2016年12月31日

利害関係を離れないと公正に判断できない (原発事故問題もそうだった)


利害関係を離れないと公正に判断できない

(原発事故問題もそうだった)

人間は客観的に見ること公平に見ることが一番むずかしい。それで判断が誤る
利害関係にあるとまた公平に見れない、だから親族だと証人にはなれない。
人間はまず損得を考えて判断する、人間の関係も損か得かしかなくなる
それで金の切れ目が縁の切れ目になる。
みんなそういうことを嫌というほど経験しているだろう

この辺で原発事故で補償金でもめたのもそうである。
小高は南相馬市で一番もらっているのに浪江だと5千万多くもらっているとか今度は浪江は浪江で放射線量で分けられたから補償金も違っていてもめる
それで一体感が得られなくなった
南相馬市の場合は小高と原町と鹿島に分断された

自分は30キロをはずれていたが補償金は一人70万はもらった、でもそれだけである。
それか多いのか少ないのかはそれぞれの判断である。なぜなら隣の相馬市だと6万くらいしかもらっていないからだ。
自分も利害関係があり発言したから公正とはならなかったかもしれない
でもそうした利害関係からはずれる所にあり比較的客観的に公正に見れる場所にあった。これが原町だと結構もらっているじゃないかとなりなかなか発言しにくくなった。
それだけ利害関係になると公正に見れないし外からも見られないのである。

要するに人が人を裁けないのは公正に見れないからである。何かしら利害関係があり公正に見れない、国同士の争いでもすでにどこかの国に属していれば利害関係があり自分の国を正しいと見てしまうのである。
原発事故でも今でも東電は悪く言えないというときそれだけ原発で東電で働いていた人が多いからである。本当に聞いてみるとこんなに原発で働いていたのかと驚く
飯館村など関係ないと思ったが十個実際に比曽などで働いていた人がいたのである。
浪江の室原もそうだがそういう山の辺鄙な場所は働き場所を求めて原発でかえって働いていたのである。何しろ給料が高いからである。

自分は東電とは直接何の関係もしていない、でも報道関係では福島民報でも民友でも原発を推進する側であり東電から宣伝費ももらっていたのである。こうした報道関係はとても原発の危険性など追求できない、まずマスコミのほとんどが東電から宣伝費をもらっていたからその危険性を追求できなかったのである。
ただ新潟日報だけは巻町の原発に反対して作らせなかったとある。ここは本当に例外だったのである。でも現実にそういうことも報道関係でできたのである。

マスコミは公正に見て報道すべきでもそれができない、トランプ大統領になったときもそうである。公平に見ていないからそうなる。ヒラリー派から資金が流れていたからだともなるのか?ヒラリー派資金が豊富だった。トランプ派は少なかった。
宣伝ではヒラリーが格段に勝っていた、でも負けたというのは意外だったのである。

自分がある程度公正に原発事故で見れたと思うのはそういう場にいたからである。
利害関係がそれほどない、補償金もらっていない、30キロからもはずれている、何かそれで中立的立場が維持できたのである。
もし避難民になっていたら避難民を批判などできない、自分自身が避難民なのだから悪くは言えないのである。補償金だってもらたいとなってしまうからである。

ともかく人間は利害関係で判断を誤る、人間は損得から離れられないからである。
もし損得から離れていれば別に学者でなくてもそれほど知識がなくても普通の人でも意外と正しい判断できるかもしれない、つまり欲がないということが正しい判断になる
欲をもつとまた正しい判断ができなくなる
人間は欲から損得から離れられないから正しい判断ができないのである。

神が偏(かたよ)りり見ないというとき人間が必ず何かしらの利害関係の中で生きている、損得を離れてありえないからである。偏(かたよ)り見ないというときそれができるのは神だけだとなってまうのである。
科学者だって技術者だって原発は危険だと知っていたが政治家とかの圧力があり言えなかった。度々軽い事故があっても報告されない事もあった。
原発は常に隠されてきたのである。それが権力をもっていたからできたのである。
それが積み重なって大事故にもつながった。

だから報道の問題は争っていれば双方の言い分を本当は言わせる事である。
裁判ではともかく争っている当事者の言い分は言わせているからだ。
てもそういうことが社会で成されていない、マスコミは一方的報道でありマスコミが白黒を決める裁判官になっているのだ。
ただネットでは絶えずそれが本当なのとか言う、そうするとそれだけでもそのまま受け取らないという習慣が生まれたのである。今まではマスコミの報道に反論の余地などないからである。

いづれにしろ原発事故の失敗は後々の教訓になった。補償金問題が起きたのも広い範囲が被害にあうから狭い範囲で勝手にできるものではなかった。
そして事故になったからとその狭い範囲だけが特別扱いになったのも補償金をもらったのも問題になった。
もし広い範囲で決めていたら責任もうまれて共同して助け合うとういことにもなったろうそうなればまたその狭い範囲での補償はかなり少ないものとなるから事故になったら損だと原発は簡単には作れないとなっていただろう。
リスクが大きすひぎるからだ。リスクが大きいと株でも投資信託でもためらうからである外から見て原発事故の避難者をみて確かに被害が大きいとしても補償も手厚いからかえってねたみまで起きてしまったのである。

今年も延々と原発事故の追求をしてきた、来年もそうなのか?
来年は南相馬市では3月なのか、仮設には避難民がでる、そして復興住宅にまた浪江とかの人が多数入ってくるから変わってくる
だから原発事故の問題は廃炉に30年かかるとかプルトニウムが二万年消えないとかその先が長いのである。自分の生きている間だけでもこの問題は尾を引いて遂には死ぬがその後もつづいているのが原発事故だったのである。
posted by 老鶯 at 15:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2016年12月30日

今年起きたことで反省すべきこと (マスコミ報道に操作されなかったトランプの勝利など)


今年起きたことで反省すべきこと

(マスコミ報道に操作されなかったトランプの勝利など)

イギリスのEU離脱でも意外だったとみんなが言う、そのみんなとは誰のことなのか?
それはマスコミでそう言っていたからみんなが言っているとなっていたのである。
第一なかなか一般の人が外国の事情に詳しくないからマスコミで報道すればイギリスの
EU離脱はないと見るのである。

トランプの勝利でもそうだった、最初は泡沫候補と言われていたから良く都知事などでもそういう人が発明王のなんとかとか出てきては消えてゆくだけである。
そんな人なのかなと一般の人はみる、特に外国のことだから余計にそうなるのである。

でもこういうことは別に日本でも常に起きていたことなのである。
それはここで追求してきた原発の安全神話がマスコミと一体化して作られていたとういことである。多額の宣伝費をみんなもらっていたから東電の批判も原発の批判はどこもしていない、結果的には事故などおこるわけがないとなっていた。
それはマスコミと権力が一体となり作られたものであった
それがもろくも崩れ去ったのである。

だからマスコミの報道で世論が形成されたように見える、でもマスコミはまずマスコミで自社で判断しているのである。つまりイギリスはEUを離脱しないと判断している
何か正確な情報でまたは正確な世論調査でもない、マスコミで判断して報道している
この辺のことで原発避難者のことを自分は批判したがそれはNHKでまず避難者側につくということで番組を編集していたのである。
補償金で地元でも不満な人たちがいても避難者側についてかえってそういう不満を言う人を放送の中で批判させていたのである。
ただなかなかわかりにくいものがあり気づかないとういこともあった。
自分は地元だから変だなとしてプログに書いたのである。

要するにその土地の実情というのは外から見るとわかりにくいのである。そのことから全国に放送するときなんだ原発避難者が仕事を求めたのに断ったり仲間に入れないとか冷たいとみんな見る、不満に思っている人には何も言わせないからである。
だからマスコミでも報道は中立というのはありえないのである。
なぜならマスコミ自体がまず方針を決めてどっちの味方になるか決めて取材をして放送しているのである。

イラク戦争でも石油まみれの海鳥を写して世界中に放映した結果、イラクはひどいと世界で思うようになった。それはやらせでありその報道は事実でもなかった
アメリカのプロパガンダでありそのために海鳥が使われたのである。
そういう放送が意外と多いのである。自分たちの有利なようにプロパガンダとして海鳥が使われたように人間すら使われる、現実にシリアの戦争でもどれだけフランスでも飛行機で爆撃して子供まで死なせているかなどは報道しないという批判があった。
戦争なんだからフランス自国でも殺されてもしかたないという意見の人もいたのである。つまり放送は中立はなく常に一方的になるのである。
世界だとアメリカ寄りになるしヨーロッパ寄りになる、ロシア寄りにはならないのである中立の報道などないのである。

本当になぜ泡沫候補のトランプが大統領になったのか信じられないとなる
そうさせたのはマスコミだったのである。アメリカ国民の実情は違っていた。
その実情をみていた人はわずかだがトランプが大統領になることを予言していた。
でもアメリカの実情はどうなんだというとき外国だとわかりにくいのである。

いづれにしろ為替でも急に年末に上がったりしたのも予想しえなかった。トランプが大統領になれば円高になるとか株が下がるとか言われていた。
クリントンならそうはならないとクリトンの価値を予想していた。
ところがそうすでにマスコミがクリントンに大統領になってほしいからクリントン有利と報道していたのである。
「トランプ」あれは何なのだとか外から見るとなっていた。
そう思わせたのはマスコミの報道だった。
ただ今回はSNSのインターネットが底辺層にも普及してその影響があったとも言われる
でも英語など普通は読めないからその実情を知ることは容易ではない
たから外国だと余計にマスコミのかたよった報道を信じることになる

原発の安全神話もそうである。まず原発は安全だということしか報道しないようになっていたのである。それは権力と一体化してなっていたから一般の人も安全だと思い込まされていたのである。日本の技術は優秀だからチェルノブエリのようにはならないとかそういう安全神話を信じさせられていたのである。
だから原発が危険だという情報は極力出てこなかったのである。それはタブー化していたともなる、まず報道できないのである。

ともかく報道でも何を信じて何をみるべきかわからないのである。
情報がマスコミでかたよっているからそのかたよった情報の量が多いから自ずと今回はトランプでもそんな人がなぜ大統領になったのかという驚きになる。
要するにアメリカ国民も多様でありその多様なものをは報道しえない、マスコミの意向でクリントンが大統領になってほしいからその側について報道していたのである。

この辺でも実際は津波の被害者もいるし原発の被害でも避難民と化した人とそうでない人の左が大きいのである。まず補償金にすると格段の差があるから不満になったのである。そういう複雑な事情は外からわかりにくいのである。
だからNHKではそうした複雑な事情を報道するよりまず避難者側についた報道することを決めて取材していたのである。

トランプの勝利でもマスコミの報道する側の意向でトランプなどとるにたらない人だとされていたのである。それは原発神話と同じである。
事故なんか起こりえよがない、そんなことを言う奴は許せないとまでなっていた。
原発で働いている人は上の人から常に安全だと言わせられていたし地元の人にもそう言っていた。だから原発で働く人が多いのだから地元でも安全ではないとは言えなくなっていたのである。そんなことを言うと地元で村八分にもなりいずらくなっていた。
原発で給料をもらっているのだからどうしても東電側につくからである。

だから報道にはマスコミの意向であり国民の意向が世論がどうかはわからなかった。
いかにもマスコミが世論のようになっていたからである。それは操作されたものであり国民は別な意向をもっていてそれが現実の選挙の結果となったのである。
それでマスコミの報道でも一旦疑問にもつということが必要になる。
様々な見方や知識が判断するには必要になる

でも情報量が多いと人間は今度は判断するできなくなる
インターネットのように無限に情報が噴出するともうとても読めないのである。
ジャムでも種類が何十種類とあるとどれを選んでいいかわからず買う人がへるという。
もしその中の5つつくらから選べとなるとき買う人が増えたという
種類が多すぎると買うことすらできなくなるのだ。
スーパーでは種類が多いと本当に買うのに一苦労するのである。
だから情報にどう対処するのかは本当にむずかしい。
それで結局一方的洗脳によるナチスとかカルト宗教団体などが世間を席巻する。
題目や念仏を唱えればいいというのが一番簡単だからである。
ハイルーットラーが一番わかりやすいからそれによって煽動されて国まで滅亡するとまでなる。

情報というのは噂話でもそれが大きな影響を及ぼす時があるから怖いのである。
流言蜚語も怖いのである。情報の取り扱いを誤るとそれが致命的にもなる。
それは国単位だけでなく個々人の単位でも起きている、様々な情報の嘘に惑わされる
でも国際情勢とかなると自分だけで判断するのは本当にむずかしい、専門家でもはずれている。そうなると何に頼り判断すればいいのかとなってしまうのである。
ただ全面的にマスコミとか人の言うことでも信じないということが防衛になるかもしれない、ネットでは常にマスコミで報道したことをそんなことはないと否定するのが多い、事実でもないということを言うのである。
するとそうなのかなと考える、それだけでも何か一方的にマスコミとかの他の判断に頼らないことにはなるのである。
でも今回のトランプの勝利というのは誰も予想しえなかったというときいかに専門家ですらわからないのだから一般の人が知ることはできなかった。
裁判でもそうだが双方の言い分を良く聞くということが大事になる。
そしてわからないことは簡単に判断しないことだともなる。
簡単に白黒をつけるとういことが危険だとなることは確かであったのだ。





posted by 老鶯 at 20:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

一億総ひきこもり時代 (ネットがそうさせたのか、内面化文化志向の時代へ)


一億総ひきこもり時代

(ネットがそうさせたのか、内面化文化志向の時代へ)


仕事や買い物などで外出する人の割合はこの30年間で最も低くなったことが国土交通省が行った調査でわかりました。国土交通省は高齢化に加えて、インターネットの普及などで20代をはじめとする若年層が外出しなくなっていることが影響していると見ていますhttp://saigaijyouhou.com/blog-entry-14852.html


交通渋滞とかほとんど遭遇しなくなった 
クルマ自体少ないんだろな

買い物で外行くとろくなことが無いからな 
目当ての商品がない店とバカな店員、クソみたいな客 
通販で買うのが一番良い

まあ近場なら出るけどそれ以外はネットの方が楽だからね

観光地はそれで避けるようになった 
この前、沖縄本島に寄ったら中国人だらけで駄目だと思った 
観光客だけでなく店員も中国人になってしまった 
場所によるけど旅行はオワコンだね

外出ても金が減るだけで、つまらないしいいことないし。 
ネットしてるほうが金使わないし楽しいし 


外出しないとかなら旅行でもそうだが老人ならわかる、でも若者もそうなっている、それはなぜか?
インターネットの影響が大きい、買物でもコミニケーションでもネットでする
ネット通販は便利すぎる。この前も掃除機買った。
1014年型だけど十年前以上の使っていたからいいものだったし安かった。
量販店で見ても最新式で高くなる、それと自分が一番困っているのは車がないから配達になると有料になる、それで通販がほとんどである。
まずレビュー便利である。レビュー見て買えばほとんどまちがいない
量販店で買ったレンジは3万したけど一万で良かった、いろいな機能は使えなかったからである。
これも店員が売りたいものをすすめるからこうなる。
使った人が一番親切だし正直だし知っている

インターネットは確かに操作するのがめんどうで若者向きだと思っていたがネット通販とかなると老人向きなのである。ボタン一つで何でも配達されるからである。
本でもないものがない、電子本ならこれはまさボタン一つで即座に読める
だから情報的に昔のように都会も田舎もないのである。
だから今は老人にとってはいい時代である。もちろん老人は死ねとか若者が言っているけど老人は大切にされないけど何でも便利だから老人は部屋を出なくても用がたせる
遠くに行かなくてもいいから老人にとっては今の社会は過ごしやすい

第一老人は消費しようにもできないのである。消費が実は投資であると考察したとき遊ぶのだってそうである。遠くに行くのが億劫になるのだ。それは老人であれば当然なのだけどそれが若者でもそうなっていることが現代的でありこれは社会にとっては活気のないものとなりいいものではない、ネットだけでこもっていると本当の自然でも社会でもふれられないということがある。このままゆくと日本は発達障害の人間であふれるかもしれない何かもっと若者はバイタリティあるものだからである。それはとてもインターネットだけでは発散できないだろう。

ただ時代としては若者は金がないとか車にも乗らないとか何か内向きにならざるをえない状況が作り出されているのだ。それはまさに若者の老人化なのである。
老人はたいがい内向きになる,だから外向きの消費はへる、内向きというとき家で過ごしやすくするためにリホームするとかバリアフリーにするとかに金は使う
でも外向きには金を使わないのが普通の老人である。
でも逆に現代では60代で元気だからかえって山は老人に占拠されているとかにもなっている
そういう所でも老人が主役になっているのも高齢化社会である。

自分はもう旅行をしたくない、何か介護とかで消耗して疲れたのである。
日本は若者ですら外出や旅行を嫌うというとき人が多すぎるし今や外国人の観光客も多くなると嫌だとなる、それは普通は若者だったら障害にはならない
でも東京のような人ごみに行くのは今は嫌である、あれだけの人を見るだけ疲れる
もともと自分にはそういう性格だった、でも旅行だけは全国でも外国でも60までしていたのである。
これからもしようと新しいザックを買ったりビデオカメラ機器を買ったりしたがそれも消化できない、使いこなせなくなったのである。
つまり老人は物を買っても消化できない、使いこなせなくなるのである。

どっちかというと知的なもの本を読んだりするのはまだ向いている、老人は内面的なもの内省するのが向いているからだ。老人は引きこもりが向いている。
でも若者がそうなることはやはり社会的に活力が衰退してゆくだろう。
それは若者が老人化していることなのである。
ともかく家の中で何でも用せるとういことは老人にはいいが若者までそうなると社会全体の活力は喪失してゆく、ただ現代は内面化してゆく中世化してゆく時代ともいわれる
江戸時代のようにヨーロッパの中世のようになってゆくとも言われる
だから時代の流れなのかとも思う、ただ日本は活気がなくなり衰退してゆくというときそれは日本の未来にとっていいものではないだろう。

ふりかえると団塊の世代は恵まれていた。自分でも旅行したときは外国人などほとんどいない、旅行しやすい時代だったのである。それが今は日本人が日本を旅行しにくい時代になったのである。これもいいようで日本が観光客で稼ぐという三流国になってゆく兆候なのだろう。
ただ高度成長は活動の時代でありそれが終わり内面化する内省化する時代は宗教でも哲学でも芸術でも興隆する時代になる、宗教といってもカルト宗教は実は高度成長時代の貪欲なもの現世利益追求したものであり時代的なものだった。
これからはそうした物欲とかぎらぎらした欲望の宗教ではなく内面化した宗教になる
だからあんな徒党を組んで活動して政治化はしないだろう。

つまり戦後は何か団塊の世代とともに社会もあった、高度成長もそうであったし老人になると今度はやはり高齢化社会で内面化に適した社会となっているのである。
だから若者までそうした団塊の世代の調子に合わせているともなる
何か欲望むき出しのぎらぎらしたものはないが精神的に成熟した価値を求める
それは結局日本だったら江戸時代への回帰でありヨーロッパだったら中世への回帰になる老人化ということはまた成熟化した内面的価値を求める社会なのである。
戦後は何か騒々しすぎたのである。これから落ち着いて真の価値あるものを求める、作り出す社会になる。文化や哲学や宗教の時代になる、それは江戸時代に回帰したように落ち着いて老人にはいいとかなる、若者にとっても落ち着いて真の価値を追求できる社会になればいいとなる、経済成長だけを求める時代はすでに終わっているからだ。


posted by 老鶯 at 13:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会問題の部

2016年12月29日

投資、消費と浪費の相違 (消費という言葉は変えねばならない)


投資、消費と浪費の相違

(消費という言葉は変えねばならない)


投資というと何かポジティブなイメージになる。投資というのは何かを積極的に育てるというイメージである。
例えば教育に投資するとかがそうである。将来のために知識を身につけるために本を買うとかパソコンを買うとか旅行することも実際は消費に見えて投資なのである。
自分は何か普通に言う投資でもうけたことはない、消費しただけである
金を稼いだことはあるにしてもそれはアルバイトだからわずかである。
ほとんど消費しかしていないのである。でも浪費とは明らかに違っている
ほとんど消費でも金を稼がなくても投資にもなっていた。

その成果とは何なのか?それは自分のプログなどで示している、ただこれは一文にもなっていない、だから資本主義社会では自分は金を稼がないのだから浪費者にすぎていとなるでも自分としては浪費したわけではない、今まで経験したことを知識として無料で提供している。別に金に困らないから稼ぐ必要がない、だから無料で提供している。
でも金にならないとその人は無益な人だと社会ではされるのである。
あなたはただ浪費しただけだとされてしまうのである。

では巨万の金を稼いだ人が社会にとって有益な人だったのかとなるとそれも疑問なのである。収入の多寡でその人の価値を計れるかとなるとそれもわからない、つまり人間の価値が何かそもそもわからないし計れないものだからそうなる
人を裁くなというときそうである、人間は人を裁けないのである。
人間の価値を計ることも人間にはできない、それは神がするともなる

投資と消費は簡単に分けられない,一体になっていることが多いのである。
パソコンを買うことは消費である。でもこれを買って使いこなす方がずっとむずかしい、買うのはいいけど使いこなせない、使いこなす手間も大変である。
だからパソコンを買うことはすでに消費ではない、投資なのである。
パソコンを使って何かを産み出すという側面の方が強いのである。
だから自分がしているパソコンの抽象画などもそうである。
パソコンのソフトを通して創作しているのである。

投資というとき何か株でもうけるとか投資信託でもうけるとかそういうものになるが
実際はその投資は具体的に何に投資しているのかわからない,ただ金を得てそれをまた消費するということなのである。自分の場合その消費は浪費ではないのである。
その成果を無料で提供している、それでプログを読む人が結構多いのである。
消費というとき日々に食べることなどは単なる消費であるが食べなきゃ生きていけないし活動できないのだからそれも浪費とはならない、それは生きるために不可欠なものだからである。浪費とは酒を飲んでただ毎日ぶらぶらしていたりしたら浪費になる。

そもそも消費という言葉が良くなかったのである。消すということは何か浪費であり無駄であるというイメージがあるからだ。消費は一冊の本を買うことでも投資になっていることが多いのである。まず知識を吸収しようとしない人は本も買わないのである。
普通のブルーカラーの人など本を買わないし読まない、そもそもそういう知識関係のものに消費しないのである。それより消費できないのである。
だから何か消費するということはかえって投資できる人なのである。
本を買うということは知識をえるために投資している、でも知識を吸収しようとしない人は本は買わないからである。もちろんパソコンなどもやらないのてある。

結局消費することが人生になっても有益だったとなる、最初パソコンは高価なものでありパソコン通信の時代がありその時パソコンを40万くらいで買った人は浪費したのかというとそうではない、パソコンの開発に協力して投資して発展させていたのである。
まずその時パソコンを操作すること時代特殊な技術者にもなっていたからである。
そこからパソコン通信が生れて今日のスマホなどに発展したのである。
だからまずパソコンを買うことはすでに社会的にもパソコンを発展させる投資だったのである。

投資と消費は一体化していることが多いのである。自転車でも車でもただ買うだけであり消費するだけかともなる、でも車でも自転車でもそれは消費するためのものではない、様々な投資になっている、自分は自転車で買物しているから欠かせないものであり単に消費しているとか浪費しているとはならない、遊びに使ったからとしても浪費ではないのである。遊びにもギャンブルなどは違うが消費ではない、投資なのである。

