2016年01月30日

雪ふる城下町(雪のふるなかに相馬市へ行く)



雪ふる城下町(雪のふるなかに相馬市へ行く)

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宇多川の橋を渡るや小雪ふる

小雪ふり大雪ふりて夜となる

水仙に小雪のふるや土手の道

軒低く雪ふり暮れぬ城下町

鴨数羽城跡の堀今日も暮る

細雪夕暮れ静か五本松

道の駅雪のふり暮れ五本松


我が庭に石のありつつ小雪ふり母亡き後や蠟梅の咲く

我が家に母を介護すその部屋に蠟梅の咲き母は死ににき

百歳を生きにし母や今朝見れば雪の積もりて蠟梅の咲く

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昨日は歯医者もあり用事があって相馬市へ自転車で行った。最初は小雪だった、次ぎにだんだん大雪になっていった。
雪にもいろいろ種類があるが浜通りは雪はほとんどふらないから雪のことはわからない
ただ昨日は最初は小雪だったのである。
だから小雪だと春雨にぬれて帰ろうとか小雪にふられて宇多川の橋をわたるというのも風流だとなる
その小雪がたちまち大雪になっていった。

相馬市がなぜ原町市などと違うのか?それは何度も書いてきたが高いビルがないくこじんまりとしているからである。
ただそれだけのことで情緒が生れていることの不思議である。
そうなると昔はみんなそんな状態だからどこも情緒があったとなる
橋でも木の橋であり大きな橋はめったにない、宇多川は細い川だから橋も短いから情緒がある
日本画では良く橋がでてくるのは今の橋とはまるで違っていたからである。

浜街道の五本松の写真は絵になっていた、ちょうど雪が大雪になりはじめたころでその時がシャッターチャンスとして良かった。
これは写真そのものが絵になっている、そういう写真は今はいくらでもある
写真と絵の見境がつかないのが多くなったのだ。
細雪(ささめゆき)というとき何か日本的繊細な感じでいい、最初は小雪であり細雪だったのである。
今は鉄道の駅ではなく車の道の駅になり時代が変わった。


庭には蠟梅が咲いていた。この花は春の先駆けとして咲く、冬の内にも咲く、雪の中に咲くのがふさわしい、庭には石が一つあり母を介護した部屋に向いている。
何か人間は死んでも継続がある、ここに母がいてとかなり何か死んでも人間はそれで全部が無とはならない、何かが継続されてゆく、家でも跡を継いで住むものがあれば継続されているのだ。
だから空家とかなると生が継続されないからそこは本当に死んでしまうのである。
そのことは原発の避難地域にもそういえる
人間の生は代々継がれることに意味がある、それが人間が人間たる所以なのである。
動物はそういうことがない、人間は面々と生が受け継がれてきたことに意味がある。

明日は49日であり遺骨を墓に入れる、なんかこれも大きな一つの区切りとなった。
東京から母の唯一の孫がくる、新幹線は普通に運行しているが仙台から相馬までの高速バスがちょっと遅れていることが心配である。
でも一応運行しているから良かった。




2016年01月29日

死者を葬ることはそれぞれの文化だった (もともとは郷土に葬られていたから死者も郷土と一体化していた)



死者を葬ることはそれぞれの国や地域の文化だった

(もともとは郷土に葬られていたから死者も郷土と一体化していた)


死者というのが葬儀でも墓でも問題になっているのは社会が変化して家族関係でも人間関係でも変わってしまったからである。
不思議なのはそもそも家族墓は江戸時代にはなかったのである。
武士でも、、、家というは墓はない、苗字名前があっても、、、家という墓はない
個人墓が基本である。、、、家というときそれは江戸時代から連続しているようでも江戸時代は個人墓であり、、、家の墓はない、一家の墓になったのは明治以降なのである。
それでも個人墓から夫婦墓となり家族の墓になった。
それは明治政府の意向でそうなったのであり政治的なものとして明治以降に作られたものだった。
家を中心にして家庭を作り国造りの基盤にしたためである。
だから最近家族墓から個人墓に逆戻りしているというときそうなっても不思議なことではない、前にもどっただけだとなる


家族墓が一家の墓が後継ぎなどがなくて維持できないというのも江戸時代でもそんなに一家の墓を維持しようとしていないし墓は個人墓であり墓がないのが庶民では普通だったのである。
それで江戸時代の後期になると農民でも生活に余裕ができて個人墓を作ったのである。
そもそも庶民には墓はなかった、村では共同で埋葬する場がホトケッポなどがこの辺ではあった。でも家族の墓とか個人の墓とかはそこになかったのである。
つまり村人が死んだらホトケッポとかに葬られて墓はない、お参りはそのホトケッポに村人がしていたとなる
それが共同墓地だったとなるから共同の墓地をまた志向しているのは江戸時代にもどるということである。
ただ村というものではないからその形は同じでも内容はまるで違ったものとなる


いづれにしろ死者をどうするかは一つのその国ごとの地域地域の文化である。
先祖が春になると山から里におりてくるというときそれは稲作文化が作り出したものである。山からは絶え間なく水が流れて大地をうるおして稲ができるからである。
そして先祖は山に眠り村人を見まもってくれるというのはそうした稲作文化から生れた死者の見方であった。
死者をどう扱うかというのは本当にどうしていいかわからないものである。
そもそも死者が何かとなると一つの解答などないからである
骨にあるのか?名前にあるのか、墓に死者がいるのかとなるとこれもわからない
骨は土になり個人の骨が一緒になりわからなくなった。
するともう骨から個人は識別できない、骨はその土地の土になったともなる


現実に骨はその土地の骨となるということもある。自然だったら木がその土地に根づきやがて老木となり朽ちてその土地の土に帰り養分となる
人間も生物だからそういう生物的感覚として葬るということもある
そしてそれが自然なのかもしれない、現代はむしろ不自然なことが多くなったから死者も不自然に葬られるのである。
いろいろ葬儀の仕方が志向されるのもかえってそれが不自然になることもある
だから今回自分で母の葬儀をして49日間は死者は家にいるという死者への対処の仕方は意味あるものだと思った。
ちょうど49日間というのが時間的に何か家に本当にまだいるのだという時間感覚だったのである
だからこういう死者への文化は何か意味があり簡単に新たに作れないのである。
これは別に仏教とは関係ない、日本古来の風習なのである。
ホトケとは仏教でいうお釈迦様のことではない、ホトケとは死者のことである。
もともと日本語なのである。神仏習合したものとして伝えられて来たのである。


自然だというとき今は地域が喪失して地域の文化が失われた。
死者を葬るというとき何か供物でも土地でとれたものお菓子でも地元で作られた菓子などを供え物とすることがふさわしい
今ならいくらでも外から食料が入ってくるが仏様には土地でとれたものがふさわしい
そして仏様はその土地の人とかかわるから郷土と密接に関係していたのである。
郷土史と深く関係していた。
自分が墓に興味をもって郷土史を研究したように墓は郷土と密接に関係していた。
なぜなら墓は単なるものでない、死者の魂が眠っているとなれば郷土に生き続けているのが墓だともなるからである。
要するにその土地と一体化して存在し続けるともなる


人が死ぬということはまたどう生きたかとういうことも問われる。
するとどこに長く生きたのかということも問題になる。
転々として転勤して生活しているようだと何かどこに生きたかわからなくなる
そういうことも今では多くなっている。
そういう人は遊牧民であり死んでその土地の土になるという感覚はなくなる
千の風になってとかなるだろう。
ただ墓地であれ墓であれそれは家より寿命が長い、家は一代二代でなくなるが墓は容易にその土地にあってなくならないものとしてある
だから墓地は具体的に郷土史を知るものとして自分は興味をもったのである。
そして死者を生者が見まもるということもあるが逆に生者が死者を見守るということがある。
それは近い方がいいのである。自分はすぐ近くに墓があり毎日その前を通っているから手を合わせたりしているから死者とともに生活しているとさえなる。
でも墓から離れて暮らす人はそうはならない、都会では別に墓を求めて遠くに墓参りするがそれは別荘みたいなものであり近くの人か関心があるわけでもない
墓とかもやはりその土地で長く暮らしていたら継続してそこにあり生者に見まもってもらいたいとなる
生者ー死者には双方向の関係が必要なのである。


49日は家にいるというときそれは家には最も長くいたからである。
それもまた都会のように家を転々としていればそうはならない
一定の土地に定着しないで転々としていればその土地に愛着をもてないだろう
その延長として墓もまたどこにあるべきともなる
墓なんか一層ない方かいいとういふうにもなり海に骨をまいたり樹木葬となったりするのかもしれない。死者は千の風になるとかになる
啄木の墓は函館にあるのがふさわしい、波が打ちよせ雪に埋もれてあった。
何か荒寥として放浪の詩人の墓にふさわしい場所だったとなる
外人墓地などもあるから墓にもいろいろある。
ただ基本的には長く暮らした場所に故郷にあるのがふさわしいとなる
そこでは生者と死者は以前として関係して生活が継続されるというのが何か自然だなと感じる。
ともかく現代はあるゆることが不自然だというとき自然から離れてしまったからそうなる自然村があるというとき縄文時代だったらまさに自然村であり自然と一体化した村だっただからそこではなんでも自然の中で自然なものとして生も死もあったとなる
樹木葬とかでも何か無理して自然に帰ることを作り出さねばならなくなったのが現代なのである、自然からかけはなれた生活になったからそうなったのである。


タグ:死者と郷土
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2016年01月28日

最近の南相馬市の風景(写真で伝える)


最近の南相馬市の風景(写真で伝える)

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 ノスリ

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ここは菊畑だった

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野馬追いに出るために飼っている馬

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山を崩し土を運んでいる

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プレハブの宿泊所

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風車



最初にノスリが六号線の脇に見つけた。ノスリはノネズミが増えてノスリも集まった。
ノスリはどこでも見かける鳥になった。
それも津波原発事故以来この辺が原野化してノネズミが増えたからである。
小さなカヤネズミというのが増えた。畑で野菜を作っている人はそのことを言っていた。

次ぎに菊畑だったところがソーラーパネルになっていた。
菊畑の方が情緒があって良かった、何かソーラーパネルは景観を破壊するのである。
これも自然破壊になっていたのである。
原発もそうだがなんらか自然に反してこうしたものはできるから自然エネルギーでも自然破壊になっている。
ただ農業より土地代で稼げるからソーラーパネルにするのだろう
でもどれくらい利益があがるものなのか?それも問題である。
ソーラーバネル発電は税金が加算されているから実際はエコでない、国民にとっては高い買い物だというときそうなのだろう。
他のものよりコストが高くついているのはエコではないのである。


次ぎに野馬追いにでる馬を飼っている所である。これもこの辺にふさわしい
野馬追いに出るためにだけ飼っている馬がこの辺ではいるからだ

次ぎに山を崩して土を運び所である。これもこの辺ではあちこち山が崩されて土を運んでいる
相当な土が必要になっている。どこでも暇なしダンプが通って危険でもある
こんな工事がいつまでつづくのかと思う。
何か工事で活気があっても嫌なのである。


次はプレハブの宿舎であるがこれも増えつづけている、いたるところがプレハブの宿泊所になっている、まだまだそれだけ他から人が入ってきて泊まるところがないからそうなる
そして風車がある家にでる


これらの一連の写真を見ると如実にこの辺が今どうなっているからわかりやすい
写真がまさにこの辺を語っているのである。

2016年01月27日

昭和55年の150万の保険金が倍になっていた (当時をふりかえるーバブルからバブル崩壊の時代)



昭和55年の150万の保険金が倍になっていた


(当時をふりかえるーバブルからバブル崩壊の時代)


昭和55年(1891)

1989年 38000

1980-1986 ドル 225円


グラフで株価の推移をみると1989年が3万8千円というのは驚く、まさにバブルでありそのバブルが崩壊してそれからは日本の経済は成熟になり下落していった。
その頃地上屋とかが話題になったのはバブルだった。


日本は88年には「1人当たりのGNP」が世界最上位のスイスやアメリカと肩を並べ、この時点で主要先進国に伸し上がって居たのです

バブル期の過剰融資は不良債権に変じ”負の遺産”はその後の日本経済を圧迫し、複合不況の中で”浮遊層”に代わり「ニュー・プア」というが析出し、彼等はフリーター(95年の阪神淡路大震災にビックリした後、

なぜ150万の保険金が倍になっのか?それはバブル時代と重なったためである。
余剰金が生れ配当金がついてそうなった。
経済が下落傾向になってもバブル時代とかに蓄積された金が今日まで計算すると倍以上になっていたのである。
それはさらに40年前とかに貯金した人は金利が高く今になると倍以上に増えた
だから老人は金を持っている、その景気のいいとき貯金しないものは増えない
今は金があっても金は貯金では増えない、かえって物価高とかで目減りしているのである
人一人が死ぬと残された財産とか金が問題になる。それもまたその人の歴史だった。
母は大正生れであり百歳まで生きたから金の計算をするとそれもその人の一生だった。
特に戦前から戦後に大変化があった。前の夫が事故で死んで多額の補償金をもらったが戦争になりその金が紙屑になったのである。
ただわずかの土地を買った分だけが残されたのである。
だから金の価値も変動するし金も紙屑になることがある


高度成長期は小さい店でもどこでも繁盛して金を残すことができた。貯金していると金利が高いからそれが30年とか過ぎると倍以上になっていたのである
不思議なのは金利というのは高い時があっても不景気になったからと低くはならないのである。金利は高いまま30年とか同じだから倍にもなるのである
だから今いくら金をもらっても金利がゼロだから10年20年貯金しても増えないのである。増えないことは確実に目減りしてゆく、物の値段にしても1980年とかその前になると安かったが今は家の値段でも当時の3倍、4倍になっている。
自分の家は築45年くらいだがその時建てたのは400万だったのである。
家を建てるなら今だよと言われて姉と母が建てた家である。
その時の大工の手間賃は本当に安かった。そのあとに急に手間賃があがった。
グラフでも最低賃金が3倍4倍と上がっていった時代だったからである。
そうなると400万では建てられない、早めに建てたので安かったのである。
木材も地元のものを利用して建てていた。
まだ外材は入らない時代だった。


ただ時間が過ぎるのも早い、神戸の大地震から20年もすぎたとということでもわかる
あれは最近起きたような錯覚がある。時間というのはたちまち過ぎる
そして過去をふりかえることになるのだがそれもまた明確ではなくなる
そんなことあったのとみんななってしまうのである。
今の老人が金をもっているというときその老人の功績ともならない
高度成長で運が良くて金利が高いから金が増えたのである。
その恩恵は母の場合は何も使わない、食べ物は贅沢しても他は一切使わない、貯金して残すだけだった。その一部は盗まれたりしたから何のためにためたのかもわからないのである。
ただ遺言したのが孫に金をやということであり遺言書はなくてもやることにした。
それはたいした金ではない、相手もそれで納得してくれた。


ともかく死ぬといろいろな整理がありこれも49日まで納骨するまであり手間だっと思っただいたい49日間は整理にかかる、自分の場合、母の貯金があったがこれも相続人が自分と孫だけなので良かった。
兄弟が多いとわずかの金でも相続することが大変になる。
自著してもらい実印をおしてもらい印鑑登録証明書をもらうとか離れているとめんどうになるのである。
49日の納骨はこれもやはり大きな区切りになる、まだ49日は家にいるというのも死者と語り死者がいるという期間としては適当だった。
こういうのは長い伝統がありそこに何かしら意味がある。
伝統的なものには必ずなにかしらの意味がある、これは別に仏教とも関係ない、日本的な風習でありそれが仏教化したともなる、仏教の教えは死者については何も語っていないからである。


要するに死者に対する伝統的文化が喪失するとき、その伝統なしで葬儀を行ったり死者を送るということを新たにしなければならなくなるとする本当に負担になる
火葬場で死体を焼いたりするのは葬儀屋でするがそれは機械的なものであり納棺師とか最近生れ専門家である。だからなにかしっくりしないのである。
違和感を覚えたのである。
死者を送る文化とか地域が喪失したときではそれを専門家が簡単にになえるのかとかなるのである。
社会や時代が変化するとき葬儀でも変化するのだが死者に対する考え方も変わるのだがそれを簡単にはできないのである。
長く伝えられたものには必ずなにかしらの意味がありそれが新たに意味を作り出すことは時間がかかるし容易ではないのである。
確かに機械的に物として死者を焼いたり骨にして墓に入れたりするのは物理的には負担にはならないけど何か精神的には疲れたなと体験してわかったのである。

死んでからいろいろ整理がある、財産とか金の整理が具体的一番問題になるがではその後死者をどうするのかとなるとこれもまた大きな問題でありそれは一個人するのは大変である。各個人自由にしろと言っても簡単にはできない
こうして現代はいすいろいろ面で伝統的なものを失っているから葬儀とか墓がどうだこうだとか問題になる
でも旧来の葬式の方法も合わないことも確かである。
なんとか納骨が終わればまた死者を葬る大きな区切りになる。
今回と家から出棺して火葬して家で49日骨を安置したので良かった。
姉のときは忙しく葬儀場から出棺してすぐに墓に骨を納めたようである。
49日間置いた記憶がないのである。なにかあわただしくしてしまった。
今度は順序良くできたので良かったと思う。




タグ:保険金
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2016年01月26日

原発避難者に一方的に同情したテレビ報道の疑問 (もうかわいそうだというのはいい加減にしてくれ)



原発避難者に一方的に同情したテレビ報道の欺瞞

(もうかわいそうだというのはいい加減にしてくれ)


今日のテレビで小高区の人がテレビで訴えていたけどそれも一方的なのである。
避難者の一方的な発言ばかりをとりあげている、そういう面もあるにしろ現実には常に二つの側面がある、こういうことで自分も失敗した。
争いには二人の言い分があり一人の言い分ばかり聞いていると正しい判断ができないのである。
マスコミは必ず取材するとき取材者の言い分を重んじる、取材者の主張にそって取材して報道することを望む、だからこそ取材と報道に協力するのである。
もし非難めいたことを報道するなら報道するなとなって取材もできないからである。
ここに報道というのが一方的に常になってしまうのである。


第一五年も過ぎるのに未だにかわいそうだ、かわいそうだというのはもういい加減にしてくれともなる、ずいぶん遊び暮らしたのではないか?。
毎日パチンコだ、競馬だ,ギャンブルだとか遊びあきたのではないか?


