2016年02月29日

東北新幹線ー春の俳句十句


東北新幹線ー春の俳句十句


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春光の窓にまぶしや新幹線

タンポポや新しき駅に新幹線

みちのくの春の大地新幹線

新幹線北上川の芽吹きかな

北上の春の流れや新幹線

雪の残るみちのくの奥や新幹線

春の街新幹線の通るかな

新幹線結ぶ速さや春の来る

新幹線きらめきあいぬ春の星

新幹線青森近く花見かな


北上の川の岸辺に風そよぎぎ柳青みて芽吹きけるかな

北上の流れはつづきその岸に柳青める新幹線行く

北上の流れの長く広きかな春の日さして新幹線行く




自分は日本の鉄道はほとんど乗った。乗っていないのは関西の私鉄と新幹線である。
新幹線は乗れたけどわがわざ乗らずに普通車で旅した。
新幹線の速さだと景色もゆっくり見ていられないし旅にならない
でもビジネスとか勤め人にとっては遠くに行くのは新幹線が便利である
でも途中がほとんど省かれるから旅として記憶には残りにくい。
駅でもとまるのがわずかだから駅の名を覚えて記憶に残る旅はしにくい
意外と今になると旅は記憶される旅が大事だった。
記憶に残らない旅は失敗だったからだ

それで「駅一つ名を覚えすぐ春の雲」とかなる、駅にとまることによりそこに旅情が生れるのが鉄道の旅だった。ただその旅には時間がかかった、何か今になると10年間も旅はしていないのでそういう旅をした自分が不思議に思う
自分の人生は駅を電車で待っていたのが人生だとなってしまう。
それは相当に恵まれたことだった。


結局ふりかえれば人生は何に時間を費やすかで決まる、それぞれの時間は限られているし何でもできない、何であれ時間を費やしたものが人生である。
金を費やすのではなく時間を費やすことが人生だということがあとでわかる
いくら金があっても費やす時間は限られているからである。
だからいくら金を費やしたかではなく何にどれだけの時間を費やしたかが人生だということがわかる

東北新幹線で見えるのは北上川である、これは長い川だから新幹線でもその一部が見える連続しては見えないが部分的に見える、こういう長い川だったら新幹線が早くても見える春に乗ったときその岸辺が見えて柳が青くなり芽吹きの季節で風にゆれていた
北上川は長いからその長さを認識しにくい、でも新幹線から早いから北上川をみるにはいいとなる
でも早すぎるから俳句でも短歌でも旅情がない、でも技術が進歩すると人間もそれと同時に感覚も変わる、自転車からみる景色と歩いて見る景色が違っているし電車から見る景色も違っている。電車でも普通車と急行とか特急とか新幹線ではまた違ってくる
自動車からは見る景色は自分にはわからない、車も景色を見るには適していないだろう。

新幹線も函館まで通じるから函館が相当に近くなる、距離の感覚は変わってくる
青森も二時間以内となる東京より近いなとか函館も東京くらいの距離かと変わってしまうでも青函連絡船とかの時代とはまた随分違ったものとなる
結局ヘ便利になりすぎると旅情は喪失する、一番記憶に残った旅は自転車の旅だったからである。
それが記憶に残っていることが宝となる、なぜなら自分が今自転車で北海道を旅しようにもできない、体力は落ちているしできないだろう。
人間はこのように何でもできると思っても時間が限られているし体力もなくなり病気になったりしてできなくなる、だからしたいことを早めにしないと後は一生できない
海外旅行にも今になるときつい、50代が限界だった。
その時しなければできないものとなった。人生の時間の過ぎるのは早い
遊んでいても何もしなくても時間はたちまち過ぎるのである


タグ:東北新幹線

抽象画(春の街、春の流れ)


抽象画(春の街、春の流れ)


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タグ:春の街
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2016年02月28日

東電の勝俣元会長ら旧経営陣3人、強制起訴へ (巨悪は見えないがいづれ暴かれる)


東電の勝俣元会長ら旧経営陣3人、強制起訴へ

(巨悪は見えないがいづれ暴かれる)


再処理の事業化が進まなくて放置されてたプルサーマル利権を掘り起こして、自治体に60億円ばら撒き。 
 国内で再処理できないプルサーマル燃料をも全国にばら撒いた。 
 渡部恒三の甥である福島県知事の佐藤雄平 ( 元ミンス参議院議員 ) は、 
 2010年8月プルサーマル導入について、福島第1での受け入れを決定。 
 60億円の 「 核燃料サイクル交付金 」 が交付された。 
そして、福島第一原子力発電所3号機は 2010年10月26日よりプルサーマル燃料での運用を開始した。 

◆プルサーマル受け入れ自治体へ、交付金復活(2010年1月31日 読売新聞) 

 資源エネルギー庁は31日、使用済み核燃料を再処理して使うプルサーマル計画に関し、 
 計画を受け入れた自治体に対する交付金を復活する方針を明らかにした。 
 原子力発電所の地元で同計画を受け入れた自治体への交付金は、 
 国が2006年度に「核燃料サイクル交付金」を新設し、 
 1原発あたり60億円を限度に交付していたが、08年度末に打ち切られた。 


勝俣の娘婿で傀儡とはいえ、清水はコストカッターという謳い文句で 
東電の運営コストを削減しまくった(という触れ込み)で個人的な手柄と利益を享受し得えたのだから 
十分に責任をとる理由にはなると思うけどね    


 渡部恒三の甥である福島県知事の佐藤雄平 ( 元ミンス参議院議員 )


 勝俣の娘婿で傀儡とはいえ、清水はコストカッターという謳い文句で 
東電の運営コストを削減しまくった(という触れ込み)で個人的な手柄と利益を享受し得えたのだから 
十分に責任をとる理由にはなると思うけどね    


縁故が権力が作るというのはもうさけられずあった。その弊害が今回の原発事故にもあった。
渡部恒三の責任も相当に重いものではないか?福島県の政界を牛耳っていたのであり福島のマスコミも支配できるような大きな権力をもっていた。
ただ原発事故前はそれがわからないから福島県にとって渡辺恒三は英雄のような存在ではなかったか?
この人の責任も相当に重いと思うけどあまり取り上げられないのな何故なのだろう。
まずマスコミなどは二つの雑誌が福島県から出ているけど「福島財界」「東北政経」でもそうしたことはとりあげていないということはやはり渡辺恒三は福島県では隠然たる大きな権力をもっていたのである。
だから自分の甥を知事にすることもできたのである。
それは勝俣でも同じである。清水とは縁戚関係でありそこで権力をもつという人事が事故を生む原因でもあった。
いろいろな原因があったが縁故というのも何か民主主義をゆがめる。それが大事故になったとき明るみにでる。
何もないときは権力者は威張っているし逆らえないのである。そこに権力の怖さがある。
どうして権力が作られてゆくのか?
世襲もあるし縁故もある、だから巨大集団でも宗教団体でも会長の息子が会長になるというとき権力を継承するというとき問題になる
その息子が別に実力があるわけではないからだ。
この世の中は何か常に権力によって操作されている、それはカルト宗教団体でもそうでありいかに権力を操作して力をもつかということを考えて行動している
権力にかかわる人間は政治家でも何でも悪役に見えないか?宗教団体でもそのトップは悪役である。ただそういう人を崇めるのはなぜなのか?
それは御利益を得られるからだとなる、いろいろ得なことがあるからそうなる
「俺についてくれば、地位も金もやるぞ」となるからそうなる、それはカルト宗教団体でも同じなのである。宗教の教えではなくその権力にひかれてそうなっている。
「お前を教えてやる、お前は俺のようにすべてを捨てて乞食になって修行しろ」
こういったとき誰がついてくるだろうか?みんな去ってしまうだろう。


だから今の宗教団体はほとんどカルトであり信じられない危険な存在なのである。
人事でも地位を抜擢されたりとそういうことは常に昔からあった。
そうした権力者に人はすりよる、マスコミでもそうである。反権力のポーズはしても東電から宣伝費をもらっていたから同じだったのである。
だから常に反権力の立場に立つことが報道でもそうであり正義を追及すればそうなる
権力の圧力の下で作られるものは常に警戒が必要だし権力者は常に民衆によって監視されねばならない存在なのが民主主義なのである。
そうした権力が無害ならいい、今回のような巨大な害悪をもたらすから監視が必要だった福島県でもすでに渡辺恒三派によって政界は牛耳られていたしマスコミもそうである。
政治家は悪役になりやすいのである。それは大きな利害と関係するからである。
その大きな利害のために安全はないがしろにされるていた。
そして地元の人もその大きな利害のために原発は安全だと信じさせられたのである。


ただ自分もそうだったが人間というのは自分の身近なことには敏感である。
小高の人は補償金をもらっていいとか批判してきたのでもそうである。
他でも避難区域にされて故郷に住めなくなって仮設に住んでいる人を回りの人がうらやむのは身近な毎日見ている存在だからである。
一方で巨悪は見えにくい、巨悪はかえって善のように見えるのである。
リンゴ一つ盗むと罪悪感に悩まされるが巨悪はその本人がたずさわっていても意識できないことがある。
最初に原発を誘致しようとした読売の正力松太郎でも首相の中曽根でも渡辺恒三でも英雄視されていたことでもわかる。大きな功績ある人としてされていたのである。
今でも原発の前に誘致した人の銅像が立っている所があることでもわかる。
事故が起きない限りそうなっていたのである。


でも巨悪は事故であれなんであれ時間がたてば暴かれる運命にある。
創価であれカルト宗教団体もいづれは必ず断罪される、その前に会長が死んで分裂したりする、幸福の科学などでも夫婦が離婚して遺産争いになるのとにている。
残された権力を我が物にしようとして争いが起きる。
だからそもそも宗教なら権力を残さないとなるのがいい、何も残らない無一物として消えるのが理想なのである。粗末な庵くらいを残して死ぬのが理想だとなる
そんなものを誰も得ようともしないからである。
自分もこういうことを実際は知らなかった。人間は金や遺産であれ財産であれ死に物狂いになる。借金で首が回らない人が自分の財産をねらってきたし現実に犯罪にもあり大損害を受けた。自分がその標的になったのである。金のために殺すのは普通にある。
動機が借金なのが多いのも金のためである。そういう人が来たことが最大の危険だったのである。
自分がどんな状態なのかなど関係ない、病気も何も関係ない、金をとればいしかなくなっていたからである。追い詰められた人間はみんなそうなるのである。


誰か善人か悪人かなどその時代を生きている本人には常にわからない、一時代がすぎて善人が悪人になり悪人が善人になったり評価が変わるのである。
それは権力が変わり権力を喪失すると批判されやすくなるからである。
権力をもっているときマスコミでも何でも従うのが得策である。一旦権力を喪失したら今度は叩くのである。それが人間社会である。
原発事故はそうした権力者を低くしたのである。高きものが卑くくされるというときそこにはやはり神の力が働いたともなる
とても人間の力ではそんな巨悪を暴くことができないからである。
でもいづれは巨悪も暴かれるということである。
posted by 老鶯 at 11:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2016年02月27日

グローバル経済は数字化してリアリティが得られない) (恒産なくして恒心無しーモラルが形成されない)


グローバル経済は数字化してリアリティが得られない)


(恒産なくして恒心無しーモラルが形成されない)


【読み】こうさんなくしてこうしんなし
【意味】恒産なくして恒心なしとは、一定の職業や財産を持たなければ、しっかりとした道義心や良識を持つことはできないということ。
【恒産無くして恒心無しの解説】
【注釈】「恒産」とは、一定の職業や財産のこと。
「恒心」とは、正しさを失わない心。

諺でも格言でも時代的に必ず解釈が違ってくる、変わらないものもあるが解釈が違ってくるものが必ずある。
恒産とは常に産み出すものである。恒に(常に)産み出すものとはなにか?
それは大地が自然が産み出すものでありそもそもが人間では産み出せないものが恒産なのである。
恒産なくして恒心なしとは石油とかに頼っていればサウジアラビアとかベネゼエラのように世界経済のを影響をもろに受けて食料すら入らなくなり危機的状態になる
石油がとれれば安泰だと今までは外からでみていた自分も石油がとれる国が安全だと投資して失敗した。常に世界は変わりやすいからそうなる
アフリカとかでコーヒーだけを栽培していたらコーヒーが安くなり飢饉になっとかもあるつまり畑でいろいろな作物を作らずにコーヒーだけを作っていた結果コーヒーだけとっていてもそれは食料とならなかった。
単一商品化した農業のためである。それは江戸時代にの日本でも起きていた。
東北が飢饉になったのは米が商品化していて米だけを作っていたためだという。
五穀を作っていれば飢饉からまねがれたという、米を商品として売るためにだけ作っていた結果飢饉になったとき米もだめになったら他の作物を作っていればしのげたができなかった。


一国でバランスある農業をしていればそうはならなかった。東北という地域でもそうである。何か一地域でも工業でも農業でもバランス良くあればいいのだがかたよると危険になる、石油だけに頼っていた国はそれだけ危険だったのである。
つまり世界経済が危機になれば食糧すら手に入らなくなる,世界の国がそういうとき援助してくれるかというとできない、日本で米があまっていてもその米を援助するにも輸送費が高くなるから援助できなかったと同じである。
米が余っているからといってもさらに輸送するとなると金がかかるからその金を一体誰が出すのかとなるからだ。

工業製品が恒産になるのかというと疑問である。現実にシャープが債務で台湾の会社に売られるように電器製品も今では日本だけではない、中国でも台湾でも韓国でも優れたものを作るようになれば当然そうなる
今は車がなんとか売れているから日本経済はもちこたえている。それすら将来はどうなるか不明である。
技術競争に敗れたときたちまち零落するのが工業の世界である。
農業はそれと違って自然に根ざすから息が長い、森林業でも一つの木が育つのに50年かかるとすれば一代だけの思考ではできない、だからその栃に何代も根ざして継がれてきたのである。
世界でもエジプト文明が三千年もつづいたというときそれは農業中心の社会だったからである。江戸時代が3百年つづいたのもそうである。
現代の文明は約100年くらいで世界の資源を使い果たして消耗してゆく、百年で世界の資源を使い果たすようなすさまじい文明である。


TPPとは何か、それは貿易の自由度を拡大させる、そうなるとますます単一商品にエネルギーが注ぎ込まれる。日本は車だけ作っていろとかなる、あとの農産物はアメリカから輸入すべきだとなる。価格的にも安いのだからそうなるべきだとなる
これはアメリカ自体も反対している面がある。アメリカにとっても自国のバランスを欠くことになるから反対する、アメリカは農業大国でもあるだ。
グローバル経済の矛盾が一気に限界に来て噴き出してくるかもしれない
グローバル経済化しているからその時どの国でもその影響を受ける
原発事故は農業をできなくしたから都合よく農産物はアメリカから輸入しろとなる
アメリカが古い型のマーク1の原子炉を日本に売り込んだのはそうした陰謀があったのかとまでなる


東京のような大都会となる食糧は外部に依存しているしあれだけ密集ししているから地震で壊滅的打撃を受けるかもしれない、災害には弱い構造である。
そうした一極集中とか様々な脆弱さが大地震を契機に一気に現れる
それは天の理にも反しているし矛盾が何かを契機に一気に表面化して終始がつかなくなるそしてその時大都会がいかに異常なものだったか身をもって津波のように知ることになる無理して原発を作ったこともまた再稼働したことも事故になり日本の国土は汚染されてもう住めなくなるかもしれない、そういう危険を犯してまで原発は造るべきではない
日本にはそもそも原発は向いていなかったのである。
原発は恒産ではせない、工業も恒産ではない、それは一時的なものである。
だからシャープのような大会社でも売り渡すことになる
工業は消長と興亡が激しい世界である。恒産ではない、終身雇用ではない、自然に根ざしたものこそ終身雇用なのである。
それも一代では終わらない代々つづくものとして恒産があり恒心が作られるのである。
そして百年とか二百年しか現代の文明はグローバル経済はもうつづかない、つづけられないのである。自ずと破綻してゆく運命にある。
これほどに短期的に栄えてたちまち消失してゆく文明はなかった。
500年とかマヤ文明もつづいている、マヤ文明も自然に根ざしていたからである。
その根っこは大地にあったが故に時間的に長い文明が形成されたのである。


現代は恒産を作り出すものが何か問い直す必要があるのだ。グローバル経済というのは常に不安定であり株でも常に変動している。そういう世界では恒心をもつことはできない、モラルをもつことはできない、百カ国があってその一つ一つが関連していて世界経済をパソコンで見ていたら目が回ってしまう。恒心などありえないのだ。
そして突然どこかの一国が崩壊して世界中ガタガタとなりもう操作もできない、収拾できなくなる。
モラルというとき何か一つの食べ物でもスーパーであれ盗むとすごく罪悪感をいだく、でも株式市場とか世界市場とかなるとその金はもう金ではない、物でもない、金融のゲームのようになりそれで桁外れの収入になっている
市場がギャンブル化しているのである。
資本主義がプロテスタンの基というときそれは修道院からはじまったからてある。
勤勉にして蓄積して他者を助けるということにはじまっていた。
そこにはモラルが育まれた、もう現代の資本主義がそんなモラルもなにもない


莫大な金が世界をめぐりそしてゲームでギャンブルで桁外れの金が入る、それはまさに盗んでいても罪の意識もてない、一個のリンゴを盗むだけですごい罪悪感をいだく
でも百億を株でもうけたとかなると何の罪悪感もいだかない不思議がある。
それだけ世界経済は株の世界でも現実世界から遊離しているのである。
そういう世界はパーチャルな世界となりそれがリアリティともなり世界を動かすことにもなる
世界の真実などわかりえようがないからだ。それはメデアによっても操作されるからわからない、金融もバーチャル化しているし戦争だってイラク戦争のようにバーチャル化したでもシリアでも空爆で人間は無惨に多数死んでいるのである。
ここでも空爆なら罪悪感を感じない、戦争がゲームのようになる。
でも人一人を目前で子供でも殺したら余計に罪悪感をいだく、それがさらにロボットが戦争するとき罪悪感をいだかないようになることがまた恐怖なのである。
それはすでに一部で現実化しているからだ。
なぜこれほどに陰謀論になるかというとそれは今のグローバル世界がとても一人の人間にもうわかりえようがないものとなっているから陰謀論になる
誰かが裏で操っているのだととなる。それは株でも何でもそうなる。
経済でもだから百億円くすねられても何の罪悪感もいだかない、でも一個のリンゴを盗むとすごい罪悪感をいだく、この相違に現代のモラルが恒心が得られないことが端的に現れていたのである。

posted by 老鶯 at 14:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会問題の部

2016年02月26日

なぜ農業が軽視されるようになったのか? (米余りなどで農家の価値は低下した)


なぜ農業が軽視されるようになったのか?


