2016年07月16日

地名の基本は方角地名 (南相馬市の名前にはなお違和感が残る)


地名の基本は方角地名


(南相馬市の名前にはなお違和感が残る)

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南はあたたかい感じ、北は白で寒い感じ

東と西は陽の昇り西は沈むところ



方角地名が地名の基本としてある。方角というとき人間の生活で基本になるのがやはり方角になる。その方角の基本となるのが太陽が昇り太陽が沈む方向なるのである。
どっちかというと南北より東西が基本になる、世界史でも東西である。東がアジアであり西がヨーロッパである。

「オリエント」(日が昇るところ)とは「オクシデント」(日が没するところ)の対概念で、もちろん前者が東洋、後者は西洋という意味です。東洋と西洋を大きく比較する言葉ですが、中世という時代に地中海を航行して聖地イェルサレムに巡礼していたヨーロッパ人は日の出の方向を目指して旅をしたので、「オリエント」とは「中東」を意味するでしょう。地中海中心の航海から大航海時代に入り、インド洋に進出することによって「オリエント」の概念は中東からアジア全域に拡大したと思われます。
「アジア」という言葉は、本来は小アジア半島(現在のトルコ共和国)西部に設定されたローマ帝国の属州の名称です。


これはヨーロッパ中心に軸として方向があった。最初はローマ帝国だった。
アジアが一小地域でありそれが拡大してアジアになった。これはヨーロッパ中心の世界観なのである。つまり地球規模でみても方向は中心があって決まる。
ローマ帝国が中心だとするとそこが中心になり方角が決まる。
これはヨーロッパ中心に軸として方向があった。最初はローマ帝国だった。
アジアが一小地域でありそれが拡大してアジアになった。これはヨーロッパ中心の世界観なのである。つまり地球規模でみても方向は中心があって決まる。
ローマ帝国が中心だとするとそこが中心になり方角が決まる。

アジアという地名は、アッシリア人がBC2350−2180にバビロン北部に栄えたアッカド(Akkad)時代のアッシリア人がアッカド語(Akkadian)で「陽が昇る土地」という意味で言ったasu が語源で、それが古代ギリシアに伝わり(ASIA)、ローマ時代のラテン語(ASIA)を経て、Asia なったのだそうです。

アジアはアッシリアとか古い地域からみて陽が昇る地域だった。トルコはアジアでありアジア人である、突厥とかの遊牧民であり顔だちもアジアになる。

ボスポラス海峡がヨーロッパ とアジアを分ける、ブルガリアはキリスト教国になるからヨーロッパになる。

やはり中心があって方角がある。
仙台には良く電車で行く、電車というのは駅名が気になる、記憶に残る。
仙台に行くと必ず南仙台を通る、南仙台になると仙台が近いとなる。
南仙台は仙台から見て南だから南仙台なのである。
もともとは別な駅名だった。

1924年(大正13年)
9月10日 - 陸前中田駅(りくぜんなかだえき)として開業。
1963年(昭和38年)
5月25日 - 南仙台駅に改称。

陸前中田とかなると陸前とかは古風な江戸時代からの名前である。

江戸時代には、この街道の呼称は藩ごとにまちまちであった。
仙台藩では江戸浜街道。
中村藩では中村以北を仙台通、中村以南を水戸通。
磐城平藩では磐城平以北を相馬路、磐城平以南を水戸路。
水戸藩では水戸以北を磐城街道、水戸以南を水戸街道。

これがわかりやすい、常に水戸に通じる道となっている、東京からは今でも水戸街道と六号線は言っている。

東と西は方角地名の基本としてある。日本でも東西があり東(あづま)と西の分かれるところが関が原であり古代にもここを境にして兄弟の天皇が分かれて戦ったのが壬申の乱だった。ここで気候も変わる境目である。
琵琶湖でも湖東と湖西があり湖西の方は陽が沈む方向になりイメージ化される、ただ旅をするとこの方向がわかりにくくなる。西となるとどうしても陽が沈む方向になるから淋しい感じになるのだ。

大業三年(607年)、隋の皇帝煬帝が激怒したことで有名な 「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」との文言がある[8]。『隋書』には国書を持参した者の名前の記載はなく、ただ使者とあるのみである。

小野妹子がなぜ陽が昇る所の天子から陽が没る天子に贈るとしたのだろうか?
ここでも方角を言っていたのである。国と国の間でも方角が基本になるからだ。

地名は基本的に方角地名がある。相馬藩の歴史をたどれば小高郷、中の郷、北郷、宇多郷、山中郷がある。北郷は鹿島区の地域だけどこれはもともと相馬氏の城が最初に小高に築かれたからそこから北ということで北郷になったのである。
中心が小高にあってそこから北にあるからそうなった。
ではなぜ南相馬市となったのか?
原町市、小高町、鹿島町、飯館町は合併して「南相馬」になるのか、これが募集して一番多かった。相馬を中心にしてその南だから南相馬になる。喜多方の良かったのは北方(ほっぽう)という味気ない名が喜多方という当て字にしてイメ-ジが良くなったことである。
小高から相馬に前の中村に移った時、その城が中心になり相馬市となった。
それで今度は南相馬市となったのである。
南相馬市というとき未だに違和感を感じるのはなぜか?相馬市が中心としてありその南にあるから南相馬市だとなる。
南というとなにか温かい感じがするがそういう感じはない、ただ相馬市の城があった所から南というだけなのである。
相馬市が中心にあり南相馬市は付属している感じになる、外から見てもそうしか見えないのである。
相馬市があって南相馬市としか見えないのである。

