2016年10月31日

介護は死から供養へと通じている (納得してくれる介護をしないと供養もできなくなる)


介護は死から供養へと通じている


(納得してくれる介護をしないと供養もできなくなる)


老人の介護となるときそれがふりかえると死ぬことに通じてその後の死者の供養にも通じている
死んでゆくことわかっている、だから介護と死者の供養は一体ともなっていた。
介護はみんな嫌だとなるが介護しないとまた死んでから後味悪いものとなる。
それで介護のときは嫌だとなりしたくないとなる、それもわかるが死んでみるとなぜもっと介護してやらなかったのか、親切にできなかったのかとみんな言う。
介護は人によって家族によってもみんな事情が違うから色々なのである。

自分の場合は特に良くしてもらったから必死になって介護した。
認知症になっても介護した。それで最後にわかってくれたこともあり介護して良かったなとつくづく思う。
そうしなければ相当に悔やんだことになる

なぜなら死んだらもう何もできない

この厳粛な事実を知る、死んだ人にはもう何もできない

こうしてしいれば良かったとかなんとか言ってももう死んだ人には何もできない、生きているときしかできない、そこに介護でも苦しいのだがないがしろにもできない事情があるただこう思うのは家族くらいであり家族でもそう思わない人はいる
親に苦しめられただけの人もいるからだ。
だから介護にはそうした家族の事情がありみんな違ったものになる
ただ施設の介護士などはそうした動機がもてないのである。
ただいくら金をもらってやるしかないとしたらそうなる
なぜいくらの金で安月給でこの人を介護しなければならないのかとなるからだ。

介護と死と供養は一連のものとしてつながっている、いくら良く介護したとしても死に向かっているのが介護だからである。
そして死んでみるともう何もできない、そこで供養するとなるのだがこれも実は介護と関係していたのである。
介護でも何か苦しいけど介護しないと何もしてくれなかったとか親切にしてくれなかったとか恨みを残すかもしれない、それは人によって個々の事情があり違ったものになる。
親戚の人は複雑な事情があるにしろ実の親でとないにしろずっと長く世話したのである。問題はあるにしろそうだった。後でもめたにしろそういう人を全く世話しなかった。
それで「ひどい娘だわ」と恨みを残して死んでいったのである。
その女性にも問題があり自分の家でも良く思っていなかったがその娘が自分の家にきて
「おばちゃんは金あるんだから金でめんをとみてもらへ」と血相変えて去って行った
その人は何も別に自分の家に来て何もする必要がなかったのである。
何もこちらで要求したこともない、要求できないことはわかっていたからである。
あの人はやはり苦労がたりなかったのかとも思う
今はどう思っているかわからない。

考えてみると人間が老いるということ死ぬということそれはもう若いときは二度ともどってこない、時間はもどってこない、あの時こうすれば良かったとかいくら後悔しても時間はもどらないのである。
何かそれと介護とかもにている、死んでからいくらもっと親切にすれば良かったと言っても相手は死んでいるのだから何もできないのである。
ではその後供養するとき、恨みを残したような人に供養できるのかとなる
墓参りしたとしても外からはあの人は供養していると見えても死んだ人はどう思っているのか、あなたはひどい娘だったと言って死んだ人に供養できるのかとなる

自分は苦しかったけどなんとか介護してわかってもらった、だから死んだ家族はそのことをわかってくれると思う
特別良くしたもらった自分だから当然ではあった。
死んだ家族でもそういうことを納得してくれれば供養しても死者と心が通じるとなる
だから介護の問題のむずかしさは介護から死から供養と一連のものとしてあることなのだそこに介護のむずかしさがあったのである。
意外とこのことが後で深刻なものになるかもしれない、なぜならもっと良くしてやりたかったとか親切にしてやりたかったと思ってもできないからである。
だから介護は苦しいのだけどないがしろにもできないことが死んでみてわかる

一期一会とか人間は死ぬからこそ生きている時間を大切にしなければならない、そのことが自覚できない、いつまでも生きているように思っているのである。
ともかく自分はなんとか介護したから心から手をあわせて供養できる
死者もそのことをわかってくれると思うとき心が休まる
何かこれは良心的な問題でもあった。死んでからもっと親切にすれば良かったとか思ってもできない、すると良心がいたむのである。
その良心は外面をいくら装っても偽ることができないのである。
死者はできなくてもなにもに語らなくても見ているという怖さがあるのだ。
死者には偽ることができないのである。

良い介護といってもそんなにはできない、自分はしなかったけど相手は介護してくれたなと見て死んでいったと思う。別に自分だけが介護するということでもない、問題は介護されている方がそれなりに納得してくれるることである。
介護でもきりがなくなる、別に胃ろうなどしなくてもそこで死んでも良くやってくれと思われることである。
恨みを残すようだったらあとで供養もできなくなる怖さが介護にはある。
自分は納得してもらったから死者に供養ができる、死者もわかってくれるということが偽りではなく死んでも心が通じていると思い供養できるのである。
人間は極限られた時間に生きるということを自覚できないのである。
そのことが人間の生をおろそかにする一番の原因だったのである。



タグ:介護と供養
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高齢化社会に合わない車社会 (認知症の事故もこれから増える)


高齢化社会に合わない車社会

(認知症の事故もこれから増える)

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しかし認知症高齢者の自動車運転による事故は後を絶たず、認知症と診断されながら車の運転を続けている人は、予想以上に多いとみられている。とくにそれは、ほかに交通手段のない地方で顕著であるということだ。

車社会というのが高齢化社会に向かないものになった。それでも田舎でも車なしでは生活できない、街から離れて暮らす人が多いし田舎では一人一台車をもっている
だから80歳以上でも車を運転している人が多い、農業するにも軽トラックが必要になる
田舎の方がエネルギーを消費する量が多く省エネではないというのもわかる
つまり車のエネルギー消費は膨大なのである。

車はまた人間の精神にも相当に影響した、車を歩くことと自転車とか電車と比べてもその影響するものが大きかった。
キレルというとき老人が切れやすいとか言われるようになったがそもそもそれは老人だけではない、車社会が切れやすい人間を大量生産したのである。
自転車は車にとって目障りである、突然横切ったりするからである。
だから何回もどなられた、「馬鹿野郎」とかどなり走りさってゆく
それは自転車にも非があるのだが車優先社会だからそうなっている
車は人間が中にいるということも外から認識しにくいのである。
ただ車という物体が高速で突っ走る、その中に人間がいるということも認識しにくい
切れやすい人間を作るというとき車という道具がそうしたのである。

例えば人間は牛馬を使っていきときは牛馬は生き物であり牛馬のリズムがありそれに人間が従う、時間も牛馬のリズムになり急がせることができない、そして牛馬は生き物だから人間の情が通じ合う、それで馬と娘が結婚したとういう民話が生れる、曲屋で家族のように暮らしていれば当然そうなる。
つまり車社会とは全然違ったものとして構成された社会だったのである。
その時動物と交わるから動物も生き物だから人間も情が豊かになる、今はこれほどペットブームになるのはそうした情が育まれるものがなくなったからである。
車を相手にしては便利でも情が育まれないからである。

旅をするにしても歩く旅と車の旅とか電車の旅とか船の旅でも相当に感覚的に違っている一番記憶に残るのは歩くたびである。でも現代はそれができない、車社会にのみこまれてしうまからである。
外から見ていても歩いて旅している人がいればあの人は旅人なのだなと見る。
するとそこで旅人があるいてゆくということで俳句になったりする
つまり歩くことは今や何か特殊な絵になる光景にもなっているのだ。
なぜなら道路に見るのは接するのは車だけだからである
江戸時代の浮世絵を見ればみんな歩いている姿でありそれが絵になっている
歩く旅が一番人間にとって自然な姿なのである。

これまでは自然のリズムと人間のリズムがかけはなれたものではないものだった。
乗り物でも船になると海でも川でもゆっくりすすむ、早くすすめないのである。
船でも帆船だったら風の影響があり風に左右されることは自然の影響を受けることになる何か自分が旅をしてきたが船旅が好きになったのはゆっくりしているからである。
たた船旅は時間がかかるからよほど暇な人でないとできないのである。
電車の旅でもずいぶんしたけど早すぎるのである。それで車窓から見た景色は記憶に残りにくい、それでなぜか駅名だけが記憶に残ったりしているのである。
電車の旅では意外と記憶に残るのが駅で待つ時間なのである。
昔の駅舎はなにか郷愁がある。そこは出会いと別れの場であり人間臭い場所だったのである。

ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく 啄木

上野駅すらこういう場所だったのである。これが新幹線の時代になると出会いと別れといっても何か待つ時間がないからそういう人間的なものがなくなる。効率を追求すると人間的なものがなくなるのである。経済的効率、時間の効率を極限まで計ってきたのが人間である。結果として人間がそこで奪われたものが多い、切れやすいというとき出会い分かれる人間的場も失われたのである。
街道に分去(わかれさり)という地名が残るときそこで人と人は分かれもう永遠に合わないということがあるから印象的な場となっていたのである。
そういう場は今はなくなった。ただ車は人間を無視して突っ走ってゆくだけである。
人間関係はキレルのである。

楽だ楽だと言ってエスカレターを利用していると子供もそれに右ならへしていると最後に石油がなくなってすでに脚が弱っていて使えず石油がないから電気も不足する事態が予想されるーエコロジー幻想(武田邦彦)

この本では著者が座っているとカルシムが消失してゆくとか便利なものに頼ることがかえって人間の力は消失してゆくと言っている
そういう文明の矛盾は科学者でも思想家でも常に指摘されてきたことである。
文明はともかく莫大なエネルギーの消費でありまた原発事故でもわかったようにそうして便利なエネルギーを追求することは自然破壊になった。
ソーラーパネルでもその光を電気にするためにはシリコンなど有害物質を作り出すことによって二酸化炭素を増やしているという。

原発事故では人間の生活そのものもを見直すことが強いられたのである。つまり原発も効率的にエネルギーを得るのにいいものとされていた。それもまた非常に危険なものだったからそうはならなかった。
肝心の土も水も汚染されたら住めなくなったからである。
いづれにしろ高齢化社会に車社会は合っていないのである。もう80過ぎたら運転は危険になる。でも車を手放すことができない、現代で車をもたないとか運転できないということはその能力さえないものとさされる
結婚するにしても車の運転もできないのそんな人とはねとかなる
車をもたないものは変わりものなのである。現実車をもたない人は能力的劣っている人も確かに多いから何か変な奴だともなっているのである。

自分が自転車にのっているのは何か自分は実際に車でもバイクでも運転すると危険だからである。いつも考えことしているからである。
自転車だと走りながら考えることができる、でも車だと何か外の景色を見て鑑賞することもできない、常に運転することに集中しなければならないからである。
何か考えことするようだと即事故になってしまうからである。
高齢化社会というとき負の面だけが強調されるがいい面として高齢者にあった生活は人間的なのである。スロー社会とかいろんな所で高齢者向きのものになるとそれは若者にとっても住みいいものになる、人間的な情でも人間関係でもそうである。
そうなると鬱病なども減るということになる。
車社会を全面的に否定はできないが何か減らすことが必要なことは確かなのである。
現代は物でもなんでも増やすことではない減らすこが望まれているのである。
効率的でなくても減らすことでもかえって人間的になり豊かになるという逆説の社会になっている、それで経済成長しないから困る、消費が増えないから困るというのは今までの企業優先の社会であり売る方の論理でありそれを変えねばならないのである。












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2016年10月30日

秋の日(穏やかな気分の詩-秋の日の木々)


秋の日(穏やかな気分の詩-秋の日の木々)

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秋の日の木々

(the peacrful lined trees)


川べりの土手の桜の樹々に
穏やかな秋の日がさしている
十数本並んだ樹
その根はその土地に根を張る
その樹に私はよりかかる
穏やかな日がその樹にさしている
樹はここにさらに深く根を張る
人はどこかに根を張る
いつまでも旅しているわけにはいかない
幸福をどこに求めるのか?
そが足元に求めずしてない
人はどこかに根を張らねばならない
川の面に鴨が波紋を静かに広げる
争うことなくここに群れている
今私は心から平和を感じた
様々な苦難と労苦に疲弊した
平和いづこにあるのか
そが足元にある
静かに根を張る樹々よ
平和ここにありて根付く
春には花が一杯にまた咲くだろう
日を浴びて青々と野菜はこの土地に育つ
秋から冬へと移る時期
樹はここに静かに並び立つ
変わることなくいつまでもここに・・・・




人間の気分も常に変わっている、気候でも季節でも人間関係でもなんでも影響して変わってくる
まず介護十年とか津波だ原発事故だとか災難の連続だった
自分の家も瓦礫の山となった津波の光景と同じだったのである。
火事場泥棒とか狂気が病気でも吹き荒れたし借金を求められて汲々としていた。
自分も病気になり弱り目に祟り目だった。
弱者化したときチャンスだと責めてきたのである。
つくづくこれが人間の正体かと思った。
ただ責めてきた人間も金で追い詰められていたのである。

自分の気分は30年くらいはなんかこんな気分であり波風もさほどたたなかった。
ただ家族関係ではいつももめていたがそれでもこんな平和な生活がつづいていたのであるそれが一挙に親の病気やら自分の病気やら介護など様々なことでそういう穏やかな平和な気分は失われた。それはこの辺全体もそうだったのである。
震災から5年過ぎてやっと全体的にも回復基調になった。
それでも避難区域だったところは小高でも浪江でもこうなってはいない
そこにも桜並木がありここと同じような場があった。
そういう場が失われたのである。
桜並木は残っていてもそこには人がいないとなる

結局平和とは何かというとき平凡なものなのである。そういう平凡なもののが意味あると気づかないのである。
さんざん苦しんだ結果としてただこうして並びたつ木々に平和を感じたのである。
避難した人たちも故郷の桜並木によりそこで再び平和を見いだしたい感じたいなるだろう要するにそんなことは当たり前だったがそれができなくなったのである。
いづれにしろ介護は相当に疲弊させる、家の中がそういうふうになるともう平和はなくなる、かえってそれにつけこまれたりする、それが人間の悪質さだったのである。
でもまたそういう人も苦しむようになるのが人間なのである。

今年は夏が長くつづいた。それでどうも今頃になると確かに北風が吹いたし寒くなった。でも秋深しと感じない、秋が短いからそうなったのかもしれない。季節感が狂ったともなる。熱帯化した日本になったからである。
秋が短くなったのである。そして冬が早く来たという感じになる。

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桐の花患いなしに昼の月

桐の花が乱れずに咲いて患いがなかったのである。その時自分は仕事もしていないし三食も用意されていた、ただぶらぶらしていたのである。
そういうふうに時間を過ごしてきたことが今になると不思議だとなる
今はそういう人が若い人でも増えている、やはりそれだけの余裕があるからそうなる
でも団塊の世代ではみんな企業戦士になっていたから自分のように自由に過ごしていた人はまれである。
今になるとこうした平和はつづかない、30年間平和だったということが相当に恵まれた時代だったともなる。時代的にも何か必ず不穏なことが起きてくるからだ。
それは個人でも同じであり一生恵まれて平和に過ごせる人などいないのである。
何か苦しいことが必ずあるしそういうことを前もって経験していればかえっていいとなる苦しんでいないとあとで必ず苦しむようになるからである。




タグ:平和な木々

2016年10月29日

菊(北風が吹いて寒くなった)


菊(北風が吹いて寒くなった)

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いつも行く垣根に菊や路次曲がる

知る人の今日も畑に菊映えぬ

前畑に蔵ある家や柿なりぬ

蔵の壁秋の日さして畑あり

北風の鳴りて蔵ある農家かな

日も暮れむ色様々や秋薔薇

ひまわりや道幅広くなりにけり

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モスバーガー



毎日同じ道を行っている、介護してから毎日同じ近辺を行っている、でもそこにもは味わい深いものがある、人間日々見ていても何かを発見する
何気なく日々見ているものに美がありそれに気づかないのである。

畑で知っている人がいつもいる、ただその人から聞くの畑仕事をする苦労だけである。
それだって別にそれで生活しているわけでもない、趣味なのである。
むしろ金を出してしている、その金を出させられたのが自分である。
トマト五六個もらったがあとは何ももらえないし家で仕事するというのも5,6分なのである。それで金をそれなりに払っている、だから割に合わないとなる

なんか自分は割りに合わないようになった。これまでは三食用意するものがいたが介護になってから食事は自分で作っているし家事も全部自分でしている
誰も自分のためにしてくれる人はいない、結局割りの合わない役が回ってきたのである。人間はつくづくいい役ばかりではない、役というときrollという英語になる、rollingするのが人間なのである。
自分は割りが良かったが介護になってからは本当に割りの悪い役が回ってきたということである。

蔵があり畑があり農家がある、こういう景色が落ち着く、なんかこの辺ではそういう当たり前の景色が失われていたからである。今も全部が回復したとは言えない、
今日は北風が吹いて寒かった。北風が蔵に吹きつけても何かびくともしない重みがある。ただここの蔵は古いというのではない、ただ蔵があるということは何か重みが備わる
でも今はあまり蔵は活用していない、それでも蔵あるのが農家だとなる

新田川の橋の方に行く狭い道路は広くなった。そこにひまわりが咲いていた、広い道路を行くのは気持ちがいい、あそこは狭すぎたのである。
広い道路にはひまわりがにあっていた。ひまわりがあそこには結構咲いていた。
秋から冬にはにあわないがひまわりの写真をとった。
他の人も見にきていた。大きいひまわりが見物だった。
他に農家で薔薇を栽培していた、やはり今は写真の時代である。
俳句にしてもなかなか言葉だけだとイメージできないからだ。

人間はおそらく狭い範囲で生活しているとそこにはあるものに愛着を感じてくる。
日々そこを通り見ているからそうなる、旅だと一過性で終わり記憶から消えやすいのである。記憶に残る、それが生活なのである。

モスバーガーには土曜日なのにがら空きだったのはなぜか?あそこは息抜きにいい、喫茶店で仕事する人もいる
あそこは気楽に入れる、何か店は雰囲気によって気分も変わる、、テーブルや椅子の並べ方でも気分が変わる
あそこは天井が高い、内部がくつろげるようになっている
マグドナルドとかは何か食べるだけというだけで嫌なのである。
今の時代は何か雰囲気が大事になる、食べるだけではない、そういう時代である。







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2016年10月28日

一つの抽象画から変化する(リンゴから山へ) I change from one abstract picture (from an apple to the mountain)


一つの抽象画から変化する(リンゴから山へ)


I change from one abstract picture (from an apple to the mountain)

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抽象画は一つできるとそこから必ずいくつか変化して作れる
このリンゴは意外だった
自分はリンゴが好きであり毎日一個は食べている
果物が何でも好きである。

グローバル経済は悪く言っていたが世界の果物がた食べれることは幸せである。
かが果物でも日本で作れるものが多くなった。
リンゴにば種類があり地元でとれたリンゴで本当にうまいのがあった。
ただそれは後は食べていない、また食べたいがどこで売っているかわからないのである。
リンゴは青森産だけだと思っているが今はいろんな所で作っているのである。長野県辺りまで作っている、そこにもうまいリンゴがある
だからこのリンゴの抽象画は自分ながら気に入ったのである。
様々な養分が入っている、赤が中心でも他の養分が入っている感じになる。



When there was one abstract picture, some these apples to change, and to be able to make were unexpected by all means from there
Oneself likes apples, and one likes fruit eating in anything every day.

The global economy spoke ill, but it is happy that world fruit can eat.
The things which could make even かが fruit in Japan increased.
There was really delicious one with the apple which there was apple にば kind, and was produced in a hometown.
Do not only eat it afterward; want to eat it again, but sell, or do not know it anywhere.

The apple thinks that it is only Aomori product, but makes it now in various places. With the apple which is delicious there making to the Nagano area therefore liked the abstract picture of this apple in spite of being oneself.
Red containing various nourishment feels like other nourishment enters at the center.

