2017年08月19日

無人駅で一番困ったことが今日あった ( 切符がなく駅で料金を払うことができない人)


無人駅で一番困ったことが今日あった

(  切符がなく駅で料金を払うことができない人)


今日仕事で福島駅から来た人が乗車証明書はもっていたが切符はもっていなかった
それは鹿島駅で清算する証明書だったのである。どうしてそうなっていたのか何かありそうなった
それでどうしていいか迷っていた,それで原町駅に連絡したら切符入れに金をいれてくれと言った
前にも切符入れを回収すると小銭が入っていた,今度の金は大きい
その人は別にそのまま駅を出てもとがめられることはない
たまたま自分がいたから聞いてきたのである。

こういうことで良心的な人はいるものだと思った,かえって無人駅で金払わなくてすんだと得したと思う人もいる,自分などはそういう面があった。
その人が金に余裕があるからなのかと思ったがそうでもない,なぜなら3,4キロある自動車のリース会社のあるところまで歩いて行ったからである。
金を節約するために歩いて行ったからである。タクシーで行けばやはり1500円くらいとられる距離だから節約した

それで原ノ町駅にインターホンで連絡した,料金はわかった
その人は1940円と料金として入れてくれといったがこまかがないので2000円入れたのである。この金は大きいと思う,普通は小銭が多いからである。
その人はこの駅が無人駅だと知らなかったと言っていた
これは無人駅の一番の問題だったかもしれない
料金を無人駅では清算できないのである。みんながスイカを利用できるわけではないからだ。

このように無人駅は万能のようにみえても最も肝心な料金を回収することができないということがあった,鹿島駅は結構乗り降りがある駅なのである。
それで昨日は市の地域振興課の人が二人乗客数を調べていた
何か駅を地域振興のために調査しているのかとなる

確かに地域振興というといろいろあるが駅も大きな部分をしめているかもしれない
鹿島駅は人の出入りが結構多いのである。
今日は小高で花火大会があると浴衣を来た若い女性が電車に乗って小高に向かった
今日は小高はにぽやかになっているだろう。
通りも暗いから人が集まるのはいいことである。
ただ直通で行く電車がまれなので行きにくいのである。
その辺がまだ改善されていないのである。

蝉の声と雨(相馬六万石の城下町)


蝉の声と雨(相馬六万石の城下町)


蝉の鳴き電車の待ぬぬ駅舎かな

雨しとと蝉の声ひびき城下町

城下町出会える女や秋の雨

城下町かぼちゃの花に雨のふる

蝉の声柳しだれて城下町

城下町屋根の低くも秋の雨


六万石城跡に秋の雨しとと今日たずぬる人もなしかな


今年の気候は本当におかしい,この雨は秋雨なのか,それとも梅雨のつづきのなか,夏ななのか?季節がわからなくなっている
だから秋の雨とするのも何かあわないのである。
蝉の声にしても秋の蝉になっているがその前に夏の蝉の声があって秋の蝉になる
それがぬけているからおかしくなる,蝉の季語は夏でありその夏が早めにあって梅雨がつづているという感覚になる
ということは俳句の季節感が狂ってしまって俳句にならないともなる
俳句は季語を基にしているからそうなる
これから残暑になったらまた季節感が狂ってしまのうである。

相馬市まで用事があって二カ月ぶりくらいに行った,最初一カ月は暑いから行けなかった次に雨で行けなかった,自転車でも行けない,原町まではなんとか行った
相当に今年は体が弱った,夏ばてにもなった

相馬市は城下町の風情があるというとき実際は何もないのだか街の形が変わっていないからだろう。城下町のままの町割りになっている,だから駅前から発展した原町とは全然違っているのだ。
そして平凡なことだが屋根が一般的に低く感じられる,高いビルがない
すると何か江戸時代のような町に見えるのである。

公共施設が入母屋作りにしているのも効果的である。だから相馬市は歩いているだけで情緒がある街である。ただ何かもないということはある
その何もないということがいいということがある。
現代派はなんでもありすぎて情緒を壊しているからである

傘をさして一人の女性と出会う,なにかそうした当たり前のことに人間的なことを感じる日本には雨が多いから雨の情緒があった,それは歩いていると自ずと生れる
車ではその情緒を味わうことはできない,車は常に情緒を壊すものとしてある
自転車でも歩いて感じるものとは相当に違う。
歩いていると一軒一軒の店でも家でも見るのである。
だからこそ歩く生活なら街の通りを見るから街が活きていたのである。

城下町といっても相馬六万石となると回りは田畑であり淋しい風景だったのである。
今その名残はある,まず観光客が野馬追い意外でたずねてもここに発見するものがあるだろうか?城跡にしてもここに城があったのかとも思う
何か城下町というものも感じない,だからここが観光の目的地にはならないだろう。
でも何か街の雰囲気はそれぞれ違ったものがある。
相馬市と原町を比べると明確である。そのことはいつも言っているがやはり相馬市は城下町だからそうなっている,でも外から来た人にはわからないのである。

戦意を喪失させられた日本人 (原爆のショックは永遠に消えない)



戦意を喪失させられた日本人


(原爆のショックは永遠に消えない)


NHKの放送で「なぜ日本は焼き尽くされたのか〜米空軍幹部が語った“真相”」を見た
アメリカ軍がB29で日本を焼け野原にしたのは日本が戦争をやめさせるため,市民までまきこんで爆撃した,市民に戦意を喪失させるためにやったという
その目的はあまりにも見事に想像した以上に効果を発してアメリカでも驚いたという
原爆を落としたのも日本に戦争をやめさせるためだったと常にいう
理屈あとでどうでも言えるのである。

こうした焼け野原された日本人はその後どうなったのか?その惨状を見たときどうなったのか?

