分かれたとういう、その字は良くわからないがそういう話が伝えられていること自体、まさに口碑であり口伝だということで歴史の再発見がある。
実際人間はつくづく灯台下暮らしであり自分の住んでいる一番身近な歴史とかでも人についてもわからないという不思議があるのである。
日本の歴史とか世界の歴史とかに詳しくてその郷土の足元の歴史を知らない人が実に多いのである。その一人が自分でもあった。
屋形にある慶長津波の前の田中城主だった相馬氏の墓を知っている人はまれである。
案内板に書いてあるけど地元の人すら知らないしまた鹿島街内にそれもすぐ近くの神社に天明の碑がありまた自分の街内の墓地に安永や天保の碑があることも注目されていないのである。つまり自分の住んでいる街についての歴史を知らないということである。


三輪山をご神体とする大和の三輪神社の杉は、『日本書記』や『万葉集』に神杉として記されており、 「わがいほは 三輪の山もと 恋しくば とぶらい来ませ 杉たてる門」という歌が『古今集』にのっている。三輪神社は大神(オオミワ)神社ともいい酒の神様として親しまれ、「三本杉」が神紋である。神酒(ミワ)神社から求めた杉葉で作った鞠状の飾り(杉玉・酒林)が、むかしから酒屋の看板となっている。

只野氏の野馬追いの旗印は杉紋である。これの由来は三輪山に由来している、なぜこの三輪山に由来したものを野馬追いの旗印にしているのか?
ただ郡山の多田野村から南北朝の騒乱の時に移住したというときその紋が只野氏の紋となっていた。でもこの紋にするにはそれなたの由来があるはずである。
でも野馬追いの旗印は3000とかあるのにわからないのが多いのである。
只野氏のこの杉の紋は小池、岡和田、横手に多い、この辺に只野氏一族が勢力を広めた。
でもそもそも只野氏がなぜ南北朝に由来するお浜下りの祭りのつづら馬をになうようになったのか?
只野氏はほとんど史書には記されていない、それはなぜなのだろう
ただお浜下りの祭りのつづら馬をになっているとなると重要な一族だったはずである。
はっきりしているのは杉紋を野馬追いの旗印に採用していたことなのである。
これは明確な由来があって採用していた。
三輪山の神社と関係している何かがあったとなる
相馬野馬追いというと相馬氏の祭りでもそこに南北朝の騒乱の中で落ち延びた武士がいてそのあとにその家由来のものもを旗印とした。
だから相馬氏でもいろいろな一族がまじりあっている。山王とかの旗印も南北朝由来のものである。
野馬追いの旗印を由来を知るには南北朝からもその前の鎌倉時代からもつづいているからわかりにくいのである。



タグ:杉紋
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2015年11月18日

最近面白い30年前とかの推理ドラマ (請戸、夜ノ森駅、相馬港、塩釜を舞台にしていた)


最近面白い30年前とかの推理ドラマ


(請戸、夜ノ森駅、相馬港、塩釜を舞台にしていた)

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5年ちかく時がここでとまっている


1号機沸騰水型軽水炉 (BWR-3)Mark-11971年3月26日46.0万kWGEGEGE約390億円

最近40年前とかの推理ドラマをBSで放映している。今回は請戸中心を中心にして塩釜まで舞台が広がっている、これになぜ興味を持ったかというと津波でこの辺は大被害を受けたからである。そもそももう請戸港は壊滅して何もないし立ち入り禁止区域にもなっている原発ができたのは44年前だった、その時原発景気でその水商売の女性が浪江の請戸に来ていた。その前は塩釜でありそこで請戸の船乗りと出会っている。
その時の原発景気は相当なものだったろう。
今はこの辺で外部から除染作業員などが一万人も入っているという、いたるところがプレハブの簡易宿泊所なのである。
そして地元の飲み屋で対応できないから韓国のバー原町にできたという。
まず外からくる除染の人は全国である。北海道の人もいれば九州の人もいる。
こういうい人たちが集まり方言で話したらおかしなことになるだろう。
どうしても訛りが出てくるからである。


原発景気というとき大熊とかあの辺は塩田があり塩を東京に売りに行ったとかそんな時代があった。
それで話の面白い小高の人は原発で働いていたのが戦時中塩がなくて釜で塩を焼いた話をしていた。そんなことで塩がとれるのかと思ったがとれるのである。
塩焼くにも燃料が問題になる、それだけの燃料を用意するのが容易ではなかった。
原発景気のときあの鹿島の加藤建材が真野川で砂利をふるいにかけてその砂利を原発に運んで財を成した話を聞いた。そもそも原発ができて財を成したものはこの辺には結構いるだろう。
特に漁業関係者は原発御殿を建てたと今は問題になっている。
その請戸に呼ばれて家に案内されたら金の襖だった。それは東京から職人を呼び寄せて作ったという、それだけ景気が良かったのである。
それも今になると夢のように消えたのが不思議である。
その請戸の人が相馬総合病院で特等室で家を建てると豪語していたのも回りからどうみられるのか、その時はまだ意識していないかったのかもしれない。


このドラマは請戸、夜ノ森駅、相馬港、塩釜を実際にロケしている。だから貴重なものになっている。時々三陸の方でも津波の被害のあったところのドラマを見た
それがなにか不思議である。
今回の津波で意識されたのが津波にあった海岸線はもともと海でつながっていた。
海の道ができていた。江戸時代に請戸港ち岩手県の宮古から鉄の延べ板が運ばれて葛尾村で製鉄していたことは有名である。葛尾大臣がそこで生れた
松川浦には名取の人が遭難したと石碑に記されている
このドラマも請戸の船乗りが遭難したことがテーマになっている
必ず海では遭難があるからである。
そして塩釜神社の御札をもっているというのも塩釜から海でつながる歴史がある


海には海の旅情がある、これもずいぶん前だけど40年前とかなる、女川に行ったとき、鯨の解体するのを見た、そこで小学校の先生していた人が絹で漁具を作っていたという、その絹の糸を束ねたものは強度が強いから利用された、その頃養蚕がいたるところでしていたから絹はいくらでもあったから海でも利用されたのである。
その時港に入ってきたのは外国人である、中国語のようなものをしゃべっていた。
外国船の貨物船は女川にも入ってきていたのである。
そしてバーの灯が雨にぬれていて旅情があった。

女川港外国船よる秋の夜や雨ぬれあわれバーのともしび

このドラマでもそうである、塩釜の港などで相馬民謡を歌っていたというのもこれもドラマで演出したのだろう。
津波の後には何かこうした風景が失われたので不思議に思う。


駅名も開業以来平駅(たいらえき)であった。いわき市が成立した後も駅名はそのままであったが、1994年12月3日にいわき市などの要望により、現在のいわき駅に改名している

なにかいわき市というのがなじみがない、それでも20年たっている、南相馬市もなじみがない、やはり地名というのはたいだい何百年とか古い、だから地名がなじみがある、定着するには相当な時間がかかる。
夜ノ森駅には桜を見るのに一回くらいおりた。あそこはツツジの駅だった。
つつじを車窓に写して過ぎ去ってゆくのが旅情があった
ここはもう当分開通しない、写真をみるとなつかしいとなるだろう


ともかくこの辺は津波原発事故で失われたものが多すぎる、それが今は年取るとさらに回想するだけだとなる
スーバーヒタチは原町駅にもう5年近くとまったままである。
すでに5年もすぎようとしている、5年は本当に大きな区切りである。
小高の避難民も来年は避難解除になる、これも長かったなとつくづく思う。








タグ:請戸港
posted by 老鶯 at 19:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2015年11月17日

フランス革命の理想、「自由、平等、博愛」が挫折 (理想は厳しい現実を克服してこそ実現される)


フランス革命の理想、「自由、平等、博愛」が挫折


(理想は厳しい現実を克服してこそ実現される)

過激派組織「イスラム国」(IS=Islamic State)による同時テロに見舞われたフランス政府が、再発防止に向けた対策に乗り出す。テロの温床になりかねないとみる反政府的な国内モスク(イスラム教礼拝施設)の閉鎖を命じる検討に入ったほか、危険人物からの仏国籍の剥奪などの法改正案も浮上している。テロの芽を事前に摘み取る 

人間は本当に理想と現実で苦しむ、いくら高邁な理想をかかげても挫折する。フランス革命の理想でも共産主義の理想でも悪いものではないしマルキシズムでも悪いものではないそもそも理想と現実で人間は苦しむようにできているのだ。
理想はお花畑だよなとか世間を知らないからだよなとか言われる。
それはどこの社会でも若いときは理想主義者だが年取ればリアリストになる。
理想が厳しい現実の前に打ち砕かれてしまう。
そういうことは推理小説でも良くでてくる、弁護士が理想に燃えてその職についても金のために汚れてしまう、何か権力者の金持ちの用心棒のようになってしまう。
そうした相剋の中に人間はそもそも置かれているのである。
フランスのかかげる「自由、平等、博愛」という理想が悪いものてはない、でも自国民が無惨に殺されたらその理想も打ち砕かれる、激しい憎悪となり戦争になることも辞さなくなる。

別にそれは国という大きな単位でなくてもどこの社会でも個々人で理想と現実の相剋は矛盾は起きている,なぜ左翼系が批判されるかというと現実の厳しさを見ていないからである。もちろん右翼でもカルト宗教団体でもそうである。
理想と裏腹に権謀術数のみを働かせている、一体これは何なのだろうとなる。
そして常に陰謀が裏で働いているとかなる、誰かが裏で動かしいる、それはオウムの時もそうでありイスラム国でもなぜかアメリカが裏で武器を供給しているとか言う
誰かが武器を供給して金を供給しないと戦争はできないからである。
大陸ではどこからでもモノでもカネでもヒトでも入ってくるからなかなか殲滅できない
日本だと海に囲まれているから入りこめないから有利でも海を閉鎖されるとモノも入ってこないから日干しになり太平洋戦争は負けた。
大陸は戦争でも陸続きだから拡散しやすいのである。
だから領土が国がモンゴルのように世界的にたちまち拡大したり縮小したりしているのが世界史である。日本だと海に囲まれているからその辺がわかりにくい
異民族が侵入してローマ帝国が滅びたというのもそうである。
大陸は陸続きだから変動しやすいのである。


人間はとにかく理想と現実の狭間で常に苦しむ、理想をかかげても厳しい現実の前に打ち砕かれる、実際は別に理想をかかげることは悪いことではない、ただその理想を実現することは現実になると様々な障害がありそれを克服せねばならない、必ず障害がありそこで民族間でも離反があり苦しむ、そのように今フランスはなっている。
自由が不自由になり平等が不平等になり博愛が激しい憎しみになる。
こういうことは人間では個々人でも良くある、いくら愛しなさいと言っても結局自分が殺されるような目にあったり犯罪にあったら一変して復讐心に燃えるだけになる
愛しなさいなどというのは誰でも言うことできる、そんなこと説教することは誰でもできる、それを実行することがむずかしいのである。
キリストはそれを全部実行したからまねのできないのとなった。
愛というとき十字架上の愛である、愛といってもたちまち今回のようなことがあれば崩壊する。、目に目を、歯には歯になってしまう。
キリスト教とイスラム教の戦いは十字軍時代からだから古い、それをまだひきづっているでもそれを克服しようとしたがのフランス革命の理念だったのである。

人間は争いつづける
血を互いに流しつづける
その原因は何なのか
それはすでに千年もつづくのか
その争いの中から真の平和が生れる
憎しみは消え融和が生れる
その時こそ平和を本当に知る
それまで人は争い血を流し続ける
真の平和は訪れるまで


平和を知るために争い、愛を知るために憎しみ合い、合同するために離反して争う、、、それが人間だった。人間の理想というのはもし簡単に実現したらまた簡単に崩壊する。
その平和と理想が血でもって作られていないからである。
日本が戦争しないというときヒロシマで原爆の被害にあったり300万人が無惨に死んだりしたから戦争はこりごりだとなったのである。
そういう経験から戦争だけはしたなくない、戦争だけはするなと戦争した人が一様に言っている、でもまた戦争に憧れる若い人がでてくる。戦争の悲惨さを知らないからそうなる要するに人間は経験からしか学べないのである。
それは個々人の人生でもそうである、辛い経験をしない人はわからないのである。
ここ自分は十年間そうした経験をしてきたから現実を学んだことは苦しかったけど人間とはどういうものか、理想と現実がどういうものか身をもってわかった。
こういうことは言葉だけでは本を読んだだけでもわからない、自ら血を流してわかるものなのである。

タグ:理想と現実
posted by 老鶯 at 17:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2015年11月16日

南相馬市の「脳卒中センター」は放射能で脳卒中が増えるから? (また一人くも膜下出血の人がでた、医療の発達で介護の負担が増える)


南相馬市の「脳卒中センター」は放射能で脳卒中が増えるから


(また一人くも膜下出血の人がでた、医療の発達で介護の負担が増える)

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鹿島厚生病院ー「郷土愛[とあるのもいい



南相馬市にある市立総合病院に脳血管疾患に迅速に対応するための「脳卒中センター」が建設されることになり、16日、関係者が建設予定地で工事の安全を祈願しました。「南相馬市立総合病院」は、相双地域の医療の拠点となっている病院の1つで、震災と原発事故後、長引く避難生活によるストレスなど(ここはあいまいに誤魔化しているがはっきり言うと放射能の影響と考えられる)が原因と見られる脳血管疾患の患者が増えていることから、迅速に対応するために「脳卒中センター」を整備する計画です。


鼻血と、脳出血(くも膜下出血)どちらも、血管が原因。0.3マイクロシーベルトを越えると心臓発作やクモ膜下出血等リスクが急に増える


0.3ではこの辺では普通にある。自分の所は0.2である。0.3となるとそんなに影響があるのか?科学的根拠があるのかとなる。
南相馬市では小高や原町や鹿島でも相馬市でも0.2が多い、ただ相馬市の市内で0.5があった、でも今は減っているだろう。場所によって違っている。
脳卒中が増えたのは放射能が原因しているのかどうかわからないだろう。
ただ避難者にストレスがありそれで死んでいるとは聞いている、こっちの方が原因になっていることが多い。
この辺でどれだけの人が脳卒中になっているのか?その辺の統計が必要になってくる
医療関係では調べているだろう



町村信孝さん70歳=前衆院議長

この人は良くテレビなどに出ていたけど死んだ、七〇才は早いだろう

同級生の人が脳梗塞になり体が麻痺したが軽かったのか、頭は正常だった。
それで助かったと思う、ろれつが回らなくなったりしたら悲惨である。


今日は病院に行ったらくも膜下出血の女性がいた。86才とかでその息子が
三食食べさせていた。
脳出血になると自分で食べられないから食べさせないといけない、そういう介護している男性をテレビで見ていてあんなふうになったらひどいな、付き切りで何もできなくなると見ていた。
その人は金もなく仕事をやめて新聞配達して介護になった。
介護はいろいろだけど増えるのはなぜかというとくも膜下出血になったら昔だったらほとんど死んでいると思う
脳出血自体死んでいる人が多かったろう、今は医療が発達して生き延びる
自分の姉も脳出血になって南相馬市立病院に入院した。
それは原発事故前だった。


脳出血はやはり多い病気である。これの怖さが脳をやられることである。
一人の女性はしゃべれなくなりわんわんと泣いていた。
60代でなるのと70代でなるのと80代でなるのはまた違っている
60代だとまだ何かできる年だからつらい、今は70代でもそうである。
脳出血の治療がすすんでいるから今はすぐに死ぬ人はまれかもしれない
その人は40分内に病院に行って助かったとか言っていた。
同級生は2時間内に行って助かった。時間が勝負なのである。
こうしして助かるのはいいが介護の負担が大きくなる
あのように家でも毎日三食用意して食べさせねばならないのは苦労である。
その人は役場に勤めていて退職したからまだいい方である。


医療が発達していい面もある。でも脳出血でもそのまま死んだ方が本人も楽だし世話する人も楽だと経験から思う、そして介護する期間が長くなるからである。
皮肉なのは医療の発達が介護を長くさせ医療費の負担を増大させている。
そうして老人の数も増えるし医療の進歩でさらに長生きして介護の負担が増えて金もかかる、だから医療の発達は何なのだろとなる、ただ50代とかでもなり助かっている人は医療の発達の恩恵を受ける
でも80以降とかなるとそのあとがかえって辛くなるのである。
母ももう点滴しないと死ぬ、それで点滴したくない、死にたいと言っている
もう百歳も生きたからいいと言っている、まだ何か意識があり正気になっているのも不思議である。


おそらく二人が助かったのは南相馬市立病院では手術がうまい脳外科が優れているからだろう。及川副院長が手術がうまい、それは前から言われていたしそれで若い医者は九州とかからも習いに来ているのが強みである。
近くで知っていた人がもし男性一人だったら三食たべさせて介護となると苦しいと思う
ほとんどつききりになるからである。
自分はそこまでならなかった、三食出しても自分で食べていた。
ふりかえれば水だけを飲んでいて水も飲めなくなったら自然に老衰死になっていた。
それを点滴にしたからまた生きているのである。

水分と最低限の栄養素だけ点滴で賄えれば、何年も生きる方もいますよ。
自発で呼吸ができず人工呼吸器をつけ、点滴だけで数年生きて、数年ぶりに目覚めたといった話を聞いた事はありませんか?

