2016年10月13日

南相馬市原町区の道の駅で67歳の自転車旅行の人にあう (その人は猛者(もさ)であり冬山にも登っていた)


南相馬市原町区の道の駅で67歳の自転車旅行の人にあう


(その人は猛者(もさ)であり冬山にも登っていた)


この前の自転車旅行の人はバッグをつけていない、ホテルか旅館に泊まっていた。
50日間自転車旅行していてもテントとか荷物がないのだから楽である。
ただ50日間が長いなと思った。

今回の人は北海道の札幌から来た、苫小牧でフェリーで八戸まで来て原町の道の駅に来た何か自転車に詳しい、キャリアーをロードにとりつけるのになく注文して半年か一年かかかった、自分のもロードだがキャリアーつけられない、それから自分の自転車を見て
変速機も軽いものに交換できるという、そこまでできると思わなかった。

どこまでいくのかと聞いたら大洗まで行くという、そこからまたフェリーにのって苫小牧に行き札幌に帰る、苫小牧から北海道には良く行ったけど八戸とか大洗は利用していない仙台から苫小牧とか名古屋には行った
その人はかなりフェリーを利用していた。日本全国自転車でほとんど回っている
自分より相当に上手である。たいして体力あるようには見えない、顔も年とった顔なのである。やせてもいるからだ。でも筋肉はしまっているのだろう。

その人は相当なタフなスポーツマンのようだ。なぜなら冬山にも登って仲間も死んだというからだ、冬山を登る人は並の体力ではない、モサ(猛者)だったのだろう。
なぜならテントも積んでいて原町の道の駅にとまるというからだ。
67歳とかなるとあまりそういうことをする人はいないからだ。
ただ60以降の退職者が良く旅しているから出会う。
今回の人は自転車旅行でも相当に旅慣れている
あの年でテントだと疲れる、自転車旅行はホテルとかに泊まりにくい場合があるからテントを持つのが普通である。
でも年になれば別にホテルでも金あればとまっていい
あの人はテントで道の駅にとまるということはやはりそういう人はまれだろう。

ただ札幌から苫小牧、八戸から大洗となるとそれほどの距離ではないだろう。
ロードだと一日百キロは行くからである。
一週間くらいだとしたら日数的には楽である
でも人間は年取って体力には差があるなとつくづく思う
自分は40代とかでも一日休養をとってやっと行っているくらいだった。
その人は体力もあるがなにかいろいろ器用にこなせる
バスにも自転車用バッグで乗せるというからだ。
人があまり乗らないとできると言っていた。ただそれも交渉が必要でありそういうこともなかなかできる人とできない人がいる
あの人はそういうこともできる人である。

ともかく67歳でもそういう人はいる、退職した団塊の世代はまだ体力がある人がいるしそういう遊びに長けた人が多いのである。
スポーツやっていた人も多いのである。冬山は一番きついのだからやはり体力が違っている、だから自分とはずいぶん違うなと見た
でもその人も最後の旅になるとか言っていたからやはりそういう年になる
何をするにも最後だという感覚になるのである。
それが若い人とは違ったものとなる

ただ札幌に住んでいるということはそこは大都会だから別に北海道でも不便な所に住んでいるわけではない、要するに都会人なのである。
自分は一万の町に住んでいるとしたら田舎人である。だから北海道でも札幌に住んでいるのとそこか離れた辺鄙なところに住んでいる人では全く違った環境に住んでいることになる、この辺では仙台に住んでいるようなものである。
本当に北海道で生活しているとなると牛を飼ったり農業している人が本当に北海道で生活している北海道人となるかもしれない、札幌は都会人なのである。
自転車屋でも大きな自転車屋があるから自転車に詳しくなれるということもある

自分もまた北海道を自転車旅行してたいと思った。ただ何か筋肉痛になったり疲れる
気力も衰えたとかなる、でももう一度北海道走ってみたい、特にロードで平坦な道を走ったら気持ちいいだろとう思う
十年は介護や自分の病気で消耗して時間がまたたくまに過ぎてしまった。
これだけ遊んでも遊び足りない、時間は遊ぶだけでもすぐに尽きる
としたら勤めている人は遊ぶのはほんのわずかな時間しかなかったとなるのだ。
つまり人間の費やす時間はあまりにも限られたものだったのである。
60になって退職して自由になり旅しようとしてもできない場合がでてくる
病気になったり介護になったり何が起きるかわからないからだ。
そして人生の時間はたちまち尽きてしまうのである。


月光る自転車旅行67歳





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秋の短歌近辺十首 (避難区域の空家の不思議-家が人を待っている)


秋の短歌近辺十首


(避難区域の空家の不思議-家が人を待っている)


