2017年05月16日

マスコミは会社から宣伝費をもらって成り立つ (会社側に立つから公正な報道はない)


マスコミは会社から宣伝費をもらって成り立つ


(会社側に立つから公正な報道はない)

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人間は求めるものがいろいろある。医者に求めるのは病気を治してもらいたいということが第一である。看護師に求めるのは病気を直す手伝いをするということもあるがやさしく看護してほしいということがある。
医者の助手となっていも病気だからやさしくしてほしいとなる
何か同じ病院でも要望するものが違ってくる

大工だと今は全国的住宅会社があり丈夫で快適な家を建ててもらいたい、安くてもそれなり家を建ててもらいたとかなる、常に何らかの要望があってそれに答えようとするのが商売であり会社でもある
レストランだったらうまいものを出してほしいとなるのは当然である。
人間はともかく何でも娯楽すら金をはらうと要望が生れる
金払ったのにつまらない映画だったかなるからだ

ではテレビとか新聞とかなるとその要望が何なのかわかりずらくなる、テレビ会社には視聴者は金をはらっていない、NHKには払っている、民間には払っていない、民間のテレビ会社はではどういう要望があるのかとなると視聴者の要望もあるが実は宣伝費として金をはらってくれる会社の要望に支配されるとなる
そのために視聴率をあげねばならない、視聴者の要望より宣伝費をくれる会社の要望に答えようとする、だから東電や電事連から八〇〇億とかの宣伝費がばらまかれたから東電でも原発のことは批判しなかった、安全神話に加担したのである。
それは朝日新聞社でも同じである。東電が中国でマスコミの幹部を接待したとき事故が起きたからである。

例えは地方新聞でもテレビでも全国紙と違って地方の要望が生れる、地方を知りたいとなるのは当然である。その地方で知りたいということに答えるというよりやはり東電などの宣伝費をもらうと会社が優先されて視聴者は優先されない
その原因は新聞でもそうだけどテレビでも視聴者はテレビの場合金をはらってくれないからそうなる、ただ新聞の場合は金を払って定期的に講読してもらっている
すると新聞の場合は視聴者の要望を繁栄するものを作ってくれないと困る

それでもなぜ新聞社でも半分が広告になっているのか?つまり新聞を発行するためにそれだけの巨額な金がかかるからそうなる、定期的に金をもらっていてもそうである。
雑誌などになると一カ月一回発行してやっていけるのかとなる
そこは会社からの宣伝費が入って成り立つ、何か他にも援助がないと成り立たないのである。

視聴者がマスコミに何を望むのか?視聴者が望んだものは報道されないのである。
原発の危険性を報道してくれといってされない、福島民報も民友も安全神話に加担していたからである。
そもそも新聞とかテレビでも公共的なもののように見ている、NHKは国民みんなから金をとっているのだからそういう側面があってもやはり報道がかたよっている
そもそも報道は何らかかたよるのが普通である。中立を維持するのはむずかしい、国際関係でも中立は維持できないようになっている
でもマスコミは中立を装うからまぎらわしくなる

その点、赤旗とか聖教新聞とか党派新聞は正直である。完全にかたよっていて他の人はそういうものだとして見るからである。マスコミは何か中立的な公共的なものとして見ている、それが誤解をまねいているのである。
もし赤旗や聖教新聞のようであればそれそれでそういうものとして見ているからいい
例えば世論というとき何か世論なのか?それはマスコミが今まで作り出していたのであるなぜなら報道媒体としてあり全国に報道できるのはマスコミしかないからである。
するとそこにマスコミの意向が入ってくるのである。それで世論と言ったとき、世論ではなくマスコミの意向だったとなる
そのことでトランプ大統領はマスコミを嫌うようになった。実際の世論はラストベルトと言われる取り残された製造業の労働者だったのである。
それを無視してマスコミは報道していたから世論でもかたよっていたのである。

ともかくマスコミの時代は終わりつつある、別に誰でも簡単に格安で報道できる、youtubeでもできる、それでも以前として記者とか今までのマスコミ的役割は必要であり残る
まず取材となると簡単にできない、情報を官僚とかでもとることがむずかしいからであるでも記者クラブとかで独占して情報をもらっていたからそこで馴れ合いが生まれ大本営発表しかなくなっていたのが原発でありそして事故が起きた

一方ででは民主主義とは民の要望を繁栄させる仕組みが必要である。
それが今まではなかった、官僚とか大企業とかの要望の上に報道していた。
福島民報などでも聖教新聞刷っているのだから創価などは批判しない、毎日新聞でも他でもそうである。新聞を発行するにはそれだけ金がかかるからだ
報道するのに金がかかりすぎたことがこういう問題を生んだのである。
その金をどこから得るのかとなると視聴者からは得られない、新聞は購読者から得られている、だから何らかそこで購読者の要望が反映されてもいいはずだった
原発のことをその危険性を指摘して報道してくれたら事故を防げたかもしれないとういことはあった。それができないのはその上の巨大な権力がマスコミを支配していたからである。
スーパードクターに頼むなら金を払いというのと同じである。弁護士でも金にやらないと引き受けないと同じである。政治家も金で動く、そこに弊害がありすべてがゆがめられているとなる

そもそも要望する方でもその要望するものを明確にしないと圧力をかけないと報道する側も動かないのである。
つまりこれは民主主義が自治が問われたことなのである。
ただ権力側に従ってだけいたら権力側のいいようにされるだけである。
そういう民衆側から自治があり要望に答えるように働きかけないと民主主義は機能しないのである。
インターネットはそういう報道の面で改善することがあった、でもこれもまだマスコミのような力はない、でも対抗メデアとして力をつけていることが民主主義を促進するものとなる

ただ深く取材したりするとなるとできない、個人ではできない、取材する方も権力が必要だからである。一人のプロガーが取材してくれと言っても受け付けないだろう。
NHKだとか朝日新聞社のものだとなると取材される方も従う信用することがある
個人はまるで信用されないからである。信用もあるが権力がないと報道もできないのである。

原発事故がなぜ起きたかというと科学的な原因もあるが民主主義が日本では機能していなかったのである。そういう原因もあった、でもそれが不可能だったかとなると違っていた新潟県の巻町では原発に反対して建てさせなかったからだ
そんな小さな町で良くできたなと今になると感心する
新潟日報も応援していたということでここだけはマスコミでも違っていたからだ。
肝心の福島県のマスコミは報道はみんな原発に賛成だったのである。
民主主義はまだ日本では成熟していない、復興でもそうである。
下からの要望がない、ただ上から金がばらまかれてもそれが有効に利用されなかった。
ただ住民でも金をもらえばいいということしかなかったからだ
その補償金についても分配でも利用でも南相馬市なら市全体で話し合い復興につなげるべきだったのである。

政治家も医者も弁護士も金か (庶民のことは眼中にない)


政治家も医者も弁護士も金か


(庶民のことは眼中にない)


 「心臓手術のスーパードクター」としてマスコミにたびたび取り上げられている埼玉医科大の心臓外科医、新浪博士(本名新浪博)教授に手術を依頼したのに別の医師が執刀したとして、手術から半月後の2014年5月に死亡した埼玉県の女性=当時(64)=の遺族が16日、大学と新浪教授らに総額1億円の損害賠償を求め、さいたま地裁川越支部に提訴することが15日、分かった。 

医者のほとんどは拝金主義で人の命なんてなんとも思ってない。 
自分だけ名医にかかりたい奴が大勢いる以上、裏金渡す奴が大勢出てくる。 

身内に有力者が居ればね…。 
向こうから変わって来るよ。 
うちの母親の膵ガン手術も父が市の要職とバレた途端外科部長に執刀医変わった。 
市立病院長からそこの院長へのホットライン。

結局、弁護士が金儲けの為に 
遺族の悲しい悔しい気持ちに付け入ったって事かな…

3000万も包めば執刀してもらえただろうに 
医者も人間だから包む額でやる気が違ってくる

金が少ないとか払わなかったんだろ 
私大は裏金や謝礼なんか当たり前 
親の場合は大学病院ではないが300万包んだよ 

医者にしてみりゃ、小遣い程度だろうけど


事業に失敗した山梨の人は言っていることはまともである。政治家の運転手をしたことがあるという。その人たちは一万もする料理屋にゆく、寿司店でもそうである。
そういう人たちが庶民のことを考えるかという、回転寿司に何回行ったとかそうした庶民のこを考えるかとか言うのももっともである
つまり政治家が気を配っているのは自分たちの利益になることだけでありその取り巻きに利益を配分することで支援を受ける
政治家と金持ちのことの方が金になるので富裕層につき貧乏人の庶民のことなど考えないというのもわかる。

こういうことは一見たいしたことがないようでも一万の料理を普通に食べている感覚がすでに庶民と感覚的に離れているのである。
田舎では自分も外食しているけど千円くらいのしかない、まず一万の料理などどういうものなのかイメージもできない、そういう料亭は東京だと普通にあるから違っている
そういう金持ちは別に政治家でなくても東京にはいる。
ただ自分は食べることにそれほどこだわらないそれなりの料理を食べれればいいとなる
だから別にうらやましいとも思わない。

弁護士にしても庶民の味方ではないという、そもそも庶民の相談にのっても金にならないからだ、ただ何か遺産相続と会社経営とかでも何かもめごとがあると仲裁で大きな金になる、自分の親族で交通事故があり死んだがその時結局弁護士は何もしなかった。
でも漁夫の利で百万が弁護士に支払われた、実際に請求したのは保険会社の人だったのである。弁護士は何にもしないのである。何の役にもたたなかった
でも百万を手にしたのである。わからないから頼んだのだが結果的にそうなった
つまり弁護士は漁夫の利を得ただけである。

この世の中何かそうして富裕層に地位をるものに権力あるものが得するようにできているそして医者でも弁護しでも政治家でもそういう富裕層とか地位あり権力あるものを優先する。庶民はなるべく相手にしない、選挙の時はただ口だけいいことを言うだけなのであるこの世とはそういう場であり「悲しむものは幸いである」というとき庶民は損するのがこの世である。
医者にしても自分の場合は地位もなにもないし付け届けもしない、家族もいないからそこまで気がまわらなかった。金はあっても身寄りがないとかなると弱者なのである。
弱者に冷たいのがこの世である。

スーパードクターに頼むならそれ相応の金を払わないとしてもらえないというのもそうだろう。64才ではまだ若い、今は老人は80才以上である。
だから若い人の感覚では60以上が老人と思っているがそうでもない、60代はまだ現役である。60代が小老人、70代中老人、80代が大老人となる、この区分けが必要なのが現代である。60代は死んでもいいとかはならないのが時世である。
これからの若い人もこういう考えをもってもらわないと困るのである。
60代の婆が死んでもしょうがないとはならないのである。

いづれにしろ人間は本当にこうして命を大事にすることもわかる、でも本当に死ぬときはみんな平等である、あっけなくころりんと死ぬ、どんなに苦しんでも死んでみればあっけないとなる、それはどんな金持ちでも地位あるものでも同じなのだ。
老人になるとなにかあきらめがつくことがある。
だから飯館村の老人が全く放射能を気にしていない、水も飲んでいるし山菜も食べているそれだけあきらめがついている、どうせ長いことないなとなってあきらめがついているから住めるのである。

自分も入院二回して手術もしてひどいめにあった。研修医の実験台となって手術された。それでも医者は手術するにしても最初からうまくなるはずがないから誰かが実験台になるのである。
だからスーパードクターにしもらいたければ金払いとなるのもわかる
ただ人間の幸不幸などわからない、徳州会の徳田虎雄氏をみればわかる、病院をもっていてあれだけの治療を受けていても身動きもとれないしゃべることもできないからそれが幸福だとはならない、最高の治療を受けても直らないからだ。
結局人間の幸不幸はわからない、最後までわからないのである。

別に孤独死でも野垂れ死にでもそれがすべて不幸なのかもわからない、病院で延命治療されている方が残酷である。
結局人間はみんな死ぬということでは平等なのである。
そしてそのことであきらめることも肝要だとなる
いつまでもこの世に生きる命にこだわっているのも見苦しいともなる
金がなければないで別に‎スーパードクターにかからなくてもいいとかあきらめることも必要なのである。
ただ70以下では今はこういう心境にはならないかもしれない、今は60代はまだ老人ではないのである。女性でも若い人がいる、個人差も大きいからである。

ともかくこれからは老人の命は軽くなる、数も多いしこれ以上金をかけられないからだ。すると金をかけないで死んでくださいとなる。そういう時代である。
だからあまり命に執着するのは良くない、いづれみんな死ぬ
あっけなく死ぬ、だから老人の命は軽くなる、もう治療もしないから死んで下さいという時代が来ているのである。数が多いから老人の価値が低下しているからだ
昔だったら90とか100才まで生きれば貴重な存在になるが今はありふれているとなるとただ重荷だとなってしまう。

そして自分も10年介護をしたがこの介護の労力が並大抵のものではない、正常心も奪うのである。それで介護殺人になるのも増えているのだ。
つまり若者の将来さえ犠牲にしていることがある。それは生命の法則に反しているから
もう老人は健康でとないなら淘汰されてもしかたがないともなる時代である。
お前はそれでいいのかとなるとわからないが自分は介護も終わり健康も回復したから言えるのかもしれない、人間はやはり最後まで生きたいというのが本音だからである。
ただそうはいっても本当に死んでみると人間の命はあっけないのである。
それはどんな人でも金持ちも地位ある人も貧乏人も同じなのである。
死んでみるとあっけないなころりんと死んで終わりだなとつくづく思うからである。

2017年05月15日

植物的なものと動物的なもの (文明崩壊が起きる原因ー原発事故も同じだった)


植物的なものと動物的なもの

(文明崩壊が起きる原因ー原発事故も同じだった)


この世界を見るとき生物でも植物があり草食動物がいて肉食動物がいる。
すると基本的には植物があって草食動物も植物を食べて生きることができるし
草食動物がいて肉食動物が生きることができる
ベースになっているのは植物である。
となると植物を栽培する農業が文明を作り基礎になっていたことがわかる
遊牧民は羊を飼うが羊は草食性であり草がなければ生きられない
つまり羊を食べて生きているがその基になっているのは草であり植物なのである。

そして肉食動物でも雑食性があるもの、熊などがまだ日本のような文明化した国で生きられるのは雑食性だからである。ヨーロッパでは熊は絶滅しているからである。
雑食性の強みは肉が食べられなかったら植物を食べるから生き残りやすい
こういうことは人間にも起きてくる、商品食物としてコーヒーばかり栽培していると
何かコーヒーが売れなくなったとか問題が起きるとコーヒーだけでは飢えることになる
現実そういう問題が起きて飢餓状態になった後進国がある。
畑でもいろいろなものを作っていれば食糧になるから飢えることがなくなる

飢饉になったとき山に住んでいる人がまねがれたというとき山の食糧となるもの山菜でも何でも食べて生き残ったということがある。米だけに頼っていても危険になる
つまりAだけに頼るのではなくBCDとかの選択があれば助かりやすいとなる
だからTPPとかなるとグローバル化経済で分業化するから日本は車だけを作っていればいいとなり食糧も自給できなくなりそのことにより飢饉とかに緊急の際に対処できなくなるそれでTPPはむしろアメリカが反対していたというのもわかる
とても国レベルになれば分業など成立しないのである。

文明というときも自然の秩序と同じようにして植物を食糧として成り立ったのである。
だから欧米人が肉食のために体から酵素を出すというとき肉食になって体が変質したともなる、肉食はどうしても人間も肉食動物化する、草食動物と肉食動物は見た感じも根本的に違うからである。草食動物は繁殖力が強いから肉食動物より弱いようで強い
肉食動物は減少の一途をたどる、また大型の象とかでも絶滅の危機になる
それは恐竜が滅びたように強いように見えても弱いのである。
結局人間は何が強いか本当はわからないのである。

人間はやはり木のように根をもつ場がないと個々人でも安定しないし文化も文明も作れないのである。
ユダヤ人が土地をもたない、国土をもたないから流浪の民となりただ金融で生きるほかなくて資本主義を産み出したという説もそうである。
ユダヤ人は土地を持たないのだから安定が得られない、ただ金だけが頼りとなるがその金だって紙屑にもなるから安定しないのてある。
江戸時代なら倉に米を貯えていた方が安心であり今でもそういうことがある。
金をいくらたくわえてもそれは債権であり貸しているとしても返されない恐怖がつきまとうのである。そこで世界恐慌が資本主義では常にあり破綻してしまう。

遊牧民は砂漠とか草原を生活の場としていたから通商が発達した。常に移動していることはすでに商人として移動していると同じだからである。
イスラムに商業が発達したのはそのためである。モハメッドも商人だったからである。
砂漠地帯に人類最古の場がありそこに一神教が生まれた、なぜならそもそも神と契約するというときそれは商業の概念がもちこまれていたからである。
契約というとき商業で絶対的なものでありそれが守れないとしたら商業は成り立たないからである。

脆弱で対処しにくい環境に住む人々は短期的には見事な成果をもたらす理にかなった解決策を採用するが長期的に見た場合、外因性の環境変化や人為的な環境変化を未然に防ぐことができなかった変化に直面したとき致命的な失敗ももたらす。

現代人-住宅所有者、投資家、政治家、大学の事務官、その他の人々-は経済が好調なうちはただな浪費をしても許される、その情況が無常あることを忘れて変動したときすでに贅沢なライフスタイルに慣れきってしかたなく生活レベルを落とすかあるいは破産するか
二つに一つしか選べないのである。
(文明崩壊ージャレド、ダイヤモンド)

現代人というとその最たるものは科学者、技術者だろう。原発事故でこの人たちのテクノクラートの権威が失墜した。
原発とういのはエネルギー不足を短期的に補うものであった。手っとり早い魔法の技術だった、それには大きなリスクがあったが無視された
そして人々はそれに頼った結果として社会自体が崩壊して放棄された、町や村がゴーストタウンになったからここで実際に起きたことであり空想ではない事実なのである。

長期的視野にたてば森林資源が日本にはあり炭焼きなどが継続する資源としてはかえって良かったとなる、そんな生活できるのかとなるがこの辺では現実問題としてそういうことがつきつけられたのである。
この辺では贅沢な生活を求めてあくなきものとなっていた。
みんないい車をもっている、田舎では一人一台車をもっている、借金しても立派な家を建てる、そういう生活を常時していると生活レベルを落とすことができなくなる。
事業に失敗した人も同じである。贅沢していたからその生活をレベル落とせない、それで今度は借金するために何でもする、犯罪だって最後にはするようになる
そんな人が自分が病気のとき介護のとき来たのだから最悪だった
もう贅沢した生活をするために他者から借金しても犯罪してもするとなるから怖いのである。
その人はまた見栄もあり成功したということに固執している、そのために借金してもそう見せているのである。

ともかくこの辺で起きたこと自分にも起きたこと原発事故でもこれは一つの文明崩壊現象なのである。それがなぜおきたかというとこの著者の提言がこの辺にあてはまる
それはここだけではない、日本全体でもそうであり世界全体でもそうである。
継続性のない科学技術に頼りすぎるとインディアンの村とは違う大規模な文明崩壊が起きてくるのだ。


根を張る一日

今日一日が静かに始まる
それはさらに大地に根を張る一日
大地と深く結びつく一日
幹を枝を造る一日
その積み重ねが大木を作る
急がずに積み重ねられるもの
そこに充実した実り
時計が刻む時ではない
一年十年単位の時
牛の歩みごとく
一日一日が大地に根を張る
そういう長い時間の中に
大地と人と人も結ばれぬ
その絆は断たれることはない
一層強固に結ばれるのみ

こういう思考は田舎から農業から起きてくる、都会では大地から離れているから起きないところがこれだけの科学技術の文明はそもそも大地から離れている
すると東京でも大都会でも大規模な崩壊が起きてくるかもしれない
電気が供給できないから原発に頼るそのために土も水も空気まで汚染されたら住めなくなるのである。その都市は廃棄されてゴーストタウンになる、この辺で起きたことと同じことが起きるのである。
そんなことがありえないと思うが現実にこの辺では起きているし事実なのである
もう町でも村でも前のようにもどらないからである。
だからそんなことは起きないということとして安心もできないのである。
つまりこの世が無常だということである。個々人でもそうであり全体でもそうである。

人間は常に変化する無常のなかにある、それをまねがれえないのである。
文明は確かに発展してもまた衰退する、奢れるもの久しからずなのである。
栄華はどこでも一時的なものである。それは世界史でもそうである。一時栄えたイスラムもあのように衰退しているしどこでもそうである。それはこの世がそもそも無常の世だからである。永続する栄えなどないのである。
ただ恒久的なものは農業にあるということは確かなのである。
確かに農業でも栄えても文明は遂に衰退して崩壊する、でもエジプト文明でも長い、千年とか普通でありそれだけ長く持続すれば十分だともなる
現代の時間感覚とはまるで違う、人間はもはや百年後のことなど考えられないからだ
今だけが良ければいい、後は野となれ山となれという今にすべてを費やす感覚である。
しかし世代はつづくしカルマは今度は子や孫やそのあとの世代に引き継がれるのである。この辺などでも原発事故のそのカルマはプルトニウムが二万年消えないとかのカルマを背負わされたのである。

鹿島区のの独居老人死亡 ( 増える独居老人)

鹿島区のの独居老人死亡

( 増える独居老人)


コンビニにきていた這って買い物していた老人が死んだ
這っていたがコンビニの人は助けないし何もしない
それで自分が車まで助けて乗せた
車に乗れるから買い物に来れた
そして家は荒れて住めなくなって車で寝起きしていたという
その家は蔦が這って伸び放題だった

もう買い物もできない、するとどうなるのか、誰か助けなければ生きていけない
姉か妹かが東京にいたらしいが遠くて援助できない
そしてその後どうなったのか?

