2018年01月05日

「労働は国民の義務ではない」 労働は他者に被害を与えることがある-武田邦彦氏への反論


「労働は国民の義務ではない」

労働は他者に被害を与えることがある-武田邦彦氏への反論

人間の思想と労働観とかその他いろいろな価値観は違ってくる,労働に対しての価値観もみんな相当に違ってくる,極端になれば人間が作り出した労働によって作り出した文明そのものが何の意味があるのか?
その労働の精華すら無意味だとも言うことはできるのである。
ピラミッドに使役された労働は莫大なものである。それは何のためなのか?
そんなもの作ったのは徒労だったともいえる
もう王のために作ったとしたら余計にそうなったが今では王のための墓ではないから何かしらピラミッドを作った人達はピラミッドに価値を見いだしていたから莫大な労働力を費やして作ったとなる

人間の歴史は労働の歴史である,歴史といってもいろいろある,戦争が歴史だったともなるし宗教が歴史だったともなるし科学技術などが歴史だったとかもなる
人間はエデンの園で労働していたかとなるとしていないともしていたともなる
神から与えられた種を植えて果実などの栽培をしていた
食料は必要だったからしていた,ただエデンの園では肉食はしていないかった
果実が食料だったのである。その果実はふんだんに与えられていた,果実はぶらさがりバナナのように人間が労苦せずに与えられていたのである。
今では南国の暑い地方では果実がふんだんにあるから飢えることはないから男は働かず怠け者だとなる

人間は自ら働いているのではない,働くことを強いられてきたのが人間の歴史である。
エデンの園では働いていたのではない,エデンの園では自ら働くのであり強いられて働くことはないのである。「労働の義務」はそこにないのである。
なぜなら労働しなくても基本的な食料が得られるとしたらそんな義務は必要ないからである。
働く義務があるとかは自己責任があるとか時の支配者がそういうのである。
そもそも働くというとき誰かのために働くかも今はわからない,地球の裏側の人のために働いている人もいる,そこに働く意味など見いだせないのである。
働くとは端を楽にさせるというときそれは家族とかの狭い範囲で考えていたのである。
近くで見ている家族が働いて苦しいというのを見ているから少しでも楽にさせたいということで働いていたのである。
それは非常に狭い範囲の労働観なのである。

ここではっきりさせるべきは労働はすべていいものではない,労働は強いられたものならいいものではない,労働はボランティアのように自主的にするものならいいのである。
でも人間の労働は強いられたものであり自主的にしている人は少ないのである。
自主的にしていない労働は奴隷の労働なのである。
だから農業でもその女性は農業が好きだから文句を言ってもわずかの畑を金を出してしている,その金を自分が払っているのである。
そこからとれたものでもらったのは今でもトマト二三個だけだった
その女性はその畑を別に強制されてしているわけではない,ただしたいからしているのである。それで収入になるわけでもないしかえって支出が増えているからだ

一方で本当に農業で生計を立てている人はもう強いられてやる,そんな軽いものではないまず品質のいいものを市場に出さない限り売れないからである。
市場での競争に勝つためには品種改良したりいろいろ工夫しなければならない,そうならないとブランド米にならないし売れないから生計が成り立たなくなるからだ
そういう労働の結果として今では米はうまくなりうまい米を消費者が食べられるとなった
ただ別にそうして売るための労働でないにしろ自分たちでうまい米を食べたいからうまい米を作る,農家は新鮮な野菜でもいつも食べられる,農薬使わない野菜を食べているのである。ただそれが売るものとなるとやはり強制された過剰な労働となってくるのである。例えば栃餅というのがある,これを山の村では作っていた,でもこれを広く販売するとなると労働は確実過剰になってくる,その労働量は増えてくるのである。
でも売れれば金になるということで見返りがある,でも労働量は増えるのである。

現代はこうして交通が発達していろいろなものを食べたい、うまいものを食べたいとかなるとそれはグローバルになり世界から食料が入ってくる
でも結果的には労働は何倍にも増えるのである。
もともと文明が発達しない原始的な暮らしをしていた人は怠け者だったというときそうして何か欲しいものがあっても限られてたから得る方法もないから少ないもので満足しているほかなかったのである。結果的に労働量は少なくてすんだのである。