まさに言葉を失った

言葉に現せないものとしてこの世の地獄を見たのである。爆撃して焼かれた人が子供でも写されていた,それは地獄の光景だった,戦争は非道でありイスラム国だけが非道ではない,過去の戦争でもそれ以上のことが行われていたのである。
戦争というは人間の悪を最大限にひきだすものとしてある。
日本のことを非道というがアメリカの非道も信じられないとなる
それはあまり赤裸々に報道されないからわからないだけなのである。
インターネットを調べればその悪逆非道に戦慄を覚えるだろう。
そんなことがあったのかとういことである。人間の悪逆の限りが尽くされたとなるのが戦争だった
アメリカ人の悪逆非道の方が日本兵の非道よりどうしても勝っている
その悪逆非道を知ったら身の毛のよだつようなことが現実にあったということに戦慄を覚える

ピカートもナチスについて言っていたが

まさに言葉を失った

それが第二次世界大戦の結果だったのである。アメリカが正義でもなんでもない,ただ戦争の勝利者になったというだけである。
それも膨大な人命の犠牲の上に勝利者になったのである。

結局日本は戦争に負けてどうなったのか?

今でも戦意を喪失してしまった

そのあまりの悲惨さに戦争というのは口にしたくないとまでなった
だからウヨが戦争を鼓舞しても日本人は別に9条を守れば国が守れるという左翼も極端だがそもそも日本人は原爆であれなんであれ日本は戦争をする戦意を今でも喪失しているのである。
もちろん戦争をじかに経験していないものがそう言っても説得力がないことはわかる
でも戦争の悲惨さは映像でも残っている

それは津浪とかともにている,あの悲惨な状態の前に自然の大きな力の前に言葉を失ったただ茫然としているというだけだったのと同じである。
あれだけ大きな力を示されるともう何も言えなくなる,ただ自然の力に驚嘆するだけだとなる,それと同じようなことが戦争で起きていたのである。

日本はアジアから中国とか韓国から戦争のことでバッシングされるけどそもそも日本はその報いを敗戦の焼け野原で受けているのである。
なぜそれだけのことが成されたのにさらに日本をバッシングするのか?
それは「水に落ちた犬は打て」になる,弱者になるとかえってその弱さにつけこまれて個人的にひどいめにあったことを書いてきた
それは国家間でも同じなのである。

韓国や北朝鮮は常に不満をもっている,強いものにたかれつづけられた国である。
だからこそその腹いせを日本人に向けているのである。
日本人は確かに今戦わなければ国も守れないと危機意識をもつ
でも戦争で戦意を喪失してまった,悪くとれば戦争する気力がない,意気地がないともなった,それで非戦国家になり9条だけに頼る弱い国家でいいのかとなる

でもあれだけの戦争の悲惨さを見たらとにかく戦争はしたくないと別に経験しなくてもなる,自力で国を守らねば侵略されるというのもわかる
でもその戦意が喪失させられている,それは戦争が終わっても継続しているのである。
それだけ戦争の影響は大きかったのである。
日本全土が焦土となった記憶は簡単には消えないのである。

ではアメリカの戦争犯罪はこれからどう罰せられるのだろうか?
それだけのことをしたアメリカはやはり良心に怯えている
戦争を終わらせるためだったという理屈はただ理屈である。
その良心からその悪が消えることはないのである。

その報いはやはりカルマとなってアメリカに向かってくるかもしれない,なぜ今北朝鮮がアメリカに狙いを定めて核弾頭のミサイルを打ち込もうとしているのか?
それは日本もまきこむのだがやはり原爆を使用した日本を実験場としたカルマであり
核に怯えているである。
核爆弾を使ったものはまた核爆弾が落とされるという恐怖におののくことになる

国内的に人種差別でもめているようにアメリカ自体が分裂するかもしれない
人種差別が日本人に対してもあったがアメリカは白人主義だけではもう成り立たない国である。人種差別したら第一国内で統一できない,それだけ白人ではない人達が増えすぎたのである。

ともかく戦争は人間を非道にする,もう歯止めがきかない,ルールもなにもなくる
人間の悪の限りが戦争で噴出する,それが第二次世界大戦の結果だったのてある。
だから日本はその戦争を身をもって経験した唯一の国なのである。

日本人はもうどうしても戦争ができない

戦意が喪失した

それがいい悪いと関係なく戦争に負けた結果として日本人にもたらされたのである。
要するにアメリカも全土が焦土になれば戦意を喪失する
そういうことが核戦争ではなりうる,なぜ北朝鮮のような弱小国にアメリカがおびえなければならないのか?
それは核がそうさせているのである。核はアメリカでも怖いのである。
日本を空襲するとき飛行機を爆撃する体制が日本にはなかった
だから空襲も容易と見たというときもそうである。
やはりアメリカも核は怖いから簡単に攻撃できないのである。
そして核の呪いがカルマがアメリカに回ってくるかもしれない,それをしているのが北朝鮮なのかもしれない,それはアメリカだけではない,日本も恐怖である
ただ一番恐れているのはアメリカだとなっているのである。
posted by 老鶯 at 05:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層