それはわからないが車の中で死んだのか?どうして死んだのか?
これが独居老人の恐怖である。
誰も助けない、隣近所も助けない、福祉関係が来てめんどうみたのか?
それも今はこの辺は特に人手不足だから施設に収容できたのかどうかわからない
遠くの親戚はあてにならない、そして最期は孤独死になったのか?

孤独死でも近くに親戚とか子供と兄弟がいるといい、東京辺りではどうにもならない。
ともかく独居老人は増大している時世である。
特に原発事故周辺で避難区域になったところでは若い人たちが流出して復興団地に取り残されたのは老人が多い、一人暮らしが多い
この辺では全国平均より10パーセント65才以上が多いのである。
そして介護関係とか看護師不足だから余計にめんどうみきれないとなる

そこで老人は独居老人は野垂れ死にのように死んでゆくほかない時代になる
這って歩いて買い物にしても誰も助けもしないし関心もないのである。
そういう時代になったとき放置されて孤独死が増えてくる
田舎でも隣近所などあてにならないのである。

同級の人は脳梗塞になり脚をひきづって歩いて買い物していた
あの人も車は運転できるから車できて買い物している
となると車があれば脚が悪くても買い物はできるのか?
自分のように自転車だとのれなくなったりする
歩けなくなったら買い物すらできないから一人で生活できなくなる
一人暮らしにはそういう恐怖がある。

今はとにかくそういう人を見ても田舎でも無関心である。
それで自分はひどいめにあったことを書いた。
病気になり介護になったら来たのは強盗と変わりない女性だった
そこで大金を盗られた、次は事業に失敗した人であり自分が弱ったときチャンスと借金を要求するだけだった
ただ相手も金で苦しんでいたからそうなった

こういう時代に買い物もできないような状態になったらどうなるのか?
同級の人は兄弟が近くにいて見ているからまだいい
身寄りもなにもない人はこの人のように放置される
あと来るのは金にならないかと金を求めて来る人だけだとなる

いづれにしろ死ぬ人が多くなる、十年介護していた知り合いの人もあっけなく死んだ
十年は長いなと言っていたが死んだ、それでやっと重荷から解放されたとなる
その女性も相当に疲れた感じだったからである。
自分も介護から解放されて最近余裕が出たので駅で案内などのボランティアをするようになった、それは余裕ができたからである。
介護となるとひどいのは認知症とかの介護となると24時間拘束される
何か絶えず介護している人に気を集中しなければならないから他のことができない、関心を向けられないのである。
そのことを介護が終わって気づいた
いろろいな方面に関心をもてるようになったからである。

いづれにしろ人間はあっけなく死ぬのもである。ころりんと死ぬ、そのころりんと死ぬというとき何か死というのが奇妙になる
ころりんと死んだら人間は楽になる、つまりあっけなく死ぬということはこの世の苦から解放されることなのである。
この世は苦海でありその苦海から逃れる道は死しかないともなる
それで死んでみるとなんだ、人間なんってあっけなく死ぬもんだと思う
それで気が楽になることがある、若い人が苦しいと思うのはエネルギーがあるし生きたいと思う念が身体ともに強いからである。老人は死が身近になる
なぜなら同年代でも世代的に次々に死んでゆくからである。

人間はあっけなくころりんと死ぬな

人間なんか生きているとき悶え苦しんでいるけど結局はあっけなくみんな死ぬんだなと悟りみたいものもが生まれてくる
だからこの世のことにいろいろ拘泥しなくなるのである。
孤独死でもいいや、野垂れ死でもいいや、どうせころりんとあっけなく死ぬのが人間なんだよとかなる、それで苦海から解放されるんだとなるからである。

2017年05月14日

文明は農業文明であり遊牧民から文明は起きていない 国々の風土にあった文化が作られる



文明は農業文明であり遊牧民から文明は起きていない


国々の風土にあった文化が作られる 



文明とは何かというとき狩猟とか牧畜と遊牧民からは生まれていない、遊牧民が都市国家を作ったというとき商業をもちこんだからだろう、貨幣も遊牧民の発明だろう。
貨幣は移動するものにとって欠かせないものであるからだ、羊の頭がcapでありcapitalism-資本主義に通じているというのもそうだろう。
羊は移動して売り買いもされるからである。
また遊牧民が貴金属を財産として持ちあるくというとき持ち運びしふすいからそうなる。それは貨幣と共通しているのである。
ただ遊牧民は文明を作ってはいない、都市とは商業都市であり貿易の仲介をする場であり市場から発展したということがある。

世界史をふりかえると中東とか中央アジアは現代の世界で発展から取り残された地域となっている、でもそこはもともとは先進国だった、科学でも化学が代数学が起きた
アーチの建築とかドームの建築もイスラムから持ち込まれた、イスラム圏は偶像崇拝を禁止して厳格だから抽象思考が発達したとなる
その時ヨーロッパは辺境であり遅れていた、経済的にも商業で栄えていたのは中東である今の5ドルとかでヨーロッパ人の女性が売り買いされていたとか今の逆だったのである。

中東でもエジプト文明を継承してはいない、エジプトにはアラブ民族が移動して支配したエジプト文明を継ぐものは何ももっていないのである。
例えばヨーロッパ文明の基がギリシャにあるというとき精神的な故郷としてギリシャを見る、でも精神としてもイスラムからも技術でも文化をとりいれているのである。
ルネサンスというときイスラム文化の影響があって成った面があった

中東には先進国だったという矜持がありそれで欧米に屈折した感情をもっている、それは中国が先進国であり日本はその中華文明の派生したものだと見るのと同じである。
本元は中国にあり日本にはないという矜持と同じである。
中東の移民というときそれは単純労働者の移動であり奴隷化されたように扱われる
そうした移民は隷属されたものでありそこに不満が起きてテロになる
中東にテロの発祥地になっているのはそうした文明の発展に乗り遅れたことが背景にある自分たちは欧米より優れた文明をもっていたのにという過去の歴史から不満が爆発する
移民はただ安い労働力としてみるだけだからである。

中東とか中央アジアとかモンゴルとか遊牧民は空間的に拡大する、でも文明は作っていない。文明とは何かというときそれはただ領土を拡大化することではない、一つの世界観を作ることでありシステムを創造することである。
そのために時間が積み重ねが必要になる、そして文明というとき農業があって文明が作られている、エジプト文明でもそうであり中国でもそうでありインドでもそうである
巨大な農業国家なのである。日本でも稲作文明であり農業を基盤にした文明である。
だからこそ持続したのである。マヤ文明とかもトウモロコシを生産した農業文明である。だから寿命が長い、千年とか普通に継続するのである。

そして農業文明は時間に関心をもつ、農産物を生産するのには時間がかかる、季節の移り変わりにも敏感になる、それで天文学も発達した、マヤ文明は非常に精巧な歴を作っていたというときもそうである。時間の感覚が優れていたのである。
遊牧民だと航海民と同じように方向が問題になる、移動するから方向が一番大事になりここでも星が目印となる、特に北極星が移動の目印となった
それでそれが中国に入り北辰信仰になり韓国を経由して日本に入ってきた。
相馬藩が妙見信仰になっているけどこれも北極星のことである。野馬追いお旗印にもなっている、遊牧民では砂漠であれ水がある場所を探すことが大事になる
それが生死を分けるから信仰までなる、方向を間違うと死ぬというリスクがある。

いづれにしろ文明を形成するのは農業があってできる。農業があってこそ国の基礎ができる、今でも中東が不安定なのは農業が充実していないからである。
遊牧民は飢餓状態になりやすい、それで農業国家の中国に侵略したのがモンゴルであり万里長城がそのためにできたのである。
またインドでも農民のモラビダ族とイスラムの遊牧民が融合してできたのがインド国家なのである。
そして大国として今も継続していのは農業国家として維持できる国である。、いくら工業化してもそうである。それはローマ帝国でもそうである。ローマ人は農民でありそれで建築も質実なのである。農民的要素が色濃い文明なのである。
マヤ文明もトウモロコシ栽培を基礎にしてできた農業文明である。

現代でも大国は農業国家という面を維持している、フランスでもドイツでもそうである、アメリカさえそうなのである。アメリカは農業国家なのである。広大な領土があるから農業国家なのである。そこに強みがある。
何か工業とか技術ばかりとりあげて農業が国を作っているということを看過する
工業でも農業を基盤にしてある、工業には継続性がない、常に変化して一時的には栄えても衰退する、日本の電器製品が売れなくなったことでもわかる

文明とは何かというときトータルなものとしてある。車が作れるから売れるから文明とはならない、自然と融合してトータルな総合的なものとして文明がある。
文明と文化はまた違う、ただ文明の基に文化がある。
文化とはcultivate-cultureだからである。つまり大地を耕すことがあって農業があって文化もありえる。
だから多国籍企業のグローバル経済は文化を作らない、国々の土地土地の文化を破壊するのである。
コカコーラとかハンバーグでもそうである。食はそもそも風土が違えばみんな違ってくるが一様化されるのである。日本は海の幸に恵まれていたから肉を食べないというのもそうである。そうして長い時間の中で人間の体も作られてきた、腸が長いというとき穀物を消化するには適しているが肉を消化するには適していない、欧米人は肉を消化する酵素を体から出すから肉食に向いている。体まで風土によって違って形成されてきたのである。
それを無視するとあらゆるところに問題が起きるのだ。
発は向いていなかったのである。その後の技術的な面でも森とか山が多い日本にソーラーパネルは向いていない、地震が多い地に原発は向いていなかったのである。
風土と技術の適合性も大事だったのである。それを無視すると今回の原発事故のようなとりかえしのつかないものになる
日本に日本に向いた技術の養成も必要なのである。

建築は人間の魂をもっとも良く表現する表現する芸術形式である。樹木と良くにているからである。それを違った土地に移植するといろいろ妙なことが起きてくる
えり抜きの植木屋の一隊を連れてきて念には念を入れて栽培しないことにはもとのものとはまるで違ったものになってしまう。
(芸術の歴史ーH.ブァン・ルーン)

芸術とかそれが建築でも何でもそうだけど風土と密接に関係してできたものである。
芸術というとき絵とかももともとは建築の中に飾られるものであり一体化したのが近代は分離した。絵だけを鑑賞するということはてかったのである。

聖堂であって同時に城郭であり、学校であり、美術館であり、音楽堂であり単に魂あでなくて人間を徹底的にbuildenする場所であそれを完成する一切の設備が完備している場所である。中世では一切芸術も文学も思想も個々以外には存在せず、ここ以外からは出現しなかったろう。(ヨーロッパ遍歴ー下村寅太郎) 

そこは単なる祈りの場だけではなく総合的な当時の社会を具現化した場だから絵と建築の分離もないし音楽もない、音楽もその聖堂がオルガンでも荘厳に反響する大ホールになっていたのである。その聖堂の外の市街もまたその延長上にあるから都市が一つの全体として機能していたのである。

芸術という分野はなく社会全体の中に構築された文明としてあった。
それはエジプト文明でもマヤ文明でもそうである。全部が一つの精神で形成されているのである。その中の部分を一つを取り出して鑑賞はできないし観ることもできないものである。現代ではそうして一部を分離して観るのは世界を部分的に観ることに通じているのだ
ゴシック建築とういときドイツなどの北方の森を象ったというときもそうである。
明らかに内部は深いドイツの森でありそこにステンドグラスがあり光がさしこんでくる
天上は枝のように組まれていて森の中に入ったような荘厳な雰囲気になる
そういうゴシックは北方のドイツにふさわしく南国のイタリアにはふさわしくないのである。だからイタリアではゴシック建築を拒否したことがわかる

人間は風土性にかなったものとして文化は耕される、cultivateされるからである。
それは技術の面でも言えた、日本に合わない技術はとりいれるべきではなかった。
原発とかソーラーパネルは日本の風土にあわないのである。
そういうことは他にもある、グローバル化はそういうことを無視して文化を破壊する傾向がある。国々に土地土地に自然にあって生育するものが文化なのである。

動的文明から静的文明へ (グローバル移動社会から定着文化の時代へ)



文明は農業文明であり遊牧民から文明は起きていない


国々の風土にあった文化が作られる 



文明とは何かというとき狩猟とか牧畜と遊牧民からは生まれていない、遊牧民が都市国家を作ったというとき商業をもちこんだからだろう、貨幣も遊牧民の発明だろう。
貨幣は移動するものにとって欠かせないものであるからだ、羊の頭がcapでありcapitalism-資本主義に通じているというのもそうだろう。
羊は移動して売り買いもされるからである。
また遊牧民が貴金属を財産として持ちあるくというとき持ち運びしふすいからそうなる。それは貨幣と共通しているのである。
ただ遊牧民は文明を作ってはいない、都市とは商業都市であり貿易の仲介をする場であり市場から発展したということがある。

世界史をふりかえると中東とか中央アジアは現代の世界で発展から取り残された地域となっている、でもそこはもともとは先進国だった、科学でも化学が代数学が起きた
アーチの建築とかドームの建築もイスラムから持ち込まれた、イスラム圏は偶像崇拝を禁止して厳格だから抽象思考が発達したとなる
その時ヨーロッパは辺境であり遅れていた、経済的にも商業で栄えていたのは中東である今の5ドルとかでヨーロッパ人の女性が売り買いされていたとか今の逆だったのである。

中東でもエジプト文明を継承してはいない、エジプトにはアラブ民族が移動して支配したエジプト文明を継ぐものは何ももっていないのである。
例えばヨーロッパ文明の基がギリシャにあるというとき精神的な故郷としてギリシャを見る、でも精神としてもイスラムからも技術でも文化をとりいれているのである。
ルネサンスというときイスラム文化の影響があって成った面があった

中東には先進国だったという矜持がありそれで欧米に屈折した感情をもっている、それは中国が先進国であり日本はその中華文明の派生したものだと見るのと同じである。
本元は中国にあり日本にはないという矜持と同じである。
中東の移民というときそれは単純労働者の移動であり奴隷化されたように扱われる
そうした移民は隷属されたものでありそこに不満が起きてテロになる
中東にテロの発祥地になっているのはそうした文明の発展に乗り遅れたことが背景にある自分たちは欧米より優れた文明をもっていたのにという過去の歴史から不満が爆発する
移民はただ安い労働力としてみるだけだからである。

中東とか中央アジアとかモンゴルとか遊牧民は空間的に拡大する、でも文明は作っていない。文明とは何かというときそれはただ領土を拡大化することではない、一つの世界観を作ることでありシステムを創造することである。
そのために時間が積み重ねが必要になる、そして文明というとき農業があって文明が作られている、エジプト文明でもそうであり中国でもそうでありインドでもそうである
巨大な農業国家なのである。日本でも稲作文明であり農業を基盤にした文明である。
だからこそ持続したのである。マヤ文明とかもトウモロコシを生産した農業文明である。だから寿命が長い、千年とか普通に継続するのである。

そして農業文明は時間に関心をもつ、農産物を生産するのには時間がかかる、季節の移り変わりにも敏感になる、それで天文学も発達した、マヤ文明は非常に精巧な歴を作っていたというときもそうである。時間の感覚が優れていたのである。
遊牧民だと航海民と同じように方向が問題になる、移動するから方向が一番大事になりここでも星が目印となる、特に北極星が移動の目印となった
それでそれが中国に入り北辰信仰になり韓国を経由して日本に入ってきた。
相馬藩が妙見信仰になっているけどこれも北極星のことである。野馬追いお旗印にもなっている、遊牧民では砂漠であれ水がある場所を探すことが大事になる
それが生死を分けるから信仰までなる、方向を間違うと死ぬというリスクがある。

いづれにしろ文明を形成するのは農業があってできる。農業があってこそ国の基礎ができる、今でも中東が不安定なのは農業が充実していないからである。
遊牧民は飢餓状態になりやすい、それで農業国家の中国に侵略したのがモンゴルであり万里長城がそのためにできたのである。
またインドでも農民のモラビダ族とイスラムの遊牧民が融合してできたのがインド国家なのである。
そして大国として今も継続していのは農業国家として維持できる国である。、いくら工業化してもそうである。それはローマ帝国でもそうである。ローマ人は農民でありそれで建築も質実なのである。農民的要素が色濃い文明なのである。
マヤ文明もトウモロコシ栽培を基礎にしてできた農業文明である。

現代でも大国は農業国家という面を維持している、フランスでもドイツでもそうである、アメリカさえそうなのである。アメリカは農業国家なのである。広大な領土があるから農業国家なのである。そこに強みがある。
何か工業とか技術ばかりとりあげて農業が国を作っているということを看過する
工業でも農業を基盤にしてある、工業には継続性がない、常に変化して一時的には栄えても衰退する、日本の電器製品が売れなくなったことでもわかる

文明とは何かというときトータルなものとしてある。車が作れるから売れるから文明とはならない、自然と融合してトータルな総合的なものとして文明がある。
文明と文化はまた違う、ただ文明の基に文化がある。
文化とはcultivate-cultureだからである。つまり大地を耕すことがあって農業があって文化もありえる。
だから多国籍企業のグローバル経済は文化を作らない、国々の土地土地の文化を破壊するのである。
コカコーラとかハンバーグでもそうである。食はそもそも風土が違えばみんな違ってくるが一様化されるのである。日本は海の幸に恵まれていたから肉を食べないというのもそうである。そうして長い時間の中で人間の体も作られてきた、腸が長いというとき穀物を消化するには適しているが肉を消化するには適していない、欧米人は肉を消化する酵素を体から出すから肉食に向いている。体まで風土によって違って形成されてきたのである。
それを無視するとあらゆるところに問題が起きるのだ。
発は向いていなかったのである。その後の技術的な面でも森とか山が多い日本にソーラーパネルは向いていない、地震が多い地に原発は向いていなかったのである。
風土と技術の適合性も大事だったのである。それを無視すると今回の原発事故のようなとりかえしのつかないものになる
日本に日本に向いた技術の養成も必要なのである。

建築は人間の魂をもっとも良く表現する表現する芸術形式である。樹木と良くにているからである。それを違った土地に移植するといろいろ妙なことが起きてくる
えり抜きの植木屋の一隊を連れてきて念には念を入れて栽培しないことにはもとのものとはまるで違ったものになってしまう。
(芸術の歴史ーH.ブァン・ルーン)

芸術とかそれが建築でも何でもそうだけど風土と密接に関係してできたものである。
芸術というとき絵とかももともとは建築の中に飾られるものであり一体化したのが近代は分離した。絵だけを鑑賞するということはてかったのである。

聖堂であって同時に城郭であり、学校であり、美術館であり、音楽堂であり単に魂あでなくて人間を徹底的にbuildenする場所であそれを完成する一切の設備が完備している場所である。中世では一切芸術も文学も思想も個々以外には存在せず、ここ以外からは出現しなかったろう。(ヨーロッパ遍歴ー下村寅太郎) 

そこは単なる祈りの場だけではなく総合的な当時の社会を具現化した場だから絵と建築の分離もないし音楽もない、音楽もその聖堂がオルガンでも荘厳に反響する大ホールになっていたのである。その聖堂の外の市街もまたその延長上にあるから都市が一つの全体として機能していたのである。

芸術という分野はなく社会全体の中に構築された文明としてあった。
それはエジプト文明でもマヤ文明でもそうである。全部が一つの精神で形成されているのである。その中の部分を一つを取り出して鑑賞はできないし観ることもできないものである。現代ではそうして一部を分離して観るのは世界を部分的に観ることに通じているのだ
ゴシック建築とういときドイツなどの北方の森を象ったというときもそうである。
明らかに内部は深いドイツの森でありそこにステンドグラスがあり光がさしこんでくる
天上は枝のように組まれていて森の中に入ったような荘厳な雰囲気になる
そういうゴシックは北方のドイツにふさわしく南国のイタリアにはふさわしくないのである。だからイタリアではゴシック建築を拒否したことがわかる

人間は風土性にかなったものとして文化は耕される、cultivateされるからである。
それは技術の面でも言えた、日本に合わない技術はとりいれるべきではなかった。
原発とかソーラーパネルは日本の風土にあわないのである。
そういうことは他にもある、グローバル化はそういうことを無視して文化を破壊する傾向がある。国々に土地土地に自然にあって生育するものが文化なのである。

2017年05月13日

相手の価値を認めないと共同はできなくなる (弱みをもつと人間は正常心を失う)


相手の価値を認めないと共同はできなくなる


(弱みをもつと人間は正常心を失う)