働くというとき働かさせられるということがある。うまいものを食べたいとそれに答えるレストランが必要になる,そうさせるのは誰のなのか?
それは実は金持ちであり昔なら王様である。王様だったらうまいものを食べたいから料理人を雇う,そしてうまいものを作れとなり中国とか韓国とかで宮廷料理として発展したのである。
それは今も同じなのなのである。誰か金持ちがいるとするとレストランでうまいものを食べたいとなりそういう人が必要になり働かさせられるということもある
自分は外食を良くするけど千円が上限でありそれ以上はなかなか出せない
すると自分のようなものだといい料理を出すのは限界になるのだ

要するに王様がいて金持ちがいて誰かがその人のために使われ働かさせられるということがあるのだ
だから会社員でも社蓄だとか自ら言っているのは自ら自主的に働いているのではなく誰かのために働かせられているとして労働しているからそう言っているのである。
労働は義務だというときそれは支配者がそう言っているのである。
自己責任だというときも支配層がそう言っているのである。
金持ちにとって労働は義務だとか貧乏なのは自己責任だとか言っていれば都合がいいからである。
その支配層は公務員とか甘い汁を吸いる人達とかであり底辺層はお前らは自己責任で貧乏になっているだけだと言っているのである。

武田邦彦氏の言い分とか見識は外国でも暮らしているから広く深い,でもフリ-ターとかを批判しているのは納得いかないところがある、フリーターとニートの末路は本当は信じられない悲惨な末路が待ち受けていることも確かである。
その証拠が自分だったのである。社会の常識がないことで自分は介護などでひどいめにあった,それは言えるから別にフリーターとかニートがいいとかは言わない
ただその労働観とかはいろいろな見方があるから賛成しにくいのである。
科学者で技術者で学者で仕事している人と毎日流れ作業とか建築現場とか汚れたところで働いていたりサービス業で頭を下げて仕事している人や嫌な人に売るために営業している人とか嫌な仕事はこの世には多いのである。
そういう仕事は誰もしたくないのである。だから機械かAI化した方がいいとなる
力仕事だって機械化しているのはそういう仕事は人間がしたくないからである。

武田邦彦氏に言いたいことはなぜ原発を推進してきた支配層なのに謝らないのか?
原発で働いたからこそそれがこの辺をとりかえしつかないものにしたのである。
故郷にも住めなくなったのである。それはお前たちが働いたためだともなる
だから労働がすべていいものとはなっていないのである。
ギャンブルをしている人のために働いていた人もいた
パチンコ屋の掃除とかしていた人もいた,その時自分は介護とか苦しかったがパチンコ屋のためにパチンコする人のためにその人は働いていて自分が苦しいことなど関係なかったのである。
なぜなら借金しているからその金を返すために働いていたからである。
そのパチンコをしていた人達は原発避難者の小高の人達だったのである。
そこで自分は怒りになったのである。

ギャンブルと原発は違っていてもにたものもあったのである。
つまり労働が義務だというとき労働していることが他者に甚大な被害を与えるのである。戦争だって労働なのである。それは人を殺すことが仕事になるのである
資本主義社会では金がすべてだというときその金のために働かせられて人を殺していることもあるのだ,金のためには戦争することもあるからだ
金のために奴隷にさせられて働かせられているからだ。
借金した人と金がない人は人を殺すということも普通にするからである。
働きすぎて死ぬ人もいるがそれも社会にとってそんなに働く必要もないのに会社によって殺されているのである。それは強いられた奴隷化された労働なのである。
医者でも過剰に働くのは金もうけのためである。
いらない薬をおしつけるのもそのためである。
遂に国民を病気にすればもうかるとまでなっている,働くということはそういう過剰な無駄な労働も多いのである。

