2016年10月27日

原発事故の被害は隠蔽されやすい (作業員が800人死んだとかも証明されない謎)


原発事故の被害は隠蔽されやすい


(作業員が800人死んだとかも証明されない謎)


東北大学医学部附属病院が、 
 福島第1原発について「極秘情報」が 
外部に洩れないように緘口令を敷いている。 

それは、福島第1原発の大事故現場に送り 
込まれた作業員(約3000人)のうち、 
すでに800人が放射能により死亡しているのに、 
 東北大学医学部附属病院が緘口令を敷いて、 
 外部に洩れないようにしているということだ。 

 患者たちは、一旦、東北大学医学部附属病院で診察を受けた後、 
 新潟県内にある分院に移送されて、 
 静かに死期を迎えるまで過ごす。 
 放射線治療を受けても、手の施しようがないからである。 


   
この情報は新聞に出ていた。9人くらいは死んだのは名前もわかっている。
でも800人も死んだとなると誰も信じないだろう。
それでも原発で作業していればどれだけの放射線をあびるのか?
双葉とか大熊を通るとバスでも7マイクロシ-ベルトと出る
原発内部で仕事していたらどうなるのか?
その数も多い、何千人という単位で仕事しているしもともと原発は数が多くないとできない、なぜなら一分しか仕事できない、一分して交代して仕事する
それだけ放射線量が原発内部では高くなるからだ。
だから作業能率が悪い、働く人員の数が必要になる
3000人くらいがかなりの被爆したことはまちがいないだろう。
そのうち800人死んだのかとなると実際は確かめようがないだろう

原発で働いていた人に聞いたことを書いたが

「仲間がみんな死んだ」

その意味がはっきりしない、一緒に働いた人が死んだのか?それを確認したのか?
ただ憶測で言ったのか?

人の話も全部は信用できない、オランダの大使館に勤めていた人は車が高い「一千万」するというときそれはいつのことだったのか?
これもどういうことなのかわからない、別に高級車だと一千万の車は今でもあるけど普通車ではありえない、でも直接聞く人の話には必ずしも嘘とは言えない何かがある。
その人がまた直接人から聞いたりしているからだ。

福島医大で放射能汚染で死んだ作業員がホルマリン漬けにして保存されて研究材料にされているというのは本当かもしれない、福島医大とか東北大学とかは国の機関だからそういうことができる、原発はもともと隠蔽されてきたからでてある。

住所がわからないということはそういう人たちなのか、ホームレスとかそういう人たちを集めたからなのか?そういうことは確実だから800人死んでも身寄りがないのだからそのままにされたのか?

ただ病院というところは本当は相当に怖い所なのである。


大口病院では、今年7月から9月の間に約50名の患者が亡くなっているにも関わらず、中毒死事件発覚後に亡くなった患者はゼロという奇妙な現象が起きており(27日時点)



これも病院で起きた不可解な事件である。50人も死んでもしも殺されたとしたら大問題なはずだがそうはなっていない、遺族も騒いでいないのである。
外国でも医者とか看護師が50人とか100人とか300人とか殺したという例がある。
病院は大量に人を殺せる場所でありそれが外部にもれにくいのである。
病院は今では死体処理場でもある、毎日人が死んでいるのだからめずらしくもない場所である。一人また死にました、早くかたづけてくださいと後は病院関係者は関心がないのである。あの人看護したけど死んだけどどうなのとかない場所である。なぜなら次々に死ぬ場所だからである。大学になると研究材料にしか考えない場合がある。
そういう体質があるから放射能汚染で死んだとしてもそういうことがしやすい場である。だから単なるデマとするにも納得できないということはある。
なにしろ多数の人が働いた場所だからである。

福島医大で放射能汚染のことを調査したりしている、甲状腺でも被爆でも調査している。それは国に委託されてしている、でもそこから真実がわかるのか?
ここでも隠蔽されているかもしれない、福島医大と国が直接かかわっているからである。国にとって悪い情報は出さない、だからその調査結果も信用できないともなる
ただその調査することだけで膨大な金がかかりそこも利権になっている。
なんでこんなに調査の分厚い小冊子が何回も送られてくるのか?
自分は面倒だから一度も出していない
その調査の費用は福島県全部でしているとしたらそれだけで莫大になる
除染でもそうだがそれがどれだけ効果あるのか、これも莫大な無駄だとという人もいる
それも兆単位の無駄だというとき見逃せない、それはみんな国民の税金から出されているからである。

原発の被害はこれからも隠蔽ささればわからない、事故との因果関係は証明しにくい。
10年後であれ、20年後であれガンになってもその因果関係は極端なものとして現れない限り証明しにくい、今でも被害が訴えにくいのは原発事故で死んだりしていない、一人も死んでいなと外から言われるからである。
放射線でバタバタ百人単位くらいで死ねばその被害がはっきりしているから訴えやすい、でもそれがないからたいしたことがないとか見られるのである。
なんだあいつら避難民は補償金で毎日遊んでいるだけではないか?
現実そうなっているから被害を外に訴えられないことがあったのである、今もそうである
posted by 老鶯 at 22:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

大川小津波訴訟】 (オランダの徹底した平等主義があればどうなったのか?)