国民年金だけしかもらえない人が多いし仮設から出ることが不安な人が多い

馬鹿もいい加減にしてくれよ、どれだけ補償金もらったんだよ

もっとくれ、もっと支援してくれ、俺たちはかわいそだと思わないのか

もう年なんだから死ぬまで補償してくれ

それが当然だ、それだけの被害を受けたんだ


鹿島の人はみんな買い物にしてくれたから助かったのよね

鹿島区の議員の人も援助してくれた

私たちはもっと補償される期間をのばしてもらいたいわ

浪江だとあと二年だよ、うらやましい


こんなことを一方的に報道するテレビは何なのだとなる
こういう報道すれば原発避難者をつけあがらせるだけではないか?
原発避難者に対して怒りを覚えている人も相当いるのである。

第一5年もすぎたらもう区切りでありどこまで補償せねばならいのだと国民も税金から補償金を払うのだからフクシマの人間は乞食だと批判している
福島県内でも放射能の被害があっても何にももらえない人がほとんどなのである。
あれだけ手厚い補償きれたのにさらにもっと補償してくれ、支援してくれ、それが当然だ
結局このことも現代を象徴しているのである。弱者になり集団化して補償を要求する
そういうことにはなかなか批判しにくい時代である。
そういう手法は戦争で中国でも韓国でも日本を責めるのとにている。
沖縄でもそういうことで国から金を予算としてもらうから国民から批判されるのである


そもそも小高にはもうほとんど帰るのは老人である。小高を見捨てた人が多いのである。復興しようとする人より見捨てた人の方が多いのである。
そこに住む人が復興する気がなくなったら外からいくら支援しても無駄だろう
なにかしら復興しようとするならば外からの人も協力するがそこに住む人がすでに復興する気もなくなっている
それより補償金もらって外で暮らした方がいいとしている
だから飯館村でも寄付金を募っているがその寄付金を何に使うのかというのも疑問になるギャンブルしている人のためにもう村を捨てた人のために使うのかという疑問もある
もし本当に村でも復興しようとすれば多額の補償金をもらっているのだからその金でなにかしら村を復興させようとするだろう。
現実は補償金で遊び暮らしてもっと長く死ぬまで補償金もらった方がいいとなっている
特に老人になるとそうなるからかえって今度の原発事故の避難者は得したなと外から見ている人も多いのである


いづれにしろテレビとかマスコミは一方的な報道しかしない、こんなに一方的に避難者の言い分だけとりいれることに腹がたったのである。
福島県でも会津からどこにでもいてそういう人たちを周りの人がどうみているか?
そういうことは他では文字系だと報道している、テレビは何か一方的になりやすい
インターネットだと今見た番組を批評しやすい
リアルタイムでも批判しやすい、そういう時代だからそうした一方的なテレビの報道に対して言うべきである。テレビがそうして独占して報道する時代は終わっている
常にインターネットからでも批判にされされるものとして報道するべきである。


タグ:原発避難者
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2016年01月25日

故郷とは何か(一つの詩より考える) 土地所有(エンツェンスベルガー詩集より)


故郷とは何か(一つの詩より考える)

土地所有(エンツェンスベルガー詩集より)

ぼくがぼくの目できりひらいた土地
ぼくがぼくの今日の手で抱きすくめる土地
ぼくの土地、ぼくのはかない土地
うとましくもしたわしいこの時代のために
おまえを呪ってぼくのものとした
喜びに輝いている土地

ぼくはおえまの名を言おう、語れ
語って言葉をぼくに返せ
言葉のないおまえの口から


ぼくの土地、ぼくはおまえはいたわりはしない
ぼくはおまえを自身ははかない身で
このはかない光にかざしている それぞれが
それぞれの美しい夏の照り返しを受けて
オリーブの影のように軽やかなぼくの土地
おまえの輝きつつ息づいている
あたたかな境界をぼくはうるおす
そしてぼくは朽ち果てることにオリーブの影のようにさからって
おまえの上に休らいでいようとおもう

ぼくのかぎりない土地
ひじではかりとることのできる土地
ぼくのやさしい領分、オリーブの木影ほどの
一つの墓ほどの大きさの領分
ぼくに残されている年月のなかの
血なまぐさい瓦礫にさからって花咲いている土地


この詩は何か面白い、なかなか詩というのはいろいろあっても知らないのが多いのであるこの詩人についても何もわからなっかたし他を読んでも理解できない、詩は詩を書いていても一般的に理解しにくいのが多いのである。
この詩は原発事故などで故郷を失ったことで故郷を考えるのにふさわしい詩である。
これは別に故郷を詩にしたものでもない、一つの自分の土地を所有しことで詩にした
実際は故郷となるとこれよりずっと広い感覚の土地だけで故郷とにていないこともない
これはヨーロッパの貴族の私有地感覚なのだろう。

ぼくがぼくの目できりひらいたというとき、それは自分の手で苦労して開拓した土地とは違う。目というときそれは画家とか詩人とかが芸術化した土地のことである。
自分は石とか樹をテーマにしてそれをしてきた。それをなんとか詩集にまとめようとはしている。
オリーブの影のように軽やかなぼくの土地、、、というときこれも庭園的な感覚である。でもこの辺では故郷と言っても相当に広い、広い森があり飯館村なら森におおわれている70パーセントが森なのである。原始の暗い森におおわれているとなる
夏には暑さ知らずにそこの道は影がおおっていて涼しい風が吹く、その道は日一人くらいしか通らない、そういう道はどこの田舎でもある。
そういう場所があって安らぎがある、原町からでも鹿島からでも飯館村に行く道は森でおおわれていて暗い、だからこの詩のオリーブの影のようなよりもっと原始的な暗さの森がおおっている場である。


ただ自分は故郷を往き来しているからここは自分の領分の世界だということは共通している。ほとんど行き尽くしているがやはりかぎりない土地であり発見がある
ひじではかりとることのでる土地、、、これは目の前の小さな土地だが故郷でも相馬藩くらいになると自転車で行ける範囲であり距離的にも空間的にも計れる範囲なのである。
ただ実際は浪江辺りまでになるとまだ道の領域がある、狭くても計りきれないものがある

ぼくはおえまの名を言おう、語れ
語って言葉をぼくに返せ
言葉のないおまえの口から

これは面白い表現である。自然は大地でも山でも樹でも石でも自らは語らない沈黙の場なのである。
こんなふうに放射能で汚染されようが何されようが自然は語らないのである。
言葉はないにしてもその自然を汚せば自然は人間に復讐するのである。
原発に対しては自然が怒ったのかもしれない、それが津波となり人間を住めなくさせたた自然に言葉がなくても何もしないということではない、自然を汚すものは自らも汚されるのである。
この語れというとき語るのは詩人とかなのである。
山となり樹となり石となり大地となり詩人は語るのである。
宮沢賢治などはそういう詩人だった。斉藤茂吉などは短歌の領域をでていないから詩人とは言えなかった。


現代ではこうした詩人はたいがいアウトサイダー化する、異様な人間化する
なぜなら現代文明とは相いれないものだからである。
東京という大都会を見ればわかる、もうそこはすべて人工物であり自然はないからであるもちろん森におおわれた木蔭もない、クーラーで涼しさを作り出す人工空間なのである。異様な人間というとき文明人こそ異様な人間と化しているのである。
それはロボットなのか何なのかわからない、像でもって語れという人が東京に住んでいるけどその像が全くない世界なのである。
石というときビルの谷間にある庭の石でありそういうものは自然とも違う。
石とか磐とかはもともと奥深い自然のなかにありビルの谷間にあっては活きてこないのである。


いづれにしろ浪江から避難した人が高層ビルに移り住み都会の灯を見ているのも不思議である。こんなところ嫌だ、田舎の方がいいというときそうだろう。
あまりにも違った世界であり落ち着かないだろう。
上野霄里氏のように文明そのものを否定した思想家がいる、それはニーチェでもそうである。自分もそういう人に共感するのは普通の感覚なのである。
そういう感覚が喪失したのは人間があまりにも自然から離れた結果なのである。
自然という像から人間は作られるがその像がない、そこにあるのはロボット化する人間だとなる
だから大きく見れば原発事故も文明を否定しないかぎり防ぎようがないものだった。
文明を肯定していれば科学技術が宗教となり原発も必然的に作られたのである。
ではお前は電気なしで暮らせるのか?原始時代にもどれるのかという議論に飛躍することは良くない、お前も文明が必要なんだというときそれも肯定せざるを得ない
車を少なくするとか自転車をなるべく利用するとか文明の科学技術を制御する思想が必要なのである。そもそもそういうものが仏教にもキリスト教にも中国の老子などの思想にも二千年前にあり予言されていたのである。
文明から原発事故が必然的に起こることは予定されていたことなのである。


人間の共同性がグローバル化経済とか広域社会であるがそれもまた文明の過度な発展のためだともなる、世界中の物や人が自由に交流するというのはいいようでそうでもない
それはその土地土地の文化の破壊にもなりその土地固有の文化が失われて金だけが唯一の価値となり原発事故で故郷を失い、共同性を失ったようにその矛盾がこの辺に極端な形で現れたのである。文化のなかには金で計れないものがある
金より文化を重んじればそうなる、金で何でも買えないのである。
部落でもその共同性が破壊されたのは補償金をもらってどこに住んでもいい、それがいいということにはならない、不便でもなれ親しんだ仲間と一緒にいて死ぬのもいいとかいうのも価値観である。限界集落でなぜそこに不便でもいたいかとなるとそういう金では計れない価値観があるからそうなる、金や不便さより仲間と一緒にいる方がいいともなる
金はかえって人間を結びつけない、何か分解させる作用をもっていたのである。
欲望を追及していけば必ず金を求め金だけが唯一の価値となり仲間もなにもいらない、金があればいい、ここは不便になったから別な便利な場所で暮らせばいい、家族でも別々になってもいいとなり老人だけが取り残されたのである。
だから蝋燭でもいいから家族一緒に暮らせるのがいいと原発事故当初に大熊辺りの人が言ったのはまさにそういうことだったのである。
蝋燭や炭にエネルギーを頼っていたら家族がばらぱらになることがなっかたという逆説があったからである。
ただ言うは優しいが現代文明を否定するといってもそれは世界がそのシステムからの逃れられない
資本主義のシステムから田舎でも石油を使えば離れられない矛盾かある
ただ原発事故は現実問題として文明否定の方向に向かわざるを得ない具体的なものとして志向するうよになったのである。

タグ:故郷とは
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2016年01月24日

津波原発事故による地域の崩壊 (広域社会は金にたより外へ流出させる)


津波原発事故による地域の崩壊


(広域社会は金にたより外へ流出させる)


津波原発事故での最大の問題が人口の流出でありそれも若い人の流出して市町村が維持できなくなることだった。
女川町では20パーセントとか流出したとか他でも人口が流出して町自体が維持できない状態になった。
そこで若い人が流出して老人だけが取り残されるのは同じだった。
老人はその土地とか仲間とかに執着する度合いが強い
住み慣れた所に住みたいというのがある。それで限界集落でも子供が出て行っても老人は以前として残っている。そこに長い間ともに暮らした仲間がいて安心なのである。
一見孤独のように見えてもそうした限界集落では長年つきあった仲間がいて安心なのである。
だから離れたくないという気持がわかる、一方で若い人がいなと村でも町でも維持できない問題がでてくる。特に現代は便利な社会だから余計にそのインフラを維持するだけで費用も労力もかかるから老人の言い分だけを聞いているわけにはいかない
つまり東京の人がそうして文句を言うのは地方交付税とかで税金がとられそうした限界集落でも田舎でも今は財政でも地方交付税の額が大きい

南相馬市だと

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どこでも一割とか二割は地方交付税になる。それから県からの財政の支出も5割とか多い
道路とかはほとんど県からの支出だし公共事業もそうである。
その県へも国からの金でまかなうということがある。

県の財政も半分くらいは国の財政から出ているのである。

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。特に震災以後は福島県ではその割合が大きくなった。県であれ市町村であれ自主財源は半分以下なのが普通である。
その国から支給されるのが国民全部の税金だから地方は金を無駄にしているとか限界集落はインフラに金がかかるから税金を使うべきではないと言われる
広域社会というときすでに国のシステムでもそうなっている。

江戸時代とか明治以降でも戦前から戦後十年くらいはそもそも燃料は炭であり水道もないし道路は舗装されていない、インフラに金などかけていない、医療でも福祉でもそんなに金をかけない、かけられない社会である。
そうすれば他からの苦情もない、炭焼きして自分たちは自分たちでまかなうという誇りがあった時代である。材料にしても家でも地元の木材で建てていたし地元の大工が建てていた。今はみんな外部頼りであり津波で家が壊されたとしても外部の会社が来て建てているのである。
経済でも広域社会になれば外部頼りになる割合が大きくなる。
外部頼りになるということは世界経済になれば金が頼りになる社会になってしまう。


前にも書いたがこういう広域社会グローバル化社会は地域の独自性とか独立性まで破壊してしまう。第一炭から石炭から石油から原子力発電というエネルギーの変化を見れば経済がすでにグローバル化している。
石油なしで田舎だろうが成り立たない、すると中東の紛争など関係ないと田舎でも言うことはできない、もし自給自足だったら炭でやってゆくから石油はなくてもいいと言える
それが限界集落だろうがそこでは電気も石油も使っているから言えないのである。
自分の矛盾もカナダが石油がとれるから投資するにはいいと投資した。
結果は石油安で裏目に出たというすでに田舎でもそうしたグローバル経済にシステムに組み入れられているのである。


その結果として何が起きたのか?

●家族の破壊

●地域の破壊

●共同性の破壊

家族といっても核家族化したときからはじまっていた。それまでは大家族だったのはそういう生産のために農業中心であれば労働力が必要であり大家族だった。
それが戦後は工業化社会であり核家族化になったのである。


だから原発事故でば何かそうした社会の矛盾が極端なものとして現れた場所となったのである。
三世帯とかで暮らしていた家族が若い夫婦は親や祖父母から分離して別々になる。
若い人は故郷から流出してゆき、老人だけが取り残される
別に金さえあればどこに住んでもいいというのが広域社会だからそうなる。
そして農業は土地に執着するが工業社会は土地に執着しない、会社は工業だと部品を作っているのだからどこでもいいのである。
その土地とはほとんど関係ないのである、会社が移れば人も移るとなってしまう。
そして人々の心は金さえあればいいということが強いものになっている
その土地とか仲間より金だとなっているのが現代である。

一方で矛盾しているのは老人になると長年住んだ土地と仲間とかの執着が強くなるから離れられない、それでもどりたいという気持がわかる
限界集落でも老人が離れられないのはそのためなのである。
若い人は特に子供などは別に故郷に執着しない、新潟に一カ月くらい避難した人が言っていたが一カ月くらい学校にいても別れるのが嫌だったとか子供はすでにそんな期間でも親しくなるのである。
子供はすぐに環境に適応しやすいから生れた場所が故郷ではないのである。
たがらすでに故郷から離れて一年でも過ごせばそこに友達ができてそこが故郷ともなってしまうのである。そしたらますます生れた故郷には帰らなくなるのである。


いづれにしろ津波原発事故で起きたことはそれだけが原因ではない、社会の矛盾が極端な現象として現れたのでてありその社会を形成していたもろさが一挙に露呈したのである。小高でも塚原とかの人は帰らないという、そこは部落として結束の強い場所だったがそれも崩壊した。津波のせいもあるがやはり共同性が結束が保てない
補償金をもらったら地元の復興とかより金をもらって便利な生活をしたいとなる
つまり金があればどこに暮らしてもいいというのが現代だから当然そうなる。
仲間があったとしてもそれより金だというのが現代の広域社会だったとなる
共同体の結束が弱体化しているから津波原発事故で崩壊したとなる
何かその共同体が崩壊するとき内部の原因も大きい
ローマ帝国でもインカ帝国でも崩壊したのは内部的要因であり外部的要因ではないというそういうことがこの辺でも起きたのだと思う。
すべてが津波原発事故のせいとはいえないのである。

タグ:地方交付税
posted by 老鶯 at 14:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2016年01月23日

寒雲(相馬市へ行く)



寒雲(相馬市へ行く)


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寒雲に北風鳴りて五本松

山脈に寒雲の影橋わたる

寒雲に二両の電車や昼の月

宇多川の橋をわたるや冬芒

城下町軒を並べて寒さかな

城下町相馬六万石冬の暮

大手門狭しやあわれ冬の暮


相馬市の女性の医院に飾りたる花の絵にそほのぼのとしぬ

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浜街道の五本松の端の一本は枯れてきていた、すると五本松ではなくなる
何か松は枯れやすいのである
相馬市については前にもいろいろ書いたけどなぜ情緒があるかというとそれは意外なものである。
あそこには高いビルとかない、低い家並であり城跡もあるがそれもここが城なのかということも明確でもない、大手門にしても狭いし小さいからここが大手門なのかと思ってしまう。
それだけ小規模の城だった、でも野馬追いがあるから大きな城があるように外からだと見える不思議がある。あれだけの行列があると何か大きな城があるように錯覚するのである実際は相馬藩は六万石の小藩にすぎないのである。
ただ入り組んだ城下町特有の町割りになっている。それも気づきにくいだろう。
だからよそから来ても見るところがないとなってしまう。

宇多川も細い川でありこれも何かぱっとしない川である。
でも橋が何か情緒がある、その橋が短くて小さいから人間的に見えるからである。
それは昔ながらの木の橋のようであり情緒があるとなる
今はみんな大きな橋になっているから人間的でなくなる
要するに現代は何か人間的なスケールを越えているから情緒がなくなる


相馬市は原町とずいぶん感覚的に違うのである。原町市にはこういう情緒はないのである情緒とかは歴史的なものとか自然とかとの融合などから生れる
意外となんでもない平凡な所に情緒がある
パソコンのソフトで写真を絵にしたら何かその雰囲気が出ていた。
写真だけではなかなか情緒を出せないこともある
雲というのは春の雲なのか秋の雲なのか冬の雲なのか区別がつかないのである。
漢字だったら冬の雲と寒雲では違う、寒雲の方がいかにも寒い雲の感じになる


歯医者にも行った、あそこの歯医者は女性でありめずらしい、前に行っていたからまた行った、その医院に花の絵が飾っていたのは女性らしいとなる。
なぜ相馬市と原町ではこんなに感覚的に違うのが不思議である。
よそから来た人にはこの区別はなかなかつかないだろう。
街には街の作り出す雰囲気がなにかある、それが外から一回くらいきてもわかりにくいのである。





タグ:寒雲

2016年01月22日

死者は後世に何を残すのか? (母は忍耐強く生きたことを残したー四九日まであと一〇日)


死者は後世に何を残すのか?


