2018年05月04日

歩くことは基本的な人間の行為-細道を旅人と歩んで) (都築詠一氏は歩いて鍛練して認識を深めた)


歩くことは基本的な人間の行為-細道を旅人と歩んで)

(都築詠一氏は歩いて鍛練して認識を深めた)


小島田から坂を上るところの脇の道は細い,そこを旅人二人歩いた,話ながら歩いた
そこで八重桜を見て今藤の花をみていると歩きながら語った
別にその人は風流とか俳句とか作る人ではないだろう
でも何かそのことだけでも花を見ていたのだと感じた

旅人の行くや道の辺に夏の蝶

旅人と歩きつつ話し夏燕


その道は細いから道の辺の草むらに夏の蝶,揚羽がとまっていた
歩く旅人がその時絵になるのだ,歩く旅人は浮世絵にも描かれたようにそれだけで絵になっているのだ,そんな当たり前のことが現代から消えたのである。
こういう風に感じたのももし六号線の坂を上っていたら感じないのである。
そこは細道ではないからだ,奥の細道というように江戸時代はみんな細道だから人が歩き自然を感じ道連れにになり人情を感じる旅になっていたのだ

旅人が消えたというときみんな車が主役になったからである。
車が国道を流れてゆくだけでありそこに人は主役になっていないのてある。
車に人がいるとも思えないのである。車という機械だけが流れてゆくようにしか見えないのである。車という物体が流れてゆく,通りすぎてゆくだけなのである。
こういう風景が日常風景になったとき人間はそれが当たり前となり何も感じないのである
旅というのは歩きながら自然と共感して一体になることでもある
雲水とかいて修行者もそうして歩いたのである。

人間は今やその基本である歩くとういことをしない,奪われたのである。
だから旅人もいない,ただ車という機械だけが流れすぎてゆくだけの無味乾燥なものとなっている
ただそんなことをとりたてて取り上げる人もいないのである。
そんなことを言うのはもう異常なこの世から離れた世捨て人でもあるとかなる
それだけ人間は人間の基本である,歩くということ,それがなくなったのである。
原始時代から人間は歩くことが基本としてあった,そもそも人間は二本足立った,歩くことで人間になったとされる

木を降りることになりますが、サルは本来の足も手になってしまっているので、歩くのは得意ではありませんので極めて危険です。そこで木からあまり離れたところには行けませんが、この木に登ったり下りたりの繰り返しの中で、認識的には木の上にあやふやに認識と降りてのしっかりとした認識の繰り返しの中で、天空のあやふやの像と地上のはっきりとした像との交互的相互転化の繰り返しによって、その中で、空間的な像が時間的な像へと量質転化していくという発展があって、(心の青雲ー都築詠一氏)

談論サロン天寿道(掲示板より) (立ち歩くことによって人間になったー「心の青雲」の認識論)

心の青雲の著者の都築詠一氏が死んだがそのことを哲学的に追及した,この掲示板にそのことがでている,哲学的になってむずかしいが人間の認識の基礎は歩くことによって培われたとなる
それで歩くことがなくなったとき人間はどうなるのか?人間の認識は浅薄なものとなる
大地から離れたものとなる,しっかりと大地を歩むことにより人間は大地と一体となるのだ,その基本が失われた時人間は自然を認識できないともなるのだ
この辺はもっと考察する必要がある

ここでは人間が歩いて旅するということで人間を見直す人間の認識の根源に還るとなるとおおげさだがそういうことが実際にあると思う
人間の思考が認識が現代人は深まらないのは歩かないからである。
都築詠一氏は重い荷物をもって歩くことを基礎にして空手に精進したのである。
今や歩くことはこのように自らに課さないとできないのである。
彼自身もこのように歩いて精進していた,それで日本兵が長い距離を歩けた体力と精神力に感心していたのである。
またその時は車のない時代だから歩く力があったとなる
心の青雲の都築詠一氏については最近書いていなかった,ただ歩くことによって日々鍛練していたのである。

ともかく自分自身が今回の経験が不思議だった,共に歩く経験をしていないからである
自転車と歩くのとはまた違うからである。歩く方が認識が深まることはまちがいない
歩いたからこそ道の辺の夏の蝶を見たりして心にとどめるのである。
自転車だと通りすぎてしまうということもある
歩くことただ歩くことが今や人間回復の道である。
歩いて自然でもまわりを認識することが人間回復なのである。
これも都会だとあまりにも雑音が多すぎるから深い認識ができないのである。
歩く禅というのもあるから無心になり歩くということが修行でもある
それで山頭火が歩いて旅して俳句を作った

原町に今日泊まれる旅人や明日またたたむ夏の星かな

夏になると旅人が増える,自転車の旅人もふえる,ただ鉄道はまだこの辺はいわきまではつながっていない,だから六号線をずっといわきまでは歩くことができないのである。
途中は放射線量が高いので六号線は歩いては通れない,あと二年後には開通する
その時浪江とか小高でも人が前よりは帰っているし道がつながるし鉄道もつながるとなる日本後となると震災から9年とかなるから長かかったなとなる