鹿島駅前の鈴木食堂に行く人がいる、ちょっと離れているので場所がわからない、離れているといってもすぐ近くだけとはじめての人には場所がわかりにくい、それで若い女性が来たので教えた、時々そうした案内がある。
何かそれだけでその若い女性は帰りもあったからありがとうと言っておいしかったというそれだけで感謝されるのかというのも意外である。
何にも言わない人もいる、そして今日頭に来たのはそんなことしても無駄とか必要ないという人である。
その人は畑をしている、でもその畑から何かもらえればいい、何にももらったことがない苦情だけは聞いているし農業のことを理解することにはなる
考えてみるとそういう畑をしていても誰も感謝しないことの不思議である。
それは別に金にならないことでも有益である、荒地にしておくよりはいいからだ

でもなぜその女性が駅で自分がしていることを認めない、無駄というときどういうことなのだろうかとなる。
その人には相当に援助しているけどその仕事は自分でもできるから必要ないのである。
今になると自分は常に弱い立場だったから理不尽なことでも不満でもどうにもならなかった、結局その弱さに常につけこまれてきたのである。
弱みをもつと結局不満でも何も言えないのである。
だから借金している人はその弱みにつけこまれる
それか人間の悪質さである。その人もまた常に弱い立場にあり苦しんできた人ではある

道案内しただけで感謝されるのにその人は無駄とかしなくてもいいとか言うときどうなるのか?
相手のしていることの価値を認めないときどうなるのか?それは金銭の問題ではない
むしろしなくてもいいことに金を払っている、同情もしてきた。
しかし自分が駅でしていることを無駄だとかしなくてもいいとか言うことは何なのだとなる
そうなら道案内して感謝されるだけでもそっちの方がましだとなる
金も払う必要がないからだ、その人は別にしなくてもいいことで金をもらっているともなるからだ、その金でもシルバーセンターのような安いのならいいがそうでもない
その人は主張する女性だからいい面がある。
しかしこっちでは金を払っている、でもそれは当然であり感謝などしない、仕事していると思っているからだ。それはしなくてもいい仕事なのである。

それなら道案内して駅で案内して感謝される方が自分にとっては気分いいとなる
人間はボランティアしている人でも何でもその人のしていることを否定されたらどうなるのか?
ボランティアなど格好つけているけど無駄なことが多いんだよな、自己満足すぎないんだよなとか見る人もいる、自分もそういうふうに見ている面はあった
でもボランティアにしてみれば全く自分のしていることを否定されたことになるから怒りにもなるだろう。
なぜなら実際に感謝している人がいることもある。他から見てわからないからだ。

ある人から見れば詩など書いても絵でも理解しない人には無駄だとなる。
でも資本主義社会では金になることは価値が認められたことなのである。何でも売れなければ金にならなければ価値がないものとみなされる社会である。
でも相手がありがとうということは価値が認められたことなのである。
それはささいなことでもそうである。
だからそんなことしても役に立たないということが納得いかないのである。

ともかく自分は介護はじめてから十年間は弱みにつけこまれてきたのである。
なんか今は確かに一人ということ自体弱みではある。でも今は他者に頼らなくても一応自分でできる。介護するとか病気だとか金がないとか人間は様々なことだ弱みをもつ、するとその弱みにつけこまれて奴隷化されるということがある。
病院では医者とか看護師に何も言えないというとき病気であり弱みをもつからである。
そういうことが世の中には常にある、相手が弱みをもつことはその人の上に立てることになるからだ。何か何でもそうなると要求しやすいのである。

いづれにしろ道案内でも感謝している人がいるのにその人はそんなの無駄ということは何なのだろうとなる、それなら感謝される人に尽くした方がいいとなる
自分はいつのまにか奴隷化されていたのである。何も言えなくなっていたのである。
それが今になると別に頼らなくてもいいとなると弱みにつけこまれる必要もないとなる
なんか介護などしていると人間が異常化してくる、病気になっても借金しても他にいろいろなことで人間は正常心を失ってしまうことがあるだろう。
戦争していれば人が死ぬの当り前だからそういう異常な環境で正常心を失うのである。
それも怖いことである。夫婦でもDVなどでもそれが日常化して慣れてそれが普通だとなるとしたら怖いとなる。

弱者化されることに気づかない人もいる、たいがい人間はいいように使われるのが普通である。カルト宗教団体に入るのも弱みがもつからである。左翼関係でもそうであり貧困ビジネスもある。極端な貧乏をとりあげてそれで社会に訴える、それが金集めの手段にもなる
人は何でも人を安くいいように使いたいのである。それは結局人間がなんらか弱みをもっているとそうなる、その弱みにつけこまれていいように使われるとなる
除染であれ建築現場でも正規でない人は何か事情があってくるから賃金の不払いとか安く使われる、暴力団が介入してくるとかある。
ブラックユーモアなのはアメリカの刑務所で安くこきつかわれている人たちである。
これも弱みをもっているから資本家に安くこきつかわれるとなる
そういう仕組みを作り出しているのか資本主義といえばそうなる

逆にカルト宗教団体とか底辺層を相手にする団体でも左翼でも人の弱みにつけこむともなる、それで勢力を拡大する、そういう弱みをもった人は強力な会員に鳴りやすいということである。
要するに人間は弱みをもつと頼らざるをえないからそこに歪みが生まれる
別に金をもっていれば嫌な仕事などしなくてもいいのである。
ともかく人は何らかの弱みをもくそれで心も実生活もゆがめられているのである。
雇われている人でも別に金があれば雇われなくてもいいし相手に何を言おうといいわけである。その人も雇われているとなると弱みになる。
人には人の価値観があるから別に何を無駄だ、そんなことしても価値がないということは言えるのである。
そうならあなたはそのように生きなさいとなる、別に相手の価値など認めなくてもいいわけである。
では人を雇うというとき実は雇う人も一人でできないとか弱みをもっているからでもある機械でやれるとか自分一人でやれるとなれば別に雇う必要もないのである。
自分の場合は弱みをもったから様々なことでそう強いられたのである。

人間は意外と価値観の対立は深刻である。グローバル化したときなぜ移民問題などでうまくいかなっかったのか?
イスラムとの価値観をキリスト教圏ではできないということもあった。
その価値観の対立の故に共同できないということがあった、一見自分のしていることの否定はささないたとでもそういうことで必ず人間は対立が起きる
それは家族内でも起きている、自分の母親は貧乏だったから花にも興味もないから庭作りしたとき木を植えたらそんなものいらない、金がかかるからいらないと言い続けていたのである。母と子だってそうした価値観の対立があり世代間でもありそれで共同しえなくなるのである。だから価値観の対立はささいなことでも深刻になり共同しえなくなり分裂することにもなる。

posted by 老鶯 at 09:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2017年05月12日

初夏(小池の横峯堤(つつみ)は広い)


初夏(小池の横峯堤(つつみ)は広い)

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寺内の横峯堤

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パノラマ写真-クリック拡大

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小池の墓地とコモドインホテル



葉桜の風にそよぎて小池かな

葉桜の影や小池の墓地の朝

八輪の牡丹の散りし虚ろかな


知る人の今日も畑にありにしを我は成すじも実りを思ふ

八輪の牡丹の散りてそのあとに緋色の牡丹我が家に見る

横峯の堤の広く藤の花隠し田なれや朝風涼し

白藤の咲きにし家や今日来ればはや散りにしを街にもどりぬ


小池の横峯堤は広いから気持ちいい、そこに隠された道があり堤の反対側に行くと
小道があり田んぼがあった、藤の花も咲いていた
別に堤がありこの田んぼのために作ったのか、そこには田が二三反なのかあった
ともかく日本は田を作る、狭い所でも田を作る、そうすれば米がとれるからである。
あそこは隠し田のような感じにもなる、日本ではあのように隠れるようにしてある田が多いのである。
こんなところにも田があるのかとなるのが多い。

小池も変わった、未だに仮設もありプレバブの宿泊所がまたできたりあのコモドインというのが一番この辺では意外なものだった
あれでも最新のホテルなのである。復興用にしてもホテルまでできるとは思わなかった。あそこのカレーはうまい、料理人が朝食と夕食を出しているからだ
食事が出るということそれが料理人がいて出しているからいい、普通はビジネスホテルとかなると食事は出さない、復興用だから食事が必要となるからかもしれない。

今や夏になった、暑いので熱中症気味になる、今年咲いた八輪の牡丹は散った。
そして鉢植えの緋色の牡丹が咲いた、今の時期いろいろな花が咲く
知っている人は毎日畑に行く、暑いときは朝に行く
でもそこで何がとれているのかほんのわずかなのである。
その人自体ほとんど野菜でも買わなければ生活できないのである。
その金を誰が供給するのか?

ただ豊かになるとベーシックインカムが現実味を帯びてくる
無理して嫌な労働はしない、それでも人は生きがいを求めるし労働をすることは確かである。それが暇になった退職したシニアがボランティアを求めていることでもわかる
毎日何もしないということに何か社会にとって無用にされることに耐えられないからだ
高齢化社会の問題はその数が多いということである。
その数の多さが圧力になる、高度成長の時は団塊の世代は数が多いから活力となったのである。高齢化社会でも同じなのである。

鹿島でも本当に変わった、寺内の孟宗竹の林も切られた、整地して売り出してまた家が建つのだろう。とにかく新しい家が次々に建つのである。
その新しい家が何百軒ともなっている、だから何か都会化したのである。
それでももともと一万くらいの町だから自然は豊かだとなる

今日鹿島駅で東京から来たのは鹿島カントリークラブに来た人である。
一年に一回くらい来るという、あそこはいいですかというと環境的にいいという、
東京から来るとなると金持ちなのだろう。
それでも金を落とすからいいともなる、仮設の人が金が入って消費しているから助けているのよというとき今の時代だったら原町まで4000円でタクシー利用してくれれば会社では助かるともなる
でもその金がいつまでつづくのか?年金とも違うしいつれは枯渇する、その時どうなるのかと思う。確かに小高の人が国民年金ではやっていけないから生涯補償する年金をもらいたいというのは誰でもそうなのである。
でもそれなら南相馬市全部で要求すれば文句は言わないが小高ばかり要求したら不公平だとなる、それは前からももめていたことだからである。


2017年05月11日

老鶯、夏の月(里に老いる)


老鶯夏の月(里に老いる)


老鶯や共に老いゆく里のあれ

老鶯や堤の広く里暮れぬ

田の増えて蛙も増え鳴く夏の月


今日の夜は夏の満月である。そして鹿島区では田んぼが増えた、だから蛙が増えて鳴く声も騒がしくひびく、田んぼが増えると蛙ももどってくるのである。
去年よりもまた増えているから農業も相当復興している、ただ山の方は田んぼにしているのはまだ少ない、田畑でももう跡継ぎがない所は荒地のままでありそれは別に利用するようになる、大きな畑にした所は会社経営にするとか言っていた。
小高ではそうするというとき個人の家ではやれなくなっているからだ

横峰の堤は広々としている、そこに夏になれば老鶯が鳴く、夏鶯と老鶯の受ける感じは相当に違う、老鶯というときどうしても老いたなるから老人をイメージするのである。
だからこの俳句もできた、高齢化社会というのはこれからさらに社会の問題になる
そもそも高齢者多いということはそれだけ社会全体に圧迫する、人口圧力が大きくなる
すると社会全体が高齢化社会になるのだ。若い人は何かかえって目立たないのである。

団塊の世代は若いときは今とは全然違う、暴力的になったとしてもその若いエネルギーが社会に噴出していたのである。それだけ若い人が多く日本は若い社会だったとなる
高齢化社会になるとこれは未だ経験しないものであり社会自体が高齢者に老人基準になるのである。それは停滞した活力のない社会ともなるがまた反面落ち着いた社会とか今までにない社会になる。

老いゆくというときどうしても共に老いるということで長く住んだ所に老人は住みたいのである。老人になるとなかなか新しい場所でも知己でも得にくいのである。
ただ別に老人になってもかえって今まで知らない人とも交わるのも増えている
老人ホームに入ったらそこでは今まで知らない人たちが一緒に暮らしたりしているからである。

この辺は小高とか浪江とかの老人と知り合うようになったのもそうである。
普通だったらあまり交わらないからである。元の相馬藩内で人が交わるようになったのである。近くの仮設に住んでいるから当然そうなる

老いるというときやはり里に老いるというのが自然である。
その里というとき街ではない、田んぼとか畑とか自然な生活のある所である。
そうなるとこの辺でも原町とかなると大きな街になるから里とはならない
鹿島、小高はまわりが田畑がら一万くらいの町だと回りが里になっているのである。
だから原町とか相馬市に暮らすのとはまた違った感覚になるのだ

前にも詩にしたが森の樹々がともに年輪重ねて老木となりやがて森に倒れ木となり還ってゆくという感じになる、ともにそこに年月を重ねた木なのである。
そこに木の連帯感が生れていたのである。


老木の語ること(詩)
http://musubu2.sblo.jp/article/169729214.html
タグ:夏の月 老鶯

今日の鹿島駅 飯館村の人と小高の人と話する


今日の鹿島駅

飯館村の人と小高の人と話する


実家が鹿島にある女性が来ていた。そういう人は多い、町の変わりようなどを説明する
飯館の蕨平の人がまた来ていた、鹿島にある競輪の券の売り場にゆく、あそこには定期的に来る人がいる、タクシーで行くからそれなりに収入にはなる
あそこができるとき反対する人たちもいたがおしきられた、自分も反対の方だった
それでも仕事ができるとか人が集まるとかで賛成した
底辺で働く人はあそこで掃除の仕事ができるからいいとか言っていた
底辺だとそういう発想になるのだろう。だがらの悪い人も来る
でもこのギャンブルだけは人類からなくすことはできないだろう。
なぜ寺が博打場になったのか?寺銭が払われたのか?
これも何か人間の業みたいなものなのかもしれない、酒とかもそうでありやめることができない、貧乏なときは酒は栄養補給だったのだろう。
タバコもやめることができない、でも阿武隈山地は葉たばこで生活できていたのである。

飯館の人は今回は釣り竿を三本くらいもってきていた、釣りもしていたのである。
海の方だと満潮のときでないとだめだという、満潮の時期を新聞など調べて行くという。なんでも最近、ホッキガイとか牡蠣などもとれたという、松川浦の人は85歳で牡蠣を震災後も食べていた
その人も飯館村の放射線量が高いことを知っていても平気で飲んでいるという。
全然気にしていない、老人は関係ないんだよとなっているからだ
今回の放射能汚染で老人は影響を受けないのである。
だから避難しても帰るというとき故郷への住み慣れた所へ帰るということもあるが放射能をこのように全く気にしないことも原因しているのである。
確かに85歳なら放射能など関係なくなるからだ

飯館村では大きな川がないけど岩魚がとれるの?と聞いたらとれると言った
かえって細い川がいいんだよ、岩魚はそういう所を好む、岩魚を釣れる人は上級者だよと言っていた。
飯館村には大きな川がないのである。細流はある、自分がいつも行っていたのは大倉から峠を越えて飯館村に入る場所だった、そこには家が二三軒あったが一軒が廃屋になり
一軒が残っていた、その時そこは森につつまれていて人が通れる道があってもめったに通らない神秘的な場所だった、そこにはきれいな水が流れていて岩魚がひそんでいたというでもその岩魚を見ることはできない、今は舗装した道ができてその神秘的な森につつまれた細流はなくなった、でもその細流は今も流れている
ヤマメは橲原(じさばら)の水無川の上流の八木沢峠の麓の川に行くと深い淵があり泳いでいるのを見たことがある。
あそこは今は放射線量が高く避難区域になって空家になっている家がある

大石の裏にできたたるみや、岩の下にあるえぐれ、倒木などの障害物の周囲にできる緩流帯はイワナの好む緩い流れと隠れ場所を兼ね備えた高ポイントとなっている場合が多いのです。

水が少ない場所でも生きていけるように、歩くことができます。歩くと言っても、前びれを上手に使い、身体をくねくね動かして、水のない場所も移動します。

飯館村に住んでいる人に直接話を聞くことはなかなかできない、ただそこに住んでいる人は確実にその土地のことを知っているから聞いてみる必要がある。
山には山の暮らしがある。岩魚でもとれれば食料にもなるからだ
自分はそうして釣りとか農業に実際にたずさわらない、そこに自然をみるとき欠けたものになる、実際に釣りとか農業をすれば自然に直接接するから自然により深く知ることになる、それで釣りをしながら山村を歩く哲学者がいたということもうなづける
釣りは自然と接するものとして有効なのである。
ただ自分に釣りは向いていない、自然が好きとしてもじっとして待っているのが嫌なのである。何かすぐに動くのがいいのである。だから自転車で次々に回ってゆくとなる
でもそれも自然と接することなのだが釣りは明らかに自然と融合するものになる
ギャンブルよりは趣味としてはいいのである。

今日は小高の人にもあった、小高の人はやはり金をもっているのだろう。
その人は車がないので原町に良くタクシーで行っていたという、原町までタクシーで入ったら4000円くらいとられた、だからやはり小高の人は補償金で金が今はあるようだ
ただこれからは金が入ってこないのだからどうなるのかとなる
その人も老人だから働くつもりはない、そういう環境で働く気もなくなったのである。
でも働ける人は働いた方がいいよとか言っていたのも矛盾である。

そのうち小高に帰って住んでいる人が駅に来た、仮設の仲間だった人である。
その人は原町とか鹿島のスーパーでも買物に来ている
小高にはスーパーがないのだから買物に来る、鹿島でもキクチスーパーが新しくなりシシドスーパーもできたから買物はできる、シシドスーパは原町にはないからである。
シシドスーパーはもともと卸屋だから新鮮なものを売るから評判が良かったのである。
小高の人は今仮設に残っているのは一割くらいである。
いつまでいられるのか?まだまだいられるみたいだ
でもその人が言うには仲間が減るとやはり小高に帰る人も増えてくるという、仲間が残っているとまだ残る人がいるという、それも六年間もいて親しくなり仲間となったからである。

ともかく駅にいろいろな人が行き来して集まるのである。
山梨の人は弁護士の事務所で助手みたいなことをしているみたいだ
その人も定期的に通っている、事業をしていた人だから事業のことなど人を使っていたからそうした人事にも詳しいのである。
そして言っていることがまともなのである。補償金でもちゃっと使い道を決めさせて与えないとただ浪費するだけになるとか人にはそれぞれの生活があれその分を越えた金をもらうとどうなるか、金銭感覚が狂いその人の生活を乱してしまうというのもそうである。
思わぬ大金が入ってきていいようでもそれで贅沢して浪費して終わりになるしもう金があるからと働かなくなるというのもそうである
この辺は実際にそうなってしまったからである。
あの人は経営者として失敗してもそういう人事の経験を積んでいるからまともなことが言えるのだろう。
大阪の人は何でもあからさまに言うけど本当に相手を助けるときは本気で助けるという。そういうことはやはり様々な人を使っていたから人に詳しくなる
ただその人は裏切られてそのことがショックで人を信用できなくなったのである。
自分もそうなったから同じ経験をしたからその人のことを理解できるのである。

ともかく駅は様々な人が行き来して集まる場所なのである。
今日は南相馬市のリサイクルセンターの近くの会社の人も来ていた。
東京からは清水建設の人が三人くらい来た。
清水建設の事務所はまだ鹿島区にあるからだ
まだ外からの人も来ているのである。それで前より仙台を行き来する乗客が三倍に増えたというのもそのためである。

いづれにし老人が多く集まるというときこの辺は他より10パーセント65歳以上が多いのである。それと仮設に住んでいる人も老人が多かった、だから老人は暇だから川子のパークゴルフ場に百人もいたように暇な老人が集まるからそうなるのである。
ボランティアを求める人も退職した人が多い、この辺に小高でもまだボランティアが来ているからだ。それはどういうことかというとむしろその要望があるというよりボランティアをしたいという人の要望の方が大きいのである。
道路公団に勤めていた人は道の脇を何か探していたのもそうである。
道路公団に勤めていたからそういうことをしていたのである。
自分も介護が終わり余裕ができると関心がいろいろな方向に向く

この辺は実際は自然でも豊かであった。釣りをすれば魚の生態系とかに興味をもちひいては自然を深く理解することになるのである。
つまり旅をしなくてもこの辺はもともと自然が豊かだから発見がある
だからわからないことも多いのである。飯館村は広いからそうだった
隠された知らない細流が他にもあったとなるのである。










浪江の山林火災で放射性量は上がっていた (常に隠蔽されるごまかす体質は変わらない)


浪江の山林火災で放射性量は上がっていた

(常に隠蔽されるごまかす体質は変わらない)



東京電力福島第1原発事故に伴う帰還困難区域に指定されている浪江町井手の十万山で起きた山林火災で、 
県は9日、周辺3カ所で8日測定した大気中を浮遊するちりの放射性セシウム137の濃度が前日の約3〜9倍に上がったと発表した。 

配信 2017年5月10日 

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浪江の山林火災で放射性物質が拡散して放射線量が上がった、やすらぎ荘で9マイクロシーベルとになっている、これは今だと高いとなる
そもそも飯館村でもあれだけ高かったのに草野で7マイクロシーベルくらいあったのにその半分以下とかなっている、0・5とかになっている
それがなぜなのか?除染した結果なのか?
ただ森の中は3マイクロとかありそれは変わっていない、森の周辺の樹木を切って除染した。でも森があるとそこから放射性物質が流出する
山林の放射性物質の放射線量は変わりない

