2018年05月14日

春の日短歌十首(飯館村の佐須から霊山から山上へ-南朝滅ぶ歴史の道)


春の日短歌十首(飯館村の佐須から霊山から山上へ-南朝滅ぶ歴史の道)

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ここはひびくよう滝ではなかった

もっと下の方だとひびく滝があった,あそこに桜が咲いていた

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これは山上の谷野原の寺の跡なのである。
これがいつの時代のものかわかりにくかった



この山路誰かすみなめ石一つ春の日さして家の隠りぬ

佐須の村住む人なきやあわれかな墓をたずねて春の日暮れぬ

春なれど住む人なきを悲しみぬ佐須の村に来て花は咲けども

ここにある墓もなしかもいづこへと人は去りにき春となりしも

春となり乳神の碑ある家にきて誰か住みなむ佐須村に来ぬ

南朝の栄一時霊山を落ち延ぶ武士や花の吹き散る

山桜はや散りにしをそのあとに滝の轟き夕暮れにけり

野馬追いの旗にし残る南朝の落ち延ぶ武士やその裔を知るかな

寺の跡古き碑ありぬ春の日や心残りて夕べ去りにき

南朝の裔も交じりつ相馬氏の治めし城や時は経にしも


歴史は時代がありその時代の後先が混同するのが一番の問題である。
郷土史研究でもまず村の新旧を知れというときそうである。
この村はこの家は古いのか新しいのかが最初の問題なのである。
なぜなら日本全国で戦後引揚者が山の奥地まで開墾に入ったからである。
そういう村は新しいのである。
そしてそういう村でも江戸時代からつづいている村なのである。

飯館村の佐須というのは佐須(サス)焼き畑のことである。
だからこの焼き畑地名は本当に多い,街の中でも反(ソリ)とつく焼畑地名だったりするからいたるところ焼畑にした,なぜなら今でも農業で一番苦労しているのが肥料だからである。森でも焼き払って灰を肥料にするのが楽だからそうなった
佐須村も江戸時代からあり古いのである。

あそこに乳神の碑が畑にあった,それは明治のものだった,ということは明治時代でも生活は厳しかった,その時牛など飼っていないから牛乳がとれないからである。
戦後自分が生まれ時戦争が終わった時であり牛乳が欲しかったから父親が並んで買ってきたという,その時極端な物不足になっていたのだ
そういう苦労があって自分も育ったというときそれも歴史を知ることなのである。
だから両親とか祖父母から聞く話がまず歴史なのである。

佐須村では人は住んでいるのもみかけるがほとんど住んでいない,一割にも満たない感じかもしれない,ただ全く人が住んでいないのではない,住んでいる
佐須村の中心部で家が多いところには人は住んでいないみたいだ
もともと人が少ないのだから家が多いところに人が住んでいないようでは淋しいとなる
廃村の風景なのである。

あの辺に墓があったりしたがその墓すらなくなった,つまり人が移住すると墓も移住するからである。
佐須村は別である。墓がなくなったのは佐須村へ来る途中の一軒二軒家があったところである。菅野とかあり飯館村の町長もこの村の出なのである。
何か飯館村も原発事故では有名になったとは言える
自分は必ず墓を訪ねているのである。その墓を見て郷土史に興味をもったとなる
墓は資料とは違う,ここに現実に生きた人が眠っているという感覚になるからだ

霊山への道はこの辺では大きな歴史の道である。南朝の城が霊山にあり十年ほどで炎上してその落武者が逃れた道でありその人たちが相馬市と南相馬市の鹿島区の真野に逃れた
この伝説は明確な歴史であり祭りとして残された
鹿島区の只野氏について書いたが只野という姓は本当に鹿島区で多いのである。

何かを自然でも歴史があると違って見える,霊山は歴史の山でもある
だから相馬市の方へ下るとき滝がありとどろく,そこは桜が散ったあとだったのである。何かそれを山桜が散るというとき南朝の滅びを感じる
それは歴史の道になっているからだ
だからやはり最低限をどこでも歴史があるから歴史を知る必要があるのだ
それを知らないとただ自然の中で山桜が散ったとしかならないのである。

ともかく飯館村でも人が住まなくなるとそうした歴史を偲ぶこともできなくなる
佐須村でも人が住まなければそこはどうなるのか?
歴史の道というのではなく廃墟の道,廃村の道となってしまう。
歴史の道というとき何かそこはただの自然ではない,人間の悲哀とかが自然に折り込まれたものとして見るのである。
そういうものは奈良とか京都では歴史があるから常に歴史的に自然でも見ているのである大坂城の桜でもそうである。そこに散る桜はそこで繰り広げられた人間の戦いの跡であり栄華の跡だからこそなんともいえぬものとなる,それが歴史なのである。
東北では桜でも何かそれだけの歴史がないから感じるものがないともなる

歴史を見るときやはり時代が大事である,新旧が大事である。
相馬の城というけどそれは南朝時代の後なのである。
霊山の南朝が滅びたときは今の相馬市には城がなかったのである。
でも南朝が落ち延びてその一族がやがて相馬氏に吸収されて野馬追いに出るようになった只野氏の杉の旗がそうである。他にも南朝が滅びて霊山を落ち延びたとき桑折氏とかもその一族だったのである。それは鹿島区の真野の中館に屋敷を構えたのである

谷野原の寺の跡だったというところには古い碑が集められている
あそこは何か不思議である。江戸時代からあったのだろう
ただ谷野原村というのはない,山上村の一部なのだろう
山上村には山王神社がある,山王の旗が野馬追いに出るがそれが南朝方である。
だから野馬追いの旗では南朝に由来するものは分類できるとなる
一番多いの只野氏の旗なので

春の日に霊山に行く(南朝を偲ぶ- 短歌十首と俳句十句)









中山道の旅初夏十句 (歩く旅は記憶している)


中山道の旅初夏十句

(歩く旅は記憶している)


奈良井宿奥にあわれや藤の花

山吹や中山道に分け入りぬ

武者幟山中行くやひびく川

山吹やしとどにぬれぬ山の道

山吹やしとどにぬれて山伏の碑

初夏や雨に煙りぬ木曽の森

山中に分け入る道や木下闇

岩の渕浦島伝説藤の花

(福島関所)

止められず関所越ゆるや夏燕

妻籠宿ひびき落つ水涼しかな

古りにける妻籠の宿や菖蒲かな

上り行く馬籠の宿や夏の山

確かに旅したのは山吹の咲いているときである。この時は電車の旅だったが途中歩いたりした,その歩いたところが記憶に残る
ただ記憶というのは不思議である。中山道は夏と秋に旅している
それが記憶の中で混乱する,秋に旅したのは自転車だったからである。
記憶たどるたびの不思議は時間的に順序が不明になる
それは例えば江戸時代の年号があってもその年号に何があったか不明であり
年号の順序を間違える,ただ元禄というとき何か目立っている時だからわかるがその他いろいろ年号があってどっちが先なのか後なのかわからなくなる
なにかそれとにていていつ旅したのかその時間の順序がわからなくなる
それは30年とかすぎてみるとわかるのである。

奈良井の宿に泊まったことは覚えている,その部屋の奥に庭があり藤の花が咲いていたことを覚えている,それから奈良井の宿から鳥居峠を上ったとき雨だった
それで深い木曽の杉林が森に煙る景色を覚えている,その時森が深いなと感じた
鳥居峠はさらに奥であり歩いていない
鳥居峠の入り口に山伏の碑があった,山伏の関するものはいろいろ残されている
山伏も旅する人でありその伝説が残されている

電車の旅だからとぎれとぎれに歩いた,最初は山吹が印象に残った
次に妻籠ではここも結構長い道を歩いた,それでその道に菖蒲が咲いていたことを思い出した,その紫の色が心に沁みた,それはなぜか、歩いていたからなのである。
このように歩くことは心に記憶されるのである。
だから旅はまず車だとかバイクだとか自転車ですら記憶に残りにくいのである。
歩くことで記憶に刻まれるのである。
現代の旅は何か電車だとか車だとかバイクだとを利用した旅である
すると記憶に残らないのである。何十年と過ぎたときさらに記憶に残らないのである。
だから旅すらなら歩くべきだと反省する,中山道は歩くにはいい道だからである。
まず東海道などは昔の面影がない,中山道だけは昔の面影が残っているからである。

歩くときはこの辺だと街道を歩くのはいいが六号線を歩いても記憶に残らない
それはどこでもそうである。街道を歩まないと記憶に残らない
何か車の洪水にまぎれ記憶に残らないのである。
現代はまず便利だからその便利な乗り物でも利用すると旅として記憶にも残らないのである。
一区間だけでも昔の旅人のように街道を歩くことである
その効果は意外と大きいのである。旅は計画することと旅を実行しているときとそして意外と後でふりかえる回想することが大事になる
でも記憶するには歩くかしていないと記憶に残らないのである。
芭蕉でもみちのくを歩いて旅したからこそ「奥の細道」ができたのである。

都会とかはほとんど記憶に残らないのはなぜか?
喧騒と雑踏にまぎれて人も景色も記憶に残らないのである。
何か大都会になると蜃気楼のように見えてしまうのである。
それは日々の生活でもそうである。都会の生活はあとでふりかえると記憶に残らないのである。回りの景色でもそうである。
そこに生の充実がありえようがないのである。
でも経済的観点から都会の方が便利でいいとしているのである。
ただ最近若い人が田舎で暮らしたいと移住しているのもわかる
人生を充実させるには田舎であり都会ではないからである。
もちろん田舎にもいろいろな問題がある,嫌なところも多い
ただ何か人生を生きるというとき都会に生きて何が記憶されるのか?
それを思うと都会だと車や雑踏や騒音の中に人生も記憶に残るものがなく消えてしまうともなる

いづれにしろ人間の基本は歩くことにある,武道でも空手でも歩くことを基本にして訓練していた人がいた,歩くことを文明人は奪われたのである。
それは実に脳に相当に影響している,外界を体で感じることができない
人工的空間で五感が衰退したのである。だから文明がいかに発達しても何か失われものは必ずある,ただ時代によって得るものも必ずあるとなるのが人間社会なのである。

俳句というとき一句だけではものたりないから自分は短歌でもそうだか十句十首として連作として作る,すると一句一首ではものたりないものが連作として読むと違ったものになる
奈良井宿辺りでは山吹が目についたが妻籠辺りでは紫の菖蒲が目にしみたとなる
その対象で一連の俳句を鑑賞できるともなる

2018年05月12日

南相馬市観光案内(藤の花がきれいに咲く場所)


南相馬市観光案内(藤の花がきれいに咲く場所)

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原町区のダイユーエイトの近く

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上真野川をさかのぼる

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新しくできたつつじの道

地図はクリック拡大


今は藤の花の時期である。南相馬市で藤の花のきれいな場所というと原町区のダイユーエイトの近くの農家であるここでは白藤も多く咲いているから見物である。

それから今日発見したのが上真野側(水無川)をさかのほった所の善徳橋がある所である。ここは桜も咲き柳もありいい場所である。
古い蔵があり落椿がきれいな場所でもあった

最近作ったのか?つつじの道が作られていた,公園ではないが田んぼの回りに作っていた
あそこは自転車でも通れる

それから前に写真に出した老木のある場所は岡和田の辺りだろう
あれもめずらしいし今は都忘れが咲いているのもあっている

南相馬市でも広いから桜でも藤の花でもその他花を見れる場がある
ただ意外とその場所がわかりにくいのである。
桜でも自分の知らない場所に咲いているとしてわからないのである。

車だと通りすぎるから場所を特定しないとわかりにくくなる
地図で指摘したからそこに行けばわかるだろう

観光というときいろいろあるがやはり春から夏は花がいろいろ咲く,それがどこに咲いているか意外と近くでもわからないのである。

藤の花だとあとは相馬市の城跡の神社は咲いているからわかりやすいがその他はわかりにくいのである。
今回でも近くにいい藤の花を発見したのである。

観光は名所だけをめぐるのではない,その土地土地に見るべきものがある,ただそれは目立たないし案内がないのである。
株でも投資信託でももうけているのは知らないものだというとき世の中はそういうことがある
宣伝されるものが売り込まれるものがいいものとは限らないのである。
かえって知らない隠されたところに見るべきものがある
そういうものは自分の目で発見するほかないのである。

宣伝されるものは一般向きのものであり旅の番組でもテレビ局で大衆受けするもの視聴率をとるものにする
でも実際見るべきものはほかにいろいろとあるのだ
だから最近鉄道番組でもありふれて面白くないと思った
もっと細部に注意して編集すれば面白くなる
でもそうなると視聴率は稼げないのである。
そういう番組はyoutubeとかで作ればいいとなるが手間になる
つまり自分なりのものを作ればそれは自分にとってもあとは少数者でも興味ある人には面白いとなる

BSジャパン 日経プラス10 「強権」政治が世界に広がる理由は (文明はそもそも砂社会化してばらばらになっていた)


BSジャパン 日経プラス10 「強権」政治が世界に広がる理由は

(文明はそもそも砂社会化してばらばらになっていた)

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この社会の分析は面白かった,土社会(地縁、血縁の結びつきが強い)
とか砂社会(固い枠をあてがわないと形にならない)とかの分析である
現代は砂社会であるから強権政治になる
それは文明そのものがそうであり東京砂漠のように砂社会になっていたのである。
人のつながりが薄い社会である。その反面そこに縛られない拘束されない自由があるともなっていた
文明社会は砂社会でありそこからナチスとかが生まれたという分析はされてきた
もうその頃から人間は砂社会の中に生きていたからこそナチスが生まれた
今でもそれはさらに進行しているのである。
民主主義にしても一人一人が砂粒にすぎない社会である。

一票の権利があっても何十万何百万となって権力を得るシステムである。
つまり一票の力は何十万分の一であり何百万の一でしかないのである。
人間はその中で数字としてカウントされる存在にすぎない社会である。
それでカルト教団でも権力をとるために一票をとるために数集めのために一軒一軒回る
今の社会は数がすべてなのである。個人はなんの力もないもたされないのである。

この社会分析で個人は石社会だとか粘土社会だとか言うのは理解できない
石社会となれば石のように結びつく社会である。共同体が石のように組み合わされた社会なのである。粘土社会でも強く結びついて結合した共同体の中に生きている社会である。そういう社会は古代とか原始時代までもどる,なぜなら部族社会は一番人間の結びつきが強かったからである。
現代は石社会,土社会,粘土社会ではそもそもなくなって久しいのである。

だからなぜ原発事故で簡単に町でも村でも離散して崩壊したかとなるとそれはこうした社会に原因ししているとも書いた
田舎でもそうした結びつきがない農村のコミニュティでも崩壊しているのである。
いくら放射線の恐怖があっても町や村ごと廃墟化することがありうるのかとなるからだ
その結びつきは広域化してグローバル化してかえって経済的にも結びつきは希薄になっていた,別に都会と同じように金があれば食料でも何でも入るでないかという世界である。隣人の関係でも希薄なのである。
そういうことで補償金をもらったらこれ幸いと避難した人達は他で暮らしして帰ってこないとなった

それは前からどこでも田舎でもあなたに一億円やります,どこにでも住んでいいですよとなればどうなるのか、早くこんな田舎から出て行きたいと言っていた若者がいたことでもわかる,故郷がどうのこうのというより一億円の価値の方が大きくなっていたのである。だから現実に補償金をそのくらもらったらこれ幸いと故郷を離散したともなる
それを誰もとがめることはできないからである。

ともかく石社会,土社会,粘土社会は人間の結びつきが強い社会である。
それは簡単にばらばらにはならない粘着性の強い社会である。
自分が目指しているのはこの石社会であり土社会であり粘土社会である。
これはただ拘束力か強いから自分でも田舎は嫌だったのであり旅ばかりしていたとなる
そういう矛盾は常に人間にはある。
今人間の関係はすべて金に換算されている砂社会なのである。
だから強権政治でしかもう統制できないというのはわかる
それはナチスのファシズムになりカルト教団のファシズム宗教団体になる
第一何百万人が示威行動すること自体すでにファシズムなのである。
権力を誇示して圧力を数でかけるのが民主主義になった
だから砂社会の行き着く先はかえって強権政治でしか統制できない
それは社会主義でも同じである。文明そのものがそういう砂社会だからである。

かつては石社会,土社会,粘土社会だったのである,自分が自然とアイディンティティ化しようとした社会はまさにそうである。
なぜなら自然はそういうものであり木でも石でも大地に深く根を張り動かないし石でも岩でも動かないからである。密接に大地と結びついて動かないからである。
そういう社会がかつてあったしそれはエジプトでもマヤ文明でもアンコール文明でも石の建築物が多いのは石社会だからである。ヨーロッパでも中世とかなると石社会なのである堅牢な石の聖堂があり宗教的コミニュティがあり地域の結びつきが強いのである。

