2016年07月30日

夏の雲(建て続けられる復興住宅)



夏の雲(建て続けられる復興住宅)

bbbbbssss11.jpg
右田の津波の跡の庭(クリック拡大)

津波跡庭の大石に芙蓉かな

builddd333.jpg

これは二所帯用である

nuildinggggg111.jpg

クリック拡大

hhhhhhhkusaiii1.jpg



津波跡庭の大石に芙蓉かな

建て続く復興住宅夏の雲

田舎にて木蔭に休む大工かな

新しき復興住宅地夏燕



ここの右田の家は流されて庭だけが残った。
ここの庭は前に外から見ていたけど大きな石があった。
いい庭だったのである。それを中に入って見るのは不思議だとなる
この俳句は別に写生そのものであり何の才能なくても作れる
写生そのものが実際はと驚きになっているのだ。
第一津波など経験しえないことであり庭だけが残っている跡など普通だったら見れないからである。「事実は小説より奇なり」となっているのがこの世なのである。


シシドスーパーの隣に復興住宅は建てられている、あそこを毎日通っている
だんだんできてゆくなと見ている。
ここを建てているのは東京の人だった。
これは地元の大工とも協力してたてている工法だという、それを普及するためにしているという。
大きな家は二所帯用だった。ずいぶん大きいと思ったからだ。
復興住宅はみんな小さい、だからこんな大きな家が建つのかと見ていた。
二所帯分だから大きな家になっていた。二所帯でもかなりスペースがある。

今はみんな建て売りで地元の大工は何しているのかと思っていた。
ここだって実際は二週間で組み立ててできるという。
何か今までの大工の仕事がなくなり家の組み立て屋のようになっている。
だいいちこれだかけの家を建てることはとても地元だけではできない。
その人は会社の人で小池のホテルに泊まっているという
電話工事の人もきていてその人は原町の寮のような所に泊まっているという。

今日はからっとした暑さだったが遠くに行けない、原町でも相馬市でも暑いときは行きにくい、紫外線が怖いからだ。
だから毎日近間を行ったり来たりしているだけなのである。
でもなにかこの復興住宅が建ってゆくのを見ていると活気があるとみる
新しい街ができてゆくのを見ているのも今までだったらありえないのである。
震災前は七〇坪を七〇〇万で整地した土地を売り出していた。
でも誰も買わなかったのである。家も建たなかった、これだけの家が建つということは本当に驚きである。新しい住宅街が10くらいできたかもしれない、それだけ家が建ったのである。だから前とはまるで変わっているから不思議になる。
別な街に来たような気分になる、シシドスーパーもできてこの変は都会化したのである。シシドスーパーは9時まで開いていることもある。

北斎の絵に富士山をバックにして大工が働いている絵があるが足場を組んで働いている人はそれとにている。これも高いから実際は危険であり落ちることがある。
こういう仕事は運動神経が良くないとできないことがある。
田舎だから木蔭で休憩をとっているの都会とは違っている、なんか安らぎがあるとなる。
タグ:復興住宅

津波で流された海老の村で話する (津波の言い伝えを聞いていたというが・・・・)


津波で流された海老の村で話する


(津波の言い伝えを聞いていたというが・・・・)



朝に海老の浜で北海老の人と話した。

「川の方が魚がのぼってきてとれるな、イシモチとか鰈な、うなぎもとれているよ」
「海より川の方が魚釣りにはいいんだ」
「しじみもとれているよ、みんな放射能計って売ってもいる」
「安全になったのかな」
「真野川のシジミはうまいだよ」

前は自分もシジミを真野川でとっていた。沼のような所がありそこは川からちょっははずれていてそこに大きなシジミがとれたのである。
結構真野川ではシジミがとれていたが漁業組合の人しかとっていけないとなったみたいだシジミとりとかアサリとりは食べるというよりとるのが楽しみになる
でも三人家族分くらいとっていた。何もすることがないので自分はそんなことをしていた時があった。それはずいぶん前であり河川改修する前だからこれも30年前とかなる。
うなぎもとれるとなると鰻をとれたら貴重だろう。天然の鰻など高くて食べれないだろう鰻は自分の父親と鰻釣りに田んぼの畦に行ったことがある。
ミミズをさして穴にさしこむのだけどかなり待っているのが嫌だった。
魚釣りでも自分は何か待っているのが嫌で好きでなかった。
なんか自分は自転車のように絶えず動いている方が性分にあっている。
じっとしていられないのである。自然の中では特にそうである。
それにしても河口は放射性物質が泥と一緒に流れてきて非常に放射線量が高かった
阿武隈川の河口でも異常に高かったのである。
だからそんなところでシジミやアサリをとっても大丈夫なのかとなる?
放射能といっても気にしない人はしない、ただ子供もっている母親とかは異常に気にしている
年寄りなどは気にしないから前から別に普通に食べていたのである。
十年後二十年後にガンになるといってもその頃みんななる人が多いのだから気にしてもしょうがないとなる


その人は北海老の人だから津波の被害にはあっていない、でも人が流れてきて助けてくれと叫んでいたが助けようがなかったという。津波は物が流れてくるから危険だった。
こういう経験した人はなかなかその場面を忘れられないだろう。

「逃げないやつは死んだ、消防でも警察でも避難しろと回ってきたのに逃げないから死んだ俺は川を見たら水が退いていたから危ないと思っていた。そういう言い伝えは聞いているからな」
「津波の言い伝えを聞いていた、そんなにそれは語られていたもんなのかな、知らない人多かったのでは」
「津波が来たらテンノウ様や寺に逃げろと言われていたんだよ」
「この辺では津波は来ないとみんな思っていて逃げなかった」
「そんなことないよ、俺は津波のことを聞いているよ」
「そうかな、それを聞かされていればみんな逃げた思うけどな」
「逃げないやつは馬鹿だったんだよ、あれだけの地震だったんだからな」


 ここに、「てんとう念仏」と通称で呼ばれている場所がある。
 水田から民家の脇を通って、丘に登っていく。その道が上の写真。 
 <津波が来たときにこの山に登り、念仏に唱えて津波が収まるように祈った>ということから、この地が「てんとう念仏」と言われるようになったという。 


テンノウと言っていたのはてんとうのことかもしれない、北海老だと柚木(ゆぬき)も隣り合わせだからである。
でもその人が考えてみるとどれだけ親からでも祖父母からでもその言い伝えを聞いていたのだろうか?どれだけの人がこの辺でそのことを実際に親から祖父母から聞いていたのだろうか?
津波がきてから学者の人がそういう言い伝えが残っているということは調べられた。
でも現実問題としてそういう言い伝えがどれだけ先祖から祖父母から親から子へと言い聞かせられてきたのか?
そういうものでもただ今度は文字として記されているだけになるのが多いからである。
口碑として残るとしても言い伝えでゆくことは容易ではない、第一400年もの前の話だからである。そうなると文書としては残っても口碑としては絶えるだろう。
ただ津波がきてそういう言い伝えがあったと見直されただけではないか?

要するにもう慶長津波がここに被害を与えたとしても400年も言い伝えることは相当に困難になる。ただ文書として町誌などには記されている
でもそれが口伝えで言い伝えられるたとはなくなるということはある。
すると何か実感がわかない、遠い昔の出来事になってしまう
そういう言い伝えがあったとしても何かみんなそれを本当のこととして津波を警戒するまでにはなっていたのかとなる
その人はそういうことを言っても何かそんなに言い伝えられていて警戒していたのとなるその人は第一北海老の人であり津波の被害にはあっていなかったからである。

ともかく津波で共通していることは海の水でも川の水でも極端に退いてゆく、これは三陸の方でも共通した現象である。もう川の水でも海の水でもひいたら即逃げる準備をしろとなる。時間がないのだから何かもってゆくものなど探してもいられない、金でも預金通帳でもどこだろうなと探していると間に合わなくなってしまう。タンス預金は流されてもしか2たないとなる
実際にそうして死んだ人が現実に相当にいるのである。
自分も本などがばたばた落ちてきてそれだけパニックになり混乱した、そういうときかたづけようとかしていたらたちまち津波に襲われて死んでいた。
即逃げない限り津波からは逃れられない、地震がきてから40分の後でありこの辺は時間があった。それでも逃げないで多数の人が死んだのである。
東南海地震津波では数分で津波がくるとしたらもう逃げることはできないとなる

一番失敗したのは海に面した崖の上が高いということでそこを市で避難場所に指定していたことである。そこに避難して30人も死んだのである。
逃げるところはすぐ近くでいくらでもあそこはあった。
すぐ森になっていてそこに逃げれば助かったが津波は急激に襲ってくるから逃れられなかった。
あそこの森に逃れて右田の人も数人は助かった。墓地もありあそこに逃げれば良かったと北海老の人も言っていたがそれは見ればわかる。
人か住んでいる家が全部なくなり墓地だけが残っていたのである。
肝心の生きている人は死んだのだからやりきれないとなる
つまり墓地は流されても肝心の生きている人が流されなければ良かったのである。
墓地だけが残ってもどうしようもないのである。

津波からも5年過ぎてだんだん深刻さがなくなり忘れられてゆくのか?
いくら肉親でも死ぬと忘れられてゆく、人間は何でも忘れのが早いのである。
あれだけの被害でも5年過ぎれば関心がなくなり忘れられてゆく
ただ被害地である地元ではまだまだ忘れられない記憶である。
右田の一本松も枯れたり何か津波の被害の跡も消えてゆくと忘れられてゆく
人間は何か忘れられないようにすることがむずかしいのである。
だからこそ津波が400年前にあったとしても語り伝えられたとしてもそれが現実味を帯びて伝えられなかった。口伝えで伝えるのには限度がある。三代くらいまでは可能である。それ以上になるとむずかしくなる。
そして不思議なのは相馬藩政紀に二行くらい生波で700人溺死と記されて記録は知られずに埋もれていたのである。
だから外から来て調べた人も本当に津波があったのなかったのではないかとまで言う。

地元にしても資料がないとしたら本当にそんな大きな津波がここにきたのとなる。
いろいろ調べてもなんか状況証拠みたいなのはあるが明確に本当にそんな大きな津波が来て犠牲があったのかということがわからないのである。
なぜなら相馬市のボーリング調査でわかった津波で運ばれて埋もれ砂は貞観津波のものだったからである。
慶長津波はどうなったのかとなる。そういう証拠が見つからないのである。
最近の調査で津波で消失した南海老村の跡の発掘では縦穴住居があり弥生時代から人が住んでいて鎌倉時代の住居跡もあったから相当に南海老村も古いのである。
でも慶長津波がここに来たとかわからないのである。
ただ海老はエヒであり蝦夷(エミシ)が住んでいたというのはありうる
つまり海老村はそうとうに人が古くから住んだ場所なのである。


タグ:津波の話
posted by 老鶯 at 09:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

抽象画(藻ーseaweed)


抽象画(藻ーseaweed)




Drawingzzxcvhb1end.jpg
クリック拡大(enlarge) 

suisouuu1234.jpg


Drawingzzxcvhb1end11.jpg

kaimooooo111.jpg

kaimooooo1112222.jpg




これも変化させてなった、原画は自分のものではない
要するに変化の芸術となっているのがパソコンの抽象画なのである。
ただ具象画とは離れていない、藻というのがここから見える
変化させてこれは藻だなと納得したから一連のものとして出したのである。
抽象画が無限の変化だから一連のものとして作りやすいのである。

タグ:
posted by 老鶯 at 02:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 抽象画の部(abstract)

2016年07月29日

知的障害者大量殺人と高齢化社会の共通問題 (生きている時から社会からその存在が消失していた)


知的障害者大量殺人と高齢化社会の共通問題


(生きている時から社会からその存在が消失していた)


でも日本人の多くはどうも実感がわかないんだよな。 

被害者の顔も名前も報道されないから、どこか別の世界の出来事のように思える


今回の事件はこれだけの大量殺人であり残虐なのに反応がそれほどでもないのはなぜか?
やはり知的障害者としてすでに生きている時から社会から抹殺されていたような状態にあったためだろうか?
死んだ人の名前も出ないということは死んだ人がどういう人かもわからない
どういうふうに生きていたのかそもそも社会的に存在していたのかもあやふやである。
山の中に隔離された施設だということもそれを示している。
それは社会的にはあってはならないもの、隠されるべきものとして隔離されていた
親自体があまり語らないことでもわかる

第一親族がもし普通の人がこれだけ殺されたら大騒ぎになり泣きじゃくったりその理不尽を訴えたりする、それがほとんどないということがこれだけの大量虐殺でも何か社会的に関心がもてないないのか?
外国のテロの被害者でも名前があげられみんなで国民全部で追悼している
バングラデッシュのテロで犠牲になった日本人は政府の要人がその遺体を迎えて国民が戦争の死者のように迎えた、英霊ではないがやはり日本国民にとってその死は大きな意味をもっていたのである。

今回はこれだけの大量殺人なのに何か死んだ人でも家族でも反応が弱い、これも不思議な現象だとなる。
それはなぜなのか?子供が死んだらその将来を奪われたかとか、この人は若くて結婚するところだったとか、生きていればその将来を未来を奪ったと訴える
それがないということは知的障害者であるがゆえに生きているときもすでにその存在が消失していたためなのか?
誰も家族すら見放して山の中に隔離されて蓋をされてないもののようにされていたとなる誰もそういう存在を見たくない、家族すら見たくないのである。
それ故にこれだけの人が死んでいるのに死んでいる人の名前すらでとないし生きていれば何々できたのにその未来を奪ったと訴えることもない
そもそもこういう重度の障害者には未来そのものがあったのかとなる
要するにその死はやはり現実に生きている時からすでに社会的に死んでいたような状態にあったからではないか?

そのことを自分の身内で認知症になって感じた。生きているときはいろいろ社会的にも活躍していた活発な女性だった。
でも退職したときから家事すらもなにもすることがなくなった。50代で役所をやめたかその後の老後が長かった。役所で働いているときとかは社会的に忘れられるということはなかった。もともと活発な女性であり優秀な女性だったからである。
それが退職してから何もしないからいつしか社会からも忘れられてしまっていたのであるこのことは人間にとって知的障害者だけではない、大きな問題をはらんでいる。

なぜなら大量の老人が実際は今でも社会的に無用化していることなのだ。
社会的に無用化するとその人たちは社会から消える、存在しなくなる
社会的に意味のないものとなり今回殺された知的障害者と同じになるのである。
だからこれは別に知的障害者だけの問題ではない、今の高齢化社会自体の問題なのである無用化した特に延命治療するとか認知症になった人とか負担をかける人は抹殺しろということである。それは家族でも社会でも何の意味もないものでありただ負担をかけるだけの存在だとなる。だから今回のように抹殺しろとまでなりうるのである。
毎日老人は死ねとネット叫んでいる若者もそうである。
高齢化社会は確かにかつても老人は無用だ何の役にもたたない、家族の負担になるだけだと捨てられたとかあるがそれはまだまだ老人はその頃数は今と比べれば極端に少ない
それより子供の間引きの方がかなり行われていたことは確かである。

ともかく高齢化社会の問題は様々あるが社会的に無用化されて社会的に存在させられない、社会的に意味ないものとしてただ社会に特に若い世代に負担をかけるものとしてあるから知的障害者とは違っていても同じ問題をかかえているのである。
子供とか若者が死ねばその未来を奪ったとか訴えるが老人が死んでも負担が消えただけだとなる、それは今回の知的障害者と同じものがあるのだ。
別に老人が少ないならこういう問題があっても社会的問題までにならない
「無用の用」とか老人も何もしないことでも存在感があるんだよとか認められる
これだけ老人が多いとそうはいかない、社会的負担が大きすぎるからである。

いづれにしろ人間は生きながらもう死んでいるということは大きな問題である。
生きているとき死んでいるのだから死んでも誰も関心がないとなる
そんな人生きていたのとなり今回のように殺されてもその存在感がないのである。
社会的に無用でも意味なくても家族の中で意味あることがある。
それないとしたらなんなのだろうとなる。
自分は介護して家族は最後まで意味あり大切なものとしていた。
それが今回のようにないとしたらその人たちは生きながら死んでいたともなるのではないか?
だから死んでもそれほど騒ぐ人もいないとなりたちまち忘れられるとなる。
この事件は高齢化社会と老人問題と認知症問題などと共通しいるから関心をもったのである。


posted by 老鶯 at 22:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

精神病の妄想の謎ー植松聖は異常なのか病気なのか? (認知症の妄想とは違っている)


精神病の妄想の謎ー植松聖は異常なのか病気なのか?


(認知症の妄想とは違っている)


認知症は謎である、本当に不可解なのである。精神病の一種といえばそうなる。
同じ症状があるかだ。症状として最初に妄想があった
毎日夜になると「誰かがいる」と騒いでいた。
それが冗談ではなく真剣なのである。
「誰がいるのか言え」と毎日せまってきて困った
誰かがいると言っても答えようがないからだ
その妄想は本人は確実にいるという確信をもっている
だから他人にもいると言わせたいとなるのだろう。
「いない」と言っても無駄である。それを否定したらかえって危険になる
天井に虫がいるとかなんか認知症の人は妄想を見る
「いない」ということは相手を怒らせる、そして危険になる
だからその時は心静めるために水で飲ませるとかお茶でものませるかとなる
つまり心を静める作用が必要になる、その時興奮しているからそうなる
この妄想は精神病の特徴としてあるから認知症でもある
ただ普通の精神病と認知症はまた別なものだが何か共通性はある


これを知的障害者の大量殺人の植松聖にあてはめるとこの種の妄想なのだろうか?
ありえないことをあるとした妄想なのだろうか?
これも良くわからないがヒトラーが現れたとか殺人を指示したとかなると妄想だろう。
カルト宗教団体はたいだい誇大妄想の思想をもっているしそれが異常だとは見ない
オウムでもオウム王国を夢見てそのためにはそれに逆らうものは殺してもいいとなっていたからだ。この種の妄想はまた個人的な妄想とは違っている集団的な妄想となるとそれは社会で正常とみる、現実に創価などでも他の宗教団体でもそれをとがめられることはないからだ。むしろそうした集団によって批判すれば社会から排除されるのである。
マスコミでも何でもむしろ積極的に支持して金をもらっているからだ。
東電とか政府で原発の「安全神話」を作ったのも妄想であった。大東亜戦争も妄想の所産だったともなる。日本が神国だというの妄想だったとなる。
ヒットラーのナチス帝国も妄想である。
だから植松聖が何かカルトと同じような妄想に陥っているのは異常とも言えない
ただ個人的にそれを主張したから妄想だとされているだけである。
これが集団的に主張されれば妄想ではない、現実にヒットラーはナチス帝国となり実行したからである。
ニーチェが言っているように個人も狂っているが集団も狂っているとなる

正常なのか異常なのかの判別がしにくいのは普通の社会でもある。
ただ認知症の個人的妄想は明らかに病理現象としてわかりやすい
ではヒットラーがどうのこうのとか人類の平和のためになどと誇大妄想の思想が異常かというとそうでもない、カルト教団でも左翼でもそういうことは言っているからである。
だから植松聖が精神異常なのかどうかわかりにくいのである。
そして殺した相手は無差別ではない、特定の知的障害者である。
殺人の目的が明確なのである。

要するにこうした重度の知的障害者は安楽死させた方がいいとか老人でも延命治療などしないで安楽死させた方がいいとかの問題は常に言われてきたからである。
それゆえに医者で安楽死を実行した人もいたのである。
それは人間の命にかかわる重い問題だからアンタッチャブルになっている
知的障害者もそうである。
そもそも意思疎通ができないというとき人間ではないとなるのか?
実際に身内が死ぬ一カ月前に意識不明になったとき確かにその時は確実に死んでいた。
仮死状態になっていた、でもその前に正気に戻ったのである。
そのことで自分は救われた、わかってくれたんだなと介護した甲斐があったと思った。
だからやはり人間は意思疎通できることが大事なのかと思った
知的障害者とは意志疎通ができないということが致命的になるのか