放射性物質は減るのはセシウムだったら30年後でありその間減らない、ただ除染すれば減る、でも山林は除染できないことで浪江の山林火災でまた放射性物質が拡散した
除染するにはどうするのかというと泥ととか土についているからそれを除去する
溜池を今は泥と水を分離して除染している
でも回りから放射性物質の泥がまた流れてくると同じになる
それでも数学的には放射性物質が一定数ばらまかれたというときその一定数が変わらないその一定数を減らすには除染する他ないとなる

部屋の中の放射性物質は減らないのは除染できないからである。
屋根とかは洗い流して樋とか土にたまった放射性物質をとりのぞき減った
山林は除染できないからそこに一定数放射性物質が残存する
だからこれほどやっかいなものはないのである。

モニタリングポストの値は下の土をとったりして設置されているし低い、モニタリングポストの近くでも倍とかありだから倍とかにして見ないとわからない
飯館村で0・5でも実際は1以上になっているから今では高いとなる
0・23以下が住める基準になっているからだ。

なんか放射性物質とか考えると数学的思考が身につくともなる、そもそも数値でしか計り得ようがないからだ。だからこの辺では放射能に興味をもつ子供でも若い人でもでてくることは確かである。現実にこれだけ被害があるからそれが直接かかわるからである。

原発の問題は浪江の山林火災でも同じようなことがおきた

放射性物質は拡散しないから安心してください

こうしたことが福島県の広報で発信された、原発も爆発したとき御用学者がメルトダウンはしていなとしきりに言っていたが嘘だった
今回も同じだった、真実を報道しないでただ安全です、安心してくださいという報道になったのである。
原発はこのうよに常に少しでも不安を与えることに異常に過敏なのである。
そこで真実の報道はおさえられ、安心です、安全ですという報道になる
それこそ「安全神話」を作ったことでもわかる
そして事故が起きるということも言えない、科学的合理的なことも追求されずねじまげられて報道される、そんなわからない危険なものには手を出すなとなる
原発にたずさわるもの科学者でも常におびえているからそうなっているのだ。
いくら安全を唱えても科学者でも不安がありそれでなんとか科学的合理的な追求ではなくごまかそうとする、それが原発にかかわるものの体質となっていたのである。

別に一部で放射線量が上がったとしてもそれを正直に発表すればそういうことはない、でも必ずごまかすからかえって信じられなくなりみんなを不安にととしいれているのであるかえってそのことが不安を拡大させている、不安になる人はその結果かえってふえる
不安になる人は東京でも九州辺りのペットボトルを飲むとかなる
そもそもモニタリングポストがその数値をごまかすものとして置かれていたのである。
だから何を信用していいかわからないのが原発だったのである。

つまり何か原発で起きるときメルトダウンはしないとか今回の火事でも放射性物質は拡散しなとか報道する、そういう体質は変わらなかった
だから今ある原発でも同じであり常に隠蔽されるし安全だ、安全だとごまかしてでも言っていなければならない、そこが原発の最大の問題だったのである。
そのことで拡散することを指摘した新聞社に謝罪させているというのも同じ体質である。
真実の報道をさせないのである。
原発の問題はそういうことが積もり積もって大事故につながっていたのである。
そもそも隠蔽されて真実が追求できないようになっていたからである。
「安全神話」つくれるほど強大な権力をもっていてタッグを組んでいたからできたことだったのである。




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2017年05月10日

原発事故が現代に問うたもの (苦闘に生きて死んだ戦前の農民ー猪狩満直など)


原発事故が現代に問うたもの

(苦闘に生きて死んだ戦前の農民ー猪狩満直など)

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そもそも自分は農民でもないしまずそうした戦前のどん底の貧乏の農民を理解できない
また戦争で死んだ人たちの苦しみも理解できない、何か理解するというとき同じような体験をしたとき理解できる
ある人は10年夫を介護していた、その時自分も介護していた
でも話したこともないから自分も相手のことは知らないからその苦労も知らない
だから相手も無関心だったし自分も無関心だったのである。
ただ互いにそのことを知ったとき同情しあわたのである。

貧乏でも貧乏を体験しない人はいくら本を読んだとしても理解できないのである。
何かをそのことをイメージしようとしても甘いものとなりできない
だから昔でも歴史でも常に人間は今の生活からしかイメージできないのである。
そこに錯覚が生れる、過去は何か今の生活からみるといい面だけを見るようになる
今からすると自然環境は良かったから昔の方がいいとかなる
でも現実にそこに暮らす人は食うや食わずだったとなりこんな所嫌だとなる
タイムマシンに乗って過去にさかのぼればそうなってしまう
そこは今から比べるとあまりにも過酷な世界なのである。

北海道の開拓にしてもあまりにも過酷でありだから
火のような呪いがあると満直が詩にした、そういうことばぎりぎりの生きる死ぬかのなかで生れた言葉である。普通呪うなどあからさまに言わないからである。
そこまで厳しい生活だったということである。
それは観念的には全く理解できない世界である。

戦争というのも何か美化するようになるけどあまりにも過酷な経験である。
だから姉は従軍看護婦として赤紙一枚で戦地に送られた
四年間シンガポールに今のマレーシアのジョホールバルで過ごした
死ぬときまで何かうなされるようにしてそのことを語りつづけていたのである。
それだけ忘れられない過酷な経験だったからそうなった
そういう過酷さをもう楽な生活をしている現代人には理解できないのである。
もちろん現代には現代の苦しさがありそのことを訴える
でもその時代の過酷さはとても現代では理解できないのである。

だからそういう人たちのことを書くとなると体験がないから書けないとなる
ただ原発事故でそういう農民であれそのことが何を今に語るのかと問われた
今は農業は辛いし金にならないからと常に否定的になり誰も跡も継ぎたくないとなった
親から農業だけはやるなと殴られたとしてその人は原発や建築現場で働いた
猪狩満直の時代はそもそも農業しか仕事がなかった
わざわざ北海道のような所に開拓には入らないが戦前までみんな農業しか仕事がない
そのことが戦争の原因にもなっていたのである。
満州に日本が進出したのは広大な土地を得て農業するためだったのである。
それであの寒い地で米まで作ろうとしていたのである。
農業には土地が必要だから満州に進出したのである。
その後も戦争が終わってもブラジルとかに移民したのも農業するためだった

ところが日本が工業化してゆくと農業に従事する人はどんどん減っていった、今や一割にもみたないし全体の生産額でもそうである。
そういう時代になると誰でも金になる仕事につきたいとなり会社勤めになる
田舎でもほとんど会社員であり農業だけで暮らしている人は一割にも満たないのである。だから人間は時代に適合して生きざるをえない
だから奇妙なのは山尾三省のようになるとパンも食べないとかなるとそれは何なのだ
テレビで良くやる貧乏を見せるための演技なのかとなる
この豊かな時代にパンも食べないとか食べるなとか何なのだとかかえって批判される
そんなことを受け入れる人は今の時代にはいないからである。

山尾三省と猪狩満直とか三野混沌などと昔の農民と比べるとまるで違ったものである。
それはまず観念的に自然と共生する思想があってそういう貧乏な生活を試みたのである。一方で猪狩満直とか三野混沌などはただぎりぎりで必死に貧乏を生きざるをえなかったのである。だからその貧乏を呪うとまでなっていた
それほど過酷だったからである。
自分もまた自然とか農業でも観念的に見ているのである。

では現代にそういう過酷な過去を生きた人たちは何を問うのかとなる
原発周辺はあまりにもその逆だったのである。
漁師は漁師で海を漁業権を売り渡して原発御殿を建てて贅沢していたし
飽くことなく現代の贅沢を求めていた、その欲は限りないものとなっていた
それはもう手段を問わないのである。原発が金になるならいい、それで景気が良くなるならいいとしかないのである。
借金して家を立派な家を建てる人が本当に多い時代である。
借金してまで贅沢したいのが現代である。猪狩満直は粗末な小屋に住んでいた
食うや食わずの生活だった、そういう農民が多いのが戦前だった
その生活の差があまりにも大きいものだった

だからそういう昔の人たちは現代の生活をみてどう思うのかとなる
この生活は何なのだと思うだろう、俺は食うや食わずで最後は病気で死んだ
ここの暮らしは何なのだ、こんな世界がありうるのかとなってしまう。
今から過去へイメージすることは現実にあったことだし一応記録もあるからイメージはできる、でもまた未来となるとこれはイメージできないのである。
ただ農業というのが楽ではないことは変わっていないのである

でも趣味でやっている人がいくら苦労を言ってもそれで生活するわけでもいな、みんなスーパーで買って暮らしている、野菜でもそうである。
だから金なくしては野菜も買えないし暮らしていけないのである。
それにしても人間の不思議はそんなぎりぎりの生活でも希望をもっていたということである。
余りにも満たされた生活では人間は自堕落になり希望すら失うというのも逆説なのか?

原発事故で避難した人たちが苦しいというけども毎日パチンコとかギャンブルしている人がどこが苦しいのかとなる、その人たちに言い分があってもそうである。
6年間はほとんど遊び暮らす楽な暮らしだったなと見るのである。
それは過去の過酷な生活を比べることやシリア難民とかと比べることはできない
それにしても自分は介護していたしその回りでも苦労していた人たちはいる
それを自分たちのみが苦しいと訴えていたのも納得いかなかったのである。
そしてなぜ同情しないのかと怒りになっているのも納得いかなかったのである。

その前にそもそも原発を誘致して贅沢をしたいということがありそれが事故となり漁業でも農業そのものもを破壊されてしまったとなる
その農業などでも飯館村などでは回復不可能にもなっている
水さえ飲めないとまでなっている、それは何なのだろうとなる
そして若い人が流出してもう町も村も維持できない状態になっている
飯館村ではこのままでは1000人くらいになるという、それも老人の割合が半分以上だからどうして村が維持できるのかという深刻な状態に将来なる
そこには希望もなにもなくなってしまうのである。

どんな時でも 仲間よ
俺たちは俺たちの瞳のような子供のあることを忘れはしないだろう
どんなときでも 仲間よ
俺たちは新しい地を継ぐ子供のあることを忘れはしないんだ
(仲間よ、俺たちは戦っている)

俺たちは俺たちの瞳のような子供のあることを忘れはしないだろう

これは何か生きる子供の純粋な気持ちをもちつづけることであり
そして新しい地を受け継ぐ子供のあることとは何なのか?
そういうふうに親が苦労して生きていたときそのことを子供は知っていて受け継ぐ
だからそういう過酷な状態でも人間は希望だけは持ち続ける

一方で農業だけはやるなと親に殴られた人は親になり原発で働いて豊かになってもその地を受け継ぐ人がいなくなったのである。
双葉町では原発と未来を築く町としてあった、その未来は無惨に破壊されたのである。
だから過度な豊かさを求めてそれを得たとしてもそれが未来の希望になるとは限らないのである。
現実に子供たちはその地を受け継がないで去ってしまったということである。
子供が受け継ぐというときカルト宗教団体のうよなものも受け継がないだろう。
いづれその偽善にきづくからである。

だから不思議なのはそうした過酷な貧乏の中ででも人間は未来に希望をもっていたということである。その昔の過酷さと比べると原発事故はまた違った被害だけど楽だとはなる
でも若い人たちは次代を継ぐ人たちは去って行ってしまったのである。

どんな時でも 仲間よ

その仲間もみんなばらばらになって帰ってこなくなったのである。
どんなときという時というとき苦しい時でもとういことである。
それが家族ですらばらばらになり老人だけが故郷に取り残されたのである。
仲間といっても会社員の時代になると違うからそうなったともなる


参考にした本

猪狩満直と「移住民」-佐藤久弥著
posted by 老鶯 at 10:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2017年05月09日

今日の鹿島駅 (「鉄道詩紀行ーきむらけん」から読む駅の不思議)


今日の鹿島駅


「鉄道詩紀行ーきむらけん」から読む駅の不思議


鉄道の保守管理の人が定期的に回って見ている、前も盲人の歩む黄色のブロックを見て直した、盲人というとき一人が定期的に通っている、でも向かい側には行かない
だから危険というものでもないが電車に乗る時は多少危険になる
ただ車掌が見ていて確認している
駅で盲人を見るのは定期的に通っている人だけである。
でも一人でもいれば整備する義務がある、法律でも決まっているのだ
でもいつも思うことは盲人が利用するのは田舎ではほとんど見ないのである。
そのために黄色のブロックを作るのは贅沢なようでもそれだけ障害者のために金を使う労力を使うことは弱者に配慮した社会だとなる
ただ現代は盲人でも車だとか電車でも危険が多すぎる、人とぶつかるくらいならいいが
車とか電車は危険になる、だから盲人にとっては危険が多い社会である

今日きた人は相馬の天の粒という品種の米作りに関係している人だった、その人は話しなかった、話する人としない人がいる、ただパンフレットのようなものを見た
そこに天の粒とあったからである。それをインターネットで調べたらずいぶん出てきた
天の粒は外国まで売り出して相当に宣伝している
相馬の米として売り出しているのである。これは品種改良したもので相馬のブランド米として売り出しているのである。ただその人は何もしゃべらなかった。

それからまた四人くらい保守点検に来ていた、定期的に来ている、それから原町の駅員がきてホームのトイレに何か置いた、そして燕が巣を作っていたのを壊してそこに巣を作れないように網をかぶせた
自分が燕の糞を掃除したから汚れるから撤去したのである。
定期的に原町の駅員が回ってみている、何かこうして仕事がある
無人駅でも定期的に見回ることが必要になる

無人駅でも困らないにしても何かそこに人間の手が必要になる、そして何か話したりすると人間的になる、ただ普通は駅で話したりしないので話さない人もいる
ただ駅には必ず待つ時間がありそこで何かしら話するということがある
その待つ時間が人間的なものを駅に作り出しているのである。

今日は岩沼から来た老夫婦がいた、その人は電車に乗ったことがないで乗り方がわからなくなっていた、本当に電車の乗り方すらわからなくなっている人が意外と多い
それだけ電車というのは乗らないものになったということである。
車社会になったということである。電車の乗り方がわからないなどありえいことだったからである。その人は町中でまた会った、自分の家の近くに来ていたのである。

ともかくいろんな人が行き来している、駅の面白さはそこにある。
もちろん話せる人とできない人がいる、だからなぜ来ているのかわからない人もいる
でもこの街に駅に来たということは縁であり何かが記憶されるのかもしれない。
ただ自分も鉄をとでずいぶん旅したけど駅でも待っていたけどそこで土地の人となど話したことがないから普通は話などしない
でも駅はただ通過する場所ではないことに気づいた、駅で待つ時間も何か旅していたら印象として残すべきものである。それで撮り鉄は駅舎の写真をとるのである。
ただ写真ばかりでも記憶に残るとはならない、写真で残して思い出すこともあるが人間はともかく忘れやすいのである。

駅というのはほんの一時でも何かを人が残してゆく場でもある。そういう人々が交差して電車を待っていることは駅に人生も交差している、そういう場所は今はなかなかない
そういう世代を問わず職業問わず貧富も問わず地域も問わず近くでも遠方のものでも交わるという場は意外とない、子供と子供が交わる場は学校である。病人と病人が交わる場は病院である。仕事として交わる場が会社である。
ではそういうものを越えて交わる場というものが現代にはないのである

だから駅というのはみんな気づいていないが不思議な場所なのだ
それに気づいたのは駅員のボランティアしてみてわかった
旅しても駅はやはり通りすぎるだけであるが駅にいて案内したり見送ったりしていると何か駅が人間的交流の場であることに気づいたのである

人が出会い、そして別れる場である、ときめきがあり、悲しみがある
その駅には様々な人が混ざりあっている、裕福な人もいればホームレスもいる、健康な人もいれば病んでいる人もいる、
いわば停車場は人の博物館だ
(日本鉄道詩紀行ーきむらけん)

待合室の長椅子の
ビロードの
毛の中に
魂のかけらを
みんな忘れてゆく停車場である。(小熊秀雄)

この本は鉄道好きな人には相当に奥深いものを読み込んでいる、停車場は人の博物館だーまさにこれを感じた、ただ停車場というときそれは昔の感覚である。
その時はさらに駅は人間臭いものがあったからだ、そしてその時代は鉄道が最盛期であり人が駅に集まっていた時である。だから駅が最も熱気があったし駅前通りができたのもそのためである。
だからその時代なら余計にそうなる、薄荷(はっか)の匂いがするというときそのことなのだろう。小熊秀雄は北海道の出身だから薄荷の博物館が北見にあるからなじみのものだった

魂のかけらを
みんな忘れてゆく停車場である

ここが駅の不思議だったのである。一時であれ何かしらその人のたましいのかけらを駅に残してゆく、地元の人も利用するから遠方の人が駅にいるのとはまた違っている
でも駅には様々な人が行き来している、地元の人でもそうである。そういう場所が今は意外とないのである。病院だったら病人と老人がほとんどでありいろいろな世代の人とは会わないのである。学校だったら子供だけとかそういうことが多いのが現代である。
だから田舎駅ですらいろんな人が行き来していることが違っている
そこに駅の魅力を作り出している、一時でもそれぞれ多様な人々が魂のかけらを残してゆくのである。

駅にさす花を入れ換え様々な人出入りして今日もすぎゆく

ともかく駅にかかわることはそこが無人駅であっても人間的なものを付与される、そこに人間がいなければそうはならない、ただ機械がロボットがいるだけになる
機械やロボットはその人間的なものを嗅ぎ取ることはできないのである。
そこに人間がいてはじめて嗅ぎ取ることができる

実際に駅にはどこでも今や監視カメラがあり犯罪者がつかまえられたというから驚きである。田舎の駅でも監視カメラがどこにあるかわからない、監視社会なのである。駅には犯罪者もいるし変な人もいる、がらの悪い人もいるしそっち系の人もいる
つまり本当に人間の博物館になっているのが駅なのである。
でも監視カメラであれ機械がいくら精巧になっても人間的なものは人間しか感じることができないし作り出すことができないのである。

参考にした本(日本鉄道詩紀行ーきむらけん)




高齢化社会の課題 健康、金、暇、介護やボランティアの問題など?


高齢化社会の課題


健康、金、暇、介護やボランティアの問題など?


高齢化社会というのはそれは世界的に起きている、中国でも起きている、中国は最も高齢化で影響を受ける、世界で一番の高齢化社会になるからだ、その用意もされていない、年金もなくてもう子供も援助しないなど自殺までしていることが問題になっている
人類は高齢化社会を経験していない、60くらいまで死んでいれば高齢化の問題は起きていない、80以上になると起きてくる

高齢化で問題になるのが金であり暇であり健康である。何か異常なほどの健康ブームになっているのは老人は健康を気づかうからである。
健康だけが関心の人もいるだろう。何か自分も病気になったせいもあるが健康を気にするだから食べ物とかも気にしている、今までは食べ物など気にしていなかった
もちろんその時は与えられたものを食べているだけだったこともある
自分で買って料理するとなれば食べ物を気にかけるようになる
とにかく買うものでも料理するとき種類が多すぎて困るのである。
だからなるべく買ってすませるようになる

高齢化の課題で一番の問題は健康である。まず60代以降健康がそこなわれたら高齢化社会の脱落者になる、でも60代以降病気になる人が多い、重篤なものになるともう急速に老いて普通の生活すらできなくなる、そういう人も近くにいる
そして死ぬ人も次々にでてくる、高齢化社会をのりきることは健康の面でも容易ではないなんらかどうしても体が弱ってくるからだ
ただ高齢化に備えるといってもむずかしいものがある。
人生そのものの積み重ねたものが結果として現れるのが健康面である程度そうであり精神面でもそうである。
だから老人になってから何かできるとか変わることができないのである。

老人にとって金があることも大事である。でも金だけではない意外と暇の問題がある。
高齢化社会とは暇が時間が増えるということである。
それは予測されていないしそれに備えることも簡単にできない
なぜなら趣味でも何でも人間はこれまで生きた延長としてしか生きられないからである。知識だって凡人は積み重ねであり何かを積み重ねて行けば詳しくなれる
それをしてないものはすぐに何か年取ったから理解するようにはならない
ただそうして積み重ねてきたものがあると老人になると理解が深まる
なんか自分は詩でも理解できないが今になると深く理解できる
芸術そのものが何でも理解する、鑑賞すること自体がむずかしいのである。

退職すると暇になりその暇になることが意外と苦しむ、それがボケに通じることもあるかもしれない、駅に毎日行っていると近くの人が自動販売機のジュースを飲みにくる、その人は80近いのか年齢はわからない、目がとろんとして反応が悪い、目が死んでいるのだ。こういう人はボケてくのかという不安がある
そして今なぜシニアのボランティアが人気になるかというとシニアは暇であり生きがいを探しているのである。そういう人が本当に多いのである。
でもボランティアも簡単に誰にでもできるものではない、その人の向いたものではないと長続きしないだろう。
でも何か生きがいがないと老人は目も死んでだんだん生きながら廃人のようになる恐怖がある。だから老後は生きがいが意外と大事である。
それは金でも得られないものである。生きがいを簡単に金では買いないからである。

金にならなくても何か生きがいをもつ必要がある。知り合いの女性は農業が好きだから小さな畑でしている、それは農家の出でありその人は農業が好きだからしている
金にもならないしかえって金がかかっているのである。
でもそれでも生きがいとしてはいい、自分が駅に行ってボランティアしているのもそうである。これは別に無人駅でも困らないがでも何か用がありしている
駅は実際にかかわると本当に不思議な場所であり様々な人が人生が交差する場であることを発見したのである。
つまり老後になっても新しく発見することがある、それはボランティアでもそうである。ボランティアを通じて発見するものがある、人との交わりから得られるものがある
老後は利益を追求するより生きがいを追求することになるからだ