KN3は維持薬ですね。水分の維持をする為のものです。これだけでも生きられますが、胃ろうができない方に高カロリーの点滴を使う事もありますが、高齢でその状態ではちょっと難しいかも知れませんね。

こういうこともある。つまり前も入院して点滴してまた食べるようになった。今はこれだけどうしても寿命を伸ばすのである。点滴がいかに効果的なものかわかる
食べられなかったらもう人間は終わりだったが点滴で寿命が伸びる、そしてまた生きるから医療費もかかるし国の負担も増えてゆくのである。
寿命が伸びることは悪いことではないがそれによる負担がさらに増大してゆくことが問題なのである。


この人は何かそれだけ長生きする意味があるのだろうか、苦労をかけて国にも金を負担させる意味があるのだろうか、なんかこうもふえてくると考える
医者ならともかく手当てをせざるをえない、簡単に死なせることはできない
大正生れとか戦前生まれは苦労して日本を築いた人たちだから大事にせねばならないとか言われる、団塊の世代でも高度成長時代を作った人だからとも言われるがあまり評価はされないので早く死ねと若い人たちは言う、そういうのはやはりそれだけ生きる価値があるのかと問われているのだろう。
それは個々人にもあり家族でもあり社会的にもある、そんなことは外からみてわかりにくいが普通なら考えないがあまりにも増えて社会的負担も大きくなるから考える
その労力と負担が大きすぎるからである。


なんか母は葬式のことを盛んに言っていた。それが最後に言いたいことなのか、そんなことを言うことはすでに葬式して死ぬ準備もできているから点滴をとれと言っているのである。もう死にたいと前から言っていたからである。
何か死なせられないのも今の問題である。
ただ人間は無意識になったとき死んだと同じである。そういう人はいる。植物人間のようになって何年も生きる人もいる、そうなるとその人は生きているのかとなる
人間は意識があれば生きている、百歳でも生きている。まだわかっているから生きているとなる、意志疎通もなんとかできているから生きている、無意識になればもう意志疎通ができないから死人なのかもしれないとなる
若い人なら植物人間から生き返ってとかあるけど80とかすぎるとそういうこともないだろう。


これから団塊の世代が介護になるときもう介護できない、そうなるとどうなるのか?
放置されて死んでゆく、原発避難区域に帰るのは老人が多い、単身所帯とか二人所帯とか多くなる、そして子供は介護したくないから帰らないとか姑と一緒にいたくないから帰らないとか言っている。
では残された親を誰がめんどうみるのか?なんらか引き取ることも要請されるだろう。
これもまたこの辺の問題なのである。

タグ:脳卒中
posted by 老鶯 at 23:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2015年11月15日

晩菊(墓地のある路地裏の道)



晩菊(墓地のある路地裏の道)

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この駅舎とそっくりなのである




枯菊や二両の電車に駅舎かな

晩菊や路地裏通り墓の前

晩菊や古き碑残る街の中

晩菊や雨ぬれあわれ路地の裏

五本松一本枯れるや冬に入る

残菊や街道に残る五本松


ひらひらと木の葉の散るや六号線車は見ずに過ぎ去りにけり

残菊の咲くを見ゆるも六号線車は見ずに過ぎ去りにけり

墓の前木の葉散りにし今日もまたこの道通りなお母生きぬ


枯菊に駅舎がにわっている。駅はさびれている。だから枯菊がにあうともなる
今は二両の電車であり途切れてしまっているから余計にそうなる
枯菊がにあうということはまさに老人が多いということである。
でもそれは何か落ち着いて老人も風景になるのが田舎だとなる
東京辺りの駅とはあまりにも違いすぎるが落ち着いているとなる
やはり老人になると東京のような所に住みたくない
大都会は老人にはあっていない、もちろんそこに住んでいる人はまた違う
便利なものがあることは確かである。
どっちかというと欲望でぎらきらした若者とか中年があっている
自分は何か若いときあんなところにいても違和感を感じなかっんたからである。
今やもう十年以上東京には行っていないから遠いと思った。

毎日同じ道を通っている、路地裏の道でありそこには自分の家の墓がある
その路地裏に菊が咲いている、晩菊である。
鹿島でも街中が意外と古い歴史があった。それは街中に住んでいた同級生の家が南北朝時代からの由来をもつ古い家柄だった。
それはあと書くにしてもここ十年はほとんど狭い範囲で生活していた。
相馬市の日立木の道の駅まで行くがそこから市内は遠いから最近また行っていない
五本松の一本枯れていたことにきづいた
あれも枯れてしまうだろう、松は枯れやすいのである。

木の葉が六号線にはらはらと散る、それを自転車だと見ているが車だと走りすぎるだけなのである。
残菊も道の脇に咲いていても車だと見えないのである。車はそうして何か人間的感覚から離れるのである。車にのっていると季節感も感じないということかあるだろう
ただ車をもっている人ともっていない人との差が大きい
自分には車をもっていないからそれがわからないのである。

いづれにしろ自分の母親は病院で点滴して生き延びているけど生きたくないと言っていた百歳まで生きたから生きたくない、点滴はいらないと言っていた。
ということはまだ意識がありわかっているから生きているということになる
自分の母親はなにかやせていて何もできない人だと思っていたけど百歳まで意識がまだはっきりしてわかっていることに驚く
認知症になって何もわからなくなる人もいるからだ。
姉は最後だけ正気にもどってそのまま無意識になり一カ月後に死んだ
病気になって死んだのである。病気にならないとなかなか死なないのである。
でもそんなふうにして生きているのも嫌だから死にたいとなる
今はなかなか死ねないというのも困る ただ自分は相当に楽になる
家にいればなんかいるだけで疲れるのである。






タグ:晩菊

フランスのテロはなぜ? (なぜテロはなくならないのか?ーその原因の追及)



フランスのテロはなぜ?


(なぜテロはなくならないのか?ーその原因の追及)


●経済的問題

●宗教的問題

●政治歴史問題



フランスでテロがなぜ大規模に起きたかその原因はイスラム国にあり世界で協力すべきだと会合があった。
そもそもなぜイスラム国が生れたのか?それはイランへの理不尽なアメリカの一方的な侵略にあった、化学兵器があると難癖つけて一方的に攻撃した。
フセインの残党がイスラム国になったといわれるからだ。
シリアでもトルコであった日本人がシリアはいい、素朴な人たちだと感心していたのもそうである。別に社会主義国で平和に暮らしていたのである。
そういうものを壊したのは民主運動でありそれは欧米が介入していたのである。
リビアでもイラクでもシリアでも元の状態のままが良かったと今ではなる
それが悪い面があるにしても独裁でもこんな悲惨な混乱状態になるよりは良かったとなるつまり民主化がそれなりの土台がないとできないということである。
日本ができたのは江戸時代から民主主義が根付く基盤ができていたからだとなる
明治維新でもなぜ日本だけが欧米などにより植民地されない唯一の国だったかなると
そういう基盤が国としてあったからである。
もしなかったら今のようなイラクやリビアやシリアのようにずたずたにされていた。
大国が加勢して二分されてずたずたにされていた。


そしてこの混乱を産み出した原因はテロの原因は何かというと経済的問題がある。
イスラム系はアラブ国は経済的に中国のようにも発展できないのである。
工業化できないから先進国になりえない、貧乏な人が多いのである。
貧乏問題というとき日本にも今は深刻である。そこから様々な問題が生れる
貧富の差が大きくなれば国が二分して争うことにもなりかねないのである。
ではなぜ貧富の差が生れるのかというとこれもいろいろあるからいちがいには言えない
なぜ創価でも共産党でもそうしたカルト宗教団体であれ政党であれ力をもつのか?
そういう組織団体が根強く社会に存在するのか?
それは底辺層が経済的弱者でも権力の恩恵にあづからない人たちが必ず一定数いて不満をいだいているからである。


だからイスラム国の問題でもその底辺には貧乏問題があり欧米に搾取されている先進国に石油だけもっていかれて豊になれないという問題がある
創価とイスラム国は違っているようでにている面もある。
今は違うがもともと底辺層を見方にして拡大したからである。
それが宗教になっているのもにているのである。
底辺層というのはそういう人を知っているがその人たちは宗教をどうのこのうイデオロギーがどうのこのうと関係ないのである。何か得になる、困ったことがあれば助けてくれることだけを望む、仏教の悟りとか信仰とは関係ない、何かしら人がいて助けてくれるから頼れるから入る
一方社会で経済的に困らない人たちは宗教でも自主的であり経済問題から入らないのである。だからどこの国でも底辺層がいるかぎり不満がありそれがテロの温床ともなる
社会の不安要素となるから社会を安定するには経済問題の解決が必要となる


底辺層にはまず保証人などいない、就職するにも保証人が必要でありそのとき高い地位にある人はコネがありそれなりのいい所に就職できるとかいろいろ有利なのである。
そこから差別される、フランスでも移民はそうして常に不利な立場にあり不満を募らせるのである。それがテロの温床になる。
保証人問題はいたるところにつきまとっている。そういう立場に自分がなったときもう施設にも入れないとか嘆いている人たちに同感した。
奇妙なのはその人は多額の借金していて自分が困ったとき病院で手術するときとか保証人になってくれた。
でもそれを恩にきせて借金を要求してくる。それは絶えず何かしたら借金を要求するから怖い、弱者が弱者を食い物にする、責めてくるのもある。弱者が弱者と協力するとも限らない、弱者になると責めやすいからそうなる。弱者が弱者をねらうのはそのためである。
まさにこの世は食うか食われるかの地獄である。

自分と似たような境遇で比較的親しい人と、「どっちかが入院することになったら、入院の時には互いに保証人になりましょう」と、病気になる「前」に契約しておくことです。

こんなふうに弱い者同士助け合うほかないのである。ところが金銭的なものになると弱いもの同士では助けられない、金がないもの同士では助けられないのである。ここにも弱者の問題がある。

現実に連帯保証人で苦しんでいる人が一千万いるとか保証人問題は深刻なのである。
保証人のいない人は社会で弱い立場になる、保証人とはコネなのである。一方で社会で権力をもち地位のある人はそういう心配はない、常に有利な立場に生れたときから立つともなるのである。
そうするとどうなるかとなるとそういう弱い人たちは弱い人たちで集まり助け合うとういか団体を作り社会の有利な立場にある得する人たちと対抗することになる。
それが激しくなるとテロになるのである。
そういう格差が解消すればテロはなくなるのである。
つまり革命とは何か?それはそうして社会の中で得する人たちがいてそういう人たちの作った社会を壊して自分たちが得する権力を得る人たちになるということである。
それは中国でもロシアでも同じだったのである。結果的には今度は権力をもったものが下を虐げ権力を得られないものは不満がつのりまた革命が起きる
だからこうして経済的にも権力的にも公平にならないといつまでも社会には不満分子がいるかぎり不安定な状態はなくならない、テロもなくならない、グローバル化社会では世界的貧富の差で不満が募りテロが起きる。


一見宗教戦争のように見えてもそうではない、現実に確かに最初の殺人がカインにはじまったというとき宗教戦争のはじまりだった。自分が捧げたものが神に認められないということの不満がアベルを殺した。それは宗教的なものに由来していた。
それは確かに宗教的な問題でありそれが殺人の始まりだというのもわかる。
その殺人は別に貧富の差とかとは関係していない、純粋な宗教的問題であり宗派争いともにている。
でもヨーロッパではカトリックの宗教は権力をもち政治支配をしたことの反省から政教分離が生れたし人権主義に移行した。宗教がかかわると宗教戦争とか世俗のことが治めれられないからである。
イスラム国のように極端になると無宗教者や信仰しないもの、キリスト教でも人ではないとか殺されても当然だとなり実際に実行している。
そうしたらとても国も治められない、それでフランスでは人権主義になったし、人権主義が世界的になったのは例えばこいつはイスラム教徒ではない、キリスト教徒ではない、だから苦しくて助けてくれといっても助けなくてよい、死ぬのかいいとなってしまう恐ろしさかある。
そういうことが病院でも起きる、この人は信仰していないから医者でも看護師でも殺してもいいとかなることが怖いのである。
現実に宗教団体か経営している病院だとそうなりやすい、宗教に関係なく助けるということがない
人権主義ならその人の宗教も国籍も関係なく困っている人苦しんでいる人を助ける平等と博愛にならからいいのである。
それはフランス革命で起きたのである。結果としてイスラムからの移民も宗教と関係なく受け入れた。
でも実際はフランスでも移民は差別されるから不満が募りテロになったのである。

