2016年11月26日

最上川(春秋短歌二〇首) (最上川は唯一外国の河をイメージさせる)


最上川(春秋短歌二〇首)

(最上川は唯一外国の河をイメージさせる)
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左沢(あてらさわ)

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  (春)

最上川水豊にも流れつつ岸辺の港春の夕ぐれ

左沢(あてらさわ)石橋古りて最上川岸辺になおも雪の残りぬ

終点におりたちあわれ左沢春の日さしてそぞろ歩みぬ

最上川時に浮かびぬ舟の影流れはつづき春の日暮れぬ

山形に市つく名の多し紅花に栄ゆ春の日たずぬ

ゆるやかに曲がりくねりつ水豊か春の夕日の山に没るかな

 (秋)

最上川岸辺の泊まり舟も来じかすか虫鳴き旅人さりぬ

最上川岸辺の家々港かな我がたずねつつ秋深まりぬ

最上川岸辺に紅葉映えにつつ流れ豊に舟は下りぬ

舟を曳く村人あれや河岸あり昔偲びぬ秋の夕暮

最上川大石田かな実りの季塀の長くも番所ありにし

紅花をここにはぐくみはるけくも京に運びぬ秋の河かな

ゆるやかに流れる河の滔々と岸辺広がる実りの田畑

紅花の生業ありて最上川京とつながり栄いけるかな

山に沿い奥深くも流れゆく最上川の秋の夕暮

舟よれる港の番所秋の灯のともりてあわれ旅人とまる

鮭川の鉄橋わたり雪ふぶく羽前前波雪にうもれぬ

 (酒田)
  
酒田なれ荒浪越えてここに来ぬ北前船や倉庫の古りぬ

影をなし欅の並木倉庫かな米を守ると酒田の栄ゆ 

木造りの灯台ありて酒田かなきめらきにけり秋の星々

飛島にわずかの畑耕しつ住む人のあれ冬に入るかな

白鳥のあまた群れにき酒田にそ来たりて思ふシベリアなるかな


最上河 上れば下る 稲舟の 否にはあらず この月ばかり
『古今和歌集』巻20  東歌(詠み人知らず)

最上河 つな手引くとも 稲舟の 暫しがほどは いかり下ろさむ
『夫木和歌集』 崇徳院

広き野を ながれゆけども 最上川 うみに入るまで にごらざりけり
(昭和天皇)

一番古いのが古今集の歌である。これは稲舟が見えず月ばかりというとき稲舟が相当に通っていたからこの歌になった。それとも期待したほど稲舟が見えなかったのか?
平安時代だから最上川がすでに舟運があり知られたとしてもまだまだだったということは言える。でもすでに稲舟が都にも聞こえていたから期待したから稲舟が見えないとなったのである。

昭和天皇はいろいろあったが歌はうまかった。天皇とはもともと日本文化を体現していた人だったのである。

最上川 いまだ濁りて ながれたり 本合海に 舟帆をあげつ 斎藤茂吉

こういう歌もあるとすると濁っている場所もある、ヨーロッパでも大きな河はにごっている、ライン河を大きな貨物船が行くがその河は中国よりはきれいでも黒ずんでいた。
河はまず荷を運ぶものとしてあった。次ぎに人を運んだのである。

ローヌ河がゾルグ河と合流した下流で洗われる
そのローヌ河の左岸の一帯の地方では
その頃そこの君主としてわしは望まれていたのだ
それはトロント河とヴェルデ河を海へそそぐあたりから
ハーリ、ガエタ、カトーネの府々をふくめた
あのアウソニア(イタリア)の角笛(ナポリ王国)でのことだ
すでにわしの額にはドナウ河が
ドイツの岸辺を離れて流れている
(ダンテ−天国編)