岩と岩は厳かに見つめ合う
固い約束を交わして不動なり
嘘,偽りのなく
岩と岩は固く結ばれている

自分の詩の一部だがこういうふうに人間は結び合っていたのである。
だから砂社会となった文明の結びつきが薄弱であり簡単に崩壊するばらばらになる危険性がひそんでいる,それが原発避難区域が事故で一挙に崩壊して廃墟化したのともにている要するに文明そのものが砂社会でありそれを結合させることが一番むずかしいのである。無数に分業化してパーツ化されて結びつくことがむずかしいのである。
だから石社会とか土社会,粘土社会に還るべきだとなるがそれはもう不可能である。

簡単に市町村で何か原発事故のようなものがあると崩壊して廃墟化する危険性がひそんでいる,津浪や原発事故で盛んに絆が象徴されたのもそもそも絆が消失している砂社会だったのが津浪原発事故でそれを見直す風潮が生まれたのである。
絆が大事だということは絆が失われていたからこそである。
でももうこれだけの世界が文明化すると不可能になっている,砂社会のなかで人は死んでゆくともなる,数としてカウントされ死ぬことも統計的数字でしかないとなる
共同体のなかでの自然の中での荘厳な死もありえないからである。

タグ:砂社会

2018年05月11日

原発事故に対しての理系と文系の対処方法 (文系も問題解決には不可欠な場になった)


原発事故に対しての理系と文系の対処方法

(文系も問題解決には不可欠な場になった)

津浪とか原発事故が提起して問題はあまりにも多様だった,主要なものは放射線被害だから理系の科学者がその解決の任にあたるものだった
そもそも原発そのものが理系の優秀な人達が運営していたからである。
現代は科学の時代だというとき理系が支配する社会だともなる

理系の原発事故の対処方法として放射性物質を出したのは理系が運営している原発でありその処理をするのもやはり理系である。
放射性物質は目に見えないからその対処方法を文系は知らない,でも文系でも絶えず放射線量をマイクロシーベルとかで計ることを強いられたのである。
だからこの辺では毎日その数字を見ていたのである。

放射線量とは数字でしか計れないからでる,だから文系でも理系の方法を学んでいたのである。ただ詳しく理解するのは本当にむずかしかった
でもなんか放射線は水でさえぎられるとかセシウムは泥について付着しているとか放射性物質は減らないというのも知った,事故のときと同じように放射線量が計られるからである。
放射性物質が泥についているというとき樋の下は屋根から集められた放射性物質が付着して高かった
放射性物質については限りなく詳しく研究されているが素人には文系に理解できない
そこで自分には原発事故を追及できないものがあった
その対処方法にしても今度は田畑の土をはがしてとりのぞき除染するのも理系の仕事である。そういうふうに理系の仕事が多いのである。

でも一方で文系的なものからも原発では追及された,まず歴史というのが津浪に関係していたからである。
自分は理系の人に原発を運営する人に一番感心したのは津浪が10メートル以上くると東電の理系集団の人が科学的に予測していた
その予測していたことでそれを防ぐ対処をしなかったことで裁判になったのである。
でも津浪が10メートル以上のものが来るということを予測していたことに感心した
ただそのことは大きく伝えられなかったのである。
マスコミでも伝えられなかったのである
もしそのことがだいだい的に放送されていたらそんな津浪が来るのとこの辺の人は驚き恐怖になっていたはずである
だから東電の専門家以外でそのことを知っていた人は少なかったろう

そもそも原発は秘密裏に行われていて隠蔽されているものでありそうした危険情報も表に出なかったのである。
そのことが今になると一番の問題だったのである。
そこにマスコミの責任は果たされなかった,福島民報でも民友でも危険性は指摘しなかった,福島民報は官報と同じであり50パーセントが県の出資で成り立っている
だから国の言いなりであり危険は伝えなかったのである
マスコミは文系でありそもそも科学にうといから役に立たないというときそうだと自分も思う,原発のことなど放射線のことなどでもそれを扱える理系の人がいないのである。
マスコミはほとんど文系だからである。

ただ文系でも原発に関してはいろいろ追及するものがあった,それは避難区域化したことなどで起きた,それを自分はこれまでプログで追及してきた
郷土史の面からまたは哲学的な問題としても追及してきた
自分の一番の大きな疑問はなぜこんなに簡単に町とか村が解体して廃墟化したことの驚きだった
浪江町だと二万人とか人口があった,それが一挙に廃墟の町となった驚きである。
それは確かに放射線というのが怖いとういことをすりこまれた,遺伝子が破壊されて奇形が生まれとかも怖いことであり限りなく恐怖が与えられたからしかたがないという面はあった

でも自分はなにか放射線だけではない,現代社会の問題もあったのではないかと追及した現代社会は絆のことを津浪や原発事故後盛んいに言われたがそんな絆が田舎でも希薄化していたのではないか?
何よりも便利な生活をしたい,金があればいいという社会になっていた,それは田舎でも同じである。
だから漁業者は東電に漁業権を売り渡して補償金で事故前も裕福な暮らしをしていたのである。農業はただめんどうで苦しいだけで金にならないからやりたくない,後継ぐ者もいないとかなっていた,農業の価値は田舎でも全生産の一割にもみたなくなっていたのである。林業も外材で山をもっていても金にならないとなっていた
そういう社会は農業とか漁業でも林業でも軽んじるのである。
ところが田舎で生きるということはそうした第一次産業の上に成り立っている
それは自然の中に生態系の中に生活しているのが田舎である。
それが都会と東京などとの大きな相違なのである。田畑は生態系の中に組み入れられた第二の自然だからである。
東京とかなるともう生態系というのはないのである。
ただ放射性物質で東京の水源のダムも汚染されたとき生態系を意識したとなる
東京でも生態系から無縁では生活できないのである。大気も生態系の中に入るからである

津浪でもそうだが原発事故となると余計に事故後でも文系として対処する問題があった
その問題は多様になっていたのだ,だから蛙が鳴いた時何か復興したと自分が書いた
それは生態系の復活であり蛙も共に生きていた仲間だったと意識したのである。
それは鷺がもどったときも感じた,生態系から考察すると理解になるが文系的に文学的に表現したのである。
そして故郷とは何か?その根源的な問題を避難区域になった所で否応なく普通の人でも考えてしまう,廃墟化した町とは何なのだろう,一体故郷とは何なのか,故郷は当たり前にあるものだと思っていたからである。
だから故郷について考える,故郷を哲学的に考えるようになった
こんなこともありえないことだった,ただ自分は故郷は生態系とかからアイディンティティ化して詩などを書いてきた,ただそれは故郷に住んでいる人にも関心ないものとなる
経済的利益としての故郷は考えるが自然を森や木や岩や石を精神的象徴として考えることは故郷の人でもあまりないからである。
ただそうしたものは自明のものとしてあった,自明のものとしてあるから意識されていなかったのである。

自分は未だにそのことは考えているしなぜ故郷でもこんな簡単に捨てられるものだったのか?もちろん放射線の影響があるからこそだからしかたないとはなる
でもそれだけでも納得いかないのである。
この辺では江戸時代の前から人が住み続けている,歴史もある,そういう場所が簡単に捨てられて廃墟化したということが納得いかないのである。
故郷とはそんなものだったのか?便利な生活が金があればどこでもできるということで故郷の価値は消失したのか?何かそういうことが納得いかなくていろいろ追及して書いてきたのである。

自分が住んでいる場所は30キロからはずれているから避難区域にはならなかった
だから本当にこういうことを感じるのは考えるのは避難区域になった人達でありその人たちが今どういう気持ちでいるのかとなる
故郷から離れた人でもそうである。結局今は金があればどこに住んでもいい,ならば便利な所に住む,そういう社会であり故郷の価値は消失したともなるとも見る
ただそこに以前として深く考えさせられものがある
それは極めて文系的なものなのである。それは科学とは理系の思考とは違うのである。
何かそこに理系と文系の問題が具体的に現れた場だとも思った
だから理系が主にしても文系的な問題の追及もこの辺では重要なものとして現れた

それで理系と文系のことを考える場として原発事故周辺は適していると思った
なぜなら具体的問題としてありその対処方法は理系的なものが主としても文系的なものとしても追及せざるを得ないからである。



posted by 天華 at 23:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

藤の花,菖蒲,つつじの季節


藤の花,菖蒲,つつじの季節

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セディティになお人多し夕燕

蛙鳴く前田や農家もどりなむ

舞入りて二色のつつじ揚羽かな

つつじ咲き駅に出入りや通りかな


朝の海夏の光りのきらめきつ漁船一掃すぎてゆくかな

水張りし田に映れる藤の花農家の古く夕暮るるかな

雨しとと菖蒲のぬれてこの道や今日も通いて買い物に行く


この季節は夏までは自然も天候も変化しやすい,桜が散ってすぐに夏になり藤の花となり菖蒲となりつつじの季節である。
一度にいろいろ咲くから追いついていけない

原町の金沢の坂を上る所にある農家は悠々としていい,あそこにたくさんの藤の花が咲いて倉があり落ち着く,田舎の風景の中心は以前として農家ということがある
風景から見ればそうであるが仕事からみればそうではない
それで前田という地名のあるところは古い草分けの農家が最初に入ってきたところである前田から開墾されて一つの村が形成されたということがある
この辺では原発事故で避難区域になったところでは前田に田植えが行われて蛙が鳴いたとき復興したとなる,そのことは書いてきた
蛙も実は村の一員のようになっていたのである。

今日朝に街中を行ってみたのは二色のつつじである。白と赤である。
そこに揚羽蝶が舞い入っていた
揚羽にその二色のつつじが映えていた
自然はこのように調和するのである。
ただ人間だとつつじを女性のように見るが争いが常にあるからだめなのである。

ともかく常磐高速のSAのセディティは一日人が絶えない,おそらく楢葉の方にはPAがあるがあそこが一番大きいからそうなっているのだろう
食事もできるとか大きいのである。
花でもやはり人が行き来しないと映えないことがある,赤いつつじだとやはり駅に今咲いているがもっと人の出入りがあれば映えるとなる

自分は今や遠くに行かない,近間を回っているだけである
仙台にすら一年行っていない,それでも近くでも結構見るものがあるなと思った
街の通りに菖蒲が咲いている,すると昨日は雨にぬれて咲いていた
そして自分は毎日買い物である。ただありふれた日常であるがその中に紫の菖蒲が咲いていることはあっている
何かその街にいつくというかなじむという感じになる
つまり何か特別なことではなくても日常の中に詩があるともなる,美があるともなる
それは自分が毎日買い物しているから紫の菖蒲が映えるともなる



商売の基本は変わらなかった (三方よしとは「売り手よし、買い手よし、世間よし」)


商売の基本は変わらなかった

(三方よしとは「売り手よし、買い手よし、世間よし」)


中国の大富豪の劉智健(リュウ チーチェン)という人物が出てきて、こんな言葉を言っています。

「ビジネスの成否を分けるのは、長期の視野をどれだけ持てるかだ」

石田梅岩は、真の商人をこのように定義しています。

実の商人は、先も立ち、我も立つことを思うなり

まず、「実の商人」というのは、真の商人という意味です。

そして、「先も立ち」というのは、まず最初に、お客さんのことを第一に考え、行動することで、お客さんの信用、信頼を得られ、そして、その結果として、「我も立つ」、つまり、自分のビジネスが上手く回るという状態を作ることができる人こそが、真の商人なんだという意味です


自分の場合は銀行でこれを感じた,銀行となるとまた商売でも違うが金融商品の種類が多いのである。とても個人的に選べるものでもない
すると選んでくれる人が客のためにしてくれるのが商売だとなる
でも投資信託がそういうものではない,客のためにそもそも仕組まれたものでもない
証券会社と銀行のために仕組まれたと見る方が適切である。
その仕組みがあまりにも複雑でわからないからである。
つまり証券会社や銀行はその仕組みを知っているが客は知り得ようがないのである。
この知識の格差があまりにも大きいから客にとっては不利な商品なのである。

証券会社や銀行がそうしてもうけやすいものだから投資信託を売り込むのである。
投資信託も種類が多いからその中にもうけられるものがあることもいえる
でも証券会社と銀行の勧めるのは客にとってわかりやすいものである
オリンピックだからJリートがいいとかロボット産業やAIはみんな投資して上がっているとかその内容がわかりやすいものなのである。
でも実際にもうかる投資信託は目立たないし知られないものだという
これもまたなぜそうなっているのか?
そこに金融商品の複雑さがあり素人にはわからないものなのである

そのことを一番自分が経験したことで実証していたのはリーマンショックの前にもっていた株が元にもどったときそれをそのままにしていればかなりのもうけになった
でも銀行の営業の人は投資信託に回したのである。
それは客のためではない,銀行がもうけるのには投資信託がいいからである。
それと営業者にはノルマが課せられているからである。
客のことは考えない,考える余裕もないのである。
ノルマが課せられていると頭の中が投資信託を売るとういことしかなくなるのである。

金融商品というのは物を売買するのとは違うがやはり三方良しという近江商人のやり方が商売の基本として今も通じている
だから社会がこれだたけ変わっても基本的なもので変わらないものがあると思った
もちろん自分は商売について何か語れるものではない
あくまでも客として言っているだけである。

でも商売を考えると飲食業があるとする,これなどはまずごまかせない,料理はごまかせない,値段どおりなのである。
高ければ材料もいいものを使っているし安ければそれなりのものである
これは料理をだす方にしても食べる方にしても納得できるものしかだせない
安いのにいいものを期待するのは無理である。
第一材料費を安い料理にはだせないからである。
サシミ定食を見たら千円くらい材料費がかかっていた,それは日頃買い物しているから察しがついた,すると1700円だったがそんなものだろとなる
ただ自分はメニューを見ないで本当は1000円だ思って注文したのである。
自分は千円以上のものはほとんど食べていないからである。

三方良しというとき客にとっていいものは社会にとっても世間にとってもいいものとなるもちろん売る方でもそのために感謝されるともなる
銀行とか今まではそういうものがあったから地域に必要なものとして地方では銀行員はエリートととして扱われていたのである。
何か社会のためにいい,役割をもっていなければどんな会社でも存続できなくなるのが普通だろう,そういう会社は普通は淘汰される
だから銀行は今社会にとって必要ない,役割がなくなる危機にたたされている
自分たちだけの利益を計る,投資信託などをうりつけるのはそういうことになる

「ビジネスの成否を分けるのは、長期の視野をどれだけ持てるかだ」

これもそうだろう,今もうかればいいとなれば投資信託を売りつける,でも長期的にはどうかとなるとみんなもそれがどういう商品が気がつく,そしてなぜこんなものを売りつけたのだと銀行不信にもなる,信頼されなくなる
銀行は信頼が第一でもっていたからである。
石田梅岩は商人道を説いた,そういうモラルは職人道でも農民道でも江戸時代からあった農民道は二宮尊徳が説いたのである。
そういう日本独自のモラルがあって社会が成り立っていたのである。

それが明治維新になって西洋の思想が入ってきたとき混乱した
新しい資本主義がありそこにもモラルがあったとしても江戸時代からあったものにも習うもの継続するものがあったが見捨てられたということはある
明治維新後は日本古来からあったものを日本人は遅れたものとして見捨てたのである。
あまりにも西欧文明一辺倒になってしまったのである。
それが今になると日本の歴史を見直し古来からある日本の良さを見直すことが求められる時代となった
つまり外来の文化が入ったあとに日本では必ず国風文化にもどるからである
そういう時代の分かれ目として現代はある
それは商売だけではない、いろんな分野に影響しているのである。
医療の分野でも東洋的な医療を見直すとか西欧一辺倒の文化から古来からあったものを見直し取り入れるようになる
現代はそういう時代の節目であるがそこでやはりまた葛藤が生まれるのである。

江戸時代にあったものそれがみな遅れているものとして省みなくなった
そこに現代の日本の問題がある,別に西欧に習わなくても商人道でもあったのである。
それは西欧的な資本主義とはまた違うものなのである。
そのモラルは実はわかりやすいのである。法律となるとわかりにくくなるがそのモラルはわかりやすいのである。
法律も本当は基本的に人間の基本的なモラルを基にしている
嘘をつかないとか約束は守るとか人間として基本的なものを守ることである
それを法律でもなんでもあまりにも複雑にした結果,かえってモラルは荒廃したのであるその複雑故に投資信託でもかえって売る方が有利になりだましやすいともなるからだ

商人道であれ農民道であれそれは別に特定の職業のものだけではない,それは別に一般的に通じるものである。モラルはそういうものである。
ただ長期的視野をもてというとき江戸時代は有利だった
社会の大半は農民であり農民は自然とかかわり自然の中でモラルが培われたからである。その延長に商人もありえたからである。
農民はモラルを形成しやすいが商人となると暴利もあるからむずかしくなる
株ともにている,時代劇では悪徳商人はいるが農民に悪い者はいないとなるからだ
その商人にだまされるのが農民だというシナリオになっているからである。
長期的視野というとき林業でも木が育つには50年とかかかるとするとどうしても一代だけではない,長期的視野で仕事をしなければならない
そうした自然のリズムと合わせるから自ずと長期的視野をもつことになる
今はグローバル社会でもあり変わりすぎるから目前の利益にとらわれすぎるのである。
それがかえって社会のためにならないし客のためにもならないし結局会社のためにもならずとなり三方良しではなく三方悪しとなりやすいのである。



posted by 天華 at 08:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2018年05月10日

銀行,証券会社はブラック会社 (社員はノルマの奴隷-インターネットから引用)


銀行,証券会社はブラック会社

(社員はノルマの奴隷-インターネットから引用)

「おい。お前、今月数字できてないだろ。お前の給料分以上の働きはしろよ。それとも俺に何か恨みでもあるのか? 今、ここで言え。『今週中に必ず100万円の数字をつくります』と……」

ノルマのためなら、顧客なんてどうでもよい

ニュースサイトで読む: http://biz-journal.jp/2012/08/post_485_3.html
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「投信を購入する人は、たいてい人気が高くてすでに値上がりしているファンドを買いたがるため、基準価格がピークに近いときに買ってしまう人がとても多い。ところが、一般的にはピークの期間はそう長くは続かず、それを過ぎるとマーケットが調整局面入りして基準価格も値下がりしていく。人気の高い投信を買って儲かったという人は意外に少ないんです」(前出・神戸氏)


正直、オススメのファンドは派手な宣伝もなく、資金もそれほどたくさん集まっていません。金融商品では保険などでもそうですが、良い商品は概して日の当たらない場所にあるものです。

投資信託はあなたから手数料を吸収するのとは別に、もう一つの役割があるのです。

何だと思います?

