2017年03月30日

自治が問われた原発事故周辺 巨額の国からの補償支援金は自治体の復興に使われなかった


自治が問われた原発事故周辺

巨額の国からの補償支援金は自治体の復興に使われなかった

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今日山梨の駅で話した人は結構いろいろ要点をついたことを言って共感した。
何か病気になって仕事できないので医者にみてもらいにきていた。
除染の仕事をしていた。

「この辺では復興として国からおりた金をみんなゼネコンとか暴力団とかに流れて肝心の市町村を復興するためには使われなかったんだよ、区長でもなんでもみんなでその金を使って復興しようとしなかった」
「その国からおりた金でもみんな個々人におりたので個々人が勝手に使い町全体とかの復興のために使われなかった」
「除染費用など自治体で使えば良かっただよ、そうすれば市町村の復興のために新しい街作りのために使うことができた
除染でもこの土地の人がやりそれを復興の街作りに回せば良かったんだよ」
「それはいえるな、結局この辺では6年間住民は何もしなかった、ただ個々に補償金をもうらことしか頭になくなった、それで家族でも地区でも市全体でもばらばらになってしまったんだよ」
「俺は飯館村で除染していたけど石ぶつけられたんだよ」
「ええ、なぜ、そんなことをしたの」
「その家は補償金はその時そんなにもらえない所だった、隣の家は高くもらっていたとかで頭にきて除染している人が怒っていた」
「そういうことはこの辺ではあった、国で放射線量を計り補償金を決めた、それでどこでももめた、地区でも隣がもらってこっちはもらえないとかもめた」
「それより自治体で一括して除染費用をもらって自治体主導で除染すれば良かった
そして復興のための街作りに使えば良かったんだよ」
「それは自分も感じていた、個々人に補償金もらったらみんなかえって町を出て外に家を建てたよ」
「莫大な補償金とかは街の復興のために使うべきだったんだよ」

この人の言っていることは全うだった。飯館村で除染している人に石をぶつけているとういことは飯館村でも補償金で分断されていたのである。今でも大きくは二つに分断されている、補償金をもらって外で生活再建する派と残る村長派である。
この辺は事故後ずっと補償金でもめて分断されてきたのである。
家族すらその一億円の補償金でもめて分裂したとかもある、額が大きくなると奪い合いになる。

その人が言うには区長でもいいからともかくみんなが集まって市町村のために全体の復興のために使うべきだった、そういうふうな仕組みを作るべきでもあった。
一括して自治体でも除染費用を受け取ればそれを極力自治体の力でやればその金は除染だけではない市町村全体のためにも使われたし自治体の人々が俺たちが復興しているんだという気持ちなり復興に精神的にも通じていた

ところが実際はほとんど6年の間住民は何していたかといえばパチンコでありギャンブルに興じていただけなのである。その時精神は荒廃して復興など関係なくなっていたのである。そして補償金しか興味がなくなっていたのである。
もし除染でもしていたら自分たちの土地を自分たちで除染している、復興しているんだという前向きな気持ちになったのである。全部でなくても自治体主導でしていればそうなった、一部では除染もそうしたところもあったがほとんどはゼネコン主体であり地元住民は何もせずにパチンコきギャンブルしかしていないのである。

南相馬市だと小高でも南相馬市内の仮設に住んだから近いのでできたのである。
でも実際は補償金をもらうことしかなくなった
それよりも除染だけではないなにかしら自分たちで復興しているんだというものがないと精神的にももう復興などどうでもいいとなってしまった
ただ補償金をもらえばいいとういうふうになり復興の気力もなくなっていった
だからいくら国から巨額な金が出てもそれが有効に回らなかった。
地区でも市町村単位でも補償金でもめて分断されたのである。

つまり民主主義の自治がなくなっていたのである。みんなでこの困難に立ち向かう下からの力が喪失した、自治体というとき自ら治めるということである、その自ら治めるがなく国からの一方的な指導しかなくそれが自治させなくさせたのである。
それは国だけに責任があるのではなく強力に自治体の住民が結束して立ち向かうことができなかったからである。

ではなぜできなかったのか?
それは震災前からすでにそうした原因があった
それが原発事故を通じて明確化されたというだけだとも見える

農民→農業したくなかった→土地は汚染されて農業はできなくなった
商店→シャッター通り→やめたかった→補償金が入ってやめた
若い人たち→田舎町から出て行きたかった→補償金もらって都会へ出た
若い妻たち→姑といたくなかった→別々に暮らせて良かった

何か前々からこうして田舎ではそういう状況があり原発事故がそれを促進させたのである
いづれにしろ復興というときこの辺では町でも村でも全体の復興には向かわなかった
みんな個々人が補償金をもらいそれを個々人が利用して町全体の復興には向かわなかった精神的にも一致して復興に向かわなかった、復興というとき本当は一年くらいはしかたないにしてもその辺からすでに何らか個々人が復興のために動き働いていないとできなことだったのである。その復興は個々人は故郷が出て家を建てたりして個々人の復興のために6年は費やされたのである。
6年すぎたらもうそうして若い人は流出してもう帰らない、もともと町から出たいということもあり他の都会で住みやすい所で生活しはじめて6年とかなると境遇も変わり簡単に元にもどれないし故郷の復興には関係なくなっていたのである。
人間は6年くらい音信不通になると相手のことがわからなくなり誤解が生れる
6年はやはり短いようで長かかったのである。

ともかく様々なことが問われたが自治体が自治がなかった、その自治とは市長とか議員の自治でもない、村民の町民の市民の自治がなかった、下から押し上げる力が不足していた補償金を要求するにしても個々人ではなく町全体を復興させるにはどうするのかということでその活用を議論すべきだったのである。
そしてその山梨の人が言うにはそうした新しい街作りをしないと若い人も住まない、そこに希望がないから住まない、そして全体が衰退してゆくというのは本当だろう
ただでは都会的な街がみんないいかといったら嫌な人もいる
自分の価値観は性分は都会向きではない、静かで人がいない方が落ち着くのである。
でも一般的にはそうではないから街が衰退してゆくことはいいことではないのである。



メディアが報じない原発禍の街の真実 <第6回>4人世帯で1億1000万円…賠償金で家族がバラバラに(日刊ゲンダイ)

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水俣病でもここと同じことが起きていた、補償金しかなくなったのである。
何か復興もない、昔の村は全くなくなったとある。


市町村でも全体が喪失したことが深刻だった (復興には個々人ではなく全体が一致協力しないとできない)


補償金、義援金で南相馬市の一体感は喪失 (原町の人が義援金も鹿島区に払うなと言うことの傲慢)

過度な原発避難者への援助がかえって不和をもたらし復興させなくした (内村鑑三の指摘の再考)

posted by 老鶯 at 15:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

済州島の漢拏山 新しき地理の展望を得るのが旅


済州島の漢拏山

新しき地理の展望を得るのが旅


漢拏山力強きかも
韓国,中国、日本を望み
春の日に望み聳え立つかな
世界の地勢を知りて
新しき展望を得む

韓国はやはり歴史的だけではない、地理的に日本の中に入っている国である。
中国となると広すぎて日本とは別な世界になってしまう。
韓国は玄界灘をはさみ一衣帯水の国である。

『南史』に「陳の後主荒淫なり。我は百姓の父母為り。あに一衣帯水に限られて、これをすくわざるべけんや(君主の跡継ぎは、淫らで残酷だ。私は人民の父母である。陳と一本の帯のような細い川に隔てられているからといって、彼らを救わずにいることがどうして出来ようか)」とあるのに基づく。

一衣帯水の故事は中国をさしている、でも中国と日本の海は広い、韓国はそうではない、船で古代から行き来していた、韓国の一部が任那に日本府が置かれていた
韓国が一衣帯水の国としてふさわしい、確かに遣唐使が船で中国に渡ったとしてもそれは頻繁ではない、決死の渡航だった、そんなに行き来できる海ではなかったのである。
だから中国は地理的にも日本とは隔絶しているのである。
韓国は地理的にも一体感がもてる国なのである。
それを実感したのは済州島の漢拏山を見上げたときである。
島にこんな高い山があるのも驚きだった、それも力強いものを感じた

その山はまさに韓国と中国と日本を望んでそびえていたのである。
旅は視野を広くするというときそれは地理が地図をいくらみてもわからないからである。旅によって新しき展望を得る、世界となると広すぎる、でも韓国は地理的一体感を感じる場なのである。唯一外国で地理的一体感を感じるのは日本では韓国だけなのである。
他は海に囲まれて感じないのである。ロシアにも感じないし地理的一体感を感じない。

外国だと感覚的地続きだから地理的一体感を感じる、ただ人為的境界として国境があるだけであり日本のように海に囲まれて地理的に隔絶されたような感覚にはならない、日本にとって地の果ては海の向こうであり海に囲まれているからすぐに地の果てになってしまうのである。
だから地続きの感覚が世界の感覚であり日本は海によって隔絶された世界で特殊な国なのである。

世界を旅するとなると今やまた年とり楽ではない、もっとやはり山を見たいということがあった、それは自分の住んでいる所に大きな高い山がないためである。
海がない国は海に憧れるのとにている、山は富士山でもそうだが精神的象徴となる
山は精神をはぐくむ、一番の圧巻はヒマラヤだった、しかしこれも一回見ただけであり
その時曇っていたのではっきり見えなかったのが損したのである。
これだけ旅行しても見れなかったことを後悔する、人間にはそんなに時間がないのである富士山くらい見に行こうかと思うがこれも日本自体が旅しにくくなっている
外国人が増えてゆっくり旅できないとなると何か時代的に損である。
旅はやはり視野を広げ新たな展望を得ることなのである。



2017年03月29日

震災から6年の間に変わった原発避難者の境遇 (震災関連死数が物語るもの)


震災から6年の間に変わった原発避難者の境遇

(震災関連死数が物語るもの)


震災関連死数 2086 65才以上 1880


復興住宅に入っている浪江の人は一人は室原でその人は母が避難している内に死んで一人暮らしになった、今日あった人は兄と一緒に住んでいたがその兄が死んで一人暮らしだという、何かそれは関連死だったのかもしれない
要するに避難している6年の間に様々な変化があった、その中に震災関連死があった
兄が死んだ人は子供がいないから一人である。
子供がいた人もその息子は東京に出てその子供はその地元の高校を出て就職して帰らない妻も息子の所に帰っていないという、一町ばかりの畑があり通ってみている
近くになったのでそれができるから何か故郷と通じるものができてくる
すぐにではないが故郷とその土地を通じてつながっているという感じになる

ともかく6年という歳月が意外とこの辺りを実際は凄まじく変えてしまったのである。
津浪の被害もそうだけど原発事故の避難でもそうである。
家族でも地域でもばらばらになってしまったのである。
その中で境遇がみんな変わってしまった。身内が死んだりするのは大きな変化である。
自分も母親が死んだから同じである。

だから原発避難者が故郷に帰れというときその6年の間の変化でむすかしくなった。
なぜなら東京まで出てそこで中学校3年と高校3年を過ごすほど長かった
普通はそういう思春期は一番思い出にの残る時期かもしれないからだ。
小学生でも一年生が六年生になっていたからである。
その境遇の変化が既成事実となり重いものとなり帰れなくさせたのである。

ともかく人間の境遇も変化をまねがれない、自分は30年間くらいは変化がなかったが急速の変化に襲われて介護十年して身内はみんな死んだ
人間は別に震災がなくても境遇が変化する、親が死んだ人もいる、妻が死んだ人もいる、夫が死んだ人もいる、様々である
その境遇の変化のためにショックを受ける、世の無常を感じる

つくづく人間は一旦境遇が変化すると既成事実化すると簡単に元にもどれない
それが復興をむずかしくしている、6年も避難している内にみんな境遇が変わってしまったのである。
若い人は若い人で避難している間に生活でも避難した先で合わせる他なくなった
ともかく意外と老人になると境遇が変わりやすいのである。
それがショックになる、あちらこちら病院が変わったり施設が変わったりする人もいる
終の住処(ついのすみか)が得られない漂流老人になる
震災避難者はあちらこちら漂流した、そして震災関連死になった人も多い
そういう安定しないことが老人にとっては最大の不幸なのである。

いづれにしろこうした境遇の変化はもう一旦変えられると元にもどすことが困難になる
これは最初の内はそんなに大きな問題に見えなかった
しかし6年過ぎてその重さに気づいたのである。
一旦変わってしまった境遇はもう簡単には変えられない、町にしても村にしても簡単に修復して元にもどらない、それが大きな誤算だった
若い人でもそれぞれの生活が避難した先ではじまりそこで6年間過ぎたからである。

災害復興住宅の畳みは本物たたみでないらしい、外壁も塗装されていないとかヤハな作りになっている、やはり外観はいいのだがそれだけ安い材料とか手抜きしていたともなる
そうせざるをえない事情もある。
だから建物は外観を見ただけではわからないものだと思った。

復興は様々な悪条件で困難を究める、それぞれの境遇が変わってしまい、それも復興をむずかしくしていた、そして残されたのは老人が多い、福島県内からすら流出しているからである。復興住宅に入っている人すら老人が多い、一人暮らしも多いのである。
だからそういう人たちが帰って何ができるのかとなるし帰っても世話する人もいないのだから復興自体無理だとなる
何もできない、介護とか病気予備軍の老人が帰っても復興はできないからである。


タグ:震災関連死
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2017年03月27日

西の栄の桜の俳句十句 栄枯盛衰の桜(大坂城の散る桜の詩)


西の栄の桜の俳句十句

栄枯盛衰の桜(大坂城の散る桜の詩)

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吉野山おおふさくらや霞かな

(奈良)

大仏や平城宮(ならのみやこ)は八重桜

(京都)

椿落ち真昼に花散る詩仙院

花の色御池に濃しや塀長し

優艷に枝垂桜や京の暮る

(大阪)

散りやまぬ花や栄の大坂城

(近江)

栄とて志賀の都は山桜

(淡路島)

淡路島よす波静か花の散る

月の出て花の散りにき淡路島

(瀬戸内海)

百舟の行き来変わらず夕桜

瀬戸内や百舟行きて花に風

(四国)

海よりそ望む四国や花に城

金比羅におしよす人や花盛り

山峡に磐打つ流れ山桜



み吉野の吉野の山の桜花 白雲とのみ見えまがひつつ

青丹よし寧楽(なら)の都は咲く花の薫ふがごとく今盛りなり
小野老

いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな

さざなみや志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな(千載66)

露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢 秀吉


西の桜というときそれは自然のままの桜ではない、歴史がそこにかかわり映える桜である万葉集には桜の歌はほとんどなく梅の歌が多い、梅は中国より入った外来種である。
咲く花のにおうがごとくとは梅のことであり桜ではない
むしろ八重桜が奈良の都の栄の象徴だった、そこに奈良の特徴がある

そしてさざなみの志賀の都でも山桜である。都の跡でもそこは規模が小さいものであり一時の都であり人が去った時、都が移った時、そこも元の原野に帰ったのである。
そこに咲いていたのは山桜だったのである。

桜というとき何か一つのもののように見ているが違っている、万葉集時代は今に感じている桜は歌われていない、山桜の美は確かに歌われている
でもまた誤解しているのは一般的に桜というとき染井吉野でありそれは山桜とは本質的に異なるものなである。感覚的にもそうであり野性的な美である山桜とは違う。
江戸時代から染井吉野が開発されて花見の習慣も生れた、その辺から染井吉野が主流の桜となった。

花は桜木 人は武士 柱は檜 魚は鯛 小袖はもみじ 花はみよしの と続きます。
一休宗純禅師の言葉とされていて、花だったら人だったらと1位と思っているものをあげていった言葉のようです。
他の方も書かれていますが、桜は散り際が美しいもの、武士もまた潔く死に際が潔いもの、つまりは散り際が潔く美しいものが良いということを書いているそうです

一休というとき1400年であり南北朝の時代なのである。その時から武士というのはこういうものだということが一般化していたとなる、でもその桜は山桜であり染井吉野ではないいさぎよく散る美学が山桜から生れたのか?その辺がはっきりしない。

そもそも不思議なのは城に植えられていたのは桜ではない、今は桜に飾られているけどその桜は染井吉野であり城には桜は飾られていない、糸桜のような庭で鑑賞するもののようであり華やかに城を飾る桜はなかったのである。
それは城が廃止しされた明治以降である。だから城に登城した武士は桜を見ていないのである。殿様も見ていない、桜はなかったからである。
大坂城にも桜はなかった、だから何か当時もあのように桜が咲いていると錯覚している

でも何か大坂城の桜は一番自分には印象に残っていた。規模が大きいのと散る桜がなんともいえないものだった、それはなぜか?
それは歴史が反映していたからである。そこに人間の栄枯盛衰がありそのことのゆうえにただ散る桜ではない、その散っている桜が人間の栄枯盛衰、無常を反映していたからである。
自分が大坂城の桜を見たときはちょうど盛りを過ぎて散るときだったのだろう。
その散る桜がいつまでも心に残り今でもその桜は散っているのである。
栄枯盛衰がありまさにそれを象徴するかのように桜が散ってゆく

 ひさかたの 光のどけき 春の日に
    静心(しづごころ)なく 花の散るらむ

            紀友則(33番) 『古今集』春下・84

その桜が咲いていたときは光のどけきだった、それでも桜はひらひらと尽きることなく散ってゆく、静心なく(しずかな心ではいられない)心が騒ぐのが桜が散る時である。
それはあまりにも桜は早く散ることにある、華やかに咲いてもたちまち散ってしまうのが桜である。それゆえに桜は美しいものとなる
だからいさぎよく死ぬのがいいと戦争中には桜がもてはやされた、その通り300百万人の人が主に若者が死んだのでありそのことを批判する人もいる

難波のことは夢のまた夢という秀吉の辞世の歌もあるがみちのくとかなるとそうした栄華がないのである。そういう栄華があってこそ夢のまた夢と言える
西にはそうした栄があったからこそでありそれが桜を見るとき心に影響しているのであるだから山桜を見るのとは違っているのだ。            

敷島の 大和心を 人問わば 朝日ににおう 山桜花 本居宣長

この歌は純真な自然の美そのものを歌ったものであり戦争とは結びつかない、戦争と結びついていたのは吉田松陰の辞世の歌の大和魂だったのである。
この歌は平和そのものの歌であり戦争とは関係ないからである。

いづれにしろ桜の季節だけど自分はずいぶん旅したから思い出して書いている
西の桜は山桜とかの自然そのものの美ではない、歴史の栄枯盛衰の中に咲く桜である。
だからカナダの山とかよりアンデスとかペルーの山とかが美しかったというときそこにはインカ文明とかが築かれた歴史がある場所だから違って見えた。
自然の山としても美があるとしてもそこにはすでに千年の歴史があるから違って見えたとなる、自然でも純粋な自然と歴史がかかわる自然とは違ってるのである。

今になると何か旅するのも疲れる、旅も何かそれだけのエネルギーが必要だった、それが介護とか自らの病気とか津浪とか原発事故とかで消耗した、旅すらいくら時間があってもできなくなるときがある。人生はそれほど短いものだったのである。
たちまち時間は過ぎてしまう、そして今になると外国人が多くなり旅しにくくなった。
あまりにも外国人が多くなると情緒がなくなるし宿すらとれなくなるというのも困るのである。外国人の花見ともなってしまう。日本文化がそうして世界的になるのかもしれないが日本人自体が桜をゆっちり楽しめないというのも困るとなる



大坂城に散る桜

尽きず散る大坂城の桜かな
はなれて遠くみちのくにあれ
その花の心に残りぬ
西の栄を集む大坂城なれ
華やかに花は散りやまず
尽きることなく花は散るかな
その栄の日は短かきも
一時この世の憂さを忘れて
その桜に酔い栄華を味わふ
争うときあれど過ぎされば
西の栄もまた東の栄なり
その栄華秀吉のものにのみあらじ
万人のものとて今桜咲き映え散りぬ
はなれても遠く心の中に花は
尽きず散りやまぬかも
赤々と夕陽耀ふその色や
なお人の出入りしつつ
日の本の国の栄の桜花
その花にこそ日本人は酔いぬ
西行の花にしなまし心かな


            

タグ:大坂城の桜

また建つ大東建託のアパート (鹿島区内で10数棟建つ相馬市も多い)


また建つ大東建託のアパート

(鹿島区内で10数棟建つ相馬市も多い)

