2017年04月10日

開発が前から検討されていた鹿島駅 (国鉄から民営化した弊害があった)


開発が前から検討されていた鹿島駅

(国鉄から民営化した弊害があった)


今日駅前の花壇にチューリップを植えている人がいた、これは自腹でしている、ここは地区の人が管理しているという。
駅というのはその人に聞いてみると所有権が複雑なのである。
国鉄から民営化したとき東JRになったとき東JRのものになり市町村とかの共有が失われた街の中にあってもそれが市町村では勝手にできないものになった
だからホーム沿いにある花壇の中の八重桜は切られてしまった、それを切るなとは街の人は言えない、なぜなら東JRの所有するものだからである。法律的に所有権があり街の人は何も言えない、前は鹿島町の所有するものであり次に合併して南相馬市が所有する区域に分けられた、東JRが所有するものと南相馬市が所有するものは明確に分けられたのであるでも駅の立派な新しいトイレは南相馬市で頼み掃除してもらっているのである。
南相馬市でその費用を払っているのである。

鹿島駅の開発は農協のスーパーができたときすでに提案されていたのである。
その時駅も開発してホテルを建てるとか駅そのものを新しくする案がでていた
その人はその区長とかでありそういうことにかかわっていたのである。
でもそれができなかったのである。その時が大きなチャンスだったができなかった
その人はそのことを熟知していて指導的な立場にあった人だから言えた

駐車場の問題も原町は無料のがありここは商工会で決められた場所は金をとっているから原町を利用しているとか言っていた、鹿島駅前の最大の問題は駐車場を広くとれないことなのである。車の時代だからそれが最大のアキレス腱になっている
ただ農協のスーパーができるとき駅前開発は地区で検討されていたし具体策もでていた
それは実行できなかっただけだった、そういうふうに考える人は農協スーパーができるときから回りにいたし具体的に検討されていたのである。

ただ駅の問題はそこはいくら民営化したからといって公共的な要素があり街の中にあるのだから余計にそうである。
現実に鹿島駅が無人化したとき誰が管理するのか、みるのかとなるといなくなった
確かに自動化しているからいいとなるがやはり人が見ていないと困ることもある。
そして無人化することはやはり東JRで管理しきれない、その費用が出せないからそうなる鹿島駅は常磐線が開通して小高に駅員が移動してそうなった事情があるがやはりそれでも無人化する駅ではない、それなりの人が出入りしているからである。

最初に駅前通りはもっと広くする予定だったというのもあり駅前開発が農協スーパーがでたとき実行されるべきものだった、それが商工会でもしなかったし今も商工会はしない、原町の駅前通りも歩道が狭いなども共通した問題だったのかもしれない、相馬市の駅前通りはプラタナスなどの木も植えたし歩道が広いから違っていた
駅前通りはやはり鉄道が盛んに利用されたとき開発されるべきものだった
それが今度は車社会になったとき鉄道をどう利用するのか問題になった
どうしても駐車場を広くすることが一番の課題になっていたのである。
それは今農協の葬祭場になっている所とか鹿島町の所有になっていてそういうことができたからである。
そして国鉄時代だと国のものだから民営でないから町としてそうした開発をやりやすかったとなる、予算も町とか国からも陳情すればできたこともあったからである。

ただ外部の人が言ったように今回原発事故で除染とかに莫大な金を使った、その金がゼネコンとかに流れて南相馬市の全体の復興に使われなかった
それは県とか市町村の自治体が関与しないことにより国と東電と原発事故の被害者が補償金を交渉するだけになったことも大きく影響した。
県とか南相馬市でも何ら指導権がなく国と東電と市民で直接交渉するだけになったからである。そして市は補償金のことで分断されたのである
つまり南相馬市が除染でも指導権をにぎりその金で南相馬市全体の街作りに使うべきだったという外部の人の意見があり納得する
小高でもそうだが鹿島でもそうであり原町でもそうだったのである。
その補償金は結局個々人に配布され個々人が外に家建てたりしたが肝心の街の復興費用としては使われなかったのである。

小高でも実は駅前でも何か開発すれば若い人も帰ってきたかもしれない、国とか東電からの金は個々の補償金として使われただけであり街自体の復興には使われなかったのであるだから余計に小高でも若い人はもう帰らないとなってしまった
街自体の復興に使われていれば前よりも良くなるのかと見たから帰ってくるからである。そういう街の復興として国や東電からの補償金などは使われなかったのである。
つまり今回も街を開発するチャンスだったのが商工会でも活かせなかったのである。
それは商工会の長がだめだったとかなり市長もだめだったとかなる