【大川小津波訴訟】(2) (子供の方が先生より感が良かった、かえって感が働くの子供と若い人)


【大川小津波訴訟】(2)


(子供の方が先生より感が良かった、かえって感が働くの子供と若い人)


人間は経験しないことは大人でも子供でもその対処方法に差がない、大人が必ずしも的確な判断するとは限らない、その時子供の感ではすぐ裏山に逃げればいいじゃないかとなるのは単純だけど正解だった
その時大人の先生はそうした単純な方法をとらなっかた
危険な川の方に向かって行ったのだからどういうことなのだろうとなる
そしてそうした大人の先生に従わざるをえなかった生徒が死んだ
要するに何か大人とか先生とかいつも指導している人は固い思考に陥る傾向がある。
先生とか公務員とか何か専門にこりかたまっている人も柔軟な思考ができなくなる
先生は社会経験もないから視野がかえって狭いと言われる
つまり卒業したらすぐに先生と呼ばれる職業だからである。
やはり人間は経験が一番ものを言う、経験を積まないと実際の所はわからないのである。

だからこの近くにオランダの大使館に3年間も勤めていた人はそういう経験を積んだから違っていた。別に大使館でなくても今は外国で若い人がいろいろと経験を積んでいるから昔とは違っている。仕事でも外国でしている人が多いからである。
ただ津波となると原発事故でも経験がないから上の人だった指導しようがなかった。
それでスピーディを用意していたのだから放射性物質は風でどこに流れるか東電の社員は知っていたのである。
それで浪江の人と一緒に津島に逃げた人がこっちはかえって危ない、街に引き返した方がいいと浪江の人もその東電の社員に従ったのである。それが正解だったのである。
スピーディを用意していても全く活用されなかったのである。
なぜなら東電でも政府でも安全神話の上に原発を建てて運営していたからである。
常に言っているのは事故は起きませんということだった
事故も起きますよとかいうと地元でも住民からにらまれる、危険人物にすらされる
東電に勤めている人も多いし政府でも県でもマスコミでもどこでも監視状態にあって「安全神話」は作られていたからである。

それでも津波だと生徒に津波が来たらてんでばらばらに早く逃げろとか先生が教育していた生徒はそのように逃げた助かったのである。
それは津波が来るということをそこでは経験していたからである。
緊急時には対処方法がわからないことが多い
津波のように咄嗟に判断を強いられることになるよと余計にそうである。
「津波は来ない」「津波が来たことがない」と老人が言い張り死んだ
老人だって津波を経験したことがないからそうなった。

かえって若い人とか子供は感がいい、柔軟性がある、臨機応変さがある。
それは海外旅行では若い人は言葉ができなくても外国に適応しやすい
それは感がいいから外国でも適応できる
自分は50歳で外国旅行したから適応できなくて失敗が多かった。
それは言葉ではない、感が働かないのである。
だから意外と子供は何もわからないから大人の指導に従うべきだというが津波という経験しないことについて大人も子供もなかった。
かえって子供の方が単純に感を働かせてすぐ裏山に逃げればいいというのが正解だったのである。大人はかえってめんどうなことを考えて津波が来る川の方に向かったのである。これは海外旅行すればわかる、何か変な所にゆきやすいのである。

感がいいというとき動物なども何か異変を咄嗟に感じやすいだろう。それは本能的なものであり津波でも地震でも事前に知ることはありえる、それは何か異変を感じやすいからである。そうでないと生き残れないから本能的にそうなっている
人間ももともと機械とか情報でも様々なも便利なものに囲まれていても必ずしもそれが緊急時に役に立つとは限らない、テレビで10メートルの津波が来るというときはすでに来ていたからまにあわなかったのである。
海の水や川の水が極端に退いたことはどこでも観察されていた。
だからそれをみて咄嗟に判断して逃げた人は利口だったとなる
テレビだけでは追いつけない、時間がないからである。
最初6メートルと言っていた、それだって聞いたことかなかった、次にすぐ10メートルが来るといったときはすでに津波が来ていたからである。

だから先生がまず子供は先生の指導に従うべきであるという日常生活が習慣となっているからその時子供が裏山に逃げるのがいいと言っても子供の言い分を聞いていられるかともなった、オランダのように先生も子供も平等意識があればそうはならなかったかもしれない。
「先生、裏山に逃げよう」「生徒の言うことを先生が聞くのか」
何かそういう習慣があり抵抗があり先生はなぜか危険な津波の来る川の方に向かい生徒を引率した。一旦山に逃げた生徒も先生の指導に従わせたのである。

今は何かみん機械とか情報でもテレビとかその他インターネットでもそうだがそういうものに頼っているが人間の第六感とかは衰えている
人間の感なんかあてになるかとかなるのが現代である。
数値で示して科学的なものは信じるが人間の感などは迷信だとかなってしまう社会であるでもなんか感というのがあたることも多い、なんか悪いことが起きるじゃないかなとか思うと本当に起きる、感が鋭いのは子供であり女性であり若い人である。
老人は経験はあるが感は鈍くなる、経験したことから判断するから経験しない津波とるなと判断できなくなっていたのである。

今の世の中は複雑であり経験しないことなどいくらでもある。だから経験からも計れないのが現実である。人間が一生で経験することは極わずかなのである。
職業もこれだけ複雑で多いからどんな仕事をしているのか理解しにくいのである。
ただその経験した人から直接聞くのが一番参考になる。
それでいろいろな人に聞いたことをプログで書いてきたのである。
ただその聞くにしてもまた限られている、オランダの大使館に勤めた人など田舎ではまれだからである。都会だったらそうしていろいろな外国でも経験した人がいるから違っている、そこが都会と田舎の差だとは言える
一方で都会の人は農業のことなどは無知だとなる。都会はまた人工的空間だから自然を直感することがない、そこで自然災害に都会は弱い、あまりにも人工的空間化していることは自然災害に弱いのである。
三陸のように裏山で清水を飲み薪で米を炊くようなこともできないからである。

大川小学校の悲劇はやはり緊急時にどう対応するかで教訓になっている
まず津波の備えが先生にもないから生徒にもなかった、ただ子供の方が感がいいから裏山がすぐなんだから逃げればいいと単純に判断したのが正解だった。
大人の方は先生はかえってむずかしく考えたのである。
ただ一人の先生は裏山に逃げて助かったし子供でも裏山に逃げた生徒は助かったのである先生でも意見が分かれ多数決で判断して誤ったとなる、それが生死を分けたのである。
だから多数決が緊急時にはいいとはならない、かえって危険となり命落とすことにもなる民主主義は何でも多数決で決められるからそこにも落とし穴があった。
多数決が絶対だということはないてのである。かえってそれが危険なものとなり全員が命を落とすことになるという教訓でもあった。

ただ緊急時にどういう判断をするかは個々人でも全体でもむずかしい。
自分だったらどうなったのかと考えるとわたわたしてすぐ時間がたったらたちまち津波にのまれていた可能性が強い、すぐに逃げにくいのは家にいろいろなものがあるからであるなにもかも一瞬に捨てて逃げることは簡単にできないのである。
津波に対処しにくいのは緊急時に判断が誤るのは時間がないから考える暇もない、即座に判断して行動しないと死ぬからである。
動物だったら別に何も執着するものがないから即座に逃げる、だから動物の方が緊急時には強いともなる、それで犬に引っ張られて津波から逃れ助かった人もいたのである。

人間で意外と大事なのは柔軟性である。年取ると柔軟性がなくなる、体ってそうであり柔軟性がなくなる、ただ老人の強みは経験していることである。
でも何か新しいことに柔軟に対処できないのである。新しいことを学ぶことがしにくくなる。、海外旅行というと異次元の世界に入るからそこに柔軟に対処できないのである。
柔軟というとき学ぶことでもそうである。学び方がよければ学問も好きになることがあるともかく柔軟な思考は一つの見方に固定した見方にとらわれないことである。
何でも様々な見方があり一つの見方にこだわると緊急時でも対処できなくなる
現代は複雑だから柔軟に対処することがどこでも強いられているがそれがむずかしいのである。


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2016年10月27日

原発事故の被害は隠蔽されやすい (作業員が800人死んだとかも証明されない謎)


原発事故の被害は隠蔽されやすい


(作業員が800人死んだとかも証明されない謎)


東北大学医学部附属病院が、 
 福島第1原発について「極秘情報」が 
外部に洩れないように緘口令を敷いている。 

それは、福島第1原発の大事故現場に送り 
込まれた作業員(約3000人)のうち、 
すでに800人が放射能により死亡しているのに、 
 東北大学医学部附属病院が緘口令を敷いて、 
 外部に洩れないようにしているということだ。 

 患者たちは、一旦、東北大学医学部附属病院で診察を受けた後、 
 新潟県内にある分院に移送されて、 
 静かに死期を迎えるまで過ごす。 
 放射線治療を受けても、手の施しようがないからである。 


   
この情報は新聞に出ていた。9人くらいは死んだのは名前もわかっている。
でも800人も死んだとなると誰も信じないだろう。
それでも原発で作業していればどれだけの放射線をあびるのか?
双葉とか大熊を通るとバスでも7マイクロシ-ベルトと出る
原発内部で仕事していたらどうなるのか?
その数も多い、何千人という単位で仕事しているしもともと原発は数が多くないとできない、なぜなら一分しか仕事できない、一分して交代して仕事する
それだけ放射線量が原発内部では高くなるからだ。
だから作業能率が悪い、働く人員の数が必要になる
3000人くらいがかなりの被爆したことはまちがいないだろう。
そのうち800人死んだのかとなると実際は確かめようがないだろう

原発で働いていた人に聞いたことを書いたが

「仲間がみんな死んだ」

その意味がはっきりしない、一緒に働いた人が死んだのか?それを確認したのか?
ただ憶測で言ったのか?

人の話も全部は信用できない、オランダの大使館に勤めていた人は車が高い「一千万」するというときそれはいつのことだったのか?
これもどういうことなのかわからない、別に高級車だと一千万の車は今でもあるけど普通車ではありえない、でも直接聞く人の話には必ずしも嘘とは言えない何かがある。
その人がまた直接人から聞いたりしているからだ。

福島医大で放射能汚染で死んだ作業員がホルマリン漬けにして保存されて研究材料にされているというのは本当かもしれない、福島医大とか東北大学とかは国の機関だからそういうことができる、原発はもともと隠蔽されてきたからでてある。

住所がわからないということはそういう人たちなのか、ホームレスとかそういう人たちを集めたからなのか?そういうことは確実だから800人死んでも身寄りがないのだからそのままにされたのか?

ただ病院というところは本当は相当に怖い所なのである。


大口病院では、今年7月から9月の間に約50名の患者が亡くなっているにも関わらず、中毒死事件発覚後に亡くなった患者はゼロという奇妙な現象が起きており(27日時点)



これも病院で起きた不可解な事件である。50人も死んでもしも殺されたとしたら大問題なはずだがそうはなっていない、遺族も騒いでいないのである。
外国でも医者とか看護師が50人とか100人とか300人とか殺したという例がある。
病院は大量に人を殺せる場所でありそれが外部にもれにくいのである。
病院は今では死体処理場でもある、毎日人が死んでいるのだからめずらしくもない場所である。一人また死にました、早くかたづけてくださいと後は病院関係者は関心がないのである。あの人看護したけど死んだけどどうなのとかない場所である。なぜなら次々に死ぬ場所だからである。大学になると研究材料にしか考えない場合がある。
そういう体質があるから放射能汚染で死んだとしてもそういうことがしやすい場である。だから単なるデマとするにも納得できないということはある。
なにしろ多数の人が働いた場所だからである。

福島医大で放射能汚染のことを調査したりしている、甲状腺でも被爆でも調査している。それは国に委託されてしている、でもそこから真実がわかるのか?
ここでも隠蔽されているかもしれない、福島医大と国が直接かかわっているからである。国にとって悪い情報は出さない、だからその調査結果も信用できないともなる
ただその調査することだけで膨大な金がかかりそこも利権になっている。
なんでこんなに調査の分厚い小冊子が何回も送られてくるのか?
自分は面倒だから一度も出していない
その調査の費用は福島県全部でしているとしたらそれだけで莫大になる
除染でもそうだがそれがどれだけ効果あるのか、これも莫大な無駄だとという人もいる
それも兆単位の無駄だというとき見逃せない、それはみんな国民の税金から出されているからである。

原発の被害はこれからも隠蔽ささればわからない、事故との因果関係は証明しにくい。
10年後であれ、20年後であれガンになってもその因果関係は極端なものとして現れない限り証明しにくい、今でも被害が訴えにくいのは原発事故で死んだりしていない、一人も死んでいなと外から言われるからである。
放射線でバタバタ百人単位くらいで死ねばその被害がはっきりしているから訴えやすい、でもそれがないからたいしたことがないとか見られるのである。
なんだあいつら避難民は補償金で毎日遊んでいるだけではないか?
現実そうなっているから被害を外に訴えられないことがあったのである、今もそうである
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大川小津波訴訟】 (オランダの徹底した平等主義があればどうなったのか?)


【大川小津波訴訟】


(オランダの徹底した平等主義があればどうなったのか?)


本当に必死に行動したのかな? 
「山へ逃げれば助かるべー」 って必死に訴えたのは生徒のほうだし 
「大津波警報が出てます」 って必死に教師に伝えたのは生徒の親だし 
それを小馬鹿にするように否定したんでしょ 

なんだか正しい助言してくれてる人をことごとく排除した結果な気が 
生徒や家族なんかよりも教師の判断が正しいんだ と言わんばかりじゃないの


鵜住居小学校・釜石東中学校は500メートルほどしか離れてないのに全員助かってるところを見ると 
やはり教師の力量や教育の質の違いだね 

日本は集団行動を強いるからな。 
自分だけ高台に逃げようとすると 
「何でお前だけ逃げようとするんだ!」ってよってたかっていじめられ 
足の引っ張り合いがおこなわれるからな。 




緊急時の対応はむずかしい、時間がなさすぎる、津波警報が来てからここでは40分後とかでも地震でものが落ちてきたりしてそれでわたわたしたらすぐに時間がすぎる
津波警報を聞いてもすぐに逃げる人はいない、津波はここでもそうだけど川を最初上ってきた。すぐ近くが川だけど見に行っていない、川に水が押し寄せていると誰かが言ったけどそれも見に行かなかった。川はすぐ近くだった。
500メートルくらい下の土手を津波が越えていたのである。
第一津波がこんなに遠くまで来るということを予想していた人は一人もいないのである。津波に対する知識がない、経験もないからそうなる
だからこれに対応するのはむずかしい、先生も10人も死んだのである。
それで責めるのは酷だとなる。

ただこれは学校とか先生の下で子供がいて起きたことである。そこに問題が生じた。
子供だったら先生の指示に従うように日頃から教育されているからだ。
その中でも山に逃げた方がいいと子供が言っていたという。それで逃げたこ子供と先生が助かった。
一方では先生の指示に従い助かった学校もいる。上の人の判断で助かったのである。

だからこれも誰が悪いのか?判断するのはむずかしい。
ただオランダのことで聞いてわかったことはオランダでは先生と教える子供すら平等である。子供が先生を嫌ったら先生まで首にさせられるという。
徹底した平等社会なのである。そういう国だとすぐに上の人だからと指示に従うということはないかもしれない、日本では上下関係の中で物事が決められてゆく、あまり議論もしない。
マスコミの権威にも弱い、上の指示に従いやすい、自主性がないのである。
だから最近マスコミを盛んに批判しているのはいいことなのである。
例えば極端な貧乏人のことをとりあげたがそれは嘘だったとかあるからだ。

「それ本当なの?」という疑問をもつだけで自主性が養われるのである。

その反面誰にも従わないということは危険なことにもなる、学校でも生徒が校長とか教頭に従い助かったということもあるからだ。
でもまた必ずしもそうした上の人の判断が正しいとは限らないのが問題なのである。

現代は大衆社会であり自由社会のように見えても大衆はマスコミとか上の命令に従う自主性のない人たちである。そこにナチス化する危険性が常にある。
カルト教団などは全く思考しないロボットの集団化しているから怖いのである。
オウムであれ創価であれ幸福の科学であれなんであれカルト教団は上のものに絶対服従である。何か逆らえば信心がないとなり罰あたるとか恐怖を与えて従わせる
そういう団体に属して教育されている人たちも何か緊急時には上の人の命令に従うだけだから怖いとなる。

平等主義というときオランダのように徹底して平等を追求していない、原発事故でも東電の社員と地元の人たちが平等ではないからそもそも話し合うこともできないから危険なもとものとなる、自分たちの安全を守れないということである。
その原因に東電の社員と地元の人たちでも政府でも平等になりえないからである。
科学者はお前らに原子のことがわかるかとなり相手にもされないからである。
民主主義はそうした平等性を追求しているがそれが日常生活では成されていないのである

オランダの子供たちだったら先生の言うことをきかないで山の方に逃げたかもしれない、それだけの自主性が子供でも養われていたかもしれない、「先生の言うことなど聞いていられないよ」となって山に逃げたかもしれない、ただこの自主性でも自由でも危険はあるやはり子供だから判断の間違いがあるからだ。でも今回は大人でも判断できない状態だったのである。
未経験なことはどう判断していいかわからないのである。

いづれにしろ原発にしても誰が決めるのか決めたのかとなる。その判断を誰がして原発が作られたのかとなるとはっきりしない。自民党が推進して民主党が受け継いだとなる
国民の間でも十分に議論もされてかったのである。
議論するにも判断するにもその前にオランダのように徹底した平等があればできるがそれがなければできない、科学者は科学を知らないものを軽蔑しているしそんな人たちと議論しないからである。自分たちが上だとなっているからそもそも見下しているからしない。それは医者でもそうである。何か患者が聞いたりすると嫌がある。医者に従っていればいいのだとなる。その根底にはそもそも患者とか看護師とかの間で平等がないのである。
患者は弱者であるから従うほかないとなるのである。

津波に関してはこれは先生の責任だといっても先生も十人死んでいるのだから先生も自分たちが助かることを考えればどうなのかとなる。
先生たちも判断しようがなかったし対処できなかった。こういうとき知ったかぶりするも危険である。先生ももしかしたら子供の言うことも正しいかもしれないと思ってもよかったのかもしれない、でも子供の判断に従うのも良しとしないことがあったかもしれない、か俺たちは先生であり俺たちが判断して生徒を導くべきだと思っていたのかもしれない
この辺のことはわかりにくい、つまりここでは津波に関しては無知であり誰の判断も正しいとはならなかった。
こういう判断は本当にむずかしい、生死を分けるからである。

日本人で砂漠を旅行した人たちが迷って水がなくなり困った、その時導く人が経験している人がいて水のあるところに導いてくれて助かった。
それはその指導する人が経験があったからだとなる
でも間違って導いたら水にありつかず死ぬということもあった。
そういう判断は運にもなる、人間は経験がないことに対処できなからである。

大川小学校の責任でも誰に責任があるのかとなるとむずかしい。先生も十人も死んだとなると責任が問いようがないということもある。
人間は何か重大な判断をするとき戦争するかしないとかでもどうして判断するのか大きな問題になる。原発に関してはほとんど国民的な議論にもならず50基以上も建てられたのである。
では今回のように事故になったとき誰が責任をとるのかというのが大問題になったのである。
オランダのように日常の生活で隔てなく平等があるとき議論もできるが平等がそもそもないのだからできない、その判断するのは上の人であり庶民は黙っていろとなる。
でも一旦事故になったら庶民が故郷にすら住めなくなるという被害を受けたのだからその前に地元の人たちとも平等に議論する態度が必要だったのである。
「あいつらには金をばらまけばいいんだ、原発のことなどわかりっこないんだから」東電とか政府ではそう思っていた。
つまりオランダのように平等意識がないからそうなっていたのでありそれが大事故になったとき大被害をもたらしたのである。

タグ:大川小学校
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オランダの徹底した平等主義は国の歴史と関係している


オランダの徹底した平等主義は国の歴史と関係している


A君は
有名工科大学の航空科を
優秀な成績で卒業し、
今は有名会社で
飛行機の開発に関わっています。


「エリート?
エリートってどういうこと??
その彼は飛行機が好きで、
飛行機の勉強をし、
飛行機の開発に関わっている。
ただそれだけのこと!
あのね、、この世に
”エリート(=優秀な選ばれた人)”
なんてものは存在しないのよ!!」

オランダの凄いところは
高学歴、高収入の
高い地位にある人たちが、
「人間の価値はみな等しい!」
「誰も偉くなんてない!」
と、熱くなるところです。

オランダの国土は
 ほぼ九州に匹敵・・4分の1は海面下
 堤防がなければ国土の65%が水で覆われる

 そこから独特の平等主義も生まれた
 『堤防の前ではみんな平等』 という思想
 堤防は全員が協力、対処しなければ守れない
 一か所でも決壊すれば国は水没する

 そこでは
 上下関係やヒエラルキー(ピラミッド型の序列)は 『 不要 』

 一般的な日本人のオランダのイメージはといえば、「風車」と「チューリップ」の国ということになるだろう。そして、読書に勤しまれた方などは、かの有名な「ドン・キホーテ」='Don Quixote' の物語を思い出されるだろう。彼の妄想は、「社会の悪」として「巨大な風車」を見立て、従者の「サンチョ・パンサ」とともに戦いを挑んでいったのであった。そもそも、「オランダ」という国は、国全体が海抜ゼロメートルとなっており、別名「ネーデルランド」='Netherland'=「低い土地」とも呼ばれている。この「オランダに行け」を英訳すると「ゴー・トゥ・ホランド」=’Go to Holland' となるわけだけれど、英語で「ゴー・ダッチ」='Go Dutch' と言うと、「割り勘」にしようという意味になるらしいのである。



  オランダの大使館に三年勤務していた人の話を書いたがヨーロッパ全体に適用されるものではないだろう。オランダは特に平等主義になった。それは国の成り立ちからそうなった。つまり全員一致して堤防を作り国を作ったことがその根底にある。
  そこには身分は関係ない、全員が平等で一致して協力しないと国が維持できなかったからである。たからこうした徹底した平等主義かヨーロッパ全体には適用されないだろう  
その人が碁や将棋が得意でありそれだけでもその人は認められる、それは飛行機のパイロットとも同格だとまでなることはヨーロッパの他の国でもないだろう。
日本では何かかえって差別が多い国である。就職だって学歴で差別しているしガテン系は3kとして嫌われている、設計している人はエリートであり現場は劣ったものとして給料も安い、でも現実を見れば建築現場で働く人は危険であり体力もないとできない、そういう職業上の差別がない社会にオランダがなっているということは特殊なのだろう。

日本では侍階級を明治維新でなくしても以前として侍は士族であり平民と戸籍に記され分かれていた。その後も日本は福沢諭吉の学問のすすめなどでかえって学閥とか作り支配階級を作ったりした。それで慶応大学がその学閥が強いのでレイプ事件とかで批判されるようになった。東大閥でもそうである。
「学問のすすめ」は学問で立身出世する手段とすることだったのだから当然だったのである。

オランダが住みやすいというときそういう平等社会は外から入って来た人でも平等だとなると住みやすいので増えすぎて問題を起こすようになった。イスラム系が増えすぎたからそうなった。学校でも人種が混交している。そういう極端な平等主義の弊害も生まれた。
ヨーロッパを理解することは様々な点でむずかしい。たた封建時代があるのはヨーロッパと日本だけでありここが共通しているので理解しやすいということはある。
城が本当に多いのである。騎士がいるということは侍とにている、歴史的に共通性があると外国でも理解しやすい。