(米余りなどで農家の価値は低下した)


不思議なのは田舎にいても自分は農業をしていない、回りは田んぼでも野菜畑があっても自分は何もしていない、そしてなぜ八沢浦が津波で入江になったときそこで田んぼが消失して人も死んだのにその江戸時代の入江の景観がもどったことに驚嘆した。
そのことで批判されたのもわかる。
そもそも自分は田舎に住んでいても農業をしているわけではない、田舎の人がみんな農業している時代ではない、戦前は8割が農家だったのである。農民だったのである。
そういう社会と今の社会はあまりにも違っている。
田舎と都会が違っているようでも食料に対しての感覚はさほど変わっていないのである。米があまっている、減反しているというとき米の価値は相当に低下したものとしてみている。
米がなくなってもパンを食べればいいとか米が経済の中心になっていた時代とはあまりにも違うのである。


れは田舎でもみんな農家ではない、一割くらいし農家ではないし専業農家はさらに少ない、ただ土地を貸しているだけの農家も多い、あの女性は農家に嫁いだから大変だなと思っていたが全然違っていた。
会社員になっていて土をいじることもなけれ花すら作っていないから興味がないというのも変だなと思った。その女性はやせていてまるでモデルのような女性だった。
だから農家に嫁いだから農業やるのは大変だなとか見ていたが確かに旧家であっても旦那さんは会社員であり土地はあっても貸しているだけである。
それが農家なのかとなると疑問になる。そこに姑もいないから楽だなとみる
今では専業の農家とか純粋な農家は田舎でも少ないのである。
ただ趣味で畑で野菜を作っている人を知っているけどその苦労を聞いていると大変だとということがわかる、種が高くなった肥料が必要だ、虫に食われるからとか今度はモグラに野菜をかじられたとか盗まれたとか様々な障害が小さな畑を作るにしてもある。
草むしりは暇なししていなければならないから趣味の畑ですら苦労なのである。


東京のような大都会になると回りに田んぼも畑もないのだから農業を全く意識できない
だからたいがいはTPPに賛成になる、それより日本の経済は電気とか自動車にありそれで世界に売れなければ食料すら入ってこないという意識になる
経団連の考え方になる、グローバル経済ではそうなる、ベネゼエラで石油が安くなって食料品が高騰して入らないというのもグローバルに経済が動いているからである。
グローバル経済がいい悪いという前にそういうシステムに世界がなっているから日本だけが鎖国のようにはなれないのである。
否応なくグローバル経済のシステムに組み入れられているからである。
だから食料は日本国内と自給するべきだというときそれより工業製品を売れるようにするべきだとなる、そのことは農業の価値の低下なのである。
それはとりもなおさず農民の価値の低下なのである。
農業は農民は現代の経済では価値が低いものとしてみられる
米などありあまっているではとないか、何を心配するのだとかなる
たりなくなったら食料などいくらでも外国から入ってくるではないか、それより工業製品を売れるようにしなければならないとなる
それは石油が売れなくなったら食料すら入らないベネゼエラと同じになるというのが日本でもそうなのである。
日本では工業製品が売れなければ石油も食料も入らなくなり終わりだとなる
食料は日本の農家からだけ供給されるものとは都会では考えていないのである。


人間社会は常に価値の変化が起きている、食料が最大の価値だったのはそれだけ貧乏であり一日食べていければいいという社会だったからそうなる
日本酒でも今や酒を飲んで酔っぱらうというのではなく少量飲んで味わうというようになる、それで様々な酒が開発されるようになった。
食料でも原を満たすだけではない、味わうということであり質の高いものが求められる
自分も旅行しても家にいても何かうまいものを味わうとういことはなかった
でもなんか最近食を楽しみたいということがある、新鮮な野菜とか何かそういうものにこだわり味わいたいとなる
つまり老人はなにかをじっくり味わうということに向いている、それは映画でも小説でも詩でも文学でも深く味わうということに向いている。
文化的なものを味わうことに向いている。青年は行動の時期であるが老人は何か過去をふりかえり深く味わうことに向いている


ともかくなぜ自分が八沢浦が元の入江にもどったとき感嘆してそこで田んぼが全滅して家が消失して人も死んでいるのにその景観の方に関心をもったのか?
それは常日頃からそこに田んぼがあるということ米がとれるということに関心がなかったのである。そこが元の入江のようになっていたらどれほど美しかったろうといつも思っていたのである。
そこで米がとれて生活できるということをイメージしないのである。
これはすでに田舎に住んでいて都会人の感覚になっていた
ただ自分は田んぼでも畑でも景観として見ているだけだった。
ビルに囲まれた都会は嫌でありでも田舎が食料を供給する場というより景観として見ていたのである。
そして自然は安らぎの場所とてしみていた。そこでもし狩猟とか採集をする、食料を調達する場はしても見ていない、昔なら自然は森でも木の実をとっていたし野生の動物、鹿も狩りしていた、そうなるとまた自然は景観だけではないものとしてみる。
より深く自然とかかわることになる


いづれにしろ今は田舎にいても感覚的に都会的になっているのが普通なのである。
第一農家といってもその割合は一割にも満たない、みんなほとんどが会社員の時代なのである。だからこそ原発が金になると誘致されたのである。
米など作っても金にならないということで漁民でも農民でもその金になるということで原発が誘致された。
工業社会になったとき農業の価値が低くなったからそれは田舎でもそうであり原発が誘致されたのである。そして漁業も農業も放射能汚染で破壊されたとなる


それはグローバル経済の結果であり日本だけで起きたことではないのである。
ローバル経済になるとこうした食料生産する地方自体の価値も減少する。米でもオートラリアでアメリカでもとれるし安くてうまいとなると別に都会では地方に頼る必要はないとなり地方は軽んじられるようになった。
でもそれもTPPでもいいにしろ工業製品が売れなくなったときどうなるのか?
現実にこれまでのように電器製品は売れない、車だっていつまで売れるかもわからない
常に競争にさらされているからそうなる。
そして日本で売るものがなくなるときどうなのか?
その兆候はすで現実化している、観光立国として外国人を呼ぶのも金を稼ぐのもそのためである。売るものがなくなれば観光で売る、それはギリシャとかエジプトとかと同じになる。
それから食料さえ高くてて買えないとかなる、ベネゼエラのようになる
その時日本国内で食料だけでも自給した方がいいとなり地方が見直される
そして原発事故があって食料すら作れないとなることは日本が滅びる、飢饉がくるとかなりそれも反対するようになるかもしれない、つまり時代の変化によって常に価値は変わっているからである。
そしてグローバル経済は何か一国でも全体に影響を及ぼす、ギリシャなど観光国であり小さい規模の国でも世界的に影響を及ぼす、それが恐慌とかなり世界戦争にもなるから不安定なのである。


橡のみ.JPG



  秋深くして 橡子熟し
 散落す 榛蕪(しんぶ)の崗
 傴傴たり 黄髪の媼
 之れを拾いて 晨霜を践む
 時を移して 始めて掬に盈ち
 日を尽くして 方に筐に満つ
 幾たびか曝し 復た幾たびか蒸し
 用って 三冬の糧と作す

つづきはここで

この漢詩のように橡(とち)の実を拾ってそれを蒸ししてアクとりして食べるとなると手間がかかり容易でないから食料は貴重だとなる、その貴重な食料も税金としてとられるというのが中国は古来からそうだった。
農民に対して常に税金がかかりその苦しみがあった。
要するにこういう生活をしていれば食料の価値は高い、一つ一つの橡の実を拾うから一つ一つが貴重だとなる、それは会津の方で橡(栃)の実の餅が売られている、それはうまいけどこれを作るのには手間なのである。その橡の実は会津とか山の村になると日常の米のようなものになるから貴重である。
今はそういう感覚ない、米でも昔だったら一粒でも大事にしていた。それは米というのものが余り減反するなどありえなかったからである、その米をまた税金として納めなければならないから余計に貴重になったのは同じである。
だから人間は今食料をありがたいという思う感覚、感謝の気持がなくなっているのだ。
米ならあまるほどある、家畜の餌にするほかないとかなると米を大事に思う気持もなくなるのだ。
そのことがまた自然からでも復讐されるときがくるかもしれない、原発事故などでも自然に基としたものが放射能汚染で使えなくなった。
肝心な水さえ飲めない、土も利用できない、木も利用できないととなったら人間はいくら工業製品を作っても生きていけないとなる
外国に売ればいいといっても日本の電器製品のようにそれが売れなくなるということがあるから危険なのである。

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2016年02月25日

南相馬市鹿島区八沢浦港部落の解散式 (その歴史をたどる)


南相馬市鹿島区八沢浦港部落の解散式

(その歴史をたどる)

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あそこに40軒くい家があり140人が住んでいた、そのうち三分の一が犠牲になった。その数は多い。逃げる場所も近くの海に面した高台だったから犠牲者が増えた。、家はもっと少ないと思っていた。10軒とかあったのかなと思っていた。
あそこは前も防潮堤を越えた波で水浸しになった。あの時移住していれば津波の被害からまねがれた。
海岸は常に浸水の危険にさらされている。それで磯部の鬼越館も浸水であそこに移ったのである。そして津波はその近くまで来ていたことに驚いた。
ある一人は息子を27才で亡くしていた。

27才の息子をなくし父悲し港部落は消えにけるかな

死んだ人は老人が多いが若い人が死ぬとあわれだとなる

そもそもなぜ海岸沿いに家が密集して建ったのかという疑問である。
それは港の機能があるから生活のために魚をとるとかのために漁村になり家が密集したと思うが普通である。三陸とかなると漁業のために危険な海岸地帯に大きな津波の被害の後にも住んだ。
それは漁業で生計が成り立っていたからである。
磯部とか松川浦とか烏崎とか請戸とかは漁業で生計をたてていたし鉄の素材を岩手県の宮古からも船で仕入れていたから港の機能があった。
八沢浦も結構港としては大きな役割を果たしていたのである。
小高も入江が深く入り込んでいて大きな港の機能があったことは学問的に考証されている津波が駅前まで来たことでもわかるように海が深く入り込んでいたから港として利用された。
それは鎌倉時代から江戸時代まであった。ただ小高の港の機能は消滅したのである。
それが慶長津波と関係していたのかということを前に書いた。

八沢浦 小魚を漁して浦舟20艘、13漁船、七荷運舟 浦辺に塩場、釜屋あり 村人塩を焼く 

倉庫海岸にあり、、、郷の税米を納め江戸に運船す(下海老村)

下海老村には江戸時代後半に税として納めた米を江戸まで船で運んでいた。
この一行を見落としていたがこれは重要な記録だった。
八沢浦はその前に七荷運舟とあるごとく港の機能があった


しかし八沢浦の港とあってもそもそも海だったのだからそこが港ではなかった。
江戸時代にはそこに人は住んでいなかった。八沢浦が干拓されて人が住むようになった。
岐阜県池辺村の揖斐川の出崎式排水機を使ったの排水を思いだし八沢浦の干拓をはじめたこの地方では木曽川、揖斐川、長良川の火口に三角州が形成されて川底が上がり洪水に見舞われやすい地形となっていた。
それで輪の中に住居や田畑を作り水害に悩まされながら生活していた。
ここはこれだけ大きな川が三つも交わるのだから広い所である。

港部落は江戸時代までは海だから人は住んでいない、でも港という地名は江戸時代に港の機能がすでにあったから港という地名はあったのか。地名は明治以降についたりしないからである。みんな江戸時代の前であり古いからである。
でも釜舟戸とか舟戸松原とか地名としてあるから港は新しい地名なのか?
釜とつくのが多いのは塩をとっていたためである。
八沢浦が干拓されたとき明治以降に人が住むようになった場所なのである。
それと明治以降に職を失った武士が開拓に入った、それで妙見が祀られている。
でもすぐ近くの山際には熊野神社が祀られている、この熊野神社はいつ祀られたのか?
そこは八沢浦が海だったときもあったのだろうか?
それは妙見の祠より古いからである。あの辺も海になっていたとすると住めたのかともなる


ともかく磯部でも元は砂州だったところでありそこに家が密集した。そこには港の機能が確かにあった。
でも一方で磯部でも開拓されたのであり米をとることで人口が増えた。
そして家は海岸沿いに密集したのである。開拓されて米がとれるようになって人口が増えて家が増えた。その家は開拓された田んぼの中には建てられず海岸沿いに建てられたのである。
それは前にも書いたように土地がないために条件の悪い海岸沿いに家が密集した。
漁業するだけではない、開拓された結果として人口が増えて海岸沿いに家が密集したのである。それが三陸とこの辺の事情は違っていたのである。
特に八沢浦の港部落は漁業とは関係していない、開拓して米がとれることで人家が増えたのである。
ただ八沢浦では鰻がとれたということがありそれを川俣まで天秤棒で担いで売りに行ったという話を屋形の人から聞いた。そんなことがあるのかと疑ったが八沢浦には鰻が結構とれたのだろう。だからそれを川俣まで売りに行った。川俣は織物の町で繁栄していたのでそこまで売りに行った。
そういうことはあっても開拓してから米がとれるようになって海岸沿いに人家が増えた。それが津波の被害を大きくしたことに結果的になった。


日本は国土が狭い、江戸時代からそれで開拓,開墾が延々とつづいていた。米をとるためにそうなった。それは戦後もつづいていたのである。
何をして生活をするかとなると米を作ることでありそのために海側でも山の中でも田んぼが作られてきた。遂には戦争のときは満州で米作りしたのが日本人である。
そこは寒冷地だから稲作に適していないのにしていた。
そして現代になると米あまりになり減反になってきた。
米が余るなど考えられないことだった。
だから自分が八沢浦で注目していたのがそこが干拓されて水田になったことではない、そこが入江だったらどれだけ美しかったろうとイメージしていたのである。
それがそこが本当に一時入江になったときほど驚いたことはなかった。
浦波が朝日に光り打ち寄せていた、それは信じられない奇跡のように思えたのである。
その時ここでは人が死んだのにお前は喜んでいるのかととがめられた。
そこで港部落でも40人以上死んだのだからそれは当然だとなる
でも自分は正直それよりそこが本当に入江になったときほど驚いたことはなかったのである。
ということは現代を繁栄して田んぼというものを米余りや減反で重要なものと見ていなかったからかもしれない、それより風光明媚な古歌にも残っている八沢浦が入江となった再現したことに驚いたのである。







2016年02月24日

相馬市南相馬市(原町区)などの街作りをどうする? (歴史的にふりかえる街作り)


相馬市南相馬市(原町区)などの街作りをどうする?


(歴史的にふりかえる街作り)

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自転車で行くと相馬市はイオンから街中に入る
街中と一体化している
でも電車だと駅前を通る
電車に乗らないからまずイオンに行く
それよりイオンが中心でありそこで用をたすのである
そのために相馬市のイオンでは8時から営業しているのは勤め人が利用するからだろう。

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原町は中心街は道の駅のある六号線である。
そこからイオンまでは自転車では遠いのである。
だからイオンは陸の孤島のように自転車では感じる
だから駅前に図書館など作ったのは街作りでは失敗だった
駅前にイオンのようなスーバーを作れば人の流れができたのである
図書館は閑静な場所があっていた
駅前の中心が図書館というのはそぐわないのである。
実際に駅前通りというのが何か六号線の中心街からイオンに行くとき
ぬけおちているのである、シャッター通りにもなっている
これは前の市長の失敗だった、ただ図書館を駅前に作っているのは郡山でもそうであるから何か駅前に人の流れを作るためにそうしたことは共通している


ただ図書館などは街から離れていて閑静な場所が本来にあっているものだろう。
そこに回遊式の庭があるとか森の中にあるとかなると何か雰囲気的にいい
そんなところで読書していれば何かアイデアが生れる
駅前とかはやはり買い物とかが主になるのがふさわしい
結局車社会になり電車を利用しないということが街の通りを衰退させたのである。


いづれにしろ駅前通りでも旧来の街が衰退したのはシャッター通りになったのは車社会になったためである。
ただそれだけではない、街は常に興亡をくりかえしている、もともとは陸前浜街道沿いが宿場町として栄えたりしていた。
それは江戸時代のつづきでそうなっていた。それから駅前通りが栄えたのは電車が足となったとき駅を中心の街作りになったからである。
そして車社会になったら当然車社会にふさわしい街になる
江戸時代辺りでも地名を見ると必ず古町というのがある
それも小さな狭い町でも古町がある、古町と新町はそんなに離れていないのである。
人間社会は常に変化しているからそうなる
自分の家で店をしていたとき繁盛したのは前に小さな店が繁盛していたのは徒歩の時代だったからその利便性は道の角のような場所だったのである。
買い物する人はあまり遠くからは来ないからである。
近隣の人の利便性があり繁盛していた。それで角屋という屋号はそういう場所が繁盛したからである。
それがスーパーができたとき衰退して店もなくなった。

街作りは歴史的なものと新しい時代に対応するものが必要になる
相馬市は城下町でありそれで入母屋式の屋根を作り景観を統一しているのである。
それは評価できるが新しい街としての活気に欠けている、それはどこでも共通した問題である。
外国でも古町は歴史地区であり観光の中心になる。その外郭に現代の街が広がっている
それがはっきり分かれているが日本だと混在していて良くわからない面がある
相馬市は原町と違うのは高いビルがない、ただそれだけで景観が保たれている
高いビルは景観をそこなうのである。それで京都の町屋の前に高いビルが作れたときそれがのしかかるようになり景観は失われた。
江戸八百屋町とあっても二階くらいであり長屋にしても一階でありそういう場所は空も広いし空間的に景観をそこなわない、それで浮世絵では常に富士山が描かれている
一番高い建物は城であり天守閣だったのである。


日本の場合はともかく計画的に都市をつくるのが苦手である。雑然としてごちゃごちゃになる、路地も多いし計画的に立案して都市を作れない、原町はイオンがあってもそれが陸の孤島のように離れている、自転車だと六号線から入ってゆくから余計に遠くなるのである。
原町の街作りは失敗したのだろう。駅前にこだわったこともそうでありイオンが離れすぎていることもそうである。
相馬市の方がこじんまりしてまとまっているのである。
商業地区とか文教地区とか歴史地区とは分かれるべきだったろう。
歴史地区に文教地区があるのが望ましいとはなる
それだけの歴史遺産があればそうなる
もともと日本の都市は戦国時代の延長として防衛のために作られていた。
城の回りに寺が多いのは寺が防衛のために配置されていた。
城と寺は一体であり寺と一つの行政機関でもあった。
寺町とあるときそれは防衛のためのものだった。
歴史的に街作りをふりかえれば東西で共通したものがある。
寺町はヨーロッパになると修道院になる、教会も防衛のためにあったともなる

街作りはまず歴史地区、文教地区、商業地区、医療福祉地区、農耕地区、純粋自然地区、、、とかに分かれる
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歴史地区に文教地区も入るのにふさわしい、商業地区には娯楽地区が入り医療福祉地区には墓地なども入る、墓地というのも街の中にあるのがいい、何かそぐわないようでも自分は小さな街内に住んで毎日自分の墓の前を通るから死者を意識する、最近二人家族が死んだから余計にそうなった。毎日通るから手を合わせるとなる
離れていればこうはならない、一年に二三回墓参りに行くだけだとなる
老人ホームに墓まで用意しているのが在り安心だというとき何かそういう心境もわかる。死者をかけはなれたものではなく死者と一緒に住むというのも街だとなる

商業地区には娯楽施設などがあっている。農耕地区があり純粋自然地区がある純粋自然地区は聖なる場所でもある、田舎だと身近にそういう場所が近接している
大都会になると農耕地区とか純粋自然地区は消失しているから街作りとしては大規模になるがかたよるのである。
田舎だと純粋自然地区と農耕地区のしめる割合が土地にして大きい、そこに安らぎあり神道のようなものが生れた、ただご利益宗教になったとき俗化したのである。
まず純粋自然地区がないところには住みたくない、安らぎがないのである。
森につつまれているような飯館村などがあると心に安らぎが生れる
広い地域でも歴史地区なら相馬藩内では城があった相馬市であり原町は商業地区として明治以降発展した。全国でも東京は商業地区であり関西は歴史地区である。
世界的にそうである。中国では上海が商業地区であり北京は歴史政治地区になる。
それで上海語と北京語が違っているというとき関西弁と標準語の相違とにている

