2018年05月06日

常磐高速のセディティに市がたつ (苔の展示の店がまた出た-市は人の出会いを演出する)


常磐高速のセディティに市がたつ

(苔の展示の店がまた出た-市は人の出会いを演出する)

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苔の店と陶器の店

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隣の陶器の店で売っていたもの

海の底のような感じでいい,日常的に使うのはどうか?飾ってゆくのにはいいかも


高速のサービスエリアは連休でにくぎわっていた,店がいくつか出ていた
カレーとナンを売っているのはインド人である。
これはこの辺では売っていない,福島市と仙台市ではナンを出しているレストランで食べたことがあった
だからこの辺ではナンは食べられない,炭火で焼くナンである
他にたこ焼き屋とかも店を出していた,その店の人は知っているおくさんは中国のハルピンから来た人である。これでちょっと国際的になっていることがわかる

山の頂上をイメージしたものを枯木と苔で作った創作品を出していた,この人とは前にあいやはり苔に枯木をあしらったものを買った
今回の出したのはもっといいものである。山の頂上の感じを出した逸品である
その他「やましゃく」とかもだしていた,ヤマサトと聞こえたが山芍薬のことである。

「こんなもの山に咲いているですか」
「咲いていますよ」
「この辺では見ないでしょう」
「これは山形でとってきたものです」
「こいうものは山に入ってもめったに見れないでしょう」
「これは高いですよ,5000円くらい軽くしますよ」
「これは山で見ることはめったにないでしょう」

このヤマシャクヤクははじめて知った
ヤマシャクヤクは山に咲く芍薬でありヤマアジサイとなると山に咲くアジサイとなる
ヤマジサというのもありヤマのジサの木のことであるらしい。橲原(じさばら)という村の名前もある、ヤマシャクはこれはめったに見れない,これは四日くらい咲いて散るとなれば余計に見れない,神秘的な花だとなる

それからこの野草などを売る店の主人は植物に詳しい,前も道の駅で枯木に苔をあしらったものを買ったことがある,今回の作品は前より山の頂上の感じを出しているので傑作である。ただまだ苔が成長していないので残念である,これから成長するという
その人は苔に関心がある,苔にもいろいろ種類があるという,苔は三種類からは知っているけど実際苔の種類は多いのである。

コケ(蘚苔類)の種類は、世界で約二万種ほどありますが、そのうちの1/10、約1800種のコケが日本国内に生育しております。こんな小さな島国に、1800種ものコケ!
日本は、自然豊かなコケ大国なのです。

苔(コケ)は、意外に寒さには強いようです。
しかし、乾燥した冷たい風にさらされると
茶色っぽっく変色して枯れたようになります。
でも枯れてしまったわけではありません。
春になればまた緑色に回復します。
気温の下がる冬、屋外の苔は休眠します。
あたたかい室内に置いた苔は
休眠せず成長を続けます。
冬でも苔の緑を楽しむには
あたたかい室内に置くことです。

苔も不思議である。その人は地球の最初の植物は苔だったという,苔は冬にも強いというとき北欧ではトナカイは雪に埋まっても苔をほじくりだして食べていたテレビを見たことがある,苔がその時貴重な食料となって冬を生き延びていたのである。
苔があるからトナカイも冬を生き延びることができていたのである。
冬は乾いて乾燥して死んだように色もあせるが死んではいない,休眠しているだけでありまた緑の色にもどる,イワヒバも死んだように色が変わりまるまるが死んでいないのである。そうして休眠することができるからこそ冬を生き延びることができるのとなる
植物も冬眠するのかとなる

南方 熊楠(みなかた くまぐす)

生物学(特に菌類学)
民俗学
研究機関大英博物館
主な業績粘菌の研究

この人は外国まで言って苔を研究していたのである。熊野の森は深いから研究には適地だった

 タブノキ(クスノキ科)の朽ち木から採集した粘菌の一種が新種と認められた。熊楠が発見した10種の新種粘菌のうち最初のもの

ただこの辺の植物は生きるのに結構過酷だという,冬は風が吹くし乾燥しているし浜通りは意外と季節的に厳しいと言っていた,なぜそういうかというとその人は植物を苔でも他の花とかでも育てているからそう言っているのである。
かえって雪国は雪が温度が一定して保温してくれるから植物にはいいと言っていたのも意外だった
その人は朽木に興味がありそれに苔をあしらうのに苦労していたのである。

その名も「雪の下大根」は、甘くみずみずしく、食感はまるで梨のよう!!

