2017年08月27日

正当な理由なしに警察に通報したものは罰せられべき


正当な理由なしに警察に通報したものは罰せられべき

正当な理由(犯罪に関わっていると疑われる相当な理由)がなければ、そもそも職務質問に応じる義務はない。

警察に通報している人はいる,騒音で迷惑がかっているとかある,他にもいろいろあるからそれは正当な理由があって通報しているから警察も来ることがある。

例えば大金を盗まれたことがある,でも証拠がないし警察ではとりあわなかった
そしてそれは自分ではわかりきったことでも警察では証拠がなければとりあわない
その犯人は近くに住んでいる,しかし絶対にあの人は犯人だとは口にだしても何も言えないのである。噂にはなるとしてもその人が犯罪者だとは言えない
盗んだとも言えないのである。
それを言えば怖いことになる,人権侵害となり逆に訴えられるのである。
だから犯罪者にすることがどれだけ大変なことかわかる

ではなぜ正当な理由もなしにあやしいというだけで警官が職務質問に来たのか?
それは確かめるためであり犯人扱いしているのではないということもわかる
でもそういうことがあるだけでも周囲から何だろうと田舎だと余計にあやしまれるのである。何か悪いことをしたのかと見られるのである。

今の時代逆にそういう人権とかうるさい,それもまた諸刃の剣なのだけどなぜだから
あやしいというだけで正当な理由なしにみんながいる前で職務質問に来たのか?
それだけで自分が恐怖を覚えることになる
大きな犯罪でもたとえ殺人でも何も証拠もないのにもしわかっていても普通は言ったら人権侵害で逆に訴えられるのである。一方で人権人権と過剰にうるさい時代でありそれで
かえって犯罪者の摘発が簡単にできない社会である

だからこういう時代になぜあやしいというだけで正当な理由なしに地元に長く住んでいる人に職務質問にきて事情を話してもやはりあやしいと通報があればまた来るという
自分が言った事情は話さないしただただ匿名なのかどうかわからないにしろその通報者を信じているのである。これは明らかに人権侵害である
まず正当な理由がないのにただ「あやしい」というだけで職務質問に来ているからであるそして事情を話しても誰かがあやしいとういだけで何度も来るというのもおかしいのである。一回は事情を話したからである。それは脅迫でもある
お前はここにいるとまた職務質問に来るぞという警察の脅迫なのである。

だからこそここに住み公共空間たる駅にもいられないとなり排除される
それが警察の目的であり通報者の目的なのかとなる
なにせ匿名なのか何かわからないがあやしいと通報すればかけつける
それも何度でもである,一回事情を話してもとりあわないのである。
それほどなぜ正当な理由もないし言わない通報者のことを信じるのだろうか?
そこに疑問がある

だからこれは明らかな人権侵害であり犯罪も犯していないのにそのそぶりもないのに通報したから通報した人に問題がある,通報した人が職務質問されるべきものなのである。
どうして通報したのですか?警察はその正当な理由があったら聞くべきなのである。
正当な理由なしに職務質問してはならないとしているからだ

よそ者だとその正当な理由になるかもしれない,よそ者だとあやしいと通報する人もいるだろう。そういう経験はある,でもよそ者は去ってゆくからそこに住まないからのであるおそらく死ぬまでもうそこには行かないからである。
そういうふうに長く住む場と一時的による場所とは大きな相違がある
ここで生活してゆくのにそうした通報者がいるとき安心して暮らせなくなるからだ
これはそう疑われただけでそうなる,行きづりではないからだ
そこに長く住んでいる人を確かめもしないで警察に通報したからである。

だから理屈としては通報したものがあたかも犯罪者のように見て警察に通報したのだから通報した人は人権を侵害したのである。それは人権侵害として訴えられるべきものであるなぜなら安心して地元で暮らせなくなるからだ。
それが深刻な問題なのである。職務質問など普通にあるじゃないかとなるが地元に住んでいてそういうことをされるとやはり地元に生活するのに支障をきたすのである。
旅人としてなら後は去ってゆくからその土地の人とはかかわらないからいいのである。

