2018年02月02日

うまい大福と相馬焼きのコーヒーカップを買う (経済とは何か?-本当の価値を追及すること)


うまい大福と相馬焼きのコーヒーカップを買う

(経済とは何か?-本当の価値を追及すること)

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利益の追及は悪いことではない,正当な利益の追及は悪いことではない,今日金沢の街から離れた所のコンビニで大福餅を130円で買った
その中味は小豆の粒が大きいのである。
これはセブンとか他のコンビニでは売っていない,他は100円くらいで売っている
130円は高いようで高くない,それだけの価値があるものだからその値段でだましてもうけているのではない
その大福餅が食べたくてそれほど遠くもないと思い自転車でそこに寄って買った
ただあそこはダンプがひっきりなしに通っているから嫌だった
あんりる行きたくない場所になっている
でもあんな離れたところでコンビニが成り立つのか?
それは外から来たダンプの運転手とか工事関係者も寄るからなのかもしれない。
場所的には良くないからである。津浪の被害もあったところだからである。

何か一つでも売りになるものがあると商売も成り立つとういことがある
あの大福餅食べたいないうだけで寄ることがある
そこは遠いという距離でもないことでそうなる
何か名物が生まれるとそれだけで商売になるのはそのためである。
お菓子屋などがなぜ小売店のようにつぶれないのか,近くではカステラとシュークリームだけを売って成り立っている店がある,それはその店だけが出せる味を出しているからである。お菓子屋はそれで生き残っているのである

100円で同じもの売るより

130円で価値あるものを売れ

大福でも中味が同じでどこも100円なのは今は価値がない
30円高くても価値あるものを売った方が売れるとなる
それは外部の人にでもそうである。
これはどこにでもコンビニで売っているものだとなると価値がない
こんな大福食べたことがないとなれば30円高くても売れるとなる

もう一つは原町のみ道の駅で買ったコーヒーカップである。
これはこの辺の土地の特徴を出していた
この辺は海と大地と森の世界である。
それでこのカップを見ると海の感じと土の感じを出している,それで浜通り特有の特徴を出したものとして評価して買った,2100円だけど高いとも言えるがそれだけの価値がある,こうした陶器類とかの価値の判断はそれぞれにあるからむずかしいことがある
まず芸術品は鑑賞能力がないかぎり無価値なのである。
食べ物ならその価値はどんな人でもわかるが芸術品は鑑賞能力がないなら無価値なのである。ゴッホの絵が何十億だピカソの絵が何十億だとか言ってもそもそもその絵でも見る目がない人には無価値なのである。
ただ何十億となると芸術の鑑賞力ない人もその価値を認めるのが資本主義社会だとなる
あらゆるものの価値が金で計られるからである。
そして金で計られないものは価値がないとなるのが資本主義社会である。

価値を見いだすというときその人が価値を見いだすことがある
近くの花屋でいいフラワーアランジメントをして3000円で売っていた
でもその花屋自体がその価値をそれほど認めていなかった
自分がその価値に注目したのである。和洋折衷の美の価値を見いだしたのである。
だから消費するというとき食べ物なら平等に消費できるが芸術品的なものになると消費できない,買い物もできないとなる
芸術となるとそれを鑑賞できる能力がある人が価値あるともなるのだ

一般的に車でも自転車でも高いものはいいとかなる,でも陶器とか芸術品とかなると値段がつけようがない場合がある
それはその人の見る目がないと評価できないからである。骨董品などがそうである。
だからそういう価値を発見したものはこそそれを作った人と同等に価値ある人だともなる奇妙だけどそういう価値を見いだし得ない者はいくら金もっていても価値がないとなる
そういう人は金ももつ価値がないともなるのだ,確かに10億円の絵画を買うことができても鑑賞はできないとなる,金があっても何でも買える訳ではないのである。
それは自然の美があったとしても金ばかり数えている強欲な人は自然の美が見えないとういこととも通じているのである。
それでソロモンの栄華よりも一輪の自然に咲いている花の方が飾られているともなる
その価値は金では買えない無償のものとして平等に与えられているとなる
ただ見る目がなかったらそれも無価値となってしまうのである。