それは自社の投資部門で赤字になった証券をあなたの買った投資信託の中にこっそり混ぜて運用して、顧客に損失を被って貰う為にあるのです。

つまり証券会社が上手く儲ける為のシステムでしかないのですよ。

ちなみに証券会社内の隠語で投資信託は「ゴミ箱」と言われています。


投資信託を買おうと思われている人は、「素人の選択眼で株や債券を買うよりは、多少のコストを支払ってでもプロの運用に任せるほうが、リターンは少なくても確実なような気がする」って人が多いのではないかと思います。

しかし、まず大きな間違いなのは、投資信託を運用している人は、プロと言うか殆どの人がただのサラリーマンって感じです。

投資信託(ファンド)って聞くと、「ちゃんとした会社の、ちゃんとした金融商品」みたいな印象を受けるかもしれませんが、調べれば調べるほど「証券会社や銀行がいかに上手く手数料を稼げるか考えた商品」って感じですね。


こういうことだったの?それは自分が経験したから理解できた,もし経験しなければまた理解しにくいことがあるだろう
何か楽天的に考えるのが人間だからである。
人間はつくづく経験でしか本当に理解しないのである。
投資は海千山千のものである
ところがなぜ失敗したのか?

銀行員が来たということである

自分は銀行は地銀などは硬い職業だというものと思っていた
その銀行員が直接来たからまかせたのである。
でもマイナス金利とかで銀行が窮地にたたされて証券売買も自由になったとき銀行は変質していたのだ
それを知るのも遅かったとなる

結局自分の経験で一番わかりやすかったのは

なぜリーマンショク前に買っていた株を投資信託に回したのか?

それはここに書いてあるように銀行側の利益を優先しているからである。
証券会社や銀行員は今やノルマの奴隷なのである。
証券会社はもともとそういうことがあったが銀行員も今やそうしたブラック会社になっていたのである。
銀行員のイメージは堅実で地域でも有力な就職先であり銀行に就職したとなると信頼されるものだったのである。
それが社会が変わり銀行は投資先もなくもうけることもできないから証券会社化したのである。
現実に証券会社の人が銀行で仕事しているのである。
証券会社と一体化しているのが今の銀行なのである。

この世にはブラック会社も多い,それが銀行にもなっていたのである。
銀行は意外と文系でも就職しやすい場である。
でも銀行が体育系なのかというのも驚きである。
銀行は知的なエリートが入る会社だと思っていたからである。
営業に来た人は押しが強いから体育系の人である

でもそういう人が営業に向いているとも限らないと思った
そういう人は強引であり相手のことを知り聞いたりしないからである。
たから自分がこれまでもっていた株をなぜ売るのかと疑問に思って聞こうとしたが一方的に投資信託に回したのである。
そのことを一番自分でも悔いている
確かにその時の情勢があるからいちがいには批判できない
でも分散投資をするなら株であり国債であり投資信託にするとなる
なにも投資信託にすべて回す必要はなかったのである。

そのことを言っていたのでそうしたのである。
それも結局銀行側の一方的にもうけるものとして投資信託が設定されていたのである。
投資信託の仕組みは素人には理解できない,理解できないということはだましやすいことである。法律でも普通理解できないからまた弁護士にとってだましやすいということにもなる

株だと単純なのである。日経平均を見て下がった時に買い上がった時に売ればいいだけなのである。
株が上がってきたから普通だとチャートを見て上昇する株はすぐに売らないのである。
その判断はむずかしいにしろ素人でも判断できるのである。
まず投資信託は絶対に仕組みでも理解できないようになっている

それは証券会社が銀行がだますものとして作られた商品だ

そうまで言えるかもしれない,そういう商品だったということである。

posted by 天華 at 23:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

無人化した駅の問題 (市役所の人,JRの下請,地区の人・・が来る)


無人化した駅の問題

(市役所の人,JRの下請,地区の人・・が来る)


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つばめの巣のことでアサガオの人が文句言う

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自転車置き場の拡張工事のための調査

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JRの下請の人がホームの長さを計る



障害者のアサガオで毎日トイレ掃除している,そのトイレは市で作り運営している
だから市で金をだして掃除させている
駅舎内でホームの掃除はJRに頼んだ業者と商工会の観光部の婦人がしている
それはJRが頼んで金を払っている

今日は自転車置き場を広げる工事のために市の人が来ていた
それからJRの下請の人がホームの長さを計っていた

市で運営するトイレは燕の巣で汚れた,それを掃除するのを嫌がっていた
掃除しにくいからである。
去年は駅舎の中に燕の巣を作られてそれをJRの人が掃除していた
燕は何度もいい場所を見つけると巣を作ろうとする
それでネットをと張ったりして防いだ
トイレでも何回も燕は巣を作るため入ってくるのである。

とにかく駅にはこうして業者の出入りがある
今は駐車場の隅に電気関係なのかJRの鉄道運行のための小さい施設をつくっている
要するに駅はこれだけ手がかかっているのである。
それはJRだけではない,市でも商工会でも地区の人もかかわっている

駅は無人化したがそれでもこれだけの人がかかわっている
そして無人化することは何か管理するものがいなくなるからそこが無法地帯にもなる
なぜなら自由にホームにも出入りできるからである。
JRの人が除草していたがホームに入って何しているのか聞いたらここに入るなと言った
これもまた無人化しているから勝手に出入り自由になっているからそうなる

つまり施設でも人がいない施設は誰が管理するのか守るのかということもある
空家が増えているがそこを所有している人はいても出入り自由になり犯罪者の住処にもなるし何かそこで問題が起きることもある
それは管理する人がいないからである。
原発事故の避難地域ではそうなった,街に人がいなくなり無法地帯になったのである。

だから無人化することは経費の節約だがそこに問題がある
確かにJRで人を置かなくても管理はしている,でも無人化していることは勝手にされるということもある、駅に何かを勝手に置くなというが人がいないからそうなる
それが駅にとって地域にとっていいことでもそうである。
だから無人化した駅はJRだけでは管理できないのだから勝手にされてもしかたがないということもある
確かにJRで権利があるのだが一部なくなるということもある

要するにもうJRだけは管理できないから市でも地区でも管理してくれとなっているのだ
だからJRだけが何か権利があるのではない,市とか地区とかも権利があるともなる
無人化するとはこうして権利を失うことにもなる
人がいないということはそういうことである。
それは原発事故の避難区域で人がいなくなったことともにているのである。
タグ:駅の運営

四年間の投資成績 (銀行にまかせきりの人は投資はするな)


四年間の投資成績

(銀行にまかせきりの人は投資はするな)


銀行員が勧める金融商品の9割がダメな理由

この通りだった,銀行員は

四年間もすでに投資していた,その成績は損していないが実際は手数料がとられているので損しているかもしれない,銀行は信用できないということもある
ただ損はしなかったのは確かだろう
でも四年間かなりの額を投資したのだからそれもカナダの国債,USリートとあとでJリートを買った,その成績表はトータルでは確かに損していないがもうけてもいないと思う
とんとんで終わったとなる

一番の失敗はリーマンショック以来の株をもっていた,今日それがいくらになったか見たら五〇万とか増えている,もしこれをもっていたらどうなるのか?
その時点の株は確か16000円くらいだったのだ
それが今でも23000円とかなるとそこから7000円もあがっている
リーマンショクで半分になりそれが回復して7000円もあがったのである。
16000円の時に投資信託に回してそれが損したのである。

それをしたのは営業の独断だった,営業の人は別に銀行の上司に聞いて決めているのではない,営業の人が直接独断で決めていたのである。
なぜならそうすれば投資信託に回せばノルマを果たせるし成績を上げることができるからだ,もし銀行の上司が決めていたならまた別である。
つまり投資の出来不出来は実は営業の人にかかっていたのである。
もし営業の人が優秀だったら客をもうけさせることもできた
ただ銀行側としてはノルマを果たせることを第一にする
投資信託を銀行ではすすめたいのである。それは何か手数料が入る,配当があっても定期的に手数料がはいるとか銀行側にとっていいものなのである。
だからこそ営業の人も銀行の利益を考えるなら投資信託に回したのである。

銀行等は投資信託を販売することによって利益を得ています。そのため購入者が儲かる投信よりも銀行側が儲かる手数料の高い商品や上司から販促に力を入れるように言われた商品が勧められやすいわけです。

投資信託が危険だ、詐欺だと言われる3つの理由

もし金持ちに個人的に雇われた人ならそうはしない

なぜなら自分も損する,首になる

クライアントに客に頼まれて投資をまかせられるけどもし損させたら首になるからリスクを負うから自分のようにはならない,株が上がってきていたらそのまま様子を見ているだろう,別な投資信託に回すようになことはしない
自分もその時は自分の判断をするべきだった
それは素人でもこれだけ上がっているのだから売る必要もないと思っていたのである。

だから銀行に頼むにしても自分で判断できるものをやるべきである。
株は自分で判断できるのである。日経平均を見ていればいいのである。
安く買って高くなったとき売ればいいだけだからである
それは自分で判断すればいい,それで失敗しても責任は客にある
でももし銀行の営業でも金持ちに頼まれた投資家でも失敗すればリスクを負うから簡単には決められない,真剣になるのである。

つまり銀行側に営業者に判断をまかせてはならない,そしたら判断をまかせる
でもその判断の責任は銀行でも営業者でもとらない
銀行はそもそも株でも投資信託でも責任は一切とらない
責任をとらされるのは客なのである。
「もうけさせますからまかせてください」と言っても失敗したら一切責任はとらないのである。
もし自分で素人なりわかって判断するならそれで失敗しても責任は客がとる
そういう商品ならしてもいいとなる,別に銀行側に責任はないとなるからだ

いづれにしろ投資をふりかえって損はしないにしろ失敗だったと思う
まずこれだけ投資をしてももうけたとは言えないからだ
むしろ株をそのままに放置していたらかえって大きな利益があった
そのことが一番悔いているのである。
だから自分はもう株とか投資信託はやる気がなくなった
まず銀行とか証券会社を通して投資しているのでは普通はもうからないものなのだろう
証券会社が銀行の意向が働いているからである。
証券会社や銀行の利益が優先するからである。
そのことによって判断も誤るのである。

商売も損して得をとれというとき投資にもあっているかもしれない
銀行でももうけようとしたら客にもうけさせる,銀行側だけがもうけて客に損させる
そういう商売は一時はいいにしても長くはつづかない
そして今銀行は追い詰められているからかかわると危険だとも思う
余裕がないと客に対しても余裕がない,銀行側が営業者がノルマを果たしたいと余裕がないから客のことなど考えられなくなるからだ

借金している人が自分が苦しい時にきてひどいめにあった
そういう人はとても人を助ける余裕などないのである。
今地銀はそういう立場にある,銀行は今は窮地にたたされている
こういうのとかかわると危険になる
投資は別に詐欺でもない,素人でももうけはだせる,ただそれはなかなか知り得ようがないから失敗するのである。
投資信託は特に仕組みが複雑でわかりえようがないから失敗する
そして失敗しても誰も責任はとらないのである。
だから自分でわかり判断できるものはして自分の責任でもしょうがないとするべきであるそうして割り切ってやるのならいいが後で文句を言うようになるならやるなとなる

タグ:投資の失敗
posted by 天華 at 16:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

地形の変形 (これも新しい芸術か?)


地形の変形

(これも新しい芸術か?)

Deformation of the landform

(Is this also a new art?)

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depth of the sea

相馬市に住む陶芸家によって作られた皿

Feeling like the bottom of the ocean

Plates made by ceramists living in Soma City, Fukushima Prefecture


これも何か一つの芸術的なものとなるのか?
無数の写真がありそれをパソコンのソフトで変形するとなる
ただこれもあまりににていると著作権違反になるかもしれない
ただ何か地形がダイナミックに変化している
だからそもそもこうして私がオリジナルなものを変形していること自体が
今までありえないことだったのである。
それはパソコンが生まれソフトを操作してできたものたからそうなる
ただ著作権違反になるかもしれない
でも単なるコピーではなく創作にもなっているのも確かである。

Is this also something artistic?
There are countless pictures and it will become deformed by the software of the personal computer
However if it is too much it may be a copyright violation
Just something terrain is changing dynamically
That is why I am deforming the original one
It was impossible until now.
That is because it was created by PCs born and operated software

It may just be a copyright violation, I do not know because it has not been pointed out
It is certain that there is a creation that is not a completely copied work.

2018年05月09日

人生百年を生きるヒント (クリスマスローズ博士のようになるのがいい)


人生百年を生きるヒント

(クリスマスローズ博士のようになるのがいい)


人生百年となると経済的にも備えられない,年金でも国民年金ではもともとたりないからそれだけの用意している人は相当に恵まれている
人生百年となると会社一筋に生きることがすべてではなくなる
会社を退職するとたちまち役割もなくなり社会的にも無用化される
でも会社に勤めてまた趣味をもつということも時間的にむずかしい
ただ会社勤めで得るものはある,それも経験なのである。
人間は何事経験なのである。

この辺で有名な裁縫会社で働いている人がいたが機械の操作がありそれがうまくできなかったという,裁縫の仕事は自分はわからないがそういう体験を勤めれば誰でもする
それで同じものを大量生産する時代が終わり個々人のオーダーメイドとなる
その時AI化するが裁縫する技術をもっている人は失業しないという
裁縫には人間の手が必要だとなる

人間は何か経験を積まない人はいないのである。それはどこかで役にたつ
ただ人間はあらゆる経験ができないのである。
自分は株の投資の経験がないから失敗した,これも経験していればそうはならなかった
銀行の営業の人がプロだと思ったが銀行自体が素人なんら変わりなかったのである。
それも時代が急速に変わり失敗したのである。

自分は会社勤めしていないし会社で働いた経験もない,だからそこで社会性がなく親の介護で苦しんだりした,人間はあらゆることが自分の経験を基にして判断しているのであるそれは本を読んだりしてもわからないことが多いのである
まず外国で生活した人としない人の差が大きいことでもわかる
旅行したくらいでは外国のことがわからないからである。
それも経験の差として現れるのである。

では退職したとき今度はどうそうした経験が活かされるのか?
活かされない場合どうなるのか?それが人生百年では問われる
そのヒントは何か一つのものテーマにして追及すること探求ことがある
常磐高速のセディティで「私はクリスマスローズをやっているんです」というとき
クリスマスローズにはいろいろ種類があったり原種をもっていたり花を咲かせる苦労があるそのことを語る時,その人はクリスマスローズ博士なんだなとも思った
クリスマスローズの専門家であり博士なのである。

それは野草とか花に興味ある仲間がいれば一目置かれるのである。
つまり一芸に秀でることである。それが人生百年では求められているのだ
ただ天才とかになることはできない,自分も凡才であり天才は例外でありまねできないのである。
でも何か普通の人でもあることに詳しくなれるし一芸に秀でることはできる
素人的専門家とかである,それは地域とか郷土史とかの分野でもそうである。
地域といっても広いから何か一つをテーマにして探求すれば詳しくなれるのである。
何かそういう探求するものがテーマとしてもつといいとなる