オランダが栄えたのは海外貿易でありそれは日本の長崎の出島で交流があった。
蘭学がありヨーロッパの文化技術の窓口となったのだからその歴史は古い。
オランダは商人の国である、だから割り勘という風習が生まれた。合理的精神とか平等主義もそうした商人国家であった所以でもある。商業というとき商人になると相手の身分が高いからというより物の値段が最優先される、身分が通用しない世界である。
それで日本でも大名が商人に借金するようになって経済的に侍階級を維持できなくなったともいわれ明治維新が成功したと分析する人もいる。
芸術でもオランダは写実主義の絵画になったのも物をやりとりする貿易で栄えたからそうなる。空想的なものより写実的になるのである。

オランダがこれだけ平等主義だということは住みやすいだろう。それで移民も受け入れてふえすぎたことがわかる。オランダで安楽死が受け入れられたのも合理的に考える人が多いからだろう。ワークシェアリングとかもやはり合理的に考えそれを実践している。
その根底にはオランダ特有の歴史がありそうなったから他の国ではそれを即実行できるというものではない。

オランダといえばやはり風車である。

さらに風車のすぐれた技術は、造船にも応用され、やがて17世紀、オランダは世界の海を制して黄金時代を迎えます。キンデルダイクののどかな風車群の絶景は、ただ美しいだけにとどまらず、オランダが国土を確保・拡大し、大繁栄を遂げた歴史の象徴として、世界遺産に登録されたのです。

晩秋や風車の古りて村一つ

風車というのは古いものがある。何かそれが風格があり威厳があった。それてそれをドンキホーテが悪とみて突撃したというのもそういう面があったのか?
これは実際に見ないと実感しない、それは電車から見たものだったが風格があった。
なかなか実物を見ないと理解できないものがある。その土地に行ってみないとわからないものがある。ヨーロッパは歴史が古いからである。
ただ旅行してもなかなか歴史などわかりにくい、言葉が通じないとか理解できなかった。外国は本当はガイドが必要である。そうでないと深く理解できないのである。
また行きたいが何か旅することも疲れたとなる。旅も相当なエネルギーが必要だったのである。介護十年とかでエネルギーが消耗したのである。
外国を理解することはやはり相当な時間も必要である。物事は一挙に理解できない、徐々に理解を深めてゆくのが人間だからである。
それで最近何かいろろいなことが理解でるようになった。詩もむずかしいものだが理解できる、他でも本でも即座に理解できるのである。
その本を読んだときは理解していない、びっしり線を引いていてもそのことを理解していなかった。今はそういう本でも即座に理解して引用して自分のものにできるのである。





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2016年10月26日

公園で出会ったオランダの大使館に勤めていた人の話 (外国は住んでみないとわからないことが多い)


公園で出会ったオランダの大使館に勤めていた人の話


(外国は住んでみないとわからないことが多い)


公園で何かしらの事故が発生した場合、ヨーロッパでは当事者責任になるが、日本では公園の管理者責任になるから、思い切ったことが出来ない。そもそもヨーロッパでは公園が「コミュニティーのコミュニケーションの場」という位置づけであるのに対し、日本では「避難所」という位置づけなんですって。考える根本が違います。


 ヨーロッパの公園は美しい。花や木、芝生、噴水などが調和を持って構成され、周囲の建物とともに一つの都市美を作り上げている。しかし、さらにそのうえに公園の美しさを引き立たせるものは、そこにたむろする人間である。ベンチにすわって何をするともなく周囲を見渡すもの、読書や編み物をするもの、世間話に耽るもの、そうした人間のくつろいだ姿、活動する姿を抜きにして公園や都市の本当の美しさを考えることはできない。その意味でヨーロッパの公園にしろ、都市にしろ本当の美しさを持っていると言えるだろうhttp://www.cwk.zaq.ne.jp/fkfzb100/j-talking/s45-park.htm

近くの公園のブランコに年寄りがいた。最近どんな人だろうかといろいろな人に話しかけて聞いている
その人の驚いたことはオランダの大使館に3年間勤めていたから外国事情に詳しかった。
この辺にもそんな人がいたのかと驚いたのである。

「外国の公園はいいですよ、日本の公園は規制が多いんですよ、芝生に入るなとかなんとかみんな気楽に憩う場所じゃないんですよ、外国ではみんなの生活の場なんですよ、車をとめる所もあるし日本の公園は全然違っているんですよ」
「日本の公園は子供の遊びみたいだけど子供少ないからそんなに遊んでいない」
「それより日本の公園は生活の場ではないんです」
「確かに避難所という役目があり生活の中に日常的にあるわけではないのかな」

そいんなことを話したが公園一つとってもヨーロッパと日本は違っている、同じ公園でも利用の仕方とかどういう目的で作ったのとか違っている。
外国は旅行しただけではほとんどわからない、その人は外国で生活したから外国の文化を肌で知ったのである。

「ヨーロッパで偉いというと牧師と医者しかいなんですよ」
「医者は日本でも一番偉いですから同じだな」
「医者は国で金を払っている、牧師でもです」
「日本では牧師は偉くないです、牧師はヨーロッパでは歴史が長いからそうなっているのか」
「オランダではヨーロッパでは偉いというのは日本で言う偉いとは違う、日本では教育長とか議員とか地位ある人や社長とかなると偉いとなるんですがヨーロッパでは平等意識が強いんですよ、タクシーの運転手でも教師した人などがしていて日本とは違う、例えば日本だと土木とか建築関係の現場の労働者は何か3Kで汚いとか嫌がられる、ヨーロッパではそういうことがないんです、平等意識が徹底しているんですよ」
「ヨーロッパというと貴族がいてその下に庶民がいて貴族と庶民の言葉が違うとか言われるけど」
「貴族がいたとしても少数であり今は平等社会だから平等意識が強い、私の知り合った人にモールという名前の人がいたんです、その意味がモグラだったんです」
「ええ、モグラですか、なぜそんな名前を」
「そのことについて問いただすと差別とかなるんです、何か貴族がいて庶民だんからモールとなづけたのかわかりませんがその名前はじていないんですよ」
「まあ、日本でも江戸時代は日本でも百姓には姓がなく名前だけでしたが・・・」

これも不思議な感じがするけど日本の方が平等のようでもそうではない、無効では学歴というよりどこどこの大学を出たから東大出たからと偉いというけではない、何かそうしたかたがきでその人を評価していない、その人は碁とか将棋が得意でありそれを教えたら評価されて何か必ずもらったという。
外国ではプロフェショナルというとき職業のことであり職業が何かということで判断するのは日本でも一般的に世界でもそうだが何かにプロであることが評価の基準なのである。どこの大学を出たとかは関係ないと言っていた。

それから日々の生活でもいろいろ日本とは違っているがそれはそこに住んで見なければわからないのである。

「隣に住んでいる人にあいさつしないで怒られたんです」
「あいさつは今日本ではしないですが」
「向こうでは必ず挨拶するんですよ」
「なぜしないは怒られるかというと教育上良くないからです、子供に影響するからです」「旅行しているとそういうことはないですが」
「旅行しているのと住んでみるのとでは全然違うんですよ」
「学校でも先生が気に入らないと生徒が学校に行かなくなって先生がやめさせられたことがあるんです」
「先生がですか・・・これも先生と教えられるものとの平等意識からそうなった」

自分もヨーロッパは旅行したけど表面的なものでありその国の事情とか文化とかはわかりにくい。文化は外国になると日常の仔細な所にある。そこから文化を考える。
つまり文化とは日常の生活にある、それが旅行者には経験できないのである。
先生と生徒も平等である、でも先生が気にいらないと生徒にやめさせられるというのは意外である。それほど社会全般に平等意識がある証拠でもある。

「これもしかられたのですが、車から女房をおろすとき、自分がドアをあけなかったんです、そしたらしかられたんです」
「レディファーストが厳しいから」
「それもあります、でもヨーロッパでは夫婦同伴になっているのは夫しか男性が財布をもっていて金は男性がもっているから女性は夫なしで外出できないんですよ、女性は自由に金を使いないんですよ」
「ええ、そうかな、ヨーロッパの女性は男女同権の国だからそんなことあるのか」
「女性に対する見方でも対処の仕方でも違っているんですよ」
「日本だと妻が財布をにぎっていて小遣いをわたされるている、日本だと妻の方が力が強いとなりますが」

なかなかこうしたことでもそこに住んでみないとわからないことが多いのである。
住んで体験しないとわからないことが世界には多いのである。それは本で読んでもなかなかわからないのである。
体験した人がそういうことがわかるのはそこで生活するから生活の中で外国の中にとけこまなければならないからそうなる。「郷に入っては郷に従い」となる。
だから外国で生活することは身をもって外国を生活の中で知ることになる。
おそらくレディファ-ストというのは女性を第一にするというより女性を守るということを第一にしている。
金が男性がもっているというとき金をもってなければ女性一人では外出もできない、一見女性優位のようにみえて女性を男性が守るという前提でレディファーストがある。金さえもっていないということは男性が経済的にも女性を守るということになる
女性はかえっていつも男性に守られている守らねばならないとなり受け身の存在だともなる。
日本人はかえって女性が妻が財布を握っているということは女性の自主性を認めているという結果になる
こういうことも何か外国はわかりにくいのである。実際そこで生活してみないとわからないのである。

その人がまたしきりに言っていたことは働き方である。

「私が残業していたとき最初はわからなかったのですが残業代もらっていたんです
でもあとから陰口があったんです、そもそもヨーロッパでは残業しないですよ
残業する人は能力がないとみなされているんです」
「ええ、どうして」
「ヨーロッパでは時間内に仕事をこなすことが普通なんです、それができないで残業する人は能力がないとみなされるんです」
「今日本人の働きすぎとか過労死とか批判されています、日本人は働き方が能率的でない、それで休みも少ない、つまりもっと能率的に働いて休みを多くとればいいんですよ」
「ヨーロッパでは一カ月の有給休暇がとれる、そのために金が支払われんですよ、でもそのために何で使った、何で遊んだかなど領収書などを示して払われんですよ」
「ちゃんと遊びをしたことを示さないといけないわけですか」

何か日本人の働き方は外国からすると違っているから理解するのがむずかしいのである。

「日本の労働時間は長いと言うけれど、喫煙休憩やトイレ休憩、隠れた私用電話の時間やお昼休憩などを除いた実質の労働時間は5−6時間なんじゃないの?要領が悪いよね。」(Daniel Sullivanさん)

「日本人は自分から進んで残業しているのだと思う。本当に早く帰りたいと思うなら、だらだらとエクセルしたり、意味のない会議に出席しなければいいんだよ。それでも忙しくて帰れないっていうんだったら同情の余地があるけど、実際は違うよね。」(Saxon Saluteさん)

それからカジノのことを言っていた。

「ヨーロッパのカジノは別に金持ちでなくても入れるんですよ、クラスがあって金がない人は少額の金をかけて遊んでいる、それが次の段階がありまたもっと金がある人は次の段階がありと分かれているですよ」
「金のあるなしでクラス分けする、それで金がない人でも遊べる」
「カジノはギャンブルするところだけじゃない、食事もできるし社交場にもなる、金持ちだけのものじゃないんです」

何かいろいろとカジノでも大金持ちがしているようでも貧乏人も少額の金をかけている、そういう場が用意されている、カジノは金持ちだけの場にはしていない。
ギャンブルでもヨーロッパではパチンコのように長くはしていない、ちょっとやっては帰ってゆくという。

「ヨーロッパで車を買うと高い、一千万もしますよ」
「自分は安いの使っていましたが苦労しました」
「そんなに高いんですか、トヨタは世界で売れている、でもそんな高いとなると買えないのでは」
「ヨーロッパでは平均的な暮らしは15万くらいですよ、ヨーロッパでは無駄なものは買わない暮らしです」

一千万というのは誇張だろう,それはずっと前の話かもしれない、でもヨーロッパはそれほど豊かな社会ではなくなっている、日本人の方が贅沢している面が今ではある。
そういう暮らしはちょっと旅行しただけではわからないのである。
いづれにしろこんな田舎にオランダの大使館に勤めた人がいるとは思わなかった。
今は田舎ですら国際化しているともいえる。広域社会でありグローバル社会なのである。それが否が応にもそうなっているのである。ただそういう人は本当にめずらしい。
これも郷土史の人として取り上げると興味深いとなる。
郷土史となるとどちからかというと田舎では一次産業の人が郷土史にふさわしいとなる。だからその中心は農民になるが現代はこのように農民のしめる割合は一割とは極めて少ないのである。では他の人は何をしている人なのか?
こういう人もいたということが驚きだったのである。

オランダというときオランダから割り勘が生れたように商業の国でありもともと階級とかの縛りがない自由の国だった。商人の国という国柄もあった。だから合理的なものがありそれがオランダの文化となった。
ヨーロッパなどではパーティが開かれるけどそこに呼ばれたり相当に親しいものとみられる、家族のように親しいものとみられるという。
だから簡単にはパーティには招かれないという、何かヨーロッパでは親しくなるときは兄弟のように親しくなる、家に来て勝手に冷蔵庫を開けたりするという。
家族の一員のようになるというのも日本とは違った慣習なのか、親しくなるということはそれだけ仲間意識を強くもつということにもなる、それは日本でも同じだがヨーロッパだと友達というとき家族のようになっている親しい関係なのである。
ともかく外国を理解することはこのように住んでなみないと実感としてわからないということがある、ただ人間は何でも体験がものをいう。
それ60以後の体験談は興味深い、つまり人生でなにかしら自分とは違った体験しているから興味深いとなるのだ。
ただこの辺でオランダの大使館に勤めていたとなるとなかなかいないだろう。
都会だったらグローバル社会だからいるがこのような田舎ではめずらしいのである。
いろいな人に話しを聞くということも郷土史の一ページとしてある。
いろいろの多様な人がいることで人間も面白いとなる。田舎だとどうしてもそうした国際性ある人は少ないのである。




posted by 老鶯 at 14:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本(世界)文化文明論

深野の豪倉(郷倉)は昭和十年時代のものだった (緊急時とか飢饉の備えとして昭和に国からの意向で設置)


深野の豪倉(郷倉)は昭和十年時代のものだった


(緊急時とか飢饉の備えとして昭和に国からの意向で設置)


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  昔から瀬名は「瀬名千石米どころ」といわれ、田と畑だけの緑豊かな農村でした。
    江戸時代、領主に納める年貢米を保管したり、凶作に備えての貯穀、災害飢饉への備蓄米の非常救済や
    貸し付け米を保存するため大変重要な倉として建てられたのが「郷 倉」(郷は村・里をあらわす)です。
    また、「御蔵」「御倉」(ごぐら)とも呼ばれていました。
    隣にある付属番屋は、盗難や風水害から郷倉を守る常駐の蔵番(番人)をおいていました。
    時には村の会議所でもありました。
    
昭和9年に東北地方を襲った大凶作の際、心を痛めた天皇が下賜した救援資金に、国費と義捐金を合わせて建設されたとのこと。幸生の村民は、天皇の御恩と国民の同情に報いると同時に、自ら凶作に備えるため、共同で「報恩備荒田」を開発したとも記されています。http://www.jafore.org/blog/archives/2008/01/okura.html



今なぜこの郷倉に注目したのかというとこの辺の津浪や原発事故でこの辺が様々な苦難を強いられたためである。それはここだけではない、津浪の被害は東北の海岸線に大被害をもたらした。一時は外から物資が入らず困窮した。停電して水道も断たれた所も多々あった。その時、裏山の水を利用して薪を利用して煮炊きをして難を逃れた人たちがいた。
水も老人が歩いて運んでいたのである。車もガソリンがないと動かなくなるからだ。

南相馬市では市長がyutubeで外から物資が入らないと訴えて世界中で有名になったのは知られている。原発事故で放射能を一時恐れられて車で入って来なくなったのだ。
車社会でも災害時は役に立たなくなることが証明された。ガソリン不足はその後も一カ月くらいつづいたからだ。その時貯えてあるもので生活する他なかった。

自分の家では二週間分くらいの米が偶然にあったので電気も通っていたので煮炊きできた。ガスもあったから料理もできた。ただノリがあったのでオカズはそれくらいだった。
でも米さえあれば二週間くらいはしのげるものだと思った。
それでも電気とか水道が断たれればどうしていいかわからなくなったろう。
その後米はなくなったがその時鹿島区では古米が配られたのである。
その時助かったなと思った。米も切れていたし買うこともできなくなっていたからだ。
その後相馬市の方はスーバーもはじまり自転車で買いに行き楽になった。
その時はまだ車はガソリン不足で苦労していた。


現代のような便利な社会はかえって災害には弱い、電気や水道がたたればお手上げになる。でも災害時にはそうなるのが見えている。だから燃料の備蓄用として電気やガソリンや石油は使えないから危険なのである。むしろ薪とか炭とかを用意していなければならないかもしれない、そのことから一体農業とかでも減反政策とかでやる気がなくなり衰退産業になった。でも農林漁業のもっている意味はそれだけでなかった。
現代社会でもそれは郷倉の意味があったのである。
緊急時に災害に備えるものとしての意味があった。
国全体でも緊急時のために戦争でもあれば食料は入ってこないから備える必要がある。
そういうものとして農業などを保護してきたのである。
つまり現代では農林漁業などのもっている意味は価値は別なものとなっていたのである。

その時金より郷倉に貯えてある古米でも命をつなぐことができた。金を貯えていても何の役にもたたない状態だったのである。それは東京辺りでもそうなる。金がいくらあっても緊急時には役たたない、現物の方が価値がでてくる。だからそういうときは米があれば金がある人は金をいくらだしても買うとかなる。でなければ飢え死にしてしまうからである
郷倉と現代社会 (緊急時の備蓄機能として維持されるべき農林漁業の見直し)


深野にある、豪倉というバス停の地名が気になっていた。それと郷倉という知識はあっただから江戸時代からあったものかと思っていた。だいたい地名は古代にさかのぼり古いのが多いからである。
でも深野とかこの辺の郷倉は昭和以降のものであり昭和にまであったから新しいのであるだから意外だった。

郷倉は「恩賜豪倉」をさし救荒備蓄米を貯える村落の公共施設である。
昭和十年(1935)村議会でこのことが議案になった。
「昭和9年東北凶作に対して畏くも御下賜金の恩命を拝して・・」とある。

石神村の馬場と大原と押釜に設置された。深野は別にまた一棟作られた。
これはその地区のものだけではなく共同でも使用された。
深野だけは一地区で利用された。(原町市史)

深野の豪倉という地名は昭和になって地名化したのである。昭和になってから地名化するのはめずらしい。地名は江戸時代より古いのが多いからである。
ここで恩賜豪倉となっていて天皇から賜ったものとしてあるのもそういうことがあったのかと違和感があった。今なら政府の援助であり天皇から賜るということがないからだ。
そこに戦前と戦後の相違がある。戦争もやはり天皇が現人神(アラヒトカミ)とされていたからである。それは精神的なものだけでなく現実に天皇から賜るということでより身近なものとして意識されたのである。

今は豪倉とあってもそこに郷倉はない、でも地名化しているから必ず意識するのである。地名からだけ意識することが何か地理でも歴史でも多い、現実の建物などはなくなりやすいけど地名は残るからである。取手というとき砦(とりで)であったし地名からその地をイメージするのである。
鉄道の旅だとなぜか地名だけを記憶しているのが多い、辺りの景色は記憶されていないのである。

ともかく豪倉は郷倉であり昭和でもその役目があり作られた、それは政府の意向で政策でも作られていたのである。今なら備蓄することでありそれはどこでもしている。
ただ今回の津波と震災の経験では二週間くらい食糧も物資も入ってこなかったのである。一週間くらい米があったので食べていたがきれた。その時古米が配給されて助かったのである。それはまさに郷倉と同じことが成されたということである。
その時いくら金があっても何にもならない、なぜなら金があっても物は買えないからである。その時はいくら金があっても貯えても何の用にもならなかったのである。

ただ昔と現代の相違は一二週間でも蓄えがあり耐えられれば物資は外から入ってくる
その二週間くらいが問題なのである。水も食糧もないとなると耐えられなくなる
長期的なものではなくその短い期間をいかに耐え忍ぶかにある。
現代の盲点は交通が断たれると致命的になるのである。
だからガソリンが入らなくて車が延々とガソリンを得るために並んでいたのである。
車も役にたたなかったのである。そして自分は二週間過ぎてくらいから相馬市に自転車で買い物できたので助かったのである。
タグ:豪倉(郷倉)
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2016年10月25日

「森と里の思想」前田俊彦(プルルトニウム研究者)高木仁三郎を読む (原発が作られるときすでに農村文化は消失していた)


「森と里の思想」前田俊彦(プルルトニウム研究者)高木仁三郎を読む


(原発が作られるときすでに農村文化は消失していた)

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億に近い金をもらってさっさと出ていった方がいいわけだ
なぜあそこに執着するかということは、作っている田に労力が貯えられていると同時に、周囲の風景にも消し去ることのできない思いが貯えられている


百姓が嫁さんにいくには衣食住についての百姓の文化と技術として身につけて行った
農村にゆけば貧しければ貧しいなりに百姓の文化があった。
ところが今は金銭的に豊に見えても農村に百姓の文化がない、あっても都市的な文化だから同じとして都市的文化なら都市のサラリーマンに行った方がいいとなる。



ここで語られていることは30年前の話である。それ以上に今になると農村はもう農村ではなくなっていた。グローバル経済の影響も大きい。日常的に外国産の食べ物を食べている農村の文化がないというときそれは何なのか?