ただ鹿島駅のことはこうして前々から検討されていた、今回の地区の長の人はそのことを熟知していてはっきり言っていた、近くの人も見ていてそのことを知っていた
なぜなら駅前はその地区の人が管理していたからである。
いづれにしろ鹿島区の開発はどこか中心が必要でありそれが駅が駅前がふさわしいとなるそこに人が集まり安いからである。他に鹿島区ではないからである。
駅に外部からの人も入ってくるし街の玄関になるからである。そこは外部の人も内部の人も集まる広場にもなるからである。
ただ今は鹿島区といっても南相馬市の行政の中で行うものだから事情が違っている
南相馬市の中で鹿島もありその指示のもとに行うことになる
それは小高でもそうであり南相馬市の指示がないとできないという事情はある。
その土地の一部は南相馬市のものとなっているからである。

この問題も東JRとは駅でもそれがみんな東JRのものなのか?現実に無人駅になったとき管理されないものともなっているからだ
その駅前の花壇でも今回チューリップを植えていたものはその地区のものだった
東JR内の花壇は東JRだけで管理できるのかきれいにできるのかというとそこまで手が回らないから荒れているともなる
それはその地区の人とか町の人とか商工会がかかわってきれいにするのも必要である。
でも民営化した結果、町の人が立ち入ることもなにもできないとなると町の人にとっては美観もそこなわれるから困るのである。
つまりこういうことはいろんな場面で起きている問題である。

東電の事故だってそんな巨大な企業が何でも勝手にしていいのかとなっていた
地元に住んでいればわからないなりにわかろうと努力する、それがすぐ近くにあればいくら原子力のことがわからないにしても危機感をもつからである。
そこもその地元の人すら立ち入り禁止でありもう何もできない場所になっていた
だから東JRでなんでもしてくれればいいが事情があるにしろ無人駅にしたり花壇を荒れたままにしていたりしたら街の美観がそこなわれると困るのである。
そういうことは個々の家でも言える、空家になり荒れた家を放置しておくと街にとっては困る、それで空家をなるべく撤去する法律を作るとかなる

結局ここは俺の所有だからといって何でも勝手にできないのが人間なのである。
なんらかその土地に住めば公共的なものとして住むことになるからである。
土地でも自分の土地だからといって何でも勝手にできないことは確かなのである。
そういう問題は常にここだけではない各地で起きている
だから国鉄が民営化したということにも問題があった、自分たちの所有だけを主張するようになり街の人たちはかかわるなとなったからである。

原発でも同じである。その地元の人は原発には立ち入り禁止であり何らかかわることができないものだった
国と東電が管理して地元のものは立ち入り禁止だったのである。だから内部で何をしているのかなど全然わからないのである。
そうして避難するときも国と東電は一番放射線量が高い津島に避難したのである。
原発は地元の住民でも全くかかわることができないものだったのである。
だから国であれ大企業であれそういう権力によって一方的にされるとき危険なものとなる現実に自治体が消滅する危機に直面しているからである。

ともかく東JRの力も大きいと思った、なぜなら津浪の被害か復興するのに400億円かかった、その金は東JRで出したのである。それだけの大きな会社だからできたことである。
だから東JRの力は大きいしそれによって助かっているということはある
復興できたということもある。でも民営化した結果としてかえって公共性が失われたというマイナスの面もあったのかと思う
駅であれ鉄道であれそれは公共性が高いものだからである。
街の中にあり街の中で活きるであり分離して働くものではないからである。

自分が無人駅のボランティアしているとういときもそうである。
それは別にしなくてもいいものでもやはり街の人がかかわるのが駅であり鉄道なのであるそれが民営化で失われたことが問題なのである。
駅の待合室もなくなり駅構内が東JRの店だけになるというのもそうである。
金儲けのためには仕方がないとしても駅に休む場所がないというのも利用する側になると困るのである。それもやはり民営化するとそうなりやすいのである。
だから民営化にはマイナス面があったことを認識したのである。


追加


鹿島区の仮払い百億円→街自体の開発に使う

小高区の補償金→小高の街の復興に使う


鹿島区には仮払い金百億円が支払われた、これを全部個々人に配った
果たしてそれが良かったのか?

鹿島の駅前の開発に使うべきだったということもある
ただここは誰も議論もしていない、そういう提案も聞いていない
何かその時自治体で市の方でも鹿島区でもどう使うべきか議論するべきだった
ただ鹿島区にはそもそも原町の人が補償金は払うなと強固に主張する人がいた
だからそういう街自体の復興、開発のために使うということは誰も提案していない
ただ個々人でできるだけ多く補償金をもらうことしか頭になかったのである。

そういうことは上に立つ人が提案するべきだった
それが市町村でも県でもしなかったのである。
指導しなかった、そしてただ個々人が補償金をもらうことしか関心がなくなったのである
つまりこの金をみんなで使い街の開発に復興に使うことにしようとか提案さえなかったのである。それが今になって小高だったら避難区域になった所では若い人も帰らないとかなったのである。
街が荒廃してしまいそれを見たら復興はないとして若い人は帰らなくなった
もしこれからこんなふうに街を復興するとか示せばまた違っていたのかもしれない
そういうことは女川町とかではある程度示した、それでも流出が多いからどうとも言えないがやはり街自体の復興がおろそかになった無視されたことが帰らない要因になった