【大川小津波訴訟】


(オランダの徹底した平等主義があればどうなったのか?)


本当に必死に行動したのかな? 
「山へ逃げれば助かるべー」 って必死に訴えたのは生徒のほうだし 
「大津波警報が出てます」 って必死に教師に伝えたのは生徒の親だし 
それを小馬鹿にするように否定したんでしょ 

なんだか正しい助言してくれてる人をことごとく排除した結果な気が 
生徒や家族なんかよりも教師の判断が正しいんだ と言わんばかりじゃないの


鵜住居小学校・釜石東中学校は500メートルほどしか離れてないのに全員助かってるところを見ると 
やはり教師の力量や教育の質の違いだね 

日本は集団行動を強いるからな。 
自分だけ高台に逃げようとすると 
「何でお前だけ逃げようとするんだ!」ってよってたかっていじめられ 
足の引っ張り合いがおこなわれるからな。 




緊急時の対応はむずかしい、時間がなさすぎる、津波警報が来てからここでは40分後とかでも地震でものが落ちてきたりしてそれでわたわたしたらすぐに時間がすぎる
津波警報を聞いてもすぐに逃げる人はいない、津波はここでもそうだけど川を最初上ってきた。すぐ近くが川だけど見に行っていない、川に水が押し寄せていると誰かが言ったけどそれも見に行かなかった。川はすぐ近くだった。
500メートルくらい下の土手を津波が越えていたのである。
第一津波がこんなに遠くまで来るということを予想していた人は一人もいないのである。津波に対する知識がない、経験もないからそうなる
だからこれに対応するのはむずかしい、先生も10人も死んだのである。
それで責めるのは酷だとなる。

ただこれは学校とか先生の下で子供がいて起きたことである。そこに問題が生じた。
子供だったら先生の指示に従うように日頃から教育されているからだ。
その中でも山に逃げた方がいいと子供が言っていたという。それで逃げたこ子供と先生が助かった。
一方では先生の指示に従い助かった学校もいる。上の人の判断で助かったのである。

だからこれも誰が悪いのか?判断するのはむずかしい。
ただオランダのことで聞いてわかったことはオランダでは先生と教える子供すら平等である。子供が先生を嫌ったら先生まで首にさせられるという。
徹底した平等社会なのである。そういう国だとすぐに上の人だからと指示に従うということはないかもしれない、日本では上下関係の中で物事が決められてゆく、あまり議論もしない。
マスコミの権威にも弱い、上の指示に従いやすい、自主性がないのである。
だから最近マスコミを盛んに批判しているのはいいことなのである。
例えば極端な貧乏人のことをとりあげたがそれは嘘だったとかあるからだ。

「それ本当なの?」という疑問をもつだけで自主性が養われるのである。

その反面誰にも従わないということは危険なことにもなる、学校でも生徒が校長とか教頭に従い助かったということもあるからだ。
でもまた必ずしもそうした上の人の判断が正しいとは限らないのが問題なのである。

現代は大衆社会であり自由社会のように見えても大衆はマスコミとか上の命令に従う自主性のない人たちである。そこにナチス化する危険性が常にある。
カルト教団などは全く思考しないロボットの集団化しているから怖いのである。
オウムであれ創価であれ幸福の科学であれなんであれカルト教団は上のものに絶対服従である。何か逆らえば信心がないとなり罰あたるとか恐怖を与えて従わせる
そういう団体に属して教育されている人たちも何か緊急時には上の人の命令に従うだけだから怖いとなる。

平等主義というときオランダのように徹底して平等を追求していない、原発事故でも東電の社員と地元の人たちが平等ではないからそもそも話し合うこともできないから危険なもとものとなる、自分たちの安全を守れないということである。
その原因に東電の社員と地元の人たちでも政府でも平等になりえないからである。
科学者はお前らに原子のことがわかるかとなり相手にもされないからである。
民主主義はそうした平等性を追求しているがそれが日常生活では成されていないのである

オランダの子供たちだったら先生の言うことをきかないで山の方に逃げたかもしれない、それだけの自主性が子供でも養われていたかもしれない、「先生の言うことなど聞いていられないよ」となって山に逃げたかもしれない、ただこの自主性でも自由でも危険はあるやはり子供だから判断の間違いがあるからだ。でも今回は大人でも判断できない状態だったのである。
未経験なことはどう判断していいかわからないのである。