河というのがいかにヨーロッパではもう人間の血肉と化している。だから河を理解しないかぎりヨーロッパでも他でも理解できないのである。

最上川は日本では唯一大陸の川を思わせるのである。水量が豊であり川も長く大河であり運河のように荷が運ばれたからである。
ともかく日本の川は水運に向いていない、世界の文明がナイル川とかチグリスユーフラテス川とかインダス川とか黄河とかによって作られたというとき日本にはそういう大河がないのである。
その大河がないということが地理でも歴史でも理解しにくくしているのである。
日本にないものがこの大河とか砂漠とか平原なのである。そもそもないからイメージしにくいのである。
でも根本的にこの河のことを知らないと世界史でも歴史でもわからないのである。
文学でもわからない、いろいろなことがわからないのである。

こういうふうに河と街とか外国ではヨーロッパでもそうだしインドでも中国でもそうである。大河によって文明が作られたのである。ライン河が父なる河としてドイツを作ったのもそうである。
日本でそれをイメージされるのは唯一最上川だけなのである。
川とんうときそれが交通路としてあったということが文明を作った。
「すべての道はローマに通ず」道がローマを作ったように川が道として文明を作った。
そこでこの河を知るときどうしても河を舟で行くということができないことが河を理解できないのである。一部分は行けるのだが全体の河を行くことができない、ヨーロッパでも中国でも河の旅がありそれは延々として河は船で行けるのである。
途中に運河とかでも結ばれている。河は交通路であり道だったのである。

その河を通して行けないというとき河をしりえないとなる。今なら鉄道の旅であり最上川を横切っても河を下るということがない、上るということもない、河の一断面を見ているだけなのである。河は上から下と一つのものとしてつながったものとして見ない限りわからないのである。

それで自分も思い出して短歌にしたが鉄道で横切った最上河なのである。
わからなくなったのは羽前前波という駅だったのだろうか、そこには五六軒の家があり雪に埋もれていた。こんな小さな村の駅に電車がとまるのかと思った。
しかし鉄橋をわたり蛇行する河が最上川と見ていた。その時は雪がふぶいていた雪景色だった。それは最上川だと思って見ていた、でも地図を見ると何か違っている、なぜなら鉄橋をわたってトンネルをくぐりすぐに羽前前波にとまったと思っていたからである。
これは今になるとわからない、大きな河だったから最上河だったのかもしれない。
こういうふうに何か記憶があいまいになってくるのである。

酒田に行ったのも自転車で行ったのだがどうをどう行ったのか良く覚えていない、でも酒田についたとき白鳥の群れが刈田に一杯いたのが印象的だったのである。
その時シベリアを思ったというのは日本にはシベリア季節風が吹きそれが朝日連峰などに豪雪となり複雑な地形を造ったという、日本海側になると大陸の影響が気候的にも大きいとなる。シベリアが近いのかなと思った。
面白いのはアムール河である。その河口から流氷が作られて流れてくるとかも言われる。
またアムール河から淡水魚が日本に太古移動した、その時まだ日本列島はできていなかった。一方にてけは黄河と揚子江系の淡水魚が移動してきた。
それで西と東では別な種類の淡水魚が棲息することになった。
海でも親潮と寒流と黒潮の境が福島県沖とかな漁場となっている
東と西はこのようにもともと地球の歴史でも別々のものとしてあった。
ただこれだけ河の影響が意外と大きいことは知っておくべきである。

最上川は米を運んでいた、紅花もそうだが他にもいろいろ運んだ。
酒田の山居倉庫は米を貯蔵していたが欅並木があるがあれは夏に影を作って涼しくして米を保存するためだった、米は夏だったら痛みやすいからだ。
それで冷凍庫つきの貯蔵庫が必要になる、保存することも文明ができる条件だった。
食糧を保存しないと人間は生活できないからである。

蕪村の句は生活に根ざしたものに着目しているのが多い。

新米の坂田は早し もがみ河

毛見の衆の 舟さし下せ最上川

新米とか毛見衆とかに注目しているのは農民の生活がじかに伝わってくる
米を調べられるのが嫌で早く舟で下らせろとなる

川上とこの川下や月の友 芭蕉

これは江戸から利根川に通じていたのでできた。実際に上には俳句の友がいたのである。このことはヨーロッパの川とか中国でも常にあり川で友と別れる漢詩が多いのである。
中国の漢詩になぜ別離の詩が多いかというとあれだけ広いから一度別れたら会えないからである、日本だって交通の便が悪いときはそうである。それで会うことは貴重なことになる。