(母は辛抱強く生きたことを残したー四九日まであと一〇日)

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母の死に顔は不思議だった。やはり死んだ直前だと死に顔はまだ生きた時の総決算のようなものが現れて語っているかもしれない
ただ一日から二日三日とたつと顔でもすぐ崩れてゆくから死んで一日くらいは生前の面影を残している。
母の一生は辛抱の人生だった。だから死んでも歯をくいしばっているような感じに見えるそして派手な人生ではなく目立たない地味な人だった。
それは姉とは対称的な性格でありそれがいい悪いでは判断できない
人間の性格はいい面も悪い面になるし悪い面もいい面として時と場合によって働くのである。
母は何かいろいろ世間的名古とはてきなくても辛抱強いということは評価できる
大正生れの人とかはみんな苦労しているから辛抱強いのである。


それで介護しているときも最期の一週間は家で水しか飲まなくなった。その時もポータブルトイレに行っていたのである。
要するに自分のことを自分でしようとしていた頑張り屋だったのである。
最期までオムツをしなかったのも本人にとっても楽だったし介護する自分にとっても楽だったのである。
入院して小便を管でとるようになったとき相当に嫌がっていたことでもわかる。
介護する方にとっても楽だったというとき母はそれだけ頑張り屋だったからである。
他の人もなんとか世話されるから自分でできるようにするよう努力したという話を聞いたなんでも頼りきりではなく世話になるから自分も世話されやすいようにするというのも
やはり介護される方の心がけとしてはいいと思った。
そういう人はやはり介護する方も好かれることになる
つまり他者への介護する人への気遣いがまだあるからそうなる
認知症になるとそれができないから嫌われるのである。姉は最期は重症の認知症にてり無惨だった。
それまでは優秀だとして世間的にも通っていたのだからそのギャップが大きかったのである。だからつくづく人間は最期まで見ないとわからないものだと思った。
柩に納まってはじめてその人がわかる、評価てきるというのもそのためである。


ともかち人間は何を後世に残すのか?骨なのか墓なのか何なのかわからない、でもその人の一生をどう生きたかを残すということは確かだろう
この人はこんな性格でこんなふうに生きたということか後世の人に影響する
母は目立たない地味な人だったが辛抱強く生きたということでは評価できる
それは見習うべきものだろう。今の人はまず辛抱がたりなすぎるということがあるからだ大正生れとか戦前の人は辛抱強い、いろいろな苦労しているからそうなる
大正生れとなると貴重であり余計にそうなるから貴重だとなる
ただ欠点としてとは貧乏だから遊びを知らない世代だったともなる
だから働くことだけであり花にも興味をもたない索漠な人生だったともなる


ともかく人間は誰でも死ねば平凡な人でも何かを語りそれが重いものとなる
母は何か死に顔が母の一生を語っていたように見えるのだ。
死んでも歯をくいしばっているようでありそして苦労から解放された顔である。
死ぬ三日前頃まで病院にゆくと自分のことがわかっていた。
自分のことをじっと見ていたのである。そして三日前頃から目が半開きになり自分が来たことを認識できなかった。
その時半分死んでいたのだと思う、人間は意識がなくなったとき死んでいるからである。でも三日前頃までは認識していたのである。
姉の場合は一カ月前に意識不明になり死んでいた。ただその意識不明になる前にうなづいていたから正気になり正常な意識になっていたのである。
どっちも認知症にはなっていたが認知症は死ぬ前に一カ月前であれ正気になることは注意せねばならない
人間の最期を看取ることのむずかしさは簡単に死なせることができないのはそういうことにあった。
これだけ苦しいのだから死なせた方がいいというのもある。


認知症だから馬鹿になったのだから死んだ方がいいとか自分も思ったしみんながそういうでも認知症でも死ぬころになると死ぬ前に一時的にも正気になることがある
正気になったことで自分は救われたのである。
何にもわからないわけではないのだなとその時思ったからである。
人間は死んだらもう何か言い残すことも謝りたいとかあってもできない
継母だった人は母に最期は謝って死んだから良かったのである。
もしそうしなかったら永遠にできない、死んでから謝ることもできないのである。
そして呪って死んだ人もいる、その呪いの言葉を自分に残ししてすぐに死んだ女性がいたもうそうなる呪いだけが残されたから怖いとなる
生きている内なら何かできるが死んだらもうできないからである。
それで死んだときみんな後悔している、介護も苦しいんだけどあの時もっと良くしてやれば良かったとみんな後悔しているのである。
それもまたやむをえいなところがあるが人間は死んだ時点でまた見方が変わってしまうのである。


ともかくあと一〇日くらいで四九日が終わる、納骨するからそれでまた一区切りである。つくづく親の死であれ看取ることもその後の火葬とか葬儀とかは何か負担が大きい
自分は一人だったので余計に負担が大きかった。
一人の人間を看取ることは相当な負担なのである。
今は介護も長くなる、二人を介護してすでに十年過ぎていたからである。
老人の介護と死は結びついている、供養も介護の延長としてある
四九日というのもやはりこれも時期としては意味ある期間だった
故人を家で回想する時間だったとなる










タグ:人間の一生
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2016年01月21日

冬籠る俳句十句(老いをともにする場は田舎がいい)



冬籠る俳句十句(老いをともにする場は田舎がいい)

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土地の人毎日来たりて冬籠る

故郷の人と老いるや冬籠る

母死して四九日や冬籠る

残さるる大きな家や冬籠る

薪積みて貯ふ蔵や冬籠る

野鳥にも糧のあかし冬籠る

石六つ飯館村や冬籠る

曲屋や只見の遠く冬籠る

冬籠る津軽や遠く暮らしかな

みちのくの大地に根付き冬籠る

故郷や墓を守りて冬籠もる

故郷に老いをともにし冬籠る

樹々の列ここに変わらず冬籠る

寒雲に二両の電車や昼の月


中里のタクシー運転手あわれかな冬の厳しく終着駅かな

中里のタクシー運転手仙台に住む息子あり冬の淋しも

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冬籠るというときそこに暮らしがないと季語が活きてこないということがある。
昔だと本当に冬籠るということが生活そのものでそうだった。
自給自足だから冬籠るというとき生活そのものが薪を積んで薪を燃やして貯えたもので暮らしていたのである。
現代は都会だと冬籠るという感覚がない、生活的にも別にいつもと同じであり不自由しないのである。
冬籠もりというときまだ会津の方には曲屋が残っている、そういう所では自給自足だった雪に埋もれているのだから余計に雪国は冬籠るになってしまう
もう外に出るのも容易ではないから家にもこもってしまう
でもそういうの不便で嫌かというとそうでもなかったかもしれない
もちろん不便なのだけどそこに味わい深い時間があり空間があったともなる
冬は何か回想するのに向いている。薪をくべて燃やしたりしていたら余計に想像力が刺激されるのである。

奥会津では今も曲屋が残っている、あれも馬がいたし一つの城のようになって冬籠る
何か冬籠るというとき老人にふさわしいのかもしれない
毎日土地の人がくる、それは老いた女性である。でも六〇代は今や老人とは言えない
限界集落のようにな所で息子や娘が都会に住んでいて一緒に住めといってもその土地を離れたくないというときその気持がわかる
都会には冬籠るという感覚がないし季節感も希薄なのである。
もちろん田舎でも実際は都会化している、昔のような自給自足の生活とはほど遠い
都会と同じように便利な生活をしているのである。


人間が本当に自然と一体化するというときそれは野生の動物や野鳥のように生きるときそうなる、冬でも野鳥を養う実があり動物も生きている。何かしら糧があり生きている。
人間もやはり野生の動物とかとたいして変わりない生活をしていたときがそうなる
現代はそういう生活をとはかけはなれてしまった。
自分は不便でもなにかこうして冬籠るという季節感のある田舎で暮らしたいとなる
便利なものだけがいいのではない、不便さがあってそれもいいなともなる


旅を回想すると只見の方に自転車で行ったことがあった。そこにも曲屋があった。
そして津軽にも春に行った。そこの津軽鉄道の終点の中里駅の一軒のタクシー運転手のことが心に残っている不思議である。
いか。にも最果ての地のタクシー運転手だとなる。
津軽鉄道は中里駅まで行きそこから十三湖を見て帰るのが旅情を味わう旅になる
仙台に息子が住んでいるというのも青森では仕事が少ないからそうなる
その津軽だって雪国の暮らしがあったのである。


飯館村は石が六つくらいあいの沢にある、そこに人が住んでいればまさに冬籠もるにふさわしい場所だったのである。
標高が高いしいかにも冬籠もる村としてふさわしい場所だったのである。
どっちかというと雪に埋もれた所は冬籠もるにふさわしい場所である。
なんか最近はあまり歩きたくない、遠くにも旅もしたちない、一カ所にじっとして冬籠もり回想しているのが老人にはふさわしいとなる
そして老人は墓守りであり老いともにする場として田舎はふさわしいのである。
それで原発の避難区域で老人が故郷に帰りたいとういう気持だけは自分にも共通しているからわかるのである。
補償金問題は別にしてその気持はわかるから同情するのである。
故郷は老いの場所であり死ぬ場所としてみている人は少ない
若い人が故郷を出るというのに抵抗がないのもわかる、でも老人は住み慣れた場所を出るのは苦しいと思う
復興団地に津波の被害にあった老人がここは嫌だというのもわかる
その人は広々とした海岸の家に住んでいたからである。
団地は何か牢獄に閉じ込められた感覚にもなるだろう。庭もないし広々とした家に住むのとは相当違ったものとなるからだ。

故郷は何か老いをとにするのにはふさわしい、老人になればやはり都会より田舎への回帰が起きてくるだろう。もちろんそうでない人もいる
そもそも東京とかなるとそこはもう自然からかけはなれ場であり非常に危険な場所でもある
地震とかで車が渋滞になって身動きとれないとかなるのは怖いことである。
そして水も燃料も食料も得られなくなるかもしれない
津波でも裏山の清水をくみ薪を燃やして米をたきとかしのいだ人がいたがそれもできない都会というのは災害に弱い、その時便利なものが車でもビルでも何でも障害になって人間を殺す凶器になるのだ。
そういう自然から離れた生活は本当は相当に危険をはらんでいる。
もちろん津波では田舎でもその危険を察知できなかった。
でも都会はイメージすれば本当にその怖さを知ったら住んでいられなくなるだろう。
何か都会にはそうした大災害が関東大震災のようなものが起きる不安かある
その時裏山の清水を飲み薪でももやししてしのぐことはできない
水も食べ物も燃料も得られなくなるから怖いのである。


タグ:冬籠る

2016年01月20日

知らなかった過去の事件 (イスラム国とにていたテロリスト集団のアメリカの金持ち誘拐事件)


知らなかった過去の事件


(イスラム国とにていたテロリスト集団のアメリカの金持ち誘拐事件)

1974年

彼らはパトリシアの身柄を解放する代わりに、「カリフォルニア州の貧民6万人にそれぞれ70ドル分の食料を与える」ことを要求した。
同年4月15日、SLAのメンバーはサンフランシスコ北部にあるハイバーニア銀行サンセット支店を襲撃。この際、銀行の防犯カメラに誘拐されたはずのパトリシアが犯人グループと共にライフル銃を持って強盗を行っている様子が写る。この映像はマスコミを通じて広く報道され、全米は騒然となる。
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テレビで今日この事件のことを解説していた。こんな事件があったのかと驚く
それもずいぶん古いから40年前にもなると本当にそんなことがあったのかとなる
老人になるといろいろ過去を振り返ることが日課のようになる。
ところが過去といっても個人的体験と社会的に起きたことは別である。
また当時のメデアでもその頃まだ外国のことがそれほど報道されなかったかもしれない、四〇年前なると当時がどんな時代だったのかわからなくなる
アメリカで起きたことだから余計にわからないのである。


その頃SLAという過激派集団がいた。その人たちは貧乏人の味方であり金持ちに反発して金持ちを襲う事件を起こしていた。資本主義に反対する共産主義的集団だともなる
テロリストは身代金を要求して食料を貧民に配れとして本当に配った。
その時アメリカにそんなに貧民がいたのかとなる、つまり食料に困っている貧民が相当数いたとなる。その貧民は暴徒化して店を襲っていたのである。
アメリカはみんな金持ちの国だと思っているけどその時もそんなに貧民がいた。
たからこそそうしたテロリスト集団が生れる、格差が大きい所ではそういうテロリスト集団が生れやすい、それを今問題になっているイスラム国とにている
イスラム国はアメリカとかヨーロッパの外部に生れたものだけど人質をとって政府に巨額の金を払わせる、イスラム国がテロリスト集団なのである。


そしてその手法がSLAとにていた。恐怖でもって洗脳していたのである。現実にイスラム国でもイギリス人とか他のヨーロッパ人やアメリカ人もいたことが問題になった。
それはやはり洗脳されていたのである。
そのやり方は恐怖を植えつけて巧妙に洗脳していた。
恐怖というときイスラム国も同じである。あれほどの恐怖を植えつけられたらもう逃げられないとなり従うほかないとなるだろう。
それはカルト教団とにているのだ。カルト教団も恐怖でもって洗脳する
宗教だと罰が当たるとか洗脳して恐怖させてやめさせないようにする
罰が当たるということを恐怖している人が相当にいる、創価などは社会に容認されたカルト教団であり今の政権と一体化しているから批判できない
政治に宗教をもってくるとこれはイスラム国でも同じだが危険なものとなる

つまりイスラム教でもイスラム国はカルトなのである。キリスト教でもカルトがあったし仏教でもカルトがある。カルトとは宗教を利用した洗脳集団である。
社会には不満をいだいている人が常にありそういう人たちで集団化して時の政権をおびやかす存在になる、もちろん時の政権と一体化することもある。
創価とか統一教会はそうだろう。現代はそもそもカルトの時代である。
もちろんカルトというときそれはナチスからはじまっていたのかもしれない
天皇教も一つのカルトだったかもしれない、だからカルトと本来の宗教は区別すべきなのである。

ともかくSLAとイスラム国がにているのは貧民が大量にいてその不満がアメリカの大金持ちに向けられたのである。そうした格差社会がSLAやイスラム国が生れる温床なのである
なぜ中東があのように混乱して悲惨になっているのか?
その原因が例えばサウジでも王族が石油の富を独占しているとか貧富の差が大きい
アメリカも貧富の差が大きい、そういう所ではどうしても社会が不安定であり争いが生れやすい
貧富の差が大きいということは社会不安をもたらす、実際にこの事件では貧民は喜んでいたというのでもわかる。金持ちはそういう大きな格差社会では危険が増大する。
日本がそういう社会になっているというとき同じような事件が生れかもしれない
ただ日本の場合は大金持ちは少ない目立たないから標的にはなりにくいだろう。
公務員を標的にしても大金持ちではないからである。


そもそも宗教というのもあまりに偽善的だから反発される、釈迦とかキリストのように家もない何もない生活していた、それとは正反対なのが宗教を説くものになっているから矛盾しているのである。
自分でも株でもうけようとしているとなると矛盾なのである。
この世ではどうしてもそうした不満層、貧民とか頼るべきものがない層が生れる
その人たちはどうしたって時の政権に対して対抗するようになる
この社会はそういう支配者がいて上級国民だとして不満が社会に鬱積する
それがやがて怖いのが爆発するのがテロなのである。
そういう不満が解決しない限りテロ集団が生れてくる。


つまりこういう事件は人間の歴史がはじまって以来常にあった、なぜなら貧富の問題は人類は解決していないからである。
ますます資本主義ではグローバルに格差問題が起きているのでイスラム国が台頭してきたのである。世界的格差が戦争にもなるのが現代である。
格差は共産主義でも解決できなかった。だからこれは人類の普遍的テーマであり人類的課題なのである。
この事件をふりかえる人間はやはり同じようなことをくりかえしてきたのだと思う。
歴史は繰り返すというとき人間の根本問題として貧富の差が以前として解消されないから同じ事件が繰り返されているのである。
だから格差を解消できない資本主義は危機にさらされているともなる
ただ今の資本主義はまた違っている、格差を生むのは機械化とかその他の要因もあり資本家と労働者という単純な色分けはもう今ではできないだろう。
大企業に入っているならその人たちは資本家と同じだともなる
どうして格差が生れ格差が解消できないのか?