越冬野菜にとっての最適な条件は、温度が常に0℃にであること、そして、適度な水分が保たれることです。0℃という条件だけでは野菜がパサパサになってしまいますが、雪の下に埋めることで雪がほどよく解けて水分が保たれるので、みずみずしさが増すのです。

雪国を見ると雪に埋もれて何もないようでもこうして恵みを与えるのもつくづく自然だと思った,恵みはどんなところでもある,かえって浜通りが気候的に厳しいというのは意外だったのである。
その人はとにかく苔を成長させたり植物をいかに成長させるか取り扱うかに苦労しているからである,それは野菜を作るとかとにているのである。
その人は山から何か植物を花でも採集するのだがそれもかなり苦労している、うまつやらないと植物がそこなわれるからである。

そして面白い話として虫に食われて茎がだめにして花もだめになるが山の自然の植物はその虫に一部食われても根が他にも伸びてまたそこから茎が伸びて花を咲かせるとか言っていた,植物でも野菜でも虫も大敵なのである。だから薬を使うのである。

一人の客が来た,その人はまた私はクリスマスローズをやっているんですとクリスマスローズの原種をもっているという,それの花は小さいという,花を大きくしたのは品種改良したからである。チューリップの原産はトルコにありその花は小さいのである
でもオランダで品種改良して大きくして種類も増やしたのである。
その人はクリスマスローズを専門にしているから店を出した人もその話を聞いて感心していたのである。
とにかく植物の話になるときりがないのである。肥料がどうだとなるとその人はクリスマスローズいかに扱うかを知っている,しそれを試行錯誤している,つまり花一つにとってもその扱い方が変わるからそうした話はきりがないのでありあらゆるものを成長させることを知っている人はありえないのである。
それだけ広い分野になる,農業とにているのである。
自分は花の美しさを主に見ているがそれを育てるとなるとその知識も膨大でありそれも試してみないとわからないから詳しくなることは至難だとなる
そこで売っている人もあらゆくことには通じていないけど苔とか山の植物を扱っているからその苦労を語るのである。

要するにクリスマスローズに詳しい人はは南相馬市内に住んでいる人である。
その人は互いに親しくなりたいようだったが売る方の人はちょっと変わっているから警戒していて家まで来るのは困るとと断っていた
その人は相馬市の人であった,その人は歴史好きでもあり住んでいる場所のことをしきりに語っていた,姓は伊達である,伊達と相馬の境に住んでいるという,だからそういう歴史に興味をもっている,新地は伊達領だったからである。
海に近いから何か港があったのではないかとも言っていた,塚部という所に住んでいる
それでしきりにそのことを言うからおそらく田んぼの前は塚がありその塚があったから塚部(かつのべ)となったと自分は推測して言った,ただその土地についてはわからない
地名の方が先にあるからそうだと思った,何かその辺で争いがあり墓があって塚となっていたのかともその人は言ったからだ,でも塚というときもしかしたら古墳があるところとなると相当に古いとなるのである。地名は相当に古いからである

その人は歴史にも興味があるといっていた,それでいろいろ話もした,相馬市は実際良くわからないことがある,それは次に書いてみよう。
郷土史というとき実は範囲が広いのである。土地の気候とかどういう植物が生えているとかもそうである。だから今回浜通りが植物の野菜などの生育には雪が降らないのに厳しいというのが意外だったのである。
その地域にはこうしてその土地土地の風土がありそれを基本的に体感しないとその土地のことはわからないのである。
だからそういうことは農家の人が詳しいとなる,ただ花栽培となると野菜作りともにているのである。肥料とか水はけとか植え替えとかなんとかきりなくその扱う方法があるからである。