そもそも宗教とは何かというときそれは心の内面の問題である
自分が犯罪の被害者になったときそれがわかった。その人自体を許すとかとは関係ない
自分の心の中で許したとき平安になった。それは不思議な経験である。
自分に被害を与えた人とは直接関係しない、自分の心の中で許したとき愛が満ちて平安になったという不思議である。そういう改悛とかが宗教なのである。
そういうことはいくら説教されてもわからないのである。自分がそういう立場になるないとわからないのだ。
いづれにしろ宗教がかかわるとややこしくなるからかかわりたくないとなる。
オウムのようにな何がなんだかわからなくなる。最も複雑なものとなる。
宗教の恐ろしいのはこれも人殺しが全く恐れもなくできるようになることである。
神の信仰のために人を殺すことが平気でてきるようになるから怖いのである。
「アッラー、アクバル」で何でも通ってしまことになる。
それは題目を唱えて日蓮宗でも念仏宗でも戦争することに痛じている。
聖戦とか天皇が神だとして戦ったことにも通じているから怖いのである。


宗教はもともと一つである。特にユダヤ教からキリスト教からイスラム教はもともと一つである。アブラハムの信仰から発している。だからイスラエルにはその三つの聖なる場所となっている。
最大の戒めは偶像崇拝の禁止の一神教である。だから今の争いは宗派争いだともなる。
宗教で一番守らねばならないことは偶像崇拝なのである
人間はどうしても神がなにかというとき見えるものを拝む、それが自然でもそうであり人間が神となることもある。でも神が目にみえないものであり目に見えたとしたら必ず汚されるから目に見えないのである。
偶像だってそれは永遠のものではない、必ず壊されるしはかないものである。
だから宗教というとき偶像を倒さない限りありえないし否定することが最も大事なのこととなる、だからどうしても仏像などを作る宗教とは相反するのである。
つまり偶像を否定する戦いが宗教だと過激化すれはなる。それが神を知るための一番の戦いになる。それが集団化するとイスラム国のようになる
でもそのことは今も継続されている。個々人でも宗教は偶像崇拝を否定しないとわからないからだ。
人間は必ず偶像崇拝に陥るからである。
ただイスラム国の問題は経済問題、政治問題、宗教問題などからんで起きているから単純に宗教だけのも問題ではないのである。



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2015年11月14日

推理小説に興味をもった訳 (自分も犯罪にあって経験してわかったー人類の歴史は罪の継続)



推理小説のドラマに興味をもった訳


(自分も犯罪にあって経験してわかったー人類の歴史は罪の継続)


自分は推理小説とか読んだことないしテレビでも見ていない、何か馬鹿にしていたのである。
なぜ興味をもったかというと自分自身が深刻な犯罪にあったからである。
犯罪にしてもテレビとかニュースで毎日みている限りそれはただ面白いというだけであるところが一旦自分の身にふりかかれば自分自身が甚大な損害を受けるのだから全く違ったものとなる。
テレビでもマスコミは犯罪を絶え間なく報道しているのは犯罪というのが人間にとって一番興味深いのである。
ただ幸福な家庭の風景を写しても誰も興味を覚えないのである。
「不幸な家族はみんなそれぞれ違っている」が「幸福な家族はみんな同じ」だとトルストイが言うのもわかる。
犯罪でも様々な犯罪があり同じものがない、ただ動機には人間はじまってから同じものが延々として継続されている。
そもそも聖書でも犯罪の記録というのが一面あったのである。
カインが犯罪を犯したことが人類最初の犯罪の記録である。それは兄弟殺しだったということはすでに兄弟間で起きたというとき家族が不和になることはどこでもあるのだ。
調和した家族があったのかというと何か家族そのものが調和しないものがある。
だからそもそもキリスト教でも仏教でも家族を否定することからはじまっていることでもわかる。それはもともと肉の結びつきだから否定されたのである。
どんな家族でもだから何かしらそうした兄弟殺しでなくても何か問題が起こりやすいのである。


推理小説でテレビドラマでも犯罪が起きたとき必ず動機を重んじる。
なぜ殺人になったのか盗みになったのか、なぜそんなことをしたのか問題になる。
犯罪動機が問題になる。それはカインの犯罪から共通したものがある。
カインの犯罪の動機は宗教がからんでいるから複雑だけどこれもまた自分の捧げ物
カインは地の実り野菜や果実をアベルは羊を捧げたということにあったが神が認めたのはアベルの捧げ物だった。

お前の弟の血の声が土の中からわたしに叫んでいる」というのです。「わたしに叫んでいる」というのです。殺されたアベルの血は殺したカインに向かって叫ぶのではなく、神に向かって叫んでいるというのです。

ただカインへの復讐を求めての血の叫びではないだうろと思います。そうではなくて、殺された者は殺した者に対して直接復讐しないで、それを神に訴えよ、神に復讐を任せなさい、それが神に向かってのアベルの血の叫びであり、それが「彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている」ということなのではないかと思います。


このサイトではカインに徴(しるし)をつけたのはカインが殺されないように守るためだったと書いてある。神は復讐を禁じたのである。
神が復讐する、人は復讐をしてはいけいない、神が裁き神が罰を与える、人を裁くなというとき人間にとても裁く力ももっていないからである。
何が正義かなにが悪か善かも本当のところはわからない、この世では悪が善になり善が悪にもなにからである。
世界になるとイスラム国の問題があるけどそれももともとアメリカがイラクを攻撃した結果として生れた。アメリカが善でもない、日本とアメリカの戦争もアメリカがすべて正しいとならない、それを裁けるの神しかいないとなる。だから裁くなとなる。
でもアメリカは世界は日本を敗者となったとき裁いたのである。戦犯として裁いたのである。


神が裁くなというとき江戸時代までは仇討ちが許されていたが公認されていたが明治以降は禁止された。それは復讐を拒否する宗教的なものが実は法律にあったからである。
法律が生れたのは宗教が基でありたいがい直接的な復讐を禁じる。
西欧文明が文明が日本では技術とか機械に注目したがそれ以外に宗教もかかわっていた。キリスト教が西欧文明の基だというとき内村鑑三はそう見たのである。
つまり西欧文明にはキリスト教を根幹としているからキリスト教なしではありえないとしたのである。


カインの罪は捧げ物が神に拒否された理由は一つは自分を義としたことにあったのかもしれない、人間は自分を義とすることはできない、義とするのは神しかないのである。
そこに人間の過ちが以前として継続されている。アメリカは常に自分が正しい、義としていることでもわかる。義とするのは神であって人ではありえないからである。
このカインの罪はまた宗教的問題でもある。カルト宗教団体はその団体自体を義としている。だからオウムではポアしてもいいとなる信仰になった。
そういう宗派的なことはイスラム教でも起きている、自分たちだけを信仰で義としてそうでないものは殺してもいいという思想である。それはカインのアベル殺しからはじまっていたのである。それは宗教戦争のはじまりでもあったのだ。
人類とは歴史とはつくづく罪の継続なのである。延々と罪の継続なことは変わりなかったのである。


推理小説でもドラマでもまず殺人があったとき、動機が問題にされる。なぜ殺したのかということである。それにはいろいろ動機がある。金が欲しくて一万くらいでも殺人がある他に男女関係でもありそういうことは人類の歴史では延々と継続された歴史である。
ただ人間はあまりにも複雑だから殺人の動機でも面白いから殺人するとかまであり複雑なのである。動物はただ飢えているから他の生き物を殺すだけであり人間のような複雑なものはないのである。
今回の推理ドラマで殺人する動機に強いものがないとして刑事が疑った。これも深い洞察だと思った。動機がそれだけ大事なのである。
ある人が犯罪を犯す強い動機があればまず最初に疑われる
自分も犯罪にあったからそのことがわかった。犯罪にあった人が今でも近くにいるから殺したいと思った、他にも自分が苦しめたものに何か復讐の念さえ起きた。
いじめられるたりしたらそれで復讐しようとするだろう。そういう念が起きたしそれは長く消えないのである。


しかし今は復讐する気持はなくなった。犯罪の不思議は犯罪を犯した人と犯された人との間に深刻なものが生れる、もちろん殺人を犯した人が普通ではいられないだろうことはイメージする。しかしまた身内を殺されたとか何か甚大な被害を受けた人もまた深く傷つくのである。その傷痕は深く残るのである。
だからこれ許すというなると容易なことではないのである。
だからそういう被害を受けたものは殺したものは殺されるべきであり目には目を歯には歯をとイスラム教国では今でも実行している。
宗教で復讐しないで許しなさいということが言われても実際に犯罪を受けたら誰でもそうはならないのである。
それがいくらそれがキリスト教信者でも何かの信仰をもっていてもそうである。
何か犯罪を受けたら許しなさいとは簡単にならないのである。


ただ自分の経験では不思議なのは許しとは犯罪の相手を許すということではない
その犯罪者を前にしてその人が謝ったとしても決して許さない人もいる
とても許せないのである。だから許しとは何なのかとなるとこれも複雑である。
許しとは犯罪を犯した相手を許すことではない、自分自身の心の中で許すことにより
自分自身が救われる、心が平和になるということである。
なぜならそうした犯罪者に激しい憎しみをもちつづけたら心の平安が延々と得られないからである。
その犯罪者を前にして許すというとき本当に許すいうのは心の中で起きてくることなのである。
心の中で許すとなれば平安が得られるからである。
一方で犯罪を犯した人の許しはどうなるのか?
犯罪の被害者が許せば許されるのか?
この犯罪者の方が罪の問題として深刻になる
それは被害者ではない、その良心が問題になるからである。


私は罪を犯しましたといって誰が許すのかとなる
それは被害者ではないとしたら誰が許してくれるのかとなるからである。
それは誰に求めればいいのかともなるからだ
そして簡単に許されて心の平安が得られるのか、それも犯罪を受けた人より深刻になる
でも全くそんな罪を感じない人もいる、それも何なのだろうとなる
ただ殺人を犯した人はどうしても深刻なものとなるからそこで罪を感じないことはありえないと思う、その罪を消されないということで延々と苦しむことになる。
そっちの方が過酷だとなるからそれは神が許さなければ許しがないとなるから深刻である犯罪の被害者は心の中で許せば許されるからである。


何かこの感覚はそうした経験を得ないかぎりわからない、人間はとにかく経験しない限りわからないことがあらゆることで多すぎるのである。
だからニュースで絶え間なく犯罪が報道されてもドラマとして面白がっているだけなのである。
例えば宗教を説くにしてもただ教義を説く人でもわかっていない、それが学問でも同じである。現実の問題でどう活きるかが問題なのである。
それはこの辺の津波とか原発事故でも同じだった。この窮地を問題をどう解決していいのかなど未だにわからないからである。


ともかく許しということは犯罪を犯した相手を許すということに見えてそうではなかった自分自身の心の中でまず許すのでありそれは心がそれにより愛に満ちて平安を得るからである。延々と憎しみと呪いになっていたら平安がなく自分自身が不幸になる。
例え復讐しても決して平安は訪れないしさらに自分自身が犯罪者になるという恐怖であるそれが推理小説ドラマのテーマとなっていることでもわかる。
必ず復讐が動機となって犯罪を犯された人がまた犯罪者になるという悪循環が生れるからである。
その復讐の連鎖を断ち切らない限り人類に平和はないのである。
それは個々人でもそうである。
人間は他人の罪を追及する人が多いが自分が罪人だと自覚する人はまれである。
何も犯罪も犯していないのにそういう人はかえって宗教的である。


親鸞はだから悪人が往生するというときそのことだったのだろう。これは誤解されやすいが自分を悪人だと自覚する人がまれだからそう言っている
たいがい自分は悪いことをしていないと言っている、自分は善人だとしているからであるそういう自分もそうである。それはほとんどの人がそうなのである。
自分か悪人だと思っている人はおそらく殺人犯でもそうかもしれない
殺したとしてもあいつは殺されて当然の奴だ、神に代わって俺が殺してやったのだとかと思っている人さえいるかもしれない、だから自分が悪人などと思う人がいないからそう言ったのだろう。
それは宗教関係の牧師とか僧侶でもそうである。その人たちは自分が罪がないとしていて人の上に立っているからである。
あたかも罪がないようにふるまっているけどそういう人が最悪の罪人だということもあるカルト宗教団体の長になっているような人はみんなそうである。
自分には罪はないとして聖人だなどとしているのは一番罪深いともなる。
だから宗教団体とは教会ですらかかわらない方がいい、自分は一回も教会に行ったことがない、教えを乞うたこともない、カルト宗教団体で活動していて時間を浪費してからかかわっていない。
宗教自体が誰かに頼ったり団体にかかわること自体が危険なのである。


とにかく今日見た推理小説はドラマは相当に人間を洞察したものであり感心した。
それは犯罪の動機を深く追及したものだったからである。
いくら過去に殺す動機があってもそれが強いものとはならないとして犯人を探したからである。
実際は簡単に殺人があるのも確かだが普通はか殺人まで簡単にはならないということでもある。
結局人間の一生はドラマであり神が作ったドラマである、そのシナリオは神が作っているのである。だからその結末は本人も誰もわからないのである。
死んでみてやっとわかったとかなるし歴史の真実も百年たってもわからないこともある。それだけ人間を理解することはむずかしいということである。



2015年11月14日(土)12:00〜13:52
火曜サスペンス劇場
刑事 鬼貫八郎6 「十六年目の殺人」

これはドラマ的にも深いものがあった。一六年目前のことが尾をひいている。
でもその一六年前に帰れないということがテーマだった。
人間はもう青春時代でも何でも帰りたいと思っても帰れない
なぜあの時戦わなかったのかと親の言いなりの結婚したことを反省している
従順なこともいいとは限らない、一旦そこで行動しなければ全生涯にわたって影響するしもうその時点にもどれないことが致命的なのである。
このことを人は必ずあとでふりかえり悔いるのである。
でも時間はもどらない、永遠にもどらないのである。
人生は一回であり二回を経験することができないからである。
そうした過去の因縁にこだわり事件を起こしたのである。
そもそも過去の因縁にこだわったことがいけなかった。
今は成功していたのだからそんな過去にこだわる必要もなかったのである。






南相馬市小高区の人たちに問われているもの (小高病院の配管修理七億円は誰が負担するのか?)


南相馬市小高区の人たちに問われているもの

(小高病院の配管修理七億円は誰が負担するのか?)