ただそういことでも定年なる前から少しでもしていれば延長としてできるのである
自分がパソコンのソフトで抽象画ができたのは偶然だったのである。
全く絵を描く才能がないのに絵を描いているというのも不思議である。
第二次作品でも創作している感じになるし外国の人がアメリカの人が十数名定期的に見ている,だから単なる模造品ではなく創作品として認められているともなる

人間はすべて生まれつきの才能でもないことがこのことでもわかる
才能とは開発しないかぎりないともいえる
開発するということが人間にとっては大事なのである。
それは本当は勉強でもそうである。何か暗記ではないもの,開発してゆく創意工夫して学ぶことが大事になる,そうすれば勉強に興味をもつ
自分にはそういうことが全くなかったから勉強に興味がもてなかった
ただ大学でも卒業して旅ばかりして地名とかに興味をもって歴史に興味をもつようになったとかなる
要するに地名でも興味をもてばそこからいろいろ他のことにも興味をもつのである。

ともかく暇な老人が本当に増えているしこれもふえつづける,何かうろうろしている人が増える,図書館で暇つぶししている老人もいる
パークゴルフ場では暇な老人で盛況である。
それだけ暇な老人が問題になもなっているのだ
その人たちが社会で有益なことができない,無用化しているのである。

苔に興味をもって朽木にあしらうことに工夫している人もいる
それは金にならないにしてもそれもその人だけにできることであり創意工夫しているから一目置かれる,陶芸の方は本当の専門家だから簡単にはできないが何か素人でもできるものがある
この社会でも自然でも多様だからこそ何かテーマにして専門家になれるのである。
ただそれを退職してからはじめるとなるとかなりのハンディキャップになるのである。
それが大きな人生百年の問題なのである。
ただスクールが暇が語源なときまさに退職後にまたスクールに学ぶ時代が来たともなる
それは今までのスクールではありえない,何か創意工夫を学ぶスクールになる

郷土史じも自分の家のことには興味があるからその歴史をたどりそこから郷土史に興味をもつとういことがある
苔に興味かある人は塚部(かのべ)に住んでていそのことをしきり言っていた
相馬と伊達の境の地域でありそこから郷土史を見ることができる
でもそこに住んでいないとわからないのである。
地理的なことが近くでもわかりにくいからだ
いづれにしろその住んでいる地域の専門家にはなれるとなる
そこに一番の強みがあるからだ,そこに住んでいる人がやはり一番地理でもわかるからである
だからそこに住んでいる人から話を聞けば郷土史の発掘になるのである。
人間は灯台下暮らしであり身近なことが意外とわからないのである。
身近なことに興味をもたないのである。だから人間は常に自ら開発しないかぎり発見もできないのである。
そういうことで人生百年は様々なことが発見されるそれぞれが一つのことについてテーマで博士になることが望まれるともなる

タグ:人生百年

2018年05月08日

キジとタンポポ(矛盾している自然と人間の生活)


キジとタンポポ(矛盾している自然と人間の生活)

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タンポポの雉子に満ち咲き映えにけり

たんぽぽや復興団地にあまたかな

老木に都忘れのあわれかな


タンポポが一面に咲きキジがいる,キジはこのタンポポに飾られている,自然とキジは調和して美しいとなる
でもこのキジは畑を荒らすやっかいなものなのである。
そのことで小さな畑で野菜を作る女性が常にそのことを言う,キジに食われるのである。キジは大きいから畑のものを食べるにしても雀のようなものとは違う
これは畑を作るものにとって害鳥になるのだ
それでネットを張って防ごうとするがその人には金がないからまた金を出してくれとなる何かそういうことが畑でつづいている,種が高いとか肥料が買うのに大変だとか延々とそうなる,まずそれで収穫するのはほんのわずかなのである。
買った方がそんな金がかからないからいいとなる
ただ荒地にしておくのは良くないからしているが金がかかるのである。

もしこの畑で野菜を作っている人とかかわらなかったらこうは見ていない,ただ自然は美しいな調和しているなと見ているだけだったのである。
今まではそういう人とつきあっていないからそうだった,ただ自然の美だけを見ていたのである。
これもまた矛盾であった,これまで述べたように野菜作り花作りはにているのである
肥料とか水はけとか植え替えだとか美しい花を見るにはそうして苦労しないと見れない
それは野菜と同じなのである。
ただ自然に放っておいては見れないのである。

つくづく人間は矛盾している,こういう矛盾はいくらでもある、自分も矛盾している
花の美だけを見ているが花を育てるにはやはり野菜を作るように土とか肥料でも虫にもやられるから薬を使うとかなる
美しい花だけを見るというだけにはいかないのである。

ただキジをタンポポの原の中で見たときは本当に調和していた,キジはタンポポに飾られていた,その時人間にはないもの自然の中でタンポポに飾られていた
その美は人間が作り出した美とは違う,自然が作り出したものである。
それは最も美しいものである。人間は何かこうした美が作り出せない
人間が作ったものでこうした美は生まれないのである。

本当に着飾った女性が美しいのか?そこにこのように自然の美が生まれるのとは違う
第一その衣装を作るのには手間もかかり労苦から産み出される
でも自然のものはそういう衣装がなくてもキジでもキジ自体が美しいのである。
別に着物を着なくてもそれ自体が飾られている
何の労苦もなく飾られている

生命は糧(かて)にまさり、體は衣に勝るならずや。 
空の鳥を見よ、播かず、刈らず、倉に收めず、然るに汝らの天の父は、これを養ひたまふ。
汝らは之よりも遙(はるか)に優るる者ならずや。 
汝らの中たれか思ひ煩ひて身の長(たけ)一尺を加へ得んや。

野の百合は如何にして育つかを思へ、勞せず、紡がざるなり。 
されど我なんぢらに告ぐ、榮華を極めたるソロモンだに、その服裝この花の一つにも及(し)かざりき。

聖書だとキリストはこう言っている,キジを見ればわかる,キジの体は衣がなくても美しいのであり飾られている

野の百合は如何にして育つかを思へ、勞せず、紡がざるなり。

労せずして紡ぐとは働かないで自然のものは美しいのである。
人間はなぜこれほど労して働いているのに美しいものを作り出せないのか?
それは自然を見ていれば言えるのである。

ただここでも矛盾しているのである。人間は畑で働いて実りを作り出す,そこにキジが来て食い荒らす,キジはその時人間にとって害鳥になるのである。

だからキジは人間がとらえて前は銃で打って殺していた,食料にしていた
食料として人間の役にたてとなるのである。
人間から見ると動物はそういうものにもなる、ただもし人間がいなければキジはそういうことはない,自然の中で調和して生きていたとなる
別に人間が作った畑が無くても自然界には餌となるものがあるからだ
こうした矛盾は人間が自然の中でいきはじめたときからあったのである。

あの老木は不思議である。本当に生きている?あれでも生きているのかとなる
そこに都忘れが咲いているというのもあっている
まさにそれは自分を象徴している,京都に都に行った日は遠くなり忘れたともなるからだ


2018年05月07日

金とカルマ (金は責任でありカルマとなる)

金とカルマ

(金は責任でありカルマとなる)

金にまつわる話は一番多い,それだけ金無しでは生きていけない時代だからである
金の怖いのはなんでも金が入ればいい,得ればいいとなっていることである。
その金がどうして得られたのか?そこでカルマになっているのだ
これも奇妙なんだけどある人が三百万円で墓を頼むといって死んだ
それを頼まれた人は責任が生じていたのである。
自分も関係していたが金はもらっていない,でも金で頼まれた人は墓を守っていかねばならない,それも結構めんどうなのである。
別に墓を捨ててもいいがそれも何か後味悪くなるだろう

その原因は金をもらって責任が生じていたためなのである。
もし自分と折半していれば責任は半分になっていたから楽だとなっていたかしれない
ただその人は子供がいるからその子供が墓を守るということで三〇〇百万円もらった
でももう孫の世代になると祖父母に直接あったり知らないとなりいづれ墓も捨てられるかもしれない
だからそもそも三〇〇百万円で墓は維持できない
それより金で墓は維持できないものなのだろう。何か家系の継続がないと維持できない
そして今代々つづく家は減っているから余計にできないのである。
ただ金はこのうよに常に責任が付属してカルマとなっているのである。

金はみんななんでもいいからもらえばいいと多くもらえばいいと思っているのだ
だから別に不正しても盗んでも得ようとする,盗むにしても金持ちから金を盗んでいいのだという泥棒にも三部の理が働いているから罪の意識などもないとなる
でも何かもらってはいけない金というのがあり怖いものが金にはなる
ある人が不孝で死んで入ってきた金を権利もないのにもらうことは一見いいようでも後でカルマとなり災いとなる
弁護士に不孝があり相談してそれだけで百万も要求されて払った
でも別に払う必要もなかったのである。
そんな法律がそもそもないし相談しただけでそんな金をとるとしたらその弁護士は悪徳弁護士だったとなる,その金は何か悪いものとしてその弁護士に将来左右するかもしれないすでに何十年も過ぎたから実際にしているかもしれないのだ

ともかくみんな金になればいい,金になることならなんでもいいとなる
それだけ金が必要な時代だからそれを否定できない,実はそういうふうに金がなくてもいいやというのはある程度金を持っている人なのである。
余裕があるから金があるからなくてもいいやとなっているのである。
そうでないと金に余裕ない人はどんな由来の金でもほしがるのである。

この辺でも原発の補償金でもめたけどこれもみんなただ高くもらえばいいとしか考えない絶対にこれでいいなど満足しない,もっと欲しいもらって当然の権利だなって要求する
でもその権利があるにしてもそれを要求できるのは避難者になった人達だけであり他の人はほとんどもらえなかったのである。
原発がある市町村は前々から何かと補償があり財政的にも潤っていた
お前らは前から優遇されていた金をもらっていたとなる
実はそれは責任でありカルマとなっていたのである。
そういうことを金をもらっているときは考えなかったのである。
その金は責任がありカルマとなり今それが現れているのである。
だから外部からはあいつらは原発あるときも金になり原発事故後も金になる勝ち組なんだと見られているのである。

金というときみんな金持ちはいいとおもっている,誰も金が欲しい,金があればと常に思っている,ではその金には責任がありカルマとなる
貧乏だけがカルマではない,金持ちに責任がありカルマがある
なぜなら中国のようにまわりが飢えて死んでいるとき贅沢していた福王は殺されて鍋でにられて食べられたからである。
その金をまわりの納得いくように使えないそうなる
巨額な金をもっていてもそれをためておくだけならその金は奪われる,強盗などが入ってきて奪われ殺されることも普通にある
だから金をもつときそれを有効に使い活かされないものは巨額の金をもつ責任が果たせないのだからもつべきではないとなる,ただ小金もちとかは別である。

金にはなんらかの責任が必ず生じている,そこで陶器を市で売っていた人は言う
金もらうと文句が来るから嫌だとでも文句が言われてこそそれを参考にしていいものを作ればいいとも言っていた
ボランティアだったら金をもらわないから責任もないのである。
だから適当であり時間を守らなくても休んでもいいとなると誰もそういう人に責任ある仕事はまかせられないのである。
ただ補助的な仕事をやらせるとなるだけである。でも金をもらえれば少額でも責任が生まれるのである。金を払う方から何かと注文と文句を言われる
でもボランティアだったらそんな文句も何も言われないのである。
その辺の兼ね合いがむずかしいのである。

金は金でありどんな経過を経て得ても金は金だという人もいる
でももしその金が不正で得たものや盗難された金だとか事故などで死んだ人の金を勝手に使ったりしたら何か災いが生まれる,現実に生まれている
金にはそうした責任とかカルマがある,どんな金も金だとはならないのである。
ただそれがわからないこともある,でも結果として何か金を不正にためて強盗か入って殺されたという金持ちもいるかもしれない
それはただの偶然ではなくそういうカルマを背負っていたがそれを自覚できないで金をもっていためかもしれない,そういうことはありうる
そこに金の怖さがある、金には責任とカルマがつきまとっているのだ

金は金だ,悪い金も良い金もない,同じ金だという思想は間違っている
ただ何か現代の資本主義は金の流れは明確ではない,誰かが操作して莫大な金が吸い上げられている,それが株式市場だとなるのはあまりにも規模が大きいからそうなっいる
それは何か悪魔的なのである。
数パーセントの人に金が流れているとかなるともうこうした金融資本主義は成り立たなくなる,その金は悪魔的となり自ずから崩壊してゆくとなる

金を人間がもっているモラルも通用しなくなりただ悪魔的に金が世界を支配する
そこで陰謀論が生まれてくる,誰かが金を操作して世界の金を吸いあげている
それがユダヤ人だとかイルミナティだとか陰謀論になる
そういうことを言われること自体もう資本主義は限界にきているとなる
やはりモラルが通用しなくなると誰も信用しなくなるからだ
だから今度はそのシステム自体が崩壊することになる
それはいかさま博打とにているのだ、サイコロの目に細工して不正にギャンブルでもうけているとなり誰ももうそのギャンブルに賭けたりしなくなるのである。
タグ:金とカルマ
posted by 天華 at 19:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2018年05月06日

常磐高速のセディティに市がたつ (苔の展示の店がまた出た-市は人の出会いを演出する)


常磐高速のセディティに市がたつ

(苔の展示の店がまた出た-市は人の出会いを演出する)

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苔の店と陶器の店

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隣の陶器の店で売っていたもの

海の底のような感じでいい,日常的に使うのはどうか?飾ってゆくのにはいいかも


高速のサービスエリアは連休でにくぎわっていた,店がいくつか出ていた
カレーとナンを売っているのはインド人である。
これはこの辺では売っていない,福島市と仙台市ではナンを出しているレストランで食べたことがあった
だからこの辺ではナンは食べられない,炭火で焼くナンである
他にたこ焼き屋とかも店を出していた,その店の人は知っているおくさんは中国のハルピンから来た人である。これでちょっと国際的になっていることがわかる

山の頂上をイメージしたものを枯木と苔で作った創作品を出していた,この人とは前にあいやはり苔に枯木をあしらったものを買った
今回の出したのはもっといいものである。山の頂上の感じを出した逸品である
その他「やましゃく」とかもだしていた,ヤマサトと聞こえたが山芍薬のことである。

「こんなもの山に咲いているですか」
「咲いていますよ」
「この辺では見ないでしょう」
「これは山形でとってきたものです」
「こいうものは山に入ってもめったに見れないでしょう」
「これは高いですよ,5000円くらい軽くしますよ」
「これは山で見ることはめったにないでしょう」

このヤマシャクヤクははじめて知った
ヤマシャクヤクは山に咲く芍薬でありヤマアジサイとなると山に咲くアジサイとなる
ヤマジサというのもありヤマのジサの木のことであるらしい。橲原(じさばら)という村の名前もある、ヤマシャクはこれはめったに見れない,これは四日くらい咲いて散るとなれば余計に見れない,神秘的な花だとなる

それからこの野草などを売る店の主人は植物に詳しい,前も道の駅で枯木に苔をあしらったものを買ったことがある,今回の作品は前より山の頂上の感じを出しているので傑作である。ただまだ苔が成長していないので残念である,これから成長するという
その人は苔に関心がある,苔にもいろいろ種類があるという,苔は三種類からは知っているけど実際苔の種類は多いのである。

コケ(蘚苔類)の種類は、世界で約二万種ほどありますが、そのうちの1/10、約1800種のコケが日本国内に生育しております。こんな小さな島国に、1800種ものコケ!
日本は、自然豊かなコケ大国なのです。

苔(コケ)は、意外に寒さには強いようです。
しかし、乾燥した冷たい風にさらされると
茶色っぽっく変色して枯れたようになります。
でも枯れてしまったわけではありません。
春になればまた緑色に回復します。
気温の下がる冬、屋外の苔は休眠します。
あたたかい室内に置いた苔は
休眠せず成長を続けます。
冬でも苔の緑を楽しむには
あたたかい室内に置くことです。

苔も不思議である。その人は地球の最初の植物は苔だったという,苔は冬にも強いというとき北欧ではトナカイは雪に埋まっても苔をほじくりだして食べていたテレビを見たことがある,苔がその時貴重な食料となって冬を生き延びていたのである。
苔があるからトナカイも冬を生き延びることができていたのである。
冬は乾いて乾燥して死んだように色もあせるが死んではいない,休眠しているだけでありまた緑の色にもどる,イワヒバも死んだように色が変わりまるまるが死んでいないのである。そうして休眠することができるからこそ冬を生き延びることができるのとなる
植物も冬眠するのかとなる

南方 熊楠(みなかた くまぐす)

生物学(特に菌類学)
民俗学
研究機関大英博物館
主な業績粘菌の研究

この人は外国まで言って苔を研究していたのである。熊野の森は深いから研究には適地だった

 タブノキ(クスノキ科)の朽ち木から採集した粘菌の一種が新種と認められた。熊楠が発見した10種の新種粘菌のうち最初のもの

ただこの辺の植物は生きるのに結構過酷だという,冬は風が吹くし乾燥しているし浜通りは意外と季節的に厳しいと言っていた,なぜそういうかというとその人は植物を苔でも他の花とかでも育てているからそう言っているのである。
かえって雪国は雪が温度が一定して保温してくれるから植物にはいいと言っていたのも意外だった
その人は朽木に興味がありそれに苔をあしらうのに苦労していたのである。

その名も「雪の下大根」は、甘くみずみずしく、食感はまるで梨のよう!!