近くの農家の出の女性は家で納豆を作っていたという、納豆まで作っていたのかという驚きがある。農家の人は戦後も食糧がないときでも鶏など飼っていたし肉でも卵でも食べていたのである。そういう農家は食糧がなくなっても自給できていたから戦後まもなくは農家の方が豊だったのである。それで都会民が高価な着物を農家に売って食糧に替えてもらったという話を聞く、そのことで農家を嫌う都会民がいた。

そもそも人間は農村に文化があったというときそれは日本では千年以上米作りしてきた歴史があるからそれが文化なのである。天皇がかかわる祭りとして大嘗祭があるのもそのためである。それが日本文化なのである。農村文化とは日本文化のことなのである。
農村文化がなくなったというとき日本文化も喪失したのである。

現代は全く違ったグローバル経済であり農村のしめる割合は一割とか生産高でもそうである。米すら外国産のものを食べるというとき根本的に日本文化は消失する。
農村の地位は低下する、遂には農村など日本にはいらない、あいつら補助金で暮らしているだけなんだよとか都会民に言われる、なぜなら昔の農民は自給自足だから都会民にとやかく言われることはなかったのである。
今だってもし炭焼きであり燃料を自給して貧乏でも生活していれば都会民に何もいわれないのである。
今はエネルギーでも石油が必要でありするとその石油を買うために車であれ電器製品であれ日本の会社が世界に売ることで石油を買うことになる、すると俺たちが苦労して働いて石油を買っている、それで農村に電気を供給しているとなり都会民の工業や商業に従事するものの地位が価値が高くなるのである。

外国でもグローバル経済になると果物でもなんでもアメリカでとれる、日本の電化製品であれ車であれ買う、だからアメリカの果物であれ牛肉であれ米さえ買ってくれとなるのである。最近赤い葡萄がうまい、なんかホリフェノールがあるとかで食べたから確かにうまい、それはカリフォルニア産だった、あそこは暑いから果物もとれる、ではそうした外国産の果物を食べられるのは日本で工業製品を売るからであり工業のしめるもの経団連とかの力が強くなるのである。日本の製品が車が売れなくなったりしたら外国産のものは馬鹿高くなり買えなくなるとかなる。
子供の頃バナナはこの辺で売っていない、バナナの叩き売りとかは秋市とか特別な日にしか売っていない、だから子供の頃バナナを食べた記憶がないのである。
自分の父親がバナナを食べたがそれは仙台に行って買ってきたものだったのである。
ミカンとか柿は食べていたが果物は日本産のものだけであった。

この本は30年前に出版されたものでありその頃にすでにこうした情況は作られていた。
それで80才になる人が農家の出だったが農業だけはやるなと殴られたという。
その人は原発で働き建築現場で働いたのである。そもそも原発の作られた地域は30年前ではない40年前とか出稼ぎでありそれで地元に仕事があって定着して生活したいということで原発を政治家がそれに答えて誘致したのである。
だから農民自体が出稼ぎを嫌っていたから原発があれば出稼ぎしなくてもいいとか積極的に誘致したということがある。農村は40年前頃からそういう状態にすでになっていた。

農村の文化というときそれはとても簡単には語れない、それは日本の歴史でもあるからだだから農村文化が消失するとき日本文化も消失するとなる、それは農村だけの問題ではないのである。グローバル経済というのは地域の文化も消失させる、TPPなどでもそうである。日本はただ車だけでも作っていろとかなる、果物でも米でもアメリカがいくらでも売ってやるからとかなる、そういう世界的分業化される、その時全体としての自然と共生してきた日本の文化自体歴史も失われるとなる。

ここで対談している人はフルトニウムの研究者だった、ただここで語られたのは三里塚の飛行場建設に農民が反対したことについてである。
原発についてはあまり語られていない、それほどまだ原発は問題になっていなかった。
なぜならフルトニウムを研究しているのだから原発の危険性を知っているがそれついて語っていないからである。そういう危機感はまだなかったのかとなる。

億に近い金をもらってさっさと出ていった方がいいわけだ

農村文化が失われていたとき当然みんなそうなっているのではないか?
親には農業は継ぐなと子供がなぐられてまでいる時代である。
誰も農業はやりたくないという時代である。現実に農業は過酷な労働が強いられている
機械化しても以前として人間の力が必要である。だから誰もやりたくない、金にもならないとか現代のグローバル経済ではやりたくなくなるのである
だからこそ実際は農業はやめて原発でも金が入ればいいと地元でもなっていた。
原発に反対するということは農民でも漁民でもほとんどなかったのである。
漁業者は積極的に漁業権を東電に売り渡して補償金を事故前も事故後ももらっているから生活には困らないのである。
そういう情況は原発が作られるとき時代的に作られていたのである。

それで何回も書いているけど果たして原発事故が原因だけで故郷にも住めないようになったのだろうか?そのことが疑問であった。すでにそういう情況が作られていて離散したともとれる。家族だって大家族が飯館村とかまだ残っているところはあったにしても親と子は別々に暮らす傾向があったし昔の村と今は全然違う情況もあった。
そのために原発事故で離散しやすいということがあった、そのことは小高でも帰らないというときその土地に昔のように執着していないということがあるのかもしれない。
純粋の農民も農村も消失していたからである。
億の金の方が価値があるという情況が作られていたからこそ故郷は捨てられたということもある。ただその心情はなかなか外からわかりにくいからいちがいには言えない
でも何か離散しやすい情況が作り出されていた、それが原発事故で一挙に表面化したともとれるのである。

芸術とか詩とかでも農村文化の上に成り立つものとしてあった。
風流だって俳句だって四季の感覚は農村文化から生まれている。
そういう基盤がなくしたとき芸術というのも底が浅いものとなる
すでに言葉が死んだというとき都会の中で自然の事物と言葉が結びつかない
ビルの谷間と雑踏の中で本来の言葉は死んでいる。
自然と結びついた言葉は詩であったがそれも死んでいる
自分の追求したものは農業ではないにしろそういう農村文化の基盤の上に成り立つものだったのである。
石や樹や山とか森はそもそも農村と生活と一体化してあったからである。

タグ:森と里
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2016年10月24日

abstract picture(many chaging mountains) (ソフトの中の中の一つの操作を覚えると抽象画は作りやすい)


abstract picture(many chaging mountains) 


(ソフトの中の中の一つの操作を覚えると抽象画は作りやすい)



It is easy to make the abstract picture when I learn one operation of the inside in the software


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朝日の昇る山

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山の変化はソフトの中でいろいろあるが一つの操作を覚えれると山の抽象画がいくらでもできやすい゛それは技術的なものであり創作とは違う。

ただ変化させて何かこれがいいというときそれは自分の鑑賞眼として決めているのである自分がこうあればと創作しているのではない、だから自分のソフトで変化させる抽象画が創作になっているのかどうかわからない面がある。

それはただ新しいパソコンから生まれた芸術なのである。


It is easy to make the abstract picture when I learn one operation of the inside in the software

(it improving to manage software)


There is the change of the mountain in software in various ways, but ゛ it which it is easy to be possible for plenty is technical, and the abstract picture of the mountain is different from the creation when I can learn one operation.

I change it, and There is only an aspect not to know whether I untie it, and an abstract picture to change by therefore one's software which does not create it when there is oneself deciding it as one's appreciation eyes in this way is created as for it that some this has good.

It is the art that was merely born from a new PC.

宇都宮の焼死事件はなぜ? 60以降、一人暮らしでは問題が多くなる


宇都宮の焼死事件はなぜ?


60以降、一人暮らしでは問題が多くなる


宇都宮市本丸町の宇都宮城址公園付近で爆発があり、宇都宮中央署によると、同市針ケ谷町の元自衛官・栗原敏勝容疑者(72)が焼死体で見つかった。

5年ほど前から妻子らと別居、1人暮らしをするようになったという。別居前には、夜中に栗原容疑者の怒鳴り声が聞こえていたといい、


完全にカルトが爺さんから金引き出す為に妻側に弁護士付けてやって訴訟起こしたんだな。 
カルト犯罪が司法を欺いて、孤独な老人を爆弾魔に仕立て上げてしまったんだな 


この事件の背景は複雑である。別に老人の一人暮らしが原因とも思えない、離婚だとか裁判で金をとられたとか、嫁がカルトで金がとられたとかなんとかその背景が複雑でありいろいろなものが重なって事件になる。
何か事件とか犯罪は複数の原因があり単一では起こらない、要するに悪いことには悪いことが重なるのである。
そして60以降はこれまでのカルマが総決算のように起きてくる。そのことを自分も書いてきた。

ただここで問題にしたいのは高齢化の一人暮らしは問題が起きやすいことは言える。
その人は近所の人ととけあわない、変わった人だとか言っていた。
それは家族がいるときはそうでもなかったかもしさない、一人暮らしが5年くらいつづいていた。そしてテレビで言っていたが火事のことを気にしていた。
それが自ら火事を起こして死んだのも皮肉である。
火事というとき自分も家を留守にして火事になるところだった。
電気をつけたままで留守にしていた、その時仙台に行っていて後で気づいた。
それで電気鍋が熱くなり火事になところだった。
それから水道がもれて大量の水がでていた。隣の人が水道をとめてくれて助かった。
一人のために大金を盗られたこともあるし様々な困難を強いられた。
一人暮らしは様々な困難を強いられる、だからなんらか問題が起きやすい
一方でこの人は別に結婚しているから一人暮らしではなかった。
子供もいたのである。
ただその子供が問題児で苦労していた。嫁でもカルト宗教にはまっていたとありそのために離婚とかなったと議論されている。
家族があっても家族自体に問題が起きるからこれまた家族がいるから安心だともならない嫁と子供によって家族崩壊したからだ。

一人暮らしが問題になるというとき最近本当に一人暮らし独居の人が増えている、組で12所帯くらいしかいないのに4人は一人暮らしであり大きな家に一人住んでいる。
女性も多いのである。これは明らかに自分だけではない社会問題になる。
妻をなくした人はしきりに淋しさを言う、その人も広い庭と大きな家に住んでいる
だから何かその大きな家ががらんとして嫌なのである。
その人は二階には行かない、二階を嫌っているというのもわかる。
二階になると下が気にかかったり何か嫌になる、自分の場合はトイレが下にあるので嫌なのである。寝るときどうしても下に行かなければならないからだ。
今では平屋で物を少なく死んだら簡単に取り壊されるのがいいと思う
一人暮らしは淋しいから都会でも人の出入りのあるスーパーなどに集まるという、それもわかる。昼間でもがらんとして一人でいるのが嫌になる。
自分は自転車が好きだから走っていると気晴らしになる。一日がらんとしこた大きな家にいることが淋しさを感じるのである。

いづれにしろ一人暮らしは老人の独居が多くなるから問題がこれからも起きてくる。
そしてそうでなくても60以降はカルマの総決算が起きやすいのである。
経済的にもそうだし様々なことで問題が起きやすいのである。
伴侶が亡くなるとうことは相当な痛手である。また離婚したりするのも痛手である。
もともと一人の人でも両親とかがいなくなると痛手になる。
経済的問題もある。ただこの人は他の人より問題をかかえすぎていたのである。

どうしても一人なると一軒の大きな家を維持することそこに住むことが何か適しないとなりやすい、一人暮らしは何か野菜買っても古くなって食べられないとか家が大きいと修理することで金がかかったりかえって金がかかったりする。
まず家を維持すること自体が大変になるのである。家事するのだって家が大きいと手間になる。掃除するだけでも大変になる。
だからかえって共同生活がいいとなる面はある。でもこれもいろいろな人がいてうまくやることもむずかしい。必ず人間関係でもめるからである。
ただいたるところで一人暮らしの老人が増えてくる、するとゴミ屋敷とかも増えてくる。何かかたづけられなくなる。自分も様々なものをかたづけることができない
かたづけるのに何年もかかるのである。その間にまた物がたったりする。
なんか本半分してたとしてもまた買ったりしして投げにくいのが本でもある、それで捨てようとした本をもう一度読んだりしている。

現代は離婚も増えている、三分の一とかになり熟年離婚でも増えている、そうなると一人暮らしも増えている、近くの10匹も猫を飼っている、 猫ばあさんとか一人暮らしの女性もカルトにはまったりとか問題になる。カルト宗教団体に入っているのは何か問題があるから入っている
宗教とは別に関係ないのである。相談するところがないのでそんな場所にゆく、そこもまた危険な場所なのである。地獄に落ちるとかなんとかそういうことも背負うことになる
宗教は触るぬ神にたたりなしなのである。カルト宗教団体に入ることはすでに祟りを受けるだけなのである。
高齢化社会はいい面があっても実際はマイナス面が大きい、それでいろいろなことがこれからも問題になる事件も起きる。経済的にも医療費が莫大なものになっているのも問題である。老害になる方が多い社会である。
ただ今回の事件は何か個人的な事情があり高齢化社会の社会的原因ではない、個人的な事情のためだった。
でも一人暮らしで火事のことを気にしていたのは自分とも共通点があった。
大きな家になると配線などでも何か不安になるのである。
この人はまた話を聞いてくれる人もいなかった。だいだい困っても話を聞いてくれる人がいない、それで嫁も子供にこまり今度はさらにやっかいななカルト宗教にはまる。
結局妻の出来不出来が相当に夫に影響する、家族というのもなんらか問題をかかえてきるのである。

タグ:独居老人
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2016年10月22日

取手から来た歩く旅人 (秋の日に鹿島駅前で話する)


取手から来た歩く旅人

 
(秋の日に鹿島駅前で話する)

 
1871年(明治4年)- 廃藩置県により、常陸国に属した現・久賀地区が新治県、下総国の属した小貝川以南が印旛県に属する。
1873年(明治6年)- 小貝川以南が千葉県に属する。
1875年(明治8年)- 小貝川以南が茨城県に編入される。新治県は廃止され、久賀地区も茨城県となる。
1885年(明治18年)- 地積編成により、取手村と大鹿村が合併して取手村になる。
1889年(明治22年)- 市制町村制の施行により、取手村と台宿村が合併して北相馬郡取手町になる。

取手という地名の由来としては、戦国時代に大鹿太郎左衛門の砦(大鹿城:現在の取手競輪場付近)があったことから名づけられたと言う説が有力ですが、平安時代末の11世紀には、伊勢神宮の 相馬御厨として、取手市周辺がすでに史料に記されており、さらに13世紀になると、稲村、戸頭、高井、大鹿などといった地名も、相馬氏の領地として史料に出てきます。

このあたりが、取手という地名の発祥とも言われています。

鹿島駅前で案内板を見ている人がいた。

「最新必ず退職して旅する人に会います、昨日もここから相馬市まで歩いて行った人がいました、驚いたのは鹿児島から青森まで目指しして歩いた人です、その人も退職した人でした」
「私も九州とか東海道とか中山道とか全国歩きましたよ」
「そうですか、今の60代は元気ですよ、歩くことは疲れると思いますが結構歩いています」
「まだこの辺の浜街道は歩いていないので今回歩いているんですよ、双葉とか大熊辺りは歩けないので残念です」
「ここは相馬市に城跡がありますよ、六号線に道の駅がありそこから分かれた細い道が昔の街道です、そこに松並木が残っています、今はなかなか松並木がないですがあの松並木はいい松ですよ、あそこを歩いてみてください」

その人は何か相当に歩いている、歩いて旅することが老後の仕事にもなっているのか?
とにかくどこにでも退職した人たちが自由な旅人になっていることがわかる。
なにしろ暇あるし金もあるからだ。この前は50日間自転車で旅をしている人だった。
その人はテントを積んでいない、ホテルを泊まりながらの旅である。
札幌から自転車で来た人はテントを積んでいた。そして道の駅にテントで泊まった
67才でそういうことはしにくいがしていた。
ただ思うとフェリーできて八戸で下船して大洗までゆくのだからそれほどの行程ではなかった。数日の行程だったのである。
ただテントに泊まることはあの年では楽ではないと思った。
今日の人は相馬市にホテルを予約していた。なかなかこの辺でホテルに泊まれないからである。その辺は用意周到だった。ホテルに泊まればそれなりに金がかかる。
でも退職した人は金ももっているからできるのである。
ただ退職した人でも問題は体力とか一人旅する気力とかコミニケーション能力がためされる、だから結構楽ではないはずである。

「鹿島の右田浜の一本松見てきました」「あれは高いけど低い太い松が多かった、やはりそれなりに百年とかでも過ぎていたから太かった、松川浦の松はみんな細かったからです」
「津波でも原発事故でもこの辺は大変だったでしょう」
「どこから来たんですか」
「取手です」
「取手というと千葉県でしたか」
「いや茨城県ですよ、それには事情がありました、利根川の関係で改修があって分かれたんですよ」

取手という名前は覚えていた、常磐線で良く電車でその駅を通るからである。
ただそこで盲点だったのはすぐ近くに利根川が流れていた、その利根川のことは電車にのっていてもわからなかったのである。電車の旅は意外と肝心なことを見逃している

「歩く旅は記憶に残るからいいですよ、電車とか車だと記憶に残らない、あとでふりかえっても忘れている、歩いた旅は体で覚えるからいいんです」
「福島県を阿武隈高原を横切り歩きましたよ」
「そうですか、福島県は広い、だから六号線を旅する若者に自転車でも福島県を横断してみろというのですが六号線を走るだけの人が多いです」

福島県を知るにはハマ、ナカ、アイヅとあるとき横断しないとわからない、地理感覚として福島県がわからないのである。その人はそういうことまでしていることは相当に旅している、やはり退職していからけ全国を歩いていているから違っていた。
旅はやはり基本的には歩くことである。歩いて体で知るのがいい、でも車社会だから車にのみこまれる。六号線などはそうである。それで自分は歩く旅はしていないのである。
歩くとなると相当に疲れるだろう。途中でホテルがないと泊まることもできなくなる。
ただその人は電車でもバスでも便利なものを利用している、その中で歩くところは歩いているみたいだ。

ともかく人間は自分のようにこれだけ旅したとしても実際は電車とかなるとまず取手のことは皆目知らなかった。地図で見ると利根川がすぐ近くを流れている、ところが利根川にしてもこれは長い大きな川である。この川のことがなぜ見逃されているのか?
それは今や川は交通路でもない、ただ水が流れているというだけになっているからである利根川は水運があった。ただそういう歴史を知ることは利根川を知るというとき利根川を横切ったとしても橋を渡ったとしてもそれは長い大きな川の一部でしかないのである。
川を知るということはその長さを知るということである。それが日本では外国の川のように水運になっていない、外国の川はみんな水運があり運河のようになっていた。
そして街と街は川で結ばれていた。そこからハンザ同盟とかの商業自由都市が生まれたのである。この川のことを日本人は理解できないのである。
日本にないそうした長い運河のような川とか砂漠とか平原とか草原とかは日本にないのだから理解できないのである。
江戸時代は水運が物を運ぶのに大きな役割を果たしていた。ただ外国のようにもう一つその歴史が見えない、今になると日本の川は急流になったり浅瀬になったりして物を運ぶ船のことがイメージできないのである。外国なら今でもイメージできるからである。
最上川は深いしこれなら船も通れるというのでイメージしやすい、利根川はどうなのだろとうなるとこの川についてはただ電車で横切っただけだから皆目わからないのである。

取手市の歴史にあるように北相馬となり流山市も近いから相馬氏がここで栄えて移動してきた。だから取手でも相馬氏の先祖だから身近だとなる
旅をするというときまず地理を知らないと基本的なことが理解できないのである。
福島県を知ろうとしたらどうしてもハマ、ナカ、アイヅと横断する必要があるのだ。
それはかなりの苦労かある。時間もかかるし歩いたりしたら疲れるから自分は自転車で横断してもしていない。
なぜ自分がこうして旅してきた人とか仕事に来た人でも話をある程度あわせられるのはそれだけその場を踏んでいるからである。それでも日本は広い、だから取手は意外身近なんだけど知らないのである。
そもそも知るということはどういうことなのかというとそのスボットでも知るのにも利根川があるとしたらその利根川の全体の中で取手もあるから知るということは限りなくあるそれで例えその場に行ってもわからないということが多いのである。
今は車でも電車でも一部分を通りすぎるという旅が多いからそうなる。全体からイメージできないのである。

 日既に暮かゝるほどに、利根川のほとり、ふさといふ所につく。此川にて、鮭の網代と云ものをたくみて、武江の市にひさぐもの有り。よひのほど、其の漁家に入てやすらふ。よるのやど、なまぐさし。月くまなくはれけるまゝに、夜舟さし下して、鹿島にいたる。
 (芭蕉、鹿島紀行)

月明かり船の下るや鹿島へと

月見えず闇の深まり帰るかな

夜を船で下り明けて昼は曇り鹿島に詣でて夜は月が見えなかった。その当時は闇は深いのである。鹿島神宮には森があり暗いとなる。その暗さがあって月明かりで船で下ったことが印象的にもなる。月明かりは暗さがなっかたら映えないのである。
今はもう電気の光でそうした月明かりが消されている、東京近辺は特にそうなのである。だから昔を偲ぶことがむずかいしのである。

川上とこの川下や月の友

 今宵は名月。私はこうして小名木川の五本松で川面に揺れる月を眺めているが、この同じ川上には私の心の友もこれと同じ月を眺めているであろう。

 川上で眺めている「月の友」が誰であるかはもちろん分からないが、古来山口素堂であろうといわれている。

芭蕉庵は小名木川が隅田川に流れ込む河口にあり、小名木川沿いには芭蕉の門人たちの家がありました。芭蕉はたびたび船に乗って門人たちの家を訪ね、句会を催しました。

小名木川とう小さな川でも支流であり利根川とつながり舟運があった。江戸でも川船が行き来していた。時代劇の風景は水運が盛んだったことを示している。
写真にもでていたが広々として利根川が満々と水を湛えている、芭蕉が読んだこの句は小名木川とか短い川のことである。月の友といってもすぐ近くだともなる。 利根川は長いとしてもそれより上となると支流で結ばれているから実感がない。外国だったら遠くまで川で結ばれる友となる。それは実感であり違和感がないのである。ただ夜の川を下ることができたのか、月明かりで下ったとなる、月が明るかったからである。
でもなぜそんなに急いでいたのか?夜はやはり何か危険ではないか?
でも月明かりで船で下るとしたら詩的な絵画的な風景がイメージされる