南相馬市の問題はすでに小高と原町と鹿島とが合併したとき起きたのである。
合併のとき利害関係でもめたのである。どうしても原町が五万と人口が多いのだから中心となり予算も原町中心に配分される、主な施設も旧原町市に作られる。
だからそもそも合併したとき鹿島区は一番損だったと言われてきたのである。
結局市町村ではこうした問題は他でも起きている
ただ津波や原発事故でこの辺はその合併のことで問題が浮き彫りにされた。


合併による効果を追求すれば、中心部に投資を集中し、周縁部を切り捨てていくことでしか成り立たない。企業合併では、集中化された投資でこれまで以上の成果があげられればそれでもよいが、市町村はすべての市民と地域に対するユニバーサルサービスが前提であるから、そういう意味でも効率化は進まない。

国が進める市町村合併は、行財政の効率化に主眼が置かれ、本来の目的である地方分権=住民自治の推進の影が薄れ、強制合併の流れを加速させるような動きさえ見られます。

近接する自治体だけでなく、概ね共通した歴史的背景や産業構造に立つ圏域全体について、自分の地域との関連を見渡す視点も必要です

合併論議が行き詰まる背景として、核的な自治体がある場合には「小が大に飲み込まれる」との不安が大きい。

合併というのは行政でもむずかしいものだった。それは国から押しつけられたものであった。だから合併後も様々な問題が他でも生れたのである。
南相馬市は津波や原発事故で特別な地域として合併したことで問題が起きた。
それは原発事故直後から起きた。鹿島区は三〇キロ圏外であり国や東電から補償金が出ない地域だった。でも実際は久ノ浜も三〇キロを栄にした地域だが一所帯百万とか出ていたのである。この辺で一番もめたのが補償金問題である。


最初事故が起きたとき鹿島区の人も補償されないと当面金で困る人がでてくるということで補償の仮払いとして緊急措置として百億円を市の財政から出すことに桜井市長は決めたそのことで旧原町市の人で激しく批判した人がネットにいた。
それが市の財政だからそうなった。鹿島区も原町も小高も財政的配分で一番もめたのである。政治とは財政であり予算の配分のとき、金の配分のとき一番もめる。
それは遺産相続と同じである。それが不公平だと市民としての団結は喪失する。
つまりなぜ鹿島区は30き圏外でありそれを市の財政で一時的にも負担せねばならないのかということで原町の人が怒ったのである。それはネットだらか目立たないにしろ自分は読んでこれは何なのだと思ったのである。


そのことは今度は小高の人たちに向けられている。その具体的例として一番わかりやすいのは小高病院の配管工事に七億円かかるということなのである。
小高の人はそのことについて関心がない、その金をどうするんですかと聞くとそんなもの市であれ県であれ国であれ東電が補償するんだよと言っている。
でも病院の配管が壊れたのは原発事故のためではない、地震のためだったのである。
政府と東電は地震と津波の被害は補償しないのである。
何かこれもこの辺では混同されているのである。


南相馬市民や福島県でも広く放射能の被害があった。そして多額の補償金をもらったのは三〇キロ内の人であり特に小高は一億円もらった人もざらにいるというときそうだった。ではその金をなぜ南相馬市の財政から出さねばならないのか?
また県で国で出せねばならないものなのか?
その理由が明確ではない、原発事故に由来するものならわかる。でもそうでもない。
鹿島の厚生病院でも大規模に直している、でもそれは農協で運営しているから農協で出すのだろう。
小高病院は南相馬市で運営しているから南相馬市で負担しろというとき南相馬市民としては納得できないのである。
小高区は補償金をそんなにもらっているのになぜその人たちが自分達の住む小高の病院のために金を負担しないのかとなる、ただただ自分たちだけ補償金をもらえばいいというのは勝手すぎないか?


小高区の人達はそういうことを全く考えていないし頭に浮かんできてもいない
ただただ自分たちは補償金をもらうだけもらえばいいと思っている
これも合併した結果として起きた問題でもある。
もし小高町としてあったなら小高町の財政から出すのだから別に原町とか鹿島の人から文句は出ないからである。
つまり小高との軋轢は南相馬市民となったときなぜ小高だけがそんなに原発の補償金がもらえるのかということなのだ。
原町区も鹿島区の三倍とかもらっているから鹿島では不満になり不公平感を募らせているそれは国や東電で決めることで南相馬市の行政ではどうにもならないことだとなるがそれもまた政治の問題だから何か解決方法がとられるべきだったとなる。
それは政治家と行政の怠慢だったともなるし市長にも問題があったとなる。
三〇キロ圏外はもともと補償金は支払われないのを支払われるようにしたのですよと市長を援護している議員がいたけどこれもまた勝手に思う
現実に久ノ浜もは三〇キロ圏外でも一所帯百万とか補償金がでているからである。


小高の人は小高病院が老人でも帰るとき大事だとしたら寄付金を集めても修理すべきではないか、それくらいの金はもらっているのだから集まるだろう。
その目的も明確だからである。でもそういうことすら考えにも浮かんでない
ただひたすら補償金を個々にもらえばいいとしかなっていないのである。
そして若い人は補償金をもらったら他で暮らせばいいという考えしかないのである。
だから補償金の奇妙なのは政府や東電から個々の家族に補償したものであり小高区という前の町という共同体に補償されたわけではないからみんなそれでは金をもらったら若い人は外に出て家を建てて帰ってこないとなる
もし南相馬市であれ前の小高町に補償金が出るならその共同体でその補償金を分配すれば違っていた。
小高に住まない人には補償金の配分は少なくするとかいろいろ方法があった。
そもそも個々人に家族に分配したからもう小高としての共同体は分離して分散してしまったのである。


金は誰のものかというときその問題は世界的にも問題になるしどこでも問題になっている金は共同体のものだということを歴史的理論的に追及した本を読んだがなるほどと思った金とは共同体のものであり私権を追及して私利だけでは処理できないものである。
だから小高だけではない、浪江であれ双葉であれ原発事故周辺ではなぜ三〇キロ圏内だけが特別補償されるのかといういわきでもそうだが広域的な共同体として問われたのであるなぜなら浪江の人でも相馬市にでも二本松市でも福島県に広範囲に住むようになったからである。
そうなればやはり現実的に浪江町民だけの問題ではない、そこに住んでいる住民の問題としてのしかかっているからである。
だから自分たちがただ国や東電から補償金をもらうだけもらえばいいとはならないのである。それは広域な共同体の問題となっていたからである。





タグ:市町村合併

2015年11月13日

原発避難民で故郷に執着する人は少ないー帰るのは老人だけ (話の面白い小高の人(続))



原発避難民で故郷に執着する人は少ない、帰るのは老人だけ


(話の面白い小高の人(続))

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精神的損害だけではない、ミネラルウオターまで補償金を出している、交通費もこまかく出している、いたりつくせりである。
五年から六年間補償すると土地や家もその間補償するからその額が大きくなる
浪江だとさらに倍とかになるかもしれない、期間も長いし土地を売るとなるとその額が大きい。
だから一億円をもらっている人はざらにいるというのもわかる。


話の面白い人とまた土手の道であった。それでまた小高の人がどんなことを思っているわかった。
最初は小高の人は原町の人は家があるのに補償金をもらったとしてうらやんでいたというそれは最初の内は補償金のことがわからなかったからである。
それで小高の知っている人が十万で知り合いの人を雇ってもらえないかと来たのである。原町の人は人で鹿島区に仮払金を一〇〇億とか市の財政から一時的にでも払うことを反対した人がいた。その時は補償金のことがわからなかったからである。
その後段々補償金のことがわかりそんなことはなくなった。
でもこの辺でもめているのは補償金のことだった。浪江の人と病院であったけど東電はずるいとか土地の補償金でもめていた。
それより今は小高の人でも今度は補償金が打ち切られるから浪江の人がかなりいるから浪江の人がうらやましいとかなっているという。
三〇キロ圏外と圏内では補償金の差は大きかった。それでも三〇キロ圏外のヒトデも四〇万くらいでももめていたのを知ったからつくづく人間は金でもめる。
遺産相続ともにている。人間の欲はきりがないのである。


ともかく三〇キロ圏内でも小高の人の補償は本当に手厚いのである。
今日の話でも仏壇にも墓にも補償金がでていた。仏壇には四〇万とかでたという、
それから狭い私道がありそこにも書類があり補償金がでた。
まず家と土地がある人は六年間とか補償金がでる、土地を広くもっている人は相当な額になる。例えば牛をもっている人でも補償金がでるし土地にもでるから額が大きくなる。
それで一億円もらった人はざらにいるというのも驚きである。
そのことは言わないというがそうかもしれない、どのくらいもらったか正確にはわからない、原町の人も言わないからわほからない。
ただ鹿島区の人は明確にわかっている。一人十万で七カ月分である。原町はこの三倍はもらっている。浪江とかはさらにもらっているし双葉、大熊となるはさらにもらっている。

そして今になると原発事故があっても補償金をもらった人は東電にそんなに恨んでいない、かえって喜んでいる人も多い、まず老人は喜んでいる、年金などたいしてもらえない人が多いからである。何も仕事しない人でももらえた。だからそういう人は原発事故があって得して良かったとなる。
その補償金で近くの競輪券の売り場で遊んでいるという、あとはパチンコ屋で遊んでいるだけだとなる。
年取った女の人は集まって何か話して遊んでいてかえって良かったとか何より金が入るので喜んでいるという。あと五年長引きけばなと言っている。
そして浪江の人をうらやんでいるのだから変なものである。
浪江の人は浪江の人で東電はずるいとか金をさらに要求している。
そして大臣が金目のものでしょうというのは本音だったのである。


原発避難民は故郷に住めなくなってさぞかし悲しいだろうと外からみている人もいた。
最初の内はそうだったろう。でも補償金がこれほど手厚いとなるとかえって得したというのが本音にもなる
なにかやといっても今は金の力が大きいということを感じる
金がないと子供すらよりつかないし友達つきあいもできないから貧乏老人は悲惨だとなるだからなにか自分は郷土をテーマにしてものを書いてきたがその郷土に執着する人はすくないのである。
今は田舎でもみんな会社員であり事故の後も移った会社に浪江の人が二本松に会社を移したので通っていた人がいた。そういう人はすでに二本松に住んでいる。それも補償金で家を建てたかもしれない。
不思議なのはこの辺で多くの新築の家が建ったけど小高の人だったけどその家に住んでいないという。住むために買ったのかと思ったらそれも一時的であり他に移り住む人がいるというのも不思議だった。
家は高いものだからそんな簡単に買えないものと思ったからである。
てもそれだけの補償金をもらった人は買ったのかもしれない、小高の人などは補償金バブルになったのかもしれない。


要するに補償金をもらって得したという人が多いというとき故郷に帰るとか帰らないとかあるけど故郷自体に執着している人は少ない、沖縄辺りまで移りそこに職をもって定住した人もいるという。
故郷に執着して住むという人は少ない、なにか自分が故郷にこだわるが他の人はこだわっていない、それが田舎に住んでいる人自体がその土地に執着していない人が増えた。
それより現実をみれば金だとなる。前からも書いたけど金の力が大きくなりすぎたのである。金があされば原発事故周辺でも食料に困ることなどないのである。
だからこんな状態になっても金がもらえたので良かったともなる
復興のことを考えているのはかえって外からの人たちであり小高なら小高でも補償金もらってほくほくだと言っているし小高自体の復興のことなど真剣に考えている人はいない、原町まで行けば何でも買えるし車で売り来る人がいるから買い物に困らないという。
飯館村も貧乏な人がいて借金していた人がいたけど補償金で払ったとかみんな遊んでいるだけだという。
時々何か飯館村でしていた牛の牧場を経営している人をテレビで写しているがそれはほんの一部であり他の多数は何もしない、ただ遊んでいる、ギャンブラーになったとかが多いのである。
実際もう故郷にこだわり住むという人は少ない、他に移り住むことを決意した人たちの方がもう三分の二とかなり還ってこないのである。
今は金の方が吸引力があり故郷自体にはないという時代である。
いろいろ書いてきたけどそれが現実だとなる。


小高といっても原町とか鹿島でも相馬でも移った人はそんなに故郷にこだわらない、そもそも同じ場所に住んでいると変わりないからである。
東京辺りの東電のビルに移ったような人たちは故郷をなつかしむかもしれないが
この辺ではほとんど同じ場所に住んでいるのと変わりないのである。
だから補償金をもらって得したと感じている人が多いということである。
啄木のように故郷を思う人は少ないとなる。
啄木は病気になって死んで故郷に帰れないということで望郷の歌を残した。
でもこの辺では故郷から離れてもすぐに死ぬわけではないし金をもらって余裕をもって生活できるならどこでもいいとかなる。
沖縄に住んだらそこも温暖でいいとかなる。そこに望郷はない。
それでこれだけのことが起きても外部からいろいろ同情されるのと内部の人の感覚は違っている、むしろ原発事故で補償金をもらって良かった人が多いとなる


津波では補償金は出ないが原発事故では補償金の額が大きかったから違っていた。
老人にしてもその人も自分もそうだがどうなるにしろ人生も終わりだというこでは同感である。それなら金をもらった方が得だったとなる
「どうせ終わりだ」というあきらめが老人にはある。だから深刻に考えないのである。
若い人と老人の感覚の差がこのことが一番にでる。
若い人はこれから何かを得ようとするが老人はもう何かを得ようとするより人生は終わったという感覚になる、若い人は何かを得ようともだえ苦しむが老人にはない、あとは死ぬだけだからどうでもいいとかなってしまう。
でも本当にどうせ終わりなの?となると疑問である。
なぜなら何かを必ず後世に伝えるものがあっていいからである。それが何であったのか?
それが老人にはと問われているのである。人間は歴史的に生きるとは一代で人生が終わらない、必ず次の代に受け継がれるものがあるから歴史的存在なのである。
津波原発事故のことも後世に負の遺産として引き継がれる、それも歴史である。


ともかく故郷をどうしようかとか復興についてもあまり考えない
若い人は若い人で見切りをつけたからこれまた故郷に執着などしないのである。
ただ三〇キロ圏外では補償金で大きな不満が残った。かえって損したとなる。
その補償金の差が三〇キロとか二〇キロ圏内とかで差があまりにも大きすぎたのである。引っ越すにも四〇万とかなにから何まで二〇キロ圏内とかなると補償されたからである。南相馬市だったらその補償がもっと公平にあるべきだった。
政府や東電が決めたにしても何か行政で公平な配分を考えるべきだった。
福祉関係、介護まで鹿島区は差別されたのである。
そういうことが今後も尾をひく、小高の人たちは補償金を多くもらったのだから別に協力しなくてもいいとかなるのである。
だから金は誰のものととなるかというと政府や東電だけで決められるものでもなかった。それはただ便宜上、三〇キロで区切り決めただけである。
金は共同体のものである。共同体というときいろいろあっても南相馬市のものとしての共同体にまず支払われるべきものだった。
もちろん小高はそれなりのものが支払われるべきである。しかし福祉関係まで差別しているのは差別であり不公平であり南相馬市の共同体員としては許されるものでないから不満が大きいから金の問題はしこりが残ったのである。

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タグ:原発補償金
posted by 老鶯 at 18:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2015年11月12日

病院や病人や介護の仕事が中心の地方は異常 (この世には警官でも医者でもいない方が健全である)


病院や病人や介護の仕事が中心の地方は異常


(この世には医者でも警官でもいない方が健全である)


この世には因果な商売、ブラックなものが多い。本当にそんな職業などない方がいいのである。
病気になるとどうしも医者に頼り薬に頼り看護師の世話になる。
それで今は何でも商売だからいらない薬まで出して金にしようとする。
それが悪いというのではなく病気を相手にすればそうなるからである。
そしてそこにはどうしても過剰な薬とかいらない治療までする
それは金になるからである、病院や医者は健康にするのが目的なのだが皮肉なことにみんなが健康だったら病院は成り立たないのである。
本当はなるべく病院や医者にかからないで薬も飲まない方がいいのである。
でもそうなったらどうなるか?医者も病院も薬もいらないとなると医療関係の職業は失業するのである。