越冬野菜にとっての最適な条件は、温度が常に0℃にであること、そして、適度な水分が保たれることです。0℃という条件だけでは野菜がパサパサになってしまいますが、雪の下に埋めることで雪がほどよく解けて水分が保たれるので、みずみずしさが増すのです。

雪国を見ると雪に埋もれて何もないようでもこうして恵みを与えるのもつくづく自然だと思った,恵みはどんなところでもある,かえって浜通りが気候的に厳しいというのは意外だったのである。
その人はとにかく苔を成長させたり植物をいかに成長させるか取り扱うかに苦労しているからである,それは野菜を作るとかとにているのである。
その人は山から何か植物を花でも採集するのだがそれもかなり苦労している、うまつやらないと植物がそこなわれるからである。

そして面白い話として虫に食われて茎がだめにして花もだめになるが山の自然の植物はその虫に一部食われても根が他にも伸びてまたそこから茎が伸びて花を咲かせるとか言っていた,植物でも野菜でも虫も大敵なのである。だから薬を使うのである。

一人の客が来た,その人はまた私はクリスマスローズをやっているんですとクリスマスローズの原種をもっているという,それの花は小さいという,花を大きくしたのは品種改良したからである。チューリップの原産はトルコにありその花は小さいのである
でもオランダで品種改良して大きくして種類も増やしたのである。
その人はクリスマスローズを専門にしているから店を出した人もその話を聞いて感心していたのである。
とにかく植物の話になるときりがないのである。肥料がどうだとなるとその人はクリスマスローズいかに扱うかを知っている,しそれを試行錯誤している,つまり花一つにとってもその扱い方が変わるからそうした話はきりがないのでありあらゆるものを成長させることを知っている人はありえないのである。
それだけ広い分野になる,農業とにているのである。
自分は花の美しさを主に見ているがそれを育てるとなるとその知識も膨大でありそれも試してみないとわからないから詳しくなることは至難だとなる
そこで売っている人もあらゆくことには通じていないけど苔とか山の植物を扱っているからその苦労を語るのである。

要するにクリスマスローズに詳しい人はは南相馬市内に住んでいる人である。
その人は互いに親しくなりたいようだったが売る方の人はちょっと変わっているから警戒していて家まで来るのは困るとと断っていた
その人は相馬市の人であった,その人は歴史好きでもあり住んでいる場所のことをしきりに語っていた,姓は伊達である,伊達と相馬の境に住んでいるという,だからそういう歴史に興味をもっている,新地は伊達領だったからである。
海に近いから何か港があったのではないかとも言っていた,塚部という所に住んでいる
それでしきりにそのことを言うからおそらく田んぼの前は塚がありその塚があったから塚部(かつのべ)となったと自分は推測して言った,ただその土地についてはわからない
地名の方が先にあるからそうだと思った,何かその辺で争いがあり墓があって塚となっていたのかともその人は言ったからだ,でも塚というときもしかしたら古墳があるところとなると相当に古いとなるのである。地名は相当に古いからである

その人は歴史にも興味があるといっていた,それでいろいろ話もした,相馬市は実際良くわからないことがある,それは次に書いてみよう。
郷土史というとき実は範囲が広いのである。土地の気候とかどういう植物が生えているとかもそうである。だから今回浜通りが植物の野菜などの生育には雪が降らないのに厳しいというのが意外だったのである。
その地域にはこうしてその土地土地の風土がありそれを基本的に体感しないとその土地のことはわからないのである。
だからそういうことは農家の人が詳しいとなる,ただ花栽培となると野菜作りともにているのである。肥料とか水はけとか植え替えとかなんとかきりなくその扱う方法があるからである。

隣は前も陶器を売っていた,ただここの場所代一日でも7000円とられるという
それで二人で払っているという,7000円は高いとしきりに言う,自分もそう思った
なぜなら半日くらいそこにいたが食べ物と違い売れないからである。
その人は趣味でやっているからいいのかもしれないが場所代も稼げないとなるからであるその場所代は県の方に払われるらしい,というのは道路は県で管理しているからである。セディティは本当に人の出入りが多い,それで警備員が十人もいるのである。
車の誘導などをしているからだ

ただ出店とかは今はあまり見かけない,なんでも日頃売っているからそうなる
昔だったら市場は日を決めて月に何回かしかない,それで二日市とか四日市とか五日市七日市八日市一〇日市廿日市とか地名化しているのである。
今回はその市が小規模だが復活したとなる,その時ここはただ物を売り買いするだけでなく情報をやりとりする場にもなる
それでしきりにクリスマスローズに詳しい人がその人と親しくなりたくなっていたのである。同じ趣味で親しくなりたくなっていたのである。
遊牧民とかなるとまず離れて暮らしているからめったに会わない,すると市がたつとき会うからそこでいろいろな生の情報に接するのである。
だから嫁探しに来るという人もいたのである。

つまり市とはただ物を売る場ではないのである。人間的な場なのである。
そういう機能もあったのだが現代はただ物を売る場でしかなくなって市が消えてたのである
市が立つということは祭りだったのである。祭りの日に出店が並ぶからである。
今回はその市がたった頃のことが復元したとはなる
とにかくあそこだけが人が集まる都会なのである。あれだけの人の出入りがある所はこの辺でないのである。それも遠くから来る人が多いからである。
連休では特にそうだった,ただ別に遠くに来たからといって自分は話はしないしできない駅と違ってここではできない,だからどういう人が来ているのかわからないのである。
ただ野草を売っている人がいてそういう植物に詳しい人が互いに情報交換するということがあった,それが市のもつ機能だったのであり人間の出会いの場を提供していたのである

ともかく連休も終わった,みんなどんな思い出を作ったのか?
自分は今は遠く行かない,近くでも究めるものがあり意外と人間は灯台もと暗しであり知らないことがある,見逃されているのである。
どんな人が住んでいるかも知らないのである。郷土史となるとやはりそこに住んでいる人も対象になる、あの人はあまり話しないが今回はずんぶん話した
家のことも話したのである。だから次にそれを書いてみよう
ただ歴史に興味があるとしても基本的なことは知らない,それが学者と違う
でもあの人から家でも歴史がたどれるのである。
なぜなら伊達という姓自体がそれを物語っていたからである。

最後に苔というとき自分は金閣寺で苔に落ちていた真っ赤な椿を見た
それを今になって思い出した,それはすでに三〇年もすぎているかもしれない
なぜそれだけを思い出したのか,やはりそれが鮮烈だったからかもしれない
それで俳句を作った

椿散る苔に赤しや金閣寺

何かこれが京都らしいとなる,苔寺などもあるのが京都の庭だからである。
つまり椿の赤さと苔の緑と金閣寺の金色が映えているのだ
その対象が鮮烈なものとなっているからだ
苔寺に散る椿の写真がインターネットにある

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夏の季語として苔の花もある,微小な花である

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霊山の苔清水



霊山の岩黒々と苔清水

苔清水修行の僧の霊山に

苔清水というと夏の季語だが自分が行ったのは春だった,でもあの清水はまさに苔清水だったのである。霊山は南朝の城がある前に天台宗の修行の僧が住んでいたのである。
ともかく歴史的に生物学的に地質学的に美的に文学的に宗教的にとか郷土史の範囲は広いのである。
だからとても一人では郷土史は研究できないしそれだけの能力も自分にはない

だから今日花を咲かせるのに植物を扱うのにいかにその実践的知識が必要なのか
一つの花を究めるだけでも大変なのである。すると花の種類も多いからそれにあった扱いが必要となるときそれだけの知識を得ることは不可能だとなる
そのことでもいかに郷土史の範囲が狭いようで広いことがわかるのである。

歴史は必ず教訓を残す (反逆者 北京占領 〜李自成の乱からドルゴンへ〜|中国王朝 英雄たちの伝説)


歴史は必ず教訓を残す

(反逆者 北京占領 〜李自成の乱からドルゴンへ〜|中国王朝 英雄たちの伝説)


明・清の時代3 清の中国侵入


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万里長城は満州族などから侵入を防ぐものだった
モンゴルだけではない,モンゴルと満州族は騎馬民族系統である。
遊牧民だった,だから中国は今の中国では歴史的になかったのである。
明の時代は秀吉を明へ侵攻しようとして朝鮮出兵したのである。
それも明の滅亡に通じていたというのも日本もかかわっていた歴史なのである


中国の歴史は三国志以来同じようなことをつづけている,それは国のカルマだとなる
人民が多いこと国が広大なこと異民族が混じり合うことなどで同じことを繰り返しているのである。
興味深かったのは王が贅を尽くして作った地下宮殿が発見されたことである。
中国の王は始皇帝でもそうだが地下まで来世でも栄華を究めようとしていたのである。
中国では強欲な者はその限りを尽くす,酒地肉林にもなる,そのスケールもまた大きいのである。西安の兵馬様の発見もそうだった

日本の天皇と比べると全然違ったものなのである。日本の天皇はそんな贅沢をしていないからである。日本の支配者は武士社会になってもそんなに贅沢はしていないのである。
それだけの財力を蓄積できない国だったともなる
江戸時代でも侍と庶民の暮らしでも食べ物にそれほど差がないのである。
それはヨーロッパの貴族も贅沢で階級を作っていたからその差ははっきりしている

李自成は黄土高原のヤオトンで生まれ育った貧農の出だった,その住んだ跡が発見されたというが土砂崩れでなくなったという,黄土高原で暮らすこと自体容易でない
それに税を高くされた,飢饉になってもそうである。
飢饉になって木の皮を食べて土まで食べた,土を食べて死んでも食べたという
そのことがパールバックの「大地」に書かれていたがそれは事実を基にしていたのであるそしてそういう人達が必ず流民化するのが中国である。
その数が多いからやがてそういう人達は反乱を起こして時の支配者に歯向かうようになる現代でも一時都会へ出稼ぎ者が流民化していた,鉄道の車両に家畜のように詰め込まれて都会へ大量に移動したのである。
とにかく人口が多いからそうして大量に人間が移動する,そのことが引き金になり反乱にもなる

官僚を厚遇して土地を買って大地主になった福王という大邸宅に住んでいた者がこの李自成の反乱軍に殺された,そして肉にされて鍋でにられて食べられたのである。
中国には人肉の習慣があったのである。中国では大陸では異民族間の闘争は激しくなり残酷になる,みな殺しにもする,日本ではそこまではしない,戦国時代にあったとしても敵味方塚とかを作り戦争が終わった跡はあまり恨んだりしないのである。
中国では敵は墓を掘り出しても刑罰を与える徹底したものなのである。
中国では争いは容赦のない過酷なものになる

李自成の失敗は何だったのか?
「均田免賦」とか徹底した平等を目指した,それは共産主義思想ににている
それが北京の紫禁城を占拠して王になったときその統治に失敗したのか?
それがあまりにも徹底していたためである。

李自成は「追賍助餉」というスローガンの対象を有力な官僚や軍人にも広げ、大量の金銀の提供を命じました。ところが、これに多くの有力者が反発。李自成は応じない人々を処罰。呉三桂の父親も含まれていました。このことが呉三桂が寝返る原因の一つとなったのです。

呉三桂の恨みをかって失敗したとなる,つまり徹底した平等を目指すときそれを簡単にはできない,失敗する,カンボジアの徹底した共産主義も失敗した
一見理想主義でありいいように見えても失敗した
その原因は何なのか?
そもそも人間の歴史を見ればわかる,なぜ人間には金持ちと貧乏人がいてなくならないのか?
この理由は何なのか?
それは何か不正をしているために富をもつものと貧乏になるのか?
そういう一面はあるし福王などは極端だからそうなったことは確かである。
でもすべての富者がそうなのか?それは不正のために富者になったのか?

それだけではない,例えは浪江で畑を作り平に今のいわきに野菜を売って財を成した人は篤農家であり農業技術に優れていたから三人もの娘を大学に出すことができた
そうして富者になったのはその人が優れた人であり努力したからだとなる
同じ農業をしていても全くだめな人もいて失敗している
それは事業でもそうである。失敗する人と成功する人の差がある
別に不正していみんなもうけているわけではないのである。
不正して富者になっているとは限らないのである。
もしそういう人達を否定したら徹底に何をしようと平等にしたらかえって不平等になるのである。
それでソビエト連邦は崩壊したのである。カンボジアでも共産主義は徹底して二百万人が死んだとか大失敗に終わり疲弊したのである。

このポル・ポト政権による強制労働、飢餓、大虐殺による死者は200万人以上とも言われています。1970年代の総人口が約700万人と言われているので、約3割がそれにあたります。そして、ポル・ポト政権崩壊後の国民の85%が14歳以下でした。それだけ大人が殺されたということです。

ここでは悲劇の象徴として骸骨が積み上げられている記念館のキリングフィールドがある
これも徹底した平等を目指すとかえって危険なことになる
今まで積み上げてきたものをみんな否定してしまうからである。

人間は不平等になると飢饉とか苦しくなれば反乱を起すようになる,そして盗賊が王になったというのも中国にはある,盗賊が王になるということはその心情が理解できる
なんであいつは金持ちなのにこっちは貧乏なのだ,金持ちから金を盗んでもかまわない,それは悪いことではない,泥棒にも三部の理があるとなる
そういう人間の気持ちは変わらない,だからそれが大規模になると盗賊が王になっても不思議ではないのである。中国ではその格差が大きいからそうなりやすいのである。
権力をもつとものすごき富が集中して酒地肉林になり豪華な地下宮殿に墓に膨大な人民の税が使われるのである

それが現代の共産主義でも継続されているのである。兆の金が官僚が手にする,共産主義なのに平等をめざしているのにとんでもない格差社会になっているのだ
だからまた反乱が起きてくるとかなるし興味深いのは満州族の住んでいる瀋陽軍区が北朝鮮と一体であり北京に向かい反乱するという観測である
なぜ北朝鮮とか朝鮮がこれまで中国に統一されず生き残っているのか?
それは満州族と一体でありそれでつぶせないということもあるとなる
なぜなら満州族の金という国を起こしてその属国になっていたからである。
つまり歴史的継続からみると満州と朝鮮は一体なのである。
だから北朝鮮の核兵器の標的は北京にも向いているのである
満州族は文字がなくモンゴルの文字を採用していたのである。

いづれにしろ歴史は必ず教訓を残す,人間の個々人でも必ず教訓を残す,だから歴史に学べというとき人間はやはり同じようなカルマを繰り返すものだからである。
国にもカルマがあり個々人にも家族にもカルマがあるからである。
中国ではワイロの国だという時も今でもそうだからである。
ワイロによって外国の企業から官僚に金が入る、するとそこには資本主義の公平さがなくなるのである。それはやがて国がまた格差社会となり反乱が起きるということである。
中国はその歴史,カルマの繰り返しだったとなる



2018年05月05日

特別列車が止まる (セディティは連休で最高のにぎわい)


 特別列車が止まる

(セディティは連休で最高のにぎわい)

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 団体用の特別列車が止まった,ただ二両だった
記念に写真をとった, これも連休で出たのである。

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それにしても今日も夕暮れに常磐高速のサービスエリアは連休最後になるし天気もいいから本当に混んでいた
あそこだけはにぎわい都会並になっている,あんなに人が出入りしているのが不思議になる,そういう光景はこの辺で見ないからである。
たこ焼きを売っている人を知っているけどあれだけ人が来れば売れる
人の流れがあるからだ,それは人の流れというより車の流れなのである。
車時代だから車の流れが人の流れを作っている

警備員が十人もいることに驚く,それだけ人の流れがある
駅と比べるとあまりにも違いすぎるのである。
百倍とか千倍も人の流れが違うようにも思える,現代は車を離れてありえていことをここで実感する,あれだけ人の出入りがあれば商売になる
でも難点はまずサービスエリアから鹿島の街の方へ来る車はほとんど見かけないのであるつまりここで休息して去って行く人が多いのである。
だから街とは関係なくここだけが休息所としてにぎわっているだけだとなる
ここにくるとここだけが都会なのである。 

時間は何かをなし遂げるためにある? (時間は年齢と反比例して貴重になる)


時間は何かをなし遂げるためにある?