賃貸経営は30年以上の長い事業です。
世間で言われている人口減少がこのまま改善しなければ、多くのアパートオーナーは首をくくることになるでしょう。

練馬で建築と不動産をやっています。やめましょう!
嘘です。820万戸も空き家があり10年で180万戸増えました。
失敗は大家のせい成功は大東建託です。

中々売れないような土地にアパートを建ててもすぐに空き部屋が目立つようになります、、そしてオール借金ですと手元には何も残りません、、赤字にならなければましと言う程度の物です



この辺では様々な変化があった、その一つが大東建託のアパートが次々に建ったことである。それは他所から原発事故で避難して入る人がありその需要が見込めたからだろう。
いわきナンバーが多いことでわかる、それにしても未だに建てられ続けていることの驚きである。
そこでちょうど建築中の場に人がいたので聞いてみた
そこは田んぼだったのだけど端になっていた

「ここは自分の土地なんだよ」
「田んぼだと簡単に宅地にはできないよな」
「ここはできる土地だよ」
「ここは土地を売って大東建託が建てるのか」
「違うよ、自分の土地に自分で金だしてアパートを建てる」
「じゃ、,金がかかるよな」
「一億かかるよ」
「ええ、そんなにかかる、そんな金が用意できるの」
「息子もいいというし借金だよ」
「借金では大変だな」
「15年くらい返すのにかかるよ」

大東建託でアパートを建ててもそれは土地をもった人が金を出して建てる、大東建託は売っているだけである。ただそこには

大東建託でのアパート経営を検討中です。
16戸×平均家賃5万円で初年度の月の収入が約15万円だそうです。
建築費用1億をすべて銀行による借入で30年返済、大東建託は
30年一括借り上げするのでリスクはないと言ってるみたいです。
10年間は家賃の値下げはしない、修繕費は大東建託持ちらしいです。

ここに問題を指摘している、そんなにもうかるものではない、一面危険がある。
こういうことを知ればそんなに大東建託が建っていいものかといぶかる
でもこの辺の特殊な事情がそうしたと自分は見ていた、津浪の被害者とか原発の避難者とか流入しているから需要があるから建ったと思っていた
それにしてもこんなに建っていいものだろうかという素朴な疑問が常にあった
これもかなりのリスクだなと思った。

ただこれももし15年間くらいで返済できればあとは楽になるかのかもしれない、アパート経営とかは千葉県だったかしらないが家賃収入で海外旅行が盛んでない時代からしていた人がいた、その人はそうした早い時期から海外をぶらぶらしている人だったのである。
それができたのは家賃収入で暮らすことができたからである。
だから地主とでアパート経営していた人は不労所得で余裕で暮らせたし働く必要もなかったのである。そういう時代もあった。
人間社会は何かそういう恵まれた人は必ずいる、それは自分もそうだった、親の遺産で暮らせる人もいる、でも自分は海外に気楽に行けるほどの金はなかった
海外旅行は一時航空運賃が馬鹿高い時があったからだ
それでシベリア回りの鉄道でヨーロッパに行った人を知っている、それだけ航空運賃が高かったからである。

賃貸アパートは供給過剰状態だと言っていましたね。マイナス金利政策で行き場を失ったお金が、賃貸アパート建設の融資に向かっているようです。

これと言えるだろう、投資信託などに老人が金をつぎこんでいるのもそうである。その一人が自分でもある
これももうかるとは言えないし危険なものでもマイナス金利になっているからである。
結局これも銀行が高い手数料をとりもうかるが預ける方はもうからない、この大東建託でももうかるのは大東建託で借金してももうからない、損したという人も多いとなる
何か世の中の仕組みはそうなっているのである。
会社とか銀行とかは損をしてまで他人の金を増やしてはくれないのである。

この辺ではともく新しい家がどれだけたったのか、数百個は建った、新しい街が三つできるくらい建った。その中でも目立ったのが大東建託のアパートだったのである。
相馬市だけで28軒ある、鹿島区でも相馬市の半分もある大東建託の数は全国で凄いものとなっているのだ。目につくのはまず大東建託なのである。
ただ原町区は何か少ない、検索できない、他の会社の方が多いのかもしれない。
相馬市は多い、何か理由があるのか?この辺はわからない、鹿島区と相馬市は特に多いことは確かである。

タグ:大東建託
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2017年03月26日

私たちのこれから認知症社会 (NHKの番組では厳しい現実を示さない)


私たちのこれから認知症社会

 (NHKの番組では厳しい現実を示さない)


 今回のNHKの認知症社会はあまりにも現実からかけはなれていた、統計的には数としてはその厳しさを示していたがその内容は甘いものとして見ているしそういうものしか示していない、家族が認知症になったら社会でどうみるのか?
それがあまりにも甘いものであり現実を見ない無視したものだった
認知症になったらその人は人として見られないし馬鹿になったと差別されるし家族すらそうである。それは知的障害者をもつものと同じになる
社会がそんなにそういう人に配慮したりやさしく接したりしない

この世の現実を自分は介護十年で自ら病気にもなり嫌というほど味わった
むしろ人間は弱者化すると食い物にされる、相手の弱みにつけこみやりたい放題になる
人間のその恐ろしさを味わった、人間はそうした残酷さをそうして弱者になるときむきだしになるのだ、それは戦争とか異常な状態でも起きてくる
シリア難民は女性が食い物にされるとか弱者につけこまれるのと同じである。

この世が認知症になったからといって回りが社会が親切にするなどありえないのである。特に現代社会はもうそうした義理人情とか隣近所とか助け合うとか全くない。
相手が弱者化したら財産を奪ってやろうとかそんなことを考える人はいる、自分は現実にそういうことを嫌というほど味わってきた
相手はこいつから金をとってやろうとしかなかった。弱者は最もやりやすくなる
それが人間の実体でありどうして認知症の人に親切にするのか?


行方不明者が一万になったとか誰もそんな人のことをかまわない
そしていつも若者は叫んでいる、老人は早く死ねと安楽死させろとか言っている
それが本音であり認知症の人にやさしくする心など全くない、介護士などでもただ安月給でしかたなくやっているだけである。
それは看護師だって老人にはやさしくない、病院でそれは経験した。
病院は体を物体のように見るが心はみない、無機質な冷たい空間である。

認知症の人が安心して暮らせる社会などありえないのである。その厳しい現実を見ていないのである。そんな社会があるとしたらその社会は天国かもしれない
実際はこの世は弱肉強食の地獄である。そんなことみんな実際の生活体験しているのだから今回のNHKの番組はなんら認知症についての将来の危惧に答えるものでもない何の役にも立たない番組だった
現実を見据えない番組はただ絵空事でしかないのである。
NHKには現実を見据えた番組もあるが今回のように現実とまるでかけはなれた番組もある

認知症に家族なった人や本当に認知症になった人の現実は厳しく過酷である。
人間は弱者になることは何でも厳しい、シリア難民とかもそうでありそういう人たちは食い物にされるのである。
人間とはそうして本来そうした悪質なものなのである。
それが相手が弱者化したりする露骨に現れるのである。
人間の本性が現れる、戦争のときとか異常な事態の時、その獣の本性が現れる
それで沖縄で日本兵が怖いというより地元の人、隣の人にでもレイプされるのが怖かったとかいうのは本当かもしれない、一番身近な人が最も質が悪いのである。
そういう人間社会が認知症のような弱者になった人に親切にするのか?

認知症の悲劇は社会的に優秀な人、貢献した人でも馬鹿になってしまうという恐怖なのである。そのことをプログで書いてきた。
こんなに優秀な強い人がこんなになってしまうのか?これが人間なのかという恐怖だった
そしてあえなく死んでしまった。人間ははかないなとつくづくなってしまう。
ただ認知症になったからといって人間でなくなってしまうわけではない
記憶障害だとしても人間としての何か基本的なものは失わない、そして不思議なのは時々正気にもどることだったのである。
特に死ぬとき正気にもどる、だから馬鹿として扱えないむずかしさがあった。
正気となると介護している人でもその人をみているからである。
特に家族だとおろそかにできないことがあるから苦しいとなる
全然わからなくなった人ならそうはならないからだ。
良く世話してくれたなとかわかる場合があるからだ、何かそういうことはわかるのだ
この人はいい人だとかもわかる、ただ記憶障害がありそれでわからなくなったのかと錯覚する。

いづれにしろ認知症の人が安心して暮らせる社会などこないし作れない、そんな親切な社会があるとしたら現実が弱肉強食の社会になっていない天国になっているだろう。
つまり別に認知症がふえるからといって老人が増えるからといって親切な社会なとこないからである。
弱肉強食の社会の延長として老人社会もあり認知症社会もある、ただ違うのは人間は必ず年取るから弱者と化す、今は強者でもなんでもそうである。
例え大金持ちであっても認知症になったら金の管理も銀行からおろすこともできないのだから何にも役に立たないのである。その驚きを経験したからである。
最後にいかに強者でも弱者になるのが人間の運命なのである。
弱者化した老人をいためつけるのもいいがその痛めつけるものも最後は弱者化していためつけられるのである。それがカルマなのだ。
人間はそういうカルマを生きる運命にある。そのカルマから逃れることができないのである。

いづれにしろ認知症の人か安心して暮らせる社会はありえない、ではどうするのかというと自分にもわからない、ただ何らか孤独死でも覚悟しておく必要がある。
介護状態にならないようにして死ぬとういことである。一番いいのは働いているうちに死んでいたいうのがいい、そういう死に方をしている人もいる
仕事していたが一週間くらいして入院して死んだとかである。
そういう死に方は弱者化して死ぬとも違っているのである。仕事しながらたちまち死んだともなるからだ。弱者化するとは長い間病気になるとか介護状態になるとか認知症でいつまでも生きているとかになることである。
だからそういう死に方が理想的なのである。認知症になって差別されて馬鹿にされて生き恥をさらして生きるのは恐怖なだけなのである。


農民なら農作業中に死んだとか、画家は絵を描いている内に死んでいたとか、作家は文章を書きつつ死んだとか、普通の人でも自転車屋は修理していたがそのあと急に病気になり一週間後に死んだとか、医者でも90歳まで患者を診ていて一週間くらいで死んだとかあった。平凡な女性でも料理を作っていて死んだとかなればそうである
人間はだから仕事する、仕事を持つということが大事である。
仕事がなくなると認知症になる傾向が強くなるのである。
社会から無用化して廃用化してゆくことが危険なのである。

体を動かすための神経系の調整能力などもそうであり、考える力、などという能力にも廃用萎縮があると思う。

私が行っているのは、その萎縮している機能に気づかせて活性化させているにすぎない。http://blog.sakura.ne.jp/cms/article/edit/input?id=179217012

知的な面でもこういうことがある、それはパソコンのソフトを使うことでもわかる、パソコンのソフトは使いこなすこと、その機能を十分に引き出せないことなのである。
抽象画をしてみてそれがわかる、ソフトを使いこなすのむずかしいのである。
それは絵の才能が全くないとしてもソフトを使いこなせば抽象画ができるからである。

だから認知症の予防の幼稚な運動とかバズルとか計算とかは役に立たない、むしろ料理をしづづけるとか仕事をすることが大事になるのである。
死ぬ間際まで仕事をもつことが大事になる、それが現代だと会社をやめると社会的役割まで終わりにされてしまうことが危険でありそれが認知症にもつながる
それで老後は仕事を持つ人ともたない人では大きな差がでてくる、一見遊んで暮らせるからいいと見えてもそうではない、金のない差も大きいがその人が仕事をもつかもたないかの差も大きい、それは老後はもう金になる仕事というのではなく仕事そのものをもつということである。金にならなくても芸術家のように作品の完成のために生涯精を出すということである。それは平凡な仕事でもそうなのである。

そういう仕事をもつということがやはり老後の課題なのである。
なぜなら退職してからも老後が20年とか長くなっているからである。
その仕事がどういうものになるかはその人によって違うからどんな仕事をしなさいとかは言えない、仕事は他人の仕事の価値もわからない人も多いからである。
老後は金で計れないものにも価値がでてくる場合があるからだ
ともかくWORKというとき作用しているとか機能しているとかの意味がありそれは脳を活性化しているということにもなる、それがなくなると廃用萎縮してくるらか認知症になりやすくなるのである。







タグ:認知症社会
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原発事故の国民負担50兆円 (なぜ国民は怒らないのか?)


原発事故の国民負担50兆円

(なぜ国民は怒らないのか?)


原発事故の国民負担(武田邦彦プログ)


原発事故で驚いたのは補償金がこれほどに出せるものなのかということだった
この辺ではだからいくら補償金をもらうかしか関心がくなった
金さえあればどこに暮らしても変わりがない、スーパーに行けばなんでもある
金さえあれば何でも買える、消費者王様だという社会である。
それで仮設に避難した小高の人は「私たち鹿島の人たちを買物して助けているのよ」と言っていた。鹿島の人が補償金が少ないの何の関心もなかったのである。
要するに別に鹿島の人に助けてもらえなくても何にも困ることなく生活できたからである
もし食料もない、何もないとなればそれをもらったりしたらそんなことはないからだ
そういう不便は全く感じないからだ、ただ土地は無料で借りていた便宜を計られたくらいである。でも別に鹿島の人に助けてもらっているなど微塵も考えないのである。
それは別に小高の人が悪いというのではなくそういう社会になっていたからである。
消費者が王様であり金がもつものが一番偉いというのが今の社会だからである。

ただ補償金というのは特別なものであり普通の生活で正当に得たものではない、それが一番露骨に現れたのは漁業権者だった、漁業権を東電に売り渡して事故前も多額の補償金をもらい事故後もさらに損害があったから補償金が増額されてゆき汚染水が海に流れたとなればまた補償金が上積みされる、原発事故の結果としてさらに補償金が増大してというのは何なのだろうとなる、ただ津浪で大被害にあったが漁港に住んで船主ではない人たちは天罰だとか言っていたのはそういう事情があったからである。
そんなふうにして得る金は何なのだろう、回りの人が許すものかとなる

補償金でかえってつぶれかかっていた商店とかはこの際借金でも払ってやめたとかある
跡継ぎもいないとかすでにもう経営ができない状態になっていた
そういう店などはかえって補償金をもらって良かったとなる
補償金はすべて悪い面だけに作用してはいない、それでかえって得したという人たちもいたのである。でもそれは避難区域になったはところであり一部である。
原発被害地域は広い、浜通りだけでもいわき市は30万として相馬市でも4万とか中通りでも被害があったしそこは人口が多いけど補償金はもらっていない、確かに事業者の補償はあったとしても一般の人はないしその補償金も打ち切られるから倒産する会社が増えるだろうと予測している

漁業権者の場合は極端にしてもそういう金でありだから回りの目が厳しくなった。
だから最近そのことに気づいたのが飯館村でも避難した人は出身を言わないという、回りから補償金もらっているだろうと言われるからである。
小高の人の場合は前はそういう遠慮もなかった、かえって自分でもそうだが文句言うなとか責めてきていたのである。そこに根深い対立が生れたのである。
その対立は地元を分断した。浪江の会社経営している人は原町の仕事仲間に仕事をまわしてくれと言ったとき、あなたは補償金もらっているんだからと断れたという。
それも一理ある、なぜなら事業者となると補償金の額が軽く億とかなるしその額が大きいからである。するとうらやましいなとなる
でも今になると浪江の人たちは県で建てた災害復興住宅に住んでいる、すると原町であれ補償金をあの人たちはたんまりもらっているだろうなとなる
だから補償金が必要でもその金によって地元でも協力できなくなったのである
ただボランティアはそんなことないから歓迎されていた、しかし地元で心が分断されたのであり地元はかえって冷たいというとき補償金のためだったのである。

ともかくそもそもこんなに補償金が出るということの驚きと廃炉事業でも除染でも原発事故の処理には武田邦彦氏が50兆円かかるというから驚きである。
その負担は国民がするのである。そもそもそんな金がかかるとしたら

50兆円もかかる、原発なんかやめろ

国民が怒るはずである。でも国民は原発避難者に対して子供のいじめとかになっているがそんなに税金を負担することに怒らないし原発をやめろとも抗議しない、それは国民的運動になってもいいはずだかそうともならない、議論すらしていないとも言っている
争いになるから議論はしないという、いくら争いになるからといっても50兆円となると国が傾くような金なのである。それになぜ国民が怒らないのかわからないとなる
人間は余りにも大きな金とか大きなことには関心がなくなるのかもしれない
隣の人の月給とか近くの人がとれだけ金をもっているとか何に使っているとかいい車をもっているとかなると異常に気にしてもそういう大きなことは無関心になる

電力会社にしても一年に5000億円くらいしか全部で利益を出していなとしたら50兆円という金はその百倍の途方もない金である、そんなものを経営として成り立たないしやらないでも別に会社でその損失を払うわけではないから原発をやめないという。
その損失は全部国民が払うからいいとなる、そしたら電力会社でも普通だったら東芝であれシャープであれ大企業でもつぶれて社員は路頭に迷う、だからこそ会社経営でも真剣になる、親方日の丸だと真剣にならないということがあり現実に東電の経営者は罰せられないからである。
もちろん武田邦彦氏も実は原発事業に参画していた責任者だったという指摘がある。
そして原発推進者だったという責任者でもあったのだから罰せられ方の側にいた人であり今になって原発反対を言うのはおかしいと言う科学者もいる
原発の御用学者の一人だという批判があるからそんなこと今になって言えるのかということもある。

とにかく補償金は必要にしてもそれが地元でいい面にすべて作用したとはいえいない、悪い面マイナスとして作用した面も大きいのである。
だから原発事故を金だけで解決することはできないものだった
ズタズタに地域が分断されて回復不可能にさえなっているからである。
その後遺症がまた大きかったのである。
復興するというとき地元の人が協力しあうということが必要であり金だけではない、協力しあう助け合う気持ちが必要になる、それが補償金問題でなくなった
すると避難した人たちも金をもらっても肩身を狭くしているからいいものでもない、どっちにしろいいものとはならなかった
第一原発の被害地域は広いけど補償金をもらったのは一部である、するとその回りのものは不満になる、そんなに補償金が払えるものではない、国がつぶれてしまうほどの額になるからだ、そこに国民の不満があっても鬱積して子供のいじめになるだけでありもう原発はやめろと国民運動にもならないのである。
何であれ人間は金にはシビアだから50兆円もの金を湯水のように使う原発に抗議しないというのも不思議だとなるのである


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2017年03月25日

避難した人が帰らないのは既成事実化したから (家を建てたり学校でも6年も他で通ったため)



避難した人が帰らないのは既成事実化したから


(家を建てたり学校でも6年も他で通ったため)


小高区と鹿島区の対立はわかるが原町区はそうではないと思っていた
ただ小学生と中学生を送迎する9人乗りのタクシーの運転手が
「小高は甘やかしているんだ」というのを聞いたとき原町でも小高の人への不満があることを知った
なぜ原町は小高について不満がないと思っていたのは原町は鹿島区からする3倍くらい補償金がもらっていると思ったからだ、ただこれは地域によっても違うからわからない。
ただ原町でも不満だというときやはり小高への不満は南相馬市全体としてそうなのであるそれは第一市長自体が小高の人に自立してやってくれと言っているからである。
それが何か表立って言えないのはマスコミでもボランティアでも常にまだ来ていて小高の人はかわいそうだとして支援しているからである。

そもそも小高の問題は30キロ圏内で避難区域にした政府の指導に問題があった。
それは放射線で科学的根拠があったからやむをえない処置ということもあった。
ただ現実の生活を破壊してしまったことが問題だった
何か放射線のこともあるがその放射線問題と現実の生活をどう折り合いをつけるかが課題になっている
いくら放射線が問題でもでは現実の生活を破壊していいのか?
それは飯館村でも他でも起きている、結局今になると町が一旦避難区域になり人が住まなくなるとどうなったのか?6年も人が住まないともう回復できなくなった

第一6年も避難した人たちは外で生活していたというとき学校でも小学一年だったものが六年になっていたのである。すると外での生活になじむ、親でも外で生活することを考える、それで補償金をもらったから家建てたりしたらもう故郷には帰らないのである。
家を建ててそこで仕事をもったりして生活がそこでできていたらもう帰らないのである。農業している人に聞いたら3年農作業しないと体がなまってできなくなるという。
となると毎日パチンコとかギャンブルしていた人たちは農業をしない、補償金をもらうことだけを考えるようになったのである。