ずっと一年間口が渇いていたのは鼻腔がまがっていて鼻で呼吸できなかったからである。舌も乾くので唾液が出ないのかと思ったらそうではなかった。
口が渇くというだけで実際はいろいろな病気があるからこれも素人判断は危険だった。
なぜ自分がこうなるかというとなかなか病気をみてもらう余裕が時間がないので自分ですまそうとなる。
前の時もそれで失敗した。自分で介護などするようになると時間がないので自分の病気をみる時間がなくなるからそうなる
病院に行くのは手間になるからである。たいがい原町とかなると車もないから簡単に行けないのである。
今日は耳鼻科の開業医に行って良かった。口が渇く原因が明確にわかったからである。
それで鼻の治療をすれば鼻で呼吸できるようになれば直るとなる。
もともと自分は高校のとき二回も蓄膿症の手術をしている。だから自分は何か頭が冴えない、勉強にも集中できないので学校は嫌いだった、成績も悪かった。
鼻が悪いとこれは頭に来るので集中力がなくなりなにかだめだった。
自分は高校のときなにか本当に体力もなくだめだった、それでも大学に入れたのは三流大学だったからである。高校さえ卒業できない状態だった。
鼻腔が曲がっているとかは今は別に手術しなくても直せるというから治療もすでに四〇年以上たてば変わっているのである。医療の分野は日新月歩だからである。
だから病気はまず医者にみてもらいそのあとにその方面の情報を仕入れて対処するほかないのである。


原町辺りでもそうだがともかく病院が街の中心にある、この辺では高いビルはない、ビジネス関係のビルもない、それで南相馬市病院は一番高いビルであり入院していたとき海が広々と見えて船が行くのが見えた。
つまり地方では病院が一番高いビルであり目立つ、原町の駅前の小野田病院、大町病院などが街の中心のように見える。その回りに薬局がまた多いのである。
処方箋をもらったので耳鼻科の専門病院の隣にあったのでそこで薬をもらった。
そこで丁寧に説明してくれた。あの薬局その耳鼻科の専門病院の薬局のように錯覚するのである。
現代の地方は主な産業は病院と介護関係なのである。介護の施設も立派なのである。
その他はシャッター通りになっていて商業は衰退しているからだ。
だからこういう社会は健全ではないのである。


ともかく本当は病院とか医者とか看護師とか介護士とかそうした職業が中心になるような社会がゆがんでいるのである。つまり病人社会だとなってしまう。
みんなが健康であれば医者も病院もいらないのである。それこそ天国である。
犯罪が泣ければ警察もいらないのである。へたすると犯罪者がいなくて商売あがったりだと警官が言う、誰か犯罪をおかしてくれとかまでなる。
消防署員が火事がなくて仕事にならないからつまらないとかなり実際に自分で火事を起こした人がいたことでもわかる。
アメリカでは軍需産業が大きいから戦争がないと武器が売れないから戦争を意図的に起こすのだとか良く言われる。
これも怖い話だけどそれが全く空想ではない、現実にあるから怖いのである。


現代社会はそういうことが多い、教育にしても本当は独学ができれば自主的にできれば学校も先生もいらない、先生とか学校でも実際は補助的役割な時教育はうまくいっているのである。なぜならそういうときはみんな自主的に学んでいるからである。
だからインターネットでも自主的に学ぶ場があるといいのである。
武田邦彦氏などが音声でプログで発信しているけどあれも学校に行けなくても学べるなと思った。個人が主催する大学になっていた。
そういう場が増えれば学校に頼る必要がないのである。
そういうことをイリッチなどが指摘した。人間が専門家によって無能化されている社会である。
教育ではお前は学校と先生に頼らなければ何もできないとか、病気になればお前は医者や病院や薬局に頼らなければ健康になることはもうできないとかなる
株だって投資信託などに頼むのは自分にとても複雑な株などやれないからである。
そこで手数料とかかなりとられてもどうにもならないということである。


お前はなにもできない、無能なのだとどこでも知らしめられる社会だというのもわかる
何か問題が起きれば今度は弁護士を頼むとかなるがこれも法律がめんどうで専門家しているからわほからないから頼むほかない、何かもめごとがあっても自分では何も解決できないというのが現代の社会である。
そういう社会は何か個人でも非力であり何か自分が生きるという感覚にともしくなる。
生きる充実がなくなる、お前はただ何もできない、活かされている、専門家によってその支持に従えばいいのだとかなる
こういう社会では無力感があり何か自ら達成するとかの生きる喜びもくなるだろう。


いづれにしろ警察とか病院とか医者とかそうした職業が失業するようにな社会が健全なのである。だから天国にはそいいう職業はないのである。
病気にならないし老いることもないから介護の仕事もない、犯罪がないので警察も警官もいない、戦争がないから兵隊もいないのである。もちろん武器もないのである。
それが理想社会なのである。つまり警察とか病院とか医者とかが権力をもく威張っている社会は何か本末転倒なのである。だから天国に行けばそんなものないからなんだったろうとなる。
この世にはなくていいものがかなりあるのだ。カルト宗教団体などもそうである。
宗教が一つの商売として成り立つ、政治の票として権力を得られる
だからこんなものない方いいし戒名商売などの寺もない方がいい。
つまりこの世になくていいものはかなりある。その中心が地方だと病院だということは歪な社会なのである。
それは病人が中心の社会であることなのだ。そこに若い看護師が多いから地方では一番にぎわっているのが病院だというのも異常なのである。
そういう社会はまず活気などない、病人が中心になっていたらそうなる。
病院が必要でも脇役として目立たないのが健全なの社会である。
医療にはまた税金が使われ予算を圧迫しているし巨額だから深刻なのである。


自然にはそもそも病気がないのである。もちろん樹や花でも枯れるがまたすぐに蘇るしその枯れることに注目はしていない、枯れたらすぐに捨てるだけなのである。
自然はエネルギーに満ちた世界であり決してエネルギーが消失することのない世界である枯れることのない世界なのである。
そもそも人間が死ぬという世界自体間違っているから永遠の命なるキリストが生れたのである。
人間が死ぬということを前提にしたら社会でも何でも病的に見てしまうだろう。
人間は死なない、永遠に生きる、それも健康で生きる存在であってすべてのものに価値がありうる。そこに永遠の命の意味がある。
天国には老いている人も病気の人もいない、みんな若いというときそれが理想である。
まず病人とか老人とかが中心になっている社会はゆがんでいるのである。
老人でも元気ならいいが病人が中心になっている社会は異常なのである。
病人社会になると病人でない奴は社会の一員として認められないとまでなる
現代文明は病人社会だと批判した天才がいたのもそのためなのである。


ともかく母はまだ生きていて病院で死ぬ夢を見たという。自分も病院で死ぬ夢を見た。
それも彼岸へ魂が火の玉のようになって飛んでゆく夢だった。
病院ではそういう夢を見やすいのである。今はみんな病院で死ぬ
病院にはだから死臭が漂っているのである。当然死ぬ夢は見る。死ぬ場所だから当然だとなる 病人の幽霊が彷徨ってもいる。
でも家では寝ていても死ぬ夢はそんなに見ないかもしれない、病院では見るのである。
病院に行くと陰気になり病気が悪化するというのもそういう雰囲気がありそれが伝染するためだと思う。
何か生きるというものがない、人間は最後まで何か生きるということをもたねばならない病気になっても花が好きならその花に命を託すとか何か死ばかりにとらわれるのは良くないのである。
どうしてもそうなりやすくても人間は最後まで死ぬというより生きるということに焦点をあてるべきなのである。

とはいえ人間は弱いから体が弱ればどうしても精神も弱ってくるのである。
それを克服できる人はほとんどいないのである。
ちょっとした病気でも意気消沈するのが人間なのである。
こんなことを言っている自分でも病気になったら弱気になるのである。
高齢化社会長寿社会の課題はいかに元気で生きるかということに尽きる
そして死ぬときは仕事しながら死ぬのがいい、そういう人をみている。
自転車屋は自転車屋をつづけていてそのあと病院に入ったけどまもなく死んだとか一週間前まで九〇才の医者は患者をみていたけど死んだとかみている。
農民だったら田んぼや畑で死ぬのが一番成仏するとなる
病院に入るにしてもすぐに死ねば迷惑もかけないし医療費などかからないのである。
そういうふうに死ねない時代だから問題になる。


教授の診断は誤りで、手術の必要は全くないことがわかったのです。
ところがこの担当医は、「教授に逆らえば医者として生きていけなくなるから」という理由で、全く必要のない手術を、もちろん治療費を取って断行したのです。


医者というのも病院というものも世俗の場であり人間の負の部分が生々しく現れる場所でもある。第一聖職だなとと言っても一番腐敗したのは僧侶であったと同じである。
病院にも医者にも金にまつわることや派閥争いや地位の上下関係とかが露骨に現れそれで殺された患者がいたということはそういう世俗の争いに患者が犠牲になったということである。
病院の怖さは殺人罪にならずに人を殺せるという恐怖の場でもある。
人を容易に殺しやすい場所なのである。でも医療ミスでもほとんど問われることもないのである。
だから病院は恐怖の場所だった。でも一週間くらい緊急入院して死ぬのならかかわることもないからいいとなるのである。
そうはいっても脳梗塞とか脳出血とかその他そうした病気になるからみじめなのである。いくら願ってもみんながそうはなりにくい、まず身寄りがないとか独り身などは病気になることは恐怖になる。介護するものも誰もいないからである。
だからぽっくり死ぬことを真剣に願い何か病院とか介護にならない状態を求めることなになるが将来のことはわからないので願うほかないとなってしまうのである


タグ:病院 医者
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2015年11月11日

日頃積み重ねたものが困難な時に活きる (津波や原発事故で試されたもの)



日頃積み重ねたものが困難な時に活きる


(津波や原発事故で試されたもの)


今回の津波原発事故では様々なことが問われた。未だに問われているし解決もしていないただ何が問われたのかとなると困難なときには日頃積み重ねてきたものが活きる
南相馬市立病院は脳外科の面で脳梗塞と脳出血の治療を積み重ねていたのである。
それは副院長及川氏が中心的存在だった。
それでここには脳外科関係で手術がうまい医者がいるということは言われていて知られていたのである。
別に原発事故になったからではない、それは相当前からそうした実績を積み重ねてきていたのである。
原発事故になり応援のために若い研修生が来たのではない、脳外科で優秀な医者がいて病院でもその方面で研究を積み重ねてきて知られていたのである。
それがこのような困難な時に活きてきたということである。
何かこういう困難なときがきたとき日頃の行いが問われた。


そして自分の一身上のことを書いてきたが何か人生も終わりになるとその人生そのものが問われる。お前は何をしてきたんだということが厳しく問われる
それは別にこのような災害とか事故がなてくてもみんな問われるのである。
日頃から何をしてきたかが最後に問われるのか人生であり人間である。
そういうことを若い内は考えない、何をしようが勝手だよとかなっている
でも人間の時間は限られたものでありそこで時間を無駄にすればあとあと最後にその時間を失ったことに嫌応なく気づかされるその時すでに時遅しとなっているのだ。


なぜ自分が困難に直面したとき親戚といっても遠いものとなるが自分を助けられなかったのか?
それはその人の日頃の行いが悪いから助けられなかったのである。
借金で首が回らないから自分が困っていることなど眼中になくただ多額の借金だけが頭にありそんな人が自分が苦しいとき来たのだから最悪だった。
その人は人を助けるどころではない、弱みにつけこんで借金を申し込む、それが弱みがあるから無下に断ることができないから好都合だったのである。
自分にしてみれば恐ろしいことだったが相手も何も感じていない


ではなぜ助けられなかったからというと結局日頃の行いが悪い人が困難にあるとき助けることができない、その人はすでに借金を積み重ねていた、その原因は問わないにしろそうならずに前にすんだことはありうる。
つくづく人生をふりかえると日頃の何でもない行いが実はカルマとなりいいにしろ悪いにしろはねかえってくる。
人間は自分でも若いときからそんなことを考えないのである。その場その場をただ生きればいいとしか考えない、でも人間の行為というのは思いでも何かしら積み重ねれられていたのである。
何事一朝一夕になるものはない、例えば卑近なものでもそうなのである。
趣味でもそうである、将棋をやろうとしてもこれもかなりむじかしいから日頃がしていないと遊ぶこともてきない、写真でもそれをすぐに会得することはむずかしい、俳句だってこれは五七五に並べればいいんだとか老人にもなって暇つぶしにでもできるもんだとかはならない、やはりこういう簡単に見えるものでも積み重ねなのである。
季語を知るにもやはり毎年その季節をみてその感覚を積み重ねないとできないのである。


それはあらゆる分野でそうである。
積み重ねなくしてプロの粋に達するものはないのである。
積み重ねるときなぜ日本だけがアジアで西欧化に成功したかというと江戸時代の積み重ねがあったのである。一見外国と閉鎖して遅れていたように見えても江戸時代に積み重ねられていたものが西欧の文明にふれて活きたからこそ明治維新が成功したとなる
すでに和算とか技術的にもそれなりに明治になって活かされたものがある
工業化するための素地がすでに日本の江戸時代に作られていたということがある。
何でもそうして積み重ねたものが困難の時に活きるのである。


ではお前は何を積み重ねてきたのかというとこれもなんというか自分でも不思議である。ただお前は旅などして遊んでいただけであり何を積み重ねていたのだとなる。
それが自分でも不思議なのは何もしないことも隠者のような人でも何か積み重ねていたのである。
自分は石と樹とか花にひかれてそれを詩にしていた。それは社会生活とは離れたものであってもやはりアイディンティティ化していったということは積み重ねていたのである。
こういうことは勤め人になるとかえってできない、別な仕事に集中するようになるからである。
その人が積み重ねているものはみんな違っている。でも何かしら積み重ねていないものはない。それが60とかすぎると明確にわかってくるのである。
なんか自分の短歌とか詩が今避難区域になっている荒廃した地域の人に読まれているというのもそうである。
何か普通はあまり読まれないがこういう状態だから読まれたとなる
ふしだらな欲にかませた日頃の生活だったらまず若い内は許されるなどと言ってもでは後年、老人になったらできるかとなるとできない、
節制の生活も日頃からの積み重ねである。放蕩の限り尽くした人が突然節制した隠者になったなどはありえないのである。
そういう生活は打ち消しがたく顔にも刻印されるし心も刻印されるからもう打ち消すことはできないのである。



あらゆるものが積み重ねである。技術でもそうである。それは江戸時代からの積み重ねがあり発展してゆくものがあった。日本の技術が優秀だと言われるときやはりそれは江戸時代から明治維新から積み重ねてきたものがあったからである。
何か突然に奇跡のように日本が工業化したのではないのである。
この世に奇跡のように何の積み重ねもなくて成るもものはない
ただ天才になると努力しなくてもできるから普通の人は見習うことはできない
でも天才にしてもそんなにいろいろなことはできない、あの人は天才だったけどそれほどの功績を残していなかったなということはありうる
あの人は凡才だったけど後年結構いいもの作品を残したとかなる
ユダヤ人は悪く言われけど迫害されてきた歴史がある。
その中で土地をもたないから金融業とか会計とかに優れるようになったとも分析もある。
つまり農民とかと違ってそういう方面で積み重ねた歴史があった。
計算に強いということは数学にも科学にも強いからアイシュタインのような人が生れたとなる
最初はユダヤ人という人種が優秀に思えたのだがそれは特殊な事情で歴史的に積み重ねれらたものがあったからである。


