人生百年を生きるヒント
(クリスマスローズ博士のようになるのがいい)
人生百年となると経済的にも備えられない,年金でも国民年金ではもともとたりないからそれだけの用意している人は相当に恵まれている
人生百年となると会社一筋に生きることがすべてではなくなる
会社を退職するとたちまち役割もなくなり社会的にも無用化される
でも会社に勤めてまた趣味をもつということも時間的にむずかしい
ただ会社勤めで得るものはある,それも経験なのである。
人間は何事経験なのである。
この辺で有名な裁縫会社で働いている人がいたが機械の操作がありそれがうまくできなかったという,裁縫の仕事は自分はわからないがそういう体験を勤めれば誰でもする
それで同じものを大量生産する時代が終わり個々人のオーダーメイドとなる
その時AI化するが裁縫する技術をもっている人は失業しないという
裁縫には人間の手が必要だとなる
人間は何か経験を積まない人はいないのである。それはどこかで役にたつ
ただ人間はあらゆる経験ができないのである。
自分は株の投資の経験がないから失敗した,これも経験していればそうはならなかった
銀行の営業の人がプロだと思ったが銀行自体が素人なんら変わりなかったのである。
それも時代が急速に変わり失敗したのである。
自分は会社勤めしていないし会社で働いた経験もない,だからそこで社会性がなく親の介護で苦しんだりした,人間はあらゆることが自分の経験を基にして判断しているのであるそれは本を読んだりしてもわからないことが多いのである
まず外国で生活した人としない人の差が大きいことでもわかる
旅行したくらいでは外国のことがわからないからである。
それも経験の差として現れるのである。
では退職したとき今度はどうそうした経験が活かされるのか?
活かされない場合どうなるのか?それが人生百年では問われる
そのヒントは何か一つのものテーマにして追及すること探求ことがある
常磐高速のセディティで「私はクリスマスローズをやっているんです」というとき
クリスマスローズにはいろいろ種類があったり原種をもっていたり花を咲かせる苦労があるそのことを語る時,その人はクリスマスローズ博士なんだなとも思った
クリスマスローズの専門家であり博士なのである。
それは野草とか花に興味ある仲間がいれば一目置かれるのである。
つまり一芸に秀でることである。それが人生百年では求められているのだ
ただ天才とかになることはできない,自分も凡才であり天才は例外でありまねできないのである。
でも何か普通の人でもあることに詳しくなれるし一芸に秀でることはできる
素人的専門家とかである,それは地域とか郷土史とかの分野でもそうである。
地域といっても広いから何か一つをテーマにして探求すれば詳しくなれるのである。
何かそういう探求するものがテーマとしてもつといいとなる
ただそういことでも定年なる前から少しでもしていれば延長としてできるのである
自分がパソコンのソフトで抽象画ができたのは偶然だったのである。
全く絵を描く才能がないのに絵を描いているというのも不思議である。
第二次作品でも創作している感じになるし外国の人がアメリカの人が十数名定期的に見ている,だから単なる模造品ではなく創作品として認められているともなる
人間はすべて生まれつきの才能でもないことがこのことでもわかる
才能とは開発しないかぎりないともいえる
開発するということが人間にとっては大事なのである。
それは本当は勉強でもそうである。何か暗記ではないもの,開発してゆく創意工夫して学ぶことが大事になる,そうすれば勉強に興味をもつ
自分にはそういうことが全くなかったから勉強に興味がもてなかった
ただ大学でも卒業して旅ばかりして地名とかに興味をもって歴史に興味をもつようになったとかなる
要するに地名でも興味をもてばそこからいろいろ他のことにも興味をもつのである。
ともかく暇な老人が本当に増えているしこれもふえつづける,何かうろうろしている人が増える,図書館で暇つぶししている老人もいる
パークゴルフ場では暇な老人で盛況である。
それだけ暇な老人が問題になもなっているのだ
その人たちが社会で有益なことができない,無用化しているのである。
苔に興味をもって朽木にあしらうことに工夫している人もいる
それは金にならないにしてもそれもその人だけにできることであり創意工夫しているから一目置かれる,陶芸の方は本当の専門家だから簡単にはできないが何か素人でもできるものがある
この社会でも自然でも多様だからこそ何かテーマにして専門家になれるのである。
ただそれを退職してからはじめるとなるとかなりのハンディキャップになるのである。
それが大きな人生百年の問題なのである。
ただスクールが暇が語源なときまさに退職後にまたスクールに学ぶ時代が来たともなる
それは今までのスクールではありえない,何か創意工夫を学ぶスクールになる
郷土史じも自分の家のことには興味があるからその歴史をたどりそこから郷土史に興味をもつとういことがある
苔に興味かある人は塚部(かのべ)に住んでていそのことをしきり言っていた
相馬と伊達の境の地域でありそこから郷土史を見ることができる
でもそこに住んでいないとわからないのである。
地理的なことが近くでもわかりにくいからだ
いづれにしろその住んでいる地域の専門家にはなれるとなる
そこに一番の強みがあるからだ,そこに住んでいる人がやはり一番地理でもわかるからである
だからそこに住んでいる人から話を聞けば郷土史の発掘になるのである。
人間は灯台下暮らしであり身近なことが意外とわからないのである。
身近なことに興味をもたないのである。だから人間は常に自ら開発しないかぎり発見もできないのである。
そういうことで人生百年は様々なことが発見されるそれぞれが一つのことについてテーマで博士になることが望まれるともなる
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