法律の解釈にもいろいろあるがこれは明らかに法に触れるものであり人権侵害である。
だから警察は通報したものを明かして職務質問してなぜ通報したのか
その正当な理由を聞くべきでてある。
通報社会とか密告社会は共産主義とか戦前の特高とかあり恐怖社会になる
それが現代にぶりかえされる危機を共謀罪とかで訴える人達がいる

これもその一つとしてあるのかもしれない,ただたいしたことがないとして見る人もいるでもその被害にあった本人には深刻である。
こんなことが通る社会が何かおかしいとなる
それは通報者もそうだがそれを受け入れた警察の方が重大な責任がある
なぜなら警察は権力をもっているからである
「なんだあの人おかしいね」とか言ってもそれほど影響がない
でも権力のもっている警察がかかわったらそうはいかなくなるのである。

だから正当な理由もなく通報したものを警察は問い正すべきである。
そうしなければこれからも何の理由もなしにあやしいというだけで隣人が通報される
これはあきからに法律違反であり人権侵害であり罰せられるものである。
その人権侵害しているのが警察なのである。
なぜ正当な理由なしに通報したものをそのまま事情もきかないで信じてきているからである。その通報する人間に問題がある場合もあるからだ
地元の人がよそ者を通報するのは一理あるかもしれない,しかしここに長く住んでいる人を通報したのは人権侵害である。
それは地元に生きることに支障をきたすからである。安心してそんな人がいたら生活できないからである。
だからこんなことがまかりとおって警察が一方的におしかけてくることは法律違反であり人権侵害なのである。
タグ:人権侵害

警官自体がよそ者であり田舎の事情を知らない (それでづかづかと田舎の事情を知らないで介入してきて平和を乱す)


警官自体がよそ者であり田舎の事情を知らない

(それでづかづかと田舎の事情を知らないで介入してきて平和を乱す)


今回駅で一見「あやしい」と通報した人がいて警官がすぐにかけつけることはいいことのように見える,でも何の正当な理由もないのにしているとき田舎だと特に狭い範囲で生きているからかえって治安を乱す,田舎ではそうしたことは狭い所で生活しているから深刻になるのだ,だから村社会ではなるべく争わないように工夫していたのである。
毎日顔を突き合わせて生活しているからそうなった,村八分があったとしても簡単にはできなかったのである。

今回の問題でそもそも警官が駐在所で南相馬市警察署でもそうである。
その警官はみんな地元に長く住んでいるものではない
一時的にいて転勤してゆく,つまり警官自体がよそ者なのである。
ずっと住んでいればいいがそういう人がいても大方は転勤する人が多いのである。
それは銀行でもそうだし現代ではそういう人が田舎でも多くなっている
そうなると一時的にいるだけだら元から長くいる住民とは違って田舎のことを知らないのである。
その土地土地のことを知らないのである。また愛着など郷土愛とかもないのである。
田舎がどういう所なのかもわからない,その人間関係もわからないのである。

ただ田舎自体が昔の田舎とは違う,会社員がほとんどであり農業しているわけではない,すると田舎でも何をしているのかわからない人が多いのである。
そこに田舎自体のコミニュティが失われている,だから簡単に誰か知らない人がいて駅をうろついているだけでも通報される,でも自分は冬から駅にいたのだからそこで問題がなかった,だから通報した人は聞きにくれば良かったのである。
冬からいるということは相当長いのである。

ともかくそこに長く住んでいる人はやはり信用に値するともなる,外から来た人はなかなか信用できないとなる,それで農家では三代つづい一人前の農家として仲間になるというそれは農業時代のことである。今は全く違うみんな会社員の時代なのだから何をしているのかわからない人が多いのである。
田舎でもそうである。東京から会社の社長がきて迎えに来る,そうなると東京の会社の社長はここに住んでいないから土地のことに関心がないともなる

例えば市役所の人がきても原町の人だったら鹿島駅に関心がないし車だけで電車を利用しない人は駅には関心がないのである。
そういう時代だから何か一つのコミニュティというのが形成しにくいのが現代である。
すると誰かわからない人が駅にうろついているだけでも警察に通報する
直接いつもいたのだから聞きもしないでそうしている
あやしいとしてもその正当な理由がないのである。
その通報をうのみにして警察が飛んできて職務質問する
何か迷惑をかけているわけでもないのにそれが義務だとして正当化している