自分も介護しているとき関心が介護する人に向く、ひどいのになると24時間も介護する人につききりになる、それは肉体的なものだけではなく、精神的に常に介護する人に向けられていたことにきづいた、今は関心がいろいろな方向に向くようになることになってわかった、だから介護というのは社会からも隔絶されるし社会との関わりもなくなってしまう危険がある。介護はだから相当な労力の無駄にもなる
自分の場合は介護することがカルマだと自覚していたからしていた
それにしても十年となると長かったなとなる、十年一昔になるからだ
この介護の問題も高齢化社会の大きな課題である、介護殺人が次々に起きていることでもわかる、老後が介護になったときその介護でエネルギーを消耗してしまうことにもなる
すると老後の時間を有効に活かせないのである。

生きがいがないというときそれがボケに通じることが怖いのである。
自分の家族の一人は退職してから何もしていない、食事すら用意するものがいてしていない、そのうちボケたのはそういう原因もあったことは確かである。
一人は100歳まで生きたが確かに寝たきりになってからはボケていたがそれまではボケなかったのである。
それは火事を93才頃までしていたからである。趣味もなにもない女性だったけど家事をしていたからボケなかったのかとなる
一方食事を用意されていた何もしない女性はボケたのである。
田から一見働いている人がひどいな苦しいなと見るが何もしないで与えられた人が実はボケたから見方が変わる
つまり生きがいがないという今年後とがなくなることそれがボケに通じるから怖いのである。

駅で目が死んでいる、ぼやーとしている老人はもう死んでいるのかもしれない、そういう老人も多くなっているかもしれない、暇だから南相馬市のパークゴルフ場に百人もいたのには驚いた、この辺は他より10パーセント老人が多いからである。
ただ若い人は駅では会う、子供にも会う、駅は世代間でもそうだがいろいろな人が出入りして会う場所なことに気づいたのである。
今は病院だったらほとんど老人である、子供は学校であり、仕事している人は会社でありみんなばらばらでありそうした人たちとは会わないでも駅ではそういう様々な人が交差しているのである。
だから駅は意外と面白い場所だなと気づいたのである。
だから介護が終わったから駅のボランティアは面白いことに気づいてしている

自分は他にいろいろしているがパソコンの抽象画も発見したことである。これもありえないようなことである。これが芸術なのかともなるがやはりパソコンから生れた芸術なのである。絵が描けなくても絵を楽しめるからだ、これもパソコンをしていたからできたことである。
つまり人間は年をとっても新しいものを発見することができる、また発見することが大事なのである。それは人によって違うものになる
なんか自分は鉄道の旅が長いから鉄道に思い入れがある。

でも鉄道を利用してただ乗客になっているのと駅でボランティアしているのとは全く違ったものだった、だからこれも不思議だった、人間は何でもそうだけどサービスを提供するものと受けるものとは違う、サービスを与えるものは奴隷だとなるがでも与える方でも学ぶものがある、与えられているだけでは社会のことも何もわからないのてある。
いづれにしろ老後の問題はすでに若いときからはじまっているから備えることがむずかしい、金は備えても今度は老後をどうすごすかとなると用意はできないからだ
ただ健康などもある程度備えることができる
自分の場合は学校にも社会にも適合できない、でもそうして自由にしていたから運動をかなりしていてそれが良かったのかとなる、デスクワークなどばかりしていたら体に悪い
からだ

いづれにし老後に備えるとしても金だけではない、今50代でも未婚率が異常に高くなっているとかありこういう人は自分と同じように老後に備えていないのである。
自分がそのことを書いたけど本当に家族がないことがいかに悲惨なことになるか
それを予測していないからのんびりしているのである。
病気なにったらもう地獄である。介護になってもそうである。
頼るものがない、頼るのは誰もいない、そして自分が書いたように頼った人は金しか求めない、病気の時もそうであり介護でもそうである。その時どういうことになるのか?
それは本当にそら恐ろしいことなのである。

ただ人間はとてもあらゆることに老後に備えることはできない、何かしら欠けてくる
だから高齢化社会をのりきることはいかに大変なことかわかる
しかしそれがみんなに課せられている時代なのである。
高齢化社会は確かに負の面も大きいのだけどもし人類がこの課題をのりきれば大きな進歩なことは確かである、それがプラスに作用すれば人類の大きな進歩になる
なぜならそれは何か技術的なものではなく精神的な面が大きいからである。
生きがいを求めるということもそうである。それは金だげではない、精神的な要素が大きいからである。

2017年05月08日

山の変容(abstract pictures-many transformed mountains)


山の変容(abstract pictures-many transformed mountains) 


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a brige on the height of mountain

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a mysterious fortress(謎の要塞)


これらの山々の変化は一つのパタ-ン化したソフトの使い方でできる
それは創作とも違う、ただソフトでそうなるようにできているからだ
だからソフトの使い方を知ればいくらでもできるとなる

山というのは普通はこんなものと普通は見ていないし見れない、でもこういう山の変化があるのもしれない、それを実際の山では見れないのかもしれない
光の加減でそういう変化が起きているけど山はそんなに見ることができない
それで不思議だとなる

When it is possible plenty if I know how to use software because it which it is possible for by how to use software that the change of these mountains became one puttered is the body which there is to be only soft, and to be so which is different from the creation, it is

Though such a change is up in the trick of the light which may not watch it which it does not become known to that but there is the change of such a mountain not to usually consider that mountains do not usually come, and not to be able to watch in the real mountain, in the mountain, it is in it which I cannot watch so if mysterious

なぜ原発事故で若い人は流出したのか? (郷土愛が希薄化した結果?)


なぜ原発事故で若い人は流出したのか?

(郷土愛が希薄化した結果?)

そこがどんなに寒く、どんなに乾燥し、どんなに湿潤な土地であろうともいやなのもはそこを去りそこを愛するものだけがそこに残って作った共同体を愛するものである。それが郷土愛であり祖国愛の源流だろう。

風土と郷土愛-藤井昭二


●自然環境(真善美)

●風土性

●家族(愛)

●郷土の人間関係(協力関係)

●豊かな暮らし(利便性)


この人の考察では自然条件がどんなに厳しくてもそこに人間は住んでいる、黄土高原のヤオトンなどもそうである。草木も生えていないような所に良く住んでいられるとなる
砂漠に住む人でもシベリアでも自然条件の厳しい所に人は住んでいる
そこに住んでいるのはその土地を愛しているというよりそこに住まざるをえないからだろう。

自然環境とか風土性で培われるものがある。それが文化文明を作ったというのもそうである。宗教でも一神教が生れたのは砂漠からである、それはイスラムでも共通している
世界を見ると日本のように山が木で覆われているのは少ない、木もない山も多い、
砂漠の山などもそうである。シナイ山といわれる所も木がない岩山である。
だから住むには厳しいとなる、日本ではそういう点では恵まれている

風土性は人間に大きく影響する、福島県でもハマ、ナカ、アイズでまるっきり風土が違う気候が全く違っている、福島市とかは夏は盆地で暑いからいやだとなる
阿武隈高原を越えると涼しい風が海から吹いてきてほっとした。
何か熱風の中から出てきた感じにもなった。
だから福島市には住みたくないし他にも会津も冬になると雪に埋もれるから住みたくない浜通りのいい点は寒からず暑からずなことである。
だから天候からすれば浜通りは老後のおすすめの場所であり浜通りに住みたいという人はいたし現実にいたのである。
老後を会津とか北海道を選ぶのは気候の厳しさを知らないからだとなる
体の弱い人は住めない、老人には住みにくいとなる
ただそこに住んでいる人はその風土に慣れているから住めるともなる

そもそもその土地が悪条件でも住むというとき郷土愛の前に家族愛というのは誰でももっているから家族がいれば住むとなる、ただ家族に冷たくされたというとき故郷に帰りたくないという人もいる、駅では東京などに出て行った人が女性でも帰ってくる、その時なつかしいとなるときまず家族に両親とかに会えることなのである。
駅では母親が待っていたりするからである。
自分も郷土愛というとき家族がいて家族の元に帰れるということであった
自然とか郷土の人間関係など全く関係なかったのである。
自然とか考えるようになったのはその後のことである。
自分は都会は向いていなかったからである。人ごみとか騒音の環境を嫌悪することがあったからだ

だから今原発事故で郷土から流出した若い人々は飯館村などでも回りの監視状態の人間関係から離れて福島市とか都会で暮らす方がいいとなっている
田舎の人間関係は相互監視状態になっていて窮屈なのである。
そして今は田舎でもみんな農民ではないから共同性も希薄化している
そうなると家族愛となると別に郷土にあるわけではない、どこに住んでも家族が入れば家族愛があるから郷土にこだわる必要がない
むしろ現代は豊かな暮らし利便性が優先されるとなる

だから石川啄木があれほど望郷になったのか不思議だとなる、それほど田舎で暮らしている人に自然への思いはない、自然の美にしても普通の人は農民でも意識しない
むしろ農民だったら苦労だけを言う、ただ自分のように外から見ていると楽だから自然の中に暮らしていることはいいとなる
現代は特に郷土と結びつけるものが希薄化している、だから原発事故で放射能問題があっても若い人たちはこれを契機にかえって流出したのかとなる
ただ老人は郷土に愛着があり残ったとなる
だから自然条件の厳しい所に住んでいるのは郷土愛とは限らないのである。
郷土を嫌っていてもしかたなくいるという人も多いのである。
それよりそういう外の世界を知らない時代はそこに住むほかないとなる

自分が自然環境を重んじるというとき自然の中にロゴスを形成する、アイディンティティ化するものとして追求してきた。そこに精神の調和と形成を求めてきた。
東京とかなると完全にロゴスは崩壊している、無秩序の世界、混沌の世界でありそこに精神の安定はえられない、だから良くあんなところに正常でいられるなと思う
そこに住むことができること自体異常になっているのかとも思うのである。

いづれにしろこの辺で原発を誘致したのも利便性でり豊かな暮らしをしたいためである。郷土愛というより利便性とか豊かさを求めることが強かったのである
逆に山尾三省の不思議は異常に自然環境、風土性を求めていたのである。
それを自ら実践したのである、なんでそこでするのか?
それは演技であり貧乏をショー化するようにも見えたのである。
何か現代はかえって不自然に見えてしまっていたのである。
田舎でも山尾三省のような人はいない、みんな利便性と豊かさを求めている
だから原発事故で放射能の被害もあるがそれだけではない利便性と豊かさを求めてまた田舎の人間関係のわずらわしさを嫌ってこの際都会に出た方がいいともなったともいえる
つまりすべてが原発事故が原因だったとはならないのである。
郷土愛が希薄化した結果として流出したともなる
もし山尾三省のような人がいたらそうはならなかったことは確かだからである。

つまりいい家をもちたい、いい車をもちたい、うまもいものを食べたい、・・・
そうした欲望が限りなくありそうなった、立派な家を借金してまで建てているとか
いい車に乗っているとか漁師は原発の補償金で事故前からぜいたくしていたし原発御殿と言われる家を建てていたり何か欲望のためには何でもするともなっていたのである。
それは別に漁師だけではないみんなそうだったのてある。それが現代の生活でありどこでも同じである。
ある人は見栄のために事業を成功していたとか装っていたけど借金していたのである。
借金してまで自分を良く見せる、そのためにはどんなことでもするというのが現状なのである。
お前も同じじゃないかといえばうまいものは食べたいというのはそうである。
でも家はあるし車はもっていないからそういう贅沢は求めていない
だから山尾三省と比べるとあまりにも違いすぎるのである。
ただパンが贅沢だとなると誰も今の世の中には受け入れられないのである。

山に還る
その山がたとえチェルノブエリの灰に汚染されているとしても
わたくしには他に還るところがないのだから

この人の不思議は別に原子力発電とか放射能の被害にあったように書いているのだ
老人はまさにこういう心境だから故郷に帰りたいとなっているのだ
若い人たちはそうはならない、若い母親だったら放射能の怖さが優先される
そこに世代が分離して老人だけが故郷に取り残されたとなったのである。


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2017年05月07日

庭の石の意味するもの(詩) (震災以後変化した街の様子)


庭の石の意味するもの(詩)

(震災以後変化した街の様子)
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これは原町だけどこの石は大きいし貫祿がありいい石である。
石にも個性がある、この石は見ていると心も落ち着く
これも新しく建った家のなである

庭の石の意味するもの

一つの石が据えられる
動かぬ石が据えられる
それはこの土地に生きる標
そして庭に花が咲く
赤いつつじが燃えるように咲く
その石の陰にひっそりと咲く
冬の貴婦人は目だたずに
また新しい家が建ち
ここに住む人がいてシャガの花が咲く
一つの石は定着する意志
ここに生きようとする意志
ここに根を張る意志
木を植えるのもまた同じ
土地に根を張り育ち花が咲く
人のいない空家に残る石
その石が淋しいのは
そこに生きる人がいなくなり
そこに人の生きる意志がなくなったから

庭というときその意味するものは何か?それはやはり思想がある。
庭作りするとき必ず石をすえるとき石は何を意味しているのか?
石は定着するその土地に生きようとする意志なのである。

この辺で不思議なのは次々に新しい家が建ち人が移ってくる
その人たちはここに前から住んでいる人ではないだろう
いくら津浪の被害があってもこんなに家が建てられないからである。
アパートに大東建託もまだ建てられている、15棟くらいある。
これにも驚きである。そんなに入る人がいるのかとなるからだ
いわきナンバーが多いときやはり浪江とか大熊とかでも移ってきている人がいるからだろう。復興住宅も浪江の人がほとんどだからである。

仮設になると庭もないしそこに仮りにいるというだけになる、でも一軒の家を建て庭に石をすえるとここに定着して住むとみる
だからこうして新しい家を見ているのが不思議だとなる
この辺はほとんど変わらない町だったからである。
いつまでも西町の70坪700万円の土地は売れていなかったのである。
それがたちまちに一つの新しい街に変貌したのである。

一方で小高区とか浪江町でもそこは家が空家になり人が住まなくなった
人が住まないと家も死んでゆくし街も死んでゆく
それは近くに人が住まなくなった家がある、その庭は結構いい庭なのである。
でもその石を見ているとなんとも淋しいのである。
石が淋しく感じるというのも不思議である。
つまり庭に据えられた石は人間になっていたのである。
それは自然の石とはまた違っていたのである。
だから人が住まなくなったとき余計に淋しものを感じたのである。
あそこの家は時々帰ってきてはいるから何なのかわからない
連休には車で帰ってきていたが日頃は誰も住んでいない空家である
だから完全に空家ともいえないのかもしれない。

ともかくこの辺の不思議は原町とか鹿島にはこうして新しい家が次々に建っている
原町は広いからもっと建っているだろう。復興住宅でも規模が桁違いだとなる
だから人口は南相馬市で6万くらいになっていても減っていても実際の人口は違う、
まだ除染でも工事関係者も来ているし外から浪江からなど入って来た人か多いから
一万くらいは南相馬市の人口になっていない、だから7万くらいあった元の人口とさほど変わらないかもしれないのである。
鹿島区になると人口も一万となるとさほど変わりないしスーパーも二つできて良くなっている
コモドインなどホテルも小池にできたことは何か都会化したなと思う
一万といっても外からきて住民登録していな人がかなりいるとなると1万より1000人なのかわからないが多くなっている
やはり人口でその市町村の規模を見るとわかりやすい。

とにかくこんなに大きな変化を経験することはなかなかないことだろう。
小高とか浪江とか避難区域になったところはこの逆であり極端な変化になった
家が空家だらけで街がゴーストタウンのようになっている
その差が大きすぎるのである。だから原町とか鹿島とか相馬市でも新地でも金のある人は家を建てているのである。
するとますます小高とか浪江とかに帰らない人が多くなる
何かそういう大きな変化にとまどってしまう。
ただ原町とか鹿島は避難区域となったところとは違い今は街自体は影響を受けていないのである。




2017年05月06日

つつじ(原町のユッサは本物の温泉だった) 増えた新築の家に花が咲く


つつじ(原町のユッサは本物の温泉だった)


増えた新築の家に花が咲く

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ユッサの庭-クリック拡大

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冬の貴婦人




石すえてつつじ燃ゆるやユッサかな


新しき住まいを得てそ住み着くやシャガの花咲き通う道かな

藤の花緋色の牡丹蔵ありし昔栄し街中の家

石により冬の貴婦人淋しきを星型の花回りに咲きぬ


原町のユッサは本物の温泉だった、この辺では温泉は湧かないからただ普通の水だと思っていた。となるとあの温泉はこの辺では貴重だとなる
この辺には温泉はないからだ。湯本から北はない。
それで今度できる新地の駅前の温泉も価値がある。
あれはまだ工事はじまらないからいつできるかわからない
ともかく本物の温泉にはこの辺では入れない、それで700円とか高くなっていたのである

庭にツツジが赤く新緑だった、あそこの庭ももっと見栄えのいいものにするといい
今回はつつじが咲いてそれが温泉とあっていたのである。
それが本物の温泉だということで価値が生れた
すいたときに入ってみてもいい、自分はあそこでは入ったことがない
700円は高いと思ったのである。でもこの辺では本物の温泉は近くで入れないから価値がある。

鹿島区の街中に白藤が咲いて緋色の牡丹が咲いた、その家に蔵があるということは古い家で昔栄えた家もしれない、一方でこの辺では新しい住宅地が広がった
ダイユーエートの近くにも新しい住宅地が生れた、それは比較的安い建て売りである。
2300万円とかで売り出している、それでも日本の家は高すぎるのである。

今家建ててるなんちゃらホームもほとんどアブナイんやで上物で3000万なら 
純利益は1000万こえるんやでボウズ丸儲けなんや

これは本当かどうかわからないけどこうした内部情報というか実際にたずさわった人が言うとき信憑性がでてくる、そんなにもうけるから日本の家は高いとなる
ただ建て売りは土地こみだから高くなる、あそこの土地は500万くらいしていたからだ
するとそれほど高いとは言えない、他は高級住宅街となった、三つくらいそういう街が生れた

そこにシャガの花が咲くというとき街として見るとまた不思議に感じる
シャガの花は山の村のようなところに咲くのがあっていると思ったからである。
でも街の中に咲いてもそれなりの情緒が生れていた
仮設にはやはり庭でも何でも仮の宿で落ち着かないしにあわない
でも一旦庭ある家に住むと落ち着いてここに住み暮らすんだなとみる

なんか毎日街を回りを見て歩く、遠くに旅しないと回りを良くみる
白藤に緋色の牡丹が咲いていた家は古い家なのだろう
蔵がある家は古い家である。街中にはあまりないからである。
なんらか昔なら街中でも栄えていた家があっても不思議ではない

いづれにしろこれだけ新しい家ができたことの変化もまた驚きである。
この辺はほとんど変化がない世界だったからである。
西町の70坪700万円の土地が売られていたがいつまでも売れることもなかった
それが次々に新しい家が建ち新しい街ができてゆくことには驚きである。
それは別に悪いことではない、特にいい庭に花が咲いていると鑑賞できるからいいのである。つまり家でも庭が整備されてきれいであり花が咲いていると街全体の美観が良くなるのである。
街中でも郊外でも今の時期は花めぐりするのがいい、今が一番花が映える季節だからである。

2017年05月05日

報道がなぜ面白がることになるのか? (他人の苦しみを知らないし理解できないから)


報道がなぜ面白がることになるのか?