要するに豊かな時代は金をいくら稼いでいるかで人の価値を決めない、そういう時代が好ましいとなる。なぜなら価値は多様であり金だけで人間の価値を決めることは問題なのである。ただ金の力は大きいからそれを指標としている、現実に金の力がこの社会では働くからである。
豊かな時代は投資と消費が分けられなくなる、仕事と遊びも分けられなくなる
そしてすべての価値を金で計れなくなる、そういう社会がいい社会なことはまちがいない、なぜなら人間の価値は多様だからである。
別に現実社会で金を稼がなくてもベーシックインカムのように自分のやりたいことをするそれは必ずしも消費にはならないのである。
そんなのんきな社会はありえないというがではなぜこんなに働かない人が増大していて社会が成り立っているのかとなる。老人をふくめて三分の一は直接金を稼いでいるように見えないからである。その代わり機械が仕事しているとかなる。

いづれにしろ消費という言葉が大きな錯覚をもたらしたのである。今の時代にあわないのである。消すということはマイナスのイメージしかないからである。
消費ではなく投資でもなく投費にでもなるからもしれない、投資+消費=投費になる。

資本を投じる、費用を投じるが投費になる

ただ費にはいい意味がない

「消費」「費力=力ヲ費ヤス」「費言=言ヲ費ヤス」「君子恵而不費=君子ハ恵ミテ費ヤサズ」〔論語〕
{名}ついえ(ツヒエ)。つかうための金品。もとでとなる金銭。支出する費用。「経費」「学費」「費用」
ヒナリ{形}つかいすぎである。よけいな。「辞費也」
{《解字》
会意兼形声。弗フツは「豆のつる+左右にはらいのけるしるし」の会意文字で、まとまった物を左と右にはらいわけること。拂(=払。はらう)の原字。費は「貝(財貨)+音符弗フツ」で、財貨を支払って、ばらばらに分散させてしまうこと。

この費を利用したことも問題である。この字の意味が消につながっていたのである。

他にもいい造語が必要なことは確かである。要するに時代によって不適切な言葉になるのもあるし廃れる言葉もある。だから常に言葉は新たに創造される必要がある。
同じ言葉でも意味も変わってくるのである。



タグ:投資と消費
posted by 老鶯 at 16:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会問題の部

2016年12月28日

冬椿(石とかの話をする) 新しく広いパーク ゴルフ場ができた


冬椿(石とかの話をする)


新しく広いパーク ゴルフ場ができた

ggggggcccccc11121.jpg

クリック拡大

dddddddddddkkk1.jpg

新しくできたパークゴルフ場

golffffff123.jpg

DSC02045.JPG

パノラマ写真





石に映ゆ今日もここに冬椿

朝日さし散りて赤しも冬椿

大根のむきだしにして風寒し 

老人のパークゴルフ場に冬の雲

広々とパークゴルフ場冬の山


一輪の冬の薔薇咲く誰か住む復興住宅に落ち着くらしも


その人は小高の人だけど石に興味をもっているという、何でも橲原(じさばら)になんとか石というのがあり貴重だったという。津島石というのもありその土地の名で名づけられのが多い、小高の人で庭師が教えてくれた。ともかくあの人は何でもできたから驚いた。
あの人も小高に帰らない,ともかく石とかも貴重である。


石は硬度が大事だという、石の硬さがあるのかとなるとある、一番堅いのはダイヤモンドである。ダイヤモンドでひっかくと必ず傷ができる、それはダイヤモンドの方が硬いからである。石と石とそれを試すとどっちが硬いかわかる、硬い方が傷つけることができるからだ。ギリシャ語でダイヤモンドが征服されざるというのは一番硬いからである。


紀元前600年頃: マグネット”Magnet”の名前の由来と磁鉄鉱
ギリシアのマグネシア地方 Magnesia に天然の磁鉄鉱 Magnetite = Loadstone が産出し、この磁鉄鉱が羊飼いの鉄の杖や、他の鉄製品を引きつけたりしたので、地名にちなんで“マグネット Magnet”といわれるようになったとされています。

ダイヤモンド

鉱物名 ダイヤモンド
日本名 金剛石
語源 ギリシャ語のアマダス(征服されざる)


トルコ石は、トルコから産出されるトルコ石というわけではない。ペルシャで産出された石がトルコを経由してヨーロッパに運ばれたことから、そう呼ばれている。トルコ石ブルーと呼ばれる色は、鉄と銅による発色で、鉄分が多ければ青色に、銅が多ければ緑色になる。
現在では産出量が減ってしまっているので、本物を見ることはほとんどない。

新潟県糸魚川市付近

このあたりは、ヒスイ海岸とも言われ、毎日多くの人がヒスイ探しに訪れる。最近では、無色のコランダムや、青いコランダムが発見されている。糸魚川市のフォッサマグナミュージアムで詳しい説明を受けることができる。川でも採取できるが、一部地域が天然記念物に指定されているので、海岸での採取が望ましい。



面白いのはトルコ石がトルコでとれたものではなかった。、経由地であったがトルコ石になった。有田焼が伊万里の港から輸出されたから外国では伊万里焼になっていたのと同じである。

あそこは新しくできた家だけど垣根があり石があっていい庭である。外から鑑賞するのにいいのである。あそこはシシドスーパーができて毎日買物で通るのである。
何かこの辺は本当に常に変わっているのである。
シシドスーパーの隣に復興住宅ができた、そこにもすでに人が入っている、主に浪江の人である。  

大根が土からむきだしになっている、それを見ると何か売られている大根とは違う感じをもつ、大地に育っている大根なのである。そこが都会と田舎の相違である。
大根が土からむきだしになっている、それがまさしく土から育っていることを示しているのである。風が寒いというとき何か季節を感じるのである。

それから今日は東北電力の処理場だったところが広いパークゴルフ場になっていたのは驚いた。あんなに広いパークゴルフ場はこの辺では見たことがない、相馬市にはあれより広い所があるというが見たことがない、松川浦はあるがあれよりここはずっと広い感じた
あそこだったらのびのびとゴルフができる
あのゴルフは老人向きで簡単にできる、ゴルフのクラブは50円とかで貸し出ししている
500円だすと利用できる。パークゴルフは普通はクラブに入ってしている。
万葉クラブというのがあり120人参加していた。それは鹿島区になるからそれだけいたということになる
パークゴルフは老人がしている、それくらいいても老人が゛多いのだから不思議ではない。

あそこにあると暇な老人が集まるのにはいい、集会所もあり気持ちいい所になった。
老人は暇な人が多いのだ。それでカラオケクラブは盛況である。
パークゴルフはかなりの運動にもなるからいい。
自分はやる気はない、自分は自転車が好きであり自転車がのれる公園があるといいと思うともかくあいういうものもできたのも東北電力があって助力があってできたとなるのか?
広い土地だけど処理場であったからだ。
とにかく今の世の中高齢化であり老人が多いからあういうものも必要になる
この辺は特に老人がまた増えているのである。若い人が外に出て老人が増えたのである。浪江の人などが来てもその人たちも老人が多いのである。
パークゴルフで活気がでても市自体が活気がでるとはならないだろう。
ただ老人にとってはいいものになる

海は誰のものなのか? (原発事故で明らかになった漁業権者の権利の責任)


海は誰のものなのか?

(原発事故で明らかになった漁業権者の権利の責任)


原発事故というとき被害者の面が強調されるけど加害者でもあった。避難民となり故郷に住めなくなった人たちも被害者だけど加害者だったのである。
だから今になると国民が負担を強いられるから不満になる
原発でいい思いしたのにあんなに手厚い補償をされていいのかと批判される
それは富岡とか大熊とか双葉とかは特にそうなる。そこがまた一番被害が大きかったからである。でも恩恵も一番受けていたのである。
福島県だって被害者だけど恩恵は受けていた。

今になるとおかしなのは漁業権をもっていた漁業組合は最も恩恵を受けていたのである。自分は知らなかったけど原発御殿が港には建っていたのである
金の襖を作るために東京の職人を呼んだという話も今は伝説にもなる
なぜなら津波でみんな流されてしまったからである。
だから港に住む人がみんな恩恵を受けていないからここでもまたその日頃の不満が爆発して罰あたったんだという人さえいる

そもそも海を東電に売り渡すというけど海は誰のものなのか?
釣りする人も自由に釣りできないからその不満を言っていた。それも一理あったのである漁業資源の保護だったからわかるけどそうではない、海を権利として漁師がもってそれを売り渡した、そして多額の補償金をもらっていた。
だから海とか山とか大地でもそれが誰のものかとなるとそういうものを所有できるのかとなる
入会権とはそもそも個々人で所有できない、みんなで所有するということで生れた

ところが明治になると私的所有権認められて山も個人所有となり無数に分割されたのである。そうなると何かするにも公共の工事をするにもいちいち個人の許可をとり土地を買うようになる。それで災害のための工事するのがむずかしくなる
それで大きな自然災害を防ぐこともできないとまでなる
自然はそもそも私的に所有しにくいものである。なぜなら山でも大地でも海でも一定区画を所有できないのである。みんなそれらはつながっているからである。
そういうものを私的に所有させるようにしたのが明治以降なのである。

だからそれが極端化すると自分の家の海の前まで権利があるとして所有権を主張していたのである。そうすれば補償金が東電からもらえるからである。
この辺では避難区域になったところでは私道とかまで権利の対象になったのである。
こういうふうに私的所有が極端化したのが明治以降だった。
今でも農家では共有の志向があり共同作業をしている、そして農地は簡単に宅地にできない、売れないというとき土地がつながっているからである。
例えば水にしても山から流れて田んぼをうるおす、そして山が神となり春に里におりてくるというときそれは自然から生れた信仰である。
つまり江戸時代までは私的所有権はなかった自然は共有だったのである。

だから飯館村で除染なんからするより自分の土地を売って金にしたいという、それもわかる、除染がそんなに効果あるようにもみえないからである。
除染する代わりに金をもらえば一億とかにもなるからである。
でもそうなるとその空いた土地は誰のものになるのか?
国のものになったりするとき放射性物質の処理場として使われるかもしれない、すると土地はつながっているから南相馬市まで流れてくるからその土地は飯館村だけの問題ではない、飯館村だけで決められることでもない、現実に真野ダムに放射性物質が泥として堆積して下に南相馬市に流れてきているのである。
放射性物質のつまったフレコンバッグが破れて川に流れ出したこともあったように飯館村でも土地は切り離せないからそうなっているのである。

だからいくら漁業権をもっているからといって東電に売り渡して多額の補償金を得るということはまちがっていたのである。
つまりそうなら南相馬市だったら南相馬市民とか相馬市民とかいわき市民とかこれも全体で協議するべきものだった。
俺たちが漁業権をもっているんだ,市民は関係ないとなったことがまた問題だったのである。
ではそうなら漁業権者が今になれば一番責任があるのだから責任とれとまでなる
でも実際は何の責任もとらない、かえってまた立派な家を補償金で真っ先に建てたのが船主などであったのだ。
請戸の船主も相馬総合病院の特等室に入り家を建てると豪語していた
これも回りの人がどう思うだろうか?そういうことを全然考慮していないのである。

つまり今になると何か私的所有権を認めるのはいいとしてもそれは相当な責任が課せられていたのである。確かに東電に漁業権があり売り渡しても自由だとなる
ではその責任は誰がとるのか、私有権を主張した漁業組合がとれとなる
しかし実際は何にもとっていない、かえってさらに事故後も補償金は特別にもらいつづけているのである。
「この海は俺たちのものだ、俺たちが権利があるんだ、だから東電に売ろうが俺たちの自由だ」
でも今になるとその権利がある故に重い責任も課せられていたのである。
その責任も全くとらないということもおかしなことになった。

今の時代はともかくどんなことでも権利を主張する時代になった。民主主義はともかく権利を主張すること私的なものであれ何であれ権利を主張することこそが民主主義だと教えられてきたからである。
それはいいとしてその権利には責任が課せられていたのである。
一体、海でも所有して山でも所有してその責任がとれるのかとなる
だから漁業権でももし市民とかに範囲を広げて所有していれば東電に簡単に売り渡すことはできなかったかもしれない、でももし市民の合意で売り渡したならその責任は市民全部が負うことになる。
だから別に漁業権者だけが批判されることはないのである。
市民全部が共同でその責任を負うことになるからである。そういう覚悟で原発を作らせることになるからである。

いづれにしろ明治以降平等になったとき権利はみんな主張しても責任をとる人がいなくなったのである。
侍がいた時代は侍が責任をとった。平民には権利がなかったからである。
「言わず、聞かざる、見ざる」だったからである。
権利がないなら責任もないのである。でも権利があると重い責任が課せられていたのである。
だから侍は責任をとるとき切腹させられたのである。
たがら侍になりたくないという人もいた。それは責任があまりにも重いことを平民でも自覚していたからである。
今は平等でも権利は誰でも主張しても誰も責任はとらないのである。
戦争でもそうだったし国民に責任があるとなり誰も責任はとらない、でも結果的に国民が3百万人も死んだかのだから責任をとらされる
この辺の原発事故だってやはり市民が町民が村民が責任をとらされた
故郷にも住めなくなったということである。
人間はつくづく責任から逃れられないようになっていたのだ




posted by 老鶯 at 08:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2016年12月27日

抽象画に変化しやすいものと変化しにくいものがある


抽象画に変化しやすいものと変化しにくいものがある

There is the thing which is hard to change that it is easy to change to an abstract picture

hhhhhhhhhhhhhhiiiiikklll333.jpg
palace of underground

hhhhhhhhhhhhhhiiiiikklll333444.jpg
river is borned

hhhhhhhhhhhhhhiiiiikklll666.jpg
underground river

hhhhhhhhhhhhhhiiiiikklll333444555.jpg


どういうわけか抽象画に変化させやすいものとしにくいものがある
その理由がわからない、いくら変化させても抽象画にならないものはならない
なるものは連続してなる、今回の抽象画はそうだった。
抽象画になりやすいものだった
その変化させる過程はだいたい決まっている
他の過程でしてもうまくいかない、これも良くわからないのだ。
変化させているだけだからこれが創造性があるのかともなる
これがコンピュターから生まれた芸術だからそうなっているのだ。


This abstract picture that it was as for the thing that it was that it was not as for the thing which there was not to an abstract picture even if I changed it how much which did not understand the reason with the thing which it was hard to be easy to change into an abstract picture in succession was so somehow.

Even if the process to change that was the thing which is easy to become the abstract picture is almost in fixed other processes, I do not know this not to succeed in well.
Because I only change it, do not go because this is the art that this that it is whether there is originality was born from computer and is.

2016年12月26日

キーワードで抽象画を探す そこにまた別な抽象画があり変化させる

キーワードで抽象画を探す

そこにまた別な抽象画があり変化させる


I look for an abstract picture in a keyword

There is another abstract picture again there and changes it

waterfalllllllllaaaa1.jpg
waterfalllllllllaaaa122.jpg

rockbiggggg1234.jpg

underggggggp123.jpg

palace of underground

hhhhhhhhhhhhhhiiiiikklll333.bmp

wavessnight123.jpg

seashore in moonlight


一つは明らかに著作権に違反している、ただソフトで立体にしただけだからである。
原画を見るとすぐにわかるからだ。ただ参考までに出しただけである。
山にするとなかなかわかりにくくなる。

自分の抽象画は変化だからその原画をインターネットで探すの問題になる
なにをキーワードにするのかが問題なのである。
キーワードによって違った絵が出てくるからである。
それがインターネットの面白さなのである。

つまりインターネットはまさにキーワードで探すものだからである。
他にさがしようがないものだからである。

This is because it only did one in a solid by just software violating a copyright clearly.
This is because it understands it as soon as it watches the original picture. I only only started it for your information.
It becomes hard to understand that I make the mountain very much.

It is a problem what which becomes the problem of looking for it on the Internet with the original picture you do in a keyword because one's abstract picture is a change.
This is because different paintings come out by a keyword.
It is fun of the Internet.

In other words the Internet is because it is right a thing to look for in a keyword.
This is because it is the thing which I cannot look for elsewhere.

原発事故の避難対応が失敗した (小高は避難させず南相馬市の補償金は一律にすればよかった)


原発事故の避難対応が失敗した

(小高は避難させず南相馬市の補償金は一律にすればよかった)


まず30キロの避難にこだわった、それには科学的根拠があってもチェルノブエリとは違う、ここには人が昔から住んでいる場所でありそれを簡単に破壊することはできない所だったのである。
そういう事情があり30キロを補償範囲とするのも間違っていた。

まず南相馬市の一体感を保つために補償金は極力一律にすべきだった

小高を避難させたのは政府の方針だから南相馬市の市長の責任でもない、その政府の対応が誤ったのである。スピーディでも放射能がどこに流れるわかっていたのに浪江では津島の方に、一番線量が高い方に避難したのである。
浪江町には政府からも東電からも何の情報も入っていなかったのである。
ただでは東電では知らなかったかというと知っていたのである。
なぜなら東電の社員が津島の方に避難しては危ないといって街に引き返した方がいいと引き返した人たちもいたからである。

つまり東電の社員は放射性物質がどこに流れるのか知っていたのである。
その罪も大きい、だから小高が避難させたのは別に小高の町民の責任でもなかった。
南相馬市の責任でもなかった。政府の責任だったのである。その時は民主党だった。
民主党政権の事故の対応のまずさがあった。ただ原発はもともと自民党によって誘致されたものであり民主党はそれを引き継いだだけなのである。
だからなんらか民主党では新しいことはしにくかったのである。

それより最大の失敗は今になるとわかるが原発は30キロ圏だけではなく広範囲にかかわるものだった。だから原発を建てる土地所有者と県で決められたということ自体が考えられないことだったのである。
結果としてこれだけ広範囲に被害者は散って各地で仮設に暮らしたり今度は南相馬市では2000人くらいなのか復興住宅に入る、その数も多いのである。
今になって広範囲な地域を具体的にまきこむものが原発事故だということを知ったのである。
だから原発を建てるのだったらそれだけの広範囲の同意が必要だったのである。
そして同意したなら事故が起きたときでも互いに共同責任になる。
だから避難してきたとしても互いの共同責任だから文句は言えないとなる
でもその時は補償金はこんなにばらばらにはなりえないだろう。
その時から共同責任となれば補償金だって対等になるからである。
特に南相馬市では一部をのぞいて一律に補償金を支給すれば良かったのである。
小高を避難させてそこだけが特に高い補償金にする必要もなかったのである。

ただ自分がこういうのは結果論でありお前が事故当初でそう判断できたのかとなるとできない、自分は放射能のことなど知らないし何がなんだかわからなかったからである。
だから水素爆発したとき外を出歩いていたのである。
その時20マイクロシ-ベルにも一時なっていたのである。
つまり放射能のことを知らない、知らされてもいないということもあった。
ただ近くでも安全神話を作り安全だとしか教えていないからである。

ただ緊急の場合はたいがい対応があやまる、どうしていいのかわからないのである。
それは政府でも東電でもそうだった。それだけの専門家がいてもそういう対応ができなかった。人間は緊急の対応には弱いのである。
その対応があやまったのはあまりにも「安全神話」を自ら強固にしてしまったからである安全だ、安全だと言っているうちに自ら暗示にかかり安全だと科学者まで思うようになっていたかもしれない、科学的には完全に安全ということはなかった。
まるで題目でも念仏でも唱えているとそれで陶酔して心の安定を計っているカルト宗教団体とにていたところがあったのである。「安全、安全」と外にも内部でも絶えず唱えていたのである。それは逆に原発は一旦事故になったらこのように市町村すら崩壊するからである。科学者はそれを知っていたが口を噤んで御用学者になっていたのである。
でも確率的に百万年に一回の割合でしか起きないとか計算していたのである。
ここでも人間は計ることができない、神によって計られるのが人間なのである
そういう科学信仰の傲慢が神によって打ち砕かれたのである。

原発事故の教訓はここでは得られた、でもまた事故が起きるとしても違ったものになるからその対応は同じにはならない、ただここでの事故は参考にはなる。
事前に協議して広範囲で決定して共同責任をとるということである
そうしておけばそういう覚悟でしたのだから共同責任でありこんなに放射性物質の多寡で分断して争うということはなかっただろう。
責任はあくまでも共同で分担するということであり補償金もそうなっていたからである。そうなると大熊とか双葉とかですらそうなるからそんなに多くは補償金はもらえないとなる、するとどうなるのか、一段とそんな近くに建てるのはリスクが大きすぎるとその地元では反対運動が起きる、今のように手厚い補償は無理だとなるからだ。
そうすると今回は大熊とか双葉でも富岡でも手厚い補償があったがないとなると考えは全く変わる、そんなリスクをかかえるのはごめんだとなるのである。
そうするともうなかなか原発は建てられなくなるのである。

そもそも20兆円も事故の処理にかかること自体国民ではやめた方がいいと世論になっている。原発は金のかからないものではない、その反対であり莫大な負担を国民にも強いるものだったのである。地域だけではない国さえ滅びるような危険なものだったのである。
国の存亡がかかっていたのである。そういう意識が国民にもなかったのである。
今も50基もある原発は日本を滅ぼすかもしれない危険なものだったのである。
それでもやめられないのはなぜか?それは逆に核武装のために必要だとか国防のためにやめられないなにかがある。右翼は核武装論者であり原発支持だからである。
だから原発は火力発電所のようなものではない、国の存亡にかかわるものとしてやめられないとなる。
でも逆に事故が起きれば国が滅びるのである。
そういうことを国民は意識しなかった、でも20兆円も事故処理にかかるということで国民自体が原発を維持するのかとなると否定的になっている
原発はともかく恐るべき魔物だったのである。ただ国民でも地元でも自覚できなかったのである。 

それから原発は責任体制をとっていない、何でも責任があるとして学校でも事故が起きたら責任が問われるとか会社でもそうであり万一の責任をとるために備える
責任問題だでたらうるさいからである。医者でも責任をとらされるからその備えをしておく、保険をかけるのもそうである。
何か原発はそうした責任に備えていない、なぜなら安全神話を作り事故は日本では起きないとしていたからである。 
原発事故は交通事故とも飛行機事故とも鉄道の事故とも他の事故とも違う。
一回の事故は致命的になる、飛行機事故もそうだが人命を失うが原発事故とは違う。
原発事故は土とか空気とか水が基本的な生活のベースが失われ住めなくなる
人命を失わなくても住めなくなるのだから甚大だとなる。
結局原発の責任をとるのは国民なのである。20兆円払うのは東電だけではない、国民なのである。責任は国民にあったとなるからそうなる
原発を容認したのは国民だからとなってしまう。だから国民も反省しなければならない問題だったのである。











posted by 老鶯 at 20:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

原発事故の自主避難者と小高はにている (放射線量は低いのに帰らない)


  原発事故の自主避難者と小高はにている

  (放射線量は低いのに帰らない)

福島に住むのも自由だし 戻らず避難先に永住するのもその人達の自由だから。
自主避難者ばかり サポートを付けるのはちょっと本来不公平な事でもありますよね。本来福島県のお金は 福島を復興させるために使うのが妥当だと思うし

避難していない人達は なんのサポートもなく自力で生活しているわけだから そろそろ自主避難した人達には自立してもらわないと

打ち切るのは当然・・そのお金は県内の復興の為に使うべきです

出て行った人に使うものではないと思います。請求するなら東電へ個人的に訴訟を起こすべきでは?