いづれにしろ原町の街作りは駅前に図書館を作ったことはそぐわないものだったかもしれない、医療機関も多いが電車を利用すれば便利だがどうしても車を利用することで駅前はすたれる、何か自転車だと街全体を回れるからいいが電車で来て徒歩だと手間が時間がかかりすぎる時代になったのである。
もし電車が足だったら駅前中心の街作りができたのである。
日本はともかくこうして全体をみわたし計画的に街作りすることが苦手なのである。
だから何か雑然とばらばらになっているのである。

そしてこの辺では津波原発事故で新しい街作りを要求されている、これだけ変化すると新しい街をどう作るのかとなると今までの発想ではできない
大きな発想の転換が必要になっているのだ。
少子高齢化というのも街作りに大きく影響する、町自体が消滅するとか農耕できないとかなると新しい街作りをどうするかとなるとイメージできないのである。
ただこれだけ変化すれば新しい発想をして新しい街作りをやりやすいとはなる、津波で町が消滅したような場所もそうなのである。
街自体がなにもなくなったらそこに新しいものは作りやすいのである。
でもそれはどういう街になるのかそれともう若い人も流出しているから街自体の再建ができないとかなって深刻なのである。



タグ:街作り
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2016年02月23日

猫柳(相馬市に行く- イオンから街中に入るのが相馬市ー駅前通りはさびれる)


猫柳(相馬市に行く)


(イオンから街中に入るのが相馬市ー駅前通りはさびれる)

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素朴な感じの花


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春の雲ゆっくり行くや自転車に

街を飛ぶ鳩二羽見えて春の空

春日さし樹の影交じる街道に

街道の細しや梅の匂うかな

瀬戸物を様々並べ春の色


宇多川の岸辺に咲きぬ白梅と紅梅映えて椿の赤しも

宇多川の岸辺に春の日のさして橋わたりそぞろ歩める人のあれかし

猫柳相馬焼きの壺にさしこの土地に住み安らぎてあれ

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今日は相馬市に歯医者に行きイオンを回り瀬戸物をまた買った。あそこはすでに一週間くらいやっている、新しいものを並べていた。

歯医者では一本欠けた歯は入れ歯だった。前が四つくらいつながった入れ歯だった。
だからその一本をぬいて入れ歯にはできない、4本くらいとってしかできない
それを聞いたときショックだった。一本だけ直せばいいと思っていたからだ。
それでなぜそうなったか思い出した。
自転車で転んで前歯を4本くらいおった、それは結構な事故だった。
頭を打ったら死んでいたかもしれない、激しく打ちつけたのである。
それはこの辺でいつも通る道だった。なれた道でも事故は起きる
でもそのことを全く忘れていた。入れはだったことを忘れていた。
不自由がないから忘れていたのである。
一応王宮措置して使うことにしたので助かった。
自転車も安全なものではない結構危険なのである。
何回も転んでいるから危険なのである。

相馬市には前は駅前から近いので電車で行っていた。それで駅前の花屋によって花を買っていたのである。
それが相馬市だとイオンに用事がありイオンと街が直結している。
すると駅前通りには行かないのである。
こういうこともやはり街が通りがさびれる原因だと思った。
駅におりれば駅前の店によったりするのである。
たいがいは車でもイオンから街中に入る、イオンでたいだいの買い物をすます
そしてイオンを中心に電器店でもあり買い物ができる。
原町の場合はイオンは離れているからまた違っている
街はやはり便利に用がたせる、買い物ができるというのがいいのである。
今までの通りがさびれたのはそういう利便性がなくなっためである。
自転車だとあまり離れたところには行きづらいのである。
何か人の流れがあり外から来るとイオンに来てそれから街中に入るのが相馬市である。
人の流れがイオンに集中してあとは分散するのが相馬市なのである。
その人の流れが商売にとっては意外と大事なのである。


帰りはイオンにより瀬戸物をまた買った。あそこはすでに一週間くらいやっている、新しいものを並べていた。
買い物というとき何かインターネットだと味気ないということがある
店屋は見せるからきているし見せるとか話するとかではインターネットでは欠けているのである。ヒューマンなものもない、人間との接触もない、あそこの瀬戸物を売っている人は対応がいい、やんわりと対応している


それからキタムラでプリントした。あそこの印刷機が最高級のものでありきれいに印刷できる、パソコンからも注文できて前にはフオトブックも作った。
今は個人でも簡単に写真集など作れる、ただデジタルとなると大画面のテレビで見た方がいいとなる、迫力が違うからである。
ともかく母が死んでからもいろいろと用事がある、主なものは買い物である。
買い物は意外と手間なのである。また楽しみでもある。
アマゾンでも買っているから買い物がつぎつぎにある。
何か介護が終わっても家事とか買い物に追われていることは変わりなかった。
だから介護しながらよくプログでも書き続けたとふりかえると思った。
それだけ母の介護はそれほど手のかかるものではなかったからだと思う
それにしてもやはり介護しながら結構書き続けたのだから良く書けたなとふりかえる


相馬焼きと猫柳はあっている、相馬焼きとなるときこれは土地のものだから土着的だとなる、ただこの辺で果たして安らぎがあるかとなると津波原発事故以後はそうはなっていない、第一相馬焼きの浪江の大堀がなくなってしまったいるからである。
白河で移りはじめたとかもう大堀で相馬焼きをはじまるのかどうかわからない
あの辺は放射線量も高いからである。
やはり窯元があって土地の焼き物も生きる、それが欠落したことはいたいとなる

看護婦の姉に献げる猫柳

猫柳そのあたたかさ忘られじ

猫柳というとき何かあたたかさを感じる、看護婦にふさわしい、姉は看護婦だった。
自分には特別やさしい姉だった。
でも実際は看護婦というと自分が病気になり看護婦はきつい性格の人が多いと思った。
それだけ仕事が厳しいからである。だから今になると看護婦にいい印象をもっていない
姉も体育系であり性格はきつかったのである。そうでないと従軍看護婦など修羅場でありとても勤まらなかったろう。
ともかく自分はここ十年は厳しい目にあった。今年の春は何か本来の春かもしれない
ただ回りは違っている、まずダンプとかが多いのが落ち着かないのである。



タグ:相馬市

2016年02月22日

避難区域など小高などは老人だけの町になる? (デンデラ野のように老人が捨てられ場所になる?)


避難区域など小高などは老人だけの町になる?

(デンデラ野のように老人が捨てられ場所になる?)


小高で避難解除してやれるのは双葉食堂とか工事や除染関係の人を宿泊させることだろういつも並んでいる双葉食堂などは小高にもどって始めるがそこでも繁盛するだろう
それだけでも活気を与えることは確かである。
その他は何か補償金頼りになっている、避難解除を4月から5月までに伸ばすというのも補償金目当てだろうとなる
要するにずっと補償金をもらって暮らしたいというのが本音なのである。
みんな国民年金しかもらえないんだよ,もっと補償してくれとなる
そういえる人は恵まれているとなる、中通りでも風評被害があっても補償されない
南相馬市でも鹿島区は30キロからはずれて補償金はわずかだった
それより相馬市は何ももらっていないのである。


何かごねれば補償金がもらえるということになれたのかもしれない
それは何か沖縄とにているのである。
原発というのも何か基地とかとにている、いらないものだがそれにたかり補償金をもらう基地の土地所有者は西日本で長者番付にのっている。
そういう矛盾は原発地域にもあった。それは前からあった。漁業関係者は補償金が多額であり原発御殿が建ったというのは嘘ではない、ただそれは全部ではない、一部の漁業権者だけである。
だから回りではうらやましく見ていて不満だったのである。
それが今回の原発事故で表面化したのである。


小高に帰る人も13パーセントととかなると前よりは相当にさびれた限界集落のようになるかもしれない、それで帰りたくないという人が増える
老人が多いから老人だけの街というのが成り立つのかとなる
テレビで老人だけが住む特区を作ったがうまくいかない、若い人たちを住まわせたら老人と子供の交流ができて活気が生れたというから老人だけでは街は成り立たないだろう。
一つの考え方としては別にもうそこを死に場所としてそこで死ぬというのもありうる
ただそれまでに介護とかあると若い人の世話になったりすると迷惑になる
それで遠野にデンデラ野というのがあったというのも面白い

デンデラ野の説明板にはこのように書かれています。食い扶持を減らすために追いやられた老人たちは、亡くなるとこの場所へ埋められました。デンデラ野は墓場であり、ここへ来た老人は生きていても「墓に入った故人」として扱われたそうです。

まさにこんな町になる恐怖がある。貧乏な時代は老人の食い扶持を減らすことが生き延びることだった。
そこでは医者もいないし介護もない、病気になったら死ぬのである。
食い扶持はそこに捨てられた老人でまかなっていたのである。耕作していたのである。
そこではただ老人が助け合っていたというのが救いといえば救いである。
老人はやはり労働しないから当時はやっかいものとなり無駄なものとしてそうなった。
老人を養う余力がなかった。
今は若者が老人によってそのエネルギーを吸い取られているという異常な時代なのかもしれない、介護施設で三人の老人を世話するのがめんどうだから殺したという事件もやはり時代を象徴している


つまり小高は笑い事ではない、他でも津波の被害地域でも若者が流出しているから老人だけが取り残されてデンデラ野化してしまうかもしれない、それは別にここだけの問題ではない、全国の限界集落はそうなりつつある。
老人が仲間として生活して助け合っているが子供がいないのでいづれ介護になったら世話する人がいない、デンデラ野では老人が老人を世話していた。そうするほかないからそうなった。

いづれにしろそういう場所には帰りたくないという気持はわかる。
でも何かとゴネで補償金をもらうためにしているということが見え見えなので反発される鹿島区などではわずかにもらっても除外されたからである。
前から市長は小高区には力を入れていたのでありそれで鹿島では反発している
鹿島区選出の議員が仮設の小高の人を支援していたから何か鹿島の人も小高を支援していると思っていた知り合いの女性がいた。
常にかわいそうだと支援されてきたから自分たちはかわいそうなのでありこれからもずっと支援されるべきだとなってしまったのである。

沖縄は全国から嫌われている、補助金をいくら出してもたかるだけで以前として貧乏だとかいろいろ不満がある。その特殊な地域で防衛のために欠かせないとか基地があるから補償するとかありこの辺の原発とにていたのである。
ただ沖縄は遠いから工場など作るのがむずかしい、福島県はこの辺でも東京と近いから工場があり沖縄とは違っていたのである。
その近いということが原発が作られた原因だったのである。
浪江の人が小高の人がうらやましがっているの補償金がまだ長くもらえるからである。
補償金で遊び暮らすことになれてしまった。慣れは恐ろしいものではそれが当然だとなってしまうのである。
そして集団化すると批判するとあいつはなんだとかなり圧力をかけたりする
それは沖縄とにた地域となったのである。
こういう市町村はいづれは荒廃してしまうかもしれない、若者は流出して老人だけが残されデンデラ野に置き去りにされてそこで放置されて死ぬとなる
それもまた運命だとして残るものは残る、ただ医者も介護も金の援助も要求できない
そうなるとますます帰る人はなくなるだろう。


この辺は小高がなくなっても原町とか相馬市がありなんとかもちこたえるということはある。小高を捨ててもゆくゆくは南相馬市も相馬市と一体化して相馬市になるかもしれない人口減少すればそうなってゆく、それは全国で市町村が消滅してゆくとうことをこの辺は極端に先取りして具体的に現れた地域なのである。

タグ:デンデラ野

2016年02月21日

老人が消費するもの (リホームに食にヒューマンなサービスに趣味)


老人が消費するもの


(リホームに食にヒューマンなサービスに趣味)


ヤマハのロードバイクYPJ=Rは何かもう一つ欠けている、坂を上るとバッテリーはきれるとか何か買っても使えるのかとかなる、何かものたりないのである。
若い人ならロードとたいして変わらないだろう、老人だったらもう少しバッテリーの容量が多くないと坂で消耗してしまう
老人は体力がないから電動自転車は便利だけどこれは何かもう一つたりない感じだ
ただこういうのは乗ってみないとわからないだろう。
でも25万以上すると高いなと思った。


老人になると何かやはり旅行でも億劫になる、特に今は外国人で混雑しているから敬遠する、海外旅行もパスポートをとったがこれも使うかどうかもわからない
なんかいろいろなことが計画してももうできないという感じになる
老人は大きな金を使うのはリホームである。
自分の家は築45年で水道管とかも痛んでいるし地震で痛んだのでリホームが必要なのだ。でもこれをはじめたら一千万とかになるかもしれない、それで躊躇するのである。
家を維持することは金がかかるのである。
あとどのくらい住んでいるからわからないからしたくないともなる
ただリホームだけは老人は金をかけてもしている、やはり日々過ごす所だからそうなる
老人になると家が大事になるのである。


若いときは家にこだわらないが老人になると家にいる時間が長くなるからである。
そして自分好みの家にすること内装などもいろいろと自分好みにするのが楽しみとなる
だからどうしてもリホームが必要になる、平屋がいいと二階を壊したりした人もいる
二階があっても一人暮らしの人は使わないとかなる
自分も二階から夜トイレに来るのが遠くて嫌なのである。
平屋がいいのだが作りが二階が座敷で良く作られているのでそこにいる
いつも見回せる範囲の部屋がいい、二階から下りたり上ったりするのが嫌なのである。
電気をつけたり消したりするのもめんどうなのである。
今は5カ所くらいそうしているからつけっぱなしにしていることがあり二階だと管理しにくいのである。
ともかく老人はリホームの要求が多い、それは子供がいなくなったとか夫婦だけになったとか家族構成が変わってしまったりしているからである
すると無駄な部屋はいらないとなるからだ。


それからどういうわけか食とか栄養にこだわるようになる
食を味わいたいとなる、自分は食には無関心であり腹一杯になればいいというだけだった旅行でも金がないから1000円以上のものもを食べたことがない、だから地方の食について何もわからないのである。
でもこの頃食にこだわる、それも贅沢ではなく新鮮な野菜とか魚とかを食べたいということである。
食にこだわることは味にもこだわる、量ではないその質にこだわる、でもこの辺ではレストランが少ないから味わうことはそんなにできない
老人になればがつがつ食べるのではなく少量でも新鮮な味わい深いものを食べたいとなるその味わうというとき何かいろいろなものでもそうである。
芸術でもそうであり文学的なものでも深く味わえる、今までは理解できないが詩などでもほとんどわかる。深く味わえるということである。
それは人生を味わうということでもある。若いときはそうした味わうということができない、老人は食でじっくり味わうのがにあうのである。


それからヒューマンなサービスを求める、ただものを買ってそれで終わりというのではない、何かそこに人間的なものを求めている。
ヒューマンなサービスを求めている、肌のふれあいみたいなものを求めている
物を買うにしてもインターネットとかの通販だと味気ないとなる
ものを買うにしても人間的な交流を求めたりしている、人間のふれあいあたたかみを求めている
今の老人は一人暮らしが多いし孤独だから特にそうなる
一言声をかけてくれるとうれしいとかなる、それで猫ブームになっているのはそのためである。
猫が友達になるというのもそのためである。猫は癒しになっているからである。
だからペットがこれだけブームになっているのである。
子供でも今は老人に冷たいからである。


あとは趣味に金をかけるだろう、金をもっている人もいるからゴルフでもバイクでもカメラでも高いものを買う、団塊の世代は戦前のような働きづめの時代ではない
多様な趣味に生きた時代だからである。
ただバイクとなると老人にとってはちょっと危険になる。
白髪で頭が禿げてバイクでハーレダビッドソンで飛ばしているのもどうかともみる
写真などは今はデジタルカメラで一般化しているからいい
自分はフラワーアレジンメントがあっていた。もともと花が好きで北海道でも山でも良く見て回ったからである。自分のテーマに花があるからだ
花を通じて交流しあえるというか女性とつきあうのには花がいいとなる


老人が消費しないというときやはり先が長くなったからである。あと十年くらいならいいがそれ以上伸びると金も尽きてしまうから不安になるのである。
そして人間はいつ死ぬかわからない、明日かもしれないしあと二十年後かもしれない
だから予定が立てられないから困るのである
ただすでに何か先が見えて死ぬだけだとなっていることも確かである。
何か消費しようにもそのエネルギーがないのである。
生産的創造的消費することはエネルギーが必要なのである。
旅しようかと思ってももう自転車だと疲れるからしたくないとなるからだ。
現代は何か消費することは生産していることでもあるからだ。
金があっても何か消費するエネルギーがないのである
今一番向いているのは回想することである。これだけは老人に一番向いている。
今まで経験したことを回想して深化させるのである。
それで芸術的にも理解が深まってるしいいものができるということがある
自分も作品の完成のために余生があるともなっているからだ。



タグ:老人の消費
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自分の目次一覧が表示され読める


自分の目次一覧が表示され読める


ここで自分ののプログの目次の一覧が表示されているから便利


これは便利だろう。今まで書いたきたものが時系列に目次が表示されている、クリックすれば読める

タグ:目次一覧
posted by 老鶯 at 10:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2016年02月20日

現代は遊びが仕事化する (遊びは創造を産み出す-人間は最後は遊び人間になる)


現代は遊びが仕事化する

(遊びは創造を産み出す-人間は最後は遊び人間になる)




古くは「神遊び」などという言葉が示すように,神をもてなすため,あるいは神とともに人間が楽しむための神事やそれに付随する芸能全体をさしていた

 汝(まし)も神ぞや 遊べ遊べ
  君も神ぞや 遊べ遊べ

古代日本における遊びは、ほかならぬ、こうした「カミアソビ」でした。
神のみが遊ぶのであり、人は神を通じてのみ遊ぶことができた

プラトン「法律」の一節のようだ。

「人間はただ神の遊びの玩具になるように、というので創られたのです。これこそが人間の最良の部分ですね。」

朝たづね ましも神ぞ や あそべ あそべ

朝たづね きみも神ぞ ましも神ぞや あそべ あそべ(神楽歌)


古代日本語のあそぶ


遊ぶとはもともと神と結びついた言葉である、あそばしますとかなると尊敬語になっているのもそのためである。
それが時がたつにつれてその言葉が庶民化して卑俗化する、御前とは宮中では尊敬語である。それはオメエはとかなると卑俗化した言葉になる
遊ぶという言葉自体その後は軽蔑的なものとなっていった。遊女(あそびめ)とか差別語にもなる。巫女はもともと神に仕えるものであり神と遊ぶものだが遊女化してゆく。
なぜこれほどまで遊ぶということが変化したのか?
それは労働が勤労の価値が大きくなったためである。古代とかその前は遊ぶということは今の遊ぶという感覚と全く違っていた。
現在は遊ぶということは常に忌み嫌われてきた、膨大な労働の時代がつづいた。
分刻みで労働が強いられる、江戸時代は意外と貧乏なのにのんびりしていた。時間にもルーズだったから約束の時間も守らないということがあった。
時間の感覚が時計もないのだから大雑把であり日が上り没りとの自然のリズムに生きていた。

それで東雲に(しののめ)という言葉が篠竹と竹に由来しているのが面白いし今になるとイメージできない。

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これなども意外なものである。竹と結びついていることは竹が生活と密接に関係していたからである。竹を利用した生活があったし竹が常に回りにあった。籠であれ笊であれ竹は日常生活に常に利用されていたからである。それが失われたときイメージできなくなる。