広域化社会とかグローバル社会とかになったがその弊害も大きかった
昔の村のような核となるコミニュティが崩壊したとき原発事故でもわかるようにコミニュティは簡単に崩壊して元にもどらなくなった
広域化グローバル化の影響は確実にある,金さえあればどこでも暮らせる便利に豊かに暮らせるというときそうなる,それもいい面と悪い面としてある

物事は必ずいい面と悪い面に働くは便利でも交通事故がない日はない,車も諸刃の剣なのである。
その最たるものが原発だったのである。これも事故がないならいいものだった
でも事故になったらもう故郷でも住めなくなったのである。
この被害は大きいのである。
なんでも諸刃の剣だということを知らないとそういう危険な目にあう。

要するにこの世に絶対的いいものはない,いいと思ってもダークサイドとか悪いものともなる,科学技術は人間にとっていいものだとしても悪く働くと交通事故になり原発事故になり住めなくなる
警察権力でもそうである。いいものとして働けば治安を守る,逆に悪いものとして働くと住民の自由な権利やコミニュティをも破壊するようになる
田舎では極力警察権力は嵌入しない方がいいいのである。
ただあやしいと通報しただけで昔から長く住んでいる人を職務質問したりしては田舎は住みずらくなる,だから極力角をたてないように田舎では配慮する必要がある

警察は権力があるから家の中までもずかずか入り込んでくる,相手のことなどかまわないのである。暴力的であり横暴になりやすいのである。
それでいいとして警官があるとき田舎でも平和が乱される
そして気まずくなり住めなくなるのである。

やはり人間は生物の一種だからどこであれ一カ所に長く住むことで信頼でもアイディンティティも形成しやすいのである。自然と一体化するのが自分の詩のテーマである
自然も木でも寿命が長い,最低で百年とかなる,縄文杉だと千年とかなる
そういう時間が長いものには重みがでてくる
住民でもそこに長く住んでいる人は信頼するとなる,コミニュティが形成されてゆく
それがない時代だからこそコミニュティは原発事故があったりすると簡単に崩壊してゴーストタウンになったのである。
それは必ずしも原発事故だけの原因ではないと書いた
その土地に根ざす生活を現代はしていないからである。

いづれにしろ警官自体が転勤してきたよそものであり銀行員もそうであり長くはいないのである。だから土地のことを知らないし愛着もないのである。
知らないからづかづかとただあやしいというだけで地元に長く住んでいる人でもあやしいという通報だげで土足で入りこむようにかかわる
通報した人にも問題があるがやはり正当な理由もないのに権力を乱用してはいけないのである。
つまりそこに長く住んでいる人にはそれなりの権利が生じているのかもしれない
転勤とかよそ者を別に拒否するわけではないがそこを分けるべきなのかもしれない
そういう場でづかづか警察権力を乱用すると田舎の平和が乱されるからだ
農民だったら草分けは尊重された,最初にその土地を開いた人である。

鹿島区でも会社の社長は東京からくる,その社長は地元に住んでいないのである。
すると地元の愛着はない,ただ地元で人を使い社長は東京で暮らしていたのである。
それで社長だから給料は高いのである。それせ何か不自然なのである。
東電の社員でもそういうことがあった,地元にずっと住んでいるのではなく一時的なものとして住んでいた
もしずっと長く住んでいると原発が事故になったら被害が及ぶから考える
でもまた地元から離れたりするから転勤する人は転勤した人にはない
そして本社が東京にありフクシマの所長と事故のとき意思疎通ができなくなっていたのである。
それは本社が東京にあったからである。地元にあったらそういうことはないしもっと真剣に安全を考慮したかもしれない,
なぜならそこに長く住むからである。

今はそういうことはない,新参者の方が威張っていることもあるし力があったりする
金があればどこでも威張れるとかなる,そこにまた問題が生れている
そうなると田舎はそれだから嫌なのだとなる
それもわかるのだが今回の駅での自分の問題でも困ることにもなる
警官自体がよそものでありそのよそ者が権力をもっているから田舎の平安が乱されたからである。
村でも庄屋でもなんでも権力をもっていた人はいた,でもその人は村の事情を知り尽くしているからもめごとでも丸く治められるということはあった思う
警察権力はそういうものではない,村の田舎の事情など考慮しないのである。