(他人の苦しみを知らないし理解できないから)

みんなが記者になるインターネットの時代
 (現場の被害よりいい写真をとることに夢中になる)

ここで書いたようなことがなぜ起きたのか?マスコミでは常にそうしている
報道は娯楽である。他人の不幸を蜜の味であり楽しみとか気晴らしにすぎない
それが実際は個人的でもそうだったのである。

津浪に追われているのを写真にとる、ビデオにとることに夢中になる
その津浪に追われている人の恐怖がどれほどのものだったのか?
そんなこと関係なく写真をビデオとることに夢中になっていたのである。

それは自分でもそうだった、八沢浦が美しく入江として蘇ったと写真をだしたとき
泥の中から幼児をほりだしたのを知らないのかと言われたのもそうである。
何が美しい入江が蘇ったのかそんなこと報告できるなとなる

ただ別には自分は面白がっているわけでもなかった、自分自身がその時身体障害者になっていたからその写真をとるにも苦しい状態にあった
でもなぜそんなことをしたのか?それはあまりにもありえない光景でありそれは本当に美しい光景だったからそうなった
でもそこに一軒くらい家が浮いていたのである。

ともかく他人が生きる死ぬかの時、写真やビデオを撮ろうとしているのは異常になる
でも新聞記者だったらテレビの記者でもそういうインパクトのある写真を出して視聴率をかせぎたいとなり撮る、困った人のことなどのことを考慮しないで取材している
相手は悲しみ最中にあってもそうである。

これは個人間でも起きているのだ、人間は相手が苦しんでいても普通は無関心である。
自分が介護とか病気になって苦しんでいても無関心だった、ふりかえると相手に対しても自分もそうだった、ある人は金がなくて苦しんでいたけどそんなことも無関心である。
金がある人は相手が金がないとういことを理解しないである。
いくらでも金なんかあるじゃないかとなっているのである。
健康な人は病気の人を理解しないのである。
そんなに苦しいの私は何の苦しみもないからわからないとかなる

そして自分の場合は自分が苦しんでいる、弱者になったことをいいことに責められたのである。弱者になると借金を請求するのにも好都合だしてたいしたこともしないのに恩をきせることもできる、相手が苦しみ弱くなったことは全く考慮しない、それは弱肉強食の世界だった、弱ったものが餌食になる、それを経験したのである。

なぜそういうことが根本的に起きてくるのか?
人間は相手の苦しみを知らないし感じないからである。
その人は実際は介護十年していたのである。ところが自分もその後介護十年していた。
その人は前から介護して苦しんでいた、自分は知らなかったのである。
だから自分のことも全く無関心だったのである。
その事情を知って互いに苦しいことがわかったのである。

ともかくマスコミなどは悲惨なことを毎日報道しているがそれはただ視聴率をかせぐためであり金儲けのためである。その報道する人が会社がなにがしかの痛みをともなうなら別である。そんなことは何にもない、視聴者に他人の苦しみを見せて視聴率をかせぐだけだとなる、ただ危険な所で写真をとったりすると命懸けだとなり命懸けで伝えたいものがあるのかともなる

人間は普通他人の苦しみを知らないで生活しているのである。
自分の前に人が苦しんで倒れたりしたらこの人は苦しんでいるから救急車を呼ぼうとかなるが普通は知らないのである。
だって人は毎日死んでいるしまた死んだのくらいしか他人の死はならない、それが家族の死だったらそうはならない、他人だったらそんなものなのである。
ましてや他人の苦しみを知ることは本当にむずかしい

俺は今一億円の借金で困っているんだよと言われても他人だったらそれは大変ですねとかで終わりである。でもそういう人が困っている人がいることが本当に他人に影響する時
その怖さがわかる、そういうことは常に推理ドラマでやっている
犯罪の殺人の動機でも借金が必ずからんでくるからである。
そういう人とつきあったりしたらそういう危険なことになりやすい、自分がそうされたから身をもって知ったからである。

結局人間は相手の苦しみのことがわからない、相手が貧乏であれそんなこと金がある人はわからない、それは怠けていて自己責任だとなる、そういう面もあるが働いても働いても金にならない人もいる
でも金のある人にとって貧乏人のことなど知らないし関係ないのである。
ただその貧乏人が金持ちを襲ったり殺人までなったりするとき相手のことをもう一生忘れないようになるのである。

マスコミの報道でも遠くだったら影響がないから面白がるだけである。
連続殺人あった、九州か遠いなとかなりなんだろうと一時なるが後は忘れるだけだからである。でもそれが近くだったら恐怖になるのである。
シリアであれだけ悲惨なことがあっても面白い光景だとかなる
ところが北朝鮮からミサイルが飛んでくるとなるとまるで違ったものとなる
ドラマでもそれがドラマだから自分の身が痛まないから面白がっていられる
現実に自分の見に危険が及んだり苦しめられたら面白がっていられないからである。

要するに人間は自分が苦しまないかぎり他人の苦しみにも無関心である。
だから健康であり金があり困ることがないと他人には無関心になる
でも自分が苦しむ立場になるとこんなに苦しいのに誰も同情してくれないのかとなる
なぜ無関心なのかとみんななっているのである。

インターネットでみんな記者になるときやはりマスコミと同じになっていたのもそうである。衝撃的な写真をとれば大勢の人にみてもらえる、そしたら広告でも稼げるとなればマスコミと同じだからである。
そして普通では人間は相手の苦しみを知らないし理解もしない
ただ衝撃的な写真をとることに夢中になっていたのである。

カルト宗教でも他人の苦しみは会員を増やす一票を獲得するチャンスであり同情などしていない、でも藁にもすがる思いで頼る人がいるから会員も増えるとなる
弱者になると信じられないことでも信じやすくなるのである。
そうした心理をついて魔の手が伸びてくるのである。
人間は確かにこのように悪質なものだけどそれは他人の苦しみを知らない理解できないことにあった、自分が健康であれば金があれば他人が病気であり金がないことも知らなかったり理解できないのである。

この辺の放射能問題でも他者からすると面白いとかなる、でも東京でも同じような被害を受けたらそうはならない、みんな恐怖におののくのである。
報道はだから地元から報道するのと離れた所から報道するのは違ってくる
関心の度合いが違ってくるからだ。
浪江の火事でも放射能物質が拡散するとか騒いだら近くでは注意するが他では面白がるということがある
実際に避難区域になったときゴーストタウンを見に行こうとかなり今でも来ているからだ

報道というときマスコミとか遠い所とか第三者の立場になるとただ面白がるということが起きる、でも実際に苦しんでいる人が報告すればそうはならない
自分は認知症の介護とか自分の病気とか他者から借金のために責められるとか大金を盗まれるかと苦しめられたことを書いた。
それは身をもって経験したことだからである。それはマスコミが報道するのとは違う、自分が痛みを受けたから違っていたのである。ただ誰にも同情はされなかったとはなる

何か痛みをともなわないと同情にはならない

寄付金でも自腹で出したり何か自分自身が痛みを覚えるとなると同情したことになる
その他は他人の苦しみは蜜の味になる、面白がっているだけだとなる

小池の墓地を見て帰る (コモドインの近く)


小池の墓地を見て帰る


(コモドインの近く)

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小池なる墓地の木陰に休みつつここに眠れる人し思いぬ

墓一つ倒れてありぬ参る人なきや我が見て街に帰りぬ

名前のみ墓標の八つここに生く人のありしも誰がかえりみるかも

白藤のさわに咲きにき小池にそ住む人あれやひそかすぎゆく


墓地と桜

一つの墓地に花は散りにきあわれかな
ここに眠れる人は誰なれや
生きてあるとき華やかなる時もあれ
たちまちに花は散りにき
そして墓に入りにつ語らざるかな
かく時の移りは早しかも
いづれはみな墓の中なり
墓に入れば騒がずや
花はみな散りにけるかな
月こそいでてここに眠れる


小池のコモドインの近くに墓地がある、結構広い墓地である。小池で何か見るのかというとき外から来た人は古墳を見てきたという、鹿島区だと古墳が目立つから見るようになるあとは撮り鉄であり鹿島駅とかは古いものだから撮ってゆく、他にも小高ともありその人たちは仙台から車できて写真を撮ってゆくのも変だった
鉄道マニアだったら電車に乗るべきだからである。
ただ写真をとるとなると場所が問題になるから車で来ていたとなる

古墳も墓だとすると自分が小池で見るものはなにかとなると墓だけだとなる
小池の墓地は桜の木があっていい場所だった、墓地も広い
嘉永とかあったから江戸時代からあった墓である。田舎の墓はたいがい江戸時代からつづいている墓である。鹿島区の街中にある墓地でもそうである。

倒れた墓がありあれは誰もお参りもしない墓になった、墓はそれでもかたづけるわけでもなく残っている、個人墓であり姓と名前が記されている、古い墓は個人墓であり夫婦墓が多い、他に八つくらい道標がありそこには名前だけが記されている
そういう墓は使用人なのか?それとも兄弟なのか姉妹なのかわからない
そういう墓はどこにでもある

墓になぜひかれるのか?それがやはり人間の無常を示しているからである。
でももしその人が生きていて出会っていたらいい感じがしないとういことはある
死んでみてなにかあわれだとなる、人間は死んでみると本当にはかない
最近近くで十年介護していた夫が死んだ、それも生きている時は長いが死んでみるとつくづくみんなあっけないなと思う
最後は墓になってわずかに名前が記されていても省みる人もなくなるのである。

小池の墓地がある所は工場もある、ただ何を見るかとなると墓なのである。
それは古墳でもそうである。この墓に興味をもったのはコモドインに食事に来るようになってからである。つまり何かに興味を持つのは意外とただ昔だけではない、今が関係している、コモドインという所でランチを食べに来ているとあの墓地を通るから関心をもつようになるからである。だから山奥になるとなかなか行けないから日常的には関心をもてないのである。


あっけない死

近くにまた人が死ぬ
あっけなくころんりん
ええ、あの人が死んだ
あっけなくころんりん
同じ年だった
もう還らぬ人
あっけなくころんりん
死んだらみんなあっけない
あんなに気丈夫な人も
あっけなくころんりん
病気と老いと死には誰も勝てない
こんなにあっけないのか
今や老いれば次々に死んでゆくだけ
あっけなくころんりん
死んで何を残すのか
何にも浮かばない
泡のように消えただけ

人間は死んでみるとみんなこんなものになることの不思議である。
死ぬまで大騒ぎしても死んだとたんにこんなにあっけないのかとなる



2017年05月04日

ダムとか溜池とか湖に堆積したセシウムの謎 除染しても放射線量が減らないから困る


ダムとか溜池とか湖に堆積したセシウムの謎


除染しても放射線量が減らないから困る

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溜池の除染作業

よほど郡山の市街地にある某公園の方が高いね。 
そこは池の水位が下がると3マイクロまで上がるし。

汚染された木が広葉樹なら1年で葉は落ちてしまうから汚染されているのは樹皮のみ 
針葉樹なら5-6年で葉が入れ替わるからやはり汚染されているのは樹皮のみ 
山火事で落ち葉が燃えても拡散しない

湖は森林とは違うよ。 
キミは福島の森林が年々セシウム濃度が下がって、湖等が上がってること知らないのか?

日本は世界でも最も降雨の多い地域で、通過する温帯性低気圧(台風等含む)で、放射性セシウムが洗い流されて土壌に染み込んだり、懸濁流水となって、湖沼河川へと集積されている。 
樹木植物に蓄積されている放射性セシウムは主に根茎に集まるので、火災にさらされることの方が希。 
土中には酸素が無いので根茎は燃えない。 


ダムの底には相当量のセシウムが堆積しているはず 
ダムは流れ込む土砂を定期的に浚渫しないといけないし、 
放射性物質が含まれているとなると、それも考慮しないといけなくなる 
福島県内のダムはどうしているのだろう


環境省はダムは管轄外。 
国土交通省はダムの汚染状況を調査中。 
小型のダムである農業用ため池は、農水省と福島県で調査した汚染状況の結果をHPで公表している。 
この結果を踏まえて、2017年度から本格的な除染を既に始めている。 
それまでは各地で実証実験を行い、湖沼の除染技術の確立していた。

ただし、流域面積(集水域)である森林の除染を行っていないので、降雨の度に放射性セシウムが染み込んだ表土が、懸濁水となって流出し、折角除染した湖沼でも3年で元に戻ってしまうことが、先の実証実験で明白になっている。

ベラルーシ国立土壌研究所グループの調査で粘土分が少ない土の場合、 
土壌汚染の15倍もの放射性物質が牧草に蓄積されることが分かっていた。


科学に弱くてもこの辺では放射能のことを考えざるを得ない、文系でも理解しようとする的外れなことあるが事故周辺に住んでいると実際に回りの放射線量を計測しているから他の人より理解するということはある
これは2ちゃんねるの論議だからいいかげんなことはあるだろう。
ただあれでもヒントにはなる、あまり専門的になると手も足もでないとなるからだ

浪江で火事があってあそこは避難困難区域だから相当に放射線量が高い、飯館村で木の樹皮は3マイクロシーベルト4年前頃はあった。今は減っているただ山林の中も今も3マイクロシーベルある。
この辺で一番気にしているのは真野ダムの放射線の汚染である。水を利用しているからそうなる、だから飲み水はペットボトルになる、相馬市でもそうである。
するとペットボトル代くらいの補償は継続的にしてくれともなる

自分は溜池で除染しているのを見た、泥と水を分けている作業をしていた

ダムの底には相当量のセシウムが堆積しているはず 
ダムは流れ込む土砂を定期的に浚渫しないといけないし、 
放射性物質が含まれているとなると、それも考慮しないといけなくなる 
福島県内のダムはどうしているのだろう

ただし、流域面積(集水域)である森林の除染を行っていないので、降雨の度に放射性セシウムが染み込んだ表土が、懸濁水となって流出し、折角除染した湖沼でも3年で元に戻ってしまうことが、先の実証実験で明白になっている

実験してダムや溜池や湖の除染をはじめている、小池で見たからそれがそうである。
でもこのようにまた回りからセシウムのついた泥が流れてくるから同じだとなると何か除染も徒労だという感じになる
そしてその回りの森の領域が広いからその泥の流出をとめることができないのである。
だからダムでも溜池でも湖でもセシウムが泥が堆積されているから放射線量は上がっている、それは上が水で覆われているから放射線量を水でさえぎるから上がらないだけであるそれは原子炉を冷やしているのと同じ理屈である。

水を取り除いたらセシウムのついた泥の放射線量が高くなっている

家根から流れだしたセシウムは樋で高くなったと同じ

溜池とか湖でもダムでも泥は計れない、でもその水が取り除かれたときかえって放射線量は上がっているというのは怖いことである。
その溜池でもダムでも湖でも除染してもまた回りから泥が流れてくるのだから無駄というときそんなことに金かけて除染していいのかともなる
つまり除染は何か森や山林地帯では効果がないのではないか?
そこには常に泥が流れてきてたまりやすいからである。

浪江で火事では確かに樹皮は飯館村の佐須で3マイクロシーベルとあった、一部にホットスポットがあり20マイクロをこえていたところがあったので驚いた
その泥は確実に真野ダムに流れているのである。

これから政府で溜池とか沼とかダムとかの除染をしようにもできるのかとなる
確かにそうはいっても森自体が広すぎて汚染できないときセシウムのついた泥を取り除けば山林の放射線量は減ってゆくことは確かである。
でもそれは果てしない労役を課されることになる、そのカルマをとりのぞくには半減する30年とかともなり嫌になるだろう。
それが放射能被害の過酷さだったのである。

浪江の火事では樹皮は汚染されたが

汚染された木が広葉樹なら1年で葉は落ちてしまうから汚染されているのは樹皮のみ 
針葉樹なら5-6年で葉が入れ替わるからやはり汚染されているのは樹皮のみ 
山火事で落ち葉が燃えても拡散しない

樹皮は4年前頃3マイクロシーベル汚染されていた、これは自分で計測したから覚えている放射性物質が拡散するかしないかは議論されている
たいした影響もないのかあるのかまたわからなくなるのである。



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駅員の仕事 人は勤める場所に愛着をもつ


駅員の仕事

人は勤める場所に愛着をもつ


昨日は原町から来た駅員が反吐をはいたのを掃除していた。
ということはこの人は迷惑をかけたのである。
しかし謝ってもいないだろう。
迷惑かけたということを意識しないだろう。
それは掃除している人を見ないからである。
ゴミを駅になげていた人もいた、自分はそれをかたづけた
ゴミをなげる人はそのことを知らない
世の中はそういうことが多いかもしれない
誰かがその後始末をしている

駅はいろいろと機械類とかも整備しているしこの前は盲人用の歩くブロックを直していたいろいろみるべきもきがある。雪かきも冬にはしていた
駅を整備することにはそれだけまた労力がそそがれているということでもある
自分はつばめが糞をしたので窓を掃除した
掃除というのが仕事として家と同じようにある

昨日は連休で遠くから来た人がいた、一人は車できて見送りしたのか、鉄道は利用しなかった。それでも駅前は車でも利用されている
何でも駅員が言うには仙台まで乗車客が3倍に増えたという
それはいつも駅で行く先を聞くと仙台を行き来している人が必ずいるのである。
この辺では外部から来る人がまだいる、それで仙台まで行く人が増えている

駅は鉄道だけではない、駅前とか街とも密接に関係している
駅が街の玄関口だというとき駅からその街に入るから玄関の印象は大事だとなる
だから美観も大事になる、花とか木でも植えてあると憩いの場所になる
だから八重桜を虫が来るとか駅前の住民がJRの職員に切らせたことは納得できないのである

無人駅になる小説

駅への愛着をライトノーベルにしている、掃除することはその駅に愛着ができる。
人間はその勤め先には愛着を持つ、ただ不思議なのは自動化して無人駅になるとそこには人がいないから愛着をもつ人がいなとかなる
そういう駅は人間的なものが消失して無味乾燥になってしまうだろう。
確かに人がいなくても困らないかもしれない、でもそこには人間的なものが人間臭さがなくなる、そういう駅に来た人も何か淋しとかなるかもしれない、無人駅だとこの街は寂れていると感じるというのもそうかもしれない

駅は何か人間的な場所だった、その一つの原因として駅は待つことにあった
待っているからこそ短い時間でも自然な会話が生まれる、話したくない人もいる
撮り鉄とかはそうである。写真とることだけを目的にしているから話しかけても会話はない、そういうネクラな人が多いということである。
もちろん自分もそうだったから人のことは言えない
何か自分は家族がなくなって一人になったとき淋しいから常に会話を求めるようになった家族がいないということは心境ががらりと変わる
妻が死んでがらんとした大きな家に一人いる人は二階には行かないというとき淋しくなるからだろう。こういう気持も一人になってみないとわからないのだ
なんか一人ということは人間にとって異常なことなのかもしれない、特に大きな家に住む人はそうなる

人間の生活は仕事はいろいろあるが駅員とか鉄道員という仕事もただ乗客になるのと鉄道員として働く勤めるのは全然違ったものである。
人間は仕事のことは実際に仕事してみないと理解できない、農民のことでも何でもそうである。仕事とは何なのか?それはただ月給ももらうことだけではない、仕事をもつことで得るものがある、だから豊になり働かなくてもいいとなっても人間は働くことを求める
生きがいを求めて働きたいとなる、それでシニアの大きな問題が生まれる
退職してから先が長いとなると暇になるからだ
今シニアで相当に暇に困っている人がいる、それでパークゴルフ場が繁盛しているのである。

何か高等な趣味はもちにくい、それは巣てに若いときからしていないと趣味でもてきない自分はこれまで鉄道の旅をずいぶんしたからJRには世話になったともなる
その時そんなことを考えもしなかった、何かしてもらっても感謝の気持もなかった
金やればいいじゃないかとしか思わなかったのである。
でも社会はそういうものじゃない、そこに勤める人がいて世話になっていたのである。

ともかく人間は農民でも何でもそうだけどその仕事をしてみないとその仕事から実感する見えるものがわからないのである。
もし本当に自然がなにか知りたかったら農業をしてみないとわからない。
それをしたのが山尾三省だったがパンも食べられない過酷なもので妻も自分も早死にしたのである。そこまではやりたくないのが自分であった。
体力がなくても長生きしているのは楽をしたからである。

駅の面白さはそこが外部と内部の接点になっているということもある。
内部の人ばかりとつきあっていると監視状態になる、四六時中見張られていると嘆く人が近くにいる、飯館村でもそういう監視状態が嫌で都会に出てそっちの方がいいと帰ってこない若い人がいるというのもわかるのだ。
駅だと外部への出口でもあることである。何かそこから自由になるという感覚になる
旅立つときはそうである。でもまた帰る場所でもある
東京辺りに出て故郷に帰ってくる人も多い、それはなつかしい家族との再会になる
ただ家族がなくなるとき待つ人がいないから淋しいとなるのだ。
だから今自分が旅しても帰ってきても誰も待つものがいないから嫌だなとなる
待つ人がいて自由に旅立つことができていたのである。
タグ:鉄道員 駅員

2017年05月03日

鹿島駅でJRの職員と話する 駅と地域の関わり(八重桜を切らせたのは住民だった)


鹿島駅でJRの職員と話する


駅と地域の関わり(八重桜を切らせたのは住民だった)

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ここは鉄塔が立って切られたとばかり思っていた
鉄塔が建ったことで風致的には悪くはなっていた

何本かあり他は切られている
この一本だけが切り株だけ残したようだ
駅の方の近くに咲いていた記憶があるからだ



今日駅に行ったら原町から来た駅員が階段を掃除していた、酒飲んで反吐をはいた人がいた、それで連絡があって掃除していた、
これは電車にのる人も嫌だから早めに掃除しないとまずいからである。

そこで八重桜を切ったのはもったいなかったと言ったらあれはこの辺の住民が虫がくるからと毛虫がその木から来る切ってくれと要望があり切ったんですと言っていた
それが本当なのと一瞬疑った、あの八重桜から虫が来るから住民がJRに抗議して切らせたそんなことができたのか、あの八重桜がある場所はJRの敷地内でありてっきり無線塔のようなものを建てたので邪魔で切らせたと思っていた
だから意外だった、でもそんなことできるのか?