だから避難区域に指定して6年もすぎたとき回復できなくさせた、それは国の指導で成されたものだけどそれも大きな問題だった。
避難区域にしてもせいぜい3年くらいだった良かったともいえる
もう6年とかなると回復不可能になっていたのである。
避難した人たちにしてももう外での生活が既成事実になっていたのである。
一旦そうして既成事実化するともうそれを簡単には変えられない
現実問題として家を建てたりしたら帰ることはないのである。
そのことが予想していなかった、避難区域にしたときそこまで予想しなかったのかもしれない、回復できると思っていたのかもしれない。そこに誤算があったともなる

飯館村でも補償金で村を出る組と残る組が分断されたというときもうすでに外で生活する、家を建てて生活している既成事実がある、そうなるともう簡単に帰ることはできない
帰ることは不可能になっている、いくら帰れといっても村長の孫が飯館村の学校に通わないというのはそのためである。
帰るとか帰らないとか分断されたときすでに帰らない人は帰らないのであり分断されたのである。その人たちに帰れというのは無理になっていた
結果的に残されたのは老人だけだったとなる
帰った人の8割くらいは老人なのである。町自体が村がうば捨て山のようにもなる
でもそのためには市町村でも負担が強いられる

南相馬市では復興団地が作られて主に浪江の人たちが入るようになった
5階建ての団地が5つくらいできたのには驚いた
その主に浪江の人たちを南相馬市でかかえることになった
それはいわき市に二万人とか移住して家を建てた大熊とか双葉とかが問題になった
原発の問題はこうして広範囲に影響するものだったのである。
そういうことは全然協議もなにもされていなかった
現実に原発を建てた土地の所有者と県の許可で決められていたのである。
その出発点からして現在の問題が起きる要因を作っていたのである。

ともかく帰れとか言う時、既成事実化しているからそれを言っても無駄だとなる
逆に今度は今の生活を破壊するのかと避難した人たちには言われる
6年の間に回復できない、規制事実化したのである。
例えば石が置かれているとしてその石を他に移すと労力がかかる
でも一旦移すとまた石は重いから他に移すことはできなくなる
既成事実化するということはそういうことだった
だから避難区域にして避難させたことが町を破壊したとなる
回復しようにも既成事実化しているから回復できなくなってしまった。

だから出て行った人をもどすことはできない、するとどうしたらいいのか?
外部から住む人を呼び込むのか?
ともかくすでに規制事実化しているのだからそれを前提にして議論しないと解決方法はない、第一小学校でも中学校でもタクシーで通わせるにも市の負担になる
実際は小高に住んで通わせるのがいいのである。でも小高には住まないのである。
それは飯館村でも起きている、立派な学校を建てても村外から通わせるというのは何なのだろうとなる、そんなら外の学校に通った方がいいともなる
何かそうした矛盾があり苦しむ、単純に帰ればいいと思ったが既成事実化していることが重いものとして今になると影響したのである。




タグ:原発避難者
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2017年03月24日

春の息吹 Spring breath


春の息吹

  • Spring breath



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春の日の駅(広域化社会が人を分散させる)


春の日の駅(広域化社会が人を分散させる)

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蝋梅や塀静かに猫歩む


この町に住みしと遠く去りにけり我が見送りて春の日さしぬ


駅であったのはカナダのトロントから母をたずねて来たというのも意外だった、昨日は鹿島区の住宅に住んでいたと、中学と高校のとき住んでいたという女性が来た
その人は東京に夫がいて大阪に住んでいるというからどういうことなのか?
母が住んでいると沖縄から来た若者もいた、何かキャンプでする格好をしていたから沖縄で自由に暮らしている若者かもしれない、沖縄にはそういう人が結構いるからである

仙台から来る人が一番多いが他にもいろな地域から来ている、これは別に原発事故で避難したためではない、それとは関係ない人たちなのである。
現代社会は前にも書いてきたが広域化グローバル化社会である。
その影響をどんな小さな田舎町でも受けざるをえないのである。

なぜ原発事故が起きて避難区域に人がもどらないというときこういうふうに広域化グローバル化した社会が影響している
どこにでも住んでいい、昔のように故郷とかにこだわりそこに縛られる社会ではない
そういう社会のいい面もあるが悪い面もある、結局地域の結束力がなくなり金さえあればどこに住んでいようがかまわないとなる、だから補償金一億円でももらって外に暮らした方がいいともなる
広域化社会とかグローバル化した社会は金の力は大きくなる。
田舎でも同じなのである。
大東建託がまだアパートを建てている、もう10以上建てている、それだけの需要があるのだろう。

家でも新しく建った家はみんな外から来た建築会社であり地元ではない、これも広域化社会なのである。自分のユニットバスをつくってもらったのは仙台の会社だった
それで地元の人が怒っていた、仕事をまわせと怒っていた
でも地元だと二倍になっていた。仙台からこうした会社が仕事を求めてくることはそれだけ地元でも競争にさらされているのである。

地元の会社でも地元の人が経営しているのではない、東北サッシが神奈川に社長がいてそこが本工場なのである。たいがい地方の会社や工場はそうなっている
それも広域化社会だからそうなっている、すると地元の材料で家を建て地元の食料でまかなっていた時代とはあまりにも違うのである。
そのことは地元にこだわらない、どこに住んでも金さえあればいいとなってしまう

ただ故郷というときいくら広域化してもグローバル化してもこだわるものがある
アイディンティティを求めるものがある、それは先祖の地だとか代々受け継がれてきたものがありそこにアイディンティティを見いだしてゆく
祭りなどがそうである。何か他にも家があるというときそこには単なる人が住む箱ではない、思い出がつまっている場である。

だからおそらく中学と高校時代にここに住んでいたというときなつかしいとなり訪れる
それがここに育った人なら先祖代々の家なら余計にそうなる
ともかくここに住んでいたとか言う人も結構来る、それだけ人は今や分散化して広域社会に住むようになったのである。

2017年03月22日

駅の活性化を考える (付加価値とコラボーレーションの時代)


駅の活性化を考える


(付加価値とコラボーレーションの時代)

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チューリヒ中央駅

欧米では改札口もないからホームまでもが街の雰囲気に渾然一体と
なっている。
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余暇的付加価値:

小規模な住宅地に接するように立地することで、非日常的な空間をもたらし、
「休憩」「おしゃべり」という余暇活動を促す。

 集客的付加価値:

国道との距離が近いことで、
道の駅のような役割を担い、「草花見学・育成」「駅
舎見学」という集客性の高い活動を促す。

 行楽的付加価値

駅舎とホームが直結することで、ホームへの出入りが容易になり、
ホームまで「駅舎見学」「飲食」という行楽地的活動を促す



社会は同じようなことを考えている人が必ずいる、インターネットではそれがわかるので共通項が即座にキーワードで出てくるのでそこから議論を深めることができる

駅の用途というとき普通は電車をのりおりする場としか考えない、人がそこで出会って分かれるという場でもある
だから別に電車を利用しない人でも駅前には仕事でも待ち合わせとか多様な人が訪れる
道の駅にもそういう機能があるが駅にもそういう機能があり道の駅のない町でも駅が一番目立つしわかりやすいから駅に行く
自転車旅行でも知らない町に行ったとき駅に行くのが便利である。
そこで情報を仕入れるのである
駅は街全体の中で機能する役立つ場としてある。

だから電車を利用しなくても駅前にもっと店やその他施設があれば集まる
それで南相馬市では駅前に図書館を作ったがあれは外から来た人は利用しない
まず自分も調べ物するとき旅行で立ち寄ったがとても時間も余裕もないのでできない
外から来た人はそうした時間の余裕がないのである。
図書館は相当に暇な人でないと利用できない、いちいち本を調べるのがめんどうなのである。
インターネットだとこのようにキーワードでそれなりのものが出てくる
これを図書館で調べるとなるともうできないのである。
だから図書館にはここ10年もほとんど行っていないのである。
家事でも時間がとられるからそうなった。原町で遠いためにもそうなる

駅では意外と多様な人々が来て分かれる場であることがわかった
高校生とかばかりが目だつけどそうではない、遠くから来る人が意外といる
今日あった人は千倉の住宅に中学と高校の時住んでいた人である。
その人は東京に夫がいて大阪に住んでいるというからそれも遠いと思った。
結構昔とか前にここに住んでいて来る人がいる

やはり一番多いのは仙台から来る人である。この前も墓参りに来たとかある。
この辺の墓地は仙台から来る人が多い、それだけ仙台との交流がこの辺は深いのである。車で来る人も嫁の実家がここだとかありそういう縁の人が来る
墓地を見ると意外と今は外から来る人が多い、仙台のナンバーは良くみかけるからだ。
仙台に移り住んで墓参りだけに来るといひ人もいるだろう。
現代は移動しやすい時代だから何代も墓がつづくということがむずかしくなり
墓が捨てられるというのもそうしてみんな広い地域に住むようになったからである。

「草花見学・育成」「駅舎見学」という集客性の高い活動を促す

要するに駅を公園とか花壇とか何か街の中で憩いの場所として活用する
電車が来る鉄道のみに利用を限定するのではなく街の中での駅舎の活用を考える
一つのものに限定して利用するというより街という中に鉄道の駅もあり活用される
そこは待ち合わせの場だったり人と人が出会う場であったり憩う場所だったりする公園とか広場の機能をもたせる
公園はあってもそこは地元の人しか利用しないし子供が少ないから子供もあまり利用していないのが淋しい

鹿島駅前には春の日がさしてクロッカスが咲いていた、そこは花壇になり憩いの場となるただ八重桜の木は切られたのでその影に休み電車を待つことはなくなった
駅は公園とか広場とかの機能がありそこに花壇があれば四季の花が楽しむ場ともなる
そして外からの人が来ても第一印象としていいものになる
原ノ町駅は大きくても前に広場もないし憩う空間がないのである。


なぜ自分が駅に行くようになったのかというと駅はすぐ近くであり一人になってからそこで人と交われるということを発見したからである。
ちょうど無人駅となっていたのでそれで何かしらの役に立つから行くようになった。
そしてホームに出入り自由だから見送りしているのである。
待合室で待っている人は誰かと話したい、今日あった人もそうである。
知り合いもいなくなっているとか言っていた。
そこに人がいて少しでも人と話したりすると駅でも活きた場所となる
何か今はそういう場所が少ない、コンビニでもスーパーでも買物する場であっても人と人が出会う場でもない、買物をすることで時間がとられる

欧米では改札口もないからホームまでもが街の雰囲気に渾然一体となっている

確かに欧米では駅のホームへ出入り自由なのである。無人駅で駅員がいないから出入り自由になり自分は見送りしている、ホームに出入り自由になるとそうでないのとではかなり違ったものになる、ホームに出入り自由になるとそれは広場とか街と直結して出入り自由な空間となるのである。もし駅員がいて切符をみるとかするとホームには出入り自由になれないのである。そこに無人駅となり自由に人が行き来する空間が生れたとなるのも不思議である。
うらやましいのは自転車も自由にホームへ出入りできてそのまま電車にのせられるようになっている
自転車専用の車両があるからだ、だから街とホームとは道として直結しているのだ
日本のように輪行するとかなるとめんどうなのである。自転車をこのように利用できれば電車の利用も増えるはずである。

「駅舎見学」というときヨーロッパの駅は立派なのが多い、アーチ型のローマ風の威風堂々したもの大きな教会のような神殿のようなものがあるから駅舎が見学の対象にもなるしまたヨーロッパでは建物が人間に威厳を与える、それはアテネィの学堂というラファエロの絵にも現れている、そういう駅におりると何か人間にも威厳あるものに見える
ヨーロッパの文明は建築と不可分にあり建築が威厳を与えている文明である。
だから駅もそうした建築として威厳あるものとして作られたともなる

そして駅だと待つ時間がある、それが見ていると30分くらいある人が多い、それは外から来た人なのである。待ち合わせの時間がローカル線で生れる
都会の路線だと新幹線とかなるとそうした待ち合わせの時間はもてないのである。
その待ち合わせの時間があることでそれが人間な時間が生れるのである
ただそこで待っているだけではつまらないから多少でも話したりするといいとなる

新地駅とか山下駅は駅前が広く駐車場になり山下駅はスーパーができたので駅に人が集まるようになった。
新地駅でもまだ施設ができていないが温泉が出たとかで施設が作られると人が電車を利用しなくても駅前に人が集まる、鉄道だけの駅ではない、町全体の中に駅が活用するものとして新しく作られたのである。
海が見えるようになり見晴らしが良くなったことでもそこが外から来る人にとってもいい場所になった。
いづれにしろ駅を鉄道だけの駅として利用するだけになるとやはり現代の生活には合わなくなり廃れてゆく、市や町全体の中に駅も活用されるようにする
それはこの辺でも小高でも浪江でもそういう街作りを志向する、ヒントになる
駅が活性化する場として蘇るとういことがある。
ただ鉄道だけを利用するということになると廃れるのである。

現代は食事するにもただ腹をみたすだけでいいとはならない、その空間を楽しむとか何か付加価値が要求されている、ただうまいもの食べるというだけでは今の生活にはあわないだからいい景色があり内装もきれいだとかなると食べるものもおいしいとなる
要するに一つだけの価値ではない、付加価値が要求されて何かとのコラボーレーションが要求されるのが現代だとなる

春の日の短歌


春の日の短歌

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新しき視界開けぬ春の山

new sight open in the distance

I look around mountains in spring


やすっぽし壺の壊れて悔やまぬも価値ある壺の壊れて惜しも

白菊に朝の日さして金盞花添えて咲くかな我が部屋に見ゆ

こころよく仕える人のあれにかしその女なしも我は哀しき

蝋梅に朝の日さしてなおも咲く母なき後の部屋にいるかな

電車の音のひびくを家に聞く仙台に通ず春の朝かな

駅前に黄のクロッカス咲きにけりその明るさや客を待つかな



壺でも価値のある壺が壊れたら惜しいと思う、でも安っぽい壺なら惜しいとは思わない、ただ壊れたかとかなるだけである。やはり人間も価値が違っている、
ただ人間の価値はわからない、ロックフェラーが死んだけど巨万の富を残したけどその人がどれだけ価値があるかもわからない、どれだけ人類に貢献したかとなるとわからない、むしろロックフェラーは悪の権化のように影の支配者のように常に陰謀論で言われているからである。
本当にロックフェラーが価値ある人物だったかどうかわからないのである。
とすると金だけで人間の価値も計れないとなる、なぜならそれだけの巨万の富を残したのだからそうなる、金で計れば一番価値あるとなるからだ。

金盞花と万寿菊は同じものだった、この色は明るい、確かに金色に輝いている
人間でもまずこころよく仕える人はほとんどいない、いやいやながら仕えている、働いている、金のためにしかたがないんだよなとなる、でも家族だったらそういうことはない
結局家族がみんないなくなってその悲哀を介護から十年間自分が苦しみ悲しんだ
家族がいないことがどれだけ悲惨なことになるか今になって身をもって経験したのであるそれも自分のカルマだった、なんらか起きることはカルマなのである。
複雑ではあるが蝋梅はまだ咲いている、3カ月咲いている、こんなに長く咲く花はない
だから長寿の花としてふさわしい、そして人間は死んでも何かその後がある
家というのは嫁いだ娘のことをその部屋に親が偲んでいるとか何か家にはそうした思い出が残る、人間の家は単なる箱ではない、何か精神的なものが付与されている
だから原発事故でも津浪で避難した人はその家がなくなることが悲しいとなる
家に帰りたいというとき家は単なる物ではない、箱ではないからそうなる

電車が仙台まで開通して不思議だと思ったのはその電車の行く音が家までひびいてくる
それは仙台まで通じている音なのである。
今までは相馬市と原町間の短い区間であったが今度は仙台からさらに遠くへと通じている音である。それが春にふさわしい
この辺では仙台に行く人も来る人も多い、この前は岩切から来ていた。
駅で送り迎えしているのが自分である。駅は今まで感じなかったがそうして人が交わる場所だったのである。バス停にはそういうことはない、何か駅は単に人を運ぶというだけではない、駅に駅前に広場の役目があるとか何か人と人が交わる場所としての機能があっただから駅というの交通の手段としてみるだけではない、そうした別な視点からも見ることが見直すことが必要である。
交通の手段だけだとすると車にはかなわないからである。鉄道とか駅とかには他の役割が機能があるべきでありそうすれば駅も鉄道も活性化するともなる


2017年03月21日

巨大会社が国家化して原発事故を起こした (巨大企業に自治体も統治されつぶされるもする)


巨大会社が国家化して原発事故を起こした


(巨大企業に自治体も統治されつぶされるもする)


「国家ではなく企業が世界を統治する」

イギリス東インド会社によるインド統治や東清鉄道、南満州鉄道の鉄道附属地が有名な例だが、イギリス東インド会社以外の植民企業や新しい島を企業が開発した場合など、ほかにもいくつかの例がある。

ある地域を企業が地方自治体に近いかたちで統治することは、現在の日本でも不可能ではない。ある地域をある企業が買い取って、その地域に大規模な集合住宅とともに上下水道や学校、警備、インフラ整備のようなサービスを提供し、同時に契約により毎月の管理費や契約違反時の違約金のようなものを定めればよい

企業には解散ということがありうると考えられているのに対して、国家の解散というのは通常考えられていない

この辺では様々なことが問題になった。とてもそれに答えを出すことはできない、
ここで問題にしているのは

国家と企業

国家と地方自治体

自治体と企業(会社)

これが問題になる、これも大きなテーマであり簡単に答えは出せない、このサイトで注目したのは

企業には解散ということがありうると考えられているのに対して、国家の解散というのは通常考えられていない

これはこの辺のことを考えると市町村とか故郷を解散すること消滅することはありえない市町村とか故郷とかは永続するものとしてある、それが解散とか消滅の危機に瀕している現代は会社社会であり企業社会である、俺は南相馬市の市民だとか浪江町の町民だとか普通生活していたらあまり意識しないし意識しないでも生活できた
ただ原発事故以後はそれぞれの市町村が補償金などをめぐり過剰に意識されたのである。そして避難区域になった町村は消滅の危機に瀕している
それは津浪の被害地でも人口流出でそういうことがある。

そもそも日本人の生活単位が村にあったときそれは自給自足で生きていたからそうなったそこに今のような大きな会社はないからみんな村に属していて村という小さな単位を世界として生きていた。だから会社を社(やしろ)に会するとなり村の延長のように訳したのである。江戸時代には会社はない、でも・・・・屋とか屋号がありそれが会社とにていた
あとは職人でも個人で仕事をもらいしていたのである。

明治以降は会社の存在が大きくなった。会社が国家を左右するまでになって巨大化したのである。だから昨日のトヨタの紡績会社から自動車を作ること戦前からはじめていた
そしてそれが国家ともかかわっていた、トヨタはそれだけ大きくなって経営が苦しくなったときその影響が失業者であふれるとか国家自体もトヨタがつぶれると傾くとまでなり国営会社になった、国家で管理することになった、日銀もかかわり金を出して支えたのである。

このテレビドラマではしきりにトヨタの社長が国を発展させる、国を豊かにするということで国家意識をもっていた、国のために働くのだという意識をもって会社を運営していたそして人員整理をしないということに固執していたのは会社が家族のようなものだからできないとしていたのである。
会社も巨大化すると国家と同じなようなものになる、巨大なるが故につぶすと国家も危うくなるからである。銀行でも日銀の命令で融資させていたのである。
国家と銀行も結びついて資金を調達するのである。

このことを原発事故からみると東電がトヨタにあたる、東電が国家なのか国家が東電なのか区別がつかない、なぜならやはり事故後の20兆円の廃炉資金は国の税金から出るからそうなる、東電の原子力事業は国家もになっていた。
東電も巨大企業だから国家ではつぶすことができないから税金を注入する。
そして自治体とはこの国家と一体化した東電の前に小さいものであり従うほかないものとしてもあった。

ある地域を企業が地方自治体に近いかたちで統治することは、現在の日本でも不可能ではない。ある地域をある企業が買い取って、

東電に明らかに富岡町とか大熊町とか双葉町はかいとられていたのである。それ故に自治体は財政的には豊かになっていたのである。
昔の村のような農業中心の社会でもないし出稼ぎをなくすためにとか貧乏を脱するために原発が作られたからである。
その時自治体は東電に支配される結果になっていたのである。
だから東電が原発事故を起こしたときそれと同時に自治体も崩壊した、消滅の危機にひんするようになったのである。