とにかくこういう事件があったということは歴史であり人間は同じようなことを繰り返してきたのだと思う。
アメリカで起きたことだがまさにその貧富の差がグローバル化してイスラム国など中東に起きてきたともなる
サウジなどでも王族が石油の富を独占してもそれを貧民層に分けることをしているうちはいいがそれができなくなる、昨今の石油安になるとそれができなくなり危険をましてくるもしかしたら石油の富というのも意外ともろいものだったのか?
自分はカナダとか石油がとれるからいいとか投資したのが裏目にでた。
オイルマネーというけど石油が富でもなかったのか?
今の事件だけではない、過去の事件にも注目する必要があることは確かである。








タグ:テロリスト

2016年の抽象画(2016abstract)



2016年の抽象画(2016abstract)


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極彩色の翼


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今年は去年母が死んだからまだ49日が終わっていない、49日が終わり納骨すれば一区切りである。
だから年賀はないが一応2016年のはじまりとして出した。

今年は10年の介護が終わったからこれも区切りの年になる
今年は悪い年にはならないがどうも株価などで幸先がよくない
個人的にはまたそれぞれ違っているだろう。
これからは前のように自由でありどこにでも行ける
でもなんか旅行はしにくい、ホテルがとれないとか日本人が日本を旅行しにくい時代になった。
ただ今自分が見たいのは富士山である。
富士山を見ないで死んでゆくのかとさえ思った。
しかしこれも何か外国人が増えたから嫌だとなる
東北とか北海道辺りだとなんとか旅行しやすいのかともなる


抽象画は変化の芸術である。変化させてゆくとき前の原画は何かわからなくなる
だから原画がいくらでもインターネットにあるからその変化も無限になる
特にホトショップを使うといろいろなバリエーションが増えた
ともかく2016年のはじまりとして出した。
タグ:2016

2016年01月19日

終末期鎮静(クローズアップ現代) (人間は意識があれば生きている)


終末期鎮静(クローズアップ現代)

(人間は意識があれば生きている)

終末期の鎮静 後編「本音」


このサイトはNHKに出演した医者のサイトだった。そこでは医者が終末期鎮静を選ぶ葛藤が記されている。医者も終末期鎮静をどうしていいかわからないのである。
だからこれは非常にむずかいし問題になる。
痛みに苦しむのをみて家族が楽に死なせたいというのもわかる。
一方でそうして死なせたとき家族でも後悔が残ったとかいろいろある。
そもそもなぜそうなるのか、それは個々の人間の相違によるのである。
家族の相違にもよる。それは医者でもその家族の関係がどういうものかわからない
家族といってもその人の生い立ちでも複雑なのがある
まず自分の家族も外から見てわかりようがない、ただ一人自分だけがその事情を知っていてその家族の責任が最後に自分に負わされたのである。
家族の宿命みたいなものがありそれを最後に自分が負わされたのである。


最初に自分は姉の認知症の介護をした。その時母は92才とかなりまだ元気だったがすぐに母も介護状態になった。姉はその前に死んだから助かったのである。
姉の認知症は最初から暴力になったりせん妄になったり重症だった。
でも自分は必死になって姉の認知症の介護の介護をした。
自分は姉には一番良くされたし家も支えてくれたからである。
でも脳出血で入院したときは苦しんでいたから早く死んだ方が本人も楽だろうなと何度も思った。
ともかく苦しみがひどいと本人でも他から見ていてもそう思うのである。
苦しい状態を見ていられないともなる
それなら一層鎮静で楽に死なせてやりたいとなるし本人も望むことがある
姉の死にざまは最悪だったかもしれない、姉は意識不明になったとき鎮静させて死なせるべきだった。目も死んでいたし完全に脳も死んでいたのである。
意識不明の状態でありもう回復することは不可能だったから意識不明になったとき鎮静するべきだったともなる、ただもうその時は死んでいたが一カ月で本当に死んだ。


ただ自分が姉の死や母の死を看取ったとき大事なことは家族のことや個々の人間のことは医者も看護師もわからない、家族のことはその家族しかわからないことがある
自分の家族は自分しかわからない、そして自分が家族の宿命を一身に背負ったのである。その時なんの援助も誰の助けもなかったのである。
むしろそうして弱者化したとき借金とかいろいろ責められただけだったのである。
でも姉が脳出血で入院して苦しんだが最後に母を病院に連れて言ったとき首を下げてうなづいた。そこに家族の和解が最後にあった。
そのあと姉は意識不明になり意志が通じなくなった。

認知症でも本当に正気になることがある、それは最期を迎えたときに正気になる

これだけは知っていた方がいい、これは人間の不思議というほかない
母は最期に孫に金をやってくれと一カ月前頃に大声で言ったことには驚いた。
力をふりしぼるようにして言ったのである。
そのあとはやはり入院して一カ月くらいで死んだ。
母の場合は死の三日前くらいまで意識があった。
自分が来たよと言うとわかっていたのである。
姉は一カ月は全くわからず意識不明でありもう脳は死んでいたのである。
人間は意識があるかぎり生きているのだ。
いくら癌で痛いといっても意識があれば生きている
そしてにこっと笑って死んだというとき家族が救われた感じになることもある
それは本当である。自分も認知症でわからなくなったと思っていたが
最期にうなづいてわかってくれたなと思い救われたのである。
なぜらな家族が和解したということであとも一緒の墓には入るのだから自分が供養するのだから救われたとなる
夫婦でも夫の墓に入りたくないというとき子供が困るのである。
和解していないで死ぬと子供が供養しなければならないのだから親が別々になると困るのである。


こういうふうにともかく週末期をどうするか、どう死を迎えさせるかは本当にむずかしい自分は悔いのない死を迎えさせたということで何かほっとしている。
安楽死とか週末期鎮静には何か悔いが残ることはありうる
だから医者の判断だけでは簡単にはできない、それは家族とか個々人がみんな違っているからなのである。それを簡単に理解はできないからである。
自分の姉は姉といっても25才も離れているから姉というものでもなかったからである
こういう関係は他からとても理解しにくいのである。


そして人間の最期の時は重い、最期に何かその家族とか人生の決算のようなことが起きてくる。だから母が遺言のように最期に言い残したことを守らないと怖いと本当に思った。別に法律とは関係ない、人間の最期の言葉は重いのである。それを無下にすることはできないのである。
だから親戚の女性が恨みの言葉を自分に残して死んだがそれも怖いことだと思った。
何であれ最期にそういう恨みを残して死んだらこれから生きる人への影響が大きい
それ故に人間の最期はどう迎えるのか迎えさせるのかはむずかしいのである。

タグ:週末期鎮静
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2016年01月18日

記憶する場や時間がなくなっている (人間は記憶されたことが人生にもなるから記憶が大事)


記憶する場や時間がなくなっている


(人間は記憶されたことが人生にもなるから記憶が大事)


人間は意外と記憶すること記録することが大事である。だから学問でも江戸時代から教育というとき暗唱することだった。
墓地になっている所は寺子屋だった。そこに碑があり「暗唱せよ」ということが記されているみたいだ。それはどこでも教育というのは暗唱がまず教育なのである。
何らか暗記することであり記憶することである、読書百編自ずから意の通じというのもそうである。
99でも暗記であり算数も数学も最初は暗記である。
ただ意味もわからず暗記するというのは子供では意味を知ることがむずかしいからである

算数でも数学でもこれは暗記するだけでは覚えにくい、今になると自分なりに工夫して割り算などは図形化する、像として覚えれば興味をもち覚えやすいとなっていた。
ただ丸暗記は限界がくる、それで試験でいい点数をとっても学問としては限界が来る
学校が嫌なのは暗記を強制するからだという面もある。
自分は学校の勉強で好きになったこともないし何か自分で考える工夫して勉強したこともない、毎日何か暗記であり試験であり強制されたということしかない
もちろん自分はどうしても秀才でもないからだった。
ほとんど試験のために勉強してきたがこれは勉強ではなかった。
学ぶはまねるからきているからこれも暗記である。studyは研究するという意味があるからまねるとは違うものがある


ともかく人間が生きることは記憶することであるということもある。それだけ記憶が大事なのである。なぜなら人生をふりかえって何を覚えているのかとなるとその記憶したことが人生だったとなる
たいがいのことを人間は人物でも何をしてきたかでも忘れるのである。
ほとんど何も浮かばないともなりそれが認知症なのである。認知症の人は今の記憶が欠落している。今が記憶できない、今ここに置いたものをすぐ忘れる、そして誰かが盗ったとしてしまうのである。
ただ昔のことは若いときのことを覚えているから戦争のことを姉から千回も聞かされたのである。
それは死ぬ直前まで戦争のことを話していた。シンガポールで従軍看護婦をしていたからである。その記憶したことが人生だったとなる

記憶がなぜ大事なのか、それは旅行するときでも記憶していないとしたら旅行に行ったことにもならない、どこに行ってきたの、そこがどういう場所だったのかとかもわからなくなる、旅行が忘れやすいのはそこが一回しか行かないとか印象に残りにくいからである。ともかくあらゆるものが記憶から消えてゆくのが老人になるとわかる。
認知症というのは病気なのだけどやはり老化が極端化した現象でもある
子供は何でも認識してゆくが認知症になると何でも認識できなくなる、過去に認識した記憶のみが生きた証拠となる


記憶するというとき金の出し入れで例えば千円をやるのに千円を炬燵の上にしばらく置いておく、するとそれが記憶になっている、でも即座に千円を払うと忘れやすいのである。払ったから払わないのか良く店で問題になるのは即座に出し入れするからである。
それでお釣りを払うとき確かめるように千円札をみせて支払うと記憶として残る
即座の金の出し入れは記憶しにくいということである。
今日一万払ったと思わなかった。それは前の記憶として5千円札が入っていたからであるつまり前の記憶と今の記憶が混同していたのである。
何かそういうことがよく人間にはある。前の日に五千円入っていたから実際はそれを使って一万入れていたのだかそれを忘れて前の5千円を記憶していたためにそうなった。
金は出し入れが頻繁だから忘れやすいのである。
これは人でも多数の人は覚えにくい、金のようにしょっちゅう出し入れしていたら覚えられないのである。大衆とか群衆化している現代とそうした人は覚えていないのである。

旅行でも記憶するというとき例えば電車が来るのを待っている、その時間が記憶する時間だったのである。何かバスにはそうして待っている時間があっても記憶されにくい
電車はレールが伸びていて電車を来るの待っている、その時間が記憶される時間になる
だから待つ時間も貴重なのである。今は待つ時間がない、だから旅情もないとなる
新幹線になると全く待つ時間がないから旅情もないのである。
旅をふりかえると記憶がよみがえるときそこに旅に行ったと感じるが忘れると本当にそこに行ったのかどうかもわからなくなる
だから記憶されない旅は旅にならない、団体旅行などは周りの自然でも記憶しにくい。
自然でもある時間がない限り記憶できないのである。
それである場所に何回も行った方がこれからはいいかもしれない、なぜならもう新しい場所を旅するより一度行ったところで記憶を確かめる、一回行った所でもそこは新鮮である季節も変わるし見方も変わるからである。
なるべくそこに長くいることがまた記憶することになる。


現代とは何か記憶することがむずかしい時代である。電車であれ車であれ便利なものを利用していると記憶しにくい、五感で感じるものがなくなる、車だったら外の空気とか風でも感じない、冬でも寒さも感じない、そのことがまた記憶しにくくしている。
坂だって峠でもそこが峠ということも感じにくい、だから空間でも記憶しない、まず都会とかなると記憶しにくい、混雑しているから余計にそうなる
東京などほとんど何も記憶していない、どこに行ったかどこを通ったかも記憶していない記憶する空間ではないしとても人間の記憶する範囲を越えているからそうなる
だから人間も集団でありマスであり大衆であり群衆であり一つ一つの顔として人間として記憶されないのである。
ただ人間というより物にしか見えない、そうなると人間は危険になる
人間が物ののようにしか見えないということは大量殺戮になっても感じない
殺していることも感じない、空爆すれば人間を人間と見ないからできる
空から見ればそこに見えるのは建物だけであり人間はいないのである。
パリのテロで130人が死んだというとき何かその悲惨さが具体的に感じる
でも空爆だったら何も感じないとなる怖さがあるのだ。
もし人間同士が見えて殺していたら殺すことにちゅうちょすることがあるだろう
パリでも最初は無差別に殺したがあとで人質にした人は殺さなかったのは何かしらそこに人間がいることを感じて躊躇したのだろうと生き残った人が言っていたのもうなづける
人間とみる時間がそこに生れていたからだともなる


今や都会では人間は無数の影のように消えてゆく、存在感がないものとなっている
都会には仕事があり田舎にはないとか田舎を常にネガティブに言うが人間の存在感は田舎の方にある。
俳句にしたように一本の木でも存在感がある、そして大地に根付いていかにも充実していると最近見る。
それはそもそも当たり前でも大地に根付いているからである。大地があるからその樹も不動であり存在感がある。
都会だと大地というのが関係ないのである。養分は大地からとっているのではない
すべて外から外国からでも食料はとっているし大地というのは都会にはないのである。


そしてそこは何か記憶する場がない、希薄な生が消耗する場となる
記憶というときそれは記憶される場が必要なのである。日本の神社はその場の記憶としてあるという見方もある。神社にとって場が大事なのである。
場の記憶だともなる、都会にはそうした記憶する場が消失している。
特に東京に巨大になるともう記憶する場が消失している
都会に生きることは記憶も消えるということにもなる
都会では生は記憶されない、無数の大衆群衆として消えてゆくだけだともなる
例えばもし東京が廃墟になったら何か記憶されているのかともなる
なぜ現代が廃墟趣味になるかというと廃墟になるとそこ人間的なものが残る
廃墟の中に何か人間的なものを感じる、それが廃墟でないときは巨大なビルとして人間を圧迫するものとして感じていたが廃墟になるとそれがやはり存在の無常を感じる
それが何か愛おしいものにもなる
ああ、ここに人が生活していたんだなとなつかしくなるのである。
それが現実に活きている時は圧迫するものとしてあった
めまぐるしく人間が動き交差して人間は無数の顔なき群衆にすぎなかったのである。


2016年01月17日

冬深む(人は老いれば故郷と一体化する)



冬深む(人は老いれば故郷と一体化する)


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こんなに実がなっていた不思議


故郷に古木一本冬深む

one old tree

in my homeland

in the deepest winter


故郷に老いてともにし冬深む

故郷に樹々の根づきて冬深む

家の跡松一本や冬深む

縁切れて遠のく人や雪のふる


故郷のここに根を張る樹々の列今日も通りて冬の日暮れぬ

石一つ雪に埋もれて椿映ゆ正直なる女(ひと)ここに眠りぬ

誰かしる雪に埋もれて石一つここは墓なり椿散りにき


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今年も冬らしくなった。この頃は寒いのだけど自分は好きな面もある。冬は何か心を内面化しやすい、冬深むという感覚も日本的なのだろうか
温暖化したらこういう感覚も四季の感覚もなくなるから嫌なのだ。
東南アジアの人が雪を見に来るのもわかる、雪がふらない、見たこともないからだ。

故郷というとき何なのか?それを今回の原発事故などで故郷に住めなくなったことで問われることになった。
故郷とは実際何なのかわからない、ただ故郷とは長く住んだ所であることは確かである。だから子供が故郷から離れて他でなじんだ生活をすればそこが故郷になる
別に生れたところが故郷とも言えないのである。
ただ代々つづく家はやはり故郷の思いが深いとなるだろう。


なんか土手の桜の樹の列を歩いているとそこに根付いている樹々を見るとそれがいかにも故郷に根付いた人間のように見えるのである。
故郷に根づくというときやはりもともとはその土地のもので暮らしていればまさに樹のように根付いた生活になる
だから昨日書いたように寒木が変わらず十数本立っていた。そこにヒヨドリが群れ集まり鳴いていた。
そこには実がなっていたのである。つまり故郷に実がありそれを食べていればその土地に根付いて暮らしているともなる
昔は自給自足が基本だからみんなその土地土地に根付いて暮らしていた。
今は食料でもグローバルに入ってくるからそういう感覚はなくなる
すると何か金さえあればいいとなり故郷とに愛着をもたなくなるのかもしれない
その土地にとれたもので基本的に暮らしていればその土地に愛着ももつようになる
外国から入ってきたもので暮らしていたら金がまず大事になり金さえあればどこでもいいとなってしまうからである。
この辺は補償金をもらってそうなったともいえる、そういう社会も疑問なのである。


いづれにしろ人間は長く住んでいれば自然と一体化してゆく、今回の俳句は内面的なものである。古木というときそれも人間なのである。
人間も自然の生物の一つだから自然と一体化するのである。
この句はあまりにもシンプルなんだけどそのシンプルなものに味わい深いものがある
芸術は本当は複雑なものではない、シンプルなものに深いものがある

ともかく原発事故などで避難区域の人が故郷に帰りたいというのがわかる
それは本能的なものなのである。
人間は長く住んだところで古木となり老木となりやがて朽ちてゆく、生物の一種だからそれは本能的なものである。
それを奪ったということが酷いのである。ただ補償金の問題はまた別である。
故郷に夫婦でともに老いてゆくというときそれも生物として自然だとなる
その中で心も一体化してゆくのが理想だか人間はなかなかそうはいかない
故郷でも人間関係はいびつでありいいものではない、近くでも縁が切れた


一つの石を置いた墓が雪に埋もれている、そこに椿が映えている、その女性にふさわしいものだった。前に書いた馬鹿正直な女性の墓なのである。
その墓が誰のものなのか、誰も気づかないのである。


タグ:冬深む

2016年01月16日

枯木の影(狭い場所で生きるのが老人に向いている) 枯木の影(狭い場所で生きるのが老人に向いている)


枯木の影(狭い場所で生きるのが老人に向いている)


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海老村にここ我が家と枯野かな

海望み海老千軒は枯野かな

十数羽ヒヨドリ群れて鳴き騒ぐ

十数本寒木ここに変わらざり

壁写す枯木の影の一日かな

田舎なり時ゆるやかに枯木の影

縁切れてその人遠く氷張る

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良く見れば枝のくねりて伸ばす影根付く枯木や我も老いにき

黒々と枯木の影やこの道の親しや今日も通りけるかな

家ありて誰住むと知らじ一本の松の残りて冬の日さしぬ

一本の松の残りて何語る冬の日暮れぬ庭の跡かな


海老千軒は枯野となってしまった。津波ではそういう場所が普通にある、だんだん時間がたつにつれ忘れられてゆく、海老村は70軒くらいがあったという
磯部村は大きな村でありその跡は広い、あそこは一番悲惨だったともなる

厚生病院の前の寒木は寒木らしい、あそこに実がなっているのを写真をとってわかった。なぜ十数羽のヒヨドリが集まって鳴き騒いでいたのかもわかった
そこに実が写っていたからである。あんな何もない木に実があるとわからなかった
いつも冬は鳥は何を食べているのだろうと思うときそれなりに食べ物は用意されている不思議である。
普通は虫を食べている鳥が多い、野良猫でも結構生きているから不思議である。

寒木というときそこに変わらないというときそれはその栄養を土からとっている
その土地からとっている、だから変わらないのである。
これは当たり前だとなるがでは人間はなぜこれほど変わるのか?
それはその土地から栄養をとっているわけではない、グローバル化社会なら世界の裏側からも食料が現実に入ってきて食べている。
そういう社会は変わりやすい、移動しやすいということである。
もしその土地からの栄養分をとっているならその土地の材料で生きているなら社会は変わらなかったのである。
実際に江戸時代から戦後十年は自給自足だったのである。燃料は炭だったからである。
それが石炭になり石油になり原子力になり変動が激しかったことでもわかる
世界にも会社が移動するから人間も移動するのである
それで津波や原発事故では若い人が流出するというのもそのためなのである。


一本の枯木が通りの家の壁に影を写している、それは何でもない、まさに写生である。
でもその写す影にやはり人間をみる、何でも自然でも人間をみる
枯木はやはり一人の老人なのである。
良く見れば確かに一本の枯木でも何か枝分かれして趣がある
ただ影を写しているだけだがそれでも心にしみるものがある
つまり芸術の基本は写生なのである。
庭の跡だったところはもう誰が住んだかもわからない、人間は遂にそうなってしまうのか?やがて自分の家もそうなってしまうのか、無常だとなる
なんかこの辺は避難区域でもそういう場所が多いのである。
村や町ごと無人化しているからそうなる、それも不思議なことなのである。


年取るとなんか人間は特に自分は都会にはゆきたくない、騒々しいから嫌なのだ。
そして人間は確かに年取ると認知症気味になることは確かなのである。
狭い範囲で生活していると安心になる、つまり何か複雑な所を認識できなくなるのかもしれない、都会は複雑だからもう認識できないから困惑するから嫌だとなる
これは性格もあるだろう、自分は騒々しい所が嫌いであり一時はそれが高じて異常にもなった。
一万の町くらいでもいい、この辺はとなりに都市があるからいいとなる
孤立していたら限界集落のようになるから今の時代は住みにくくなる
飯館村はそういう場所だった、そこにまた価値があったのである。


今日も寒い、人間の縁も切れやすい、親戚でも一代こんな簡単に縁が切れる思わなかった結婚したりすると前の縁は切れてしまう、これも無常だった
ただ新しい縁もできるし人間関係もこんなに変わるとは思わなかった。
縁を大事にしろというときあまりにも簡単に縁が切れやすいからだろう
最後はあれあの人とあったなあの人誰だったのかとかすれ違っただけだとなり別れて永遠にあわなくなる、ただすれ違っただけだとなる
家族すらだんだん死んで時間がたつと忘れやすいのである。だからこの世は無常だとなる







タグ:枯木

2016年01月15日

海老千軒と津波に家を流された人が言う (海老の発掘された跡は800年前のもの?)