福島に戻る気もないのなら 各避難先に永住すべき!

↑自主避難者の方々は 福島県内でも線量の低い地域の人達ですよ?

実際の線量は0.1μsv/h以下です。放射線管理区域よりはるかに低い線量です。レントゲン1回取ったり 飛行機で海外へ行った方が福島にいるより被ばくします。


自主避難者というのもわかりにくい、ええ、まだいたのという感じである。
最初から自主避難者は地元でも批判されていた。それが5年すぎてもまだいるということは福島県民でも何か普通ではないと感じる

とにかく放射能が放射脳と言われるように放射能に過敏になればきりがない、またそれを責めるとお前は放射能のことを知っているのかとなりめんどうになる。
子供を守るために母親が必死なのにそんなこと言えるのかとなる
この放射能問題だからめんどうなのである。

小高でもそうである。俺たちは被害者であり高い補償金をもらうのは当然である。俺たちは同情されるのが当然である。故郷に住めなくなったのだからと確かにその精神的被害が大きかった。でもそれを言うときりがなくなるのである。

小高の人でも自主避難者を批判するこの人のようになっている
そもそも復興とはなになのかわからないのだ

個々人の復興→避難区域から出て自分の家を建てる

故郷の復興→故郷に住みつづけて復興する

この二つに分かれる、だからこの人は避難区域から出た人は
避難していない人達は なんのサポートもなく自力で生活しているわけだから そろそろ自主避難した人達には自立してもらわないと

こうなる、でも避難者は土地をもっていればその土地の賠償を要求するしその土地に住んでいたことで賠償を請求する、しかしもう故郷には住まないのである。
実際は放射線量が低い場所でも住まないで外に出たのである。小高などはこの辺と変わりないからである。
そして復興復興と言うけと肝心のそこに住む人がその町をになう若い人が流出したのである。
だから過剰な補償金をもらった結果、それを資金にしてみんな肝心の復興すべき故郷を捨てたのである。
もし補償金の額が少ないのなら、もう苦しくてもここで生活する他ないとなっていたかもしれない、でも補償金も多くもらった結果その資金で外に出て家を建てた方がいいとなったのである。

だから何のための補償金かもわからなくなった。故郷を復興させるためではない補償金が支払われたのである。
この辺はみんな補償金のことしか頭になくなったのである。
小高でも浪江は5000万以上ここよりもらっているとか浪江は浪江では補償金の額があっちは多いとかもめているのである。
何か故郷をなんとかこうして復興させるという声がほとんどないのである。
ただ補償金をもっと欲しいしかないのである。

ただ小高の場合は国の支持が間違っていた。三〇キロ圏内で区切り避難させたことがそもそもの間違いだったのである。ただ間違いといってもその時は判断することがむずかしかった。でも5年は長すぎたのである。3年くらいでも良かったのである。3年でも長かかったのである。そのうちだんだん帰る人がへっていったのである。
原発事故では避難するにもスピーディが機能しないとか政府とか東電が適切に判断しないことがこうしてあとあとまで地元民を混乱させたのである。

そしてなぜ原発避難者が批判されるのか?それは国民であれ周辺のものであれ負担を強いられるからである。
何も補償金もらっても消費しているから地元の人も助けているのよと仮設に住んでいる人がいう、それも補償金のせいだったのである。
消費者は王様だというのが社会にしても避難されてきた土地では負担になっている
病院でも福祉関係でもいわき市では数が多いからパニックになったのである。
鹿島区だってそれほどでないにしろそういうことはあった、避難先ではなにかしら負担になったことがあった。消費してくれるからいいとだけではなかったのである。

だから今度浪江の人などが相当二千人以上くらい南相馬市の復興住宅に入る
すると何が起こるのか?人口は増えるから消費は増える、でも一方で医療とか福祉関係は負担が増える、看護師不足でもあり病人が増えれば対応しきれなくなる
ただ移ってくる人でも看護師もいるから補充されることはある。
ただ近くの復興住宅に移る浪江の人も病気で医者の心配をしていた。
南相馬市に移り住む人はまた老人が多いしそういう人は病気もちがまた多いのである。
そうなるとますます市が高齢化して医療や介護などの負担が増えることになるのである。一般的に老人は60以上になると生産的活動はしない、そして補償金頼みの人もいるがそれも浪江だと打ち切られる、そうなるとどうして生活するのか?
小高の遊び人は生活保護だと言っていた。するとそれも市や国の負担になるのである。

人間つくづくかわいそうだと同情するのは悪いことではない、でも実際にそういってでは障害児を世話してくれとか老人を病人を介護してくれとなるととてもできない
金をだせといってもそれだって簡単にはできない
口でかわいそうだとは言えても実際に世話するとなると負担になるからできない
つまり補償金がもらえなくなった人は60以上が多くそうなりやすいのである。
生産活動しないから市町村の負担になってくる。
でも俺たちは被害者なのだとは強くこの五年ですりこまれたからそれも当然だと思う人が多い、それは権利だとまである。第一生活保護は今は権利なのである。
だからその権利を主張するのが当然だとなる、特に原発被害者などはそれを堂々と主張できる。俺たちは被害者なのだと迫れば受け入れられるからだ。
結局仮設に住んでいた五年でもほとんどの人はギャンブルとかで遊んでいたのである。
その五年間は他人まかせであり関心があるのは故郷の復興ではない、補償金だけだったのである。

だから復興というとき本当にむずかしい、復興するといってもその意欲もなくなっている放射能問題もやっかいでありそれを言われるとそれが理由になり反対もできない
何かそうしていろいろな悪条件で復興することがむずかしくなったのである。
南相馬市でも小高が復興しないと負担になるから復興してくれといっても帰るのは老人がほとんどである、ただ自分たちは被害者だとなりその権利を主張するだけだとなる
それもまた正当化されるから批判もできない、結果的にいづれにしろ負担が増えて負担を背負わねばならない人がでてくる。
それがすぐにではなく徐々に市民が町民が村民が感じてくるものだろう。
生産しないとなると税金も入らないし自治体の財政だって苦しくなってゆく
今は補償金とか国とかの援助があるけどいつまでもつづくものではない
だからこれから五年後とか10年後はさらに厳しいものとして現れる
その頃まで生きるとなるとここでは相当に苦しいとなるかもしれない。
夕張のようになってゆく恐怖がある。それは少子高齢化でそうなってゆく゛限界集落化してゆく、それがこの辺では極端になり現れ早めにそうなってゆく恐怖なのである。






posted by 老鶯 at 13:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2016年12月25日

南北朝の戦いで小高城陥落に残された短歌二首 (その心境は自分と同じだった)


南北朝の戦いで小高城陥落に残された短歌二首


(その心境は自分と同じだった)


相馬光胤(そうま・みつたね) ?〜1336

相馬氏第6代当主・相馬重胤の二男。相馬親胤の弟。
建武2年(1335)11月、父・重胤が建武政権に叛いた足利尊氏に与することを決めた際に、下総国相馬郡栗野村や陸奥国行方郡耳谷村などを譲渡され、父や兄・親胤と共に鎌倉に参じた。
同年12月に尊氏が新田義貞軍を破って京都に進撃するに際しては兄の親胤が尊氏に従軍、光胤は父と共に鎌倉に残って守衛にあたったが、のちに陸奥国に帰国、建武3年(1336)2月18日には父より陸奥国行方郡小高に築城して足利氏に味方することを命じられている。
3月にはこの指示に従って一族を小高城に結集させて南朝勢力と戦い、その功績で翌4月には重胤に宛てて尊氏方の奥州総大将・斯波家長より所領を預け置かれている。
しかし南朝方の鎮守府大将軍・北畠顕家が陸奥国に下向してくることを知ると討死を覚悟し、5月20日付で消息不明となっていた親胤の子である松鶴丸(のちの相馬胤頼)を養子として栗野村・耳谷村・小高村などの所領を譲ったうえで南朝軍との戦いに臨んだが、5月24日に小高城を落とされて斬られた。

相馬の運命今日限りとして防戦したが遂に保つことができず
光りたねをはじめ一族九七人が侍939人、その他多数のものが討ち死にした。
うかう松鶴丸は当時13歳は母と共に小高の西、釘野山の麓の農家の宅にかくれ山野に辛苦をなめたものの、良くその身を全うすることができた

中秋にあたり松鶴丸が一族譜代の墓に詣でて従者に和歌二首をたむけさせた


去年の今日別れし人の墓に来てみのりを問えば涙こぼるる

我一人残るこの世の憂きづまいおもうがままに後世は問われず

去年(こぞ)今年

あわただしく古い年が去り、駆け足で新しい年がやってきた。
一夜明ければもう新年。昨日は去年なのに、今日はもう新年。

南北朝の戦いはわけわからなくなる、結局人間の戦いでも紛争でも事件や事故でも複雑なのである。なぜそうなったのか?その原因もいろいろなのである。
シリアを見ればわかる、わけわからなくなる。
それはこの辺で起きた原発避難者とかの補償金での対立もそうだった。
津波の被害者も混じったりして複雑だったのである。
相馬は北朝であり南朝が攻めてきたとき小高城を死守したが被害が大きかった。
そこでこの歌が残された。

今なぜこの短歌に注目したかというと自分もこれと同じような経験をしたからである。
これは津波の被害者とか原発避難民とかも経験したことである。
この苦難は生きる死ぬかの苦難だったからまた違っている
ただこの心境は自分の今にあてはまっている

介護十年で苦しみ続けてきた。津波とか原発は直接自分は被害は受けていないがそれでもこの辺は混乱した。
ともかく辛かったのは自分一人で対応しなけれはならなかったことであり自分の所に来た人は助けるためではない、金がほしいだけでありかえって弱者化したから攻めてきたのである。弱者は攻め安いのである。そのことは延々と書いてきた。
原発避難民を批判するときその時の経験からそうなっているのだ。
あのとき避難民でもパチンコ屋通いであり遊んでいたと思うからである。
自分は孤立無援で一人しのいだ、だから我ながら良く耐えたなと思う

去年の今日別れし人の墓に来てみのりを問えば涙こぼるる

この人も相当な苦難を経験した。別れし人とは死んだ人である。
自分も家族は全部死んだから同じ心境になる
そしてなんとかこの人は生き残ったというとき自分もつくづく耐え忍んだなと思う

実りと問えば・・・とは何なのか?

その戦乱生き抜いて何か実りがあったのか、その実りとは何かわからない、自分の場合ともかく一人耐えぬいたということだった。耐えたことが勝利だったとも言える
人間はこうした苦難を減ると精神的に成長することがある。
だからこの人の心境と自分の心境が同じなのである。
そのあとは一人でも気持ち的に楽になったということである。
自分は十年間苦しかった。原発避難民よりも苦しかったと思う
だからこそ原発避難民を責めたのである。
病気のときも全く同情されず責められて一人奮闘するほかなかったからである。
それに比べたら原発避難民は同情されたとかいろいろ恵まれたと思うからこそ批判になったのである。

ただ小高城陥落というとき小高の街が原発事故で消失する危機になっているのとはにている。
小高の人でも離散したからである。そして全国に避難民は散った、最近は南相馬市の復興住宅に今度は浪江の人たちが主に移住してくる
何か戦乱状態とこの辺はにているのである。

ともかく人間は他人の苦しみはわからない、それぞれ違った苦しみになるからだ。
原発避難民でもその人にすれば苦しかったともなるしわからない。
でも結局自分が一番苦しかったと思うのが人間なのである。
それは他人の苦しみがわからないからそうなっているのである。

真野の草原(かやはら)は原町の萱浜(かやはま)説 萱浜はカイ浜でありカイは北海道のアイヌのことだった


真野の草原(かやはら)は原町の萱浜(かやはま)説


萱浜はカイ浜でありカイは北海道のアイヌのことだった


滋賀県 犬上郡 多賀町 萱原(かいはら)
徳島県 小松島市 櫛渕町萱原(かいばら)

アイヌ民族が自分たちの国をカイと呼び、同胞相互にカイノー、またはアイ ノーと呼びあってきたからというところにあった。北 加伊道が北海道に変えられたとき、そこにこめられた大事な意味も消された。その名づけを産んだ流れは、武四郎一人の力や思いではどうにもな らない滔々たる濁流となって、この近代百年を押し通してきているものであった。武四郎は、明治に入るとすぐその流れの外に身をおいてしまう(花崎 1988:9-10)

花崎の紹介によると、道庁が解説する「夷人」(夷狄 =イテキ、つまり潜在的な敵である異邦人)とは、和人(シャモ、日本人)が言うアイヌのことに他ならないということになる。アイヌであることが明々白々で あるのに、わざと「夷人」という歴史的用語をそのまま使って、何も註釈を与えようとしないのは、道庁版は、アイヌに対する不当なネグレクトである可能性が ある

萱原はかやはらというだけでなくかいはらともいう、かいばらともなる。
真野の草原(かやはら)はカヤで伽耶の国と関係していると自分は考察してきた。
でもこの辺には草原も萱原という地名もないのである。
あるのは石巻でありそこにも真野という木簡が発見されたから真野と関係している。
ではそこなのかとなるとまだわからない。

それでこの辺で行方郡衙(泉廃寺跡)と連続したところに萱浜(かやはま)がある。
ここのかやは実際はカイと読んでいたのである。

泉長者は元慶元年(877)行方郡に来たといわれる。
約300年後源義経が家来の弁慶に命じて焼き払った。
その屋敷は灰塵に帰して別荘にいた娘もそれをきいて水に投じて死んだ。
娘の別荘があった地を名付けて子供(小浜)といい、樋をもて酒を娘の居所に流す時に
娘が甲斐湾をもってひそかにくみとって飲んだ地を甲斐浜(今の萱浜)また樋より酒のもれた地を雫(しどけ)と名付けた

この伝説も不思議である。なぜ甲斐碗として甲斐がでてくるのか?
おそらくもともと萱浜はカイ浜という地名だった。それが後に萱浜(かやはま)になった。地名伝説には地名が先にありそれにこじつけた伝説が多いからだ。
ここは泉かんが跡があるところだから古い地でありその時からあった地名かもしれない、地名は相当に古いからである。この辺の地名としては

蝦夷関係の地名

ebiiiiiiiii123.jpg

エとつく地名

ツノガノアラシトや伽耶関係の地名

末続、角部、津(つのみや、つのみつ)神社のツノ系統、唐神(からかみ)なども

古代にはこの二つの地名があ、蝦夷関係の地名は最も古く縄文時代につながるものである前に考察したエの地名は蝦夷に由来するものである。
蝦夷はエビスでありエビ(海老)になる。南相馬市の鹿島区の海老はエヒと言われていた
それは蝦夷やエミシに通じる、つまり蝦夷が住んでいた地域だとなる
それからエという一連の地名が浜通りの海岸沿いにある。
エとつく地名は日本全国に本当に多いのである。それが日本全国に蝦夷がいた名残だとなる。蝦夷とは日本の先住民でありインディアンともにていたのである。
だから縄文語があってエがつくのはそのためである。その縄文人とまたアイヌとの関係はどうかとなるとむずかしくなる、縄文人が一万年いたとなるとアイヌはその後に入ってきた新しい民族だともされているからだ。
たから日本の地名をすべてアイヌ語で解きあかすのは無理なのである。
ただ北海道に密集してエのつく地名が多いのか?それはアイヌ語由来であり蝦夷との連続性がアイヌにあるのかとなる

「えけせてね」は、藤原氏が反抗する者どもを差別するためにつけた。例えば「江戸、江藤、蝦夷、恵那、江田」といった苗字は、藤原政権の追及迫害を逃れた人が隠れた(追いつめられた)土地からきたのであり、「エの民」と呼ばれたようである。

藤原政権の前に古代史では神道派と仏教派が争った。物部氏と蘇我氏である。そして最終的には仏教派が勝って国家の鎮護として奈良の大仏が作られた。
当時の仏教は総合的なものであり一つの文明として受け入れたのである。

日本の原住民として蝦夷がいてその後に弥生人が入ってきて稲作を広めた。物部氏は権力闘争に敗れて北に逃れた。そして蝦夷と連合したのである。
でも物部氏も最初は原住民の蝦夷と争っていたのである。その証拠が鹿島区にある御刀神社である。海老に蝦夷がいて物部氏が戦ったからこそそこは御刀神社となったのである。刀をつきさした所とあり刀で蝦夷を征服したのである。

だから真野の草原はかいはらと呼ばれていたのかもしれない、それがカヤになったともなる。他でもかやはらとかいはらがありどっちかとういとカイハラというのが全国的に多い、ただカイと言っても峡もカイであり古語ではカヒとなっている。
甲斐の国とは峡谷が多いからそうなっかともとれる。

だから真野の草原はカイハラだとしたら地名としてここに残っているとなるから蝦夷地名として奈良に知られていたということになる。
それは北海道が実は異民族のカイのことだったと同じである。
カイがカヤにされて不明になったともとれる。

ただ草原(かやはら)というとき前に証明したように古代の和名類聚抄に記されていて数は少ないが一連のものとしてあった。
埼玉県にも草原氏がいてそれは古い謂れがある。ここから近いことも草原(かやはら)というのが何かその辺からも伝えられたものともなる。

和名抄、武蔵国埼玉郡に草原郷あり。加也波良と註し、高山寺本には萱原に作り、加夜波良と訓ず。

二つの説でどちらが有力化となるとこれもわかりにくい、自分は伽耶説をとってきたからそれをまたカイ説にするとそれてりの説明を論拠を示していかねばならない、その作業が容易ではないとなる
ただエとつく地名とかの関係で蝦夷と関係していたとなるとわかりやすいし説得力もあるとなる、その地名が残っていることでそうなるのである。
萱浜はただ真野郷内にはせない、でも行方郡衙(泉廃寺跡)の港につづいているものだから有力だとなる。そこは港だったのだから草原はただ茫漠とした萱の原を言っていたのではないのである。人が通う場所としての港のことだったからである。

南相馬市鹿島区の海老村は蝦夷ーエミシが住んだ地域だった 
(神社の位置が歴史を語る)

2016年12月24日

鹿島の復興住宅に入る浪江の人と話する


鹿島の復興住宅に入る浪江の人と話する


fukkour122.jpg
原町の雲雀が原の復興団地
fukkour1.jpg


fukkourrrr345.jpg
鹿島の復興住宅



シシドスーパーの隣の一軒家風の復興住宅に入る人がいたので聞いてみた。
二本松市から移る浪江の人だった。浪江の室原だとういう。
室原ではすぐ近くが閉鎖された地域だというから相当に放射線量が高い
その人も原発で働いていたのである。
浪江は三分の一は原発で働いていたしその関連で働く人も多かった。

「ここは一人では入れないと思った、何人か家族が入ると思っていましたが」
「自分の母親は死んだんです、今は自分一人です」
「すると母親が生きている時ここを申し込んだ」
「ここは抽選なんですよ、それでも空きが出るみたいです」
「空きが出るということはやはり家を建てた人がいるとか」
「そうです、県では計画を建てて復興住宅を建てたんですが事情がそれぞれ変わってんですよ」
「空きがでるということはもったいないな」
「こっちはあったかいからいい、二本松は寒い」
「ここは気候はいいですからみんな帰りたいですよ、浪江の人とは良く会うな」

その人は二本松で母親と一緒に暮らしていたが最近死んで一人になった。境遇が自分とにている。兄弟もいないらしい。あそこは一人で住めないと思ったがそういう事情があったその人も病気をもっているらしく医者のことを心配していた。
何でも避難のどさくさで死んだ人もいるらしい、病気になった人もいるらしい。関連死が結構あったことは確かである。
どうも六〇代なのかその辺りはみんな何か病気になる世代なのである。重い病気になる人もいる。だからあの人はもう浪江に帰らないと言っていた。
小高でもそうだがそういう人が多いのである。浪江にも復興住宅を建てたが帰る人は少ないのは小高と同じである。
ただ町の計画としては廃炉事業として長くつづくから宿泊所を街に作る、五〇〇〇人規模の街を作るというのを聞いた。
室原だったらもう住めない、イノシシに荒らされているというのはどこでも同じである。
浪江では二本松にはコンクリートの役所を建てたという。二本松市に浪江の町を作るという計画もあったがうまくいかないらしい。やはりそれは無理だったのだろう。
浪江も小高のように復興は容易ではない、町自体が崩壊の危機にさらされている
それで街の役人がもう勤務が忙しくて辛いやめたいという人もでてきている、外からの応援も減ったからである。
何かこうなると町を維持するための瀬戸際の戦いを強いられているとなる
でも若い人は新しく外に家を建てた人は帰らないとか小高と同じである。
だから復興することは本当にむずかしいと思う

ただ浪江と小高の事情はまた違っている、小高は復興するというとき南相馬市民であるから違っている、その点原町でも鹿島でも移り住むのは容易なのである。
そして小高に厳しく自分があたるのは南相馬市民として復興してもらわないと困るからそうなる。南相馬市の負担になってくるから市長も今は小高の人で復興してくれと言っている。
個々にかわいそうな人はいてもやはりいつまでもかわいそうだ被害者だとしたら復興などできない、それよりすでに小高から出て家を建てたり仕事を持ったりした人は小高とはもう関係ないのである。だからその人たちをかわいそうだから援助しなければならないと今も言っているのは納得いかないと自分はなったし市長もそう言っている。
そんならお前も南相馬市民だからお前が住めともなると言われるかもしれない。
それも一つの方法かも知れない、市営住宅に住んでいる人が小高に住めばいいかもしれない、空家があれだけあるから広い家に住めるからである。
ただ市営住宅に住む人は貧乏だからむずかしいことがある。固定資産税だって払えないとなるからだ。それなら税金を免除しても住んでもらうとかの手はあるかもしれない。

その人は来年一月までは移り住むという。あの人は浪江には帰れない、第一病気だから医者が近くにいないと困るからである。
六〇代以上になるとそういう人が増えてくる、だから小高でも浪江でも帰る人がそうした老人が多いとしたらなかなか復興はむずかしいとなる
ともかく原町では相当な数である。鹿島の復興住宅も五〇棟ある。
でもあれだけの復興団地ができても結構空きがでてくる、それは当初の予定では入る人がいたが帰らないとかで他に家を建てて別に暮らしがはじまっているからである。
そういう人が帰らない、そういう人たちは若い人が多いから若い人は帰ってこないから老人が取り残されてしまうのである。
でもあそこに移って来た人も年金をもらえるのか、補償金は再来年で打ち切られる、その後どうするんだろうとなる、そこも大きな問題となってくる
それは小高でも起きたことなのである。ギャンブルして金なくなったから貸してくれと福祉に相談に来た人もいたという。そういう人もいて自分は批判してきた。
ただ鹿島では小高の人を批判してきたが浪江の人はどうなるのか、やはりなにかしら摩擦が起きてくるかもしれない、これはまた別な事情があり変わってくる
こうして原発事故は福島県全体をまきこみそして全国をまで大きな影響を及ぼしたのである。
posted by 老鶯 at 16:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

ありがとうと言う人と言わない人 (今の社会でいちいち感謝する人はいないのではないか?)


ありがとうと言う人と言わない人

(今の社会でいちいち感謝する人はいないのではないか?)