いづれにしろ困難なのと時なにも積み重ねない人は何かしようにもできない
結局パチンコ屋とかギャンブルとか風俗とか金を費やすことしかできない
大工をやっていた人は大工で働いていた、それは日頃から大工の仕事をしてきたプロだからである。
例えば農家の人など土地がないから何もできないとなるが土地を借りて野菜作りした人がいる。経験しない人もしたがやはり経験している人はできる。
野菜作りはいろいろとめんどうでありむずかしいのである。ただあらゆるものは簡単にできない、何かしら熟練が必要になってくる。
こういう困難な時期だからとでは何ができるかとなると日頃何も積み重ねていなければ結局何もできない、ただ足手まといになるだけである。
そうして何もできない人たちはこういう困難な時期には迷惑になるだけである。
医者であれ看護師であれ大工であれ、、、、何かを積み重ねてきた人たちはこういう困難な時期に活きる、まず医者とか看護師ならどこに行っても就職できるからである。
そしてこういう困難な時期に看護師などはますます必要とされて活きるのである。
何か積み重ねたスキルがないものは突然に何かできるということはありえない
戦争するしたって自衛隊で無駄でも訓練も何もしなかったら最初から戦争などできない
技術の訓練をしていなければ今では戦争にもならないからである。


だから人生は日頃の行いで決まる。何も積み重ねないものは何もできない、困難に対処できない、何も積み重ねないから何もできないのである。
学問にしてもこれもまた地道な積み重ねなのである。自分は学問をしたけどやはりまだまだ地道な積み重ねが足りなかったとなる。つまり勉強することが知識は膨大だからみんなそうなる。
インターネットなどもなかったから知識の点でも狭いものとなったとかなる
必ずこうして人生は後悔しないものはいないのてある。
「鉄は若い内に打て」「若いときに汝の神を覚えよ」とかもめそうである。
若い内にそうしないものは一生その機会を逃してしまうから一生の悔いとなるから怖いのである。
ある時にしかできないものがある、恋愛すら時期をはずれるとできない、若いにしないならできない。それは一回しかできないとなる
見合い結婚が多いとき恋愛していないから六〇とかな退職してしてみたいとかいうのはそのためである。
旅などでもいつでもできるじゃないかと自分は思っていた。しかしこれもできない、ここほぼ十年は全くできなかった。でも旅は十分したから自分にはこの点では悔いがない
ただその他いろいろとしないものがあり悔いが残ったのである。
だから自分はいろいろな点で欠けている、でもあらゆるものが満たされている人はいないなぜなら人生の時間はそれぞれに限られているからである。
極限られたことしか経験しえないのである。


原発事故というのも津波とかの想定外というが日頃の積み重ねが悪かったのである。
事故が起きないようにせずに権力で政府と一体になり安全神話を作ってきたからである。もし三〇年とかの間にそうした技術の積み重ねをしていたら事故は起きなかった。
再三危険性を指摘されていても権力で無視できたからである。
だから自分はカルト宗教団体で経験したように権力をもつことは黒でも白といえることが怖いのである。アメリカとかは巨大な権力をもっているから軍事力で黒でも白と言えるのである。それは中国でも言える、権力が巨大化するのが怖いのはそのためである。
だからそうした権力の横暴を防ぐのも日頃からの積み重ねで国民がそうしなければもう権力の暴走はとめられないのである。
日頃積み重ねたカルマが良い結果となり日頃何もしないもの積み重ねないものは結果として必ず現れるから怖いのである。
それはこの世の厳格な法則である。それは個々人でもそうであり国家という共同体でもそうである。日頃の積み重ねなくして何もできない、困難なとき特別な力が奇跡的に働くということはありえない、日頃の積み重ねが困難なときに現れるのである。
だからこの辺の復興というときでも日頃から積み重ねがないものは何もできない
パチンコやギャンブルや何か無益なものに費やすだけだとなってしまう。
そういう人が多ければもう復興はできない、何の力もスキルももっていないからである。

posted by 老鶯 at 19:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2015年11月10日

同級生が脳梗塞になり南相馬市立病院で助かった (脳外科の新しいビルができてその方面では充実する南相馬市)



同級生が脳梗塞になり南相馬市立病院で助かった


(脳外科専門の新しいビルができてその方面では充実する南相馬市)


母がまた入院


「及川友好先生(副院長・脳外科)のご配慮で多くの手術をこなせます。ここで出来ない血管内治療は、専門病院に出向させて貰えました」と言う。彼が南相馬に来たのは、被災地支援ではない。脳外科医として腕を磨くためだ。


同級生に土手の道であった。そして話したらその人は半年前に脳梗塞になったという。
その人を見たら見る影もないというかやせて十年はふけていた。
今でも病人の感じである。何でも本当は心臓の血管が破れて死ぬところだったが脳の方がの血管に障害が起きて助かったという、倒れて二時間で病院に行って治療したから助かったとかいう、今は4時間以内なら助かるという、その助かった理由が南相馬市立病院は脳外科では優れている、医者も院長先生も優れている。
それは一カ月南相馬市立病院に入院していたから脳出血でも手術がここにはうまい医者がいると聞いた。
病院には得意不得意がある、相馬市立病院はひにうょき科は充実していていいと言われるそういう病院には相馬地域ではなく他からも患者がくる。
名取の癌専門病院は有名でありそこに送られてたいがい診断する。


なぜ同級生が助かったかというとこうして南相馬市立病院は脳外科はもともと良かったのであり院長とかが率先して育てた実績があったのだ。
それで研究論文も出したり若い研修生などが脳外科で優れているから学びに来ている。
そして新しく脳外科専用のビルが建つ、かなり大きなものでありそこが脳外科専用になるからますます脳梗塞とか脳出血にこの辺では備えができる。
同級生が本当は重症であったが確かに見る影もないというかやせて病人のようにではあるが頭は正常であり普通にしゃべれる、ろれつが回らないということもない、普通にしゃべれるしわかっている。頭は全く正常なのである。ただ身体的には相当衰弱して十歳はふけてみえる。前もなにかセムシのようになっていた姿を6年前とか見た。
でもその時は脳梗塞になっていない、最近半年前に脳梗塞になったというから驚きである外見は病気をひきづっているが話してみると頭は正常であり普通に話できる、なんら普通の人と同じである。
そして車も運転できるから意外だった。車を運転できることは頭が正常だし頭が働くということである。全く認知症にはなっていない、それで救われたとなとつくづく見た。
脳梗塞とか脳出血とか悲惨なのを病院で見ている。話できなくなり泣いていた女性がいたわんわんと泣いていたのである。あれも悲惨だった。南相馬市立病院には一カ月いたから悲惨な人を見たから怖くなった。


ともかくまず60代になると何かしら必ず病気がでてくる。これはいくら生活習慣病と言ってもその人なりの遺伝病とかなにかしら出てくることはさけられない、いくら注意しても病気がでるのである。
その人の体は病人だけと頭が正常だということは話できるからいい、頭がやられたら話すこともできなくなる、だから結構知的なところがあり郷土史の話ができた。
いすいろなことをわかっているのである。
人間が確かに体をやられるのも悲惨だが脳をやられたら最悪である。アルツハイマーになった家族を介護したからわかる。何も世の中のことがわからなくなる
痴呆化するから怖い、こうなると会話は成り立たなくなる、同級生は知的な会話まで成り立つから話ができるから友達にまたなれる。ろれつがまわらなくなったら話もできなくなるから怖い。自分の姉は社交的で陽気な人だったけど誰も友達も来る人がいなくなった。話ができないからそうなったのである。
だから人間は頭が正常であれば生きている、だから認知症という病気が頭がやられるから人間でなくなるという恐怖を覚えたのである。
その認知症がこれから膨大に増えてくるから恐怖なのである。
そうなると本人も苦しいしなにより介護する人の負担が重すぎるのである。
同級生は車にのせてやるからと言ってくれとか言うからまだいい、あの体の状態で頭で運転できるというたとはかなりの強みになる。
脳梗塞でもほとんど脳が損傷してかったのである。
でも白内障になったとか体全体に影響はあったと言っていた。
あの体の状態を見ればすぐにわかる。本当に病人の姿なのである。


同級生でも自分は同窓会など一回も出ないからわからないけどまず人によっては急激にふける人がいる。
3才くらい下の人も障害児をもって苦労して十歳ふけた。今でも太った頑丈な体なのだけど顔はしわになり十歳老けているのである。
自分は二十代から老成してすでに老人に見えていた、だからその時自分はさほど変わっていないのである。むしろ今になると老人にしては元気に見えるのである。
自転車で原町や相馬市に行くのを車から見ている人がいるから元気だなと見られている。でも最近筋肉痛になりいつまで自転車で行けるかわからない、街内は買い物はできるけど原町とか相馬市となると辛くなるかもしれない。
同級生は車があると遠くに行けるから便利だというのはわかる、でも自分は車の運転にむいていない、事故をおこしやすいから乗らないのである。

●母がまた入院

ともかく60代以降の最大の恐怖は病気である。すでに60代で一割は死んでいる。
この前も67才くらいの人が近くで癌で死んだ。それば突然だったしまた近くで癌になった人もいる。それも50代である。ただ百歳になっても死なない人はいる
それが今日また入院した自分の母親だった。
10日間はわずかに甘いものを吸うくらいであと10日間は水しかのまなかったから老衰に入り衰弱して死ぬのかと思った。でもレントゲンとかで見たら病気はないという。
だから点滴してまた回復するかもしれないというから驚きだしまた介護がつづくのかと不安になる
つまり人間は病気にならない限り老衰であり老衰で死ぬということはかなり長引くことなにるのだ。でも風邪とかでも細菌にやられると感染すると抵抗力、免疫力がないから簡単に死ぬということがありうる
それがないので10日間も水だけでも枯木のようになっても生きている不思議である。
母親を見た先生は剽軽な医者だからめずらしい、東北の人ではない、東北の人は真面目なのが一般的に多いだろう。ただこれは今は東北人が真面目だとか全部はそうならない。
でもあんな剽軽な先生にあったことがないから自分では好感を前ももっていた。
「枯木にもう一度花を咲かせるかも」とか言うのも冗談がうまいのである。
そもそも感じが剽軽なのであり落語家のように見えるのである。


60代以降は病気の世代であり病気との戦いになることが多い。なにしからいくら注意しても病気がでるのである。むずかしい病気になったらもうこの辺では対応できない、同級生は最初は別な開業医にかかっていたとかそれは薬の副作用で悪くしたからあとで変わったとかも言っていた。
南相馬市立病院に行っていたのだからその辺はわかりにくい、すく利を飲まなくなってかえって良くなったといっていた。それも今はかなりある。効く薬はまた副作用が強いと言っていた。確かにそうである。薬は危険な面があるがあまり副作用のことを言う医者はいないのである。
でも自分も失敗したが素人判断は病気に関しては危険なのである。命取りなる人もいるし実際になっている。だから病気に対処することは本当にいくら医療が発達してもむずかしいのである。情報が氾濫してかえって迷いそれで早死にしたりする人もいるし失敗する人もいる。命にかかわることだからこれも困るのである。
自分も素人判断して死ぬところだったからである。
いづれにしろこの辺では津波や原発事故で混乱があったが脳外科関係とかでは医療が充実しているということで救われた人が現実にいたということである。
それは前からも言われていたのである。

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抽象画(あたたかい花園の地球)



抽象画(あたたかい花園の地球)


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あたたかい花園の地球

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二つの的

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これは何?

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春の湖




これらはインターネットにあったものを変化させたものである。花で一杯の絵がありそれを変えたら花の抽象画になったのも不思議である。
つまり抽象画にするときかえって具象画より何かまた別な新たなものとして蘇る不思議がある。
元の具象画はこんな感じではない、花だげが一杯咲いている地球である。
抽象画は形より色の作用で変化する、色の多様な変化が及ぼす精神への影響である。
五感というという匂いとかもあるし音もあるし肌で感じる風もあるが一番感じているのは視覚であり色のように見える、色というのはだから無限にある。
色と色のとりあわせも無限になる。色は究め尽くせない世界なのである。
音楽になると変奏曲なのかもしれない、一つの曲から多様に変化するのである。


抽象画は特にパソコンの抽象画は創作しているというより変化させる機械的作業である。それでもいくら変化させても何かこれがいいなとならないものがある、
ぱっと何回かでこれはいいと直感的に感じるものがある。
それは全く偶然にできるのである。こういうものにしたいからこう描いているという感覚がない、まるでクジをひいているとか偶然に当たるというだけなのである。
こんなのができたなこれはなんなのだという驚きがある。
だから創作しているという感じがない機械的作業で当たりくじをあてるという感じにもなる、これは別に才能がなくてもできる、ただそれをどうみるかはやはり感性なのだろう。題にしてもそれらしい名前をつけいるだけであり見る人によって違って見えることもあるタイトルは参考に出しているだけである。




タグ:花園

2015年11月09日

徴兵制より、徴介護士制にするべき。3年義務化。 (団塊の世代が介護になるともう介護できない時代に)


徴兵制より、徴介護士制にするべき。3年義務化。


(団塊の世代が介護になるともう介護できない時代に)



介護が大問題になるのは長寿社会の負の面が露骨に介護に現れるからである。
特に認知症になる人の数が膨大になる。もはや国民病でありこれで国の負担も家族の負担も増えて国が危うくなるとまでなる
そして介護は十年とか二十年とかまであり長いことが問題なのである。
90才頃まで生きる人は病気にならなければ必ず弱り介護状態に自然になる。
病気でないとなかなかすぐには死なない、90才から最低5年とかさらに長くなるだろう。
十年というのもめずらしくないのが介護なのである。自分は二人分で十年くらいになっているからだ。一人はひどい認知症だったけど早く死んだの助かった。
介護はしてみると軽いものでも意外と体を使うし神経も使う体力仕事である。
だから老々介護というのは相当に厳しいものとなる
看護師の仕事が体力仕事のように在宅介護もそうなる
家族が少ないなかでその介護をになう人は一人とかなると苦しくなる

若い人などは介護の仕事などしたくない、給料も安いし汚い仕事だからしたくない、それで介護をする若者にはいい心材が集まらない、いいところに就職できない人が入ってくるしやめる人も多いから人材が確保できない、そういう所で介護されると虐待も起きる
介護は何か生産的ではない、何か産み出すものでもない、たいがいトイレの補助とか
なんか汚いことも多いしそこに生きがいを見いだす人はまれだろう。
社会的にも評価が低いし給料も安いから誰もしたくないのである。
本当はこういう誰もしたくない仕事こそ給料を高くするのがいいのかもしれない。
何かその仕事に見合うものがなければ誰もしないのである。

一方で自分の好きな仕事なら給料が低くても金払ってでもやりたいとなる
ある人は農業が好きだからそのことで苦労するのだが好きだからやっている。
でもその農業は趣味であり一人分にもならない野菜しかとれない
その野菜をとる苦労の話を聞かされていだけでるあ。
そこに投資しても何も得られない、ただ苦労話を聞くだけである。
農業そのものが趣味でなくてもそういう傾向があったのである。
美瑛では美しい場所だけどそこで農業している人の話を聞いたら延々と農業はやっていられないと愚痴る、そして中国人の方がいいとまで言うのには閉口した。
農業は趣味の範囲でもそれだけ苦労が多いのである。
でもその人は農業が好きだから金にならなくてもしている