何か植松聖の不思議は異常なのだけど正常だという面がある。全く支離滅裂ではない、
精神病ならそうなっているだろうか?そこが謎なのだけどまともな面がある。
でも5億円を要求するとか何か不可解な言動があり理解できない
自分はみんなのためにいいことをしたのだから報酬をくれとなるのか?
その辺が理解しにくい、「この人は人間なのか?」というとき何が人間なのかという問題提起でもある
認知症の介護でもそういう問題が起きている、一体どうなったのだろうと自分も悩んだ
ただ認知症は確かにそうした精神病的症状がでてもなんか不可解なのだけど時々正気にもどる、最後は特に正気にもどる、だから意思疎通できないとはならない
これは個人差があり家族の事情があり定型化できない。

つまり植松聖は意志疎通できないから人間ではないと言って殺した
何か意思疎通できれば人間だったのかとなる、でも他にも介護している人がいて意思疎通している人もいるだろう。すると植松だけが意志疎通できなかったのかとなる
認知症の介護でも意思疎通できない人とできる人がいるだろう。
ただ何か異常にしても正常として扱う面が大きいから単なる異常者の犯罪ともならないのだろう。
動機にしても突拍子がないものでもない、理解できないことはないしそう思っている人が常に言っている人がネットには多数いるからだ。それを代弁して実行しただけだともなるる、だから簡単に異常者の精神病としてかたづけられない複雑な問題となっている。
認知症にもこれと同じ問題があり老人問題についても延命治療でも無駄だとかあるから現代の課題であるからだ。

タグ:妄想
posted by 老鶯 at 18:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2016年07月28日

社会が二極化して若者でも底辺化して犯罪が増加する (若者の閉塞感が強くなり爆発する危険な時代に)


社会が二極化して若者でも底辺化して犯罪が増加する


(若者の閉塞感が強くなり爆発する危険な時代に)



社会の底辺化する介護業界、最低限生存の待遇…人手不足で覚せい剤常習者や犯罪者も就労 


格差社会は二極化する、中間層が消失してスキルのある゛または資産とかコネとかある階級と資産もない、コネもない、スキルもないとか底辺層に二極化する。
機械化して単純労働とかとは減ってゆく、車だって自動運転となると人がいらないとなるそこで豊になるのは誰か?そうした機械とかアプリとかを開発できるスキルのある人間である。それが人類の未来である。

高度成長時代は三流大学でも文系でも必ず会社に正社員として就職できた。そして事業を起こしても中小企業でも成功する人が多かったし月給は必ず上がりマイホームをもてた時代である。
そういうとき非正規労働者とかはいない、みんな正社員である。ただ金の卵として集団就職した人たちの労働環境は劣悪だった。労働も単純労働であり流れ作業などが多かった。ただ時代としては中卒でも何か仕事があり人不足でありそれなりに勤めていれば豊になるという希望があった。

その頃非正規とか派遣とかはいなかった、臨時雇いなどはいただろう。
自分は正規の路線からはずれたから若いとき労働したのは流れ作業しかない
その時から自分は労働に非常に嫌悪をもつようになった。
これはロボットとと同じじゃないかと思ったからである。
人間は自分の仕事に何か積極性がもてないと生きがいがないと生きる気力すらなくなるだろう。
でも実際にそういう仕事をしている人はもともと少なかったろう。
でも月給は良かったからそういう不満もカバーできた。

今は大学など半数が行っているのだからそれで価値があるわけではない、大学でても就職先がなく底辺労働になる人もふえている、非正規とか派遣もふえている。
だから知的障害者を殺した人は大学出でも教員に就職できなかったから底辺化した。
日本では最初の就職でその先が決められやすい、でもそれすら大企業に就職しても今は先は補償されていない、花形産業だった電器会社でも落ち目になっている。
銀行の若い人は株とかをすすめているけど銀行は何なのだと思う
銀行には何か未来がないように思う、銀行の仕事自体が本来の業務からは離れているからである。銀行は安定していて地方ではエリートになっていたがそれもこれからはわからない。

現代は上と下が二極化するというときitとか相当に高度なスキルをもった人たちはますます良くなる、でも一方でそういうスキルもない人たちは底辺化してゆく、三流の文系大学でても底辺化する。大学など名ばかりで何の役にもたたないということである。
理系は役に立っても文系は何の役にもたたない。
だから若者でも早い時期から二極化している、最初の就職で失敗して教員になれなかったとか公務員になれなかったとかまともに会社に入れなかったとかなると底辺化する

自分も底辺化したがその頃団塊の世代ではそうした正規の道からはずれる人はまれだったみんな正規の会社員になったし学生運動した人も企業戦士にみんななった。
それは学生時代の遊びにすぎなかったのである。その頃は高度成長時代だから必ず正社員として就職できた。中間層となった。
今は上と下とに二極化して中間層はアメリカでも消失した。
そこに今回のような若者の知的障害者を殺すような事件が起きた。
この本人自体の問題もあるが社会の底辺化してゆく若者の問題もある。
つまりそういう底辺化している若者の数が多いということである。
田舎でも何か仕事をしないでぶらぶらしているニートが必ずいる
団塊の世代ではそういう人はいない、それはよほどの変わり者でありアウトサイダーになっいる。
今はそうして社会からはずれた若者が普通にいてめずらしくないのである。
それだけの豊かさがあり食べていけるからそうなっている。
でなければ地方だったら金の卵として中卒で集団就職になったろう。
地方ではもともと資産がないと土地とか家がないとかえって暮らしにくい
そしてコネがないと公務員になれないとか暮らしにくいから都会に出る

今回の知的障害者の大量殺人事件は若者の底辺化してゆくことからはじまっている
正規の就職ができない、教員になれなかった、そこで職を転々とする、行きついたのが
知的障害者の介護職だとなる
そういう人たちと接して心が病んだとなる。なぜなら自分も認知症を介護して鬱病になったからである。なんらか人間はつきあう人間と必ず相互浸透するのである。
毎日知的障害者とつきあっていたら何かおかしくなってゆくだろう。
底辺化してゆくとそうした底辺の人たちとしかつきあえないということもある
底辺化するとまたブラックな会社にしか仕事がないとかなる
飲食業などはたいがいブラックだとか社会の底辺でさまようことになる

そもそも介護職が給料が安いときそこもブラックだからである。そこでもうけているのはそこの経営者であり安く働かせられている
近くでも障害者の施設があり働いている人があるがその給料は極端に安い、もうけているのは経営者だとなる。そういうことが今の社会にも多いのである。
ブラックな会社が多く安く働かせられている、そこで若者はまた不満を募らせる。
相当に今の高齢化社会でも若者のストレスが大きくなっている。
だからこうした爆発的な大量殺人ともなる、次の標的は増えるばかりの老人である。
自分も恐怖でありなんか自力で自分のことができなくなったら自死した方がいいとさえ思うようになった。施設に入ったとしてもそういう不満な若者しかいないから怖いとなる。また若者がそんな介護などしてもその仕事に希望を見いだせない、そういう絶望感から殺してしまった。

この事件は高齢者の問題でもあり高齢者が恐怖を感じる問題である。老人はただの金食い虫で俺たちの生活を圧迫させるだけだとなり毎日死ねと言っているからだ。
これから老人をねらった大量殺人が起きることを暗示しているのである。
近くで老人施設を作っても介護士が集まらないから開業することができないのである
社会が二極化して若者が老人でも底辺化するものと分かれたりとブラック会社しかないとか不安定化するから大きな犯罪が起きてくる
やはり犯罪は時代を象徴しているのである。これだけの大量殺人は日本ではありえないと思っていたからである。

posted by 老鶯 at 20:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2016年07月27日

工事のために土とるために破壊された景観 (私有地になっているから景観が破壊される)


工事のために土とるために破壊された景観


(私有地になっているから景観が破壊される)

tuchitoriii122.jpg

tuchitoriii1.jpg


これは南相馬市鹿島区だけど屋形の辺りが土をとるためにむきだしにされた場面である
六号線のローソンからも見えるが新しくできた復興住宅地からも遠くからも意外とこのむきだしの場面が見える

なぜこれが気になったのか?他でもこの辺では工事が多いから土が必要になり土がとられて山とかがけずりとられている所が多い
でもそれはこんなに目立たないから見逃される

ここは町に住んでいていつも目にするから何か嫌だなとなった
景観は普通は気にしないが一端森でも破壊されると気になる
この辺は回りは緑に囲まれている
それが当り前なのだけど一旦その一部が破壊されると凄く気になる
それは自分の衣服が汚されたような気分になる。

あそこが目だたない裏側の方であったなら気にしない、いつも買い物とかしている街内から目だつのである。
でもこれを気にしているのは自分一人かもしれない
なんか自分は景観を特に気にしている,情緒がそがれると詩にてりにくい。

ただあそこが一部森がけずりとられて土がむきだしになったことでこれほど自分も気になるとは思わなかった。
要するに景観は当り前にあるものだから気にしないのである。
ただ一旦それが破壊されると気になり景観とか自然の大事さを認識させられる

原発事故などで故郷に住めなくなった人がどれほどその失われたものを思っているか?
故郷は何も意識しなくても普通にあるものだったからである。
それと同じようにいつも見ている景観は当り前にあるものだから尊いものに思えないのである。ただこれがそこなわれたとき強く意識するのである。

ではなぜ簡単に景観が破壊され景観に無頓着なのかというとそこが私有地であり一人の持ち主が売るとなるとそれが通る、景観がそこなわれるから売るなと言っても私有地だからどうにもならない、そういうことが原発でも起きていた。
原発を建てる一部の土地の所有者と県で許可して原発でも建てられるということすらあった。それから漁業権でも組合が私的に所有して東電に売り渡して補償金を事故前も事故後ももらいつづけていたのである。
そして自分の家の前の海も権利があるとして補償金をもらおうとしていたのだから人間の欲が私有するととめられなくなる
広島の土砂災害があったところも無数に明治以降私有地化されていた。
入会権がなくなり私有地化してそれが宅地として売られていたのである。
入会権は土地の共有制であり一人が勝手にできないものである。
土地とか海がつながっているのだからそもそも共有的性質が大きいのである。
だから私有ということになじまないのである。

この土をとるために破壊された景観について気にしている人は自分だけかもしれないが
やはり一人でもそういう人がいるということは一人が感じていることは大事になる
みんなが何か利害が関係しないなら関心がないというのでは困る
美的な観点からもその土地のことを見る人があってもいいのである。
あれを見るといつも嫌な感じになっているからだ。
景観とか利害とかんけいしない場合、簡単に破壊されやすいのである。
その土地所有者にしてみれば利益になるのだから反対しても無駄である。
その権利も回りのものにもないのである。そこに土地の問題があった

自分は別に土をとることに反対してはいない、現実にこの変では工事で必要なのだから反対できない、ただ街内からいつも生活している所が見えるので嫌だなと見たのである。
やはりいつも生活している所が汚れていたりすると嫌だとなる。
通りすぎるだけならそうはならない、そこに生活する人の目は地方自治になるのである。
でも民主主義は多数決だから多数のものが関心がないものは取り上げられない
だから景観は利益にならないからどこでもはかいささ安いのである。
京都などでも町家の前に高いマンションが建ったりと破壊されやすい
都会には土地がないしそれを防ぎようがないのである。

結局あの土剥き出しの所は何かそのあとに緑にする、木なり花なりとか植えて土むきだしにしない、家が建てば土剥き出しなのも見えなくなる
あのままでは景観的には嫌だなとるなる、毎日見ているからそうなる。
タグ:景観破壊
posted by 老鶯 at 21:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

神奈川県の知的障害者大量殺害事件の謎 (奇々怪々な思想の乱れ、カルト的妄想に陥り安い若者)



神奈川県の知的障害者大量殺害事件の謎


(奇々怪々な思想の乱れ、カルト的妄想に陥り安い若者)


今回の事件はなんなのだろうと思う。この若者がなぜある時期から入れ墨したり金髪にしたり変化したというのも謎である。人間が変わってしまったということある。
この個人的変化が犯行に結びついていた。
それまでは普通の青年でありむしろ評判が良かった。
教師になれないなどから精神的挫折があってなったのか?
そういうことは若いと良くあることである。
青春とか若いということはある意味でエネルギーに満ちあふれるている時である。
それがどうしてもおかしな方向に向き安いのである。

なぜ学生とか若者がカルト宗教などにはまりやすいのか?
なにか若者はまだ現実を知らない、学生はただ理論だけである。
理論だけだということは妄想に陥りやすいのである。
創価などで運動していたときもそうである。
「世界平和」とか人類がどうだとか自分もこの人と同じことを思想で共感していた。
オウムでもそうだが何かそうした実現し得ないことでも妄想として持つ
それが実行するから怖いのである。
左の学生運動などもやはりカルト的な妄想があった。
それはイスラムのテロもそうであり宗教が妄想化して実行してテロになる。
本来の宗教とはなんら関係ないものである。
人類平和のためにとか言っていることはカルトそっくりなのである。

そして人間は日頃思っていることが現実化する、意外と甘くみているのが思いのエネルギーなのである。
誰かを殺したいとか恨む念があるとそれが伝わり別に本人ではなく他者がその念によって殺人まで起きるという思想家がいた。
人間の思いのエネルギーは意外と大きいしこれが盲点となっている
何を思うが自由であり行動に移さなければ何の害もないからいいではすまされないのである。

この人は相当にインターネットに特に2chの影響を受けていた。
ここでは毎日老人は死ねとか知的障害者には特に憎悪して死んだりすると
一人害獣がしまつできた、親も大喜びだと毎日のように言っている。
そして絶えずイルミナリティとかユダヤ人が裏で操っているとか陰謀論が語られる
それもこの人は影響されていたしはっきりと文章まで書いている
だから現代の社会を反映した犯罪だったのかとも思う。

ただこうなる前にすでになぜか人間が変化していた。
入れ墨して教員に採用されなかったとかありなぜそんなことをしたのかとなると謎である真面目な青年がヤクザのようになっているというのも謎である。
カルトに陥る人間は意外と真面目でありそんな入れ墨したりしないのである。
彼にはそうした真面目さは失われていた。だからカルト的妄想とはまた違っている
それでも知的障害者は死んだ方がいい、それは社会のためにも親のためにもいいんだという信念をもっていた。
それは別にこの人だけではない、いつもネットで言っていることだから異常なことではない、ネットではそれが常識になっていた。そこにネットとの怖さもあった。
そういう思想に毎日ふれていれば知的障害者は殺してもいいとなるからだ。

創価もカルトなのだが大人がいてまず得なことはするが損なことはしないというのがある意味で安全弁になっている。
この若者はそうした損得関係がないことがイスラムのテロとにている。
若者のいい点と悪い点があるがあまり損得を勘定しない正義感をもつことはいい面であるだからカルト宗教団体に利用されやすい。
人類平和のためにとか愛のためにとか誇大妄想思想にはまりやすいのである。

いづれにしろ今回の事件はこの人を英雄視する人も若者にででくる。
一人殺せば犯罪者でしかないが千人殺したら英雄だというのも感じる
こんなに殺したのかという驚きが先になる。
気持ちよく邪魔者を始末してくれたなと思う人さえでてくる
それが怖いのは毎日ネットで老人は死ねと言っている若者である。
それが怖いのは今回のように大量殺人につながる、現実化するからである。
すでにそういうことがあったのだが今度は二十人とか百人とかテロ的な殺害が起きてくるかもしれない。
だからあまりにもネットでは言い放題でありそういうことを言いたい放題なことが危険だということもある。
何かこの人はネットに影響された世代の人だったからである。
2chからみれば待望していた英雄とまでなるからである。

認知症でもこんな人は人ではないから死んだ方がいいとかいつも言っている。
でも家族にとってはそうはいかないしそのことは書いた。
自分は介護することに意義を見いだしていたことも書いた。
重度の知的障害者となるとこの人たちの介護に意義を見いだせるかとなるとこれはそうはいかないから深刻な問題であり軽々しくは語れないとなる。
これは社会問題でもあり若者のの問題でもあった。
若者は一歩誤ると道をはずれると奈落の底に転落する
自分も社会人から離れたアウトサイダーになったから危険であった。
でも奇妙なのはその後30年間とか隠者として田舎にいたというのもふりかえると不思議である。こんなことがありえたのも家族環境の結果だったのである。
この人は両親がいなくなり家に一人でいたということも危険なものになっていたのである

posted by 老鶯 at 09:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2016年07月26日

認知症とは何なのか?その介護のむずかしさ (プライドが最後まで消えないのと人格は崩壊しない)


認知症とは何なのか?その介護のむずかしさ


(プライドが最後まで消えないのと人格は崩壊しない)


●自分のしてきたことについてプライドを持っている

●時々正気にもどる、最後は特に正気になる

●人格は崩壊しない


認知症は何かとなると謎である。医者がいろいろ判定しようとしているが何か実際はわからない。
本当にこの人は馬鹿になったのか?痴呆になったのか?何もわからないのか?
こう問うてゆくとそれが良くわからないのである。
確かに銀行で金もおろせないとなると知能指数は極端に低下して白痴化したのかと思ったでも奇妙なのは人間は計算などできなくても人間でありうる
そもそも人間であることはどういうことなのか?
これもまたわからないけど生まれつきの知的障害者と違っているのは老人の認知症は長い間正常に生きてきて実際に自分のしたことに誇りをもっている。
そこが根本的に生まれつきの知的障害者とは違っている
生まれつきのちて知的障害者はプライドをもっていないだろう。
だからこそ馬鹿にされると怒るのである。激情的な人だと暴力になる
計算できないとか忘れるとかあるのだけどそれを指摘して馬鹿になったとすると怒るのである。

それはどうしてかというとプライドは消えないからである。
自分が人生でしてきたことに対してプライドをもっている
だからこそ過去のことは覚えていて自分がこうしてきたんだよと何回も言うのである。
自分のしてきたことについて誇りをもっているから何回も言うのである。
姉の場合は従軍看護婦とてし四年間シンガポールで辛酸をなめたから死ぬ間際までそのことを語りつづけたのである。
そのことが人生で一番印象に残っていたからである。
そして家に尽くしてきたことも事実であるから語りつづける
それは自分ともかかわるからそのことを否定できないのである。
つまりそのことを自慢したら持ち上げるほかない、そうだと認める
そうすればプライドを満足させられ気分も良くなるのである。
これが施設だと家のことは関係なくなるからプライドももてない
家から離れると施設は家でしたこととは関係ないから
家のことを語ってもプライドを満足させられないのである。

要するに認知症の介護のむずかしさは人間として最後までプライドをもっている
それを家族の一員は本当だから否定できない、持ち上げることで同調するしかない
施設だとそれがないから症状が悪化するともなる
だから社長だったような人は嘘でも社長の部下のようにふるまうと気分が良くなるとなる家庭の場合は演技ではない、現実そうなのだからそれを認めねばならないのである。
自分はそうしてきたのは家にも尽くしてくれたからそうならざるをえないのである。
それは他でも母親として苦労して育ててもらったらそうなるのである。

最初は何かわからなくて人間でなくなったのか?そう思い恐怖した。
でもだんだん介護しているうちこれはそうでもないのかと思ったりした。
ただ実際はいろいろあって良く理解できなかった。
認知症になっても人格は崩壊しないし人間として生き続ける
ただ自分は一人しか見ていないから他はわからない
認知症の人は多様であり定型化できないからである。

そして認知症の人は時々なぜか正気にもどる
これも不思議な現象だと思う
二人介護して二人ともそうだった。
時々正気にもどったのでびっくりしたのである。
特に死ぬ間際にはたいがい正気にもどる
生まれつきの知的障害者は正気になることはないだろう
認知症は必ず正気にもどる時があるからこの人は馬鹿になったとはならない
最後まで正気の人として接することが要求される
これもいろいろあって家族ならある程度できるが施設などではむずかくなるだろう。
だからどうしても介護は家族がやるのが理想なのである。
認知症になるとどうしてもその人のことが理解できないからそうなる。

自分の場合は二年間くらいが認知症の介護であり次に寝たきりになった母の介護だった。だから認知症の介護は短いから救われたとなる、長くなったら疲れ果てて嫌になったろう正直早く死んでくれて助かった。なぜならそのあとまた介護がつづ0いたからである。
認知症の介護は放蕩にむずかしい、それは身体の介護というのでなく心の介護になっているかかもしれない、第一その人が人生で何をしたかなどと普通はかかわれないだろう。
家族だったらかかわれるけど他人はかかわれないだろう。
医者でも看護師でも体はみても心まで人生まではかかわれない
それは認知症とか終末ケアの大きな問題なのである。