海老千軒と津波に家を流された人が言う

(海老の発掘された跡は800年前のもの?)

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字山地やまちの稲荷神社は、楢崎千軒なの鎮守神であったが山津波で一夜にして流され、現在の阿弥陀堂の地に移した。しかし再び水害にあい現在地に移建されたという。楢崎千軒の消滅について、旅の行者の制止を無視して大道おおみち沢で毒もみ漁を決行したからとの伝承がある。


琵琶湖岸を南北に走る賤しずヶ岳たけ山系の西野山丘陵に立地。西野山西麓湖岸阿曾津あそづに、往古阿曾津千軒とよばれた大集落があったが地震によって一村全滅し、逃れた村人は当村、松尾まつお(松野)・熊野くまの・東柳野ひがしやないの・柳野中やないのなか・西柳野・磯野いそのの七ヵ村(七野)に分住。


広島県福山市の市街西方を流れる芦田あしだ川。草戸千軒町くさどせんげんちょう遺跡は、その芦田川河口付近にあります。「草戸千軒」の名は江戸時代中期に福山藩士が著した地誌「備陽六郡志」に「草戸千軒と云町有りける」と記されていたことに由来します。同書によれば、寛文13年(1673)の洪水で中州(中島)にあった草戸千軒は町ごと流失、その後、中州に民家が再建されなかったため、中洲は廃墟になったといいます。


福島県会津若松市の「千軒道せんげんみち」です。「日本歴史地名大系」は次のように記します。

滝沢町妙法寺前たきざわまちみようほうじまえ通より西の方紫雲寺前しうんじまえ通に至る、長さ一町五六間・幅二間。昔はこの辺りに家数一千軒があったのでこの名がついたというが、化政期には寺院のみで他の居宅はないという(新編会津風土記)。


過ぎし日の繁栄を物語る「千軒」地名

昔、八幡の町は「上千軒、下千軒」と呼ばれ、大いに繁昌していたが、そのころの事である。1軒の酒屋があり、こさじという下女がいた。この酒屋へ顔が赤く全身に毛が生えた猩々(しょうじょう)が来て、酒を飲ませよと仕草をし、酒を出すと飲みほし、盃に血を残して立ち去った。猩々の血は高価なものであった(または、残した血が銭になった)。強欲な酒屋の主は猩々を殺して血を採り大金を得ようとたくらみをした。それを知ったこさじは、猩々を憐み、次に訪れたときその事を告げた。猩々はそれでも酒が欲しい、もし殺されたらその3日も経たないうちに大津波がおしよせるから、そのときは末の松山に登って難を避けよという。猩々が酒屋を訪れると、主夫婦は大酒をすすめ、酔いつぶれた猩々を殺し、全身の血を抜き採り、屍を町の東にある池の中に投げ棄てた。その翌日、空は黒雲に覆われてただならぬ様子となったので、こさじは猩々が語ったことに従い、末の松山に登って難を避けた。この津波で繁昌していた八幡の町は、家も人もすべて流されてしまった。猩々の屍を棄てた池はのち「猩々ヶ池」と呼ばれるようになった。

多賀城ー末の松山ー伝説



海老村の人で津波に家を流された人とあった。ちょうど海に面した角の家だった。
その人は船に乗って魚をとっていた。烏崎の港で船に乗っていた。
右田とか海老村でも烏崎の港で船に乗っていた人がいた。
海老村でもいたのである。ここは前は港であり帆掛け舟が出ていた
ここで津波の跡に発掘をしていた、その跡は広く古くからここには家が建ち栄えていたとなる
その場所は右田より高い場所にあり住むには適地だった。海老村の方が右田より古いことがわかる。
海老という地名が蝦夷(えみし)蝦夷に由来しているということを書いた
海老はエヒであり古い地名なのである。だから800年前というのも本当なのか?
文化財課に問い合わせたらまだ調査中であり3月に概略がわかるという。
海老村については自分も津波のことでいろいろ調べた。
海老村の大工が津波の後に中村城の天守閣の建築にたずさわった伝説が鹿島町誌に記されている
その伝説と本当に不思議なのである。何らか津波があったことを示唆しているような文である。これを解明すれば400年前の慶長津波のことを知る唯一の手がかりになるかと思った。
なぜなら時代が一致するからである。慶長津波のすぐあとに中村城の天守閣の造営がはじまったからである。それはなぜかとりやめになった。

その人が海老千軒だとか言うときそれもこうした遺跡があることは根拠がないととんいえない、千軒という地名は各地にあり何かしらで栄えた町が災害などで消失したためにそういう地名が残っている。
つまり津波だけではない、洪水もあるし、鉱山で栄えていた地域もあり家が繁華に建ちかつて栄えていた。それが消失したというとき今回の津波と共通しているのである。
草戸千軒は遺物が発見されているから確かである。それも最近発掘されたのである。
だからあそこの遺跡も津波の手がかりになるのかもしれないと思った。
何も津波の手がかりになるものがないから時代がわかればもしかしたら慶長時代の津波とかでやはり千軒が消失して海老も海老千軒とか言われたのかもしれないとかなる
津波で消失してまたそこに家が建つようになったのだろうか?
そういうこともありうるだろう。時代は全部の遺跡で同じではないということは時代的に継続して住んでいたのだろう。海老は高いから津波が来ないと思っていたからである。

千軒で有名なのは多賀城である。ここには明確に津波の伝説が残っているし末の松山はあまりにも有名である。
だからコサジの伝説があるけどこれは何を意味しているのだろうか?
猩々(しょうじょう)とは架空の動物のことである。
何かそれは神の使いのようなものかもしれない、その神の使いをだましたことで津波が襲った。そういう縁起を語っているのかもしれない、津波のことを明確に語っているのは珍しいのである。
自分も津波がくる半年前に犯罪にあいそのことで半年くらい激しくその人を呪った。
そしてあの津波が襲ったのであり不思議なのことだった。ただその前に原町で女子高生の殺人があった。それは津波のすぐ前だったのである。
その女子高生の死体は発見された。津波のような災害はやはり何か特別でありそれが何かと縁起が語られるたのだろう。他にもそういう人をだますとか何か悪いことをして津波がきたということは語られている
人は何かむごいをことをしたということでそれが縁起となり語られることが伝説にはある

この津波で繁昌していた八幡の町は、家も人もすべて流されてしまった。猩々の屍を棄てた池はのち「猩々ヶ池」と呼ばれるようになった。

これも何か悪いことをした罰として津波が襲ったことを生々しく語られている。
とにかく人間には明らかに罰が与えられるのである。原発事故は人間の奢りの結果であることはまちがいないからだ。
末の松山とはそれだけ津波を伝えた伝説が歌になって残っていたのである。
末の松山波こさじかも、、、というのが今回の津波で思い知らされたのである。
こさじという名前はこさじから来ていたのか?
海老村に残された天守閣造営にたづさわった大工の伝説の意味がわかれば何か大きな手がかりとなる
発掘された遺跡のことで何か津波のことでもわかったりしたら凄いと思うがなかなかむずかしいだろう。時代特定はできれば海老村の歴史をさらに掘り下げることができる

その海老村で家を流された老人はこの辺まで防災林になる、右田で木を植えた。
松は津波には弱かった、だから混生林にするといい、でも木が育つには50年とかかかるからもう見れないなと言った、子供は見れるだろうと言ったら子供はいないよ

「ここまで防災林にする」
「そうか、でも木が育つには50年はかかるからな」
「まあ、俺たちはみれないな」
「そういうことになるな」
「松原がなくなって木陰なくて夏は困る、あの松原はいい松原だった,松が太く古い松だった」
「家もなにもなくなった」
「子供はその防災林が成長したのを見れるだろう」
「子供はここにはいないよ、みんなここから出て行ったよ、帰らないよ
もう親が帰らないし子供も他の土地でなじんでしまうから」
「そうか、他の土地に移る人が増えたのはここも同じか」
「そういうことだな」

津波とか原発事故周辺では人口の流出、それも若い人の流出が最大の問題なのである。
移動が容易な時代はどうしても便利な所に移ってしまう、一旦移ると子供もそこが故郷になってしまうのである。そして親も帰らない、子供も帰らない、老人だけが取り残されるそれは原発の避難区域でもそうでありそのことが一番の打撃だったのである。




タグ:千軒
posted by 老鶯 at 23:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

人間の奢りにはなんらかの罰が課せられる (個々人でも原発事故も認知症もそういう面があった)


人間の奢りにはなんらかの罰が課せられる

(個々人でも原発事故も認知症もそういう面があった)

「高い者は低くされ、低い者は高くされる」エゼキル

「貧しきは高められ、富む者は低められる」(ヤコブ1章9−11節)

そもそも人間が堕落したのはエデンの園から追放されたのはなぜなのか?
知恵の実なるリンゴを食べたからだとある。
それで善悪を知るものとなったと聖書にある。
神が全能で知恵を司るものだったが人間が神をしのいで自分で知恵あるものとなったことが奢りでありそれでエデンの園から追放されたのである。

人間が神をしのいで知恵あるものとなったというときそれが文明を作り出したのである。それは最初から神しか全能でないのに人間が全能を目指しているのが文明なのである。
その一つが科学技術なのである。科学技術は万能であるということが信仰にまでなっている、科学技術がすべてを解決するというふうに現実に信仰までなっているからである。
癌が直らないとしても新薬が発明されて直るようになるというとみんな信じるだろう。
そんなことを宗教では今はできないから科学技術が万能として宗教になっているのが現代である。

つまりそれこそが人間の奢りでありその奢りが神によって打ち砕かれる
原発事故もそうだった。原子力はまさに人間の知恵が科学技術が作り出したものであり
原子力文明となるものだったのである。それが事故になり打ち砕かれてそこに住めなくなったというのもそうである。それは明らかに人間に対する罰だったのである。
人間の奢りに対する罰だったのである。
ギリシャ神話のプロメテウスが火をゼウスから盗んだというのもそうであり何かしら人間は人間が生れ時から罰がある、その罰からは逃れられない、仏教で言えばカルマになる。人間は生きている限りカルマを積んでいる、カルマを積まないで生きられるものはいないのである。日々食べることでも肉食すれば動物を犠牲にしているのだからカルマを積んでいる。
何かしらカルマを積まない人間などいないのである。


そして大きく人類史的にもそうなのだが身近な個々人でも奢りは罰せられる
姉はいつも自分は優秀だと最後まで死ぬ間際まで言っていた。
そのことにこだわったのはやはり自分が認知症になり馬鹿になったということがあり自分が優秀だったということにこだわったからそういいつづけたのかもしれない
でも優秀だったということが全く認知症になってもろくも崩れ去った驚きである。
銀行からは金をおろせない、財布を隠してわからなくなり泣いている。
今ふりかえると本当に悲惨でありこんなことをなぜ神がするのかと自分はいきどおりを感じた
それは津波の犠牲にも感じた、神も仏もあるものかと呪う人もいたがそれもわかる。
なぜこんな酷いことを神はするのだろうかということが解せなかったのである。
それはやはり人間の奢りに対する厳しい罰だったのである。

ただ認知症とは何なのか未だわからない、それは病気であり罰とは関係ないということもある
ただ姉の場合は一面そうした奢りがあったことは確かなのである。
だからといって姉は自分に一番良くしたのだから必死になって介護したのである。
それはプログでその経過を書いてきた。自分は姉を愛していたからそうしたのである。
人間は必ずいい面と悪い面があるから姉を奢りがあったとしても責められないのである。

第一優秀なことが悪いことがないのである。誰でも優秀な人に頼るだろう、医者でも大工さんでも看護師でも何でも優秀な人に仕事をまかせる、だから優秀なことが悪いはずはない、みんな必死になって優秀な人になるために勉強もしているし努力をもしているのである。
だから優秀な人がいなかったらこの社会は成り立たないのである。
ただ優秀な人は普通の人でも大工さんでも看護師でも他でもいる。それは特別な人ではないのである。
そういう優秀な人は奢りに陥りやすいのである。
事業に失敗した人も一級の免許をもっていて常にみんなに優秀だと言われてきた。
そして事業に失敗しても自分は成功していると装っていたのである。
その人も相当に奢りがあったのである。
でも実際にそういう優秀な人には何か奢りが生れる、そして優秀でない人を見下すのである。
自分はそういう人たちをみて常にうらやましく思っていたのである。
自分には優秀なものがないと思っていたからである。

優秀な人は何か冷たい人多い、自分は優秀なんだというとき他者を見下してしまうからだでもその優秀なことが悪いわけではないのだ。
どうしてもそこに奢りが生れるから危険になる。だから何か優秀でないというか平凡でも愛のある正直な人間はいる。
そういう人は優秀な人ではない、姉の場合は優秀なのだけど見下していたことそのことが罰せられたのかもしれない、ただ認知症にな人は多いのだからみんながそうとはいえない自分にとってはどうあれ姉は家に尽くした人だから懸命に認知症でも介護したのである。

人間でいましむべきは奢りと偶像崇拝である。だから若いとき裕福で何も苦労をしらないとか地位があるとかなると危険である。
自分も一時はそうだった。それが打ち砕かれたから謙遜になった。
ただその後30才以降は楽していたのである。
若いとき頭がいいとかなんとかほめられるばかりだった人はどうしても奢りになる。
若いときから社会でほめられる人間は危険である。
有名になることも金持ちになることも地位があったりしたら余計危険である。
その気になっていると神が罰を与えることになる


ネブカドネザル大王が王がエホバの言によって「人から離れて牛のように草を食い、 髪の毛が鷲のように、爪は馬のようになって」はじめて神を認めたという。 

これとなにか認知症とがにている、本当にこれは神の刑罰だった。認知症は多くの人がなるからこれとも違っているだろう。でも王として傲慢になった結果の刑罰だったのである聖書では人間の力で成したというとき何でも危険なことになる、すべては神が成したのであり人間ではない、人間が成した誇るとき厳しい罰が課せられているのだ。
奇跡でもそれは人間が成すことではなく神が成したことなのである。
文明の危険性は原発でもそうだが人間が人間の力で成したことを栄光としているからである。だから今回の原発事故のように明らかにこれは神からの罰だったのである。

いづれにしろ強い者が強いとは限らない、アメリカだって今は強いとしてもいつまでもそうではない、強いものも神の前にもろくもくずれさるときがくる
高いものは必ず卑くくされる、だから高い地位にあるもの、強いものは、権力をもち奢るものは危険なのである。
そして逆に卑(ひく)いものが高くされる、それで天国には平凡でも愛のある正直な人たちがいるというのはそのことなのだろう。

聖書の言葉でもこれは誰でも言うことは簡単なのである。では実行するとなると本当にむずかしい、高い地位をもとめ金持ちになることを求めて日々懸命に働いているのが現実である。
だから「悲しむ者は幸いなり」と大金持ちが貧乏や低い地位のものに語るほど矛盾したことはない、あなたたちが貧しいのは幸いなのだ、あなたたちが悲しむのは幸いなのだと言っていたらこれほど矛盾したことはない
あなたたちは貧乏でいい、苦しんでいなさい、それが神に従うことだ、そんなことを金持ちが地位ある人が言っていたらこれほどのブラックユーモアはないのである。
現実にそういうことをアメリカでは黒人奴隷にたいしてしてきたのである。
またそういうことがこの社会では普通にあるから矛盾なのである。
ともかくこの世の中で何か人に教えようとするときその人自身が矛盾してこない人はいない、悔い改めなさいとか牧師が言ったとしてその牧師が罪がないとはいえないからであるそういう人が罪を問うこと自体矛盾である。だから牧師ではなく神に直接対して懺悔せよとしたのがプロテスタントだったのである。
そしてまた自分が悪いことをしていないと威張って言う人も多い、おそらく悪いことをしてきたからそれを認めたくないからそう言っている。
継母だった女性が最後に目が見えなくなりそのことを反省した。
目が見えなくなることも罰だったのである。
人間には必ずカルマがあり罰がある、それは悪いことではない、その罰がなければ神があることも知ることがない、ネブカドネザル大王は罰を受けて神を認めたとあるからである。



タグ:神の罰

2016年01月14日

抽象画(海辺の街-seaside towns)



抽象画(海辺の街-seaside towns) 


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海辺の街


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海からの風(春)


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海からの風(夏)


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春の山々を走る高速道路



やはり抽象画も名前からタイトルからイメージする場合がある。
これはなんだろうという何か抽象画は困惑する
でもこれは海辺の街だとタイトルがあるとそうかなと見る
自分自身がタイトルを海辺の街だとして納得した
青い色は海の色だからである。
青だったら必ず海とか水とかイメージするからである。


タグ:海辺の街

2016年01月13日

認知症の介護をふりかえる (苦しみと悲しみをともにせざるをえない介護)


認知症の介護をふりかえる

(苦しみと悲しみをともにせざるをえない介護)