隣は前も陶器を売っていた,ただここの場所代一日でも7000円とられるという
それで二人で払っているという,7000円は高いとしきりに言う,自分もそう思った
なぜなら半日くらいそこにいたが食べ物と違い売れないからである。
その人は趣味でやっているからいいのかもしれないが場所代も稼げないとなるからであるその場所代は県の方に払われるらしい,というのは道路は県で管理しているからである。セディティは本当に人の出入りが多い,それで警備員が十人もいるのである。
車の誘導などをしているからだ

ただ出店とかは今はあまり見かけない,なんでも日頃売っているからそうなる
昔だったら市場は日を決めて月に何回かしかない,それで二日市とか四日市とか五日市七日市八日市一〇日市廿日市とか地名化しているのである。
今回はその市が小規模だが復活したとなる,その時ここはただ物を売り買いするだけでなく情報をやりとりする場にもなる
それでしきりにクリスマスローズに詳しい人がその人と親しくなりたくなっていたのである。同じ趣味で親しくなりたくなっていたのである。
遊牧民とかなるとまず離れて暮らしているからめったに会わない,すると市がたつとき会うからそこでいろいろな生の情報に接するのである。
だから嫁探しに来るという人もいたのである。

つまり市とはただ物を売る場ではないのである。人間的な場なのである。
そういう機能もあったのだが現代はただ物を売る場でしかなくなって市が消えてたのである
市が立つということは祭りだったのである。祭りの日に出店が並ぶからである。
今回はその市がたった頃のことが復元したとはなる
とにかくあそこだけが人が集まる都会なのである。あれだけの人の出入りがある所はこの辺でないのである。それも遠くから来る人が多いからである。
連休では特にそうだった,ただ別に遠くに来たからといって自分は話はしないしできない駅と違ってここではできない,だからどういう人が来ているのかわからないのである。
ただ野草を売っている人がいてそういう植物に詳しい人が互いに情報交換するということがあった,それが市のもつ機能だったのであり人間の出会いの場を提供していたのである

ともかく連休も終わった,みんなどんな思い出を作ったのか?
自分は今は遠く行かない,近くでも究めるものがあり意外と人間は灯台もと暗しであり知らないことがある,見逃されているのである。
どんな人が住んでいるかも知らないのである。郷土史となるとやはりそこに住んでいる人も対象になる、あの人はあまり話しないが今回はずんぶん話した
家のことも話したのである。だから次にそれを書いてみよう
ただ歴史に興味があるとしても基本的なことは知らない,それが学者と違う
でもあの人から家でも歴史がたどれるのである。
なぜなら伊達という姓自体がそれを物語っていたからである。

最後に苔というとき自分は金閣寺で苔に落ちていた真っ赤な椿を見た
それを今になって思い出した,それはすでに三〇年もすぎているかもしれない
なぜそれだけを思い出したのか,やはりそれが鮮烈だったからかもしれない
それで俳句を作った

椿散る苔に赤しや金閣寺

何かこれが京都らしいとなる,苔寺などもあるのが京都の庭だからである。
つまり椿の赤さと苔の緑と金閣寺の金色が映えているのだ
その対象が鮮烈なものとなっているからだ
苔寺に散る椿の写真がインターネットにある

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夏の季語として苔の花もある,微小な花である

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霊山の苔清水



霊山の岩黒々と苔清水

苔清水修行の僧の霊山に

苔清水というと夏の季語だが自分が行ったのは春だった,でもあの清水はまさに苔清水だったのである。霊山は南朝の城がある前に天台宗の修行の僧が住んでいたのである。
ともかく歴史的に生物学的に地質学的に美的に文学的に宗教的にとか郷土史の範囲は広いのである。
だからとても一人では郷土史は研究できないしそれだけの能力も自分にはない