結局なんであれ人間は最後に生きてきた自分のしてきたことを認めてもらいたいのであるそれもそうである、自分の一生がなんであれ無益だったとされたら耐えられないだろう
人間は貧乏なのは貧乏それ自体ではなく貧乏として金持ちに見下げられる、下等な人間とてしさげすまされることなのである。
別に貧乏でも誇りをプライドを持つものがあればそうはならない、俺は貧乏だけど画家としては一流だとか何かプライトをもっいれば貧乏でもプライドがもてるのである。
なぜイスラムのテロが起きるのか?それは差別されるとか何かさげすまされるとかプライドが傷つけられるからである。
人間は誰でもプライドを持つ、そのプライドの戦いが人類史だとも言う人がいる。
イスラムはもともとヨーロッパより先進国だった。科学や数学はイスラムからヨーロッパから学んだのである。それは中国に言える、中国は日本なんかより先進国だったし学んだ国だからそこで中国人はプライドがあり反日になる。
戦争でふみにじられたことがプライドを傷つけられて許せないとなるのである。

認知症の人も最後までプライドは消えないし人格が崩壊するわけでもなかった。
ただ数など計算できないから痴呆になったと思ったがそうでもなかった
ただ謎が多いことは未だにあり一人しか見ていないからわからない
認知症の介護のむずかしいのはプライドをもちつづけるからそれを否定しないようにすることである。
プライドを傷つけられると激情的な人は暴力になるから気をつけろとなるのだ。
そこが介護のツボとしてあるとなる。
ただ家族ならそれに答えられるが他人だとむずかしい、
体だけみているのとは違うかむずかしいのである。
若い人は身体を介護しても心までみるとなるとさらにむずかしいだろう。
そこに介護とかターミナルケアのむずかしさがあった。  
posted by 老鶯 at 14:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2016年07月25日

天候は昔から予測することが経験則でできていた (郷土史はその土地の風土の研究でもある)


天候は昔から予測することが経験則でできていた


(郷土史はその土地の風土の研究でもある)

mmmmrainbowwwsssss1.jpg

クリック拡大


昨日の虹が予見できたのはやはりその土地に長く住んでいて何回も経験しているからである。その土地土地のことはなかなか長く住んでいないとわからない
良く農家の人とか漁師の人が天候についての諺がある。

雨が降った後に虹がでると翌日晴れ。
夕虹は晴れる。
朝虹は雨

虹だとこれはだいたいあっている。虹は雨と関係している、英語ではrainbowだからである。雨と弓なりになるというのはまさに雨の時虹がかかるからだ。形としては弓である。日本語でも虹(にじ)はにじむだから雨ににじむとなる。雨と関係している

こういうことは経験則であり諺でも科学的でありあたっている

諺でもそれは長い人生経験の中で残された経験則から生れたのである。だからみんな今でも同じようなことを経験してその諺の重みをしる。「金の切れ目が縁の切れ目」とか「損して得しろ」「あわてる乞食はもらいが少ない」とか無数にあるけど最近世間的なことで苦しんだのでつくづく自分もそうだなと思って感心した。
時代が変わっても人間自体が変わらない、その欲も変わらないから経験則から生れた諺もすたれないのである。

虹ができることも今は科学的に説明される、天気予報がない時代はみんなこうした経験則から生れた諺とかに頼っていた。
するとそういう経験を積んだ年寄りがそういうことを経験しているから下のものに教えると尊敬されるとなる。
一方で科学時代はなんでも科学者が教えるから年寄りの知恵は尊重されないのである。
でもその地域地域にはその土地の風土がありそれはなかなか長く住んでいないとわからない。
この辺で海から東風(コチ)が吹くのは3月ころである。その時春になることを知るのである。そして原発事故では3月11日に爆発が起こり東風がちょうど吹いたのが不運であり飯館村から福島市とかまで放射性物質が運ばれたのである。
その頃は東風が吹いてもすぐにまた北風とか西風に変わる時期でもある
だから浜通りでは海側に放射性物質が北風などで流された放射線量は高くならなかったのである。

ともかく虹がたつということは予測できるのである。ただ前日にはむずかしいだろう。
雨が多少でもふり東に雲があり山に沈む太陽の光によって虹ができる。
昨日も太陽が山際に落ちてゆき雲の間から陽がさしたとき東側側も曇っていて多少雨がふったから虹がでると直感した。
それは何度も経験していたからである。ここの地域ではそうなるということはこの土地の経験則というのができあがる、それが風土だとなる。
天気は狭い範囲でも違っている。この辺だったらまず飯館村は標高が高いから海に面した地域とは相当に違っている。
その地域地域の風土がありそこから作られる歴史もある。

なぜあれほどマヤとかの文明でも天文学が発達したのか?それは天候を予測するということが文明の始まりになるからだろう。それは結局科学だったのである。
天候を予測することで支配者が力をもったとなる。ただその時は科学者というのではなくシャーマンとかになっていた。
なぜ僧侶がこれだけ歴史で力をもったかというとやはり科学が発達しないと頼るものがないと宗教に頼るほかなかった。

里山伏は、地域社会の人々から法印様・別当様・山伏様などと呼ばれ、民間信仰の中で指導的役割を果たしてきた。一派引導の例に見られる如く山伏自身の葬祭を執行する場合もあるが、一般に現世利益的領域においてその力を発揮し、治病や除災などは里山伏が一手に引き受けてきたと称しても過言ではない

何かこういう人たちも特に病気のための加持祈祷とかにかかわり医者代わりであった。
だから一部落に必ず一人はいるから多いと思う、それだけ需要があったからだとせなる。こういう人はまた農民にもかかわり天候のことなどでも教えていたのかもしれない
干ばつとか水不足のときなど雨乞いなどしたのだろう。

天候にしても今は百年くらいの膨大な蓄積がある。だから数値的に割り出して予測できる今年の天候は何年の年ににているからこうなると予測できるのである。
今年は梅雨のあとに暑くなるのはある年とにていると資料でわかったから言っている。

ただ郷土史という観点からするとその狭い範囲内で起きる天候でも自然現象がある。
風の吹き方が土地土地によって異なるから風土となった。土にしても同じ地域でも土が違っていてそれに見合った作物をとるというのがある。
そういう風土の相違から実際は文化が生れる、なぜならculture(文化)はcultivateでありその土地土地の適正を見いだして耕すということだからである。

郷土史というときこうした風土も関係しているから広範囲の探求となる。
今回の津波でも原発事故でも郷土史がクローズアップされた。
400年前にこの辺にも大きな津波があり被害があったことが取り上げられて探求した。
しかし400年前となると忘れられていて津波は来ないとこの辺ではなっていた。
400年となるととても虹を予測するような経験則があてはまらなくなったのである。
ただ自然のスケールは広さでも時間でも大きい、そのスケールの大きさに人間は合わせられずに津波のようなものを予測できなかったことが悲劇を生んだのである。

とにかく自分は風土と文明ということが一体であり興味がある。だから和辻哲郎の風土は興味をもった、というより旅をしたから地理に興味をもったとなる。地理を知ることが学問の基礎にあることは確かなのである。
福島県だとハマ、ナカ、アイヅで風土も天候も違うからである。まず会津と浜通りでは全く違っているからである。
要するに風土からして根本的に違っているということは福島県というとき一体性が文化的にももていないとういことなのである。
ただ奇妙なのは浜通りから東風が吹いて飯館村から福島市、郡山市などまで放射性物質の影響があったとき
福島県はやはり風土的に一体なのかと感じたのも不思議だったのである。
posted by 老鶯 at 22:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本(世界)文化文明論

2016年07月24日

野馬追いの旗取りが終わり夕べ虹がかかった (南相馬市は合併して十年過ぎていた)



野馬追いの旗取りが終わり夕べ虹がかかった


(南相馬市は合併して十年過ぎていた)


mmmmrainbowwwsssss1.jpg
クリック拡大

trainrrrr1.jpg

帰り馬夕燕飛び虹かかる


雲雀が原旗とり終えて帰る馬そのあとかかる夕べの虹かも

南相馬市も合併して十年すぎにしや原町鹿島虹かかる夕べ

交わりて争いつつも過ぎにける時間にあるかな歴史を刻む


野馬追いの帰り馬というのは雲雀が原から神旗争奪戦で旗をとり帰る馬である。
それは三時ころだった

次ぎにこの虹を見たのは虹がかかると予想した
この辺では夕方にかかりやすい、東が曇っていて太陽が沈むころ虹がかかる
何回もそうして虹がかかるのを経験しているから予見した。

虹がかかるなと天候を見たら虹が最初はかかっていなかったがしばらくしてかかったのである。天候はやはり経験でわかるのである。
天候はある程度確かに予測できるのである。
ただ地震だけはできないのである。

今日一日は最初は雨がふっているので雲雀が原に行く気がしなかったけどフログにのせるために何か種になるものかないかとロードで急いで行った
行列は半分終わっていたが会津の日新館の車があったことは収穫だった

そのあとに虹をとった、こうしてフログというのはともかく今起きたことをのせる
すると一日追われるのである。
今日は特に野馬追いがあったので追われた
そうでなくてもプログが今あったことを即座にのせる、報告する
それが醍醐味なのである。
だから読む人もその日の内に読むと臨場感が伝わるのである。
つまり生放送に近いのである。
だからプログに出すということは結構時間であり手間なのである。
本当に読ませるものとなるとかかりきりになるのである。



2006年(平成18年)1月1日:原町市および相馬郡小高町・鹿島町が合併し、南相馬市が誕生

南相馬市が小高、原町と鹿島と合併して十年が過ぎていた。ある意味で記念すべき年だったのか?
それでもなんか津波、原発事故のあとは補償金問題とかでかえって逆にそれぞれの前の町に分断された、特に小高と鹿島の確執は補償金問題で仮設を出てもしこりを残した。
小高には小高の言い分があるし鹿島には鹿島の言い分があるが市長でもその間を取り持つことができなかった。
福祉関係でも良いから補償金を平等にすべきだったのである。
ただ小高の人も何が迷惑なのとか何で鹿島の人が文句言っているの、不満なのということがあるのも相当無神経なことである。
しかたがなかったにしろ福祉関係でも迷惑がかかわっていた人もいたのである。

小高の人だけの問題ではないが自分が病気で苦しんでいるとき
避難して仮設に入りあとはパチンコ屋に何もすることなくおしかけていたのである。
その時自分の所に来た親戚の人はパチンコ屋に働いていた。
それは遊びであり自分は苦しんでいたのである。
それは小高の人の問題とは言えないかもしれないが何でそんなことをしているのだ
どっちにも怒りがあった。でも弱い立場だから何も言えなかったのである。
小高の人に今でも不満をいだき怒っている人もいる。
その人は弱い立場に前からあったから余計にしゃくにさわったのである。
小高の人に馬鹿にされたとか怒っていたのである。
ともかく合併したのはいいが心は分断されてしまったのが残念だった

ただ今日は雲雀が原で神旗争奪戦があり夕べ真野川に原町から鹿島にかけて虹がかかったそして合併して十年過ぎたのかという感懐があった。十年一昔というからである。
なかなか合併して実質的に合塀するということは歳月がかかるのである。
自分も介護始めてから十年すぎた、これも長かったなとつくづく思う
ただ十年くらい介護している人はめずらしくない、それだけ介護は長いことが問題なのである。自分もそしてたちまち年とってしまった。
争うとしてもこれもまた融和するためにも必要だということもある。
良く村同士で綱引きなどがあるがあれも村同士で争っていたのである。
でも時間がたってそれが祭りとてし残ったのである。

人間は例え争っても長い時間を過ごすとそれが愛に変わったりする
争うことが憎むことが愛だったとまでなる。
人生とは最後にどんな感懐を抱くのか?
これも二人の家族が死んでつくづくわからない不思議だと思った。
家族は争っても長い時間を過ごすから例え憎み合ってもそれが愛だったということすらあるのである。
これを合併した南相馬市にあてはめることは別問題かもしれないがやはり何でも時間がかかりそれが歴史となってゆく
時間をかけなければ何でも融和してゆかないのである。

野馬追いで雲雀が原に会津日新館の車が来ていた (会津武士道とは何であったのか?)


野馬追いで雲雀が原に会津日新館の車が来ていた


(会津武士道とは何であったのか?)

hiba1111_FotoSketcher.jpg

hiba111122233.jpg

hiba1111222334455.jpg

hiba11112223344.jpg
クリック拡大
hiba11112223344556677.jpg



hiba1111222.jpg

神社旗。天地五行(赤・青・黄・白・黒)の五色

クリック拡大すると鮮明に見えます



hiba111122233445566778899.jpg


hiba1111222334455667788.jpg

馬上より声荒ららげて侍の誇り蘇る野馬追いなるかも

日新館と車にあるから何かと思って聞いてみた。
これは劇場用というとき撮影用の馬を飼っている会社だった。
日新館というとき八重の桜だとか会津は常に時代劇に選ばれる場所だから撮影用の馬を飼っている。その馬が野馬追いで使われる、野馬追いの馬はみんなが飼っているわけではない、野馬追いの時だけ借りて使うものが多い、特に津波かとか原発事故で馬が不足したから借りる馬が多くなった。もともと競走馬なども借りていたし今も借りている。
野馬追いはやはり馬が主役になる祭りでもある。馬がこれだけ見れるのは壮観である。
あとは競馬場でしか見られないだろう。何かギャンブルしなくても馬券を買わなくても
馬が走る所を見たいと自分は思っている

やはり馬自体に魅力がある。馬は高いから野馬追いの行列だと見上げるようになる
馬にのっていると見下ろすようになるから偉くなったような気分になるのは確かである。
ただ馬と人間の物語が消失したから馬というのが実感としてわからなくなったのである。馬を扱う人は馬についていろいろ言う、それは生き物であり馬を扱うことは馬と通じあうことであり馬を知ることでもあるのだ。馬をてなづけるのには首筋を触るがいいというときみんなそうしていることでもわかる。
それは猫でも同じなのである。猫も飼うと結構飼い主を気づかっているなと思う、何か動作で通じ合わせようとしていることがわかる。動物はみんな同じだと思う。
特に犬,猫,馬は人間にとって通うじあえるものだった。ただ馬に関しては身近にいないからわかりにくいのである。
でも競馬では体の張りがいいから調子がいいとか馬券を買うから競馬やる人は馬のことを知るし知らないと勝てないから馬に詳しいとなる。

日新館の教えとして

■第四等(基本教育につき、家格に関係なく必須)
孝経、四書(大学、論語、孟子、中庸)、小学、五経(詩経、書経、禮記、易経、春秋)、童子訓

■第三等(三百石未満の長男、三百石以上の二、三男の定級)
四書(朱註を併読)、小学(本註を併読)、春秋左氏傳

■第二等(三百石以上五百石未満の長男の定級)
四書(朱註を併読)、小学(本註を併読)、禮記集註、蒙求、十八史略

■第一等(五百石以上の長男の定級)

四書(朱註を併読)、近思録、二程治教録、伊洛三子傳心録、玉山講義附録、詩経集註、書経集註、禮記集註、周易本義、春秋胡氏傳、春秋左氏傳、國語、史記、前漢書、後漢書


日新館で学ぶものがまず長男だった。。長男が跡継ぎとして特別だった。
それは明治以降も家を中心として長男が跡を継ぐので特別だったから継続されている。
年長者は特別配慮されて敬われている身分制社会である。
こういう社会は老人にとっては居心地良い社会だったのである。
白虎隊がなぜ生れたのか?それは日新館の教育の結果だったともなる。
そういう教育を受けていたからそうなった。それよりもやはり教育というよりそういう武家社会が厳然としてあるのだからそこに少年は子供は適合するからそうなった。
そういう社会があって教育もあったのである。
だから今いくら教育がどうしようかと言っても社会と別にあるわけではないのだから教育だけではどうにもならないのである。

年上の人を敬うということは江戸時代はそういうことができた社会である。
年上の人に習うということがそもそも基本的な社会のしつけである
それは年寄りは何かしら教えるものを年下のものにもっていたからである。
だからこそ師弟関係もあった。今社会で年寄りが敬われないかというと教えるものがないからである。
むしろ技術の進歩が早く変化するから年下のものから教えられたりする
そうなると年寄りの権威もなにもなくなる、敬うこともなくなるのである。
現代ほど教育がむずかしい社会はない
学ぶものも江戸時代の百倍もあり何を指針にしていいかもわからない
要するに何を指針にしていいわかわらないからカルト宗教団体とか共産党でも特定のイデオロギー団体に入るとかでしか教育がないのである。

江戸時代と現代の相違は人と人の直接な関係の中で学んできた。狭い生活圏の中でともに暮らし日々の生活で学んでいた。

道の真ん中は偉い人が通るところですから、子どもは道の端を歩きなさい。そして、門の敷居は踏んではいけないし、中央を通ってもいけません。ましてや、藩主や家老がお通りになる門はなおさらのことです。

道の真ん中をも歩けないというと厳しい、窮屈だろう。これが身分制社会だった。
野馬追いで行列の前を横切るなとか二階から見るなと同じである。
江戸時代が何でもいいわけではない、こんなに身分制社会だったら人間も窮屈になるだろう。それを批判する人もいる。上下のようにあまりにも余裕のない四角張った社会だとなる、自分が江戸時代を理想のように言っても実際は江戸時代にもどったらとても耐えられないとなる。
ただ過去は今の社会と比べといいようにイメージする美化されるのである。
今はこんなだけど江戸時代だったらこんなことはなかったろうなとかなる
それはあくまでもイメージの世界であり現実に生きたらそうはならないのである。

二、父母や目上の方へ食事の世話、それからお茶や煙草の準備をしてあげなさい。父母が揃って食事をする時は、両親が箸を取らないうちは子供が先に食事をしてはいけません

子供に給仕のようなことをさせるのは今でもさせているからめずらしくない、食事の世話となるとどういうことなのか?自分の子供のころはみんな家の家業の手伝いをしていた。
農家でもそうであり子供は働かせられていた、重要な労働力になっていた。
今はそれより学業に励めとなる、いい学校に入れとか受験競争になったのが団塊の世代からである。そこには仲間意識もなく上に上がり得するために仲間をおしのけ蹴落としてもいいとかになった。
社会が変われば価値観が全く変わってしまうのである。

ともかく会津藩というとき相馬藩の六万石とは比べようがない、歴史の厚みも広さも違う一つの国である。だから様々なものが残っているから歴史を勉強するには興味が尽きないとなる。そこには一つの世界観を形成できる。
相馬藩には藩校などないしどういう武士道なのかもわからない。ただ野馬追いがあるようにやはり侍なのだから武士道があった。それは日新館の武士道とにていた。
それは全国的武士道があり共通のものがあるからだ。

いづれにしろ現代は上に立つものが常におとしめられ否定される民主主義社会である。
こういう社会は常に不安定な社会になる。
確かに子供のときは窮屈でもやがて年長者になり年寄りになれば敬われるそれは精神的に安定した社会なのである。
老人か今敬われない、居場所がないとかならないからであてる。老人であるだけで敬われていたのである。これだけ大量の老人が社会に存在していて無用のものとされているのは悲劇である。老人は社会的に存在させられていないというときもそうである。
でも現実に老後は長いし社会に生きていかねばならないのである。
タグ:会津日新館
posted by 老鶯 at 17:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 野馬追い関係

2016年07月23日

相馬野馬追い (北郷(鹿島区)で総大将お迎え)


相馬野馬追い


(北郷(鹿島区)で総大将お迎え)


nomaooooikk1223344556677.jpg
北郷の本陣

槍が立って囲んでいる

nomaooooikk12233445566.jpg

nomaooooikk122334455667788.jpg
総大将相馬藩の殿様の到着(クリック拡大)

nomaooooikk122334455.jpg

nomaooooikk12233.jpg

nomaooooikk1.jpg

nomaooooikk1223344.jpg

この杉の木の紋様は只野氏のものである。



野馬追いやかぼちゃの花に郷士かな

野馬追いや土着の郷士藪甘草


海老原氏が福大将でありその家で一時宇多郷(相馬市)が待ち北郷と合流して
総大将をお迎えする、それが毎年決まりきった祭の手順である。
総大将が北郷の本陣に来たとき最高に盛り上がる。