ただ金だけで高いとか安いというだけ計れないものがこの世にはある
価値にはいろいろな要素があるからである。
土地にしてもそこがどういう場所にあるかで価値が変わる
眺めのいいところだったら価値があるとか車などが頻繁に通るダンプなどが通るとしたら価値が低くなる
都会に豪邸が建ってもそこは見えるのはビルだけだとしたら価値がないともなる
いつも富士山全体を見えるような場所だったら価値があるとなる
価値はだからいろいろであり一定していなのが普通なのである。

経済は人生であり生活であるとか分配とか消費こそ経済だという経済で説いている人のサイトは何か自分と追及している共通のものがあった
要するに金ばかりですべての価値が計り他のものが人間にとって本当に価値あるものが見えなくなったのが現代の資本主義なのである。
それぞれが本当の価値を追及する社会を求めている
ただ別に正当な利益は利益を追及するべきだというのもわかるし分配が大事だというのも共感する
なぜなら現代のグローバル資本主義が数バーセントのものに富が集中していることが最大の問題だからである。
消費と分配こそ経済の基本にあるべきだというのは現在の経済の状況を見ればわかるからだ、経済とは常に人間の社会の根幹にかかわるものである
経済学部と商学部とか商学部は実利的なものであり経済学部は人生全般にかかわるものだともなる
ただ文系の場合はそういう学部ごとで特別変わるものではない,経済といっても陶器一つの価値を見るにもその見る目を養うことが大事になるからである。


貨幣で重要なのは、循環と分配である。循環があって始めて貨幣は効用を発揮できる。そして、貨幣本来の目的は、分配なのである

経済の基礎は消費にあるのである。
消費が生産を制約していくべきなのである。
そして、消費が生産を制約するために分配の仕組みが重要となる。

ここのサイトは現代の経済が本来の経済からはずれている,金だけが価値を計ることになり荒廃したというとき自分と同じ感想であり共感したのである。
それはみんなが思っていることである。
なぜ数パーセントの人に巨額の金が流れて平等に分配されないのか?
そのことが今の経済で一番問題になっているからだ

人間は消費が大事であり生産だけではないというのも誤解しやすいが膨大な不必要なものを生産しすぎる時代だからである。
薬でも過剰に生産して必要ないのに投与したりと不必要なもの本当に使用すべきもの消費すべきものを作る,そのために労働者の時間と金を無駄にしていけないということでもある
ここのサイトは一冊の本のように論を展開している,だから深く考察すると現代が見えてくるので読まれるべきサイトである。

posted by 老鶯 at 20:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

人手不足は深刻


人手不足は深刻


昨日駅で会ったのは沖縄の人だった,岩手県の陸前高田市のことを言っていたから岩手県の人かと思った,なまりがあるので変だなと思ったら沖縄の人だった
その人が言うには人が沖縄で募集しても集まらないという
70以上の老人とかが多いと言っていた,確か東京から80の人が来ていたから人手がたりないので老人でも集めていることがわかる
ベトナム人が来たのもそうである。

建設現場では人手がたりない,でも知っている非正規雇用の人は東京に職探しに行った
この人はいわきの建設会社に雇われているのだが6月まで仕事がないから東京に行った
これはなぜかわからない,近くで人手がたりないと言っているのにどういうわけなのか
前はここで除染の仕事もしていたからだ
ベトナム人もいたが時間にルーズで働かないという
それは実は沖縄人でもそう言われる,南国の人はルーズなのである。
のんびりしているのである。気候でそうなるのである。

沖縄の人は夏に風をひくという,それはバイ菌が飛んでくるからだという,確かに暑いと山原とかの森林がありバイ菌が生まれやすい,それで風をひくというのも南国なのか?
東南アジアとか暑い国では男は働かない,それでもやっていけるのはバナナなどは働かずにとれるからだともなる,食うには困らないからだとなる
日本人はそういう国からすると異常に働く,外国でもそんなに働かない
バカンスとかも長くとる,日本人はなぜこんなに働くのかそこに日本人特有の文化があるという,でも江戸時代は二時で仕事が終わりのんびりしていたというのは何故だろうとなる