姉が死んで7年くらいすでにすぎた、随分早いものだと思う。
それで何かこの頃姉の認知症の介護のことを思い出す
そもそも認知症とは何なのかわからない、何の病気なのか?
その正体が不可解なのである。それは老いによるボケだという見方もあり病気ではないという人もいる、そして認知症は人によって症状が違ってくるから一様ではないからどういう病気なのかも決められない、体の病気だと診断して病名がつきやすい
ところが認知症はどういう病気なのか脳とか精神が影響してわからない
それとにたものは痴呆とか精神病となるからそれなのかと思うとまた違っているとか
どういう病気なのか医療界でも決められないのである。


それは老化から来ているとしてもやはり病気である。老化は病気なのかという問題もあるが認知症は一つの病気でありアルツハイマーという病気なのだろう。
あいつはボケたとかなると笑い物になる、あんなに優秀だった姉も笑い物になったから信じられないのである。実際それを家族だった自分は差別とかを感じていきどおりも感じたそれは精神障害者を持っているものと共通したものとして差別されたのである。
ただもともと優秀であり功績があったものとして生きてきたのだからそこは生まれつきの障害者とは違う。いろいろしてくれた人だから自分は恩返ししなければならないと思って介護していたのである。


ともかく家族にそうして病人をかかえると自分も病人と同じように苦しみ悲しまざるをえなくなるのである。
認知症の場合は特殊なんだけどその度合いは他の肉体的な病気より強くなる
そして認知症になれば家族も嫌う、最大のやっかいものになる
だから殺したくなるということが殺意まで生れるのが認知症の介護であり過酷なのである認知症になった本人も相当な苦しみと悲しみを負うのである
暴力になるときそれは自分をどうにもできない無能化したことへの怒りでありその不満を他者にぶつける
特に優秀だったとか激情的な人はそうなりやすいのである


認知症になるのは本人が悪いのだという見方もある。そんな病気になるのは何か呪われているんだという見方もでるのはそれほど悲惨だからである。
姉は性格的に奢ったところがあり自分は優秀だと見下した所が在りそういう面があったことは否定できない、その奢りが罰せられたのかとも見た
認知症とは何かというのが解せないからそうなる
その本人が悪くてそういう病気になったのか、そんな過酷な病気がなぜ人間に与えられるのかというのもなぞである。
神もヨブに過酷な苦しみを与えたことも試練としてそうさせた。
では認知症とはそういう苦しみを神がなぜ与えたのだろうとなる
これも不可解なのものであるし津波の被害などで死んだ人たちもそうである。
なぜそんな過酷なことを神を人間にするのかということがそもそもわからないのである。

認知症だと何か悪魔にもてあそばれているような感じになる、覚えることができなくなり二階に自分でかたづけた着物がないと泣いていたり財布を隠して見つけられず泣いていたりと本当に悪魔にもてあそばれている感じだった。
どうして神はこんな病気にしたのかという疑問が最初からあった。
もしそういう病気に最愛の人がなったらどうなるのか?
その病気と同じ苦しみ悲しみをともにせざるをえなくなるのである。

「財布がない、財布がない」
「財布はあるよ,安心しろ、大丈夫あるよ、ここにあったよ」

何かこうしてよりそって安心させる、すると精神が狂気になるのをおさえられのである
忘れるということから狂気になるのが認知症だからである。
認知症はともかくいろいろ症状があっても安心させることが一番大事なのである。
忘れるということで感情的になりそこから狂気になる
だからともかく安心させる、心を落ち着かせることが肝要なのである。


認知症が何なのかというとき、不可解だとなるがそれは病気なのだろう
老いでもあるが単なる老いからくるのではなく病気なのだろう
病気だとすると直すことかできると医者が言う
例えは自分の母は100才になり死ぬ間際になるまで病気がないという、軽い認知症はそれでもなっていたのである。でもそれは体の病気とはならなかったから病気がないと医者に言われたのである。それもだから不思議なのことだった。
ところが認知症は病気とされない場合がある
精神の病はそれだけむずかしいからそうなる


今ふりかえると認知症は悲惨な病気であり介護する方も同じように苦しみ悲しむ、それを自分は経験してきた。
人間はつくづく悲しみものと苦しむものとともに悲しみ苦しむことが愛である。
楽しむものと快楽をともにするものとが本当の愛にはならない
悲しむ苦しむものとともにするときそれが本当の愛である。
でもそんなこと誰もしたくない、自分の場合はそう強いられただけなのである。
誰もそんな苦しみとか悲しみをともにしたくないのである。
そういうことは口で言うのは簡単なのである。
実際に自分がそういう身になったときしかわからないのである。


「悲しむ者は幸いである」このことは何を意味しているのか本当に不可解である。
ただ人間が悲しむものと苦しむ者と共感するときが本当の愛である
たがいに楽しむばかりならそこに愛はない、楽しくなくなったら離れるのは愛ではない、悲しいときも苦しいときもともにあるのが愛だからである。
神はなぜ人間にこうして過酷な悲しみとか苦しみを与えるのかとなる
でも逆に悲しみも苦しみもない楽しいだけの人生というのはまたそれだけでいいのかともなる
つまり人間は苦しみや悲しみをともにしてのりこえるとき真に愛で結ばれることがありうる、自分はなんとか姉に対してそうしてきたから最後はわかってくれたと思う。
そういうことで自分はふりかえると満足している
自分も何かしてやることができたという満足である。
何もしてやれなかったら自分は家族とすらなれなかった。自分が苦しみと悲しみをともにしたことで本当に家族になったのである。


ただなぜこんな酷いことは人間に対して神はするのか?それはヨブ記のように不可解なのである。人間は悪魔のようにもてあそばれるだけの存在なのか?
神などないというとき津波の被害者はそう思った。それもあまりにも過酷な現実だったからである。
何か世界でもそうした過酷なことがありどうしてそんな苦しみが与えられの不可解なのである。ただそういう過酷なことにも何か意味がありその解決を望んでいる

汝の悲しみの涙は真珠となる
汝の悲しみ苦しみは無為には終わらない
それは一つの神の試練なれや
汝はふりかえり今幸いを感じる
悲しむ者は幸いとはそのことや
今ふりかえればそれはあるにしても
思い出すとやはり悲しくなる
ただ汝はその時懸命に家族を支えていた
そして今も支えているのかもしれない
死んでも家族を支えている
介護になってからは自分が支える身
私自身が家族を支える
私が愛する故に家族はありつづける
その家族は永遠に消えざれ
我が愛のあるかぎりはこの地に゛゛゛

要するに家族とは何なのかともなる、今までは自分はただ良くされるだけであり愛されるだけだった。でも介護になってからこちらが愛する方になった。
その時ふりかえると自分は真の家族の一員となるべく奮闘していたのである。
これも家族から故郷とか大きな共有の世界に拡大するとき故郷のために何かするというとき故郷の一員となる、何もできないなら故郷の一員ともならないとなる
この辺は津波や原発事故で混乱した。その中で若い人が故郷から放射能を恐れて去って行った、そして老人だけが取り残されたのである。
でも老人でも親であり祖父母であった、家族であったはずである。
するとそこには家族の愛すらなかったのかとも疑問になる
補償金もらってそれで外に出て新しくはじめた方がいいとなった。金がかえって復興をさせなくさせてしまった皮肉がある
金によって家族がかえって分離した、補償金で市町村が分断されたということもそうである。家族であれ故郷であれそんなに愛着あるものではなかったともなる
それが時代を反映したものでありしかたないとなっているがそれでいいのかという疑問と通じていたのである。


タグ:家族とは
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2016年01月12日

葬式も出せない貧乏な時代? (栄える家にはやはり何かの理由があるし逆もそうである)


葬式も出せない貧乏な時代?

(栄える家にはやはり何かの理由があるし逆もそうである)

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金がなくて葬式が出せないと福島県でこれだけ事件があった
やはり葬式も出せないほどの貧乏人が増えているのかとなる
全国的にもこういう事件が多いからである。

どうしていいかわからなかったというとき近所つきあいなどがなくなったからだとニュースでは言っていた。
それもある、本当にどうしていいかわからなっかたのだろう
自分は一回経験しているからなんとかできたが葬式というのは何回も経験できないからわからないのである。
人間ははじめて経験することに弱いのである。
今回の母の葬式は納棺から火葬からと時間的余裕があってしたから葬式とは埋葬するとはこういうものかとわかった。
納棺→火葬→お骨(47日)→納骨となる



 静岡県警熱海署は15日、妻(60)の遺体を空き地に埋めようとしたとして、死体遺棄容疑で同市内に住むアクセサリー販売業の夫(59)を現行犯逮捕した。「葬式を出す金がなかった」と供述しているという。自力で“埋葬”することになった経緯を同署に聞いた。

 

なんかこういう事件がよく報道される、葬式を出せないほどの貧乏なのか?
それとも安く葬式を出せることを知らないのだろうか
それとも親の年金をもらいつづけるために親の死を隠しているのか?

本当に貧乏で葬式を出せないというのも結構ある
とすると今はそれほど貧乏な人が増えた時代なのか
それにしても葬式は20万あればできるからそんなに貧乏なのかとなる
20万の金がない、融通できないとなると相当な貧乏ではないか?
こういうことに現代の世相があり貧乏な人が増えた

親の年金で生活していたような人も多いから親が死んだらその年金をもらいつづけるために死んだことを隠す、それも貧乏のためである。
だからこういう事件がこれからも介護殺人と同じように増えてくる
事件は必ず世相を反映しているからだ。


親に頼るというとき今の老人は金を持っている人はもっている、若い人はもっていない、貯金のほとんどは老人がもっている、それで若い人が貧乏になり親に頼る
それで親が裕福な人とと貧乏な人でまた経済格差が生れる
そしてもう一つ親の遺産でも差がつく、親の遺産をもらわないとどうしても貧乏になる

やはり裕福になるは一代で築き上げることはむずかしい
豊になるのは先祖の力が功績があってなる場合も多い
自分の家系を例にすれば実家には墓しか残っていない、そこには墓しかない
だからその家系に連なるものが来ても何の恩恵もないのである。
墓に来て墓参りするだけでありあとは何もない
一方で母が嫁いだ自分の家は大きな家が残っていてそこに泊まれるし金も多少やるから恩恵がある
誰もなにも恩恵がないところには普通は来ないのである
実家は祖父が事業を失敗して一家離散になったから家もなくなり墓だけが残ったのである

家もいろいろあり謎だがその家が栄えるということは何か原因がある、



積善の家には必ず余慶あり
(せきぜんのいえにはかならずよけいあり)

「易経」より

善行を積み重ねた家は
その子孫が幸福になるであろう


積不善の家には必ず余殃有り。 
(せきふぜんのいえにはかならずよおうあり)

余殃とは、
祖先の悪事の報いとして、子孫に災難が及ぶこと。



これはあてはまる,なぜ自分の実家は墓だけしか残らないのか、一家離散になったのか?
それはそういう原因がやはりあったとなる、それは複雑だから簡単には言えない
一方自分の家はなおまだ家があり財産が多少あるのか?
それはやはり「積善の家には必ず余慶あり」があり自分の父親が善行を積んだためだとなる
ただ一方で全部が善行とはなっていないが一面そういうことがありそれが家が栄えた理由なことは確かである。


ともかく実家の墓は何か悲惨なのである。若くて肺病で25才で死んだとかもう一人兄は40才で交通事故で死んだ、そして一家離散になっているから不幸な家系だとなる
ただどこの家系でもたどれば不幸な人がいる、何かそうした不幸な人がいて幸福な人がでてくる。
だから家系も実際は不可解なものであり何なのだろうとなる
ただ良い家系につかないかぎり恩恵はない、実家の墓だけであり何の恩恵もないのである

今回の母の葬式は納棺から火葬からと時間的余裕があってしたから葬式とは埋葬するとはこういうものかとわかった。
納棺→火葬→お骨(47日)→納骨となる
死者を葬るのも儀式なのである。一番のショックは火葬なのである。何もなくなってしまうことは本当にショックである。
今日実家の墓の中をみたら兄の骨壺がなく他の骨と一緒になり土になっていた
木の骨壺だったのでそうなったのか?これも娘に返すことができなくなり困ったことだった
葬式とかこうした埋葬とかやはり文化がありそれは仏教がになってきた。
ただ戒名とか死者というわけのわからないものにまた死者の恐れをいいことにそこで金儲けするのはこれも何か重い罪のように思う
カルト宗教団体が政治のために宗教を利用するのもそうである。
そうした俗世のために利用したり死者という恐れをいいことに金をとるやりかたは相当にあくどいと思う
供養だったらその人の心しだいであり心から手をあわせればいいことである。
金など必要ないからである。花くらいはどうしても必要だが他は心から供養することであり何もいらないのである。
ただ死者を葬ることは昔は村の共同体がありしていた、それがなくなり個人個人ですることは難儀である
今は葬儀屋がするのだがそれもまた違和感があり納棺師とかが話題になった
それは死者に対してどうして対処していいかわからないからそうしてこまた専門家が生れたのである。

ともかく母の死後の処理に追われている、人が死ぬとそうした因縁がいろいろとでてくる47日過ぎて納骨すれば一段落である。それまではまだ落ち着かないのである。

タグ:葬式
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2016年01月11日

認知症の介護をふりかえる (脳の病気が人間にとって一番悲惨)


認知症の介護をふりかえる

(脳の病気が人間にとって一番悲惨)


認知症というのはその人によって性格などによって症状が違う。
母は95になり介護状態になり認知症になったけど別に普通の人とほとんど変わらなかったただ入れ歯をなくすとき何かあわてていたが怒ったりもしない
すぐに探して安心させたからである。そのことは前も姉のことで経験していたからである寝ていたから狭い部屋が生活範囲だから何かなくしてもすぐに見つかるからあわてる必要がなかった。
そして性格がおとなしいから介護しやすかったのである。


一方姉は激情的な人であったから症状も極端なものとなり本人も苦しんだけど介護する人も自分も苦しんだのである。
姉はいつも自分は優秀だったと言っていた。それが学生のときから優秀だった。
学校も一番であり体力的にも優れていたのである。
だから従軍看護婦となりシンガポールに四年間耐えることができた
当時は看護婦になること自体が簡単にはなれない、優秀な選ばれた女性たちだった。
それで戦争のことと自分が優秀だったことを言いつづけて死んだ。


その優秀なことが認知症では裏目に出たのである。なぜならその優秀であっても認知症になったら一転して痴呆になったという信じられない状態になったからである。
認知症になったことに気づいたのは最初暴力になったことである。
その時自分はショックでありどうなったのだろうとものすごく不安になった。
病気は急激に発症したと思った。その前はからそういう兆候があったが自分にはわからなかった。
それも衝撃だったが銀行に行ったのだが金をおろせなかった。それも驚きだった。
そんなことがありうるのかという驚きである。通帳とハンコをもっていけばおろせる、その自分の金をおろせないのだから驚く、そこで笑われたとか言ってその後銀行には行かなくなった。銀行に自分の金があることはわかっていても自分の金をおろせないのだから信じられなとなる
認知症になっらもう自分の金も自分の金でなくなる、金の管理はできなくなる
これも認知症の症状だった。自分の住所も書けなくなっていたから姉は最初から重症だった。
母は不思議なのは住所とか書いていたしまだわかることがあるのが不思議だった。
おそらく認知症特有の物忘れはあってもその他はある程度正常だったとなる
つまり極端なもの忘れがあってもその他は正常にある程度機能していたのである。
だからあまり悲惨な感じにはならなかったのである。

一方姉は自分は優秀だとプライドが特別高いから認知症になった結果悲惨になった。
つくづく人間は何が災いして何が幸いするかわからないものである。
優秀なことはいいことであるがそれが災いにもなる
プライドが高いということはそうして認知症になったときショックが大きいのである。
だから通帳をみて頭をたたいてわかろとしていたが理解できなくなっていた。
それが悔しいということがあり激情的な人だから他者にその不満をぶつけて暴力になったのである。
暴力的になるのは自分の頭が正常に働かせようにもできないからである。


そしてこれも悲惨だったのは例えば二階に着るものがあり自分でかたづけていてまた二階にゆくと自分の着るものがないと泣いて訴えていた。
財布なども隠してわからなくなり泣いて訴えていた。
それも悲惨なものだった。自分はそこから怒り暴力になることを恐れていたので財布がここにあるとか安心させるよう勤めた。
でも忘れるということでそれが感情的になり激情的な人は暴力になるから怖い
その時目の色とか顔まで変わることがあり一種の精神病のような状態になる
その精神病的状態になることが一番怖いことでもある
なぜなら60年も親しくしていた人が突然そうなったら本当に怖いことだからである。
いくらそうなっても60年も親しくしていたのだから態度を変えることはできない
家族として姉として自分は接してきた。それは自分の家族の特殊な事情も反映していた。自分は特別姉には良くされていたからである。
だから認知症になったときも別に姉として変わらず接していたのである。
そうしているうち症状も落ち着いてきたのである。

今ふりかえると自分は懸命に認知症の姉を介護して良かったと思う
なにかしらそれで恩返しできたとして満足している。
それだけ自分は姉には良くされていたからである。
何もしなかったら自分はなにも恩返しできないということで後悔することかあった
自分も何か姉のためにできたという満足感が今になるとある。
それは母も同じだった。つまり介護というのはやはりその人の家族の状態とかいろいろ事情が違うから介護は一様にはならないのである。


今になるとあの時懸命に認知症になっても正常のときと同じように接して介護して良かったと思う。
でもそれも短かったから助かったのである。長くなると二人介護になったからもたなかったからである。
ともかくこの十年間の介護の経験はやはりそれなりに得るものがあった。
弱者とか病人とか自分もなり弱者になるとはどういうことか身をもって知った。
実際は自分の場合は弱者化したとき何の助けもなく攻められるだけだった。
ただ自分は家族に対しては介護して尽くしたなとそれが満足感になっているのも不思議である。
弱者というとき老人はみんな弱者になる、体も弱り脳も弱りみんな弱者化するのである。つまり姉のように優秀だとか言っても認知症にな人が本当に多くなる
もう90才以上になると半分もなるとかそれが高齢化社会の恐ろしさなのである。
老人になればどんなに優秀であってもまた金をもっていたとしても認知症になったらその金も何の力にもならないのである。
金だ金だと金を第一にしていたがそれも何の役にもたたない、介護は金が必要でも金だけでは解決しない、やはり介護には愛が必要になるからである。
自分は特別世話になったということ良くしてもらったということがあり介護したからである。
それが赤の他人だったらそういうことができるかとなるとむずかしいのである。