相馬野馬追いは実際に歴史的あったことの忠実な再現なのである。
そして外からみて相馬野馬追いは誰でも参加できるようでできない祭である
野馬追いに出る家は代々決まっているからである。
先祖が相馬の郷士の出であることである。
その家に兜とか旗とか残されているからである。旗印もかってにつくることはできない。
郷士(ごうし)というのにもいろいろあった

薩摩藩では人口の4分の1を占めていたため、これら全てに武士としての扶持を与える事は不可能であった。これらの郷士は、藩に許可されていた大工や内職で生計を立て、中には武士身分のままで上級郷士の小作人になる者もいた。

これは郷士といえば普通は農業しているが職人していた人も郷士がいたのである。
侍というだけで食べていけた人はそんなに多くなかったということがある。
郷士(ごうし)という名前自体がその体を現しているのか、郷土に土着して生きる侍ともなるのか?相馬藩では郷士が多い、それは農業していた農民である。
だから例えば鹿島区の街内から出るのは一騎だけである。
野馬追いは農家からでるから相馬市の城のあった所でもほとんど野馬追いに出る家はないのである。
例えば原町となると街自体が大きいけど原町村となっていて一軒しか野馬追いにでていないのである。外から見るとそこが誤解しやすいだろう。ただ鹿島区に原発事故で移住して家を建てた人がいてその人は小高の農家の人なのだろう
旗が立っていたからわかった。もともと街内からは一騎しかでない、他にも移り住んだ人が小高の人がでているのだろう。
それが変化したことである。

野馬追いは戦国時代の再現だけどここでいかに総大将が中心であり総大将によって全体の指揮があがりもりがある。いかに総大将が藩主が君主が大きな役割を果たしていたか具体的にわかる。
こういう世界は民主主義とか平等の世界になると理解できなくなった。
ただ日本では天皇がいて一番偉いものとして日本の中心にありまさに政(まつりごと)を継続しているのである。天皇が総大将の役割を果たしているのである。

人間社会はなかなかそういう総大将とか上に立つものがいてそれをみんなで盛り上げなければまとまらないのである。
民主主義になればみんな上に立つ者をおとしめることしかない、なにあいつらは偉そうにしているけど俺たちの一票によって選ばれたものにすぎないと思っているからである。
ただ天皇だけはそうではないことが日本の長い歴史でそうなったのである。
天皇が問題にしてもそうして神輿としてもかつぎあげるものがないと民衆だってまとまらなくなるだころう。
ともかく総大将の殿様を中心にして行列がありお迎えすることがまさに祭りなのである。
posted by 老鶯 at 17:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 野馬追い関係

2016年07月22日

東京都知事選挙も日本の政治の縮図 (小池は極右、増田は東電の役員の官僚、鳥越は典型的な左翼)


東京都知事選挙も日本の政治の縮図


(小池は極右、増田は東電の役員の官僚、鳥越は典型的な左翼)


これを発表した企業というのは、東京電力ホールディングス。増田氏は14年6月から東電の社外取締役に就任しており、公示日を前にこっそり退任したのだ。

しかも、増田氏は東電株を1902株も取得している。13日に開かれた記者会見でも「安全性が確認された原発を動かす政策は認めていくべきだ」と明言するなど、原発の再稼働を後押しする姿勢を見せていたが、もし現在も東電株を保有しているとなると、増田氏は立派な東電の利害関係者である。当然、増田氏には有権者に対して説明する責任があるかと思うが、まだそうした言葉は本人から聞けていない。

じつは、増田氏は以前、原発事故の損害賠償にかかる費用などを国費から支出する"東電援助"のために設立された原子力損害賠償支援機構(現在は「原子力損害賠償・廃炉等支援機構」に改組)の委員長を務めていたが、東電社外取締役にスライドする直前に同機構の委員長を退任している。ちなみに、社外取締役の報酬は計6人に対して年間6200万円が支払われており、増田氏の場合は他の委員会の委員長を務めていたことから


この人は官僚の典型のような人だった。官僚という立場を利用し私欲しかない人である。人間を見るにはいろいろあるにしろこれはわかりやすい、はっきりと利害関係がわかりあまりにも露骨だからである。
日本の限界集落問題でも少子高齢化問題でも本を出して意見を述べていた。
それは実際は統計的なものからの見方でありそこには肝心な現実に生活している人間が見逃されているのだ。統計的数字からだけでは人間は見えないし社会も見えない。
一方でこれを批判した「地方消滅の罠」山下祐介の見方はそこに生きる人間を見ているのであり統計的数字ではないのである。だからその目にはあたたかさがある。
害一これほど明確に利害関係を東電と結んでいること自体がこの人を現しているのであるこれだけはごまかせない事実だから判断しやすい。
そしてこの人の実績は岩手県知事をしたとしても借金だけを残しただけだとかないのである。
東京都民ではないにしてもこういう人に投票できるのか?
原発事故の被害者から見たらできない、賠償に専念しろともなる。なぜなら取締役だったのだから完全に東電の内部の人であり権力をもっていた人だからである。
原発事故の責任者として罰せられるべき人だったのである。
東電など原発事故の責任は誰も問われていないというのもなぜなのだろうとなる
この人も重要な責任者の一人だったのである。
この人が自公推薦の人なのである。

東京都は別に東京都民でなくても関心がある。東京都知事は国の首相に継ぐ地位もあり権限もあるという。一国の規模の予算を采配するから利権の巣窟となっている。
都議会議員には大企業がゼネコンでも仕事を受注したくておしよせる。そこでどうしても賄賂とか不正が生れる
舛添前知事がごまかした金より巨額の金が動いている、それを采配しているのは内田とか猪瀬前知事が暴露した。何か深い恨みがあったからだとなる。
要するに巨額の利権が金が動く場だから腐敗してくる。そういう場所に公明もかかわってくる。公明は創価も利権団体であり利権で動くのであり宗教とは関係ないのである。
なぜ舛添前知事でも猪瀬知事でも葬られたのか解せない面がある。
それは大きな利権がかかわりその利権をほしいままにするために邪魔だから追い落とされた。その裏のボスが内田だとか今盛んに言われる。

そういう巨大な利権を増田氏が当選すれば自由にできるということで自公は推薦したのだろうか。ここにも大きな闇がある。
ではなぜ自公がこのような利害関係がはっきりしている増田氏を押しているのか
これも自公の正体だということを示している
限界集落、地方は切り捨てというのがその政策なのである。
だから地方からの視点はなくただ中央からの視点しかなく不効率なのは切り捨てるべきだとなる
そういうことは現実にそこで長年生活していた人には簡単にできないのである。
それは原発の避難区域になったところでもそうである。
ともかく官僚とか会社の幹部とか権力をもつものは罰せられないということがある。
検察も同じ仲間だから罰することがない、検察自体が東電が有力な天下り先になっていたからである。警察もそうである。
そもそも民主主義といっても日本では様々な面で機能していない。
アメリカでは大統領が変わると権力者も変わる、交代する、官僚自体も人が入れ代わるのである。それだけ大統領選挙で変わる、政策も大きく変わるから影響が大きいのである。日本はシステム的にも選挙でも変われないのはそういう根本的な権力の交代がないから民主主義が機能していないとなるのだ。


では他の候補がどうなのかとうとこれまたそれぞれがそのバックを見ると象徴していたのである。鳥越氏は左翼の典型的な人でありマスコミをテレビ受けする人だったのは舛添氏とにている。テレビで有名になる人はなにかいかがわしいと最近証明されている。
そこでは名前を売ることでありテレビであれその人の中味より外見なのである。
要するにテレビのタレント、芸能人を求めているのであり真摯に何かを追求している人は必要ないのである。第一マスコミ自体が視聴率優先であり会社の広告塔になっているのだら追求できない、左翼もまた本当に信用できない、それはさんざんネットで言われる
人間そのものは高潔な人などいないのである。
だからこそ今になってセクハラで責められたりしている
舛添氏も鳥越氏も同じだったのである。他者を責めるには厳しく自分には甘えなのである左翼は結局貧困ビジネスなのである。創価も貧困ビジネスである。
こうなると指示する政党もなくなる。政治家そのものが信用できないとなるからだ。

小池氏はどうかというとそのバックは日本会議の極右団体の議員団副会長だとかありとこれも抵抗がある。そうしたらまた選ぶ人がいないとなる。
ネットでは小池氏がいいだろとなっている。この女性だってバックをみると危険な匂いがする。優生思想の持ち主だというのもそうである。
結局政治とは個人があっても個人だけでは当選できないからバックに必ず団体が後押しする。そうしなければ票が集められないからである。
組織と組織の対立になるのか?ただ浮動票が東京では多いのだからそれが組織に関係しないとどう動くのかとなる。浮動票にしたってこうなると選ぶのがむずかしいだろう。
小池はどっちにも組みしないようで極右なのである。鳥越は左でありこれも嫌だろう。
増田は東電と利害関係が露骨だから論外だともなるが東京にとって中央からみて少子高齢化対策とかで地方を切り捨てるというのは賛成が多いかもしれない、東京と地方の見方は違うからである。
東京都民ではないけど自分だったら増田には入れない、これだけは確かである。
では小池が何か増田と変わっているのかというとそうでもない、女性というだけが変わっているとなる、それで女性票を集めるから有利だとなる。
東京は国政選挙でないから都民でないものは黙っていろとなるが東京は国政をも左右するから無関心で入らないし現実に地方にも影響する
なぜなら東京電力は東京に電力を供給する会社でありそれがフクシマに原発を造ったのだから密接な関係があったのである。そのために大被害を受けたからである。
増田のような人がなったら原発事故の責任もなにもない、東電と一体であり東電の言うなりになる。

やはり東京は日本の政治の縮図の場である。単なる一地方ではない、実際に福島県まで影響しているし埼玉県であれ神奈川県であれ関東圏全体に影響する。もちろん東京は日本全国に影響する、だから他の県の選挙とは違って政治的に重要なものとなる。
ただ東京は他から入ってきている人が多いから地元意識がないから有名人を選ぶというとき東京と自分たちの体躯のようには考えないのである。
地方だと自然と一体化して体躯のように全体を考えるのである。
まさに像をもって考える、東京はそういうことはない、また考えようがないのである。
地方とはその土地と深く結びついている。歴史とも結びついている。
東京にはそういうものがない、経済の効率性とかのみを志向する、土着性がないから知事でも有名人がいいとなる。
もちろん政治はそういうものであり何か歴史とか文化的なものをないがしろにして成り立つからどこでも同じだとはなる。
不思議なのは極右というときそれは日本人の文化と深く関連する、土着的なものである。神道が関係していても思想的に極右の人には土着的でもないのである。
日本文化を守るものとして極右がある、でも実際は核武装とか戦時体制を作るとか軍事力を優先する、ハードな面だけが強調されるのが抵抗を感じるのである。
ともかく東京都知事を選ぶことは国政選挙並になるがそれも投票率が低いからこれも民主主義が機能しないとはなる。
いづれにしろ誰を選ぶかのとなると増田は排除しても鳥越もだめで小池になるかとなるとまた迷うとなるだろう。阿部首相と一体化して軍靴の音が聞こえるとなるからである。

東京都議たちがいかに利権にまみれているかを大前研一氏指摘


bookttttttt11.jpg
参考にした本
posted by 老鶯 at 17:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2016年07月21日

紫外線の怖さ(今年は特に紫外線が強いので日射病に注意)


紫外線の怖さ(今年は特に紫外線が強いので日射病に注意)


薄い雲の場合、紫外線の 80%以上が通過します。

紫外線被爆は一日をとおして蓄積されていきます。

サンバーンは私たちが感じることのできない紫外線
によるものです。暑さを感じるのは赤外線によるも
ので、紫外線ではありません

 わが国では、大気清浄化の取組によって、以前に比べ大気はきれいになりまし
た。つまり、紫外線をさえぎっていた大気汚染物質が減少したため、紫外線カット
効果が薄くなったともいえます。


今年は4月から紫外線が高かった、紫外線は暑さとは違う、赤外線が暑さをもたらすという、紫外線は暑さをもたらすものではないとすると暑く感じなくても紫外線はあびている今年は4月ころから紫外線が強かった、それで外出してなぜ日射病のようになったのだろうといぶかった。
もともと自分は暑さに弱いし光にも弱い、でも4月からこんなに光の影響を受けたことはない。小高に行った時もそれほどの暑さとは思えない、夏だったら普通の暑さだろう。
ただ違うのは紫外線が普通の年よりかなり高いのである。
駅までも近いし電車に乗って小高まで行ってほとんど光をあびていないからなぜまた日射病のようになったのか?
これは年のせいかなとも思った。でもそれはあってもそれだけではない、明らかに紫外線の影響がある、これまでも暑い時がいくらでもあったがこれほどに日射病になるようなことはなかった。
日射病の怖さは良く老人が畑仕事していて死んでいたということがニュースで伝えられる老人はやはり紫外線にも弱いのである。

この紫外線は全く目に見えないから感じないものではない、放射線とは違う。何か光の感じが違うなと体感する、いつもの年とは違う光だなと4月ころから思っていた。
調べるとインターネットだといろいろでていた。

4月22日には、この10年間の中で一番早く「非常に強い」の基準値を超えたそうです。

4月から紫外線が強かった。

薄い雲の場合、紫外線の 80%以上が通過します。

曇っているから安心して外出していた。これも違っていた。そもそも赤外線は雲でさえぎられる。紫外線はさえぎられないということである。
そして曇りの日に庭仕事しただけで日射病のようになったことがこの説明でわかった。
曇った日でも紫外線が強く受けることがある、確かに老人になると体の抵抗力が弱くなるからそうした紫外線でも影響を受けやすい、ただ紫外線に対してはあまり警戒しないということもある。

紫外線にはUVBとUVAがあって、自宅に居てもガラスを透過して紫外線が入るそうです。

これもそうなのか、やはり庭でも紫外線をあびるとなる

皮肉なのは紫外線をさえぎる大気汚染物質が減少したために大気がきれいになったため紫外線のカットがそがれた、たいがい空気がきれいになったら人間の生活にはいいはずである。オゾン層というのも意外と意識しないがオゾン層で紫外線がさえぎられなかったら人間は生きていけなくなる、そのことで人間が滅びるとまでなる。

其の光を和らげ、其の塵を同じゅうす。すなわち、自分の光り輝く才能や知徳を隠して、世俗の塵にまみれ、慎み深く目立たなく暮らせという教えが「和光同塵」ー老子

つまり科学とは関係ないかもしれないが、あまりにも光が強すぎるとここでは紫外線だけど良くない、塵があって強烈な光がさえぎられてかえっていいとなる
大気汚染というかそれも全部悪いともいえなっかたというのも奇妙である。
放射能でも放射性物質でも低いとかえって体にいいとか言う学者がいた。
何か放射線でも全部が悪いというのではなく人間にも良く働くとなればいい、ただ放射性物質は自然界にない物質を作り出したことが問題だったのである。
考えてみるとこの老子の思想は不思議である。
光を和らげるというのは光をさえぎり弱めるであり塵と同化するという思想は普通にはイメージできない、発想できない、だからこの思想は不思議だとなる。

紫外線被爆は一日をとおして蓄積されていきます。

放射線と同じなのは一年で被爆する量がいくらかと計算していることである。
だから外で働いている人は危険になる、でも農家の人は草むしらないといけない、工事現場でも一日外で仕事しているから紫外線をあびる
この辺では工事が多く絶えず外で仕事している人が多い、家を建てるにしても楽ではないとみる、ただ自分はそんなに外にでていなくても日射病のようになったということは明らかに今年の紫外線は相当に強いことは確かなのである。

この辺では絶えず放射線とかが問題になって現実の生活に影響しているから科学に弱くても考えざるをえなくなった。だから放射線研究所ができた。
紫外線もままた人間に影響する目に見えないものである。
インターネットだと知識が広まることは確かである。科学に弱くてもいろいろつなぎあわせると理解した気分になる、でも深いところは素人にわからないのである。

紫外線のグラフ

タグ:紫外線
posted by 老鶯 at 21:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

蝶の乱舞(butterfly)


蝶の乱舞(butterfly)


butterfffff567.jpg


butterflyyyyy1334455577.jpg

butterflyyyyy133.jpg

butterflyyyyy13344.jpg
タグ:
posted by 老鶯 at 09:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 抽象画の部(abstract)

2016年07月20日

夏の日電車で小高まで (小高には帰る人は少ないだろう)



夏の日電車で小高まで


(小高には帰る人は少ないだろう)

sssyyttttt445.jpg
このカバンが何か仕事が始まったというのにふさわしい
品行方正という感じのカバンなのである。

stationnn1111112233.jpg

stationnn111111.jpg

町暮れむ電車を待つや合歓の花

走りゆく電車に見ゆる夏の月

開通す鉄路の熱く藪甘草

小高へと汽笛ひびきて夏の山

stationnn11111122end.jpg
まだ人気が少ないからこんな感じになる



ひさしぶりで電車に乗り小高まで行った。原町へ小高からは四、五人しか乗らない
女校生が一人おりた。街から離れているという、迎えるにくる家族を待っていた。
もう一人は鹿島の仮設にいる人だった。

「オレ、新しく家建てたよ」
「どこに住んでいるの」
「小屋木だよ」
「みんな帰ってくのか」
「部落では三割くらいだな」
「街から遠いと不便だな」
「街から4キロ離れているよ」
「それは不便だ」
「まあ、仮設には来年の三月までいることできるよ」
「そんなに長くいられるの、みんな帰ってくるのかな」
「帰ってくるよ」
「他で若い人は家建てたとか別な暮らしになったからな」
・・・・・・・・・・・・

みんな同じようなことを言っている、補償金で新築した人も多いだろう。
そういう点では良かったが若い人も帰ってくると思っているのは甘いという人もいる。
要するに避難解除になってもほとんどは帰っていない、仮設にまだまだ住み続ける
20分の停車でありすぐひきかえしてきた。あと帰るとなると便がないからだ。
街中でも住んでいる人はまだ少ないだろう。
小高は終点で駅員がいたが鹿島は無人駅になったのも変化だった。

ともかく電車は待つ時間がありそれが旅するものには記憶となる。
合歓の花が咲いていてホームに涼しい風がふいてくる
それで電車で旅したことを思い出した。
電車を利用するにしても原町まで往復400円だとすると高いとうい感じになる
自転車だったら無料だからである。ただなんか体が弱ってくると電車がいいとなる
小高から買い物の車がでているが便数が少ないからやはり不便だ。

帰りは原町の喫茶店で食事して休み帰ってきた。
原町の駅前の書店も閉鎖した。ただ大きな図書館だけがある。これも何か無駄だったのか?、今になるとインターネット化すると図書館は何か無駄になった面がある
まず図書館で調べ物するのが容易ではないのだ。
なぜなら何か書くときは参考にするものが本でも必要なのだがそれをいちいちとりだすとなるとめんどうなのである。
インターネット化しても蔵書が一定数ないと書くことはむずかしい。
要するに自宅が小さな図書館のようにならないと何かを書けないのである。
自分の家はある程度そうなっている。

時代は常に変わる、本がなくなるなどイメージもできなかったろう。
そしてこの辺がこんなに変わることもそうである。
あそこは高校生が電車を待つ場所なのかとも思う
高校生は帰りで一杯乗っていたからである。

駅前にいろいろあれば電車で来てもいいが今はほとんどなにもない、駅前中心には街は作られていないからだ。
今日も暑かった、電車が走り夕方に夏の月がでていた。これも何か電車ならではの面白さである。

2016年07月19日

末続駅の末続も渡来人の跡か? (地名に残した渡来人の跡ーツノガノアラシトの跡)


末続駅の末続も渡来人の跡か?