だから今日花を咲かせるのに植物を扱うのにいかにその実践的知識が必要なのか
一つの花を究めるだけでも大変なのである。すると花の種類も多いからそれにあった扱いが必要となるときそれだけの知識を得ることは不可能だとなる
そのことでもいかに郷土史の範囲が狭いようで広いことがわかるのである。

歴史は必ず教訓を残す (反逆者 北京占領 〜李自成の乱からドルゴンへ〜|中国王朝 英雄たちの伝説)


歴史は必ず教訓を残す

(反逆者 北京占領 〜李自成の乱からドルゴンへ〜|中国王朝 英雄たちの伝説)


明・清の時代3 清の中国侵入


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万里長城は満州族などから侵入を防ぐものだった
モンゴルだけではない,モンゴルと満州族は騎馬民族系統である。
遊牧民だった,だから中国は今の中国では歴史的になかったのである。
明の時代は秀吉を明へ侵攻しようとして朝鮮出兵したのである。
それも明の滅亡に通じていたというのも日本もかかわっていた歴史なのである


中国の歴史は三国志以来同じようなことをつづけている,それは国のカルマだとなる
人民が多いこと国が広大なこと異民族が混じり合うことなどで同じことを繰り返しているのである。
興味深かったのは王が贅を尽くして作った地下宮殿が発見されたことである。
中国の王は始皇帝でもそうだが地下まで来世でも栄華を究めようとしていたのである。
中国では強欲な者はその限りを尽くす,酒地肉林にもなる,そのスケールもまた大きいのである。西安の兵馬様の発見もそうだった

日本の天皇と比べると全然違ったものなのである。日本の天皇はそんな贅沢をしていないからである。日本の支配者は武士社会になってもそんなに贅沢はしていないのである。
それだけの財力を蓄積できない国だったともなる
江戸時代でも侍と庶民の暮らしでも食べ物にそれほど差がないのである。
それはヨーロッパの貴族も贅沢で階級を作っていたからその差ははっきりしている

李自成は黄土高原のヤオトンで生まれ育った貧農の出だった,その住んだ跡が発見されたというが土砂崩れでなくなったという,黄土高原で暮らすこと自体容易でない
それに税を高くされた,飢饉になってもそうである。
飢饉になって木の皮を食べて土まで食べた,土を食べて死んでも食べたという
そのことがパールバックの「大地」に書かれていたがそれは事実を基にしていたのであるそしてそういう人達が必ず流民化するのが中国である。
その数が多いからやがてそういう人達は反乱を起こして時の支配者に歯向かうようになる現代でも一時都会へ出稼ぎ者が流民化していた,鉄道の車両に家畜のように詰め込まれて都会へ大量に移動したのである。
とにかく人口が多いからそうして大量に人間が移動する,そのことが引き金になり反乱にもなる

官僚を厚遇して土地を買って大地主になった福王という大邸宅に住んでいた者がこの李自成の反乱軍に殺された,そして肉にされて鍋でにられて食べられたのである。
中国には人肉の習慣があったのである。中国では大陸では異民族間の闘争は激しくなり残酷になる,みな殺しにもする,日本ではそこまではしない,戦国時代にあったとしても敵味方塚とかを作り戦争が終わった跡はあまり恨んだりしないのである。
中国では敵は墓を掘り出しても刑罰を与える徹底したものなのである。
中国では争いは容赦のない過酷なものになる

李自成の失敗は何だったのか?
「均田免賦」とか徹底した平等を目指した,それは共産主義思想ににている
それが北京の紫禁城を占拠して王になったときその統治に失敗したのか?
それがあまりにも徹底していたためである。