確かにあそこの駅は市とか区とかで管理している、民営化になってJRは国鉄ではないのだからJRと市町村とで分けて考えるようになった
国鉄時代は国の管理だから市町村との関わりも密になる
JRは一つの私企業になったのだから自分たちの権限が強く主張できるとなる

でも駅となるとどうしても公共性が要求される、JRの勝手にはできない、それが住民が虫が来るからと八重桜を切らせたのは住民の要望に従ったとなる
それは悪い意味でそうさせられたとなる

そもそもなぜ駅前の住民がそんなことを要望して切らせたのかとなる
八重桜があり駅で電車を待っているときそれが自分の一つの思い出となって詩を書いたりした、それを駅前の住民が切らせたのは虫の被害からだったというのは意外だった
そしてそんなことができるのか、権限があるのかとも思った

駅はその駅前の人たちだけではない、鹿島区全員が利用するし原町から来る人も遠くから来る人も利用するのである。そしたら八重桜があった方が美観としてはいいのである。
そういう美観の観点から意見を言ったりして実行されることはなかなかない
何か景観とか美観は金にならないからだ、古い街並み保存でもそうである。
だから景観とかは一番破壊されやすいのである。

人間は例えば自然豊かな田舎でも美観とかに無頓着な人はいる、そもそも個々人でも女性でも生け花に興味がない人もいたし自分の母親は庭とか花に興味がなく働き金を稼ぐことしか興味がなかった、そういう時代の人だといえばそれまでだが最期は庭に木を植えたらそんなものに金使うなと言っていた、ただ後は反省した。

近くでも広い庭があるのに何もない荒れ放題にしている人がいる、小石くらいでもまけばきれいになるし川の感じもでてくる、それが何もない方がいいのだという
そういう人もいるし別に田舎に住んで農業していも美観のためにしている人はいない
米をいくら作っても金にはならないとかそういう実利的なものとして農業をしている
だから美観とか景観を問題にすることは普通はないからである。
男性で生け花しているのはめずらしい奇特な人だともなることは確かだからである。

ではあそこの地区の人たちが美観を問題にしていないかというとそうでもない
チューリップを花壇に植えていたからである。それが咲いている
ただ虫が来るかとそれがそれほどの被害だったのだろうか?
その前にそれを要求する前に議論も何もなかった
それでもその人たちの住民の要望であの八重桜は切られたのである。

法律的にはJRのものでありJRはその駅前の住民の要望だけで切る必要もなかった
なぜなら明らかにその土地の所有者だからである。
隣の庭の木から虫が来るからと切れとは簡単に言えないだろう。
だとしたらJRではもっと広く意見を聞くべきだったとなる
そこを利用する人はその駅前の人たちだけではないからだ
それは公共的なものであり公共的とは広くみんなのものだともなるからだ

こういうことは原発でもあった、原発は東電という私企業が土地の所有者との県の許可だけで建てた、そんなことができるのかとなる
議論もなにもなく建てられたとなるとそんな危険なものがどうしてそんなことができたのかとなる、でも法律的にはできたともなる
ただ回りの住民が反対すれば市町村でも反対すれば作れなかった
それを新潟県の巻町ではできたからである。

いづれにしろ国とか私企業でも会社でも公共的要素が必ずあり勝手になんでもできるとはならない、そのせめぎ合いがあって当然なのである。
そして住民といってもその範囲が広い場合がある、駅を使うのはそこに住んでいる人たちだけでもないのである。
だから公共性が高いから駅前の人たちだけで決められるのかともなる
その要望にすぐ従って切ったというのも納得がいかない面がある

「この八重桜は駅前の住民が虫が来て嫌だから切ってくれと要望がありました」
「ええ、そんな要望ならもっと広い住民の意見も聞くべきではないか」
「そうはいいましてもこの八重桜に関心ある人はそんなにいないでしょう」
「いや、そうでもないかも、それはいつも春になると咲いていたしなごみを与えるものでしたから」
「でも駅前の住民がうるさいし答えるほかなかったのです」

こんなふうになって切られたのだろうか?別にその八重桜が切られたの惜しんでいるのは自分くらいだとなるとそうかもしれない、そうなるとその八重桜を大事にしている人がそもそもいないとなれば切っても文句を言う人もいないから問題ないとなる

現実はあの八重桜が切られて残念だったなと言う人はいないしそんなこと気づいてもいないとなるとそうなる。
何か具体的に物を売ってもうけたいとかは常にある、そういうことは賛成しやすいわかりやすい、でも美観が景観がどうのとなると一般的にはおろそかにされる
でもいい庭を作りたいとかなる人はやはり普通は関心があるはずなのである。
駅前をきれいにする花でも飾りきれいにするという感覚があるはずである。
だから地区の人がチューリップを植えたのである。

ただ八重桜には関心がなかったとなる、人間は何かバランスが欠けている、実利の面では強調しすいしまた反対しやすい、でも美観が景観がどうのこうのというと同調する人は少ないし無関心になる、だから田舎の人が別に自然を大事にしているということではない
美観とか景観を維持するために農業しているのではない、米でも野菜でも食べ物を得るためにしているのである。またそれを売りたいためにしているのである。
ただ農業は自然と密接に関係しているから景観とか美観が自ずと守られてきたとなる
白砂青松の景観は松原は塩害を防ぐためであり美観のためではかったからである
ただ景観と美観というとき馬鹿高い防潮堤を作ったとき住民が反対した
海が全く見えず閉ざされてしまったからである。それでも実利的には津浪を防ぐということでやむをえないともなった、意見は二つに分かれたのである。

ただ八重桜の木はそれほどの論議にもならないのはその木に日頃から関心ある人が少なかったとういことだろう。でも駅前にそうした桜の木でも何か木があることで庭があり自然があるいうことでなごむことはある
今の時代は貧乏な時代とは違う、そうした景観でも美観でも考慮する時代になる
花より団子の時代ではないのである。団子より花の時代になってきている
だからあの八重桜が切られたことは残念だった
ここにも自治とか民主主義の問題があった
なぜなら市町村でも住民でもJRという企業でもかかわる問題だったからである。
そういう三者が協議することも必要だったからである。
ただJRでは市の方とも協議はしているという。

小高では駅にいろいろ住民がかかわっているという、そうなると小高の方が住民としては駅に対して関心をもち熱心なのかとなる
前は鹿島より小高の方がずっと良かったというとき小高の人はそれだけ街作りに住民が関心があったからかもしれない、今は原発事故の結果として小高はあのように悲惨な状態になったのである。鹿島はかえって事故前より良くなった面がある
人口も減らないしスーパーも二つできたとか他に暮らしやすくなった面があるからだ
だから小高はそれだけの被害を受けたから補償金も他より高くもらってもいいとなった
ただ浪江でもそうだがパチンコとかギャンブルばかりしいると批判されるのは当然なのである。それで怒るのはおかしいのである。

ともかく確かに八重桜は一本残ったけどあれは八重桜としても前のように大きなものでないから見栄えがしないのである。
そして大きな八重桜は切っても切り株が残っているからまた成長してくる
でもそれは30年先なのか50年先なのかもう大きくなるのを見ることは自分はできないのである。この辺では多くの松などが津浪で流され多くの木も切られた、そこにも貴重な木があったかもしれない、除染でも切られたからである。
やはりそれも景観の破壊だったのである。

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遠くからも目立つ土がとられた屋形の場所



原発事故で機能しなかった地方自治 「安全神話」が権力と一体化して作られたため


原発事故で機能しなかった地方自治


「安全神話」が権力と一体化して作られたため


そもそも原発自体が一方的権力で作られたものだった、それはアメリカから押しつけられたということもある、アメリカの核戦略とかありそれはヨーロッパともフランスとかも関係してすすめられていた。
だから「安全神話」はこうした権力によって作られたものだった
それはカルト宗教団体とにているのである。
一時東電がオウムと同じだとか言われたのもそうである。
オウムがサリン工場を隠密裏に作り製造していたからである。
そこには理系卒の科学者が技術者がかかわっていたのである。
それが宗教と一体化していたからオウムというのはやはり現代の複雑な科学文明の鬼っ子として生まれたのかとみる

創価はどっちかというと庶民のカルト団体である。貧乏な時代に生まれたからそうなる
オウムはそういうカルトとはまるで違った極めて現代的なカルトだった
それから幸福の科学というのも科学とつくから現代的カルトである。
そして政府と東電(大企業)が一体化して「安全神話」を作りカルト宗教団体化していたのである。
だからこうしたものは現代の文明から必然的に生まれたものだったとなる
それはピカートが言うナチスを生んだ構造がありあのような恐るべき、表現し得ないような犯罪集団と化したのと構造はにているのである。

なぜそうなのかというと「安全神話」が成立したのは権力があったからこそできた
権力と宗教が結びつくときどうなるのか?
この辺では原発が安全ではないというと住めなくなる可能性すらあった
3分の一くらいが直接働かなくても原発と経済が関係していたからである。
大内村で三分の一が原発で働いていたとすると結構豊かな暮らしがあのような小さな村でもできていたとなる、飯館村でも住めなくなった長泥でも原発で働いていた人がいたのである。飯館村は県では咲いていれレブルの収入しかなかった。
何か今でも補償金で売るい、回りの人を気にしないで暮らせる都会生活になじんだとか報告されている、福島市などに家を建てた人もかなりいたのだろう。
桃源郷とか言ってもそれは外から見た人のことでありそこで暮らす人はまた違っているのである。

こういうふうに権力によって強力な「安全神話」が中央の政治と大企業によって作られたとき地方自治体は対抗も何もできなかった。
安全ではないというときそれを科学的に合理的に追求しても無駄である。
そこには専門家の科学者も御用学者としてかかえているしそれが「安全神話」の宗教とさえなっていたからである。
カルト宗教団体が罰があたるとか脅していたり自ら呪縛されているのと同じである。
つまり安全だ安全だと題目を唱えていれば安全だという感覚に原発にたずさわる人々も思い込んでいたのかもしれない、だから安全でないということはタブーになっていたのである。それが権力をもっているからできたのである。
情報もマスコミでも800億円とか電事連から広告料として払われていたから完全に安全でないとかの報道は片隅に追いやられていたのである。

権力と宗教でも一体化するとカトリックのように大きな害をもたらすことになる
人間は心の罪とかより権力に従うし権力を畏れているからである。
権力というとき経済力とか報道力とか政治力とか今なら科学力とか技術力とかありそれらが一体化したものである。それが「安全神話」を作ったのである。
科学とか合理性とかが安全神話を作ったのではないのである。
だからカルト宗教団体が批判できないというときお前ら神に仏にたてつくのか、罰あたるとかで何も言えないと同じなのである。だからこそ「安全神話」になり一種の宗教までなっていた。それは内部の人もそうなっていた、安全を作るより「安全神話」になり宗教のようにただ安全、安全と題目を唱えていれば安全だとまでなっていたのである。

原発が事故をおこしたあとも全くその事故の処理ができなかったのもそうした安全神話がありそれが一挙に崩壊したからである。
安全神話があれば第一事故が起こることを想定していないからである。
実際はスヒーディが風向きを測定して放射性物質が流れる方向を測定していたし東電の社員の人は知っていたのである。
それで津島の山の方に浪江町の人が避難したとき東電の社員の人がいて街の方に引き返した方がいいと言って引き返した人たちがいたのである。

東電の社員は知っていたが政府からも東電からもそういう指示は浪江町の町長にも自治体には報告されなかったのである。
なぜなら「安全神話」が作られて事故は起きないとなっていたからそうなった
そうなれば避難訓練などする必要がないからである。
だから政府と東電が一体化してカルト宗教団体化していた、権力があるから報道もおさえることができたからである。
そういうことはカルト宗教団体では今でもしているからである。権力をもっているからできる、そのことが今回のような大事故になりもう回復できないような状態にしたのである

そして地方自治体が機能しなかったいうとき中央政府から30キロ内は避難命令がでて住めなくなり6年もすぎてもう回復できないような状態になった
科学的には30キロ圏内ではない、風の影響によるから30q圏内で区切ることは必要なかったのである。それがまた南相馬市などでは混乱させられた要因である。
小高が避難させなければ補償金で三つに分断されることもなかった
南相馬市として一括してもらって分配を決める、その時個々人にすべてを配るのではなくその時こそ自治体の自治体を発揮して市の開発とか復興に使うべきだったとなる
そういう指導がなされていれば市は分断されなかったのである。
つまりなんら自治体としての自主性が機能しなかったのである。
その時住民自治もなかったのである。住民もただ金をもらえればいいとしかならなかったそれは一時的なものとして消費され消えてゆくがだけのものになる
後々の発展にはつながらないものとなって消える

また地方自治といっても日頃からそうした土壌がないならできない、急に自治でやれとか言っても日頃そうしてなければできない、そういうものもなかった
中央指導であり地方自治体は下請けであり決めるのは中央官庁だという構造もそうしていたとなる、地方自治も問われたの原発事故だった
市長が何もしないとか役所は何もしないとか言うのは簡単だけど住民も何もしなければ何も変わらないとなる、原発事故はただ科学的な問題だけではない現代社会そのもの文明から起こされたともなる、現実にカルト宗教団体でもそうだし現代文明から生まれた病的な現象でありそれが社会を破滅するほどの力をもつから怖いのである。それはナチスと同じ構造でありそういう社会に生きているからそういう異様なものが生まれてきて席巻してしまうとなるのである。と

posted by 老鶯 at 10:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2017年05月02日

矢車草(駅から見える社会) (駅は街全体の中に機能する)



矢車草(駅から見える社会)


(駅は街全体の中に機能する)

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つばめが飛び込む、巣を作る所を探している

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矢車草をさした

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駅前の花壇のチューリップ





矢車草駅にさしにき遠くより来たれる人を駅に待つかな

駅舎にそつばめ飛び入りさえづりぬ真昼明るく電車来たりぬ

駅の窓つつじの赤く出入りする人さまざまや通りを行きぬ

駅前のチューリップの色様々に人交わりつばめ飛び交う



駅に矢車草をさした、駅ににあっていたかもしれない、駅で感じることは人の生活の活気を感じることである。
それと同時に花なども映える、生活と自然が一体となる場というものがある
森とか山とかはまたそうした人間の日々の生活とは違った神聖な場所としてあるともなる
やはり人間の生活が活きていないと街も人も活きないということがある。
それと呼応して自然も活きるというのを感じる
電車と駅には何かそうしたものが交差する場所であることに気づいた

そこには様々な人が行き来しているのだ、山梨の人は事業に失敗したから延々と人に裏切られたことを語る、それは自分も経験したから同調する、人も使っていたので人の使い方を知っている、そしてしきりに駅前開発のことを具体的に言うのも経営者としての経験があるからである。

鹿島駅の問題は空家が二軒とかやめた理髪店とか何かさびれている、一軒の食堂と自転車屋はまだ活きている、でも不思議なのは街の人々があそこで交差している交わるのであるなぜなら中学生でも高校生でも利用するし小学生があの駅前に集まる、下校の道となっているからだ。

今の社会は何か人でも何でも別々になりこういうふうにいろいろな人が集まる場がないのである。働くにしてもどこで働いているか見えないしわからないことが多いのである。
奇妙なのはローソンで働いている女性がいるけどあの女性は街の中に住んでいる
でも自分がローソンに行ったときコーヒーをたのむ、するとそのコーヒー入れてくれてわたしてくれる、あそこは人の手でしていて自動化していない、人の手でわたしているのである。
でもそれだけをしてくれるロボットとして働いているように見える
部品化したようにして働いているのが今の人間であり労働なのである。

何かおかしいのは学校でもそうである。学校では今は大人とは隔離されている、学年でも別々にされ交わらない、いろいろな人と年齢が違っても交わることがないのである。
江戸時代辺りだと村だったらそういうことはなかったろう。
常に大人も若い人も年寄りも子供も交わり一緒に暮らしていたことは間違いない
だからこそ他人の子供でも村の子供はみんなの子供のようになっていた
それで名付け親とかにもなるし子供同士が兄弟姉妹のようにもなる風習があった

現代社会の江戸時代と比べると明確に見えてくるものがあるのた。もちろん江戸時代がすべていいとかになはならない、今の社会は変だなというとき江戸時代にはこうだったとなりそれが明確に見えてくるのである。
人間は部品化分類化されて区別され区分けされて多様な人と交わり暮らしていないのである。

そして現代の仕事が面白くないのはそうしてどんな職業でも部品化部分化しているからである。教育だって先生だって英語だったら英語だけを数学だったら数学だけを教えているそうなるとつまらないということもある、教える方も部品化されるからつまらないとなるのだ、小学生の先生などはいろいろな教科を教えるから全体的な感覚になるからもしれない、中学になったら専門化するから部品化されるのである。


この前イスズの自動車会社の人が東京から来た、今イスズの車が売れているというときトラックなどが売れているのだろう。、イスズだけのトラックが並んでいるのを見たからだするとなるほどイスズの人が東京から来て今トラックなどが売れているとういことでこの辺ではつながりを理解するのである。

現代はまず全人間として生きることは不可能になっている、その人はアウトサイダーとなり社会の異端となる、上野勝利氏のように無職だと全人間になるというのは逆説なのである。なぜなら何か職業についたならそれは巨大な複雑な社会の部品、歯車となることだからである。それはどんな高度な職業でもそうである。医者でもそうである。
体全部を見る医者いないからだ、体の部分をみる医者はいるが体全体をみる医者はいないのである。
医者以上にに社会は部品化しているから職業をもつことは一つの歯車部品化されることである。

だからコンビニでコーヒーを渡す仕事もそうである。それだけの部分化した仕事をしているだけだとなる、それはロボットでも自動化してもしているからだ
将来的にコンビニでも人間の仕事が自動化されるというとき機械と同じような仕事はそうなる、ただそこに若い美人がいるとかると価値が生れてくることはありえる
受け付けでそういうことがあるがAI化されると仕事がなくなる
実際にロボットに見える仕事が日常的にあるからだ。

無人駅化したのが鹿島駅ではあるがこれも無人化できたということである。
駅も別に無人化できる、でもそこで何か人間的なものが必要であり自分がそれを補っているとなるがそれも別に必要でもいなともなる
ただそこに人間的な役割がありそれで駅も活きてくるということはある
なんらかどうんなところでも自動化しても人間の仕事はありなくならないとういことはある。

駅はともかく駅だげではないその駅前は広場の役割があり車の人も利用する
そして様々な人が交わる場所としてある。そこに燕も飛んできて花も映える
これはかえって小さい駅だと人間的になるということがある。
大きな駅ではただ人は通りすぎてゆくだけになるからだ。
駅をただ鉄道の駅としてみる、利用するというとなると車社会では活きてこないことは確かなのである。

写真とると駅は鉄道と一体としてある、その駅前もそうである。
だから駅を写真に撮る人が結構いる、鹿島駅も結構写真撮っている
ただ撮り鉄などは無口でしゃべられない、そういうネクラな人が多いともなる
ただ写真を撮ることだけであり人は相手にしていないのが変なのである。

今回これだけ駅を見て写真をとれたのは地元だからである。
毎日行っていて変化しているし全体を見れるからとれた
旅だとどうしてもこのように見れない、何か目立ったものしか見ないのである。
そして必ず見逃しているものが多すぎるからもったいないとなる
だから本当は駅でも長くいればいろいろなものが見えるかもしれない
すぐに去ってゆくから記憶に残らないともなる

関東の武蔵国地域の渡来人の跡 その一団が移住して陸奥の真野郷にかかわっていた


関東の武蔵国地域の渡来人の跡


その一団が移住して陸奥の真野郷にかかわっていた


埼玉県史』や『吉見町史』などによると、6世紀末から7世紀初頭−西暦600年前後から、胴張りのある横穴式石室と横穴墓の出現によって北武蔵の古墳形成に大きな変化がおとずれたとしている。そしてその背景には、横渟屯倉(よこぬみやけ)の設置と渡来人・壬生吉士集団の移住という、歴史的事件があったこと推定されている


■ この時代(6世紀末から7世紀初頭)は、古墳時代の後期にあたり、武蔵國では児玉地方を中心とした秩父と、荒川周辺に栄えた北武蔵(前玉・比企・入間・足立)、多摩川周辺に栄えた南武蔵の三つの地域にわかれて争われれおり、この中で北武蔵を中心とする笠原値使主が支配権を獲得したものと考えられる。


『・・・さらに、石室の比較研究から、7世紀後半の築造とする意見が多い。この時期は、律令制の整備に向け国府周辺の都市施設や、農業、軍事といった各方面での政治的基盤の整備を必要とし、そのために多数の渡来人や渡来系の人々が周辺地域に帰住したと考えられている。

そして、もともと胴部が張る横穴式石室の系譜をひく積石塚そのものが、高句麗系渡来人の墓制と考えられていることや、このあたりが後の小川郷に該当する地域であることからして、被葬者は、その先陣をきって地域開発のために活躍した渡来系の人々と考えて間違いないだろう。』 (青梅市史 上 P180〜181)


5世紀前半〜6世紀中ごろ築造された古墳群。http://kofun.info/kofun/1211
帆立貝形古墳の亀塚古墳以外は、そのほとんどが径40〜30mの比較的大型の円墳と、径20〜10mの小型の円墳により構成され、前方後円墳や前方後方墳は見られない。残存している古墳は13基ほどであるが、かつては70基前後が群集していた多摩川流域でも有数の古墳群であると考えられる。

古墳時代中期( 5世紀ごろ)
埼玉県坂戸市の入西石塚古墳から古墳時代中期( 5世紀ごろ)の冑(かぶと)と甲(よろい)、首を守る頸甲(あかべよろい)、肩を守る肩甲(か たよろい)などの武具や武器が出土した ...
埼玉県の壬生吉志