旅の人鹿島の駅や秋薔薇

我が町によれる旅人取手より来るとしばし秋の日暮れぬ

プログはこうしてその時々書くといいのである。引用もしやすい、問題をある場所をどこまでイメージできるかである。この地理感覚がもてない、東京近辺るなると家がたて込んでいたりして昔の風情がなくなっているからである。そうなると昔を偲ぶということがむずかしくなるからである。



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小名木川と芭蕉

東京にもこれだけの歴史があったとしても川も狭いしビルの谷間になっているし昔を偲べないのである。
隅田川は広いからなんとか昔を偲べるが小名木川は狭すぎるのである。

小名木川(小奈木川)は、江戸の時代には「塩の道」と呼ばれ、徳川家康が下総国行徳(現在の千葉の浦安から行徳あたりにあった行徳塩田)から江戸に塩を運ぶために作らせた運河です。描かれている舟は行徳帰りの舟ということです。ちなみに、家康からこの川を作るよう命じられたのが小名木四朗兵衛という者だったことから、この川が小名木川となったようです。


五本松ここに名月や船いずる

江戸時代は江戸でもそこは自然豊なのである。自然と人工的なものが調和していた。だからベニスのように美しい風景になり浮世絵に残されていたのである。今はそうした自然と人工的なものが調和したものが見られない、ビルの谷間で小名木川も死んでいるし松もない。
だから江戸時代の江戸を旅したらそこは今の東京とはまるで違った美しい場所だったとなる。
それはもうイメージしないか限りない、現実にはもうないのである失われたのである。
その場に立ってもそういう風景がないのだから偲べないのである。

小名木川月の写りて五本松芭蕉の友は川の上かな






タグ:取手

秋の短歌(相馬市から家の近辺)


秋の短歌(相馬市から家の近辺)


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玄関に舞いて去りにき秋の蝶

十数個石を並べて秋の風

秋薔薇鹿島駅舎の古しかな

誰か見る路地裏行けば秋薔薇

秋の風ロードに走り鳥の影


城跡に秋の日ざし静なり二人よりにつ歩みけるかな

城跡に石垣残り秋の日のさして偲べる昔なるかな

相馬市に古本一冊買いにけり秋の日のはや没りて暮れにき

宇多川の水清らかに鮭上る実りの季や城跡たずぬ

相馬市の路地裏歩み病院に勤める人の家秋の日暮れめ

今日もまた一羽舞い去る秋の蝶街の通りの静かなるかな

我が庭にジョウビタキ来るかな季節の移り今日感じぬ

青々と野菜の葉広く畑かな秋の日さしてここに育ちぬ

留守にせし部屋に満ちにし百合の香や我が帰れるを花は待ちにき

木の下にあれば木の葉のゆくりなく一枚散りぬ誰か受けとむ

今日もまたこの道行きて一枚のこの葉散りてあわれ深まる


真澄みの空に
鳩の群れ飛び回る
朝日さしまばゆく
地に黄金の実り
そを刈りとる季かな

相馬市は城下町で碁盤の目のような道になる。細い路地が多い。
そこで相馬総合病院でみてもらった医者の人の家が偶然にあった。
それはまちがいないだろう。
別に病院があるのだから医者の家もある。その人たちも住んでいる
でも医者というと病院ではお医者様でありその土地で普通接していない、
開業医は別だけど病院勤めだとその土地に住んでいてもまた別である。
ただ医者でも病院にいるときだけしか見ないからここに家があったのだとなと
不思議に思ったのである。
医者でも相馬市内で生活しているのだから当然だけど何か現代は病院とか学校とか役所でもその人たちが土地の人というよりそういう施設や組織の人間とみる
それからたいだい会社の人間として見ている

江戸時代とかなると農業している人がほとんどでありそれは土地に根ざしている、里の人であり村の人なのである。
まさに土着している人たちである。だからどこの村に住んでいるかでその人を判断していたのである。病院に勤めている、学校に勤めている、会社に勤めている、役所に勤めているとか何かそういうことはなかった。
そんなこと当り前だとかいうけど意外とそれが江戸時代から明治に変わってきて起きたことなのである。

近くの畑に青々と野菜の葉が秋のひざしをうけて育つ、これもまたここに日差しをうけて育つということで売っている野菜とは違う、現代はこういう単純なことが実感できないのである。都会だったら田畑がないのだからまず野菜を育つ場を知らないのである。
田舎だとこの野菜を食べて自分も育まれ生きているんだなとなる
それは復興住宅を作る人たちを見ても感じたのである。
それを作っている現場を知らない、ただ物がどこからでも入ってくる時代である。
そういうことから何か今の社会は様々な問題が生まれる
原発だって東電の人がその土地に生活していた、その時田舎で暮らすことがどういうことか実感する、もし事故が起きてこの土地が放射能で汚されたらどうなるだろうなどと考えたかもしれない、それが東京で暮らしているとわからないのである。

季節は常に変わってゆく、なんか今年は暑くなったり寒くなったり体調を壊す
鮭も上りジョウビタキも来た、これは渡り鳥である。まだこの辺では白鳥は来ていない
猪苗代湖にはすでに来ている
稲穂が黄金色に実る、鳩が群れ飛んでいる、これも気持がいい平和な気分にひたされる
今年は実りがこの辺ではかなりあった。ただ飼料米になるというのもすっきりしないだろう。せっかく作ったものが飼料米ではその米自体が価値がないとみられるのでそうなる
それでも実りがないよりはいいとなる
前は松原があり松原に実りが映えていたのである。それが松は全部なくなってしまった。これもあまりにも大きな変化だったのである。風景そのものがなくなるなど想像もできなかったのである。もちろん村も消失したこともである。

ロードで走ると気分がいい、実りの平野を走る、すると鳥が一瞬飛びよぎる影を見る
まさにこの時自転車と鳥が一体となる、鳥のように走るとはならないが自転車は車と違うから自然と一体化するのである。

日々ゆく道には木の葉が散る、昨日も一枚散り今日も散った。その一枚一枚を感じるというときその木の葉は一人一人の人間のことともなる
なぜなら毎日人が相馬地方でも死んでいるからである。
するとその死んだ一人一人どうだったのだろう、どんな人生を送ったのだろうとか思うのである

鹿島駅舎は明治以来のもので古いという、立て替えられなかったのだろう
ただあのような駅舎は良くみかける、普通あれは駅舎であり変わったものとは思えないし古いものとも思わなかった。でも当時から建てられたまま変わらなかったものだとなる
そこに秋薔薇がにあうとなる、鉄道というとき駅舎にも愛着を感じる
鉄道というのはバスとかとは全然違う、何かそれか生活を作ってきたという感じになる
だから引き込み線があり縄屋とか近くにあり梱包するために使っていた。
自転車屋は駅前にあるのは汽車で電車で運ばれてきていたからである。
前には国鉄の官舎もあったからである。その時代も昔になったのである。
タグ:実り

2016年10月20日

復興住宅を作った人たち(詩) (それはほとんど外部の人たちだったー 作る現場を見ていると価値がわかる)


復興住宅を作った人たち(詩)


(それはほとんど外部の人たちだったー

作る現場を見ていると価値がわかる)


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毎日私はその人たちを見ていた
夏の盛り汗を流し家作る人たちを
入道雲が湧きあがり蝉が盛んに鳴いた
九州から北海道から全国から
ここに働く人たちを集まった
地元の人もここで働いた
地を均し土台を築き家を建てた
私は毎日その人たちを見ていた
ボランティアも津波の被害の家の泥をかきだしていた
その後もいろいろ働いていた
しかしこの時多くの地元の人は何をしていたか
パチンコ屋通いでありギャンブルに興じていた
それは年寄りばかりではないだろう
若い人もいたことは確かである。
まだ働ける人たちはいた
その矛盾は何だったのだろう
人生の時は常に過ぎてゆく
たちまち過ぎて時間は消失する
その時は還ってこない
若き人よ、力ある時力をふるへ
その力はいつまでもない
汝らをたちまちに老いが襲う
そしてふりかえり人は後悔する
この復興住宅を建てたのは誰ですか
全国の人たちです
私の父や母や祖父母は何していたのですか
ギャンブルしていた人が多いな
今住んでいる復興住宅はほとんどは全国の人たちが作った
津波のかたづけも除染もみんな外部の人たちやった
この復興住宅は他でも金があれば買える
でもここにはこうして人間の汗があって作られている
暑い最中を汗流して働いている人たちがいた
それを忘れてはいけない
あらゆるものにはこうして人の労働があって産み出される
機械があっても人間の労働は消えることがないだろう
人生のときはたちまちすぎる
なぜその時人は労を惜しむのか
人か苦しみそして困っているときに
何か価値あることを成せ
価値あることを成す時間は限られている
そしてたちまち時は過ぎてゆく
そして後の世の人に問われるだろう。
孫とかにも問われるだろう。
あの困難のときただギャンブルに興じていたのか?
復興に尽力したのは全国の人たちであり地元の人ではない
そのことを知ったとき何を思うだろうか?


毎日復興住宅を作るのを見ていた、異常に暑いときがありその時働けるような状態ではなかった。でも働いていた。
自分は毎日そこで働く人たちを見ていただけであった。
でもその働く人たちを見ていたが故にその働く人たちの価値を知り復興住宅の価値を知ったのである。
現代はともかくこうして物があふれていてもその物ができる現場を見ていない
第一外国になると見ようもなにもないのである。
バナナとるもに苦労があると経験した人は言う。
何でも物があふれていても金を出せば買うことができるじゃないか、買うということには何の苦労もないのである。
そして金がある人は消費者は王様となり買っている人が偉いのだとなっている
金をもって金を出す人が偉いとなる

それで小高の人が鹿島の人は助かったのよね、私たちが買ってやったのだからと言っていた。それもあるけどそういうことが原発避難者が傲慢に見えたのである
放射能被害は広い範囲であったからである。もちろん故郷に住めなくなったからその被害は大きいののだから被害者は当然だとなりそれを言うと怒る
でもこの辺で起きたことは金があるからと威張っていいのかということがあった。
それで反発されたことがあった。
そして復興に尽力したのは外部の人、全国の人たちだったのである。
そのことは心にとめるべきことだろう。
それはあとでそのことが言われようになる、人間のしていることはその時代や時々でわからないのである。
それは人生でもそうである。あとになると明らかになりその時していたことがわかる
そしてみんななぜ時間を無駄にしたのかと後悔しているのである。

いづれにしろその時々何をなすか、何に時間を費やすか、それが何の意味があるかはその時わからない、後でわかることが多いのである。
その時自分の家に苦しいとき来た人はパチンコ屋で働いていたのである。
そのことが憤りになっているがその人は何も感じていない、借金で追い詰められていたか何が有意義かどうかもそんなことはもう眼中にもなかったからである。

「価値をあること成せ」と言っても何が価値あることかわからない、ただその時々のことに無意味に時間が費やされることが多い、そしてたちまち時間が過ぎてしまうのが人生だとなる、価値あることを成す時間、有意義なことを成す時間が極めて人間には限られているのである。
また何が価値があることかわからないことも多いからそうなる
つまりこの世で一番浪費されているのが時間なのである。
例え億万長者でもやはり時間は消失する、いくら金があってもその人が価値あることを成したかどうかわからないのである。
金は多くもつことができても時間はみんな平等にしかもつことができない、長生きすればもてるがそれでも限られているのである。

この辺はともかくいろんなことが問われた場所なのである。
だからこの辺のことを知れば何かいろいろこれからも参考になることがある
それで自分のプログなども全国の人にも参考になる
それはここだけの問題ではなかったからである。

人を苦しめたものは苦しめられる
人を悲しませたものは悲しまさせられる
人を助けたものは助けられる
その時々に成すことが還ってくる
価値あることを成せばその価値は消えない
それは金で報くえられるとは限らない
天に神の帳簿に記される
神の貸借表に記される
それはカルマの帳簿ともなる
天に宝を積めとはそのことだろう
地で計られない価値が天に記される
上にたつ者よ、金持ちよ、心せよ
汝らは知らず人を悲しませ苦しめることあり
そのことが汝らにカルマとなり返ってゆく

つまり必ずこの世には人生でもカルマの原理が働いている、それがその時々にはわからないがあとで判明する、あまり復興住宅を建てるような人でも底辺で働く人は注目されないでもそこには金だけでは計れない価値もある。
金融とかで稼ぐとはまた違った価値である。
ただ人間の価値はあまりにも多様なのである。では旅ばかりしていてそこに何が価値があるのか意味があるのかともなるがそこにもある。それは書いてきた。
遊びにも価値がある、ただギャンブルは別である。
何が価値があるかというときその時や時代でも違うし場でも違うしその時々の状況でも違うし価値を産み出すのは様々な条件によって違うのである。

何気ないことでもちょっとした一言でも人を助けることもある。
人間の行動はどういうふうに作用するかわからないのである。
自分が復興住宅を作る人を見て価値を見いだした。
でも作った後、完成品を見て住む人はこういうことは感じない、働いている所を見ていないからである。歴史的建造物でもそれが作られた苦労はもう実感できないのである。
だから歴史的なものに価値を見いだすことはむずかしいのである。
昔だったら機械がないから人力が主だったとすると何作るにしろ膨大な労力がかかっていた。ピラミッドなどでもそうである。その作る現場にいたら驚きだったろう。
でも一旦完成品を見ているとそうした人間の労力を感じないのである。


タグ:復興住宅
posted by 老鶯 at 21:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

報道とは何かー報道に土着したものの眼が必要 津波や原発事故で思い知らされた


報道とは何かー報道に土着したものの眼が必要


津波や原発事故で思い知らされた



報道というときこれも何かとなると定義もできないし報道は今は多様すぎるから世界まで広がっているからニュース追うだけで一日すら終わってしまうだろう。
でも報道の基本は土着的なもの、一番身近に現実に生活する場からはじまる
それが今までの報道に欠けていたしできなかった。
日本全体になるとその報道も多様であり実際はもう報道されないことも多い
その中に重要なことがあってももう報道されない、その報道されないことに重要なことがある。
報道が多様だという全国版ではマスコミでは同じ話題を流す、それは視聴率最優先だからである。視聴率がなければ宣伝費も入らないからである。
すると視聴率をとるにはどうしても大衆向きになり低俗化するのである。
ただ数は力というとき政治でもそうだが報道でもそうである。
みんなが見れば読むとなるとそれだけ影響力がある、テレビでも百万とかの人間が見ているとなるとその影響が大きいのである。
だからこれまではマスコミの力が大きくなっていてマスコミが第三の権力とか言われていた。

そもそも報道は何かというとき報道でもいろいろあるからである。新聞でも様々なものが報道される、スポーツ欄もあるから多様である。自分はスポーツには興味がないから無駄だと思っていても多数が読むとなれば興味をひくためにのせる
スポーツは人間にとって必要でも別に報道することもない、そんなことに紙面をさくということが無駄に思えるのだ。だから今は新聞は一紙もとっていない
それで別に困ることがないのはテレビもあるからである。
テレビではやはり地域の報道をするから見ないとまずいということがある。
ともかくこの辺では津波原発事故後は外部からでも内部からでも報道される
必ず県単位のテレビでもこの辺のことを報道されない日はないのである。

この辺が看護師が不足しているというのもやはり病気になり入院したから気になる
そして200人も中通りの方で看護師が増えているというときこの辺から看護師が流出したからだというときなぜなのかとなり書いた。
それからソーラーパネルの植物工場は失敗して終わった。かえって電気代がかかってやっていけなくなったとかもこの辺独特のニュースである。
ただニュースというのはきりがなくなくある。
交通事故のことを自分がプログで報告したがその人は死んだというのも大きなニュースである。

では死亡欄には年齢くらい住所など書いてあるがそれでその人のことがわかるだろうかなにもわからないのである。そのことがまた大きな不満なのである。
自分は自分の母親のことを百歳で死んだからプログにその死顔をのせた。
安らかな死だったからである。それは相当に全国で見ている、要するに死顔をみるということは写真でもほとんどなかったろう。それがインターネットだとできるからである。
そんなことするな死者の冒涜だとか言う人もいる、ただどういう人が死んだのか?
ただ一行誰々が死んだだけではその人のことがわからない
死顔だけでも見ればこういう人が死んだのかとなる、こういうふうな死顔もあるのかと見るのである。
つまり情報は本当に一人一人がもっていて無限なのである。
ニュースはあらゆるものがニュースになるから無限である。
毎日人が地域でも死んでいるのだからそんなもの関心がないということもある。
でも地域で一人死ぬというとき何かそこに地域であれどういうことなのか、どういうふうに生きたのかとか知ることがやはり一つの郷土史であり郷土学だとなる

自分がプログで探求してきたことはそうした郷土を知る知らせる報道だった。
これまで報道していないのだから報道のことはわからなかった。
ただ俳句とか短歌を作っていても報道にはならない、報道の範囲は広範囲なのである。
最近地震で風呂のタイルとか壊れたがそのままにしていた。
風呂は福祉の湯を利用していた。ただ冬になると寒くなり湯冷めするのでユニットバスを設置することにした。
それを頼んだのはたまたま来た仙台のリホームもしている会社である
何かこの辺では瓦を直したときもいわきの会社であり地元では頼めないと思っていた。
忙しくて人手不足がつづいていると思っていたし何かみんな外部の人がやっているように見えた。それでちょうど全部セットでしてくれるのでいいと思い実印まで押して契約してしまったのである。
今日知っている人に聞いたら地元でもやれる、知っている人にも頼めると聞いた。
でも実印を押して契約したということは相当な責任である。
考えておきましょうとかにしておけばこうはならなかった。

それで石原慎太郎が東京都知事としてハンコを押したことは責任があると問題になったことを思い出した。
ハンコを押すことは契約することは責任を負うことになる
東京都となると大きいからその工事も巨額の費用を払うことになる
家のことならたいした金でないにしてもリホームは金の額は大きいとなるといろいろ普通は考えるのある。アウターサービスがどうなるのかとかいろいろあとで考えて簡単に契約したのが失敗だったとも思った。地元だとアフターサービスはいいからである。
こういうことも経験しないとわからないし自分には社会経験が欠けていたのである。
石原慎太郎も作家でありそういう社会経験に欠けた所があったかもしれない、そもそも一週間に一回とか役所に行っていなかった。
それでただハンコだけ押して後で責任はとらされるとなると怖いことである。
家単位だったらそういうことはなかったのである。
でも家をマネジメントすることもやはり社会生活の基本にあったのである。

いづれにしろ報道とは何なのか?これは本当に範囲が広すぎるのである。
この辺ではまずプログに書いてきたように様々なことが知ることが強いられたのである。放射線量がどうのこうのとこれだけでも理解することが最もむずかしい
科学に弱い自分はとてもそれに答えることはできなかった。
ただ地元ということでいくら科学よ弱くても東風(こち)が吹く時期を知っていたり地元ならではの土着しているものの強みがあった。
これは外部のものにはもてないのである。土地勘はもてないのである。
何か事件があってもやはり土地勘がないと理解できないことがある。
そういうことは土着して生活していなとわからないのである。

土着というとき今は何かその言葉自体が過去のもののようになっている、農民が八割の時代はみんな土着する生活だった。
土着というとき土に着くとなる、その土地と一体化した生活である。
その土地の自然と一体化した生活がありそれが土着である。
報道がそれと関係ないよう見える、全国版とかなると土着的なものからはかけ離れたものとなる、でもそもそも人間の認識する土台はその実際に生きているそれぞれの土地にあることは変わりないのである。
だから報道というときその土地に日々生活して精通したものが報道に向いている
その土地の景観でもどこが美しいとか自然の特徴でもその土地の人が知っている
それからその土地の歴史でもそこに生活している人が地理でも詳しいから歴史から報道する、それも今回は津波とか原発事故で強いられたのである。
400年前にも700人が溺死したと相馬藩で記録していた。それも知らなかったのである。
そういう過去も重要なものとしてクローズアップされたから歴史にも通じていないと報道はできない、報道とは広範囲な知識と見識が必要になる、それは一人個人ではできない、手にあまるものとなる

ただ報道というとき福島県でも広すぎた、その広すぎることが理解するにも必ず誤解生れる、国(くに)というとき実際は相当に狭い範囲のことでありそこから国を治めるスメラミコトが生れた、スメとは狭い範囲の王のことだった。
福島県はハマ、ナカ、アイヅに分かれ気候も違っている、地理的に一体感をもてないのである。
報道というとき福島県の報道となると様々なことが報道されても深く報道されないししりえないのである。
そして欠けていたのは例えば相馬藩内の報道がなかったことである。
それは福島県のさらに相双地域版とかとして報道していた。
でも相馬藩内の相双版としての報道が必要だった。そのことを痛感したのは津波と原発事故だったのである。
これは生命にもかかわるものとしてつきつけられた問題だったからである。
原発のことをこれほどの被害になったように地元で報道して地元の人が関心をもつべきものだった。

小高でも東北電力ですでに原発の工事がはじまる予定だったのである。でも小高に原発を建てられることも知らなかった、そんな重大なことが知らない人が小高を離れると普通にいたのである。それは原発に関心を与える報道がなかったからだとなる
また権力でおさえられていたということもある。
ここに報道がいかに重要かということを思い知らされたのである。
福島県の報道でも雑誌が二つあり新聞社が二つありテレビ局が五つありとかあっても報道されない、ということは関心ももちえないということにもなる
まだ報道するにも新聞とかになると金がかかりすぎるから一個人などできない
そこにも大きな問題があった。インターネットが普及して一個人でも報道できるようになった。ただテレビとか新聞からするとまだ弱小メデアである。
ただ相馬藩内であれ福島県版ではないもっと狭い範囲での報道が必要だったことは間違えない、福島県全体になると広すぎるからその土地に精通することはむずかしいからである

人間は知らないことが致命的になる

津波で原発事故でもそうだったのである。
タグ:報道とは

2016年10月19日

抽象画(abstract pictureーcolours of summer)


抽象画(abstract pictureーcolours of summer)