古代はその前は神と遊ぶだったが万葉集時代は

天皇(すめらみこと)に献(たてまつ)れる歌一首 大伴坂上郎女(おほとものさかのうへのいらつめ)、佐保(さほ)の宅(いへ)にして作れり

あしひきの山にしをれば風流(みやび)なみわがする業(わざ)をとがめたまふな 巻四(七二一)

遊びは雅び(みやび)としても使われた。みやびとは宮中で生活することから生れた。
この歌は山にいることはみやびではない、宮中で遊ぶことが雅びなのである。
でも今になると山に入ることは遊びになっている。風流人はかえって山に入り隠棲するとなる。

人間が遊ぶということでも実は堕落してきたのである。遊ぶことができないことは人間の堕落だった。遊ぶことが何かネガティブな言葉と化して行ったのは遊ぶということが何なのか本来の意味が価値が忘れられたからである。

遊ぶが失われたのは西洋でも同じでありプラトンの時代は遊ぶが重視されていた。
学問もスクールが暇な意味であり遊ぶ意味から来ていたのである。
すべての学問が実用になったのは近代になってからである。
そして資本主義になったときすべてかは時間までが金となり金で価値づけられるようになった。
一分一秒を無駄にするなとなりそこで遊ぶということは価値なきものとなった。
戦前の製糸工場で休み時間に遊びたくて早食いした女性が死んだというのも嘘のような話に思うけどやはりそれだけ時間に追われて遊ぶ時間がなくなっていたのである。

江戸時代は貧乏でも仕事も時間によって追われない、2時ころすでに仕事が終わったとか時間に追われていないのである。時間の感覚がルーズだったのである。
現代とは絶えず時間に追われている、何するにしても追われている、遊ぶにしても追われている。遊ぶというとき時間に追われたら遊ぶにならないだろう。
ただ現代というのは豊になると遊ぶことがまた変質している、遊ぶことが価値あるものとなる
ゲームなど遊びでありでも金になれば遊びと見なされない、資本主義社会では金にすべて換算される、どんなことでも金になれば価値あるものとされる
一方で金にならないものは価値のないものとされ、その人は無益なもの社会にとって必要ないものとしてみられる、だから現代というのは無職とかには一番厳しくあたる。
無職ということは許されないことなのである。
つまりすべてが労働で成り立っているのだから働かざるもの食うべからずになったのである。

結局自分のしてきたことは一生遊ぶだったとなる、学問もた旅したことも芸術も遊びである。それで一銭の収入にもならなかった。となると資本主義では価値ない人間になってしまう。
もし本でも出して売れればそうはならない、画家でもいくらいい絵を描いても売れなければ価値ない人間にされるのが資本主義である。
そういう遊ぶ人間は許されないとなる、そうは行っても現代は豊になり遊ぶ人間が膨大に増えた。
第一何千万の老人はすでに仕事はしていないのである。そうしたらそういう人はみんな無駄だともなる、他にニートとか仕事をしない人も膨大に増えたのである。
そもそも子供時代は遊びが仕事である。遊ぶことによって学んでいた。
勉強になると遊びではない、常に勉強であり強いられることだった。
その成績とか試験とか中学辺りになると将来のためにいい生活をするために勉強が強いられる
でも学問でも今ふりかえるともっと遊びの要素があれば興味をもったと思う。
数学などでも図形遊びみたいなのもを工夫してやっていれば興味をもっただろう。
それが試験とか受験とか将来の生活の実益のためになるとかえって勉強したくなる

チンパジ−の実験で彼らにパズルを与えると大喜びしてそれを得ることを待ち、要求する。彼らにとってバズルを解くこと自体が楽しみなのである。しかしある時パズルを解くと食べ物を与えるようにするとチンパンジ−はしだいにパズルそれ自体を楽しむより食べ物を得るためにパズルするようになる。やがてパズルだけを与えて食べ物を与えなくなるとチンパンジ−はパズルへの興味をなくしてしまう。(あなたの隣の狂気−町沢静夫)

遊びで堕落した人間


それはチンパージーの実験でもそうだった。遊びとして数とか教えるといいのだがそれを成功報酬としてやらせると興味を失った。
何かを学ぶために褒美として餌をやるとかしていると餌に関心が向き遊びとしての学びに関心がなくなっていったのである。
それは人間も同じだったのである。遊びの要素がないと人間も学ばないのである。
つまり餌をやるから学ぶのではなく純粋に遊ぶことが興味を失わないことになる
科学でも実験でも遊びの要素があり遊びから発明が生れることもある
それは現代の複雑な科学技術の時代でもそうである。
豊になると遊びが仕事になる度合いも多くなるのである。
ギリシャでは貴族階級が奴隷を使っていたから暇が生れスコーレ(暇)がschoolになった。そのスクールが勉強であり強いられるものとなった、そもそも暇だから遊びの時間だったのである。
今は機械化でありIT化すると遊びが仕事になる、奴隷をしたものが機械がするようになるすると人間は何をするのか、遊べない人間は何をするのかとなる。
遊びというときギャンブルとかなにか低俗なものではない、本来遊びは高級なもの神と結びついていたからやはり芸術のような創造ができないものは時間を与えられてもすることがない、だからこの辺では補償金でパチンコとかギャンブルになったのである。

タグ:仕事と遊び
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2016年02月19日

紅梅(新しい相馬市の市庁舎が建つ前で話した)


紅梅(新しい相馬市の市庁舎が建つ前で話した)


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紅梅や日立木過ぎて相馬市へ

紅梅やほのぼのと赤い有田焼

梅をまた開きそめるや六号線

春の日や買い物楽し街に来る

我が買いぬ茶碗二つや春の色

五本松浜街道や春の月

石三つ我が庭狭く春の月


相馬市で新しい市庁舎を建てる工事をしていた。そこに一人の年配の女性が立っていた。

「ここもやはり他と同じような建物になるのか」
「和風の建物」
「入母屋作りの屋根の建物、市民会館から道の駅でも建物が統一されているから
相馬市はなんか落ち着くのでいいんだよ」
「相馬市は建物ばかり良くていいことないよ」
「そうですか」
「私は原町の方が好きだよ、相馬市よりにぎわっているよ」

そんなことを立ち話した。相馬市と原町の相違は前にもいろいろ書いてきた。
地元の人ならわかるが外から来た人はわからないだろう。
相馬市は公共的な建物はみんな入母屋作りの建物にしているから統一感があり落ち着くし城下町らしいとなる
それと高いビルがないのが落ち着いた感覚になる。
街作りのことを考えるとやはり高い建物が立つと景観が乱されるのだ
京都でも古い町屋の前に高層のマンションができていたがそれが高いからおおいかぶさるような圧迫を感じたのである。
それは外から見てもそうなのである。高いビルがあると自然も映えないのである。
城下町というとき城下町には天守閣かあり城が町の中心にあり一番目立っていたのであるたいがい二階すらなく平屋であるから当然城が一番目立っていたのである。
大坂城でもそうであり今はビルに囲まれているから目立たない、ただ石垣だけが幾重にも取り囲んでいるからその石垣に感嘆する。
そもそも今になるとなぜ城はあんなに小さいのだろうかとなる。
ビル一つにもならないほど小さいということである。

いづれにしろ人間は自分の住んでいるところがいいという人はいない、何かしら不満であり外から見ていいと思っていても内部に住んでいる人はいいと思っていない
倉敷でも蔵ばっかりで嫌だとか言っていたから同じである。
外から見れば蔵があってまさに倉敷になっていて観光客がくる
でも内部の人はいやがっているのと同じであるか。

「南相馬市は相馬市よりいいよ、震災後も原発の金が入ってきたから」
「それは言えます、仮設の人たちは金が入ってきましたから、原発の金は大きいですから、相馬市は津波の被害があっても原発事故では金は入ってきませんでしたから」
「相馬市は実際は貧乏な人が多いんだよ、建物ばかりがいいだけなんだ」
「原発の金が入らないから相馬市は損だった、それは同情します」

南相馬市と相馬市の大きな相違は原発事故以後が政府からでも入る金の差だった。
津波の被害もあれだけ大きなものだったけど補償金が入らないことがあったからである。漁業関係者はもらっても他はもらっていない、国からもあまりもらっていないだろう。
南相馬市は30キロ圏内だから財政的にも相当援助されたということはある。
確かにイオンがあっても原町のイオンは相馬市よりは規模が大きい、でも原町と相馬を比べたら小高や鹿島よりはずっといいのでてある。
街としては相馬市の方が何かにぎやかさには欠けるが落ち着いていいと思う。
それは城下町としての街作りをしているのもいいと思う。
ただ内部の人からすると何か必ず不満が生れるのである。
相馬市は貧乏な人が多いというとき建物ばかり立派にしないで日々の暮らしとか福祉でも充実してもらいたいとなる、そういう不満は常にどこにでもある。

イオンの中で瀬戸物を売っていた。あれは安物だった。でも有田焼のものがあった。
有田に行ったけどあそこは遠い所で不便だった。電車で行くのには相当に乗り継ぐから不便である。電車はどこも不便になっている。

旅路来て赤絵の町や初燕

こんな句を前に作った。有田焼きは赤絵で有名であり海外にも輸出していた。それも30年前とかなるかもしれない、いづれにしろ自分が旅したことは遠い記憶となってしまう。人間は何するにしろ時間がたつのが早い
そして旅するだけでも人生は終わる、旅するということは結構集中するか他のことができなくなる、つまりそれほど人間はいろいろなことがてきないのである。
ええ、これしかできなかったのかと驚く、若い内なら何でもいろいろできると思っているが老人になるとこれっぽちしかできないのかとつくづくふりかえる
旅というのは遊びではない、享楽ではない、それも勉強だから結構苦労なのである。
旅をするには自然でも何でも見ることに集中しないとあとでふりかえることもできない
たから団体旅行などだと注意力や集中力が緩慢になるから印象に残らなくなる。
旅も今や日本ですらしにくくなった。外国人が中国人などが宿をとりビジネスでも宿がとれないとなると不便である。海外でも円安だとかテロだとかしにくい、自分が旅できたのもこれも今や幸運だったとなる。
この十年間は不運であり苦しかったけど自分は全般的には幸運だった。
ただこの運不運もわからない、姉は強運だったけど最後は最大の不運に見舞われたからである。

ともかくそこで陶器のことなど話したのも面白かった。買い物もこうして遠くから来た人と話すことなどが面白い、インターネットにはそういうことがないから手にとって肌触りみたいなものも感じない、買い物の楽しみがないということもある。
陶器などはやはり手にとって大きさとかを感じるのがいい、インターネットではできない売っていたのは1000円くらいの安物であり買いやすいということはあった。
紅梅が鮮やかに咲いていた。春になったがまだ風は冷たいので服装は冬である。


タグ:相馬市 紅梅

2016年02月18日

THERE WILL BE BLOOD 『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(2007年)「野心が信仰と出会う時」の批評


THERE WILL BE BLOOD

『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(2007年)「野心が信仰と出会う時」の批評


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膨大な土地を所有する貧しい人たちからたかだか数千ドルで買い取り、そこから湧き出てくる石油はどれだけ出てこようが土地の元の持ち主には一切分配しないというのが石油王の考えです

この作中の序盤に1人だけ自分の欲を抑制し、世間的に妥当な取り分を十分理解できる賢い青年が出てきます。その青年は石油王に500ドルで石油がたんまりとれる土地の情報を売ってあげると持ちかけるんです


 パイプライン建設のために、イーライの宗派の洗礼を受けることを要求されるプレインビュー。しかしその場で「私は罪人(sinner)。私は子どもを見捨てた」と叫ばされる。


 そのインチキ宗教家に「わたしは罪人です」とパイプライン建設のために懺悔させられるエグい場面がひとつのヤマなんだけど、あれもビジネスのためなら宗教さえも道具として利用するって感じじゃなくて、過去に何らかのタブーを冒しているとしたら、本気で懺悔させられていることになるんじゃないか。しかも、インチキ宗教家にそれを強要されるんだから、苦痛もさらに倍になるんじゃないだろうか。



この映画のテーマは何だったのか?石油がテーマにしてもそこに宗教がかかわっていたことで興味をもった。
石油を掘りあてるためには貪欲の限りを尽くすのが石油王である。
そのためには土地を手に入れる必要があった。その土地をもっていたのが貧しい人たちでありイーライの宗派だった。
その若き牧師はインチキ宗教家だった、石油のある土地を買うために石油王は懺悔させられた。その屈辱が最後にそのインチキ宗教家を殺すことになりドラマは終わった。

「野心が信仰と出会う時」という原作がありこれを映画化した。
この映画は宗教もテーマにしている。それで最初わかりにくいものがあった。
石油のある土地を石油王が手に入れるために若いインチキ宗教家にいやいやながら公衆の面前で懺悔させられた。
それも石油をとるためにはしかたないと甘んじた。
一方インチキ宗教家はそれで勝利したように公衆の前で自分をアピールした。
この若い牧師がインチキ宗教家だと石油王は奇跡を演出したときから見抜いていたのだ。
ここには宗教と実業というテーマがある。石油王は石油のようにどろどろとした欲望にまみれていた。
一方宗教家もきれいこどを言ってもインチキであった。
何かこれは一般的に今のカルト宗教団体にあてはまるから興味をもった。
創価などがそうである。それだけではない一般的に今宗教というとき何かうさん臭いものとなっている。
宗教はきれいごとを言っても中は石油のようにどろどろの欲にまみれているのだ。
もちろん宗教というのは世俗にある限りそういう宿命から逃れることができなかった。
それが現代になると特にそうなった。ほとんどの宗教がカルト化したのである。

創価でも政治と実業に経済に深くかかわる、大成建設が仕事を欲しくて創価の会員に一部なっていたというのは本当である。
大切建設の社員宅が座談会の活動の場として提供されていたからである。
それは石油をとるために土地が欲しくてしかたなく仮りにインチキ宗教に入った石油王と同じである。創価の場合はもともと宗教というより政治家実業を目指していたから何の抵抗もない、懺悔なども関係ない、石油を手に入れればいいなるしそこで金も入ればいいとなる。その人が回心するとか懺悔とかは関係ないからやりやすいとなる
創価とはすでにビジネスであり企業化しているからである。それは幸福の科学なども同じである。宗教がビジネス化して実業化している。だから幸福になるためにもうけることだとなるからにけいるわけである。
そのために毎日祈っているとなると宗教が実業化した団体であり利益を追及する会社と同じだとなる
幸福の科学の主催者が大川教祖が妻と離婚して巨額の遺産でもめているのもそのたとである。
すでに欲にまみれてそうなっているのである。それはカルト宗教団体ならみんな同じなのである。

この映画の最後で若インチキ宗教家は石油王に殺される、金がなくなり石油王に要求した石油王はそれを断り懺悔さけられた屈辱をはらすために殺した。
つまりインチキ宗教家は最後はどろどろした欲望の塊りの石油王に金を要求して頼ったのである。どっちにしろ宗教も金だとなる最後の結末である。
結局金なくしては宗教もその団体も成り立たない、金とは石油でもある。
実は宗教すら金に支配されているというときそれは陰謀論で必ず言われる、ユダヤが金融で世界をあやつっているとかなんとか常に言われている。
でも実際はそんな力をもつことができるのか?それよりサタンがこの世を支配している、闇の力がこの世を支配しているという聖書に書いてある。
そのサタンとは何なのか?それは人間に内在する限りない欲望なのである。

欲望があるから欲望に操られる、それは宗教でもそうでありあらゆるものがそうである。原発事故もそうして人間の深い欲望に操られた結果だったことを書いてきた。
人間の欲望を否定するのが宗教だけと実際はそうしたら誰も支持しないし会員など増えない、欲望を肯定してこそこの世で増殖できるし力をもつことができるからである。
だからカルト宗教団体ではむしろあらゆる欲望を是認しているしむしろその欲望を満たせる、拡大させられることが信仰になる。それは結局すでにこの世と同じ世界でありそこに宗教は一切ない、ただ欲望を満たすためのものしかない、つまり石油王もインチキ宗教家も同列だっのである。
世界はまさにどろどろした石油という富に金にのみこまれているのだ。
そういう自分も石油がとれる国がいいと投資したのも同じじゃないかとなる
いづれにしろ人間はこの世の世界と実業の世界に生きているのだから逃れることはできないのである
石油なしで生活できるのか?電気なしで生活できるのか?とか常に言われるがそれは金なくして生活できるのかという問いとも同じである。
宗教がまたなぜこれほど偽善的になるのか?それはあまりにも現実の世界とかけはなれているからである。キリストやシャカの教えを実行することとはかけはなれているからそうなる、現実はどろどろした石油のように最後はその欲望が地下から噴出してくる。
どろどろした石油の欲望にのみこまれてしまうのが現実である。

インターネット時代になると過去の映画も見れるしいろいろい紹介されて批評される
インターネット時代は批評の時代である。
こんな映画があったのかとその種類にも驚くし本でもそうである。それをアマゾンでボタン一つ押せば手に入れることができる
これは便利である。だから今は仙台に行って本を買う必要もないから一年もまた行っていないけど不便を感じないのである。
そして他人が批評したものを読んでDVDを買ったりする、「心の青雲」の著者は映画批評していてこんな映画があったのかと
結構買っている。映画批評家にもなれる人である。
いろんな批評がインターネットでしやすいからそうなる、20世紀はまた映画の時代だった
ただ映画もテレビと同じで何か読み解くことが結構むずかしい
それでも厚い小説を読むより楽だから見るのである。外国の映画は何か日本のより深いテーマを追及している
今回は宗教ということで関心をもったのである。




タグ:石油と宗教

2016年02月17日

「百歳の間」「蠟梅の間」 (家に残りやすい個々人の記憶)


「百歳の間」「蠟梅の間」

(家に残りやすい個々人の記憶)

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我が一人母を介護せし部屋にあり春の日さしてなおいるごとし

我が母を介護せし部屋あわれかな蠟梅静か朝日さしにき

我が家になお北風のうなりつつ手伝いの女今日も来たりぬ

菊の花今日も咲きつつ母の亡きあとし守りぬ我なりしかも


母が死んでからまだ二カ月ほどだから何かまだいる感じがする、こういうのは理屈ではない、特に自分が介護した部屋にいるような気配を感じるのである。
こういう点病院とか施設には個々人の記憶が残らない、世話する人も個々人が死ねば忘れてしまうだろう。
そんな人がいたのかとなる、家とはやはり記憶が継続する場所として意味があった。
空間もあるのだがそれには時間軸としてある空間なのである。
子供から孫から曾孫とかそこには継続する時間があって家がある。
家は今は空家が膨大に増えたように継続されないのだけど家にはそこで暮らした人の記憶が残る、何かそこには死んでもまだいるような感覚になる。


今回の母の死は5年間この部屋で介護したし姉とは違っていた。
姉は家では寝ていない、突然脳出血で倒れて病院で死んだ。
認知症になっても体は普通だったから寝ていないから体は介護していなかった。
ただ精神的な介護だったのである。
姉が死んでから震災になり原発事故になり自分の病気とかわたわたしてゆっくり偲べなかった。
今回はゆっくりと死んだ後も偲んでいる、そういう余裕がある。