我は助けぬ、認知症になるとて
変わらずに、家族としてありつづけ
弱りしものを、脳の病気とて
人はみな老い弱り悲しきものを
奢れるものも老い弱りゆく
悲しむものは幸いである
悲しまざる者は人間を知らぬ
我は弱りし家族を助け
我が心は今ふりかえり満足す
我も尽くすことのありと、、、
死者に心から供養するかな

介護は供養とも連続している。介護してやれば相手も満足して死にそのあと介護した人も供養できる、そうでないとなにか供養するにもうしろめたいものが残る
そういう人を知っているからいくら偽っても死者に対しては偽れない
外に装っても自分の心の中では偽れないものとなるから問題なのである。


いづれにしろ人間とは愛というとき常に与えられる愛を思っている
でも与えられる愛ばかり望んでいると不安定になる
常に愛されるのではないかということで不安になる
でももし愛する方になれば別に相手から愛されなくてもいい、そういう愛だったら愛は消えることがないのである。
なぜ離婚が多いかというと与えられる愛を望んでいて自ら愛するのではないからである。まずこの世の中で無償の愛というのは親子でもほとんどないのである
なんらかの見返りを望んでいる愛なのである。
それでおばあちゃんがいいというのは見返りを望まないからである。
自分の場合は一人はそうだったから認知症になっても尽くしたのである。
愛されるより愛する喜びの方が大きいということもある
それがキリストの教えだけどこれを実践するとなるとむずかしいからこそただ人は愛されることを求めているのである。
自分は多少介護で愛する方になり愛することにも心に満足感を覚えるものを今になり感じたのである。
そうはいってもそれも今になると介護が終わったから言えることなのである。


タグ:認知症
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2016年01月10日

『百年の計、我にあり〜知られざる明治産業維新リーダー伝〜』 (別子銅山の改革に邁進した明治の偉人がいま蘇る! を見て)


『百年の計、我にあり〜知られざる明治産業維新リーダー伝〜』

(別子銅山の改革に邁進した明治の偉人がいま蘇る! を見て)

広瀬宰平と伊庭貞剛。2人は一企業のみならず、国家百年の計を見据えた改革を次々と実現、それは明治日本の産業維新とも言えるものであった--。


このドラマで広瀬が主張したのは一企業のためではない、国家のためにということがモチベーションとなっていた。
それは明治はみんなそうだった。異常なほどに国家を意識せざるをえない時代だった。
政治のみならずあらゆのる分野で国家を意識して国家をになって生きていた。
エリートは特にそういう責任感をもっていた。だから留学した人たちもそうであり英語ができなくて自殺した人もいたというときそれは国家によって派遣されていて国家意識が強いからそうなった。
明治はなににしろ国家を意識せざるをえない時代だったのである。
内村鑑三が二つのJのためにというときJAPAMが入っていたのである。この時も愛国心が大きなモチベーションになっていた。
国家が意識されるから愛国心ももっている。それは一企業でも国をになっているという意識がありみんなそうだった。まず国家の一員でありそのあとに付属していろいろなものがあった。国家が最優先であり結果として天皇が重きを成したともなる
それは明治だけではない日本は大正から太平洋戦争の敗北まで国家が最優先である社会だったのである。


産業でも絹織物が輸出産業となり全国で生糸の生産が農家で行われていた。
養蚕は農業でもあるから日本の主要産業となった。今でもいたるところに兜屋根とか二階で養蚕をした家が残っているのはそのためである。
そして戦争に負けた結果、今ではその絹織物産業で働かせられたのは国家のためでありそれは戦争のために武器を輸入するためだったとか批判されている。
絹織物産業も国家の指導のもとに行われていたのである。
その是非はともかく企業でもそもそも明治から国家なくしてはありえなかったのである。自分の母親も原町紡績で十年間働いていた。原紡としてこの辺では有名だった。その工場の門に引き込み線の写真があり鉄道で運ばれていた、原町駅は平駅と同じく機関区になっていて木材とか石とか物資が東京に運ばれていて栄えた。それは全国でそうなっていたのである。

そこで興味深かったのはフランスの技術者を呼んでいたのだがその人には設計図だけを作らせて広瀬宰平は日本で自力で作るべきだとフランスの技術を呼ばずになしとげる。そして鉱山技術を学ばせるために塩野門之助(浅利陽介)を留学生として派遣した
あとで外国の石炭を輸入すべきだというときも日本の自力で行うべきだと反対してさせなかった。それで塩野はやめたのである。
これも当時は国家を意識して日本人だけでやりとげるのだという自立心は結局明治維新を成し遂げた独立心に通じていたのである。
日本人はそれだけ西欧列強に対しても軍事面だけではない独立心をもっていた
だから明治は常に偉大な時代であり偉人の時代だったと言われるのである。
今になると敗戦の結果、国家意識は常に否定されてきた。国家という言葉さえタブーになってしまった。国家というだけで嫌悪を感じる人が多いのである。
そこに左翼系がさらに国家を忌むものとして国旗まで否定するようになった。


その変化があまりにも敗戦の結果極端なものとしてあり日本には国家はない、国家がないというときとても大きな責任感も生れない、百年の計というのも生れようがない
国家の歴史は二千年とか長いのだから百年の計がありうる、でも戦後は国家がアメリカによって否定され従属国家、植民地国家になったとき日本人は国家意識もなくなりただ目前の利を追うだけの民主主義ー民利主義になった。
国家百年の計に犠牲になるようなことは否定される
教育でも個々人の立身出世主義しかない、受験戦争は上の階級につき官僚になればただ得して楽な生活をするということしか教育にもない、他者を蹴落としてでもそうなれというのが戦後の教育だったのである。
要するに戦後は戦前からの歴史継続が断絶してしまったのである。
だから今や日本人とはなにかとなると日本人はいないアメリカ人になったともさえなる
日本人であるならやはり日本には長い歴史がありその歴史に育まれたものがあり文化がありそれに基づいて形成されるのが日本人だとなるからである。
だから盛んに無国籍人だとかが恰好いいとかなる、ハロウィンなども明らかに日本から祭りすら消失しているから新しい祭りを求めて若者が大騒ぎしているのである。
あらゆる面で国家を意識していた時代からあらゆる面で国家が否定されてきたのが戦後なのである。
ナショナリズムはファシズムと同義にもなっていたのである。


奇妙なのだけど国家意識がなくなり愛郷心もなくなった、その一つの原因が愛郷心も田舎で独立していた生活をしていたとき愛郷心もあった。
自給自足の生活していたとき、炭焼きをして都会の人に頼らずに生活していたとき田舎の人にもと独立心があり俺たちは別に都会の人に頼らずに自分達だけで生活できるという独立心と自負があった。
今は限界集落とかなるとインフラのために180倍の金がかかるとかそれは税金の無駄だと都会の人に言われる、もし炭が燃料だったらそんなことは言われないのである。
自分の家が故郷の木材を利用して建てたというとき故郷に土着するということで愛郷心が生れる、愛国心と愛郷心は何か共通したものがある。
広瀬宰平が盛んに日本は日本にあるもので外国に頼らないで資源でも技術でもなしとげるという自負が愛国心に通じていた。そしてそれあ成し遂げたのである。
そこには公害問題が生じたから今と同じ状況が生れたがこれも煙害を防ぎ補償金だけですまそうとしなかったのである。


これを今の原発と比べるとその相違が明確になる。原発も実は国家の事業であり一企業の東電の事業ではない、これは住友ではない一企業ではない国家の事業としてはじまったのである。国家の事業となれば百年の計のもとに成せねばならないものだった。
でももし百年の計となれば原発というのは放射性物質の処理を考えねばならないがそれも考えないから百年の計だったら原発を日本に作ることは危険だった。
そもそも日本の原発はアメリカ主導で成されたものであり別子銅山のように国家が自力で独立心が愛国心があって成したものでもない
アメリカの主導で成されたのが別子銅山とは根本的に違っていた。
別子銅山には国の援助はなかった。原発は国が予算をだして作ったのだから国家事業でありそうだったらこれこそ百年の計がなければ作れないものだったのである。
だから明治人と戦前の日本人はそもそも人間そのものがあらゆる分野で別人になっていたのである。
企業でもそうである。まずグローバル社会になれば国家を意識する、国家がない方がいいのである。それはアメリカでもそうなっている。だから世界を支配しているのはアメリカという国家ではなくロックフェラーやロスチャイルドとか武器を作る軍需産業会社だとか言われる、グローバル社会では大企業が国家であり大企業が世界を支配する
国家は大企業に従属したものとなる、会社の利益がすべてだとなる。
そしてその会社の利益にあづかるのがその幹部達でありその人たちこそ世界の富をにぎり世界を支配する人たちだとなる。
東電でも実質の富を産み出すのは東電でありそこに政治家や検察や警察の官僚が天下りしていたのだから東電を批判できなかったし今でもそうである。


ともかく戦後70年そして明治維新からすでに140年とかなるとあらゆるものを見直す時代になった。根本となる国家というのもそうである。国家というのがあちらゆる面で戦後否定されてきたのである。それは左翼により過剰に否定されてきたのである。
そのことからすでに日本にはモラルもなにもない、ただ個々人の利益の追及しかない、
自分が得する自分がもうけるためには他者を蹴落としてもいいしかない弱肉強食の社会になった。そこに日本人の義理人情もなにもなくなってしまった。
自分が弱者になったときのことを書いてきたが何の同情もない
ただ弱者になったことをいいことに攻められるだけだったから地獄だった
相手もまた金で追い詰められていた弱者だからそうなった。
日本人のモラルもなく世界が金を求めるだけしかなくなったのである。
それを否定しようにもそういう資本主義であれシステムの中に組み入れられているから否定できないのである。
別子銅山の一企業でも国家を意識して経営していた。そのためには日本の資源で日本の技術で独立心で成し遂げるという意気込みがあったからこそできた。
経済的自立、技術的自立の精神があって愛国心もあり愛郷心もあったがグローバル経済はそれを破壊したのだからそれは日本だけの問題ではないとなる。
その結果としてなぜこの辺で原発事故で住民が離散して帰らないのかという問題とも通じている。


そもそも自給自足の生活からはあまりにも離れてしまった。あらゆるものが家でも建て売りでは材料でも大工さんも地元の人でない、会社の社員が組み立てるのてあり地元の人が地元の材料で建てているのではない、それは食料でも今ではそうである。
あらゆるものが全国から外国から常時は入ってくる、だから金さえあればどこに住もうが困らないとなる。自給自足の生活だったら地元のもので何でもまかなわなけれはならないから愛郷心を自ずともつようにな。
それがないからみんな散り散りばらばらになった、故郷と言っても愛郷心が育まれような社会になっていなかった。それは国家でも同じであり愛国心はかえって戦争を奨励するものとして否定されてきたのである。
いづれにし国家百年の計などありえないというときそもそも国家意識が喪失しているのだからそうなる
国家とは地域のエゴとか個々人のエゴとかを越えた大きなものとしてあるそれが公共の概念である。それが喪失したとき社会自体がばらばらに分離離散して崩壊する
ただ弱肉強食の社会でありそれはまさにモラルもなにもない動物的社会に堕落してしまうそれはまさに地獄ではなかろうか?
確かに国家が戦争で何百万人が犠牲になった地獄を作り出したがまた逆に国家無き社会も地獄を作り出す、つまり国家を愛国心が愛郷心がない社会はまさにそうなってしまうことを原発事故でも今の社会がそれを示しているのである。



タグ:別子銅山

2016年01月09日

武田信玄はなぜ天下をとれなかったか? (天の時は地の利に如かず 地の利は人の和に如かず)


武田信玄はなぜ天下をとれなかったか?

(天の時は地の利に如かず 地の利は人の和に如かず)

武田信玄が人は石垣、人は城としたときこの原理に従って言った。人の和が一番大事だから城はいらないとした。
そして滅亡したのは肝心の人の和が家臣団の和が崩れたためだとなる。
次の代の勝頼は家臣団をまとめることができなかったためだという。
人の和というとき中国は巨大だから必ず分裂して三国志が生れた。大きすぎて一つになる、和を作れない国である。それが弱体化する原因である。
日本は一億総なにかとか一眼となってまとまるから小さい国でも強いとなる。
和の力が働きやすい国である。


でも国の興亡でも人でも家でも何でも一つの原因で決められない、様々な要因があり一つではないのである。
武田信玄には何かそれがみんなあてはまる。地の利というときこれも山国であり外の情勢にうとくなる。山に囲まれているから閉鎖的になる。それは会津ともにている。
だから直江津の港から海に出たいということで謙信と戦ったということもうなづける。
今でも直江津は船がでているし自分もその船に乗ろうとしたが乗れなかった記憶がある。戦国時代地の利というとき一番信長もっていたのである。京都に一番近い距離にあったこともそうだし海に面していたのもそうである。
京都に近いから近江にその居城、安土城を作ったのもそのためである。
歴史的人物が生れるにしても地の利というのは影響している
どんなに傑出した人間もその人の力だけではなりえない、地の利の制約を受けるのであるだから政治は地政学であり地の利を基にして考えねばならない


ロシアは武田信玄のように海にでるための港を求めた。それでロシアはシリアに固執するのは地中海の港がありそこを海に出る拠点にしようとしているからである。
その前にはだかるのがトルコになっているからEUは地政学的にトルコと組みトルコを重視すべきだったというのもわかる。
世界でも世界史でも地の利がわからなくして理解できないのである。
そして日本国内でも地の利というのが一番わかりにくいのだ。福島県自体も広いからわかりにくい、この地の利で何か必ず誤解が生れてくるのである。
一つの県から地の利がわからないのである。東北はなんとかわかるがそれだって岩手県なども広いからわかりにくい、他でも一つの県から地形を具体的にイメージできないのである。
イメージしやすいのは奈良とか近江はイメージしやすい、奈良は平地を山が囲む広い盆地であり

やまとはくにの まほろば たたなづく 青がき 山ごもれる 大和しうるはし


近江も中心に琵琶湖があって山が囲んでいるからである。そして近江は東と西の境目である。
関が原を境にそうなっている。関が原を越えると近江であり景色も何か穏やかな感覚になる。そして関が原が天下分け目の戦いの場であるというのも地の利のためだった。
必ず春にゆくと関が原は雪が残っている地帯である。
そこが西と東の境目としてふさわしいのである。東(あづま)は関が原からはじまる地域だった。ここで西の文化と東の文化が別れる地域だった。
それで伊吹山でヤマトタケルが死んだ山でありここを境にして壬申の乱があり西と東の勢力がぶつかる地点だったことでもわかるのだ。


いづれにしろ武田信玄は天の時、地の利、人の和からみるとそれを象徴している人物なのである。
人の和があっても人の和が崩れ地の利が京都から離れて山国で天下を見るには不利であった。そして天の時も逃したのである。
天下をとるにしては謙信との戦いで時間を消耗した、結果的に天下とりに出たのが遅くすでに50をすぎて病気にもなり天の時を逃して挫折した。
人間は今でも個々人でも組織でもそうだろう。天の時、その人の人生でチャンスがくるのは一回しかない、それを逃すともうチャンスは永遠に来ない
ビジネスでも営業でも一回のチャンスをものにしないとあとは契約がとれないともある。それはどんな分野でもそうである。チャンスは何度も来ないのである。
恋愛でもチャンスは一回でありその時しないとあとはできない、つまり十代とか二十代の前半くらいまでしかできない、求道でも若い内しなければ年取ってからできない
若いとき放蕩したりすると老人になってもひびく、真善美を求められなくなる


結局ここの人間であれ平凡な人間であれ一つの教訓を残してみんな死んでゆく、武田信玄も英雄にしてそうだった。
死んでからこの人はこうだったああだっとかいろいろ批評する、そこには必ず教訓を残しているからである。それは平凡な一生でもそうである。
なぜその人はもっと何かをしていればよかったとかなぜもっと遊ぶということもしなかったのかとかなる。
それは時代を反映していたのだけど戦前生れだと働くばかりだったのはそういう時代だったからである。
でも戦後の団塊の世代になると遊び上手になる、近くの人が58才頃からスキーをはじめたというから驚きである。ピアノもしているとか趣味をもつようになった。
でもすでに65才くらいになっていて良くできるなと感心した。こういう人が戦後生まれには結構多いのである。そこが戦前生れと違うところである。


人間はただ長生きしただけで天の時を得ることがてきる場合がある。徳川家康は長生きしたから天下が自ずとれたともなる、武田信玄も長生きすれば違っていたのである。
才能がなくても長生きすればそれなりのことがてきる、才能があっても早く死んでしまうとできない、そういうことは個々人の人生でも家族の中でもある
母は百才まで生きたがそれが家族の中では意味ある価値あることだった。
もちろん長生きして意味がなく価値がなくなる人も多いし現代ではその方が多いから問題なのである。
でも才能を伸ばすのには長生きしていた方がいいとなる、凡庸な人間でも長生きして積み重ねるものがあればそれなりのものになりうるからである。
一方で天才的人物は別に長生きでなくても成果を残す、天才が短距離走だというとき短距離は努力してもなれない、生まれつきのものであるからだ。
マラソンはそうではないというとき平凡な人にも向いているというときスポーツでも生まれつきだけでは決められないものもある
大器晩成というけど平凡な人が長く時間をかけてやればそれなりのものになるということであり別に大器だからではないのである。
だから高齢化社会は平凡な人の才能が華開く時代だともなる
多様な才能が華開く時代だともなる、それが高齢化社会のプラスの点でもある


タグ:武田信玄
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卒塔婆峠についてコメントありましたので答えておきます



卒塔婆峠についてコメントありましたので答えておきます


卒塔婆峠は前は道として確かにあったけどその後道が埋もれてわからなくなった
江戸時代もありこの道は飯館村と玉野村を結ぶ道だった。
それは南北朝時代からつづいていた古い道である。

逃げ延びてきた十三名の落ち武者を村人が殺めるという事件があったそうで
その後、供養のため峠に卒塔婆を立てた事からその名が付いたとか??

その根拠はどこにあるのでしょうか?