(地名に残した渡来人の跡ーツノガノアラシトの跡)

suituguuu1.jpg

kayaaaa1.jpg




tutututt2222.jpg

ツノガアラシトは金官伽耶の王子、日本に3年ほどいた後に朝鮮に帰り、再び日本列島に帰ってきたという人物

半島東南端の加耶諸国だけはそのまま勢力を保っていた。そして、その中心あたりに「大加耶」「小加耶」あるいは「金官国」(クムグァン)があったのである。

「任那の日本府」の経営も試みられた。考古学的には須恵器(すえき)が倭に入っている時期になる。

 いまのところ、加耶の実在を示す最も古い史料は高句麗の広開土王碑である。その記事の中に「任那加羅」という言葉が出てくる。年号では400年ちょうどになる。この任那加羅が金官国の別名だった。


 『三国史記』では加耶・伽耶・加良・伽落・駕洛などと、『三国遺事』では主に加耶と、ほかに駕洛と記される。『日本書紀』では加羅が多く、『続日本起』では賀羅とも綴る。中国の『梁書』はもっぱら伽羅で、『隋書』では迦羅である。日本読みではこれらはすべてカヤか、カラになる。朝鮮語読みでは“karak”に近い。

 そこで倭国の王は千熊長彦(ちくまながひこ)を新羅に遣わして、新羅の罪を攻め、さらに369年に荒田別(あらたわけ)・鹿我別(かがわけ)を将軍とした軍を百済の久氐(くてい)らの使者とともに卓淳国におくりこんだ。けれども兵力が少なかったため新羅を襲えない。そこで、百済に援軍を求めた。百済は木羅斤資(もらくこんし)らを出陣させ、みんなで卓淳に集結して新羅を蹴散らすと、さらには洛東江流域の、南加羅・安羅・多羅・卓淳・加羅など7国を平定したというのだ。
 いわゆる「加羅七国平定記事」である。このうちの南加羅が金官国にあたっていると思われる。


ツヌガアラシトに対して、崇神天皇が自分の名前を与え、「汝の本国の名を改めて、ミマナ(任那)とせよ」と言ったという記事が 『日本書紀』 にある。このことに関して、それは逆であって、ミマキ入彦は、もともと任那すなわち朝鮮南部の王であったが、倭国に進出して国を開いたので、祖国の「ミマナの城から入って来た」という意味で「ミマキ入彦」と称したのだ、とする意見もある。



棚塩の津明神社は貴船と合殿で九月十九日を祭日とするが大宝某(700)のこの月この日に海中より出現したという、

豊間(磐城)の海岸の津明神社の社の何か置いてある高さ十三ほどの小祠をみこしとしてかつぐもので・・・

津(ツノ) 神社


(宇多郷) 尾浜3 原釜1
(北郷)烏崎
(中郷)堤谷 金沢、萱浜、小浜、泉
(小高郷)角部内 
(北標葉郷)棚塩




なぜ末続駅の名が気になっていた。人間は何か理由がわからないといつまでもこだわるのである。病気でも説明されて原因がわかると安心する。
地名でもなにかわからないといつまでもなんなのだろうとこだわりそれがいつまでも解けないとなんとか理由を探そうとする。
第一地名は本当はいろいろな解釈がありその由来が不明なのが多いから無理な面がある。地名から歴史を解明することはできないのである。地名にこだわると歴史を見誤ることがあるから危険である。

ただ末続という地名は出雲の須衛都久神社から発していることは明確である。
ではこれは何に由来するのか、イザナミとかなると渡来人関係ではない
でも須衛都久とはすえつくのすえは須江であり陶なのである。
つまりスエとつく地名は須恵器に由来していてその技術者でありそれは渡来人なのであるスエツクのツクとは継ぐになるから須恵器を代々作り継ぐ人たちとなる。

ただここで疑問なのはそんなに末続がそんなに古いものなのか?
なぜそれが地名化したのか?最初に地名化したのは古代にさかのぼる
末続が新妻一族の村だったということでそこに住んでいる人からもコメントをもらった。新妻氏というときそれは地名化していない、江戸時代に地名化することはあまりない
地名というのも古代にさかのぼり古いものなのである。
ただ姓の元をたどれば日本では必ず村がある。千葉県に新妻村があるからそこから新妻一族が生まれたのである。
浮田とあれば浮田国造とかこれも古代にさかのぼる。真野でも真野郷がすでに平安期文献『和名類聚抄』に記載されている。

この鏡は天の日矛が持ち込んだ日鏡D鏡は八咫の鏡E鏡は神功皇后がヤマトの奇襲攻撃の為日田に隠した。その後、出雲の神宝である鉄鏡を必死で探したヤマトは出雲(日田)を崩壊させてしまい日田の住人は出雲大神を祀る事を禁止された、しかしその後、出雲の祟りで口を聞けない王子が聞けるようになる記述も日田での出来事であり、出雲(島根)ではない出雲国造の祖「岐比佐都美(別名)来日田維穂命」(きひさつみ)こそ日田の久(比佐)津媛である。岐=八衢・比佐=日田・都=地・美=木花之佐久夜毘売・髪長媛
毘売は夜(一夜で身籠もる=武内宿禰・蛇=大物主神=神功皇后の意)久佐(ひさ)の花の木(綺麗)の意

久之浜末続は一連のものとしてある。ヒサとヒサツヒメであり鉄と関係している、渡来人が浜通りに砂鉄を求めて鉄作りをした。その跡が点々と残っている。
浪江の津明神の伝説が大宝であり七〇〇年であり古いのである。
すでにその頃から鉄を求めて来た渡来人がいた。その人たちが地名を残した
それはツノガノアラシト系統の渡来人だったのである。
だから津(つの)であり津神社はつのみやとかツノとついているのである。ツと一字では読まない
それは古代史にさかのぼると日本と韓国の深い交流があったからである。
日本の建国がどうして行われたか、天皇がどこから生まれたのか不明である。
それは加耶・伽耶・加良・伽落・駕洛と深くかかわっていたのである。
カラというとき伽耶でもあり間違いやすい、唐をあてると中国のように誤解する、唐の時代より前の時代であり唐とは関係ないのである。
鹿島区にある唐神という地名はカヤに由来しているのである。伽耶の神なのである。
またツヌガノアラシトというときアラは安羅であり伽耶国にその地名があった。
荒という姓がなぜ相馬に多いかというと何かそういう由来があるのかとなる

だから浜通りに点々とある渡来系の地名は鉄を生産することと関係していた。鉄を生産する技術者が伽耶国からわたってきたのである。
鉄の生産と須恵器は関係している、

須恵器は古墳時代に朝鮮半島の技術を取り入れてつくられた、硬質の焼き物です。陶器と磁器の中間的な性質を持っています。「備前焼」や「信楽焼」などと同じ「せっ器」に分類されます

須恵器は朝鮮半島の南端伽耶と日本で呼んでいた地域にのみ見られる土器で中国から伝わったとされてますが果たして何所が起源なのかわかってません。

須恵器を作る技術は伽耶国からもたらされたことは大事である。
そしてこれまで何度も書いてきた。

陸奥の真野の草原のように遠いけれど私にはあなたの面影が見えるというのに…笠女郎(かさのいらつめ)

この草原(カヤハラ)は伽耶国のことだったのである。真野郷内に唐神があるのも地名として古代にさかのぼるのである。海老村がエヒ村でありこれは蝦夷(エミシ)の村だったというときも古いのである。実際に弥生式の縦穴住居跡もでているからだ。
石巻に萱原という地名があるからそこが真野の草原となっていた。そこにも真野という地名がありまた真野公という木簡まで発見されている。
ここで地名とも一致しているからここだともともと言われてきた。
ただそこはあまりにも遠すぎるので南相馬市の真野が古墳とかも多く金銅製双魚佩( そうぎょはい)なども発見されたので有力になった。
どうしても地理的に石巻が遠すぎるのである。

なぜ歴史的に伽耶国のことなどが取り上げられなくなったかというと伽耶とかが隠されるものとなったためである。そして伽耶というのは蝦夷にもなっていたのである。
伽耶琴が新羅琴となったり百済に併合されて伽耶の存在は希薄となり伝説化したのである。
百済は正史に残ったが伽耶はあいまいなものとなってしまった。百済が滅びたときも日本に亡命した人たちがいた。
伽耶はその前の時代でありわかりにくいものとなったのである。
原住民と同化したのである。カヤ族がいて棚倉で大和軍と戦った伝説が残っているからだそれだけ渡来人の歴史が古いということをこれは証明しているのである。

2016年07月18日

駅名と野馬追い (歴史を知らないと旅もつまらない)


駅名と野馬追い


(歴史を知らないと旅もつまらない)


相馬藩六万石
城跡古りぬ相馬駅
代々の殿の今につづく
野馬追いの出陣は
侍の血の蘇りて
ここより法螺貝ひびく

鹿島駅は北郷の地
宇多郷と合体して
一石坂(いちごくさか)を上り
雲雀が原に勇み向かふ

機関区の原町駅
物資はここより運ばれぬ
原紡の引き込み線
新たに女性の職場かな
新しき街、無線塔の威容
野馬追いの雲雀が原
五〇〇騎の旗翻る

磐城太田駅に神社あり
相馬氏の先祖祭らる

小高駅城跡のあり
ここは相馬藩の礎の城
古式に野馬掛け
野馬追いの始め



野馬追いの見方は雲雀が原で神旗争奪戦の前から始まっている、相馬の城跡があったところから始まって
いる、一日目が相馬市で出陣の行列がはじまり、二日目は南相馬市の鹿島区で北郷と宇多郷が合体して雲雀が原
に向かう、三日目が神旗争奪戦になる。
駅でも地名でもやはり歴史を知らないと旅をしても通りすぎるだけだとなる
必ずそこには歴史がありその歴史を知らないと浅薄な見方しかできないのである。
各地にある祭りは歴史を凝縮したものとしてあるからだ。
特に野馬追いは歴史そのものなのである、新しい旗は二三作ってもほとんどは先祖伝来の旗になるからだ
その旗にも何か由来があったのだがなかなかわかりにくのが問題である。

駅といっても他から来たらここまで知る人はいない、野馬追いでも外から来たとしてもこういう基礎的
歴史を知らないと祭りの醍醐味がわからない。
相馬市だとそこに城跡があるから城下町だったということは一応わかる
その他はなかなかわかりにくい、電車が好きで旅をしてもここまで駅から歴史をふりかえることはできない
要するに昔の街道を歩いて旅すれば自ずと歴史をたどることになるからわかるが電車だと駅を過ぎてゆく
だけだからわからない
それが現代の旅をつまらないものにしているのである。
新幹線で平泉まで行っても途中がないのだからつまらない、歴史もわからないのである。

こうして駅から歴史を偲ぶのは地元だからであり外から来たらそんなことまるで感じないのである。
そこに電車の旅の問題があった。実際は明治に汽車が電車が通ったとき江戸時代の街道は廃れた。
たいがい駅はそうした江戸時代の街道沿いから離れた所に作られたからである。
町の中心より郊外に作られた、前の原町市はまさにそうだった。
原町機関区であり駅前から発展したのである。街道沿いは廃れたのである。
その時無線塔がそびえ原町紡績があり大正生まれの自分の母も働いていた。
無線塔はその後もずいぶん原町のシンボルとして立っていたのである。

明治以降は城跡のある相馬市から原町へ中心が移ったのである。
人口も一万以上原町が多かったのである。だから小高と原町市と鹿島が合併するとき南相馬市になったけ
ど新相馬市がふさわしかったかもしれない、
地名にはどこでも古町と新町がある、すぐ近くでも古町があるということは狭い区域でも世の中が変わり
栄えた所がさびれて古町になる。
相馬藩内では城跡のある相馬市は古町になった。原町は新町になった。だから新相馬市という名前でも良
かったのかもしれない。
南相馬市は何か方角だけでありものたりないのである。

ただ津波とか原発事故の混乱で相馬藩内はまた見直される、再生の南相馬市を目指しても何か縮小したも
のになる
小高はもう二千人規模でありすでに縮小してしまったからである。何か街の勢いがそがれてしまったので
ある。
相馬市として将来合併するかもしれない、人口が減少してコンパクトシティ化してくる
それはここだけの問題ではない、全国的に少子高齢化で市町村でもさらなる合併が推進される
そうしないとインフラさえ維持できなくなる。
小高のように一万から二千人になったらどうなるのか?街自体維持できないのである。


桑名の駅(中原中他)


この詩は東海道の桑名と現代が結びついているから味わい深いとなる
桑名駅におりたてば東海道の桑名をふりかえることができる
焼き蛤が名物であり旅の味として記憶に残るのである。
駅と歴史はなかなかこういうふうに結びつかない

思い出すのは新地駅である。あそこで帰るとき六分くらい待ち合わせでとまる、新地駅からは海が見える
満月が海から昇り虫が鳴いていた。

五六分ホームにおりたち虫の声

五六分ホームにおりて待つ時間があったことが記憶に残るのである。まず新幹線だったらこんなことがないから旅はつまらないとなる。
今になると新地駅は津波に流されてないからその経験はと貴重だったとなる。
本当に秋までに仙台まで常磐線が開通するのか?でもその時は前の新地駅はないし海辺の町もないのである。
津波除けの高い土手を見るとなってしまう。この変わり方もあまりに大きいものだったのである。
posted by 老鶯 at 16:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 野馬追い関係

2016年07月17日

権力とかかわると宗教でも何でも腐敗する (イスラムは政教一致だから問題が起きる)


権力とかかわると宗教でも何でも腐敗する


(イスラムは政教一致だから問題が起きる)


イスラム系与党・公正発展党(AKP)の実権を握るエルドアン大統領が強権化を進める中、「世俗主義」の守護者を自任する軍の中で不満が高まったことが一因とみられる。
トルコでクーデターか=軍が展開、群衆に発砲も−「権力掌握」と宣言

 この勢力が何者なのかは不明だが、ロイター通信によれば、ボズダー司法相は、エルドアン氏と対立するイスラム団体「ギュレン運動」が関与していると主張

 今回のトルコはわかりにくい、今のエルドアンがイスラム原理主義政党でありそれに反対したのが世俗主義の宗教団体だというのもわかりにくい、普通はこの逆になっているし過激なイスラム原理主義者が問題を起こしている。

そもそもなぜイスラム教が関係しているところに政治問題が発生しやすいのか?
それは政治と宗教が一体化しているからである。
政教一致でありその宗教自体に問題がある
ヨーロッパでなぜ政教分離になったかというとカトリックが土地でもなんでも所有して強大な権力をもったからである。そのことの反省から政教分離になった。
イスラム教は完全な政教一致であり原理主義者は特にそうなる

原理主義者とは何か?それは宗教を個々人の内面にとどめるのではなく社会を改革してこの世を天国にするという思想である。一見これは別に正しいことであり人々にとっても悪いことはないと見える、キリストは天国は心の中にあるというときそれは心が無私なる愛とかに満たされた時すでにそれが天国だと言っている、仏教でも宗教は元来そういうものだった。ただイスラム教は政治と一体化しているから異質なものとなり理解できないのである
宗教が強制できないというときお前の心がキリストのようになれシャカのようになれと言っても簡単にはできないそれは個々人の自由にまかせるしかない、だから宗教は強制されるべきものではないのである。イスラム教は宗教を強制する、武力でももっても強制する原理主義者も強制する、原理主義者は個々人の改悛とかではない、社会そのものを政治を変えて体制を変えることによってこの世に天国を作ろうとしている、仏教だと仏国土を実現しようとしている、これがカルトであり社会にとって危険なものになる

マルキシズムだと教条主義になる。オウムなども原理主義であり逆らうものは殺せとなり現実にそうしたから恐怖だった。
カンボジアでも共産主義の原理主義だった,地上の楽園を目指したのがそこは大殺りくの地獄だった。原理主義者は反対するもの許さないから全く民主主義と反する、宗教が絶対的なものになるから反対は政治的な問題でも許されないのである。
独裁政権になるから民主主義とは反するものとなる
エルドアンはイスラム原理主義者の政党だというときそれに反発した世俗的なイスラムを目指すのは前はトルコはそうだったし軍がそうしていたのである。
ただ選挙で選ばれたのだからナチスも選挙で生まれたのだからイスラム原理主義政党でも正当性があるとなる、でも民主主義も万能ではない、民主主義も選挙しても独裁政権は生まれる、日本だってもはや自民党独裁になっていることでもわかる
自民党のやりたい放題になる、そうなると内部の腐敗も隠されるのである。

政治は俗社会のルールに基づくべきであるということで宗教とは切り離したのが政教分離である。政治は様々な利権とかかわる、その利権も公共事業となると兆とかもなり巨大なのである。それで大企業ともかかわり国ともかかわり賄賂が送られたり腐敗してゆく
それはどこの国でも同じなのである。
そういう利権とかかわったら宗教もなにもない、その巨大な利権に翻弄されるだけである宗教でも権力をもてば人々は心の中がどうだこうだ天国は心の中にあるとかより権力に注目する、人間の欲望が権力をめぐりむきだしになる。もちろん心の平安もなにもない、
餓鬼のようにみんななる、遺産相続で親族でも殺し合いにもなるのが人間であり日常的に起きている、だからこそキリストでもシャカでも何一つもたない、無一物で乞食のようにして終わった、寝る家もなかった。
でもそのあとに弟子たちは教会を作り権力化してしまったのである。

原理主義者はカルトなのである。イスラム国にとらえられた人が言うには人間が幼稚だという、何か深い思慮などもっていない幼稚な若造が多いからこそあんな残酷なことができる、それはオウムと同じなのである。明治維新も若い人が起こしたがそういう無謀なことがあったことはいなめないのである。本当のイスラム教はそうではないというのも別に原理主義者は世界でもキリスト教にもいるからである。
若いときは心の中に天国があるというより社会そのものを改革することこそ天国をもたらすのだとなりやすい、自分もそうだった。創価はこの世に仏国土を実現するのだという原理主義運動だからである。
日本でも共産党は原理主義者であり創価も仏教の原理主義者なのである。

だからどっちも政教一致なのである。日蓮自体が王仏冥合(おうぶつみょうごう)を唱えている、王は政治であり仏は仏の教えであり原理だとなる、その教理でもそうなのである。それは中世のことでも現代にあてはめている。これを廃止したとあるが現実にその原理に基づいて行動しているのである。
民主主義はまた愚民主義におちいる、大衆はめんどうなことを考えない、題目唱えればなんでもかなうというのが一番わかりやすいのである。あとのことはなんにも考えないのである。だから必ず一定数洗脳される人々がいて団体がいる
民主主義の危険はまたナチスとか一党独裁とかファシズムを生む温床でもあるのだ。
民主主義、民主主義と唱えてもこれまた万能ではないのである。
ともかくイスラム教の問題はその教理にもある、王仏冥合(おうぶつみょうごう)のように政教一致なのである。それが混乱をもたらしていることは確かなのである。


posted by 老鶯 at 17:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2016年07月16日

地名の基本は方角地名 (南相馬市の名前にはなお違和感が残る)


地名の基本は方角地名


(南相馬市の名前にはなお違和感が残る)

northeast11.jpg

南はあたたかい感じ、北は白で寒い感じ

東と西は陽の昇り西は沈むところ



方角地名が地名の基本としてある。方角というとき人間の生活で基本になるのがやはり方角になる。その方角の基本となるのが太陽が昇り太陽が沈む方向なるのである。
どっちかというと南北より東西が基本になる、世界史でも東西である。東がアジアであり西がヨーロッパである。

「オリエント」(日が昇るところ)とは「オクシデント」(日が没するところ)の対概念で、もちろん前者が東洋、後者は西洋という意味です。東洋と西洋を大きく比較する言葉ですが、中世という時代に地中海を航行して聖地イェルサレムに巡礼していたヨーロッパ人は日の出の方向を目指して旅をしたので、「オリエント」とは「中東」を意味するでしょう。地中海中心の航海から大航海時代に入り、インド洋に進出することによって「オリエント」の概念は中東からアジア全域に拡大したと思われます。
「アジア」という言葉は、本来は小アジア半島(現在のトルコ共和国)西部に設定されたローマ帝国の属州の名称です。