(時間は年齢と反比例して貴重になる)


自分の銭(カネ)を分けてやりたがる者は見当たらないが、
生活(時間)となると誰も彼もが、なんと多くの人々に分け与えていることか。
財産(カネ)を守ることは吝嗇(けち)であっても、
時間を投げ捨てる段になると、貪欲であることが唯一の美徳である場合なのに、
たちまちにして、最大の浪費家と変わる。

セネカ

人間にとって時間とは何か?それは謎である。人間は時間と空間の中に生きていることは確かである。
人間はそれぞれの地域で生きる,その地域の空間はみんな違っているのである。
例えば海側に住む人間と山側に住む人間の空間は違っているのである。
福島県だとハマ、ナカ、アイヅになる
この空間は相当に違っている,なぜならハマは浜通りは冬はほとんど雪がふらない
でも会津は冬は雪に閉ざされてしまうからである。この差は大きいのである。
そこに培われる感覚は相当に違ったものになる
海は人間を解放的にするが山は閉ざされた感覚になるからである。
そういう空間感覚のアイディンティティは地球が広いからどこでもある

そしてその空間でもその空間をアイディンティティ化することは時間がかかるのである。まずその土地のことを深く知るには絶えず耕すことが必要になる
それは現実の生活で農業などするとその土地を耕すことが必要になる
その土地のまさに土や気候のことを知らないと農業にならないのである。
それはもう一代だけではできない,だから農家だと三代ではじめて農家となり仲間となるというときそれだけその土地のことを知るのがむずかしいからである。
農業は工業とは違うからそうなっている

これを何か芸術にしてもそうである。だからこそcultureはcultivateになる
その土地を深く耕していかないといいものはできない,そのためには時間がかかる
その土地を知るには例えば老木のようにならないとわからないことがある
それだけ時間がかかるのである。
相馬地域でも狭いにしろ複雑な地形なのでありそこに魅力がある
自分はそうしてその地形から詩とか書いてきた
だから自分が一番興味をもっているのは地形なのである。地理なのである。
それは世界まで自由に旅したことによっても地理に一番興味をもっているのである。

では不思議なのは時間というのは別に地理のようにそれぞれの特徴があるわけではない
数学的には世界中一時間は一時間の長さなのである。
でも時代的に時間の感覚は相当に違っている,現代文明の時間は一秒単位で時計に刻まれる時間なのである。だから心臓に悪く感じる,何か時間に切迫されるのである。
現代に生きていればそういう時間感覚から誰も逃れられないのである。
その時間感覚から逃れるのにはタイムマシンで江戸時代とかにもどるほかないのである。その時時間の区分はおおざっぱであり時間の感覚はまるで違ったものとなるからだ

時間とは何なのか?人間の時間とは何なのか?それはいろいろある
人間はまず時間によってしか何かを理解したり深く物事を考えることができないのである何かを深く知るには時間が必要になる,そもそも人生そのものが時間によって理解が深まるからだ,若い人はどうしても経験がないから浅薄な考えしかない,深い思想をもてないのである。爆発的行動力があっても深い思想によって行動することはできないのである。ただ若者は若者の成すべきことがあり時間が与えられているのである。

時間というのはただ過ぎてゆく時間としてとらえると何の意味もないだろう
時間とは何かを理解する会得する何かを成すために与えられているのである。
そして時間は限られているのである。
そして若いときの時間があり壮年の時間があり老年の時間がある
それはその時々に成す時間が与えられている,そして若いときすべきことをしないともう二度とできない,激しい運動とかきついことはもう年になるとできないのである。
老人になって何かを新しく学ぶこともできないのである。

時間とは何なのか?それは何かを理解して何かを成すべきものとして与えられている
その時間はそれぞさ限られている,例えば語学を習得する時間,楽器を習得する時間,
旅をして見聞を広める時間,登山して自然を体得する時間,思想を深める読書する時間,芸術を鑑賞する時間,農業を習得する時間,・・・・このように何かを会得して理解して習得する時間として与えられている
その中には時間は浪費される,人間にはいろいろな欲望がありさまたげられ時間は浪費されるのが常である。その時若いときもっと勉強していればなとみんな後悔しているのである。
そしてこれだけ本でも情報がある時代にはもうそうしたくだらないものに時間を費やしていると貴重な時間を失うのである。
次から次へと人は自分を売り込む時代である。くだらない小説など読んでいたらそれだけで何も残らない
しかし商業主義社会ではそうしたくだらないもの金のためにうりこむ,出版社でもそうである。
そういうものにみんな貴重な時間が奪い取られているのである。
それで老人になり後悔するが時すでに遅しとなるのである。
この世にはそうしてくだらないものが多すぎるからそれに紛れ貴重な時間を失うのである。

人間は時間によってしか理解できないものだと老人になるとつくづく思った
それは自然でも人間でもそうである。自然のものは気長であり悠長である
木が育つにも50年とかかかる,するともうその木の成長を見るのは一代ではできないのである。そういうふうに自然とともに生活していたときは人間は江戸時代あたりは時間の感覚が違っていたのである。
だから自分が石とか木をテーマにするときそうである。その土地のことでも長く住んでいないとわからないのである。時間によってしか会得できないのである。
人間は普通凡人ならまず年取らない限り賢明な聡明な人間になれない,
自分はもともと凡人だったから特にそうだった,何か聡明になれない,賢くなれなかったでもやはり年になれば物事でも人間でも理解が深まる
それを我ながら最近は自覚しているのも不思議である。
凡人でも老人になると賢者のようになるというとき何かあきらめとかついてそうなる
欲望にふりまわされていたがそれがなくなると自ずと聡明になるということもある

ただ老人でも時間を無駄にした人は何も身についていないのである。
何かをするために会得するために時間があるというとき楽器でも会得するに相当な時間が必要なのである。語学でもそうである。そうして有益なことに時間を使っていないとたちまち時間は飛んでゆき,「少年老いやすく学なりがたし」となっているのである。

時間はまた年齢に反比例して貴重になる,子供のとき時間が無限に長く感じられる,そこでは死ぬということは考えないのである。
若いときも退屈をもてあますのである。ただ何かを好きになり夢中になればそういうことはない,要するに何をしても何をしなくても時間はすぎてゆくのである。
人生はだから何に時間を費やしたかで決まる,ゲームに没頭した人はゲームが意味あるないにしろゲーム人生だったしギャンブルに費やしたものはギャンブル人生だったとなるのである。
そして遂に最後の時間がくる,その時一番時間が貴重になる
ぞうだろう,これが最後の一時間だとなればもうその時間は何十億円より貴重なものになる,いくら金があっても金はその時無用となり,何の役にも立たない
なぜなら死ねば時間がなくなるからである。その時時間の貴重さが一番現れるのである。

時間は二十代までは長く感じられるしこの時の時間が人間の基礎を作るから大事であった特に求道というとき最も命が盛んなときしかできない,老人になってからはできない
個々にも相当な誤算があることがわかる
求道などいつでもできると思っているができない,一番生命が盛んなときしかできないのである。だから若き時神を覚えろとなる,なぜなら若いときに人生の基礎を作るからである。若いとき曲がった方向に行くと一生曲がった方向に行くことになるかもしれない
それは簡単に是正できないから怖いのである
若いときは過ちをを必ず犯すけどそれも是正できない,それで後で後悔してもどうにもならない怖さがある,つまりその時そんなことたいしたことではないとみんな思っているし自分も思っていた,でもそれが後で後悔しても時間がもどらないから怖いことになるのである。その罪は払拭できない,刑罰になるならないではない心に刻まれるから怖いのである。
まずカルト教団などに入っていてそのまま人生送ったら人生を棒にふることになる
ただそういう人はありふれている

人生を棒にふる

そういう人であふれているのも現実である。その時はわからないのである。
人生をふりかえりわかるのである。でもその時はもう手遅れであり遅いのである
そこに人生の厳粛さがある,一回失敗したからまたやればいいとはならないのである。
それよりできないのてある。老人になって後悔してももう一度やり直すことができないのである。ここが人間の最大の盲点だったのである。
だから青春時代に30前までに人間の基礎ができて固まってその延長が人生だともなってしまう,自分の場合はそうだった,30代以降は遊びだったのである。
これも問題であり失敗だったともなる,何か社会性が欠如して60歳で親の介護になり四苦八苦したことを書いてきたが社会性かないためにそうなったのである。
ただ人間はどんな人でもあらゆることに通じることはできない,何か欠けているのである社会経験でも多様でありとても一人ではいろいろなことは経験できないからである。

ともかく若いときは時間の貴重さがわからないのである。時間など無限になると思ってしまうのである。ただ高齢化は長生きだからそれで何かを成すには理解を深めるにはいい時代なのである。それだけ時間が伸びることは人生百年ともなれば二回も人生があるとういことにもなるし何か才能がなくても積み重ねればそれなりの専門性を身につけうるし一角の人物になりうる時代でもある
第一50歳で何か成功する,文学の分野で成功するとかしなくてもいい,もう70からでもいいともなる,その時成熟したものが創作しうるのである。
老人になると人間はやはり賢明になり聡明に凡人でもなるからである。



2018年05月04日

歩くことは基本的な人間の行為-細道を旅人と歩んで) (都築詠一氏は歩いて鍛練して認識を深めた)


歩くことは基本的な人間の行為-細道を旅人と歩んで)

(都築詠一氏は歩いて鍛練して認識を深めた)


小島田から坂を上るところの脇の道は細い,そこを旅人二人歩いた,話ながら歩いた
そこで八重桜を見て今藤の花をみていると歩きながら語った
別にその人は風流とか俳句とか作る人ではないだろう
でも何かそのことだけでも花を見ていたのだと感じた

旅人の行くや道の辺に夏の蝶

旅人と歩きつつ話し夏燕


その道は細いから道の辺の草むらに夏の蝶,揚羽がとまっていた
歩く旅人がその時絵になるのだ,歩く旅人は浮世絵にも描かれたようにそれだけで絵になっているのだ,そんな当たり前のことが現代から消えたのである。
こういう風に感じたのももし六号線の坂を上っていたら感じないのである。
そこは細道ではないからだ,奥の細道というように江戸時代はみんな細道だから人が歩き自然を感じ道連れにになり人情を感じる旅になっていたのだ

旅人が消えたというときみんな車が主役になったからである。
車が国道を流れてゆくだけでありそこに人は主役になっていないのてある。
車に人がいるとも思えないのである。車という機械だけが流れてゆくようにしか見えないのである。車という物体が流れてゆく,通りすぎてゆくだけなのである。
こういう風景が日常風景になったとき人間はそれが当たり前となり何も感じないのである
旅というのは歩きながら自然と共感して一体になることでもある
雲水とかいて修行者もそうして歩いたのである。

人間は今やその基本である歩くとういことをしない,奪われたのである。
だから旅人もいない,ただ車という機械だけが流れすぎてゆくだけの無味乾燥なものとなっている
ただそんなことをとりたてて取り上げる人もいないのである。
そんなことを言うのはもう異常なこの世から離れた世捨て人でもあるとかなる
それだけ人間は人間の基本である,歩くということ,それがなくなったのである。
原始時代から人間は歩くことが基本としてあった,そもそも人間は二本足立った,歩くことで人間になったとされる

木を降りることになりますが、サルは本来の足も手になってしまっているので、歩くのは得意ではありませんので極めて危険です。そこで木からあまり離れたところには行けませんが、この木に登ったり下りたりの繰り返しの中で、認識的には木の上にあやふやに認識と降りてのしっかりとした認識の繰り返しの中で、天空のあやふやの像と地上のはっきりとした像との交互的相互転化の繰り返しによって、その中で、空間的な像が時間的な像へと量質転化していくという発展があって、(心の青雲ー都築詠一氏)

談論サロン天寿道(掲示板より) (立ち歩くことによって人間になったー「心の青雲」の認識論)

心の青雲の著者の都築詠一氏が死んだがそのことを哲学的に追及した,この掲示板にそのことがでている,哲学的になってむずかしいが人間の認識の基礎は歩くことによって培われたとなる
それで歩くことがなくなったとき人間はどうなるのか?人間の認識は浅薄なものとなる
大地から離れたものとなる,しっかりと大地を歩むことにより人間は大地と一体となるのだ,その基本が失われた時人間は自然を認識できないともなるのだ
この辺はもっと考察する必要がある

ここでは人間が歩いて旅するということで人間を見直す人間の認識の根源に還るとなるとおおげさだがそういうことが実際にあると思う
人間の思考が認識が現代人は深まらないのは歩かないからである。
都築詠一氏は重い荷物をもって歩くことを基礎にして空手に精進したのである。
今や歩くことはこのように自らに課さないとできないのである。
彼自身もこのように歩いて精進していた,それで日本兵が長い距離を歩けた体力と精神力に感心していたのである。
またその時は車のない時代だから歩く力があったとなる
心の青雲の都築詠一氏については最近書いていなかった,ただ歩くことによって日々鍛練していたのである。

ともかく自分自身が今回の経験が不思議だった,共に歩く経験をしていないからである
自転車と歩くのとはまた違うからである。歩く方が認識が深まることはまちがいない
歩いたからこそ道の辺の夏の蝶を見たりして心にとどめるのである。
自転車だと通りすぎてしまうということもある
歩くことただ歩くことが今や人間回復の道である。
歩いて自然でもまわりを認識することが人間回復なのである。
これも都会だとあまりにも雑音が多すぎるから深い認識ができないのである。
歩く禅というのもあるから無心になり歩くということが修行でもある
それで山頭火が歩いて旅して俳句を作った

原町に今日泊まれる旅人や明日またたたむ夏の星かな

夏になると旅人が増える,自転車の旅人もふえる,ただ鉄道はまだこの辺はいわきまではつながっていない,だから六号線をずっといわきまでは歩くことができないのである。
途中は放射線量が高いので六号線は歩いては通れない,あと二年後には開通する
その時浪江とか小高でも人が前よりは帰っているし道がつながるし鉄道もつながるとなる日本後となると震災から9年とかなるから長かかったなとなる

なんか自分は旅していないが歩く旅人が来て自分も旅している感覚になった
つまり歩く旅人とは共感するのである。


藤の花(亘理から50キロ歩いて来た67歳の人)


藤の花(亘理から50キロ歩いて来た67歳の人)


今日六号線を歩いていた人は亘理から歩いてきた,その人は大船渡の吉浜から歩いてきたのである。約500キロ歩いたという
その人は67歳である。この年でこれだけ歩くのは相当な体力がある
自分はこれだけ旅しても歩いた旅を経験していないのである。
だから歩く旅がどういうものかわからない,自転車ではしても歩くのはまた違っているからだ
ただ歩く旅は国道沿いを歩くからそこは歩く人が主役ではない,車が主役なのである。
それはどこでもそうだが特に国道はそうなる
どうしても遠くから来るとわかりやすい道を行くことになるから国道になる
そして国道沿いにはコンビニとかあり休める所があるからいい,それは昔の茶店になるからだ
まずほんとうき旅は未知の世界へ旅することだがそれは今ありえないのである。
自分は阿武隈高原を自転車で気ままに旅するときそうだった
どっちの未知を行こうかなと分かれ道を自由に選んで走っていたのである。

今日はこの旅人小島田から坂になっている所の脇道を案内して一緒にずっと歩いた
その人とは話ができた,何かそうしてかかわることを嫌がる人が多い
でもなんとかその人とは話ができて1キロくらい一緒に歩み話したのである。
その人は神戸の人であった
みちのくの旅は大船渡の吉浜からはじまっている,一日平均50キロは歩いている
500キロとすると10日間歩いたのかとなる
江戸時代でも約40、50キロ歩いたとなるからスピードとしてはそのくらい歩いたのかとなる,ただ今は道がいいからそのくらいは歩める
でもつくづく体力の差がある,その人の足を見たら太いのである。
その人はマラソンもやっていて日頃歩く旅をしているからできたという
継続していたからできたという,日頃していれば歩く旅もできるとういことかもしれないでも自分は50キロ自転車で走っただけでも相当に疲れる

自転車の旅だと途中で休むことができるし栄養もとることができるからつづけられる
登山はそれができないから苦しくなる
自分は旅してきたから旅する人に興味がある
でも車とかバイクはだめである。早すぎるからである。そういう人とは話もできなかった自転車の旅の人だと話ができるのである。

とにかくその人は自分は旅しているのではないが一キロを同伴した,そして藤の花がそちこに咲いている
その人はみちのくには桜が散って八重桜の時来て今は藤の花になった
それで芭蕉の句を思い出した

 草臥れて宿かるころや藤の花

まさにこれだった,歩いているからこそこの句ができたのであり奥の細道でも歩いたからこそできたのである。だから本当は歩いて旅しないと芭蕉の奥の細道は鑑賞できないのである。
ただもう奥の細道を偲ぶ道はない,一つだけ白河の関所跡は当時の面影を残している
小暗い森を出ると白河の関所跡に出るからである
あとは国道になるからそうした面影を偲ぶものがなくなる