南北朝の争いで霊山城が炎上したとき落ち延びた桑折氏は山王権現を信仰していた。
約十三人は宝財踊りと名付けて姿を変ずること左のごとし

柄杓廻  顔を染め短衣をつけ
子供懐抱  芋屑頭巾を冠り顔を隠し女衣つけ子を抱く
山伏  顔を染め
獅子
笊下冠
道心坊  顔隠し
座頭    顔を隠し
笛吹

このように変装したのは落ち延びるためにそうなった。襲われることを恐れて変装した。
十三名というのは落ち延びた武者のおよその数だった。だから卒塔婆峠で殺されたというのはそういう数が伝えられていたからである。
十三名が殺されたわけではないだろう。
山王権現は玉野村から山上村にも祀られている。山王権現は野馬追いの旗印にもある。
玉野村から二手に別れて落ち延びたのである。

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この旗印の武士は日下(くさか)となっている。山王権現を受け継いできた姓なのか?
日下石(にっけし)は別である。


落武者伝説は各地にあるけどこれは明確な歴史として残されている、宝財踊りで顔隠しということがあるからやはり武士としての身分を隠すものだったのだろう。
要するにそれほど襲われることを恐れていたからこういう変装をした
それで落武者が殺されたという伝説にもなる、落武者狩りなどもあったのかもしれない

その時郡山の多田野村から移った武士がいてその末裔が同級生だったことに驚いた。
南相馬市の鹿島区には只野、但野という姓の家が本当に多いのである。
その人はお浜下りのおつづら馬を担当してきたという。
つづらをのせた馬のことであり重要な役割である。
これも不思議な縁起だと思った。鹿島区の街内も古い場所であり古くから人が住み着いた場所である。自分の近くの神社に天明の碑があったことでもわかるからだ。
鹿島神社の脇の墓地には安永の碑もある。

落ち延びてきた武士を村人が殺すということがあったのか?それは戦国時代ではあった。
明智光秀などが村人に殺されたのは村人が手柄としてその首をもって報償にあづかるたである。ただ南北朝の争いは複雑であり誰が敵なのか味方なのかもわかりにくい
そういう中で村人が襲うということがあったのか?
それでもそれだけ恐れていたからこれほどの変装して霊山城を逃れてきたのである
それが祭りとして残ったのもその落ち延びる時が恐怖として残り記念として祭りとなったのである。

ここのサイトでは樅の木に注目していた。自分も隠れたように重厚な樅の木を発見した。
やはり相当な樹齢の樅の木であり貫祿があったので詩にしたりしたのである。
道のマニアとか廃線のマニアとか廃墟のマニアとかいるようです
こういうところには何かかえって魅力を感じるのも現代である。

お浜下り

参照したプログ

タグ:卒塔婆峠

2016年01月08日

雪の花(西村計雄の絵は抽象画的に変化させやすい)


雪の花(西村計雄の絵は抽象画的に変化させやすい)

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北国の冬の窓




これはこの人の絵を変化させたものだから何かしら著作権として問題がある。
ただこんなふうにパソコンで変化させられるというのも意外である。
つまり抽象画には意外性がある。
どんなものが生れるのか自分ですらわからない
変化させてこれが面白いとなるアートである。

この人は北国の人、北海道の人だから寒々とした風景を描いているから今の時期にはあっている
まずこんなふうに変化するということは想像つかないのである。

元の絵は教会だったからである。でもなにか元の絵を見ると著作権の問題がある。
ただ月を省いて雪の花にしたときはもう元の絵はわからないから著作権は問題にならない月がでていると元の絵のことがわかるから問題なのである。







タグ:雪の花

2016年01月07日

原発利権が国家的損失を生んだ 「日本の聖域」ー選択を読む



原発利権が国家的損失を生んだ


「日本の聖域」ー選択を読む


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 原子力村→利権化→原発事故

 原発→アメリカのGEの利権化→原発事故

 原発→地元の利権化→原発事故

 放射能汚染調査→被爆村→利権化→徒労、無駄

 除染→原子力機構→ゼネコンの利権化→効果なし


 なぜ原発事故が起きたのか、そのことを追及してきた。この本にもそれがまとめられている。これは雑誌「選択」で追及されてきたものである。
要点がわかりやすくまとめられている。
要するにあらゆるものが利権化するとき事の本質がゆがめられそれが災いを生む、原発事故もそうした様々な巨大な利権化がもたらしたことはいなめない
利益になればいいとしていろいろな不都合なことが見逃されてきた。


原子力村は原子力利権の巣窟でありそこに大学や学者や官僚や政治家が集まり利権化して政府の金が、国民の税金が湯水のように使われるのである。
安全神話」を作ったのもそういう人たちである。科学者の良心などもない
利権を得ればいいというだけになる。肝心の原発の安全は追及されないのである。

それは原発の原子炉でもアメリカのGEが作ったものでありこれもアメリカのGEの利権と化していた。GEでは外国のことだから安全をあまり計らない、古いものでも売ればいい、利益になればいいとなっていた。
そして製造者責任が追及されない法律が日本で作られていたのである。
それはアメリカの圧力でそうなっていたのだから日本は未だにアメリカの植民地であり属国から脱していないということでそうなった。

地元の利権化もまたそうである。漁業権をもっているだけで補償されていた、その額は大きなものだった。漁師が海を独占してその利権で海を東電と政府に売り渡していたのである。この辺の漁業は零細であり漁業だけでは生活できない、農業もそうなっていた。
でも農業にはそんな利権はなかったのである。
今も漁業者には海の汚染で交渉する度に補償金が増額される
それは海を守るというものではなく海を我が物として利権を得る構造になっていたのである。
「海を汚染するな」と交渉して利権を補償金をゆするようなものである。
そして海が汚染されて魚も食べられなくなったのである。
一番新鮮な魚を食べていたのは地元の漁師である。二三日すぎた魚は食べないと言っていたからである。
そして魚をとらなければ俺たちは何なのだとも言っていた。
でも別に補償金が出るのだから生活には困らないのである。
それも何か今になると勝手だなとつくづく思う
原発の利権が巨大だから地元でも漁業者だけではなく利益にあづかりその利益のために安全神話を地元の人たちも作り出していたのである。
原発に勤める人たちは金になる、すると安全のことより利益が大事になるからだ。
それでそういう人たちは「原発は安全だ」と言うから回りの人たちは何も言えなくなるのだ。
人間は別に原発だけではなく利益なればどんなことでもする。それで殺人にもなっているからそれは今でも利権で利益で人間は動いている。
毎日金を得るために血眼になっているから別に特殊なことでもないのである。
でもその利権とか利益を追及するだけだと社会をゆがめ回り回って自分たちも被害が及ぶということである。

放射能汚染調査でも実際は効果ないことが税金の無駄だというときそうである。
健康調査が福島県全域で成されたがその回答率20パーセントでありいい加減な答えであり何ら科学的調査に値しない、自分も記入していない、回答していない、あれも相当に金かかっていたのである。
それも何のためにしているかもわからないのだ。なぜならそんなことで放射能汚染されたことなどわからないからである。
そして除染自体は壮大な無駄でもあるとされる、除染の効果がないし、いい加減な除染しかしていないという、専門家ししているのでもなく普通の土木作業員がいい加減にしているだけであると書いてある。
それで利するのはゼネコンでありその利権にあづかる人たちだけなのである。
肝心の放射能汚染は何ら解決していない、ただ除染しているふりをしているのかともなる一応毎日何か作業しているとは見ていてもそれがただ除染しているふりにすぎないかともなる
それほど原発事故の後の処理でも膨大な金が何兆円とかの金がかかって前金の無駄だともなる、そんなことが何十年もつづくのだから原発は膨大な国家的損失でしかないとなる


現実に南相馬市立病院での体内被爆の検査も有効であっても機械の問題でできない、機械をそれほど高くもさせないというのも理不尽なのである。
被爆村の学者や団体がその検査をはばんでいる、研究者は実際の体内被爆の検査をしようとしないという、これでは体内被爆を恐れている子供をもつ若い母親が地元に帰らないというのもわかるという。
チェルノブエリでは十年後に甲状腺ガンが増えたから十年後には増加するというのも子供をもつ母親にとっては怖いから帰らないのである。
ともかく膨大な利権のための税金の無駄が原発であり実質的効果はあまりにも少ないのである。


この利権化の構造は原発だけではないこの本では他にもいろいろ追及している。
この利権化構造が社会を国をゆがめそれが国民に害悪もたらすから怖いのである。
この辺で「飯館村」とかが喪失したことは都会を失うより貴重なものが失ったとも思う
都会はむしろなくなってもいいがそうした自然と調和した村の方が自分は貴重だと思っていたからである。
そういう村を消失させた責任は相当に重いはずである。もちろん現代は原発事故がなくても限界集落化してそういう村は消滅してゆく
それが日本にとっていいことなのだろうかということの疑問がある
そもそも東京という大都会を維持するために東電がフクシマに原発を作ってその結果としてフクシマが被害にあったのである。
東京という巨大都市の犠牲になったのがフクシマであり飯館村のような自然と調和した村だったともなる
大内村は原発に近くやはり三分の一が原発で働いていたけど飯館村は遠いからそういうことなかったからである。






タグ:原発利権
posted by 老鶯 at 16:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

山眠る(この辺は住んでちょうどいい規模の街)



山眠る(この辺は住んでちょうどいい規模の街)

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我が町は灯のともしきや眠る山

母死して今安らかに眠る山

駅淋し二両の電車や眠る山

我が町は枯野の広く暮れにけり

樹数本津波の跡は枯野かな


眠る山というとき今は都会でもどこでも眠らずに活動している。自分は都会には住めない人ごみとビルの谷間では暮らしたくない、あういうところで良く暮らせるものである。
若いときはいいにしろ年取ればいやになるだろう。
もちろん都会に都会の良さがある、でもそこに安らぎはない
この辺では相馬市というと何か淋しい、原町はもともと繁華な感じになっていた。
その中間の鹿島とかはずれた小高とかは淋しい枯野が広がる地域だった。
何か自分にとっては枯野が広がっているような風景があるのがいい
原町ですら嫌な感覚になるのだ。

自分にとってはちょうどこれくらいの規模の街が住みやすいのである。
飯館村とかなると住むとなるとかなり不便になる、第一車がないともうそこは住めない
買い物もできないからである。飯館村などは千軒家を壊したから一体そこに新しい家を建てる人がいるのかとなる
現代は便利な社会だから飯館村とか限界集落のような所は消滅しやすいのである。
この辺はまだ常磐線があり六号線があり東京と通じていて市もあるからそれなりに便利であり住みやすい場所である。

そして今は外部から一万人くらい工事とか除染関係で人が入っている、それでダンプがひっきりなしに通るので危険なのである。一方でそのために活気があるというのも矛盾である。
こんな状態がまだ何年つづくのだろうとなる、工事とか除染が終わったら相当にさびれてゆくのも困るともなる
自分にとってはこのくらいの規模なのが住みやすい、都会化すると嫌なのである。
この辺では飯館村があるということも何か安らぎの空間を形成していたのである。
その飯館村の空間がなくなったわけではない、だが人が住まなくなるということはやはり今まではとは違ったものとなる、飯館村といってもそこに人が住んでいて価値があった
人が住まない村となると何なのだろうとなる


二両の電車が往き来しているがこれも人間的なのである。
やはり機械でも小さいと人間的になることがわかる
二両の電車は何か人間のように見えるようになっている
十両とか新幹線とかなると人間からはずれたものになる
巨大化すると何でも親和性がなくなってくる
いづれにしろ冬は山眠るではあり本当は休息の時期である。
自然のリズムで生きればそうなる、今はそうした自然のリズムがない
絶え間なく活動しているから精神的にも疲れるのである。


母が死んで今は苦痛もなく安らかに山は眠っているとなる
生きている限りなんらか人間は苦をもって生きることになるのだ。
死んでやっとその苦から解放されたのである。

タグ:山眠る

2016年01月06日

何かを負債を負っていたら人を助けることはできない (借金している人が保証人になれのか?)



何かを負債を負っていたら人を助けることはできない


(借金している人が保証人になれのか?)


その人は事業に失敗して相当な借金をしていた。十万とか借りるのではない軽く何百万とか要求する、そういう人とつきあうとどうなるのか?
そのこと自体本当に怖いことだった。
病院の入院とか手術の保証人になってもらったがそれをふりかえると不思議である。
一千万借金がある人が何であれその人の保証人になるとどうなるのか?
そもそもそんなことができるのか?
私はあなたの保証人になったのだからその私の一千万の借金の保証人になってくれとというのと同じではないか?
一体そもそもそも借金している人が何かの保証人になれるだろうか?
何か負債を負っている人がそもそも人を助けることができるだろうか?
キリスト教で負債を負ってはならないというのはそのことだろう
何か借金でも負債負っている人は人を助けることができるだろうか?
すでに借金している人は人を助けることなどできないし何の保証人にもなれないかもしれない


ただこの世の中は法律でも何でも抜け道があり別に借金していようがなにしようがそんなこと知られなければ保証人になっている人はいるしいい加減な所がある
その人は多額の借金をしているのだから何か人の保証人とか何か人を助けることなどてきない
それで借金のために遊女にされたりすることかあった
その人はそれと同じような状態になった、自分が弱り苦しいときがチャンスとやってきていろいろ言って何かしたら特に保証人になったとき借金を要求してきたのである。
それは断りにくい、その人は自分に助けてもらいたい方なのだから助けようがないのである。
だから何か負債を負っている人は借金している人は人を助けることなどそもそもできない多くの犯罪は借金から起きていることもわかる

借金している人とつきあうことは犯罪者とつきあうと同じである

でも借金している人はわからないのである。あの人がいくら借金しているなどわからないのである。
少ない額だったらいいが事業で失敗したような人は額が二桁も違うから怖いのである。
聖書で借金した人を王が許したというが一体どうしてその人が借金したのかを知るべきである。
ギャンブルで借金している人もいるしいい加減なことで贅沢するために借金している人も多いのである。
そんな人の借金を許したならどうなるのか?
その人は一時的にでも奴隷にされてもしかたないことなのである。
そういう人はその人の負債なのに他者に負債をおしつけるのである。
それが自分が弱っている時押しつけてきたのである。
お前の入院保証人になったから一千万の保証人になってくれとまでなっていた
最初はそんな人だとは思わないからそんなことを思わなかったのである。
だから借金の多寡もあるが借金している人は犯罪者になりやすいし犯罪者なのである。
そんな人がどうして人を助けることができるのか?
他者の保証人になれのか?でも現実になっているのも世の中である。
要するにこの世の中は法律でも悪用されるようにいろいろめけ道がある
だから保証人というのも別にそういう人でもなっているのである
弁護士がかえって法律を楯にして利権を得るのもそのためである
会社などに雇われれば第一に会社の利益を優先しなければならない
そこには会社の利益追及しかない、法律を楯にした用心棒みたいにもなってしまうのである。


事業に失敗した人はもともとは悪い人ではなかった、若いときはいい人だったというから本当だった、それが事業に失敗して借金したときモラルが崩壊したのである。
ただそのことを悪いとか犯罪者などと思っていない
もちろん罪だとも思っていない、自分を苦しめたとも思っていない
その人は自分の借金をなんとかしたいということしか頭にない
だからまず人がどういう状態になるなど関係ない
相手が困っている弱っているというとき借金するチャンスになる
その人の問題は借金の額が大きいことなのである。
普通底辺層は十万とかの貸し借りであり百万となると大金になる
でも事業している人は百万とかは小金になってしまうから怖いのである
十万ならくれてもいいよとかなるが百万一千万となると簡単にはいかない
自分もそんな財産家でないからである。
だからそういう人とかかわることは怖いことになる
現実に自分の全財産を奪いとろうともしていたからである。


いづれにしろ極力借金だけはするべきではない、安易に借金することが問題なのである。もちろん事情を聞けば借金もすべてが悪いものではない、病気になったから借金したとかあり事情による。
ある人は底辺層だけどいろいろどうしても貸してくれというとき額が小さいしいちいちその訳を言うので貸さざるをえなくなった。結局くれてもいい額なので返されないこと前提に貸したのである。
ただ額が少額なので許すことができたのである。
でも金の貸し借りはめんどうなことだなとつくづく思った。
そんなことにかかわらなかったから自分は良かったのである。


とにかくその人が思っていることは自分に対しては金があるのに貸してくれない冷たい奴だとしか思っていない、自分が恐怖したことなど何の関係もない
そんなデリケートな心があったらそんなことしない、まずその人には人に対して何か横柄なのである。
そういう人の心を無視するような人がどうして事業が成功するのかともなる
ただ自分がもうければいい、他人の心などどうでもいい、自分が金をもうければいい、それしかないのである。相手は金儲けの道具でしかない
事業の理念といえばそれしかないのである。他人は金をえるためのものでしかない、
もちろんそういえは今の世の中みんなそうだとなるが全然知らない人間でもない
前の代から関係がつづいていたのである。
人間は結局金の貸し借りなど金をめぐってありそれで人間関係も破綻する
最後は「金の切れ目が縁の切れ目」だということをつくづく体験したのである。
人間の関係はそんなものだということが昔からそうだったともなる



借金と嘘は必ずと言っていいほどセットになってるようです。

借金する人の金銭感覚はどうなっているのでしょうか? (1/2) - 恋愛相談 - 教えて!go
お金も無いのに見栄を張る→借金して自分の嘘(見栄)を隠す

→自分の体面が保てたことに満足する→更に見栄を張る


借金する人の金銭感覚はどうなっているのでしょうか? (1/2) - 恋愛相談 - 教えて!go
こんなどうでもいいようなことで、何でそんな小さい嘘をつくの?
って感じの嘘が多いのも借金癖のある人間の特徴なんですよ。

借金する人の金銭感覚はどうなっているのでしょうか? (1/2) - 恋愛相談 - 教えて!goo

借金癖がある人間は、■まず嘘つきで■見栄っ張りで■何かあると
人のせいにします。

借金する人の特徴



これがあたっていた。
その人は頭がよくても技術をもっていてもそういう人だったのか?
嘘をつくことと借金がセットになっていることは確かである。
頭がいいとか技術をもっているとかでも人は判断できないのである




タグ:借金
posted by 老鶯 at 15:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人問題

抽象画(春のイメージーimaging spring)



抽象画(春のイメージーimaging spring)

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明るい街

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日本の複雑な地形

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複雑な流れ

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花の波紋


春といえば春になるのか?最初の日本の複雑な地形は何か具象画と通じている。
抽象画は要するに自由なイメージの世界なのである。
これが複雑な地形といえばそうなる、日本の地形は一番複雑であり多様だと思う
そこに日本の面白さがある
日本は狭い国だけどあきないのはそのためである。


とにかく抽象画は変化の芸術だからその種が尽きない
前に作った自分の抽象画を変化させると新しいものになる
photshopでさらに変化させることができるようになったから増えるのである。


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