これはヨーロッパ中心に軸として方向があった。最初はローマ帝国だった。
アジアが一小地域でありそれが拡大してアジアになった。これはヨーロッパ中心の世界観なのである。つまり地球規模でみても方向は中心があって決まる。
ローマ帝国が中心だとするとそこが中心になり方角が決まる。
これはヨーロッパ中心に軸として方向があった。最初はローマ帝国だった。
アジアが一小地域でありそれが拡大してアジアになった。これはヨーロッパ中心の世界観なのである。つまり地球規模でみても方向は中心があって決まる。
ローマ帝国が中心だとするとそこが中心になり方角が決まる。

アジアという地名は、アッシリア人がBC2350−2180にバビロン北部に栄えたアッカド(Akkad)時代のアッシリア人がアッカド語(Akkadian)で「陽が昇る土地」という意味で言ったasu が語源で、それが古代ギリシアに伝わり(ASIA)、ローマ時代のラテン語(ASIA)を経て、Asia なったのだそうです。

アジアはアッシリアとか古い地域からみて陽が昇る地域だった。トルコはアジアでありアジア人である、突厥とかの遊牧民であり顔だちもアジアになる。

ボスポラス海峡がヨーロッパ とアジアを分ける、ブルガリアはキリスト教国になるからヨーロッパになる。

やはり中心があって方角がある。
仙台には良く電車で行く、電車というのは駅名が気になる、記憶に残る。
仙台に行くと必ず南仙台を通る、南仙台になると仙台が近いとなる。
南仙台は仙台から見て南だから南仙台なのである。
もともとは別な駅名だった。

1924年(大正13年)
9月10日 - 陸前中田駅(りくぜんなかだえき)として開業。
1963年(昭和38年)
5月25日 - 南仙台駅に改称。

陸前中田とかなると陸前とかは古風な江戸時代からの名前である。

江戸時代には、この街道の呼称は藩ごとにまちまちであった。
仙台藩では江戸浜街道。
中村藩では中村以北を仙台通、中村以南を水戸通。
磐城平藩では磐城平以北を相馬路、磐城平以南を水戸路。
水戸藩では水戸以北を磐城街道、水戸以南を水戸街道。

これがわかりやすい、常に水戸に通じる道となっている、東京からは今でも水戸街道と六号線は言っている。

東と西は方角地名の基本としてある。日本でも東西があり東(あづま)と西の分かれるところが関が原であり古代にもここを境にして兄弟の天皇が分かれて戦ったのが壬申の乱だった。ここで気候も変わる境目である。
琵琶湖でも湖東と湖西があり湖西の方は陽が沈む方向になりイメージ化される、ただ旅をするとこの方向がわかりにくくなる。西となるとどうしても陽が沈む方向になるから淋しい感じになるのだ。

大業三年(607年)、隋の皇帝煬帝が激怒したことで有名な 「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」との文言がある[8]。『隋書』には国書を持参した者の名前の記載はなく、ただ使者とあるのみである。

小野妹子がなぜ陽が昇る所の天子から陽が没る天子に贈るとしたのだろうか?
ここでも方角を言っていたのである。国と国の間でも方角が基本になるからだ。

地名は基本的に方角地名がある。相馬藩の歴史をたどれば小高郷、中の郷、北郷、宇多郷、山中郷がある。北郷は鹿島区の地域だけどこれはもともと相馬氏の城が最初に小高に築かれたからそこから北ということで北郷になったのである。
中心が小高にあってそこから北にあるからそうなった。
ではなぜ南相馬市となったのか?
原町市、小高町、鹿島町、飯館町は合併して「南相馬」になるのか、これが募集して一番多かった。相馬を中心にしてその南だから南相馬になる。喜多方の良かったのは北方(ほっぽう)という味気ない名が喜多方という当て字にしてイメ-ジが良くなったことである。
小高から相馬に前の中村に移った時、その城が中心になり相馬市となった。
それで今度は南相馬市となったのである。
南相馬市というとき未だに違和感を感じるのはなぜか?相馬市が中心としてありその南にあるから南相馬市だとなる。
南というとなにか温かい感じがするがそういう感じはない、ただ相馬市の城があった所から南というだけなのである。
相馬市が中心にあり南相馬市は付属している感じになる、外から見てもそうしか見えないのである。
相馬市があって南相馬市としか見えないのである。

ただ三つの町が合併すくときみんなが納得するものがないから無難なものとして南相馬市となった。
南相馬だと相馬市とも一体感があり相馬野馬追いの祭の地域として外からもわかりやすいからである。歴史的にはそうだがどうしても相馬市が中心で付属しているのが南相馬市になるというのが払拭できないのである。
将来的には南相馬市も相馬市も一緒になり相馬市になるということを前提にして名付けたという人もいる。
人口減になったのと津波や原発事故でそれが加速されることもある。
人口減少してゆけば全国的にもさらに市町村合併が推進される。
ともかく合併した南相馬市というのには違和感がある。ただではこれ以外の名前があるのかというと募集していろいろあってもみんなを納得されるものがなかった。
要するにみんなが納得するものとして南相馬市が生まれた。地名には勝手な突拍子もないものをつけられない、みんなが納得するものでとはないと承認されない
だから多数決で決めるのもしかたないとなる、だいたい地名は地形とから名付けられたものが多いし無味乾燥なものが多いからである。

福島県の西郷村というとき西白河郡西郷村とあり白河町が小さな領域だったが拡大して白河市になった。次ぎに東白河郡がある。白河市を中心にして東と西の分かれたのである。これも西白河村とか東白河村だとわかりやすい、外からみるとわかりやすい、ただ西郷村とあるとどこが中心なのか外から見たときわかりにくい、会津だと東西南北がありわかりやすい。ただ南北というとき温かいとか寒いとイメージする、南風だとあたたかいし北風だと寒いと感じる。東西となると陽が昇り没るとして方角があるからわかりやすい。
南と北は何か寒暖をイメージするから東西とはかなり感覚的に違ったものとなる
だから南相馬市はべ別に南だから温かいということはない、それはただ方角的なものだけなのである。
北茨城の北はいわき中心に名付けられていない、いわきからした南である。東京中心にして北となっているとわかりやすい、東北というのもそうである。
posted by 老鶯 at 17:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 明治維新-明治以降

介護で国力も衰退する (老々介護で共倒れが増える)


介護で国力も衰退する


(老々介護で共倒れが増える)


姉と関係していた近くの人が病院に入院しているという。
その夫とあって話したらその人は83才であるが頬がこけてやせて病人のように見えた
前に書いた戦争を経験した95才の人より老けて見えるし顔全体がやせて病人のように見える
その人は別に介護といっても病院に通うくらいだからそれほど辛い介護ではない
施設には入れないというときそれはみんながそうである、それで病院に入院していられるのも助かっている
確かにあの人を見ると自宅ではできない、でもまだ自転車にのれるのだから筋肉は弱っていない、それにしても悪いけどあんな骸骨のような顔になるのも老いの辛さがある。

これから老々介護も増えてきて悲惨な事件も起きている、NHKで介護殺人のことを報道していた。自分も同じ心境だった。死んでくれたら楽になるなと思うことは異常なことではない、介護しているとそうなるのだ。
介護の問題はいろいろあるけど介護は長いということである。自分は二人で十年間であり他の人も7年だとか十年だとか長いことが答えるのである。
癌だと余命一年とかなるから苦しくてもその間我慢すればいいと割り切れるが介護は先が見えないほど長いのである。
その人は認知症の母親を十年介護している、それで脳梗塞で倒れたとき救急車を呼ばないで死んだ方がいいと思ったという心境もわかる。誰でも死んでほしいと思うことがある。それは異常なことでも非情なことでもないのである。十年も介護していたらそうなる。
その人は50才としたそれまで50前から介護しているとしたら余計に辛いとなる。
近くの腰がまがりかけた女性も十年介護しているという、老々介護になると介護する方の負担が大きくなるのだ。
自分も病気なのに介護していた。誰も助けるものがいない、助ける人が一人は犯罪者であり一人は借金を要求するような人だったからかえって負担になった。
人の弱みにつけこんでくるような人だったのである。何の助けもなかったのである。
介護は誰か一人にまかせられる傾向がある。兄弟がいてもそうである。

介護で一番苦しいのは何かという問いに自由がなくなったということを言っていたが同感である。刑務所に入り牢獄につながれたようだというのもそうである。  本当につききりになるから全く自由がなくなる、自分にとってはこのことが一番辛かった。自由気ままに生きてきたから余計にそうだった。
ただ自分の事情としては特別そうして自由に生きられたのはそれだけ家族にしてもらったからだとその時自覚したのである。
つまり自由というのは誰かによって与えられたものなのである。
まず家が金銭的にでも労働でも余裕がないと自由は与えられない、金があってももし自分の家が一人だとむずかしい面があった。二人がいたので自分は自由に旅できたのである。留守する人がいたからである。今は一人だけど何か旅するにも留守する人がいないとなると不安になるのである。
自由というときやはり旅すればホテルであり食事であれ交通であれ世話になる、誰かが働く人がいて自由な旅もできるのである。
普通はみんな働いているからである。


ただ介護自体はいくら懸命にしてもそれ自体が何か社会にとって有益にも思えない
私はこれだけ親の介護しましたよと言ってもそれは親なんだから当然でしょうとなるだけである。
でももし芸術にしても作品をみせてそれが価値あれば社会的に価値あるものとなる。
介護したからと社会的に認められることはないのである。
それで介護というのは相当な社会的損失になるし国力の衰退にもなる
ある人は技術者であり会社で開発を担当していた。50才くらいであり油がのりきっている年齢だけど妻とかの介護をさせられた。それで仕事ができなくなることは社会的損失であり国力の衰退までなる
自分ももし50才で介護させられたら海外旅行できないから何か批評するにも馬鹿なことを言っていたろ
50才で海外旅行して見識が広まったから何かを言うことができる、理解できたから言うことができる、自分の場合は介護になるまでに自由を奪われなかったから良かったのであるだから自分は親のことを責めたりしないし介護でも懸命にしたのである。
でも40とか50とかで介護させられて仕事もできなくなったとかなると後で恨みになることはまちがいない、介護のために親のために人生を奪われたと恨むようになる。
介護が十年ともなると人生の中でその時間が奪われたことになるからだ。

これからは老々介護も増えてくる、そうすると共倒れにもなり介護殺人も増えてくる
施設に入れないとか普通であり団塊の世代が介護されるときもあと十年とかでなる
そうなるともう介護ができない、施設にも入れないとか悲惨な事件が日常的になる。
身寄りがないような人はもう介護されないとか病気になったら自死を覚悟せねばならない自分がそれを経験したから恐怖である。誰も助けてはくれない、同情もされない
病院でも看護師に虐待されても施設で虐待されてもどうにもならないから恐怖である。
結婚しない方がいいと考える若者はその老後い厳しさ予測できないのである。
金があればその金目当てにくるたげである。実際に犯罪にあったからである。
つまり老人をどうみているかというと一般的に財産があればその財産に目をつけられる
それは子供ですらそうなのである。だから介護しないなら子供でも財産を与えないというのもわかる。そういう時代になったのである。
老後とは長生きとはかえって過酷なものとなってゆく
だから一番大事なのは健康だとなる、健康であればなんとかのりきれるが金があっても健康がなくなれば老後は地獄になるのである。健康の価値は何倍にも高くなるのが老後である。

では健康というのはどうして作られるのか?これも若いときからの日々の暮らし積みに長年の間に影響してくる、そして60以後必ず病気がでてくる、60以後は別に健康に注意していた人でもなんらか病気になるのである。
自分は30代で酒も飲まなくなった。そして体力がないのだけど疲れると寝ていたから楽したからこれまで生きられたのだと思う。集団的に生活することができない性格である。
学校にも会社にも適応できないが家族に恵まれたから体力がなくても生きられたとなる。60以後は何であれ人生の総決算のようなものが具体的に否が応でも現れてくるのだ。
それは正にカルマの総決算である。これはさけることができないのである。
要するに自業自得だということである。若い内はたいしたことがないことと思っていてもそれが老後には痛恨の苦いものとなる。若気の至りではすまされなくなるから怖いのである。そのカルマは必ず老後に払わされるのである。

だから「心の青雲」でも何か空手でも体を鍛えているというのには感心する
リハビリでもやはりそうして心がけで回復する人としない人がでてくる
そういう姿勢には共感する、
いづれにしろ介護というのは国力すら衰退させる大きな社会的問題である。
親の介護で人生の時間が奪われるた人は親に感謝しなくなるだろう。
これも大きな問題である。自分は若いときは親戚の人が病気になって助けを求めたとき何もしなかった。自分のしたいことをした。それで良かったと思う。
旅をして良かったと思う。今になると旅すらできないからである。
なにかやりたいことをしないということは必ず人生を後悔する
それが介護などで奪われたらあとで恨むようになるのである。そしたら親子双方でいいものとはならないのである。
でも介護は否応なく課せられることもあり悲劇となるのである。
自分の場合はカルマとして納得したことであり恨みもないしかえって恩返しできたと思っている、でもみんながそうはならない、自分は運が良かっただけだとなる
ただここ十年の苦しみはまさにそうして恵まれた結果としてのカルマを返すために苦しんだのである。
タグ:老々介護
posted by 老鶯 at 09:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2016年07月15日

小高の家具職人のこと (故郷は思い出が刻まれた記憶の場所)


小高の家具職人のこと


(故郷は思い出が刻まれた記憶の場所)


NHKで放送していた小高の家具職人のことが何かやはり郷土史と関係していた。
古いタンスを直してまた使うようにしている。
古いタンスには思い出があり親の思いとかがこもっているから壊さないで捨てないで使ってほしいというのもわかる、嫁入り道具として買ったものがありと親の思いがこもっている
それで傷ついていたがそこまで残して修理している
その人は今は会津の方で仕事している。
だいたい家そのものが記憶としてある、自分の家も姉がいつも自慢していた。柱を橲原の木を使っているとかいつも自慢していた。実際は姉と母が建てたものである。
自分はその時何の協力もしなかった。ただ与えられたものである。
だから自分で苦労したことがないからそうしたら思い入れがないともなる
自分で何でも苦労して作ったものには思い入れがある。
他でも苦労して建てた家だからと言う人が多いのである。
そしてなぜゴミ屋敷のようになるかというとその物には単に物ではなく思い出が残っているからである。
今になるど姉も母も死んだし残された大きな家に一人で住んでいるのも不思議になる


ただこの辺で起きたことは考えられないことだった。まず故郷が消失するとか住めなくなることなど考えることもできなかった。
その時どういうことが起きたのか?今まで普通にあったものが見直されたのである。
特別注目されないなものが貴重なものとして認識されたのである。
そしてわかったことは故郷とか街とか家とか家具でもそれは人間の生活した記憶の場だったのである。記憶が刻まれた場所だった。
この記憶がいかに大事かというと最後は人間は記憶だけが残り記憶に思い出に生きることになる、だから老人は昔の話を自分が経験したことを何度でも話すのである。
認知症になると病気だから極端になり自分は戦争のことを姉から千回もきかされたともなるそうしてなぜそんなに話すのかというとそれが生きた証だからである。
自分が生きたことを確認する作業なのである。自分はこう生きてきたんだということを知ってもらいたいということもある。

そして故郷と街とかは生活したことが刻まれた場所なのである。
農家になると一代だけではない、何代もつづいて記憶が先祖から刻まれた場所になるから愛着が深いのである。
自分も記憶は本当に不思議だと思う、自分は旅に生きたから未だに記憶で日本だけではない、世界中をさまよっている感覚になる。記憶の中で旅をしつづけているのである。
最後は記憶を生きているという感覚になるのだ。
それは平凡な生活でもそうである。近くの医院の建物がいかにも古くそこに母が通っていた。
その医院の近くの墓に母はもう眠っている、まだ死んで半年である。
その医院の先生は優しいと言っていた。一方近くのもう一軒の医者は腕はいいが口が悪く評判だった。母は優しい医者の方に行っていたのである。
何かその墓から路地裏の道をたどって通ってくるような感じになる、自分もつきそって来たことがあるからだ。
「ここの先生はやさしいんだよ」と通ってくる感じがする。
そういうことも街というのには記憶して刻まれているのである。

不思議なのは記憶は大通りのような明るい所よりまっすぐな道より曲がりくねった路地裏のような細い道に記憶が刻まれている、残っているという感じもする。
墓からその医院までは近いということも影響している
墓が街中にあることはやはり死者となっても生活が継続している感じになるのである。
だから墓町という地名もある。
第一毎日自分はその自分の家の墓の前通っているから親しいのである。
これが年に一回と遠くに墓参りするとなるとそんなに親しみを感じないだろう。
自分の墓は毎日の生活の中で行き来している所にあるから親しいとなるのである。

ある夜、店じまいした飴屋の雨戸をたたく音がするので主人が出てみると、青白い顔をして髪をボサボサに乱した若い女が「飴を下さい」と一文銭を差し出した。主人は怪しんだが、女がいかにも悲しそうな小声で頼むので飴を売った。 翌晩、また女がやってきて「飴を下さい」と一文銭を差し出す。主人はまた飴を売るが、女は「どこに住んでいるのか」という主人の問いには答えず消えた

ある民家で、妻が妊娠中に死亡し、埋葬された。その後、町に近い餅屋へ、赤ちゃんを抱えた女が毎日餅を買いに来るようになった。餅屋の者は怪しく思い、こっそり女の服のすそに赤い糸を縫いつけ、彼女が帰ったあとその糸をたどってゆくと、糸は草むらの墓の上にかかっていた。知らせを聞いた遺族が墓を掘り返してみると、棺のなかで赤ちゃんが生きており、死んだ女は顔色なお生けるがごとくであった。女の死後、お腹の中の胎児が死後出産で生まれたものとわかった。遺族は女の死体をあらためて火葬にし、その赤児を養育した
E3%81%A6%E5%B9%BD%E9%9C%8A

こういうことは墓が身近にあり生まれた伝説なのである。人間は死ぬと伝説化する
だからこういうことは生々しい話なのである。
何か本当に自分の母親もこの医院に墓から来るように思えるからだ。

つまりこういうことは村であれ町であれ人間の記憶としてあるからそうなる
この伝説はそういう事実があり子供に対する愛情が深いから残った伝説である。
町の医院にしてもそれがまだ残っているし母が死んでも半年になったばかりである。
今年は始めてのお盆になる。お盆には死者が家にやってくるいうときやはりそういう感覚になる。
家具というのもやはり単なるものではない、ものが心と一体化していた。ものとはものがつくとか心でもあったからである。人間は死んだら残ってるのはものになってしまうからである。

いづれにしろ何か津波や原発事故では考えさせられることが多かった。
まず故郷は何なのかなど考えることもない、普通にあるものであり考えることもない、あって当り前のものだったからである。
原発事故で家具職人でもやはり何かスキルとか仕事を持っている人は強いと思った。
会津の方で桐の木工がありそのスキルも活かせる、仕事ができるということはその土地の人に受け入れられるのである。
ただ補償金でパチンコしているような人は金があっても受け入れられない
農民の場合は土地がないと仕事ができないということが致命的だったのである。
大工とか職人はどこに行っても仕事ができるということが強みだったのである。
つまりこうした緊急の事態になとまた日頃していたことが問われた。
パチンコばかりしてし遊んでいたら回りの人がどうみるかである。
ともかく日頃の生活が何であれ大事だとなる、それがこうした緊急事態でも困難な時に力を発揮することになる。

老人が故郷に帰りたいというときそこは何でもないようにみえても生きた記憶が残っているから離れられないのである。他に移ったらそうした生きた記憶が失われるからである。それで老人はその記憶を語るのである。
古いタンスでもそこに思いが残っているし記憶があるから捨てることができない
ヨーロッパではローマ帝国などの遺跡が石とともに残っている、そうすると必ず歴史を具体的なものとしてふりかかるのである。
日本には石の文化がないことで歴史が身近に感じられないのである。
アンテーク文化があるのもヨーロッパであり古いものを大事にする。すると過去から歴史の連続性の中に生きるから生が豊かなものになるのである。

iinnn122.jpg


iinnn1.jpg

タグ:家具職人
posted by 老鶯 at 10:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2016年07月14日