要するに昔のようにこの辺でも故郷という意識は希薄化している、そもそも故郷は何かなどというと別に意識していないのである。
むしろ今は田舎でも会社員がほとんどだというとき会社を意識するが故郷とか自治体を意識しない、それで浪江町の人が会社が二本松に移りその人も移住したとなる
故郷とか自治体に属しているより会社に属しているからそうなる

ただ自治体とはなになのか?そういうことが意識させられた
自治体とはトータルなものとして機能するものである。
だからこういう自治体の危機になったとき病院を維持するには福祉を維持するには教育を維持するにはとか深刻な問題になったのである。
つまり現実にそうしたものも崩壊してゆく危機にさらされたのである。
でもそもそも故郷とか自治体は会社のように簡単に解散できるものなのか?
それが根本的に故郷とか自治体は会社とは違ったものである。

確かに車でも電気でも現代ではなくては困るもの欠かせないものである。
でも車でも電気でもない時代がありそれでも村とかは存在していたのである。
村とかの寿命は千年とかある場合もある、会社のように解散できないものとして継続されてきた
だから山に先祖が眠り守ってくれるとかという意識が生れた、先祖が守るというときそこに代々継続された時間軸としての故郷が形成されてきた。自然と一体化したアイディンティティが形成されてきた。
会社はそんなに継続されない、トヨタの車だった売れなくなり会社もつぶれるかもしれない、でも自治体はそんな簡単に解散したり消滅したりできないものとしてあった

だから故郷でも自治体体でも消滅するということは人間としてのアイディンティティを奪われることでありそれは経済的ものだけでなく人間として生きる場継続する場の消滅だとすると深刻なものになる
それは国家が消失するともにているかもしれないのだ。
だから国家とは何かとなるときも巨大会社と一体化してそれが国家だとなるとき同じなのである。国家は巨大会社の一部門なのかとなってしまう。
国家とは何かと考えるときもむずかしいが何か根本的な問題としてそういうことが原発事故で問われたのである。

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2017年03月20日

春の日にパークゴルフ場から向かいの山に上る (山から海が広々と見えるようになった)


春の日にパークゴルフ場から向かいの山に上る

(山から海が広々と見えるようになった)

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パノラマ パークゴルフ場の向かい側の山から見る-クリック拡大

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春の山沖に船行く望む丘

船二艘望む丘かな春の海


川子のパークゴルフ場に行った、そこで話を聞いた。

「パークゴルフは簡単にできるもんですか」
「なかなかそうでもないです、ゴルフやっている人も苦労したと聞きましたから」
「この回りを自転車で走れるコースにするのもいいのでは、自転車が好きなもので」
「いや、パークゴルフの玉は重いから危険です」
「あの玉は重いんですか」
「転がってくると危ないです」
「そういうもんなのか、簡単にはできない」
「上達するには訓練もありますしみんなが上手にはなれない」
「そういうもんですか、なんか甘くみていたな」

前の人はパークゴルフは簡単にできると言っていた、では簡単にできるのかと思った、今日聞いた案内の人はかなりむずかしいと言っていた。
前の人はパークゴルフのことを知らなかったのである。
ともかく何であれ遊びだって知らないということは経験していないことは簡単に考えてしまうのである。あの玉が転がってきて危険だとは思わなかった、確かに重そうに見えた

自転車走るのは無理なようだ、向かい側の森を切った所の上り道を電動のマウテンバイクで上ったら山から海から視界が気持ちよく開けた。
この辺は何か森を切ったりして土をとる場所が多いのである。あそこもそうなのかもしれない。ただ道ができていて上に上れるようになっていた
あそこは何かマウテンバイクのコースにはいいなと思った。

山も見えるし海も見える、海には二艘の船が行くのが見えた、あそこを整備すれば気持ちいい場所になる。見晴らしがいいからだ

その後は右田の方にでて帰ってきた、途中津浪で流された右田の墓地に墓参りする女性がいた
何か津浪で変なのは海老でもここでも烏崎で墓地が残り家がなくなっていることなのだ
墓は立派なのが多いのである。
だから常にこの逆だと良かったのになと思う
墓地が残って肝心の住む家がみんななくなってしまったからである。
墓地がなくなっても家があればまた墓は作れるからである。
家がなくなり墓参りする場になったというのも奇妙な感じになる
その人は家を町内に建てたという、仮設でも原発避難者と小高の人をうらやましがっていたかもしれない、津浪の被害者には補償金は出なかったからである。
その女性は家を建てることができたのだから余裕がある人だったのかもしれない。
海老の人はローンで苦しいと言っていた。

ともかくあそこの土地はどうするのかやはりソーラーパネル場になるのか?
田んぼにするとは言っていた、何かにしないと金も入らないしただ荒地になっているだけである。だからどうしても何か金になることに使うようになる
それがみんないいとは限らない、ソーラーパネルがどうしても一番作りやすいのである。
地元のことでも良くわからないことがある、パークゴルフでも経験していない人はわからないのである。また土地の利用をどうするかなども関心をもつ
それは毎日行き来しているからそうなる、何かこの辺は突然にソーラーパネル場になるのが多いのである、これは全国的にそうである。
ソーラーパネルは意外と簡単に設置できるかばしれない、そんなに大工事にはならない
何かそうして安易に作れるからこんなに増えたのかもしれない、業者も増えたのである。それがかえって景観の破壊に通じていたということがある

霧が勝敗を決した関が原の戦い (原発では先が見えていたのに備えなかった)



霧が勝敗を決した関が原の戦い


(原発では先が見えていたのに備えなかった)


風雲!関ヶ原の戦い!C激突開始

このサイトはわかりやすい小説になっている



誰か勝敗をにぎる
神の関与して歴史は動く
関が原深く霧のおおいぬ
家康の東軍霧の中を進む
小早川秀明の裏切り
三成は敗れぬ
霧深く先は見えぬ
誰が勝敗を握るのか
神のみぞ知る
天の時、地の利、人の和
天候に地の利に人の和
裏切りにより人の和は敗れ
天候に左右され敗れぬ
誰が先を見るのか
霧に深くおおわれ
時ならぬ異変
先は見えずに敗退す
誰も先は見えぬ
勝敗をにぎるものは何か
その采配は誰がするのか
神にしありや知らず
人知を越えるものがかかわる
先が見えぬに故に無謀の暴挙
無惨に屍の虚しく積まれぬ

天の時、地の利、人の和というときこれは必ず影響している、関が原は東西を分かれる地の利の場所であった。
あそこを新幹線でも通ると雪が残っているから寒い感じになる、でも関が原をぬけて近江に出ると景色も変わる、実際にあそこは地理的にもそういう場所である。
だから古代にも東西の戦いがあり雌雄を決したのである。

テレビで見たのでも霧が勝敗を決したというとき勝ち負けはどっちに転ぶかわからなかった。三成の西軍が優勢だったからである。霧がそのとき深くおおい東軍が有利になった
これは信長の桶狭間でもそうである。天候の影響が勝負を決める
要するに霧がかかり先が見えないというときまさに歴史でも人生でも同じなのである。
先を見ることができないのである。

もし先を見ることができたらそれは超能力者であり最高の権威をもつことができる、だから卑弥呼の権威は日食を予言したことから起きていたという説もあるしマヤ文明でも天文学を究めたのは先を見るためである
宇宙を知り天候を知り先を知るためにテクノクラートが支配した
常に文明にそういうことがある、つまり未来を将来を知ることが生死を決するからである
ただ歴史でも個々の人生でも先を見ることができない、深く霧がおおい先が見えない
もし先が見えたら日本でもアメリカと無謀な戦争などしない、その時日本はアメリカに勝つと確信して戦争したのである。負けるとしたらしない、先が見えないことは無謀なことができるとなる

いかに先を見ることが大事かというとそれが生死にかかわり国の運命にもかかわり個々の運命でもそうである。
運命を左右するから先を見ることが大事なのである。
津浪のことだってもしその先を見ることができたら防ぐことができたからそれを警告して実行させたら救世主にもなった。
ただ津浪の予測もできないことはなかった、それは実際は予測できたことだったのである相馬藩では記録がないにしても伊達藩ではあり海が近いのだから危機感をもってもよかったが危機感をもたなかった
人間は危機感をもたない、平和がつづくと危機感がなくなりそれが危険なものになってゆく、何か戦後は平和がつづき永遠に平和つづく感じになる
アメリカが日本を守ってくれるという安易な気持ちになっている
でもその危機感のなさがまた危険なことになり戦争にもなるかもれない

今は予測となると科学である、だから科学だと実際に相馬市でも奥の方に津浪が来ていたことはボーリング調査で震災の7年前に証明されていた、海の砂が発見されていたからだ
ただそれが400年前の慶長津浪かどうかはわからない、貞観津浪のものだったらしい。
それから現実に東電では科学者の集まりだから10メートル以上の津浪が来ると予測していた、このことはやはり科学の時代だということを如実に示していたのある。

30年以内に10メートル以上の津浪が来る!

このことをみんな知識として知れば津浪に警戒して多くの命が助かったかもしれない
津浪に対してほとんど無警戒だったからである。
これを大々的に報道していればこの辺でも自覚して助かった人がいたかもしれない
そうなると東電でも科学者は今でもそうだが神様のようになっていて権威を高めることができたのである
先を見ることが歴史でも個々人でも何でも大事なのである。それは命にかかわってくるからである。

会社でも経営でも先を見ることができないから失敗する、東芝のうよな大会社でも原子力に頼り未来を託した結果、巨大な企業が傾いむいてゆく、先を見る力がいかに大事かこれでもわかる、でもその時は原子力は未来だったのである。
フクシマの事故が起こりもう原子力発電は世界でも見捨てられるようになった
先を見ることが誤った結果としてそれが膨大な命を失いまた社員でも路頭に迷わせることになる

歴史でも会社でも個々人でも先が見えないのである。自分でもさんざんな目にあったとこを書いてきたけどそれは予測されていたし自分も不安だった
こんな恵まれた生活がつづくと思えなかった、それが現実化したのである。
まず結婚していないとか人が増えているけど家族がいないとかなると悲惨な結果が待っている、病気になったり親の介護になったりしたら自分と同じ運命になる
金もないとした自分より悲惨なものとなる
自分は親が心配して保険とかもかけていたし金も残していた。
それもないとすると目もあてられないものとなる、それは実際は目に見えてそうなることはわかるものだったのである。
そういうことを若くても見ている人はいるし賢いとなる、自分はのんびりしすぎていたのである。

もちろん明日のことを心配してもどうにもならないということはある。でも先を見て備えることも本当に大事である。それが生死にかかわってくるからである。
もちろん株でも何でも先を見ることは至難である。何が起きてくるか予測がつかない
でもその予測できないことが致命的になる
東電はその先を予測していたけど備えなかったのである。
そういうことは個々人でもある、個々人だとかえって見えやすいことがある
ただそういう危機感があっても本気にならないからいざそういう危機に瀕したときどうにもならなくなっているのだ。

事業に失敗した人も先を見ていない、そこで本当に無謀な経営だった、自分はかかわならいにしてもなぜそんな無謀なことをしたのかと今ではなる
もちろんそんなに先を気にしていたらなにもできないということは言える
でもあまりにも人は先を見ないで無謀に事を起こしすぎるのである。
原発などはよほど慎重にしないとどれだけ危険なものか科学者はわかっていてもそれに備えなかったのである。
結果的にはもう取り返しのつかない大惨事になったのである。



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2017年03月19日

職がないと長崎から来て東京で強盗 (地方の経済の苦境)


職がないと長崎から来て東京で強盗


(地方の経済の苦境)


前田好範容疑者(27)ら2人は午前1時ごろ、 
西武新宿駅近くで、会社員の男性(38)に「困っているから1万円くれ」と言って胸ぐらをつかみ、 
現金およそ1万4,000円が入ったポーチを強奪して逃走し、手配中の警察官に現行犯逮捕された。

前田容疑者は、職を求め、長崎県から上京したばかりだったという。 

ttp://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00352872.html


地方はもう年金と生保がベーシックインカムになってるんだよ 
受給者を固めて住まわせて、その地域にショッピングモールを作って街を極限まで小型化しその中で細々とカネを回す 
もちろん公務員は一等地に住んでデパートに買い物に行くから「山の手とスラム」みたいな二極化 


長崎は人口流出が凄いんだよ 
ただでさえ立地は西の果てだし、平地は少ないし 
仕事も長時間労働&低賃金ばかりだし 
若者はどんどん出て行ってる 
唯一の東証一部上場企業の十八銀行は福岡FG傘下になる予定で遂に 
全国初の0社に 
三菱重工業長崎造船所もこの所あんな状態で元気出ないよ

東京・西武新宿駅近くで、男性から現金を強奪した男らが現行犯逮捕された。


このニュースに注目したのは長崎から来た人に鹿島駅であったからだ。別にこの辺は全国から来るからめずらしくない、その人は原発関係で働きに来た
長崎には職がないとして働きにきた、ただ長崎はなにかここからだと遠く感じる
弘前の人も職がないと来ていたがまだ青森だとここから近い感じになる
長崎はなにかここからだと日本の果てのように感じた

何か日本の経済は東京中心になりすぎた、例えば地方に工場があっても東北サッシでも初任給が基本的に13万とか安い感じがする、それが田舎の平均だといえばそうになる
でも今の時代に13万だと田舎でも苦しいとなる、要するにパートなみの給料なのかとなる自宅から通いばそれでも家賃を払わないからやっていけるとなるのか?

田舎は東京から富を収奪されているというとき東北サッシの社長が神奈川の人であり本社が神奈川でも東京にある感じになる
たいがい本社は東京にある、すると地方は安い賃金で働かされて豊かになれない
それはグローバル化経済で貧乏な国低賃金で働いているのとにている
この前駅に来た人も友伸電気であり東京から来ていた、このように東京に本社があり地方に幹部の人が来る、すると地方では安い賃金で働くのであり給料も安いとなる
東京に富が集中するのを批判するのもわかる、社会システムがそうなっいるためである。東京はやはり日本の頭脳となっているから東京に富が集まるのである。
地方は低賃金で働かせられるのである。

東京電力だってフクシマに原発を作ったというときそういうシステムになっている社会だからフクシマに原発を建てた、地方の工場と同じである。
ただ原発は東京に建てられないからフクシマに建てた
でも原発だけはこの辺の経済を豊かにしていたのである。
ともかく原発は危険だから給料が高いからである。日当が二万くらいになっていたかもしれない、すると東北サッシで働くより相当高いとなる

結局でもそうした東京中心の経済が日本全体からすると社会の歪みをもたらしている
それで原発事故が起きたりする
東北電力は地元だから同じ原発を建てるにしても津浪に警戒していたのである。
実際にそれだけの対策をしていたから助かったとなる
これは別に今だけではない、そもそも双葉とか大熊辺りはこの辺でも工場がないとか出稼ぎ地帯になっていた、出稼ぎしなくて地元で働けるようにと原発が誘致された。
そういう東京中心の経済がやはり原発事故とかの原因ともなっていた。日本全体のバランスのよい社会が作られていないことがこうした問題起す根があった。

いづれにしろ今は給料が安いし賃金も上がらない、何か若者が消費しないというときそれだけの金がもらえないということがある。
高度成長時代は消費欲があった、マイホームがほしい、車がほしい、電化製品がほしいと消費欲があり景気が良かった、今は買うものがないとうより買えないということがある。そして金をもっているのは高度成長時代に資本蓄積した、貯金していた老人だとなる
その時は貯金していると倍になったからである。
保険でもかけていると倍になっていたのである。金利はその高い時のものが継続されていたからである。
とすると金利の影響が意外と大きいとなる、ローンでも金利が安いとき買えば20年とか計算するとかなり得になる、金利が高ければそれだけまた長い間払うから損になる

地方はもう年金と生保がベーシックインカムになってるんだよ 
受給者を固めて住まわせて、その地域にショッピングモールを作って街を極限まで小型化しその中で細々とカネを回す

自分が病気になり介護になりどれだけひどい目にあったか書いてきた
それを冷静に考えるとそれだけ地方では経済的に困窮している人が増えたしこれからも増えてくる、だからこの辺では原発避難民でも補償金でもめるのはやはりもらえない人が多かったし経済的に苦しい人が多いからうらやむとなる
自分は別にうらやんだのではない、金の不満より避難民がパチンコなどで毎日遊んでいることに不満だったのである。
なぜならその時自分は病気で苦しみ介護で苦しんでいたからである。

だからなにやかにやといっても原発避難民は金をもらえるだけもらうということをとめることはできない、いくら他者が言ってももらうものともらうとなる
裁判を起こしてももらうとなる、ただだんだん復興景気も一段落して復興バブルとか補償金バブルもなくなるとこの辺の経済は相当に厳しくなる
すでにそういう兆候が現れている、もともと経済的に地方は厳しかったからだ

地方はもう年金と生保がベーシックインカムになってるんだよ

この指摘は面白い、現実に自分がしていることはこのことである。田舎では仕事がなくなれば金をまわさざるをえなくなる、大金持ちはまず田舎には住めない
そして老人が多いのだから年金頼りであり生活保護者も増えてくる、そういうぎりぎりの線の人が多いからである。まず国民年金でも8万もらってもまともに暮らせない
8万もらっていない人もいるからだ。
この辺は復興バブル、補償金バブルが終わるとさらに経済的に厳しい状態になってゆく
すると多少でも金ある人にたかるとか強奪するとかまでなってくる
そのことを身をもって経験しているしそれは継続しているからだ。
この辺で人口流出した結果、街を極限まで小型化しその中で細々とカネを回すも現実化している問題である。
人手不足というときそれはスキルのある人手不足と低賃金の人手不足である。
低賃金だと職にありついても暮らしは改善されないのである。、スキルある賃金の高い職にはそもそもつける人は限られている
スキルというとき東京にはそういう仕事があり日本の頭脳になっているから富が集中するのである

ともかくインターネットだと地方の生々しいことが話題になるときテレビとは違ったものとして情報を受け取る
地方にはそれぞれの事情があるがテレビは東京中心の話題に占領されるからである。

問題の大型客船は2011年にドイツのアイーダ・クルーズ社から受注したもので、12万トン級2隻。しかし、設計や建造に手間取り、納入が遅れるなどした結果、16年3月期までに約2400億円の損失を計上

長崎の三菱重工の造船がうまくいかない、それも大きな影響がある。
鹿島駅であった原発で働いている人がどういうことでここまで来たのかわからない
でも長崎にいい職がないから金になる原発に来たというのは確かである。
それは弘前の人も同じである。
それにしても原発の廃炉事業は未来の事業ではない、負の産物となったのでありそれにそそぐ労力でも金でも莫大なのである。
これはなんらか未来につながるものではない、未来につながるものならいいが何かただ金と労力を無駄に使役されるとみる
何かそこに未来につながる技術の開発とかあればいいのだが負の遺産の後始末だけだとなる、東芝の原子力事業でも失敗して危機に瀕している
結局原発は疫病神になったのである。



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2017年03月18日

春の日に原町の街中の牛飼う農家から原ノ町駅を見る



春の日に原町の街中の牛飼う農家から原ノ町駅を見る

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パノラマ写真ーソーラーパネルがあるのも今の風景である。
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クリック拡大

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この石はいい石である、これだけの石があり新築である。
誰が建てたのか?気になるが原町は広いからいちいち気にしていられない

古いままの原ノ町駅

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ここにレールが使われていた




紛々と梅のにおふや晩年に

梅林や牛に山鳩畑かな

街中に牛飼う家や春の雲

大石をすえて新居や梅におふ

春耕や残る街中の畑かな


久しくも一本松のここに立ち一つの池の水ぬるむかな


梅は盛りでありいたるところにおっている。晩年というとき一見年取って嫌だなとみる。でも自分はあらゆるものを深く見れる鑑賞できる、詩などもいいものが創作できる
今まではなかなかいいものが作れなかったが自然にできるとなる
やはり芸術などもなかなかすぐには理解できないし創作もできない
それだけ自然を知るのには歳月が必要だともなる
普通の人だったらどうしてもそうなる、だから大器晩成とは別に大器でなくても理解が深まるし創作もできるようになるのだ。

今日見た風景は変わっていた。六号線の高見町から海の方に行くとそこは工場があり倉庫などがある一帯である。渋佐地区になる
仙台にも卸町とかありそういう場所であり景色は良くない。
でもそこに牛を飼う農家があり畑もあった。この風景も不思議だった。
こんなところに農家があり牛を飼っているというのもにあわない風景だった
この辺はもともとは田畑であり農家があった所である。

