2016年10月01日

逆転の発想 (小高など避難区域の価値と利用方法ー暗いから月の光も映える)


逆転の発想


(小高など避難区域の価値と利用方法ー暗いから月の光も映える)


小高だと夜は暗くて嫌だというのもわかる、女性は特にそうなるのかもしれない、小高は街でも郊外も人がほとんど住んでいないとすると一層暗くなっている
その闇は大正時代から江戸時代の闇の世界に帰ったのかもしれない、もともと田舎は夜は暗いし静かである、それが一段とさらに暗くなった
大正時代はランプである、でも今になるとランプに何かロマンチックなものを感じる
江戸時代は蝋燭である。会津の絵蝋燭などは知られていた

それだけ暗いということはその暗さと静けさも現代にはないものとして魅了する人があるかもしれない、これも不謹慎だとかなるが夜には小高など避難区域には行っていない
だから今度夜に行ってみようと思う、街のなかでもぽつりぽつりとしか灯がともっていない、回りはそれ以上に暗いから気持ち悪いともなる
でも大正時代であれ戦前であれ戦後十年でも家には裸電球一つしかない時代である。
今よりは相当に暗かったのである。
そこで蛍が飛んでいて蛍狩りなどしていた、蛍がいたということもすでに忘れられている蛍は暗ければ暗いほど光が幻想的に見える、そういう自然を失って来たのが日本だったのである。

何か過去に郷愁を覚えるというときそこには貧乏であっても過酷な生活であっても今にないものがあったということにある。蛍などは今では見れないからである。
ただ夜でも車のライトや電気の光でも満ちているからである。
本当の闇の世界は日本からは消えているのである。
ただ田舎には闇もあり静寂もありそこは都会とは違っていた

第一田舎がいいというとき都会にないものがあるのかというのも変なのである。
それは都会ではマイナスと考えるものが田舎の良さとしてあったのである。
闇の世界、静寂の世界、それが都会にはない、そこでは絶えず喧騒があり電気の光が消えることなく点滅している、そして神経もをいらだち心も病んでくる世界である。
都会では田舎にあるマイナスと思える闇の世界、静寂の世界がないのである
森もないし山もないから癒しとなる自然がないのである。

そもそも夜も眠らない街というがそんな所で人間の精神は安らがない、沖縄の青年が沖縄に30万月給をトヨタの派遣でもらっても沖縄に帰りたいというときそこに沖縄にしかない安らぎがあるからだろう、沖縄でも那覇は都会だけど海がいつも見えるから違っている
海はやはり静寂の世界であり海に囲まれているのは森とか山に囲まれているのとにているのである。ビルに囲まれて住んでいるのとは違うのである。

もちろんそんな避難区域に闇と静寂で人も住み人は少ない場で電気でも使えばそのインフラに金がかかるとかなるから馬鹿げているということも言える
それは詩人の馬鹿げた幻想であり現実はそんなことは通じないというのもそうである
何か自分はもともと大学四年間を東京で過ごして都会を嫌悪するようになったのである。30年間田舎で隠者のような生活をしてきたのも不思議だとなる。
ある意味で異常にも思える自分の性格でもそうなったともなる
山とか樹とか石を詩のテーマにすればそれは田舎の沈黙があってこそである。

ともかく江戸時代でも何か回想するときロマンチックにイメージするのが自分なのである最近は紙漉きをこの辺でもしていたということで紙漉きというものをイメージするときロマンチックなものとしてイメージする、実際はあまりにも過酷な労働だったとことにショックだった。
ただ山から清い水が流れてその水を利用して回りの樹を利用して紙を作るということが何か詩的なものとしてみる、工場で作るのとはあまりにも違うからである。
そういうことは過去になるとロマンチックに見えるのである。
過去というのは歴史をさかのぼることはできないから実際は絶対に経験できないのである空間だったら今でも地球の裏側にでもすぐに行けるが過去には旅できないからである。

でも一時ここが江戸時代に帰ったような状態になったのである。
原発事故で人がいなくなったり車が通らなくなったときそのことを一番感じたのである。車が通らないと本当に昔にもどる、これだけはまちがいない、車がひっきりなしに通っていることが現代の象徴であり車が通らないと昔に江戸時代のこともイメージできる
こんなにさらに静かだったのだなととか歩く他ないとかなる