要するに介護から看取りからそのあとの供養とかは継続しているのである。
だから理想は家で介護して看取り死ぬのがいい、病院とか施設にはそうした時間の継続がない。記憶が継続されないのである。そして個々に部屋をもっていてもそこで暮らしたことが記憶として残りにくいのである。
家だと死んでもその人のことが記憶としてまだ残っていて偲ぶことができる
家とは記憶を保存するという機能ももっていたのである。
人間は記憶がなくなることも死なのである。何らか記憶が残っている内は死者も生きているのである。
家であれ故郷とかその土地のことは継続なのである。故郷とは過去の先祖の記憶が刻まれた場所である。
だからこの辺で故郷から離れるるとそうした記憶が保存できない、過去は忘れられてしまうということは死者も忘れられてしまうことになる。
そこにまた原発で故郷を離れることの捨てられることの大きな問題があった。


、、、、の間というのはその人を思い出す場である。やはり5年間介護したからここが母を思い出す場となる、介護というのはしているときは嫌でも死んでみるとそのことが思い出になるというのも不思議である。
人間は何でも思い出となってしまう。介護など思い出になるのかというとやはりなる。
その時は嫌でも終わってみると何でも嫌なことすら思い出となる。
死んだら二度と会えないということもその思い出が貴重となる
そこにまた介護のむずかしさがある。認知症を介護したりすると死んでからも思い出したくないという人も多い、だから認知症は悲惨なのである。
人間は嫌なことは思い出したくないとういこともある、それはみんなにある。
こうして母を思い出しているのは介護が自分にとってはそれぼと辛いものでもなかったからかもしれない、ただこの回想することには何か美化されることがある
終わってしまえば苦しみもないから過去は甘美なものとなる
それで江戸時代とかが美化されたり甘美なものとして追想してきたがその時代に生きたものはやはり地獄があった。それが終わり過去となったとき甘美なものとして追想することになるのである。
時が過ぎればなつかしくなるのが人間である。
死んだ人は何か苦労もかけないしただ甘美なものとしてふりかえる、そして良い面だけを回想するということもある、そこに過去は美化されるのである。
生きていれば悪い面が生々しく見えるけど死ぬと見えなくなるということがある


ともかくまだ死んで二カ月だから記憶がまだ生々しい、母は二月に生れて12月に死んだ
冬の女性である、その生涯もそうだった。
生きているときはあまり母のことは思わなかったが死んで思う人もいる
生きているときから死んでも延々と思っている人もいる。
自分はそれほど家族に執着するたちではないのかもしれない、でもなんか姉が死んで8年過ぎてしまったのは本当に驚きだった。
そんなに早く過ぎてしまったのかと思う、その間一周忌もなにもしていない、忙しくてできなかった。
だから一周忌はまとめて一緒に供養したいと思っている
今日は墓に母の名前を刻む、これでだいたい死後の整理は終わりになるだろう。
ともかく人間は死んで終わりにはならないのである。





タグ:死者の記憶

2016年02月16日

朝日新聞の創価学会対共産党の大研究の批評 (マスコミも常にネットから批判される対象に)


朝日新聞の創価学会対共産党の大研究の批評

(マスコミも常にネットから批判される対象に)

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●社会に必要だから創価も共産もある


創価と共産党は似た体質なのだろう。支持者も競合するから争うことにもなる。
名古屋の市営住宅では底辺層が住み創価か共産党とのどっちかにみんな所属している。
それはビラが貼られているのでわかる。
底辺層はどっちかに所属する、要するに底辺層はともかく頼るべきものがないからそれがなんであれ頼れるもきなら頼るとなる、つまり何らか需要があればそれに応じるものができる、それがこの世に存在するのは必要悪としであり支持されるしなくすことはできない暴力団でも必要悪としてありなくすことができない、パチンコであれギャンブルでもそうである。
そして富裕層はエスタブリッシュメント(支配層)はこの世で得するようにできている。
労せずして地位を得て収入も高いとなる。それで公務員が批判されるのである。
それは地方ではコネが多いというときそうである。
支配層は人間的にもつながりがありコネをもち得する仕組みができあがっている
それが一番如実に現れているのは就職のとき就職にも保証人が必要でありその保証人が社会の有力者だったら採用されるとなる。


ところがそうしたコネのないものは就職する最初の段階ではねられることになる
マスコミ関係でもたいがいアナウンサーとかは何らか有力者の推薦でなっているのが多い一方で創価でも民音とか通じて芸能界を支配して宣伝に利用する
それもコネでありネットワークを作りマスコミを支配する、それは別に自民党でもテレビでの報道をさせなくなるとか大臣が言っていたからみんな同じである。
権力でもって大衆を操作する、マスコミは影響力が大きいから特にそうなる
宣伝費で収入を得ないとそもそも報道すらできない、テレビとか新聞とか雑誌とかはそうなる、するとどうしても宣伝費を出すものに報道も従うことになる
一番宣伝費を出しているのは大会社であり東電とかでありそれは組合もありその額は大きかった。すると原発などでも反対はできない仕組みができあがっていた。
東電では天下り先として検察とか官僚や政治家も取り込んでいるからもう何も反対できない、朝日新聞まで中国で東電に接待されていたとき原発事故が起きたのである。


この朝日新聞の記事で創価が中卒などで地方から流入した人たちが一つのコミニュティとして創価が生れたというのはあるけどもそれは敗戦になって日本が精神的支柱を失ったことにあった。天皇を神として敗れた結果精神的支柱を失い、民主主義になり思想が自由になり解禁されてそうしたカルト宗教団体であれ左翼系も堂々と活動できることになったからである。
ただ創価の基を作ったのは団塊の世代の上の親の世代である。竹入とか矢野とかの議員の世代である。団塊の世代になったときはすでに会員数は限界になるほど増えていたのである。
創価の手法が座談会とかなにか庶民的であり隣組的なコミニュティ感覚があったのは確かに戦後そうしたコミニュティが崩壊してせいもある。だから団地とかでもそこには戦前とかの社会とは違う、核家族集団でありそこでは精神的不安定となりそこに座談会とかコミニュティ感覚の組織化で会員を増やしたということはある。
それは田舎では死者で葬儀や供養で檀家を中心にコミニュティが作られていたとにている宗教とはコミニュティを作る機能としてあった。

●底辺層が権力集団化して社会に影響する

創価とはともかく底辺層を支持基盤としてきた。そこには信仰の求道心はゼロである。
底辺層とか庶民の感覚はそういうこととは関係ない、ご利益を得ればいい、何かもらえればいい、何か困ったことがあれば助けてくれればいい、得したいということしかない、
それを無下に否定はできない、なぜなら頼るべきないからそうなる
ちょうど借金したくてもできない、借りるところがなければ消費者金融から借りる他ないと名と同じである。
そういう底辺層は一万二万とか貸し借りしたらまた消費者金融から借りて苦しんでいて頼ってくる。すると創価でも共産党でも弁護士をかかえているから相談にのるとなり会員になる、そうして支持者を確保してゆく、要するに誰も相談にのってくれないということがそういう団体に頼るということになる
そこに社会の矛盾がなりなぜそういう団体がなくならないのか?それは社会の歪みがあるからである。
頼るべきものがない、コネがないということは権力を持たないということである。


するとそういう底辺層はなんとかして権力をもちたいとなる、するとそういう底辺層が集団化するときそれが宗教であれマルクスの思想であれ何であれそんなこと底辺層にば関係ないことである。一つの巨大な権力集団と化して社会を動かすことになる
だから創価では政治であれ司法であれ皇室まで会員をスバイのように入りこませて権力を手中にしようと日夜活動することになる、権力への野望のために活動するのが日課である選挙は最大の権力を得るための活動だから日々選挙のために活動しているのが創価であるそれが一番権力に結びつくからである。
政治家でもそこに何百万の票があれば注目するし利用しようとする、また企業でも何百万という会員が得れば商売になるとみる、それで池田大作と松下幸之助が会談したというのは松下幸之助は電気製品を売れるということでそうしたのである。
その団体はすでに社会にそれだけの会員を有していることで影響力をもつことになる
マスコミ関係でも毎日新聞でも福島民報でも聖教新聞を刷らせていて支配する
日々の活動がそうして権力を掌握することに向けられている
正本堂を建てたとき大成建設が請け負ったのだがその時大成建設の社員が選挙のときかりだされたというのもそうであるしメガバンクに兆の金が貯金しているとなると今度は創価大学の就職させろとなりその枠がもうけられる、それは支配層がコネをもって就職できるのと同じである。もしそうして底辺層の団体が権力をもてば逆にそういう団体に入れば得だとなり会員を増やすことになる


●マスコミも権力に操作される(日本テレビもそうだった)

いづれにしろこの世の中は権力でみんな操作されている、何するにも背後に巨大な権力がありその意向で決まる、原発事故もそのために起きたのである。


日本テレビは6月1日、200人以上の社員を擁する報道局のトップに 創価学会員の石井修平氏(53)を 
抜擢する人事を発令した。 石井氏は昭和44年入社、政治部記者からニュース編集部長などを歴任。 
3年前に報道部長に昇格 

2008年10月5日 ? ついに、テレビCMは”ご法度”とされてきた宗教CMにも手を出すようになったという。 
先陣を切ったのが日本テレビ。まだ、僕は見たことがないが、創価学会のCMを流すことになったというのだ。 
ある関係者。 「もちろん最初から露骨なCMは… 


日本テレビから一時コンタクトがあったがあとであわてて解消したことでもわかる
創価を批判するものは社会から抹殺されるようになっている
それだけの権力をすでにもっているのである。それは原発の安全神話でもそうだった。
それは政府から東電からマスコミからすべてが一体となり安全神話が作られていたのである。それにはもう誰も反対できないものとなっていた。
日本テレビを経営しているのは読売新聞でありその社長が、プロ野球の父、テレビ放送の父、原子力発電の父と言われた正力松太郎だったのである。
その構造は天皇を中心として戦争になったと同じだった。そこでもには負けないという神話が作られていたからである。日本は神国であり負けないという神話が作られてそれに反対は誰もできなかったのでありそうして300万人が死んだのである。

報道というのはマスコミになると必ずかたよっているのである。
テレビは一方的だから洗脳メデアになる、何か反論ができない、ただインターネットで多少反論できるうよになったからこうして自分も書いているのである。
テレビで小高の人の言い分を一方的に報道していた、国民年金しかもらえない人がと多いから補償金を持続して払ってもらいたいということを主張していた。
そうなら南相馬市民だって国民年金しかもらえない人が多いのである。
なぜまた小高だけがそんなことを主張できるのかとなる、せめて小高の人に反発する人もいるんですが、、、とか一言でも反論を加えると公平になるがテレビは一方的になるのである。
マスコミもこれから絶えず批判にさらされる時代である。あらゆるものが批判にさらされるというのがインターネット時代というのもそうである。
マスコミでもすべてに通じることはできない、創価に関してはやはり経験者が一番通じているからである。自分は実際に経験したから内部を知っているから書けるのである。
そういうことは他にもある、その当事者が一番知っているのである。
マスコミだけがしきる時代は終わったのである。

創価も天皇のような池田大作が死ねば死んでいるのか分裂しかねない、でも宗教に呪縛されているからなかなか簡単には解体しないだろう。やめると地獄に落ちるとか恐れているひいる人が多いからである。それも会員を保つには有効な手段だから創価は会員が急激に減らない、一方図のように共産党の票は一時急激に減っているのである。
共産党には宗教のしばりがないから増えたり減ったりする度合いが強い、支持するのも党員でないものがその時の情勢によって投票するからそうなる
創価は一定しているのは会員意外からの票がとりにくいからである。でも指示しているのはカルト宗教だからそれがまちがっていてもその数がそんなに変動しないのである。
ただ池田大作が死にカルト宗教の呪縛かなくなと一気に下落してゆく、その兆候はすでにみられるし衰退するだけになっているのが現状である。
タグ:創価と共産

2016年02月15日

白菊と遺影 (過度な供養は先祖崇拝から偶像崇拝になる)


白菊と遺影

(過度な供養は先祖崇拝から偶像崇拝になる)

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白菊の金地に映えて遺影かな

母の亡きあとに遺影の微笑みてなお我が家を見まもりてあれ

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仏様に飾る花としてはやはり赤が交じっているのは良くなかった。
黄色はいいらしい、それは確かである。
一番あっているのは白菊であった。これが一番清楚であっていたのである。

日本では仏教では死者を延々と供養しているのも異常なものとなっている
でも世界的に見ても死者を崇拝する供養するのは普通になる
ほとんど先祖崇拝の宗教が基本にある。それは人間が死ぬとみんな誰でも特別になる。
崇拝の対象になってしまう。それは死者というのが何かわからないからである。
だからそこにどうしても畏れの感情が生れそれは先祖崇拝の宗教となる
モアイ像であれ何であれ古代の像となるとみんな先祖崇拝なのである。

だからこれは仏教とは関係ないものであり先祖崇拝に結びついたものである。
むしろ先祖崇拝を排斥するものとして本来の宗教はあった。
それは釈迦の仏教でもそうであり一神教でもキリスト教でもイスラム教でも先祖崇拝を否定している。それは偶像崇拝になってしまうからである。
宗教で一番怖いのは偶像崇拝なのである。ほとんどの宗教が偶像崇拝になっているからだ人物を神にするもの、仏にするものは偶像崇拝になるから危険なのである。
だから仏教が仏像を礼拝の対象にするときやはり危険になる
それを価値あるものとしても危険がある


人間は死者になると何か過度に死者を祭りあげる傾向がある。それは悪いものではないにしろ月命日だとか仏教では延々と供養をする、こんなに過度に死者を供養するのは先祖崇拝でありそれは仏教にはないことである
ただ死んでも死者を忘れない、死者とつながっていたいとういことは悪いことではない
死者がそれほど尊いものなのかともなる、なぜなら死者がみんなそんなに尊敬に値するものとは限らないだろう。
もしそんなに尊敬するなら生きているとき尊敬するべきだろう
生きている内は老人は死ねとか若い人は毎日ののしっているのに死んだから尊ぶことがあるのか?


ただ嫁いできて嫁が満足しないで恨みを残して死ぬような家は栄えないというのは本当だろう。
そこに介護であれなにか家族の大きな問題がある。母は自分の家でいい待遇をされなかったけど最後はなんとか自分が介護して今は死んでその遺影がほほえんでいるとなると救われる
そういうことは確かにあるから介護とかでも冷たくできないことがむずかしいのである。これはそれぞれの家の事情があり他からわからない問題である


ともかく死者には不思議に菊があっている、「菊の香や奈良には古き仏たちー芭蕉」のように菊があっている。赤い花はあっていないというのは言える



タグ:遺影

2016年02月14日

権利、責任、義務は一体である。 (原発事故で問われた様々な責任)


権利、責任、義務は一体である。

(原発事故で問われた様々な責任)


戦後の民主主義は権利とか平等とかを教えた。だから権利意識が強いのが戦後生れであるそれで団塊の世代は権利ばかりを主張するから嫌われている。
権利と責任き義務は一体化していた。権利を主張するのはいいが同時に権利には責任がともない義務が生じる、これはそれぞれに分離してありえないものだった。


そのことが具体的に現れたのが原発事故にあった浜通りだった。
例えば漁業権というの大きな権利だった。でもそこに責任と義務も一体化してあった。
漁業権とかは海を守る権利であり海に対して責任を課せられていたのである。
ただ自分たちが魚を獲る権利があり他の人は何も言うなということではなかった。
そこには大きな責任が課せられていたのである。
それが原発事故以後問われたのである。

あなたたちは海から魚をとる権利があった。それはいいとしてまた海を守る責任も同時に課せられていたのである。
この海は俺たちの海だ、他のものは黙っていれ、俺たちの自由にできる海だとなったとしたら当然そこには責任と義務が生じる
なぜ原発に東電に政府に漁業権を売り渡したのかとなる
そして事故後も手厚い補償金をもらっている、漁業権は強い権利でありもし反対されると原発は建てられなかったのである。
権利を主張するのはいいけど同時に重い責任と義務が課せられていたのである。


別にそのことはこの辺ではあらゆる所でそうなった。政府や東電の責任も重かった。
なぜ「安全神話」が作られたのか?それはいいとしてそれを言うなら責任をもって言うべきだった。それほど言うならもし事故が起きないというなら事故が起きたのだからその責任は誰がとるのかとなる。それだけの覚悟があって言っていたのかとなる
それはあらゆる方面で指摘されたことである。
科学者は御用学者だとか言われたがそれも責任を問われた。
科学者が本当に原発の危険性を知らせなかった。それはなぜか?
科学者が責任をもって安全だ言うなら責任を果せとなる。
責任の重さを感じていなかったのである。

責任というときあらゆる方面で問われた。マスコミでも公正な報道をしているかというと報道する権利は与えられてもその責任は果たしていなかった。
東電から宣伝費が流れてその危険性を指摘することを怠った。
象徴的なことは朝日新聞まで東電に中国で接待されていたとき事故が起きたのも因縁だった。東電から金が流れてそれでマスコミは接待されていたのである。
そうなれば東電の原発の危険性を指摘したり報道できないのである。
利害関係があると公正な報道はできない、マスコミはテレビ局でも六局とかで独占されていた。それは大きな権利として国から与えられていたのである。
でも宣伝費で報道しているから宣伝費をもらえる会社は批判できないのである。
ここでも権利が与えられても報道の責任が問われたのである。


また地元の人が責任がないのかというとあった。自分たちの町をどうするかというときすでに個々人に権利も与えられているが責任も課せられている。
権利を主張するのはいいが責任も課せられているのだ。
市町村でもその市民であれ町民であれ村民であれ自分たちの住む町や村を守るのはそこに住んでいる住民である。住民の一人一人なのでありそれが民主主義だったのである
権利を主張できるがそれにはまた責任が課せられていたのである。
責任というとき大きく言えば国家への責任がある。日本国家に生れたというとき日本国家に生きる権利が与えられと同時に責任も課せられている
例えば戦争になったときそれがどうであれ決められ以上日本国家のために死んでも責任を果すことを課せられたのである。

個々人の家でも生れたときすでに責任を課せられていたことが今になってわかった。
自分の親も死に自分だけが今や家に残った。そして最後に全部の家の責任が自分に課せられていたことがわかった。
自分は家では良くしてもらったけど最後は家の重い責任を課せられた。
長男とか長女とかはそうなりやすい、天皇家に生れたらいいとか思うけどその責任も重すぎる天皇家などに生れたくないと思う
生れた家によってみんな責任を課せられている。それが運命であり宿命であり逃れられないとなる。

変なのだけど人間は神からこの地を与えられた、だから地球に全生物に責任が課せられているともなる、人間のいいようにしていいと神が言ったとき、全生物に対して責任を課せられていたのである。動物を食べていいが動物に対して責任をもてともなる
動物も神から与えられた命だから貴重なものだから粗末に扱うなとかなる
大地が与えられて実りがあるとしたら大地に責任をもてとかまでなる
漁民とか農民とかはそうして海に大地に森に山に環境に責任をもてとまでなる
海を汚す原発は環境を汚すから作るなとなる。
ただ原発となると世界にあるからそもそもある国の責任ではなく世界的な問題としての責任が課せられている。だから環境となると国際会議で守らねばならなくなる
日本で原発事故が起きれば海が汚染されるから世界まで影響するしそれは国境を越えて影響するからそうなる
人間はそもそも原発とか核をもつべきではないともなる