家電量販店とインターネットの買い物の相違 (アマゾンのレビューは消費者(有権者)の声が反映されている



家電量販店とインターネットの買い物の相違


(アマゾンのレビューは消費者(有権者)の声が反映されている)


innnnnnnn111.jpg

何かインターネットで向いているのは小物類である。パソコンの周辺機器とか五〇〇〇円以下の小物類がお得である。
IHヒーターを買ったが接続部分のコンセントが熱で焼けて使いなくなった。
何かそれは作りがおかしかったのか?危険でもあった。
IHヒーターでも熱がでるから危険になる
それは家電量販店で買った
今度買ったのは音声で案内したりと使いやすい、それを買ったのはカスタマレビュ-で評価が良かったからである。
たいがいカスタマレビューは評価に間違いがないみたいだ
なぜなら実際に買って使った人が評価しているからだ。

ところが家電量販店ではそろえてる品物もす少ない、どれがいいと聞いてもあなたが選びなさいとなる。そうなると買う方にすると不親切だとなる
使っている人に聞くのが一番いいのである。
実際に使っている人の言うことはまちがいないしまた別にコマーシャルのように金をもらって宣伝しているわけでもない、たいがい薬とか他のものを売るときテレビでは宣伝だから信用できないのである。
金もらって宣伝しているからである。

今家電などは特に通信とかitとかパソコン関係は何か買うのがめんどうになった。
第一家電量販店にそんなに品物をそろえられない、ところがパソコンなどはその種類もメーカーも多くなった、つまり店に並べているのはほんのわずかしかない
だからそこから選ぶと自分のあったものを選べないのである。
そこにも今の問題がある。それは家電だけではない、自転車だって種類が多いから何を買っていいかわからないのである。
それである自転車屋では自分が買いに行って実際に乗ってみてすすめている。
そうして一台は買った。ただこれも電動自転車のいいものだから選ぶ種類が少ないからできた。ロードなどは数が外国製も入ってきて多いから選ぶのが大変なのである。
八万で買ったロードは使いなかった。結局試乗できないから選ぶことにも失敗する

家伝量販店でレンジを三万で買ったときも失敗だった。
それは何でもできるものだと思ってしまった。料理までできると思った。
しかし実際は何もできないものだった。普通のを買っても同じだった。
それを買うとき家伝量販店の人は何も言わない、だから何でもできると思い買ったのである。要するに売る方にしたら高い方がいいとかで説明もしないのである。
そもそも家伝量販店で売る方にしても全部に通じるとは思えない、それほど種類か多くなったからである。
家伝量販店だと売りたいものもうけが多いものを売るとかあり消費者が買いたいものをすすめる訳ではない。そして品数が少ないからすでに選ぶのは限られているのである。


一方通販は品数が多く好みのものを選べる、レビューを見ればたいだいまちがいなくいいものが買える
ただアフターケアーとかないことや見た目とは違っていた、大きさが違っていたとかある衣服とか靴とかバッグとかは大きさがわからないので失敗する。
だから額が大きくなると通販は怖い面がある。つかいないとなると損になるからだ。
設置もできないことなどもあるから買うにしても不安はある。
でもだいたい通信関係をのぞいて家電はわかる、yi-fiとかwin10では簡単にできるようになっていた。
それもASUSとかの外国のメーカー品のノートパソコンでできた。これは三万くらいでありそれでも今は相当にいいものである。それだけハソコンは安くなっている
ただこの辺の家電量販店では置いていないから通販は便利なのである。

家電量販店と消費者の関係を考えると家電量販店の方が力関係では上である。
何を買いたいかと言ってもそこに限られたものしか置いていないし家電量販店ですすめるものとか自分で好きなものを選びなさいとしかない、でも知らないものを使ったことがないものを買う時は困る
それより使った人のレビューを読む方が参考になるのだ。
つまり家電量販店と消費者の間には何か案内するものが必要なのである。
家電量販店の店員が売りたいものがあり消費者が買いたいものがあるとして両者はあわないのである。
その中間に実際使った消費者の声が必要になる、それが一番信用できるのだ。
ものの評価はかたよることがないしまちががない、実際に使ってみてこうだったというのは使用できる、今まではこういう買い方ができなかったからだ。
近くの料理店でIHヒーター買った、それが古い型であり何かいいものに見えなかった。
その人は年寄りだからそもそも通販のことは全くわからない、売っていることさえわからないのである。その差はものを買うにして情報にしても大きい
テレビで放送されることは知っていてもインターネットで放送されていることは全く知らないからである。そういう情報格差も年代的に生まれている

このことを考えるとこれは民主的なことだと思った
つまり消費者の声とはまさに選挙なら有権者の声なのである。
選挙というのは政党とかある組織とか団体とか権力あるものの声が大きく一方的になる。そしてマスコミが政党と有権者の間に入るものだがこれも一方的なものとなる
でも生の消費者の有権者の声が入ればそれが民主的なものとなる
ものとかになると評価はまちがいないのである。
ここでは多数決原理が成り立つ、それは人ではないから評価が多数で良ければまちががないのである。

インターネットではじかに有権者の声がでてくる、それは匿名でも2chであってもそうである。そういうことが今まではできなかった。
インターネットでできるようになった。マスコミは政党と消費者の間に入っていてもマスコミの見方を消費者におしつけている、それは家電量販店とにたものがある。
実際は有権者でも多様な声があり品物も無数にあるときそれを選べるようにするのが民主的だとなる
だからこのレビューを参考にすることはテレビのコマーシャルとかにだつされないことになる。
ただこれも一〇万とか高くなると買うのが怖くなる。それでもカメラなど安いから買った不良品などないし簡単に日本のものは壊れないからである。
ただ通販で便利なのは一万から五〇〇〇円以下のものである。
それなら買っても失敗してもいいとなるからである。

いづれにしろ家電量販店でも商売としてインターネットと競争を強いられるとき売り方を変えねばならない、まず品数がそろえられないのだから通販より不利である。
何かサービスをが加えるから売り方を変えねばならない
一つの方法は使い方のサービスを提供することである。使い方がわからないのが多くなっているからだ。
年寄りは簡単な家電でもつかいないということがある。
それで街の家電屋がそうしたサービスをするとかで生き残るを計る
そういうものが家電量販店にはないのである。
だから何か不親切なものを感じてしまう。
でもまた地元に実際に家電量販店でもないと困るということもある
なぜならみんな通販でそろえるというのも問題であり困るということもある。
地元に商店もなにもなくなってしまうのではないかという不安もある。
だからすべてが通販になることは不便なことがあっても考えものだともなるも

ただ買い物にしてもインターネットの役割があり民主的なものが生まれたと感じた。
民主主義というとき別に政治だけではない、通信環境とかいろいろな技術が生まれないと成熟しないのである。
今まではマスコミが一方的に力をもっていた。でも必ずマスコミのとりあげることにケチつけるのがインターネットである。
そんな貧乏物語を特別取り上げるなとかそんなのが本当なのとなる。
実際にどういう事情でそうなったのかもわからないからそれを一方的にかわいそうだなともならないのである。
ともかくニュースは特別なものでない限り注目しない
だから極端に貧乏だとか困っているとかなるのが注目されやすいのである。
それを意図的にマスコミではとりあげるのである。
そして矛盾は弱者の味方のようでもマスコミは社員は高収入でありまた共産党であれ創価であれ幹部は金持ちだということもある、それは中国ではそうなっている。
貧困ビジネスだなと指摘するのもわかるのである。

考えてみるとなぜ創価とか共産でもなんかカルト的な宗教団体とか未だに強い力をもっているのはなぜなのか?それはやはり以前としてマスコミなどが力をもっていてその実体が知らされないからだろう。
自分はそこで運動していたからわかるのである。でも若い人はインターネットをしているし批判も読むはずだが以前として力をもっている不思議なのである。
全体主義的なものは民主主義とは一般的になじまないはずなのだけど以前として力をもっている、ただ創価の場合は与党にいるために得して力をもっているのと50パーセントの投票率では民意を反映していないこともある
ともかくカトリックの支配が終わったのはグーテンベルグの印刷機の発明で聖書を直接民衆が読めることになったからである。そうした技術革新の結果だったのである。
その時聖書という情報を独占していた牧師が失業することにもなったのである。
インターネットでもまたそうした技術革新の結果として民主主義的なものが促進されることはありうる。
それとともにやはりマイナスなことも起きてくる。
インターネットでは無数の意見が生まれ批評が生まれ数が多すぎててとても読めないということがある。そうなると貴重な知識でも埋もれてしまうのである。
人間はテレビを見て新聞をみてインターネットを見て・・・見てとなるともうそんなに情報をとりいれることができない、情報をとりいれるには人間の頭脳は限度がある。
そこにインターネットの大きな問題がある。
だからといってマスコミのように今までのように情報を独占されるのも今は拒否されるべきである。

要するに情報というとき一人一人が情報をもっている、自分が80以上の老人のことを聞いて語ったのも情報である。それはテレビとか見てではない、対面的に接して情報を得たとなる。過去には情報は体面的に人伝いで伝わった、今は通信の発達でマスコミとかインターネットでも対面的ではない、第一対面的にると接する人は限られてくる、数人とかなってしまう。そこで何かを判断することはできない。対面的になと表情などもにも現れるからよみとれる、猫は表情で仕草で何かァ伝えるし納得もしている、言葉を介さなくても何か通じている。
その人の言っていることは普通に聞いていることとは違っていた。
対面的だと驚くべき情報を得るとういことがある。
沖縄では外から来た人より内部の近くの人がレイプしたりするから怖かったという。
戦時中には異常事態だから何か起きたかわからないのである。
自分も外部の人より内部の人が本当に怖いと思った。
だから家の中に入ってくる人は本当に怖いのである。
そこで必ず何か問題が起きてくる、外部から確かに来る人も怖いのだが
戦国時代でも密偵としてとか内部に入って攪乱されるのが怖いのである。
こういうことは沖縄などでは外部からの被害ばかり言うから語られないのである。

民主主義というとき何か政治のことばかりにあるようになっているが日々の買い物とかの生活でも民主的なことがある。
マスコミはこれまで一方的にコマーシャルを出して消費者に買わせるという手法をとってきた。
テレビや新聞はそれで広告料をもらい成り立っていたのである。
でもレビューの評価になると何も金をもらっているわけでもないからその評価を信用できるのである。
ただこれもわざと評価をあげたり下げたりするものがいるとか問題になったその評価が直接売り上げに影響するからそうなったのである。
ただものの評価は多数がいいというものはいい、ただ薬などはわからない。ある人には効いてもあ人には効かないとかめんどうだからである。
でも食品とか物とか電器製品などの評価はまちがいない、実際に使った人の評価はまちがいないのが多いのである。

そしてパソコンでわからないことは対処方法はインターネットにでている、win10のイヤホンジャックからスピーカーにつないで音がでないというのはみんな書いている。
するとみんなが同じ問題に直面していることがわかり安心する。
そしてそのために中間につなぐものをアダプターをつけると音がでるともある
その製品もアマゾンですぐ買えるのである。
ここまで家電量販店では説明してくれないし品物を地方では売っていないのである。
大きなテレビとか冷蔵庫とかクーラーとかは家電量販店になるがパソコン関係などは今や通販でいなと売っていないのである。

老人の存在感 (九五才の戦争を経験した人がいつもいる)


老人の存在感


(九五才の戦争を経験した人がいつもいる)


いつもの木蔭の道を行くと車椅子に座っている老人がいる。
その人は大内の人で九五才である。
耳が聞こえにくいがまだ頭はしっかりしている
ただ立つことができないのである。
「立つことは大変なんだよ、体の重量が全部かかるから
私は毎日筋肉が弱らないようにここを車椅子で運動しているんだ」
確かに立つということはなんでもないようで体が弱ってくればできなくなる
筋肉が弱ることは歩けなくなったり立てなくなったりする
すると骨折したりして寝たきりになったりするはもう筋肉が弱り動けなくなる
そうなると世話する人も大変になる

自分の母親は一〇〇才で死んだけど最後まで立つことができたた。
ポータブルトイレで用をたすことができた。
それでオムツもしないから楽だった、オムツは本人も相当に嫌なものであり答えるのである。
だから小便を管でとるようになったとき病院で泣いていやがっていたのである。
オムツになったりすると人間の尊厳が著しくそこなわれるのである。
だから筋肉が弱るとまず歩けないということはトイレに行くにも補助するとなるとその世話する人はつききりになり大変になる。
オムツになると本人も世話する人も大変になる、筋肉が弱るということは致命傷になる
人間は立つということは方の動物を見ればわかるが体重が腰や脚にかかるるので楽ではない、動物は四つんばいだから体重がかからない、人間が立つということは特別なことだった。他の動物は立っていないからである。
立つということは上を見上げることであり星でも見上げることになる
動物は見ていると絶えず地面を探り顔を下に向いている。動物の関心は餌を見つけることなのである。人間は立つことによって精神的存在になった。
だから立てなくなることはまた歩けなくなることは人間の尊厳が著しくそこなわれるのである。

その老人は日立製作所で飛行機の整備をしていた。ゼロ線などの整備をしていた。
それで自分は技術者だったと自慢している。
そして今の人は戦争がないから楽だと常に言っている
それは戦争を経験した人はそう言う
つまり戦争という経験は経験した人しかわからないのである。
だからその言葉には重みがある。
それをいろいろ今は伝えるものがあるけどその人が今も九五才で生きていて言うことに重みがある。
なぜならすでにもう戦争を経験した人は九〇才以上でありまもなく戦争を経験した人はいなくなる
まだ戦争を経験した人がいるということは直接語るということは重みがある。

その老人は大内の人で津波で家が流された、それで着るものがないというとき礼服がないということらしい、みんな流されたからそうなる
仮設に入っている人でも津波の被害にあった人もいるし小高のように補償金をもらった人も多い、そういう人たちの間でも不満があり対立する
ともかく良く今でも墓に大きく軍隊の位を上等兵とかなんとか記されている
その当時はその位が大きな意味をもっていた。その位が社会にとって大きな意味をもっていて自慢できるものだった。今になるとそうした軍隊の位など注目しないのである。
なぜ墓にそうした軍隊の位が記したのかというとそれが国民として重要なものとして認められていたからである。それで敬意を払いとなり軍隊の位を墓に大きく記したのである。
人間は老人になると自分のしてきたことを語る、でも語るにしても自分がこうこう生きてきたと正直に語れる人はやはり自分の人生を自分なりに精一杯生きた人だとなる

小高の工事現場で働いた人もいろいろ語る、あの人は特別話好きだから聞いていて面白いとなる
第一工事現場でそうした下の人が上の人に工事について提案する人はまれだろう。
ここは粘土で水がしみてくるから砂をまけばいいとか上司に提案して採用されたとかその人は上の人に何かと言い提案しているのである。
その人はだから工事現場で下で働いていてもそのことを語るのである。
つまりただ上の人の命令のままに働いていたというのでもない
下で働いていてもそういう積極性があった。何か働くにしてもそういう積極性がないと人間はロボットのようになってしまうだろう。
つまり仕事には何であれ常に創意工夫が必要なのである、それはあるゆる分野でそうなのである。工事現場で下で働く人もそうだったとなる
もしそういうものがないと働くことに積極的になれないだろう。

ともかく老人は今まで生きたことを語ることに存在感がある。それは何であれそうである戦争の是非はともかく戦争を経験したということ自体が今や大きな存在感をもつことになる、戦争に比べれば今の人は楽だと見えるのである。
戦争は生きるか死ぬかだからそうなってしまう。
そして人間は誰でもプライドをもっている、それは認知症になってもそうなのである。
認知症とはなにか?実際これは病気なのか何なのかわからないのである。
明らかに病気としてあるがでは人間でなくなったのか?痴呆となって人間ではないのかとなるとこれも実際介護してわからないことだった。
つまり認知症になっても今までしたことに人生を生きて来たことにプライドをもっているだから数字のことなど金のことなどわからなくなってもプライドは消えないのである。
それで馬鹿にすると敏感に反応して怒るのである。
姉も従軍看護婦として四年間シンガポールで戦争を体験したから死ぬ直前まで戦争のことを話していた。それだけ戦争というのは特別のことであり忘れられない経験だったのである。

今の世の中老人は早く死ねとかそんなことばかりである。それは経済的負担が若い者にかかるからそうなる。介護でもその負担が大きいからそうなる。
実際介護となると十年もしたからこれも無益だとなと思った、人生が奪われると思った。自分の場合は特別良くしてもらったから納得してやったが他の人は五〇代で仕事に一番油がのっているときにその時間が奪われるのは大損失であり社会的にもそうである。
ただすべてがそうかというとそうでもてい、以前として老人の存在感は社会にある。
俺はこうこう生きて来たんだよということを聞くことは次代のものにも参考になるのである。そういうことも歴史としての連続性を維持することになる
人間は一代だけで生きるものではないからである。だから農家などでは代々土地を受け継ぐからそこに他の人より故郷に愛着をもつのである。
会社とかはそんなに持続しないから愛着をもてないともなるがやはりそこで働いていたもは愛着をもち、病気になった人がもう一度工場の現場に行き仲間と働きたいというのもわかる。何であれそこで人生を費やしたのだからそうなるのが人間なのである。

だからともかくなんであれ自分の生きたことに誇りをもつ、誇りをもつように生きることが大事だとなる、それは別に地位が高いとか技術があるとか何かそういうことではない、自分が生きたことを正直に語ることができることなのである。
ただ戦争で人を殺した人はそのことを語れないということがある。
そういう人がいて何かそこに戦争の大きな問題がある。
どんな戦争でも人を殺すということは誰でも罪悪感が残る。それは勝ち負けでなくそこに戦争の大きな問題がある。

老人の話を聞きぬ木蔭かな
タグ:戦争
posted by 老鶯 at 08:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人福祉医療問題

2016年07月13日

抽象画(山-mountains) コンピュターが芸術を創作して鑑賞できるのか?