この梅林に山鳩も来ていたし鳥がとまっていて春の雲が浮いている
何か牧歌的だなと思うが全然そういう場所ではない、第一ここに農家がある、牛がいるということがそぐわないのである。
でもこういう場所がまだ街中に残っていたことはなごむともなる

何かこの辺でも新築の家が増えた、浪江の人が建てた家もあった、小高の人も建てたし相当に原町でも新築の家が増えた、原町はこの辺では一番住むには便利だからである。
原町は大きいからわかりにくい、鹿島区くらいだとすみからすみまでわかるとなる
それでもわからないものがあるのが現代の社会なのである。

今日は原町駅に行き原町の駅舎を見た、そしたら意外とそれは鹿島の駅舎と同じく明治30年に作られたままのものだったのである。
改装はしても中味は変わっていなかった。
南相馬市のチャンネルで原町駅のことを説明していた。
ホームにレールが使われていた、あれは気づかない、なぜレールなど使ったのだろうか?やはり明治となると鉄が貴重であり建築するにも利用したとなる
壁は自分の家がそうだったように土壁だったろう、するとまるで大きな農家のような造りだったとなる、原の町駅は大きいから昔は残っていないと思った。
蒸気機関車のとき方向転換する場があり大きな駅だった、今は半分くらいに縮小している

高校のとき通った駅だがその時蒸気機関車だったけど鉄道自体に興味はその時もっていなかった。やはり人間は興味をもたないと注意して見ないのである。
勉強だって興味がなければしないし強制的に試験があるからとやらせても身につかないのである。
鉄道だといろいろ興味をもつ人がいる、一番多いのは撮り鉄である。
デジタル写真の時代だからそうなる
ただ鉄道は自分でも原町に行くときめったに乗らない、買い物でも自転車である
途中回れないとかへ不便である。駅に来ても歩いて用たせないから困るのである。
タクシーになるとまた金がかかるからである。駅からのアクセスが不便だから利用しないそれで北海道は半分廃線になというのもわかる。
日高線を復旧するのに130億かかるというから洪水で破壊されたレールは放置されたままである。そしてもう復旧できないから廃線にすると会社では言う。
常磐線の復旧は津波で流された区間を直すのに400億かかった
でも東JRでは復旧したのである。今月は浪江まで開通する

今日は彼岸の入りであり原町の橋本町では墓参りの人が来ていた。
原町の街中で畑を耕す女性がいた、まだこういう光景はこの辺ではある。
それでほっとするということはある。
ただ原町の街は通りはシャッター通りでありさびれている、これはどこでもそうである。何か復興事業も一段落してこれからさらにさびれてゆくから困る
それは相当に深刻な状態になるかもしれない、震災前だって生活が苦しい人が多い
そのことで自分はひどいめにあったことを書いてきた。
復興景気は終わるとこれから農産物でも放射能で売れないとか苦しくなる

何か自分でも自分が病気になったり介護になったりさんざんな目にあったことを書いてきた、つくづく負のスパイラルに陥ってゆくのが人間である。
だから小高でも浪江でも飯館でも避難区域になったところは負のスパイラルに陥りやすいから復興がむずかしくなるのである。
結局いいことにいいことが重なり悪いことには悪いことが重なるのである。

また川子のパークゴルフ場によった、あそこに植えた樹が大きくなるにはこれも何十年とかかる、それで夏は日影がなくなるので日ざしをまともに受けたらできないと思った。
海岸地帯も日影ないので夏はいられない、木が育つまでには何十年もかかる、50年もかかるとなったらもう今生きている人は日影休むことができない
でも20代とかなら老人になったときその木も成長しているから休めるとなる
今の老人は日影に休むことができないのである。
だから老人は先は短いからそうした息の長いことをするのに向いていない
だから復興するのにも長い先を考えるとしたらできない

人間は先をみることがつくづくむずかしい、何が起きるかわからないからである。
東芝で失敗したのは原子力に力を入れすぎたことである。
それが未来だとしてフクシマで事故になりその影響でアメリカの会社まで影響して窮地に追い込まれたのである。先をみることを誤ったのである。
それが致命的結果になったのである。
ただその先をみるというときこれは老人ではできない、先がないからである。
たから老人は復興に向いていないのである。



野馬追いの旗とヨーロッパの中世の城と旗の共通性 (野馬追いと同じ祭りがヨーロッパにもある)


野馬追いの旗とヨーロッパの中世の城と旗の共通性


(野馬追いと同じ祭りがヨーロッパにもある)

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2014夏のブリュッセル★ (写真拝借)

これは野馬追いと同じである

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野馬追いの旗にもこれと同じ識別化がある


騎士団は軍隊の中枢と見なされていた。上級貴族として「バナレット騎士(旗騎士:旗は領地管轄権の象徴であり、供の者を従えていた)」

「戦う人−耕す人」に二分された(10世紀)。これによって「a.武装して戦う特権を有し、そのために通常は課税されない人々」と「自然物を生産し、自分の需要に加えて他人(=b.の人々の労働の成果で暮らせる特権を持つ人)の需要を満たすように期待された人々」が区別された



公家の家紋は優雅なものが多く、武家の家紋は実用的で、戦いの場において、敵味方の陣地識別のために旗や幕に用いて目印としたのに始まり、簡略で、しかも識別しやすい幾何学模様が多いのが特色といえる。ことに群雄割拠して互いにしのぎを削るような争いが続くにつれて、一軍の将たる者は、地方の群雄の家紋をつねに熟知しなくてはならなくなり、このために『見聞諸家紋』という書籍さえ刊行されるほどであった。

 関ヶ原の戦いを契機として、太平の世の基盤ができて、武具、武器、旗、幟、馬印などは無用のものとなり、紋章の用途のうえに一大変革が行われた。つまり家紋は、武士の威儀を正すのに必要なものとなり、儀礼のうえからも、自己の家格門地を表す服装の決まりができて、参勤交代あるいは登城をするときの行列に、家紋を明示する必要に迫られ

ヨーロッパと日本は別の世界であり歴史も理解しにくいと思っているが封建制があることで共通している、封建制があったのはヨーロッパと日本だけだッからである。
それで明治維新が成されたという説もある。西欧化でたきという説である。
それは封建制というのはやはり歴史的人間の発展としてヨーロッパと日本にしかないということが重要である。

だから騎士とサムライもにているしなぜヨーロッパに城が日本と同じように多くあのように紋章学まであるように紋の種類も多く旗の種類も多いのかとなる
それにはやはり封建制があり城が多く騎士がいてサムライがいたからだとなる

それはそういう歴史的基盤の共通性がありそうした紋章学とか旗が生れたのである。
ただそういう歴史があるのは日本とヨーロッパだけなのである。
だから野馬追いが旗祭りだというときヨーロッパでも同じ祭りがありブリュッセルでの旅の報告では野馬追いと同じ祭りがあった。騎馬行列もそうであり様々な旗があるのも同じだった、つまり野馬追い祭りは日本だけのものではない、ヨーロッパとそっくりなものがあった、旗でも同じような旗があった。幾何学紋様であり識別するものとしての旗である
だからヨーロッパというのは異質な社会だと見ているが野馬追い祭りからみると何か親近感を覚えるのである。同じ歴史があり文化があったとなる
ただキリスト教がかかわるのでそこがわかりにくいとなるが日本でもサムライの前進が僧兵だったということを言うひともあり京都でも比叡山なども寺領が一つの町を形成していた。それはヨーロッパでも同じであり修道院は要塞であり城でもあったし騎士団もいたからこれは僧兵である。
一見日本と中国は漢字を使っているから共通性があると思っている、でも日本の村と中国の村はまるで違ったものだという学者もいる、日本の村は封建制へと発展した村だった。だから封建制があるということで中国にはないからヨーロッパの歴史に日本はにているのである。

「戦う人−耕す人」に二分された(10世紀)。これによって「武装して戦う特権を有しそのために通常は課税されない人々」

これも日本にもある、戦う人とはサムライになった人であり耕す人は農民である。
でも日本では相馬藩でもそうだがその両方をかねそなえた郷士がいた
農民であり侍であった人である。それは城勤めになった侍は専門家して官僚ともなった。兵農分離したのである。刀狩りによってそうなった。

野馬追いでは郷士から出ていて農民と侍だった人たちである。町内とか街内から出る家は極わずかである。農家に古い家が残り鎧や旗が残されていた
それは勝手に作ったものではなく先祖伝来の旗である。

ただこの旗も

関ヶ原の戦いを契機として、太平の世の基盤ができて、武具、武器、旗、幟、馬印などは無用のものとなり、紋章の用途のうえに一大変革が行われた。

つまり相馬野馬追いにはあれだけ多様な旗があるけど戦国時代でも大きな藩とかにまとまると家の旗とかは必要なくなる、相馬藩とか伊達藩とかで戦うから相馬藩なら九曜の紋であり伊達藩なら竹に雀の紋の旗とかなるのである。
野馬追いの旗の種類の多さは鎌倉時代に由来していて多いのである。
戦国時代からはまだ使われたにしろ家の旗はそれほど使われない、その後は儀礼的なものその家の家柄を示す地位を示すものと変わってきた。

野馬追いの旗は公家の紋とは区別される、公家の紋は天皇の紋が菊のように植物が多い、橘などもそうである。鎌倉時代から戦国時代になるとその植物紋が受け継がれたにしろ
多様なものになった。識別を基とするとき幾何学的な抽象的な単純なものが多数生れたのはヨーロッパの旗でも同じものがありにているとなる

いづれにしろヨーロッパの歴史というとなにかむずかしくなじめないということがある。でも野馬追いの旗からみると共通性があり親しみやすくなる。
だからヨーロッパの城や騎士や旗とかを研究すればヨーロッパの歴史に興味がもてる
つまり相馬藩というとき何か世界史と関係ないように見えてあるともなる
歴史に興味をもつというときやはり身近なものから始めないとできないからである





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2017年03月17日

原発訴訟で東電と国の責任を認める 津浪を予測していたし対策をたてなかった


原発訴訟で東電と国の責任を認める

津浪を予測していたし対策をたてなかった

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今回の判決は別に補償金をもらえない人にも大きい、国と東電に過失があり津浪という自然災害で不可抗力に起きたのではないという判断は大きい

東電は科学者のエリート集団だから津浪を予測していた、30年以内に地震が起きて津浪が起きることを予測していた。

地震が起こり津浪かが起こることを東電は予測していた

ただその対策をとらなかった、それが責任

自分は科学に弱いから変だけど東電は科学者集団だから地震が起こり津浪を起こることをこの辺でも予測していた事である。それも10メートル以上とかの大津波のことを予測していたのである

第一この辺でそんな津浪のことを一般の人は関心がない、津浪など来た事がないから来ないと確信していた、恐れる人もなかったのである。
自分なども津浪のことなど考えたこともない
ただ海岸沿いに住んでいた人は海とは関係なく何か怖いという感覚はあった
それで鹿島だと小学校前まで津浪が来たがそこで浪にのまれる夢を何回も見たのである。あの辺は家がないからそういう夢を見やすかったのである。
だから海岸沿いに住んでいた人たちは夢で浪がおしよせる夢を見ていた
それは津浪とは限らない、高潮でも現実に八沢浦の湊では防潮堤が破壊され水びたしになったことがあったからだ。
海岸沿いには津浪でなくても常にそういうことがあった
それで磯部の佐藤氏は相馬氏が支配する前の中世の豪族で館を構えていたが同じように高潮のために危険だと今の日立木の鬼越城に移ったのである。

ただ夢とか伝説とかなると誰もそれを信じて行動には移しにくい、でも今なら科学者の言うことは信じやすいし信憑性が高くなる

だから東電の科学者はチームは津浪が来ることを予測していた

そのことを知ったら、ええ津浪が来るのか、この辺ではそんな話聞いたことないけど
科学者が言うなら本当かもしれない、警戒しないといけないな

津浪のことをこの辺で相馬でも津浪が来るんだということ大きな津浪が来るということを東電から知らされて警戒する、するとそういう知識がすりこまれるとあれだけの地震だったらもう津浪が来るという知識がすりこまれているから咄嗟に避難した
でも津浪のことをこの辺では知らないし経験がないから警戒しないで避難しないで死んだ人が多い、特に65歳以上の老人はそうして逃げないで死んだのである。
老人でも津浪はこの辺では経験していない、今回の津浪で相馬藩政記に400年前津浪が来て700人溺死という記録があったことが発見されて驚いたのである。

だから東北電力では津浪が来ることそれもかなり高い10メートルも15メートル以上の津浪がくるとして対策をして高い所に建てたから辛うじて助かったのである。
10メートルでは危ない、16メートルにしろと当路の副社長の人が言って高台に作られて助かった。そこは津浪が前にも来ていたからそうなった。

ともかく怠慢だったのは報道関係にもあった
何か危険を知らせる、事前に情報を知らせる、知識を与えるのも報道関係の勤めである。
報道関係者が東電で30年以内に震度8以上の地震がきて10メートル以上の津浪が来ると
予測した

そういうことを新聞でもテレビでも伝えていたかとなると伝えていないだろう。
伝えたとしても読者も無関心だったかもしれない、自分なども原発でも津浪のことでも無関心だったからである。
でもやはり報道関係者にはそうした危険を警告する、知識を情報を与える役目があった
でも福島民報でも民友でも原発は安全だという「安全神話」に組みした方だからそんな危険を警告する報道はしなかったともなる
ただ安全、安全しか言わせなかったからである。それは東電で働く人にも楯にして言わせていたのである。そこで働いている人は今でも東電は批判できないんだよなと言っているからである。

今回の事故のことでももし東電が東北電力のように地元で津浪を警戒して実際に対策をとっていればこうはならなかった
むしろ津浪を警告して東電に助けられたとなり東電様様になっていただろう。
東北電力の女川原発にはそこに避難した地元の人がいて助かったともあるからだ
東北電力のように東電も株があがったのである。
放送というとき自分は今回インターネットがありプログで発信した。
それはインターネットがあったからできたことであり自分の発言などマスコミでは取り上げられない、それは他の人でもそうである。
マスコミは取捨選択する権力をもっているからである

ところが報道する権利はマスコミだけではない、このように庶民さえもてるとなるとまた違った社会になる、自ら報道することはやはりなにかしかの責任と関心を喚起するからである、報道することが実際は興奮することであり金がもらえないとしてもやりたいことがわかった。
こうしてマスコミの記者だけではない一億総記者になる時代である。
そしてこのように号外が出た、そしてそれに対して即座にコメントしてプログで発表するというのもインターネットが速報性に優れているからそうできる
ただまだまだ個人でとは権力がないから追求力が弱いのである。

要するに今回の原発事故は政府と東電に大きな責任がありそれを検察も認めたとなる
地震や津浪の自然災害のためではなくそれに備えることができたのに備えなかった
ただ「安全神話」を作り肝心の備えのためには金もださない、対策をたてていなかったのである。過失致傷の責任があったともなる。
それを裁判で認めた意義は大きい、ただそうなると現実に賠償金の支払いを命じられた
でもその賠償金はまた裁判を起こした人たちだけのものではない
被害を受けたのは広範囲であるからだ、その賠償金をもらえない人の不満も大きいのである。ただ国でもそんなに賠償金を支払えないというのも現実なのである。
それをあまり訴えると今度は国民の反発でいじめとがが起きてくるからだ。


posted by 老鶯 at 19:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

升形、井戸の紋の旗印のルーツを探る 近江の彦根城の井伊家ー直虎につながる


升形、井戸の紋の旗印のルーツを探る


近江の彦根城の井伊家ー直虎につながる

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鐘の旗印

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●井伊家のルーツ

井伊家の家紋は二種類あり、定紋(じょうもん)が橘紋(たちばなもん)で替紋(かえもん)が井桁紋(いげたもん)です。

定紋は正式の紋で公式の場で使用します。表紋(おもてもん)とも呼ばれます。

替紋は非公式の場で使用する紋で裏紋(うらもん)とも呼ばれます。旗印などに使われますが、用途については特に決まりはないため、それぞれの大名家のルールで使い分けされていました。

井伊家の家紋はなぜ「橘」と「井桁」なのでしょうか?それは井伊家の祖先共保(ともやす)が井戸から生まれたという伝説に由来します。

共保は井伊谷に移り井伊氏を名乗ります。この共保が井伊氏の祖先だと説明しています。

共保が出生した井戸の脇に橘が茂っていたので、井伊家の定紋は「橘」になり、井戸から生まれたという言い伝えから替紋は「井桁」となりました。


遠江国引佐郡渭伊郷井伊谷
主な根拠地遠江国井伊谷
近江国彦根
滋賀県彦根市 など
著名な人物井伊直政
井伊直弼
井伊直愛
井伊直孝
井伊直虎

井伊家の家系のルーツをさかのぼると、初代当主である井伊共保(いい ともやす)に行き着きます。この井伊共保は元々は捨て子だと言われているのですが、遠江の国司を務めていた三国共資という人物の養子になり、その家督を継いだとされています。

その後、井伊共保は自分が捨てられていた場所である井伊谷(いいのや)に城を構えて井伊氏を名乗ります。ここに井伊家のルールはあると言えそうですね。


南北朝時代になると、遠江の豪族として名を馳せていた井伊家は南朝に味方し、その後南朝の衰退と共に北朝方の今川氏の家臣となります。しかし、主君にあたる今川家との関係は決して良いものとは言えなかったようで、何度も争いの危機を迎えたと言われています。
今川家との争いを防ぎたいと考えた、井伊直虎の曽祖父にあたる井伊直平は娘を今川義元に妾として差し出し、何とか危機を回避したこともありました。


NHK大河ドラマの井伊直虎が近江の彦根城の井伊家の先祖だったとなる、この紋は長久手の戦いでも関が原の戦いでも一番目立っているのである。
それだけ活躍して徳川の四天王になった。三河勢が三人なのに井伊家は別だった

●関が原では三成の旗印と井伊家の旗印が一番目立って描かれている

関が原の戦いではやはりその升形の旗が一番目立っているのである。
では南相馬市の原町区にある蔵のある家はこの井伊家とかかわりあるのかとなるとその由来はわからない、その家臣だったのかもわからない。
野馬追いの旗は鎌倉時代からの由来のもので戦国時代のものは少ないだろう。
戦国時代にはそんなに多様な旗がないのである。
例えば相馬藩と伊達藩が戦ったとしても相馬藩だったら九曜の紋の旗になり伊達藩だったら竹に雀の旗印になる、鎌倉時代は家を代表するものとして紋があり旗印があった。
だから野馬追いの旗は鎌倉時代に由来していて戦国時代にはその旗印が使われていたのかという疑問がある。
戦争のときにそんなに多様な旗印を使ったのかとなる疑問である。
ただ旗印が家宝として残っていたのでそれを野馬追い祭りで使ったのかとなる
戦国時代でも旗印はそんなに使われていないのである。

井伊家の旗印は目立っている、石田三成の旗も目立っている、石田三成の旗は野馬追いにも江戸時代には出ていた、石田三成は相馬にも来ていてた

1599年(慶長4)には、京を出発する時三成から三胤に征矢に漢詩(七言絶句)を添えて贈られました。このように三成には恩義があったので、関ヶ原の戦に参陣せず、その為三成に内通していた疑いで相馬氏は領土没収となります

井伊家は三成の興亡は関が原合戦図の旗印を見ると一目瞭然である。一番どちらにしても目立っているからだ。
三胤は三成の字をもらって名付けた。


●野馬追いの旗の謎

野馬追いの旗は鎌倉時代に由来していて一族、家の旗印であった。でもそれが戦国時代になると家といっても相馬氏でも範囲が広くなるから一家の紋とか旗印で戦争するということはあったのかとなる
相馬藩の九曜の紋の旗印は使われるが一家の紋とか旗印は使われたのか?
そんなに多様な旗印が必要だったのかとなる、武田家だったら三菱の武田家の紋であり伊達家だったら竹に雀とかに統一される
するとそして統一される前の一家の御家人の旗が野馬追いの旗でありだから種類が多いとなる。
残された合戦の図にはこんなに多様な旗印は使われないないからだ。
鎌倉時代から戦国時代になると大きなまとまりが勢力ができて戦うようになったとき一家とか一族の旗は不必要になってきた。
ただ井伊家のように有力な家の旗印は戦国時代でも関が原の戦いでも使用された。
相馬藩でも大きな戦いになったら相馬藩の旗印、相馬氏の旗印の九曜の紋になる
それは関が原でも他でも見られる、でも他の多様な紋は合戦図には残されていないのである。