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sea in summer

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colours of summer
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kilt
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splash and flame
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The town where Hakodate city floated in the sea
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hidden  water into a planet
タグ:夏の色

南相馬市の65歳以上35バーセント (看護師不足などー地域で育ったものは地域に貢献する時代)


南相馬市の65歳以上35バーセント


(看護師不足などー地域で育ったものは地域に貢献する時代)


高齢者人口は3384万人、総人口に占める割合は26.7%と共に過去最高
80歳以上人口が初めて1000万人を超える

南相馬市は35バーセント 相馬市も30パーセント

福島県では25パーセント

百歳以上も増えつづける

平成22年68744,449
平成23年76247,756
平成24年80751,376
平成25年81354,397
平成26年86258,820
平成27年97061,568
平成28年1,04665,692

高齢化社会というとき南相馬市は原発事故などで急速にすすんだ。35パーセントが65歳以上なのである。10人いるとすると3,5人となるこれは全国平均で26パーセントとするとき
かなりの多さである。何か街を歩いても目立つのは老人なのである。
この辺では人口が流動した。だから今でも除染であり工事関係者であれ5000人くらいまだ入ってきているという、だから実質の人口は増えているのである。
そして小高は住民票があり南相馬市に入っていても浪江であれ大熊であれ飯館であれそういう所から入ってきた人は南相馬市の人口になっていない、住民票が以前として前の町にあるからである。それでいわきでは税金を納めないとか問題になった。
家を建てても税金を納めないとすると住民でもないとなるからだ。
でもジレンマは住民票を移せば原発事故の補償金がもらえなくなる、だから移った先に住民票を移さないのである

だから南相馬市でも相馬市でも他でも原発事故の関係で福島県は実際そこに生活している人が増えても増えていない、住民票を移していないので移った先の住民になっていないのである。
だから例えば鹿島区の復興住宅に80所帯が買い上げで入るとしてその人たちは南相馬市の住人になるのだろうか?
補償金がもらえなくなれば打ち切られればそうなるのかもしれない、ただ以前として前の町や村に住民票を置くということも行政などでまた何かあるかもしれない。
この辺はそういうことでも混乱しているし原発事故は福島県全体をまきこんだものだったのである。

高齢化というとき百歳以上を毎年3000人から5000人規模で増えているのも驚きである。
この調子で増えてゆくとするとどうなるのかとなる
自分の母親も百歳で死んだ、百歳で死ぬことはどういうことなのか?
楽に死ねることは確かだろう。自分の母親は老衰でありほとんど苦しまずに死んだ。
約一週間前に水も飲まなくなっていたがホータブルトイレには行っていたし手がかからなかったのである。それで自分のような不器用な人間でも介護できたとなる
百歳まで生きることで得なことは楽に死ねることなのである。
その他は病気で死ぬから苦しむことになる

高齢化社会は日本全国でも影響が大きい、この辺は特に35パーセントになっているから先取りして高齢化になった。
復興といっても高齢化の影響でできないというのが現実なのである。
小高は避難解除しても帰ったのは90パーセントは65歳以上だろう。
老人だけが帰って町が成り立つのかという深刻な問題になっている
もともとこういうことは予測されていたのである。
たから高倉の老人は時期が早まっただけだとも言っていた。
子供は外に出て跡を継がないし老夫婦だけが取り残されたのである。

それにしても金山町とかは50パーセントが65歳以上である。二人に一人が65歳なのであるこうなるともう町でも村でも成り立つのかとなる、会津の高齢化は深刻である。
浜通りはそうではなかったが原発事故後急速に高齢化したのである。

それから南相馬市では看護師不足が以前としてつづている。それで市では奨学金制度で生活費まで援助するが南相馬市の病院に勤めればその資金は払わなくてもいいということでいくらかの看護師を確保した。それでも20パーセントがたりないとかなっている
というのは中通りでは200人とか看護師が増えた、双葉や浪江など相馬地域から原発事故で放射能を怖がって看護師が流出したのである。
子供をもっている看護婦も多いからそうなる。
何かだからこれからはそれぞれの市町村では今までのような考え方ではやっていけなくる今までは地元からどこにでも就職してもいいということがあった。
東京で人手不足なら東京に就職してもしかたないとなる

でも時代が変わった、別に東京と地方を比べるとき生活の水準が今はそれほど変わらない、通販やインターネットとかで情報的にも遅れるということもない社会である。
ただ就職先がないということで東京に大都会に出るという若者が多かった。
でも時代が変わり地元で育てたものは地元に貢献するというのが筋になる。
だからなぜ放射能汚染があっても子供が親を捨てて出て行くのか?
苦労して育てたのに何にもならないとなる、それは看護師の流出や不足に象徴されていたのである。放射能は低い所もありそれが即子供に影響するとはならないのである。
その影響はまだわからないからである。


これも広域社会だから起きたことである。看護師となるとどこでも就職できるからであるかえって給料がいいからと東京の方でもひっぱりだこになって移っている人もいる。
でも何かこういう広域社会グローバル経済社会の矛盾がでてきている
放射能汚染があった、何か困難が生じると他に移ればいいとなるとそれでいいのか?
家族すら離散していく、そんなに頼りないのか?何かそこに疑問が生れている
他で移り親がいるのに親のめんどうを見ないで他の病院で他の親のめんどうをみている。子供を育てた親は馬鹿らしい、なんのために育てたのかともなるだろう。
地域にしてもそうである。地域でその子供を世話しても外にでていくだけだとなれば
世話しても何にもならないということにもなる

「遠くの親戚より近くの他人」となる、それは隣の村でも歩いてきたら遠いから看病などでもできないのである。車でも通うとなるとめんどうになるのである。
だから娘がいたとか東京だとかなるといくら親孝行したくてもできないのである。
一方で血縁だらか遺産があれば遺産だけはもらうとなるとそんなら自分を助けてくれる近くの人にやっ他方がいいとなる。
何か老人になると近くが大事になるのである。若いときは健康だし人に頼る必要があまりないからそういうことを考えないのである。
ただ近くだから助けてくれるとは限らない、自分は全く助けてもらえなかったからであ
る、かえって弱者化したときこれ幸いと火事場泥棒とか脅迫されたりしたからである。
それでも近くの人を助ければ近いのだから助けられることはありうる
その確率の方がずっと高いのである。遠くになれば助けようにも助けられないからである。

高齢化社会というときマイナス面が強調されるがそれだけではない、社会に影響するというとき高齢化はスロー社会になるからなにか急がないゆったりとした社会にもなる
どうしても団塊の世代が活躍した時代は高度成長時代でありがつがつしていた、欲望でぎらぎらしていた時代である。
それが今はない、何か全体的に活力というものがないのだがスロー社会であり落ち着いた生活をよしとするようにもなる
高度成長時代の企業戦士とかなると獰猛な肉食系の人が活躍した。
今は草食系とかいわれるのもそのためである。老人になればどうしてもその土地に根ざした生き方になる。植物的に根を張る生活であり農業的なものになってゆく

自分でも若いときは世界へ羽ばたくというか拡大化してゆく旅である。新しいものを貪欲に吸収する、それで旅ばかりしていたとなる。
でも旅したことでも今度はその意味を深化させる、旅だけではなくこれまで経験したことをその意味を深化させるのが老人に向いているのである。
ただ新しいことはもう吸収できない、これまで吸収したもので花咲かすのである。

何か老人だと誰でもその人の経験した話が面白い、札幌から来た自転車旅行の67歳の人は冬山にも上り一緒に登った人が死んだというときそこに驚きがある。
そんな経験はなかなかできないからだ。山は自分も登ったが一番疲れるし危険でもある。自転車旅行では交通事故があっても遭難などはないのである。
何かそういう人の体験しない話を聞くのが面白いのである。
そうなると平々凡々の生活をしてきた人の話は面白くないとなるかもしれない、公務員とかはそうなるかもしれない、冒険がないからである。
一般の社会人でも企業でも冒険があると話も興味深いものになるかもしれない
漁師とか農民の話も実際は興味深い、それは自然と深く結びついたものだからである。
札幌で暮らしているとかなるとそれは大都会であり都会人だから興味ないともなる
本当の北海道人だったらやはり牛を飼っているとか農業をしている人とかになる。
他に漁師もいるからそういう仕事の人の話を興味深いものとなる

老人の価値を若い人は金だけだと思っている、金だけを求めているがその人の経験があり特別な経験をした人の話は面白いのである。
要するに老人は経験したことから芸術でも学問でも何でも創作しているのである。
若い人はそういう経験がないから書くものでも浅薄になる。
若い時は何か芸術でも深く見れない、鑑賞できない、思想でも哲学でも深く本でも読めないのである。理解できないのである。
老人になると理解力であれ鑑賞力であれ何かを深くみる創作するということに向いているのである。
創作する人にとっては芸術とかなると長生きした方がいいのである。
長生きすればするほどその芸術が深いものとなるからだ。
ただ人間の価値はいろいろであり芸術だけではない、何かしら老人でも価値をもとめればある。

しかしただ長生きしただけで人間の価値が生れるかとなるとそうはならないだろう。
人間は何かの価値に生きる、それがただ長生きだったら価値あるとははならないのであるこの人に何の価値があるのか?それはそれぞれに違っているからなかなかわかりにくい。
それはこの人は長く生きたから価値あるとも言えない、百歳生きた人が価値あるかどうかはわからない、みんなが果たして価値あるものになるかどうかわからない。
自分の母親は家族のなかでは価値があった、自分も支えられたから価値があったが家族外では価値があるものなのかどうかはわからなかった。
社会的に価値ある存在というときそれがどういうものなのか見極めるのはむずかしいとなる。
社会的にはこれだけ高齢者が多いというときただ社会にとって重荷であり迷惑であるということも高齢化社会では顕著になるからである。

posted by 老鶯 at 10:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 老人問題

2016年10月18日

文化が育成される場所 (土着する場と外部との交流がある場所)


文化が育成される場所


(土着する場と外部との交流がある場所)


一つの民族をそれぞれの氏族および身分の中で有機的に組織だてこれらを一定の狭い郷土に永住させること、すなわち高度の土着が必要である。

何らの異系支配も行われず永い間同系内で交配された種族、あるいは民族は非常に有能な民であっても天才を生むことは驚くほど少ない
スパルタなどがそうである。
ところがこれらの種族が開港都市など占領したり、貿易の目的でその中に入り込んだり、彼らに適合する同じく才能ある他種族と強く混交すると何百年か後に全く突然に天才が輩出する。
(天才の心理学ークレッチュマー)


文化はculture-cultivateであり耕す場がそもそもないと育成されない、歴史をふりかえっても奈良時代に文化が華咲いたというときそこは狭い場所である。
土着的なものが養われた場所である。それは万葉集に結晶した。
一方で中国と唐と交流があったときであり外国の文化をとりいれたことにより文化が華咲く場所となった。最近平城宮の役人にイラン人がいたとか木簡に名前が発見され話題になった。奈良は国際都市の様相を帯びていたのである。
つまり日本の土着的なものと唐の文化が混交して文化が華開いたのである。

土着的な場をもたないと文化は華開かない、それはなぜなのか?
土着するということは自然と深くアイディンティティ化することである。
人間の霊感は自然から受けるからである。
だから海には海の文化が生まれ山に山の文化が生まれる
日本にないのは川の文化である。大陸では長い大きな川がどこでもありそれは運河にもなり交通路になっていたのである。
インドのヒンズー教がガンジス川から生まれというときもそうであり中国でも黄河や揚子江から生まれエジプト文明はナイル川から生まれドイツの文化は父なるライン川から生まれたとかなる。

ドイツをみるとドイツの文化が音楽と哲学とか思索とかに優れているのはなぜか?
それは北方的風土であり暗いゲルマンの森であり霧が多い暗い風土にある。
それがゴシックの教会となり荘重な深い哲学と音楽が生まれた風土なのである。
プロテスタントになるのもそういう北方の風土の影響なのである。
人種的アングロサクソンとかゲルマンとなり体格が良くて背が高い、でもローマとか南方系が背が低いとかあり人種的にかなり異なっていたのである。

日本の文化も縄文人がいて外来の弥生人と交配して作られたのだから日本は島国でも外国との交わりはありそれで文化は形成されてきた。
ただヨーロッパの強みは様々な人種でも文化でも交配して交わってきたことである。
ヨーロッパに都市が一つの国となり栄えた、フィレンツのように都市国家が形成されたのもそのためである。都市国家とは外来のものと土着的なものとが一体化した社会である。そういう都市国家ができたのは川が交通路になり貿易が行われ人の交流があったからとなるヨーロッパの多様性が多くの天才を輩出したのである。

経済力は、新植民地の成長によって力をつけていきました。商業と貿易は、主要ルート、地理的位置と水路のおかげで繁栄しました。ピサから戻った商人たちによって、東方の商人や、イリス神話、2世紀はキリスト教について伝えられもしました。

そもそもヨーロッパは実際は世界の辺境であった。文明が最初に生まれたのはユーフラテス川のメソホタミアでありここが最古の文明でありエジプト文明があった。
そしてイスラム文明が起こり科学とか数学でも代数学とかはイスラム文明からヨーロッパに入ってきたのである。その前は紙でも羅針盤でも火薬など技術は中国などから入ってきた。その時ヨーロッパは先進国ではなかったのである。
ヨーロッパ文明はそういう回りの先進文化を吸収して発展したのである。
異種交配が文化を生むというのは世界史的にもそうなのである。
同じ系統のものが交配をくりかえして同じ所にいれば文化でも経済でも停滞してくる
一方で同じ場所で自然との深い交流がありアイディンティティを作ってゆく場所がなければ文化は生まれないのである。
日本のアイディンティティが奈良とか大阪京都で作られてきたのはそのためである。

現代の問題がグローバル化社会というとき外部に拡散する社会である。
でも欠けているのが内部への土着性なのである。どこでも土着的なものが失われて地方が経済的にも文化的にも衰退しているのである。
だからこうしたグローバル経済の反動はして里山資本主義とかなんとか地方に根ざすことも志向されてゆく、東京は土着性が全くない、ただ肥大化した経済のみがある場所であるそこからは文化は生まれないのである。奈良とか京都ととなるとそこにはまだ日本的土着性があり文化が生まれたのである。

現代は日本でも明治以降強圧的な中央集権となり地方がないがしろにされた。
封建時代の方が城があり独自の地域の文化を形成してきたのである。
だから江戸時代は見直されるべき時代なのである。
300年の鎖国時代でもそこに日本的土着性が養われていたからである。
それで明治維新が成功したのはそういう基盤があり近代化にそれほど抵抗がなく移れたという説もある。鎖国であっても外国の文化をとりいれる素地をもっていたとなる
明治というとき日本的土着的なものが強く残存していたからその時文化が華開いたとなるその後は日本の土着性が失われて文化が衰退して戦争になり疲弊してまた戦後は高度成長などで経済的には復興したが停滞するようになった。
その間に地方の土着性は失われ地方は衰退したのである。
その象徴としてこの辺で原発事故が起きたともなる

まず文化というとき土着性がないと生まれない、詩にしても絵にしても芸術となるとそうである。ヘルダーリンの詩はドイツという国の土着性2から生まれていた。
それが愛国心の高揚にもなっていた。そういう土着性が喪失してゆくのを嘆いたのが後のシュヘングラーとかニーチエとかである。それは世界的なものであるが土着性が失われ文化を失われることを嘆いたのである。
グローバル経済とか多国籍企業社会は車であれカメラであれ一部品を作るのであり文化は総体的なものトータルにかかわるものだからそれが文化の普及にはならない
でもコンピュターとかデジタルカメラとかは新しい文化を生んだことは言える
自分がしているソフトに変化させる抽象画がそうだった。それは新しい文化の創造でもあったからである。インターネットから生まれた文化創造だとは言える

ともかく旅行して面白いのはヨーロッパにあるが歴史が複雑であり錯綜しているからもっと歴史がわかればもっと興味深いものとなる、それは一度くらい行っても理解できないとなる。ただ地理的にフィレンツとピサまで電車で一時間くらいで行ったようだから距離的に近いなと感じる、それでまず歴史の理解が地理にあるということなのである。
旅をして現地を実際踏めばその地理が具体的に五感でわかるから理解が深まるのである。いづれにしろ場所から生まれる場所の精神がある。
日本でもその場所を神聖化したのが社であり鎮守の杜なのである。

私は、人間というものを理解する上で、民族というものを理解する上で、或いは文化というものを理解する上で、「場所」とか「風土」というものが 何よりも大切であると考えている。この場合、人びとにとって、実際的には、その場所を理解するといっても容易ではなく、何はともあれそこに行くこと、そこ で楽しむこと、そこで実際に人々や歴史や自然と響き合うことである

共同体や無意識は、固有環境とちがって、ふつういう意味での空間的な場所を形づくるものではない。が、それらは、意識的自我がそこにおいて成り立 つ場あるいは場所を形づくっている。つまり、共同体、無意識、固有環境のいずれにもいえることは、それらが人間的自己にとって、基体としての場所、場所 (基体) だということである。

つまり人間はアイディンティティを作る場所がないとき根なし草になり文化のないただ経済だけの産業だけの労働機械になる。グローバル経済とか多国籍企業社会もそうである。現代人はすでに金ゝ物ゝ人という関係になっている。マルクスもまたそうした人間が人間でなくなるということを経済的に理論化したものだったのである。
その底辺は人間の危機を訴えた現代のアウトサイダーの思想家と一致するのである。
全然違ったように見えても同じものが底辺にある

日本でも物(もの)はものが憑くとか物心とかもの思うとかものは心と一体のものとしてとらえていたのである。ものと心は分離してはならないものだったのである。
それは例えば医療でも心と物は分離しているのである。
医者が薬を飲ませるとき看護師でもいいが何かこの薬を飲むと良くなりますよはいうときその人の病気が直ってほしいとか何かその人に対して愛の心をもたないとその薬に物も生きてこないのかもしれない、食べ物でも人に与えるときこれ食べると体にいいですよというときそこに心を込めて与えると本当に体に良いと感じる
ところが現代はそうした家族的関係から離れた金ゝ物ゝ人になっているからそうして物と心は分離しているのである。
地球の裏側から物が食べ物でも入ってきても物だけが入ってきて心がそれに感じることができないのである。

病院でも高価な最新式の機械が備えている、でもその機械は冷たいものでありその道具にも心が入らないと活きてこないものかもしれない、今では機械がコンピュターが人間の病気を診断するとまでなる、でも機械とかコンピュターには人間の心がないのである。
コンピュターを利用するにしても人間の心は機械化したりコンピュター化できないのである。現代ではそうして物と心の分離があり病院はもう人間をみる所ではない、人間が物としてみられてかたづけられる場所である。病院で死んでもその死者は物であり供養もない、早くかたづけて下さいしかない冷たい場所なのである。
そして金の計算だけしている冷酷な場所だともなる。それは現代社会全般的に言えることである。金がすべてだというときそうであり人間の価値はすべて金で計られものとなっているからだ。
だからそううい経済がグローバル経済は何か限界にきている、非人間的なものとなっている、何か世界的に無理があるかこらこそもう資本主義は限界だ機能しないとか盛んに言われるようになった。極端な格差社会を作りだしことでもそうである。


タグ:土着の思想
posted by 老鶯 at 16:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本(世界)文化文明論

広域化グローバル資本主義の限界 (原発事故から考えるー離散解体しやすい社会)


広域化グローバル資本主義の限界


(原発事故から考えるー離散解体しやすい社会)


「われわれのだれもが、面識のない人びと、その存在についてさえ知らない人びとの役に立っており、ひるがえって、まったく知らない他の人びとのサービスのうえに生きているのである。


人間を経済学的な面からみると最近考えたことはこの辺でも地元の人が作った果物とか野菜とか花を売る市がたつ、そこで最初に買ってもらったリンゴがなんともうまかったのである。
今までは二種類しか紅玉リンゴとフジリンゴしかスーパーでは売っていないので食べていない、それは地元産にしては甘いし不思議な味だった。これなら高くてもいいと思った
スーパーの二倍はしていた。
ところが次に買ってもらったのは小粒であり紅玉リンゴでありスーパーでいつも安く売られいるものである。それは三倍の値段だった。
地元の市の方がなんでも高い、でもその時感じたことは「なんでこんな安いリンゴが三倍の値段なのだ」という怒りにすらなる
人間は値段に敏感だからだ。ただこういうことは現代の経済の矛盾である。
地元産を買うのは地元の人を優先している、地元のものを買うことは地元が経済的に豊かになれば回り回って自分も豊かになる。そういうのが今までの経済だったのである。

現代の経済では何が起きているのか?