昔から日本では長いものに巻かれろとかあるから別に今だけのことではない
ただ現代はまたそういう社会ではない,自由社会であり民主主義を追及している過程にある,警察にかかわりたくないというのはわかる,自分もそうである。
スネに傷もたない人はいないからである。
でもそうしていると自由や地元に生きる権利すら侵害されて生活もできなくる
この辺では原発事故で同じようなことを経験しているのである。

現代社会は法律がすべてであり法律で解決しようとしても実際はできない,そして泣いている人は大勢いる,だから法律も万能ではないのである。
警察は上級国民の見方であり弱いものの味方ではない,だから東電の幹部すら未だに罰せられない,東電は検察の天下り先になっていたからである。
今回の問題も原発事故でもそれは何か現代社会の問題を浮き彫りにしたのかもしれない,あんなに簡単に町自体が村が崩壊してしまうことはイメージもできなかった
それはどうしても原発事故だけの影響ではない

そういうことが起こりやすいのが現代社会なのかもしれない,だから今度は大規模な大都市でも一挙に崩壊してくることが起きるかもしれない,外からの攻撃かもしれない,
ミサイル一発でも東京でも崩壊してしまう恐怖がある:また大地震でも何か原発事故でもそうである。そういう社会に住んでいるということである。
そして文明自体が崩壊するということもありうる,この辺ではそれとにたことが起きたからである。治安が乱れるのもその一つなのである。無法状態のようになるかもしれない
そういうことが一見平和であってもやはりこの辺のように近未来に起きてくるかもしれない,その危機感がないだけであり突然なるのがこの辺を見ればわかるのである。

駅の公的共同空間から排除しようとする警察と通報者に抗議を!


駅の公的共同空間から排除しようとする警察と通報者二抗議を!

ペイトマンは政治参加の体験が政治的有効感覚を生みさらなる政治参加を促進するとしているが、バーバーは政治参加によって市民相互の友情が育まれ公共善への関心が生じるという。

政治に課せられた最も重要な課題はアクティブな市民社会を再生すること
である。そのためにはシティズンシップの尊重と市民に公的空間へ参加する権利を保障する必要があると主張している。

駅は市民の公的共同空間である。そこから排除しようとする通報者は許されない,市民の権利を奪うからである,公共的空間の立ち入りを禁止される
これは重大なことである。市民としての自由が奪われる

正当な理由なしに「あやしい」という通報があれば警察がまたかけつけて職務質問するという,そして公的共同空間からの排除しようとする,市民の重大な権利を奪うのである。なぜなら公園でも広場でもただ自由にぶらつくことだってある。
それをあやしいというだけで通報されていちいち警察が来て職務質問されたら市民は広場でも公園でもぶらつく散歩することもできないのである。
何かあやしいという理由も根拠もないのである。
ただあの人があやしいというだけで通報されて職務質問に何度もかけつけるという
市民の権利と人権侵害なのである。

これが許されたらまさに警察国家である。それは自分だけの問題ではない,みんなの市民全員の問題なのである。
誰かが匿名でもなんでも通報すれば警察がやってきて職務質問して身体検査までする
そして共同空間からの排除しようとする,ただあやしいというだけで理由もなしに
通報されただけで共同空間から排除される
そんなことが許されたらここではもうまともに暮らしていけない,自由が奪われるのである。そんな通報をいちいち聞いて理由もなしに職務質問されたらもうここで生活すらできないのである。

駅をぶらついていても駅に毎日来てジュースを飲んでいる人もいるし会話を楽しむ人もいる,そのことを書いてきた,駅は公的共同空間なのである。
その市民の権利はただあやしい人がいると理由もなしに職務質問して何度もあやしいと通報されるだけで警察は来る,それが義務であり勤めなのだという
例えばこ公園でもぶらついていてあやしいと通報する人がいたら公園すら利用できないのである。公的空間の排除が警察によって行われることなのだ