ともかく人間とは本当に責任を果せるなら何もしてもいいのかもしれない、千人殺しても核兵器をもっても原発でも科学者が責任をもって作らすならいい、ではもしその責任を果せないならどうなるのか?
今回のような原発事故の責任はどうとるのかとなる、その責任をどう果すのか?
除染しても除染しても放射能は消えない、プルトニウムの毒が二万年消えない、その責任はどうとるのかとなる、それはあらゆる方面で原発を作らせた住民にも問われた。
自分たちは責任がないと言ってもそれは別に30キロ圏外だろうが福島県全部でも責任が課せられた。福島県の責任でもあり日本国の責任でもあった。
福島県のことばかり責任が問われるが国でしたことであり国で政策としてしたこととなるとそれは国民が決めたこととなり国民に責任がある。
それは戦争ともにている、国民も責任が課せられて結局300万人も犠牲として責任として死んだのである。だから責任とは恐るべきもの信じられないほど重いのである。
もしそういう責任が課せられたとして戦争するとなるとみんなしなかったろう。
とてもその責任をになえない、怖くてできないとなっていたのではないか?
天皇だってそんな責任を課せられていたとしたら戦争などしなかったろう。
それは原発事故ともにていたのである。

そして日本だけではなくアメリカにも原発事故では責任があった。
マーク1の古い原子炉とか工事するとき電源を地下に置かせたのはアメリカである
それはアメリカでは竜巻があるから地下に置かせた、津波のことは考慮されていなかったのである。だからアメリカにも相当な責任があった。
でもなんら責任は果たしていないのである。
それは東電にしても会長から社長からみんな外国で暮らしていて責任を果たしていない
これだけの事故を起こしても何ら責任を果たしていない
この責任の重さからするとそんなことがあっていいのかとなる、そして何ら検察でも政府でも責任を問わないということもおかしいのである。


つまりもし責任の重さを自覚して覚悟してやるならいい、その自覚と覚悟がないから軽い気持でやるからこういう悲惨な事態になった。社長になりたいという人は多い
でもバス事故を起こして死者を出した会社の社長が謝っていたげとずいぶん旅行会社も重い責任が問われるのだとみた。
金持ちになりたいという人は多い、でも10億円もった人は10億円の責任が課せられる、それを有効に使えないものは責任が問われる
それができるのかというと簡単にはできない、それで50億も稼いだという野球選手が覚醒剤にはまり身を滅ぼした。
湯水のように金を使えてもそれで身をつぶしたとなるのだ。
でも別にそういう重い責任を自覚してはいない、もし自覚していたら事故を起きないように細心の注意を払うだろう、それよりコストだとなり競争に勝つために安くするということで事故になった。
それは原発事故の社長がコストカッターとしてのし上がったということでわかる
コストと安全は対立するものだからそうなる、安全に金をかけるともうからないからそうなる、でも一旦事故が起きたら全部失うということか事故の恐ろしさである。
死んだ命はもどらないということもあまりにも重い責任をだったとなる
事故というのは本当に怖い、例えば石油ストーブでも何かの間違いで火事になるとすべてを失う、二階にいて消し忘れたり外出するとも消し忘れたりすると火事が怖いとなる
それは一回の事故でもすべてを失うという恐怖なのである。
いづれにしろ自分でもそうだが重い責任がみんな課せられていることを自覚しなかったのである。

タグ:権利と責任
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blued flowers


blued flowers (abstract)


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こさらはあざみにもにている


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抽象画も一連のものとなりやすい、変化の芸術だからである。
これも一つのオリジナルから変化させた、変化させたものが自分が作った前のオリジナルのものである。

抽象画は前に作ったものでもまた変化して別なものになるのである。
一番抽象画になりやすいのは万華鏡である。
花はテーマとして作ってきたのでその数も多い 

スコットランドの花のあざみにもにてた
スコットランドをイメージするとあざみなのである。
タグ:青い花
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2016年02月13日

原発避難民の甘い (小高区の避難解除が近づき優遇された過去をふりかえる)


原発避難民の甘い

(小高区の避難解除が近づき原発避難民の優遇された過去をふりかえる)


この辺で小高の人で避難して仮設に入っている人が多い。でも知っている人がその回りの人が何を思っているか全然知らなかったのが意外だった。
それで鹿島区では補償金で不満で裁判を起こしてこともある
小高の人はいたりつくせりで補償されてきた。一人十万ということではない、あらゆる細部まで福祉でも小高は特別扱いであり優先されてきたのである。
全部無料でありそれだけではない何かするにも優先されていたのである。
もちろん避難して町に住めないという被害は大きいものである
では避難して仮設に住んで苦しかったかとなると全然そういうことがなかった。
多少はあったにしても補償金をもらい遊んで暮らしていたのである。
そして外部からはボランティアが何かとかわいそうな人たちとして支援されてきたのである。


だから何か自分たちは特別かわいそうなのだから支援されるべきだ同情されるべきだとなってしまった。
自分たちは弱者だ,弱者は当然保護され支援されるべきだとなりそれが当然だとなってしまった。
それで自分が鹿島区の人の本音を言ったら何か不快な嫌な顔したのである。
その人は鹿島区の議員にも支援されていたから鹿島区の人も同情して支援していると思っていたのである。
確かに表立って原発の避難民を批判しにくいからイワキでは落書きになったり車を傷つけるとかなった。この辺ではそういうことはない、だから余計に何にも感じないとなってしまったのだろう。
そしてずうずうしく国民年金しかもらえない人が多いからもっと長く援助されるべきだとテレビで主張したのである。
そんなこと言ったら国民年金しかもらえない人などいくらでもいる。その不公平は何なのだとなる、そうしたら原発避難民になったらどれだけ得だったとかともなる
それは原発はいいものだったとなってしまうのである。
現実原発避難民ではそう思っている人は少なからずいる
もしもっと苦しんでいたらこれは原発を憎み政府を東電を憎みテロにもなったろうと言われた。
飯館村の人が牛を飼いなくなってテロも辞さないと最初は言っていた。
今は補償金をもらいどういう気持なのかわからない、そのくらいだったら原発に強烈に反対するから政府でももう原発を再稼働できなくなっていたかもしれない、それが補償があまりにも手厚いのでかえって良かったとなれば原発を肯定までするようになる

あと一カ月くらいで避難解除になるからそれで困って不安になっている人もでてきた。
原発避難民は避難してもそれほど困らなかった。かえって遊んでいるのがギャンブルだけしていて心が荒廃したということもある。
何か仕事させてくれということもあった。それは贅沢な悩みだった。
別にそう言っても仕事はしないし仕事でも簡単にはできないだろう。
何か原発避難民が自分たちだけはかわいそうであり支援されるべきだということが当然となってしまったことである。
弱者をいたわらない人は今の世の中では避難される、でもまた弱者が本当に弱者なのかというと疑問になる、多額の補償金をもらって遊んで暮らしている人が弱者なのかとなる
普通だったら個々人が苦しんでいても誰も同情もしない、介護などで苦しんでいる人がいても誰も助けたりしない、そして心中した家族がいたがただそれを冷たく見ている人が語っていた。どうにもならなかったねとか何か冷たく見放して見ていたのである。

自分も震災の前から介護とか自分の病気で苦しんできた。でも一切同情はない、かえって借金している人が病気のとき脅迫してきたり犯罪にあったりさんざんな目にあったのである。
そんなとき津波があり原発事故にあった。その時避難してきた仮設に入った人はいつも外から来る人でも支援されてきたのである。
最初の内はしか、たないにしても三年くらいすぎたら回りのことも感じるべきだったろう回りに何が起きているから全く関心がない、自分たちはかわいそうな人たちであり同情されるべきであり支援されるべきだということしかなかったのである。
周りの人でも苦しんでいる人はいたがそんなこは何にも関係ない
まず自分たちがどれほど被害を受けたかそれが最優先の課題となってしまっていたのである。
でも聞いてみるとかえって楽しい仮設暮らしだったのである。狭い部屋でも隣近所が長屋のようになり親しくなり女性なども何の苦しみもなかったのである。
男性も毎日パチンコ屋通いとかギャンブルでありそんな人たちが何で苦しいのか支援されるべきなのかわからないとなった


この辺では津波で家族を失った人たちもいるしその人たちはまた原発避難民とは違っている。その人たちは原発避難民に対してやはり補償金をもらえるということで不満なのである。
でも自分にしても震災前らかその後も介護だ自分の病気だと苦しんできた、自分には一切同情も支援もなっかのである。ただその弱者となったことで脅迫されたり犯罪にあったのである。火事場泥棒にもあった。避難民も確かに家を荒らされたりはした、でも自分の方がずっとひどい目にあったと思っている、それも今は自分のカルマだとは思っている
そして避難解除になり今になってなんとか働くところがないかとか聞いてくるのも虫がいいとなる
5年間あなたたちは同情され支援され楽しい日々過ごした、遊び暮らせた、もういい加減にしてくれ、またこれからもかわいそうだと同情されつづけ特別待遇されたいのか?
その負荷は南相馬市民とか福島県民とか日本国民にかかる。
補償金をもらったのは避難民が一番でありあとは30キロ圏ないだけどあとは相馬市になると何ももらっていないのである。
中通りでも被害もあったが何の補償もないのである。
だから南相馬市の行政にも問題があった。南相馬市民として共通に補償金でも政府や東電と交渉ひべきだったのである。

せめて南相馬市では福祉だけでも避難民と同じくすべきだった

そのことすら差別されてきたのである。それはわずかな金である、こうして南相馬市の一体感はなくなり心は分断されたのである。
もちろん小高には避難民には避難民の言い分がある。
それなりに菜の花の油を作るとかいろいろ努力している人もいるから一がいには言えない総じてそうなっしまったということである。
それは金のことでもない、自分は別に金には困っていない、福祉などでも差別されたこと公平でないことの不満なのである。
それは明らかに市政の問題であり市長も何にも手を打たないことの不満だったのである。
この後遺症は南相馬市民として一つになり協力しえなくさせたのである。
だから避難解除されたあとでもこれから南相馬市民として小高の人でも一緒に協力しえないことが起きてくる
浪江町とか飯館村の人も入ってきているがその人たちとまた小高の人たちは別である。
それは南相馬市民となっていることにあったのである。同じ南相馬市民なのに差別されるのかとなったからである。 
つまり南相馬市として合併したことは互いに協力しあうということで合併したのにかえって前のように三つに分断されてしまったのである。



タグ:原発避難民
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2016年02月12日

世界同時株安に翻弄されて不安になるのはなぜ? (見通しがたたない、空間的にも時間的にもー紙幣は紙屑になり数字でありゼロになる)


世界同時株安に翻弄されて不安になるのはなぜ?

(見通しがたたない、空間的にも時間的にもー紙幣は紙屑になり数字でありゼロになる)


今日は真っ暗な道を自転車で帰ってきた。そして何かにつまづいたりなれた道でもずいぶんそれてしまった。
でも道は知っているから迷うということはない、自転車は暗いと迷いやすい、それで地元でないと迷ったときあせった。そこが全くどこなのかわからなくなった。
皆目検討もつかなくなることがあった。その時はパニックになる。
でも地元でこうして暗闇でつまづいたりてもあせることがない、なぜならその行く先ははっきりわかっているし必ず帰れるということはわかっているから途中でつまづいてもあせらない、いくら闇がおおっていても安心しているのである。


暗闇でも先の見通しがたっている、行く先がわかっていればあせらない、なぜ人は不安にかられるのか?
もし地元でないと先の見通しが全くつかなくなる、暗闇では余計にそうなる
そうなるとあせるし不安が増大する、パニックになる。
つまり地元では暗闇でもすでに心の中で道筋がはっきり見えているのである。
だからあせらないし急ぐこともないし安心で暗闇の中でも帰って行ける


世界同時株安と株がこれからどのくらい下がるのだろうとか、何か不安になるのは先の見通しがたたないから不安になる、こんなことは今までも良くあることだしまた株は下がったら上がるもんだよと誰も確信して言えないし先の見通しが言えない
それでみんな不安になり世界が不安心理におおわれるのである。
現代のグローバル社会は具体的なものとしてとらえられない世界に生きている
未だに自分の金融資産がどれくらいあるのか具体的にわからない、それはなぜなのかというと数字になっているからわからないのである。
数字だと抽象的であり具体性がないのである。
これまでは現物で経済を計っていたのである。給料も米高で相馬藩だったら六万石であり給料も米高で何石とりの侍とかなっていた。
こういう経済はわかりやすいのである。米で計られ米で一俵とかで計られる経済である。だから蔵に米が俵につめて置いておけば安心だとなる
まさに実物経済だった、それは江戸時代まで金は流通していても基本的には実物経済だったのである

金融というのはグローバル社会では数字で動いている、実物経済ではないのである。
だから世界が数字化して動いているからそこに落とし穴がある。
数字としての紙幣と現実に動いている実物が動いている世界とは違うのである。
世界が数字によって操作される、マネーゲームになる。
もちろん原油安が株安の原因とされる時、原油は世界の経済を動かすマネーである。
それは米と同じである。でもそれがマネー化するとき紙幣となり数字化した世界となる
だから現実の実物の世界として反映した経済ではないのである。
つまり現実の実物経済と金融化したグローバル経済のマネーゲームは違ったものなのである。
江戸時代などは社会がこんなに複雑化していない、実物経済がベースだからわかりやすい社会である。
人間の関係もやりとりもわかりやすいのである。
何かこうした架空化した数字化したマネーゲームのようなことをしているのは本来の経済ではない、経済とは経世済民から来ている、右から左へ巨額の数字化した金を動かすのが本来の経済ではないのである。
アベノミックスとか黒田氏の金融政策でもうまくいかないのは実物の経済と離れたものとして金融があるようになった。それは世界的にそうである。


奇妙なことだが現代のグローバル経済では何億もってようが安心を得られない、なぜならそれはあくまでも金といっても紙であり、数字にすぎないからである。紙だったら紙屑になるし数字は簡単にゼロになるからである
紙幣という金がそれほど信頼される富かというとそうでもない
だから大金持ちでも現代では不安をもっている
金がたまったら土地を買えということはそのことである。
自分の母も戦前に前の夫が事故で死んだとき一生暮らせる補償金をもらった。
でも実際は戦争になりその紙幣は紙屑になったのである。
残ったのはわずかに買った何反かの土地だけだった
原発事故でこの辺では避難区域から移り住んだ人が増えた
その時土地が求められた、補償金で家を建てるにも最初に土地が必要になる
それでこの辺では土地が三倍くらいに高くなったのである。
金はまさに紙屑となり数字はゼロとなる恐怖があるからみんな不安なのである。
これだけ豊でも不安を解消できない、それもまた皮肉な矛盾した現象である。


いづれにしろ人間は暗闇でおおわれるとき見通しがつかないからパニックになる
地震でも津波でも夜起きたらさらに被害者が増えた、そういうとき見通しがたたないから逃げることもできなくなる、津波から避難するときもあの道を行って坂を上って高台に逃れればいいと頭に入っていれば見通しがついていれば助かりやすい
でもそういう見通しがないとパニックになり迷うのである。
釜石で子供が津波から逃れられたのは避難訓練していてどう逃げるか道筋をわかっていたからである。それは自分が自転車で暗闇を帰れるのもその道筋が暗くても頭の中でわかっているからである。見通しがたっているからなのだ。

なぜまた現代はあらゆることで不安が増大するのか?それは情報過多ということもあるしマスコミもまた不安をあおる、週刊誌でも不安をあおる記事を書くと売れる
いいことばかり書いていると人はその記事も読まないのである。
「大きな地震がまもなく来る」と書けばみんな恐怖して読む
「もう百年は大きな地震は来ない、津波も来ない」と書けばあまり読まないのである。
なぜなら百年後となるともうみんな死んでいるからである。


いづれにしろこの世から不安をとりさることはできない、この世の終わり来るというのも真実である。むしろそのことを受け入れて来世を待ち望めばかえって見通しがたって安心だとなる、ジタバタしてもどうしようもない、来世なら天国なら永遠の安心があるが
この世にある限り不安から解放されることはない、それが人間のカルマであり生きることだとなる、実際は安心なのに安心でないとあおりそれで金を手ばなさない、消費しないというのも本当だろう。
今の世の中金がなければ老人を相手にするものもいない、子供すら頼りにならないとなると余計に金をためて使わないとなる
そして確かに人間の寿命は本人にもわからない、すると不測の事態が必ず起きる、その時金がないと困るとなり老人はためて使わないとなる
経済でもグローバル社会は世界的不安におとしいれる、それが怖いのは世界恐慌から戦争になったからである。グローバル経済はグローバルな戦争を引き起こすから怖いのである

こうした人間の不安心理を利用するものもいる、カルト宗教団体などがそうであり人を不安にして壺を買わせたとか商売にしたものもあった。
仏教でも安心立命とかというたとを言うから安心とかは宗教に帰依しないとないかのかもしれない、それはカルト宗教団体でもそうである。莫大な金をもっているからである。
自分もまた株に頼ったりしているからお前もそうじゃないかということもある。
では一体どこに安心があるのかとなる
それは金という紙幣なら確実に紙屑になるということは確率的に今は大きい、数字がゼロとなり全財産を失うことはありうる、では何か安心なのかとなると皮肉というか矛盾だけど自給自足的な生活に安心かあったとも逆説的にはなる
なぜならグローバル経済など関係ない、外から何も入ってこなくても一応生活できるようになっていたからである。
もちろん原発事故で空気も水も森林も汚されたらもう自給自足もなにもない、住めなくなったら何に頼るのかとなるとこの辺では補償金になってしまったのである。
飯館村の人が野菜など作り自給していたが金に頼るようになったら不安になったというのも象徴的だったのである。




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2016年02月11日

green abstract


green abstract

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緑の生物

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緑の日影

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森の中

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密生する葉



これも偶然だけど一つのイメージとして変えて作った。
これは密生している葉のように見えるなとか変化させる
ただ自分のしていることは本当に偶然の結果である。
何がでてくるかわからない、これは葉みたいだとして変化させる

でもなんかいくら変化させてもそれらしいものにならないときがある
その時は嫌になる、二三回でそれらしいものができることもある
だから確率としては決められない、百回変化させてもそれらしいものができないときはできないのである。
その時は実験するのが嫌になる、一つの化学実験と自分のしていることはにているからだ今回は緑をテーマにして葉をテーマにして連作できた。
タグ:green abstract
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世界的株の下落について銀行の部長と話する(短編小説)


世界的株の下落について銀行の部長と話する(短編小説)

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只野は東北のある田舎に住んでいた。只野は最近遺産がそれなりに入った。それでこの頃銀行は利子もつかないので外国の国債とか不動産に投資することにした。
その額はそれなりに大きかったので銀行の人が時々来るようになった。
その銀行は小さい銀行である。若い人が来たときも自分は証券の方で働いていたのですとしきりに言う。
それで勘違いしていたのは証券会社で働いていて銀行に移ってきた人かと思っていた。
「私は証券の方で働いていましたからまかせて下さい」
そういうふうに自信ありげに言う、性格的も押しの強い性格である。
只野が最近の世界的株の下落と原油安で心配になり銀行に聞きに行ったこともあった。
前には日本の株に投資していた、それが七年前くらいでありその時も最初は調子よく配当金が入っていた。その額は少なかった。それでも利子がつかないよりはいいと10万くらい配当金があり喜んでいたのである。
それが急速にリーマンショックになり半分になったのである。
今回もそういう急速な株の下落が起きてまたリーマンショックなのとか不安になった。
それで今日はいつも来る若い人と本店の営業企画部長の人が来て話した。