李自成は「追賍助餉」というスローガンの対象を有力な官僚や軍人にも広げ、大量の金銀の提供を命じました。ところが、これに多くの有力者が反発。李自成は応じない人々を処罰。呉三桂の父親も含まれていました。このことが呉三桂が寝返る原因の一つとなったのです。

呉三桂の恨みをかって失敗したとなる,つまり徹底した平等を目指すときそれを簡単にはできない,失敗する,カンボジアの徹底した共産主義も失敗した
一見理想主義でありいいように見えても失敗した
その原因は何なのか?
そもそも人間の歴史を見ればわかる,なぜ人間には金持ちと貧乏人がいてなくならないのか?
この理由は何なのか?
それは何か不正をしているために富をもつものと貧乏になるのか?
そういう一面はあるし福王などは極端だからそうなったことは確かである。
でもすべての富者がそうなのか?それは不正のために富者になったのか?

それだけではない,例えは浪江で畑を作り平に今のいわきに野菜を売って財を成した人は篤農家であり農業技術に優れていたから三人もの娘を大学に出すことができた
そうして富者になったのはその人が優れた人であり努力したからだとなる
同じ農業をしていても全くだめな人もいて失敗している
それは事業でもそうである。失敗する人と成功する人の差がある
別に不正していみんなもうけているわけではないのである。
不正して富者になっているとは限らないのである。
もしそういう人達を否定したら徹底に何をしようと平等にしたらかえって不平等になるのである。
それでソビエト連邦は崩壊したのである。カンボジアでも共産主義は徹底して二百万人が死んだとか大失敗に終わり疲弊したのである。

このポル・ポト政権による強制労働、飢餓、大虐殺による死者は200万人以上とも言われています。1970年代の総人口が約700万人と言われているので、約3割がそれにあたります。そして、ポル・ポト政権崩壊後の国民の85%が14歳以下でした。それだけ大人が殺されたということです。

ここでは悲劇の象徴として骸骨が積み上げられている記念館のキリングフィールドがある
これも徹底した平等を目指すとかえって危険なことになる
今まで積み上げてきたものをみんな否定してしまうからである。

人間は不平等になると飢饉とか苦しくなれば反乱を起すようになる,そして盗賊が王になったというのも中国にはある,盗賊が王になるということはその心情が理解できる
なんであいつは金持ちなのにこっちは貧乏なのだ,金持ちから金を盗んでもかまわない,それは悪いことではない,泥棒にも三部の理があるとなる
そういう人間の気持ちは変わらない,だからそれが大規模になると盗賊が王になっても不思議ではないのである。中国ではその格差が大きいからそうなりやすいのである。
権力をもつとものすごき富が集中して酒地肉林になり豪華な地下宮殿に墓に膨大な人民の税が使われるのである

それが現代の共産主義でも継続されているのである。兆の金が官僚が手にする,共産主義なのに平等をめざしているのにとんでもない格差社会になっているのだ
だからまた反乱が起きてくるとかなるし興味深いのは満州族の住んでいる瀋陽軍区が北朝鮮と一体であり北京に向かい反乱するという観測である
なぜ北朝鮮とか朝鮮がこれまで中国に統一されず生き残っているのか?
それは満州族と一体でありそれでつぶせないということもあるとなる
なぜなら満州族の金という国を起こしてその属国になっていたからである。
つまり歴史的継続からみると満州と朝鮮は一体なのである。
だから北朝鮮の核兵器の標的は北京にも向いているのである
満州族は文字がなくモンゴルの文字を採用していたのである。

いづれにしろ歴史は必ず教訓を残す,人間の個々人でも必ず教訓を残す,だから歴史に学べというとき人間はやはり同じようなカルマを繰り返すものだからである。
国にもカルマがあり個々人にも家族にもカルマがあるからである。
中国ではワイロの国だという時も今でもそうだからである。
ワイロによって外国の企業から官僚に金が入る、するとそこには資本主義の公平さがなくなるのである。それはやがて国がまた格差社会となり反乱が起きるということである。
中国はその歴史,カルマの繰り返しだったとなる