ともかく「労働は国民の義務ではない」労働の理想は強制されないことである。
人間は別に義務でなくても自主的に働く人は働くし勉強する人は勉強する
民主主義の理想は自由であり自主性を重んじることである。
それで共産主義を武田氏が批判することは同意する
しかし「労働は国民の義務である」というときそれは共産主義の思想なのである。
それは強制しているからそうなる,労働は必要でも義務ではない,自ら労働する自主的にボランティアで労働することこそ理想なのである。
だからこそ機械化をAI化を人間は進めてきたのである。
奴隷的な奴隷から解放させるために機械化AI化をすすめてきているのである。

自分の意見としては遊びも労働だったとなる,自分にとって旅行することは見聞を広めることだから労働だった,自転車旅行は辛いからこれも仕事だったとも言える
それは他人が認めなくなくてもそうである。
金にならなくても労働になっていることはある,金をもらう労働にはギャンブルとかその他原発だって他者に甚大な被害を与えるものがあることを知るべきである。
環境破壊にもなっているし大気汚染も人間は働きすぎてそうなっているのである。
ソーラーパネルだって環境破壊であり景観の破壊なのである。
だからその労働がすべていいものとはならない,つまり環境破壊を防ぐには人間が過剰に働かないようにすることだともなるのである。
いづれにしろ労働観とか価値観も常に変わっている,だから「労働は国民の義務であり神聖である」とかなると人は支配者層に奴隷にされて働かせられることもあるから気をつけるべきである。

結局武田邦彦氏のような科学者や技術者は別に原発でも危険な作業はしないのである。
そういう支配者層が底辺層に危険な仕事につかせて労働は国民の義務だと言う
それならそういう底辺層のしている仕事をしてみるべきだ
みんなが原発事故で言っていた,原発にたずさわった人が放射能の瓦礫をかたづけろとか放射能に汚染された地域に住むべきだとか言っていたのも一理ある
それが支配層の責任なのである。労働した責任をとれともなるのである。
ただ人間は矛盾した存在だし言い分はある,フリーターとかニートはいいものではない
やはり仕事のプロとなることが望ましい,それは世界で共通したことである。
でも労働にもいろいろあり本当に甚大な害をもたらすものとして労働もある
労働によって環境は破壊され人は殺されるのである。
だから文明そのものを否定する人もでてくる,そのこと労働そのものが無益であり徒労でありかえって害になるという逆説なのである。





posted by 老鶯 at 22:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

建築から見る歴史(アテネの学堂-詩)


建築から見る歴史(アテネの学堂-詩)

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ピサの斜塔を変形したらこんなふうになった
これも奇妙である。



 気高いア−チ

 Humans are united with their divine ceremonial hall
  with dignity or nobility
 in the majestic solid foundation hall

ア−チよ、力強いア−チよ、気高いア−チよ
その荘重な堅実なる殿堂よ
そは人を高貴ならしめる
自信に満ちたる人の姿よ
その足よ、その胸よ、その頭よ
それは意味あるものを語りつづける
イデ−を探求しつづける眼よ
南の明るい光の中に
馥郁と香る花々のように
真理探求の友はよりそい耳をこらす
その友は対等にして奴隷の弟子にあらじ
その学問の殿堂をともに自立し歩む
人間はその神々しい殿堂と一体となる
ア−チよ、ア−チよ、気高いア−チよ
その石の殿堂の歴史は古りぬ
威厳に満ちた人間は彫刻と化して 
その殿堂の中に揺るがぬ座をしめる 
建築は人間を飾るものにして主体は人間 
光輝ある人間がその主人
尊厳は人間にあり光は人間から発せられる
ア−チよ、力強いア−チよ、気高いア−チよ
その礎は堅く、不朽のごとくア−チは
尊厳なる人間を永久の記念とする

真と美の殿堂

ローマの遺風堂々と
堅固なアーチの堂宇
一同に天才達の集う
自立する哲学者と弟子
一対一の自由なる問答
建築は人間に威厳を付与する
知的な探求はやむなくつづく
そこに清新の気はみなぎる
自由と自立と規律は調和して
大地の実り,職人の技の結集
ギリシャの知と美,ローマの建築
イスラムの知とキリスト教の精神
一つに統合された美と真の殿堂
平和の殿堂をここに築かむ
神の祝福はここに注がれむ