「カナダも原油安で裏目にでた」
「まあ、石油にもいろいろあるんですよ、一種類じゃないんですよ」
「そういうことをテレビで自分も見ました」
「石油は今下がっていますがとてもつづかないですよ、サウジアラビアなどはもうもちませんから、政情不安定になり政権も危なくなりますからまた石油は上がってきますよ」
「そういうことを解説している人がいます、また上がってくると、、、、」
「もう少し様子を見ていて下さい」
「みんな不安になっています、どうなるんですか」
こんなことを話した。

只野は原油はいつも高い、安心する投資だと思っていた。それがこんなに原油安となることが意外だった。そしてカナダが原油が世界で4番目にとれていることも知らなかった。
原油は世界で結構とれている、これだけ原油安になるとロシアから中東から南米でも経済が苦しくなり政情不安になる。
原油だけではない世界が政情不安になる
「ヨーロッパも危ないです、あそこはまとまらずEUが分裂するでしょう」
もともとまとまらない、歴史的にもそうでしょう」
「ペルギー人とあったけど盛んに俺はベルギー人だと主張していましたがあんな小国でもそういうことがあるからまとめるのは容易ではないでしょう」
ヨーロッパは日本のように城が多いから日本と似ていると只野はヨーロッパを旅して思った。日本の封建時代とにていると思った。
それから中国の話になった。

「中国では車が2500万台走っているんですよ、だからガソリンを消費するんですよ」
「そうですね、中国は今は北京など日本より物価が高いでしょう、時代が変わったもんです」
「中国の消費量も下がったもの一時的でしょう」
「東南アジアに行くとベトナムでもカンボジアなどはまだ車は普及していない、足はバイクです、道路一杯をホンダのスーパー株が走っていました、面白いのはカンボジアでは
中国人がカンボジア人にバイクを貸して営業させていました、ともかくカンボジアはやすいですから日本円でももっていけば事業起こせると思った。
バイクを買って貸せばいいからです、そんなことを考えたのもあまりにもまだ日本円との差が大きすぎるからですよ」
「東南アジアはこれから車が普及してゆくでしょう、常に世界は変わっていますから」
「そうですね、中国も十年たってあんなに変わってしまいましたから」
「東南アジアというとベトナムはフランスだったか」
「ベトナムでは漢字を使っていたんですよ、それからカンボジアのアンコールワットの壁画には中国人の兵隊とかタイの人も浮き彫りとして残っています,あの辺は昔から中国とかタイとかベトナムでもせめぎ合いがあったんです」

只野が田舎町に住んで世界情勢など直接語る人がいなかったのでその銀行の営業部長とかの人とと話して多少興奮した。
只野が世界旅行したのは50才からでありそれでも世界を20カ国くらい旅したのでそれなりに詳しくなった。それまでは本を読んで世界を知ろうとしていたのだがそれが失敗だったその時は日本が海外旅行ブームであり熱気となっていた。
なぜならその時の円は80ドルとかであり高かったから円の価値があったからである。
今は120円とかなったとき高いから海外旅行をもしにくいのである。
かえって中国人とかの爆買になり日本の風俗にも中国人が来ているというから逆になったのである。カホボジアでは5ドルで買っているとか信じられない安さでありそこに日本人やヨーロッパ人がたむろしていた。なにか自分は嫌だったが報いとして今度は日本人はそういう立場になるのもカルマだと思った。
そもそも中国に新幹線ができたということ自体時代が変わった。只野が行ったときは汽車で流民化した出稼ぎ労働者が家畜のように積み込まれて都市部に移動していたのである。車掌が笞で乗客をはたいていたというからまさに家畜だったのである。
それからたちまち十年以上たつと中国も変わってしまったのである。

ともかく只野にとって銀行は遺産がおりたときからかかわることになった。
そして株をするようになってからもかかわるようになった。
ただ株といっても不動産とか配当金目当てであり只野は年金をもらえないので月に配当金をいくらかもえればいいと銀行を通して投資したのである。
でも銀行が今や利子もつかない、マイナス金利にもなり一体銀行は何なのだろうと疑問に思った。営業部長といってもその人が証券会社の人と錯覚していたり銀行自体証券会社の支店化しているのかとも思った。
そもそも銀行自体がフインテックとかIT化されたり利子もつかないことや投資先がないとか経済の停滞でもうけることができない、銀行自体が消滅するのではないかということも言われる時代である。

つまり銀行の役割が消失しつつあるのではないかということである。
そもそも銀行がなにかということもわかりにくいがこれは江戸時代にはなく明治になって資本主義が導入されて不可欠なものとしてできたのである。
二宮尊徳が資本主義を江戸時代にはじめた先覚者だと言われる
資本を金をためてその元手で資金で生産を増加させたものとして評価されている
その時銀行はなくても資金を集めためて活かしたのだから銀行のはじまりのようなものだったのかもしれない。
そしてある本を只野は読んで銀行に貯金することは投資することでもあると書いてあるのを読んだ。なぜなら銀行とは金を集めてその金を貸してもうけて利子として配分するから株式会社と同じだということを知ったからである。
銀行が貸ししてもうけることができなくなれば利子も配当できなくなれば存在価値がなくなる、それで証券会社の下請けのようになってしまっていると思うのも当然である。
只野はともかく金がやはり現実に増えたり減ったりするから株がどうして上がったり下がったりするのに関心が向く、それが世界情勢とも関係しているから世界が身近に感じられるということもあった。
それは学問としてではなく現実の金がかかわっているから余計にそうなった。

銀行というとき大金をあづける人でも会社でも組織でも団体でもそれで銀行が経営できるのだからその金を積んでくれる会社でも組織でもその経営まで参加するようになるだろうそういう大口の貯金が引き上げられたら経営すら成り立たなくる
それである巨大な宗教団体ではその経営者のようにもなり銀行を支配するとまでなる
そういうふうに金の力はあるゆるところで左右する、マスコミにもそうした金が流れ支配されるから公平な報道などない、ドルが世界で一番強いというとき世界が金を通じてアメリカに支配されているということである。
エジプトの果てでロバに乗った少年がワンドーラくれというのもそうである。
アフリカの果てまで通じる金はドルなのである。
アメリカに逆らうものは今中国あれ世界でロシアであれ南米であれ石油安によってもつぶされるというのもなおアメリカが世界を支配しているからだともなる
その営業部長は終身保険としてオートラリアをすすめてきた。
「オーストラリアはこれは一番安全な商品です」
「こんなときオーストラリアがいいでんすか、石油安ですよ」
「石油はこれから上がりますよ」
「なにか、みんな不安でしょう」
「これは一時的なもんですよ」
只野は家族に従軍看護婦として今のシンガポールの対岸のマレーシアのジョホールバルという所のイギリスの赤十字病院に四年間いたのでそこに行きたいと思っていた。
オーストラリアにも行っていないのでそこを回って行ってみたいと言った。
只野はもう家族の介護でここ十年はどこにも行っていない、旅をしていなかったのであるただ年も年だから何か旅するのも海外旅行するとなると億劫になってしまった。
海外旅行ではひどい目にあっているので余計に今行くとなると嫌になっていた。
でもやはり家族に千回も聞いた話の場所には直接行ってみたいと思っていたのである。




あとがき


小説は苦手でありドキュメントとしてプログに書いてきた。プログはそれぞれの個人のドキュメントとしてニュースとして新しいジャーナルとなった。
マスコミで報道することだけがニュースでもない、個々人がニュースになった時代である例えば家族にとって家族の死であればこれは一番のニュースになる
だから母の死などをプログで書いたときそれも実際はニュースなのである。
ただ読む人の数がマスコミからすると極端に少ないし注目されないというだけである。
でも新聞で毎日死んだ人がのっているがその人がどういう人だったかはほとんどわからない、そうなると郷土の人でも何もわからない、ただ死んだという報告だけなのである。
それでは一人の人が郷土で生きて死んだということの意味とか価値もわからないのであるそれは郷土史としてとりあげることもできないのである。


郷土史というとき過去だけではない、今生きていることも郷土史でありというより郷土学になる。銀行でもやはり郷土として関係してくる、あらゆるものが関係してくるのが郷土学となる、郷土学とはトータルに社会をみるということであり意味を探求して価値づけるものである。
だからその範囲は自然も含めて広範囲になる、とても一人ではできるものではないのである。
自分は大学は経済学部であってもほとんど勉強していないし大学でもやっと入ったのであり三流であり遊んでいただけだった。
だから基礎的なものがわかっていない、それでも経験をつむとそれなりにわかるものがある、ただ現代は本当にグローバル社会になるとき70になろうが一生かかってもわからないことが多すぎるのである。
銀行とは何かとなったらこれもわからない、銀行に貯金するこきと投資することだよというのもそうなのかとなる、銀行には貯金して利子をもらうものだとばかり思っていたからである。現実にマイナス金利になったら株と同じとなった。
銀行でももうけられないとなると株のように低下してマイナスになってしまうのである。

いづれにしろこの十年間で経験したことをプログに書いてきたがこれは分厚い小説になるその能力が不足しているがやはり小説になるとすると特別の経験をしたときなると思った平凡な生活をしていれば小説にもならない、戦争など経験した人は小説を書けると思った能力が不足しているがそうなる
そして今プログにはそうしたネタが無数にある。もし小説家が読んでいたら小説のネタにはことかかないとなるだろう。

タグ:銀行の話
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2016年02月10日

蠟梅の詩(百歳で死んだ母を偲ぶ部屋ー介護も死ねば思い出となる)


蠟梅の詩(百歳で死んだ母を偲ぶ部屋ー介護も死ねば思い出となる)


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大輪の百合の目立ちて祭壇に見しもその後添えにし花も見る



去年はいたく寒く
蠟梅すらもその枝の
大雪に折れていたいたし
二三輪ほど咲きしのみ
今年はあまた咲いている
この部屋に我は母を介護しぬ
母は介護されてもこの部屋に
懸命に最期を百歳を生きぬく
母が死んだ今この部屋は虚しも
蠟梅がこの部屋に映える
そして我はここを百歳の間と名づく
母の労苦の一生はここで終えぬ
死してもここに母のなおいるごとし
母に母の部屋のなしも悲しむ
ここに介護の時に部屋をもつ
我が家の悲しき物語
それぞれの家の悲しき物語
家には死してなおも人がいる
今は憎しみも争いも終わりぬ
我が家に残るは我が一人
ただ在りし日を偲びつこの部屋にいる
今また北風がこの家に唸る
立春は過ぎてもまだまだ冬である

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家は何か女性の場合嫁とあるごとく家と一体化している。我が家は何か普通の家ではなかった。だから複雑である、自分にとってはいいものだったが母にとっては自分の家はいいとは言えないものだった。
母は自分の部屋をもっていなかった。いろいろ不遇でありそのことを自分は思っていた。母が最期に部屋をもったのは介護されるときだったのである。
この一部屋が母を自分が介護した時母の部屋になった。
自分はずっと母に対しては悪いと思っていたがどうにもならなかった。
母は自分の家に嫁ぐ前も不遇だった。一生が不遇だったのである。
ただ最期は自分の部屋をもち自分が介護したから不遇とは言えなかったろう
母は喜んでいたからである。

そして母はこの部屋で介護されるときも懸命に生きた、頑張り屋だった。
最期までベッドの脇のポータブルトイレに自力で行っていた。
オムツもせずに水しか飲まなくなり一週間もそうだったがポータブルトイレに行っていた食べるときも自力で食べていて自分が食べされることもなかった。
それで実際は自分にとって楽な介護だったのである。
病院に入院してオムツとか管で小便をとるとき凄くいやがっていたことでもわかる
オムツとかなるとその衝撃が大きいのである。
母はやせていてともかく頑張り屋だった。
でも母は何か世間にうといからこの家を一人で切り盛りはできなかった。
姉がいてこの家は成り立っていたのである。

それぞれの家にはなにかみんな複雑な事情があるからわかりにくいのだ。
母は前の夫も事故で死んだとかいろいろ不遇だったのである。
そういう人が大正生れとか戦前とかなると多いのである。
そしてつくづく病院という場はそうした家の事情とか関係なく無機質な空間であり
それぞれの人に対する思いがない場所である。
だからそこは長居する場所ではない、その人の特に女性の場合、家に一生があるとすると家で介護されて死ぬのがふさわしいとなる、そしてそこには死んだ後も思い出として残る場所なのである。


だから病院とか介護施設は本当は介護されるにも病院でも看取りとなるとふさわしい場所ではない、医者とか看護師とか介護士は家族とは違うからである。
体をみてもこのようにその人間そのものが生きたというその一生をみれないからである。なぜ死んだ後にもこの部屋が「百歳の間」として名付けてなおその人が生き続けるようなことはありえない、病院ではなんかもののように死ぬとかたづけられるだけである。
そこにはもう誰がいたかもわからない、ただ一人が消えてその名も覚えている人がいないだろう。
そこが病院とか介護施設と家との大きな差だった。
人間は死んでもそれで終わるわけではない、その人はその生きた家になお生きつづけているのだ。病院とか施設ではそういうたとはないのである。


もちろん介護になると認知症とかなると介護自体が嫌な思い出となる、てもやはり人は特に女性の場合は家と切り離されずにある。
それで家で介護されたい家で死にたいとなるのが情である。
ただそれに対処するのは家族が少ないから本当にむずかしい
自分がなんとかやれたのは母が介護を楽にしてくれたからだと思った。
脳出血とかなり三食食べされるようになったら本当になにもできなくなった。
それが常に自分はおそれていたのである。
とにかく人間の一生というのは死んでみないとまたわからないとも思った。
死んでからまたその人をふりかえり深く思うことがある
生きている内はそういうことが見えないことも多いのである。
嫌だ、嫌だと思っていてもそれがなつかしくなったりするのが人間なのである。
だから介護も嫌なのだかふりかえるとなつかしくさえなるということもありうるのも不思議である。
それは重荷から解放されたからそうなっているのかもしれない、それは介護だけではない、人間は苦しいことでもふりかえるとなつかしくなったりするからである。
憎しみ合い争っていてもそれすら死んでしまったりするとなつかしくなったりする
それは兄弟で昔喧嘩したことがなつかしくなったりするのと同じなのである。
人間死んだらなぜそんなに争ったのかとみんななるからである。


つまり人間は今は介護というのがその一生の間で経験する、次ぎに看取りがありその後に死者を偲ぶ場として家がある。
人間はそうして死んだからその生がそれで切断されないのである。
でも病院とか施設では死んだら切断されて何も残らないのである。
偲ぶ人もいないのである。そこはただ一時的に体をみる場所なのである。
だから人間的な場所ではないのである。
でも現代は在宅介護とかするのは本当にむずかしいからそうなった。
ただそこには人間として最期を迎えるのにはふさわしくないのである。

大きな百合の花を最初は目立つから見ていた、次ぎにしばらくたつと添えて咲く花をみるつまり人間は最初は主役をみているが脇役も長い間みていると花でも見るようになる
母はずっと脇役でありそういう性格だった。目立たない花だったのである。
でも長い間見ていると脇役も注目される、一瞬見た時はどうしても主役の大きな花に目がむくがやがて脇役の小さな添えて咲く花も見るようになるのである。



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2016年02月09日

電動自転車でも軽量化を目指しているが限界がある (科学技術には限界をあること提示すべきー原発事故も起きたのもそのため)



電動自転車でも軽量化を目指しているが限界がある

(科学技術には限界をあること提示すべきー原発事故も起きたのもそのため)


技術が何を追及して目指しているか?それは別に理系でなくても文系でもわかるものがある
小型化であり軽量化である。それはあらゆる分野で追及されてきた。
パソコンでも最終的ははスマホとかにまで小型化され軽量化された
軽量化することは何か技術でもわかりやすいのだ。原子力などはわからないがこうした日常使用するものはわかりやすい、その一つに自転車もあった。
チタンとか他にも軽量化して早くしている。
最近ヤマハから新製品として出たヤマハのYPJ-Rはロードであり電動自転車で15キロしか重さがないのに驚く、今までは20キロが限度だからである。
それより5キロも軽量化しているのである。その代わりバッテリーが2、5Aというのは少なすぎる
これで電動自転車なのかという疑問があり坂を上れるのかという疑問があり買うのを躊躇する


ヤマハのPAS Brace XLは23、5キロであり重い、これに乗ったけど戦車のように頑丈である、これはマウテンバイクだった。
悪路を馬力があるからどこまでも上った、本当にこれは電動自転車のマウテンバイクだった。電動自転車で馬力があるから悪路でも使える、これを人力だととても乗れない、どんりて悪路でも馬力があるから乗れる
そしてこの電動自転車はずっしりと重く安定しているけど軽快な乗り心地がない
だから電動自転車のマウテンバイクであり普通の道だとまるで軽快さがなく嫌になった
つくづく自転車は百台あると百台が乗り心地が違うことが不思議なのである。


電動自転車は技術的には軽量化を志向せざるをえなくなりヤマハのYPJ-Rが生れた。
これは見た感じもロードであり乗っても軽快だろう。
でも2、5Aではこれが電動自転車なのだろうか?平地がいいとして長い坂を上ったらバッテリーがきれるしこれは付属的にパッテリーをつけただけではないか?
長距離だと12Aは必要になるからである、予備必要になってくる。
だからこれはロードでありかえってバッテリーなしで走れるものとして作ったとすると電動自転車の意味がなくなる
だから買うことを躊躇するし高い、25万とかは本当に高い、自転車好きならこのくらいは出すかもしれないがこれを買ってもロードとして利用するようになくかもしれない
ロードで8キロの買ったのはいいがあまりにもタイヤが細いとかで危険を感じた
もう少し頑丈でないと危険であるが見た限りではヤマハのYPJ-Rは頑丈そうである。


何か技術改良では軽量化が問題になる、どこまで軽量化できるかが課題である。
電動自転車もそういう軽量化を目指すようになったのだが何か技術の限界が来ているのか?バッテリーを軽量化しても2、5Aは少なすぎる、だからこれが電動自転車なのかという疑問がでる
結局技術開発でも軽量化でも限界がくるのだろう。飛行機でも軽量化が課題で素材で軽くするのだがどこかで限界が来る
要する技術は苦手でも軽量化することが目的とするのはわかりやすいとなる
技術は常に科学はバラ色の未来を提示してきた。
それは科学技術改革に限界がないということで信仰にまでなってきた。
でも技術でも科学でもどうしても限界がある、そして限界を提示すべきではないか?
なぜなら不老長寿とか癌は直るとか何かそういうことが先行してそれを大衆も信じるからである。
stap細胞というのもそうだった、そんなものができるのかとその時自分も科学にうとく信じたのである。日本も凄いなとその時喜んだのである。
それは実際はできないものだったのである。
そこにも科学の限界があった。


だから科学者は技術者はその限界を提示することこそが役目だともなる
科学技術に限界はないとするとき原子力にも限界がない、事故は科学技術が未熟だから起きたのであり将来は原発は事故を起こせないようにできるとなる
今でもそういうことを科学者も大衆も信じている
科学技術には限界がありその限界を提示することも科学者の役目であるがそういうことをしない、またそれは経済でも言える、経済は無限に発展する、成長するという資本主義の思想にも限界があるということを提示しにくいのである。
そういう限界論を言うと反発される、どこまでも発展成長するというのが大衆にも受けるそれをまた大衆も望む、でもそういうことをしないとどうなるのか?
地球の環境は破壊されるし資本主義もまた恐慌が襲い世界が大混乱になる
第二次世界大戦も何かそうした経済的恐慌がありドイツでは失業者があふれ戦争に突入したと言われる