ともかく人間というのは社会でもなんでもそうだけど必ずいい面と悪い面が生れる、科学技術だってすべてが良くは人間を幸せにしたわけではない、それが原発事故であり故郷にも住めなくなったのだから最悪だったのである。
それで家族一緒なら蝋燭で暮らしてもいいと大熊辺りの人が言っていたのである。
原発の恩恵も大きかったけどそれも最悪になったのである。

逆転の発想として小高では野馬追い武者を迎える火の祭りとかあったりとか何か暗い所でかえって映える、真っ暗な所で明かりが幻想的に映えるということもある
それも逆転の発想かもしれないのである。
人間の社会はすべてに何でも良くは働かないが悪くも働かないのである。
人間の幸福もわからないのである。いいと思えることがあとで悪いことだったり「人間万事塞翁が馬」である。これは辺境の国境ではありうることだった

この辺でもそういうことがいろいろあった、原発事故で得した人もいたのである。
多額の補償金を得てそう思っている人はいる、いろいろな人がいるからいちがいには言えないが悪いことばかりではなかったのである。
俺たちは被害者だとなり外からは常に同情されてきたからである。
普通は自分もそうだが苦しくても同情もされない、ボランティアの人が自分が苦しんでいる介護や病気で苦しんでいる自分を助けてもらいたいがそんなことは全くないからであるただ仮設とかにボランティアがいつも来ていたからである。

湯原王(ゆはらのおほきみ)の歌一首

月読(つくよみ)の光に来(き)ませあしひきの山経隔(きへな)りて遠(とほ)からなくに

小高辺りとかは郊外は一段と暗いからまさに・・月読(つくよみ)の光に来(き)ませ・・・となっているだろう、そんなの嫌だというけど月の光すら現代で電気の光に消されるだからそこで自然の神秘を感じるのである。

いづれにしろこの辺は何か他でも経済でも科学方面でも逆転の発想でいい方向に向かうこともありうる、ただ何か自分としてはソーラーパネルとかも自然破壊なので嫌だし
自然を喪失する田舎は田舎なのかとなるし詩的にイメージするとこの辺の状況は何かいいものではないのである




posted by 老鶯 at 19:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

明治維新は何であったのか? (廃藩置県で藩と侍をなくすことが最後の目的になった)


明治維新は何であったのか?


(廃藩置県で藩と侍をなくすことが最後の目的になった)


明治維新はわかりにくい、様々な説がある。
明治維新の画期的なことは廃藩置県である。
藩ごとに国が分割されていて藩同士は敵対していた。
戦国時代に城が築かれて城下町ができたけど敵に攻められないように作られていた
隣の藩で敵である。だから飢饉があっても隣の藩でも協力しないのである。
相馬藩では天明の飢饉でも伊達藩は協力しないが相馬藩内では協力した。
飯館村が山中郷が飢饉のときは相馬藩内で援助している。

明治維新は何か国家理念などもない、藩同士の利権争い、権力闘争だった。
薩摩と長州は背後にイギリスとかと結びそれぞれに幕府を倒そうとしていたのだ。
つまり薩摩の西郷はあとでわかるように西南戦争を起こしたように薩摩藩を維持するために死んだのである。
だから明治維新の目的がなんだったのか?西郷にすれば薩摩藩や侍は消えてはならないものだったのである。

会津は会津で会津藩を維持しようとして蝦夷地をプロイセンに売り幕府と会津藩を維持しようとしていたのである。外国勢力と結びつかないと戦いないからそうなった。
つまり江戸時代は藩から脱してものを考える思想をもちにくかった。
だから藩単位でみんな動いていた。藩が優先していたのである。
だからこそ薩摩長州が同盟することは大きなことでありありえないことであり歴史を動かしたのである。東北列藩同盟もうまくいかてかったのもそのためである。
藩は敵同士だから当然そうなった。

なぜ坂本龍馬が英雄になったのか?それはグラバー邸の武器商人としてであっても薩摩と長州を結びつけたとされるからである。江戸時代だと敵対する藩同士を結びつけることは最高にむずかしいことだったのである。
それぞれの藩内の道すらその藩主の許可がないと通行できないのである。
そういう藩中心の世界であるとき薩摩長州が同盟することになり日本を変えたのである。
まず西欧列強に日本が対抗するときとても藩があってはできない、日本が一丸となって西欧に列強に立ち向かうことはできないのである。
廃藩置県を実行して天皇中心の中央集権体制ができたとき西欧列強に立ち向かうことができた。
だから西南戦争では会津藩の侍が参戦して国民軍として西郷軍と戦っているのである。
西南戦争で侍はなくなったのである。その時国民になり国民皆兵になったのである。