学者の武田邦彦氏はプログの放送で金とは関係なくタクシー運転手でもありがとうと言っているという、金の問題ではない、それが日本文化だという。
アメリカだとすべて金になり金を払えばいいとなると言っている
武田氏は経験豊富だからいろいろ参考になる
指導している立場にいるから具体的にそうした上のことを知っているのである。
自分は上の人のことは知らない、だから参考になる

なぜそのことを自分が考えるようになったのか?それはいつも駅に来て外から来た人の案内をしたことにあった。別にボランティアでするつもりではなく、最近介護も終わり余裕ができたことで気晴らしに駅に行って他から来た人と話すということでそうなった。
でも年配の人、二三人は案内するとありがとうと言っていたのである
それも何回も言っていた。そんなにありがとうと言うものかとも思った。
自分はありがとうと直接言われたことがあまりないからである。

結局その経験があって昨日駅で強風のために足止めされた若者をそこは無人駅になったのでいろいろ案内した。その若者は歩いて原町まで行った。
でも一言もありがとうと言わなかった。それが今までだったら気にしない、それが普通だと思っていた。
それが変だな感じたのは年配の人が何度もありがとうと言われたことにあったのだ。
ずいぶんその人は丁寧にありがとうと言うものだと思っていたからである。
それと比べたとき若者は何も言わず当たり前のように去って行った
今までならそれが普通でありおかしいと気づかなかった。
第一次自分は旅行で世話になってもありがとうなど言っていない
金払えばいいじゃないかしかない、何か社会常識に欠けていることは認めざるを得ない
でも今の社会はそういう社会なのである。金払えばいい、ありがとうより金を得ればいい、払えばいいという社会なのである。
だから店に行こうがどこに行ってもありがとうとか感謝している人はいない
そんなことしていたら疲れてしまうだろう。

ただありがとうと仕事して言われたいなら医者と看護師になることである。
ここではありがとうということを過剰に言われる、言わなければならない、医者になったらそういうふうに言われるから仕事がハードでも最高の仕事である。
あとはそんなにありがとうなどといわれる仕事は今はないのである。
みんな金を払えばいいとしている社会である。
感謝といっても人間はそもそも感謝することが一番むずかしいのである。
何かに心から感謝することが本当にむずかしい、昔の人は江戸時代あたりだと自然に感謝することがあり実りがあれば祭りをしていた。
今は農民でもそんな祭りもない、ただ減反政策だとか農産物が安くてもうからないしかないのである。
普通何かに心から感謝することはないだろう。
第一人間はどんな恩を受けてもそれも忘れるのである。
だからそもそも感謝することが一番むずかしいのである。

ありがとういとき有り難いとであり何か特別のことを難いことをしにくいことをしてくれたからこそありがとうになる、だから医者とか看護師はそれにあてはまるからそうなる
介護士なども直接人に接して援助するからありがとうと言われる
ただ介護士はそういわれても給料が安いからやる人が少ないのである。
いくら感謝されても金にならなければ仕事をしないのが現代なのである。
そういう社会になっているのだからどうにもならない

現実にホテルでも旅館でもそのもてなしは一万のホテルや旅館と三万とかのホテルでは全く違ったもてなしになる、レストランでもまずいいものを食べるには千円では無理である金によってもてなしが違ってくるのである。
いくら客に感謝されるにしても金の多寡によってサービスの質が決まるのである。
そういう社会になっているとありがとうと言うことにこだわるのかともなる
ただ人間の関係は絶対に金に換算されるないようにできている
そこにこの問題のむずかしさがある
金を払えばいいじゃないかではすまない、金では絶対に割り切れない問題がある

そのことを感じたのはしょっちゅう言っている、仮設の食堂である。
そこで気づいたことはその食堂は一人で女性がしている、それも年配である。
だからあれだけの料理を一人で用意するのは大変だと思う、皿洗うだけでも大変である。相当な労働なのである。すると千円にもならないのでは安いのかと思う
一カ月でどのくらいの収入になっているのも気になる
とてももうかる仕事ではない、それなのにかなりの重労働に見えるのである。
自分も家事をしているから家事は何か細かい作業がり疲れるのである。
だから自分は不精でありほとんど料理はしていないのである。

そういうふうに見ているのと旅しているときなどゆきづりであり相手のことはわからないだからいちいち相手をのことを気を使うなどない、食堂だって一回限りなのだからそうなる。でも常時サービスしてくれるとなると違ったものとなる。
だから地元で生活することはそうして行きづりで旅で世話になるのとは相当違っているのである。そういう気がまわせないのである。
人間の関係だって旅したくらいでは関係が築けないだろう。
グローバル化した経済の問題はそうした人間関係もないしただ物がけが入ってくることにある。何か物が入ってきてもまさに金さえ払えばいいとなる。
いちいちその物を作った人や育てた人のことを考えることはない、だからありがとうも何もないのである。そういう社会に今はみんな生きている
でもそれが人間社会として異常だということに気づかなくなっているのかもしれない
金を払えばいいしか普通はない、だから原発避難者でも私たちは金を払って消費して地元の人を助けているのよとなる、それが今の社会なのである。

それより今は近隣でも金の関係しかないのである。
自分が苦しいとき来た人はそうである。極端になると
「おばちゃんは金があるんだから金でめんどうみてもらへ」と行って遠い親戚の人は去っていったし、もう一人の遠い親戚も借金だから要求するのは苦しいときでも金しかなかった。
もう一人は本当にこいつからは金さえとればいい、本当に家捜しされて大金を失った。
一人は福島県内でも遠いがその人は近くにいるのである。
近隣でもそういう関係になっているのが今の社会なのである。
だから「金の切れ目が縁の切れ目」になる、近隣でもそうである。
でも納得がいかないのは今でもその人に会うし地域で生きている
それでも消費者が王様だというよう原発避難者でも「私たちは地元の人を消費して金を使って助けているのよね」と言っているようにそういう社会なのである。
ただ自分の場合はそれが極端なものとして現れたのである。
それは自分の事情もありすべてにあてはまらないにしても極端化するとこうなるのである。

ただ江戸時代辺りだったたらこういうことはありえなかったと思う、人間と人間が密接にかかわる社会ではありえないことだったろう。
そういう人間と人間の関係がすべて金に換算された社会は人間とて異常な社会だということに江戸時代にいたら気づいた。
だからありがとうにこだわるというときそういう社会こそ正常だったとなる
それが日本の文化だというときその方がいい社会だったともなる
ただそういう美徳は年配の人には残されていた,というより社会生活でそういう生活をしてきたからそうなっていたともなるのだろう。
それはやはり人によることもある、一般的に若者はそんなありがとうとか道を教えたくらいでは言わないだろう。
それでも外人なにかいちいちサンキューという、そういう習慣がある。
外から来た人に対してもそうである。そういう遊牧民的な社会だと客が大事になりもてなすという文化がかえってある。だからいちいちサンキューというとも言われる
日本では外から来た人には冷たいからである。それもまた日本文化なのである。

いづれにしろ駅でボランティアのように案内して年配の人は丁寧にありがとうと言った、それで今回の若者は教えても何も言わず去って行った、そこに違和感が生れた。
やはり人間は何か比較すると気づくのである。今までだったら気づかないのである。
対処がまるで違っていたので気づきやすかったとなる
だから現代を知るには江戸時代と比べるとわかりやすいのである。
それで江戸時代のことを自分で書いてきたのである。
ただ自分など社会経験に欠けているからありがとうと言わないし言いたくないのである。だから人のことはとやかく言えないともなる
でも今の社会がすべて金に換算されるということがおかしい、異常だとはみんな思っているのである。だからこそありがとうでもそういうことが見直されるのである。




  タクシーについて(武田邦彦)

これは江戸時代のことなのである。江戸時代には日本文化があった。
だから江戸時代と比べると今の時代は異常な社会だとなる
でもそれを具体的に知ることはむずかしいから江戸時代と比べてそれを知るのであり気づくのである

今回も年配の人は丁寧にありがとうといって若者は何もいわない、さっさと去って行ってしまったということで何だろうと気づいたのである。
つまり日本文化といっても時代によって変わるから何が日本文化かもわからなくなるのである。今はそんな日本文化にこだわる人もいないのが普通だからである。



posted by 老鶯 at 10:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会問題の部

2016年12月23日

常磐線(仙台ー原ノ町間-強風のために運休)



常磐線(仙台ー原ノ町間-強風のために運休)


stoptrainnn111.jpg

この電子掲示板が見やすいしわかりやすい、無人駅でもこれがあるとわかりやすい

赤い字は運休である。


鹿島駅にまたよったら飯館の方を回ってきた青年がいて仙台から東京に帰れないと困っていた。地元の人も困っていた。その若者は原町まで歩いて行った。
いろいろ教えてやったがありがとうとその青年は言わなかった。
年配の人はいろいろ教えるとありがとうと言う人がいる
そんなこといちいちこだわるわけではないが前にそういうことがあったので若者は違うのかと思った。

第一自分にしても道聞いたりしてありがとうなどあまり言わない、店でも言わない
有名な学者がタクシーに乗ってもありがとうという、それは金を払っているからありがとうと言われてもこちらからありがとうとは言わない、
でも今回は善意でしていたボランティアだった。
だから確かに普通だったらありがとうと言うのかもしれない
年配の人と若者は違っている

なんか最近は毎日鹿島駅に行っている、気晴らしということもある。
今は無人駅であり案内人がいない、それでボランティアの案内人みたいなことをしているそれを最初は意識していなかったがだんだんそうしているうち意識するようになった。
まだこの辺は外部からくる人がいるからそういう人と話して案内する

今日は強風で運休というとき新地から浜吉田とか津波の被害にあったところが高架橋になり風の影響を受けたのかと思った。
ただ新潟の糸魚川で大火事があったように強風の影響だった。
糸魚川で記憶しているのは松本から長い塩の道の終点の街だった。
街道の宿場町ということで古い家が多くあれだけの被害になった。

ともかく今日は強風の一日だった。気温も冬とは思えないあたたかさであった。


年の暮短歌三十首 (仙台から相馬市-鹿島-原町-小高へと)


年の暮短歌三十首

(仙台から相馬市-鹿島-原町-小高へと)

mapsomaaaa12367.jpg


(仙台まで)


仙台に通いし電車そのひびき高鳴りつつ年も終えなむ

五年ぶり電車通りて仙台に古本買いぬ年のくれかな

仙台の長町におりて新しき通りに落葉電車通じぬ

高架橋電車は走りぬ冬の海広々と見えて船行くを見ゆ

復興の電車通りて海よりそ満月昇りて光りけるかな

日立木駅下りる人あれ冬の月寒々として光りけるかな

鹿島駅こうこうとして冬の月光りて我が一人おりにけるかな

(仮設)

仮設の食堂に通いて二年やなじみにけるや年のくれかな

仮設住む人もともしき冬の灯ややがて消えなむ名残りおしみぬ

(飯館)

飯館は雪になるらし寒しかなかしこ住む人ここに思いぬ 

飯館の佐須は遠しも乳神の碑のありあわれ年のくれかな

飯館の比曽は遠しも一度のみ行きしを覚ゆ年は暮れなむ

(相馬市)

相馬市の街の灯あわれ心にしみカップを買いて冬の夜帰りぬ

五本松また通りにつ冬の夜や我が帰りゆく二本は枯れぬ


(原町)

原町のモスバーガーにそまたよりぬ外は北風汁粉の味かな

原町の街中通り農家かな畑に菜を育てて冬のくれかな

蔵ありて井形紋ありこの家の昔は農家は冬の日暮れぬ

この家の焼けしことありその形見馬頭観世音冬の日暮れぬ

紙漉きの家にしあれと石神や昔思いて冬の夜ふけぬ



(小高)

小高にそ電車はつきぬ小屋木へと行く人あれや秋の日暮れぬ

鹿島にて話す老人今は住む小高にあれや冬の灯ともりぬ 

小高駅おりたちあわれ冬の灯ともりわずかや誰か住みなむ


(浪江ー双葉)

浪江には電車通らじ淋しかなその闇深く冬の夜ふけぬ

双葉町遠くなりにき我が父の酒屋に働く場なりしかな


(鹿島)


庭の石見つつ小高の老人と話すことあり年のくれかな

我が家族争いつつも家族なりその日の長くも今はなしかも

ふるさとは何にしあれや街に人村に景色思いよすところ

広き家に老いても住めぬ女の来て我が家にあわれ年もくれなむ

寺内にホトケッポありはふり場や冬の月光り墓の埋もれぬ

しんしんとして冷える夜こそ一人住む同じ町の人思うものなれ

冬の夜や我が家に一人暖をとり昔偲びつ老いを楽しむ



鉄道の旅は長いから何か線路は心をつないでる感じになる、バスにはそういう感じはしないのである。それで北海道の稚内へゆく線路の詩を書いた。
本当に今回仙台まで電車が通じて仙台まで心が通じたと感じたのである。
これも不思議な経験だった。鉄道は自分にとって特別なものだった。鉄道の旅が長いからである。そこに愛着が生れたのである。

愛着というときそもそも故郷は何かとかこの辺は原発事故で避難したりして問われたのである。
故郷もなにかその土地に愛着を抱く場所である。それは親の代から先祖からもつづく愛着をいだく場所なのである。
だから故郷を離れたとき啄木はあれほど望郷となり短歌を残した。
何か自分も今になり啄木調の短歌が次々にできるのである。
詩も我ながらいいものが作れたなと感じることが多い、それも不思議な経験なのである。
人間は本当は死ぬまで不思議な経験をすることなのである。死の瞬間までそうである。
その経験は老人なるとさらに深まる、まずあらゆることに理解が深まるのである。
芸術の分野では年取るとかえってその芸は熟達するし理解が深まるのである。
今までは何か自分はいろいろなことを理解していなかったし俳句短歌でもいいものが作れなかった、詩でもそうである。

でも今は泉の水がこんこんと湧くように無理しなくても作れるのである。これも不思議な経験なのである。だから自分は老後は暇にならない、常にこんこんと泉湧くように創作できるし理解が深まるから評論なども書ける
本などもすぐに理解できる、どれがいい詩なのかもすぐわかるのである。
今まではなかなか理解することがむずかしかったのである。

ふるさとというとき小高の人などいろいろ言ってきたがそれはやはり同じ南相馬市民とかなり家族のようになるからである。
自分の家族は争いつづけてきて遂に死んだけどやはり家族だったと同じである。
ただその範囲としては双葉までであり大熊となるとなじみがなくなる
双葉では自分の父親が酒屋で働いていたからである。

飯館村はやはり相馬藩内であり何度も行っているし高い峠があるが一つに結ばれて地形的アイディンティティをもつ場である。歴史的には塩の道でつながっていた。
佐須となると飯館の中心地の草野からまたばずれている。
飯館村というと広いから草野から離れるとなにかさらに辺鄙な人も行かないような所に感じるのである。

相馬藩内でもいろいろ特徴がある。こういうことは旅しただけではわかりにくい、人はその場所に住んでみないと根本的にはわからないとういことがある。
そして故郷とはその人であれ街であれ村であれ景色であれ歴史であれ先祖であれ死者であれ愛着をもつ場所である。

人とはあまり接していないがやはり多少接した人のことも愛着がでてくるということである。場所と人はまた結びつくのである。
小高でも小屋木に住んでいるとなると何かその地名がひなびていて印象に残ったのであるただ仮設も来年の三月とかでなくなる、でも六年近くあったのだからこれも名残惜しいとも今ではなる
仮設の食堂にも二年間ぐらい通ったのである。これも結構長いなと思った。それで女性の店主と親しくなったとかある

いづれにしろこの十年間は自分にとって激変の時だった。その間に姉も母も家族はみんな死んで自分一人だけが残されたのである。その変化もあまりにも激しかったのである。
しかしなんとか耐えてやってきたとつくづく思う

人はいろいろいるが他人のことはなかなか理解しにくい、その女性はもう65すぎても狭い市営住宅すまいである。すると一生広い家に住んだことがないとなる
広い家に住んでいる人はそれがわからないのである。
仮設の狭い所に住んだ人はそれを経験したことになる、すると狭い所に住む人の気持ちもわかるということにもなったのである。

ともかくこの十年の歳月は本当に激変であり苦しかった。でもなんとか耐えた。
そして今年ももう終わる、仙台まで電車が開通したことは本当に復興だった。





2016年12月22日

移民の歴史をふりかえる (移民は戦争にもなり世界史そのものだった)


移民の歴史をふりかえる

(移民は戦争にもなり世界史そのものだった)


日本は遠い異国ではなく、日本の軍事勢力圏にある満洲や東南アジアに移民を、さらに移民を護るための軍隊を送り始めた
この事を指して、アジアに対する「日本の侵略」と豊かな国の左翼は言うけれど、俺は満洲事変、大東亜戦争は貧しい国がさらに貧しい地の富を収奪する哀しい戦争であり、過去の日本は「悪」だったと決めつけても、その本質は理解できないだろうと思う。

移民は世界史でもある。大量の移民は戦争になる。なぜ移民になるのか?
その原因は貧しい国が豊かな国を襲う、貧しい国が飢饉になれば流民化して他国へ流れ込んでくることもある、そうした流民が中国では内戦と発展してきた歴史がある。
それは中国国内で起きたことだが他国の間でも起きる
なぜモンゴルが中国を襲ったかとなるとモンゴルは遊牧民であり食料が不足するときがある、農業国の中国は豊かな生活をしている、そこでモンゴルでは定期的に豊かな農業国を襲ってくる、それで万里長城を築いたのである。

貧乏な国から豊かな国へ侵略が起きる

それは世界的格差が今問題になっているがそういう問題は古いのである。
格差のために戦争になっていたのである。富めるものから奪うことである
それは国と国の間なら正当化されるのである。
格差が大きくなると国内でも富めるものから貧乏人は奪っていいともなる
金持ちは襲われる危険が増大してくる。
格差が大きいと貧乏な人たちはそれを悪だとも思わない、当然だとなる
それより金持ちが貧乏人から富を奪っている、格差を広げているとなる
現実に今はそういうふうに格差をとらえているから金持ちは危険になる

満州への日本人の移民が実は大東亜戦争の原因になっていた。満州の利権をめぐって各国が争っていた。アメリカとも争っていてそれがアメリカとの戦争の原因にもなっていた。日本は貧乏であり農民が働く場所もない、その時農業中心だから働くとなると土地が必要となる。すると満州のような広大な土地は絶好の場所だとなる
でも移民するにしても満州は適地ではなかった。北海道より寒いからである。
そんなところでも移民しようとしたのは働く場所がないからである。
人間は常に働く場を求めている、今も地方で東京に出るのかとなると地方では働く場がないからだとなる
明治維新のとき大量の侍が失業して北海道の開拓移民となった。
時代が変わるとき難民を移民を生みやすいのである。

今起きていることもやはり歴史のくりかえしである。アメリカに大量のメキシコ人が入ってくる、その影響がアメリカの国自体をゆるがすようになっているのだ。
ヒスパニックとは言葉さえ通じない、そうなると一国のアイディンティティを共有することがむずかしくなり国の一体感が保てなくなる危機である、だからカリフォルニアが独立国になったほうがいいとかトランプが大統領になることでそうなった。

移民が起きるのは貧乏な国から豊かな国を目指すからである。自国で豊かな国を目指せばいいとなるがそれができないからこそ移民となる
すでに豊かになった国に移民する方がてっとりばやいとなる、なぜなら自国が豊かになるには時間がかかるからである。
そして遊牧民のモンゴルとかなると羊を飼うことのほか何か産業が作れないとういことがあった。豊かになる方法がなかったのである。

移民というのは移民する側と移民を受け入れる側との問題がある。
政治的理由とか経済的理由とか宗教的理由で移民になる。
ジャガイモ飢饉でアイルランド人がアメリカに移民した。それはアイランドの土壌が肥沃ではないからである。アイリョシュというのはアイルランド系である。

人口の少なくとも20%が餓死および病死、10%から20%が国外へ脱出した。また、これにより婚姻や出産が激減し、最終的にはアイルランド島の総人口が最盛期の半分にまで落ち込んだ
AC%E3%82%A4%E3%83%A2%E9%A3%A2%E9%A5%89

これほどの危機的状態だったのである。

ただアメリカがその時豊かな国ではない、ただ広大な土地があったということが農民にとっては魅力だったのである。土地が自由に手に入ることは魅力だったのである。
ただアメリカには原住民のインディアンがいたが虐殺されたのである。
移民の圧力は飢饉とか職が得られないとかで基本的には起きてくる。
ただそうしたときアメリカとか北海道ではフロンティアとなってそうした人々を吸収したのである。

今起きている移民問題も別に新しい問題ではない、歴史の繰り返しである。移民というときモーゼの出エジプトも大量の移民問題だった。神の国を目指しての大量の移民を達成させたことなのである。それは神の業としている、だから人類史でも移民は常に起きていたしヨーロッパの歴史も移民の歴史である、ゲルマン人の移動は有名だが他にもゴート族だとかいろいろな民族が移動している、移民している、それが戦争になっているのである。
だから移民というのはとめることができない、人類的にそもそも移民が不可欠だからそうなっているともなる。移民があっても世界の発展があったともなるからである。
移民がなければヨーロッパでもアメリカであれオーストラリアでも国としてありえなかった、移民によって世界が劇的に変化して発展したともなるからだ。
移民がなかったら世界は停滞したままだとなる、江戸時代の鎖国のように世界がなる。
鎖国もその功罪があるが世界的にみると停滞したままに海に囲まれた環境から成り立った希有の例だとなる。だからそこで日本文明が作られたともなる。


天才問題を生物学的に考えると永い間同系内で交配された民族は種族は非常に有能な民であっても天才を生むことは驚くほど少ない、スパルタなどがそうである。
これらの種族が開港都市等を占領したり貿易などで貿易の目的でそれらの中には入り込んでくると適合する同じく才能ある他種族と強く混交すると何百年のちに全く突然の天才の排出が起きる。古代ギリシャやルネサンス期のフィレンツがそうである。
フイレンツに天才が排出した主な理由はゲルマン民族中の武人貴族が侵入して土着の芸術的才能のある市民と強く結びついたためである。(天才の心理学-E・クレッチュマー)

これは生物学的にもそうだとするとそこには神の計らいがあるともなる、人類史に神が関与してそうなったともなる。
ヨーロッパがなぜ一大文明を築いたかというとこのように一番天才を排出しているからである。それは様々な民族とか文化が交わるためにそうなった。
それはアメリカとのようにインディアンしかないない種族の交わりでない、すでに強固な文化をもった同士のものの交わりが天才を生んだ、天才といってもその個人だけの力ではなれない、その背景になるものがあって輩出してくる
ヨーロッパだと天才というとき一人ではない、ある場所に群れとして発生しているのが違ってるのである。
ヨーロッパは何か大帝国は違うのである。エジプトとかペルシャとか中国とかは大帝国である。だから政治的圧力が強い国である,中国はまさに戦乱の歴史であることでもわかるヨーロッパも戦乱の歴史でも多様な国の争いのである。その争いの中でも異種交配があり文化の融合が生れたのである。

移民は世界史的に常に起きているのである。移民が世界史を作ったとまでなる。アーリア人の侵入とかもそうである。それはさけられない問題である。そこには神の計らいがあるというときもし移民がなかったら人類は停滞したままで発展進歩しないとまでなる。
だから移民問題を世界史的に考えるとむずかしいものになる。
ただ移民でもヨーロッパの移民は単純に貧乏な国から豊かな国へ移民するのとも違う。
すでにゲルマン人は文化をもっていた。言葉ももっていたからである。強固な社会組織ももっていたからである。
ただメキシコからメキシコ人の移民がアメリカのアイディンティティまで変えてしまうというとき何かそれとにたものが起きているのかもしれない、文化まで影響してしまう問題である。
日本にしても邪馬台国ができるまえに何か韓半島から移住してきた人たちが日本で混在していた。その人たちも移民であり天皇も韓半島来たともいわれる
そして日本の歴史の古地層に韓国由来の伽耶とかの由来の地名が残っているのもそのためである。日本も最初はアメリカのように移民の国だったのである。
その時は様々な人種の混交が起きていたのである。