ただこの辺は研究の余地があり自分にはそれだけの研究ができない、インターネット上で調べた限りではそうでありなぜか野馬追いが旗祭りだというときその由来を研究している者がいないのである。
それは旗印がその由来も複雑でありわかりにくいからである。
鎌倉時代にさかのぼるとなるとその系統も不明になってくるからだ。
その中でも升形の旗印は井伊家が徳川幕府の四天王になったので目立ったのである。
その他の旗印は由来が不明になったと推察できるが自分には解明できないのである。


野馬追いの旗印の由来 (井形と升形の紋ー原町区の古い農家をたずねて探る)
posted by 老鶯 at 11:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 野馬追い関係

2017年03月16日

今日の鹿島駅(ドイツ人のエンジニア来る) (田舎の駅でもいろいろな人が出入りする場)



今日の鹿島駅(ドイツ人のエンジニア来る)


田舎の駅でもいろいろな人が出入りする場


今日きたのは二人連れのドイツ人と日本人である。電気関係の人であり東北電力に来た
東北電力は鹿島からも近いから前にも来た人がいた、タクシーで行った
東北電力の火発は2000人くらい働いているとか雇用がある。

日本人はそのドイツ人を案内しているから英語がしゃべれる、まず英語がしゃべれないと案内はできない、理系とか技術者は英語を覚えやすいと思う
仕事でどうしても国際的になっているからだ、これは別に文系の仕事でもそうである。
今や庶民レベルでも国際化している
フィリピン人の母親を頼ってきた若者が英語をしゃべっているから別に英語がしゃべれるから偉いとはならない、その人はエンジニアだから違っている
ネパール人だって英語を話している、ネパールは世界の最貧国だけど英語は話しているのである。

そのドイツ人を案内した日本人がいたから通訳になったからこの辺の事情を話した。
ベトナム人とかネパール人が多いと話したら通訳したので理解した
会話と英語の文章読むのとは違う、会話は慣れが関係している
日本人は外人に特に欧米人にものおじするからしゃべれないというのもわかる
また相手がエンジニアとかなるとまたしゃべりにくいとなる
何か引け目を感じるからである。

今回来た人はステータスが一番高い人だった、だからかえってめずらしいとなる
そしてつくづく感じたことはこんな田舎町が国際化していることである。
これは十年間介護していて気づかないことだった
もちろん津浪とか原発事故で全国からも海外からも関心が集まり来たためである。

それにしてもこんなに一田舎駅が国際的になっていることには我ながら驚くし知らない人もいるだろう。
そんなに外国人が来ていたのかとなる、中国人ならめずらしくはない。
でも多様な人が来ている、ただエンジニアとか知識人とはなかなか合わない
そういう人とはなかなか話もできない、外人が俳句を作っているとしてもほとんどいいのがない、やはりこうした文化の理解となるとレベルが高すぎるのである。

でも国際交流はほんのちょっとした会話でもありうる、だから白馬村のおばさんが外人のスキー客を迎えるようになったのはそのためである。
日本が貧乏になるとき外人が観光客で迎えるというときどうしても国際化せざるをえな、それは庶民のレベルではじまっていたのである。

自動化した電光掲示板がジャパニーズオンリィというとき東京辺りでは英語ででてくるからかもしれない、いづれにしろ東京だって十数年行ったことがないから変わっているだろう、外人だらけだというとき前も隣にいた人が日本人だと思ったら中国人だということがあった。今はさらに多様な外人が来ていることはまちがいない
モノだけではない、ヒトが入ってくるとどうしても庶民レベルで国際化する
ただそれは前からあったことだが観光客が増えたとういことで誰でも外人と接する
すると英語も必要になる、ただこの英語でも会話力はやはり慣れだからあのように日常的に外人と接している人でないとすらすら英語がでてこないのである。
ドイツだと英語の元はドイツ語なんだから知識人は英語をしゃべれる

とにかく鹿島駅のような所が全国の人が集まり外人もいろいろ来る場となっていることには驚いた。
前から外人の労働者が来ていたことは来ていた。でも今は無人駅とはなっている田舎駅にこんなに外国人が出入りしていることには驚いた
だから何か毎日駅に行って案内することがある
外人ではないが今日は「右田の一本松」を見に行くという人が若者がいた
その人は歩いて見に行った、若者は3キロくらいは歩く、海の方まで歩く
そういう津浪とか原発事故関係で結構前よりは来ている
ここ何日かは風が吹かないので電車は遅れない

東北電力が大きい、その会社の人が住んでいる社宅、団地もある。
この辺では東北電力は大きな存在なのである。それは原発が東電がこれほど大きな会社だとういことを事故後に自分が自覚したのと同じである。
東北電力はこの辺の大きな仕事の場となっている
それは東電の原発とにていたのである。

ただその人はこの辺の事情を全然知らない人だった、はじめてきた人である。
原町がここよりずっと大きいということも知らなかった。
南相馬市として合併したことも知らなかった。
ここには何もない原町には何でもあると言った
ホテルもあると言ったが何にも知らないのである。
労働者として来た人はこの辺のことに詳しくなっている
その人は全然知らない人だったのである。

今思ったことは野馬追いのことをちょっと説明すれば面白かった。
写真も駅に飾ってあったからである。「サムライ」と言えば通じたかもしれない
つまり観光案内として駅にも人が必要なのである。
ただ待ち合わせ時間でも短いから観光案内とまではいかない
日本人だったら観光に来ている人がいるから案内できる
外国人で仕事に来た人には説明するのは時間がかかるしめんどうだとなる
「サムライ」が通じれば通じたかもしれない、しかしその「サムライ」さえ知らない人がいる、フィリピン人の若者は相撲は知っていてもサムライは知らなかったからだ。

今日とまっていたのは原町の平和タクシーである。
その運転手が言うのには鹿島から原町へのせることはできるが
鹿島内はできないという、権利がないからできないという
タクシー会社も権利が制限されている、今は鹿島では北郷タクシーしかないのである。
鹿島の駅前はともかちこうしていろいろな人が出入りする場だったのである

ともかく国際化しているということはあらゆる面でそうだが最近は観光面で国際化している、別に欧米人だけではない、中国人は普通になったが東南アジア方面からも来ている
だからそうなるとみんな英語が通じるわけではない、そうなるとコミニケーションに困るかえって中国語はわからない、発音がわからない、だからこの辺にいつも中国人がいても話すことはできないのである。


原発事故や津浪で人が住まなくなった土地 (メガソーラー場とか放射性物質の廃棄場になる危険)


原発事故や津浪で人が住まなくなった土地


(メガソーラー場とか放射性物質の廃棄場になる危険)


地球は誰かの所有するものではない、神が造り神の所有するものである。ところが人間が生れて人間が土地でも海すら所有するようになった
そこで何が起きてきたのか?

津浪や原発事故では人が住まなくなり荒地化した、その土地は自然にもどったようでももどらない、その土地は人間が所有していたから今度はその土地の所有者がソーラーパネルの会社に売ったのである。
ただ荒地としておくより金になるからそうする
つまり自然は自然のままではないし自然にもどらない、自然が所有するというとき人間がいなければそれは自然にもどるし自然のままである。

例えば津浪でもこの辺は八沢浦でも元の入江になったので驚いた、それは浦浪がよせてきて朝日がさしてきらきらさしてきたときは奇跡のように思えた
そこで人が死んだのだが津浪でも美を作り出していたのである
凄惨な光景ばかり津浪では見てショックだったが八沢浦などは家があまりなかったのでそういう光景はなかった。他にもそういう光景は生れたのである。

そもそも八沢浦でも開拓して田にしたのだからそこは自然を破壊してできた場所だった
そういうところは日本には多い、土地がないので埋め立てて田にしたところが多いのである。それが日本に住むものの宿命となっていた、カルマとなっていたのである。

そして松原というのは美しかったがこれも人工的な自然だったのである。
それが津浪により根こそぎ破壊されて流されてしまったのには恐怖した
でも自然から見れば自然にもどったのである。
自然はだから常に美を作り出すから美しい入江にもどったし北海道の釧路湿原のようになったところもあった自然のままだったらそうなったのである。
その光景は美しいものだったのである。

そして今度は磯部でもそうだが右田でもメガソーラー場になった
それは景観の破壊になる、なぜそうなるかというと自然は自然にもどるわけではない
結局土地は誰かの所有地なのである。自然の神の所有ではないのである。
するとその土地をもっている人はその土地をいかす利用して金にしたいとなる
特に津浪で流されて土地があっても何にも役にたたなくなったからである
そして金がほしいとなり土地をメガソーラー会社に売る

もし自然がもどるというとき人間が所有していないなら美しい入江として自然にもどる
人間がいる限りそうはならない、なんとか土地を活かして金にしたいとなるからだ
だから海さえ漁師の組合によって所有されていた、漁業権をもっていたからである。
つまり人間によって海すら所有されていたからその権利を主張して金にしようとする
そして東電に漁業権を売り渡して多額の補償金を事故前も事故後も船主などはもらっているのである
自分の家の前の海にも権利があるとして主張していた
それは金を要求できるからそんなことまで主張する

要するに人間はそもそも自然景観を保つことには無関心である。
なぜなら金にならないからである。土とった所がむきだしになっているのが嫌だと書いたがそれだって金になるから業者に売る
人間はなにかしら利益にならないと生活できないからそうなる
自然が誰も所有されないものなら美しい景観は保たれたままだったのである。
なんとか米が食べたい、土地がない、では海だったところを干拓しようとなり八沢浦でもどこでも埋め立てられたのである。

一番景観を重視していたのは自然そのものでありか自然を作った神だったともなる
人間は生活するためにどうしても自然を破壊しなければ生きていけなかったのである。
稲作だって大規模な森林破壊とか自然破壊であり松原も塩害を防ぐために作られた
人間の歴史はこうして自然破壊の歴史、環境汚染と破壊の歴史でもあった
そうならざるをえないものだったのである。文明そのものがそういう環境破壊を必然的にひきおこした。

それは人間が土地を所有している、海さえ所有しているために自然破壊も起きた。
そもそも漁業権とか山の入会権となるとそこで魚を獲り木材をとるにしても山菜をとるにしてもそこで生活していたら自然を破壊しない、自然を保全しないと成り立たない
そのために漁業権があったし入会権もあった
それを今度は原発に漁業権は売る、津浪の跡は金にならないからメガソーラー会社に売るとかなる。それはそもそも人間が所有しているから必ずそうなる

では個人が村でも所有しないとなると誰が所有するのか、自然にもどるのか自然のままになるのかとなるとならない、今度は国が所有するようになる
誰も所有しないということはありえないのである。
そこで飯館村ではもう放射能汚染で住めないから個々人の土地を売って他で生活したい
その気持ちもわかるのだがでは飯館村とか限界集落など人が住まなくなるとそこが自然にもどるということはない、以前として誰かの所有になる、そこが中国人とかが買い占めるかもしれないし最終的には国の所有になる
国の所有になると今度は放射性廃棄物処理場ともなるしメガソーラー場にもなる
なぜなら人が住んでいないことは国のものとなり反対するものがいないから景観なども気にする必要がないのである。
だからこの土地は俺のものだ、俺の勝手だ、俺も生活しなければならない、一文にもならない土地をもっていても何もならないとなる
それもわかるがそうなると他の人も困る、その廃棄物から南相馬市に放射性物質が流れだしてくる、現実に飯館村でフレコンバックが壊れて川に流れだしたからである。

原発事故でも津浪でも様々なことが問われたが一体土地が誰のものなのか?
海は誰のものなのかということも問われたのである。
土地にかかわらないものでも海で魚をとらないものは何に言うな、海は魚をとる漁師のものだとはならない、ではなぜ東電に海を売り渡してそれで原発御殿とか建てて贅沢していたのか?それは魚をとることと関係ないことである、漁業資源の保全とも関係ない、むしろ漁業資源を汚染したからである。

土地でも海でもつながっている、地球はつながっている、その一区画を所有するということがなじまない、国が所有するにしてもこれまた勝手に国の都合いいようにされてそこに住む住民は困る、だから飯館村でも補償金をもらって土地を売って外で新しい生活をしたいという人と残る人に分かれ争っている
でも人が住まないと飯館村にもソーラーパネルが作られ景観が破壊される、破壊されるだけではない災害にもなるとなり反対運動が起きている
それはそこに人が住んでいるからである。
磯部でも右田でも人が住まないとなるとたちまちメガソーラー場になる
おそらく小高などももう人が住まない領域が広大になるからそこがメガソーラー場になるかもしれない、なぜなら金にしたいと所有者は思うからである。
生活するには景観がどうだとか言っていられないからである。

ともかく人が住まないことで起きることはどうなるかわからないことがある。
でも飯館村だけで決められるのも土地はつながっているから困るのである。
海だってそうである。海もつながっているから一区域だけではない、広範囲に汚染されたし魚は遠くでとれたものも汚染されていたのである。
だから人間が自然を所有する、国でも所有することは問題が起きる
だから土地でもオレの土地だから自由にしていい、海も俺たちの海だから自由にしていいとはならないのである。

太陽光発電と環境・自然破壊:メガソーラー規制は待ったなし

危険な山に作られたメガソーラー

ソーラーパネルの利用としては携帯用のが役に立つかもしれない
ネバールのような電気のない所でも電気が作れるとなるとその利用価値が大きいとなる
ただメガソーラーにしても日本では土地が狭いから自然破壊になる
大陸のような土地があればそうはならない、やはり技術も風土が関係する
風土にあった技術を考える必要がある
原発は日本の風土にも向いていなかったのである。地震が多すぎるからである。


posted by 老鶯 at 14:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

抽象画は変化の芸術だから著作権違反を問われるかもしれない


抽象画は変化の芸術だから著作権違反を問われるかもしれない

Because the abstract picture is art of the changes, I may be asked the copyright violation

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The nerve which shakes-sensitive brain

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mystery


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a river on the heaven

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railway


これは明らかに著作権違反だろう、原画を見ればどうしてもわかってしまう
でもインターネットでは世界になるから指摘されない、商業利用でなければいいのかもしれない、

自分のしていること抽象画はいつも著作権のことを考えてしまうのである。
自分のものもを原画にしたものはそういうことがないがインターネットにある原画を元にすると著作権違反なのかと思う

商業用でとないしもうけているわけでもないからいいのかという感じでしている
自分の抽象画も世界で利用されていてもわからないということもある

ともかく抽象画は無限に変化するものとしてある。
だからいつまでも同じものがあることに違和感を感じるのである。
変化することに抽象画の創作の意味があるからだ


It should be never the commerce use but not to have pointed out by the world on the Internet because it is knowing if I watch the original picture that this will be copyright violation clearly,

The one's thing abstract image doing always thinks about copyrights.
The thing which I made the oneself のものもを original picture does not have such a thing, but thinks whether it is copyright violation when made from the original picture in the Internet

It may be said that I do not know it even if one's abstract picture which is a feeling whether is good is used in the world because there is not it if for commercial use and does not gain

Anyway, it is said that the abstract picture changes endlessly.
Therefore I feel sense of incongruity in there being the same thing forever.
In changing of the creation of the abstract picture is because have a meaning

2017年03月15日

分断された原発避難地域 それぞれの意志を明確にせよ!


分断された原発避難地域

それぞれの意志を明確にせよ!

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原発避難者にも言い分がある。小高の人にも言い分がある。鹿島と同じにするなというときそういう反発はすでにあった。
鹿島の人の言い分とまた原町区の人の言い分も違うのである。
だから本当に複雑なのである。

そもそも避難区域となった小高でも飯館村でも他でもその内部でも分断されている
帰った人は一割くらいであり老人がほとんどである。
そしてその気持ちでも分断されている、帰る人と帰らない人で大きく二つに分断された
でもこれもまた二つとはならない、様子を見て帰る環境が調ったら帰るという人たちもいる。

もう帰らないとして家を現実に建てて避難区域の外で生活をはじめた人たちもいる
その人たちはもう避難区域になったところと関係ない、関係したくないと現実的になる。そういう人もかなりいる、その割合はわからないが調査すれば家を建てた人は確実にそうである。その人たちは復興とは関係ない、何かまだ補償金をもらいたいというだけである
ある人は名取に家を建てた、その人は別に親不孝でもない、親の部屋まで作ったから住んでくれと言っているそうだ、でもその親は小高に帰って住んでいるのである。
でもこうして外に家を建ててそこで仕事をはじめ子育てしている人にとって小高でも避難区域になったところとは関係なくなる
それでも矛盾しているのは親が残っているのに子供は帰らない、するとその親を世話するのは小高だったら南相馬市であり避難区域になった町村なのである。
それでも親が介護状態になったら名取に引き取るようになるのかもしれない、世話する人がいないしもう南相馬市民でもないのだから南相馬市で福祉でもサービスを受けるのはむずかしいからである。

現実にすでに南相馬市では介護のサービスを受けられないとして移り住んだ場所で福祉のサービスを受けている老人が結構いるのである。
東京の多摩に子の家族が移り高校生はそこの学校を出て就職したとかあり浪江の老人は原町市の復興団地に最近一人で入ったのである。
南相馬市では福祉のサービスが人手不足とかで受けられないとなりそうなった。
だからさらにそういうことはこれからも起きてくる

つまり帰りたいといっても避難区域には病院もないとか商業施設もないとか帰れる状態ではないとなり帰らないとなる
その前に現実問題として子供の教育も外で避難した6年の間に他の市とかでした。
6年となると長いである。すでに子供は他の土地になじんだとなる

ともかく帰った人と帰らないとしている人ははっきりしているのだ。帰らないという人と帰った人とは別個のものになったのである。
原発避難者というとき何か未だに浪江だったら浪江町民として考える、飯館村でもそうである。どこでもそうである、それは補償金と関係してその町村に籍を置くとういうだけなのである。
だからこの対処方法は図のように分けて対処するしかない
帰らないという人を帰れといってもできない、それはそれでいいとしてもうその人たちは復興とは関係ない人たちとしてみる
そこがややこしくしているのである。そして帰っている人、帰るつもりの人とが復興の対象となる。でも帰るつもりの人もまたあいまいである
放射線量が低くなったら帰るとか帰れるような状態、医者とかスーパーなどできて環境が調ったから帰る、それまで補償しろ、金をだせ、市長村でも国でもめんどうみろとなる。帰るつもりというのもあいまいなのである。
あなたたちは本当に復興をする気かあるの、あなたたちは補償金をもらいつづけていればいいというだけじゃないの、現実に老人が多いから国民年金で少ないから補償をつづけてもらいたいとテレビで主張した小高の老人もいるからだ。

ともかく何であれ帰って住んだ人はそこに住むのだから復興を目指す、その他の帰るつもりの人はあいまいなのである。自ら何かするのか?ただそこに住める環境が調えば帰るとなる、自分たちはそうしてお膳立てされたとき帰るとしている
そのお膳立てするのは誰なの、それは回りの人であり外の人であり国が被害を与えたのだから国でしなるとなる、南相馬市だったら南相馬市全体だともなるし県だともなる


一方でそうして原発避難民が被害を主張するのはいい、でも今度は国でも国民でもそんなに補償金を払うこと払い続けることに不満になる
それは国民の税金だからである。国策で原発を建てたのだから補償は当然だとなる
でもそうして補償ばかり要求すると国民の反発も大きくなりいじめが起きた
原発避難民は南相馬市内でも分断された、国でも県でもいつまでも期限なく補償はできないとなる
帰るつもりの人たちといってもその人たちは帰るという強固な意志がある人はどれくらいいるのか?それもよくわからないのである。
何かそれぞれの心が分断されたともなる、一致しなくなった。
でもこれはいつまでも避難民が一つとして考えるから複雑になる
図のように分けて対処する、それ意外方法がない、避難民を一つの市や町や村の人として考えるから複雑になり解決できない



放射線量問題があっても帰る人は帰りそこで生活して復興してゆく

帰るつもりの人は帰るものと帰らないものに分ける

あいまいなものを許さない

帰らない人たちは帰らない人たちとして対処する


こうして分けて対処しないといつまでも解決の道が見いだせない

結果的に帰らない人が多くなり避難区域はインフラでも維持できない、もう消滅するほかないとなるかもしれない、現実に人口が減って水道料金がえられないので維持できないという問題も起きている
限界集落化して夕張市のようになりそこでは現在の便利な生活が維持できなくなる
そうなると南相馬市でも財政的負担が大きいから小高を切り捨てるほかないともなる
自分がそうしたいのではないし小高は維持させたいとしても財政的に労力でも人手もたりないとなりそうなる。