無人駅だと仙台行きと原町行きのホームがわからない,初めての人はわからない,それで今度は改札口にその表示をするといいと原町の駅員に提案した
何か欠けているものがある,それはその駅で働いてみないとわからないのである。
ともかく無人駅では困ることがある,それをここで書いてきた
地元の人もそのことを言っていた,老人がふえて電車を利用する人が増えてくる
すると駅からの足が交通も必要になる,バスなども必要になってくる
そういう対策も必要である。

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国内の格差社会化,外国人移民で犯罪が増えてゆく (ベトナム人の犯罪が増加)


国内の格差社会化,外国人移民で犯罪が増えてゆく

(ベトナム人の犯罪が増加)

外国人犯罪の勢力図に変化? ベトナム人の刑法犯が中国人抜く

ベトナム国内の犯罪組織と連携し、盗んだ工具や盗難バイクを「輸出」した事件もあった「盗品売買や生活保護の不正受給などいろいろな犯罪が行われる。留学生と結託して犯行に及ぶこともある」という。

ベトナム人が駅に二人来ていろいろ聞かれたことを書いた,なぜタブレットなどをもっているのか?留学生なのかもしれない,留学生だと入りやすいからである。
別に悪そうな人には見えない若者である。
ただなぜ石油の空のポリタンクがなくなっていたのか
石油を入れるために自転車に乗せていたのである。
それがそのベトナム人に説明していたときなくなっていたのである。
あれは大きいから落ちようがないのである。
ベトナム人も自転車できていたからもっていたのか?

ベトナム人にはベトナムに行って良かったから親近感をもっていた
でも日本に来たベトナム人は正直危険になる,前は中国人の犯罪率が高かった
それは貧富の差がその時まだ大きかったからである。
今は中国人が日本に来るメリットはもうそれほどないだろう。
だからこそベトナム人が増えて犯罪が中国人より多くなったのである。

犯罪は格差が大きいとどうしても起きる,防ぎようがないのだ。
日本に来たら最低でも日本人と同じように暮らしたいとなるのである。
給料があまりに少ないとそれを埋め合わせるのは犯罪しかないのである。
盗むほかないのである。
そういうふうに格差がありすぎると人間はモラルもなくなる
盗んだ方が手っとり早いとなる

これは外国人だからというのではない,日本人でもそうなのである。
格差社会はモラルを崩壊させるから怖いのである。
いくら働いても給料は上がらない,やっと食べるだけだ
そうなると一部の恵まれた人への風当たりが強くなる
あいつは何であんなに贅沢しているんだとなる
そして現代とは働くモラルが消失した時代である。
働く奴は負けだとかなる,そういう風潮がある
働いてもたいした金にならない金持ちの奴隷にされるだけだとかなる
そういうことは自分にあるから他人には言えないこともある

モラルが崩壊するということは人を信用できない
もともと人を見たら泥棒と思へというのは今も変わりない
金持ちの家で家の中で働いてもらうのは本当に危険である。
その格差が大きければ物色される
そして大金を失った経験があるから今は人を信用できない

その原因が格差社会にある,それが富裕層はか比較的恵まれている人達に関係ないかというと関係がある。格差社会が極端化してゆくとそうした恵まれた層も危険になる
いくら働いてもたいして金にならない馬鹿らしいという気持ちになるとどうなるのか?
盗んだ方がいいとなるのだ
ベトナム人などはそうなりやすいのである。この人達は日本人の最低層より下だからである。
貧乏と言っても知っている人はそうでも食べ物は自分より贅沢している
パンでもわざわざ相馬市からいいパンを買っているしサシミでも個人の店からいいものを買っているとか食べ物は自分と何ら変わりないのである
ベトナム人とかは食べ物でも日本人の最低層より下になる
すると日本で暮らしていればどうしてもその穴埋めするのには盗む他ない犯罪になる
それは善悪とかではなく人間はそういうものなのである。
だからこそ格差社会は危険なのである。