今日の鹿島駅(九州から来たボランティアが去る)



今日の鹿島駅(九州から来たボランティアが去る)


今日駅であったのは九州の福岡から来た人だった、ボランティアはまだ来ている、この前の人は新潟から来た人だった、名取の空港から帰る
九州となると新幹線でも遠すぎる、その人は前にも19時間かけて来たとういう。
小高の方でボランティアしている、ではなぜそんな遠くから来たのか?
鹿島駅の前のホンダの販売店がありその人もホンダで働いていた、その社長と友達だから来たという、何でも小学校に米を寄付して喜ばれたとか言っていた。
それにしても交通費だけで費用がかかると思うわからないがその交通費とか日当とかはボランティアでもでるという人がいるからそうなるのかもしれない、そんなに費用をかけてくることは容易ではないからだ

そもそもボランティアは何かあまり負担になることは向いていない
自分が無人駅の駅員としてボランティアしていると言ったら笑っていたけど
こんなボランティアはまず金の負担も何も負担を感じないからやれる
別に感謝されなくてもいい、そんな軽いものだからやれる

第一ボランティアで交通費でもかかるとしたらやりにくいだろう、最初の津浪の被害のときは自腹で来た人がいた、そのあとは国なのかわからないが交通費を出しているとかいう交通費くらいだしてもらわなければボランティアでも負担になるからできないと思う
そしてボランティを受け入れる側でもボランティアは継続的に来ないから役にたたないとか言っていた
今継続的に来て役に立っているのは花栽培を援助してくれる一つの大学だけだと言っていた。
ボランティアでもその場かぎりで去るようでは役に立たない、継続的に支援してくれないと支援される側もこまるのである。
だから海外の援助でもそうである。一時的に災害があったからと応援するより何か一つの目的のために継続的に支援してくれる人を望んでいるのである。

ともかくこの辺ではこの前は長崎の人が原発で働いていると来ていた。だから遠くから来る人はめずらしくない。
昨日は京都から来た人が大内にタクシーで行った、あそこにはプレハブの宿舎がありそこで働くのだろう。その人も大阪の伊丹空港から来たという、やはり今は関西とか九州になれば飛行機を利用する。

駅でこうして遠くから来た人を見送りしている、迎えるというのも駅の役割である。
駅というのが無人駅でも何か淋しいとはなる、別にいなくても困ることもないが他の遠くから来た人も言っていた
何か無人駅だとこの辺は淋しい町であり活気がない町だと見るというのも本当である。
この辺で無人駅となると日立木とか駒ヶ峰があるがそこは本当に淋しい町にもならない、村という感覚になるからだ
一人くらいしかのりおりがない無人駅である
ローカル線にはそういう一人くらいしかのりおりしない駅がある
だから北海道ではもうローカル線は維持できない

なぜ東JRがローカル線を維持できるのかというと新幹線の収入があり駅の中での店とかホテルとかも経営しているからその収入がありローカル線も維持している
常磐線の津浪の被害にあった区間を400億かけて直すことができたのも全体でそれだけの収入があるからだ、ローカル線は新幹線とつなぐために今はあるともなる

今は車の社会であり第一電車の乗り方さえ知らない人が多い、どうして電車にのるのかと知らない人がいるのに驚く、要するにそれほど電車は乗っていない、車だけの生活になっているからそうなる
電車の不便さは駅から用たすにしてもタクシーとか利用しないとできない、そうなると費用がかかる、高校生は自転車を利用しているが一般人はできない
駅からの交通の便がないのである。そこが一番の問題なのである。
そして駅から離れたところに病院がありスーパーがあったりと駅前通りはシャッター通りになって買物もできないのである。
ただ原町の駅前通りの靴屋にはいいものがおいてあった、あそこの店は見直した。
駅前通りを歩まないから何があるかもわからなくなっている

街の活性化というとき駅を見直すことも必要になる、駅は確かに街の玄関なのである。
外から来る人もまず駅におりたち駅からその市町村に入ってゆくから駅が印象的な場所になる、何か家でも玄関をきれいにしておくと運が良くなるとかいうのとにている。
その家の印象は玄関で決まるということをいうときにている
玄関は福を呼ぶ場になるのは人が出入りしてその家の印象が玄関で決まるとなるからだ。とはいえ自分は玄関も掃除しないとかあり自分の家は北向きで暗いからいい玄関ではない人間は何か明るい所をどうしても求める、店でも暗い所に入りにくい
原町なども駅前通りは狭苦しく暗いのである。どうしても日本の通りは暗い、狭いこともあり路地裏が多いのが特徴である。
沖縄の店が海に面してあったのはいい場所にあって気持ちいいとなる、いつも海が見える場所にあったからである。
景観というのは人間の気持ちにかなり影響する、それで古来から風水の思想が生れたのである。
どうしても人間は毎日住んでいる場所に影響されるからである。大都会だとどうしても狭苦しい所に住んでいるのが多いから心に余裕がないとなる