抽象画(山-mountains)


コンピュターが芸術を創作して鑑賞できるのか?

mmmmmmmmaaa1.jpg
密集する山々

mmmmmmmm2345666.jpg

クリック拡大

susukiiiiii1222.jpg


susukiiiiii122233.jpg


chugokuuuumm12224end.jpg

中国の山々(1)

rockmmmmm1234444.jpg
中国の山々(2)



NHKのクローズアップ現代で人工知能が芸術を作ることを放送していた。
レンブラントの絵の特徴を覚えさせて精巧なレンブラント風の肖像がを作り出したり小説まで作ったし音楽でもコンピューターが作ったものに感動していた
それほどコンピューターは人間の知能に近づいている
だから将来は芸術もコンピューターが作り出すという

抽象画はコンピューターとなじみやすい、紋様などを作り出すのか得意なのである。
パターン化するのがコンピューターは得意である。
自分は抽象画を作るときコンピューターのソフトが作ってる感じになる
ただ不思議なのは川の連作を相当作ったけどどうしてコンピューターは抽象画を川と見るかである。
いくらでも抽象画をコンピュターが作ってもコンピュターは抽象画を認識できるのか?
つまり絵画でも鑑賞できるのか?
つまり芸術は創作する方と鑑賞する方がいる
コンピュターが鑑賞できるなら評価できるなら人間と同じだとなる
芸術はそもそも鑑賞自体がむずかしい、


eyes11.jpg
somebody watches you


この絵は抽象画である。でもこれにコンピュターはタイトルをつけられるのか?
自分は「誰かがあなたを見ている」とか名付ける
明らかにこれは目だからである。でもコンピュターはどういうタイトルをつけるのか?
自分の作った抽象画をどう見ているのかとなる

それは今回出した山の抽象画でもそうである。山と認識できるのか?
山とか川とかを認識するのは抽象画でも常に具象画をイメージするのが人間である。
そういうふうに人間の認識にコンピュターは近づきできるのか?
いづれにしろすでにコンピュターとの合作化しているのは確かである。
小説すらコンピュターが作ったというとき膨大な情報がインフットされているからできる人間の情報ははコンピュターから比べると一万分の一とかなり少ないからである。

ただ俳句にしてもコンピュターは五七五と並べて創作できるのか?鑑賞できるのか?
コンピュターが膨大な情報から五七五なら数列のようにして組み合わせでできるはずである。それも膨大なものになる。
ただ季語を選べば膨大な俳句を選ぶことができるから創作する方では参考になる
そういうことはできてもコンピュターが創作して鑑賞できるのか?
それが疑問なのである。

2016年07月12日

夏の月(震災後変化がつづく南相馬市)



夏の月(震災後変化がつづく南相馬市)

nnnnoma11122.jpg

newhouseeee1.jpg



豆トラに陽差しの強く藪甘草

十輪ほど鉄路の熱く藪甘草

家建てる働く人や暑さかな

夏燕高くも飛ぶや夕べかな

 a summer swallow 
 flying on the height
 in the evening

草深く茂りの厚く夏の星

新築の家建てつづく夏の月

密生す葉群に光る夏の月

新築の家百軒や夏の月

旅行かむ北斗仰ぐ北海道


この辺は震災以後変化の連続だった。こんなに変わるなど想像できなかった。
家はまだ建てつづけられている。新築の家も売り出されている。
前はそんな建て売りの家などほとんどみかけなかった。
土地も70坪で7百万で売り出していたけど買う人がいなかった。
それが新築の家でこの辺では五つくらい新しい住宅地がうまれた。
活気あるといえばある、今は夏だからその新住宅街に夏の月が輝く

そして新しいスーパーができるのも大きな変化である。
スーパー一つではたりなかった。自分も毎日買い物しているからだ
鹿島にはたりないものがかなりある、でも新しいスーパーができるのは大きな変化であり歓迎する、やはり街にはそれなりのものがないと暮らしにくいのである。
毎日シシドスーパーのできるのを見ていた、品物はすでに並べている。
だからまもなくはじまると思う、鹿島は人口は減らないしわずかでも増えているだろう
外部から入ってきているからだ。新築の家でも磯部の人が来たとかきている

今日は避難解除になり小高まで電車が通った。
これも大きな変化である。
ただ小高にはなにもないし行ってもしょうがないとなる
なんか廃墟の街という感じがするのである。
小高でもそうだが避難区域になったところは何かそうした不利な面を逆手にとるということもありうる、マイナスをプラスにする方法である。
それがなかなか見いだせない、人間は確かに自然があることも不可欠なのだけど街に活気があることも不可欠なのである。
買い物は通販でしいるから便利である。だから特別仙台とか東京にも行く必要もない、それでもう半年もまた仙台にも行っていない
毎日近くを回っているだけなのである。

昨日は晴れて夜の空に夏の星がかがやいていた、北斗七星が真上にはっきりと見えた。
夏に真上に見えだ、北斗七星は冬の星かと思ったが真上に見えた。
夏はいつも北海道に行っていたから北海道を北を目指す
北斗市というのもできたから北にふさわしいのが北斗七星だが夏に真上に見えた。

この暑い中でも働いている人がいる、家を建てている人がいる、それを見ると家を建ててくれる人の苦労を見るとありがたいとなる
でも何か今は家でもほとんど建て売りであり組み立てるだけであり本当に将来的には機械がすくようになるのだろう。
するとそこで働く人が見えないから何かありがたいとかならくなるかもしれない
人間が汗を流し苦労しているのを見ているとありがたいとなるが機械だと機械に感謝したりしないのである。
家事は今ではほとんど機械でてきる、すると主婦業はなくなり女性は外で働くようになった。家事に感謝するというのはなくなるのである。

今日は雲一つなく晴れあがっていて暑い、でもからっとはしている
夏燕が高い空に飛んでいるのを二階から見る
それが夏らしくて気持ちがいい、二階は夏には涼しいということはある
ただ自分の家は北側に窓が風通しが悪いし隣の屋根がトタンなので暑いのである。
クーラーの部屋もあるがクーラーは体に良くない、いつもいる場所が暑いので困る
タグ:夏の月

選挙は民意を反映ししていない (50パーセントでは民意はわからない)


選挙は民意を反映ししていない


(50パーセントでは民意はわからない)


票を入れるとき個人名を書くのと政党名を書くのはかなり違う。
個人名を書くとき個人に対する思い入れが強くなる
人を選んでいるのでありその人にたくすということがある。
だからその人のことを良くしらないとできない
でも政党名だとか誰でもいいのかとなる、個人は人物は関係ないのかとなる

選挙は投票所にそれぞれが行くがそれが結構手間であり行かない人も多い
投票する側にすると一票は何か重く感じる
でも投票される側にすると百万分の一の重みしかないのもぞのギャップが大きすぎるのである。
投票する側は一票でも自分の思い入れが託すことがあっても立候補した人にとっては百万分の一にしかすぎないのである。

だからそもそも民主主義は成り立たない、限界に来ている。
ギリシャから発した民主主義、デモクラシーというけどその都市というのが一万くらいの規模であり直接投票だったのである。
だから一票の重みは今とはまるで違っていたのである。

民主主義とか選挙でも最善のものではない、これは時代的にもあわなくなっているのかもしれない、現実はみんな組織票で決まっているのだろう。
宗教団体の票であったり農協の票であったり労働組合とかそうした組織票が体制を決める第一50パーセントしか投票率がないということは民主主義がもう機能していないともなる民意は反映していないとなる

民意といっても何が民意なのかもわからないだろう。
創価とかの宗教団体が民意なのか?民意といっても何が民意なのかわからない
50パーセンが投票しないということはすでに民意は反映されていないで組織票によって体制は投票する前から決まってるとなる。
民主主義は民意を反映するのに機能しなくなっている、それが50パーセントしか投票しないということがそれを示しているのである。
だから棄権した方がいいという意見は何かもっと投票したいという制度でも工夫でも必要だとなる
要するに現代では様々な人の要求を満たすことはできない、それに政治家も答えることができない、政治家自体もただ自分の欲をみたせばいいとなる

第一百万の票をもらったからといってその百万人もの人を満足させることなどできない
だから政治家は選挙のときお願いしますと頭を下げてあとは知らないともなる
いくら投票する側が一票の重みを感じても投票される側は百万分の一なのだから感じないのである。
市町村の選挙だと少ないから直接選挙にもなる、400票くらいになると誰が市町村で自分に投票しているかもわかるだろう。その顔さえ浮かんでくるだろう。
そういう選挙と県知事選挙とか国政選挙は規模が大きすぎるから民主主義が成り立たない、機能しなくなっているのだ。自分が投票した人についても今回ほとんどわからなかったいつも政治に注目しているわけではないし何をしている人なのかもわからないからであるそのために創価のような宗教団体が幅をきかしている、その組織票に自民が頼っているというのももう民意は反映していない

創価が民意なのか?または労働組合が民意なのか、国民の中の何か大きな組織団体が民意なのか?その中に入らないものは民意として反映しない
数がこれだけ多くなればともかく個人が一票に書いたとしてもそんなものは百万分の一なのである。
とにかく数が集まらない限り民意としては反映されない
だから創価などのまとまった票に頼ることになる、それが民意だとなってしまうのである創価などは選挙の何年も前から選挙の準備をしている、創価は日々の選挙のための活動なのである。たから選挙には強いのである。選挙に勝つことが仏法の勝利なのだから信仰なのだから当然だとなる。

民主主義は数なのだからともかく票を集めない限りなんら国政には影響しないのである。だから投票する側でも無力を感じて棄権するようになる、要するに一票など入れても入れなくても同じだという感覚になる
大衆民主主義はともかく数を集めない限り何の力も発揮することができないのである。
民主主義で選挙でもナチスが生まれたというのもわかる
なぜなら数が力であり権力になるからである。それがどんな凶悪なものでも数を集めれば政権がとれるのである。
民主主義はそうして容易に独裁政権すら生み席巻されて甚大な被害をもたらしたのである
なんでも投票で決めていたら数で決めていたら数が正義となってしまう、赤信号みんなで渡れば怖くないとなりナチスのようなファシズムとなり大衆が暴走することになる
みんな数に恐れをなす、創価が750万か凄いな、怖いなとなる。
その数の前に恐れ逆らえないなとなる、それが独裁に向かい戦争にも向かう
安倍首相はすでにそれを実行しようとしている
現代の民主主義はかえって独裁になりやすいのである。愚民化してパンとサーカスになりやすい、テレビはサーカスを提供している、あとはパンだ、経済のことだとなる

すでに自民党一党独裁化していてもう政権交代はない、何でもやり放題となる
健全な野党もなくなりもうやり放題になる。
そして後で戦争のように泣きを見るのは国民なのである。
民主主義はもう機能しない、選挙をしても50パーセントが投票しないのだから機能していなのである。
本当はせめて60ハーセントととか投票率が越えないなら選挙は無効とかの法律があればいい、50パーセントは民意ではない、創価とか他の組織団体の主張が通るのであり民意ではないのである。一票入れれば成仏するまでとなっていれば投票する動機になる。
そんなことありうるのか?それがカルト宗教団体なのである。
幸福実現党も創価とにたようなことを言っている。
政教分離には反対しているのである。
一党独裁に向かっているとき戦前の体制に近づき戦争へ進む準備ができたとなる


様々な職業に組織に団体に地域に分化した現代で民意とは何なのか?
民意というとき国民全体なのだけどその国民というのはあまりにも多様なのである。
ただ数が多いから民意だとなるが50パーセントしか反映していなとしたら数で民意を計ることはできない、創価などが必ず投票するからそっちの方が組織団体の票が民意になる。投票する権利はあるのに投票しないやつが悪いんだともなる
あなたたちが民意を反映させたいなら投票しろ、しないから結果を受け入れろともなる
投票できる権利があるのにしない、それが自由な民主主義なのだともなる
タグ:選挙
posted by 老鶯 at 09:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2016年07月11日

南相馬市の歌 (相馬野馬追い迫る)


南相馬市の歌


(相馬野馬追い迫る)

minamiii122.jpg

太平洋から太陽が昇り飯館村の山の方に沈む
飯館村は月なのである。

月と太陽の旗印の一つの現代的意味になる

飯館村は山中郷であり野馬追いに出ていたからである。

moonsun1.jpg


南相馬市の歌

nnnnoma111.jpg



昇る朝日に広々と
太平洋の開けたり
勇ましく船はい出けり
松風鳴りて車輪梅咲きぬ


阿武隈の山脈つらね
陽は輝き没りて
月のあわれ傾きぬ
山よりの水は流れて


真野川の奥の深しも
新田川の瀬音や
水清くひびきつつ
田をうるおし実りかな

国見山望みて高く
小高、原町、鹿島
一望に見晴らして
南相馬市に栄あれ

たゆまず日々の勤め
代々継ぎし大地に
岩のごと誠の力
ここに養わむ

花は清楚に山中に
影深き森にしあれ
隠されし家のあり
ここに心静まりぬ

夏の日や雲雀が原に
昔郷士の旗印翻る
馬一心に駆けりつつ
戦国時代の絵巻かな

真夏の空に入道雲や
馳せ参ず各地の郷士
相馬藩の名だたる武者や
一同にここに奮い立つ

祭りにたぎる心意気
神社の神輿若者かつぎ
本陣目指し上るかな
その掛け声のひびきけり

nomaoiiiii11234.jpg

nomaoiii2.jpg



南相馬市というとき原町の国見山に上ると丁度視界に入る領域なのである。
まさに国見山なのである。浪江とか小高になると視界からはずれる
だから地理的一体感がある領域だとなる
野馬追いにしても相馬藩にしてももともと小高に最初に城があったから
小高を基点として相馬藩があった。
野馬追いで雲雀が原に終結するのは小高神社であり中の郷であり北郷であり相馬の宇多郷である
北郷は小高より北のことであり小高を基点にして北になった。
会津では会津の城があるところが基点であり喜多方(北方)となった
浪江は別な領域としてあったがあとで相馬藩に組み入れられた。
飯館村は鎌倉時代から岩松氏の領域としてあったから相馬藩に組み入れられた。
飯館村が南相馬市と合併しなかったのは地理的要因が大きかった。
歴史的には相馬藩の領域にあった。

南相馬市では新田川と真野川がある、新田川は短い川であり浅瀬である。
青葉城の唄の瀬音ゆかしきの瀬音がする川である。
真野川は長いから深い所があるからあまり瀬音はしないのである。
だから川というのも個性があると思った。
高瀬川は急流であり景勝の地であった。浪江には二つの川が流れていて川の町だった。

山としては高い山がないのでものたりない、でも山に森がありそこが深い影をなしているそういう場所に安らぐ、飯館村はまた別個の高原の村としてある、やはり森につつまれた村である。地域でもさらに地域に分かれ地形的に個性がある。
だから意外と地形的には平凡なのだが変化がある、特に海があるから山国とは違っている請戸でも烏崎でも松川浦でも港があることは漁港があることは山国とは相当に違う
松川浦からは貨物船とかが出ているから貿易にもなる

要するに相馬藩内でもその地形は複雑でありあきない、ましてや福島県内になると福島県は大きいからその地形は本当に多様である。自転車で旅をしてそれを書いた。
日本の地形は複雑であり狭いのだがあきないのである。
ヨーロッパとか中国でもアメリカでもどこまでも平坦な地がつづき大きな川が流れていて単調なのに比べると日本の地形はともかく山あり川あり海ありで複雑なのである。
だから旅してあきないのである。

松風鳴りぬ・・・この松原は消えた、右田の松原は消えた・・・それが残念

posted by 老鶯 at 09:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 野馬追い関係

2016年07月10日

デモクラシーとは何であったのか? (デモスとは地域のことであり地域に根をもつ者の意味だった)



デモクラシーとは何であったのか?


(デモスとは地域のことであり地域に根をもつ者の意味だった)


参議院選挙で政党名を書くのと個人名を書くのはずいぶん違うと思った。
小選挙区制は政党名で決まる、比例区は特にそうである。
それで比例区で個人名を書いたのは政党名を書くのとは感覚的に相当に違うと思った
田中なおきというとき福島県の相馬市が親が出たところであり新潟県は田中真紀子が出たところであり田中首相の娘である。
そしてこの辺では原発事故で新潟の人に世話になったとみんな言っている。
新潟の人は親切だったとみんな言っている。
だから田中なおきと書いたとき、何か政党というよりそうした個人的なものその土地のつながりで入れたとなる。

民主主義のデモクラシーの語源は

 デモス(demos)というのは、長い歴史を持つ言葉です。それはもともと古代ギリシャのポリス(都市国家)に住む「部族」くらいの意味もっていました。紀元前六世紀末のクレイステネスの改革を通じて、血縁団体から地縁団体へと再編され、その結果「地域住民」を意味するように変化を遂げました。例えば、ギリシャ都市国家の中の代表的なポリスであるアテネでは、ポリスを十の地域にわけてそれぞれをデモスと称としたのですが、それがやがて「一般民衆」という意味を表すものへと変化したのです

 地域の利益に基づいていたのがデモクラシーの語源だった。
その地域に生活している人はやはりその地域で生きるのだから密着しているから当然そうなる
それは血縁よりも強い絆が生まれた。日本人の姓をたどると必ずその姓の村があり村の地域共同体が姓を作り出したのであり血縁ではなかったのである。
民主主義はデモスとデモスが地域と地域が争うのを投票で決着したとなる
そうでないと戦争になったし歴史では地域と地域と市同士が争って殺し合ってきたからである。

日本でもそうだが江戸時代は地域地域の封建制であり土地に根ざしてデモスに分かれていたのである。そのデモスを治めるために参勤交代が工夫された。
中央の幕府に帰属させたのである。
それでも地方の力はデモスは関が原の戦いの怨念などをひきづっていたのである。
薩摩藩も幕府に過酷な尾張の治水工事にたずわされた、毛利藩は長州は今の山口県の狭いところにおしこめられた。

長州は 減封で実収が10分の1になり 
あまりの財政難に当主・毛利輝元が藩の返上を訴えましたが 懲罰の意味もあるので却下され 藩財政と立て直すのに 相当の苦労をしてます

特に宝暦の治水工事(濃尾平野の河川工事・尾張藩だが御三家だったので天下普請として薩摩に命令した)では 
わざと何回も工事を やり直させたり、スパイにできた堤防を壊させ やり直させたりと ヒドイ妨害工作をしています
武士にあるまじき卑怯な手段に 幕府の役人が恥じて切腹(約二名)したほど 工事にあたった薩摩藩士を苛め抜きました

こういうことが幕府の恨みともなっていた。幕臣は薩摩長州のことを明治以降も今でもその子孫は恨んでいる。そういう生々しいものはいろいろなり理屈よりわかりやすいのである。だから最近明治維新を見直すことが堂々となされるようになったのである。
あんな若造らは志士とかいうけど狂気の沙汰だったとか堂々と言うようになったのであるそれもある程度は認められつつあるのも歴史である。あまりにも明治維新が美化されてきたからである。

要するにこれもデモス(地域)に生活していたものが恨みをもつということデモス(地域)同士が争うということは常にあったのである。
南相馬市でも補償金でもめたように利害で人は争うのである。
だから民主主義をたどればデモスの利害の調節からデモクラシーが生まれとなる。
ところがこのデモス(地域)が衰退したとき、コミニュティが衰退したとき会社中心になったとき人は会社に帰属するようになる
人は地域には所属していない、大手ゼネコンとか電気会社とかトヨタとか様々な会社に人は所属している、地域は農業とか漁業とか林業が主体だったけどそれも一割にも満たない生産力しかなくなった。
デモクラシーが発祥したのは地域のデモスとの利害調節をすることだった。
それが今は会社になりまた会社と対決しているようでも電事労連がやはり原発でも電気組合員を組織していて会社に所属しているから原発は賛成なのである。

デモスというときグローバルになればやはりデモスとデモスが国と国が争う、利害で衝突する。その利害調節ができないと戦争になるのである。
デモスが地域連合というものが衰退したとき、会社とか宗教団体とかが人々の所属するものとなり力をふるうようになったのである。
この世の中は何らかの団体に所属していないと生きにくい、それで必ず底辺層などは創価とか共産とかエホバだとか団体に所属している、会員となれば仲間だとなる、でも一方でそううい団体は会員でないものは何であれ排斥する傾向が強いのである。
会員にならないと罰あたるとか創価では呪うこともしていた。
他でも組織団体かすると会員にならないものは排斥する排他的なものとなる

明治以降はヨーロッパに追いつくために強力な中央集権体制を築いた。
そして太平洋戦争までそれは継続したものとしてあり敗戦で終わったのである。
デモクラシーというとき大衆主義であり何か根ざすアイディンティティがない、大衆とは何かと言えば群衆であり根のないものとして東京のようになる。
そして中央から地域はただ経済的効率が悪いから東京からは地方交付税を払わせられるだけだとか不満を言うのである。
地域とは狭隘なものでありそうした田舎者は相手にしにくい、それも言えることは確かである。田舎の人間は偏狭であり相手にできないともなる
それも言えるがそういうことではない、地方は故郷とかは会社とか何か分業で成り立つものではない、自然を含めた全体のことをトータルに生を追求している場なのである。

そういうアイディンティの場があってこそ人間の心はそこに養われ文化が華開くのである
それがドイツの文化にあった。ドイツは森の民でありゲルマンの強固な世界を作り出してきたのである。
中央集権化することは地域をデモスをかえりみなくなる、文化とはデモスから地域から起きてくる、一方で東京などはあれだけの人口があってもそこは文化の不毛地帯なのである情報でもマスメデア中心で中央中心になるのである。交通の発達によりますます一極集中になる。経済効率からみればその方がいいとなる。
でもそこでは文化は失われる、
デモスから会社になったときそこに社会を大きく歪めるものがあった。
会社は日本の大企業は多国籍企業となるし外国で安い労働力を求め後進国に進出するときもデモスは地域はないがしろにされるということもある。
多国籍企業は公害を作り出したりするしその土地の代々つづいたコミニュティ文化も破壊するのである。
現実この辺で起きたことは原発事故でそうした代々つづいた歴史と文化と自然が破壊されたことなのである。民主主義のデモスが地域に根ざしたものが破壊されたのである。
もう住めなくなったのだからデモスもなにもない、デモクラシーもななったということである。
posted by 老鶯 at 21:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層