いづれにしろ移民とは世界史的な問題であり簡単には否定できない、なぜなら移民する側と意味を受け入れる側の両方から起きてくるからである。
日本でも移民がないともう人手不足で成り立たないとかなっている。
少子高齢化でもう日本は日本維持できないとまでなっているからだ。
すると移民を入れざるをえなくなる、それはやはり日本国が衰退するからゲルマン人の移動のように神の業のように歴史的必然とてし起きてくるのかもしれない、だからそれを否定できなくなる。
もし日本人がまだ強固な民族であればそれに抵抗できる。でも弱体化していたら抵抗できないとなる。なぜなら弱体化していたら異民族が侵入しなくても自壊するからである。
ローマ帝国はすでに贅沢になり貴族が弱体化していたからゲルマン人が侵入してきたのである。その結果として強固な新たな文明が創造されたともなる。
ゴシック教会などがその例である。
ただ移民でなくても何か文化の創造は一国では無理である。一個人でも無理である。
多様な刺激がないと創造にならないのである。
その一つが自分がインターネットでしている変化の抽象画の芸術だったのである。
それもたいしたことがないといえばそうかもしれないがそれはやはり世界がインターネットでつながって起きたことなのである。

日本は中国文化との融合は奈良時代に起きた、その後も中国文化の融合はつづいていた。鎌倉時代でも江戸時代でもそうである。
明治維新後はヨーロッパとの文化の融合時代となった。それはまだ成されていないのである。これからヨーロッパ文化と日本文化が融合した文化が華開く時代となる。
ただそれは東京のような大都会からは起きないのである。
そこには自然とのアイディンティティが作れないし自然もないから文化が起こらない
ヨーロッパでもそうだが地方都市が充実していてそこに文化がルネサンスが起きたのである。フィレンツでも今からすれば小都市である。

町の拡大と人口増加は、自然な増加現象で起こったわけではなく、周辺地域からの民族流入によってもたらされたものであり、結果として、フロティアの経済発展へと繋がっていきました。これらの移民たちは、周辺の田舎の中流クラスの者たちで、経済発展の土台として形成づいてきます。また、彼らの故郷となる周辺領地との交信をしていた町の地区に定住していきます。こうしたことから、人口数が集中し、急速に伸びていったオルトラルノ側に、1128年と1237年に三つ目のの橋がアルノ川に掛けられました。この橋は、石造りで、川の上流側に掛けられ、グラツィエ橋(Ponte alle Grazie)と名づけられました。近郊都市との交易に役立たされ、周辺地域の拡張をもたらしました。


橋が発展の象徴だった。 橋によって交易が容易になったからである。高速道路とかできて仙台のリホーム会社が進出してきたのとにている。仙台はやはり技術的にもこの辺では最先端をゆくからである。

周辺の田舎の中流クラスの者たちで、経済発展の土台として形成づいてきます

とありこれは今の貧民の移民とは違う、それなりに文化的共通性あるものの移住だったのである。移民にもいろいろあるから一様にはできないのである。
文化を形成する移民とただ貧民の移住とは違っている。
ただ一都市でも興隆するには近辺からの移住が必要だったとなる。
つまり文化の形成には異種なものとの混血が必要なのである。
今の移民問題は文化とは関係ない、ただ経済の格差問題でありグローバル化でその差が顕著になり移民になる、だからまた違った移民としてある
何か常に同じような問題でも時代が違うと同じなものも違っているのである。
ただ移民とは常に世界史的問題として起きていることを知るべきなのである。
タグ:移民の歴史
posted by 老鶯 at 16:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本(世界)文化文明論

シリア難民と原発避難民はやはりにている面はある


シリア難民と原発避難民はやはりにている面はある


シリア難民と原発避難民は根本的に違うというのもある。でもにているところもある
シリア難民に関してはネットでは

なぜ自分たちの国なのに自分たちで守らないで他国に避難するのか?

命懸けで自分の国を守るために戦いという人もいる、でも命懸けで避難して実際に海で死んでいる人もいるのだからそれほどにして国を脱出するということは事態があまりにも深刻だからとなる

原発避難者に関してもなぜ自分たちの町なのに故郷なのに守らないのか?

なぜみんな脱出してしまうのか?そして補償金だげは要求する
その補償金で何をするのかというとき他に脱出して故郷を捨てて家を建ててそこで新しくはじめるのである。
補償金をもらって自分たちの故郷に住み復興するならわかるがその補償金は町に住んで復興することではない、他に脱出してそこで新しくはじめるための資金なのである。
だから何が復興なのかわからなくなる

そもそも故郷は何なのかとか国は何なのかということは普通はわからない、当たり前にあるものだからである。そんなこと普通は問わない
つまり故郷とか国となると故郷を失うとか国を失うとかそうしたぎりぎりの状態にならないと意識しないしわからないのである。

誰も普通は故郷を失うとか国を失うとか経験できないからである。
でもシリアなどでは実際に起きていることである。
そこで避難民とドイツの住民とが争っているのは対立が生れたのはこの辺の状況とはにている。なんだあいつらよその国からきたのに問題を起こしている
なんであいつらの援助をしなければとならないんだとなる
現実にテロも起きて人も死んでいる、そうしたらその対立は深刻になる

ここではそういう深刻さはないけどなんで自分たちの故郷を自分たちで守らないのだとはなる、小高の場合は原町や鹿島や他に移っても南相馬市民だからまた移り安いということがあった。小高の事情と他の避難した町の事情は違っている

シリア難民とは比べることはできないとしてもにている面はあるのだ。
そもそも故郷でも国でもそこに住んでいる人が守らないとしたら誰が守るのか?
国でも日本を守るのは最後は日本人しかない、アメリカ人が守ってくれるわけではない、最後は日本人が命懸けで守るほかなくなる、そうしなければ国は滅びる
するとシリア難民のようになってしまうのである。

補償金をもらったからそれを資金にして他に移り住む、もう小高とは関係ないとなっているのが変なのである。
復興復興というけど個々人にとってはそれが復興になっているのだ。
だからとにかく補償金だけはもらえるだけもらうとなっている
それは別に小高に住んで復興するためでもない
現実に名取辺りに若い人が家を建て住んだ、その家に親を住まわせる部屋まで作ったから一緒に住んでくれと言われているという、でもその老人は小高の復興住宅に住んでいるのである。老人は慣れ親しんだ町に住んでいたいからそうなっている
でも結局はやがて介護状態になったりしたら子供がひきとるようになるだろう。

自分たちが被害者だ被害者だとだからなんでも許される、被害者だから補償金も当然もらえる、小高ではなく他に住んでももらえるのは当然である。放射能で住めなくなった被害者なのだから当然だとなる
でもその放射能にしても線量は小高の場合,この辺と変わりなく低いのである。山の方では高いところがあっても全般的に低いからそこは住めない地域ではない
要するに小高に住もうが住まないでも同じ被害者として訴えるだけなのである。
小高に住む人ならある程度は理解できるが被害者だから他に移りそこで補償金を要求しているというのも理解できないのである。

シリア難民ならそこに故郷に国に住むことが命懸けになる、だからこそ命懸けで避難している,小高だったら放射能もこの辺とさほど変わらない,命の危険があるわけでもないでも帰らないのである。
それでも自分たちの国だから自分たちで守れという人がいる

だから原発避難民と地元で摩擦が起きたのはシリア難民ともにている
ただ小高以外は線量が高いからまた事情が違っている
そして難民はシリアだけではないアフガニスタンからパキスタンからいろいろな貧乏な国からきているのである。
そういう人たちが不満でテロを起す、それもお前らはお前らの国ににいて豊かになる方法を見いだせ、平和になる方法を見いだせともなる
他の国に来て不満だからとテロをしていいいのかとなる
そんな人を受け入れられるのかともなる

ただこの辺では原発避難者様になっている、そしてNHKでもなんで原発避難者を受け入れた人たちが文句を言うのだとなる。
それはいわき市で二万人も避難したから極端になり嫌がらせにもなるのも当然なのであるそれで逆に右翼のテロにもなる。それもシリア難民とにているのである。
ただシリア難民は命がけで脱出してきたのは違っている
そのシリア難民を擁護することはNHKが原発避難者を擁護する放送したのとにている

なんで原発避難者を批判するのだ、受け入れないのだとなる

避難民を受け入れたドイツであれ非難される、ただ違うのはシリア難民が生きる死ぬかの選択でありここでは安易だから違っているとなる
ただこうした摩擦が起きているのはやはり何かにているのである。
あんな過酷な状態でもお前たちの国はお前たちで守れと言う人がいる
そしたら小高などは放射線量も低いのだからそう言われたらみんなもどるだろう。
でももどらないというのが納得がいかないと外から見るのである。
そして他に移り住んだ人も被害者だ被害者だとして援助してくれとなっているのもおかしいのである。


posted by 老鶯 at 10:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2016年12月21日

abstract pictures ( many streams)


abstract pictures ( many streams)


fallwwwwww123.jpg

big waterfall

flowwwwwwww123456.jpg
violent flow

wayerfireee111.jpg

river in the begining

streammmmmmmsed.jpg

Flow to join in spring


川の詩(a poem of river)    


川には天の姿が見える

太陽も月も星も雲も青空も、川の流の中に現れる

天の極まるところへ、川は流れてゆく

川は地を流れては天を経て霧となり雲となり雨となりまた地を流れる


A figure of the heaven is seen in the river

The sun and the month and the star and the cloud and the blue sky appear in the flow of the river

The river flows in the heaven

River  drift to the ground, it becomes, and it is fog with a cloud via the sky, and we have rain in the river and drift to the ground again


古本屋で見つけた詩集の一つである。これだけが良かった、あとはいいものはなかった
その人は知られていない、すでに死んだ人である、詩は一つくらいはいいものを書いている、ただそれを知ることはなかなかできない、たまたま仙台の古本屋で発見した。
名前を記さねばならないがわからなくなった。
四〇〇〇円では高いから買わなかった。詩集は何か高いのである。
ただ今蒐集しているがこれは高いし内容がほとんどなかったから買わなかった。
ただこの詩だけは良かったのである。
それで川の抽象画を出しつづけているのでここに出した。


It is one of the books of verse which I found in a secondhand bookstore. There was not the thing good afterward which only this had good
Yes, around one poetry that is the already dead person whom the person is not known to writes one of a potato; it is not readily possible to only know it; discovered it by chance in a secondhand bookstore of Sendai.
You must write down the name, but lost it.
Because it was high for 4,000 yen, I did not buy it. Something is high in the book of verse.
I made collection, but did not buy it now because this was high, and there were few contents.
Only this poetry was only good.
So I started it here because I continued taking out the abstract picture of the river.


タグ:many streams

紛争地、事件現場とかに侵入する記者の危険 (事実は語れてもどっちかに味方することは危険)


紛争地、事件現場とかに侵入する記者の危険


(事実は語れてもどっちかに味方することは危険)


シリアとか取材に行って人質になって残酷に殺された人がいるけどその時、盛んに自己責任だ日本政府では金を払う必要がないと世論でもなった。
そんな危険な所に行くべきではないしそのために日本国民の税金を払うべきではないとなった。
確かにその現状を知らせる人が必要ではある。でもそういう場に入っても何がなんだかわからなくななるだろう。
それは別にそうした大事件ではない、世界的なものでなくてもみんな個人的に経験しているだろう。もめごとが争いがあるときその当事者になると何が起きたのか訳わからなくなる、そういうことを自分も経験している
急激に交通事故で死んだけどそこには様々な事情がありそれが理解できなかったのであるそれがまた離婚したばかりだとか運送会社で働いていたとかそれも複雑であり何か起きていたのかわからなかったのである。
そういう時判断することができない、結局得したのは弁護士が仲介に頼んだが何もしていない、百万で頼んだが実際に交渉したのは保険会社の人だった。
弁護士は裁判もなにもしない、ただ百万を受け取っただげだった。

もう一つは親戚でも最初は母親と娘がいて母親がひどい人だと思っていた。実際は娘が母親を虐待していたのである。全く逆だったのである。その娘は自分の家にきてとんでもない人間であったことがわかった。それは信じられない人間になっていたのである。
これは長い間交際をしていないからそうなった、どういう事情になっていたのかわからなくなっていたのである。時間がたつと事情が変わってしまうのである。
だから何かもめごとがあると争いがあったら両方の言い分を聞くことが鉄則である。
裁判で双方の言い分を言わせることでもわかる。
喧嘩両成敗なのである。喧嘩になるには何か双方に原因がある。一方的に聞いていると必ず判断を間違い,仲裁に入ってもその人が危険になり傷つく

だから取材というのもNHKでもここでは原発避難者を一方的に味方する放送だったと思うここでは津波の被害者もいるし両方の被害を受けた人もいる。複雑であるからこそどっちかの味方につくことは危険である。
そもそもシリアのような所ではもう踏み入れたらそこは何がなんだかわからない世界である。その現場に行ってももう何かを理解することはできない、ただ事実は報道できる
誰かが殺された、何人死んだとか、家が壊されたとか、そこに起きた事実は冷静に見て報道できる。でも誰が悪いかの何の原因なのかとそうしたことは簡単に報告することは無理である。それはもはやあきらめるほかない。

だから何か事件の現場でも紛争地でも第三者が入ることは危険になる。
何か伝えねばならないんだといってもその土地のことは簡単にわからないし紛争にまきこまれることになる、それが日本政府にも影響してくる。身代金を要求されるからである。何か伝えねばならないということはある、でもそれが日本国民にどうしても必要な情報なのかとなるとそうでもない、むしろ日本国民を危険に陥れる方になる
それはこの辺の原発事故周辺で起きていた。
何かそういう意図は放送では明確ではないから注意もしない人も多かった。
それはもしかしたら自分だけかもしれないとなる

相馬市のトマト農家に飯館村の人が働かせてくれと頼んだが断られた、相馬市でも津波の被害が大きいから津波の被害者が優先だとしてそうなった。
飯館村は同情すべきでも補償金をもらっているしその額も大きいのである。
相馬市の津波の被害者は補償金はゼロだから不満が大きいのである。
そういうことを考慮すれば別にその相馬市のトマト農家を批判すべきものでない
むしろ適切な判断をしたのである。
そして働きたかったら原発避難者こそボランティアでやるべきだと自分は言った。
補償金をもらい余裕があり病気でもない普通の体ならできるからだ。
それなのにギャンブルに興じているだけだったら原発避難者の方が批判されるべきなのである。
これには放送するNHKの意図があるのが見えにくいでも何か上の人の命令でしているというときその意図があり原発避難者側について放送していたのである。
そういう意図が上の人で決まっていて取材して編集して放送したのである。
トマト農家の言い分は放送していないからである。他の人の言い分も聞いていないし言わせないからである。

他でも浪江の工場経営の社長が前に仕事をしていた仲間が仕事をくれないいうときもそうである。
工場経営とかなると億の金をもらったかもしれない、そういう人が仕事をくれというとき仕事をくれないとテレビで訴えていかにも仕事をくれない前の仲間が冷たいとか悪いというふうに放送していたことになる。
双方に言い分がある、だから一方的に味方した放送は裁判官になっていたのである。
双方の言い分を言わせないからである。マスコミにばそういうことが多いのである。
マスコミが取捨選択して編集して自分たちの意図を通した発言をさせているのである。
ネットだと問題があるにしろ誰でも発言権はある、でもマスコミにはマスコミの意図にそったものしか発言できない、そこにかえって不満になり対立が深まるとなる。
NHKでそうしたことを全国報道することは影響が大きいのである。
全国の人に回りの人はなぜ原発避難者に冷たいのだとすりこまれるのである。

でも現場の事情は複雑なのである。だからマスコミのNHKの意図したことを報道するのではなく事実を報道することが報道の基本にある。
つまりこの辺の事実はどうなのかである。原発避難者に補償金で不満な人がいるとかは事実である。そういう事実を隠すことはできない、原発避難者にとってはそう放送されれば自分たちの不満を言わせてもらって良かった、見ろ、NHKでもそう思って全国に放送しているのだとなる、でもそれが本当に良かったのかとなると原発避難者に不満な人たちも現実に一緒に住んでいるのだからそうはならない、それでNHKがそう発言させてくれて全国にも放送したのだから回りのものを従うべきだ、原発避難者に文句を言うなとなる。
でもそれで解決するかとなるとならない、不満が鬱積してくるだけだとなる
そしてそのことで原発避難者は思いあがり原発避難者を批判すると誰もお前のような奴はいない,みんなが全国民も原発避難者に同情しているとかなる

そして極端になればギャンブルしようが何しようが補償金はもらって当然だとなる。
被害者なんだからどれだけ被害かあったのかわかるかとなりそれを言い続けることになる被害者特権化する。何でも容認されるとまでなる。俺たち避難者様に何も言うなとなる。そういうことを助長することにもなったのが今回のNHKの放送である。
津波の被害者は別にして原発避難者に対してボランティアでも一見いいようでもそれを助長していた。避難者は助けられるべきものでありそれが当然であると思いこむようになった。もちろん原発避難者の被害は大きいし深刻なことは書いた。
それとこれはまた違った問題になっていたのである。
ただNHKではそれだけではない、復興のために努力している人のことを放送している。
他にも復興のために寄与する放送はいろいろとしているのである。

鹿島出身の議員が小高の人を応援していた。それで選挙になればその人にいれる、同じ南相馬市民だからそれは自由である。
その時、その女性は鹿島の人がみんなやはり原発避難者を応援していると思っていたのである。それで私たちは鹿島では消費しているから鹿島の人も助かっていると言っていたのである。そういうことはあっても何か納得いかないだろう。
自分はその時介護や自分の病気で四苦八苦していたから余計に不満になったのである。
自分も苦しんでいるのに誰も助けるものがいなかったから腹ただしくなっていたのである

ただ自分は三回くらいそうして原発避難者と対立した事態がありその時必ず原発避難者側にたって放送していたのである。
いわき市とかで復興団地に入って地元の人が仲間に入れてくれないというときではそういう放送をして原発避難者側についた放送をしてその地元の人が納得するかというとしないだろう。NHKがそうしたのだから従うほかないとならないだろう。
ますます反発するということもある。
だから自分が原発避難者の方がボランティアやれと言ったのである
何か被害者だ、被害者だと特権のみをいい俺たちは同情されるべきであり援助されるべきでありしかない、ギャンブルして遊んでいようがそうである。
俺たちに文句言う奴は許せない、NHKでもそう放送している、全国民がそう思っているからそんな奴は許せない、糾弾すべきだとなる

そういうふうに思いあがらせたということがNHKの放送でもあったのである。
ただそれが気づきにくいことがあったからそれに何も言わない人が普通だろう
そして奇妙なのは小高の人たちがどうなっているのか?若い人は流出して帰ってこない
小高の復興が誰がするのか?外部の人でありボランティアなのかとなってしまう。
小高の人は被害者として補償金だけは要求する、それも当然だと思っている
それで原町であれ小高であれ新地であれ家を建てている
小高はというと老人が帰り一割も帰らない、その復興は誰がするのですか?
それは外部の人でありボランティアでしろとまで極端になればなってしまう。
だからボランティアにきてそういうことを知り怒っていた人がいたのも当然である。
お前らの街なんだからお前らで復興しろというのも当然なのである。
ボランティアはあくまでもその手助けをするだけである。
その主役がボランティアになったら変なのである。そのまま小高に住んでくれるならいいがみんな帰ってゆくからである。

だから紛争地では一方の言い分をだけを聞いているのは危険になるのである。
もしシリアとか戦争状態にあるような所で一方の言い分だけを聞いて放送していたら身も危険になる。ここではそういうことはないにしてもそうした一方的報道に不満が内向してゆく、それはNHKへの不満にもなりシリアような所になると攻撃さえされるようになる。
紛争地では裁判でも必ず殺人犯ですらその言い分を言わせているのである。
だからマスコミがNHKでも裁判官になって判決しているのはおかしいのである。
別に報道は自由だとなりNHKでもマスコミも一会社だから何を報道していいともなる
でもNHKでもマスコミでも地方新聞でさえ一つの権力機関である。
インターネットとなどとは違う、だから福島民報でも民友でも公共の放送機関のように見えてしまうのである。でも一私的営利機関であり自分たちが損するようなことはしない
別に新聞をとらなくてもいいからだ。でもNHKだと強制的に受信料を徴収している。
これもだからNHKがどういう機関なのか問題になる。一私的営利機関の報道会社なら別に問題がない、ではなぜ強制的に徴収しているのかとなる
別にNHKが勝手な私的営利追求しているだけではない、国民に役立つ放送はしているのである。ただそこには他でも不満を言う人がいるように逸脱した放送がある。


当時の政府はお金持ちから受信料を取って情報インフラの整備を図ったのです。
なので放送法にある「NHKが映るテレビがあったら受信料支払いの契約をしなさい」と言う法律は決しておかしくはなかったのです。

NHKはテレビを普及するために最初に必要だったからそうなった。今はテレビだけの時代ではない、インターネットもスマホも普及したからなぜ強制的に受信料をとられるのかが問題になる。
もし私的営利企業だったらその会社の方針で放送することにも文句は言えないかもしれない。NHKが何か国営放送のように錯覚している人もいるのである。
NHKの言うことなら確かだ、NHKの言うことは国民の声なのだと思っている人がいる
それは別に地方新聞などでもそうである。それだけまだマスコミは力をもっている
フログなどだと一私人のたわいもない発言にすぎないとされることがある。
テレビとか新聞を通じて発言されると何か重要度が違って見えるのである。
NHKが特にそうだから問題にされる、ただ今回の自分の発言には反発する人もいる。
だから自分がすべて正しいとはならない、ただ地元だから自分の事情も関係していたし発言したのである。
タグ:記者の危険
posted by 老鶯 at 10:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2016年12月20日

なぜ原発避難者を批判するのか? (全国民が注視していることを知るべき)


なぜ原発避難者を批判するのか?