要するにそれぞれの意志を確認してはっきりさせてそれで解決の道を見いだしてゆく
飯館村でも一億でも補償金をもらって外に出る人はでる、それを引き止めようとしてもできない、そして残った人は残った人で復興に努力するほかない
でも遂にその限界が来たらまさに限界集落として消滅するほかないとなる
それがいいのか悪いのかわからない、でも何か他に解決方法があるのか?
何かそこに明確化して対処するほかない、いつまでもだらだらああでもないこうでもないとしても解決するのだろうか?
そして国でも国民でもそういうことを許さない、鹿島と一緒にするなというけど南相馬市民でもそういうことを小高の人ははっきりさせて市でも市民でも対処するとなる

実際避難区域の外の人も南相馬市でも県民でも国民でも困る、いつまでも補償金を払い続けることはできない、どこかで区切りをつけなければならない
それが冷たいと言われても現実を解決する方法は他にあるのか?
もちろん様々な立場の人がいるしその言い分を聞いていたらまたまた複雑化する
限りなくそれぞれの言い分はあるからだ。そしたら解決するのは延々ともめてできないのである。

【知に働けば角が立つ,情に棹させば流される】

「意地を通せば窮屈だ、とかく人の世は住みにくい」と続く〕
理知的でいようとすると人間関係に角が立って生活が穏やかでなくなり、情を重んじれば、どこまでも感情にひきずられてしまう。 

 情に流されるというときいつまでもかわいそうだかわいそうだとしていると情に流されて補償金をいつまでも出し続けろとなり
知に働くと理詰めで言うとお前は冷たい奴だとなる
一体どうしたらいいのか、それぞれの解決策を提示してください



posted by 老鶯 at 17:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

グローバル化経済でも人を入れるのには覚悟が必要 人間はモノではないし機械でもないから問題が起きる


グローバル化経済でも人を入れるのには覚悟が必要


人間はモノではないし機械でもないから問題が起きる


世界分業ということは、生産地域が偏在することを意味します。生産地域が偏在した場合、その地域の生産が何らかの理由で不可能になった場合、その影響は全世界に広がります。たとえば穀物の生産をアメリカに依存していたとして、アメリカが大干ばつに襲われて穀物がほとんど収穫出来なかったらどうなるでしょう


グローバル化経済の問題はいろいろ指摘されている、それは世界の現実となっている。
世界の分業化というのもそうである。
そういうことは国内問題としても起きてきた。
例えば江戸時代は米が伊達藩では商品作物として作り江戸に船で石巻とかから出していた米が商品作物化してそれが飢饉を作り出したとかある
米は売るものとなったとき地元では高い買いないとかなる
世界的商品作物となるとそれは世界中で起きている
東南アジアではエビを養殖して日本に輸出しても地元では食べないとか、コーヒーの産地ではコーヒーばかり作って畑でいろいろな食料を作らないので飢饉に見舞われたとかあるグローバル化資本主義にはそうした矛盾が生れる

基本的に自分が探求したのはクニとしての生産文化共同体の中で生活するというのが人間の自然な姿だと追求してきた。クニというときグローバル化経済になれば日本国となるがこれにしても十分大きいし自給できるものなのである。
果物だってそれなりに日本ではとれるのである。そうしたもともと地産地消から成り立っていたのが社会である。
それより村という単位で自給自足してきたのがもともとの人間の生活だったのである。
グローバル化経済というのはそういう人間的な経済からはみだした異常な世界である。
そこから環境破壊とか何でも様々な問題が生れて世界がアメリカでも移民を制限するようになったのである。

要するにグローバル化経済の一番矛盾がわかるのはヒト、モノが自由に出入りするというときモノだけだったら余り感じない、いくらバナナが安く入ってきてもそのバナナを作り出す人間の苦労などわからないからである。それは国内だってそうである。
ところが外国人が入ってくると人間が入ってくると全然違ったものとなる
ネパール人でも入ってくるとモノではないから人間だから様々な人間的なことをその入ってきたヒトから付随してくるのである。
その人の家族はどうだとか、その人がネパールでどういう暮らしをしているのかとか宗教が違うと文化の相違もあるし食べ物でもなんでも違うからそこから衝突も誤解も生れる
ヒトが安い労働力として機械のようにロボットのようには使えないとういことである。
日本にとたら格差を感じるしやがてなぜ自分の給料は日本人と比べたら安いのだと不満になりそれが治安の悪化になってゆく

ネパール人が日本で働くというときネパール人がどんな生活をしているかを知ると知らないではまた違っている、自分は登山したからあんな高い山の上で何を食べて生活しているのかと思った。裸足で歩いているのも驚きだった。ボールペンもない村である。
その差が大きいから理解できなくなる、でも自分の子供のときは水道もない、電気も裸電球一つくらいで燃料が炭だったというときネパールの暮らしもある程度理解できた。
昔の生活でも江戸時代でもある程度理解できたのである。
葛尾村などは戦後十数年してろやっと電気が通ったとかある、電気がない時代があった。もちろん家電などなにもない時代があったのだ。
洗濯でも近くの小川でしていた、それは自分の家でも町内でもそうだったのである。
そういう生活をしていればネバールの山の中の生活も理解できる
もうそういう生活とかけはなれているから理解できなくなった。
でも昔の生活を知りたかったらネバールの山奥に行ってみればわかる
そこには万葉集に歌われた時代に帰るともなるからだ。
自分は通りすぎただけだけど本当にそうである。万葉集時代を実感できるのである。

グローバル化経済というときヒト,モノが自由に出入りするというときヒトが入るということは必ず問題が起きるしまたヒトが入らなければグローバル化とは何か理解できないのである。
それで労働者だけではない観光で外国人が大量に入ってくるときそれを感じる
モノではないヒトが入ってくるから人間の交流が生れる
白馬村のおばさんが日本人のスキー客が来なくなり外国人相手となり習字を教えたりしている、英語も覚えて教えている、そして一番印象的だったのが外国人と抱き合って別れを惜しんでいたことなのである。
その姿は経済的に日本が苦しいからもう一度来てくださいねという願いもこめられていたのである。
そもそも日本人の習慣ではあんなにおばさんでも若い男とだきあうなどしないのである。あの映像からは言葉ではわからないものを感じた
そこまで日本人も苦しくなりしなければならなくなったのかということもある。
でも反面そこには人間との交流があるということも感じたのである。
モノだけ入ってきてはそうした人間の交流はないのである。
だから労働者でも外国人が入ってくると人間の交流が生れる
でも人間だからこそやがてなぜ日本人と格差があるのだと不満になってくるのである。

結局人間はモノではない、人間が入ってくれば相手を人間としてみて人間として交流するいくら外国人でも相手が人間なのである。家族もあるし人間的感情もあるしそれは人間であれば同じなのである。
人間だからこそ差別されたり格差がある社会には耐えられないとなるのだ。
それがグローバル化経済では露骨になる、それはネパール人のような人が入ってくれば余計にそうなる
これは一体なんなのだと自分たちの国の生活と比べるからである。
ただカトマンズとなると外国人としっちゅう接しているから違っている、山奥に入ると全く別世界になるからだ。
逆に人が入るということはそこに人間的交流が観光できた外国人のように生れる
だから言葉がわからなくなもあんな抱き合って別れを惜しむということは言葉ではない人間と人間の交流が生れているとなる
いづれにしグローバル化経済はもうある程度はさけられない、そういう世界になっているそのいい面とは悪い面を世界のどこでも受けざるをえないのである。

こういうことは別に国内でも普通に起きている、それを一番感じるのは家にお手伝いさんとかヘルパーとかでもいい入ってくる人である。
そういう人は家族のように待遇されやすいのである。そしてあからさまに暮らしの比較がされる、こんな贅沢しているのか、こんなものを食べているのかとか差があると不満になる、それで大金を盗まれたとかいろいろ自分は経験した。
だから自分はそんな金持ちでもないから十分も働かないのに雇うのが嫌になっている
そのために費やす雇う方の苦労が多いのである。
実際に使っているというより使われている、それが実感である。人を雇うということはこれほど大変なことである。
そして生活相談もしてきて絶えず金を要求される、それにも応じなければならない
家族の一員のようになってしまう、生身の人を雇うとういことはそれだけの苦労がある。これは本当に外国人でも同じなのである。ロボットのようには雇えない
その一人の人間のバックには家族もいるし文化も宗教の相違などもあるしいろいろなものとかかわらざるをえなくなるのである。
そこには確かにいい面はあるのだがそれは安易に安い労働力として受け入れることはできないものがある。それを覚悟していないとやはり世界で起きている移民の問題がわからないのである。


NHK 小さな旅「聖火の夢 つなぐ〜長野県 白馬村」

再放送 2017年3月18日(土) 午前5時15分(25分) 

 


posted by 老鶯 at 09:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会問題の部

2017年03月14日

鹿島駅前にとまっていた九人乗りのジャンボタクシー ( 小高小中学校生徒の送迎用-親は小高に帰らない)



鹿島駅前にとまっていた九人乗りのジャンボタクシー


小高小中学校生徒の送迎用-親は小高に帰らない

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鹿島駅前にとまっていた小高への小中学校への送迎用タクシー



これは9人乗りでありいい感じだとなと見た。これは小中学校生徒の送迎用である。
小高で学校がはじまるから用意したという。
高校生も300人くらい通うようになるが高校生には援助がないという
小中学校は義務なのだと無料だという。

でもこれで問題なのは小中学校の生徒の親は小高に住まないのである。
通わせるのであり小高には住まない
なんか飯館村でもこういう問題が起きていた。
立派な校舎を建てて小中学生を通わせようと村長がした。
でも親は住みたくないとか反対する人がいた。
第一村長の孫は飯館村に住まないからだ
人を住まわせようとしても肝心の人が住まないのである

その運転手が言うには金は子の方がにぎっていて老人の親には小使いを渡す程度で老人は金をもっていないという。ええ、そうなのか?子の方が力があるのか?
その子の方は小高に帰らないで外に家を建てたりしている
つまり金を握っているのが子の方だからそうなっている
本当は小高の方に住んで子供を通わせるのがいい
でも親はそうしない、そうしたら小高の復興はないのである。

ただそのジャンボタクシーの通学の費用は市で出すから無料になる
それも運転手は贅沢だといっていた。
これも補償金をもらっているからだろう。
前らか言っていたが小高の人への補償が手厚すぎるのである。
そうして小高に親が帰り子供が通学するならいいが親が住まないでジャンボタクシーを用意させて通学させる
なんても相馬市からも通う人がいてそこは遠くなるから無理だとか運転手が言っていた。

結局何か復興といっても本気になって町でも村でも復興させるという気概は見えない
肝心の若い人たちがそうなのである。小高に住んで通わせればいいがそうしないからまたジャンボタクシーに金がかかる
でも国からなんらか援助が出るからそれに甘えるとなる
そしてそういうことに何か言うと冷たいとか常に言う
近くの仮設でもコンサートなどして「故郷が恋しい」とか泣いていたけどなにか空々しいという感じになる
なぜなら小高はすぐそばなのだから恋しいともならないはずである。
帰りたければすぐ帰れるからである。
東京とかに住んでいるのとは違うからである。それでテレビを見ている人はお涙ちょうだいになる。あんなに故郷が恋しいのだなとか見る、テレビは何かそうしたいい面だけを報道するのである。その裏の真実は報道しないのである。
小高の人たちには南相馬市は原町区でも鹿島区でも不満なのである。

それを言うのは南相馬市全体からすると負担になるからである。
何かというとそうして支援してし無料にしている
そして肝心の人は小高に住まないのである。
老人だけが帰っても復興にならない、その負担が市全体に及ぶからである。
飯館だと線量が高いということがあるが小高だとこの辺と変わりないから帰れる
それでも帰らないということに不満が南相馬市全体でつのっているのである。

このジャンボタクシーを見てこれから利用できる、足として利用できると思った。
バスは一日一二回だからである。
ただジャンボになるから料金が高くなるとかこれも市とかに援助されないと足として利用するには金がかかる、車のない電車を利用した老人もそれを言っていた。
車も年をとると危険だとなっているし高齢化社会ではこの足となる交通が必要になる
自分も原町などに自転車で行っているけどこれから行けなくなったら苦しい
駅前には店がスーパーでもないからである。


ともかく津波の被害地でも高台とか防潮堤とかインフラ的なものを整備しても肝心の人が住まない、若い人が住まないということが復興に通じていないのである。
若い人が流出しているからだ。そして日本全体も若い労働力が減少して人手不足に苦しんでいる時代である。
ベトナムとかネパールの人が増えたのはそのためである。
何か復興というとき本当に変だなと思ったのは補償金をもらったらみんなその補償金で外に出て家を建てたりして故郷には帰らないのである。
何のための補償金だったのか?故郷の復興など関係なく、故郷を出てそこで復興することに金は使われたのである。
もし補償金が少ないとか家を建てるほどの金ももらえないとしたら苦しくても故郷に住んだかもしれない、でも多額の補償金をもらった結果、若い人はその金をにぎり外に家を建てて帰ってこないのである。
そして老人には小使い程度の金をやっているというのもなんか変だとなる
老人ばかり帰って今度は小高でも病院がどうなるとかなると復興できないのである。
この矛盾は他の原発避難地域でも起きているのである。

国家は国民に犠牲強いる-原発も同じ (国家とクニの相違ー心の青雲に欠けていたクニ)


国家は国民に犠牲強いる-原発も同じ


(国家とクニの相違ー心の青雲に欠けていたクニ)


国家とクニは違ったものである。「心の青雲」の著者にはクニが欠けていたのである。
それは東京とか大都会だとクニがない
「あなたのおクニはどこですか?」と問うとき、国家のことではない、故郷とか狭い範囲の一つのクニである。会津ならそういうクニとしてのまとまりがあるから
「会津嶺の国をさ遠く・・・・・」とかの万葉集の歌が生れた。
防人は国家によってクニから筑紫とかまでも兵隊として行かされた
その時クニからでて国家を意識したのである。それは防衛のためであり戦争のためである

その時防人に出された人の悲哀を歌ったのが万葉集に残された、その時思ったのは自分の住んでいた故郷、クニであり家族である。親であり妻である。
国家は古代からこのように非情なものなのである。クニとは違ったものであり対外的に国家は意識される、だから国家と戦争は一番密接に関係している
外国の戦争のとき一番国家を意識するからである。
だから太平洋戦争のとき一番国家を意識して国家のために300万人が犠牲となったのである。

 久慈川は 幸くあり待て 潮船に ま楫しじ貫き 我は 帰り来む

久慈川はクニを象徴するものでありその故郷にクニに帰ることこそ望みだった。
でも国家のためにそのクニから引き離されてゆく、
クニとはそれは自然発生的に生れたものであり国家は人為的人工的な要素が大きく働く、だからこそstateというときクニとは別な意味になる。
それは国家というとき民主主義でも社会主義国家でも一つのイデオロギー国家になる
それはロシアの前のソビエト連邦でもそうだし中国でも共産主義国家でありアメリカもまた主義の国家である。それはクニとは違ったものである。countryではないのである。

防人でも戦争に出されたが帰ってゆく場所は久慈川が流れるクニである。川というとき大きな川になるとライン川が父なる川というときクニを象徴するものになる
日本の場合は確かに日本を象徴するものとして富士山がある。それは大きな国の象徴として聳え立つことは確かである。
それは国家と違ったクニ意識となる、ただそうして自然とアイディンティティをもつとき戦争とは相いれないのである。富士が優美であってもそれが戦争とは結びつかない
それより何であれ戦争と自然の美は結びつかない,戦争は何であれ自然をも破壊するからだ。
「心の青雲」では戦争に何か英雄的なものを求めている、それは古典的な英雄であるが現代ではありえないし太平洋戦争でもそこに英雄的なものを見いだせるのかとなると疑問になる。ただ喧嘩両成敗のように日本にも理があった

国家を維持するときそれはシリアでもそうだが国家が喪失すると難民化したりする、すると家族もなにもない、ばらばらになってしまう、流浪の民となる。
それは大陸では陸続きで絶え間なく民族間でも国でも戦争が起きていたからそうなった。ユダヤ民族がそうである。国そのものがなくなってしまうのである。
そうなったら小さなクニも家族もないとなるから国家が最優先になる。

クニというとき故郷的なものがありそこには家族がいて死んだ先祖がいるという場所にもなる。国家というと軍隊があり何か重々しいものになる
ただ一庶民でも外国にゆくと日本人ということ日本国家を意識させられる、だから国家意識は別に平和なときでも外国にいるとき意識させられる、外国人から常に日本人とも見られるからである。一庶民でも日本を代表するようにもなる、それは国内ではそういう意識はもたされないのである。

でも外国だと「あなたのcitizenはどこですか」とかパスポートにも記される

 citizenとは市民である。市が外国では国になっている、もともとギリシャの国家というときポリスであり市のことだからである。中世になるとburgessでありburgは城だか城下町とかなり江戸時代の藩単位のクニだとなる、相馬市民とか会津市民とかなる

ある国、または、別の政治共同体に属する生来の、または、帰化した構成員
(a native or naturalized member of a state or other political community)

国家とは political communityであり政治的結合体という要素が強い、それはローマ帝国ともにている、ローマ帝国はどうしてもあれだけの広い領土を治めるとなると政治的結合体となるからである。そこで法律も重んじられ公正さが求められる。
ローマ法が今でも通用しているのはそのためである。それはアメリカ合衆国ともにているのである。

このことが原発と何の関係があるのかとなるとある。原発は国家防衛の視点から国家的政策として作られたのである。それはアメリカからのおしつけがあったというときもそうである。
核装備のために準備のために備えのために原発が国家にとて必要だということがあった。エネルギー政策は国家的なものになるとしても原発は核武装という備えのために国家的政策としてあった。国家防衛のためだというときそれは戦争とも結びついているのである。国家は対外的に成り立ち戦争と一番結びつくのである。
だからこそ「心の青雲」の著者はそうした国家論を語っている

そして国家はクニを破壊したのが原発事故だったのである。国家的政策として原発が建てられクニが破壊された、そして故郷はクニに住めなくなった。クニは放射能物質に汚染されて肝心の水も飲めなくなり作物を育てる土でも汚染されたのである。
つまり防人の久慈川が幸(さき)くありまてというクニが故郷が消失したのである。
帰る場所がなくなったのである。帰る場所があって遠く筑紫まで兵士として遠征した。
でもその故郷がクニが喪失したときもう帰る場所がなくなったのである。
国家によってクニが故郷が破壊されたのである。
「心の青雲」の著者には他でも都会にはそもそもクニ意識はない、育たない、ビルの谷間では川もなにもない、そのクニがなくて国家がある、そうなるとクニは無視されるのである。
しかし人間の生存の基盤はアイディンティティはクニにある、国家とは別でありそれは自然発生的に生れたものなのである。

第一ヤマトというときそれは狭い範囲の村から発祥していた、それが奈良全体となり国家意識が生れた、それはクニが基であり日本語でもそうしたクニから生れたものである。
文化はクニから生れた、国家にはだから常に非人間的なもの冷酷なものが非情なものがある。それはどこの国家でもそうである。
だから国家により戦争でなくてもクニが犠牲にされるということが今回の原発事故でもあった、ただではそのクニを意識すること、守ることがクニに住んでいる人にあったかというとこれもなかった。
第一クニといっても故郷とといってもそれが何なのか、その大切さを意識してたのかとなると疑問だとなる。

いづれにしろ「幸くありまて」というとき何か待つ場所、待っている人がいないと人間は根なし草にもなる。難民になるとそうである。また家族がいなくなると旅しても待っている人がいないから根なし草のようになるのがわかった。
だから故郷とはクニには誰かが待っているという場所だったということも意識したのである。


国と地方の歴史を見直す (原発は国策であり地域を破壊した)

「心に青雲」の著者の都築氏の病気の回復を願います

思想的には一致しないが共感することが多々あったからです
そこには一貫した主張があったからです

ともかく60代は病気になる人が多い、自分も一時腎不全になって入院したからである。
ただ自分は腎臓の病気ではなかった、一時透析になるとか医者から言われたのである。
腎臓の病気も怖いのである。

posted by 老鶯 at 09:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2017年03月13日

ネパールの暮らしは一番厳しい (忘れられた昔の暮らしがあるーそこにも学ぶものがある)


