2016年07月04日

民主主義は権力の平衡をは計る制度 (暴力ではない対話と話し合いが基本


民主主義は権力の平衡をは計る制度


(暴力ではない対話と話し合いが基本)


コミニケーションというとき現代は複雑だからしにくい、コミニケーションというというとき対等であり平等でないとできない、それが民主主義の基本である。
これまでは暴力で解決してきたのがともかく暴力にならない話し合いで対話して解決しようとするのが民主主義である。
ただ民主主義にもいろいろ問題があっても暴力にならない、戦争しないということで民主主義が選ばれたのである。その点を抑えておくことが必要である。
そこには完全な平等とか公平さはない、そもそもこの世にそんな公平な世の中は実現しない、それは神にしかできないことである。
国と国の戦争になるとどちらに正義があるかなどわからないからである。
だから必ず損する人がいて不満な人が消えることはないのである。

でも話し合いとかなるとそれは時間をかけて解決する方法だともなる
暴力でもって一気に白黒をつけるというやり方ではないからだ。
共産党は最初暴力革命を是認していたのである。それで今も警戒している
創価ですら武力革命で権力奪取だとか意気込んでいた時代もあったが無血革命とか言って選挙で権力奪取を計ることに変換したのである。
民主主義政権下では暴力で武力で権力をとることは許されないからである。
ただ民主主義が万能かといったちそうではない、ナチスは民主主義の選挙の手続きで選ばれて政権を取ったからである。
第一多数だからすべて正しいとはならないし多数はかえって多数の暴力になり数が多ければなんでもいい、それで物事が決められるととなるとこれも恐ろしいのである。
ただ民主主義に代わるものがないからしているだけなのである。

コミニケーションの基本は対等であり平等でとないとできない、その対等が基本にあり日本のように敬語が多い、上下関係に気を使う国ではむずかしいものであった。
アメリカの成り立ちが王様はいない、一番偉いのが大統領であってもそれは一庶民であり特別偉いというものでもない、つまりIとYOUの対等性がある
英語自体がそうした平民的な言葉なのである。それがイギリスの英語と王が貴族が継続して成ったクェーンズイングリッシュとは違っているというのもそのためである。
ただ現代では民主主義というとき日々の生活でコミニケーションの基本が成り立たないのである。対等性、平等性がないのである。

専門家ー庶民

この間で一番コミニケーションがなりたたない、医者と患者とかでも例にするとそうである。
医者は専門家であり医者と患者は対等ではない、その知識も差があるからとても医者と対等にはなりえない、そして医者とか看護師とかは権力を持った存在なのである。
何か聞いてみるのも怖いとなる、なぜならこいつは生意気な奴だとして何されるかわからないという恐怖があるからだ。
だから医療ミスでも病院を訴えることはよほどのことでないとできない、それで膨大な医療ミスは見逃されることになる。それは権力の場所だからである。
権力がある場所はどこでも対話とか不可能である。
東電でもそうだった、何か対話しようにもお前は原子力のこと核のことがわかるのか?
自分もそういわれれば科学に弱いから何も言うこともできないのである
現代にはそういうことがいくらでもあり専門家が権力を持つ時代というイリイチの指摘がある。
何か訴えるにしても弁護士に頼らざるをえない、法律の専門家に頼らざるをえないのだから専門家の前に無力化されているのである。

それだけではない、権力をもつ団体にはもう対話もなにもできない、創価などと対話などできない、他のカルト宗教団体でもそうである。オウムがそれを証明していた。
何でも団体化するとそこは権力をもっているから対話などできない、ただ権力でもって押しつけられるだけなのである。つまり俺たちはすでに800万票をとっていてそれが信仰の証明であり力の証明なのだと数の権力でおしつけるのである。
宗教がこれほど世界的にでも広がったのは民衆が自主的に選んだものではない、権力によっておしつけられたものである。イスラム教などは特にそうである。
信じるか、信じないかしかなくノーと言えば殺される社会なのである。
キリスト教も歴史的にそういうことがあったが今ではしていない。宗教を強制していないのである。

権力関係というとき二人の人間の間でも権力をもつものと持たないものでは対話できない、権力を持つものに従う他ない、なぜ戦前とかは離婚が少なく戦後は離婚が増えたのか?それは女性が生活の面で自立してきたからである。
戦前は離婚したらもう自立できないから嫌でも夫に従う他なかったのである。
だからこれだけ離婚が増えたというのも当然だともなる、つまり二人の人間が男女でも仲良くするということはむずかしいことを証明しているのである。

人間の関係は庶民の間でも平等ではない、例えば雇う人と雇われる人がいたとするとそこにも権力が関係が生まれる、雇われる人はやめされるという恐怖があり対等にならない
ただ人間というのは権力を誰でももっていない人はいない、雇う方だって雇われる人がいなければやっていけないということがある。つまり弱みをもっているのである。
だから会社は共同で成り立つのだから社長だけで何でもできることはない
だから社員でも権力はもっているのである。ただどうしても雇う方に権力があるのが多く雇われる人はやめさせられる不安があり上の人に従うというのがある。
それでブラック会社が多いというとき雇う人の弱みにつけこんでそうしているのである。そういうことは民主主義的でないから弱者を保護する法律があり対抗手段を与えるのが民主主義なのである。

要するに民主主義が欠陥があるとしてもそうした権力の平衡を計る、それで独占禁止法などができた。ある会社が独占してしまえばその一社だけが突出した権力をもつことになりそれに誰も逆らうことができなくなる、それが東電のような会社だったのである。
完全に電気は独占企業になっていたからである。そうした権力をもった会社は自分たちの意のままになるとなり不都合なことも隠すことができた。それが大事故につながっていたのである。
民主主義とはどうしたらそうした突出した権力を抑えるかとか権力の平衡を計る仕組みである。それで三権分立ができたのである。
ただ権力ある団体に従うというときそれが今回の原発事故のような大事故にもなる。
また戦争にもなる、マスコミもこれまでは巨大な権力だった。
それに対抗するものとしてインターネットとか生まれたものそうである。
報道の自由といっても今まではマスコミだけがもっていたのである。
一個人など報道しようもないからだ。何か発言する力を持っていたのも権力をもっている人だけである。何かの代表者として発言している、創価の代弁者としてかもしれない、または左翼団体かもしれない、または仏教会かもしれないしまず何かの団体に属さない人は一個人は発言もできないのである。一見発言するように見えてもできなかったのである。常に権力の平衡を計るものとして民主主義はある。それが欠陥があり問題があってもそういう思想が民主主義にはある。
それで民主主義に反するものは批判されるのである。
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posted by 老鶯 at 15:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題