(全国民が注視していることを知るべき)


お前はなぜ地元なのに原発避難者を批判するのか?そういう疑問も自分にもあった。
そんなことあえて言う必要もない、事をめんどうにするだけだ。
お前も補償金をもっともらいただけだろう。それで不満でそんなにこだわるのだろう。
自分は補償金にはそれほどこだわらない、地元で相当にこだわっている人たちがいる
貧乏な人はこだわる、でも自分が追求しているのは金のためではない

今回批判したNHKの放送など誰も自分のように見ていないかもしれない、原発避難者は被害者でありそれは当然だと見ている人が地元でも全国民でもそうかもしれない、国民といっても見方は意見はいろいろあるからだ。
人間意見を言ったらきりがない、意見は百人百様あるからだ。
それより事実とかその物事に問題があればその知識だという人もいる
何か事件でも問題は事実を知ることが先だとなる、その肝心の事実関係がわからないのである。それでマスコミではその事実とか知識を深めるよりマスコミの意見を言うからその意見に左右される
右でも左でも意見を言う、その時事実がないがしろにされる

この辺で事実というとき何か事実なのか?一番重要な事実なのか?
それは地元でもそうだが常に話題になるのは補償金の額である。
それは避難区域になって避難した人たちもそうであり放射線量で細かく分けられたので複雑になった。
自分の事実として一人七〇万であり二人だからその他で一五〇万はもらっている。
これは事実なのである。この額をどう判断するかは国民にまかされる、高いと思う人もいるしそれくらいかと思う人もいる。
南相馬市は小高区では避難区域で住めなくなったから高い、原町も三〇キロ圏内たから高いのである。その額がどうなっているかと事実はどうなるかというともう一つはっきりしない。
原町の人にいくらもらっていると聞いても教える人はいないからだ。

ただ避難者の額はそもそも桁違いである。医者は無料介護は優先高速は無料とか避難区域に帰宅する度に何万とか金が支払われていた。
ある人は小高だがどうも請戸の船主であり八人とか家族がいて着きに一五〇万もらっていたとかなる。船主は事故前も事故後も漁業権を東電に売り渡したからもらっていたのである。船主が五〇〇〇万で舟子が三〇〇〇万とかは事実だろう。
だからたいだい船主はすぐに新しい立派な家を建てたのである。
それもいいじゃないかとか意見はそれぞれにある。ただそういう事実があるということをまず知る必要がある、そのあとに意見がある。
要するにまず事実の重みを知ることである。国民でも金には関心があるからだ。

「事実は小説より奇なり」というとき本当にそうである。今回の津波でこんなことが起こるのかという事実に驚いたのである。事実こそ驚くべき事なのである。
歴史だって事実が驚くべきものなのである。戦争で三〇〇万人死んだというのは事実なのである。だからまず事実を知り事実の知識を深めることが大事になる
その事実を知ってそれぞれの理解があり意見がある、その判断はマスコミでするべきものではなく明確な事実を提供するのがマスコミの役割なのでありマスコミの意見は言うべきではとないのである。
だからまずニュースなら事実を知らせるべきでありマスコミは意見言いつ判断するべきではない、でも実際はマスコミで判断して国民はそれに従う、マスコミが世論を形成するのである。

原発避難者に対しても実際はいろんな見方がある、あれだけの被害があったから一億円もらってもたりないからいいじゃないかという人もいるしなんであんなにもらっているんだ、あいつらは原発で得していたのに事故後ももらっているから勝ち組だなと言う人もいるしいろいろなのである。
でも今回問題にしたNHKの放送は原発避難者寄りになっていた。それは上の人がNHKで方針を決めて作ったからそうなった。
それを見て気づかない人もいるしそれはそれでいいじゃないかと見ている人もいる
ただNHKは最初から事実を伝えるのではなく意見をもっていて番組を制作していた。
「最初に事実ありき」ではなく「最初に意見、判断、評価ありき」だったのである。
だから最初に自分たちの意見、判断、評価があって番組は作られていたのである。

ではなぜ自分が原発避難者を責めるのか?それは原発は国民全員の問題であり世界的な問題ですらあった。たから全国民が福島県であれその被害地を注視しているからである。
例えば原発避難民が多額の補償金で毎日ギャンブルでパチンコで遊んでいるとか報道される、それは嘘ではない事実なのである。
そうすると国民はどうみるのか?あいつらは原発を誘致していい思いしてきたのにその後もいくらでも補償金をもらうおうとしている、それは俺たち国民の税金なんだよ、腹正しいとなるからだ。そう思っている人の方が多いが公にはなかなか言わないということがあった。でも腹の中ではそう思っているから子供のいじめとかになった。

だからNHKでも避難者側にたつとそれが国民の世論なのだと錯覚しやすいのである。NHKの影響はそれだけ大きいのである。すると原発避難者は思いあがるのである。
もちろんNHKがすべて悪いのではない、NHKの報道もいろいろあり復興に寄与する報道や番組作りをしているし原発の危険性を言っている
では自分が原発避難者をなぜ批判するのだ、地元なのになぜ批判するのだとかなる
でも全国民が注視しているということを知るべきなのである。
一方でもしさほど補償金ももらえず何か一生懸命復興に勤めているとすると苦しんでいるとすると国民も原発事故はひどいな、こんなに苦しめるのかとかなる
そして原発はない方がいいとなる、でも今の被害者をみたらどう思うのか?
原発は結構地元の人にとっては事故前も後もいいものだったじゃないかとなる

うがった見方をすれば何兆円も補償金をばらまき原発を作った上の人たちの責任をあいまいにするその責任の矛先を馬鹿高い補償金をもらう原発の被害者に避難民に向けさせる魂胆があるのかともなる、実際そうなっているからだ。何か肝心の責任者のことは国民が追求しないのである。そのことは避難民に問題があったからである。
原発避難者でも被害者でも福島県でもただ賠償金を要求するだけでも良くなかった。
それは国民の税金の負担となりそれで国民が不満になるからだ。
ただこんなに20兆円もかかる原発なんてやめろという世論にもなった。
だから実際は補償金問題も複雑なのである。

だから原発の問題は全国民が注視している、世界的にも影響している、そういうことを感じないといけないが実際は補償金をもらったんだから別にギャンブルしようがなにしようが勝手だとはならないのである。そういう自覚がないのが困るのである。
そのことを言うとまたお前は冷たい奴だとかなり地元の人でも嫌がられる
でもこれは地元だけの問題ではなかった。全国民の問題であり世界的でもあった問題なのである。原発は世界中にあるからそうなる。
だから何かこの辺は政治としても具体的に関心をもつし世界的にもなり国際的にもなるというのもそうである。それだけ原発事故の影響は大きかったのである。

地元の問題でも被害者側でももともと原発は大熊とか双葉とか富岡とか立地した所だけの問題ではない、広い範囲がかかわる問題だった。
狭い範囲で決めたことにそもそもの問題があった。それが今の補償金とか事故後の処理に影響している。なぜなら今度は復興住宅に仮設から大熊であれ浪江であれ移ってきているからである。
原町の雲雀が原にある、復興のビルは五階建てでありこの辺では驚く高さである。
それも並び立っているから威容である。そんなに住む人がいるのか移る人がいるのかとなる、それは県営住宅であり県で建てたものである。
原町のスーパキクチの隣の三階建ての団地は浪江の人が多い。
今になると南相馬市でも原発事故もこんなに影響するのかとみる、事故前も飯館村の
比曽の人も原発で働いていた。それだけ事故前も原発の影響がこの辺では大きかったのである。 だから狭い地域で考えるものではなかった。
いわき市では二万人が移住して家を建てたというときその影響はあまりにも大きく避難者への嫌がらせがあった。
二万人も移住すればどうなるのか、もともとの自治体は混乱状態になる。
だからそもそも原発はいわき市でもそうだが三〇キロはずれていても一旦事故になれば広い範囲をまきこむのである。そしてその責任もその広い範囲にかかってくる問題だったのである。
だからこそそれは福島県だけの問題でもないし全国的な問題であり全国民が注視しているから自分は地元だけとあえて原発避難民を批判したのである。
タグ:原発避難者
posted by 老鶯 at 10:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2016年12月19日

情報は権力によって操作される (トップダウン型とボトムアップ型の情報)


情報は権力によって操作される

(トップダウン型とボトムアップ型の情報)

saftyyyyyyy12345.jpg

saftuuuww123.jpg

interinnn123.jpg

bottom up.png

●トップダウン型情報操作

情報摂取の方法はこれまではトップダウンしかない、マスコミのみが報道する権利をもっていたからである。
だから大衆はマスコミに操作される、権力者はマスコミをおさえればいいいとなる
それで東電と政府は安全神話を形成しやすかったのである。
マスコミ金さえつかましておけばいいとなっていたからである。
それで安全神話は強固に作られていたのである。

つまり情報はトップダウン型になる、権力者がいてその方針に従わせるように情報を操作するのである。
安全神話でもそうである。原発を危険だと言わせないように情報操作する
ほとんどのマスコミがそうなっていたのである。
福島県でも民報でも民友でも原発安全神話に加担して安全だと宣伝して金をもらっていたのである。

権力者がいて情報は操作され民衆は知らされない、知ることもできないのである。
言わざる、聞くざる、見ざるになっていた
これだけの情報社会になっていてもそうだった。かえってテレビ時代とかなると百万人も見ているというときその効果は絶大なのである。
大衆は本などは読まない、テレビだと楽だしわかりやすいから洗脳されるのである。
大衆を操作するというときナチスの手法がいいのである。
大衆にむずかしいことをいっても通じない、簡単に単純化することである。
それが最後にはハイルヒットラーになるし題目を唱えればいいとかなり大衆化する
その時ラジオを百万人以上が聞いていたとするとその効果も絶大だとなっていたのであるラジオよりテレビはその十倍も効果あるものとなった。

それはトップダウン型であり大本営型である。一方的上からの権力側からの情報操作である。戦争に負けていても勝った勝ったとなり原爆落とされるまで日本が勝つと思っていたのと同じである。
原発でもその前にいろいろ事故があっても隠されて安全だ安全だと情報操作していたのである。強力なトップダウン型の情報捜査である。
なぜならそれに逆らうものは疑うものは特高につかまったからである。
トップダウン型は権力をもっているから情報操作できるのである。

今回のNHKでの原発避難者側に一貫して立つというのは上の人が決めたからである。
トップダウンで決めるのがマスコミなのである。
NHKは別に他にも原発避難民でも小高の家具職人とか復興に役立つようなことを放送している
だからNHKの報道をすべて否定はできないし復興にも寄与しているのである。
ただ原発避難者に関してはかたよっていたのである。

報道というとき情報を集めるがその情報と関係なくトップダウン型はなる、まず上の人が方針を決めてそれにそって情報を集め編集して操作するからである。
「地元には補償金などでもめていて原発避難民がギャンブルで遊んでいる不満もありますが」とか知っていしても方針が原発避難民側に立つと決めているのだから一切原発避難民のことは非難しないのである。
トップダウン型の情報操作や発信はそうなる
マスコミの情報はみんなそうである。トップダウン型である。
上の人が原発にも危険があるんじゅないですかと疑問をもつ社員がいても上の人が方針を決める、宣伝費の額が多いので東電にはさからえないとかなるのである。
そしてトップが方針を決めてトップダウンに情報を操作するのである。
そこでは事実もねじまげられる、事実があってもないとされるのである。
報道するにしても報道されないことも無数にあるからだ。
ニュースは一人一人が実際はニュースとなりうるから膨大なのである。

●新潟県巻町は新潟日報の報道で原発をとめた

インターネットは下からの様々な情報が発信される、それがあまりに多すぎるのでギブアップになる。網の目のように情報がつながるのだが多すぎるから選ぶことだけで苦労だともなる、その点トップダウン型の情報に接することは楽なのである。
だからこそ洗脳されやすいのである。
情報はやはりボトムアップ型が本来は民主的である。トップダウン型には権力側のほしいままになってしまうからである。
それで戦争のときも大本営発表でありそれとにていたのが原発の安全神話だったのである

本来情報は事実を報道することでにあった、その事実を解説したりすると事実より解説の方に左右される、コメテーターの言うことに左右される、そのコメテーターも主体性はない、マスコミの局の上の人によってすでに方針が決められていてそれに沿って発言しているだけなのである。マスコミを見ばみんなそうである。
そこで自由な発言が許されているようで許されていないのである。
そこには確実にタブーがありそれにはふれてはならないのである。

読売新聞社の正力松太郎が最初に原発を誘致したというの事実である。それで原発の父とも呼ばれている、でも読売新聞社の日本テレビがそのことを言ったら拒否されるし日本テレビには出れない、でも日本テレビでも原発被害者を応援しているのである。
だから自分たちのことは棚にあげて原発を推進させたのに応援しているというのも矛盾なのである、一般にマスコミは安全神話を作った仲間だったが反省していない
福島県でも民報でも民友でもそうである。最初から安全神話に加担して東電などから宣伝費をもらっていたのである。それも多額になっていたと思う
だから地元の新聞社とか地元にある会社などは何のためにあるのかとなる
地元に貢献するためにあるはずだがそうなっていなかった。
自分たちの会社が第一であり県民とかのことは二の次なのである。
要するに宣伝費が入らなかったら会社自体が成り立たなくなるからである。

読売新聞もテレビ局も正力松太郎本人もCIAからコードネームまで貰っている、とんでもない売国人なんですね。その精神は現会長の渡邊恒夫まで引き継がれており、読売グループ全体がアメリカの思惑通りに動いていると見られます。そんなテレビや新聞が信じられるでしょうか?日本国民のためになるようなことをするはずがありませんよね。読売りグループも電通も同じ穴のムジナです。もちろん他の新聞社やテレビ局も似たり寄ったりで、今日も嘘八百の情報を垂れ流しています。

マスコミはみんなにたりよったりなのである。金に支配されているのである。
もしインターネットのように無料で放送できたらそんなことはない、取材する力は格段に劣るし広報力も劣るが別に東電でも政府でも批判しても宣伝費とは関係ないからつづけられるということはある。
ただインターネットにしても個人になると非力でありどこまで原発の問題を追求できるのかとなるとまたむずかいしとなる
ただ報道がマスコミがいかに民主主義社会では重要な役割を果たしているか

それはなぜ新潟の巻町で原発を拒否して建てさせなかったか疑問だったがそれがわかった「原発プロパガンダ」という本を読んでわかった。
新潟日報が新聞社が原発の危険性を指摘してそれをゆずらなかったからだと書いてある。巻町とか小さな町で巨大な安全神話を作ったものに抵抗できるとは思えなかったからだ。つまりそれだけマスコミの影響が大きかったともなる
福島県でもむしろ積極的に安全神話に加担して東電などから金をもらっていたからであるその相違は大きかったともなる。それは本当にまれなことだと書いてあった。
するといくら新聞社でも宣伝費に左右されるとしてもそれだけの抵抗もできたということにもなる

そもそも報道はなんのためにするのか?娯楽の提供ということすらある、時間潰しにテレビを見ている人も多いからである。
今回の原発避難者の報道は三回自分は見た。どれも原発避難者側についた報道だった。
では何を言いたかったのか?

原発避難者を受け入れた側が責めるな、仲間に入れろ

そういうことなのか?それを目的にして指針にして番組を上の人が編成したのだろうか?
そうするとその報道が必ずしも地元の人たちに有効に働くとは限らない
なぜなら原発避難者に不満に思っている人たちがいるからである。
その原因に補償金問題があるからである。
だからそういう放送して原発避難者のためになるかというとそうでもないのである。
原発避難者はそれでいいと思ってもそうでもないのである。
ますます原発避難者に反発する結果になったともなるからだ。
そうした一方的な放送をすることによって原発避難者にも思いあがる人たちがでてくる

NHKではマスコミでは原発避難者に同情して放送しているのにお前は責めている
そんなこと良くできるな、楽しいかとか自分を批判する人がいた。
もしそうして原発避難者のことをマスコミでも多少は批判していたらはそういうことはなかったかもしれない、何だあいつは俺たちのことを原発避難者様のことを批判するんだ、そういうふうに思い上がった人間に仕向けたということもあるからだ。
そういうことがすでにあり反発していた人たちも地元にいたので火に油を注ぐ結果ともなる

●報道は事実を報道することが基本

つまり報道というのはまず事実を報道することである。原発避難者が団地ができてそこに住んでいるということは事実である。そして大熊であれ双葉であれ浪江であれそういう人たちが住んでいるのも事実である。
他に津波の被害者も住んでいたとかいうのは事実である。
そういう事実だけを報道していたら問題はない、そこで起きた対立がある、その対立している一方について報道することが問題だった。
別にそういう混在した人たちの間でうまくいかないとか対立もあるようですと言えばそれは事実だからしょうがない、でも回りの人が受け入れてくれないとかということを一方的に原発避難者に言わせるとなぜなのだ、冷たいなとか見ている人はなる
それは全国放送になるから影響がNHKの場合大きくなるのである。

むしろ報道してもいいが対立があれば地元の人たちが融和するような報道がふさわしいとなる、何かそれがなかったのである。だからその報道が地元の人たちにとっていいものとはならなかったのである
別に何かの被害を惨状を訴えるのは必要である。それを知りたいからである
でもその現場から事実を伝えることだけでも誤解を生むのが報道だと思う

熊本がいつまでも震災当時のままなのは、あまりにも、広いし、 
数多いし、実際車で走ると、延々とどこまでもブルーシート続くし、 
近所も、空き家だらけになるし、見た目よりダメージでかい。 
あのマンションも空き家になったか、この通りも住めんのか、 
一見街並みは普通なのだが、住んでいないし、 
じきに廃屋になるし、 
以前は、プールにもよく行ってたが、ほとんど休止してるし 
しかし、文句は言えん。大変な人たちがたくさんいるし 
まだまだ全体が集中治療室にいるようなものだ。 
ほんとに、来たんだな大地震が・・・・いまだに 
なじめん。まさか、ね、あの大地震がほんとに来たとは・・・・・ 


こういうふうに文章で読むのとまたテレビで見るのとは違う。この文章から熊本地震の影響は広範囲だと想像すると感じる
でもテレビだけだと何か一部分の惨状は見ているけど全体には感じないのである。
テレビの画面は何か一部分しか写しにくい、テレビは小さい箱にすぎないのである。
でも実態は空間は限りなく広いのである、その広い空間をテレビに写すとき狭い箱に写すことになるのも誤解を生む、だから全体の被害が見えないということはある
報道というのはそもそも実際に自分で見たものでもないし聞いたものでもないから常に誤解が生じているのである。
だからそもそも情報は操作されやすいのである。映像ですら今は簡単に素人でも作られる、それで勝手にテレビ局が作った映像を流して問題になったのである。
テレビの映像でも本当の映像なのかどうかもわからない場合がある

実際に見たものとは違うからである。自分もプログに写真をずいぶん出してもやはり実際に見たものとして感じることはむずかしいだろう。
それは他の人の写真でもそうである。写真だけの映像ではすべての情報ではなく一部の情報なのである。その写真をとったとしてもそこの空間であれ天候であれ暑さであれ寒さであれ風なども表現できないのである。
そこにどんな情報でもテレビでも映像でも伝えるには限界があることは確かなのである。
事実を報道するにもその事実を現場にいないのだからそこから誤った見方が生れるのが報道なのである。映像でも必ずしも真実は伝えられない、文章の方が真実を伝えることはありうるのである。だから本当は複合的に見る、文章でも映像でも人から直接聞くでもいい、複合的に見て聞いて判断するのが一番いいのである。

でもそんな暇ある人はいない、それこそ情報に追われて一日が終わってしまう。
だからインターネットは便利なのだけどみんなに読まれないから影響力が出ないのである検索するにしてもめんどうだからそうなる。
情報にしても同じ情報でもいろいろに比べると真実が見えてくるということもある
でもそういうふうに情報の真実を探るとういだけで手間になりすぎるのである。
第一自分のこんな長い文章を読むのも手間だとなる、疲れるともなる
でも2ちゃんねるにはボトムアップした発言があってもそれを深化する、深く読むことが欠けている、なぜなら短い文しかだせない、貴重な発言があってもそれが価値あるものとできないのである。
いづれにしろトップダウン型かボトムアップ型へ移行してゆるのが民主主義にとっていいい、進歩である。そのメデアとしてインターネットの普及がありマスコミを監視してゆくことは必要なのである。

genpatuuuu1.jpg
















タグ:情報操作
posted by 老鶯 at 20:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

報道とは何なのか? (原発事故で問題になった報道、マスコミ)


報道とは何なのか?

(原発事故で問題になった報道、マスコミ)


報道というとき何なのか?報道は別に今だけでなく人間が存在したときからあった。何か知るということであり知らせることである、それは人間の基本的営みとしてあった。
井戸端会議でもそうだし噂話でも報道の役割をしていた。
何かそこで情報の伝達をしていたからである。
今でもそういうことが日常的にある、噂話がみんな嘘といえばそうではない、かえってそれが本当のことであり公にならないから噂となっているということもある
それで意外と田舎では噂話が広がりそれが大きな影響をする場合がある
ただ江戸時代は報道の自由もなにもないから今とは違っている
みざる、きかざる、いわざるとして自由の報道もなにもない時代だった。
第一庶民は政治に口だしできなかったからである。

明治以降に新聞ができて変わったのである。その時新聞の力が大きかったのである。
次にラジオでありテレビになったのである。今はインターネットがある程度の力をもつようになった。そしてラジオの時代を子供のとき経験しているけどあれがそんなに力があったのかと思う、でもナチスはラジオの宣伝で生れたといわれる、それだけメデアというのはメデア自体が力をもつのである。

ミディアム(medium)は形容詞で「中間の」、名詞で「中間、媒体、媒介者」などという意味になります。生でもなく、よく焼くでもない「中間」がミディアム。発信者を取材して大衆に伝える、その「中間」にいて伝達するのがミディアムで、たくさんの人が携わっているからミディアムを複数にすると英語ではミディア(メディア)。

メデアはここで複数形だということを強調している。複数の人が伝えるのがメデアであるするといろいろな人の意見を情報を伝えるのがメデアなのか?
情報はそもそも原発のことを取材するにも複数の人がかかわり複数の人の情報をとりあげることになるからそうなる。

だから原発避難者側だけの言い分を聞くことはおかしいとNHKの取材する人に言ったが上の人が決めることですから私にはわかりませんとなる
そして不快感を自分に対してもった。何か今やインターネット時代になるとマスコミがNHKでも批判の対象になる、プログだと簡単にできるしマスコミ自体が批判の対象になっている

むしろ報道の公平さを言うならNHKとか朝日新聞とか地方新聞でも会社に属していない人がその人の感じたことをそのまま伝えればそれが真実だとなる
そのNHKの取材する人がその地に行って聞いたことを感じたことをそのまま書けばかえって真実を伝えることになる。
でも会社の上の人が報道する指針を決めていてそれに従うだけだとなる真実は報道されない。

そういうことは会社とか団体に属していると何でも自由がなくなる、上の人の命令に従わなければならないとなるからた
いづれにし報道というときある地域に行ってみてそこで感じたことをそのまま伝える、会社の命令ではなくその人自身の感じたことを正直に伝えることが報道の基本としてある
でもそもそも原発のことでもその地域のことを良く知らないと報道できないということもある
だから外国になると複雑だから報道することはさらにむずかしくなる
シリアの難民のことを報道するとなるとイスラム国だをどうだ、クルド族がどうだ、トルコはどうだとか何がなんだかわからなくなるだろう。
そういうふうに実際はその土地で起こっていることは複雑なのである。
この辺だって津波の被害者がいるし原発避難民もいる両方の被害者もいるから複雑なのである。
だからそれを外に報道するときそういう事情を報道するべきなのだがNHKではしていない
原発避難者側にかたよった報道をしている
それは上の人の方針でそうなったとなる。だからその方針に沿って取材しているとなっているのだ。とすると真実は報道されないとなる

原発避難者の場合は一部でパチンコとかギャンブルで遊んでいる人はいるようです」

これは事実でありこれくらい報道してもいい、しかしそういう原発避難者にとって都合の悪いことは一切報道していないのである。
そして前にも書いたように原発避難者に対して回りの人が冷たいと暗にNHK自体が同調して非難する結果になっているのである。