なんか自分は旅していないが歩く旅人が来て自分も旅している感覚になった
つまり歩く旅人とは共感するのである。


藤の花(亘理から50キロ歩いて来た67歳の人)


藤の花(亘理から50キロ歩いて来た67歳の人)


今日六号線を歩いていた人は亘理から歩いてきた,その人は大船渡の吉浜から歩いてきたのである。約500キロ歩いたという
その人は67歳である。この年でこれだけ歩くのは相当な体力がある
自分はこれだけ旅しても歩いた旅を経験していないのである。
だから歩く旅がどういうものかわからない,自転車ではしても歩くのはまた違っているからだ
ただ歩く旅は国道沿いを歩くからそこは歩く人が主役ではない,車が主役なのである。
それはどこでもそうだが特に国道はそうなる
どうしても遠くから来るとわかりやすい道を行くことになるから国道になる
そして国道沿いにはコンビニとかあり休める所があるからいい,それは昔の茶店になるからだ
まずほんとうき旅は未知の世界へ旅することだがそれは今ありえないのである。
自分は阿武隈高原を自転車で気ままに旅するときそうだった
どっちの未知を行こうかなと分かれ道を自由に選んで走っていたのである。

今日はこの旅人小島田から坂になっている所の脇道を案内して一緒にずっと歩いた
その人とは話ができた,何かそうしてかかわることを嫌がる人が多い
でもなんとかその人とは話ができて1キロくらい一緒に歩み話したのである。
その人は神戸の人であった
みちのくの旅は大船渡の吉浜からはじまっている,一日平均50キロは歩いている
500キロとすると10日間歩いたのかとなる
江戸時代でも約40、50キロ歩いたとなるからスピードとしてはそのくらい歩いたのかとなる,ただ今は道がいいからそのくらいは歩める
でもつくづく体力の差がある,その人の足を見たら太いのである。
その人はマラソンもやっていて日頃歩く旅をしているからできたという
継続していたからできたという,日頃していれば歩く旅もできるとういことかもしれないでも自分は50キロ自転車で走っただけでも相当に疲れる

自転車の旅だと途中で休むことができるし栄養もとることができるからつづけられる
登山はそれができないから苦しくなる
自分は旅してきたから旅する人に興味がある
でも車とかバイクはだめである。早すぎるからである。そういう人とは話もできなかった自転車の旅の人だと話ができるのである。

とにかくその人は自分は旅しているのではないが一キロを同伴した,そして藤の花がそちこに咲いている
その人はみちのくには桜が散って八重桜の時来て今は藤の花になった
それで芭蕉の句を思い出した

 草臥れて宿かるころや藤の花

まさにこれだった,歩いているからこそこの句ができたのであり奥の細道でも歩いたからこそできたのである。だから本当は歩いて旅しないと芭蕉の奥の細道は鑑賞できないのである。
ただもう奥の細道を偲ぶ道はない,一つだけ白河の関所跡は当時の面影を残している
小暗い森を出ると白河の関所跡に出るからである
あとは国道になるからそうした面影を偲ぶものがなくなる

みちのくの旅路やあわれ桜散り八重桜のあと藤の花咲く

桜は散っていたが八重桜になり今は藤が盛りである。その季節の変化があったが10日間ではそれほど感じない,季節の変化を感じるには相当に長い旅をしないと無理である。
でも八重桜が咲き藤の花が咲くという変化があった

50キロ歩く旅人夏の鳥

歩ききて原町宿や藤の花

原町に草鞋をぬぐや藤の花


原町宿はあった,原町は宿場町でもあった,その絵も残っている
あるいた旅ならこうなるのである。車とかバイクとではこうはならないのである。
歩いてきて疲れて草鞋をぬぎ宿をとるところに人間的なものが生まれるのである。
人間が旅しているのであり車や電車でも何か機械が旅しているとはならないのである。
現代は便利になりすぎて旅も失われたのである。
草履をのぐというときいかにも歩いて旅したときの言葉なのである。
そこにはその当時だけにありえたものでありその言葉の意味をくみとれないのである。
一日歩いてやっと休める宿だなとなるからだ
迎える方もそうしうて歩いてきた人をもてなすのにはそれなりのもてなし方があるとなる車で来る人にはそうした苦労がないからもてなすにしても違うものになるのである。
だから現代には旅人はいないのである。それも淋しいことなのである。

その人は原町に泊まり神戸に帰る,いろいろな所をその人は歩いて旅している
それができるのもやはり体力があるからである。
自分は何か体力がなくなった,だから旅はしていない,遠くにも行かない,仙台にも一年行っていないのである。
介護十年していたときからそうなのである。
でもこれだけ旅したから旅人に興味があり旅をふりかえるのである。