そして金になる仕事は掃除とか何かしたくないとなる。
この世の仕事はそういうことがまた多いのである。
金になる仕事が必ずしもやりがいのあるものとならないしその方が多いだろう
やりがいのある仕事は世の中ではなかなか与えてくれない
自分もこうしてプログで書いていてもやりがいがあっても何の収入にもならない
でも何か報道するにも自分の創作したものを出すのでも面白いから生きがいになるからやっている
むしろ金をだしてもこういうことをやりたいとなるのである。
人の奴隷になるようなことは誰もしたくない、家政婦などでもしたくない、むしろ家事は機械がしてくれた方が頼む方も頼まれる方もいいとなる
それが金になってもそうである。金のために嫌なことをしたくないとなればそうなる。

介護の仕事には何かメリットがない、あるのは家族だったらある。親に世話になったから恩返しだとか何か動機になるものがある。
家族でないものにはそうした動機がもてないのである。
例えば介護自体が面白いということもなかなかないだろう。
仕事でも何か新しいもの作るとか創造するとかなると面白いとなり生きがいになる。
そういう仕事ができるのは今では特別優れた人でありまれだろう。
介護には面白いことも給料も安いとかいいことがないのである。
そして介護は体を使う労働でもあり意外と疲れるのである。

介護が人手不足だというとき介護のために強制的に人を集めてやらせるほかないとか週刊誌にでていたのもわかる。
外国人を雇うのもめんどうだし介護をできる人はいる。
特別なスキルなど必要ないからである。
介護で貴重な人材を奪われるのも社会の活力が奪われることになる
だから介護のために強制的に人を徴兵制のように集める
それほど団塊の世代が介護される状態になればもう介護する人はいなくなる

自分の経験ではこの辺で原発事故が起きた時、仮設に移り住んだ人が何もすることなく
パチンコ屋におしかけた。
その時親戚の人が借金のためにパチンコ屋で働いていた。
そしてパチンコ屋で人手がたりないから困っていると言っていた。
これも腹ただしいことだった。
自分の家が介護で苦しい状態にあり自分も病気で苦しんでいるとき何もしない、
ただパチンコ屋で忙しい、忙しいで何もせず帰ってゆくだけだった。
別にパチンコ屋が普通だったら息ぬきもありすべては否定できない
でも自分の家の状態がどうなっているのかも全く配慮されていなかったのである。
自分のことで精一杯だから他人のことなどみえなくなっていたのである。
借金したことはすでに何か選ぶことなどできない、ブラックでもなんでも金を返すためにするほかない、それもまたその人のカルマだったのである。

こういうことは何か介護問題でもある。介護している方になると何であいつらはゲートボールだパークゴルフだハチンコだと遊んでいるのだろうとなる
現代はニートであれ元気な老人でも仕事しないで遊んでいる人が膨大なのである。
だから自分が介護になったときそういう人たちを見て腹ただしくなったのである。
お前は遊んでいたのではないかと言えばそうだが自分か働いている人からみればそうみられたということは言える
でも介護するようになってからなぜあいつら遊んでいるんだ、困っている人が一杯いるのにと見る
それで原発避難者でも介護などで仕事をもたせるべきだという意見がでたこともわかる
回りで働いている人から見ればあいつら補償金で遊び暮らしているじゃないかと見られるからである。
あいつらの遊ぶために地元の人は働いているのかとまでなるからである。


いづれにしろ今や前もそうだが介護であれ認知症であれ国民的課題になった。高齢化社会でそうなった。これをいかに克服するかは一家族だとかでは解決しない、国民的課題だから政治であれあらゆる分野でその課題に向けて働きかける必要がある。
そうでないと国自体の活力も失い、その負担で次々に悲劇が生れる。今も生れている。
そうは言うもののお前か介護を手伝いというとき十年もしたかしたくないとなる
たいがい介護が長いから介護した人はしたくないとなるのもまた当然なのである。
自分は役目を果したからしない、次はあなたの番だとなり高みの見物だともなる
なぜならみんな介護したとき助けてくれたという経験がまれだからそうなる
一人に背負わされて四苦八苦しても近くに暇な人は遊んでいたのを見ているからそうなるもし助けてくれたりしたらそうはならない、自分の介護のとき助けてくれたから今度は少しでも助ける方に回ろうとなるのが人情である。
そういうことがないから他人の介護は無関心なのである。


いづれにしろもうぎりぎりになり強制的に介護させられる時代が来るかもしれない
在宅でも限界があり施設はたりない、人手はたりない、どうするんだというときもう強制的に暇な人とか余力のある人は介護させられる、ニートなんかは一番その標的にされるかもしれない。
それはもう個々の家族ではどうにもならない、国民的課題として解決が迫られているからそうなる。
ともかくこれまでのような日本が豊かな時代も終わり悪いことが重なる冬の時代になったのだと思う。膨大な下流化する老人でもそうでありもう日本のいい時代は終わったのである。そんなに医療や介護に金を使ったら国がつぶれるというのも笑い事ではないのであるそれほど窮迫してくると強制的に介護させる法律が施行これるのもありうる。
外国人を雇うというのも無理があるしそれなり働ける人を働かせるのがいいとなるからである。

やりたくもない介護の仕事をさせられた腹いせに、被介護の方が酷い目にあう未来図しか見えません…

これも仕事にはある、つまり生きがいを見いだせない意義を見いだせない、自分に合わない仕事を強制的にやらせるといつか不満が爆発してその被害者が介護される方になるから深刻になる。

でも第一介護するような特殊な人はほとんどいないというときどうすれば人材を確保するのかとなる。
確かに仕事は強制できない、では何か方法があるのか?それはもう一つの国民の義務としてやらせて意義をしらしめるとまでなる。
いちいち強制できない、やりたくないものはとやりたくない、そういうことを認めていたらいつまでも解決できない、では人材が集まるのかとなれば集まらない、義務だというときかえってそれはやっているうちに生きがいを見いだし国のためにもなっているのだ、他人を助ける仕事として意義があることだと見いださせるのだともなる


結局人間は何でも自由だというとき何もしなくてもいい,自分のやりたいことをやればいいというのも違う。義務としてやらねばならないことがある。
何か意義を見いだすこと自体むずかしいからである。それが義務としてやっているときかえって意義を見いだすとういこともある。
そもそも普通の人間は何か意義を見いだして働く生きるということ自体むずかしい、そういうことができるのはほんの一部なのである。
だから人間にとって自由は重荷にもなる。かえって義務を与えてくれた方が楽だともなる江戸時代はそうして上から与えられたものを義務として果す社会だから自由がなくても悩む必要もなかったのである。
何でも自由だというときでは何でも人間はできるのかとなるとできないからである。

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2015年11月08日

グローバル経済が普及したのはここ50年くらいだった (原発事故の前に故郷や田舎に生きる価値をすでに失われていた)



グローバル経済が普及したのはここ50年くらいだった


(原発事故の前に故郷や田舎に生きる価値をすでに失われていた)


●高度成長前は江戸時代のつづきだった


グローバル経済とか社会とか今は普通になっているけどふりかえるとそうなったのは50年前頃からでありそれまでは江戸時代のつづきだったということを書いてきた。
戦後十年くらいの団塊の世代の子供時代はグローバル経済とは何ら関係ないのである。
第一バナナ自体がこの辺で売っていないし高価なものだった。
それで自分の父親が病気になったとき仙台からバナナを買ってきたのである。
これをみてもグローバル経済など無関係だったし第一国内だってこんなに物が流通していないからみんな自給自足でありその延長だった。
国内自体でも江戸時代のつづきだったのである。それが何か錯覚しているのである。

要するに戦後十年くらいでテレビが売り出された頃から高度成長が急速にはじまったのである。それは二十年くらいつづいたが意外と早く下火になってバブルで崩壊した。
高度成長時代になったとき国内レベルで物が流通しはじめた。
物がない時代だったから物を置けば売れた時代である。
自分の家では店屋をやっていたから物を置けば売れたのである。
あの頃は子供多いし一番活気かある時代だったのである。
何か今になるとそういう時代がなつかしいとなる

店屋でも隣が魚屋だと豆腐屋だとか雑貨屋だとか小店が多かったのである。だから生活圏が隣であり狭い範囲で人は人が濃密に交わる社会だった。
それも江戸時代のつづきだったのである。
何か路地裏とかなると今はさびれて淋しいというか生活の匂いがなくなった。
人はそこで生活していても実際は買い物でも働く場も遠い会社や工場になっているからだ路地裏というときもう生活の匂いはない、下町というのもそうである。
そこには東京だったら工場があり生活の匂いが濃厚にあった。
つまりそうした中小企業とか小さな店とかあるのがその頃だった。スーパーもその時はない。だから地域から何か生活の匂いを感じないのである。
スーパーとかイオンに買い物でも集中して変わったのである。

高度成長の最初は国内で流通が盛んになった。でもその時はまだ車時代ではないからそんなに物が遠くから運ばれてはいない、その時は汽車から電車と変わった時代である。
それで駅にはどこでも引き込み線があり荷物をおろしていた。
そのために梱包するために縄屋とかあり自転車は汽車で運ばれたので駅前に自転車屋があった。
駅前通りがあり駅前旅館があった。駅前通りは駅ができて生まれたのである。

ふりかえるとグローバル化社会となるには一気になったのではない、路地裏の生活から
生活圏が拡大していったのである。まさに自分はその路地裏の店屋だったからそのことを実感できる。
それがスーバーに変わったとき生活圏は広がった。市町村内で広がったのである。
もう今になると村でも万屋とかはない、自分は阿武隈高原を自転車で旅してどこか浅川町なのか味噌汁をごちそうになったのを覚えている。
今の時代にそんなことをしてくれる人はまずいない、そこはまだ山の奥に残っていた万屋だったのである。だからそういう人情が残っていたのである。
町中だったら下町の人情とかあった。米でもオカズでも隣近所でやりとりして分け合っていたのである。
そういう狭い世界にはまたすべてがいいとはならない、いろいろ詮索されたりいきずらいことはあった。
でもそういう狭い世界からグローバル世界になったのである。
だから原点にもどって今をふりかえると今が見えてくる

●グローバル経済化すれば金が唯一の価値となる

なぜ原発事故で町や村まで住めなくてり荒野化したのか?それは原発事故の放射線のためであることはわかっている、でもそれだけなのかという疑問なのである。
それは明らかにグローバル化した世界経済化した社会になったときそういうことが起こりやすい下地ができていた。
つまりグローバル社会とは金がドルがアフリカの果てまで奥地まで通用する世界である。これはいままでにはありえないことだった。
アフリカの奥地を旅してドルでも金で買える通用していることはありえないことだったのである。そんな社会は歴史的にもありえなかったのである。
アメリカが世界を支配しているというときドルが世界で通用しているということにある。ドル札を発行しているのはアメリカでありアメリカに金融が支配されるのは当然だとなるそして紙幣というのは必ずしもそれと対価なものが物でも何でもあるわけではないのである。ドル札はアメリカのさじ加減でいくらでも刷って世界にばらまくことができるのである
そのドルが通用しているのはアメリカが世界を支配して信用されているからである。
それは円でそうでありそれは日本という国を信用して円を買っているのである。
その信用の土台に紙幣がありそうでなければ紙きれにすぎないのである。
だから信用を失えばたちまち紙きれになるのが紙幣である。
それは日本が戦争に負けたとき本当に紙幣は紙きれになったことでもわかる。

グローバル化はまず国内で起きた、次ぎに世界と広がった。それはどういうことかというと日本国内で流通が盛んになり交流が盛んになるとき婚姻関係も日本全国になる。
九州や北海道でもこの辺から結婚しているし外国まで婚姻関係が広がる。
それも国内で流通が盛んになったから起きたことである。
なぜ原発避難民が全国に散らばったかというとやはり婚姻関係がそれだけ全国的になったからである。結婚した先に頼るというのが多いから
である。

そういうふうにすでに自給自足とか狭い範囲での生活ではない、全国的に婚姻でも広がり物流でもそうである、そういう延長としてグローバル経済になったのである。
グローバル経済になるとどうなるかというと極端な話が金持ちは日本では税金がとられるすぎると海外で暮らした方がいいとが貯金が海外に投資した方がいいとか金が海外に流出して人すら流出してゆく、それは日本だけではない、中国の金持ちはアメリカに国籍をもつためにアメリカで子供を産むことをしているのもそのためである。

つまりグローバル化とは国すらこだわらない社会になる。多国籍会社というのもそうである。だから愛国心とか土地への愛着も希薄化してゆく社会である。
グローバル化はだから土地に根ざす文化を破壊するのである。
食文化でももともとその土地に根付いて育まれたものがみんな同じものとして規格化される、ハンバーグをみんな食べるというのもそうである。そこに土地の料理が喪失してゆく
原発事故でなぜ町や村の全部が捨てられて国内に散らばりもう帰ってこないというのはそういう素地ができていて原発事故が引き金になってそうなった。
だから原発事故だけに原因があるとも思えないのである。
一億円もらえばこんな不便な所に住んでいない、そんなことを日頃から考える若い人もいる。故郷に執着するのは老人はそうでも若い者はそうではない
若い人は姑と一緒にいるのも嫌だとかこの際別々に暮らした方がいいとなる
それは金があれば今はどこでも生活できるからそうなる
それが極端になると外国でもいいとかなる、現実に老後は物価の安いタイとかフィリンピンで暮らそうとなり現実にそういう人もいることでわかる。
金が通用して大きな力もどこでももつからそうなる。


第一一億円もらってもそれが今や避難区域の荒廃した地域にもどっても何らその金は活きてこないのである。店もない、何かサービスしてくれものがない、荒野に一億円もってきても何の価値もないとなる、すると当然金をもらったら外で生活した方がいいし荒廃した故郷を建て直す気持もなくなる。それはかなりの苦労を強いられるし老人にとっても若い人が流出しているのだから帰って金があっても楽ではない
サービスしてくれる人がいないのだから金をもっていてもどうにもならないのである。
今はどこでも人手不足であり建築関係でも人が集まらないくて会社まで倒産している、会社を作れないとかなっている。
そこでいくら金を出してもいい人材が集まらないとなる,人材そのものが不足しているのである。そもそもあらゆく分野で人材は簡単に作れない、一朝一夕に作れない
医者などは特にそうである、これも相当な経験が必要だし他の仕事でも簡単にできないものがある、簡単にてきるものは派遣とかパートとかあるが人材は簡単にどこでもえられないのである。
金があればどこにでも住んでいい、日本にこだわる必要もない、世界のどこでもいい、あなたの行きたいところ行きなさいとかなる
ではそういうグローバル経済社会というのは人間にとっていいものだったのか?
なんでもいい面と悪い面がでてくるからいちがいには言えない
でもこの辺のことかかから考えるとグローバル経済社会の負の部分が大きく出たのではないか?