ただ人間は今やグローバル化すると報道に影響されるのが多い、まず外国となると何が真実なのかもわからないからである。それでイラク戦争の時、海鳥が石油まみれになった写真を報道した。それが全世界で反響を呼びイラクはひどいとなったのである。
でもそれは真実ではない、作られた映像だったのである。
外国になると真実はわからないからそうなりやすいのである。
アメリカが権力をもっているというときアメリカの有利な情報だけが伝えられるのである
ロシアがシリアを支配していたときがかえってシリアにとってはいいことだった。なぜならトルコからシリアに入った人がしきりにシリアの人は素朴でいい人たちと言っていたからである。つまり社会主義政権で資本主義ではない国だから金がそれほど力がないからか素朴さが残る人たちとなっていたのかとなる
それでなぜあんなふうになったのかというとそれはアメリカのイラク戦争がイスラム国を作り出したからそれが原因だったともなる
自分はトルコにいたときそういう人にあったからそう判断したとなる
情報はメデアは複数のことであり複数の人の情報を伝えることなのである。
でもたいがい一方的に伝えているのが多いのである。

だから本当はテレビでも新聞社でも雑誌でも何でも報道というときそれぞれに感じたことを伝えればいいのだが何か一様になってしまう。
会社の方針で伝えるべきことも伝えられない、それで原発の安全神話も作られた
何かおかしいなと思っても上の人が原発は安全だと報道するべきだとなっていたからである。それは宣伝費を東電からもらっていたからである。
そしてほとんどの報道にかかわるものが新聞社でも福島民報でも民友でも安全神話に加担していたのである。それは多額の宣伝費が東電からばらまかれていたからである。
東電だけではない電事連盟からも出ている。その額が大きいからそれで報道機関の収入となり成り立つからそうなった。
テレビでも新聞でも報道するだけで金がかかりすぎるからである。
プログなどは金など全くかからないからそこにそれぞれの真実が報道されるとうことがかえってあるとなる、ただまだテレビなどからすれば影響力は弱いのである。

posted by 老鶯 at 09:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2016年12月18日

夜の小高でNHKの取材の人にあう (真っ暗な街にイルミネーションだけが光っていた)


夜の小高でNHKの取材の人にあう

(真っ暗な街にイルミネーションだけが光っていた)

irimin3333.jpg

irimin3333444.jpg

irimin333344455.jpg
クリック拡大



夜の小高に来てみた。二カ所でイルミネーションを派手にしていた。
何人か子供が見て喜んでいた。
そして街灯に雪の結晶のイルミネーションがきれいだった。
今の時期にあっていいなと思って見てきた。

そこでNHKの取材する人にあった。それで聞いてみた。

「原発避難者にはパチンコで遊んでいるとか地元でも非難があるんですが
NHKの放送では原発避難者側の言い分を聞きすぎるのではないか
地元でも別に苦しんでいる人はいるんですけど」
「私は海老を津波のことを取材しているんです、そういうことがあっても私にはどうにもなりません、上の人が決めることですから・・・」

何でも聞くと必ず上の人がしなさいというからしているだけですとなる。でも上の人が決めるというときな確実に一つの方針を決めて取材して編集して放送しているとなるだろうそれを決めるのは上の人だとなり下はただ従うだけだとなる

これも変なのだけどともかく何かというと上の人が決めることですからと言う、その上の人とは誰なのだろうか?
上の人がそういうなら何でも従うのが下の人なのか?
おそらく上の人に聞いたらまた上の人がいて上の人に従うだけですからとなる
そして結局上の人は決めるのは誰なのかわからない
ただ上の人が決めることで私にはわかりませんとか責任はないですとなる
まず普通の人は第一その上の人に決める人には絶対に会えないとなる
合せてくださいといっても会えないのである。

下の人は

上の人が決めたことですからわたしは知りません、責任はないです

さらに上の人に聞くと

上の人が決めたことですからわたしはしりません、責任はないです

こんなことが延々とつづくのが社会になる。

そして最後は戦争でも誰が決めたのかわからない、上の人が決めたことですから私には責任はないですという無責任体制になる

原発などでもそうだろう、一体誰が決めて誰が責任を負うのかとなると戦争と同じようにない、上の人が決めたことですからとなってしまう
原発で作業している東電の社員でもみなんそうだろう。
私は上の人に従ってしているだけです、私にはわかりませんとなっている
東電の社員はみんなそうだろう。私は上の人に従って原発であれなんであれ仕事するだけです、電気を作り送ることが仕事なんです、事故が起きても私は上の人に従うだけですから責任はないですとなる

戦争でも私は敵を殺したのは上の人の命令でありそうしなければ自分も危険になり命も危ないからそうしたまでです、上の人の命令に逆らうことはできないです

でもこのこともおかしいといえばおかしい、取材というのは放送というのはただ上の人の命令のままに放送する、取材する人はただ命令に従うだけだとなる
何か取材する人の主体性はないとなる、上の人の言われるままにしているだけだとなる

NHKで、籾井勝人会長が熊本大地震の原発への影響について、"政府の公式発表以外は報道しないように"と指示していたことが判明したのだ。

上の人とはこの籾井会長のことだったのだろうか?この人がそう言ったので報道管制がしかれたからである。上の人に最後に決める人は会長なのか、社長なのか、全責任はそこにあるのか?でもその会長にしても政府の圧力があったとなると会長だけでは決められないとういこともある。報道とはこのように常に権力の圧力があり操作されるのである。


そもそも報道というのが何なのか?これも良くわからないのである。
自分でもプログで書いていることが報道であることを自覚したから報道は何かと追求する結果になったのである。
つまり今までも一個人は報道などできなかったのである。報道の権利はマスコミのみがもっていたのである。だからマスコミは第三の権力になっていたのである。

上の人が決めるというときその上の人に普通の人は関係できない、聞くこともできない、ただ権力があればできるとなる、権力がないかぎり何もできないともなる
だから重要な情報は隠されているし普通の人は知ることができないのである。

NHKだと報道することで大きな力をもっている、だからこそ原発避難者側について取材して報道したから誰も原発避難者を責めることができなくなったのである。
マスコミの言うことが世論であり体勢を決めているのでありそれに文句言うのかとなる
でも実際の問題は複雑なのである。原発避難者に反発している人も相当いたのである。
そういう声はNHKでも出さない、そもそも上の人がそういう方針で放送することを決めていたからである。それがどうも小高にいたNHKの取材する人はわかっていたみたいだ。

自分は何も特別小高の人に恨みがあるのでもない、小高の人とも良く話したからである。地元に生活しているのだから協力するのがいい、でもその対立の原因となっているものをないものにする、隠すことはできないのである。
そうしたとしても結局表に現れないでも対立することになる、子供のいじめにもなる
何らか和解の方策を模索することが必要なのである。
でもNHKで一方的な報道をすればかえって対立をあおることになるのである。
そこに慎重さが要求されたのである。

つまりそうした一方的な報道するとかえって地元にとっても困ることになるのである。
別に地元では争いたいということではない、協力してやっていきたいのである。
なぜならボランティアのようにそうして取材するマスコミのようにここに住む人とは違うからである。
地元の人になると争いがあると住みにくくなるからだ。
だから原発避難者でも対立はしたくないのである。
自分はそういう立場でプログに書いてきたのである。

ともかく小高まで電車に乗っていたのは行きは二人であり帰りも二人だった。
一人はボランティアだった。山林の仕事とか小高に帰る人のために働いているとか言っていた。東京から来たという。
千人は帰っているというけど実際は六〇〇人くらいで千人というのは帰ると役所に登録した人でありまだ帰っていない、ただ来年の三月で帰る人が千人なのかもしれない。
街の中は本当に真っ暗である。人の気配がない、田舎はもともとそうして静かなんだけどやはりその暗さが違っている。だから知り合いの女性は暗いから嫌だというのがわかる
灯がともっているのは本当にわずかであり真っ暗だという感じになる。
もしかしたら江戸時代だとあんなに暗かったかもしれない、それでも行灯の灯などがともっていたのだろう。この辺は一時江戸時代にもどったようにもなった。
街灯だけは華やかなことは違っていたのである。
タグ:原発とNHK
posted by 老鶯 at 21:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

戦争と同じ国家的大事業だった原発 (そして第二の敗戦になった)


戦争と同じ国家的大事業だった原発


(そして第二の敗戦になった)


原発は何かというとかかわらない人はあまり意識しない、自分でも確かに三〇キロ圏内からははずれていたし遠いと思っていたのである。
でもこの辺では飯館村のひそでさえ原発で働いていたのである。
川内村は近いから三分の一は原発で働いていた。
つまりあのような辺鄙な村が成り立っていたのは原発で働いていたからである。
原発での給料は他より高いからそうなっていた。

そして原発というのは何か良くかかわらない人には理解されていない
それは国家的大事業であった。国家的大事業ということは国家の命運もになうものとなるそれで原発を指揮するものはそうした自覚をもち戦艦ヤマトのような艦長のような意識をもたないとできないとも言う人がいた。
それは一会社を運営するものとは違う国家的大事業だからそうなっていた。
ただ原発にかかわった人たちも必ずしもそういう自覚がなかったのである。
なぜなら東電という一会社がやはりになっていたからである。
その人たちがどれだけ国家的大事業の意識をもっていたのか?
ただもうければいいとしか思っていなかったとしたらそれが事故になる要因にもなる
一会社ならコストが一番大事でありコストカッターと言われた清水社長が一番上に立ったのはそのためである。
もし国家的大事業だとしたらコストだけではやっていけないからだ

戦争がそうである。戦争は三〇〇百万人死んだようにコストではない、人命がそれだけ犠牲になったからだ。
戦争というのが何か今になると自覚できない、今は自分の利益となる会社のことは絶えず意識している。でも国家のことは意識しなくなった。
国家を意識することは戦争で敗北した結果悪いこととされるようになったからである。
だから戦後は自己や会社の利益のみを追求したのである。
それで高度成長があり日本は経済的には復興したとなる

ただこの国家的大事業だと原発を自覚したのはそれが今回のように事故になったからである。その廃炉費用でも賠償でも二〇兆円もかかるとか途方もない税金がかかることに驚いた。そして自分は東電があんな大きな会社だったということも知らなかった。
市町村さえ買えるような大会社だったことがわからなかった。
だからそういうものに対抗することは容易ではなかった。

ともかく人間は国家とか大きなものとなると自覚しにくいのである。
だから具体的に国家とは何かとかわかりにくいのである、観念的に国家を考える
でも戦争や今回の原発事故では国家を意識したとなる
戦争だったら国家のために戦争しているし命をかけているし現に三百万人死んだのだから国家を否が応でも意識させられていた
その国家とは世界での日本、アジアでの日本という国家になっていたのである。

だからこそ原発事故は第二の敗戦とは言うときまさに国家的事業に失敗したからだとなるその敗戦処理に途方もない費用がかかる、それは日本が戦争に負けたとき三百万人も死に犠牲になりまた財産を失ったのとにていたのである。
その廃炉のために二〇兆円もかかるとか賠償金でもそうである。
その労力も莫大なものとなる、現実にすでに原発作業員が八人死んでいるとか町村が壊滅状態になったのも戦争とにているのだ。津波もまたそういう国家的被害であった。
つまり津波でも原発でも国家的に大事業として立ち向かわねばならないものだったのである。

原発が国家的大事業とするとき右翼からみれば国威高揚の手段となるから原発推進派になっている、それは日本の技術の発展でも原発は欠かせない、世界に遅れをとってはならない、そして右翼は核武装派だから余計に原発はやめることができないのである。
つまり原発は国家的大事業と位置づけているからそうなっていた。
でも戦争のように敗北すると国家的大損失になる、戦争で三百万人死んだようになる。
だからこそ国家的大事業を指揮するもののせ帰任は重大だったのである。
国民の生命をあずかるものとさえなっていたのである。
国家的使命感ももたねばならなかった。
でも東電が原発を運営していたというときその自覚があまりなかった
自分の会社がもうければいいくらいにしか考えなかったろう
利益さえあげればいいとしてコストカッターと言われた人が社長になったのである。
それはやはり一私企業としての自覚しかなかったからともなる

でも企業でも巨大化すると国家なみになる、東電はそうだった。国家に匹敵する力をもっていたのである。ある意味で東電が国家となり政治家でも官僚でもマスコミでも従えたとなる、検察から警察まで東電に天下りしていたのである。
だから国家を運営するとは何なのか?何かそのことが問われた。
それは観念的にはではなく具体的なものとして原発から問われたのである。
だから一面わかりやすく具体的に国家を感じるものとなったのである。
つまり東電だけでは運営できない、国家がかかわったから東電も原発を運営できた。
補償は国家がすることになでいたからである。

「原発の父」と呼ばれる読売新聞社の社長の正力松太郎は、独占的な通信網欲しさから原発を日本に持ち込み、田中角栄は利権目的で原発を利用した。こうして日本の原発は、その本来の目的とは乖離した、いわば不純な動機によって増殖を続け、そしていつしかそれは誰も止めることができないものとなっていた。

原発は一個人の私的な利益追求からはじまったのである。それも不純なものだったのである。国家的事業という自覚など全くなかったのである。福島県では原発を建てる一私人の土地を買ってそれを県で許可して建てられたともなっていたのである。
一会社が工場を建てると同じようなものとして原発は建てられたのである

だから国家が何かというとき、国家の指導的立場にある人も東電とか一企業に利益を得るだけのものとしてあってはならなかった。
なぜなら国家の命運がかかわっいていることは国民を戦争のように犠牲にする、三百万人も死なせるともなるからだ。そういう自覚が国家を指導するものにもまた東電にもなかったし国民にも地元の人たちにもなかった。
ただ利益を得ればいいとしかみんな思っていなかったのである。
それが事故になってみてこれば何なのだ、こんな大被害になるのかと驚いたのである。
それは科学者などは事故が起きたらどうなるかある程度は予測できていた。
ただそれを隠していたのである。その罪も大きいとなる
原発が国家の命運にかかわるというとき戦争と同じよう国家が滅びるとまでなることなのだ。現実にこの辺では町村が存亡の危機になっているからだ。
これだけの事故が起きても未だに原発がどういうものか国民も自覚していないのである。





タグ:原発と戦争
posted by 老鶯 at 08:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2016年12月17日

震災から五年八カ月すぎてふりかえる


震災から五年八カ月すぎてふりかえる


●五年八カ月の間に何をしていたのか?

津波原発事故から五年六カ月はすでに過ぎた。
その五年八カ月を何をしていたのか?
常磐線は開通した
電車にのって快適でありバスよりずっと楽だった。
当たり前にあったものだったが五年六カ月も乗らないから
その感覚を失っていた。
でも電車は本当に楽で仙台が身近になった
駅は近くすぐに乗れるからだ,バスのように乗り換えもなく行ける
五年八カ月の間に着々と工事はすすめられていたのだ
無為に時は流れてはいなかった。
そして高架橋の新しい鉄道が開通した
その喜びをみんなが味わった


五年八カ月というと長い、でもこれもたちまち過ぎ去った。
でもふりかえるとこの五年六カ月は何だったのだろう?
仮設に住んだ人はどんな気持ちだろうとなる
でも原発避難者はその五年八カ月の間何をしただろうか?
彼らに植えつけられたのは絶えず被害者として援助されるべき者として
あったことである。まわりもそうさせたのである。

そのことがわかったのは自分が原発避難者を批判したとき「お前は被災者の傷口に塩ぬって楽しいか」と責めてきたからである。
それは若い人だろう、若い人ですらその人は何をしていたのか?
それは全くわからないにしろともかく自分たちは被害者であり同情され援助されるべきものであるということがこの五年六カ月で会得したのである。
だから今でもそう思っているからこそこんな言葉で責めてきたのである。
「お前には人間の情がないのか、良くかわいそうな被害者を責められるものだ」となったのである。
それはずっとそう思い続けているから五年八カ月の間に何もしない人が多かったろう
やったことはギャンブルなのが多かったのである。無駄に時間は過ぎたのである。
ただいろいろ混乱してわけもわからずに過ぎたということもある
何かしようとしても何もできないということもあったろう。
ただ何であれ時間は容赦なくすぎてゆくのである

一方で復興住宅を建てていたとか、そこで暑い盛りに働いている人を自分は見ていた。
そして復興住宅はできてまた人がすでに住みはじめいてる
常磐線の仙台までの開通も成った。これも五年八カ月の間に働いていた人がいたからこそである。
でも原発避難者はこの五年六カ月の間何をしたのか?
ただかわいそうであり被害者の意識が植えつけられて補償金のことのみに追われていたのかもしれない,その間も常に援助があり援助されるべきものとして被害者として訴えることが仕事になったのかもしれない
また援助されるということは権利にまでなっていった。
だから自分が批判したとき若者でも責めてきた,ではその若者は何をしていたのか?
おそらくやはり遊んでいたのだろう、そして強固に被害者意識だけは植えつけられたのである。

俺たちは被害者なんだ、被害者様なんだ、なんでお前は批判するんだ、そんなことしている人は誰もいない、お前だけだ

こういう意識にこりかたまったのである。過剰な援助でこういう腐った人間が作られたともなる、だから必ずしも援助がいい方に働くとは限らない、自立の精神が失われるのである。これからも延々と放射能被害を言い訴え被害者意識は消えないだろう。
二万年プルトニウムが消えないように訴え続けるかもしれない
それも一面は必要でも自立の精神は失われ他者頼みになる、自分たちは被害者だからなにもしなくてもいい援助されるべきでありそれに文句言うやつは非人間だとかなり集団で責めてくる、そういう悪い根性ができあがった五年六カ月でもあった。
だからこうして被害者意識にこりかたまってしまうと自立して何かするということはなくなる
何かしてもらう援助されるべきだとなっているから自らは何か努力することもなくなるからだ。
それは中国の戦争被害を訴え続ける反日とか韓国の反日ともにている
その被害を延々と訴えて自分たちの国を有利にする、賠償金を未だに払わせることともにている
そのためにいつまでたっても対等の関係にならないのである。

●マスコミが一方的に原発避難者側についたのも問題

その一つに意外とそれが良くわからない、気づかないがマスコミの影響もあった。
特にNHKは影響力が大きいから原発避難者であれ国民にもその報道が大きく影響したのである。

何回も取り上げるがちょっと気づかないがNHKは原発避難者の側に常に立って取材していたのである。

飯館村の人が相馬市のトマト農家に仕事をしたいといったとき断られたと飯館村の人に言わせた、それがなんでもないようでもそれを見た人は相馬市の農家の人は冷たいなと見たのである。
飯館村だけの人の言い分を言わせたからそうなったのである。

それからいわきに避難した団地でも原発避難者が仲間に入れてくれとか言わせていたがなぜいわきの人は仲間に入れてくれないのだ、差別するのだと主張させていたのである。
それを見るといわきの人たちは冷たいなとやはりなる
それは一方的なことであり常に原発避難者の側に立って報道していたのである。
そのいわきでも津波の被害者がいたりしているから複雑になる。
でも原発避難者の不満だけが何か見ていた人たちの心に残るのである。

浪江の工場経営の人も「一緒に仕事していた人が仕事をくれない」というときそれも冷たいなと見ている人は感じる、それは常に被害者としてかわいそうな人たちとして原発避難者を見ているしNHKでもそう見ていてその側に立つからそうなる
つまりNHKは中立ではない、裁判官のようになっていたのである。
それはマスコミでは他の報道でも常にそうである。ただそれが良くかわらないのである。今回は自分が当事者になっていたからあれおかしいなと気づいたのである。
こういうNHKの報道などでも原発避難者の被害者意識を強固にして内部でも外でも批判できないタブーにしたのである。
マスコミは報道者は裁判官になってはいけないのである。
ところが実際はそうなっていることが多い、それでマスコミはネットから゛批判されるようになったことはいいことなのである。
報道することは自由にしても裁判官として報道するべきではないのである。
NHKだとその影響が大きすぎる、それがかえって悪い方向に働くこともある。
おそらくNHKでは原発避難者側に立ったたとが正しいしそれが原発避難者をかえって悪い方向にもってゆくなど考えていなかったのである。
実際にそれは和解にはつながらない、双方の対立を生み地元がさらに分断されたともなるからだ。
もし地元のことを考えるならそういう報道は危険だったのである。

もちろん原発避難者にも言い分はあるしそういうことを自分は想像してその側からも書いてきた。住み慣れた故郷とか家族が分散したとか老人だけが取り残されたとか同情して書いてきた。そうしたアイディンティティを失うことがどれだけ大きな被害だったかということも外からはわかりにくいのである。
おそらく原発避難者自体もそういう経験をしていないからはじめて経験したから気づかないとういこともあったのだ。
それは電車に五年六カ月ぶりに乗ったことでも気づいたことでわかる
当たり前にあったもののありがたさを気づかないのである。
なぜなら当たり前にあるものだからである。それは親でもそうである。それがいるのが当たり前であり食事を作ってくれるのも当たり前だったからである。
それが死んでいなくなったら全部自分でやるようになりそれも介護となる自分がその代わりをするようなった。その時はじめて親のあゃがたさがわかったとなる

いづれにしろ震災から五年八カ月すぎて今何か冷静にふりかえる時が来たとなる
ただいくら反省しても人生と同じで時は決して帰ってくることはないのである。
あの時こうしていれば良かったとか言っても帰ってこないのである。
貴重な五年六カ月はすぎてしまったのである。

今年もいろいろあったがだいたいもう終わりである。だから一年をまた震災から五年六カ月をふりかえるのにはいい時期なので書いた








posted by 老鶯 at 17:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

ボランティアすべきは原発避難者の方でもあった (ボランティアがすべていいものとしで働かなかった)


ボランティアすべきは原発避難者の方でもあった

(ボランティアがすべていいものとしで働かなかった)


この辺ではともかくいろんなことが問題になった。あらゆる問題の場所になったのであるその一つにボランティア問題もあった。
津波もあり原発事故もありその被害があまりに大きく目立つからそれだけボランティアがかけつけた。
近くの津波の被害にあった所では京都ナンバーとか関西の方からも来ていたしありがたいことだった。その時はみんな感謝していた。
二年くらいはそういうボランティアでも必要だった。

ところが何かボランティアとはその後も来ていた。
それも何か自転車旅行のついでにとか寄っていた若者もいた。
そういう人たちは遊んでいるからと普通は地元でも受け入れられない
だから普通は通りすぎてゆくだけなのである。
でもここでは被災地では人手が必要としたので受け入れたのである。

でもボランティアでも疑問なのは日頃何かボランティアしているのか?
全然していないけどこういう特別な被災地だから来たという人が多かった。
地元の人もそれで助かるし受け入れたからである。
それは別に批判はできない、助くれているのだからとやかく言えない

でも原発避難者が仮設にいてボランティアが来ていたときボランティアの人が働いているのに地元の人たちが仮設に住んでパチンコだとか遊んでいたので働けと怒っていたのである。ボランティアがいいように使われたという問題もあった。
実際復興とか除染とか何でも地元の人はほとんどなにもしていない、外部の人たちが来てしたのである。
地元の人たちはほとんど何もせず仮設に移り住んだ人たちもギャンブルに興じるとかしている人たちも多かった。そのことも何か変だったのである。
だからボランティアに来た人たちが馬鹿らしいと思うのも当然だった

それから何かボランティアというとき実際はいろんな人たちがいた
NPOでも詐欺があったようにいかがわしい人たちも入ってきたのである。
ここでは何かマスコミで報道するようないい面だけではなかった
人間の悪い面も被災地ではあったのである。ただそういうことはあまり報道しない
ただボランティアというと何かみんないい人たちでありと思うのもまた疑問なのである。