ただ三つの町が合併すくときみんなが納得するものがないから無難なものとして南相馬市となった。
南相馬だと相馬市とも一体感があり相馬野馬追いの祭の地域として外からもわかりやすいからである。歴史的にはそうだがどうしても相馬市が中心で付属しているのが南相馬市になるというのが払拭できないのである。
将来的には南相馬市も相馬市も一緒になり相馬市になるということを前提にして名付けたという人もいる。
人口減になったのと津波や原発事故でそれが加速されることもある。
人口減少してゆけば全国的にもさらに市町村合併が推進される。
ともかく合併した南相馬市というのには違和感がある。ただではこれ以外の名前があるのかというと募集していろいろあってもみんなを納得されるものがなかった。
要するにみんなが納得するものとして南相馬市が生まれた。地名には勝手な突拍子もないものをつけられない、みんなが納得するものでとはないと承認されない
だから多数決で決めるのもしかたないとなる、だいたい地名は地形とから名付けられたものが多いし無味乾燥なものが多いからである。

福島県の西郷村というとき西白河郡西郷村とあり白河町が小さな領域だったが拡大して白河市になった。次ぎに東白河郡がある。白河市を中心にして東と西の分かれたのである。これも西白河村とか東白河村だとわかりやすい、外からみるとわかりやすい、ただ西郷村とあるとどこが中心なのか外から見たときわかりにくい、会津だと東西南北がありわかりやすい。ただ南北というとき温かいとか寒いとイメージする、南風だとあたたかいし北風だと寒いと感じる。東西となると陽が昇り没るとして方角があるからわかりやすい。
南と北は何か寒暖をイメージするから東西とはかなり感覚的に違ったものとなる
だから南相馬市はべ別に南だから温かいということはない、それはただ方角的なものだけなのである。
北茨城の北はいわき中心に名付けられていない、いわきからした南である。東京中心にして北となっているとわかりやすい、東北というのもそうである。
posted by 老鶯 at 17:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 明治維新-明治以降

介護で国力も衰退する (老々介護で共倒れが増える)


介護で国力も衰退する


(老々介護で共倒れが増える)


姉と関係していた近くの人が病院に入院しているという。
その夫とあって話したらその人は83才であるが頬がこけてやせて病人のように見えた
前に書いた戦争を経験した95才の人より老けて見えるし顔全体がやせて病人のように見える
その人は別に介護といっても病院に通うくらいだからそれほど辛い介護ではない
施設には入れないというときそれはみんながそうである、それで病院に入院していられるのも助かっている
確かにあの人を見ると自宅ではできない、でもまだ自転車にのれるのだから筋肉は弱っていない、それにしても悪いけどあんな骸骨のような顔になるのも老いの辛さがある。

これから老々介護も増えてきて悲惨な事件も起きている、NHKで介護殺人のことを報道していた。自分も同じ心境だった。死んでくれたら楽になるなと思うことは異常なことではない、介護しているとそうなるのだ。
介護の問題はいろいろあるけど介護は長いということである。自分は二人で十年間であり他の人も7年だとか十年だとか長いことが答えるのである。
癌だと余命一年とかなるから苦しくてもその間我慢すればいいと割り切れるが介護は先が見えないほど長いのである。
その人は認知症の母親を十年介護している、それで脳梗塞で倒れたとき救急車を呼ばないで死んだ方がいいと思ったという心境もわかる。誰でも死んでほしいと思うことがある。それは異常なことでも非情なことでもないのである。十年も介護していたらそうなる。
その人は50才としたそれまで50前から介護しているとしたら余計に辛いとなる。
近くの腰がまがりかけた女性も十年介護しているという、老々介護になると介護する方の負担が大きくなるのだ。
自分も病気なのに介護していた。誰も助けるものがいない、助ける人が一人は犯罪者であり一人は借金を要求するような人だったからかえって負担になった。
人の弱みにつけこんでくるような人だったのである。何の助けもなかったのである。
介護は誰か一人にまかせられる傾向がある。兄弟がいてもそうである。