これは自分だけの問題ではない,白川勝彦氏にも起きたようにみんなの問題なのである。だから市民がみんなで抗議するべきである。
そうしなければ公共的空間で暮らすことの自由が失われる,何の理由もなしにあやしいと通報されただけですぐに警官がかけつけて職務質問されることが許されのか?
警察は市民を守るということもあるが市民の敵と化すこともある。それが怖いのである。まさに警察国家になる,地元で公共善も追及できない,警察があやしいとだけ通報あるだけでかけつけて尋問して公共空間から排除しようとする
警察はもう市民のためにあるのではない,市民の公共善を追及することをはばみ,そして公共的空間から排除しようとする,隔離しようとする
警察は市民に敵対するものとなるときまさに警察国家なのである。
市民は警察を糾弾しなければ警察が権力がありなんでもできるとなり警察国家になるのである。

警官は何度でもあやしいと通報があれば来るというからだ,事情を説明してくれといってもきかない,あやしいと通報があれば何度でも来ると言うのである。
その理由は問わないのである。権力の横暴がこうしてまかりとおったとき民主主義もなにもない,恐怖政治であり警察国家になるのである。
それは自分だけではない,市民全員に及ぶことなのである。
だから市民は警察と通報者を糾弾すべきである。抗議すべきである。

治安の悪化は被疑者が権利を主張しすぎるから、ではなく、警察が信頼を失って法治主義が崩壊/衰退したから、ではないか。

烏賀陽(うがや)弘道という人も警察にひどいめにあった,それを書いている
この人も記者だから弁護士を知っていたりして抵抗した
でも一回でも警察にひどい目にあうと警察を信頼できなくなる
それで法治主義国家が崩壊してゆく,その時村の自治のようなものが残っていれば対処できるが国レベルで対処できなくなる
今の時代コミニュティの力が弱い,分散しているからまたむずかしい,自治体というけど自ら治める力が衰退しているのである。

そうなると誰が市町村の治安を守るのかとなる,住民が守らなければ守れないとなる
その住民の間でも今回のように互いに不信感があり相手を知らないこともあり
コミニュティとしての絆が弱くなるとどうして治安が守れるのかとなる
いづれにしろ有名人でもそれなりに力があっても警察には抵抗できない,一回でもこういう目にあったら恐怖になり忘れられないのである。


しのびよる警察国家の影(白川勝彦) を読む


しのびよる警察国家の影(白川勝彦) を読む

職務質問でここまで抵抗できる人はいない,どう対処するのか国家公安委員長までしているきだから心得ていた

私が会いたいのは署長だけですから、誰が出てきても同じです

つまり警察でも市役所でも会社でもどこでも対応するのは責任もない下の人でありそういう人とあっても言っても何の効果もないのである。
私は上の人の命令でしているからわかりませんで終わりになる
市の問題でも何か市民が訴えても同じである。

でも署長に会えるのかとなると普通の人はできない,そこまで通すことはできない
それでも署長が最大の権力者でありその人に会って言わない限り効果はなにもないのである。下の人は何の責任もとらないし実行力がないからである。
適当にあしらって終わりになる
そういうことはみんなどこでも経験しているだろう。
官僚でも役人でも会社だったそうである。会社だったら社長に会えば社長が権限をもっているのだから効果がありその他はないのである。

つまり下の人は何もできない,すると権限をもっている社長が本当は大きな責任をになっている,警察署長なら署長が権限をもって部下に命令できるのである。
部下がそうして無法なことをしていたら注意するし改めさせることができる
部下が無法な職務質問しているのは実は署長の責任になる
でも署長は部下のしたことを知らないとうことがある,でも署長が責任があるとなる
それは公安委員長までしていた人だから知っていてできたのである。
社会とは誰が実質動かしているのか?そうして権限と権力をもっている人だとなる

ここで問題になるのは、Due Process Of Law という考え方なのです。法の適正手続きなどと訳されますが、本来の意味はちょっと違うような気がします。国民の生命・身体・財産などに対する強制力の行使は、法が定める正当な手続きと方法に基づいて行なわれなければならないという、かなりポヂィティブな意味をもっている概念で、アメリカ法のもっとも基本的な理念のひとつです。

誰に対してもできるというものではないのです。

異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断して、何らかの犯罪を犯し、または犯そうとしていると疑うに足りる相当な理由のある者