人間には何か限界がある、経済成長でも抑えるべきだというのは受けない、無限に発展成長してゆくのだという幻想に人間は憑かれているのである。
それは天まで届くバベルの塔を建てる、そして一挙に神の怒りによって崩壊するのであるそれが原発事故でもあったのだ。
資本主義は限界が来て崩壊する、科学技術も原発事故のように技術の限界があり大事故になり崩壊する、人間の成すことには限界があるということを認識させるのも科学者の勤めである。
原発はそういう科学者でもわかっていて操作していないからこそ起きたのである。
そして火を盗んだプロメテウスのように過酷な罰を受けた。
イカロスのように急降下して墜落した。やはり神の怒りがそこにあった
それはプロトニウムの毒がこの辺で二万年も消えないという過酷な罰だったのである。

タグ:技術の限界
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2016年02月08日

春の蝶(抽象画)



春の蝶(抽象画)

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芽吹き
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春野


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抽象画でもやはり具象画がベースにある
これは蝶のようだと思い蝶にしあげる
これは意図的に具象画的にしたのである。

抽象画は何か作るのに疲れることがある
何度もソフトを操作することで疲れる
それで嫌になることがある

それでもしているのはなにかしら創作的なところがあるからである
花とか蝶はテーマとして作ってきた。
そういうものをまとめる時期にきている
タグ:春お蝶
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老人は金があっても消費する力がない (消費は今は生産的なものになっている)


老人は金があっても消費する力がない

(消費は今は生産的なものになっている)


老人が金を持っていても使わないから不景気になるとか良く言われる。アイナス金利政策も貯金しても金利がマイナスになったりするからなんとか金を使わせよう、投資させようとする政策なのだろう。
ではなぜ老人は金を使わないのか?そもそも老人は何に金を使うのかとなる
自分も老人の一人だとすると最近買ったものが有効に使えないのである。
自転車からビデオで撮ろうとして最小のビデオカメラを買った。これも前していたから今度はいいカメラでしようとした。
でもビデオカメラ自体使いこなすのがめんどうなのである。
二十年から三十年前にも自分はいち早くビデオカメラを使っていた
それは今と違ってもつだけ重いものでありデジタルではなかった。
これもとってみたがビデオカメラは使いにくい、編集にしてもあまりにもめんどうなのでやめた
人間は買っても使えないのが結構多いのである。特に老人になると道具を買っても使えこなせないのが多くなってくる。

自転車のロードなどはもどんなものかと試しに買ったがたいして乗らずに終わった。
自転車旅行とかをはじめたのは40代であり遅かったこともある。
それまでは鉄道の旅だったのである。それから海外旅行は50代でありそれも遅かった。
そんなことをしているうちに時間は過ぎて今の年になった。
人間は何かをする時間がつくづく限られていてないことを痛切に感じた。
遊ぶ時間すら限られていて意外とできない、まずビデオの動画の編集など相当に時間を食う手間のかかるものだから使えこなすことは若いときでも大変な労力が必要になる


老人が消費しないというとき消費できないのである。消費というときただ消費するのではない、ビデオカメラを買ったらそれを使いこなすとなるとそれ自体もう消費ではない、遊びでも生産的消費なのである。パソコンを使いこなすこともそうである。
こういうのはもう消費とは言えない、生産的消費となっているのが現代である。
ただ金を使って浪費しているだけではないかとはならない、そうしたものビデオカメラでも自転車でもすでに使いこなすこと自体が生産的消費となっているのが現代である。
フラワーアレンジメントをするにもこれも手間であり確かに花を買うと高いがそれを利用して使いこなすことがまたむずかしいのである。
常に消費は生産的消費、創造的消費と結びついている。


旅でもこれも消費だけではない、旅は見聞を広めることであり多様な自然や文化にふれることである。だから実際は相当に集中しないと旅でもあとで何も残らないだろう。
旅もふりかえればそれなりに労力が必要であり生産的消費になる
現代は遊ぶこと自体が一つの生産的消費でありそれなりに手間と労力がかかるものであるだから旅すら年取るとめんどうになりしたくなくなるのである。
もちろん厚い本なども読めなくなる。意外は本がこんなに読めないものかと驚く
本は確かに山積みになっているがどれだけその内容を読んだかとなるわずかになってしまう。
つくづく人間のやれることは本当に限られている、そのうち時間切れで終わるのである。これしかできなかったのかとふりかえり終わる


老人は金があってもその金も使いきれない、それを何に使うのか?孫にその遺産を残して使わせるとかなってしまう。
そして最近の世界経済を見ると世界的になぜこんなに経済が低迷してきたのか?
なぜ原油安になっているのか?そもそも原油安ということはありえないことだった。
資本主義は今資金も膨大に余っている、原油も余っている。その使い道がないということで老人ともにている。
余った金がどこに流れるのか、中国のような巨大な発展する国もないからますます金もあまり石油もあまってくるのである。


だから現代の資本主義がもう発展する国もないから投資する国もないから停滞してくる。何か大きなもうけをだす国もないし発明もないのだろう。
何か飽和状態になりゆきづまっている。資本主義を維持するものがなくなってきている。そうなるとどうなるのか?資本主義は社会主義的要素が強くなるかもしれない、格差が大きいというとき全体の経済発展でもグローバル的にも無理がきているというとき金をどこに回せばいいかといったらそれは格差解消となると金のない貧乏人に回せとなる
それは福祉的政策でありそれも批判されてきて民主党では経済発展できない、不景気になるとして経団連の指示する自民党に変わりアベノミックスで株価をあげたのである。
それもゆきづまっているのは世界経済の影響がある。
世界全体が経済成長する資本主義が限界にきているからそうなる
全体の成長を先にしてそさから下々に金が回すというやり方がうまくいかなくなっている銀行だって有望な成長する投資先がないからこそ金をもっていても有効に働かないのである。

そして老人が金をもっているというときなぜ使わないかとなると生産的消費する力がないことと老後が長くなっているから将来の不安のために貯蓄していて使わないのである。
老後というときあと十年くらいで終わりだなとなれば意外と金の見通しがつく、これがあと二十年もつづき自分のように国民年金だとすると金が確実になくなり下流老人化するという恐怖になるから金を使わずに貯金するようになる
老人が金が使うのは結局病気と介護に最期は使いなくなる。
なぜこんなに薬屋が多いのか?この辺でも病院が街の中心でありその回りに薬局をとりまいているのである。
つまりそれだけ老人が医療に金を使い国でも使うからそうなっている
何か社会が歪(いびつ)になっているのである。


介護はそれなりに意味があっても生産的ではない、子供だったら若い人だったら健康な人だったら料理して出したらみんな食べるけど介護される人はうまそうにも食べない、いやいやながらやっと食べている、そういうものを見ていると料理する方もやりがいがないのである。うまいうまいと食べてくれればやりがいもあるがそれもないのである。
もう老人は介護状態になったら食べ物すら消費できないのである。
でも別に介護状態にならないなら何か自分は旅しないから最近いろんなレストランに回って食べている。
この辺ではいろいろないにしろそれなりに味も違い雰囲気も違う。
この辺ではレストランなどは外部の人が多いから結構繁盛している
老人でも意外とこうした料理には金を払う人が多いかもしれない、食べる楽しみが意外と介護状態にならない限りかえって金をかけることがある
病気とかにならないためにも料理が大事になってくる。すると食べ物に気をつけるうよになる、特に野菜はなるべく肉類などより食べるようにしているのが老人なのである。



タグ:老人の消費
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2016年02月07日

南相馬市で朝に地震を感じた (震度⒈にもならなっかのかー小さい地震も連続すると危険)


南相馬市で朝に地震を感じた

(震度⒈にもならなっかのかー小さい地震も連続すると危険)


平成28年02月07日19時30分 7日19時27分頃茨城県南部M4.6震度4
平成28年02月07日11時42分 7日11時38分頃宮城県沖M4.0震度1
平成28年02月07日10時17分 7日10時11分頃茨城県北部M3.9震度1
平成28年02月07日10時13分 7日10時09分頃茨城県北部M4.3震度4
平成28年02月07日01時51分 7日01時46分頃父島近海M4.2震度1

朝にかすかな地震を感じた、何時ころだったか?朝の10時か11時か、10時だと茨城県北部の地震が影響したのか?
この辺ではあまり感じなかったろう。たまたまゆっくり座っていて二階で感じた。
自分の二階は一階よりゆれを感じやすいからだ。

今日は日本で四回地震が起きている。19時30分のゆれは実感では相当ゆれて怖かったらしい、直下型地震だから余計に怖かったらしい、その感想を2chで読んだ
なんか気象庁の震度4としてもそれぞれ感じ方は一様ではない
今回は直下型で震度4でも怖いとみんな感じて書いている
関東大震災級の地震が来るとも騒いでいる


要するに大きな地震でも必ず前触れがある、それがあとになってわかる
大きな地震が来てその前触れがわかる
3、11の津波の地震でも頻繁に小刻みに地震が頻発していたのである。
ただ実際は津波が来てからそのことを分析していたのである。


南相馬市辺りでは今朝の地震を感じた人はまれではないか?
その地震が夜の震度4の地震につながっていたのだ
つまり朝のかすかなわずかの揺れの地震が大きな地震の前触れだったのだ

なんか地震がつづいているから関東では東京では不安になっている
やっぱり地震でも前触れがあるからそれを見逃すわけにはいかない
震度1でも大きな地震の前触れのことがあるかもしれない
大地震でも5年後くらいにまた大きな地震があったことが記録されている
そろそろまた大きな地震が来るのか?
それはどうしても関東地方であり東京に来るのか?
やはり注意すべきときが来ているのか?
小さな地震でも連続するときは注意すべきだろう。

タグ:茨城地震
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冬の川子の高台(詩) (太平洋が見えるビューポイント)


冬の川子の高台(詩)

(太平洋が見えるビューポイント)

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冬の川子の高台


長々と寒雲の垂れ
太平洋の沖に一艘の船
川子の高台より見ゆ
なお津波の跡の生々し
その傷痕深く悲しみ癒えず
寥々としてなお残る樹
津波は塩崎の船着までも来たらむ
そは古代の港なりと、、、
万葉の歌にも知られし港と、、、
その時ここは入江にて船の来たりしと
津波は証しぬ古代はここは海なりと
川子の高台の墓地
北風鳴りて冬の陽は
阿武隈の山脈に没りて静まりぬ


川子の高台の道は良く自転車でゆく、電動自転車だから坂を上りやすい
あそこは歩いて上るほかない急坂だからである。
そこから海が見える、見晴らしがいいからビューポイントである。
意外と地元の人でないとビューポイントはわからない
旅をしても観光地でもわからない、あそこには墓地があり山を向いている

そして塩崎がありあの鉄道のトンネルをくぐって船着というところの近くまで津波が来たことには驚いた。船着とは古代に船が来たとして地名化した。
あんなに奥に船が来たというのも謎になる
それで万葉集の陸奥の真野の草原(かやはら)の草原は萱ではなく港の名前だという説を出したのが自分だった

陸奥(みちのく)の真野(まの)の草原(かやはら)遠けども面影(おもかげ)にして見ゆといふものを 笠女郎

陸奥の真野の草原遠けれど、、、となっていても草原を面影に見るということがありうるのか?それをインターネットで解説した。


ともかくまだ津波の傷跡は生々しく五年過ぎても癒されない、十年たってようやく多少癒されるのか?神戸では二十年たっても以前としてその傷をひきづっている
それだけの大災害だったということである。

川子の高台は森になっているがあそこもダンプがひっきりなしに通るようになったので森の静寂が消えた。この辺はいつまで工事がつづくのかわからない
津波の跡もそのままであり復興というのはない、毎日除染でありダンプがひっきりなしに通るから嫌なのである。

あの高台からはいつも太平洋を行く船が一艘見える、太平洋フェリーの船である。
あれには何回も乗ったからなつかしい、六号線でも太平洋フェリーのトラックが来ていた。
何か荷物を運び太平洋フェリーで運ぶのだろう。
あれは名古屋行きであり名古屋にも何度か行った。
北海道の苫小牧には十回くらい行っているのである。
それも介護になり十年以上は行っていない、今になると介護も終わりどこにでも行ける
でもなんか旅も億劫になってしまった。
何か人が混むところに行きたくない、ただ富士山だけは見たいなと思っているから
近々常磐高速道路をバスで東京まで行き新幹線で静岡まで行ってみたいとは思っている


タグ:川子の高台

2016年02月06日

原発で潤った町の所得をみる (までいな村を志向した飯館村がこれからの指針となる)


原発で潤った町の所得をみる

(までいな村を志向した飯館村がこれからの指針となる)



福島県内市町村一人当たり家計所得(2000年) 

原発城下町 
大熊町 342万円 
富岡町 336万円 
双葉町 326万円 

城下町とは呼べない周辺地域 
浪江町 288万円
小高町 271万円(
飯館村 225万円 ←城下町より約100万円低い! 

県の中枢都市 
福島市 323万円(備考:県庁所在地ゆえに優良企業多し)  
郡山市 312万円(備考:別名「経済県都」) 
いわき 297万円(備考:東北第一の工業都市)    



原発の影響が明確に数字的に現れている。浪江町はやはり一段落ちている。
それから小高町はそれなりに恩恵があったのか?
はっきりしているのは飯館村は原発の恩恵を全く受けていなかったのである。
飯館村は第一原発からは遠いから働きにも行けないだろう
その点大内村は原発が見える地点にあり三分の一が原発で働いていたから恩恵があった。辺鄙な村でもそれなりに収入があったのかとなる
飯館村は原発の恩恵を受けてなかったしまでいな村として村作りをしていたのである。
だから今回の一番の被害者は飯館村だったともなる
補償金問題を別にすればそうなる、原発の恩恵は何ら受けていなかったからである。


そもそも原発とともに発展しようとする標語をかかげていた双葉町とはまでいな村という標語をかかげていたのとは正反対であった。飯館牛の村でもあったが飯館村は昔のように農林業中心の村だったともなる
飯館村には街があってもあそこにはスーパーでも昔の万屋みたいで小さいし品物が少ない今の生活ではあれではたりないから車で川俣とか原町に買い物に来ているだろう。
それから歯医者もパチンコ屋もない、小さな診療所はある。
今の時代にこういう村に住むのは嫌だろう。自分の町はそれからするとスーパーでも一軒あるしそれなりのものがある。
ただ隣が市になっているから車で近いから不便とはなっていないのだ。

なかなか遠くなると地理がわかりにくい、飯館村は浜通りでも阿武隈高原地帯にあり隔絶されている。飯館村とか丸森は江戸時代は森林資源が豊富でありそれでどちらにも木材をめぐって争いがあったように資源があった村である。
そもそも森林はもともと相当な資源でありその資源をめぐって入会権で村と村が対立してそれに加担して戦国時代の戦争に発展したという見方もある
それだけ森林資源は当時は大事なものだった。なぜなら木材は建築だけではない、炭の燃料となっていたからである。石油と同じ働きをしていたのである。
それは戦後まもなくも十年くらいは全国に森林鉄道が網の目のようにめぐらされて木材や石などを積み出していたのである。
戦国時代から江戸時代の延長として戦後十年くらいまで同じだったのである。
地方は東京へとかの資源を供給するものとして栄えたのである。
常磐炭鉱も石炭を積み出すために常磐線がしかれたのである。
そういう経済は地方が自立していて地方は地方でその財源をまかなうことができた。
そういう時代は東京の人に限界集落は無駄だとか地方は東京から税金をむしりとって暮らしているとか言われないですんだのである。

村の財源の70%以上が地方交付税等の外部からのものだ。 
村長、村議会議員、村役場職員の給与以外にも、 
村内の特別養護老人ホームの運営費→従業員の給与 
公共工事→村内の土建業者 

村の財源の70%以上が地方交付税等の外部からのものだ。 
村長、村議会議員、村役場職員の給与以外にも、 
村内の特別養護老人ホームの運営費→従業員の給与 
公共工事→村内の土建業者 

という形で住民に恩恵を及ぼしている。 


その後地方は公共事業で高度成長の恩恵に欲した。道路を作りダムを作りそれが地方の土木建築関係をうるおして波及効果があった。その時田中角栄の日本列島改造論が生れたのである。田中首相自体が建築土建屋だったのである。
原発も一つの公共事業だったのかもしれない、なぜならその時加藤建材の社長となった人が真野川の砂利ふるいをしていたのだがその砂を原発建設地に運び大会社になったというのもそれだけ原発は浜通りを経済的に潤したとなる
津波原発事故以後この辺は建設ラッシュになっているからまた建築土木関係は潤っている復興といっても今度は廃炉事業に頼るとか未だに原発頼りだとなる


さらにグローバル経済になった結果ますます地方の自立性は失われ巨大な経済にまきこまれてゆくようになった。
原発は別に電気を供給するだけではない、何か軍事用としてアメリカに要請されてあるとか電気のために是非必要とするものでもない、原発は先進国の象徴として技術を誇示するためにあるともなる
現実に最近石油が安くなっていることでもわかる
石油がこんなに余っているのかということにも驚く、石油がたりない、高いということは言われつづけてきたからである。石油が売れなくて困るというのが理解できないのであるそれで自分は石油の資源国に投資して失敗したのである。
石油は十分にまだたりていたとするとなぜ危険な原発が必要なのかと疑問になるからだ。
いづれにしろ飯館村のまでいな村作りというのは文明へのアンチテーゼとなっていた。
そういう趣旨に賛同して若者でも貧乏暮らしする人はいた。
そこでは様々なものがたりないのだけど足りないことに貧しいことに価値を見いだすという生活を志向していたのである。浪江のダッシュ村とかもそうだろう
そういう人たちは今までも存在したがあまりにも少数なので変わりものとなって要するにテレビのネタにされるだけのものだったのである。
でもそういう生活でも極端だから山尾三省のようにパンが贅沢だとまではしなくてもなんらか今の生活を見直すことが現実的にこの辺では迫られたのである。
大熊町の人は蝋燭でもいいから家族一緒に暮らすのがいいと原発事故で極端な志向になったのである。

自分が接した人でも個々人でも過剰な富を求めていた。借金してまで豪邸を建てるとか事業をして失敗しているのに成功を装い豊かな暮らしをしているとか一人一人を見ても何か金もないのに借金してまで豊かな生活をしていた。
そういう限りない欲望を追及する生活は限界にきているしせう経済は日本でも世界でも成長しない、となると生活のレベルを一段階くらい落とさねばならない、
パンを食べるのが贅沢とはいかなくてもそういうのは今の生活から三段階くらい下になるからせめて一段階から二段階くらいまで落とす生活がすでに強いられているのである。
それでも十分豊かでありもう高度成長のようなことは日本で起こらない、

「めでたさも 中くらいなり おらが春」 小林一茶

何かいろいろ追及してゆくと中道がいいとなる、中道というのは仏教から生れた思想である。とても山尾三省とか戦前のような極貧にはなりたくないが今の経済生活は過剰な富を求めすぎたのである。それが原発をももたらした原因なのである。

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極端になると実践できないが中道になると実行しやすい
それでも人間の欲望をおさえることはむずかしいのだ



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posted by 老鶯 at 17:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連