介護で一番苦しいのは何かという問いに自由がなくなったということを言っていたが同感である。刑務所に入り牢獄につながれたようだというのもそうである。  本当につききりになるから全く自由がなくなる、自分にとってはこのことが一番辛かった。自由気ままに生きてきたから余計にそうだった。
ただ自分の事情としては特別そうして自由に生きられたのはそれだけ家族にしてもらったからだとその時自覚したのである。
つまり自由というのは誰かによって与えられたものなのである。
まず家が金銭的にでも労働でも余裕がないと自由は与えられない、金があってももし自分の家が一人だとむずかしい面があった。二人がいたので自分は自由に旅できたのである。留守する人がいたからである。今は一人だけど何か旅するにも留守する人がいないとなると不安になるのである。
自由というときやはり旅すればホテルであり食事であれ交通であれ世話になる、誰かが働く人がいて自由な旅もできるのである。
普通はみんな働いているからである。


ただ介護自体はいくら懸命にしてもそれ自体が何か社会にとって有益にも思えない
私はこれだけ親の介護しましたよと言ってもそれは親なんだから当然でしょうとなるだけである。
でももし芸術にしても作品をみせてそれが価値あれば社会的に価値あるものとなる。
介護したからと社会的に認められることはないのである。
それで介護というのは相当な社会的損失になるし国力の衰退にもなる
ある人は技術者であり会社で開発を担当していた。50才くらいであり油がのりきっている年齢だけど妻とかの介護をさせられた。それで仕事ができなくなることは社会的損失であり国力の衰退までなる
自分ももし50才で介護させられたら海外旅行できないから何か批評するにも馬鹿なことを言っていたろ
50才で海外旅行して見識が広まったから何かを言うことができる、理解できたから言うことができる、自分の場合は介護になるまでに自由を奪われなかったから良かったのであるだから自分は親のことを責めたりしないし介護でも懸命にしたのである。
でも40とか50とかで介護させられて仕事もできなくなったとかなると後で恨みになることはまちがいない、介護のために親のために人生を奪われたと恨むようになる。
介護が十年ともなると人生の中でその時間が奪われたことになるからだ。

これからは老々介護も増えてくる、そうすると共倒れにもなり介護殺人も増えてくる
施設に入れないとか普通であり団塊の世代が介護されるときもあと十年とかでなる
そうなるともう介護ができない、施設にも入れないとか悲惨な事件が日常的になる。
身寄りがないような人はもう介護されないとか病気になったら自死を覚悟せねばならない自分がそれを経験したから恐怖である。誰も助けてはくれない、同情もされない
病院でも看護師に虐待されても施設で虐待されてもどうにもならないから恐怖である。
結婚しない方がいいと考える若者はその老後い厳しさ予測できないのである。
金があればその金目当てにくるたげである。実際に犯罪にあったからである。
つまり老人をどうみているかというと一般的に財産があればその財産に目をつけられる
それは子供ですらそうなのである。だから介護しないなら子供でも財産を与えないというのもわかる。そういう時代になったのである。
老後とは長生きとはかえって過酷なものとなってゆく
だから一番大事なのは健康だとなる、健康であればなんとかのりきれるが金があっても健康がなくなれば老後は地獄になるのである。健康の価値は何倍にも高くなるのが老後である。

では健康というのはどうして作られるのか?これも若いときからの日々の暮らし積みに長年の間に影響してくる、そして60以後必ず病気がでてくる、60以後は別に健康に注意していた人でもなんらか病気になるのである。
自分は30代で酒も飲まなくなった。そして体力がないのだけど疲れると寝ていたから楽したからこれまで生きられたのだと思う。集団的に生活することができない性格である。
学校にも会社にも適応できないが家族に恵まれたから体力がなくても生きられたとなる。60以後は何であれ人生の総決算のようなものが具体的に否が応でも現れてくるのだ。
それは正にカルマの総決算である。これはさけることができないのである。
要するに自業自得だということである。若い内はたいしたことがないことと思っていてもそれが老後には痛恨の苦いものとなる。若気の至りではすまされなくなるから怖いのである。そのカルマは必ず老後に払わされるのである。

だから「心の青雲」でも何か空手でも体を鍛えているというのには感心する
リハビリでもやはりそうして心がけで回復する人としない人がでてくる
そういう姿勢には共感する、
いづれにしろ介護というのは国力すら衰退させる大きな社会的問題である。
親の介護で人生の時間が奪われるた人は親に感謝しなくなるだろう。
これも大きな問題である。自分は若いときは親戚の人が病気になって助けを求めたとき何もしなかった。自分のしたいことをした。それで良かったと思う。
旅をして良かったと思う。今になると旅すらできないからである。
なにかやりたいことをしないということは必ず人生を後悔する
それが介護などで奪われたらあとで恨むようになるのである。そしたら親子双方でいいものとはならないのである。
でも介護は否応なく課せられることもあり悲劇となるのである。
自分の場合はカルマとして納得したことであり恨みもないしかえって恩返しできたと思っている、でもみんながそうはならない、自分は運が良かっただけだとなる
ただここ十年の苦しみはまさにそうして恵まれた結果としてのカルマを返すために苦しんだのである。
タグ:老々介護