東京都狛江市の「コマ」、山梨県の巨摩郡など、各地に 残る ...http://www5f.biglobe.ne.jp/~kodai-musashigaku/newpage59.html
(1)高麗人(高句麗)の渡来
北武蔵への渡来人の移住は、6世紀の末頃までさかのぼることができる。6世紀末、律令制下の武蔵國ができる前、それぞれ壬生吉志が男衾郡、飛鳥吉志が橘樹郡、日下部吉志が横見郡で活躍したと伝えられている。この人たちに共通することは、「吉志」という名前であり、これは朝鮮の王を示す「コンキシ」「コキシ」と同一語といわれている(森山悌『古代の武蔵』)

その後、渡来人の武蔵國移住が本格化したのは、7世紀後半からのことである。666年(天智5年)百済人2千余人が東国移住。
  それから16年後の684年(天武13年)百済人

狛江市、狛江古墳群(直径10〜40メートル前後の円墳 5世紀〜7世紀)
調布市、下布田古墳群(直径10〜30メートルの円墳群 5〜7世紀)
あきる野市 飛田給古墳群(直径10メートル前後の円墳 6世紀〜7世紀)

などの古墳群が続く。古墳自体は小規模になるが、南関東から北関東への集団移住が類推される。古墳時代が終焉を迎える
と古代寺院の建設が始まる。関東が完全に大和政権支配下に入り、「薄葬令」「仏教」が浸透してきて、葬送の様式も変化
したものと思われる。そして、新たな渡来人たちの活躍も始まる。宝莱山・亀甲山古墳を築いたのが第一次の渡来人達だと
すれば、関東は第二次の渡来人達を受け入れる準備を整えたのだ。

韓国の慶尚道その他から発見されている轡鏡板に似ているので、もし同時期のものと見ると、韓国の伽耶の地域で五世紀前半代に流行したものが、高崎市の長瀞西の二号古墳の側の土壙に五世紀代に埋められた、ということになります。

 また、三号墳の右の積石塚、一〇号墳からは、純金で造った垂飾付きのイヤリング、一〇センチを超えるような長い鎖でハート型の飾りをしたイヤリングが見つかりました(図9)。このイヤリングは純金製という面からみても、造りから見ても、私は朝鮮半島で造られたものが日本にもたらされたものだと思っています。

 こういうふうに、積石塚で、方形墳で、立地的には窪地に集中的にあって、その一つからは純金製のイヤリングが出てきたり、五世紀の前半代と考えていい鉄製の轡鏡板が穴から出てきており、しかもその周辺から韓式系土器が発見されている。この韓式系土器というのは、韓国の伽耶などの地域で造られた土器製作技法をそのまま踏襲して、群馬で造った土器という意味です。

 考古学でいうところの新しい埋葬方法が朝鮮半島から入ってくる、横穴式墓制も入ってくる、須恵器という新しい窯業技術が入ってくる、装身具に鍍金というような新しい工芸技術が入ってくる、そういう時期ですから、地域によっては土でマウンドを造った古墳からマウンドが石の古墳に変わる。

  この下伊那地方の古墳は積石塚ではありませんが、大室古墳群の五〇〇基の集中度、合掌型石室の状況、あるいは最近の群馬の高崎市や静岡の浜北市の積石塚の発掘のありようを見れば、馬というものが古代のかなり早くから入ってきたことが分かります。これはもう、朝鮮半島の伽耶、百済などの地域からと考えざるを得ない
 長野県の下高井郡木島平村の根塚遺跡、これから大問題になるだろう遺跡の資料を載せました(図19)。木島平村はスキーで有名なところで、東京の調布市と姉妹都市の関係にある村です。

 この根塚遺跡は、一〇〇メートルと五〇メートルくらいの楕円形の低い丘を持つ、盆地の水田の中にポツンとある遺跡です。この根塚と呼ばれる丘の中央部から発見された墳丘墓は長方形で三段のテラスを造っていますが、長方形の斜面には張石が一面に張ってある、弥生時代後期のあまり例を見ない墳丘墓です。この図面からははっきりしませんが、長方形プランの三段のテラスになっている、その平面に箱清水式の土器、北信濃地方の弥生時代後期の土器が副葬品として複数納められていました。ガラス玉も出てきましたが、さらに三年前に、いちばん下のテラスの埋葬遺壙からナンバー4、5という鉄剣が二ふり出てきました(図20)。

 その鉄剣を見ますと、長い方が七四センチくらいのものですが、脇から右手に一本突起が出ていて、先端が丸くなっています。さらに柄頭、握るところも丸くなっていて、錆びて固まっている。レントゲン写真を撮りますと、図20右の6、7のように、そこは渦巻状になっていて、柄頭のところは鉄を二つに割いて、内側にクルクルッと渦巻にしています。さらに右側から一本そいで脇に出し、それも渦巻にしている。

 私は木島平村から連絡を受けて、この写真を見せられました。私は、これは伽耶の鉄剣だと直観いたしました。しかし私は日本考古学が専門ですから、「明治大学の大塚が伽耶の鉄剣だと言ったって、専門じゃないから……」と言われるといけないと思いまして、親しくしている九州大学の西谷正教授に来てもらいましたら、西谷さんは「これは伽耶のだよ」と言うのです。西谷さんはソウル大学に二年留学していた人ですから、西谷さんが伽耶の剣だというのは間違いないわけです。


 高麗人についてはさきにみたとおり(「甲斐、相模、上総、下総、常陸、下野の高麗人1799人を以って武蔵国に遷し始めて高麗郡を置く」)であるが、ついで、というより、すでにそれ以前、『日本書紀』666年の天智5年に、それまでは大和で「官食を給していた百済の僧俗2千人余人を東国に移した」とある。(・・・・・)ついで758年の天平宝字2年8月には「帰化新羅僧32人、尼2人、男19人、女21人を武蔵国の閑地に移し個々に初めて新羅郡を置く」とある。>(P62)


 武蔵国の貢物としては麻布、木綿(楮の樹皮からとる繊維)、?(粗い絹織物)、席といった繊維製品が主であった。おそらく多摩川周辺の娘たちが、清流で布をさらし漂白していた様子が「万葉集巻14 東歌」に、

 「多摩川に 曝す手作り さらさらに 何ぞこの児の ここだ愛しき」(3373)とある。http://ac.jpn.org/kuroshio/oda201411.htm


 高麗郡や高麗神社の「高麗」と記されています。また、狛犬の「狛
こま」と表記されることもあります。高句麗のことを最初に記した歴史書は、中国の
『漢書』という書物で、そこには「高句驪県」とあって、紀元前1世紀頃の
高句麗は中国(前漢)の支配下にありました。紀元後9年頃に中国の支配
が解かれ、後漢の時代には独立した国として存在したようです。

高句麗と倭(日本)との国交は、5世紀末までにはすでにあったと考え
られ、推古天皇の時代になると、仏教を通じた交流が盛んとなります。
推古3年(595年)には聖徳太子の仏教の師とされる高句麗僧の慧慈
が日本にやって来ます。推古13年(605年)には高句麗王から黄金300両が贈
られ、元興寺(飛鳥寺)の仏像の造立に使用されました。また、紙や墨の
製造技術も推古18年(610年)に高句麗僧の曇徴が伝えたものとされて
武蔵国の新羅郡(埼玉県新座市・志木市・和光市・朝霞市ほか)があります。席田郡は、霊亀元年(715年)に尾張国の人で外従八位上の席田君迩に近と新羅人74家を美濃国に移住させて建てられた郡です。天平宝字2年(758年)に席田郡の郡司の家の子らが、祖先は賀羅(から)国から帰化したという理由でからのみやっこ羅造の姓
を賜っていることから、席田郡は、のちに新羅国に併合された賀羅国からの渡来人が移住させられて建てられた郡だったことがわかります。


このように渡来系集団の移住がありそれが日本に刻印した足跡がある、それが地名化しているということでもわかる、一番古いのはツノガノアラシトでありこの足跡は日本海からわたってきて全国的に記された足跡である。
ツガルとはツノガノアラシトがなまったものである。ツノガノアラシト→ツガルなのである。ツガルが蝦夷とされるがそれはもともと渡来人だったのである。
福島県の太平洋沿岸にもその痕跡が残された

末次とかも陶でありそうした陶器製作の技術を渡来人が伝えたのである。
トライ時は製鉄とか仏教も伝えた、それで鹿島区の唐神というのは唐(韓)の神のことであり仏教のことである。仏陀のことである。それを仏様として祭れなかったのは韓(から)から来た神としてしか現すことができない初期のことだからそうなった


昔、この大明神は新羅の国から請戸小島に現れた女神である。その時2人の某氏がこれを拝した。1人は何もしなかったが、他の1人は小島へ社を造って祭った云々。

『明治神社誌料』には、「養老年間高龗神を同村海岸苕野小島に勸請す」とあります。

小高にある角部のツノはツノガノアラシトのツノであり津神社もツノミヤ神社である。
松川浦のツノミツ神社もツノガノアラシトのツノであり津浪とは何の関係もなかった
地名がこのように古い渡来系の故に名付けられていたり神社がこれだけ渡来系に由来しているのはそれだけの人が日本全国にかかわっていたということである。
伽耶というと百済が滅亡する前の国でありなじみがないのは確かである

韓国の慶尚道その他から発見されている轡鏡板に似ているので、もし同時期のものと見ると、韓国の伽耶の地域で五世紀前半代に流行したものが、高崎市の長瀞西の二号古墳の側の土壙に五世紀代に埋められた、ということになります。

私は、これは伽耶の鉄剣だと直観いたしました。しかし私は日本考古学が専門ですから、「明治大学の大塚が伽耶の鉄剣だと言ったって、専門じゃないから……」と言われるといけないと思いまして、親しくしている九州大学の西谷正教授に来てもらいましたら、西谷さんは「これは伽耶のだよ」と言うのです。西谷さんはソウル大学に二年留学していた人ですから、西谷さんが伽耶の剣だというのは間違いないわけです。

伽耶というのもそれなりにその跡を記している

草枕 旅を苦しみ 恋ひおれば可也の山辺に さ雄 鹿鳴くも

可也は伽耶なのである。真野の草原(かやはら)がこの伽耶なのかとなると無理があることは確かである。では草原が萱原なのかとなるとこれもまた疑問であり明らかなことは草原は地名だという説が有力になる

それは渡来人が関係してそうなったのである。今回の津浪で塩崎の船着という地名のすぐ近くまで津浪が来た、その湾にそった丘陵地帯に横穴式古墳があった
これは渡来系がもたらしたものだとするとき何か関係しているともなる
地名からすれば石巻の萱原が有力でありそこは江戸時代でも真野の草原の地とされていたのである。真野公という木簡も発見されているからである。
ただ考古学的資料となると鹿島区の真野郷が濃厚にあるからここが真野の草原だとしている
  


2017年05月01日

南相馬市の古墳の謎(真野古墳群など) 古墳が墓ではない説


南相馬市の古墳の謎(真野古墳群など)

古墳が墓ではない説


なぜ寺内から小池に古墳が多いのか?そもそも古墳は何のか未だに不明である。
寺内から小池に密集して多いのである。
それが墓だとするとき違和感を覚える、むしろ墓があるところは生活拠点となった人が集まり住んだ所である。寺内の前方後円墳からせ金銅双魚はいが発見されたから有力な人がいて葬られた、その人は誰なのかとなるとわからないがその土地の有力者であり功績者だから手厚く葬られた

ただ古墳は造るのにその当時は容易ではなかったから全員で協同して作ったからそこに共同体があり協同の結果として一番の功績者をその土地に祭ったとする説
稲作には土木事業でありその開墾作業の中心人物が祭られたとかしたという建築関係の人が言っているのも面白い。
江戸時代でも開墾した人の名前を地名としている所が多いからそういうこともありうる

寺内となるとそこは古い場所である。真野明神がありそこにヤマト政権がかかわり真野郷が設置された中心だともなるからだ
だからこそ前方後円墳が作られた、その後館の地名があるから寺内という地名はその中世から由来しているかもしれない、なぜなら館があれば寺もあったかもしれないからだ

そもそもなぜ小池にあのように古墳が多いのだろうか?
前方後円墳は寺内にあるが後はないようだ、円墳が密集して作られている
円墳が個々に集まり作られたのはなぜかとまたなる
個々に小さな古墳は造れたが大きな古墳は造れなかった、原町区の桜井古墳はあれほど巨大なのと比べると一目瞭然である。
鹿島区にはあれだけの巨大な古墳を造る勢力がなかったとなる
現実に桜井古墳に二人が一緒に埋葬されたことがわかった、それは何を意味しているのか一人ではないということは二人の王がいたとなり一緒に埋葬されたともなる
奈良とかの大古墳でも天皇の古墳だとしても埋葬されているとしてもそれは証明されていない、つまり誰が埋葬されているかはっきりしないのである。

古墳が墓だとするのも何か不自然なのである。小池とか横手を見るとそこは今の感覚では墓にするにはふさわしくない場所である。
そこはどちらも人が生活する場としては適地であり墓にする場としては適地ではない
奥津城というのが万葉集では死者の埋葬された場所としている
それはそうして人か集まり生活した所から離れた奥の場所なのである。
墓(はか)とか塚(つか)は人が埋葬した標しがあったところである
奥津城(おくつき)は死者の埋葬地としては死語になった、その奥津城が古墳だというときそれも不可解なのである。古墳は人が集まる所にあるのが普通だからである。

祭司場」や「市場(マーケット)」として、人々のランドマーク的な造営物として造られた可能性があります。

桜井古墳はまさにこれである。新井田川に接して海にも近いからである。あの場所が原町区ではその時一番住みよい適地であり中心だったとなる
だからこそあそこに人が集まり住み巨大な古墳が作られたともなる
それだけの勢力があそこにあり作られたとなる

ではなぜ鹿島区では群集古墳になっているのか?まず寺内が古くそこから小池の奥に集落が分散した、古墳が密集している地域に集落ができたことは確かだろう。
それは墓とも違ったものとして見える

そして横手の群集古墳へ集落が拡散したのである。そこで稲作が行われたというとき寺内、小池は高台でありその下は真野川であり湿地帯が広がっているから稲作には適地ではなかった、横手は真野川からも離れていて海がその時迫っていたとしても横手ならまだ離れているから稲作ができたのかとなる、でもこの辺で古墳の回りに田んぼの跡などが発見されたのかともなる

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塩崎の船着のすぐ近くまで津浪が来た、そこまで海だったことを証明した

横穴古墳


墓というとき横穴古墳がある、これは古墳とは異質なものとしての墓である。
むしろこっちの方が墓らしいとなる、古墳だと生活の中心にあるからだ
横穴にもそこに人が住んでいたのか?
鹿島区では烏崎から小島田の方への丘の連なりに発見されている
そのときそこは海であり海にそった崖に横穴があったとなる
烏崎の船着という地名はそれを証明しているそれは古代の地名でありそこまで船が来ていたという証となっている
現実に津浪はその近くまで来ていたのである。


横穴古墳が異質であり渡来系が関係していたとなると鹿島区の真野の草原(かやはら)という歌と関係しているのだろうか
つまり草原が萱原のことではなく渡来系が来た人たちが名付けた自分の地名説である。
草原が伽耶原になるのは何か確かに無理があるのだが地名だということはありうる
海側にあるということが寺内とか横手の古墳とは違ったものである。

いづれにしろ古墳が墓だとしても今の感覚の墓とは違っていることは確かである。

昔こそ外に見しか 我 妹子が 奥榔 思へ ぱ 愛しき佐保山(大伴家持)

この奥榔(おくつき)が最初に人が葬られた場所である。それが古墳だとは思えないのである。
そんな人が集まり住む所から離れたところに作られていないからである。
ただ一旦人がそうして奥津城でも山に葬られてその山が人間化してみるというのが人間の情としてありそうなった
荒寥とした山ではない、人間化した山でありそれは低山だとそうなりやすいのである。
里山という感覚である、それで葉山信仰だと祖先は春には山からおりて里におりてくる、その時はちょうど田植えの時期になる

つまり死者というのがそうして故郷に死んでも生きつづけるのである。それは農耕だとそういう感覚になる、死者はその里や村の中に自然のなかに生きつづける
死者がその故郷を見ているとかなるのは何か自然信仰にもなる
それは人間は死んでもその土地にありつづけるという感覚である。
それは故郷という土地があることによって成り立つものである。
土地と結びついた農耕民の感覚である。
ただそうして死者をその土地で時間の中で断絶させないということがその土地の継続の中に生きる歴史を生きるともなるのである。
今はそういう世界観はなく時間でも断絶しているからである。
この辺では避難区域に帰るのは老人が多いというとき老人はその土地に死んでその土地の土となりまた祖先となるという感覚である。
それが断たれたことが不幸だったのである。

ともかく古墳がなぜこんなに全国でも多いのか?未だに謎である。
高台にあるというときも海の近くにあるというときもそこはその当時は生活しやすい場所だったことは確かである。
名取の雷神山(らいじんやま)古墳も小池と立地がにた場所にある。
高台であり津浪でわかったように海も近くに迫っていた場所である
そこにも多くの古墳が発見されたのである。
それから遠見塚古墳というのは海の近くの平地にあるがあれは離れていても地理的には横手の古墳ともにているのである。
つまり古墳を見るにも地理が大事になるのである。遠見塚古墳までは津浪は来なかった
遠見というとき海の方を遠く見る場所としても古墳が作られたのかともなる
桜井古墳でも海が迫り海の遠くを見る機能があったのかともなる
桜井古墳だはあれだけ大きいし高いからその機能があっても不思議ではないとなる

真野古墳群




春の日の平和な風景 畑に孫と座る女


春の日の平和な風景


畑に孫と座る女

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建物は復興住宅

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川岸の家の近くに四十雀が来る

クリック拡大するとはっきり見える


春の日や畑に孫と座る女(ヒト)

鶯や手押し車に行く土手の道


なんでもない光景が平和である。孫と一緒にばあちゃんだろうか、座っている、その光景は何を意味しているのか?
次代を継ぐものとここで暮らしたものとの連続性を示している
一方で農業は金にならない、苦労ばかりだからやるなというときそこに世代のつながりが断たれる、そういうことは別にしてこの光景が何か平和を感じた
なんでもないことがこの辺では貴重なものとなった
ただあそこの畑の回りは荒地になっている、キジとかも前よりは多いし知っている人の畑も鳥に食われたとかなんとかある。
つまり農業とかは実際にしてみるのと何もしないで見ているのでは相当な差がある
労働でも外から見ているのと実際にしているのでは違う。

ただなぜその光景が平和を感じたかというこの辺ではそういう風景が一時失われたし避難区域になった所では今も失われたままである。
なぜなら若い人は流出して田畑は荒地になってしまったからである。
この辺も一時はそうなっていたのである。でも回復してこういう風景が見れるようになった、ただ前の半分くらいしか回復はしていない、やめた人も多いということである。

人間はやはり自然と溶け込むときそこに自然なもの平和を感じる、手押し車を押して川の土手の道をゆく老女を見るときもそうである。
それは自然の一風景となって自然にとけこむ、それが病院とかなると無機質な空間となり人間的でなくなる、だから都会などでも平和を感じない
自然がないから人工的空間だからなごむものがないのである。
ただ人は仕事に追われてせわしくしているだけだとなる
仕事しているにしてもそれが自然の中だったらこうした平和を感じる

ともかくこの辺ではなんでもないありふれた日常が奪われたのである。
それは別にありふれたことだから貴重なものとは思っていなかったのである。
老人と子供世代と孫は離ればなれになり分断された
だから避難区域ではこのうよな光景は見れないのである。

技術でも自然と調和したもの、水車とかなら良かったのかもしれない、ただそれはノスタルジックに回想するだけで電気なしの生活はありえないのが現代である。
ただ江戸時代の風景を見たら平和を感じるだろう
小川すら今は堀りになりなくっないるのも自然がそこで失われているからだ
不思議なのは車は自然の中にとけこまない、車を俳句にしたりすることはないのもそのためである。
車を風景の中に絵でも描かれているのはまれである。車は自然に適合したものではない
何か突然空間を引き裂くように車が突っ走るのである。それはバイクでも同じである。

何か自然に反するものがとどめなくあふれさせた、そこに制限があっても良かったともなる、車が必要でもそこに制限が必要だったともなる
車社会は社会そのものを変えてしまった、その影響があまりにも大きすぎたのである。
技術は明らかに何でも無制限に取り入れるものではなかったのである。
つまり技術は制限が必要なものでありそうしないと社会の調和も破壊されるのである。
それは原発でも同じだったのである。
技術だったら科学だったら何でもいいとなり取り入れることが危険だったのである。

そんな風に見ているものはまれだがそれが人間の感性の異常をもたらしているのかもしれない、キレル老人などというときそもそも車というものはとキレルものだからである。
車社会というときそのことが実は平和ではないということもある
電車は撮り鉄とかいるように自然の中で映えるのである。
車にはそういうことがないことでもそれがただメカになっているためだろう。

いづれにしろ何か人を見ても広い庭があるのにただ何も手入れもしなくて何もなくてもいいとか言う人がいる、小石でもまけば川の感じがでる、そういうこともしない、そこに風流心がない、女性でも花に興味がない人もいる、生け花もしていない
何か風流がないというときそれも人間として大きく欠けているのだ
それは別に田舎で暮らしていても風流と関係ない人は普通にいるし多い
だからとやかく言うことでもないが何か淋しいとなる