明治維新は今になといろいろな見方が生まれている、でも幕府が継続していたらどうなったのか?廃藩置県は実行できたのか?
明治維新を成し遂げた方でも西郷のような人物が出てくるとしたら藩をなくすことは最大の障壁となったろう。それが幕府でできたのかという疑問である。

幕臣であった人たちは薩摩長州による政権に不満だった。それもわかる。テロリスト集団が政権を握ったというのもわかる。実質の政権など運営できないというのもわかる。
ではどうして幕府が藩をなくし侍をなくして強力な中央集権国家を作りあげることができたのか?

幕臣には相当に優秀な人がいた、その人たちは明治以降重要な役職にも抜擢されている。榎本 武揚などがそうである。内村鑑三などもそうである。優秀な人材は幕臣から輩出している。だから別に幕府で廃藩置県できるならそれでも良かった。
だから大きな疑問は幕府が廃藩置県をして侍階級をなくすことができたのかが議論にもなる
その前の薩摩長州や幕府を倒した維新の志士はテロリストだとしても幕府が藩を廃止して侍をなくすことが自らできたのか?
会津だったらあれだけ藩に忠誠を誓い白虎隊のように城が燃えたから自刀としてゆくような強烈な藩への主君への忠誠心があるものを廃止できるか?
西南の戦争自体がそれを如実に語っているのである。

明治維新を議論するときここが肝心な所ではないか?
いろいろあっても明治維新は最初は藩同士の権力闘争であり国家理念などない、だからこそ西南戦争が起きた。幕府を倒してもやはり藩を維持するのが侍であった。
幕府が継続してもそれは同じであり廃藩置県はできなかったのではないか?
西郷であれ会津であれ藩と侍の維持には命をかけてくるからである。

明治維新は最初は西郷に象徴するようにただ倒幕の藩による政権交代の戦いだった。
吉田松陰とかに何か国家理念などもちえようがないのである。
高杉晋作にしてもそうである。幕府を倒すということが先決でありそのあとの政権構想国家構想などありえないのである。何か思想というものに基づいての行動ではない。
まずその時藩を廃止するとか侍がなくなるなど想像もできなかったろう。
とても未来の国家のイメージなどもちえなかったのである。
高杉晋作の奇兵隊に参加した庶民もただ幕府を倒して自分たちが権力をにぎり支配者になれるということで参加したのである。
そして伊藤博文が初代の首相になったのである。

そういう人は今でも野党系統にいる、創価でもそういう野心家が入ってきている。
政権をとれば地位でも金も入るとなり活動する。政治活動がすべてになっていることでもわかる。それは宗教とはあまりにも反したものなのである。
カルト宗教団体になるとそこに入っている人の思惑はあまりにも多様であり複雑すぎるのである。それはどこの団体でも同じなのである。
だから何か人間が革命などというときそこには様々な思惑が入り乱れるのである。
まず純粋に思想的に殉じるなどという人はまれだろう。何か利権とか栄達とかを考える
それは中国の共産政権ともにないる、ただ共産主義の理念があっても結局権力闘争でありあとは共産党幹部の王朝となって腐敗したのとにている。
理念などあっても人間の欲が勝るから実行できないのである。

ただ廃藩置県とかでもすべてはいいとはならなかった。武士の伝統的な精神文化も失われた。地域地域の文化も失われた。地方地方に培う文化がありそれで人も育つ、それが国家一色になってしまったのである。
でも廃藩置県がなかったらとても西欧列強には太刀打ちできないから植民地化されたりしたことはまちがいない、西南戦争が内戦であったようにさらに大きな内戦の混乱で日本は疲弊したからである。

いづれにしろ明治維新は今になるとタブーとされるものが解放されていろいろ議論になるフログではなかなか議論ができない、一方的発言で終わる
でも議論すれば相手であれ自分であれ弱点が攻めれて論点が明確になることは確かであるそれがフログの問題点ではある。

posted by 老鶯 at 10:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 明治維新-明治以降