みちのくの旅路やあわれ桜散り八重桜のあと藤の花咲く

桜は散っていたが八重桜になり今は藤が盛りである。その季節の変化があったが10日間ではそれほど感じない,季節の変化を感じるには相当に長い旅をしないと無理である。
でも八重桜が咲き藤の花が咲くという変化があった

50キロ歩く旅人夏の鳥

歩ききて原町宿や藤の花

原町に草鞋をぬぐや藤の花


原町宿はあった,原町は宿場町でもあった,その絵も残っている
あるいた旅ならこうなるのである。車とかバイクとではこうはならないのである。
歩いてきて疲れて草鞋をぬぎ宿をとるところに人間的なものが生まれるのである。
人間が旅しているのであり車や電車でも何か機械が旅しているとはならないのである。
現代は便利になりすぎて旅も失われたのである。
草履をのぐというときいかにも歩いて旅したときの言葉なのである。
そこにはその当時だけにありえたものでありその言葉の意味をくみとれないのである。
一日歩いてやっと休める宿だなとなるからだ
迎える方もそうしうて歩いてきた人をもてなすのにはそれなりのもてなし方があるとなる車で来る人にはそうした苦労がないからもてなすにしても違うものになるのである。
だから現代には旅人はいないのである。それも淋しいことなのである。

その人は原町に泊まり神戸に帰る,いろいろな所をその人は歩いて旅している
それができるのもやはり体力があるからである。
自分は何か体力がなくなった,だから旅はしていない,遠くにも行かない,仙台にも一年行っていないのである。
介護十年していたときからそうなのである。
でもこれだけ旅したから旅人に興味があり旅をふりかえるのである。


2018年05月03日

トイレの燕の巣を掃除した人 (駅はみんながかかわる場)


トイレの燕の巣を掃除した人

(駅はみんながかかわる場)


近くの人がトイレの燕の巣を掃除していた,あそこは市で建てたものであり障害者団体の人達が毎日掃除しているのである。
でも今回は近くの人が掃除していた、去年は駅舎の中に巣を作って汚れた
その時原町から来た駅員が苦労していたのである。
やはり今頃になると必ず燕の巣の問題が起きるのだと思った

駅は地区の人も相当かかわっている,花壇の手入れなどしているし前の自転車屋ではプラタンの花に水やりをしている,駅内の掃除はJRに頼まれた商工会の観光部の婦人がしている,このようにすでにいろいろな人達がかかわっているのである
駅は公共的空間であり人が交わる場所だからそうなっている

駅の特徴は外部の人がくるから外部の人とも交わる場所なのである。
それが駅の特徴である。外部の人を招く場ともなっている
つまりはじめてくる人だと駅に第一印象をもつ場だとなる
ただ外部でも意外と鹿島出身の人達もくる
外に出た人達である。だから親戚がいて来るのである。
そういう人達はまた違っている

今日駅であったのは自転車で知り合った変な人である,知的障害者なのかしらんがニートであり仕事をしていない,そういう人も今はどこにでもいる
ただあれはこの辺では目立つ人である。
その一人は兄であり後から弟が来た
その兄もなにか弟とにた感じである。
なんでも鮎川まで牡蠣の仕事で行った,それで交通費をとられて金にならないと騒いでいた
電車で仙台まで行きそれから石巻で行きそこから鮎川までバスで行くという
三時間以上かかってしまう距離である。鮎川までも遠いのである。

なぜそんなところまで働きに行っているのか
この辺には仕事ないんだよなという
でもそんなところまで仕事に行くだろうか?
その人はやはりまずコンビニなどで働けない人である。人と接してはとても働けないのである。そういう人は東京に出て建築の仕事をしている人もそうである。
あの人も仕事がないと東京に行ったのである。
何か仕事がこの辺ではなくなってきているのだろうか?そうなっているのだろう
もともといい仕事はなかった所である

一番いいのは東電の仕事だったのである。
あれはほとんど仕事しなくても金になる
まず現場に行ったら放射能が危険なので5分も仕事できない,すぐに交代であり休む時間の方が多いのである。それで休んで寝てばかりいたとか言う人がいた
意外ときついようで楽なのである,それで金は二倍とか三倍になる
だからこの辺では東電で働いた経験のある人が実に多いのである
それだけ金になる仕事だったのである。
そうして東電の影響が大きかったのである。
田舎の問題はまともな仕事が少ないということである。
農業とか漁業では金にならないということで漁業者は漁業権を売り渡して補償金で暮らしていたことが事故後にわかったのである。
それも結局金になる仕事がなければそうなってしまうのである。
そこに危険でも原発が建てられた事情があったのである。
いくら農業がどうだと言っても現実問題としては金が欲しいからそうなったのである。
原発はそれだけ金になる場だったのである。

あの人たちは参考にできない,スマホを弟が使っているし知的障害者とも違う,ただ知的障害者でも器用にゲームをしたりスマホを使いこなしている人がいる
だからどうなっているのかわからない,あの人達はなんらか問題があり福祉の対象になっていて金はもらっているのだろう。
ただそんなところまで仕事に行ったのは父親が死んだとかなり行かされたのである。

とえく駅はみんながかかわる場所だから意外とその街のことも情報も集まる場である。
みんながかかわるということはみんなの駅となりみんなが良くしようとすることで街も良くなる,何かそうした場が今は街でもない
やはりみんなが街を良くしようとすると街は良くなる
そういう意識が大事なのである。そういう意識がまずないと街は良くならない
ただ何かするにも人間は動機が大事である。
自分は鉄道の旅が長いから鉄道がマニアではないにしろ好きなのである。
それで鉄道会社に世話になってるから恩返しだともなる
そういう動機があってしているのである。
まずボランティアになると金もらえないのだから何か動機がないとできないとなる

ただ正直高速のセディティは警備員が十人もいる,この差は本当に大きい
それだけあそこは人の出入りがあるということなのだ
だから商売にもなる,駅はそれで無人駅になる
でも何か駅は人間的な場所でありかえって人が少ないから案内したり何か人間的交流できる場だなと思った
駅でも大きな駅だとできない,すでに原町のような駅は専門に掃除する人もいる
だからあういう場所ではなかなか人間的交流はできない
ただ人が通りすぎるとういだけになりやすいのである。

タグ:駅の役割

summer mountain and sunny beam


summer mountain and sunny beam

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It looks like a net and fish


抽象画は必ず具象画と結びついている,なにかわからないものでもこれは山に見えたり川に見えたりしている,そう見ることで抽象画でも納得するのである。
人間は何かわからないと不安になる,これが山であり川であり花であるというとき安心するのである。
抽象画は本当に何なのかわからないものがある,するとこれは何なのだとなる
森の抽象画を大量に作ったがそれはあくまでも森として見る
しかし全く抽象画だと何を示しているのかわからないものがある
でも価値が高く認められているものがある
その判断をどうしてしているのだろうともなる

今回のは山に見えるし夏の暑い日差しにも見える,赤がそうさせているのである。
これもただ変形させたものなのである。
ゼロから無から作り出したものではない,インターネット上にあるものを変形させただけなのである。


Abstract paintings are always associated with concrete paintings, even if they do not understand, this is visible in the mountains or in the river, so it is convincing even in abstract painting by seeing that.
People feel uneasy if they do not understand something, they feel secure when this is a mountain, a river and a flower.
There is something the abstract painting does not know really, so what is this

I made a large amount of abstract paintings of the forest but it seems as a forest only
But there is something that I do not know what it shows as abstract painting at all
But there are things that are highly valued
I wonder how they are doing that judgment

This time it looks like a mountain and it looks like hot summer sunlight, red is doing it.
This is also just deformed.
It just transformed what is on the Internet, not from zero to none.

時代の変化についていけない (人間は急激に変化することに弱いー ただ変化に対応するものだけが生き残る)


時代の変化についていけない

(人間は急激に変化することに弱いー
ただ変化に対応するものだけが生き残る)

ここ十年の変化は一身上でもあまりにも激しかった,人間は突然来ることに弱いのである一身上では家族が認知症になったときあまりのショックだった
それは徐々になったのではないからである。
突然暴力になって発狂したような状態になったからである。
この時の衝撃はあまりにも大きかった
それから介護になり二人の介護で看取るまで四苦八苦してきた
そのことをプログに書いてきた

その間に津浪があり原発事故がありまわりでも信じられない大変化に見舞われたのである自分は津浪の被害もないし原発事故で避難することもなかった
でもそのまわりい変化も信じられないことだったのである。
人間は激変するとそれにもう対応できない,ただ茫然としているだけになる
津浪でも逃げられずに死んだのは急激なことに人間は弱いからである。

●家族が認知症になる
●犯罪にあう
●親戚が借金して責められる
●自分の病気で二回入院

こういうふうに四苦八苦してきた,同情は一切なかった,ただ金を欲しいという人だけであり大金も失った
こういうことは予期せぬことであり対応できなかった,それも自分のカルマだった
しかしなんとか乗り越えて今になると楽になった
でも最近の失敗は銀行で投資したことだった
よゆうの金でしていてもこの失敗も大きかった

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地銀を信用していたのである。銀行というのが堅実な信用できるものだと思ったいたのである。
ところが銀行はマイナス金利とかいろいろ岐路にたたされて苦しんでいた
だからもうなりふりかまわなくなる,自分を苦しめた人も金で苦しんでいるからなりふりかまわなくなる,かえって相手が弱っているとき好都合になるのである。
それでその弱みにつけこまれて脅迫されるうよな状態になったのである。

明治以降の社会の変化は江戸時代と比べるとあまりにも大きかった
江戸時代だと代々家業を継ぐのが多い,職人ですら十代以上つづいているとかある
そういう社会は変化しないのである。だから精神的に安定しているのである。
そこで飢饉とかありやはり人間社会には何か激変がある
ただ江戸時代は戦国時代が終わりそうした激変はそれほどなかったとみる
もちろん災害はあったが暮らしの基本が変わらないから変化が少なかった時代である。

明治以降の変化は激しかった,そして変化は急激に来る,例えば戦争がはじまると赤紙一枚で招集されて戦地に送られた,これもショックである。
考える暇もなく戦地に送られたのである。これも突然のことなのである。
突然に運命的なことが起きる,ベフートベンの運命である
悪いことは突然に起きてくるのである。
その変化に対応できないのである。

銀行でも営業の人がきてFXのような為替の売買をした,これもいちいち買うと手数料がとられる,売り買いするにも書類を書くからめんどうなのである。
ただ奇妙なのだけどこれはもうけは少ないにしろもうかったのである。
この為替差益でもうけるのはわかりやすいのである。
投資信託の仕組みは素人にはわからないから銀行などの言いなりになるだけである
人間はわからないものには手を出すなというのは心得として知るべきだったとなる
投資について銀行はプロでもなんでもない,銀行は素人と変わりないのである。
だからリーマンショックのときからもっていた株を上がったのに売り投資信託に回したのである。

なぜそうしたか?

銀行にとっては投資信託が手数料で稼げるからである。それが営業のノルマになっているからそうなった,銀行の利益と営業員の利益になるからそうしたのである。
顧客の利益は二の次三の次なのである。
ただそれを知ったのも遅かったとなる,これも銀行が変わったということに対応できなかったのである。

ここに出したように別に銀行に頼まなくてもFXでもうける仕組みがある,それはAIが判断するのである。いちいち営業の銀行員が書類を書いては手数料とられることもない,AIが自動化して判断して売買するのである。
この方が確実にもうかるとなる,つまり銀行とか証券はAI化しやすい分野だったのである人間の判断だったら銀行では手数料が確実にとれる投資信託をすすめる
でもAIの判断の方が銀行より優れているのである。

すると今求められているのはITの技術者だとなり一億円でも払うからと人材獲得に躍起となっているのである。
つまり時代によって求められる人材も能力も違ったものになる
だから今いいとしても技術が進歩して変化すると役に立たなくなるのである。
そういうことは常に起きてくる

AI化で人間の知的仕事もなくなる,失業者が増えるというときもそうである。
静岡の大井川の川越の人足が鉄道ができて失業したときお茶作りをはじめて転職に成功したとかそういうことは常にあったからめずらしくないのである。
でも現代の変化の速度は早すぎるのである。
例えば退職者が高齢化で何もすることがない,居場所がないというときもそうである。
会社一筋に働くことしかしていないとそうなる
でも退職したからと地域にとけこむとか簡単にボランティアすらできない
ボランティアにもやはり何かしらの適格性が必要になる
そういうものを見つけることは容易ではないのである。
遊ぶにしても人間は日頃そうしたものをしていないとできないのである。
要するにここでも急激に変化したことに対応できないから問題になるのである。

だから強いものではなく変化に対応できるのものが生き残るというダーウィンの言葉が活きることになる
若い人が有利なのは最先端のものにふれてそれに適合できるからである。
その変化のスピードが速いときすぐにまた古くさいものとなってしまい取り残されるのである。
まず誰でも百歳まで生きる人生など想定できない,すると金銭的にも困る人々がでてくるもうそれだけ生きる金はがないとなる,政府でもないとなるからだ
こういう変化が常に世の中にはありそれで対応できないのである。
津浪ではそのために死んだ人が多数いたということである。
こんな津浪にとても対応できないということで死んだのである。
変化に対応できないことは死にもいたることになる

必死で変化に対応しなければ銀行でももうつぶれるのである。
そういうことは別に今だけでなく常に言われてきたのである。
「世の中は三日見ぬまの桜かな」である,三日でも大きな変化がある
この辺ではそうだった,新しい家が何百軒も建ちまるで変わってしまったのである。
こんなに変化することが想像もできなかったのである。
海岸の松原はなくなりソーラーパネル風力発電になったのである。
風景自体がこんなに変わることが信じられないとなるのである。


タグ:時代の変化
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2018年05月02日

鹿島駅とセディティの記録 (セディティでナンを食べる)


鹿島駅とセディティの記録

(セディティでナンを食べる)

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東京から来て浜でキャンプした人

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除草している人

駅では重い荷物をもった人がいて弁当を食べていた,右田の浜か海老浜でキャンプした
津浪の前は右田浜にキャンプ場が実際にあったが今となにもない
あの荷物をもって浜まで行ったから体力がある,40代なのか50代なのかわからない
体が大きいのである。東京から来た人だった
それ意外はは何者かわからない,話を聞きたいができなかった

駅ではあと除草剤をまいていた,前にもしていた,今回はコンクリートの割れ目に除草剤をまいていた,聞いたらこれはJRでしている
商工会に委託してはいないのである。商工会で草むしりとか除草はしていないのである。商工会の観光会の人がしているのでありその人たちはJRから委託されているから金をもらってしている
ただごみ箱のゴミをなげるくらしかしていないのである。

次に行ったのが常磐高速のセディティである。
出店がでていてナンとカレーの店だった
ナンは良くインドでも外国旅行でも食べた,このパンは好きである。
アジアではご飯と同じである。
カレーと一緒で500円だった,福島市と仙台市ではナンを出すレストランがある
仙台市では食べたことがある,福島市ではない
でも仙台市にはすでに一年も行っていない,自分は遠くに外出しなくなった
介護十念して旅もしていないのである。それでも二三回はその間に行った
その店をしていたのはインド人だった
カレーはインドのものであり日本のカレーとは違っている,本場のカレーである。
今はいろいろなものを食べるのが楽しみである

なにかこんなことを書いているのは何の意味があるのだろうか?
それは記録することに意味があるかもしれない
新地のガス会社の人と駅で話したのは三年前かと思ったら2017年のはじめのほうだった
それを読んであれ三年前頃だったと思ったがそうではなかった
プログは日にちが記されているから記録するのにいいのである。
プログの大きな価値は記録することにもある
まず自分の書いたことを何でも忘れているのである。
つくづく人間ほど忘れやすいものない
もう一年前でも忘れているのである。

記録が価値あるものとなるのはやはり日付が明確なものなのである。
郷土史研究で良く古い碑とか墓の年号を調べる,江戸時代の年号であれば価値があるのだがそれが例えば


1805年文化2年乙丑  
1818年文政1年戊寅4月22日改元 
1830年天保1年庚寅12月10日改元 
1847年弘化4年丁未  
1848年嘉永1

こんなふうに短い間に元号が変わる,すると文政が先で文化が後の時代だとみているときが普通にあるのだ,これは大正を明治より先にしない,それが江戸時代では時代の後先がわからなくなるのである。
明治大正昭和は時代的に区分されるが平成となると何か今一つ時代区分が明確でなくなるそこに何か特徴がないからかもしれない,天明というと飢饉があった時代だからイメージしやすいのである。

個人的な記録でも人生でもどういう時代を生きてきたのか?それがわからなくなるのである。

記録となると江戸時代の記録なら何でもただ記録しただけで貴重になる
記録は年月がたつと貴重になる場合がある

この駅の記録でももし今日重い荷物をもって駅で弁当を食べていた人がこの写真をみると自分がここにいたということを確認できて驚くかもしれない
なぜなら本人自体忘れるからである。
自分もどこの駅にいたのか覚えていないのである。これだけ旅しても駅のことを覚えていないのである。

ただこういう記録を読んでも他の人は興味を覚えないかもしれない,でも歴史の記録となるかもしれない,なにかつまらないことでもそれが後で意味を帯びてくるかこがあるかもしれない,親は大正生まれだったけど記録したのはわずかでありそれで死んだからわからなくなった,それがもったいなかったなとなる
自分の生きたことをもっと記録でも残していれば親のことをふりかえることができたからである。
今はプログとかで膨大な記録をしている,写真でもしている
でも今の時点ではそれが重要なものとして見ない
ありすぎてもいるし見ないのである。

セディティのナンとカレーの店

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セディティは駅とは全然違う

警備員が10人いた!