真野川の岸辺に男一人いて心にかかる秋なりしかな

同い年死ぬ人二人秋めぐり我が命も長からなくに

はや散りぬ木の葉にあれや仮設住む人も五年や死ぬ人もあれ

五年過ぎ仮設も淋し秋の灯のともるも少なし消えゆく灯かな

群馬より来り働くその人の一年過ぎむ秋となるかな

通りにそ味噌屋の明かり漏れにけり秋にしあれや仕事あれかし

古本を捨てむと思ふも捨てられじしばしまた読む秋なりしかな

我が家を一人守りて秋となる姉と母との我を見守る

人住まず五年をここに淋しかな秋となりしを家族を待ちぬ

小高駅おりてあわれや空家かな誰か住みなむ秋となるかな

新しき家々にともる秋の灯や落ち着く暮らしここにはじまる


秋だと感傷的になる、真野川の岸辺にはベンチがあり誰か座っている、それは地元の人ではないかもしれない,外部から来る人が以前としているからだ。
なんでもないことだが秋は感傷的になる。それで啄木調の短歌ができる
それもこれだけ年になってからである。
だから27歳くらいでこうした短歌を作ってたい啄木が不思議なのである。

二人同じ年の人が近くで死んだと、60代で死ぬ人は一割はいる、すると自分も死を意識する、だから家を整理している、なかなか整理できない、本が意外す捨てられない、本を捨てようとしてその本を惜しんで読んでいた。本は家が傾くほどあったから半分は捨てた、まだ捨てたいが捨てられない、ゴミ屋敷は異常としてもなかなか捨てられないのである。そこには単なるものではない思い出があるからなのだろう。

でも本はなんか買ったけど読んだのだけど読んでいなかった。
これも忘れているのが多いのである。それよりプログでも自分の書いたものも忘れている人間はとはもかく何でも忘れやすいのである。
だから何かとにかく書き記しておかないともう何も残らない、それほど忘れやすい
そしてついには認知症になるとあらゆるものを忘れる、子供の名すらも何かも忘れる、何かそれが極端だけど人間が最後がいかに忘れやすいからを象徴していたのである。

記憶にとどめきれないことは、何でも
この白い紙に書き記すがいい、そうすれば
君の頭が生んだ子供たちはここで養い育てられ
あげくは始めて我が心にあうような思いをしよう
「シェークスピアーソネット集)

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プログなどはこうして日々書いて記憶させておくのにいい、ええ、こんなことを書いていたのか思ったのかとか思い出すのである。それが自分の書いたもののようにすら思えないのである。だから自分の書いたものをまた継ぎ足して新たに書くこともできるのである。
なんか家を考えるとこの辺は奇妙である。小高の駅前でも空家が多い、するとつまり家が住む人を帰るのを待っているのである。家も人が住まないと淋しいからそうなる
家は明らかに人が住まないと死んでゆく、ただたまたま掃除しに来たりしていると荒れてはいない、でも人の住まない家は死んでいるのである。

すでに仮設も五年半過ぎたのである。原発事故などの関連死もあった。でもそれが被害として目立たないのである。原発事故の被害は何か目立たないから外部からたいしたことないじゃないかと見られるのである。一番の被害は故郷に住めなくなったことである。
それも外部から見るとたいしたことじゃないかとなる、別に補償金もらったのだから外に住めばいい、現実に家を建てて住んでいる人も多いからである。

ともかく自分の家でもそうだが家と人との関係というの何かこの辺では考えさせられた。新築の家もまだ建っている、そこに秋の灯がともると何か落ち着く、でも復興住宅もそれなりにできてきたからもうだいたい終わりになっているようだ。
家は今はみんな違った作りである。前は同じような家の作りだったが今はみんな違っている、だから毎日その新しい家々を見て歩いているのである。

鹿島でも通りで店を開いているのは数軒である。味噌屋の明かりがもれてそこは仕事している。
なんかそれだけでも通りがあって活きているという感じになる
でも味噌にしてもスーパーだと種類が多い、自分はダシつきの味噌を買っている、ともかく一人だと何でもめんどうだからそうなる
最近一回相馬市の市でリンゴを買ってもらったがそれがうまかったのでまた買ったら安いリンゴと同じだったのでがっかりした。
それが倍の値段だったのである。そこは地元の市である。そこに地元の産物を売っている
そこで地元の人の会話とか地元のことを知るにはいい、市にはひとのやりとりがある
でも今は全国が世界が競争相手だから農業も厳しいのである。
安いリンゴであり小粒でありなんで倍の値段で買わなきゃならないのかと買う方にしたらそうなる
でも地元産というとき大事にせねばならないということもあるが今はないのである。
そんなこと考える人もいないだろう。スーパーでみんな買っているからである。
昔だったら地元産が多かったのである。農産物はたいがいそうである。すると地元の結びつきがあったのである。
それは高い安いとかではない、地元でとれたものを食べていたから地元を思うとなるのである。

ともかく通りに店もないと通りも死んでいる、シャッター通りにどこでもなっている
なんかそれも地方の衰退である、そういえば秋市なんか昔はあった
そういう時代はやはり近辺の産物が主であり今とは相当に違ったものだったのである。