金ゝ物ゝ人

人間がいるとしてもその人間より物が価値がある、物を通して人間の価値が計られる
「なんだ、こんな普通の安いリンゴを三倍の値段で売るのか、こんなのしかここでは作れないのか?」となりその人間の価値が計られその人間自体の価値の低下につながっているのである。
でも地元になると地元で生きるのだから地元のことを大事にするということはあるが現実問題として広域化グローバル経済になるとそうはならない

この辺でつくづく考えさせられたことはそのことである。今でも復興住宅を建てる人は九州から北海道からも来ている。それがなぜなのかよくわからない。
建売住宅の場合は仙台の人が来て作っているからである。復興住宅は政府が関係しているから全国から来ているのかもしれない、その会社では熊本でも地震の被害がありこれと同じような復興住宅を建てているというからだ。
その会社の説明ではこうした復興住宅を広めるためだとも言っていたからである。
ともかち除染関係でも全国から来ている
そして地元で働いている人は少ないのである。9割くらいは外部の者によって復興事業が成されているのである。ボランティアもそうである。
そして地元の人は毎日パチンコ屋通いだとか遊んでいたのである。
これもおかしな現代の矛盾なのである。

一方で地元の人でも仙台に車で朝早く通って建築関係で働いている人もいる
また広域的に仕事をしないともうからないとかで建築関係では全国に仕事を展開した人はそもそも個人では無理であり事業に失敗した。
今の経済はこうしして広域的でありグローバル経済になっているとき地元に土着するという感覚がない、それで地元に愛着する愛郷心も希薄化したともなる
普通家を建てるときたいだい地元の大工とかでしていた。するとこの家は自分達が建てたとかわかる、建ててもらった人も地元の大工に世話になったとかなる

でも建売住宅だとそういうことが全くない、自分がこの家を建てた、仕事したけどその家に入る人とは何の関係もない、別にその家建てたからといってその家の人に感謝もなにもない、第一建てたらあとは遠くから来ているのだから関係しない、ただ復興住宅は地元の大工もかかわっているからその人たちはかかわるがほとんどは外部の人で建てたのであるそこで報酬は金しかない、会社からもらう金が仕事の報酬でありその他はないのである。一般的に今の経済はみなそうである。地球の裏側から食料でも物が入ってきたからと言ってその人のことはわからないのである。
ただいいものだったら買う、すべては値段で決まる、いいもので高いとしても買う人はいる、金のある人は買う、ない人はいくらいいものでも買えないというのが現代の経済である。
すると金ゝ物ゝ人の原理が働いてくる、人間の価値は金で計られる、三倍もして小粒の味の良くないリンゴをいくら地元産だからと買わない,それよりそのことによって地元の価値の低下と人間の価値の低下が起きているのである。
「この土地ではこんなものしかとれないのか、この土地に住んでいる人間は価値がない、劣っている」とまでなる。

現代とは文明とは物の価値でもそうだが人間の価値が低下したのである。
機械によっても人間の価値は低下する、機械の方が仕事ができることがあるからそうなるロボットが仕事するようにるなと人間自体がいらない、人間はもう雇う方にとっていらないとなってしまう。それはとりもなおさず人間の価値が極端に低下したことなのである。本一冊作るにも今までだったら活字を拾っていた仕事があり様々な行程で作られてきた。でも電子本とかなるとその行程もない、人間の手はほとんどなく簡単に作られてしまうのである。そこで人間はいらなくなり失業者が増えるともなる
そしてもう人間の仕事がなくなる、機械が人間の代わりに仕事するからとなり人間はどうするのかとなると、ベーシックインカムで金を提供するということが現実に外国では行われたのである。

この辺で起きたこと原発事故で放射能で人が住めなくなったこともあるが何かそこにはまた別な要因があった。広域化グローバル経済というのは昔のように80パーセントが農業していたという世界とはあまりにも違うのである。
第一次産業の割合一割にみたないのである。だからこそ原発の比重がこの辺では大きくなっていたのである。東電に地元が買い取られていた、東電の社員化していたともなる
東京の東電の社員寮に入ったりしたものもいるから社員と同じであった。
それだけ東電にしめる経済の比重が大きくなっていたからそうなる。
つまり米とか野菜とか魚でも木材でも東電の電気が価値があるという世界である。
そうだからこそ原発は電気を産み出すのだから一番価値があるとなっていたのである。
東電社員もそのために原発事故前は威張っていたとかうらやましがられていたのてある

ともかく地元に故郷に帰らないというとき何か原発事故とか放射能被害とかそれだけでとはない現代の社会が影響してそうなったともみれる。
広域化グローバル経済になれば一地域の経済で生きているのではないから解体しやすいとうことがある。極端なのは日本だけに留まらないで金持ちは外国に住むとか世界的にも起きる、金さえあればどこでも暮らせるとなるとそうなってしまうのある。
そこでは人間が物に金にのみ換算される、計られる世界だからそうなる
それがマルクスが指摘した物神化のことである
またそれに反発して市場原理の働かない、ハイエクの経済観である。

資本主義が限界だとういうときグローバル経済でも限界になる。その矛盾も大きくなっている。そして新しい世界が求められている
それが何なのかというとき人間が人間的に暮らせる社会である。
シェアリング経済というのもそうかもしれない、シェアするというのは新しい共同をコミニュティを作ることの模索なのかもしれない、現代経済は極端化した金ゝ物ゝ人になってしまったのである。

番町皿屋敷のように大事な皿を割ったからと下女を責めてしなせたというのもまた別に今だからではなく人より物が大事だということはあった。
自分も経験しているがそういうことは常にあるし家の中で働く人は何か家族的な関係になる、下女はロボットではないからである。
物の方だ人間より大事だということは昔もあった。だから現代の金ゝ物ゝ人が昔にもなかったのかということではない、ただそれが世界的になり何か地元が故郷すら消失してゆく要因ともなっていた、それはどうしても原発事故だけが原因になっているようにも見えないのである。

要するに資本主義の限界とかグローバル経済の矛盾とか広域社会による人間の離散化とかは何か現代の文明社会の行き詰まりとして現れた。
もう経済成長は無理だとか経済もゼロ成長でありそれに見合った社会にするとかもそうである。それは金ゝ物ゝ人が極端化した反動としてそうなっているのである。
何かグローバル経済でも非人間化するものがある、そもそも全然知らない地球の裏側の人に働くこと自体が非人間的だともなる
そうなると金しかないし抽象的なものとてしの人間しかない、具体的な生々しい人間はそこになくなる、物と金に還元された関係でしかありえないのである。
そういう矛盾が原発事故が原因になっていてもそれだけではない、そういう社会状況が拍車をかけて離散したとも見れる


posted by 老鶯 at 10:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会問題の部

2016年10月17日

佐藤栄佐久元知事の有罪判決は何だったのか? (事故後に見えてくる原発の政府の検察の権力の圧力)


佐藤栄佐久元知事の有罪判決は何だったのか?

(事故後に見えてくる原発の政府の検察の権力の圧力)


佐藤栄佐久元知事が有罪に検察にされたのは何であったのか?
それも良くわからないし報道されていない、


( 1)佐藤栄佐久元知事ゼロ円贈収賄で有罪→→→棄民党は白紙領収書260枚でも閣僚(2)佐藤知事の弟は冤罪で、刑務所に5年間も入れられた。
(3)裁判所は、ZDF「福島のウソ」に佐藤元知事が出たので、退職金返済命令の嫌がらせ
(4)反対キャンペーン県庁課長4人がなぞの自殺、3人死亡、1人は植物人間に

佐藤氏は弟の土地売買時に、知事として「天の声」を出し便宜を図ったとして逮捕され、関係者の尋問は過酷を極めた。当時の県土木部長が、佐藤氏が「天の声」を出したと証言し、それが直接の証拠となった。佐藤氏はこの部長を偽証罪で告訴したが、悉く却下された。この元土木部長には、検察の捜査で自宅の机に出所不明の多額のお金があったとされたが、検察は不問に伏したと佐藤氏は訴えている。この意味するところは、検察が部長の罪を不問にすることにより、「天の声」を出したと言わせたというのが佐藤氏の主張である。 

二審では一審で佐藤前知事が弟の土地取引を通じて得ていたと認定されていた賄賂の存在が否定されたにもかかわらず、「無形の賄賂」があったとして、裁判所が有罪判決に踏み切ったことだ。


佐藤氏は、参院2期を経て、知事に就任2年目のこの事故で、原発が抱える根源的問題を直観、原発や原子力行政を学び、その在り方に批判的になっていく。

 それが頂点に達したのが、2002年8月29日、経済産業省原子力安全・保安院から県に送られてきた18枚のFAXだった。

 そこには、「福島第一・第二原発で、原発の故障やひび割れなどの損傷を隠すため、長年にわたって点検記録をごまかしてきた」と、書かれていた。

 炉心を支えるシュラウドと呼ばれる重要部分の損傷まで隠ぺいしていた事態に、国民は驚き呆れ、東電は平岩外四、那須翔、荒木浩、南直哉の歴代社長が総退陣、恭順の意を示した。だが、佐藤氏が怒ったのはむしろ国の対応である。

 改ざん隠蔽の事実は、内部告発によって明らかとなったが、それを原子力安全・保安院が受け取ったのは00年7月である。


●西村〈「動燃・総務部」次長〉
  
「もんじゅ」事故のビデオ隠しが発覚。この調査を命じられた翌日、
  ホテルから飛び降り死亡。自殺と断定した警察に疑問を呈した遺族は訴訟提起も敗訴。

●大竹雄児〈kk「ダイニチ」役員〉

『週刊現代』08年3月29日号掲載の記事↓
=「天下の関電幹部から、ワシラが請け負わされた仕事は、“町長暗殺”でした」
こう語るのは、高浜原発の警備を請け負っていた矢竹雄児氏。
彼が暗殺を命じられたのは、高浜原発がある福井県大飯郡高浜町の今井理一町長=

 04年、美浜原発で死者5人を出す事故発生。
 これまでプルサマール計画見直しを求めてきた今井町長の声を無視してきた関電もやむなく白紙決定。

プルサーマルを17基で実施するとしても年間使用量は0.3トン×17基=5.1トンで、六ヶ所再処理工場から生じる分を消費するだけで精一杯である。大間フルMOX炉が稼動すれば、年間1.1トン使用量が増加するが、40トン消費するのには数十年かかるのではないか。

原子炉級プルトニウムの核兵器を、敢えて製造し、保有するメリットを誰が認めるかという点である。インド、パキスタン、或いは北朝鮮(DPRK)ですら核兵器には兵器級プルトニウム或いは高濃縮ウランを開発している。原子炉級プルトニウムで核爆発装置を作る以外に手段のない国、或いは集団にとっては、この核爆発装置の作成は技術的に難しく、技術的に可能な国にとっては、兵器としての信頼度に欠けるというのが実体であろう。つまり「作れるかどうか」ではなくて「作る意味があるかどうか」の問題であり、答えは「ノー」である。

プルトニウム239も中性子を吸収して高次の同位体プルトニウム240へと核変換する(図1)。そのため、プルトニウム239の濃度が94%以上であるように原子炉内の滞在時間を考えて取り出し、再処理して原爆用プルトニウムを生成する




原発問題は日本全体でもどうして導入されたのか?読売新聞の正力松太郎によって導入された。その理由は読売新聞を発展させるための自分の私的な利益追求のためだった。
アメリカの援助があるからCIAのスバイでありコード番号で呼ばれていた。
それから自民党の中曽根氏首相に受け継がれて50基以上に増えたのである。

そして福島県ではなぜ前の佐藤栄佐久知事が原発のことで失脚させられて検察で有罪にまでされた。これもまた不可解なのである。
フルサーマルに反対していた知事である。そのフルサーマルというのがわかりにくい、
フルトニウムに関連していたことは確かである。
フルトニウムは国内で余っているのだから別にフクシマの原発で作る必要がないということで反対した。
ではなぜフルサーマルなのか?フルトニウムなのかそれはアメリカと関係して核兵器に利用するためだともされる、その辺の科学的知識がないし理解がむずかしいが核兵器に使うものとして準備されるということがある。

ともかくフルトニウムが余っているというとき日本でなぜまた福島で作る必要があったのか?そのことに反対したとき佐藤栄佐久知事は失脚した。
でも別に佐藤栄佐久知事が原発そのものに反対したわけではないのである。
共産党でも原発がいらないということに反対していない、ただ安全を計ってくれということを要望していたのである。
その安全を計る点で政府でも東電でもいい加減だったのである。
原発は常に隠蔽体質になっていて追求できない、配管のことなどでもその安全と不備を追求しても取り上げられない、それはなぜか?
政府と東電とかマスコミも一体となっているからなかなか真実が報道されないからである
ただ原発は核が関係していて一般の人にはわかりにくいから関心が薄いとなっていた。
つまり理解できないということが障壁となり関心がもていないとなる
そしてマスコミでも政府と東電側につくから真実が明らかにされない。
フクシマ財界とか政経東北とかあってもこれらも政府と東電よりでありそこから金が回ってくるから信頼できないし福島民報でも民友でも同じである。
それは全国でもそうであり宣伝費で半分もっているのだからそうなる
福島財界が最初原発を批判していたのに途中でやめたというのは東電から金が入ってきたためだろうとも言われる。

その後佐藤栄佐久知事については不正があったと追求を厳しくしている
このことも不可解でありもしこれが検察が原発に関して逆らうものは戦争中の特高のようになっていたら怖い、そうなると法律もなにもない、政府に逆らうものは捕まえろとなってしまうからである。そうなると法治国家でもない、民主主義国家でもない、独裁強権国家になる。
この頃東京の豊州問題でも検察が動いていない、東電でも検察は動かない、検察は無力化しているのである。その反動として週刊誌がその代わりになっているのである。
国民の世論が週刊誌で代表されるというのももう日本国家自体正義を追求するものがなくなったということでもあるのか?
それほど腐敗したとき根本的な改革が迫られる、革命でも起こさないともう日本は腐敗するだけで刷新できず衰退してゆくか滅びてゆくとなる

フルサーマル問題でもわからないにしても原発事故後見えてきたものがある。
「安全神話」が政府と官僚と東電とマスコミなどによって強力に作られてきたことである佐藤栄佐久知事が失脚されたというときもそうである。
その後に原発推進派の渡辺恒三の甥の佐藤雄平が知事になったことでもわかる
それから渡辺恒三の息子はアメリカのGEの社員だったということもわかりやすい
そういう利益関係で結ばれていたからである。

(4)反対キャンペーン県庁課長4人がなぞの自殺、3人死亡、1人は植物人間に

これは事実なのか?ネットでは事実がわからないことがある、マスコミで事実が報道されないことがある。
ニュースはただ事実を伝えればいいという、そこにそれぞれの解釈が入るとそれぞれの解釈ができにくくなる、マスコミではそうした解釈を勝手にするから事実のみを報道しろといわれる。それは科学者も言っている。事実が報道の基幹なのでありそれにいろいろ色をつるべきではない、その事実を各自が解釈すればいいとなる。

ネットだと自分なりに編集してゆくと各自でそれなりの見解は出せる、マスコミの一方的な報道とか解釈ばかり見ていると事実もわからないし真実もわからなくなるのである。
インターネットの特徴は各自が報道の主体となっていることである。
ただ数も多いしそれらを全部読むこともできないしマスコミのように訴える力が弱いのである。

新潟県の知事では原発に反対する候補が当選した。そこには常に原発に反対するものには権力の圧力がかかりそれで殺されるとか危険なものがあった。
要するにその圧力は背後にアメリカがいてそうなっているのか?何か大きな権力の圧力がかかるからそうなる。だから検察も警察も信用できないとなるから怖い。
つまり国家権力にかかわる問題になっていたのが原発だったのである。


★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK214 > 461.html    

原発天王山選挙 新潟県知事選最終情勢はまさかの展開(日刊ゲンダイ)

posted by 老鶯 at 09:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2016年10月16日

月影の魅力(相馬市の城跡周辺の不思議)


月影の魅力(相馬市の城跡周辺の不思議)

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我が街の細道行きて秋の薔薇一輪あわれ菓子屋のありぬ

満月や平野に実り喜びを分かちあわなむ故郷に住む



秋の城跡

長々と秋の柳のしだれにつ
城跡に秋の日ざしかな
その残れる石垣に偲ぶ昔や
相馬六万石の何か淋しき
その街の細道行きてあわれかな
何か営みのあるべし
街を出て微かに鳴きぬ虫の声
その音に我は耳を傾けしも
芒はなびき所々稲は刈られぬ
五本松に月影の道我は帰りぬ
昔あれ月影に浮かびし城や
そも幻となれやただ石垣のみあり


(城にさす月影あわれ夢の跡)


山本八重(新島八重)が会津鶴ヶ城の開城前夜に詠んだとされる短歌がある。


明日の夜は何国(いづく)の誰かながむらんなれにし御城(みしろ)に残す月影

この歌が月影に浮かんでいる城をイメージしたのか?
会津の城は新しく建てられたからかえって無常観がなくなったのである。
城で昔のままに残っているのは5つつくらいしかないようだ。
新しく建てると何かそれが現実味がなくなる、中が博物館になっていたりしてこれは博物館なのかと思ってしまう。

かえって城もない石垣だけが残っているとそこに無常観を感じる
相馬藩はそうである。天守閣もあったが雷落ちてなくなったとか、何かどういう城があったかもイメージできない、六万石だから大きな城ではないが城があった

何度も書いているけど相馬市の不思議は特に城の周辺の不思議は何なのか?
何かそこが淋しいものとなっている。特に静かになっている
しんみりとしてくる、それが原町では感じない、全く原町では昔を感じないのである。
ただ相馬市でもかえって六号線とか松川浦に行く方になると昔を感じない
新しい街という感じになる。田町辺りまでが城下町の範囲だから昔があったのはその辺までである。

相馬藩だと城跡があってもそこにどういう城があったのかイメージできない、ただ石垣だけが無常に残っているというだけである。
城の魅力は新しく建てられた所にあるとは限らない、石垣だけが残っていてもそこに無常観を感じるとき歴史も感じる
城は常に中心的存在として象徴としてあった。それが明治の時侍はいなくなり城は無用化したからである。この変化も大きかったのである。

昨夜は満月が美しく輝いていた。この辺では浜の方でも今年は実りがあった。
ただ米は飼料米になる、いろいろ風評被害があり売れないからである
でも今年はこの辺は実りの面積はかなり増えた、それで全体的に復興したのかともみる

ともかく月影というとき何か神秘的なのである。月影を感じるには暗ければ暗いほどいいのである。
それで小高辺りは相当に暗いから月影の中に街が浮かぶともなる
何か不思議に感じるだろう。影絵のように街が浮かぶともなる
そんな詩的な幻想どころではないというのもわかるがそういう廃墟とかこの辺をただ面白いから見に来る人も結構いるのである。
現実に廃墟の魅力はそこに人が住んでいたから何か自然そのものとは違うものを感じる

しかしもともと戦前でも大正時代でもランプだった。相当に今より暗かった。
すると月影がさして家の灯であれ街の灯であれともしいものとなる
ただ月影にたよりに歩くことはできる、電気の光りではなく月影の光りで歩いていた。

湯原王(ゆはらのおほきみ)の歌一首

月読(つくよみ)の光に来(き)ませあしひきの山経隔(きへな)りて遠(とほ)からなくに

万葉時代にこういう経験していた。それはさらに暗い時代である。これほど電気の光があり明るいところで暮らしたのはまだ百年くらいなのである。
それまで月の光が頼りだったともなる、都会ではまず月影を頼り歩むなどありえなくなった。すると自然の神秘を感じないで生活している、人工的な電気の光の中で暮らしているのである。これも考えると異常なことなのかもしれないのである。

タグ:月影

2016年10月15日

午後6時交通事故発生



午後6時交通事故発生

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相馬市に行ったら旧街道の細い道で車にテールライトつけろとどなられた。
自転車は車にとって嫌なものである。
突如横切ったりもするからである。今日は暗くなっていたのでそうなった。

そして六号線のサテライト鹿島から八沢浦に入る道を越えた
坂を下る所で交通事故が起きていた。
重症だと言っていた。

あそこは坂を上り下る場所である。それで前の車と衝突したのか?
どこで交通事故が起きるかわからない、意外なところで起きるからである。
あそこは坂を上り下りる所で危険だったのか?