例えばこういう際に宗教団体とかも来て宣伝する、何か自分たちのエゴのために活動する人たちもいたのである。近くの原発避難者の仮設には入れ代わり立ち代わり援助する人たちが来ていたのである。
ただ外から見ていたからどういう援助かはわかりにくくかった。
でもそういう人たちが絶えず来ていたことは最初の内は確かだった。
そういうボランティアがくることでまたマスコミでもいろいろ原発避難者の立場にたって報道していた、それは最初のうちはしょうがないといえる

でもボランティアというとき何か突然にこういうことがあったからと助ける人になれるのか?
第一日頃近くで困って苦しんでいる人がいてもボランティアして助けているかというとほとんど近くではないだろう
でも常に隣近所であれどこであれいろいろと今では介護とか苦しんでいる人たちはいるがほとんど無関心なのである。
あたかも被災地にかけつけたボランティアの人たちをみると善意の人たちのように見えるまた地元でもボランティアを歓迎するからボランティアの人たちも気分いいし助けられる人たちも気分いいとなる

ただそれはこの辺では津波の被害者もいたが原発避難者だけであり普通の人たちは何の援助もなかったのである。
自分も別に被災地区域であり介護とか病気で苦しんでいたけどボランティアなどは関係ない、仮設住宅地に入っただけだからである。
いづれにしろ普通は近くに苦しんでいる人たちがいても助けない、無関心である。
都会だったらさらにそうなる,田舎だと他人の苦しみが楽しみにもなるのが刺激を与えるものさえになっているのだ。
苦しんでいてもそれを助けたりしないのである。

だからボランティアは全面的に肯定されるものだが何かそれだけではない、自分の売名のためにボランティアになる人もいた、福島県の詩人とかでそういう人がいた。
一躍有名になったのである。
そういう人はここにきても原発避難者は遊んでばかりいないで働けとか言わないのであるかわいそうだから援助する、そして援助される方もいい人だとなり援助する人も有名になったりしていいことなにる。

でも地元に住んでいる人たちにすると一体ボランティアは何なのか?
ただかわいそうだかわいそうだとして汚い現実を見ないのである。
ギャンブルで毎日遊んでいるならもっと働けと言ってもいいはずである。
そういうことは言わない、どっちにとっても都合のいいようにしかつきあわないのであるでも地元の人にすればボランティアでも今になると来なくなったが本当は長くボランティアしてもらうのがいい、それよりもう真剣に考える人は援助ではない、もうその被災地にすみつく人だとなる。
そういう若者が女川にいたから感心したのである。
一時的にいい格好して歓迎されてあとは来ない、そういうボランティアはただいい格好したくてそうしたのかともなる
有名になった詩人などはそうだろう。一見応援しているように見えても自分の売名のためにしているのである。
マスコミはまたそういうものをとりあげるからである。

なんかもし本当にボランティアでも助けるとなると犠牲が強いられる、そうなるとそんなことは嫌だとなる、一時的に歓迎されてあとは知らないというのが多い、それが無益だとは言わないがボランティアはそういう人が多いことは確かである。
そういものだからそれはそれで必要だとも言える
ただなにか本当に助けるというのではない、自分たちエゴのために来ている人たちもいるのである。

マザーテレサがまずは近くの人たちを助けなさいというときそうだろう。
アフリカの奥地まで行って助けようとするよりまず隣近所で苦しんでいる人たちはいくらでもいる。なにもアフリカくんだりまでゆく必要がないのである。
何かそういうことがボランティアにも疑問をもつということがある。
自分が助けられたらこんなこといわないが自分が苦しんでいるとき全く助けてくれないからそう思うようになったともなる
ただ自分の場合はこれまでの苦しみは自分のカルマだった。あまりにも楽した結果として苦しめられたのである。そういう自覚が自分にはあった。

そのカルマというときも原発事故避難者に関しては原発の一〇キロ圏とか二十キロ圏とか三〇キロ圏内とか区切られたけどそれ相応の責任、カルマもあったのかとなる
それだけ原発に近ければ近いほど恩恵を受けていたとなるからだ。
現実に浪江町と小高町の中間点に東北電力の原発の工事がはじまるところだったからである。もしそこで事故が起きたらもう南相馬市でも相馬市でも壊滅状態になった恐怖であるその時はまだ合併していない時だったから知らない人が多かったのである。

ボランティアでもみんな善意だけの人ではない、売名の人も結構多いし別な目的もある場合もある。
本当の慈善となると犠牲を強いられるかもしれない、そうなると誰でもできるものではないという自覚をもつべきである。
ただ被災地でも耳に痛いことを言う人は拒否される、なんでもかわいそうだからとなんでも楽にしてくれる人たちがボランティアが歓迎されるのである。

それより飯館村の人が相馬市のトマト農家で働きたいというとき断られたのはなぜか?
津波の被害者が補償金ももらえないからそっちが優先にした。
では働けないのか?そうでもないかもしれない、つまりそうなら

ボランティアで働かせてください 無料でいいです

そうしたら働けたかもしれない、なかなかこういうことは事情があるから簡単にはいかないことはわかる

それから浪江の工場経営の人が仲間が仕事をくれないと訴えるとき工場経営者だったら補償金の額が大きくなる、すると金があるんだから仕事を頼まなくてもいいだろう。
こっちは金を稼ぐために必死だとかなる
でもこれも

なんとかボランティアで働かせてくれ、協力したいんだ

なんかそんなふうになれば前のように協力関係ができるかもしれない、他でもギャンブルばかりしていんたらその土地の人はどう思うのか?
それを考えたら介護の仕事でもさせろとか言うのもわかる
ボランティアになるのは原発避難者の方にも言えたのである。
どんなに見たって毎日ギャンブルに興じているのが苦しいのかとなるからだ。
だからボランティアというけどそうできるように外からは見られていたのである。

現実に最初自分の所に知っている人が働かせてくれと頼みに来た人がいた。
一〇万でもらえばいいとか言ってきたのである。
その時は補償金のことがわからなかったからである。
でもこれも今になるとむしろ働かせてもらいたいのは原発避難者ではなかった。
その回りの人たちでもあった。なぜなら最底辺層になると生活がぎりぎたであり苦しいからである。
それで同級生だったか仮設に住んでいる小高の人の所に行き何か仕事にならないかと行った人がいた。
その人はフィリンピンの女性といた。そして小高の人たちに何かと言われ行かなくなったその人は何かしてくれるのにも金をとるとは思わなかったのかもしれない。
なぜなら原発避難者でもボランティアが来て無料で奉仕したり何かと援助も補償金も入ってきたからである。

だから鹿島の人もそういうふうに援助してくれるのかと思っていたのかもしれない
つまりそういうふうに常に援助されるものだと思っていたからである。
でもその人は生活に困っていたのである。
だからむしろボランティアする方が原発避難者だったということもあったのである。
原発避難者にとってそんなことは微塵も考えないことだったのである。
ただ自分たちは援助されるべきであり援助するなど考えもしないことだったのある。
でも毎日ギャンブルしているような人たちがかわいそうだとか援助すべき人たちとは見えない、むしろ回りの人たちにボランティアでも援助するということはできないことではなかった。
でも常に自分たちは援助されるべきものであり援助するなど微塵も考えないことだった。だからボランティアでも全面的にいいものだったとは限らない、ただボランティアでも
ギャンブルでパチンコなどで遊んでいるのを見て怒った人もいたのである。
なんで働かないんだと馬鹿らしくなったのである。
そして一番働いたのは自衛隊だったという人もいる
なぜなら泥をかきわけて津波の死体を探していたり瓦礫のかたづけをしたのは自衛隊だったからである。それでトラウマになったり自殺した人まで出たからである。







posted by 老鶯 at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2016年12月16日

俺たちが一番苦しいんだ (原発避難者も自分のかかわった人もみなそうだった)


俺たちが一番苦しいんだ


(原発避難者も自分のかかわった人もみなそうだった)


今ふりかえると「俺たちが一番苦しいんだ」というのは津波の被害者には言えるだろう。家族も失い家も失ったのだからわかる
では原発避難者には全部は言えない、確かに住み慣れた家を追われたり狭い仮設に住まわせられたりとその苦しみはあったしなかなか外から計り得ないものがある
でも別に回りでも苦しい人はいたのである。
その人は65にもなるまで市営住宅にしか住んでいない、するとその女性はしきりに狭い所に住んでみればわかるんだよと言うのである。
つまり狭いところに住んでいた人は回りでもいたのである。
だからそれが「俺たちが一番苦しいんだ」とはならないのである。
それより回りの人は補償金を一杯もらって遊んで暮らしているからいいなとうらやましがっていたのである。

でも原発避難者は「俺たちが一番苦しいんだ」と思っていた。
それを助長したのは外部から常にボランティアであれマスコミであれかわいそうな人たちとして応援してきたからである。
すると「俺たちは援助されるべきである」というお墨付きをもらったことになる
だから回りで不満があっても何も言えなくなった。
そして何か言うと「お前は傷口に塩ぬって楽しいか」とか怒り責めてくるのである。
この人の言葉は本当に原発避難者の気持ち代表していたのである。
みんなそう思っていた、小高と鹿島の人が対立したときもそうである

「なぜ鹿島の人たちは同情しないのだ、不満なのだ、俺たちが補償金をもらうのは当然だ、家に住めなくなったんだぞ、一番の被害者なんだ、俺たちが一番苦しんでいるんだ」

そういう気持ちになっていたのである。

普通は人が苦しんでいるときそんなによその人が援助したりしない,同情もしない、別に原発避難者だけが苦しんでいたわけではない、自分も一身上で十年間介護で苦しんでいたのである。
そして自分の所に来た人も原発避難者同じだったのである。

「私の方が一番苦しんでいるのよ、どうして助けるの、こっちが助けてもらいたいのよ」
みんなそうだった。ある者は金に苦しんでいるから実際に泥棒になり大金を失ったとか自分は経験している。あなたは金があるから恵まれているのよ,あんたは楽なんだよとなるでもその時自分は病気で苦しんでいたのである。実際に入院もした。そして介護もしていたのである。自分一人しかいないから苦しんでいたのである。

もう一人の親戚も人も助けるところではなかった。

「私は夫が事業で失敗して毎日パチンコ屋で働いたり窮々しているのよ、私は一番苦しんでいるのよ」

そんな人が自分が苦しんでいるとしても相手の苦しみなどわかりえようがない、ただ金が欲しいしかなかったのである。
なぜなら私の方が助けてもらいたいのになぜあんたを助けるのとなっていたからである普通だったらみんなそうして同情もしないし助けないのである。

それは別に原発避難者だけではない、普通でも障害者をもった女性は延々と不満を言っている、私は一番苦しいのよということを訴える、確かにその女性は他にも金でも苦しんでいるからそうなることは言える
でもみなんわたしが一番苦しいのよと訴える人が多いのである。
それが今回のように集団化すると圧力団体化するからもう何か言うと「傷口に塩塗って楽しいか、お前は人間の情もないのか」となるのである。
それにお墨付きを与えたのがマスコミでありボランティアでもそうである。
過剰な補償金を与えたこともそうである。

自主避難者がいじめにあったけどそれも考えてみると今は貧乏な人が多くなったこともあるのかもしれない。

相対的貧困率が最も高かったのはメキシコ(約18.5%)、次いで2番目がトルコ(約17.5%)、3番目が米国(約17%)で、4番目に日本(約15%)が続いた。

今日本も貧困化している、するとなぜ自主避難者の子供がいじめにあったのか?
自主避難者は別に家賃くらいしか援助されていない
でももしこれだけ子供すら貧困化しているとするとどうなるのか?
まず東京辺りだと家賃自体が最低でも六万から七万とか高い、そういう貧困化した家庭ではその家賃を払うことが相当な重荷になる、それで自主避難者でも家賃が無料だとうらちやましいとなったのかもしれない、そんなにうらやまれる人たちとも思えないからである。億とか補償金をもらっている原発避難者とは違っているからである。
何かこの背景には日本の貧困化が関係したそうなったのかともなる

「私たちの方が苦しいのよ、自主避難者は家賃が無料なのがうらやましい」

そういう背景があったのかもしれない、ともかくみんなそうだった

「私たちが俺たちが一番苦しいんだ、同情されるべきなんだ」

これが原発避難者の場合、集団化して訴えるから今度はちょっとでも不満を言うと集団でマスコミもそれに同調するから誰も何もいえなくなる
国民でも原発事故では途方もない賠償金とか廃炉資金を税金でまかなうことになるから不満なのである。
それが公に言えないからいじめのようなことが起きてくる

そして復興などできない、小高でも帰らないというとき俺たちは一番苦しいんだ、だから南相馬市民でも福島県でも国でも同情されるべきだ、援助されるべきだ、それは延々とそうなる、いつまでたっても被害者なのである。
でもおかしなのは小高の人でも原発避難者は故郷には帰らない、若い人は帰らないのである。復興すべき中心となる若い人がそこで苦労したくないから故郷を捨てたのである。
そして残った人たちは老人であり俺たちは一番苦しいんだ被害者なんだと言い続けているだけである。みんながそうでないにしろ全体的にはそうである。
ボランティアなら一時的でいい人として迎えられ帰ってゆきあとはかかわらないからいいのである。でもそこに住む人は南相馬市だと小高の人たちよなんとかしてくれとなる
なぜなら税金でも何でも負担になるからである。
それで桜井市長も小高の人に苦言を言うようになったのである。
でも小高の人はそう思わない、俺たちは被害者なのだから同情されて援助されつづけるのが当然だとなるからである。

復興できないとするとき俺たちは被害者なんだ、みんなが援助しないから復興できないんだ

こうまでなっているのである。たから被害者特権のようになってしまっている。
そうしたのはやはり回りの影響もある、別にボランティアが悪いとかではない、
ただ助長したことはいえる。
自分もボランティアに援助してもらいたかったが普通誰も個々人のことに同情はしない、みんなそんな余裕はない

「俺たちが私たちが一番苦しいんだ」

みんなこう思っているからである。人間はそういうものなのだろう。
だからそれをとりだてていうこともないがこの辺では集団化して主張するからやっかいになっているのである。

援助の問題として後進国では援助すると援助が当たり前になり自助努力をしなくなることが問題になっている
援助に頼ってしまう体質ができてしまうことで自助努力をしなくなるのである。
援助されて当たり前になり自分たちが努力しなくなる、自分たちで努力することもなくなることが問題になっている
それはここでも起きたことである。
ただそれを言えばお前は情もなにもていのか、苦しむ人間を見て楽しんでいるのか

俺たちが一番苦しんでいるだぞ

こうして集団的に責めてくるしマスコミがお墨付きを与えているから何も言えなくなりその鬱積した不満がいじめになっているかもしれない。
ここの内部の対立だけでなくそれは国民全体でもそうなっているのである。



タグ:原発避難者
posted by 老鶯 at 09:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2016年12月15日

五年六カ月ぶりに仙台まで電車で行く (バスで行くのとは全く違った感覚だった)


五年六カ月ぶりに仙台まで電車で行く

(バスで行くのとは全く違った感覚だった)


seashippp1111.jpg

クリック拡大  端に船が見える

seashippp1111222333.jpg

seashippp111122233344455.jpg
新しい駅、都会風である

seashippp1111222333444.jpg

亘理の城が見える

長町でおりる


seashippp1111222333444556677.jpg

seashippp111122233344455667788899.jpg


定禅寺通りの喫茶店

seashippp11112223334445566.jpg

seashippp1111222333444556677888.jpg


なぜか三本の木の絵が





新地駅沖に船見え冬の海

沖を行く船の遅しも冬の海

海見えて駅新しき師走かな

松一本電車に見ゆや枯野かな

長町の通り新しはや落葉

復興の電車に帰る冬満月


船一艘沖に見えつつ冬の海復興の電車高架橋行く

三本の欅の枯木見えにつつ定禅寺通りの喫茶店かな

仙台の通りを行きて骨董店しげじけと見て冬のくれかな

仙台の通りを行きて街灯や雪の舞いきて夕暮るるかも

仙台の通り歩み人ごみにまじりて帰る師走なるかな

五年ぶり電車にのりて年月のいつしかすぎて師走なりしも

なお生きて電車にのりて仙台に行く老人や年のくれかな

我を待つ人とてなしも冬の灯を我が家に帰りともしけるかな


nittakiiiiiii12344.jpg

nittakiiiiiii123.jpg

wintermoonnn111.jpg

なんか今日仙台まで電車で行ったことが不思議だった。バスよりずっと楽だし仙台を身近に感じた。
行くとき自分よりふけた老人がやはり乗ってみたいと仙台まで乗った。
何か自分は津波とか原発だけではない、一〇年間介護して近くにもゆっくりでかけられない、旅もできなかった。だから本当にも旅ができないのかと思った。
仙台に行くのもこれで終わりなのかとさえ思うこともあった。
なぜなら本当はまだ長い時間がかかったかもしれないからだ。
80才くらいになったら本当に乗れないと思う人もいた、それだけ五年六ケ月となると長いのである。
人間は本当にこれが最後だなとなんでもつくづく思うようになる。
そのことが老人と若い人との大きな差なのである。
何にしろこれが最後なのかと感じてしまうのである。

車窓からの景色はまるっきり変わった、海が広く見えていた。一艘の船も見えた。
高架橋だから振動が少ないとか踏み切りがないとか今までは違っている
多少早くもなっているのかもしれない、時間は一時間二十分だからたいして変わりないみたいだ。
でもバスと較べると本当に楽だし気持ち的にも楽である。仙台がずっと近くなった感じである。それは結局五年六カ月も電車に乗っていないからである。
何か電車のありがたみを感じた一日だった。
北海道辺りだとこん津波が来たら復興はできない、乗る人が少ないから復興はできない。ここは少なくなってもまだまだ乗る人が多い、山下とか坂本でも仙台の通勤圏内になからだ。今日は結構乗っていたみたいだ。

今日は長町でおりた、ここも変わっていた、大きな家具店ができて高いマンションができて新しい広い通りができていた。これも何か不思議だった。すでに落葉の道となっていたそこから地下鉄で勾当台公園に出て定禅寺通りの喫茶店に入った。
あそこから三本の欅の枯木が見えて落ち着く、壁にその三本の樹の抽象画が飾ってあったのも不思議である。あの場所にふさわしいとなる

仙台では定禅寺通りの欅の木を喫茶店から見ていた。あそこは落ち着く場所である。
それも何か不思議である。ええ、まだ自分はここにまだいるのかというふうに感じたのである。
そういう感覚をもったのは介護十年とか津波原発とか大変化にさらされたからである。
家族二人を失ったことも自分にとって本当に辛い大きなことだった。
人間はこういう大変化になると感覚的に変わってしまう。
戦争など経験した人もそうだろう。まだ生きているんだなとかなってしまう。
例えば津波で流されて助かったような人もまだ生きていたなとか不思議な感覚になるだろう。そういう経験をした人がこの辺には多いのである。

骨董店などをのぞいたがいいものがあった、買いたいなと思ったが今回はやめた、それから古本屋に行き古い詩集などを買った。仙台にはずいぶん通った。それは二〇年前とかは本を買うためだった。まず専門的な本は仙台で買う他ない、でも仙台でも実際は本は相当にたりなかった。それで知識的には田舎は相当にハンディがあったのである。
本がなければ勉強しようがないからだ。インターネットもないのだから田舎はそれでハンディが大きかったのである。ネットで買えるようになったときなぜこんなに本があるのかと本当に驚いたのである。それでまた本の蒐集をはじめたのである。
何か専門的に知るには量を集めないとできないことがわかったからだ。
詩集を今では集めているのである。詩集はなかなか集められない、どこにあるのか良く未だにわからないからである。
仙台にはそうしたなかなかないものがまだあったりする

それから骨董品を二軒ばかり見て歩いた、好みのものがあったが今回は買わなかった。
やはりじかに見れるのかがいい、さわれるのがいい、ネットでは茶碗でも買ったが触ったり大きさなどがわからないのである。
確かに今までバスでも来ていたが今回はまるで違った感じを受けた。
来るにも帰るにも余裕があった。この感覚は本当に失っていたのである。
なぜならバスになると余裕がないし疲れるのである。
別に電車に乗れないということがなければこんな感覚にはならなかった。
五年六カ月も電車に乗れないことがそういう感覚にしたのである。
これは故郷を離れて仮設に五年住んだとかこの辺では変則的な生活になってこういう当り前のことが実は恵まれたことだと意識したのである。

帰りは地平線に大きな月がでていた。冬の満月だった。何か復興の電車が通るにはふさわしかった。
ただ帰っても待っている人もいないので淋しいとなる。なんか一人暮らしというのはこれもまたはじめての経験なのである。
これも経験しない人はにはそうならない人にはわからないということがある。
どうせ家に帰っても家族が待ってもないなとしたら自分の帰ってゆくべきところはどこなのか?
家があっても家族がいなかったら家なのかということになるのである。
まさに根なし草のようになってしまうのである。
ともかくここ十年は一身上でも次々に変化に見舞われたのである。
そのうちにまた年とったのである、確かにポーの大渦にのみこまれて急激に老いたともなる。人生にはこういうことがあるのだと思う
何か荒波にもまれて漂流している感じである。実際に津波では本当に波にさらわれて急死に一生を得た人もいたからである。

ともかく復興の大きな節目となったのが今回の仙台までの開通である。
バスは電車では全く感覚的に違うのである。電車がなくなることはそれだけ痛手が大きいことを実感したのである。

想像もしないものに変化する抽象画の芸術 Art of an abstract picture changing to the thing which I do not imagine


想像もしないものに変化する抽象画の芸術

Art of an abstract picture changing to the thing which I do not imagine

インターネットの画像を変化させる

I change images of the Internet


この画像から変化

It is changed by this image

arch2345567.jpg

palaceeeeeee123.jpg

abisramu111223444.jpg

bbbbriverrrr2345.jpg


自分のしてきたことは何なのか?
ただインターネットにある画像を変化させてきただけである。
でもそれが著作権違反となるかというとならない
なぜならまるで違ったものになっているからだ。

ただ今回の立体的なアーチの抽象画は著作権に違反するかもしれない
あとは違反しない、想像もつかない、にてもにつかないものになっているからだ。
だからこれは新しい芸術なのかとも思う
自分でしていて良くわからないのである。

何かイスラムの宮殿のようになっている、イスラムというと抽象画の世界である。
だからコンピュターでパターン化するハターン化するのに向いているのである。


What is it to have had oneself?
I  only changed an image in the Internet.
But this is because it is to a thing different at all which there is not when it is said whether it becomes the copyright What is it to have had oneself?
I  only changed an image in the Internet.
But this is because it is to a thing different at all which there is not when it is said whether it becomes the copyright violation.

It may be oneself who think whether therefore this is new art who is not accompanied by the imagination not to violate, and the abstract picture of this three-dimensional arch does not only know it after having possibilities to violate a copyright.

It is the world of the abstract picture when I say Islam becoming like a palace of some Islam.
Therefore I turn to patternize it in computer
It may be oneself who think whether therefore this is new art who is not accompanied by the imagination not to violate, and the abstract picture of this three-dimensional arch does not only know it after having possibilities to violate a copyright.

It is the world of the abstract picture when I say Islam becoming like a palace of some Islam.
Therefore I turn to patternize it in computer