そして現代はグローバル社会になると金があれば何でも買えるとなる非情な社会がグローバルになる
それは別に外国人でなくても日本人同士でも今は人間を人間と見ていない、人間は単なる番号のようになり金としか見ていないのである。
人間は金であり金として勘定されているだけだとなる
それがマルクスの指摘した物神化ということが誰でもそういう社会に生きていればそれが現実なのである。
膨大な商品がありその媒介する金が人間を支配するのである。
みんなそういう世界に生きてきたし生きているのだからそれは単なる理論ではない,現実なのである。

ベトナム人でも観光とかに来て日本人と親しくなるようだったら違う
単純労働者とかはそういうものではない,日本で金を稼ぐという切実なものがあるからだだからそうした外国人労働者は犯罪者に容易になりやすいのである。
日本人人でも格差社会になれば犯罪が増える、モラルが崩壊する
日本人は落した財布がもどってくる平和な社会だとか言うがそれとこれは別問題なのである。
日本人でも何かそうしたささいなことでは律儀である
無人駅でも切符入れに電車賃を入れる,別に通りすぎてもわからない,外国人だったらそんなことしない,だから日本人はそういうモラルがあるんだと外国からは見る
日本人でも盗む奴は盗む,いたるところで会社の金をごまかしたり他の所で盗みは日常的である。戦前生まれの人だと何か貧乏でも盗まないとかモラルがあったが今はないのだ
だから家に入れると本当に危険である。

ともかく格差社会とか階級化社会になると上のものと下のものに階層化して意思疎通ができなくなる,そこで犯罪が増えるのである。
モラルが崩壊してゆくのである,そういうことを今恵まれている者は真剣に考えないとその危険が本当にその身に及ぶ割合が大きくなるのである。
殺されることだってありうる,江戸時代は侍の社会として固定化したけどそこには階級社会でもモラルがあった,今階級社会化するとモラルがないから上のものは非常に危険になるのである。
野獣の中に住んでいるようになる,それを自分は介護自分の病気とかで責められて経験しているからだ
もう食うか食われるか金をとるかとられるかの社会である。
だからこそ格差社会を放置しているとその危険が増大して上のものはフランス革命のようにギロチンにもされるかもしれない,そううい恐怖が迫っているのである。

外国人労働者とか日本国内でも格差社会の危険は深刻になる,格差を埋めるために人は犯罪を恐れない,それより貧乏なものはどう考えているか知るべきである。
金持ちから奪うのは権利だ、俺たちがいくら働いても金をえられないのに金がある奴は許せないとなっている,盗んでも当然だ,金持ちこそ俺たちの働いたものを盗んで金をためたのだとなる,だからそこに犯罪は正当化されるから犯罪を恐れない
そもそも犯罪をしたという意識もないのである。
つまりこの世は今やモラルが崩壊して地獄と化してゆくのである。
自分の経験したことはまさにこの世の地獄だったからである。

あいつには金がある,俺にはない
だからあいつから盗んでもいい
人は平等だからだ
盗むことは悪いことではない
当然の権利なのだ
警察は金持ちの味方だ
法律もそうだ
俺たちの働いている金を盗んでいるのが金持ちだ
だから盗んでも犯罪にはならない

泥棒にも三部の理があることは確かである。ただこういうことを普通に思う人が増えてくると日本人のモラルは崩壊する
格差社会や外国人労働者を受け入れることはモラルが崩壊することなのだ
もし外国人労働者にも日本人の最低の賃金とか暮らしを与えるならそうはならないのである。外国人労働者は日本人の最低層より下になっているから犯罪が増えるのである。


これを投稿したと思っていたらしなかった
それでまた新しく投稿した

posted by 老鶯 at 08:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題