ネパールの暮らしは一番厳しい

(忘れられた昔の暮らしがあるーそこにも学ぶものがある)


裸足に慣れている。村などでは、舗装されていない、小石が転がっているでこぼこ道でも平気で裸足で歩いている。気合を入れるときは履物を脱ぐ人も多い。ガイジンが、高価な登山靴を履いてトレッキングをしている中、地元の人はすいすいと裸足やぞうりで山道を移動している。


ネパールの山中をトレッキングすると裸足で歩いている人がいる、裸足だということにびっくりする、インドでも力車の人は暑いのに裸足だった、そうういことが全く日本ではイメージすらできなくなっている

「 信濃路は 今の墾(は)り道 刈りばねに
    足踏ましなむ 沓(くつ)履(は)け我が背 」
                     巻14−3399 作者未詳

沓はけというとき日常的に沓は履いていない時代である。そこは危険な所だから沓をはけとなっている
不思議なのは戦前までは草鞋を使っていた。草鞋を作ることを農家では仕事としていた。夜なべというとき草鞋を作っていたのである。その需要が大きかったからである。
戦前から戦後十年は江戸時代のつづきだったのである。

例えば自分の家では水道がないから近くの井戸ある家から水をもらっていたし燃料は炭だったし鉄砲風呂でバタを燃やしていた、それが子供時代の仕事だった。
そういう生活だったというときそれはネパールとか今の後進国と通じた生活だったのである。
ネパールの山中の生活でも葛尾村のような所での生活とにていたのである。
要するに自給自足で生活する他なかったのである。

ただ自給自足でも塩だけはできない所がありネパールでも命懸けで塩と麦を交換した。
岩塩が山中でとれて麦と交換した物語の映画があった
それを見ていないが塩の道がこの辺でもあるというとき飯館村では山中だから塩がなくしては生活できないということで松川浦から塩の道があった。
塩は貴重であり砂漠では黄金と等価で交換されたとかもある

塩の道で有名なのは松本から糸魚川に出る長い塩の道である。そこには牛繋ぎ石とか牛転がしという地名が残る、その距離は相当に長い、この辺の塩の道とは違うのである。
牛が塩を運んだというとき牛は坂道に強いし山道を行くのには適していた。
牛方宿というのも山中に残っていた。牛を休ませる宿があった。
だからネパールの山中をイメージするのにはいい、ただネパールの山が高く迫ってきて家があんな高い所にあるというときその厳しさは違ったいるが日本にも似たところがあった

人間の弱点は何かというとき常に心もなんでも今に奪われている、人生でも過去は忘れて今がすべてになることなのだ。
こんな便利な生活をしていれば昔の生活が何だったのかイメージすらできなくなる
自分は子供の時代にそうした江戸時代のつづきの生活を経験しているからなんとかイメージできるが忘れてもいるのだ。
そうして現代の生活にすべて心も奪われ現在しか見えなくなるときどうなるのか?
それが原発事故でもわかるように危険なものでもあったとういことなのだ。
どこまでも便利さを追求して原発の危険性も無視するし金があれば何でもいいんだという感覚になる。

そういう昔にもどることは無理でもそういう暮らしがありそういう貧乏でも不便でも人間は生きてきたということを知るべきなのである。
そこに人間生活の原点があるということを知るべきなのである。
それで万葉集はそうした人間の生活の原点を伝えるものであるから貴重なのである。
ただその原始的感覚がなかなか理解できないのは今からしか人間は見ない見えないからである。
それでネパールとか後進国に行ったときかえってそういう人間の原点の生活が現実にあるということに驚くのである。
先進国だと今はどこも同じような暮らしをしている、でもネパールとかなると原始時代にもどったような感覚になるのである。
だから裸足で歩いている人がいることに驚くのである。

ネパールではポールペンをくれとか良く言われる、ボールペンすらない、ノートもないだろう。なぜならそもそもそんな店もないだろう。
ではこれが日本ではどうだったかとなると例えは鉛筆が戦前とかにあったとしても貧乏だから鉛筆が極端に短くなるまで手でつかまえられないくらいまで使っていた。
それだけ鉛筆が貴重だったのである。だからネパールのような生活を日本ですらしていた時代があったが忘れられている
そして物はありあまって捨てているだけだとなる、もったいないというのもなくなった。
だからそうした昔の暮らしを知るにはネパールとかに行けば本当にそういうものがまだ現実としてあることになりタイムスリップすることになるから有意義だとなる
そこに現代の生活と比較して具体的に実感して学ぶものがある。

それはなぜ原発事故があってこの辺がこんな苦労を強いられたのかということの答えがあるともなる
つまりあまりにも贅沢になった結果として過去の生活が忘れられて結果的に土から水から森から生活する基盤となるものがすべて汚染されて住めなくなったという深刻な被害となった。
自給自足の生活をしていれば原発など建てる必要もない、でもその生活は余りにも違ったものとなっていた。そんな暮らしを今になるとイメージもできないのである。
そうして過去を忘れるとき何が起きてくるのか?
今回のような原発でも何でもいい金になればいいとかただひたすら便利な生活を求め金を求めるだけになってしまう。
そして肝心の人間の生活の原点となるものは忘れられてしまう。

馬酔木なす 栄えし君が 掘りし井の 石井の水は 飲めど飽かぬかも

栄えたというときそれは原発のようなものによって栄えたのではない、自然の水を利用する、井戸を掘ってその水を飲むことによって栄えた
その水はくめどあかぬかもとなった。
その水は枯れることはないしくめどあかぬものなのである。それは水道の水とも違っているのだ。
結局原発事故で人口流出した町では水道を維持すらできない、馬鹿高い料金を払わないと維持できない、原発補償金もなくなるからそうなる。
原発事故を考えるときこうしたことをこの辺では常に考えるようになった。
そんな過酷な昔にはもどれないにしてもあまりにも贅沢になれて人間の原点の生活が忘れられてしまったのである。
もしもっとその原点の生活の価値を知れば原発に頼るだけの生活ではないものになっていたし別にそんな過酷な生活ではないそれなりに豊かな生活も志向できたと思えるようになったのである。  

一方でまずネパールの山の中から日本に出稼ぎに来たような人はネパールに帰りたくないとなり子供がいれば定住する人も増えているというのもわかる、その生活の差が大きすぎるのである。
これもタイムマシンで全く別な未来の世界に来たともなるからである。
カトマンズとかなると山の上の生活とは違うからその差も大きくはないが山の上の生活津はあまりにも厳しいとなる。
ヤハな人間は生きていけない、でもそういう生活も過去には日本にもあったということを知るべきである。
どこまでいってもたりないたりない、王侯のような生活をしていてもたりないとなっているのが日本でもあり先進国でもある。
そういうことが原発を生む土壌になっているのである。



ネパールの山では電気がない、ソーラーパネルを使っているというのも現代的である。
こういうところだとソーラーパネルの力が発揮される
文明の利器がかえって生きる、先進国ではかえって景観の破壊とか起きる
ソーラーパネルは先進国ではかえって向いていない面もあった。

こういうことはインターネットで調べると今は相当に詳しくなる
posted by 老鶯 at 10:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会問題の部

2017年03月12日

南相馬市のユッサで会ったのはネパール人 (人手不足で増える外国人労働者)



南相馬市のユッサで会ったのはネパール人


(人手不足で増える外国人労働者)


ベトナム、ネパール、台湾が急増


国籍別では、中国が最多の約66万6000人で、以下韓国、フィリピン、ブラジル、ベトナムの順(下表)。特にベトナムはこの1年で4万以上も日本在留者が増加した。ネパール、台湾も在留者の伸びが高かった。

    (1)中国     665,847人   (構成比29.8%) (+ 1.7%)
  (2)韓国     457,772人   (構成比20.5%) (− 1.7%)
  (3)フィリピン  229,595人   (構成比10.3%) (+ 5.5%)
  (4)ブ ラ ジル  173,437人   (構成比 7.8%) (− 1.1%)
  (5)ベ ト ナム  146,956人  (構成比 6.6%) (+47.2%)
  (6)ネ パ ール   54,775人  (構成比 2.5%) (+29.4%)
  (7)米国      52,271人  (構成比 2.3%) (+ 2.0%)
  (8)台湾      48,723人  (構成比 2.2%) (+21.2%)
  (9)ペルー     47,721人  (構成比 2.1%) (− 0.5%)
  (10)タイ       45,379人  (構成比 2.0%) (+ 5.3%)

今日ユッサであったのはネパール人だった、色が黒いのでどこの人かと思った。
そしたらネパールだと英語で答えた、ネパール人は英語をしゃべれる、ガイドするときも英語で案内してくれた。
英語がしゃべるというときその国はイギリス帝国に支配されたからである。
マレーシアとかビルマでも今のミャンマーでもそうである。インドとかもそうである。
エジプトでも紙幣がポンドである。だから世界では未だに英語とか通じることでイギリスの支配を感じるのである。
フィリピン人が英語を話すというときアメリカが支配していたからでありイギリスとは関係ない、そしてスペインとかポルトガルが南米を支配した、だからメキシコはスペイン語でありブラジルはポルトガル語である。

今外国人が日本に来てるというときベトナムとネパールが増えたいるというとき本当だと実感した。なぜなら鹿島駅であったのは中国人が連れてきたベトナム人だったのである。連れて来た中国人は日本語をしゃべれるから案内した
今回会ったネパール人は英語をしゃべれる、カトマンズの出身だった。
ということはカトマンズは一番の大都会であり必ずそこから奥地に入る
だからその人は都会人でもある、ただネパールは山の国であり3000メートル級の高地にも人が住んでいて貧しいのである。牛を飼っていたりジャガイモがとれたとかあったがまずあの高い山で何を食べているのかとなる、もう何もできないという感じなのだ。
そんなところで良く生きているなという感じになる。
だから卵までインドから輸入したりしている、リンゴも小さいものを食べたがそれがリンゴなのかとなる、ともかくネパールは最貧国なのである。

その人は所沢からレンタカーで日本の会社の人に連れられて来た人だった、聞いてみると会社は川崎にあり所沢からレンタカーでここまできた、エネルギー館の仕事できた。
そしてその会社ではネパール人を20人くらい雇っているという
その訳はその会社の社長の娘がネパール人と結婚したとか言っていた、それで縁故がありネパール人を雇っている
そしてなぜベトナム人であれネパール人などが今日本で増えているのか?
それは人手不足がそれだけ深刻なのである。
ここではまだ建築関係で人手が必要でありその人手がたりない、それで外国人が入ってくる。

そして注意しなければならないのは中国人が一番多いことはわかる、ここの裁縫関係の会社でもいつも中国人の女性が働いている、でも中国は豊かになっている、まず北京となると日本と物価でもさほどかわりないのである。ある面で日本より中国が豊かになっているのが現実である。
なぜなら満州里とかあんな果てでもトヨタの車をもっているという人がいて裕福な人がいるからだ。だから10年前とか20年前の中国とは余りにも違っているのである。
その時物価は十分の一だったからである。今や新幹線まで走っている時代である。
だからこそ中国は賃金も高くなったから日本の会社でも東南アジアに移している
つまりベトナム人とかネパール人が増えたというとき中国人だけには頼れなくなったからである。
低賃金で雇えるのは東南アジアである、タイも豊かになっているからベトナムとかネパールとかパキスタンとかになる、その辺はまだまだ貧乏であり物価が安いからである。
今度増えてくるのはミャンマー人とかかもしれない

いづれにしろ日本は人手不足が深刻になってきている、この辺でも若い人が流出して人手不足でありもう跡継ぎがいないとか補償金をもらって店をやめたとはいう人もいる
人手不足は医者でも看護師でもそうであり介護士でもそうである。
特にこの辺は原発事故で若い人が流出しているから深刻である、津浪の被災地でも最大の問題は若い人が働き手が流出したから復興できない、いくら防潮堤とか嵩上げの土地を作っても肝心の住む人がいないとなると復興はありえないのである。

ともかくこの辺は沖縄から九州から北海道の人がくるのがめずらしくないのだが外国人もこれだけ多様化して増えているのは田舎では驚きである。
まず今や外国人の旅行者も都会だとあふれているし驚くことではない
ただNHKのテレビで白馬では日本人でスキーする人が集まらないと外国人相手になった。
それはどこでも起きていることである。
そのために女性の主人が英語をしゃべりコミニケーションしていた、その人は別に英語が話せるわけではないがコミニケーションするために覚えたという
そして習字とか外人に教えて好評なのである。
要するに英語でもあくまでも言葉でありコミニケーションの手段である。
だからそういう必要性があれば英語も覚える
ただ高校生がしゃべれないというとき何か外人を特別に意識するからである。
高校生くらいの英語で十分ある程度は通じるのである
ただ自分もそうだったがそういう機会がないしなれていないだけなのである。

これだけ外人が増えてくるとまた英語が重要性を帯びてくる、英語がどうしても共通語になりやすい、何か英語をしゃべるとステータスが高くなる、スペイン語とかだとそうは感じない、だからフィリピン人が英語を話したときフィリピン人は貧乏なんだけど一目置かれるというのも奇妙なのである。
英語をしゃべれる人としゃべれない人で差別ができているのだ。
英語がしゃべれる人はステータスが高くなるのはイギリスが七つの海を支配した時期があったからである。それとアメリカが英語をしゃべるということが大きいのである。
スペインとかポルトガルは小国になっている、英語をしゃべるアメリカは大国だから違っているのだ。

観光でも白馬では高校に国際観光科ができたりするときそれだけ外国人が多いからいかにコミニケーションをするか大事になり英語も実践的に学ばざるを得なくなっている
ただ日本人は英語が苦手である。日本語と英語には何か構造的に根本的に違っていて脳が働かないのだと思う、ただ結局言葉もあくまで人間と人間がコミニケーションするツールでありそれは英語だけとは限らないのである。
英語が優れているからではなく英語がイギリス帝国によって普及したからそうなっているにすぎないのである。
でも英語しゃべれることは損得で考えればグローバル化した世界でますます必要になり得だとなる、だからどうしても英語教育が小学生からやるとかなる

ただ言葉にしても事前に知識があったりすると通じる、どうもわからなかったがカトマンズがハートなんとか言ったときカトマンズがヒンズー教の聖地とかの意味でありヒンズーの寺院が多いからそのことを言ったのかもしれない,つまりそういう知識があれば経験があれば察しがつくことがある。
言葉の前にそうした知識とか経験があることも大事なのである。
ただしゃべるとなると場数を踏むことでありなれなのである。
日本人は相当に英語を学んでいるのだからなれれば話せる
自分も外国にアメリカでも一年でも住んでいたら相当にしゃべれるようになったと思う
その基礎ができていたからである。それを逃したのが失敗だったとなる
もう遂にそれを取り戻す時間がなくなったのである。

結局そうして貴重な機会を取り逃がしているのが人間であり老人になってみんな後悔しているのである。
ヒマラヤだってもっと登ることができた、十回も上ったという人に出会ったからである。だからこれも今や行けないというとき残念だとなる
人間はすぐに年とる、だから何かすべきことをしないとあとで後悔するのである。
だから自分は50歳から外国旅行して本当に良かった、60代になったら介護でどこにも十年間行けなくなったからである。
だからそういうことを考慮していないと後悔することになる
退職してからやりたいことをやると思っても病気になったり介護になったりすることが多いのである、その予定は狂い安いのである、人間は本当に貴重な時間を無駄にしている
これはみなん老人になったとき痛切に否が応でも知るのである。


  
posted by 老鶯 at 16:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会問題の部

原発避難者の長期補償の主張の問題 地方創生の正体(山下祐介)が出ていたNHKの「被災地の現状について」議論


原発避難者の長期補償の主張の問題


地方創生の正体(山下祐介)が出ていたNHKの「被災地の現状について」議論


「地方創生の正体」を書いた山下氏の主張はすぐには帰れといっても帰れない、時間をかけて帰還をすすめるべきだという、だから二重の住民票をもち権利をもたせるべきだとか社会的弱者に陥らないために長期に補償すべきだという
この本には自分は共感したが地元の現実になるとまた違っている

南相馬市内でも小高の原発避難者があまりにも様々な手厚い補償をされたのに鹿島区では補償金がわずかしかもらっていないとか不満が大きかった
それより隣の相馬市では六万くらいしかもらっていないからさらに不満が大きかった
そして避難者は何をしているかというと毎日補償金でパチンコだ競馬だとか東京と仙台まで遊びに行っているというのは本当である。

自分は自分の病気と介護で苦しんでいるとき事業に失敗した遠い親戚の人が来たが借金のためにパチンコ屋で働いていたのである。その時避難者はなにもすることがなくパチンコ屋におしかけた、その後避難者はギャンブルであり仮設にいた6年間もそうした生活をししていただけなのである。

ではさらに長期補償したらどうなるのか?そのまままたギャンブルの生活をつづける、本当にその人たちが帰還して故郷を復興する気持ちがあるのか?
若い人はもう移った先で仕事をもく子供は学校にゆき6年もすぎたのである。
時間はたちまちすぎたのである。その時大きく気持ちで何でも変わってしまったのである
国の方針としてまず放射線量で分断させたことが問題だった。小高と原町と鹿島と相馬市で浜通りならほとんど放射線量は変わらないのである。
だから小高を避難区域にしたことが大きな誤りだったのである。
結果的にもう若い人は流出して帰らなくなったからである。
帰ったのは老人だけでありその負担を南相馬市全体で負うほかなくなったからである。

なぜそうんな放射線量で区分けしたのか?そこに国の算段があった。そうして原発事故の被害者を放射線量で分断して一致して国に反対させないよちうにしたのである。
それは飯館村でも起きていた、飯館村ならほとんど放射線量が同じなのである。
そこでも放射線量で補償金の額の違いがあった、これも国が村として一致させないように放射線量で分断したとなる、分割して治めよという手法だった。

避難解除して無理やり帰らせるのは国では補償金をこれ以上払いたくない、国民の意向でもそうである。そして問題は避難した人がギャンブラーになったとかなっていることである。何もすることがなくそうなった。
それが回りの人の顰蹙をかっているし自分のようにその人だけではないが実害を受けている人もいたのである。
その問題を指摘しないのは山下氏の主張にも問題あるなと議論で感じた

確かに避難解除して一年くらいで補償金を打ち切られることはそうした人たちが社会的弱者となり今度は県とか市町村でそれを引き受けねばならない、すでに南相馬市では小高が負担になる、帰ったのは老人がほんとんどであり病院であれ福祉であれ負担になるだけだとなる、生産的活動をする若い人は流出したからである。
他の津浪の被害地でもインフラの整備はしても肝心の住む人が帰らない、若い人が流出したことが最大の問題だったのである。

ともかくいつまでも補償は国でできない、どこかで時間を決めて打ち切る他ないとういのも国の主張としてわかる、でもだらだらといつまで補償するのだということもまた困る
その反発が実際は大きいのである。
そのことも原発避難者は苦しいとしても自覚するべきだがただそういうと怒るだけでありお前は苦しい人をみて非難して楽しいかとなるだけであり、一体感は失われたのである。
飯館村でも分断されたのは意外だった、結局原発事故は家族でも地域でもばらばらにしたというが本当にそうだった
若い世代と老人世代はばらばらになり地域の連帯もばらばらになりいがみあうようなったそのことが精神的に一体感がなくなり復興できなくさせている要因にもなる

NHKでは影の部分は報道しない、テレビでは影の部分は報道しない
でもそれを報道しないと真実はわからないし誤ったものとして全国でも受け取られるのである。
だから山下氏の意見には共感があったが長期補償とか時間をかけて復興させるとかなるがいつまで補償するのだ、あと何年なのだ、その間避難者はギャンブルで遊ばせるだけなのかともなる
それより原発避難者は老人が多いから国で補償しろとなる、実際に小高の人たちはテレビでそれを主張していたからである。すると原発避難者が特別恵まれた特権を得たとなるのである。別にその人たちにとって故郷の復興より年金とかで補償される方がいいのである長期補償とは死ぬまで補償される方がいいとなるのだ。
長期補償にはそうした危険性がある、復興に結びつくとは限らないのである。

ただこの問題は深刻だから時間をかけねばできないということも言える、急いでやれとしてもできないことがある。でもまたそれが補償金をもらうということと結びつくと問題が生じる、それは南相馬市内でも反発が大きいからである。
国民の反発も大きい、いつまで補償金もらっているんだとかなる
だからその点が議論されなかったのは不満だったのである。

posted by 老鶯 at 10:41| Comment(1) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連