A god of Roman majesty
Strong arch gate
We gather together of genius
Independent philosopher and disciple
One-on-one free question and answer
Architecture grants human dignity
Intellectual quests continue to be continued
There is a spirit of freshness there
Freedom, independence and discipline are in harmony
The fruits of the earth, the mobility of craftsmen
Greek knowledge and beauty, Roman architecture
Muslim intellect and Christian spirit
One integrated beauty and true hall of fame
Build a Hall of Fame here
God's blessing pours here

 晩秋ア−チの駅

旅人はフランクフルトに着きぬ
そのア−チの荘重な駅に
人々の出会いと別れの交差し
秋はまた深まりぬ
その荘重なバンホ−フは
その人々をつつみ古りぬ
駅にすらその建築は威厳を付与し
人々を尊厳あるものにする
駅は単なる雑踏にあらじ
旅人はその駅に着きて
一つの歴史を刻む
まことに我はここに来たりしと
その存在を建築の中に見出し
人間の存在を尊厳ならしめる

 ヨ−ロッパの都市(建築の意味)

シュペングラーの西洋の没落が建築史から見たもものだった,建築のその時代と国の文化や歴史が凝集されているからそうなった
アテネの学堂は傑作である。そこに西欧文明の神髄なるものが表現されているからだ
エジプト文明がピラミッドに象徴されのと同じである

中心にいる人物がソクラテスだといわれる,その周りを様々な人達,天才達がとりかこんでいる,そして師と弟子は対等に並び問答する,つまり師と弟子は上下関係ではないのである。その相違が東洋とは相当に違っているのだ。
自由,博愛,平等というときそれは上下関係ではない,対等のものとして真理を美を善を追及するのである。
宗教は上下関係になりやすい,そこで人間は精神的に奴隷化されるのである。
カルト教団になると教祖が悪魔でもそれに機械のように従うだけであり偶像崇拝になる
そこに人間の自主性も尊厳もないのである。
師の危険は偶像崇拝になることである。

ヨーロッパを旅すると実感するのは建築が文明であり建築によって人間に威厳を与えているのである。それは駅までもそうした荘厳な建築になっている
それは無駄だというのもわかる,日本では駅は機能的なものとしてしかないからそうなる現代の建築には機能的な要素うかないビジネスだけの建築である
ローマのアーチでもそこには精神性が付与されている
だからルネサンスとしてアテネの学堂の中心として形成されたのである。
ルネサンスは西欧文明の精華としてフィレンツに華開いたのである。
そこにはイスラム文化も結合された,そこには宗教の血なまぐさい争いはない
平和的結合された人類の精華だったのである。
政治は常に対立であり闘争であり戦争になる,文化は違っていても互いに刺激しあい結合して一大殿堂を作るのである。

西欧文明というときやはり今の文明の基礎にある,その源がギリシャにありローマにありと中世のキリスト教にありと連続している,継続している
それ故に一大文化の殿堂がルネサンスで生まれたのである。
マヤ文明とかインカ文明は孤立文明となり森に埋もれて発展しなかったが西欧文明は結合して発展したのである。

ヨーロッパでは都市すら一つの建築物であり計画的に作られている設計されているからそうなる,日本の都市のように雑然としてはいないのである。日本の都市は無計画に作られているからそうなる
西欧文明は規律とか計画とか設計とか人工的なものを理性的に作ることが根底にある
日本の文化は自然そのものを庭でも取り入れる,自然ににせたものを取り入れる
でもヨーロッパの庭も計画的に人工的に設計されたものであり日本の庭とは違うのである
ともかく文明は建築から見るとわかりやすい,必ず象徴となる建築を残しているからだ
日本の伊勢家神宮でもそこに日本の文化を見いだした外国人がいるように精神性を示していた,質素とか簡素とかの日本文化の象徴として伊勢神宮があったともなる
それは建築とも言えないにしろやはりそういう日本文化が文明の象徴としてあったともなる

posted by 老鶯 at 10:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本(世界)文化文明論