いづれにしろ原発にしても誰が決めるのか決めたのかとなる。その判断を誰がして原発が作られたのかとなるとはっきりしない。自民党が推進して民主党が受け継いだとなる
国民の間でも十分に議論もされてかったのである。
議論するにも判断するにもその前にオランダのように徹底した平等があればできるがそれがなければできない、科学者は科学を知らないものを軽蔑しているしそんな人たちと議論しないからである。自分たちが上だとなっているからそもそも見下しているからしない。それは医者でもそうである。何か患者が聞いたりすると嫌がある。医者に従っていればいいのだとなる。その根底にはそもそも患者とか看護師とかの間で平等がないのである。
患者は弱者であるから従うほかないとなるのである。

津波に関してはこれは先生の責任だといっても先生も十人死んでいるのだから先生も自分たちが助かることを考えればどうなのかとなる。
先生たちも判断しようがなかったし対処できなかった。こういうとき知ったかぶりするも危険である。先生ももしかしたら子供の言うことも正しいかもしれないと思ってもよかったのかもしれない、でも子供の判断に従うのも良しとしないことがあったかもしれない、か俺たちは先生であり俺たちが判断して生徒を導くべきだと思っていたのかもしれない
この辺のことはわかりにくい、つまりここでは津波に関しては無知であり誰の判断も正しいとはならなかった。
こういう判断は本当にむずかしい、生死を分けるからである。

日本人で砂漠を旅行した人たちが迷って水がなくなり困った、その時導く人が経験している人がいて水のあるところに導いてくれて助かった。
それはその指導する人が経験があったからだとなる
でも間違って導いたら水にありつかず死ぬということもあった。
そういう判断は運にもなる、人間は経験がないことに対処できなからである。

大川小学校の責任でも誰に責任があるのかとなるとむずかしい。先生も十人も死んだとなると責任が問いようがないということもある。
人間は何か重大な判断をするとき戦争するかしないとかでもどうして判断するのか大きな問題になる。原発に関してはほとんど国民的な議論にもならず50基以上も建てられたのである。
では今回のように事故になったとき誰が責任をとるのかというのが大問題になったのである。
オランダのように日常の生活で隔てなく平等があるとき議論もできるが平等がそもそもないのだからできない、その判断するのは上の人であり庶民は黙っていろとなる。
でも一旦事故になったら庶民が故郷にすら住めなくなるという被害を受けたのだからその前に地元の人たちとも平等に議論する態度が必要だったのである。
「あいつらには金をばらまけばいいんだ、原発のことなどわかりっこないんだから」東電とか政府ではそう思っていた。
つまりオランダのように平等意識がないからそうなっていたのでありそれが大事故になったとき大被害をもたらしたのである。

タグ:大川小学校
posted by 老鶯 at 15:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

オランダの徹底した平等主義は国の歴史と関係している


オランダの徹底した平等主義は国の歴史と関係している


A君は
有名工科大学の航空科を
優秀な成績で卒業し、
今は有名会社で
飛行機の開発に関わっています。


「エリート?
エリートってどういうこと??
その彼は飛行機が好きで、
飛行機の勉強をし、
飛行機の開発に関わっている。
ただそれだけのこと!
あのね、、この世に
”エリート(=優秀な選ばれた人)”
なんてものは存在しないのよ!!」

オランダの凄いところは
高学歴、高収入の
高い地位にある人たちが、
「人間の価値はみな等しい!」
「誰も偉くなんてない!」
と、熱くなるところです。

オランダの国土は
 ほぼ九州に匹敵・・4分の1は海面下
 堤防がなければ国土の65%が水で覆われる

 そこから独特の平等主義も生まれた
 『堤防の前ではみんな平等』 という思想
 堤防は全員が協力、対処しなければ守れない
 一か所でも決壊すれば国は水没する

 そこでは
 上下関係やヒエラルキー(ピラミッド型の序列)は 『 不要 』

 一般的な日本人のオランダのイメージはといえば、「風車」と「チューリップ」の国ということになるだろう。そして、読書に勤しまれた方などは、かの有名な「ドン・キホーテ」='Don Quixote' の物語を思い出されるだろう。彼の妄想は、「社会の悪」として「巨大な風車」を見立て、従者の「サンチョ・パンサ」とともに戦いを挑んでいったのであった。そもそも、「オランダ」という国は、国全体が海抜ゼロメートルとなっており、別名「ネーデルランド」='Netherland'=「低い土地」とも呼ばれている。この「オランダに行け」を英訳すると「ゴー・トゥ・ホランド」=’Go to Holland' となるわけだけれど、英語で「ゴー・ダッチ」='Go Dutch' と言うと、「割り勘」にしようという意味になるらしいのである。