●故郷とか田舎に生きる価値を見いださないと他でも同じ結果に

そして故郷とは何なのかということが問われたのである。
そんなこと普通は考えない、当たり前のものとしてあるものだった。
それが住めなくなったとき考えるようになった。
故郷より金だよというのがそれまでもあり今それが現実となったのである。
別に原発事故周辺でなくてもそういう社会なのだからその素地があるからそうなりやすいのである。
だから故郷にはどんな価値があるのか?どういう価値があるのかということが問われる
一億円もらったら故郷に住む必要などないとなれば故郷は金に換算すればそれだけのものとなる。原発事故前からそうだったら別に故郷がなくなっても嘆く必要はないとなる
かえって一億円もらって外に出て新しい生活をした方が良かったともなるのである。
でもそもそも故郷とといっても原発事故前から農業はだめだ、子供に農業だけはするなと親に殴られたとか漁業にしても実際は成り立たない、東電からの補償金で成り立っていたことがわかった。
例えば川内村でも三分の一は原発関係で働いていたのである。
そして結果的に市町村が東電の会社の社員になっていたということも事故でわかった。
東電とはそれほど国家並みの巨大な会社だったのである。
その東電によって町も村も買われていたともなる。東電に町や村自体を売っていたともなるのだ。漁業などはあれだけ補償金がでるのだからそうだった。
農業にしてもこれももうやっていられないとか後継ぎがないとか崩壊寸前だったのであるだから原発事故がありそれが契機となって崩壊したとなる

つくづくだから一体故郷といってももともとそうして故郷にどんな生きる価値を問う人などいなかった。そこにあるのは故郷に田舎に生きる不満しかないのである。
だからこそ原発を誘致して金になることを選んだのである。
金の社会であり金になればなんでもいいとなれば当然そうなる。
故郷に生きる価値がそもそも認識していなかったのである。
自分の相馬郷土史などは郷土の価値を全体的に追及したものでもあった。
そこに芸術がありそれも追及してきた。
それを今詩などにまとめつつある。自然とその土地と歴史と一体化することがアイディンティティ化することが自分の価値だった。
だから故郷にある一つの石でも樹でもそれは自分にとって精神的な価値がある
ただ物として材料としてではない、精神的なものとして価値がある
それを詩にしたのが自分だった。まだその全容は示していないがそうだった。

では他の人はどういう価値を求めたのかというと農業でも漁業でも何でも経済的価値でしか計られないのである。そうすれば故郷の価値は工業とか比べれば格段に今では低いものとなるからそもそも故郷に生きる価値を見いだしていなかったとなる。
そうなら一億円もらって他で都会でも生活した方が便利だとなる
ただ農業をしないで稲刈りしたとき喜びがあったと、魚をとったと喜びがあったということでその価値を再認識した人はいた。でも経済的には収入では常に不満であり経済的に価値を認める人はいなかった。
TPPとかなるとますますそうである。農業はやらずに外国の米でも輸入した方がいいとなる。
何かそうしてこの辺はTPPを実現するのに適した地域になったのである。
農業でも漁業でも壊滅すればそこはもう零細な農業や漁業はやめて別なもの,工場にしろとなる。アメリカなどは農業国だから米でもやすく売りたいと思っているからである。
では農業とかなくなった田舎は故郷なのか?何かそれも問われているのである。
グローバル経済はTPPのように必然的になってゆく、そこには例外はない、食料もそうなってゆくのである。
この辺はともかく生きることの根源的なものが問われている場所である。
第一故郷は何かなど問うことなとありえなかったからである。








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金が共同体を破壊した (原発事故で避難民が優遇された問題)


金が共同体を破壊した


(原発事故で避難民が優遇された問題)


浪江の請戸の人が相馬市の病院に入院して特等室に入り相馬市に家を建てるんだと言っていた。その人は漁業関係で金がある人なのだろう
浪江には帰らず相馬市でもどこでも金があるから家を建てて住む人が多いだろう
でも相馬市であれいわき市であれ回りから見ると反発がある。
地元なのに外から来た人が金があるということで家を建てるけど自分たちは建てられないそのために土地の値段もあがり地元の人は建てられない、いわき市の場合は二万とか流入してきたから軋轢が生まれた。


相馬市でも商売している人は盛んに言っていた。なぜ原発避難者は働かないのかとかあいつらは金をもっているから贅沢しているとかスーパーで高いものを買っているとか女性だから細かいところを見ているのである。
自分の所でもスポーツカーを仮設であるのを見たからそこは前に聞いていた、一カ月百万くらいの金が入っているらしい、家族が多いと小高でもそれくらいもらえるのである。
おそらくそうして遊んで暮らしているから回りの不満も大きくなる
なぜ小高とか避難区域となるとあらゆるることに金が出るのである。
介護関係でも鹿島区は30キロ圏外で普通にとられるが小高とか30キロ内は援助があった。避難区域になと家に帰る旅に支援があり金がでている。
これほどなぜ手厚い援助があるのか回りから見るともらっていない人からみると不満になる


なぜ同じ南相馬市民なのに福祉関係まで差別しているのだろうとなる
例え30キロで区切られたとしても市の方で配慮してもいいではないか?
それはもう金の問題でもない、その金はたいしたものではない、それより不公平だということである。
人間は不公平だというとき一番反応する、公平を求めるのが人間である。
不公平だというときいわき市などは一番感じているから現実に危険な状態にもなった。
だからわかったことは政治の一番の課題は配慮しなければならないのは公平なことなのである。
ただ金持ちがいてもいいしそれもこの辺のように不公平なものでないなら容認される
金持ちでもパソコンを発明したジョブスとか何かそういう社会に貢献した人には文句は言わないのである。
江戸時代だったら庄屋がそれなりに裕福であっても村人は容認する、なぜなら庄屋とかは役所の代わりにもなっていたからそうなる、格式も必要になるからである。
殿様にしてもそれがある程度の贅沢は許されるのはそういう社会だったからである。
それは共同体の中でみんな了解して容認されるものとしてあった。


結局現代はそうした共同体の了解とか容認とかがない金だけが突出して力をふるう、それがこの辺では避難民だけが多額な金をもらったから回りでは不満になった。
でも今の時代はどうなっているかというと昔の村落社会とは違う。
避難民からしたらいくら仮設に住んでいても何かその土地の人に世話になることがあるのか?
確かに土地を借りたことは確かである、でもその他一体何か世話になったことがあるのか仮設を建てたのは土地の人でもないしみんな外部の人が来て政府とか東電の援助で建てたし、今は家建てるにもほとんど外部の会社になっている。外部から来た人が家を組み立てるだけである。地元の大工は多少補助役になっているかもしれないがその労働者も会社から派遣された人たちなのである。
だから仮設に住んでいても何か世話になることがありましたかとなる


もしそうでなかったら食料でも住む所すらなかったらいろいろ世話になることがあったろう。それもないとすると何か世話になったという感覚もない、金を出せば食料でも何でも外から入ってくるのだからその食料はもともと外部から入ってきたものが多いのである。それは国内だけではない、グローバルな世界経済となったときそうなっていたのである。江戸時代のような小さな自給自足の村落社会とはあまりにも違っているのである。
世界的に金が万能となってしまった社会である。
最初「十万で家事の手伝いでも頼む」と知り合いの人が来たが今や仮設に住んでいる避難民の方が雇う方になっていたのである。
普通だったらそんな避難民などありえないである。
それは現代の社会構造が反映してそうなっていたのである。


昔だと共同体というとき何か金だけでないつながりがあり共同体だった。それが確かに放射線の影響があったとしても町や村自体がばらばらになり崩壊して消失するということは現代が共同体というのがもうその前に崩壊していたから原発事故などを契機に崩壊したのかともなる
一億円もらって他で生活した方がいいと若い人たちは考える、それは別に故郷に固執するものがもともとなかったからだとなる。老人の場合はそこで長く生活したから愛着があるが若い人はそうでもない、別にいい暮らしが便利な暮らしができればどこでもいいというのが現状だったのである。
それは今はみんなが土地に愛着する農民でもないからそうなる


ある意味で逆に土地が奪われたりして自家生産できないと金が大事だとなる。
農家の人は今は何でも買うから野菜でもそうだし前は投げていたけどそいうことはできないとか言っている。
かえってより金に頼ることが大きくなっている。土地を奪われるとそうなってしまう
土地というのはやはり米でも野菜でも何かそれ自体が産み出すものをもっている。
土地をもたなければユダヤ人のように金だけが頼りとなるということはある。
ただ金が有効になるのはその金でサービスを受けられる社会である。
避難区域となったところはもうそこでは一億円もらってもそこに豪邸を建てても店もない、何かサービスも受けられないとしたらその金の価値もないのである。
だから一億円もらったらみんなかえって外に出て新しい生活をしようとする
結局金がかえって復興させないように働いた皮肉がある
金がかえって共同体のつながりをたち破壊したということがあった。
この辺はそうした様々な問題があらゆることで起きた場所である。
様々な現代社会の矛盾が具体的に現れた場所なのである。


このことはあとあとまでしこりとなる。なぜなら南相馬市民でも鹿島区や相馬市でも補償金をもらえなっか人たちは不満であり避難民に対して協力しないとなる
それは何か具体的にしなくても心でそういう思いがあるとき必ず影響する。
必ずそれがいじめとか具体的なものとして現れてくるから怖いのである。
人の思いは念は怖いものなのである。そういう思いや念を回りの人が抱いているということをやはり避難民も注意しないと危険になる
俺たちは別に世話になっていない、金もらうのも当然だ、何が不満なのだとなるとやはり避難民は回りからの冷たい視線をあびることになる
それはかなり住みずらいものとなる。現実にそうなっている。
避難民にはそういう自覚がないことも問題なのである。


もしこんなふうではなく互いに協力する関係になっていたら「土地の人には世話になった、その土地の人もあんたたちもがんぱって復興してくれよ、陰ながらも応援するよ」とかなっていた。それが地元でなくなってしまったことが最大の問題だったのである。
それは南相馬市でも行政の方で何も手をうたなかったことも問題だった。
せめて福祉関係だけでも鹿島区だったら公平にして援助すれば良かったのである。
それは政府とか東電とかは関係ない、市政の問題だったのであり市長の配慮がたりないとか政治的解決されるべきものだったのである。





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2015年11月06日

心をつなぐ一本の線路(詩) (北海道の消えゆく線路)


心をつなぐ一本の線路(詩)

北海道の消えゆく線路

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北海道の果ての線路
一本のみが伸びている
駅舎も古りて単線のホーム
確かに一本の線は伸びている
広々とした野は枯れて
何かをつなぐように
一本の線は伸びている
でも果たしてその向こうに
駅があるのだろうか?
それも何かおぼつかない
それほど淋しい線路
北海道の路線は次々に消えた
この線もいづれは消える
野は枯れて霧の向こうに
寂寥とした枯野の向こうに
本当に駅があるのだろうか
町があるのだろうか
誰かが乗るのだろうか
誰かが下りるのだろうか
アメリカのアムトラックに乗った時
一人のみがその駅に下りた
駅の名はプリンスとか覚えている
王子様が住んでいる所
それも広大なアメリカであったのか
一本の線路は心をつなぐもの
でもそのかなたに本当に駅があるのか
誰かか待っているのか
ああ 家族はみな亡き人となった
故郷に帰っても誰も待つ人もいない
みんな墓の中だ
その駅には幽霊が待っているのか
良く帰ってきたなと
笑顔で迎えてくれる家族
その時自分は悲しく涙がでる
誰も待つ者もいない
人はみんな死んでゆく
ああ 一本の線路よ
それは心をつなぐ線路
それはかなたにつづき
人と人をつなぐ

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北海道には十回行っている、それは梅雨の時期に仙台港から苫小牧に船で行っていた。最初は電車の旅だった。二十年くらい電車の旅だった。だから日本の線路はだいたい乗っている。乗っていないのは関西など私鉄だけである。
ただ北海道の線路は今や半分は消えているだろう。
まず自分のように旅行した人もいないだろう。旅行が仕事だった。そんなことができたのも幸運だった、今なら遊んでいるニートなどいくらでもいるからめずらしくない
あのころはそんなふうにして遊んでいる人は少ない、一カ月も自由に旅する人は少ない
そのあとは物足りなくなって自転車の旅になった。
今になると自転車の旅もできない、筋肉が疲れてだめになったからだ。
遊びにしてもこれも簡単なようで時間がない体力がないとできなくなる


外国まで電車の旅をしていた。アムトラックで思い出したのはそれは深夜だった、一人の女性がおりた、それは一人だけだった。こんなところに駅があるのかと不思議だった。
さぞかし淋しい駅なのかと思ったらそうでもない、調べると写真もでているが「プリンス」という駅でありその名前で覚えていた。
外国でも名前で覚えることがあった。
アメリカは広くてこれも記憶に残りにくかった。外国の旅は記憶にのこりにくい。
でも旅はあとで思い出すことが意外と大事だった。景色も消えてその名前だけが印象に残ったからだ。アムトラックも観光路線であり冬でありがら空きだった。
アムトラックなどは座席が大きくゆったり座れることがよくそこでソァーのように眠れたから良かった。日本は座席が狭いから眠れないのである。


とにかく自分は鉄道にこれだけ旅行したのだから愛着がある。鉄道マニアというときいろいろある。撮り鉄とかいろいろある。実際に線路まで愛着を覚えるのが鉄道なのである。鉄道には何か人間的なものがあり旅情がある。
バスだと何かそういうものがないというのも不思議である。
鉄道の旅とバスの旅は全然違ったものなのである。
インターネットで藻琴駅とかの写真を見ていた。あそこも駅はあってもバスが線路を走るそうなると全く違ったものになる、やはり一両でも車両が走らないと気分がでないし旅情がないのである。
鉄道というと音にも感じる、汽笛でも線路を走る音でもそうである。
それはやはり旅しているからその心があの音に感じる、駅もまた旅情がありバス停とは違っている。鉄道はそれだけ人間的である、新幹線になるとまた違っている
早すぎて旅情がない、ただ早く運ぶだけだとなってしまう。
鉄道が全盛期のころがなつかしくなるだろう。
それは団塊の世代でもそのあとでもやはり鉄道が生活路線だったときがなつかしい
駅だってそこが街の中心であり駅前通りがありそうしてにぎわっていたころがなつかしい車時代になり道の駅になったが何かそれで淋しいのである。


人間は最後は思い出だけとなってしまう。原発事故で故郷から離れた人も何かこの詩のような感覚になる。もう駅があっても双葉とか大熊はいつ電車が通るのかもわからない
それも想像もできないことだったし村ごと津波で消えたことも想像もできないことだったあまりにも変わりすぎたのがこの辺なのである。
ゴーストタウンになりゴーストステーションになっている。
こんな映画のようなことが現実になることがおもいもよらなかったきである。
ゴーストタウンを幽霊のように彷徨っている姿がある。
そしてすべて消えたのか、やはり思い出はみんな残っているのである。
死んだ人はなにもなくなったのか、思い出だけが今でも残っているのである。
一本の線路は心をつないでいる、それは死者とも通じている
それは自分が死ぬまで消えることがない、心の線路なのである。




タグ:北海道の駅
posted by 老鶯 at 19:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 北海道(俳句-短歌-詩)