山形市に五日市とか六日市とか市のつく地名の多いのは紅花などの市がたったからだろう紅花で栄えたものとして地名が残った。曳舟とかの地名も残った。

苗植えていつしか五二日めにはや白わせの花そ咲きける

細葉もちうえて六三日めに花は咲き一〇日あまり栄ゆる

会津農書で残された歌である。農業は何でも実るまで時間がかかるのである。

大根の芽のいでけるも収穫は来年とならむ待つ時間かな

大根でも三カ月くらいかかるとか収穫までは長いのである。それまで手入れしているから農業はなかなか効率的になりにくいのである。

現代でも野菜でも何でも農作物がスーパ−にあ、でもどうしてその農作物ができるのかわ・からないのである。そうなると野菜でもなんでも食べ物を粗末にするということがあるただ今は高いから粗末にできないともなる、ということは食糧はあまりにも安いとまた困るともなるのか?

川の詩というとき日本ではいいもの少ないだろう。


おきき
河がささやいている
その肌を汚す乙女
流れを血で染めるな と
河がうたっている
家畜をはなす若者
ふるさとの土を守れと
わかものは合唱する
黒い虹のかわりに
白い翼の鳩がふるさとの空に帰る日の歌を
河は夕映えを写す
河は星を写す
歴史をいろどる

真壁仁詩集

これはなかなかいい詩である。これをよみこむと流れを血で争うなというときこでも河の利権をめぐって藩が争ったことがあった。木材の利権でも入会権でも争いそれが戦国時代ともなった。それで河を血でそめるなということにもなる
ただ日本では河をめぐってはそんなに争わない、外国ではriverがライバルからきているのだから河を挟んで人は争っていたのである。河が国境になりやすかったのである。
ライン河もヨーロッパを区切る河となったことでもわかる。
つまり歴史も地理であり河は大きな役割を果たしていたのである。
家畜を放すというとき馬や牛だろう、それは農耕にも使われていたからでてある。

それから黒い虹とは何か?これは原発事故の放射能をイメージする、この辺の情況を暗示的に比喩的に示している、黒い虹は津波でもある。
ともかく河というのは湖とか海の感じにもなる、大きい河はそうなる。
だからこの詩は最上川をイメージするとできる、他の河ではこうしたイメージが生まれないのである。

山形県というとき福島県からすると周辺地域だか地理的連続性と一体感がある。
でも最上河とか日本海とか異質な風景なのである。
山形は風土的には魅力がある。日本海があり最上川があり月山があり山と海と河があるからだ。文化的に湯殿の碑とか東北地方に多いのである。
湯治とかに農民が行っていたこともある。山形は何か言葉でも濁音が強いのかもしれない学生時代にあった人はそうだった。

山形弁なまりの強しその人の二階に住みし学生時代

これも遠い話だけと津軽弁でもまたなまえが強いとここも何を話しているかわらない、宮城県は仙台でもだっちゃとか解放感がある、明るさがある
新地の女性がだっちゃど言っていたのは相馬弁では違う、だべと相馬ではなるからだ。
新地は伊達藩でありそこがまぎらわしいのである。
一時相馬郡になっていたから相馬藩と勘違いしていたのである。
なまえは国の手形というときこれはなかなか変えられないからそうなる。
東北弁でも一様ではないからだ。
地域性風土性文化性とかそういう相違は今でもありそれがあってこそ旅は面白いとなる
ただこれを深く知るにはやはりむずかしい、関東辺りになるともう地理的一体感がもてないからだ。すると面としての記憶が形成されにくい、点だけになりなんとか線としてつなぐとなる。なんとか福島県だとその周辺は地理的一体感がもてる
でも会津は山国だし新潟でも日本海となり風景は異質になる
日本の旅は福島県でもそうだが太平洋から日本海に向かって旅すると変化して興味深いとなるしそうでないと地理はわからないとなる、風土性もわからないのである。


最上川は日本で唯一川の文明を想起させる (最上川紀行-左沢線の旅などの追加)

フラワ-長井線で白鷹町へ


母なる川-最上川