  オランダの大使館に三年勤務していた人の話を書いたがヨーロッパ全体に適用されるものではないだろう。オランダは特に平等主義になった。それは国の成り立ちからそうなった。つまり全員一致して堤防を作り国を作ったことがその根底にある。
  そこには身分は関係ない、全員が平等で一致して協力しないと国が維持できなかったからである。たからこうした徹底した平等主義かヨーロッパ全体には適用されないだろう  
その人が碁や将棋が得意でありそれだけでもその人は認められる、それは飛行機のパイロットとも同格だとまでなることはヨーロッパの他の国でもないだろう。
日本では何かかえって差別が多い国である。就職だって学歴で差別しているしガテン系は3kとして嫌われている、設計している人はエリートであり現場は劣ったものとして給料も安い、でも現実を見れば建築現場で働く人は危険であり体力もないとできない、そういう職業上の差別がない社会にオランダがなっているということは特殊なのだろう。

日本では侍階級を明治維新でなくしても以前として侍は士族であり平民と戸籍に記され分かれていた。その後も日本は福沢諭吉の学問のすすめなどでかえって学閥とか作り支配階級を作ったりした。それで慶応大学がその学閥が強いのでレイプ事件とかで批判されるようになった。東大閥でもそうである。
「学問のすすめ」は学問で立身出世する手段とすることだったのだから当然だったのである。

オランダが住みやすいというときそういう平等社会は外から入って来た人でも平等だとなると住みやすいので増えすぎて問題を起こすようになった。イスラム系が増えすぎたからそうなった。学校でも人種が混交している。そういう極端な平等主義の弊害も生まれた。
ヨーロッパを理解することは様々な点でむずかしい。たた封建時代があるのはヨーロッパと日本だけでありここが共通しているので理解しやすいということはある。
城が本当に多いのである。騎士がいるということは侍とにている、歴史的に共通性があると外国でも理解しやすい。

オランダが栄えたのは海外貿易でありそれは日本の長崎の出島で交流があった。
蘭学がありヨーロッパの文化技術の窓口となったのだからその歴史は古い。
オランダは商人の国である、だから割り勘という風習が生まれた。合理的精神とか平等主義もそうした商人国家であった所以でもある。商業というとき商人になると相手の身分が高いからというより物の値段が最優先される、身分が通用しない世界である。
それで日本でも大名が商人に借金するようになって経済的に侍階級を維持できなくなったともいわれ明治維新が成功したと分析する人もいる。
芸術でもオランダは写実主義の絵画になったのも物をやりとりする貿易で栄えたからそうなる。空想的なものより写実的になるのである。

オランダがこれだけ平等主義だということは住みやすいだろう。それで移民も受け入れてふえすぎたことがわかる。オランダで安楽死が受け入れられたのも合理的に考える人が多いからだろう。ワークシェアリングとかもやはり合理的に考えそれを実践している。
その根底にはオランダ特有の歴史がありそうなったから他の国ではそれを即実行できるというものではない。

オランダといえばやはり風車である。

さらに風車のすぐれた技術は、造船にも応用され、やがて17世紀、オランダは世界の海を制して黄金時代を迎えます。キンデルダイクののどかな風車群の絶景は、ただ美しいだけにとどまらず、オランダが国土を確保・拡大し、大繁栄を遂げた歴史の象徴として、世界遺産に登録されたのです。

晩秋や風車の古りて村一つ

風車というのは古いものがある。何かそれが風格があり威厳があった。それてそれをドンキホーテが悪とみて突撃したというのもそういう面があったのか?
これは実際に見ないと実感しない、それは電車から見たものだったが風格があった。
なかなか実物を見ないと理解できないものがある。その土地に行ってみないとわからないものがある。ヨーロッパは歴史が古いからである。
ただ旅行してもなかなか歴史などわかりにくい、言葉が通じないとか理解できなかった。外国は本当はガイドが必要である。そうでないと深く理解できないのである。
また行きたいが何か旅することも疲れたとなる。旅も相当なエネルギーが必要だったのである。介護十年とかでエネルギーが消耗したのである。
外国を理解することはやはり相当な時間も必要である。物事は一挙に理解できない、徐々に理解を深めてゆくのが人間だからである。
それで最近何かいろろいなことが理解でるようになった。詩もむずかしいものだが理解できる、他でも本でも即座に理解できるのである。
その本を読んだときは理解していない、びっしり線を引いていてもそのことを理解していなかった。今はそういう本でも即座に理解して引用して自分のものにできるのである。