これには驚いた,車を誘導する人がいたり他にもこれだけいたことには驚いた
給料はどこで払っているのか?高速の収入で払っているとなるのか?
この差は大きい,駅は無人駅だからである。
それだけ人の出入りが本当に多いのである
一日数千人単位になるのか?まずひっきりなしに人が来ているのである。

資本主義が有効に働く場 ( エコノミストの記事より考える)

資本主義が有効に働く場

( エコノミストの記事より考える)


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カンボジアではアンコールワットでバイクで案内する若者いる
そのバイクは借りている,中国人がそのバイクを所有していて貸している
つまりこの時日本人でも資本があれば経営できる
金の力がこういう後進国では大きく働く
何か商売をはじめるためにも資本が必要とするからだ
インドでは腎臓を売って商売をはじめる資金としたとかある
そういう後進国では資金がないのである。
資本がないのである。

自分の家でも店をはじめるとき資金がなかった,それを借りるのに大変な苦労した
それはわずかな金だったがそうだった,その時は戦後の焼け野原で何もない時代だから物を置けば売れていたのである。
立派な店を作ることもない,自作して店を作っていた
資金はそれぼと必要なかった
インドではバラックの店があったり屋台なども資本がいらない商売なのである。
江戸時代などは棒ふりであり資金はかからないのである。

そのとき工場でも中小企業が東京でも景気が良かった
それで人手だたりなくて集団就職の中卒を使っていたのである。
こういう時代も資本さえあれば商売ができたのである。
でもその時でも銀行は金を貸さなかったのである。
そして今銀行は金を貸すことができない
金は銀行にオーバーバンキングされている
それで投資信託と詐欺的商品を客に売りつけている
これも資本主義が投資先がなくなってゆきづまっていることなのである。

つまり東南アジアがそれもタイとかでなくてベトナムとかカンボジアとかラオスとかでは資本主義が有効に働く,前は中国だったが今は中国でも飽和状態になる
人件費も高くなっているから中国で会社を作って生産しても安いとはならないからだ
ただ東南アジアでは今度は中国の進出があり日本人企業は進出する度合いが低い
経済でも中国人が支配している,その一つの例がカンボジアでバイクを貸して観光でもうけている中国人なのである。
カンボジア人がすればいいのだがバイクを買う金が資本がないから中国人が経営者になりバイクを借りて賃金をもらうほかないのである。
ここに資本主義の生々しい姿が如実に現れている

アメリカの企業進出は下降していて中国の力が拡大している,それでアメリカの影響力は弱まっている,日本の企業進出も低下している,そうういなかで南沙諸島が中国の基地になる,アメリカの影響力は後退しているのだ
世界を見るときこうして経済の分野から見るとわかりやすい
たからアメリカは経済的にも後退しているしトランプの自国経済主義になり世界から孤立する,とういうよりアジアでも中国に押されて進出する力がなくなっているのだ

ただ右寄りの論客は中国経済は危機でありまもなく破産するとか盛んに言っている
でもこれもわからない,アメリカの衰退は確かである
移民も減少しているし経済が縮小しているのだ

いづれにしろ資本主義がゆきづまるというときもう資本が有効に働く場がなくなっているアフリカが最後のフロンティアとしているがそこでは中国が支配している,アメリカではないのである。
そこでドルの価値は低下してゆく,かといって人民元がドルのような貨幣になるとはならない,中国経済はそれだけ安定しているものではないからである。
世界が今や三国志のようにEUのユーロー圏と中国の人民元圏とドル圏に分かれる
ドルが突出して世界マネーになる時代は終わった
それで円高になる,一ドルが80円とかにまたなるとか指摘している
世界が三国志のように三分割して平衡を保つ,平和を保つのもいいのかもしれない
アメリカが今までは突出していたからである。
それが成されるのは経済で均衡するからそうなる

ともかく今は資金があっても逆になにか事業を起すにしてもむずかしい,成功しない時代である。新興国のように投資先があるのならいいがない
腹が満たされれば何に金を使うかとなると内装がいいレストランとか他に付加価値を求める,あそこは景色がいいレストランだから行くかともなる
食べるだけではない価値が求められる
おそらく人の求める価値が多様化するがそれが豊かさになる
それで裁縫ではAI化しても個々人のオーダーメードになるから裁縫にたづさわる人は生き残るというのもそのためである。
つまり個々人で求めるのが価値が違ってくるからそうなるのである。
一律に大量生産して同じものを求める時代は貧乏な時代であり豊かな時代は個々人でも求める価値が違ってくるのである。
そういうものに対処しないと商売も成り立たなくなる時代になる

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2018年05月01日

ローソンのコーヒーを手渡しする是非 (AI化機械化合理化効率化でかえって逆に情が求められる)


ローソンのコーヒーを手渡しする是非

(AI化機械化合理化効率化でかえって逆に情が求められる)

「コーヒー手渡しやってる暇ない」コンビニ人手不足で店員の仕事量増加、やりがいも乏しく

これもわかる,手渡ししているだけで仕事量がふえる,人手不足だからそんなことする必要ないとなる,客も望んでいないとなる
要するに自動販売機の方がいい,コンビニなど店員はいらない自動販売すればいい
人はいらないとなり実際にその実験が中国でもしている

この手渡しをローソンがこだわった理由はわかる,自動販売機ではなくそこに人間の情を通わそうとしたのである。
人間が直接渡せばそこに人間の情が伝えられると思ったのである。
しかしそうなると手間になるからゆきづまることもわかる
ただ現代社会が何でも便利なものを求めて情がなくなっている社会である。
逆に人間は今情を求めている,情というのは目に見えないし効率的ではないのだ
でも人間はみんな経済的効率だけで動くものではない,人間は合理的理由だけで動くものではない,そういうものを極力省いてゆくと社会に人間がいなくなる
そこはロボットと自動販売機しかなくなる

 鈴が音(ね)の 早馬(はゆま)駅家(うまや)の 堤井(つつみい)の 水を給(たま)へな 妹が直手(ただて)よ 」 巻14の3439 作者未詳

 これも直手(ただて)で手で水をすくって与えたから手から人間の情が伝わるとなる生々しいものを感じる,人間からは必ず情が伝わるのである。
まず茶碗でもない,茶碗で水を与えれば情がただてのようには伝わらないとなる
そこに物が介在してくるからである。
これは万葉時代だからこそありえたことである。

ただ2000年前からすでに人間は道具を使うと人間性が失われるということは指摘されていた,道具を使うことによってそこに直接人間の手を使わないから人間が本来もっているものが失われる
例えは人間が本当に通じ合うには言葉があったとしても文章があったとしても直接話あわないと十分に相手に伝わらない,だからソクラテスでもキリストでも文章として残してはいない,後の人が文章として残していたのである。
直接語ることしかしなかったのである。文章にして伝えることを拒否したのである。

だから何かを伝えるときそこに道具が介在すると通じあうことがむずかしくなる
特に情的なものが省かれるのである。
いろいろ文明の利器として電話であれ最近はインターネットからスマホともうそこには直接人間同士があって話し合うということがなくなる
その時そこに情が通じ合わなくなる,その点が実は現代社会で一番問題であり危険なものとなる,ネットだけで知りあって女性が殺されたとか恐ろしい事件も起きている
ラインとかで言葉だけのやりとりでそうなったのである。
パソコン通信のとき文章でコミニケーションするのに違和感を感じた
ついていけないことがあったのはそれはパソコンを通じてしていたからである。
文章だけで話すことははじめてしていることだったからである。

現代では生身の人間と直接あって通じ合わせることは少なくなった,ただ今でもヤクルトとか地銀の営業の人が来ることは直接人と接して商談でもするから違っているなと感じた生身の人間が来るからインターネットで話すのとは違う,そこに地銀の強みがあった
日頃から地元の客を一軒一軒回って信用を築いているからである。
だから逆にそうして対面的営業をしていると悪いこともしにくいとういことがある
投資信託は詐欺的商品であり何か銀行も今苦しくて銀行では確実に手数料とれて客は損してもかまわないものを売りつけているとなり信用できなくなった
これも電話とかインターネットとかでのやりとりだと人間と直接会わないからそういうこともなかったかもしれない。

ともかく現代社会は合理化効率化を極限まですすめてゆく,すると社会はどうなるのか?
街に出るとスーパーまで自動販売になりコンビニでもそうでありもう人がいないのである駅はすでにそうなっている所が多い
駅でボランティアのまねごとのようなことをして感じたことは自動化できるがそこには情がない場となる,人はただ駅を通過するだけの人でありそれを監視カメラが見ているとなる
もともとJRでは人へのサービスはしない会社である。機械を動かし時間どおりに事故なく人を運ぶということだけに働いている会社である。
だから合理化効率化をすすめるために駅は無人化して自動化している,すでに半分は無人駅になっているのだ

そのことで自分は駅で案内のボランティアをして無人駅ではたりないものがあると実感した,そこに人間の手が加わらないと確かにそれほど困ることはないかもしれない,自動化はできる,でもそこに欠けるものがある
そこに人間の情がなくなるのである。だから何か無味乾燥になり駅に来てもそこに人間がいない,ロボットがいるだけだとなる,でももう人間はいらない,スマホを乗客も見ているだけだとなる
そこに会話もなくなる,そして情というとき情報とは情に報(むく)えることが情報だったのである。

旅でも旅情があるとか情緒があるとういことを自分は追及してきた
それは旅だけではない,あらゆる面で情なき社会が現代であるからである。
便利で効率的で合理的なことはいいことである。経済的にそれを追及することはやむをえない,でも人間はそれだけで成り立たないのだ
そこに人間の人間たる所以がある,人間は情を求めている,情は愛にもなる
家で母親が料理してくれるのとただ惣菜でも買って食べているのとは同じものを食べていても違ったものとして感じる,家庭料理にはお袋の味があるから違っているのである。
今はそれすらなくただ買うだけになってしまった
そういう根本的な所でも情が失っているのである。
それがいかに社会に影響しているのか?
人間社会ら情がなくなるときどうなるのか?それは愛がなくなることにも通じている
もう殺伐とした社会になる,情がないから弱い人を見ても同情などしない
そういう社会生活を日々しているとそれが習慣になるからである。
現代社会は確かに便利である,でも殺伐としている
人間を人間と見ていない,ただの物ののようにしか見ていない,情ある人間とも見ていないのである

そういう社会は本当は恐ろしいものとして現象として現れる,戦争でも人間は物ののようにしか見ないからナチスでもあれだけの大量殺戮になったし原子爆弾でも落された
そこまで情ある人間ができるのか?原発事故でもそうである。
科学技術の発展は道具の発展は2000年前に老子が予言していたような現実を作り出したのである。情のない非情な社会である
それは文明社会が日々そうして非情な社会で生活することが習慣としているからである。まわりが自動販売機でありそこに人間がいない社会となったらそこで情をはぐくむことは不可能である。それは学校時代から起きていたことでもある
人間はある面でロボットのように生産されているからである。
社会のロボットのように教育され訓練されているともなる

なぜ江戸時代に人々がいい顔していたのか?江戸時代は今と違ってあるゆる面で旅するにしても旅は道ゆきであり旅は道連れであり旅でも情を伝えあうものだったのである。
何するにしても情がなくては成り立たない社会だったのである。
確かにそこでは便利ではない,逆に不便だから歩いて旅していたから情がはぐくまれていたのである。
だからつくづく人間は何が幸福かわからない,便利でいいなと思っていたらそれが不孝の原因にもなっていたのである。

ただローソンの問題はどっちがいいとかは簡単に言えない,それはローソンでも会社側でも客の側でもそんなめんどうなことをしなくてもいいとなるからだ
ただヤクルトでもそうだがあれも人が直接わたすことにより情が伝わることで逆に成功していたのである。だからすべてを便利にするにしてもこれからの商売でも情が大事になることがある
特にAI化するとき残る仕事はそうした情を重んじる仕事なのである。
人間と直接向き合う仕事なのである。だから医者とか看護師でも介護士でも直接人と向き合う仕事はなくならないとしている,それはコーヒーでも直接手渡しする
そういうことがかえって重んじられる社会になる
ここではコーヒーを手渡してくれたから高くてもいいとかなる
そこに価値を認める人もででくる,むしろその価値が情の価値が高くなる社会になる
機械化合理化効率化をすすめてゆき最後に不合理な効率的ではない情が価値が高くなるというのも逆説である。
人間社会はそうして矛盾したものであり不合理なものして効率的ではないものとして価値がある,それが人間だということを現実社会で生きて知るのである。





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posted by 天華 at 20:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

駅から相馬市まで歩く人


駅から相馬市まで歩く人


今日は駅から相馬市まで歩くという人がいた,前にもいた,年配の人であり今日は暑いから楽でないと見た
旅行すると今は便利になりすぎている,だからかえって旅しても何か後で思い出してし記憶に残ることがなくなる
六号線を行くと早いが歴史のことがわからなくなる

日立木から松並木を通って相馬市に入れば相馬に来たなと思うだろう
六号線だとそういう感覚がなくなる,旅はそれだけ便利になりすぎて通りすぎるだけになったのである。

七ヶ宿街道を自転車で行ったときの思い出は残っている
芒の原の道を行き鏡清水で夕暮れになっていた,上山に暗いなかを走っていた
その時旅情を感じたのである。あそこに電車で行っては旅情はあまり感じないのである。鉄道と街道はまるで違ったものだからである。
鏡清水に来るともう上山の城は近いなと感じる,だからここで姫が化粧するために顔を写したというのがリアルなのである。
七ヶ宿となると今は鉄道も通らないし辺鄙であるからかえって当時を偲ぶことができる

七ヶ宿の旅(俳句、短歌-自作)


七ヶ宿街道
鏡清水

今日相馬市まで歩いた人はインターネットでプリントしたものをもっていた
おそらくそれが出ていたのはこのサイトだろう
ここは良くできているからだ,ここまで詳細に見るのは地元でもしていないからだ
旅の問題としてそこがどういうところかわかりにくいのである。
本は二冊ももったりしたら厚いとしたらもてない
第一その場に詳しい情報はないし調べられない,今はスマホをもっているから調べやすいが
それでもその場の情報を得るのはむずかしいと思う
検索すること自体めんどうになるからだ,旅は急いでいるしゆっくり検索できないのである。

百街道一歩の道中記

ともかく歴史を偲ぶなら昔の街道を行くことだがそれが今はなかなかできないのである。車で来た人などただ通りすぎるだけになってしまう

後は福島市から来た夫婦である,福島市から来る人も仙台についで多い,その人は松川浦を見に行った
連休だから観光目的の人が増える,駅では無人駅でもあり案内することがありそこで全とした会話が成り立つのが面白いとなる

それからゴミが落ちていたので拾ったりしてホーム内のごみ箱に投げた
あそこにごみ箱があるのを知らない人がいる,気づかないのである。
喫煙所になっている所には今回はボール箱のようなものを置いていった人がいた
それはかなりゴミであったからごみ箱に投げた
仕事といってもそんなところである。
でも自分は毎日一回は駅によって見て回り案内したりしている

ともかく駅の役割には外来の客を旅人を迎えることがある
駅(うまや)は厩(うまや)ともあり馬が休む場所であり旅人も休む場所だった
旅人を迎え見送る場なのである。
鉄道の駅も迎え見送る場である
ただ常磐高速でもそういう場になっていない,ただ車が休息によるというだけでありそこで迎えたり見送ったりすることはないのである。

駅を出て街道歩む旅人を我が見送りぬ夏の夕ぐれ

駅から鉄道で見送るのと駅から歩いて行く人を見送るのは感覚的に違う
あの人は街道を歩いて行くのだなとイメージする,相馬市までは15キロであり遠いのである。
だから常に街道では迎えたり見送ったりする人がいたのである。
そこに出会いもあったし分かれもあった,それが街道を行くことだった
駅にはその感覚がまだ残っているが歩いて旅する人を迎えたり見送ったりするのは違うのである。