すぐに写真をとった、前がめちゃくちゃに壊れているから相当に激しくぶつかったのである。
自分は自転車は歩道を普通は行っている、街中だとそうはいかないのでやはりテールライトが必要なるようだ。




今回の事故はダンプにぶつかった、何でもヘリで運ばれたという、南相馬市病院のヘリが発着できる、停止できる場がビルの上に作られたからである。
でも救急車でも近いから運ばれたのかと思った。
この辺はダンフが多いから危険なのである。
ダンプの事故は相当にこの辺では起きている
ダンプにぶつかったら本当に危険である。それで前はメチャクチャに壊されたのである。へたすると死んでいたかもしれない事故である。

そして今日はもう一つ鹿島区の千倉でもバイクと車がぶつかる事故があった。
そんなに遠くないところで今日は二つも同時に事故があった。
交通事故はこの辺は増えているから危険である。
なにしろダンプが多すぎるのである。

自転車も夜は危険である。知っている道でも危険である。
歩道を走ればいいが旧道は道が細すぎるのである。
テールライトはすぐにアマゾンで注文した。


タグ:交通事故

大学の劣化とエリートの劣化ー慶応大学レイプ事件 (それは明治維新から始まっていた)


大学の劣化とエリートの劣化ー慶応大学レイプ事件


(それは明治維新から始まっていた)


大学というとき大衆化したのは団塊の世代からである。でも自分の時代は地方だとクラスで4、5人しか大学に行っていない、中卒で集団就職の時代だったのである。クラスの三分の一くらいが中卒であり高校すら入れない時代だった。
団塊の世代はだから中卒が本当に多いのである。それが普通だとなる。
だから自分は相当に恵まれていたともなる、自分は高校に入るとき受験勉強してそれが何か後々に影響した。それは受験のための暗記だけの勉強だったからである。
本当に学問をしていないのである、そしてなぜそうなったのかというとしきりにその時人数が多いから高校にも入れないと大騒ぎだったのである。
そこからして出発点からして良くなかった。

受験戦争とか騒がれて仲間も蹴落としても上の学校にあがるということが強いられたのである。一方で集団就職と中卒の時代であり自分の入った大学は三流でありマンモス大学だった。それで講堂に3000人が入り授業したとかなると何か授業にも学問にも興味がなくなることがあった。大学は実際は遊びの場だったのである。文系では特にそうだった。
何か勉強をやる気にならなくなる場だった。

学生数10万人の日本一のマンモス大学となっており、いわゆるマスプロ教育を推し進めていた。これが日大闘争の発端となった。

学生運動の原因がこのマスフロ大学化したことにあった。戦前の大学生は真のエリートであり社会の指導的立場につくことか約束されていたのである。

旧制高校の卒業生数とほぼ同じだったので、卒業生は学科を選り好みしなければほとんど無試験で各地の帝大に進学できる特権がありました。従って受験勉強に青春時代を費やす必要が無く、有り余る時間とエネルギーを全て精神的・肉体的成長の為に注ぎ込む事ができました。旧制高校生は白線帽・高ゲタ・黒マント・手拭いの弊衣破帽スタイルに身を包んで街を闊歩し、「デカンショ」と略されたデカルト・カント・ショーペンハウヘルの必読哲学書を読んでは思索を深め議論を好み、酩酊し友と肩を組んでは各校に伝わる寮歌を高歌放吟し、

戦前の大学と戦後の大学、団塊の世代の大学生は全然違ったものになっていた。
ともかく受験勉強に追われる毎日でありそれで精神を消耗していたのである。
現代のエリートを作っているのはこうした東大生でも受験勉強した人たちであり何か人間的にモラル的に優れた人たちではない、そこにあるのは利の教育だけなのである。
出世して社会的な有力な地位を得て楽をするということしかない、それが社会を腐敗させてしまったのである。
それは福沢諭吉の学問をすれば立身出世するという思想が慶応大学が作られたのとにている。ただ戦前の大学は本当のエリートだからもう社会をリードする地位につくことが約束された人たちだから戦後の大学生とは全然違っていたのである。
要するに学問が出世き手段でしかなくなった。大企業でも官僚であれそうした得する地位につくことが目的となったのである。そうなればそもそもモラルなど何もないとなる

歴史をさかのぼれば実は明治維新になったとき日本人のモラルは喪失していたのである。江戸時代三百年で培われた日本人の文明文化が明治維新で喪失した。
その継続として現代がある。なぜなら江戸時代はモラルが高かった。侍はそのモラルの範を示すもきとしてあった。だから責任をとるというとき切腹までしていたのである。
それだけ上に立つものの責任を自覚していたのである。
それは江戸時代三百年で培われたものでありそれは地方の藩でも同じである。藩校がありそこで侍はただ学問だけではない、その土地で生活することでモラルが養成されたのである、地方地方にそれなりの教育があった。
それもまた明治維新で全く変更させられた。教育は中央集権の全国一律の教育になり標準語が採用されたことでもわかる、これも大きな変化であり日本を根本的に変えたのであるその時西欧文明はキリスト教だと内村鑑三が言ってキリスト教を採用しない日本文明は滅びるとか言った。つまり西欧文明を日本では技術を便利な機械とかを採用するものだとして受け入れたのである。
その最たるものが福沢諭吉であり功利的なものしかそこにはないのである。

そのことで最近明治維新が見直されというとき、江戸時代の侍のもっていたものが見直される、それは幕臣からなされている、内村鑑三も幕臣だったから薩摩長州の政府を批判していたのである。
侍とはなにかというとき高度なモラルを具現化した模範として社会は見ていたのである。それがエリートだったわけである。それが喪失したとき代わりとしてのモラルが日本にはなかった。それで今日の頽廃の原因となっていた。
戦前と戦後ではまたそのモラルにしても戦前はまだ日本的モラルが庶民でも義理人情とかがあった。今は全くモラルはない、もうければいい、金になればいい、得すればいいとかしかない、それはエリートであれ庶民であれ同じである。
カルト宗教もまったく肝心の要となるモラルはゼロである。経済原理に金をもうけて地位を得て得すればいいしかないのは同じなのである。

第一現代は民主主義でありエリート自体を否定している社会だからである。
真のエリートを養成するものがない社会なのである。たからエリートは現代ではない、庶民も江戸時代の侍のように尊敬したりしない、現代で偉いのは金をもっている人が一番偉いとしかなっていないのである。それは上から下まで同じなのである。
だから「金をくれ」と家にきて本当に家捜して大金を失った、そんな人が近くにいるしそれが普通の社会になったのである。
庶民でも貧乏でも事情があってもここまで庶民でも劣化しない、なにか義理人情とかまだあったが今はない索漠とした社会である。
だから大学生にしてもすでに団塊の世代から劣化していた、今は少子化で誰でも入れると余計にそうなる。団塊の世代から大学生は戦前の大学生とは間で違ったものになっていたのである。エリートといっても社会的有利な地位について自分は得する金持ちになる、それしか動機がなくなっているのである。
世界的にもグローバル経済になると経済原理が生きるプリシンパルになる。
そうなると金だけが唯一の価値になってしまうのである。グローバル経済にはモラルがないのである。多国籍企業でももうければいいということであり何か規制するモラルがないのである。それで後進国の貧乏な人たちをこき使うともなる。

最近起きている大学の異常なレイプ事件とかはやはりいくら東大であれ慶応であれエリートの自負もなにもなくった、モラルもないからである。それは歴史をさかのぼれば明治になったときから起きていたことなのである。
日本のモラルというとき戦争でも上官はだめで下士官は優秀だったというときそういう社会でもある。

19世紀英国の黄金時代当時は、よく言われる「ノブリス・オブリージュ」といった、英国紳士の社会全体に対する責任意識を説明する

これは江戸時代の侍に通じていたのである。それは300年の江戸時代で培われたものなのである。ヨーロッパでも貴族の歴史は長いからである。
結局人間は歴史的継続性が大事なのである、江戸時代300年で培われたものをすべて否定することが日本人を劣化させたのである。だから明治維新が今見直されるのである。
日本的ないいものをすべて否定するということが起きたからである。

いづれにしろ若いというとき自分でもそうだが何か必ず問題を起こす、そのありあまるエネルギーの捌け口を見いだすことで暴走が起きるのである。
それはくりかえされているのが人間である。
高校から大学へなると急に大人扱いになるけどそういう準備もない、何でも自分の自由にするというときその自由は危険なものとなる
自分でもそうだったが大学で起きているのは

小人閑居して不善をなす

まずこれは必ずあてはまる、大学を毎日マージャンで過ごして終わった人もいる、カルトにはまって終わる自分のようなものもいる、何かそうして無駄なエネルギーをぽ費やして青春が終わっているのである。
青春は誰でも何らかの狂気になってゆく時である。それはエネルギーが肉体的にも噴出するからとめられないとなるのだ。抑制がきかないからそうなるのである。
いつの時代でも青春は危険ととなりあわせである。
ただ人間は青春時代が大事だというとき何か青春時代で人生が決まるというときその方向が決まってしまうからである。青春時代に悪に染まったり利だけをもとめて真の求道をしないものはもう真理にも信仰もない、そういう人たちがエリートとなってモラルもないとしたら社会は今のように全体が上から下まで腐ってゆく

ただエリートエリートというけど社会がその養成ができないことが問題なのである。
大学は別にそうしたエリート養成の場でもない、やはり利を追求する場であり学閥などがあるのも利権集団としての大学がある、有名大学になるとそうなる
三流大学だとどうしても社会的に地位も得る人は少ないから学閥でも弱いのである。
慶応大学というとそういう学閥があり東大でもそうだが社会を支配するということがあるそれで警察も手を出せないとか議論されている、本当は権力をもつものには相当なモラルが必要になる。だから侍が責任をとり切腹までしたのはそのためである。
そういう責任感をもっている人は社会の指導者に官僚でも政治家でも企業でも大学でもどこでも今はないのである。カルト宗教団体とか何かそんなものしか今はないのである。
だから何かを誰かを模範にするということかない社会なのである。
ただ自助努力があるだけだから人格形成とかなると現代は一番むずかしいものとなる

尊敬するにしても先生だって今は尊敬しないし、政治家だって別に自分の力というより民衆に選挙で選ばれたものにすぎない、現代で尊敬されるのは科学者であり医者とかであるここだけはやはりみんな尊敬している、命にかかわこともあくから医者は一番尊敬されているのである。あとは尊敬する人など社会的にいない、金持ちだとしてもそんな人を尊敬しない、うらやむことがあっても尊敬などしないのである。
では医者がモラル的に優れているかというとそんなことはない、医者も金が優先されるからである。医は実際算術になっているからである。
エリートとといっても民主主義社会はみんな平等を目指しているのだから真のエリートなど養成できない社会なのである。地の塩というけどそういうものを否定したのが民主主義なのである。だから民主主義というのも何でもいいわけでもないのである。



posted by 老鶯 at 11:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2016年10月14日

抽象画 ( abstract picture) (夜の川ーnight river)


抽象画 ( abstract picture)


 (夜の川ーnight river)

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night river

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night road

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waves

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port park

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仮設住宅から復興住宅へ 鹿島区の復興住宅は浪江と飯館村の人しか入れない?


仮設住宅から復興住宅へ


鹿島区の復興住宅は浪江と飯館村の人しか入れない?


シシドスーハーの隣の復興住宅

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これは3ldk2所帯が入れる

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二階に二部屋ある 奥行きがある

屋根でつないだの工夫

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全部で二所帯入れる家が4列あり
10×2×4=80である。80所帯は多い、一つの街である


鹿島の復興住宅は50所帯くらい入るのか、一軒一軒買い上げの住宅である。
相馬市ではこれと同じようなのが土地付きで1300万円で売り出していた。
それなりの家であり奥ゆきがあるから三人くらい住むには十分だろう。
2LDKと3LDKのタイプの家である。

ここは飯館村と浪江町の人しか入れないという、小高の人は入れないという
それもなぜなのか?南相馬市が優先だと思うから小高の人が入れるのだと思っていた。
何か理由があるのだろう。

浪江の人は目につく、二万人がいて散らばったのだからやはり多いからそうなる
ただわからないのはここに住むというとことは帰らないのかとなる
浪江でも請戸は津波の被害のあった人たちは家がないのだから帰れないということがある飯館村は家があっても放射線線量が高いから帰らないと決めた人も多い
飯館村は草野中心にしてその周辺は人は住まなくなるのだろう。
佐須なども帰らない人が多く村が消滅するみたいだ
なにしろ老人が多いから小さい村はもう維持できない
このさい補償金をもらったから他に家を建てて住む人も多い

小高は別に原町が近くて生活しやすいがそれでも若い人は帰らないからほとんど老人しか帰らない、そういう街が成り立つのか疑問である。
小高の問題はかえってそうして近くに原町とか便利な所があったから別に小高にあえて不便な所に住まないという選択ができる、それでか帰らない人が増えた

原町のキクチスーパーの隣に復興団地ができた。その数は多い、そこも浪江の人が多いという。そこには大熊の人かも入るしすでに入居している。
小高の浦尻の人がいて入った、その人は2町5反の田をもっていた。
それで農機具が2000万もかかったという、何でもそれが津波で流されたとか原発の賠償の対象にならなかったとか文句言っていた。
津波の被害は東電では賠償しないのである。

「船主はずいぶん補償金もらったようだけど」
「ああ、浦尻にも船主が7軒くらいいたよ」
「浦尻にもいたの」
「塚原にもいたよ」
「塚原でも、あそこには港もないけど船主がいた」
「この団地には浪江の人が多いよ」

船主は港にだけいるわけではない、離れてもいたのである。鹿島だと右田は近いけど港はないけど船主がいたことはわかるが浦尻とか塚原にいたとは知らなかった。
船主は賠償金を事故前も事故後もかなりもちらっているから余裕である。
それで鹿島区にも船主は立派な家を建てている、磯部の人も建てたとか確かに・・・・丸とか書いた荷物を運んでいたからわかる

それにしても原町の復興住宅の数は多いのに驚く、それだけの人が入る、それは南相馬市の人だけではないのだ。だから数があれだけ増えたのである。浪江は二万人いたからその人たちも流入している、大熊の人もいるとか原町も人口が一時減ったとしても入る人も多いからどうなっているのか?小高の人が原町に移るのが一番多いことは確かである。

ともかく仮設の時代はまもなくこの辺では終わる、来年は仮設に住めなくなる、復興住宅に入る人が多くなる、新しい家を建てた人も多かったがみんなは建てられないから復興住宅に入る人がこれから多くなる、そこでは部落の人が集まるとういわけでもないだろう。浪江とか大熊とか小高とか入り交じることになる
そこで何か問題が起きてくる
仮設から復興住宅への変化が今年でも来年でも起きてくる

なぜ今になると船主であれ漁業権者が批判されるのか?
それはやはり原発事故の被害が広範囲だったからである。
農民でも被害者である。様々な人が広範囲に被害者だったのである。
でもその人たちは補償金もなにももらっていないのである。
だからなぜ特別補償金をもらい立派な家を建てているのかとなる。
自分たちでとった魚を食べることもできない、売ることもできない
そればせ罰だったのかともなる



タグ:復興住宅
posted by 老鶯 at 15:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2016年10月13日

南相馬市原町区の道の駅で67歳の自転車旅行の人にあう (その人は猛者(もさ)であり冬山にも登っていた)


南相馬市原町区の道の駅で67歳の自転車旅行の人にあう


(その人は猛者(もさ)であり冬山にも登っていた)


この前の自転車旅行の人はバッグをつけていない、ホテルか旅館に泊まっていた。
50日間自転車旅行していてもテントとか荷物がないのだから楽である。
ただ50日間が長いなと思った。

今回の人は北海道の札幌から来た、苫小牧でフェリーで八戸まで来て原町の道の駅に来た何か自転車に詳しい、キャリアーをロードにとりつけるのになく注文して半年か一年かかかった、自分のもロードだがキャリアーつけられない、それから自分の自転車を見て
変速機も軽いものに交換できるという、そこまでできると思わなかった。

どこまでいくのかと聞いたら大洗まで行くという、そこからまたフェリーにのって苫小牧に行き札幌に帰る、苫小牧から北海道には良く行ったけど八戸とか大洗は利用していない仙台から苫小牧とか名古屋には行った
その人はかなりフェリーを利用していた。日本全国自転車でほとんど回っている
自分より相当に上手である。たいして体力あるようには見えない、顔も年とった顔なのである。やせてもいるからだ。でも筋肉はしまっているのだろう。

その人は相当なタフなスポーツマンのようだ。なぜなら冬山にも登って仲間も死んだというからだ、冬山を登る人は並の体力ではない、モサ(猛者)だったのだろう。
なぜならテントも積んでいて原町の道の駅にとまるというからだ。
67歳とかなるとあまりそういうことをする人はいないからだ。
ただ60以降の退職者が良く旅しているから出会う。
今回の人は自転車旅行でも相当に旅慣れている
あの年でテントだと疲れる、自転車旅行はホテルとかに泊まりにくい場合があるからテントを持つのが普通である。
でも年になれば別にホテルでも金あればとまっていい
あの人はテントで道の駅にとまるということはやはりそういう人はまれだろう。

ただ札幌から苫小牧、八戸から大洗となるとそれほどの距離ではないだろう。
ロードだと一日百キロは行くからである。
一週間くらいだとしたら日数的には楽である
でも人間は年取って体力には差があるなとつくづく思う
自分は40代とかでも一日休養をとってやっと行っているくらいだった。
その人は体力もあるがなにかいろいろ器用にこなせる
バスにも自転車用バッグで乗せるというからだ。
人があまり乗らないとできると言っていた。ただそれも交渉が必要でありそういうこともなかなかできる人とできない人がいる
あの人はそういうこともできる人である。

ともかく67歳でもそういう人はいる、退職した団塊の世代はまだ体力がある人がいるしそういう遊びに長けた人が多いのである。
スポーツやっていた人も多いのである。冬山は一番きついのだからやはり体力が違っている、だから自分とはずいぶん違うなと見た
でもその人も最後の旅になるとか言っていたからやはりそういう年になる
何をするにも最後だという感覚になるのである。
それが若い人とは違ったものとなる

ただ札幌に住んでいるということはそこは大都会だから別に北海道でも不便な所に住んでいるわけではない、要するに都会人なのである。
自分は一万の町に住んでいるとしたら田舎人である。だから北海道でも札幌に住んでいるのとそこか離れた辺鄙なところに住んでいる人では全く違った環境に住んでいることになる、この辺では仙台に住んでいるようなものである。
本当に北海道で生活しているとなると牛を飼ったり農業している人が本当に北海道で生活している北海道人となるかもしれない、札幌は都会人なのである。
自転車屋でも大きな自転車屋があるから自転車に詳しくなれるということもある

自分もまた北海道を自転車旅行してたいと思った。ただ何か筋肉痛になったり疲れる
気力も衰えたとかなる、でももう一度北海道走ってみたい、特にロードで平坦な道を走ったら気持ちいいだろとう思う
十年は介護や自分の病気で消耗して時間がまたたくまに過ぎてしまった。
これだけ遊んでも遊び足りない、時間は遊ぶだけでもすぐに尽きる
としたら勤めている人は遊ぶのはほんのわずかな時間しかなかったとなるのだ。
つまり人間の費やす時間はあまりにも限られたものだったのである。
60になって退職して自由になり旅しようとしてもできない場合がでてくる
病気になったり介護になったり何が起きるかわからないからだ。
そして人生の時間はたちまち尽きてしまうのである。


月光る自転車旅行67歳





タグ:自転車旅行

秋の短歌近辺十首 (避難区域の空家の不思議-家が人を待っている)


秋の短歌近辺十首


(避難区域の空家の不思議-家が人を待っている)


真野川の岸辺に男一人いて心にかかる秋なりしかな

同い年死ぬ人二人秋めぐり我が命も長からなくに

はや散りぬ木の葉にあれや仮設住む人も五年や死ぬ人もあれ

五年過ぎ仮設も淋し秋の灯のともるも少なし消えゆく灯かな

群馬より来り働くその人の一年過ぎむ秋となるかな

通りにそ味噌屋の明かり漏れにけり秋にしあれや仕事あれかし

古本を捨てむと思ふも捨てられじしばしまた読む秋なりしかな

我が家を一人守りて秋となる姉と母との我を見守る

人住まず五年をここに淋しかな秋となりしを家族を待ちぬ

小高駅おりてあわれや空家かな誰か住みなむ秋となるかな

新しき家々にともる秋の灯や落ち着く暮らしここにはじまる


秋だと感傷的になる、真野川の岸辺にはベンチがあり誰か座っている、それは地元の人ではないかもしれない,外部から来る人が以前としているからだ。
なんでもないことだが秋は感傷的になる。それで啄木調の短歌ができる
それもこれだけ年になってからである。
だから27歳くらいでこうした短歌を作ってたい啄木が不思議なのである。

二人同じ年の人が近くで死んだと、60代で死ぬ人は一割はいる、すると自分も死を意識する、だから家を整理している、なかなか整理できない、本が意外す捨てられない、本を捨てようとしてその本を惜しんで読んでいた。本は家が傾くほどあったから半分は捨てた、まだ捨てたいが捨てられない、ゴミ屋敷は異常としてもなかなか捨てられないのである。そこには単なるものではない思い出があるからなのだろう。

でも本はなんか買ったけど読んだのだけど読んでいなかった。
これも忘れているのが多いのである。それよりプログでも自分の書いたものも忘れている人間はとはもかく何でも忘れやすいのである。
だから何かとにかく書き記しておかないともう何も残らない、それほど忘れやすい
そしてついには認知症になるとあらゆるものを忘れる、子供の名すらも何かも忘れる、何かそれが極端だけど人間が最後がいかに忘れやすいからを象徴していたのである。

記憶にとどめきれないことは、何でも
この白い紙に書き記すがいい、そうすれば
君の頭が生んだ子供たちはここで養い育てられ
あげくは始めて我が心にあうような思いをしよう
「シェークスピアーソネット集)

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プログなどはこうして日々書いて記憶させておくのにいい、ええ、こんなことを書いていたのか思ったのかとか思い出すのである。それが自分の書いたもののようにすら思えないのである。だから自分の書いたものをまた継ぎ足して新たに書くこともできるのである。
なんか家を考えるとこの辺は奇妙である。小高の駅前でも空家が多い、するとつまり家が住む人を帰るのを待っているのである。家も人が住まないと淋しいからそうなる
家は明らかに人が住まないと死んでゆく、ただたまたま掃除しに来たりしていると荒れてはいない、でも人の住まない家は死んでいるのである。

すでに仮設も五年半過ぎたのである。原発事故などの関連死もあった。でもそれが被害として目立たないのである。原発事故の被害は何か目立たないから外部からたいしたことないじゃないかと見られるのである。一番の被害は故郷に住めなくなったことである。
それも外部から見るとたいしたことじゃないかとなる、別に補償金もらったのだから外に住めばいい、現実に家を建てて住んでいる人も多いからである。

ともかく自分の家でもそうだが家と人との関係というの何かこの辺では考えさせられた。新築の家もまだ建っている、そこに秋の灯がともると何か落ち着く、でも復興住宅もそれなりにできてきたからもうだいたい終わりになっているようだ。
家は今はみんな違った作りである。前は同じような家の作りだったが今はみんな違っている、だから毎日その新しい家々を見て歩いているのである。

鹿島でも通りで店を開いているのは数軒である。味噌屋の明かりがもれてそこは仕事している。
なんかそれだけでも通りがあって活きているという感じになる
でも味噌にしてもスーパーだと種類が多い、自分はダシつきの味噌を買っている、ともかく一人だと何でもめんどうだからそうなる
最近一回相馬市の市でリンゴを買ってもらったがそれがうまかったのでまた買ったら安いリンゴと同じだったのでがっかりした。
それが倍の値段だったのである。そこは地元の市である。そこに地元の産物を売っている
そこで地元の人の会話とか地元のことを知るにはいい、市にはひとのやりとりがある
でも今は全国が世界が競争相手だから農業も厳しいのである。
安いリンゴであり小粒でありなんで倍の値段で買わなきゃならないのかと買う方にしたらそうなる
でも地元産というとき大事にせねばならないということもあるが今はないのである。
そんなこと考える人もいないだろう。スーパーでみんな買っているからである。
昔だったら地元産が多かったのである。農産物はたいがいそうである。すると地元の結びつきがあったのである。
それは高い安いとかではない、地元でとれたものを食べていたから地元を思うとなるのである。

ともかく通りに店もないと通りも死んでいる、シャッター通りにどこでもなっている
なんかそれも地方の衰退である、そういえば秋市なんか昔はあった
そういう時代はやはり近辺の産物が主であり今とは相当に違ったものだったのである。