こういうことが匿名の者があそこにあやしい人がいるというだけで職務質問できるのか?
その理由が全くないのである。第一あやしいというだけでどうしてあやしいのか聞いていないからである。理由がなくてもしやしいと通報があったら職務質問する
それも何度もあやしいとだけでも通報があれば職務質問に来る,それが勤めだと言っていた,こんなことが通るのかとなる
こうなったらもう警察国家ではないのか?
誰かが勝手に通報する,そしたら市民を勝手に職務質問して身体検査もできる
それはまさに警察国家である。

国民に信頼されない警察には、情報も集まらなければ協力も得られないからです。国民の情報提供や協力がなければ、犯罪の捜査といえどもその実をあげることはできないのです。それは、他の警察活動でも同じです。しかし、権限の塊ともいうべき警察組織の中で育った警察官は、意外にこうしたことを知らないのです。国民に恐れられる警察が強い警察だ、と勘違いしている人も結構いるのです。だから、私は「国民に信頼される警察になれ」ということを強調したのです。

警察のこうした横暴を許したら警察国家になる,市民は誰かがあやしいと通報されれば強制的に職務質問される,これこそ昔の特高と同じである。つまり警察国家であり市民の安全は警察がおびやかしているとなるのだ。
警察でも市民に国民に信頼されなければつとまらない,だって公務員とは市民に奉仕することだからである。その市民が主役なのである。
市民の意識をもち市を作り上げてゆくのが市民なのである。
そういう市民意識がないと北朝鮮のような戦前の日本のような警察国家軍隊国家になり市民が300百万人も死ぬはめになる

そういう危機意識をもつ必要がある,何でも権力の一方的行使になると危険になる
それは原発事故でもそうだった,「安全神話」には検察がかかわり今でも幹部が逮捕もできないからである。ここでも原発の被害にあったものはそうした国家と一体となった
東電とかに疑問も抱くことがなかった,それがこれだけの被害になったのである。
それは戦争ともにている,行政でもこういうことがある。
市役所の職員が必ずしも市民に対して奉仕するということがあるとは限らない
適当にして無関心だということもある,市民が主役であり市民が目覚めなければ
市も良くならないのである。

日本は歴史的にお上に支配され言いなりになってきた歴史が長い,だから市民意識が希薄なのである。村という狭い意識しかもっていない,そううい歴史がないことが日本も容易に警察国家になりやすい体質になっているのである。
欧米では権力の抵抗から市民革命が生れてきた経緯がある,それがない日本は容易に警察国家になりただお上の言うことを信じる,そして戦争でも原発事故でも大被害を受ける
市民というときブルガーであり市壁に囲まれて市民が敵と戦うという歴史がヨーロッパにはあった,日本は村がコミニュテイの単位でありそういう市民が共同して戦うという歴史がない,ただお上の言いなりになりやすい国なのである。

ペイトマンは政治参加の体験が政治的有効感覚を生みさらなる政治参加を促進するとしているが、バーバーは政治参加によって市民相互の友情が育まれ公共善への関心が生じるという。

政治に課せられた最も重要な課題はアクティブな市民社会を再生すること
である。そのためにはシティズンシップの尊重と市民に公的空間へ参加する権利を保障する必要があると主張している。

パスポートにはどこのシティに市に属しているか書く,日本の感覚ではない
(citizenship)もない,市民という言葉そものものが日本にはなかったのである。
だから訳しようがないとなっていたのである。
市民の政治への自主的参加なのである。それはボランティア精神にも通じている
警察が市の職員が公的な機関にまかせるだけで市は良くならないのである。
駅は公的空間でりそこに参加する権利があり保障する必要があるとなる
その公的空間から排除されたら市民はただ警察の言うなりになり市民の連帯も失われるのである。

原発でも市民の抵抗が弱いのはそのためだった,市民というときまた左翼のようなものではない,それもまた一つの権力を形成する,カルト教団も一つの大きな権力を形成する
そういう団体はまた国家権力を形成する,それは中国が共産党一党支配となっているのと同じである。それは市民の国でもないし政府でもないのである。
まさに警察国家になる,そこには民主主義などないのである。